奈緒「志保、コタツはいつでも出せるんやで」 (45)

・ミリマスの横山奈緒と北沢志保メインのSSです。
・10年後くらいのお話で、2人がコタツを囲んでお酒を飲んだりします。
・志保ハッピーバースデー!

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 奈緒さんの背中をさすっているときだった。

「昔を思い出すなぁ」

 しみじみとした声。なにがですか、と聞き返すも、返答は便器への盛大な嘔吐。冬の静かな夜、吐瀉物をぶちまける音がトイレに響く。

 ――あぁ、大人ってもうちょっとマシな生き物だと思っていたのになぁ、と一人ごちるも、中々責める気にはなれない。
 吐いている時は本当につらいと聞くし。

 こういう時くらい優しくしよう、という気分になるのは、私が割とお酒を飲むようになったからだろうか。

 手を伸ばし、からからとトイレットペーパーを巻き取る。
 奈緒さんの口を拭って、便器へぽい。
 吐瀉物ごと水を流した。これで3回目だ。つまらないと、いいけど。

「……だいぶ、楽になったわ」

 奈緒さんの顔は棺桶から這い出てきたみたいに真っ白だ。
 長い髪をそのまま後ろに流しているから、古典的な幽霊にもみえる。
 とはいえ、これでも顔色はずいぶんマシになった。

「そうですか。その言葉、もう四回くらい聞いてますけど」
「徐々にな、よくなっているねん」

 そうかもしれない。
 げーしそう、
 吐きたい、
 もうアルコールは飲まへん、
 3つの言葉しか喋れなくなっていたのだから、状況は好転しつつある。
 タクシーに乗っているときは、もう、色々と凄かったので。

「飲み過ぎなんですよ」
「久し振りに会うたんやから、飲むやろ。そして、多少は、飲み過ぎるやろ」
「まぁ、気持ちはわかりますけどね……」

 何故なら、私も同じだったから。お酒は割と好きなのだ。
 お母さんがお酒は全然ダメだったので私もそうなのかな、と思っていたのだけれど、これが意外にも違っていた。
 お父さんは飲む人だったの、と聞いたら、お母さんは笑っていたけれど。

 アルコールでふわふわっとした気分になるのは何だか楽しいし、飲み比べると色々な味もあっておもしろい。
 最近は日本酒にはまって、けっこう家でも飲んでしまっている。

 好んでいるだけではない。どうも体質からアルコールに強いらしく、飲み会や打ち上げで最後まで生き残ってしまうこともしばしばだ。
 お陰様でというわけではないけれど、こうした介抱も手慣れてしまった。
 子どもの頃から弟の面倒をみていたし、割と嫌いではなかったりもする。

 ただ、奈緒さんがお酒に弱いのは、ちょっと意外だった。
 いや、ひょっとすると平均的くらいなのかもしれないけれど、序盤から軽快に飛ばすものだから安心していつも通りのペースで飲んでしまった。
 私にも責任の一端はある。とはいえ、ついてきたのは自業自得、窘めるくらいはしておきたい。

「あんまり強くないんですから、自分の限界は弁えてくださいよ。酔いつぶれたりしちゃダメです。一応、女の子……女性なんですから」
「ちょっと待って志保、今なんで言い直したん。私はもう女の子ではないと、そう言いたいんか!」

 藪から蛇が出てきた。私はまだ四捨五入すれば辛うじて20ではあるけれど、こんな理屈を思いつく時点で年を取ったなぁと感じる。
 つまり、人のことは言えない。明日は我が身だ。

「もう3十路なんですから。大人になってください」
「ま、まだやから! あと2年ある……まだ若い、若いんや……」

 アルコールが効いているのか現実が受け止められないのか、さめざめと泣き出す奈緒さん。
 記憶の中より面倒くささに拍車がかかっている。
 アルコール、おそるべし。あるいは寄る年波かもしれないけど、これは黙っておこう。

「はいはい、若いですよ。まだいけます」

 奈緒さんの背中を撫でる。せやろか、とこちらをみて、またウッと口に掌を当てた。
 私に向かって吐かれるのはご免被りたいので、頭を便座の方へ向けさせていただく。
 オェェッと嘔吐。無言で水を流す。飲み過ぎだし、食べ過ぎなのだ。
 あんまり太ったようにはみえないけれど、タレントもけっこう体型維持とか気を使っているのかなぁ。

 ペットボトルを渡す。さっきキッチンで水道水を汲んできたので、口をゆすいでもらった。
 残りをごくごくと飲み干している。水が飲めるなら、その内よくなるだろう。

「……昔を思い出すなぁ」

 奈緒さんがぽつりと呟く。ペットボトルを受け取り、蓋を閉めた。水を汲みに行こうと思ったけど、ふと気になる。

「それ、さっきも言いましたよね」
「あぁ? せやったっけ」
「何を思い出したんですか」

 奈緒さんはトイレットペーパーをくるくると丸めて、口を拭う。

「ステージ裏で泣いてると、誰かが背中をさすってくれたやん。
 歌終われば、誰かが水を差しだしてくれる。あんなん、あの頃だけやったなぁって」
「あぁ……」

 ふっと昔のことを思い出す。まるで昨日の出来事みたいに、とはいかない。
 なにせ10年近く――そう、10年もだ――経っているし、これまで努めて思い返さないようにしていた。

 ただ、奈緒さんの言葉を呼び水にして、被せていたはずの蓋は取り外された。
 記憶の箱には色とりどりの思い出が詰まっている。
 その中で、なるほど、こんな風に誰かの背を撫でたり、撫でられたり、というのはいくつもあった。

 なにせ年頃の女の子を集めて、色々と極限状態に放り込むわけだ。
 緊張やプレッシャーもさることながら、それから解き放たれる瞬間に感極まるのは珍しくなかった。
 恥ずかしながら、私も何度か泣いてしまった記憶がある。

「あの頃は楽しかったなぁ」

 懐かしむように奈緒さんが言う。
 ぼんやりとした言葉は、きっと私と同じように昔を思い返しているんだろう。

「……さっきも楽しそうでしたけどね。出禁寸前でしたけど」
「マジか、なんも覚えてないねんけど。私、あそこ贔屓にしとんのに……うぅ、笑いものにされる……」

 既にされていた、とは言えない。
 奈緒ちゃんがこんな風に酔うのはじめてみたよ、なんて店長さんが楽しげに笑っていた。
 釘を刺す良い機会だろう。

「あの頃の奈緒さんは、まさか10年後に自分がげーげー吐きながら思い返されるとは夢にも思ってないでしょうね」

 奈緒さんは唇を尖らせ、その口角がにやりとあがる。いやな予感がした。

「まーたそうやって意地悪いうー。めそめそないとった志保の背中を撫でてやったのは誰やと思ってんねん」

 ……なるほど。それはすっかり抜け落ちていた。
 背中の方にいられるとみえないし。

 水を汲んできます、と立ち上がる。
 志保が吐いたときは私が背中なでたるからなー、と後ろから声がした。
 苦笑する。それは、歓迎できかねる未来だ。

 ペットボトルを渡すと、さき部屋いっといてええよ、と言われた。
 眠り込むまではいかなそうだし、お言葉に甘える。ここ寒いし。

 洗面所からダイニングを抜けて、奥の部屋へ。ワンルームではあるけれど、広めで住みやすそうだ。
 思っていたより片付いていて、こざっぱりしている。
 なんだか既視感があるなぁと思ったけれど、すぐに気づいた。

「そっか。はじめて来たときも、こんな風だったな」

 記憶にある奈緒さんの部屋と似ているのだ。

 場所は引っ越しているから全然違うけれど、部屋の雰囲気みたいなものが同じだ。
 ちょっと広めで、意外と片付いていて、棚にはお笑いのDVDが一杯入っていて、漫画本なんかは割と几帳面に並んでいる。
 本人の性格と少しズレているように思えるけれど、一周して分かる気もする。
 いずれにせよ、こまめに片付けている様子が思い浮かんで、なんだかおもしろい。

 部屋の中央に、どんと置かれたコタツも目立つ。
 菓子鉢も置かれていて、ミカンや柿の種の小袋がいくつかみえた。

 コタツはちゃちなやつじゃない。かなりしっかりした木の板がしつらえてある。
 さほど詰めなくても六人は入れそうなくらい大きい。一人暮らしだと邪魔じゃないかな、と昔も今も思った。

 コタツ布団を捲り、中を覗き込む。中央から伸びるコードを見つけた。
 のろのろ四つん這いで回り込み、ぱちりとスイッチをいれる。
 すぐには明るくならない。コートを脱いで、空いているスタンドにかけさせてもらった。
 さむいさむい、と広い面からコタツに入り、足を伸ばした。

 一息つく。
 アルコールはもうけっこう抜けていた。体のぽかぽかも、介抱の間にずいぶんと奪われてしまったみたいだ。

 中はまだしんと冷えている。
 コタツ布団をぱたぱたとさせた。微かに明かりはついているけれど、なかなか暖かくはならない。年代物だし、しかたない。

 なんとはなしに、天板を眺めた。
 木を分厚く削りだしてるようで、表面には木目が浮いていた。ニスがひいてあり、少し光沢がある。
 小さな傷がいくつも出来ていた。
 多分、どこかには奈緒さんが味噌汁を零したり、そういう跡もあるんだろう。よく零していたもんな。

 それをぼぉっと眺めながら、ふと『天板すごい重かったな』と思い出す。

 ――そうだ。これを運ぶのは、私も手伝った。
 たまたまシアターにいたみんなで、ひいこら言いながら運んだ。あの時も部屋の中央にどんと置いたんだ。

「お、電源わかった?」

 奈緒さんがペットボトルの水を飲みながら、向かいに潜り込む。顔色は大分良くなっていた。
 さっむいなぁ、と言いながら、中で私の足にぶつかってくる。
 余裕が出てきた証拠だろう。無視して足を引っ込める。
 蹴り合いになって気持ち悪さがぶり返し、ここで吐かれたら悲劇だ。

「なんや、つまらん。昔みたいに冷めとるなぁ。酒飲んどった時は元気やったのに」
「覚えてない、って言ってませんでしたっけ」
「途中はあんま覚えとらんけど、なんや志保テンション高いな、お酒好きなんか、と思った記憶はあるよ。……一緒に飲んだんは初めてやもんなぁ」

 奈緒さんは髪の毛を適当にゴムでまとめていた。
 それだけで私の知る奈緒さんに近づいた気もする。
 今日街で偶然出会った時、髪を下ろした彼女が一瞬誰かわからなかったので、不思議な感じだ。
 もっとも、私もあの頃に比べたらずいぶんと髪を短くしている。最初はそれで散々からかわれたので、お互い様といったところだろう。

「……これ、まだ使ってるんですね」

 そっと天板へ指で触れる。奈緒さんはふっとため息をついた。どこか遠い場所をみつめる。

「そら、エミリーにもらった思い出の品やからな。……ここに置いておかんと、帰る場所がみつけられんやろ」

 そうですね、と適当に呟き、ん、と首を捻る。

「いやいや、死んでないでしょう、テレビでよくみるじゃないですか。
 っていうか例え死んでも絶対にここには帰ってこないですから。普通に自分の家に帰ります」

 奈緒さんが満足そうな様子で、けらけらと笑う。

「わはは、まだバラエティもいけそやんか。すましとらんと番宣とかで大暴れしてくれや、大女優ゥ!」

 久しくなかった振りだけど、つい反応してしまった。迂闊だった。

「……女優はイメージが重要なので。芸人さんと同じようにはできないんです」

 嫌味を返しておく。
 誰が芸人や、と言われたけれど、多分、世間の認識もタレントよりそっちだと思う。

「あっ、そや、エミリーといえば……」

 奈緒さんがだらしない姿勢でリモコンへ手を伸ばす。
 ぴっと音を立てて、壁掛けテレビの電源が点いた。何度かザッピングして、目当ての番組に辿り着く。

「あぁ、もうそんな時間ですか」
「せやなー。一週間の楽しみやわ」

 ちょうど、話の種になっていたエミリーが映った。
 けっこう前からニュース番組のコーナーを任せられていて、私も偶にみる。日本の伝統芸能を取材する、そんな体裁が多い。

 今日は作務衣を着ているから、実際に何かを作るんだろう。
 髪の毛はたんぽぽみたいな金色で、あの頃と同じだ。
 ただ、髪型は随分と違っていて、肩口くらいに切りそろえられている。顔立ちも大人っぽい……というか、大人そのものだ。

 あの頃の仲間全員をテレビでみかけるわけじゃないけれど、いちばん変わったんじゃないかな、という気もする。
 まるで海外の映画スターみたいだ。

 とはいえ、ぴんと伸びた背筋、不思議と似合う作務衣、ろくろに立ち向かう真剣な眼差しをみれば、やはりエミリーだなとも思う。
 作業を終えた後、太陽のような笑顔も、あの頃のままだ。

 二人でしばし、コーナーが終わるまでぼうっと眺めた。
 出来上がったお皿が焼き上がるのは来週らしい。きっと素敵なものに仕上がっているだろう。

「癒されるなぁ。エミリーはめっちゃ変わったけどなにも変わっとらんわ」

 不思議な言い回しだけど、よくわかる。そうですね、と相づちをうった。

「なにも変わっとらんといえば、このみさんは全然やな。この前も映画館で子ども料金請求されたとかいっとったわ」

 昔もそんなことがしばしばあった。その度にぷりぷりと怒っていたのを思い出す。
 今もちんまり可愛らしく、お姉さんしているのだろう。
 ただ、そういえばいつ頃からか、このみさんはテレビで見かけない。

「このみさんは、今……」
「……あー、そうか」

 奈緒さんがちろりと舌を出す。

「いま事務員。ピヨちゃんと仲良くやっとるよ」
「あぁ、なるほど」

 元はといえば事務員志望で入ってきたのだ。転身は不自然じゃない。
 ……こう考えると、今なにやっているのか、知らない人も結構いるな。

 奈緒さんはポツポツと指折りしながら、誰々はやめて、誰々はこんな仕事、と繰り返す。
 思っていたよりもこの手の仕事をやめてしまった人もいた。
 10年経っているのだから、当たり前かもしれない。

 指折り数えていた奈緒さんは、むむっと眉を寄せる。突然、両手をあわせてぱちんと鳴らした。

「……あかん暗くなる、おもろいことしよう!」

 コタツから足を抜いて、がばり――とはいかず、ゆらゆらと立ち上がる。
 大丈夫か、この人。吐いたりしないよね。

 いつの間にかコタツの中はぬくもっている。
 掌もコタツ布団の中へ入れてしまい、明かりの中でさすった。

 奈緒さんはカラーボックスの前に立ち、ごそごそと何かを探している。

「何してるんですか?」
「ん? 懐かしいものをやね」

 赤い箱を抜き出した。
 そこから一枚ディスクを取り出し、テレビの所へ。
 何かを再生するみたいだ。なんだろう映画かなとぼんやり考えて、はっとする。
 この話の流れでみるものって、それはつまり――。

「奈緒さん、それは、色々とまずいのでは」
「わはは。まぁ、お互いダメージ受けるのは分かりきってるけど、懐かしいし、ええやろ」

 奈緒さんが天板に置いた赤いボックスは、よくよくみれば見覚えがある。
 私の実家にも同じものがあるはずだ。

 テレビにステージが映し出される。さほど大きくはない。
 これよりもっと大きなステージで、私達は何度も歌った。
 でも、この場所は鮮明に覚えている。忘れられるわけが、ない。

 音楽が流れ始めた。これは――。

「うわはは、衣装、赤っ! めっちゃアイドルしとるやん!」

 私達のはじめての単独ライブ――『HAPPY PERFORM@NCE』だ。
 場所は中野サンプラザ。今はもうない。
 偶々通りかかった時に建設中のフェンスがあって、改装でもしてるのかな、と思っていたら、気づいたときには全然違う建物になっていたのだ。

 ……いや、現実逃避しているな。頭がくらくらしてきた。
 テレビの中では、10年前、あの頃の私達が赤い衣装を着て、歌い、踊っている。
 ミリオンスターズで歌う『thank you!』も、まだ初々しい。これから数え切れないくらいに何度も歌う曲だ。

 赤い衣装は当時流行っていたチェック柄の趣向もあって、王道のアイドル衣装って感じ。
 今着たら完全にコスプレになってしまうだろう。

「おー、志保、ええ顔しとるやん。めっちゃ笑顔やで」
「やめてくださいよ……」

 裏ではがちがちに緊張していたはずだけど、こういう笑顔が出ているなら楽しいんだろう。
 実際、信じられないくらいに楽しかった記憶もある。
 でも、なんだか背中の辺りがむずむずする。思わず居住まいを正し、背筋を伸ばした。

「奈緒さんこそ、ふとももをあんなに露わにして……」
「やばいよなぁ。今やったら大根が2本生えてるからつまみ出されるで」
「……30越えると痩せるのも大変だと聞きますけど。そろそろ対策しておいた方がいいのでは」
「ま、まだ大丈夫、あと2年あるから!
 っていうか私の話はええからテレビの方を……うわー、やめてぇ! 横山奈緒をアップにせんといてぇ!」
「化粧薄いですね」
「薄くても大丈夫やったんやね。今こんなアップされたら開いた毛穴でショック死してまう」
「わざわざテレビ局も視聴率落とすような真似はしないでしょう」
「バケモン出てきたからチャンネル変えるいうんか!
 こ、これでもまだ偶にファンレターとか貰うんやで! きみほどじゃないとは思うけれども!」

「はいはい、奈緒さんは素敵ですよ素敵。……うわ、恵美さん、スタイルおかしい……」
「あ、志保しらんやろうけど、いま恵美、普通のおばちゃんみたいになっとるで」
「えっ、嘘っ」
「うっそー。今も同じやで。最近アンチエイジングにこり始めとるけど」
「……奈緒さんがそういう人だって忘れてました。最悪ですよ」
「ちょっとした冗談やーん。あ、ほらほら、歌終わってMCやで。
 未来は相変わらずなにいっとぅかようわからんけど、こん時から全然緊張しとらんなぁ」
「未来の髪の毛すごいですね。いつもより跳ねてません?」
「めっちゃスプレー吹いてカチコチやった。ペットボトルの蓋が乗ったよ」
「ぷっ、くくっ……」

「うわぁ、百合子、天使やな……昔から黙っとる時とアイドルしとる時はかわいいもんな……」
「雑誌のコラムとかでよくみかけますよね」
「いまは書く方が楽しいみたいでなぁ。小説かきません? って、誘われとるとか。
 あ、映画化されたら志保主演にしてもらおうか」
「えぇ……すごいヘンな映画になりそう……」
「いま私の記憶にメモったから、次会った時にチクっとくわ。
 ……お、志保きたー! ドヤ顔でクールなダンス踊ってるゥ!」
「カメラとめてください」
「スカートひらひら、ふとももえろえろ」
「ちょっと。14歳を捕まえてなんてこと言ってるんですか。もう少し健全なコメントにしてください」
「えー。ほんじゃあ……あの王冠、なんかケーキみたいでうまそうやな」
「それ、後から麗花さんに同じこと言われましたよ」
「ほんま!? 遂に私もあの境地へ辿り着いてしまったんか! あー、どうしよう、ぜんぜん嬉しない!」

 それからも節々で盛り上がったり、悲鳴をあげたり、賑やかな時間が続く。
 何度目かのMCが入り、落ち着いた。奈緒さんが渇いた笑いを漏らす。

「いやぁ、それにしても、凄まじいな……自分でみよう言い出したけども、ここまでとは思わんかったで」
「同感です。稽古より疲れましたよ……」

 心なし、お互いにげっそりしている。コタツに入ってライブみてただけなのに、とてつもない疲労感だ。
 奈緒さんはころりと天板に頭を預ける。そのまま、器用にこちらを見上げてきた。

「稽古ってことは、また新しい仕事あるんか?」

 まだ表に出てないので守秘義務はある。でも、奈緒さんだしいいか、と思った。そのうち発表されるし。

「えぇ、舞台に。演出が――さんで、共演が……」
「はぁー、ほんまかいな。あんま詳しくない私でも知ってるで。ほんとう、大女優様やねぇ……」

 10年経ったしなぁ、と奈緒さんは続ける。
 ふと、その時間は一体何を変えたのだろう、なんてことを思った。
 年齢はもちろん。立場だってそう。仕事も変わった。見た目も、一部の人を除いて、相応に大人になっただろう。
 なら、考えていることは変わっただろうか。
 奈緒さんと話していると、彼女はそうでもないな、と思う。
 じゃあ、私自身はどうだろう。

「……まぁ、仕事は順調なようでなによりや」

 奈緒さんがぽつりと言う。
 視線の先、ライブ映像は鮮やかなオレンジで染まっている。
『自分REST@RT』――翼、海美さん、エミリーが、ステージをこの日最高潮の盛り上がりへ導いていた。

 私は奈緒さんの呟きに何を返そうか迷って、ふと、全然関係ない話をしてしまう。

「みんなとは会ったりするんですか?」
「んー? せやなぁ、中々機会はないけど……年2回くらいは予定あわせて、一緒にご飯とか食べてるよ。
 仕事も偶にはあるかなぁ……あっ、静香がこの前エミリーとロケした、って言うてたな。
 うどん二人で作って楽しかった、いうてたよ」

 ディスクの再生が終わった。確か一日分の映像が2分割で収められているはず。
 もぞもぞ、と芋虫のように奈緒さんがコタツから這い出る。
 まだ見るのか、と思ったけれど、なんとなく止める気にもなれなかった。

 ディスクを入れ替え、MCが続く。話題にあがった静香のサプライズ登場が始まっていた。
 過労で出演が見送られると発表されたのだけど、這ってでも出るって聞かなかったもんな。

 ……静香とは色々と衝突してやりあったなぁ、なんて思い出す。
 今でなら、お互い子どもだったんだろうな、なんて総括出来ちゃうけれど、そんな答えが通じるような年齢でも気性でもないし。
 まぁ、静香もそう思っているのかは、確かめようがないけれど。

「志保は、どうなんや? ……静香とか可奈と、会ってないんか?」

 ぼんやりしていて、どういう意味かちょっとよくわからなかった。
 自分で言い出した話の脈絡をもう一度確かめて、首を振る。

「――いいえ、今まで一度も。奈緒さんがはじめてです」

 携帯の番号やメールアドレス、住む家もすべて変えた。
 765プロの誰かと会うのは、本当に久し振りのことだった。

「舞台とかドラマで鉢合わせしそうなものですけど、制作側が気を使ったんですかね。……いや、違うか」

 もぞもぞっと掌をコタツ布団のなかへ押し込む。
 冷えた掌に熱がじんわりと伝わる。唇が渇いている気がした。

「裏切り者ですし。共演NGってやつですかね。まぁ、当たり前だと思いますけど」

 奈緒さんが突然「お前なァッ」と勢いよく立ち上がり、すぐにか細い声で「あいたっ」と呟いた。
 臑をコタツにぶつけたのか、けんけんしながらキッチンの方へ消える。吐くのかな。
 私も着いていった方がいいかな、と振り返ったところで、奈緒さんはすぐに戻ってきた。

 天板へ、どん、と缶が2本置かれる。チューハイのロング缶だった。

「カッとなってすまんな。少なくともこっち側はしとらん。プロデューサーさんもビリケンさんに誓ってたし」
「……それなら、こっちの事務所の方針かもしれませんね」

 ありえる。私はそういうのに、一切口を出さないから。
 ぺきりとプルタブの音。
 もう飲まない方がいいですよ、と呟いた私の声は、もう全部出たからええんや、と食い気味に遮られた。
 声色が少し尖っている。それはそうだよな、と思う。
 むしろ今まで忘れたように接してくれたのが、おかしい。奈緒さんなりの優しさなんだろう。

 私もプルタブを起こした。ごくりと喉を通す。
 青リンゴの爽やかな甘みと、焼酎の苦みが混じり合う。
 チューハイはあまり好きじゃない。甘いのか苦いのか、はっきりしてほしいな、と思うから。

「……私はあの時のこと、まだ納得しとらんのや。許してない、と言ってもええ」

 奈緒さんがごくりとチューハイをあおる。
 アルコールの力を借りるみたいに、続けた。

「なんで、何も言ってくれへんかったんや。それが私には、何度考えてもわからんかったよ」


 それは私が、アイドルを、765プロを辞めたときのお話だ。

 春が見えてきつつはあったけれど、まだ冬の色合いが濃い季節だった。
 そうだ、ちょうど今頃だった。昼は偶に暖かい時があるけれど、夜はめっきり冷えるから、着るものに困る。
 その日も散々迷って、暑い分には脱げばいいかとコートとマフラーをしていった。

 いつもの電車に乗って、いつもの道を歩いて、あぁやっぱり暑かったなぁ、なんて少し後悔しながらコンビニに寄った。
 麗花さんが洗剤のコーナーで難しそうな顔をしていたので、声はかけずに水を買った。

 やがて何度も通った事務所のあるビルへ。
 ずぅっと修理されないエレベーター、
 地震が来たらあっさり倒れてしまうんじゃってくらいに古びた壁、
 荷物ばかり増えて歩きづらくなる一方の階段を一歩ずつあがりながら、私は思ったものだ。

 あぁ、今日で最後だな、と。


「……あの後、プロデューサーさんがめちゃ責められてたからなぁ。
 可奈と静香があんな風にキレとんのみたの、最初で最後や。いや、静香はいつもやったか?」

 あの日も随分詰め寄られたっけ。
 悪い事をしたなぁ、という気持ちはあった。
 他に方法があったんじゃないかな、と考えた事が一度もなかったとは言えない。でも、選択に後悔はない。

「プロデューサーさんをあまり責めないでください。
 誰にどんな風に諭されても、あの選択は変わらなかったと思いますし」
「……それはそん時に言ってくれんとなぁ。
 可奈と静香を筆頭に、しばらくプロデューサーさんと口きかへんくて大変やったんやから」

 奈緒さんが笑いながら、指でつまんだ缶を振る。
 一番の被害者はプロデューサーさんだったのかもしれない。

「アイドルになってから、3年くらいやったか?」
「そうですね。なので、今からだと……7年前、かな」

 指折り数える。今年で24歳になるので、アイドルになったときから数えると10年だ。
 辞めてからは、7年が経っている。

「……理由は、あの時に話した通りです。私は女優になりたかった。
 アイドルはあくまでもその為の繋ぎ……箔を付けるためのものでした。
 それは十分に達成できた、とあの頃に感じました。
 もちろん、私だけの力ではなく、奈緒さんをはじめ、みんなの力添えあってのものでしたけれど」
「……ま、そんなことを言ってたわな」
「その理由では、納得できませんか?」

 奈緒さんは菓子鉢から小袋を取り出し、ぴりっと破いた。
 柿の種だ。真ん中に置かれたので、私も一粒つまむ。
 奈緒さんはピーナッツを口の中へ放り込んだ。

「あの頃765プロはアイドル事務所やったし、移籍の判断はおかしくなかったんやと思う。
 ……でも、あれを切っ掛けにか、所属しとる人の年齢があがったからかは知らんけど、
 765プロもより広い方向へ舵を切った。それを待つわけには、いかんかったんか?」

 それは外側からみていても、わかった。
 社長も今後のビジョンとして、そういう展望を明かしてくれたし。
 普通、所属しているアイドルにそんな事を話すなんてそうそうない気もする。

 つよく慰留されている、というのはわかった。それでも、私の決意は変わらなかった。

「えぇ、そうですね。あの時、あの瞬間がベストだったんです」
「……さよか」

 言葉ではそう言いつつ、納得したような顔はしていない。
 難しそうに唇を尖らせたあと、チューハイをあおる。

「話はちょっとずれるかもやけどな」

 奈緒さんがピーナッツをぽいっと空中に放り、口で見事にキャッチした。
 こういう変なことは昔からうまい。

「このみさんが事務員にかわる時、みんなへ挨拶することになってなぁ。
 本人はこれからも事務所で会うんだからいいでしょ、って言うたんやけど、
 せっかくだから、ってプロデューサーさんがみんな集めてくれてな」

 懐かしそうに目を細める。私の知らない風景はきっといくつもあるんだろう。

「もうみんな最初から涙目なんやけど、このみさんが話の途中で改まってな。
『夢みたいな時間をありがとう』、そんな事を言ったんやね。
 はは、莉緒さん、やばかったな。メイク全部はがれる勢いやったよ、あれは」
「想像出来ますね。何だかんだ、頼りにされてましたし」
「せやな。その何だかんだ、ってのは余すことなくこのみさんに伝えておくけども」

 からからと笑う。私も釣られて少しだけ笑った。
 奈緒さんはじっとテレビの方をみやる。
 映像はいくらか進んでいて、エミリーがバックダンサーを引き連れ『微笑み日和』を歌っていた。
 ただ、奈緒さんの視線はぼんやりとしていて、ここではない、違う場所をみつめているみたいだった。

「その後やな。『志保ちゃんのこと、あまり怒らないであげて』……そう言うたんや」

 掌で抱えていた缶が、しんと冷たく感じた。
 体はコタツでぽかぽかしているのに、指の先は冷たい。
 私は缶から手を離して、コタツの中へそっと差し入れる。

「怒っていたんですね、みんな」
「静香と可奈は、ひょっとするとそうやったのかもしれん。……いや、私もかな?」

 よくわからんわ、と奈緒さんは笑いながら首を傾けた。

「でもその時は、えっなんでその話なん、と思ったわけや。
 別に志保が裏切り者やとか、そう言いたいわけじゃないねんで。
 ただ……話題にあげたりも、なかった。だから、他の誰かから、志保の名前を聞くのが久し振りやったな」

 エミリーの歌がやわらかに響いている。あの頃のように、歌っている。

「その後、このみさんはこんな感じに言うたんやなかったかな。

『夢はいつか終わります。アイドルっていう仕事は、永遠には出来ないから。
 ……でも、その先にも道がある。私が事務員としてみんなをサポートするように。
 みんなにもきっと今の道の続きがある。
 志保ちゃんはそれに、一番最初に気づいたのだと思う』

 ……その時から、うん、割とみんな、受け止められたんやないかな。
 テレビで志保が映ると、わぁーってみんな集まって、はらはらしたり、感心したりしてなぁ」


 奈緒さんはチューハイを飲みきって、ことりと天板の上に置いた。私の缶には、まだ大分残りがある。

「……でもなぁ。やっぱり、何も相談してくれへんかったのは、納得できへん……
 いや、したくなかったんやろうな、私は」

 奈緒さんはぱたりと顔を天板にのせる。くせなのかもしれない。
 あの頃にはなかったくせだって、そりゃあいくつも出来るだろう。

 私は何も答えることが出来ず、掌の中で缶をころころともてあそぶしかできない。
 ここで簡単に何かを言えるのなら、多分、あの時だって言えたはずなのだ。

 ひとりで迷い、ひとりで出した答えは、ひとりでその場を離れること。
 北沢志保をばらして残るのって、きっとそういうものだ。

 ――その時だった。

「がんばれ」

 そんな言葉が、ぽつりと呟かれた。
 顔を上げる。私に向かって言われたわけではなかった。
 奈緒さんは体を起こし、画面へ視線を向けていた。

 映像では、エミリーが歌の途中で泣き出してしまっていた。
 両目にいっぱいの涙を溜め、懸命に堪えようとしているけれど、歌詞が続かない。音楽も止まってはくれない。

 けれど、代わりに声援が大きくなる。
 サイリウムの輝きが増していく。

 私達はしばらくぼうっとそれを眺めていた。
 エミリーの涙を。私達があの頃にいた場所を。

 エミリーは歌い出す。笑顔を取り戻して歌う。
 万雷の拍手がステージに響いた。
 あれは本当に大きく、そしてあたたかい拍手だった。

 私はコタツから這い出て、奈緒さんの手元にあったリモコンへ手を伸ばす。
 再生をとめた。天板に置いてあった2つの缶をひょいっと持ち上げ、残りを飲みきる。それを流し台へ持っていった。

 キッチンの方は冬の温度できんきんに冷えている。
 私はその空気をすぅっと吸い込んだ。昔話とコタツで火照った体に、染み渡らせるように。
 息を吐き、冷蔵庫の中を開けさせていただく。自炊に熱心とは言えない中身を見ない振りして、チューハイの缶を2本抜き取った。

 部屋へ戻ると、さっきは寒いと感じたのに、人が二人いるからか、部屋自体すこし温まっているようだった。
 控え室も一人でいるよりみんなでいた方が暖かかったものな、と思い出す。

「あ、勝手にあけたな、このぉ」
「介抱のお駄賃ですよ。奈緒さんはやめときましょうか」
「2本持ってきといてなに言うてんねん。よこしや」

 プルタブを開けて、飲む。ステージの後の水は格別においしかった。
 でも、お酒も悪くない。
 あの頃は飲めなかった。
 今は飲んでもいい。
 10年の年月が変えたところだ。私はコタツには入らず、そっと天板へ触れた。

「コタツ、奈緒さんの家まで運んできたの、覚えてますか?」

 奈緒さんは天板にぴたりと耳を当て、まるでコタツの呼吸を聞いているみたいだった。
 しばらくして、んんっ、と唸りながら起き上がる。

「お、おぉー。あれな、覚えとるよ」
「本当に覚えていますか?」

 私の苦笑いに、奈緒さんは心外だと言わんばかりに唇を尖らせる。

「覚えてるって。上京して一人暮らしやったんやけど、コタツが恋しくなってなぁ。
 エミリーにその話したら、納屋に使ってないのがあるって言うから、もろたんや。
 で、エミリーん家のお父さんに車で運んでもらって……ん?」

 自分で首を捻っている。やっぱり覚えてない。

「奈緒さんが突然、今日からコタツを設置するで、とシアターに持ってきたんです」
「そんなこともあったかもなぁ。それがどうしたん?」
「まだ話は終わってません。……コタツはたいへん、好評でしたね」
「うん、みんなでぬくぬくしたなぁ。
 ……あ、思い出した。控え室でリラックスした方がみんなのパフォーマンスがあがるやろ、そう思って搬入したんやった。
 一人用には明らかにでかかったしな」

「そうです。ちょうど寒い時期だったので、コタツに鏡を設置して、お化粧したりしてましたね」
「おー、あれ凄かったよな。四面に鏡が重なりあって、
 真ん中に置いてあるミカンとれへんくなってなぁ。あ、ミカン食べる?」
「いりません。っていうか、お酒飲みながら甘いものは食べないでしょう」
「えー、私は食べられるけどなぁ」

 奈緒さんはミカンの皮をむき始める。
 私は柿の種をつまんで、チューハイをまたごくりとあおった。

「むしろ好評すぎるくらいでしたよね。ライブやレッスンに支障が出る程度に」
「あー、本番前なのにスイッチはいらんかったり、レッスン終わった後もコタツでだらだらしてなぁ」

 からからと奈緒さんが笑う。

「たしかプロデューサーさんにばれて怒られたんよな。
 乙女の控え室だから治外法権やったけど、なぜか踏み込まれて……はっ!」

 ようやく気づいたようだった。

「もしかして、プロデューサーさんにチクったんは志保か!」
「……最近どうだ、と聞かれたときに、控え室の様子をありのまま話しただけです。他意はありませんでした」

 これは少し嘘。もうちょっと真面目にやってよ、と思っていたのは事実で、多少のお灸を期待していた。
 私だけではなかった、とは思う。どうかな。

「それを世間一般にはチクるいうねん!
 遊びに来てるんじゃないだろ、とか散々絞られたわ!
 横でエミリーが半泣きになってて、罪悪感で死にそうになってやな……
 あぁ、今でも思い出すと胸が痛くなってきた……」

 奈緒さんが胸の辺りを抑え、うらむでェ、とジト目になる。
 私もちょっぴり罪悪感がうずいた。今も昔もそれは変わらない。

「まぁ、悪かったな、とは思ったんですよ。あそこまで怒られるとは思っていなかったので。
 ……結局、コタツも撤去になりましたよね」
「そうそう。今日中に撤去しろ言われてなぁ……そしたらみんなで家まで運ぼうよ、
 って話になって、あぁ天使もいるんやなぁって……ん?」

 奈緒さんが首を捻り、私をじっと見る。

「どうも、天使です」
「悪魔やんけ! はぁぁっ、そういうことか!
 手伝いましょうか、そんな殊勝な言葉は罪悪感から生まれたんか!
 人間はホンットォに醜いわっ!」

 むき終えた皮をぺしんと天板に叩き付ける。
 一つくださいよ、と言ったら、絶対いやや、と返事が返ってきた。
 奈緒さんは本当にミカンを肴にチューハイをあおっている。

「運ぶの手伝ったんだから、許してくださいよ」
「あほか。だいたい、志保がおらんでも誰か手伝ってくれたわ。私、人徳に溢れてるし」
「まぁ、否定はできませんけど」
「そこは突っ込んでほしい」

 私のチューハイ缶の上に、そっとミカンが一粒置かれた。口の中に入れてみる。

「……あんまり、甘くないですね」
「安かったからな」
「これくらいがおいしいですよ」
「私もそう思う。けっきょく、お互いに貧乏舌なんやな。……何の話やったっけ?」
「もう少しです。……それで、コタツをみんなで運びましたね」
「おぉ、せやったなー」
「あれはね、恥ずかしかったですよ」
「いわんといて、完全に若気の至りや。宅急便でもなんでも使えばよかったんや」

 あの日のことを思い出す。たまたまシアターにいたみんなで、コタツを分解して。
 それぞれ手で持って、抱えて、奈緒さんの家を目指した。

 コタツがいるくらいに寒い冬の日だったのに、すぐぽかぽかになった。
 アイドルのレッスンで鍛えていても、けっこうな重労働だったのだ。

「可奈がコタツ布団、簀巻きにして背負っとったなぁ」
「垂直の布団が歩いてましたからね。完全にコメディ映画でした」
「静香と志保の息があわんと、電信柱に天板ぶつけそうになったり」
「そんなこともありましたね」
「ぶつけそうになると、エミリーが『oh my god!』って叫んどったからな」
「ぷっ、くくく……あっ、麗花さんが、コタツの足をどこかに置いて来ちゃったりもしましたね」
「あれなー。手伝ってもらっといてなんやけど、あの時は軽く殺意おぼえそうになったで」
「休憩したコンビニに置いてありましたね。取りに戻ったとき、店員さんが困ってたなぁ」
「茜がコタツの足を自分の足に落として、悶絶しとったりもしたなぁ」
「泣いてましたよね」
「凄い勢いで足が吹っ飛んでいったから、私も泣きそうやったよ。そっちの足、傷残ってるんやないかな?」

 曲がり角の度にドラマが起きた。ぶつけそうになったり、転びそうになったり、落としそうになったり。
 その度に私達も、笑ったり、驚いたり、泣いたりした。

 私は一拍置いて、ロング缶を勢いのまま一気に飲み干す。苦かった。そして、甘かった。

「すごく、楽しかったんです。本当に、楽しかった。……楽しすぎたんです」

 アルコールが回ってきたみたいだった。
 視界が少し潤んでる。
 鼻水が出てきそうだった。奈緒さんが、よっと声をあげ、上体を反らす。
 ベッドの横からティッシュボックスを取り、天板の上を滑らせた。
 私のお腹にぽこんと落ちてくる。一枚つまんで、鼻をかむ。いっぱい出た。もう一枚使った。

「ゲロみたいに沢山でとるな」
「……乙女の涙を一緒にしないでください」
「鼻水やんけ! 大してかわらんわ!」

 奈緒さんがまた一粒、ミカンを缶の上に置いた。
 私はそれをじっと眺めて、アルミ缶の上にあるミカン、と呟く。
 奈緒さんが咽せて、鼻からチューハイを吹いていた。ぼたぼたと天板にたれている。
 私達が運んだ思い出に。きたない。やめてほしい。

「きみな……もっと言う事あるやろ……」
「拭いてください」
「もちろん拭くよ。
 ……くそっ、あんなギャグで……いやでもアミーゴいう奴やしな……」

 ぶつぶつと奈緒さんが呟きながら、ティッシュで天板を拭く。
 そして二人で同じように鼻をかんだ。目元も拭った。
 それはきっとあの時にしばしばみられた光景でもあった。いや、鼻水は違うけど。

 ふとテレビをみやると、省エネのため、電気が落ちていた。
 すぅっと息を吸い、吐いた。あの頃、ステージの裏でしていたみたいに。

「……アイドルが、みんなといることが、あんなに楽しいなんて知らなかったんです」

 初めての経験だった。
 家族以外に心を許せるなんて想像すらしていなかった私には甘露で、けれど同時に毒でもあったのだ。

「私の中にある火が消えてしまう……そう感じました。
 目的と手段が入れ替わるのが怖くなったんです。
 夢を目指すためにアイドルになったのに、居心地がいいから、なんて理由で居座れない。
 ……だから、なけなしの勇気があるうちに、私はあの場所を離れなければいけなかったんです」

 掌の中で畳まれたティッシュをじっとみつめる。
 奈緒さんからの言葉はない。顔を上げることも出来ない。

「後悔はしてないんです。
 765プロにいたときのことは本当に夢みたいで、同時に、誇りでもあります。
 素晴らしい仲間と過ごせた時間を、キャリアを、汚さないようにやってきたつもりです」

 私はそうやって、この7年間を過ごしてきたのだと思う。
 しばらく、時間が経った。部屋には私と奈緒さんだけ。

 しんと静まり、空気さえも身じろぎしない。
 二人でいて私が黙っていることは多かったけれど、奈緒さんがこんなにも長く静かになったのは、寝ている時以外には初めてかもしれない。
 もしかして寝てるのかな、と顔をあげたら、神妙な顔をして、奈緒さんが頷いた。

「コタツやな」
「……は?」
「志保は、コタツを自分で片付けてしまったんや」

 意味が分からない。そもそも私の家にコタツがあったことは一度もない。
 でも、そういう話ではないんだろう。
 奈緒さんは天板に手を触れ、珍しく、なんて言ったら怒られるかもしれないけれど、愛おしそうに撫でた。

「例えば学校での青春やったり、恋人との甘い一時やったり、気のあう仲間との時間やったり。ぬくぬくーっとしたあれ、コタツみたいやんか」

 思い返す。なるほど、奈緒さんの言い方はおもしろい。
 あの日々はコタツのようだった。一理ある。

「……酔っぱらいの割りには、うまいこといいますね」
「もっと褒めて」

 ピースサインをして、奈緒さんは残りのお酒をあおった。ごくごくと飲んだ。

「放っておいても、いつか時間という名のおかんが片付けるねんで。
 それを人に言われもせんと、志保は片付けてしまった。
 ……それは理屈では正しいのかもしらん。
 自分の道を進んでいくうえでは必要なことやったんやろう。でもなぁ」

 ざーっと天板の上を滑るものがあった。
 コタツ布団へ、お腹の上へ、ぽとりと落ちる。

「7年経ったんやで。もう、コタツはいつでも出せるんと違うか」

 手を離したのは間違いじゃなかった。
 それは多分、確かなことだと思う。あの時に離れなければ、この7年間はなかったはずだ。

 じゃあ、今は?
 7年が経って、お酒も飲むようになって、昔のことを笑いながら振り返れるようになった私は、またこうして選択の岐路に立っている。

 奈緒さん風に言わせるなら、コタツを出すのか、しまうのか。

「……迷惑じゃ、ないんですかね」
「私を楽しそうに酔いつぶしてたのに、何を言うてるんや。
 ……もっとも、志保にコタツの出し入れを手伝ってくれる人徳があるかはしらんけど。それは自分で確かめてくれや」

 天板を滑ってきたもの――奈緒さんの携帯電話を手に取る。
 新規メールの作成画面が開いていた。宛先は、765プロのみんなだ。

 テレビに明かりが点く。奈緒さんがリモコンで再生を押したようだ。
 ライブの続き。エミリーが舞台からはけていく。
 やがて音楽が鳴った。観客席に灯るサイリウムの色が切り替わる。赤と白が煌めいた。

 あぁ、この頃はまだ揃ってなかったなぁと思い出す。
 私は別にどっちでもよかったんだけどな。赤も白も好きだし。
 この歌は、たぶん、どちらも受け入れられるはずだった。

「楽しそうやんけ」
「……ライアールージュなんで、澄ましてますけど」
「あげあしをとらないっ!」

 歌がきこえる。私の歌だ。
 まだ幼い私が、これから起きる色々な事を知らない私が、それでも懸命に歌っている。

 ステージ裏を思い出す。
 エミリーが泣き出してしまって、けれど、それが逆に会場の盛り上がりを高めてもいた。
 万雷の拍手は、次に歌う演者へのプレッシャーにもなる。

 舞台袖で待機していた私は、見事に足がすくんでいた。
 流れに水を差してしまうんじゃないか。
 次の静香にうまくバトンを渡せないんじゃないか。
 起こりうる暗い可能性に、足を取られてしまいそうだった。

 ばしん、と背中を叩かれる。驚いて振り返るとプロデューサーさんがいた。
 静香がいた。奈緒さんがいた。みんながいた。

 それだけで、私の心は熱く滾った。
 コタツのような日々がなければきっと生まれない熱量で、それもまた必要だったのだ。矛盾しているかもしれないけれど、確かにそうだった。

 14歳の北沢志保は、自分で言うのもなんだけど、中々良い顔で歌っている。
 今の私はどうかな? こんなにうまく歌える自信はないけれど、でも、尻尾を撒いて逃げ出すのは性に合わない。

 何か伝えることがあるはずだ。伝えたいことがあるはずだ。

 私は奈緒さんの携帯を手に取り、ゆっくりとメールを打った。
 長くなってもかまわない。
 ただただ、書き留めた。

 あの冬の日、コタツをばらして、組み立てたみたいに。

 ――どれくらい、経っただろうか。

 いつの間にかライブの再生は終わっていて、部屋の中はしんと静かになっている。
 奈緒さんにメールをみてもらおうか、いや気恥ずかしいしやめとこうか、でも本来であれば奈緒さんにも送るものだしな、なんて考えて顔をあげた。
 そして、思わず笑い出してしまう。

「寝てるし」

 奈緒さんは天板にことりと頭を置き、爆睡していた。
 微かにいびきまで聞こえる。よだれも垂れていた。
 とてもアイドルがしてはいけない寝顔だったけれど、そういう思い出はコタツと共にいくつもあった。

 私はそっとコタツから這いだす。かけていたコートを取り、奈緒さんの肩にかけた。
 もう食べられません、むにゃむにゃとそんな寝言がきこえる。

 そっと引き戸まで歩き、ベランダへ出た。
 特にガーデニングの趣味とかもないのか、殺風景だ。
 物干し竿が2本、冬の空にかかってる。
 空気は凍りそうなほど冷えていた。
 夜の明かりが、点々とついている。
 サイリウムみたいだけど、これがライブだったら全く盛り上がっていなくて、大失敗だ。

 顔をあげる。冴え渡った空にも無数の星が瞬いていた。
 それもまたサイリウムの光みたいで、これなら大成功だな、なんて思う。

 息を吐く。もう文面は確認しない。覚悟を決め、えいっと送信した。
 見えない電波に乗って、私のしたためた文章が遠くへ飛んでいく。
 今はどこにいるかもわからないみんなに向かって、飛んでいく。

 ……読んでくれるかな。ぱっと見は奈緒さんからのメールだから、開いてはくれるはずだ。
 でも、すぐに削除されるかも。後日、奈緒さんに文句が入るかもしれない。
 それでも仕方ないよな、なんて考えていると、掌の携帯が震えた。思わず取り落としそうになって、焦る。

 メールが来ていた。開く間もなく、それが繰り返される。
 ぶるぶると震え続けて、携帯電話の電池がすぐになくなってしまうんじゃないか、なんて思えてきた。

 一通一通開いていく。読んでいく。
 途中で何度も目を伏せた。コタツが、思い出が、冷えた体を温めるみたいだった。

 メロディが鳴る。メールだけではない。
 電話もかかってきた。聞き慣れた歌だ。何度もうたった歌だ。

 袖で頬を拭い、部屋の中へ戻る。奈緒さんがびくんっ、と体を震わせた。
 でも、起きない。流れるメロディに合わせて、むにゃむにゃとハミングしている。

 さんきゅーふぉー、よーこそー。
 わたしたーちのー、こたーつ。

 思わず笑ってしまう。でも、今の私よりは、うまいかもしれない。
 偶にはレッスンでもしようかな、カラオケ番組くらいは出してもらえるかな、なんて考えた。

 そうして、私は携帯電話を耳にあてる。
 7年振りの声を聞きながら、そっと足をコタツへ滑り込ませた。


     おわり

終わりです!
最後まで読んで頂き、ありがとうございましたー。

奈緒と志保の過去作も貼っておきます。

奈緒「志保、風邪ひいてもうた」
奈緒「志保、風邪ひいてもうた」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1440070861/)
奈緒「志保、ぱんつがあらへん」
奈緒「志保、ぱんつがあらへん」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1440074230/)
奈緒「志保、チョコミントは歯磨き粉やで?」
奈緒「志保、チョコミントは歯磨き粉やで?」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1443354021/)
奈緒「志保、私、アイドル辞めて実家帰ることにしたわ」
奈緒「志保、私、アイドル辞めて実家帰ることにしたわ」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1443966541/)
奈緒「志保、傘があらへん」
奈緒「志保、傘があらへん」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1490624228/)

ご意見ご感想などあれば書込んで頂けると!

泣いた
おつ

好き...大好き...ありがとう...(語彙力消失

この二人の組み合わせ大好き。蛇足になるかもだけどその後も読みたいと思ったり。

乙。
涙腺が緩くなってるのか正直泣きそうになった…良いお話をありがとう

今年の志保誕ssも素晴らしかった
乙です

北沢志保
http://i.imgur.com/vjiYt2W.jpg
http://i.imgur.com/DK8rpTT.jpg

横山奈緒
http://i.imgur.com/mvnrTYO.jpg
http://i.imgur.com/vycjYsD.jpg

泣いたわ
志保の事務所移転に桃子とかはすぐに納得はしなくても理解を示してそうだと思った

いいお話だった掛け値無しに

てす

心地いい寂しさがあるな
変わっていくことってきれい

はぁ…
心地良いため息と涙の出る良作でした

勧められて読みました
とても良かった

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