安斎都「ドレスが似合う女」 (70)

 世界で一番ドレスが似合う女(ひと)が死んだ。死因は大量の睡眠薬を、大量のお酒で服用したこと。事故とも自殺ともつかない死に方だったから、アイドル達の間では様々な噂が飛びかっていた。
 トップアイドルとしての重責に耐えられなくなった。大酒飲みだったから、健康上の問題を抱えていた。痴情のもつれ、果てには他殺説まで、とにかく色々。
 この件で一番ショックを受けていたのは、高垣さんのプロデューサーだった。なにせ、彼女の遺体を発見したのは、ほかならぬ彼自身だったのだ。
 そのプロデューサーは女性のように華奢で小柄な人で、その見た目通りと言うべきか、繊細で傷つきやすい。この前も、他の担当アイドルに慰めてもらっていた。


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 快活という言葉が服を着て歩いているような女の子、未央ちゃんが言った。彼女に一生懸命慰めてもらえるなんて、幸せ者…とも言えないか。
「いや、俺のせいなんだ。トップアイドルになったからって、目を離すべきじゃなかったんだ」
 彼は高垣さんが総選挙で2位になった後、新人の育成のために担当を外れることになっていた。その件で高垣さんは事務所のえらい人に直談判したり、プロデューサーと口論になることもあったらしい。
「あっ、そう言えばプロデューサー、スーツ買い換えた?
 前のも英国紳士みたいでかっこよかったけど、今のは若々しく見えるね! 
 よく似合ってるよ!」
 未央ちゃんは露骨に方向転換を図った。でも、それはとどめの一撃だった。

 私は事務所に入ったばかりで、高垣さんと話したことは2、3度くらいしかない。けれど、彼女はシンデレラガールに選ばれるべきアイドルだったと思う。順位が安定して高いとか、そういうことじゃなくて、とにかく、誰が見ても素敵な女性(ひと)だった。キャリアは長いけど、それで私達後輩に威張ったりすることはないし、むしろ温かい目で見守ってくれていたと思う。大人としての落ち着きがある一方で、子どもらしい無邪気さもあって、親しみやすい女性だった。
 そんな女性を最初から一番近くで見続けて、その最期も見てしまうなんて、彼じゃなくてもつらいだろう。

「高垣さんのプロデューサー、つらいでしょうね」
 私は、助手兼私のプロデューサーさんに話しかけた。事務所の中では珍しい常識人なのに、担当アイドルはみんな変わり者という苦労人だ。私を除いて。
「だろうな。今はそっとしておくしかない。下手に刺激して、奴まで高垣さんの後を追ったら困る」
 私の助手は目の下を揉みながら答えた。大きなクマができている。高垣さんの死から2週間たったけど、事務所は今も対応に追われている。2年先まで詰まっていた彼女のスケジュールの処理、蟻のようにむらがってくる取材、ファンからの抗議、そして遺族への謝罪。プロデューサーさんも、あちこちに頭を下げたり、記者にもみくちゃにされたりしている。

oh……

「高垣さんは、どうして亡くなったんでしょうね?」
「さあ、わからん。俺たちが何か思いついたところで、お外でやってるゴシップ報道と大差あるまい」
 プロデューサーさんは不機嫌そうに言った。事務所が詳しい経緯を明かさないのをいいことに、メディアは好き勝手な情報を流している。それこそ、高垣楓というアイドルをおもちゃにするみたいに。
「プロデューサーさんは、私が死んだら悲しいですか?」
 なんの気無しに、本当になんの気持ちのなしに、そう尋ねてみた。口に出したあと、しまったなあという気がした。
 プロデューサーさんは、どうかな、と即座に返した。少しがっかりした。しかし、彼は
「俺は、都が勝手に死なないように努力するさ。お前は時々危なっかしいこともするし」
と、付け加えてくれた。
 やっぱり、プロデューサーさんは私の助手にふさわしい人だ。
「そうですか…それじゃあ、今回もよろしくお願いします」
「はぁ?」

 私達は、高垣さんの部屋の前まで来ていた。高垣さんは、大金持ちと言ってさしつかえないお給料をもらっていたけれど、346プロの寮に住みつづけていた。
 彼女ほどのトップアイドルだと、一人暮らしはかえって危険なのかもしれない。いや、酔い潰れたとき、同じ寮の人に送ってもらうためだったのかな。
 ドアノブを回すと、やはりというか、鍵がかかっている。そこで私は、安全ピンを二本鍵穴につっこんで、上下左右にうごかしてみた。
「まずいって、都!」
「まずいのはわかっています! でも、“軽犯罪は調査の基本だよ、ワトソン君”。モルヒネを打つよりは可愛いでしょう?」
 それに、これで開くなら防犯の方に問題がある。そう思いながら適当にやっていると、チャッ、っという音がして、なんと開いてしまった。このようなドアに安全を任せていたのだと思うと、正直ぞっとする。
「プロデューサーは見張っててください」
「バレたら解雇…バレたら解雇…」
 頼りないワトソン君だ。


 部屋に入ると、中は廊下よりもひんやりしている。検死室や病院の安置所など、死体のあるところは、周囲よりも温度が下がる。幽霊が室内の熱エネルギーを消費しているのだ。
 そんなエセ心霊科学の話を思い出しながら、私は身震いした。高垣さんの幽霊がここにいるなら、真実を聞いてみたいところだけど。
 実際は、この部屋に空調が入っていないせいだろう。きっとそうだ…そうなのだ。私は腕をさすりながら、部屋を見渡した。
 普通の寮部屋と大概おなじだった。ベッドと、その近くに引き出しのついた机。キッチンはない。栄養管理と、アイドルが調理で怪我をしないようにするためかな。トップアイドルでも、壁一面に金箔が貼ってあったりとか、大理石の柱が数本立っている、ということはないらしい。
 ベッドに近づいてみると、シーツだけは真新しいものに見えた。たぶん、高垣さんはここに横たわっていたのだろう。近くで匂いをかぐと、ほんのり甘いシトラスの香りがする。高垣さんが見ているとしたら、少し引くだろうなぁ。我ながらそう思った。

 気をとりなおして、ベッドの下を覗きこんだ。犯人の手がかりがあるかもしれない、なんて。
 探偵の7つ道具ペンライトで照らすと、うっすら埃が積もっている。どっさりでないのは、こまめに掃除していたからだろうか。
 ライトを左右に動かすと、チカっと光に反射するものがあった。
「おやおやおや~?」
 そこには、ボタンが1つ落ちていた。拾い上げると、糸がまとわり付いていることに気づいた。まるで、服からちぎられたようだ。…事件の香りがする、なーんて。
 今度は机を、虫眼鏡で観察してみた。すると、赤い点と水シミが、ぽつぽつ散っているのに気づいた。一見したらわからないから、拭き取られなかったのだろうか。
 観察を続けると、三日月型のシミがあった。なにかの上に、雫が落ちたのだろう。小さくて、なにか丸いもの。大きさはちょうど一円玉くらい。
 わたしは、拾ったボタンを机のシミに重ねてみた。そこには、ぴったりとベン図ができていた。

 胸がどきどきする。調査を続ければ、もっと何かわかるかも。もっと部屋を探れば。
 その時、部屋の冷気が私の熱を一気に下げた。私は、何をしているんだろう。事務所の閉塞感が耐えきれなくて、とんでもないことをしてしまった。短い間とはいえ、高垣さんにはお世話になったのに。全然暑くないはずだけれど、背中には冷たい汗がしたたった。
 これ以上の調査はまずい。罪悪感か、他のアイドルに見られるのをはばかるのか、私は部屋を出た。ボタンを、そっと懐に忍ばせて。
「おまたせしました」
「お待たせされました…まったく心臓に悪い」
 プロデューサーさんも、冷や汗を浮かべながら周りを警戒していた。私は、プロデューサーさんの手を握りながら、部屋の前から立ち去った。2人の手はお互いの汗でぐっちょりしていたけれど、私は寮の外に出るまで、決してプロデューサーさんを離さなかった。

 それからしばらくは、おとなしくレッスンをしたり、探偵ドラマや推理小説をざっと見たりしていた。高垣さんの部屋のことを気になってはいたけれど、自己嫌悪の方が勝って、深く考える気にならない。
 警察が、高垣さんの死を自殺だと判断している。真実はすでに明らかになっている。現実世界の警察は、16の小娘よりもはるかに優秀なのだ。それに、新人アイドルは他人のことより、自分のことを心配するべき。そう自分に言い聞かせた。
 事務所の中では、まだ高垣さんを悼む声が止まない。それが私のことを責めているように感じて、やるせない気持ちになる。

「事務所ん空気の苦しか…」
「せやね…楓さんが、それだけすごい人だったってことや!」
 鈴帆さんと笑美さんが、社内のカフェで話していた。プロデューサーさんの担当アイドルの中でも、かなり明るい女の子達だけど、やはり高垣さんのことで落ち込んでいる。
「こんにちは。ご一緒してもいいですか?」
「都しゃん」
「こんちゃ、都ちゃん!」
 2人は、かなり無理をして笑顔を作ってくれた。私はそれに感謝して、席についた。
「お2人は、高垣さんと何度か話したことがあるんですか」
 彼女たちの笑顔をふいにするように尋ねた。私も、彼女達と同じくらい深い悲しみを共有したかったから。
「ぎょうさんあるで! 楓さんは先輩後輩気にせんで、話しかけてくれるし。時間あるときは、一緒にお笑い見に行ったりすることもあったわ。もうずっと、前のことやけどな!」
 笑美さんは、私の心が痛くなる笑顔で言った。私は、申し訳ない気持ちで苦しくなった。
「私はこの前、縫製を教えていげたちゃ!」
「縫製を?」
 縫い物のことだろうか。たしかに鈴帆さんは、自分で着ぐるみを作るほどの腕前があるから、教えてもらうには申し分ないだろう。
「衣装を自分で作ってみたい、って言っとったばい! 
 ……あげな人が、どうして」
 そこで話は途切れて、重々しい空気が広がった。2人が明るく振る舞っていたのは、2人の悲しみが他の人に比べて軽かったわけじゃないのだと、私は実感した。高垣さんは、決して周りをかなしませるような人じゃなかった。だから、2人は無理をしてでも笑っていたのだろう。亡くなった高垣さんが、あの世で苦しまないように。
 2人の想いに共感する一方で、私は自分でも恐ろしいほど冷静に、あの部屋のことを思い出していた。

 あの部屋にはミシンがなかった。衣装を自作するつもりなら、なにかしらの道具が部屋にあってもよいはずだ。寮は完全防音だから、騒音を気にする必要もない。楽器を持ち込むアイドルだって少なくないくらいだ。もしかすると、裁縫セットが引き出しにあったかもしれないが、1つの衣装を作るには役不足だ。高垣さんが本気でドレスを自作するつもりだったら、ミシンを購入していたと考える方が自然だろう。
 そして、なぜあのボタンが部屋にあったのだろう?
 縫い物をしているなら、ボタンをつけることもある。しかし、糸の切れ方は縫い物の途中で出来るものではなさそうだった。思いっきり引きちぎったように、糸が固まって乱れていた。仮に縫い物の最中に高垣さんが、ボタンを誤ってちぎったとして、それをベッドの下に放っておくだろうか。床をこまめに掃除していたならば、ベッドの下のボタンに気がつく。
 縫い物でなければ、どこかに引っかけて自分の服から落とした可能性がある。だけどその場合も、掃除熱心な高垣さんはボタンを発見するだろう。
 ひょっとすると、あのボタンは高垣さんが亡くなった夜に落ちたのではないだろうか。私の探偵魂は、私の心に雄弁に語りかけた。それは、私の良心を蝕みつつあった。


 事務所を裏口からそっと出ると、外に人だかりができていた。記者の人たちだろう。
 私は顔を伏せながら横を通りすぎたが、誰にも声をかけられなかった。喜ぶべきか、かなしむべきか…。
 足早に去ろうとすると、人だかりを遠目に眺めているおじさんがいた。なぜか小脇に日本酒の瓶を抱えている。そっと近くに行くと、少し腰が曲がっていることに気づいた。そして、日本酒を抱えている手にたこができいた。
「あの!」
 私が話しかけると、おじさんはびっくりしたのか、よろめいた。瓶を落としそうになったので、私は慌てて支えた。手をよく見ると、指の一部が斜めに削げていた。
「おじさん、ひょっとして高垣さんの知り合いですか。行きつけの居酒屋の店主さんだったりとか」
 私が尋ねると。おじさんはまたびっくりしたようだった。
「どうして分かったんだい?」
「おじさんの立ち方と指、そしてそのお酒です!」
 私は得意になって、推理を披露した。
「長時間立ち続けると、人は腰を悪くします。なので、おじさんは立ち仕事をしている人だとわかりました!
 次に、ものを長時間握り続けるとたこができます。おじさんは、親指と人差し指の間、水かきの部分に大きなたこができていますよね? だから、握っているものは小さなものではなく、五本の指で握るものだとわかりました!」
 おじさんは、興味深そうに話を聞いてくれた。私はそれが嬉しくて、口が止まらなかった。
「その指の削れ方は、テレビで見た板前さんとそっくりでした! 包丁を長年研ぎ続けると、指が斜めに削れてくるんですよね?
 そして、極めつけはその日本酒です! 高垣さんは、東京のいろんな居酒屋でお酒を飲んでいました。だから、ボトルキープでしたっけ? それで、いろんな場所にお酒を残していったんだと想像できます!」
 私の説明に対しておじさんは微笑んだ後、反論をした。自分が高垣さんの知り合いだと認めた上で。
「いや、それだけでは、私が高垣さんの知り合いだとは決まらないでしょう。高垣さんの1ファンで、彼女の事務所に献花、いや献酒をしにきただけかもしれない」
 たしかに、おじさんの指摘は正しい。私は、日本酒の中身を指差して、最後の推理を語った。
「いえ、それはありえません! なぜなら、その瓶の中は三割ほど減っていて、開封されているからです! けんしゅ、するなら未開封のものを持ってきますよね?
 それにおじさんはご自身の手で、お酒を事務所に運んできました! ただのファンは事務所宛に郵送することを選ぶはずです!
 おじさんがそうしなかったのは、ご自身の手で高垣さんのお酒を渡したかった……そうですよね?」
 自分の推理を明かすのは、初めてコンサートの舞台に立ったときよりも、ずっと気持ちがよかった。
「恐れ入りました。あなたの言う通り、私がここにきたのは、高垣さんのお酒を届けるためです」
 おじさんは、笑った。鈴帆ちゃんや、笑美ちゃんと同じ笑顔だった。
「彼女は駆け出しの頃から、そして有名になった後も、私の店に足繁く通ってくれました。他のアイドルや、プロデューサーの方とご一緒に。
 高垣さんはお酒をとても美味しそうに飲む方で、私はそれが嬉しかった…。一杯一杯を大切に飲めるお客は、そうはいません。最近の人は何かを忘れるため、何かから逃げるためだけに、お酒を飲んでばかりで…」
 おじさんは、ひどく悲しそうな顔を浮かべながら、瓶を私に差し出した。
「あなたは高垣さんと同じアイドルのようですね…これを仏前に供えていただけたら、幸いです」
「えっと…私は通りがかりの一般人かもしれないんですよ?」
 私は瓶を受け取りながらも、おじさんに言った。
「一生懸命だったあなたを信じます。推理は…私にはむずかしい」
 おじさんはまた寂しそうに笑って、立ち去った。残された私も、寂しい気持ちになった。
 私は事実を観察して、推理して、ようやくそれを事実だと認めることができる。つまり、信じる、ということを二の次にしている。それは、とても寂しいことだろう。

 瓶には『くどき上手』、というラベルが貼られていた。調べて見ると、その名前には「すべての人の心を、溶かすように魅了する」、という意味が込められているそうだ。
 ほんとうに、高垣さんらしいお酒だと思った。

 瓶には『くどき上手』、というラベルが貼られていた。調べて見ると、その名前には「すべての人の心を、溶かすように魅了する」、という意味が込められているそうだ。
 ほんとうに、高垣さんらしいお酒だと思った。

 翌日、私はある人を探していた。受け取ったお酒は事務所のスタッフではなく、高垣さんと交友のあるアイドルに託す必要がある。なにせ、私は高垣さんの仏前がどこにあるのか全く知らない。高垣さんと交友があり、なおかつ私が会える人間は、あいさん1人だった。
 私があいさんに出会ったのは、事務所に初めて入ったときのことだ。右も左もわからず、建物の中で迷っていた私を、あいさんが助けてくれた。
「どうしたんだい? 小さなホームズくん」
 以前からあいさんの評判を聞いていたけれど、直接会って実感した。私の手を引いてくれたあいさんは、日本中の女性が夢中になるのもしょうがないくらい、かっこよくて、温かかった。
 それから何度かレッスンで会ったり、一緒に昼食をとることもあった。探偵ドラマや推理小説について話すこともあった。私が一方的に話して、あいさんが優しく頷いてくれるだけだったけど、私は嬉しかった。
 何か悩みごとがあると、すぐにあいさんに相談した。あいさんは、
「私の可愛いホームズに乗り越えられない困難はないさ」
と言って、いつも励ましてくれた。
 私にとって、あいさんはプロデューサーと同じくらい頼りになる存在だった。ちがいは、女性の問題はあいさんの領分ということくらい。
 ようやく見つけたあいさんは、高垣さんのプロデューサーを励ましていた。
「そろそろ立ち直ったらどうだい。今の君の姿を見たら、楓くんが悲しむぞ」
「駄目だよ…。俺のせいで楓が死んだのに、平気な顔で生きてくなんて、できないよ…」
 彼は、前にも増してやつれているように見えた。きっと、ここ数週間十分に眠っていないのだろう。
「君のせいではないよ、プロデューサーくん。あれは悲しい事故だったんだ。
 今の私達が彼女のためにやるべきことは、前を向いて歩き出すことさ。君はもう、十分に泣いたじゃないか。楓くんのために」
 あいさんは必死だった。でも、高垣さんのプロデューサーは話を聞いているのかどうかもわからないほど、虚ろな目をしてあいさんを見ていた。
「俺がやるべきこと…?」
「そう。君がやるべきことは、しっかり食事をとり、よく眠ることさ。そして時々、彼女のことを思い出してあげればいい。
 まずは食事だね。よかったら、今度一緒にディナーでも…」
「俺は、まだ楓のために悲しみ尽くしてない」
 高垣さんのプロデューサーは、そう言ってあいさんの前から立ち去った。その時のあいさんの表情は、ひどく弱々しかった。私は、見てはいけないものを見たような気がした。

 私はそっと姿を消そうとしたが、その前にあいさんに気づかれてしまった。
「おや、都くんじゃないか…ひょっとして見ていたのかい?」
「いいえ、私はあいさん以外なにも見えません」
 あいさんも、みんなと同じ笑い方をしているのが悲しくて、私は咄嗟にそんなことを言った。自分らしくない、キザなセリフだ。
「都くんは……いや、私になにか用かい?」
 あいさんは何かを言いかけて、やめた。それが気になったけど、深入りせず、託されたお酒について話した。
「なるほど、ボトルキープね…楓くんらしいな」
 あいさんは、こめかみに指をあてて目を閉じた。何か考えているときの仕草。
 少し風が吹いて、あいさんの綺麗なまつげがふわふわと揺れた。
「川島さんが彼女の遺品を整理している。彼女に渡すのが一番いいだろう。
 ご実家にある仏前まで直接行くのは、私たちの身分では難しいからな」
 高垣さんのご両親の顔を、私はうまく想像できない。
 高垣さんには、人間から生まれてきたとは信じられないくらい、天から舞い降りたような、「純真・無垢」というイメージがあった。だからみんな、彼女の死に深く動揺している。
 ともすれば、人間としての高垣さんの死を悲しんであげられるのは、彼女のご両親だけかもしれない。私は、そんなふうに考えた。
「それじゃあ仕事が終わったら、川端さんの家までドライブと行こうじゃないか」
「私が…」
 私が行ってもいいのだろうか。あの部屋での出来事を考えると、これ以上高垣さんについて、立ち入るべきでないような気がした。
 でもあいさんは優しく微笑んで、私を諭してくれた。
「それを君に託した人は、君を信じていたのだろう?
 私がここで受け取るのは筋じゃないさ」
 私を信じてくれた人。あのおじさんの顔を思い出して、私は決心した。

川島さんが川端さんになっているじゃないか・・・・

お、康成ィ!

 川島さんは郊外に邸宅を構えていた。ご立派ですね、と言うと、
「売れ続けないと維持できないわ」
 と笑った。私にとって久しぶりの、ただの笑顔だった。
 リビングに入ると、部屋は様々な酒瓶で埋め尽くされており、足の踏み場もないほどだった。
「大変なことになっているね…」
「酒と酒、それから酒…わかっていたことだけどね」
 川島さんによれば、高垣さんの友人から引っ切りなしにお酒が届けられるそうだ。それらをすべてお供えするとしたら、高垣さんの仏壇のために一軒家が建ちそうなものである。
「これだけあると、楓くんも驚くだろうな」
 あいさんは苦笑した。来世までかかっても飲み干せそうにない量のお酒に、あの世の高垣さんは何を思うのだろうか。
「いやあ、喜ぶんじゃないかしら。もう、量に気をつける必要はないんだし」
「生前気をつけていた様には見えなかったがね…」
「そんなことないわよ〜。2ヶ月くらい前かな、急にお酒やめるって言い出したし」
「楓くんがお酒を!?」
 高垣さんがお酒を!? 私は、あいさんと一緒にびっくりしてしまった。
「理由は教えてくれなかったけど、なーんか悩んでたみたいね。ま、芸能人にお酒の醜聞はつきものだから、気をつけようと思ったんじゃないかしら。この前の総選挙の時からよ。
 彼女なりに、何か変わろうとしていたのかしら…」
 高垣さんほどのトップアイドルでも、自分を変えたいと思うようなことがあるのだろうか。
「同じ時期に、香水もつけなくなったし」
 香水。私はあの部屋のシーツの香りを思い出した。
「香水って、甘いシトラスの香りですか」
 私はとっさに尋ねた。そして強い自己嫌悪に襲われた。私は、高垣さんの死を推理ゲームの課題にしている。冒涜的だ。
 でも、聞かずにはいられなかった。
「シトラス? あの子が使ってたのはラベンダーの香水だけど…。
 ああでも、あの子のPくんはシトラス系の香水を使ってたから、香りが移ることもあったんじゃないかしら」


 あいさんと別れたあと、私はすぐさま都内の香水専門店に向かった。私の推理思考、いや、推理嗜好はもう止まれなかった。冒涜的でもいい、最低だっていい。真実が知りたい!
 あのシーツに残された香りは、たしかにシトラスの香りだった。そして、高垣さんのプロデューサーはシトラスの香水を使っていたという。 
 シーツに香りが残る。その意味を想像すると、顔が熱くなった。
 しかしシトラスの香水は、お店にあるだけでも何百種類もあり、あの香りが高垣さんのプロデューサーのものだとは断定できない。私の嗅覚も、真実を探り当てられるほど正確ではない。現に、香りの嗅ぎすぎで、テスターの前で頭痛を覚えているくらいだ。
 どうしたものか、と悩んでいると、店員さんが訝しげな声で私に尋ねた。
「何かお探しですか」
 16の娘が自分の収入に見合わない店に入り、買えるはずもない香水の前で悩んでいたら、たしかに怪しむかもしれない。
「シャーロック・ホームズの香水なら、もう生産が終了しておりますが…」
 そういえば、カナダの会社がホームズにちなんだ香水を作っていたっけ。そんなことを思い浮かべながら、私は自分の服装を見直してみた。東京の街でも目立つのかな、この格好。
「男性用の香水を探しているのですが、甘いシトラス系の…」
 私は正直に店員さんに聞いてみた。これだけざっくりしていたら、とても正解にたどりつけそうにないけれど。
「ええ…」
 店員さんは困ったような顔をしながら、裏に引っ込んでしまった。しょうがない、何を持ってこられても、購入することにしよう。私の小遣いプラス薄給で足りる……よね?
 店員さんはエメラルドのように輝くガラス瓶を持ってきた。私は、あっと声を出しそうになった。
「当店…いや、私としてはこれを一番におすすめします」
 それは数年前、高垣さんがキャンペーンガールになった香水だった。
「店頭からは撤去するように指示されているのですが…。
 これは、和歌山県産の柑橘類のエキスを数種類ブレンドして作った、特別な香水です。シトラス系は主張が強いとされていますが、この香水の香りは穏やかで、使用者をそっと包みこんでくれます。他の存在を押しのけず、けれど効果がなくなれば、すぐに違いがわかる…そんな香水です」
 店員さんは、そっと顔を伏せた。この人も、高垣さんのファンだったのだろう。
「この前も、ある芸能事務所の方が買いに来られたんですよ。この香水が発売されたときから愛用している方で…、彼女が亡くなった後も…」
「ひょっとして、346プロダクション?」
 これで当たりなら、あまりにできすぎている。ノックスとヴァン・ダインが鼻で笑うだろう。まあ、彼らも自分でルールを破ったりしているけれど。
「ええっと…」
 店員さんは、困ったように笑った。プライバシー保護のために、明言はできないのだろうか。
「それをください。宛名は346プロダクションで」

 私は生前の高垣さんについて、それとなしに尋ねて回るようになった。みんな、怪しみもせずよく話してくれた。
 一番気にかかったのは、高垣さんが、担当の問題に関わらずプロデューサーとよく口論になっていたこと。内容は、『プロデューサーの香水の匂いがきつい』、『長時間の仕事はしたくない』、『歩いていける距離でも車で送ってほしい』など、高垣さんがプロデューサーに文句を言っているようなものだった。
 しかし、それが高垣さんの死に直結するようなことだとは思えない。
 仮に一件がプロデューサーによる他殺だったとして、動機になるほどのストレスを彼女から受けていたとは考えにくい。プロデューサーは346プロダクションに入社して、既に十年ちかく経っている。高垣さん以外にも担当する、あるいは担当したアイドルも数多くおり、ひどいワガママをいうアイドルは山ほどいただろう。
 自殺にしても、まだ押しが弱いという印象がある。トップアイドルの重責と言っても、彼女はモデルを経てアイドルになった、比較的経歴の長い女性だ。それなり下積み時代もあり、不愉快な思いをすることも多かっただろう。アイドルは皆そうだが、高垣さんの場合は特に、人並みはずれてストレスに強かったと考えられる。多少自分の思い通りにならなかったと言って、死ぬことはないはずだ。

 他殺、あるいは自殺を引き起こすような強い衝撃。私は、あのちぎれたボタンを連想した。ボタンの太い縫い糸をちぎるような強い力。それを引き起こす感情。
 ボタンの正体をつかめば、何かわかるだろうか。とはいえ、車内に探偵好きメガネ好きのアイドルはいても、ボタンオタクのアイドルはいない。社外にも、ボタンだけで何かがわかるような人はいないだろう。
 考え込んでいると、私は人にぶつかってしまった。
「あっ、ごめんなさい!」
 相手は飛ぶ鳥落とす勢いの高校生アイドル、渋谷凛だった。嫌われでもしたらまずい、とすぐに謝ったが、彼女は特に気にしていなかった。
「アンタは……都か」
 お互いに面識はなかったが、渋谷さんはいたって普通に私の名前を呼んでくれた。そしてな、彼女はぶかぶかのジャケットを羽織っていた。
「えーと、そのジャケットは…」
「Pのだよ。これを着ていると、安心するんだ」
「……」 
渋谷さんは、さも当然のように自分のプロデューサーへの好意を垂れ流していた。私は驚きもしなかった。社内の人間であれば、誰しもが知っていることだった…彼女のプロデューサーを除いて。
「えーと、好きな人のもの、同じものを身につけていると、心が安らぎますよね!
 いつでも一緒にいるような気持ちになれて!」
 私は、敬愛するホームズのことを思い浮かべながら言った。だけど渋谷さんは頷くのではなく、大きく動揺した。
「わわ、私はPのことなんかっ、ぜっ、全然好きじゃないんだけど!」
「いまさら!?」

 渋谷さんの反応に衝撃を覚えつつ、私は彼女のジャケットを観察した。一般的な紺色のスーツのジャケット。ただ、着古しているのか、ボタンが外れかかっているような箇所がある。
「渋谷さんのプロデューサーは、そのジャケットを愛用されているんですね」
「ん、そうだね。あんまり物持ちのいい方じゃないらしいから、スーツはこれと二着しかないって言ってたよ」
 渋谷さんが着ていたらまずいのでは、という言葉を飲み込んで、ジャケットをまじまじと見た。あのボタンは、スーツのジャケットのものかもしれない。
 ボタンの大きさからするに、シャツではなく、コートかジャケット類のボタンだということは想像できる。そして、今の季節は春。肌寒いといっても、社内や寮内ではコートを脱ぐだろう。
「そんなに見てもあげないよ?」
「いらないです…」

 
 高垣さんの調査を始めてから二週間後、私は華々しいドラマデビューをした。役名は「女子高生C」。ヒロインを演じる片桐さんの後ろを、3秒かけて通りすぎる重要な役だ…うん。
 欲を言えば探偵の役をやりたかったけれど、事務所も、世間も“16歳”の方に価値を置いている。
 私は撮影後の昼食中に、片桐さんにそんな相談をした。
「若さは使えるうちが華よ?」
 片桐さんは、何の嫌味もなくそう言ってくれた。片桐さんとは、この仕事で初めて顔を合わせたのだけれど、フレンドリーに接してくれる。真昼間から、ビールをジョッキで飲みながら。
 今日の仕事が終わったとはいえ、片桐さんの飲み方は少し異常だった。
「お酒、好きなんですね…」
「うん。あの子ほどじゃないけど」
 あの子…幽霊、酒好き。そんな連想ゲームをするまでもなく、高垣さんのことだとわかった。片桐さんも、高垣さんと交友があった人物の1人だったから。

「高垣さんも、こうやってお昼から飲んでいたんですか?」
「ううん。隙を見せたら、朝からでも。私か瑞樹さんがいっつも止めてたんだけどねー、私が止められる方になっちゃった! あははは!」
 片桐さんは陽気に笑う。無理をしていることは、すぐにわかった。誰かが、彼女を止めるなり、慰めるなり、何かしなくてはいけない。
 でも、私がやったのは情報を引き出すことだった。
「高垣さんは、結構無茶な飲み方をする人だったんですか?」
「いーや、あの子ザルだから、無茶って感じはしなかったわ〜。ただ、ヒックっ、酔っ払ってくると人に勧めるのよね。あの子基準で勧められると、結構きつかったわ〜、特にP君なんか、いつもベロベロになるまで飲まされて……。
 なんて言ったかな、あのお酒……えーと、くど、」
「くどき上手」
「そーお、それぇ。それも推理ってやつ? まるで……おっと裕子ちゃんのキャラが危ない、あははは!」」
 片桐さんは、馬鹿笑いした。いままで見たアイドルの中で、一番痛々しく笑っていた。
「くどきじょうず、なんて、あの子にしては面白い冗談よね〜。たしかに、私たちみーんなP君に口説かれて、アイドルやってるようなもんだしぃ。誰にでもやさしくしちゃってぇ……あれで楓ちゃんに本気だったなんて、信じない」
 片桐さんは最後だけ、ひどく冷たい声で言った。

 プロデューサーとアイドル。シトラスの香水、ボタン、ジャケット、口論。レッスンも仕事もない休日、公園でハッカのパイプを吹かしながら、私は物思いにふけっていた。
 いままでの情報をまとめると、高垣さんのプロデューサーが彼女の死の直前に部屋にいた可能性がある。しかし、それでもやはり他殺にこじつけるのは無理があった。
 たとえば高垣さんをベッドに寝そべらせた状態で、無理やり睡眠薬と大量のお酒を飲ませれば、必ず身体のどこかにあざや、擦り傷などがつくだろう。警察としても、それを見逃すはずはない。あのボタンが部屋に残っているくらいだから、死体から自殺であったことは明らかなのだろう。
 そうなると、この一件は自殺とみて間違いない……ただ、自殺に至る経緯だけが分からない。高垣さんの死の理由がわからないかぎり、彼女を愛した他のアイドルも、ファンも、立ち直ることができない。私は自分の好奇心に、そういう大義を見つけ、調査を続行することに決めた。
 ただ、なんとも言葉にできない違和感を感じる。情報の収集が、なにかおかしい。
「おい、お嬢ちゃん」
 顔を上げると、薄汚れたしたおじさんがいた。ホームレスだろう、と思って足早に通り過ぎようとしたが、彼の服装が気にかかった。スーツのジャケットをバラバラに切り裂いて、またつなぎ直したような、そんなへんてこな格好だった。
 私がその場に固まっていると、おじさんは、たばこくれ、と言った。私はパイプを渡した。
「へへっ、ありがてえや」
「いいんですよ!」
 たったいま買い換える予定ができたので、とは言わなかった。


 プロデューサーとアイドル。シトラスの香水、ボタン、ジャケット、口論。レッスンも仕事もない休日、公園でハッカのパイプを吹かしながら、私は物思いにふけっていた。
 いままでの情報をまとめると、高垣さんのプロデューサーが彼女の死の直前に部屋にいた可能性がある。しかし、それでもやはり他殺にこじつけるのは無理があった。
 たとえば高垣さんをベッドに寝そべらせた状態で、無理やり睡眠薬と大量のお酒を飲ませれば、必ず身体のどこかにあざや、擦り傷などがつくだろう。警察としても、それを見逃すはずはない。あのボタンが部屋に残っているくらいだから、死体から自殺であったことは明らかなのだろう。
 そうなると、この一件は自殺とみて間違いない……ただ、自殺に至る経緯だけが分からない。高垣さんの死の理由がわからないかぎり、彼女を愛した他のアイドルも、ファンも、立ち直ることができない。私は自分の好奇心に、そういう大義を見つけ、調査を続行することに決めた。
 ただ、なんとも言葉にできない違和感を感じる。情報の収集が、なにかおかしい。
「おい、お嬢ちゃん」
 顔を上げると、薄汚れたしたおじさんがいた。ホームレスだろう、と思って、どこかに行こうとしたけれど、彼の服装が気にかかった。スーツのジャケットをバラバラに切り裂いて、またつなぎ直したような、そんなへんてこな格好だった。
 私がその場に固まっていると、おじさんは、たばこくれ、と言った。私はパイプを渡した。
「へへっ、ありがてえや」
「いいんですよ!」
 たったいま買い換える予定ができたので、とは言わなかった。
「ふぅ〜生き返る生き返る……ってハッカじゃねえか!」
 笑美ちゃんを呼びたくなるノリツッコミを見せてくれたあと、おじさんは私の横に座った。この場を離れたくなるほどの異臭がしたが、私は我慢した。違和感の正体がつかめそうだったから。
「お嬢ちゃん、あれかい。探偵ってやつかい」
「そうです…いや、今は探偵アイドルです!」
 そう言うとおじさんは、346かい、と私に尋ねた。
「どうして分かったんですか!? おじさんも探偵ですか!?」
 ホームレス探偵…! 私は、先ほどのまでの印象を撤回して、おじさんに尊敬の眼差しを向けた。しかし、おじさんは冷たく言い放った。
「そんな格好してるアイドルは346にしかおらん」

「えっと……そのスーツ、ずいぶん綺麗にされているんですね」
 私は気まずくなって、話を別の方向へ逸らした。いや、“私にとっての”本筋に戻した。
「んん? これかあ。近くのゴミ捨て場で食いもん漁ってたら、偶然見つけてな。まだ着れるから、ちょちょっと直して拝借した。…まったく、まだ使えるもん捨てるとは、人間がなっとらん」
 ゴミを漁るのは人間としてどうなんでしょう、とは言わなかった。
 最近スーツを変えた高垣さんのプロデューサーと、スーツを手に入れたホームレス。それだけなら何とも思わなかったが、スーツがバラバラに切り裂かれていたのが気にかかる。
「おじさん、そのジャケット売ってくれない?」
 そう言うと同時に、私は違和感の正体がわかった。情報が、あまりにも簡単に集まりすぎているのだ。

 私は、自分の調査能力を過信していない。そもそも、この調査自体ほんの退屈つぶしで始めたものだ。
 しかし私の手元には、それなりに情報が集まってきている。しかも、全てが高垣さんのプロデューサーにつながる情報。私はそれを偶然だとは思えない。
 高垣さんは寮に住んでいた。したがって、他のアイドルが部屋をたずねてくることもあったはず。高垣さんと高垣さんのプロデューサーが並々ならぬ関係だったとしても、他のアイドルの方が高垣さんの部屋に出入りしていただろう。2人の関係がバレるのを恐れていたら…の話だけど。したがって、私が部屋にお邪魔したときには、高垣さんのプロデューサーよりも、他のアイドルの痕跡を見つける方が自然だ。
 私は“偶然”高垣さんのプロデューサーにつながるものばかりを発見している。そうなると、怪しいのは私のプロデューサーさんだった。
 そもそも、なぜ真面目を絵に書いたようなプロデューサーさんは、高垣さんの部屋の調査を許したのか。自分で言うのもなんだけど、ワガママでやっていい範囲を超えている。
 プロデューサーさんも、高垣さんの死の真相を知りたがっている、で締めくくるには、危険な疑問のように感じる。
 だけど、私は敢えてその疑問を無視して、調査を続行することにした。ほんとうに、ただの偶然の可能性もあるし、私はそっちを信じたかった。
 私は買い取ったスーツのタグから、テーラーを探り当てた…と言っても、都内に店舗が1つしかないお店だった。
 事務所から離れていて、近くに駅もなかったので、プロデューサーさんが車を回してくれた。私は調査のことをかいつまんで話してみたけれど、プロデューサーの反応はよくわからない。止めるのでもなく、積極的にやれとも言わなかった。
 テーラーは芸能界ではそこそこ有名らしいけれど、店構えはなんだかくたびれていた。帝国時代のイギリスを意識しているらしき店内は、過剰な装飾や、店主の趣味と思われる骨董品にあふれていて、落ち着きがなかった。
「いらっしゃいませ」
 店主も、店内に見合うだけの格好をしていた。頭にはシルクハットをかぶり、単眼鏡(モノクル)をかけている。服装は光沢のある黒の背広で、手にはステッキ。ポケットからは懐中時計の鎖がのぞいている。イギリス趣味といっても、ここまでくると怪物的のように見えた。
 この人は、こんな格好で東京の街を歩くのだろうか。私には理解が及ばない世界だった。
「台帳を見せてほしいんですが!」
「駄目です」
 店主は即答した。この瞬間は、探偵の肩書きよりも警察手帳の方が欲しかった。
「会社の経費に不正がないか調べているんだ」
 プロデューサーさんは、名刺を取り出して店主に見せた。でも、こんな助手の積極性を、今日の私は素直に喜べない…領収書の件もあって。
 店主はいまどき見ない、分厚い紙の台帳を取り出した。丁寧な装丁が施してるけど、どこに行けば買えるのだろう。
「どなたのお名前を探しているんでしょうか?」
「高垣か、〇〇だ」
 プロデューサーさんが2人の名前を言うと、店主の表情が一瞬変わった。
「ええーと…」
 店主はページに迷わなかった。やはり、2人が訪れたのだろう。
「ええーと…346プロダクションさんですね?
 たしかに会社の名前で領収書切ってありますから。衣装代だって」
 私は、プロデューサーさんと顔を見合わせた。本当に経費の不正が見つかってしまった!
「ええっと、コピーをとっていただいてもいいですか…あっ、あとこのボタンなんですが!」
 衝撃で忘れかけていたけど、私はとっさにボタンを取り出して店主に見せた。店主はわざとらしく単眼鏡を掛け直した。プロデューサーさんは気まずそうに、エンジン温めてくる、と言ってその場を離れた。
「それは、当店のスーツに使われるボタンですね。先日も、ほら…あの自殺しちゃったアイドルの…えっと」
 プロデューサーさんがいなくなった途端、店主が饒舌になり始めた。見かけに似合わず、おしゃべりなのかもしれない。
「高垣楓さん?」
「そうそう! その人が買いにきたんですよ。余分に持っておきたいって。ボタンをつけてあげるような相手がいたんですかね」
 同じ事務所のアイドルに、この人は何を言っているのだろうか。いや、同じ事務所だからこそ、私から何かを聞き出そうとしているのかもしれない。
「大きな声じゃ言えませんがね…あの自殺も、恋人絡みだったんじゃないですか。ほら、アイドルって、色々と…ねえ?」
 私が何も言わず黙っていると、店員さんは手持ちぶさに、台帳をぱらぱらとめくった。その動きをぼんやり見ていると、私は見慣れた文字を発見した。
「ちょっと待ってください。今のページ」
「このページですか」
「いえ、1つ前のページ」
「ええと、この方がどうかされましたか?」
 そこに記されていたのは、私のプロデューサーさんの名前だった。私は店主にお礼を言った後、あの日購入した香水をつけて、車へ戻った。
「どうした。急に香水なんてつけて」
「この香水は、高垣さんの部屋の残っていたものと同じ香りです」
 私はそう言って、プロデューサーさんの反応を見た。
「なんだって!? じゃあ、やはり彼が…」
 普段香水をつけないプロデューサーさんが、なぜ“やはり”と確信できるのだろう。シトラスの香水なんて、何百種類もあるのに。
 私の疑問はいままでの調査を崩壊させかねないほど、大きくなっている。

行間開けて改行したら?
ハッキリ言って一目でブラウザバッグされるタイプだぞ

読んでるから気にせず続けてくれ

 もう一度高垣さんの部屋に入りたい。そんな欲望が頭をよぎり、私は躊躇うことなく再び部屋に侵入した。今度は、プロデューサーさんと一緒じゃない。
 部屋の様子は全く変わっていなかった。このままずっと、この部屋は高垣さんの部屋として、残り続けるのかもしれない。高垣さんの死の気配を、残したままで。
 そんな感傷に浸りながらも、私は迷わず机の引き出しに近づいた。以前、調べなかった場所だ。あの時は、本気で調査をするつもりはなかったし、まだ私にも良心が残っていたから。
 全部で3段。1段目をそっと開けた。裁縫セットと、大小様々なボタンが縫い付けられた布が入っている。ところどころ、赤い斑点が散っていて、必死な練習の後がうかがえる。
 2段目には、なんとあの香水が入っていた。日にちが経っているせいか、うっすら埃をかぶっている。中身は、半分以下になっている。
 瓶を持ち上げると、下にはもっとたくさんの埃が積もっていた。つまり、この瓶は比較的最近、引き出しにいれられたのだ。脳裏に、プロデューサーさんの顔がよぎった。
 3段目に手をかけた時、外から音がした。誰かが近づいている! 引き出しを開けようとしたが、鍵がかかっている。心臓が、痛いくらいに早まる。私は、扉と同じように安全ピンを突っ込んで、無理やりこじ開けようとした。しかし開かない。
 私はピッキングをあきらめ、引き出しの鍵を壊そうと、無理やり引っ張ってみた。すると、少し隙間が空いた。そこにライトを照らすと、高垣さんのプロデューサーの顔があった。
「うひゃあっ!!」
びっくりして後ろへ飛びのくと、何かにぶつかった。
「ここで、君はなにをしているんだい?」
 最悪なことに相手は、アイドル部門の部長だった。

バックをバッグと間違えるようなアホにも配慮してやらないといけないとは投稿者も大変だな

こういうSS結構好き


「これは問題だよ…大問題だ」
 会議室で、部長は冷たく言い放った。アイドルをやめなきゃいけないかも、と私は脅えた。故人の部屋に無断で侵入し、部屋を荒らし、物を持ち去ろうとした。いや、実際に持ち帰ってしまったものもある。一歩間違えなくても犯罪だ。
 犯罪者という発想に、私は恐怖した。けれど、妙なおもしろさも感じた。探偵が犯罪者、というジョークを高垣さんは笑ってくれるだろうか。
 私のそばにはプロデューサーさんがいた。私の軽率のせいで管理責任を問われているのだ。彼は、私のミスで相手メディアに謝罪するときと、まったく同じ表情で部長の言葉に耳を傾けていた。私は、プロデューサーさんを疑っていたことを少し忘れて、申し訳なく思った。
「高垣楓がいなくなってから、良くも悪くも均衡は崩れた。彼女が独占していた仕事が、他のアイドル達にも回ってくるようになったんだ。
 賢い君ならわかるだろう、安斎くん。今はもっと、アイドルの仕事に真摯に取り組むべき時期なんだよ。
探偵ごっこなんて・・・」
 探偵ごっこなんかじゃ、と言おうとした時、私のすごく近くで、ものすごい音がした。プロデューサーさんが座っていた椅子を蹴って、立ち上がったのだ。
「ごっこなんかじゃねぇ!!」

 「都は都なりに、楓さんの死について知ろうとしているんです!!
都だけじゃない、みんなも楓さんの死に納得していない! 俺だってそうです!
どうして楓さんが死ななきゃいけないんだ!? どうして!?
それが分からなきゃ、俺達は前を向くことができないんですよ!
一歩だって、前に進むことができないんですよ! 」
 プロデューサーさんが、怒っている。しかも部長相手に。いつもだったら考えられないことだ。なぜ、と考える前に、私は目の奥が熱くなった。そして、足元がとても不安定になったような気がした。推理をしなくてもわかる。私は、うれしいんだ。プロデューサーさんの言葉が。
「君らしくもないな…いや、君らしいのかな。担当アイドルのために、そこまで言えるとは」
 部長は気分を悪くした様子もなく、穏やかな声でそう言った。
「今回は注意に留めておくけど、次はないからね」
「あっ、ありがとうございます!」
 私は感謝した。部長だけではなく、プロデューサーさんにも。彼らは自分たちのアイドルを、いや、私を信じてくれている。
 だったら、私がやるべきことは決まっている。


 部長から解放されたあと、私はプロデューサーさんに尋ねた。
「プロデューサーさんは、高垣さんと、高垣さんのプロデューサーどっちが好きなんですか?」
 私、という選択肢は入れなかった。
「はえ?」
 プロデューサーさんは馬鹿みたいな声を出して、驚いていた。私は答えを待たずに、話を切り出した。
「プロデューサーさんは、高垣さんのプロデューサーと同じスーツを持ってますよね。テーラーの台帳に名前がありました」
 びくり、とプロデューサーさんは肩を震わせた。やはり、あれは同姓同名の別人ではなかったようだ。
「店主の反応からするに、高垣さんと高垣さんのプロデューサーは2人でテーラーを訪れていたようです。高垣さんが、スーツを選んであげるようなこともあったかもしれませんよね…いえ、きっとあったはずです。
 彼は、他のアイドルやプロデューサー達に自慢していたんじゃないですか? “このスーツは、楓が選んでくれたんだ”って…」

 プロデューサーとアイドルの関係としてはまずい。下衆なメディアだったらスキャンダルに発展させかねない。それでも、高垣さんのプロデューサーは周りに自慢せずにはいられなかった。私も気持ちはわかる。あんなに素敵なひとが自分のために何かをしてくれるなんて、うれしくてしょうがないと思う。
「だから、彼が楓さんからスーツを選んでもらったと聞いたとき、嫉妬した。そして同じものを買った。“自分も彼女に選んでもらった”と思うために。
 もしくは…その、彼と同じものを身につけて…その…」
 私はプロデューサーさんが同性愛者だと認めるのを怖がっている。その理由を…ほんのさっき気づいた。
「あと、あの香水です。プロデューサーさんは、“あの部屋に残っていた”というだけで、高垣さんのプロデューサーを連想した。実際は、シトラスの香水なんて何百種類もありますし、似たような香水をつけて、高垣さんの部屋に出入りしていたアイドルだっていたでしょう。だから普段香水をつけないプロデューサーさんが、すぐに誰のものか気付くはずがないんです」
 アイドルとプロデューサー。2人の関係に、よほどの注意を払っていないかぎりは。

「川島さんから聞いたのですが、高垣さんのプロデューサーがシトラスの香水をつけていたことは間違いありません。そしてその香水は、私が見つけた香水である可能性が非常に高いんです。あの香水は、高垣さんが初めてキャンペーンガールの仕事を手に入れたときのものだったから…。高垣さんのプロデューサーは香水をつけることで、高垣さんとの絆を感じていたのかもしれません」
 たぶん高垣さんのプロデューサーは、高垣さんのことを愛していた。そして、高垣さんの方も。机と、引き出しの布に残っていた血の斑点が、それを物語っている。
「それで、プロデューサーさんも同じものを購入した。高垣さんとの絆を、自分も手に入れるために。もしくは、えっと…その、いつでも彼と同じ香りでいるために。好きなひとのもの、同じものを身にまとっていると、安心するから…。 
 でも、プロデューサーさんは香水をつけて歩くようなことをしなかった。2人にバレるのが、こわがったから」

 だから、香りだけでは高垣さんのプロデューサーとは分からなかったのだろう。憧れで購入したものの、ほとんど使っていなかったのだ。それで2段目にあった香水瓶がプロデューサーさんのものではないとわかる。あの中身は、半分以上に減っていた。
「プロデューサーさんは、高垣さんが亡くなったあと、“2人に何かあったんだ”と思った。そして、私が高垣さんの部屋に入るのを許した。“都なら、真相にきづくかもしれない”って…プロデューサーさんは、探偵としての私を信じてくれた…!」
 だからプロデューサーさん、私もあなたを信じます。
 プロデューサーさんは、私の推理を、いや、私の言葉を静かに聞いていた。そして話が終わると、目を閉じて、口を開いた。
「…俺は高垣楓というアイドルを、1人の女性として愛していた。理由は、言わなくてもわかるかな」
 あんな素敵な女性(ひと)を愛さずにはいられない。私はもう、これ以上なにも聞きたくないくらい、苦しくなった。でも、目をそらさずプロデューサーさんを見つめた。
「都の言う通り、俺は彼と同じスーツを持っている。そうだ、羨ましかった。“楓に選んでもらった”ものが彼の周りに増えていくのを、いつも歯がゆい気持ちで見ていた。
 なぜ、偶然担当に選ばれただけで…香水もそうだ。俺が立ちすくんでいる間に、彼は高垣さんとの絆を深めていった。俺は、後からそれを模倣するだけだ…いつも」
 プロデューサーさんは仕事に対して誠実だ。誠実だから、高垣さんに声をかけることができなかった。フラれるのが怖かったんじゃなくて、彼女の成功の邪魔になってしまうから。自分が高垣さんにつきまとうことで、彼女の笑顔が曇ることを、プロデューサーさんはおそれていたんだ。それくらい、大好きだった…。
「彼女が亡くなったとき、俺はすぐに彼を憎んだ。“彼が何かしたんだ。そうにちがいない”…そして俺は、都を高垣さんの部屋に入れた。都なら、なにか分かるんじゃないかと思って…俺は、俺は都を、自分のために利用したんだ」
 プロデューサーさんは、すまない、と言って、涙を流した。
「いいんですよ、私は探偵……アイドルですから」
 他の誰でもない、プロデューサーさんが私を頼ってくれた。それだけで私はうれしいんだ。私の瞳から、涙がこぼれた。


 私が集めた情報は誘導を受けていない。これで、高垣さんのプロデューサーが部屋にいたことを確信できたが、いちばん重要なことがわかっていない。
 高垣楓は、なぜ自殺を図ったのか。
 高垣さんのプロデューサーが、死の直前に部屋に入った。そして高垣さんが死んだ。この2つの間にあった出来事。
 警察が自殺と判断したということは、外傷がなかったということ。つまり高垣さんは、直接的な暴力を受けたわけではない。だとすれば、自殺の原因は、何か強い衝撃を与えるような間接的な行動、あるいは言葉だと考えられる。けれど、これは形に残らない。その正体を知っている高垣さんは、その衝撃を1人で受け止めきれず、亡くなってしまったのだから。
 ようやくもらった、探偵アイドルとしての仕事の合間にも、私は高垣さんのことばかり考えていた。
「ええと…」
 ふと顔を上げると、鷺沢さんは困ったような顔で私を見ていた。私は、鷺沢さんからフィリップ・マーロウについて聞いている途中だったのだ。
 私は、シャーロック・ホームズの映画公開にともなって、有名な推理小説の主人公を、とあるバラエティ番組で紹介することになった。肝心のホームズについては問題なかったけれど、ほかの探偵について、私はくわしく説明することができない。私は、推理ドラマや探偵小説を、ざっくばらんに“見る”だけで、主人公の心情についてじっくり“読んで”いなかったから。
 なので探偵アイドルとして恥ずかしいことだけど、推理小説の主人公について、鷺沢さんから詳しいレクチャーを受けているのだ。

「…ええっと…フィリップ・マーロウの活躍は…色々な方が…翻訳しています…。有名なものでは…村上春樹さん…と…清水俊二さん…このお二方ですが…彼らの訳は…マーロウのやさしさが…わかりやすく…伝わってきます。一方で…生島治郎さんのマーロウは…ハードボイルド小説らしい…猛々しさが…伝わってきます…このちがいが…悪いというわけではなく…訳者によって…主人公の印象がかわる…興味ぶかい…」
 マーロウの話は、鷺沢さんらしく脱線していた。
 鷺沢さんだったら…どこかの古書店員のように事件を解決してくれるかも…。そんな不真面目な想像をしながら、私は鷺沢さんの話を聞きつづけた。

「ありがとうございました! 私には…小説をじっくり読む習慣がなくて」
「いえ…私も楽しかったです…」
 番組が終わったあと、控え室で鷺沢さんにお礼を言った。実際、鷺沢さんのレクチャーがなければアイドル生命が絶たれるところだった。
「推理小説や探偵小説は……読むのが難しいもの…ばかりですから…小説が好きという方でも…あまり…好まれないジャンルです…。でも…今日…安斎さんが…興味を持って…くれたなら…うれしいです…」
 それでも、なかなか小説を読む時間がとれませんね、と私が言うと、鷺沢さんは、
「長い文章だけが…小説ではありません…」
と、彼女にしては力を込めて言った。短編小説のことを指しているのだろうか。
「世界で一番短い小説は…英語で…わずか…6単語…」
「6単語!?」
 私は驚愕した。Twitterでつぶやくような文章で、読者の心を打つことができるとは思えなかったから。
「For sale: baby shoes, never worn。… 売ります…赤ちゃんの靴…未着用。
 なぜ…赤ちゃんの靴が売られているのか…なぜ…その靴は未着用なのか…その意味を想像すると…10万の言葉を綴られるよりも…せつなくなります…。
 …『老人と海』で知られている…アーネスト・ヘミングウェイの…作品です…」
 鷺沢さんの話は、たしかに私の心を打った。ただし小説とはまったく関係のないところで。

読みにくい
あと作者叩かれたからって自演はみっともないぞ

作者じゃないけど面白いし気にならんぞ
このまま続けてどうぞ

私は、高垣さんのプロデューサーを人気のない会議室に呼び出した。もちろん、私のプロデューサーさんも一緒に。なにせ私には、バリツや柔道の心得がないから。
 高垣さんのプロデューサーは、すでに死んだような容姿になっていた。頰はこけ、髪はぼさぼさ。目は、どこを見ているのかわからない。足つきもふらついていて、とても仕事ができる状態ではないように見える。
「なんだ…安斎。楓の死について話すって…お前が何を知ってるんだ」
 まどろんだような瞳の中に一瞬灯った警戒の色を、私は見逃さなかった。
「高垣さんは、子どもを妊娠していた」
 私は単刀直入に告げた。私のプロデューサーさんは、少し身じろぎしたけど、それだけだった。事前に話していたから。
 高垣さんのプロデューサーは、ちがう、と首を振った。“知らなかった”ではなく、“ちがう”と。

「高垣さんは、あなたとよく口論になっていた。担当の問題だけじゃなく、『プロデューサーの香水の匂いがきつい』、『長時間の仕事はしたくない』、『歩いていける距離でも車で送ってほしい』、そんな些細なことでも」
「…それが、妊娠していた証拠だっていうのか」
「いえ、それだけではありません。
 高垣さんは、死の2ヶ月ほど前、『お酒をやめる』と言い出したそうです。あと、香水をつけるのもやめてしまった。……飲酒は胎児に悪影響を与えますし、ラベンダーの香りは妊婦のホルモンバランスを狂わせ、流産のリスクを高めると言われています。
 ……そういえば、あなたは高垣さんの担当を外れたがっていましたよね」
 私が思わせぶりな視線をぶつけると、高垣さんのプロデューサーは目を両手で覆って、やめてくれ、と言った。でも、私は止まらなかった。
「あなたは、ずっと知っていたんじゃないですか。高垣さんが妊娠していること」
 彼から返答はない。否定の言葉もない。
「そして、あなたは高垣さんの死の直前、彼女の部屋にいた」
 高垣さんのプロデューサーは俯きながらも、肩をピクリと震わせた。あきらかに動揺しているのが見てとれた。彼は、証拠が…と、押し殺したような声で言った。
 私は、ちぎれたボタンを取り出した。
「これが部屋に落ちていました」
 一瞬顔を上げたプロデューサーの顔は、驚きに満ちていた。

「“なぜ、処分したはずだ”、そんな顔をしていますね」
 私がそう告げると、彼は顔をさっと下げた。やはり、この男は部屋にいたのだ!
「あなたは、高垣さんから部屋に呼び出された。高垣さんから相談されたんでしょう。
『私たちの子どもをどうしましょう』って」
 高垣さんのプロデューサーは、首を振った。ちがう、ちがう、と。
「でもあなたは、彼女にひどいことを言った。『俺の子どもじゃない』、『堕胎しろ』……彼女が妊娠しているのをずっと知りながら、彼女のお腹にいるのが自分の子どもだと知りながら、それを否定した。
 きっと高垣さんは衝撃を受けたでしょう…きっと、死にたくなるくらい。彼女はあなたに掴みかかった。でもあなたはそれを無慈悲に振り払った。……そして、このボタンがちぎれた」


「あなたは高垣さんの部屋から去り、そして高垣さんは1人残された…たった1人で。
 後日あなたは再び、高垣さんの部屋を訪れた。部屋からまったく出てこない彼女を不審に思ったから。自分のせいかもしれない、そんな責任感があったのでしょうね。その時までは」
 高垣さんのプロデューサーは、まったく反応を示さなくなった。私はちらりと、後ろにいる助手を頼るように見た。何かあれば俺が守る。彼の目はそう語っていた。
「あなたは、亡くなっている高垣さんを発見した。でもあなたは、救急車を呼ぶ前に、自分が部屋にいた痕跡を消すことにした。自分が高垣さんの死の原因だと思われないために。
 あなたは部屋を探して、机の上にあるボタンに気づいた。それで、『昨日の掴みかかられた時にちぎれたんだ』、と思い、それを自分のポケットにしまった。でもそれは高垣さんが、あなたのスーツのボタンを直すために購入したものだった。
 本物は、ベッドの下に転がっていた」
 それを私が発見して、調査が始まった。

「次にあなたは、自分の香水の香りが残っていないか気になった。高垣さんの遺体に近づいて匂いをかいだり、部屋を調べたりしているうちに、あなたは思いついた。
『彼女がこの香水を使っていたことにすればいい』、と」
 この瞬間、高垣さんのプロデューサーは高垣さんを、本当に裏切ったのだ。高垣さんの死を、自分とはまったく関係のないものとして処理しようとしたのだから。
「あなたは高垣さんの遺体に、香水をたっぷりふりまいた。時間がたっても、簡単には消えないくらいの量を…高垣さんのベッドには、今もその香りが残っているでしょうね。
 そして、あなたは引き出しの中に香水をしまって、ようやく救急車を呼ぶことにした。その後は、大事なアイドルを失ったプロデューサーとして振る舞いながら。でも、あなたは心の中で、『あの女と関わりたくない』と思っていた」
 だから…高垣さんは、死んだ後もひとりぼっちになってしまったのだ。誰も、彼女の死の真相を知ることができないから。

「さらにあなたは念のため、あの日着ていたスーツを捨てることにした。…最近は服の繊維から犯人が捕まることもありますから。
 スーツを鋏で裂いて、会社からも自宅からも離れた公園に捨てたんですよね」
 私は、ホームレスのおじさんから買い取ったスーツを、高垣さんのプロデューサーに投げつけた。
「以上が私の推理です」
 私が話を終えると、高垣さんのプロデューサーは顔を上げ、身体にまとわりついたスーツをゆっくりはがした。そして、私の方を見た。
「すごいなぁ、安斎は」
 その表情は、寒気を覚えるような笑顔だった。高垣さんの死に対する責任など、微塵も感じさせなかった。
「どうやって、そこまでたどり着いた?」
「…高垣さんが愛したもの、高垣さんを愛したみんなが、私に真実を教えてくれました」
 高垣さんがプロデューサーのために購入したボタン、部屋に残された微かな血の跡。高垣さんがプロデューサーのために選んだスーツ。そして、彼女を知る人々の言葉がなければ、私は真相を知ることができなかっただろう。

「ふーん、それで?」
 高垣さんのプロデューサーは、笑みを崩さずに言った。すると私のプロデューサーさんが、彼を締め上げた。
「てめえは、高垣さんの死に責任を感じないのか!?」
 苦しそうにうめきながらも、高垣さんのプロデューサーは表情を変えない。
「責任って言っても、今のは安斎の勝手な推測に過ぎない。お外のゴシップ野郎でも思いつくレベルのな」
「私は、情報にもとづいて確信しました! あなたのせいで高垣さんが死んだのだと!!」
 声を上げずにはいられなかった。この期におよんで、責任から逃れようとするこの男が許せなかった。だけど、相手は私より冷静だった。
「確信するのはお前の勝手だが、それは真実とは言い切れないぜ」

「スーツが本当に俺のものだという証拠は? 香水に俺の指紋が残っていたか? 俺のアリバイは? DNA鑑定は? そもそもお前は、楓のお腹の中を見たのか?」
 高垣さんのプロデューサーは、にたにた笑いながら言った。私は、吊り上げられたままになっている男の顔を殴った。返す言葉がなかった。
「反論ができないからって暴力はよくないなぁ。
 お前の推理は実際穴だらけなんだ。確実な証拠に欠けている。それに」
 それに、と高垣さんのプロデューサーは付け加えた。
「俺はあの夜部屋にいたこと、腹の中にいたのが俺の子どもだってことを、隠していたわけじゃない。隠しているのは上の人間と警察さ。
 私の推理を否定したくせに、高垣さんのプロデューサーはあっさり真実を認めた。

 この男は自分に責任がないと信じきり、そして自分と高垣さんの関係が絶対に露呈しないという確信があるのだ。私は、プロデューサーさんに彼を下ろすように頼んだ。
「あなたは、楓さんとの関係を公表しないんですか」
 襟元を正す男に、私は尋ねた。彼に、もはや良心が残っていないことを知りながらも。
「ファンは知りたくもない真実を見せつけられ、楓は無責任に関係を持つ女だと蔑まれるだろう。事務所だって、アイドルと関係を持つプロデューサーが所属していたとなれば、信頼は失墜する。お前の仕事はなくなるし、他のアイドルだって困る。みんなが困る」
「だからお前も黙ってろ…ですか?」
「いいや、安斎さんの意志を尊重するよ。プロデューサーがアイドルを信じるのは当然のことだからな。他の男が担当しているアイドルでもな。そうだろ?」
 彼は、私のプロデューサーさんに同意を求めた。こいつは、私のプロデューサーさんの気持ちを知っているのだ。

 この男は自分に責任がないと信じきり、そして自分と高垣さんの関係が絶対に露呈しないという確信があるのだ。私は、プロデューサーさんに彼を下ろすように頼んだ。
「あなたは、楓さんとの関係を公表しないんですか」
 襟元を正す男に、私は尋ねた。彼に、もはや良心が残っていないことを知りながらも。
「ファンは知りたくもない真実を見せつけられ、楓は無責任に関係を持つ女だと蔑まれるだろう。事務所だって、アイドルと関係を持つプロデューサーが所属していたとなれば、信頼は失墜する。お前の仕事はなくなるし、他のアイドルだって困る。みんなが困る」
「だからお前も黙ってろ…ですか?」
「いいや、安斎さんの意志を尊重するよ。プロデューサーがアイドルを信じるのは当然のことだからな。他の男が担当しているアイドルでもな。そうだろ?」
 彼は、私のプロデューサーさんに同意を求めた。こいつは、私のプロデューサーさんの気持ちを知っていたのだ。
「あなたは最低のクズです!!」
 私は叫ばずにはいられなかった。叫ぶことしかできなかったから。それ以外、もう私にはできなかったから。
 しかし高垣さんのプロデューサーだった男は、お前はどうなんだ、と言い返してきた。
「お前は自分の知的好奇心に正義という服を着せて、楓の部屋を荒らし、みんなの悲しみにつけこんで情報を引き出している。
 偉そうに俺に説教しているが、結局楓の死を利用して、お前自身の欲求を満たしてるだけじゃないか。調査? 推理? 馬鹿馬鹿しい。誰も知りたくない、楓さえも望んでいない真実を明らかにして、満足するのはお前1人じゃないか。
 お前は自分を正義の味方だと勘違いしているが、言ってやる。お前は俺と同じクズだ」
 今度は、プロデューサーさんが彼を殴り飛ばした。男は床に伏せ、ぺっと血の混じった涎を吐き出しながら言った。
 「だがお前が黙っていれば、みんな不愉快な真実を知らずに、楓を好きなままでいられるぞ。俺は我が身かわいさで言ってるんじゃない…お前の言う“愛”とやらを守るために教えてやっているんだ」
 彼の言う通りだった。今の世界は高垣さんへの悲しみで満ちている。しかしそれは、彼女がどうして亡くなったか、みんな知らないからだ。このまま、みんなが真実を知らなければ、高垣さんはずっと、みんなにとって愛おしい存在のままであり続けられる。
 でも……私は。
「私は…私は、ウェデングドレスを着た高垣さんも、きっと素敵だったと思います」
 私はそう言い残して、プロデューサーさんと会議室を出た。部屋から離れると、俺もそう思うよ、と疲れ切った声で返事がきた。

 事務所は真実を知った上でそれを隠そうとしている。だが、私にはどうしようもなかった。
 はじめの私は高垣さんのことをあまり知らなかった。だから、あの日部屋に入ることを決めた。でも、今の私は高垣さんのことをあまりにも知り過ぎて、何も言えなくなってしまった。
 高垣さんは、自分が死ぬことであの男を守ろうとしたのかもしれない。高垣さんにとって、あの男はとても大切な人だった。でも、周りに知られるわけにはいけなかった。
 だから、あの男の写真が入った引き出しに鍵をかけたのだ。本当に大事なものだったから、奥に、ずっと奥に隠さなければいけなかった。そして裏切られても、2人の事実を明かすことなく、1人で亡くなった。
 そんな高垣さんの気持ちを想像すると、私は口を閉ざすしかない。
「解いてはいけない謎って、あるんでしょうか……」
 マンションの一室で、私はあいさんに聞いてみた。ここは、あいさんの借りている部屋だ。私はつらいことがあると、よくここを訪れる。

「なんだい、私のホームズくん。君らしくもないじゃないか」
「たとえば、みんなが知りたくない真実もあるでしょう?
 それを無理やり暴くのは、探偵としてはどうなのかなって…」
 あいさんに、高垣さんのことを明かすことはなかった。あいさんも、きっと知りたくないだろうから。
「みんなが知りたくない真実か…たしかに、そういうこともあるね。
 だけど、こうも考えられないかい? 謎自身が解かれたがっているって」
 あいさんは、私にコーヒーをすすめながら言った。口をつけると、私の舌に合わせて、甘い味にしてくれていた。
「謎自身が、とかれたがっている…?」
「そうさ。たとえば、フェルマーの最終定理というものがある。これは3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理のことで…」
 突然始まった数学の授業に、私の頭はついていけなかった。固まっている私を見て、あさんは、まあ、とにかく難しい定理だったんだよ、とまとめてくれた。
「この定理が真か偽か、これに関して、数学者以外の人たちは何も関心を払わなかった。
 だって、自分たちの生活には何の影響もないものだからね。でも、数学者達はこの問題に挑み続けた。360年間かけてね。彼ら自身の実生活にも、たぶん何の影響ももたらさない定理だったのに」
 

 ほかにも、とあいさんは続けた。
「言語学者は日本語のルーツやロンゴロンゴに関して今も議論を交わしているし、化学者は水分子の構造解析に躍起になっている…人間が謎を追い求めているというよりも、謎自身が解かれたがって人を惹きつけている、そう考えられないか?」
 はじめに価値がなくても、人は意味を創り出して謎を解きたがる。そうせずにはいられないように、謎がしている。
「なんだか、とんちみたいですけど…ありがとうございます」
「どうして礼を…これも謎だ」
 あいさんがわざとらしく首をひねらせるので、私はコーヒーを吹き出してしまった。

「あっ。ごめんなさい!」
 コーヒーがテーブルクロスを汚してしまった。
「いや、気にしなくていい。ちょうど模様替えをしたいと思っていたんだ」
 あいさんはそう言って、キッチンにふきんを取りに行った。何もしないのは申し訳ない、かといって何かすると邪魔になるかも。そう思って、私はあいさんの後ろ姿を見ていた。
 すると、キッチンに睡眠薬の瓶が置いてあるのが目についた。
「それは・・・」
 私はおずおずと尋ねた。同時に、頭の片隅がちくりとした。ここ最近、いろいろなことを考え過ぎたのかもしれない。
「…プロデューサーくんも、楓くんも大切な友人だったからね……私も参っているんだ。コレがないとうまく眠れないんだ。意外だったかな?」
あいさんは弱々しく笑った。 
「気をつけてくださいね・・・私、あいさんまでいなくなったら、悲しいです」
「ありがとう。量には気をつけるよ」
 あいさんは、私の頭を優しく撫でてくれた。でも、私は戦慄していた。

 あの睡眠薬は、どうしてキッチンに置いてあるんだろう。 なぜ、あいさんのジャケットのボタンは1つ欠けているのだろう。なぜ、あいさんの袖に白い粉がついているのだろう。
「さて、都くん。テーブルをきれいにしたら、コーヒーを注ぎ直そうか?」
 いつもは優しい瞳が、今は爬虫類のように見えた。

おしまい。

乙、謎が謎を呼ぶ

おつ
こっわ……
謎が謎を呼んで綺麗に終わらせてくれないな……

いやらしい終わり方する

スマホだから行間空けてくれんと目痛いわ

おつおつ、この後どうなるか想像したくないな

心霊探偵なら10レスで解決してた

それをいっちゃあおしめえよ

都「この事件……33レス引き伸ばして見せます!」

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