「やぁ、キョン」
過ごしやすい秋の休日は惰眠を貪るのに最適な環境であるが、そんな日に限って来客が訪れるのがこの世の常であり、その日、寝ぼけ眼を擦りながら呼鈴に応じて玄関の扉を開けた俺は、清々しい秋晴れを背景に佇む友の姿に違和感を覚えた。
「なんだ、佐々木か」
「なんだとは随分なご挨拶だね」
「気持ちよく寝ているところを起こされたら誰だって文句のひとつくらい口にするさ」
「やれやれ。どうせそんなことだろうとは思っていたが、顔ぐらい洗ってから出迎えて欲しかったものだよ。あと、その寝癖もね」
いつものように男みたいな口調で俺に接する佐々木であったが、その装いは近頃めっきり涼しくなってきた気候に合わせて、柔らかなアイボリーの色合いの少し丈の長いワンピースの上に、茶色いカシミヤのカーディガンを羽織っていて、なんだか大人びて見えた。
「とりあえず、上がれよ」
「おっと。その前に、今日の僕を見て何か思うところはないかい? よく観察したまえ」
立ち話もなんだから家に上がるように促すと待ったがかかった。たしかに違和感はあった。
大人びた私服は常日頃の落ち着いた佐々木のイメージとマッチしている。では、なんだ。
「うーむ……さっぱりわからん」
「まったく、君は本当に女泣かせだね」
そう言う佐々木であったがさほど傷ついた様子が見受けられなかったので別に聞き流しても良かったのだが、一応、こう返しておく。
「前髪上げて丸見えのおでこが、見ていてとても寒そうだ。風邪を引いちまうぜ?」
すると佐々木は上げた前髪の髪留めを弄りつつ、くつくつと喉の奥を鳴らして嬉しそうに笑った。やれやれ。嬉しそうでなによりだ。
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「で? どうしたんだ、その髪は」
「なに、別にたいしたことはない。今話題の鬼滅の刃に登場する主人公の可憐な妹君である禰豆子ちゃんを真似てみただけさ」
部屋に通して前髪全開な理由を尋ねると、思いの外くだらない理由だったので苦笑した。
「笑うのはやめてくれ。これでもかなり勇気を振り絞ったんだ。自分でも似合っていないと思うし、おかしいのは明らかだろうけれど、それでも僕は妹キャラに目がない君の趣味嗜好に合わせたんだ。褒めてくれたまえ」
たしかに俺は妹を目に入れても痛くない程に溺愛しているが、勝手に妹好きにするな。
「おや? それではキョンは禰豆子ちゃんのことがお気に召さないと? これは意外だ」
「いや、気に入らないとは言ってない」
「では、もっと僕のおでこに注目したまえ」
そんなことを言っても佐々木は佐々木であり、たとえ竹の口枷を咥えたとしても炭治郎の妹とはかけ離れている。キャラが違う。
そのことをどう諭そうかと考えあぐねていると、ノックもなしに部屋のドアが開いて、呼んでもないのでに俺の妹が顔を覗かせた。
「キョンくん、お客さん? あ、佐々木さんだ! やっほー! 見て見て、佐々木さん!」
佐々木と同じくおでこを全開にしたマイシスターは、冷蔵庫からかっぱらって来たと思しき"竹輪"を横向きに咥えて唸りだした。
「んむぅーっ!」
「ああ……なるほど。そういうことか」
妹の奇行はまさに今話題の『鬼滅の刃』に登場する禰豆子の物真似であり、全てを察したらしい佐々木はお手上げとばかりに降参した。
「やれやれ。君の可愛い妹には敵わないよ」
佐々木も良い線をいっていたが、妹の勝ちだ。
「佐々木さん、ゆっくりしていってね!」
「うん。ありがとう」
まるで嵐のように過ぎ去っていった我が妹は禰豆子の血鬼術である『爆血』を習得するべく、鍛錬に戻った。妹が鬼となる日は近い。
「それで、キョン。申し開きは?」
「なんのことだ?」
「妹さんに禰豆子ちゃんの真似をさせて楽しんでいたことについて釈明しないのかい?」
ジト目をしつつ楽しげに喉の奥を鳴らして人聞きの悪いことを言う佐々木の誤解を解く。
「あれは妹が勝手にやっているだけだ」
「どうせ君が蔵書の原作を読ませたんだろう? 妹さんの目の届く場所にワザと置いておいて、禰豆子ちゃんに興味を抱くように仕向けたわけだ。そのくらい、見ずともわかる」
さすがは佐々木だ。完全犯罪を見破るとは。
「でも竹輪はやりすぎだと思うよ?」
「あれは本当に妹が勝手にやったことだ」
「僕だって竹輪を咥えれば君の妹ほどではないにせよ、少しは様になっていた筈だ」
「妹と張り合うのはやめてくれ」
竹輪を咥えた佐々木なんて見たくなかった。
「あんなに可愛い実の妹が居ればたしかに僕に勝ち目はないね。たとえ竹輪を咥えても」
物分かりの良い佐々木は、あっさり諦めた。
「さて、キョン。本題に入ろうか」
「本題?」
「ああ。ここに映画のチケットが2枚ある」
カーディガンのポッケからチケットを取り出す佐々木。無論、鬼滅の刃の鑑賞券である。
「一緒に観に行く気があるのなら今すぐに顔を洗い、寝癖を整えたまえ。手早くね」
それは願ってもない申し出だが、その提案に乗ることは出来ない。俺には妹が居るから。
俺だけ観て来たら、妹が拗ねてしまうから。
「悪いな、佐々木。俺は……」
「誰が『僕と一緒に』と言ったんだい?」
「は?」
「妹さんと一緒に観て来たまえ」
そう言ってチケットを差し出す佐々木はまるで悪戯が成功したような笑顔だったが、素直にチケットを受け取ることは出来なかった。
「行くぞ」
「え? キョン?」
「まだ1席くらい残ってるかも知れないだろ」
差し迫るチケットの時刻を確認して、顔も洗わず寝癖も整えず、妹の手を引き、そして戸惑う佐々木をつれて俺は家を飛び出した。
「やぁ、キョン。お待たせ」
結論から言って3人で映画は観れなかった。
レイトショーまで満席で、空席はなかった。
2枚しかないチケットは佐々木と妹に譲り、俺は映画館のベンチに座って跳ねた寝癖を無意識に撫でながら、映画が終わるまで待っていた。長男だから、別に不満はなかった。
もしも俺が次男だったら泣いていただろう。
「うわあああん! キョンくぅ~ん!!」
どうやら映画に全集中で没頭してきたらしい妹は号泣しており、俺に飛びついてきた。
猪突猛進な妹の全開のおでこを腹で受け止める羽目となった俺は呻きつつも満足だった。
「君は優しいね」
「炭治郎には敵わないさ」
泣きじゃくる妹の背中を撫でてあやしつつ軽口を返すと佐々木は首を振って喉を鳴らし。
「やれやれ。僕まで泣いてしまいそうだ」
そんなことが本当にあり得るのだろうかと思い見上げると、髪留めを外した佐々木の前髪がはらりと顔を覆って、表情を隠した。
「なあ、佐々木」
「なんだい、キョン」
「チケット、ありがとな」
おかげで妹は映画を観れた。だから今度は。
「その礼と言っちゃなんだが、今度は俺に付き合ってくれ。チケットは用意しておく」
すると佐々木はくつくつと喉の奥を鳴らして、頷いた。少しだけ、鼻をすすりながら。
「さあ、帰るぞ」
ようやく泣き止んでしゃっくりをしている妹の手を引いて帰宅を促すも何故か動かない。
「どうしたんだ?」
「ううっ……キョンくん、あのね?」
「なんだ?」
「おしっこ」
ああ、なるほど。妹は催しているらしい。
急いで映画館に来たから上映前にトイレに行くのを忘れたのだ。ならば仕方あるまい。
「じゃあ、早くトイレに……って」
問題を解決するべく館内のトイレに目を向けるとそこには長蛇の列が出来ており、到底、間に合いそうもなかった。満員御礼である。
「ううっ……キョンくん」
「禰豆子、頑張れ。兄ちゃんが必ず、トイレを見つけてやるから! 頑張れ! 頑張れ!」
俺はすぐさま妹をおんぶして映画館を出た。
禰豆子を背負い雪山を下山する炭治郎のように、まだ辛うじて持ち堪えている妹を励ましつつ、どこかトイレがないかと必死に探す。
「キョン! あそこにコンビニがあるよ!」
斥候を買って出てくれた佐々木が目当てのトイレを発見した。さすがは柱の嗣子である。
俺も全集中・常中で足を動かす。動け動け。
「キョンくん……ごめんね……」
ああ、そんな。禰豆子。間に合わなかった。
爆血ッ!!
ちょろんっ!
今ここで漏らすんだ! と言わんばかりの勢いで背中を濡らす妹の尿はたしかに温かくて。
その温もりは禰豆子が生きていると実感させるもので、それが俺は堪らなく嬉しかった。
「フハッ!」
よもやよもや!
"柱"として不甲斐なし!
穴があったら、入りたい!!
ちょろろろろろろろろろろろろろろろんっ!
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
爽やかな秋晴れの空が、眩しかった。
俺の妹は鬼じゃない。陽の光も平気だ。
それがどんなに幸せなことか、噛み締める。
鬼となり、昼間出歩けない禰豆子は不憫だ。
それに比べればお漏らしなど些末な問題だ。
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
俺は何故、嗤っているのか。
それは、生きているからだ。
たとえどんなに惨めで、情けなくても、生きていかなくてはならない。だから、俺は。
「うまいっ!!」
せめて、柱としての責務を全うしよう。
俺は鬼にはならない。弱き者を守るのだ。
愉悦などには負けない。妹の尿が美味い。
「うまいっ!!」
「それはもうわかったから」
見ると、佐々木がドン引きしていた。
しかし、理解はしてくれたらしい。
俺の兄としての、柱としての在り方を。
「俺の嗣子となれ!」
「じゃあ、今度一緒に映画に来た時、僕が漏らしても同じように悦んでくれる?」
「無論だ! 穴があったら、入りたい!!」
よもやよもやとは言ったものの、いつも通りの無惨なオチがついた。しかしそれが摂理。
限りなく完璧に近づくにつれて歪となってしまうのは必然であり、だからこそ、人間とは儚く、そして美しいものだと、俺は思う。
【佐々木とキョンの尿柱】
FIN
誤字がありましたので訂正させて頂きます。
嗣子ではなく、正しくは『継子』でした。
最後までお読みくださりありがとうございました!
誤字は萎えるなぁ
久しいなァ
よく生きていたものだ
お前のような弱者が
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