ジャムおじさんの息子 (58)

僕は今日もパトロールへと出発して、キラキラと輝くお日様の光の中を飛んでいた。
賑やかな街からは子供たちの笑い声や、お母さんたちの優しい声が聞こえ、お父さんたちが一生懸命働く姿も見える。
そんな彼らは、僕を見ると笑顔で手を振ってくれた。
僕もみんなに手を振り返して、今度は森の方の様子を見に行くことにした。

しばらく青々と繁った木々の上を飛んでいると、突然緊張した声が辺りに響いた。
僕は急いでその声の方へ飛んでいき、池で溺れているかばお君を発見する。
顔を濡らさないように、けれども素早くかばお君を引き上げて、僕はかばお君を池の縁へ連れていった。
彼の無事を確認して、池のほとりで泣いていたうさこちゃんは、ほっとして笑っていた。


「ありがとうアンパンマン」


うさこちゃんとかばお君が笑いながら僕を見てくれたので、僕は心が温まるのを感じた。
二人を残して飛び立とうとする僕を、かばお君が引き留める。


「僕たち、元気が出るものを探してるんだ。
アンパンマンも手伝ってくれないかなぁ」

「うん、いいよ。でも、どうして元気が出るものを探しているの?」


かばお君とうさこちゃんは顔を見合わせて、困ったように眉を下げた。


「ちびぞう君が、なんだか元気がないの。
風邪をひいた訳じゃないのに、顔も見せてくれなくって」

「僕たち心配だから、なにか元気が出そうなものを持っていってあげたいと思ったんだ」

「へぇ、そうなんだ。一体どうしたんだろう、ちびぞう君」


お母さんに怒られたのか、大事なものをなくしたのか、それとも怖い夢を見てしまったのか。
原因が分からないとなんとも言えないけど、僕は元気が出そうなものは思い当たった。


「僕は、ジャムおじさんのパンなら元気がでそうじゃないかと思うけど、どうかなぁ」

「そっか!ジャムおじさんのパンならいくらでも食べられるもんね!」

「そうね!アンパンマン、ジャムおじさんにお願いしに行ってもいい?」

「もちろんだよ。パン工場まで僕が乗せていってあげるね」

「わーい!ありがとう!」


二人を背中に乗せて、僕は綿菓子のような雲が浮かぶ空へと飛び立った。
あっという間におもちゃのように小さくなる森を、二人ははしゃぎながら見ている。
その賑やかな声を聞いていると僕まで嬉しくなって、向こうの空から飛んできた鳥と一緒に飛んで、パン工場へと向かった。

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しばらく街や森の上を飛んで、僕たちはパン工場へたどり着いた。
かばお君とうさこちゃんは、ぴょんと僕から飛び降りてパン工場の扉を開ける。
中の工房では、ジャムおじさんとバタコさんとチーズがお茶を飲んでいた。


「ただいま、ジャムおじさん」

「パトロールご苦労様、アンパンマン」


バタコさんはかばお君たちを招き入れて、人数分のイスを用意した。
僕もかばお君たちの隣に座って、ジャムおじさん達の方を見る。


「ジャムおじさん、二人がジャムおじさんにお願いがあるみたいなんです」

「そうなのかい。一体どうしたんだい?」


かばお君とうさこちゃんは少し言いづらそうにしながら、沈んだ声でジャムおじさんに聞いた。


「あの、パンを分けてくれませんか?ちびぞう君に食べさせてあげたいんです」

「それは構わないけど、なにかあったのかな?」

「えっと……僕たちもよく分からないんです。
なんだか元気がないみたいで、おうちからも出てこないし」

「だから、とにかく元気が出るものあげたいなって二人でなにがいいか考えてて。
そうしたら、アンパンマンがジャムおじさんのパンがいいって教えてくれたんです」

「そうかい。私のパンで元気が出るかは分からないけど、用意するよ。
今ちょうど焼き上がるところなんだ」


そう言ってジャムおじさんは立ち上がると、バタコさんと一緒にかまどを開けて、バスケットにパンを詰めてくれた。
かばお君が食べたそうな顔をしているので、ジャムおじさんはかばお君とうさこちゃんの分も用意してくれた。


「僕、二人と一緒にちびぞう君の家まで行ってきます」

「ああ、頼んだよ」

「ジャムおじさん、アンパンマン、本当にありがとう!」


ジャムおじさんとバタコさんとチーズは、パン工場の外に出て僕たちを見送ってくれた。
僕の背中に乗せたバスケットから、美味しそうな香りが僕たちを包み込む。
かばお君が僕の背中の上でパンを食べようとしていたので、僕はちょっと苦笑いしながら止めた。
でも、飛びながら食べたら美味しそうだなと言っているのを聞いて、結局僕は許してしまう。
かばお君とうさこちゃんが楽しそうに食べてくれていると、僕も一緒に食べたような気になって、なんだか楽しかった。


「さぁ、着いたよ」


僕は二人をゆっくりと地面に降ろし、二人の横に着地した。
目の前にはちびぞう君の家があって、玄関の前にはお花が植えてあった。
一つ一つが綺麗な花びらを風に揺らし、とても可愛らしかった。


「この花ね、ちびぞう君が育ててるの」

「へぇ、すごいんだね。ちびぞう君」

「うん。鼻からお水をあげられるから、じょうろがいらないんだって」


僕たちは花の横に並んで立って、玄関の扉を叩いた。

ジャムおじさんもバタコも妖精だが息子とかありえるのだろうか



「こんにちは」


少し緊張しながら返事を待つと、中から近づいてくる足音が聞こえた。
そして、扉がゆっくりと開き、でかこ母さんが現れた。


「こんにちは、かばお君、うさこちゃん。アンパンマンもちびぞうに会いに来てくれたの?」

「ええ、二人がちびぞう君に渡したいものがあるみたいなので、一緒に会いに来ました」

「そう……。とっても嬉しいんだけど、ちびぞうったら部屋から出てこないのよ。
具合が悪い訳でもなさそうだし……」

「じゃあ、会えないの?」

「うん、ごめんなさいね」

「そんなぁ」


かばお君とうさこちゃんは、がっくりと肩を落とした。
僕は慌てて、二人を元気付ける。


「でも、二人はちびぞう君のために、ジャムおじさんにパンを頼んだんだよね。
きっと喜んでくれるんじゃないかなぁ」

「あら、ちびぞうのためにパンを?」

「うん……これ……」


暗い顔でバスケットを差し出す二人を、でかこ母さんはぎゅっと抱き締めた。


「ありがとうね。ちゃんとちびぞうに渡すから」


そして頭を撫でて貰って、二人は少し元気が出たようだった。


「じゃあ、僕たち帰るけど、明日はちびぞう君に会える?」

「ええ、きっと大丈夫だと思うわ。
なにがあったのかは分からないけど、こんなに心配してくれる友達がいるんですもの」


でかこ母さんは僕の方も見て、とても優しそうな顔で笑った。


「アンパンマンもありがとう。ジャムおじさん達にも、ありがとうって伝えてね」

「はい、それじゃあお邪魔しました」


かばお君達は元気に手を振って、でかこ母さんも手を振りながら家の中へ戻って行った。
僕はかばお君たちと別れて、まだ見回っていないところへ、パトロールへ行くはずだった。


「アンパンマン」

>>3
固いこと言わないでー

ふと呼び止められて、僕たちはちびぞう君の家の方へ振り帰る。
すると、中に入ったはずのでかこ母さんが扉の前に立っていた。


「ごめんなさいね、ちびぞうがアンパンマンに会いたいって」

「ええっ!僕たちは!?」


かばお君が戸惑いながら問いかけると、でかこ母さんは気まずそうに首を横に振った。


「本当にごめんなさい。アンパンマンと話がしたいんだって」

「そんなぁ……」


うさこちゃんとかばお君が泣きそうになっているので、僕はまた慌てて二人に言った。


「なにか困っていることがあって、僕に相談したいのかもしれないよ」

「それなら僕たちだって話を聞きたいよ!」

「そうだね。でも、ちびぞう君は、かばお君とうさこちゃんには心配をかけたくないのかもしれないし」

「私たちはもう心配しているわ!」

「うーん、そうなんだけど……」


うまく説明出来ない僕の隣で、でかこ母さんが頭を下げた。


「ごめんね。私も言い聞かせようとしたんだけど、とても真剣な顔をしてたのよ。
どうしてもアンパンマンにしか話せないみたいなの」

「だけど……」


ちょっと泣きそうな二人と目線を合わせて、僕は二人の頭を撫でた。


「じゃあ、僕はちびぞう君と会ってきて、ちびぞう君がどんな様子だったか教えるよ。
だから、少し待っててくれないかな」

「うん……分かった……」

「それなら、私が作ったシフォンケーキがあるから、一緒に食べて待ちましょうか」

「本当!?」


かばお君達はぱーっと顔を輝かせて、でかこ母さんとリビングの方へ歩いていった。

彼らの後ろ姿を見送って、僕はでかこ母さんに教えられた通り、ちびぞう君の部屋を目指す。
こんこん、と扉を叩くと、ちびぞう君が顔を出した。


「どうしたの?ちびぞう君。みんな君のこと心配しているよ」

「うん……」


ちびぞう君は心細そうにパジャマの裾を握った。
そして暗い顔で僕を中へ案内した。


「ちょっと散らかってるけど……」


中をつい見回してしまった僕を見て、ちびぞう君が少し恥ずかしそうにした。
ちびぞう君の言う通り、部屋の中はあまり綺麗ではなかったけど、飛行機や車のおもちゃが置いてあって、とても楽しそうな部屋だった。
窓際の小さな机の上には教科書が乗っていて、僕は憧れの眼差しでそれを見つめる。


「これって、算数の教科書なの?」

「うん、そうだぞう」

「そうかぁ。僕教科書って使ったことがないんだ」

「えっ?どうして?」

「勉強はジャムおじさんとバタコさんが教えてくれたから、学校に通ったことがないんだよ」

「ふーん、うらやましいぞう。学校って結構めんどくさいんだぞ」

「そうかなぁ。僕は楽しそうだと思うけど」


僕はちびぞう君がベッドに腰かけたのを見て、その隣に座った。


「学校でなにか嫌なことがあったの?」

「ううん、勉強はめんどくさいけど、友達と遊べるから嫌じゃないぞう」

「じゃあ、どうして元気がないの?」

「それは……怖い本を読んだんだぞう」

「怖い本って?」


ちびぞう君は怯えた顔をしながら、膝の上に置いた手を見た。

「ぼく、お母さんの本棚にあった、ミステリー小説っていうのを読んだんだぞう。
そうしたら……その……」

「どうしたの?」

「……女の人が殺されちゃったんだぞう」


僕はちびぞう君の言ってることがよく分からなくて、首をかしげた。


「ころされちゃうって、どういうこと?」

「僕もよく分からないんだぞう……だからお母さんに聞いてみたら、誰かが誰かをこの世界から消してしまうことだって言ってたんだぞう」

「消してしまう……」

「この世界から消えてしまった人は、今まで好きだったものも嫌いだったものも、全部分からなくなるんだぞう。
自分が誰だかも分からなくなって、なにをしたいのかも分からなくなるんだぞう。
……だから、そんなことは絶対してはいけないっていわれたんだぞう」

「そうだね……。それはとっても怖いね」

「でも……僕はもっと怖いことに気がついたんだぞう」


ちびぞう君は僕の顔を見ないまま、絞り出すような声で言った。


「ばいきんまんは……アンパンマンのことを殺そうとしてるのかな」

「えっ?」


急に自分の名前が出てきたので、僕はすごく戸惑った。
そんな僕の方を、ちびぞう君はなにかを振りきるように怯えた目で見上げた。


「そんなの、僕は絶対嫌なんだぞう!
アンパンマンがこの世界から消えるなんて、絶対嫌だ!
僕やみんなのことも分からなくなるなんて、絶対絶対嫌だ!」

「落ち着いて、ちびぞう君。僕は消えたりはしないよ」


ちびぞう君は荒い呼吸を繰り返し、涙をぽろぽろとこぼした。
僕はとにかく焦って、さっきでかこ母さんがしたように、ちびぞう君を抱き締めた。


「大丈夫。僕はずっとこの世界にいるから。
そして、君たちを守るから」


ちびぞう君はこらえていた声を少しずつ大きくして、わーっと泣き出してしまった。
僕はそんな彼を抱き締めることしか出来なかった。
もっと安心する言葉をかけてあげたかったのに、僕はなにも思い浮かばなかったから。

けれど、ちびぞう君はしばらく泣くと、すっきりした顔で僕を見上げた。


「ありがとう、アンパンマン。
僕、ちょっと安心したぞう」

「それは良かった。それなら、かばお君たちに会えるかな?」

「うん、もう大丈夫だぞう」

「じゃあ、かばお君たちとお母さんが待ってるから、一緒にいこうね」

「うん!」


僕はちびぞう君と手をつないで、リビングの方へ歩いた。
そして、ちびぞう君は二人の姿を見ると、笑顔で駆け寄った。



「ちびぞう君!大丈夫!?」

「うん、もう平気だぞ!アンパンマンが助けてくれたんだぞう」

「もう、心配かけないでよね」

「えへへ、ごめんだぞう」


ちびぞう君は、三人に迎えられてイスに座った。
そして、僕を手招きで呼んだ。


「アンパンマン、一緒に食べよう!」


しかし、僕は遠慮することにした。


「ごめん、僕はまだパトロールが残ってるから」

「そうかぁ、残念だぞう」

「今日はありがとう、アンパンマン。とっても助かったわ」

「いえ、それじゃあ僕はこれで」


僕は手を振る四人に笑って、ちびぞう君の家から出た。
それからもしばらくは笑っていたのだけれど、僕は次第に笑顔ではなくなっていった。
まるで笑い方を忘れてしまったような、そんな気分で僕は空へと舞い上がる。
もしかしたら、風邪をひいてしまったのかもしれない。
だからこんなに落ち着かないのかもしれない。

僕はパトロールへ向かうのはやめて、パン工場へと帰ることにした。

遠くにパン工場の煙突が見えて、見慣れた赤い屋根も見えてきた。
僕は一目散に飛んでいきたかったけど、なんでそうしたいのか分からなかったから、ゆっくりと飛んだ。
そして、バタコさんとメロンパンナちゃんが植えた花壇を見ながら、パン工場の扉の前に着地する。
花はいつも通り綺麗に咲いているのに、僕はその花を綺麗だと思えなかった。

少しためらって、僕はゆっくりとパン工場の扉を開ける。


「ただいま」


すると、中ではバタコさんとチーズが部屋の掃除をしていた。


「あら、早かったわね。なにかあったの?」

「いえ……ジャムおじさんは出掛けてるんですか?」

「ううん。アンパンマン号の整備をしているはずだけど」

「そうですか……」


僕はまだ落ち着かずに、パン工場の入り口で立ち止まっていた。
そんな様子を見て、バタコさんは心配そうに僕を見る。


「やっぱりなにか変よ。具合でも悪いの?」

「い、いえ、違うんです。なんだかジャムおじさんと話したくなって」

「それなら、話してきた方がいいわね。
お部屋の掃除は、私とチーズに任せて!」

「アンアーン!」


バタコさんとチーズは元気よく笑ったが、僕を歯切れの悪い言葉でバタコさんに話しかける。


「でも……ジャムおじさん、忙しいですよね、きっと……」

「なにも気にすることはないわよ。私たちは家族なんだから」

「家族……。そうですね、ありがとうバタコさん」

「いーえ。戻ってきたらアンパンマンも掃除のお手伝いをお願いするわね」

「はい!」


僕は気がつくと笑っていて、おかしいけど少しほっとした。
そして、車庫の方へと歩きながら、僕は少しずつ心の温かさを取り戻す。
たどり着いた車庫では、僕の名前がついた車を整備している、ジャムおじさんがいた。



「お帰り、アンパンマン」


ジャムおじさんは僕を見て、手を止めて笑ってくれた。
なぜかは分からないけど、僕はものすごくほっとして、泣いてしまいそうになった。


「なにかあったんだね。そこに座って話そうか」


ジャムおじさんが指差した先には、ひっくり返したコンテナが二つ並んでいた。
僕は青い方に腰かけて、ジャムおじさんは向かいの黄色いコンテナへ腰かけた。


「ちびぞう君は元気だったかい?」

「ええ。僕と話したあとは、元気に笑ってくれました」

「そうかい。じゃあ、ちびぞう君からなにか辛いことを聞いてしまったのかな」

「辛いことと言うか、怖い話を聞きました」

「怖い話?」

「はい。ちびぞう君はお母さんの本を読んでしまったようで」


僕はちびぞう君から聞いた、恐ろしい話を少しずつ話した。
ジャムおじさんはとても真剣に僕の話を聞いていた。


「そして、ちびぞう君が言うんです。……その、ばいきんまんは僕を殺そうとしているんじゃないかって……」


胸の音がドキドキと強くなって、かすかに痛みも感じる。
僕はまだ、ちびぞう君の泣き声が聞こえているような気がした。
頭の中の黒いモヤモヤとしたものが、形を変えて僕に突き刺さろうとしているような、そんな気分だった。

しかし、ジャムおじさんは笑って否定した。


「ばいきんまんはそんなことはしないよ」

「そうなんですか?」

「そうだよ。ばいきんまんはアンパンマンをやっつけたいだけだからね。
それはそれで、困ってしまうけど」


苦笑いを浮かべるジャムおじさんの顔は、嘘をついているようには見えなかった。
僕は安心してふーっと息を吐き出した。
でも、まだ心には黒いモヤモヤが残っていた。



「あの……それなら、ロールパンナちゃんはどうなんでしょう」


ジャムおじさんはピタリと動きを止めた。
僕はその一瞬を見逃さなかった。


「ロールパンナも、そんなことはしないと思うよ。
あの子は、バイキン草の力でアンパンマンを敵だと思い込んでしまってるだけなんだ。
その力が無くなれば、きっとアンパンマンとも仲間になれるはずだ」


ジャムおじさんはにこにこと笑って僕を見る。
だから、僕は言葉を押し込んで笑った。


「ありがとうございます。僕、安心しました」

「そうかい。それは良かった」

「じゃあ、僕はバタコさん達と一緒に掃除してきますね」

「ああ、頼んだよ」


ジャムおじさんが整備を再開する音を聞きながら、僕は扉を閉める。
しばらく扉の前で立ち止まっていた僕に、バタコさんの明るい声が飛んできた。


「アンパンマーン!そこにいるー?」

「あ、はーい!」

「ちょっと雑巾とってもらってもいいかしら?」

「はい!」


そばに干してあった雑巾を持って、僕はバタコさんとチーズの方へ駆け寄った。
僕たちはバタバタと忙しく動き回り、部屋の中を綺麗に片付けていく。
そうしている内に夕食の時間になり、みんながご飯を食べるのを見守って、僕はみんなに声をかけた。


「おやすみさい」

「おやすみさい、アンパンマン」

「おやすみ、今日はゆっくり寝るんだよ」


チーズも元気よく僕に笑いかけ、僕も笑いながら二階へあがった。
なのに、僕は今日のあのときと同じだ。
階段を一段上るごとに、笑顔は少しずつ消えていって、僕は笑顔と共に自分も消えてしまうような気がした。
そうして、なにも分からなくなり一人ぼっちになって、別の世界を漂っているような、そんな気分だった。


「ロールパンナちゃんは、僕を消してしまいたいのかな」


口に出してしまった言葉は、鋭い爪になって僕を切り裂いた。
僕は急に背筋が冷たくなって、胸がドキドキしすぎて壊れてしまうんじゃないかと思った。
窓の外の闇すら、今の僕は怖くて仕方なくって、どうしたらいいのかも分からなくって、急いで布団に潜り込んだ。
明日になれば、きっと元に戻ってる。
僕はぎゅっと目をつぶった。
暗い部屋の中で、時計の秒針の音だけが響いていた。

窓の外の真っ暗な闇が次第に暖かみを帯びて、お日様の光が僕の部屋にも差し込んでくる。
かなり早起きしてしまった僕は、輝く朝日を静かに眺めていた。
空は昨日と同じように青く、いつもと同じような雲が浮かんでいる。
僕はその一つ一つに安心しながら、身支度を整えた。


「おはようございます」


階段を降りて工房に向かうと、ジャムおじさんが僕の顔を焼いてくれていた。
少し夢うつつな僕は、なんだかいつもよりも嬉しくて微笑んでしまう。


「おはよう。よく眠れたかい?」

「はい。どうしてか分からないんですが、なんだかとても優しい気分です」


どことなくぼんやりとした僕の声を聞いて、ジャムおじさんは少し真剣な顔をした。


「アンパンマン、ちょっとこっちへ来てくれないか」

「はい」


僕は無意識に床から浮いているのか、体がふわふわと動いた。
不思議な気持ちでジャムおじさんの前まで歩くと、ジャムおじさんは僕の手をとった。


「やはり、少し熱があるようだね」

「えっ?熱ですか?」


言われるまで自覚がなかったのに、急に僕は自分の手が熱を持っていることに気がついた。
なんとなく、景色が柔らかく輝いているのもそのせいなんだろうか。
ほのかな光りの中で、ジャムおじさんは穏やかに笑う。


「疲れが溜まっているのかもしれないね。今日はパトロールをお休みしたらどうかな」

「でも、僕がいかないと……」

「大丈夫。今日はカレーパンマンにお願いするから。
ちょうどパン工場に来ることになっていたんだ」

「そうですか」


僕はほっとして、ちょっとだけ熱が上がったような気がした。
そんな僕に、ジャムおじさんは肩を貸してくれた。


「今日はゆっくりするんだよ」

「はい。ありがとうございます」


ジャムおじさんの声が、じーんと心に染み渡っていくような、そんな気分だった。
僕が困っていると、ジャムおじさんはいつも助けてくれる。
あとから付け足すようだけど、バタコさんとチーズもいつも僕を支えてくれた。
僕はなんて幸せなんだろうと、ふと思った。


「それじゃ、新しい顔はあとで届けてあげるからね」

「はい」


僕は安心して目を閉じる。
ジャムおじさんが部屋の扉を閉める音や、バタコさんが目を覚まして慌てて階段を駆け降りる音。
元気なチーズの鳴き声や、三人の笑い声が聞こえて、僕のまぶたの裏にはその様子が浮かぶようだった。

そして、しばらく忙しそうな音が続いて、パン工場の扉をノックする音が響く。


「こんちはー!」


この声はカレーパンマンの声だと、僕はすぐに分かった。
迎え入れられたカレーパンマンは、ジャムおじさん達と笑いながら話す。


「今日、ジャムおじさんがカレーを作ってくれるって言うんで、昨日は眠れなかったぜ」

「そうかい。私はカレーパンマンが作るカレーの方が大好きだけどね」

「へへっ、照れるなぁ」


僕はみんなの賑やかな声を聞いて、みんなの笑顔を想像していた。
まぶたの裏で、みんなにこにこしている。
チーズはジャムおじさんのカレーを食べたそうにして、バタコさんはパンの準備をしながら話をしていて、カレーパンマンはジャムおじさんの方を見て笑っていた。
そして、ジャムおじさんもカレーパンマンの方を見て笑っていた。


「……おかしいなぁ」


僕は胸が苦しくて、呼吸をするのも辛くなった。
胸がぎゅーっと押し潰されるような、冷たい秋の風に吹かれているような、そんな気分だ。
みんなは楽しそうなのに、どうして僕はこんな気分なんだろう。

いてもたってもいられなくて、僕はふらつく足をなんとか動かして、ベッドを抜け出した。


「ジャムおじさん、あの……」

「アンパンマン!寝てなきゃダメじゃねぇか!」


よろめきながら歩いてきた僕を、カレーパンマンは慌てて支えた。
バタコさんもチーズも驚いて、なにか大きな声を出している。
けれど、僕はみんなの声がとても遠くに感じた。



「おい!アンパンマン!」


はっと気がつくと、僕は自分の部屋のベッドに寝ていた。
そばにはカレーパンマンがいて、僕を心配そうに見ていた。


「もう、なんでベッドから抜け出したりしたんだ?
風邪引きなんだから、寝てなきゃダメだろ」

「うん……ごめんね」

「さっきまでジャムおじさん達も、ここにいたんだ。
みんなすげー心配したんだぜ」

「うん、ごめん」


その一言で安心したはずなのに、きっと僕はまだ心細そうな顔をしていたんだろう。
カレーパンマンがジャムおじさん達を呼んでこようか、と言った。


「あ……えっと……」


僕はまた歯切れが悪くなって、カレーパンマンを引き留める。


「どうしたんだよ。呼んで欲しくないのか?」

「そうじゃないんだけど……ジャムおじさん達はきっと忙しいよね」

「そんなこと気にしてんのか?ジャムおじさん達は、お前のためならすっとんで来ると思うぜ」

「いや……でも……」


熱のせいで、僕は言いたいことも曖昧になっていた。
カレーパンマンは最初は少し苛立ったようにしていたが、大きくため息をついて僕の隣に座る。


「仕方ねぇな。アンパンマンがそんなふうになることなんて滅多にねぇし、しばらく俺がいてやるよ」

「うん……ありがとう」

しかし、僕たちはなにを話したらいいか分からなくて、少し時間を持て余した。
無言の時間に息苦しさを感じて、カレーパンマンが僕に話しかける。


「そういえば、さっきジャムおじさんになにか話しかけようとしてたよな。
なんか大切な話だったのか?」

「それが、僕にもよく分からなくって」

「ふーん。どんな話か分からねぇけど、俺でよければ聞くぜ」

「うん……」


僕はなぜかカレーパンマンに話すのを、ちょっとためらった。
しかし、僕はなんとかたどたどしい言葉を繋げていく。


「それでね、カレーパンマンの声とみんなの楽しそうな声が聞こえたら、僕は……」

「寂しくなったか?」


僕は驚いてカレーパンマンの顔を見る。


「どうして分かったの?」

「そりゃーよ、まぁ俺だってパン工場で暮らしてた頃があったからな」

「そうなの?」

「まぁな、こんな小さい時だけだけどな」


カレーパンマンは笑いながら指先を丸めて、豆粒ぐらいの大きさにした。
僕はまた驚いて聞いた。


「そんなに小さかったの?」

「まさか。冗談だよ、冗談。アンパンマンにはやっぱり分からねぇか」

「うん……」


カレーパンマンは楽しそうに笑う。
僕は恥ずかしかったけど、カレーパンマンの笑顔を見ていると安心した。



「でも、どうしてパン工場に住まなくなったの?」

「それはさ、俺はすごいやつだから、もう一人でも大丈夫だなって思って」

「そうなんだ。カレーパンマンはすごいなぁ」

「そうでもないぜ。いざ一人で暮らし始めたら、なんにもうまくいかなくってさ。
ジャムおじさんとバタコさんが当たり前にやってたことは、実はすごいことだったんだなぁって、思ったよ」


カレーパンマンは恥ずかしそうにしながら頭をかいた。


「それで、俺……一回帰ってこようとしたことがあるんだ」

「そうなの?」

「ああ……。なんだか夜がすごく心細くなって、ジャムおじさんの作ったカレーが食べたくなって。
俺はすごい速さでパン工場まで飛んできたんだ。
ジャムおじさんの顔をみたら、俺、なんだか泣きそうになっちまった」


おかしいだろ、と笑うカレーパンマンに僕は真剣に首を横に振る。


「それは辛いよね……。なのに、どうして帰らなかったの?」

「えっとな……まぁ、悪く思わねぇで欲しいんだけど」


カレーパンマンはまた気まずそうに頭をかく。


「ジャムおじさんに抱きついて泣こうとしたらさ、隣にお前がいたんだ」

「えっ?」

「いや、お前が悪い訳じゃねぇぜ。
でも……なんつーかここはもう俺の居場所じゃねぇなって、こう。
胸の奥に深く響いていくように、そう思ったんだ」


僕は、なにも言えずにカレーパンマンの顔を見ていた。


「恨んでる訳じゃねぇし、俺はアンパンマンのこと大好きだぜ。
けど、たまーに嫉妬しちまうのは許して欲しいんだ」

「しっと、って?」

「お前が俺に感じた気持ちだよ。俺達が話してたら寂しさを感じたんだろ?」

「それは……でも……」


僕はカレーパンマンから目をそらして、呟くように言った。


「その気持ちは……悪いことじゃないのかな」

「なーに言ってんだよ。じゃあ、俺は悪いことをしてるってのか?」

「う、ううん。そうじゃなくて」

「大丈夫、分かってるよ。俺もアンパンマンも悪いことなんかしてねぇから。
ただ、ちょっぴり大人になったのかもしれねぇな」


カレーパンマンはいたずらっぽく笑って、人差し指を口に当てた。


「でも、このことはみんなには内緒だぜ。
俺たちだけの秘密だ。守れるか?」

「うん、約束するよ」

「それじゃあ、この話は終わりだ。
他に話したいことはねぇか?」


僕はすっかり安心していたので、ちびぞう君から聞いた話を、ためらわずにカレーパンマンに話してしまった。
カレーパンマンは、思った通り笑い飛ばしてくれた。



「ばいきんまんがお前を殺そうとしてる?そんな訳ねぇだろ」

「そうなのかな」

「あったりまえだぜ。あいつは、ぎゃーぎゃー騒ぐし、いっつも加減をしらねぇけどさ。
でも、案外アンパンマンのこと好きかもしれねぇぞ」

「そうかなぁ」

「あいつは、あれだよ。赤ん坊だと思えばいいんだ。
赤ん坊に叱ったってしょうがねぇだろ?
赤ん坊は腹が減ったら、泣き続けることしか出来ねぇし」

「ばいきんまんは泣かないよ?」

「いや、ま……なんつーか。
ばいきんまんは、赤ん坊ぐらいうるさいやつだってことだよ。
でも、向こうも大人になったら仲良くできるかもな」

「うーん、よく分からないなぁ」


僕は赤ん坊のばいきんまんは想像出来たけど、泣いている姿は思い浮かばなかった。
きっとカレーパンマンは僕の考えていることが分かって、あーあと伸びをした。


「ま、深く考えんなって。あいつはああいうやつだし、俺たちはあいつのイタズラを止めればいいだけだからさ」

「うん、分かった」


僕はそのままの流れで、口を滑らせるようにカレーパンマンに聞いた。


「なら、ロールパンナちゃんはどうなのかな」


すると、カレーパンマンはジャムおじさんと同じように、一瞬だけ動きを止めた。



「カレーパンマン?」

「ああ、いや、まーさ」


カレーパンマンは誤魔化すように、頭をかいた。


「あいつもなにするかわかんねぇとこあるけど、優しい奴だし……。
そもそもばいきんまんのせいだしな!
まぁ、大丈夫だろ」

「そうかな」

「そりゃ、大丈夫に決まってんだろ。
俺たちの妹なんだぜ?」

「うん」

「いつか悪い心も無くなって、きっと仲良くなれるよ。
だからあんまり気にすんな!」

「うん……」


僕がふにゃふにゃした声で答えるので、カレーパンマンは僕の肩を叩いた。


「お前は正義の味方、アンパンマンだろ?
そんな弱そうな顔をしてたら、みんなに笑われるぜ。
ヒーローは強くカッコよくなくっちゃさ」


カレーパンマンは力強く笑う。
僕は、カレーパンマンが強い理由が分かった気がした。
強くてカッコよくて、僕もそうなれるかなぁとぼんやり思った。


「僕、カレーパンマンみたいになりたいなぁ」

「へっ?なんだよ、やめろよ」


カレーパンマンは嬉しそうに笑った。


「でもさ、俺には俺の良さがあるし、お前にはお前の良さがあるんだ。
俺は優しいアンパンマンも悪くないと思うぜ」

「うん、ありがとう」

「じゃあ、俺は新しい顔を取ってきてやるから、大人しくしてるんだぜ」

「うん」


部屋を出ていくカレーパンマンの後ろ姿は、とても強そうでカッコよかった。
僕は気がつくと心がとても温かくなっていて、熱の辛さもあまり感じない。
やっぱり僕は幸せなんだなぁと、じんわり思った。

カレーパンマンがパトロールに出掛けてくれてからしばらく経って、外のお日様が傾き始めた頃。
窓ガラスを通って、オレンジ色の光が僕の部屋の中を照らした。
まるでオレンジジュースの中を泳いでいるような綺麗な光を、僕はぼんやりと眺めていた。
こんなにゆっくりしたのは久しぶりで、僕はどうしたらいいか分からなかったから、今はただ夕日に包まれていたいと思った。

そんな僕の部屋のドアを叩く、控えめな音が響いた。


「アンパンマン、調子はどう?」


扉は静かに開き、バタコさんがこそこそと顔を出す。


「休んでいたら元気になりました。カレーパンマンも話を聞いてくれましたし」

「あら、どんなお話をしたのかしら?」

「それは……秘密なんです」

「あらあら」


バタコさんはにこにこ笑って、部屋の扉を閉めた。
バタコさんの手にはお盆が乗っていて、その上にほかほかのご飯が乗っている。


「それ、バタコさんのご飯ですか?」

「ううん……そういうわけじゃないんだけど」


なにか説明しづらそうに、バタコさんはお盆を僕の足の上に置いた。
ベッドの上に横たわる僕は、布団越しにご飯の重みを感じる。



「あの……これは僕のなんでしょうか?」

「うん、まぁ、そういうことね」

「でも、僕……」

「あのね、アンパンマン。
私は風邪を引くと、いっつも美味しいごはんを食べて、ゆっくり眠ることにしてるの。
そうすると、次の日は元気100倍なんだから」

「はい……」


僕はなにか悪いことをしているような気分で、お箸と真っ白なご飯に手を伸ばす。
お米の粒がふっくらとしていて、かすかに甘い香りが湯気になって立ち上った。


「じゃあ……いただきます」


慣れない手つきで箸を握る僕は、そっとお米の塊を箸の先でつかみ、口へと運ぶ。
なぜか僕は目を開けているのが怖くて、ぎゅっと目をつぶった。

しかし、僕は驚きで目を開いてしまった。


「美味しいですね」

「ええ、美味しいでしょう?」


目を開けても、バタコさんは優しく笑ってくれていたので、僕は次々とご飯を口に運んだ。
今日の献立はわかめの味噌汁とさばの塩焼きで、僕は顔が濡れてしまわないか不安だったけど、それでも箸を止めることは出来なかった。
そして、気がつくと僕はご飯を完食していた。
やっぱり、顔が濡れてしまったのだろうか。
体に力が入らなかった。


「アンパンマン……」


バタコさんの心配そうな声が響く。
僕は精一杯声を絞り出して、バタコさんに言った。


「大丈夫です。僕は大丈夫」


なんでこんなに目が熱いのか、僕には分からなかった。
今にも涙が溢れてしまいそうで、バタコさんに抱きついて泣きたくなった。
けれど、僕はそうしなかったから、バタコさんも僕の背中を撫でるだけだった。
窓から差し込む夕日がこんなにも温かいのに、僕は布団の中から出ることが出来なかった。

次の日、お日様は相変わらず光り輝き、野原の草や木も一本残らず照らしていく。
その優しさは僕の部屋にも届いて、壁にかけられた僕のマントや外行きの服を照らした。
この服はジャムおじさんが考えたもので、バタコさんが作ってくれた物だった。
そしてその服を着た僕を、チーズはカッコいいと言ってくれて、みんなは僕のマントが見えるとほっとすると言ってくれた。

僕は今日もその服に手を伸ばし、袖に腕を通す。
ベルトをきゅっと腰に巻いて、僕は自分に気合いを入れた。


「よーし、今日もがんばるぞ」


熱はみんなのおかげですっかり引いて、僕はしっかりと立つことが出来た。
しかし、足の裏の方がむずむずするような、もやもやしたものを、僕は心の中に感じた。
正体が分からないものに背中に乗られているように、ぼんやりと怖かった。


「やっぱりまだ、具合が悪いのかな」


少し不安を感じながら、僕はパン工場の階段を降りる。
一段、一段、踏み外さないように慎重に工房へ向かった。
しかし。


「アンパンマン」


僕を呼ぶ声が聞こえると、僕はよろけて階段から落っこちそうになった。
優しげな声は焦りを帯びて、僕に近づいてくる。


「大丈夫かい?一体どうしたんだい」

「い、いえ、大丈夫です。まだちょっと寝ぼけてて」


僕は慌ててジャムおじさんから逃げるように、階段を降りた。


「まだ調子が悪いなら休んでいた方が……」

「いえ、もう大丈夫です。僕の顔は出来上がってますか?」

「ああ、そろそろ焼き上がるころだよ」


ジャムおじさんはかまどの方に歩き出し、僕は緊張しながら後を追った。
今日はバタコさんも起きていたようで、台所の方から歩いてくるのが見える。
バタコさんは、二人分のコーヒーを手に、少し不安そうな顔をしていた。


「今、大きな声が聞こえたけど……なにかあったの?」

「いえ、僕がちょっと階段を踏み外しただけです。
寝ぼけていたみたいで」

「そう……まだ具合が良くないなら、今日もお休みする?」

「いえ、僕はもう大丈夫です」


僕は誤魔化すように笑って、ジャムおじさんが開けたかまどの中をのぞきこんだ。
自分の顔について言うのもおかしいけど、かまどの中の僕の顔は、ほかほかに焼き上がっていて美味しそうだった。
パン工場に、あんこの甘い香りが立ち込める。


「じゃあ、顔を取り替えようか」

「はい」

毎朝の軽やかな動きで、僕の顔は焼きたてのふかふかな顔へと変わった。
僕は自分の顔を洗ったことはないけど、きっと顔を洗うのと同じくらい清々しいことなんじゃないかと思う。
元気な明るい心で満たされていく僕に、ジャムおじさんが微笑みかける。


「顔の調子はどうかな?」

「今日もとてもいいです」


僕の言葉に嘘はなく、僕もジャムおじさんに微笑もうと、口元の力を抜こうとした。
だけど、僕の顔は強ばったままだった。
なぜ、こんなにジャムおじさんの前で呼吸をするのが辛いのだろう。
僕はぎこちなく笑って、ジャムおじさんのそばをそっと離れた。


「あの、そろそろパトロールへ行ってきますね」

「ああ、頼んだよ。それじゃあ、私たちもアンパンマンを見送ろうか」

「はい!」


元気よく答えるバタコさんの顔に、影は見当たらない。
僕は当たり前のことにほっとして、当たり前のことにがっかりした。
どうして、がっかりするのだろう?僕はどうしたんだろうか。

僕は考えるのをやめたくて、二人から逃げ出すようにパン工場の外に出た。
遠い空へ飛んでいく僕を、二人と寝ぼけ眼のチーズが手を振って見送ってくれた。


「なんだか、おかしいなぁ。僕は……」


心の中のもやもやが、湿り気を帯びて僕の温かい部分に染み込んでいくような、そして温度を奪っていってしまうような、暗い気持ち。
僕はその気持ちを表現する言葉をあまり知らなかった。
そう、僕はなんにも知らないのかもしれない。
そんなそこはかとない恐怖も、忍び寄るように僕を襲った。



「あ、そういえば、もうすぐ小麦粉が無くなってしまうんだっけ」


ふっとパン工場の隅に積まれた袋の数を思い出して、僕は全てを振り払うように、ヤギおじいさんの所へ向かった。
大きな風車のそばで、太陽に向かって伸びをしているヤギおじいさんを、僕はすぐに見つけることが出来た。


「おはようございます」

「おはよう、アンパンマン。そろそろ小麦粉が無くなる頃だったかな」

「はい。小麦粉を分けて下さい」

「分かったよ。少し待っていなさい」


ヤギおじいさんはゆったりとした足取りで、風車の中へ歩いていった。
しばらくして、小麦粉の袋を台車に乗せて、ヤギおじいさんは戻ってきた。


「今回は良い小麦粉が出来たからね。早くアンパンマンに渡したかったんだ」

「うわぁ、ありがとうございます」

「お礼を言うのはこちらだよ。私もアンパンマンには何度助けられたか分からないからね。
でも、そのアンパンマンの顔も私の小麦粉で作られていると思うと、ちょっと誇らしい気分なんだ」

「ふふ、ありがとうございます」


僕はお礼を言って、小麦粉の袋を抱えて地面を蹴った。
ふわりと舞い上がる僕を、ヤギおじいさんは目を細めて見つめている。
優しく下がった目尻も、僕のことを信頼してくれているからなんだなぁと、深く僕の心へ響いた。
それに小麦粉のおかげで、僕はジャムおじさんと話す理由も見つかったから、うきうきしながら空を飛んでいた。

今回はジャムおじさんに頼まれた訳じゃなくて、僕が自分で気がついたことだから、それもちょっぴり誇らしかった。


「ただいま」


ひんやりした朝の空気の中、パン工場にたどり着いた僕は、少し胸を張って玄関の扉を開いた。
しかし、中にいたジャムおじさんは、酷く動揺した顔をしていた。


「ああ……おかえりアンパンマン」


一瞬、僕の顔を見て不安な顔をしたのかと思ったが、状況は少し違っているらしかった。
工房にはバタコさんとチーズはおらず、ジャムおじさんがかまどを背にして座っている。
そして、その向かいには、男の人の背中が見えた。


「あの、ジャムおじさんになにか用なんですか?」


語尾を荒げないように、僕は慎重にその人へ話しかける。
ジャムおじさんがこんなに困った顔をしているのは、この人が原因なんだろう。
僕は少しだけ怒っていた。

しかし、そんな思いは、その人が振り向くと全て消え去った。



「あ……あなたは……」


僕はこの人とは絶対に初対面だ。
そんなことは最初から分かっていたし、振り向いた顔を見てもそう確信した。
しかし、僕はこの人の顔をよく知っている。
凍りつくように固まった僕に、その人は静かな声で告げる。


「その袋は、置いた方がいいんじゃないかな」


その声はジャムおじさんそっくりで、ジャムおじさんにはない凄みがあった。
僕はとぼとぼと小麦粉の袋をパン工場の隅に重ね、二人の方を見る。
相変わらずジャムおじさんは憂鬱そうな顔をして、向かいの男の人は苦笑いを浮かべていた。


「しかし、本当にそっくりなんですね」


ジャムおじさんはなにも答えなかった。
僕は部屋の重たい空気に耐えられず、なにかを話しかけようとして、明るい話題を必死に探して、そして黙りこんだ。

僕には、二人の間に入ることは出来ない。
なぜかそう思った。


「僕、パトロールの続きをしてきますね」

「アンパンマン!」


ジャムおじさんが僕を引き留めたけど、僕は外へと駆け出して空へ舞い上がった。
青い、空は青い、そして雲は白い、白い。
当たり前のことを何度も胸の中で呟いて、僕は当てもなく空を飛び続けた。
向こうから鳥の群れが飛んできて、僕を心配するような声で鳴いている。
なのに、僕はその声がうるさいと思った。


「ごめん、今僕はどうかしてるんだ。
だから、一人で飛ばせて」


けれど、鳥の群れは僕にぴったりくっついて、離れようとしなかった。
本当に申し訳ないと思ったけど、僕は思いっきりスピードを出して、鳥達から逃げた。
鳥の声が聞こえなくなって、きっともうそばにはいないのに、僕はスピードを緩めることが出来なかった。


「アンパンマン!どうしたんですか!」


そんな僕を引き留めるように、誰かの声が聞こえる。
それでも、僕は止まらなかったけど、その声の主は僕に追い付いて僕の腕を掴んだ。


「アンパンマン、そんな怖い顔をしてどうしたんです?
なにかあったんですか?」


目の前にいたのは、真剣な顔をしたしょくぱんまんだった。
僕は泣きそうな声で、しょくぱんまんに聞いた。


「僕は、怖い顔をしていたの?」

「え、ええ……。今まで見たことがないくらい、怖い顔でした」


その瞬間、僕の心のもやもやは真っ黒なナイフへ変わり、僕の胸へ突き刺さった。

空中でぴくりとも動かない僕を見て、しょくぱんまんが優しく手を差しのべる。


「アンパンマン、しっかりして下さい。
少し、木陰で休みましょうか」


僕は素直に従って、しょくぱんまんと一緒に大きな木の下へ向かった。
僕はまっすぐその木へと飛んでいくことができた。
ショックを受けるぐらい、僕はしっかり飛んでいた。


「アンパンマン、なにがあったのか教えて下さい。
誰にも話しませんから」

「ありがとう。でも、なんでもないんだよ。
僕は大丈夫なんだ」

「アンパンマン……」

「ジャムおじさんは優しいし、バタコさんも優しいし、チーズといると楽しいし、街のみんなだって僕のことを好きでいてくれるし、僕は」

「アンパンマン、少し私の話を聞いてくれませんか」


僕の話を遮って、しょくぱんまんは立ち上がった。
そして、いつものように空を仰ぎ、左手を大きく空へと伸ばす。


「私はいつも綺麗なものに囲まれていました。
温かい太陽、静かな光をたたえる月、優しい香りを放つ小さな花、キラキラと輝く人々の笑顔。
そして私の白い輝きは、誰にも劣らなかった」

「しょくぱんまん……」

「しかし、私の曇りがない心に、ある汚いものが住むようになりました。
私はそれを追い出そうと必死になりました。
誰にも言えずに、私は一人で思い悩みました。
けれど、どうしても追い出すことは出来ずに、私はパン工場を飛び出してしまったのです。
ジャムおじさんやバタコさんに、私の汚さを見られなくなかった」

「そうだったの?」

「ええ、私は一人ぼっちになりました。
だけど、段々と私は思うようになったのです。
この世に、ただ綺麗なものなど存在しないと。
汚いものがあるから、人は綺麗なものを綺麗だと思えるんじゃないかと、私は自分に納得させました」

「それは……辛くないの?」

「いいえ。そう思えてからは、私はもっと自分を好きになりましたよ。
前よりも、太陽は温かく、みんなの笑顔はより輝きを増しました。
そして、それを守らなければいけないと、私は強く思ったのです」

「僕は……そんなふうには思えないかもしれないな」


弱気な言葉を口にする僕に、しょくぱんまんは懐かしそうに笑った。
きっと、しょくぱんまんも今の僕のようになっていたのかもしれない。
しょくぱんまんは、木陰に座り込む僕に手を伸ばした。


「さ、アンパンマン。少し空を散歩でもしましょう。
そして私に話したくなったら、なにがあったか教えて下さい」


しょくぱんまんの笑顔は、カレーパンマンの笑顔と同じように、強くてカッコよかった。
僕は彼が差し出した手を握ろうとした、その時だった。


「うわあっ!」


突然、しょくぱんまんが紫色の輪に縛り付けられて、遠くの地面に転がった。
はっと上を見上げると、ばいきんまんがUFOを操って、楽しそうな顔で笑っている。


「はっひふっへほー!」

「ばいきんまん!どうしてこんなことを!」


僕は必死に怒鳴ったが、本当はばいきんまんの顔を見て安心していた。
ばいきんまんはいつもと変わらずに、僕に拳を向けてくれたから。
けれど、ばいきんまんはその手で僕を殴ろうとはしなかった。



「アンパンマン、ちょっと今日はお前に話があるんだ」

「話って?」

「悩んでることがあるんだろ?俺様なら、お前を助けてやることが出来るぞ」

「なんだって……」

「お前は、悪の心が怖いんだろう」


僕は一瞬で、辺りの音が全然聞こえなくなった。
「悪の心」というばいきんまんの声が、僕の頭の中を鐘のように響き渡って体を揺さぶる。
しょくぱんまんが険しい顔でなにか叫んでいるようだけど、僕の耳には届かない。


「俺様なら、その悪の心を押さえ込むことが出来る。
だから、ついてこい」


しょくぱんまんは、きっと騙されちゃ駄目だと叫んでいた。
僕の心だってそう叫んでいたし、風はさっきよりも冷たく、僕に体当たりをした。
なのに、分かっているのに、僕はばいきんまんの話をもっと聞いていたくなった。


「悪の心を押さえ込むって、どうやるの?」

「へへーん、俺様の作った装置なら簡単なのだ!
ほら、あっちの方に置いてきたからついてこい」

「……うん」


今の僕にはばいきんまんの声しか聞こえない。
ばいきんまんの声はいつもより優しそうで、自信に満ちていて、僕にはないものを持っているようだった。
その後ろ姿を追いかけて、僕はしょくぱんまんを残して飛んでいった。


「アンパンマン!」


僕には、なにも聞こえなかった。

しょくぱんまんが倒れている森からあまり離れずに、僕たちはそばの草原へ降り立った。
そよそよと風に揺れる柔らかい草の中、ばいきんまんの顔を模した装置が、とても不釣り合いに置いてある。
ばいきんまんがスイッチを押すと、口のような扉が開き、僕はその中へ入るように言われた。


「この中に入ってしばらくすると、心が良い心と悪い心に分かれるんだ」

「えっ、悪い心が無くなる訳じゃないの?」

「これは押さえ込むだけだって言っただろ。
お前の心が良い心の方が強ければ、悪い心の方は出てこれなくなるのだ」

「それは……」

「正義の味方なら、良い心の方が大きいはずだけどなぁ。
自信がないなら、俺様はこれで」

「待って!」


僕は焦ってばいきんまんの腕を掴む。


「この中へ入ればいいんだよね?」

「そうそう。ほら、俺様を信じるのだ」


心の奥の方が、大きな音をたてて僕を引き留めた。
けれど、僕は強引に自分に言い聞かせる。
「ばいきんまんを疑ってはかわいそうだ」と。
それは自分のために唱えた言葉なのに、僕はそんなことも分からないふりをして、装置の中へと入った。



「じゃあ、しばらくそこで大人しくしてるのだ」


ばいきんまんが再びスイッチを押すと、扉はゆっくりと閉まっていく。
そして、天井の方に電流が走ったかと思うと、その光は雷のように僕に降り注いだ。
僕は少し叫び声をあげたけど、痛みは感じなかった。
それどころか、清々しささえ感じていた。


「さぁ、アンパンマン。出てこい!」


扉の外から元気な声が響いて、ゆっくりと開く扉から僕は踏み出した。
すると、足の下の土は柔らかくへこみ、草のみずみずしい香りが辺りに立ち込めているのに気がついた。
風は太陽の穏やかな光を運び、鳥の歌い上げるような美しい声を聞いた。


「気分はどうだ?アンパンマン」

「僕……こんなに優しい気分になったの初めてだよ」

「へっ!?」


ばいきんまんは笑顔をひきつらせて叫んだ。


「なんだと!?ってことは失敗……いやいや成功したんだな。
よかったな、アンパンマン」

「うん、ありがとう。君のおかげだよ」


僕が手を差し出すと、ばいきんまんは悪いものを食べたような顔で僕の手を握った。
僕たちはしばらく握手をして、ばいきんまんがUFOで飛び立つまで、新鮮な森の空気に包まれていた。
紫色のUFOが遠くの空へ消えていき、僕はそれをぼんやり見つめて、ふっとしょくぱんまんの事を思い出した。


「いけない、しょくぱんまんを助けに行かなきゃ」


僕はそっと地面から舞い上がり、突き抜けるような青空へ飛んだ。
すると、青空ではさっきの鳥の群れが待っていて、僕の周りを心配そうに飛んでいた。
そんな鳥たちに、僕は微笑みかける。


「さっきはごめんね。僕はもう大丈夫だよ」


鳥たちはしばらく僕のそばを飛んでいたが、不安そうにピーッと鳴くと、どこかの空へと飛んでいった。
僕はそれを見送って、しょくぱんまんの倒れている森へと向かった。
しかし、そこには紫色のわっかが残されているだけで、しょくぱんまんはいなかった。


「あれ?しょくぱんまんは抜け出せたのかな?」


きっとそうなのだろう。
僕はしばらくわっかを見つめて、街へと向かうことにした。
街の人は僕を見ると、僕に手を振ってくれた。
僕もみんなに手を振り返し、困っている人を助け、みんなにありがとうと言われている内に、気がつくとお日様が沈みかけていた。
橙色の光は街を包み込み、山を染め上げて、キラキラと輝いていた。


「そろそろ、パン工場に帰ろうかな」


ぽそりと呟いた声が、遠い空へ吸い込まれて消えた。

僕はいつも通りに帰り道を飛んで、パン工場の前へ降り立った。
外はすでに闇に包まれていて、星の光がかすかに瞬いている。
月の光が今日は明るく、パン工場の扉を照らした。
急に僕は、扉についた古い傷や古い汚れに気がついたが、あまり気にせずに扉を開けた。
すると、中にいたみんなが一斉に僕を見た。


「アンパンマン!」

「ただいま」


僕がにっこりと笑うと、イスに腰掛けていたしょくぱんまんが、僕の方へ駆け寄った。


「心配したんですよ!こんな時間までなにをしていたんですか!」

「なにって……パトロールだけど……」


しょくぱんまんは大きくため息をついて、またイスに座り込んだ。
今度はバタコさんとチーズが、僕の方へ心配そうに近寄ってくる。


「アンパンマン……体、なんともないの?」

「どうしてですか?」

「だって、ばいきんまんに連れて行かれたんでしょう?」

「大丈夫ですよ。ばいきんまんは僕を助けてくれたんです」

「助けてくれたって……」


バタコさんはそれ以上はなにも言わず、黙り込んで僕のそばへ立った。
チーズも不安そうに尻尾を揺らしている。
僕は二人が安心するように、笑ってみせた。


「なんだか前よりも調子がいいんです。だから、僕は大丈夫」


パン工場の中が今までにないくらいしんとして、僕はどうしたらいいか分からないので、もう部屋に戻ることにした。


「もう、僕は寝ますね。おやすみなさい」

「待って、アンパンマン……」

「どうしたんですか?」

「その……怒ってるの?」

「えっ?」


僕は訳が分からずに、首を傾げた。


「僕は怒ってないですよ?」

「そうよね……なんでもないわ、おやすみなさい」

「おやすみなさい」


パン工場の隅の階段を上って、僕は自分の部屋を目指す。
廊下を歩いている時、ふとジャムおじさんが暗い顔をしていたことに気がついたけど、あまり気にならなかった。
僕は部屋の扉を開けて、布団に潜り込み、静かに目をつぶった。
すぐに深い眠気に襲われて、僕は簡単に意識を手放した。



「うーん……あれ?」


目を覚ました僕は、昨日しょくぱんまんと話した木の下で横になっていた。
驚いて辺りを見ても昨日と変わったことはなく、僕は外行きの服でマントも身に付けていた。
見上げた空はのどかな雲が流れていて、時折鳥の声が聞こえた。


「なんで僕はこんな所へ寝ているんだろう……」


僕はゆっくりと飛び上がり、森が見渡せるまで高く飛んだ。
しかし、特に変わったところを見つけられる訳でもなく、僕は首をかしげる。


「おかしいな……僕はパン工場で寝ていたはずなのに……」


そのとき、遠くから叫び声が聞こえた。
僕は急いでその声の方向へ飛んでいき、子供たちの姿を見つける。
そして、子供たちからお弁当を奪うばいきんまんの姿も見つけた。


「やめるんだ!ばいきんまん!」

「出たな、おじゃま虫め!」


何度繰り返したか分からない会話を最後に、僕の意識は途切れた。
次の瞬間、僕はまた森の中にいた。
大量のお弁当を抱えて。



「う……うわ!」


僕は驚いてお弁当箱を落としてしまった。
カラフルなお弁当は、さっき見たばかりの子供たちのものだった。


「なんで……」


僕は訳が分からず記憶を辿った。
さっき、僕はばいきんまんの姿を見つけて、お弁当を奪うのをやめるように叫んだんだ。
そして僕は……僕は……。


「僕は……みんなからお弁当を奪ったんだ……」


驚いて僕を見上げるみんなの顔を思い出すことが出来た。
ばいきんまんまで驚いて、僕の方を見て固まっていた。
僕の思い出す記憶は空も灰色で、地面も灰色で、とても寂しくて冷たい世界だった。
その中で僕は笑っていた。


「そんな、なんでこんなことに……」


とりあえずお弁当を返しに行かなきゃ、と僕はすぐに思った。
けれど、僕は怖くて一歩も歩き出す事が出来なかった。
空は森の木に隠されてなにも見えず、地面も少しずつ灰色になっていくようだった。


「アンパンマン!どこだ!」


突然、森の中へ突き刺さるように、鋭い声が辺りに響く。
この声はカレーパンマンの声だ。
いつものような明るい優しい声ではなく、僕にはとても恐ろしい声に感じた。
僕はなにも考えられず、薄暗い森の中を走り出した。
すると、森の中に足をくじいて倒れている人がいた。


「ああ、良かった。アンパンマン、助けてくれ」


反射的に手を差しのべそうになった僕は、慌てて腕を引っ込めた。
世界が一気に灰色になったからだ。


「……ごめんなさい!」


僕はその人をよけて、森の奥へ走った。
どうしてこんなことになったのだろう。
やっぱりばいきんまんのせいなんだろうか。


「ばいきんまん……」


また世界が灰色に変わったので、僕はぶんぶんと頭が取れそうなくらいに首をふった。


「ダメだ、なにも考えちゃダメだ……!」


僕は息の続く限り走り続けた。
そして、僕はへろへろになって地面に倒れこんだ。
酷い眠気が僕を襲い、抗うことも出来ないまま、僕は眠りに落ちた。



「……はっ!」


僕はベッドの上で、勢いよく起き上がった。
見覚えのない場所で寝ていたらしく、僕は背筋がすっと冷たくなる。
僕はまたなにかをしてしまって、誰かの家で寝ているんだろうか。
しかし、いくら思い出そうとしても、なにも思い出すことは出来なかった。


「あら、目が覚めたのね」


気がつくとそばにでかこ母さんがいて、僕は怯えながら彼女を見上げた。
そんな僕の横に座り、でかこ母さんは優しい顔で笑う。


「森の中で倒れていたそうね。ピョン吉君のお父さんが、ここまで連れてきてくれたのよ」

「ピョン吉君のお父さんって確か……」

「ええ。森で足をくじいて倒れていたって言ってたわ」


僕はなにも言えずに、布団を握りしめた。


「でも、倒れているアンパンマンの姿を見たら、自分の足の痛みなんか忘れてしまったんですって。
もう、アンパンマンのことを助けることしか考えられなかったって、ちょっと胸を張ってたわよ」

「そうですか……」


僕は目を伏せて、でかこ母さんと目を合わせないようにした。
でかこ母さんは僕が聞きたいことを分かっているらしく、小さい子に話すように優しい声で告げた。


「どうしてアンパンマンがウチにいるかだけど、アンパンマンはもともとピョン吉君のおうちへ運ばれたのよ。
けど、ピョン吉君はアンパンマンのことが怖かったんだって。
どうしてか、分かるわよね」


胸がどきりと鳴って、呼吸が浅くなるのを感じた。
背中は脂汗をかいていて、体温はさっきよりも冷たくなる。


「ピョン吉君はどうしてもショックで、アンパンマンを見ると泣き出してしまった。
そこで困ったピョン吉君のお父さんは、私に相談したの。
私はさらにちびぞうに相談したわ。
そうしたらちびぞうも怖がって泣いたけど、私はちゃんと話してみることにした」

「なにを話したんですか……?」

「アンパンマンにも悩みはあるってこと。
そんな当然のことを、あの子達は分かっていなかったから。
私たちの教育不足ね」


でかこ母さんは気まずそうに笑って、僕の手をとった。


「アンパンマンがここにいることは、パン工場のみんなには教えてないわ。
だからしばらくゆっくりしてなさい」

「そんな!パン工場のみんなが悪いわけじゃないんです!」

「ごめんなさい、言い方が悪かったわね」


そう言うと、でかこ母さんは僕をぎゅっと抱き締めた。
僕は慌てて腕の中から逃げ出そうとした。


「あの、僕」

「大丈夫よ、誰もパン工場の人が悪者だなんて思ってないから。
ただ、距離を置くこともたまには必要なのよ」

「だけど……僕はここにいたら迷惑をかけるかもしれません」

「あら、どうして?」


僕は言葉につまって、でかこ母さんから目をそらした。
でかこ母さんは寂しそうに笑う。



「私たちって、アンパンマンのことなにも知らないのかもしれないわね」

「えっ?」

「パン工場のみんなも、私たちにはなにも話してくれなかったの。
ただ真剣で不安そうな顔で、アンパンマンを見かけたら教えてくれって言われたわ。
ああ、パン工場でなにか起こってるんだなって、私たちはすぐに分かった」

「違うんです。僕が間違ったことをしたからこんなことになってしまったんです」

「アンパンマン、自分を責めるのはやめなさい」


でかこ母さんは真剣な顔をして、迫力のある声で僕に言った。
けれど、その声に僕を責める響きはなかった。


「大丈夫よ。アンパンマンが優しいってことは、みんなが知ってる。
そんな優しいアンパンマンが、力で私たちを助けてくれていることも知ってる。
私たちはそれに甘えてばかりだったけど、今はみんなが思ってるわ。
あなたを助けてあげたいって、みんなが思っている」


僕は心の温かさを取り戻していくようだった。
このままだと僕は泣いてしまうのかな、と思った。
しかし、僕は温かさを切り裂くようなドアのノックの音を聞いた。


「はーい、どちらさま?」


でかこ母さんは明るい調子で扉を開ける。
扉の外から聞こえたのは、ある聞き慣れた声だった。


「アンパンマンがこちらにいるとうかがいました」


その声は固く冷たく、まるで僕の知らない人のような声だった。
でも、間違いなくジャムおじさんの声だった。
あのパン工場にいた男の人とも似ていたけど、僕にはジャムおじさんの声だと分かってしまった。


「あら、アンパンマンはウチにはいませんけど。
どなたからそんな話を聞いたのでしょう?」

「パン工場を訪ねてきた旅人から聞きました。
この家にアンパンマンが運ばれていくのを見たようです」

「それは見間違いじゃないでしょうか?ウチには私とちびぞうしかいませんよ」


少し間を置いて、ジャムおじさんの暗い声が響く。


「アンパンマンが、私に会いたくないと言っているのですか?」

「えっ?」

「違うなら、アンパンマンに会わせて下さい。
話さなければいけないことがあるのです」


すると、ジャムおじさんは制止を振り切って僕の方へ向かってくるようだった。
僕はなにも考えられずに、頭が真っ白になった。
そして、寝室の扉が開く音がした。


「アンパンマン……」


僕が一瞬見てしまったジャムおじさんの顔は、今にも泣きそうな辛そうな顔だった。
しかし、急激に色を失って灰色になっていく。
僕は自分が一気に縮んだような気がして、一気に大きくなるような気がした。


「ジャムおじさん……!」


僕はジャムおじさんへ殴りかかった。

僕の拳がジャムおじさんに届くまでの一瞬、寝室の窓ガラスが割れて誰かが飛び込んでくる音が聞こえた。
そして、飛び込んできた人は僕の腕をつかんで、僕を思いっきり投げ飛ばした。


「アンパンマン!なにをしてるんだ!」


必死な声と共に現れたのはカレーパンマンだった。
カレーパンマンは泣きそうな顔で僕の胸ぐらを掴んだ。


「なんでこんなことを……!」


僕は無言で彼の腕を掴み、ジャムおじさんの方へと投げ飛ばす。
カレーパンマンは抵抗できずに、ジャムおじさんと一緒に床へ叩きつけられた。
すると、割れた窓から勢いよく、しょくぱんまんも飛び込んできた。


「これは一体……どういうことですか!アンパンマン!」


けれど、僕はなにも答えずにしょくぱんまんに殴りかかる。
しょくぱんまんは驚いた顔で、壁に衝突した。
向こうではもうカレーパンマンが起き上がったので、僕は割れた窓から外に出る。


「アンパンマン!」


僕を呼ぶでかこ母さんの声が悲しげに響いていた。


「僕は……」


僕は、なにをしているんだろう。
なにも分からないまま、僕は灰色の景色の中を飛んでいる。
下の方に見える街は黒ずんで、人の声も悲鳴しか聞こえない。
誰かのすすり泣きも聞こえるのに、僕はどうやら笑っているようだった。

そんな僕に追い付いて、しょくぱんまんとカレーパンマンは僕を説得しようとした。


「アンパンマン、お前の気持ちは分かるぜ。
俺だって話を聞いた時はショックだったし、お前はもっとだろ?」

「ものすごく辛いですよね……私にも分かります」


僕は気がつくともっと笑っていた。


「君たちには分からないと思うよ。だって、僕は辛くなんかないんだから」

「えっ?」

「僕は辛いと思っちゃダメなんだよ」


僕は灰色のカレーパンマンを下へ蹴り飛ばし、街の屋根に激突させた。
そんな僕を押さえ込もうと、しょくぱんまんが僕を羽交い締めにする。
しかし、僕はしょくぱんまんを殴り飛ばし、どこかの屋根へ墜落させた。
その度に子供たちの叫び声が聞こえてきて、僕を怯えた目で見つめる大人の姿が見えた。

そんな中、遠くからばいきんまんのUFOが飛んでくるのが見えた。


「よ、アンパンマン。俺様の実験は成功だったみたいだな」

「ばいきんまん……!」


僕はきっとものすごい形相で彼に襲いかかったんだと思う。
彼は今まで見たことがないくらい、怯えた顔をしていたから。


「ぐわー!」


ずどん、という音ともに、ばいきんまんの落ちた所から煙が広がった。
僕はそれをただ冷たい気持ちで見ていた。


「くっそー!アンパンマンめ……」

「ばいきんまん!」


その時、墜落した彼のUFOにピョン吉君が駆け寄った。


「ばいきんまん……アンパンマンがおかしくなったのは、ばいきんまんのせいなんでしょう?」

「へっ?」

「アンパンマンを元に戻して!僕のお弁当ならいくらでもあげるから!」

「僕も、アンパンマンがこんなことするなんて嫌だよ!」


ピョン吉君に続いて、かばお君もばいきんまんに駆け寄った。
そして、ちびぞう君やうさこちゃん、街の子供たちがみんなばいきんまんを取り囲んだ。


「お願い!私のおかしなら全部あげるから!」

「僕も、おもちゃなんかもういらない!」

「ちゃんと嫌いなものも食べて、はみがきもするからー!」


なにか的はずれなことを言っている子もいたけど、みんな必死で泣いている。
ばいきんまんもさすがに戸惑っていると、そばにカレーパンマンが降り立った。


「分かってるのか、ばいきんまん。
お前はアンパンマンを殺したんだぜ」

ここからでも、ばいきんまんが青ざめている様子が見えた。
ばいきんまんは強がって鼻を鳴らして、どこかへ飛んでいってしまった。


「カレーパンマン、それってどういうこと?」


僕は聞かずにいられずに、飛んできたカレーパンマンを睨み付ける。


「どうもこうも、そのままの意味だ。お前は死んだんだぜ、アンパンマン」

「なにを言ってるのか分からないよ」

「分かるはずだ。お前は自分の意思で、正義の味方をやめたんだよ。
だから、もう正義のヒーローアンパンマンはいない。
お前は自分が誰だかも分からなくなって、なにが嫌いかも好きかも分からなくなって、なにをしたいのかも分からなくなってる。
違うか?」

「それは……」


僕は言い返せる言葉を思い付かなかった。
その代わり、僕は的はずれな言葉を吐き散らす。


「それなら……僕は悪いことはしちゃいけないっていうの?
どうして僕は悪いことをしたらダメなの?」

「それは、アナタがそう望んでいたからですよ」


しょくぱんまんは僕から距離をとって、空に浮かんでいる。


「アナタは強く、そして優しくいようとした。
でも、それをやめてしまったから、アナタは死んだんです」

「違う……僕は……」


僕の中で、灰色の炎が燃え上がった。


「僕は望んでいたことなんかなかった。
みんなが望んでいたからそうしていただけだった。
僕は強くなんかなりたくなかったんだ!」


僕はカレーパンマンに力の限り殴りかかった。
少し間を置いて、カレーパンマンが地面に叩きつけられる音がする。


「誰かを傷つける力なんて、僕はいらなかった!
なのに……どうして僕はばいきんまんに恨まれなきゃならないの?
どうして、ロールパンナちゃんに僕が憎まれなきゃならないの?
僕は一生懸命みんなを助けてきたのに、どうして僕ばかり酷い目にあわなきゃいけないんだ!」


僕はしょくぱんまんも蹴り飛ばした。


「僕は……必死でみんなを助けてきたのに……」


すると、地面の方から聞き慣れた声が響いてきた。


「アンパンマンは、見返りが欲しくて人を助けてきたのかい?」



「ジャムおじさん……!」


僕は空中でたじろいで、少し後ずさった。
それでもジャムおじさんの声は響き続ける。


「アンパンマンはみんなのために、人助けをしてきたはずだ。
自分のために誰かを助けてきたなんて、言わないでおくれ」

「僕は……僕は……」


僕は、ついに胸が押し潰された。


「僕は自分のために人助けをしてきたんです!
みんなに僕を好きでいて欲しかったから、みんなに嫌われるのが怖かったから人を助けてきたんだ!
みんなの一番好きなヒーローになりたくて、ずっと頑張ってきたんです!
それは……いけないことなんですか!」


掠れた声で、僕はさらに怒鳴った。


「僕は……ジャムおじさんの自慢の息子になりたかった……!」


ジャムおじさんは辛そうに顔を歪めた。
そんな顔は見たくなくて、見ていられなくて、僕はそばにあった木を引っこ抜いて、ジャムおじさんの方へ投げつけた。



「あぶない!」


すごい勢いで飛んでいった木を受け止めたのは、素早く回り込んだメロンパンナちゃんだった。
メロンパンナちゃんも、ロールパンナちゃんと出掛けた旅行先から駆けつけたのだろう。
彼女の隣で、ロールパンナちゃんがふわりと浮いている。


「アンパンマン、なにをしているんだ」

「……僕も君と同じさ。ロールパンナちゃん」


僕たちは身じろぎもせずに、鋭い目線をそらさなかった。
しかし、ロールパンナちゃんは呆れたように冷たい声を出した。


「お前が私と同じだって?笑わせるな。
お前は私より最低だ」


最後まで聞き終わる前に、僕はロールパンナちゃんに殴りかかっていた。
しかし、僕の腕に黒いリボンが巻き付いた。


「お前は完璧な悪になりきることもなく、人の同情を引こうとしてる。
ずるいやつだ」

「そんなことはない!」

「なら、こういうことができるか?」


ロールパンナちゃんは黒いリボンを伸ばし、地面にいた子供に巻き付ける。
そして僕らより遥か高くに引っ張りあげて、思いっきり下へ引っ張った。
このままでは子供が地面に叩きつけられてしまう。
しょくぱんまんもカレーパンマンもメロンパンナちゃんも、一目散に飛んだ。

しかし、間に合ったのは僕以外にいなかった。


「アンパンマン!」


僕は空中で子供を受け止めて、そのままの勢いで地面にぶつかった。
身体中が痛くて、しばらく動けなかった。
けど、子供は無事だったようだ。


「これでも分からないか?
お前が悪のふりをしたって、ツメが甘いんだ」

「僕はふりなんてしていない……」


そばに降り立ったロールパンナちゃんはにやりと笑うと、街の建物をリボンで破壊していった。
僕は慌ててロールパンナちゃんを止めた。


「やめるんだ!こんなことをしたら、君だって辛いでしょう?」

「なら聞くが、お前は辛かったのか」

「僕は辛かった!みんなが僕のせいで傷つくのに、僕はそれをやめることが出来なかった……。
だからきっと、ロールパンナちゃんも辛いでしょう?」

「ああ、辛い」

「じゃあ、やめて!こんなことしたって、君はもっと辛くなるだけだよ!」

「今までだって辛くて辛くて仕方がなかった。
理由もなくお前を憎むこともな」

「えっ……」


ロールパンナちゃんが目元をつり上げて、こちらを振り向いた。


「けれど、私はお前が憎いんだ。私と勝負しろ」

「そんな……僕は君とは戦えないよ……」

「なら、この街のことは諦めろ」

そう言って、ロールパンナちゃんは掛け声と共に、街をぼろぼろに壊していった。
瓦礫が飛び交う中、逃げ惑う人はみんな怯えた顔をして、助けを待っている。
彼らは僕らほど強くないから、だから僕らが守ってあげなきゃいけないんだ。


「いいよ……ロールパンナちゃん。君と勝負するよ」

「やっとその気になったか」

「けど、一つ約束して欲しいんだ」

「約束だと?」


僕は力強くロールパンナちゃんに言った。


「もし、僕が勝ったら、君はパン工場で暮らして欲しい」

「なんだと?」

「僕はもう、パン工場から出ていくから」


理解出来ないといった顔のロールパンナちゃんの手をとって、僕は空へと舞い上がった。
ロールパンナちゃんは僕の手から逃げると、僕から距離をとって不気味に笑う。


「お前はやっぱり訳が分からない。
けど、お前が勝てたら約束は守る。
ただし、私が勝ったらお前はどうする?」

「それは……ロールパンナちゃんに決めてもらうよ」

「そうか。その言葉覚えておけ」


次の瞬間、ロールパンナちゃんは真っ黒なリボンを、ムチのように振って僕に降り下ろした。
僕はそれをよけて、ロールパンナちゃんへパンチを繰り出す。
しかし、ロールパンナちゃんはピンと張ったリボンで受け止めて、僕を弾き飛ばした。
なんとか空中で踏みとどまった僕は、ロールパンナちゃんのリボンをつかみ、力一杯振り回した。
それに合わせて、ロールパンナちゃんの体も回転した。
このままなら僕はきっと、ロールパンナちゃんを地面に叩きつけていただろう。


「ロールパンナおねえちゃん!」


僕ははっと声のした方を振り向いた。
すると、メロンパンナちゃんが目に涙を浮かべて、僕たちの方を見ていた。

やっぱり、僕は。


「ごめん、ロールパンナちゃん」


僕はリボンを振り回す手を止めた。
ロールパンナちゃんは体勢を立て直して、僕を睨み付ける。


「どうした、今さらおじけついたのか!」

「うん」


どうすることも出来ずに、僕は笑った。


「やっぱり、君は敵じゃないみたい。
君とは戦えないよ」


ロールパンナちゃんは表情を歪め、僕を憎悪のこもった目で睨み付けた。


「そんな綺麗事、通用すると思うのか!」

「やめて!」


僕は殴られる、そう思った瞬間、僕を庇ってメロンパンナちゃんが飛び出した。
ロールパンナちゃんは勢い余って、メロンパンナちゃんを殴ってしまう。
メロンパンナちゃんは苦しそうに目をつぶって、僕たちの足元まで落ちていった。



「メロンパンナ……」


ロールパンナちゃんは、ショックでそのままの形で固まっている。
そんなロールパンナちゃんの前に、メロンパンナちゃんはふらふらと飛んでいった。
そして、メロンパンナちゃんはパシンとロールパンナちゃんの顔を叩いた。


「おねえちゃんのバカ!」


よろめくロールパンナちゃんに、メロンパンナちゃんはすかさず抱きついた。
泣き続けるメロンパンナちゃんの頭を、ロールパンナちゃんが撫でる。


「ごめん……」


ロールパンナちゃんは淡い光に包まれて、真っ白な姿に変わっていった。
リボンももとの色に戻り、ロールパンナちゃんの目から鋭い光が引いていった。

そんな僕たちの様子を見守っていたように、遠くの空からなにかの飛行音が、ブーンと響く。


「おい、そこのおじゃま虫!」


突然背後から聞こえたばいきんまんの声に、僕は少し驚いた。


「ばいきんまん……」

「ほらよ」


ばいきんまんはあまりこちらを向かずに、霧吹きのようなものを投げつけた。
僕は慌ててそれを受け取って、ばいきまんの顔と小さな霧吹きを交互に見た。
透明感のある液体で満たされた容器は、僕の動きに合わせてちゃぽんと音をたてる。



「これ、なに?」

「悪い心と良い心を一つに戻す道具だ。さっさと使え」

「えっ、でも……これは僕は使えないよ」

「なんだと!?」


目を見開いて驚き、ばいきんまんは調子っぱずれな高い声を出す。
彼の戸惑う視線を背に、僕は霧吹きをロールパンナちゃんへ差し出した。


「これは君が使うべきだと思うんだ。ロールパンナちゃん」

「……分かっているのか。
それを使わなかったら、お前はまた悪の心に囚われるかもしれないんだぞ」

「分かってる。けど、ロールパンナちゃんはずっとこんな思いをしてきたんでしょ?
それなのに、これからもロールパンナちゃんだけが辛い思いをするなんて、おかしいと思うんだ」


ロールパンナちゃんはしばらく無言で霧吹きを見つめて、僕の手から受け取った。
僕はほっとしたのに、ロールパンナちゃんはそれを僕の顔に向けて吹き付けた。
急に僕は胸が苦しくなり、顔が濡れて力が抜けていく。


「ロールパンナちゃん……なんで……」

「これで、私の勝ちだ。アンパンマン、言うことを聞いてもらおう」

「えっ……?」


ロールパンナちゃんはなんでもない顔で、当たり前のことを言うように言った。


「私はパン工場には帰らない。そして、お前もパン工場に住み続けろ。
分かったな」

「なんでそんなことを……そうしたらロールパンナちゃんは」

「私は自分の運命を受け入れているつもりだ。
それに、自分の運命と戦っていく。今も、これからもそれは変わらない」


そう言い残して、ロールパンナちゃんはマントをひるがえし、遠くの空へ消えた。
僕はその後ろ姿がカッコよく見えた気がして、一気に体の力が抜けて飛べなくなった。



「アンパンマン、しっかりして!」


そばにいたメロンパンナちゃんが、落ちていく僕を支えて地面へ降ろしてくれた。
僕たちがゆっくり着地した辺りの町並みは、以前の面影をあまり残しておらず、僕は改めて胸が苦しくなる。
家があった所はガラスやレンガの破片が飛び散り、僕の足元には翼の折れた飛行機のおもちゃが落ちていた。
そんな瓦礫の間を、足を滑らせながら街の人達はこちらへ向かってくる。
僕はものすごく逃げ出したくてたまらなかったけど、みんなの目をしっかり見ることにした。


「みんな、ごめんなさい」


僕は巻き込んでしまった街の人達に、精一杯頭を下げた。
みんなに出来るのはこれぐらいしかなくて、そんなことで許してもらえるかも分からない。
けれど僕は真剣に謝った。
街の人はみんな胸を痛めて、なにかをこらえているような顔をした。
さっきまでの騒ぎが嘘のように、街は静けさに包まれた。

しかし、しばらくすると辺りから泣き声が聞こえ始めた。


「アンパンマーン!」


僕を囲む人の隙間を駆け抜けて、泣きながらちびぞう君が僕に抱きついた。
僕はちびぞう君の体重を支えられずに、後ろへと倒れ込む。


「良かったぞう……良かった……!」


続けて子供達がどんどん僕に抱きついてきて、驚いている僕はなにも言えないまましがみつかれていた。
どうしよう、と考えるより先に僕も涙がこらえられなくなり、おしくらまんじゅうのようになりながら、みんなと一緒に泣いた。
彼らのお父さんやお母さんや、町中の人が僕のために泣いてくれているようだ。
その声を聞いているとやっぱり胸が苦しくて、痛くて辛くて逃げ出したくて。
でも、嬉しくて仕方がなかった。

離れたところで、しょくぱんまんやカレーパンマンやバタコさんも泣いている。

さらに遠くに、ジャムおじさんの後ろ姿が見えた。


「ジャムおじさん!」


気がつくと僕は叫んでいた。



「待って下さい、ジャムおじさん」


僕は抱きつくみんなに謝りながら、人混みの中を抜けてジャムおじさんの所へ駆け寄った。
ジャムおじさんはこちらを振り向いて、暗い顔で頭を下げた。


「アンパンマンにはいくら謝っても足りないだろうね。
私はアンパンマンに自分の理想を押し付けてしまった。
強く優しいヒーローであってほしい、なにも見返りを求めないヒーローであってほしい。
それは、私のエゴだった」


ジャムおじさんはもっと苦しげな顔をして、重たい声で僕に謝った。


「それに……私はかつて離ればなれになってしまった息子を模して、アンパンマンの顔を作ってしまった。
どんなに謝っても、許されないことだと思ってるよ」

「そうですか。ということは、僕はジャムおじさんにも似てるってことですよね?」

「えっ?」

「だってジャムおじさんの息子にそっくりなら、僕もジャムおじさんにそっくりなんだなぁと思ったんです」


ジャムおじさんはなにも答えずに、ただ地面を見つめた。
僕はそんなジャムおじさんに笑いかける。


「僕を作り出してくれたのはジャムおじさんです。
それに、僕に正しい力の使い方を教えてくれたのも、ジャムおじさんでした。
ジャムおじさん」


僕はジャムおじさんの手をとって、強く握った。


「僕を、ヒーローにしてくれてありがとう」


ジャムおじさんは涙目になって、そっとうつむいた。


「アンパンマンはまだまだ子供だなぁと思っていたけど、こんなにも大人になっていたんだね」

「いいえ、まだ僕は知らないことだらけです。
だからジャムおじさんやみんなに教えてもらって生きていくつもりです。
ちょっとずつ大人になって、もうみんなを傷つけたりしないようになります」

「ふふ、やっぱりアンパンマンはもう立派な大人だよ」


ジャムおじさんは僕をぎゅっと抱き締めた。


「私の息子になってくれてありがとう。アンパンマンは私の自慢の息子だ」

「……はい!」


すると、僕たちにバタコさんも抱きついてきた。
泣きすぎてなにを言ってるか分からなくて、僕たちは少し苦笑いをする。
そして、カレーパンマンやしょくぱんまん、メロンパンナちゃんやチーズも次々に抱きついてきて、僕はやっぱりよろけてしまう。
けれど、そんな僕をみんなが支えてくれた。
僕たちは支えあって生きている、そう思うと僕の胸はまた温かくなっていく。
景色はいつもよりずっとずっと色鮮やかに見えて、みんなの笑顔も前よりずっと輝いて見えた。



終わり

おわったー!

けど、パンダ出せてないのでもうちょっと続きます



おまけ


色とりどりの花が咲く野原の隅には、ベンチの代わりのように丸太が一本置いてあった。
私とクリームパンダちゃんは丸太に並んで腰かけて、風にふわふわ揺れる花びらを見ていた。


「綺麗なお花だねー!」

「そうね!クリームパンダちゃん、お花の冠をつくらない?」

「うん!」


クリームパンダちゃんはピョコンと丸太から飛び降りて、お花の中から真っ先に黄色の花を選んだ。
その花は温かい光を閉じ込めたような、お日さまの色をしている。


「これ、メロンパンナおねえちゃんみたい!」


元気よく笑って、クリームパンダちゃんは花を私に手渡した。


「わぁ、ありがとう!じゃあ、黄色のお花で冠を作ろっか」

「うん!僕いっぱい集める!」


威勢よく花畑を走り回って、クリームパンダちゃんは黄色の花を摘んでいた。
クリームパンダちゃんの左手で、黄色の花束がせわしなく揺れる。
しかし、すぐになにかを思い出したように、クリームパンダちゃんは花畑の中心で立ち止まった。


「ねぇ、メロンパンナおねえちゃん」

「なぁに?」

「あのさ、僕たちこんなことしてていいのかな?」


私は少しギクッとして、取り繕うように笑った。
クリームパンダちゃんの質問はもっともで、私たちだって本当は街の修理に向かわないといけない。
この間の事件の傷はまだ癒えていなくて、パン工場もつぎはぎだらけだった。

けれど、だからこそ私はクリームパンダちゃんとこの花畑に来たんだ。


「あのね、クリームパンダちゃん。街の様子を見てきっと不思議に思ったと思うけど……」

「不思議なんかじゃないよ!またばいきんまんの仕業でしょ!?」


なんとも言えずに呼吸を浅くする私を見て、クリームパンダちゃんは苛立ちを込めた声で話す。


「本当にばいきんまんって酷いよね!あんなに街を壊したりして、もうやんなっちゃう!
アンパンマンだってきっと」

「あのね!」


どんどんクリームパンダちゃんの想像がそれていくのが耐えられなくて、私は大声を張り上げた。
そばの大きな木で休んでいた鳥が、びっくりして空へ羽ばたいていく。


「お、おねえちゃん?」

「あのね、クリームパンダちゃん……驚かないで聞いて欲しいんだけど……」


私は大きく息を吸い込んで、決意をゆっくり固めてクリームパンダちゃんに話した。



「街やパン工場を壊したのは、アンパンマンなの」

「えぇー!?」

「いろんな事が重なって、アンパンマンの心が悪い心と良い心に分かれちゃって……。
悪い心のアンパンマンがパン工場を壊して飛び出していって、街はロールパンナおねえちゃんも壊してたけど、それは多分アンパンマンのためで……」

「おねえちゃん、ぼくよく分かんないや。もっと詳しく聞きたいな」

「うん……」


首を縦に振った私は、ジャムおじさんの話やバタコさんの話、しょくぱんまんやカレーパンマンの話も思い出した。
それは自分のために尋ねて回っただけだったけど、全てを聞いた私は、この話は私がクリームパンダちゃんに話してあげるべきだと思った。

クリームパンダちゃんはあの時、トロピカル島から招待を受けていた。
そして、詳しいことはなにも知らないまま帰ってきて、あの街やパン工場を目撃してしまった。
だから私は、目を丸くしているクリームパンダちゃんの手を引いて、この花畑までやって来たんだ。
ここなら二人でゆっくり話せるし、話を聞いたクリームパンダちゃんを助けてあげられるのは、自分だけだと思ったから。

けれど、クリームパンダちゃんはケロッとした顔をして、私を見た。


「なんだかよく分かんないけど、やっぱりばいきんまんが悪いんだね。
アンパンマンの心を二つに分けなきゃ良かったんだ」

「それは違うと思うけど……」

「じゃあ、誰が悪いの?」


誰が悪いと聞かれたら、いつも悪いのはばいきんまんで、私たちはばいきんまんと戦えば良かった。
けど、今回の事件は、私には誰が悪いのか分からない。
だから、私はいつもより悩んで、みんなに話を聞いて回って、そして結論を出したのだ。


「きっと誰かが悪いんじゃなくて、みんなが正しくあり過ぎたんじゃないかな。
正しいことって、人を傷つけることもあるのかも」


クリームパンダちゃんはしばらく黙っていたが、ぶっきらぼうな声で私に言った。


「おねえちゃん、今カッコいいと思って言ったでしょ」



「えっ!?」


慌てて振り返って転びそうになった私に、クリームパンダちゃんはいじわるく笑った。
確かに私は、ロールパンナおねえちゃんのような表情を意識していたから、恥ずかしくて体がかーっと熱くなっていくのを感じた。


「もー、なんでそんなこと言うの!?いじわる」

「へへっ、やっぱりそうなんだー。アンパンマンにも話しちゃおっと」

「ええっ!?」


すると、クリームパンダちゃんが見ていた方向からアンパンマンが飛んできて、私たちの隣に降り立った。


「メロンパンナちゃん、なんだか顔が赤いようだけど、どうしたの?」

「へへー、メロンパンナおねえちゃんったらさっきね」

「ダメー!アンパンマンには内緒なのー!」

「えっ?」


アンパンマンは驚いた顔で私を見るので、まくし立てるように慌てて聞いた。


「アンパンマン、なにか私たちに手伝えることはない?」

「うーん、そうだなぁ。
今から僕は森へ行って木を集めてこようと思ってたんだけど、一緒に来てくれる?」

「分かった、じゃあ森まで競争ね!
よーいどん!」


真っ先に飛び出した私のあとを、不満そうな声を出しながら、クリームパンダちゃんは追いかけてきた。


「おねえちゃん、ずるいよー!」


私は振り返って、いじわるそうな顔で笑って見せる。
ぷんぷん怒ったクリームパンダちゃんのさらに後ろで、困った顔をしながらも、アンパンマンは追いかけてきてくれていた。
だから、私はもうちょっと子供でいようと、二人に気づかれないようにこっそり笑った。


終わり

最後まで読んでいただき、ありがとうございます

この話はあるSSに憧れて書きました。

そのSSはアンパンマンの世界のタブーに触れる話です。
取り替えられて捨てられた顔の意識について書かれていて、かなり昔に読んだのに強烈に記憶に残っていました。
アンパンマン、ノート、タブー、SSで検索かけたら見つかると思います。
ハンパなく怖い話ですが、見かけたらぜひ読んでみて下さい。

ちなみに、このSSは今回の話とは全く雰囲気が違います。
この作者さんの話は洗練されていて大好きです。

とにかく、ありがとうございました!


荒らしその1「ターキーは鶏肉の丸焼きじゃなくて七面鳥の肉なんだが・・・・」

信者(荒らしその2)「じゃあターキーは鳥じゃ無いのか?
ターキーは鳥なんだから鶏肉でいいんだよ
いちいちターキー肉って言うのか?
鳥なんだから鶏肉だろ?自分が世界共通のルールだとかでも勘違いしてんのかよ」

鶏肉(とりにく、けいにく)とは、キジ科のニワトリの食肉のこと。
Wikipedia「鶏肉」より一部抜粋

信者「 慌ててウィキペディア先生に頼る知的障害者ちゃんマジワンパターンw
んな明確な区別はねえよご苦労様。
とりあえず鏡見てから自分の書き込み声に出して読んでみな、それでも自分の言動の異常性と矛盾が分からないならママに聞いて来いよw」

>>1「 ターキー話についてはただ一言
どーーでもいいよ」
※このスレは料理上手なキャラが料理の解説をしながら作った料理を美味しくみんなで食べるssです
こんなバ可愛い信者と>>1が見れるのはこのスレだけ!
ハート「チェイス、そこのチキンを取ってくれ」  【仮面ライダードライブSS】
ハート「チェイス、そこのチキンを取ってくれ」  【仮面ライダードライブSS】 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1450628050/)

>>1大先生の新作です!
荒らし除けにキャラ変えた癖になにも学んでないのが見ただけで判る内容!
貴虎「つゆだく!そういうのもあるのか」 【仮面ライダー鎧武SS】
貴虎「つゆだく!そういうのもあるのか」 【仮面ライダー鎧武SS】 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1453306136/)
貴虎「こってり!そういうのもあるのか」 【仮面ライダー鎧武SS】
貴虎「こってり!そういうのもあるのか」 【仮面ライダー鎧武SS】 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1455035899/)

いいか?とても大事な話だ


アンパンマンはご飯を食べない
しょくぱんまんはジャムおじさんに作られていない
カレーパンマンはどうやらアンパンマンより先にジャムおじさんに作られた
ジャムおじさんは生きてるパンを作る夢をアンパンマンを作ることで叶えた



凄く良かった。同じ子供向けアニメでもまる子サザエクレシンはマジキチSSばっかりなのに
アンパンマンは割りと真面目な作品が多いよな。やなせ先生の人徳なのか

>>51
え?
じゃあアンパンマン(生きてるパン)以前に作られたカレーパンマンは生きてないパン?
1:実は勇者シリーズ的AIロボ(ジャムおじさん機械にも強い…あれ、まさかチーズも)
2:中の人がいる(空飛んでパン配るおっさん時代の初期アンパンマン的な人?)

しょくぱんまんは……どうでもいいな

>>52
flash時代酷かっただろ
ワンパンマンとかその名残だし

ジャムおじさんが作った出来損ないパンはアンパンマンが生まれたことにより放置されカビてしまった、これがバイキンマンの正体

乙!
ロールパンナさんマジカッケえっす

ばいきんまんは常にアンパンマンとぶつかり合う。
だが、なにもばいきんまんはアンパンマンに恨みがある訳ではない。
自身のイタズラの先にはいつもアンパンマンがいて、二人は毎度の様に戦い合う。
最後はいつもアンパンマンが勝つ。
しかしばいきんまんは決して諦めはしない。
優しき心、揺るがぬ勇気をもつアンパンマン。
その対となる存在のばいきんまんは、彼と戦い続ける。
ヒーローに信念があるように、わるものにも信念がある。
アンパンマンに守るものがあるように、ばいきんまんには挑む力がある。
二人は今日も、戦い続ける。
いつも、同じように。
どこかで。

P・S
ばいきんまんいつもドキンちゃんとペアで行動しやがってリア充爆発しろ!!!

縦読みはどこですか?

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