アニメデレマス基準のうづみほです。
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私が所在なげに足元に視線を落として、
そこら一面に生えた芝生をぼんやりと手でなぞっていると、
隣に一緒に腰を下ろしているあなたは思いついたように立ち上がって
向こうに見える川のほとりへ1人で歩いていくのでした。
そうしてあなたが何か珍しいものを見つけた子どものように
さらさらと流れていく川面を覗き込んでいるその後姿を、
私は遠くからぼうっと眺めてやるばかりで、
時々、不意にあなたの方から吹いてくる温い風が
過ぎた夏の懐かしい匂いを運んでくると、
こうして目に映る景色の何もかもが、
これからの私たちの人生のずっと先にも
はっきりと思い出せるような気がするのでした。
「何してるの?」
辺りに人が居ないのをいいことに、少し遠くにいるあなたに声を上げて聞いてみると、
あなたは嬉しそうに振り返って、
水が綺麗だとか、魚が泳いでるだとか、そんな何でもないような事を
同じように私に聞こえるように声を響かせて教えてくれるのでした。
そうしてしばらくして満足したあなたは、
午後の暑いくらいな日差しの眩しさによろめきながら私の方へ戻って来ました。
あなたは私のすぐ横に座って、青い草原が風になびいているのを正面に見やりながら、
何かとりとめのないような事を考えている様子でした。
私もそれにならってぼんやりと考え事をしていると、
あなたはいつの間にか身体をぴったりと寄せて、
私がそれに気づくのを待っているようにもじもじとしているのでした。
私は、これまで何度もそうして触れ合って過ごしてきたのに、
今、こうして私たち2人だけしかいないような世界に浸っていると、
そんなあなたのさりげない仕草を一層特別なもののように感じて、
気恥ずかしさのためにあなたの微笑みかけてくるような気配にわざとそっぽを向くのでした。
そうしてあたかも秋めいた空模様に心を奪われた風に遠くを眺めていると、
にわかに私の肩に重みがかかるのを感じて、
見るとあなたは私にもたれかかって気持ち良さそうに目を閉じていました。
私はとうとうあなたの身体を抱き寄せて、その温かな手のひらを握りました。
「卯月ちゃん」
声をかけても、あなたは眠ったように安らかな呼吸をするばかりでした。
私たちはしばらくそうやって寄り添いながら、
時々、二言三言ばかり言葉を交わすくらいで、
そのまま太陽が沈みかけて西の空がすっかり赤くなってしまうまで、
この心地良い幸せに満ちた静かな時間を、ゆっくりと噛み締めていたのでした。……
◇ ◇ ◇
あれは12月、シンデレラの舞踏会のあと、
私と卯月ちゃんと響子ちゃんとで新しくユニットを組むというお話が出てきた頃でした。
私は、アイドルの経歴はまだ浅いとはいえ、
それでもある程度は仕事というものが分かってきたつもりでした。
こんな風に言うと生意気に取られるかもしれませんが、
私はそれこそ、かつて楓さんや美嘉ちゃんたちと同じステージに立ち、
彼女らに多くのことを学ぶチャンスをもらっていたのです。
これはある意味では私のアイドルとしての自負でもありましたし、
この業界に身を置くうえでの判断材料にもなっていました。
つまり、小日向美穂という少女の本来の気持ちとは別なところで、
物事を冷静に考える必要性を意識し始めた……そんな打算的な思惑から、
一度はユニットの存続がうやむやになりかけた卯月ちゃんと
再びユニットを組むということに対する不安を、
私なりに解消しようとするつもりで、当時、私が詳しく事情を知らずにいた、
あの卯月ちゃんの長い休養の理由を、彼女のプロデューサーにそれとなしに尋ねてみたのです。
そのプロデューサーさんは、私の独り言のような質問に対して、
微妙に言葉に詰まったような曖昧な返答をしました。
それは、どうも聞いていると事実をごまかそうという風な態度ではなく、
彼自身にも上手く説明できない事態が卯月ちゃんの身に起こったように受けとられるのです。
私はそれ以上、そのことについて聞くのをやめました。
元々、噂で流れていた話や、シンデレラプロジェクトのみんなの態度などから、
卯月ちゃんが何かつらい思いをしていて、
そのために活動を少し休んでいたという事はなんとなく分かっていましたから、
きっと私のこの質問は、卯月ちゃんに直接話を聞いてみないことには
はっきりとした答えが得られないのだろうと思いました。
さて、私は卯月ちゃんの個人的な事情に触れようとする理由に、
先ほど打算的な思惑のためにと言いました。
それはきっと間違いではないのですが、もう一つ、
そうした義務的な判断のほかに、私自身が純粋に卯月ちゃんに興味を持っていたことも
理由に挙げなければなりません。
初めて一緒に仕事をしたときから、私は卯月ちゃんの人柄に好感を抱いていました。
あの素直で従順な、他人も自分も騙すことができないような純朴さに、
小動物のように緊張しがちな私の心も柔らかくほぐされる気がしました。
お仕事とは関係なく、友達になれそうだと思っていました。
卯月ちゃんが仕事をしばらく休むことになり、一時的にかな子ちゃんと組むことになった時、
その代役に不満を感じたことはありませんでしたが、
それでも私は、卯月ちゃんの復帰を願わずにはいられないほど、
大切な仕事仲間として……いいえ、
もしかしたら、その時からすでに友達と呼べる関係になっていたのかもしれません。
私は、なぜだか卯月ちゃんとの縁を大事にしなくてはいけないと思いました。
そしてその気持ちは変わらないまま、今度はとあるきっかけを境にして、
彼女に対して友情とは違う好奇心を抱くようになったのです。
今日はここまで
いい雰囲気です
いい笑顔です
うづみほ少ないから嬉しい
期待
期待
私はあの日、クリスマスライブの時の卯月ちゃんのステージを
シンデレラプロジェクトのみんなと一緒に見ていました。
ここに告白しますが、私は、そこで彼女が涙を流して歌いあげる姿に心を奪われたのです。
今までに味わったことのない、初めて知る感動でした。
そして、その喜びとも悲しみともつかない感動は、
私に激しい動揺をもたらしたのです。
これは自分でも上手く説明できないのですが……
それは例えるなら、危機感のようなものでした。
恐怖とも言うのでしょうか……人なら誰だって、未知なるものを前にして、
欠片でも怖気づかないということはないと思います。
卯月ちゃんにきっと何か大変な想いがあって、それを乗り越えて実現したライブは、
私には一人の少女が試練を乗り越えたという意味をさらに過ぎて、
もっと特別な、見る人すべてを打ちのめさずにはいられないような、
圧倒的な輝きを伴ってそこに存在しているように思えました。
一瞬でも目が離せませんでした。
私は無我夢中で彼女を応援していました。
それは偽りなく私の本心からの気持ちでした。
しかし、そんな心のどこか片隅に、言いようのない焦りや不安、
ともすれば絶望にも似た感情が湧き出てくるのを、私は認めないわけにはいきませんでした。
一体それの正体がなんだったのか、私には適切な表現が思いつきません。
ただ、卯月ちゃんを晴れやかにしているものの幸福さに一人の少女の憧れを重ねて、
その夢の世界を共有している喜びに私の胸がいっぱいになるのと同時に、
一方で、私が自分の中に思い描いていたアイドルという存在のすべてを、
彼女に否定されたような気がしたのです。
彼女こそが本物で、それ以外のあらゆるものが偽者とでも言うような……
そこまではっきりと言葉にして思い浮かべたわけではありませんでしたが、
私は卯月ちゃんのライブが終わった後でもしばらく、
夢心地にぼうっとぼやけた頭の内側に、言い知れぬ違和感のようなものが
黒く焦げ付いて離れませんでした。
それでも私は、卯月ちゃんのステージに心を惹かれ、
卯月ちゃんを応援したい気持ちに間違いはありませんでしたから、
彼女がその後、舞踏会でnew generationsのライブをする時にも、
ユニットの相方として、また一人の友人として、素直に激励することができたのです。
「島村卯月、頑張ります」と、そう彼女が応える笑顔の裏側に、今までとは違う表情を見出しながら……。
……そんな経緯を経て、改めて卯月ちゃんを含めた3人のユニットを組むという話が持ち上がった時、
それを好いきっかけにして卯月ちゃんのことをもっと知ろうと思ったのは、自然な考えではないでしょうか?
正直に言うと、この頃の私は、アイドルの仕事をしている最中や
普段の生活の中でさえも、ふとした拍子に卯月ちゃんの事を考えてしまうほどでした。
実際、彼女とはもう仕事とは別にすっかり仲良くなっていて、
レッスンの合間におしゃべりしたり、休日にどこか遊びに行ったり、
そんな気の合う親しい関係になってはいたのですが、
そうして友達らしく振舞っている卯月ちゃんの笑顔は
私を優しい気持ちにさせてくれるだけで、
そこにあの復活ライブの時に見たような、魂ごと惹きつける強烈な眩しさを発見することはできませんでした。
私は卯月ちゃんのステージが忘れられませんでした。
あそこで見た彼女の、信じられないくらいに輝いていたきらめきの秘密を、知りたいと思いました。
けれども私自身、そんな核心を持たない漠然とした思いを
卯月ちゃんにどう尋ねていいものやら、さっぱり分からないのでした。
卯月ちゃんが長いあいだ休養していたその時、
きっと彼女の中で、あの復活ライブのきらめきを裏付けるような変化が起こったに違いない……
私はそんな風に見当をつけていましたが、
いざ親しい仲になってしまうと、かえって深く踏み込んだ話をするのがためらわれてしまい、
そんなモヤモヤした心情をいつもどこかに引っ掛けながら、
表面ではにこやかに会話したりするのでした。
結局、彼女のプロデューサーさんに遠まわしに尋ねたのも、
仕事のための段取りというより、こうした姑息な下心が理由だったのだろうと言われれば、
私は自分でもよく分からないままに、なんとなく頷いてしまう他にないのでしょう。……
一旦休憩
乙
◇ ◇ ◇
とても寒い冬の日でした。
私たちはちょうど、正式に決まったピンクチェックスクールのユニットの
初めてのお仕事を終えてそれぞれ帰路につくところでした。
と言っても、まだお昼を少し過ぎたばかりな時間でしたし、
簡単なインタビューと写真撮影とはいえ、せっかくの初仕事のあとでしたから、
どうせなら何か気の利いた事をしたいと思って、二人に声をかけてみました。
「このあと時間空いてる?」
「私なら大丈夫だよ」
「私も」
卯月ちゃんと響子ちゃんはコートを着込みながら答えました。
私は、このスタジオの近くに面白い雑貨屋があるらしいという話をしました。
「ああ、この前フレデリカさんが言ってた……」
そう言ったのは卯月ちゃんでした。
「雑貨屋?」
「そうそう。駅まで行く道の裏側にもう一本路地が並行してるでしょ?
あそこの途中に結構有名なアンティークのお店があるんだって」
「へえー、でもフレデリカさんがそんなお店に行くんだぁ。意外だね」
響子ちゃんが珍しそうな顔をすると、卯月ちゃんがおかしそうに笑って、
「どうなんだろう。フレデリカさんはお店に入ったことあるのかな?
あのとき話してたのって確か、スタジオ帰りにありすちゃんと文香さんが一緒にいるのを見かけて、
それを周子さんと二人で尾行したっていうだけだから……」
「結局、文香さんには最初から気づかれてたってオチなんだけどね」
事務所で面白おかしく話をするフレデリカさんと周子さんを思い出します。
響子ちゃんも呆れたように笑いました。
スタジオのある建物の裏手から出ると、冷たい風が吹きすさんでいました。
3人は思わず首をすくめて、もふもふしたマフラー越しに「寒いね」と言い合いながら
道を歩いていきました。
この辺りは目立つ道路や建物があるので迷う心配はありませんでした。
そうして3人で先ほどのフレデリカさんたちのコントのような話で盛り上がっていると、
ちょうど向こうにそれらしい場所があるのが見えてきました。
その路地は、小さなお店らしい建物がたくさん並んでいるのですが、
周りの閑静な雑居ビルの景色に混ざって、そこだけ妙に人のざわついた異様な雰囲気がありました。
多くはおしゃれな古本屋でした。
そこらを歩いている人も、年配の夫婦や、私たちと同い年くらいの女の子たち、
果ては、こういう場所にはまるで縁がないようなスーツ姿の男性まで、さまざまでした。
私たちは観光でもしているみたいに興味津々でそれぞれのお店の窓を覗いたりしていると、
少し歩いた先に例の雑貨屋を発見しました。
最初はそこがお店なのかも分からないくらい小ぢんまりとしてたので、
危うく素通りしてしまうところでした。
入ってみると中は意外なほどに広々としていました。
私たちの他にお客さんは見当たりません。
確かにアンティークのお店というだけあって、
並んでいる小物はどれも一癖も二癖もある、変わったものばかりでした。
卯月ちゃんと響子ちゃんはさっそく面白そうな商品を見つけて
きゃっきゃと騒いでいます。
一方私は、お店に充満している独特のお香のにおいと、
少し効きすぎなくらいの暖房にあてられて、なんだか眩暈がしそうでした。
お店の奥まったところにカウンターが見えましたが、そこには誰もいません。
店員さんはどこにいるのでしょうか?
適当に眺めながら店の中をまわっていると、
迷路のような通路の先に小さな階段があるのが見えました。
どうやらお店は2階まであるようです。
私は、なにやら話しこんでいる卯月ちゃんたちを置いて、
ひと一人がやっと通れるくらいに細い階段をそっと上っていきました。
そうして開けっぱなしになっている2階の入口から顔を覗かせた私の目の前には、
商品なのか飾りなのか分からないような物があまりにたくさん積み重なって置いてあったので、
一瞬、間違えて倉庫に入ってしまったのかと思い、
すぐに引き返そうとしたのですが、
その入り組んだ部屋ののれんの向こうにちらっと人影が見えたのが気になって、
つい足を止めて目をこらしてみると、
次にはその正体が分かり思わず「あ」と声に出してしまいました。
そこに居たのは蘭子ちゃんでした。
私の声にも気づかないくらい、一人、椅子に座って熱心に本を読んでいました。
彼女の周りには分厚い本が山のように積もっていて、
とても横から名前を呼べるような雰囲気ではありません。
いつものゴシックファッションは少し控えめで、
それに普段は身につけていない眼鏡をかけていたので、
もしかしたら人違いかしらと、そんな考えが頭をよぎりましたが、
離れていても分かる凛とした佇まい、人を寄せ付けない貫禄、
年上の私から見ても羨ましいくらいなその美貌は、
すぐにそれがアイドルの神崎蘭子だと確信させるほどでした。
私は、なんだか彼女のプライベートを盗み見てしまっているようで気まずくなり、
一言でも声をかけるべきかどうか迷っているうちに、
下から「美穂ちゃん?」と私を呼ぶ声が聞こえて、ふいと視線を逸らしました。
その拍子に、ちらっと蘭子ちゃんが私に気づいたような気配を感じましたが、
私はそれを見ないふりをして、慌てて階段を下りて行きました。
「上に何かあった?」
「ううん、立ち入り禁止だったみたい」
卯月ちゃんに聞かれると、私は咄嗟にこんな嘘を言ってごまかすのでした。
それから私は何事もなかったように卯月ちゃんたちと一緒に買い物をしました。
私たちは、普段使えるもので、3人でおそろいになるような可愛い商品を探したのですが、
このお店はどちらかというと色合いの古めかしいシックな小物が多く、
いかにも私たちくらいの年頃の女の子が好きそうな派手な道具はあまり置かれていませんでした。
そこで結局、花模様の刺繍がほどこされた、シンプルな皮のパスケースを買うことにしたのです。
レジに持っていくと、いつの間にか店員さんがいました。
若い女の人でした。
その人は私たちを怪しむようにじろじろと睨みながら無愛想に会計を済ませて、
一言「ありがとうございました」とだけ言って再び店の奥へ隠れてしまいました。
お店を出ると、外は相変わらずの寒さでした。
けれど丁度暖気にのぼせていた私の肌にはかえって心地良いくらいでした。
その後、響子ちゃんの提案でカラオケに行こうという話になり、
3人でまた肩を寄せ合いおしゃべりしながら歩いて行くあいだ、
「変わったお店だったね」と卯月ちゃんがぼそっと呟いた以来、
それきり私たちがその雑貨屋を話題に出すことはありませんでした。……
今日はここまで
期待
…………。
その日の夜のことです。
私の暮らしている寮では、炊事場やトイレ、お風呂などは共用なので、
他のアイドルの子たちとは廊下で頻繁にすれ違うのですが、
私がそうやっていつものように自室を出入りしていると、
ふいに背後から呼び止められて、振り向くとそこには蘭子ちゃんがいました。
何かを言いたげな様子で、けれども遠慮がちに目をそむけながら、
私のすぐ後ろで気づくと私の袖をそっと掴んでいたのです。
「あ、あの……!」
そんな風に上ずった声で話しかける蘭子ちゃんを、私は驚いて見つめていました。
「今日、あのお店に……美穂ちゃんが来てたような気がしたから」
やっぱり蘭子ちゃんも私に気づいてたんだ。
「うん……ごめんなさい。声、かけにくかったから」
私はなぜか謝って、今度はこの気づまりな空気から逃れるように視線をそらすのでした。
蘭子ちゃんとは、同郷のアイドルであり、同じ寮に住んでいるという縁で、
普段から話す機会は少なくありませんでしたが、
例えば2人っきりで面と向かっておしゃべりするような事はこれまで一度もなかったので、
今、こうして改まった様子の彼女と向かい合っていると
私は妙に緊張して落ち着かない気持ちになってしまいます。
「…………今宵はいつにも増して闇の魔力に満ちているわ」
「そ、そうだね」
そこで会話が途切れてしまいました。
私たちはお互いに身動きできないまま、しばらく廊下に立ち往生していました。
蘭子ちゃんはどう会話を切り出したらいいものかと逡巡している様子でした。
……それにしたって、本来なら先輩らしく振舞わなければならない私なのに、
彼女のいじらしいまでに口下手な仕草を前にすると、
急にどう接するのが正しいのか分からなくなってしまう、そんな自分自身を、
まるで赤ん坊をあやすのに慣れていない不器用な男の人みたいに想像して、
つい自嘲の入り混じったおかしな笑いが漏れてしまいます。
蘭子ちゃんはそんな私の表情をどう読み取ったのか、小さな声で
「わ、我が同胞よ。その無垢な瞳の持ち主と見込んで、その……秘められし使命を汝に……」
そこまで言いかけて、思い直したように顔を上げると、
「……美穂ちゃんにお願いがあるんです。今度、一緒にあのお店に行ってくれませんか?」
「え?」
私の返事は少し間抜けでした。
「えっと、実はあそこは文香さんの知り合いがやっているお店で……ど、どこから話したらいいんだろう?」
蘭子ちゃんは私と目も合わせられないくらいにあたふたしています。
私は、こういう話し方をする時の蘭子ちゃんが、かえって苦手でした。
普段はあれほど気高く自信に溢れた彼女が、急にその幼さを取り戻し、
思いがけず私の手の届く範囲に潜り込んでくるのです。
そんな風に一方的に、無責任に身をゆだねるようにしている彼女を、
私の頼りない小さな器がどうして支えきれるでしょう。
それでいてあの大人びた涼しい目元が、油断した私の心をするどく捕まえて、
逃れられない蟲惑的な官能を私のうちに呼び起こさせるのです。
「……立ち話もなんだし、私の部屋に来ない?」
そして私は、そんな彼女の魅惑につい甘えてしまうのでした。
熊本コンビええぞ
さて、私の部屋で落ち着いたところで、蘭子ちゃんの話を順番に聞いてみると、
あのお店は文香さんの古い知り合いが経営しているらしく、
その人はどういうわけか人付き合いが大変苦手で、
簡単に言うと商売が下手なのだそうです。
それで、文香さんはそんなお店にお客さんを呼ぶために
宣伝活動の一環として蘭子ちゃんやありすちゃんを誘ったのだとか。
私は、あの時フレデリカさんが話していた事の真相が分かり
一人納得しましたが、それよりも
「蘭子ちゃんと文香さんがそんなに仲が良かったなんて知らなかった」
私が驚いたように言うと、
「たまに本の貸し借りしてるくらいで……」
と、蘭子ちゃんははにかみながら答えます。
「そんなにお客さん少ないの?」
「うん……私と文香さん以外に、来てる人を見たことないから」
私も、噂を聞かなければ行くことはなかったかもしれません。
「確かに、何のお店なのか少し分かりにくいし、入りづらいかもね」
「で、でも実はすごく良いお店なんです! この前も私に面白い本をいっぱい紹介してくれて……」
蘭子ちゃんは、私の偏見をどうにか払拭しようと一生懸命でした。
しかし、そういう弁解じみた物言いが、
かえってその言葉の裏側にある隠し事を目立たせてしまうのだと
彼女は分かっていないのです。
私はただ、蘭子ちゃんの表情の一生懸命な様子を眺めているばかりでした。
そんな風に蘭子ちゃんの姿や態度しか見ていない私にとって、言葉は意味を持ちません。
私はただ、そうしている蘭子ちゃんの初心なあどけない仕草を、
どうしたら手懐けることができるだろうかと、そんな事ばかりを考えていました。
「蘭子ちゃんがそう言うなら、きっと素敵な場所なんだね」
私はそうやって優しく語りかけ、これに彼女が嬉しそうに見つめ返してくれるのを期待するのです。
「……私で良ければ、今度一緒に行ってあげるよ」
そして蘭子ちゃんは、やはり子供らしい正直な眼差しを私に向けて、こう言うのでした。
「本当? ありがとう!」
ああ、もし私に妹がいたなら、きっとこんな気持ちなのだろうと、
私は変にこそばゆいような、むずがゆい優しさを二人の間に垣間見ていました。
蘭子ちゃんに誘われて行くという、それ自体は私にとって
特に大事な意味はありませんでしたが、
それとは別に、気がかりな事がありました。
「でも、どうして私なの? 美波さんとかアーニャちゃんといつも仲良くしてるのに」
「えっ!? そ、それはその……」
私の質問は少しいじわるでした。
というのも、これまでの会話のなかで美波さんたちの名前が出てきていないからと言って、
蘭子ちゃんが彼女らを誘わなかったとは限らないのに、
私はつい、蘭子ちゃんが敢えて私にだけこういう頼みごとをしているような気がして、
こんな試すようなことを言ったのです。
案の定、蘭子ちゃんはしどろもどろになりながら、
どうしてか私以外の人には話を打ち明けにくい、というような事をしゃべりました。
もちろんそのまま言ったわけではありませんが、要約するとだいたい似たような理由でした。
「わ、私……美穂ちゃんと……二人きりで……」
終いにはどんどん声が小さくなり、
何を言っているのか聞こえなくなってしまうほどだったので、
私はじっと押し黙ったまま、
彼女の瞳の濃い緋色を、綺麗だな、なんて呑気に考えながらぼうっと眺めていました。
「……フフフ、かの場所は下界で我が漆黒の羽を癒しうる唯一にして禁断の楽園。
そこへ踏み入るのを許されるのは、無垢な魂を宿した神の使徒のみ」
あ、いつもの蘭子ちゃんに戻った。
それがあんまり唐突だったので私は少し面食らってしまいます。
「明日の暮れ、かの地へ再臨せん! さらば、我が命を心して待つがよい」
一通りまくしたてると、
「……闇に飲まれよ!」
最後にそう言って慌てて部屋を出て行きました。
私はポカンとして、蘭子ちゃんがなぜあんなに顔を真っ赤にさせていたのか不思議に思いながら、
急に静かになった部屋でひとり、妙におかしくて笑いそうになる気持ちをおさえているのでした。……
……それから私と蘭子ちゃんは、お互いに暇な時間を作っては、
例のお店に二人で行くようになりました。
私は、蘭子ちゃんがいつもの調子でおしゃべりしてくれるあいだは、
そんな彼女の自信に満ち溢れた眼差しが心地良くて、
どんなに興味をそそられにくい小説の話をされても、そんなに悪い気はしませんでした。
私はただ、彼女の言葉に二言三言、相槌を打ってあげればそれでよかったのです。
元々、空想しがちだった私の性格は、蘭子ちゃんの話す独特な世界と相性が良かったのかもしれません。
またそれとは反対に、そもそも私みたいなつまらない人と一緒に居て
蘭子ちゃんは楽しめているのかしらと不安に思うこともありましたが、
彼女はどんな気の利かない会話にも一々喜んでくれるので、
次第に私の方から過剰に気遣うことはなくなりました。
いつしか私と蘭子ちゃんの秘密の会合は、お互いに抱いている親しみの明確な拠り所を持たないまま、
どちらが先にそれを意識し始めたか区別がつかないほどあやふやな関係を
ゆるやかに発展させて行ったのでした。
一旦区切り
熊本が大変なときに熊本コンビが被ってしまった
また明日
おつ
私が死んだ夜ってそういう・・・
◇ ◇ ◇
外は雨が降っています。
私は自分の部屋のベッドで、まだ少し残っている微熱に意識をぼんやりさせながら、
窓の向こうの空を覆っている分厚い雲の、ずっと遠くを眺めていました。
季節は梅雨でした。
こんこん。
部屋のドアをノックする音が聞こえます。
私が返事をするよりも先に、枕元に居た蘭子ちゃんが「はい」と答えて、
客人――この場合は見舞い客ですが――を招き入れました。
「美穂ちゃん、大丈夫?」
卯月ちゃんの心配そうな顔が見えました。
「うん。まだ熱は引かないみたいだけど……」
そう言うと、卯月ちゃんがおもむろに手のひらを私の額に当てて、
私の汗ばんだ髪を撫でるようにかき分けます。
彼女の濡れた瞳がすぐ目の前に迫ると、
私は不意にドキドキする心臓の鼓動を感じましたが、
それはきっとこの風邪のせいだろうと自分に言い聞かせました。
「響子ちゃんは収録があるから来るの遅れるって」
「そんな、いいのに」
会話する後ろで、蘭子ちゃんが部屋をそっと出て行こうとするのが見えました。
「タオル取り替えてきます」
「ありがとう、蘭子ちゃん」
「……またあとで来ますから」
蘭子ちゃんはそう言い残して去り、
薄暗い部屋には私と卯月ちゃんだけになりました。
「蘭子ちゃんと仲良いんだね」
「え? ……うん」
「…………」
私の言葉の続きを期待していたような卯月ちゃんは、
そんな微妙な沈黙のあと、しばらくして思い出したように仕事の話をし出しました。
「明日と明後日のレッスンは一旦取りやめるって。プロデューサーさんから」
「ごめんね……もうすぐミニライブなのに」
「まだ時間はあるから大丈夫だよ。それにトレーナーさんも、
私たちの出来上がりが思ったより良くてスケジュールには余裕があるって言ってたし」
そう言って彼女は私を安心させるように小さく微笑みかけてくれました。
「美穂ちゃんも、しっかり休んで風邪を治さなきゃ」
「うん……」
私は、みんなへの申し訳ないと思う気持ちと、情けない自分への怒りとで、
ただ素直に頷くしかありませんでした。
調子がおかしくなったのは昨日のお仕事が終わった頃でした。
なんだかフラフラする身体に異変を感じてはいたのですが、
私は普段から風邪なんて滅多にかからないし、
少し寝不足かな、と思うくらいで、その時はあまり自分の体調を真剣に考えていませんでした。
そんな調子だったので、私は夜中遅くまで新しい曲と振り付けの練習をしていたのです。
別にほかのアイドルに遅れを取っているわけでもなく
目前に大きなライブが迫っているという事もないのに、
どうしてそんなに必死なのか自分でも分かりませんでした。
とにかく何かをしなくちゃいけないという強迫観念のようなものが
いつ頃からか私の生活のあちこちに根を下ろしていて、
そうしているうちは全く意識していませんでしたが、
振り返ってみると、私はそんな張りつめた暮らしをずっと続けていたような気がします。
そして今朝、目が覚めた時には回復しているように思えた私の身体も、
起きてしばらく経つと、とうとう限界を超えて急激な眩暈と激しい頭痛を引き起こし、
立ち上がるのもやっとなくらいでした。
それでも頭の中は、仕事に行かなくちゃいけないという意識だけがぐるぐると回っていました。
私はそんな使命感につき動かされて、重たい身体を引きずりながらスタジオに向かったのです。
到着したあと、倒れそうになりながら挨拶する私を見て、
トレーナーさんはすぐに気がついたみたいでした。
高熱を発しているのがバレると、医務室に連れて行かれ、
診察後すぐに帰って療養しろとやんわり叱られました。
私は一緒にレッスンするはずだった卯月ちゃんと響子ちゃんを残して、
彼女たちが心配そうに私を見つめるのを横目に、
プロデューサーさんの車で寮まで送ってもらい、今こうしてベッドに伏しているのです。
またその日は、午後に蘭子ちゃんといつものお店に行く約束をしていたので、
行けなくなった事情を連絡すると、彼女はすぐに駆けつけてくれました。
蘭子ちゃんが先ほどまでずっと私の看病をしてくれたのは、そういうわけでした。……
……ベッドのわきに座っている卯月ちゃんは無言でした。
いつもならたくさんおしゃべりしてくれるのに、
病人に気をつかってか、不気味なくらい静かです。
私はそんな卯月ちゃんの表情を見るのがなんとなく怖くて、
仰向けに寝たまま天井の模様を目で追っていました。
そう、怖いんです。
暗がりにはっきりと見えない卯月ちゃんの視線が、私を見つめる表情が、
きっと彼女にそんなつもりは無いと分かっているのに、
この私を冷笑しているのではないかと、そんな想像をしてしまうんです。
体調も管理できない私に呆れているかもしれない、
仕事に穴を空けた私を軽蔑しているかもしれない。
私は、そんな自分自身から芽生え出した妄想に取り憑かれて、
どんどん悪い方向へと考えを巡らせていくのでした。
自分でも制御できないくらいに。
「美穂ちゃんは」
ふいに、卯月ちゃんが口を開きました。
「美穂ちゃんは、頑張りすぎてるんだと思う」
頑張りすぎている?
「最近の美穂ちゃん……ううん、結構前から思ってた」
「なんだか焦ってるみたいで、心に余裕がないみたいで……」
「……昔の私を見てるみたいで」
私はハッとして彼女の方を見ます。
その眼差しは、私に呆れているでも、軽蔑しているでもなく、
只々、悲しんでいました。
「美穂ちゃんが無理してるのを見ると、私も辛いよ……」
卯月ちゃんの本当につらそうな表情を、私は心が締め付けられるような思いで見つめていました。
卯月ちゃんが悲しんでいる。
私が卯月ちゃんを悲しませている。
私は、どうして卯月ちゃんがそこまで悲しんでいるのか分かりませんでした。
けれど、彼女の苦しみに耐えているようなその眼つきは、
私の熱っぽい意識の殻を、鈍く、力強く、押しつぶそうとしていました。
その謎めいた心の震動、息をするのも忘れてしまいそうな激しい狂喜、
力の入らない身体の内側にはっきりと萌え出した煩いほどなざわめき……
この感覚には覚えがあります。
今、目の前にいる卯月ちゃんは、”あの時”の卯月ちゃんでした。
私が観客として彼女を応援して見ていた最後の姿。
クリスマスライブのときの卯月ちゃんの、
見る人を惹きつけておかずにはいられない未知の引力。
私はそれを、今は卯月ちゃんの悲しみの表情から見出していました。
この衝撃は私に悪夢のような高熱を忘れさせ、
そして今まで私の目に見えてこなかった全てのものが、
その瞬間にどこまでもくっきりと認識され始めたのを感じました。
卯月ちゃんは言います。
「私ね。たまにこんな風に思うことがあるんだ。
美穂ちゃんって、私に少し似てる……我慢しちゃう所とか、自分よりほかの人を大切にする所とか」
ああ、そっか。
私と卯月ちゃんは似ているんだ。
「だから私、美穂ちゃんの事がなんとなく分かるの。
辛いことがあっても、自分だけの問題だと思わないで、私たちに言って?
ひとりで何でもやろうとするのは、駄目だよ……」
私が、卯月ちゃんとユニットを組んでからずっと抱えていた危機感のような焦り……
その正体がやっと分かったような気がしました。
卯月ちゃんは私と似ている。
それが、私が卯月ちゃんに憧れながらも、
同時に恐れていた事の理由の一つだったのです。
すぐ近くにいるから分かる、彼女にはあって私には無い才能……
似通っているからこそ気づいてしまう、私と彼女とのあいだにある絶対的な差……
まだ私たちが無名だからこそ誰にも気づかれずにいる、きっと今は私にしか知りえないもの、
けれど近い将来には必ず誰の目にも明らかになるもの……
そんな彼女に無意識に感じていた劣等感と、
アイドルを仕事と割り切る、そんな自覚によって芽生えた責任感、
その両方から、私の心の奥深くに、
常に何か足りないものを補おうとする心理が植えつけられたのではないでしょうか?
私はそんな考えが真実であるように思えてなりませんでした。
卯月ちゃんの言った、私たち二人は似たもの同士という言葉は、
彼女がそれをどういう意味に捉えているかはともかく、事実だと思いました。
しかし、卯月ちゃんの言っている事には一つだけ間違いがありました。
私がつらいと感じていた気持ち、つまり焦燥感や劣等感といった負の感情は
今となってはもう霧の中に隠れてすでに消散しつつあったのです。
私の心はもうあなたしか見えていないから。
今の私には喜びがありました。
卯月ちゃんが私に向けた悲しみの表情、
それは彼女が普段人に見せることのなかった暗い影の部分でした。
それこそが、まさに彼女の笑顔を支えているものの正体だったのです。
ちょうど、影を濃くすることで物体に当たる光りが強調されるように……。
それから卯月ちゃんは、ベッドに横になってじっと卯月ちゃんを見つめている私に
何か色々と話しかけてくれましたが、私は自分の発見した真実に半ば放心していて、
曖昧に返事をするばかりでした。
気が付くと卯月ちゃんはもう帰って、薄暗い部屋には私一人になっていました。
私は上半身をゆっくりと起こして、卯月ちゃんの居なくなった空間を空しく眺めていました。
ふと、そんなせつない恋しさに、わけの分からない涙が一筋だけ頬を伝うのでした。
卯月ちゃんが私に見せた苦しいような悲しいような瞳が
記憶にこびりついて離れません。
そしてにわかに蘇り出した彼女への憧憬と恋しさを思うにつれ、
私は不意にこんな閃きを心の中に呟いていました。
(卯月ちゃんを悲しませることができるのは、世界で私だけ……)
咄嗟に思いついたこんな考えが、いかにも私に気に入った歌の歌詞のように、
繰り返し繰り返し頭のなかに反響します。
そんな風に唱えているうちに、私はそれが私と卯月ちゃんとが出会った運命の
もっとも正解に近い解釈だと信じて疑わなくなりました。
今日はここまで
イイゾ~
こんこん。
ドアをノックする音が聞こえます。
私が目覚めの悪い子供のように鈍く返事をすると、
しばらくして蘭子ちゃんが入ってきました。
「ごめんなさい、寝てた?」
「……ううん、ちょっと考え事してただけ」
蘭子ちゃんは私の代わりに洗濯までしてくれていたようでした。
本来なら感謝の一言でもかけてあげるべきなのに、
私の心はどこか上の空で、
ただ蘭子ちゃんの下ろした銀髪から覗く彼女の横顔をぼうっと見やっていました。
なぜ彼女はここまで世話を焼いてくれるのでしょうか?
何もそこまでしてくれなくてもいいのに、
蘭子ちゃんはまるで病人の家族に対してするような心配を
私に向けているような気がします。
汗も丹念に拭いてくれました。
私が遠慮するのも聞かずに着替えさせられたりもしました。
私は確かに熱もあって起き上がるのでさえ辛いくらいでしたが、
蘭子ちゃんのしてくれる世話はなんだか私の具合のためというよりも
彼女自身がそうしたいための行き過ぎた親切のように思えてしまいます。
けれども私は、そんな風に私を一生懸命気遣ってくれる蘭子ちゃんを
けっして疎ましく感じることはありませんでした。
それどころか、以前は蘭子ちゃんの誘いに私が付き合っていたような恰好だったのに、
この頃はそれが逆転し、時には私の方から彼女を遊びに誘ったりするほどだったので、
そんな奇妙な信頼関係をお互い意識するようになった今では
今日のように彼女が甲斐甲斐しく私の看病をしてくれる事は、
少しくすぐったいような嬉しさはあっても
それをされて困るような気持ちなど一切持ち得なかったのです。
蘭子ちゃんは私を姉のように慕ってくれました。
そんな不器用で真っ直ぐな好意を向けられれば、
私にそれを愛おしいと思うような感情が芽生えてしまうのも
自然な成り行きではないでしょうか?
思い返せば、私が卯月ちゃんに無自覚に対抗しようとしていた
あの張りつめた日々を支えていたのは、
妹のように私に甘えてくれる蘭子ちゃんの存在だったのかもしれません。
「気分、悪いの?」
蘭子ちゃんが私の顔を覗き込んで言いました。
「え? ああ、これは……なんでもないよ」
私はいつの間にか険しい表情をしていたみたいです。
蘭子ちゃんは、さきほど卯月ちゃんがやったみたいに
私の額に手を添えて熱を測りました。
ひんやりと冷たい手のひらでした。
「まだ熱、下がらないね」
そう言って、わざわざ買ってきてくれた冷却シートを貼ってくれます。
「ありがとう……」
「夕飯の時間になったらまた来るね」
彼女が部屋を出ようとドアに手をかけた時でした。
「……蘭子ちゃん」
「なぁに?」
「私と卯月ちゃんって、似てると思う?」
「美穂ちゃんと卯月ちゃんが? う~ん……言われてみれば、似てるかも」
「…………」
不意に沈黙する私に、蘭子ちゃんはなぜか慰めるような口調で、
「に、似てる所はあるかもしれないけど、美穂ちゃんは美穂ちゃんだよ」
そう言って、
「……我が親愛なる眷属よ、案ずることはない。
今こそ天来の翼を癒し、その清らかな魂を取り戻す時……闇に飲まれよ!」
いつもの調子で告げて、部屋を去っていきました。
私はそれが彼女なりの精一杯の励ましなのだと知っていました。
しかし、蘭子ちゃんがそうやって語りかけてくれる言葉はいつも、
私がそれを反芻しようと追いかける途中で、
あとから来る卯月ちゃんの幻影にかき消されて意味を失ってしまう。
そんな風に卯月ちゃんと蘭子ちゃんと、それから二人の間に頼りなげに揺れている
私の影像などをとつおいつするうち、いつの間にか私は深い眠りについていました。……
翌日、ベッドの中でうとうとと目を覚ますと、
身体がすっかり回復しているのが分かりました。
カーテンの透き間からこぼれる朝のまぶしい日差しが
まだ重たいまぶたの裏に暖かな光りを映しています。
起き上がると、もう意識ははっきりしていました。
朝日に導かれるようにカーテンをそっと開けます。
外は雨が上がっていて、あちこちに滴っている雫が、
太陽の白にあてられて辺り一面にきらきらと反射していました。
窓を開けてみます。
澄んだ空気、その遠くに見えるまだ菫色の梅雨の空、
少し熱を帯びたアスファルトの匂い、透き通るような季節の感触……。
輝く世界が一面にひらけていました。
私は、まるで新しい生き物に生まれ変わったような気持ちになって、
その爽やかな街の景色をしばらく眺めていました。
◇ ◇ ◇
それからの私の生活はすべてが順調でした。
もう以前のように自分を追い込むことはなくなりました。
私はただ、卯月ちゃんの傍にいられるよう努力するだけで良かったのです。
卯月ちゃんが喜んでくれる範囲で、
精一杯アイドルとしての私を演じればいい。
それは、以前の私なら心が折れそうになるくらい難しい事でしたが、
彼女と私のあいだに横たわる果てしない才能の海を知ってしまった今では、
その広く深い海溝を渡って行こうと考えるよりは、
すぐ近くに押し寄せるさざなみの音に耳を傾けている方が
遥かに簡単なことだと分かったのです。
私は、表面上は普段どおりにアイドルの仕事をこなし、
ピンクチェックスクールのユニット内でも、
響子ちゃんやプロデューサーさんに気持ちを悟られてはいけないと、
努めて卯月ちゃんを意識すまいとしてきました。
けれど、油断するとすぐに私の視線は卯月ちゃんを追ってしまうのです。
響子ちゃんなどは察しが良いので、
私がそんな風にぼうっとしていると、
何か心配するように声をかけてくれるのですが、
そのたびに私は恥ずかしさに顔を真っ赤にさせてごまかすのでした。……
「美穂ちゃんって、もしかして好きな人でもいるの?」
突然、響子ちゃんにそんな事を聞かれた時は、
驚きのあまりむせ返ってしまいました。
卯月ちゃんと三人でお昼を食べていた時のことです。
「ど、どうしたの急に……」
「え! 美穂ちゃん、それ本当?」
「好きな人なんて、そんな……居ないよ」
そう答えながら、みるみる顔が熱くなっていくのが自分でも分かり、
向かいに座って目を輝かせている卯月ちゃんを直視できませんでした。
「なんだか最近の美穂ちゃん、話しかけても上の空だったり、
ぼーっとしてる事が多いんだもん。……怪しい」
二人が興味津々でその話を続けようとするのを、
私は必死にごまかして、強引に打ち切るのでした。
また別の日には、こんな事もありました。
イベントでの遠征からの帰り、私たちは貸切バスに乗っていて、
私と卯月ちゃんは隣同士の席でした。
旅の復路では大抵の場合、疲れから眠ってしまうもので、
バスに乗り込んでしばらくした後、例に漏れず
隣の卯月ちゃんは寝息を立てて眠ってしまいました。
私も疲労感とバスの心地良い揺れのなかでまどろみかけていましたが、
そんな時、ふと横を見ると、頭を不安定に背もたれに預けている卯月ちゃんの
流れるような首の角度、だらしなく開いた口元、
静かに閉ざしている目……そんな絵に描いたように美しい寝顔が、
あまりにも愛くるしく、艶かしい色気を放っていたので、
私は一瞬頭のなかが真っ白になって、
我も忘れて彼女の表情に見とれてしまいました。
すると、ふいにバスが揺れて、
その拍子に卯月ちゃんのむき出しになった白い腕が
ふわりと私の腕に重なったのです。
私は咄嗟に手を引っ込めることもできず、
卯月ちゃんのすべすべした肌の内側に
彼女の燃えるような体温を感じました。
心臓の高鳴りと、全身に激しく巡る血の音が
耳のなかで巨大に響いていました。
そして、相変わらずスヤスヤと眠っている卯月ちゃんの
無意識に委ねている腕と手、脱力した指先……
私はそれらを、決心を振り絞って、そっと撫でてみたのです。
私は、卯月ちゃんが目を覚まさないようじっと息をひそめて、
昂ぶる感情を押し殺したまま、
その繊細な手に、おそるおそる指を絡ませました。
私の、緊張で滲み出た汗と、
卯月ちゃんのしっとりと湿った手のひらとが交わります。
そしてほんの一瞬だけ、私はまるで
自分が卯月ちゃんと一体になったような錯覚に陥りました。
とりあえず今日はこんなところまで
素晴らし
あッと思うよりも先に、私の心は後悔に支配されました。
慌てて腕をどけます。
卯月ちゃんはまだ眠ったまま、私の行為に気づいていません。
心臓は相変わらず物凄い音を立てて胸を打ちつけていましたが、
それはもう感動と緊張のための動悸ではなく、
恐怖と戦慄から来る危険信号のように思われました。
私は自分の犯した罪を無かったことにするかのように、
卯月ちゃんから無理矢理視線を逸らして、窓の外の景色を懸命に追いかけるのでした。
……私は卯月ちゃんを尊敬していました。
崇拝していると言ってもいいくらいです。
誰にも悟られてはいけない私の心の中には、
その魂の全てを卯月ちゃんに捧げても惜しくないほどの気持ちが
破裂しそうなほど膨れ上がっていました。
私はあの日、卯月ちゃんの暗い輝きを知ってから、
彼女の従者になる覚悟をずっと心に決めていました。
でも、それは少女が少女に恋をする感情と、どんな違いがあるのでしょう?
私は私が卯月ちゃんという少女に恋をしていることを認めたくありませんでした。
なぜなら、彼女の持っている才能は、
私一人が勝手に恋焦がれていいような軽々しいものではなく、
もっと本質的で、絶対的な価値のあるものだったから。
私が、そんな卯月ちゃんという神聖な存在に惹かれて、
反射的に彼女の身体に触れてしまった事は、
私の彼女を思う気持ちを考えれば当然の行為だったかもしれません。
けれど、それがもし正しい行為だとするならば、
なぜ私の気持ちはこんなにも後悔でいっぱいになっているのでしょうか?
私は自分を信じていないばかりか、
卯月ちゃんをすら信じていなかったために、
そうした恋する少女を模倣するような心理に陥ったのではないでしょうか?
私はもっと卯月ちゃんに忠実でなければならないと考えました。
正確には、卯月ちゃんと私とを繋いでいる運命を
もっと忠実に、もっと細心に、野生の花のにおいを嗅ぐように
なぞらなければならないと考えたのです。
そのようにして、私のこの頃の日常は、
変わらない卯月ちゃんの笑顔と、
それによってますます心を奪われていく私とが
交互に見えつ隠れつしながら、
ともすれば一瞬のうちに崩れ落ちてしまいかねない
危ういバランスをどうにか保たせたまま、
穏やかに過ぎ去っていくのでした。……
◇ ◇ ◇
あっという間に夏が終わろうとしていました。
ピンクチェックスクールの活動は、ゆっくりではありましたが
確実に結果を出していて、
今日はそんな私たちの新しい曲のお披露目を兼ねた
合同の野外ライブをすることになっていました。
かなり規模の大きいイベントで、
私たち以外にも大勢のアイドルとユニットが参加しています。
その中でも私たちはイベントの中心を担うユニットの一つとして注目されていたので、
この日のためにずっと前から入念に準備を重ねてきました。
こういう大きなライブは三人ともそれぞれ経験がないわけではないので、
過剰に気負うようなことはありませんでした。
しかし私などは、どんな時でもそうなのですが、
人前に出るというだけで他の二人よりずっと緊張してしまいます。
この性格ばかりはいつまで経っても治りません。
卯月ちゃんと響子ちゃんは私のそういう弱気な部分を知っているので、
待機中やライブ直前には、気を紛らわそうと楽しい話をしてくれたり、
私の震える手をぎゅっと握ってくれたりします。
ただ、そうして卯月ちゃんの手のひらに包まれていると、
違う意味で緊張してしまうこともありましたが……
会場はとても盛り上がっているようでした。
私たち三人は出番がくる少し前に、舞台の袖で、スタッフと一緒に
もう何度もリハーサルで確認したような事を、また繰り返し確認している所でした。
とは言うものの、私たちも現場にはある程度慣れていたので、
そうした半ば義務的な慣習を一種のおまじないのようにやり過ごしていると、
私は自分の衣装に付けるはずのアクセサリーを外したまま
楽屋に置いてきてしまった事に気づきました。
「すみません、少し席を外してもいいですか?……すぐに戻ります」
そう断って、小走りにその場から出て行きました。
探し物は更衣室に無造作に置いてありました。
部屋には私の他に誰もいません。
そして、ああ、この時にすぐ脇目も振らず引き返していれば、
私もまだ過ちを犯さずに済んだかもしれないのに……
私は、ふと辺りを見渡して、
すぐ近くのロッカーが鍵もかけず半開きになっているのを見つけてしまいました。
誰だろう……いいえ、私は知っていたはずでした。
気がつかない振りをするべきだと、私の良心が囁いていて……
けれど私の身体は自制するよりも先に動いていました。
そこには卯月ちゃんの私物と、そして私服が仕舞ってあったのです。
……私は、卯月ちゃんの着替え終わったばかりの衣服を手に取っていました。
自分でも驚くくらいに冷静でした。
女の子の匂いがしました。
私や、この部屋に充満している匂いと何も違わないはずなのに、
不思議と私を幸福にする卯月ちゃんの残り香、その温もり……。
私は、このまま卯月ちゃんの私服を盗み取ってしまう想像をしました。
きっと彼女は困るだろう、そんな当たり前のことを思い浮かべます。
そう、きっと卯月ちゃんはショックを受ける。
そして悲しむんだ。
あの笑顔をほんの少しだけ曇らせて、
卯月ちゃんの心は傷つく……私の手によって。
その妄想が私をどんなに愉快な気持ちにさせたことでしょう。
もはや自分で自分の歪みを顧みることもできなくなった私は、
卯月ちゃんを傷つけようと考える事に何の罪悪感も抱かなくなっていたのです。
ここで私が彼女の衣服を手に持ったまま逡巡していたのは、
ただ人のものを盗むという不義、不道徳において、
決意を鈍らせていたに過ぎません。
わぁっ、と遠くから大きな歓声が聞こえました。
そこでやっと、ライブの真っ最中であることを思い出します。
(もうすぐ出番なのに、私は何をしているんだろう)
我に返って、急いで戻ろうと
手に持った服をロッカーへ仕舞おうとした時です。
何かがするりと床に滑り落ちました。
それは小ぶりな革のパスケースでした。
あの時、あのお店で一緒に買った、おそろいの小物。
もう随分昔のことのように思われました。
――頭の奥がズキズキと疼きます。
急に、わけのわからない激しい怒りが私を襲いました。
それから困惑、苛立ち、憐憫、妬み……
発作的に沸き起こるありとあらゆる感情、
それぞれがないまぜになって真っ黒に塗りつぶされていく感情で、
私は足元に落ちている忌まわしい物から目を逸らすこともできず、
自分自身の理解しがたい衝動に任せるままに、
卯月ちゃんのパスケースを拾って自分の鞄のなかへ放り込みました。
舞台袖に戻ると、もう私たちの出番の直前でした。
「どうしたの? 大丈夫?」
スタンバイしていた卯月ちゃんが、私を見るなり心配そうに尋ねます。
「なんでもないよ。大丈夫」
私は平静を装ってそう答えました。
それでも彼女はなにか不安そうな顔をして私を見つめていました。
……この時の私は一体どんな表情をしていたのでしょう。
笑顔でいられたでしょうか?
それとも泣きそうな顔をしていた?
あるいは……
――――――。
……私たちのライブが終わった後、
ファンの歓声を背に舞台から下りて行くと
案の定、プロデューサーさんやスタッフの皆さんは
何かよそよそしいような態度でねぎらいの言葉をかけてくれました。
卯月ちゃんと響子ちゃんのまだ火照っている顔には
明らかに落ち込んだ色が見えます。
私たちのライブは失敗に終わりました。
リズムも合わず、歌も綺麗に乗せられなかった。
挙句には振り付けを間違える始末です。
原因ははっきりしていました。
私です。
他の二人に非はなく、ただ私だけが、
心をどこかへ置いてきたままステージに立ってしまったのです。
不意に、誰かに手を握られるのを感じました。
顔を上げますが、視界が潤んでいてすぐには状況が分かりませんでした。
「美穂ちゃん……」
「あ……」
頬を何か熱いものが伝わっている。
私は知らないうちに泣いていました。
目の前に居た卯月ちゃんは、私がどこかへ飛んで行ってしまうのを
必死に引き留めでもするかのように、私の手を強く握っていました。
「……ごめんなさい……ごめんなさい」
それから止めどなく涙が流れ出てくるのを抑えきれず、
私は卯月ちゃんと響子ちゃんにそっと抱きしめられながら
声を上げて泣いたのでした。……
……私は二人に泣いて謝りました。
そして卯月ちゃんと響子ちゃんはそんな私を責めたりはしませんでした。
しかし、私が涙を流したのは、ライブに失敗して
二人に迷惑をかけたという、それだけの理由ではなかったのです。
私は道を踏み外した。
今回の失敗は、そんな私に下された最初の罰なのです。
更衣室で卯月ちゃんのパスケースを盗んだ瞬間、
私はもう戻れない道を進んでしまっていたのです。
私はライブに来てくれたファンをがっかりさせました。
私達のユニットのキャリアに傷を付けました。
しかしそれらは私が選んでしまった未来を考えれば必然だったのです。
いずれは私のアイドルとしての人生を破壊してしまうような……
色々な人を傷つけ、悲しませ、私自身をも苦しめるような……
私はそんな恐ろしい破滅への予感のために、
そしてそれを受け入れる恐怖のために涙を流したのでした。
その後のことはよく覚えていません。
帰り道、タクシーの中で
卯月ちゃんがパスケースが失くなった事にようやく気づいて、
大慌てでプロデューサーさんに連絡しているのを
私はなんだか空虚な気持ちで眺めていました。
あの中には彼女の346プロでの身分証も入っていたので、
紛失した場合は再発行の手続きが必要だとか、
そんな話をしていたような気がします。
けれど私にとっては何もかもがどうでもいい事でした。
色々な感情に押しつぶされそうになりながら、
私は、かつて思い描いていた一つの運命の詩、
――私だけが卯月ちゃんを悲しませる事ができる――
そんな一節を、今度はこんな呪いの言葉に変えて、心の中に唱えていました。
――卯月ちゃんの笑顔は、私だけのもの……
今日はここまで
乙
どんどん病んでくなぁ……
モノローグが一文一文は意味のあるはずの文章なのにレス単位になると意味が破綻してたり分からなくなるあたりが静かに壊れっぷりを際立たせてる
◇ ◇ ◇
それからしばらく経った休日、
私は卯月ちゃんの家に来ていました。
彼女は、ここ数日の私の暗い様子を気遣ってか、
まだ私がライブで失敗した事を引きずっているのだと思い込んで、
どこかへ遊びに行こうと誘ってくれました。
そこで私は、卯月ちゃんの家に行きたいと答えたのです。
彼女は少し意外そうにしながら、了解してくれました。
私は、計画らしい計画などまるで持たないまま、
ただ彼女の暮らしている部屋、彼女の匂いが染み付いている家具、
それら彼女の存在をもっとも濃くしている空間で
私たち二人の運命を試そうと考えたのです。
今、この家には私と卯月ちゃんしかいません。
彼女の両親はちょうど留守にしていました。
私は卯月ちゃんの部屋で、彼女のベッドに腰かけていました。
私が何か名残惜しいようにそのシーツを撫でているのを
卯月ちゃんは不思議そうに見ているばかりで、
そうしたまま押し黙っている私の異様な態度に
どう話しかけたらいいか迷っているようでした。
……まだ引き返せるという人もいるかもしれません。
彼女のものを盗んだという、ただそれだけの過ちなら、
悔いて償えばいいと、そう説く人もいるでしょう。
けれど私が犯したのは、そんな一過性の気まぐれによる誤りなどではなく、
私の人生に深く根を下ろしている根源的なもの、
私がこれまで誤魔化しながら蓋をしていた腐った匂いのする欲望、
それらを見ない振りをしてきたことの罪なのです。
不穏な空気になってきました…
私は自分の鞄の中から卯月ちゃんのパスケースを取り出してみせて、
驚いている彼女にそっと渡しました。
「見つけてくれたの? ありがとう!」
「違うよ。それ盗んだの、私なんだ」
「え?」
卯月ちゃんは私の言った言葉を呑み込めていないようでした。
「なんでだろう、自分でもよく分からないの。
どうして卯月ちゃんが、私や響子ちゃんと同じものを、
そんなに大事に持っているのかな……って」
「そしたらね。なんで私は卯月ちゃんと一緒にアイドルなんてやってるんだろうって、
そんな風に考えたら、なんだかもう嫌になっちゃって」
「卯月ちゃんには、そんなもの必要ないのに。
卯月ちゃんと一緒のユニットでアイドルやって、卯月ちゃんとお揃いの物を買って……
私、それだけで卯月ちゃんに近づけるって勘違いしてた」
「私、卯月ちゃんに憧れてたんだよ。知ってた?」
「私を……?」
「卯月ちゃんは凄いよ。私や響子ちゃんなんかじゃ絶対に太刀打ちできないくらい。
でも卯月ちゃん本人はそれを自覚してない、こんな残酷なことってある?」
「そんな……美穂ちゃんも響子ちゃんも、私すごいと思ってるよ!」
「違う」
卯月ちゃんは急に怯えたような眼つきになった。
「私ね……嫉妬してたんだ、きっと。
卯月ちゃんの才能が羨ましくてしょうがなかった。
どうして私じゃなくて、卯月ちゃんなんだろう……って」
「でも、それと同じくらい、卯月ちゃんを好きだったの。
卯月ちゃんがアイドルの可能性をどこまで広げてくれるのか、
私たちを想像もつかないような場所まで連れて行ってくれるんだって、
そんな風に思ってた」
「でも卯月ちゃんは私の気持ちにちっとも応えてくれない。
いつまで経っても、私たちと足並みを揃えてばかり……
私はそんなこと望んでないのに」
自分の声が興奮で震えているのが分かる。
「卯月ちゃんが悪いんだよ」
「美穂ちゃん……私、美穂ちゃんが何を言ってるのか、分からない……」
困惑する卯月ちゃんの頬を、思いっきり打った。
パァン、という音がした。
卯月ちゃんは顔を横にのけぞらせたまま固まった。
「どうして……どうしてそんなに自分に無責任なの……?」
恐る恐る私の方を振り返る卯月ちゃんは、
可哀想なくらい怯えていた。
その目に涙のような潤いを溜めて。
私は、自分が今から何をしようとしているのか、
それを実際にしてみるまでは全く分からないような
ぐちゃぐちゃになった思考で、もう一度卯月ちゃんの頬をぶった。
彼女は後ずさりしながら、それでも悲鳴を上げず、
ただ恐怖と悲しみの入り混じった目に涙を浮かべて、私を見つめているばかりだった。
私はとうとう彼女の髪の毛をつかんで、そのままベッドに放り投げた。
そこでようやく悲鳴のような声が聞こえた。
私は卯月ちゃんに覆いかぶさって、その両腕を押さえつけた。
卯月ちゃんの仰向けになった身体にまたがると、
彼女の荒い呼吸に合わせて上下するお腹の震動が
私の下半身に細かく伝わった。
そうやって見下ろしている私の影になって、
卯月ちゃんはポロポロと涙をこぼしながら、
許しを乞うような眼差しをまっすぐ私に向けていた。
その瞳に、私はどんな風に映っているんだろう?
私は今どんな表情をしているんだろう?
きっと笑っているんだろうな。
親友だと思っていた人に裏切られて、
殴られて、暴力をふるわれて……
こんな現実に打ちひしがれている卯月ちゃんの
絶望したような顔を見るのが、
私は、
たまらなく愉快だった。
卯月ちゃんは何も言おうとしない。
その口は固く閉ざされたまま。
私は下敷きにしている彼女の身体に、ぐっと体重をかけた。
卯月ちゃんは顔を歪めて苦しそうにくぐもったような鳴き声をもらした。
どうして卯月ちゃんは抵抗しないんだろう?
でもそんなことはどうでもいいや。
私は自分の内側から滔々とあふれ出てくる邪悪な喜びに
心のすべてを浸しながら、
私が今まで卯月ちゃんと築いてきた友情、
アイドルとして今まで関わってきた人たちの信頼、
私の少女としての誇り、人生、
それら何もかもを終わらせる覚悟をしていた。
卯月ちゃんの、次第に空虚に濁っていく瞳が愛おしい。
そうして私は、そんな彼女の失われていく表情の向こう側に、
ついに私が探し求めてきたきらめきを、魂のかけらを発見した。
全身が歓喜に震える。
このまま死んでもいいと思った。
私は、卯月ちゃんを苦しめて、痛めつけて、
その代償に卯月ちゃんに殺されるのだ。
彼女が私を恨み、憎んで、私の首に手をかける。
その時卯月ちゃんが私に向ける憎悪と絶望こそが、
私がずっと欲していた、世界でただ一つの本当の笑顔なんだ。
そうして彼女がもっとも光り輝く瞬間を目に焼き付けながら、
私は幸福のうちに絶命する。
こんな儚く刹那的な結末ほど美しい物語はないと思った。
たとえ殺されなくとも、私が卯月ちゃんに拒絶されてしまえばいい。
私はもう卯月ちゃんの傍にいられなくなるけれど、
そんな私の想いと、卯月ちゃんの想いとを犠牲にして
卯月ちゃんがもっともっと輝いてくれるのなら、
私は喜んで自分の人間性を捧げよう。
私は、そんな彼女への絶対的な尊敬と畏怖、
そして絶えず胸のうちに迫りくる信仰心にも似た愛で、
これが私と卯月ちゃんの関係をすべて終わらせる決定的な行為になると確信し、
泣いている彼女の濡れた口唇に
くちづけをした。
また明日
乙
乙
いいところで終わるなー
かつてこんな風に美穂を描写したSSがあっただろうか
乙
◇ ◇ ◇
卯月ちゃんの唇の柔らかい感触と、
ぬるぬるした粘液のしょっぱい味が
私の研ぎ澄まされた意識をねっとりと犯した。
まるで時間が止まったみたいに、
世界には私と卯月ちゃんと、そして私たちを結び付けている
この生々しい感覚しか存在していないような気がした。
私は夢中で彼女の唇をむさぼった。
どっちがどっちの唾液だか分からなくなるくらい、
真剣に、私の愛の証明と、そして破滅の味をそこに見出しながら……
私はいつの間にか泣いていた。
自分が自分でなくなってしまうような恐怖。
覚悟していたはずなのに、実際にこうして
卯月ちゃんを犯している事への果てしない罪悪感。
彼女の才能しか愛することができなかった悲しみ。
それら全てが溢れ出て、
「う……っ うぅ……ああ……!!」
とうとう我慢できずに、嗚咽をあげながら、
それでも尚、キスするのを止めようとしなかったせいで、
私と卯月ちゃんの唇は、空しく糸を引きながら
くっついたり離れたりするのだった。
私は、その禁断の蜜を味わうのに必死になっていて、
卯月ちゃんが何をしているのかすぐには理解できなかった。
彼女の震える腕が私の背中を抱いていた。
彼女は顔を背けすらしなかった。
私の精一杯の陵辱を受け入れていた。
卯月ちゃんは逃げようと思えばできたのに、
いつまで経っても私のキスを拒もうとしない。
私がそのだらしなく開いた口の中に舌を入れても、
卯月ちゃんは同じようにいやらしく舌を絡ませるばかりだった。
瞬間、私は違和感に驚いて行為を止めた。
けれど卯月ちゃんはそれを許してくれなかった。
私の放心して固まった身体を引き寄せるように、
背中に回した腕にぐっと力を込めて、
今度は彼女のほうから求めるように私の口を塞いだのだった。
はだけた胸を強く押し付けられて、
卯月ちゃんの荒い吐息と、それに合わせて鼓動する彼女の肉体とが
興奮して敏感になった私の官能の奥深いところを強烈に刺激した。
それは私が追い求めていた暗い感情とは正反対の、
明るい、とろけるような快楽だった。
「やめて!!」
私は咄嗟に卯月ちゃんから飛び退いた。
何がなんだか分からない。
目の前にいるのが卯月ちゃんではないような気がした。
私は猛獣を恐れるように彼女から逃げた。
卯月ちゃんは変わらず悲しそうな表情をしたまま、私を見つめ返していた。
「なんで……?」
私はそんな言葉を口にした。
なんで私を拒絶しないの?
卯月ちゃんは私を拒絶しなくちゃいけないのに。
「なんで私を軽蔑しないの?
あなたにこんな酷い仕打ちをした私を、憎く思わないの?」
あなたがあなたでいるためには、
私を否定しなくちゃいけないのに。
あなたが私のこんな醜い気持ちを受け入れてしまったら、
それはもう私が憧れていた島村卯月ではなくなってしまう。
あなたはこんな私と違って、穢れない存在なんだ。
あなたが私を否定しないと、あなたの才能は価値を失ってしまう。
あなたの笑顔をもっと神秘的に、もっと美しくするために
私は自分自身を犠牲にしたのに。
あなたは私の覚悟を無駄にしようとしている。
あなたは目に涙を浮かべたまま、口を開いた。
「私……美穂ちゃんのこと、嫌いになりたくない。
そんな苦しそうにしてる美穂ちゃんを……嫌いになんてなれないよ……」
……私は絶望して、その場に崩れ落ちました。
あなたのそんな思いが、どれだけ私を失望させたでしょう。
「卯月ちゃんの馬鹿……バカぁっ」
急に身体から力が抜けて、泣きながらあなたを責めている私に、
あなたはそっと手を差し伸べました。
私はもう一度殴ろうと手を上げたけれど、
弱弱しく振りかざされた私の手のひらは、あなたの赤く腫れた頬を少し撫でただけでした。
そうして子供のように涙をぽろぽろ流してぐったりしている私を、
あなたは柔らかく抱きしめてくれました。
私はあなたの腕の中で声をあげながら泣き続けるのでした。
あなたの温もりに包まれて、
私の濁りきったように思えた心も
優しく浄化されていくようでした。
――その日、私は卯月ちゃんの部屋で一晩を過ごしました。
卯月ちゃんの御両親には、ただ私が泊まるという事だけを卯月ちゃんの口から説明してもらい、
寮の管理人やプロデューサーさんには、私から外泊するという旨の連絡をしました。
それらの了承を得るのに、何の滞りもありませんでした。
皮肉なことに、私と卯月ちゃんの繋がりを阻むものなんて、
最初から何一つ無かったのです。
ただ私だけが、勝手に自分自身で悲劇を作為していて……
しかし、こうして意外な形で実を結んだ私の倒錯した愛情と、
卯月ちゃんの哀憐にも似た愛情は、果たして悲劇でないと言い切れるでしょうか?
私たちの中心にある物語は、依然として破滅的な結末を予感させながら、
そこに束の間の、気まぐれに近いような幸せの幻影を
私たちに見せているだけなのではないでしょうか?
……しかし私はもう、考える力をすっかり奪われてしまいました。
私は女神を愛するよりも先に、女神の愛撫に溺れてしまったのです。
そして私はついに女神の微笑みを私だけのものにした。
これに勝る喜びなど、世界に一つとありません。
その夜、私と卯月ちゃんの間には交わすべき言葉など一切なく、
ただお互いに、あのとき一瞬だけ感じた夢のような快楽をもう一度確かめるために、
この背徳の匂いが充満した真っ暗な部屋で二人きり、
眠るのを忘れてしまうくらいに
何度も繰り返し、肌を、汗を、唇を、愛を、重ね合ったのでした。
……
今日はここまで
乙
こういううづみほもあるんだなぁ・・・
◇ ◇ ◇
それからの日々、
私と卯月ちゃんは二人だけの秘密を共有しながら、
おそらく今を措いては
これほど幸福に満たされた人生は私たち自身にも思い描けないというくらいに
甘く美しい愛を、その秘密の中に育んでいきました。
私は卯月ちゃんの笑顔と才能を愛し、
卯月ちゃんは私の影と光を愛してくれました。
私たちは、二人のどちらかがそれを求める限り、
この繋がりを絶とうとするものを一切拒みました。
何者も私たちを邪魔するのを許しませんでした。
学校と仕事以外のすべての時間は、
卯月ちゃんと触れ合うために費やしました。
食事をするときも、買い物に行くときも、
私たちは常に二人きりで行動するようになりました。
そしてある時はふと思いついたように、
またある時は肉欲に悶々としながら、
どちらかが意味ありげに目配せをするだけで、
人目につかない場所へ行っては
お互いに火照った身体を愛撫し出すのです。
そこには何のためらいも、羞恥もありませんでした。
私たちはお互いに夢中でした。
そうやって私たちは私たち以外のあらゆる事柄に無頓着でいたせいで、
いつしか二人の関係が公然の秘密になりつつある事に
しばらく経ってからようやく気がついたほどでした。
最初に察したのは響子ちゃんでした。
「最近、二人とも仲良いね」
以前の私なら、こんな探るような聞かれ方をされれば
慌てふためいて色々な言い訳をしていたことでしょう。
けれど、もう何の後ろめたい気持ちもない今の私は、
そんな響子ちゃんの疑問に有無を言わさぬくらいな笑顔で一言、
「うん!」と答えるのです。
そして、いつも自然に隣に居る卯月ちゃんの手を
響子ちゃんに見えないようにそっと握り、
そうすることでますます二人だけの関係を
特別なものにしているような感動にうっとりするのでした。
響子ちゃんは、その時は特に不満もなさそうな様子でした。
しかし私のこの無神経な、秘密を秘密ともしておかないような自棄的な態度は、
次第に私たち二人と響子ちゃんとのあいだに見えない壁を作っていくのでした。
卯月ちゃんは卯月ちゃんで、私がそばに居ないような時は
いつも上の空といった感じでした。
一度、彼女が凛ちゃんや未央ちゃんたちとおしゃべりしている場面に
偶然出くわした事があります。
その時の卯月ちゃんの虚ろな表情といったら、
まるで魔法をかけられた操り人形のような有様でした。
そしてそのぼんやりした視線の先に私の姿を認めるや否や、
急に眠りから醒めたように目を見張り、
凛ちゃんたちとの会話からさりげなく抜け出して、
私のもとへ甘えるように擦り寄ってくる……
そして私は、そんな従順な卯月ちゃんを心から愛おしく感じ、
存在をまるごと抱きしめてもまだ足りないくらいな感情をようやく我慢して、
そういう日の夕方はどちらかの自室へ籠っては
満足のいくまで愛し合ったりするのでした。
私は、私たちの会える時間が減るのを考えると、
アイドルの仕事すらも煩わしく思うようになりました。
それどころか、卯月ちゃんを自分のものにした今、
私がアイドルを続けていく理由など少しも無いような気さえするのでした。
自然、私のアイドルとしての熱意は急速に冷めて行きました。
かろうじて体面だけは仕事を丁寧にこなしている風に見えるよう努めましたが、
私も元々器用な性格ではありませんでしたから、
自分のいい加減な本心はごまかしきれず、
この頃はスタッフや他のアイドルたちの足を引っ張る事も少なくありませんでした。
そうして少しずつ私の表の日常がほころびかけていくのに対して、
私と卯月ちゃんとの幸福は一向に衰える気配がないのです。
しかし、そうして私たち以外のすべてを放棄して進行していく日々において、
ただひとつ、私の心にはほんの少しだけ違和感のようなものが芽生え始めました。
それはまさに卯月ちゃんの笑顔のことでした。
彼女の眩しい笑顔は、確かに私がずっと欲し求めていたものに違いありません。
しかし、ふと気付くと、実際にこうして私だけが独占している彼女の笑顔には
私を心から幸せにしてくれる力は持っていても、
かつて宿していた神聖な光りは、いくら目を凝らしても
もうどこにも見当たらないのでした。……
私たちはある日、仕事を口実に学校を休み、
二人だけで遠く離れた町へ気持ちの向くままに旅をしました。
まだ夏の香りが漂っている自然の風景を想像して、
そういう世界にこそ私と卯月ちゃんがずっと思い描いていた夢を
完全な絵にして描き出せるだろうと考えながら……
電車を乗り継いで、思いつくままに駅を降り、
死に場所を求めるように人の居ない道をひらすら歩き、
時折、他愛のない会話を交わしながら、
清々しい初秋の空につい虚しく誘われてしまいそうになる私の心……
そしてそんな心を唯一ここに留めておいてくれる、
卯月ちゃんと繋いでいるその手の柔らかい感覚……
私が今感じている、この切ないような楽しいような気持ちは、
私自身の感動というよりも、卯月ちゃんの感じている気持ちを
その心の繋がりを通してそっくりそのまま私の意識に写し出している
錯覚のようにも思われました。
そうして二人の間に漂い続けている一種の感傷のようなものが
鏡のようにお互いを投映し合うことで、
私たちの心は無限にひとつになっていくような気がしました。
私たちは少しひらけた場所に心地良さそうな草原を見つけて、
そこに腰を下ろして休みました。
この視界に広がるものすべてが私たちを祝福してくれているようでした。
卯月ちゃんは遠くに見える山々や
風に流れる高い雲を飽きずにずっと眺めています。
言葉はほとんど必要ありません。
そんな卯月ちゃんの風になびいているような横顔に魅入っていると、
ふと彼女が振り向いて思わず目が合う。
そうしてお互い笑いながら、恥ずかしさをごまかすようにそっと唇を重ねたりするのでした。
……こんな身近にある、穏やかで好い匂いのする存在、
私の肌をやさしく撫でてくれるそのしなやかな手、
一点の曇りもないような笑顔、それからまた時々交わす平凡な会話……
そんなものをもし取り除いたら跡には何も残らないような平穏な日々だけれども、
私のようなつまらない人間にはむしろ望みすぎなくらいの人生だと思いました。
次第に私は、ここにおいては時間というものから抜け出して、
私たちだけの永遠の世界を作り上げてしまったような気さえする……
そしてとうとう二人の完全な幸福の絵を手に入れたように見えた瞬間、
これに重なって、不意に私たちの未来を暗示するような幻影が
同時に脳裡にはっきりと浮かび上がってくる。
それは紛れも無く、あの時に私を脅かした破滅への予感でした。
私の背後、そのすぐ後ろまで迫っているもの……。
幸せに溺れすぎて見落としてしまっていたもの……。
私は眠ったようにとつとつとそんな事を考えていました。
……私と卯月ちゃんはもうアイドルを辞めてしまっても良いと思っている。
それどころか、私は卯月ちゃんを独占したいと思うあまり、
もう彼女が他の誰かの目に触れることさえ我慢ならないくらいだったので、
彼女にはアイドルで居て欲しくないと願うほどでした。
けれど、卯月ちゃんがアイドルを辞めてしまったら、
私が愛していたはずの彼女の才能は一体誰のためのものになるのでしょう?
私は卯月ちゃんの、一体何を愛していたというのでしょう?
私はアイドルの卯月ちゃんと、彼女の絶対的な女神のような笑顔を
ずっと求め続けていたのに、私がいま独り占めしているのは
島村卯月という少女の恋のように優しい笑顔だけではないのでしょうか?
私は、けっして手が届かないからこそ、卯月ちゃんの美しさと才能を愛していたのです。
かつて自分が崇拝し、その運命に忠実であろうと心に決めたはずの卯月ちゃんの才能は、
今や私の手によって失われつつありました。
私はどちらを選ぶこともできませんでした。
卯月ちゃんと一緒にアイドルを辞めて、
いつ終わるともしれない秘密にすがっていく事も――
卯月ちゃんの光りを支える役割を果たすために、
自分自身を犠牲にする事も――
私の隣で無邪気に微笑んでいる彼女を、
私はどこか切ないような気持ちで見つめていました。……
今日はここまで
大変読みづらいと思いますが(今更)のんびり気長に読んでいただければと……
卯月の誕生日に終わらせるつもりでいます
乙
◇ ◇ ◇
透き通って無垢な宝石は
その硬く滑らかな表面に当てられた様々な光りを濾過し、
世界の美しい輝く色だけを結晶の内側に閉じ込めて、
それ以外には何も語りません。
しかし、そんな硬い鉱石に守られたように見える輝きも
ある角度からほんの少し衝撃を加えただけで
いとも簡単に割れてしまい、無秩序な土の上へ還って行きます。
亀裂のきっかけを作るのは、いつだって外敵の存在なのでした。
卯月ちゃんと夜に会う時は、大抵、私の部屋か卯月ちゃんの家でした。
とくに私の住んでいる寮は厳格な規則らしいものがなく、
お互いに都合がつくような日はよく私の部屋に卯月ちゃんを泊めたりしていました。
そんな調子だったので、他の住民にとって
卯月ちゃんを寮で見かけるのは珍しい事ではなくなっていました。
そして、中には卯月ちゃんを頻繁に寮に立ち入らせるのを
快く思っていない人が居るということも私は知っていました。
同期の子たちからも、直接たしなめられたわけではありませんでしたが、
その態度から私と卯月ちゃんの仲を不審に思っているらしい事は察せられます。
私はそんな批判的な目こそ気にしていませんでしたが、
これが無闇に広がって槍玉に上がるようだと、私としても好ましくありません。
正直なことを言うと、鬱陶しいと思うくらいでした。
そんな折のある日、私のもとへ蘭子ちゃんが訪ねてきたのです。
月の綺麗な夜、いつものように卯月ちゃんを帰してから、
蘭子ちゃんが入れ違いに私の部屋へやって来ました。
私はびっくりして、思わず
「どうしたの?」と聞くと、
私に話があると言って真剣な顔をしているのでした。
彼女を部屋に上げて、何か飲み物でも用意しようとすると、
そんな私を遮って彼女が唐突に話を切り出しました。
「一体どういうつもりなんですか?」
「なんのこと?」
「とぼけないでください」
そんな風に睨みつけてくる蘭子ちゃんを見ていると、
私はなんだか落ち着かない気持ちになりました。
「そういえば、ずいぶん久しぶりだね。二人でこうやって話すのも」
「…………」
私は何となくそう言ったあとで、
蘭子ちゃんと最後に会って話をしたのがいつだったかを
わざとらしく思い出そうとしていました。
「1ヶ月……2ヶ月くらい会ってなかったのかな?
あのお店はどう? お客さんは増えた?」
「……つぶれました。ずっと前に」
私は少し動揺した素振りを見せて、「そう……」とだけ呟きました。
「最近の美穂ちゃん、少しおかしいよ」
蘭子ちゃんは非難するというよりも訴えるようにそう言います。
「どこもおかしくないよ」
「嘘。じゃあどうして私の連絡、無視するの?」
ああ、そういえば蘭子ちゃんから時々メールとか来てたような気がする。
「ごめんなさい、返事をするの忘れちゃって……」
蘭子ちゃんは急に泣き出しそうな顔をして、
「本当のことを言って……美穂ちゃんにとって卯月ちゃんはそんなに大切な人なの?」
「うん。大切な人だよ」
そう答えると、蘭子ちゃんは何かをぐっと堪えるように俯いて、黙ってしまいました。
「……このままじゃ駄目だよ。
美穂ちゃんも卯月ちゃんも、もうアイドルなんてどうでもいいみたいにしてる。
プロデューサーさんだって困ってる。
このままじゃ二人ともアイドルを続けられなくなっちゃう……そんなの良くないよ……」
「……蘭子ちゃんは、さ」
彼女の嘆願するような口調に反発して、私は語り出しました。
「分かってないんだよ。
みんな分かってない……卯月ちゃんがどれだけ凄いアイドルなのかを」
「卯月ちゃんには才能がある。私も蘭子ちゃんも、
事務所のアイドルが大勢束になっても敵わないくらいの才能が」
「その事に気付いてない、みんなの方がおかしいんだよ。
卯月ちゃんはいずれ世界中の人たちを魅了する……
そんな卯月ちゃんをないがしろにしている事の方がどうかしてる」
「蘭子ちゃんだって、本当は卯月ちゃんの笑顔の美しさを知っているはず。
なのに、それを認めようとしてない。認めたくないと思ってる」
「……今、卯月ちゃんを愛してあげられるのは私だけなの」
私はそう言いながら、自分で言っている事の矛盾に笑いそうになりました。
卯月ちゃんの本当の魅力を封じ込めているのは私なのに。
蘭子ちゃんの目はなぜか潤んでいて、
それでいてどこか寂しそうに私を見つめるのでした。
「美穂ちゃん……それは美穂ちゃんがただ……」
鬱陶しいな。
そう思い始めた途端、蘭子ちゃんの言葉は意味を失い
ひとつの旋律のような音の連なりになって私の耳に聞こえてきました。
目の前には何か一生懸命になっている蘭子ちゃんの姿だけが映りました。
そういえば、と私は思い出します。
蘭子ちゃんと話をすると、時々こんな不思議な感覚をおぼえるのでした。
この子の人形のように綺麗な肌と顔立ちが私の美意識に語りかけて、
気付くと、彼女の輪郭だけが私の思考を支配してしまう……
今回のそれは顕著でした。
私は、はっきりと言葉に現していないものの、
蘭子ちゃんの美貌に憧れていたのは事実でした。
私の知る限り、彼女はもっとも完成された美少女でした。
それは、神様が精巧に作って現世に生み落とした
一つの芸術品とでも言うような美しさでした。
けれど、当たり前のようですが、蘭子ちゃんの造形には
卯月ちゃんのような激しい強烈な美しさは宿っていないのです。
この二つには絶対的な差がありました。
私は、卯月ちゃんと蘭子ちゃんの輝きの違いはなんだろうと考えました。
そして得た答えは、生者と死者の違いだろうという事でした。
蘭子ちゃんのそれは、死するものの美しさなのです。
そして卯月ちゃんは生そのものの美しさでした。
死は、それが一旦訪れてしまえば、あとに残るのは永遠だけであり、
蘭子ちゃんはそんな永遠という夢想の中でのみ、その真価を得られるのです。
蘭子ちゃんはその肉体の外郭さえあれば他に何もいらない、
むしろ、彼女の本当の美しさは、
彼女の死によってこそ究極のものになるのだと思いました。
あるいは、彼女と同じ姿形をした人形を作ればいい。
私は、意思を持たず主張もしない人形の方が、
よっぽど彼女本来の美しさに近いような気がしました。
要するに蘭子ちゃんは替えのきく美しさなのです。
そして反対に、卯月ちゃんはその肉体に宿した魂によってのみ定義される美しさ、
雑多な感情や強い意思によってこの世にただひとつ存在する美しさなのでした。
唯物的な価値に縛られない、本質的な美そのもの……
そんな形を持たないものこそが、卯月ちゃんの魅力の根源だったのです。
私は、ふと、目の前にいる蘭子ちゃんを殺し、
その白く薄い肌の内側に蝋を詰め込んで、
自分のそばにずっと飾って置く想像をしました。
それはどうかすると、卯月ちゃんの笑顔を自分だけのものにしようとする行為と
なんら変わりない事のように思われました。……
また明日
続きが怖いんだけど、読まずにいられない
なぜなら彼女もまた、特別な存在だからです
◇ ◇ ◇
私は蘭子ちゃんのむき出しになった首元にそっと手を添えました。
蘭子ちゃんはびっくりしたように一瞬その体を強張らせましたが、
私の手をどけることなく、困惑したようにその場に固まっていました。
彼女の、無機質で、艶やかで、冷たい細い首筋に
私がそうやって触れていると、その触れた場所から
彼女の肌にひびが入ってボロボロと砕け落ちてしまうような気がしました。
私は試しに、蘭子ちゃんの華奢な首から顎にかけて
その流れるような曲線を壊さないようにそっと手でなぞりながら、
彼女の無防備な口元へ優しくキスしてみました。
そしてそれは、実際にやってみると、
私がいつも暇を持て余した時になんとなく手に取って抱いている
熊のぬいぐるみと同じような感触なのでした。
卯月ちゃんと触れ合うときとは真逆の、
心の通うような余地など一切無いような、義務的な口付けでした。
蘭子ちゃんは何が起こったのかすぐには理解できない様子で、
しばらく私と唇を重ね合わせたままじっとしていました。
そして次の瞬間、私を突き飛ばして絶句したように睨みつけ、
対する私は馬鹿みたいにぼうっとしたまま蘭子ちゃんを見ていました。
バチンと頬にするどい痛みが走りました。
蘭子ちゃんが勢いよく私の部屋から出て行くその背中を、
私は空虚な気持ちで眺めていました。
私は、耳鳴りの響いた部屋で独り、呆けていました。
そして唐突に、自分がとても卑しい、くだらない、価値のない人間であるように思えました。
夢から醒めたような気がしました。
私は卯月ちゃんの笑顔を思い出そうとしました。
けれどそれは、なんだか霞がかかって曖昧な、
ぼんやりした印象だけになって
遠い昔の記憶のように不鮮明なのでした。
私は孤独でした。
どうしようもなく独りでした。
自分が何者なのかも分からず、
何のために生きているのかも分からず、
それでも尚、卯月ちゃんが与えてくれる生の衝動にすがって、
自分にたった一つだけ残された命を
この世に惨めに繋ぎとめておくことしかできない、
そして空っぽになった私の心にはもう、
こんな命さえつまらないもののように思われました。
――私は生きたかった。
あなたの世界で生きたかった。
私がこの世界を望む理由は、ただあなたが傍にいるからであり、
そして私をこの世界から引き剥がそうとするのも、また、あなただった――
……………………
…………
……。
◇ ◇ ◇
「――――はい。
いえ、そんな、気にしないでください――
確かに……良い思い出ばかりではありませんでしたけど、
これを機に心の整理ができたらいいなと思って、インタビューを引き受けたんですから……
――美穂ちゃんのその後ですか?――実はほとんど知らないんですが……
――ええ、彼女と会話したのはあの夜が最後で……
私はその時こそ美穂ちゃんに失望して、憎いとさえ思ってましたけど、
すぐに後で思い直して、もう一度ちゃんと話をしようと考えてたんです。
でも美穂ちゃんは次の日にはもう寮に居なくて――
当時は失踪だとか行方不明だとか物騒な騒がれ方をしましたけど、
結局、会社からは一身上の都合でアイドルを辞めたという、
そんな話だけ聞かされて……私が知ってるのはそれくらいです。
――事件に巻き込まれたんじゃないかと、そう仰りたいんですか?
そんな噂も確かにありましたね……真実は闇の中ですが。
でも私はこう思うんです。
彼女はたぶん、今もどこかで普通に暮らしていて、普通の人生を送っているんじゃないかって……
「――そう、美穂ちゃんはとても普通な子だったんです。
笑顔が素敵で、少し臆病な――普通の女の子だったんですよ。
ただちょっと自己愛が強いだけの――アイドルなら誰もが持っているような
自分を好きな気持ちの事ですけど――そういう性格な人でした。
アイドルには、自分を好きで居続ける才能が必要です。
ただ、美穂ちゃんの場合は……自分をどこまでも愛していながら、
それでいてどこまでも自分に自信のない弱い心の持ち主だったんです。
そういう弱いところが、美穂ちゃんの魅力でもありました。
だから私は、美穂ちゃんに恋をしていたんだと思います……
「――卯月ちゃんですか?――私は特に……
確かにシンデレラプロジェクトで一緒のメンバーでしたが、
彼女が特別、何かに優れていると思ったことはありませんでした。
そういう意味では、美穂ちゃんよりずっと普通な女の子という感じで……
美穂ちゃんの言うような天性のものなんて無い、普通の、
ごく普通の女の子だったんですよ……
だから私は、美穂ちゃんがどうして卯月ちゃんにそこまで入れ込んでいたのか、
いまだに分からないくらいで……
「――美穂ちゃんが突然いなくなった時の卯月ちゃんの様子ですか?
それはもう可哀想なくらい取り乱してましたけど……
案外、すぐに立ち直ったというか、少なくとも卯月ちゃんにとっては
アイドルを続けていく事の障害にはならなかったと思います。
――ええ、卯月ちゃんとは今でもたまに連絡を取り合いますよ。
お互いに引退してもう何年も経ってますが、表に出ないだけで
私たち結構仲が良いんですよ……
同じ人を好きになった者同士、気が合うのかもしれませんね(笑)
「――暴露インタビューといっても、
みなさんの期待するような面白い過激な話題は無かったかもしれません。
当時の346プロは、まあ、言ってしまえば女の子同士というのは
わりと普通な事で……私もそういう所で思春期を過ごしたわけですから、
なんというか、その、恋の盲目というか、それが自然な事だと思っていました……
――え、そこまで話すんですか?
えっと……美穂ちゃんとキス以上の関係を持ったことはありません。
本当ですよ!……まあ、卯月ちゃんの方はどうだか知りませんけど……
それは本人に聞いてください――
「――たぶん、これで私が話せる事は全部だと思います。
ほかに質問はありますか?……
――結婚ですか? 私は今はあまり真剣に考えていませんが……
というか、それはまた別のインタビューでお願いします……
――はい。こんなおばさんの話に長く付き合わせちゃって、すみません。
今日はどうもありがとうございました。
では……え?
それ、やらなきゃ駄目ですか?
写真もさっき撮ったじゃないですか。え、一緒にですか?
最後に一度だけって……いえ、その、嫌というか、少し恥ずかしいので……
わ、分かりました。これっきりですよ?
せーの……
「闇に飲まれよ!」
おわり
しまむー誕生日おめでとう
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【咲-Saki-】須賀京太郎カプ総合スレ73
【咲-Saki-】須賀京太郎カプ総合スレ74
【咲-Saki-】須賀京太郎カプ総合スレ75
【咲-Saki-】須賀京太郎カプ総合スレ76
【咲-Saki-】須賀京太郎カプ総合スレ77
【咲-Saki-】須賀京太郎カプ総合スレ78
【咲-Saki】須賀京太郎カプ総合スレ79
ここは学園都市第5位の超能力者(レベル5)心理掌握(メンタルアウト)こと食蜂操祈のスレです。
今後原作でも活躍が期待される常盤台中学最大派閥に君臨する女王様を応援しましょう。
CV:浅倉杏美 / / \ `丶
′ ,' :/ / l \ \
l / / ′ :i ヽ \
i / l 八 ', \ ヽ\
′ l ,′ | /. ヽ :ト、≦ '. ヘ \
//l l i i /´ ̄^ \ :l ,斗 i ☆
/ | i ∧ ∨ \j.f刋゚「八 .l
. / l | |八 '. 、_彡 ヒ::ソ i Ⅵ |
/ .l | l }\ヘ´ ̄´ i ノノi l |
/ ノ l i |、 ヽ ′ / l八i|
. / / l . l \ 丶 _ , .イ l }
' / l : l、 > / / : 八 ヽ
/ / ∧ : | \ ノ 厂 i ∨/ ,' / \
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/ / ∧ lヘ l弋 /j.\_》:\`<
/ / /- 、 i lハ } >=┘∨ ヘ::l \
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.:/ /. / ヘ l | ヽ \ ヽ i:l ヽ☆ハ
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.:/ / ∧ i∨ \:.. ∨:} ,′
/ / ,' ∨ ヽ ∨ ノ
乙
おわり…??
乙
駆け落ちはしなかったか
乙。
おお、ポエット……
最後に卯月と美穂のどっちを落とすか、あるいは駆け落ち心中させるか迷いました
本当は落とすにしても生きてるのか死んでるのか分からない風にしようとしてたんですが、
あんまり投げっぱなしにするのもよくないかなと思ってスレタイに明言させました
ただ、このスレタイは失敗したかなというのが正直なところです
変なSSでお目汚しすみませんでした
茨の森みたいになるのかと思ってたわ
このSSまとめへのコメント
このSSまとめにはまだコメントがありません