島村卯月「裸足のまま」 (49)


どれくらいの間、こうしていたんでしょう。
いい加減に背中もちょっと痛くなってきました。
でも、まだ起き上がる気にはなれなくって。

 「んー……っ」

凝り固まった身体をほぐすように、片脚を垂直に伸ばします。

トレーニングルームの照明はちょっとだけ強めで、ちょっとだけ眩しくて。
その眩しさを遮るように、伸ばした右足を目と照明の間に重ねました。


 「……」


私の爪先を包むのは、随分とくたびれてしまったトレーニングシューズ。


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1456568563




 「――私、どうしてアイドルになりたかったんだっけ……」



ガラスの靴の輝きには、程遠くて。


普通の女の子こと島村卯月ちゃんのSSです


http://i.imgur.com/2EA9qDN.jpg
http://i.imgur.com/wx6iWmG.jpg

前作
渋谷凛はデートがしたい ( 渋谷凛はデートがしたい - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1454660125/) )

関連作
渋谷凛「ガラスの靴」 ( 渋谷凛「ガラスの靴」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1404552719/) )
高垣楓「時には洒落た話を」 ( 高垣楓「時には洒落た話を」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1413010240/) )


凛ちゃんがガラスの靴を貰ってからしばらく後のお話です

超期待

http://m.youtube.com/results?client=mv-google&hl=ja&gl=JP&client=mv-google&hl=ja&gl=JP&q=%83%89%83u%83%89%83C%83u%83%8f%83C%83%8b%83h%83X%83%5e%81%5b%83Y&submit=%e6%a4%9c%e7%b4%a2
てす


 「――お。やっぱここだった」

 「うひゃいっ!?」

 「うわっ! ……えっと、どうしたの」

 「い、いえ、別に……」

扉を開けて入って来たのは私のプロデューサーさんでした。
今の言葉を聞かれてなかったかドキドキしたけど、大丈夫だったみたいです。

 「ええと……それで、どうかしましたか?」

 「っと、そうだそうだ。出たよ」

 「えっ?」

 「最終結果。第3回の」

ドキリと胸が跳ねました。
本当にさっきの言葉が聞こえていたんじゃないかと思ってしまって。


 「4位だ。おめでとう卯月、新CDも確定だよ」


 「や……やったぁっ!!」

 「安部さんの踏ん張りに抜かれちゃったけど、うん、凄いよ卯月」

今までで一番!
凄い、凄いですっ!

 「知っての通りシンデレラガールは凛ちゃん。でも今回はハートキュートが強かった」

 「……」

 「安部さんと緒方さんが次いでるからね。未央ちゃんも5位に入ってニュージェネ」

 「……」

 「卯月」

 「え? あっ、はい!」

 「どうかした?」

 「いえ、あの、頭がいっぱいになっちゃって……」

 「…………それもそっか。じゃ、詳細は後にしよう。今度お祝いするよ」

送ってくから、待ってるよ。

そう言うと、プロデューサーさんは笑いながらトレーナーさんを探しに出ました。
ぱたんと扉の閉まる音がやけに大きく響いて、私はまた床に寝転がりました。
天井の照明は、相変わらず眩しいままで。


 「……お城って、こんなに遠かったんだ」


お城のシャンデリアって、どれくらい眩しいのかな。

 ― = ― ≡ ― = ―


 □にゅーじぇねれーしょん!□ (グループ:3名)


    [しまむー、しぶりん、おめっとー!]:みおちゃん

    [ありがとう。二人とも、おめでとう]:りんちゃん

 :[ありがとうございます! そして、おめでとうございます!]

    [やーしぶりん強すぎっしょ。手加減して!]:みおちゃん

    [やだよ。手加減できるほど二人とも甘くないでしょ]:りんちゃん

    [速報で当確はヨーシャなさすぎだよー]:みおちゃん

 :[凛ちゃんからメールもらったときびっくりしちゃいました!]

    [なにせ私が一番驚いてたからね]:りんちゃん

    [そんでさそんでさ、パーティーとかやんない!? 誰かの家でもいいし?]:みおちゃん

 ―――
 ――
 ―


 「未央ちゃんも凛ちゃんも、改めてお祝いしてあげてね」

プロデューサーさんの言葉に思わず笑ってしまいました。

 「何さ」

 「はい」

赤信号のタイミングで、携帯電話の画面を見せました。
しばらくするとプロデューサーさんも笑い出して。

 「余計なお世話だったみたいだね」

 「いえいえ」

 「まぁ、そもそもこれ自体が余計なお世話なんだけど」

 「これ?」

 「送迎。自主トレ、こっそりやろうとしてたんでしょ」

 「…………バレてました?」

 「プロデューサーだからね」

含み笑いがいっそう深くなりました。
プロデューサーさんはときどき、私よりも子供っぽくなります。
純粋な人、って言った方が良いのかな。


 「プロデューサーって凄いんですね」

 「凄いよ。魔法だって使えるし」

 「ひょっとして瞬間移動とか出来たり?」

 「それはまだ出来ないなぁ。読心術なら」

 「凄い! じゃあ、私は今何を考えてるでしょうかっ♪」

 「僕だって同じだ。人は、悩むよ」


捕り損ねて、キャッチボールが途切れてしまいました。
足元に転がったボールへ、私は手を伸ばすことが出来ません。


 「……あ、え、っと…………」

 「……」

 「その、プロデューサーさん」

 「卯月。これだけ教えてほしい」

 「……はい」

 「言いにくい?」

 「…………は、い……」

 「そっか」


それきりキャッチボールはお開きになって。
社用車の中で、私達はただ日向ぼっこをしていました。

 ― = ― ≡ ― = ―

 「あら……お疲れ様でしたぁ、卯月さん」

 「お疲れ様、まゆちゃん♪」

お仕事を終えて事務所に帰って来ると、まゆちゃんが珍しく一人で雑誌を読んでいました。
どこのファッション誌かと思って覗き込むと、その表紙を飾っているのは凛ちゃんでした。

 「あっ」

 「さっきこっちにも届いたんです。チェックも通ったらしいのでこのまま出るみたいですよ」

 「これ、シンデレラガールの衣装ですか?」

 「ええ。凛ちゃん、綺麗ですねぇ……」

どこかうっとりとしたような表情でまゆちゃんが呟きます。
まゆちゃんの言葉通り、凛ちゃんは普段にも増して、とっても綺麗でした。

濡羽色の髪を飾るティアラ。
蒼く身体を包むドレス。
そして。

 「うふふ……まゆもいつか、こんな風に……」

 「……」

 「今回は負けちゃいましたけど、次はえっ、あの、卯月さん……?」

 「? どうかしましたか?」

 「……そ、それはこっちの台詞です! どうして……泣いてるんですか?」


まゆちゃんが何を言っているのか、よく分かりませんでした。
慌てたような様子で指差されて、首を傾げながら目元を確かめます。
拭った指はしっとりと濡れて。

 「……あ、あれっ…………?」

それが合図だったように、次から次へと涙が零れていきました。
綺麗な凛ちゃんを避けるように、私の涙が表紙を濡らしてしまいます。

 「だ、大丈夫ですかぁ……? おなか痛いんですか……? 医務室をいえまず担当さんに……」

 「い、いえ……あの、私はっ」

 「あ、卯月さんお帰りなさいー。いま卯月さんの分のお茶ええっ!?」

 「あ、歌鈴ちゃん……ただい」

 「おなか痛いんですかっ!? きゅ、きゅうきゅうきゅう車呼びましょうかっ!」

 「あの、きゅうが一個多いで」

 「卯月ー……おなかいたいのー? とんでけー……むこうの方にとべー……」

 「え、ええとー……?」

まゆちゃんが雑誌を抱えておろおろと動き回ります。
歌鈴ちゃんはお盆を抱えたまま慌ててぐるぐると回ります。
こずえちゃんが私のお腹を撫でてはとべー、撫でてはとべー、と呟きます。


……大変な事になってしまいました。


 「あの、あのっ」

とりあえず、何でみんな私のお腹を痛めたがるんでしょう。
それが一番普通の原因だからでしょうか。
だとすると物凄く納得いきません。


 「――あれ、卯月。のんびり屋の花粉症?」


追い着いて来たプロデューサーさんが、首を傾げながら零しました。

 「違いますっ……これは…………これは」

 「これは?」

 「……目にゴミが入っちゃっただけです」

 「まぁ普通そうだよね」

まゆちゃんがほっと胸を撫で下ろしました。
歌鈴ちゃんも胸を撫で下ろしました。
片手を離したので湯呑が床へ落ちました。

 「……お、おちゃちゃちゃあっ!」

 「あの、そこは普通『あちゃちゃ』じゃあ……」

涙目の歌鈴ちゃんがキッチンスペースへ布巾を取りに戻ります。
一連の流れをプロデューサーさんは笑いながら見ていて。


……いじわるです!


 「あ、卯月。この後ちょっと話いい?」

 「はい、大丈夫です!」

 「じゃあ会議室で待ってるから」

鞄をデスクへ置いて、プロデューサーさんは会議室へと向かいました。

 「……ところでですね」

 「卯月ー……いたいの、なおったー……?」

 「はい。もう大丈夫ですよ」

 「とんでった?」

 「はい」

 「むこうのほー?」

 「えっと、多分?」

 「そっかー」

 「ありがとうございます」

 「えへへへー……」

ふわふわの小さな頭を撫でると、ようやくこずえちゃんは私のお腹から手を離してくれました。
向こうってどっちなのか、今度訊いてみようと思います。

 ― = ― ≡ ― = ―

 「……それで、話って何でしょう?」

 「ん? ……ああ、そっか、それで呼んだんだった」

プロデューサーさんはしばらくシステム手帳をめくるばかりでした。
私が促すように口火を切ると、めくっていた手帳をぱたんと閉じます。



 「やっぱり、話しにくい?」



 「……はい」

 「ん。そっか」

それだけ言って、プロデューサーさんはじっと私の目を覗き込みました。
私は何だかとてもばつが悪くなって、でも目を逸らすのも悪いような気がして。
結局、広い会議室の真ん中で誰も笑わないにらめっこを続けてしまいます。

 「あの」

 「うん」

気付くと私の口は勝手に動いていました。
声が出たのにびっくりして、久しぶりに開いた口をまた閉じてしまいます。
黙り込んでしまった私を、やっぱりプロデューサーさんはただじっと見ていて。


 「……」

私は今、何を言おうとしたんでしょう。
きっと何か言いたいことがあって、一瞬浮かんできたのにすぐ沈んでしまったんだと思います。
それを掬い上げようと、私は心の中で手を伸ばしました。

お茶を沸かして飲み終わるくらいの間じっとしていた私を、プロデューサーさんは笑いませんでした。
いつもの優しい目を少しだけ真面目に正して、私とは違う沈黙を守っています。


 「プロデューサーさんは」


掬い上げた言葉は、本当に簡単なもので。



 「プロデューサーさんは――どうして……プロデューサーになったんですか?」



 「普通はさ」


言ってから、自分でも驚いたように口へ手を当てて。
それから納得したように笑うと、プロデューサーは話し始めてくれました。

 「総選挙4位になったのに、焦った様子で自主トレなんてしないと思ったんだ」

 「……」

 「普通はさ、両目にゴミが入ったりしないと思うんだ」

 「……」

 「でも卯月は今、話してくれた」

そこまで話して、プロデューサーさんが長く息を吐きましす。
膝の上で指を組むと何かに祈るように目を閉じて、ゆっくりと開けました。


 「僕も話す。僕は、なりたくてプロデューサーになった訳じゃない」


プロデューサーさんの目は、私の目を見つめたままで。


 「大半の人は、したい仕事が出来なかったり、したい仕事なんて無かったりするものだと、僕はそう勝手に思ってる」

 「……」

 「僕が……そうだったから。普通に大学を出て、普通に働こうとして、僕はそこで……普通が分からなくなったんだよ」

プロデューサーさんは、いつもの素敵な笑顔とはちょっと違う、どこか悲しそうな笑顔を。
それでも、笑顔を浮かべていました。


 「そこから僕は、普通じゃなくなった」


気持ちの良い春の晴れた日だった。

事務所の社長だと名乗る怪しげな男に肩を叩かれた。
行ってみたら行ってみたでいきなり合格採用を告げられた。
メイドっぽい娘と小学生みたいな娘から歓迎された。
何をするのかと聞いたらまずアイドルを連れて来いと言われた。
当ても無いまま何日も街を歩き回った。


ふと目に付いたアイドル養成所を見学した。


そして。



 「君を見つけた。アイドルを目指している、普通じゃない、普通の女の子を見つけたんだ」



私は、いつの間にか忘れていた息を深く深く吸いました。


 「君は、自分が普通だと思うかな」

 「……」

 「この仕事が好きだ。今は胸を張ってそう言えるようになったと、僕は思う」


プロデューサーさんも、忘れていたみたいな息を深く深く吐きました。


 「卯月」

 「はい」

 「話してくれて、ありがとう」

 「……話してたの、ほとんどプロデューサーさんです」

 「あれ、そうだったっけ?」

こめかみに指を当てて、おどけたように肩を揺らして。
よっこらしょ、とプロデューサーさんが立ち上がりました。


 「目は口ほどにものを言うって、良い諺だと思うよ」


そう言いながら、いつもの優しい目で私に笑いかけてくれて。
ポケットから携帯電話を取り出しながら、プロデューサーさんが会議室を後にしました。


 「……」


私はしばらく、私の話した事について考え込んでいました。

 ― = ― ≡ ― = ―

家に近付くにつれて、何だか良い匂いがしてきました。
どこか馴染みのあるような、どこか懐かしいような。
玄関を開けると、それはいっそう強くなって。

 「ただいまー」

 「あら、お帰り卯月。ちょーうどいいところに来たわね♪」

キッチンにはエプロンを着けたママが居ました。
コンロの上のフライパンには、ふっくら美味しそうなホットケーキ。

 「わー。久しぶりだね」

 「いま一枚焼き終わった所だから手伝ってちょうだいな」

 「はーい♪」

お皿やフォーク、蜂蜜にバター。
紅茶の用意も忘れずに、今日の一杯はアールグレイ。
ママの鼻歌は、聴いているうちに本格的な歌になってきました。

 「バーニラをふって、エ・ッ・セ・ン・ス~♪」

 「……ぷっ。何それ、ママ」

 「何ってそりゃ、『ホットケーキ・プリンセス』よ」

 「私の歌を口ずさんでよー!」

 「だって私、CGプロのみーんなの大ファンだもーん♪」


そんな風にお喋りしている間に出来上がったのは、とっても美味しそうな三段重ねのホットケーキ。
手を合わせて、頂きます。

 「はむっ……」

 「どう、卯月?」

 「……美味しいっ!」

 「そうよねぇ」

ふわふわで、ふかふか。
随分と久しぶりに食べる気がするホットケーキ。
子供の頃はこうしてよく食べてたっけ。

 「ママ」

 「ん?」



 「どうしたの?」



 「紅茶、レモン要る?」

 「ううん」

 「そ」

ママが紅茶を啜って、ほっと息をつきました。


 「どうもしてないよって言ったら、信じてくれる?」

 「うん」

 「そう。あなたのプロデューサーさんから電話があったの」

ケーキを切り分けようとしたフォークが止まります。
頭の中に、優しげな笑顔が浮かびました。

 「謝ってたわ。申し訳ありません、私の力不足の致す所です、って」

 「プロデューサー……さん……」

 「卯月」

 「……」

 「お友達の事?」

 「……っ」

 「ふふっ。卯月の悩みって、昔っからそればっかりなんだから」

大学生にもなったのに、やっぱりママには敵いません。
背だってもう追い越したのに、どうやったらこの人に勝てるのかな。

 「凛ちゃん?」

 「……」

 「……」

 「…………うん」

 「そう」


言って、しまいました。
もう、無かった事には出来ません。



 「凛ちゃんってね、凄いの」

 「うん」

 「クールなふりしてるけど、本当はすごい熱血で、一生懸命で」

 「うん」

 「だからシンデレラガールに選ばれて、当たり前でね、それは、頑張ったからで」

 「うん」

 「頑張ったからね、私も、おめでとうって言って……シンデレラ、ガールで……」

 「うん」

 「で、でもっ……でもわたしっ、何で、なんで私じゃないんだろうって、悔しくって……何でっ」

 「うん」

 「私、わたしっ……いやだった。おめでとうって……」

 「うん」

 「ふ、ふつうにっ、言えない私がっ…………やだったよ…………っ」


最近、私の口は勝手に動いてばかりです。
言いたい事も言いたくない事も、いつの間にか零してしまっていて。


私の目だって、自分勝手でした。


 「私もね」

ママが、にっこりと笑いました。

 「何でこの娘はお部屋を片付けないのかしら、って思うわ」

 「……」

 「もうちょっと数学も頑張ってほしかったなぁ、とか」

 「……うん」

 「電話代も気にしてほしいな、とか」

 「うん」

 「でもね、私は卯月が大好き」


ママの指は、ハンカチよりもずっと温かくて。


 「卯月は、凛ちゃんが好き?」

 「大好き。凛ちゃんも、未央ちゃんも、みんなも」

 「プロデューサーさんも?」

 「だい」


ハッとして顔を上げました。
ママの顔はいつの間にか、いじわるそうににやにやと笑っていました。

 「……な、何言わせようとするのっ!」

 「ふっふっふ~♪」

ばんばんとテーブルを叩いても、ママは涼しい顔で笑うばっかり。

 「でも、安心したわ。やっぱり私の娘ね」

 「どういう意味~?」

 「そのまんま。まさかアイドルまでやるとは思わなかったけれど」

 「……アイドル、まで?」

 「あら、覚えてないの?」

私が首を傾げると、ママも首を傾げました。
二人してしばらく、うんうんと頭を捻ります。

 「昔よくやってたじゃない。アイドルごっこー、って。私の真似」

 「……お母さんの、真似? 何で?」

 「さぁ。一番身近なアイドルが私だったからじゃない? 元、だけど」



 「…………ほへっ?」


ママの一言に、一瞬身体が固まりました。


 「…………ま、ママって、アイドルだったのっ!?」

 「え、ホントに覚えてなかったの?」

 「知らないよぉっ!」

 「あー、真似されるのが恥ずかしくなって、その内に見せなくなったからかなぁ」

組んだ指に顎を載せて、ママが懐かしむように話してくれました。

 「卯月が小さい頃。今よりずっと、ずうっと、これくらいの時ね」

 「……そんなに小さくないよ」

 「本当よ? パパがね、面白がってアイドル時代の私のビデオを見せるの」

 「……有名……だったの?」

 「さっぱり。CD出す直前に会社が倒れちゃって、そこをパパに拾われて」

 「……」

 「色々あって、あなたが生まれたの」

 「わたし、が……」

 「その頃の卯月ってね、唄うか踊るか、そればっかり」


ずっと、ずっと。


靄がかかったようだった頭の中が、すうっと晴れ渡っていきました。




 『……できたっ!』

 『あら、凄いじゃない卯月』

 『ママにそっくりだなぁ』

 『ほんとっ!? わたし、アイドルになれるっ!?』

 『ああ。きっとママみたいな可愛いアイドルになれるさ』

 『私ぐらいじゃ困るわ。もっともっと可愛くなってもらわないと』

 『えへへっ♪ わたしね、わたしねっ』

 『うん』

 『何だい、卯月?』



 『おおきくなったらね、いまよりもーっとおーきくなったらね――』




 「――アイドルに、なったよ」



声が、また震え始めて。


 「私……アイドルになったよ」

 「ええ」

 「夢が、叶ったよ」

 「ええ」

 「私……わたしね」

 「ええ」

 「シンデレラに、なりたい」

 「きっとなれるわ。私のアイドルで、私のシンデレラで、私の娘の卯月だもの」

 「シンデレラに、なりたいの」

 「ごめんね。もっと、いじわるなお母さんだったらよかったのにね」


大人になったと思っていたのに、それは全然勘違いでした。
ママに抱き着いて、子供みたいに声を上げて泣いて。
ホットケーキの匂いがするエプロンを、すっかり汚してしまいました。



 「ダメよ、卯月。『涙はいらない』……でしょ? ふふっ」


そうしてようやく唄ってくれたのは、私の歌。
昔から大好きだった、お母さんの歌。


 「さ。紅茶、淹れ直しちゃおっか」


すっかり冷めてしまった、三段重ねのホットケーキ。
甘くて、しょっぱくて、とても懐かしい味がして。


 「ホッとしたでしょ?」


楽しそうに笑うママを見て。


敵わないなぁ、と、私も笑いました。

 ― = ― ≡ ― = ―


 「おはよう、卯月」

 「おはようございますっ! プロデューサーさんっ」


トレーニングルームに入ると、もうプロデューサーさんが待っていてくれました。

 「ところでプロデューサーさん」

 「ん?」

 「約束の時間より1時間半も前ですけど、どうしたんですか?」

 「卯月こそ。約束の時間より1時間半も前だけど、どうしたの?」

妙な会話に、二人で思わず笑ってしまいました。

 「何だか、卯月が来るような気がして待ってたんだ」

 「私も、プロデューサーさんが待ってるような気がしたから来たんです」

 「じゃあ、時間に余裕もあるし、お喋りでもしようか」

 「プロデューサーさん」

 「ん?」

 「ありがとうございました」

 「何の事だか全然分からないなぁ。お母様によろしくね」

 「はいっ♪」

そう言って、プロデューサーさんが鞄の中をごそごそと探し始めました。
出て来たのは、ホチキスで綴じられた紙の束。


 「卯月」

 「何でしょう?」

 「卯月は、自分が普通だと思うかな」

 「はい。私は普通の女子大生で、普通のアイドルです」

 「うん。やっぱり卯月は凄いよ」

めくり続けていた手が止まって、プロデューサーさんが私に笑いかけました。

 「交通費。一番使ってるアイドルって、誰だと思う?」

 「へっ? えーと……ヘレンさん?」

 「あの人はいつの間にか来てるから違うんだよね……幸子ちゃんなんだ」

 「あー、あぁ……」

 「一番子供からファンレターを貰うアイドルって、誰だと思う?」

 「うーん……莉嘉ちゃん?」

 「彼女も凄いけど、一番はクラリスさんなんだ」

 「え? クラリス……さん?」

 「うん。全然予想してなかっただろう?」

 「ええと……はい」


 「何が言いたいかって言うとね」

プロデューサーさんが、指を折って数え始めます。

 「ハートキュート、クリアクール、マイティーパッション。総勢150人を超えるアイドルがいる」

 「……改めて聞くと、多いですよね」

 「その中に、『普通のアイドル』なんていないんだ。みんながそれぞれの一番をもってる」

 「…………私、にも?」

 「うん。卯月はいっぱいもってるね」

 「い、いっぱい?」

 「一番可愛いし、一番頑張り屋だし、一番笑顔が素敵だし、一番」

 「ちょっ、ちょっと、プロデューサーさんってば!」

両手の指を使って数え始めたプロデューサーさんを慌てて止めます。
握手をするような格好になって、プロデューサーさんがすぐ目の前で笑いました。

 「嘘じゃないよ。この事務所のPはみんな、自分の担当が世界一可愛いって思ってる」

 「そんな事、言われても……」

 「後は、こんなものも」

私に手渡してくれたのは、さっきからめくっていた紙束。
開かれたページには枠線が引かれていて、それぞれの項目の横に数字が並んでいました。


 「昨年度までの支出表だよ。これは雑費の内訳」

 「支出表……? えっと、確かにそうみたいですけど……」

 「ここの、レッスン関係のところ」

プロデューサーさんが指差した箇所に目を向けます。
そこには項目が二行だけ載っていました。

一つはレッスン代。総費用は別紙参照、って。


そして、もう一つは。



 「卯月は、一番トレーニングシューズをダメにしてるんだ」



――靴代。



 「ちひろさんもまぁ、粋というか江戸っ子と言うか」

 「……」

 「こういうお金の絡む所でわざわざ面倒な書き方をするのは、珍しいよ」

 「私……困った子、でしょうか」



 「そうだね。これまでの3年足らずで6足。12個もダメにした、凄く困った子さ」


左手の人差し指だけをぴんと伸ばして、右手でピースサイン。


 「私、困った子で、いいんでしょうか」

 「うん。凄く困った、普通の、頑張り屋の、笑顔が素敵な子でね」


左手も、ピースサインへと変えて。


 「こんな風に」


プロデューサーさんの笑顔だって、とっても素敵でした。


 「あ、ちょっと。そこで笑うのはひどいって」

 「ぷっ……ふふふっ! あははっ!」

 「困った子だね、卯月は」

 「はいっ♪」

 「そこで笑うのもひど…………うん、良い笑顔だ」

 「ぶいっ♪」

 「そんな笑顔の素敵で困った子に、プレゼントのお知らせがあります」

 「プレゼント?」


鞄の脇に置いていたピンクの箱。
私の両手の上にそっと置いてくれました。
プロデューサーさんは何も言わずに、微笑みながら頷きました。


蓋を開くと、中に入っていたのは。


 「――トレーニング、シューズ……」

 「ちょっと良いのを探してきたよ。ちひろさんには笑顔で首を横に振られたけど」


懐を抑えて笑うプロデューサーさん。
ピンクの靴が収まった箱を、私はぎゅっと抱き締めました。


 「プロデューサーさん。私、」

 「もう一つ、プレゼント」


目の前に差し出されたのは、きらきらと光る虹色のチケット。


 「これは、この秋の話になるんだけどね――」

 ― = ― ≡ ― = ―


 「夢、みたいでした」

 「夢じゃないよ。PVも来年には公開だから」


広がる芝生。静かな泉。大きなお城。
人工芝で、合成用の緑色で、書き割りのベニヤで。


それでもここは、シンデレラのお城でした。


 「あの人もよくこんなの企画したよ」

 「本当に、凄いです」

 「プロダクション始まって以来最大規模の撮影になったからね」

 「衣装だって、こんな」


ピンクのドレスに、金のティアラ。


そして。


 「……ん?」

 「……」

 「それは、みんなへのプレゼントだよ」

 「はい。知ってます」


 「なら」

 「だから」


ガラスの靴。


アクリルで出来た夢の欠片を、プロデューサーへ差し出しました。


 「卯月」

 「はい」

 「いいんだね」

 「はい」

 「分かった」


宝物でも扱うみたいに丁寧な手つきで、ガラスの靴をそっと受け取ってくれました。
裸足のままに、人工芝はくすぐったくて。


 「プロデューサーさん、前に言ってましたよね」

 「……」

 「自分の靴で一歩踏み出せるのが、本当の魔法だって」

 「うん」

 「シンデレラも、魔法使いに憧れる事だってあると思うんです」

 「そうだね。魔法使いがシンデレラに憧れる事だって、あるかもしれない」


目を閉じて、目を開けて。
私は周りを見渡しました。


泉の前で腰を下ろすシンデレラと魔法使いがいて。
そっぽを向くシンデレラへ必死に頭を下げる魔法使いがいて。
魔法使いの前でくるくると踊るシンデレラがいて。


私は。


 「ところで卯月、僕にこれ預けたけどさ」

 「はい」

 「凛ちゃんから聞いたの?」

 「えっ? いえ、あの、よく分からないです」

 「……そっか。それともう一つ」

 「何でしょう?」

 「控室までどうやって戻るの?」

 「…………あっ」


視線を下ろせば、もちろん私は裸足のまま。


 「え、えーっと……」

 「返そうか?」

 「いえっ! それは、その……」

 「しょうがない。馬車も無いし、魔法使いの出番だね」

 「へっ?」


ふっと身体が軽くなりました。
目の前にはプロデューサーさんの顔があって、背中にはプロデューサーさんの手が、

 「ぷっ、プロデューサーさんっ!?」

 「任せて。腕力にはちょっと自信があるから」

 「私は重くないですってそうじゃなくて……!」

 「卯月はさ、シンデレラになりたいんだよね」

 「い、いいから下ろしてっ……」

 「なら、お姫様抱っこでもいいじゃないか」


目の前で笑うプロデューサーさんに、私は何も言えなくなってしまいました。


 「……あ、う…………はい…………」

 「じゃ、行こうか」


器用にガラスの靴と私を抱えながら、プロデューサーさんが歩き始めました。


どうしたらいいのか分からなくなって、私はもう一度周りを見渡しました。
そして、集まっていたみなさんと目が合いました。


 「…………あ、ええと…………お先に、失礼します……?」


最初に動いたのはまゆちゃんでした。
慌てて靴を脱ごうとして、こてんと転んで。


蘭子ちゃんが、莉嘉ちゃんが、凛ちゃんが――


 「……みんな、もっと靴を大切にしてほしいなぁ」

 「……」


どんな言葉を返せばいいんでしょう。



お願いしたら、シンデレラは教えてくれるかな……なんて。

 ― = ― ≡ ― = ―


 「おはようございますっ! 未央ちゃん、凛ちゃんっ!」

 「おおっ!? しまむー、気合い入ってるね!」

 「おはよ、卯月。昨日は可愛かったよ」

 「き、昨日の話はやめてくださいってばぁ……!」


昨日のドレスを脱ぎ捨てて、今日の私達はジャージ姿。
輝くお城からお邪魔して、今の私達はロッカールームに。


 「いやはや、しぶりんもアクションが早いのなんの」

 「加蓮の方が早かったけどね」

 「全員却下されてて笑っちゃったよ」

 「上手い事やったよね、卯月」

 「上手い事とか言わないでくださいっ!」


お喋りをしている内にすっかり準備完了。
昨日の晩に急遽決まった自主レッスンは、未央ちゃんの提案でした。


 「さーて、いっちょいきますか!」

 「未央、まずは準備運動…………卯月?」

シューズに履き替えて、二人がトレーニングルームへ入っていきます。
手にぶら下げていた私のシューズを、じっと見つめ直しました。


プロデューサーさんがくれた、ピンク色のシューズ。



随分とくたびれてしまったそれは――



 「未央ちゃん、凛ちゃん」


脱げたりしないように、しっかりと紐を結んで。


 「……お、しまむーったら」

 「良い顔してるね、卯月」



裸足のままじゃ、悔しいから。




 「――島村卯月、頑張りますっ!!」




そして踏み出した一歩は。



昨日よりも少しだけ軽やかな、いつものステップ。


おしまい。
卯月ちゃんは頑張り屋まっすぐ可愛い


本当は「ガラスの靴」のすぐ後に書く筈の話でした
書き上げるのに一年半も掛かるとは思わなんだ

『裸足のままのシンデレラ』とか良いと思う


ちなみに微課金なのでSSR卯月ちゃんの笑顔は未だ見ていません
誰か助けてくれ

乙です!

おつ!

おつです


大変重要な事を書き忘れていました

一ヶ月後に控える第5回シンデレラガール総選挙。
楓さんPの私ですが、今回は島村卯月ちゃんも強く応援しています。


島村卯月ちゃん、並びに高垣楓さんを、是非ともよろしくお願いします。

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