海上自衛隊の奇妙な話 (58)
まだまだ暑い夏が続くそうなので私が体験した話や同期、先輩後輩から聞いた話を紹介していきます。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1598191410
「見送る大和」
これは私がまだ海士の頃に経験した話だ。その日は群訓練のために珍しく2000頃に出港した。夜間に出港するということもあり、艦長含め皆が緊張で少しピリピリしていた。私は艦橋の2番見張り(艦橋の左側)についていた。暗く周りもあまり見えない中ずっと眼鏡を覗いていたのを覚えている。
他の船の灯火が見えないかずっと艦橋、CICと連絡をとっていたとき、左80度に灯火は見えないのだが大きな船のシルエットが見えた。距離は大体2000ぐらいだったと思う。最初はこんな近くに山なんてあったかな?と疑問に思っていたが何かがおかしい。動かないのだ。いや、正確に言うと動いているのだ。山や停止している船舶なら段々後ろに下がっていくのだがどう見ても左80度をぴったり付いてきている。不思議に思ってCICに「左80度、2000に目標ありませんか?」と聞いたが対空、対水、航海用全てのレーダーに感無しとのこと。
そのやり取りを聞いていた艦橋の航海指揮官が艦橋内の国際VHSで呼び掛けたところ反応もない。皆が見違いかと思ったとき丁度月明かりがそのシルエットを照らした。主砲が3基、巨大な艦橋とマスト、側面に針鼠の如く設置された機銃。大昔の戦艦だ。それも大和だ。艦橋に「左80度の目標、戦艦大和と思われる。」と報告すると「ふざけるな」と怒られたが「本当です!」と言うと航海指揮官がやって来て私が覗いていた20倍眼鏡を覗き「本当だ...」と呟いた。流石にスルーするわけにも行かないので信号灯で『こちらは自衛艦やまぐもです。貴艦艦名進路教えてください。』と送ったところ、『我大和。貴艦の航海の安全と無事を祈る。』と送られた。皆が唖然としているなか、航海指揮官が「マイクいれるから気を付けのラッパ」と言った。私は急いで艦橋に戻りラッパを取った。そしてマイクで「戦艦大和に敬礼する、左気を付け」と入った。海曹の人と一緒にラッパを吹き全員で大和に対し気を付けし別れのラッパを吹き、再び眼鏡を覗くとそこにはもう大和の姿はなかった。
読みづらいですかね?SSは読むのばっかりだったんでもう少し読みやすくなるようがんばります。
改行を入れたら読みやすくなると思う
「やまぐも」ってずいぶん古い艦やな
「まだ海士の頃」という書き方していると言う事は
練習艦に種別変更された後の「やまぐも」に乗艦したって事なのかな?
1991年 練習艦に
1995年 除籍
「加賀違い」
これは後輩がかがに乗っていた時の話だ。5月の終わり頃だったと思う。
その日舷門3直の当直海曹だった後輩は夜の立直の途中、丁度丑三つ時頃にトイレに行ってくると当番海士に告げトイレに向かった。
しかし10分経っても20分経っても一向に帰ってこない。
当番の海士はもしかしてもう寝てしまったのかな?と思いそのまま業務を続け当直を引き継いだ。
その頃その後輩は艦内で迷っていた。乗艦してすぐでまだ慣れていないということもあり艦内を彷徨っていた。
しかし、艦内の様子が何かおかしいのだ。例えるならまるで大戦時の艦のようなのだ。冷房はあまり効かず艦内は薄暗く小汚ない。
取り敢えず舷門に戻ろうとしたところ、通路で【航空母艦 加賀 艦歴】と書かれた表を見た。
建造、進水、就役した日付からミッドウェーまでの主要な戦歴まで全てかかれていた。そう、ミッドウェー出撃前の加賀に迷いこんでしまったのだ。
嘘だろと思い頬を何度も叩くが一向に夢から覚める気配はない。とにかく艦の外に出ようとしたところ
「貴様何をしている!」
と声を掛けられた。
おいおい、海曹相手にいくらなんでも貴様はないだろう...と思いつつも振り向くとそこには明らかに自分達の戦闘服や作業服やではない服装の人間が2人立っていた。
それは資料などでしかみたことのない帝国海軍の軍服だった。取り敢えず事情を説明しようと
「私は護衛艦かがの電測員、◯◯3曹です!」
と叫んだが
「何を訳のわからんことをほざいている!」
と言われ営倉まで連れていかれてしまった。
「明朝憲兵隊がくるまで大人しくしておけ!」
と言い残し2人の軍人が出ていった。
あぁ、終わった... ジパングでももう少し扱いはマシだぞ...などと思いながら急激な眠気に襲われ眠りについてしまった。
名前を呼ばれた気がしてふと目を覚ますとそこには同じ艦戦服を着たGT員の海曹がいた。どうやら艦内巡視中に倒れている後輩を見つけたらしい。時計を見ると4時を少し過ぎた頃だった。
すぐさま舷門に戻り次直の海曹と海士に謝り寝床へついた。
総員起こし後同じ直だった当番海士にも謝りその日は上陸した。ふと気になり空母加賀の艦内見取り図を調べ印刷し持ち帰った。翌日出勤し空母加賀の見取り図と護衛艦かがの見取り図を見比べると自分が見つかった場所と営倉の位置がほぼぴったり当てはまっていた。
後輩曰く「次また行けたら格納庫まで行って生の97艦攻と99艦爆を見に行く」とのこと。私は是非遠慮したいところだ。
読みやすくなったと思う
次も楽しみ
「先導者」
これは私の同期がまだ防府の教育飛行団を出て新田原でビシバシしごかれていた頃の話だ。
その日は5機での編隊飛行訓練をしていた。途中、分厚い雲が覆いこれも訓練になるからとその雲に突入した。厚い雲のなかを必死に操縦していたがついに僚機を見失ってしまった。無線で呼び掛けても応答はなく、それどころかナビやメーター、レーダーなどが全ておかしくなってしまったのだ。
このままでは墜落すると思い、雲から出ようと機首を下げたのだがなかなか雲から出れない。高度計の針は800ftを指すのに一向に地上が見えない。5分だろうか、10分だろうか、はたまた1時間だろうか終わりの見えない雲のなかを
あぁ、このまま燃料が尽きるまで飛んであとは墜落するのを待つだけかぁ...
と諦めながら操縦桿を握っていたところ、ふと前方に航空機のシルエットが見えた。
うっすらとしか見えないが大戦期のレシプロ機だ。
いや、そんなわけはない! こっちはF-15でマッハ1以上で飛んでいるのにあり得ない!
そう思いながらも近づくにつれそのシルエットは段々鮮明になって行く。濃いグリーンに下部は明灰色、そして黒淵の真っ赤な日の丸。雲のなかを優雅に飛ぶその飛行機はどう見ても零式艦戦だった。
いよいよ神様が迎えに来たかとその機体を眺めていたところキャノピーから『ワレニツヅケ』と発光信号が届いた。このまま当てもなく飛ぶよりはマシだろうとその零戦に続いて飛ぶことを決めた。
数十分経ったころ、フッと辺りが眩しくなり漸く雲を抜けた。メーター類も復活し前方には僚機も見えた。あぁ、やっと帰ってこれた!と喜びあの零戦に何かお礼を言わなくてはと思い零戦がいた方を見てみると
そこにはただ飛行機雲が漂っていただけだった。
>>16
ありがとうございます。まだまだストックはありますのでボチボチと書き進めていきます。
ファントム時代にそういう話なら聞いたことがありますね
乙
乙です
楽しみにしてます
乙です
かの超弩級戦艦大和に見送られるとは羨ましい。それと指揮官がちゃんと旧海軍の艦艇に敬意を表せる人物で良かった。
関係者っぽいので素朴な疑問、練習艦香取っていないの?「かしま」はいるけど。
次回も楽しみにしてます。
>>21 ありがとうございます。そうですね。US-2に乗ってる同期も似たようなことを経験したらしいので割りとよくある話なのかもしれません。
>>22 ありがとうございます。のんびり書いていきますので気長にお待ちください。
>>23 ありがとうございます。あの時の船務長の判断はとてもよかったと思います。相当頭のキレる人でしたのですぐに出世されましたね。
練習艦かとりはいます。というかいました。海上自衛隊初の練習艦です。私がやまぐもに乗艦した91年頃は練習艦隊司令部はまだ横須賀にあり、当時はかとりが横須賀で練習艦隊旗艦をしてました。95年に老朽化からやまぐもがいた呉の1練隊に転籍し98年に除籍、解体処分になりました。かとりは長船首楼型でとても綺麗な艦でした。特に内火艇から見上げるかとりは言葉に出来ないほど美しかったですね。
海上自衛隊の練習艦
TV3501 かとり(廃艦)
TV3502 いそなみ(廃艦)(旧あやなみ型DD104)
TV3503 しきなみ(廃艦)(旧あやなみ型DD106)
TV3504 てるづき(廃艦)(旧あきづき型DD162)
TV3505 もがみ (廃艦)(旧いすず型 DD212)
TV3506 やまぐも(廃艦)(旧やまぐも型DD113)
TV3507 まきぐも(廃艦)(旧やまぐも型DD114)
TV3508 かしま(旗艦)
TV3509 みねぐも(廃艦)(旧みねぐも型DD116)
TV3510 なつぐも(廃艦)(旧みねぐも型DD117)
TV3511 むらくも(廃艦)(旧みねぐも型DD118)
TV3512 あおくも(廃艦)(旧やまぐも型DD119)
TV3513 しまゆき(21年廃艦予定)(旧はつゆき型DD133)
TV3514 あきぐも(廃艦)(旧やまぐも型DD120)
TV3515 やまぎり(護衛艦に復帰)(旧あさぎり型DD152)
TV3516 あさぎり(護衛艦に復帰)(旧あさぎり型DD151)
TV3517 しらゆき(廃艦)(旧はつゆき型DD123)
TV3518 せとゆき(21年廃艦予定)(旧はつゆき型DD131)
TV3519 やまゆき(廃艦)(旧はつゆき型DD129)
TV3520 はたかぜ(旧はたかぜ型DDG171)
TV3521 しまかぜ(21年種別変更予定)(旧はたかぜ型DDG172)
現在の練習艦隊の編成は
練習艦隊旗艦 かしま
第1練習隊 しまゆき
せとゆき
はたかぜ の計4艦です。因みに艦級のTVとはTraining Vesselの略です。
「ゲゲゲの一反木綿」
これは鹿屋のP-3Cで航空士(確かTACCOとか言ったかな?)をやっている同期から聞いた話だ。
鹿屋には出るそうだ。
それもお化けではなく妖怪が。
一反木綿はもともと鹿児島の南の方が原産らしい。私も本物を見たことがないのでなんとも言えないがフワフワと上空を白い絹の様な物が飛んでいるらしい。
その日もいつものように訓練飛行をしていた。レーダーの画面を見つめているとふと画面上に長細いものが写った。しかもあり得ない動きかたをしているのだ。
取り敢えず敵味方識別装置で一体何なのかを確認しようとするが何も反応がない。だがレーダー画面上をフワフワと漂っている。訳がわからないまま副操縦士に
「レーダー探知。距離36NM、方位左30。SIF反応なし。また、あり得ない動きかたをしています。」と報告したところ、
「あぁ、今日も出たんだなぁ。それ、無視していいよ」
という風に帰ってきた。
「はぁ、了解しました。」
といまいち腑に落ちないままその目標を無視し訓練を続けた。
無事に訓練を終わらせ帰投し、副操縦士に
「結局あれは何だったんですか?」
と聞いたところ
「あれは一反木綿だよ。あれが見えるようになったら鹿屋の人間として認められた証さ。」
と教えてもらった。
今ではその友人も一反木綿が見えるようになったらしい。因みに管制塔の方からも見える出来るそうだ。
P-3Cに映るってことは、P-1にも……
>>34 そうですね。US-2でも見えたという話も聞きましたのでP-1でも見えるかもしれません笑
乙です。
TACCOって航空機関士とかいう職分だったかな?「海自にはタコがいる」とミリオタの友人が冗談言っていて、「え?」と思った記憶あり。
鹿屋って特攻基地だったところだよね。その手の話はないのかな?つうか貴重なパイロットを自爆テロさせる時点でその当時の軍部は終わってたよね。
艦これ好きとしましては加賀さんが降臨されましたので是非ひりゅう、そうりゅうを空母に復帰してほしいなと。
つか海将指定の水着で潜っているひりゅう、そうりゅうって想像しただけで反則だろう。
素朴な疑問。IFFって日本国内で航空機購入したら標準装備なの?後付けなら誤認で追い掛け回されたなんて笑い話がありそうですが。
次回もお待ちしてます。
>>36
TACCOは戦術航空士(タクティカル・?コーディネーター)
戦術調整官とも言う
大抵の場合TACCOはミッション指揮官(任務機長(Mission Commander))
TACOとも言う
P-3Cの航空機関士はコックピットに居る
海上自衛隊では機上整備員の名称だったはず
先日、大村の60に乗っている同期と話したところHSからも見れるそうです。
>>36そこまでしなければならないほど追い詰められていることに気付かず無理な作戦ばかりを立案するのみで何の役にも立たない大本営を見ると現在の海上自衛隊自衛隊にも通ずるものがあり辟易するばかりであります。若くして散って往かれた方たちの遺書などを見るたびに胸が締め付けられます。
先日進水した29SSがたいげいと名付けられましたのであり得るかもしれません。私としましては生きているうちにあかぎ、かが、そうりゅう、ひりゅうの4隻が一堂に会する所を見たいところであります。(その頃にはかがは2代目かもしれませんが)
SIFは必ず付いてないと空を飛ぶことはできません。民間用のSIFは軍用と違いモード3のみとなっております。モード3は3種類あり、MODE3/Aはスコーク(SQUAWK)の表示、MODE3/Cは海抜(QNEで発信したものを地上側でQNHに変換する)からの高度表示(100ft単位)、MODE3/Sは15年ほど前から増えた新しいものでACC(航空交通管制部)とのやり取り用です。スコークはATC(航空管制官)が指定したものを操縦者が入力しますが特別な状況下に置いてはいくつかコードが指定されています。
1200 VFR(有視界飛行方式)で10,000ft未満を飛行するとき
1400 VFRで10,000ft以上を飛行するとき
2000 コードの指示を受けていない航空機が、IFR(計器飛行方式)でレーダー管制空域外からレーダー管制空域へ入る場合、二次レーダーへ返信するのに用いる。
3333 整備用
4444 整備用
5555 整備用
7500 ハイジャック
7600 通信機故障(NORDO(NO RADIO)とも呼ばれる)
7700 非常事態発生
7777 欧米の軍用機用。主にスクランブルの戦闘機が使用する。
軍が使用するSIFはこのモード3の他にモード1,2,4,5の計5種類があります。
>>37お詳しくて驚きました。TACCOはパイロットとかに比べるとどうしてもあまり目立たないので友人も嘆いておりました笑。私は航空学生の試験は3次で落ちてしまったのでもし受かっていれば今頃私も一反木綿を見れていたのかもしれません。
「曰く付き」
皆さんはしらねという護衛艦をご存知だろうか。
海上自衛隊最後の蒸気タービン艦としても有名だと思う。当時の防衛庁長官のゴリ押しにより名付けられ遠洋航海や国際観艦式に海外派遣、災害支援など国内外問わずメディア露出が多い艦で最後にはXASM-3を右の脇腹から喰らいその生涯を終えた。
第1護衛隊群旗艦を勤めた一方、接触事故や故障も多く中でも一番有名なのはCICの火災であろう。
当時横須賀吉倉岸壁に停泊中、2219ごろにCICで火災発生。初期消火に失敗し完全鎮火は翌日の0600ごろであった。
艦内巡視の形骸化や消防に通報しなかったりと色々な問題が多かったこの事故。火災の原因はCICに無許可で持ち込まれた保冷温庫とされているが実は違うと言われている。
今からお話しするのはあくまでも一説にすぎないのでそこはご注意いただきたい。
火災の原因となった保冷温庫が置かれていた場所はCICの秘図書金庫のすぐ下である。
火災当日は艦長による秘点検が行われていた。
当直員が引いた後はもぬけの殻であったが鍵は空いていた。
更にこの火災の後横須賀の電測員が1人姿を消している。
この事から推測するに
『ある電測員が秘の文書などを誤って紛失してしまいその事を隠蔽するために火を放った。』
という説が浮かび上がる。
まぁ、あくまでも与太話にしか過ぎないが。
因みにCICの中にある機器は全焼したが舞鶴まで回航するのにOPA-6だけはなんとか復活させて航行したそうだ。
その後も載せた機械が廃艦になる補助艦艇からかっさらってきたものだったので折角の3次元レーダーもトランスポンダを介するYPA-2でしか見れないという散々なものであった。
余談だが修理後も艦内は常に焼け焦げた匂いが充満していたらしい。
「はるな」か「ひえい」からパーツをもらったんだっけ?
……「くらま」も退役して、そんな水上艦型DDH並の排水量がある「あきづき」型も馴染みになっちゃいましたし、時代が流れるのは早いです
>>38
軍用機の事はかなり好きです
TACCOは[戦術航空士]と呼ぶより[戦術調整官]の呼び名の方が個人的には好き
>いくつかコードが指定されています。
スマホアプリのFlightRadarで
緊急コード-7700を発信した機が出現すると
結構ドキドキわくわくしながらずっと追跡してみたりします
>この火災の後横須賀の電測員が1人姿を消している。
>秘の文書などを誤って紛失してしまい
今の時世がら、誤って…五星紅旗の処へ…
用語訳
『大村の60に乗っている同期と話したところHSからも見れるそうです。』
長崎県[大村]航空基地のSH-[60] 哨戒ヘリコプター(HS)からも見れるそうです
(合ってるかな?)
>>45
はるな
乙、軍隊とか自衛隊のこういうオカルト話とても良き
細かい指摘スマソけど、>>40「しらね」の最期はXASM-3着弾では沈没せず、
ちゃんと帰ってきて秋月の造船所で解体されたよ
乙です
水木しげる先生に起用してもらっただけでは満足しない一反木綿……自己顕示欲というか自衛官にアピールするとはなかなか面白い。
さすがにマッハで駆けていく航空機には追い付けないみたいですね。
>SIFは必ず付いてないと空を飛ぶことはできません。
そうなんですね。ちっこいレシプロ機(セスナとか)でもつけないといけないということはそれだけ空の安全に真剣な証拠ですね。
「あきづき」型に「はるな」。先の練習艦には「もがみ」もいたし、怒られそうですが海上自衛隊には帝国海軍オタがいるのかと。
「しらね」は最後標的艦にされたって事ですか。ミサイル食らって沈まずって頑丈だったんだ。いや戦闘艦艇だからそうじゃないとだめだよね。
そうそう潜水艦にも女性自衛官が乗り組みになるようで、こっちも時代の流れでしょうか。
次回も期待しています。
うちの曽祖父は生前よく「わしは機雷しかない海を命がけで掃除したんだぞ」と自慢してました。といっても敗戦後のことですが。
第二復員庁なんて役所があったんですって。
お疲れ様です。皆様いかがお過ごしですか?季節はいつの間にか冬が目前になり陸に上がると寒くてビックリしました。仕事の都合で長らく更新できず申し訳ありません。失踪したわけではありませんのでこれからもボチボチと書いて参りたいと思います。どうか最後までお付き合いください。
>>45
そうですね。いつの間にか私の大好きだった蒸気タービン艦も全て引退してしまいました。私に海上自衛官としてのなんたるかを教えてくださった先輩や艦もほとんど引退され、時が過ぎるのは早いものだと考えさせられます。
>>46
エマーグコードは仕事中には見たくないですね(笑)用語訳は完璧です。
公開等で一般の方に説明する際にもふと隠語や用語を使ってしまいポカーンとさせてしまいます...
>>47
ありがとうございます。すみません。しらねの最期についてはあやふやな記憶で書いてしまいました。申し訳ありませんでした。記憶を辿ってみると確かに小用に係留されていたような覚えがあります。なんにせよ曖昧な記憶で書くものではありませんね。すみませんでした。
>>48
海軍オタクというよりも海自の命名法も旧海軍と被っているといった方が正しいですね。ですが私も旧海軍の艦名と同じになると少しニヤッとしてしまいます。今回の30FFMの2番艦もくまのになりましたし、私的には1番艦はもがみかなと考えております。
護衛艦や潜水艦にWAVEが乗るのは確かに私たちの時代からは考えられませんでした。私は男所帯で育ってきましたので男しか居ない方が楽なのですが...(笑)
第二復員省は旧海軍省の生まれ変わりのようなものですね。そこから海保、海上警備隊を経て海上自衛隊が創設されましたので私の大先輩にあたりますね。
「飛び立つ朝」
これも同じく鹿屋に勤める後輩から聞いた話だ。
暖かい気候の鹿児島も5月の中ごろと言えど早朝はまだ少し肌寒い。
この日は当直で早朝の巡視をしていた。すると、どこからともなくバルン......バルルン......バラララララララ......とエンジンのかかる音が聞こえてきた。
まだ時刻は0430頃でドーンサーベランスの時間にはまだ早い。
航空発動機整備の連中が修理でもしてるのか?
と思いながら格納庫の方に向かうと段々音がよく聞こえてくるようになった。
しかし音がどうもP-3のエンジン音よりも軽い気がするのだ。
どちらにせよこんな早朝から回すのはあまりよろしくないので注意しに行こうと思い、格納庫に入ったのだが格納庫は電気すら点いておらず藻抜けのからであった。
不思議に思っているとエンジン音と共に風が過ぎ去っていくのを感じた。
勿論シャッターは閉じているのだがそのまま駐機場に向かっていった。
慌てて外に出てみると駐機場にはキチンとP3-Cが停まっているのだが奥の滑走路に何機もの影が見えた。
最初はそのシルエットからテキサンかな?と思ったがテキサンの鮮やかな黄色ではなく、朝ぼらけの大地に溶け込む様な深い緑色だった。資料館に展示してある零戦そのものだ。
気が付くと滑走路には16,7機ほどの零戦が並んでいた。
すると並んでいた零戦が順番に離陸し始めたのである。
思わずかぶっていた帽子を思いっきり振り回し帽振れをし飛び立って行く零戦を見送った。
最後の1機を見送るともう朝日が昇り始めており空には雲一つない青空が広がるばかりであった。
当直の申し継ぎを行い管制塔ワッチだった人に聞いてみたところ管制塔からはなにも見えなかったそうだ。
その後石碑に手を合わせ実家に帰宅し祖母に今朝の話をすると、彼の祖父も神雷部隊に所属し特攻で命を落としたと祖父の話を語ってくれたそうだ。
乙です。2021になりました。
大和の話といい、今回の話といい、自衛官という方々が一般人以上に先人達をリスペクトしているのがよくわかります。
このスレを見たあとに地元の護国神社と靖国神社に行って思いを込めて参拝しました。
今この瞬間も海で空で陸で我々の代わりに防人として任に当たられている方々がいるんですよね。お疲れ様です。
沖縄・南西諸島海域への出撃(特攻とは絶対言わない)だったんだろうな。美しいけど悲しい話でした。合掌。
次回も期待してます。
皆様明けましておめでとうございます。
今年もボチボチと書いて参りますのでお付き合いのほどよろしくお願いします。
世間では緊急事態宣言が発令され僚艦でもコロナウイルスに感染した乗員が出るなどあまり晴れ晴れした気持ちで新年を迎えることが出来ませんでした。特に呆れたのは海幕長の感染ですね。あれほど河野大臣の頃から宴会、会合等は厳に慎むようにと言われ、守ってきたにも関わらずNo.4が会合に参加して感染するというのを知ったときは呆れて開いた口が塞がりませんでした。
>>57
ありがとうございます。そうですね。やはり先人達に対しては皆尊敬の念を持っていると思われます。あくまでも個人的な意見ではありますが最近の若い隊員よりも少し上の世代の隊員はあまりそういう気持ちがないように感じられます。
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