雪歩「君はお煎餅」 (80)
読むだけ無駄、ということだけは申し上げておきたい。
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お米を薄くしてから焼いたもの。
お醤油を塗られたり、サラダ油を塗られてから塩をかけられるもの。
これはお煎餅。
この世の中に私のことをお煎餅と間違う人がいるかもしれません。
世の中は広いから、そういう人もいるかもしれません。
でも近くにはいてほしくありません。
緑茶片手に迫ってこられても困ります。
例えば、真ちゃんがそうだったとしましょう。
私は、必死にお煎餅ではないことを説得するでしょう。でもそういう言い訳をするお煎餅なのだと誠ちゃんから思われています。そして私は『説得力とかいう本を馬鹿にせず読んでおけばよかった』と思います。
もういっそいつの間にか私の頭頂部からお醤油の香ばしい匂いがしだすのかと、鼻をくんくんさせるでしょう。そして気づけば、ただ白百合だけが私と真ちゃんとの間に咲いているのです。
『ただ白百合だけが私と真ちゃんとの間に咲いている』
ともう一回頭の中で呟いてみました。
でも、特に何も変わりません。
第一そんな花は咲いていません。
そもそも私のことをお煎餅と思い込む人など存在しません。
それはお煎餅ではありません
『誰かをお煎餅と思う人はいない』
今度は口に出して呟けば、これはまるで諺です。
しかし、犬が歩いても棒に当たらない。
当たればいい、という意味で申し上げたのではありません。
だから、玉葱で泣きながら『馬謖』と書いた半紙を鋏で切ってみました。
それでも困ったのでお茶にクリープを入れて飲んでみました。
飲んだ後にそんな諺がないことに気づきました。
『月は無慈悲な夜の井上』
とも呟いてみました。
しかし、そんな諺もありません。
ただ、的確なことをしたときにしか起こらない間違いがあります。
正面に来たボールを落としたとしても、
それは、的確な位置にいたから正面にボールが来たのです。
ふと思い出しました。
昨日真ちゃんが言っていた言葉を。
『人生をなくしたと思ったら、
小学生の頃に体操服のズボンのポケットに入れたままで、
しかも洗濯しちゃってたんだよなあ』
暫くその意味を考えて、諦めました。
『もしかして、これがお煎餅?』と言うところで投げ出しました。
そんな私の横でプロデューサーがうとうとしています。
「プロデューサー、私の墓石、持って行かないでください」
うとうとする私の横にいるプロデューサーにそう呟いてみました。
どんとはれ
次回『二人きりの事務所で千早が『犯してくれないと人を呼びます』と言ってきかない』はまた明日。
乙
明日と言ったな それは嘘です
雪歩「楽しい黒魔法入門」
私は事務所の古びた扉の前で千早ちゃんの声を聞きました。
『プロデューサー、犯してくれないと人を呼びます』
そしてギシギシアンアンと、これはなんとまあプロデューサーさん、千早ちゃんを椅子に座らせてシているのでしょうか。そんな音が無限の残響をもって私の耳に入ってくるのでした。
私は急いで家に帰って、机の一番下の引き出しの鍵をつけた上に(勝手に読んだら呪う。視界に入れても呪う。)と書かれたポストイットの張ってあるノートを取り出します。そして一気呵成に書き出したのでした。
【はじめに】
つまりは知っていたのだ。
本当は信じていなかったのだ。
とっくに諦めていたのだ。
この世界で私以外に私を判ってくれる人などいないことを判っていたのだ。
黒魔法を行使するに当たって必要なのは『不信』です。この世は信用ができない。目に映るものは真実ではない。
「全ては仕組まれている」
「世の中は自分への敵意に満ちあふれている」
「人が人に見せる態度が全て真実であるはずはない。見せたい自分を見せているにすぎない」
「犬ーーー夢、それも悪夢のそれが現実世界に存在する」
だから『私の真実』を作ればよい、そうだ、そうだ、そうしよう。悪い魔法使いはこう考えます。
黒魔法を使うことができる人は概してごく早い時期に自慰を覚えています。繰り返し繰り返し自慰をするうちに『自分にとって自分以外の何ものも必要ではない』と気づきます。ですから黒魔法とは自慰を拡大したものです。
次に自分だけが通じる言葉を作ります。自分だけが判る、自分だけにしか判らない、存在するだけで他への侮辱となる『自分だけの言葉』を幾つも作り上げます。
そして、他人の侮辱が自分への侮辱だと気づいたとき、次の段階である自傷行為に進みます。
自傷により『自分の傷が逆説的に自分を癒すのだ』と気づきます。そこからは加速的に黒魔法のことを理解します。
事ここに至っては黒魔法を使う人は自滅に向かって進むほかありません。自分を傷つけることが癒すことと同じなのだと気づいた者にとって『傷つけられる』以上に救いのある概念はありません。そこで自他を問わない破滅的な行為を繰り返すことになります。
さて、魔法使いの破滅的な行為が『破滅的』なのは、黒魔法が現実の何か、ひいては自分自身すらをも概念へと還元し、その意味を操作できるからに他なりません。
『火は熱くない。水は冷たくない。風は吹かない。星は光らない。声は響かない。魚は泳がない。鳥は飛ばない。花は咲かない。犬は鳴かない』
魔法使いでない人は現実を否定することのできる黒魔法に抗う術はありません。
実に、魔法とは『物の見方』に他なりません。そして、物の見方は経験に従います。ですから、その意味では経験する者は全て魔法使いです。ですから、あなたも魔法使いです。あなたは『言葉によって現実世界を解釈する』と言う点で、魔法を使っています。
ただ『本物の魔法使い』は、物の見方を、他人に強制することができます。飛躍を許されます。本物でない私たちは、論理をもって、飛躍を許されない形でしか、他人の認識を変えることができない点で劣っているのです。
さて、他人の認識を変えうるときとは、『自分の痛みは、自分以外の誰のものでもない』ではなく、『自分の痛みは、自分以外にとってそうであるように、私にとっても痛みではない』と思うときです。
ですからまずは『離人感』を養ってください。これを昔の人(彼もきっと悪い魔法使いでした)は端的な言葉にまとめました。
『人を呪えば穴二つ』
あなたは、あなたと、それを見つめるあなたのために墓穴を掘る。この実践こそが黒魔法の入門の扉を叩くことです。
私はペンを起きノートをしまい、次にこのノートを開く者に対する呪禁を紡いだのち、ノートパソコンを起動させ、しばしネットサーフィン、エンド、いまここでダーイビング。
『千早ちゃんのファンの中には、歌に固執しアイドルとしての活動を軽蔑し、両親を憎み亡き弟をいつまでも思い、家庭や学校では勿論事務所でも孤立している千早ちゃんが、次第に心を開き遂に自分の屈託を歌うことで解消する姿を見て、それは千早ちゃんがどんどん純粋さを失う過程として悲しむような、そんなファンは、中にはいるんでしょうね』
765プロ公式掲示板の千早ちゃんのスレッドに書き込みます。
ザクザクザクザク
と私は穴を掘ります。
次回『雪歩「私は、目隠しをしたまま崖に向かって歩いていく子供らを呼び止める」』はまた明日。
もしくは
『雪歩「今日のポエム
朝食に名前をつけよう
牛は太郎で卵は次郎
ご飯粒にはつけられない」』
もまた明日。
明日と言ったな それは嘘です。
雪歩「私は、目隠しをしたまま崖に向かって歩いていく子供らを呼び止める」
あと二分ほどで、ライブが始まります。
ライブが始まる前に、私は私だけの神様に私だけの祈りをささげます。
祈りの文句はこうです。
真ちゃん。
今日は涙を流さずにこの日を全うしたいと思います。今日という日はやはり二つとはない日でありました。
真ちゃん。
どうして生まれてきたのか、どこで死んだのか判らない日であります。私にとって『今日』とは、天才でもなければなんでもない、ただの一日でありました。
真ちゃん。
今日という日はいいやつでした。どうかそんな一日にお別れをしたいと思うんです。
真ちゃん。
ですから今日という一日を追悼をするんです。ものの見事に死んでくださった。心の底に染み入るような悲しさです。
真ちゃん。
ここは別れるところです。尋常でない死に様でありますが、何の意味もない静かなものではありませんか。
真ちゃん。
そんな一日をいつか私は思い出として、懐かしく感じることがあるのでしょう。
真ちゃん。
私たちの思い出は、かつて存在した物事や過ぎ去ってしまった物事を表すばかりではありません。それはまた単に痕跡であるばかりでもありません。
真ちゃん。
それは意味深いやりかたで修正すべく定められた体系であり、それらを示す意識の本質は、意思の力学によってその内容を現実化させるものです。
真ちゃん。
目隠しをしたまま崖に向かって歩いていく子供らを呼び止める。この体験こそが記憶に他なりません。忘却曲線の端っこという崖で子供たちは、一方の足を土の上、もう一方の足を何もない空間に置いて、忘れられることを待っています。
『こんなにも青い空が、あの頃にもあったのか、私にはどうしても思い出せない』
どんとはれ
ゆきほノートより抜粋
「一尺四方の四角な天窓を眺めて、始めて紫色に澄んだ空の夢を見た。部屋で晩御飯を食べながら私はレッスン中の真ちゃんをどんなにか恋しく懐しく思った。大分してから今日も私の一人の真ちゃんが来た。マシマロのように白っぽい一寸面白そうな服を着ている。私は話しかける前に雑誌を読む真似をして気づかないふりをして、じっと色んな事を考えていた。」
なんだこれ……なんだこれ……
雪歩「私のゼットン人形」
私の手元にゼットン人形があります。このお話は、その人形をくれた人との顛末。
『結局のところ、人間は己の欲望を愛して、欲望されたものを愛しているのではない。それが例え自分自身だとしても、ひとたびアイドルとなったからには好きな人を好きになるのはいけないことだ。お前はこれからそのアイドルになるんだから、何に対しても好きにはなることはまかりならん。ただし好かれるのは許す。というか好かれろ。自分以外の全員に好かれろ』
会ったばかりの私にプロデューサーさんはそんなことを言いました。そして私にゼットン人形を渡したのです。そのゼットン人形は、投げると、何もないのに見えない壁に当たったように跳ね返ってきました。以前、窓の外から落としたら私の手元に戻ってきました。
次の日、今後の予定やらレッスンやらの事情を聞こうと事務所に行ったのですが、プロデューサーさんは忙しくパソコンに向かい、請求書の束と格闘していました。そして、ちょいちょいと指で呼んでからキーボードで 『か え れ』と打ったので帰らざるをえませんでした。
何のかんのあってアイドルとしてパッとしなかった私は、事務所に所属した翌年に留学してしまったため、二年近く、プロデューサーさんとは御無沙汰してしまいました。
帰国して久しぶりにたずねると、たくさんの事務員さんがいて、事務所も新築され、庭があり池までありました。
ただ、プロデューサーさんは事務所の大きさに相応した激務のせいか体調を崩されていました。執務室で怪獣図鑑の虜になっていて、やはり私には目もくれない様子だったのです。
「ずいぶん、たくさんの怪獣がいますね」と図鑑を見ながら言うと、「世の中が面白くないから怪獣が増える」とプロデューサーさんは答えました。
「面白くない」というのは当時のプロデューサーさんの口癖で、一緒に歩いていても時々、私にゼットン人形を取り出させては、人形に向かって「俺と一緒に死んでくれるか・・・」と呟き、もう人生は長くないような表情をするのでした。
事情を知らないあるアイドルが、プロデューサーさんを『偏屈』だと言ったことがありました。
偏って、屈折しているのだというのです。どれだけ光を当てても真っ直ぐ光を反射しない。
でも、とんでもない方向に反射する代わりに、たまに誰も知らないものが照らされて見えることがありました。
あったと思います。あったんじゃないかな。
例えば、プロデューサーさんはレッスン中、『ドの次はミではなくファです』とトレーナーさんに向かって断言しました。
例えば、プロデューサーさんのスケジュール帳には『終末の日』の予定があり、世界が滅亡する日ときたらお嬢様系アイドルをスパンキングする予定やらが目白押しなのだそうです。
例えば、プロデューサーさんによれば、記憶の手がかりは嗅覚であることが多いから、天国では嗅覚が声の代わりで、人は花を送りあうことで会話するのだそうです。
プロデューサーさんが『入院することになった』と私に告げたとき、私はやっぱりなとは思いながら同時に世の中の方がおかしいのではないかとほんの少し思いました。
そんな私を見てプロデューサーさんは、『人間が醜いんやなくて、己のものの見方が歪んでるんやで』と関西弁で呟いて、何処なりと遠くに行ってしまいました。
今に至るまで会いません。
雪歩「テイストオブ劣等感」
お年頃の私と真ちゃんは小鳥さんから借りた同人誌を読んだあとに二人で新しい体位を考えました。
名前は『恥知らず』。
『ハジシラズ』と片仮名にすると北欧あたりから冬になるとやってくる渡り鳥の名前のようです。
真ちゃんにそう言うと「北欧に向かって謝りなよ」と怒られました。
私は懐柔策として真ちゃんにガムを渡します。
真ちゃんは『くにくに』と可愛らしく噛んでから「このガム、劣等感の味がする」とぽつりと呟きました。
劣等感は常に私たちが味わっているものです。味あわない日はないと言って良いでしょう。テイストオブ劣等感は、噛んでも噛んでも味がなくならない魔法のお菓子です。
レッスンをさぼって同人誌を読んだことで、私たちはプロデューサーに呼び出されました。だいぶ怒られたあと「納得がいかないときは、その反対を考えるんだ」と私たちのプロデューサーは言いました。私たちが劣等感を味わう意味を考えろという想像力の課題です。
私たちが優越感を味わうことがないのは何故なのか?天の国はそのような者たちのためにあるからか?レッスンしないで同人誌を読んでいることをプロデューサーに教えたのはだれか?私たちが同人誌を読んでいることを知っているのは誰か?
「「テイストオブチキン」」
私たちは声をそろえて呟いたのちレッスンに向かいます。
雪歩「強い者の味方についての考察」
『強い者に味方する』という考え方は、概して強い者は他への影響が大きいためです。この影響は悪い意味でも大きいのですが、良い意味でも大きいのです。そして影響を比較した場合、他への良い意味での影響が大きいと判断できれば、強い者を優先すべきとなります。
逆に、弱い者は、良い意味でも悪い意味でも他への影響が小さいから、概して無視されがちとなります。だから強い者は声高らかに自分の権利を主張しません。誰かが主張することが判っているからです。そして弱い者こそ声高らかに自分の権利を主張します。自分以外の誰も主張しないからです。
すると、『強い』『弱い』という観念は『他への影響の大小』と言い換えることができます。そして弱い者の主張が行き過ぎるのは、このことによって説明ができます。つまり、マイノリティーの主張がときに社会的な常識を逸脱し、ノイジーマイノリティーとなるのはこのためです。
これを相対立する主張のモメンタムに置き換えれば、マイノリティーの主張に100%同意できないということです。そしてまた、マイノリティーは妥協を知らなければ結局何も主張できていないのと同じことだということです。
千早ちゃんが『私は貧乳じゃないわ』と言い放ったとき、私はこんなことを思いました。
雪歩「残酷な神々が支配する」
事務所に入るとつけっぱなしのTVショー。高槻の番組のようです。
「うっう〜!今日もたくさん頑張っちゃいますよ〜!」
私は安っぽいパイプ椅子に大袈裟な音を立てながら座ります。そしてそんなTVの高槻に「うっう〜って誰に言うてんねん自分」と片肘つきながら毒づきました。
もちろん本人の前ではそんなこと言いませんし、言えません。いつも高槻に何か言うときは直立不動で言葉の前と後に「サー」をつけるように躾けられているからです。もし言えば、その言葉は私の腕でもやし祭り(意味深)の開催を告げるラッパとなるでしょう。打楽器のように殴られるかもしれません。
律子さんが、入ってきた私の方を振り向きもせずキーボードをカタカタ叩いています。その目はまるで死んだ魚。枯れた花。鳴かない鳥。律子さんが事務所にいないときを私は知りません。最近は事務所に備え付けられている備品の一つと考えるようになり、これは私の同情心を麻痺させるのに役立ちました。
「アイドルに戻りたい・・・」
と律子さんがぽつりと呟きましたが、それは時計が十二時を告げる音と同じくらいの意味しかありません。そんな新米プロデューサーとしての姿は、律子さんがアイドルであったころにプロデューサーさんや小鳥さんや後輩アイドルに神の如く振る舞っていたことを想像させるのは難しいです。
芸能界にとって一日の違いは永遠に等しいのです。その世界は残酷な神々が支配するのです。
しかし、神は先輩アイドルや先輩プロデューサーだけではありません。その上には時間という神がいます。それが残酷に全てを配分し又は全てを奪います。
ですから「うっう〜」いう先輩アイドルを恐懼こそすれ憎むことはないのでした。
神々の世界では憂鬱が支配するからです。
千早「雨の降る日の静かな布団の上には、ノートと教科書が広げられたまま」
私が目を覚ましたとき、外で雨音がしていました。窓を見ると、少し開いていたんです。眠る前は窓を開けた覚えはなかったのですが、手が入るくらいの分だけ開いていました。どうにも不気味です。
「手が入る」くらいだけ開いていたのも、そう疑ってかかると、私には妙に不思議に思われたのでした。
そのままベットで横になりながら考えたが、ややあって、深夜暑くなって自分で窓を開けたことを思い出しました。
私こと如月千早はアイドル。そう有名ではないが、知っている人は知っている、という微妙なポジションのアイドルです。私は、自分で、特に何かに秀でていたところがあると思っていません。
私は特に何か秀でいたわけではなかったのですが、歌だけは好きでした。今はもうなくなった弟にせがまれて歌ったのがきっかけだと、自分ではそう思っていました。
色々なことを考えて、時計を見たら十一時でした。窓を見ると、今度は閉めてある。どうやら閉めた後、また眠ってしまったようです。無意識で茫洋としているうちに、私の周囲はいつだっていつのまにか時間が経っていました。私はそれが自分の数少ない良いところであると思っていたのでした。
そんな私が携帯電話を見てみます。メールが一件。
春香からです。
一人暮らしをはじめて、アパートに電話がないという理由で買ったのですが、しかしそれはごくまれに掛かってくる母からの電話以外、あまり使われたことはありませんでした。だからか、私には、携帯を覗き込むような習慣はあまりありませんでした。
しかしそれは、携帯を見ないことで、自分があまり人と付き合っていないのだという現実から目を逸らすためだったのかもしれません。
アイドルになって、多分、初めて、親しいと云える友達ができました。それが天海春香こと春香でした。春香とは、メールをしたり、彼女の買い物に附きあうくらいには親しかった。私が携帯を持って、初めてメールしたのは彼女でしたし、送信ボックスを見ても、見当たるのは春香へのメールくらいのものでした。
たまにプロデューサーから連絡が来る事もありました。ただ所詮事務的な口調で、私もそれに合わせてぽつりと一言二言返すような簡素なメールを返信するのが常でした。プロデューサーが、私との距離感をはかりかねていることに、私自身はまだ気がついていないのでした。
そんな親しい春香からのメールでしたが、私は普段から携帯を覗き込む習慣がないので、メールが来ているのに気付かないで、とんでもない時間差で返信するようなことがままあるのでした。
メールを見ると、九時ころに送信されたらしい。数えると、三時間ほど経っていました。少し悪いと思いながらメールの内容を見るとメールには「目が覚めるような話をして(=_=)」とあったのです。
私こと如月千早は何故天海春香こと春香がそんな内容のメールを送るか、よくは判りませんでしたが、しかしきっと目が覚めたいのだろうと思いました。
目が覚めるような話。
そう考えても、自分には特に何か秀でたようなものもないし歌を歌うしか能のない自分に、何故そんな話を求めるのか、お門違いだと思いながらも、つらつらとその「目が覚めるような話」はないものかと考えていました。
個人的に目が覚めたといえば、昨日、両親が離婚したことでした。いい加減別れればいいのになと思っていて、でもそれを知った時にやはりどこか寂しくそんな自分がなんだか可笑しいと思いました。
しかし、その話をしたとしても、春香にとっては何の縁故もない男と女が結婚に失敗しただけの話なので、彼女の目が覚めるわけでもないでしょう。
それにもう三時間も経っているわけだから、もう目が覚めたかもしれません。そうやって色々と考えていたら、いつのまにか時計が十二時の十五分前であした。一時からレッスンが始まるのです。
無意識で茫洋としているうちに、私こと如月千早の周囲はいつだっていつのまにか時間が経っていました。私はそれが自分の数少ない良いところでなのだと思っているのです。
『静かになると雨の音が聞こえる。雨は降っていないんだけど』
私はそう返信しました。
ちょうど72になりましたし、html依頼してきます。
それでは、また。
なんか癖になりそうな感じ
http://sp.nicovideo.jp/my/mylist/36219946
実は動画もつくっておるのでもしよかったらご笑覧ください。
動画は見つからなかったけど、雰囲気に引き込まれてずるずると読んだ。
感想? もちろん面白かったですよ。乙です。
失礼いたしました。
http://sp.nicovideo.jp/mylist/36219946
乙
また書いて欲しい
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