モバP「あの頃僕はまだ若くて、酒に酔っていて、恋をしていたんです」 (243)



アイドルマスター シンデレラガールズのSSです。



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塩見周子「やっほーPさん。今日もまたご飯食べさせてよ」

P「ほれ、都こんぶ」

周子「にくいね~。でも喉かわいちゃうかな~。
  お茶が怖いな~」

P「飲み差しでよければやるぞ」

周子「ん~梅昆布茶ね。こぶがダブっちゃうかな」

高峯のあ「……」つ旦

P「どうものあさん、いつもおいしい梅昆布茶ありがとうございます。
 このとろみがたまりません」


のあ「……完璧でなければ面白くないわ。
  ……器を2つ用意した意味……Pは理解している?」

周子「こっちは白湯なのね。のあぴょんシューコに優しいから好きかなー。
  どっか食べに連れてってくれたら、Pさんの事も好きになっちゃうかもなー」

のあ「……貴方、仕事をしなさい。私の為に。
  運命の女神が与えたもうた宿命を拒絶せねばならないわ」

P「仰せのままに。そんな訳で今日は駄目だ。
 のあさんみたいに働いてくれるなら、俺も周子の事好きになるよ」

周子「あちゃー、Pさんそれは気色悪いわ。ドン引きかなーって」

P「ほっとけ、こちらとてこのままだと魔法使いへ向けて一直線なんだ。気の利いた言葉なんて言えませんよ」


速水奏「のあさんの梅昆布茶美味しいって評判よね。特にPさんから」

P(自虐をスルーされるとそれはそれで悲しいが、すかさず話題を変えてくれるのはありがたい。
 だけど奏、背中に爪を立てるのは止めてくれ。俺が何か悪い事したみたいじゃないか)

のあ「クリームで窒息させるだけが猫の殺し方とは限らない。
  ……気まぐれな戯れに私の愛液をたっぷりと入れてあるの」

P「( ´゚Д゚)・;'.、カハッ」

奏「コツはあるのかしら? 試してみたいわね」

のあ「お茶を入れたら美味しくなーれ美味しくなーれと声をかけるのよ……可能性を信じることね。
  猫にも王様は見られるの」フキフキ( ´∀`)つ□(;;-;д;-:;)

P(ああ愛情ね、びっくりした。よりにもよって愛液と聞き間違えるとは―――溜まってるのかな。
 慣れない仕事に手いっぱいで処理する気分になれなかったし)


周子「ねーのあぴょん。なんでヌードモデルのお仕事なんて探してきちゃったの?
  美大生達相手でも恥ずかしくなかったかな」

のあ「衣装はただの外装、私の本質ではないわ。私という個は不変の存在。
  私はPの求める役割を得て……ファンを魅了する。それが私たちの……相互に繋がった……関係」

P(成る程、周子と奏には俺がのあさんみたいに脱げと命じた様に聞こえたのか。そりゃ年頃の娘さんには嫌われるわな。
 確かにのあさんの肢体は眼福だったが、芸術的でいやらしい意味には受け取れなかった。まあ後で2人にフォローはしておこう)

周子「また鼻の下のばしてる。Pさんどこ見てるのかバレバレだから」

のあ「全ての事象は可能性に基づく……起こり得ることしか起きない……。
  私のこと……貴方が私のことを考えるのに……理由が必要だとでもいうの」

奏「隠し味は愛情って言うけど、気づかなければ意味ないわよねぇ。
 私は早速試してみるけれど……Pさんは顔、洗ってきた方が良いと思うの」
 『Pさんこういう時の言葉って大事よ? もう、鈍感なんだから……』

P「ならお言葉に従って休憩入れますよっと」
 『胆に銘じておきます』

塩見周子(18)
http://i.imgur.com/t9SSiSx.jpg

高峯のあ(24)
http://i.imgur.com/WGKJHSJ.jpg

速水奏(17)
http://i.imgur.com/nN2abxA.jpg




川島瑞樹「はいP君、おしぼりよ」

P「ありがとうございます。
 トイレから出るなり即渡されると、そういった御店みたいですね」

瑞樹「そう感じるのならば、そういった経験もあるのよね。
  お酒は付き合わないって聞いていたのだけれども、いかがわしいお店へ通っているのかしら?」

P「飲めますけれど悪酔いしますので、僕お酒は控えているんですよ。
 それと御店については接待の場でもありますので、お察しください。
 ただ個人的には好ましい場ではないとだけ述べておきます」

瑞樹「残念。飲めるんだったら今日の女子会へ参加して欲しかったのに。
  なんと文香ちゃんが女子会デビューなのよ。一緒に楽しまない?」

P「女性同士おしゃべりに楽しく花を咲かせてください。
 僕は独り寂しく家でDVDでも見ていますから」

瑞樹「それってエッチなビデオよね。
  まあPくんも若いし、彼女のいない男の子だと仕方がないわよね」

P(図星なだけに反論できない)
 「川島さん。今の時代は全部DVDソフトですので、ビデオ呼びは年齢面で問題かと愚考いたします」

瑞樹「メっよ。お姉さんをからかうなんてイケない子。
  テープもソフトも全部ビデオ呼びで大丈夫なの。ビデオは映像の意味だし引っかかったりしないんだからね。
  お見合いに失敗したって話を聞いて、慰めてあげようと思ったのに」

P「よくある事ですから。もう何連敗なのか数える事も止めました」

瑞樹「何が悪いのかしらね。P君の顔は下の上ってとこだけど味があるし、万人受けはしなくても好みの人もいると思うのよ。
  ほらあのぴにゃこらた人形みたいで私の好みでもあるし、もっと自信を持って大丈夫よ」

P「何が悪いって訳ではないんですよ。ただ何となく気に入っていただけないだけなんです。
 幸い社長は顔が広いので、またいずれどなたかを紹介してくださればと思っています」

 これは本当の事、嘘では無い。だから勘のいい川島さんでも真実へはたどり着けなかったのだろう。

瑞樹「でも何度も失敗してばかりだと、社長の顔に泥を塗るし先方も良い顔をされないんじゃ?」

P「確かにそうですね。ですが見合いを通じてより良い関係を築けたと、結果的に社長の人脈は深まるばかりですよ。
 手間と恥をかかせた分、プロデュース業に精を出して恩返しをするつもりです」

 そう、あれは絶対に成立しない見合い。相手女性は必ずしも結婚に前向きな人ばかりではない。それは何よりも社長が良く知っている。
だから僕が選ばれる、なんとなく不合格の相手として。世の中には見合いを行ったとの建前が必要なのだから。

瑞樹「じゃあ私のプロデュースもしてもらいましょうか。P君がやる気を見せるだなんてこれは大事件よ。
  もう今夜の予約は入れちゃうからね。今日を新生P君の記念日にしちゃいましょう」

 今まではただなんとなく生きてきた。
だからこの時もただ何となくどうにかなるだろうと、そんな風に僕は考えていた。

川島瑞樹(28)
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和久井留美「Pさん、今日は記念日と聞いたわ。
      私と貴方の大事な日ということでいいのかしら?」

P「はい。鷺沢さんが初参加と聞きまして、新参者同士親睦を深める事が出来ればと。
 和久井さんの初参加には御一緒できませんでしたが、今日をその代りの大事な日にしたいですね」

瑞樹「留美さん、油断してると食べられちゃうわよ。
  なんと今日はP君がプロデューサーを目指すと宣言したんだから」

千川ちひろ「えっ! Pさんてプロデュース志望だったんですか。
     てっきりこのまま社長の鞄持ちになるものだとばかり」

P「まあ、その辺はおいおい話しますよ。それよりも女子会って事務所での御茶会だったんですね。
 川島さんの口ぶりからお酒の場かと思って、二の足を踏んでいたのですが」
 (ちひろさんが参加しているとは思わぬチャンス。これを機にもう少しお近づきにならなくては)

瑞樹「だってお酒飲むの私だけなんだもの。あーあ、P君に付き合って欲しかったわ。
  手酌で一人酒だなんて、ミズキ寂しい」

鷺沢文香「川島さん……紅茶私がお注ぎしますから……。
    叔父さんは美味しいって褒めてくれますし……自信はあります」

ちひろ「正客の文香ちゃん未成年ですし、今日は御茶会ですよ。
   ちなみに私マイカー通勤ですので、お酒の場は何時も御遠慮させいただいてます」

黒川千秋「食前酒位はいただくけれど、川島さんのペースには付き合えなくて」

P「和久井さんは飲まれないんですか? お誘いは多いでしょう」
 (うーむちひろさんの近くに座りたかったが、隣は黒川さんがいるのか。こういった場へ顔出すような人には見えなかったけれど。
 正直苦手なんだよなー、のあさんとは違う意味で人を寄せ付けないオーラバリバリ出してるし)

留美「飲もうと思えば飲めるのだけれども前職の癖が抜けなくてね、未だにお酒は楽しめないの。職業病よね」

P「と、言われますと」チラチラ
 (そして鷺沢さんに至っては無口すぎてどう扱えば良いのかまったく判らない。
 幸い席は隣だし、まめに表情を観察しながら手探りで話題の反応を探そう)

留美「お酒を飲むと人間口が軽くなるでしょう? だから機密を扱う秘書はお酒を飲まない事が良しとされるのよ。
  実際私に声をかけてくる男も産業スパイとかばかりで、魂胆が透けて見えるから丁重にお帰りいただいていたわ。
  酷いのになると私が小学生時代に転校した友人の婚約者を偽ってアポを入れてきたりするのよ。まったくどこで調べてくるのかしら」

瑞樹「私の分にだけはブランデーも入れてね。それじゃ親睦会の始まり始まり~~。
  皆、本音で語っても大丈夫よ。そうやって仲良くなれるんだから」

座席
  ちひろ 千秋
留美□□□□□□モバP
  瑞樹  文香

――――


文香「……」

千秋「……」

瑞樹「それでねそれでね、もうPaPさんの音葉ちゃんへのアプローチが凄いのよ」

P「パッション部門の親睦会、先週はバーベキューでしたよね。
 PaPさんが梅木さん誘う場に周子も居合わせたらしくて、一緒に御呼ばれされたって話してくれました」

留美「PaPさんの音葉ちゃんを見る目、獲物を狙う野獣のそれよね。
  本気でパッションへと引き抜こうとしているんじゃないかしら?」

ちひろ「皆さん想像豊かですね~。でも藍子ちゃんと音葉ちゃん仲良しですし、ユニット組んだりしちゃうかも」

瑞樹「誘いが来るうちが花よね。音葉ちゃん羨ましい。
  お正月もクリスマスも誘われたって食事なんて無理よ、特番あったんだから。
  断るしかないのに男共ときたら御高くとまってるだなんて陰口叩いて、若い子をちやほやし始めるんですもの」

文香「……」

千秋「……」

ちひろ「俺と仕事とどっちが大事なんだって奴ですね。
   実際そんな場面になったら大変でしょうね。事務所にカミソリレター送られた事もありましたし」

留美「CuPさんの話ね。後腐れなく決着がついて本当によかったわ」

P「その辺り詳しくお願いします。まだ事務所の事をよく知らないもので」

留美「そんなに気分の良い話じゃないわよ。CuPさんが奥さんを―――当時はまだ内縁の彼女ね、妊娠させてしまったの。
  だけどそれが分かった時にはCuPさんアメリカツアーの最中で、全然連絡取れなくてね」

ちひろ「お二人は両家の顔合わせも済ませていましたし、おめでた自体にそこまでの問題はなかったんです。
   でもその時奥さんパニックになっちゃって」

留美「常日頃から誕生日・クリスマス・初デートと記念日をアイドル優先ですっぽかされる上に、CuPさん碌にフォロー入れてないものだから」

ちひろ「奥さんCuPさんがアイドル達と浮気してるって妄想に取りつかれて、こう別れて下さい的なお手紙をですね」

文香「……」

千秋「……」

P「すみません、気軽に聞くべき話ではなかったですね」

留美「不幸な行き違いが重なっただけのことだし、CuPさんが結婚を前倒しして丸く収まったのだからあと何年かすれば笑い話になるわ」

ちひろ「この空気やっちゃいましたか、つい口が滑っちゃって。
   じゃあ話題を変えて、この件以来社長はお見合いの斡旋に力を入れだしたんですよね」


瑞樹「結婚! そうよ、この際もう女の子でもいいわ。ルーミン私を養って」
  (さすがに見合いの話題はまずいわね。P君がこれ以上落ち込んだら文香ちゃんの女子会デビューが台無しになっちゃう)

留美「もう酔ったの? 文香さんブランデーどのくらい注いだのかしら」

文香「……」オロオロ

瑞樹「いいじゃない、こないだマンション買ったって言ってたし。花嫁修業もしたいのよ」
  (御願い留美さん捨て身の私に気付いて。とにかく話題を変えたいの)

留美「! 代官山にね中古だけどとても良い物件があってね、思わず買ってしまったの」

ちひろ「すごいなー憧れちゃうなー。和久井さんて資産家だったんですね」

留美「でもそのおかげで前職の蓄えを吐き出しちゃって、懐が寒いのよ。
  P君プロデュース志望なんでしょう。私の担当になってくれないかしら? お仕事がしたいのよ。
  それか―――良い人を紹介してくれても構わないのだけれど。立候補してみる?」

P「良い人と言われましても、人には好みが有りますしね。
 例えば僕は髪の長い女性が好きなんですけれども、ちひろさんはどんな男性が御好みですか?」

ちひろ「ホントですか~? Pさん周子ちゃんと随分仲良さそうに見えますけど。
   私が仲良くさせて頂いている男性ですと、ついこの間までジョージ・ワシントンに浮気をしちゃってまして。そろそろ本命に戻ろうかな~と考えているんです。
   満期を迎えれば福沢諭吉のおじ様が満面の笑顔で迎えてくれるんですよ。やっててよかった外貨預金、好景気様々ですね」

P「そう……でしたか。参考になります」
 (ガード固いなーちひろさん。髪が長いってだけじゃ気付いては貰えないか)

千秋「御付き合いする相手に特に好みと言ったものはないわね。どうせ父が決める事だし。
   幾人かの求婚者のどなたかと、折り合う事になると思うわ」

P(えっこの話題に食いつくの! それって自慢? まずいでしょ川島さんに追い打ちかけちゃ)

文香「……」じー

P「鷺沢さん何か」

文香「……昼間……Pさんは御自分を魔法使いと仰っていましたよね……どの様な意味なのでしょう?」

P「( ´゚Д゚)・;'.、カハッ」
 (どこからどう見ても清純派な鷺沢さん相手に自虐の下ネタを話せと。これが自業自得って奴なのか……神様助けて下さい)

文香「私……気になります」じー

P「それは童貞の事です」
 (終わった。下手に誤魔化すのも無理があるし、正直に言えば引かれるだけでなんとか……いややっぱり無理だろ嫌われるに決まってる。
 この状況を御褒美だと言える程、上級者じゃないよ俺。女の子から白い目で見られるのって心が痛むんだよな~)

瑞樹「魔法使い宣誓」

留美「夜が深まり、今灰被りの嘆きが聞こえる」

ちひろ「我が命尽きるまで妻を娶らず、財を得ず、子を作らず。冠をかぶらず、栄光を掴まず。生涯我が責務を全しよう」

留美「我は南瓜の馬車。我は豆拾いし鳩。我は灰被りを見守るはしばみ」

ちひろ「我が命と名誉を硝子の靴に誓う、この灰被りとこれから嘆く全ての灰被りの為に」


瑞樹「社長室に飾ってあるアイドルマスターの碑文よね」

P(何それ僕知らない)

留美「カビの生えた古めかしいだけの宣誓よ。今時守ろうとしているのは社長位よね、未だに独身を貫いているし」

ちひろ「プロデューサー就任時に希望者は誓いを立てる事が許されていますけれど、私の知る限り誓ったプロデューサーは一人もいませんね」

文香「……そうですか……プロデュースとは辛く厳しい道程なのですね」

千秋「御免なさいPさん、貴方の事を誤解していたわ。
  その日その日をただ何となく過ごしているだけの昼行燈みたいな人間だと判断していたけれど、そんなにも高い志を持っていただなんて」

P「あーいえその、ほら僕社長の鞄持ちもやっていましたのでその際に訓示を頂きましてね。単なる受け売りですよ。
 それにプロデュースコンペに合格するまでは、口先だけの見習いマネージャーですから。あまり真面目に受け取らないで下さい」
(黒川さんあなたの見立ての通りです。僕らは碌に話した事がないのに人物像を的中させるだなんて、人を見る目が有りすぎる)


瑞樹「謙遜は美徳だけれども、度が過ぎると嫌みになるわよ」
 (ふふ、P君ったら皆の前でカッコつけたかったのね)

留美「カップも空になったし、此処までにしましょうか」
  (男の子って本当に単純よね、焚き付ければやる気になるんだから)

ちひろ「とても楽しい御茶会でしたよ。事務所閉めますのでお忘れ物無いよう願います」
   (髪の長い子だと、デビュー候補は文香ちゃんと千秋ちゃんですよね。上手くお二人のプロデュースができるよう応援しています)

 何故あの場に3人もの女神が存在し、手助けをしてくれたのかは分からない。
だけどあの日を過ぎてからもプロデューサーを目指す気は欠片もなかったこの僕が、取り返しのつかない言葉を口にしてしまった事だけは確かだった。


和久井留美(26)
http://i.imgur.com/mLkTwdF.jpg

千川ちひろ(??)
http://i.imgur.com/CaaueDt.png

鷺沢文香(19)
http://i.imgur.com/xUgleKC.jpg

黒川千秋(20)
http://i.imgur.com/SWPFfLU.jpg




文香「送っていただき……ありがとうございました」

P「いえいえ、このくらい当然ですよ。それではおやすみなさい」

文香「あの……宜しければ……どうぞ中へ。お茶を差し上げたいので」

P「それだと僕が送り狼になってしまいますよ。鷺沢さんはもう少し警戒心を持って下さい」

文香「大丈夫です……一時間もすれば叔父さんが帰ってきますから。
  夜風で体も冷えたでしょうし……一杯だけでも……」

P「そこまで言われるならば、上がらせていただきます」
 (袖をちょこんと掴まれるだけでも、断る気が消えてしまう。鷺沢さん小動物系でカワイイ)

―――

文香「どうぞブランデー紅茶です……叔父さん秘伝のレシピですが……Pさんにだけ特別です」

P「どうも、頂きます。確かにこれは体が温まりそうですね」

文香「実は……アイドルという仕事を……まだ理解できている自信がありません」

P(そうか、不安だったんだな。もしかしたら女子会への参加も先輩アイドルに悩みを打ち明けたかったからなのかもしれない。
 なのに僕らはどうでもいい事ばかり話してしまって―――いや反省は何時でも出来る)

文香「……人と話すのは……苦手です」

P(彼女にとって僕はプロデューサーなんだ。本当は無気力な見習いマネージャーなのに、嘘を吐いてしまった。
 何時かは真実が明らかになるだろうけれど、今日ぐらいは嘘を本当にしても良いだろう)

文香「……目を合わせるのも苦手で」

P(真剣に彼女と向き合わないと……あれ、駄目だ。瞼が重い~~~)

P「ハッ、あれ、ここは。もしかして僕寝てました?」

文香「……数十秒程ですが……もう1杯どうぞ。
   ……もし……アイドルになったら、何か変われますか? ……私も」

P(川島さんも酔っていたしこの紅茶、酒豪の為の配合なんじゃ~~~)

文香「……あの、すみません」


文香「Pさん、Pさん寝てるんですか? ……それじゃあ、靴下脱がしますね」

P「zzz」

文香「やっぱり、お仕事が忙しくてぜんぜん手入れ出来てませんね……すごく臭いです」スンスン

文香「いただきますね。ん、しょっぱい……もっと涎で柔らかくしないと」ハムハム

文香「知っていましたか? 古代人の夫婦は愛情を示す為にお互いの足の爪を短く食いちぎっていたんですよ」ガシガシ

文香「御茶会の時、あんなにも情熱的な目で見つめられて……Pさんも気がついて下さったんですね」ぺろぺろ

文香「Pさんは先のサタンの反乱によって、エデンを追われた私のアダムなんです」ぴちゃぴちゃ

文香「歯応えがあって美味しい。全部私が食べてあげますね」ポリポリ

文香「イブはアダムの肋骨から生まれました。ですからPさんの骨を求めるのは自然な事なんです」ごっくん


P「ハッ、あれ、ここは。もしかして僕寝てました?」

文香「……20分程ですが」

P「このひざ掛けは?」

文香「私の予備です」

P「すみませんでした無礼な真似を。
 もう良い時間ですのでお水いただいたらお暇致しますね。お酒抜いておきたいので」

文香「はい……おやすみなさい」

P「叔父さんにもよろしくお伝えください。秘伝の紅茶確かに美味しかったです」

文香「また……何時でも……どうぞ……お待ちしています」




P「奏、お茶を入れてくれないかな?」

奏「あら、どんな風の吹き回し? 火遊びがしたいのかしら、御勉強忙しいんじゃないの」

P「きりが良から休憩にするよ。のあさんからコツを教わっていただろう? 奏のお茶はどんな味になるのかなって思ってさ」

奏「なーる。それじゃ味を確かめて貰おうかしら」

――――

P「味が無い」

奏「白湯だもの」

P「その心は?」

奏「何も入れていないって事よ」

P「そうか俺は奏の愛情を受け取れないんだな。ショックだ」

奏「誘って惑わせるから誘惑っていうのよ。確かに釣り餌は魅力的だけれども誘いに乗るのはねえ、罪つくりさん。
 噂になっているなか、媚を売るのは露骨じゃない」

P「不勉強でな、その噂と言うのが分からない」

奏「ウチのアイドルは大半がセルフプロデュースでしょう?
 そんな中でプロデューサー候補が現れたとなれば、騒ぎにならない方がおかしいわよ」

P「候補も何も、まだ社内コンペ用の企画書すら提出していないんだが。昨日の今日の話だろう。
 奏は羅針盤のあるアイドル活動に興味はないのか? それともやっぱり俺が担当になるのは不満があるのかな、これはもしもの話だけれども」

奏「私はね選ばれたいんじゃないの、選ばせたいのよ。Pさんに、私の事を、ね」
 『本当はプロデュースなんて受け持つ気はないんでしょう? 言葉を選ぶよう忠告したはずだけど』

P「皆が奏の様に、察しが良いと楽なんだがなあ。それとなく黒川さんにでも伝えてくれないかな、直接言うのはちょっとね」

 この時もまた奏は囁きながら僕の背に軽く爪を立てていた。今にして思えばあれは奏なりの最後通牒だったのだろう。
だけど僕の舌は滑らかに口を突き、放たれた言葉を取り戻す事は出来なかった。


千秋「小言があるならばありがたく拝聴するわよ。それが私を高めてくれるものであればですけれども」

P「( ´゚Д゚)・;'.、カハッ」
 (げえっ、黒川さん)

奏「今ねPさんの秘密について話していたのよ。見てあげて」

千秋「簿記の教本よね。どうしてPさんが勉強なんてしているのかしら」

P「見習いを卒業したら自由時間も取れなくなりますので。配置変更願いを出す前に経理の勉強をしておきたかったんです。
 何の実績も無いと申請は却下されますからね」

千秋「ますます分からないわね。Pさんはプロデュース志望なのでしょう? 簿記が私とどう繋がるのかしら」

P(内勤の事務職になれば、ちひろさんの近くに毎日居られるからな。
 外勤と違って業務時間はほぼ固定だし、食事に誘う機会も増やせるはず。とは言えこれを直接話すのは恥ずかしいな)

奏「新人じゃ大きな企画を出しても信用されないから、社内コンペではプロデュース予算と採算性の面から数字を出して攻めていくそうよ」

千秋「身の程を知りまずは足元を固めろと言いたいのね、耳が痛いわ。別にレッスンを疎かにしていたつもりはないのだけれど。
  心の底にあるデビューの叶わない現状への不満と焦りが動きを鈍らせて、オーディションでは審査員の不評を買っていたのね。
  確かに経営者の視点に立ってみれば、ぽっと出の新人には大きな仕事を任せたくはないわ」

P(あれ?)

奏「鳴かず飛ばずだった篠原さんは専任が付いてから、オーディション巡りをせずディナーショーで荒稼ぎしているし羨ましい話よね。
 自分の事を理解してくれて、魅力を引き出すお仕事を作り出してくれる人が何時でも傍にいるんだから」

千秋「そうよね、トップへと至る道は1つだけじゃない。だけれども遠回りこそが最短の道だとはにわかに信じられないのよ。
  普段からあっちへふらふらこっちへふらふらしているようにしか見えないPさんだからこそ、辿り着ける境地なのかしら」

P「急がば回れとの格言がありますので」
 (また話がおかしな方向へ進んでいるな。奏は俺に何をさせたいんだ?)

千秋「御茶会に続いて有意義な時間だったわ。新たな視点を得て今日のレッスンは実りあるものになりそうよ。
  高く飛ぶ為にも、まずはもっと低く屈んでみせるわ」


P「御代わりを頼めるかな?」

奏「……優しいなぁ。そのせいで傷つく人もいるのに。……ひとりごとよ」

P「全部俺が悪いんだろう。それぐらい分かっているよ。
 奏には何度も助けてもらっていたし、今回に限って文句を言うのは筋違いだ……もちろんこれはひとりごとだけど」

奏「ふふっ、気付いたことは褒めてあげる。そういうトコロ、大事だよ。色々言ったけど、女は嘘つきなの」
 『特に誰が聞いているのか分からない事務所ではね。体面と本音を使い分けられるのが大人のいい所よ♪』

P『心配しなくても大丈夫。自分が付いた嘘だ、責任を取って企画書は締切までに提出するよ。
 だけどそれだけだ。多分俺が奏の担当に割り当てられる事は無いよ』

奏「Pさんが誰を担当するかは分からないけれど、皆が信じてるから。女の期待応えてみせてよ」

P「甘いね。隠し味、今回は分かったよ」

奏「ココアが甘いのは、甘くなって欲しいからよ。二人の関係が、ね」

P「ほろ苦さも……嫌いじゃないけれど」

奏「誰でも甘い方が好きよ……色々ね」

 背の爪痕が疼いた。
この痛みを忘れないうちは、きっとまだどうにかなるだろう。そんな風に考える僕は、まだ若くどこまでも愚かだった。




P「ただいまー」

周子「おかえりなさい、Pさん。ベッド借りてるよ」

P「そうか」

周子「……」

P「……」

周子「怒らないんだね」

P「まあな。仕事がしたいから静かにしててくれよ」

―――

周子「……」

P「……」

周子「何も聞かないんだね」

P「合鍵捨ててなかったんだな」

周子「捨てたよPさんとこの植木鉢の中に、で今日それを拾ったの」

P「そうか」
 (駄目だな、二時間悩んでもプロデュース案が何も思い浮かばない。元々やる気はなかった上に、誰をプロデュースするかも決めていないしな)

周子「何も言わないんだね」

P「夜食はファミレスで良いか? ここの近くの」
 (よし、お仕事中断。業務の合間に社内で資料を集めてそれからまた改めて考えよう)

周子「初めて会ったとこ? やだよサービス悪いし。
  おうどんが良いな。昆布といりこの合わせ出汁で、甘くないお揚げの乗ってるやつ」

P「お揚げか。夜食はもっとこうガッツリ食べたいんだが、肉うどんじゃだめか?」

周子「お肉は辛いかな~、多分戻しちゃう」

P「調子悪いのか?」

周子「大丈夫、病気じゃないし。献血の帰りなんだけど、気分悪くなっちゃってさ。
  Pさんのアパート近くにあったの思い出したから、寄らせてもらったの。寝てりゃ治るからへーきへーき」

P「ならこのチョコレートは謝礼に貰っておくぞ」

周子「駄目だよ、ご飯前なんだから。Pさんがご飯食べてからならいいけど」

P「材料買ってくるけど、他に欲しいものは?」

周子「電気消して欲しいかな。明るいとこ辛いんだ」

―――

周子「煮干しと昆布の合わせ出汁だね、美味しいよ。お揚げもきざんでくれてるし」

P「いりこ? は煮干しだったよな。ファミレスなら関西風が確実に出てくるけれど」

周子「これが良いよ。Pさんがシューコの為に作ってくれたんだし」

P「愛情が入れてあるからな」

周子「Pさん、そーゆーの気色悪いから止めてって前にも言ったよね」

P「隠した方が良かったかな? 隠し味なだけに」

周子「真面目な話だよ、あたしを拾ってくれたPさんには感謝してる。
  だからこそそーゆーさ、心無い言葉を言われるのだけは耐えられないよ」

P「周子をスカウトしたのは社長だろ。親父さんの説得に京都へ出張したのもな。俺が感謝される筋合いはないよ」
 (地雷を踏み抜いたか。お、落ち着くんだ、こんな時は周子のチョコを食べて脳に糖分を―――てっなにこれ苦っ、錆臭っ。
 今時の献血所はこんな不味いチョコ配布してるのかよ。吐き出す訳にもいかないしうどん汁で流し込めばどうにか)

周子「Pさんはシューコのプロデュースしてくれんの?」

P「そんなもんする気はないぞ。ほれ見ろ企画書、真っ白だろ」

周子「白くてきれーだね―――のあぴょんみたいでさ」

P「担当するならば、のあさんはとても魅力的な候補だね」
 (実際マネージャーに専念するのであれば、のあさんが一番楽なんだよな。あの人自分で仕事取ってこれるし。
 でもプロデューサーになるとすれば、セルフプロデュースの出来る娘へはまず割り当てられないだろうしな)

周子「スカウトはしない、プロデュースもしない。じゃあなんでさ、あの日あたしの事泊めてくれたの」

P「ファミレスの前で美人が独り星を眺めて黄昏てるんだ。
 男ならば誰だって、あわよくばと思って声をかけるだろ」

周子「そーだよね。深夜営業のファミレス探して歩く家出娘相手なら、乱暴目的で声かける人いるよね。
  でもさー、第一声が【探すのに疲れました。どうかお願いですから僕の家へ来てください】ってのはどう考えても変だよね」

P「ティン! と来たんだよ。そうすれば捕まえられるって。
 それに周子だってホイホイついてきたじゃないか。変なのはお互い様だし、昔の話は止めよう」
 (星を眺める周子の後姿を、のあさんと見間違えたとは言えないよな。話がこじれるだけだし)

周子「何かしてきたら抵抗する気だったよ。スタンガンくらい持ってるし。
  でもさアパート着いたら合鍵渡して部屋教えて、Pさん直ぐいなくなったじゃん。
  夜回り紳士のつもりなの? 朝になっても帰ってこないし」

P「引っ越したばかりで盗まれて困る物も無かったし、まあいいかなって。食器片づけるぞ」
 (あの日はちょうどのあさん相手に鬼ごっこの最中だったからな。オフは半日付き合いますなんて言うんじゃなかった。
 夜の21時から朝の9時まで12時間、あれやこれやできっちり遊ぶ羽目になるとは誰が予想できるんだよ)

周子「アパート出た後やっぱり行く当てなくてさ、ふらふらしてたら社長にスカウトされたんだ。
  事務所行ったらPさんいるんだからね。ズルいよそんなの。運命かもって勘違いさせるだなんて。
  レッスン受けてセルフプロデュースでDランクまで這い上がったのも、恩返しだと思って柄にもなく頑張っちゃったからだし」

P「こっちも驚いたよ、アイドル候補生として周子がやって来たんだから」

周子「Pさんなら人生預けても良いかなーって思ってたし。アイドル人生まだまだだしね。
  アイドルとして輝けばPさんがあたしの事、もっとちゃんと見てくれるんじゃないかって。
  ずっとさ、夢を見てたよ……だけどPさんはシューコとあたしのどちらも選ばなかった」

P「あーいや、何と言えば良いのか、その、すまん」

周子「いいよ、Pさんつれないのも本気でプロデューサーになりたいからなんだよね。
  あたしは結局Pさんのアイドルにも恋人にもなれなかったけど、応援は……してるからさ。
  勝手に期待して独りで舞い上がって、シューコはさーホント馬鹿みたいだよ」

P「塩見さん。その点につきましては多大な誤解が含まれておりますので、弁明の機会を頂きたいのですが」

周子「来んといてや。それ以上近こう来ぃはったら、大声出しやすゑ」

 何かが壊れた。僕らの間に存在していた、穏やかで温かく大切な何かが。
いや、大切にしていたのは周子だけだったのかもしれない。思い出そうと試みる、僕が壊した、大切な何かを。
すぐそこにあったはずなのに……ぞんざいに扱うばかりで、それが何であったのかを僕は覚えてはいなかった。

P「分かったよ。俺は床で寝るから夜中に踏むのだけはやめてくれよ」

 食べ残しのチョコに噛り付き、吐き気を堪え完食する。
周子が僕へ心を開く事は二度とないのだと、けっして忘れぬように。
背の爪痕はもう疼かなかった。



周子「Pさん、寝てるー?」

周子「寝てるよね」

P「zzz」

周子「それじゃ、ふくらはぎ見せてね。するする~と」

周子「シューコってばさ、すっごい健気だったっしょ。ぐっと来てたよねー」

周子「うーん、Pさんの静脈はここかなー。消毒しちゃうかんね、ヒヤッとするよー」

周子「アイドルシューコの演技力、見損なっちゃだめだよPさん。押して駄目なら引いてみなってね」

周子「ゴム管でグイッと絞めて、無痛針だから痛くないかんね。採血のお時間ですよー」

周子「あたしの泣き顔なんてなかなか見れないよ。これはもう責任取って貰わないとね」

周子「今日は3本で勘弁したげる。10ccくらいかな~、Pさん若いからへーきへーき」

周子「ん、すご。ドロっとしてて、臭くてにっがい。生娘にこんな不味い物飲ませるなんて、Pさんってば鬼畜」

周子「2本目行くよ。うぇ、歯と喉に絡みつく。でもPさんの生命のスープだから全部飲んであげるね。シューコってば良い娘でしょ」

周子「美味しい。こんなに美味しく感じるのはPさんのだからだよね。3本目はおやつに取っとくかんね」




P「最悪の目覚めだ。周子の奴、目覚まし時計の電池抜いて帰りやがった」

P「夢見が悪かったおかげで早朝に目覚めたが、普段だったら絶対に遅刻していたな」

P「朝飯は―――やめておこう。昨夜のチョコのせいか何か胸焼けしていて食欲無いし、シャワー浴びて出社と行きますか」

―――

P「はて、俺の机に見知らぬ保冷バックが」

ちひろ「千秋ちゃんからの言伝ですよ。【昨日の助言への感謝の証としてお納めください】って、Pさんてば愛されちゃってますね。
   もう、にくいですよ。このっ、このっ」( ´∀`)σ)Д´)

P「これ中身バーガー1個ですよ。僕の様な庶民にはこの程度の対応が適切との判断なのでしょう」

ちひろ「えっ! ハンバーガーだけって。
   千秋ちゃん今日はオフなのにわざわざ朝早く事務所へ来ましたから、心づけなのかなと」

P「例の噂もありますから、黒川さんはその手の賄賂工作と誤解される贈り物はなさらないと思いますよ。彼女真面目ですし、純粋な返礼なのでは?
 バーガーを選ぶセンスは兎も角朝飯抜いてきているので、高級石鹸やタオルみたいな贈り物よりも僕は余程嬉しく感じます。
 これがもしも本当に山吹色のお菓子でしたら、ちひろさんに口止め料としておすそ分けできたのですが。残念でしたね」

P「さてお味はっと」
 (プライドの塊が服を着て歩いてるような人だと思っていたけれど、黒川さんは社交的なのかな? 女子会にも顔を出していたし)


P(うーまーいーぞー!!
 手に持った弾力と焦げ目の無さ、そして香ばしさの無い歯ざわりは種なしパン。
 バーガーの土台となるバンズに、味の弱い種なしパンを使うは邪道。
 しかし噛み締めると共に口内で弾ける穏やかな辛み。これはグリーンペッパーをひかずに丸ごと入れてあるのか。
 合挽肉は6:4。牛と豚がほぼ同等の配合。冷温状態で食べる事を見越して、融点の低い豚の脂を味わわせている。
 そうかわかったぞ! これはバーガーではない。味の主役はあくまでもハンバーグ。
 塗り付けであるオニオンゼラチンは味付けではなく、サイドメニューのオニオンスープを模したものか。
 ならばこれは肉を食べさせる為の料理。いわばハンバーグ弁当を一口にまとめたものなのだ!!!)

P(胸焼けなんて一口で吹き飛ぶこの美味しさ。もしも首藤Pさんがこれを食べれば巨大化して大阪城と合体だって出来るだろうな。
 直ぐに全部食べるのはもったいないし、残してお昼にじっくりと味わおう)

ちひろ(一口で止めちゃった。あんまり美味しくないのかしら?)


P(お、保冷材の下に手紙が入れてあるな。
 【この様な形での返礼となりましたこと、平にご了承を。大学へレポートを提出せねばならず、時間に追われておりますもので。
 男の方はお肉が好きでしょうし業務の合間に気軽に食べられるものとして、当初はカツサンドを予定しておりました。
 しかしながら揚げ物は万が一の事故時に火傷の危険が大きく、アイドルの行うべき調理法ではないとシェフに止められてしまいました。
 その為次善の策としてハンバーガーが良いとの提案を受け、それを作るに至ったしだいです】)
 
P(【シェフの指導により無事完成し、味も太鼓判を押して頂けましたので安心してお召し上がりください。
 お口に合うと良ろしいのですが。保冷バックはPさんの机の上においていて頂ければ、それで結構です。
 折を見て回収いたしますので。  黒川 千秋 】)


P「シェフ仕込みか。それならこの味も納得だ。
 しかし自宅にシェフがいるとは、黒川さんは想像通りに雲の上の人なんだな。
 俺みたいな地べたすりとしては、お近づきに慣れただけで光栄ですよっと」

相川千夏「アナタ、随分と御機嫌なのね」

P「おはようございます、相川さん。今の僕は世界中の皆にキスしてあげたい気分ですよ」
 (朝からちひろさんのボディタッチを受けられるとは、ホント生きてて良かった。
 単なる顔見知りから気心の知れた同僚へランクアップ出来たのかな? 女子会に万歳。川島さんへありがとう)

千夏「お楽しみだもの当然よね。それもキスを与えるだなんて、奏ちゃんの影響で変化しているのかしら?
  いずれにせよ心優しいアナタに話を聞いて欲しいわね」

P「業務開始前ですので大丈夫ですよ。どうぞお気軽に」

千夏「他人には聞かせたくない話なのよ。二人だけでゆっくり、じっくり、とろとろと、ね」

P「では今日の送迎は僕が担当しますよ。社用車でしたら話は外に漏れませんので」

千夏「ボンヌ、なかなかの色香ね。でも、そろそろ虚飾ははがれる時間よ……。
  21時になったらこのメモに書かれたお店へ来てちょうだい」

P「お待ちください、スケジュールを確認いたしますので」

千夏「周子ちゃんについての話よ」

P「!?」

千夏「カフェでくつろぐばかりだと思った? 時間、割いてもらえるわよね」

P「はい、分かりました」

千夏「いつでも自分の気持ちに正直になれる人ってクールよね。私は常にそうありたいわ。
  アナタもそうなら嬉しいのだけど。今日の送迎は結構よ。ア ビヤント!」

P「……」


―――

P「うごぇえ、えろ。こぽどふ、げ、ぐおぶえぅは~~~」

P「はあ、はあ、はあ。もう胃液しかでねぇよ」

P(これ完璧に精神性の胃炎だわ。なんで相川さんが周子との事知ってんだよ)

P「ひぎ、つあイタタた。ああ゛ー吐き過ぎて脇腹つった、ふえうえはひほー。落ち着けーモチ付け―」

P(ストレスで体壊したって言えば労災おりるかな? 社会人1年目の見習いじゃ碌に働いてないし無理か。
 そもそもこれ業務と無関係だし、全部俺が悪―――)

P「ろろろ~。ひぃ、もう勘弁してくれ。ぐぺっ、ぷ」

P(すまない、周子。本当にすまない、俺が悪かった反省している。後できちんと謝るから―――無駄だ。許してくれるはずがない)



文香「……」

ちひろ「文香ちゃんそろそろレッスンに出かけないと、遅刻しちゃいますよ」

文香「先程から……私の……Pさんがトイレで吐き戻してしまっているんです」

ちひろ「確かにうめき声がここまで。かわいそうですね」

文香「かわいそうな……Pさん……私……心配です……まるで悪い物でも食べてしまったみたいで……。
  ちひろさん何か心当たり……ありませんか?」

ちひろ(悪い物って……! もしかしてあのハンバーガーが?
   Pさん朝は食べていないって言っていましたし)

文香「そのお顔……有るんですね……心当たり……私……気になります」

ちひろ「え~と、その。Pさん二日酔いなんですよ、昨夜はお友達と盛り上がっちゃたらしくて。
   文香ちゃんもいずれお酒デビューするでしょうけれど、飲み過ぎちゃ駄目ですからね」

文香「でも……心配です……私……解放……してあげないと」

ちひろ「介抱なら私がしておきます。事務所には常備薬ありますし、安心して下さい。レッスン遅れちゃいますよ」


文香「……二日酔いだなんて……そんな事……あるはずないじゃないですか……。
  ……だって……Pさん……お酒……全然飲めない人なんですから……」

文香「かわいそうな私のPさん。私がアイドルになるまで待っていてくださいね。私だけを見て、私の声だけを聴いて。
  ギリシャ神話ではセイレーンの歌を聴いた者は、海に身を投げて死んでしまうとされています。
  恐ろしくもロマンチックですよね。そうすれば全ての苦しみから解放されるのですから」クスクス

文香「今でも昨日の様に思い出せます。あの忌々しい船員たちがオデュッセウスを船に縛り付けていて。
  私がどんなに呼びかけても、Pさんは海へ飛び込んでくれませんでしたね。
  ですから私はトップアイドルになります。そうすればもうあの時みたいな邪魔は誰にも出来ませんから」


相川千夏(23)
http://i.imgur.com/uqHX0Gt.jpg




P「どうすればいいんだ、いったいどうすれば」

奏「この世の終わりみたいな顔してるわね。はい白湯よ」

P「とても悪い事をしてしまったんだ。謝らなければいけないのに、謝る事が出来ないんだよ。
 いったい何が悪かったのか、何に対して謝らなければいけないのかが分からない。でも確かに俺は悪い事をしているんだ」

奏「ふーん、お酒って本当に怖いのね。記憶が飛んじゃうだなんて」

P(酒? ちひろさんが俺の机から何やらブロックサインを送っているな。何を伝えたいのかさっぱり分からん)

奏「それを飲んだら、次はしじみのお味噌汁持ってきてあげる。インスタントだけどもね。会議室で待っていて」

P「助かるよ、胃が空っぽ何でな。白湯は実にありがたい」
 (ま、あれだけ派手にげーげーやってりゃ心配してもらえるか。今の俺は二日酔い扱いなんだな)


P「あ~うまい、身体に染み込んで生き返るわ~。しじみ最高!
 ところで奏、高校はどうしたんだ? もう8時過ぎてるから、遅刻しないか心配なんだが」

奏「創立記念日なのよ、旦那様。妻の心配をして貰えるのは嬉しいけれど、奥はあなたの事が心配よ」

P「奏なら良い奥様役になれそうだよ。エプロンも似合うし、指先がきれいだから洗い物も映える。どうだ将来料理番組に出て見ないか?
 まだ向井さんみたいに、1シーズンレギュラーでの単独出演は無理だろうけれど……いつかはさ」

奏「会議室なら、誰かに聞かれる心配はないわ。まずはPさんが謝る事を考えましょう。
 私の心配はその後で、ね。特別な日にすることは、永遠になるのだから」

P「だけどどうすればいいのか。多分、顔をあわせてももらえないと思う」

奏「なら手紙を書く事ね。文面は―――
 【本当に申し訳ありませんでした。
  お互い大人ですし、一夜の過ちはお忘れください。
  今後も良き隣人としての、節度ある御付き合いを望みます】―――こんな所かしら、はい紙とペンよ」

P「本当に申し訳……なあ奏。これは謝罪の文面として適切なのか? 相手に良識を求めるって、怒りの火に油を注ぐ気がするんだが」

奏「何もしなければ相手はますます意固地になって、関係の修復は不可能になるわよね。
 Pさんがまず誠意を見せて頭を下げたとの事実が必要なのよ。そもそもPさんは何が悪いのかが分からないのよね?
 平謝りしようにも本心から詫びようがないじゃない。相手の恩情を引き出さないと」

P「今後も良き隣人としての、節度ある……出来たぞ」

奏「駄目ね。末尾に署名が入っていないもの」

P「そっか、これでよしっと」

奏「文字のバランスが悪いわ。もう一度新しく清書して。
 まさかとは思うけれど、渡す時に業務用の茶封筒を使ったりはしないわよね?
 小さな事だけれど、何事も積み重ねなのよPさん。下書きはこちらで処分しておくから」

P「また助けて貰えるとは思っていなかったよ、ありがとう奏。
 俺が独りだったらずっと悩んでいるばかりで、謝る事は出来なかったと思う」

奏『Pさんを見捨てるほど薄情じゃないわ。今後も良き隣人としての御付き合いをしましょうね』

P「本当にありがとう、恩にきるよ。封筒の事もだけど、俺は細かいところまで気が回らないからさ」

奏「そこまで言うならば、そうね素敵なプレゼントが欲しいかな。
 Pさんから貰えるモノの中でも、最高のモノをね」

P「少しでも恩返しをさせて頂ければ光栄です。シンデレラ」

奏「お見合いについて教えて頂戴。達人なんでしょう?」

―――

P「―――と、まあこんな感じで段取りを進めるんだ。こんな事で良かったのか?
 実際にはもっと下準備があるんだろうけれど、俺は仲人の経験がないしこれ以上の事は―――」

奏「参考になったわ。社長に仲人を頼むのが一番の遠回りになりそうね」

P「また急がば云々か。でも奏は若いからまずは恋人を作る事が、一番の近道になるんじゃないのかな?
 奏はまだデビューしていないし、誰か一人だけのアイドルになる事を考えてみても良い筈だ。
 これはアイドル事務所の人間としては不適切な発言だけれども、此処だけの話って事で」

奏「指先や口元……。そういう部分で色香を出せるアイドルになりたいわ。
 行きずりの恋人だなんて仮初な関係に興味はないの。私、いつかはお見合いがしたいと思っているから」

P「意外な発見だな。今時の若い娘さんだから、恋愛婚至上主義なのかと勝手に決めつけていたよ」

奏「こう見えて恋愛映画は苦手なの。見てて恥ずかしくなるし……二人は幸せなキスをして終了ばかりなんだもの」
 『決めつけていては駄目よ。言ったでしょう? ハァ、女は嘘吐きだって。全てを、フー……疑わないと』

P「近い、近い。誰も居ないんだから、何時もみたいにわざわざ耳元で囁かなくても大丈夫だよ。
 奏に囁かれると背中がぞくぞくするんだ」

奏「囁きたいだけって理由だけじゃ……ダメ? Pさんの背に爪を立てる事も好みなのだけれど?」

P「繰り返しそうさせない様に、今は努力を始めているよ。見習い期間はもうすぐ終わる。
 どこへ配属されるにせよ、今迄みたいに奏と気安く話せる時間は取れなくなるからな」

P(そう、僕の無分別で周子を失った。だから今度こそ間違えてはいけない。
 何時までも奏に甘えてばかりではなく、彼女との友情を大切に育てなければ)


奏「ふふっ」

P「なあ、笑わないでくれよ。別にカッコつけてる訳じゃないんだから」

奏「……浮かれてるかも。嬉しいんだもの、乙女ってそういうものよ」

P「それだったらいいけれど……。俺の意見としては、見合いの場には終わらない愛が欲しいと望んでいる男が居た事だけは覚えておいてくれ。
 俺はまだペーペーで稼ぎも悪いし、帰りも不定期になるけれど、それでも嫁さんと二人で少しづつでもいいからマシな生活がしたいって思ってる」

奏「誠実な方は引く手あまたよね?」

P「結婚の意思を持たない女性も、見合いに参加しているのが現実だよ。冷やかし半分の御免なさいの一言で済まされる事がどれだけ辛いか」

奏「それだとしたらとても問題よね。
 担当のいないアイドル達は皆Pさんがプロデューサーになる事を求めているのに、当のPさんは冷やかし半分の御免なさいで済ませようとしてしまうんだもの」

P「それはちが―――くは―――ないよな。ああ、そうか、同じ事なのか」

奏「アイドルとプロデューサーは、恋人以上に近くですごす事になるはずよ。それこそ夫婦の様に。
 皆にはPさんと共に歩む意思はあるのよ。健やかなる時も病める時も寄り添ってね。
 Pさんはどうなのかしら。本当に歩み寄ってくれるのかしら。それとも御免なさいで済ませてしまうのかしら?」

P「俺が……馬鹿だったよ。あんな嘘吐かなきゃ良かった。そうすれば周子だって傷付けずに済んだんだ」

P(違うだろう。どうしてまたここでも嘘を吐くんだよ。プロデューサー宣言をしなかったとしても、いつかは同じ結果になっていたはずだ。
 だって俺は周子の事を何一つとして見てはいなかったんだから)

 つまるところそれは残滓であった。
周子だけが積み重ね、積む傍から僕が崩し、やがては破壊した。そんな穏やかで温かく大切な何かの残滓すらも踏みにじるにいたり……。
もはや僕には周子へと詫びる権利も、後悔で涙を流す資格も、何一つとして残されてはいなかったのだとようやく理解した。


奏「人は皆違うわ。皆がそれぞれの物語を生きてるから。Pさんはもうページを閉じてしまうの?」

P「足掻いてみせるよ。プロデュースコンペまでには時間が無いし、練り込みの足りない企画じゃきっと落ちるだろう。
 だから今出せる全力を出し、その上で落ちる。そしたら社長の鞄持ちをやって、少しでも魔法使いの気持ちを学んでみせるよ」

奏「それもまた問題よね。社長の真似をしちゃったら、Pさん一生童貞のままよ」

P「( ´゚Д゚)・;'.、カハッ。
 いえ、その今のはですね。一流のプロデューサーとしての振る舞いを身に付けようとの意思表示でして」
 (でも社長はアイドルマスターの称号持ってるし、独身だし、もしかしたらそうなのか? いや考えるのはよそう)

奏「ふふっ、お望みならPさんのためにプライベートな時もエプロンでいてあげましょうか?」

P「止めてっ、誘惑しないで。若妻スタイルは心が揺れ動きます」

奏「ふぅん……Pさんってそういうのが好みなんだ……覚えておくわ。いいこと聞いた♪」

P「本当にありがとう、それしか言えないよ。お見合いがしたいってのは嘘だったんだろ。
 17歳で結婚相手探そうだなんて、少し疑えばおかしいと気が付ける」

奏「あら、お見合いの予定があるのは本当よ。いつ、とまでは言えないけれど積み重ねだもの。
 私は私を奏でるの。誰より美しく響く音色に……だから、聞いて? いつかは、ね」

P「それだったら高橋さんに助言を貰うと良いな。あの人ならば男を見る目はあるだろうから、俺に相談するよりは―――」

奏「礼子さんにはもう教えて貰ったわ。男を選ぶ上で大切な事をね。
 恋人ではなく結婚を望むならば……との条件付きなのだけれども」

P「後学の為にもぜひ聞きたいね」

奏「結婚を望む際に大切な事はね【ゲイに恋をしない事よ】ですって」

P「はははっ、確かに。それは真理だ」

奏「私は選ぶつもりが無かったから、参考にはならないのよね」

P「それだと他の候補は柊さんか? でもあの人はお酒が恋人だしな。となるとやっぱり篠原さんか。
 正面から聞くと、面白がってはぐらかすかもしれないが。高橋さんと同等の真理を伝えてくれそうだ」

奏「勉強熱心なのね。そんなPさんの授業料にまた、素敵なプレゼントが欲しいかな。
 Pさん、今ならこの唇の味がわかるかもしれないわ」

奏『Pさんは……どんな味がするのかな。甘いのかしら』

P「だから近いって。
 何時の日か本当にキスされるんじゃないかっていつも気が気でな―――ぐえっ、く、苦しい」

奏「御免なさい。映画みたいに上手くは行かないものね。ネクタイ外して貰えるかしら」

P「そっちじゃなくて、こっちを引っ張るんだよ。そうすれば外せる」

奏「手を伸ばすだけでいいのにね。全てが上手く行くはずもないっか。
 毎朝こうやって旦那様の首にネクタイ巻いてあげるの、夢なのよ」

P「安心したよ。その様子じゃ、結婚はまだまだ先だな。
 何事も練習あるのみだ。積み重ねなんだろう?」

奏「そうね。じゃあ将来の旦那様に巻いてあげる時まで、このネクタイは預かっておいてあげる。
 贈り物に言い訳できた方が楽でしょ? 記念日って便利なのよ」

奏「いってらっしゃい、Pさん。お仕事頑張ってね。誓いの言葉は口にしない方が素敵よ」



P「女は嘘吐き、全てを疑え、か」

P(結局、奏には世話になりっぱなしだったな。エプロンの下の制服、綺麗にネクタイが結んであった。
 綺麗に結べるならば、ネクタイを外せないのは嘘。制服を着ているならば、創立記念日は嘘。とても優しい嘘だ)

のあ「……」

P「どうかしましたか? のあさんがそこまで険しい顔をするだなんて余程の事が―――!」

P「なんでだよ。どうしてだよ。なんで黒川さんの保冷バックがゴミ箱に入っているんだよ!」

P「誰ですか、誰なんですかこんなひどい事をしたのは。のあさん、答えてください」


のあ「……それはち―――」

P(僕がバーガーを受け取った事を知っているのは、ちひろさんだけのはず。
 だけどちひろさんの筈がない。頼む、違うと言ってくれ)

のあ「―――あきよ」

P「えっ?」

のあ「いえ、正しくは千秋とちひろの両名。そう呼称するのが適切ね」

P「のあさん、嘘を吐かずに本当の事を話してください。これは黒川さんの保冷バッグなんです。
 お二人がそんな事をなさるはずがありません。真実を話してください。僕と貴方の仲じゃないですか」

のあ「……くだらないコトに興味はないの。貴方も興味を持つべきではないわ。
  P……私を魅了しなさい。その働き、その輝きで」

P「のあさん、僕の眼を見て話してください」

のあ「……私は貴方と過ごす時間を面白く思っている。……それが答えよ。
  ……好奇心は猫を殺すものなのだから」

P「のあさん!」

のあ「出社後まずは更衣室でメイド服に着替えた。変わらぬ日々に新たなる兆しが訪れるから。
  着替えて給湯室へ向かう。貴方のお茶を入れる為にね。その際横目で千秋の出社を確認したわ。
  だけど今日ポットのお湯は空だった。気まぐれな猫の様にね」

P(お湯が無いのは、奏が俺の為に白湯とみそ汁を出したからだな)

のあ「ヤカンに水を入れ火にかける。湯が沸くと同時に、何やら言い争う声が響いてきたわ。
  とても不快な止めるべき雑音。だけど火は慎重に扱うべき。うかつに近づくと怪我をする。
  全てを終え給湯室から顔を出すと、ちひろが千秋を叱責していた」

P「どうしてそんな事が」

のあ「……惑うのは、不変を信じているから? 千秋がちひろの手からバッグを奪い取り、ゴミ箱へ叩きつけた。
  そして千秋は事務所を飛び出し、ちひろが後を追った。
  これを真実となすか虚構と断じるか、全ては貴方の選択次第」

P「バーガーは……潰れているな。保冷材の水滴でインクが滲み、手紙も読めない」

のあ「……次は何が望み? ……願いを。私は何にでも染められる……貴方に。
  ………………P、貴方は良い眼をしているわ。貴方は私に、私は貴方の内なる心に希望の星を観た。そうでしょう? P」

P「……」

のあ「……気まぐれな戯れは楽しめたかしら。女神は歪んだ偽りの時を正し人は新たなる運命を刻む。
  Pが私の主人に相応しいかどうかは……私が決める……」

P「ちひろさんが戻るまで、電話番をお願いします。僕は事務作業をしますから、二人で事務所を動かしましょう。
 のあさんは今日オフなのに、来てくれて良かったです。手が足りなければ、キュート部門へ応援を頼みますので」

のあ「掃除も洗濯も……行うわ。完璧でなければ意味が無いのだから。
  私の心を奪うのは……貴方の才能、その仕事、ただそれだけ……」

 本当は直ぐにでも周子へ謝りたかった。
黒川さんへお礼を言いたかった。
ちひろさんへ問い質したかった。

 出来るはずがなかった。


P「本当に美味しいハンバーガーですよ」

 業務の合間に潰れたバーガーを完食する。どんなに崩れていても、その味わいが変わる事はない。
やがてちひろさんと黒川さんが仲良く女子会用のケーキを買って帰り、事務所は何事も無かったかのように平穏を取り戻す。

P「変わらぬ日々に新たな兆し……そして火は慎重に扱うべき、か」

P(ちひろさんは天使だと、ずっとそう思っていた。いや、また僕は決めつけていたのだろう)

 あの時事務所で何があったのかは、今でもまだ僕には分からない。

 御昼には女性三人だけの女子会が始まり、僕は無理を言って輪の中へと混ぜて貰う。
女性陣はとても仲が良く、まるで言い争いなど初めから存在しなかったかの様な錯覚さえも覚える。
だけど一度抱いた疑念は、おりの様に僕の心へと沈殿を始めていた。

のあ「猫と犬がキスするコトがあっても、仲好しの友人になったわけではない。
  飼い猫に手を噛まれないように……気を付けるコトね」

 今にして思う。あの日に初めて、僕の心にちひろさんへの微かな嫌悪感が植え付けられたのだと。




P「こんばんは相川さん。素敵なバーですね」

千夏「千夏で結構よ、今はプライベートだもの。
  ネクタイ替えたのね、アナタも素敵よ。マスターお代わりを二つ」

P(道に迷って入店に手間取ったが、指定された21時は過ぎていない。
 果たして千夏さんの機嫌はどうなのか)

千夏「勝手に注文してしまったけれど、同じもので構わないわよね?」

P「千夏さんのお薦めでしたら喜んで」

千夏「メルシーボークー」

P「それで周子の話との事なのですが―――」

千夏「そんなに怖い顔で睨まないで。まずは乾杯しましょう」

P(差し出されたのはオレンジジュース。いや、千夏さんの事だおそらくこれはオランジ―ナ?
 確かフランスの国民的清涼飲料水だったはず)

千夏「乾杯。レディキラーに」

P「乾杯。初めて頂きますが、飲みやすくて美味しいですね」

千夏「好物なのよ。レディキラー」

P(女殺しか。以前は奏に罪つくりだと釘を刺されたが、やはり千夏さんは僕の振る舞いに相当お怒りの御様子だ)


千夏「このバーはね。明日を夢見る音楽家の卵達が生演奏をしているのよ。
 アナタも耳を傾けていてね。きっと損はしないから」

P「そうやって周子の話も耳に挟まれたので?」

千夏「ノン、よ」

P(これは失敗)
「耳よりも目を使いたいですね。千夏さんの唇とその奥に隠された舌を見ていたいです」

千夏「口を開いても望みの言葉が飛び出すとは限らないわ。
  私に興味があると言えば喜ぶと思った? ……なんて。そうね、仏蘭西語で言えば、答えはウィーよ」

P(これも失敗。まるで女郎蜘蛛の巣へ飛び込んだ獲物だな。足掻いているはずなのに身動きが取れない)
「マスター、お代わりを」


千夏「もてなしを気に入ってくれたのね、嬉しいわ。
  新たなるプロデューサーへ乾杯」

P「乾杯。くつろぎ過ぎて、此処がまな板の上だって事も忘れそうです」
 (緊張で杯を傾けているのは自分だけ。千夏さんは僕を眺めるばかりで口を付けていない)

千夏「別にとって食べようって訳じゃないわ。何か事情があったのでしょうしね」

P「ですが周子との事は―――」

千夏「ノン、向かい合いながら他の女の名前を口にしては駄目よ」

P「そうしますと事情をお伝え出来ないのですが」

千夏「詮索がしたい訳ではないのよ。彼女は曲がりなりにも社会人だし、叱り付ける事はもう出来ないもの」

P(周子を叱る? 僕では無くて……駄目だ頭が上手く働かない。体が熱を持っていて、風邪を引いたのかもしれないな)

千夏「だけどあの娘はまだ未成年よ。だからこそ大人が護ってあげなければいけないの。
  アナタのアパート、随分と家賃が安いわよね。路地も薄暗いし」

P「確かにお世辞にも上品な土地柄とは言えませんね」
 (最近は流暢なフランス語を話す不審者が、ゴミ捨て場からゴミを持ち去っていると回覧板に書いてあるし治安の悪い地域だ)

千夏「夜中に女の子を独りで帰らせるだなんて、何か間違いが起こってからでは遅いのよ。
  アナタのそういった配慮の無さを問題としているの」

P「僕かぁ本当に、何も考えていなかったんれふね」
 (どんなに嫌われたとしても周子を女子寮へ送り届けるべきだった)

千夏「私も街灯を増やすよう町内会へ意見書を提出しているけれど、良い返事が貰えないのよ。
  ゴミ捨て場に鍵を付けるだなんて、そんな予算があるならば街灯を増やすべきよ。女の独り歩きは危険なのだから」

P「ええきけんれ~~~」
(不貞腐れて独りで先に寝たりせず、周子を泊めてやるべきだった。
 不審者だけではなく悪徳記者だって周子を狙っていたかもしれない―――)


千夏「アナタ、ねえアナタ」

P「zzz」

千夏「本当にすぐ騙されてしまうのね」

千夏「スクリュードライバー。女殺しの異名を持つ柑橘類風味の高アルコールカクテル」

千夏「口当たりが良く飲みやすい。そして酔った時にはもう手遅れ。知らない者はハイピッチで飲んでしまうものだから」

千夏「潰れてしまえば、直ぐには目覚めない」


―――

千夏「アナタ、ねえアナタ」

P「ハッ、あれ、ここは。もしかして僕寝てました?」

千夏「少しだけよ。お疲れのところ悪いけれど、もう少し付き合ってちょうだい。もうすぐ始まるのだから」

P「あれはあいさん? でもなんでこんな所で。あいさん位売れていれば自分のLIVEでも演奏できるのに」

千夏「サックスはあいさんにとって大切な趣味なのよ。
  だからこそアイドル東郷あいの知名度を使わず、わざわざお金を払ってまでステージに立っているの」

P「ただの趣味だけれど、いつか余興に披露してくれるって。僕は宴会芸みたいなものかと」
 (これで何度目だ。どうして決めつける。あの時のあいさんの表情を思い出せ)

千夏「ねえアナタ。誰かに仕える事を考えた事は有る? そして仕える事を選んだ者の気持ちはどう?」

P「考えた事もありません。そして僕には何も分かりません」

千夏「分からなくて当然よ。アナタはプロデューサー、教え導く者になるのだから。
  社長の鞄持ちで終わるべき人間ではないの。挑戦はいいわよ。人生は挑戦よね、Pさん」

P「そんなにも立派なものなのでしょうか?」

千夏「アナタが命じればアイドルは必ず従うわ。例えそれが心の中で舌を出しながらであってもね」

P「形だけでは文化の香りは生まれないはずです。千夏さんのお言葉ですよ」

千夏「女の嘘をとがめだてるだなんて……。こんなのちっとも優雅じゃないわ……」

P「僕は以前に一度だけ、貴女のマネージャーとして舞台の袖に立ちました」

千夏「アナタは良く仕えたわ。大抵のマネージャーは出番が来ると張り切りすぎてしゃしゃり出てくるものだけれど。
  アナタは傍に控えるべき時と、離れるべき時を見極めていた」

P「僕は貴女に仕えていたんです。命じられるままただ、それを成しました。それすらもお忘れですか?」
 (あの時の僕は無気力で、仕事の意味も解らずただ動いているだけだった。相川さんはそんな僕を適切に操ってはいたが……)

千夏「過去よりも前を見つめましょう。だけど見るだけでは駄目。
  観察しないと、私の唇を。その奥に隠された舌を」

P(のあさんは仕える主人を自分で選ぶと言った。だがそれはセルフプロデュースに裏打ちされた自信によるものだろう。
 大半のアイドルは自身のプロデューサーを選べない。ならばそのプロデューサーが不適切な主人であればどうなる?)

P「千夏さんはパートナーの存在を求めないのですか?」

千夏「フランスではね、婚外子の存在が一般的なのよ」

P「その考え方を否定は出来ません。ですが僕はアイドルとの関係に、上下の一方通行や都合の良い時だけくっついている事を望みません。
 僕が支えるには不十分かもしれませんが、それでも最後まで二人三脚で共に歩みたいと考えています」

千夏「ふぅ、ボンヌ……といった所かしら。アナタが誠実そうな人間でいてくれると、担当される子は幸せね。
  マスター。ミネラルウォーター二つ、いただける?」

P「どうも助かります。緊張のせいか妙に喉が乾いてしまって」
 (誠実、か。骨の髄まで嘘の染み込んでいる僕だけど、ほんの少しだけでも誠実になろう。僕が傷つけた周子の為にも)

P「千夏さん、この手紙を彼女へ渡してください。
 僕が直接渡す事は出来ませんので、千夏さんが頼りです。どうかお願いします」

千夏「私はPさんの切り札。これでまだまだ挑めるでしょ?」

P(周子の問題はこれで目処が付いた。次はちひろさん―――いや、黒川さんだ。きっと何かに傷付いている、ならば何に傷付いている?)

千夏「もう少し語りたかったけど、時間が無いようね。残念だわ」


東郷あい「隠れ家へ君達二人が連れ立ってやってくるとはね。どうやら手違いで招待状を二通出してしまったらしい」

千夏「その割には演奏に乱れが無いのよね。驚きを提供しようとしたのに」

あい「余裕を失えば、どんなギャンブルも勝てないと聞く。それに驚く事になるのはむしろ彼の方だろう。
  あまりいじめないでやってくれないか?」

P「あいさん、素敵な演奏でした。格好良かったです」

あい「君も男ぶりが上がったようだね。
  私が送ったネクタイを身に付けて来てくれるだなんて、これではたしなめる事も出来ないよ」

千夏「ギャンブルで勝つと恋愛運が逃げるってフランスの言葉、知ってる?
  それでも私は両方で勝ちたいし……アイドルでも勝ちたいわね」

あい「随分と分の悪い賭けだと思うがね。対価を支払う準備はあるのかな?」

千夏「ボン、オン、コマンス?」

あい「ウィ、シルブプレ」

P「???」


―――

P「ってなんじゃこりゃー!
 おでことほっぺたに、口紅でキスマークがべったり付いてる」

P「うわーこんな格好で家まで電車に乗っていたのか、晒し者もいいとこだよ。
 何時だ、誰がこんな事を―――」

P「あーそうか相川さんだ。僕がバーで寝る前と後とでは口紅の色が全然違ってた。
 あんなに分かりやすくヒントを貰っていたのに、気が付かないだなんて」

P「高い勉強料になりましたよ本当に。
 あいさんは冗談だと見抜いていてくれたけど、他の娘だったらどうなっていた事か。心臓が止まるくらい驚いたよ」

P「人間、寝てる時は間抜け面晒して無防備なんだよな―――まてよ、これは使えるアイディアかもしれない」


東郷あい(23)
http://i.imgur.com/EBJ5FZy.jpg




藤居朋「むむむ……眠れる青年の体・老人の知恵・骨をかじる少女の心……これらが意味するものはいったい……」

文香「……」

朋「見えたわ! ずばりこれは全てを砕く運命の恋。世界終焉の引鉄は少女の詩が弾く、よ」

ちひろ「きゃー、すごいすごい」

文香「ほっ。良かったです……やっぱり……運命でしたね」

P「鷺沢さんは恋愛運好調ですか。こいつは負けてられないな、朋次は僕を占ってくれないかな?」

朋「何、またお見合いするの? 
 運が向いてないから止めときなさいってアドバイスしてるのに、ぜんぜん聞き入れないじゃない」

P「当面予定はないよ。それと今日は仕事運も含めて診てくれ」


朋「それじゃ今日はとっておきを見せちゃう。
 P、このスプーンを持ってそのうえで水晶を覗いていてね」

周子「おー、なんか本格的だね」

朋「名付けてサイキック未来予知。サイキックと占いの奇跡のコラボレーションよ」


朋「むむぬ~……きえー! ………………待ち人あり・大事を成す・女難注意せよ……」

ちひろ「あっ、なんだか普通ですね。もっと分かりにくいものかと」

朋「いやいや、なにこれ全然わけわかんないわよ。あんたほんとにPなの?
 今まで全然女っ気なかったのに、幾らなんでも運勢変わりすぎでしょ」

P「今は仕事を恋人にしたいと考えていたからね。
 それにプロデュースをするならば、受け持つアイドルの問題は僕の問題になる。女難が増えるのは当然だ」

周子「そっかー。Pさんプロデューサーに成るんだったっけ。
  その日はお祝いしてあげるから、美味しいとこ連れてってね」

P「おう、好きなだけ頼んでいいぞ。ファミレスでな」

朋「ああ、うん、安心した。そのとりあえず状況に流される選択、やっぱり本物のPよね」

文香「……ええ……Pさんも運命には……従うべきだと思いますよ」

周子「あたしは運命ってのには懐疑的かなー。誰かさんのおかげで」


P「そうだちひろさん、アイドルの履歴書って見れますかね?」

ちひろ「すみませんがPさんのIDですと開示は出来ませんね、個人情報ですので。
   パブリックの所属アイドルフォルダでしたら、プロフィールは見れますが」

朋「品定め? もしかしてあたし狙われたりしちゃう?
 悪い運気も、不幸も、Pとなら振り払っていけるわ!」

 僕は仕事の合間を縫って積極的に女子会へ顔を出すようになっていた。
触れ合う機会が増えた為か、以前よりもアイドルの事を理解できている。ほんの少しづつだけではあるが。
男が女子会へ幾度も顔を出す事は、時期が時期なだけに担当が決まるまではと皆黙認してくれているらしい。

P「前に相川さんと話していた時に、近所に住んでいる様な口ぶりだったからね。
 住所が分かれば食事に誘うのも良いかなって思ってさ。あまり親しくしていなかったし」

ちひろ「私、一度もPさんにお食事を誘われた事ないんですけれど」

P(以前は気恥ずかしくてちひろさんを誘う事は出来なかった)

ちひろ「そうですよね、私は事務員。しょせんは日陰の女です。
   Pさんは何時もみたいに周子ちゃんとばっかりいちゃいちゃいしてればよいんですよ。そのうえでうう……爆発すれば……いいのに」

P(だけど今はまだちひろさんと食事を共にしたいとは思えない。全幅の信頼を置けないから)

周子「だいじょーぶだよPさん。そん時は一緒に死んであげるから」

文香「ちひろさん……まるで小梅ちゃん……みたいな物言いですね」

ちひろ「似てましたか? 小梅ちゃんすっごくかわいいですよねー」

P(今日もまた会えない、か)

 あの日以来、黒川さんは一度も女子会へ顔を出していない。


藤居朋(19)
http://i.imgur.com/AVheDdS.jpg




留美「駄目ね、こんなものではコンペは通らない」

P「そうですか」

留美「審査へ出す前に先輩へ意見を聞きに来た事は褒めてあげる。
  だからはっきりと伝えましょう。私が落とすわ」

P「和久井さんがですか」

留美「無知を装えば、相手が心を開くと思ったら大間違いよ。
  あれだけ嗅ぎまわっておきながら出てくるものがこの程度だなんて、失望したわ」

P「パジャマパーティー企画。クールアイドルではあっても女性の持つかわいらしさを示す事は出来るはずです」

留美「別に手垢のついた案でも構わないのよ。春は花見・夏は水着といった具合にね。
  大切なのはスポンサーを説得できるかどうかなのだから」

P「パジャマはかわいらしい物からセクシーな物まで扱えますので、紙面を飾るいろどりは十分です」

留美「目新しいばかりで出来が悪いと言っているのよ。スポンサーの前に私を説得してごらんなさい」

P「この企画は寝具の紹介も兼ねていますので、アイドルとは縁遠い年代へもうちのアイドル達のアピール機会が広がります」

留美「それはシンデレラプロダクションにとっての利点でしょう。寝具メーカーにとってはどうなの?
  ベット? シーツ? 枕? どの売り上げが伸びるのかを答えなさい」

P「……小道具のぬいぐるみが、消費者の目に触れる機会が増えます」

留美「それで喜ぶのはぬいぐるみメーカーよ! アナタはいったい何処の誰を説得するつもりなの!」

P「~~~」

留美「撮影の際、大道具の提供を行ってくれるのは誰? アナタは援助を引き出せるのかしら」

P「もう一度、企画を練り直します」

留美「無駄ね。今週末にはもうコンペなのだから時間が足りな過ぎるもの。
  ……仕方がないわね、これを使いなさい」

P「ブライダルキャンペーン企画ですか」
 (凄い、設備と人員だけではなくタイムテーブルまで管理してある)

留美「以前から温めていた企画なのだけれども、私では扱いこなせないのよ。
  捨てるくらいならばPくんに拾って貰いたいの。もちろんこのまま丸写しは困るから、自分なりに書き直してね」

P「これだけのアイディアを、なぜ眠らせる事に?」

留美「企画が大きすぎたの。撮影と着替えの拘束期間が長すぎて、他の場所まで私の目が行き届かないと気付いたわ。
  セルフプロデュースの限界よね」

P「審査には和久井さんが参加されるのですよね?」

留美「一定ランク以上のアイドルであれば、プロデューサーに準じるものとして発言権があるの。
  私が後押しするんだものこの企画ならば大丈夫よ。当座をしのぎなさいな、プロデューサーになりたいのでしょう?」

P「お断りいたします」

留美「アナタは私に頼りながら、いざとなると差し出された手を振り払うつもりなの?
  それがどんな結果をもたらすか熟慮した上での返答よね」

P「はい、これはお返しいたします」

留美「これが最後のチャンスよ。アナタの企画は私が落とすわ。
  今回だけではなく、次回もよ。温厚な私をこれ以上怒らせないでちょうだい」

P「何時の日か和久井さんのプロデューサーへお渡しください」

P(これで僕がプロデューサーとなる芽は潰れた。
 以前であれば内勤確定だと大喜びできただろうけれど、今はそこまで嬉しさがない)


留美「そうね……なら一次審査は合格よ。来週末まで締め切りを延ばしてあげる」

P「え!? ちょっと待って下さい。和久井さん怒っていましたよね?
 それに合格ってそんな権限あるんですか?」

留美「権限はないわよ。だけどこれは常に携帯してあるのICレコーダー、文明の利器よね。
  Pくんが誘惑と脅迫をはねのけた事実を皆に伝えて、少しくらいはおまけして貰える様に説得してみせるから」

P「頭が状況に追いつきません」

留美「怒っていたのは本当よ。Pくんの企画に練り込みが足りないのも、私が落とすべきだと判断したのもね。
  ただねそれ以上に、他人の企画を盗む人間が私は心底嫌いなの」

P「例の産業スパイ達ですか」

留美「命拾いしたわね。もしも盗作に手を染めようとしていたら、ビンタぐらいでは済まなかったわよ。
  録音が証拠になるし、社長へ直訴してクビよく・び。そんな人間、事務所には不適切だもの」

P「教訓として、身に刻みます」

留美「ここからはオフレコで話すけれど、アナタはいったい誰をプロデュースするつもりなの?
  パジャマパーティー企画、売り込むべきアイドル名が空欄だったわ」

P「まずは川島さんに依頼しようかと。一番最初にプロデュースしてくれと頼まれましたし」

留美「どうりで、焦点がずれている筈ね。
  仮にそのままコンペが通れば、アナタは今後瑞樹さんの専属プロデューサーとして働く事になるわ」

P「そうなのですか?」

留美「そういうものなのよ」


留美「そこまでは考えていませんでしたって顔ね」

P「僕の希望はまだ決めかねています。ですがコンビを組むのであれば誠心誠意努める気概は有ります」

留美「今の言葉瑞樹さんにはまだ伝えていないわよね。あるとすれば私の耳に入らないはずがない。それがアナタの誠意なのかしら?
  専任の話はP君だけではなくて、アイドルと連名で希望をすればよ。アナタを担当として不適切だと判断するアイドルもいるのだから、私みたいにね」

P「僕の何がいけないんでしょうか?」

留美「それを知りたければ、この書類に署名と捺印を御願い」

P「婚姻届……冗談ですよね? 和久井さんの名前書いてありませんし……冗談ですよね」

留美「私は何時でも本気よ。受け持つのであれば相手の人生丸ごとプロデュースしてみせます位の気概を見せて欲しいもの。
  誠意とは言葉ではなく行動よ。あって困るものではないし、戒めとして携帯しておきなさい」

P「今回が駄目でも、また次回頑張ればいい。僕はそんな認識でした」

留美「アナタにはこの先幾らでも機会はあるでしょう。だけど大半のアイドルにとって若さと時間は限りある財産なのよ」

P「僕が落ちれば彼女達はどうなりますか?」

留美「アナタにはかかわりの無い事よ、マネージャーさん。
  皆セルフプロデュースでの独り立ちを選ばねばならないのだから」

P(相川さんは周子を社会人として扱った。だけど僕は自分を見習いだと考えて、いつまでも子供として扱っていた。
 もう僕はとっくに大人で、次の機会など望んではいけなかったのに)

 触れ合ったアイドル達と疎遠になる。その事実が重く圧し掛かった。
脳内で錆臭いチョコレートの味わいが思い出される。

P(行動をしなければならない、僕はまた間違えるだろう。だが何もせず手遅れにはさせられない)




P「お時間を割いてくださり、感謝の念が絶えません。二人だけでゆっくりとお話がしたかったもので、黒川さん」

千秋「お嬢様扱いなんてしないでイイわ」

P「川島さんから伺いましたが、付き人にしてくれと頼みこんでおられるそうですね。それはなぜですか?」

千秋「飽きれる程に不愉快ね。Pさんは私の父親なのかしら? あれは駄目、これは駄目、それは駄目。お次は何?」

P「不快な思いをさせてしまった事は謝罪いたします。アイドルの夢を諦めてしまったのかと心配になったもので」

P(黒川さんに会うのは数日ぶりだが、目に見えて生気が無い。まるで人形の様だ)

千秋「心配せずとも結構よ。私はもう子供ではないのだから」

P「確かにその通りです。ですが黒川さんは大学生ですよね。社会的にはまだ大人へ頼る事が許される身のはずです。
 僕では力不足である事は重々承知しておりますが、それでも手を差し伸べさせてください」

P(そんな状態であっても黒川さんの美貌は損なわれてはいない。
 大人しい箱入り娘を望む男達が大喜びしそうだが、かつての凛とした佇まいを知る身としてはなぜだか悲しい)

千秋「Pさんが……私に」

P「はい」

千秋「その前に話を聞いて貰えるかしら。私の話が終わってから、もう一度手を差し伸べるべきかどうかを決めて頂戴」

P「はい」


千秋「先程もう子供ではないと言ったわよね。私は13歳の夏に大人になったの。父と大喧嘩をしてね」

P「その理由をお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

千秋「父と娘ですもの、理由なんてあってない様なものよ。きっとどこの家庭にでもあるような事。
  ささいな出来事が積み重なって、あの日ついに私は癇癪を起こしたの」

千秋「あまりにも腹が立ったものだから、父の大切にしていた腕時計を川へ投げ捨ててやったわ。
  なのに父は私を叱るばかりで……仕方が無く私は父を許してあげる事にしたの」

P「麗奈ちゃんみたいな事を仰いますね。
 そのお話ですと非があるのは黒川さん―――どちらも黒川でしたね。娘さんの側では?」

千秋「とがめだてられるべきは父の側よ。私は父に愛されたかったのに、父は躾と称して私を罰するばかりなのですもの。
  子が親に愛されたいと願う事の何がいけないのかしら?」

P「これは娘さんを非難する言葉ではありませんが、それを分からないのが父親なんですよ」

千秋「そうでしょうとも。だから私は父を許したわ。
  この人はそんな人間なのだと理解したの。これが私が子供ではない証拠よ」

P「お父上と上手く行かれてはいないのですか?」

千秋「父との仲は良好よ。13歳の夏以前程ではないのだけれども。
  もう誰にも私を叱り付ける事も、罰する事も出来ないのよPさん。私は大人となる事を選んだのだから」



P「そうでしたか。では僕の話を聞いて頂けますか?」

千秋「ええ」

P「僕は今まで何度もお見合いをしていました。決して終わらない永遠の愛が欲しいと願っていたんです。
 でもお話しを聞いて自分だけが愛されたいだなんて、身勝手な子供じみた夢だと気付かされました」


P「だから僕も夢を捨てて大人である事を選びます。
 黒川さん僕はプロデューサーにならねばなりません。その為に担当するべきアイドルを探しているんです」

千秋「Pさんの出す条件―――いえ、プロデュース方針はなんなのかしら」

P「アイドルが独りでいたい時であっても、僕は傍にいます」

千秋「そう……」

P「ずっと考えていたんですよ。結婚の際は誓いを立てますよね。
 【健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、
 これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?】って」

P「今までの僕はたとえこれを誓ったとしても、とても薄っぺらな嘘になっていた筈です。
 家族はどんな時であっても、そばにいなければいけないんですよね。
 それはアイドルとプロデューサーの関係であっても、同じ事だと思うんです」

千秋「どうして……Pさんはそこまで……ひっく、うう、ああ」

P(黒川さんが涙を!)

千秋「傍になんていてくれなくてもいいのに……だって私はPさんに酷い事をしてしまって……。
  それが申し訳なくて……でももう会ってくれるはずがない……許して貰えるはずがない……。
  ずっとそんな事ばかり考えてしまっていて、今でも謝る事が出来ずにいるのに」

P「過ぎた事ですから」
 (酷い事ってなんだ? 黒川さん口調はきついけれど、別に暴言をぶつけられた覚えはないしな)

千秋「先程の話も私がどれだけ傲慢で我儘な人間かを話して、Pさんにはもっと相応しい人がいると気付いて欲しくて。
  だから……それなのに……ああ、Pさん」

P「僕は全部忘れました。だから黒川さんも全部忘れましょう、ね」
 (元々僕らは交流がなかったし、酷い事とやらの心当たりもなければ見当もつかない。今はとにかく黒川さんを落ち着かせないと)

―――

千秋「……なんだかすっきりしたわ。
  あれだけ近づかせまいと突き放したのに、Pさんはそんな予防線を軽々と越えて来てしまうんですもの」

P(黒川さんの顔に生気が戻ってきた。とすると疲れは心労性のものだったのかな?)

千秋「Pさんの申し出をお受けいたします。元より私がPさんの手を振り払えるはずがないものね」

P「微力ですが、お力になれれば」

千秋「微力だなんてそんな事はないわ。
  貴方は壊れかけた私の心に愛を注いでくれた。だからこれからは私に尽くさせて頂戴。
  何時の日かクラシックのコンサートへ貴方を招待するわね、プロデューサー」

P「えっ!?」

千秋「ずっと選んで貰えるはずがないと思っていたわ。当然よね、私はそれだけの事をしてしまったのだから。
  それにも関わらずプロデューサーはアイドルとしての私を選んでくれた。今はただそれが嬉しいのよ」

P(なんだ、いったい何をどう間違えた。僕はただ黒川さんを元気づけようとしていただけで)

千秋「プロデューサー?」

P「いえ、その……プロデューサー呼びは慣れないものだなと。コンペが通るまではマネージャーですし―――」

千秋「コンペだなんてそんなものは受かって当然よ。貴方は私のプロデューサーなのだから。
  私はトップに立ちたいの。その為の努力は惜しまないわ。私を高みへと導いてくれるわよね? プロデューサー」

 後になって気付いた。彼女の孤独と寂しさを。

P「仰せのままに」
 (とにかく今は企画だ、企画の事だけを考えろ。他のアイディアは無い。
 ならば黒川さんのパジャマ姿のみを想像しろ、どう魅せる、どう売り込む)

千秋「お嬢様扱いもへりくだる事も行わないで頂戴。
  二人の関係は対等よ、私は貴方のアイドルなのですもの」

P「ぬいぐるみはお好きでしょうか? 黒川さんのプロデュースで用いたいのですが」

千秋「ええ、カワイイものは好きよ。もう、意地悪なのね。子供扱いされるだなんてなんだか不思議な気分」

 泣いている様な笑顔の理由を。

P(ならば原案の方向性そのものに修正の必要はないな。あったとしても手直しできないが。
 和久井さんの様にタイムテーブルまでは無理でも、せめて設備管理だけは徹底せねば)

千秋「それならば意地悪なプロデューサーに、お返しをしなくてはね。
  会議室を出たら、私は何時もの様にアイドル黒川千秋へ戻ります。
  だからこれから話す事を忘れてくれると誓って貰えるかしら」

P「はい、誓います」

千秋「私はね、Pさんの事がずっと好きだったのよ」

 でも……解ろうとするのが遅すぎたと、あの日まで僕は理解できていなかったのだ。

P「それは何時からなのでしょうか?」

千秋「さあ、何時からなのかしらね? 忘れてしまったわ」

 そう言って彼女は微笑んだ。それは僕が見た最初で最後の―――彼女の心からの笑顔だった。




社長「若者の成長は早いものだね。かつて手元へ置いていた時分には頼りないと感じていたがものだが。
  虎の子を見て小さい猫だと判断してしまうとは、私も年を取ったのかな」

P「社長の元では多くを学ばせて頂きました」
 (これは嘘では無い。きっと社長は僕に大切な何かを沢山伝えていてくれたのだろう。
 だから僕はそれを覚えている。思い出す事は出来ないけれど、これからはもう一度学び直そう)

社長「我が事務所には伝統があってね。今では知る者も少ないが、アイドルマスターの碑文を見せよう」

P「魔法使い宣誓ですね」

社長「うむ。私はかつてここに誓いを立て、シンデレラガールの育成に取り組んできた。
  気が付けば道半ばにして、アイドルマスターとの分不相応な称号を持つ身となったがね」

P「とても重い言葉です」

社長「どうかねP君。君が望むのであれば私が立会人となり、誓いを立てる事も許されるが」

P「お断りいたします。僕には誓えません」
 (この嘘の為に多くの人を傷つけてきた。だからもうこれ以上間違えてはいけない)

社長「良かろう、それも君の選択だ。私は尊重しよう。
  気にすることはない、もとより誓いとは他者に強制されるべきものではないのだから」

P「僕は結婚を諦める事は出来ません。家庭を持ち子供を育てる、そんな夢があるんです。
 今直ぐにではなくともよいんです。だけどいつかはと」

社長「そうだろうとも。君は以前から縁談を求めていたからね。
  だが君が今一度是非にと望むまで、見合いを用立てる事は控えさせてほしい」

P「新しい縁談があるのですか?」

社長「またもや先方からぜひ君をと指名してきたのだよ。だが先例とは違い、君が心から結婚を望むのであればとの条件付きでね。
  君がその気となるまでいつまでも待つそうだ。誠実な人間を希望するとの事らしい」

P「今は決心が付きかねます。新しくアイドルを受け持つ身となったばかりですので」
 (結婚か。それならばこの気持ちに整理を付けないといけないな、黒川さんみたいに)

社長「ここに新たなるプロデューサーの誕生を祝そう」

 これで全てが上手く行く、この時の僕は確かにそう信じていた。
あの場へたどり着くまでに多くの嘘を付き誰かを傷つけてきた。だけどプロデューサーとなる事で禊は済まされ、僕の過ちは許されたのだと……。
零れた水が盆へ返る事などありはしないのに。

 幾度も警告を受けていた。変化の兆しは確かにあったのだ。
だけどそれでも僕は、事務所の現状を何一つとして理解できてはいなかった。



P「ハッ、あれ、ここは。もしかして僕寝てました?」

ちひろ「よいっしょっと。はぁー疲れました」

P「ちひろさん? あれ、ちひろさん? なんで」

ちひろ「ここはPさんのアパートですよ。私が運んできたんです」

P「それはどうもご迷惑を―――なんで?」

ちひろ「上がらせてもらいますね。Pさんまずはお水飲んでください、お話はそれからで」

P「それ位は自分でっと、うお。危なかった、足がふらつく」

ちひろ「おさわりは駄目ですよ。油断も隙も無いんですから」

P(確か今夜は僕のプロデューサー就任祝いで、事務所の大人組と酒盛りやったんだよな)

ちひろ「Pさーん、目が据わって来てますよ。このままじゃ明日に響きますからお水です。嫌でも飲んでもらいますからね」

ちひろ「Pさーん、目が据わってきてますよ。このままじゃ明日に響きますからお水です。嫌でも飲んでもらいますからね」

P「今日は祝いの席だから僕も自分から浴びるようにお酒を飲んで、飲んで呑まれた」

ちひろ「そうですPさんはしゃぎ過ぎて一次会で潰れちゃったんですよ。思い出してきましたか?」

P「ちひろさんお酒は飲まないはずじゃ? 参加されていたのですか」

ちひろ「Pさんのお祝いを欠席する程薄情じゃありませんよーだ。それに一滴も飲んでませんからね。
   皆酔ってしまって運転できるの私だけですから、Pさんの身柄を預からせて頂きました」

P「呑み込めてきました。どうもありがとうございます」

ちひろ「お部屋の鍵お返ししますね。住所は失礼ですがお財布から運転免許証見せて頂きました」

P「状況が状況ですので。僕が住所を喋れれば良かったんですけれど」

ちひろ「せっかく隣に座れたのにPさん飲んでばかりですぐ寝ちゃうんですから。全然お話しできませんでしたよ。
   無事に送り届ましたし、もう帰りますね」

P「好きです。待って下さい。ちひろさんが好きです」

ちひろ「えっ、でもなんで急に」

P「ちひろさんの事が好きなんです。急にじゃありません、ずっと好きでした」

ちひろ「やめてください! 突然そんな事を言われても私困ります」

P「僕を御嫌いでしたら、嫌いだと一言で良いんです。はっきりとした返事を下さい、それで諦めます」

ちひろ「違いますよ、でも私だって乙女なんです。こんなお酒の勢いでずるずるとなし崩しで行くような告白は嫌です!
   それに普段から周子ちゃんとばっかりいちゃいちゃしていて、私の事なんて全然見ていなかったくせに。色々とすっ飛ばしすぎですよ」

P「周子とは何もありません。何もなかったんです」

周子「……」

ちひろ「申し訳ありませんが今のPさんのお言葉を信じる事は出来ません。
   お酒の力に頼らずに、明日もう一度だけPさんの本心を聞かせてください。その時にはお受けしますので」

―――

P「天使だ、やっぱりちひろさんは天使だよ~。ちひろさんは天使―――zzz」

周子「Pさん、寝てるー?」

周子「寝てるよね」

P「zzz」


周子「あたし達、約束したよね。Pさんがプロデューサーになったら一緒にお祝いしようって」

周子「だからさ、あたし仕事が終わってから真直ぐPさんの部屋に来て……待ってたんだよ」

周子「Pさんの作ってくれる御飯が食べたかったから、ベッドの中でずっと待ってたよ」

周子「寒くて、心細くて、お腹がすいて、でもPさんは帰って来てくれる……そう信じてさ」

周子「だけどPさんはまたあたしを裏切った」


周子「相手がのあぴょんだったら、シューコは諦める事が出来た。
  高峯先輩はアイドルランクが高いし、あたしにも優しいし、なによりシューコよりも先にPさんと会っているからね。
  二人の間には後からじゃ割り込めなかったんだって、無理にでも納得しようと思ってた」

周子「なして黒川さんなん? あんお人うちの後輩どす。
  どうして千川さんなの? あの人あたしみたいにPさんと親しく声をかけあう事なかったよ」

周子「おかしいよね。シューコはさ、Pさんに送迎されたり時にはマネージャーやって貰ったり二人で一緒に働いてたのに。
  黒川さんはデビュー前の新人だから、レッスンばかりでPさんとの接点ぜんぜんなかったよね」

周子「おかしいよね。あたしだけがPさんの住所知ってて、合鍵持ってたのに。
  千川さんがあたし達の部屋へ勝手に入り込んで来てさ」

周子「Pさんてば酷いよね。もうあたしの代わりを見つけたんだ」

周子「ねえ、Pさん。いったいなにがいけなかったのかな。あたしはどうすればよかったのかな」

周子「Pさんと仲良くなりたくて、いっぱい話しかけたんだよ。
  Pさんの気を引きたくて、冷たい態度も取ってみたんだよ」

周子「確かにシューコはワガママで、Pさんがアイドルとして見ていないのは解ってた。
  だけどあの日にあたしの気持ちをはっきりと伝えたよ。これからはやり直せるって、そう思ったのは間違いだったの?」

周子「Pさんが……あたしを拾ったんだよ。今までずっと積み重ねてきた二人の思い出はいったいなんだったの?」

周子「それなのに【何もありません。何もなかったんです】って、せやったらなしてうちを拾ったりなんかしたん!
  ごもくと同じうほかしてくれはるなら、えげつない真似しぃひんでや」

周子「ねえ、答えて! 答えてよPさん」

周子「どうしてあの日あたしに声をかけたの。あたしはPさんにとってどんな存在なの。
  お願いだよPさん……あたしを……独りにしないでよ……」


P「天使だ」

周子「! Pさ―――」

P「やっぱりちひろさんは天使だよ~。ちひろさんは天使―――zzz」


周子「あ、アハ。あハハはハ」

周子「やっぱりPさんはまたあたしを捨てるんだね」




P「ぐおおお、頭が割れるように痛い。ってかなんで朝の4時に目覚ましが鳴るんだよ」

P「ともかくまずはシャワーだ。酒を抜かないとどうにもならん」


P「えーと、昨日は確か俺のプロデューサー就任祝いで事務所の大人組と酒盛りやって」

P「で祝いの席だから俺も自分から浴びるように酒を飲んで、飲んで、どうした?」


P「駄目だな完全に記憶が飛んでる。そもそも俺どうやって帰って来たんだ?
 独りじゃ絶対無理だろ。誰かがそばにいてくれたような~~~」

P「~~~」

P「~~~なんでテーブルに鍵が二つもあるんだ?
 こっちは俺のだよな。だとするともう一つは―――ああ、周子に渡した合鍵だ」

P「となると周子が俺を引っ張って連れて帰ってくれたのか。目覚まし弄るのも周子の悪戯だろうし」

P「周子の事だからパッション事務所の親睦会に御呼ばれしたみたいに、今回もちゃっかり紛れ込んでただ飯食ってたんだろうな。
 情景が容易に想像できるが、手引きをしたのは梅木さんあたりか?」

P「でも梅木さんも未成年だよな。酒盛りに誘われるはずもないし―――うん、わからん。
 まあ社長の主催してくれた宴席だし、周子がいても別にまずい事は起こらなかっただろうと信じよう」

P「それよりも大事を取って出社はぎりぎりまで遅らせるかな。まずは体力を回復させないと。
 プロデューサー生活初日から二日酔い面じゃ、黒川さんにも愛想を尽かされてしまう」

―――

ちひろ(昨夜は眠れなかったな。Pさん本気だったらいいんですけれど)

ちひろ(お化粧のノリが悪いけど大丈夫でしょうか。幻滅しないでくださいね)

ちひろ「? 私の机に手紙が―――
  【本当に申し訳ありませんでした。
   お互い大人ですし、一夜の過ちはお忘れください。
   今後も良き隣人としての、節度ある御付き合いを望みます モバ P】―――これ……」

P「おはようございますちひろさん」

ちひろ「ヒッ あ、その今出社されたんですか?」

P「はい、もう少し遅くても良かったんですけれど社用車の使用申請を出そうと思いまして。
 ルート営業ですが黒川さんの記念すべき初の挨拶回りですからね。少しくらいは贅沢しても良いかなと」

ちひろ「お調べしますね。はい、結構です。受理いたしました」

P「ありがとうございます」

ちひろ「あの……お話は……それだけなんでしょうか?」

P「もう用は済みましたが、何か?」

ちひろ「いえ、でしたら良いんです。なるべく早く、車は社へ戻してくださいね」


八神マキノ「スマートではないわね。まったくもって度し難いな」

P「マキノか。こっちは朝から毒を吐かれてありがとうございますと喜べる程、他者に誇れない人生は送っていないぞ」

マキノ「解せないわね。とぼけているのかしら? それとも……。
   頭の悪い会話は疲れるでしょう、朋さん話してあげて」

朋「あたしは昨夜の集まりには参加できなかったから、あくまでも噂でしかないんだけれどね」

P「いったい何を……えっ! ま、まさか、そんな事が……」

朋「さすがにあたしも、これは擁護出来ないよ。お願いだからさ、ちひろさんにきちんと謝ってあげて」

P「俺が酔った勢いでちひろさんに野球拳を強要しただと。
 あまつさえ俺が勝ったにもかかわらず突然自分の服を脱ぎだし、股間を見ろ見ろとちひろさんへ迫っただなんて……」

P「マキノ、本当に俺はそんな事をやったのか? 確かに俺ならば酔った勢いでやりかねんが」

マキノ「調べは付いているわ。周囲のアイドルたちも……貴方の事もね」

P「あばばば」

マキノ「貴方のあの情報についても掴んでいるわ。知らないとでも?」


―――

P「ちひろさん本当に申し訳ありませんでした」

ちひろ「土下座なんてしてまで……いったい何のおつもりですか……」

P「昨夜の事ですが、あれは酔った上での勢いだったんです。どうかお許しを」

ちひろ「そう……ですか……では……あれは本心ではなかったと……」

P「当然ですよ。あんな事酔っていなければ出来る筈がありません。この通りです、反省しております」
 (とにかく今は平謝りするしかない。何としても許しを頂かねば)

ちひろ「分かりました。Pさんの謝罪を受け入れます。どうか顔を上げてください」

P「ちひろさんありがとうございま―――」

ちひろ「……」( ‘ ^‘c彡☆))Д´) パーン

P「あの、ちひろさ―――」

ちひろ「屑よ。あなたって、本当に最低の屑」

P「どうかお許しを」

ちひろ「謝罪は受け入れました。今後も同僚としての御付き合いを願います。
   ……ですが、もう業務以外では話しかけないで下さい」

P「ありがとう……ございます。千川さん」


ちひろ(やっぱり、私は振られちゃったんだ)

ちひろ(我儘、だったんでしょうか。私はどうすれば良かったんでしょうか?)

ちひろ(Pさんの事が好きだったのに……ううん、好きだったからこそ許せなかった)

ちひろ「ふええ~ん、Pさんの馬鹿~」

ちひろ(馬鹿なのは私もなのに)


―――

千夏「隣、良いかしら?」

あい「ウィ、マドモアゼル」

千夏「マダムの方が喜ばしいわね。未婚女性を差別しないで欲しいもの」

あい「法律婚にはこだわらなかったのでは?」

千夏「こだわらないだけで、否定しているわけではないの。皆誤解をしているのよね」

あい「だが、それを訂正はしないと」

千夏「面と向かって尋ねる人がいないから。それに私は口下手なのよ。
  偽情報を流すだなんて真似、とてもできそうにないもの」

あい「別に嘘を付いた訳ではないよ。私は確かにP君が酔って暴れる夢を見たのだから。
  皆誤解をしているようだが、事実無根の流言だ。数日で消えるさ」

千夏「でも、それを自分から訂正はしないと」

あい「私は口下手なんだ。昨夜も志乃さんのお酒を断れなくてね、早々に潰されてしまったよ」

千夏「志乃さんはお酒の楽しみ方を理解している人よ。無理強いなんてされていないのでしょう」

あい「潰れてしまったのは本当だよ。
  彼がようやく黒川君の担当になれたと喜んでいる姿を見せつけられたのだからね」

あい「祝いの席ではあったが、不快感は消えない。だからこそ私はお酒へ逃げたのさ。
  思い人を射止めた黒川君へ嫉妬してしまう事が、そんなにも悪い事だったのかな」


千夏「二人の間に何があったのかしらね?」

あい「二人の間に何かがあったのだろうね。例えばそう、千川君への偽手紙の様な」

千夏「偽物ではないわよ。嘘では他人を騙せないもの。そこに真実が無ければ」

あい「だが本当の事ではないはずだ。どうやって用立てたのかな?」

千夏「私はPさんの切り札だから。あれも私の切り札。私だけが知る、私だけの、ね」

あい「何時までもブラフだけでは、ギャンブルにも勝てないと思うがね」

千夏「それでも、ちひろさんはドロップしたわ。私はただ鬼札をちらつかせてレイズしただけ。
  Pさんの愛情を信じきれなかったちひろさんが自滅したのよ」

あい「ではコールだ。彼はまだ独身なのだから」

千夏「では乾杯しましょうか。二人の意図せぬ共犯関係に」

あい「いや、我々の間では乾杯するものは常に一つだよ」

千夏「レディキラーに」

あい「レディキラーに」


八神マキノ(18)
http://i.imgur.com/jYY6XVT.jpg




文香「お忙しい中……またもや相談に乗って頂き……ありがとうございました」

P「お気になさらず、これも仕事ですから」

文香「お仕事……ですか……私……お仕事の邪魔をしないよう……今まで相談は控えていたのですが……」

P「言葉が不適切でしたね。何時でも気軽に頼って下さいとの意です」

文香「……Pさんの……プロデューサー就任が決まるかの……瀬戸際でしたから……邪魔をしてはいけないかと」

P「奥ゆかしい方ですね鷺沢さんは。気を遣って頂いてのはこちらでしたか。これではプロデューサー失格かな」

文香「いえ……そんな事は……私の……Pさん程……プロデューサーに相応しい方はいないと思いますよ」

P「恐縮です」

文香「相談を……親身になって……受けて頂いていますし……Pさんの事を……尊敬しています……」

P「そこまで褒められてしまいますと、気恥ずかしいのですが」

文香「確かに……ちひろさんの事は……残念でしたが……」

P「あれは全面的に僕が悪い話ですから。千川さんに非はありません」

文香「それに……黒川さんの御病気の事も……それなのに彼女を担当に選ばれるだなんて……私……とても……」

P「お待ちください、黒川さんが何か?」

文香「……えっ! ……ああ……私は……なんて……取り返しのつかない事を……」

P「待って下さい鷺沢さん。落ち着いてゆっくりで構いませんから僕に話してください」

文香「私の口からは……とても……てっきり……御存じなのだとばかり……。
  ああ……どうしましょう……悪気は……なかったんです……」

P(この様子ではもう鷺沢さんは口を割らないだろう。黒川さんに何が……マキノを使って探りを入れるか?)

P(……いや下手に他人を使うと話が大きくなって、藪をつついて蛇を出す事になりかねん。
 僕の担当アイドルなのだから、自分で調べねば)

―――

千秋「ついこの間の事なのに、随分と懐かしく感じてしまうわね。会議室で面談だなんて」

P「他人へ聞かせたくない話でしたので。これはプロデューサーとしての義務でもありますのでご了承を」

千秋「プロデューサーが希望されていた私の生理周期予想表と、超低容量ピルの服用履歴よ」

P「すみません。気分の良い話ではないでしょうが、今後黒川さんがアイドル活動を行うにあたり必要な情報ですので」

千秋「毎月始めに事務所へ同じものを提出しているのだけれど、プロデューサーには情報が届いていないのかしら?」

P「情報は把握しております。ですが今後は緊急避妊薬も支給される事になりますので、用法と容量を互いに確認する必要があります。
 不特定多数の人目に触れる仕事ですので、変質者による暴行を警戒しなければなりません」

千秋「そうよね」

P「もちろん万が一にもそのような事が無いよう、事務所として所属アイドルの安全には配慮しております。
 ですが最悪の事態へ備える事もせねばなりませんので」

千秋「昨日ガイダンスと緊急避妊薬の支給を受けたわ。それでは不足なのかしら?」

P「こちらが把握している限りでは、ガイダンスのみで薬剤の支給は後日との事でしたが……。
 では黒川さん、ピルケースの提出を願います。薬剤在庫の確認を行いますので」

千秋「待ってちょうだい。バッグの底に入り込んでいて」

P「話が食い違う以上、どこかに誤りがあるはずです。それをはっきりさせませんと」


P「種類が多いですね。薬の名前は複雑で、僕では覚えきれなそうです」

千秋「色と形で区別できるから心配ないわ」

P「これがピル、あちらが避妊薬、服用履歴と在庫は正しいようですね。お手数をおかけしました」

千秋「プロデューサー、終わったのならばバッグを戻してくれないかしら」

P「最後にもう一つだけ、こちらのフラワーとはいったい何なのでしょうか。事務所では散剤の支給は行っていないはずなのですが?」

千秋「いやぁぁぁ!」

千秋「返して! お願い、返してちょうだい」

千秋「お願いよ……返して……それがないと眠れないの……」

―――

千秋「うう、ああ。……プロデューサーにだけは知られたくなかったわ」

P「お話し願えますね」

千秋「黙っていたのは悪気があったからではないの。でも隠し通せるものならばそうしたかった」

P「それはなぜですか?」

千秋「プロデューサーの期待に答えたかったから」

P「僕の……ですか? 事務所のではなく」

千秋「プロデューサーが私を担当に指名してくれて、嬉しかったのよ。本当に嬉しかった。
  でもあとになって恐ろしくなったわ。こんな病気持ちの女を選んだ事が周りに知られたら、プロデューサーの経歴に傷がついてしまう」

千秋「何よりも病気を知られて、プロデューサーに幻滅される事が恐怖だった」

P「そんなにも重い病気なのですか?」

千秋「症状が酷かったのは一年前だけ。事務所に所属してからは症状も出ないし、もうほとんど治ってきているのよ。
  お医者様は【そろそろ効果の穏やかな薬に切り替えて行きましょう。根治は間近です】って、嘘じゃないわ。診断書だってあるもの」

P「眠れないとおっしゃっていましたが」

千秋「私には幾人か求婚者がいると話した事があったわよね」

P「ええ、御茶会の場で伺いました」

千秋「半分は本当で、半分は嘘。本当は両手足の指では数えきれないほどの求婚者達がいるのよ」

P「そんなにも多いのですか」

千秋「最初に求婚者達が現れたのは私の18歳の誕生日よ。一度に5人の殿方を紹介されたわ。
  私は自分の見た目が異性の目を引き付けるものだと知っていたし、その時は彼らが連なって来ていても別に驚きもしなかった」

P(見合いって1対1で行うものではないんだな。1対5って世界が違いすぎる)

千秋「それが悪夢の始まりよ」

千秋「今まで私の美貌へ対する肉欲に満ちた下種な視線を向けられた事は幾度もあったし、それならば不快ではあっても耐えられた。
  だけど求婚者達は私へは一瞥もしなかったの。彼らは終始父へのおべっかに精を出していたわ」

千秋「恐ろしかった。彼らは私の美貌にも黒川家の娘にも興味はなかった。ただ望むのは父の後継者との立場だけ。
  なによりも辛いのは父も母も私がそんな連中の元へ嫁ぐ事が幸せなのだと、頭から信じている事よ」

千秋「母は私を諭したわ。父との婚姻に愛情はなかった、婚礼のその日まで会った事はなかったのだからと。
  それでも子を産み育て長い年月を共に過ごすうちに、愛情が育ったと。だから心配はいらないと」

千秋「19歳の誕生日には10人の求婚者達が現れたわ。20歳では言わずもがな。そして誰も彼も、皆、皆よ! 誰も私を見ていなかった。
  人間があそこまで卑しく空恐ろしい顔をする事が出来るだなんて、信じたくもなかった」

千秋「私は人形じゃない! あんなもの年若い娘が独りで耐え切れるはずがないじゃない……うう」


P「事務所へ所属してからは症状が改善したとの事ですが」

千秋「本当はアイドルになりたくてこの事務所へ来たわけではないの……ただ辛い現実を忘れられる何かが欲しかった。
  何かに打ち込んでさえいれば、無心になれる。だからどれだけの努力を重ねても困難である、トップアイドルの座を目指したのよ」

P「黒川さんは熱心にレッスンをされていました」

千秋「それはプロデューサーの助言を受け取ってからよ。打ち込む対象にアイドルを選んだのは、私を見て欲しいとの願望の表れでもあったから。
  誰か、ううん、誰でも良かったの。私を見ていてくれたと信じられた。だから真剣にアイドルを目指す気持ちになれた」

P(黒川さんも嘘を付いていた。だけど本当の事は言えなかった。誰かの期待を裏切ってしまうから)

千秋「お願いよ、プロデューサー。見捨てないでちゅだい。ひっぐ、治ずから、必ず、病気はなおるがら」

P(プロデューサーになると嘘を付いた僕。トップアイドルになると嘘を付いた黒川さん)

千秋「秋が来れば治るから。信、じで、えっぐ、ぼ願いよ、じんじでぇ~」

P「黒川さん、以前僕をクラシックのコンサートへ招待してくれると仰いましたよね。
 病気が治ったらお祝いにコンサートへ行きましょう」

千秋「ああ、プロデューサー」

P「僕は黒川さんと一緒にクラシックのコンサートへ行きたいです。
 クラシックは初めてなんですよ。なので心得を伝授して頂けると助かります」

千秋「ありがとう。ありがとう、プロデューサー」


 二人で抱き合ったまま僕らは泣いた。
そんな事をしていても状況は何一つ改善される事はないのに。
会議室を出てしまえば、黒川さんはやっぱり黒川家の令嬢で、来年の冬にはもっと多くの求婚者達が押し寄せてきて……。

 導火線にはとっくに火がついていて、爆弾はあちらこちらで今か今かと爆発を待ち望んでいる。
それでも僕らは二人で泣いた。生まれたての赤子の様に。

 きっと僕に必要だったのは、誰かを愛する事でも、愛される事でもなく、許す事だったのだと思う。
人は何時までも子供ではいられない。それでもなお狂おしく僕らは愛される事を望んでいた。

 寒くて、心細くて、独りではいられなくて、そんな凍えた心が崩れ落ちそうなモラトリアムに別れを告げ―――
この日私は大人となった。




千秋「信頼のおける方です」

千秋「はい、信頼です」

千秋「私はトップアイドルになりたいと望んでいます。今直ぐにではありませんが、いつかはと」

千秋「彼も同じ気持ちです」

千秋「確信ではありません。事実ですから」

千秋「幾度も夢を語り合う必要はありません。彼が私を選んだのです」

千秋「私も彼とならば共に歩み、トップへ立つ事ができます」

千秋「現状への不満はあります。まだまだ物足りないと感じてしまいます」

千秋「彼にもっと大切にされたいのです」

千秋「いいえ、それを伝える事は出来ません。彼に嫌われてしまいます」

千秋「既に私は他のアイドルの誰よりも、彼に大切にされています」

千秋「ですからこれは私の我儘なのです」


P(黒川さんたっての願いで治療に立ち会ったが、問診だけとはね)

P(投薬されていたフラワーの正体は小麦粉、つまりは偽薬による治療だった。
 主治医の話によると黒川さんの肉体は健康そのもの。不眠症は精神的負担が原因であり、化学的療法は副作用が望ましくないらしい)

千秋「父は女子寮への入寮を認めてくれたわ。娘の独り立ちが不安なのか、相部屋ならばとの条件を出されたのだけれど」

P「お父上なりの愛情なのですよ。女子寮はご自宅よりも大学へ近いですし、反対なさらず一安心です」

P(事務所へ所属後に症状が改善したとの黒川さんの話は本当だった。外的環境の変化が好ましい結果をもたらしたらしい。
 主治医からは精神的負担を軽減する為、親娘間に物理的距離を開けるよう薦められた。入寮によりさらなる治療が進むだろう)

千秋「これでますますアイドル活動へ専念できるわね。プロデューサー」

P「お相手は鷺沢さんになる予定ですが、構いませんか?
 叔父さんの事情が変わり鷺沢さんの受け入れが出来なくなってしまったそうで、入寮を希望されているんです」

千秋「彼女とならばきっと上手くやっていけるわ。年齢も近いし、同じ女子大生組なのだから」




朋「最近さ、なんだか事務所の空気がおかしくないかな?」

P「CuPさんが事故で長期療養に入られましたからね。
 うちは人手不足ですから、配置変更が迫っているんですよ。皆がピリピリしているのもそのせいでしょう」

朋「マキノんからはCuPさんは事故じゃなくて、誰かに刺されたって聞いたよ」

P「調理中に地震が起きて転んでしまい、その際に不幸な出来事が起こってしまっただけです。
 警察は事故だと判断していますし、朋も包丁の扱いには十分注意してくださいね」

朋「……きのう包丁で指切っちゃった……ついてないよね」

P「今日の蟹座は一位ですよ。特に恋愛運が最高だそうです」

朋「不安だからさ、占ってみたのよ。六月の花嫁だって。だけど幾らやっても良い結果は出なかった」

P「不安になるのは当然です。梅木さんはパッション部門へ引き抜かれ、和久井さんはプロデューサー転業ですからね。
 誰もが皆将来への不安から、行動せずにはいられないのでしょう」

朋「占ったのはさ、あたしじゃなくてあんたの事よ」

P「キュート部門への配置変更を打診されております」

朋「和久井さんとちひろさんもパッション部門へ移るんだってさ。これは直接聞いたから間違いないよ」

P「そうでしたか。彼女達は百人力ですからね、パッションアイドルは心強いでしょう」

朋「皆、いなくなっちゃうね」

P「寂しくなります」

朋「あんたやっぱり変わったね。前は【それなら俺がいるだろ】って軽口が返って来たはずなのに」

P「私の担当アイドルが増えれば、クール部門へ留まる事も可能です。
 先ほどの話はまだ正式な辞令ではありませんので」

朋「あんたはプロデューサーに向いてないよ」

P「残念です。和久井さんも同じ事をおっしゃいました」


朋「カーステレオ停めてくんないかな」

P「歓喜の歌は御嫌いですか?」

朋「あんたは好きなの? ベートーベン、それともモーツァルト。どれでもいいけど」

P「どれも好みを判別できるほど耳が肥えておりません。学んでいる最中ですので」

朋「その気持ち悪い喋り方もね」

P「日々勉強ですので。不作法な人間は礼儀知らずと蔑まれます。
 私の評価が下がれば、それに引きずられ事務所とアイドルの評価も下がってしまいますから」

朋「あんたはさ、そんな殊勝な人間じゃなかったでしょ」

P「私はプロデューサーの矜持を、事務所を、社長を、業務を、アイドルを、朋を常に大切に考えております」

朋「その順番に、でしょ。あたしの願いはもう聞いてくれないんだ」

P「はい、その順番ですので」

朋「随分と御高く擬態したものね。今のあんたならクラシックに限らずオペラ鑑賞が趣味ですって詐称しても世間に通じるでしょ」

P「西川さんには高い志が秘められています。埋もれさせるのはあまりにも惜しいですからね」

朋「彼女をさ……担当するの?」

P「私が初めてスカウトしたアイドルですからね。状況が許すならば受け持ちたいと願っています」

朋「あたしはさ、何をやっても上手く行かなくて。自分をずっと運が悪いんだって思ってた」

P「誰にでも足踏みの時期はあります。黒川さんは家庭の事情で今は仕事を増やせないんですよ。
 学業に支障をきたさないでくれとの御両親の強い希望が有りますから」

朋「だったらさ、あんたの仕事もほとんどないんだよね」

P「依然として他のアイドルのマネージャー業務も兼任しております」

朋「辞めちゃいなよプロデューサーなんて。腕もないんだし」

P「だからこそキュート部門へ移りプロデュースに専念せよとのお話も頂いております」


朋「新しく受け持つアイドルさ、あたしじゃ駄目なのかな?
 ようやく売れ始めたばかりでまだ御給金も少ないけれど、節約しとけば結構貯金できると思うんだ」

P「お誘いは致しません。誘って欲しくはなさそうですので」

朋「そこまで察してるんならさ、前みたいに適当な嘘を吐いてよ。
 無駄か。今のあんたの言葉じゃどんなに並べられても何一つ信じられないもの」

P「残念です」

朋「昔は良かったなー。そりゃ売れてなかったし、嫌な事も沢山あったけど。
 皆仲が良くて、なによりもPがあたしのマネージャーだった」

P「間も無く現場へ到着いたします。仕事が終われば直帰されて構いませんので」

朋「ねえ、P」

P「なんでしょうか」

朋(ちひろさんの事、忘れてよ)

朋「ううん、やっぱいいよ。何でもない」

P「残念です」



千秋「こんな時間にどなた? あら……Pさんだったの。プロデューサーとはいえ夜にアイドルの部屋を尋ねるなんて、遠慮がないわね。
  ふふ、いいわよ。どうぞ、入って。立ち話も何でしょう?」

千秋「部屋でくつろいでいたものだから、こんな格好でごめんなさいね。……どうしたの、目が泳いでいるわよ。ふふ」

P「夜分に申し訳ありません、文香も。こちらも楽な格好にさせていただきます。
 今日お訪ねしましたのは、今後のアイドル活動につきましてお話をしたいからなのですが」

千秋「文香……さんと?」

文香「どうぞ……今ブランデー紅茶を入れますね」

P「黒川さん、文香との共同生活は順調でしょうか?」

千秋「その事なのね。仲良くさせていただいているわ。
  今も寝る前のストレッチを手伝ってもらっていたのよ。ダンスにも声にもいいから」

文香「千秋さんには……毎日髪の手入れを手伝ってもらっています……」

千秋「髪は女の命ですからね。文香さんは白髪交じりだけど傷んではいないから、手入れを続ければもっと素敵になるもの」

P「お二人とも美しい髪の持ち主ですからね。見とれてしまいます。
 そして文香の紅茶はいつも美味しいですね」

千秋「髪……手入れはしていたから。でも改めて褒められると、照れるわ」

P「お二人に問題が無ければ、今後はユニットを組んでの活動をお願いしたいと考えています」

文香「私達が……」

千秋「ユニットを?」

P「ユニットを組む事でお二人の体力の無さを補えますし、何よりも歌を主力としたグループがうちの事務所には足りないものですから」

千秋「……」

文香「……」

P「突然の事で戸惑うかもしれませんが、考えてみて頂く事は出来ませんでしょうか?」

P「失礼電話が入りました」

西川保奈美「Pさん、やっと捕まえたわ」

P「こんばんは西川さん」

保奈美「Pさん、今度、観劇しに行きません? いいでしょ?」

P「でしたら宝塚の公演は如何でしょうか?」

P「席を外しますね。お二人で話し合ってみてください」

P「関西が活動の中心かと思っていましたが、東京にも宝塚の劇場が有るそうなので」

保奈美「Pさんは好みの髪型ある? 私、なんでも試せるわよ」

P「サイドでまとめてみては如何でしょう?」

保奈美「似合うかどうか、私はPさんのセンスを信じてるわ!」

P「それでしたらツインテールを御願いすれば、見せて頂けますか?」

保奈美「えっ……ツインテールは……どうかしら。う~ん……任せて頂戴。他の誰かの意見よりPさんの意見が一番重要なのよ」

―――

千秋「~~~このっ泥棒猫! いったいどんな手を使ってプロデューサーを誑かしたの!」

文香「誑かすだなんて人聞きの悪い。私はただ相談をしただけですよ。
  千秋さんのお体が心配ですって、毎晩うなされていますって。ホームシックなのかと不安になりましたから」

千秋「卑怯よ! そうやってある事ない事吹き込んで、あの偽手紙だって貴女の仕業でしょ!」

文香「いったい何のお話でしょう?」

千秋「とぼけるのもいい加減にしなさい。これの事よ!
  いいかしら、プロデューサーが選んだのはこの私よ。あの日私達の心は確かに通じ合ったのだから、貴女の出る幕はないの!」

文香「これが偽手紙なんでしょうか? ―――
  【本当に申し訳ありませんでした。
   お互い大人ですし、一夜の過ちはお忘れください。
   今後も良き隣人としての、節度ある御付き合いを望みますモバP】―――どうみてもPさんの直筆ですよ」

千秋「白々しい。どうせ私とプロデューサーの仲に嫉妬して、貴女がでっち上げたんでしょ」

文香「私ではありませんよ。偽造なんてする必要がありませんし、第一私が千秋さんへ嫉妬なんてするはずがないじゃないですか」

千秋「嘘をおっしゃい。貴女がプロデュサーを見る目は尋常じゃないもの。自分が選ばれなかった腹いせに私へ嫌がらせをしていたくせに」

文香「だから嫌がらせなんてする必要が無いんですよ。Pさんは必ず私を選んでくれますから、どんなに時間がかかったとしても。
  だってPさんは私の運命の人なんですから」

千秋「貴女、何を言って―――」

文香「これは偽手紙なんですよね。だったらどうして直ぐにPさんへ確かめなかったんですか?
  確かめずともその場で破り捨ててしまっても良かったのに。どうして大切に保管してあるんですか?」

千秋「それは、その」

文香「不安だったんですよね。もしもこれが本物だったらどうしようって。
  もしかしたらこれがPさんからの最後の贈り物になるかもしれない、だから捨てる事も出来ないんですよね」

千秋「私は……ただ……」

文香「かわいそうなPさん。千秋さんを担当にしたばっかりに、クビにされてしまうだなんて」

千秋「どういうことなの?」

文香「何も知らないんですね。千秋さんせっかくデビューなされたのに全然売れていないじゃないですか」クスクス

千秋「それはプロデューサーがまずは体力作りに専念しろと。それに父がアイドルと学業を両立させろと圧力をかけて来て」

文香「ほらやっぱり。売れていないのは千秋さんのせいじゃありませんか、それなのにPさんは今事務所で無能扱いを受けているんですよ」

千秋「~~~くっ。私には歌があるわ」

文香「Pさんが初めてスカウトされた西川さん、オペラ歌手を目指して子供の頃から訓練をされていたそうですね。
  一度レッスンを御一緒しましたが、すばらしい声量の持ち主でしたよ」

千秋「夏休みに入れば仕事にだって専念できるもの、今は雌伏の時なのよ」

文香「夏まで時間をかけるならば、当然西川さんもその分レッスンを積み重ねますよね。
  きっと苦手なダンスも克服されて、私達のリーダーに。いいえ、もしかしたら単独デビューも叶うかもしれませんね」

千秋「そんな……プロデューサーが西川さんを選ぶだなんて……」

文香「ほら、またPさんを疑いましたよね。やっぱり千秋さんはPさんに相応しくないんですよ。
  だって運命の人じゃないんですよね」

千秋「貴女はよく平気な顔が出来るわね。プロデューサーがぽっと出の小娘に奪われるかもしれないのに」

文香「奪われるだなんて、それこそPさんを信じていない証拠じゃないですか。疑う事なんて私には何一つありませんよ。
  私達の関係に嫉妬しているのは千秋さんなのではないでしょうか? だって千秋さんにとってPさんは運命の人ではありませんから」


千秋「……もう……止めて頂戴」

文香「ではPさんの事は諦めていただけますね」

千秋「仮に、もし仮によ。
  西川さんがトップへ立つのにふさわしい実力の持ち主で、プロデューサーが彼女を選んだのであれば私は大人しく身を引くわ」

文香「賢明ですね」

千秋「ねえ、文香さん貴女はいったいどうするの? もしもプロデューサーが西川さんを選んだとしたら―――」

文香「その時はPさんを殺して、私も死にます」

千秋「何を……言って……」

文香「Pさんが誰を選んでも同じですよ。私を選んだとしてもです。
  だって世の中には辛い事だけしかないんですから。私はPさんをその苦しみから解放してあげたい」

千秋「……」

文香「それが私の愛なんです。Pさんは世の中が灰色にしか見えなかったこんな私にも、愛を注いでくれました。
  だからその愛に答えたい。私達は来世で一緒になります、そんな運命なんですから」

千秋「鷺沢ぁ 文香ァァア!!!」( ‘ ^‘c彡☆))Д´) パーン

千秋「出て行きなさい! 貴女こそプロデューサーには相応しくないわ」

文香「羨ましいんですよね。私が憎くてたまりませんよね。だってそうでしょう、Pさんが最後に選ぶのは何時だって必ず私なんですから」

千秋「貴女にだけはプロデューサーを渡さない。いいえ、他の誰にも渡さないわ。プロデューサーの隣にいるべきなのは私だけよ!」

P「何だ今の音は、いったい何があった」

文香「ひっ、あの、Pさん。突然千秋さんが私を打ってきて、それで、もう、私、寮には居られません」

P「おい、待て文香っ」

千秋「行っては駄目よ、プロデューサー!」

P「なっ!」

千秋「お願いだから、追いかけないで頂戴。もしも彼女を選ぶのであれば私達の関係はもう終わりよ!」

P(なんだ、いったい何があった? 文香の顔には痣があって、黒川さんは号泣している。
 二人なら上手くやっていけると思っていた。それなのに私はまた間違えたのか……)

P「文香を選ぶとか選ばないの話ではありません。もしも部屋を飛び出したのが黒川さんであれば、私は黒川さんを追いかけます」

千秋「いやぁぁぁ!」

千秋「駄目よ、プロデューサー。行かないで。お願いよ信じて! 行っては駄目なのよ」

P「文香を探して連れ帰ります。落ち着いたら三人でゆっくりと話し合いましょう」

千秋「プロデューサーぁぁぁ!」



千秋「うう、ひっぐ、ぐう、あああ。これは……プロデューサーの上着」

千秋「ふふふ、無様ね。捨てられた女が、思い人の上着に袖を通すだなんて」

千秋「たとえ残り香であったとしても構わないわ。抱きしめて頂戴、プロデューサー」

千秋「暖かいわ。プロデューサーは何時でもこうして私を慰めてくれるのね」

千秋「あら、上着の内ポケットに何か……」

千秋「これは婚姻届……しかも私達の名前が書いてある……」

千秋「どうして……こんなものが……プロデューサーの判も押してあるし……後は私が捺印するだけで……」

千秋「そうだったのね。プロデューサーはここまで真剣に私の事を考えてくれていて、なのに私はプロデューサーを信じる事が出来なくて」

千秋「御免なさい。御免なさいPさん。私が愚かだったのね」

千秋「御免なさい。御免なさいPさん」

千秋「御免なさい」


西川保奈美(16)
http://i.imgur.com/tphrSvb.jpg




P「文香、どこにいるんだ。返事をしてくれ」

P(以前黒川さんとちひろさんが言い争い黒川さんが事務所を飛び出した後、僕は二人を探しに行かなかった)

P「文香、どこにいるんだ。頼むから返事をしてくれ」

P(だがあれはきっと間違いだったはずだ。あの日以来黒川さんはずっと何かに苦しんでいた。
 だから今度こそは間違えない。文香を連れて戻り、必ず二人を仲直りさせてみせる)

文香「P……さん」

P「文香、大丈夫か」

文香「はい……大丈夫です……Pさん……千秋さんを責めないであげてくださいね」

P(良かった、無事みたいだな。夜中に女性が独りで外へ飛び出すだなんて、変質者に襲われたりせず本当に良かった)

P「いったい何があったのでしょうか? ただ事ではありませんが」

文香「千秋さんは……何も悪くないんです……御病気なんですから……。
  きっと……私が何か……気に障る事を口にしてしまったんです……」

P「何を口にされたのでしょうか?」

文香「……解りません……二人で今後の活動を考えていて……お互い学業もありますし……ユニットデビューは夏休みからでしょうかと……。
  そんな話をしていたら……突然……千秋さんから私はアイドルに相応しくないと……糾弾されました」

P「そうでしたか」

文香「きっと……千秋さんは……私に上昇志向が乏しいと活を入れて下さったんです……ですから……悪いのは……私なんです」

P「謝るべきは私です。お二人とも環境が変わったばかりですのに、事務所の都合を押し付けようとしてしまいました」

文香「申し訳ありませんが……ユニットのお話は……まだ……お受けしかねます」

P「はい」

文香「私では……千秋さんの足を引っ張ってしまいますから……。
  いつか……御一緒できる日が来るまで、Pさんに私を鍛えて頂きたいです……」

P「それはお受けしかねます」

文香「大丈夫ですよ、夏になればきっと全てが上手く行きます。そんな運命なんです」

P「夏ですか」

文香「ええ、夏です。夏になればきっと全てが上手く行きます。だから、私と」

P「梅雨が来れば、私はキュート部門へ転属となります」

文香「えっ!?」

P「ですので文香の担当を受け持つ事は控えさせて頂きます」

文香「どう……して……占いでは……そんな事……」

P「キュート部門は今諸事情で人手が不足しております。ですから新人プロデューサーである私へと白羽の矢が立ちました」

文香「戻って、来てもらえますよね」

P「新しく事務所からキュートアイドルを割り当てられる事となります。
 3年かあるいは5年か、彼女が引退するその日まで私はキュート部門へ留まるつもりです」

文香「では千秋さんの担当は降りられるのですよね。Pさんはトップアイドルを担当する運命なんですから」

P「確かに私は黒川さんを受け持つべき運命ではありませんでした」

文香「でしたらこの合鍵を受け取って下さい。私達の部屋の鍵なんです」

P「受け取る事は出来ません」

文香「御嫌でしたら後で捨ててしまっても構いませんから。Pさんが受け取ってくださる事実が欲しいんです。
  そうすれば私と千秋さんは何時までもPさんを待つ事が出来ますので」

P「黒川さんはキュートアイドル寮へ移動させます。私の担当するアイドルですからね。梅雨が来てもそれは変わりません」

文香「おかしいですよ、そんなの、間違ってます。Pさんは運命の人を担当するべきです!」

P「運命ではないから、間違えるんです。でも最後まで努力を積み重ねれば、それが間違いではなくなるかもしれません。
 私はもう間違え続けないと決めたのです。運命の人ではないからこそ大切にしたいのです」

文香「そんな、どうして、だってPさんの運命の人は私で……ひっ、ひっ、ひっ」

P「文香、どうした」

文香「ひっ、ひっ、ひっ、ひっ、ひっ、ひっ、ひっ、ひっ」

P「なんだこれは、ひきつけを起こしたのか? 文香、しっかりしろ、文香」


のあ「どきなさい、P。これで2つ目ね」

P「のあ……さん」

のあ「普段と様子が異なるようね。……そう。通常を定義しなければ異常であるということは認められないわ。
  ……通常とは……貴方と積み重ねた日々の片鱗、それらが形作る形なきもの……。それゆえに、誰にとっても尊いもの」

のあ「過換気症候群。紙袋をかぶせたわ、間も無く落ち着くはず」

P「どう……して……」

のあ「北天にそびえるは不動星。七星がどれ程惑えども、離れる事は叶わない。
  世界に響くは娘達の創造詩。そして駆り立てるのは野心と欲望、ならば横たわるのは……犬と豚ね」

文香「……」

のあ「刻の終わりの刻は来た。あの娘は見捨てなさい……貴方の願いは全てを狂わせる」

P「どうして―――なんですか」

のあ「咎人は女神を求め、力は悲劇を生む。これが貴方の選択よ。全てを拾い上げる事などできはしない。
  惑うのは、不変を信じているから? くだらない事に興味を持つべきではないと警告したはずよ」

のあ「それでもまだ、夢を諦めきれぬのであれば―――私は世界の終りで詩い続ける。
  貴方は貴方が望むがまま、思うがままに、邪悪に生きなさい」

P「どうして貴女はツインテールなんですか、のあさん。
 僕がツインテールをリクエストしたのは西川さんだけのはずですが」

のあ「………………………ぴょん」

 疑惑は、蛇のように絡みつく。

P「鬼ごっこはまだ続いていたんですね」

 あの日に黒川さんの保冷バッグをゴミ箱へ捨てたのは、のあさんだったのではないか?

のあ「……幻想の白兎を演じても……私という個は不変の存在。Pからは私が何に見える?
   ……人? ……兎? それとも鬼? ……それ以上の意味を持つ存在であるのなら、想いはイコールで繋がるわ」

P「今の僕はプロデューサーです。もうのあさんのマネージャーではありません。
 これで失礼します、文香を寮へ運びますので」

のあ「今さら貴方に何を言われようと驚くことはないわ。貴方の見せる世界が私に相応しいか……私はいつまでも見ている」

 証拠は何もない。
だが私には突然降ってわいたこの天啓を打ち消す事が出来る程、のあさんへの信頼が残されてはいなかった。

のあ「行きなさい。そして全てを知り絶望しなさい。選べるのはただ一人だけ。
  誰もが皆、傷付いている。壊れて狂った愛の為に」




千秋「愛しい人です」

千秋「いいえ、信頼ではありません。愛情です」

千秋「はい、愛情です」

千秋「私は彼との婚姻を望んでいます。今直ぐにではありませんが、いつかはと」

千秋「彼も同じ気持ちです」

千秋「確信ではありません。事実ですから」

千秋「幾度も愛を語り合う必要はありません。彼が私を選んだのです」

千秋「私も彼とならば共に歩み、幸せとなる事ができます」

千秋「私は今、幸せです」


P(私が黒川さんへ婚姻を申し込んだ事実はない。しかし、なぜ彼女がこんな嘘を付かねばならぬのか?
 問診の内容は原則非公開である。ならばこの場で私達の関係を偽証する意味はどこにある)

P(主治医は自己防衛の一環として、記憶の書き換えが行われている疑いが有ると述べた。
 黒川さんの精神はすでに限界に達していると)

P(黒川さんの精神的負担の大部分は信頼のおけない求婚者達によるものだろう。
 彼らとの婚姻の恐怖から逃れる為に、最も身近に存在し信頼のおける異性である私を求婚者として扱っているとの診断だ)

P(黒川さんを親元から引き離したのは間違いだった。
 依存の対象が偽薬から私へと移り変わっただけで、健全とは程遠い)

P「上手くやっていけると思っていたが、もうこのままではいけないのだ」

P「プロデューサーを続けるべきか、辞めるべきか」

P「辞める事は出来ない、すでに幾度も信頼を裏切って来た。今更昔へは戻れない」

P「どうすればいいんだ。いったいどうすれば。間も無く梅雨が訪れる……悩む時間は無い筈なのに」

P「和久井さん、朋。
 やはり私はどんなに努力を積み重ねても、プロデューサーには向いていなかったようです」




千秋「ねえプロデューサー。週末に時間は取れるかしら?」

P「先約がありますので」

千秋「そう、父に会って欲しかったのだけれど……」

P「お父上にですか? 別に用はありませんが」

千秋「どうしてそんな事を言うの? 結婚―――して下さるのでしょう?」

P「黒川さん、結婚を望まれるならば求婚者の方々を大切にしてあげてください。
 大学卒業まで年数はありますし、どんな男性か見極める事も出来るでしょう」

千秋「お嬢様扱いなんてしないでイイわ。
  プロデューサーには今の私はどう映っているのかしら」


P「上昇志向の高いEランクアイドルですが、より上を目指すに足るだけの実力は備えている。
 なれど学業との二足の草鞋の為に、当面仕事は増やせない。
 ゆえに現状のEランク評価は適切だと感じていますね」

千秋「褒めてくれたって……いいえっ。
  アイドルと学業の両立は両親との約束。私の話をちゃんと覚えていてくれたのね」

P「父娘共に妥協をしない方だとも伺っております。
 私はまだ若く、お父上の目には財産狙いとしか映らないでしょう」

千秋「トップに立つまでは入籍も控えるつもりよ。今みたいに内縁関係なだけで十分。
  でもそれとは別に顔合わせをしておけば、今後の布石になるでしょう。
  父は時間をかけて説得してみせるわ」

P「先約がありますので」

千秋「私達の将来よりも大切な事なの?」

P「社長の用意された縁談です。今朝お受けいたしました」

千秋「相手は何方なの?」

P「存じません。会わずに決めるのは先方に失礼ですので」

千秋「信じて……良いのよね? 貴方が私を選んだのよ」

P「私は貴女のプロデューサーです。何も変わる事は有りません」

―――

P「くそっ! どうしてこうなったんだ。
 こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃ」

千夏「ふふっ、全部アナタが悪いのよPさん」

P「こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃ。いったいどうすれば―――」

千夏「辛い時にはお酒が一番よ。さあ全部忘れて、ねぇ」

P「ちくしょう。昔はこうじゃなかった。あの頃は皆が居たんだ」

千夏「アナタが好きだったちひろさんもね」

何故だろう酒飲んでる場面が一番怖い...

P「ちひろさん。ああ、会いたいよちひろさんに。
 会えないよちひろさんに。どの面下げて会えばいいんだ」

千夏「そうよ、もう皆には会えないの。アナタはキュート部門へ移籍するのだから。
  皆を裏切って、ね」

P「うう、ああ。オオオっぶっぐぞお~~~。
 好きだったんだ、本当に好きだったんだ」

千夏「ほら、目を閉じて。これからは夢を見るのよ。
  もう二度と覚めない悪夢をね」


Cuはすでに前任(?)のPが包丁で刺されてるからこのPが移動しても、問題は無いんじゃない?



社長「この廊下を進んだ一番奥の部屋だよ。先方は予定通り到着されるとの事だ」

P「何度経験しても、対面の緊張にはなれません」

社長「大丈夫だよ、もう慣れる必要などはないのだから。
  君が首を縦に振った時点でこの縁談はまとまったも同然だよ」

P「今まで大変世話になりました。幾度も御尽力くださり、感謝の念が絶えません」

社長「ならば早く子供を作り、幸せな家庭を築きたまえ。私には子がいないからね、お父さんと呼ばれる感想を聞かせて欲しいのだよ。
  P業に生涯をささげた自らの選択を後悔してはいないが、それでもやはり赤子の魅力には心が揺れ動いてしまう」

P「子供を持つ事は私の夢でした」

社長「君の新たなる門出を祝しこれを贈ろう。幸運のお守りだよ。
  君には辛い決断を迫ってしまったが、これからは幸せにおなりなさい」

P「四葉のクローバー。ありがたく頂戴いたします。
 今後は良き夫であり良き父親、そして良きキュートプロデューサーと成れるよう努めます」

社長「さて、老人はここで退席させていただくよ」

P「先方の紹介を行っては下さらないのですか?」

社長「これも先方の望まれた事でね。積もる話もあるだろうし、後は若い二人に任せるとしよう」

P(鬼が出るか蛇が出るか。社長の口ぶりでは顔見知りの様子だが―――大学の同窓生辺りかな? 誰であっても同じ事か)





あっ...(察し)

P(この料亭の庭は枯山水か。景色を眺めていると時間が止まったみたいだ。
 梅雨なのに一滴の雨も降っていないせいかな)

P(流れている曲は讃美歌【主よ御手もて引かせ給え】。フルートの音色がとてもきれいだ)

P(―――曲が転じた。それならばこれはオペラ【魔弾の射手】だな。劇の最終幕では男の過ちが許され、婚礼を認められる)





『妬けてしまうわね。ここまで来てなお背を向けているだなんて』

 誰かが耳元で囁く。そして背中に感じる微かな痛み―――幾度も感じた痛みだ。

P「奏……なのか……」

奏「お久しぶりね、Pさん。私が夜色の花嫁よ」

 眼前の景色がゆっくりと歪み始める。

P「……」

奏「夜はいいわ。気持ちは隠してくれるし、表情は月の光が照らしてくれる……。
 花嫁には珍しい色だけど……秘密を抱えた人にとってはお似合いの色よね」

 彼女はいったい何を口にしている?

P「これはどんな冗談なんだ」

奏「遊びにしては踏み込み過ぎね。もし、映画ならラストシーンじゃない。お望みならばこの瞳で騙してあげる……ねえ」

 いったい何がいけなかったのだろうか。誰でも良い、伝えてくれ。
心を壊してしまったあの女性に―――

奏「一日千秋の思いって本当なのね。待つ事は貴重な体験だったわ。望めばいつでも手に入るのに」

 あの頃僕はまだ若くて、

奏「でもそれもまたPさんと二人で積み重ねた毎日よ。会えない時間が二人の愛を育てたのだから」

 酒に酔っていて、

奏「結婚は永遠のプロデュースみたいなものかしら、旦那様」

 恋をしていたんです。

P「一日千秋の……」

奏「いいのよ、何も言わなくて。誰も……月だけが見ていればいいわ。誓いって、そういうものよ」

 彼女の事が好きだったんです。

奏「安心して頂戴。たとえPさんが私を愛せなかったとしても、その時は私達の子供を愛すれば良いのよ。
 いずれPさんは私を愛するようになるの、長い時を積み重ねてね。夫婦ってそういうものよ」

 僕はただ……千秋とクラシックのコンサートに行きたかったんです。

奏「伝えたわよね、私を選ばせたいって。誰もPさんの事を本当に理解できてはいなかった。Pさんでさえもね。
 結局、あなたは私の中にしか帰る場所はなかったのよ。馬鹿な人……本当に……」

 ただ……それだけなんです。





奏「あの日の約束通りに、私の奏でを聞かせてあげる。誰より美しく響く終わりの鐘は、はじまりの鐘よ」

 ゆっくりと奏が私の眼前へと迫る。

奏「二人で……幸せになりましょう」

 誓いのキスは永遠の味がした。





以下 訂正
>>77 誤字
×お二人がそんな事をなさるはずがありません。真実を話してください。僕と貴方の仲じゃないですか」

○お二人がそんな事をなさるはずがありません。真実を話してください。僕と貴女の仲じゃないですか」

>>131 132 多文 132文頭削除
ちひろ「Pさーん、目が据わってきてますよ。このままじゃ明日に響きますからお水です。嫌でも飲んでもらいますからね」

>>186 脱字

×千秋「嘘をおっしゃい。貴女がプロデュサーを見る目は尋常じゃないもの。自分が選ばれなかった腹いせに私へ嫌がらせをしていたくせに」

○千秋「嘘をおっしゃい。貴女がプロデューサーを見る目は尋常じゃないもの。自分が選ばれなかった腹いせに私へ嫌がらせをしていたくせに」

投下は以上です。
モバマスでの過去作は以下が存在します、興味を持っていただければ幸いです。

ライラ「交換するですよ」
ライラ「交換するですよ」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1380855426/)

白菊ほたる「手を取り合って」
白菊ほたる「手を取り合って」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1375608151/)

星輝子「キノコ雲?」
星輝子「キノコ雲?」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1368266944/)

モバP「こうして僕の新婚生活は始まった」
モバP「こうして僕の新婚生活は始まった」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1366896132/)

岡崎泰葉「最近、私を抱く回数が減りましたね」


三回読み直すけど、できれば作者さんからの解説がほしいな

最終的に奏大勝利なんだけど、どこまでがどう仕組まれていたのかがわからん
三人の女神→るーみん、わかるわ、ちっひ
だからその三人は白(展開的にるーみん以外は確実)
偽手紙や「切り札」発言からちなっちゃんとのあさんが奏に協力してたって感じなのか
ちっひへの告白後のシューコがどこ行ったのかも明かされてないし怖い
あいさんは全部知ってた上で身を引いたって感じがした

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