小鳥「雪の降る夜」(28)
10年に一度という大雪に見舞われた関東。
そんな日でも私は仕事で事務所にいます。
「うそ、電車が動いてない!」
夜も20時を回った辺りで鉄道の運行状況を調べてみると、都内の鉄道網は全滅。
辛うじてメトロの一部が遅れながらも運行しているという状況だった。
「これじゃあ帰れないじゃない···。」
誰もいない事務所のデスクで独りごちる。
そう、今この事務所には私しかいない。
プロデューサーさんは皆を送りに行ってるし、律子さんも竜宮小町の収録に付き添って今日は直帰の予定だ。
「はぁ、仕方ないわね。今日は事務所に泊まりましょう。」
うら若き乙女が会社に寝泊まりするのは如何なものかとも思うが、この雪が降る、ともすれば吹雪いている状況下で歩いて帰ろうとはとても思えないのである。
不幸中の幸いとも言うべきか明日は休みなので朝に帰ればそれでいい。
最近は竜宮小町並びに皆が頑張ってくれたお陰で事務所に仮眠室が設置されたため、流石にソファーで寝るような事態は避けられる。
「お腹もすいたし、コンビニにでも行きましょう。」
実は事務所にはロケ等でお世話になった農家などからいただいた野菜や米が備蓄として置いてあったり。
しかしここで調理する手間と、目と鼻の先の距離にあるコンビニで買ってくる手間を考えると後者の方が楽なのだ。
出掛けようとコートを羽織ったところで事務所の扉が開きました。
「た、ただいまかえりました···。」
意外な人物がそこにいました。
「あ、あずささん!どうしたんですか!?」
収録があった竜宮小町は律子さん同様全員直帰だったはず。
「駅で迷ってしまいまして···。携帯電話も電池切れで···。」
何ともあずささんらしい理由ではあるがこの極寒の中迷いながら歩いてここまで来たのだろう。
あずささんは見るからに凍えて震えていた。
「とりあえずこれを羽織ってください。」
私が着ていたコートをひとまずあずささんにかけて給湯室へ。
やかんに水を入れ火にかける。
お湯が沸くまで大分時間があるのでその間にデスクに戻り、引き出しからカイロを取り出してあずささんに手渡した。
「気休めでも多少は暖まるはずですから。」
封を切って小さなカイロを手で揉む、お湯が沸く頃には暖かくなってるはずだ。
暖房はついているがあずささんはまだ震えている。
無理もないだろう。
雪のせいで足から冷えるのだ、寒さと痛みに耐えながら歩くのは私が思うよりも辛い行程だっただろう。
給湯室からお湯が沸いた事を知らせる甲高い音が響いた。
すぐさま移動してお茶を入れる。
残ったお湯をバケツにぶちまけ、そこに水を足してぬるま湯を作った。
ソファーでコートを羽織り丸くなっているあずささんの元へお茶を運び、その後バケツも持っていく。
「あずささん、これに足を浸けてください。」
即席の足湯だが、今はこれだけでも震えは改善されるだろう。
「すみません、小鳥さん···。」
体だけでなく声も震えている。
いつもの朗らかな笑みも消え、辛そうな顔をしていた。
もそもそとストッキングを脱ぎ、冷えた足を促されるままバケツに浸けるあずささん。
「あ、温かい···。」
足を浸けたままお茶を飲むと次第に震えは収まっていった。
「ありがとうございます、小鳥さん。」
そう言うとあずささんは深々と頭を下げた。
「い、いやいや!あずささんが風邪でも引いたら大変ですから!」
「でも、小鳥さんがいてくれて本当によかったです。」
「あ、あはは。帰れなくなっちゃっただけなんですけどね。」
「まぁ、そうなんですか?」
「はい、この大雪で電車が軒並み止まっちゃいまして。」
そこまで言ってふと疑問が沸いた。
「あずささんは、帰れるんですか?」
その質問に首を傾げるあずささん。
「どうかしら、迷わなければなんとか···。」
「事務所に泊まりましょう。」
ノータイムだった。
ここに来るまでであれだけの状態になってしまったのだ、そんなあずささんをこのまま放り出すわけにはいかない。
「まぁ、でも、いいのかしら?」
「大丈夫ですよ、仮眠室もありますから。」
「うーん、そうねぇ。それじゃあ泊まろうかしら。」
正直、このまま帰してしまうより近くにいてもらった方が気が楽なのである。
「あずささん、ご飯食べました?」
と言った瞬間、腹の虫が元気な声をあげた。
「すみません······。」
顔を真っ赤にしながら消え入りそうな声である。
不覚にも可愛いと感じてしまった。
普段から可愛らしいとは思っていたが、純粋に可愛いと思う。
「私もこれからご飯を買いに行こうと思っていたので大丈夫ですよ。」
「雪の中ずっと歩いていたのでお昼から何も食べていなくて···。」
「あずささんはここにいてください、私コンビニ行ってきますね。」
コートを返してもらい出掛けようとドアに手をかける。
そのまま開けようとした時、裾を引かれている事に気付いた。
「あずささん···?」
「独りに、しないでください···。」
俯いて表情を窺い知ることは出来ないが、普通の状態でないのはわかった。
「ずっと独りで歩いてたのが寂しくて···だから···。」
懇願するように顔を上げたあずささんの瞳は涙に濡れていた。
吹雪の中迷子になって、助けを呼ぶこともできず歩き続ける心細さはどのくらいのものなのだろうか。
私にははかり知ることは出来ないが、きっと相当なものなのだろう。
その姿に胸が痛んだ私は備蓄使うことにした。
「事務所にこんなに食材があったなんて···。」
「これも皆が頑張ってくれた結果の1つですよ。」
流石にずっと置いておく訳にもいかないので悪くなる前に私やプロデューサーさんが持って帰って処理しているのだが。
「あの、小鳥さん。」
何を作ろうか考えているとあずささんから声をかけられた。
「そこまでしてもらうのは悪いので、晩ごはん、私に作らせてください」
思わぬ申し出だった。
「そ、そんな。大丈夫ですよ。」
「いえ、帰って来てからずっと小鳥さんに良くしてもらっているのでこれくらいはさせてください。お礼にもならないかもしれないですけど···。」
私は気にしないのだがそれでは気がすまないらしく結局お願いする形に。
給湯室ではあずささんが今料理中だ。
食欲をそそる香りが鼻腔を刺激する。
「お待たせしました~。」
あずささんが出来た料理を運んできた。
「わ!美味しそう!」
「お口に合うといいんですけど···。」
自信なさげに呟く。
「いただきます!あむっ。ん~、すごく美味しいです!」
「本当ですか?」
「勿論ですよ!いくらでもいけちゃいます!」
「まぁ、うふふ。」
「あ、やっと笑ってくれましたね。」
「え?」
先程からずっと暗い顔していたあずささんだったが、やっと普段の笑みが戻って来た。
「うん、やっぱりあずささんはそうやって笑顔でいてくれるのが一番ですよ。」
「あ、あらあら···。」
照れているのか所在無げにしている。
「ふぅっ、ごちそうさまでした!」
「お粗末様でした~。」
美味しい料理でお腹も膨れ暫くはあずささんと会話を楽しんでいたが、すぐに眠気が襲ってきた。
「そろそろ寝ましょうか。」
「はい。···小鳥さん?」
「何ですか?」
「仮眠室はこっちですよ?」
「私はソファーで十分です。ベッドはあずささんが使ってください。」
私が言うとあずささんはすぐさま声を張り上げた。
「ダメです!体を痛めてしまいますよ。」
仮眠室にはベッドは一つしかないので、必然的に一人しか使えない。
だったら大事なアイドルのあずささんが使うのが道理だ。
翌日が休みの私はソファーで寝ても大した支障はない。
「私の事は気にしないでください。大丈夫ですよ。」
「でも···。」
先程までの笑顔がみるみる翳っていく。
「元々小鳥さんが使うつもりだったんでしょう?」
「まぁそうですけど。あずささんが体を痛めてしまうよりは全然いいですよ。」
「だったら、二人で使いましょう。」
「······へ?」
急な申し出に素頓狂な声を出してしまった。
そのまま押し切られる形で、私達は同じベッドに横たわっている。
「うふふ、小鳥さん温かい。」
「あああずささんも温かいですよ···。」
腕にしがみつかれいい匂いと温かさと色々柔らかさを感じる。
「小鳥さん。」
「ひゃいっ。」
狼狽えてまともに返事すら返せない。
「今日はありがとうございます。」
突然感謝をされて面食らってしまった。
「雪の中ずっと歩いて、本当に心細かったんです。でも、何とか事務所に着いて小鳥さんがずっと良くしてくれて。」
腕に抱きついたまま言葉を紡ぐあずささん。
「私、本当に嬉しかったんです。」
言葉とは裏腹に、声は震えていた。
「あ、あはは。何か照れちゃいますね···。」
何て言葉を返せばいいのか迷っていると、隣から寝息が聞こえてきた。
疲れていたのだろう、安心したのか眠ってしまったようだ。
眠るあずささんの顔は穏やかで、気持ち良さそうに眠っている。
起こさないように髪を軽く撫でた。
「おやすみなさい、あずささん。」
おわり
終わりです。
豪風雪で止まった電車の中でぽちぽち書いてみました。
本当なら昨日の内に投下したかったのですが全部雪のせいだ。
そんな訳で短いですが少しでもお楽しみ頂けたら幸いです。
それではお目汚し失礼いたしました。
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