【モバマス】P「四手連弾・転調」 (25)

地の文メイン。
独自設定あり。
未熟者ゆえ、口調等にミスがあるかもしれません。
どうかご了承ください。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1498913083


防音加工のなされたレッスンルーム。その室内に佇んでいる大きな黒い姿。
力強い存在感を持つそれに静かに歩み寄った。ホコリよけの布を外し、カバーを上げる。規則正しく並ぶのはツヤのある白と黒の鍵盤。
鍵を押し込むと、対応するハンマーが弦を叩いて音を奏でる。打楽器でもあり、弦楽器でもある。打弦楽器という珍しい分類に組み込まれるピアノ。

人差し指を鍵盤の上で適当に跳ねさせた。

ラ。
シ♭。
ミ。
ソ。
ソ。

ボーカルレッスンに普段から使われているだけあって、調律はばっちりされているようだ。望んだ音が鳴ったことに薄く微笑む。
ゆっくりと黒の縁を指でなぞった。

と、背後で扉の開く音。ゆるい隙間風を感じた。
誰が来たのかは見えないけれど、気配とタイミングでおおよそわかってしまう。

「……松山さん。弾くんですか?」

予想通りの穏やかな声が尋ねかけてくる。
ああ、特にそのつもりはなかったのだけれど。

「聞いてくれる? ……プロデューサー」

「ええ。もちろん」

「じゃあ、弾こうかな。少しだけね」

椅子に腰掛け、長く伸ばしている茶色の髪を耳にかける。飾り気のない手指の肌色でオセロのような白黒をわずかに隠した。

「……では、ご静聴ください」

芝居掛かった私の口調に、プロデューサーはくすりと小さく笑った。


少し前まで、人前ではピアノを弾きたくなかった。だけど今は、なんのためらいもなくこの親しんだ楽器に向き合うことができる。

走り出す。
指が、私の気の赴くままに。

白、黒。黒、白と。指が鍵盤の上を踊るたびに溢れ出す音色。
音楽が、私の想いを連れて室内に満ちていった。


*Forte(フォルテ)【強く】



強く。
誰よりも強く、美しく。

綺麗にありたいと、私は芸能事務所の門を叩いた。

女性を綺麗にするのは人の視線だというのが私の持論。
注目を集められるならなんでもいいと、初めはモデル部門のオーディションを受けた。
動機は真摯なものとは言えなくて、それを見透かされたのかあっさりと落とされて。

言われた一言は、『君程度の子なんていくらでもいる』。

あまりにも悔しくて、帰るに帰れなくて、たまたま同日にやっていた同じ事務所のアイドル部門のオーディションに飛び込んだ。

我ながら手前勝手でなかなかに失礼なことをしていたなと後々になってからは思った。

若気の至り、勢いだけで起こした行動。

結果的にいい方に転んでくれたけれど、褒められたものではなかった。


「志望動機は目立ちたいから。だから、アイドルにこだわりがあるか、って言われると……そうでもないわね」

「えらく正直ですね。……モデルはダメでも、アイドルにならなれると思いましたか?」

「アイドルを甘く見てるわけじゃないわ。ただ、動機なんて些細なことだと思ってるだけ。『どうしてアイドルになりたいか』より、『なったあとにどうなるか』の方が大事じゃない?」

「……まあ、そういう考え方もあるかもしれませんね」

「アイドルにしてもらえるなら私は絶対にもっと綺麗になれるし、驚くぐらい活躍できるわ。……そんな私を、見たくない?」

「大した自信ですねえ」

「ないよりいいでしょ?」

「ええ、それはまあ、もちろん」

しばし心情の読めない顔で手の中のボールペンをこねていた彼。手捌きを誤り、銀色のペンが二人を挟むテーブル上にことりと落ちる。
それを契機に、彼は顔を上げた。

「……わかりました、その大言を買わせていただきます」

その返答に胸が踊った。が、つとめて冷静な風を装った。

「……決まりね。これからよろしく、私のプロデューサー!」


偉そうで、世間知らずだった私の態度。
たぶんオーディションをしてくれたのがプロデューサーじゃなかったら、私が合格をもらうことはなかった。
貴方と出会えた幸運に、感謝しないといけないね。


*Crescendo(クレッシェンド)【だんだん強く】



ピアノ教室を営んでいる母の影響で、私は幼い頃からピアノの音色をよく聞いていた。そんな恵まれた家庭環境が幸いして、私は音楽に乗ってテンポを取るのは得意だった。……だというのに。

初めて行ったダンスレッスンの結果は散々。
頭の中で完璧にリズムを理解できていても、その通りに体を動かすことができなかった。

その日は自主的にレッスンルームの鍵を借り、一人習ったことを黙々と繰り返した。

秘密特訓と言えば聞こえはいいけど、それはただの私の底意地だった。
できないところなんて誰にも見られたくない。私のみっともないところを知っているのは私だけで十分。……もうトレーナーさんには見られちゃったけど、次で絶対に挽回するからそこはノーカウントで。


夕暮れ前にルームの使用許可を取ったというのに、自分なりの満足が得られる頃には既に日は沈みきり、窓の外にはとっぷりと夜の帳が下りていた。

軽くクールダウンしてから室外への扉を押し開けると、コツンという何かがぶつかる音。

「……あら?」

廊下にエナジードリンクの缶が倒れている。ドアの前に置いてあったらしい。拾い上げると、缶の裏側にはメモ用紙が貼り付けられていた。

『気持ちはわかりますが、オーバーワークは厳禁です』。

丁寧な字で書かれていたのはそんな文。見覚えのある優しい字体だった。
瞬間、ほんのりと熱を持つ私の顔。

「……プロデューサーの字よね、コレ……ああ、もう」

私の情けない姿を見ていたのは、トレーナーさん以外にももう一人いたみたいだ。

差し入れは当然嬉しい。
気持ちは嬉しいんだけど!

思い出されたのはオーディションでの大言壮語。
貴方にこんな姿は見せたくなかったのに、なんて風に思ったのを覚えている。


*Mezzo Piano(メゾ ピアノ)【少し弱く】



思えば、失敗することは多かったのかもしれない。
ただ綺麗にありたくて、失敗してみっともない姿を晒してしまうのを何よりも嫌っていたというのに。
……いや、だからこその、なのか。極端に嫌って、その姿から目を逸らそうと頑なだったがゆえの失錯。

独りよがりな強がりが周囲に迷惑をかけてしまうことを、私はアイドルになってから強く学んだ。

例えばまだまだ未熟な新人だったとき。
宣材写真の撮影では、私は自分が満足できるまで写真を撮って欲しいと駄々をこねてカメラマンさんを大いに困らせた。

無理やりに撮影を切り上げられ、不満を垂れる私を黙らせたのはプロデューサーの一言。

「……その姿は美しくないですね、松山さん」


あまりに痛烈で、どうしようもなく的確だった。
思い出すたびに悶えるぐらい恥ずかしく感じる。

その時の私を、プロ意識がゆえの言動だったんだ、なんて良いようには到底言えない。
自分を過信する新米の単なるわがまま。
みっともなかっただろうなあ。

外見は内面の一番外側、と言ったのは誰だったか。うまく言ったものだ。
美しくありたい、綺麗になりたいなら、内面だって相応のものを備えないといけない。

そんな、分かっているようで分かっていなかったことを教えてもらった。

失敗のたびに何かを学んで。
それを次に活かして成長していくことができた。
そんな風にできたのは、つまずくたびに支えてくれた人がいるから。失敗に気づかせてくれて、失敗を許してくれる、貴方がいたおかげ。

素直にそう思えるよ。
照れてしまうから、面と向かっては言えないけれど。


*Non troppo Lento(ノン・トロッポ・レント)
【遅く、しかし遅過ぎないように】



一歩、一歩。
ただ前を目指して進んできた。

見た目には一定の自信があったけれど、そこはやっぱりアイドル業界。甘くはない。
周りはみんな当然のように可愛くて、美人で。

私は元々、歌にもダンスにも素養があったわけじゃない。センスがあったのかだってわからない。
いろんな人たちが私のことをストイックだ、なんて評したけれど、それは自信がなかったことの現れでもある。

きっと私の歩みはそんなに大きくなければ早くもなくて。

だけど、ありきたりな表現になってしまうけれど、貴方はそんな私とずっと一緒に歩いてくれた。
時に横に並んで。時に後ろから背中を押して。時に前に立って道を拓いてくれた。


プロデューサーは、私が失敗したらきちんと叱るし、成功したら自分のことのように喜ぶ。
他人との関係が希薄化しつつある、なんて言われがちなこの時代に真っ向から逆走しているような人だ。

初めてのミニライブを成功で終えた時なんて、ステージ裏に戻った私を涙ぐんだ目で迎えてくれたよね。
つられてこっちまで涙声になっちゃったのは気づかれてたかな。

そんな風に献身的に寄り添ってもらえたおかげで、私は周りにいる大切な人たちの存在を身に染みて感じることができた。

それはもちろんプロデューサーだけじゃない。スタッフさんや、トレーナーさんや、ファンのみんなにも。
いろんなものを貰ってきた。
貰ってばかりなんてダメ。私も、返していかないと。
そう思えるようになったんだ。


*Animato(アニマート)【生き生きと】



自分ではドライな性格なんだと自身を見ていたけれど、そうではなかったのか。もしくは貴方と出会い、日々を過ごす中で変わっていったのか。そのあたりはわからない。

プロデューサーとは言ってしまえば仕事上の関係ではあるけれど、それのみの関係にはとどまらなかった。
オフの日に出掛けるのに着いてきてくれたり、アイドル仲間と遊びに行くのに車を出してくれたり。プライベートでの親交も深かった。

休日が重なるたびに色んなところに行ったよね。
だけどそれでも、私と貴方の関係はやっぱりアイドルとプロデューサーだった。

夏の暑い日のウィンドウショッピングに付き合ってもらったときなどは、かっちりしたスーツ姿で現れた彼に思わず苦笑したものだ。

「……プロデューサー。私服持ってないの?」

「持ってないわけないでしょう。何を言いだすんですか」

「いや、だってこんな日にジャケットまで着て……大丈夫?」

「まあ、確かに暑いのは暑いですが。あなたに妙な噂が立つよりはマシですよ」


事務所の方針として恋愛が禁止というわけではないが、やはりアイドルたるもの男の影には気をつけなければいけない。
その心遣いは確かに大事だしありがたい、けど。

「ジャケットぐらい脱いでも大丈夫じゃない? シャツとネクタイだけでも仕事関係だってわかるわよ」

「……そうですかね」

しばしの逡巡の末、プロデューサーは上着を脱いだ。涼しい顔を繕っていたけれど、手に持っていた白のハンカチはしっとりと湿っているようで、どれだけ我慢をしていたのかが察せる。

「じゃあ行きましょ、プロデューサー!」

何の気もなしに、彼の手を引いた。

せっかくの休日、一緒に遊びに来ているんだ。すぐに帰るなんてもったいない。
思い切り楽しみたいし、貴方にだって楽しんでほしい。
私と一緒にいることに、無理はしてほしくなかった。

いつだって私のことを優先して、自分を押し殺してくれる貴方。それは嬉しくもあり、同時に少しもどかしくもあったんだ。


*Ad Libitum(アド・リビトゥム)【好みに合わせて】



私はいわゆるアイドルらしいステージでの仕事よりも、どちらかと言えばモデル系の仕事の方が得意だった。
プロデューサーもそれはわかっていて、得意を伸ばせるよう、だけど不得意もおざなりにはしないようにとスケジュールを調整してくれた。

そんな中で、デビューから比較的早い段階で単独の写真集発売が決まり、海外ロケに行かせてもらったことがある。私のささやかな自慢だ。


南国の島の強烈な日差しの下、鮮やかなパープルのビキニ姿で指示通りにポーズをとった。その時のカメラマンはよくお世話になっていた女性の方で、緊張なく万全の私を見せられたと思う。

私はアイドルになって、内面がどんどん変わっていく実感があった。言うまでもなくそれは良いように。

一方で、自分ではなかなか気づけない変化だって当然にあって。

……撮影自体はおおむね順調だったけど、この時だったかな。
気づいていなかった自分の心の大きな変化を、はっきりと自覚したのは。


「……松山さん、少し変わりました?」

撮影をしているさなか、そんな質問が急に飛んできた。

「えっ?」

「なんだか以前よりも綺麗になってる気がします。凄くイイですよ」

「ホントですか? 嬉しいです。……でも、特に何かあったりはないですよ?」

「あれ、そうなんですか。……女性が磨かれるとなると……やっぱり恋かな、なんて。ちょっと思ったんですけど。すみません、邪推ですね」

口をつぐみ、あらためてファインダーを覗き込む彼女。

恋。
そんなまさか、と笑おうとした矢先に、どうしてか頭に浮かぶ姿があった。

彼の虚像が、頭の裏側で穏やかに微笑んでいた。

……いやいや、違う違う。

確かにプロデューサーと一緒にするお仕事は楽しいけれど。
そういう対象ではない。
ないはず。

……だよね?

「…………あの、松山さん?」

「はいっ!?」

脳内の自問自答を差し止めたのはカメラマンさんの声だった。

「……顔、ずいぶん赤いですけど」

「えっ、嘘っ……!?」

「……えーと、日焼け、ですかねえ? ちょっと休憩にしましょうか」

「す、すみません……」

小旅行のようで楽しい一週間ほどだったけれど、ちょっとだけ意地悪に笑う彼女に休憩中色々と尋ねられたことだけは、忘れたいかもしれない。


大切な人だった。もちろん好きだった。
私のためにと色んなことをしてくれる貴方が。私のことを思ってくれる貴方が。
だけど……それは、恋心ではなかったはずなのになあ。


*Energico(エネルジコ)【力強く】



私が綺麗になりたいと思うようになったのは、母の結婚式の写真でその美しい姿に見とれてからだ。

では、自分の未熟なところを見せるのに嫌悪感を覚えるようになったのはいつからだったろう。

……当然、憶えている。
母のピアノ教室の生徒の一人だった頃。自身や、周りの演奏の技量がわかるようになった頃からだ。

当時、私のピアノの腕前は、高く見積もっても中庸の域を出ないものだった。

ピアニストの娘という恵まれた立場にいながら、秀でた技術を持っていたわけでもない。表現力に優れていたわけでもない。私より明らかに上手い子はいくらだっていた。

それがたまらなく悔しくて恥ずかしかったんだ。
人前でピアノを弾けなくなったぐらいに。

強い劣等感が幼い私を大いに悩ませた。
それからだ。
失敗すること、劣っていること、周りができることができないことを、私が酷く嫌うようになったのは。


きっと、私のそんな思いは悪いものじゃない。
ただ嫌うだけで自分の中に閉じこめたりするわけじゃなく、私はそれに奮起して努力へと昇華することができたから。

ただ、私はその嫌ったことを、みっともないことなんだと断じてしまっていた。
今なら、これが間違いだとはっきり言える。

アイドルのみんなが、必死に練習に励む姿は。
アイドルのみんなが、できないことに挑戦している姿は。
アイドルのみんなが、挑戦した結果失敗して涙を流す姿は。
果たしてみっともなかっただろうか。

……そんなわけないよね。
アイドルになって、それに気づくことができた。

できなくたって、全力で取り組む姿は輝くほどに綺麗だってことに。

ねえ、プロデューサー。
貴方は吹っ切れられた私に、ライブで弾き語りをする機会を作ってくれたりもしたよね。

その時は、演奏にも歌にもミスはあった。見る人が見れば苦笑いぐらいは浮かべたかもしれない。

でも、私は楽しかった。
楽しむことができたんだ。大好きなピアノを、大勢の大好きなファンの前で披露できたことを。
小さなコンクールでさえ演奏したくなかった私が、だよ?

本当に、嬉しかった。


*Cantabile(カンタービレ)【歌うように、表情豊かに】



できないことは恥ずかしいことじゃない。
ただ見た目に綺麗であることが全てじゃない。
こう思えるようになったのが、たぶん私がアイドルになったことで得られた最大の成長だ。

……とはいえ、やっぱりそこは女性の心。
複雑だったりもするわけで。


シングルブル。七のダブル。十七のシングル。
投じられた矢は的確にダーツボードに刺さった。

「……ねえ、プロデューサー上手すぎじゃない?」

「そうですか? まあ学生の時、友人付き合いで何度かやっていたので」

「その程度でこんなに上手くなるもの?」

「なりましたね。……松山さんは、その……なんというか、アレですね?」

「いいわよ濁さなくて、かえって傷つくから!」

ボードの下には数本の矢が散らばっている。そのほとんどが私が投げた分。

プロデューサーと二人で、繁華街のダーツバーに行った時のことだ。
ユニットを組んでいる友人に誘われ、私はたまにここに来ていた。私自身は趣味と言えるほど頻繁に入り浸っていなかったし、プロデューサーもそこまでの経験はないようだったから同程度のレベルだと思っていたのに。

「……しかし、久しぶりですけど楽しいですね」

矢を回収しつつ、彼が小さな声で呟いた。
いじけたような声で私は返事をする。子どもみたいだ。

「……それだけ上手なら楽しいわよね、それは」

「大学の時より少し腕は落ちてるんです。……でも、今は当時より……」

言い澱み、手で弄んでいたダーツに落としていた目を、彼はちらりとこちらへ向けた。

「松山さんは、楽しくありませんか?」

ばっちり合った目を逸らす。その問いは卑怯だ。

「……楽しいわよ。もちろん」

「それはよかった」

柔らかな、咲くような笑顔。
言外に込められた思いを、期待していいものかどうか。

……ああ、卑怯だなあ。本当にもう。


矢の回収を終えると、少し雉を撃ちに、とプロデューサーは席を外した。

「……はあ」

色んな思いが混じっているため息が出た。
彼の姿が完全に見えなくなってから、スローラインに立って三本立て続けにダーツを放った。……自分なりの、あまり見栄えのよくない投げ方で。

八のシングル。三のトリプル。ダブルブル。

自分で言うのもなんだが、私だって下手なわけじゃない。ただし我流に限る、という注釈をつけさせてもらえるなら。
しかし、綺麗なフォームで投げようとするとノーコンになってしまうのだ。ビギナーにありがちなことらしい。
友人たちには何度からかわれたことか。

できない自分をみっともないとは、もう思っていないけれど。

「……すみません、お待たせしました」

「ううん、大丈夫だよ。……私もう投げたから、次プロデューサーね?」

「あ、早いですね……って。ん? あれは松山さんが投げたんですか?」

「そうよ?」

「絶対嘘です」

「嘘じゃないわよ!」

できる限りは綺麗な、理想的な私を見せたいの。
……とりわけ、貴方の前では、ね。このぐらいの見栄は許してくれるでしょう?


*Parlando(パルランド)【朗読調に】



気持ちが膨れ上がっていく。
心は惹かれていく。

だけどそれを、外へ溢れさせるわけにはいかない。
私と貴方の立場が、今は許してくれないから。

貴方たちからもらったものも。
私が自分で見つけたものも。
全てが大切で、手放すなんて嫌で。

なんてワガママで強情なんだろう。
自分でだって呆れてしまうけれど、だけどそんな私が嫌じゃない。


想いが向かう二つの行く先を遠く思う。

どちらか片方だけをと割り切れたならば、どれだけ楽にいられたことか。もしそうだったなら、私は何を考えることなく日々の選択をこなせたに違いない。

でも、きっと両方があってくれたからこそ、今の生活はいつよりも楽しいんだよね。

もどかしくて、焦れったくて。
上手くいかなくて、見えなくて。
掴んだと思ったらそこにはなくて、遠くにあると思ったら案外近くにあって。
私が欲しくてたまらない二つのたからもの。

私の目に映る景色が眩いほどの輝きで満ちているのは、きっと二つともがあってこそだ。
確証なんてないけれど、私の心がそう言って止まない。


*Da Capo(ダ・カーポ)【曲頭に戻って(繰り返し)】



繰り返したい。
仕事も、私事も。貴方と一緒だった時間を。
何度だって、貴方と一緒に。
いつか別たれる日が来るまでは。

今まで生きてきた、たったの二十年。
そんな短い期間の中で、私と貴方が出会ってからの日々はさらにさらにちっぽけなもの。

だというのに、ふとしたときに胸の中に浮かんでくるのは貴方と一緒だった思い出ばかりだ。

これから先、今までの何倍もの時間をきっと私は経験するんだろう。
色んな人と出会って、様々なものを知って。
そしていつかは、年老いて目を閉じる。

……その時に想いを馳せるのも、きっと今のこの時なんだろうな。
そう確信できるぐらいに、この時間が愛しい。

貴方はどう思っているだろう。
私と過ごしてきた時間を。
これから私と過ごす時間を。

……私の、ことを。

たずねることは、できないけれど。

どうか、貴方と私の気持ちが重なっていますように。
現状の満足の上に、更にそう望むのは傲慢なことなのかもしれない。だけどそれでも、願わずにはいられないことをわかって欲しい。




頭に浮かぶ楽譜は終わりを迎え、私は指を止めた。

ごく簡単な曲目の演奏。
それなりの経験を積んだピアノ奏者ならば誰だってできるような易しいものだったけれど、それでもプロデューサーは心からの拍手を鳴らした。

「お見事でした。相変わらずのお手前ですね」

「ふふっ……ありがと。……そろそろ時間よね?」

「ええ、そうですね。行きましょう」

少しばかり心配性の彼は、開いた手帳と左腕に巻いた腕時計を見比べる。まだ余裕はあるはずだが、このあとは仕事の予定が入っていた。

立ち上がり、カバーを下ろして私が使う前の状態にピアノを戻す。

「……私の右手になってください」

少し離れた位置に立つ彼の横顔を見つめながら、聞こえないように細く小さく呟いた。
声は私の想定通りに完全には届かなかったようで、怪訝な表情をしたプロデューサーの顔がこちらを向いた。

「……何か言いましたか?」

「ううん、何も」

想い人にそう告げたのは、シューマンだったか、バッハだったか。過度なピアノの練習で右手が麻痺し、動かなくなってしまった音楽史に残る偉人。
もう大切なピアノが弾けない。心に空いてしまった穴を、貴女に埋めてほしい。そんな思いを恋する相手に打ち明けた。

素敵な言葉だ。本心から思う。

……だけど、私からはそうは伝えられない。

何も失いたくない。貴方を何かの代わりになんてしたくない。
ずっと、その頼もしい手を私の手に添えていてほしい。

だから、私が言うならばこう。
陳腐だし、ちっとも詩的じゃあないけれど。

『私の隣で、いつまでも一緒に』。

私一人の、たった二本の腕じゃ奏でられない音楽も人生も。
貴方と二人、四つの手があれば、きっと。


「……ご静聴ありがとうございました。なんて、ね」





*Fine(フィーネ)
【おしまい。】

終わりです。
アイマス関連が忙し過ぎませんかね、このところ。お金と時間がいくらあっても足りないぞ。

何はともあれ、ご覧いただいた方、まことにありがとうございました。

少し前まではこっちのトリップで書いてましたが、キーが簡単過ぎたのでちょっと怖くて変えました。

こんなのを書いてた者です。知らねーよって?
ゴメンナサイ。


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おつおつ
心が浄化された

アベッグ変奏曲か
凝ってるな

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