杏とうさぎは2人もいらない (19)
カーテンの隙間から漏れた光が直線となって薄暗い部屋に伸び、それは私の顔に当たって、目覚めを手伝う。
恨めしく薄目を開けて、傍に転がっているスマホに手を伸ばして時間を一瞥する。確認してため息。
今日は仕事があるから、あと数十分もすればプロデューサーから着信が来るだろう。
出ても出なくても(大抵出ないけど)そんなのは関係なく、
着信からしばらく経つと合鍵を使って無理やり仕事に連れて行かれることは分かりきっていた。
担当アイドルの自宅の合鍵を持つプロデューサーなんて、週刊誌に載ったらスクープ間違いなしだよ、まったく。
それでも事務所が許可したのも、私の性格とプロデューサーへの信頼があってのことなんだろうけど。
はぁ……働きたくない。
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起き上がる気にもなれずごろんと寝返りをうつと、さっきまで枕代わりにしていたうさぎと目が合った。
「カエダーマ大作戦……杏の代わりに仕事いってくれないかなぁ……」
『何だかうかない顔をしてるね』
突然、誰かに話し掛けられる。
私はびっくりして上半身を起こして部屋の中をきょろきょろと見回すけど、もちろん誰もいない。
『ここだよ、ここ』
声のする方向もわからない。だけど、もしかして。
さっきまで見つめていたうさぎに目を向けると。
『そう、僕はうさぎだよ。聞こえてるだろう、杏ちゃん?』
「……喋れるんだね」
『声は出せないから、正確には杏ちゃんの心に話しかけてるんだけどね』
「……」
『驚かないんだ』
「理解が追いついてないだけ……で、なんだっけ?」
『杏ちゃんがうかない顔をしてたから、話し相手になりたいなって』
「話し相手……」
『そう、話し相手。こんな時は、誰かと話してる方がきっといいから。それで、どうしたの?』
「どうしたもなにも、これから仕事なんだよ。あーめんどくさいなぁ」
『行きたくないんだ?』
「そりゃそうだよ。サボれるならそうしたいよ」
『僕はずっと仕事をしてるけどね』
「ぬいぐるみに仕事なんてあるの?」
『もちろん。何もせずにしていることが仕事だよ。キビキビ動くぬいぐるみなんて、見たことあるかい?』
「いや、ないけどさ」
「だろう?」
倒れたままじゃどうかと思いベッドを背もたれに立たせることにして、私はその横に腰を下ろす。
「そんな楽な仕事なんて、羨ましい」
『杏ちゃんもやってみる?』
「えっ、杏にもできるの?」
『うん。手始めに、そうだな。さっきベッドから降りるときに一緒に持ってきたスマートフォン、こっちに頂戴』
「これを?」
『うん。ぬいぐるみはスマホなんかしないからね』
「うーん、そうだけどさ」
私は手に持ってたスマホをうさぎの目の前に置く。
『随分かわいいケースだね』
「きらりと色違いのお揃いにしてるからね」
『じゃあ、次は髪留めだ』
「いや、髪ないじゃん」
『耳にでもつけてくれれば大丈夫だよ』
「はぁ……わかったよ」
いつの間にか寝てたから付けっぱなしだったヘアゴムを外して、うさぎの耳に引っ掛ける。
『うん、これも良い物だね。クローバーのモチーフが付いてる』
「それは智絵里ちゃんがくれたんだよ」
『じゃ、次は服だ』
「服? 上はTシャツ1枚し着てないんだけど」
『ぬいぐるみ前では脱げない?』
「んー、いまさらだからそんなことないけどさぁ」
『だったらいいんじゃないかな』
「はいはい」
脱いだTシャツを着せる。
さすがにうさぎには大きくて、顔が出るだけで手足はすっぽり隠れてしまった。
『よし、体が軽くなったところで、体をぶらぶらさせてみなよ』
「ぶらぶらって……こんな感じ?」
『そうだね。うん。もっと軽やかに。何にも考えずに頭を空っぽにするんだよ』
「何も考えず……頭を空っぽに……」
ぶらぶら。ぶらぶら。
ぶらぶら。ぶらぶら。
ふと気が付くと、鏡で見なれた自分の姿が隣に立っていた。
ライブ衣装に身を包み、髪留めに付いたクローバーがキラリと光を反射する。
ステージマイクを持つ反対の手には、可愛くデコレーションされたスマホが握られている。
『ちょっと待って、それは杏のだから!』
叫んだつもりだけど声も出ない。
それでも伝わるのか、私の声で、私の口調で応える。
「もう、僕がもらったよ。きみはうさぎだろ? こういったものは必要ないからね」
『駄目。すぐに元に戻して』
「何故? きみが望んだことだろう? もうステージに立って歌うことも、レッスンに通うことも、面倒なことは全て僕が代わりに引き受けるさ」
『それでも駄目。そればっかりは、あげられない』
「じゃあ、何を捨てるんだい。事務所のみんな? やっぱり、行きたくないアイドルの仕事?」
『まだ捨てるとは言ってない!』
「そうかい。なら、大切にすることだね」
『わかってる。そんなのわかってるよ!』
私は、小さなうさぎの体で、心の底から叫んだ。
「はは。やればできるじゃないか」
うさぎの声が高らかに響く。
………
……
…
カーテンの隙間から漏れた光が直線となって薄暗い部屋に伸び、それは私の顔に当たって、目覚めを手伝う。
むくりと起き上がってから、枕代わりにしていたうさぎに目を向けても、もちろんなにも喋らないし、なにも起こらない。
シャワーを浴びて身支度を整える。
今日はいつものTシャツはやめて、ワンピースにでもしようかな。
クローバーのヘアゴムを付け終わると、スマホが震えだした。
画面にはプロデューサーの文字が表示されている。
「もしもし、プロデューサー?」
『お、珍しく出たな。もうそろそろ着くから、準備してくれ。いつも通り10分待っても出てこなかったら強制執行だから諦めて――』
「もう済んでるからすぐ来てくれていいよ」
『……今日は槍でも降るのかな。わかった、それじゃまたすぐにな』
「あ、切らなくていいよ、このままで……ひとつ訊いていい?」
『ん、なんだ?』
「プロデューサーはさ、仕事とか、いまの自分とか、全部投げ出したくなったりしない? ネクタイが息苦しいって感じたことないの?」
『……』
電話越しに、カツ、カツと、ゆったりとした足音が聞こえてくる。
『そりゃ俺にも仕事行きたくない日だってあるさ』
「でも、やっぱり行くんでしょ?」
『ああ、そうだ。息苦しさを感じるときもあるが……』
ピンポーン、と部屋のチャイムが鳴り、私は開錠してドアを開ける。
「こうして杏を迎えに行ける、いまの自分も気に入ってるからな。そう簡単には投げ出せないさ」
そう。結局のところ。気付いたら大切なものは増えていくんだろう。
めんどうだと思うことは本当で、でもそれを捨てられないのも本当で。
「……ドヤ顔は杏だけで十分だからさ、ひとつお願いしていい?」
「訊いといてそれかよ。なんだ? 準備済ませてたからご褒美の飴か?」
「うん、それも貰うけどさ。仕事終わったらでいいから、寄ってほしい所があるんだ」
「どこへ?」
「手芸屋さん……ソーイングセット、買いたいから」
夢であっても。気付かせてくれたきみへ。
ありがとうを込めて。
杏は面倒と言いながらもアイドルを楽しんでほしい。
ここまで読んでくださった方に、ぬいぐるみを。
乙
ちっこいのでいいから、ぴにゃこら太のぬいぐるみくだしあ。
乙
ぷちでれらのぬいぐるみとかどうかな
つまんね
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