高垣楓「なんでもない特別な日」 (11)


 その日は朝早くに目が覚めた。

 今日の仕事は午後からで、まだ事務所も開いていない。

 いつもだったら二度寝をするところだったけれど、今日は外に出かけることにした。

 窓から見えた空が、とても綺麗だったから。


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 早朝の街は静かで、涼やかだ。

 早朝からのロケというのはあまり珍しくないけれど、ひとりで歩くのは新鮮かもしれない。

「……ふふっ」

『ひとりで歩くのは新鮮』……なんて、少し前までの自分なら絶対に思わなかった。

 自分は変わったのだろうか。自分は変われたのだろうか。

 アイドルになってから、色んなことがあった。色んな経験をさせてもらって、色んな人で出会うことができた。

 そういったすべてに変えられて、変えてもらって……今の自分がいる。

『楓さんは、変わりましたよね』

 この前、モデル時代の知り合いに会った時に、そう言われたことを思い出す。

『私、知りませんでした。楓さんって、面白い人だったんですね』

 面白い人かどうかはわからないですが……失望しましたか?

『……確かに、ちょっと、失望しちゃったかもしれません。楓さんは、ずっと、私の憧れで……テレビなんかでの扱いを見ると、ちょっと、悔しくなっちゃいます。私の楓さんをバカにするなー、とか、そんなことを、思ってしまうこともあります』

 そう言って、それから、彼女は笑った。

『でも、私が知らなかっただけで、楓さんは私と同じで――ううん、私よりも、どうしようもない人だったんですよね。そう思うと、なんだか一気に、仲良くなりたい! って思いました。……今更ですけど、よかったら、連絡先、交換しませんか? いつか、楓さんと飲みに行ったりして、もっとお話したいです!』

 彼女とは、今ではよく連絡する仲になっている。まだ一緒に飲みには行けてないけれど、時間がとれたなら、いつかきっと、と思う。


 街を歩いていると、朝早くからランニングしている人を見かける。凛ちゃんや美波ちゃんはランニングを日課にしている……と話していたような気がする。あの二人はストイックだけれど、少々頑張りすぎなところもある。そのあたりはプロデューサーがしっかり見ていると思うけれど、心配になることがないわけではない。

 また美波ちゃんを部屋に呼んでもいいかもしれない。お出かけするのもいい。そうして少しでも気を休めてくれたらいいし……単純に、私も美波ちゃんとお出かけしたりしたいから。

 朝から開いている飲み屋さんもあったりするけれど、さすがに今から飲んでしまうと仕事に支障があるかもしれないので我慢する。前に瑞樹さんや心さんと一緒に朝から飲みに行った時は楽しかったな、と思い出す。また休日が重なった時にでも行きたいところだ。志乃さんならいいお店を知っていたりするだろうか。早苗さんも知っているかもしれない。美優さんや留美さんは……知らないかな。どうだろう。また聞いてみよう。

 どれくらい歩いたのか、知らない公園に着いた。遊具もあったので、久しぶりに遊んでみる。……滑り台はダメだったけれど、ブランコには乗ることができた。久しぶりに遊ぶと楽しいもので、時間を忘れてブランコをこいでいると早朝から散歩している親子に見つかってしまった。

「おねえちゃん、ブランコこぐの、へただね!」

 幼稚園児くらいの男の子に明るい顔でそんなことを言われてしまった。お母さんからすみませんと謝られたので、「大丈夫ですよ」と返した。

 しかし、そう言われてしまっては本気を出すしかないでしょう。これでも自分は和歌山育ちだ。都会の子にはまだまだ負けない。

 そうやって私が本気でブランコをこぐと、「すごい! おねえちゃん、今の、どうやったの!?」ときらきらした目で聞かれてしまった。それからその子とブランコや鉄棒で遊んでいると、その子の友達もやってきたので、その子たちとも一緒に遊んだ。

「おねえちゃん! わたし、おうたがうたえるの!」

 ある女の子がそう言って歌った歌は、愛梨ちゃんの『アップルパイ・プリンセス』だ。少々舌っ足らずに歌われるその歌はとてもかわいらしくて、愛梨ちゃんが聞いたらきっとよろこぶだろうな、と思った。

「おねえちゃんも、なにかうたって?」

 そう言われたので、何か歌うことにした。でも、何を歌えばいいだろうか。

「それじゃあ、卯月ちゃんの曲!」

 卯月ちゃん……ということは、『S(mile)ING!』か『はにかみdays』。どちらがいいか……考えて、私は『S(mile)ING!』を歌った。子どもたちはとてもよろこんでくれたようで、「おねえちゃん、おうたうまいね!」と言われてしまった。そうなんです、実は私、アイドルなので。

 お母さん方の中には私が誰なのか気付いている様子だった人もいたけれど、そこには触れないでいてくれた。……さすがに、これを知られるとプロデューサーに怒られてしまうかもしれない。でも、その時はその時だ。


 子どもたちと別れると、ちらちらと通勤や通学に向かう人たちの姿が見えてきた。プロデューサーも、今頃こうして出社しているのだろうか。あるいは、もっと早く?

 仕事は午後からだけど……事務所に行ってもいいかもしれない。ただ、運動して汗をかいてしまったから、一度帰ってシャワーを浴びてから、だけれど。

 しかし、適当に歩いてきたからどこへ行けば帰ることができるのかわからない。地図アプリを使えばすぐなのだけれど……まだ時間はあるから、また適当に歩いていこう。

「……楓さん?」

 そうして歩いていると、制服姿の凛ちゃんに声をかけられた。あら、凛ちゃん。おはようございます。

「え? あ、おはようございます。……こんなところで、何してるの?」

 何をしているのか、と聞かれると答えに困る。散歩?

「散歩って……楓さんの家、この近くじゃなかったよね?」

 そうかもしれません。

「そうかもしれません、って……まあ、いいけど。楓さんは、午後からだっけ? なら、急がなくてもいいけど……気をつけてね?」

 心配されてしまった。でも、そんな凛ちゃんの優しさが嬉しくて、私はありがとうございます、と笑いかける。

「……本当にわかってる?」

 どうやら、笑みを違う意味で受け取られてしまったらしい。心配してくれるのは嬉しいけれど、私、実は大人なんですよ?

「……まだちょっと心配だけど、私も学校だから、もう行くよ。楓さん、本当に気をつけてね」

 はーい。そう言って私は凛ちゃんを見送り、気をつけて帰った。気分は女スパイ……なんちゃって。


 汗を流して事務所に向かう。通勤や通学に向かう人たちの姿もまばらになった、隙間の時間。この時間なら、もう事務所にもちらほらとアイドルが来ていることだろう。レッスンのために、仕事のために、あるいは今の自分みたいに。

「楓さん? 確か、仕事は午後からでしたよね?」

 事務所にはちひろさんがいた。ちょっと早く来たかったからと答えて、プロデューサーがどこにいるのか尋ねる。

「プロデューサーさんなら、今は少し出ていますね。何か用でも?」

 特に用はなかったので、待っていることにする。今日は講義がなかったのか、仕事の予定があったのか、美波ちゃんと愛梨ちゃんを見かけた。あいさつをして、愛梨ちゃんに今朝のことを話す。

 愛梨ちゃんは「そうなんですか。私も聴きたかったなぁ……」とよろこんでくれたようけれど、美波ちゃんには少し呆れられてしまった。

「でも、楓さんらしいと言えばらしいかも」

 そう? そうかもしれない。

 「……どうして、嬉しそうにしてるんですか?」

 美波ちゃんにじっと見つめられてしまった。あらこわい。

 二人は仕事の予定があったみたいで、その後すぐに出ていってしまった。これからどうしようかしら……と考えていると、ちひろさんからプロデューサーがもうすぐ帰ってくると言われた。プロデューサーとちひろさんにコーヒーを入れることにした。


「ただいま帰り――あれ? 楓さん、どうしたんですか?」

 早く来ちゃいました。そう言ってコーヒーを渡すと、プロデューサーは「ありがとうございます。でも、来ちゃいましたか」と笑い、コーヒーに口をつけた。お口に合いましたか?「はい、とても。……この時間だと、楓さん、お昼はまだですか?」

 まだだ。そう言えば、朝ごはんも食べていない。

「それじゃ、行く前に何か食べます?」

 ということで、プロデューサーとちひろさんと一緒にお昼ごはんを食べに行くことにした。ちひろさんも一緒なので、近場の店だ。

 食事を終えるとちひろさんと別れてそのまま現場へ向かう。今日の仕事はいくつかのインタビューとラジオの収録だ。

「今日はよろしくお願いします」

 そうやっていくつかのインタビューが終わると、もうあたりは暗くなっている。間にちょっとした写真の撮影もあったけれど、予定よりも時間がかかった。と言っても、それはプロデューサーの想定内のものであり、ラジオの収録には十分間に合う。

 毎週録っているこのラジオでは、色んなことを話させてもらっている。ゲストに同じ事務所のアイドルを呼ぶこともあるが、基本的にはひとりで話す。昔は話すことがあまりうまくなかったと思うのだけれど、少しはうまくなっただろうか。リスナーやファンに楽しんでもらえていたならば何よりだ。

 番組に送られてきたメールを読んで、答えたり、話を広げたり、無軌道に色々なことを話していく。今朝あったことも話しちゃったりして、なんだか楽しくなってしまう。

「……歌ったんですか」

 あ、そう言えばプロデューサーもいたんだった。すっかり忘れて話してしまった。

 案の定プロデューサーには色々と注意を受けたけれど、最後には「でも、楓さんがそうするべきだと思ったならば、なんだってして下さい。それをフォローするのが、プロデューサーの仕事ですから」と言ってくれた。……そんなに、甘えさせないで下さい。「それ、そんな顔で言っても意味ないですよ」……プロデューサー、少し、意地悪です。「かもしれませんね」

 事務所に帰ると、瑞樹さんや美優さんたちがいた。ちひろさんも仕事が終わるところだったので、一緒に軽く飲みに行くことが決まった。毎日毎日こうやって飲みに行っているわけではないけれど、予定が合えば一緒に行くことは多い。みんなでお酒を飲んだり食事をしたりするのは本当に楽しくて、すぐに時間が過ぎてしまう。今日もとっても楽しかった。


 食事を終えると、あとは部屋に帰るだけだ。みんなと別れた帰り道、ふと空を見上げると、月がとても綺麗に見えた。そう言えば、空が綺麗だったから、今日は朝早くから出ていたんだった。思い出すと、急に眠くなってくる。家に帰ったら、すぐにお風呂に入って寝ようと決める。

 お風呂に入って、ゆっくりと身体を伸ばす。また温泉に行きたいな、仕事でもいいけれど、仕事以外でも……そんなことを思いながら、ふぅと息を吐き出して、今日一日のことを思い出す。

 ……今日も、楽しかった。とても、とても素敵な一日だった。

 何かイベントがあったわけじゃないし、いつも通りの一日だった。なんでもない一日だった。

 でも、この一日は、とても特別で……とても幸せだと感じる。

 ……願わくは、このなんでもない特別な日が、明日も明後日も続きますように。

 いつものように、そう思った。



終わりです。ありがとうございました。

良い一日だった。楓さんと一緒にブランコ漕ぎたい

おっつおっつ
誕生日おめでとう

アイドルマスターシリーズを汚すのが大好きな八幡豚達


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