幼女「にーさん」(285)
幼「できました。見てください、にーさん」
男「どれどれ。ええと、これは?」
幼「にーさんを描きました。似てますか?」
男「そっか、これは俺なんだね。肌が緑色でナメック星人みたいだけど、俺なんだ」
幼「なめっくせいじん? これはにーさんですよ?」
男「うん、何でもないよ。ところで幼ちゃん、ほら、俺の腕見てごらん」
幼「わあ、幼よりもぜんぜん太いです」
男「年の差と性別を考えたら当たり前だよ。じゃなくて、俺の肌の色」
幼「はだ色ですか?」
男「緑色じゃないよね。だけど、幼ちゃんが描いた俺の肌は緑色だよね」
幼「でもこれはにーさんですよ?」
男「ああそうだった、それ俺だ。ちょっと自然に優しい色をしてるだけの俺だよね、そうだよね」
幼「ふふふ、幼のだいすきなにーさんです」
男「ははは、幼ちゃんはピッコロやハルクみたいな俺が好きなんだ。けど俺としては人間だけでたくさんだなぁ」
幼「にーさん、にーさん!」
男「どうしたの?」
幼「あともうすこしで三分たっちゃいます!」
男「教えてくれてありがとう。じゃあ様子を見に行こう」
幼「だいじょぶですか? バクハツしませんか?」
男「最後のね、このお湯を捨てる作業が一番大事なんだ」
幼「にーさん、あつくないですか? こわくないですか?」
男「そりゃあ熱いし恐いよ。でもね、これを乗り越えれば俺も幼ちゃんも幸せになれるから──!?」
男「まずいっ! 幼ちゃん離れて!」
幼「ひゃああああああ!?」
幼「あの、あの、にーさん、それ、口のなかで、バクハツしませんか……?」
男「このカップ焼きそばは良い子の前では爆発しないんだ、だからさっきのは不発。はい、あーんして」
幼「い、いいこ、幼はいいこだから……あーん」
幼「にーさん」
男「……」
幼「にーさんっ」
男「あー……うん」
幼「ぱそこんをしている時のにーさんはいつもこうです……」
幼「だから幼も……んしょ、んしょ」
男「……あれ、幼ちゃん。いつの間に膝の上に?」
幼「幼もにーさんといっしょにぱそこんをします」
男(VIP閲覧中なんだけどなぁ)
男「幼ちゃん、パソコンは子供には使えないんだよ」
幼「幼はピーターパンがキライなのですぐに大人になれます」
男「嘘はつけないよ、だってパソコンは子供が目の前にいると暴れ始めるんだ。ほら見る見る内に……」
ぐるぐる
幼「ひいっ!?」
男(マウスポインタを回してるだけだけど)
男「幼ちゃん」
幼「ふぇ?」
男「指」
幼「……はっ」
男「くわえる癖、どうにかしないとねー」
幼「ちがいます、今のは幼の指じゃないです、ソーセージをたべようとしていたんです!」
男「じゃあ俺にも食べさせてくれないかな、そのソーセージ」
幼「っ!? えっと、おいしくないですから、にーさんにはあげられません!」
男「幼ちゃんは美味しくないソーセージを食べるつもりだったの?」
幼「あ、あっ、その、幼、幼の口のなかがおいしいんです! おいしくないソーセージもおいしくなるんです!」
男「なるほど。そのせいで指をくわえちゃうんだね」
幼「そうです、おいしいから……!?」
幼「ちがっ、幼の指はおいしくありません! いえ、そうじゃなくてっ、幼は、幼は……」
男「大丈夫だよ、お母さんには言わないから。いつか直そうね」
幼「……はい」
男「はい幼ちゃん、みかんの皮剥けたよ」
幼「にーさんはプロです、白いスジもとってくれるプロです」
男「誰でも簡単になれそうなプロだね」
幼「いただきます。んふふ、あまくておいしい」
男「気に入ってくれたようで良かった。けど、俺の分はないのかな?」
幼「にーさんには……にーさんにはありません、ザンネンながら」
男「俺も食べたいんだけどなー」
幼「うう、にーさんは好きですが、幼はみかんも好きなんです……」
幼「あっ! にーさんはみかんの皮をたべてください!」
男「地味にドSな発言だね、幼ちゃん」
幼「みかんに付いていたということは、その皮もきっとあまくておいしいはずです」
男「幼ちゃんも一緒に食べる?」
幼「いえ、それはちょっと」
男「家畜に神はいなかったかー」
幼「にーさん、ゲームは目によくないですよ」
男「久しぶりにやりたくなってね。そう長く続けるつもりはないから許してよ」
幼「幼にもやらせてくれたらゆるしてあげます」
男「あれ? 色々、あれ?」
男「リセット。はい、やっていいよ」
幼「これは誰ですか?」
男「マリオっていう人だよ。二十代後半のジャンプが得意なおじさんなんだ。あ、始まったね。十字になってる所の、右を押してごらん」
幼「みぎ……幼がいつもじゃんけんの時にだしてる手の方ですか?」
男「ごめん、ピンポイントすぎて全くわからないけど、幼ちゃんがいつも箸を持ってる手の方だよ。お、何か出てきた」
幼「まりおさんに近づいてきてます。これは誰ですか?」
男「クリボーっていう悪者だよ。ソイツのような奴はクズだよ、生きていちゃいけない奴だから、やっつけないとね」
幼「じゃあ仲良くしないとだめですね。……あ、近づいていったら、まりおさんが消えちゃいました」
男「うん、隠しエンドだ。クリボーと友達になれたから、マリオも満足しちゃったんだよ。おしまい」
幼「……あまりおもしろくなかったです」
うとうと
幼「……」
男「幼ちゃん、眠たい?」
幼「……あっ、だめです、だめです、今日はゼッタイに寝たりなんかしません」
男「寝ても大丈夫だよ、いつもみたいにお母さんが迎えに来て──」
幼「いつも幼がおきた頃には、にーさんはもういません。それがイヤだから、幼はガマンします」
男「……そうなんだ」
母「────毎日毎日、本当にお世話になって……どうもありがとうございます」
男「いえいえ。せっかく仲良くしてくれるお隣さんですから、ご謙遜なさらないでください」
母「必要以上に懐いてしまってるみたいで、ご迷惑をお掛けしてなければいいのですが」
男「妹──というか、年頃の娘が出来た様である意味良い経験になってますよ」
男「むしろ悪影響を与えてないか心配ですね。何もやましいことは教えてないと思うんですけど……」
母「この娘から毎日聞く話では“にーさんが大好き”という発言しか出てこないので、気にする必要はないと思いますよ。すくすくと育ってくれて、助かります」
幼「……すぅ、すぅ」
幼「……んっと、」
男「今日は何を描いてるの?」
幼「にーさん。幼がつくったせんたいの人たちを描いてます」
男「せんたい?」
幼「まだ皆そろってないのですが、名前はもうきまっています。その名も、ブルーレンジャーです」
男「レンジャーってことは戦隊か。……え? ブルーレンジャー?」
幼「この人がブルーレッドさんです」
男「あ、やっぱそういう意味なんだ。レッドだけどパープルだね」
幼「女の子の、ブルーピンクちゃんです」
男「ブルー要素が濃すぎてどちらかというとピンクブルーになっちゃってるよ、どことなくオネエ系っぽい」
幼「敵でもあり味方でもあるブルーブラックさんです」
男「見るからに真っ黒、ただのブラックさんだ」
幼「さいごに、今描いてるとちゅうのブルーグリーンにーさんです」
男「まぁ二つの地味な色──にーさん? これ俺? どうあがいても俺は緑色なの??」
幼「えいっ、やあ!」
男「ぐはは、その程度の攻撃じゃ効かんなぁ。どうした? 正義の味方さん」
幼「くっ、ならば、ヘンシンするしかありません!」
男「変身……?」
幼「ヘンシン! 仮面ッ、ライダー──」
幼「幼ッ!!」
男「何ぃ!? キサマ、あの仮面ライダー幼ちゃんだと!?」
幼「お母さんが言っていました……」
幼「“愛さえあれば年の差なんてカンケイないのよ”って!」
男「それはアウト! お母さんアウト!」
幼「幼はあなたをたおして、あなたとケッコンします!」
男「あれれっ、何かおかしいな、おかしいよね?」
幼「てやぁっ! リボルケイン!」
男「ってカブトかと思いきやBLACK RX!? しかもそんな最強の武器に勝てるワケないよね!!」
幼「おとなしく負けてケッコンしてください!」
男「幼ーちゃん」
幼「ふぁい?」
男「ゆーび」
幼「……!」
男「どうしても無意識にやっちゃうみたいだね」
幼「あぅ、あ、あうう……ぐすっ。ふえぇ、うっ、ふあ、ふあああん!」
男「ありゃ。幼ちゃんどうしたの? 俺に言われるのが嫌だったの?」
幼「ちっ、ちがうの、ちがうもんっ。幼がっ、幼がいけないの!」
幼「いつもゆびをくわえて……なおらないのがかなしくて、そんな幼がイヤで、泣いちゃったの……」
男「うん、幼ちゃんは頭が良い子だ。すぐに何とかなるよ」
幼「……どうして?」
男「涙が出る理由を自分で考えて答えを出すこと、これって当たり前のように見えて凄く難しいことなんだ。だから幼ちゃんは頭が良い子、本当だよ」
幼「幼はいいこ?」
男「良い子だよ。俺のせいにすることだって出来たのに、ぐっと我慢したんだ。良い子良い子」
幼「……えへへ。にーさん、ごめんなさい……」
幼「にーさん、お医者さんごっこがしたいです」
男「よし来た、じゃあ幼ちゃんがお医者さん役ね!」
幼「えっ、幼がかんじゃさんをやりたかったのに……」
男「いろんな都合でね。なんとなく調子も悪い気がするし、ちょうど検診してほしかったんだ」
幼「んー、わかりました。幼がなおしてあげます」
幼「では触ってしらべますね」
男(服は捲らなくていいのか、良かった)
幼「えー、これは、おなかの中に赤ちゃんがいますね」
男「おっと初っ端から核級の爆弾発言だ」
幼「それもかわいい女の子のようです。名前はどうしますか?」
男「あれ、何のお医者さんだったっけ」
幼「幼はかわいくてうつくしい名前がいいと思います」
男「えっと、とりあえず、誰の子なのかな?」
幼「幼とにーさんの愛のけっしょうです」
男「ひゃー、最近の愛の結晶は人権や性別や過程さえも飛び越えるんだなぁ」
男「……」
幼「にーさん?」
男「すー」
幼「寝てるんですか?」
男「ぐかー」
幼「……むぅ」
幼「あそんでください、幼とあそんでくださいー」
ぐいぐい
男「うーん」
ぎゅ
幼「ひゃっ。に、にーさん」
幼「……幼はまだ、こんなにもちいさいのですね。片手でだきしめられてしまうほどに」
幼「いつか、おおきくなって……」
男「むにゃにゃ」
幼「……すぅ」
男「幼ちゃんは我慢が出来る偉い子だ」
幼「? はい、幼はえらい子です?」
男「そんな偉い幼ちゃんにプレゼントしようと思って、買っておいた物がある」
幼「そっ、それは、かすたーどけーき!」
男「さて、ここで幼ちゃんがするべきことはなんだろう」
幼「幼が……? うう、わかりません」
男「これ、すぐにでも食べたいよね?」
幼「たべたいです!」
男「じゃあその前に、遊びで使ってた物を片付けないといけないね」
幼「かたづけます!」
男「俺の腕や顔にマジックで落書きした跡も消さないといけないね」
幼「でも、今のにーさんはピエロさんみたいでかわいいでs」
男「消さないといけないね?」
幼「……け、けします」
男「うん、がんばろう、幼ちゃんがピエロ恐怖症に掛からない為にも。油性だけど、がんばろうね」
幼「にーさん。これ、どうやってカメラにするんですか?」
男「俺のケータイ、幼ちゃんが持ってたのか。何に使うの?」
幼「にーさんをたくさん撮りたいです」
男「自分のケータイなのに、画像フォルダに自分の画像ばかりあったらちょっと嫌だなぁ。まぁいいや、貸して」
幼「動いちゃだめですよ」
かしゃ
幼「そこで笑顔です、にーさん」
かしゃ
幼「……にーさん、それは何のポーズですか?」
┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨
男「いや、撮られてると思ったら体が途端にね、最高に『ハイ!』ってやつなんだ」
幼「あまりかっこよくないですから、普通にしててください」
男「!?」
男「あ、お茶もお菓子も切れてる」
幼「幼はオレンジジュースとおせんべいだけでもだいじょぶですよ?」
男「最近少し図々しくなってきたね、幼ちゃん。買いに行こうかな、でも外寒いし……」
幼「!」
ぴーん
幼「幼がおつかいに行きます!」
男「え」
幼「この前お母さんにおつかいをたのまれたので、にーさんのおつかいもしてみたいです」
男「その時はちゃんと買い物できた?」
幼「……」
男「できなかったんだね」
幼「おめいばんかいします!」
男「どこで覚えたのその言葉、しかも間違ってる。……そうだなぁ、幼ちゃんももうそんな年頃か」
男「うん、それじゃあ頼もうかな」
幼「がんばります!」
幼「うう、さむい……」
男(流石に心配だから見守らないと)
幼「えと、のみものと好きなおかしをいっぱい……」
幼「おつかいと言うより、これじゃ幼のおかいものです」
男(大体幼ちゃんが欲してるものだからね)
幼「あっ、ネコさん」
男(子供の買い物にありがちな障害その一)
幼「ネコさんはおさんぽ中ですか?」
猫「けっ、散歩だなんて生ぬるい言い方するんじゃねえ。シマを徘徊してんだよ」
幼「こんなさむい日でも、おさんぽが好きなのですね」
猫「散歩じゃねえってんだ! オレはシマで一番のリーダーなんだぞ、この尖りに尖ったご自慢のツメを見てみやがれ!」
幼「わあ、かわいいにくきゅうです。はい、お手っ」
猫「犬畜生なんかと一緒にすんな! 誰がてめえみたいな幼子に、命よりも大切な武器を差し出すもんか!」
幼「あ! ネコさんの言葉じゃないとつたわりませんね。にゃあにゃっ、にゃ、にゃあ?」
猫「充分伝わってんのに、それでも尚バカにしやがるのか!? てめえ、次にこの道を歩く時は存分に警戒しろよにゃ!」
幼「あっネコさん、行っちゃうんですか? つぎはあたたかい日に会いたいですね、ばいばいっ」
男(微笑ましい光景だったけど、今は買い物中だからね。行ってくれた猫に感謝だ)
幼「……は。おつかい、おつかいしなくちゃ」
幼「しーあわっせはーあーるいてきーません、だーかっらあーるいってゆーくんーですー」
男(幼ちゃん版365歩マーチ、かわいい)
幼「……んーと、こっちをみぎ……?」
幼「えっと、えっと、いつもお母さんと行ってるスーパーのちかくには、パン屋さんとこうえん……」
幼「こうえんはひだり……」
男(子供の買い物にありがちな障害その二。確かに公園はすぐ左を曲がったところにある)
男(でも幼ちゃんが目指してるスーパーは右にあるんだ、ついでにパン屋も右を曲がったらすぐ見えるはず。変な覚え方しちゃってるなぁ)
幼「うぅ、うー……」
幼「みぎです! 女のちょっかんです!」
男(そう、当たってるよ幼ちゃん、直感で決められるのは困り物だけども────んっ?)
男(そっち左! 左だから! 右はお箸を持つ手の方だって!!)
幼「え? みぎに曲がったのにこうえんが……ううん」
幼「とりあえずこの先にスーパーがあるのですね」
男(どうにか一周してくれれば辿り着けるんだけど。様子を見るしかないか……)
わいわい
幼「……」
幼「幼も、こうえんであそびたい……」
幼「──いえっ、にーさんもお母さんもいないんです。ひとりであそんだって仕方ありませんっ」
男(今度、遊びに行こうね)
幼「それに、幼はおつかい中なのです。より道はだめだめです!」
男(必死に言い聞かせてる、かわいいなぁ幼ちゃん。しかし俺ってもしかすると親バカ────)
警察「ちょっとキミ、いいかな」
男「あ、はい、何ですか?」
警察「あの子のこと、ずっと遠くから見てるよね?」
男「ええそりゃもう。お隣さんの娘さんなんですけどね、今お使い中で、心配だから俺が見守るしかないんですよ」
警察「あー、この公園の辺り、怪しい人がよく出るって噂になってるんだよ。だから、ね? 詳しく話を聞かせてもらおうかな」
幼「やっと信号です──」
幼「──信号? こんな信号、知りません……」
幼「よく見たらパン屋さんもどこにもない……」
幼「……み、道を間違えちゃったかも」
「お嬢ちゃん。信号、渡らないの?」
幼「ひ!? あ、あの、あのっ、幼は、おつかい中でしてっ!」
「へえ、お使いしてるんだ。偉いねえ」
幼「スーパーに行きたいんですが、ぱっ、パン屋さんが、どこにもなくってっ」
「……ど、どっちにお使いしに行くの?」
幼「えとえとっ、のみものとおかしを買わなくちゃいけないので……」
「スーパーか。それだったらあっちの方だよ」
幼「……えっ、今きた道?」
「どうやら反対側に歩いちゃってたみたいだね。また迷うといけないし、おじさんが案内してあげようか?」
幼「いいんですか? ごめんなさい、おねがいします……」
「……君は偉いね」
幼「あ! ここです、このスーパーです!」
「良かった、お役に立てたようで」
幼「ありがとうございました! それでは──」
「せっかくだから、おじさんが飲み物とお菓子を買ってあげようか」
幼「え?」
「おじさんがお金を払うから、君はお金を出さなくて済むんだよ」
幼「……」
「あ、別に怪しいことなんてしないからね。買ったらそれっきり、君に全部あげておじさんは帰るから──」
幼「ごめんなさい」
幼「幼が今ここにいるのは、にーさんにおつかいをたのまれたからです」
幼「のみものやおかしはだいたい幼のほしいものですが、このお金はにーさんのお金なんです」
幼「にーさんのために、どうしてもおつかいをせいこうさせたいんです。なので──」
幼「ありがとうございます。でも、ごめんなさい」
「……」
「……君は偉いね」
男(ふう。ようやく解放された)
男(全く、怪しい人って何の話だよ。俺は幼ちゃんを見守ってるだけなんだから、知ってるはずないだろ)
男(って幼ちゃん! 幼ちゃんはどこ行った!?)
男(確か、思いっきり逆方向に向かっていったよな。くそっ、速く探──)
幼「んしょ、よいしょっ」
男(あれれれれっ? な、なんでスーパー側から──あ、隠れないと)
幼「重い、けど……」
幼「にーさんのためですっ」
男(結局、よくわからない内に買えたんだ……幼ちゃん、ええ子や)
幼「それで、いっぱい、ほめてもらいます」
幼「いいこだって、なでなでしてもらって、おかしを食べて……」
幼「めいよへんじょうするんです!」
男(……幼ちゃん)
男(やっぱり間違えてるよ)
幼「はあ、はぁっ、着いた……」
男(おめでとう幼ちゃん、よくがんばったね!)
がちゃ
幼「にーさん、ただいまっ!」
男(────ん?)
男(俺が先に戻らなきゃダメじゃん!? しかも鍵掛けてなかったし!)
がちゃ
男「た、ただいまー……」
幼「……にーさん。幼がおつかい中だったのに、どうしてにーさんまでそとに出てたんですか」
幼「もしかしてしんぱいだからって、幼に着いてったんじゃないですか……?」
男「……は、はは、幼ちゃんは賢いね、ニュータイプなのかな」
幼「女のちょっかんです!」
男(──それから、俺は幼ちゃんの手や足や椅子となった)
男(尤も、お使いの疲れによるものなのか、幼ちゃんがすぐに寝付いてしまったので、非常に短い間のことだったが──)
もじっ
幼「にーさん、その」
男「ん、なに?」
幼「……トイレ、借りてもいいですか?」
男「返してくれる?」
幼「? あの、んーとっ。ちゃんと、かえします」
男「どうやって?」
幼「っ!? ど、どうやって?」
幼「にーさんが幼のおうちに来たときに、トイレをかしますから」
男「そんなの当たり前だよ。それじゃ返すことにならないよ」
幼「……いじめないでくださいっ! 幼のことがキライになっちゃったんですか!?」
男「ううん、意地悪してごめんね、好きだよ。行っておいで」
幼「っあ……ば、ばかです。にーさんの、ばか」
幼(……好きだなんて、い、言うから……気がぬけて、すこしだけ……)
男(小さい子相手に何やってんだろ俺)
男「うー、トイレトイレ」
幼「……にーさんっ!」
男「お、ガイナ立ち」
幼「ここを通りたければ、幼のクイズにこたえてください!」
男(……この前の恨みかな?)
男「うん、いいよ。すぐに答えてやる」
幼「ふふっ、幼のクイズはむずかしいですよ。では、はじめます」
幼「幼の好きなホウセキはいったい何でしょうか?」
男「宝石? 女の子だしなぁ、綺麗な宝石だったらどれも好きなんじゃない?」
幼「ぶぶーっ、はずれです。幼にだってこだわりはあるんですよ! ヒントはにーさんです!」
男「え、俺? ……んー、全然わかんないや」
幼「くふふ、じゃあにーさんのまけですね、ここは通してあげません──って」
すたすた
幼「だめですっ、だめですってばあっ! せいかいしたら! せいかいしないとだめなのっ!」
男(必死に押さえようとしてる幼ちゃんマジ天使。答えわからんままだけど)
幼「……むむむ」
男「何読んでるのかと思ったら。幼ちゃん、そいつ嫌いなんじゃなかったっけ」
幼「キライです、どうしてにーさんのお部屋にあるのかわからないくらいキライです」
男(昔俺が好きだった絵本だからなぁ)
男「でもそれ読むの二回目だよね。どうして急に?」
幼「もう一度、かんがえてみたくなったのです。幼とこのアクマ──ピーターパンは、どっちがただしいのか」
男「悪魔て。別にピーターパンは悪いヤツじゃないと思うけど」
幼「ずっと子どものままでいるという、ネバーランドにつれていかれちゃうんですよ?」
幼「幼は大人になれないなんてイヤです。ずっと子供だと、好きな人とケッコンできません!」
幼「だいたいネバーランドってなんですか、ねばねばしてそうでなおさらイヤです!」
男(ピーターパンにここまで怒り心頭な子初めて見た)
男「幼ちゃんが大人になるってことは周りも大人になるんだよ」
男「そしたらその頃の俺はおじさんになってるし、幼ちゃんを膝の上に乗せることもできない。それなら子供のままでいた方がいいんじゃないかな」
幼「……ううう。だからピーターパンはアクマなんです。幼をこんなにもかっとうさせるから……」
男「……あと、ピーターパンは子供達を無理やり攫っていく訳じゃないからね」
幼「~~~、」
男(気分良く鼻歌をバックミュージックに、いつも通り絵を描いている幼ちゃんだが)
男(この緑色の人らしき物体は……うん、最早ツッコまないけど、何だか聞くのも躊躇われるなぁ)
幼「ふぅ、かんせいしましたっ。あ、にーさん」
男「えーと、今回の幼ちゃんの作品は?」
幼「ずばり、幼のミライです!」
男「この幼ちゃん、看護士みたいな格好してるね」
幼「幼のしょうらいのユメはかんごふさんなんです」
男「へー、幼ちゃんはナースになりたいんだ、初めて聞いたよ」
幼「だいすきな人がビョーキにかかっても、すぐに治すことができますから。しにそうになっても、ずっといっしょです」
男(……少々、なりたい理由がヤンデレ的というか。この歳でそれはいいのだろうか)
男「じゃあこの、ベッドに横たわってると思われる緑色のナニカは?」
幼「もちろんにーさんです、ケッコン済みです!」
男「ああーやっぱり期待を裏切らないね幼ちゃんは。幼ちゃんが肌色で俺が緑色って、これもう狙ってやってるよね」
男「──っていうか、この俺は病気なの? 死にそうなの? 急になぜか未来が怖くなってきたよ」
ぴんぽーん
男「はいはーい」
母「こんばんは。夜遅くにすみません」
男「ああお隣さん。どうしたんですか?」
母「あの、いきなりで申し訳ないんですけれども。晩ご飯はもうお摂りになられましたか?」
男「いえ、まだですよ。献立すら決めていませんでした」
母「でしたら、うちの晩ご飯を食べに来て頂けませんか?」
男「──へっ?」
母「まだ料理の途中なんですが……今日は娘も手伝ってくれまして、」
母「まともなお礼も未だに出来ていないものでしたから、迷惑でなければ、ぜひ」
男「……い、いいんですか? そこまでしてもらっちゃって」
母「はい、日頃の感謝の気持ちを込めて、歓迎しますよ。少しお話もしたかったので」
男「じゃあ、ご馳走になろうかな……あ、こんな室内着じゃだらしないですよね。すみません、もう少しマシな服に着替えてきます」
母「いえいえ、ご謙遜なさらずに。そのままで大丈夫ですよ、その方が娘も喜ぶと思います」
男(……喜ぶのか?)
がちゃ
男「お邪魔します」
男(そういや初めてだ、お隣さんの部屋に入るの)
ぱたぱた
幼「お母さん、棚がたかくておちゃわん取れないよ……──!」
男「やあ幼ちゃん、こんばんは」
幼「……」
男(……あれ?)
母「こーら、しっかり挨拶なさい」
幼「こ、こんばんは」
男(何か、初めて会ったときみたいだな)
母「どうぞどうぞ、お入りください」
男「はい。ではお言葉に甘えて」
幼「……」
男(あの浮かない表情の裏で、実は喜んでいるんだろうか)
母「もうすぐ出来ますので、どうぞソファに」
男「あ、あはは、人の家でもお客さん気分で、何か照れちゃいますねこういうの」
母「ふふ、ゆっくりしていってください」
男「今夜は幼ちゃんも手伝ってるんだって?」
幼「……はい、お母さんのお手伝いをしてます」
男「そっか、偉いね」
幼「……いえ」
男(幼ちゃんって、お母さんの前でも普段の接し方をしてくるはずだけど)
男(家の中に招き入れるとなると、流石に恥ずかしいのかな)
幼「座らないのですか?」
男「……あ、座るよ。ちょっと考え事してた」
幼「幼のこと、でしょうか」
男「うん、まぁ、そうだね。幼ちゃんのことだよ」
幼「……そんなこと、考えないでくださいっ」
男「えっ。ご、ごめん……?」
男「──一人暮らしをしてるので、流石に俺も自炊をしてるんですが」
男「これ以上の料理を作れたことは一度もありません」
母「え、ええっと?」
男「……すごく美味しいです! 頬が落ちそうですよ、冗談じゃなくって!」
母「あらあら、恐縮です。喜んでいただけて良かった。ねえ、幼?」
男「そういや幼ちゃんも一応料理したっちゃしたんだよね」
幼「……幼はじゃがいもの皮をむいて、細かくきりました」
男「やっぱりこれ幼ちゃんが切ったんだ。まあ幼ちゃんらしくてわかりやすいというか、小さくて食べやすいよ」
男(成人にとっては小さすぎるくらいだけど、それで困るということはないし)
幼「それは、よかったです。けど──」
幼「ねえお母さん、もう話そうよ……」
母「食事中でしょ、終わってからでもいいじゃない」
幼「やだっ、幼はくるしいの、ガマンできないの!」
幼「にーさんとはなれちゃうなんて、ホントはイヤなんだから!」
男(な、なんだなんだ、何の話だ?)
母「幼、静かになさい。すみません、騒がしくしてしまって」
母「……あの、お食事中に申し訳ないんですが、少しだけお話を聞いてもらえませんか?」
男「は、はい。どういったお話でしょうか」
母「急でごめんなさい。私達、引っ越すことになったんです」
男「──引っ越し?」
幼「……」
母「私の勤務先が変わってしまいまして、以前よりも遠い場所にあるんですが、」
母「この地域からそこまでの往復時間を考えると、本格的に娘を養う時間が足りなくなる恐れが考えられましたので……」
幼「にーさんがいるのに……」
母「……この子はこう言うのですけれども、それだと最早迷惑どころの話ではなくなりますから」
母「引っ越しを決めたんです」
男(……だから幼ちゃんは気丈に振る舞ってたんだ)
男「幼ちゃんを預かることは全然迷惑とは思っていませんよ。前に言った通り、ある意味良い経験になってますし」
男「だけどそういう事情があるとなると、俺が簡単に首を突っ込める話では無い様ですね……」
幼「……にーさん」
男(こんな言い方をして凄く悪いけど、幼ちゃんは親族じゃなくて、あくまでお隣さんの娘さんなんだ)
男(出来ることなら俺だって、お隣さんの為に何とかして幼ちゃんを預かってあげたい。でも)
男(その状況になったとしたら、娘の顔を見る時間が減ってしまう母親が、一番辛い気持ちを背負うことになる)
母「本当に突然決まったものでして、色々と慌ててはいたんですが」
母「せめて男さんにお礼をしたかったので料理を振る舞わせていただきました」
男「わざわざ引っ越しの準備等の忙しい最中にそこまでしてもらって、何だか申し訳ないです……」
母「こちらの方こそ、こんな形のお礼になってしまってすみません」
男(……もう決まってしまったことだから、寂しがってなんかいられない。俺に出来ることと言ったら────)
男「──ご飯を食べ終えたら、俺の部屋で幼ちゃんと少し話をしたいのですが、良いでしょうか」
幼「……」
母「はい、構いませんよ。ほら幼、シャキっとしなさい。お兄さんがお話したいって」
幼「……幼は話したくない」
男「はは、嫌われちゃったかな」
幼「ち、ちがっ。……いえ、なんでもありません」
母「──迷惑を掛けずに、ちゃんとお兄さんの言うことを聞くのよ」
幼「……うん」
男(最初に幼ちゃんを預かった日もこんなやり取りしてたっけな)
男「すぐに終わる話ですよ。遅くはなりませんから、大丈夫です」
幼「おじゃま、します」
男「うん、上がって。普段通りでいいよ」
幼「……にーさんは、さびしくないのですか?」
男「幼ちゃんと離れることが? もちろん寂しいよ」
幼「ぜんぜんさびしくなさそうです、いつものにーさんです……」
男「大人はね、ずっと大人のままなんだ」
男「人の前で無闇に泣いたり寂しがったり出来ないんだよ、大人だからね」
幼「……それなら、幼だって大人です。泣きませんから……」
男「そっか、幼ちゃんは強い子だ」
男(本当に“強い子”だな)
男「これこれ。幼ちゃんがお絵描きしたものとか、全部取っておいたんだ」
幼「えっ、ぜんぶ?」
男「持ち込んできたおもちゃもそのまま置いてあるんだけど、どうする? 持って帰る?」
幼「んっと、その、」
幼「メイワクでなければ、にーさんが持っていてくれませんか?」
男「いいの?」
幼「幼を、わすれてほしくないんです。どうか、思い出にしてください……」
男「……うん、ありがとう。ずっと取っておくよ」
男「あと、幼ちゃんに渡しておきたい物があるんだ」
幼「どれですか?」
男「はい、これ」
幼「……カギ?」
男「俺の──この家の鍵だよ」
幼「カギがないとにーさんが家にはいれなくなっちゃいます」
男「大丈夫大丈夫。俺はしっかり自分の鍵を持ってるよ、それはスペアの合い鍵」
幼「どうしてカギをくれるんですか?」
男「幼ちゃんがいつでも遊びに来れるようにね」
幼「……幼は、ひっこしちゃうんですよ。とおい所に行っちゃうんですよ」
男「大きくなったらきっと遠出も簡単だよ」
幼「にーさんがひっこしたら、このカギは使えなくなっちゃいます」
男「たぶん、引っ越さないと思うよ。約束しようか?」
幼「……やくそくします」
男「わかった、俺はここを離れない。約束ね」
幼「に、にーさん。ホントですよ? ゼッタイですよ?」
男「オッケー。本当に、絶対に離れないから」
男「だから、いつかまた遊びにおいで」
幼「……!」
男「あ、お母さんには内緒にしておいてね。返すように言われちゃうと思うから」
幼「……あの、にーさん」
男「ん?」
幼「あた、頭、幼の頭、なでなでしてください」
男「うん、いいよ」
なでなで
幼「……幼がもっとちっちゃかった頃、今はいないお父さんに、こんな風に頭をなでてもらっていた覚えがあるんです」
男「へえ、幼ちゃんのお父さんか」
幼「そのときの幼は泣き虫だったから、たくさんなでなでしてもらいました」
男「うん」
幼「……お父さん」
男「……うん?」
ぎゅ
幼「……に、にーさんは、まるで幼の、お父さんみたいで……」
幼「幼とあそんでくれて、すごくなつかしくて、うれしくて……」
ぽろっ
男「……幼ちゃん」
幼「っう、ひっく、はなれたく、ない……」
ぽろぽろ
幼「にーさんと……はっ、はなれたくないよお!」
幼「……大きくなるまで、あえないなんて……やだっ、そんなのやだあ!」
幼「大人になりたいの、はやくなりたいのっ!」
幼「うぁ……ぅ、うわあああぁん!」
なでなで
男「……よしよし」
男(──ずっと我慢してたんだよね。泣かないようにする為に、なるべく俺と話さなかったりして)
男(でもやっぱり子どもは我慢しない方がいい、いっぱい泣いた方がいいんだよ)
男(子どもは子どものままじゃいられない、そうして大人になっていくんだから────)
───
母「──もう、最後の最後までお世話になりっぱなしで、本当にごめんなさい」
男「いえ、俺の我が儘ですよ。ただ、しっかり見送りたいだけですから」
幼「これでホントにお別れですね……」
男「そうだね。でも、またその内会えるよ」
幼「……はい!」
幼「──というか、お母さんがにーさんとケッコンすればずっといっしょに……」
ぽかっ
幼「あ痛っ」
母「バカなこと言うんじゃないの! で、ではそろそろ行きますね。今までありがとうございました」
男「こちらこそありがとうございました。どうかお元気で!」
幼「にーさん、ばいばいっ!」
男「うん、バイバイ。またね!」
男(──お隣さんの娘さんとの日常は、こうして幕を閉じた)
男(……あれから、俺は)
幼「──……」
幼「……お久しぶり、です」
幼「あの時から何年経ったのか、流石に覚えていませんが、」
幼「わたしは、どうですか? 男さんの目から見て、大きくなりましたか?」
幼「わたし、もう大人なんですよ。ふふ、見ればわかりますよね」
幼「あと、わたしは看護士になることが出来ました」
幼「実は、男さんのお陰なんです。私がはじめて大好きになった人ですから」
幼「大好きな人がいたから、夢を諦めずにいられたんです」
幼「だから──改めて、ありがとうございます。本当に、本当にお会い出来て嬉しいです……」
幼「……」
幼「……でも、どうしてでしょうね」
幼「こんな形で、」
幼「──こんな形で再会することになるなんて……」
男「……」
男「俺も、こんなことになるとは思ってなかったな」
幼「……男さん」
男「そんな悲しそうな顔しないでくれよ。せっかく会えたんだからさ」
幼「……わかってるんですか、男さん。あなたは、」
幼「あなたは──」
男「たまたま入院することになって、たまたま君がいた」
男「こんなの奇跡なんてもんじゃないだろ。今は会えたことを素直に喜ぼうよ、幼ちゃん」
幼「……はい、わかりました」
幼「でも“幼ちゃん”はダメですよ。あれはあだ名のようなモノですし。第一、わたしはもう大人です」
男「俺からしたら幼ちゃんはずっと幼ちゃんだよ」
男「幼ちゃんから見りゃ、俺はもうおじさんかもしれないけど」
幼「……──さん、ですよ、いつまでも──」
男「ん?」
幼「さ、流石に仕事中は長く話せないので、一旦離れますね」
幼「また、来ます」
幼「男さん、お薬を替えに来ました」
男「ん、ありがとう」
幼「わたし、一応仕事モードですよ?」
男「凄く様になってるけど、幼ちゃんはやっぱり幼ちゃんだなって」
幼「なんですか、それ。まだまだ子供に見えますか?」
男「ううん。大人っぽくて、綺麗になったよ」
幼「えと、ありがとうございます。ふふふ」
男「結婚はした?」
幼「──って、い、いきなりなんてことを聞くんですか!」
男「美人さんだからさ、気になっちゃって」
幼「端から見たらセクハラですよ……。……まだ、そういう相手はいません」
男「えー、勿体無いなー」
幼「看護士になるの、とっても大変だったんですよ。ずうっと勉強勉強で、遊んでる暇なんか無かったんですから!」
男「そっか。なれて良かったね、看護士さん」
幼「……はい」
幼「そもそも、覚えてますか? わたしが看護士を目指すことになった最初の理由」
男「……好きな人が死んでも蘇生できるから、だっけ」
幼「少し違います、それじゃ魔法使いじゃないですか」
男(似たようなことを言ってたはずだけど)
幼「好きな人が病気に掛かっても治すことができるから、です」
幼「……好きな人の為に、わたしはこの職に就いたんですよ」
男「当時は俺を好きでいてくれたね。今は?」
幼「で、ですから! 結婚、するなら……!」
幼「……もうっ! なんでもありません!」
男「はは。相変わらず可愛いままだね、幼ちゃんは」
幼「男さんは、ご結婚なされたのですか?」
男「いいや。恥ずかしながら、まだでね」
男「幼ちゃんを待ってたんだよ、ずっと」
幼「……!?」
男「にーさんと結婚するにーさんと結婚するって言ってたからさ、期待してたんだ」
幼「あの、た、確かに言ってましたけど。でも、こっ、心の準備がまだ──」
男「──っていうのは冗談で、割とマジメに出会いが無くってね」
男「仕事ばかりしてたら彼女も出来ず、いつの間にかこんな歳になってたよ」
男「人生って短いもんだなー。もう俺おっさんだよ、流石に誰も貰ってくれないんじゃないか?」
幼「……男、さん」
男「ん」
幼「まずは元気になって、退院してから考えましょうね」
男「あれっ、なんか、怒ってる?」
幼「怒ってません」
男「ええと、何か悪いこと言ったかな、俺」
幼「怒ってませんってば!」
幼「わたしが貰ってあげますから速く退院してください!」
すたすた
男「はいはい、すぐ元気になるよ。……ん?」
幼「男さん、調子はいかがですか?」
男「幼ちゃんが来てくれたから大分楽だよ」
幼「……だから、子供じゃないんです。適当にあしらおうとしないでください」
男「本当に楽なんだって。幼ちゃんがいてくれれば全然辛くないんだ」
幼「そ、そんなこと言って。本当に辛い時が来ても、わたしはすぐに駆けつけられませんからね」
男「その時は駆けつけさせるよ、それが仕事だろ?」
幼「……まぁ、そうです、仕事ですよ。タオル、替えますね」
男「しかし、あの絵の通りになるとはね」
幼「あの絵?」
男「幼ちゃんが描いた、当時で言う未来の絵」
幼「未来の……ああ、わたしが男さんを看護してる絵のことですか」
男「今が正にその状況だけど、嬉しいのやら哀しいのやら」
幼「あれは違います。今この状態を指してる訳じゃありません」
男「え?」
幼「……あれは、その、け、結婚後を描いたモノですから」
男「そういえば言ってたね、結婚済みだって」
幼「つまり、あの絵の通りではないということです」
男「はは、まるで画家のような強いこだわりだ」
男「──あ。その絵で思い出したことがある」
幼「何ですか?」
男「俺ってよく──というより毎回決まって緑色に描かれてたよね」
幼「はい、男さんは絶対に緑色で塗っていました。よく覚えてますね」
男「何の恨みだって言いたくなるくらいに緑色で染まってたから、そりゃあ記憶にも残るよ」
男「幼い内は未発達だから色彩感覚が独特だって言うけど。それとは違う?」
幼「ちゃんと緑色にした理由はありますよ。そうですね、じゃあちょっとしたクイズにしてみましょうか」
男「クイズか。何かデジャヴだなぁ」
幼「……あの時は答えられなかったのに、いとも容易くトイレに向かわせてしまいましたから、リベンジです」
男「ああ、あの時のね、懐かしい」
幼「実はあれ、男さんにいじめられたお返しのつもりで、わたしのささやかな抵抗だったんですよ」
男(やっぱり恨んでたんだ)
幼「では問題です。その時わたしが出したクイズはどんな内容でしたか?」
男「これって、記憶力テスト?」
幼「歴としたクイズです」
男「たしか、幼ちゃんが好きな宝石は何かっていう内容だったよね」
幼「正解です。では更に問題を出します」
幼「わたしの好きな宝石は一体何でしょう?」
男「えっ。あの時と何ら変わってないクイズを今出す?」
幼「今度こそ答えてもらいますよ。もう話の流れで理解できるはずですから」
幼「一つだけヒントを出すなら、もちろん、男さんです」
男「……うーん。幼ちゃんが描く絵の俺は、緑色で、宝石──」
「おっ、ねーちゃん、こんな所にいたのかい」
幼「んひゃっ。あ、た、田中さんっ。お部屋でお休みしててくださいって、何度も言ってるじゃないですか!」
幼「……それよりも。次、お尻を触ったら、本当に、本当に怒りますよ?」
「ひえーこわいこわい、美人の面が台無しだなこりゃ」
男(他の患者さんか……)
「最近全然俺に構ってくれねーと思ったら、他の男と戯れてたって訳か」
幼「この方は田中さんと違って、とても素敵な殿方なんです、田中さんと違って」
「おーおー言ってくれるねぇ」
男「……あの」
幼「すみません男さん、話の続きはまた今度でお願いします……」
男「え、えっと」
幼「田中さんがいるとあまりにも騒がしくて迷惑ですから、お部屋に戻りましょうねー」
「なんでぇ。彼氏との間を邪魔されてご機嫌斜めかよ?」
幼「田中さんと会う度にご機嫌斜めになってるんです。はい、行きますよ」
すたすた
男「……手慣れてるなぁ」
「──なんてな」
男「うわ!? つ、連れて行かれたんじゃないんですか!?」
「あのねーちゃんはえらく厳しいが、監視はいっつも緩いんだ。抜け出すことくらい造作もねぇや。ありゃ股も緩いぜ、ハハハ!」
「しかしあんたすげぇなぁ。どうやってあのじゃじゃ馬を手懐けたんだい?」
男「じゃじゃ馬って。何もしてませんよ」
「そうか。まあ人には好みってのがある。あんたの見えない何かに惹かれたんだろうな」
「ところであんたは新入りかい?」
男(言葉の選び方が一々下品だ、この人)
男「ええ、まあ」
「見ねぇ顔だと思ったよ。俺もちょっと前からここの病院で世話になってんだ、肺をやられちまってよ」
男「大丈夫なんですか、ほっつき歩いてて」
「あんたもあのねーちゃんと似たようなことを言いやがるなぁ。でも、いいんだよ」
「俺ももうこの歳だ、いつダメになってもおかしくねぇ。だからそれまで好き放題やってるさ」
男「……それは、それでどうなんですかね」
「──いや、俺はよ、ずっと好き放題やってきたんだ」
「それこそ悪って感じのことばかりな……」
「……なぁ、少しだけ、俺の話を聞いてみる気はねぇか?」
男(……聞いてほしいオーラがすごい)
「昔の話だけどな。俺は子どもが好きだったんだ、保育士を目指す夢を持つくらいに」
男「そ──うですか」
男(危ない。その顔で、と言いそうになった)
「子どものどこが良いかって、あの純粋な笑顔が好きでよ。その表情だけを見たいが為に保育士の勉強をしたもんだ」
「だが、世の中は世知辛ぇ。必死こいて取った国家資格も、職場にさえ就けなきゃ只のゴミだぜ」
「保育士は女の仕事だから、男の出る幕はねぇ──ってよ。何年も探し回ったが、遂に俺を受け入れてくれる場所は無かった」
「……いつの間にか時代は変わったよな。今じゃ男女平等に扱う仕事が増えてきてやがる」
「まともな職にも就けず、子どもの笑顔も見ることが出来ないと悟った俺は、自暴自棄になったんだ」
「そんで近場の公園を遠い目で見ながら、思い付いたんだよ」
「──仕事じゃなくても、子どもを笑顔に出来る方法をな」
男「……すみません。先に聞いておきたいんですけど、健全なお話ですか?」
「まぁ、最後まで聞けよ。そして俺は行動に移した」
「道行く子ども達にお菓子を買い与えてやってな……」
男「お、思いっきり犯罪じゃないですかっ!?」
男(……しかも、何だかどこかで聞いたような話だ)
「そりゃおかしい話だってのは俺も充分理解してる。当時の俺はどこかおかしかったんだ」
「でも今だから言うが、俺は本当に菓子を与えただけだぜ? 手は一切出してないからな?」
男(やっぱり、どこかで)
「途中で近辺の奴らに不審に思われ始めて、警察が動き出しても、俺は自分を止められなかった」
「何十万かけても保育士になれなかった俺に対して、たった何百円の菓子と引き替えに与えてくれる子どもの笑顔が眩しすぎたんだ」
「……ある日のことだ。いつも通り、子どもを標的に俺は街へと繰り出していた」
「そこにちょうど良く一人の女の子が現れてな。信号が赤になっても青になっても、その場を微動だにしねぇもんでよ」
「それをきっかけに、俺はその子に話しかけて事情を聞いてみたんだ。そしたら動揺しながらも答えてくれて、どうやらお使いを頼まれていたらしく」
「更に詳しく話を聞いてみりゃ、目的地がわからず迷っていたそうな」
「これをチャンスと取った俺は、その子に道案内をしてあげることにしたんだ。たしか、スーパーに行ったんだったっけな」
「そのスーパーに着いた瞬間、その子は笑顔と共に感謝の言葉を投げ掛けてくれたんだよ。それだけでも充分だったが、そこで俺は調子に乗っちまった」
「おじさんがお菓子を買ってあげるよ──と」
「そしたらその子はな、こう返してきたんだ」
『にーさんのために、どうしてもおつかいをせいこうさせたいんです。なので──』
『ありがとうございます。でも、ごめんなさい』
男「……」
「──それまでに出会ってきた子ども達は、お菓子っつったら目をきらきらさせながらホイホイ付いてくる子ばかりだった」
「だが、その子だけは違ったんだ。何つーか、目つきというか、意志がよ……」
「大人の俺は人生の道を踏み外してたのに、その子は自分の人生をしっかり自分らしく生きようとしていた」
「……帰ってから、咽び泣いたよ」
「俺は一体何をしてるんだろう────」
「──それからまともな人生を歩むことにしたんだ。職無しだろうがコツコツ稼いで、頑張って生きて」
「まあ、最終的には婚歴すらないフリーター止まりだけどな。今、こうして入院生活を送ってんだ」
「……あの時のツケが回ってきたと考えりゃ、俺がここにいるのもおかしくないってことだぜ」
男「……田中さん、でしたっけ」
男「あなたは、その話を他の人に聞いてもらいましたか? たとえば──」
「いや、ここまで聞いてくれたのはあんたぐらいだな。いろんな奴らに聞かせてきたが、大体が話の途中で犯罪してんじゃねぇって咎めてきて終わっちまう」
「へへ、久しぶりに話せてスカッとしたぜ。ありがとな」
男「い、いえ」
男(あの時幼ちゃんが道を間違えつつもスーパーに辿り着けたのは、皮肉だけど……この人のお陰だったのか)
「しかし、その女の子が言ってた“にーさん”ってのは、良く慕われてたんだろうな」
「あんなに偉い子の傍にいられて羨ましい限りだぜ」
男「……はは」
「今は、そうだな。看護婦のねーちゃんくらいの歳になってんのか」
「生きてまたどこかで会えたら、ありがとうって伝えなきゃな……」
男「たぶん、その“にーさん”も田中さんに感謝してますよ」
男「道案内をしてくれてありがとう、って」
「そうか? へへ、そうだな──」
幼「──田中さーん?」
「おう、ねーちゃん。この男と意気投合した所だぜ。好みのタイプでも聞いといてやろうか?」
幼「……お部屋に帰りなさいっ!!」
「ひっ、ひいいい!?」
男(当分、死にそうにない人だ。……いろんな意味で)
幼「──こんにちは、男さん。お見舞いに来ました」
男「あれ、制服は?」
幼「ふふ、今日はプライベートで来たんです。男さんのために色々買って来ちゃいました」
男「え、本当? ありがとう、幼ちゃん」
幼「この前はすみません、田中さんがご迷惑を掛けてしまって。神出鬼没の変な人なんですよ」
男「あ、ああ、田中さんね。少し話したけど、良い人だと思うよ、うん」
幼「女性のお尻ばかり触ってる人に良い人はいません。ええと、お昼は過ぎましたね」
幼「よしっ、ちょっと待っててください」
ごそごそ
男「それは、く、果物ナイフ!?」
幼「どうしたんですか? そんなに驚いて……」
男「まさか幼ちゃん、日頃の恨みをこの場で……!?」
幼「ち、違います、恨んでなんかいません! これ、りんごを買ったので、皮を剥くためについでに買ってきたんですよ!」
男「嘘だよ、嘘。やっぱりプライベートだと良い反応が返ってくるね」
幼「もー、からかわないでくださいよ。子供じゃないんですから……」
しゃり しゃり
男「……懐かしいな」
幼「ん、何がですか?」
男「幼ちゃん、俺にみかんの皮剥きを頼んだことがあったよね」
幼「ありましたね。白い筋も丁寧に取ってくれて、さながら皮剥きの達人に見えてました」
男「今じゃ幼ちゃんの方がプロだ、りんごの皮を剥くプロ」
幼「誰でもなれそうなプロじゃないですか」
幼「でも、わたしが剥いたりんごには愛情が詰まってますから。わたしはひと味違うプロですね」
男「くくっ」
幼「な、何がおかしかったんですか。男さんが振ってきたのに」
男「幼ちゃん、良い子に育ったなぁって」
幼「……ぼかさないでください。男さんが悪いんですよ」
男「ずっと慕ってくれた女の子がモノを言うようになって、まるで娘を持つ父親みたいな気分だ」
幼「べっ、別にそういう……。……お慕いしてますよ、今でも」
男「ありがとう、嬉しいな」
幼「はい、食べやすいように、小さく切りました。プラスチックの受け皿も用意してありますよ」
男「うわ、すごく綺麗に切られてる。幼ちゃん、家事の勉強まで学んでたの?」
幼「遊んでる余裕がなかったとは言え、お嫁に行けないような腕前では女性としてダメですからね」
幼「今では一人暮らしもしてるんですよ」
男「へえ、偉いね」
幼「偉いも何も、わたしは大人ですし……」
男「そういえばお母さんは元気?」
幼「……あれからですか? それとも今ですか?」
男「ふむ、それじゃああれからの話を聞こうかな」
幼「引っ越したあと、お母さんはいつも通り仕事の毎日でしたが、」
幼「わたしの側にいてくれる時間が増えたので、その持てる時間全てを使って、わたしに愛情を注いでくれたんです」
男(結果的に、引っ越しは本当に良い決断だったんだな)
幼「わたしがたまに男さんのことを思い出してぐずってた時も、優しく宥めてくれました」
幼「片親でもわたしをここまで育ててくれて……とても自慢できる良い母親ですよ、掛け値なしに」
幼「今は、ですね……」
男(……口籠もってる?)
幼「あっ。長々と話をしてるとりんごが食べづらくなっちゃいますね、すみません」
男「あ、いや。まあいっか。りんご頂くよ」
幼「はい。あーんってしてください」
男「え?」
幼「え? ──はっ」
幼「あの、あのっ! 仮にも病人さんですからっ、食べさせてあげようと思いまして!」
男「ははっ。じゃあお言葉に甘えさせてもらうよ。あーん」
幼「うぅ、し、下心があった訳じゃないんですよ。……はい、どうぞ」
男「──うん、瑞々しくて甘い。愛情たっぷりだ」
幼「わたしが食べさせてあげましたから、更に──。……いえ、何でもありません」
男「そうだね、幼ちゃんが食べさせてくれたから愛情が八割くらい増してる」
幼「も、もう、言わないでください……」
男(たまに茶目っ気がある所も、変わってないんだなぁ)
幼「それで、お母さんはですね……」
男「うん」
幼「今……」
男「……」
幼「……すごく元気です。年を重ねる度になぜか仕事量が増えていってるのに、ばりばりのへっちゃらなんです」
男「け、結局元気なんだね。あまりにも言い淀んでたから何かあったのかと思っちゃったよ」
幼「ずっと元気なままだから逆に怖いんですよ。いつか倒れてしまわないか、心配で仕方なくって」
男「そういうことか。きっと大丈夫だよ。幼ちゃんは強い子に育ったから、安心していつまでも元気でいられるんだと思う」
幼「わたしは、そこまで強くありませんよ……。それに、最近になってようやく気付いたことがあるんです」
幼「ピーターパンに悪いことをしちゃったなあ、って」
男「ピーターパン、か」
幼「小さい頃のわたしって、ピーターパンを執拗に嫌ってたじゃないですか。大人にならせてもらえないからって理由で、悪魔だなんて呼んだりして」
幼「……今ではもう、子供の頃に戻りたい気持ちでいっぱいなんです」
幼「大人になって良かったと思えることはたくさんありますが、その分不安に思うことも増えましたから……」
男「……うーん」
幼「これは現実逃避に近い気持ちだと思います。ピーターパン症候群、とも言えるかもしれません」
幼「……看護士は、医師とは違いますが、命を扱うという意味では一緒です。だからわたしは、命に対して敏感なんですね、きっと……」
幼「お母さんの未来も、男さんの未来を知るのも怖くて──」
男「幼ちゃん、指──いや、爪か」
幼「……ぁ」
男「仕事中はゴム手袋を付けてたからね、そりゃあ手袋ごと咬む訳にはいかないか」
男「でも、まだ癖が残ってたんだ。少し変わってるみたいだけど」
幼「あれから直そうと努力し続けてるんですが……その、やはり無意識の内に、爪を咬んじゃって」
男「大丈夫、いつか直るよ」
幼「……直るんでしょうか。癖が出来てから、もう何年も経ってるんですよ?」
男「じゃあさ、幼ちゃん。直すために必要なものは何だと思う?」
幼「えっと、ゴム手袋を常に着けていること……?」
男「……まぁ、それでも直りそうな気がするけど」
男「必要なものは、時間と──直そうとする意志だよ。特に時間は何事にもついて回るし、どんな時でも未来に進まざるを得ないんだ」
男「だから前向きにいこうよ、ね」
幼「……男さん」
男「あと、幼ちゃんが大人になってから一番したがってたことも、まだ出来てないままだよね」
男「それのために、ピーターパンは一旦忘れた方が良いと思うよ」
幼「わたしがやりたがっていたこと?」
男「ほら、結婚したいって」
幼「っ!!」
男「俺をまだ好きでいてくれて、尚且つこんなおじさんでも良いなら、の話だけど」
男「あー、それと退院したら、も追加しないと──」
幼「……男、さん。お手を、お借りします」
男「え、あ、うん」
男「──え、え、っと、幼ちゃん?」
幼「……唇はその時まで取っておきたいので、まずは手の甲にさせて貰いました」
幼「わたしの想いは、あの時から寸分たりとも変わっていません。男さんを常にお慕い申し上げております」
幼「どうか、わたしを傍に置いてください。お願いします……」
男「ど、どうしたの、急に改まっちゃって」
幼「もう、我慢できませんでした。どうせ時間が勝手に過ぎていくのなら、わたし自身の意志でケジメを付けたかったんです」
幼「男さんも、前向きにいこうと仰いましたよね? それに従ったまでですよ」
男「……マジか」
幼「必ずあなたを元気にしてみせますから、絶対に退院させますから……」
幼「……わたしと、」
男「……」
幼「……」
男「わたしと?」
幼「ごめんなさい、田中さんが現れそうな気がしたんです……。あの人はこういう時に限って敏感ですから」
男「ああ、確かにね……。それじゃあ、」
男「結婚、しようか」
幼「──!」
男「いや、やっぱりこういったことは男性側から言わないとさ。というかこの歳だからね、真剣に行き遅れる前に言っておきたかったんだ」
幼「……はい。結婚、してください」
幼「──あ」
男「?」
幼「と、突然ですが、この前のクイズの続きですっ」
男「……本当に突然だね」
幼「どんな流れでどんな内容のクイズを出したか、覚えてますか?」
男「幼ちゃんが俺を緑色で描いてた理由について聞いたら、幼ちゃんの好きな宝石は何かっていう問題を出されたような」
幼「そうです。答え、わかりますか?」
男「なんとなくだけど、思いつく限りではね」
男「緑色で、一番メジャーな宝石と言えば──エメラルドとかかな、やっぱり」
幼「……やっと当ててくれましたね。正解です、わたしは昔からエメラルドが好きでした」
男「ということはエメラルドが好きだからって理由のみで、わざわざ俺を緑色に?」
幼「──ところが、そこの理由も含めてまた新たに答えて貰いたいんです」
幼「どうして男さんにエメラルドの色を使ったのか? これが最後の問題です」
男「結構、勿体ぶるなぁ」
幼「とっても大事なことなんですよ。小さい頃に言いましたよね、わたしにだってこだわりはある──って」
男「綺麗な色を俺に塗りたかったから、なんて安直な理由じゃないよね」
幼「それはそれで答えになりますが、本質的な部分としては少し違いますね」
男「……何だろう」
幼「主に女性が好む分野を理由にしていますから、男さんには難しいかもしれません」
男「女性が好む……」
男「宝石言葉──とか」
幼「……ふふっ」
男「あれ、これも違う?」
幼「エメラルドの石言葉は、希望や幸運、そして愛。誠実さや一途さの証でもあると言われてます」
幼「正解です。小さい頃のわたしはエメラルドの石言葉を真に受けて、男さんに精一杯の想いを込めつつ、緑色にして描いたんです」
男「な、なるほど、確かにこだわってるね。でもまさかそんな理由で描かれてたなんて、わかる訳ないよ……」
幼「ピーターパンを嫌っていた理由の一つもそれでして、ピーターパンにエメラルドの色なんて似合わない、と思っていたからなんですよ」
幼「……ふふふ、答えてくれた男さんに、ご褒美があります」
男「……ごほうび」
男(いかん、変な想像が)
幼「目、瞑ってください」
男「……うん」
幼「……」
男(く、唇は取っておくって言ってたから、アレか、ほっぺか、それともおでこか!?)
男(マズい、これは非常に滾る……っ!)
ごそごそ
男(ん、首に何か)
幼「はい、もう目を開けていいですよ」
男「──うわ、これってペンダント……」
幼「安物で申し訳ないんですが、気に入っていただけたら嬉しいです」
男(しかも綺麗なエメラルドが添えられてある、どう見ても安物とは思えない……)
男「幼ちゃん」
幼「はい」
男「必ず、お返しをするよ。ありがとう」
幼「……えへへっ。……どういたしまして」
幼「──ですが、わたしが帰る時には外してくださいね」
男「ええっ、なんで?」
幼「流石に入院中ずっとは付けさせられません。療養の邪魔になることもありますから、机の上に置いといてください」
男「幼ちゃんがプレゼントしてくれたものなのにな」
幼「わたしだって、出来るものならずっと身に付けていてほしいですよ。でも、」
幼「あなたは大切な人ですから、大事に扱ってあげたいんです」
幼「……どうか、わかってください」
男「……わかった。未来のお嫁さんに言われちゃ仕方ないな」
幼「そ、そうですよ。男さんは、大切な、大切な未来の旦那様です」
ぎゅ
幼「愛してますよ、いつまでも」
幼「絶対に治して、結婚して、それから永遠に、わたしを愛してください……」
男「……うん、がんばるよ」
幼「……大好きです、にーさん────」
───
幼「……男さん。お薬を取り替えますね」
男「ありがと、幼ちゃん」
幼「……」
男「幼ちゃん?」
幼「……はい?」
男「気のせいかな、今日は何か元気がないね」
幼「そっ、そんなこと……」
ぽろっ
幼「ぁ……っ」
男「……何かあったの?」
幼「ごめっ、なさ……っく、ごめんなさい。仕事中なのに、すみませっ……」
男「全然大丈夫だよ。理由があるなら、出来れば教えてほしいけど」
幼「あの……、あのっ」
幼「……田中さん、亡くなられたんです」
男「田中さん、って」
幼「いつも、おちゃらけてた方です……」
幼「肺ガンを患っていたんですが、発見が遅かったせいか治療が間に合わなくて、それで……」
男「……あの人」
男(ガンに掛かってたのか……)
幼「すみません。少しだけ落ち着いてきました」
男「田中さん、そんな風には見えなかったんだけどね」
幼「……どの患者さんもそうなんです」
幼「どんなに重い病気を背負ってても、いつでも明るい方ばかりなんですよ」
幼「もちろんそういう仕事だから、割り切って考えなきゃいけない場面もあるんですけど……」
幼「……あるん、ですけど」
男「……」
男「俺さ、最初にあの人と会った時に随分と話し込んでたんだ。それでね、幼ちゃんに大分お世話になったからって、伝えたがってたよ」
男「ありがとう、って」
幼「……」
男「幼ちゃんの笑顔に救われたんだって」
男「だから笑顔でいてあげよう。じゃないと、またお尻を触りに来るかもしれないよ」
幼「……もう一度くらいなら、許してあげようと思ってました」
男「あはは、その言葉を聞いたら喜んで飛びついてくるだろうね」
幼「……男さん、」
幼「男さんは、大丈夫ですよね?」
男「……大丈夫だよ、たぶん」
幼「たぶんじゃダメなんです! お願いです、お願いですから男さんは元気でいてください……!」
幼「お願いします、お願いします……!」
男「……」
男(俺だってまだ生きていたいけど、参ったな)
男(最近、足が動かし辛くなってきたばかりで、歩くのも難しくなってきて……)
男(……せめて幼ちゃんに辛い思いはさせたくない。せめて──)
───
幼「──男さん」
男「やあ、幼ちゃん」
幼「……今日のお食事です」
男「いつもありがとう。よいしょっと」
幼「……あの、やっぱりわたしが」
男「ううん、いいよ。リハビリにもなるからね」
幼「……辛かったらいつでも言ってください」
幼「わたしはあなたの手足にだってなることも出来るんですから」
男「ありがとう、ごめんね」
幼「……いえ」
男「ところで、箸を持つ方の手ってどっちだっけ?」
幼「……普通は、右手ですよ」
男(……じゃあ左手を使わないと。どっちがまともに箸を持てる手かもわからなくなってきたな)
男(左右がわからなかった昔の幼ちゃんに土下座をしに行くレベルだ)
幼「美味しいですか?」
男「うん、それなりに。味が控えめで食べやすいね」
男(本当は味なんかも、もうわからない)
幼「……今日は、塩分が多めのはずですが」
男「……じゃあ、俺の味覚が変なんだ、はは」
幼「……」
幼「────男さんっ!」
幼「イヤです、もう絶対に離れたくありません!」
幼「退院したら、お付き合いするんですよ。その後はあの時みたいに二人っきりで過ごすんです」
幼「外に行くことが少なかったから、いろんな所に行きましょう。たくさん写真を撮って、たくさん思い出を作って」
幼「結婚もすぐに済ませたいですよね。誰が何と言おうとも、わたしは男さんのお嫁さんになるんですから」
幼「子供は二人くらいがちょうどいいと思います。男の子と女の子を産んで、四人で幸せな家庭を築きましょう」
幼「老後もずっと一緒です。愛に年齢も、年の差も関係ありません。そして一緒に逝くんです、寄り添いながら」
幼「ほら、ほら、人生設計はバッチリでしょう。男さん、男さんっ、だからお願い、一生のお願い、生きて、お願いっ、生きてっ……」
男(……幼ちゃん)
男「……幼ちゃんにさ、退院したら渡そうと思ってた物がある」
男「今の俺じゃ買いに行けなかったから、親戚に頼んで代わりに買いに行ってもらったんだけど」
男「その、買った物はね、俺の家に置いてあるんだ」
幼「……」
男「場所は変わってない。約束通り、あれから俺は引っ越してないよ」
男「それでね、あの時に渡したスペアの合い鍵、まだ持ってるかな」
幼「……大事に、保管してありますよ」
男「よかった。じゃあよく聞いて、もしも俺が──」
男「──たら、幼ちゃんが取りに行ってきてほしいんだ。たぶん、お絵描きする時とかに使ってた机に置いてあるはずだから」
幼「……どうして」
幼「どうしてそんなこと、言うんですか……」
幼「やだ……やだよ」
幼「……いやだ……」
男「……ごめんね」
───
幼「……」
幼(ここ、懐かしいなあ。全然変わってない)
幼(お母さんとよく買い物行く時に使ってた道だけど)
幼(……あの人にお使いを頼まれた時の方が、強く印象に残ってる)
「あのっ、すみません」
幼「ん、何かな?」
「○○スーパーに行きたいんですけど、どこにあるかわからなくなっちゃって……」
幼(まだあるんだ、あそこ)
幼「ひょっとして、お使い中?」
「は、はい、そうですっ」
幼「偉いね、もうこの歳で……」
幼「じゃあ案内してあげるから、付いてきて?」
「……はいっ」
幼(昔のわたしも、こんなことがあったっけ)
幼(わ、変わってない)
幼「はい、ここだよ」
「あ、ありがとうございますっ!」
幼(……似てるなぁ)
幼「帰り道は大丈夫?」
「だいじょぶ……です! うんっ、だいじょぶです!」
幼「……よし」
幼「お使い、がんばって!」
「はい! ありがとうございました!」
たたたっ
幼「ふふっ」
幼(わたしにも、子供が出来たら……)
幼(さて、わたしも行かなくちゃ)
幼「……あ」
幼「こんにちは、ネコさん。あなたは日向ぼっこ中?」
子猫「……うるさいニンゲンがやってきたにゃ」
幼「今日は暖かいもんね。ふふ、気持ちよさそう」
子猫「おかーさんが話してたニンゲンみたいだにゃ、やたら構ってくるヤツだって」
幼「あの時のネコさんは元気かな……」
なでなで
子猫「にゃっ」
幼「……昔ね、ちょうどこの場所にかわいいネコさんがいたんだよ、あなたみたいにふわふわしてて、ぷにぷにした肉球の」
子猫「……おかーさんは言ってたにゃ、やたらとすぐボクたちに近寄ってくるから、ニンゲンはコワいんだって」
子猫「でも、オマエはきっとコワくないニンゲンだにゃ」
幼「じゃ、またね、ネコさん。暖かくも寒くもなくて、散歩日和の日にまた会えるといいね」
子猫「……次はゴハンをもってこいよにゃ」
幼(──ここだ)
幼(……インターホン、鳴らしてみようか)
幼(誰もいないと思うけど)
ぴん ぽーん
幼(……)
幼(……とても静か。家そのものが眠ってるみたいに……)
ごそ
幼(初めて使う鍵)
幼(本当はずっとずっと行きたかった、来たくて来たくてたまらなかった)
幼(行けば良かった、勉強のことなんて考えなければ良かった)
幼(……本当に開くのかな)
幼(まさか、あの人が嘘をつくはずない)
かち
幼(……開いた)
幼「お邪魔します」
幼(……静寂って、このことね)
すたすた
幼「……」
幼(変わってないけど、なんだか……)
幼(あの時よりも狭くなった? ──いや、)
幼「……わたしが大人になったんだ」
幼(たしか、ここのタンスの、上から三番目──あった)
幼「わあ、懐かしい」
幼(まだ、残してくれてたんだ)
幼(わたしが描いた絵や、遊び道具とか、いっぱいある)
幼「ふふ、あの人の絵ばっかり」
幼(……思った以上に緑色。これじゃ変に思われても仕方ないか)
幼(それでも、わたしにとってはエメラルドなんだから)
かた
幼「……? あっ」
幼(写真立て? いつの間に──)
幼「……」
幼(小さい頃のわたしと、あの人がピースしてる写真)
幼(そうだ、引っ越しする直前に、お母さんに撮ってもらった写真だ)
幼(……こんな、昔の……)
ふるふる
幼(ダメ、泣いちゃダメ。わたしは大人だから、)
幼(我慢が出来る強い子だって、褒められたんだから……)
幼(良い子だって、あの人が……)
幼(ううん、わたしはもう大人)
幼「……さて」
幼(お絵描きをしていた時の机──)
幼「……?」
幼(小さな箱、きっとこれのことなんだろうけど。何か書かれてある紙が近くに置いてある)
幼(……読んでいいのかな)
『──言われた通りの品を買ってきたはずだけど、これでいい?』
『それはそうと。ようやく結婚するんだね、おめでとう』
『まだ詳しいことは全然聞いてないけど、上手く渡せるといいね!』
『がんばれ、応援してるよ!』
幼(……例の“親戚さん”らしい)
幼(それにしても──)
幼(何となく、見たことのある箱)
幼(……ドキドキが止まらない)
幼(ねえ、開けてもいいんですか?)
幼(これを開けてしまったら、わたし、きっと……)
幼(……いえ、開けますね)
幼(あなたがくれたものですから、後悔はしません──)
幼「……」
幼「……──」
幼(鮮やかで、淡い、それでいてとても綺麗な、緑)
幼(吸い込まれて溶けてしまいそうな、優しくて幸せな色)
幼(……嵌めてしまおうか)
幼(……男さん、お願いします)
幼(ここです、左手の薬指)
幼(ふふ、左手はお茶碗を持つ方の手ですよ)
幼(わたしはもう、左右の分別くらい、とっくについてるんですからね……)
すっ
幼(……サイズがぴったり)
幼(男さん、わたし、今、)
幼(とっても幸せですよ。ありがとうございます)
幼(ありがとう……)
幼(……)
幼「……にーさん」
幼「ね、にーさん」
幼「にーさんはいつだって、わたしのにーさんでした」
幼「尊敬してました、永遠の憧れでした」
幼「……愛、してます。にー、さっ……」
幼(嬉しいのに、凄く嬉しいのに、目が熱い)
幼(頬に滑り落ちて、熱が顔全体に広がって……)
幼「ぁ……」
幼(……また、指を咬んでた)
幼(だけど、指摘してくれる人はここにいない)
幼(わたし、まだ幼いままなんだ)
幼「にーさん……」
幼「わたしね、もっと成長するから、もっと大人になるから……」
幼「……愛したままでいてくださいね」
幼「──ありがとう、にーさん」
───
男『……ううん』
幼『にーさん、目がしょぼしょぼしてますよ?』
男『ちょっと眠たくてね。ごめん、少しだけ寝てもいいかな』
幼『えー、幼とあそんでくれないんですか……』
男『すぐ起きるからさ。死ぬ訳じゃないんだし』
幼『……人は、しぬとおきなくなっちゃうんですか?』
男『……どうだろ。でも幼ちゃんが傍にいてくれたら、少なくとも俺は飛び起きるかもね』
幼『じゃあしんでもだいじょぶですね。ゆっくり眠ってください!』
男『い、いや、今から死ぬ訳じゃ……でも、うん、おやすみ……』
幼『……はい』
幼「おやすみなさい──」
幼「にーさん」
おわり
以前も似たような構成のSSを書いた気がするけど気にしない
ハッピーエンドって最高だと思う
読んでくれてありがとう、あと支援も乙
このSSまとめへのコメント
このSSまとめにはまだコメントがありません