依田芳乃「多少の縁」 (53)



 「来月分のレッスンルーム使用予定表です」

 「あ、どうも。早いですね、助かります」

 「まぁ、いま手が空いてるんで」


書類をトレーナーさんへ手渡し、軽く笑みを返す。
そう。残念な事に手は空いてしまっている。
本来ならこんな事にかまけている場合ではないのに。

あ、いや……こんな事ってのは言い過ぎた。アイドルさんに悪いな。うん。


滑り出しはまずまずだった。
世はアイドルブームの真っ最中、その勢いは未だ衰え知らず。
一旗揚げるには絶好の機会で、即座に動き出した判断は間違っていなかった筈だ。

だが当時のオレは高校生。大学どころか短大も専門も出ちゃいない。
唯一引っ掛かったのがこのプロダクションだった。
それもあの社長はオレの能力じゃあなく、たぶん気質を買ったんじゃないかと思う。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1481273735


めでたく入社したはいいが、それでガンガン出世できる訳も無い。
アイドルプロデュース課に配属されて以来、与えられるのは専らアシスタント業務だ。


自分でも不思議なほど出世欲が強かった。
さっさとアイドルをスカウトしてトップアイドルに育て上げてその名を轟かせる。
そう意気込んだは良いものの、成果は実に実に芳しくない。
やっぱりスカウトん時にギラつき過ぎ――


――こん、こん、こん。


 「……?」

室内に居た十数人が同時に顔を上げた。
無理もない。あのドアはノックとおおよそ無縁の代物だからだ。
来客は普通、この三階ではなく一階へ通される。
社員がドアを叩く事なんぞ無いし、アイドル達は言わずもがな。

 「あ……ええと、出ます」

入口に一番近いオレが対応に向かう。
丁寧にドアを開けて、向けた視線を頭一つ分だけ下げた。


 「……ほー?」


オレの目にすら高そうに見える、上等な着物を纏った女の子だった。
小学生くらいだが……紗枝ちゃんの茶飲み友達、か?
傍に居る筈の案内人を探せど、居るのはこの娘一人だけだった。

 「……こんにちは」

 「はいー、まこと良き日和でしてー」

 「ええと、ご用件があれば伺いますが」

 「かたじけなくー。ですがー、用であればー既に済んでおりますゆえー」

 「……?」

 「そなたでしょうー、わたくしを探していたのはー」

 「…………?」

 「わたくしが探していたのもー、そなたでしてー」

さり気なく後ろへ目線を送り、さて誰に助けを求めようかと考えを巡らせる。
迷っている内に、目の前の女の子は小さな頭をぺこりと下げた。


 「依田は芳乃と申しますー。以後ーお見知りおきをー」


流れる舞姫こと依田芳乃ちゃんのSSです


http://i.imgur.com/OpuUJZu.jpg
http://i.imgur.com/78cuHNO.jpg

前作とか
藤原肇「方円の器」 ( 藤原肇「方円の器」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1477038800/) )
高森藍子「もういいかい」 ( 高森藍子「もういいかい」 - SSまとめ速報
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神崎蘭子「大好きっ!!」 ( 神崎蘭子「大好きっ!!」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1472300122/) )


久々にSFだよ


 「どうぞ♪」

 「これはこれはー、いただきますー」

藍子ちゃんがお盆を抱えて応接室を出て行った。
行儀良く湯呑みを傾ける女の子の向かいで、オレも心持ち丁寧に緑茶を啜る。

 「ほぅー……まこと美味なるお茶でしてー。秋の穏やかな西陽のようですー」

 「あ、ああ……後で伝えておき、ます」

 「敬語は要りませぬー、そなたの方がー年長者でしてー」

 「そうで……そうか」


……読めない。

とりあえず応接室へ通したはいいが、依田さんは始終真顔だ。
用は済んだと言わんばかりにこくこくと茶をしばいている。
いや言ってたな。済んだのか、用。

 「その、オレを探してた、って言ってたけど」

 「はいー。鹿児島からはー少々時間が掛かってしまいましたがー」

よしのんきた!


 「……え、は、鹿児島?」

 「はいー。九州は鹿児島ー、生まれは」

 「ちょっと、ちょっと待った。頼む」

 「ほー?」

頭が追い着かない。

 「そなたはー、伴侶を求めていたのではー」

 「いや、それはそうなんだけど……あ!」

全く抜けていた。
一番有り得そうなパターンを失念していたとは。


 「アイドル志望の面接か! たぶん他の人と間違って――」

 「いえー。他でもなきーそなたの求めに応じーここへ参りましてー」


打った手が行き場を無くして彷徨う。
口を開き、依田さんを指差し、何を言うべきか数秒だけ逡巡した。


 「ええと……うん。どうしてオレがアイドルを探してる、って知ってるのかな」

 「失せ物探しとー悩み相談はーわたくしの得手とする所でありー」

 「……つまり?」

 「細かいことを気にしてはいけませぬー」

 「…………細かい……の、か?」

 「些事にかまけていてはー大局を見誤る事にも繋がりかねませぬー」


う、ううん……細かい、のか?
いや、かなり大切な部分だと思うんだけれども。


 「あー、依田さん」

 「芳乃で構いませぬよー」

 「芳乃……さん。その、要するにだね」

 「はいー」



 「……アイドルになってくれるの?」

 「それがーそなたの導きとあらばー」



棚からぼた餅が落ちてきた。箱ごとだ。

何もしてないのに向こうから押しかけて来るあたり芳乃は正統派ラノベヒロイン


 ― = ― ≡ ― = ―


しゃらり、しゃらり。


巾着袋から扇へと結び替えた鈴が揺れ、澄んだ音色を響かせる。
数瞬だけ止まった動きが、再び流れるように始まった。
一つに束ね直した長髪が弧を描く。
ゆらりと傾いた細い身体を支えるように、いつの間にか爪先が伸びていた。


しゃんしゃらり、しゃん、しゃん。


くるりくるりと二度回り終えて、芳乃は静かに頭を垂れた。


 「……」

オレとトレーナーさんは黙って拍手を贈る。
言葉も出ない程の圧倒的な出来映えだった。
トレーナーさんが口を開き、少し目を泳がせてから言う。


 「……では、続いて『ダンス』の方も」

 「……おやー?」


ダンスも割と上手だった。


 『あー、あー、あー、あー』

 「あー、あー、あー、あー」

鈴を転がすような声とは彼女のものを指すんだろう。
トレーナーさんがピアノと共に出す声へ合わせ、芳乃が小さな口を開く。

 『あめんぼ赤いなあいうえお』

 「あめんぼ赤いなあいうえおー」

 『国破れて山河あり』

 「国破れて山河ありー」

 「依田さん、伸ばさなくても大丈夫ですよ」

 「なるほどー」

 『吾輩は猫である』

 「我が輩は猫であるー」


 「依田さん、伸ばさなくても大丈夫ですからね」

 「はいなー」

 『夢は夢で終われない』

 「夢は夢で終われないー」


……うん、芳乃は長生きしそうだ。



 「――マジかよ……マジか」


女子寮への道中案内も兼ねた徒歩での帰り道。
レッスン後に芳乃から改めて手渡されたプロフィールを見てオレは愕然とした。
見事な毛筆で埋められた文面もだが、何よりもまず。

 「16歳て」

 「小学生などではありませぬー。わたくしとてー立派な淑女なのですよー」

 「……」

 「おなごを外面で断じてしまうのはーそなたの悪い癖でしてー」

 「そう言われてもな」

 「豊かな胸が好みと言えどー決してそれが全てではありませぬー」

 「……まだ何も言ってないけど」

 「おやー、否定なさらぬのですねー」

 「……」

三つ下の、頭一つ下の女の子が、からんころんと履き物を鳴らして歩く。
都心の風景に不釣り合いな筈のその格好は、不思議と周りに溶け込んで見えた。

 「……まぁいいか。それで、今の内に言っておく事があるんだけど」

 「聞かせて頂きましょー」

 「芳乃には天下を取ってもらう」


そう、芳乃にこのアイドル戦国時代の覇者となってもらうのだ。
社長のヘアスタイルは皆目理解出来ないが、彼の理念については全く同意出来る。

夢で包まれたようなこの世の中で、夢を追い掛けないのは、馬鹿だ。
本気で夢を追い掛けるような輩は、大馬鹿だ。
オレは根っからの大馬鹿者だった。

 「……ほほー。そなたはー」

芳乃の表情は相変わらず読めない。
ただ彼女はオレをじっと見上げて、何かをオレに問い掛けているようだった。

 「お腹が空いてはーいませぬかー」



 「へっ?」

 「空いてはいませぬかー」

芳乃がくいくいとオレの袖を引く。
釣られて指差す先を見てみれば、そこにあったのはたい焼き屋。

 「ねーねー」

 「……何味がいい?」

 「クリームチーズをー」

 「あんこ派じゃないのか……」

ま。今はただの夢物語で、ただの馬鹿げた野望だ。
天下は一日にして成らずって言うしな。


……ん? 言うよな?

プロデューサー、えらい若いな

(設定上、今回のPが事務所一の若手です。青いです)


 ― = ― ≡ ― = ―


気付いた点が三つある。


 「よいさー、ほいなー、ちょいさー」

 「凄いすごーい☆ ねね、もっと出来るっ!?」

 「ではー続いて六つ玉を披露致しませー」

 「イェーッ!」


一つ。芳乃は恐ろしく器用だ。
さっきまでの竹とんぼは飛び過ぎて室内禁止を言い渡した。
いま放り上げているお手玉は八個を数え出そうとしている。


備えあればー憂い無しと言いますー。
これまで手慰みにー諸芸百般は修めて参りましたゆえー。


そう言って笛やら琴やらで見事な演奏を始める芳乃だ。
彼女が何人か居ればそれだけで立派な楽団が出来上がるだろう。



 「まぁまぁ、お姫様みたいなお手々だこと」

 「いえー、そなたこそー良き仕事を成してきた誇るべき手をー」


二つ。老若男女に人気だ。
特定の層へ絞ったプランが打ち辛いのは難点だが、同時に強みともなり得る。
老婆から腕白少年まで……なんてな。きっと万人受けする性質なんだろう。


 「よよさまだー」

 「芳乃でしてー」

 「よよさまだー!」

 「依田は芳乃でしてー」

 「でしてー!」


そもそもが童顔だからか、年寄りからは孫のように、子供からは友達のように扱われる。
芳乃はと言えばそんな扱いに不満を見せる様子も無く、普段より楽しげに笑っていたり。
その癖オレが子供扱いするとむくれるのは、まぁ、子供なんだろうな。
確かに歳はそこまで離れちゃいないけど。



 「んぐぐぅ……」

 「そなたー、共にお茶でも頂きましょー」


三つ――オレの能力が芳乃に追い着いていない。


 「お悩みなどあればー、この芳乃にお任せあれー」

 「……芳乃の仕事について、でも?」

 「はてー、お仕事なら沢山こなしているとかとー」

確かに仕事自体は数をこなしている。そこに不満は無い。
どれもが小粒だという、ただ一点を除いて。
目指しているのは事務所イチどころか世界一のトップアイドルだ。
その為にはどうしたって大仕事へ打って出る必要がある。

オレもプロデューサーになって一年は経った。
老人ホームや孤児院の訪問、ショッピングモールでの演奏会。
新人アイドルの登竜門として、そういう仕事が必要なのは分かる。
若造プロデューサーへ任せた大仕事がコケたらそりゃあ痛手だろうとも。


……だがな、いつまでもそればかりやってる訳にはいかないんだ!


 「ほー……染み渡りましてー」

まぁ、そういう仕事の間も芳乃が楽しそうなのは結構な事だ。
いま足りないのはキッカケだ。大口の、晴れ舞台さえあれば。


 「外回りに行ってくる。芳乃はレッスン頼んだぞ」

 「お任せあれー」

 「お茶、サンキューな。行ってきます」

外へ出て社用車に乗り込もうとしたところでポケットが震える。
表示されていたのは見覚えの無い番号で、オレは首を傾げつつ応答した。

 「はい。CGプロのPです」

 『あ、もしもしー。先日メールを頂いた――』


通話が切れると、オレは全ての予定を後回しにして駅へとダッシュした。



 「――失礼致します」


頭を下げて応接室の扉をそっと閉める。
ネクタイを締め直し、昇ってくるエレベーターを静かに待った。
一階へ降り立ち、受付に座る女性へ軽く会釈。

エントランスを出て腕時計を見る。
思ったより長く話し込んでいたようで、時刻は定時を過ぎていた。
行きがけのスピードを置いて来たようにゆっくりと歩く。
局から一ブロック離れ、二ブロック離れ、三ブロック離れる。
路地に人通りが少なくなり、オレは叫んだ。


 「っしゃああぁぁぁぁぁっ!!」


当然周りの通行人から距離を取られたが、気にしている余裕は無かった。
鞄の中の受け取った書類。
その重みが掲げた腕へ気持ちの良い負担を掛けてくれる。

 「っし!」

ダッシュだ。ダッシュで芳乃へ直接叩き付ける。

オレは革靴の底が削れそうな勢いで駆け出した。
駅への近道を思い出して角を曲がる。
間近に迫るワゴン車と目が合った。


 ― = ― ≡ ― = ―

脳みそが揺れている。
視界いっぱいに青空が広がって……あ? いま、夜じゃなかったか?

起き上がって確かめる事は出来なかった。
身体が一枚、薄布に包まれたような感触だけがあって、指一本すら動かせない。
辛うじて動くのは目蓋くらいだ。
薄まった現実感の中で、ただ頭の裏だけが何だかふわふわと温かい。


あー、そっか。元気なワゴン車とケンカしたんだもんな。こうなるわな。
つーとこれ、頭から吹っ飛んでったっぽいし血か。
参ったな、死ぬわ。
死ぬのこえーなー。いや、こんな空見えるっつー事はもう死んでんのか?
あれ完全にオレの過失だしなー。運ちゃん有罪になったらオレ、地獄行き?


あーあー。
夢、叶わなかったなぁ。

まぁ自分でもどうしてあんなこだわってたのか知らんが、もうどうでもいいか。
あぁ、でも、せめて、あの娘にだけは。


 「全く、本当にそそっかしい人。変わりませんね」


どこからか声が聞こえてきた。
横か、上か。外か、中か。どうでもよかった。


 「昔っからそう。そんな有様で、よくぞ私を護ると吹けたものです」


聞き覚えは無かった。
人生でこんな心地良い声を聞いていたんなら、忘れる筈が無い。
幾重にも重ねた鈴を振るような、そんな。


 「安心なさいな――わたくしも強くなりました。今度は護る番です」


待った。あんたに守られる筋合いは無い。
もう、死ぬんだ。いや死んでるんだ。

そもそもあんた、誰だ。


 「あらま、お忘れですか? 全く、本当に……そそっかしい人」


温かさが、五感が、薄れていく。
世界がゆっくりと暗くなっていき、オレは耐えきれずに叫んだ。


待った。待てよ。
頼む、頼むから、待ってくれ!


 「あ、はいはい。何ですか?」




…………待ってくれるのかよ!!



人類史上最低クラスだろう遺言を残し、オレの意識は闇に飲まれた。


 ― = ― ≡ ― = ―


 「待ってくれるのかよ!!」

 「…………はっ?」


クリーム色の壁が見えて、トレーナーさんが見えて、芳乃が見えた。
鈍い頭痛に襲われ、オレは堪らず呻き声を上げる。

 「……起きて第一声が謎のツッコミとは、恐れ入りました」

 「健やかなようでー何よりかとー」

 「……あ? オレ、轢かれて……は?」

 「ええまぁ、私も依田さんもかなり引いてますけど」

 「いやそっちじゃなくて……オレ、轢き殺されましたよね? ワゴン車に」

 「はっ?」

トレーナーさんが芳乃と顔を見合わせる。
オレの方はさっぱり訳が分からなくて、ただ鈍痛に顔を顰める他にする事が無い。
どうやら病院かどこかのようだが。

 「いえ、目撃者からは道端で突然倒れ込んだと聞いていますが」

 「……」

 「頭をぶつけー、とても良い音が響いたとー」


何かがおかしい。いや、全部がおかしいのか。
夢? 確かに妙な夢だった。轢かれた夢を視たのか? どこからが夢だ?
そこまで考えて、オレは慌てて辺りを見回した。

 「鞄!」

 「ここにー」

芳乃が掲げてくれたそれを引ったくるように奪い、蓋を開ける。
皺は付いたが、果たして目当ての物は確かに入っていた。

 「……」

 「検査もありますし、念のため明日明後日はお休みに……あの、大丈夫ですか?」

 「夢じゃない」

 「え?」

 「夢じゃなかった。……芳乃、夢じゃなかったんだ!」

 「……ええと、元気そうで何よりです。私はこれで……改めて連絡はお願いします」

 「ははは……っしゃ! っしゃあ!」

ズキズキと頭は痛むがどうでもよかった。
封筒を渡された芳乃が小首を傾げる。

 「はてー、いかがしましてー?」

 「ドラマだ! ゴールデン! 芳乃が!」


有名監督によるオムニバス時代劇ドラマ。
五話の内の一話、そのヒロイン役に芳乃が選ばれた。

封筒から中身を取り出してやる。
『袖振之國』と題されたそれは、仮ながらも確かに台本だった。

 「ドラマですかー」

 「ああ。悲恋モノだけどかなり美味しい役どころだぞ!」

 「ふむー」


芳乃が台本をめくり出す。


今からおよそ八百年前。
鎌倉時代の伝説を元に身分違いの恋を描いた、コテコテの悲恋物語だ。


都から遠く離れたその小さな国に、それは不思議なお姫様が居た。
何でも天気を操り、人々へ太陽の、雨の恵みをもたらしたらしい。
そんなお姫様を、男も女も、老いも若きも、それはそれは慕っていたそうだ。


お姫様はお決まりのように城下へ遊びに赴き、そこでとある青年と出会う。
天下太平を目指し士を志した彼は、彼女へ仕える兵の一人だった。
壮大な野望を捲し立てる彼に、姫君は懸想を深めていく。


蜜月を繰り返す内に、その小国へ魔の手が伸びる。
姫君の不思議な力を手中に収め、勢力を伸ばそうと目論見る大国だ。
かくして戦火に巻き込まれた小国はひとたまりも無く。
姫はお供に連れられ、どうにか落ち延びようとしていた。


奮戦も虚しく追い詰められた姫君と、矢尽き息も絶えかけた青年。
状況を理解した姫君はそっと青年に囁いた。



  十重に生き、二十重に死のうと、ただわたくしは依り添いましょう
  そなたを見守る日輪と燃え、照らす満月と輝き、また癒す風と吹きましょう
  八百余年の流る後にも、篤くお慕い申し上げます



平和を尊ぶ彼女は大国の手駒となる生を拒んだ。
そして姫は激しい嵐を喚び、国もろとも泥に沈んでしまったそうだ。


 「けっこう面白いだろ?」

何度か芝居の演目にもなったらしい。
特に最後の台詞は名調子の見所だとか。
まぁ、目撃者が全員埋まってる以上、どこまでいっても伝説は伝説だけど。

 「……まことー、世は驚きに満ちていましてー」

 「芳乃?」

 「ふむー。わたくしの知っているものとー些か異なりますねー」

 「え、そうなのか」

 「彼女は流れ矢に倒れー、慕情も伝えられずー失意のままに世を去ったのですー」

 「どっちにしろ悲恋なんだな……」

 「昔の話ですー。今の世はーまこと穏やかになりましてー」

 「姫さんも喜んでるといいな」

 「でしてー」

台本を閉じて芳乃がゆっくりと立ち上がった。
すぐ傍まで近付くと、袂から扇を取り出してオレの頭を叩く。
叩く。叩く。叩く。叩く。叩く。叩く。
ぺし、ぺしん。ぺしぺしぺしぺしん。


 「あの……芳乃さん?」

 「それはそれとしー。そなたはー身体を粗末に扱い過ぎでしてー」

 「……ええと」

 「その調子ではー再び死の淵を彷徨いかねずー」

芳乃が心なしか楽しげにオレの頭頂部を連打する。
木魚にはなりたくないなと思った。

 「海よりも深くー深くー省みるべきではありませぬかー」

 「……ご迷惑とご心配をお掛けし、申し訳ありませんでした」

 「ゆめゆめー結んだ契りをー、三たび破る事の無きようにー」

 「楽しい?」

 「なかなかー」

オレは叩かれるままに笑ってしまった。
今度は鼓でも打たせてみるのも面白いかもしれないな。
いや、いっそ法螺貝なんて吹かせてみるのもいい。

多生の縁だぞ

ありがとう そのツッコミが見たくて夕方からずっと待ってた

ってフェイントか 危ない危ない



 「ところで芳乃」

 「何でしょうー」

 「別にオレ死にかけてないだろ」

 「そうでしたー」


ぴしゃり。


それはそれは楽しそうに、芳乃がオレの頭を叩いた。


 ― = ― ≡ ― = ―

 「お疲れ。饅頭食うか?」

 「頂きますー」

ダンスレッスンが終わる頃を見計らい、差し入れと送迎に顔を出す。
トレーナーさんの姿は無く、ジャージ姿の芳乃がストレッチをこなしていた。
着物以外の姿もだいぶ見慣れてきたな。

 「調子はどうだ」

 「悪くないのではないかとー」

 「ドラマの方は?」

 「なかなか難しくー」

 「そうか……ちょっと調子を見せてくれよ」

 「はいー」

鞄から台本のコピーを取り出してめくる。
どこがいいかしばらく迷って、やっぱり最後が分かりやすいかと当たりを付けた。
芳乃も台本を掲げたのを見て、咳払いを二つ。

 「ええと……『申し訳も立ちませぬ。我が弓、我が剣は力及びませんでした』」

スレタイであなたを期待したら当たりだったので小躍りした



 『気に病む事はありませぬ。彼らの弓、そなたの剣。わたくしを守る為に振るわれた力を、どうして誹る事など御座いましょうか』


歌や演技へ挑むに当たり、芳乃もようやく口調を合わせる事が出来た。
最初の頃はそりゃもう大変だった。壮絶だった。
いや、それはいい。


 『おお、実に勿体なきお言葉。されど尚惜しくは、もはや姫をお守り申し上げるが叶わぬ事。先祖代々より仕えしこの身を、千代八千代と捧げられぬ事こそ』

 『そなたの肌、そなたの瞳、そなたの声にこそ、わたくしは守られて参りました。いずれはそなたが治めん太平の世を目に出来ずして去る事こそ、ただわたくしの惜しむものゆえ』


まだ少しぎこちないが、芳乃が言うほど悪くもない。
素人丸出しのオレに比べれば天と地の差だ。

さぁ、名調子を聞かせてもらおう。


 『嗚呼、あぁ、姫。願わくば黄泉への土産に、その美しい声を残してはくださいませぬか』


芳乃が身を寄せてきた。

多生



 『えぇ、えぇ、願ってもなき事。言葉を尽くしても足りぬこの心地を、ただ言葉を尽くしお伝え申し上げましょう』


死にかけの兵士は身動き一つ取れない。
慈母のような芳乃の暖かさを、オレはただ黙って受け入れるしかなかった。

 「……」

芳乃がしばらく目を閉じて、それから再び開いた。

 「十重に生きー、二十重に死にましたー」



 「……」

 「そなたを見守る日輪と燃えー、照らす満月と輝きー、また癒す風と吹きましたー」

 「芳乃」



 「――八百余年を経たー、この太平の世に在ってもー。そなたを、お慕い申しております」


芳乃の演技は零点中の零点で、オレは彼女に掛けなきゃならない言葉があった。


 「芳乃」

 「はいー」


こんなにも近くにある瞳に、オレは。



 「どっかで……会ったっけ?」


 「……ほほー。そなたはー、まことおかしなお人でしてー」

暖かさは静かに離れていった。

 「依田は芳乃ー。齢十六を数えたあの日までー、そなたと顔を合わせた事はございませぬー」

 「……だよな」

 「ですがー」

芳乃が振り返る。
腰に提げていた飾り鈴が小さく鳴った。

 「人と人との出会いにはー必ず何かしらの理由がありー」

 「……」

 「そなたとわたくしが巡り会ったのもー、きっと多少の縁があった故かとー」

 「……かもな」

 「そなたー」

芳乃が目の前までやって来る。
頭一つ分の差を埋めるように、オレは覗き込んで、彼女は見上げていた。
芳乃が笑う。


 「そなたの夢をー、いま一度お聞かせくださいませー」


 ― = ― ≡ ― = ―


 「そなたーそなたー」

 「うん、良く似合ってるぞ」

 「ほー。そなたもようやくー女心というものをー解するようになりましてー?」


ドラマの撮影現場ってのはなかなか騒々しいモンだった。
スタッフがあちらこちらを忙しなく行き交い、声がそこかしこから飛んでくる。
普段着に比べちゃ少々安っぽい衣装は、けれど芳乃に映えていた。

 「お姫様みたいだ」

 「今のわたくしはー紛れも無く姫でありー」

 「お姫様だ」

 「でしてー」

ふと、芳乃の小さな口が開く。
思い出したように手を打って、目の前でくるりと一回転。


ぱしり、ぱしり。


長く鮮やかな袖が舞い、安っぽいジャケットの袖を叩いた。


 「……芳乃?」

 「細かい事はーお気になさらずー」

 「……まぁ、細かいか」

 「でしてー」

 『依田さーん、少しいいですかー』

 「はいなー」

鎌倉時代にしてはやや鮮やか過ぎる着物を揺らし、とてとてと芳乃が歩いて行く。
長い髪は結い上げられ、簪で美しく留められている。
少しずつ離れていく小さな後ろ姿に、オレは言いようのない焦りを感じた。

 「芳乃」


 「はいー、何でしょうー」

 「あ、いや、ええと」

何故声を掛けたのかオレにも分からなくて、不意に後ろから頭を叩かれた。
慌てて振り返っても姿は無く、だが不思議と言うべき言葉だけが滑り出てくる。
オレは芳乃に向き直って、舌がもつれないように、はっきりと言った。


 「…………お待たせ?」



驚いたような。
慈しむような。
呆れたような。


 「……ほー」


芳乃の顔に幾つもの表情が浮かんで、とうとう彼女は笑い出した。

 「……いや……何言ってんだオレ?」

 「全くでしてー」

そう言いながら、芳乃は口元を袖で覆い隠す。
肩を揺らし、身体を揺らし、目元には涙まで浮かんでいた。


 「……そなたはー」


涙を拭い、彼女が微笑みを浮かべる。


そして幾重にも重ねた、鈴を振るような声で。




 「本当にー……おかしな、大馬鹿者ですね」

 「かもな」



きっと、生まれ変わったってこのままだろうさ。


おしまい。
芳乃ちゃんは割とわがまま可愛い


元ネタは佐用姫伝説『褶振峯』でして
http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68643
[参考] 國學院大學デジタル・ミュージアム 万葉神事語辞典 - 『袖』

茄子さん芳乃ちゃんを書けたので残るはこずえちゃんですね


ちなみに微課金なのでそもそも振る袖がありません
誰か助けてくれ


あと冬コミでこういう本を出すので良かったら遊びに来てね

乙!
よしのんの無敵感よ

よかった。
冬は、あそびにいくよー。

タイトルの「多少の縁」って、>>1みたく微課金でもSRまでならいけるってことで、

元の「他生の縁」は、この話のプロデューサーみたく、SSRは来世にご期待ください、ってこと?

>>48
http://i.imgur.com/LEFM88b.jpg
フェス限楓さんガシャを回すため念入りに身体を清める等、
最善を尽くせば微課金Pの事務所にも芳乃ちゃんが遊びに来てくれたりするという事です

リセマラしろって事?

来世ってそういう

ええなあ
おつでしてー

test

?
?



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