速水奏「お父さんあっ」 (29)
午前に降りしきった雨も止み、秋晴れが心地よい午後のひとときでした。
2年3組、午後の一コマ目は山本先生の世界史。
抜群に興味深い内容でこそありません。
ですが始終穏やかに進められるその雰囲気は、クラス内でもなかなかの人気を誇っています。
前回に引き続く形となった三十年戦争の解説。
山本先生は今回のために資料を用意してきてくれました。
WEB上のフリーアーカイブから引用した、数点の絵画でした。
モノクロコピーの束を、列の先頭に並ぶ生徒達へ手渡してゆきます。
前から数えて三番目の席に座る奏ちゃんは気が付きました。
自身の列の後ろに続くのはもう二人。
手元に渡ってきた束は二つだけ。
このままでは一つ足りなくなってしまう勘定でした。
奏ちゃんは気の利く女の子でしたから、すっと綺麗な手を伸ばします。
不足している資料をもう一つ貰うつもりだったのでしょう。
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ただ、きっと、油断していると眠たくなってしまうような、午後の陽差しが悪いのです。
「お父さんあっ」
学校じゃマジメな方の女の子こと速水奏ちゃんのSSです
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前作とか
高垣楓「瞳に乾杯」 ( 高垣楓「瞳に乾杯」 - SSまとめ速報
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アナスタシア「流しソ連」 神崎蘭子「そうめんだよ」 ( アナスタシア「流しソ連」 神崎蘭子「そうめんだよ」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1501850717/) )
頭の悪い話が好きです
①小出さんの場合
まず間違い無く、昨晩遅くまでペルソナをやり込んでいたせいでしょう。
元々削られて黄色くなっていた体力ゲージは四時限目の体育で赤色に差し掛かっていました。
確かに昼食のお陰で体力ゲージは回復しました。
しかしお腹に貯まった栄養分は、容赦無く小出さんのまぶたへと侵攻を仕掛けたのです。
かねてより無防備宣言都市であった彼の地の事。
あっと言う間も無く世界に別れを告げようとしていました。
「お父さんあっ」
左方から着弾した一言が眠気軍の尖兵達を吹き飛ばしていきました。
反射的に開かれたまぶた。
まさに眼の前には、前の席の寺谷くんから差し出された資料が三束ほど見えました。
ついと視線を左へ移せば、そこにはもちろん奏ちゃんが居て、小さく手を挙げています。
――あのね。スカウト、されたみたい。
半年前の春、どこかの街中のベンチに並んで。
そう零した奏ちゃんの言葉に、小出さんは驚くでもなく頷きました。
まぁ、されるだろう。うん。
それぐらいの気持ちで、腕を組んで、三回頷きました。
小出さんは高1の時から奏ちゃんとつるんでいました。
当時からまぁ呆れるような美人だと常々思ってはいましたが、よもや、アイドル。
スカウトされるのは当たり前。
むしろ、アイドルじゃなくてモデルの方がいいんじゃない? とまで考えていたりしました。
ですが、そういった考えが転回するのにさほどの時間は要りませんでした。
アイドルの世界に飛び込んだ奏ちゃんは、彼女の魅力を遺憾なく発揮していたのです。
美しくて、格好良くて、強か。
きらびやかなアイドルの世界でも、奏ちゃんは奏ちゃんで在り続けました。
彼女の出演するルージュのCMが放映された翌日の事を、小出さんはよく覚えています。
あのCM、2年の速水って奴が演ってるらしいぜ。
そんな一言に火が付いて、その日、奏ちゃんの元には見物客が絶えませんでした。
そんな誇らしい友人が、先生をお父さんと呼んでしまっていたのです。大変です。
短いその一言が、小出さんに気付かせてくれました。
いつしか自分が、彼女を遠い世界の住人だとばかり思い込んでしまっていたのだと。
奏ちゃんも本当は、先生をお父さんと呼んでしまったりもする、一人の女の子なのだと。
こんな時、友人としてどう振る舞うべきなのか。
小出さんには分かりませんでした。
しんと静まり返った教室の中で、奏ちゃんは手を挙げたまま固まっています。
さらさらの髪の間から覗く、形の良い彼女の右耳が、僅かに色付いていくのが分かります。
今、ツッコミを入れられるのは小出さんだけでした。
奏ちゃんの左に座る小曽根さんも、奏ちゃんの後ろに座る扇谷さんも。
残念ながら奏ちゃんや小出さん達のグループには属していません。
この状況で言葉を掛けられるのは、やはりただ一人、小出さんだけなのです。
すぅ、と、小さく息を吸う音が、前の方から聞こえました。
②永津くんの場合
刻一刻と近付いてくる受験戦争の足音。
親の意向に従う形でこの進学校へ入学した永津くんにとって、逃れようもない兵役と言えました。
稼げる企業に入って一秒でも早く自立したい。
一秒たりとも受験の事など考えたくもない。
形となった憂鬱が彼の両肩を圧迫し、押し出されるような溜息が零れ落ちます。
しかし最近は良い事もありました。
そう。二学期最初の席替えで、奏ちゃんの前の席を手に入れたのです。
奏ちゃんは優しい女の子です。
永津くんが配布物などを奏ちゃんに手渡す際、
「ありがとう」
などと振り向く度に微笑んでくれる訳ですから、大変です。
うんだとかあぁだとか返すのもおこがましいような気がしてきてしまいます。
なので今の所、永津くんは軽く頷くだけに済ませているのです。
二学期に入ってから、永津くんの成績は僅かに伸び続けています。
授業中に。お昼休みに。誰かの冗談に。
くすりと笑う奏ちゃんの声が聞こえる度に、何故か、真面目に生きようと思えるのでした。
「お父さんあっ」
一瞬、何が起こったのか理解が出来ませんでした。
いつものように資料を手渡し、いつものように微笑まれ。
さぁ今日も頑張るぞとシャープペンシルをくるりと回した矢先の出来事です。
キャッチし損ねたペンが右手から吹っ飛んでいきました。
音を立てて転がっていくペンの行方は、しかし今の彼にとって物凄くどうでもいい事です。
今、速水さんが先生をお父さんって呼んだ気がする。いや呼んでた。
何故、急にそんな事が起こってしまったのか。
考え始めてすぐに、永津くんは思い当たってしまいました。
先ほど奏ちゃんへ回した資料の束。
一つ足りないけど、まぁ、後ろで調整してくれるだろう。
そう軽く流して、それよりも奏ちゃんの笑顔を目に焼き付けようとしていた事に。
繰り返すようですが、奏ちゃんは優しい女の子です。
きっと、彼女の所で枚数を調整しようとしてくれたのでしょう。
とすると、この事態は、俺が引き起こした……のか?
永津くんの表情から血の気が失せていきます。
自身の怠慢で奏ちゃんに恥をかかせるなど、永津くんにとって我慢ならない事でした。
かと言って、今この場で振り向いて真摯に謝罪をするとしましょう。
きっとみんなには見せたくない羞恥の表情を、間近で目にしてしまいます。
あ~~無理~~~~。え? 見たい以外有り得る? は~~見たい。無理サファリパーク。
永津くんの脳内に正直な感情が満ちました。
誰も責められないくらい正直な感情でした。
きっと一生の宝物になるでしょう。
眠る前に思い出すだけで人生が豊かになるような、それくらいの宝物に。
ただ、それを手に入れるには、様々なものを引き換えにしなければなりません。
永津くんの脳内で天使と悪魔が争いを始めました。
「見るべ」と主張する悪魔の足元に「目に焼き付けるべ」と言い張る天使がタックルを仕掛けました。
そのまま馬乗りになった天使が悪魔の顔面を何度も拳で殴打します。
無益な争いの末に、「めっちゃ見る」という結論が再確認されようとした瞬間。
すぅ、と、小さく息を吸う音が、前の方から聞こえました。
③山本先生の場合
良い職場だなと、山本先生は常々考えていました。
生徒はみんな真面目で、やんちゃと言っても知れている程度。
授業は真剣に聞いてくれるし、休み時間には子供らしく大騒ぎ。
学力偏差値が品行に比例するかは分かりません。
ただ、この進学校で教鞭を執る内に、山本先生は信じてもいいような心地になっていきました。
良い生徒たちと相対するならば、良き教師であらねば。
山本先生はそう決めて、いつも熱心に授業の準備に取り組みます。
図表記憶は文章記憶に比べて定着しやすいと聞いたのがきっかけだったでしょうか。
彼の授業では絵画や写真を多く用いるのが特徴と言えました。
今回の授業で扱うのは三十年戦争。
各国の思惑と利益が複雑に重なり合う難所であり、完全な理解は容易ではありません。
少しでも助けになればと、山本先生は今回も幾つかの絵画を用意して授業へ望みました。
「お父さんあっ」
各列の先頭に座る生徒達へ資料の束を渡し終え、教壇に立ち戻った矢先の事でした。
指導用ノートをめくろうとすると、不意に耳へと飛び込んできた言葉。
それが奏ちゃんの声だったものですから、彼も驚いて顔を上げてしまいます。
視線の先の奏ちゃんは、左手に資料の束を持ち、右手をすいと挙げていました。
自分でも信じられないと言わんばかりの表情を浮かべて。
商売道具とも言える魅力的な唇は小さく開かれたままでした。
山本先生は不覚にも、ときめいてしまいました。
齢も四十を数えてまた数年が経ちます。
妻も子もある身とは言え、そこは悲しい男の性。
瑞々しく美しい女性には相も変わらず弱いものです。
相手が相手ですから、こればかりはしょうがありません。
と言うのも、山本先生は元々、奏ちゃんをほんの少しだけ贔屓していたのです。
教師として恥ずべき事でしょう。
謗られ、罵られ、責められて然るべきものでしょう。
その感情を、決して表へ出す気は無いにしても。
奏ちゃんは優秀な生徒でした。
全国で見ても上位に食い込むのは間違いありません。
もっとも、学校が学校ですから、クラス内ではごく普通の成績ではあります。
山本先生が彼女を贔屓する理由とは、まさにその『普通』を維持している点にありました。
アイドルの活動を始めてからも、奏ちゃんが大きく成績を落とした事はありません。
お休みの日は多いですが、授業に臨む際はきっちりと。
山本先生は未だに居眠りする奏ちゃんを見た事がありません。
部活にせよ何にせよ、熱中できる事は事として、勉学にはひたむきに。
一度きりの学生時代を謳歌する彼ら彼女らを、山本先生は心から愛していました。
そんなご贔屓の奏ちゃんがやらかしてしまいました。
いわゆる黒歴史という単語くらいは、山本先生も知識として知ってはいます。
出来るなら忘れたい過去。忘れられない青春の一ページ。
今この瞬間は、きっと奏ちゃんの心に小さな擦り傷を残していくでしょう。
君に何が出来る?
山本先生は自身へそう問い掛けました。
傷跡を目立たせぬ為に、今、自分に出来る事。
年長者としての立場。
呼び掛けに対して発せねばならぬ、気の利いた返答。
山本先生は、遂にその一言へと辿り着きました。
④2年3組の場合
「お父さんあっ」
何気無い一言にクラス中が顔を見合わせる。
学生生活の中で、誰しもそんな経験の一度や二度はある事でしょう。
しかし今回、教室に走った緊張は格が違いました。
2年3組は気遣いの出来る生徒の多いクラスでした。
今や学校中の知る所となったアイドル、速水奏。
彼女の日常を乱すまいと、誰が決めるでもなく頷き合ったのです。
奏ちゃんの様子をSNSへ投稿するなど以ての外。
楽しい毎日を送れるよう、努めて普通のクラスメイトとして接しようと。
アイドルを始める前から、奏ちゃんはクラスの中でも人気者でした。
何より美人ですし、物腰も柔らかく、たまの笑顔がかわいい。
普段はクールな奏ちゃんですが、これでいて人望は篤い方なのです。
だからみんな焦りました。
先生をお父さんと呼んでしまうなど、明らかに彼女のキャラではありません。
自分ならともかく、速水さんがその黒歴史を抱えて生きていくのはマズい気がする。
何がマズいのかは誰も分かりませんでしたが、思いは美しく一致していました。
――ふふっ……すみません。実家みたいに安心できる陽射しだったものですから。
そんな謝罪の一つでもして、みんなも釣られるように笑いをこぼす。
それが理想形でしょう。
しかし事態は余りにも突然過ぎました。
当の奏ちゃんは何のアクションを起こす余裕も無く、ただ手を挙げて固まったままです。
非常事態でした。
小出さんや永津くんのように、誰もが自身に出来る事は無いのか、必死に考えを巡らせます。
こうしている間にも奏ちゃんの耳がどんどん赤くなっていきます。
もはや一秒の猶予も残されていませんでした。
ここ一番には、やはり年の功のようです。
山本先生は、クラスのみんなよりも先に最適解を掴み取りました。
窮地に立たされた奏ちゃんを救い出すため。
これからも楽しい授業を続けていくため。
山本先生は、ぽつりと呟きました。
「……ファンサすご」
短いたった一言に、クラス中が湧き立ちました。
「えーー先生ズルいー!」
「ははは、いや、悪いねみんな。私だけ」
「と言うか先生もファンだったんかーい!!」
「シングルは三枚買ったよ。観賞用、布教用……あもう一枚も布教用だった」
「鑑っ!」
この半年間で一番の盛り上がりでした。
やいのやいのと賑やかな教室に、普段は大人しい生徒達も釣られるように笑いを零して。
自慢のアイドルのやらかしを、みんなで見事にフォローしてみせたのです。
奏ちゃんもやっぱり微笑んでいて、首筋まで真っ赤っかでした。
【エピローグ】
⑤奏ちゃんの場合
今日も秋晴れの気持ち良い渋谷の街を抜けて、奏ちゃんは事務所へと辿り着きました。
呼び出したエレベーターを待つ間、もう油断しないよう、改めて気持ちに整理をつけます。
お父さん。
一昨日の午後は悪い夢以外の何物でもありませんでした。
何故だか普段無いくらいの大盛り上がりを見せた教室。
あの場は何とか切り抜けられましたが、問題はその後です。
小出さんや他のみんなも、不自然なくらいあの一言には触れてきませんでした。
今度の試合でスタメン入れそうとか。
ペルソナ次回作まだとか。
購買部には隠しメニューが存在するらしいとか。
そういういつもの、楽しい会話ばかりでした。
でも、みんな、覚えていない筈が無いのです。
みんな優しいから、奏ちゃんの傷跡に触れようとしないだけなのです。
奏ちゃんもそれは充分に承知している訳ですから、普段以上に普段っぽく振る舞いました。
そして寮に帰り、自室のドアを開け、周子ちゃんが仕事で空けているのを確認すると。
棚の上からクマさんのぬいぐるみを引っ掴んで抱えて、ぼふんとベッドにダイブしました。
この前の撮影で美穂ちゃんから貰った、結構モフモフのやつでした。
「うぅ~~っ……!」
「あぁ無理もぅ無理」
「も~~……もぉぉっ……!」
誰もがやるアレでした。
ぬいぐるみですら呻きそうなくらいぎゅうぎゅうとクマさんを抱き締めて。
美しい両脚をばたばたとさせつつ、ベッドの上をごろんごろんします。
お父さん。
繰り返しますが、奏ちゃんだって女の子なのです。
誰もがやるなら、奏ちゃんだってきっとやっちゃうのです。
結局そのじたばたはドア前で物音がするまで続きました。
帰って来た周子ちゃんを前に、すっかりいつも通りの奏ちゃんは涼しげにおかえりを告げます。
仲良く夕食を挟んでいる最中に一度だけ、思い出した痛みに眉をしかめましたが、
「生理?」
「食事中」
「うす……ちなみに」
「なに?」
「あのクマちゃん、めっちゃひしゃげてるけどさ、どしたん?」
「…………なんか、急にくしゃってなったの」
「ポルターガイスト」
周子ちゃんにも怪しまれる事はありませんでした。
昨日がまるまるオフだったのは奏ちゃんにとって不幸中の幸いでした。
これでも彼女はセルフコントロールが得意な方。
丸一日も時間があれば、極度のストレスだって丸め込めてしまうのです。
クラスのみんなの前で先生をお父さんと呼んでしまったのは確かに頂けません。
ですが、事態はまずまずの軟着陸を見せました。
これはクラスのみんなの気遣いのお陰に他なりません。
でもみんなが気遣ってくれたのは、普段からの行いのお陰だったのかも。
これからも気を引き締めて行かなくちゃね。
そんな具合に、考え方をポジティブなものに固定出来るまでに回復しました。
今でも五分に一回くらいは『お父さん』と言う単語が脳裏をよぎります。
ですが、それがどうしたと言うのでしょうか。
たかが黒歴史程度が、奏ちゃんをどうにか出来る筈も無いのです。
ぽーん。
気付けばエレベーターも降りて来たようです。
さぁ。今日もお仕事の時間。
クラスのみんなをあっと言わせるくらい、素敵な奏ちゃんを見せつけてやりましょう。
お父さん。
エレベーターの戸が開くと、そこに居たのはお馴染みの顔でした。
どうやら向こうもすぐに気が付いたようで、お、と小さく呟きました。
「あら、お父さんあっ――」
――あっと言わせるくらい、素敵な奏ちゃんを見せつけてやりましょう。
おしまい。
奏ちゃんはかわいい
奏ちゃんも女子高生だから門限は21時45分だったりするし
おこづかいを上手にやりくりして1000円の映画を観たりする
どうかそこを忘れないでほしい
ちなみに微課金なので限定衣装SSR肇ちゃんがこわい
あぁ こわい ここらで一杯助けてくれ
非常に、大変非常に良かった
「お兄ちゃん」と言うユッキに、「旦那様」と言う響子に、「あなた」と言う桃華に並ぶ傑作だな
なんかペルソナ新展開あったらしくて笑ってしまった
ファンサすごって何のことかわからんかった
ファンサービスすごいってことね
現実のアイドルは握手会とかでパパとか言ってくれるの?
乙
なんか変わったssだけど面白かった
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