俺「アンチョビが画面から出てきた」 (293)

注意事項
・このSSはフィクションであり、実在の人物や団体とは一切関係ありません。
・最終章等のネタバレを含みます。
・長いです。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1531658008

 2017年11月5日。日曜日。
 一人暮らしのリビングで、アンチョビが眠っているのを見つけた。

「…………???」

 昨日は従姉妹の結婚式。
 地元の愛知まで出向き久方ぶりの親族と顔を合わせ、疲れ果てて埼玉の自宅へ戻った俺は、酒をかっくらいながらガルパンの劇場版を観て眠りについたのだった。

 それで、何故、自宅にアンチョビが?
 まだ寝ぼけているのかと冷蔵庫からボトルコーヒーを取り出して口に含んでみたが、やはり目の前のアンチョビは消えてくれない。

 いや、『アンチョビ』と表現してはいるが、冷静な頭で考えれば、彼女はアンチョビのコスプレをした一ファンに過ぎない。
 コスプレの完成度は相当に高く、身に纏ったアンツィオ高校の制服などは、市販のものでなくおそらくは手製だろう。

 彼女はこたつに倒れ込むようにして眠っているが、目を覚ます様子はない。

 俺が連れ込んだのか、それとも不法侵入か。

 さすがに前者であれば記憶も残っているだろうから、おそらくは後者だろう。
 とはいえ、どれだけ間抜けな泥棒だって、ターゲットの家のこたつで眠りに就くなんてことしやしない。

「あ、鍵をかけ忘れたとか?」

 それで彼女の方も部屋を間違えて入ってきてしまったとか?
 顔を合わせたことはないけれど、お隣さんという可能性だ。

 しかし玄関へ向かい確認してみたところ、問題なく鍵はかかっている。

 ――だとしたら、考えられるストーリーはこの辺りだろう。

 俺は鍵をかけ忘れた。
 部屋を間違えた彼女が内鍵をかけた。
 内装が似ていたせいでミスに気付かず、疲れていた彼女はそのままこたつで眠り込んでしまった。

 ……俺の部屋に似ているなんて、彼女も相当ひどい生活を送っているんだなあ。

 壁一面を覆い尽くす本棚。
 そこに並ぶゲーム、漫画、小説、CD、Blu-ray。
 床には同人誌タワー。空いた酒瓶に、Amazonの段ボール箱。

 彼女が目覚める前に多少なりとも片付けておかないと。

「……と、その前に、シャワーでも浴びるか」

 昨夜は風呂に入らなかったし、寝間着のままだ(フリースの上に着る毛布)。
 シャワーついでに着替えてしまおう。

 バスタオルと着替えを洗面室へ持って行き、シャワーを浴びる。
 バスタオルで水滴を拭い服を着て髭を剃ると、リビングの方から「う"あ"あ"あ"っ!?」と音の濁った声が聞こえた。

 目を覚ましたかとリビングの扉を開くと、その通り、彼女は座椅子の上に立ち上がり、大きく目を見開いていた。

「誰だっ!?」

 発せられた声が思いのほかアンチョビとそっくりで驚く。
 薄緑のツインテールを揺らしこちらを振り向いた彼女は、改めて見ると超がつく美人だ。
 綺麗に巻かれた縦ロールが映える。

「いや、あの、どうも貴女は昨晩、酔っ払ってうちに入ってきちゃったみたいなんですよね。あ、私、戸庭といいます。二十八歳です。どうか落ち着いてください」

 自分でもしどろもどろになっているのがよくわかる。

「落ち着いていられるかあ! どこだここは! ちゃんと説明しろお"お"お"っ!」

「えーっと、まず、ここは私の家です。朝起きたら貴女がリビングで寝ていたという状況なので、私もあまり話を飲み込めてません」

「……なにい? 本気か?」

「あ、はい。本気です。不法侵入なのではないかと疑ってるくらいですし。いえ実際その通りだと思うんですけど、ひとまず貴女の名前を聞かせてもらえますか」

「わたしはアンチョビ。ドゥーチェ、アンチョビだ!」

「そういうのじゃなくて、本名をお願いしたいんですけど」

「う…………安斎、千代美、です」

「いや、そういうのでもなくて」

「そういうのってどういう意味だあ"あ"あ"あ"っ!」

 叫ぶ彼女はやはり音が濁る。
 濁点だらけの彼女の声はやはりアンチョビそのものだ。
 ファンだというだけでこれほど似せられるものなのだろうか。

 あぁ、ひょっとして声優の卵だったりするのだろうか?

「仕事は何をされてるんですか?」

「わたしは学生だ! アンツィオ高校で戦車道をやってるぞ!」

 どこまでもアンチョビになりきるつもりらしい。
 確かに、アンチョビが現実にいたらこんな風だろうという出で立ちだし、演じたくなるのも無理はない。

 年の方も――カマをかけて訊いてはみたが、働いているような年齢ではないだろう。
 せいぜい二十歳くらいかと思う。

 俺が疑いの眼差しを向けているのに気付いたのだろう、彼女は少し棘をおさめ、座椅子に尻をつけた。

「なんとなく、嘘をついてる感じじゃないな」

 むしろ嘘をついているのはそちらなのでは、と言いたくなる気持ちをおさえ、「ホントのことしか言ってないですよ」と答える。

 彼女は、大きなため息と共に、

「何が起きているのかはわからないが、事態は複雑そうだ。冬の大会も終わって、わたしももう引退。あの子たちに戦車道の訓練をつけているところだったんだけどなあ」

 しみじみと、漏らすように口にする。

 大した演技力だ。
 全身に纏ったその空気は、声優はもちろん、女優にもなれるレベルだと思う。

 ――――。
 まさかとは思うが、本当に?

「……あの子たちって? 誰のことですか?」

 確かめるように、俺は質問を投げかけた。

「戦車道の後輩だ。ペパロニ、カルパッチョ、アマレット、ジェラート、パネトーネ――」

「アマレット……?」

 馴染みのある名前のなかに、聞き覚えのないものが並ぶ。

「ん? 知り合いだったのか?」

「いえその逆です。まぁそれは置いといて、じゃあ、アンツィオ高校ってどういうところなんですか?」

「おおっ! うちに興味があるのか! そうだな! まずアンツィオ高校は19世紀にイタリア商人が――」

 彼女はアンチョビだ。認めるしかない。

 一体何が起きているのか俺には理解できないが――特徴的な髪の色、声質、語り口、姿形、知識。全てが全て、彼女がアンチョビであると示している。
 一片の曇りもない。

 試しに「ちょっとそのウィッグ取ってくださいよ」と言ってみたらノータイムで「地毛だ!」と返された。感動した。

「アンチョビさん。ファンです。握手してもらって良いですか」

「え、ええっ!? 今更か! し、仕方ないなあ~」

 俺の言葉に応じて握手してくれるアンチョビは、とてもサービス精神旺盛だ。嬉しい。

「アンチョビさん、そこに座って待っててください。とりあえず飲み物買ってきますから。部屋のものにはあんまり触れないでくださいね。あぁ、漫画ならいくらでも読んでてくれて構わないですよ」

「飲み物を買ってくる? わざわざ買わなくても、わたしは何でも構わないぞ」

「この家には酒とチェイサー用の水しかないんですよ」

「そうか……生活習慣を改めた方が良いと思うぞ」

 自宅から徒歩1分のコンビニで、適当なペットボトル飲料を5種類ほど購入して戻る。
 アンチョビは座椅子に座って『私の少年』を読んでいた。

「どうぞ、選んでください」

「買いすぎじゃないか? ありがとう」

 コンビニ袋の中から、彼女はボトルコーヒーを取り出す。

 俺はアンチョビの対面に座ると話を切り出した。

「まず、アンチョビさんに発表があります」

「と、突然どうした。やっぱりこれ、ドッキリか何かなのか?」

「驚かずに聞いてください」

 アンチョビが喉を鳴らす。

「ここは、アンチョビさんがいたのとは、別の世界です」

 俺は画面の向こうで何度も目にした「な"あ"に"ぃ""い"い"い"っ!?」という反応を期待していたのだが、実際の彼女はぽかんと口を開けるばかりだった。

「別の世界? どういう意味なんだ?」

 なるほど、確かにこの言葉だけでは何一つ伝わらないだろう。

「本棚の、『私の少年』が並んでいる二つ下の段を見てください。そこに『ガールズ&パンツァー劇場版ハートフル・タンク・アンソロジー』という本がありますね」

「うん、あるな」

「手にとってみてください」

 俺の言葉通り、素直に本を手に取ったアンチョビは、表紙を見て「これって」と呟いた。

「西住みほさんです。あぁ、継続のミカさんなんかもいますね」

「……西住、漫画になるほど人気があったのか?」

「主人公ですからね。たぶん中を見るとアンチョビさんも描かれてますよ。この世界では、貴女がたの物語は『ガールズ&パンツァー』と呼ばれており、絶大な人気を誇っています。原作はアニメですね」

「……な」

 驚愕の表情を浮かべた彼女は、声を震わせて続きを口にした。

「な"あ"に"ぃ""い"い"い"っ!?」

 ありがとう、ドゥーチェ。

 一つ一つ、探り合うように互いの認識を共有していった。

 ガールズ&パンツァーとは。
 戦車道とは。学園艦とは。大洗とは。
 アンツィオ高校とは。アンチョビとは。

 俺の見た世界と彼女の見た世界は同じだった。
 けれど、彼女はその世界の渦中にいて、俺は外側にいた。

 彼女はアンチョビ。
 アンツィオ高校のドゥーチェ、アンチョビなのだ。

 話が一息つくと、彼女はばったりとこたつ机へと倒れ込んだ。

「朝もそうやって寝てましたけど、机拭いてないから汚いですよ」

「ショックを受けてるんだ……そっとしておいてくれえ……」

「まぁ、気持ちはわかります」

 自分は物語の中の、創られた存在だと判明したのだ。
 そりゃあしんどいだろうと思う。

 俺だって、今いるこの世界が小説の中の一ページだと言われれば、きっと自分の存在意義に苦しむ。

「夢か? 夢なのか? ちょっとほっぺたつねってくれないか」

「自分でやってください」

 彼女は右頬を自分で引っ張る。
 が、「痛い」とすぐにやめてしまった。

「ドゥーチェ、うどん好きですか」

「嫌いじゃない……」

「ひとまず、お昼ご飯にしませんか。近くにうまいうどん屋があるんです」

 俺が誘うと、彼女は低く「行く」と言葉を返した。

「いらっしゃ――」

 うどん屋の主人は、俺の背後に目を向けた途端に声をつまらせた。
 が、無理矢理に「いませー」と言葉を繋げると、俺たちを二人がけの席へと案内する。プロだ。

 注文を取りに来たおばちゃんは「コスプレ? コスプレ?」と楽しそうに訊いてくるので、「いやまぁそんなところかもしれないですねー」と適当に返しておいた。

 おそらくおばちゃんは、アンチョビの着ているアンツィオ高校の制服のことを指しているのだろう。
 確かにこれは、我々の世界では高校の制服と言うには苦しいところがある。

「服、買わなきゃいけないですね」

「ああ、そうだな。……て、そういえばわたし、お金も持ってないんだが」

「良いですよ、出しますよ。それなりに収入はありますし」

「すまん。落ち着いたら、わたしのできる限りのお礼をするからな」

「あんまりそういうこと言わない方が良いと思いますよ」

 うどんが届き、互いに箸へ手を付ける。
 薬味をからめた透き通るような麺が美味だ。

「アンチョビさん、これからどうするんですか」

「帰る方法を探す。それしかないからな」

「具体的に、どうやって?」

「……うーん、すぐには思いつかないが、まぁ、何とかなるだろう」

 ごにょごにょとアンチョビは語尾を弱める。

 彼女もわかっているのだと思う。
 身よりも何もない、金も持ち合わせていない彼女が、この世界でたった一人で生きていく術はない。
 帰る方法を探す以前の問題だ。

 今の彼女は、何もできない。彼女には助けが必要なのだ。

 そして、彼女の事情を理解し、助けになれる人間など、俺をおいて他にない。

 その事実は、俺にとって大層嬉しかった。

「アンチョビさん。なんでしたら、うちを拠点にしてくれても構わないですよ」

「え?」

 アンチョビの顔に生気が増す。
 良かった、嫌悪感を示されたらどうしようかと思った。

「アンチョビさんさえ宜しければですけど。一人暮らしにしては広めの物件を借りてますし」

 物持ちなので漫画と小説を押し込めただけの部屋が一つ余っている。
 中身を整理すればなんとかあの部屋は空けられるはずだ。

 アンチョビは「うーん」と唸り、返事をかえす。

「それは助かるが。迷惑じゃないのか」

「いえいえそんな。迷惑というかむしろなんというか」

 これ以上言葉を続けるのはやぶ蛇だろうからやめておく。

「――まぁ、助かるなら、決まりですね」

 悩んだところできっとアンチョビの答えは変わらない。
 だからさっさとそう言ってしまうと、彼女もすぐに言葉をかえした。

「……うう、なにからなにまで世話になって申し訳ない。絶対にお礼はするからな!」

「いえ、ホントお礼とか良いんですけど」

「あ、それだ。そろそろ、それをやめよう」

「はい?」

「敬語だ敬語ー。わたしの方が年下なのに敬語とかおかしいだろー?」

 あぁ、まぁ確かに。
 こちらとしては全国的な有名人と接してる感覚なのだからそりゃあ敬語になろうものだが、向こうからすれば違和感もあるのか。

「じゃあ、はい。ここからはタメ口で。これで良い?」

「うん、良いぞ」

 アンチョビは笑顔で答えた。

「じゃ、そうと決まれば時間もない。とりあえず日用品を揃えなきゃいけないよな。俺が買うのも何だから安斎さんの方で見繕ってきてよ」

「安斎じゃない! アンチョビだ!」

「あぁ、そこはアンチョビで通すんだ。了解です。はい。アンチョビさんで」

 器はお互い空になっている。そろそろ席を立とう。

「行きますか」

 アンチョビに声をかけると、店主に伝票を渡し金を払う。

 店を出る前に、うどん屋までの道程でなんとなくアンチョビが寒そうにしていたのを思いだし、彼女へコートを手渡した。
 目立つ制服も少なからず隠せるだろう。

「店を出て右手へずっと歩いて行くと――ええっと、でっかいショッピングモールがあるから。アンチョビさんはそこで必要そうなものを買ってきて。俺はその間に部屋を片付けとくから」

「お、おう」

「まぁまずはお金を卸しにいきますか。あんまり手持ちもないので」

 生活のためのあれこれを揃えるには――とりあえず10万円くらいは彼女へ渡しておく必要があるだろう。
 郵便局のATMはすぐ近くだ。

 うどん屋を出て「こっち」と短く声をかけて歩き出す。

「なんかこれって、よく考えてみたら、ど、ど、ど、どうせ、同棲――」

 ごにょごにょと呟く彼女の顔を振り返るのは、どうにも気恥ずかしくてできなかった。

 アンチョビが我が家へ戻ってきたのは4時間後――16時頃のことだった。

 部屋の整理も初めは2時間もあれば終わるだろうとたかをくくっていたのだが、漫画を段ボール5箱ほど詰めたところで時間切れとなった。
 処分する漫画の選別をしたり、懐かしくて読み返したりなどしていたせいである。
 つくづく駄目人間だ。

「ごめん。片付け終わってない」

「大丈夫だ! 二人でやれば早いぞ!」

 笑顔で応えるアンチョビが眩しくて見ていられなかったが、手伝ってくれるというのは助かった。

「これはいるか」「どうかなー読むかもなー」
「保留だな。じゃあこれは?」「あ、読むかなーどうかなー」

 というやり取りを幾度か繰り返したところで、アンチョビが「ふあああぁ! 保留のやつ全部処分で決定だあぁああっ!」と叫んだ。
 段ボールは計12箱となった。

 残った空の本棚は部屋の隅に寄せ、廃品回収を依頼。
 段ボールの中身は某古書店に電話した。

 さて、これで居住空間は確保できた。衣食住の、『住』だ。

 寝具についてはあいにく寝袋と毛布くらいしかなかったので、注文した布団が届くまではこれで我慢してもらう。
 俺のベッドは同人誌や脱ぎ散らかした衣類だらけの寝室にある。申し訳ないけれど貸すことはできなかった。

「『衣』は、とりあえず買ってきてもらったし、残るは『食』か。まぁこれもどうにでもなるだろ」

「あ、食といえば、ついでに夕飯の食材を買ってきたぞ」

「え? アンチョビさん、料理するの?」

「んー。なんだその言い方は。これでも料理は得意だぞ」

「でもうち、調理道具とかないけど」

「包丁とまな板くらいあるだろう」

「ないよ」

「これまでどうやって料理をしていたんだ!?」

「料理をしないので」

「しょ、食事はどうしていたんだ?」

「外食か、総菜か、コンビニ飯」

「今日から節約だ!」

 節約だ節約だ、と騒ぐアンチョビを見て、そういえばアンツィオ高校は気が遠くなるような時間をかけて貯めたお金でP40を購入したんだったな、と思い出した。
 まぁこれからのことを考えると、アンチョビの言う通り、可能な限り節約をした方が良いだろう。

「そんなら俺、ちょっと調理道具買ってくるよ。そういえば食器もないし食器も。何がいるの?」

「おー、それが良い。ひとまずお皿にフォークに、包丁とまな板、フライパン、あとは鍋だな。あ、それと調味料もないよな? まず塩とコショウと――」

 アンチョビの並べる名詞が思いのほか多いので慌ててメモる。

「終わり! これで全部だ!」

「了解。ちなみに何作るの?」

「牛肉のラグーソースとサラダ、あとはトマトスープだな」

「赤ワイン買ってこよ」

「節約するって言っただろ!」

 自転車でららぽーとへ。
 言われたものを購入して家へ戻ると、19時すぎだ。

「急いで作るからな」と言うアンチョビは30分ほどで調理を終える。

「いやー、アンチョビさんの手料理が食えるとか感動しかないなあ」

 パスタを口にいれると外食と遜色ないほど美味で、堪らずワインへ手が伸びる。

 そして「幸せだなあ最高だなあ」とぐびぐびワインを飲みながらアンチョビと向こうの世界の話をしていると、いつの間にか日付が変わっているのに気付く。
 彼女へ「寝まーす」と告げて、俺は寝室のベッドへ倒れ込んだ。

 2017年11月6日。月曜日。
 少しだけ痛みの残る頭を抱えながら寝室を出ると、普段の我が家にはない香りが漂っているのに気付く。

 違和感を覚えながらもシャワーを浴びて洗面室でじゃこじゃこと歯を磨いていると、「おはよお」と声が聞こえた。
 視線を送ると、ドアの隙間から半分だけ、彼女が綺麗な顔を覗かせている。
 そこでようやく俺は、アンチョビが我が家にやってきていたことを思い出した。

「おはよう、何で隠れてるの?」

「うう、終わったら言ってくれえ。わたしも着替えたい」

 あぁなるほど、寝起き姿をあまり晒したくないんだな、と合点する。

 ぺっぺっと口内の水を吐き出しゆすぐと、ワックスで髪型を整え、寝室へ戻りスーツへ着替える。

「じゃ、会社へ行くので」

 ドアごしに洗面室の中へ声をかけると、すぐさまアンチョビの声が返ってきた。

「もう行くのか!? 朝食はどうした!?」

「会社でコンビニ飯。あんまり時間ないし」

「駄目だ駄目だ! パンを焼くから待ってろ!」

 扉が開く。
 アンチョビは髪を解きフリースのパジャマという出で立ちだ。ほう。

 まだシャワーも浴びていないだろうに彼女は先程の恥じらいなど忘れたかのようにキッチンへ向かい、器用にフライパンで食パンを焼き、上にチーズとハムを載せた。

「完成だ! ほら、すぐできただろ!」

「絶対旨いやつじゃんこれ……」

 実際に口に入れてみると、想像の倍ほど旨い。
 数分で完食してしまったが、その間にアンチョビは洗面室の方へ消えてしまっていた。

 俺はドアの向こうへ「今度こそ行ってきますよー」と投げかけて家を出た。

 電車に揺られて新宿の会社まで1時間強。

 顧客から仕様の詳細を聞き出したり、コードを書いたり、部下のコードをレビューしたり打ち合わせしたりなどしていたら夜が更けていた。

 リリースまで一ヶ月と少し。問題は山積み、追い込みの時期である。
 忙しくてかなわない。

 未だ社内に残る同僚や部下に「帰るわー」と声をかけ、電車でどんぶらこ、我が家へ着いたのは深夜23時だ。

「遅すぎだろ……何時間仕事をしてるんだ……」

「SEというのは不思議な人種ですよね」

 俺を出迎えたアンチョビは、パジャマ姿ではあるものの、朝とは違い髪をリボンでまとめていた。

 SNSで「夕飯いらないので」と伝えておいた(スマホは俺の予備端末を貸した)のだが、キッチンからはトマトの香りが漂ってきている。

 アンチョビも食べずに待っててくれていた(天使か)し、俺の分を捨てるのももったいないし、なによりアンチョビの手料理なら是非いただきたい。
 遅めの夕食とあいなった。

「夕食のついでに今後の作成会議をしたかったんだが、また今度にした方が良いか?」

「いやいや、また今度となるとたぶん次の土曜とかになるから、今日やろう」

 パスタと昨日の残りのワインを取り、こたつの前へと座る。
 向かいにアンチョビも座ったのを確認し、口を開く。

「ちなみに、布団はもう届いた? 段ボールの引き取りは?」

「両方終わってるぞ。ばっちりだ!」

「良かった良かった。じゃあこれでひとまず暮らすのに支障はなくなったわけだ」

「おー、戸庭のおかげだ。ありがとう」

「いやいやそんな」

 こうも面と向かって礼を言われると照れくさくなってしまう。

「それじゃ、ようやく元の世界に帰る方法を探し始められるな。何か案はあるの?」

「仲間を探す。……こんな状態になっているのはわたし一人だけじゃないと思うんだ。わたし以外にも――ガールズ&パンツァーじゃないかもしれないけど、他の世界からこっちに出てきた人がいるかもしれないだろ。その人達を探すんだ」

 なるほど、今日一日で考えをまとめたらしいな。

「ちなみに根拠はある? 手がかりは?」

「う……実は、昼間に思いついてからネットで調べてたんだが、まだ何も見つかってない」

 無理もないだろう。普通に調べて出てくるようなものじゃない。
 画面の向こうからキャラクターが現れたなんて大ニュース、実際に起こってたらすでに俺が知ってなきゃおかしい。
 仮にあったとして、公表していないか、デマだとあしらわれているかのどちらかだ。

「一日二日で何か見つかったら苦労しないでしょう。俺は――まぁさっき『案はあるか』なんて訊いておいてなんだけど、まずは情報収集から入るべきだと思うけどね」

「情報収集? なんのだ?」

「この世界とアンチョビさんのいた世界との違い。そして作品内で描かれているガルパンの世界と、アンチョビさんのいた世界との違いだ。後者は結構簡単だと思うけどね。昨日も少し認識合わせしたけどさ。今度は実際にアンチョビさんが作品に触れてみようってこと。うちにBlu-rayとドラマCDは全部揃ってるから、とりあえず全部消化しよう」

「ドラマCDなんてあるのか……」

「うん、これとか」

 ドラマCD2巻の武部沙織によるアンツィオ訪問を流し始める。
 と、初っ端で登場した自分の声に、アンチョビは「はあああっ!? なんでこんなものが録音されてるんだ!?」と叫んだ。

「マイクがどこかに設置されてたのか!? どういうことだ!?」

「あ、やっぱそういう認識なんだ。じゃあこっちは?」

 今度はドラマCD4巻の戦車道講座(乗車編)だ。

「……あぁ、これは覚えてるぞ。カットされるかと思ってたところも全部収録されててびっくりした」

「収録? 向こうだとどういう扱いなの? これ、こっちのファンとしては『月刊戦車道のドラマCD版ってなんやねん』みたいな反応だったんだけど」

「月刊戦車道の公式サイトで配信したんだ」

 なるほど、きちんと補間されてるなあ。

「まぁこの調子ならスムーズに進められそうかな。じゃ、一旦明日はこれをよろしく。仕事から戻ってくるまでに、ある程度、差異をまとめておいてくれると助かる」

「おお、了解だ!」

 応えたアンチョビは、伏し目がちに言葉を続ける。

「……な、なんか、今日の戸庭は昨日よりも頼りになるような気がするな」

「脳みそが仕事モードになってるんですよ」

 今日の作成会議はこれで終わり。
 続きは明日だ。

三大珍味の話ではなかった…?

>>32
すまんかった。ガルパンです。

 2017年11月7日。火曜日。

 通勤電車の中で考える。
 何故、アンチョビが現れたのは我が家だったのか。

 もしかして、アンチョビは俺の妄想の産物なのではないかとも考えた。
 漫画や小説でもよくあるだろう、俺がそれを願ったから、神様だか仏様だかがそれを叶えて彼女は現れた。

 しかし、彼女はどうやら俺の知らない事実を知っているようだ。
 アマレットの件が良い例だ。
 俺が創りだした存在なのだとしたら、おそらく俺の脳内にないことは出てこないんじゃないかとも思う。

 アンチョビの教えてくれた、俺の知らないガルパン世界の情報。
 それが今後のメディア展開で明らかになる情報と一致すれば、また一つの指標にもなるだろう。

 話を戻して、どうして我が家なのか。
 これについて、今日のところは結論を出せなかった。

 けれど、考えることに意味がある。
 少しずつ情報を整理すればいつかゴールにも辿り着けるだろう。

 家へ帰る。と、部屋が綺麗に片付けられているのに気付いた。
 床にはホコリ一つないしどうもトイレや浴室なんかも掃除されているようだ。

「え、これ全部アンチョビさんやったの」

「他に誰がいるんだ!」

「なんかすみません」

 リビングで腰を落ち着けて、再び作戦会議。
 今日の夕飯はホワイトシチューとパンだった。

「そろそろ米が食べたいなあ。日本食は作らないの?」

「この家には炊飯器がないんだが。買って良いか?」

「あ、はい。ホントすみません。炊飯器含め、調理道具やら調味料やら好き勝手に購入していただいて良いので」

 アンチョビにはまとめて数万円を渡してある。
 足りなくなればアンチョビの方から申し出てもらうシステムだ。
 ネット通販も自由に使って良い旨伝えてある。

「まぁその話は置いといて。じゃ、始めようか。アンチョビさん、報告をどうぞ」

「ああ。結論から言うと、勧めてもらったアニメとドラマCDに関しては、わたしの認識とのずれは一切なかったぞ」

「に関しては?」

「漫画とか小説も読んでみたが、そっちは記憶にないことが多かったな」

「確かに、そもそもコミカライズ版とか全然性格の違うアンチョビさんもいるし。記憶にない方はあくまでパラレルワールドの物語なんでしょう」

「パラレルワールドっていうのがよくわからんが、たぶんそういうことだな」

「あ、そういえば、アマレットって出てた?」

「おー。えっとな――――この子がアマレットだ!」

 俺のPCを操作し、キャラクター画像を表示させる。

「Si子! Si子じゃないか!」

 なるほどなるほど、となると。

「他にも言ってた、ジェラートとかも出てるの?」

 俺が言うと、アンチョビは「いるぞー」と答え、OVA版を流し始める。
 アンチョビが皆の前で演説をしているシーンだ。

 配下の生徒を指さし、アンチョビは、「これがジェラート、これが――」と次々に口にする。

 しかし、その口調から徐々に元気がなくなってきた。
 一度言葉を切り、彼女はしんみりと呟く。

「……あの子たち、心配してないかな」

 あぁ、ホームシック的な。

「向こうがこっちの世界と同じように時間が流れてるとは限らないよ」

「どういう意味だ?」

「アンチョビさん、こっちの世界に来た時、向こうでは何月だった?」

「12月だ。もう少しでカルパッチョの誕生日だった」

「こっちはまだ11月の初旬だよ。日付が一致してないんだから、極端な話、向こうの時間はいま止まってる可能性だってある。アンチョビさんがガルパンの世界へ戻った時、向こうでは全く時間が経過してないかもしれないよ。だから、そんなに焦る必要はないと思う」

「お、おー。賢いな! 戸庭!」

「それなりに小説読んでるからなー知識があるんすよねえ」

 はっはっはと笑い、大人げなかったと反省して声のトーンを戻す。

「とにかくまぁ、こうして少しずつ情報を集めていきましょう。次は、この世界とアンチョビさんのいた世界との違いだ。でっかいところでは、世界の歴史や地形、ちっさいところでは存在するお店やブランド、漫画辺りかな。アニメ観る限り、とりあえずサンクスとか大洗の店舗はあるみたいだけど」

「おー! 任せとけ!」

 2017年11月12日。日曜日。

 簡単な朝食を済ませ、リビングでアンチョビと向かい合う。
 久しぶりの休みなので(昨日は休日出勤だった)、今日は長めの作戦会議だ。

「そろそろ立ち直りました?」

「さすがにな。気落ちばかりしていても仕方ない」

 水曜日のことだ、家に帰るとアンチョビが死にそうな顔でこたつに突っ伏しているのを見つけた。
 この世界に『戦車道』が存在しないという事実がショックだったらしい。

 続けざまに彼女は、学園艦、アンツィオ高校なども、全てこの世界には存在しないことを知った。
 先週の段階で俺が話しておけば良かったのかもしれないが、だとしても受けるショックは変わらないだろう。

 アンチョビは「薄々勘付いてはいたんだがなあ」とぼやきつつも、見るからに意気消沈していた。

 おそらく彼女自身、ようやく別の世界に来てしまったのだという自覚が出てきたのだと思う。

 ぱんぱんと頬を自分で叩き、アンチョビは威勢良く口を開く。

「さて、始めるぞ!」

「はい、どうぞ」

 この数日間、アンチョビは俺のPCを介してどっぷりとこの世界に浸かっていた。
 ネットにない情報は市の図書館で。
 4日間もの時間を費やした彼女は、ニュースもろくにみない俺が持ってるくらいの情報はあらかた頭に叩き込んだことだろう。

「――まず率直な感想だが、この世界、大丈夫なのか」

「あー、そういう話になります?」

「戦車道がないのは、戦車がまだ実戦で使われてるからだろう。ていうか終末時計ってなんなんだ!」

「いやいや、実際アンチョビさんが思ってるのより世紀末感は薄いと思うよ。人類滅亡寸前ってことはない。それに、どうせアンチョビさんの世界とは関係ないんだし、こっちの世界のことは良いじゃん」

「んー、そういう話でもないんだよなあ」

「とりあえず置いておきましょう。はい。で、本題に戻して、じゃあアンチョビさん、以上の情報を踏まえて、案は何か浮かんだ?」

「……まぁ良いか。もちろん案はあるぞ。まずな、あんまり認めたくはなかったんだが、やっぱりガルパンの世界は創られたものだってことが実感できたんだ。戦車が競技に使われるなんてこっちの世界じゃありえない。だからこそ、娯楽として楽しめるようにガルパンが生まれた。わたしの世界との比較をすることで、それがよくわかった」

「元々この世界にいた自分としては、自明のことだな。それで?」

「だったら、ガルパンを創った人たちが、何か知ってるんじゃないか?」

 ガルパンを創った人たち。

「ガルパンは創られたものだ。それは認める。だが、もしかしたら元になった何かがあるかもしれないだろ。その何かは、わたしと同じように、この世界へやってきたガルパン世界の誰かかもしれない。そして、ガルパンを創った人は、そこから着想を得たのかもしれない」

 なるほど、単なる可能性の一つではあるが、確かに制作陣に事情を訊いてみるというのは、かなり有効な手だと思う。

 懸念があるとしたら――、

「会ってくれるかどうかが、問題かなあ」

「それだよなあ」

 アンチョビが天井を仰ぐ。

「向こうから見たらこっちはただのファンに過ぎないわけだし、難しいかもね」

「まぁ、やってみるしかないだろう。正直に全てを話すんだ」

「頭のおかしい奴だと思われて終わるんじゃないかなあ」

「やってみなきゃわからないだろ~!」

 アンチョビが可愛く唸るのでさすがにこれを無下になどできない。

「うーん、じゃあとりあえず試してみますか」

「おー! そうだな! とりあえず制作会社にメールを送ろう!」

「いや、メールだけだとホント、マジで気が狂ってるんだと判断されて終わりだと思うよ。迷惑メール直行ですわ」

「じゃあ、どうするんだ!」

「直接、会いに行こう」

「え? どこに?」

 今日が11月12日だから、ちょうど1週間後だ。

「来週、11月19日、大洗であんこう祭りがある」

疲れたので今日はここまでにしておきます。
(たぶん)明日再開します。

期待

俺嫁豚はハーメルンとかで書けよキモいから

>>28
飯の要否を世界的に公開するSEすき

>>46
LINEっていうsnsがあってですね

>>46 >>47
LINEと書いておいた方が良かったかもしれませんね。
次からLINEにしておきます。

再開します。

 2017年11月18日。土曜日。

 あんこう祭り、前日。俺は職場にいた。
 何故か。リリースが近いからだ。

 顧客から尚も繰り返される仕様変更を受け、設計書を修正しなければならない。
 ついでに言うとテスト仕様書の作成も始めなければならないし、更に言えばコーディングも進めなければならない。
 地獄か。

 とはいえ設計書の修正やテスト仕様書の作成なんかは手慣れているので脳みそを空にしていても進められる。
 職場に一人しかいないのを良いことに、時折アンチョビとLINEなど嗜みながら仕事に臨んだ。

 帰宅は午前0時となった。やあすごい。

「お疲れ様。今日は休日ではなかったのか? 大丈夫か?」

 アンチョビに励まされさえすれば大丈夫です。

「できれば、大洗に前日入りしたかったんだけどねえ」

「ん、まあ仕事なら仕方ない」

「あ、いや、仕事は関係なしに前日入りは無理なんだよ。宿がとれないから」

「なんだ、大洗は宿が少ないのか?」

 そもそも人が多すぎて予約瞬殺とか色々説明するのが面倒で「まぁそれもありますよねー」と濁す。
 アンチョビも何となく俺の疲れを感じ取ってくれたみたいで問答はそこで切れた。

 一瞬、間があって、アンチョビが呟く。

「……そろそろわたしも働かないとな。いつまでも甘えてばかりじゃ駄目だ」

「いやいやお金は何とかなってるから良いよ」

「そうはいかないぞ。……どう恩返しをすれば良いのかまだ考えられてないが、せめて少しでも戸庭の苦労を減らさなければ」

 アンチョビが働いてくれても俺の仕事は減らないんだなあ。

「一緒に飯食ってくれたらそれで良いよ」

「んー? 今も一緒に食べてるじゃないか」

「だから、それで良いの」

 アンチョビの声を聴いているだけで耳が幸せなので、十分に仕事の苦痛は癒やされる。
 それに、こんな深夜まで夕飯を我慢して待っててくれているのだ。
 心の底から、感謝の念しかない。

「さあ、さっさとご飯食べて今日はもう寝よう。明日は早い」

「ん? 何時に起きるんだ?」

「7時過ぎの電車に乗るから、6時起きかな」

「……早すぎないか?」

「ホントは前日入りしたかったんだって」

 納得しない様子でしかめ面を浮かべるアンチョビを眺めながら食事を終える。
 俺は歯を磨き、スーツを脱ぎ捨てて床に就いた。

 2017年11月19日。日曜日。

 起床して枕元の時計を見ると、6時20分。
 若干の寝坊に慌てて飛び起きると洗面台へと向かう。

 がらがらぺーっとうがいしてシャワーを浴びてリビングへ。
 ふーっと落ち着いたところで、そういえばアンチョビの姿が見当たらないのに気付いた。

「まだ寝ているのか……?」

 いやまさかそんな、と思いつつも、彼女が某戦車道全国高校生大会の決勝戦に現れなかった理由を思い出すとそのまさかだろう。

 部屋の扉をノックし「あの、アンチョビさん、朝なんですけども」と声をかけると、低く濁った「ん"ー?」という返答が聞こえた。

「寝過ごしたぁあっ!」

 リビングでドラクエライバルズなど嗜みながら彼女の身支度を待ち、出発。
 対面からの朝日が眩しかった。

 いつもならアンチョビが作る朝食も今日はコンビニ飯で済まし、電車に乗ったのは30分遅れの7時35分となった。

「うう……すまない」

「まぁ俺もよく寝坊するので。気にしなくて良いよ」

 朝霞台。新松戸。
 何度か乗り換えを繰り返して、柏に到着。
 駅のホームで特急券を買って、ときわ53号に乗り込む。

 切符は急いでいたので未指定席だったが、特に指定客も現れる様子はない。
 アンチョビの横顔越しに窓の外を眺めると、段々と景色が田舎へと変わり始めた。

 田畑。その合間を縫った道路。
 走る車。並んだソーラーパネル。
 今にも倒壊しそうな家屋。溜め池。
 鉄塔。発電所。山。林。森。

 水戸に近付くにつれ、黄色、赤、緑と木々がカラフルになってゆくのが綺麗だった。

 水戸駅。鹿島臨海鉄道大洗鹿島線。

 3分ほどで切符を購入できた(手売りだった)ので「全然待たなかったなあ」と言うと、「そうか?」とアンチョビは不思議そうな表情を浮かべた。
 今日のアンチョビは黒縁の眼鏡と深めの帽子で顔を隠しており、新鮮で可愛らしい。

 大洗鹿島線の列車は、入り口に段差があったり車内券売機が置かれていたりと、いかにも私鉄らしかった。
 一人分の座席が空いていたので彼女を座らせる。

 そして再び田畑。並ぶ家屋。
 味噌ラーメン屋。川。ボート。
 マリンタワーが遠くに見えて、大洗への到着を知る。

「やった! 着いた! 大洗だ!」

「いつになくテンションが高いな、戸庭っ!?」

「いやだって年に一度のお祭りだし」

「地元にも祭りはあるだろう……? まぁ、わたしも祭りは好きだけどな!」

 マリンタワーへの大通りにはあんこう祭りののぼりが並び、歩行者天国はすでに通行が困難なほどの賑わいを見せている。
 わいのわいのとはしゃぎながらマリンタワー前へ向かうと、ステージの方角からはヒーローショーのお姉さんの声が届いた。

 まいわい市場が見えてふいに物販列に並ぼうかとも思ったのだが、列の長さが恐ろしいことになっているようだしアンチョビもいるので、諦めてそのまま広場へ。
 密集した人・人・人。そして漂う屋台の香りと白くたちこめる煙に気持ちが昂ぶる。

「おぉおお、すごい人だな」

「ガルパン人気もあると思うけど、そもそものお祭りが有名だからね。あ、ビール飲んで良い?」

「もちろんだ!」

「よっしゃ」

 地元の人間半分、ガルパンおじさん(&お姉さん)半分の空間は妙に居心地が良い。
 からあげや牛串や「おぉうまいなーっ!」と笑顔のアンチョビを肴に飲み歩いていると、1時間も経たぬ間に体力が切れた。

「……ガルパンキャストの出演するステージって、何時からだっけ」

「11時半から――20分後だな。戸庭はここで休んでて大丈夫だぞ。仕事の疲れもあるだろうし、付き合わせるのも悪いからな。私一人で行ってくる」

 言われて気付いた。
 あぁ、これ、移動疲れとか酒で体力を奪われたとかじゃなくて、日頃の疲れが出てるのか。

「……いやいや、そうは言ってもね。こっちこそ悪いよ。説得するんなら人数は多い方が良い。俺も行く」

「そんな赤い顔で交渉になるのか?」

「……仰る通りですね。ごめんなさい」

 俺が言うと、アンチョビはにんまりと笑顔で返した。

「おー! 安心して待っててくれ! 回復したらぷらぷら歩いてても良いからな!」

 アンチョビが去ると、祭りの喧噪の中でふいに俺の周りだけ音が消えたような気がして、妙に寂しかった。
 ぼうっと宙を見上げると空は快晴で、『いい一日』っていうのはこういう日のことをいうのだなと何となく思った。

 アルミ製のベンチに座って、屋台でやきそばを焼くおっさんやらビールを手に談笑するおっさんやらを眺めていると、ステージを中心とした人だかりが大きくなってきたのに気付く。
 もはやベンチに座っているのもままならず、後方に下がると、マリンタワーの裏から、ステージ右手へと向かった。

 アンチョビは首尾良くやっているだろうか。
 計画では、スタッフに頼み込んで出演を終えたキャストと面会することになっていた。
 無駄かもしれないが、事前に商工会議所側と制作側の両方へメールも送ってある。

「……まぁ、心配しても仕方ないか」

 きっとアンチョビなら上手くやるだろう。
 俺を説得できたのだから、同じようにやるだけだ。

 やがてステージが始まった。
 まずバンビジュの宣伝担当が司会進行役として現れ、その後にあんこうチームの声優陣が登壇する。

「みなさんこんにちはー」「みなさんと楽しい時間が過ごすことができて嬉しいです」
「毎年毎年すごいですね」「お元気そうでなによりです」「みなさんおはようございまーす」

 最終章に関するトーク、主題歌のライブ、公演やイベントの告知などが行われ、ステージは1時間ほどで終わりを迎えた。

 最終章の公開まで残り一ヶ月を切っている。
 そのことを楽しみに思いつつも、そういえばアンチョビはその先の未来を知っているんだよなあ、とふいに思い当たった。
 後で訊いてみようか……いやでもネタバレになるからなあ。

「あ」

 くだらないことを考えていると、人混みのなかにアンチョビの姿を見つけた。

「こっちこっち」

 手を振ると、顔を上げた彼女がこちらに気付く。
 ひらひらと彼女も手を振って応じた。

 合流して、窮屈な人混みを抜け出すとマリンタワーの裏手へ。

「どうだった? 誰と話した?」

「いや、駄目だった」

「え?」

「んー、戸庭の言う通り、信用を得るのは難しいな! キャストの人達と会う前に追い返されてしまった」

 あっけらかんと言うアンチョビだが、その内容は暗い。

「ごめん、やっぱり俺も一緒に行ってれば良かった」

「良いんだ良いんだ! 戸庭は悪くない。帰ったら次の手を考えよう」

 横目に広場の方をうかがうと、ステージが終わったからか先程の人混みは消えていた。
 太陽はいまだ頭上で燦々と輝いている。

「さあ、今日はもうぱーっとあんこう祭りを楽しもー!」

「アンチョビさんがそう言うなら、まぁ良いんだけど」

 広場へ戻り、佐世保バーガーや唐揚げで再び腹を満たすと、埠頭の物販を見て回る。
 アンチョビの水着フィギュアが並んでいるのを見て彼女は赤面していた。

 商店街は去年よりも空いており歩きやすかった。
 らくがきバスやコスプレイヤーや戦車を眺め、歩き疲れてカフェでコーヒーを飲んで休憩すると、15時頃に二人で大洗を後にした。

 帰りの大洗鹿島線の列車には、側面にでかでかとガルパンのラッピングがされていた。
 そのことをアンチョビへ伝えると、彼女は「あぁ、そうだなあ」と気のない返事をかえした。

 2017年11月20日。月曜日。

 あんこう祭り翌日。
 非日常にどっぷり浸かって緩んだ脳みそが、一瞬で現実に引き戻される。
 束の間の休憩すら許されぬ怒濤の作業量、気付けば時刻は夜中の23時となっていた。

 同僚に「帰る」と告げ、帰宅する頃には日付が変わっている。

「おー、おかえり。大変だったな」

 アンチョビと共に夕食を食べ、俺は布団に潜った。

 2017年11月22日。水曜日。

 仕事量は増える一方だ。
 リリースに向けて少しずつ仕事は減っていくはずが、何故増えるのか。謎だ。

 帰宅。やはり日付は変わっており、アンチョビと共に夕食を食べた。

 アンチョビが元の世界へ戻るための、次の手を講じなければならない。
 結局、あんこう祭り当日はお互い疲れて夕食を食べたら眠ってしまい、それきりだ。
 この三日間も、一緒に食事をとってはいるが、取るに足らない話題ばかりである。

「――アンチョビ、なにか作戦は考えた?」

「ん? 作戦? なんのだ?」

「アンチョビが、ガルパンの世界へ帰るための策だよ。そういえばあんこう祭りの時の話も詳しく聞いてないし」

「あ、あぁ、その話か。でも戸庭も疲れてるだろ? 話すのは明日にしよう。明日は仕事も休みだしな!」

「……休み? いや、何故に?」

「明日は祝日だろ?」

「祝日がイコールで休みにならないのがこの仕事の怖いところですよね」

 どん引きした表情のアンチョビを置いて、食器を流し台へ持ってゆく。

「まぁ、明日はもう少し早く帰ってくるようにするよ。21時くらいかな。そしたら少し話そう」

 そう言葉を残すと、洗い物はアンチョビに任せて、俺は眠りに就いた。

 2017年11月23日。木曜日。
 というわけで、祝日(勤労感謝の日である、ははは)ではあるが出社だ。

 出社早々、部下へ「今日は早めにあがるぜ」と声をかけると仕事へ臨む。
 昼飯を菓子パンで済ませ、延々とPCの前へ向かっていると、なんとか20時過ぎに仕事にキリがついた。

 まだ会社へ残る部下に謝罪しつつも退社し、新宿から自宅へと帰る。

「さあ、始めるか。あんこう祭りの件、よろしく」

「とはいっても、大した話ではないんだけどな」

 そう言ってアンチョビが切り出す。

「いきなりテントの中へ入っていくのもどうかと思ったからな、まずは外で仕事をしてたスタッフに声をかけたんだ。キャストの人たちと話がしたい。取り次いでくれないかってな」

「うんうん、それで?」

「それで、責任者っぽい人が現れて、その人に怒られた。突然現れた不審者を会わせるはずないだろってな。はい、以上、それだけだ!」

「食い下がったりはしなかったの?」

「……ん、取りつく島は、なかったと思う」

 うーん、厳しい対応だな。
 責任者というのが誰なのかはわからないが、やり方が良くなかったのかもしれない。
 せめてアンチョビがアンチョビたる証をアピールできれば芽はあったのだろうが、その機会すら与えられなかったわけだ。

「次は、どうしようかなあ」

 乾いた表情で告げるアンチョビに違和感を覚えながらも、俺は言葉をかえす。

「方向性を切り替えるのはどうかな。こちらから直接声をかけるんじゃなくて、むしろあちらから声をかけさせる」

「んー、よくわからないな」

「つまり――」

 俺が言葉を続けようとすると、アンチョビが「あー」と遮った。

「実は、少し寝不足でな。ごめん、今日はここまでにしよう」

「ん? そうなの? じゃあ、続きは明日また俺が帰ってきてからかな?」

「そうだな。そうしよう」

 アンチョビが食器を手に立ち上がる。
 それで本日の会議は終了となった。

「う」

 目覚めると、室内は薄暗かった。

 スマホを取り時刻を確認すると、いまだ5時すぎ。夜は明けていない。

 疲れは溜まっているから、そう簡単に目覚めるはずはないんだけどな、と思うと、ふいに下半身へ尿意を覚えた。
 どうやら原因はこれらしかった。

 トイレトイレ――と、立ち上がり、寝室を出ると、廊下の先に明かりが見える。
 洗面室から漏れているようだ。

 扉が開いているので、ひょいと中を覗く。

 髪を解いたアンチョビが、目元を抑えて、俺から顔を背けていた。

「……アンチョビさん?」

「お、ぉお、と、戸庭、どうした」

 どうしたじゃないよ。こっちが言いたいよ。

 目元から腕をどけ言葉を放ったものの、その声は震えている。
 赤みの強い頬と、僅かに血管の走る瞳、そしてなにより、両の眼から直線に涙の跡が残っていた。

「……あー」

 涙の理由には、察しがついた。

 知らない世界へ放り出されて、知らない男の家にいるしかなく、何とか元の世界へ戻ろうにも一向に上手くいかない。
 いくら頼もしくとも、戦車道の隊長を務める彼女でも、一人の女子高生だ。

 あんこう祭りの件が決定打となったのか、それとも以前から夜中に隠れて泣いていたのか、どちらなのかは判断がつかないが、しかし彼女の辛さはこんな俺でも理解できた。

「と、戸庭?」

 俺は、何をやっていたのだろう。
 仕事の忙しさを言い訳にしていたのか。それともこの状況に浮かれていたせいか。
 どうしてアンチョビがここまで塞ぎ込むまで気付けなかったのだろう。

「あのさ、俺、トイレ行きたくて起きてきたんだよね」

「ぉ、おぉ、そうなのか?」

 俺の言葉に、アンチョビは戸惑った様子で応える。
 俺に何か訊かれるとでも思ったのだろう。

 確かに、俺が物語の主人公なら、例えば西住みほならば、ここで彼女にハンカチの一つでも渡すだろう。
 しかし俺はあいにく現実世界の人間だし、そんなスマートな行動を取れるくらいならこの年で自堕落な生活を送ってもいない。

 出来ないことは出来ないのだから仕方ない。

 けれど、だからといってこのままで良いのか?

 アンチョビが泣いているのだ。
 もし仮に、画面の向こう側で彼女が泣いていたならば、俺はただ祈ることしかできなかったろう。
 けれど今、彼女は目の前にいるのだ。

 現実世界の人間だからといって、境界線を引くのか。
 かつて俺は、窮地に陥る彼女たちの姿に、力になりたいと願ったことはなかったか。
 今がその時ではないのか。

 自己嫌悪に陥るなんて、尽力していない証拠だ。
 スマートなやり方じゃなくても、構わないじゃないか。

 はーっと息を吐くと、呼吸を整えて彼女へ言葉を返す。

「……アンチョビさん、まだ5時だし寝てなきゃ駄目だよ」

「お、おう。そうだな」

「おやすみ」

 アンチョビへ言葉を残して、トイレへと入る。

 便座に座っていると、やがて洗面室から自室へと移動する物音が聞こえた。
 俺は用を足して寝室へと戻る。

 そして床に就くことなく、ただただ思考の海へと潜った。

見てる人いるかもしれないので一応。ちょっと休憩します。たぶん15分くらい。

見てるよー

>>73

ありがてえ。再開します。

 2017年11月24日。金曜日。

「あれ? 戸庭、まだ着替えなくて良いのか?」

 太陽が顔を出して、寝室からリビングへと移動した俺に、アンチョビがそう口にした。
 アンチョビの言うように、いつもなら俺はスーツに着替えている頃合いだ。

「ああ。そういえば今日は代休を取ったんだって思い出したんだよ」

「ふうん、そうなのか。最近、戸庭は前にも増して忙しそうだったしな。うん、ゆっくり休むと良い!」

 上司には電話で「ウイルス性胃腸炎でドクターストップが出ました」と伝えた。
「マジかよ」と呟く上司の声には感情が乗っていなかったが、まぁ、うん、何とかなるだろう。

「いやいや、アンチョビさん。せっかく休日が取れたんだからやるべきことがあるでしょう」

「ん? 遊びにでも行くのか?」

「昨日の会議の続きだよ」

 俺が言うと、アンチョビは目を伏せる。

「……ん、でも、それは――そう、戸庭は働き過ぎだからな。きちんと休んだ方が良いぞ。映画を観たり本を読んだり」

 アンチョビの反応が芳しくない理由もようやくわかった。

 彼女は、元の世界へ帰るのを半ば諦めかけているのだ。
 これ以上頑張っても無駄なんじゃないかと、アンチョビらしくもなく、弱気になっている。

 俺まで弱気に飲まれてしまったら、終わりだ。

「大丈夫だよ。ほら、俺、元気だし。今日は会議で決まり。有効な策が見つかるまで続けるよ」

 ウイルス性胃腸炎と言ったのは、5日間ほどは他人への感染を口実に休みを作れるからだ。
 実際、本当に俺がウイルス性胃腸炎だったなら、来週の火曜辺りまで出社は禁止される。

 だから、この5日間で、結果を出す。

「そうは言うけどな」

「俺が良いって言うから、良いんだ。アンチョビさん、元の世界へ帰りたくないのか。アンツィオ高校のみんなに会いたいんだろう。だったら、さあ、気合いを入れて、始めよう」

 俺がそう応えると、彼女の様子に変化があった。

「……うん、うん、そうだな」

 言い含めるように頷き、アンチョビは笑顔で言葉を続ける。

「よーし、じゃあ、やるか!」

 朝食をさっと済ませ、こたつを挟んでアンチョビと対面する。
 コーヒーを一口啜ると、俺は口火を切った。

「方針を変える必要はないと思うんだよね」

「どういうことだ?」

 アンチョビが首を傾げる。

「ガルパンの制作陣に話を聞くっていう第一目的は間違ってないんじゃないかってこと。間違ってたのは方法だ」

 アンチョビは渋い顔をして、

「怒られてしまったしなあ。まぁそうだろう。しかし、それじゃあどうするんだ?」

「アンチョビがここにいるぞーっていうのをアピールするんだ。制作陣じゃなくて、まずはファンや一般人に『あれ、本物なんじゃない?』と思わせる」

「ふむ」

「つまりは向こうが無視できない存在になってやろうってことだね。声優や音響、ガルパンの関係者はたくさんいるし、その中の誰かの目に留まれば御の字だ。向こうから声をかけてくれるかもしれない」

「理屈はわかったが、具体的にどうやるんだ? 大事なのはそこだろ」

「これを使う」

 言って、俺は脇に置いていたPCの画面を見せる。
 そこには、上から下へとフォローしたユーザーの呟きが並んでいる。

「えーっと……確かこれ、ツイッターだったか?」

「そう。ここでアンチョビさんの声や姿をツイートする。俺のフォロワーが……えーっと、今のところ842か。まぁこれはもう少し数を増やすとして、1000人ってことにしよう。作りたてのアカウントじゃフォロワーは0だから、アンチョビさんのツイートを俺が引用して、1000人に飛ばす」

 フォロワーからは俺も正気を疑われるだろうが、そこは乗りかかった船だ。一緒に沈む覚悟はある。
 アンチョビの存在が信用されれば、どうせまた浮上するのだ。

「もっとも、1000人全てがツイートを見るわけじゃないし、動画まで観てくれるのはその中でも稀だろう」
「しかし、俺のフォロワーの中にもアンチョビさんのツイートをRTする人間はきっといる」
「徐々に信憑性を増していけば、どんどんその数も増えていくはずだ」
「元より1000人でおさめるつもりはない。大事なのはクオリティと継続」
「とにかく一発目はインパクトを出したいな。バズりさえすれば、こっちのもんだ」

 俺が言い切ると、アンチョビは口を横へ広げ、「うー」と唸った。

「すまん。何を言っているのか理解できないんだが」

 あぁ、そうか。ガルパンの世界にツイッターは存在しないと言っていた。
 詳しい用語はわからないだろう。

 リツイートやらフォロワーやら、一つ一つの用語をかみ砕いて説明していくと最後にアンチョビは「おぉーっ! 良いじゃないかーっ!」と大きく笑った。

「カメラやマイクなんかの機材はこれから池袋に行って買ってくるよ。その間にアンチョビさんは話す内容をまとめておいて」

「おーっ! 任せとけ!」

 そうやって胸を叩く頼もしいアンチョビを家に残し、俺は東武東上線でどんぶらこ、池袋へ。
 駅正面にそびえるヤマダ電機で機材を購入すると、すぐに下り列車で戻った。

「買ってきたよ」

「早いな! 昼食はまだ出来てないぞ!」

「え? 昼食? 原稿は?」

 俺が訊くと、キッチンに立つアンチョビがすまし顔で答える。

「ふふーん、出来てるに決まってるだろう。私を誰だと思ってるんだ?」

「安斎千代美さんでしょうか」

「アンチョビだっ! ドゥーチェ、アンチョビっ! ほら、机の上に置いてあるぞ!」

 ぷりぷりと怒るアンチョビに従い、机の上からコピー用紙を手に取る。

 印刷された原稿は、A4のコピー用紙2枚分。
 各所に、「ここ強調!」とか「この辺はその場のノリ!」とか、丸文字で注意書きが挿入されている。

 ノリで喋る部分が全体の4割以上を占めている気がするが、まぁアンチョビ自身が自信満々なのだから問題ないだろう。
 アドリブが上手くなければきっと戦車道の隊長は務まらない。

「じゃ、撮りましょうか」

「え? すぐ撮るのか?」

「問題あるならもう少し後にするけど」

「い、いや、撮るのは良いんだが、き、着替えさせてくれ」

 ふとアンチョビを見れば、部屋着にエプロン、地味な黒縁眼鏡と、確かに人前に出るような服装ではない。

「それじゃあ、せっかくだからアンツィオの制服にしよう。その方がアンチョビらしさが出て信用も得られるだろうし」

「おー、良い考えだな! よし、着替えてくるから待ってろ!」

 ばーんと部屋を出て行って、10数分後にばーんと戻ってきた彼女は、アンツィオの制服に身を包んでおり、髪の毛を馴染みのリボンでまとめていた。
 アンチョビが制服を着るのは、思い返してみれば、我が家へ彼女が現れて以来のことかと思う。

「どうだ!」

「とてもかわいい」

「そ、そうか?」

 照れるアンチョビへ「そこ座って」と促す。
 あまり生活感を漂わせるのもどうかと思うので、壁を背景にする形だ。

 アンチョビが姿勢を正し、それをビデオカメラのレンズで捉える。
 ビデオカメラの位置を調整し、三脚で固定する。

「いきますよ」

「おー!」

「――録画、スタート!」

 俺が言うと、アンチョビはにかっと笑って、「まず始めに名乗っておくぞ!」と切り出した。

「まず始めに名乗っておくぞ! 私の名前はアンチョビ! アンツィオ高校で戦車道の隊長をやってるぞ!」
「……とはいえ、私のことを知ってる人もいると思う。私たちの戦車道は、こっちの世界ではガルパンって呼ばれてるみたいだからな」
「まぁ信じてくれる人だけ信じてくれたら嬉しいんだが、私はガルパンの世界から、こっちの世界へ出てきてしまったんだ」
「あぁああ急にこんな話を聞いて信用できないのはわかる! でももう少しだけ聞いてくれ!」
「とりあえず、私がこうしてここにいることとか、喋ってることを色んな人に知って欲しいんだ」
「……私は、元の世界へ帰る手段がわからない」
「だからとにかく情報が集めたい! アンチョビを名乗る女の子がなんか言ってるらしいぞ! て、噂になるだけでも大助かりだ!」
「私のことを信用できる人も信用できない人も、どうかこの動画を広めてくれ! わかったな! ドゥーチェとの約束だぞ!」
「あ、信用できない人はツイッターでリプライをくれれば、音声くらいならいくらでも録音するし、動画だって撮るぞ!」
「よろしく! じゃあまたなー!」

 モニタ上で、ぶんぶんと手を振っていたアンチョビの姿がぴたりと止まる。

「うん、良いと思う」

 さすがアンチョビ。一発撮りでこれだけ喋れれば上等だ。
 なによりリアリティがある。

 しかし俺の言葉に、アンチョビは納得のいっていないような表情を見せる。

「んー、戸庭、なんか反応が薄いな」

「感情表現が苦手なので。点数にすると90点超えは固いよ」

「90点!? いや、100点を目指さなきゃダメだろ!」

「……んー、正直撮り直してもこれより良くはならないと思うけど。じゃあ何度か撮ってみます?」

「もちろんだ!」

 そうアンチョビが言うので、5回ほど新たに動画を撮影してみる。
 ノリと勢いで話していた部分には台詞に変更があるが、大筋の流れは変わりない。

 しかしやはり、何度も同じ話をしていればノリと勢いというのは衰えていくものだ。

「うーん、やっぱりワンテイク目が一番良い気がするなあ」

「だから言ったじゃないすか」

「何事もやってみなきゃわからないだろー!」

 良いことを言うなあ。

 とにかく、公開する動画が出来上がったので、あとは編集&圧縮、ツイートをするのみとなった。
 ツイートの時刻は17時30分に決めた。

「なんで夕方なんだ?」

「会社勤めと学生の帰宅ラッシュが重なる時間だから。みんな移動中はスマホいじるからね」

「おー、なるほど」

 とはいえ、現在、16時過ぎ。
 予定時刻まで1時間という微妙な隙間があるので、編集と圧縮を終わらせると、アンチョビと二人用のボードゲーム(バトルラインとか)を遊んで待つ。

 そして17時20分。

「じゃあ、アンチョビさんのアカウントでログインするよ」

 あらかじめ、ツイッターアカウントは作成しておいた。
 表示名はシンプルに『アンチョビ』だ。
 プロフィール欄には、ガルパンの世界から出てきてしまった件など、動画で話した内容を短くまとめて記載してある。
 まだツイートは一つもない。

「はい、ログインしました。じゃあ、動画を添付するから、文章を入力して」

 元気よく「任せろ!」と答えるアンチョビへPCを譲る。

 アンチョビは軽快にキーボードを叩き、「アンチョビだ! とにかく動画を観てくれ! そして拡散してくれ!」と入力した。
 単刀直入でとても宜しい。

「これで動画を添付したことになってるのか?」

 画面を見ると、文章入力欄の下にアンチョビの顔が表示されている。

「あー、はいはい、大丈夫。あとはそこのツイートってボタン押せばオッケー」

 アンチョビはにかっと笑うと、「パンツァーフォーっ!」とツイートボタンを押した。

「さあ、どうだ!」

「ちょっと待って」

 アカウントのフォロワーは俺一人だ。
 だから、いまだこの動画は誰の目にも留まっていない。

 俺はスマホを操作すると、自分のアカウントで、「友人のアンチョビさんから、皆さんへ伝えたいことがあるようです」とコメントを付け、アンチョビのツイートを引用RTした。

 ぶうんと、アンチョビのスマホが震える。

「おぉ! きたか!」

「たぶん、俺がRTした通知だと思うよ」

 おそらくツイッターの反応を見ているのだろう、アンチョビがスマホの画面をスライドさせる。
 数秒して、「お、おぉ?」とアンチョビは声を発した。

「通知がたくさんきてるぞ! あ、あ、また増えてる。凄いな戸庭っ!」

 言われて俺もPCのモニタを見る。ツイートのいいね数は1、RT数も同じく1。
 F5で更新すると、いいねが84、RTが104に増加した。
 気になってアンチョビのフォロワー数を確認してみると、こちらもぽつぽつと増えており、現在、45。

「これは、凄いんだよな!? な!?」

「うん。すごい」

 画面を更新する度に、それぞれの数字が増加する。
 徐々に増加速度も上がっており、この様子だとすぐに四桁へ到達するだろう。
 あぁほら、すでにRT数は926だ。

「フォローしてくれた人は、フォローしかえした方が良いか!?」

「あからさまな広告っぽいの以外はばんばんしちゃって良いと思う。あ、それと、リプライがいくつか来てるから返事をかえそう。……下品なコメントも少なくないから、こっちはちゃんと選別しましょうね」

「よしきたっ!」

 アンチョビはそう言って、スマホの画面と向かい合う。

 時ににんまりと笑い、時に赤面し、時にげんなりとした表情を浮かべながら、一件一件リプライへ対処していく。

 俺のアカウントにもリプライがあるので、こっちも同じ作業に移った。

「本物みたいですね」「よく出来てますね」「マジですか?」とか、そんな反応全てに「本当ですよ」と返す。

 アンチョビの方には、俺の方よりも具体的な質問が多かった。

 例えば、「大洗行った?」とか、「アンツィオには招聘されたんだよね。いつ頃呼ばれたの?」とか「ペパロニ達とは土日も会ったりするの?」とか。

 おそらく本当にアンチョビの存在を信じているのはごく僅か――というか、いないだろう。
 彼女が本物だという前提の、あくまでお遊びとして質問を投げかけているのだと思う。

 しかし、それでもバズは生まれ、彼女の存在は広まる。ありがたい限りだ。

 夕飯を食べるのも忘れてツイッターに没頭し、お互い、気付いた頃には午後10時を回っていた。

「腹減った」

「……夜も遅いけど、パスタでも茹でるかあ」

 のそりとアンチョビが立ち上がり、キッチンで鍋に水を入れ始める。
 待つこと15分。「できたぞー」とアンチョビが皿を運んでくる。

 ――と、ふいにスマホが震え、『あれ誰? お前に彼女出来るわけないし、職場の同僚?』と友人から失礼極まりないメッセージが届いた。

「本物だっつってんだろ」

 俺はアンチョビに「ちょっと良い?」と断りを入れると、パスタを手に持つアンチョビをフォーカスし、ぱしゃりと撮影。
 画像をその友人へ送りつけてやった。

 すると友人から「明日お前ん家行く」とふざけたメッセージが返ってくる。はっはっは。

「いただきます」

 アンチョビの作るペペロンチーノ。うまし。

 2017年11月25日。土曜日。

 昨日やり取りをしていた友人が、別の友人を引き連れて我が家へやってきた。

「うっわ、マジやんけ」

「え、彼女? いつできたの?」

 玄関先でアンチョビを目にした途端に騒ぎ出す二人へ「とりあえず入って」と促す。

 リビングで三人こたつを囲んで座ると、アンチョビが「どうぞ」と笑顔でコーヒーのカップを差し出した。エスプレッソだ。
 友人らが心なしか緊張した様子で「あ、どうも」と受け取るのが面白い。

「で、君らは何しに来たわけ?」

「なんかツイッターで変なこと言ってるからおちょくりにきた」

「俺もまぁ気になって真相を確かめに来た感じだよね」

 ……正直、家にあげはしたが、今はこいつらの相手をしている余裕はない。
 冷やかしに現れただけだというのなら尚更である。

「彼女はアンチョビ本人です。はい、帰って」

「いやそれじゃ説明になっとらんでしょ」

「こっちは忙しいの。くだらん話ならまた今度聞いてやるから。ほら帰って」

 そう言って追い返そうとするものの、二人はふて腐れた顔で「帰らん」「冷たくない?」とかなんとかぼやくばかりだ。

 しばらく愚にも付かないやり取りを繰り返していると、アンチョビが割って入った。

「まぁまぁ。せっかく来てくれたんじゃないか。少し落ち着け戸庭」

「天使か」「天使」

 ……いやいや。

「こいつらがいると計画も進まないよ」

「とはいえなあ、ここまで来てくれたのを追い返すのも申し訳ないだろう」

「こいつらは良いの。どうせ暇してんだから、追い返したら追い返したでどっかで酒飲んでるだけだよ」

「しかしなあ――」

「ちょっと待った!」

 今度は俺の友人が割って入る。

「言い争いは良くない。良くないですよ」

「元々お前らのせいだけどね」

「どうせ争うなら、麻雀で勝負をつけましょう」

 …………?

「あのさ、人の話聞いてた? 麻雀すんのに時間かかるでしょ? その時間も惜しいの。ねえ、わかる?」

「あ、負けるのが怖いのね。ごめんごめん、悪かった」

「は? ……あ、いやいや」

「おぉおお良いじゃないか! 楽しそうだ! やろうやろう!」

 ――俺が言いよどんだ隙に、アンチョビが乗ってしまった。

「アンチョビさん、麻雀のルールわかるの?」

「なんとなくわかるぞ!」

 わかってないやつだな、これ。

「……まぁ良いや、じゃあやりますか。俺だけ反論し続けるのもなんだし」

 俺が言うと、友人二人は「「うぇーーい!」」と歓声を上げた。

「えー、じゃあ、こっちの横に長い方が、花澤。そんで、縦に長い方が、長田ね」

「花澤です」「長田です」

「アンチョビだ! よろしくな!」

 花澤と長田の二人が、右手を差し出したアンチョビと順に握手をする。

 結局、麻雀は、南入することすらなく、アンチョビが長田から親倍満を食らい飛ばされて終わった。

 勝者となった長田は「じゃあもうちょっといさせて」と宣言。
 仕方なく俺はそれを認め、友人らは、今日一日、我が家へ居座ることとなったのだ。

「まぁ、それならどうせだし、二人とも手伝ってくれる?」

「はあ? 何を?」

「わかるでしょう。アンチョビの宣伝さ」

 昨日のアンチョビのツイートは、最終的にRT数が五桁にも及んだ。
 幸先は良い。大事なのは、間髪入れずにアピールし続けることだ。

 なので今日も今日とて新たに動画を撮るのだが、ただ昨日と同じようにやるというのはあまり宜しくない。

「二人とも、昨日のアンチョビの動画観た?」

「観たから来たっつったでしょ」「そりゃ観たよ」

「おぉー、どうだった?」

 嬉しそうにアンチョビが問う。

「あー、なんか、すげえなって思いました」

 語彙力。

「声も姿も本物によく似てるし、まぁクオリティ高いよね。よくここまでやれるなあと思いますよ。あ、もちろん良い意味で」

 口ぶりから、やはりアンチョビが本物だと信じているわけではないのだとわかる。

「こっちは『よく似てる』って感想を変えたいんだよ。どうしたら本物だと信じる?」

「何やられても信じないと思うけどね。無理でしょ。次元の壁ってあるじゃん?」

「だから、俺は、それでも信じてるんだよ」

「じゃあ戸庭の時と同じことをやれば良いのでは?」

 ……なるほど。
 俺がアンチョビを信じたのは、彼女と延々語り続けたからだ。
 質問を交えながら、彼女の言葉に耳を傾け、仕草や表情を眺めることで、画面の向こうの彼女と同一人物だと知れた。

 それと、同じことを、やる。

「アンチョビさんアンチョビさん、ちょっとしばらくこいつらと喋ってみてくれる?」

「し、指示がざっくりすぎないか?」

「じゃあアンツィオ高校の紹介してよ。P40とか、ジェラートの話とか」

「おー、それなら任せろ!」

「花澤と長田は、適宜、適当な質問をアンチョビさんにして」

「指示がざっくりすぎん?」

 そうして、アンチョビと、花澤と長田の二人が会話する様子を隣で眺める。

 ジェスチャーを交えて活き活きと話すアンチョビは、太陽のようで、やはりというべきか、当然なのだが、まさにアンチョビそのものだ。
 先程は「無理」と断じていた花澤も、すでに心を掴まれているのがわかる。

 三言二言では駄目なのだ。
 アンチョビの存在を信じさせるためには、時間をかける必要がある。
 昨日の動画は1分足らず。短すぎた。

 しかし反対に、あまりに長すぎるのも良くはない。
 見ず知らずの他人が作った30分超えの動画なんて、そもそも、観る前からお断りである。

 ちょうど良い時間は、大体5分くらいかと思う。
 5分の動画も、積もれば数時間だ。

 コンテンツとしては、視聴者からの質問に答える形式が良いだろう。
 昨日、アンチョビがツイッターのリプライに答えていたのを、動画の中でやる感じだ。

 あとは、新しく興味を持ってくれた人のために、過去の動画を漁りやすくするのも重要だろう。

「よし。ユーチューバー始めるか」

 俺が言うと、三人は揃って首を傾げた。

 さて、ユーチューバーとはいえ、実際やることといえば、普通に動画を撮ってちょこっと手を入れてユーチューブにアップロードするだけの話である。
 編集のない方が自然なアンチョビ感を演出できるだろうし(アンチョビ感とは)、そもそも、凝った動画編集など出来る面子は俺たちの中にいない。

 とはいえ、5分ともなればそれなりに台本は必要だし、アンチョビへの質問も用意しなければならない。
 アンチョビに頼み、ツイッターにて「次の動画を撮るから、みんな、私への質問をくれないか!」と募ったところ、50以上の質問がばーんと集まった。

 俺が質問を選別し、それへの返答をアンチョビが考えつつ、台本の構成に組み込む。

 花澤と長田の二人は特に出来ることもないので、裏でずっとガルパンの劇場版を観賞しつつ酒を飲んでいた。
 アンチョビがスクリーンへ登場する度に「あっアンチョビさんだ!」と声をあげるのが実に騒々しい。

 アンチョビは、アニメでの自分の姿を目にするのに慣れないのか、彼らの声を耳にしてスクリーンへ目を向けると、苦しいんだか恥ずかしいんだかよくわからない複雑な表情を浮かべていた。

 動画の撮影は、花澤と長田がいびきをかき始めた頃に行った。
 二人は邪魔なので、俺の寝室へ運搬。
 前回同様、壁を背にして質問を答えるアンチョビを撮影した。

「本当に任せていいのか?」

「二人いても仕方ないしね。朝までには終わらせとくから」

 アンチョビが自身の寝室へ向かったのを見送って、俺はPCと向かい合う。
 出来上がった動画に、文字入れをする作業だ。

 基本的には撮影した動画そのままだが、最低限、質問内容は文字にして画面端にでも配置した方がわかりやすいだろうとアンチョビと打ち合わせた。

 コーヒーカップ片手に黙々と作業を続けていると、深夜4時頃に編集が終わった。

今日は、ここまでにします。
明日か明後日にまた再開します。


かぐや姫は月に帰れたけど、アンチョビはどうなるのやら…

そろそろアンチョビもこの世界の現実を知る頃みたいだな
自分をネタにしたエロ同人がどれほど蔓延してるかを知って絶望してほしい

再開します。

 2017年11月26日。日曜日。

 セットしておいた目覚まし時計が午前9時ちょうどに鳴り響く。
 じりりんと五月蠅いベルを鷲掴み音を止めると、床に寝転がってぼうっとスマホをいじる花澤と長田の姿が目についた。

「おう」「おはよう」

 声の調子から推測するに、どうやら随分前から起きていたらしい。

「君らは何故にここでごろごろしてんの? 朝飯くらい食べたらどう?」

「コンビニ飯を買いに行こうとしたんだけど、アンチョビさんが作ってくれるらしくて」

「つうか二日酔いでしんどくてかなわん」

 俺も他人のことを言えないが、こいつらも相当な駄目人間だ。

 すんと匂うと、確かにキッチンの方からは何とも心地よい香りが漂ってくる。
 のそり立ち上がり、でくの坊二人の上をまたいでリビングへ向かうと、ちょうどアンチョビが両手に皿を乗せ運んでくるところだった。

「戸庭っ! 朝飯を作ったぞ!」

「やったー」

 俺は寝室へ戻り、「朝飯出来たらしいから早く来いカス共」と中へ声をかける。
 4人がリビングへ揃うと、いただきます。
 朝食を食べながら、昨日調整した動画を観ることとなった。

「アンチョビさん、こんな感じだけどどう?」

「すごいな戸庭! 完璧だ!」

 アンチョビチェックは問題なしらしく一安心だ。

 本日の動画公開タイミングは、20時に決めた。
 休日は、平日と違い通勤退勤ラッシュもない。
 どちらかといえば、遊び疲れて夕食も食べ終わった夜の時間帯が良いだろうと踏んだのだ。

「夜かー。そこまで待つのもなんだし、帰るわ」「また来るよ」

「もう来んな」

 花澤と長田は、結局、大して役に立つこともなく帰っていった。
 わかっていたことではあるが、今後あいつらを頼るのはやめようと思う。

「さ、アンチョビさん、夜までの間、新しく動画を撮ろうか」

「戸庭、編集作業、けっこうかかったんだろう? 今日は休みにしないか?」

「平気平気。気にせずやりましょう」

「私は、戸庭が無理をしすぎないか心配なんだがなあ……」

 ぼやくアンチョビだったが、動画の撮影は承諾してくれる。

 さて、それじゃあ新しい質問は届いていないかとツイッターを開きリプライ欄を確認すると、その中に気になるものを見つけた。
 アンチョビではなく、俺のアカウントへのリプライだ。

『DM送りましたので、拝見いただけませんか?』

 送り主は、俺とリアルの面識のないフォロワーで、アカウント名はキミドリといった。
 同人活動やちょっとしたガルパン仲間の集まりを仕切っているらしく、ガルパン界隈ではそこそこ名が知れている人だ。

 DMを開き、アンチョビにも聞かせるよう、文面を読み上げる。

「動画を拝見しました。とてもクオリティが高く、本当にアンチョビが存在しているかのように思えました」
「つきましては、直接会ってお話をうかがいたいのですが、お時間いただけますか?」
「邪な目的だと思われるのも何ですので、とにーさんにメッセージお送りしています。お許しくださいませ」
「ちなみに私、本日ならフリーですのでどこへでも駆けつけます(笑)」

 『とにー』というのは俺のアカウント名だ。
 礼儀正しいし名は通った人だし、そこそこ信用のおける内容でもある。

「アンチョビさん、この人と会ってみる? たぶん俺よりもガルパンに詳しいから、まぁ少なくとも花澤たちよりも頼りになると思うよ」

「うん、断る理由もないしな! 出来ることは全部やるぞ! 私が一人で行ってくるから、戸庭は家で待ってると良い!」

「いやいや俺も行くに決まってるでしょ」

 アンチョビ一人で男と会わせるのはさすがに危険だ。
 なにより、俺には前回の失敗がある。同じ轍は踏まない。

「それじゃ、アンチョビさん、DM返しておくよ」

「おー、任せた!」

 今日のところは、動画の撮影はなしだ。
 本日分は出来上がっているのだから、明日の分は明日撮れば良いだけの話。
 優先すべき事項があるなら、急ぐ必要はない。

 俺がDMを返すとキミドリ氏からはすぐに返事があった。

『おお、ありがとうございます。楽しみです』

 相談した結果、待ち合わせは13時に新宿となった。

 先程、朝食を食べたばかりなので、昼食はそこそこに済ませると、俺はアンチョビと共に家を出た。

 キミドリ氏とは、新宿の喫茶店で2時間ほど話をして別れた。

 花澤や長田より幾分か信用の度合いは高かったようだが、しかし、彼らと同様、初めはキミドリ氏も半信半疑の様子だった。

「うはははは。あの動画を観たらどうしても真偽を確かめたくなりますよねえ」
「というのも、声があまりにも元の声優さんに似すぎていますから」
「しかもこれまでに公開された音声にはない内容を話していたので、口パクで録音を流しているわけはありません」
「はて、だとしたらこれはどういうわけか、という具合です」
「まぁしかし、リアルで対面すると、顔もアンチョビによく似てらっしゃる」

 キミドリ氏には、これまで同様、アンチョビと数十分、質疑応答をしてもらった。
 そしてやはり、これまで同様、彼もアンチョビの存在を認めるに至った。しめたものである。

「にわかには信じがたいことですが、これは真実としか考えられませんね」

 キミドリ氏は、別れ際に「私に協力できることがあれば何なりと仰ってください」と言ってくれた。
 おそらくはお言葉に甘える日もすぐに来よう。

 新宿には俺の会社もある。
 今日も休日出勤しているであろう同僚らと万が一にも顔を合わせたくない。

 俺とアンチョビは、キミドリ氏と別れると、すぐに電車へ飛び乗って新宿を去った。

 山手線で新宿から池袋へ、10分足らずで到着する。

 JRの改札を抜けたところでふと思いつき、人通りから離れると、「ちょっとそこ立って」とアンチョビを壁際へ立たせる。
 俺がスマホを向けたところでアンチョビは察して「はぁっ!」とポージング。
 それを俺はぱしゃりと撮影した。

「どうするんだ?」

「ツイッターに投稿する」

 キミドリ氏との会話でよくわかった。
 対面なら、アンチョビは信用してもらえる。味方は増やせるのだ。
 そして味方は多いに限る。

 先ほど撮影したアンチョビの画像を彼女のスマホへ転送する。
 そしてアンチョビに画像を添付したツイートをしてもらった。

『池袋にいるぞ! 近くにいる人、私に会いに来てくれ!』

 今日のアンチョビは、服装こそアンツィオの制服ではないが、馴染みのリボンを身につけ眼鏡も外している。

 整った顔立ちも相まってか、横で歩いていると、すれ違う人々が彼女の方を振り返るのによく気付く。
 アンチョビのフォロワーなら、人混みの中からでも彼女を見つけられるだろう。

 想定通り、池袋駅構内からサンシャイン60通りへ向かうまでの道のりで、3組のフォロワーに話しかけられた。

 最初の2組はアンチョビと握手を交わしただけで去って行ってしまったが、最後の女性二人組はアンチョビと意気投合し、通りのカフェへ入りわいわいと女子トークに花を咲かせた。
 俺は手持ち無沙汰だったので横で話を聞いているだけだったが、アンチョビはこちらの世界で人気のある恋愛小説や恋愛漫画など教えてもらいご満悦の様子だった。

 自宅へ戻ったのは20時ギリギリとなった。

 慌てて事前に開設しておいたユーチューブのチャンネルで動画を公開し、URLをツイッターで紹介する。

 再生数は、昨日のツイートのRT数の10倍以上にもなった。
 キミドリ氏が熱心にアンチョビの動画を宣伝してくれたのだ。
 彼が一つの広告塔として立ってくれたことによって、アンチョビの知名度が飛躍的に上がったのだと思う。

 アンチョビは大喜びで寄せられたリプライ一つ一つへ丁寧に返信をかえした。

 やり取りは夜がどっぷり更けるまで続けられ、俺とアンチョビが眠ったのは、夜中の3時頃となった。

 ちなみに俺は、23時頃に職場の上司から「明日は出社できるのか」とメッセージが届いていたので、「先日お伝えした通り、医者から出社するなと言われています」と返しておいた。

 2017年11月27日。月曜日。

 出社しなくて良いのか、というアンチョビの問いは適当に誤魔化し、今日は昨日できなかった動画の撮影を延々続けることにした。

 撮影本数は、3本。
 少しずつ慣れてきたせいか、編集にかかる時間も短くなってきた。
 これなら仕事を再開しても編集は続けられるだろう(たぶん)。

 ユーチューブで動画を公開し、そのことをツイッターで報告すると、再生数は昨日の動画のさらに3倍となった。
 すでに並のユーチューバーでは相手にならない数字である。

 理由は明白だ。今度はアンチョビの声優を務める方が、「なにこれ! すごく似てるぅ~♡」と、アンチョビのツイートをRTしてくれたのだ。

 その件は、各まとめブログでも取り上げられ、アンチョビは、一躍、界隈の有名人となった。

 アンチョビは一瞬だけ不安そうな表情で「こ、ここまでになるとは」と呟いたが、すぐに生来のテンションを取り戻し、「わーっはっはっはーっ!」と高笑いをあげた。

 2017年11月28日。火曜日。

 仮病がアンチョビにばれた。

 アンチョビは初めどちゃくそに怒ったが、何か思うところがあったのか、ふいに表情を変えると「たまには休みもないとなあ」と呟いた。

「仕方ない! 今日のところは勘弁してやるが、明日からは絶対仕事に行くように! 職場の人達にも迷惑がかかるからな!」

 迷惑ならすでに怖いくらいかけてます、なんて言えやしない。

 ともかく、今日も仮病は続行。
 さて、引き続き動画を撮影しようかというところで、アンチョビが「駄目だ駄目だー!」と声をあげた。

「今日は休み! 休みったら休みだ! 動画の撮影も編集も私一人でできる! 戸庭はゲームでもして遊んでると良いぞ!」

「アンチョビさん、動画の編集したことないじゃん」

「ふふん、私を誰だと思ってるんだ!?」

「安斎千代美さんですよね」

 アンチョビの反応は想像通りのもので、俺はそれを嬉しく思いつつ立ち上がる。

「じゃあ、せっかくだから池袋行ってくる。今日、ドラマCDの入荷日だから」

「ドラマCD?」

「アンチョビさんの細腕繁盛記とか入ってんだよ? すごくない? 超楽しみ」

「な、なんだそれは!」

 あっはっはと笑いながら家を出て、俺は池袋へ。
 とらのあなで目当てのものを購入して家へ戻る。

 しかし案の定、アンチョビは動画の編集に悪戦苦闘しているところだった。

「む、むぅ~。も、もうちょっとで終わるはずなんだが」

「いや見た感じ1ミリも進んでないし。俺がやりますよ」

 半ば無理矢理にPCの前を奪うと、まずは撮影した動画をチェックする。
 画面の中のアンチョビは「冬季無限軌道杯というのがあってなあ」とか「2年の時に初めて会ったんだ」とか、質問の一つ一つに身振り手振りをつけて答えている。なんの問題もない。

 編集は1時間ほどで終わった。

 2本目を撮ろうかと言ってみたのだが、アンチョビに「撮り溜めがあるんだから、今日はこれで終わりだ!」と返されてしまった。
 確かに今日撮影した分の公開は2日後である。

 明日から仕事だ。アンチョビの言う通り、体を休めるのも良いだろうと、俺はドラマCDを聴いたり溜まっていたアニメを観たり、映画を観たりして時間を潰した。
 やがて夜になってアルコールを入れると、時の流れは一層早まった。

 2017年11月29日。水曜日。

 通勤電車のなか、終始、俺は憂鬱だった。
 俺の不在によりどれだけスケジュールに遅れが出ているのかという不安と、今日からまた地獄が始まるのかという暗澹。
 新宿に着いた辺りでようやく覚悟が決まったというのに、オフィスに入ってその覚悟も霧散した。

「最新のスケジュール表ってこれ?」「先週から更新してねえわ」
「テスト仕様書進んでる?」「手付かずです」
「ここの機能って出来てる?」「そもそも誰が作るんですか?」

 結論から言うと、俺がいなかった分の作業は、何も進んでいなかった。
 リリースまで残り2週間ほどだというのにこれはもう駄目なのではないかと思われる。
 しかし、それとなく顧客側に調整を依頼しても「リリース予定日は変更しません」と返されてしまった。

 やるしかねえ、と、とりあえず状況把握やスケジュールの切り直しを進めていたら1日が終わる。

 アンチョビに「今日は帰れそうにないので動画の投稿よろしく。夕飯も一人でどうぞ」とメッセージを送る。
 俺は深夜2時頃まで仕事をし、会社近くのカプセルホテルに泊まった。

 2017年11月30日。木曜日。

 新宿に泊まると出勤が楽で良いなあ、あっはっは。
 というわけで、昨日投稿されたアンチョビの動画や、ツイッターのリプライおよびメーラーを確認。すぐに出社となった。

 再び朝から深夜まで飯を食う暇もなくぶっ続けで働き続け、なんとかコンビニ弁当を腹へ入れることが出来たのは深夜23時である。
 アンチョビからの「大丈夫か? 今日は帰ってくるよな?」というメッセージにも返信出来ていない始末だ。

 同僚らの視線は痛いが、さすがに2日に一度は家へ帰っておくべきだろう。
 俺は「これから帰る」とアンチョビへメッセージを送り、会社を出た。

「戸庭っ! 風呂か! それとも先にご飯食べるか!」

「あーすみません。ご飯食べちゃった」

「じゃあ風呂だな! ゆっくり入ってこい! エスプレッソ煎れておくからな!」

 アンチョビは本当に騒々しい。
 かたかたとキーボードを叩く音しかほとんど聞こえてこないオフィスとは正反対である。

 しばらく湯船につかって風呂を出る。

 アンチョビの煎れたエスプレッソを飲みながらメーラーを確認していると、あるメールの差出人に目を疑った。
 宛先は、アンチョビのアカウントのプロフ欄に載せているアドレスだ。

「アンチョビさん、アンチョビさん。きた、きた」

「うーん? 何がだー?」

『初めまして。ユーチューブの動画を拝見しまして、内容について確認したくメール差し上げました』
『単刀直入に申し上げますが、動画内の「冬季無限軌道杯」という単語はどちらで耳にしたものでしょうか』

 それは、ガルパン制作会社代表からのメールだった。

 2017年12月1日。金曜日。

「このメール送ってくるってことは、たぶん『冬季無限軌道杯』って単語が最終章のネタバレになってるんだろうな」

「ネタバレ? なんのだ?」

「そりゃもちろん、今の時期だったらガルパン最終章でしょう」

 というかその事実によって俺もネタバレをくらっている。
 そうですか、最終章では冬季無限軌道杯ってのをやるんですね。

 これまでの例に漏れず、先方はどうやらアンチョビの存在をかけらも信じていない様子だ。
 文面から怒りが伝わってくる。
 情報を漏らされているのだから当然だろう。

「とりあえずホントのことを書いて送るしかないよなあ。メールじゃ絶対に信用されないだろうけど。いやしかし、向こうの怒りを逆撫でするだけだしなあ」

 ……あ、そうだ。

「アンチョビさん、冬季無限軌道杯について、他に知ってることある?」

「もちろんあるぞ。アンツィオも出場したからな。……まぁウチは今回も悲願の2回戦突破は果たせなかったのだが」

「じゃあ、それを書こう。アンチョビさんよろしく」

「おう! 任せておけ!」

 俺はアンチョビの書いた内容を確認(ネタバレのオンパレードだ。辛い)、こちらは本物のアンチョビであることや、情報漏洩の意図はなかったことを付け足すと、送信ボタンを押した。

 返信は1時間足らずで帰ってきた。
 深夜1時だというのにどういうことなのかと思ったが、よくよく考えてみれば最終章の公開まで残り1週間だ。向こうも修羅場なのだろう。

『正直に申し上げて、貴女が作品内のアンチョビと同一人物であるという話は信用していません』
『しかし、記載いただいた情報がこちらの承知している情報と概ね一致していることも事実です』
『なにか事情があるのではないかと推察いたします』
『つきましては、一度、直接お話をうかがいたいのですが、ご都合いかがでしょうか(とはいえこちらの予定を鑑みると、12月10日以降とさせていただきたく)。』

「よっしゃあーーっ!」

「おぉぉおおおおおおっ! やったな、戸庭っ!」

「とりあえず返信、返信しよう!」

「うんっ!」

『はい、もちろんです。日にちは指定いただいて結構です』
『実は、動画を公開していたのも制作の方に私の話を聞いていただきたいからでした。お会いするのが楽しみです!』

「こんな感じでどうだ!」

「いやー、完璧じゃないですか。送信しよう送信」

 アンチョビが送信ボタンを押す。
 返信は5分後にあった。

『では、一旦、12月10日とさせていただけますか。予定が変わったらまたご連絡します』
『それと、アンチョビというキャラクターを使うことには目を瞑りますが、未公開の情報を漏らすのは今後やめていただくようお願いします』

『了解です。それでは12月10日によろしくお願いします!』

 送信ボタンを押したアンチョビがにっと笑う。

「結果が出たな。戸庭のおかげだ。ありがとう」

「いやいや、俺はほとんど何もしてないよ」

「そんなことはないだろー? 動画の編集とかしてくれたじゃないかー?」

 アンチョビがぐいぐいと肘でつくので、「やめてやめて」と距離を取りつつ、俺は声色を変えて言葉を続けた。

「とはいえ、これで質問に答える動画は終わりかな」

「ん? ユーチューバーをやめるのか?」

「いやぁせっかくここまできたんだし、それもどうだろう。制作陣以外からの情報も欲しいしね。しばらく普通のユーチューバーみたいにゲーム実況とかしてみようか」

「ゲーム……あんまりやったことないんだがなあ」

「下手も下手なりに観てて楽しいもんだよ。ファンならより一層ね。まぁとりあえずいつもみたいにツイッターで募集してみましょう。アンチョビにやってほしいこと」

「うん、そうだな! そうしよう!」

「あぁでも、募集をかけるのは朝にやった方が良いね。こんな時間だし、ツイッター眺めてる人も少ないでしょう」

 深夜1時半。夜更かしをしている連中も、徐々に床へつき始める時間だ。

「む、確かにな。戸庭も眠った方が良い。明日も仕事だろう?」

「俺のことは気にしないで良いよ」

 アンチョビに「そうはいかないぞ」と背中を押され、俺は寝室へ誘導される。

 まぁアンチョビがそう言うならと俺は眠りにつき、目覚めたのは午前7時だ。
 5時間以上寝られたのなら上出来じゃないでしょうか。

 アンチョビへ声をかけ、俺は家を出た。

 出社したらデスクへかじりついてひたすら作業だ。
 やっていることは毎日まるで違うのに、作業量が膨大すぎて逆に単調に思えてくるというのは感覚が狂っているのだろうか。

 今日は昼食が食べられたので及第点。
 終電で家に帰り、アンチョビと一緒に夕食(もはや夜食だが)を食べて布団へもぐった。

 2017年12月8日。金曜日。

 働きづめである。
 いつからかと言えば少なくとも1週間以上休みがなく、どうやら最後の休みは例の5連休らしかった。
 10連勤か、なるほどなあ。

 リリースは、12月14日だ。残り1週間を切っている。
 そもそもまだ出来ていない機能すらある状態なので、どう計算をしても間に合う見込みはない。
 不完全なままリリースして問題の少ない機能はどこかという議論がすでに始まっている。
 超上流工程の皆さん、頑張ってください。

 家に帰るとアンチョビが優しく迎えてくれるのがせめてもの救いだが、帰宅できるのも2日に一度だ。
 正直もう精神が焼け付きそうだが、我慢も残り1週間と考えると何とかなるような気もする。

 仕事が忙しい(忙しいという概念で済まされるのか)なか、動画の投稿も続けていた。
 初めはゲーム実況が良いかとアンチョビと話したのだが、動画編集の難易度が高く、漫画や小説の紹介に切り替えた。

 昼のうちにアンチョビが動画を撮影しておき、2日に一度、俺が家に帰った時に2日分まとめて編集を行った。

 アンチョビには「なあ、本当に大丈夫なのか!?」と何度も何度も声をかけられ、その度に俺は「大丈夫大丈夫」と答えた。

 一度「私に出来ることなら何でもするぞ!」とも言われたのだが、マジで何でもしそうな雰囲気だったので怖くて適当にはぐらかした。

 今日は、12月8日。つまり明日は12月9日だ。
 移動中も飯を食っている間も仕事とアンチョビ(の動画)のことを考えていたのであまり意識していなかったのだが、今日はガルパン最終章第1話公開前日である。
 そういえば2日前だったか、舞台挨拶回のチケットが二人分当選していたのを思い出した。

「戸庭、明日は映画に行けそうか?」

「がんばります」

「無理はするな?」

「でもまぁ、ファンなので」

 心配そうに問うアンチョビへ返す。

 これだけ働いているのだ。
 映画を観るくらいの褒美はあっても良いだろう?

 2017年12月9日。土曜日。

 飯を食うと嘘をつき会社を出て、俺は山手線で池袋へと向かった。

 映画館のホールではすでにチケットを手にしたアンチョビが待っていて、俺を見つけると笑顔で手を振った。

 ユーチューブでの彼女の活躍を知る者も少なくないのだろう、アンチョビの姿に「え、あれ本物?」だとか「アンチョビじゃんっ!」といった声が上がる。
 狭い映画館で目立つのもなんなので、「あ、たぶん人違いだと思いますよ?」と言葉を残し、二人でそそくさと座席の方へと向かった。

「いやー、来れて良かったな、戸庭っ!」

「たのしみですねー」

 電車がギリギリだったので走ってきたのと、あまり体調が芳しくないのとで、コンディションは最悪である。
 万全な状態で臨めないのは残念だが、映画と舞台挨拶を観られるのは素直に楽しみだった。

 やがて、舞台挨拶と、映画の上映が始まった。

 壮大なオープニングに魅了され、ゴリアテが登場すると体調が悪いのも忘れスクリーンへ夢中になった。
 無限軌道杯の存在は知っていても、大洗の事情など詳細までは聞いていない。展開にも興奮できた。桃ちゃん可哀想。

 上映が終わる。

 余韻に浸りたかったが、時間がそれを許さず、俺はアンチョビと別れ会社へと戻った。

 会社へ着く頃には頭痛と体のだるさが戻っていた。とはいえ休んでいる場合ではない。
 粛々と手を動かし続け、深夜2時頃にカプセルホテルへと入った。

 2017年12月10日。日曜日。

 約束の時刻は13時ジャスト。
 アンチョビと共に荻窪にあるガルパン制作会社へ向かうこととなっていた。

 朝から体調は最悪だった。
 昨日も最悪だったがそれ以上な気もした。
 同僚も一人高熱でダウンしている。
 限界が近い。

 戯れに熱を測ってみたが、何故か熱はない。
 それじゃあまだ闘えるよねと俺はディスプレイへ向かった。

 昨日同様、昼飯を食べる振りをして会社を出た。
 新宿から荻窪までは電車で10分ほどだ。近くて助かる。

「顔色が悪いぞ?」

「大丈夫大丈夫」

 アンチョビとは荻窪駅で待ち合わせ、一緒に会社まで歩いた。
 平和な荻窪の町並みと弾む彼女の声は仕事を忘れさせる。

「あぁ、どうも。すぐにわかりましたよ」

 案内された部屋には会社の代表が待っていた。
 Blu-rayのコメンタリーで耳にした声だ。

「こちらがアンチョビさんかっこかりで、あなたが戸庭さん?」

「あ、はい。戸庭です。とはいえ、私はただの付き添いなので、お気になさらず。基本的にはアンチョビさんが話しますので」

「ちなみに失礼ですが、戸庭さんはどういう関係で?」

「簡潔に言ってしまうとアンチョビさんと一緒に住んでるんですけど、経緯の説明が必要かと思いますので、はい、じゃあ、アンチョビさんお願いします」

「おう! そうだな、まずは私が戸庭の家で寝ていたところから――」

 アンチョビは威勢良く語り出す。

 代表は興味深そうな顔でアンチョビの話に耳を傾けている。
 わざわざ呼んでくれたせいもあってか、ツッコミを入れる様子はない。

 やがてアンチョビが語り終えると、目の前の彼女の存在が信じられないのだろう、彼は頭を抱えて呟いた。

「これでも立ち上げの頃からガルパンには関わってるから、裏側は全部知ってるんだけどね」

「おーっ! それは助かる! ガルパンってどうやって生まれたんだっ!?」

 アンチョビの声に、彼は顔を上げる。

「監督と飲んでたら、突然企画を持ちかけられてね。監督初のオリジナル作品だし、まぁ基本的な設定は監督だよ。軍事考証や話の筋書きはまた別の人間が関わってたりもするけど。て、この辺りは調べてるよね」

「それじゃあ……私の設定は?」

 少し緊張した様子でアンチョビが問うと、

「監督がざっくり決めて、あとはキャラクターデザイン原案と脚本が詰めた感じかな」

「じゃ、じゃあ」

「悪いけど」

 代表がアンチョビの言葉を遮る。

「……悪いけど、別世界からやってきたガルパンのキャラクターから着想を得たわけでもないし、画面の中からキャラクターが表れるなんて話聞いた覚えもない。期待には応えられないね」

 アンチョビが息を詰まらせる。
 目を僅かに大きくし、返す言葉が見つからないようだ。

 ……せっかく来たんだ。これで終わりにはできない。
 見かねて、俺がフォローに入る。

「あの、企画を持ってきたのは監督なんですよね。だったら、監督にも話を聞いてみたいんですけど……どうでしょう」

 そうやって俺が問うと、

「監督は忙しいですからね。会ってくれるかどうかわからないですよ。ま、馬鹿馬鹿しいとは思いますが僕も信用してしまいましたし、一応聞いてはみますけど」

 そこまで言って、彼は「あぁ……でも監督なら喜んで会うって言いそうだな」と呟いた。

 あまり芳しくない結果だが、次には繋げられた。悪くない。
 俺は彼に礼を言うと、アンチョビと共に会社を出て、新宿へと戻った。

 2017年12月14日。木曜日。

 リリース日だ。
 当然のようにシステムには未完成の機能が残っているが、そんなものは後から対応してどうにかすれば良いのだふはは。

 代表とのメールでのやり取りの結果、監督との対面は明日の夜に決まった。
 だから今日のリリースはなんとか乗り切らなければならない。

 家には火曜から帰っていない。
 アンチョビは心配そうにメッセージを飛ばしてくるが、毎度のことながら適当にはぐらかしている。

「ここの文言、仕様が前のままですけど!」「文言は気にすんなっつっただろ!」
「バグあと何件だよ」「数える時間ももったいないわ50件は残ってるだろ」
「これやばくないですか? ホントにリリースするんですか?」「するつってんでしょうが」
「馬鹿なの」「ああぁあ終わる気しねええ」

 現場では怒号が飛び交っている。リリースは14時から。
 サイトの緊急メンテを挟み、終了は15時の予定だ。

 怒鳴るのは損だ。時間を無駄にしている。
 淡々と目の前のタスクをこなし、少しでもマシな状態でのリリースを心がけろ。

 禅僧のような精神で黙々と取り組んでいると、14時を前にしてリーダーが「一旦チケット投げるのやめろ!」と叫んだ。
 スタッフ全員の視線を集めると、リーダーは「おらおらいくぜえ!」と本番環境へのデータのアップロードを行う。

 そうして目標としていたリリースは終わったわけだが、まだ出来ていない機能すらある状態だ。
 作業をストップするわけにはいかない。

 やはり作業は深夜まで及び、そこでようやく「みんな疲れてるだろうから今日はもう解散だ!」とリーダーが言った。
 いやお前すでに23時だよ?
 
 ふらふらの状態で家へ帰るとアンチョビに「死にそうだぞ戸庭! 風呂かご飯か!」と迎えられた。
 俺はその両方を終えると、アンチョビへ「寝る」と伝え、寝室でベッドに倒れ込んだ。

 2017年12月15日。金曜日。
 だと思う。おそらく。

 目覚めると、体が動かなかった。

 目覚まし時計やスマホに手を伸ばすことすら叶わないので日時も確認できない。

 かすかにキッチンの方から香ばしい香りが漂って、それでアンチョビがそこにいることがわかった。

「アンチョビさん」

 喉から漏れた声は驚くほど小さかった。
 そこでようやく「あれ? これまずいのでは?」と勘付いた。

 体が動かないのは、尋常でないだるさと痛みが全身を襲っているからだった。
 意識は朦朧とするし、これは死ぬのではないかと思わされた。

 ひゅうひゅうと微かな呼吸が寝室に薄く響いた。
 何とか気力を振り絞ると指先がぴくりと動く。
 とはいえ起き上がるほどの筋力はないらしく、ベッドの上でもがくのみだ。

「ううう」

 覚悟を決めて体を転がす。
 すると、ベッドから落ちた俺の体は床と接触して鈍い音をたてた。

 やがて寝室の扉をノックする音と「戸庭?」と俺を呼ぶアンチョビの声が聞こえる。

 そこで俺が再び「アンチョビさん」と声をあげると、「入るぞ」と扉の隙間からアンチョビの綺麗な髪が見えた。

「戸庭っ!」

 アンチョビが叫ぶのが聞こえるが、俺にはどうにも遠い世界の出来事に思えた。
 ずぶずぶと暗く寂しい世界が俺の傍にあって、俺はその境界に立っていた。

「戸庭! 救急車! 呼ぶからな!」

 そう言うアンチョビに、俺はおかしいと思い「会社に行く」と返した。
 そういえば今日は監督とも会うのだ。
 病院へ行っているような場合ではない。

 視線を僅かに上げると、そこにいるアンチョビが瞳を震わせていて、今にも泣いてしまいそうに見えた。
 俺はアンチョビが泣かないよう頑張っているのに意味がわからないと思った。

 しかし、じきに脳みそが揺れて、視界が揺れて、ものを考えられるような状況でもなくなった。

 気を失う直前、俺は額に柔らかな感触を覚えた。

 初めに見えたのは白い天井だった。

 次に「戸庭っ」と声を上げるアンチョビの顔が見えて、首を動かすと室内にベッドが並んでいるのがわかった。
 どうやらここは病院の一室らしかった。

「いま先生を呼んでくるからなっ!」

 勢いよく病室を出て行くアンチョビに、俺は「元気だなあ」と素朴な感想を抱いた。

 やがてやってきた白衣を着たおっさんに問いかけられるまま答える。
 その課程で俺は、どうして自分がここに寝そべっているのかを知れた。

「わかるでしょ。過労ですよ。死にたいの?」

 そうやって顔をしかめる医者を、俺は心外に感じた。

「死ぬつもりはなかったんですけど……」

「冷静な判断が出来ないとそうなるよね」

 呆れた様子で医者が吐き捨てる。
 俺は僅かに憤りを覚えたが、脇で申し訳なさそうに佇むアンチョビを見て、感情がおさまった。

 なるほど、俺は、過労で倒れた。

 アンチョビはそれを、どうやら自分のせいだと感じているらしかった。
 彼女らしいと思った。
 しかしそれは決して事実ではない。

 医者が去って俺が「アンチョビさんは関係ないですよ」と言うと、彼女は「ごめん」と呟いた。

「なんで謝るの。関係ないって言ってるじゃん」

「関係はある。一緒に暮らしているんだ。『大丈夫』と言う戸庭を、私は信用してしまった。止めることができなかったんだ」

 言葉を紡ぐごとに彼女の瞳が潤んでいくので、俺は見ていられなくなって顔を背けた。

 医者には『最低でも五日は入院して休養すること』と告げられた。
 その間は仕事もアンチョビの助けになることもできない。

「今日、監督と会うの何時からだっけ」

「――18時だ。自分も行くなんて言うなよ?」

 先手を打たれてしまった。

「でもアンチョビさん、一人じゃ厳しいんじゃない?」

「大丈夫だ! どうとでもなる!」

 ……俺の「大丈夫」って言葉を信用したのを悔やんでるくせに、自分では言っちゃうんだよなあ。

「前回、俺のフォロー必要だったよね」

「う……っ! で、でも今回は大丈夫だ!」

「一人では行かせらんないよ。駄目。俺も行く。だってほら、こんなにも元気」

 そうやって右腕を上げてみせると、ついにアンチョビは水滴を頬に垂らした。えええ。

「私のせいで、戸庭が体を壊すとか、いやなんだ」

 ずがーん、と脳みそに隕石が落ちる。
 そういうのずるくないですか。
 体が硬直し、俺に染み付いたヘタレ根性では、何も言えなくなる。

「戸庭。私は、一人で行ってくる」

 しかし、嫌だ嫌だという話なら、俺にだって嫌なことはある。

「で、でも」

 声が震えるのにも構わず、言葉を続ける。

「俺は、俺のせいで、アンチョビさんが、向こうの世界に帰れなくなるのが、いやです」

 俺が言うと、アンチョビは瞼を強く閉じて天井を見上げる。
 そして少し間を置いて「んう~~~~」と唸った。

「よおし!」

 アンチョビが自らの膝を叩く。

「じゃあこうしよう、監督と会うのを延期する」

「え、忙しい人ですよ。そんな簡単に予定ずらしてくれるかな」

「前にも言っただろう。やってみなきゃ、わからない」

 にいっとアンチョビが笑う。
 俺はその言葉を否定することはできなかった。

「それじゃ、一度家に帰るぞ。着替えとか日用品を持ってこなきゃだからな。他に何か持ってきてほしいものはあるか?」

「タブレット端末さえあれば良いよ。あ、着替えってもしかして俺の寝室入る? だったら新品でも良いんだけどなあ」

 寝室には脱ぎ散らかした衣類や同人誌が転がっている。
 あまりアンチョビの目に触れさせたくない。

「今朝も入ったぞ」

 アンチョビは僅かに顔を赤らめてぶっきらぼうに言った。
 あぁ、そういえばそうだった。今更な話か。

「また後でな」と言葉を残し、アンチョビが去る。

 俺はアンチョビがいなければどうなっていたのだろう、とふいに思う。
 ifの話を考えても仕方がないが、まぁ運が悪ければ、横たわるベッドは病室のそれではなかっただろう。

 そういえばアンチョビへお礼を言うのもまだだったと気づき、戻ってきたら彼女にありったけの感謝を伝えようと思った。

 枕元にはスマホが置かれていた。
 画面をタップすると、何件も着信が残っている。
 ははあん、上司からである。

 こちらから折り返し発信してやると、すぐに応答があった。

「戸庭あっ! 出社はどうしたお前! 寝坊か!」

「倒れたんで入院することになりました。しばらく会社行けそうにないです」

 俺が言うと「なんだと!」と向こうで上司が叫んでいるのがわかる。
 ぐだぐだ根掘り葉掘り訊かれそうでしんどかったので、俺は「詳しくはメールします」と言葉を残して通話を切った。

 やがてアンチョビが病室へ戻って、俺に告げた。

「監督と会うのは来週の金曜になったぞ!」

 俺はアンチョビが「もうやめてくれえ!」と叫ぶまで、彼女へ感謝の念を伝え続けた。

 アンチョビが家へ帰り、夕方になって熱がぶり返してくる。

 俺は病室のベッドでぶるぶると震えながら眠りについた。

眠いのでここまでにします。
続きはまた明日書くと思います。

おつつb

夢小説にしては読みやすい。他に書いてるやつある?

このままだと俺(戸庭)があの世の世界にいってしまいそうな……

一貫して主人公が色欲方向での男を感じさせないのが良いんだが、成人の読み物としてはちと不自然かな

>>152

はい。再開します。

 2017年12月16日。土曜日。

 タブレットでVtuberの動画を眺めているとアンチョビが「おはよーうっ!」と現れた。
 右手にみかんとりんごの入った籠を提げている。

「戸庭、元気か?」

「ぼちぼちかな。まだ熱はあるけどね。アンチョビさんは元気そうでなにより」

「うんうん、しっかり休んでばっちり治せよ」

「そのつもりだよ。あぁそれより、ユーチューブ見てて思い出したんだけど、アンチョビさんの動画編集しなきゃだよね。悪いんだけど家からノートPC持ってきてくれる?」

「……しっかり休んでばっちり治す気は本当にあるのか?」

 疑わしげに見るアンチョビに俺は言葉をかえす。

「病院って暇なんだよね。1日1時間作業してた方が気が紛れる。アンチョビさんはデスクトップPCの方使ってよ」

 りんごを食べながら5分ほど交渉したところで、アンチョビは「じゃあ明日だ。明日からな」と折れた。

 アンチョビが帰り、なるべく眠った方が治りも早くなるだろうと俺は目を瞑った。

 仮眠のつもりが、目覚めると真夜中。
 俺は暗闇の院内を恐る恐る歩き用を足すと、再び病室へ戻り布団にくるまった。

 2017年12月17日。日曜日。

 アンチョビの持ってきてくれたノートPCで動画の編集をしていると、花澤と長田がやってきた。

「転職案件やね」「これに懲りて無茶はやめよう」

「そうだなー、考えてみよっかな」

 初めこそ殊勝な言葉を吐く二人だったが、すぐに花澤によってボードゲームが持ち出された。
 コヨーテを1時間。
 熱中して遊んでいたら体温が38度を超えて看護師に怒られた。

 アンチョビへ電話でそのことを話すと、彼女にも「安静にしてなきゃ駄目って言っただろ!」と怒られた。

 2017年12月21日。木曜日。

 ようやくの退院である。

 最後の診察で医者には「次また過労で入院したら治療費倍額請求するぞ」と言われた。
 俺は「二度と来るか」と短く返した。

 受付ではアンチョビが待っており、一緒に病院を出てバスに乗った。
 バスを降りると、件のうどん屋で昼食をとった。

「会社にはいつから行くんだ?」

「来週から。明日までは入院してることになってるからね」

「――ちょっと待て。頭の中で審議する」

 数分間、アンチョビは「うーん」と考え込み、

「うん、OKだ」

「重畳です」

 うどんを平らげ、食後のお冷やを飲んでいると、アンチョビが「そういえば」と思い出したように口にする。

「今日の分の動画はもう撮ってあるからな。編集頼むぞ。私、午後はいないからな」

「どこか行くの?」

「うん、バイトを始めたんだ」

 誇らしげにアンチョビは言うが、俺は驚くばかりだ。

「……いやいや、しなくて良いって。前にも言った通り、俺の給料で十分でしょう。働いてる暇があるんなら、その時間を使って元の世界へ帰る方法を探した方が良い」

「そうは言うがな。四六時中考え込んでばっかりいるわけじゃないだろ。時間は空いてるんだ。というか、そもそももう面接も通って働き始めてるしな!」

「ええ、どこの店?」

「食べに来るか? 隣駅のイタリア料理店だ!」

 ――まったく、すごい行動力だなあ。

 まぁ、俺にアンチョビの行動を止める権利はない。
 俺が渡せる金に限りがあるのも確かだし、アンチョビに欲しいものがあるのなら自分の稼いだ金で買うのも良いだろう。

 ……けれど、この、一抹の寂しさは何だ。
 その根源を突き止めるのは、骨が折れそうだった。

 午後になり、久しぶりの我が家を満喫して、俺は戯れに二度目のガルパン最終章を観に出かけた。

 家へ戻るとアンチョビが夕食を作り終えていて、俺はそれを食べて眠った。
 体の疲れはなく、気持ちよく寝られた。

 2017年12月22日。金曜日。

 監督と約束した場所は、荻窪の小さな食事処だった。
 時間は夕食時の午後19時。
 それまで俺とアンチョビは、延々と家でガルパンを1話からぶっ通しで観賞した。

 荻窪に到着し、飲み屋街を歩く。
 ぽつぽつと灯る店の明かりと、酔いはじめのおっさん達の笑い声が、なんともいえない高揚を抱かせる。

「戸庭。店につくまで我慢だぞ」

 心中を見透かされたのか、アンチョビがそう忠告する。
 俺は「監督と会うのに酒飲んだりなんかしないよ」と返し、いささか歩調を早めた。

 店に辿り着き、中へ入ると、カウンターに立つおばちゃんに「いらっしゃい」と声をかけられる。

「あの、待ち合わせをしてるんですけど」

「あぁ、はいはい。もういらっしゃってますよ。2階に上がって正面の部屋ね」

 おばちゃんに、店内の左手に位置する階段を案内され、「ありがとうございます」とアンチョビと二人でそれを上がる。

 正面のふすまをノックして中へ入ると、40代くらいの男女が下座に座って談笑をしていた。
 両方の顔に見覚えがある。
 女性の方は脚本、そして男性の方がガルパンの監督だ。

「あぁ、きましたか。どうもはじめまして」

「はい、はじめまして。戸庭です。あ、で、こっちが――」

「アンチョビだ! よろしくお願いします!」

 アンチョビが元気よく挨拶すると、俺は彼女と二人、監督と脚本の正面へ座った。
 あちらが下座に座っているので、こちらは仕方なく上座だ。

 監督はアンチョビの顔を眺め、興味深げに、

「あぁ実際に観ると動画よりもホンモノ感が増しますね。当たり前なんですけど」

「失礼ですよ」

 脚本が苦笑して監督を注意する。
 そしてこちらを向き直り、「はじめまして、ガールズ&パンツァーで脚本を担当しています――」と名乗った。

「存じてます。会えて光栄です。ファンです。よろしくお願いします」

 俺にとってゴッドと呼ぶべき二人が目の前にいるのだ。
 緊張して言葉選びが下手くそになるのも許して欲しい。

「嬉しいですね。ありがとうございます。何飲みます?」

 監督からアルコールのメニューを差し出される。

 ちらりとアンチョビへ目線を送ると、彼女は口角を上げた。
 飲んでいいぞ、ということらしい。

「……じゃあビールをいただきます」

「私はオレンジジュースをもらえると助かるな」

「あぁそうでした。アンチョビはまだ18歳でしたね」

 監督はそう言うと、ふすまを開き、階下へ「すみませーん」と声を放った。

 やがてビールとオレンジジュースが届き乾杯。
 枝豆と豆腐でちびちびやり出したところで、監督が「さて」と話を切り出した。

「事情は聞いています。我々に訊きたいことがあると」
「私個人としても強い興味があったので、お願いして今日の場を設けてもらった形になります」
「じゃあ、まずはアンチョビさんの置かれている状況を詳しく教えていただけますか」
「あぁいえ、一部聞いてはいるんですが、なにぶん伝聞なので、実際に耳にしないとわからない部分もありますから」

 監督に促され、アンチョビは「ああ!」と前回同様、これまでの経緯を語り出す。

 アンチョビが十数分かけて語り終えると、今度は、

「じゃあ、次に、あちらの世界のことを教えてもらえますか」

 とさらに促した。

 アンチョビは再び語り始める。
 最終章2話以降のネタバレが大いに含まれており、俺は小さくないショックを受けたが、黙って耳を傾けた。えらい。

 アンチョビが「以上!」と話を締めると、監督は少し間を置き、口を開いた。

「ガルパンのアニメの大筋は、基本的にはこの二人の頭の中から出てきています」
「ちなみにアンチョビというキャラクターに関しても、最初のアイデアは私ですが、肉付けをしていったのは――」

「私ですね」

 監督の言葉を、脚本が引き継ぐ。

「いまお話いただいた、あちらの世界でのアンチョビさんの近況ですが、作中では最終章以降のお話ですね」

「こんなことをうかがうのも何なんですけど、やっぱり今後の展開とまったく同じだったりするんでしょうか」

 俺が問うと、彼女は答えた。

「それはわかりませんね」

「……わからない、ですか?」

「どういうことだ?」

「というのも、アンツィオ高校の無限軌道杯での試合内容や、各生徒のエピソードなど語っていただきましたが、これらはきわめて細部の内容だと思うんです」

「私たち、まだそこまで考えてませんからね」

 そこまで、考えてない。

 俺が愕然としていると、脚本が「少し訂正しておくと」と口を挟む。

「考えていないというのは語弊があって、もちろん大筋は決めてあるんです」
「しかし、細部の設定は今後詰めていく部分も多々ありますし、進行のなかで変更が入ることもあるでしょう」

「ですから、結論から言えば、こちらとしては何が正解かをお答えするのも難しい状況ですね」

「せっかく来ていただいたのに申し訳ありません。ちなみに一つ申し上げておくと、大筋は確かに我々の想定している展開と一致しています。ですから――」

 彼女はアンチョビへと目を向ける。

「貴女がアンチョビ本人だというのは、間違いないでしょう」

 アンチョビが喉を鳴らす。
 脚本はそんな彼女を見て「私が言うのもおかしな話かもしれませんけどね」と付け足した。

「まぁ来ていただいたんですし、誠意としてこちらもお話しましょうかね?」

「そうですね。貴女がたを信用してお話します。絶対に、他言無用でお願いしますよ」

 監督の言葉に、脚本が続ける。

 そうして二人は語り出した。
 二人の脳内で描かれているガルパンの世界、その全てを。

 ――たっぷり1時間はかけただろうか、やがて話が最終章の結末に及んだ時、俺は思わず涙ぐんでしまった。

「長くなりましたが、このくらいですね。考えているのは」

「ええ。変更の可能性はありますけど、この程度です」
「……ですから、アンチョビさんの語った細部は、現状、この世界では誰の手によっても生み出されていません。貴女の中にしかないものです」

「……じゃあ、私は、一体」

 声を震わすアンチョビに、脚本が返す。

「わかりません。けれど、一人の確固たる人物ではあります」

 ぐびぐびとビールジョッキを飲み干して監督が繋げる。

「まぁなんといいますか、私たちからはこれ以上情報は出せませんからね。アプローチを変えてみるのはどうでしょうか」

「アプローチ、ですか」

 俺が問うと監督は答える。

「はい、そうです。ここにいるアンチョビという人間はどうやって生み出されたものなのか。それを想像してみましょう」

「どうやって生み出された……例えば、画面の中から出てきた、とかですか?」

「そうです。しかしそれは否定できますね。画面の中では、まだ無限軌道杯は終わっていません」

「じゃあガルパンの世界というのがあって、そこからこちらの世界へやってきたというのはどうだ!?」

「私たちが創り上げた世界観と同じくするガルパンの世界というのが、仮にあるのだとしたら、もの凄い偶然ですね。まぁ並行世界という概念上あり得るのかもしれませんが」

「少し口を挟みますが、戸庭さんが劇場版鑑賞後に彼女は現れたということでしたよね?」

「あぁはい、そうです」

「では、貴方が想像もしくは望んだことによって彼女がこの世界に具現化されたのだという可能性はありませんか?」

「……それは前にも考えましたが、アンチョビは俺の知らないアンツィオの話を知っていたので、ないかと思います」

「それは否定材料にはなりません」

 俺が言うと、監督がそうきっぱりとこたえた。

「戸庭さんの頭の中から生まれた存在だとしても、戸庭さんそのものではないわけですから」
「けれど我々しか知らない情報も持っていたことを考えると、私たちから影響を受けている可能性は高いと思います」

「……え、まさか本当に」

「はい。一番信憑性が高いのは、このパターンかと思います」

「信憑性という意味だと、アンチョビというキャラクターがこの世界にいるということ自体、あまり信憑性はないですけどね」

「それでつまり、私が何が言いたいのかといいますと、このパターンだった場合、お二人の目的自体がちぐはぐなんじゃないかということです」

 目的というのは、つまり……。

「私が、元の世界に帰ることか」

「そうです。厳しい言い方になりますが、このパターンだった場合、帰るべき元の世界というのがそもそも存在しません」

「わ、私は――」

 アンチョビが今にも泣きそうなほどに声を震わす。

 あぁ、これ以上続けるのは駄目だ。

 慌てて俺は、アンチョビの口を塞ぐべく監督へ話しかけた。

「あ、あの、ひとまず、結論を急ぐのはやめておきませんか。あくまで可能性の一つというだけで、これで決まったわけじゃないですよね?」

「あぁ、その通りです。可能性の話です。ごめんなさい」

 監督が言うと、脚本がアンチョビの方を向く。

「これだけは言っておくべきだと思うので、言いますね」

 そう前置きして、

「例えば、もし仮にですよ。貴女がこの世界への定住を選択するなら、おそらく私たちはそのお手伝いができると思います」

「はい。そうですね。いつでも頼っていただいて構いません。今更ですが、連絡先です。どうぞ」

 監督の差し出した名刺を俺が受け取る。
 アンチョビはまだ放心しているようで、監督が名刺を差し出されたことにも気付いていない様子だ。
 続けて脚本の差し出したそれも、「どうも」と俺が受け取る。

 しばし場に沈黙が訪れ、それを打ち払うかのように、脚本がぱんっと手を叩いた。

「はいっ。じゃあひとまず今日はこれで終わり。あとはご飯を食べながらお話しましょう」

「そうですね、そうしましょう。ちなみにアンチョビさんは何か食べたいものはありますか? イタリアンでなくて申し訳ないですが」

 二人が言うと、アンチョビは、はっと気付いたように目を開いた。

「うん、私はなんでも良いぞ。みんなの食べたいものを優先してくれ!」

「あ、じゃあ、俺、だし巻き卵が良いです」

「良いですね。ここのだし巻きは絶品です」

 監督が言って、階下からおばちゃんを呼び、注文をする。

 ひとしきり雑談をして、2時間ほど経って解散をする頃にはアンチョビのテンションは元に戻っていた。

 けれどきっと、夜更けにまた彼女は塞ぎ込むのだと思う。
 俺はそのことを忘れないよう胸に刻み込む。

「それでは。今日は貴重なお話をありがとうございました。また会いましょう」

「うん、こちらこそ、ありがとう!」

 店を出て、監督とアンチョビが別れの挨拶をする。
 飲み屋街の向こうへ歩いて行く監督と脚本の二人を見送り、俺はアンチョビと共に駅へと向かった。

「戸庭」

「なに?」

 小さく呟くアンチョビへ目を向けると、彼女は前を向いたまま言葉を続けた。

「これからも、よろしくな」

 何を当たり前のことを、と思ったが、とりあえず俺は「こちらこそよろしく」と答えて彼女の隣を歩いた。

 2017年12月23日。土曜日。

 動画の編集をしていて、あぁそういえば、と気付く。

「今日からガルパン博じゃん。どうしよ、いつ行こうかな……」

 前売り券は日付指定で、確か前売り券の段階で売り切れとなっている日もあったはずだ。
 すでに時遅しという可能性もある。

「アンチョビさん、今日って時間ある? ガルパン博――」

「これからバイトだ! 行ってくる!」

 アンチョビはリビングを飛び出し外へ駆けていく。

 ……とりあえず今日のところはやめておくか。
 冬コミのサークルチェックでもしてよう。

 2017年12月24日。日曜日。

「戸庭! メリークリスマス! 今日は空いてるよな!」

「なんですかそれは挑発ですか」

「挑発? 何でだ?」

「いやこっちの話。空いてるよ」

「よおし! じゃあ行こう!」

 とアンチョビが取り出しましたるは、なんとガルパン博の前売り券である。
 指定された日付は、12月24日、今日だ。

「お、おぉおおおおっ? か、買ってあったの?」

「おう! 日頃のお礼だ! ちゃんとバイト代を前借りして自分のお金で買ったぞ!」

「すごい、マジ感謝だわ。ありがとうございます……」

「ふふーん、まぁ世話になってるんだし、このくらいはするさ!」

 というわけで、アンチョビと二人、池袋サンシャインシティへ。
 カップルでわいわいと賑わうショッピングモールを抜け、会場へ辿り着くとすでに長蛇の列が出来ていた。

「おー、すごい人だな」

「あ、でも思ってたよりも少ないな。前売り券制だからかな」

 会場内へ入り、二人揃ってヘッドホンを被る。
 ヘッドホンからは西住姉妹による音声ガイドが流れてきて、アンチョビはそれを耳にして郷愁を覚えているのか、柔らかい表情を浮かべていた。

 展示を見終わりグッズを購入すると、二人で謎解きに挑んだ。
 サンシャインシティを2時間ほど歩き回ったところで、解答へと辿り着く。
 謎のほとんどはアンチョビが解いた。さすがアンチョビである。

 そういえばガルパン博のチケットをプレゼントされておいて、俺の方はクリスマスプレゼントを何も用意していないのに気付き、サンシャインシティでアンチョビへ帽子を買った。
 もっとコートやら何やら高いものを買おうかとも言ったのだが、いやいやそこまでしてもらうのは悪いと返されたのだ。

 夕飯は池袋のイタリアン料理店で食べた。
 アンチョビの働く店に行こうとも誘ったのだが、またも「今日は駄目だ!」と断られた。

 東上線に乗って自宅へと戻ると、アンチョビがケーキと赤ワインをどこからともなく取り出した。

 赤ワインは追加のクリスマスプレゼントだそうで、「すぐ飲みたい」と俺が言うと、アンチョビは「つまみがいるだろ」と肉を焼いてくれた。
 必然、俺はすぐさま酔っ払った。

「いやーあはは、すごいなあ最高だなあ」

「おー、それは良かった。うんうん、用意した甲斐があった!」

「マジ感謝しかねえ。幸せしかねえぜあはは」

「……あー、そういえば、戸庭。普段は適当にはぐらかしそうだし、今だから聞くんだけどな、私って、いつまでここにいて良いんだ」

「え? いつまでいても良いよ」

「お、ぉお。そ、それは……ま、まぁ私も――」

「あー、でもまぁぐだぐだしちゃってアンチョビさんが元の世界に帰れなくなってもあれだし、気は引き締めないとなあ」

「……そういう話では、ないんだがなあ」

「え、なに? どういう話」

「いや、いい。また今度、昼間に話そう。さあ、今日はぱーっと飲めっ! ちょっと遅くなったけど退院祝いだ!」

 アンチョビにつがれた赤ワインを、わっはっはと飲む。
 いつの間にか寝落ちしていたのでいつベッドへ倒れ込んだのか定かではないが、おそらく深夜0時は回っていたと思う。

 目覚めたのは翌日だった。

 2017年12月25日。月曜日。

 酔いが残る体で、久々の出社だ。
 オフィスに着くと、俺を目にした上司がすぐに口を開く。

「あぁ戸庭。久しぶりだな。まったく、休んでた分は働いて取り戻してもらうからな」

 はっはっは。世辞でも良いから労いの言葉が欲しいぜ。

 俺は心が折れた。

 終業後、上司を会議室へ呼び出して宣言する。

「辞めます」

「あん? 何を?」

「いや、会社ですけど」

 そう言った上司は、ぽりぽりと側頭部を掻いた。
 特に驚いた様子はない。多少は予想をしていたのだろう。
 ふー、とため息をつき、「いつやめるの?」と短く言った。

「なるはやですかねー。2月末くらいですか」

「とりあえず社長に言っとくが、それなら別に構わんだろうと思うよ。プロジェクトの途切れめだしな。まぁ俺個人としては心底残念だよ」

 淡々と言う上司に「はぁまぁそうですね」と返し、俺は会社を出た。
 帰りの電車の中では心がうきうきしてたまらなかった。

 とはいえ、自宅の最寄り駅に着いて、アンチョビへ報告することを思うと、段々と気が重くなってくる。
 転職活動も何もしてないのに、俺は果たして大丈夫なのだろうかという不安にも襲われる。

 鬱々とした気分を抱きながら、しかし早く言っておかなければとアンチョビの顔を目にして、俺は口を開く。

「アンチョビさん。上司に仕事やめるって言っちゃった」

「おーっ! 良かったじゃないか! よおし、退職祝いだ!」

 天使かよー。

 俺はアンチョビの用意してくれた夕飯を肴に、昨日の残りの赤ワインをがぶがぶと飲み干した。

 2017年12月29日。金曜日。

 前日に仕事を納め、冬休み初日。そして冬コミも初日だ。

 普段なら俺もコミケには初日から参加しているのだが、今回はアンチョビもいることだし自重することにした。
 代わりにガルパンジャンルのある二日目に全力を費やすのだ。
 アンチョビも俺も、色んなフォロワーと会う約束をたててもいる。

 アンチョビは朝からバイトへ出かけていった。
 俺も暇だったので昼飯ついでに彼女の働くイタリアン料理店へ顔を出す。
 アンチョビは、活き活きと働いていた。

「おーっ! 戸庭きたのか! よおし、何でも注文しろ? 今日はタダで良いぞっ」

「いや悪いよ。払うよ。お金あるし」

「なに気にするな。私の給料から天引きにしてもらうだけだっ」

 あまりにも眩しい笑顔でそう言うので、俺はお言葉に甘えてパスタとドリンクのセットを注文した。
 出来上がった料理は大層美味で、家で食べるアンチョビのそれに味がよく似ていた。

 午後になると花澤と長田がやってきて、一緒にゲームをして遊んだ。

 アンチョビがバイトから戻ると、前回のリベンジだと彼女が意気込み再び麻雀が開始されたのだが、やはり今回も長田の勝利に終わった。
 長田は「じゃあ明後日、俺の戦利品買うの手伝って」と地獄のような命令を下した。

 花澤と長田は、いつも通り、酒に酔っ払って俺の寝室でいびきをたて始めた。

 明日のことを考え、俺とアンチョビも早々に眠りに就いた。

 2017年12月30日。土曜日。

 キミドリ氏の好意で通行証を譲ってもらい、俺とアンチョビはサークル入場でビッグサイトへと入った。
 長田と花澤は起こしても起きなかったので家に置いてきた。

「おぉおお、なんだか気分が高揚するな。これがコミケか」

「始まるとこんなもんじゃ済まないよ」

 アンチョビと話をしながら、東館へと向かう。

 なんだか、こうしてアンチョビと一緒に歩くのも慣れてきてしまっているなあ。
 最初は緊張してどぎまぎすることもあったけど、今ではこれが自然になっている。

 俺にとっては喜ばしいことだろうけど、それはきっと、本当に俺にとってでしかないだろう。

 どうして慣れてしまっているのか。
 アンチョビが目的を果たせていないからだ。
 元の世界へ帰れていないからだ。

 彼女の目的を無視して俺だけ喜んでいるというのは、人としてどうなのか。

「……アンチョビさん」

「なんだ?」

「そろそろ話しておきたいんだけど、次の策、どうする?」

「策? なんのだ?」

「監督と話したじゃん。残念ながら元の世界へ帰る方法はわからず仕舞いだったけど、情報は増えたわけだし」

「……あぁ、その話か」

 アンチョビは心なしか目蓋を落とし、言葉を続ける。

「そうだな、次の策というか、話したいのは――」

 そこまでアンチョビが言ったところで、館内に入った俺たちの耳に「おぉお~~、お久しぶりです~~」と声が届いた。
 顔を向けると、キミドリ氏がサークルスペースで右手を振っている。

「あぁ、キミドリさん、本当にありがとうございます」

「いえいえ、このくらいはお安いご用ですよ。そちらは? その後いかがですか?」

「ぼちぼちですかね。まぁその話はおいおい」

「はははそうですな。では一旦、予定を決めちまいましょう。いやあ、今日はよろしくお願いします」

「いえいえ、こちらこそ」「よろしくな!」

 サークルチケットを譲ってもらった代わりに、俺たちはキミドリ氏のサークルで売り子の手伝いをすることになっている。 
 アンチョビの売り子は、人呼びにはもってこいだろう。
 売り子も一日中やるわけでなく手伝い程度、空いた時間はコミケを好きに回って良いとのことだ。ありがたい申し出である。

「着替えてきたぞ! どうだ!」

「とても可愛いと思います」

「いやはや、やっぱり似合ってますねえ。……失敬、当たり前ではありますが」

 せっかくなのだから、アンチョビもアンツィオの制服に身を包んでもらった。
 ガルパン島に佇む彼女の姿は、とてもおさまりが良い。

 やがて拍手と共に会場。
 俺はキミドリ氏とアンチョビに一時別れを告げ、ガルパン島で同人誌を買い漁る。

 1時間ほどであらかたの戦利品を手にし、キミドリ氏のサークルへ戻ると、アンチョビが忙しそうに本(健全本だ)を買いに来た一般参加者の相手をしていた。
 挨拶、本の受け渡し、金銭の受け取り、雑談、握手。
 それらをてきぱきとこなしながらも、まったく笑顔を絶やさない辺りアンチョビはさすがだ。

「それでは私は挨拶回りに行ってきますよ。後はよろしく頼みますっ」

 と去っていったキミドリ氏と入れ替わりに俺がサークルスペース内へ入る。
 アンチョビの隣に並んで、同人誌をさばいていった。

 キミドリ氏は新刊を強気に300部刷ったとのことだったが、みるみる数が減っていき、キミドリ氏が戻る頃には残り段ボール一箱分となっていた。

「いやあ助かりました! あとは私一人で十分です。今日はお二人ともお疲れ様でした!」

 キミドリ氏に挨拶し、午前中に比べ歩きやすくなった場内をアンチョビと回る。
 アンチョビに向けられる視線の数は、池袋でのそれの比ではなかった。

 ひとしきり歩くとコスプレ広場へ向かった。
 アンチョビの服装はコスプレにあたるのかどうかわからないが、まぁ細かく気にする者もいなかろう。

 コスプレ広場にて、アンチョビが「はあっ」とポーズをとると、周りでぱしゃぱしゃとシャッター音が鳴った。

 すでに界隈で彼女の存在を知らぬ者はいないくらいになっている。
 そもそもの人気もあいまって、アンチョビを取り巻く人混みはもの凄いことになった。
 スタッフが現れるまでその混雑は続いた。

 場が解散した後もコスプレ広場にいると、アンチョビへ挨拶に来る人間がひっきりなしに続いた。
 ツイッターのフォロワーだ。
 驚いたのはアンチョビが彼らのアカウント名を全て記憶していたことで、これも彼女の隊長たる所以の一つなのかと思う。

 ビッグサイトを出て家に戻ると、花澤と長田がリビングに寝転がって漫画を読んでいた。

 その口で図々しくも「夕飯食ってくわ」とか言い出すものだから、「じゃあお前ら夕飯の材料買ってこい」と言って家から叩き出した。

 1時間後に戻った二人は、食材だけでなく酒も買い込んできていた。
 必然、またも家飲みが始まるが、さすがに、無理矢理に二人は家へ帰らせた。

 2017年12月31日。日曜日。

 長田の「俺の戦利品買うの手伝って」令により、早朝からビッグサイトの長蛇の列に並んだ。
 俺や花澤だけでなくアンチョビにも付き合わせる辺り、長田の鬼畜ぶりが垣間見える。

 拍手の後、入場と共に散開。

 さすがにアンチョビへは健全本しか任されていないが、それでも三日目の肌色ポスターの多く展示される場内は、少し彼女には刺激が強すぎるのではないかと思わされた。
 ちなみに、当初、長田は「アンチョビさん18歳だし大丈夫でしょ」と言っていた。鬼だ。

 俺は長田に頼まれた品の他に、個人的な買い物も並行して済ませた。

 各自の買い物が終わり、合流は13時。
 疲れた顔で現れたアンチョビは、「ここは、すごい場所だな……」とさすがに辟易した様子だった。

 戦利品の分配が終わり、花澤と長田はビッグサイトを去った。
 二人とも今日の内に新幹線で実家へ帰るらしい。

 俺はといえば、まぁ今年の帰省はなしだ。
 母からのメールにも「帰らない」と昨日のうちに返しておいた。

 夕飯は蕎麦。そして薩摩揚げに、セセリの唐揚げだ。
 我が家には珍しく日本食だったので、酒も日本酒(新政)で合わせた。

 アンチョビと二人、大晦日に浮かれるテレビ番組を眺める。
 時間の流れはとてもなだらかに感じられた。

「あのさ、昨日の話なんだけどさ」

「なんだ?」

「次の作戦どうしますかっていう。アンチョビさん、最後に何か言いかけてたけど」

 アンチョビは「そうだなあ」と短く返事をした。
 続けて何か言うかと思えば、そのまま黙ったままだったので、俺は「アンチョビさん?」と問いかける。

「……来年の話をすると鬼が笑うって言うだろ?」

「笑いたいやつは笑わせときましょうよ」

「その返し、何かの台詞か? まぁでも、とにかく、今日はもう良いじゃないか。もう少し――そうだな、明日にしておこう」

 そこまで言うのなら、と俺は話題をそれきりにする。

 華やかな歌番組を眺めてセセリをつついていると、新政の四合瓶が残り半ば。
 今年の酒は今年のうちに、とさらにコップへ酒を注ぎ続け、四合瓶が空になったのは、テレビが寺の中継画面に入った辺りだった。

 やがて煩悩落としの鐘の音が響き、2017年が終わる。

 アンチョビと顔を合わせ「あけましておめでとう」と挨拶。

 そして彼女は静かに、言葉を続けた。

「元の世界へ帰るのは、諦めようと思うんだ」

今日はここまでにします。
また明日、もしくは明後日、再開します。

落としどころかが見えない分面白い。
淡々とした感じがパヤオがイカ娘を作るssを思い出す

ハッピーエンドになってほしいな…

再開します。今日はあんまり長くない予定です。

 2018年1月1日。月曜日。

 除夜の鐘の後、俺はしばらくアンチョビの言葉に返事ができないでいた。
 それで俺は、アンチョビが元の世界へ帰ることが、アンチョビだけの目標でなく、俺の目標にもなっていることを自覚した。

 絞り出すように「なんで?」と問いかけるとアンチョビはやはり静かに答えた。

「色々考えたけど、やっぱり、どれだけ頑張っても、元の世界へ帰る方法は見つからないと思うんだ」

「……やってみなきゃわからないって言ったのは、アンチョビさんでしょう」

「十分やったさ。戸庭のおかげで、ここまでやれた」

「まだできるでしょう。やれることなんかいくらでもある」

「それでもきっとそれは、私が元の世界へ帰ることには繋がらないと思う」

 アンチョビは厳しい口調で言った。

「ずっと考えてたんだ。衝動的に決めたわけじゃない」

「いや、でもさ――」

 そこまで言って気付いた。
 俺の目標になっている。だから俺は反対するのか。

 思い上がるな。どうしてアンチョビの意志をないがしろに出来る。
 俺じゃない。これは彼女の物語だぞ。

「戸庭」

 アンチョビが俺の名を呼ぶ。

「気に病むな。戸庭は悪くないし、もう決めたことなんだ。確かに落ち込みはしたけど、そんなの、とっくに済ませた」

 アンチョビの諦観が俺には辛かった。
 しかし俺に彼女を止める資格はない。

「それじゃあ、アンチョビさんは、これからどうするの?」

 アンチョビは「そうだなあ」と笑い、ふっとこちらを向く。

「戸庭はどう思う?」

 俺はアンチョビの問いに答えられず、黙り込んでしまった。

 アンチョビは「まぁ、考えてみてくれっ」と無理矢理に話をまとめると、続けて「寝るっ」と宣言してリビングを出て行く。
 残された俺も、もやもやした気持ちを抱えつつも寝室でベッドへ倒れ込んだ。

 昼前に起床。
 アンチョビとリビングで顔を合わせる。

 元旦ではあるが、どうにも初詣に行く気分にはなれず、ぐだぐだと家でテレビを観て過ごした。

 年明けのどこか気の抜けた頭で考えたのだが、そもそも俺はアンチョビがしたいようにするのが一番だと思う。
 それをそっくりそのまま彼女へ伝えたところ、「じゃあ、仮に私にしたいことがなかったら、どうするんだ?」と言われてしまった。

 アンチョビの言葉の意図に見当がつかず、俺はまたしても考え込んでしまった。
 ベッドにもぐりこむまで考え続けたが、やはり答えは見つかりそうになかった。

 2018年1月6日。土曜日。

 年末年始の連休が終わり、2日ばかりの出勤を挟んで再び休日がやってきた。

 元の世界へ戻るのを諦めたと言ったアンチョビは、しかし相変わらず動画のアップロードを続けていた。
 どうしてだろうと俺は疑問に思ったのだが、「この世界へ残る」という選択をした場合について考えを巡らせてみると、ユーチューバーとしての活動を辞める理由も特に見当たらなかった。

 アンチョビは、目的を失った。
 つまり俺は、アンチョビの活動をサポートする意味を失ったのだった。

 あぁなるほど、アンチョビが言ったのはこれか、とふいに思い当たった。

 アンチョビだけではない。俺も目的を失ったのだと、アンチョビもとうに気付いていたのだ。

 それで俺はようやく思考のスタート地点に立てた。

 俺がどうしたいか。
 決まってる。アンチョビを助けたい。

 献身する覚悟はできているのだ。
 けれど、考えるべきは、ならばどう行動に移すかだった。
 何故なら、彼女は元の世界へ戻るという目的を失っている。

「そうかあ。この世界に残るのかあ」

 口に出してみると飲み込めた。

 うん、うん。何も変わらないじゃないか。
 この世界へ残るのなら、この世界へ残る彼女をサポートすれば良いのだ。

 当然、どこからともなく現れたアンチョビは、身分証明書どころか日本国籍すら持っていない。
 戦車道はないし学園艦もない。アンツィオ高校はおろか、彼女が通える高校はどこにも存在しないだろう。

 アンチョビが生きていくには、ここは難しい世界だ。
 俺がやらなければならないことは、いくらでもある。

 一番の目的は、彼女が国籍を手に入れることだ。それも、正規の方法で。

 それがどれだけ難しいかは、法に詳しくない俺でもわかる。
 そもそも、彼女の今の状態は、ひょっとすると不法滞在とも捉えられかねない。

 出来る限り慎重にいかなければならない。
 そしてそのためには、結局、信用できる人間を増やすしかないのだった。

「というわけでアンチョビさん、日本国籍を取得すべく、アンチョビさんのファンを増やしていきましょう」

「お、おぉ、戸庭は、本当に、斜め上の結論を出すなあ」

「そうでもないでしょ。まぁとにかく、監督に連絡してみようか。力になってくれるって言っていたことだし」

 アンチョビとこの世界を繋ぐ、唯一のものは『ガルパン』だ。

 ガルパンが世界に広まることは、アンチョビが世界に広まることを意味する。
 ならば、とにかく監督と連絡を密にとっておくことはプラスに働くはずだった。

 監督にメールをすると、返信はすぐにかえってきた。

『それでは、アンチョビさんにどこかのイベントで登壇してもらうのはいかがでしょうか』

「登壇……。それはつまり、公的な存在として認めてくれるってことか?」

「訊いてみよう」

『はい、そうです。いかがでしょうか』

「お、おおおおおおおっ!」

「願ったり叶ったりだな。よっし、じゃあ了承するよ」

『それは良かったです。私も楽しみです。詳しくは調整しますので、少々お待ちください。連絡は私からではないかもしれませんが、あしからず』

 あぁ、監督忙しそうだしなあ。最終章の第2話も制作真っ最中だろう。

 ――最終章。
 そうか、ガルパンは、最終章なのだ。
 残り5話。それで終わってしまう。

「戸庭、どうした?」

「少し訊いておきたいことがあって。訊いてみる」

『ガルパンは本当に最終章で終わってしまうのでしょうか。宜しければ教えていただけませんか』

 返信は十数分後にあった。

『先のことはわかりませんが、少なくとも、アニメは最終章で終わりです。だから最終章と銘打っています』
『けれどそれは、ガルパンが終わることには繋がらないと、私は考えます』

 2018年1月16日。火曜日。

 連絡はガルパン制作会社の代表からあった。

『お待たせしました。少し先ですが、アンチョビさんには大洗で開催される海楽フェスタに出演していただく、というのはどうでしょう』

「海楽フェスタ!」

「ってなんだ?」

「大洗で開催される祭りさ」

「おお、お祭り好きなんだなあ、大洗の人達は。良い町だ!」

 当然、了承である。
 返事を送ると、俺はがぶがぶと赤ワインを飲んだ。

 2018年1月27日。土曜日。

 アンチョビのバイト先がファンにばれた。

『なんとなく店に入ったらアンチョビ働いてたんだけど』という画像付きのツイートがあったのだ。
 ツイートのRT数は万にも及び、店名もすぐに知られることとなった。

 アンチョビの人気はもはやアイドル並になっていて、アンチョビの公式ファンクラブなんてものもツイッター上で出来あがっているくらいである。
 いやまぁ、会員ナンバー1番a.k.a.名誉会長はキミドリ氏が務めているし、更にいうなら2番は俺なのだが。

 ともあれこれはまずいと、俺はファンクラブのフォロワーと共に、事態の抑止に走った。

 店長は「はっはっは、売り上げが上がってこっちは助かってるけど、アンチョビさんは大変だよね」というような反応だったようで、バイト先に迷惑がかかることはなかった。

 しかし、アンチョビのプライベートが脅かされるのはやはり問題である。

 キミドリ氏の忠告により、ツイートの主は謝罪と共に該当のツイートを削除してくれた。
 本人も悪気があったわけではないという。

 ツイッターでも『今後はアンチョビさんに迷惑をかけるツイートはやめましょう』という方向で事態がまとまっていく流れが見られ、ひとまずは一安心と息をついた。

 2018年2月8日。木曜日。

 アンチョビは朝からバイトへ出かけていった。

 近頃の彼女はより一層バイトに励んでおり、何をそんなにお金が必要なのだろうと疑問に思うところだ。
 直接アンチョビへ訊いてみると「まだ決めてないなあ」と返されるばかり。不思議だ。

 俺はといえば、先日、最終出社を迎え、今は有休消化期間に入っている。

 まだ転職先は決まっていないので、本来なら転職活動に打ち込む必要があるのだが、どうも気が乗らず家でぐうたらしている辺り駄目人間一直線だと思う。
 貯金で数ヶ月は保つとはいえ、さすがにまずいので、明日は転職エージェントと面談の予定を入れた。

 アンチョビのファンは、着実に増えている。

 ツイッターのフォロワー数は、およそ15万人。
 確認してみると、監督のフォロワー数の倍以上だった。

 渦中にいるとあまり実感が湧かないが、先週の日曜にアンチョビと共に池袋へ向かった時のことを思うと、さもありなん。
 声をかけられる回数が、前回の比ではなかった。

 アンチョビが本物だと信じる人間がどのくらいいるのかはわからない。
 正直な話、すでに本物だとか偽物だとか気にされてはいないだろうと思う。
 こちら側が本物だと訴えるのをやめると、皆もその話題を出さなくなった。

 これまでは自分のチャンネルで動画を公開するばかりだったが、1月の後半からは、徐々に他のチャンネルにお招きされることも増えた。

 特に多いのは、Vtuberとのコラボ依頼だった。
 ガルパンの世界から現れたアンチョビは1.5次元とも呼べる存在だ。Vtuberとの親和性も高いのだろう。
 コラボ動画の再生数は、普段の数倍にもなった。

 ネット記事のインタビュー依頼も絶えなかった。
 依頼の中には怪しいものも多分に含まれており、俺はその中から幾つかをピックアップしてアンチョビへ渡した。
 全て通すと、アンチョビは何でも快く引き受けてしまう。俺が間に入ってやる必要があった。

 事態は順調に進んでいて、俺の生活は充実していた。
 今は職なしだが、仕事に追われていた頃より数倍充実している確信があった。

 こんなことを言うとアンチョビには悪いけれど、彼女のおかげで、俺は、救われているのだと思う。

 2018年2月16日。金曜日。

 海楽フェスタの出演者が発表され、ツイッターは大騒ぎとなった。
 アンチョビの存在が公式に認められたのはこれが初なのだから、まぁ反応の理由もわかる。

 ガルパンの公式アカウントへも質問リプライが飛んでいるのを見て、アンチョビは「質問はそっちじゃなくて私宛にくれえええっ!」と叫んだが、それをツイートするのは俺が止めておいた。
 答えられる質問ばかりなら良いが、そうでない質問が寄せられたらどうするのだ。

 俺はガルパン制作会社の代表にどう対応すべきか連絡を取った。
 ありがたくも「こちらで対応するのでそちらのアカウントではノーコメントで通すことにしましょう」と言ってくれた。

 アンチョビはそっくりそのまま「ノーコメントだ!」とツイートをしたが、これといった批判はなかった。
 本当に愛されているなあと思う。

 2018年2月22日。木曜日。

『そういえばとにーさん。先日、職をお探しということでしたが、もう転職先は決まりましたか?』

 転職先の面接を受け、家へ戻ると、キミドリ氏からメッセージが届いていた。

『いえ、まだです。条件に合う会社があまり見つからず……』

 仕事を選ばなければ、転職先はいくらでも見つかる。
 IT業界というのは万年人材不足だ。
 俺くらいの技術者でも、欲しい会社はいくらでもあろう。

 けれど、それで前回の二の舞になっては元も子もない。
 アンチョビにも「ちゃんと考えて、慎重に選ぶんだぞ! 絶対に妥協しちゃ駄目だっ!」と口を酸っぱくして言われたのだ。

『でしたら、うちの会社はいかがでしょう。確か前職はIT関係でしたよね。とにーさんでしたら大歓迎なのですが』

 ほほう。

『魅力的なお誘いです。前向きに考えたいので、差し支えなければ、先に会社名や条件面など教えていただきたいのですが』

 キミドリ氏からは『もちろんです!』と社名や福利厚生、年収の見込みなんかが送られてきた。

 条件は悪くない。というか俺の希望を全て満たしている。
 社名は聞いたことがなかったが、調べたところ評判の悪い会社ではなさそうだった。
 なにより、知人が在籍しているというのは信用が置ける。

『とにーさんの希望次第ですが、3月入社でねじこめないこともないかと思いますよ』

『ありがたいですけど、そこまで希望が通るものなのですか』

『ははは、まぁ、私も部長を務めておりますので。それなりの権限があるのですよ』

 俺は、アンチョビに、転職先が決まったことを報告した。
 アンチョビは喜び、やはり豪勢なイタリアンを作ってくれた。
 赤ワインがぶがぶ。

 2018年2月27日。火曜日。

 初めて出版社からのインタビュー依頼がきたので、アンチョビと二人、出版社へ赴くこととなった。
 インタビューを受けるのはアンチョビ一人でなく、制作会社の代表と、ついでに俺まで数に含まれている。

 インタビュアーの質問の焦点は、『彼女は何者なのか?』という点だった。
 しかし俺も代表もアンチョビも、「信じられないでしょうけどアンチョビです」と答える他なく、徐々に質問は『これまでの活動はどういう経緯で行ってきたのか』という方向に移行していった。

 インタビューは1時間弱で終わった。

 雑誌への掲載は、4月中頃とのことで、遠い未来の話のように思えた。

 2018年3月9日。金曜日。

 キミドリ氏の会社に入ってから1週間が過ぎた。

 結論から言えば、スーパーホワイト企業だった。
 前職がいかにブラックだったのかを思い知った。
 こうして人は学んでゆくのだなあと思います。

 労働といえば、アンチョビもいつかはバイトを卒業して、正社員としてどこぞの企業で働くことになるのだろうか。

 キャリアウーマンのアンチョビを想像してみたが、どうもイメージが定まりそうになかった。
 やっぱりアンチョビは戦車の上で高笑いをしているのが似合っているように思う。

 とはいえ、気になったのでアンチョビに訊いてみる。

「アンチョビさん。今のバイトはいつまで続けるの?」

「まとまったお金が貯まるまでかなあ」

「ふうん。辞めたらどうするの。アンチョビさん、美人だし喋れるし、アイドルとか向いてると思うけど」

「び、美人っ!? あ、うー、でも、そうだな、それはないな。アイドルになったら、今の生活も続けられなくなるしなっ」

 それもそうかと思い、俺は話題をそこで打ち切った。

 2018年3月15日。木曜日。

 代表から、一通メールが届いた。

『海楽フェスタ前日、何時頃から大洗にいらっしゃいます?』

『特に決めてないですけど夕方でしょうか。どうかしましたか』

『アンチョビさんに会っていただきたい人がいまして。17日の夜に宿泊先のホテルで。いかがでしょうか』

 俺たちの泊まるホテルは代表に用意してもらっている。宿泊料も向こう持ちだ。
 そこまでしてもらって、これくらいの頼み、断る理由がない。

 念のためアンチョビに確認をとると「当然おーけーだ!」とのことで、そのように返信をする。

『では先方にも伝えておきます。当日は宜しくお願いします』

今日は、ここまでにします。

続きは明日。長くなりましたが、明日で終わりです。

楽しみにしておこう

おつ

再開します。今日で終わりです。
なんとか日付変わる前に終わるかと思うので、お付き合いいただければ幸いです。

おう

 2018年3月17日。土曜日。

 再び大洗。あんこう祭り以来だ。

 海楽フェスタの前日ということで、おそらくは平時より人通りは多いだろうが、それでも祭り当日と比較すれば歩きやすさは雲泥の差だ。
 アンチョビと二人、商店街でみつだんごを食べたりなどしつつホテルへと向かった(途中、通りすがりのおじさんお姉さんに何度も声をかけられた)。

 一旦、ホテルで荷物を下ろしたものの、約束までまだ時間がある。
 アンチョビの部屋へ顔を出し、「少し飲んでくるけどアンチョビさんどうする?」と問いかけると、彼女は「少し散歩したい」と答えた。

 商店街の真ん中にあるバーへ行くと、客は店内に収まらないくらいになっていた。
 俺は店内でギネスを注文すると、店の外でその場に居合わせていた客と談笑することにした。

「えっ。大洗に越してきたんですか? ガルパンきっかけで?」

「ええ、そうですね」

「こういうことを訊くのもなんけど、ガルパン最終章じゃないですか。終わっちゃったら、どうします?」

「どうもしないですよ」

「……どうもしない?」

「ええ。きっかけはガルパンですし終わるのは寂しいですよ」
「しかし、そもそも僕は大洗という町を好いたんです」
「ガルパンが終わるから何ですか。それでも僕の生活は続きます」

 彼の言葉は腑に落ちた。なるほど、確かにその通りだ。
 俺は彼に謝ると残りのビールを飲み干した。

「そういえば、貴方、お名前は?」

「ええと、ツイッターなんかでは『とにー』と名乗ってます」

 そう言うと、周囲で「とにー!?」と幾つか声が上がった。
 俺も名が売れたものだと思う。

 ビールを2杯も奢られ、ホテルに戻ったのは約束ギリギリの時間になった。

「アンチョビさん、そろそろ行こうか」

 扉の隙間から顔を出したアンチョビへそう声をかける。

「戸庭。少し酒の臭いがするぞ」

「大丈夫。酔っ払うほど飲んでないから」

 これは本当。さすがにそのくらいは弁えている。

 事前に代表からは部屋番号を伝えられている。
 エレベーターで階を上がり、目的の部屋の扉をノックすると、中から「あぁ、いま開けますね」と声があった。

 代表に扉を開けられ、中に入ると、代表の他には二人の女性の姿があった。
 年の頃はどちらも二十代中盤か。顔に見覚えはないかと思う。

 二人の内、眼鏡をかけた女性はこちらを見ると小さく頭を下げ、もう片方は薄く微笑みを浮かべた。

「こんにちは。……アンチョビさんに会わせたいのって、このお二人ですか?」

「ええ、まあ。二人とも、こちらが『とにー』こと戸庭さん。で、ご存じ、こちらがアンチョビさんです」

「戸庭です」「アンチョビだ! よろしくな!」

 俺たちが挨拶すると、眼鏡の女性が立ち上がり口を開いた。

「どうもっ。わたし柿葉といいます」

 しかし、彼女が言い終わっても、もう片方の女性は席を立とうともしない。
 楽しそうに、笑みを浮かべるのみだ。

 柿葉さんが「あ、挨拶っ!」と叱ると、ようやく彼女は立ち上がり「ひょっとして気付くかなと思ってね」と言った。

「ん、うぅううん?」

 アンチョビがうなり声を上げ始める。
 彼女はそれを楽しそうに眺め、「アンチョビ。口に出してみると良い」と声をかけた。

「お前、ひょっとしてミカか?」

 アンチョビの言葉に、彼女は「正解」とかえした。

 代表は「後は4人で」と部屋を出て行った。
 ミカと柿葉さんを正面に、俺とアンチョビが並んで座る。

 訊きたいことはいくらでもある。

 ミカはどう見ても成人を迎えている。
 継続高校に通う、高校生にはとても見えなかった。

 タネがわれたからなのか、椅子に座ると、ミカはどこからともなくカンテラを取り出し膝の上へ置いた。

「それで、ええと、ミカさんはどうやってこの世界に?」

「さあね」

「詳しくはわからないんですけど、わたしが朝起きたら、うちの冷蔵庫を勝手に漁ってご飯食べてたんです……」

「お前……」

 ぽろろん。ミカは何も言わずカンテラを弾く。
 なるほど、俺はそれだけで彼女がミカ本人だと認識できた。

「年もわたしと同じくらいだし最初はミカだって気付かなかったんですけど……話をしてるうちに段々と」
「とはいっても、信じるまで1週間くらいかかりました」
「ミカ、はぐらかすばっかりで全然話をしてくれなくて」
「そういうところもミカっぽいなとは思ったんですけど」

 ぽろろん。

「確かそれが1月の中旬だったと思います」
「アンチョビさんのことは知ってて、ミカもこれと同じだと思ってすぐに連絡しようと思ったんですけど、ミカが『アンチョビに連絡をとる。そのことに意味はあるのかな』とか言って」
「意味あるに決まってると思うんですけど」
「その後、すぐに家を出てっちゃうし、もうホント」

 ぽろろん。

「……大変だったな」

 アンチョビが柿葉さんに慰めの言葉をかける。

「あ、でも、今日ここに来れたのはミカのおかげでもあるんです。いつの間にかミカが、あの、代表さんと話をつけてて」

 ぽろろろーん。

 多少、年は取っても、ミカはミカ。中身に変わりはないらしい。
 奇抜で気まぐれで欲深い。そして、やる時はやる。

「ええっと、ガルパンの作品内のミカと年齢が違う件については、理由はわかりますか?」

「わかりません……。でも前に、二十代のミカを同人誌に書いたことはあります。もしかしたらそれが関係してるのかも……」

 あぁ、柿葉さんは同人作家なのか。

「あの、それで一番訊きたかったことなんですけど」

 柿葉さんは、こちらを真っ直ぐ捉え、言葉を吐き出した。

「アンチョビさんが元の世界へ帰る方法、わかりましたか?」

「いや、それは――」

「見つかっていない。もう諦めたんだ」

 俺が言おうとしたのを、アンチョビの言葉が制した。

 ふいに、ミカがすっと立ち上がる。

「ど、どうしたのミカ?」

 ミカはカンテラを手に部屋の扉の方へ歩いていくと、

「大洗の夜風は気持ちが良い。アンチョビもどうだい?」

 と、比較的わかりやすい言葉を吐いた。

「お、おー。そうだな」

 連れだって部屋を出て行く二人を、俺と柿葉さんが見送った。

 アンチョビとミカが戻ってきたのは、それから3時間も経ってからのことだった。
 その頃、俺と柿葉さんはガルパントークに花を咲かせ、缶ビール片手にわいわいとさきいかをつついていた。
 すっかり出来上がってしまった俺はアンチョビに「戸庭! 部屋に戻るぞ!」と腕を引っ張られ、名残惜しくもミカと柿葉さんの部屋を去った。

 2018年3月18日。日曜日。

 早朝に目を覚ました俺は、もう起きてるかな、と遠慮がちにアンチョビの部屋の扉をノックした。
 中から現れたアンチョビは「遅いぞ戸庭っ!」と叫び、すでに身支度を整えていた。

 広場には、あんこう祭り同様、すでに屋台が出ていた。
 やっほーと俺は缶ビールを開ける。
 アンチョビは若干呆れながらも、一緒に笑ってくれた。

 アンチョビの登壇は11時半過ぎからだった。キャストトークショーの直前だ。
 それまでは屋台の辺りで飲んで食ってしているつもりだったのだが、アンチョビに寄ってくるファンの数が膨大になり収拾がつかなくなったため、一旦、テントの中へ避難することとなった。

 代表は「そりゃそうですよ」と笑い、アンチョビに深めの帽子とサングラスを用意してくれた。

「そういえば今日は監督はいないんですね」

「忙しいですから。いたらびっくりですね」

 変装して、再び祭りの渦へ。
 やいのやいの騒いでいると、時間はすぐにやってきた。

 テントへ戻るとガルパンのキャストが勢揃いしていて、アンチョビを目にすると「アンチョビさんだっ!」と声を上げた。
 彼女らは「お会いしたかったんです~」「これからもよろしくお願いしますね」と丁寧に挨拶してくれる。
 アンチョビも嬉しそうに「こちらこそよろしく!」と挨拶をかえした。

 やがて出演のためにアンチョビがテントを出て行く。
 俺も外で見物しようとテントを出た。

 人混みから外れて、よく見える場所はないかなとぶらついていると、ミカと柿葉さんを見つける。
 そして横には、何故か監督が立っていた。

「監督、忙しいって聞きましたけど」

「興味があって、ミカさんに会いに来ました。いやあ、会ってみるとそっくりですね。当たり前ですが」

 今日のミカは継続のジャージこそ着ていないものの、カンテラを手にし、頭にはチューリップハットを被っていた。
 確かにこうして見ると彼女はミカそのものだろう。

「戸庭さん。その後、どうですか」

「あぁいえ、監督のおかげで順調です。こうしてステージにも上がらせてもらえてますし」

「それは良かったです。頑張ってください。私も頑張ります」

「ありがとうございます」

 ふいに周囲のざわめきが大きくなった。

 何かと見れば、壇上にアンチョビが登場している。
 凄まじい人気だ。

 アンチョビは声援に応えるように大きく手を振りながらステージの真ん中へ移動した。

『あー、あー、あー、あー、マイクの調子は良いな!』
『やあ、みんな、こんにちは! 楽しんでるか!?』
『アンツィオ高校で戦車道の隊長を務めていた、私の名はアンチョビだ!』

 大きな歓声が上がる。
 この中で、彼女が隊長であることが過去形で語られているのに気付いているのは少数だろう。

『実はこっちの大洗に来たのはこれで二度目でな。大洗について語れることはあまり多くないんだが、いやあ、良い町だな!』
『さっきまで屋台で食べ歩いていたんだが、魚は美味いし、町の人は陽気でやさしい!』

 そうしてアンチョビは大洗の魅力を存分に語り出す。
 語ることは多くないなんて嘘っぱちである。
 与えられた時間の半分以上を過ぎたところでカンペを見て「おお、もうそんなに経ってるのか」と気付く。

『じゃあ、ここからは、私の話をさせてもらう』
『あんまり興味ないって人は屋台であんこう鍋食べててくれ! 美味しいぞ!』

 雰囲気をしんと変え、アンチョビは再び口を開く。

『私は、この世界の人間ではない』
『おそらくはガルパンの世界からやってきたんだと思うんだが、本当のところはよくわからない』
『確かに私の頭の中には、アンツィオや大洗や、黒森峰や継続の、他にもたくさん』
『そう、あいつらの、顔が、声が、記憶として残っているのに』
『なのに、この世界でのガルパンは創作物だ。創られたものなんだ』

 ぐさりと、アンチョビの言葉が心臓に刺さる。

『まぁ、もう吹っ切れたけどな!』
『でも最初は辛かったぞ。ここで言うのも、その、なんだが、夜に泣いたりもした』
『……いやいや、でも良いんだっ! そうじゃない』
『私が言いたいのはそうじゃなくてだな、伝えたいことが、あったんだ』

 アンチョビが、仁王立ちをし、正面を向く。

『私は! この世界で生きていくぞ! その決断をした!』

 さらに、力強く叫ぶ。

『だからみんな、これからもよろしくな! 私を! 大洗を!』
『そしてもちろん、ガルパンのことを!』

 直後、今日一番の歓声が上がった。

 俺も感情が爆発して「ううあああああ」と声にならない叫び声が口から漏れ出た。
 監督とミカは静かに笑い、柿葉さんには背中を撫でられた。

 テントには戻れるはずもなく、アンチョビとは数時間も経った後で合流した。
 アンチョビには「どこ行ってたんだ?」と訊かれたが、「物販に並んでた」と俺は誤魔化した。

 水平線に夕日が沈んでいくのが見えるなか、俺たちは大洗を去った。

 2018年3月24日。土曜日。

 玄関の扉を開けると、そこにミカがいた。

「あの、いらっしゃるみたいな話してましたっけ」

 ぽろろん。

 後方ではひょっこりと柿葉さんも顔を出す。

「えっと、ミカが『風に誘われて』って。あ、そうだ、よろしければ最終章のBlu-rayを一緒に観たりとか……?」

 どうして疑問形なのか。

「アンチョビ。彼とはまだ話をしていないのかい?」

「う。まだだ」

「時間は待ってくれない。流れに身を任せていると、いずれ日が暮れて朝がやってくるよ」

 ミカはゆっくり話すと、最後にぽろろんとカンテラを弾いた。

 アンチョビは「ぐ、く」と唸り出す。
 それを見たミカは「柿葉」と名を呼ぶ。

「あ、あぁ、それじゃあ、ひとまずBlu-ray観ますか?」

「え、えぇえ、この流れで? いやまぁ良いですけど」

 柿葉さんから最終章第1話のBlu-rayを受け取る(我が家にもあるが)と、それを再生機へと挿入する。
 4人でリビングへ腰を下ろしたが、直後、ミカが今度は「アンチョビ」と名を呼んだ。

「アンチョビ。果たして、その選択は正しいのかな」

「……う~~~、言いたいことはわかってるっ」

 ばんとリビングを飛び出したアンチョビが自室へと入っていくのが見える。
 どういうことかと俺は不思議に思ったが、ミカが雰囲気でもって俺を制するので、何も言わずにおく。

 気を取り直して、俺たちは3人で最終章第一話のBlu-rayを観賞した。
 やっぱり抜群に面白い。さすがだ。

 たっぷり47分間を楽しんで、映像を止めるとアンチョビがいつの間にか隣に座っているのに気付いた。

「戸庭。大事な話だ」

「お、おう。いつになく真面目。わかった。聞くよ」

 アンチョビが俺の正面に移動する。
 ミカと柿葉さんは少しだけ俺から距離を取る。
 アンチョビがすうっと息を吸う。

「私は、この家を、出て行く」

 え。

「正直、いすぎたくらいだ。ずっと前から準備は進めていたんだぞ。引っ越し費用は、十分に用意できたと思う」

「いや、ちょっと」

「初めは隣町に引っ越すつもりだった。しかし先週、提案を受けたんだ。ミカと一緒に大洗で暮らすのはどうかってな」

「……展開が、早すぎない?」

「もちろん戸庭にこれまで世話になった礼はするぞ。私のために使ってくれたお金も、これから時間をかけて全部返す!」

 アンチョビは、ツインテールを揺らして、腕を組み、むんずとふんぞり返って笑った。

 俺は、アンチョビの話した内容を飲み込むのにしばらく時間がかかりそうだった。

 予感はあった。いつかこんな日も来るだろうと。
 けれどそれは、未来の出来事と思考の片隅に追いやってしまっていた。

 しかしそこで気付くに、どうもアンチョビの様子がおかしい。
 彼女は固く目を瞑っている。

 何だと思うと、アンチョビは再び目を開いた。
 先ほどまでの威厳をなくし、声を震わせて、続きを口にする。

「い、以上がっ! 選択肢その1だ!」

「……せ、選択肢?」

「そうだ! その2は簡単だぞっ!」

 アンチョビが頬を紅潮させて叫ぶ。

「私は戸庭の家を出て行かない! ずっと、少なくとも当面は、このままだ!」

 ぶわっと、熱風が飛んできたかのようだった。

……いや、いやいやいやいや。

「その選択って、誰が決めるの」

「う。わ、私が決められたら良かったんだが、私はどれだけ悩んでも駄目だ。ノリとテンションだけではどうにもならなかった」
「そもそもこれは、私だけの問題じゃないしなっ」

「アンチョビ」

 ミカに呼ばれたアンチョビが「わかってるっ!」と叫ぶ。

「言っておくぞ。わ、私は、戸庭のことを家族だと思ってる」
「家族だぞ。アンツィオのみんなと一緒だっ!」
「だから、そう、ここを出て行く必要は、まったくもって、ないっ!」

 でも。とアンチョビは続ける。

「言った通り、これは私だけの問題じゃない」
「戸庭の問題でもあるし、ミカの問題でもあるし、もっと言えば柿葉の問題だってあるだろう」
「それに、ミカと暮らすのだって、私は悪くないと思う」
「こいつはこんなだけど、いざという時は頼りになるし、根は良い奴だって知ってる」
「向こうの世界からやってきた、唯一の仲間でもある」

 ぽろろん。ミカがカンテラで応える。
 そのカンテラはどういう意味なのだろう。

「だから、戸庭の考えを聞かせてくれ。話し合って決めたいんだ」
「さあ、お前はどう思うんだ。私は、ここにいた方が良いのか。いても良いのかっ!」

 いやあ。

「そりゃあもちろん、いても良いかと聞かれたらいても良いよ」

「お、ぉお……っ」

「でも、それだけで済む話でもないんでしょう」

 その答えだけが欲しいんなら、きっとアンチョビも悩んだりなんてしなかっただろうと思う。

 アンチョビは俺の先をいっているなあ。
 俺は、アンチョビを一人悩ませてしまっていた。

 俺も考えるべきだったのだ。
 いつかの未来でなく、近い将来の話として。どうすべきかを。

 生活は続く。
 けれど、少なからず変化はあるのだ。

「ミカさんは、どうなの。アンチョビと一緒に暮らす件について。そもそも、この世界に定住するつもりなの」

「そうだね。やぶさかじゃないさ」

 ミカは、カンテラを弾かず、そう答えた。

「……じゃあ、柿葉さんはどうなの。ミカも今は柿葉さんの家で暮らしてるんでしょう」

「わたしは、そんなにミカと付き合いが長いわけでもないですしどちらでも……。家族というより、友達?」

 ぽろろん、とミカは再びカンテラを弾く。

 あぁ、じゃあ本当に、あとは俺が考えなきゃいけないのか。

 正直、俺の欲だけをいえば、そりゃあアンチョビには、俺の家にいてほしい。

 ファンなんだ。当たり前だ。
 今は、アンチョビの言う通り、家族でもある。
 家族がいなくなるのは誰だって辛いだろう?

 けれど、だからこそだ。
 だからこそ俺は、アンチョビの幸せを願う。
 アンチョビがこの世界で生きていく上で、何が一番なのかを考える。

「アンチョビさん。俺がいなくても大丈夫?」

「だ、大丈夫って?」

「動画の編集はネット越しにだって出来るかもしれないけど、今までみたいに連携は取れなくなっちゃうよ」

「それなら大丈夫だ。ミカがいるからな。動画の編集だって出来るらしいぞ」

 ホント器用だな、ミカは。

「それより、戸庭こそ、私がいなくて、平気なのか?」

「え、なんで」

 口に出して、気付いた。何でも何もないだろう。

「もう働き過ぎないか? 食事はちゃんと取れるか? 酒ばっかり飲んでちゃ駄目なんだぞ?」

 アンチョビの言う通りだ。
 俺がどれだけぐうたらな生活を送っていたのかという話だ。

 今でこそマシになってはいるが、アンチョビが我が家へやってくるまでの自分を省みると、悲惨の一言である。
 アンチョビがいなくなっても本当に一人で生きていけるのかと、彼女が心配するのは当然だった。

 しかし、己を御しきれなくてどうする。

「平気に決まってるでしょう」

 自分のことくらい自分でやれ。
 そんなことのために、アンチョビの未来を奪うわけにはいかない。

 アンチョビと、この世界を繋ぐ唯一のものは、ガルパンだ。

 多くの人に認められたし、公式の存在にもなれた。
 それは全て、ガルパンのおかげだ。切っても切り離せない。

 同じガルパンの世界からやってきたミカと暮らすことは、彼女の背中を後押しするに決まってる。
 アンチョビは元の世界へ戻るのを諦めたが、ミカと一緒にいれば、いつかその方法だって見つかるかもしれない。

 俺と暮らすことで、アンチョビに得はない。
 けれど、ミカと暮らすことによる益はいくらでもあった。

 だから、どうしても、この結論になってしまう。

「アンチョビさん。やっぱり、ミカさんと一緒に暮らすのが良いよ」

 俺が言うと、アンチョビは顔を強張らせた。

「そうか。そうかあ」

 天井を仰いで、あくまで爽やかに、言葉を吐き出す。

「そうだよなあ。戸庭はそう言うよなあ。わかってたんだ」

 アンチョビはそこで言葉を切ったが、それも一瞬だった。
 すぐにぐいと首を戻し、こちらへ力強い両眼を向けた。

「よし! 了解した! それじゃあ私はこの家を出て行く!」

「うん」

 と、短く答えることしかできない自分が情けない。

 ミカが「それで良いのかい」と三度問いかけ、アンチョビが「良いんだ」と答えるのを、数キロ先の出来事のように聞いた。

 胸の痛みはあれど、崩壊の物音は聞こえなかった。
 静かに、体に染み付いていた色がするすると剥がれ落ちていくように感じた。

 あぁ、喪失感というのは、こういう風に訪れるんだなあ。

 体全体へ熱が広がり、心臓がぐつぐつと煮えたぎっているのがわかる。
 辛くて泣いてしまいそうだ。

「え、えっと、それじゃ、これから、どうしますかっ」

「そうだね。同居の日取りを決めておこう」

 いつになく地に足のついた言葉を吐くミカに、俺は冷静さを取り戻した。

 そうですね、と前置きし、言葉を繋げる。

「引っ越すなら、できるだけ早い方が良いでしょう。あんまり長くいても仕方ないし、しがらみみたいなのが、増えてくし」

「しがらみ?」

 聞き返すアンチョビが、瞳を震わせているのがわかった。

「そんなの、とっくに出来てる」

 そういうことを言うなよ。

 俺もそれで、瞳に水滴が滲んだ。

 誤魔化そうと、ふいに立ち上がってキッチンへと歩いたが、あからさまだからアンチョビにはばればれだろう。
 しかしまぁ、どうせなのだから、アホになって無茶苦茶に誤魔化してやろうと思う。

「俺は酒を飲むぞ!」

 叫び冷蔵庫からビールを取り出し、プルタブを引きごっくごっくと飲み干す。
 続けざまに2杯目も一気飲み。3杯目で気持ち悪くなってその場によろけた。

 そんな俺を見て、柿葉さんはドン引きして目を丸くし、ミカはカンテラを奏で、アンチョビは、わっはっはと笑った。

 2018年4月15日。日曜日。

 アンチョビ、引っ越し当日。

「じゃあ、またなっ!」

 キャリーケースを引き、リュックサックを背負ったアンチョビがそう言った。

 布団や衣装棚なんかは昨日トラックで発送された。
 今日には大洗の新居に到着して搬入を行う予定だ。
 俺も手伝おうかと提案したのだが「大洗の人が手伝ってくれるから大丈夫だ!」とあっさり断られた。

 隣町のバイト先には先週のうちに別れを告げていた。
 最終日にはアンチョビとの別れを惜しむ常連が多く集まった。
 夜が更けるまでパーティが続けられ、俺も酒をしこたま飲んだ。

「うん、またそのうちに」

 アンチョビが我が家からいなくなる。

 しかしよくよく考えてみれば、それは大した事実ではないように思えた。

 アンチョビに会いたければ、大洗に行くだけで良い。
 彼女はこの世界へ残る選択をしたのだから、それだけの話だ。

 今の世の中、SNSもある。声が聞きたければ一瞬だ。
 何を女々しく苦悩する必要があったのか。ここ半月の俺は馬鹿なのか。

 にっと笑顔で手を振り、駅へと歩いていくアンチョビを見送る。
 俺は「それでも寂しいもんは寂しいんだ」と、心の中で叫び声をあげた。

 別れは、いともあっけなかった。

 2018年4月19日。木曜日。

 禁酒を始めることにした。

 どうにもアンチョビがいなくなって以降、酒ばかり飲んでいて良くない。連日、深酒ばかりだ。

 キミドリ氏が終業後に俺を飲みに誘う(たぶんアンチョビがいなくなって寂しかろうと心配しているんだと思う)のも、明日からは断ることにする。

 アンチョビにも酒ばかり飲んでいては駄目と言われただろう。己を律するのだ。

 とりあえず冷蔵庫の中のビールは今日のうちに片づけよう。
 明日からは、一切、酒を断つ。

 2018年4月27日。金曜日。

 禁酒というのはさすがに無理なので、週3に減らすことで様子をみようと思う。
 我慢もそれはそれで良くない。

 2018年5月4日。金曜日。

 年末年始に帰れなかったので、実家に顔を出した。

 結婚はまだかと催促された。
 ごめんなさい。しません。

 2018年6月9日。土曜日。

 最近、料理に凝っている。大学以来だ。
 アンチョビが我が家に調味料を多く残していったのが功を奏したのかと思う。

 学生時代はただただ安く済ませたくて料理をしていたのだが、今は自分の好きなもんが食いたくて料理をしている。

 2018年8月11日。土曜日。

 久しぶりにアンチョビと顔を合わせた。

「おーっ! 戸庭ーっ!」

 と、彼女には声をかけられたが、俺は突然すぎて何のリアクションもできず、挙動不審に「あ、お、う」と口をもごもごさせるばかりだった。
 アンチョビは「何を緊張しているんだ」と笑った。

 彼女とは、少しばかり話をしてすぐに別れた。

 2018年12月3日。月曜日。

 うちの会社に、花澤が入社した。

 奴も俺と同じく、仕事に忙殺された組だ。
 キミドリ氏に相談したら「だったらうちに誘いましょう」と言ってくれた。
 あの人は仏か何かか。

 花澤にそう言ってみると、彼は「仏やろ」と答えた。

 2019年2月9日。土曜日。

 最終章の第2話が公開された。

 1日で、3回も映画館へ足を運んだ。

 当然のごとく無茶苦茶面白かったので、監督へ「無茶苦茶面白かったです!」と子供のようなメールを送ると、監督からは「ありがとうございます」と短く返信があった。

 2019年4月10日。水曜日。

 アンチョビの1stシングルがデジタル限定でリリースされた。
 ガルパンの世界ではなく、俺のよく知っている方のアンチョビだ。

 最近の彼女はテレビに出演してみたり、歌を歌ってみたりとまるでアイドルのような生活を送っている。

 彼女にかつてアイドルを勧めた際は「それはない」と言っていたように記憶があるが、はて。

 と、考えたところで、そういえば彼女はアイドルにならない理由として「今のような生活を続けられなくなるから」と答えていたのを思い出した。
 俺はちょっと泣いた。

 2019年8月3日。土曜日。

 最終章第2話のBlu-rayが発売されたので、俺の家に集まって4人(花澤、長田、柿葉さん)で鑑賞会を開いた。

 なんと今回はアンチョビ(よく知ってる方ね)がコメンタリーに参加している。
 枠としてはスタッフコメンタリーだ。

 最初の1回は黙ってモニターを眺め、2回目からは酒を入れつつワイワイ盛り上がり、結局テレビシリーズの1話からの再視聴が始まって酒宴は朝まで続いた。

 ガルパンおじさんお姉さんの未来は明るい。

 2019年9月23日。月曜日。

 アンチョビが20歳の誕生日を迎えたということで、めでたくみんなで酒を飲むことになった。場所は大洗のバーだ。

 メンツは、当然のアンチョビ、ミカ、俺、キミドリ氏、花澤に長田。柿葉さん。そしてなんと監督の姿もあった。
 最終章3話の公開を控える監督は「少しだけ休憩です」と言っていた。

 わいわいとみんなで騒いで飲むのは楽しかった。

 そういえば俺ももう少しで三十路か、とふいに思い出した。

 2019年10月19日。土曜日。

 先週の土曜に最終章の第3話が公開。
 そして、その翌日、アヒルさんチームの磯辺典子(キャプテンだ)が、俺たちの世界に召喚された。

 アンチョビとミカに続いて、3人目だ。
 姿や年齢は、大洗の生徒のままだった。

 今日、俺も彼女と会ってきたのだが、やはり彼女はキャプテンそのもの。
 磯辺さんは、事情を知ってもアンチョビやミカとは暮らさず、彼女が現れた家で世話になることを選んだ。

 2020年6月13日。土曜日。

 第3話のBlu-ray発売同日、第4話が劇場公開された。

 毎度毎度、どうやってこんな映像・展開を生み出しているのかと恐れ入るばかりだ。

 アンチョビはユーチューブでの動画の公開を今でも続けており、そこで映画の感想動画を上げていた。
 彼女もすでに公式の人間なので、ただのダイレクトマーケティングだ。

 アンチョビは相変わらず楽しそうだった。

 2020年11月15日。日曜日。

 大洗あんこう祭りのステージで、ついにアンチョビが日本国籍を取得したことを発表した。
 彼女はガルパンの世界から現れた存在であると、国から認められたのだ。

 ファンは「むしろ今まで国民じゃなかったのかよ」と驚いていたが、俺はもう感無量で、広場の真ん中で「うおお」と泣き叫んでしまった。

 アンチョビはステージの上から「あはは、一緒に喜んでくれるのは嬉しいが、みんな静かになー?」と注意した。

 2021年3月6日。土曜日。

 磯辺さんが結婚した。

 夫はこの世界へ彼女が現れてからずっと同居している相手だ。
 俺も何度か会ったことはあるが、彼なら磯辺さんも幸せだろうなと思う。

 正直、磯辺さんはいまだにガルパン作品内のキャプテンだという印象が強く、俺はおこがましくも、娘を嫁にやる父の気分になってしまった。
 いや、本当におこがましい。

 2021年5月8日。土曜日。

 最終章第5話が公開された。

 あと、長田と柿葉さんから、二人の結婚報告を受けた。

 結婚ラッシュだなあ、おい。

 2021年10月1日。金曜日。

 キミドリ氏が起業のため退職した。

 俺も付いていきます、と彼に言ったのだが、キミドリ氏は「付き合わせるのも悪いです。まぁ会社が落ち着いたらまた誘いますよ」とのことだった。

 花澤は最後の飲み会で「あ、俺も会社が落ち着いたらそっち行きますわ。給料たくさんくださいね」と言っていた。
 お前はもう少し遠慮しろよ。

 2021年11月23日。火曜日。

 ミカが世界一周の旅に出かけたと連絡があった。

 ある日、突然、リビングに書き置きがあったのだと。

 俺は「ついにか」という感想を抱いた。
 ミカなら何をやっても不思議ではない。

 旅に出たのは1月ほど前らしいが、頻度こそ減ったものの、いまだにアンチョビは動画を公開し続けている。
 おそらくは、編集も彼女自身で行っているのだろうと思う。

 2022年2月19日。土曜日。

 最終章、最終話が、公開された。

 これにて、アニメ、ガールズ&パンツァーの幕が下りた。

 2023年4月15日。土曜日。

 けれど、ガルパンは終わらなかった。

 最終章が終わっても、最後のBlu-rayが発売されても、公開から1年以上が経ったというのに、ガルパンはまったくもって終わりを見せる気配はない。

 公式で展開があったわけではない。
 もうアニメは続かない。

 それでも終わらない。生き続けている。

 ファンアートは未だ生産され続けている。
 同人誌だってまだまだ主流だ。
 SNSはガルパンの話題で溢れかえっている。

 忘れられるはずがなかった。

 どれだけの期間、俺たちはガルパンに付き合い続けてきたというのだ。
 あれだけ好いていたものを、忘れられるはずがなかろう。

 そして記憶に残り続けているということは、それは目に見える形でも現れる。

 だから終わらない。終わらないのだ。

 今日は、4月15日。

「あぁ、そうか」

 俺はあれからちょうど5年が経過していたことに気付いた。

 そして、2023年5月1日。日曜日。

 大洗のバーに入ると、カウンターに一人、アンチョビが座っていた。

「おー、戸庭」

「アンチョビさん、お久しぶりです」

「敬語に戻ってるぞ、敬語に」

「あぁ、いえ、確かに。そうね、そう」

 アンチョビはロックグラスを傾けていた。
 中身はウイスキーだろう。
 いつぞやの飲み会で知ったところによると、彼女はべらぼうにアルコールに強いのだ。
 このウイスキーだって何杯目なんだかわからない。

「俺も同じのください」

 そうマスターに注文しておいて、俺はアンチョビの隣に座る。

 マスターからグラスを受け取り中身を口に含むと、ウイスキーの銘柄はボウモアのようだった。

「そういえば、ミカさんはもう帰ってきたの」

「いや、まだなんだよなあ。出て行ってから1年以上経つというのに、まったく。あいつのことだから生きてはいると思うが、心配になるから連絡くらい欲しいものだ」

 そう言ってアンチョビはグラスの残りを飲み干し「もう一杯くれえ」とマスターへグラスを差し出す。

「アンチョビさんも、いつの間にやら俺のことを言えないくらいの呑兵衛になっちゃてまあ」

「私はたまにしか飲まないぞ。飲む時は量飲むけどな」

 マスターからグラスを受け取り、アンチョビはまた一口含む。

「それにしても戸庭、なんにもイベントごとがないのに大洗に来るなんて珍しいじゃないか」

「いやあ、ゴールデンウイークだしね。久しぶりに昔話とか、色々な話がしたかったし」

「昔話~? そもそも、私が戸庭と会ったのだってそれほど昔の話じゃないだろう?」

「5年っつったらけっこうな時間でしょう。まあ、そんだけ時間が経ってもガルパンが続いてるってのは不思議だけど」

「アニメは終わっただろ?」

「それでもガルパンは終わってないでしょう」

「確かにな」

 アンチョビが笑う。
 きっと彼女も、俺と同じような想いを抱いているのだろう。

「……アンチョビさんは、変わらないなあ」

「戸庭もな」

「そうそう簡単に人間は変わらないってことかなあ」

「そりゃあそうだろう。私だってまだ動画の公開を続けてるんだぞ。えらいだろう!」

「えらいなあ。えらいよ、えらい」

 俺が言うと、アンチョビは、はっはっはーと高笑いをする。

 あぁ、やっぱりアンチョビの隣は心地良いなあ。しみじみとそう思う。

 まぁ、口に出してみるくらい良いか。

「アンチョビさん」

「なんだ?」

「だったら、また一緒に暮らしてみます?」

 俺が言うと、アンチョビは吹き出した。

「あ、ははっ。戸庭、また敬語に戻ってるぞ!」

「本当だ。まぁそう、そうだな。気を付けます」

 アンチョビは笑いすぎて瞳から漏れ出た涙を、右の人差し指で拭う。

「いいぞ」

「え? 何が? ガルパン?」

「会話の流れが読めないのか、お前はっ」

 手元のウイスキーをぐいと飲み干し、アンチョビを「自分の言葉を思い返してみろ!」と続ける。

「あぁ、なるほど」

 ふいに、ぽろろん、と、どこからともなくカンテラの音が聞こえた。

「ん、んん?」

 姿が見えずともわかる。
 カンテラなんて弾く人間、俺たちの身内では一人しかいない。

「ぉおおっ!? ミカ、帰ってきたのか!」

「甘い香りに誘われてね」

 バーの入り口から現れたミカは、アンチョビを挟んで俺の二つ隣に座ると、マスターへオレンジジュースを注文した。
 下戸なのだ、この人は。

 ミカはジュースを一口飲むと、ふうと息を吐き、再び、ぽろろろーんとカンテラを弾いた。

「アンチョビ。朝が来る前に勝利を収められて良かったね」

 ミカの言葉に、アンチョビは「どういう意味だ!」と抗議の声を上げる。

 俺はどういう意味かがわかってしまって、気恥ずかしさを誤魔化すべく「パンツァーフォーっ!」と叫んだ。

 マスターが俺と一緒に右手を突き上げてくれたのが、俺には大層嬉しかった。

おわり。

読んでくれた方、ありがとうございました。
長くてごめんなさい。
なんとか、今日中に終われました。

HTML化依頼出してきます。

面白かった、乙!

最終章のダイマ乙

淡々とした意外性が面白かった。

最終章公開に向けてしほさんの同人描かなきゃ(使命感)

しぽりんがこっちの世界に召喚されるとな

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