男「か、彼女……?」
美容師「はい。この時期になるとクリスマスに備えて、整えに来てくれるお客様が多いものですから」
男「なるほど……」
男「(大学4年生にもなって、いない歴年齢だなんて言いづらいな……)」
美容師「てな感じで、めんどくさい質問を前の美容院で振られでもしたんですか?」
男「えっ?」
美容師「うちはマニュアルで、恋愛に関することは従業員から尋ねてはいけないって決まってるんで答えなくて大丈夫です」
男「そ、そうなんですね……」
美容師「うちの弟が引きこもりなんですけど」
男「引きこもりなんですか!?」
美容師「最後まで聞いてください」
男「す、すみません」
美容師「弟が言うには、床屋は黙ってても許されるけどオシャレな髪型にしてくれない。理容室や美容院はオシャレな髪型にしてくれるけど、座っている時間が苦痛だって言うんです」
美容師「だから私は決めたんです。弟みたいな引きこもりの男性が来ても、居心地の良い時間を提供し、今どきのオシャレな髪型にしてあげられる美容師になろうって」
男「僕、別に引きこもりでは……」
美容師「そういう前提で接するんです。私はお客さんがどんな見た目や雰囲気をまとっていても、私の弟だと思って接するようにしています」
美容師「だから私のことはお姉ちゃんと呼んでもいいんですよ」
男「呼びませんよ!キャバクラみたいでしょ!」
美容師「まったく、男くんキャバクラ行ったことないでしょ」
男「ごめんなさいありません。ええなんだこの店」
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美容師「弟がですね、ノートに書き込んでたのを見ちゃったんですよ」
男「何を?」
美容師「『僕が考えた最強の美容師』」
男「脳内設定ですか」
美容師「事細かに書き込まれていました。さすが私の弟です。引きこもってゲームやネットサーフィンばかりするなら普通の引きこもりですが、ちゃんと最強の世界の設計図をつくっていたんですから」
男「どんな内容が書かれていたんですか?」
美容師「それは私の接客を受ける中で実践されていくから大丈夫ですよ」
男「気になるなぁ」
美容師「私が面白いと思った奴でお気に入りのはですね……ちょっとハサミ置きますね。例えばシャンプー後のマッサージなんですけど」
美容師「肩をお揉みしますね」
男「すみません」
モミモミ
モミモミ
美容師「お客様」
男「はい」
美容師「気持ちよくないでしょう?」
男「そうですね。骨のところ揉まれても困りますね」
美容師「これです」
男「これ!?」
美容師「『気持ちよくないでしょう』って、気持ち良いところをわかってるからできることなんです。女の人からこんなことをやられるのは、ある意味マゾ心がくすぐられるとの記載がありました。総じて『キモチイイ』とのことです」
男「弟さん天才ですね」
美容師「自慢の弟です」
男「褒めてないです」
美容師「弟の接客マニュアルでは、聞いてはいけない質問が書かれているんです」
男「この店の決まりとは別にってことですよね」
美容師「ええ。『休日何されてるんですか?』『趣味はありますか?』『どんなお仕事をされてるんですか?』」
男「うわっ、全部王道の質問じゃないですか。その質問なしにどうやって話題盛り上げるんですか」
美容師「これ以外の話題をすればいいんです。『最近流行りの哲学はありますか?』『手紙の書き損じをした時にどこまで妥協してギリギリ書き直さないですか?』『世界中のメンサ会員を操れるようになったら、どんな司令をくだしますか?』」
男「すごいな、美容師どころか友達にさえ聞かれたことない」
美容師「この中だとどの話題に興味ありますか?」
男「メンサ会員かな。高IQの集団で、世界に2%ほどしかいないんだっけ?」
美容師「そうです。操れたらどうしますか?」
男「あんまり洗脳する意味がないんだよな。だって洗脳っていうのは自分の思考を植え付けることでしょ?せっかく高IQを持ってる人たちを、俺の思考通りに動かしても意味がないような」
美容師「方向性を決められるならどうですか?『世界を滅ぶすために動け!』とか」
男「物騒な使い方」
なぜ深夜に始めてしまったのか
面白い
美容師「また話題変えてもいいですか?」
男「最初から話題の候補が特別なチョイスしかないので今更気にしません」
美容師「お褒めいただき恐縮です。もし、世界が完全なる監視社会になった場合なんですけど」
男「思った以上に飛んだぞ」
美容師「完全なる防犯世界を構築するのに、人が人を監視するのには限界が来るから、AIが監視するようになるのでしょう。そして映像だけでなく、音声も盗聴されるし、人の興奮状態を測定するためにサーモグラフィーなんかも見れるとします」
美容師「そしたら、人が恋に落ちる瞬間もわかってしまうわけですよ」
美容師「どんな男女が、どのように出会って、どのような仕草や会話を交わして恋に落ちるのかビッグデータが取られるようになるわけです。そして、そのビッグデータを悪用する企業なんかも現れるのです」
男「ほお、気になる展開」
美容師「例えば私の髪、長くて耳元が見えないじゃないですか。だから、実はイヤホンでAIからの指令通りに喋っているのかもしれないですよ」
美容師「男さんという人は、好きなタイプはこんな人で、好きな話題はなになにで、このような声のトーンでこの話題を振れば気に入ってもらえる。リピーターになってくれる」
男「おっ、既に悪用しているというわけですか」
美容師「そうなる社会がいずれ来ても、実は既に来ていてもおかしくはないですよね」
美容師「今日はありがとうございました。お会計は……」
男「はい、現金でお願いします」
男「(変な話題こそ振られたけど、髪型もすごいよくしてくれたし、シャンプーもマッサージも普通に上手かったな。骨を揉まれることもなかった)」
美容師「……はい、お釣りです。お気をつけてお帰りください」
男「あれ、会員カードとかないんですか?」
美容師「おっ、また来てくれるんですね。嬉しいです」
男「え、ええ」
美容師「弟の描く最強の世界には、会員カードがないものですから」
男「そうなんですね。失礼しました」
美容師「いえいえ。またお越しください」
男「こんにちは」
美容師「今日もご予約ありがとうございます。そしてご指名いただけて嬉しいです」
男「前回の話で気になったことがありまして」
美容師「絶対に答えません」
男「えっ?」
美容師「悪ノリです。AIがこう反応すべきだと指令を与えてきたもので」
男「一月前の話題を覚えててくださってありがたい」
美容師「それで、ご質問は?」
男「会員カードがないっておっしゃってましたけど、それって美容師個人の権限でなくすことってできるんですか?」
男「弟さんの思い描く最強の美容院ではポイントカードがないんでしたよね」
美容師「ああー、私の説明不足でした。ポイントカードはあるんですけど、店側のデータに登録されているんです」
美容師「お客さんの財布の大切なポケットをパンパンに膨らませないようにするために。カードを失くしたり忘れることもなくなりますしね」
男「おお、親切設計だ」
美容師「弟の理想と、この店舗の理念が一致しているというわけですね」
男「実はひきこもりだった弟さんが、今ではオーナーとか?」
美容師「そのオチは最高ですね」
美容師「私もシミューレッド・リアリティが好きなんですよ。あの足元が揺らぐ感覚」
男「スワンプマンの哲学を題材にした物語とかもっとあればいいのになって思います」
美容師「中国語の部屋とか、チューリングテストとか、ああいう思考実験を使ったドラマとかテレビドラマでやればいいのになぁ」
男「…………」
美容師「どうされました?」
男「ああ、いえ、えーと」
美容師「喉元まで出たら吐き出すべきですよ。喉元過ぎたら熱さを忘れられますから。さあ、さっさと吐いてください」
男「逆流かよ。ええと、ありがたいなと思って」
美容師「ありがたいですか?」
男「昔、通ってた美容院があるんです。そこで僕にいつもついてくれた女性は、僕にすごく似合うカットをしてくれたんですけど、振ってくる話題が苦手だったんです」
美容師「どんな話題だったんですか」
男「恋愛の話題です」
美容師「ほほお」
男「そのお姉さんは最初こそ、趣味とか仕事とか、王道の話題をしていたんですけど。僕がリピーターになってある時から、恋人の有無を尋ねてきたんです」
美容師「それってわるいことじゃないですよ。恋人がいそうに見えたから振ったんじゃないですかね」
男「この際だから言っちゃいますけど、僕、女性と交際経験が無いんですよ。だからその手の話題を振られる度に困っていて」
男「出来たことがないって答えて印象悪くなってほしくないし、咄嗟に嘘をついてしまったんです」
美容師「どんな風に答えたんですか?」
男「ドン引きしないでくださいよ」
美容師「もちろんです」
男「その美容師の女の子に、架空の彼女の話をしたんです」
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