P「765プロと言う通過点」(636)
俺は765プロのプロデューサーだ
トップアイドルこそは輩出出来なかったが
所属しているアイドルをそれなりの知名度まで押し上げる事に成功した
社長は俺にアメリカでの研修を提案してくれた
俺はその話を快諾し、単身アメリカへと渡った
事務所には新人ではあるがプロデューサーが新しく加わり
律子もプロデューサーとして成長していたので安心して任せられると思ったのだ
アメリカでの1年は苦労と挫折の繰り返しだった
だが、着実に力が付いていた事を実感できる充実した毎日でもあった
そして1年の研修が終わった後…
どう言った訳かアメリカのレコード会社でのプロデュース業務を命じられた
765プロへ確認すると社長もその件に関しては了承していた
俺は社長の言葉を信じ、今出来る事を精一杯やりながら毎日を過ごした
そして…アメリカに渡ってから3年と言う月日が経ったのだ
プロデューサーとしての力量にも自信が付き、やはり日本で仕事をしたいと考えていたので俺は日本に帰る事となった
765プロに戻るのでは無く、独立する事を決めていた
日本での事務所の物件はもう押さえてある
後は帰ってから準備をするだけだ
そして…今日俺は懐かしい日本の地に足を踏み入れたのだ
新たな道へ…俺は踏み出した
日本に帰ってまずは新しい事務所を整えた
最低限いつでも仕事を始められる準備だけはしておきたかったからだ
アメリカでの蓄えが少しはあるが、油断は出来ない
こちらでのコネは一切無いからだ
ごめん
この時間帯は落ちやすいと思うから今だけ許して
俺はまず765プロに向かった
業務提携を結びたかったからだ
一人では何も出来ないので、最初は765プロを頼るしか無かった
問題ない。社長はきっと俺を受け入れてくれるはず
そう思いながら懐かしいビルに入り、古ぼけたドアを開けたのだ
その先には昔のままの765プロの風景があった
だが、俺はこの風景に不安を覚えた
時刻は午後14時
誰もいないのである
もちろん全員が出払っていると言う可能性もある
だが、余りにも生気が無い
すぐに理解した
この事務所は機能していない
もしかするとすでに新しい場所へと移転している可能性もある
スマートフォンで765プロを検索…そして検索結果は…
765プロ倒産について書かれた記事であったのだ
全く意味が理解出来ない
倒産と言う言葉の意味を思い出すのに少し時間がかかってしまった
そして倒産の意味を思い出した時、入り口のドアが開いた
「あの、プロデューサーさん…ですか?」
「はい、お久しぶりです。音無さん」
事務員の音無小鳥さんだった
3年経った今も変わらず綺麗だ
左手の薬指には指輪が光っていた
「ご結婚されていたんですね」
「はい」
「お祝いする事が出来なくて申し訳ありません」
「いえ、これはつい先月の事ですから…」
彼女は苦笑いで答える
それは俺が知っている彼女の笑い方では無かった
「あの、765プロは倒産してしまったんですか?」
「はい、残念な事ですが2年ほど前に…」
俺が研修を終えた後の事だったらしい
「音無さんはここへはどう言ったご用で来られたんですか?」
「実は…このビル、取り壊されるんです。だから最後の思い出に…写真でも…」
目から涙がこぼれている…
倒産した当時の苦労を考えるといたたまれない気持ちになった
「あの、俺に撮らせてください。音無さんも撮っておきたいですから」
「もう私は音無じゃありませんよ」
「じゃあ、小鳥さん」
「はい、お願いします」
俺は彼女も含めて何枚も写真を撮った
何一つ逃さない様に、この風景を一つでも多く残す為に
「最後に二人で並んで撮りませんか?」
彼女はそう提案してきた
椅子の上に本を何冊か積んで高さを調整し、タイマー撮影をした
寄り添って並んでいる画像を確認すると
「まるで夫婦みたいですね」
彼女が笑った
旦那さんに申し訳ない気持ちになる
「でも…これで本当に終わりなんですね…」
彼女の肩が震える
そしてすぐに嗚咽をもらし始めた
俺はどうすれば良いか分からない
彼女は既婚者だ。他人である俺が簡単に触れて良い身体ではない
だが、そう考えている間に彼女は俺の胸へと飛び込んできた
俺はそれを振り払う事が出来るはずも無く…
彼女を抱き締め、泣き止むのを待った
旦那さんに申し訳ない気持ちになる
しばらくすると彼女は身体を離した
「小鳥さんは…事務員とかはやってないんですか?」
「こんな俺をご時世だから…本当は何かやりたいんですけどね」
先程と同じ苦笑い
今の俺に出来る事と言えば…
「一ヶ月、待っててくれませんか?」
「一ヶ月…ですか?」
「俺、独立したので事務所があるんです。まだ仕事も取ってないんですけど…それまでに準備を整えて小鳥さんを事務員に迎えたいんです」
「そんなに無理なさらなくても…パートでも探しますから」
「俺一人だと事務までは流石に出来ないんです。だからお願いします」
頭を下げ頼み込んだ
この人をこのまま行かせたく無かった
帰って来て最初に再会した仲間を失いたく無かった
「わかりました。でも、無理はしないでくださいね?」
この笑顔は俺の知っている彼女の笑顔だった
連絡先を伝えてから彼女と別れ
俺は事務所へと戻った
そして懐かしい風景を思い出し
一人で泣いた
翌日、俺は961プロへと向かった
961社長と話をしておきたかったからだ
元765プロの俺と会ってくれるかは賭けの部分もあったのだが、すんなりと社長室に通された
「まあ、かけたまえ」
黒井社長は当時と変わらず若々しく、眼光の鋭さもそのままだ
「まさか私にお会い頂けるとは思いませんでした」
「アメリカに渡っていたみたいじゃないか。どうだったね?」
「はい、少しは使い物になるプロデューサーに近付けたかと思います」
「そうかね。それは頼もしい限りだ」
威圧的な物言いは変わってはいなかったが、少しの違和感を感じた
「君が私に聞きたい事は大体分かる」
ここに来た理由…それは765プロ倒産の原因を知りたかったからだ
765と961は敵対状態であった
だから俺は単純にこの件に961が絡んでいる可能性があると踏んだのだ
だが、黒井社長の口から発せられた言葉は
「残念だが私はこの件に一切関与していない」
765プロ倒産の原因は961では無かった
あの時小鳥さんに聞けば分かったのかもしれない
だが、泣きじゃくる彼女にこれ以上辛い思いをさせたく無かったのだ
「だが、私の知っている範囲で良ければ話はするが、どうだね?」
「よろしくお願いします…」
俺はそう答えるしか無かった
「君が去った3年前…その瞬間からゆっくりと崩壊が始まったのだよ」
俺がアメリカに行った直後?
そんな早い段階からだなんて…
「まず、君が去った月の終わりに如月千早が事務所を去った」
「千早が?何故です」
「新しく入ったプロデューサーとソリが合わないと聞いている。そして君以外の人とは組みたく無かったともね」
「千早が居なくなったら…売り上げが激減してしまうじゃないか…」
彼女のCDの売り上げは竜宮小町以上だ。その彼女が居なくなれば、その痛手はかなりのものになる」
「その後の話としては…君は素晴らしいプロデューサーでは無かったが、やはりそれなりに出来る男だったと言う訳だ」
「どう言う意味です?」
「どう言う意味です?」
言っている意味が分からなかった
「新人と秋月律子では君の穴は埋められなかったと言う事だ。それによってアイドルたちの信頼を失った」
「その後は…どうなったんです?」
「お互いが信じられない状態が長く続き、仕事も減り、衰退の一歩を辿って行ったのだよ」
「たったそれだけの事で…」
「たったそれだけの事だ。それすらが彼等には出来なかったのだよ」
「そんな…」
「そして、資金繰りに困った765プロは竜宮小町を876プロに売り払った。多額の移籍金を得るためにな」
竜宮小町は765プロの看板だ
それを売り払うなんて…信じられない
「辛いのは分かるが君は知っておいた方がいい。だから今は耐えて聞くんだ。良いな?」
「はい…」
頭がどうにかなりそうだった
自分の無力さにも腹が立った
「そして…更に765プロは私に星井美希、我那覇響、四条貴音を売り払ったのだ」
「そんな…そんなバカな事が…あるわけ」
「事実だ。3人はウチでプロジェクト・フェアリーとしての活動を再開している」
「3人は…元気にしていますか?」
「あちらに居た頃よりも笑顔で楽しく活動出来ているとは思うがね」
「それなら…良かったです」
「私が知っているのはこんなものだ。だが私にはもうどうでも良い話だ」
その通りだ。この人は765プロを敵対視していたのだ。
悔しい話だが、俺たちは負けたのだ
「それより君とビジネスの話がしたい。どうせ帰って来たばかりで暇だろう?」
「はい、765プロが無い以上、私が一人でどうにか出来る状態ではありません」
俺には何一つコネクションが無い状態だ。今のままでは765プロの二の舞は目に見えている
「プロジェクト・フェアリーは私直轄のユニットだ。だが私は生憎多忙を極めている」
「はあ…」
何の話だ?
いまいち見えてこない
だがこの人に抱く違和感だけは次第に大きくなって行った
「君にプロジェクト・フェアリーを任せたいと言っているのだよ。理解出来たかな?」
「私にですか…何故です」
「星井美希は君に好意を抱いている。当然君と組む事によって今まで以上の成果を期待できる」
「それは…そうですね」
「それと、フェアリーは後1年で解散の予定だ」
「解散…理由は何ですか?」
「彼女達の希望…とだけ言っておく事にする」
希望?それならば俺から言う事は無い。だが、まだ彼に対する違和感の正体が掴みきれない
「解散の時までに出来る限りの利益を上げてくれればそれで良い。帰って来たばかりの君にはちょうど良い腕慣らしだと思うが…どうかね?」
願っても無い話だ。
断る理由も無い。
繋がりを失ってしまった俺に救いの手が差し伸べられているのだ
「ありがとうございます。喜んでお引き受けさせて頂きます」
「結構。ではこれからよろしく頼む」
黒井社長は手を差し出してきた
俺は迷う事無くその手を握った
そして俺からの最後の質問をした
「あの、最後に私からの質問なんですけど」
「言ってみたまえ」
「あなたは何故、私を助けてくれるのですか?」
そう、これが違和感の正体だ
威圧的な眼光は相変わらずだが、その目には敵対心が一切含まれていなかったのだ
「何かと思えば…実にくだらん」
「あなたにとってはそうかも知れませんが、私にとっては大事な事です」
「そうかね…その答えは実に簡単だ。君も納得してくれると信じているよ」
彼は軽く目を閉じ、一呼吸置いてから話し始めた
「私は765プロを敵対視していたのであって、君個人を憎んでいる訳では無いと言う事だ。分かって貰えるかな?」
「それだけ…たったそれだけの事であなたは私にチャンスを与えるのですか?」
「後は個人的にアメリカで学んできた君の力を知りたいと言う部分もある。君は今、私に試されているのだよ」
そう、俺は試されている
結果を出せば次の仕事を回すと言う意味だろう
「わかりました。つまらない話をしてしまい申し訳ありません」
「結果を出して私を楽しませてくれたまえ。ああ、そうだ…今日は星井美希が事務所に来ている。会って行きたまえ」
「はい、ありがとうございます」
「ロビーに向かう様に伝えておく。行きたまえ」
「わかりました。失礼します」
俺は社長室を出てロビーへと向かう
そこで座って待つこと20分
一人の女性が俺の目の前に立っていた
「ハニー、久しぶりだね」
「美希か、綺麗になったね」
「私ももう18歳だよ?子供じゃないよ」
美希は自分の事を「ミキ」では無く「私」と言う様になっていた
髪は短く、色も抑え目のものとなり、大人の雰囲気を纏った素敵な女性になっていた
「社長から話は聞いたよ。私も凄く嬉しいの。だから、これからもよろしくね」
「うん、また美希と一緒に仕事が出来て嬉しいよ」
「ハニー、少しだけ…良いよね?」
美希はゆっくりと俺に近付いてきた
そうだな、久しぶりの再会だ。抱きしめて欲しいのだろう
俺は腕を広げ、美希を受け入れる態勢を取る
美希はそのまま胸の中へ収まり、俺の頬を両手で包んだ
そして…美希は俺の唇に自身の唇を重ねたのだ
10秒ほどだろうか、そのままの状態で居たのは
時間が経つと美希は俺の身体から離れた
「久しぶりなんだから、これくらいは良いよね?」
顔を真っ赤にしながら笑顔で言った
「お前は…こんな所を誰かに見られたらどうするんだ」
「ここは961プロの中だよ。だから…安全」
「そうか、お前はまだ俺の事を好きで居てくれていたんだな」
「一日も、一秒だって忘れた事は無かったよ。帰ってきてくれて本当に嬉しいの」
以前の美希にこんな事をされても何も思わなかっただろう
だが、今の美希は…余りにも綺麗で、俺の心臓の鼓動は激しくなっていた
「それはそうと、お前さ、律子がどうしてるか知らないか?」
俺はプロデューサーである律子と会っておきたかった。
彼女なら倒産の原因を知っている可能性が高いからだ
だが美希は
「律子なんかに会ってどうするの?」
「さん」が付いていない
何があった?
「何言ってるんだ。律子は仲間じゃないか」
「私には関係無いの。そんな事より私の事を見てて欲しい」
どうしたんだ…美希が律子に対して明らかな敵意を持っている
俺が居ない間に何があったんだ
「それに律子はもうプロデューサーじゃ無いよ」
「そうなのか?じゃあ、今は…」
「雑貨屋さんのオーナー」
美希はぶっきらぼうに答えた
そうか、プロデューサーは辞めたんだな
でも、きちんと自分の足で歩いている
俺は嬉しくなった
「場所、教えてくれるか?」
「途中までついて行くよ。後はハニーだけで会ってきて」
「分かった。よろしく頼む」
今は何も聞かない方が良い
時間が解決してくれる事もあるのだから
俺は美希に手を引かれ、律子の店の近くまで案内された
店が見えてくると
「あそこだよ。美希はここで待ってるから」
ここからは俺一人で店に向かった
白い綺麗な建物だ
海外から仕入れた雑貨を置いているみたいだ
店内に入るとすぐに見慣れた女性が居た
髪は下ろしているが律子に間違いない
「プロデューサー…帰って来たんですね」
笑顔ではあったが少し陰がある
色々とあったのだろう
これから何度でも会う事は出来る
だから今日は少しだけ話せればそれで良い
「久しぶり。良い店だね」
「ありがとうございます。皆とは会いました?」
「ああ、美希と小鳥さんには会ったよ」
「何も…聞いてないですか?」
「いや、特には」
「そうですか…時々で良いから来てくれたら、嬉しいです」
やはりどこか笑顔に陰がある
だが、まだ聞く段階では無い
ゆっくりと話を聞いていければ良いのだ
「そうだね、これからも寄らせてもらう。律子は皆とは会っているの?」
「いえ…あれからは全くです」
「環境が変わると会えなくなるもんね」
「はい…そうですね」
律子の顔が曇る
この話は終わりにしておこう
「今日は会えて良かった。また近い内に遊びに来るよ」
「はい…私、待ってます」
何だか今生の別れみたいな表情だな
いつでも会えるのに
俺は店を出て、美希の居る場所へと戻った
美希もとても複雑な顔だ
二人には何かがあるのだろう
だが、俺が口を挟む事では無いのだ
多分…そうなのだ
「律子と何を話したの?」
「いや、ただの世間話だよ。お前、律子が嫌いなの?」
軽く振ってみた
「嫌い…じゃ無くて失望だと思うの。私は裏切られた気分だよ」
「そうか、俺には話したく無いよな?」
「いつか…ハニーと私が結婚してくれた時に話すよ」
美希は試す様な目で俺の方を見た
以前とは違う大人の目だ
「そうか、じゃあそうなった時にでもゆっくりと聞くよ」
「うん、そうして欲しいの」
美希は満足した様に微笑んだ
「でも…嬉しいな」
「何が?」
「ハニー、今の私は子供扱いしないから」
「そうだね、もう美希は子供じゃない。とても綺麗になって驚いたよ」
「うん、だって…ハニーに綺麗って言ってもらいたかったから」
「美希、今は少しだけ時間をくれ。俺の心の整理がついたら必ずお前について答えを出す。俺ははぐらかしたり逃げたりしないから」
俺は言い切った
美希の好意をこのまま行き先の分からないままにしたく無かったからだ
「20歳までは待つの。だからゆっくり考えてね」
「そうさせて貰うよ」
「ハニー、すっごくかっこ良くなったね」
「何だそれ?」
「ハニーの事、好きになって良かったの…」
それから美希とは別れ、俺は事務所に戻り、小鳥さんに連絡した
仕事が入って来たので事務員としてすぐに働いて貰いたかったからである
彼女は驚きながらも明るい声で快諾してくれた
当面は何とかなりそうだ
今まで敵であった黒井社長が手を差し伸べてくれた事によって俺は少しだけ前に進めたのだ
人生は本当に何が起こるか分からない
だから面白くもあり、苦しくもあるのだ
明日からは本格的に仕事が出来そうだ
俺は早く明日になる事を願い眠った
あれから一週間、仕事は順調に進んでいる
黒井社長は本当に小さな仕事ばかりだが、俺に回してくれる様になっていた
「プロデューサーさん。春香ちゃんには会いました?」
小鳥さんが話しかけてきた
「いえ、会っていないですね。あいつは元気にやっているんですか?」
春香、今はどうしているだろうか
素直な性格だから騙されたりとかしていないだろうか
「小さな事務所でタレントをやってますよ。とても元気そうです」
「そうですか、それは何よりです」
「良かったら連絡取りましょうか?私、今でも春香ちゃんとは仲が良いんです」
「是非お願いします」
そう言うと小鳥さんは携帯を取り出して電話を始めた
通話が繋がったのか、楽しそうに話している
俺は明るい声で話している彼女を見て思う
彼女は全てを知っている
事務所の重要な部分を任されているのだ
知らないはずがない
そして美希もある程度の事は理解している
だが、口を割る可能性は極めて低い
それでも俺は知りたい
皆の笑顔で溢れていた765プロに何があったかを…
「プロデューサーさん。春香ちゃん、今近くに居るそうです」
「では、俺が出向きますよ。場所を教えてください」
俺は小鳥さんに教えて貰った場所へと足を運んだ
ちょっとごめん
本当に申し訳ないんだけど、少しだけレスを抑え気味にしてくれないか
支援は有難いんだけど少し長くなりそうなんだ
あと、結果として誰かが不幸になったりする様なものは書かないつもりだから
よろしくお願いします
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