モバP「鷹富士茄子の幸福論」 (29)


 あなたの幸運は私が預かりました。鷹富士茄子


 外食を済ませてデスクに戻ると、モニターにはセロハンで貼られたメモ用紙。首を傾げて椅子に腰を下ろし、剥がしたメモ用紙に視線を落とす。

 品のある綺麗な文字。そして、どことなく可愛げもある。書き主と同じで、気取らない美しさがある。情報はそれだけ。

 文面の意味を理解できない。

 額面通りなら、どうやら俺は運を人質にとられたらしい。

 何度読み返しても、意味不明だった。



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 俺は運が悪い。らしい。

 ただし、茄子さんから見ればと注釈をつける必要はある。特別自覚はなく、また目立ったエピソードもない。

 茄子さんと出会って、初めて運の悪さを指摘された。彼女曰く、俺は悪い巡りのなかにいて、抜け出せずにいるのだとか。

 はあ。茄子さんの話を聞いたとき、俺はそんな曖昧な返事をしたものだ。バーナム効果的な類の話だと考えていた。

 なかなかどうして、自分にとって普通なことを疑うのは難しい。それに、やっぱり誰にでも当てはまる話だった。

 当然、茄子さんは俺の反応に不満を示した。

「あっ、信じてませんね? それならこう」

 そう言って手を差しだしてくる。訳がわからず首を傾げていると、茄子さんは俺の手を取り和やかに微笑んだ。

 あまりにも可愛らしい笑顔。俺は見惚れてしまう。

「お裾分けです。私、運がいいんです。だから週に一度、こうして幸運をお裾分けします。そうしたら私の話、信じてもらえますよね」

 別に疑っていなかったけれど、俺は首肯した。優しい人だなと感心しつつ、この人のためにも頑張ろうと意気込んだ。

 お裾分けの効果はわからない。自分の運がどうなったのか。多忙を極める日々のなかで、今日まで考える余裕はなかった。

 茄子さんは、仕事が落ち着いてきたタイミングを見計らったのかもしれない。

 珍しく定時に会社を出て、ぼんやり歩きながら思考を回す。昼のメモはなんだったのだろう。

 そういえば、今週は忙しくて茄子さんと会えていない。土日は休みなので、次に会うとしたら明々後日の月曜日だ。

 お裾分けの話をしているのだろうか。悪いことをしたかな。帰ったらメールしよう。

 瞬間、ぴしゃごろ。閃光のち轟く雷鳴。

 緊張が走る。空を見上げるといつの間にか漆黒の雲が広がっていた。二秒後、冗談みたいな土砂降り。ゲリラ豪雨だ。

「うおっ、まじかよ」

 近場のコンビニまで走る。到着した頃には水が滴るほどびしょ濡れだった。ビニール傘を購入して外に出る。

 雨は止んでいた。

「…………」

 駅に到着すると、ホームは人で溢れていた。アナウンスによると信号機の故障で遅延しているらしい。

 電車が到着したのは一時間後。車両はすし詰め状態、足が浮く。揉みくちゃにされながら、どうにか目的の駅に降車する。

「…………」

 やっとの思いでマンションにたどり着くと、エレベーターが止まっていた。震度計の誤作動だと貼り紙されていた。

 仕方なく六階まで階段を上る。途中、スラックスのケツが裂け、革靴の靴ひもが切れた。

「…………」

 茄子さんの言葉を想起する。そして昼のメモも。

 ただでさえ不運なのに、

 運を人質にとられてしまった!

 どんよりとした気分で自分の部屋の前に立つ。唾を飲む。

 幸い鍵はあったし、錠が壊れているなんてこともなかった。しかし油断はならない。ドアノブが外れても俺は驚かない。

 ゆっくりとドアを引く。

 何事もなく開く。なんだ思い過ごしか。そう、ちょっとタイミングが悪かっただけだろう。

 ため息混じりに自分を慰めて、灯りを点ける。ぱっと白い光が部屋を照らして、

「ばあっ」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 人。人がいた。まさかここまで不運がくるのか!? 強盗。俺はここで死ぬのか。尻餅をつく。

「もう、プロデューサー、驚きすぎですよー」

 涼しく柔らかい声音。視線を上げると、顔の横に手の平を添えて悪戯っぽく笑う茄子さん。

 意味がわからない。

「か、茄子さん」

「カコじゃなくてナスですよー。段取りと違います、はいもういちど」

「はい?」

 段取りってなに? 混乱する。茄子さんは俺が言うまで納得してくれそうにない。理解の及ばない展開である。

 それでも話を進めるためには仕方ない。

「ナスさん」

「ナスじゃなくてカコですよー」

 ふんすと鼻を鳴らす茄子さん。ドヤ顔だった。いじわるな感情が湧いた。

「……それで、ナスさん」

「ナスじゃなくてカコですよー」

「ナスさんはどうして俺の部屋にいるんですか?」

「な、ナスじゃなくてカコですよー!」

「大体ナスさん、うち知りませんよね? どうやって来たんですか」

「茄子です! 茄子ですって!」

 嘆息。このあたりでやめておこう。涙目の茄子さんを前に少しだけ罪悪感を抱く。俺は大人げなかった。

「茄子さん。それでどうやって来たんです?」

 訊きたいことは沢山あったけど、まずはこれ。話したこともなかったし、施錠して出たはずだ。

 茄子さんは俺の前に正座する。恨めしそうに睨まれた。知らないふりをしよう。

「インターネットの地図あるじゃないですか。事務所を中心に半径二十キロの範囲をA4用紙に印刷するんです。それでこう」

 目を瞑ってダーツを投げる仕草。

「はい?」

「刺さった場所を中心に拡大して二回試したら、ここに着きました」

「……鍵は、鍵は閉まってましたよね」

 それはこう。茄子さんはドアノブを数回回す仕草。

 いやいや。いやいやいや。

 俺は運が悪いらしい。茄子さんに指摘されて気づいた。

 だけど、茄子さんと比較したら誰だって不運に該当するだろう。メモの文章に現実味を覚える。

 そして、危機感を抱く。彼女に運を握られた俺は、一体なにを要求されるのか。

 茄子さんの笑顔を前に、ため息しか出てこなかった。

「プロデューサーは最近、私たちに冷たいと思います」

 茄子さんは器用にパスタをフォークに巻きながら言う。同じように巻いても、大きくなりすぎたり小さすぎたり、なかなかいい大きさになってくれない。なにかコツでもあるのだろうか。

「聞いてますか?」

「はいはい、聞いてますよ」

 夕食は冷凍のパスタ。電子レンジで加熱すれば完成する便利な代物だ。本当は茄子さんが料理を作ると提案してくれたが、独り暮らしの男の部屋を舐めていたらしい。

 冷蔵庫を開けた茄子さんは絶句して、信じられないといった感じでこちらを振り返った。冷蔵室には飲料しか入っていない。

 以前、あまりの忙しさにほとんど帰れない日が続き、そこそこな量の食材を駄目にしたことがある。それ以来、俺は冷蔵室に食材を入れるのをやめた。

「適当はよくありませんよー? 泣いちゃいますよー?」

 最近ではもっぱら出来合いの料理ばかりだが、そこそこ美味しいので問題ない。技術の進歩はすごい。

 茄子さんの手料理が食べられなかったのは残念だけど。

 なんて思考を逸らす。

 俺の部屋に茄子さんとふたり。

 この状況に落ち着けるほど、俺の女性経験は豊かではないのだ。

「泣かないでくださいよ。大丈夫、ほんとに聞いてますから」

「なら、答えてくださいねー。ほらほら、冷たくありませんか?」

「いや、まあ、自覚はありませんけど。でも、そうですね。ここのところ忙しくて……ほら泰葉ちゃんの映画、明日公開ですから」

 映画公開に合わせてここ二週間、番宣の仕事が立て込んでいた。テレビ関係は打ち合わせが大変なのです。

「まあ、それはわかってますけどー」頬を膨らませて見せた。

「いえ、すいません。たしかにおざなりにしていたかもしれませんね」

 ぱーっと明るくなる茄子さん。表情豊かで見ていて飽きない。いまいちなにを考えているのかはわからないけれど。

「そうです! おざなりにされました! 私は寂しかったのです! 泰葉ちゃんも寂しがっていました!」

「は、はあ。それで俺の運を人質にしたのですか」

「はい。今のプロデューサーはなにをやっても、うまくいきません。つまり、私といちゃいちゃするしかありませんよー?」

「その理屈はおかしい」

 茄子さんは不思議そうに首を傾げた。可愛らしくていちゃいちゃしたくなる。

「プロデューサー、恋人いましたっけ?」

「……今は仕事が恋人ですね」

「なら問題ないですねー。それにほら、構ってくれないと運、返しませんよ?」

 味どうですか? みたいに脅される俺。ちょっと待ってほしい。色々待ってほしい。

 頭がついていかなかった。

「ええと、どうしたら満足してくれるんですか?」

「明日、デートをしましょう。デート、デート。してくれたら、返します」

「デートですか。大それたことじゃなければ、まあ……」

 部屋にふたりでいるよりは健全であろう。むしろ今、俺はどれだけ信用されているのか。喜んでいいのか悪いのか、複雑な気持ちだった。

 俺の気なんて知らない茄子さんは、豊満な胸の前でグッと拳を握り喜んだ。

「やった。約束ですよ? 破ったら大変なことになりますからね」

「ちなみに、どうなるんですか?」

 そうですねー。彼女は勿体ぶるように一拍置く。俺は息を呑んだ。

「抜けます、髪」

「やめて。やめて!」

「破らなければいいんですよー」

 にこにこと無邪気に微笑む茄子さん。完全に逃げ道を塞がれた瞬間だった。

 皿を洗っていると後ろで、茄子さんが「んー」と唸った。

「男の人の部屋ってこんな感じなんですねー」

「まあ、そんなには変わらないでしょうね」

「じゃあ、探せばえっちな本も?」

「ノーコメントです」

 洗い物を終える。冷蔵庫から緑茶を取り出し、用意したそれぞれのコップに注いで座卓に置く。茄子さんは軽く会釈して一口含んだ。

 俺は座卓を挟み茄子さんの正面に腰を下ろした。

「えー、いいじゃないですか。私とプロデューサーの仲なんですから」

「男の秘密、ダメ絶対」

 茄子さんは納得がいかないのか眉をひそめる。しかし、駄目なものは駄目なのだ。

「むー、でもでも、私たち意外とプロデューサーのこと知らないんです。教えてくださいよー!」

「待って、順序というか興味の持ち方おかしいですよね? どうするんです、とんでもないの出てきたら」

 破く仕草。理不尽である。俺がため息をつくと、茄子さんは笑った。

「冗談です。でも、もうちょっと仲よくしたいなーとは思います。プロデューサー、仕事ばかりですから」

「……すいません。そろそろ落ちつきますから」

「謝らないでください、ただのわがままですよ。それに私たちのために頑張ってくれて、感謝してます。でも、もう少しだけ、自分のことも大切にして欲しいですねー」

 微笑む茄子さんはどこか切なげで、俺は申し訳ない気持ちになる。それからすぐ、茄子さんは帰った。

 静かになった部屋は、なんとなく寂しかった。

 とんとんと、リズミカルなBGMに目を覚ます。

 次に香りを感じ、空腹を自覚する。寝ぼけた頭に浮かぶのは実家の光景。懐かしい気分だった。

 しかし、ここは実家ではなく、俺は独り暮らしだ。……おかしいよね。心で呟いてみる。違和感を覚えると落ち着かない。

 上半身を起こしキッチンに視線を向ける。エプロンをした茄子さんの後ろ姿があった。

 視線に気づいたのか、茄子さんは振り返る。

「あっ、起きました? もうすぐできますからねー」

 そうしてまた調理に戻っていく。自然に、当然と言わんばかりに、調理を再開していた。

 なんだこれ? 嫁か? 違う。あまりにも堂々とした言動は、俺を混乱させる。

「あ、あの、なにをしているのですか?」

「デートです」

「いや、デートってどこかに行くんじゃ……」

「家デートです!」

 憧れだったんですよー。茄子さんは嬉しそうにうふふと笑った。水を差すのも憚られて、俺は、

「……そうですか」

 とだけ応えた。突っ込んだら負けだと思う。

 料理は五分もしないうちに座卓に並んだ。献立は味噌汁と焼き鮭、ほうれん草のおひたし。茄子さんのイメージ通り、和食だ。

「本当はもう少し凝ったものを作りたかったんですけど、まだ練習中なんです。上達したら振る舞いますね」

 照れくさそうにはにかむ茄子さんは可愛い。料理は家庭的な味で、普通に美味しかった。

 食事を終えてのんびりとお茶を啜る。なんだろう、違和感しかない光景なのに、慣れつつある自分がいた。

「ごちそうさまでした。美味しかったです。茄子さんって家庭的なんですね」

「意外ですか?」

「意外とまでは言いませんが……、でも、まあ、あまりイメージにはなかったかも。こういう売り出し方もありですね」

 鷹富士茄子という名前とできすぎたプロフィールは、神社仏閣から大層喜ばれた。つい昨日まで正しく認識していなかったが、巷ではその幸運にも注目を集めている。

 だから、自然と縁起の絡む仕事に偏り、神秘的な容姿もあってちまたでは幸運の女神だなんて呼ばれることもしばしば。

 しかし弊害として触れ難い印象もできあがった。最近でこそ少しずつ露出も増えてきたけれど、本来の魅力はまだ伝えられていない。

 どちらが良いのかは悩みどころ。バランスの問題だとは思う。でも、一度定着したイメージを崩すのは難しい。

「プロデューサー、駄目ですよー」

 どうやらぼうっとしていたらしい。気がつくと茄子さんは隣にいた。応えるより早く、俺は顔を両手で挟まれ固定された。

 目と目が合う。良い香りがする。

「女の子を無視するなんて」

 めっ、と茄子さんはわざとらしく言った。

 お茶目で可愛らしい彼女の魅力。伝えられればもっと人気がでるだろう。注意されても、俺はそんなことを考えていた。

「デートと言ったら映画ですよねっ」

 午後は外食をしてから、茄子さんの提案で、隣駅の映画館を訪れた。

 泰葉ちゃん出演の映画を鑑賞する流れになったのだ。ダシに使っているようで申し訳ない気分になるが、観客の反応も気になるしいい機会だろう。

 券売機でチケットを二枚購入して、片方を茄子さんに手渡す。彼女はお金を払おうとしていたけれど、デートですからと言うと照れくさそうに受け取ってくれた。

 第二スクリーンは公開初日もあって満員だった。有名な監督と泰葉ちゃんの組み合わせは話題を呼んでいる。

 チケットを確認して席に着く。俺たちの座席は中央ど真ん中。運良く一番いい席をとれた。これも茄子さんの幸運のおかげなのかもしれない。

「楽しみですねー。……あっ、プロデューサーは試写観たんでしたっけ?」

「ええ。でも、結構複雑な物語ですから理解しきれませんでした」

「……あの、気づかなくてごめんなさい」

 しょんぼりと目を伏せる茄子さん。心がざわつく。違う。茄子さんにこんな表情をさせたくない。

「いいんですよ、もう一度観たかったんです。それに」

 それに。俺にとっては。

「茄子さんが楽しんで喜んでくれれば、いいんです。茄子さんが笑ってくれれば俺は嬉しいんですよ」

 可愛らしい笑顔を見れば元気も出る。茄子さんは幸運の女神なんて呼ばれるけれど、幸運がなくても女神なのだ。

「ずるいですねー。ずるいです。ずるいですよー!」

 ぱたぱたと手で顔を扇ぐ茄子さんの表情は明るい。

 その表情を眺めれば俺の気分も明るくなる。

 茄子さんと泰葉ちゃん。ふたりが幸せならば、楽しんでくれるのであれば、俺はどんな苦労も厭わない。

「でも、プロデューサー。それは私も同じなんですよ? たぶん泰葉ちゃんも。だから、一緒に楽しみましょうね」

 ええとだけ返事をする。気障ったらしい言葉を口にしたものだから、無性に気恥ずかしくなった。

 しばらくして映画は始まった。

 複雑に絡むキャラクターたちの思惑によって真実は隠され、謎を深めつつ物語は進行していく。軽快なセリフの掛け合いと、哲学的な命題を伴ったセリフ回しは心地よく、惹きつけられる。

 幕が閉じる。周囲を見渡すと大半の観客は満足そうな表情を浮かべていた。

 結果は上々だ。安堵するとともに、隣に座る茄子さんを一瞥する。やっぱり可愛いよなぁなんて当然な感想を抱く。

 どうにも思考は浮ついていた。

「楽しめましたか?」

 注文したコーヒーを受け取り、窓側の席に腰を下ろすと茄子さんはそう言った。窺うような表情に申し訳ない気分になる。

 俺は彼女の杞憂を振り払うため、深く首を縦に振る。

「新しい発見があって面白かったですね。あと、泰葉ちゃんの演技も改めてすごかったなと」

 泰葉ちゃんは黒幕の役で、物語における諸悪の根源だ。有り体に言えば悪役。幅を広げるためにとってきた仕事だが、これがなかなかにハマっていた。

 感想を告げると、茄子さんの表情はぱーっと晴れる。胸のうちで安堵する。

「たしかに、泰葉ちゃんの演技、堂に入ってましたね! ラストの壮絶な表情とセリフには圧倒されました」

「さすがに子役から続けてるだけはあります。悪役は初めてだったそうですけどね」

 これからはもっと悪役や脇役あたりも推していこう。十年二十年生き残るには主役級だけでは厳しい。できることは多いに越したことはないのだ。

「むう」

 と、茄子さんはむくれる。やってしまった。昼に注意されたばかりなのに。

「あの、すいません。ちょっと思考が飛んでました」

「いいですけどねー、生真面目なところがプロデューサーのいいところですから」

 悪いところでもありますけどね。言外にそう聞こえる。

 茄子さんは人差し指を立てて「でも」と言葉を付け加える。母親に怒られる子供の気分になった。

「楽しむとこは楽しみましょう。今は仕事じゃありませんよ?」

 それは、俺にはとても難しい言葉だった。

 公私を混同していると言われれば、その通りだと思う。アイデアはふとした瞬間に降りるし、プライベートな時間は常に彼女たちの売り込み方を考えている。

「ワーカーホリックですね、俺。やっぱり職業柄、なんでも仕事に繋がるんですよ」

「うーん、悪いとは言いませんけど……どうせなら仕事ではなく、純粋に私を見て欲しいですねー」

 にっこり微笑む茄子さんに視線を奪われる。独占しておくには勿体無いだろう。

 しばらく雑談をしてカフェを出たあと、茄子さんと一緒にスーパーへ寄った。どうやら夕食も俺の部屋で作ってくれるらしい。

 メニューはカレー。具材は俺の希望で玉ねぎと豚肉。所謂おふくろの味というやつで、久々に食べたくなった。

 部屋に戻ると茄子さんはそそくさと調理を始めた。具材が少ないこともあってか、すぐに終わりあとは煮込むだけ。

 キッチンから届くスパイスの香りに、懐かしさと温かみを覚える。久しぶりに生活をしていると実感が湧いた。

 ベッドを背もたれにして隣り合って腰を下ろす。もし、恋人がいたらこんな感じなのかなと淡い妄想を広げてみたけれど、そんな時間はないよと頭の片隅で誰かが言った。

「夕飯までありがとうございます」

「私がご馳走したかったんです」

「そうだとしても嬉しいです。やっぱり手作りの料理はレトルトとは違いますから」

「なんなら毎日作りましょうか?」

 おどける茄子さん。とても魅力的な提案だったけど、残念ながらアイドルの世話になるわけにはいかない。

 俺は肩をすくめた。

「いえ、もう十分ですよ。気持ちだけで」

 すると、茄子さんは俺の正面に回り、腕を大きく広げた。意図が読めず、首をかしげる。

「プロデューサー、一緒に幸せになりましょう? 大丈夫です、私が幸せにしますから!」

 男前だった。いや、美女だけど。唖然とする俺を無視して茄子さんは言葉を続ける。

「私は幸運を持ってます。プロデューサーに出会えて、幸せをもらいました。だから恩返しです。さあさあ」

 抱きしめる仕草で催促してくる。いやまて、話がおかしくなってきた。じりじりと距離を詰められる。

「うふふ、あなたの茄子ですよー」

「それは他人のネタだ!」

 背後はベッド、逃げられなかった。

「こ、降参、降参です」

 目と鼻の先、といったところで茄子さんは止まった。彼女は悪戯っぽく笑う。つられて俺も笑った。

「あっ、やっと笑ってくれましたね!」

「え?」

「プロデューサー、ここのところ笑ってませんでしたよ? 少なくとも、昨日から今までは一度も見てません」

 記憶を探ってみても、どうだったかは憶えていない。まあ、自分の表情なんて普段意識しないか。

「そうですか? そんなつもりはなかったんですけどね」

「忙しすぎるんですよー。仕事をとってきてもらう私が言うのもなんですけど、もう少し気楽に構えませんか?」

「うーん、今結構上手くいってるんですよねぇ」

 一応、待っていれば仕事が来るくらいには順調といえる。それでも、彼女たちならもっと多方面に活躍できるはずなのだ。チャンスは掴みとらないと。

 茄子さんは困ったように唸った。

「うぅ、で、でも、捨ててる企画も多いんですよね? それってプロデューサーの感性がズレてきているんじゃないですか」

「あー、……それはそうかもしれません。たしかに無駄にしている時間も多いかも」

「そうです! だから、一緒に幸せになりましょうよ。幸運を共有しましょう」

 女神の笑みをたたえて甘美な言葉を紡ぐ茄子さん。それもいいかもしれない。ほだされかける。

 だけど、同時に違和感を覚えた。

「茄子さん、昨日から様子おかしいですよね。どうかしました?」

 ぎくっと肩が跳ねる茄子さん。彼女は少し後ろに下がって正座した。表情は悪戯がばれた子供のようだった。

「……夢を見たんです。悲しい夢でした。プロデューサーがひとり、暗い部屋で泣いているんです。手を伸ばしても声をかけても届かなくて」

 茄子さんはえへへと照れたみたいに笑った。俺は笑わなかった。

「私の見る夢は正夢になるか、あるいはメタファーなことが多いんですよ。だから、居ても立っても居られなくなったんです。ごめんなさい、部屋にまで勝手に上り込んじゃいました」

 土下座する茄子さん。そこまでさせたのは俺なのだ、謝るのはこちらだろう。

「やめてください。迷惑だなんて思ってません。むしろ、嬉しいです。面を上げてください」

 素直に顔を上げてくれた。

「こちらこそすいません。ここまで心配させてしまって」

「そうですよー、心配しました。……今も、心配です。プロデューサーは幸せですか?」

「幸せですよ。茄子さんがいて、泰葉ちゃんがいて。ふたりが笑っていてくれたらそれで幸せなんです」

「だったら、みんな幸せじゃないですね。プロデューサーが心配で、笑えませんから。ほら、どうです? これじゃダメでしょ?」

 たしかに、これでは駄目だ。意味がない。俺のせいでふたりが笑えなくなってしまったら本末転倒だ。

 でも、今さらどうしたらいいかなんてわからなかった。

「もちろん、プロデューサーの幸せを否定するつもりはありません。ただ、幸せはひとつではありません。私はプロデューサーをひとつの幸せに縛りたくないんですよ」

 茄子さんは俺の両頬を指で押し上げた。おそらく歪な笑顔になっていることだろう。

「私は幸運を持ってます。でも、どれだけ運が良くても、ひとりでは寂しいんです。私だけが幸運でも意味がないんです。だから、お裾分けします。色んな幸せ、探してみませんか?」

 俺は無意識のうちに、自分には仕事しかないと決めつけていたのかもしれない。仕事が上手くいけば、ふたりは笑ってくれるていると決めつけていたのかもしれない。

 傲慢だ。俺は自分の幸せをふたりに押しつけていたのか。

「……そう、ですね。少なくとも、茄子さんと泰葉ちゃんと一緒に笑える幸せ、探してみます」

 だとすれば、俺は別の方法を探す必要がある。ふたりに心配をかけず、なおかつふたりを笑顔にする方法を。

 みんなで幸福になる方法を。

 このままでは釣り合わないから。

「じゃあ、いちゃいちゃしましょ?」

「いや、いちゃいちゃはしませんよ」

 膨れっ面の茄子さんを見ていたら無性におかしくなった。たぶん、こういうことなのだろう。

 しばらくして日が落ちてきた頃、茄子さんは夕食前に行きたい場所があると言った。近場だったので、俺はいいですよと応えた。

 そこまで遅くない時間なのに外は完全に夜で、最近は日の入りが早くなったと実感する。夏も終わりに近いらしい、風が吹くと肌寒い。

 茄子さんの希望した行き先は、俺のマンションから徒歩十五分。斜面を利用した高低差のある公園で、最上部は展望台のある広場になっている。

 公園に到着して広場に向かうと、こちらを認めて手を振る女の子がいた。泰葉ちゃんだ。俺たちは手を振り返しながら近づく。

「こんばんは。プロデューサーさんも茄子さんに呼ばれたんですか?」

「ん? いや、茄子さんうちに来てたんですけど」

「えっ? ……茄子さん」

 茄子さんは目を逸らし、口笛を吹いて誤魔化した。曲はなぜかドヴォルザークの新世界より第四楽章。めちゃくちゃうまかった。

 諦めたのか、泰葉ちゃんの鋭い視線は俺に向けられる。素直に答えた。

「デートしてたんです」

「茄子さん。……茄子さん。茄子さん、茄子さん茄子さん?」

「ま、まあまあ、細かいことは気にしたら負けですよー?」

 ほとんど呪詛のように名前を呼び続ける泰葉ちゃんと、焦りまくりの茄子さん。俺は噴き出した。

 俺の様子を見て、泰葉ちゃんはもうっ、とため息を吐いた。これではどちらが年上かわからない。

「プロデューサーさんの笑顔に免じて、今は、見逃してあげます、今は」

「あ、あはは」

 青ざめる茄子さん。そろそろフォローしておこう。

「泰葉ちゃん、夕食はうちで食べませんか? 茄子さんがカレーを作ってくれたんです」

「いいんですか? なら、お言葉に甘えます。……あの、茄子さんはいつまで怯えてるんですか、冗談ですよ?」

 とても冗談には見えなかったが、泰葉ちゃんは演技派なのだ。彼女が冗談だと言うなら冗談なのだろう。

「知ってます。泰葉ちゃんは寛大な心の持ち主ですから」

 むくれる茄子さんを前に、俺と泰葉ちゃんは顔を見合わせて笑った。

 と、茄子さんは「あっ、そろそろです」空を指差した。見上げると雲ひとつない夜空。西の空を一筋の流れ星が駆けて行った。続けていくつもの星が流れていく。

「……すごい」

「流星群ではないみたいですけど、観測できるとニュースで言っていたんで。これも、お裾分けです」

 茄子さんは微笑む。女神のような慈愛に満ちた笑顔だった。

「ありがとうございます」

 俺は幸せをもらってばかりだ。これからは少しでも返していかないと、釣り合わない。

 ふたりに出会えた幸せを噛み締めつつ、そんなことを考えていた。

終わりです。
依頼してきます。

あっ、>>1のトリップ間違えました。すいません。

そうか俺の幸運も拉致されてるだけか

茄子さんらしい発想ですばらしい
あと泰葉の悪役は公式でも見たいわ

俺の幸運は誰に拉致されてるんでしぃうね、ちひろさん(ガチャガチャ

さぁ?
ところでプロデューサーさん。これ、開運ガチャって言うんですけど…

よかった

>>25
ガチャ運すらガチャで引かせるのか(驚愕

なんか同じようなのかいたことある?
デジャビュかな

乙です。
可愛すぎる

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