千早「忘れたい記憶、忘れ得ぬ記憶」 (17)


『―――だ!お前が!』

『あなたこそ…!―――ないの!』

『何だと…千種!―――!』

『あなた、―――が――っ!?』



『やめて…やめてよおかあさん、おとうさん…!ケンカは…いや…いやだよぉ!』


『あの時!千種。お前が見ていれば優は死なずに済んだんだ!』

『二人で遊んできてもいいといったのは、あなたじゃありませんか!』


『やめてぇーーーーーーーーーっ!』




SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1386471116



765プロ事務所


――――――――――

「千早、寝てるのか?」

「ええ、寝不足みたいで、少し仮眠を取ってから帰るって」

「そうか…」

「…それにしてもプロデューサー、これはどういうことです?」

「律子、いやだからそれは」

「プロデューサーの方針じゃ甘すぎます、もう少し」

「だがなぁ、あまりあいつらを追い詰めたくないんだよ」

「追い詰めるだなんて…そこまでは言ってません」

「いや、言ってるよ。現にあいつらは」

「だから」

「いーや、俺は俺のやり方がある」

「…!いい加減にしてください!貴方のやり方じゃ、あの子達を」


―――――――――――




『―だから――!』

『違います!――――って事で』

『あー、もう、頑固だな』

『そんな事はありません!』

大きな声が、まだ寝ぼけた頭に響く。
事務所で寝ていたはずなのに…誰?
幼い頃の記憶とそれが重なったとき、私は思わずソファから駆け出した。

「…やめ…て…けんか、だめぇ…!」

ぼやけた視界に見えた背広姿に父の姿が重なって、私は思わず抱きついていた。
母を責めるときのあの声、母が父を責めるときの、あの声。
今ここが家じゃない、それは分かっていても、思い出すあの夜。

「…千早?すまん、起こしたか」

「ケンカは止めてぇ…だめぇ!」

もう、自分が何を言っているのかも分からない。
とにかく、2人の口論を止めたい一身だった。

「どうした?千早?!」

「いやぁっ、大きな声だしちゃいや!」

「だ、大丈夫、もう大きな声は出さないから、な」

「本当に…?」

「ああ、本当だ。ごめんな、俺もかっとなって…律子」

「ええ、私も大人気なかったと思います。すいません…」


落ち着いた、普段の様子の律子とプロデューサーを見て、ようやく私も正気を取り戻したように思えた。

「…ぁ…ご、ごめんなさい、私ったらどうかしてて…」

よろめいた私を、プロデューサーが抱き抱える。
何をやっているのかしら…私は。

「いや、気にすることは無いさ。俺が悪かった…夢、見てたのか?」

「え?」

「…途中、うなされている様な感じがしたんだが」

「…いえ、大丈夫…です」

頭がまだはっきりしない。
両親の喧嘩の光景と、事務所の光景が合致しない。
当たり前のことなのに、私は今、自分がいつ、どこに居るのか分からない。
足元が、ふわふわしている気がする。

「…では、帰ります、失礼します」

「…待て、千早、家まで送ろう。準備するから待っててくれ」

「あ、いえ大丈夫です」

「今の様子を見て心配しないと思うか?」

いつもの苦笑いを浮かべたプロデューサーに、私も少しぎこちない笑顔を返す。

「…では、お願いします」

「車を事務所の下まで持ってくるから、待っててくれ」


「…千早、疲れてるんじゃないの?」

「…大丈夫よ、律子」

「…そう…あ、来たみたいね、それじゃ、お疲れ様、千早。今日は早めに寝なさいよね」

「ええ、お疲れ様、律子」



「…変な千早…何かあったのかしら…何かあったのね」



「最近冷え込んできたな…寒くないか?」

事務所を出てしばらくして、プロデューサーがそんなことを聞いてきた。
多分、私に気を使ってくれたのだろう。

「いえ、大丈夫です……」

「……」

カーラジオから流れるニュースと、車のエンジン音しか聞こえない車中。
何だか、居心地が悪い…そう感じた私は、プロデューサーに声を書けることにした。

「……プロデューサーは」

「ん?」

「プロデューサーのご両親は、今も仲がいいですか?」

「…そうだなぁ、ラブラブってわけじゃないけど、悪いってわけでもないしなぁ。時折県下もするし。まあ、付き合い長いからな。何だかんだで仲直りしてるみたいだけど」

「そう、ですか…」

「どうしたんだ?千早」

「いえ…」

…そう、それが…普通、なのかもしれない。
もし、優が生きていたら…母も父も、今も仲良く暮らしていたのだろうか?

「…どうしたんだ?突然」

「…深い意味はありません。忘れてください」

「…そうか」



「…優、あなたがいてさえくれれば」

でも、優はいないことに変わりは無い。
それは分かっていた。
だけれど…

「…私は」


――――――――――――――――
―――――――――――――
―――――――――――
―――――――――
―――――――
―――――





「千早…千早、おきなさい、千早」

「お母さん…?」

「お姉ちゃんいつまで寝てるの?」

「優…?!」

「ほら千早、いつまで寝てるんだ、今日は皆で出かけるって言ってたじゃないか」

「…え、ええ」

…優は、今年で小学校の5年だったかしら…
夢?
私は765プロでアイドルを…

「ほら、千早お姉ちゃん。今度音大の受験でしょ。そうなったらこうして遊びに行けなくなるしさ」

「そうね…」

ああ、そうか…夢だったんだ。
優が交通事故で死んで、お母さんとお父さんが離婚して。
私は一人暮らしをしながら、765プロでアイドルをしていたというのは…


「ふふっ、妙な夢ね…」



「ほら、千早お姉ちゃん、たこ焼き食べようよ!」

「まって、優、そんなに走らなくても」

「はい、千早お姉ちゃん」

「…自分で食べるわ」

「そんな子といわずに、ほら、美味しいよ」

「…あー…ん」

「…美味しい?」

「…ん。まだ熱いわ」

「えへへっ、あっ、ほら、射的がある!」

はしゃぎまわる優は、本当に楽しそうで。
私も、優を見ているだけで楽しくなる。

「見てみて!千早お姉ちゃん!これ」

「あら…可愛いぬいぐるみね」

「お姉ちゃんに上げるよ」

「私に?…ふふっ、ありがとう」

もう夏休みも終わり…そうすれば、また学校も始まるし。
優ももうすぐ中学生…か。

「千早お姉ちゃん、置いてくよー!」

「あっ、待って優」

優雅、こちらを振り向きながら走っていく先は、道路。
何かしら、私はこの場面を…

いけないっ!

「優、止まって!」

「えっ?」

鳴り響くクラクションに、悲鳴を上げるタイヤの音が聞こえ始めるより前に、私は駆け出す。


優の手を、こちらに引き寄せようとしたところで、私の意識は現実へと引き戻されることになった。

「優!」

自分でも驚くほどの声に、私は正気を取り戻す、ここは、自分の部屋だ。

「…夢は、向こうの方だっていう事ね…」


嫌な汗をかいた。
部屋は、白い息が出るほど冷え切っているのに、パジャマまで汗で濡れている。

「…一度、シャワーを浴びましょう…」

布団から這いずり出ると、眠気に痛む頭を押さえ、私はシャワーを浴びる事にしました。


「ねえ、千早ちゃん。最近元気が無いけど」

「そう見えるかしら?」

ある朝、春香に突然そういわれて、私は首を傾げて見せる。
原因は、分かってる。

「…何かあるなら、私が相談に乗るよ?」

「ありがとう…でも大丈夫よ」

「…そう」



「そんなに、元気が無いように見えるのかしら…」

事務所の化粧室の鏡に写る自分の顔。
…他人から見ると、そう見えるのかしら?
笑みを浮かべて見せるけど、それは強張っている様に感じた。

「…どうして、今頃になって」


「なあ、千早」

「はい、何でしょうか。プロデューサー」

「最近、元気が無いって春香から聞いたんだが」

「…そんな事はありません」

「いや、俺も気になってたんだ…何かあったんだな」

「…」

「…俺なんかじゃ、まあ相談相手にしても不安かもしれないけどさ、吐き出してしまえば楽になることもあるだろう?」

「…これは、そう簡単な問題じゃないんです。ごめんなさい」

「待て!千早」

プロデューサーが私の腕を掴みます。
…いつもと違う、穏やかな顔。
なのに、腕を掴む力は私を放すまいと…

「っ!」

「…すまん、強くしすぎた…お前が、そんな顔をしているのを放っては置けない…話して、くれないか」

「…」



「砂糖とミルクは?」

「ミルクだけで…」

プロデューサーが入れてくれたコーヒーは、小鳥さんが入れてくれるものに比べて、苦い。
プロデューサー自身もそう感じたのか、軽くすすると顔を顰めていた。

「私の弟が、事故で亡くなったことは、お聞きですか?」

「ああ」

「その後、両親も私も、ものすごく悲しみました…両親も、最初は自分達の非を悔やむばかりで…でも、いつしかそれが、互いの非をなじり合うだけのものになりました…そのたびに、大声を出す両親の姿を、私は見たくなくて…」

思い出すだけでも、嫌だった。
両親が、いがみ合い、罵詈雑言を吐き、そうでなくても会話の無いあの冷たい雰囲気が。
何よりも、その原因が、優の死であることが。

「…そうか、そう言う事か」

「…すいません、プロデューサーの気を煩わせて締まって、こんなこと、私の気持ちの問題で」

「いや…事務的な言い方にはなるが、アイドルの心身の管理もプロデューサーの仕事でね。当然の事をしているまでだ…それで、あの時」

「はい、思わずその光景に重ねてしまったんです」

「すまなかった…」

「いえ、プロデューサーが悪いわけでは…」

「…忘れることなんて、出来ないよな…今度、墓参りに行こうか」

「えっ?」

プロデューサーの言っている事の意味を理解するのに、少し時間が掛かった。

「…墓参り…」

「…過去のことばかり思い出すのは、もしかすると弟さんが呼んでるんじゃないか?墓参りに来てほしいって」

「…」

「い、いや、すまなかった。軽率だった」


「私、行きます」

都心を離れて、少し郊外にある墓地。
優の墓は、そこにある。

「…優、久しぶりね」

勿論、墓石に語りかけたところで優が答えを返してくれるわけでも無い。
でも、私は…

「…最近、あなたが亡くなった後の事ばかり思い出してしまって」

傾きだした陽の光が、墓地を紅く照らす。
プロデューサーは、一言も話さず、後ろに立っていた。

「…優。ごめんなさい…弱いお姉ちゃんで…ごめんね…」

「…千早?」

少し掠れた女性の声が、私の耳朶を打つ。

「…母さん」


如月千種。
私の母親であり、当然のことだけれど優の母親…

「どうしたの…こんな時に」

「…」

「…」

以前に比べれば、改善された関係も、まだまだぎこちない物だ。
母は、私を複雑な表情の入り混じった物で、見つめている。

「…」

何も言わず、母は私の横にしゃがみ込み、墓前に花を添え、手を合わせる。
私も、また目を閉じて、手を合わせる。

「…千早…あなたには、本当に申し訳ない事をした…許してくれとは言わないわ。私達はそれだけの事を、あなたにしたと思う…」

「…」

「だけれど、私達夫婦は、千早…あなたと、優を愛していた、いえ、愛している…その気持ちが、あの人も、私も、今も変わらないという事だけは、分かってもらいたい…なんていうのは、私のエゴかしら…」

「母さん…」

「…あの人も、私も、あの時は自分のことで精一杯で…貴方の事を、気に掛けてあげられなかった…」

「…」

母さんが、詰まりながらも話してくれた言葉に、私は、驚くよりも先に安堵していた。
母さんは…やっぱり母さんは、母さんだった。

「…あなたの、気持ちがあの頃と同じになる事はもうないと思う。でも…いつかまた、あの時の様に話せることを…私は、願ってるわ…プロデューサーさん、娘を、よろしくお願いします」

「か、母さん!」

プロデューサーは、その言葉に頷いた。
母が立ち去るその背中を見て、声を掛けようとしたけど、駄目だった。

「…千早」

「…いえ、良いんです…行きましょう」



「良かったのか?」

帰りの車の中、プロデューサーが私にそう問いかけた。

「…良いんです、母の気持ちが、聞けましたから」

「…そうか」

「…私達の溝は、深く広い物です…でも、あの言葉で、少しだけ、その距離が縮まった気がします…そんな単純な物では、無いのかもしれませんが」

「…」

「…プロデューサー、ありがとうございました」

「え?」

「…私だけで考え込んでいても、解決できませんでした」

「俺は、何もしてないよ。千早が自分の考えで解決したことだ」

プロデューサーの表情は、今こちらからは夕日に照らされて見辛い。
ですが、声色からは、笑っているような、安堵しているような、そんな感じを受けました。
その日はそのまま家へと送り届けてもらい、一日を終えました。


「おはよう、千早ちゃん!」

「春香、おはよう」

「…千早ちゃん、何かすっきりした顔をしてるね」

「えっ?」

春香が、安心したような表情だったので、私は訝しがる。

「…どうしたの?」

「ううん、何でもないよ」

「…そう」

春香は、相変わらずニコニコしたままこちらを見ている。
そんな春香を見ていると、私まで頬が緩んでしまう。

「…少し、すっきりしたのかもしれないわね」

「え?」

「何でも無いわ。春香、行きましょう」

「え、え?な、何の事、ねぇー千早ちゃん!」





…いまいちツメが甘い気がする。
お子さんがいる方、夫婦喧嘩はやめましょう、子供の前では、特に、ね。

そんな私は独身です、くっ…。

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom