まゆ「Dear my moon」 (23)
佐久間まゆ誕生日記念SS
Pまゆ要素あり
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運命は廻り続ける。道は運命められ続ける。いつも、いつまでも。
音を鳴らして車輪が回り、羅針盤の針はその先を選定する。
変えられる運命、変えられない運命。
自分の手で切り拓ける運命。己だけではどうしようもない運命。
ハッピーエンド。メリーバッドエンド。バッドエンド。
Fate。Doom。Portion。Fortune。Destiny。
運命は廻り続ける。いつか結審の下る、その日まで。
例え、どんな素晴らしい結末を迎えようとも。
どんな災厄の結末が、待っていようとも。
THE WHEEL OF FATE IS TURNING…………
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─────その朝少女は夢を見た。それは、とても現実的な夢。
少女の記憶にある通りの世界で、知っている人物たちが登場する遊迷(ゆめ)の迷宮で。
リボンの少女は声にならない悲鳴をあげて呼んでいる。誰かの名前を呼んでいる。
でも介入することが出来ない。抗うことが出来ない。許されたのはただ、見ていることだけ。
絶望に曇った鉛色の世界を、俯瞰視点で眺めさせられるだけ。
…………嗚呼。嫌な夢だ。私は今とっても幸せなのに、何故こんなものを見てしまうのか────
「はぁ……はぁ……っ」
少女は息を切らして濡れた枕から頭を持ち上げる。目尻には今も滴が流れていた。
最悪の目覚めだった。出来れば二度寝をして綺麗さっぱり忘れてしまいたいほどに。
時計の針は5時過ぎを指していて、セットしてあるアラームが鳴るよりも随分と早い時間だ。
というより、彼女の予定的には急ぐ必要などなかった。
今日、9月6日。少女───佐久間まゆは一日中フリーであり、
これから身支度して事務所に向かうのは彼女の自由意思によるものなのだから。
「プロデューサー……さん…………」
一般的には夢の中で死ぬと、その人は長生きすると言われているが。
────あまりにも、あんまりなその"夢の結末"が脳に響いて交感神経を狂わしている。
目が覚めて真っ先に手に取ったのは洗面器ではなく、ベッドのすぐ側に置いてあるリボンだった。
「…………」
プレゼントを装飾するためではなく、自らの身を飾るための真っ赤なリボン。
永遠にその先と先がきつく結ばれて、ほどけないようにという祈りが込められた一つの証。
丁寧に置かれていたそれを無造作に掴みとり、自らの胸に抱き寄せた。
そこに実体はなくとも、確かに"繋がっている"感触が不安を和らげてくれる。
今、既にプロデューサーは起きている時間だとまゆは知っている。
彼が普段スマホを胸ポケットに入れており、例えマナーモードであろうと
着信には絶対に気付くということも知っている。
電話をかけたら、無事を確認できるし朝一から彼の声だって聞けるかもしれない。
思い立ったら、行動していただろう。─────以前の少女ならば。
「ううん……大丈夫。まゆとプロデューサーさんは……絶対に離れたりしないから」
暫く待つと、平静を取り戻した心が頭を落ち着けてくれた。
先程まで夢と現実の境界線が曖昧だった認識が、はっきりとしていく。
そう。さっきまでの光景は全てフィクションだったのだ。
現実じゃないのだ。そう思うと、次第に混乱も混濁も治っていった。
不安から指に結ぼうと手に取った赤いリボンを元の場所に起き直し、
更に頭を冷やす意味合いも含め顔を洗うために、まゆは洗面台へと向かった。
ごめんなさい……結局間に合わなかったせいか焦ってるな 誤字訂正
起き直し→置き直し
「何で……あんな夢なんか見たんでしょう……」
朝食を食べながら、まゆは今朝の夢を思い返していた。
と言っても、起きてから時間が経っていく内に自然と夢の内容は抜け落ちていってしまい、
細部や他に誰がいたのかさえ覚えていない有り様なのだが。
辛うじて記憶に残っているのは……白衣を纏った志希の姿か。
何か私に語りかけていた気がするのだが、靄がかかって思い出せない。
だが、決定的な本筋は覚えていた。否、あれだけは忘れようもない。
────愛もなく、憎しみもなく、まゆがプロデューサーを殺す夢だなんて。
「……出来るだけ、忘れる方向で行きましょう」
それは確かに夢なのである。いつまでも引き摺っていては笑われてしまうだけだ。
とは言えそんな簡単に振り切ることなど出来ず、
普段聞いている朝のTVのニュースも、今日だけは見る気になれなかった。
真っ黒な液晶をぼんやりと見つめていると、何も聞こえない沈黙が続くと、
益体のない空想にばかり囚われてしまいそうで。
一人で居ない方が良いと判断し、まゆは手早く朝の身支度を済ませて家をあとにした。
事務所に着いて、まゆが真っ先に向かったのは事務室にあるプロデューサーのデスクの下。
「おはようございます、乃々ちゃん、輝子ちゃん」
そこでまゆとシェアハウスしている共有者の二人は各々時計を見ながらぼーっとしていたりキノコを愛でたりしていたが、
まゆの声に反応して向き直り挨拶を返す。
リス系の小動物を思わせるネガティブ少女、森久保乃々と
キノコをこよなく愛する少女、星輝子。
まゆも所属するユニット、「アンダーザデスク」のメンバーである。
「お、おはようございます……」
「やあ……まゆさん。今日は、お仕事ない日だった……はず?」
「はい♪なので基本的にはここでゆっくりしていようかなって」
まゆは基本的に、オフの日でも事務所で過ごしていることが多い。
一人が寂しいわけではない。寧ろ、一人の時間がないと駄目なタイプである。
しかし勿論、一人が好きなわけでもないのだ。
よって、主にプロデューサー成分を接種しながら事務所を徘徊しているのである。
特に、プロデューサーの机の下は一番プロデューサーを感じられるスポットとしてまゆのお気に入りであり、専らそこを住処とする彼女たちと過ごしているのだった。
同じ場所で過ごすと言っても、基本的に彼女たちはあまり言葉を交わさない。
同じ机の下に居ながら、違うものを見て、違うことを考えて、違うことをやっている。
そんな不思議な関係が、彼女達「アンダーザデスク」であった。
そんなこんなで、少し時間が経った頃。
輝子が落ち着かない様子で他の机に移っていた乃々の元まで向かって話しかけた。
「ほ、ほら……乃々ちゃん、あれ……」
「えと、あの……やっぱり、もりくぼが言わないとダメ……ですか?」
「だって、主催は乃々ちゃんだから……」
「……。そう……ですよね。はい、ここはもりくぼがやらなきゃいけない場面です」
「……?」
ギリギリ聞こえないくらいの声量で何やら話している二人に、まゆが疑問符を浮かべる。
が、やがて意を決したように、森久保が机の下から這い出てまゆに切り出した。
「まゆさん、この間のもりくぼの誕生日にパーティーを開いてくれたじゃないですか。
思ったよりもささやかで、安心して……プレゼントまで貰ってしまって……とっても、嬉しかったです。
だ……だから、今度はもりくぼがまゆさんのためにパーティーを開こうと思うんですけど……。
その、是非プロデューサーさんも呼んで。ど、どうでしょうか……?」
1週間とちょっと前の話だ。自身の誕生日もうろ覚えだった森久保が事務所へ帰って来た時に、
事務所の皆がクラッカーを一斉に鳴らして森久保の心臓を止めかけたのは。
はひぃ!と小動物的な鳴き声をあげ、「パーティーとか……無理なんですけど……
もりくぼはささやかなお祝いでいいので、どうか他の方を祝ってあげてください……」と
青ざめた様子の彼女の案を呑み、少人数によるお誕生日会を開いたのだった。
因みにその時のメンバー、通称"もりくぼぱーりー"の一人であるまゆは
森久保に青色のハートのピアスをプレゼントしていた。
人前でつけるには中々勇気がいると思いながらも、森久保はそれをとても気に入っていた。
あれから10日。プレゼントのお礼をする機会を彼女は待っていたのだ。
「あんまり大人数になっちゃうと、まゆさんも疲れちゃうかもしれないから……
そんなに豪勢にしないで……でも、明るく。
紗枝さんとか、小梅ちゃんとか……その辺に声をかけて、みたりする予定……だ。
あ、勿論……先約があったらそっちを優先してほしい、かな」
先約と表現をぼかしてはいるが、要はプロデューサーと二人っきりで約束があるなら
私達は遠慮するさという意味だ。何しろまゆのことである。
既にレストランでディナーなどの約束を取り付けていたとしても、何ら不思議ではない。
だが、返ってきた答えは快諾だった。
「いえ、特に先約はないですよ。ありがとう、乃々ちゃんに輝子ちゃん。
ふふ……まゆがパーティーの主役だなんて、なんだか緊張しちゃいますね。
でも、とっても楽しそう♪楽しみに待ってますよ♪」
「……?」
その、まゆの受け答えに対し、自然に声がこぼれてしまったという感じで輝子が違和感を呟いた。
声色が明るいこと自体は何らおかしくない。おかしくないの、だが……。
「……あれ。まゆさん、なんか……変わった?」
「うーん……そうかもしれません。具体的に、って聞かれると返答に困りますけど……。
まゆは常に、プロデューサーさんのために変わり続けていますから」
「そうか。そうだよね……ゴメン、変なこと言って。気にしないで……くれ」
「……???」
森久保とまゆは輝子の発言の意図を掴みかねていたが、彼女の歯切れの悪い言動は
特段変わったことではないのであまり引っ張らなかった。
そこに、
「お、今日は三人揃ってるんだな」
まだ残暑から冷房を手放すことのできない気温である中でも、
いつものように長袖の黒スーツに身を包んだプロデューサーが事務室に戻ってきた。
入るなりプロデューサーは肩に提げていた鞄をデスクの上に置いて、
中の書類物を引き出しや机上ラックへと収納し整理整頓を終わらせる。
一通り終えたあと腰を落ち着けると、アイドル達へ向き直った。
「あっ……!プロデューサーさん」
「丁度良かった……フヒ」
「グッドタイミングですね……」
主の帰還を受けて三者それぞれの反応を示す机の下同盟。
まゆとの会話中もデスクの下に入りっぱなしだった輝子も、
暗く狭い空間からLED蛍光灯の下へとひょっこりと顔を出した。
主催を務める森久保がプロデューサーへ声をかけなければと、
もう一回勇気を出そうとする間にまゆが早速話しに入っていた。
「おはようございます、プロデューサーさん。
えっと、今は杏ちゃんの撮影の帰りで確かこの後30分くらい時間がありますよね?」
頭の中に入っているプロデューサーのスケジュールを基に、
すらすらと確認作業をやってのけるまゆ。
無論誤差が生じていればその限りではないゆえの確認なのだが、その心配は無用そうである。
「そうだな、予定より早く終わったからもうちょっと余裕があるが」
「明日の話なんですけど、乃々ちゃんがまゆの誕生日パーティーを企画してくれたんです。
で、是非プロデューサーさんにも参加してもらいたいなって思ったんですが……来てくれますか?」
説明をせずに済んだ森久保たちもこくこくと頷いてプロデューサーに同意を求める。
出来れば保護者的な立場の人間が居た方が、パーティーもやりやすいと。
だが、プロデューサーは困った顔になって、
「あー……悪いまゆ、そのことなんだがな。
明日の夜の企画会議がどうしてもずらせなくてなー……。
お前の誕生日をゆっくりお祝いしたかったんだが、パーティーに参加するのはちょっと無理そうだ。
本当にすまん、プレゼントはちゃんと用意してたんだが……」
心の底から申し訳なさそうにプロデューサーが頭を下げた。
言い訳になるだけなので特に弁解はしないが、これでも最善を尽くした後の結果なのである。
議題が比較的近くに控えたアニバーサリー公演ということもあって、
スケジュールの変更が困難だったのだ。
「ええ、そんな……プロデューサーさん無しだと……もりくぼの責任も重大……」
早くもプレッシャーで胃を痛めそうになる森久保。
勿論、今まで一人一人の誕生日を大切にしてきたプロデューサーのことである。
努力に努力を重ねた末のどうしようもない結末であり、
一番悔しいのは彼自身であろうということも皆分かっている。
分かっているからこそ、もどかしい。
「……分かりました。残念ですけど、お仕事じゃ仕方ないですもんね。
プロデューサーさん、頑張ってきて下さいね」
まゆはあっさりと引き下がった。これも、また至極真っ当である。
プロデューサーに迷惑をかけることをまゆは好まない。
────だが。そのまま、まゆが諦めようとしていた時。
不意に、プロデューサーがまゆに提案した。
「……なぁまゆ。今日の夜って、空いてるか?」
「えっ?はい、特に用事はありませんけど……」
「前倒し……ってのも変な話ではあるんだが、誕生日を祝わせてくれないか。
……そこで、まゆに渡したいものがあるんだ。
良かったら今日の夜、一人で事務所に残っていてほしい」
「残る……ってことは、今日事務所でお祝いするってことですか?」
記念日に拘るのも大事なことだが、都合がつかないなら前倒しでも全然構わない。
一番欲しいのはプレゼントでもパーティーでもない、彼からのお祝いの言葉なのだから。
そう思い、嬉しさから声が弾んだまゆだったが。
「半分合ってて、半分違うかな。まあ本当に俺の自己満足だから、
無理に付き合わなくても構わないんだが……二人っきりで話がしたいんだ。
それで……出来れば行きたい場所もある。車で乗せていく感じになるな」
「……???」
まゆの思考が?で埋め尽くされる。しかし、プロデューサーの方も
次の仕事までの時間が差し迫っており詳しい説明をしている余裕がなかった。
だから、簡潔にそう述べた。
「そこで、大事な話をしたいんだ。……着いてきてくれるか?」
事務所から、数十分といったところか。
夜の都会の街並みを抜け、少し田舎然とした場所で車は停止した。
「よし、着いたぞ」
片側に寄せたとはいえ、完全に路駐の格好になってしまったが……
一通なのも幸いして車通りは少なく、
時刻はまだ22時。深夜のパトロールには届かない時間帯であるため、
駐禁を切られる心配はないだろうと楽観視して車を降りる。
車を降りると、すぐそこに池があり奥には看板も立っていた。
看板に掘られた文字は薄暗い以前にところどころ窪んでいて読みづらいが、
池の隣に並んでいる長そうな石段から、そこが何らかの施設であることが窺えた。
「ここは如月神社って言ってな。まあ名前の通り神社なわけだが、
もう長いこと祭事はやってないんだ。俺が小さい頃からやってなかったと思う。
人が住むスペースもないし、鳥居と社が無人で放置されてる感じでな。
高い所にあって眺めが良いんだが、座る場所もないし外観がこんなだから
町内会の集まり、あとは小中学生の肝試しくらいしか人が来ない場所なんだ」
成程、とまゆは納得する。住宅街の中にぽつんと置かれた神社ながら、
夜の雰囲気はかなりおどろおどろしく、蛇や狸でも出そうな感じである。
自然豊かなため虫もいっぱい住んでいそうで、星見をするなら同じ高度のマンションの屋上の方が快適だと思われる。
「ふふ、でも逆に言えば誰にも邪魔されない秘密の場所なんですね」
「ああ、そうだ。今日は近所で花火大会の予定もないし、きっと誰も通りかからない。
まあいざとなったら俺が居るから大丈夫だ」
秘密基地……と言ったら少し小学生男子っぽいが。隠れスポットと言えば聞こえはいい。
……まあ、寂れた神社を隠れスポット扱いするのは何となく不信心な気もするが、
特に厚いわけでもない日本人の信仰心なんて、そんなものである。
受験期とかデートとか、即物的な出来事の前にのみ神を信仰し敬ったり、
入場料が取られない場所までに限定して参拝し、その境内を自由に右往左往したり。
しかし、誕生日祈願をするわけでもないのに何故神社なのか……まだ疑問でいっぱいのまま、まゆは石段に足をかけた。
星々の灯り以外に頼るものなどない暗夜、
二人は足元に意識を集中させ、苔むした階段を一段一段と丁寧に登っていく。
石段を登りきると、今度は舗装されていない真っ黒な坂を上っていく。
その中途で土に濡れた三毛猫が忙しそうに通り過ぎて行き、虫は静かに合唱していた。
木々が生い茂った夜の神社は些か不気味ではあるが幻想的で、
ちょっとした山にでも登ったような気分だとまゆは思った。
……或いは、心が落ち着かない所為もあるのだろう。
見渡す限り、本当に人っ子一人いない通る人も居ないといった様子であり、
野外で"そういうこと"をするなんて妄想でもしたことはないし……なんて、
夜の雰囲気と射し込んでくる月の光が心を惑わしてきて、
浮わついた気分になって、変なことばかり考えてしまって、妙にドキドキしてしまう。
せめて意識を逸らそうと目線を上げると、まゆの深緑色の瞳に赤光が流れ込んできた。
「……!綺麗…………」
黒々としている葉っぱに遮られ、地上はもう見えない。
けれど木々が塞いでいるのは下方のみで、上方には全くかかっておらず
クリアな視界に空だけが映っていて、まるで空だけを見つめるために作られた展望台のよう。
地に足がついているこの地面が、空中を浮遊しているのではないかと錯覚するほどだった。
「その昔、俺もよくここから夜空を眺めていたことがあってな。
ここの景色を、まゆにも見せてやりたかったんだ」
ただ高所に赴いて月を見上げるのとは違った美しさがそこにはあった。
空から降り注ぐ光が何者にも阻害されず、何物にも反射されず、
"主演"を飾るスポットライトのようにただ此方を照らしてくれている。
極めつけに、今宵はその『色』も普段とは違っていた。
────月が紅い。普段は高高度にあって白光りの月光で夜空に煌めいているはずの月は、
雲より低い位置に真っ紅な血のような輝きで地上を照らしていた。
この手を伸ばして、長いリボンを風に棚引かせれば。きっと、天にさえ届いて
自身のもとへと引き寄せてしまえるだろうと思うほど近い月の下。
二人は、坂の頂上へと辿り着いた。
二人きりの、舞台へと。
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「……月が綺麗ですね、プロデューサーさん」
「…………ああ、そうだな」
小さな世界から、大きな月を見上げた。
吸血鬼のような妖しい赤は、もっと紅になっていく。
まゆの赤を混ぜて、朱を混ぜて、紅を混ぜて、二人に相応しい深紅(アカ)になっていく。
──ああ、けど……綺麗だ。こんなにも美しくて、素敵だったのだ。
以前の少女には、ただ取るに足りない世界だけが瞳の中に描かれていた。
生きることは義務で、頑張ることは作業で、幸せとは他人の受け売りでしかなかった。
どんなにもがいてもキャンバスは灰色のままで、
鉛天は晴れることなく、未来は真っ白でしかなかった。
……それに、色をくれた人がいた。最初はその人だけが唯一の希望に思えて。色んな物をもらって。
次第に、もっと広い視野で見渡すことが出来るようにもなった。
そうして目に映った世界は、案外悪くなくて。
自分でもびっくりするくらい、生きていることに喜びを覚えて、
意味を知って、幸せだと実感している。
多幸感で胸がつっかえそうになる中、まゆは深い息と共にその言葉を吐き出した。
「奏さんが言ってました。アイドルとプロデューサーは、まるで月と太陽のようだ、って。
太陽が居てくれるからこそ、月は輝ける。アイドルもそうだと。
明るい光で照らしてくれたから、私達は真っ暗闇から輝きを放つことが出来たんだって」
でも、とまゆが前置きして。
「それは単なるアイドルとプロデューサーの場合であって、私達のことじゃない。
まゆとプロデューサーさんの関係は……ただそれだけでは居たくないって、そう強く思います」
まゆが振り返る。真紅色の光を背にたっぷりと浴びて、
彼女の髪が、表情が、姿そのものが、一際艶っぽく月夜に映し出される。
アイドルとしてステージに立っている時のように、それ以上に…………今、まゆは輝いていた。
「まゆはプロデューサーさんを照らす、太陽にもなりたいから……。
アイドルと違って、プロデューサーはファンたちの前で輝きを放つ必要はないけれど。
まゆだけに、とびっきりの笑顔を見せてほしいから。
だから、まゆは月だけじゃ居られません。
愛しい月(あなた)を優しく照らせる、太陽(わたし)でもあり続けたいと思うんです」
「─────」
その笑顔が。他の誰でもない、自分に向けられたまゆの笑顔が。
どんな言葉でも言い尽くせないくらいあまりにも眩しかったから。
プロデューサーは、危うく主旨を忘れかけるところであった。
一体なぜ、このような辺鄙な所にまでまゆを連れてきたのか。
何を話すために、"ソレ"を用意したのか。
彼女の好意に最大限応えるべく、思い出して行動に移す。
「…………これが、俺からお前への誕生日プレゼントだ。
今この場所で、開けてみてくれないか」
そう言って、プロデューサーはまゆに包装された箱を手渡した。
まゆは受け取ったそれを、保存出来る状態にするために暗い中でも一つ一つ丁寧に解いていく。
そしてカッターを使わず綺麗に外装を取ると、中から小さな箱が出てきた。
外側からして手触りの良い四角形の箱。形状と大きさから中身は容易に想像できるが。
─────箱を開ける。自らの目でもって確かめる。
「あ…………」
例え予想していても、実際に目にした時はやはり感嘆の声が漏れてしまう。
────何せ、中に入っていたのはダイヤモンドをあしらった純銀の指輪だったのだから。
当然ながら、まゆはアイドルの衣装として指輪を用意されたことは何度もある。
だが、指輪の側面に刻まれた『P to M』の文字がそれが衣装ではないことを言外に語っていた。
小箱を持ったまま、まゆが固まる。
やがて、まゆは無言のままそれを自らの左手薬指に通した。
その返事を受けて、今まで黙って見守っていたプロデューサーが再び口を開く。
「……2つめはまだ待っていてほしい。
これが、今の俺の、精一杯のまゆに対する気持ちだ。
……その、こういうのは値段じゃないと分かってるし色々候補はあった。
でも、どうせなら……ダイヤモンド(それ)がまゆには似合うかなって」
他にも、愛を象徴する宝石は少なくない。オパール、ペリドット、サファイアなど。
選択肢はいくらでもあった。……だが、プロデューサーは迷うことなく心に決めていた。
ダイヤモンドの宝石言葉"永遠の愛"。
他を圧倒する重みが、そこにはあった。
……赤い月光だけが視界を覆う中、暫し舞台は静寂に包まれていた。
とてもとても長い沈黙に思えたが、
実際のところあれから数分程度だったのだが。
「……プロデューサー、さん。手を……出してくれませんか?」
「……お、おう?」
幕間が終わって再び幕は上がり。
暫くうつ向いていたまゆが伏せ目がちにしたまま、消え入りそうなか細い声で提案してきた。
何をするつもりかは見当もつかなかったが、プロデューサーは兎に角条件反射で手を差し出した。
次の瞬間、スッ……と素早くまゆが動いた。
そして。
「え────あ?」
脳が旧世代のパーソナルコンピュータのように処理が追い付かず、フリーズを起こす。
開いた口が塞がらないということわざを今正に体現してしまっていた。
そんなプロデューサーの様子を見て、まゆが小悪魔のような微笑みで勝ち誇る。
「ふふっ、今回はまゆの勝ち……ですね♪いつもはまゆがドキドキさせられっぱなしなので、
この時くらいはプロデューサーさんにもドキドキしてもらいたいって思って」
────まゆの言葉が頭に入ってこない程、意識がおぼつかない。
何をされたのかが一瞬すぎて見えなかったわけではないのだが。
寧ろ、今も眼球に直接訴えかけてきているのだが。
プロデューサーの脳は限界に近かった。だがそれは無理もない話だ。
意図をつかめぬまま、まゆへと手を差し出した手の指に。
まゆは何処からか取り出した指輪を嵌め込み─────
プロデューサーの左手の薬指には『M to P』と刻まれた、
"何処かで見たことのある"純銀の指輪が嵌まっていたのだから。
嬉し涙を浮かべながらも、余裕そうな表情でまゆはプロデューサーを見つめて言う。
「まゆは『いつでも』準備できてますって、言ってましたよね?
あれは冗談なんかじゃないですから。まゆはいつだって本気です。
だから……貴方へと贈るエンゲージリングだって、持ち歩いてて当然ですから♪」
面食らって、感動やらドキドキやらで一向に思考が纏まらない様子のプロデューサーを、まゆは嬉しそうに眺めている。
恋愛は勝負じゃないと言っても、プロデューサーの一手上を打てたことが嬉しかったのだろう。
……それにしたって、一体どういうことなのだろうか。
その指輪は、まゆに感付かれないよう彼女が把握しているスケジュールの抜け目を狙って、
他の誰にも言わず、秘密裏に買いに行った指輪なのだ。
スニーキングやストーキングをされていた可能性は限りなく低い。
だが、プロデューサーの左手薬指に嵌められたまゆからの指輪は。
燦然とダイヤモンドが輝く……全く同じ大きさで、同じデザインの物なのだ。
ここまで来たら、恐らく買ったお店も同じであろう。
確かに、その宝飾店は事務所からもそう遠くない距離のビルの中に入っており、
それなりに名の知れた有名店であり、決して奇を衒ったチョイスをしたわけではなかった。
いや、それにしたって。同じダイヤモンドと言っても、種類はたった一つではない。
その銀色の指輪のデザインは、店で一番人気という立ち位置でもなく、寧ろ王道からは外れている品だ。
けれども、それが"一番想い人に似合うと思ったから"買ったのだ。
…………ああ、そうか。何だ、単純明快だったじゃないか。理由はそれか。
「……考えることは、一緒だったってわけか」
「まゆとプロデューサーさんは以心伝心、ですね♪」
婚約指輪(エンゲージリング)。一般的には、男性が愛の告白をするために女性に贈るもの、とされている。
でも、女性が男性へ贈ってはいけないという決まりなどない。
事実、両思いのカップルがお互いに指輪を渡すことだって普通にあるのだ。
それは、一つの約束。今はまだすぐには結婚できないけれど、きっといつか2つめを渡す日が来るから。
だから、その時まで二人で愛し合い待ち続けましょうという契りを交わした証。
「……なぁ、まゆ」
「なんですか、プロデューサーさん」
「これも、未来日記に書いてあったか?」
「はい、勿論♪まゆの予定よりも、随分と早くって感じですが」
「そっか…………」
────いつか二人で結んだ、とある約束が脳裏に過る。
あの時は効力など持たない、その場の勢いで言った口約束に過ぎなかった。
『まずは一つ一つ叶えていこう』
我ながらその低俗さに呆れる。『それ』がどういうことかも正しく理解しないで、覚悟も決めないで無責任なまま、覚悟の決まっていた少女にその言葉を投げ掛けたのだ。
…………嗚呼。長かった。
──だが、漸くここまで来れたのだ。
「なら、取り零したものも日々の中でひとつ残らず全部叶えていかないとな。
最後の項目を叶える日が来るとき、埋め残しがないように」
「……うふふ。まゆの未来日記のチャートは、まだまだ長いですよ……♪」
…………ライトに照らされていた二人の姿が消えて行く。
坂の頂上には、依然として赤い月の光が射し込んでいた。
赤い月。それは、表裏一体の運命の象徴。
時に、幸せを運ぶストロベリー・ムーンとして
時に、災厄と滅亡をもたらすブラッド・ムーンとして人類史に介入する。
運命は転輪する。
幸福な結末へ。狂った結末へ。
そうして。羅針盤の針は今、道を指し示した。
以上です 細かいミスが点在してごめんまゆ……
誕生日おめでとう これからも永遠にずっと担当
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