「じゃあ隅子さんにコーヒー1つ、よろしくね。」
マスターからホットコーヒーがのったお盆を1つ受け取り、『隅子さん』と呼ばれたお客さんのもとに運ぶ。
『隅子さん』とはお客さんの本名ではなく、マスターが付けたあだ名だ。いつも店内の奥の奥、薄暗い2人がけの席に座る女性。だから『隅子さん』。ただのオヤジギャグ。
街中から少し外れた小さな個人経営の喫茶店。客足はまばら。もう少し明るい席に座れば穏やかな昼時のコーヒーブレイクを楽しめるのに、彼女はいつもその席に座る。窓から差し込む光や店内の照明を背にして、まるで身を隠すように。
まぁ『まるで』とは言ったが、俺だけは知っている。本当に彼女は身を隠していることを。はぁ...とため息を一つき、俺は彼女にコーヒーを差し出した。
「お待たせいたしました、コーヒーをどうぞ。」
彼女は開いていた手帳をパタンと閉じ、こちらを向いた。少し目深に被ったベレー帽から、彼女の顔が覗く。細くまっすぐな眉に切れ長な目、言葉にするなら容姿端麗。客観的には。
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「ありがとう、店員さん。」
そう言って彼女は軽く微笑んだ。端整な顔にほんのりと柔らかさが加えられ、世の殆どの男性はこの笑顔に吸い込まれるんじゃないかと思うくらいの魔力があった。客観的には。
「それでは、ごゆっくりおくつろぎください。」
俺は彼女の笑顔を営業スマイルでかわし、すぐさま踵を返す。一歩踏み出そうとしたところ、くいっと服の裾を引っ張られた。ピキッとこめかみの辺りが歪むのを抑え込んで、営業スマイルで後ろに向き直す。
「店員さん可愛いから、もっとお話ししたいな。」
そう言って彼女はパチっとウインクをした。アイドルが写真撮影でやるような、味付けの濃いあざとさマシマシウインク。
またピキッとこめかみの辺りがひきつる。そうなっては彼女の思うつぼだ。いつもいつもこうやって、この人は俺をからかってくる...。こちらも負けじと営業スマイルをマシマシにして返す。
「すみません、次のお客様のご注文が入っておりますので。」
そう言うと、彼女はわかりやすくむすーっと膨れっ面になった。「表情から感情が読み取りやすい、まるでドラマみたいですね流石です」と心の中だけで毒づく。
彼女は仕方ないなと言いたげにふっと息をひとつつき、さっきまでの作った表情とは違うふにゃっとした笑顔で俺に言った。
「それなら仕方ないね。お仕事頑張って、りっくん。」
「りっくんはやめろ...。」
我が姉北沢志保に小声で返し、生暖かい視線を背中に感じながら俺は厨房に戻った。
「どうだった?デート申し込まれたりなんかした?」
厨房に戻った俺を、ニヤニヤしたマスターが出迎えてくれた。『隅子さん』の正体を知らないマスターは、彼女と俺の関係について大きな勘違いをしてしまっている。
というのも、どうやら姉さんは俺がシフトに入っていない日は店に来ないらしい。だからマスターの中では、『隅子さん』は俺目当てで店に来る健気な女性となっている。
「いやなんで俺のシフト日そんなに正確に把握してるの?それ現代ではストーカーと呼ぶのでは?」と思ったけれど、これ以上話を掘ると藪蛇になりそうなので、あえてつっこまないでおいた。
「いやぁ、お話ししたいって言われただけです。仕事中って断りましたけど。」
そう言うと、マスターは少しつまらなさげに「ちえっ」とこぼした。コイバナ大好き女子じゃあるまいし、やめてくださいよ。
「まぁ、ウチはこの通り忙しすぎず暇すぎずだからさ、君は頑張ってくれてるし、もっと気楽にしていいんだよ。」
良いことを言いながら、マスターの視線は俺と『隅子さん』の方をキョロキョロ忙しく往復する。いや、いい言葉の裏に「サボって彼女との時間をとれ」って下心がありますよね。やっぱり心はコイバナ大好き女子だな。
「あはは、ありがとうございます。」
マスターのあふれる期待を遮るよう、俺は軽く返事をした。
バイトからの帰り道、スマホのカレンダーを眺めて今月のシフトを確認する。頭の中で数字を積み上げて、そこに時給を掛ける...のは流石に暗算では無理だから、電卓アプリを立ち上げる。算出された数字を眺めていると、思わずはーっとため息が出た。
「あんだけ働いて...これだけしか稼げないのかぁ...。」
マスターは良くしてくれているし、高校生バイトが働くにはいい店なのだけど、やっぱり稼げる額には限界がある...。とにかくお金が欲しい。もっともっと稼がないと。
じゃないと、俺はいつまでもこのままだ...。
数日後、
午前の授業が終わり、昼休みに入る。待ってましたと言わんばかりに教室がざわつき、各々家から持参したお弁当を取り出す。
例に漏れず俺も鞄から弁当を取り出し蓋を開けようとする...開けようとす...る...開けようと...。
「おーいどうした陸?早く弁当開けろよ。」
なかなか弁当の蓋を開けられない俺に、昼食時いつも隣を陣取る友人が声をかける。そうだね、俺も早くすっかすかの腹にご飯を流し込みたいよ。でもね、まぁいろいろと事情があるのです。とりあえずお前は後ろを向いたほうがいい。
「陸君早く今日のメニュー教えて!」
「今日は私も頑張ってきたから負けないよ!」
友人の後ろには、ぎゅうぎゅうにオーディエンスが押し寄せている。女子8割男子2割、俺の弁当箱の蓋が開くのを待ち焦がれている様子だ。そこまで期待されると、一般人の俺としては尻込みしてしまう。
「えっと、冷蔵庫にあったもので作ったからそんなに期待しないでね。」
期待外れとがっかりされても困るので、そうワンクッション置いてハンデをかける。すると、オーディエンスから罵声が飛んできた。
「そうやって陸君は女子の努力を粉砕するの!」
「女子力王者が何を言う!早く開けろ!!」
これ以上何を言っても火に油だと察し、これ以上燃え広がらないように俺は弁当箱の蓋を開けた。ピーマンの肉詰め、卵焼き、野菜スティックにウインナー、それにご飯。ほら、普通の弁当でしょ?
オーディエンスは骨董品の鑑定でもする様に、弁当の中身に視線を注いでいる。あんま見るものでもないでしょ?君たちが手に持っているお弁当の方がずっと煌びやかだし、美味しそうだよ。
何秒かの沈黙の後、オーディエンスの1人が言葉を発する。
「...負けた。」
その子の手元を見ると、唐揚げや根菜の煮物、レタスにパスタ、彩り豊かなお弁当があった。
「いや、そっちの方が美味しそうじゃない?いろんな色で綺麗だし。」
そういうと、その女の子の表情が悲しい顔に変わる。
「ダメ。私のお弁当は色彩が多いだけ。ひとつひとつのお料理の形は陸君みたいに整ってない。全体の色彩にこだわりすぎて、これは食べるものって1番の基本を忘れてたの...。」
「いや、その辺の好みは十人十色じゃないかなぁ」とつっこもうとしたら、次々とオーディエンスから喝采の声が上がった。
「さすが...1番ありふれたメニューで差をつける者こそ、絶対的王者。」
「女子力選手権チャンピオンは伊達じゃない...圧倒的嫁力。」
オーディエンスからたくさんの拍手をいただき、ついでに隣の席の友人からもスタンディングオベーションをもらい、この訳のわからないコントは終了した。
「それにしても、お前本当に料理上手いよな。」
友人は、俺の弁当から盗んだピーマンの肉詰めを頬張りながらそう言った。俺もお返しに、そいつの弁当から盗んだ唐揚げを頬張りながら答える。
「まぁ、小さい頃から作ってるしな。慣れだよ慣れ。」
「そっか、すげぇな。」
何気なしに俺を褒めた友人のリアクションに、少し居心地が悪くなるようなむず痒さを感じる。
俺は小さい頃から家事を一通りこなしていて、料理、掃除に洗濯、裁縫などなど、同年代の誰よりも上手かった。でも、それは小さなガキにはなんのステータスにもならなくて、「男のくせに」ってバカにされるばっかりだった。
そんなわけで、さっきのコントでの称賛もそうだけど、俺のこういう面にポジティブな評価をされるのに慣れていない。俺はむず痒さを誤魔化すように友人に言葉を返した。
「まぁ、俺にはこんなことしかないからな。」
ホームルームも終わり、急いで教科書やノートを鞄につっこむ。教室を後にしようとしたとき、声をかけられた。
「陸、帰り暇?女子高の子たちとこの後カラオケに行くんだけど、お前も行く?」
「陸がいると女子たちのテンションも上がるだろうからさ、な?行こうぜ。」
そう誘ってきた友人達は、なんとも浮ついた顔をしていた。これは結構可愛い子を揃えているとみえる。そう考えると魅惑的なお誘いではあったけれど、ホイホイとついていくわけにはいかなかった。
「悪い、今日バイトなんだ。」
「今日も?よく働くなぁ。」
「ほぼ毎日じゃね?マジやばくね?」
そういえばこいつらの誘いをいつも断ってばかりだな、これで何連続だろうと頭の中で指を折る。悪いとは思うけど、こればかりは仕方がなかった。
「金がいるんだ、すまん。」
そう言うと、友人たちは仕方ないなと諦めたようだった。
「よーし、次は陸の予定に合わせてセッティングするわ。」
「どういう子が好み?やっぱクール美人系?」
「やっぱ」とはなんだ「やっぱ」とは。俺はクールな美人系よりも、笑顔がぱぁぁっと可愛くて明るい子が...なんてそんなどうでもいいことを考えていると、友人達が言葉を続けた。
「でもさ、そんなに金が欲しいなら、芸能界とかありなんじゃね?陸くらいのイケメンなら人気出ると思うし、姉ちゃんのコネとかでいけるんじゃね?」
「てか、何回かスカウトされたことあるって聞いたぜ。なんで断ったの?」
思いもかけない言葉に驚いて、俺はさっとその場を後にする。
「姉さんと違って俺は一般人だよ、そんな世界無理だって。そろそろ時間だから行くわ。よければうちの喫茶店来いよ、じゃあな。」
つかつかと早足で学校の最寄り駅まで向かいながら、さっきの友人の言葉を思い出す。確かに俺は何度かスカウトを受けたことがある。いかにも業界人な風貌の人に名刺を渡された。渡された名刺は、悪いと思いながら近くのゴミ箱に捨てた。持っておくと、心が揺らぎそうだったから。
確かに芸能界はお金はたくさん入ってくるんだと思う。俺はそれをよく知ってる。身をもって。だけど、それは俺が目指してるやり方じゃない。芸能界だけは選んではいけない。
グッと足を強く踏み込んで、アスファルトを蹴る。硬い地面の反発が足の裏に、ふくらはぎに痛みを伝える。その痛みが自分の足で歩いていることを教えてくれた。
「じゃあ陸君、今月のお給料。」
今日の営業も終わり、店の掃除もそろそろ終わりに差し掛かった頃、マスターから声がかかった。マスターのところに行き、給与明細の入った封筒をもらう。
「陸君ほんとに頑張ってくれてるから、上乗せしておいたよ。」
マスターはそう言って、早く開けて見てみろと言わんばかりにドヤ顔をするので、封筒を開けて明細を見る。「おぉ」と思わず声を漏らしてしまうほど、給料が上乗せされていた。素直に嬉しいのだけど、やや罪悪感も生まれてきたのでマスターに問う。
「これホントにいいんですか?」
マスターは上機嫌で言葉を返す。
「あぁ、陸君がバイトに入ってくれてから、マダムから若い女の子までホントたくさんのお客さんが来るんだよ。噂になってるらしいよ、イケメンがコーヒーを運んでくれる小さな喫茶店って。」
あくまで一般人の俺は、そこまで話題になるような人物ではないと思うのだが、このお店に貢献できているのは嬉しい。それに、下世話だが、やっぱりバイト代を上乗せしてもらえたのは格別の嬉しさだ。明細を見ながらホクホクしていると、マスターが優しい声で俺に告げた。
「陸君、頑張ってくれてるのは嬉しいんだけどね、私は時々心配になるんだよ。」
心配?この店は順調だってさっき言ったばかりなのに、心配することがあるんだろうか?
「高校生、青春真っ只中じゃないか。青春は一度きり、返ってこないんだよ。それをほとんど毎日こんなチンケな喫茶店に費やしていいのかなって?」
それを聞いて、マスターは本当にいい人だと思ったのと同時に、胸にズキッと痛みが走る。そうだ、青春は一度きり。俺にとっても、そしてきっとあの人にとっても。奪われた青春は返ってこない。そうすれば、奪った側はどう償えばいいのだろう?思考に暗い影が立ち込めたところに、マスターは言葉を続ける。
「だから、その上乗せしたお金で『隅子さん』と楽しんでくるといい。ディズ○ーシーとか行ってパレードでも眺めながらね...うひひひひ。」
クラス内で初めてできたカップルをからかう女子中学生みたいに、グフグフ笑うマスター。ほんとコイバナ好きだな。俺の思考はマスターのピンクな妄想に浸食されてしまったらしく、モヤモヤ考えるのもバカらしくなってしまった。
家の玄関の前まで来て、鞄の中から封筒を取り出す。貰った給料を早速引き落として、封筒は厚みを増した。これを見たら、みんなはどんな顔するだろう。期待に胸を膨らませて、玄関のノブを回す。
「ただいま。」
リビングには母さんと、珍しく姉さんもいた。2人は上機嫌に俺の帰りを迎える。
「おかえり、ご飯そろそろできるから着替えてきなさい。」
「おかえり、今日は早く現場が終わったから、一緒にご飯食べれるね。」
姉さんは仕事柄家でご飯を食べることは少ないし、母さんも度々仕事で遅くなることがある。だから、本当に言葉どおり久しぶりに家族3人での夕飯だ。
「いただきます。」
3人で声を合わせて食事を始める。ご飯に味噌汁、サラダに煮物、豚生姜焼き、今や日本中に名を知らぬものがいない大女優北沢志保の家の夕飯とは思えない、普通で平凡なメニューだ。
姉さんは、笑顔でそんな平凡なメニューに舌鼓を打つ。たまに食レポの仕事なんかもしているが、そこでは見られないふにゃふにゃで心から幸せそうな笑顔。
母さんも嬉しそう。テレビ局やロケ現場で出されるお弁当ばかり食べてる姉さんをいつも心配しているから、目の前で自分の料理を食べてくれるのが嬉しいのだろう。
俺はポケットに突っ込んだ封筒をチラリと見てニヤッと笑う。今日は姉さんもいるからちょうどいい、これを見せて少しは俺のことを...。
「陸、どうしたの?ニヤニヤして。」
「おわぁ!?」
突然の姉さんからの呼びかけに驚く。ちょっと人がコソコソ企んでる時に声かけるのやめてくれませんか!
姉さんは俺のリアクションが気に入らなかったらしく、眉をひそめてジトーっと俺の顔を見る。
「なんか怪しい。」
万引Gメンばりの鋭さで、姉さんは俺を見る。いや、確かに少し企んでニヤニヤはしてたけど、そんなに鋭い視線を向けられることは企んでないよ。弁解しようとした矢先、姉さんから斜め上の言葉が飛んできた。
「陸、バイト先で女の子にモテてるんでしょ?お姉ちゃん聞いたよ。」
は?なんなの?姉さんもマスターと同じく頭コイバナ大好き女子中学生なの?
「あら、そうなの?陸やるじゃないの。」
母さんが姉さんの言葉にグイッと食いついた。もうこれあれだな、人類は皆コイバナ大好き中学生だな。
「いや、モテてないだろ?何を根拠に。」
全く、一般人平民アルバイト高校生な僕にちょっかいかけてくる女性は、今目の前にいる人とそっくりな『隅子さん』しか知らないんですけどね。ジトーっとした視線を投げ返すと、姉さんは不敵に笑った。
「客席に座ってるとね、おばさんやOL、女子高生もみーんな『あの店員さん超イケメン、彼女いるかなぁ?』とか、『えー、いたらショックー、私狙ってるのにー』みたいな会話をしてるのが聞こえるのよ。」
言葉を続けるたび、姉さんのボルテージが上がっているのを感じる。なんか目に炎宿ってないですか?家燃やさないでね。
「そのたび私は心の中で言ってやるの『あんたたちにかわいいりっくんは渡さない!』ってね!」
姉さんはそう言って、ドヤ顔で締めくくった。いや、店内にこんな守り神がいたなんてな心強い心強い、守り神のせいで客が減ったら倍の値段請求していいんじゃないですかマスター?
姉のテンションが高くなりすぎて手に負えないので、いつものツッコミでこの話題を切り上げる。
「だから、りっくんはやめろって。」
>>19
酉入れ忘れました。でへへ~
夕飯も終わり一息ついた頃、ここぞと俺はポケットから封筒を取り出し、母さんに渡す。
「母さん、今月もこれ。」
母さんはいつもどおり少し困り眉になって、その封筒を受け取り、俺に問いかける。
「陸、本当にいいの?」
「いいって、受け取ってよ。」
給料日の度にこのやりとりを繰り返している。母さんはいつもどこか申し訳なさそうで、俺はいつも押し付けるように給料を渡す。
「今月はマスターがおまけしてくれて、結構入ってるから。」
フフンと笑みが漏れ出そうになるのを抑えながら言葉を続け、視線で母さんに封筒を開けるよう促す。母さんの視線が俺から外れたところで我慢をやめると、フフンと口の端が釣り上がった。
「まぁ、こんなに...。」
そう言って母さんは何か思いを飲み込むように深く息を吸って、すーっと吐いた。どこか目は寂しげだ。封筒を見てポジティブなリアクションが返ってくると思っていたので、呆気にとられてしまう。
「陸、こんなに受け取れないわ。あなたが頑張って稼いだお金でしょ、あなたのために使いなさい。」
母さんの言葉を聞いて、パキッと空気にヒビが入ったような音が聞こえた。母さんから差し出された封筒を受け取れずにいると、横から姉さんが封筒を手に取り、俺の目の前に置いて言った。
「陸、生活費ならお母さんとお姉ちゃんのお給料で十分だから、あなたのお金はあなたのために使いなさい。」
パリンと空気が割れるような音がする。割れた隙間から空気が漏れ出ていき、息苦しくなるような錯覚がする。
「でも、俺さ、家のためになると思って頑張ったんだ。受け取ってくれよ、な?」
姉さんの眉間がキュッと狭くなって、目も鋭くなる。さっきより少し低くなった声色で俺に言葉を返す。
「前々から思ってたの、高校生のうちからアルバイトをするよりも、その分部活とか勉強を頑張ってほしい。ウチは十分にお金があるのに、なんで陸は自分のためじゃなくて『家のために』アルバイトをするの?」
なんでって...それは絶対に言いたくなかった。情けなくて、カッコ悪くて、絶対に口になんてできない。姉さんの鋭い目から逃げるように、視線だけ下に逸らす。姉さんは逃げ場を塞ぐように、強さを増した口調で問いかける。
「もう一回言うけど、お母さんと私のお給料で、家のお金は十分。陸を大学に行かせてあげるだけの貯金も十分にある。陸もそれはきっとわかってると思うの。」
「だからわからないの。それなのに、アルバイトで稼いだちょっとのお金を、どうして家に入れる必要があるの?」
多分、姉さんは悪意なしに言ったのだろう。少し表現を誤っただけなのかもしれない。でも、その言葉は俺の気持ちの真ん中を貫いて、粉々にしてしまうものだった。
姉さんに背を向けて自分の部屋へ向かう。一歩進んで、二歩目を踏み出そうとしたところで、ガシッと肩を掴まれた。
「まだ話は終わってない!どうして答えてくれないの?」
姉さんも相当頭にきているようだ、言葉の端々から怒気が漏れ出ている。もう何年も聞いたことのないような強い口調だ。だけど、こっちもキューっと喉元まで上がってきてる怒気を抑えるだけで精一杯なんだ。
「離せよ。」
姉さんの目がガッと見開いた。多分キレたんだろうな。今までよりもずっと大きな声で、俺に言葉を投げつけた。
「ちゃんと話してよ!!どうして話してくれないの!?」
グッと腹の底の熱が増す。その熱で内臓が溶け落ちてしまうのを防ぐように、身体が反射的にその熱を言葉に変えて外に出す。
「何もできない俺みたいなガキの稼いだ端金なんて、いらないってわかってるよ!!!!姉さんの稼ぎに比べたら雀の涙だもんな!!!姉さんはすごいよ!!!今の俺より小さい頃から、この封筒の中の金よりもずっとずっと稼いでさ!俺には無理だよ!何にもないよ!」
一方的に言葉を投げつけられるだけ投げつけて、部屋まで走り、鍵を閉めて布団の中で疼くまる。扉がコンコンと叩かれる。姉さんが何かを言ってる声が聞こえる気がする。耳を塞いでるからよくわからないけど、きっと怒ってるんだろうな。せっかく家でゆっくり過ごせる日に、罵声を浴びせられたんだ、たまったもんじゃない。
やがてドアの前の声は聞こえなくなった。音も光も無い空間、思考は内に内に入っていく。
姉さんはカッコよくて、俺の憧れだった。
いや、今じゃ形や熱は変わっているけれど、根本的には変わらず同じ感情を抱いてるのだと思う。姉さんはいつもアイドルを頑張って、家事をしてくれて、俺を守ってくれる絵本の中の強いお姫様。
ずっと姉さんの背中を逞く思い、その影に隠れていた。沢山の辛いことを知らずに、沢山の痛みから守られて、多くの幸せと喜びだけを貰っていた。それが当たり前だと思っていた。
だけど、成長していき、いろいろと理解が増えるたびに、気がついたことがある。父親のいない家庭、母親の仕事、姉がアイドルを始めた理由、俺がどれだけ無知で愚かだったのか。
だから俺はまず家事を始めた。守られるだけの弱者にはなりたくなかったから。少しでも家族の役に立つように。だけど、そんなの姉さんだって小さい頃からやっていたし、それに加えて仕事をして生活を支えていた。自分で『アイドル』という道を切り開いて、母さんと俺の幸せを守ってくれていた。
俺もそうありたかったけれど、姉さんがアイドルデビューをした年齢をむかえたとき、俺は結局姉さんみたいに家族を守れる存在にはなれなかった。そしてその年齢を数年越した今も、それは変わっていない。守られるだけの、愚かな弱者そのままだ。
今のアルバイトだって、本気で家計の足しになるなんて思ってやってるわけじゃない。ただ、何もできない自分から目を逸らしたくて、言い訳のように母さんにバイト代を押し付けていた。
変わらなければ...変わらなければいけないのに...粘っこい暗黒色のヘドロのような思考に溺れながら、いつしか俺は眠ってしまっていた。
数日後、
俺はあるカフェの奥の席で人を待っていた。コーヒーをブラックのまま口にする。苦味が口に広がって、思わず顔をしかめてしまう。でもまぁ、今の家の空気よりはマシな苦味だけど...なんて、その苦味の元凶が言うのはズルイと思いつつ、スマホの時計を確認する。
約束の時間を30分ほど過ぎている。こちらからお願いをして会ってもらうのだから、このくらいは気にしない。まぁ、あの人めちゃくちゃに忙しいだろうから、会ってくれるだけでも感謝だ。
ボーッと店の外を眺めていると、小走りでこっちに向かうスーツ姿の男の人が見えた。あの人だと、一目でわかった。会うのはもう数年ぶりになるけど、あまり変わってはいない。あ、でも、ちょっと白髪が増えたかも。
そのスーツの男性は店内に入り、俺を見つけると笑顔で小さく手を振った。俺は席を立って、挨拶をする。
「お久しぶりです。プロデューサーさん。」
そう、俺が待っていたのは、かつて765プロシアターで姉さんたちのプロデューサーをしていた人、通称プロデューサーさんだ。姉はもうシアターを卒業して、765プロに直接出入りしているらしい。その頃から、俺もプロデューサーさんには会ってない。
プロデューサーさんは、久しぶりに自分を訪ねてきた生徒を迎える先生のような笑顔で俺に話しかけてきた。
「いやぁ、陸くんすっかり大きくなったなぁ。もう高校生か。」
マジマジと俺の顔を見て、プロデューサーさんは言葉を続ける。
「それにしても、随分イケメンになったなぁ。小さい頃は可愛かったけど、今はそれにカッコ良さも加わった。いい男だ!」
それを聞いてグッと拳に力がこもる。早速本題になってしまうが、プロデューサーさんも時間がないのでそのほうがいいだろう。
「あの、俺、芸能界に入りたいんです!」
唐突な俺のお願いに、プロデューサーさんは驚いたようだった。無理もない、段階も踏まずにいきなり話を切り出したから。プロデューサーさんはまだ言葉を飲み込めていない様子で、俺に尋ねる。
「えっと、陸君がアイドルになりたいの?」
特に、アイドルとか役者とかそこまでは決めていなかったので、正直に答える。
「アイドルでなくても構いません。どこかプロデューサーさんの知ってる会社で、俺を雇ってくれるところはありませんか?」
プロデューサーさんは何かを見透かすように、ジッと俺を見て答える。
「ウチで雇ってくれ、ってお願いじゃないんだね。」
「いえ、765プロは女性アイドルの事務所でしょうし...それに...。」
思わず口籠ってしまった俺の代わりに、プロデューサーさんが言葉を続ける、
「志保がいるからやりにくい?」
首を縦に振り、肯定の合図を伝える。プロデューサーさんは「そりゃそうだ」と軽く笑って、アイスコーヒーを一口静かにすすった。
「で、どうでしょう?」
俺がそう促すと、プロデューサーさんは考えるそぶりもなく答えた。
「こんなにイケメンだし、北沢志保の弟なんて話題性も抜群だ。歌や演技は未知数だけど、それだけでもう引く手数多だよ。うちとしても、君を全力で説得して765プロ初の男性アイドルとして売り出したいくらい。」
思いがけない好反応に、ガッツポーズしそうになるのを堪える。よし、これはいけるんじゃないか?そう期待したところに、プロデューサーさんから質問が投げられた。
「ところで、どうして陸くんは芸能界に入りたいんだ?」
入りたい理由。それは俺の中にきちんとある。でも、プロデューサーさんに話すのは躊躇われた。言葉は思いを形にするものだ。そうやって形作られてしまう俺の思いを、俺は直視したくない。
「いろんな事務所が引く手数多なら、理由とかはどうだっていいんじゃないですか?」
誤魔化すためにそう言ってみた。実際、芸能界にはスカウトされて入る人もたくさんいるんだろう。それならば、就活みたいに志望理由は大事ではない筈だ。
プロデューサーさんの表情から柔らかさが消える。俺が今まで見たことのない、真面目な仕事の顔になって話を始めた。
「我々はね、スターを育て上げることが大事だけど、もっと大事なことがあるんだ。それは、スターの才能を持つ子をスカウトすること。」
唐突に始まった話に驚くけれど、まぁそれはそうかと思う。残酷なまでに『生まれ持ったもの』というのは、人の運命に影響し続ける。きっと、努力で覆すことができることよりも、覆せないことの方がはるかに多い。
「だから、スターの兄弟姉妹ってやつは、関係者たちの興味の的なんだ。所謂『血統』ってやつかな?どこの誰だか知らない子よりも、スターの兄弟姉妹の方が才能を持ってる可能性は高い。」
「だから、この業界の陰の方には、情報網を使ってそういった子を特定して、その情報を売ってる輩もいるようなんだ。才能を見抜けない、ボンクラプロデューサーなんかがそれを買うんだってさ。」
その話を聞いて思い当たる節があった。俺をスカウトしてきた人たち、中には直接弟だと言わないまでも、やたら姉さんの名前を出してくる人もいた。
「ウチはもちろんそういう情報に手を出していない...ってのはどうでもいいか。それで、狭い業界だから耳に入って来たことがあるんだよ『北沢志保の弟に、絶対に芸能界に入らないってきっぱり断られた』って話。」
「しかも、その話を聞いたのは最近なんだ。それなのに、なぜ今日こんな話を持ってきたのか、その理由を聞かせてもらっていいかな?」
そう言うと、プロデューサーさんは柔和な表情に戻った。理由を聴きたいというのは本当の真剣な話で、でも俺が話しやすいように、一旦仕事モードをオフにしたんだと思う。はぁ...これは話さないわけにはいかないみたいだ。
「姉はずっと俺と母さんを守ってくれました。多分、いろんなものを犠牲にしたと思うんです。だけど、俺はそれを知らなくて、甘えてました。」
「そんな自分が嫌で、姉さんのように強くなるために、俺なりに頑張ったんです。沢山アルバイトして、お金稼いで、俺は一人でも大丈夫なんだって証明するために。」
「芸能界は嫌だったんです。どうしても姉さんの名前が付き纏って、俺一人で戦うことは出来ないから。でも、俺、姉さんに八つ当たりしちゃったから、どうにかしないと、このまま駄目になると思って。」
前後の文脈もうまく繋げないまま、ただ思いを言葉にして形作る。プロデューサーさんは何も言わず、ただ優しい目でそんな俺を見守ってくれていた。
そんなプロデューサーさんに勇気づけられて、俺はゆっくりゆっくりではあるけれど、思いを最後まで言葉にすることができた。腹の底に溜まったドロドロと冷え固まったものが、幾らか消えてった気がして、身体がやや軽くなった気がする。
そんな俺の話を静かに全部聞いてくれた後、今度はプロデューサーさんが話を始めた。
「昔さ、俺は野球部のキャプテンになったことがあったんだよね。」
俺の話と全然変わって、始まったのはプロデューサーさんの昔話。意図は後から分かると思うので、余計なことは言わずに聞いておくことにする。
「キャプテンに指名される前まで俺は自己中でさ、とにかく自分が上手くなることしか考えてなかったんだよ。だから驚いた、チームの中では1番まとめ役に遠い人間だったから。」
昔と今のプロデューサーさんは、全く違う人間みたいだ。あんな個性豊かなアイドルたちをまとめてる人が、昔そんな自己中な人だったなんて。人間、変われるものなのかもしれない。
「最初は戸惑ってたけど、やっぱ嬉しかったんだ。だから、それに相応しい人間になろうとした。1番早くグラウンドに出て準備したり、最後までグラウンド整備したりな。」
「そうやって行動を変えていくうちに気がついたんだよ。あぁ、自分のことだけ考えて練習するよりも、みんなのために頑張る方が楽しいなって。俺、こっちの方が好きだって。」
「もしかしたら今こういう仕事やってるのも、そういう経験があったからかもしれないな。」
そこまで話して、プロデューサーさんは改めて俺にアイコンタクトを送り、一息つく。なんとなくその意図を理解する。どうやらこれから本題に入るらしい。
「君は志保みたいに『強くなりたい』と言った。確かに北沢志保は男性だけじゃなくて、女性にも憧れられるような本当に芯のある強い人だ。」
「でも、志保は最初からそれを持っていたのだろうか?」
プロデューサーさんからの問いかけは、意外なものだった。俺はずっと姉さんはすごい人で、強い人だったのだと思ってた。そうじゃないとしたら?姉さんも何かがきっかけで、今の姉さんになったのかもしれない。
「わかりません...。プロデューサーさんは、どう思いますか?」
俺の問いかけに、プロデューサーさんは首を横に振った。
「それは俺が言うことじゃないな。答えるべき人に答えてもらってくれ。」
答えるべき人、それが誰かは考えるまでもなかった。でも、きっとそれをすんなり聞けるのなら、こんなにぐちゃぐちゃに拗れることなんてなかっただろう...。
頭をぐちゃぐちゃにこんがらがらせていると、プロデューサーさんは腕時計を一瞥し、荷物を整理し始めた。
「悪い、そろそろ時間だから行くね。アイドルの話は一旦保留。志保に許可が取れたら、改めて相談しにきて。」
ちょっと...母さんというか保護者の許可なら分かるけど、なんでそこで姉さんが?
プロデューサーさんは俺の疑問をアイコンタクトで理解したのか、ちょっと苦笑いをして答えた。
「陸君を勝手に芸能界に入れたって知られたら、あの姉は黙っちゃいないだろ?勘弁してよ、俺にも立場がある。」
どうやらこの話は最初から勝ち目はなかったらしい...。流石に、プロデューサーさんも姉さんに頭が上がらないとは思っていなかった...。
「隅子さん、最近来なくなったけど喧嘩でもした?」
マスターが心から心配そうに俺に尋ねる。いや、だからなんで俺と隅子さんがめちゃくちゃ親しい前提で話してくるのこの人?転勤とか引っ越しとかあったのかもしれないじゃん?まぁ、その前提は間違ってるのに、導かれた結論は正しいので、何も言わないことにするけど。
「陸君、何があったかは知らないけど、謝るのは男の仕事だよ。」
マスターはドヤ顔でそう言った。マスターの「マスター」は喫茶店のマスターではなく、恋愛マスターの「マスター」なのですよとも言いたげなドヤ顔に少しイラッとくる。おまけに俺が謝るべきだってとこも正しいので、余計にイラっときてしまう。
「すみませーん。」
入り口からお客さんの呼ぶ声がしたので、助かったと言わんばかりに早足でそちらに向かう。女性1名のお客様ですね、かしこまりました。
席に案内してメニューを渡す。女性はこちらを見てニコニコと笑顔だ。やたらジーっと見てくるので、めちゃくちゃ気恥ずかしい。直視できないのだけど、多分かなり可愛い人だし。
「コーヒーとパンケーキお願いします。」
注文を受け、視線から逃げるように厨房へ向かう。厨房では、ニヤニヤと俺に変な視線を送ってくるマスターが待ち構えていた。なんなのこれ?なんでみんな俺に変な視線を浴びせてくるの?
「あのお客さん、随分陸君のことじーっと見てたよ。それに今もこっち見てる。しかもニコニコだねー。これは怪しいねー。」
怪しがっている割には、声が嬉しそうなマスター。コイバナ大好き中学生の心に、また火がついてしまったみたいだ。
「隅子さんが来ないと思ったら、あのニコニコさんが来て、あー三角関係ってやつ?陸君ダメだよ修羅場は。」
マスターの中ではかなり話が進んでるようで、なぜかサスペンスめいた内容になってきてるようだった。まってニコニコさんってあの人のあだ名ですか?またセンスがない。ともかく、隅子さんはアレだけど、あの人のこと俺全然知らないんですって。
マスターは2時間サスペンスのテーマを鼻歌で歌いながら、コーヒーとパンケーキを用意し始めた。いややめてくださいお願いします、縁起でもない。
「お待たせしました。ホットコーヒーとパンケーキです」
カップとお皿をお客さんの目の前に並べると、パァァァァっという擬音が浮かぶくらい満面の笑顔になり、俺の方にその笑顔を向けて言った。
「ありがとう、りっくん!」
へ?りっくん?ということは、この人は俺の知り合い?長い髪の先を三つ編みにした大人の女性らしい髪型。可愛らしく弧を描いている眉に、赤のフレームのメガネ。弾むように口角が上がっていて、今にも歌い出しそうな...歌い出しそうな?あれ?
「もしかして...可奈さん?」
俺の言葉を聞くと、女性は髪の三つ編みを解き、後ろにまとめポニーテールに編み直す。メガネを外して、ようやく種明かしをしてくれた。
「せいかーい!でもりっくんに100点はあげられないかな、すぐに気がついてくれても良かったのに。」
そう言って可奈さんは笑顔になった。俺もその笑顔に反射するように、笑顔になってしまう。あ、でもりっくんはやめて欲しいです。
可奈さんの笑顔は、俺の記憶の中の笑顔と同じだった。俺が小さい頃、姉さんに連れられて何度か765プロシアターに行ったことがある。記憶の中の可奈さんは、いつも楽しそうに歌ってて、いつも笑顔で幸せを振りまいていた。
俺が一人で留守番できるようになったくらいから、シアターには遊びに行っていない。だから可奈さんに会うのは、かれこれもう10年ぶりくらいになるのだろうか?テレビで見てるから俺は今の可奈さんのことをわかるけど、可奈さんが俺を見るのはめちゃくちゃ久しぶりなはずだ。
そんなことを考えていると、可奈さんが尋ねてきた。
「ねぇ、りっくん休憩ってもらえる?お話ししたいことがあるんだ。」
そのままの笑顔で俺にお願いをした可奈さん。反射的に俺の右頬がピキッとひきつる。まぁ..このタイミングで可奈さんが来たってことは、姉さん絡みだよね...。
マスターから休憩を許可してもらい、可奈さんの目の前に座る。裁判の被告ってこんな気持ちで法廷に立つのかな、なんてちょっと気後れしてしまう。
「隠し事は得意じゃないから、先に言うね。今日私は、志保ちゃんのお願いで来ました。」
あぁ、やっぱり。どうも始めから俺がここで働いていることを知ってたようだったし、何しろこのタイミングの良さは偶然とは考えにくいですよね。
「それで、お話ってなんでしょう?」
可奈さんは大きく口を開けて、パンケーキを頬張る。テレビのグルメレポートでは絶対に見られない、可奈さんの素の食事風景。
ちょっと待ってとジェスチャーで合図をして、もぐもぐとパンケーキを咀嚼する。ゴクッと飲み込んで、可奈さんが俺の問いに答えた。
「りっくんがなんで志保ちゃんに怒ったのか、原因を聞いて欲しいって言われたんだ。」
うぅ...それはなんともストレートなお願い...。たじろいだ俺の様子を見て、可奈さんは言葉を続けた。
「大変だったんだよ。久しぶりに志保ちゃんと地方ロケに行ってね、夜に飲みに行ったらもう志保ちゃん荒れに荒れてたんだから。」
はぁ...と何か遠いところをみてため息をひとつつく可奈さん。姉さん相当迷惑をかけたみたいだ...。
「志保ちゃん沢山飲んじゃって、顔真っ赤にしながら延々と相談してきたんだよ。最後の方グスグス泣いてたし。」
うーん...姉さんが荒れてる原因は俺なのだから、間接的に可奈さんに迷惑をかけて大変申し訳ないという気持ちとともに、信じられない気持ちもある。
姉さんはわりとお酒が好きみたいで、家でもよく飲んでいる。けれど、お酒に酔っていつもと違う姉さんになったことを見たことがない。家ではセーブしているのだろうか?
「あまりにその志保ちゃんが見てられなくてね、断れるわけなかったよ。それで、今日ここに来ました。」
私のターンはこれで終わりというように、可奈さんはもう一口パンケーキを頬張った。あーんと大きな口を開けて、嬉しそうに咀嚼をする。こういうところは、記憶の中の可奈さんそのままだ。
あ!と閃いた顔をして、可奈さんは咀嚼の速度をあげた。ごくんと飲み込んで、少し急ぎすぎたのか胸の辺りをトントンと叩いた後、俺に告げる。
「大事なこと言うの忘れてた。別に志保ちゃんのために来たからって、志保ちゃんの肩を持つってわけじゃないからね。きちんと話を聞いて、志保ちゃんが悪かったらそう言うから、安心してね。」
「りっくんがこんな頃から知ってるし、りっくんは私にとっても弟みたいなものだから。」
そう言って可奈さんは両手で50センチくらいの幅を作ってみせた。いや、初めて会ったときの記憶はないですけど、そこまで小さい時ではない気がしますよ。
「何があったかは、だいたい姉さんから聞いてますよね?」
可奈さんは、フンフンと鼻息を荒くして大きく頷いた。可奈さん、話を聞いてくれるのはありがたいですけど、そこまで前のめりに来られるとちょっとたじろいでしまいます。
そんな可奈さんの様子に少し心が軽くなり、思いの外言葉はスルッと出てくれた。
「姉さんに言われた『ちょっとのお金』って言葉が、俺には耐えられなかったんです。俺なりに、頑張って稼いだお金だったから。」
「身勝手ですよね?いらないって言われてるのに勝手に押し付けて、自分はダメだってわかってるのにそれを言われてキレるなんて。」
可奈さんは俺の話を聞いて、考えているようだった。10秒、20秒と沈黙の時間が過ぎていく。時計の秒針が進むごとに、罪悪感がモヤモヤと立ち込める。
あぁ、こんな話に可奈さんを巻き込んで申し訳ない。可奈さんは優しい人だから、こんなどうしようもない俺にかけるべき優しい言葉を探してるんだと思う。できるだけ柔らかく、遠回りの言葉を。
時計の秒針が一周し分針が動き出したあたりに、可奈さんは言った。
「良かった~。」
へ?あまりに予想してた反応と違うので、呆気にとられてしまう。なんでそんなふにゃっとした安心した笑顔なんですか可奈さん?今の話に良かったとこありました?
「は~、緊張が解けたらお腹減っちゃった~。すみませ~ん、パンケーキおかわり5段重ねでお願いしま~す。」
「へ?......はいよ!」
可奈さんの注文に応えたマスターの声は、驚いたのか少し上ずっていた。どうやらこっそりこっちの様子を窺っていたようだ。
可奈さんは鼻歌を歌って、ニコニコと上機嫌顔。確かに、さっきまでとは様子がまるで違う。緊張が解けたって本当みたいだ。なんで俺の答えでそんなに上機嫌になったのか、あまりに不可解なので尋ねてみることにする。
「あの、緊張が解けたってどうしてです?俺、悩んでること話しただけなのに。」
可奈さんは上機嫌のまま答える。
「だって~、りっくんの悩みは大好きなお姉ちゃんみたいになりたいのに、なれないって悩みでしょ?別に志保ちゃんのこと嫌いになったってわけじゃないから、良かった~って。」
可奈さんフィルターを通すと、俺の話はなんとも恥ずかしい話に聞こえてくる。いや、実際にそうなのかもしれないけれど。
「そう考えると、志保ちゃんの言葉はちょっとデリカシーがないかな~?きちんとりっくんが頑張ってること、認めてあげるべきかな~。」
「でも、りっくんも悪いかな~。自分の思ってること、志保ちゃんに伝えてないでしょ?だから、志保ちゃんもああいうこと言っちゃったんだと思うよ。」
これは完全に図星だった。俺の抱えている、抱え続けたモヤモヤを姉さんに話したことは一度もなかった。無理もないだろう?あなたみたいになりたくて、でもなれなくて、惨めなんですって本人に言えるわけがない。みっともないし。
モヤモヤしてる俺を見て、可奈さんはクスッと笑って言葉を続ける。
「姉弟ってすごいね、昔の志保ちゃんを見てるみたい。」
「昔の姉さん」その言葉を聞いて思い出した。そういえば、プロデューサーさんが言っていた、「姉さんは初めから強かったのか」という問い、ズルのような気もするけど、可奈さんなら答えを知ってるかもしれない。
「可奈さんは、姉さんは初めから強い人間だったのだと思いますか?」
可奈さんは顔の前でバッテンを作って答える。
「今の状況を考えるとね、それは私が答えちゃダメかな。きちんと自分の話をして、志保ちゃんの話を聞きなさい。」
返ってきたのは、ほぼプロデューサーさんと同じ言葉だった。はぁ...これはいよいよ覚悟を決めないといけないみたいだ。
「わかりました。姉と話をしてみます。」
その言葉を聞くと、可奈さんはパンっと両手を胸の前で叩いて心から嬉しそうな笑顔になった。
「うん、それがいいと思うよ。あと、もうひとつ。志保ちゃんみたいに強くなれないっていうのが、りっくんが一番悩んでることなんだよね?それについて、お姉さんから一言。」
コホンと一言咳払いをして、可奈さんは言った。
「大丈夫だよ。だって今のりっくん、昔の志保ちゃんにそっくりだもん。だから大丈夫。志保ちゃんの親友の私が言うんだから、間違いない!」
可奈さんの言葉は論理的ではないけれど、その笑顔がその声色がそれを信じさせてくれる説得力を持っていた。ここまで言われては、ウジウジと縮こまっているわけにはいかない。
「はい、ありがとうございます。」
それから可奈さんはニコニコとパンケーキを平らげ、満足そうに帰って行った。「またくるね~」とご機嫌だったので、また新たな常連客を獲得できたのかもしれない。
「陸くん、ちょっといいかな?」
閉店後の掃除をしていると、マスターが真剣な顔で俺に言葉をかけてきた。いつものマスターと空気が違う。張り詰めるような緊張感が店を支配している。
どうしたのだろう?バイトを始めてから一度も、こんなに真剣な顔で話をされたことはない。頭をグルグル回転させて、マスターがこんな顔をする理由を探す。
ひとつ思い浮かんだのは、クビになるかもしれないということだった。ここ最近、いろいろありすぎて全然寝られていないから、仕事は雑だったかもしれない。
そこまで考えて頭の中で別の考えが浮かぶ。いやいや、確かにたまにフラッとしたり、足元がおぼつかないって時もあったけど、致命的なミスはしていないはずだ。だから、いきなりクビは考えにくい。
鈍い頭をこれ以上グルグル回転させても、残念ながら他の考えは思いつかなかった。頭の回転が止んだ頃合いに、マスターは深く息を吸った後、こう言った。
「確かにニコニコさんもすっごく可愛いと思うんだけど、やっぱり陸君にお似合いなのは隅子さんだよ。仲直りした方がいいよ。」
...へ?どうやらマスターはありもしない三角関係を妄想し続けて、俺にアドバイスをくれているようだった。確かにあるよね、現実的でなくても空想し続けてると、だんだん現実じゃないかって誤認すること。
あーあ、緊張して損した。肩にこもってた力が抜ける。その瞬間、地面がぐわんと揺れた。今まで床だったところが、グニャグニャと曲がる感覚が襲ってきて、その場に倒れ込んだ。
見えてる景色は普通なのに、感覚だけがグルグルと渦を巻いている。マスターの大きな声が聞こえるのだけど、どこから聞こえているのかはわからない。
立ち上がろうとしても、すぐにグニャグニャした床に足をとられて転んでしまう。肩にあったかい感触がして、そっと床に寝かせてくれた。多分マスターだと思って、そっちを向こうとした時、プツンと意識が途切れた。
「りっくん、ごはんだよー。」
部屋の外から姉さんの声がする。俺は読んでいた漫画を放り投げて、階段を降りてリビングに向かう。テーブルにはサラダにチキン、ケーキなんかも用意されていた。そうだ、今日はクリスマスだ。
「りっくん、メリークリスマス。」
赤いサンタの帽子をかぶった姉が、ふにゃふにゃの笑顔で俺に言った。
「姉さんもメリークリスマス。でも姉さんさぁ、いい歳になって家族と過ごすクリスマスってのもどうかと思うよ。早くいい人見つけなよ。」
姉はぷーっと頬を膨らませて、俺の発言に抗議をする。
「仕方ないでしょ?社会人になるとね、職場の人としか会わないの。ウチは殆どの社員が女性だから、出会いもないんだってば。」
そこまで言って、姉は「あっ!」と何かを思い出した顔になったかと思うと、すぐにニヤニヤとした顔に変わった。
「でもー、りっくん私が高校生の時、家に彼氏連れてきたら、めちゃくちゃ動揺してたよね?はー、シスコンりっくんがお姉ちゃんの結婚を邪魔するのー。」
だだだだだだだだ誰がシスコンじゃい!だったら俺も言い返してやる。
「それをいうなら、姉さんが大学生の時、俺が彼女と遊園地でデートしたら一日中尾行してたじゃん!いい加減ブラコン治して結婚しろよ!」
姉さんはさっきよりも頬を大きくする。姉さんは気が優しすぎるからいつも口喧嘩に勝てないのに、学習せずに俺にちょっかいをかけてくる。
「こらこら喧嘩しないの、お父さんももう帰ってくるから、テーブルに座って待ってましょう。」
そう言って、母さんが俺と姉さんの間に入る。言い合いは一旦やめにして、テレビを見ながら父さんの帰りを待つことにする。
テレビではアイドルが歌っていた。めちゃくちゃカッコよくて、思わず聞き入ってしまうほどの力強い歌。
「この人すげー歌上手いな。誰だっけ?」
俺が尋ねると、姉さんは即答した。
「最上静香。カッコいいよね、芯の通った女性って感じで憧れちゃう。」
姉さんはキラキラした目で、はーっと感嘆のため息をつきながらテレビを見ている。
姉さんは昔アイドルに憧れていた。けれども、憧れていただけだ。優しすぎて競争が苦手な姉さんが、常に競争し続けないといけない世界で生きていけるわけがない。それは姉さん自身がよくわかっていた。
テレビから流れてくるアイドルの歌に耳を傾けていると、玄関が開く音がした。ドタドタドタと大人の男性の足音がして、ガチャっとリビングの扉が開く。
「ただいまー、メリークリスマス。」
そう言った男性はサンタクロースの格好をしていた。けれど、何故か顔にモヤがかかっていて、表情がよく見えない。
「おかえり!お父さん。」
「おかえり、あなた。」
姉さんと母さんが男性に言うように、俺も「おかえり」と言おうとした。けれど、どうしても声が出せない。あれ?どうして?
3人は俺の様子に気がつかず、いつものように談笑をしていた。それはとても幸せな風景。それを眺めていると突然、そこから切り離されるようにガクンと世界が揺れる感覚がした。
気がつくと俺は庭にいた。中ではさっきまで俺が座っていたテーブルに、俺が座っているのが見える。知らない庭に、知らないリビング、知らない家。
ふと横を見ると姉さんがいた。俺はすぐに気がついた、これは中にいる姉さんと違う姉さんだ。姉さんはチラリと家の中を一瞥し、ふっと軽く微笑んだ。
それから俺の方をまっすぐ見つめて、ギュッと両手で俺の手を握った。その体温は、とても懐かしくて、とても温かかった。
そして、フィルムの切れた映画のように、プツンと意識が途切れた。
目蓋を開けると、真っ白な天井が見えた。消毒液の匂いがツーンと鼻を刺激し、ここが病院なのだと気がついた。ぼやけた頭が徐々に覚めていき、右手がさっきまでみていた夢のように温かいことに気がついた。
右手の方を見ると、両手で俺の手を握っている姉さんがいた。下を向いて目を瞑って必死に祈っている姉さんは、まだ俺が目を覚ましたことに気がついていないみたいだ。
姉さんをびっくりさせないよう、小さな声でそっと呼びかける。
「姉さん...おはよう...。」
窓の外はまだ暗いので、俺が倒れてから数時間くらいしか経っていないと思うけど、どんな言葉をかけていいかわからなかったので、おはようと言ってみた。
姉さんは顔を上げて、俺の方を見る。目がひどく充血していて、顔は青白く、頬には何本も涙がつたった跡が見えた。
「りっくん...大丈夫なの!?頭痛くない!?めまいはしない!?」
取り乱した様子の姉さんを出来るだけ安心させたくて、笑顔で答える。
「うん。どこも痛くないし、めまいもないよ。」
それを聞くと姉さんは声をあげて泣き始めた。迷子の少女がお母さんを見つけたときみたいに、安堵に包まれたような泣き顔だった。
それから医者と看護師さんが駆けつけて、病状を説明してくれた。恐らく疲れと睡眠不足で一時的に自律神経系のバランスが崩れただけで、明日には問題なく退院できるようだ。
「今日は早く上がれたから、家で晩ご飯作ってたの。そしたら店長さんから電話が来てね。病院まで付き添ってくれたのも店長さんみたい。とっても心配してくれて、私が病院に着いたら必死に謝ってくれたわ。」
「お母さんには私から連絡して、すぐに駆けつけてくれた。お医者さんの説明を聞いたら安心して、今は陸の着替えを取りに帰ってる。」
売店で買ってきてもらったおにぎりを食べながら、俺が寝ている間の出来事を姉さんから聞く。マスターや母さんにもかなり心配と迷惑をかけてしまった。特にマスターには大変申し訳ない気持ちになる。謝らないといけないのはこっちなのに。
母さんが帰ってくるまで、姉さんと2人。こんな事態を招いてみんなに心配と迷惑をかけてしまった原因は、俺のこの腹の底にある。だから、きちんとそれを終わらせないといけないと思った。
「姉さん、聞いてくれる?俺の話。」
姉さんは真剣な顔で、首を縦に振った。
あれはいつだったろう?俺と母さんは、あるテレビ番組の密着取材を受けたことがある。番組のタイトルは『北沢志保 悲劇のアイドルの奮闘』。
よくあるドキュメンタリー風のバラエティだ。芸能人の過去の悲劇を勝手に掘り起こして、こんな境遇でも頑張りましたと締めるあの手の番組。
今思うと、プロデューサーさんがそういう仕事を姉さんに勧めるはずがない。きっと、どこからか噂を嗅ぎつけたテレビ局が、強引に姉さんを巻き込んだ番組なんだと思う。
あの頃の俺はそんなことを疑いもせず、姉さんの凄い姿をみんなに知ってもらおうといろいろと話した記憶がある。でも、出来上がった番組の締めの言葉を見たとき、俺は愕然とした。
『北沢志保は苦しいアイドルとしての戦いを、家族のために耐え抜いている。本当は得られるはずだった、普通の女の子の幸せを捨てて。』
スタジオでは泣いている芸能人も何人かいる。俺はその言葉と、その人たちを見て知ってしまった。
姉さんは、小さな俺を守るためにいろんな幸せを捨ててしまったこと。姉さんは、俺のせいで不幸になってしまったこと。
だから、俺は強くなろうと決めた。姉さんみたいに強くなって、一人でも大丈夫になって、もう姉さんを不幸にしないと決めた。
でも、俺には何も出来なかった。今手元にあるのは、意味のない意地とちっぽけのバイト代、そんなもの何もないのと同じだ。
その自分を認められなくて、目をそらして、最後には八つ当たりした。そんな情けない話。それが俺の話。
「だから、本当に今日までごめんなさい。」
深々と頭を下げる頭上から、姉さんの優しい声が聞こえる。
「話してくれてありがとう。頭を上げて。」
その声に促されて頭を上げる。姉さんは柔らかく微笑んでいた。そして姉さんが話を始める。俺が初めて聞く、姉さんの心の中の話。
「陸は信じられないかもしれないけど、昔ね、私はすごく甘えん坊だったの。」
確かに俺には信じられない。姉さんが母さんに甘えているところなんて、俺は一度も見たことがない。
「お父さんがいなくなって、悲しかった。本当に。でも、泣いてばかりじゃダメだって思ったの。それで決めた。私が家族を守るって。」
「だから私は甘えることをやめて、頑張り続けた。家族を守れるような人になるために。」
「中学生の時にアイドルになって、そしてまだ芸能界にいる。そうね、私は普通の女の子が持っている幸せを、持っていないのかもしれない。」
そこまで姉さんは話して、すーっと息を吸う。気持ちを込めるように、ゆっくりと。そしてその気持ちを言葉にして形にする。
「たしかに辛いことはたくさんあったけど、でも、私は一度も自分が不幸だなんて思ったことなんてない。ずっと幸せだよ。だって、私にはお母さんと陸がいる。」
あの番組の中、姉さんはずっとそう言っていた。しかし、番組はそれを強がりだと認識し、一層「不幸な北沢志保」の健気さを演出した。
俺も同じことを思っていた。姉さんは理不尽な重荷を背負わされ、それを健気に一人で背負いきった強い人だと思っていた。
「確かにアイドルを始めたきっかけはお金のためだった。そのせいで、いろんな衝突もあった。だけどね、それは始めだけ。」
「だんだんアイドルをやっていくうちに、私は変わっていった。たくさんの仲間と競争したり団結したり、そうしていくうちに、私はアイドルに夢を見るようになった。」
「だからね、私は確かに普通の女の子の幸せを持ってないのかもしれないけど、私にしかない幸せをたくさん持ってると思う。」
「私は誇らしいの。陸が私を『自分を守ってくれる強い人』って言ってくれたことが。そうなれるよう、頑張ってきたから。」
「でもね、そうなれたのは私が頑張ったからだけじゃない。陸やお母さんがいてくれたから、私は自分で誇れる私になったんだと思う。私がそうしたように、陸も私も守ってくれてたの。」
「だから、自分には何にもないなんて悲しいこと言わないで。陸、ありがとう、私の弟になってくれて。」
姉さんは始めから幸せで、ずっと幸せで、今も幸せだ。姉さんの心の中を聞いて、ようやく気がついた。俺は最初から間違っていて、その間違いに気がつかないまま、間違い続けていたのだと。
一人で自分には罪があると思い込んで、一人でその贖罪のために空回って、そして周りに心配をかけた。とても間抜けで、恥ずかしい話だ。
間違ったのなら訂正をしないといけない。向き合って、省みて、悔やんで、正しい答えを探しなおさないといけない。
その一歩として、俺は積年の思いを込め、姉さんに言った。
「姉さん、こちらこそありがとう、俺の姉でいてくれて。」
「じゃあ、隅子さんにコーヒー1つよろしくね。」
あれから数日が経った。退院して喫茶店に顔を出し、マスターに謝られる前に俺は全力で謝罪をした。マスターは笑顔で許してくれて、一安心した。
あれ以来、俺はシフトを減らしてもらった。今はその時間を勉強に充てている。これで今度の期末試験は、グーンと成績が伸びるに違いない。
「いや、マスターあの人の正体知ってますよね?」
マスターは俺のツッコミに答える。
「まぁ、この歳になると一度定着したことを切り替えるのが難しいんだよ。」
姉さんはまた俺のバイト日に合わせて喫茶店に来るようになり、マスターはそれがとても嬉しいみたいだ。いやでも、なんで姉さん俺のバイト日正確に知ってるんですか?
「陸君、隅子さんのこと大事にしなよ。あんないいお姉さん、なかなかいないんだから。」
マスターはコイバナをしなくなった代わりに、しきりにこういうことを言うようになった。姉に迷惑をかけた身としては本当に耳が痛いのだけど、本当のことなので仕方がない。
「はい。笑顔2割増でサービスしておきます。」
姉さんのテーブルに珈琲を置き、約束通り2割増し笑顔で言葉をかける。
「どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください。」
姉さんは満足気に珈琲を受け取り、あざとさマシマシのアイドルスマイルと共に言葉を返す。
「ありがとう。ねぇ店員さん?一緒にお話してくださらない?だって、店員さん素敵なんだもん。」
その瞬間、ピキッと店内の空気が凍るのがわかった。店内を見渡すと、他のテーブルの女性の視線が、全部こっちに集まっている。
姉さんは、刺すような笑顔で全ての視線に対抗していた。それを見て思い出す言葉がある。確か、姉さん前に「周りのテーブルの女共にはわたさない」みたいことを言っていたな。
まさか、姉さんがいちいち俺にちょっかいをかけて来ていたのって、俺をからかうためだけじゃなくて、周りのテーブルに牽制するためって意味も...。
そこに至った時点で、俺は考えるのをやめた。増量した分の笑顔を差し引いて、姉さんに言葉を返す。
「いえ、仕事中ですので、申し訳ございません。」
姉さんは俺の背中で他のテーブルから表情が隠れる位置にそそそと動き、素でむすーっとした顔になって言う。
「もぅ、いっつもそればっかり。はいはい、わかりました。でも、今度は一緒に珈琲飲もうね、りっくん。」
この人、からかいと牽制だけでもなくて、ホントに一緒に珈琲が飲みたいって願望もあったのか...。いろいろと言いたいことができてしまったが、とりあえずはこの一言。
「だから、りっくんはやめろ。」
E N D
参考
TRYangle harmony内での雨宮天さんのトーク
live the@ter harmony03 絵本/北沢志保
アイドルマスターミリオンライブBlooming Clover
終わりだよー(◯・▽・◯)
北沢家にこれからもたくさんの幸せが降り積もりますように。
あとひとつ、
投稿前にコメントをくれた美奈子Pに感謝します。
こういう未来もいいねぇ
乙です
北沢志保
http://i.imgur.com/b9hqpu8.png
http://i.imgur.com/TlZ28eO.jpg
>>37
矢吹可奈
http://i.imgur.com/x1Dioqg.png
http://i.imgur.com/1qJgUVy.jpg
>>62
「絵本」
https://www.youtube.com/watch?v=FMl9sfvqfjM
(*>△乙)<ナーンナーンっっ
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