真姫「にこちゃんと夜空に架かる虹を見るわ」 (103)
・にこまき
・未来設定、鬱展開、地の文、エロ表現あり注意
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にこちゃんが倒れた──その報を聞いたのは、彼女がようやくプロのアイドルとして歩み出そうとしていた矢先のことだった。
地方の公民館の、ほとんど手作りのようなささやかなステージ──それでも観客の入りは6-7割といったところ──の上でのパフォーマンス中、彼女は突然崩れ落ちるように舞台の上に倒れ、ソロライブは急遽中止。救急車が要請され、近くの総合病院へと搬送された。
芸能ニュースの移り変わりは激しい。直後こそかつて有名だった元スクールアイドルグループの一員の身に降りかかった悲劇としてメディアを賑わせたが、すぐに人々の記憶からも消え、にこちゃんのアイドルとしての足跡もかき消されていった。
彼女が高校を卒業した時、μ'sの名はラブライブ優勝グループとして世間に鳴り響いていた。いくつもの大手事務所からのオファーにあったように、その名前を存分に利用して売り込んでいけば、瞬く間にスターダムを駆け上がるのも夢物語ではないと思わせるほどに。
でも、にこちゃんはそれを良しとしなかった。
「私はプロのアイドル、矢澤にことしてゼロからスタートしたいの」
なんてことを口では言っていたが、要するに彼女はμ'sという存在を愛しすぎていたのだろう、私たちと同じように。かつて個人用ブログで勝手に宣言していたようには、通過点、踏み台としてμ'sの名を利用することができなかったのだ。
結局、レッスン費用は自前、宣伝はチラシと個人ブログのみ、ステージは路上パフォーマンスとネット配信という実に地道な形で、にこちゃんの地下アイドル活動はスタートした
その毎日が過酷だ──などと、彼女は一言も口にしたことがなかった。
たまに街角のチェーンのカフェで慌ただしく会うとき、彼女はとりつかれたように輝かしい未来や華やかな芸能生活への夢を語った。思えば、私が相槌や皮肉を差し挟む間も無いほどのあの勢いは、まるで自分に言い聞かせるために語っているようではなかったか。
やっとそれを悟ったのが彼女が倒れてからだというのだから笑える。
自費で製作した楽曲CDはそこそこ売れたというが、自らのステージをプロデュースするのにかかる経費はその比ではない。それを補うためにアルバイトをすれば、相対的にレッスンの量が減る。
なんだかんだ言っても知名度を後押ししてくれていた元μ'sという肩書も、次々と新しい人気スクールアイドルが誕生する中で徐々に効果を失っていく。おまけに、かつて彼女に声をかけてきた芸能事務所からの妨害、圧力もあったという話だった。
おそらくその全てが原因だったのだろう。
過度の身体活動とストレス、貧弱な食生活。
そして先天的な、1万人に1人以下という確率で彼女の体を蝕んでいた血管の疾患。
「脳梗塞……ですか?」
駆けつけた病院で、縋るように頼まれて同席した診察室。
彼女の母親が絞り出した言葉には信じられない、という響きが込められていた。
それはそうだろう。まだ二十代の娘が告げられる病名としては、あまりに違和感があり過ぎる。
しかし私にはすとんと胸に落ちるように、全てが理解できていた。
すなわち──芸術と音楽の女神は、にこちゃんを見放したのだ、と。
◇◇◇
マンションの自室の扉を開けて中に入ると、もう日は落ちたというのに電灯はつけられておらず、わずかに漏れる光と音を頼りに私はリビングに向かった。
靴は脱がない。この部屋は全ての段差が取り払われていて、そもそも靴を脱ぐ玄関というスペースが存在しない。
かつての彼女だったら「外国みたーい♪」とでもはしゃいだだろうか。
「……にこちゃん?またそんなの見てるの?」
自分の声に険が混じるのを、どうしても止めることが出来なかった。
リビングのテレビの画面で煌びやかな光をバックに舞い踊るのは、かつての私たち、μ'sだ。
ただの思い出だけでは嫌だと、夢を叶えるのだと高らかに歌い上げる様子には、待ち受ける将来への不安など微塵も感じられない。
画面の中で生き生きと駆け回り、笑顔で歌う高校生の頃のにこちゃんと、その姿を車椅子の上から無言で食い入るよう見つめる今のにこちゃん。
私はその対比をこれ以上見ていられなくなって、彼女の傍らのリモコンを取り上げる。
プツッ。
画像と音が途切れるのと同時に、にこちゃんが振り向いた。
「……っっ!」
言葉にならない抗議の声をあげて、細い両腕で掴み掛かってくる。
その力が、悲しいほどに弱々しい。
決して強くないはずの私の細腕でも、たやすく押さえ込んでしまえるほどに。
「う……うう……」
「ごめんね、にこちゃん……」
私は、そのまま暴れるにこちゃんを抱きしめた。
「でも、もう私たちは昔の私たちじゃないの。分かってるでしょ……?」
もはや、私たちが眩いスポットライトや割れんばかりの喝采を浴びることはない。
夢見る季節は、願えば想いは叶うと信じていた時期は、既に過ぎ去ってしまったのだ。
「いい加減に過去は忘れて、前に進まなくちゃ。そうでしょ、にこちゃん……」
それでも、答えはない。
それは、にこちゃんのせいではない。
彼女はもう、喋ることができないのだ。
◇◇◇
全般性失語症と右不全片麻痺。
平たく言えば、言語障害と右半身不随。
診断書ならたった一行で片付く後遺症が、今の彼女の全てだ。
もはや彼女は歌うことも踊ることもできない。
それどころか、食事も入浴も排泄も、人が手を貸さなければ済ますことができない。
だからヘルパーが来られない日は、私がこうして一緒にお風呂に入り、身体を洗ってあげなくてはならないのだ。
泡立てたスポンジを彼女の白い肌に滑らせると、にこちゃんはくすぐったそうに身をよじる。
そのうなじが赤く染まり、言葉にできない感情を代弁している。
言語と手足の自由を失っても、恥ずかしいと感じるにこちゃんの情動は失われていない。
それは、不幸中の幸いと呼ぶべきなのだろうか?今の私には分からない。
介護する人間を閉口させるほど攻撃的になったかと思うと、精根尽き果てたように無気力な状態に陥り、全てに背を向ける。
その様子が自暴自棄になった末に辿りついた精神状態なのだとしたら、むしろ彼女の全てが失われてしまった方が良かったのでは……と思うことすらあった。
「じっとしてなさいよ、にこちゃん」
耳元でぼそりと囁くと、華奢すぎる身体がびくっと小さく震える。
言葉の意味は分からなくても、私がこれからすることは理解しているのだ。
脇腹やおへそから乳房にかけてマッサージするようにゆっくりとスポンジを滑らせる。
「……っ、うっ……」
スポンジの繊維がときおり敏感な部分を擦ると、先端の突起がみるみる膨らんでいくのが彼女の肩越しに観察できた。
病的といっていいほどの肌の白さと、紅茶色の突起がぷくりと硬く勃ち上がってくる色彩の対比が、私を興奮へと駆り立てる。
つぅーっ……
浅ましく息を荒げながら、突き出した舌の先端で肩から首筋まで舐め上げると、
「ひぃっ……」
かすれるような声を漏らし、彼女は背筋を震わせた。
後ろから太ももへと回した手のひらを、ゆっくりと付け根の方へ沿わせ……ついにはぷくりと膨らんだ秘部の周囲へと到達させる。
「嫌だったら、やめてって言えばいいのよ?」
そんな台詞には、もちろん何の意味も無い。
そしてにこちゃんの返事を待とうともせず、私はゆっくりと蹂躙を続ける。
彼女の身体の他のパーツと同じように、幼なげな造形をした下の唇を押し広げ、敏感な突起を指の腹で丹念にマッサージする。
「はうっ……あ、うっ……」
彼女は拒否の言葉を発しない。
後ろから抱きしめる腕に力は入れていないのだから、不自由な体でももがいて抜け出すことぐらいはできるはずだが、それもしない。
それが私を信頼してのことなのか、生殺与奪を握られているために仕方なく身体を委ねているのかは、ついぞ知る機会を与えられたことはなかった。
はっきりしているのは、小さな突起を優しく撫で続けている間に、にこちゃんの吐息は徐々に甘く切羽詰まったものになっていき、そのすぐ下の窪みに指を伸ばせば暖かいぬめりが溢れ出てきているのを感じ取れることだけだ。
顔を俯かせて小さな手をぎゅっと握り、ぷるぷると四肢に力を入れては脱力することを繰り返す様子が、何とも言えない淫靡な可愛らしさを醸し出していた。
「にこちゃん……好き……好き、好き、好き……」
自分がどうしようも無く勝手な行為に及んでいることを理性では承知しながら、私の唇は勝手に言葉を溢れ出させる。
指の動きはピッチを上げ、かき混ぜるような運動に変わっていく。彼女の秘所から上がるぴちゃぴちゃという粘つく水音が大きくなる。
ぐり、と思わず力が入った指先が少しだけ強めに肉の突起を押し込んだとき、
「あ、ひぃ……っっ!」
にこちゃんは一際強く背筋を反り返らせ、しばらくぶるぶると痙攣するように全身を硬直させた後、ぐったりと弛緩した。
荒い息をつく彼女の頬に頬を寄せる。
「好きよ、にこちゃん……あなたがどんな姿になっても、どんな重荷を背負っていても、ずっとずっと大好き……」
それでもやっぱり、にこちゃんは答えてはくれない。
あんたなんて大嫌いよ、という返事でいいのに、それだけで構わないのに、何も答えてはくれない。
渦を巻いていたどす黒い熱情が引いていくのと入れ替わりに、私の心は重く冷えていく。
彼女の火照った体をシャワーで洗い流しながら、私は彼女の家族がこんな様子を見たら何と言うだろうと考えていた。
◇◇◇
半年前、久しぶりに訪れた矢澤家で出迎えた彼女の母親は愕然とするほどやつれており、私は学業や仕事の多忙さを理由にして頻繁に訪れなかったことを後悔した。
結局、私は怖かったのだろう。だからにこちゃんから逃げていたのだ。
記憶の中の姿が……かつてあの音ノ木坂で、泣き、笑い、熱くアイドルへの情熱を語ったあの生き生きとした姿がかき消されてしまうような気がして。
リハビリテーション病院を退院しても、にこちゃんの後遺症が良くなったわけではない。
介護保険が適用されても、訪問ケアを受けられるのは週に3日、それも数時間で、それ以外は家族が彼女の面倒を見なくてはならない。
もうすぐ大学受験の妹と思春期に入った弟を抱え、家計をやりくりするだけの収入を確保し、日に日に悪化するにこちゃんの癇癪に対処する……
そんな無茶が土台、成立するはずはなかった。
「にこちゃんは私が引き取ります」
そう告げた時に彼女の母親の顔によぎった安堵の表情を非難する資格は、私にはない。
その時私の頭にあったのも、にこちゃんとその家族を助けたいという善意ではなく、それどころかにこちゃんと一緒に居たいという私欲ですらなく、ただ、これで医局から逃げ出すきっかけができたという安堵の気持ちだったのだから。
私は高校生になるまで、両親に決められた道を進む以外の生き方を知らなかった。
反抗期らしい反抗期すらなかったその時期が、考えてみれば、もっとも幸せだったのかもしれない。
私は親の庇護という安心を、親は私をコントロール下に置くという安心を得て、蜜月の関係を築いていたのだ。
ある日突然その関係が壊れたのは、もちろんμ'sが原因だった。
穂乃果たちμ'sの面々の登場は、私の平穏な人生にとっては安全な内海から嵐に巻き込まれ、突然大洋に投げ出されたようなものだったのだ。
私は初めて外の世界を知り、自分のやりたいことをやるという自由の味を知ってしまった。
両親、特に父は困惑し私を引き戻そうとしたし、それで元の鞘に収まればある意味解決だったのだろう。
あるいは力の限り抗って、新たな妥協点という関係を作り直すこともできたのかもしれない。
でも、私はどこまでも中途半端だった。
海未たちの口添えでスクールアイドルの活動を続ける許可を得る代償に、将来は病院の跡取りとして生きることを約束させられる。
その事実が枷となってずっと私の心にのしかかっていた。
医大を卒業した私は、父が当然のごとく用意していた自分の病院のポストを蹴り、大学病院の医局へと入局した。
高校生の時にできなかった、自分の道を自分で選ぶという決意だけとってみれば、ある意味進歩とも言えたかもしれない。
だが、結果は散々だった。
過酷な当直勤務と有り余る雑用、患者に冷淡な、自分の手術成績にしか興味がない医師たち。
何よりも、病棟の人間関係に私は馴染めなかった。
ただでさえ新人の女医は女性が多い職場の反発を買いやすい。
愛嬌があったり要領のいいタイプならともかく、私のような性格では全てが上手くいくはずがなかった。
にこちゃんに再び会いに行ったのは、そんな毎日に疲れ果てた時。
彼女の面倒を見ることを口実に医局を休職して、実家の病院に戻る。
その見返りに自宅のマンションをバリアフリーに改造する費用を得て、今の生活は成り立っていた。
◇◇◇
「西木野先生、ちょっと矢澤さんのことで気になることが……」
翌日、外来の合間に私に声をかけてきたのはにこちゃんを担当する言語療法士だった。
高校の時の放送部員のクラスメートとどこか似た雰囲気を持った彼女は、この病院の中で「真姫先生」や「若先生」ではなく、私を名字で呼ぶ数少ない一人だ。
何しろこの病院で「西木野」と言えば、通常それは理事長である父のことなのだから。
「もちろん構わないわ。何?」
「ピクトグラムの訓練のことなんですが……」
言語障害の患者とのコミニュケーションや訓練には、指さすだけで言葉が伝えられる文字盤が使われる。
ただにこちゃんの場合は症状が重篤で、通常のひらがなの文字盤も理解できないため、ピクトグラムという絵文字盤が必要だった。
「夜と……虹?」
「この前、行きたい場所や見たいものは?っていう質問をしたんです。そうしたらこの二つを指さして……」
彼女が見せるのは、絵文字盤の黒い背景に星がまばらに描かれた夜空のアイコンと、青空を背景にした虹のアイコン。
「こんなに熱心な反応が見られたのは久しぶりだったのでもっと色々と引き出そうとしてみたんですが、何を聞いても他のどんな質問をしてもこの二つを指さすばかりで。最後には怒り出してしまって……」
頬に手を当てて困った様子の彼女。
献身的で有能なリハビリ治療士である彼女だが、にこちゃんの癇癪や気まぐれには苦戦を強いられることも多いのだった。
とはいえ、この所無気力な反応が多くリハビリの効果が上がっていなかった中で、にこちゃんが明確な意志を示したという事実は注目に値する。
「報告ありがとう、私も話してみるわ」
頭を下げる彼女の肩を叩き、私は療法室へと向かった。
◇◇◇
何日か後の夜。
「夜空に架かる虹、ねぇ……」
インターネットの検索結果を眺めて、私は溜息をついた。
にこちゃんが見たいものというのは、どうやら”夜に見える虹”らしいというのが、ピクトグラムを相手に1時間以上も二人で格闘して得られた結論だった。
私も知らなかったのだが、虹と言うのは必ずしも雨粒がプリズムの役割をして太陽光を反射してみられるものだけでなく、月虹(ムーンボウ)という月光によって起こる現象もあるらしい。
らしいのだが、相当珍しい現象であり、いくらにこちゃんが見たがっても狙って見ることは難しい。
一時の気まぐれならいいのだが、あれからピクトグラムを見るたびににこちゃんは夜空と虹のアイコンを指さし、他の話題に誘導しようとすると怒り出すという反応を繰り返していた。
おかげでリハビリは頓挫。他のプログラムを試すこともできていなかった。
「どうすればいいのよ……」
私がため息を吐きだした時、寝室の方からにこちゃんの唸り声と壁を蹴りつける音が聞こえてきた。
恐らくトイレか何かで自分で車椅子に移乗しようとして、上手く行かずに苛立ちをぶつけているのだろう。
私は再度ため息をついて、寝室へと向かった。
◇◇◇
「夜空に架かる虹?」
病院の近くのファミレスに呼び出してそんな質問を投げかけた私に、希は小首を傾げてみせた。
「聞いたことないなぁ……それ、にこっちが言ったの?」
「うん、まあ……そんなところ」
思わず言葉を濁す私。
実際には、ピクトグラムを前に際限なく同じやり取りを繰り返して得た推測だ。
希に限らず、私以外のμ'sのメンバーはみんな、にこちゃんの実際の病状を知らない。
せいぜい、まだ本調子ではないけれど、復帰を目指して頑張っている──ぐらいの認識のはずだ。
彼女が倒れたと聞いた時は全員が駆けつけたが、その時期のにこちゃんは意識不明で面会謝絶。
意識を取り戻してリハビリを始めてからは、にこちゃんの家族がかつての友人に彼女を会わせたがらなかった。
プライドの高いにこちゃんが今の姿を見られるのを喜ぶはずがない──というのがその理由だ。
最初は私ももっともだと思っていたのだが、こうして久しぶりに希に対面してみると、果たしてその判断が正しかったのかどうか、自信が揺らいでくるのを感じていた。
にこちゃんが倒れたときは、みんなにとってもちょうどそれぞれの道に進みつつある微妙な時期だった。
そのせいもあるのだろう。
これだけ音信不通なのはおかしいと思っているかもしれないが、それぞれの距離が遠のいたせいか、遠慮しているのか。
こうして彼女の話題が出ることすら本当に久しぶりのことだった。
かつての──μ'sだったころの私たちなら、何もお互い連絡などしなくても勝手ににこちゃんの元に押し寄せて集まり、いらないお節介を焼いていっただろう。
今彼女たちがこの場にいないのは、私たちが大人になって遠慮という常識を身に着けたからか。
絆までもバラバラになってしまったせいだとは思いたくなかった。
「確か、南の方の島だと見えるって聞いたことあるなぁ。空気が綺麗で、スコールがざぁーって降って、真ん丸なお月さんが夜空を照らすと……」
さすがに希は博識だった。
μ'sの中では絵里の次に海外歴が長く、今は在宅の翻訳業をやっているだけのことはある。
ただ、私が聞きたいのはインターネットでも分かるような知識ではないのだ。
「仮に南国の島に行けば夜に虹が見えるとして、何でにこちゃんがそんなものを見たがるのよ」
そうだ。
ただ珍しいから、綺麗だからという理由で今の彼女があれほどに強い興味を示し続けるわけがない。
そこには何か理由があるはずなのだ。
「希なら、分かるんじゃないかと思ったんだけど……」
「スピリチュアルパワーのこと?」
当てが外れた恰好の私に、希が苦笑する。
片側に垂らした髪を三つ編みにし、ざっくりしたニットの上からストールを羽織った格好の彼女は、かつての高校の制服を着ていた時と同じ大人びた目で私を見つめる。
以前と違うのは、かつてはミステリアスな深みをたたえていたその瞳が、今はどこか諦めたような暗さを感じさせる点だった。
「残念だけど、何でもお見通しの神秘のパワーは品切れなの。ごめんね」
「というか……初めからそんなものは無かったの。真姫ちゃんだって、本当は分かってたでしょ?」
「そんなの分からないわ。だって、実際に希は何度も私たちに道を教えてくれた。進むべき方向を指し示してくれたじゃない」
「錯覚よ」
言い募る私の言葉を、さらりと希は否定する。
「タロットのカードは何も予言なんかしてない。アレはただの記号よ」
「もし私に不思議な力があるように見えたのなら、それは……私がμ'sのみんなの事が大好きだったから。ずっとみんなを見ていて、みんながどうしたいのか、どうすれば一番幸せになれるのか……いつもそればかり考えていたから」
「私たちがバラバラになってしまった今では、もう神通力は使えないの。マジカル少女希ちゃんは閉店休業、……なんよ♪」
とってつけたようなエセ関西弁の語尾が、かえって昔よりも距離を感じさせた。
「にこっちが何を考えているのか、本当に分かってあげられるのは真姫ちゃんだけじゃないかな。だって、一番一緒にいるんでしょう?」
「それはそうだけど……」
問題は、私に人の気持ちをおもんぱかるだけの資質があるのかということなのだ。
こんな私がにこちゃんのそばにいるのは、本当に正しい事なのだろうか?
「ところで、私も一つ聞いていい?」
真剣な表情になった希が身を乗り出す。
「もしかしてにこっちの病気って、私が思っているよりも重いの?」
──やっぱり、まだあるんじゃない。神通力……
私は苦々しい思いで、どう返答すべきか考えていた。
◇◇◇
「夜に虹ぃ?そんなのホントにあるの?」
出されたおしぼりで手を拭きながら、目を丸くする凛。
早速スマホを取り出して検索しようとするのを止めさせて、私の目的はにこちゃんの本当の望みを知ることなのだと説明する。
あれからにこちゃんの不機嫌と癇癪は日に日にひどくなり、その原因が夜の虹にあることは明白にも関わらず、彼女が何を求めているのかはさっぱり分からずじまいのまま。
希と会ってヒントだけでも掴もうという試みは失敗に終わったが、私一人で打開策が思いつく見込みもない。
とりあえず、にこちゃんと親しくてすぐに相談できる相手として凛をチョイスしてみたのだが。
◇◇◇
「うーん……真姫ちゃんとハワイ旅行に行きたい、とか?」
まだジョッキに半分近くも残ったビールを前に、凛は唸るような声を上げた。
「もしそうなら、飛行機の絵文字とかヤシの木が生えた島の絵文字とかを指さすでしょ」
「そうだよねぇ……」
うーん、と再び唸る凛。
ダーク系のパンツスーツが、すっきりした身体のラインに良く似合っており、いかにもやり手のキャリアウーマンという感じだ。
日中の外来しかやっていない私よりも仕事が終わるのが遅い彼女と会うために、今日はにこちゃんにはショートステイに行ってもらっている。
残念ながら、この様子だとあまり収穫は無さそうだが。
「今、にこちゃんと一緒に住んでるんでしょ?にこちゃんは元気?」
「うん……」
元気、と答えるべきなのだろうか。
少なくとも、彼女の体調自体には何の問題もない。
それでも、私は明瞭な答えを返すことができず、とっさに話を逸らすことにした。
「それより最近、花陽とは会ってるの?」
「あうう……」
共通の親友の話題を振ったとたん、既にほんのりと赤くなっていた彼女の顔がくしゃっと歪む。
「最近、かよちんとは全然会えてないんだよー!すっごく大変そうだしお手伝いしたいんだけど、凛何をすればいいのかわかんないし、仕事もまたいそがしくなっちゃったし……」
「二人目、だものね」
「たまに電話しても、かよちんってば子供の話ばっかりなんだもん。つまんない……」
ぷくっと少女のように頬を膨らませる凛。
あなただってさっきから仕事の愚痴しか話してないわよ、というセリフは心の中に呑みこんだ。
高校生の頃はあれほど毎日のように一緒に居て、のべつまくなしにおしゃべりしていても決して尽きることなど無かった話題。
それが今は絞り出すのにも苦労しているのは何故だろうか。
大学を卒業してすぐに結婚した花陽は、つい2か月前に女の子を出産したばかりだ。
凛と花陽が疎遠になるなど想像もしたことがなかったが、2児の母と大手商社の総合職ともなるとお互いの多忙さと環境の違いが相まって、多少距離が遠くなってしまうのもやむを得ないことなのかもしれない。
結局その日は凛がつぶれるまで飲みに付き合い、タクシーで送っていく羽目になった。
◇◇◇
(拝啓 西木野真姫様)
海未からの手紙──時候の挨拶から始まる典雅な毛筆でしたためられたそれは、むしろ”書状”とでも表現した方が適切かもしれないが──は、まず丁寧に長い無沙汰をわび、私たちの健康を案じ、続いて本題へと書き及んでいた。
(にこが見たがっているという月虹の事ですが、申し訳ありません、私には全く心当たりがありません)
(ですが、このような時、答えを出してくれそうな人でしたら知っています)
(それは穂乃果です。穂乃果なら、このような理屈で考えても分からない問題に直感で正解を導き出すことができるような気がするのです)
(穂乃果と連絡が取れれば良いのですが……)
やっぱり、こんなときでも”穂乃果”なのね。
私は呆れを通り越してもはや感心しながら、考えを巡らせた。
穂乃果は、今日本にはいない。
というか、どこにいるのかすら全く分からない。
妹の雪穂によれば、テレビの番組で貧困や病と闘いながら生きる世界の子供たちの特集を見ていた彼女は、突然
「私、この子たちの力になりたい!」
と言い出して、翌日にはもう家を飛び出していたらしい。
時々海外からのエアメールが実家に届くそうなので元気にしていることだけは辛うじて分かるが、消印は東南アジアだったりアフリカだったりと滞在先が定まっている様子すらなく、携帯もメールもほとんど通じない。
宿泊しているホテルの名前を覚えることすらおぼつかなかった穂乃果が言葉の通じない海外を飛び回っているなどにわかには信じがたい話だ。
その一方で、狭い学院内ですら捕まえることが難しかった神出鬼没っぷりを思うと、何だか妙にしっくりくる感じもする。
とにかく、たとえ穂乃果がこの問題に答えを出してくれるとしても、今頼ることはできそうもなかった。
μ'sのメンバーのうちで、花陽以外の既婚者は海未だけだ。
穂乃果がいなくなって程無くして、ことりも自分の関わるデザイナーズブランドの海外進出のためにイタリアへと旅立った。
急に幼馴染二人がいなくなって気力を失ってしまったのか、海未は親の勧めで見合いに臨んだ末、あっさりと結婚してしまった。
相手の家柄も結構な名家らしく、姑との関係やさまざまなしがらみに悩んでいるらしい、と聞いたこともある。
友人の誘いに外出することもままならず手紙で連絡してくる辺り、噂は本当なのかもしれない。
あくまで四角四面な文章からはそんな悩みを窺うことはできなかったが。
ちなみに絵里は、外務省の仕事でロシアと日本を行ったり来たりしているから、μ'sのうち3分の1は海外組ということになる。
◇◇◇
そんなわけで”夜の虹”の謎解明には全く進展がなく、にこちゃんの機嫌はますます悪くなっていき、私の精神は介護の苦しさに徐々に擦り切れつつあった。
そしてついにある夜、とうとう私はにこちゃんに完全に手を上げてしまう。
移乗介助の時に思うように息が合わず、車椅子に乗るのに手間取ることに苛立った彼女は、思い切り私に爪を立ててきたのだ。
みみずばれのような赤い線がいくつも手の甲に走るのが見え、まるで手負いの猫だ、という言葉が頭に浮かぶのと同時に、気づいたときには私の手は彼女の頬を張ってしまっていた。
ピシリ、という鋭い音が空気を裂く。
「あっ……!ごめっ、ごめんなさい、にこちゃん……!」
謝っても、土下座するように頭を下げても、氷で冷やしても、彼女の頬の赤さが元に戻るわけではない。
やがてその大きな両目に涙が盛り上がり、ぽとぽとと滴り落ち始めた。
◇◇◇
「にこちゃん」
数分以上が経ち、ようやく泣き止んだ──でも頑として顔をこちらには向けてくれない──にこちゃんに、腫れ物に触れるようにそっと声を掛ける。
「ねぇ、見に行かない?……私たちの通ってた、学校」
そんな提案をしたのは、ただ。
にこちゃんのささくれだった気持ちを少しでも宥めるものが無いかと考えた結果だったのだけれど。
もしかしたら心の奥底には、幸せだった昔を少しでも偲びたいという想いもあったかもしれない。
にこちゃんは私から視線を逸らしたまま、頷きも首を振りもしない。
私は車椅子を押し、夜の街へと進みだした。
喧騒溢れる電気街からたった何ブロックか離れただけなのに、夜の街はしんと静まり返っていた。
今夜は満月のはずだったが、空は黒い雲に覆われて、”月虹”など望むべくもない。
車椅子を押す私の中では、さっきしてしまったことへの後悔と、自暴自棄な気分とが混ざり合って渦を巻いていた。
かつての私は職業柄、虐待の症例に遭遇するたびに高邁な怒りと正義心を覚えたものだったが、今や立派な加害者側へと堕したわけだ。
何も知らなかった頃の私に言ってやりたい。
大事な人を傷つけ傷つけられる、この苦しみと痛みを知るがいいと。
聖書の一節ではないが、それが分かる者がいるならばいくらでも石を投げつけ、打ち据えればいい、という心境だった。
並木通りを越えると、私たちが通っていたころと全く変わらない音ノ木坂の校門が見えてきた。
「本当に静かね……」
「……。」
にこちゃんは何も言わない。
風のそよぎすらない。
まるでこの世に私とにこちゃんの、二人だけしか存在しなくなったかのようだった。
支援
心中が起こるシチュエーションというのは、こんな時なのかもしれない。
そんな物騒な事を考えかけた時、唐突にその声は掛けられた。
「にこちゃん真姫ちゃん!待ってたよっ♪」
忘れもしない、傍若無人で他人の都合なんて考えたこともなさそうな、底抜けに明るくて元気な、とにかくこの場に全くそぐわない声。
「ヴェェ!?ほ、穂乃果っ……!?」
穂乃果だ!
何で穂乃果がここに?
まるで私たちが来るのが分かってたようじゃないの。
こんなことがあるはずがない。そもそも日本にすらいないんじゃなかったの?
と思う間もなく、
「早く来て来て!見せたいものがあるの!」
こんな深夜だというのに、何故か校門は開いていた。
穂乃果が私の手から車椅子を奪って押しながら走り出す。
「ちょ、ちょっと待って……」
「早く早くー!」
一体、何だっていうのよ。
これは夢?
とにかく追いかけなければ。
彼女の背中を追って走りながら、私はまだ夢を見ているような気分から抜け出せないでいた。
この穂乃果は本当に実在しているのだろうか?
それとも昔を懐かしむあまり、私の病んだ心が穂乃果の幻を作り出してしまったのだろうか。
あまりにも非現実的な光景の中、私たちは講堂へと到達する。
客席側ではなく、楽屋口を通り、照明も付いていない暗いステージの上へ。
「はぁ、はぁ……一体何なの、これは」
説明しなさいよ。
そう問いかける暇もなく、穂乃果はにこちゃんと私をステージに残し、客席の方へと飛び下りる。
「そこで見ててね!」
私たちの前に広がる客席はまさに真っ暗闇で、今飛び下りた穂乃果の影すらもはや見分けられない。
こんな中で一体、何を見ろというの?
「みんな、いっくよー!」
続いて、せーの、という声が上がり。
暗闇の中に、一斉に色とりどりの光が灯る。
オレンジ、水色、白、青、黄、紫、黄緑。
サイリュームから放たれる七色の光が、弧を描いて左右に振られる。
それはまるで、虹のようだった。
足元すら見えない闇夜を照らし出す、アーチを描いて輝く虹だ。
その動きに、7色の歌声が重なる。
「「愛してる ばんざーい!」」
にこちゃんと私はお互いの手を握り合い、突然目の前に現れた、夜空に架かる虹を見つめていた。
愛する想いの強さを、負けない勇気を歌っているのは、かつてのμ'sの幻ではない。
穂乃果、絵里、ことり、海未、凛、希、花陽が、本物のμ'sのみんなが、確かに今、私たちの目の前にいる。
握ったにこちゃんの手が揺れる。
泣いているのではない。
虹に照らされながらまっすぐに前を見据え、曲に合わせてリズムを取るように、身体を揺らしていた。
彼女が望んでいたのは、異国の地で見られる美しい自然現象などではなかった。
何度も何度も追い求めた、こんなにもすぐ近くにある……でも、もう決して手の届くことはない、眩く照らされるステージだったのだ。
支援
しばらく茫然と聞き入っていた私たちだったが、誰かが──多分花陽だ──Bメロへ入るフレーズを思いっきり間違えて、声の調和が崩れる。
続いて、
「あっ、私も間違っちゃった!」
などという素っ頓狂な声まで歌に混じって聞こえてきた。
この主は説明するまでもなく穂乃果だ。
よくよく耳をすましてみれば、他のみんなの歌唱技術もひどいものだ。
高音でかすれ、メロディーラインはふらつき、変なところでブレスを入れてタイミングがずれる。
何しろ高校を卒業してから、誰もろくにレッスンもしていないのだから当然だ。
でもそれを、仕方がない、と受け入れることを許さない人が、ここにはいた。
サビに入った瞬間、みんなの歌声が途切れる。それは全員が入りのタイミングを間違ったせいではなかった。
「ぁいすきぁー、ばんざぁー……」
しんとなった講堂の空気を、か細い、呂律も回っていない、震えるようなソプラノが揺らしていたからだ。
「……」
にこちゃんが歌っていた。
いつの間にか曲は、にこちゃんのソロ・パートになっていた。
背筋を伸ばし、小さな胸を膨らませ、真剣な瞳で前を見据えながら、たどたどしくメロディーを追いかけている。
文字を読むことも、ただの一言の単語を発することもできなかったはずのにこちゃんが。
ましてや歌を歌うことなど、到底考えられなかったはずのにこちゃんが。
「真姫ちゃん!真姫ちゃんも歌ってよ!」
喜びとも驚きともつかない、巨大な何かに一撃されたような感情の空白状態に陥っていた私に、穂乃果が呼びかけてきた。
全く、いつだって唐突なんだから。
「うん、真姫ちゃんの歌声も聞きたいにゃー!」
凛、私たちの年でその語尾はさすがに痛すぎるわよ。
「そうやね、久しぶりのにこまきデュエットなんて、スピリチュアルやね♪」
希、またエセ関西弁に戻したみたいだけど、キャラが定まらなすぎじゃない?
心の中で突っ込みを入れる暇もないほど、次々と飛んでくる仲間たちの声。
それに背中を押されるように、私はにこちゃんの手を握りしめたまま前を向き、大きく息を吸った。
ことりあたりが操作したのか、赤とピンクのスポットライトが点灯し、ステージの上の私たちを照らし出す。
私の歌も、みんなと似たり寄ったりのひどいものだった。
思えばこの数年、歌うどころか大きな声を出した記憶すらほとんどない。
声量が落ちているし、なまった声帯は思った通りの音程を響かせるだけでも一苦労だ。
それでも──おぼつかなかった私の歌は次第ににこちゃんに追いつき、最初はぶつかり合っていた二人の声は、いつしか一つに融け合ったハーモニーを奏でていた。
にこちゃんのソプラノと私のアルトが、螺旋に絡み合いながら講堂の天井へと向かって昇っていく。
そしてピンクと赤のデュエットに、再び7色のコーラスが加わる。
いつの間にか全員がステージに集まっていた。
みんなが声を合わせて歌っていた。
笑い、涙を流していた。
これまでの時間を取り戻すように、寄り添い合いながら。
◇◇◇
「絵里ちゃんから連絡が来て、にこちゃんが見たがってるのってなんだろ?って思った時、これしかないと思ったんだ♪」
興奮の時間が過ぎ、お互いの再会を確かめ合った後、詰問した私に笑顔で説明する穂乃果。
どうやら私の知らないうちに、μ'sの中で連絡網が回っていたらしい。
私と連絡を取ったことでにこちゃんの窮状を察した希たちが互いに声を掛けあい、海外組が苦心惨憺して穂乃果を見つけ出したのだという。
何故穂乃果が待っていたかのように校門に居たかというと……もともと今夜全員で集まって準備をしてから私たちを誘いだす算段だったということらしい。
相変わらず、驚くべき無計画さだ。
そしてそれが最終的にはうまく行ってしまうところが、穂乃果の恐ろしいところだ。
「にこちゃんは、アイドルが大好きだもんね!」
そうだ。
どんな苦境に直面しても、にこちゃんは決して変わらなかった。
過去のDVDを繰り返し見返したのも、思い通りにならない脳と身体に苛立ちながらリハビリを続けてきたのも、全てはアイドルとしての自分を取り戻すため。
変わってしまったのは、諦めていたのは、私の方だったのだ。
赤とピンクの光に照らされたステージの上で、私とにこちゃんは手を取り合い、お互いの瞳を覗き込む。
叩いてしまったこと、もっと早くに穂乃果たちに相談しなかったこと……後悔も謝罪の言葉も溢れるほどに沢山ある。
もっとも、それを言うなら彼女の方だって私に言うべきことが倍以上にあるだろうけれど。
でも、そんなことは全部後回しだ。
にこちゃんに残された、歌いたいという想いは消えてはいない。
それが頼りない微かな光だったとしても。
にこちゃんは、微塵も諦めていない。
だったらもはや、私にだってこれっぽっちも諦めてやる義理は無いのだった。
「にこちゃん……きっとこれからはもっと辛いかもしれないけど。私と一緒に戦ってくれる?」
いつものように、答えはない。
でもその代りに、にこちゃんは力強く頷いてくれた。
実に何年かぶりに見る、穏やかな微笑みを浮かべて。
◇◇◇
大学病院の病棟のカンファレンスルーム。
プレゼンテーションを行う私に、医局員たちのいくつもの冷たい視線が突き刺さる。
無理もない。
かつてローテーション中にドロップアウトしたひよっこの女医が、治療のために患者を連れて戻って来たのだ。
でも、その程度のプレッシャーに構っている余裕などない。
教授を初めとする上級医が揃ったこの場で、私は何とかしてにこちゃんを治療する正当性を認めさせなければいけないのだ。
通常、完全に血流が途絶えて脳梗塞──壊死を起こした脳組織は二度と回復することはない。
そのため、一旦固定した後遺症は決して治らないというのが常識だ。
しかしにこちゃんの場合、一時的ではあるものの歌うことができるほどの言語機能が残っていた。
完全に脳梗塞を起こしているのなら、これは絶対に有り得ない。
そこで最新の脳血流と代謝を計測する画像検査を行ってみたところ、やはりにこちゃんの言語と運動機能に関わる部分の脳は、まだ生きているということが分かった。
十分な血液と酸素が届かないために活動が抑えられ、その結果として、いわば冬眠のような状態にあるというわけだ。
──だったら、脳の組織にそれを補う十分な血液を送り込んでやればいい。そうすれば、にこちゃんは再び自分の足で歩き、元通りに喋ることすらできるようになるかもしれない。
「……以上を総合して判断すると、このケースでは直接血行再建術による脳機能の回復が期待できると推測されます」
そう締めくくると、居並ぶ医局員から次々に批判と非難が続出した。
発症から数年が経ってからの機能回復は前例がない。
かえって症状を悪化させる危険すらある。
もし失敗したら責任を取れるのか?
確かに、リスクが高い治療法だった。
奇跡を願い、一か八かの大博打を打つようなものだ。
それでも、私は決して引かなかった。
元研修医の私にとっては本来雲の上のような存在の上級医達を相手に、激しい議論という名の舌戦を繰り広げた。
私の武器は、黒い背景に浮かぶ、信号データに比例して七色に光る画像データ。
夜空の虹を連想させるそれが、私と彼らの階級差を埋めてくれていた。
この機会ににこちゃんの未来の全てがかかっているのだ。
これ以上時期を逸すれば、手術による回復効果は低くなり、合併症の危険は高くなっていくだろう。
絶対に負けるわけにはいかなかった。
「責任は全部私が取ります……彼女にとっては唯一のチャンスなんです、やらせてください!」
そう訴える私に、
「それはできないな」
それまで無言で私たちのやり取りを見守っていた教授が、冷徹な声を被せてきた。
「責任を取るのは私の役目だ。だが……」
君がそこまでの熱意で全てをかけるというのなら、自分でやってみたまえ。
初めて見せる人間味を帯びた声が、そう告げた。
医局の承認という最初の手ごわい関門を突破した私だが、その後はもっと大変だった。
まだ研修医のうちに手術から離れてしまった私が、にこちゃんの手術から周術期の治療まで全てを自分1人で担当し成功させなければならないのだ。
今のままの技量で通用するはずがない。
何が何でも、短い期間の間に自分を鍛え上げる必要があった。
にこちゃんは実家の病院でリハビリを続け、日々の世話は希や凛たちが入れ替わりで見てくれている間、私は文字通り全身全霊で大学病院の病棟業務と手術の勉強に没頭した。
寝る間を惜しんで働き、他の術者の手術を見学し、手術ビデオを見て、遠方で行われる勉強会にも参加した。
ほとんど病棟で寝起きするような状態の私にナースたちは食べ物を差し入れてくれたり、寝る場所として看護師用の控室を提供してくれたりと助けてくれた。
当初は他の医局員に嫌味を言われることもあったが、いつの間にかそれも無くなっていた。
そして何か月かが経ち、「研修医」でも「真姫先生」でもなく「西木野先生」と呼ばれるのにも慣れてきたころ、ついににこちゃんの手術の日がやってきた。
手術室では、全ての準備が完了していた。
滅菌ドレープに包まれ、麻酔による深い眠りの中にあるにこちゃんを確認し、私は自分に問い掛けるように目を閉じる。
──覚悟はできたか?
もし失敗すれば、にこちゃんの回復の唯一のチャンスを潰してしまうだけではない。
永遠に彼女自身を失う可能性すらあるのだ。
私たちの未来の全てを賭けて、戦う準備はできているのか?
少なくとも、にこちゃんの覚悟はとっくに固まっている。
入院してから最終点検の検査を受けている間、にこちゃんは始終落ち着いていた。
今朝など病室に迎えに来た私の術衣とマスク姿がおかしいのか、指さして笑う余裕すらあった。
よっぽど手術の準備で短く刈られたあなたの頭の方が面白いわよと言ってやりたかったが、医者としての情けで黙っておいてあげた。
彼女の母親と妹弟たちはは、ただただ無言で何度も私に頭を下げて、病室を出るにこちゃんを静かに見送っていた。
ええぞ
見てるで
それとは対照的に賑やかだったのが、付き添いの仲間たちだ。
「ファイトだよっ、にこちゃん!」
「ご武運を祈っています」
「信じているわ、真姫」
「勇気りんりん、凛がついてるよっ」
「行ってらっしゃい、二人とも♪」
「ここで待ってるからね……!」
「大丈夫や、みんな」
次々と激励の声が飛び交う中、ぴらりとタロットカードを掲げてみせる希。
「手術は絶対成功するって、カードも告げとるし♪」
わっとみんなの歓声が上がる。
「ちょっとちょっと、スピリチュアルパワーは品切れじゃなかったの?」
私は彼女の調子の良さに呆れて小声で突っ込みを入れたが、
「うちら9人が集まったら、話は別やん。μ'sがみんなで力を合わせたら、どんな壁だって打ち倒せる、違うん?」
「頑張るのはにこちゃんでもみんなでもなくて主に私なんだけど」
そう口では不満を言ったものの、私は自然に笑みが浮かんでくるのを抑えることができなかった。
古来──西洋科学に膝を屈して医学と名を変える前──医術はアートだったという。
ならば──7人もの芸術の女神たちが騒がしく見守る中で、失敗なんてできるはずがないわよね。
「……西木野先生?」
くすりと笑った私を訝しんだのか、スクラブ・ナースが声を掛けてきた。
思ったより長く待たせてしまっていたようだ。
──さあ、始めよう。もう覚悟はできている。
未来を閉ざす、闇を吹き飛ばそう。奇跡の虹を渡り、立ちふさがる運命の壁を打ち壊そう。
私はゆっくりと目を開き、手術開始を宣言する。
「お願いします。──メス!」
結局その手術は、私の医者としての最後の仕事となる。
そして、にこちゃんがアイドルとして復帰することは二度となかった。
◇
◇
◇
「……ってぇ、どういうことよコレはぁ!にこはちゃんとアイドルユニットって書いて提出したじゃない!」
レコーディングスタジオ内の打合せ室で、キレたにこちゃんが企画書をデスクに叩きつけた。
ようやく肩までのボブカットに生えそろってきた髪がふわりと揺れる。
「女性ボーカルユニット」
こちらも最近伸びてきた髪を弄りながら、私は訂正する。
そろそろ美容院に行かないと……
「とっくにアラサーのくせにアイドル名乗ろうだなんてどれだけ図々しいのよ。大体キャッチコピーが”薄幸の病弱美少女、奇跡の歌声で復活!”とか、意味分かんない。キモチワルイ」
ぷいと横を向く私。
「き……きもちわるいぃ!?ふざけんじゃないわよ、真姫ちゃんはもうオバサンになりかけてるかもしれないけど、宇宙ナンバーワンアイドルのニコニーはこれからもずーっと永遠の17歳で立派に通用するんだから!」
な、な、なんですって!?この知性と美貌を誇る天下の西木野真姫に向かって、よりによって、オ、オバ、オバ……!
いやいや、落ち着け私。これじゃあまたにこちゃんのペース、高校生の時から全く進歩がないじゃないの。
「……ふぅぅーん、あっそう。じゃあスーパーアイドルさんは一人で作曲して作詞して、レーベルへの売り込みも自分で頑張ってね。オバ……アラサーの私は大人しく医者の仕事に戻ることにするから」
突き放すようにそう言い放つと、さすがににこちゃんも焦ったらしい。
慌てたように媚びっ媚びの笑顔を浮かべると、私に身体をすり寄せてきた。
「やだなぁ、真姫ちゃんたら、そんな冷たい事言っちゃ♪にこたち、もう一心同体、運命共同体でしょ?」
全く調子がいいんだから。と冷たい目を向ける私に怯んだ様子もなく、
「真姫ちゃんの作曲とピアノでぇ、二人でメインボーカル。それが受けたんじゃなーい。今さら途中でいちぬけたー、なんてのは無しニコよ♪」
私はため息をついた。
にこちゃんの回復は周りの医療関係者が仰天するほどめざましいものだった。
わずか1カ月程度の入院の間ににこちゃんは言語能力をほとんど完全に取り戻し、無粋な短下肢装具こそまだ外れないものの杖無しで歩行し、身の回りのことを全て自立でこなすほどになった。
カンファレンスの術後経過報告の時、教授は冷淡に一度頷いただけで次の症例の発表を促した。
でもそれが彼なりの最大の賛辞であることが、私にはもう分かっていた。
学会への発表を促す向きもあったが、私はやんわりと断った。
これは音楽と芸術の女神たちが起こした奇跡なのだ。
それを統計医学の範疇に組み入れてしまっては、どんな医者と患者にとっても公平とは言えないだろう。
驚くほどの数の病棟のスタッフたちが、彼女の退院と私の退職を見送ってくれた。
福々しい顔つきの病棟師長は笑顔で私たちの旅立ちを祝福し、若いナースの何人かは涙ながらににこちゃんと私の手を握りしめた。
かつて私に嫌味を言った同僚たちですらちらりと顔を見せていた。
退院したにこちゃんはもはやほとんど病院に通う必要は無かったが、最後にはほとんど専属で診てくれていた言語療法士のところには一番に顔を見せに行った。
仕事が無くなってしまうことがこんなに嬉しいなんて知らなかった、と彼女は泣き笑いで言ったものだ。
とはいえ、アイドルならぬ歌手業に復帰するにはあまりにもブランクがあり過ぎる。
最初はにこちゃんが完全に自立できるまでサポートするだけのつもりが、作曲や作詞を頼まれ、キーボードとピアノを弾き、バックバンドと交渉し、ネットの配信を見て声を掛けてきたCM会社とやり取りし……とやっているうちに、いつの間にかにこちゃんとの二人組のユニットに仕立て上げられてしまっていた。
一方で、長いブランクの間に得たものもあった。
一度は声を失い、歌唱訓練とは異なる特殊なリハビリを受けてきたにこちゃんの歌声は、明るく可愛らしいだけが特徴だった十代の時と違い、聴くものを強烈に惹きつける独特の深い響きを身につけるようになっていた。
私の変化は自分では説明しにくいが、ピアノに向かうとき、歌うときに、奇妙に『入り込む』ような感覚を覚えるようになっていた。
にこちゃんと私の歌声とピアノの音色だけが世界の全てになったような錯覚に陥り、調整室のディレクターまでもがキューを出すのも忘れて茫然と聞き入っていた、などという事すらあった。
恐らく、全力で手術の修練に打ち込んでいるうち、いつの間にか集中力が磨かれていた結果なのだろう。
そんな私たち二人の歌は、ネットの評判に端を発して世間中に広まりつつあるようだ。
これから忙しくなりそうな予感がひしひしとするが、それも来るなら来いという気持ち。
今更になって私は、音楽と人生を思いっきり楽しんでしまっているのだった。
「続いてカップリングの録り入りまーす、お願いしまーす」
ADが休憩時間の終わりを告げ、私たちは再びスタジオに入る。
「にこちゃん、疲れてない?」
「何言ってるの、このニコニーは……」
「はいはい、宇宙ナンバーワンアイドル、でしょ。さっさと始めるわよ」
にこちゃんの抗議の声を遮るように、鍵盤に向かい、イントロを奏でる。
にこちゃんと私の記念すべき第一弾のCDシングルのカップリング曲に相応しいのはこのカバーしかないということで、珍しく二人の意見は一発で一致していた。
μ'sにとっての最初の曲──私たちの全てのはじまりの曲。
「I say……♪」
彼方へと駆け出すように、大空へと羽ばたくように、二人分のボーカルがスタジオにこだました。
◇◇◇
「じゃあ全員揃ったところで、部長から一言!」
希が例によって、突然にこちゃんに挨拶を振る。
とはいえ、今回ばかりはそれほど無茶振りというわけでもない。何しろ、
「今日はみんな、にこにーの全快あーんどデビューシングル発売記念お花見パーティーに来てくれてありがとー♪」
って、CDデビューしたのは私もなのに抜かさないでよ!というツッコミは、やんやと上がる喝采にかき消されてしまった。
「いろいろ大変なこともあったけどぉ、にこは頑張って無事!アイドルとしてカムバックできました!みんなありがとニコ♪」
いや、だからアイドルじゃないってば。
「にこの今があるのは全部真姫のおかげなのですから、せめてお礼の気持ちを表明すべきでは?」
「そうだそうだー!」
「真姫ちゃんお疲れ様!」
「今更言うのもなんだけど、これから大変ね……」
「元気になったにこっちの面倒みるのは前より骨が折れそうやなぁ」
次々とヤジや茶々が入る。というか、みんなそこはスルーしないのね。
「う……うるっさいわね。真姫ちゃんはにこの下僕なんだから、にこにご奉仕するのは当然なのよ!」
ぶはっ、と私は思わず口に含んでいた缶チューハイを吹き出してしまう。
ここには私の両親もいるんだから、滅多なことは言わないでくれる!?
にこちゃんの復帰祝いとして開催された夜のお花見パーティーの会場は、何と音の木坂学院の校庭だ。
いくら理事長がいるからって公私混同も程があるのでは?と思うが、当の理事長はにこにこと嬉しそうだ。
多分、海外に行ってしまった娘が帰ってきて浮かれているのだろう。
穂乃果の家族も、絵里の妹の亜里沙も参加している。
花陽など二人の子供連れだ。
にこちゃんの妹弟は子供のころのようににこちゃんに寄り添い、母親は若返ったような輝く笑みを見せていて、私はらしくもなく目頭が熱くなるのをこらえなくてはならなかった。
「ちょっとにこちゃん!何が下僕よ、変な事イワナイデ!」
明らかに調子に乗っている彼女の裾を引っ張ると、にこちゃんはじろりと視線を向けてきた。
「あれれー、真姫ちゃんったらそんなこと言っちゃっていいのかなぁ?」
「な、何よ……」
(にこが抵抗できないのをいいことに、お風呂でさんざんいろいろしてくれちゃったこと、バラしちゃってもいいのかなぁ?)
(ヴェェ!?)
覆水盆に返らず。自業自得。因果応報。
失語症と麻痺を抱えていたにこちゃんではあるが、最初から記憶力には何の障害も無かったのだ。
担当医のくせにそれを忘れていた私は、抗議の言葉を呑みこむしかなかった。
(あの時なんて言ってたっけ……にこがぁ、どんな姿になってもぉ……)
(や、ヤメナサイヨ!)
(好き好き好きにこちゃんだいす……)
(わかった、わかったからぁ!もうヤメテ!)
(ふふーん、分かればいいのよ、分かれば)
にこちゃんは勝ち誇った笑みを浮かべ、みんなへと向き直る。
「というわけで、真姫ちゃんは永遠のアイドルニコニーの永遠の下僕ということに決まりましたぁ♪」
はい。私はにこちゃんの下僕です。
だからみんな、そんな訝しそうな視線を向けないで……お願い。
「ところでさぁ、海未ちゃんこんな夜に出てきちゃってお家の方は大丈夫なの?」
大人には程よく酔いが回り、未成年にはジュースや穂むら特製の和菓子が振舞われるなか、相変わらず空気の読めない穂乃果が海未に尋ねる。
「ええ、問題ありません。私離婚しましたから」
みんなその事には触れないようにしてたのに……!と思いつつ、思わず聞き耳を立ててしまっていた私たちに、海未は実にさりげなく爆弾発言をかましてくれた。
「私の大事な仲間の危機に駆けつけようというときに、家の品格がどうの、嫁としての振る舞いがどうのなどと寝ぼけたことを仰る方々にはほとほと愛想が付きまして」
あなた方は最低です!と片手を振り上げて再現シーンを演じてみせる海未は実に楽しそうだ。
もしかしてかなり酔ってる?
「ひぃぃぃぃ、ごめんなさぁーい!」
そして関係ないのに頭を抱える穂乃果。
完全にトラウマになっちゃってるじゃないの……
「まあ、これは私の問題ですから穂乃果が謝ることでは……いえ、少しはありますね」
ふむ、と海未が思案する。
「相変わらず思いのままに自由に生きているあなたを見ていたら、籠の中で暮らしているような自分が馬鹿馬鹿しくなってしまったんです。つまり、私がバツイチになったのは穂乃果のせいなんですから、ちゃんと責任取って養ってもらわないといけませんね」
おどけたような本気の目で、ぴったりと穂乃果に寄り添う海未。
「あ、あはは……それはいいんだけどー、穂乃果ボランティアのお仕事だから収入無くって……最近は不況で寄付金も滞りがちで……」
前よりも日焼けして身体も引き締まり、髪も伸びた穂乃果だが、幼なじみに迫られてだらだらと冷や汗をかく様子は昔と全然変わっていない。
ていうか、発言がいちいち世知辛いわね……
「と、というわけでことりちゃーん……次のお給料入るのいつ?」
「またことりを当てにする気だったのですか!?」
これには海未だけじゃなく周りのみんながどん引きだった。変なとこだけ大人になった現実を突きつけないで!
そんな中で唯一動じていないことりはさすがというべきか、
「んもぅ、二人とも困ってるなら言ってくれればいいのにぃ……任せて!穂乃果ちゃんも海未ちゃんも、ことりが責任持って一生養ってあげちゃう♡その代りぃ……」
もぎゅっ!と幼なじみ二人を抱きしめて、
「二人とも、ことりのお嫁さんになってもらいます♡」
「ええええー!?……って思ったけど、考えてみたらそれもいいかも!」
「ちょ、ちょっとことり……!ま、まあ穂乃果がそういうなら私も……」
あ、それでいいんだ……。
まあきゃいきゃいと騒いでいるこの3人を見てると、周りがとやかく言うようなことじゃない気がしてくるから不思議だ。
遥か異国の太陽の下で、3人して子供たちと一緒に遊んだり歌ったりしている光景がもう目に見えるようだった。
「うひゃひゃひゃひゃひゃ、く、くすぐった……にゃははは、そこはダメにゃー!」
凛は花陽の二人の幼い娘にまとわりつかれ、レジャーシートをぐしゃぐしゃにしながら転げまわっていた。
さすが花陽の遺伝子を受け継ぐだけあって、凛への懐きっぷりが半端じゃない。
すぐ横で悠然とおにぎりを頬張りながらその様子を見守る花陽。ていうか、止めてあげてよ。
あの子たちがあの調子で成長したら、凛は将来大変な目に合うかもね。
「う、うう……ぐすっ……うち、ずっと寂しかったんよ?えりちに捨てられてからぁ~!」
「す、捨てっ!?人聞きの悪い事言わないでっ!」
離れた一角では、絵里がべろべろに悪酔いした希に絡まれていた。
「だってそうやろー、うちを置いて外国に行ってまうなんて……ひぐっ、ううっ……」
「違うでしょ!私が一緒に来る?って聞いた時、あなたがうんって言ってくれなかったんじゃないの……!」
絵里の顔が真っ赤なのは、お酒のせいじゃないと思うけどね。
「あんな軽い言い方、冗談で言ってると思うやん~!」
「ロシアに行った後も、遊びに来てって言ったのに来なかったじゃない!」
「そんなんふつう社交辞令やと思うやろ、えりちのバカ!あほぉ……」
「バカはあなたよ……私があなたに冗談や社交辞令なんか言うわけないじゃないの……!」
「えりち……じゃあうち、えりちと一緒に居てもええの……?」
「当たり前でしょう……ずいぶん遅くなってしまったけれど、これからやり直しましょう?私たち」
「えりち……」
「希……」
「うち……うち……」
「うん……♡」
「きぼぢわるぅい……」
「えっ?ちょっと、待っ、きぃやぁぁぁーっ!?」
ハラショォォォー、と巻き舌気味に上がる悲鳴。
相変わらず本当に面倒くさい人たちね。
というか絵里、前から思ってたけどあなた、多分ハラショーの使い方間違ってるわ。
「全く、あきれた連中よね~。穂乃果や海未なんて完全にヒモじゃないの。成長が無いっていうかぁ~」
お酒を飲むことができないのが不満らしいにこちゃんが上から目線で鼻を鳴らす。
「どんだけブーメラン発言なのよ」
私はさすがに呆れて呟いた。
穂乃果や海未たちがヒモ予備軍なら、結局退院してからも私の家に転がり込んで、CDの印税が入るまでは無収入のままのにこちゃんは、現役ベテランのヒモまっしぐらじゃないの。
「何か言った?」
じろりと私を睨むにこちゃん。
「別に」
そっぽを向いてチューハイを口にすると、肘がどすっと私の脇腹に入ってまたむせそうになる。
「何すんのよ!」
「別にぃ~?」
「ふぅーん、そういうこと」
ははぁ、と私は思い当たる。
「にこちゃんったら、他のみんなが仲良くしてるのみて寂しくなったんでしょう?」
「はぁ!?そそそんなわけないしぃ!?」
「はいはい、よしよし」
しょうがないから頭を撫でてようとすると、ついっと逃げるにこちゃん。
でも……そうね。
そろそろ私たちも、いい加減遠回りをするのは止めにした方がいいかもしれない。
私は膨れている彼女の両肩を掴み、ぐいっとこちらに向きなおらせた。
誓って言うが、それをこの場にいる他のみんなにも聞かせようと思っていたわけではない。
ただ運悪く、その瞬間に示し合わせたように喧騒が止んだことと、今までのリハビリで、にこちゃんにははっきりと大声で伝える、という癖がついていたことが災いしただけだ。
「愛してるわ、にこちゃん」
静まり返った中でその言葉が響いた瞬間、周り中からやんやと囃し立てる声が上がった。
「ひゅーひゅー!」
「真姫ちゃん、かっこいいー!」
「おめでとー!」
「二人とも、お幸せに……」
「うっ、ぐすっ……良かったわね、にこ、真姫ぃ……!」
明らかに先走った祝福の言葉まで聞こえる。
「あ……うあ……」
見る間にゆでだこのように真っ赤になったにこちゃんは完全に意味のある言葉を発せなくなっているが、これは言語障害とは何の関係もないだろう。
ぱち……ぱち……
どこかから上がった拍手の音は、たちまち音乃木坂の校庭全体に広がり、私たちを包み込んだ。
にこちゃんの家族も、そして驚くべきことに、私の両親も手を叩いている。しかも、目にうっすらと涙まで浮かべて……
「ぐぬぬぬぬ……バカ!真姫ちゃんのバカ!そういうのは二人っきりでロマンチックな雰囲気でって思ってたのにぃ……バカバカバカバカ!」
恥ずかしさのあまり顔を私の胸にうずめたにこちゃんが、ポカポカと拳をぶつけてくる。生きるエネルギーに満ち溢れた彼女の攻撃は、病を抱えていた頃とまるで比較にならないぐらい力強く、閉口した私としては何とかやめさせるしかない。
そこで、華奢な顎を持ち上げると、唇を奪って黙らせてあげることにした。
その時周りがシーンと静まっていたのか、大騒ぎになっていたのかは覚えていない。
何故なら私の五感には目の前のにこちゃん以外の何物も映っていなかったからだ。
──これはちょっと早い誓いのキスよ、にこちゃん。
──バカ。もう……しょうがないわねー……。
にこちゃんのお返しのキスを受けながら、例え世界中にバカップルと笑われようと、私は今までで一番幸せだった。
「みんな、歌おうよ!」
ようやく大騒ぎが一段落した後、いきなり音頭を取ったのはもちろん穂乃果だ。
桜の花びらが舞い、月が優しく照らし出す中、みんなの歌声が響き渡る。
先の見えない辛さに絶望した夜もあった。変わらない日常に埋もれかけた日もあった。
それでも、夜明けはやってくる。
いつだって、夢を見ることはできる。
みんなで願えば、奇跡は本物になる。
大事な人たちと寄り添いながら、私たちは高らかに歌う。
愛と平和が世界を吹き渡る歌を、誰にはばかることも無く、力の限りに。
「そうだ!今度にこちゃんたちのユニットの後ろで私たちも歌うっていうのはどう?」
また新たな可能性を感じてしまったらしい穂乃果が言い出す。
「それいいかも♪」
「また穂乃果はそのような突拍子もないことを……」
ことりが諾々と従い、海未が諦めたように肩を竦める。
「ちょっと穂乃果、μ'sは終わりにするってあの時に決めたじゃないの」
「スクールアイドルとしてのμ'sは卒業したけど、ボーカルユニットのコーラスとしてのμ'sなら、ありなんやない?」
諌めようとする絵里を、希が横から煙に巻く。
「わーい、凛は大賛成にゃーっ!」
「えええ!?私子持ちの人妻なのにまたアイドルデビューシチャヴノ゛ォォ!?」
よく考えずに走り出す凛と、何か勘違いしているらしい花陽。
「μ'sを卒業しても、μ'sは永遠にμ'sですっっ!」
意味不明な穂乃果の宣言に、みんながどっと笑う。
でも、それはきっと正しい。
私も希も凛も、多分穂乃果以外の全員が間違っていた。
私たち9人の絆は、スクールアイドルを卒業したって、みんなの道がたとえ別れたって、絶対に変わったりしないのだ。
そして、変わらないものはもう一つ、ここにある。
「これからは一生、絶対離さないからね、にこちゃん。覚悟しときなさいよ」
「覚悟するのは真姫の方よ。いつだってにこを大事にしなきゃ許さないんだからね」
私たちは力強く抱き合う。
この人と、いつまでも共に生きると誓って。
いつか、今まで以上の困難にくじけそうになる瞬間が訪れたとしても。
その時は、きっとまた──
真姫「にこちゃんと夜空に架かる虹を見るわ」 ──Fin──
・終わりです
・レスくれた人、読んでくれた人さんくす
乙乙
乙
やるね
乙
駄作だった
にこまきにそもそも良作なんてあるのか(困惑
乙
未来設定のかよちんの結婚してる率は異常
乙乙
また次の作品も書いてくれたら嬉しい
乙です次も期待したい
おつ
うーんこのセンスのなさ
乙乙
おつ
いいね
評判がめちゃくちゃ良かったから読みに来たけど最高に面白かった
ありがとうございます
ありがとう
すげえよかった
ええぞ
過去作あったら教えてほしい
>>92
おー過去作聞かれたの初めてだから嬉しい
・ラブライブ!
にこ「穂乃果の天然タラシを矯正するわ」
穂乃果「にこちゃんのチョロツンデレを攻略するよ!」
絵里「にこの未成熟なペリメニを思う存分ハラショーしてしまったわ……」
ことり「にこちゃんとメイドさんで運命感じちゃうかも♪」
海未「にこの平坦な双丘に山頂アタックです!」
凛「にこちゃんの大事な初めてをキズモノにした責任を取ることになったにゃ」
・帰宅部活動記録
桜「夏希ちゃんに告白しようと思います!」夏希「!?」
クレア「花梨さんを妹にするわ」夏希「」
桜「部長としての威厳を取り戻したい!」夏希「……」
桜「夏希ちゃんへの告白を阻止します!」
夏希「牡丹センパイと仲良くなりたい?」 朱雀「……うん」
夏希「風邪引いた……」 「!!」ガタッ
桜「夏希ちゃん! トリックオアトリート!」 夏希「……遅っ!?」
花梨「そんなデートじゃ28点です!」牡丹「赤点!?」
夏希「帰宅部活動写真?」
桜「絶対にツッコんではいけない帰宅部!!」
夏希「ハッピーバレンタイン」
・ヤマノススメ
あおい「ひなたにキスされたかもしれない」
あおい「ひなたとキスしちゃったかもしれない」
あおい「ケーキにたっぷり愛情を込めすぎたかもしれない」
・てーきゅう
ユリ「先輩とホワイトアウト」
・こち亀×スクフェス
両津「スクールアイドルフェスティバルだと?」
・怪しい伝説×寄生獣
怪しい伝説「寄生生物の検証」
微妙にタイトル間違ってたらごめんやで
ラブライブの作品全部読んだやつでワロタ
次作品も期待してる
あとにこ×希と花陽だな
ラブライブのは全部つまらなくて切ってたやつだ
ってことは最後まで読んだのは初めてかも?
ことりと海未のやつは読んでないなー
>>93
天然タラシのやつ書いてる人か
面白かった
他はタイトルでなんとなく食わず嫌いしてたけど読んでみるわ
今回のとても良かったわ
シリアスだとこう風当たり強いけどおれは好きやで
みんなレスくれてありがとねー
にこぱなとのぞにこも頑張って書いてみようと思うわ
書いたら是非とも読みませてくれ
こちかめって機械作るやつかwwww
あれもおもろかったわ
この作者さん面白いSSとつまらないSSの差が激しいな
今回のは後者の中でも一二を争う出来だった
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