メルル後のssです
百合です
もう何日も凄まじい吹雪が続いていた。雪の大陸を南北に縦断する山脈、その中でひときわ高く聳える高峰に、小さなテントが光を灯してへばりついていた。
狭いテントを吹雪が煽り、ばたばたと音を鳴らす。寝袋と錬金灯の熱だけでは防ぎきれない寒さに耐えるため、トトリとミミのふたりは寄り添って眠ろうとしていた。
「吹雪、止まないね」
「そうね」
なかなか眠れない。吹雪の寒さと酸素の薄さ、時折聞こえる雪崩や落石の音への怯え。その中でぐっすり眠れるほど二人は図太くはなれなかった。
「不眠に効くアロマとか、あった気がするけど、どうする?」
トトリは自分のバッグをごそごそ探る。アトリエのコンテナと空間を超えて繋がったこのバッグのお陰で、トトリ達 の旅において、荷の重さや食料についての問題はほぼゼロであった。
「やめとくわ。モンスターも警戒しないと」
こんな環境にすらモンスターは存在して、人間を襲ってくる。雪崩を警戒して強い爆弾の類が使えないトトリと一緒に、この吹雪の中戦うのは非常に骨が折れた。
ばさり、テントに積もった雪が滑り落ちる。
「もしも」
カバンを放ってトトリは言う。
「もしもこのまま吹雪が止まなくて、ずっとずっとこのテントに二人だけで閉じ込められたら、どうする?」
「トラベルゲートがあるんだから、そんなことにはならないでしょう」
「そうことじゃなくてー…」
トトリは、距離に関係なく、一瞬でアトリエに帰還することができる道具を持っている。しかし、そんなミミの正論にトトリは口を尖らせた。
「アーランドから、人の世界から離れたこんな場所で、ふたりきりでずーっと凍っていられたら、素敵だと思わない?」
トトリはそう言ってにっこり笑う。ミミにはトトリがどこまで本気で言っているのか分からなかった。無邪気に笑ってそんなことを語るトトリと、僅かに共感を覚える自分が恐ろしく、何も答えられなかった。
ミミとトトリの間に妙な沈黙が下りる。質問を宙ぶらりんにしたままの、嫌な沈黙だった。ミミはまだ熱が残るカップを手に取り、口をつける。
「今更だけど、なんでこんなとこ来ようと思ったのよ」
沈黙を埋めるための適当な話題。しかし、山脈を超え、未踏の地を探索する旅に、自分と二人きりで行こうとした理由が聞きたいという気持ちはあった。理由があれば寒さも紛れる気がした。
「なんで、来ようと思ったか…うーん…」
トトリは行動が感情よりも早いことがある。あとから説明させないと、理解出来ないようなこともたびたびしてしまう人間だとミミは理解していた。
「う~ん………」
トトリは口に指を当て長く唸る。彼女が自身の底を掘り起こす際の仕草だ。少し震えて、ミミに体を寄せる。寝袋に首を埋めると、トトリは語り出した。
「そもそもはね、メルルちゃんも立派に一人前になって、ロロナ先生も元に戻って、ね。錬金術士としての仕事をわたし一人で請け負う必要が無くなってきたから…」
「隠居でもするつもりだった?」
「そこまでは言わないけど…ただ、アールズのことも一段落ついたから、それじゃあ次にわたしのすることは、したいことは、って考えると」
トトリもカップを取りお茶を飲むと、はぁ、と息を吐いた。
「お母さんを探しに狭い村から出て、広い世界を見て。知らない場所を自分の足で歩いて、歩いて。モンスターと戦ったり、必死に逃げたり。船を作って海に出たり。錬金術も好きだけど、そんなことしてた時が一番楽しかったって、思い出したんだ。それで、昔みたいに冒険するなら、せっかくだから誰も行ったことの無い、険しい場所がいいかな、って」
トトリの声は決して大きくは無かったが、吹雪に煽られるテントの中でも、不思議とミミの鼓膜をはっきりと震わせる強い響きを持っていた。
「それで、なんで………」
「え?」
「………なんでもないわ。気にしないで」
「?…変なミミちゃん」
ミミがこんな所まで来た理由は、トトリに二人きりの旅を誘われたから、それだけだ。自分を誘ってくれたのは単純に嬉しかったし、危険な場所に行きたいというのなら守ってやりたかった。
しかし、トトリは彼女自身がここに来た理由は説明したが、その連れになぜミミだけを選んだのかは説明しなかった。
雪の勢いがいくらか減じた朝、厚い防寒着を着てテントを仕舞い、再び出発することにする。高度を増すにつれ足取りは重く感じ、数歩ごとに大きく呼吸をする。数日前まで、アイゼンが氷を掻く感触を無邪気に楽しんでいたのが嘘のようだ。もはやモンスターすら現れることもなくなって、つくつぐ命の生きていられる環境ではないことを山が伝えてくる。
それでも二人には不安は無い。お互いの体をロープで繋いで、ミミを前衛、トトリを後衛として歩いてゆく。こんなにも険しい環境においても、互いの存在を感じることができた。トトリは雪越しに覗くミミの背になら、自分の命を預けられた。その信頼を知っていてこそ、ミミの歩調は慎重で間違いが無かった。ナイフのような稜線を二人は歩いてゆく。頂上はもう少しのはずだった。
ミミの歩みが止まった。トトリがのろのろと追いつくと、ミミは巨大な岩壁の前で立ち往生していた。
「登るわ」
「わかった」
岩壁の両側は切り立っており、迂回しようが無い。この垂直に立った壁は通らざるを得ない道だった。岩壁はそれ以上の高さの氷の壁を傍に伴っており、どうもその二つの隙間を潜らなければならないようだ。
岩壁の足元に打ったハーケンに命綱を通し、二本のピッケルを持ってミミはずんずんと登っていく。トトリは蹴り落とされる氷の粒を受けながら、ミミを心配げに見上げている。トトリの心配とは裏腹に、この岩壁自体は取りつきやすく、ときには背の氷壁を支点にすることもできたため、高さを除けばそう難しい壁ではなかった。問題なく登り切れるはずだった。
8割ほどの高さに届いたころだろうか、強い突風が吹いてきた。足元にいるトトリさえも踏ん張らなければそのまま飛ばされそうな強さの突風だった。ミミは壁に張り付いて堪える。往生際が悪いわね、と心の中で山に毒づきながら、手足に力を込めた。
ぴきっ、ばき。
不吉な音はミミの手元から鳴っていた。左右のピッケルからヒビが走り、一帯の岩壁を侵す。ついさっきまで強くミミを支えていた岩壁は剥がれ、あまりにも唐突に、あっけなく崩れていった。
「ミミちゃ」
トトリがミミを呼ぶより速く、ミミは岩と氷を浴びながら、岩壁を登った高さだけ落下して地面に叩きつけられ、斜面を転げ落ちて行く。ハーケンで固定された命綱は、はるか麓までミミが落ちていくのを辛うじて止めた。
「ミミちゃん!」
酸素の足りない頭でも、トトリの動きは早かった。ポーチから竜のデザインをした瓶をふたつ開け、速やかに煽り、強化された筋力で岩を退かす。トトリの細い筋肉は、強化されてもなお悲鳴を上げたが、そんなことは関係なかった。
「っ、はやく、っ!!」
命綱を引き、なんとかミミの体を引き上げる。荒くなる呼吸は身体の悲鳴ではなく、ただ焦りから来るものだった。
「ミミちゃん、大丈夫!?どこが痛む!?」
トトリの腕に抱かれたミミは朦朧な意識でなにか応えようとしたが、言葉よりも先に血を吐いた。ミミ自身でも分からずゆらゆらと勝手に動く体を、トトリはしっかりと抱いて優しく寝かせた。
「薬だよ、飲んで!」
トトリは取り出した瓶を開け飲ませようとしたが、ミミは薬を口に含むと、咽で吐き出してしまう。1口分も飲ませることができない。
まずい。まずいまずいまずい。
焦りと混乱で回るトトリの思考は、ある方法に辿り着く。本で、いくつかの物語で見たことがある。胡乱げな目で浅い呼吸をして血を吐くミミを見て決心した。
トトリは薬を自分の口に含むと、ミミと唇を合わせ、ゆっくりと流し込んでいった。咽が癒えても、何度も口移しで薬を流し込んで行く。
全身の傷はじきに癒え、さっきまで虚ろだったミミの眼に理性が戻ると。ミミは急に飛び上がってトトリを突き放した。
「な、なな、なにを、あんたは!」
「ミミちゃん!」
トトリは慌てるミミを無視して、その体に強く抱きつく。
「よかった…ミミちゃんが死んじゃったら、わたし…」
ミミは泣きそうな声で縋り付くトトリを引き剥がすこともできず、安心させるように抱き返すほかなかった。
「ああ、もう…ごめんなさい、心配かけて。その、助かったわ、方法はともかくね」
「どう?行ける?」
「大丈夫、登ってみるね。じゃあ、お願い」
ミミがロープを引き上げると、トトリもそのロープを手繰りながら岩壁に足をかけ始めた。巨大な岩と氷の隙間を潜っていく。岩肌を強く踏んで安定性を確かめて、慎重に登って行く。いつ壁が崩れるとも分からない。パラパラと小石が転げ落ちて行った。
トトリは体から汗が吹き出るのを感じていた。ミミの顔を見たくて、上を向く。ミミはトトリの身を案じながらも、その不安を表情に出すまいとしていた。大怪我をしたのはミミのくせに、自分を心配させないよう耐えているのがトトリはおかしかった。
「よいっ……しょ!」
「はぁ、は…っ、着いたぁー!」
「ふふ、まだよ」
逸るトトリにミミが指で指し示す。すぐそこに頂上が見えた。
頂上までの稜線はほとんど体を引きずるようにして進んでいった。普段当たり前に動かしている体が重くてたまらない。妙な頭痛もしている。それでも。
「「せーの」」
どすん。
二人の冒険者によって、人の踏み入ったことのない山頂に旗が突き立てられた。旗にはトトリが自身を丸くデフォルメして描いた似顔絵と、シュヴァルツラング家の家紋が描かれていた。
「なかなかいい気分だわ」
「あは、そうだね」
二人の眼下にはまだ誰も足を踏み入れていない、雄大な自然を擁した景色が広がっている。山脈を澄んだ水面に映す湖や、雪を負う白い森、今立っているよりも高く聳える山々。二人は、地平線の果てまで続く未踏に、冒険者の本懐を見た。
トトリはミミに寄りかかる。
「来てよかったね」
「そうね」
普段は天邪鬼なミミも、その時だけは素直にトトリの肩を抱くことができた。
「ありがとう、トトリ。私を誘ってくれて」
二人はしばらく寄り添ったまま、ただ山頂からの景色を見ていた。
テントを張ると、適当な食事をして、手当たり次第に毛布を出して、一緒に包まった。疲れが全身に泥のように纏わりついていて、そのくせ興奮は醒めていない。トトリはミミを強く抱き、ミミはそれに応えた。
彼女達の身体には、そのまま酔ってしまうほど妖しい熱と匂いが篭っていた。二人は激しく愛し合い、お互いの身体を抱いた。
何度かの交わりの後、その熱もいくばくか引いたころ、トトリの髪を撫でながらミミは言った。
「あんた、雪山で二人で凍ってくのが素敵だとか言ってたけど。私はまったく、そんなこと思わないわ」
トトリはいつも通りまっすぐとミミを見つめている。
「私たちはこれからも生きて、ずっと二人で名を残すような偉業を重ねていくのよ」
「……ふたり、だけで?」
「っ…そうよ。二人で。あんたは私と、どうなのよ。なんで私を誘って、二人でこんなとこまで来ようと思ったのよ」
「なんで、って。ミミちゃん、いまさら?」
トトリはミミの首筋に顔を寄せた。
「わたしとミミちゃんが一緒にいることに、理由がいるのかな」
首に掛けた虹色のペンダントを撫でると、ミミを上目で見る。
「わたしは、あの山を登るなら、ミミちゃんと二人でとしか考えられなかった。それじゃ駄目かな?」
優しく微笑むトトリの眼には、 有無を言わさない力があった。ミミはいつも、この眼に負けたくないと思っていた。だから、どこまでも一緒に行きたいと思ってしまう。どこまでも求めてしまう。
ミミはトトリに背を向けると、トトリはその背中を慈しむように抱いて、キスをした。どこまでも世界から隔絶した場所で、二人は誰よりも強く繋がっていた。
手を繋ぎながら湖の畔を歩くトトリとミミ。
「ねえ、そういえば、なんでミミちゃんがわたしと一緒にいてくれるのか、それは聞いてなかったよね」
「……そうだったかしら」
「ねえ、なんで?ミミちゃん、なんで?」
とぼけようとするミミの努力なんて構わずに、トトリは詰め寄る。理由なんて分かり切っていたが、ミミ自身の口から言わせてやるのが目的だった。
「ああ、もう!私は、あんたひとりじゃ危なっかしいから、その…放っとけないの!それだけ!」
「へえ~」
仄かに赤くなったミミを見て、トトリは満足げに笑う。
「そっかそっか。ミミちゃんはほんとにわたしのこと大好きなんだね」
「っ…ほんとに、調子に乗らないの!」
「えへへ、そんな赤い顔で睨まれたってかわいいだけだよ」
ミミはますます顔を赤くして、黙って先に行ってしまった。
「待ってよお、ミミちゃん」
楽しそうに追いかけるトトリの気の抜けた声が、未知の大地にも変わらず響いていた。
おしまい
乙です!
やっぱトトミミよ
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