コードギアス 【ロスカラ】 (1000)
需要無いよね?
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ある
ありまくるからはよ
はよ
「はぁ……はぁ……っ」
走っていた。
夕暮れに染まる都会。人の目を避けながら、ひたすら走っていた。何かに追われている。確証は無かったが、確かに何かから逃げているのだ。
喉が痛い。呼吸の仕方が分からない。それでも足は止まらない。酸素が足りていないにも関わらず、頭の一部は冷静で、どこを行けばいいのか明確に伝えてくる。
自分の体の調子も理解していた。怪我は擦り傷が三つと軽い打撲が少々。いずれも無視出来る。内臓機能も今のところ問題は無かった。
しかし、脱水症状と栄養失調は大きな問題だ。この調子で走り続ければ、恐らくは半日で動けなくなるだろう。
それでも足は止まらない。行く宛も無いのに走り続ける。心臓の鼓動は早まるばかりで、肺も悲鳴をあげている。喉からは血の匂いが上ってきていた。
「────」
何処からか、人の笑い声がした。何人もの笑い声だ。今まで人のいない場所を選んで移動していたのに、何故だか足はそちらに向いた。まるで、灯りにまとわりつく羽虫のように。
五メートルはあるだろう高い外壁をよじ登る。これにはそれほど苦労しなかった。しかし途中で体の自由が効かなくなり、どこかの施設内に転がり落ちた。
必死で息を殺す。体から酸素を欲しがる声が聞こえるも、それは無視した。
「────」
「────」
二人分の話し声。とっさに身を隠す。敷地内は景観を重視しているのか、木々が豊富だった。話し声が近づいてくる。
木の影から辺りの様子を窺う。一組の男女が近づいてくるのが見えた。どちらもこちらに気がついている様子は無い。
一人は黒い髪に黒い服を着た、端正な容姿の少年だった。もう一人はウェーブの掛かった長い金髪に、クリーム色の服を着た美しい女性だ。見た感じ、女性の方が年上に思えた。
二人は談笑しながら廊下を歩いてくる。女性の方が少年をからかい、少年は肩を竦めながら皮肉を返す。二人の間には特有の気安さがあり、親しい関係である事が窺えた。
目を細める。
(……どうしてだろう)
不思議に思った。彼らは単に取り留めの会話をしているだけなのに、それがどうしようも無く眩しい。
気がつけば、右足が前に出ていた。落ちていた小枝を踏んでしまい、折れる音が静かな中庭に響いた。
「──誰だっ!?」
少年は一瞬にして表情を険しく変え、こちらを威嚇してくる。女性の方は突然の事に驚いたようで、形の良い目を丸くしていた。
それを見て、何かが切れたかのように意識が遠のいていく。一気に疲労が込み上げて、気がつけば地面が目前に迫っていた。
「はぁ……はぁ……っ」
ルルーシュ・ランペルージは肩で息をしていた。たった今、重労働を終えたばかりの彼は、ベッドに寝かせた不審者を恨めしそうに睨む。
「お着替えは終わったー?」
扉が開き、金髪の女性が入ってくる。厄介者を引き入れ、厄介事を押し付けてきた張本人である彼女は、疲労困憊のルルーシュを見て、
「……もしかして、興奮したの?」
と軽蔑するような視線を向けてきた。キレそうになるが、ルルーシュは理性を総動員して笑顔を作った。
「これは会長。言われた通り、身元不明の不審者を運んでおきましたよ。では、俺はこれで……」
まともに相手などしていられない。こういう場合は適当にあしらい、離脱するに限る。時間とは常に有限であり、それを無駄に浪費するというのは不毛極まりない。
しかし、女性はルルーシュの腕を取り、言った。
「あ、もう皆呼んであるから」
「そうですか。では、俺はこれで」
細い指が腕にめり込む。信じられない力だった。それを振り払えない自分の腕力は、もっと信じられなかった。
「ここに居てもらわなきゃ困るわよ。生徒会での重大発表だもの。会長と副会長がいなきゃ」
「……念のため、その重大発表とやらの内容を聞かせてもらいましょうか」
「とりあえず、ここの彼。うちで面倒見る事にしたから」
「……は?」
予想外の答えに思考がフリーズする。再起動までに三秒を要した。彼女は強敵だ。説き伏せるには入念な準備がいる。まず、理論を組み立てなければならない。そして、相手の反論を予測・封殺し、こちらの思い通りの展開に──
「簡単なメディカルチェックは済ませたし、お祖父様の伝手で身元も確認したけど該当は無し。このままじゃ、どうせ施設送りだろうから……ね?」
駄目だあちらの方が早い。ルルーシュは驚愕したが、持ち前の負けず嫌いが発動して再び頭を回転させた。先手を取られたのは痛いが、次はこちらのターンだ。絶対に論破してみせる。
「……正気ですか?」
「もちろん?」
「危険です。目が覚めた途端、襲いかかってくるかもしれないでしょう」
「こんなに衰弱してるのに?」
「……俺は将来的な事を言っています。学園の生徒に危険が及んでからでは遅い。速やかに警察へ引き渡すべきです」
ふむ
「んー。でも……」
「でも、なんです?」
「ルルーシュも見たでしょう? 気を失う前の、彼の表情」
「……それは」
「すっごく辛そうな顔してた。それは肉体的な疲労なんかじゃなくて、もっと深いものだと思う」
「…………」
たった今までおちゃらけた表情だった女性は、急に神妙な空気を放ち始めた。こうなると厄介だ。彼女本来の知的な口調に、ルルーシュはとても弱い。
「まあ、確かに……」
倒れる直前、彼の表情を見たルルーシュは渋々ながらここまで彼を運んでしまった。いつもなら問答無用で叩き出す筈なのに、だ。
この男が特殊な訓練を受けた暗殺者という可能性も考えられた。ルルーシュとその周囲には、そういった類いの者に狙われる理由が山ほどあった。
それは、この女性が一番理解してくれている筈なのだが。
「……はぁ」
結局、ルルーシュの口から出たのは抗議の言葉ではなく、ため息だった。こうなったら、これからやってくる他のメンバーに賭けるしかない。流石に身元不明の不審者を意味も無く保護しようなどという奇特な人間は多くないだろう。そんな風に考えていた。
十五分後、部屋に集まった七人のメンバーによる多数決の結果、四対三で保護派が勝利する事となるとは、この時は思いもしなかった。
これが彼とルルーシュとの、最初の出会いであった。
今回はこの辺で。とりあえずこんな感じで進めていきます。
ゲーム本編では殆ど主人公視点だったため、他キャラ視点での話も多くなるかと。
設定の矛盾等、多数あるかと思いますが暇つぶしにでも見て貰えたら幸いです。
ゲームオリキャラであるライがあんなに受け入れられたのは脚本が良かったからな
「ライ、ね……」
「覚えているのはそれだけか?」
保護してきた少年はライと名乗った。彼の周囲にはルルーシュの友人であるリヴァル・カルデモントとシャーリー・フェネットがいる。どちらも善良な人間だ。身元不明者だというライの事が物珍しいのだろう。
「……はい」
ライと名乗る少年はどこか虚ろな表情で答えた。一日中寝たきりで、目を覚ました直後に質問責めに遭ったにも関わらず、驚いた様子も見せない。ルルーシュは彼に対する警戒を強めた。
「困ったわねぇ。じゃあやっぱり、自分の事はほとんど分からないのか……」
「……すみません」
ライは目を伏せる。演技には見えなかったが、それだけでは判断出来ない。今は彼を観察し、少しでも情報を集めなくては。
「……ルルーシュ。君が彼を連れて来たんだろう?」
後ろから声を掛けられる。枢木スザクだった。彼もまた、最近このアッシュフォード学園に転入してきたばかりの生徒だ。複雑な身の上もあり、厳しい立場というのはライと同じだった。何より、どうしようも無い程の世話焼きでもある。
彼の言いたい事は分かる。適切な検査の後、然るべき機関に預けるべきだと──
「この学園で預かるんだよね。彼の部屋はどこになるのかな?」
「……!?」
「そうじゃないだろう!? 常識的に考えてみろ、身元不明者をそのまま預かる事がどれほど危険か……」
「でも、会長がああ言ってるんだし……」
「しかしだな……」
「君も僕も会長にお世話になっているんだから、意見は尊重するべきだと思う」
スザクは人懐っこそうな目を緩めて言った。ルルーシュはまるで論破されたかのような気分になり、小声ながら必死に訴えた。
「クラブハウスにはナナリーもいるんだ」
「……それは」
「危険はなるべく少ない方が良い。そうだろう?」
「…………」
ルルーシュがここまで頑なにライの入居を危険視するのは、これが理由だった。性善説を信じていそうなスザクも、流石に考える。
彼の入居賛成派は会長と、それに釣られたリヴァル。根っからのお人好しであるシャーリーとスザクの四人だった。
反対派はルルーシュと、人見知りの激しいニーナ・アインシュタイン、後は正直どちらでも良いといった様子のカレン・シュタットフェルトの三人だ。
ルルーシュ以外の反対派二人は喧騒から離れた場所で事態を見守っている。カレンの方は早く帰りたいのだろう、少し苛ついているようだった。
スザクを引き込めば、反対派が四人となり逆転する。ルルーシュはそこを狙っていた。
「僕は信じても良いと思う。彼のこと」
「スザク……!」
「君の考えももちろん分かる。でも、僕には彼が危険な考えを持っているようには見えない」
「…………」
「万が一、彼が問題を起こすようなら僕たちで止めれば良い」
「……くっ。お前に聞いた俺が馬鹿だった」
「ふふ」
毒づくルルーシュに、何故かスザクは微笑んだ。
「……で、あそこにいる仲の良い二人がルルーシュ・ランペルージと枢木スザク君ね。ルルーシュの方はもう会ってるわよね?」
「僕をここに運んでくれた……」
「そう。一応、ここの副会長もやっているから。……サボり魔だけどね」
「……面倒を掛けてすまなかった」
ライはそう言って頭を下げた。他意は感じられない。その素直な謝罪と感謝を向けられたルルーシュに、周囲の視線が集まった。
ルルーシュはにっこりと笑う。万人が好感を抱くような笑顔だった。
「なに、大した事はしてないさ。君はだいぶ疲労しているようだし、ここでゆっくりしていくと良い」
嘘偽りしかないその言葉に、周囲からの視線が冷たいものに変わったが、全て無視した。
「……いや」
ライはそう言って、ベッドから起き上がった。体調はいくらか回復したようで、動きに淀みは無いように見えた。
「こんな状態で、これ以上世話になるわけにはいかない」
その言葉には、拒絶に似た強い意志が感じられた。学園指定の体操着のシャツとズボンを着せられた状態のライは、床に素足を置いて立ち上がる。
その姿に、ルルーシュは反抗心に似た強い苛立ちを覚えた。しかし、彼より先に会長が口を開いた。
「んー。でも、行くところも無いんでしょ?」
「…………」
「あなたの部屋の手配とか、仮入学の手続きとか、もうしちゃったんだけど」
「……は?」
ライは呆気に取られたように、虚ろだった目を見開いた。
ルルーシュは一歩前に出て、会長に続いた。
「会長もこう言っているんだし、善意は受けとっておく事だ。それが恩返しにもなる」
「…………」
「良かった、じゃあ決まりだね!」
スザクも喜んでいる。シャーリーやリヴァルもだ。ニーナでさえ、控えめながら会釈をしていた。ただ一人、カレンだけは穏やかな空気を纏っていながら、どこか他人事の様だった。
ルルーシュでさえそれに気づいたのだ。このアッシュフォード学園生徒会のボスが気づかない筈がなかった。
「じゃあ、お世話係を任命しまーす!」
カレン・シュタットフェルトはうんざりしていた。学校の授業が終わり、少し勉強をしてから下校しようと思っていた。家に帰りたく無いが故にとった苦肉の策だった。
そこで会長から連絡があった。至急、生徒会室に集まれという内容だったが、行くかどうかは迷っていた。出席すれば面倒な事に巻き込まれるだろうし、しなければ家に帰らなければならない。
リスクを考えれば、後者の方が良いか……そう思って玄関に向かったところ、シャーリー・フェネットに捕まったのが運の尽きだった。
生徒会室に連行されてみれば、ベッドに横たわる変な少年といつになく楽しそうな会長、いつになく不機嫌そうな副会長の姿があった。
会長は彼を学園で世話しようと考えているらしい。ルルーシュは必死で抗弁している。それから生徒会が全員集まり、彼の保護に賛成か反対か多数決が取られ、反対派のカレンは敗北する事となった。
この時点で嫌な予感がしていたのだ。確実に厄介事が音を立てて近づいてきている。
肝心の人物が眠っているのもあって、その日のうちはそれでお開きとなった。
そして今日。少年が目を覚ましたという事で、再び生徒会室に集まった。
反対派筆頭のルルーシュ副会長による突然の手のひら返しにより、反対派の敗北は決定的なものになったが、やはりカレンには大した関心はなかった。適当に息を潜めていれば、この騒動も収まるだろうと思っていたからだ。
「じゃあ、お世話係を任命しまーす!」
会長が言った。早く決めてくれと思った。きっとルルーシュとスザクが兼任するだろう。それが一番合理的だ。
しかし会長は何故か、こちらを指差し、
「栄えあるお世話係第一号は、さっきから壁の花と化しているカレン・シュタットフェルトさんに決定!」
「は……?」
しまった素が出た。瞬時に切り替え、
「そんな……。困ります」
そう言って目を伏せた。
期待
「でも、もう決めちゃったしなぁ……」
「会長、理由を聞かせてもらえますか」
すかさずルルーシュが突っ込む。
「ルルーシュとリヴァルは変な事教えそうだし、スザク君は租界に来たばかりでしょ。シャーリーは水泳部があってニーナは怖がってるし……ねえ?」
「わ、私もそこまでカバー出来ませんよ」
「ダーメ。租界と学園内に詳しくて、なにより最近、出席率が一番低いから決定」
「そんな……」
これは本当に良くない事だった。ただでさえカレンは学園に近づきたくなかったのに、こんな厄介事に巻き込まれては"本業"の方に差し障る。
今は忙しい時期なのだ。記憶喪失の身元不明者の世話係など、やっている時ではない。
「すまないが……」
今まで黙っていたライが口を開いた。不思議と通る声だ。全員の視線が彼へと向く。
「これ以上、誰にも迷惑はかけたくない。自分の事は自分で何とかする」
「…………」
「最初から当てにしていない」と言われているように思え、カレンはむっとした。
今度はライとカレンを除く全員の視線がこちらへ集まった。
「だってさ。どうする?」
「……やります。やれば良いんでしょう」
「じゃあ、決まり!」
ミレイ・アッシュフォード会長の思惑通り、カレンは世話係に任命された。
夜のトウキョウ租界。高層ビルが乱立した街道を、ライと二人で歩く。世話係の最初の仕事は、租界の案内だった。
良く整備された夜の街を異性と並んで歩くというのは、普通の女子ならそわそわするシチュエーションだ。
今のライはアッシュフォード学園の制服を着せられている。多分、見た目ならそこらの王族にも負けないだろう。かなりの美形だ。
しかし、カレンの対応はひたすら事務的だった。色気などかけらも無い。問題はこの、無表情で無気力な同行者にある。
「……ここが公園ね。そこの道を右折すれば、病院へ行けるから」
「分かった」
租界は広い。放課後に徒歩で回っても、行けるところなど限られている。街の案内など簡単だと思ったが、これでは何日掛かるか分からないと辟易していた。
おまけにこの同行者だ。こちらが何を言っても空返事ばかり返してくる。常に三メートルほど離れている距離も、なんだか無性に苛ついた。警戒されているように思ったからだ。
こんな調子では成果など出るわけが無い。カレンは早々に見切りをつけ、学園周辺の主要な施設を適当に紹介した。これだけ知っていれば生活には困らないだろう。本当に分かっていればだが。
既に遅い時間だ。今日はこんな所で良いと思い、振り返った。気になるのは、開いた三メートルの距離。いや、最初よりもっと開いている。
それはあまりに失礼ではないのか。カレンはしとやかな令嬢の仮面を一瞬だけ外し、語気を強めた。
「……私の案内、つまらなかった?」
「……すまない」
彼は言葉通り、本当にすまなそうに俯いた。それはカレンの今の言葉にではなく、もっと根本的な事への謝罪に思えた。
「え……」
「だって、迷惑だろう。こんな役割を押し付けられて」
「…………」
そういうことか。と得心がいった。彼はつまらなかったわけでもなく、不真面目だったわけでもなかった。ただ、申し訳なかったのだ。
自分が他者にとって迷惑な存在だと認識していて、それを押し付けられたカレンに対して、いつ謝ろうかと悩んでいたのだ。
その時カレンは、距離をとっていたのはライではなく、自分だったのだと気付いた。数時間に渡る案内の道中、何回こうして振り返っただろう? もしかして、今が初めてではないのか?
失礼なのはどちらだったのだろう。右も左も分からないライを適当に連れ回し、彼の意見など聞こうともしなかった。
「あ……」
目眩がした。謝るべきなのは彼ではない。こちらだ。恥ずかしさが込み上げ、申し訳なさが体を満たした。
「今日はありがとう。君のおかげで大体わかった。後は自分で何とか出来る」
そう言って、ライは学園へ続く道へ向かおうとする。あんな案内でも、きちんと理解していたようだ。彼が真剣だった証拠である。
「ま、待って」
何か考える前に、そう言っていた。ライが振り向く。その表情からは感情が窺えなかった。
「どうした?」
「あの……」
月の光が彼を照らしていた。珍しい銀色の髪が光を反射し、その姿をとても儚げなものに思わせる。
「迷惑……なんかじゃないから」
「……そうか」
「明日も、同じ時間に案内するから」
それを言うには結構な勇気が必要だった。もう良いと言われれば、この関係は終わりになる。カレンにとって、お世話係という役職は決して重要ではなかったが、そんな事はどうでも良かった。
「……いいのか?」
「もちろん。お世話係だもの」
なんとか余裕を持って微笑む事が出来た。そうすると彼は、
「わかった」
素直に頷いてくれた。
「じゃあ、また明日、ね」
「ああ。また明日」
ライは去っていった。その背中を見送り、カレンは空を見上げた。月が夜闇を照らしている。人を落ち着かせるような、優しい光だ。こうして眺めるのは何年振りだろうか。
世話係を本格的に行うとなれば、きっと忙しくなるだろう。今までより遥かに。
「……まあ、いっか」
なんとかなるだろう。そんな風に思える。どこか晴れ晴れとした気持ちだった。嫌悪している自宅へ足を向ける。いつもより足取りは軽かった。
なんとなく、明日の学園が楽しみになったのが原因かもしれない。
ちょっと休憩
ライカレたまらん
懐かしいなぁ
夜。クラブハウスの廊下で、ルルーシュはある部屋の前に立っていた。既にスザクを交えた三人での夕食を終えて、妹のナナリーを寝かせた後だ。
時刻は夜九時を過ぎた頃。綺麗な月が夜の租界を照らしている。ルルーシュが立っているのは新しく用意されたライの部屋だ。
控えめにノックする。応答は無い。声を掛けてみるが、これまた応答はなかった。出掛けているらしい。カレンの案内がまだ続いているのだろうか。
「……少し待つか」
時間には余裕があった。ルルーシュの部屋は目が届くほど近くにあるため、緊急時はすぐに駆けつけることが出来る。
この後やる事と言えば、シャワーを浴びて"彼ら"への定時連絡を済ませる事くらいだろう。一時間もあれば終わる。
壁に背を預け、目を閉じる。そうして十分ほど待った頃、階段の方から足音が聞こえた。規則正しい旋律で、こちらへ向かってくる。
「……君は」
「夜分遅くすまない。昼間伝え忘れた事があってな」
「それはすまない。待たせてしまったか」
銀髪の少年は気遣いが出来るようだった。まずは長所を一つ見つけた。
「いや、気にしないでくれ。こちらの用事だ」
「……?」
ライは部屋の中へ案内する素振りを見せたが、ルルーシュは遠慮した。この時間は流石に失礼かと思ったのだ。
「で、話というのは……」
「俺がお前の保護に反対していた理由を話しておこうと思ってな」
「…………」
「俺には妹が一人いる。ナナリーという子だ。ここで一緒に暮らしているんだが……」
妹という単語にライがピクリと反応したが、ルルーシュはそれに気づかなかった。
「生まれつき、眼と足が不自由でな。物音とかに敏感なんだ。……出来れば気を使ってもらいたい」
無表情なために彼が何を考えているかは分からなかったが、ライはこくりと頷いた。
「……その話ならミレイさんから聞いている。約束しよう。君達兄妹の邪魔はしない」
「そ、そうか。すまないな。こんな事を頼んでしまって」
「いや、唯一の肉親の事だ。当然だと思う」
相変わらずの無表情だったが、真摯な返答だと思えた。ひねくれ者だと自負しているルルーシュでも、すんなりと信じられるくらいに。
「話はそれだけだ。協力に感謝する」
「ああ」
「お前の入寮を歓迎するよ。ルルーシュ・ランペルージだ。改めてよろしく」
「……ライだ。よろしく頼む」
簡潔な挨拶を交わして、二人は別れた。ルルーシュは自室に入る直前、ライの部屋の方をちらりと窺った。鍵を開けるのに何故か悪戦苦闘している。
変な奴だと思った。
二日目の朝。ライは自室で目を覚ました。時刻はきっかり六時。あくび一つ無く起き上がり、自室の状況を確認。今日はアッシュフォード学園での授業体験の予定があった。
備え付けのクローゼットを開け、生徒会長から渡された学園指定の制服に袖を通す。新品特有の固さに違和感を抱いたが、すぐに慣れるだろう。慣れるまでここに居られるかは分からないが。
学生鞄を開き、昨日のうちに用意していた教材を丁寧に納めた。そして時計を見る。六時十分。登校時間まで二時間近くあった。
(やることが無くなった……)
ベッドに腰掛け、俯く。どうしたらいいか分からなかった。
知人は何人か出来たが、頼るのは気が引ける。記憶喪失の身元不明者という立場上、誰かしらに迷惑をかけざるを得ないのだが、それは必要最低限であるべきだと考えていた。
今の自分に出来るのはそれくらいなのだ。
「…………」
外は晴天だが、どうしてか空が濁って見えた。美しいと思えない。気分が落ち込んでいるからなのか。それさえも分からなかった。
とりあえず、こうしていても始まらない。早く記憶を取り戻さなくては。
立ち上がり、外へと向かう。まずは昨日、カレンから案内してもらった道筋を辿り、周辺の地形を理解しよう。
どうにも体に力が入らなかったが、ライはクラブハウスを後にした。
「うーん……」
昼休み。昼食を終えた枢木スザクは生徒会室で唸っていた。机の上には数学の課題が広げられていた。今日の授業で習ったばかりのところだ。
授業中に説明を聞いた時から嫌な予感はしていたが、全く理解出来ない。完全にお手上げだった。
(ルルーシュに聞こうかな。でも、こういうのはやっぱり自分でやらなきゃ……)
すぐに誰かを頼ろうとするのは甘えに繋がるのだ。スザクは頭を振り、分かるはずの無い難問に取り組む。
その時、生徒会室の扉が開いた。入ってきたのは今日仮入学してきたばかりの少年だった。
「あ、ライじゃないか」
「枢木……スザクだったか」
ライは朝のホームルームで仮入学生という事で紹介された後、生徒達──特に女子から包囲されて質問責めに遭っていた。あのルルーシュが珍しく朝から登校し、彼のフォローを進んで行っていたのが印象に残っている。
「君も課題かい?」
「いや……。教室は疲れるんだ」
「はは。囲まれていたもんね」
「……課題か」
ライの視線がスザクのノートにとまる。真っ白なそれを隠して、誤魔化すように笑った。
ルルと同じ思考速度で美形、スザクに並ぶ身体能力&ナイトメア操縦技術、オレンジ(ギアキャン前)を受け流して窘められる話術
こう書くと本当メアリースーも真っ青なスペックだよな…なぜ人気になったのか
あ、√分岐あればノネットさんかコーネリア殿下もお願いいたします!!
「はかどっては……いないようだな」
「はは……」
「この公式は中等部で習った物を組み合わせて使用していると授業で言っていた。そちらの教材は無いのか」
「う、うん……。君は分かるのかい?」
「ああ。他の生徒が解いているのを見たからな。大方理解出来たと思う」
「じゃあ……これも分かる?」
なんとなくスザクが見せた問題を、ライはすらすらと解いて見せた。
「凄いな……」
「幾つかの要点を抑えれば答えは自動で出る。……こことここだな」
図らずも、課題を手伝ってもらう形になった。教え方はとても丁寧で、二日かけて終わらせようと思っていた課題は三十分で終わった。
気づけば昼休みが残り僅かとなっている。
「ご、ごめん! 手伝ってもらっちゃって……」
「……? いや、役に立てたなら嬉しい」
ルルーシュのように偉ぶる様子も無く、ライは窓の外へ視線を移した。そこで、スザクは先ほどから気になっていた事を尋ねた。
今回はこんなところで。ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
頼りになるのは攻略本と拙い記憶のみなので変な所も多々あると思いますが、読んでもらえれば幸いです。
つい先日引っ張り出したら、フルクリアデータの入ったメモカがどっかいってたので最初からプレイし始めた僕得SS
乙です
乙
乙
懐かしい
ロスカラとは珍しいおつ
「……君は僕に普通に接してくれるんだね」
「どういう意味だ?」
「僕は……名誉ブリタニア人だから」
アッシュフォード学園はエリア11と呼ばれるブリタニアの植民地にある。ここは昔、日本と呼ばれていた国だったが、数年前の戦争で日本が敗れた事により神聖ブリタニア王国の統治下となった。
それ以来、日本人はイレヴンと呼ばれ、迫害されている。エリア11から取られた俗称だったが、今ではすっかり定着してしまった。
「そういえば……ここでは差別があるんだったな」
常識的な知識はあるのか、ライは思い出したように言った。
名誉ブリタニア人とは、特定の手続きを経ることでブリタニアの国籍を取得した被植民地国の人間の事である。簡潔に言えば、自分達の国を奪った相手に頭(こうべ)を垂れ、隷属した者を指す言葉だ。
ゲットーと呼ばれる廃虚となった街から、清潔な租界での暮らしが約束される代わりに、ブリタニア人からはゴミのように扱われ、母国の人間からは売国奴と罵られる。
本来ならば、名誉ブリタニア人のスザクはアッシュフォード学園に入学することなど許されない。それが、様々な幸運が重なったことにより、こうして勉強が出来る。
とても感謝はしているが、それでも差別は日常茶飯事だった。スザク自身、慣れてはいたが、普通に接してくれるミレイやリヴァル達、そしてライのような人間は珍しい。
差別をするからといって嫌いになるわけでもないが、理由は気になっていた。ルルーシュやナナリーとは以前から親しかったが、他の生徒会メンバーは生粋のブリタニア人だ。恐らくはライも。
「僕には記憶が無いんだ。差別なんてしようがないだろう」
「そうか。……そうだね」
「……だが、ここの人達が善良だという事くらいは分かる。君も含めてな」
「…………」
「そういえば、僕も聞きたい事がある」
ライが立ち上がりながら言った。
「なんだい?」
「……男子生徒達から、妙な視線を感じる。朝からだ。理由を知りたい」
「ああ……」
それはスザクも気づいていた。男子生徒何人かが常にライの周囲をうろつき、監視しているのだ。差別的なものではなかったが、不自然だった。早朝の時点ではライが転入生だという事は知られていなかったはずなのに。
物珍しさからくる好奇心というのなら分かるが、彼らのは明らかな警戒心だ。何か、神聖な領域に侵入しようとする者に対する視線のように思えた。
「彼らを刺激するような事を、何かしたんだろうか」
「うーん……」
「リヴァルから、"お前も大変だな"と言われた」
だとしたら、ライの過去に関する事柄ではないだろう。
「昨日、カレンと街に行った後は何をしてた?」
「クラブハウスでルルーシュと話した後、すぐに寝た。今日は学園に来るまで租界にいたから、妙な二人組以外は見ていない」
「妙な二人組……?」
「ああ。大型トレーラーの近くで眼鏡をかけた研究者風の男性と、どこかの制服を着た女性が問答していたんだ。もしかしたら、彼らに関係があるのかもしれない」
「そ、その二人組はきっと関係ないよ」
その二人組はスザクの知り合いだったが、それは言えなかった。
「まあ、時間が経てば彼らも離れていくだろう」
そこで授業開始五分前を告げるチャイムが鳴った。急いで教室に戻らなくてはならない。
「ごめん……力になれなくて。僕も調べてみるよ」
「……すまない」
「何か困った事があったら何でも言って。僕で良ければ力になるから」
そう言うと、ライはスザクが抱えている教材を見て、
「それは、お互い様だな」
「はは。そうだね」
二人は駆け足で教室まで向かった。
放課後の生徒会室。ライはスザクとリヴァルに生徒会の仕事を教わっていた。最近は不参加者が多く、だいぶ溜まっているようだった。
「あ、そういえば」
書類の量は多いものの、中身はそう難しくはない。ライが内容を大方理解した頃、リヴァルが思い出したように口を開いた。
「今日もカレンに租界を案内してもらうんだろ?」
「ああ。彼女の予定が済み次第、出発する予定だ」
「そっか。こりゃ、しばらくは監視が消えないな」
「あ、ライにつきまとっている男子生徒達の事だね」
リヴァルは頷いた。彼はルルーシュやスザクと同じクラスの男子生徒だ。そしてアッシュフォード学園生徒会のメンバーでもあった。
情報通なようで、学園生活に役立つ事を色々と教えてもらっている。彼の言葉に、ライとスザクは自然と耳を傾けていた。
「あれはカレンの親衛隊だよ」
「親衛隊?」
「ああ。カレンは体が弱くてさ。学校もちょくちょく休むんだよ」
「そうなのか……」
ライは俯いた。昨日、体の弱い彼女に租界を案内してもらっていたのだ。かなりの長時間、歩かせてしまった。体に良いわけがない。
(だから機嫌が悪かったのか……)
肩の辺りがどんよりと重くなる。突然、記憶喪失の不審者を押し付けられた病弱なカレン。どれだけ不満だっただろう。
ミレイ会長の人選にも問題はあるが、それはカレンの体調をまったく気にかけなかった理由にはならないだろう。
案内された道を覚え、何か記憶に関係ないかを考える事に必死だったせいだ。内側にしか意識が向いていなかった。
「今日、カレンは午後からの登校だったな……」
午前の授業は欠席していた。昨日別れた後、体調を崩したのかもしれない。教室に入ってきた後、普通に挨拶をしてくれたが……。
「ライ、大丈夫かい?」
「……あ、ああ。だが、彼女の体調が優れないというのであれば、世話係は断るしかない」
「そうだね。それは確かに」
スザクも頷く。
カレンが体調を崩して倒れた場合、租界の地理に疎いライでは対処が遅れる事も充分に考えられた。最悪の事態も想定できる。そうなれば、任命したミレイ会長の責任問題にも発展するだろう。
生徒会が解散に追い込まれる可能性もある。それだけは許容出来ない。絶対に。
「おいおい、そこまで深刻に考えなくても……」
思い詰めた表情のライに、リヴァルが声を掛ける。しかし、ライは首を振った。
「いや、彼女の善意に甘えていたのは事実だ。だからこそ、迷惑はかけたくない」
「そうだね。僕で良ければ、お世話係も交代しても……」
「ちょ、ちょっと待てって……!」
何故かリヴァルが必死になっているが、ライには理由を考えている余裕もなかった。
その時、生徒会室の扉が開く。ルルーシュが入ってきた。彼は部屋を見渡し、混乱している様子の三人とは少し離れた自身の指定席に座った。
「なにかあったのか?」
「ルルーシュ、お前からも何か言ってやってくれよ!」
リヴァルが慌てながら事情を説明する。ルルーシュは所々、落ち着くように促しながら静かに聞いていた。
「世話係の交代か……。昨日、任命されたばかりだろう」
「そうだが、彼女の体調については知らなかった。このままというわけにはいかない」
ライの言葉に、スザクも頷く。しかしリヴァルは立ち上がり、反論した。
「でも、昨日は何もなかったんだろ? なら、俺達でフォローしていけばいいじゃんか」
「ふむ……」
両者の意見を聞いた黒髪の生徒会副会長は、しばし黙考していった。
「ライ。昨日の案内でお前に不満はあったか」
「無い。彼女の説明は丁寧で的確だった」
断言する。これはライのカレンの案内に対する感謝の言葉でもあった。ルルーシュは少し笑みを浮かべて、
「ならば、いま必要なのはカレンの意見だな。自分の体調を一番理解しているのは、カレン自身だ」
「だが……。彼女が気をつかって嘘を言う事も考えられる」
「意外に強情だな……。どちらにしろ、世話係の件は生徒会長の権限で決定したものだ。それが私情しかないものだったとはいえ、この場で勝手にどうこう出来るものではない」
「…………」
ライは押し黙った。ルルーシュの意見が正論だという事は理解していたが、どうしても素直に納得出来ない。昨日の夜。月明かりの下で微笑んでくれた彼女に、出来る限り迷惑を掛けたくなかった。
「さっき、カレンがこちらに向かってくるのが見えた。気になるなら、直々に……」
ルルーシュが言うと同時に、扉がノックされた。カレンが顔を覗かせる。部屋にいる四人の視線が一斉に注がれ、彼女は怪訝な顔をした。
「な、なに……?」
長机に並ぶ男四人が視線を交錯させ、それがルルーシュに集まる。彼は仕方ないと言うようにため息をつき、立ち上がった。
「カレン、いま君について話していたところだ。世話係の件についてな」
ルルーシュは見事な話術で今回の議題を説明する。カレンは黙って聞いたが、説明が終わるとライに向かって静かに言った。
「ライ、ちょっと来て」
ちょっと休憩
乙です
続きも期待
乙
乙です
ライカレとか俺得過ぎる
ロスカラ2未だに待ってます(真顔)
ごく普通の呼びかけだった。ライは何も言わずに席を立ち、生徒会室から出て行った。残された男子三人の内の一人、リヴァルは酷く恐ろしいといった様子で呟いた。
「……ブチ切れてたな」
「ん、そうか?」
「え、そう?」
他の二人は気づかなかったようだ。恐らくは、のこのこついて行ったライも同じだろう。
(ヤバいな……)
リヴァルが世話係の件で必死になったのは理由があった。自分の不用意な一言で世話係の話が立ち消えとなったら、ミレイから何と言われるか分からない。とても不純な理由で、リヴァルはライの無事を祈った。
その日のカレンは珍しく、とても上機嫌だった。登校するまでに幾らかの問題はあったものの、それを片付けた後はすぐに学園へ向かった。
"仲間達"は嫌っていた学園に行きたがるカレンの姿を驚いたように見ていたが、気にするに値しない。午後の授業が始まる直前に登校。
今日から仮入学する事となったライは女子生徒に群がられていた。普通にしていれば美少年なので当然だろう。そんな事を考えながら放課後の廊下を歩く。
昨日約束した手前、世話係の仕事はきっちりこなすつもりだった。"本業"との両立は簡単ではないが、なんとかして見せると意気込んでいた。
優雅な手つきで生徒会室をノックし、中の様子を窺った。リヴァルとライはともかく、ルルーシュとスザクが揃っているのは珍しかった。
男子四人の中に一人で行くのは気が引けたが、それ以上に彼らの様子がおかしかった。妙な緊張感がある。不審に思ったが、気づいていない風を装って中に足を踏み入れた。
妙な空気がカレンからルルーシュの方へ向かった。彼は嫌々といった様子で立ち上がり、努めて丁寧に言った。
病弱なカレンでは何かあった時に困るので、世話係の変更を検討しているという内容だった。そしてそれを言い出したのは無表情でこちらを見ているライとの事だ。
とりあえず、二人で話し合ってくれという事でルルーシュの話は終わった。
「ライ、ちょっと来て」
そう言って廊下に呼び出した。ライは席を立ち、カレンの後をついてきた。扉を締め、周囲に人がいない事を確認。相手の方に向き直り、冷静に尋ねた。
「どういうこと? お世話係を変更したいなんて」
「ルルーシュの言った通りだ。君が病弱だという事を知った以上、昨日の様には頼めない。何かあってからでは遅いだろう」
「……あなたは私の体調なんて気にしなくていいの」
「そういうわけにはいかない」
「どうして?」
「それは……」
ライの言い分はカレンが倒れた際に、自分では対処出来ないだの、それが回り回って生徒会の崩壊に繋がるだのといった、明らかに心配し過ぎというものだった。
反論しようとして、カレンは言葉を選ぶ。
実のところ、病弱なお嬢様というカレンの人物像はまるっきり嘘だった。その嘘は"病弱"と"お嬢様"の二つに分けられる。
まず、カレンはすこぶる健康であり、病弱ではない。必要ならば学園にいる女子生徒の誰よりも速く走れる自信があった。病弱というのは学校をサボるための口実に過ぎない。
お嬢様というのも、真っ赤な嘘であった。もちろん、名門貴族であるシュタットフェルト家の一人娘なのは本当だが、カレンにはもう一つ、本当の顔がある。
本来の性格は貞淑なお嬢様などとは無縁で、学園内で求められるキャラクターを演じているだけだった。それは生徒会の中でも同じである。
『本当は元気でもしかしたらあなたよりも体力があるかもしれない。だからそんな心配は無用だ』
これを、今までのイメージを壊さないように伝えるというのは、なかなかに難しい。下手をすれば二年近い苦労が無駄になる。
「まず、私はあなたが思っているほど体は弱くないわ」
「だが、午前中は欠席していただろう」
「それは……」
まずい。今日の午前中を欠席した理由が、昨日の租界散策にあると考えているらしい。
「ちょっと用事があっただけ。体調を崩してなんかいないから」
「だが……」
尚も食い下がるライの態度に、カレンは苛立った。いや、明確に言えば彼に対してというより、自身が演じている面倒なキャラクターへの苛立ちだ。
「あのね、私だって子供じゃないの。本当に体調が悪ければ自分で何とか出来ます」
「…………」
「それに、今のあなたは私より自分の事を心配するべきでしょう?」
「……そうだな」
諭すように言うと、ライは頷いた。彼の自己評価が低いという事は昨日の時点で分かっていたので、最もらしい事を言えば納得してくれる。
真剣にカレンの身を案じてくれる彼を謀るのは申し訳なかったが、本当の事を言えない以上、仕方のない事だ。
「でも、心配してくれてありがとう。もしもの時になったら、頼りにさせてもらうから」
「わかった」
「じゃあ、行きましょうか」
悪いと思いながら、カレンはライを伴って歩き出した。昨日の内に決めていた今日の目的地は繁華街だった。
今日は眠いのでここら辺で。読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
懐かしいな、この「お前らもうさっさとくっ付いちまえよ」感……
初めてロスカラやった時もこんな感情だった覚えがあるわ
懐かしいなぁロスカラ
おつおつ期待してる
R2版はまだですか
学園で保護されて一週間ほど経ったある日の朝、ライは日課となった生徒会の書類仕事をこなしていた。得意分野は会計である。支出を計算し、今現在の予算に間違いがないか確認をしている最中だった。
(……今年度の分はクリア。時間もあるし、去年の会計報告書類にも目を通しておこうか)
会計の仕事をすれば、アッシュフォード学園の行事などがいつ行われるか分かるし、その時の予算を見て規模を推し量る事も出来る。ひいては生徒会メンバーの助けになれるだろう。
面倒を見てもらうだけというのは忍びない。なにより、頭の中で数字を回していれば、記憶の事などを一時的に忘れられる。一種の逃避行為でもあった。
前年度の資料を探そうとライが立ち上がり、棚へ向かう。その時、後頭部に軽い衝撃が走った。
「会長チョ~ップ!」
「…………」
振り向くと、デジタルカメラを片手に持ったミレイ会長が満面の笑みを浮かべたまま、手刀をライの頭に乗せていた。
どうやら、今の衝撃はこの人が原因だったらしい。
「…………」
「……あら」
意図が分からず、ライがジーッと見つめていると、ミレイの頬を汗が伝った。
「……どうしました」
「……怒った?」
「いや……」
「びっくりすると思ったんだけどなぁ」
「びっくりしましたよ」
「えぇー。全然、無表情じゃない」
「……?」
手刀と無表情に何の因果関係があるのか分からず、ライは首を傾げた。時折、この生徒会長の論理が飛躍することは知っていたが、それでもなかなか慣れなかった。
「最近ようやく、ルルーシュやリヴァル、スザク君とかと打ち解けてきたみたいだからね」
「……はい。彼らには良くしてもらっています。……あ」
そこまで言ったところで、リヴァルから念押しされていた事を思い出した。
「特に、リヴァルからは良くしてもらっています」
「んー? なんでリヴァルだけ?」
「それは……」
ライは以前、リヴァルから生徒会女子メンバーの情報を教えてもらった事がある。その時から事ある毎に、『俺が協力してるって事、会長に猛プッシュしといてくれよな!』と言われていた。
「リヴァルが何を教えてくれたの?」
「それはもちろん、生徒会女子メンバーの情報についてです」
特に隠す事でも無いと思い、正直に話した。会長が一層ニッコリと笑みを深めた事を、彼女が喜んでいるとライは解釈した。これでリヴァルの評価も上がった事だろう。彼はミレイに気があるらしい。
リヴァルww
ライミレもいいな
「まあ、その事はいいわ。話を戻しましょう」
「…………」
ミレイはビシッとライの顔を指差し、
「いい加減、無表情以外の顔も見たいという意見が挙がっているの。学園の各所からね」
「は、はあ……」
「特に生徒会の女子とは、ライはあまり関わっていないでしょう? カレンくらいかなー」
「それは、仕方の無い事だと思いますが……」
「仕方なくなーいっ!!」
一喝された。思わずのけぞる。ライは学園生活において、生徒会の男子メンバーとよく行動していた。放課後はさっさとカレンと共に租界へ行ってしまうので、水泳部のシャーリーや人見知りの激しいニーナとは接点が持てない状態だった。
「ライ、あなたは何でこの学園にいるか分かっているの?」
「それはもちろん、記憶を取り戻すため……」
「違ーうっ!!」
また一喝された。
「学園生活とは、青春を謳歌するために存在するの。わかる?」
「いえ……」
「何のしがらみも無く同年代の男女が同じ空間で過ごせる時間は限られているの。それをあなたは、毎日毎日、男連中とばかり……」
ミレイは自分で世話係に任命しておきながら、カレンの存在を完全に無視していた。これでは彼女も浮かばれないだろう。
「良い? 同じ人とばかりの付き合いだけなら楽かもしれない。でも、より多くの人と関われば、記憶の手掛かりだって掴めるかもしれないでしょう?」
「それは、確かに」
突然の正論にライは頷いた。何だか完全にイニシアチブを奪われた気もするが、ミレイの言うことは間違っていない。
「分かりました。でも、どうすれば?」
「まずは笑顔! 君は中々の男前なんだから、笑顔になるだけで印象は変わるわ」
「笑顔、ですか」
「はい、じゃあまずは練習!」
「…………」
無理やり、笑顔を作ってみた。口角を上げ、精一杯印象を良くする表情を……!
「あー……」
しかし、ミレイからの評価は芳しくなかった。顔中の筋肉を痙攣させているライに対して、恐怖しているようでもある。
「まあ、これは今後の課題ということで」
「はい……」
「とりあえず、あなたは色々な人と交流すること。いいわね?」
「はい」
「それともう一つ。これはスザク君にも言ってあるんだけど、ルルーシュが生徒会をサボろうとしたら捕獲すること。ある程度なら手荒な手段でも構わないから。いいわね?」
「分かりました」
承諾すると、素直でよろしいとミレイは笑顔になった。こうして喜んでもらえると、ライも気が楽になる。
ちょうど、ホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴った。
「はい。じゃあ、今日の講義はここまで!」
「……ありがとうございました」
「頑張んなさいよ。応援してるからね」
最後にそう言い残し、ミレイは生徒会室を出て行った。彼女のああいった気遣いは何よりの励みになる。こうして学園に居られるのも彼女のおかげなのだから、感謝はしてもし足りない。
(……僕は恵まれているんだろうな)
ライは机に散らばっていた資料を手早く片付けると、急いで教室へ向かった。
午前の部は終了です。ちょっと休憩します。
乙、ロスカラはロロが無言で殺しにくるのが怖かった
乙です
なんと俺得なSSなんだ
生徒会室を出て、教室へ向かう。移動するのに必要な時間は計っていたので、間に合う筈だ。良く磨かれた廊下を歩き、高等部二年生の教室へ入る。自分の席に座って鞄を置いた。
ルルーシュとスザク、そしてカレンの姿は無い。出席率が低い定番のメンバーだったので、ライは驚かなかった。せいぜい、スザクのためにノートを取っておこうと思った程度だった。
朝のホームルームが終わり、一限目まで十分間の休憩が挟まれる。生徒達の大半は友人との世間話や、出されていた課題の確認、来るべき試験への不安に嘆いたりと忙しそうだった。
今日はカレンがいないため、彼女の親衛隊連中からの監視も……無いわけではなかったが、いつもと比べれば緩かった。
「…………」
平和な風景をぼんやり眺めていると、どうしても自分に対する違和感が膨れ上がってくる。記憶も無く、ミレイに言われたように無表情で無感動、無愛想なライの存在は、はっきり言って浮いている。
毎日のように、ここにいてはいけないという危機感に襲われる。今もそうだ。直接的な手段があるわけでもなかったが、この平和な風景を壊す自分を想像してしまう。
席を立ち、教室を出たくなる。駄目だ。ノートを取らなくてはならないし、用事も無いのにミレイの善意を裏切るわけにはいかない。
──より多くの人と関われば、記憶の手掛かりだって掴めるかもしれないでしょう?
ミレイの言葉が蘇る。聞いた時はなるほどと納得したが、今となっては実行は不可能とすら思えた。
「よ。なに考えてんだ?」
不意に、横から声を掛けられた。リヴァルだった。
「いや……。特に何も」
教室にいるのが苦しい。他人と関わりたくない。そんなことを、この親切なクラスメイトに言えるはずがなかった。咄嗟に誤魔化す。こういう時ばかりは、この無表情が役に立った。
リヴァルは少し不審に思ったようだが、すぐに笑顔になる。この切り替えの早さは彼の長所だと思った。
「今日の朝は何してたんだ? また租界の散策か?」
「いや、生徒会室で会計の書類を纏めていた」
「ほー。あんなのよくやる気になるな。普段はルルーシュに任せっきりだぜ?」
「生徒会の活動を知るための良い勉強になる。ミレイさんもいたし、有意義な時間だった」
「えぇっ!? 会長もいたのかよ! 俺も行けば良かったな……」
「自宅通いの君には難しいだろうな」
この学園に通う生徒の大半は寮で生活している。その理由はもちろん、ここが統治領であるエリア11だからだ。大抵は本国の実家から身一つで留学してきている。その中でも、リヴァルやカレンは珍しい自宅通学の生徒だった。
「君からの協力も会長に伝えておいた」
そう言うと、リヴァルの表情はパッと明るくなった。
「お、ホントか!? 会長、何て言ってた」
「特に何も。ずっと笑顔だった」
今度は疑惑の眼差しに変わる。こういった表情の変化は見習うべき点だと、ライは場違いな感想を持った。
「……お前、何て伝えたんだよ」
「君から教えてもらった事をそのまま報告した。生徒会女子メンバーの事だ」
「…………」
何故か、"生徒会女子メンバー"の単語に教室中の男子生徒の意識が集中したが、一瞬にしてそれも霧散する。不思議に思いながら、ライは言葉を失って立ち尽くしているリヴァルに視線を戻した。
「お、お前……」
「どうした」
「言い方ってものがあるだろっ。会長、明らかに怒ってんじゃんか!」
「いや……だが、笑顔だったぞ」
「それ、一番怒ってる時の顔!」
「…………」
笑顔なのに怒っている? 怒っているのに笑顔? 難しい問題だ。まるで理解できない。
「……リヴァルはミレイさんをよく見ているんだな」
表情や感情の複雑な変化を読み取るというのは中々できることではない。そう思ったライの素直な感想だった。
「いや……あのな」
「まーた変な話してるでしょ」
リヴァルは顔を赤くしている。その肩越しに、一人の少女が顔を出した。生徒会メンバーのシャーリー・フェネットだ。
水泳部で鍛えられた健康的でしなやかな体。亜麻色の長い髪がさらりとなびいた。快活そうな瞳が日光を反射してキラキラと輝いている、可愛らしい少女だった。
ライとはあまり面識がなかったが、彼女の優しい人柄は理解していた。記憶喪失の自分や、名誉ブリタニア人であるスザクにも分け隔てなく接してくれる。
「ライ、ちょっといいかな」
「……僕か?」
「うん。ルル、見てない? 一緒のクラブハウスに住んでるのよね?」
「ルル……ルルーシュか。そういえば、今日は見てないな」
同じ建物に住んでいると言っても、常に一緒に行動しているわけではない。リヴァルを見ると、彼は笑顔を向けてくれた。任せておけということだろうか。
「ルルーシュなら、屋上で寝てたぜ。昨日は徹夜したとか言って」
「えぇーっ! また!?」
シャーリーは頬を膨らませ、非難の視線をリヴァルに向けた。
「最近、生徒会の仕事もサボりがちだし……リヴァルからも言っといてよね!」
「いや、なんで俺が」
怒られるべきはルルーシュの筈なのに、叱責はリヴァルに行っていた。完全な貧乏くじだが、もしかしたらこれが彼の持ち味なのかもしれない。
なるほど、と内心で頷いているライをシャーリーは見て、
「記憶の方はどう? 何か思い出した?」
「いや……」
「……そっか。私でも力になれる事があったら、何でも言ってね」
彼女の言葉は暖かく、誠実さに満ちていた。少しそっけない印象のあるカレンとは、また違った優しさを感じる。
「……ありがとう」
カタコトすれすれの不器用な言葉だったが、シャーリーは笑ってくれた。
「もう少しで先生来るし、私は戻るね」
「ああ……」
「うん。じゃ、応援してるからね」
シャーリーは自分の席へ戻って行った。ルルーシュの事をリヴァルではなく、ライに聞いてきたのは、彼女なりの気遣いだったのだろう。
「それじゃ、俺も戻るかな」
「すまなかった」
「良いんだよ。会長が言うのとは別に、俺も好きでお前を手伝ってるんだからな」
そう言って照れたように笑い、リヴァルも戻って行った。その言葉には確かな優しさがあり、親しみがこもっていた。
(そうだな……)
こんなに暖かい人達が周りにいて、手を貸してくれる。他人と接するのはまだ慣れないが、生徒会メンバーになら最初の一歩を踏み出せる気がした。
頑張ろう。
そう思い、教科書を開いた。
今回はこの辺で。更新は今日のように午前と午後に分けて進めていこうかと思います。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
乙ー
リヴァルとシャーリーはホントいい奴ら
アーチボルト・クレメンス少尉はあらゆる点で余念の無い男だった。勉学や騎士道学、馬術や剣術、恋愛を含めた対人関係にこれまで全力を注いできた。
おかげで、名門貴族の出身ではないものの高等学校まで成績は首位をキープし、軍学校でも常に上位。そうしてブリタニア軍に准尉として配属された後も結果を出し、一年経たずに少尉へ昇進することが出来た。
同期は皆、信頼出来る連中だったし、上官にも恵まれた。付き合って半年になる恋人もおり、全てが順風満帆だった。
このエリア11に配属されるまでは。
穴だらけのビルに破砕された道路。汚れた水に濁った空。繁栄していた都会を強大な力で押しつぶすとこうなるのだろう。一時は技術大国と呼ばれ、潤沢な鉱山資源に恵まれていた土地が、今は見るも無残な姿だった。
戦場は初めてではなかったが、ここは酷いものだ。七年前まで日本と呼ばれていたエリア11のゲットーと呼ばれる廃墟には、イレヴンという七年前まで日本人と呼ばれていた人間が住み着いている。
イレヴン達の多くは敗戦して尚、母国を侵略したブリタニアに対して反抗している。おかげ軍の人間は年中大忙しだ。今日も貴重な休日を潰されている。
(許さん……)
クレメンスは激怒していた。苦労して本国から取り寄せたアニメ作品を拝見しながら、アーチボルト家特製のティーをゆっくり楽しもうと思っていたのに。
『……ネズミを捉えた。対応していた小隊は全機やられたそうだ』
『はっ。情けない。たかが<グラスゴー>一機に』
上官であるチェンバレン中尉からの言葉に、後輩のコベット准尉が鼻を鳴らした。チェンバレンは三十代前半の男性で、十年近く現場で慣らしたベテランのパイロットだ。酒と煙草が嫌いで妻子持ちの癖に、勤務後や休日は良くキャバレー・クラブへ出向いていた。女好きなのだ。
職場では厳しい上司だったが、その人柄や指揮能力、ユーモアを理解してくれる点もあって、部下からは好かれていた。エリア11での初任務の後、彼が奢ってくれた五ポンドのステーキの味は忘れられない。ほとんど食べられなかったが。
「<グラスゴー>ではなく、<無頼>という機体だ」
『……旧式なのは変わりませんよ。どっちにしろ、<サザーランド>の敵じゃない』
コベット准尉は四カ月前に軍学校を卒業後、エリア11に配属された新人で、クレメンスの初めての部下だった。卓越した射撃の技量を持ち、部隊では後衛を担当している。
初めての配属地が激戦区のエリア11という事に愚痴ばかり垂れる困った後輩だが、それでも仕事はきっちりこなす長所を持っていた。
通信課の女性と最近、懇意にしており、その関係に苛立ちを隠せない上司二人が流した「コベットはゲイ」という噂が彼の悩みだろう。
ロスカラ2まーだ時間かかりそうですかねー?
紫を基調とした全高五メートル程の機械で出来た巨人が三体、ゲットーのガレキを蹴散らしながら疾走する。クレメンス達の小隊はKMF(ナイトメアフレーム)と呼ばれるブリタニア軍の主力兵器を使用していた。
搭乗しているのは最新鋭の第五世代型KMF<サザーランド>である。第四世代型KMF<グラスゴー>で得られたデータを基に開発された機体で、基本的な兵装はそのままに、イジェクションシートによるパイロットの生存率向上やコックピット内の居住性を重視している。
<グラスゴー>と比べて単純にパワーや電子機器も強化されており、パイロットに合わせたカスタマイズを行える拡張性も有していた。
『距離五〇〇。クレメンスは前に出ろ。そろそろ始める』
「了解」
クレメンスは部隊では前衛を担当していた。彼の<サザーランド>は大型のランスとシールドで武装した近接特化仕様だった。重い武器を振り回すために四肢には追加のパワーユニットを装備している。活動時間は短くなるが、それは無視できた。
今回の相手が一機だったからだ。
紅く塗装された<無頼>はテログループとパトロール中の警備隊の戦闘に介入し、テログループの機体を壊滅させた後、パイロット部隊の<グラスゴー>も破壊した。
その後は応援として<サザーランド>一機と<グラスゴー>三機の非常対応班も全滅させ、今はゲットーの奥地に向かって逃走している。クレメンス達の小隊はその紅い<無頼>を仕留めるためだけに召集されたのだ。
盾を構えた<サザーランド>を前に出す。チェンバレン機はKMF用30㎜アサルトライフルとスタントンファという柔軟な対応が出来る標準的な装備だ。
コベット機は左肩部に弾道予測機を取り付け、頭部を強化型ファクトスフィアに交換している。装備は対KMF用48㎜狙撃ライフルと、完全に後衛向けの調整になっている。
いつ敵が現れてもおかしくない。戦闘直前に流れる、緊張感で作られた独特の空気。新米の時は苦手だったが、今では慣れたものだった。
ゲットーでの戦闘は不意打ちから始まる。相手のテロリストからしたら、ゲリラ戦でしか勝ち目を見いだせないのだから仕方がない。
気をつけろ。そう言おうと口を開いた瞬間だった。背後で爆発音が響く。爆竹に似た軽い音だった。聞き覚えがある。あれはナイトメア用の吸着式爆弾だ。投げた先に張り付き、爆発させる。
種類は色々あり、煙幕を発生させる物や塗料を撒き散らす物、強烈な電磁パルスを放って機体の機能を麻痺させる物など、多種に上る。
今回、相手が使ってきたのは煙幕弾だった。後方が濃密な煙に包まれる。旧市街地ということもあり、なかなか晴れないだろう。
しかし、前衛であるクレメンスの<サザーランド>は後方の異常に構わず、前方の警戒を解かなかった。前からの攻撃を防ぐのがポイントマン(前衛)の役目だからだ。後ろは残りの二人に任せている。
読み通り、前方から紅い<無頼>がアサルトライフルを乱射しながら突進してきた。煙幕は囮だったのだ。
後ろの二機を守るように盾を構え、前に出る。小隊は既に混乱から立ち直り、各々のポジションにつこうとしていた。
『発砲を許可するが、民間人への被害は極力抑えろ。例えイレヴンでもな』
『了解』
「了解。一撃で決めます」
隊長からの命令に応答する時には既に、敵機は目前まで迫っていた。大型シールドは相手の30㎜砲弾をことごとく弾いていたが、変わりに持ち主の視界を塞いでいた。
クレメンスは敵機のランドスピナーが地面を削る音を頼りに、距離を測る。
ここだ。
微塵の躊躇いもなく右腕に持ったランスを突き出した。
「なにっ!?」
タイミングは完璧だったが、そこに相手の姿は無かった。跳躍し、空中へ逃れたのだと気づくまでに一瞬遅れた。前衛機を飛び越した相手は空中で発砲。狙撃ライフルを持ったコベット機を蜂の巣にした。
イジェクションシートが作動し、コックピット・ブロックが射出される。機体は失ったがパイロットは無事だ。残された二機は仲間がやられた事に意識は向けず、反撃の構えを取る。
空中の敵を狙うべく、ライフルを向けるチェンバレン機。クレメンスの<サザーランド>もランスを引き戻し、体勢を低くした。ナイトメア同士の起動戦において、着地の瞬間を狙うのはセオリー中のセオリーだった。一番、ナイトメアが無防備になる時だからだ。
しかしチェンバレン機が砲弾を放つ直前、敵機のスラッシュハーケンによってライフルを吹き飛ばされた。
それでも、やる事に変わりはない。<サザーランド>は前傾姿勢のまま、突撃する準備をした。
「ちっ……」
舌打ちする。相手の機体はもう一方のスラッシュハーケンを地面に打ち込み、着地点を巧妙にずらした。あれを追って突撃すれば、隊長機を串刺しにしてしまう。
ライフルを破壊されても、チェンバレン機は臆さなかった。スタントンファを展開し、格闘戦を挑むべく躍り掛かる。相手も同様にスタントンファを起動させた。二機が交錯。
胴体部に超高圧の電力を流し込まれた隊長機が、小さな爆発と共に沈黙した。敵機が踏み込むのが僅かに早かったのだ。
最後の一人となったクレメンスだが、何もかもを置き去りにして突進した。野太い銀色のランスが、その穂先を敵機の紅い胴体に沈み込ませ──
直前、相手は驚異的な反射神経でもって、突撃槍の一撃を弾いてみせた。通り過ぎる<サザーランド>と流石に体勢を崩す紅い<無頼>。一瞬だが、両者の間合いが開いた。
まだだ。息つく暇すら与えず、<サザーランド>は三度(みたび)突きを繰り出した。相手がライフルを持っている以上、間合いを詰めなければ不利になる。
格闘戦は操縦者の技量と機体の性能がモロに出る。近接特化仕様の<サザーランド>で負けるわけが無かった。それでも、相手の<無頼>は獣のような俊敏性と凄まじい反射神経でランスの連撃を凌いだ。
攻撃の合間、スタントンファの一撃を盾で防ぐ。精密機器にとって致命的な高圧電流を、この盾は完全にシャットアウトしていた。元々、対KMF用の装備だ。電流対策は当然ながらされている。
この盾がある限り、相手はこちらに有効打を与えられない。この槍を防ぐ手段を、相手は有していない。戦局は確実に、クレメンスの方へ傾いていた。
<無頼>が放ってきた二基のスラッシュハーケンを、こちらのハーケンで撃墜。さらにたたみかける。スタントンファを盾で弾き、そのままシールドバッシュをかけた。盾に突き飛ばされた相手が再度、体勢を崩す。
「取った……!」
ランスを突き出す瞬間、違和感に気づいた。アラートが鳴っている。本能的に持っていた盾を放り投げた。
爆発。
先ほどの吸着式爆弾を、まだ隠し持っていたのだ。今の格闘戦の最中、スタントンファで攻撃するフリをして気付かれないように盾へ取り付けたらしい。つくづく恐ろしいパイロットだと舌を巻く。
しかし盾を破壊したにも関わらず、相手の<無頼>はこちらに背を向けた。スモークディスチャージャーから濃い煙幕が張られる。すかさず腰部のハードポイントから牽制用の16㎜ハンドガンを抜き、発砲。
放たれた六発の砲弾はいずれも空を切る。当たらなかった。
「逃したか……」
状況を報告すると、オペレーターは帰投の命令を出した。しかし、それは聞けない。あそこまでの技量を持つ相手のパイロットが何故、あのタイミングで撤退したのか。
その理由は明らかだった。敵機は度重なる戦闘で疲労し、弾薬も尽きかけているのだ。ナイトメアを十機近く倒したのだから当たり前だが、だからこそ好機だと思った。あの紅い<無頼>は野放しには出来ない。
幸い、<サザーランド>に異常は無い。脚部のランドスピナーが不調を訴えていたが、無視出来る程度の物だった。
行くしかない。行くべきだ。
そう考え、<サザーランド>はシンジュク・ゲットーの奥地に進んでいった。
ちょっと休憩。
ブリタニア軍パイロットの名前はイギリス人の名前をまとめたサイトから適当に引っ張ってきました。特に深い意味はありません。
ロボット同士の戦闘描写についてですが、ただ書きたかっただけです。これにも深い意味はありません。
乙乙
どのルートか楽しみ
乙
面白い
乙です
夜のゲットーには、サーチライトのような便利な物は無かった。仕方なく、<サザーランド>のライトを使い、ランドスピナーで移動する。
オペレーターからあの後、撃破された部隊の仲間は二人とも、無事に回収されたとの報告があった。喜ばしい事ではあったが、彼らの後を追うわけにはいかない。
そして報告はもう一つあった。あの紅い<無頼>がどうやら"黒の騎士団"に属する機体だというものだ。
「どこだ……」
ファクトスフィアを使って索敵するか、そう思って足を止める。
瞬間、ビルの合間から紅いKMFが飛び出して来た。四時の方向。咄嗟にランスで打ち払う。敵機はやはり、異常な反射神経を持っていた。屈んでかわされる。懐に入られた。
電流を帯びたスタントンファが青く光った。これを食らえば<サザーランド>と言えども無事では済まない。ランスから左腕を外し、無理やり敵機の右腕を掴んだ。
機動戦は終わり、単純な力比べが始まる。しかし、強化された<サザーランド>と<無頼>では勝負にならない。猛烈なパワーが敵機の腕を締め上げ、そのまま破壊しようと唸りをあげた。
流石に相手もそれは許さない。こちらの手を懸命に振りほどいた。それでいい。腕を外された<サザーランド>は既に、脚部に装備された二基のランドスピナーを巧みに操り、急旋回を開始していた。
大型のランスを、その重さに任せて横に薙ぐ。回転時の遠心力も合わさり、ナイトメアを一撃でバラバラにする威力を伴って、相手の<無頼>に襲いかかった。
死角からの一撃。しかし、それにさえ紅の<無頼>は反応して見せた。後ろに跳びずさって、辛くも回避。<サザーランド>のランスは空を切る。
「読んでいたぞ……!」
クレメンスは既に、相手のKMFパイロットの技量をある程度まで"信用"していた。今回の攻撃すらも、避けると思っていたのだ。
だから、次の手を用意していた。ランスから離した事で空いている左腕部。ハンドガンが抜かれていた。未だに遠心力を持ったランスを破棄。急制動。時計回りに回転を続ける機体を無理やり止めた。
狙いを付け、発砲。一発、二発、三発。二発目までは回避され、三発目がようやく相手の左肩部を掠めた。
そして四発目。かわせないと思ったのか。相手はアサルトライフルを盾にする。小規模な爆発が起きたが、敵機はまだ動いていた。
さらに五発、六発目を撃ち込む。相手は左の脚部から火花を散らしながら、無理やり回避。ゲットーの穴だらけな道路の上を盗塁したベースボールプレイヤーのように滑った。
ハンドガンは弾切れになる。元々、使い切りの武装なので仕方無い。冷静に装備をセレクト。最後に残った武器であるスラッシュハーケンが起動。同時に敵機へのロックオンが完了した。
手こずらせてくれたが、これで最後だ。
そう思い、トリガーを引く。万が一、回避される事も考慮し、二基同時ではなく一基ずつ発射した。左胸部から放たれる鋼鉄の楔。
何とそれを、<無頼>は地面を転がって回避した。本当にしつこい。潔さとは無縁の、無様な回避起動。本国の騎士達が見たら見苦しいと嘆くだろう。
もう一基のハーケンを飛ばす。
目標へ向かって真っ直ぐ飛んでいく。かわせるはずが一撃。
「……!?」
弾かれた。敵機は無茶苦茶な姿勢からスタントンファを振るい、スラッシュハーケンを叩き落とす。
今度はこちらが無防備になる番だった。紅い<無頼>は尻餅をついたままの姿勢でこちらを向き、スラッシュハーケンの照準を合わせている。反対にこちらは地面に突き刺さった二基のハーケンを巻き戻すために、身動きが取れなかった。
二本のケーブルを引き連れて、射出される二基のハーケン。やけにゆっくり見える。
衝撃。敵機の攻撃は<サザーランド>の頭部に直撃した。モニターが暗転。センサー類が全滅し、火気管制系が完全に死んだ。KMFに取って、頭部の破損は致命的だった。戦闘に必要な機能の殆どを失うからだ。
膝を屈し、沈黙する<サザーランド>。
『機を棄てて投降しろ』
外部スピーカーから相手パイロットの声が聞こえた。男口調だが、驚いたことに若い女の声だった。おそらくは、成人前の。
『聞こえなかったか? おとなしく──』
聞き終わる前に、トリガーを引いていた。巻き戻されたスラッシュハーケンが再び放たれる。同時に、機体を突進させた。生き残っていた両腕で掴みかかる。
どうやら、彼女の往生際の悪さが伝播していたらしい。
重い衝撃が、機体を襲った。
月の綺麗な夜だった。少女はレジスタンス時代からの愛機である紅い<無頼>を駆り、ゲットーの闇の中を突き進んでいた。
パトロール隊に意味も無い奇襲をかけたテログループの鎮圧。それが表向きの任務内容だったが、実際は仲間が他の区域で行う作戦の陽動である。
ゲットーに住むイレヴン──日本人を巻き込み始まった戦闘。住処となっていた廃墟はことごとく破壊され、身を寄せ合う事でなんとか生きていた住民達は、血と肉の染みに変わった。老若男女関係なく、等しく一方的に降り注ぐ死の雨。
怒り狂った少女の<無頼>は挨拶代わりに30㎜砲弾をテログループの<グラスゴー>に叩き込む。
日本人の面汚しめ。やって良い事と悪い事の区別もつかないのか。そう思いながら、コックピットを狙い撃ちにした。パイロットは死んだだろう。生きている筈がなかった。
パトロール隊の白い<グラスゴー>も同じように全滅させた。貴様らも同罪だ。トリガーを引く指に迷いは無く、敵を見る瞳には、怒りと憎悪しかなかった。
近隣住民を避難させたところで、敵の増援が到着した。最新鋭機の<サザーランド>一機と<グラスゴー>が三機。地形を利用して、まずは厄介な<サザーランド>を撃破した。
ブリタニア軍のパイロットは専門の訓練を受けているだけあって、練度が高い。しかしながら、裕福で何不自由ない暮らしをしていたためか、突発的な事態に弱い節があった。
奇襲の動揺から立ち直れないまま、二機の<グラスゴー>は蜂の巣にされ、命乞いをしてきた最後の一機もスタントンファでトドメを刺された。脱出装置が働いていたので、死人は出ていないだろう。
そして、最後に出てきたのは三機の<サザーランド>で構成された一個小隊だった。それぞれの役割に応じた専用の調整を見る限り、今までの部隊とは一味違う連中なのだろう。
戦う事自体は構わないのだが、機体の消耗は無視出来なかった。エナジーの残量は四割を切っていたし、アサルトライフルは今の弾倉が最後で弾切れが近い。逃げる事は出来る。敵機もそれを望んでいるだろう。
しかし……。
少女はしばし考えた。今回の任務は彼女に一任されている。ここで引き上げる事も出来るし、引き続き戦果を挙げる事も出来た。
(……戦おう)
背は向けない。随分前に、そう決めた。
彼女が所属する"黒の騎士団"は新進気鋭の反政府組織だった。エリア11におけるブリタニアへの反抗組織として最も有名かつ有力なのは"日本解放戦線"だが、黒騎士団はそういった組織とは少し趣が違う。
掲げる理想は"強者に脅かされる弱者全ての救済"。そこには日本人もブリタニア人も関係ない。今回の場合、ゲットーに住む日本人という弱者を守るためにテログループやブリタニア軍という強者を討伐したことになる。
指導者の名前はゼロ。黒い仮面とマントで姿を隠す胡散臭い人物だが、今までに数え切れない奇跡を起こしていた。ブリタニア軍からも要注意人物として強いマークを受けている。
少女はゼロに心酔していた。彼の起こす奇跡が心地よかったのだ。
少女には夢があった。
日本の解放。
つい最近まで不可能だと思っていた。しかし、それをゼロが変えたのだ。彼の活躍は、少女に夢を現実の物とする希望を与えた。
だから負けられない。だから逃げたくなかった。
国を奪った連中に復讐を。
兄を奪った奴らに報いを。
なまじ力を手に入れたばかりに、体を渦巻く憎しみの火は弱まる事を知らなかった。
きっと、この火は消えないだろう。少女が死んでも、目的を果たすその日までは。弱まってはいけないのだ。目的を果たすその日までは。そうでなければ、死んでいった仲間に申し訳が立たない。殺した人達の命が無駄になる。
「機を棄てて投降しろ」
最後に残った接近戦仕様の<サザーランド>。投降を呼びかけたが無視された。そうだろう。自分だってそうする。
最後の足掻きをわけなく捌いて、その脇腹にスタントンファを叩きつけた。耐えられるはずもなく、イジェクションシートが射出される。
これで今夜も、彼女は勝者となった。
しばし、思考が沈む。自分の手を見た。白く、細い指。しかし血にまみれているように見える。十時間後にはアッシュフォード学園の制服に身を包み、何食わぬ顔で登校しているだろう。
そして、何も知らない彼の腕を取るのだ。この血に濡れた手で。
ロスカラSSをまだ書いてくれる人がいて俺得すぎて泣きそう
期待
復讐を。報いを。
贖罪を。支配者気取りの連中に思い知らせろ。
弱めるな。躊躇するな。今さら引き返せるわけが無い。
最近、彼が現れた事でアッシュフォード学園の生徒会に顔を出す機会が増えた。おそらく、劇的に。
許すな。
必然的に、他の生徒を顔を合わせる機会も増える。ミレイにシャーリー、ニーナやナナリー。ルルーシュやスザク、リヴァル。そして彼。
本来、自分が関わってはいけないはずの人々。お互いのためにはならない。なのに、どうしてか最近は、あの生徒会室に足が向いてしまう。
報いを。
きっと、悪くはないと思っているのだ。あの場所にいる事を。心地が良いと思い始めているのだ。彼の隣が。
報いを。報いを。
時折、考える。自分にとって、どちらが大切なのかを。考えるまでも無い。こちらだ。私は日本人だ。当たり前だ。
しかし、あの平穏は──
報いを。報いを。報いを。
怨嗟の声は止まらない。それは多分、この声が自分に対して向いているからだろう。このままの生活を続ければ、いつか必ず無理が来る事は明らかだった。
明日もまた、学園に行って彼に会う。お嬢様の仮面を被ったまま。
いつか報いを受けるだろう。そんな事は分かっていた。だが──
コックピットのモニター越しに空を見上げる。思わずため息が出た。それくらいに、月の綺麗な夜だった。
なんか凄い暗い雰囲気になりましたが、今回はこの辺で。
ギアスの小説<朱の軌跡>は名作ですね。最近読み返して、明らかに影響を受けています。叶うのなら、ロスカラの小説とかも出て欲しいですね。
ちょっと重い空気になりましたが、これからも読んで頂けたら幸いです。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙
次回も楽しみにしてる
あとロスカラ2発売しろ
おつ
ギアス初期は暗いのと学園の二面性も売りだしね
乙
乙です
夜の繁華街。人混みの中を宛てもなく歩く。食品、衣料品、ホビー、雑貨。様々な店が立ち並んでいた。しかし、そのいずれも見覚えが無い。
店の名前や扱う商品から手掛かりが掴めるかとも思ったが、そう上手くはいかないようだった。
「……まいったな」
ふと、そんな言葉が口からこぼれ落ちた。この租界に来て一週間が過ぎた。にも関わらず、何一つとして進展が無い。もはや記憶を取り戻す可能性は極めて低いと思われた。
このままではいけない。
ずっとそう思っている。今のままの生活を、長く続けてはいられない。焦燥感は日を追うごとに大きくなっている。罪悪感もだ。これだけは現状はっきりしている数少ないものである。
記憶が戻らないならば、せめて、何か手に職をつけないと。今のままアッシュフォード家に寄生してはいられないのだ。自分の足で立てるようにならなければ。
どうしたものか。
視界の端に映ったベンチに近寄り、腰掛ける。この位置からだと、道行く人の姿がよく見えた。立ち並ぶ店の灯りが、夜の街を彩っている。名前も知らない人達が、その光の中で躍っている。
「…………」
彼ら一人ひとりに帰る場所があり、やるべき事がある。なにより、自分だけの記憶がある。違うのは一人だけ。このベンチに座っている男、ただ一人だ。
「……?」
いや、もう一人いた。街を歩く人の中に、明らかな異物があった。少女のようだった。すらりと長い手足に落ち着いた服装。被った帽子からは、長い緑色の髪が見えていた。その驚くほど端正な顔には、ライと同じ無表情が貼り付けられている。
彼女だけが、他の世界と隔絶されているようだった。彼女の周りだけ、時間の流れが違うようだった。
「…………」
しばし、目を奪われる。見とれてしまっていた。周囲の音が遠ざかっていく。彼女以外、目に入らない。他の感覚は揃って仕事を放棄していた。
思わず腰が浮く。自分が立ち上がっているのに気付いたのは、少女の姿が路地の曲がり角に消えてからだった。
追わなくては。話をしなければならない。彼女はきっと、記憶に関する事を知っている。そんな確信があった。
走り出す。何人かの人にぶつかった。女性が短い悲鳴をあげた。会社帰りのサラリーマンに怒鳴られた。さぞ迷惑な存在だっただろう。足は止まらない。目はあの曲がり角に向いていた。
後にして思えば、少年はこのときに初めて、必死という言葉を知ったのかもしれない。
大丈夫、間に合う。相手は徒歩だがこちらは全力疾走だ。相対速度を計算。間違いなく追いつける。
この曲がり角を過ぎれば──
「く……っ」
いない。少女の姿は消えていた。同時に、周囲の音が戻ってくる。思考が冷静さを取り戻す。一瞬の事だった。こういう感覚を、夢から覚めたようだと言うのだろう。
幻影だったのだ。そう思わざるを得なかった。それくらいに、現実離れした感覚だった。
落胆は無かった。心はいつも通り、波一つ無い水面に戻る。
いや、しいて言えば、不思議な事に安堵していた。あのまま彼女に接触していたら、何かが変わっていただろうと思う。きっと、後戻り出来ないくらいに。
(馬鹿な)
変化を望んでいたのではないのか? いざとなったらこれか?
情けない。何かしなくてはいけないのに。立ち止まってなどいられないのに。
「…………」
ショーウィンドウに映る自分の姿が酷く滑稽に思えた。
「……ライ?」
後ろから知った声が掛けられた。
「……スザク」
先ほど座っていたベンチの近くに、枢木スザクが立っていた。アッシュフォード学園の物とは違う、オリーブ色の制服を着ている。
「どうした」
「それはこっちの台詞だよ。急に走り出して。何かあった?」
「いや、何でもないんだ。……君こそ、その服装は何だ」
「服? ……ああ、これは」
スザクは自分の服をしげしげと見てから、
「そういえば言ってなかったね。僕はブリタニア軍に所属しているんだ」
「軍か。だが、君は……」
「そう、名誉ブリタニア人だ。おかしいよね」
イレヴン……名誉ブリタニア人と言えば、軍からは歓迎されない存在のはずだった。租界を歩いていると、名誉ブリタニア人がブリタニア人から難癖をつけられている所を度々見かける。それを見た周囲の人間は気にかけるどころか、積極的に迫害しているようだった。
こういう場所なのだろう。ライはカレンから、名誉ブリタニア人になるという事は理不尽を受け入れる事だと聞いた。
たとえクラスメイトや同僚から罵詈雑言を浴びせられ、暴力を受けても、黙って耐えるのが名誉ブリタニア人だと。
普段は表に出さないだけで、スザクもきっと、軍の中で冷遇されているのだろう。
「大変だな」
そうとしか言えなかった。
「おかげで学校にもなかなか顔を出せないんだけどね」
「僕に出来る事があったら、何でも言ってくれ」
「それなら、もう充分に協力してくれて……あ」
「どうした」
「ちょっとついて来て」
スザクは歩いて行ってしまった。理由を確かめるため、後を追う。
連れてこられたのはクレープを販売している出店だった。店主の男性はどう見てもブリタニア人では無い。イレヴンだろう。
スザクが注文をすると店主は手早く生地を焼き上げていく。見事な手際だった。
「職人技っていうのは、こういう事を言うんだろうね」
「……そうだな」
クレープ自体は複雑な料理では無い。小麦粉と牛乳、バターなどを混ぜた生地を鉄板の上で焼き、その中に生クリームなどを入れて完成させる。
しかし、店主の手付きには淀みが一切無い。簡単な工程を何百、何千回と繰り返してきた者の技術。そこには歴史があった。とても真似出来ないと、ライは思った。
適度な焼き目がついた生地を取り出して、中に生クリームとチョコレート・ソース、ベリー系の果実を加え、折りたたむ。それを紙で包み、店主はスザクへ二人分のクレープを渡した。
丁寧にお礼を告げ、こちらへ戻ってくるスザク。だが途中で、何かに気付いたような表情になった。
「あ! そういえば君の好みを聞いてなかった!」
「……?」
「あ、甘いのは好きかい?」
「ああ。問題はないが……」
「良かった。じゃあ、これ」
スザクは右手に持っていたクレープを差し出してくる。
「……僕にか」
「ノートのお礼。食べてみて」
受け取り、恐る恐る口にする。生クリームの甘さとチョコレートの香り、果物の酸味が程よく広がる。美味だった。適当に混ぜただけではこうも上手くいかない。材料の配置、配分までこだわった一品だ。
「美味いな」
「良かった」
スザクは嬉しそうに微笑み、自らもクレープをパクついた。頬にクリームがついているが、気付いていないようだった。
もう一口、クレープをかじる。相変わらず美味かった。
彼も、あのクレープ屋の店主も自分に出来る事を精一杯やっているのだ。だから蔑まれようとも、胸を張って生きていける。そういう生き様を、少し羨ましいと思った。
「凄いな、スザクは」
「え、急にどうしたの」
「僕なんかよりずっと大変なのに、こうしてしっかりやっているだろう。真似出来ないと思った」
「ライ……」
少しの沈黙が訪れる。ライはクレープを食べながら、モニターに流れるニュース番組を見ていた。
「それは違うよ」
「…………」
「僕も最初からこう出来ていたわけじゃない。ミレイさんやルルーシュ、生徒会の皆……大勢の人達が手を貸してくれたんだ。今だって、それは変わらない」
「そうだな」
それはライも同じだ。スザクを含めて、大勢の人達に支えられている。きっと、幸せ者なのだろう。
「だから、今度は僕が皆を助けたい。皆が、僕にそうしてくれたようにね」
「恩返し、か」
「そうだね。だからライも、もっと僕を頼ってくれると嬉しい。それが恩返しにもなるんだから」
「……そうだな」
「うん」
クレープを食べ終えた二人は、どちらともなく立ち上がった。
「だが、どうしてクレープを?」
「ミレイさんが怒ってたんだよ。君が全然、食事をまともにとらないって」
「いや、しかしな……」
「駄目だよ。しっかり食事はしなくちゃ。ルルーシュじゃないんだから」
「…………」
地雷を踏んでしまったらしい。スザクからの説教が始まろうとしていた。これは以前、生徒会室でルルーシュが食らっているのを見た。かなり長かった覚えがある。
説教をたっぷり十分近く受け、
「分かったかい?」
「善処する」
すっかり物分かりが良くなったライは頷いた。
「じゃあ、僕はこれで」
「あ、送っていくよ」
「大丈夫だ。君は帰って、明日に備えた方がいい」
「……そうかい?」
「ああ。今日は有意義な話を聞けた。感謝している」
「分かった。じゃあ、また学校でね」
手を振り、スザクは去っていった。そういえば、と気になる。彼は今日、放課後に用事が出来たといって学校を飛び出して行ったのだ。
ライはもう一度、大型モニターを見た。映っているのは黒の騎士団が今日もゲットーで活躍したというニュースだった。あれと関係しているのかもしれない。
(危険な事はしていないと良いが……)
優しい少年の後ろ姿を思い出す。クレープを口元につけたまま去っていくぐらいだから余裕はあるのかもしれないが、それでも心配だった。
空を見上げる。大きな月が顔を出していた。
午前の部は終了です。
まとまった投下が出来なくて申し訳ない。
乙
寧ろ毎日の楽しみが出来て嬉しい
乙
スザクもいいヤツなんだよなあ
相変わらず、アッシュフォード学園の風景は見事な物だった。よく整備された芝生が、柔らかい風を受けて波打つ。真上に昇った太陽を反射する建造物は神々しい雰囲気を醸し出していた。
昼休み。
外の空気が吸いたくなったライは、学園の敷地内をぶらぶらしていた。スザクやミレイ、カレンからしっかり食事を取れと言われているにも関わらず、食堂には近寄っていなかった。自分の体調くらいは把握している。あと二日と半日は何も食べなくても大丈夫だと考えていた。
それは普通の人らしい生活をしろという意味だったのだが、ライには分からない事だった。
校舎から離れ、クラブハウス付近のバルコニーに立ち寄った。敷地内はかなり広い。無謀な探索を試みた結果、遭難しかけた事が何回かあった。今でも未踏破地域に足を踏み入れるには勇気がいる。
しかし、こういった見通しの良い区域なら迷う危険性も低い。ライにとってみれば、アッシュフォード学園とは海のような存在だった。何もかも包み込むような懐の深さを持っているが、反対に得体の知らない部分も持っている。
一歩間違えれば遭難するところなど、まさに大海原といっても良いだろう。
(……大丈夫。もう少し進める)
度々姿を消すライに痺れを切らしつつあるミレイ会長は電話端末の強制携帯を検討している。ここでミスをするわけにはいかない。
自分を探しに来るのがスザクやリヴァル、シャーリーなら笑い話で済ませてくれるのだが、ルルーシュやカレンだと話は違ってくる。
スザクと一緒に遭難した時に見つけてくれたルルーシュは可哀想な物に対する視線を送って来たし、カレンからは「どうして迷うの?」と率直な疑問が寄せられた。あれは中々、心に来る。
ただの散歩が決死の大航海のような気分だった。因みにここは、ライが住んでいるクラブハウスのすぐ近くである。
誰もいないバルコニー。凝った意匠の柱が、ガラス張りの屋根を支えている。周囲には色鮮やかな花々が生い茂り、楽園のような印象を与えていた。美しい色の数々。ここには確かに、安らぎがあった。
──理想郷。
そんな言葉が心の中に浮かび、また埋没していった。何だったのだろう。そう考える暇も無く、後ろから来る気配に振り返った。カラカラと回る一対の車輪。車椅子の音だった。
中等部の制服を着ている事からも分かる通り、ライより年下の少女だった。美しい曲線を描く、ブロンドの髪。両目は閉じられているが、その表情を向けられたらどんな人間でも心を開いてしまいそうだ。
少女の事は知っていた。ルルーシュの妹である。名を、ナナリー・ランペルージという。
彼女の車椅子を押しているメイド服の女性は、篠崎咲世子。名誉ブリタニア人だ。アッシュフォード家に雇われている侍女らしい。
「…………」
ナナリーとも咲世子とも、初対面ではなかった。挨拶くらいしようと口を開いたが、言葉は出なかった。二人の……違うナナリーだ。彼女を見た瞬間、頭の奥で火花が散った。
「……お兄様?」
ナナリーの小さな口から、疑問の言葉がかけられた。お兄様──どういう事だろう。僕はルルーシュじゃない。頭の中で飛び回っていた火花が止み、ようやく言葉を発する事が出来た。
「あ……」
零れ出た言葉は、なんとも間抜けだった。
「あ、ごめんなさい!」
視力を補うために発達したのだろう、ナナリーの耳は良いようだった。ライの発した声とも言えない音で人違いだと気づき、その白い頬を赤く染めた。
「いや……」
「あまりにも、兄と似ていたもので……」
「ルルーシュと?」
ここに住み始めて十日近く経つが、ライはナナリーと殆ど話した事がなかった。それは彼女の兄、ルルーシュが不自由な妹と身元の分からないライとの接触を嫌がると思ったからだ。
生徒会メンバーの話によると、ルルーシュはナナリーを溺愛しているらしい。唯一の肉親なのだから当然だ。自分がルルーシュの立場なら、同じようにするだろう。間違いなく。
だから、ライはこの場から離れようと思った。ナナリーは何か用があってこの場に来たのだろう。何の用も無い自分がいては邪魔になる。
「は、はい……」
「……ルルーシュと待ち合わせ?」
彼女はこくりと頷いた。確かにここは、兄妹が静かな時間を過ごすにはうってつけだろう。なおさら、ここにはいられないと思った。
「なら、見かけたら急ぐよう伝えるよ」
「あ……」
苦しい言い訳を残してバルコニーを去ろうとする。少し強引だっただろうか。もしかしたらナナリーを傷つけてしまったかもしれない。
「あ、あの……!」
しかし、関係を拒絶した背中にナナリーの声が掛かる。足を止めるしかなかった。その声が、見知らぬ相手のために勇気を振り絞ったものだと分かったからだ。
「……なんだい?」
「よ、良ければ、あの、兄が来るまで話し相手になってくれると……その」
断れ。申し訳ないが、他に用がある、と言え。時間を置くな。今すぐに──
「……僕でよければ」
頭では、もう一人の自分がやめろと叫んでいた。この善良な少女を傷つけるに決まっている。そうなれば、ルルーシュはライを許さないだろう。そして必ず、それ以上に自分を許せなくなる。
分かっていた。そんな事は誰よりも。
しかし、口から出たのは正反対の言葉だ。今さら、安堵しているナナリーに向かって「やっぱり止めた」などと言えるはずが無い。
そんな考えとは裏腹に、ライはナナリーに促されるまま席に座っていた。すかさず咲世子が自前のティーセットでお茶をいれる。
もう逃げられない。ライは観念した。対面に座っている少女の幸せそうな顔を見たら、そう思うしかなかった。
「すみません。先ほどは……」
「ルルーシュと間違えたこと? だったら、気にしなくて良いよ」
ナナリーはまた赤くなった。
「普段はあんなこと、無いんですけど……」
「そんなに似ていたかな……」
ライは自分とルルーシュの類似点について考えてみた。まず、見た目が全然違う。ルルーシュが艶のある黒髪なのに対して、ライはくすんだ銀色だ。体型は似ているかもしれない。身長もそれほど変わらないはずだ。
(……いや、見た目は関係ないのか)
ナナリーに限り、外見は考慮されないはずだ。だとしたら、他に何があるのだろう。匂いとか、音……声か、そのくらいの情報しかなかったはずだ。
しかし、ナナリーの答えはそのどれとも違っていた。
「空気……でしょうか」
「空気。雰囲気とか?」
「はい。上手く説明は出来ないんですけど」
「そうか……」
お茶を口に運ぶ。適切な温度と爽やかなハーブの香り。ルルーシュが妹を任せているだけあって、このメイドもただ者ではないようだった。
中途半端ですが、時間的余裕が無いため今回はこの辺で失礼します。
まだまだ各キャラとの関係を構築中という事もあり、動きが無くて退屈かもしれませんが読んで頂けると嬉しいです。
楽しみに待ってるよ!
乙です
乙です
ライナナもいいな
ロスカラssとはいいものを見つけた、応援するぜ
ロスカラはもう7年前かぁ やりたいけどPS2もPSPももう持ってないや・・・
「ライさん、ですよね?」
ナナリーとは学園で保護されたすぐ後、生徒会室で自己紹介しただけの面識しかなかった。
「ああ。お兄さんには、いつも世話になっている」
そう言うと、ナナリーは嬉しそうに微笑んだ。
「記憶の方はどうですか? 何か、思い出せましたか?」
「いや、まだ何も」
「そうですか……。ご不便なことがあったら、私やお兄様にも遠慮なく何でも言ってください」
「……これ以上、迷惑は掛けられないさ」
住む所を与えられ、衣服を貰い、食事も好きに行える。学園に行けば、親切な生徒会メンバーが気遣ってくれる。今、ナナリーがこう言ってくれているように、無償の善意をくれるのだ。
不便などある筈が無い。不満などある筈が無かった。
だから、どうしても苦しくなる。彼らに何も返せない自分に、どうしようもなく苛ついた。
「そんなふうに言わないで下さい」
「え……」
ナナリーは膝の上に置いていた手で、足を撫でる。その表情は悲しそうだった。
「私も、一人では何も出来ません。こうして出歩くのにも、誰かの手を借りなければなりません」
でも、とナナリーは続けた。
「私が元気にしていれば、喜んでくれる人達がいます。きっと……それが私に出来る一番の恩返しなんです」
「…………」
何も言えなかった。歩けず、目も見えない少女。普通なら自分の体を嘆くだろう。どうして他の人と同じ事が出来ないのか、どうして自分の体だけ言うことを聞いてくれないのか。
そして、ここは学校だ。若く、健康的な同年代の少年少女は、数え切れないほどいる。そんな世界の中で、ナナリーは生きているのだ。
どれだけ辛いのか、ライには想像もつかない。だから、言葉が出なかった。ナナリーは自分などより遥かに、多くの事を考えている。無数のハンデを抱えている。自分には、彼女の生き方を肯定も否定もする資格が無いのだ。
「……強いな、ナナリーは」
それしか言えなかった。
ただ眩しいと、尊いと感じた。
「だから、ライさんも私を頼ってくれると嬉しいです。それが……」
「皆への恩返しになる、だろう」
スザクの言葉を思い出す。
「はい!」
頬を染めたナナリーが今日一番の笑顔で頷く。それが、何かと重なって見えた。
きっと僕は、この笑顔を忘れないだろう。
ライは思った。心に刻むとは、こういう事だ。
何故か嬉しくなった。頬が緩んだ。
心のどこかで、何かが動いた気がした。
「ルルーシュは良い妹さんを持ったな」
「そんな……」
ルルーシュが大事にするのも分かる気がした。彼にとってナナリーはただの肉親、庇護対象というわけではないのだろう。おそらくだが、救われているはずだ。この笑顔に、在り方に。
「ナナリーのおかげで、僕も力が出たよ」
「本当ですか!」
「ずっと思っていたんだ。記憶が無い自分には、何も出来ないって。でも……それは多分、ただの甘えだった」
何も出来ないのではなく、何もしようとしていなかっただけだ。目的も無く街を巡り、生徒会の仕事を手伝い、善意から逃げていた。それで何かをしている気になって、一人で満足していたのかもしれない。
情けないと思った。足を一歩前に出す事を恐れていたのだ。
それが自分に手を貸してくれる人達に対する、何よりの裏切りだと気付かないまま。
「ナナリー。僕は……」
そこまで言いかけて、こちらへ近づいてくる足音に気付いた。黒髪に端正な顔。長い手足。その動作の隅々にまで、気品が漂っている。よく知っている男子生徒だった。
ルルーシュ・ランペルージ。ナナリーの兄である。
初めて見た笑顔だった。
その日の昼休み、ルルーシュ・ランペルージは学園の廊下を急いでいた。妹との約束があったのだ。最近、家を空ける事の多くなってきた彼にとって、この約束は何よりも優先すべき事だった。
待ち合わせ場所は庭園内のバルコニー。静かで花の香りに満ちた、ナナリーのお気に入りの場所である。
柄にもなく息を乱す。目的地に近付くにつれ、移動する速度を緩めた。こんな姿を妹に見せるわけにはいかない。
もとより開けた場所だ。ナナリーと家政婦の咲世子。そしてもう一人の先客を見つけるのは容易い事だった。
珍しい。そうルルーシュは思った。ナナリーと話をしているのはライ。この学園に来て一週間ほどになる身元不明の記憶喪失者だった。
(なぜ、あいつが……)
ライという男の動向には常に注意していた。なにせ身元や人種、思想や受けた教育、何もかも不明なのだ。彼一人のせいで、この学園が崩壊することも十分に考えられた。
アッシュフォード学園はルルーシュとナナリーにとっても重要な場所だ。ある理由で身よりを失った二人を、イレヴンである枢木スザクを、ここは受け入れてくれた。
この暖かい場所を壊させるわけにはいかなかった。絶対に。
アッシュフォード学園の生徒達は善良な人間が多いが、危機感や警戒心が足りていない。ここが植民地の中でもとりわけ危険なエリア11という事を失念しているように思えた。
だから、ルルーシュが用心する必要があったのだ。
しかし怪しいからといって、ライを無理やり追い出す事はしなかった。それはフェアではないと思ったし、情報を集めて有害だと判明してからでいい。
カレン・シュタットフェルトが世話役になった時は、内心喜んだものだ。彼女とルルーシュには一方的な情報のルートがある。必要となれば、ライの動向を聞き出すなど容易な事だった。
そして、ルルーシュが彼を監視し始めて一週間。分かった事がある。
まずは記憶喪失について。嘘という可能性も考えてはいたが、確証は無いものの、どうやら本当のようだ。話を聞く中で、幾つか引っかけ的な質問をしてみたが、どれにもかからなかった。
次は彼の生活習慣だ。ライは知らないだろうが、生徒会メンバーによる極秘の会議がたまに行われており、普段の暮らしぶりについて情報が集められている。
食事をほとんどしないだとか、勉学についての知識はそれなりにあるらしいだとか、そういった話はそこから広められているのだ。
その中で分かったのは、ライがとても無気力だという事だった。何事にも関心を示さず、表情も崩さない。これはそこまで不自然ではないと思った。記憶が無いのだから、普通の感性が死んでいてもおかしくはない。
何よりライという男は、とても冷静で口数が少ない。ほとんどの会話を「すまない」「分かった」「ありがとう」で済まそうとする。
記憶喪失という事に対する動揺もほとんど無い。自分の現状をわりとすんなり受け入れているようだった。自分が何も無い、空っぽの存在だと理解しているから、彼は誰かに助けを求めない。同情も必要ないと言わんばかりだ。
そういった、ある種の潔さ、孤高さはルルーシュを苛立たせた。本当は戸惑っているくせに。本当は怖がっているくせに。ライは何も口しない。
一人で何とかしようとしている事など、見ていれば分かるのだ。
警戒心から始まった監視だった。充分な効果が挙がったと言える。ライという男に現状、危険性は見られない。それは確かだった。
そして、今日。
ナナリーとライが一緒にいるところを目撃してしまった。楽しそうに喋っている。今までは接点が殆ど無かったはずの、あの二人が。
邪魔しようとは思わなかった。ルルーシュが以前に釘を刺してから、ライは律儀にナナリーとの接触を避けていた。あの時はまだ彼の事を警戒していたのだが……。
しかし今は咲世子もいる。何よりナナリーが楽しそうだった。花が咲いたような笑顔。スザクが編入してきたと聞いた時以来の、飛びきりの物だった。
ナナリーは誰にでも優しく、また聡い子だ。誰にでも分け隔てなく接するが、その実、相手の本性を感じ取る事に長けている。ほとんど初対面で、あんな表情を見せる事は極めて稀だった。もしかしたら最短記録かもしれない。
(ナナリーが、あんなに早く心を開くとは……)
そしてライもまた、ナナリーへ笑顔を向けていた。銀の髪が風に揺れる。盲目の少女と記憶を失った少年。二人は確かに今、心を通わせている。周囲の風景と相まって、とても幻想的な光景だった。
「…………」
目が離せなかった。どうしてか、たまらなく美しいと思ってしまった。それほどまでに幸せな表情だったのだ。
ナナリーは目が見えない。咲世子も離れた場所にいる。あの笑顔を見たのは、おそらくルルーシュ一人だけだ。
(まったく……)
不思議な奴だと思った。あの表情を表に出せれば、もっと上手く立ち回れるだろうに。いや、心からの笑顔だからこそ美しいのか。まるで鏡を見ている気分だ。ナナリーと接している時の自分もきっと、ああいう顔になっているのだ。
呆れたような息を吐き出して、ルルーシュはバルコニーに向かった。
「あ、お兄様!」
「……ルルーシュ」
足音だけで分かるのだろう。ナナリーがこちらに笑顔を向けてくれる。ライはいつも通りの仏頂面に戻った。
「悪いな、ライ。ナナリーの面倒を見てもらって」
「……いや。面倒を見てもらったのはこちらの方だ」
「そうか」
「じゃあ、ルルーシュも来た事だし、僕はこれで」
ライは立ち上がった。ナナリーが寂しそうな顔になる。ルルーシュがいつもさせている顔だ。理不尽だと自覚はしているが、他人がさせたとなると、怒りが湧いてくる。
「気を遣わなくて良い。その方がナナリーも喜ぶ」
「流石に兄妹の時間を邪魔するわけにはいかない。それくらいの分別はある。それに……」
ライはナナリーをもう一度見た。その横顔からは、以前のような硬質さが無くなった……とまではいかないが、だいぶ和らいだように見えた。
「色々と気付いた事もあるから」
そう言われては、何も言い返せなかった。
「……そうか」
自然と、ルルーシュも笑みを浮かべていた。しかし次の瞬間、ライの一言でその表情が凍った。
「そういえば、ルルーシュ。最近はピザを良く頼むのか」
「……なに?」
「配達員の人が僕の部屋を訪ねて来ることが度々あって……。ランペルージさんへと言われるから」
「あ、ああ……。ほら、生徒会で頼むんだよ。お前はまだ知らないかもしれないがな。これも副会長の仕事だ」
「そうか」
疑う素振りも見せず、ライは素直に頷いた。その彼に、ナナリーがおずおずと声をかける。
「あの……ライさん?」
「ん……?」
「良ければ……またこうして、お話して頂けますか?」
そう言われたライはこちらの方を見た。保護者の了解を得なければならないと思ったのだろう。ルルーシュは肩をすくめた。
「そうだな。俺からも頼む」
「……分かった。ナナリーがそう言うなら、喜んで」
「はい!」
満面の笑み。また風が吹いて、周囲の木々がざわめいた。花びらが舞う中、ルルーシュはライを見て思った。
変な奴だ、と。
今回はこの辺で。
せめてロスカラのDL版が欲しい今日この頃。
確認のためにちょっと動画などを見たんですが、主人公が思ったよりフレンドリーでしたね。初期は結構コミュ障っぽいと記憶していたんですが、所詮は数年前の記憶でした。
このスレの主人公に違和感を抱いた方がいたらすみません。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
とても面白い
乙です
乙
乙です
ライナナ素晴らしい
乙
カレンといいナナリーといい病弱お嬢様と縁があるなライ
乙
ルートにもよるけど一級フラグ建築士だけあって結構コミュ力高いんだよな
緑の髪の少女を探し、再び租界の街を歩く。今のところ、彼女だけが記憶への手掛かりだ。午前中いっぱいを捜索に費やしたライは、休憩を兼ねてベンチに座り、張り込みをしていた。
闇雲に探すだけでは効果は薄い。あの少女が何のために街を歩いていたのか、そういった点から埋めていく必要もあった。
(馬鹿か、僕は……)
あの少女が記憶に関係している確証は無いのだ。むしろ、彼女が普通の一般人で、ただ買い物をしていただけという可能性の方が、遥かに高いだろう。
こんな所で同年代の少女を求めて張り込んで、まるで不審者ではないか。見苦しい。ライは右手で自らの額を押さえた。
あの少女と出会った時の感覚は既に体から消えようとしている。今では、あの時の確信が見る影もなく薄いものになっていた。
この行為に、意味はあるのか。
そう真剣に考えていた時だ。抱えていた頭の上から、
「あ、ライじゃない!」
元気に満ちた声が降ってきた。顔を上げると大きな瞳がライを覗き込んでいる。結構、距離が近い。生徒会メンバーの一人、シャーリー・フェネットだった。
「……シャーリーか。今日はどうした」
尋ねると、どうしてか彼女は唇を尖らせた。
「それはこっちの台詞。頭なんか抱えちゃって、どうしたの?」
「いや……。この辺りは人が多いから、少し疲れてしまって」
「そっか……そうだよね。知らない人ばっかりだもんね」
シャーリーは心配してくれているのか、悲しそうに目を伏せた。深い同情が分かる。決して表面的なものではない。それくらいは、ライでも簡単に理解出来た。
「で、シャーリーはどうしたんだ。買い物か」
彼女に要らぬ心労を与えたくない。ライは苦し紛れに話題を振った。
「うん。日記帳を使い切っちゃって」
「……日記帳」
使い切るほど思い出があるのかと、少し複雑な気持ちになる。もしかしたら、羨ましいと感じたのかもしれない。
しかし、日々の記憶を大切に出来るのはシャーリーが普段から一生懸命だからだろう。そう思うと、ライは目の前の少女がとても大きな存在に見えた。
「君は、今日も記憶探し?」
「いや、そうじゃない」
なぜ否定したのか。この瞬間、ライは深く後悔した。"日記帳"という単語への対抗心が芽生えてしまったのかもしれない。
記憶探しばかりしているわけではないと言い張りたかった。ライにしては珍しい、突発的な発言だった。
「じゃあ、何をしてたの?」
「…………」
街で見かけた少女を追っている。そんな事を言うわけにはいかない。しかし、他に何か誤魔化せる話題があるだろうか。いや、無い。
ここにきて、日頃から指摘されていた積極性の無さが露わになっていた。
「あ、分かった。カレンとデート?」
「外れだ」
シャーリーは強い興味を持っているようだった。理解できない。今の問いに頷くべきだったか。しかし、カレンは今日、用事があると言っていた。彼女を休日まで拘束するわけにはいかない。
どうする、何かないか。ライは無表情のまま、辺りを見渡した。いつになく焦っていた。
駄目だ。無い。視線を落とす。
あった。これしかない。
「靴を……」
「え?」
「靴を、買い替えようと思っていた」
シャーリーの目がライの靴に向いた。少し前までは新品だったアッシュフォード学園指定の靴が、今ではかなり痛んでいる。毎日のようにトウキョウ租界を歩いていたからだ。
「あ、ホントだ。凄い痛んでる。どれだけ歩いたの? まだ二週間も経ってないのに……」
シャーリーは感心しているようだ。普通、学生の靴は一年毎に履き替えるものだと聞く。金銭的に余裕がある人間が集まるアッシュフォード学園なら、もっと頻繁に交換するのかもしれない。
「でも、靴なら会長に言えば取り寄せてくれるでしょ?」
痛いところを突かれた。
「確かにそうだ。だが、租界を歩くなら動き易い物の方が良いだろう。スニーカーなら、値段も手頃だ」
「なるほどね」
シャーリーは納得してくれたようだ。これで危機は脱した。無表情は崩れないが、内心ではほっと胸をなで下ろしていた。
「じゃあさ、提案なんだけど……」
「……?」
「日記帳選ぶの、手伝って欲しいんだ。駄目かな?」
「いや……」
そういうのはルルーシュに頼んだ方が良いのではないか。
リヴァルからの情報で、シャーリーがルルーシュを憎からず思っている事は知っている。記憶喪失のライより、幅広い知識を持つ彼に選んでもらうのが、得策だと考えた。
そこで、ふと考え直す。
なぜ彼女が自分に頼んで来たのか。効率的ではない事など、百も承知だろうに。その理由とは何か。
きっと優しさに違いない。シャーリーは関係の希薄なライに対して、手を差し伸べようとしてくれているのだ。それくらいは理解出来る。
「……僕で良ければ」
口から出たのはどうしようもなく淡白な言葉だった。しかし、シャーリーは笑顔で頷く。
「じゃあ、行こっか!」
軽やかな足取り。彼女の背中が、無機質だった繁華街の風景に色を与えてくれた。
(色……か)
ライは立ち上がり、彼女の後に続いた。ありふれた単語だが、どうしても頭の片隅に引っかかった。
「これなんかどう?」
「装飾過多だな。長く使うものだ。デザインはシンプルな方が良いだろう」
「そっか……確かに」
シャーリーはゴテゴテの装飾品にまみれた日記帳を置いた。次に取ったのは、シックなデザインのいかにも高級そうな物だった。金装飾が入っている。
「これなんか……」
「値段が予算の三倍以上なんだが」
「げっ!? た、高過ぎ……!」
それを慎重に棚へ戻す。どうして日記帳一つにここまで執心するのか分からないが、きっと彼女にとって大事な事なのだろう。
「あ、これ可愛い」
「だが、値段が……」
「む……」
また商品を棚に戻してから、シャーリーはこちらを向いた。
「君、値段の事ばっかり気にするのね」
「……そうだな」
値段の事くらいしか話題が無いのだ。話術というのは知識と常識とユーモアによって構成される。ライにはそのどれもが無かった。
再び日記帳の選定に戻ったシャーリーに、何か言葉を掛けなくてはと焦る。これでは彼女が一人で選んでいるのと同じだ。
「日記帳には、何を書いているんだ」
「…………」
頭に浮かんだ素朴な疑問。書く内容を知れば、何かしらの手助けになると思ったのだが、シャーリーの手はピタリと止まった。
「どうした」
ギロリと睨まれる。彼女の顔は赤く染まっていた。
「普通、聞く? 女の子にそんなこと……」
「……?」
「まったく……」
意味が分からず、ライは首を傾げた。シャーリーは赤くなった頬を冷ますように首を振る。
「君の事も、ちゃんと書いてるからね。今日も仏頂面でしたーとか、また迷子になりましたーとか」
悪戯っ子のような表情になったシャーリーが言ってくる。それが彼女なりの意地悪だという事に、ライは気づかなかった。
「そうか。良く見てくれているんだな」
出たのは感謝の言葉。決して友好的ではない自分を、彼女は善意から気にかけてくれている。有り難いことだと思った。
しかし、
「き、君ねぇ……」
見れば、シャーリーは耳まで赤くなっていた。理由は判然としなかったが、彼女には珍しい、敵意のようなものが見え隠れしている。
ライは潤滑油みたいな感じだよな
キャラの些細なすれ違いを自然にフォローしてくれる
カプッリングも全部人気高いしなあ
個人的にはシャーリー以外なら誰ルートでも良いレベル
ゲームでセシルさんルートが無くて悔しかったな
訳が分からない。ライが戸惑っていると、シャーリーは駄目だこりゃとばかりに息を吐いた。
「君って変わってるよね。冷静で頭良さそうなのに、たまにポーンと変なこと言うでしょ」
「そうだろうか」
「そうだよ。ルルやスザク君はともかく、カレンとか苦労してるだろうねー」
「そ、そうだろうか……」
「ふふ……そうそう」
ライが困ったように言うと、シャーリーは楽しそうに笑った。まったく理解できない。先ほどまで恨めしそうに睨んでいたのに、今はしてやったりといった表情。
人間関係に疎いライでも、男性と女性では喜ぶ点や嫌がる点が異なるという事は知っていた。例えば、可愛いと言われれば女子生徒の多くは喜ぶらしい。が、男子生徒は違う。
(難しいな……)
男女の感性の違い。深遠な命題だった。今の経験値では、とても手を出せそうにない。
「……ん」
ふと、視界の端に赤い日記帳が見えた。シンプルなデザインだが、布製のカバーはしっかりとした作りだ。中を開き、白紙のページを捲る。持ち運び易いサイズも悪くない。
なんとなく、シャーリーに似合っているような気がした。
「……これなんかどうだ」
「え、どれどれ……」
ライから差し出された日記帳を見て、シャーリーの口からわあ、と感嘆したような息が漏れた。
「うん、決めた。これにする!」
「そうか。それは良かった」
ライは外に出た。少しして、レジで会計を済ませたシャーリーが店から出てくる。日記帳が入った紙袋を、大事そうに抱えていた。
「ありがとう。今日は良い買い物が出来たわ」
「こちらこそ、良い経験になった」
シャーリーは紙袋を掲げて、
「最初の一ページ目も決まったしね」
「……?」
「今日、君に買い物に付き合ってもらった事をね」
「……そうか」
彼女の日記帳に自分の名前が載る。そう思うと、不思議と胸が暖かくなった気がした。
「シャーリーは、どうして日記を書いているんだ」
「え……。それは」
突然の質問に明るい少女は少し驚いた顔をした。
「思い出すため、かな」
「思い出す……?」
うん、とシャーリーは頷いた。
「生活してると、良い事も悪い事も起こるでしょ。でも、それって全部、大事な事だと思ったんだ」
「……嫌な思い出も書くのか」
シャーリーは胸を張って、自信満々に答えた。
「もちろん。嫌な事でも、後で振り返れば違う風に思えたりするから」
「…………」
「だから……君もね。記憶を取り戻したいっていう気持ちも分かるけど、もっと思い出も大切にして欲しいなって思う」
「思い出……」
どういうことだろう。記憶と思い出は同じ意味の言葉では無いのか。
記憶喪失者に思い出など──
(いや……あるのか)
記憶も存在価値も、何もかも無くした自分にある唯一確かな物。
それは、アッシュフォード学園で出会った人々との思い出だ。シャーリーは、それを大切にして欲しいと言っているのだろう。
その通りだと思った。
「そうか。……そうだな」
「うん。思い出、たくさん作ろうね!」
そう、シャーリーは言ってくれた。彼女の笑顔には、人を元気にする力があるのかもしれない。
再び日記帳を見る。あれにはこれからも、シャーリーの思い出が書き込まれていくのだろう。日々の、大切な記憶が。
保護された当初は空虚だった心に、少しずつ積み重なっている物がある。それは確かだった。こういった人々と一緒にいられたら、いつの日か自分を認められる時が来るのかもしれない。
「よーし! じゃあ、次は君の靴を探しに行こっか。今度は私が選んであげるから!」
「そ、そうか……」
そういえば、そんなことを言ってしまっていた。意気込んでいるシャーリーに、いまさら出任せだったなどとは言えない。
「あっちに、男の子用の靴屋さんがあるから」
行ってしまった。ライは呆気に取られつつも、彼女の後に続く。これもまた、良い思い出になるだろう。
長くなってしまいましたが、前半戦終了。
シャーリーはほんまにええ子ですわ。
乙です
良いねえ
乙です
おつー
やっぱりシャーリーは天使
おつー
ロスカラはスザクとかメインキャラだけでなくサブキャラの掘り下げもしてた良いゲームだったねぇ
最近、ライは生徒会のメンバーと交流を深めているようだった。
ルルーシュと読書やチェスをしているところを良く見かける。スザクとはノートを貸したり、租界で共に買い食いをしているらしい。教室でリヴァルと異性について話し合っていて、変な知識を植え付けられているようだ。
そして、女子メンバーとの会話も増えてきた。
生徒会の仕事を手伝う事でミレイの助けになっているし、彼女の良き遊び道具になっているようだ。シャーリーとは、つい最近、一緒に買い物をしたらしい。それからは親しげに話しているところを頻繁に目撃する。
唯一、ニーナとはまだ疎遠だった。ライが不用意に話しかけ、読書中だった彼女が驚いて悲鳴をあげるという事件があってから、お互いに距離を測っているようだ。二人とも人見知りなので、仕方ないだろう。後は時間が解決してくれる。
「けっこう慣れてきたんじゃない?」
近頃、お世話係主任に昇進したカレンは、後ろをとことことついて来る少年に言った。
「何にだ?」
「学園での生活よ。最近、生徒会のメンバーと良く一緒にいるから」
「ああ……」
「色々な人達と関わるのは良い事だと思う。そろそろ、何か記憶の手掛かりも見つかりそうなものだと思うのだけど」
「すまない……」
申し訳ないと思っているのだろう。ライはいつものように謝ってくる。時間の流れとは早いもので、カレンは二週間近く租界での散策付き合っているのだ。最近では日課になりつつある。
「だから、気にしなくて良いって言ってるでしょ」
「だが、君の体の事もある」
病弱(という設定)なカレンを付き合わせている事に、ライは強い罪悪感を抱いている。その過保護具合といったら、何度か本当の事を言おうかと思ったほどだ。
「まったく……。あなたは、自分の事だけ気にしてればいいの」
こんなセリフも、最近では口癖になりつつあった。渋々分かったと言うライを尻目に、再び歩き出す。既にアッシュフォード学園を中心として、徒歩で行けるところは殆ど回っていた。
後は租界全体に通っているモノレールで行くぐらいだろう。カレンの頭の中では、そちらのプランも整いつつあった。
「前々から思っていたが、カレンは体力があるんだな」
「そ、そう?」
突然、ライがそんなことを言った。ギクリとした。
「ああ。筋肉の付き方で分かる。運動は得意だろう」
立ち止まったカレンの体を、ライはつま先から感慨深そうに眺めてくる。まるで観察されているようで、彼女は身をよじった。
「ち、ちょっと……」
「カレンはスタイルが良いと、シャーリーも言っていた」
普段、そんな事を話しているのか。
「…………」
「どうした」
顔を赤くしたカレンを見て、ライは眉をよせた。怪訝に思ったのだろう。彼はこういう小さな変化に良く気づく。
「な、なんでもないから」
「そうか。体調が悪くなったなら……」
「分かってるって、もう」
これでは、どちらが保護者か分からない。カレンは状況を仕切り直すべく、足を早めた。そうして、話題を切り替える。
「租界の方は一通り見て回ったでしょう。だから、今度はあなたの見てみたい場所に行ってみようと思うんだけど、どうかしら?」
「……僕の見てみたい場所か」
「うん。何かない? 見て回った中で気になった場所とか、どこかで聞いて何か手掛かりになりそうと思った場所とか」
「…………」
ライはしばし考え、
「日本という名前には、不思議な響きを感じた」
「え……」
呆気に取られる。ライは何気なく言ったのだろうが、カレンにとっては、これ以上ないくらいに重要な単語だったのだ。
歩きだしたばかりだったが、また立ち止まる。
そうして、彼の顔を注意深く観察した。カレンのもう一つの顔について、何らかの探りを入れてきた可能性もあるのだ。もし、あれに気づかれたのだとしたら、ライとカレンの関係は終わりを迎える事になる。
「どういうこと?」
知らず知らずのうちに、カレンの口調は刺々しいものになっていた。目つきは鋭くなり、纏う空気は剣呑なものに変わる。明らかな警戒心。今の彼女を見たら、学園の男子生徒達は大層驚くだろう。
しかし、ライはいつもと変わらぬ様子で答えた。カレンの変化に気づかない筈がないのに、特に言及しようとは思わなかったようだ。
「深い意味は無いんだ。ただ、エリア11やゲットー、イレヴン……そういった言葉に、何か違和感のようなものを覚える」
「……そう」
探ってくる筈が無い。少し考えれば分かることだ。この二週間、ライと一緒にいた時間が一番長いのはカレンだ。たまに変な事を言うものの、この少年が誰かを陥れるなど、考えられない。
それくらいには信用していた。
しかし。
カレンの表情はまだ晴れない。ライの言った言葉が、彼女を落胆させていた。
「……あなたも、イレヴンって言うのね」
それは失望だった。
イレヴン。カレンの一番嫌いな言葉だった。
記憶の無い彼ですら、日本と日本人に対して無自覚に差別用語を使っている。カレンはライとの間に、深い溝が出来るのを感じた。
いくらライがスザクのようなイレヴン──名誉ブリタニア人と親しくしていても、根底にある意識は変わらない。ルルーシュもそうだった。
どんなに善良な人間でも、自分とは育ってきた環境が違うのだ。カレンは生徒会のメンバーはみな好ましい人間だと思っていたが、同時にある程度の距離を保っていた。それは自分の行っている活動に対する、双方の安全面を考慮しての行動だった。
「…………」
「…………」
二人の間に、深い沈黙が降りた。彼の瞳を見ても、考えは読み取れなかった。変な奴と思っているのだろうか。きっとそうだろう。
学園の生徒と距離を取ったのはきっと、こういう気分になるのが嫌だったのだと思う。本当の相互理解など結べないと分かっていたのだ。
目を伏せた。眉を寄せた。唇を噛んだ。親しいと思っていた人間に裏切られるのは何よりも嫌だった。それを相手に伝えられない事も、嫌で嫌で仕方なかった。
カレンの脳裏に、一人の侍女の姿がよぎる。
結局、これだ。
彼に対して溝を作っているのは自分自身だと理解していたが、それでも口からはライを拒絶するような言葉が出る。
「イレヴンの事よ」
「…………」
彼は答えない。
「ここは本当は『日本』という国で、彼らもイレヴンではなく日本人で、また、そう呼ばれるはずの人々で」
エリア11は『日本』という国だった。ナイトメアなどの動力に使われる希少鉱石"サクラダイト"の輸出国として、戦乱の世でも突出して平和な国だったのだ。
しかし七年前、そのサクラダイトを狙ったブリタニアは当時、それなりの友好国であった日本へ侵攻。蹂躙し、全てを奪っていった。残されたのは瓦礫の山と、ドブネズミのように生きるしかなくなった日本人。そして消えない憎しみ。
何もかもおかしかった。平和に暮らしていた人の幸せを奪っておきながら、ブリタニアは今も繁栄を続けている。
許せなかった。
何もかも、全て。この租界の街並みも、笑顔で暮らす人々も。男に媚びた母親も、この身に流れる血の半分も。何度も壊してしまいたくなった。
黙っていたライが口を開く。なんと言われるのか、あらかた想像はついていた。カレンの中にあったのは虚ろな諦念のみだった。
「僕にも、その気持ちは理解出来る」
小さいが、はっきりとした言葉。
「え……」
「上手く言葉に出来ないが、分かるんだ。日本の事も、日本人の事も」
「…………」
その必死とも言える様子は、いつもの彼らしくなかった。嘘を言っているようには見えないし、カレンの機嫌をとるための言葉とも思えない。
なにより、その言葉には真摯な響きがあった。
「……僕の失った記憶の中に、そういった物があったのかもしれない」
「そう……」
ライの過去に日本が関係しているかもしれない。そんな可能性は考えたこともなかった。
「なら……もしかして、あなたは日本人?」
そんな事は無いだろう。彼の髪は銀色だし、顔立ちもブリタニア人だ。
「それが、ブリタニアの文化にも似たような感覚があるんだ」
やはり、ライの口からも否定の意見が出た。
「日本人でも、ブリタニア人でもない……」
「もしくは、日本人でもあり、ブリタニア人でもある」
「日本人でもあり、ブリタニア人でもある……か」
その言葉を反復すると、心が揺れた。ライは無意識に言ったのだろうが、カレンにとってはとても重要なものだった。
もしかしたらこの時、新たな願いが生まれたのかもしれない。そうであったら嬉しいというくらいの、ささやかな希望が。
知らないうちに、笑顔になっていた。
「だったら、こうして歩くのも無駄じゃないかもね」
「そうだな。その……」
ここでも珍しく、ライは口ごもった。なんだか逡巡している。いつもの冷静な彼らしく無い。普段なら割とはっきり思った事を言うからだ。それで困らせられた経験は多い。
「……これからも、お願いしたいんだが」
なんで不安そうなのか。先ほどの一件で嫌われたとでも勘違いしたのかもしれない。こちらが勝手に怒っただけで、彼は何一つとして悪くないのに。
「もちろん。お世話係主任ですもの」
カレンは笑顔で、生まれた溝を飛び越えた。俄然、彼の記憶に興味が湧いたのもある。しかし、きっと一番の理由は──
「……そうか。良かった」
トウキョウ租界で見つけた小さな居場所。そこに、もう少し居たかったからだろう。
「ところで、いつの間に出世したんだ」
「お世話係主任のこと? この間の生徒会だけど」
「僕に何の告知も無かったんだが」
「だって、もう生徒会全員がお世話係みたいなものだし……」
「いや……まず、その世話係という名称に不服がある」
これまた珍しい。彼が不満を言うとは。
「? どうして?」
「生徒会室にアーサーという猫がいるだろう」
「いるわね」
たまにカレンも餌をあげている黒猫だ。スザクが連れてきて、そのまま住み着いてしまった。
「アーサーの世話係主任はスザクらしいじゃないか」
「……ああ。なるほどね」
合点がいった。猫と同等の扱いを受けている事が不満だったのだろう。
「私は良いと思うけど」
カレンは笑った。空は蒼く澄み切っている。そういえば、彼といる時はいつも晴天だ。
それが、なんとなく嬉しいと思った。
昨日も深夜に投下しようと思っていましたが、寝落ちしてしまいました。申し訳ない。
とりあえず今日の前半戦はこんな感じで失礼します。
乙です
乙
おつおつ
ロスカラ引っ張り出してやりたくなってくるな
分かる
雰囲気が凄く再現されてるからやりたくなってくる
乙
晴天八極式ってか
乙
やはりライとカレンの絡みは良いね
男女逆転祭。
男子生徒は女装し、女子生徒は男装をする。そして、その期間中はそれぞれの服装に応じた振る舞いをしなくてはならない。簡単に言えば、男は女性として、女は男性として生活するという事だ。
「っていうのを考えたんだけど……」
珍しくメンバーが集結した生徒会室。生徒会長であり、学園における実質的な最高権力者であるミレイ・アッシュフォードが言った。
「生徒会副会長として拒否します」
その言葉が部屋に響くより早く、ルルーシュ・ランペルージは否定の意思を表明する。これは仕方のないことだった。与党に対する野党のように、常に反対意見を出すのが副会長の仕事だからであり、なにより、一番の被害者が常にルルーシュ自身であるからだ
「まあまあ、それは皆の意見を聞いてからにしましょうね。……ライ、例の物を」
会長の言葉を受け、スザクの隣に座っていた銀髪の少年が立ち上がる。学生鞄の口を開き、中から書類を取り出した。それを全員に配る。
(……なるほど)
企画書としては申し分のない出来だった。丁寧に生徒会長発案と書いてある。これによって賛成不賛成の意見を取り、過半数の意見が採用される決まりだ。たまに無視される事もあるが。
これが全校生徒に配布された場合、恐らくは可決となってしまうだろう。そうなれば終わりだ。止める手立ては無い。
ルルーシュは生徒会室を見渡した。人数は八人と一匹。男女はそれぞれ四人ずつ。こういったイベントの場合、性別によって意見が割れると考えられた。
男装するのに抵抗がある女子と、女装に抵抗がある男子では、後者が圧倒的に数で勝る。元々ブリタニアには男装する麗人の文化があったし、女子生徒にとってリスクなど無いも同然であった。
生徒会で可決されれば、そのまま学園に出回ってしまう。アッシュフォード学園の男女比はほぼ1:1だが、このイベントは以前にも行われおり、好評を得ていた。下心を持った男子生徒の一部が賛成側に回ることも十分に予想出来る。
(ここで食い止める……!)
以前は酷い目にあった。もう、あんな悲劇を繰り返すわけにはいかない。もう、男子生徒からラブレターが届くのはごめんだ。
「じゃあ、多数決を取りましょう」
既に勝利を確信した様子のミレイが告げた。ルルーシュは冷静に戦力を分析する。
女子メンバーの内、イベント事が嫌いなカレンは反対派に回るだろう。やりようによっては、シャーリーもこちらにつくかもしれない。そうなれば、かなり有利になる。
男子メンバーの内、会長のイエスマンとしてリヴァルがあちらに行くのは当然として、良識のあるスザクは反対派の筈だ。
不確定要素を除けば、これで一対一。
(問題は……)
他人事のような顔をしている、あそこの記憶喪失者だ。あいつが曲者だった。
あの男、普段はぼんやりしている癖に、やる事は非常にスマートだった。今もこうして、ルルーシュの監視をすり抜けて書類を用意している。決して甘く見るべきではない。
「読み終わったかしら? じゃあ、多数決を取りまーす」
呑気な声。ルルーシュは目を細めた。決戦の時は、すぐそこまで近づいてきている。
「まずは賛成の人ー」
「良いと思いまーす!」
「……はい」
リヴァル、ニーナが手を上げた。ミレイも含めれば、これで三人。半分以下である。シャーリーは何だかモジモジしているが、彼女は反対派に回ってくれたらしい。とても有り難かった。
(……勝ったな)
ルルーシュはほくそ笑んだ。前回は抜き打ちで行われたために対処出来なかったが、今回は違う。
会長、あなたの敗因は"思いつき"という自らの利を捨てた事だ。俺をからかいたかったようだが──
「賛成派は四人ね。じゃあ、次は反対派の人ー」
「……な!?」
馬鹿な。賛成派は三人だったはず。ルルーシュの余裕は一瞬にして吹き飛び、彼は弾かれたように席を立った。今すぐに裏切り者を見つけ出さなくてはならない。
「さ、賛成派の人はもう一度、手を挙げてくれないか」
ミレイ、リヴァル、ニーナが手を挙げる。
あと一人。誰だ。
「僕だけど」
最後の一人は爽やかな笑みを浮かべる少年。枢木スザクであった。
「す、スザク……!? 何故だ、どうして」
「だって、楽しそうじゃないか。学園の生徒が全員、変装するなんて」
「あ、あれは変装なんてもんじゃないっ。もっと悪質で本格的な……」
「はい。じゃあ、反対派の人ー」
ルルーシュの言葉は無情にも遮られ、多数決が再開した。仕方なく、手を挙げる。
「く……っ」
カレンとシャーリーが挙手。あと一人。こうなったら、せめて引き分けに持ち込まなくては……!
「……?」
最後の一人、ライだけが不思議がっている。
「ライ、お前はどちらだ……?」
反対派じゃないのか。早く手を挙げろ。
全員の視線が集中する。そこでようやく、彼は自分の意見が待たれていると理解したらしい。やっと口を開いた。
「……どうして反対派の数を確認する必要があるんだ。過半数は既に超えただろう」
「は……?」
全員がポカンとする。何を言っているんだこいつは。そんな声が聞こえてきそうだった。
「お前の意見を聞いているんだが」
「僕に選挙権なんてあるはずが無い。よって、四対三で賛成に決まりだ」
当然だろうと言わんばかりの態度。ミレイがため息を吐いた。
「……まったく。重症ね、これは」
「……?」
「あなたも参加するんだから、意見を聞くのは当たり前じゃない」
「そうなんですか」
ライは頷く。彼は全員の顔色を窺うように視線を走らせた。ルルーシュと目が合う。精一杯、全力で念を送った。反対派に投票しろ。そうすれば、後はスザクかニーナを懐柔して勝利する事が出来るのだ。
任せてくれと、ライはルルーシュに頷いた。言葉は無くとも、気持ちは届くのだ。久しぶりに他人に対して感謝した。
ライはミレイに向き直り、言った。
「じゃあ、賛成で」
「なんでそうなるんだっ!」
どうして頷いたのだ。どうして希望を持たせたのか。怒り狂ったルルーシュはライを問い詰める。
「ルルーシュ。とりあえず落ち着いた方が良い。それでは冷静な議論が出来ない」
「く……!」
この冷静な物言いが、今は酷く癇に障った。なんとかしたかったが、混乱から立ち直れておらず、良い案は思い浮かばなかった。せいぜい、"左目の力"を使おうかと思ったくらいだが、すぐに思い直す。
「はい、決定!」
こうなったら、生徒会室のイントラに入っている書類の元データを削除し、誰も近寄らないように監視を強化するしかない。それが出来ないのなら、投票結果を改ざんする。
この日、ルルーシュの新たな戦いが始まった。道のりは険しいが、やるしかなかった。
「じゃあ、書類の配布と統計はライに任せるわ。ルルーシュが邪魔するだろうから……スザク君、手伝ってあげてね」
「はい」
「分かりました」
裏切り者二人が承諾する。
ルルーシュは無知な転入生共を睨んだ。覚えていろ。絶対に許さない。全力で邪魔してやる。
そう、心に強く誓った。
今回はこの辺で。ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙
乙です
ライは策があるのかそれともよくわかってないからなのかどっちだろ?
女装自体は嫌がるイベントあったよね?
「あ! ライ、見~っけ!」
「……?」
クラブハウスから出たところを、ミレイ会長に捕まった。必要以上の笑顔を浮かべる彼女の手には一枚の紙。熟練の生徒会メンバーなら、このシチュエーションで全てを察することが出来るだろう。
「これから出かけるんでしょ?」
「……はい。すみません」
健全な生徒なら、今は登校の時間だ。しかし、ライの手には学生用の鞄は無い。今日は授業には出ず、租界へ向かおうかと思っていたのだ。
「あなたは仮入学の生徒だから、授業は強制じゃないけどね。ちゃんと勉強しないと、将来困るわよ?」
「はい」
確かにミレイの言う通りだと、ライは頷いた。高等部での成績や評価は将来に大きく影響してくる。とても大事な時期なのである。
「でも……」
他の生徒とは違い、ライはいま困っているのだ。このままの状態で、将来の事など考えられるわけがない。記憶探し以外にも意識を向けようと思ってはいるものの、なかなかそうはいかなかった。
あの、緑髪の少女の姿が頭から離れない。
彼女の事をはっきりさせない限り、自分は前には進めない。そんな確信があった。
「でも、なによ?」
歯切れの悪いライに、ミレイは怪訝そうな表情を向けてくる。普段は傍若無人で人使いの荒い女性だが、本質は誰よりも気遣いの出来る人だ。だから、あの個性が強い生徒会メンバーを纏めていられるのだろう。
だが、だからこそ口を閉ざすしかなかった。自分を保護してくれ、さらには衣食住の面倒を全面的に見てくれている彼女に、学園生活より大切なものがあるとは言えなかった。
「ある程度サボっても、授業にはついていける事が分かったので」
誤魔化すべく口から出た言葉は、ミレイを大いに不快にさせたらしい。彼女は笑顔のまま、目尻をひくつかせた。
「……へぇ。ウチって、結構な進学校だと思ってたんだけどな……」
「いや、決してアッシュフォード学園の学力を軽視しているわけではないんです」
「ま、あなたの気持ちも分かるけどね。でも……一時は落ち着いてたでしょ、記憶探し。どうしてまた熱をあげてんの?」
「…………」
街中で見かけてから、気になる少女がいる。彼女が記憶の手掛かりになる可能性は高い。手掛かりにはならなくても、せめてはっきりさせたいのだ。特に隠す必要は無いように思える。
(言うべきだな。ミレイさんには報告しておくのが筋だろう)
「街中で、気になる子でも見つけたとか?」
ミレイは冗談のつもりで言ったのだろうが、頭の中にあった言葉をちょうど言い当てられる形になった。
「はい。実は」
「え……?」
「以前にショッピングモールで見かけた女性が、頭から離れないんです」
「…………」
「どうかしました?」
ミレイは笑顔のままフリーズしている。これは非常に珍しい光景だった。少なくとも、今まで見たことが無い。
「そ、それって……女の子、よね?」
「はい。おそらく同年代だと思います」
「見た目は? 可愛かった?」
少女の姿を思い出す。絹糸のような長い髪に、白い肌。流麗な瞳。目を奪われるような美しさだった。
「美しいとは思いましたけど……」
「そ、そう……」
ミレイは変に挙動不審だった。小さな声で「私の予想が外れるなんてね……」などと呟いているが、意味はよく分からない。
「そう言うんなら、仕方ないわね。応援するわ」
「ありがとうございます」
「その代わり、ちゃんと経過報告をすること。それと……これね」
ミレイは持っていた紙を差し出してきた。
渡された紙に目を通す。珍妙な単語の羅列。横には店の名前だろうものと金額が書かれていた。
「……買い出しですか」
「正解。 働かざるもの、食うべからず! よろしくお願いね」
そう言われては断れなかった。なにせ、学生でもなければ就業者でもないライは、端から見れば完全なニートだからだ。
迷惑をかけている。やはり、早いところ記憶の手掛かりを見つけなければならない。
「だから、あなたはもっと食堂に来なさい」
「……?」
「生徒会の仕事も頑張ってくれてるし、スザク君の勉強の手伝いもしてくれてるでしょ」
「それは……当然ですよ。世話になっているんですから」
そう言うと、何故かミレイは怒った顔になった。
「ちゃんとやる事やってるんだから、気なんか遣わなくていいの。十年早いわよ、ほんと」
「……ありがとうございます」
「ま、恩だと思ってるなら、出世払いでお願いね。あなたもルルーシュもスザク君も、有望株だと期待してるんだから」
今度はニッコリ笑ってくれる。やはり、この人にはかなわないと思った。
「では、行ってきます」
「いってらっしゃい。放課後の生徒会までには帰ってくるのよ」
こくりと頷き、ライはクラブハウスを後にした。向かうのはショッピングモール。当初の予定と変わりはない。そう難しいものではないだろう。
そんな風に思っていた。
「12連ネコミミマガジン……? 第四世代ハイパーハンマー?」
マガジンとは、小銃などに使われる弾倉の事だ。12連ということは12個のマガジンが連なっているに違いない。だが、そうなると"ネコミミ"の言葉が不協和音として目立ってくる。
第四世代ハイパーハンマーとはその名前の通り、第四世代のハイパーハンマーの事だろう。おそらくは第一~第三世代のハイパーハンマーを凌駕した性能を有していると見て、間違いない筈だ。
この二つに共通する事と言えば、両者が武器に関する名前を持っている事。
しかし、ショッピングモールに武器や火器を扱う店などあるのか。ただでさえ、最近は"黒の騎士団"の活躍で治安が悪化しているというのに。
(いや、治安が悪化しているからこそ、なのか)
誰でも武器を携帯していなければならない時代という事だ。護身具の必要性など、考えなくても理解出来る。
ミレイ・アッシュフォードは聡明な女性だ。生徒会とは全校生徒の代表なのだから、率先して武器の扱いに慣れておくべきと考えているのかもしれない。
思っていたより遥かに、重要な仕事を任されてしまった。
繁華街には何度も来た。にも関わらず、店の名前に覚えはなかった。
こういう事なら、ルルーシュやスザクに付き合ってもらえば良かったと、ライは途方に暮れた。お使いさえまともに出来ないとなると、今後の立場にも影響してくるだろう。手ぶらで帰るわけにはいかない。
どうしたものか。
いつぞやのベンチに座り、息を吐いた。学園を出た時には晴れていた空は、だんだんと曇ってきていた。一雨くるかもしれない。
(誰かを頼ろうにも……)
今は平日の昼前だ。生徒会のメンバーは(出席しているかは別として)授業中である。呼び出すわけにもいかない。となれば、街を歩いている人に尋ねる他ないだろう。
ライは立ち上がり、なんとなく前を通り過ぎようとしていた女性に話しかけた。
「……すみません。少しよろしいでしょうか」
「なんだ。ナンパなら他を当たれ。ん? その制服……」
相手の女性は男のような口調で、その声からは硬質な印象を受けた。しかし、アッシュフォードの制服を知っているらしい。僥倖だと思った。
「いえ、店を探しているんですが、見つからなくて」
「店……? 私もあまり詳しくはないのだがな」
ライは目を落としていたメモ切れを相手に渡した。それを受け取った女性はふむ、と唸る。
「ああ、この店か。良かったな、知っているぞ」
美しい少女だった。スラリとした、スレンダーな体型。珍しい緑の髪を隠すように被った帽子。
探していた少女だった。
その彼女が今、目の前にいる。状況を理解するまで、しばらくの間、ライの思考は完全にフリーズしていた。
「き、君は……」
「ん……」
少女もこちらの顔を見て、何か思うところがあったようだ。その切れ長の瞳が、僅かに揺れた。
「……ああ、なるほど」
口元に笑みが浮かんだ。恐ろしくなるほど、酷薄な表情。心臓が締め付けられるように痛い。左目もだ。痛みは視神経を通じて、脳に達していた。
「お前も、"力"を持つ者だったな」
少女の言葉が刃となり、そのまま突き刺さってくる。
痛い。熱い。
頭の中にバーナーを突っ込まれているようだった。悲鳴すら出ず、左目を抑えたまま、ベンチに倒れ込む。
少女がこちらにしゃがみ込むのを、右目が僅かに捉えた。やられる。とどめを刺される。そう思った。体は動かない。自分の物では無いようだった。前と同じだ。
CCきたー
「ほら、見せてみろ」
少女の細い指が伸びてくる。払いのけたかったが、それすらも出来なかった。いま触れられたら、きっとこの体は砕け散る。そんな恐怖が、混乱の渦を加速させた。
左目を抑えていた手があっさりと退けられた。まぶたを押し上げられ、眼球が露出する。映るのは少女の顔。少女の瞳。その奥にある、力の渦。
「……あ」
間抜けな声が出た。痛みは治まっていく。まるで波が引いていくかのように。拍子抜けするほどあっさりと。
どっと汗が噴き出してきた。呼吸もだ。痛みをこらえるべく、押さえつけていたものが堰を切って押し寄せてくる。
「妙な奴だ。人の顔を見るなり、いきなり倒れ込むとは」
「……君は、何者だ」
死にかけの、老人のような声だった。
「それはこちらの台詞だろう」
少女は地に伏す虫けらを見るような目をこちらへ向けていた。
「──お前こそ、誰だ?」
「………!」
小さな呟きだった。その一言で視界が、意識が揺らぐ。ひどく不安定だ。自分存在が消え去りそうだと思える。こんな、簡単な問いかけ一つで。
「僕は……」
だが、明確な答えを用意出来るはずもなく。
「僕は……誰だ」
そう問い返すことしか出来なかった。
「ほら、見せてみろ」
少女の細い指が伸びてくる。払いのけたかったが、それすらも出来なかった。いま触れられたら、きっとこの体は砕け散る。そんな恐怖が、混乱の渦を加速させた。
左目を抑えていた手があっさりと退けられた。まぶたを押し上げられ、眼球が露出する。映るのは少女の顔。少女の瞳。その奥にある、力の渦。
「……あ」
間抜けな声が出た。痛みは治まっていく。まるで波が引いていくかのように。拍子抜けするほどあっさりと。
どっと汗が噴き出してきた。呼吸もだ。痛みをこらえるべく、押さえつけていたものが堰を切って押し寄せてくる。
「妙な奴だ。人の顔を見るなり、いきなり倒れ込むとは」
「……君は、何者だ」
死にかけの、老人のような声だった。
「それはこちらの台詞だろう」
少女は地に伏す虫けらを見るような目をこちらへ向けていた。
「──お前こそ、誰だ?」
「………!」
小さな呟きだった。その一言で視界が、意識が揺らぐ。ひどく不安定だ。自分という存在が消え去りそうだと思える。こんな、簡単な問いかけ一つで。
「僕は……」
だが、明確な答えを用意出来るはずもなく。
「僕は……誰だ」
そう問い返すことしか出来なかった。
今回はこの辺で。
最後の方、ミスがあったので修正しました。申し訳ないです。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
このスレ見て久しぶりにロスカラプレイしたけどやっぱ面白いわ
このSSだとどのルートにいくのか期待
「今は動くな」
そう言われた。従うしかない。息は絶え絶えで、思考もはっきりしない。膝にも力が入らなかった。動けと言われても動けない状態である。
「……君は何者なんだ」
「見れば分かるだろう。どこにでもいる、年頃の乙女だ」
「そうか。……怖がらないんだな、僕の事を」
彼女からしてみれば、いきなり話しかけてきた男が突如として倒れ込み、意味不明な言葉を吐いているように見える筈だ。
「なぜ怖がる必要がある?」
「気味が悪いだろう。……こんな奴は」
ライの言葉に少女は笑みを浮かべた。先ほどのものとは違い、恐怖は無い。それどころか、慈愛のようなものを感じる。
「気にしなくていいぞ。見ている分には楽しいからな」
「…………」
もし、この少女がライの内心を理解した上で言ったのだとしたら、悪辣という言葉がぴったりだと思った。
「お前はアッシュフォードの生徒だろう。何故この時間に出歩いている?」
「……買い出しだ。それに、僕は正式な生徒じゃない」
「ふむ……」
「なんだ」
「立て。そろそろ動ける筈だ」
「…………」
確かに、体が動く。まだ麻痺したかのような感覚が残滓として漂っているが、随分ましになった。
立ち上がる。近くで見た少女は小柄だった。外見からして同年代だろう、ミレイやシャーリー、カレンと比べると顕著だ。ニーナと同じくらいに思える。
「なんだ?」
「いや……」
心なしか不満そうな声。読心術でも使えるのか。めったな事は考えない方がいいのかもしれない。
そんな心中も読まれたのか、少女はこちらに背を向けた。
「ついてこい」
「どこにだ」
「たわけ。買い出しを頼まれているのだろう。案内してやると言っているんだ」
「……そうか。すまないな」
存外、少女は親切だった。小さな背中に連れられ、街を歩く。
「…………」
やはり、と思った。この少女は異質な存在としか思えない。纏う空気、超然とした態度、そして先ほど垣間見た力。どれも常識という言葉からかけ離れている。
だが、何故だろう。
ひどく安心する。
ライは俯いた。すれ違う街の人間、笑い声、音楽、映像。そういった周囲の万物が、今はどうしようもなく空虚に感じられる。そしてなにより、そう思う自身の心が一番虚ろで空っぽなのだと、理解させられた。
この少女も、そう思っているのではないか。
「君は何を知っているんだ」
「何……というと?」
「さっき僕に言っただろう。力を持つ者だと」
以前よりライを知っているかのような口振り。あれだけは何があっても聞き逃せ無かった。
「…………」
「教えてくれ。頼む」
懇願だった。
自分が何者なのか、どうしても知らなくてはならない。でなければ、きっと僕は壊れてしまう。
「今はやめておけ」
「何故だ……!」
「今はとても不安定だ。閉じているものを無理やり開けば、自滅する。それはお前自身が一番理解している筈だがな」
「関係ない」
本当だった。どうなっても良かった。知って壊れるなら、そっちの方が良いとさえ思えた。
「お前の力は全てを壊す。それは私にとって不都合だ」
「……力? その力というのは、一体なんだ」
「"王の力"だ。その力は、お前を孤独にする」
孤独。孤独だと。馬鹿馬鹿しい。笑みが浮かんだ。
「だったら何だ。とっくに孤独だ」
「……お前は」
少女が立ち止まり、こちらに瞳を向けた。哀れむような顔。
「まだ何も見えていないのだな」
「なんだと……」
「まあ、いいさ。お前が力を目覚めさせたいというのなら、止めはしない。だが、それはまた今度だ」
「……出来るのか」
「造作もない」
少女は再び笑みを浮かべた。
「だが、今の状態では危険だ。落ち着いてから、また会いにこい」
「分かった」
「本当に……」
「……?」
「本当に、取り戻したいのか。力を、記憶を」
「当たり前だ」
この状態から抜けだせるのなら、何にでも縋ろう。それが藁でも悪魔の手でも、関係なく握るだろう。
もう、誰かに迷惑を掛けるのは嫌だ。
胸を張りたい。自信を持ちたい。せめて、一人でも生きていけるようになりたい。でないと、あの優しい人達の中にいるのは辛過ぎる。
「まどろみの中を漂っていられるなら、その方が良いと思うがな」
「何も知らない、分からないままでなんて、いられるか」
吐き捨てるように言った。少女は聞き分けのない子供を扱うように呟く。
「……仕方のない奴だな」
少女が背を向ける。その途端、周囲の雑音が帰ってきた。ここが街中だという事を忘れていた。
「C.C.だ」
「……? なんだそれは」
「失礼な奴だな。私の名前だ。覚えておけ」
「分かった」
「それと……これも覚えておけ」
まだ何か言うことがあるのか。C.C.は背を向けたまま言った。
「"ギアス"の力を取り戻せば、お前の時間は動き出す」
「ギアス……」
その単語を口にした瞬間、頭の奥がぴりついた。
「自分が何をしたいか、考えておくことだ」
自分が何をしたいのか。分からない。記憶探し以外のことを、なるべく考えないようにしていたからだ。そしてそれは、これからも変わらないだろう。
記憶を取り戻せば、きっと分かる。そう思うしかない。そのためなら、ギアスだろうが何だろうが、利用してやる。
不意に、C.C.が指を指した。その先には目当ての店があった。知らず知らずの内に接近していたらしい。もう一度、少女の方に目を移す。
既に、その姿は無かった。
次に会った時に、ギアスの力を目覚めさせてくれるらしいが、何時、どこにいけばいいか決められていない。これでは会えないのではないだろうか。
(いや……)
すぐに思い直す。彼女とは、きっとまた会うことになる。そんな確証の無い自信があった。
その時が、一つのターニング・ポイントとなるだろう。今はそれを待つしかない。不安が無いと言えば嘘になる。恐れが無いと言えば嘘になる。
それでも、前に進まなくてはならない。精神の深奥で何かが「やめろ」と叫んでいたが、ライはそれを無視した。
「…………」
空を見上げる。
黒い雨雲が切れ、僅かに晴れ間が覗いていた。
買い出しを終え(結局、何に使うか分からない玩具だった)、ライは帰路についていた。買い物袋はそれなりに重かったので休憩するべく公園に向かった。
C.C.のおかげで時間に余裕が出来たのもある。公園では名誉ブリタニア人の姿も多くあった。赤子を抱く女性、出店を開いて客を呼び込む男性。そして、友達とはしゃぐ子供達。
差別が苛烈なトウキョウ租界の中でも、ここだけは平和だった。
「…………」
疲弊し、過敏になっていた精神が安らぐ。空が晴れてきたことも相まって、開放的な気分になった。
「貴様っ! 何をしている!」
その平和を敵意に満ちた怒声が引き裂いた。見れば、ブリタニア軍の制服を着た男性が四人、屋台の店主に絡んでいる。
「貴様のせいで汚らしいショウユソースが私の靴にかかったではないか!」
「す、すみません! すぐにお拭きしますので……」
「いらん!」
靴を拭くべく跪いた男性の顎を、軍人の男は蹴り上げた。仲間の軍人達は無様に転がる名誉ブリタニア人を指差し、笑っている。
周囲を見た。他の屋台の男性達は一様に目をそらし、女性は泣き出した赤子を宥めながら離れていく。子供達も騒ぐのを止め、不安そうに事態の推移を見つめていた。
嫌な光景だった。一方的な悪意や暴力を無抵抗で受け入れなければならない不条理。悪意や憎悪、無理解と諦念が公園の明るかった空気を汚していた。
「…………」
どうしたものかと考えこむ。
見ていて気分の良い光景でないことは確かだったが、さりとてブリタニア軍人を相手に揉め事を起こすわけにもいかない。もし補導されでもしたら、身体検査は免れないだろう。身元不明者という事がバレてしまう。
そうなれば、アッシュフォード家に多大な迷惑をかけるのは間違いなかった。なにせ、ブリタニア軍に対して反逆心を抱く、身元不明の男をかくまっていたという事になるのだ。
「…………」
諦観するしかない。あの、屋台の男性達と同じように。無力なのは彼らだけではない。ライも同じだった。
「すみません、すみません!」
「土下座をしてみろ! イレヴンお得意の土下座をなぁ!」
暴行はまだ続いている。絡まれた男性は砂利にまみれながら、必死で謝っていた。ブリタニア軍人達は興がのったのか、笑顔で男性を蹴り回していた。
最悪の光景だった。仮にあの男性がこのまま殺されたとしても、あの軍人達は罪に問われたりしないだろう。反逆行為を働いただとか適当な誤魔化しをすれば、それが通ってしまうのがエリア11という地域だった。
「ち……」
見ていられない。ライはコンクリート製のベンチから立ち上がった。今の自分に出来る事は、明日の朝刊に名誉ブリタニア人死亡のニュースが載らない事を祈るくらいだった。
買い物袋を両手に持って、公園の出入り口に向かった。この場に背を向ける事に抵抗はあったが、飲み込むしかない。カレンが聞いたら、きっと激怒するだろう。彼女はブリタニア人なのに、日本人の肩を持つからだ。
なんとなく後ろめたい気分のまま歩くライの横を、一陣の風が吹き抜けた。
目で追うと、一人の若い日本人男性が、騒ぎの中心へ突撃していくのが見えた。
「おーらよっ!」
勢いのまま飛び蹴りを食らわす。全くの無防備だったブリタニア軍人達はもんどり打って地面に転がった。ピカピカの軍服が泥にまみれ、見る影もなくなる。
なんだか、少しスカッとした。
「き、貴様ぁ! 何をする!」
「へっ! バーカ! 下らない事してる暇があったら仕事しろってんだ、このブリキ野郎!」
日本人男性はひとしきり罵声を浴びせると、脱兎の如く逃げ出した。もの凄い逃げ足だった。倒れていたブリタニアの軍人達も立ち上がり、後を追う。
「待てぃ!」
「待つわけねーだろ!」
再び男性がライの横を通り過ぎていく。顎髭を生やした、見るからにチンピラっぽい外見。その顔は悪戯を成功させた子供のように輝いていた。
日本人男性は公園を出て右に曲がって行った。一瞬にして、その姿は見えなくなる。
遅れて、泥だらけになったブリタニア軍人がやってきた。彼らは見るからに激怒していた。当たり前だろう。踏みつけ、足蹴にしていた名誉ブリタニア人──日本人の前で恥をかかされたのだから。
「おい、そこの学生!」
「……はい」
「いまイレヴンが走ってきた筈だ! どっちへ向かった!?」
「ああ、それなら……」
ライは特に迷いもせず、左を指差した。男性が行ったのとはまったく逆の方向だ。
返答もせず、ブリタニア軍人達は走り去って行った。目標に追いつく事はない。面目は丸つぶれだ。もう、この公園に現れることもないだろう。
振り返ると、暴行を受けていた男性は仲間に助け起こされながら、自らを助けてくれた日本人が逃げて行った方向に頭を下げている。不安そうだった子供達も笑っていた。
「……悪くないな」
あの日本人男性がとった行動は決して褒められたものではなかったが、それでも人の心を救うものであった。
ああいうのも、悪くないと思う。
ライは買い物袋を持ち直し、アッシュフォード学園へ向かった。今の一件を見たためか、足が軽い。我ながら簡単な奴だと思った。
いつしか雲は吹き飛び、青空が広がっている。
もう一度振り返り、公園を見渡した。迫害に近い扱いを受ける日本人の、懸命に生きる姿があった。
(……帰ろう)
ライは再び、歩き出した。
夕暮れ時。雲一つ無い空は真っ赤に染まっている。ライは買い物袋と領収書を生徒会室に置いてから、午後の授業を受けていた。
放課後は生徒会があったはずだ。帰りのホームルームが終わった後もリヴァルと雑談をしていたせいで、遅刻の危険性がある。まずいと思いながら、中庭の付近を走っていた。
「ん……?」
中庭をまたぐ廊下を、一人の少女が歩いているのが見えた。赤い髪に、穏やかな美貌。お嬢様らしくビシッと着こなした制服はとても似合っていた。最近、親衛隊が増え続けているその美少女は、ライの世話係主任でもある。
カレン・シュタットフェルトだ。
両手には大量の書類を持っている。恐らくは生徒会で必要なものだろう。あれではまともに前も見えないに違いない。
カレンは病弱だ。授業を良く休むし、通院もしているらしい。そんな彼女に、無理はさせられない。
ライが彼女に駆け寄ろうとした、その時だった。
突風が吹く。カレンの持っていた書類が風によって飛ばされた。咄嗟に抑えたが、何枚かは流されて行ってしまう。
「はぁっ!」
鋭い声だった。声の主は手近な壁を蹴り、宙に舞う。そして一際高いところにあった紙を取り──着地。持っていた大量の書類を全く零さない、見事な三角飛びだった。
「…………」
「…………」
繰り返すが、この中庭にはライと、病弱なお嬢様であるカレンの二人しかいない。これは間違いなかった。そしてライは、見事なまでに傍観者だった。
割と近い距離で、ライと三角飛びをした人物は見つめ合っていた。
ひらひらと最後の一枚が落ちてくる。それを掴もうとしていたのだろう、手を伸ばした姿勢で声の主──カレン・シュタットフェルトは硬直していた。驚きに目を見開いている。
「…………」
「…………」
パシッと最後の一枚を取ったライは、それを彼女に差し出した。いつもと変わらない無表情だった。
「あ、その書類は僕が持とう」
書類を受け取るべく、手を伸ばす。しかし、カレンは驚くほど素早い動きで後ずさった。
「え……あ、ちょっ!?」
「……?」
その顔は真っ赤に染まっている。いつも穏やかな彼女らしくない反応だった。
「どうした」
「……み、見た?」
恐る恐る、といった様子だった。まるで長年の努力が水泡にきしたかのような強いショックを受けているようだ。
「何を」
「い、今の……」
「ああ……」
なるほど、そういうことか。合点がいったとばかりに、ライは頷いた。
「良い着地だったな」
「そうじゃなくて!」
「なんだ……?」
彼女の意図が分からず、首を傾げた。
「だ、だって、今のはその……ほら、学園でのイメージとかがあるから」
「…………」
「誰にも言わないで欲しいんだけど」
「君が素晴らしい跳躍をしたという事をか」
「う……」
そう言うと、カレンの顔がカァッと赤くなった。羞恥と怒りと戸惑いが混じった表情で、それでも頷く。
「構わないぞ」
「……本当?」
少し非難がましい視線。信用していないらしい。
「ああ。人には言えない秘密くらい、誰にでもある」
「…………」
「君の不利益になる事はしない。約束する」
「……あ、ありがとう」
カレンは目を逸らした。三度、赤面している。ライはその意味が分からないまま彼女の持っている書類、その大半を受け取った。
「半分持つ」
「うん……。ごめん」
ライは何事もなかったかのように歩きだした。その三歩後ろをカレンが続く。静かな中庭には二人以外の姿は無い。穏やかな夕焼けと、放課後特有の空気。ライは背後から視線を感じたが、気にしなかった。
そういえば、と考える。
(僕が前を歩くのは、初めてかな)
いつもは彼女の後ろをついて行ったいるだけだった。わけもなく、誇らしい気分になる。
その後、生徒会室に着いた二人は一緒に現れた事をからかわれ、カレンは四度目の赤面をする事になった。
今回はこの辺で。
ロスカラの玉城や扇は割とイケメンだった記憶があります。ロスカラのキャラクターはみんなイケメンになっているような気もしますが。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
乙です
CC嬉しい
ロスカラは扇ザマァwwwの記憶が強い
おつー
一級フラグ建築士ぶりが徐々に
おつ
騎士団EDで何故ディートハルトが選ばれたのか、コレガワカラナイ
トウキョウ租界を一通り見回ったライは、図書室を訪れていた。ギアスという手がかりを掴んだ以上、今は落ち着いて現在持っている知識を整理するべきだと思ったからだ。
(だいぶ偏っているからな……)
ライは生まれてから現在に至るまでの記憶がそのまま欠落している。しかしながら、普通に生活している分には不自由を感じたりしていない。
言葉が通じないだとか、食器の使い方が分からないだとか、機械類を動かせないだとか、そういった事はまったくないのだ。
授業の内容も理解出来るし、文化についての知識もある。分からないのは自分の事だけだ。
周りの事は分かる。分からないのは自分の事だけ。強い違和感があった。記憶というのは、こんなにも都合よく失われるものなのか?
考えていても始まらない。ライは図書室内の階段を登り、数冊の本を無造作に取り出した。いずれもブリタニアの歴史を記した物。建国から現在までの歴史学に目を通せば、何か引っかかるものが見つかるかもしれない。
人のいないテーブルに本を置き、高級そうな木椅子を引く。腰を下ろして一冊目を開いた。
地球最強の超大国、神聖ブリタニア帝国の始まりは、チューダー朝期のイングランド王国にある。
皇歴1770年代にあった"ワシントンの乱"の勃発と、"ヨークタウンの戦い"での反乱の首謀者"ジョージ・ワシントン"の戦死。この後、アメリカを植民地としたイングランド王国は絶対君主制でもって、その力を拡大させていった。
しかし勝利ばかりではない。"トラファルガーの海戦"でナポレオンに敗北したのを期に、制海権を握られてしまう。
12万もの軍が首都ロンドンへ侵攻。皇歴1807年、親ナポレオン派の革命勢力に捕縛され、王政廃止を迫られたエリザベス3世はブリタニア公リカルドとその親友"ナイトオブワン"であるリシャールの助けを得て、植民地アメリカへ逃れる事となる。
しかし新大陸東部に首都を移したものの、世継ぎが生まれず、エリザベス3世の死によってチューダー朝の血筋は途絶えた。
ブリタニア公リカルドは国を引き継ぎ、国号を神聖ブリタニア帝国に変更。自身もリカルド・ヴァン・ブリタニア1世として皇帝に即位。彼の親友だったリシャール・エクトル卿は引き続きナイトオブワンとして国に尽力したそうだ。
こうしてブリタニアは生まれた。
ブリタニアという名前自体はグレート・ブリテン島などに築いた属州を指すが、国土の大半はアメリカ大陸に位置している。
現在のブリタニアはKMF(ナイトメア・フレーム)を持つ軍事国家として、世界の三分の一を手中に収めているが、その始まりは敗北だった。
「…………」
ライは読んでいた「ブリタニア年代記」を閉じる。全て知っている事ばかりだ。再び席を立ち、本を元の場所に戻す。
歴史学からは引っかかるものを感じなかった。国の変化や戦いの推移に僅かな興奮はあったものの、大した動きではない。
(待てよ……?)
もう少し以前の歴史書ならどうだろう。そう思い、「ブリタニア年代記」以前の歴史が記された「ブリタニア列王記」を手に取る。
まだ、ブリタニアがグレート・ブリテン島にあった頃の時代。様々な王が現れては消えた、激動の乱世。その中で活躍した英雄の逸話は、今でも高い人気を誇る。ブリタニアの文化にも強い影響を与えるほどに。
「……ライ?」
後ろからの声。いつもなら何ということもないが、本に気を取られていたせいで注意が逸れていた。驚くより先に体が動く。間合いをとって、相手を──
「あ……」
「……スザク」
枢木スザクが驚いた顔でこちらを見ていた。二人の間、本棚の半ばまで引き出された本が傾き落下。
「おっと……」
スザクが姿勢を低くし、落ちてきた本を難なくキャッチした。鋭い反射と滑らかな脚捌き。
「どうしたんだい? 急に飛びずさって」
「いや……すまない」
こちらの反応は明らかに警戒心が過ぎたものだ。いつも良くしてくれる相手への態度としては、極めて無礼だと思い、ライは謝った。
「君らしくないな。いつもなら、もっと早く気付くはずなのに」
「…………」
無意識のうちに気が立っていたのかもしれない。本を読んだせいか。相変わらず、自身の事については判然としない。
「君はどうした。図書室で勉強か」
話題を切り替えるべく、質問に質問で返した。スザクの持っていた勉強道具一式が視界に入ったから出た、咄嗟の言葉だったのだが、何故か彼は赤面した。
「いや……あの、出席日数が足りなくて、補習を受けなくちゃならないんだ。だから、資料を集めにね」
「……そうか」
スザクは模範的な優等生だ。授業態度は真面目そのものだし、向上心もある。その彼の出席日数が足りなくなる理由。
来てたか
ロスカラ久々だな
ユフィ生存ルートが好きだった
「軍の仕事があるんだったな」
スザクは頷いた。
以前、夜の街で出会った時の事を思い出す。スザクはブリタニア軍に所属しており、たびたび学園を休む。来ても午前の途中でいなくなる事もしょっちゅうだった。
「手伝おう」
「え……」
「どうせ一教科だけじゃないんだろう。必要になる資料の数も多いと考えるのが普通だ」
「……ありがとう」
何故か、スザクは安心したように笑った。彼はメモ帳を取り出すと、さらさらと走り書きしてから一枚を切り取る。
「これだけ持って来て欲しいんだけど……」
「分かった」
予想通り、かなりの量だ。スザクが自分で持ってくる分も含めると、今日一日では終わらないだろう。
「見つけたら、またここで落ち合おう」
ライは頷いて、資料を探しに掛かった。
十分後。探し終えた本を抱えて待ち合わせ場所に戻ると、既にスザクが勉強を始めていた。
「これでいいか」
「うん。ありがとう!」
申し訳ありません。今日は時間が取れませんでした。明日から本気出します。
乙です
大した事をしたわけじゃないのに深々と感謝され、ライは目を逸らした。こういう純真無垢な瞳を向けられるのは得意ではない。
「さっきは何を探してたんだい? 歴史学の方を見てたみたいだけど……」
「……少し、情報の整理をしていた。ブリタニアの成り立ちについて、一からな」
「情報の、整理?」
「ああ。僕の記憶については、色々とあやふやな部分がある。日常生活は普通に送れるのに、自分の事はまったく分からない。これは不自然だ」
「それで、ブリタニアの歴史を?」
日本人のスザクからは、ブリタニアという国はどう映るのだろう。ふと、そんな事を思った。しかし、そんな事を訊けば、彼の勉強の妨げになってしまう。
「何か手掛かりがあると思ったんだが、なかなか上手くいかない」
「そうか……。色々やってるんだね」
「おかげで、僕は読者が嫌いじゃないという事が分かった」
ライはスザクに頼まれていた物とは別の本を机に置いた。ブリタニア以外の主要国であるEU、中華連邦を始めとした、他国の情報が写真付きで載っている。その中には属領になる前のエリア11──日本のデータもあった。
アッシュフォード家は昔から親日家だったらしく、こういった書籍も置いてくれている。ブリタニアと同じか、それ以上に気になる国の事を記した本は限られているので、ありがたかった。
日本。その言葉には、不思議な感触があった。ブリタニア以外の他の国と違い、頭の奥に情景のようなものが湧き上がってくるのだ。記憶を無くす前は、縁(ゆかり)のある土地だったのだろうか。
「…………」
「でも、読書ならルルーシュやニーナと一緒の時にしてるじゃないか」
沈んでいた思考が、スザクの声で引き戻される。
「そう……だな。ルルーシュが貸してくれる本は面白いし、ニーナが好きなウランの分裂と濃縮は興味深いと思う」
と、言ったところで気付く。スザクの手が止まっているのだ。これでは邪魔しているのと同じだ。
「勉強を邪魔してしまったようだな。他の所で読むよ」
そう告げ、空いている席がないか見渡す。そこでスザクが、少し慌てた様子で言った。
「大丈夫だよ。いつもはもっと多いし」
それが何の弁解になるのか。
「いや、そういう問題じゃないと思うが」
「大丈夫だって。それに、君がそこに座っててくれた方が僕も助かる。分からない所が聞けるしね」
大丈夫、大丈夫と連呼されると返って不安になるが、スザクがそういうならと、ライは彼の対面に座った。何故か嬉しそうなスザクが再びペンを進め始める。それを見ると、なんだかこちらも安心してしまった。
暫し、静かな時間が続いた。ペンが走る音と、ページを捲る際のこすれる音が一定のリズムで図書室に響く。大丈夫という宣言通り、スザクの方ははかどっているようだった。
中等部で受けるはずの教育を丸々飛ばして高等部の授業を受けている彼だ。軍の仕事や、アッシュフォード学園自体のレベルが高いのもあって、なかなか授業についていけてない。ライがノートを貸す事も度々あった。最近ではむしろ、そのためにノートをとっているといっても過言ではない。
(元々、勉強が不得意というわけではないのか)
一度理解したら忘れないし、引っ掛け問題にも強い。生徒会での書類仕事もそつなくこなしているのだから、決してスザクの頭が悪いわけではないのだ。基礎知識さえ補えれば、成績も飛躍的に上がるだろう。
相方の方が思いのほか順調なようなので、ライも読書に集中する。EUと中華連邦、そしてブリタニアを加えた三極と呼ばれる三つの大国とその関係。こちらは面白くなかったので、読み飛ばした。どうせ知識の中を探ればあるのだから、時間の無駄だ。
本の中頃から、各国の名所や名産品の特集が始まる。こちらは面白い。ページを捲る手が早くなる。やがて、その手は日本の所で止まった。
主な輸出品はサクラダイト。世界中で機械の動力源などに使われる希少金属だ。日本はサクラダイトの輸出国として繁栄していた。
富士山と呼ばれていた山はサクラダイトの大鉱脈があるとされ、戦前はその美しさで有名だったらしい。今は大規模な採掘施設が纏わりつくように建設され、その風貌は様変わりしてしまっているが。
ページを捲る。大きな写真が一面を占拠していた。
一本の大木。淡い桃色の花弁。桜という木だった。
「…………」
まただ。頭の奥を、何かがよぎる。なんだこれは。記憶と呼べるほど確かなものではない。イメージの断片、過去の残りかす、そんな言葉が似合う感覚だった。
心の中に、乾いた風が吹く。見渡す限りの荒野。砂埃が酷く、前は見えない。
虚しいだけの──
「…………」
視線を感じた。前の席からだ。枢木スザクがこちらを、ライの手元の本を、悲しげな瞳で見つめていた。
「あ……すまない。不謹慎だったな」
慌てて本を閉じる。戦前の日本が彼にとってどういう意味を持つのか。複雑に決まっている。自分のように気楽な考えで見ていられるものではないと思い、ライは謝った。
「いや……いいんだ。気を遣わせてごめん」
「…………」
スザクはまたノートに目を落としながら、尋ねてきた。
「君は……エリア11の事、どう思ってる?」
「どういう意味だ」
「あ、ごめん。深い意味は無いんだ。ただ……さっきのページを見ているとき、複雑そうな表情をしていたから」
「日本の風景は嫌いじゃないようだ」
「記憶が戻った……っていうわけじゃないみたいだね」
「ああ。ただ、桜や富士山は美しいと思った」
「そうか……うん。そう言ってくれると、僕も嬉しい」
「…………」
微笑んだスザクを見て、ライも読書に戻った。また静かな時間が戻ってくる。
そうして、三冊目の本を読み終わった頃。スザクの方も終わったらしく、資料を片付けに掛かり始める。予想以上に早い。後半は恐ろしい集中力だった。
「帰るか」
「うん。こっちは何とか終わったよ」
「片付け、手伝うよ」
返答を待たずに資料を回収し、元あった場所に向かう。本同士の隙間に借りていた物を差し込んでいく。手早く戻して、図書室の入り口に戻ってきた。今度はライの勝ちだった。
「あ、お待たせ」
「いや……」
二人並んで廊下を歩く。既に夕方だ。窓からは赤い光が差し込んできていた。外からは運動部が練習する声、吹奏楽部の奏でる音楽が聞こえてくる。
平和な放課後だった。
「今日は、これから仕事か」
窓の外を眺めながら、なんとなしに聞いてみた。
「うん。学園の入り口で待ってるって言われてる」
「……気をつけろよ」
軍の仕事……それも日本人のスザクがやる仕事となれば、真っ当な部類のものではない可能性もある。
「ありがとう。でも、技術職だから危険はないよ」
「そうか」
万が一、危険な仕事だとしても、スザクはその事を言わないだろう。周囲に対しては過度の心配性の癖に、自身にはまったく向かないのだ。心配させたくないだとか思っていそうである。
玄関を出る。入り口の向こうには物々しい外見の大型トレーラーが停車していた。白衣を着た白髪で長身の男性と、軍服を着た女性がこちらを見ている。
ブリタニア軍。その単語にライは確かな拒否感を抱いた。足が止まる。
「どうしたの?」
「……図書室に忘れ物をした。ここで失礼する」
「分かった。今日はありがとう」
「いや、こちらこそ。じゃあ、また学園で」
そう言って背を向ける。
「あ、そうだ!」
「……?」
「もしかしたら君は昔、格闘技か何かをしていたのかもしれないね」
「格闘技……」
「うん。さっき話しかけた時、凄い勢いで間合いをとっていたから」
「…………」
「それだけ伝えたかったんだ。じゃあね」
スザクは走っていく。その背中の向こうでは、白衣の男性が値踏みをするような目でこちらを見ていた。
ちょっと休憩
乙です
乙
乙です
『そういえば彼、何者なの?』
モニターに映る白髪の男性が訊いてきた。微笑んでいるようにも見える、何を考えているか分からない表情。未だに慣れない。
「彼、というと?」
何だか嫌な予感がして、スザクは聞き返した。現在の彼は狭く暗い室内で一人、固いシートに座っている。肌にぴったりと張りつく、白い奇妙な服を着ていた。
『学園で君と一緒にいた彼だよ。ほら、銀髪の』
白髪の男──ロイド・アスプルンドは無邪気な笑みを浮かべた。完全な好奇心から来るものだろう。スザクよりだいぶ年上のはずだが、こういう子供じみた部分のある人物だった。
「……転入生ですよ」
聞き返したのは失策だったと、スザクは自身の選択を後悔した。かなりの距離があったはずだが、ロイドはライに興味を持ってしまったらしい。
『ふ~ん……』
『ロイドさん。今は待機中ですよ』
内部のスピーカーに、もう一つ声が増えた。若い女性のものだった。
『僕たちにお呼びなんて掛からないでしょ。これならシミュレータでもやってた方が……』
『命令があった以上、従うのが私たちの仕事です。出撃前のパイロットの集中力を乱すなんて、言語道断でしょう?』
モニター内に声の主のが入ってきた。年齢は二十代半ばといったところで、柔らかな目元が彼女の性格を表している。
彼女はセシル・クルーミー。ロイドと同じ、スザクの上官である。
『ごめんなさいね、スザクくん』
「いえ……。状況はどうなってます?」
硬い声色で尋ねると、セシルの表情が曇る。
『良くないわ。今日は他の地域でも戦闘が行われているから、軍のカバーも行き届いていないみたい』
『あらら~? もしかして、出番ある?』
反対にロイドの顔が輝いた。予期せぬ幸運に喜んでいるらしい。不謹慎だと、スザクは眉を寄せた。
三人を乗せた軍用トレーラーの外からは、散発的な銃声と爆発音が聞こえていた。付近で戦闘が行われているのだ。そして、スザク達は軍人。やることは一つだった。
『今の戦況をモニタに出すわね』
「……これは」
別のモニタに周囲の地図が表示された。半径二キロメートルを表す電子地図の中では、敵を示す赤いマークが続々と集結しつつある。対して味方を表す青いマークの動きは悪い。数が違い過ぎるのだ。
セシルの言うとおり、良くない戦況に陥っている。
『ナイトメアが一〇騎に、装甲車が一八台。こっちの部隊だけじゃ、対応できないだろうね。あ、また三騎増えた』
『コーネリア殿下が視察に出られた途端、こんなことになるなんて……』
「こちらは<サザーランド>が六騎……数が違い過ぎる」
『そうだね。こんな状況だし、準備だけはしておいて』
「はい」
ロイドの言葉を受けて、スザクはモニター下部に刺さっている金と白のキーを回した。座っているシートから地響きのような重い揺れが伝わってくる。
『ま、ここまで来ても命令が無きゃ動けないんだけどね。セシルくん、もう一度催促してきてくれる? こっちはいつでも出れますって』
『……分かりました』
肩をすくめてセシルが去っていった。彼女は決して好戦的な女性ではないが、状況がそれを許さなかった。スザク自身も、胸の内に焦燥感と危機感が立ち込めつつある。
現在、スザク達ブリタニア軍が戦闘しているのは日本解放戦線からはぐれた下部組織だった。中華連邦から持ち込まれた特殊な薬物を所持しているらしい。敗北し、包囲された腹いせに、自棄を起こした彼らは浄水場の一部を占拠した。
自分たちの全滅と引き換えに、その薬物を浄水場から流そうという考えだ。一滴で人を殺す薬物を二〇〇〇リットル放流すれば、トウキョウ租界は壊滅する。
『あんな事しても、意味なんかないのにね』
そうだ。
いくら浄水場を占拠し、そこから劇薬を水道水に混ぜたとしても、その水が流れる供給ラインを停止させれば租界に毒は回ってこない。
困るのは面倒な復旧作業を強いられる水道局と、事態の解決にあたるブリタニア軍だけだ。
それが分からないわけでもないだろうに。抑えきれない苛立ち。歯を強く噛み締める。暗い室内にギリッという嫌な音が響いた。
「供給ラインの方は止まりました?」
『占拠と同時にね。後は施設を取り返すだけなんだけど……』
タイミングが悪かった。ちょうど、トウキョウ租界を束ねるコーネリア・リ・ブリタニア総督が、日本解放戦線の本拠地があると目されるナリタ連山方面へ視察に出ていたのだ。
防衛機能の低下したところを、敵は正確に狙ってきた。おそらくは偶然だったのだろうが、現実は相手に有利な方へ動いている。ブリタニア軍の抵抗力が低下していると知った周囲の反抗勢力が、続々と集結してしまった。
『あーあ。こっちの<サザーランド>はあと四騎。駄目だね、こりゃ』
他人事のようなロイドの口振りが、スザクを苛つかせる。彼からしてみれば、他の部隊などさっさと撤退してもらいたいくらいなのだろう。
「…………」
苛つく理由はもう一つあった。劇薬が流されれば、水道水はトウキョウ租界へ向かっていく。しかし、ラインは既にカットされている。ブリタニア人が危険に晒されることはない。
だが、その周囲に住んでいるイレヴン──日本人は違う。ゲットーでの生活用水は、租界へ行くはずの物を拝借して賄われているのだ。何もしらない人々は劇薬入りの水を飲む事になる。
日本人がブリタニア人に向けて放った矢は、日本人に突き刺さる。
「…………」
焦燥感が膨れる。危機感が大きくなる。
『お、ブリタニア軍が撤退し始めたね。これはもしかして──』
ロイドの言葉が途中で切れる。扉が開き、慌ただしく迫る足音。セシルが戻ってきたらしい。
『出撃許可、出ました!』
『──だってさ』
「分かってます」
『出撃シークエンス開始します。デヴァイサーZ─01エントリーを確認。個体識別情報承認。マン・マシン・インターフェイスの確立を確認』
セシルが手早くシークエンスを進めていく。同時にスザクもキーボードを叩いていた。
『ユグドラシル共鳴確認。拒絶反応微弱。デヴァイサーストレス許容値。ダイアグノーシス終了。ステータス・オールグリーン』
モニタを切り替え。トレーラーのブリフィーング・ルームから、スザクのいる格納庫へ。ハッチが解放。真っ暗だった闇の中に、赤い炎の灯りが差し込んできた。
ふと、六時間前に歩いた学園の廊下を思い出した。夕焼けの光と違って、爆炎などでは心は晴れなかったが。
『スラッシュハーケン、イグナイダー起動。ランドスピナー、アイドリング良好。システム・オールグリーン。外部火器インターフェイス、オンライン』
スザクは暗い室内──コックピット内で今一度、精神を統一した。目を閉じ、息を吸う。それに応えるかのように、格納庫内で白い巨人が覚醒した。
緑のツインアイが輝く。白と金の美しいボディ。
角張ったデザインの<サザーランド>や<グロースター>と違い、鍛え上げられた肉体のようにしなやかで流線型なシルエット。
巨人は脚部を大きく広げ、右腕を地面につけた。短距離選手を思わせる、特徴的な前傾姿勢。くるぶし付近に装備された車輪──ランドスピナーが甲高い音を立てた。
『嚮導兵器Zー01<ランスロット>……出撃!』
「<ランスロット>発進!」
電源ケーブルが排出されたのを確認。ペダルを踏み込む。<ランスロット>が白い弾丸になって飛び出していった。
「くっ……」
スザクの体がシートにめり込む。発進後、一秒で時速二五〇キロまで加速。特殊な耐Gスーツを着ていても、内臓が思い切り押し込まれた。
正面のモニターには高い外壁に囲まれた浄水場が映し出されている。胸部に二基設置されているファクトスフィアを展開。周囲の情報が一瞬にして集積、統合、処理され、敵の位置がサブ・モニターに表示された。
よし、近い。
スザクは再びペダルを踏み込んだ。<ランスロット>が跳躍。二〇メートル近い外壁を軽々と飛び越えた。
四肢を振り、空中で姿勢制御。眼下には四騎の<無頼>。こちらに気づかないまま、周囲を警戒している。
<ランスロット>の腰部には専用の火砲が装備されているが、それを使う気はなかった。
四基の強化型スラッシュハーケンを起動。最新式の照準システムは落下中という難しい状態にも関わらず、タイムラグをほとんど感じさせずに四騎を同時にロックオンした。
敵がこちらに気づく。向き直る頃には腕部と腰部から二基ずつ、計四基のスラッシュハーケンが射出されていた。
直撃。四騎の<無頼>はいずれも頭部や胸部に被弾し、そのイジェクション・シートを起動させた。<ランスロット>の姿をまともに視認することも出来ないまま、破壊されたのだ。
着地。
地面を縫うように動き回りながら、敵陣深くへ切り込んでいく。味方がやられたことに気づいた二騎の<無頼>がアサルト・ライフルを向けてきた。
敵が発砲すると同時に操縦桿を動かす。過敏とも言える反応を示した<ランスロット>は砲弾の雨をくぐり抜けた。
そして、
「ふっ!」
両腕のスラッシュハーケンがせり出し、手刀になった。二騎の間を通り抜ける。背後で爆発。すれ違いざまに切り裂かれた敵が沈黙した。
これで六騎。
出撃後、一切減速をしないまま<ランスロット>は動き続けている。前方からは続々と現れる<無頼>の群れ。
「敵のリーダーはどこだ……」
一〇騎近い敵を前にしても、スザクの意識は違う所へ向いていた。これは戦争ではない。あくまで鎮圧なのだ。
さらにフットペダルを踏み込む。白き巨人はさらに加速した。
今回はこの辺で。ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
ナイトメア戦が分かりずらいかと思いますが、ご容赦下さい。今後もっと増えます。
「敵ナイトメア、残り四騎。撤退を開始しました」
ブリタニア軍特別派遣嚮導技術部……略して"特派"が所有するトレーラーの中。モニターにリアルタイムで表示される戦力図を眺めながら、セシルが言った。
「普通は慌てるよね。つい三分前までは勝利に浮かれていたんだろうから」
モニターに映る<ランスロット>のマークは凄まじいスピードで移動し、敵ナイトメアを蹂躙していく。二〇騎近い<無頼>と装甲車は既に大半が破壊されていた。
放たれた砲弾は優に一〇〇〇発を超えるだろう。その全てがことごとくかわされ、今も<ランスロット>は無傷のままだ。
次元が違う。
ロイドは椅子の背もたれをきしませ、情報収集用のモニターに目を移した。バイタルデータに異常は無い。枢木スザクはこの極めて不利な状況にも関わらず、強いストレスを感じていないようだった。
「<ランスロット>、目標ポイントへ到達しました」
ロイドは持っていた懐中時計を見た。
「……四分三二秒か。ま、こんなもんかな」
ブリタニア軍の正規部隊が二時間掛けても落とせなかった難所を、あの白いナイトメアは五分足らずで陥落させたのだ。これでは方々から嫌われるのも無理はない。
<ランスロット>はロイド率いる特派が建造した試作型KMFだ。コアルミナス──動力や機体各所に大量のサクラダイトを惜しみなく使い、既存のナイトメアを凌駕する大出力を得た。
ユグドラシルドライブが生み出す圧倒的なパワーの恩恵はそのまま機動性に現れており、片腕だけで機体を支えたり、単純跳躍で五〇メートル以上を叩き出したり、第五世代以前のナイトメアとは比べものにならない。
武装も最新の物を採用している。両腕部と腰部に計四基あるスラッシュハーケンは硬度と鋭さを増して推進器まで内蔵している。
後ろ腰に装備しているのは可変弾薬反発衝撃砲──ヴァリス。弾薬の反動を制御することによって、その威力を自在に変える事が出来る火砲だ。最大出力のバースト・モードで使用すれば、敵を部隊単位で吹き飛ばす、ナイトメアの常識を覆す兵器だった。
背部に二本装備されているMVS(メーザー・バイブレーション・ソード)は刀身部分を高周波振動させることによって、破格の切断力を発揮するショートソード型の近接兵器だ。地球上のあらゆる物質に対して、ほとんど抵抗を受けずに分断することが出来る。
機体剛性も非常に高い。装甲防御力はヴァリスの直撃を耐えるよう設計されているし、両腕部にはブレイズルミナスという防御装置まで備えている。
整備性、量産性、生産性を全て捨てる事で攻防走、近中遠、全てにおいて最強を目指したKMF。それが<ランスロット>だった。
ブリタニア軍主力機の<サザーランド>や最強の量産機と呼ばれる<グロースター>が第五世代とされているのに対して、<ランスロット>は"第七世代"。二世代分の格差がある。
『内部の制圧完了しました。歩兵部隊をお願いします』
<ランスロット>のデヴァイサー(特派内でのパイロット)である枢木スザク准尉が報告してきた。彼は名誉ブリタニア人──イレヴンのため、本来はナイトメアの搭乗資格を持たないのだが、特派の中だけの特例ということで許可されていた。<ランスロット>を操れる人間がごく限られているせいだ。
「もうしてるよ」
モニタリングしていたため、既にセシルが動いている。間もなく事態は収拾されるだろう。
「お疲れ様ぁ~。怪我は無い?」
『はい、ありません。ありがとうございます』
「違う違う。君じゃなくて<ランスロット>のだよ」
『……損傷は無しです』
そんな事は分かっている。この程度の仕事で機体を傷つけるような人間に<ランスロット>は任せない。今のは武装をほとんど使用しなかったスザクに対する、ロイドのちょっとした意地悪だった。
「ロイドさん?」
後ろからセシルが現れ、右肩に手を置いた。ゆったりとした手付きだが、骨が軋むほどの恐ろしい握力だった。
「あ、ごめんなさいごめんなさい。言葉が過ぎました」
「まったく……。歩兵部隊が到着したら、スザク君も帰投してね。お夜食作ってあるから」
『り、了解しました』
通信が切れる。長くなりそうだった夜は呆気ない終わりを迎えた。
カーテンの隙間から漏れる光を感じて、ライは目を開けた。少し遅れて、目覚ましのアラームが鳴った。驚きもせずに止めて、ベッドから起き上がった。
体調を確認。血圧、骨格、筋肉、動悸、全て正常。若干の頭痛がある他は異常なし。いや、記憶はまだ戻っていなかった。異常ありだ。
空腹も問題なかった。昨晩、塩分と糖分、水分は摂取したためしばらくは動けるだろう。カロリーや各種ビタミンは二日以内を目処に取っておこう。
そんな事を考えながら、寝巻きとして使っているシャツを脱ぎ、ズボンを脱ぎ、下着を脱ぐ。シャワールームの中、湯の張ってないバスタブに入り、シャワーの冷水を頭から被った。
「…………」
冷水が体温を奪っていくのを感じる。排水口に流れていく水道水を、たっぷり五分間眺めた。蛇口を捻り、水を止める。凍えた体を温めもせず、無造作にタオルで拭いて浴室を出た。
清潔な衣服に着替え、その上からアッシュフォードの制服を着込む。学生鞄を開け、持ち物を確認。これも問題なし。所持金も、一週間近く前から変わっていなかった。
登校時間までまだ余裕があるものの、早めに出発しておこうと靴を履いた。こういう場合は生徒会室に行って、他のメンバーが嫌がる書類仕事を済ませておくのが最近の日課だった。
自室の鍵を持って部屋を出る。扉を閉めてから鍵をかけ、施錠確認。戸締まりは念入りを心がけていた。
「……?」
自室を出たライは、すぐ近く──ランペルージ兄妹が暮らしている部屋を見た。僅かに扉が開いている。妙に思って、近づいた。
近くに人の気配は無し。まだ早朝だ。大半の人は寝ている時間帯である。
(ルルーシュにしては珍しいな……)
盲目で歩けないナナリーがいるというのに。用心深い男だと思っていたのだが、何かあったのだろうか。
開いているドアの傍らに立ち、三回ノックする。反応無し。まさか、中で事件があったというのか。少し心配になり、もう一度呼び掛ける。
「……朝早く申し訳ない。誰かいないか」
「あ……ライさん。どうしましたか、こんな朝早くに」
車椅子を動かして、ナナリー・ランペルージが現れた。既に寝巻きではなく、制服を着ている。規則正しい生活をしている彼女らしい。
「いや、扉が開きっぱなしだったから心配になって。朝早くからすまないな」
そうでしたか、とナナリーは申し訳なさそうな表情になった。
「わざわざありがとうございます」
「ルルーシュはいないのか?」
「お兄様は……。昨晩から留守にしています」
ナナリーの表情は曇ったままだ。身の回りの世話をしてくれる咲世子が帰ったら、一人になってしまうのだ。心細さは計り知れないだろう。
ライは目を細めた。
この扉、ナナリーが開けたとは考えにくい。咲世子でもないだろう。そんなミスをするならば、彼女は今まで使用人を続けてこれなかったはずだ。
そしてルルーシュは昨晩から不在。となれば、第三者がこの部屋を出入りしているのか。
(……いや、あまり詮索するべきではないな)
そう思い直し、ライはナナリーを見た。そこで気づく。彼女の膝の上に、折りかけの紙切れが置かれているのだ。
「……折り紙か」
「あ……はい。最近、咲世子さんから教えて頂いたんです」
折り紙。なんとなく、ナナリーのイメージに合っている気がした。
「あの……」
ナナリーが口を開く。申し訳なさそうな表情のままだ。しまったと思う。まだこんな時間帯である。迷惑を考えていなかった。
「朝早く訪ねて悪かった。僕はもう行くから」
「あ、いえ……あの。そうではなくて」
「……?」
「いま、お時間があるようでしたら、これを」
折り紙が掲げられる。過程から推測するに、おそらくは折り鶴か。
「もし、よろしければ、ご一緒して頂けませんか?」
ナナリーは不安そうな顔を赤らめている。ライは床に片膝をつき、彼女に目線を合わせた。
「いいのかい?」
「は、はい! お願いします!」
ぱあっと輝く。やはり、ナナリーのこの表情は好きだ。ライは彼女に連れられ、部屋に入った。
前半戦終わり。ちょっと休憩します。
乙です
乙乙
「どうして折り鶴を?」
尋ねると、ナナリーは手元の紙切れを大事そうに撫でた。
「折り鶴が千羽集まれば、願い事が叶うとされているそうです」
「願い事……」
「はい。生徒会の皆さんが、私の体が早く良くなるようにと折ってくれたんです」
ライは壁に下げられている、大量の折り鶴を見つけた。なるほど、と思う。
「じゃあ、その手伝いを?」
いえ、とナナリーは首を振った。
「これは、私から皆さんへのお返しです。皆さんが笑ってくだされば、私も幸せですから」
「…………」
こういう少女だからこそ、周囲の人間は幸せを願わずにはいられないのだろう。そして、それはライも例外ではなかった。
「僕も、折ってもいいかな?」
許可を得ると、やはりナナリーは嬉しそうに笑って、
「はい!」
頷いてくれた。ライは彼女から差し出された折り紙を一枚取って、淀みのない手付きで折っていく。
瞬く間に、綺麗な折り鶴が完成した。
「お上手なんですね」
「分かるかい?」
「はい。音で大体のことは分かります」
ライは自身が折った鶴を見た。割と難易度の高い物のはずだが、いとも容易く作れてしまった。記憶を失う前は頻繁に作っていたのかもしれない。
「良かったら、どんどん折って下さい」
「じゃあ……お言葉に甘えて」
同じ色の紙を数枚選び、また折っていく。今度は何かを作ろうという明確な目的は無い。体が覚えている動作をそのまま紙に投影した。
「…………」
出来たのは、何かの花弁を模した物。数枚の紙を組み合わせて作った一品だった。ナナリーに差し出すと、彼女はそれの縁をなぞりながら首を傾げた。
「これはなんという作品ですか? 花のようですけど……」
「なんだろうな。僕にもよく分からないんだが」
昨日の図書室で読んだ本にあった植物に似ている。そう、あれは確か……。
「桜……だと思う。たぶん」
どうにも歯切れの悪い返しだった。しかし確信はなかったが、その単語がしっくりきた。
「桜、ですか」
ナナリーにとっても何か思い入れがあるのかもしれない。彼女は桜(のような物)を大事そうに愛でている。
「…………」
こうしていると、どうしようもなく懐かしい気持ちになる。記憶があった頃は、年下の少女と二人、穏やかな時間を過ごすのを楽しみにしていたのだろうか。
その時、玄関の方で鍵の開く音がした。咲世子が来る時間にしては早い。ルルーシュが帰ってきたようだ。
「まずいな」
こんな朝早い時間に妹と二人きりでいる男を、ルルーシュは良く思わないだろう。ただでさえ最近は男女逆転祭のせいでピリピリしているというのに。
しかし、ここで隠れたり逃走したりするのも得策ではないと思えた。堂々としているしかない。
リビングの扉が開く。
「おかえりなさいませ、お兄様」
「ああ、ただいま。遅くなってすまなかった、ナナ……リー」
ルルーシュは徹夜でもしていたのか、眠そうに目頭を抑えながら入室してきた。そのため、ライに気づくのが遅れたようだった。
「おはよう、ルルーシュ。お邪魔させてもらっている」
「……あ、ああ。おはようライ。どうしたんだ、こんな朝早くから」
明らかな動揺があった。寝不足で鈍った頭脳が回転を始めているのが分かる。彼がいらない心配をする前に、不安の芽は摘んでおこうとライは考えた。
「今朝、僕が外に出たら君の部屋のドアが開いていたんだ。一応の安全確認をと思って呼びかけたら、ナナリーが一人で……」
「折り紙をしていたというわけか」
結局、先回りされてしまった。ルルーシュは何かに苛ついたように頭を掻く。
「まったく……」
「すまない。この時間帯の訪問は、いささか非常識だった」
どのような理由があれ、体の不自由な少女の部屋に、用も無い赤の他人が居座るのは良くないことだ。ライは席を立って、謝罪した。
頭を下げると、ルルーシュは珍しく驚いた表情になって、
「いや、違うんだ。今回の件は俺に非がある。謝るのも礼を言うのも、こちらの方だ」
「そう言ってもらえると助かる。君は……どうしたんだ。昨日の夜から出かけていたようだが」
「ん……その、用事があったんだ」
ナナリーを一人にするくらいだ。外せない用事だったのだろう。徹夜もしていたようだし、少し無理をしている風に見えた。
「もし、部屋を空けるのなら……僕に言ってくれれば、戸締まりくらいは見ておくぞ」
老婆心からそう言うと、ルルーシュは笑みを浮かべた。
「お前に心配されるようでは、俺もまだまだだな」
「お兄様! そんな言い方は失礼ですよ」
すかさず挙がるナナリーからの非難の声。
「気持ちは有り難く受け取っておくが、部屋の戸締まりくらいは何とか出来る」
「……そうか」
ルルーシュは欠伸をかみ殺す。隠しきれないくらいには眠いようだ。
「その様子じゃ、午前中の授業は無理だな。学園の方には僕から伝えておく」
「いや出るよ。これ以上サボると単位を落とすからな」
また居眠りをするつもりなのか。ルルーシュは授業の大半を睡眠に当てている。これで成績を落とさないのだから大したものだ。
「分かった。それじゃ、僕は失礼するよ」
「ああ。すまなかったな、今日は迷惑をかけた」
「ありがとうございました、ライさん。またいつでも来て下さいね、お待ちしてますから」
「いや、僕も有意義な時間を過ごせた。ありがとう、ナナリー」
あっさりと挨拶を済ませ、ライはランペルージ兄妹の部屋を後にした。ナナリーの名残惜しそうな顔が気掛かりだったが、それはまた会いに来ればいいだけの話だ。
(そういえば……)
そこで、ある事を不審に思う。ナナリーの格好だ。ルルーシュも咲世子もいない状況で、彼女はどうやって寝巻きに着替えたのか。
他に使用人がいるのだろうか。そんな話は聞かないし、姿を見たこともない。
「…………」
振り返り、もう一度部屋の扉を見る。
リビングに残っていたチーズの香りが、今になって蘇ってきた。
一限目が終わり、二限目との合間の休憩時間が始まる。結局、ルルーシュはまだ姿を現していない。出席日数に余裕のある教科はサボろうという魂胆なのだろう。
ライが教科書やノートの整理をしていると、前で誰かが立ち止まる。視線を上げると、一人の少女が不機嫌そうな顔でこちらを見下ろしていた。
クラスメイトのシャーリー・フェネットだ。
いつも元気な彼女が不機嫌な理由。一つしか考えられない。
「ルルーシュなら、午前中には来ると言っていたぞ」
「む……」
シャーリーの頬が僅かに赤くなったが、それでも不満そうな顔は崩れなかった。珍しい。いつもなら慌てる筈なのだが。
「どうした」
「……カレンもいないんだけど」
「スザクもいないな」
なぜシャーリーがカレンの事を気にするのか、その理由にも心当たりがあった。以前、学園の中庭で親しげに話すルルーシュとカレンの姿を、シャーリーは廊下から見ていたのだ。
それ以来、複雑な感情を抱いているのだろう。
「最近、気づいたんだけど……」
「…………」
「ルルとカレンって、休む日が被ってない?」
確かにそうかもしれない。
「休むことが多い二人だ。重なるのは不自然ではないと思うが」
安心させたくて言ったのだが、シャーリーは頬を膨らませた。こちらが何を言っても不機嫌になるようだ。
「むー。やっぱり冷静だね、君って」
「そうだろうか」
「そうだよ。心配じゃないの?」
「心配。何がだ」
「だって……ルルにカレンが取られちゃうかもしれないんだよ?」
取られる……?
意味が分からず、ライは考え込んだ。取られるというのは、所有物を奪われるという意味だろうか。
「意味がよく分からないんだが」
「カレンのこと、好きじゃないの」
「……どういうことだ」
いい加減、辟易してきた。話題の切り替わりにまったく追随出来ていないのが分かる。
ルルーシュとカレンが仲良くする事によって、シャーリーが複雑な感情を抱くのは理解できる……ような気がするが、そこになぜ自分が関わってくるのかが分からなかった。
「君、いっつもカレンと一緒にいるでしょ」
「それは君の思い違いだな」
ライナナいいなあ
どの組み合わせも良い
カレンはライの世話係主任だが、別に四六時中一緒にいるわけではない。シャーリーからはどう見えているか分からないが、色気のある関係とは程遠いように思えた。
「だって、あんなに可愛いんだよ? スタイルも良いし、優しいし……」
「君は、僕とカレンのどういう関係を期待しているんだ」
単刀直入に聞いた。このまま問答を続けても埒があかないと判断したからだ。
「え……いや、だからほら」
シャーリーはまた赤面した。
「その……付き合ったりとかは」
「無い。そういった予定も無い」
これはきっぱりと告げた。
情報を整理。
まず、シャーリーは好意を抱いているルルーシュとカレンの関係を疑っている。これは確かだ。それでカレンと一緒にいる時間が長いライに、彼女との関係を確認したかったのだろう。
その理由とは何か。
自分とカレンをくっつける事によって、ルルーシュの周囲をフリーにしたい……というのが、ライの立てた仮説だ。
(……だが、確かにルルーシュとカレンならお似合いかもしれないな)
お互いに異性から人気の高い者同士だ。生徒会という共通点もある。恋愛関係に至るのも自然な流れだろう。
だが、それはシャーリーも同じだ。ベクトルが違うだけで、カレンと比べても劣っているようには見えない。
「カレンが僕に好意を抱く理由が無いんだから、そういった関係はありえない」
恋という物の実態は分からないが、おそらくは相手の人格や財産、将来性などを鑑みて構築される関係のはずだ。そのいずれも持ちえないライに対して、異性が好意を抱くというのはありえない話だった。
だが、ルルーシュは違う。彼は一見冷淡なように見えて、実は面倒見が良いし、立ち振る舞いから知性や品性が窺える。学園中の女生徒から人気を集めるのも納得のいく話だ。
「……心配じゃないの?」
まだ疑っているらしい。
今のライが心配している事といえば、シャーリーの声が割と大きかったためにカレンの親衛隊連中の視線が自分に集中していることくらいだ。もっと言えば、その視線に多量の殺意と憎悪が込められていることくらいである。
「……あの二人の関係を疑っているんであれば、君自身が動くことだな」
シャーリーに対して脈が無いのなら、ルルーシュは自分の事を愛称で呼ばせたりしないだろうし、ミレイ会長も応援したりはしないはずだ。
「……むー。そうかな」
「そうだ」
珍しく、ライが他人を諭すような形となった。
恋愛というのも悪くはない。きっと楽しいのだろう。
(……僕にも、いつかはそういう相手が出来るんだろうか)
自信はなかった。
「ごめんね。変なこと聞いて」
やっと納得してくれたのか、シャーリーは自分の席へ戻ろうとする。少しは気分も晴れたようだ。
「そういえば……」
ライが思い出したように口を開いた。大した事を言うような口調ではなかった。
「ルルーシュは今日、朝帰りしていたな」
シャーリーの笑顔が凍った。
「カレンが僕に好意を抱く理由が無いんだ。そういった関係はありえない」
恋という物の実態は分からないが、おそらくは相手の人格や財産、将来性などを鑑みて構築される関係のはずだ。そのいずれも持ちえないライに対して、異性が好意を抱くというのはありえない話だった。
だが、ルルーシュは違う。彼は一見冷淡なように見えて、実は面倒見が良いし、立ち振る舞いから知性や品性が窺える。学園中の女生徒から人気を集めるのも納得のいく話だ。
「……心配じゃないの?」
まだ疑っているらしい。
今のライが心配している事といえば、シャーリーの声が割と大きかったためにカレンの親衛隊連中の視線が自分に集中していることくらいだ。もっと言えば、その視線に多量の殺意と憎悪が込められていることくらいである。
「……あの二人の関係を疑っているんであれば、君自身が動くことだな」
シャーリーに対して脈が無いのなら、ルルーシュは自分の事を愛称で呼ばせたりしないだろうし、ミレイ会長も応援したりはしないはずだ。
「……むー。そうかな」
「そうだ」
珍しく、ライが他人を諭すような形となった。
恋愛というのも悪くはない。きっと楽しいのだろう。
(……僕にも、いつかはそういう相手が出来るんだろうか)
自信はなかった。
「ごめんね。変なこと聞いて」
納得してくれたのか、シャーリーは自分の席へ戻ろうとする。
「そういえば……」
ライが思い出したように口を開いた。大した事を言うような口調ではなかったので、シャーリーは無防備な笑顔で振り返る。
「ルルーシュは今日、朝帰りしていたな」
シャーリーの笑顔が凍った。
今回はこの辺で。最後の方、エラーが出たので再度書き込んだら重複してしまいました。申し訳ないです。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
乙です
おつー
乙
乙です
夜の租界。日が落ちると同時に、街は様々な灯りに彩られる。高層ビルの窓、繁華街のあちこちから顔を看板、信号機、そこら中に設置された大型モニター。目が眩むような、光の数々。
道を歩く人も同様だ。昼間にはほとんど見かけないサラリーマン達、その仕事帰りの連中を呼び込むアルバイトの若者、これから夕食に向かうのだろう男女のカップル。
皆それぞれ、自分だけの人生を持っている。自分だけの記憶を、持っている。
それが少し、羨ましいと思った。
「…………」
咲世子にクラブハウスで使う日用品の買い出しを頼まれたライは、いつものベンチでぼんやりと大型モニターを見ていた。流れているニュース番組では、若い司会の男とコメンテーターの中年男性が問答を交わしている。
話題は昨日の夜にあったテログループの反政府活動について。コーネリア総督の留守を狙ったのか、大規模な戦闘が一度に六箇所で発生し、ブリタニア軍は浄水場を占拠されるという大失態を演じた。
租界の中心部にある総督府では、今ごろ熾烈な責任追求が行われているはずだ。お偉方の首も塵芥の如く飛ぶのではないだろうか。
ブリタニア軍にとって頭の痛い問題はもう一つある。むしろ巷ではこちらの注目度の方が高かった。
昨日の六箇所の襲撃のうち、半分の三箇所は"黒の騎士団"によって鎮圧されているのだ。その動きはブリタニア軍よりも迅速かつ的確で、戦力は僅かながら正規軍を上回る活躍をしたらしい。
しかも黒の騎士団の首領である"ゼロ"から、事前に総督府へ情報の提供があったという噂もある。これが本当なら、大問題だ。
足を止め、モニターに関心を示す人間も多い。そういえば、学園でもこの話題は頻繁に飛び交っていたような気がする。
(まあ、どうでもいいか)
黒の騎士団とやらがどれだけ活躍しようが、どれだけ有名になろうが、ライには関係の無い話だった。新進気鋭の反政府組織が自身の記憶にまつわる情報を持っていれば話は別だが、そんな可能性はゼロに近い。
買い出しの品を扱う店に向かうべく、立ち上がる。その時、ふと気配を感じた。背後。すぐそば。他の人間とは違う、異質な空気。そして香ばしい匂い。
そういった情報を整理する前に体が動いた。反転し、相手を正面に見据える。
「…………」
「……また君か」
ライは呆れたような口調で言った。軍服姿の枢木スザクが、右手を前に出したまま驚いた表情をこちらに向けている。何故か左手には紙袋を持っていた。
「びっくりしたよ。本当は僕が驚かせようとしたのに」
「……まったく。僕を驚かせて何の得があるんだ」
「いや、ごめん」
スザクは悪戯が失敗したせいかばつがわるそうに苦笑した。
「何をしてたんだい? こんな時間に」
「買い出しだ。咲世子さんが洗濯用の洗剤と、料理に使う砂糖が切れたと嘆いていたからな」
咲世子は優秀な侍女だが、買い物をまとめてやろうとする癖がある。クラブハウスには大勢の寮生が住んでいるのだ。気づいた時には、買い出しリストが膨大な量になっている事もザラだった。
「君は……仕事の帰りか」
チラリと大型モニターを横目で見てから、ライは尋ねた。丸一日以上かかるとは。昨日の一件が関係しているに違いない。
「うん。やっと終わったんで、夜食でも買って帰ろうと思ったんだけどね。この間と同じベンチに、また君の姿を見つけたから」
「そうか。おつかれ」
スザクと二人、ベンチに腰掛ける。
「はいこれ」
持っていた二つの紙袋のうち、一つを差し出された。中にはホットドッグが二個とコールスロー・サラダ、ドリンクが入っている。
「いや、これは受け取れない」
スザクが働いて稼いだ金だ。何もしていない自分が受け取るわけにはいかないと、ライは断った。
「じゃあ、いつ食べたの?」
「なにがだ」
「食事だよ。最後に食べたのはどれくらい前?」
「……一八時間ほど前かな」
本当は三八時間前だったが、ライは誤魔化した。一八時間前ならセーフだろう。そう思ったのだ。
「君は本当に……」
セーフではなかったらしい。
「自分の健康状態は把握している。問題はない」
「なら、ミレイさんにこの事を報告するけど」
「……待ってくれ。話せばわかる」
一瞬で敗北した。形勢は完全に不利だった。怒った顔のスザクから紙袋を受け取る。他に手段はない。
「……いただきます」
「ふふ、どうぞ」
アイスティーを取り出し、ストローを差し込む。紙の容器越しに、冷たさが手の平に伝わってきた。
見れば、スザクの方も紙袋からホットドッグを取り出していた。包みを開き、かぶりつく。同じようにライもホットドッグを口にした。
熱々のソーセージがパリッと音を立て、その中から肉汁が溢れ出してくる。上にかかっている甘めのケチャップとマスタードが混ざり合い、えもいわれぬ味を醸し出した。
ジャンクフードだという認識だったが、中々に奥が深い。ライはホットドッグの断面を見ながら唸った。
「美味しい?」
「ああ。美味いな、これは」
「それは良かった」
スザクがにっこりと笑う。口元に大量のケチャップとマスタードが付着していたが、あえて指摘しなかった。ああいう食べ方もあるのだろう。
それから少しの間、ライとスザクは租界の喧騒を眺めながら黙々と食事に耽った。年頃の少年二人だ。これくらいの量ならすぐに食べきってしまう。
「ご馳走さま」
「うん、お粗末様でした」
一緒に入っていた紙で口元を拭いてから、袋に空になった容器を入れる。スザクの分も受け取った。
「あそこにゴミ箱があるから捨ててくる」
「あ……いや、僕も行くよ」
立ち上がろうとするスザクを制するように、ライは紙を渡した。
「君は口を拭け。これくらいは僕がやる」
「え、口? うわ……もっと早く言ってくれても」
今更ながら気づいたのか、慌てるスザクを置いてライはゴミ箱に向かった。ほんの五〇メートルほどの距離だ。歩行者を避けながらでも、数分で往復できた。
ベンチに戻ってくると、神妙な表情でモニターを見ているスザクの姿があった。未だに昨日の報道をしている。そういえば食事中も、ずっと意識はあちらに向かっているように思えた。
「君は……」
モニターの方へ視線を向けながら、スザクが言った。薄暗い中、その黒い瞳は画面に映る黒衣の魔人──ゼロを射抜いている。
「君は、どう思う?」
「…………」
その視線をなぞるように、ライもまた大型モニターを見た。
「僕は間違っていると思う」
ライが答えるより先に、スザクが言った。軍人の彼からしたらそうだろう。不自然な事ではない。彼が普通の軍人であるならば。
「君が言うと、ややこしくなるな」
スザクは名誉ブリタニア人──日本人だ。その彼が、一応は日本解放のために戦っている黒の騎士団を批判するとなると、問題はいっそう複雑になる。
「……気に入らないか」
そう尋ねると、スザクは間髪入れずに頷いた。
「間違った方法で得た結果なんて、何の意味もない。間違っているなら、正当な方法で正さなくちゃいけないんだ……!」
「…………」
「あんな格好で正体を隠して、市民を煽って、それで戦って。あんなのは間違ってる」
「……確かにな」
黒の騎士団──というかゼロはかなり胡散臭い。『全ての弱者の救済』などというお題目を掲げ、それを忠実に実行している。そのおかげで日本人のみならずブリタニア人からも高い支持を得ているが、逆にそれが胡散臭さを助長させていた。
なぜそういった思想を持つに至ったかの経緯が全く不明で、行動原理に裏付けが無い。そんな人物が行う奉仕活動じみた戦闘を、疑うことなく賞賛する人間がいたとしたら、それは間違いなく阿呆だろう。
「だが、結果は出ている」
これもまた、事実だった。
「それは……そうだけど」
「昨日の戦闘……あまり報道されていないが、ブリタニア軍だけでは手に余っていたと見える。なら、ゼロは市民の危機を救った事になるんだろう」
「…………」
スザクが押し黙る。今の言葉は彼にとって大分応える物だったはずだ。お前ら軍人よりも、ゼロの方が頼りになる。そう言われたも同然だからだ。
「だが、君の言いたい事も理解できる。確かに、あの組織は信用出来ない部分が目立つ。……僕の個人的な感想だが、戦場という環境をパフォーマンスに使うというのは好きじゃない」
今回の件、気になる事がいくつかあった。
「なぜ、バラバラだった反政府組織が突然結託したんだろうな」
「え? それは、コーネリア総督が留守にしていたから……」
「なら、その情報はどこから漏れた」
今の不安定な情勢。総督の不在は厳重に隠すのが普通だろう。市民や報道機関が全く知らなかったその情報を、近辺のテログループが一様に持っているのはいささか不自然ではないだろうか。
そして、総督府への垂れ込み。無関係にしては、都合が良すぎる。
「まさか……黒の騎士団が」
スザクも察したらしい。その表情が違った険しさを帯びる。
黒の騎士団は多大な戦果を挙げているが、未だに弱小の部類に入る。規模がどうしても小さいのだ。まずは、それを拡大するのが急務のはずだった。
しかし、日本侵攻から七年が経った今、各地の反抗勢力は既に地盤を固めている。大規模な入団希望者は決して多くない。
ならばどうするか?
黒の騎士団にとって、大した力も持たない他の反政府組織は邪魔なはずだ。役にもたたず、いたずらに騒ぎを起こして市民からの悪感情を向けられる。
それならいっそ、ブリタニア軍に叩き潰して貰ってから、残存兵力を吸収した方が効率も良いだろう。
「じゃあ、総督府に情報を入れたのも、反政府組織に情報を流したのも……」
「……今回の騒ぎ自体、ゼロの自作自演かもしれないな」
馬鹿な連中を手の平で転がしながら、自分達はいいとこ取りをする。正義の味方らしい動きだと思った。
「というのはまあ、冗談だ」
重くなった空気をはらうようにライは言った。今の仮説には不自然な部分が多いし、物事はそこまでゼロの都合の良いようには進まないだろう。
彼が超常の力でも別だが。
「冗談?」
「さっきニュースで言っていたんだよ。今のはただの受け売りだ」
「…………」
「黒の騎士団についての答えだが、僕はどうでもいいと思ってる。賛同も反対もしていない」
「そう、だね。確かに、記憶の無い君からしたら、遠い話のように感じるのが当然だと思う」
「ああ。今の僕には、他に優先しなくちゃならない事がある。思想について語るなら、その後だろう」
そう言うと、スザクは頷いて、やっと笑顔を見せた。
「ごめん。変な事を聞いて」
「いや、君の立場も分かるよ。色々と複雑だということぐらいは」
「……そう言ってもらえるとありがたいな」
「だから、ナナリーに会いに行ってやってくれ」
「え……」
「最近、会ってないんだろう。寂しがっていたぞ」
別に責めているわけではなかったが、スザクはそうだね、と言って目を伏せた。軍の仕事が忙しかったのだろう。
「最近、ナナリーに折り紙を教えているんだ」
「折り紙……かい? 君が?」
「……ああ。だから、君も付き合え。ナナリーに申し訳ないと思うならな」
「うん。分かった」
「じゃあ、僕は行くぞ。早く行かないと店が閉まる」
「なら、手伝うよ」
「いい。君は帰って寝ろ。疲れているんだろう」
「大丈夫だって」
「まったく……」
ライはため息を吐く。お人好しが過ぎると思った。だが、スザクとのこういうやり取りは嫌いではない。
仕方なく、ライはスザクと二人で目的の店に向かった。
休憩タイム。
乙
なつかしーなおい
おつおつー
乙です
乙ー
ゼロ・・・一体何が目的で何者なんだ・・・?
トウキョウ租界の昼下がり。ライは自身の世話係主任であるカレンと共に、何度目か分からない散策に来ていた。
最近は彼女の方が忙しいという事もあり、出かけるのは実に四日ぶりとなる。
天気は、今日も快晴だった。
「良い天気ね」
カレンが言った。せっかくの休日だ。ライにとってはあまり関係ないが、彼女はこうして休みを潰してまで付き合ってくれている。ありがたいことだと思った。
「そういえば、君といる時はいつも晴れだな。もしかして君は、いわゆる晴れ女?」
「そう? あなたが晴れ男かも」
「もしくは雨男と雨女で……」
「相殺?」
「かもしれないな」
ライにしては珍しい軽口だった。カレンはしっとりとした笑みを浮かべる。いつぞやの三角飛びを見せた姿とは、まるで別人だ。
「あら。それだったら私たち、なるべく一緒に出かけた方が皆のためね」
こういった何気ない会話にも、彼女からの親しみを感じられる。出会った時とは比べるべくもない。
(そういえば、最初の夜もカレンと一緒だったな)
アッシュフォード学園で保護されてから、初めて租界を案内された時の事を思い出す。あの時に開いていた距離は、今ではだいぶ縮んでいた。
あの夜は、大きな満月が輝いていた。見知らぬ街と、会って間もない少女。そして、何も無い自分。何も知らない世界。
「また」
「え……」
「また考え事をしてたでしょ」
カレンはライの、こうした変化に良く気づく。いつのまにか上の空になっていたようだ。
「あの日の事を考えていた」
「あの日?」
「君と初めて租界を歩いた時の事だ」
「ああ……」
別に隠す事でもないと思い、正直に告げる。カレンは言葉を濁して、こちらに向けていた目を逸らした。無理もない。ライにとっては大切な思い出でも、彼女にとっては数ある厄介事の一つに過ぎないのだろうから。
「最初の日と比べると、だいぶましになった」
思い出すのは月下の歩道。離れた距離。彼女の背中。
あの時は嫌われたと思ったものだ。この距離は埋められないと、どうしようもない無力感を抱いていた。
それがどうしてか、未だにカレンは世話係を続けてくれている。未だに手を引いてくれている。あんなに遠くを歩いていたのに、気づけばこうして隣を歩いてくれている。
ありがたい事だと思った。
「……そうね」
ライの感傷をよそに、カレンは素っ気なく歩き出す。その背中に、意を決して言った。
「行きたい場所があるんだ」
カレンは呆気に取られたような表情で振り向く。
「珍しいわね、あなたから提案なんて。初めてじゃないかしら」
「そうだな。君が何か考えてくれていたなら悪いが……」
「いいわよ。自分から行きたいなんて、何か思い出せるかも」
カレンはこちらの提案を尊重してくれるようだ。彼女に代わり、今度はライが前を歩く。こうした散策では初めてのことだった。
近くの駅からモノレールに乗り(結局カレンに教えてもらった)、一五分ほど乗車してから租界の外縁部付近で下りる。
この辺りは租界でも珍しく、建物や道路が整備されていない。聞くところによると、数年前に放置された開発地帯のようだ。
人気の無いひびだらけの歩道を歩き、寂れた公園に入る。
「ここ?」
「ここから見える」
この位置からは、租界の外側が一望出来た。
倒壊したビル群、穴だらけの道路、瓦礫の海。それらを覆い、空まで暗くするのはとても濃い塵。所々でうごめく小さな影は、きっと人間のものだろう。
二〇分前までいた明るく華やかな都市部と比べ、眼下の光景はあまりに暗く、凄惨だった。
「……ゲットーね」
「この光景はなんだ」
「え?」
図書室で読んだ本を思い出す。脳裏によぎるのは美しい光景、清潔な空。そして桜の木。
「どうしてこんなに違うんだ……」
こうして眺めてみると、複雑な感情が渦を巻く。テレビの画面越しに抱いていたものが、どんどんと形を成していった。
違和感。
そう、これはまさしく違和感だ。イメージの中の日本と、目の前のゲットー。その違いが余りに激しく、虚しい。
「それは、ブリタニアが……」
「ブリタニアに敗れた日本は名前を奪われ、ブリタニアの属領『エリア11』となった。それは分かるが……」
またフラッシュバックする。
砂塵の霧。生気の無い人々。
戦い。
略奪。
勝利。
敗北。
見渡す限りの、廃墟。
死んだ街。
これではまるで──
ゲットーの光景が何かと重なる。目眩がした。頭痛もだ。耳なりが一瞬、強くなる。
「これが、支配されるということなのよ」
ライを引き戻したのは、カレンの声だ。聞いたこともないくらいに、乾燥した声だった。
「ブリタニアは日本を力でねじ伏せ、エリア11と名付け、自治も許さず、戦禍復興の機会すら与えなかった」
カレンの体に力がこもる。暗く激しい感情。憎悪だ。途方も無いほどの。
「…………」
「そして自分達の住む場所だけを、支配者の城として築き上げたわ。それがこの租界よ!」
キッとゲットーを睨む。彼女の瞳は燃えていた。握られた拳はほとばしる感情で震えている。
「太陽パネルの潤沢なエネルギー、清潔な上下水、世界中から海を越えて集まる物質。すべてはブリタニア人のため……日本を統治するブリタニアのためだけに、すべて費やされるのよ!」
堰を切ったかのように溢れる言葉は止まらない。怒りと憎しみを前面に押し出す表情は、普段のカレンからは想像も出来ないものだった。おかしな話だ。カレン・シュタットフェルトは紛れもないブリタニア人のはずなのに。
しかし、どうしてだろう。ライはカレンの言葉を聞きながら、不思議に思っていた。
「すべてはサクラダイトのためよ。富士山……は知っているわよね。あの山が、今はどんな姿なのかも」
フジサン。昔は日本を代表する山だったらしい。頂上付近を雪で彩られた、威厳に満ちた姿。本で見た。
今は採掘場として、その半身を機械に覆われている。無惨なものだ。
「世界屈指のサクラダイト鉱脈。そのための侵攻。そのための占領。そのための支配。そのほかのことはどうでもいいのよ。イレヴンが死のうが生きようが、ね」
イレヴン。カレンは嫌いな筈の言葉をあえて使った。
「力を与えず、ただ生かしておく。容易に支配し、統治できる程度に」
ライはもう一度、ゲットーの方を見た。うごめく霧の中にいる人々。決して少なくはない。だがやはり、生気の欠片も感じなかった。まるで亡者のようだ。
「知ってる? ライ。イレヴンは役所に申請すれば、名誉ブリタニア人になれるのよ。……名誉ブリタニア人、おかしな話よね」
ことさら、カレンの声に怒気が含まれた。ここにはいない、遠い誰かの事を投影しているようにも見える。
怒りが、膨らんでいくのが分かった。
「ここではブリタニア人であるかどうかが、その人の明暗を分けるの。生きる権利があるか……をね」
「……カレン」
「いったい何が違うの? 何が違う! あそこに暮らす人々と、この租界の住人と! イレヴン……いいえ、『日本人』と『ブリタニア人』。どうして支配し、支配されないといけないの!?」
目が眩むような、激しい感情の発露だった。今まで見せてきたものとは180度違う、苛烈な姿。何もかも呑み込んでしまうような怒りと憎悪。
だが、どうしてか。カレンの変貌ぶりに、ライは大して驚いていなかった。それどころか、彼女の言葉が理解出来る。彼女の怒りが、理解出来た。
「カレン」
「……あ」
ようやく終わりが見えた頃、ライはもう一度、彼女の名を呼んだ。頭が冷えたのか、カレンは我に返り──そして慌て始める。
「わ、私……。ごめんなさい。かっこ悪いとこ、見せちゃったわ」
今の私を見ないでくれとばかりに、カレンは背を向ける。
「格好悪いなんてことはない」
自分でも分かるくらい感情の薄いライからしてみれば、こういった顔を持っている事は羨ましいとすら思える。例えそれが、怒りや憎しみだとしても変わらない。
なぜならそれは、紛れもないカレン自身の心の色だからだ。彼女には確かな歴史があって、それから繋がる今がある。どうしてそれを貶めることができようか。
「君が普段、苛ついている理由が少し分かった」
「苛ついてる? 私が?」
この二週間余り、彼女を見続けて分かった事がある。カレンが日頃、他人──ブリタニア人と距離を置いているのは、きっといま言っていた事と無関係ではないのだろう。
「学園を歩くとき、街を歩くとき、人とすれ違うとき、たまに眉間にしわを寄せていたから」
「…………」
カレンは背を向けたまま、自身の顔を触った。確認しているのだろうか。
「租界の華やかさも、ゲットーの有り様も……君からしてみれば心を痛めるものなんだろう」
ライはゲットーを眺めながら言った。乾いた風が頬を撫でる。
カレンはおそらく、トウキョウ租界の事を好ましく思っていないはずだ。にも関わらず、いつも自分を案内してくれていた。
「だいたい、格好悪いだなんて言ったら、いつも君の後ろを歩いている僕の方がよっぽど格好悪いだろう」
少し茶化すように言う。なにぶん経験が無いことなので上手く出来たかは自信が無かったが。
それでもこれは本心だった。
「だから、心配しなくていい」
「……ありがとう」
振り向くと、カレンもこちらを向いていた。どうやら大分落ち着いたらしい。
「あ……。さっき言ったことは生徒会や学園のみんなには……」
「内緒だな」
「ありがと……」
カレンがやっと笑った。とても久しいと思える。
「甘いものでも食べて帰ろうか」
スザクから勧められたクレープ屋なら、今からでもいけるはずだ。尻のポケットに入っている財布を確認する。
「うん」
カレンを先導するように歩き出す。いつもの彼女に戻ったようなので、ふと思った事を口にした。
「この間の三角飛びといい、君は内緒事が多いな」
何気なく言った事だったが、カレンの肩がピクリと揺れた。
「……内緒事なら、あなただって多いんじゃない?」
「内緒事。僕のか」
「最近、シャーリーと買い物によく出かけてるみたいね」
「ああ。水泳部の買い出しだな」
「ナナリーと折り紙してるとか、本の読み聞かせしてるとか」
「今日の朝もやったぞ」
「……ほら」
カレンの言葉には棘がある。意味が分からず首を傾げた。別に隠しているつもりはなかったのだが。
赤毛の少女は歩くスピードを上げ、ライを追い越した。けっこう足が速い。
「どうした急に」
「……モノレールに乗り遅れるわよ」
時間にはまだ余裕がある筈だったが、それを指摘するのはやめておいた。走り出しそうな雰囲気だ。慌てて追いかける。
彼女の前を歩くのは、もう少し時間がかかるらしい事を、ライは認識した。
今回はここまで。
ゲームではこの辺り、カレンとスザクから段々とアプローチがかけられている状態なんですが、上手く表現出来ていたら嬉しいです。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙乙
乙
すごく面白いぞ
乙です
おつおつー
久し振りにロスカラやるかな
夕方。
ライは生徒会室で一人、外を眺めていた。ルルーシュとリヴァルはサボり……おそらく賭けチェスだろう、シャーリーは水泳部、ニーナは科学室、カレンは病欠。
スザクは先ほどまでいたが、軍からの呼び出しがあって行ってしまった。それから全員分の仕事をやり終え、することもないので窓を眺めている。
「…………」
生徒会室の窓からは校内を広く見渡せた。
夕焼けに照らされる中庭には、カップルと思わしき男女が仲良く語らっている。グラウンドの方からは運動部の掛け声が聞こえてくる。笑い声。若者達が生み出す活気が、風に乗ってきた。
この学園の生徒は皆、楽しそうだと思う。それぞれやりたい事があって、好きな人がいて、好きな場所にいる。そしてそれを、この自由な学園が包み込んでくれるのだ。
優しい場所。なんだか眩しくて、ライは目を細めた。
「…………」
「ごめんねー。遅くなっちゃって……ライ?」
扉が開き、ミレイ会長が現れる。
「……どうしました」
「なんか黄昏てたから。仕事はもう……終わってるわね」
片付けた書類の山を見て、ミレイは眉を寄せた。喜んでくれると思っていたが、どうやら違うらしい。
「まったくもう……。別に、あなた一人でやらなくたっていいんだからね」
「しかし、こういった仕事が累積するのは良くないです」
叱られるような形になったので、ライも反論する。
ただでさえ集まりの悪い生徒会メンバーだ。人がいる時にやればいい、などと言っていると大変な事になる。
「そんなことないわよ。私が言えば、みんな喜んでやってくれるもんね~」
「あの壮絶な押し付け合いが、喜んでいる……?」
とても信じられなかった。
「そうよ。嫌よ嫌よも好きの内って言うんだから」
「……なるほど」
ミレイ会長が言うならそうなのだろう。ライは納得した。
「…………」
書類の山を見て、ミレイの表情が少し曇る。その僅かな変化を、ライは見逃さなかった。
「どうしました」
「……むー」
尋ねると、今度はいじけたように唇を尖らせる。彼女はどかっと椅子に座り、
「仕事速すぎじゃない? あなた」
「そうでしょうか」
「そうよ。この短期間でこれだけ覚えられると、なんだかわたし達が普段から駄目みたいな風に思えてね」
「…………」
「朝もやってるでしょ。昼休みにもやってる事あるし」
ミレイは長い指で書類の端を弄びながら言う。
「授業だってちゃんと受けてますよ」
別に、生徒会の仕事だけをしているわけではない。そう思って言ったのだが、会長の機嫌は直らない。
「……スザク君のノートのためでしょ」
生徒会長はどんどんとふて腐れていく。机に上半身を預け、自身の腕に頭を乗せる。長い金色の髪が、さらりと背中から流れた。
「たまに思うのよね。あなたって、あんまりこの学園のこと好きじゃないのかなぁって」
「……どうしてですか」
「だって、全然笑わないし、食堂にも来ないし、チョップしても驚かないし……未だに迷子になるし」
「…………」
おかしなものも混ざっていたが、それを言われると反論出来なかった。だがしかし、ミレイの懸念は杞憂である。ライがアッシュフォード学園を嫌うなど有り得ない事だ。
「嫌いなんて事は無いですよ。とても良い所だと思っています。その証拠に……」
ライは書類の山から一枚の紙を引っ張り出した。
「来年度の入学希望者が例年より増えているのが、その証拠です」
取り出したのは学校見学者へのパンフレットだった。この時期ともなれば、ブリタニア本国の学生が進路に向けて動き出す。中等部からのエスカレーター組を抜いたとしても、一〇〇〇人を優に超えるだろう。
それが示す通り、私立アッシュフォード学園は本国でも人気がある。卒業後の進学率も高いし、設備も整っている。それでいて全寮制となれば、新しい世界を経験したい若者の目には魅力的に映るらしい。
そうした、アッシュフォード学園の魅力を客観的な事実に基づいてライが説明する。我ながらナイスなプレゼンテーションだと思ったが、ミレイは不満顔のままだった。
五分後、室内プールの衛生面と安全性を話し終えてから、図書室の蔵書数とそのジャンルの幅広さについて話が切り替わる時だった。自身の学園のプレゼンを延々と聞かされていた生徒会長が勢い良く立ち上がる。
「ちっがーう!!」
広い生徒会室が揺れるほどの大声だった。勢いが良すぎて吹っ飛んでいった椅子を哀れんでから、ライは視線を戻す。
「そうじゃないでしょ!? わたしが聞きたいのは三年間の学費がどれくらいだとか、食事メニューのレパートリーだとか、寮の個室の広さだとか、そういうんじゃないの! 知ってるし!」
「はあ……」
「あなたが学園をどう思ってるか! どうなの!?」
ミレイがぐいっと近づいてきて、ライの胸を指で小突いた。その勢いに気圧されながら、あくまでも冷静に答える。
「ですから、学園についての知識を披露することによって、僕がどれだけ嫌っていないかを……」
「じゃあ、なんで未だに迷子になるのよ」
「それは……。学園の敷地面積がそれだけ広大ということです」
そう言うと、ミレイはにっこりと笑った。一般の男子生徒だったならば見惚れるところだろうが、生徒会に関わる者にとっては、これから自身に災難が降りかかることを表す笑みだった。
まずい、とライは思った。ここで自分がリヴァルやシャーリーのように慌てふためいたり、ニーナのように怯えたり出来れば事態は好転するかもしれないのだが。
「…………」
相変わらずの無表情だと、自分でも分かった。
「……分かったわ」
ミレイは静かに言った。腕を組み、こちらを見下ろす。
「このミレイさんが、直々に学園内を案内してあげよう!」
「……わかりました」
生徒会で──いや、もしかしたら学園でトップの発言力に逆らえるはずもなく、ライは立ち上がった。
ミレイに続く形で、ライは生徒会室を後にする。
「学園内は広いからねぇ。ちょくちょく歩いといた方がいいわよ。何かあったときに、一人でぽつーんと置いていかれたら困るでしょ」
「そうですね」
廊下を歩きながら答える。
「……それにしても、あなたの記憶、全然戻らないのよね」
「……すみません」
ミレイは何も言わないが、学費も食費も宿泊費も払えないライの存在はアッシュフォード家にとって決してプラスではないはずだ。
アルバイトなどをしようにも、このご時世だ。身元の不確かな者を雇い入れる店など殆どなかった。あったとしても、そういう店は名誉ブリタニア人を使うのだ。
貰ってばかり。
なにも返せない。
この包容力豊かな女性といると、いかに自分が駄目な男であるか認識させられてしまう。
「ほーらっ。気を落とさない。学園で楽しそうにしてる女の子達でも見たら、きっと元気出るわよ」
「……そうですね」
空返事だったが、ミレイは嬉しそうに頷いてくれた。
「キミもやっぱり男の子だねー。それじゃ、行きましょ」
他愛ない言葉を交わしながら中庭に出る。
「迷子になるって事は、自分で色々と歩いてみたんでしょ」
「そうですね。一応は」
「じゃあ、なんで迷子になるの」
二回目の質問だった。しっかりとした答えを返さなければならない。
「それはですね──」
一人で歩いていると、考え事をしていて意識が埋没することが良くある。街中だと適当にベンチでも見つけるのだが、どうしてか学園内だとそのまま歩いてしまう。
結果として、迷子となるわけだ。
ライが懇切丁寧に説明すると、ミレイは困ったように笑った。
「──というわけです」
「変ね。あなたって」
「……良く言われます」
ミレイから言われたことで、生徒会メンバー全員から変人の評価を頂くことが出来た。とても嬉しくなかった。
「なーんか、どっかズレてるのよね。それなのに冷静だから、おかしくって。ふふ」
なにが面白いのか、ミレイは笑いをこらえきれていない。
ミレイにひとしきり笑われた後、学園案内が再開された。すれ違う生徒(特に男子)から嫉妬のこもった視線が送られてくる。慣れていたので無視した。
そして敷地内をぐるりと周った後、校内に入る。さすがに内部は問題ないと思ったのだが、
「ここが食堂よ。しょ・く・ど・う。はい、リピート!」
「……食堂ですね。知ってますよ」
腰に手を当てて言われても困る。
「じゃあ、なんで来ないの? 舌が合わないとか?」
「いえ、とても美味しいと思いますよ」
これは本心だ。アッシュフォード学園の食事は租界や本国のレストランと比べても遜色ない味と評判である。しかもそれが学食の値段で食べられるとなれば、人気になるのは当然だった。
だが、ライはこの食堂に数えるほどしか来たことがない。それも、ミレイなどの生徒会メンバーに連れて行かれる場合が殆どだ。
何度も指摘されているが、どうしても足が向かなかった。
「なら、どうして? お金は……手を付けてないんじゃない」
「…………」
金はある。ミレイから貰った金。服も部屋も、仮入学生という身分も、全て彼女から貰ったものだ。
だから必要最低限の食事しかしない。しようと思わない。
そういうことだ。簡単な理屈だった。
だが、この女性にそれを告げるわけにはいかなかった。
ライが押し黙っていると、ため息を吐かれた。
「強情ねー。言うこと聞けないなら、また会長権限が発動するわよ?」
「……なんですか」
「あなたの食事係よ。当番制にして、みんなでチェックするの。スザク君やシャーリー辺りは喜ぶでしょ」
「……それは、アーサーと同じ扱いになるという──」
飼い猫扱い。ただでさえ近い扱いを受けているのに。世話係という役職名すら不満なのに。
ご飯の時間よー、などと言われるのか。最近、シャーリーやカレンから呼ばれる際に「ライ、おいでー」とか言われてきているのに。
(ダメだ。……絶対に)
絶望的な未来のビジョン。ライは恐る恐る、といった様子で尋ねるが、彼の飼い主である生徒会長はあっけらかんと答えた。
「当たり前じゃない。だって、そうしないとキミ、死んじゃうかもしれないし」
「ま、待ってください。時間を、チャンスをください」
珍しく狼狽したライを、ミレイは面白そうにからかう。
「えー?」
「善処します。善処しますから」
「……じゃあ、保留ということで。ちゃんと直すこと」
「はい」
「じゃあ行くわよー」
ミレイの後をついていく。ダメ男としての格が上がっていっているような気がするも、それは強固な意志でもって無視した。
今回はこの辺で。
ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
乙です
乙
おつー
やはりライはどの組み合わせも輝く……
再び中庭にやってくる。
先ほど通った場所と違い、楽しそうな話し声が飛び交っていた。いくつかの資材も運び込まれている。
「学園祭が近いからねー。今の学園はちょっといつもと違うかな」
「学園祭……」
そういえば、生徒会にイベントの企画書が来ていた。早いクラスなら、準備を始める頃か。
「そう。ここから先、学校行事が立て込んでくるからね。生徒会も大忙しよ」
「でしょうね」
その言葉を裏付けるかのように、生徒会で扱う書類も増えてきていた。準備が本格的に始まれば、今よりもさらに忙しくなるのだろう。学園全体が多忙を極めるはずだ。
ライの中には、そんな他人事のような考えしかなかった。
「……頼りにしてるんだからね」
ミレイの呟きが、風に流れていった。
思考を見透かされたのかと思い、彼女の背中を注意深く観察するが、なにも分からない。
「…………」
応とも否とも言えない。こちらに向けた言葉だったのかさえ、分からなかった。
「ちょっとー。その板もう少し上に持ち上げて」
「おう」
設計図だろう紙を持った女子生徒が、工具を振るう男子に指示を出す。作っているのは屋台のようだ。まだ骨組みの状態だが。
「ははぁ、やってるわね~」
それを見て、ミレイはにっこりと笑った。冷やかすようなものではない。純粋な喜びから来るもののように思える。
ライは頷いて賛同した。
「みんな楽しそうだ」
木材を組み立てるだけで、どうしてあんなに楽しめるのかは分からないが、笑顔があるに越した事はない。
ミレイは先ほど学園の姿がいつもとは違うと言っていたが、笑いに満ちているのは普段と変わらないはずだ。
「もちろんよ。年に一度の学園祭、楽しまなきゃ嘘でしょ」
「活気があるのは良いことだ」
生徒会長の後ろを歩きながら、感想を述べる。やはり他人行儀なものだったが、ライはそのことを自覚していなかった。
今の状態でアッシュフォード学園に長居するのは双方のためにならない。施しを受けるだけの一方的な関係など、早急に解消するべきなのだ。
そんな風に考えていると、前を歩いているミレイが言う。
「ねえ。ここにしばらくいるのなら、行事や部活動に参加してみるのもいいんじゃないかしら」
「…………」
やはり、この女性は読心術を使えるのではないだろうか。本気でそう思った。
「…………」
彼女の提案に、答えることは出来なかった。
答えられない自分が、また嫌いになった。
そのまま歩いた二人は、礼拝堂に到着した。
何列にも並べられた長椅子と、ステンドグラスから差し込む光。石造りの床の、なんとも不思議な感触。
静かな場所だった。
「学園祭の出し物の中にね、こういうのがあるの。ここでやる企画なんだけど……」
壇上に一人で上がり、ミレイは言った。
「出し物、ですか」
「そうよ。男女のグループが壇上でトークを繰り広げ、最後にそれぞれ気になる人を選び、両思いならカップル成立! そんな青い恋のときめきがそのままのイベントをやっちゃおうかと思っているの」
「…………」
礼拝堂とは神に祈りを捧げる場所だ。そんな空間で恋愛パーティーなどやっていいのだろうか。そう思ったが、それがくだらない考えだということにライは気づいた。
「ねえ、こういうのって"運命的な出会い"って感じですごく良いと思わない?」
彼女が乗り気なのだから、許されるに決まっている。常識的、宗教的な問題など意味を成さないのだ。
「どうだろう……」
人と人が出会い、恋に至るまでのプロセスが、ライには想像出来ない。きっと複雑怪奇な手順を踏む必要があるはずだ。今度、カレンやシャーリーに尋ねてみようと思う。
彼女らなら、答えを知っているかもしれない。
「そうですね。そんな相手が出来るのは良いことだと思います」
「そうでしょそうでしょ」
ミレイは満足そうに頷く。
「出会いが欲しいと思っている人も多いだろうし、この企画は盛り上がるわよ~!」
間違いなく一番盛り上がっているだろう女性が言った。ニコニコしていた彼女は、しかし一転して目を伏せる。
「……私ね、家の都合でお見合いばっかりさせられているの。だから、普通の恋なんて夢のまた夢」
「お見合い……」
そういえば、アッシュフォード家が経済的に上手くいっていないと聞いたことがある。一人娘のミレイがその重荷を背負わなくてはならないのだろう。
名家だからこそ、どうしようもない事情だ。家が取り潰しになんてことになったら、アッシュフォード学園の生徒も無事では済まない。彼女の肩には、とてつもない人間の人生が掛かっているのだ。
「もちろん、今のところは全部破談にしちゃってるんだけどね」
ミレイの口調はあくまでも冷静だった。自分の未来を受け止めている者の表情だ。
「いずれは結婚しなくちゃいけないとしても、学園にいるうちから結婚の話を決めるのなんて……嫌だもの」
これも、彼女の本心。決意の裏にちらつくのは、確かな諦念だ。誰よりも普通の恋愛に憧れているだろうに、他人の手助けばかりしているのには理由があるのかもしれない。
少し気になって、ライは尋ねた。
「どうして……ミレイさんは他人の幸せに、そこまでこだわるんですか」
「え……」
珍しく、ミレイが驚いた。形の良い瞳が大きく見開かれる。
これは以前から──この学園に来た当初から抱いていた疑問だった。
恋愛事だけではない。身元不明の記憶喪失者であるライを保護するなど、彼女のお人好しは度が過ぎているのではないのだろうか。
「……変、かな」
「だと思います」
ミレイは笑った。だが、その表情にはいつもの覇気がなかった。
「他人に手を貸してばかりで、ミレイさん自身が幸せじゃない。学園生活を謳歌したいなら、もっと利己的に生きるべきだ」
彼女は頭が良いし人望もある。その気になれば──時間や労力を自分のために使えば、もっと楽に、もっと幸せになれるはずなのに。
今だってそうだ。こんなところで貴重な時間を、こんなつまらない人間のために使って、何の得があるのか。
理解出来ない。
「私が……幸せじゃない? どうして?」
ライの吐き捨てるような言葉を受けて、ミレイはまた驚いたような表情をしていた。
「それは……」
頭の中にあるものを、上手く言葉に出来なかった。それがまた無性に苛ついた。人差し指と親指をこすりあわせる。
「私、幸せよ? 今だってそう」
「そんなことはないでしょう」
「あるの」
笑顔でミレイは言った。
「私ね、この学園が好きなの。教室で受ける授業も、みんなでする食事も、屋上から見える風景も……全部好き」
「…………」
「だから、この学園で過ごした人全員に、その思い出を大切にして欲しいって思ってる」
こうして学園を案内してくれている理由が理解出来た。そして今の言葉が、彼女の本心だという事が痛いほど分かった。
他人に優しくするのは優越感に浸りたいからではない。憐れんでいるからでもない。誰かが幸せなら、彼女も幸せなのだ。
凄い人だと思う。この先、自身が記憶を取り戻したとしても、このようにはなれない。ライにはそんな確信があった。
いつも他人との距離を気にしている自分が、どこまでも矮小で卑しく思えた。
「だいたい、人のため誰かのためって動いてるのは、あなたも同じでしょう?」
「え……」
なんていうかな、とミレイは呟いた。頭の中で、言葉を整理しているように見える。
「スザク君のためにノート取るのも、生徒会室でいない人の分の仕事をしてるのも、記憶を探してるのも……全部。なんだか、義務感で動いているように見えるから」
「それは……」
口ごもる。反論出来なかった。
「私は、あんまりそういうのって良くないと思うな」
その通りだ。ライを動かしているのは、紛れもない義務感だった。
"記憶を取り戻したい"のではなく、"記憶を取り戻さなくてはならない"と思っている。ずっとそうだ。この学園で目を覚ました時から、ずっと。
考えてみれば、すとんと腑に落ちた。極めて簡単な事だった。
「駄目……でしょうか」
そう訊くと、ミレイは首を振った。
「駄目、ではないと思う。でもね……不謹慎だけど、あなたには記憶の事より、この学園での思い出を大切にしてほしいの」
「…………」
「やっぱり難しいわよね」
ミレイはこう言ってくれているが、やはり甘えるわけにはいかない。彼女が良い人であればあるほど、その決意は強固なものとなる。
「でも……」
「?」
「記憶を取り戻したら、普通の生徒として、この学園の一員になりたいと思っています。……これは、本当に」
都合の良い話だと思ったが、それでもミレイは笑ってくれた。
「なら、良し。今日のところはね」
「……ありがとうございます」
ステンドグラスを通過した光が七色に変わる。その柔らかい光を背に、ミレイ会長は笑みを浮かべていた。
この人は、幸せになるべき人だ。
そう、ライは強く思った。
早朝。
起床後、ライはいつも通りクラブハウスを出て、ミレイから案内してもらった道順を辿っていた。生徒会の仕事は昨日のうちに終わらせてしまったので、他にやることも無い。
外周をぐるりと周り、校門付近を通る。そこで、あるものを見つける。
「……あれは」
道路を挟んで向かい側、アッシュフォード学園の対面には、それなりに大きい大学がある。その大学の前に、軍用の大型トレーラーが停車していた。
確か、スザクの上司が利用している物のはずだった。
「…………」
紛れもなく、ブリタニア軍の物だ。車種や識別番号、製造年月日、作ったであろう工場の位置。全て頭の引き出しから取り出すことが出来る。
奇妙な感覚だった。
普通の人間なら知らないような事を知っているのだ。しかも軍用車両の情報など、マニアック過ぎるもの。埋め込まれたかのような違和感のある知識。
ライがブリタニア軍を苦手としているのは、こういった事が理由だった。
離れよう。そう思って背を向ける。ここにいても、良いことはない。
「あ、ちょっと。きみきみ」
少し遅かったらしい。振り向くと、白衣を着た長身の男性が立っていた。
「……なにか」
「んー。ちょっと話を聞きたくってね」
男性は子供のように無邪気な笑顔を浮かべている。何が楽しいのだろうか。
まだ早朝だ。校門は開いていない。三メートル近い門を挟んで、ライと男性は会話していた。
「あなたは……」
「あ、僕は怪しい者じゃないよ。そこの大学で研究とかしてる、ロイドっていうんだけど」
「……スザクの関係者でしょ。以前、見かけましたから」
ロイドと名乗った男性は笑顔を崩さない。ライの中で、むくむくと警戒心が膨れ上がっていく。
「……それで、話というのは」
手早く切り上げたかった。ここから離れたくて仕方がない。
「もちろん、君の事だよ」
「僕の……」
「そうそう。スザク君から聞いてるよ。なんだか、複雑な事情を抱えているようだねぇ」
「…………」
どこまで知っているのだろうか。記憶喪失の事か、身元不明の事か。前者はともかく、後者はまずい。身元不明者をかくまっていると軍の人間に知れたら、ミレイ会長に迷惑がかかる。
「……スザクは何て言ってました」
「んー。スザク君に聞いても、なーんにも答えてくれないんだよねぇ。それで気になって調べてみたら、学園のデータベースに君の名前、無いし」
んふふ~、と特徴的な笑い声をあげる。
「それで、僕に何か」
「キミ、ナイトメア・フレームって知ってる?」
こちらの質問には答えず、ロイドは質問をしてきた。
ナイトメア・フレーム。
また、頭の引き出しが開く。
「ブリタニア軍の主力兵器ですよね」
ライが知っているのはそれだけでは無い。ナイトメア──例えば現行の主力機である<サザーランド>について、そこらの専門家より雄弁に語れる自信があった。
全高や重量、主な火器といった比較的ポピュラーな情報から、センサーの範囲や生産数、稼働時間……抱えている構造的な問題とその数。操作の習熟に掛かる時間。それらが明確に分かるのだ。
だが、そんなことをロイドに言えるわけがなかった。普通の無知な学生を装うしかない。
「キミ、ナイトメアに乗った事があるでしょ?」
「は……」
ロイドが何を言っているのか分からず、ライは言葉を失った。ナイトメア・フレームといえば、専門の訓練を受けたブリタニアの騎士にのみ搭乗資格が与えられる、特殊な兵器だ。学生が乗れる代物ではない。
「どうしてですか」
「ナイトメアの搭乗者は肉体的な特徴があるんだよね~。しかも、キミの場合はかなり凄い。一〇や二〇の搭乗時間じゃ、こうはならないから」
「…………」
こういう時、無表情は役に立つ。
「で、どうなの?」
ロイドは未だに笑みを絶やさない。決定的な証拠を突きつけ、勝利したつもりなのか。
「……なら、スザクもナイトメアに乗っているんですか」
今度はこちらが、質問に質問で返してやった。ロイドは笑みをやめ、ようやく目を合わせてくる。今までのおどけた姿からは想像も出来ない、背筋が凍るような、全てを見通す瞳だ。
「…………」
「……では、僕はこれで」
今度こそライは校舎に向かって歩き出した。
背後から視線を感じたが、ロイドは、何も言ってこなかった。
今回はこの辺で。最近は忙しく、モチベーションに時間が追いついていない状況です。本当なら毎日投下したいんですが。
では、ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。
──ロスカラはミレイさんに惚れるところから始まる。私はそう考えています。
ミレイさんいいよね
乙です
乙です
乙
会長はいい女だな乙
そういや会長の婚約者だったりしましたねロイドさん
昼休み、ルルーシュは屋上へ続く階段を登っていた。
徹夜明けで午前の授業を終えた体は、即時の休眠を要求している。腹は減っていたが、まずは睡眠だろう。なにせ四時間後には"仮面"を被り、完璧な指導者として振る舞わなくてはならないのだ。
(まったく……)
授業中はシャーリーの妨害を受けたために、ほとんど眠れなかった。説き伏せようとしても、彼女はまったく聞き入れてくれない。最近、生徒会に顔を出していないのもあり、ひどく不機嫌なのだ。
(理解出来ないな……)
考えても、なぜシャーリーが不機嫌になるのか、ルルーシュには分からなかった。以前は生徒会の仕事が滞るなどと言っていたが、今はとても優秀な新入りがいる。やる気があって、物覚えも良い。しかも時間に余裕がある人物だ。
正直、助かっている。
「……ん?」
ようやく寝床にたどり着き、扉を開く。電子錠が掛かっていたが、学園中のパスワードを知り尽くしているルルーシュにとっては取るに足らない事だった。
屋上に入ったところで人影を見つけ、ルルーシュは訝しく思った。俺の聖地を侵す者は誰だ、と身勝手に憤る。相手に感づかれないように、様子を窺った。
青空の下に佇む細い背中。スラリと伸びた手足。風に揺れるアッシュブロンドの髪。怜悧な美貌。最近、学園の生徒から注目を集めている人物だ。男子からは憎悪と羨望、女子からは好意と憧憬。
本人は気付いていないようだが、学園名物としての地位を確立してきている。
ライだった。
彼は演奏中のピアニストのように目を閉じ、耳を澄ましている。その姿は幻想的で、どこか儚さを漂わせていた。
歩み寄る。距離は三〇メートルほど。六時の方向から接近。完全に背後をとった。
「ルルーシュか」
すぐに気づかれた。
「……驚いたな」
言葉とは裏腹に、ルルーシュは動揺した素振りを見せなかった。代わりに苦笑を浮かべて
「気づかれないと思ったんだがな」
「足音で人を判別出来るというのは、どうやら本当のようだ」
ナナリーの入れ知恵か。近頃、ライはルルーシュの最愛の妹と頻繁に会っている。兄としては複雑な気分だった。
「屋上には良く来るのか」
手すりに肘を預けて尋ねる。穏やかな風が、ルルーシュの黒い髪を揺らした。
「いや、ここに来たのは単なる気まぐれだ。君の睡眠を邪魔したくないし、戻るよ」
気まぐれとは珍しい事を言う。ライは理詰めで動く人間で動くと思っていた。そして、ルルーシュは自嘲の笑みを浮かべ、
「あのな。俺だって、いつも睡眠欲に駆られているわけじゃない」
真っ赤な嘘だった。ルルーシュはここへ昼寝しに来たのである。ただ、ここで本当の事を告げれば、それがナナリーの耳に入ってしまう。ライはナナリーに甘い。ねだられたら、口座の暗証番号ですらあっさりと言うだろう。それくらいに甘い。
「良ければ、少し話をしないか」
「……ああ」
ライは静かな眼差しでルルーシュを見つめた後、それを学園の外に向けた。学園の正面入口より先、向かいの大学。軍用の大型トレーラーが停車している。
「良い景色だろう。ナナリーも、ここを気に入っている」
ルルーシュが妹の名前を口にすると、ライは何かを慈しむように目を細めた。
この表情だ。
他の人間には決して見せない、穏やかな横顔。ライはナナリーと接している時に、こういった顔をする。
「ナナリー、か」
「…………」
注意深く観察する。この少年がナナリーに対して邪な感情を抱いていないという事は知っていた。普段からは想像も出来ない包容力。その接し方はまるで──そう、兄のようなのだ。
「ここにナナリーが来やすくなるよう、ミレイさんに頼んでみたらどうだ」
この屋上へ上がる手段は階段のみだ。エレベーターや身障者用のリフトは設置されていない。つまり、ナナリーが来るにはどうしても他者の協力が必要になるということだ。
「そうはいかないさ。クラブハウスに住まわせてもらっている身としてはな」
「そうか。……だが、必要な時に言ってくれれば、僕がナナリーを運ぶぞ」
これだ。この積極性。
「……それは、お前がナナリーを抱きかかえるという事になるんだが」
「そうなるな」
「許すと思うか?」
尋ねると、ライは右手を口元にやって思案した。たっぷり五秒費やし、
「……問題ないと思うんだが」
「大ありだ……!」
珍しく声を荒げた。ナナリーを男子生徒が抱き上げるなど、断じて許されない。だが、何よりルルーシュを苛立たせたのは、その光景を容易に想像出来たことだった。
ライが提案すれば、ナナリーは照れながらも承諾するだろう。間違いない。だが、許さない。
「何故だルルーシュ。失礼だが、君は体力面で問題を抱えている。同年代男子の一般水準を大きく下回っているはずだ。ナナリーの安全を考慮すれば、僕が協力した方が合理的だと思うぞ」
いつになく饒舌だった。加えて、まったくの正論だった。部下に欲しいぐらいだと、ルルーシュは思った。
こういう時、力任せに反論するのは愚かだ。体力面で問題を抱えているのは事実だし、ライが協力した方が良いのもまた事実だろう。しかしながら、それを認めるわけにはいかない。
ルルーシュはにっこり笑って言った。
「お前の気持ちはありがたく受け取っておくよ。だが、これは兄である俺の役目だ。他の奴には譲れない。たとえ、お前やスザクにもな」
既に、ライの弱点は把握していた。こう言えば彼が反論してこない、してこれないということも熟知した上での発言だった。
「そうか……そうだな。すまない。出過ぎた発言だった」
「いや、いいんだ。お前の気持ちが嬉しいのは、俺もナナリーも同じだからな」
これも本心だ。ルルーシュはライに対して、好感を抱いている。落ち着いた物腰に、行き届いた気配り。チェスの腕も良いし、本の趣味も合う。なにより議論をしていて楽しかった。
シャーリーやリヴァルのような友人とは違う関係だ。信用と信頼の違いとでも言おうか。有事の際、ルルーシュはライを頼るかもしれない。ナナリーを任せるかもしれない。そういった人物は租界全体で見ても、五人といないだろう。
学園の中で言えば、スザクやミレイと並ぶかもしれない。どうしても他人を採点方式で評価したがる彼にとって、珍しいくらいに高評価だ。
「…………」
ルルーシュは横に立つ少年を見定める。彼がここに来て、三週間になろうとしている。本人はどう考えているかは分からないが、今ではすっかり学園や生徒会に馴染んでいるように思えた。
変な奴だった。
他人の懐に入るのが不思議なくらいに上手い。複雑な事情を抱えている人物が、揃って心を許してしまっている。スザクやカレン、ミレイにナナリー。そしてそれは、ルルーシュ自身も例外ではなかった。
だからこそ気になる。どうしても引っ掛かる。
「なあ、ライ。聞いていいか」
「……僕にわかることなら」
ルルーシュは頷き、一秒だけ時間を置いた。その一秒で考えを纏める。
「お前は、何を見ているんだ」
「……?」
「お前はナナリーといる時、何か遠い物を見るような目をする事がある。それも頻繁にな」
ルルーシュが聞きたい事はこれだった。
「……良く見ているんだな」
「まあな」
ライは空を見上げた。蒼く、高い空。上空では風が強いのか、雲が千切れては流れていく。
「お前の目は、ナナリーを見ているのか? それとも……」
遠い遠い記憶の彼方にいる、別の誰かか。
「……さすがはルルーシュだな。隠し事は出来そうにない」
核心部分を突いたというのに、ライには動揺した様子は見られなかった。何か探っているわけでもない。取り繕おうとしている風にも見えない。
「……ナナリーを見ていると、思いだせそうなんだ。僕にも妹がいたんじゃないかって」
「そうか。だからお前はナナリーに、兄のように振る舞っていたんだな」
ライの答えは、ルルーシュの予想通りだった。
「……すまない」
ライは俯き、謝罪する。これもまた、予想通りの展開だった。
「勘違いするな。別に迷惑と言っているわけじゃない」
「…………」
「その逆だ。少しは感謝しているんだ。お前が来るようになってから、ナナリーはよく笑うようになった……まあ、兄としては複雑な気分だがな」
ルルーシュが家を留守にするようになってから、ナナリーは寂しがっていた。それを埋めた──いや、それどころか以前より笑うようになったナナリーを見ては、文句など言いようがない。兄としての心情も含めて、全て本心だった。
「君の言う通り、僕はナナリーに誰かを投影している。だが、だからといって彼女を疎かに扱っているわけではないんだ」
ライの声に、珍しく必死な色が混ざった。自身の擁護ではなく、あくまでも他人の名誉を守ろうとする。ルルーシュは笑って、
「分かっているさ。でなければ、俺もこんな話はしないからな」
もう一度空を見上げた。
背を伸ばし、深呼吸する。
「ナナリーが言うには、ここは空気が違うそうだ」
「……そうなのか」
ルルーシュは、ゆっくりと言葉を紡いだ。取り留めのない、ただの雑談。何気ない日々の記憶。ナナリーの事、スザクの事、ミレイの事、生徒会での思い出。色々だ。
ライは黙って聞いていた。どうしてか、この少年には色々と喋ってしまう。
やはり変な奴だと、ルルーシュは思った。
短いですが、今回はここまで。日が開いてしまって申し訳ありません。毎日投下というわけにはいかないのですが、これからも見ていただけたら幸いです。
ロスカラ主人公の何が異常かと考えて、能力的な面もそうなんですが、人の信頼を勝ち取るのが凄く上手いんですよね。
落とせなかったのって解放戦線の片瀬くらいだと記憶しています。やっぱりチートですね。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
乙です
乙
乙
面白いね
放課後の生徒会室。今日は珍しく、ルルーシュもカレンも出席していた。スザクも補習が終わり次第、こちらにやってくる。久しぶりの全員集合だ。ミレイ会長はここぞとばかりに強権を振るい、仕事を割り振っていた。
「…………」
多くの人間が忙殺されているなか、ライだけは一人、持参した文庫本を読んでいる。彼はいつもの調子で早朝と昼休みに生徒会室に来て仕事を終わらせていた。
しかし、この積極性に満ちた自己活動がミレイ会長は酷く気に入らなかったらしく、「不公平だから自主練禁止!」との裁定が下されてしまった。そして生徒会の最高権力者から「勉強ならこっちにしなさい」と渡されたのがこの本だ。
(……わけが分からない)
一定のリズムを刻みながらページを捲る。読むスピードには自信があった。しかし今までの本と違って、まったく理解が出来ない。
ルルーシュから貸してもらった政治や思想、金融や投資を扱った書籍や、ニーナの持っている複雑で難解な科学、テクノロジーの本と比べれば、ライの手元にある一冊はとても小さく、薄い物だった。
どこへでも持ち運べるサイズで、二五〇ページくらい。文字数も少なく、読破するには三〇分も掛からなかった。
だが、
(理解出来る気がしない……)
本を読んでここまで絶望的な気分に陥るのは初めての経験だ。渡された時は取るに足らないと思っていた文庫本が、今では世界のあらゆる文学より煩雑で、強大に思える。
「なにを読んでいるの?」
隣に座っていたカレンが横から覗き込んでくる。ごく自然な動作。彼女の赤い髪が肩に触れそうなほど近い距離まで迫ってきて、シャンプーの甘い香りが鼻腔をくすぐった。
普段の、他人に興味を抱かず、物理的にも精神的にも距離を置いているカレンからは想像出来ないくらいに近く、気やすい。あの寂れた公園での一件以来、彼女の表情や仕草が目に見えて明るくなった。理由は分からないが、心を許してくれたのかもしれない。
しかし、ライの意識は未だに文庫本の方へと向いていた。学園でも一番人気の美少女が傍らにいるというのに、その態度に変化はなかった。
「珍しいわね。恋愛小説なんて」
「……こんなに難解な書籍は初めてだ」
「まあ、そうでしょうね」
苦々しく言うと、カレンはくすりと笑った。上品で一分の隙も無い。あの時に見せた苛烈な言動が嘘のようだった。
「君は恋愛事に詳しいのか」
「え? ど、どういう意味よ」
「僕には理解出来る兆しすら無いが、君は違うだろう」
なにせ、学園に親衛隊が創設されるほどの人気だ。彼女なら交際相手など選び放題だろう。そう思って尋ねたのだが、不思議な事にカレンは顔を赤くした。
「詳しいわけないでしょう」
「なぜだ」
「な、なぜって言われても。男の人と付き合ったことないし……」
「交際経験がないのか」
「そ、そうよ。悪いかしら」
カレンの紅潮は顔全体に及んでいた。突然の質問責めに羞恥心を刺激されたのか、彼女はギロリと睨んでくる。
カレンが語気を強める。向かいの席でなぜかシャーリーが嬉しそうにしていたが、二人はまったく気づかなかった。
「異性に恋愛感情を抱いた事もか」
「無いわよ」
「なら、僕と同じだな」
少し得意気な様子で、ライは文庫本に視線を戻す。学園屈指の朴念仁と同列に扱われたことで、カレンの怒りは最高潮に達した。
「そんな簡単な恋愛小説も分からないあなたと、同じなわけがないでしょ」
ふふんと、カレンは鼻で笑うように言った。病弱でおしとやか、優しいお嬢様の面影は既に霧散していた。
「君には分かるのか」
「分かります。あなたと違って、ね」
カレンは柄にもなく挑発的な口調だったが、ライはその意図に気づかないまま頷き、冷静に言った。
「興味、あるんだな」
「な、無いわよっ……!」
見事なカウンターだったらしく、彼女は大きくたじろいだ。それを尻目に、ライは首を捻りながら読書を続ける。
平凡な男と優秀な女スパイとのロマンスを描いた作品だった。ひょんな事から厄介事に首を突っ込むことになった男と、彼を巻き込み、逃走劇を繰り広げる女。
当初は身分の偽装の役に立つという理由だけで彼を利用していた女が段々と心を開き、恋に落ちるまでの様子を描いている。
物語は佳境に入り、女の方が男に好意を伝えるという場面。なぜか女は「私の共犯者になって」などと意味不明な言葉を連ね、男は承諾。そのままハッピーエンドへ直行だ。
「さっぱり分からない……」
普通に好きだと告げれば良いではないか。なぜ、平和な世界で生きていた男を危険な裏社会に引き込もうとするのか。途中の銃撃戦で男に射撃の才能があるかのような描写はあったが、それだけではとても納得できない。
男の方の心情も理解出来なかった。女は敵組織の混乱を誘うため、男もろとも幹部を爆殺しようとしている。明らかに危険な人物だ。男が彼女に対して劣情を催しているという事はしつこく描写されていたが、リスクとリターンが噛み合っていない。馬鹿な奴だと思った。
「ちょっと貸して」
カレンに文庫本を渡す。途端に、彼女も眉間に皺を寄せた。
「分かるか」
「わ、分かるわよ。もちろん。映画で見たことあるし……」
映画化までされているのか。カレンがそういった娯楽を嗜んでいるところが想像出来なかったが、それは口にしなかった。
「そうか。なら……」
疑問に思っていた点を尋ねる。やはり、「あれよあれ」だとか「考えなくても分かる」だとか「この人たち馬鹿なんじゃないの」だとか要領を得ない答えばかり返ってきた。
しかし一点だけ──女が男に正体を明かすシーンだ──カレンが明確な解説をした。
「これはちょっと分かるかな」
「なんだ」
「自分の事を知ってもらいたかったんでしょ。誰にも話せず戦うって、辛いことだから」
「……そうなのか」
「そうなの」
「やはり分からないな」
正直、ライの興味はわけのわからないロマンスより女の所属している諜報機関やその規模、装備などの方に向いていた。組織的な活動をしているにも関わらず、なぜ重要な任務を個人に任せるのだろう?
「向いてないのね。きっと」
お前には無理だ、と間接的に告げたカレンは再び書類仕事に戻る。話していたせいで他のメンバーより進行が遅れていたようだ。
ライは文庫本を閉じて、傍らに置く。向いてないらしいので、このまま読んでいても仕方がない。
「手伝おう」
「大丈夫よ。一人で出来るもの」
書類に伸ばした手をぺしっと弾かれる。いつにも増して素っ気ない。敵意すら感じる。
「なんだ、怒ってるのか」
「怒ってない」
「最近の君はよく怒る」
「それはあなたのせいでしょ……!」
「だが、それは君にも問題があるだろう。いい加減、僕とアーサーを同列にあつか……」
ライがそこまで言ったところで、いつからか喋らなくなっていたミレイ会長が立ち上がった。凄い勢いだった。またも椅子が吹っ飛んでいく。
カレンとライをビシリと指差し、
「そこ、いつまでイチャイチャしてるの! 今は仕事中よ!?」
他の生徒会メンバーの視線がミレイに向いてから、二人に移る。
イチャイチャとはどういう意味なのだろう。ライは首を傾げた。
ちょっと休憩
一旦乙
乙です
「い、イチャイチャって……。別に私達は」
「してるでしょ、さっきから。この私がからかえないだなんて! って、ちょっとした敗北感を抱くくらいにはしてた。……ね?」
どうやらミレイの怒りは仕事が滞る事に対するものではなく、純粋にその敗北感からきたものらしい。彼女はシャーリーやニーナ、リヴァルに同意を得るべく目配せをする。
「確かに。カレンって、ライにだけは遠慮なく怒ったり叱ったりするし」
シャーリーが言った。怒ると叱るというのは似たような意味なのではないかと思ったが、ライは黙っていた。イチャイチャとはどういった意味なのかと推測するのに忙しかったからだ。
「……仲、良いです」
「気を付けろよライ。最近、カレン親衛隊の人数が三〇〇人を超えたらしいからな」
「……三〇〇だと」
高等部男子生徒のおよそ七割だ。そしてこれは、ライに対して敵意及び殺意を抱く人間の数が三〇〇人を超えた事を意味する。
「な、なぜだ。一週間前まではその三分の一だったはずだ」
リヴァルは親衛隊の情報を度々リークしてくれる。そのおかげで何度も命を救われていた。感謝してもしきれない。
「お前という突発的かつ強大な敵が現れた事で、今まで隠れファンだった連中が加わったんだろう」
ライの右隣に座っていたルルーシュが解説してくれた。
「なんとか出来ないのか。異常な数だぞ」
「無理だな。連中、ついに正式なクラブとして申請までしてきた。組織的にお前を抹殺するつもりだ」
「…………」
もはや予断を許す状況ではなくなってきている。こうなったら最後の手段である「カレンとルルーシュは交際している」という情報を流すしかない。
リヴァルと共に以前から準備していたおかげで、実行自体はごく簡単に済むだろう。幾つかの証拠を捏造する用意も、既に整っていた。
「……すまないな、ルルーシュ」
「? なんで謝るんだ」
きっと大丈夫だろう。ライと違ってルルーシュには社会的な地位があるし、なによりナナリーという守り神がついている。不埒な輩も手が出せないはずだ。
ライがルルーシュと話している間にも、真っ赤になったカレンが女子メンバーから集中砲火を浴びていた。
「意外よね~。箱入り娘のカレンが一抜けするなんて」
「違います。わ、私はお世話係として、彼を案内していただけですから」
「真面目ねー? 最初はあんなに嫌がってたのに?」
「そんな……嫌だったわけじゃないですけど」
「今じゃ楽しみなんだ?」
「いや、だから、それは……」
「赤くなっちゃって~。いいわねぇ、青春よね~」
「……ミレイちゃん、年寄りっぽい」
「カレン、可愛い」
「シャーリーまで……。やめてよ、本当に違うから」
「ふふーん?」
「な、なによ、もう……」
「ところで、イチャイチャとはどういう意味なんだ」
「お願いだから、あなたは黙ってて……!」
凄まれ、ライは口をつぐんだ。他のメンバーと態度が違い過ぎるのではないだろうか。
「追求はまた後で。今は仕事仕事! 残すと誰かさんが勝手にやっちゃうからねー」
これ以上からかうと本気でカレンが怒ることは分かっているのだろう。生徒会長は引き際も見事だった。発言権を奪われたライは黙って文庫本を開く。余白の目立つページを捲りながら、再び思考の渦に身を委ねた。
ミレイの仕切りの下、再び皆が仕事に専念する。しばしの間、生徒会室に響くのはペンが紙の上を移動する音と、事務的なやり取りのみ。
何度かカレンの方に目を向けるも、
「…………」
そっぽを向かれてしまった。どうやら怒らせたらしい。理由が分からず、ライは内心で首を傾げた。
そんな状態のまま二〇分ほど経過し、書類仕事が概ね完了した。この後は定例報告とイベント準備の進捗状況を確認して、今日の生徒会は終わる予定だった。
「生徒会企画に関する予備アンケートってどうなってる?」
「リヴァルが今日までに配布を済ませているはずなんですけどー」
「寮の方はもう終わってるよ。あとは自宅通学者の分だけなんで、いましばらくのご猶予を!」
リヴァルはあっけらかんと言ってのけたが、ミレイ会長は眉を寄せ、唇を尖らせた。
「ガッツ出しなさいよぉ! 回収もあなたの責任で達成するのよ。そのためのバイクでしょーが!」
「か、会長ー、ここでの俺の存在価値はバイクだけっすかぁー!」
「ん? そんなことないわよ。ほかにも員数合わせだって、立派な存在価値のひとつだし」
「う、しどい! 俺泣いちゃう!」
ミレイのあんまりな発言にリヴァルが大げさなリアクションをとり、笑いが起きる。和気あいあいとはこういう事を言うのだろう。
ここに来た当初からライを悩ませていた異物感は、今ではだいぶ薄まっている。
楽しいと感じているのだろうか。
「…………」
きっとそうなのだろう。
(ん……?)
ふと、右隣のルルーシュから視線を感じ、そちらに目を向ける。思った通り、アメジストのような瞳がライを見据えていた。
「…………」
そこには何かを哀れむような色があった。何かと思ったが、彼は肩をすくめて視線を外す。
「あーっ! なんでルルとライが見つめ合ってるの!?」
シャーリーから非難の声が挙がる。どうしてルルーシュと目が合っただけで彼女が怒るのかが理解出来なかった。ニーナが顔を赤くしている理由も分からない。
「はい、妬かない妬かない。それでカレン、学園祭の資材に関してなんだけど」
ミレイがシャーリーを宥めながら、こちらに話を振ってくる。学園祭の屋台に使う資材や備品を新しく購入する際、専門の業者に注文するのが普通だ。カレンに割り振られた役割は、注文する品の数と種類を調査することだった。
「一応は終わりましたけど、この時期はどこのクラスも適当ですから。注文書通りにはなかなか……」
「そうよねぇ。適当に注文して、足りない分は後から言えばいいと思ってるんだろうし」
「また生徒会が大騒ぎする事になっちゃいますね」
カレンからの報告を受けたミレイが呆れたように息を吐き、シャーリーが暗澹たる未来に辟易する。
大部分の注文は業者がそのまま納品してくれるが、細かい注文は生徒会が対応することになっている。学園祭の日程が近づくにつれ追加注文が多くなり、この部屋は阿鼻叫喚の地獄絵図となるのだ。
「まあ、先の事にうだうだ言っても仕方ないか……。それで、注文する業者についてはどう?」
ミレイがこちらを見てくる。発注する業者の選定はライに一任されていた。カレンの調査結果を基に、納入のスピードや値段を踏まえて、一番良いところを選ばなければならない仕事だ。
「…………」
だが、無言。
「……ライ? なんで黙ってんのよ?」
ミレイが怪訝な顔をする。
「まさか、やってないとか?」
「そんな、リヴァルじゃあるまいし……」
リヴァルとシャーリーからも疑問と戸惑いの眼差しを向けてくる。それでもライは無言を貫いていた。
「なんで突然黙り込むのよ。……あ」
ミレイが何かに気づいたらしい。カレンの方を見る。他のメンバーの視線もそれに続き、今度はカレンが戸惑うことになった。
少しして彼女も気づいたらしく、
「……いいわよ。喋っても」
ライにだけ聞こえるようにぼそっと言った。ようやく発言の許可が下りたので口を開く。
「その件については、既に見積もりを出しているはずですが」
「値段が高いのよ。コストオーバーすれすれじゃない」
「あれは最悪の場合を想定した数値です。発注が遅れ、選択肢が狭まり、小回りしか取り柄の無い業者に複数回注文した際の……」
学園祭をやる時期というのはどこも似通っている。従って、利益が欲しい業者の方もそれを見越して値段の上げ下げを行うのだ。
なるべく早い時期に要望をまとめて一度の発注で済ませれば、それだけ予算は浮く。反対に、それらを手こずった場合は業者の方が忙しくなり受注してもらえなくなって、割高なところへ頼むしかなくなってしまう。
要は早い者勝ちという事だ。
ライは鞄から分厚い書類の束を取り出した。A4サイズの紙が無造作にクリップで止められたそれをテーブルに置く。先ほどの恋愛小説のページ数を上回る枚数であった。
「過去のデータから出し物に使う資材は予測出来ました。それに基づいて作った受注業者のリストがこれです」
「そ、それ全部……?」
シャーリーの若干引き気味の質問に頷く。
「僕にはこういった知識が無いので、とりあえず何らかの形で利用出来そうな物は全て入れました」
例えば屋台で出す飲み物。そのメーカーに頼めば業務用の物を安く仕入れる事が出来るが、代わりにレパートリーが狭くなる。近所のショッピングモールなら値段は高くなるものの、品揃えは比べものにならないくらい豊富だ。
飲食関係だけでこれなのだ。着ぐるみなどを貸し出すイベント会社、ホームセンターやスーパー、雑貨屋に害虫駆除、ディスカウントストア。果てはランジェリーショップまで入れれば、書類がここまで肥大化するのも当然のことだった。
「一応、その時々で理想的な条件に当てはまる所にはマーカーで目印を付けています。参考までにどうぞ」
「ふーん。どれくらい安くなりそう?」
「都合良く運べば例年の四割ですね。そのぶん仕事がかさみますが」
「発注はいつくらい?」
「許可さえ頂ければ今すぐにでも」
「ならば良しっ!」
書類に目を通しもせず、ミレイ会長は太鼓判を押してくれた。
今回はこの辺で。
ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙
乙です
すごくいい……
ライカレたまらない
乙ー
しかしライ視点だと完全にただの学園ものだなコードギアス、現時点では
生徒会のメンバーからも感嘆の息が漏れるが、ただ一人、隣の世話係主任だけは不機嫌な様子でツーンとしていた。理由はまったく分からない。今では手元の小説とカレンの気性が、同じくらい難しいと思える。
会議が再開されて少しした頃、生徒会室の扉が開いた。
「遅れてすいません」
「おっそーい!」
補習を終えたスザクだった。会長からの執拗なバッシングを笑顔でかわしながらルルーシュの隣の席へ向かう。
「やあ」
「ああ」
スザクと短い挨拶を交わす。今日は気分が良いので、彼の書類仕事も手伝おうか……などと思っていると、
「最近、調子良いみたいだね」
笑顔でそう言われた。
「そう見えるか」
調子が良い。体調の事を言っているのだろうか。リヴァルが含んだ笑顔をこちらに向ける。
「見える見えるぅ。なんつーか、態度がハツラツとしてきたよな」
「あー、それ分かるなー」
「ですよねー」
ミレイとシャーリーが続く。二人共、リヴァルと同じ含み笑いだった。妙な連帯感がある。
「理由は、やはりあれですか」
「あれだわね」
「あれでしょうねー」
「あれ、ですか……」
リヴァル、ミレイ、シャーリーに今度はニーナが加わる。連帯感が強まったようだ。四人はうんうんと頷きながら、何かを確認し合っているらしい。
スザクは不思議に思ったようで、隣の親友に尋ねた。
「あれって? なんのことかな、ルルーシュ?」
「ん? ……さあ?」
あの結託の意味が分からなかったらしいスザクとルルーシュがこちらを向く。二人に分からないものがライに分かるはずが無い。返答代わりに首を傾げた。
「えー? 分からないのー?」
戸惑う三人にシャーリーから非難めいた視線と言葉が贈られた。
「朴念仁ズはほっときなさいな。ってことで、どうなのカレン?」
ミレイから声をかけられた事で、今まで沈黙を保っていたカレンの肩がピクリと揺れる。
「なっ、なにが?」
「とぼけちゃって、このーっ!」
また始まってしまった。ミレイのテンションが上がっていくのが分かる。この第二波を予期していたからこそ、カレンは息を潜めていたのかもしれない。
身を乗り出して目を輝かせる生徒会長を見て、ライは思った。
「彼が随分打ち解けてきたのも、あなたの影響なんじゃないのぉ?」
「確かに。カレンも生徒会に良く顔出すようになったし!」
「あれだけ一緒にいれば、そりゃーもう、ね?」
ミレイ、シャーリー、リヴァルの見事な波状攻撃にさらされ、カレンがまたもたじろぐ。助け舟を出そうかとも思ったが、また状況を悪化させる事は明白だったので黙っていた。
「そうそう、二人の時間が彼の力に。なーんて、きゃーっ!」
「ふ、二人の時間って……! なにを言っているのよっ。わ、私は生徒会の仕事として……」
顔を赤くしてはしゃぐシャーリーに、カレンがいつになく必死に反論する。ミレイとリヴァルはにやにやしているし、ニーナも控えめな笑みを浮かべていた。
対して、取り残された朴念仁ズは完全に沈黙している。ルルーシュは静かに読書し、スザクは何が楽しいのかニコニコと笑っていた。ライはいつも通りの無表情を貫いているしかなかった。
「…………」
"いつも通り"。
確かに、打ち解けてきたのかもしれない。ゆっくりと流れる穏やかな時間。賑やかな人達。平和な場所。
きっと、この環境を尊いと感じているのだろう。失いたくないと思い始めている。来たばかりの頃は居心地の悪さが大半を占めていたというのに。
今では楽しいと思っているのかもしれない。
「…………」
これは変化だ。成長と言っても良いかもしれない。こうしていれば、やがては普通の人間になれるのではないだろうか。
もう一度、周りの人々を見やる。
やっぱり眩しくて、ライは顔を伏せた。
未だに世話係主任への追求は続いている。
皆はカレンのおかげだと言っているが、それは違う。彼女だけの尽力ではない。
ここに来て三週間近く。決して友好的、積極的ではない自分を大勢の人が支えてくれた。自らの足で歩こうともしない自分の手を、大勢の人が引いてくれた。声をかけ、接してくれた。
感謝してもしきれない。
ライは意味も無く、膝の上に置いた左手を握った。そこでまた、隣から妙な視線を感じた。
「…………」
やはりルルーシュだ。
なんだ? と目で問いかけるも。
「……フン」
「……?」
何が気に入らないのか、鼻を鳴らして目を逸らされてしまった。相変わらず気難しい。
「それで、二人で歩いているのよねー。い・つ・も」
「そ、それは、だから……」
シャーリーはここぞとばかりに真っ赤になったカレンにじゃれついている。ミレイは満足そうに頷いて言った。
「照れない照れない」
「そ、そもそも世話係主任に任命したのは会長じゃないですか!」
「怒らない怒らない」
満足そうな会長はカレンからの抗議もどこ吹く風だった。それに続くように、リヴァルも頷いて、
「まんざらでもない、まんざらでもない」
「え……まんざらでもないんですか」
ニーナまで顔を赤くして同調し始めた。
「ちょっともう……! あなたもなんとか言ってよ」
黙っていろと言ったり喋れと言ったり、なかなか注文が多い。しかしなんと言っていいか分からず、ライは呻いた。
おそらく、カレンは現状の打開をしたいのだろう。今までの言動から考えて、からかわれるのを嫌がっていると推測できる。その上で、自分に要求される役割、意見とは何か?
(誤解を生まず、茶化されない言葉か……)
難しい。ミレイ達がライとカレンの仲を疑っているらしいのは何となく分かる。そして、それをカレンは嫌がっているわけだ。下手に取り繕うのは下策だろう。
ありのままの事を話した方が矛盾も生まれず、結果的には良い方へ向かうのではないかと思った。
「……正直に?」
万が一のために、確認を取る。カレンは敵陣を睨みつけながら頷いた。
「そうよ。ビシッと言ってあげて」
許可が下りたことに安堵したライはこくりと頷いてから、起立した。全員の意識はこちらを向いている。全員が、次の一言に耳を傾けている。
失敗は許されない。静寂の中で決意する。
そして息を吸って──静かに、場に染み込ませるように、それでいて毅然とした態度で告げた。
「まんざらでもない」
ワロタ
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
生徒会室はしばしの間、沈黙に支配された。ルルーシュとスザクとライ、朴念仁ズ以外のメンバーは一様に呆気にとられている。
この状況を作り出した本人は満足したように着席した。達成感のような物があった。期待に応えられたと自負していた。
だが、隣のルルーシュは眉間を押さえる。頭痛でもするのだろうか。
「……どうしてその結論に至ったんだ」
「……?」
わけが分からない。この不穏な空気。つい先ほどまであった達成感は露と消え、不安が音を立ててやってくる。
またやったか。
恐る恐るカレンの方を見た。空色の瞳が驚きに見開かれている。そして、目が合った。
「……な」
彼女の顔が、見る見る赤くなっていく。これは、ライの(自信を持って行った)発言が失敗した事を意味していた。
「な、なに言うのよ!?」
「いや、正直に……」
何が悪かったのかと本気で考えた。彼女が赤くなるのは怒る時だ。今までさんざん体験してきた。
「ひゃあ……」
「これはこれは」
「大胆、です……」
生徒会女子メンバーは揃って赤面していた。あろうことか、あのミレイまで真っ赤になっている。初めて見た。これは、今回の発言が過去最大の失言だったという事を表している。
「お前のそういうところ、素で羨ましいよ」
リヴァルの呟きは呪詛のようだった。
「もう、あなたの記憶探しなんだからね。あ、遊びじゃないんだから!」
カレンは必死の様子で言ってきた。耳まで真っ赤になっている。
「分かってる。これからも頼みたいんだ」
謝るのも違うかと思い、補足の言葉を付け足す。
「わ、分かってるなら、いいけど……」
とりあえず、会議はそのまま終了した。誤解を生み、茶化されながらもスザクの仕事を全員で終える。
そして、カレンと二人で玄関を出て校門へと歩く。この時間になると人影もまばらで、付近に敵性生命体の気配も感じなかった。
「ほんとにもう、みんないい気なものね」
前を歩きながら、彼女は疲れたように言った。あれだけ冷やかされれば、こうもなるだろう。
「そうだな。困ったものだ」
頷くが、彼女は気に入らなかったらしい。半目でじろりと睨まれる。
「……あなたが一番、私を困らせているのだけど」
「……すまない」
「でも、冗談抜きにあと少しで思い出しそうな雰囲気はあるんじゃない?」
その言葉には妙に力がこもっていた。
「そうだろうか」
「この前、あなた自分からゲットーを見てみたいって言ってたでしょう? あれも記憶に関係あるんじゃないかしら」
「……確かに」
「次は、眺めるだけでなくて、実際に歩いてみる? シンジュクゲットーとか」
シンジュクゲットーはトウキョウ租界から出てほど近い場所にある。つい最近、レジスタンス組織とブリタニア軍が衝突し、その戦闘で皇族のクロヴィス前総督が戦死したため大きな話題を呼んだ。
そしてそこは"黒の騎士団"の総帥である"ゼロ"が、初めて姿を現した場所でもある。
「いや、駄目だ。危険過ぎる。確かにゲットーは記憶と関係があるかもしれないが、君を連れていくことは出来ない」
ゲットーでは抵抗勢力とブリタニア軍による戦闘が頻繁に発生している。治安も悪いし、衛生的にも決して良くはない土地だ。
そんなところに、カレンを同行させるなど許されない。怪我や病気どころか、下手をすれば命を落とすかもしれないのだ。
「…………」
「…………」
ライがカレンの提案を突っぱねるのは珍しい。初めてと言っても良かった。だが、彼女は驚きもせずにこちらを見据えてくる。
おしとやかなお嬢様の物でもなく、あの公園で見せた苛烈な物でもない。彼女の瞳が何を映しているのか、何を表しているのか、ライには想像も出来なかった。
沈黙。夕焼けの光が二人を包み込む。カラスの鳴き声が、遠い空に溶けていった。
「……そう、分かったわ」
どのくらい、そうしていただろうか。カレンがやっと口を開いた。その口調や表情からも、やはり考えを窺い知ることはかなわなかった。
「すまない」
気分を害してしまっただろうか。提案への断り方も分からないせいで、こんなことすら心配になる。
「あなたがそう言うなら、私は一人で行くから」
「ん……ちょっと待ってくれ」
意味が分からない。ライの記憶を探すためなのにも関わらず、本人不在でも構わないとは。
「駄目だ。危険だと言っているだろう」
聞こえないとばかりにカレンはこちらに背を向けた。後ろ腰に手を組み、三歩前に歩く。
「あなたと一緒にゲットーを見た時、私も興味が湧いたのよ。だから、記憶探しっていうのは……ただの口実」
「だが……」
確かにあの時、カレンからは日本寄りの発言が噴出していた。ゲットーを、日本人を直に見てみたいと思うのは、不自然なことではないだろう。
しかし──
「私自身が行きたいんだもの。それを、あなたは止められる?」
「……無理だな。僕に君を束縛する権利なんか無い」
彼女を止める理由はなかった。本当に行きたいのなら、カレンは一人でゲットーに向かうのだろう。
「……わかった。僕も行くよ」
弾よけくらいにはなるだろう。そう思ったが、口には出さなかった。
「じゃあ、決まりね」
カレンは微笑んだ。
しかし、その直後──横顔に暗い影がよぎった。一瞬だった。距離が遠いのもあり、夕日で眩しかったのもある。よくは見えなかったのだが。
深い悔恨と苦悩の色。そして、なによりの疲労。いま言った事に対するものだろうか。
カレンは、ふとした瞬間にこういう表情をする時がある。租界を歩いている時、軽口を交わしている時、共に食事をしている時。
まるで、自分がここにいる事が間違いであり、それがとても罪深いと思っているような、そんな表情だ。
ごまかしようの無い異物感。
以前から気付いてはいた。だが口にはしなかった。それは彼女の根幹に関わる事だろうし、なにより、その横顔が好きだったのかもしれない。
(……いや、違うな)
きっと共感していたのだ。ライ自身、場違いな所にいると思っている。だから時たま零れるあの横顔に、居心地の良さを感じていたのだ。
「…………」
生徒会での時間を楽しいと思っているのは確かだ。許されるなら、記憶の事など忘れてあのメンバーに加わりたい。だが、それは許されない。甘い幻想を強い意志が打ち砕く。
許さない。誰が?
きっと、自分自身だ。
ならば──
「前に進むしかない、か」
誰に向けたとも分からない呟きは、紅い空へ昇っていく。ぼんやりと見上げていると、
「ほーら、置いてくわよ」
いつの間にか遠くにいたカレンから呼ばれてしまった。慌てて追いかける。
この時のライには知る由もないことだが────
シンジュクゲットー。
魔神が生まれた場所で、またも世界は大きく変わることとなる。
まどろみの終わりは、もうすぐそこまで迫っていた。
今回はこの辺で。ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
ちなみに「まんざらでもない」は主人公屈指の名言だと思っております。
乙です
おつおつ
たまにあるおふざけっぽい選択肢は面白いよね
ライの天然発言はド胆抜かれたなぁ懐かしい
ところでリヴァルと共謀してルルーシュとカレンの噂で矛先変えようとしてるのはガチで笑った
まんざらでもない、は代表的な名(迷)言の一つだから出てきて嬉しいわ
あの選択肢で思わず絶句したのはいい思い出
ロスカラは戦闘がなぁ…
まんざらでも無かった日常も終わりか・・・
やっぱり騎士団ルートなのかな
個人的にはブリタニアルートが好きなんだけど
きっと全部やってくれるさ
ふむ
今のところ原作の模写でしかないから、これからのオリジナル展開期待
夢を見ている。
(カレン、遅刻するわよ。ほら、ナオトも)
いつものように寝坊して、母の声で起こされる。仕掛けていたはずの目覚まし時計は、いつの間にか床に転がっていた。この時計が奏でるけたたましい音より、下の階から聞こえる母の呼びかけの方が、よほど効果があるようだった。
なんとか布団から這い出して、廊下に出る。焼いた塩鮭と味噌汁の匂い。起きたばかりなのに、どうしようもない空腹感が襲ってきた。
隣の部屋からは既に身支度を整えた兄が出てきて、こちらを見た。くすりと笑われる。仕方がないなと近づいてきて、
(また寝癖ついているぞ)
そう言って、頭を撫でてくれた。それがたまらなく嬉しくて、抱きついた。兄の首に両腕をかけ、体を預ける。居間まで運べという合図だ。
そのまま下の階に降りて、母に朝の挨拶をする。
(階段くらい自分で降りなさい。ナオトも、あまり甘やかさないの)
はーい、と空返事をする。既に意識は食事に向いていた。隣の席では兄が困ったように頬を掻いている。
(いただきまーす)
(はい、どうぞ)
家族三人が揃って、ようやく朝食が開始された。鋭敏な嗅覚が嗅ぎつけた通り、炊きたての白米と香ばしい焼き鮭、わかめと豆腐の味噌汁が湯気を立てている。簡単なサラダも合ったが、眼中になかった。
まずは味噌汁を一口。おいしい。出汁の取り方が神がかっている。暖かい液体が喉を通った事で、やっと頭が動き出した。
焼き鮭に箸を差し込む。パリッという軽快な音と共に脂が溢れてきた。口に運ぶと、魚特有の甘味が広がる。絶妙な焼き加減と塩加減。おいしい。完璧だった。
そうして、炊きたてのコシヒカリをかき込む。新潟県の雪国で育てられた艶のある白い粒。芳醇な香り。おいしい。最高だった。
時間は限られている。少しでも多く、この食事を腹に詰め込まなくてはならない。そんな使命感があった。
茶碗を差し出す。おかわりの合図だ。母はそれを受け取って、ため息を吐いた。
(遅刻するわよ、もう)
良いの。
(いや、良くないだろ)
隣の兄も呆れ顔だった。こちらは優雅な仕草で食事を続けている。カッコつけてるつもりなのだろうか。
(じゃあ、俺もおかわり)
(……遅刻するわよ、二人共)
(良いよ。推薦決まったし、特待生だし)
(良くないでしょ。まったく、もう……)
そう良いながらも、母は二人分のご飯をよそってくれた。
しかし時間とは無情なもので、タイムリミットは否応なしに迫っていた。二杯目は急いでかき込んで、味噌汁で流し込む。
(もう少し女の子らしくしたらどうだ?)
良いの。
(いや、良くないだろ……。学校でもそんなことしてるのか)
こんなことするはずがない。学校の給食もおいしいが、自制心を失うほどではなかった。なにより周りの目もある。
素早く食べ終え、食器を片付ける。そのまま部屋に戻り、ランドセルに教科書とノートを詰め込んだ。道徳と理科の教科書が見つからなくて焦る。
(急がなくていいぞ、今日も乗せてってやるから)
扉の向こうから兄の声。やった。計画通り。ちょろいとさえ思った。
なんとか見つけた理科の教科書を真っ赤な鞄に叩き込み、兄の待つ玄関に向かった。道徳の教科書は──諦めよう。物を無くした事はないので、部屋のどこかにあるはずだ。
階段を駆け下り、靴を履く。
(……いってらっしゃい)
後ろから穏やかな声。母が呆れたように笑っている。
いってきますと返し、玄関を飛び出す。眩しい朝日の下、自転車に乗った兄が腕時計を見ていた。後部座席に跨がり、出発を急かす。
(……まったく。少しは兄の世話にならないように、とか思ったりしないのか)
しない。甘えれば甘えるほど甘やかすそちらにも問題があるだろうと思った。
──お兄ちゃんは、彼女とかいないの?
尋ねると、困ったように笑われた。兄は頭が良い。学校ではいつも主席だし、特待生として推薦入学も決まっている。運動も得意で見た目も良かった。なにより優しい。バレンタインなど山のようにチョコレートを貰ってくる。
(ま、妹がこんなにべったりじゃな)
言葉とは裏腹に、兄はいつもこうやって自転車で送ってくれる。風に乗って、大好きな匂いが流れてきた。腰に手を回して背中に抱きつく。確かな温もりに顔をうずめた。
(そろそろ兄離れしてもらわないとな……。ご近所さんの視線が痛い)
そんな提案を「やだ」の一言で切り捨てる。ひときわ強く抱きしめた。ぐりぐりと大好きな背中に額を押し当てる。兄の運転する自転車はゆっくりと動いていく。
──いつもの日常だ。
幸福な時間はたった五分ほどで終わった。通っている小学校付近でおろしてもらい、兄にしばしの別れを告げる。名残惜しいのは気のせいではないだろう。
下駄箱で内履きに履き替え、教室へ急いだ。すれ違う先生から走らないでと注意を受けて、駆け足から早歩きへの変更を余儀なくされた。
三年生の教室へ到着すると同時に、チャイムが鳴る。仲の良い友達に挨拶しながら席についた。
そうして授業を受けて、友達とお喋りをして、給食を食べて、男子に混じって昼休みにバスケットボールをして、また授業を受けて、一日が終わった。あっという間だった。
下校の時間になり、机の中を漁っていると──結局、道徳の教科書はこの中にあった──友達の女子から声をかけられた。
(そういえば、あの話ってどうなったの?)
あの話? と首を傾げる。
三人固まった女子達はキャピキャピと騒ぎながら、顔を突き合わせて何かの会議をしている。声が大きいせいで会話はだだ漏れだった。おかげで理解する。
小学三年生ともなれば、女子は色気づいてくる頃だ。好みの男子を言い合い、お互いに牽制し、そこに駆け引きが生まれる。
告白されたのだ。運動会が終わった後、体育館の裏で。
仲の良い男子生徒だった。彼は運動が得意で、体育ではいつも活躍していた。勉強もそれなりに出来て、見た目も悪くない。女子からも高い人気を誇っていた。
だが、振ってしまった。躊躇いもなく、他人から指摘されるまでそれが告白だったという事にすら気づかなかった。
それっきり、その男子生徒とは疎遠になった。昼休みのバスケットボールにも姿を見せなかったし、彼の友達からも妙な目で見られる。
正直、苛ついた。小さい奴だと思った。振られたくらいで敵意を向けるなど、そんなのは本当の恋ではない。
男子はいつもそうだ。ブリタニア人と日本人のハーフだからという理由で、からかわれた事も山ほどあった。赤い髪と空色の目を馬鹿にされたことも数え切れない。そういう男子の軽率さも、顔も知らない父親も、疎ましくて仕方がなかった。
もう半分の血が日本人の物だったのなら、黒い髪と瞳が手に入ったのに。変なコンプレックスを抱えなくて済んだのに。
だから、良識の欠片もない同年代の男子に恋をするなどありえない事だった。兄くらい文武両道で優しい人が理想だが、まあいないだろう。嘆かわしいことだ。
同級生で人気があるのはスポーツが出来る男子だ。足が速かったり、ドッジボールなどで活躍したり。そういう男子は得てして勉強も出来る。
だが、そういった所に魅力を感じない。理由は明らかだった。自分の方が優秀だと思っているから、そこを長所だと認められないのだ。
(好きではないが)勉強は得意だし、運動に関しては上級生にも負けた事がない。喧嘩をして男子を泣かせたこともあった。
自分が文武両道なのもあるが、理想的な兄を見て育っているのが一番の理由だろう。男子に対して特別な感情を抱けない。恋へのハードルは依然として高そうだった。
女子達はまだ楽しそうにしている。もしかしたら、この中にあの男子を好きな子がいるのかもしれない。笑顔の中には、好奇心の他に仄暗い感情が窺える。
思わずため息が出た。付き合いきれない。さっさと別れの挨拶をしてから教室を出た。早く家に帰りたかった。
下駄箱で外履きに履き替え、玄関を飛び出す。茜色の空と、涼やかな風。放課後特有の開放感。下級生が騒ぎながら農道を駆けていく。遠くからカレーの匂いが漂ってきて、お腹がくぅと鳴いた。
来る時、兄に送って貰った道を辿る。田畑を眺め、踏切を越え、商店街にさしかかった。この辺りまで来ると、家へ帰りたいという本能から自然と足が早くなる。
そこで見知った人影を見つけた。一人は片手に買い物袋を持って、値札とにらめっこしている。もう一人はその姿を静かに観察している。傍らには自転車が停めてあった。
母と兄だ。一緒に買い物をしている。とても楽しそうだった。髪の色も同じ二人だ。赤毛なのは自分だけ。なんだか仲間外れにされたような気分になって、二人に気づかないふりをして歩きだした。
早足で歩く。後ろから誰かがついて来る。見当はついたが無視した。さらに足を早める。
だが悲しいかな、あまりにも歩幅が違い過ぎた。
(ずいぶん急ぐな)
兄だった。ギロリと睨んでから、無視して歩く。
(なんだ、怒ってんのか)
別に。
(母さんを置いてったら可哀想だろ)
お兄ちゃんがいるじゃん。
(まったく……。俺だけじゃ意味ないだろ。三人一緒じゃなきゃ)
そう言われて、足を止める。いくら瞬足でも、所詮は小学生。母がいる場所からほとんど移動していない。
憮然とした表情で、母と、兄が放置した自転車がある八百屋の前まで戻ってくる。
(あら、おかえり)
置いて帰ろうとしたのに、母は微笑んでくれる。こくりと頷いて、視線は地面に注いだ。罪悪感が酷い。
(今日はハンバーグだからね)
母はそう言って、買い物袋を掲げてみせた。中には人参と玉ねぎがある。このまま道中の肉屋で粗挽き肉を買えば、大の好物が完成するだろう。
一瞬で機嫌が直る。母のそばに駆け寄り、その腰に抱きついた。
(……簡単な奴)
肩をすくめて呆れる兄を睨み付ける。
親子三人が並んで歩く。左手に買い物袋を持って、右手は母の手を握っていた。
途中、クレープの出店があった。母の足が止まる。手が離れる。
(はい、これ)
何故か焼きたてのクレープを渡される。どうしてか分からず、首を傾げていると、
(この間、100点取ったご褒美。ナオトもいる?)
(いいよ。食いたかったら自分で買うし。……どうした?)
右手にクレープを、左手に買い物袋を持ったまま母の手をじーっと見ていると、兄がそれに気づいたらしい。自転車のカゴに入っていた学生鞄を背負うと、妹の持っていた買い物袋を奪ってその中に入れた。
(これで母さんと手、繋げるだろ)
やっぱり最高の兄だと思った。クレープを差し出す。一口くらいならあげても良い。続いて、母にも一口。女性らしく、髪を手で押さえて食べる仕草はどこまでも優雅に見えて憧れた。最後に自分で頬張る。うん、美味しい。きっと、この味は一生忘れないだろう。
(あんまり食べ過ぎると晩御飯、食べられなくなるぞ)
これくらい平気。
(……将来、お前と付き合う奴は大変だろうな。ワガママだし、人の言うこと聞かないし、頑固だし)
良いの。
(……いや、だから良くないって)
左側を歩く兄とじゃれあい。右手で母の手を握る。暖かくて、柔らかい指。大好きだった。
夕日に照らされた町。行き交う人々。家族三人で並んで歩く。いつもの日常。ずっと続くと思っていた。
夢を見ている。
叶わない夢を。
短いですが、今回はこの辺で。
書いていて疑問に思ったのですが、カレンの兄と母って何歳なんでしょうか。調べても良く分からなかったので兄は中学三年辺り、母は三十代半ばといった感じにしました。
戦前、みんな大好き扇さんが教師をやっていたことを考えると間違いなく矛盾が生じますが、お許しください。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
乙
乙
乙
夢だから多少の矛盾はへーきへーき
目を覚ました。
カーテンの隙間から覗く暖かい日差し。無駄に大きいベッドの上で、少女は身じろぎした。体を起こし、右膝を立てた状態で頭を抑える。頭痛がした。
ぼんやりとしながらも、辺りを見回す。
広い部屋だった。机も椅子も、テレビも、クローゼットも、何もかもが"あの家"の家具より大きくて機能的だった。生活環境としては最上の部類に入るだろう。
頭が痛い。
素足のまま床に降りる。柔らかい絨毯の感触が心地よかった。この上で眠れそうだと思った。むかし使っていた布団よりも、少し汚れればすぐに破棄されるこの絨毯の方がよほど上等だった。
頭が痛い。苛々する。
少女の出で立ちは薄手の黒いタンクトップと同色のショートパンツだけというシンプルな物だ。ブラジャーは着けていない。寝苦しいし、すぐにサイズが合わなくなるから嫌いだった。
「……最悪」
老婆のような声で呟く。あの夢のことだ。しばらく忘れていたのに、最近また良く見るようになった。平穏な日常。大好きな家族。夕焼け空と帰り道。兄の背中。
未練があるのだろうか。決意が、覚悟が弱くなっている。憎悪と怒りの灯が風に揺らめいているのが分かった。
頭が痛い。胸が苦しい。苛々する。
クローゼットを開く。中にはアッシュフォード学園の制服一式が納められていた。今日は休日だが、これを着なければならない。
制服の掛かっているハンガーを取ろうとして、手を止める。なんだか気が進まなかった。これを着たら、自分は貞淑で体の弱いお嬢様になってしまう。この服をこれ以上着ていたら、もう戻れなくなってしまうような恐怖感が胸中で渦を巻いた。
あの人達のせいだ。賑やかな生徒会室。初めは面倒事だと思っていたが、段々とほだされていっているのが分かった。だから意図的に避けていたのに、あの少年が現れてからは、目に見えて足を運ぶ回数は増えていた。
良くない傾向だ。考えが甘くなっている。牙が鈍っている。これでは敵が倒せない。兄の仇を討つことが出来ない。
頭が痛い。酷い頭痛だ。体の奥底から響く怨嗟の声が、日に日に大きくなっていく。
やめろ。戻れない。どうせ無理だ。お兄ちゃん。復讐しろ。甘えるな。化け物。思い出せ。弱虫。許すな。
容赦なく責め立てる怨嗟の声。止む気配はない。この状態を改善しない限り、永遠に続くのは明白だった。ならばどうするのか?
もう答えは出ている。
昨日、なぜ彼をあんな場所──シンジュク・ゲットーなどに誘ったのか。不衛生で危険な場所。死ぬ可能性だってあるのに。
"あの人"と出会った場所だからだ。黒い仮面とマント。あの人が現れて、導かれて、全てが上手く行き始めている。
そこに、"彼"を連れて行く。銀の髪、蒼い瞳。彼と出会って、手を引いて、何かが上手く行かなくなってきている。
この行為に、どういった意味があるのか分からない。思いついて、口に出した時には決意は固まっていた。これで良いのだと思っている。
「……最っ低」
再び呟く。今度は自分に向けた言葉だった。何も知らない彼を連れまわして、間違いだと分かっているのに、この手を離せない。血に濡れた、汚れた手を。
だから、あの場所に行こうと思った。このままではいけないのは分かっている。シンジュク・ゲットーならば、何かが変わる気がした。少女自身の運命を劇的に変えた場所だ。また、何かが変わるかもしれない。それも良い方向に。
口元に自嘲の笑みが浮かんだ。どこまでも自分勝手な、都合の良い考えだ。反吐が出る。
自己嫌悪は終わらない。何もかもが煩わしかった。開いたクローゼットはそのままに、部屋の一角──大きな姿見の前までやってくる。鏡には白を貴重とした、清潔感と高級感の同居する広い一室が映し出されていた。
その中に、汚点が一つ。自分の姿だ。ほっそりとした肩。そこから伸びる細く引き締まった腕。飾り気の無い黒いタンクトップの下からは、押さえつけられていない豊かなバストが存在を主張している。
くびれた腰。理想的な造形のヒップと、その形を忠実に再現するショートパンツ。すらりと長い足。まだあどけなさが残っている顔。
どこからどう見ても、立派なブリタニア人だ。
外見は。
赤い髪、白い肌、空色の瞳。どれもこれも、望んだ色ではない。
"一緒"が良かった。そうすれば、こんな部屋にいなくても住んだのに。こんな悩みとも無縁でいられたのに。
不意に、部屋のドアがノックされた。
「おはようございます、お嬢様。お目覚めでしょうか」
侍女の声が扉越しに聞こえた。この豪邸には何人もの家事手伝いが住み込みで働いている。その中で、いま部屋の前にいる女は唯一の名誉ブリタニア人だった。
部屋主の気分を損ねない、完璧な声掛け。朝の日差しのような穏やかさ。
違う。こんなのが欲しいのではない。
鏡に映った自分の顔が、醜く歪む。
「前にも言ったでしょう。一人で起きられるから、こういう事をされると迷惑なの。もうやめて」
口から出た言葉はひたすら攻撃的で、陰湿だった。
「かしこまりました。朝食の準備が出来ておりますので、いつでもお申し付けくだ──」
なのに、気分を害した様子もない。いつもと変わらない、他人行儀なお節介が続く。
限界だった。
「わかったから、あっちへ行ってっ! もう、構わないで……!」
「…………」
沈黙。相手がどんな顔をしているか分からない。笑顔でない事は確かだったが、他は何も分からなかった。
分からないのだ。何も。
「申し訳ありません。出過ぎた真似でした」
そう言って、気配が遠のいていく。もううんざりだった。
何もかも違う。間違っている。こんなのは望んでいない。
もう戻らない。兄は死んだ。母は変わった。何もかも滅茶苦茶だ。元通りになど出来るはずがない。
涙は枯れた。学校では作り物の笑みを貼り付けている。いつからか仮面の被り方が上手くなった。
そうなってから、もう随分経った。もう涙を流す事は無いだろう。兄が死んで、大切な何かが壊れた。
扉は閉ざされた。もう開くことはない。
平穏な日常。大好きな家族。夕焼け空と帰り道。兄の背中。あれは夢だ。あの夢は叶わない幻想だった。幻想は砕けて、その破片が今の自分を苦しめる。
それが許せなかった。奪われた物は、壊された物はもう戻らない。だから、壊さなくてはならない。そのためには、なんでもやってやろう。
姿見に映る自身の顔を隠すように、そっと右手を置いた。指の隙間からは燃え盛る怒りと、吹き荒れる嵐のような憎悪に満ちた瞳がこちらを見返している。
強くなったのだ。
もう、誰かに守られるほど弱くはない。
強くなるしかなかった。でなければ、きっと壊れてしまっていただろう。もしかしたら、もう壊れているのかもしれない。
どちらにしろ、大きな変化ではない。この手は母の手ではなく、武器を握るようになった。それだけの事だ。
それだけの事なのだ。
◇
カレン・シュタットフェルトは身支度を手早く整え、部屋を後にした。同年代の女の子なら全身全霊をかけて行う化粧も、いつもと同じく適当だった。
既に並べられていた朝食は無視して家を出る。あれを誰が作ったのか、口に運ぶ者のいない食材がどうなるのかは考えないようにしていた。広い庭を突っ切り、門まで直行する。
手入れの行き届いた花壇の前を通って、そのままシュタットフェルト家の敷地内を出た。何人かの侍女とすれ違ったが、いずれもカレンを無視するか、心のこもっていない挨拶をしてくるだけだった。
どこまでも居心地の悪い家だ。
逃げるように外へ出るのも無理からぬことである。カレンにとって、この家の価値といえば良質なシャワーと清潔なベッドがあることくらいだった。
出来ることなら近づきたくない。
門の近くには壮年の男性が立っていた。家付きの運転手だ。アッシュフォード学園に通う時は、彼の運転する車を使う。この家では珍しく、カレンに対して普通に接してくれる人物だった。
「おはようございます、お嬢様。今日は休日ですが、どこへお行きに?」
優雅な動作で頭を下げ、微笑みをもって尋ねてくる。口元に蓄えた髭と丸眼鏡には不思議な愛嬌があった。
「ちょっと学園まで、ね。学園祭の準備があるから」
カレンは学園の制服を着ている。行き先としては不自然ではないだろう。
「なるほど。車の用意は出来ておりますので、少々お待ちください」
「いえ、大丈夫。今日は寄っていきたい所があるの」
「でしたらお送りします。……いや、失礼。お嬢様もそういう年頃でしたな」
運転手は申し訳ないと謝罪し、道を譲ってくれた。彼の変な詮索やお節介をしない所は好感が持てる。ビジネスライクというか、自身の領分をきちんと把握している人間は、この屋敷では数少ない。
カレンは付近のバス停まで歩いて行って、そこで乗車した。モノレールのターミナル行きのバス。アッシュフォード学園とは真逆の方向だ。
バスの中は閑散としていた。この近辺は高級住宅街だ。住む人間は大抵、運転手付きの送迎車を持っている。公共の交通機関を使う必要がないのだ。
しかし駅に近づくにつれ、人が多くなってくる。時を置かずして満員になるだろう。すし詰めになるのはごめん被りたかったので、さっさと降りた。部活動でもあるのか、学生連中が雪崩れ込んでくる。間一髪だった。
待ち合わせの時間まで余裕がある。朝食を抜いたため空腹だった。駅前近くのカフェに立ち寄り、二階の窓際席に陣取る。モーニングセットを注文して、待つこと数分。まずはオレンジジュースがやってきた。
ストローに口を付け、窓の外を見る。休日の朝方という事もあって、スーツや制服を着ている人の姿は少ない。ほとんどが私服を着て、今日という日を楽しむべく歩いている。
(何やってんだろ、私……)
変な夢を見て苛ついて、反抗心から朝食をボイコットして。そうして、ここでくだを巻いている。たった一人で。
同年代の女の子だったら、精一杯のおしゃれをして、遊園地や映画館へ遊びに行って。傍らには友達や恋人が居て。
そう、今まさに歩いてくるあの二人組のように────
「ん……?」
外を眺めていたカレンは目を細めた。視線の先には一組の男女がいる。
女性の方は後ろ姿しか見えない。ウェーブの掛かったピンクの髪。カーディガンとロングスカートが育ちの良さを表している。通行人から注目を浴びているところから察するに、おそらくは美人なのだろう。後ろ姿で分かる。
だが、そちらはどうでも良かった。問題はもう一人──男の方だ。アッシュフォード学園の制服を着ている。銀色の髪に、蒼い瞳。白い肌にすらりとした体躯。
カレンの待ち人と外見的特徴がマッチしている。
ライだ。間違いない。
彼は困った様子で相手の少女に何かを案内している。無口、無愛想、無表情の三重苦を抱えている人物にしては珍しい。
ピンクと銀の髪の毛は非常に目立つ。なにより美男美女の組み合わせだ。ライは普通にしていればどこぞの国の王子様のように見える。学園の中等部、高等部、そして向かいの大学では"幻の美形"などと呼ばれているくらいには人気が高いのだ。
頻繁に顔を合わせているせいか、それとも異性の外見にあまり興味がないのか、なにより彼の普段の行いのせいか……いずれにしても、カレンはライをそういった目で見たことがないので分からなかった。しかし、ああして雑踏の中に立っていると、確かに目立つ。
二階から観察していると、そう時間も経たないうちに少女の方はライに手を振って去っていく。察するに、今まで道案内か何かをしていたのだろう。
「な……!?」
別れ際。そこで、信じられない事が起きた。
笑ったのだ。ライが。走り去っていく少女の背に向けて、僅かに微笑んでいる。
信じられない。目眩がする。後頭部を何かで強打されたような衝撃が襲ってきた。
なんだあれは。
今まで生徒会メンバーが総力を挙げてライを笑わせようとしたのにも関わらず、彼は笑わなかった。その過程で色々と恥ずかしい思いもしたのに。怪我人も出たのに。結果的に得られたのは可哀想なものを見る目だけだった。
少女が人混みに消えていくのを見送ったライは一仕事終えたように頷き、歩き始める。なんだかとても面白くなくて、カレンはストローを噛みながら唐変木を睨み付けた。
敵意を感じ取ったのか、朴念仁がこちらを見た。目が合う。
彼は不思議そうに首を傾げてから、再び歩き出そうとした。待ち合わせまで時間があるとはいえ、なんだか非常に面白くない。
今度は明確な怒りを込めて睨み付けた。ライはビクッと体を震わせ、こちらに再度顔を向ける。恐る恐るといった様子だ。失礼な反応だが、ちょっと可愛いと思った。
窓越しにおいでおいでと手招きすると彼は素直に寄ってきた。下の階で「いらっしゃいませー」という形式的な挨拶の後、ライが階段を登ってくる。
「おはよう」
「……ああ。おはよう。早かったな」
少しばかり疲れた表情のライと朝の挨拶を交わす。そして対面の席に彼を座らせ、テーブルを見ると、先ほど頼んでいたモーニングセットが置かれていた。外を凝視している間に来ていたらしい。
つまり、店員にあの姿を見られてしまったという事だ。窓ガラスに張り付き、外のカップル(に見える)を睨みつけ、ストローをがじがじしている姿を。
もう、この店には来れないだろう。
やり場の無い怒りを込めてライを見る。
「また怒っているのか」
「……別に、怒ってはいないけど」
彼から目を離し、手元の皿を見た。サンドイッチにみずみずしいサラダ、トロッとしたスクランブルドエッグ、焼いたソーセージとベーコン。コンソメスープもある。
自分だけ食事しているのも妙だと思い、
「朝ご飯は食べた?」
彼に尋ねる。
「ああ。もちろん」
返ってきたのは得意げな声。視線は窓の外に向いている。落ち着いた普通の仕草だ。他の人間なら納得して次の話題に移るところだろう。しかし、カレンは違った。だてに世話係主任を拝命していない。
「なにを食べたの?」
少し突っ込んだ質問をすると、彼は途端に沈黙した。
「…………」
「どうしたの?」
「……食べたという表現は間違っていた。訂正する。摂取はしたんだ」
「ふぅん……?」
で? という言外の圧力を掛ける。摂取というと、どうせまたビタミン剤か何かだろう。そう思っていた。
「コップ一杯の……」
「一杯の? なに?」
「水を、だな」
「水? 水をどうしたの?」
「飲んだ」
ちょっとばかり時間が掛かってしまったが、結論として出た答えがこれだ。
朝食はコップ一杯の水道水。
カレンは両手に持っていたフォークとナイフを置いて、口元を拭いた。どこまでも上品な仕草だった。
カレンはメニュー表を開いて、ライに渡した。
「はい、これ」
「なんだこれは」
「朝ご飯。ここで食べていきなさい」
「いや、僕は……」
なぜ渋るのか分からない。レタスをフォークで突き刺し、それを口に運びながら、カレンは言った。
「あなたが食事しないせいで、私が会長に怒られてるんだからね」
「それは……すまない」
と言いつつも、ライが見ているのはサラダやスープが載ったページだ。やはり、なにも分かっていないと見える。仕方ないので、カレンはテーブルの上の呼び鈴を鳴らした。すぐさま店員が飛んでくる。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
おそらくはバイトなのだろう。若い女性店員はハンディを片手に受注の姿勢に入った。なんだかチラチラとライを見ている。
「はい。シーザーサラダとオニオンスープをお願いします」
存外に滑らかな口調だった。ライは重度のコミュニケーション障害を患っていると思っていただけに、少し驚く。反省の色が見られない注文内容にはもっと驚いた。
「ご注文は以上……でしょうか?」
店員はカレンの方にも伺ってきた。高校生の男子がサラダとスープだけというのも些か不可解なのだろう。ライの方をじろりと睨んでから、
「チーズハンバーグセットを一つ。以上でいいかしら?」
確認の意味も込めて対面の席を見た。
「驚いたな。まだ食べるのか」
カレンの手元にある食器を見て、ライは言った。どうやら自分ではなくカレン自身の追加注文と受け取ったらしい。二人の傍らに立つ女性店員もまた、目を丸くしていた。
かあっと顔が熱くなる。これではまるで、私が大食漢のようではないか。
「あ、あなたの分でしょ……!」
椅子から腰を浮かせ、ライを睨みつける。そのまま店員に視線をスライドさせると、彼女は恐怖のあまり短い悲鳴をあげた。ちょっと傷つく。
「注文は以上で」
「は、はひっ。かしこまりました!」
店員はぺこりと頭を下げて逃げていく。注文内容の復唱もしなかったところを見ると、かなり慌てていたらしい。
「まったくもう……」
いらぬ恥をかいてしまった。少しの憂鬱と疲れを伴って、カレンは椅子に座り直した。ライと一緒にいると、こういった事は日常茶飯事だった。今のように外ならまだ良いのだが、学園内だと困る。病弱なお嬢様という"仮面"がいつの間にか剥がれ落ちてしまうのだ。
二年近い期間、必死で作り上げた物が訳もなく崩れ、隠している素顔が露わになる感覚。焦燥に駆られ、ひどく不安になるが、不思議と嫌いではなかった。
これも全て、ライの持つ独特な空気、キャラクターのせいなのかもしれない。良く分からないが、とりあえず彼のせいにしておこう。
運ばれてくるサラダとスープを眺めながら、カレンはそう思った。
今回はここまで。カレン視点がちょっと長くなりそうです。個人的には望むところですね。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
おつー
こういう展開大好き
乙です
乙・
笑わせるために怪我人とかなにしたのさリヴァル
乙
乙
「……で、何してたの」
「何、とは」
カレンが尋ねると、ライはスープの入ったカップを置いた。テーブルにはサラダとスープが二つずつある。ライが注文した物とは別に、カレンが(勝手に)注文したハンバーグセットに同様の物が含まれていたからだ。
ライは熱い物が苦手らしく、スープに四苦八苦している。口に運ぶどころか、容器を持つことさえ難しいようだ。
やがて諦め、サラダに手を伸ばす。
「まだ待ち合わせの時間まで余裕があったでしょ。また租界巡りでもしていたの?」
「そんなところだな。他にすることもないし……」
ライの生活には一定の法則がある。朝五時に起床。二時間ほど租界を歩いて学園に戻り、七時から八時半まで生徒会の仕事をする。それから午前の授業を受け、昼休みはまた生徒会室で仕事。
午後の授業が終われば、生徒会室で仕事をして、それから再度、租界へ繰り出す。
ずっとこんな調子だ。変化といえば昼休みに図書室へ行ったり、放課後の租界散策に誰かが同行するくらいのものだろう。
ほとんど娯楽とは無縁の生活である。機械的と言ってもいい。これは生徒会でも重大な懸案事項とされていた。
記憶探しも大事だが、もっと日常を楽しんでも良いのではないだろうか。というのが生徒会メンバーの総意だ。もちろん、カレンもそう思っている。
ライが授業に出るのはスザクのためだ。仕事で忙しく、また名誉ブリタニア人という立場上、他の生徒からの手助けを受けられない彼のために、ノートを取ったり課題を手伝ったりしている。
生徒会では、いない人間の分まで仕事をやっている。休みがちなルルーシュやスザク、そしてカレンの分を率先して片付けているのだ。
誰かがやれと言ったわけではない。いつの間にかそうなっていた。自然と今の立ち位置になっていた。おかげで生徒会の仕事は滞りなく進んでいる。それどころか、以前よりずっと順調だった。
ミレイから仕事を振られ、それをメンバー内で押し付け合う事は無くなったし、全員で暗くなるまで居残りすることも無くなった。会議は滑らかに進み、雑談の時間が前よりも多くなった。
笑い声が、前よりも多くなった。
これは明確な変化だ。
だが、何かが間違っていると思う。言葉には出来ないが、このままではよくないのだ。
「…………」
サラダを無表情で食べているライを見つめる。
この少年は何を思っているのだろう。現状に不満は無いのだろうか。他人の考えなど分からない、分かろうとしたこともないカレンにとって、目の前の人物は謎に満ちた存在だった。
突然現れた、記憶喪失の少年。今ではやけに馴染んでいるが、考えれば考えるほど嘘のような存在だ。周囲の人間がやたらと構いたがるのは、ふとした拍子に彼が消えてしまうような不安があるからなのかもしれない。
(……馬鹿な考えね)
人との出会い方など千差万別だ。学校や会社といった組織内で出会う事もあれば、街中でばったりと出くわすことがきっかけになったりする。
同じように、人との別れ方も千差万別だ。そちらの方がカレンは良く知っている。喧嘩だったり、進路だったり──死別だったり。もっとひどい別れ方もある。
「ところでさっきの娘って誰?」
嫌な考えを振り払うように尋ね、無理やり気持ちを切り替える。
「さっきの……。ああ、彼女か」
彼は食事の手を止め、思案する。何かを隠している風ではない。少女との関係を説明する適切な言葉が見つからないようだった。
「名前は知らないんだ。公園で特殊な出会い方をして、その後は度々顔を見かける程度で……」
そこまで言って、ライは眉を寄せた。嫌な出会い方だったのだろうか。それにしては別れ際に微笑んでいたようだが。
「どんな出会い方?」
「…………」
ライは黙りこくった。むすっとした表情でバター焼きされた人参を口に運んでいる。
「言えないの?」
「……言ったら、君は笑うだろう。だから言わない」
「あら、そんなの言ってみないと分からないでしょ」
「…………」
「……私には、話せない?」
「む……」
落ち込んだような声音で言うと、彼はあっさりと陥落した。ちょろい。ライは少しのあいだ逡巡していたようだが、やがて口を開いた。
「あの公園に野良猫が生息しているのは知ってるか」
「野良猫? そういえば、良く見かけるかも」
「……その日、僕は夕方の公園でベンチに座っていた。三時間近く街を歩いた後の、ささやかな休息だった」
その光景は容易に想像出来る。夕焼け空を眺めながらぼんやりしていたのだろう。暇な時、ライは良く空を見上げている。
「しばらくして、近くから女の子の声がした。ニャニャーとか何とか……。野良猫に話しかけているんだと思っていたし、それは外れていなかった」
彼の語り口はどこまでも落ち着いていた。淡々としているが、自然と耳を傾けてしまう独特の響きがある。
思えば、この少年がここまでの長台詞を喋るのも珍しい。
「数分ほどその声は続いていたんだが、そこで僕は気づいた」
「……?」
ライはそこでひとまず言葉を切った。
カレンはなんとなく、ソーサーの上からコーヒーの入っているカップを取って口元に運んだ。シロップもミルクも入れていない中身はすっかり温くなっていたが、気にならなかった。
「声がこちらに向いていたんだ。見てみると、さっきの子がいた。やはり、僕に話しかけていたみたいで、目が合った」
そこで目を伏せる。少女はライに向かって「ニャー?」「ニャニャー!」と話しかけてきたらしい。不思議に思って見ていると、彼女ははっと気づいたような表情になり、こう言った。
『あら? ごめんなさい、間違えてしまいました』
「ふっ……!」
思わず笑いが吹き出す。カレンの脳内では、その光景が鮮明に再現されていた。小首を傾げ、不思議そうにする少女と、呆気に取られるライの姿。
笑ったら、きっと彼は怒るだろう。こらえようとして、失敗する。呼吸が不規則になったせいで、口に含んだコーヒーが気道に入った。けほけほと咳き込む。結局、こらえきれなかった。
あらゆる手は尽くしたが、駄目だった。机に突っ伏して、肩を震わせる。貞淑なお嬢様の仮面は、いつの間にか外れていた。
「……やはり笑ったな。だから話したくなかったんだ」
「だ、だって……」
見ず知らずの、初対面の人にまでそんな扱いをされているとは思わなかった。ライの目がこちらに向けられているのが分かる。きっと、とても嫌そうな表情をしているのだろう。
「そ、それで、その娘とは良く会っているの?」
目元に浮かんだ涙を拭いながら、話題そらしに尋ねる。案の定、ライは顔をふいっと背けてしまっていた。
「いや、会ったのは今日で三回目だ。彼女は最近租界に来たようで、土地勘が無いらしい。だから政庁の方まで案内していた」
なるほど、とカレンは思った。駅前にはバス停が密集している。政庁方面に行きたいのなら、バスに乗ればすぐに着く。
「…………」
「なに、怒ってるの?」
喋らなくなったライに尋ねる。表情からは窺えないが、もしかしたら機嫌を損ねてしまったかもしれない。
「いや……」
ライはそう言って、鉄板に乗っているハンバーグにナイフを差し込んだ。いまだに熱を放ち、ジュウジュウと音を立てているハンバーグを丁寧に切り分ける手際は見事なものだった。
ナイフやフォークの扱いは問題ないらしい。
しかし、一口サイズにカットされたハンバーグはフォークに刺さったままにされている。口元に運ばれる気配はない。
「食べないの?」
「……熱いのはちょっとな」
熱いのは苦手らしい。スープの容器すら持てなかったところを見るに、高温を保ったままのハンバーグは恐怖の対象なのだろう。
「熱いのが美味しいんでしょう。冷めないうちに食べなさい」
「む……」
困ったように唸る。時間稼ぎのつもりなのか、ライはハンバーグを再び切り分け始めた。なるほど、ああして体積を減らしておけば、熱が逃げるのも早くなる。息を吹きかけて冷ますよりはよほど行儀が良い。相変わらず変なところで頭の回る男だと思った。
(……ハンバーグ、か)
朝見た夢の事を思い出してしまう。
母や兄にわがままを言って、食べさせてもらっていたっけ。切り分けられるハンバーグを眺めながら、そんなことを思う。
焼けた鉄板の上に置かれたハンバーグは、ナイフを入れるとその肉汁を溢れ出させる。オーブンでしっかりと焼かれた証拠だ。そしてトロトロになったチーズが、肉汁の混ざったソースと絡み合う。
そういえば、ハンバーグは長いこと食べていない。どうしてメニュー表を見たとき、たいして悩みもせずに注文してしまったのだろう?
フォークに刺さった一切れのハンバーグがこちらにやってくるのを眺めながら、カレンは疑問に思った。
「ん……」
ぱくりと食べる。適度な熱さ。肉汁とソースとチーズが混ざり合い、えもいわれぬ幸福感が口の中で生まれた。
(あ、美味し……)
懐かしい。この味とシチュエーション。無くした日々を思い出す。
「あれ……?」
存分に堪能し、ごくりと飲み込んでから疑問がやってきた。何かがおかしい。いや、何もかもおかしい。
見れば、身を乗り出してフォークをこちらに向けるライの姿があった。フォークの先には何も刺さっていない。当たり前だ。たった今、それを食べたのだから。
この私が。
「な……!?」
何をされたのか、何をしたのか理解した。カレンの顔が真っ赤になる。火が出そうなくらい熱かった。
「あ、あなた、なにをやっているのよっ……!?」
混乱しながらもライを問い詰める。彼はいつもの無表情で、
「いやなに、物欲しそうに見ていたからな」
そう言った。惚けていたところを見られたあげく、『あーん』までされてしまったということだ。屈辱だった。死にたくなる。これでは、どちらが世話係か分からない。
「物欲しそうって……私はそんなに卑しくありません。食べたかったら、普通に注文するから」
お嬢様モードに切り替え、素っ気なく言い放つ。世話係として振る舞うなら、このお嬢様モードは役に立つのだ。
「そうか」
言うやいなや、ライはナイフを置いた。無造作に伸ばされた右腕が呼び鈴を鳴らす。その意図が分からず、カレンはぽかんとした表情で見つめているしかなかった。
すかさず、先ほどのアルバイトがやってくる。
「はい。ご注文でしょうか」
「これと同じ……チーズハンバーグセット? をもう一つ」
ライが伺うようにカレンの方をちらりと見る。それに釣られて、アルバイトの娘もこちらを見た。
「……以上で」
「チーズハンバーグセットを一つ、ですね。かしこまりました。出来上がるまでに少々お時間頂いてしまうんですが……」
「……いいか?」
なぜかこちらに訊いてくる。
「良いと思う……けど」
「では、お願いします」
あっさりと注文を終え、アルバイトが去っていく。どことなく満足そうな様子のライは、静かに食事を再開した。
またも状況から取り残されていたカレンはじろりとライを睨んだ。
「……なに、今の」
「なに、とは」
「なんで私に確認したの」
「君が言ったんだろう。食べたいから普通に注文する、と」
「…………」
つまり、今の注文はカレンのための物だったということだ。既にモーニングセットを平らげている、カレンのための。とんだ大食いである。あのアルバイトの曰くありげな視線の意味も分かってしまった。
「……もう、この店には来れないわね」
「どうしてだ」
「あなたのせいよ」
「……?」
首を傾げるライを尻目に、カレンはむすっとした表情で外を睨む。今のオーダーをキャンセルすることは容易いが、なぜだかそんな気分にはならなかった。たまにはハンバーグもいいだろう。そう思える。
問題なのは時間だ。カレンとライはこれから、シンジュクゲットーへ向かう予定だった。モノレールの時刻表は暗記している。このまま食事を続けていたら、直近の電車に間に合わなくなるのは明白だった。
その問題も、乗車時間を一つずらせば簡単に解決してしまう。ゲットーには今日中に行ければ良いのだ。余裕はある。
(……こういうのも悪くないかな)
眼下には普通の日常を楽しむ人々の姿があった。今日ぐらい自分もあの中に混じるのも悪くはないと思ってしまう。
普通の女子高生らしく。口元にはいつの間にか笑みが浮かんでいた。
しかし、これから二時間半後、カレンはこの選択を後悔することになる。
今回はこの辺で。ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
乙です
乙
乙
懸垂式のモノレールを二つほど乗り継ぎ、歩くこと一五分。カレンとライはシンジュクゲットーに到着した。
入る直前、ライは一言だけ『本当にいいのか』と訊いてきた。最後の確認である。それにカレンは頷きを返すだけだった。
ここは租界に近い区域ということもあり、瓦礫などの障害物は少ない。銃やナイトメアで武装したテロリストもいなければ、それに対抗するための警察や警備会社、軍の姿も見えない。
だが、それだけだ。
トウキョウ租界から離れれば離れるほど、ゲットーの危険性は上がり、治安と衛生面は下がる。ここはまだマシな方だ。
乱立したビル群、光の無い信号機、半ばから折れた電信柱。生気の無い人々が虚ろな瞳を揺らしながら歩いている。
世界から取り残された街。目覚ましい発展を続ける租界と、ただ朽ちて忘れられていくだけのゲットー。見事な対比だった。ブリタニア人と日本人の格差を表すのに、これほど適した対比物は他にないだろう。
「…………」
「…………」
そんな中を、二人で歩く。
最初の方はカレンが先導していたが、今はライが前を歩いていた。彼にゲットーの街並みを見せるのに、視界の端でアッシュフォードの制服がちらつくのは良くない事だったし、なによりライの一挙手一投足を観察したかったからだ。
「…………」
ライは無言で歩いていく。周囲をきょろきょろと見渡したり、死人のような住人を嘲ったり哀れんだりもしない。ただ、目の前の現実を際限なく受け入れている。
いつもと変わらない様子だった。
「どこまでなら行ける」
歩きながらライが尋ねてきた。危険な区域には入れないため、行動可能な範囲を知りたいのだろう。
「徒歩で行ける距離なら安全よ。租界の近くでは派手な戦闘行為も出来ないから」
カレンの口からは具体的な説明が当たり前のように出てきた。まるで頻繁にゲットーへ足を運んでいるような口ぶりだった。
「……詳しいんだな」
品行方正なお嬢様が喋る内容としては違和感があったのだろう。ライが尋ねてくる。予想はしていたので、あらかじめ用意していた文言を披露した。
「もちろん。私の提案だもの、情報収集くらいするわ」
「そうか」
元から興味もなかったのか、ライはあっさりと納得した。再び沈黙が降りてくる。
二人とも黙ったまま二ブロックほど奥へ進み、そこでライが立ち止まる。開けた場所だ。シンジュクゲットーの大部分が良く見える。
乾いた風が頬を撫でる。眼下には濁った街並み。うごめく人々。先ほどカフェから見た光景と重ねると、やはり怒りと憎悪がやってきた。
──間違っている。何もかも。
眉間にしわが寄る。呼吸が荒くなって、ぎりっと歯が鳴った。また頭痛がやってくる。
そんな自分を彼から遠ざけるように、カレンは一歩後ずさった。良くない傾向だ。
租界の中では"病弱なお嬢様"のスイッチを入れやすいのと同様に、このゲットーではもう一つの顔──本性の方が出てきやすい。傍らにいるのがライというのも、それに拍車をかけていた。
仄暗い激情が出てくる前に目を閉じ、静かに深く息を吸う。思考を切り替え、今日の目的を再確認。息を吐き、目を開けた時には冷静さを取り戻していた。
「…………」
ライはこちらの様子に関心がないのか、静かに街を見下ろしている。その背中はいつも通り、空虚でどこか頼りない。今にも消えてしまいそうだった。
いや、いつもと違う部分がある。彼ではなく、その周辺だ。
違和感が無いのだ。租界にいる時につきまとう、妙な異物感が無い。寂れた廃墟が、命を失った街の風景が、彼という存在を受け入れている。
まるで"初めからここにいた"ようだと思った。それほど自然な光景だった。
銀色の髪に蒼い瞳、白い肌。いずれも日本人の特徴ではない。だが、この感覚は確かなものに思えた。自信さえ湧き出てくるほどに。
考えれば、その理由を説明することは容易かった。ライもゲットーも、大切な物を失っているという点では同じなのだ。
空っぽの街に、空っぽの背中。溶け合うのはとても自然で、当たり前の事のように思える。
気づけば、カレンは口を開いていた。
「……どう?」
ライの考えを聞きたかった。この街を見てどう思ったのか、何を感じたのか。
「ひどいな……」
返ってきたのは、カレンの望んだ答えではなかった。僅かに落胆しながら、言葉を紡ぐ。
「でしょう。これが、ブリタニアのやり方……」
「…………」
「勝者が敗者から奪う。奪うだけでなく、踏みつけにして、当たり前のように苦しみを与え続ける。ひどすぎるわ……」
「……そうだな」
そこでまたもや沈黙が訪れた。またやってしまったと、カレンは思った。ゲットーを前にしてライと話すと、どうしても"本性"が出てきてしまう。
無理やりゲットーに連れてきた挙げ句、反ブリタニア的な思想を口走れば、租界で暮らしている人間から避けられるのは当然のことだ。
曇天を見上げる。そういえば、ライと一緒にいる時はいつも晴れていた。しかし今日は違う。それが暗澹たる未来を暗示しているようで、カレンはひどい不安に襲われた。
縋るように前へ出る。彼の斜め後ろ、その横顔が窺える位置へ。
「……ここは」
ライが言った。とても久しい事のように思えた。
「どうしたの?」
「なんだか、前にも似たような場所に……」
予想外の言葉だった。理解するより速く、どくんと心臓が脈打つ。
「見覚えがあるの?」
声音はあくまでも慎重に。この場所で本性を晒すのはまずい。いつも被っている仮面が、今だけはとても重苦しく思えた。
「わからない。はっきりしないけど……。懐かしいというか」
ライは戸惑うように目を細めた。強い既視感を覚えているように見える。演技ではないだろう。また鼓動が早くなる。
「懐かしい? ほんとに?」
ライはこくりと頷いた。
「ああ。なんとなく、だが」
「ここか、それとも他のゲットーかも知れないけど、居たことがあるのかも」
それは推測ではなかった。ただの願望だ。ライに初めて日本と日本人について話した時から、ずっと抱いていた願望。
──ブリタニア人でもあり、日本人でもある──
「だとしたら、僕はイレヴン……日本人なのか」
「可能性はあると思うわ」
「日本人……か」
ライの横顔に、その可能性を嫌がる様子はなかった。それがまた、この願望を強くする。
もし、そうであったなら、それはどんなに素敵な事だろう。
「…………」
なんだか安心してしまう。ついさっきまであった不安は嘘のようだった。自然と口元が綻ぶ。
「どうした」
気づけば、ライがこちらを見ていた。
「え? なにが?」
慌てて居住まいを正す。いけない。ライの鈍感さは手遅れの域に達しているが、それでも妙に鋭いところがある。油断はいけない。
「いまなにか、嬉しそうだった」
ほら、こんな調子だ。
「そ、そう?」
蒼い瞳に見据えられ、なぜだか落ち着かない気分になる。何もかも見透かされているようだった。
「…………」
ライは無言で見つめてくる。何故か、ここで持ち前の負けん気が顔を出した。
「な、なによ」
言葉に攻撃的な色を込める。それ以上突っ込むなという合図だった。
「僕が日本人だと嬉しいか」
この合図は、ライに効いた試しが無い。
「え……!?」
その一言でカレンの顔に火が灯る。図星をさされた事の、なによりの証しだった。
「別にそんなことは……」
やはり油断ならない男だと、カレンは思った。
「それはほら、あなたが何か思い出しそうだから。私だってその為にここまで付き合ってきたようなものでしょ?」
「そうか」
「そうよ」
「それは……ありがとう」
ライが安心したように言うので、カレンもまた笑顔になる。
「どういたしまして」
「……そろそろ戻るか。日が暮れると危ない」
「うん」
ライの意見に異論は無かった。気づけばかなり離れた所まで来てしまっている。太陽はまだ高い所にあるが、安全性を考慮した方が良い事に変わりはない。今日の目的は果たした。収穫は上々だ。軽い足取りで来た道を戻る。
「…………」
数分ほど歩いた所でライが足を止めた。彼の前を歩いていたカレンは怪訝そうな表情で振り向く。
「どうしたの?」
「嫌な予感がする」
「予感って……珍しいわね。あなたがそういうこと言うのって」
「そうだろうか」
「あなたって、いつも理屈っぽいから」
「……急ごう」
それっきり、ライは難しい表情で黙り込む。怒らせてしまっただろうかと、カレンが気を揉んでいると──
「きゃ!?」
衝撃。
爆音が響き渡り、地面が揺れた。いくつか向こうの通りで煙があがる。
前半はこんな感じで。ところで投下時間って何時頃が良いんでしょうか。迷う。
安価をとる形式でもないし、1の空いた時間でよいんやで。
乙です
乙です
乙
「爆発……。こんな租界の近くで?」
「まずいな。あの周辺には民間人が多くいたはずだ」
空高く立ち上る黒煙を眺めながら、ライが言った。ここに来るまでの間に、しっかりと観察していたのだろう。
「まさか、戦闘……」
「…………」
爆音だけだったら、何かの事故という可能性もある。だが、希望的観測というのは外れるものだ。離れたところから中年男の汚い声が響いてきた。
『我々は<黒の騎士団>である!』
「な……!」
その声を聞いた瞬間、カレンは爆音の発生源まで走り出していた。危険の坩堝に。
「カレ……」
呼び止めようと言うのだろう。後ろからライの声が聞こえた。しかしそれも、先ほどの声によってかき消された。
『これは、ブリタニアに対する抵抗の炎だ! 我々は拳を振り上げる』
待て。やめろ。それ以上言うな。
全力で走りながら、カレンは願った。風を切るような、恐ろしいほどの瞬足だった。陸上部の男子など目じゃなかった。お嬢様の仮面は既に外れている。
『この拳がブリタニアの血で染まり、真っ赤な日の丸となるその日まで!』
息を切らしながら立ち止まる。爆音の、声の発信地に到着した。遅れてライも足を止めた。こちらは汗一つかいていない。
「これは……」
五〇〇メートルほど先には、道路を駆ける数機の巨人の姿があった。全高は五メートルぐらいで、角張った黒い体躯。<グラスゴー>をコピー、改良した第四世代型KMF<無頼>という機種だった。
「ナイトメア・フレーム……」
どこか呆けたような、ライの声。しかし、カレンは気に留めなかった。あの<黒の騎士団>を名乗る連中の動向を凝視していたからだ。
テロリスト共はナイトメアの外部スピーカーから好き勝手な言葉を振り撒きながら、警察仕様の白い<グラスゴー>との戦闘を開始していた。民間人に扮した歩兵の姿もある。統率されていない動き。まるで素人のようだった。
程度は低くても、ナイトメア同士の戦闘だ。腹の底に響くような火砲の雄叫びと、駆動系の唸り声。あちこちで爆発が起きて、その度にゲットーが破壊されていく。
「なにをやっているの……」
戦火は広がっていく。薄暗い廃墟で懸命に生きていた人々は突然の事に混乱し、逃げ惑っていた。なんの罪も無い人達が、だ。
握られた拳を震わせながら、カレンは無責任な戦場を睨みつけた。
『立ち上がれ日本人よ! 犠牲を恐れるな!』
犠牲とはなんだ。必死に生きている、そこの人達の事か。ふざけるな。何様のつもりだ。
日本人の面汚しめ……!
『<黒の騎士団>と共に支配者を討て!』
やめろ。汚い口でその名を呼ぶな。
『ブリタニア人を殺せ!』
爆炎が舞い上がり、建物が倒壊する。崩れたビルの破片が人々を押しつぶし、鉄骨が突き刺さる。広がる赤い染み。女の悲鳴、男の断末魔、泣き叫ぶ子供の声。
まさに地獄絵図だった。
「く……っ!」
助けてと伸ばされた小さな手。その先には潰された小さな体。助けられなかった。巻き込んでしまった。そういえば、あの時もここと同じ、シンジュクゲットーだった。
カレンの脳裏によぎるのは、無力だった時の記憶。
歯を噛み締める。だった、ではない。今も無力だ。あの時と何も変わっていない。
何もかも同じだ。"あの人"と出会ったあの時と。
「あんなの、<黒の騎士団>じゃない! <黒の騎士団>は弱い者の味方だ!」
気がつけば叫んでいた。同行者の存在など脳内から消し飛んでいた。
「ブリタニア人でも日本人でも、無差別に巻き込んだりはしない! 絶対にしないっ!」
肩を震わせながら、地面に言葉を叩きつける。
「そうなのか」
背中越しに聞こえるのはいつもと変わらぬ彼の声。
「そうよ! 大方、<黒の騎士団>の活躍と名声に便乗したはぐれ者の小組織でしょうね」
「ふむ……」
「自分達じゃろくな成果も挙げられなかったような連中よ。単なるテロリストだわ!」
「なるほど」
あ。
カレンは振り向いた。後ろでは、顎に手を当てて戦場を眺める無表情の少年の姿。
その蒼い瞳がこちらを見る。
「詳しいんだな。随分と」
疑うような言葉……というわけではなかった。あくまでも感想。やはり他人事のようだ。おかげで、熱くなっていた頭が冷えていく。
「ま、まあね。色々ニュースで言ってるし、学校の噂話程度でも聞きかじっていると結構詳しくなるものよ」
「そうか」
目の前で知人が豹変したというのに、ライはどこまでも冷静だった。刻々と近づいてくる戦闘にもまるで動じた様子がない。
「……話している余裕も無さそうだ。僕達も退避しないと」
言いながら、ライは後方を見た。紫色の巨人が迫ってくる。
ブリタニア軍正式採用機の第五世代型KMF<サザーランド>。<グラスゴー>の戦闘データを基に、出力、装甲、機動性、殆ど全ての性能を向上させた最新鋭の機体だ。しかも生産性や整備性まで高いときている。ブリタニアの騎士達から愛される傑作機だった。
センサーや各種電子兵装も最新の物を搭載しているため通常、<無頼>では太刀打ち出来ない相手だ。
その証拠に<サザーランド>が現れた途端、テロリスト達のナイトメア部隊は一方的に撃破されていた。同じ武装を使用していても、その威力には大きな差が出る。
最新のレーダーやアクティブ・センサー、FCSを搭載している<サザーランド>はより遠い所から正確な射撃が出来る。これは大きなアドバンテージだ。
<無頼>の射程範囲内で戦っても結果は変わらない。
電子兵装のパワーが違うのだ。現代兵器の戦いはまず、相手の妨害から始まる。敵の照準を狂わせ、被弾のリスクを極力下げる。撃ち合いはその後だ。
つまり、<サザーランド>と<無頼>が同じ火砲を撃ち合ったとしても、破壊されるのは<無頼>だけ。<サザーランド>に向けた砲弾は虚空へ飛んでいくことになる。
これが"性能差"というものだ。
その<サザーランド>の数がどんどんと増えていっている。呆れた量産性だと思った。
「ここは危ない」
「そうね。避難しましょう」
そう言うが、戦火は既にカレン達のすぐそばまで迫ってきていた。ブリタニア軍の放った三〇ミリ砲弾が、近くのビルに突き刺さる。
猛烈な衝撃。鼓膜が破れかねないほどの轟音。
「きゃあ!」
「……こっちだ」
至近距離の着弾に思わず身を竦ませたカレンの手を取り、ライが走り出す。そうしている間にもブリタニア軍の包囲網は狭まり、テロリスト達を追い詰めていく。
「ここはもう、キルゾーンの中だな」
ライが言った。キルゾーンとは、その名の通り殺戮地帯の事だ。訓練された戦闘集団はいたずらに戦闘区域を広げたりしない。作戦前にキルゾーンを定め、その中の敵に対して徹底的に火力を注ぎ込む。こういった殲滅戦ではそれが顕著だ。
「白い<グラスゴー>は足止めに専念していた。それを見たテロリストは自分達が圧倒していると勘違いし、増長する」
「ライ……?」
「気づいた時には包囲網が完成していて、テロリスト連中は執拗な十字砲火にさらされる。足止め、包囲、殲滅。馬鹿にしか通じないが、有効な戦術だ」
二人は手近なビルの影に隠れ、逃げ道を探す。
逃げ場など、もうなかった。
『各ユニットへ通達』
<サザーランド>の外部スピーカーからブリタニア兵の声が響く。嫌々ながらゴミ掃除をする時のような、やる気の無い声だった。
『テロリストは、ゲットー住民に紛れ込む公算大』
「え……?」
カレンは耳を疑った。
確かに、テロリスト達の見分けは他の住民と区別がつかない。もとから紛れ込む魂胆だったのだろう。そして百戦錬磨のブリタニア軍は、そういった姑息な手段への対抗策を熟知していた。
『包囲内のイレヴンは一人も逃すな。繰り返す。一人たりとも逃すな。一匹残らず──』
<サザーランド>の頭部がぱっくりと開いた。内部のファクトスフィアが展開し、周囲の状況を瞬時にスキャンする。
そして、まがまがしく光るアサルト・ライフルの砲口を、胸部の対人機銃を、日本人達へと向けた。
『──皆殺しにしろ』
「やめ──」
発砲。大口径の砲弾がゲットー住民へ降り注ぐ。人の形をしていた物が、血飛沫となって破裂していく。赤いシャボン玉が弾けるように、次々と。
「ぎゃああっ!」
<サザーランド>が投げた手榴弾が炸裂。無数の針が雨となって住民達を包み込んだ。
「キャアッ!」
「うああっ!?」
「あ、足が……足がぁああ!」
最悪の光景だった。ビルの隙間から飛び出しそうになるカレンを、ライが引き戻し、押さえつける。
断末魔は終わらない。全ての命を刈り取るまで、この悪夢は終わらないのだ。
戦場の支配者はテロリストからブリタニア軍に代わった。後は彼らの思うがままだ。止める者などいなかった。
無造作に、作業的に殺されていく人達。ただ生きていただけなのに、悪いことなど何もしていないのに、ただそこにいたというだけで殺される。存在を否定される。
「そんな、なんで!? ひどい……!」
悲鳴のような声だった。カレンは首を振り、目を背けた。あまりに惨すぎる。見ていられない。
すぐそばに立っているライも、陰鬱な顔で虐殺を眺めている。彼は目を逸らさなかった。こんなことすら受け入れられるのかと、カレンはやりようのない怒りを抱いた。
「ここから離れよう。巻き込まれる」
「でも……」
もう逃げ道なんかない。包囲網は完成し、着実に狭まってきている。どこに行っても、三〇ミリ砲弾の餌食になるか、瓦礫に押しつぶされるか、だ。カレンとライはアッシュフォード学園の制服を着ているため、もしかしたら助かるかもしれないが、その可能性はあまりに儚いと思えた。
死ぬ。
こんなところで。
何も出来ないまま。
兄の仇も討てないまま。
くだらない連中の起こしたくだらない戦いに巻き込まれ、くだらない奴らに殺される。悔しかった。
我慢出来なかった。
「残念だが、身を隠すしかない。君をこれ以上、危険な目には……」
ライの手を振りほどく。いつもは心地よいはずの声が、冷静な瞳が、今ではとても疎ましく思えた。
「あなたはどうして──」
そんなに冷静なの? なにも感じないの? どうして、いつも通りなの?
そんな疑問を投げかけようとした。だが、言えなかった。
ライの視線がカレンの背後へ向く。一機の<無頼>が強引に包囲網を突破しようと突っ込んできていた。
そんな単調な行動を、ブリタニア軍が許すはずがなかった。<無頼>は頭部に被弾し、バランスを崩す。向かってきた先は、カレンとライが隠れているビルだった。
激突。
地面が揺れる。両脇のビルから絶望的な音が響いた。建物の隙間にいたおかげでナイトメアに潰されることはなかったが、幾つもの破片が、飛礫(つぶて)となって殺到する。
大小さまざまなコンクリートの弾丸。両脇は障害物。逃げ道はやはりない。
──避けられない。
悟ってしまった。どんなに優れた反射神経を持っていても、どんなに高い運動能力を持っていても、この死の雨からは逃れられない。
数瞬後には全身を打たれ、致命傷を負うことになるだろう。
思わず目を閉じ、体を強ばらせる。悲鳴は出なかった。泣き声もだ。
謝りたいと思ったが、その相手はまだ諦めていなかったようだ。カレンの手を引き、押し倒す。そして自らを盾に、覆い被さった。
地面を叩く猛烈な音。衝撃が彼の体越しに伝わる。
無事だった。生きている。
「く……」
「……あ」
苦しげな声。当たり前だ。固く、重い岩塊に全身を打たれたのだから。身を挺してカレンを守ったライは、力尽きたように倒れ込む。
「大丈夫!?」
とっさに助け起こす。幸い、軽い打撲だけのようだった。意識もある。頭などに破片を貰っていたら、取り返しのつかないことになっていただろう。
「う……っ」
「ねえ平気!? なんともない!?」
呼びかけると、ライは衝撃で朦朧としていた頭を振った。
「……ああ」
「あなた、どうして……」
「……君は無事か」
あくまでもライはカレンを心配していた。こんなところに連れてきたのも、足を引っ張ったのもこちらなのに、それでもまだ必死に助けようとしてくれる。
見れば、大きな破片や尖った物は全て外れていた。偶然だとは思えない。彼は冷静だった。冷静に回避コースを選択して、それでも避けられない物は自らを盾にすることで防いだ。
ライは諦めていなかったのだ。
カレンは俯いた。自分が情けなかった。
「もう、無茶して……」
震えた声しか出ない。
「あのナイトメア……」
「え……?」
ライの視線の先には、戦闘不能になり、転倒した<無頼>が横たわっていた。背部のコックピットが開く。中から操縦者だったのだろう、中年男性が転がり出てきた。
男は悲鳴をあげながら逃げようとして──血煙になった。ブリタニア軍の容赦ない銃撃だ。
二人の前には、命を失った巨人が倒れている。カレンはライを見た。息を呑む。例えようの無い巨大な力が、乱気流となって彼の周囲を渦巻いていた。世界が塗り替えられていくような、強烈な存在感。
蒼い瞳に、何かが宿った。
今回はこの辺で。ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
投下時間は今まで通りに気分でやっていこうかと思います。これからもよろしくお願いします。
乙です
乙です
乙
乙です
周囲の様子を窺う。<無頼>を倒した<サザーランド>が去っていくのを確認してから、カレンは放棄された機体へ駆け寄った。
円を描くように<無頼>の様子を確認する。頭部が破損している他に、大きな損傷はない。右手に持っている三〇ミリライフルも充分動きそうだった。熟練した身のこなしで各部を点検した後、操縦席を覗き込む。
「……キーが差しっぱなし」
ナイトメアを起動させるには専用のキーを差し込み、数桁のパスコードを打ち込む必要がある。この<無頼>は起動状態にあり、キーもあるため、今すぐにでも動かせるということだ。エンジンが掛かっている車と同じようなものだった。
必要なのは、運転手だけ。
「動かせるのか」
いつの間にかカレンの肩越しに操縦席を見ていたライが言う。
動かせる。
カレンはナイトメアの操縦法を知っている。それどころかこの戦場にいる誰よりも、その性能を引き出せる自信があった。ブリタニアの騎士連中にだって遅れは取らないだろう。
「え……? あ、えっと、出来ない、わよ。出来るはずないじゃない。ナイトメアの操縦なんて」
言ったそばから発言を後悔した。この期に及んでまだ我が身が可愛いのか。まだ偽るのか。
眉間に皺が寄る。手の平に爪が食い込む。気づけば俯いていた。
「そうか」
ライはカレンの様子など気にも留めず、操縦席に滑り込む。
その手付きはどこまでも自然だった。キーボードを引っ張り出してから、モニターに機体の情報を表示。
不必要な部分への電力供給はカット。バランサーを調整し、アクチュエーターの出力も根本から変更する。調子の悪い冷却システムも、無理やり言うことを聞くようにしたようだ。
彼の指が動く度に、<無頼>はその姿を変えていく。
「ら、ライ?」
当たり前のように<無頼>のシステムを書き換え始めた彼の後ろから、カレンは戸惑いながら呼び掛けた。
「なんだ」
「なにを……する気なの?」
操縦システムをいじっていたライは手を止め、こちらを見た。いつもの無表情。顔はカレンに向いているのに、両手は作業を続けている。まるで機械のようだった。
「この状況だ。徒歩での脱出は困難だろう。だがナイトメアの機動力なら、まだ可能性はある」
そう言って、ライは再びモニターに視線を戻した。
オートパイロットやモーション・サポート・システムを軒並み休眠状態に。カレンは目を疑った。この男はこの状況で、ナイトメアを完全な手動操縦で動かそうとしているのだ。
ありえない。KMFは精密機器だ。機体からのサポート無しに動かす事は不可能に近い。
「逃げるならこのまま動かせば良いでしょう? どうして、操縦システムを切り替える必要があるのよ」
「包囲網が完成している状況だ。戦闘は覚悟する必要がある」
説明になっていない。戦闘を行うつもりなら、なおのことシステム的なサポートは必要なはずなのに。
見れば、火器管制システムにも手を加えている。もうこの<無頼>は滅茶苦茶だ。まともな行動など何一つとして取れない。カレンは泣き喚いて逃げ出したい気分になった。
しかし、この少年は冷静に言うのだ。操縦席の背もたれに乗せていたカレンの手を取り、
「行くぞ」
「行くぞって……。あっ……!」
強引に引きずり込んだ。
狭く暗いコックピットの中。カレンはライの膝の上に乗っかるような体勢になった。密着している。彼の吐息を、体温を感じた。絶望的な状況なのにも関わらず、頬が熱くなる。
「ハッチが閉まらない。このまま目視操縦で行く。しっかり掴まっていろ」
「う、うん……」
いつもと違う命令口調に思わずどきりとする。カレンはおずおずと操縦席の手すりを掴み、体を固定した。これではどうしても、ライに抱きつくような姿勢になる。文句を言いたかったが、それが許されるような状況ではなかった。
「立ち上がるぞ」
ライが警告する。出力レベルを慎重に引き上げ、左腕部の手のひらを地面に密着。そのまま両脚部に力を込めると、<無頼>はゆっくり立ち上がった。
「これからどうするの?」
「租界に向かうには戦闘区域を横断する必要がある」
「敵が出てくるわ」
「そうだな」
<無頼>が右足を踏み出す。じれったくなるような、ゆっくりとした動作。外から見たら、ひどく無様な動きに見えるだろう。
それでもカレンは驚いていた。
完全な手動操縦にも関わらず、初めて乗った機体を動かすというのはとんでもないことだ。充分な訓練を積んだブリタニアの騎士でも、同じ条件なら為すすべもなく転倒するのは間違いない。
「前方に<サザーランド>!」
「…………」
だが、それで現在の状況を打開出来るわけもなかった。ナイトメアを歩かせた程度で、戦いに勝てるわけがないのだ。
前方のT字路から<サザーランド>が姿を見せる。動いている<無頼>を見過ごすはずもなく、こちらに気づいた。
「逃げましょう。勝てないわ」
「無理だ。背中を見せたら蜂の巣にされる」
背中を見せようが見せまいが蜂の巣にされることに変わりはないように思えたが、それでもライの声は落ち着いていた。
「本当に戦う気……?」
少しでもナイトメアについて知識がある者なら、この状況がどれほど絶望的か分かってしまう。
開発当初から兵器として設計されている第四世代及び第五世代型KMFは、その部位ごとに機能を集中させている。機能性と生産性を重視した結果だ。
腕部なら武器を振るうためのパワーと、それを扱うための精密性。脚部なら機体を支え、過酷な悪路を走破するための安定性と剛性。胴体部には重要な機器とパイロットを守り抜くための耐弾性と、最も重要な動力機関が収められている。
そして頭部。各種センサ、レーダーにコンピューター、FCSや電子兵装。戦闘において必要不可欠な機能をまとめて搭載している部位だ。
その頭部が、破損している。
照準システムが死んでいるせいでろくに狙いも付けられない。パッシブ・センサーが破壊されているため、敵から狙われていても気づけない。お粗末な電子兵装では敵の照準をずらすことも出来ない。
驚いた。まったくの無防備だ。
加えてこの鈍重さだ。ナイトメアの命である機動性を、操縦者が自ら殺してしまった。KMFは最強の陸戦兵器だが、これではただの棺桶と変わらない。
<無頼>は尚も移動を続けている。脚部のランドスピナーによる高速走行ではなく、あくまでも徒歩だった。股関節の駆動系がおかしいのか、歩くたびにギシキシだのがしゃがしゃだの間抜けな音を立てる。
敵の<サザーランド>はゆっくりと近づいてきた。滑らかな動き。こちらとは雲泥の差だ。倒したはずの<無頼>が動いていることを疑問に思いながらも、しっかりとどめを刺す気のようだった。
こんな状況にも関わらず、ライはコンソールを叩いていた。右腕部の肩関節、肘関節、さらに手首をロック。まだ機体の機能を制限する気らしい。カレンはその様子をぼんやりと眺めていることしか出来なかった。
<サザーランド>は両腕でしっかりとアサルト・ライフルを構え、こちらに狙いを付ける。黒い砲身が鈍い輝きを放った。
本当ならここで警報が鳴り、ロックオンされた事を知らせてくれるのだが、それは無かった。頭部が損傷しているためだ。相手の照準を狂わせてくれる電子兵装も息をしていない。
「…………」
カレンはモニターに映る空を見上げた。雲は切れ、僅かに青空が覗いている。
私はこれから死ぬのだ、と確信していた。夢半ばで力尽きることの無念さがあった。あそこでハンバーグをキャンセルしておけば、という後悔もあった。
だが一番強い感情がライを巻き込んでしまう事に対する申し訳なさだったことに、カレンは不思議な安心感を覚えていた。
<無頼>は足を止めた。右腕のアサルト・ライフルは使用できるようだが、火器管制系が壊れているため、残弾数すら分からない。
よしんば撃てたとしても、モニターにレティクルすら表示されていない状態では狙いなど付けられるはずが無かった。センサーと照準システムを利用したロックオンなど夢のまた夢だ。
<サザーランド>は一撃で仕留めるつもりのようだった。当然だろう。一度仕損じているのだ。二度目以降の攻撃は恥の上塗りとなる。まともに動くことすら出来ない格下機が相手なら尚のことだ。
「ライ……」
ごめんね。そう言おうとしたが叶わなかった。相手がトリガーを引くのが分かる。殺意が膨れ上がり、それが砲弾となってこの<無頼>を打ち砕く。避けられない未来。悪夢から覚めないまま、この地獄で死ぬことになるのだ。
本能的な恐怖から、カレンはぎゅっと目を瞑った。
直後、彼女の体を衝撃が揺らした。操縦席がガクンと落下し、僅かな浮遊感が訪れる。続いて発砲の衝撃。ハッチが閉まっていないせいで、砲声がそのまま飛び込んできた。落雷のような、全身が強張る凄まじい音だ。鼓膜が破れたかと思った。
続いて、三〇ミリ弾を受けた<無頼>が破壊される音。ぞっとするような金属の悲鳴を上げながら、操縦席はおびただしい数の破片によってズタズタにされる。肉片になった二人の体を、爆炎が焼き尽くした。
(え……?)
来ない。衝撃も、音も、破片も。何秒経っても襲ってこなかった。恐る恐る瞼を開く。目を開けたら悪夢が再開するのではないかという恐怖があった。
ライの肩口にうずめていた顔を上げ、状況を確認する。
ひびの入ったメインモニターには、頭部を吹き飛ばされ、天を仰いで崩れ落ちる<サザーランド>の姿が映し出されていた。
対して、<無頼>はまったくの無傷だ。
なにがおきたのだ。何も分からない。カレンは酷い混乱に陥った。
なぜ、この場における絶対強者だった<サザーランド>が撃破され、刈り取られるだけの存在だった<無頼>が無傷なのか。
辺りをきょろきょろと見渡していると、ある変化に気付いた。開きっ放しのハッチからは背後の様子が良く見える。<無頼>の後ろにそびえるビルの壁面には、たったいま砲弾を受けたような大穴が空いていた。
敵が発砲したのは間違いない。外れたのか。
いや違う。躱したのだ。あの距離、あの状況、この機体で。
そういえば、先ほどの衝撃と同時に、ライの足が動いたのを感じた。上に座っているカレンからはよく分かる。フットペダルを操作し、脚部を動かしたのだろう。
着弾の位置から考えて、敵がこちらの胸部ないし頭部を狙ってきたのは明らかだった。ライは発砲の直前に左の膝関節を僅かに折り曲げた。そして直撃するはずだった砲弾は左に傾いた<無頼>の右側頭部を掠めて背後のビルを貫いたのだ。
そして、こちらの放った三〇ミリ弾は敵の頭部を正確に捉え、一撃で戦闘不能に陥らせた。事前に右腕部を固定していたのは既に狙いをつけていたのもあるし、片腕で撃つ際のブレを抑制する意味合いがあったのだろう。
こうして、外れるはずのない弾が外れ、当たるはずのない弾が当たった。まるで魔法のようだった。
相手がどこを、どのタイミングで狙ってくるか。敵の考えを予測し、その上を往く。マニュアル射撃ならば敵の防御装置も働かない。ナイトメアについての専門的な知識を持っていなければ出来ない芸当だった。
離れ業どころではない。神業の域だ。それを、この少年は平然とやってのけた。
「あ、あなた一体……」
何者なの。そこまで言えなかった。カレンの声には怯えの色があった。良く知っていると、深く理解していると思っていた相手がまったく別の存在だと知ったとき特有の、恐怖と戸惑いが混じった色。
いつもは無口で無表情で無愛想なライが、易々とKMFを動かし、当たり前のように敵を倒した。普段はどこか頼りない横顔が、今では謎の存在感に満ちている。
「弾が出て良かった」
カレンの問いには答えず、ライは各部のロックを解除すると、いくつかの補助機能を呼び戻した。
「耳を塞いでいろ。思ったより砲声が大きい」
抗えるはずもなく、カレンは両耳を抑えた。ライは何事もなかったかのように<無頼>を動かすと、T字路の曲がり角付近にあるビルの屋上にアサルト・ライフルを向ける。
フルオートで発砲。
反動軽減装置も働いていないのか、機体が猛烈な揺れに襲われた。舌を噛まないよう、口を固く結ぶ。
吐き出された六発の砲弾は屋上に設置されていた貯水タンクのすぐ下に直撃した。空っぽになったアサルト・ライフルを腰部のハードポイントに収めると、ライは再び瞑目する。
「……進まないの? 今なら逃げられそうだけど」
いまカレン達がいる地点から租界に行くには、この戦場を横断しなくてはならない。敵を倒したのなら、空いた穴を抜けるのが普通だろう。
「……少し待ってくれ」
しかし、ライは動かなかった。
「…………」
五秒ほど待って、ライは目を開けた。
「前進する。整備不良が原因だと思うが、バランサーとスタビライザーの調子が悪い。かなり揺れるから注意しろ」
そう言って、脚部に装備されている一対の車輪──ランドスピナーを展開する。ライの声からは感情が窺えず、ナイトメアが喋っているように思えた。
「わ、分かった」
やはり怖い。カレンはライから目を背け、モニターに視線を注いだ。<無頼>は先ほどより遥かに早く進んでいく。揺れは強かったが、気にしないように注意した。
倒した<サザーランド>の横を抜ける。撃破と同時に脱出機構が作動したため、コックピットブロックが丸々無くなっていた。
もう少し進んだ所で、ライはまたも<無頼>を止めた。T字路の突き当たり、左右の曲がり角から二体の<サザーランド>が現れた。あのまま進んでいたら挟み撃ちにあっていたかもしれない。
「また敵……!?」
しかも二体。勝てるはずがない。<無頼>の主兵装であるアサルト・ライフルは弾切れだし、固定武装のスラッシュ・ハーケンはそもそも動かない。完全に丸腰の状態で<サザーランド>を二機も相手にするのは不可能だった。
「駄目、なの……?」
去ったと思っていた絶望感が再びやってくる。
ライを見る。彼に諦めた様子はなかった。先ほどの存在感は消えていない。むしろ、強くなっていた。
(どうして……?)
分からない。なにも分からなかった。彼が何者なのか、何を考えているのか。味方なのか敵なのかさえ、分からなくなっていた。
カレンの知らない表情をしていたからだ。
戦う人間を間近で見た事がある。
怒りや憎しみ、敵意や殺意。義務や責任感。過去のトラウマ。または果てない野望を叶えるために戦う人達を知っている。カレンもその一人だ。
しかし、この少年は違う。
敵を罵ったり、嘲ったりもしなければ、自身の能力を誇示したりもしない。恐怖や動揺、混乱もない。何も表現しないのだ。
理解出来ない。
「蹴散らす。掴まっていろ」
当然の事のようにライは言った。驕りも油断も無い、事実だけを伝えるように。
敵の<サザーランド>は二機。向かって左側の機体はアサルト・ライフルを装備しており、右側の機体は大型の電磁ランスを構えている。味方が倒された事を知らされているのだろう。隙など微塵もなかった。
相対距離は一五〇メートルほど。ライフルで狙うには絶好の位置だ。敵の射撃を躱すつもりなのかもしれないが、どうしても動きは制限される。そうしたらあのランスの餌食だ。
ライは敵機を静かな瞳で見据えている。
その目が、やや上を見た。異変が起こる。
先ほど弾を注ぎ込んだビルの屋上。そこに設置されている球体型の貯水タンクが傾いた。射撃で支えを失っていたのだ。重々しく転がり──容易く落下する。その下にはライフルを構えた<サザーランド>の姿があった。
<無頼>が疾走する。
敵が異変に気付いた。慌てて回避機動をとるが、既に遅い。貯水タンクの下敷きにはならずに済んだようだが、中に入っていた水が衝撃でぶちまけられる。数年もの間、放置されて腐りきった茶色の液体が津波のように押し寄せ、二体の<サザーランド>を飲み込んだ。
ランス装備の機体は辛くも凌いだようだが、ライフルを持った方はまともに食らってしまった。流された勢いでビルに叩きつけられ、武器を取り落とす。右半身はそのまま建物にめり込んでしまった。
混乱している敵に<無頼>が迫る。汚れた津波を驚異的なバランスで乗り切り、減速しつつもランス装備の<サザーランド>に狙いを定めた。
相手は冷静に対応してきた。コンパクトに機体を操り、ランスを突き出してくる。それを<無頼>が迎え撃った。
体勢を低くしながら急速回転。逆時計回りに。左腕で迫る矛先を受け流し、懐に潜り込む。ライは操縦桿から左手を離し、遠心力で浮きそうになるカレンの腰に回した。
充分に勢いを乗せた右腕のナックルガードが、敵機の脇腹──構造上、どうしても脆くなる部分にめり込む。衝撃と小さな爆発。幾つかの重要なユニットを破壊された<サザーランド>からコックピットブロックが射出された。
一機撃破。勝利してしまった。
ライは倒した敵機に目もくれず、半身をビルに埋められてもがいている<サザーランド>に歩み寄った。風化した建造物はだいぶ脆くなっているらしく、足掻けば足掻くほど崩れて動きを阻害する。まるで蟻地獄のようだった。
敵機の腰部から新品のマガジンを奪うと、それを空っぽのアサルト・ライフルにねじ込んだ。通常、ナイトメアの扱う火器は敵に奪われないよう強力な暗号化が施されているが、弾倉はその限りではない。ライはそんなことまで知っているようだった。
給弾の済んだライフルを動けない<サザーランド>に向ける。ようやく抜け出した敵機は苦し紛れにスラッシュ・ハーケンを打ち出してくるが、どうということはなかった。あっさりすり抜け、胸部に砲口を押し付ける。発砲。五トン近い巨体が衝撃で持ち上がり、アスファルトに叩きつけられた。
またも飛び出すコックピットブロックを見つめ、ようやくライは短い息を吐いた。
二機目も撃破。会敵から僅か二〇秒余りの戦闘が終了した。
「倒したの?」
未だに信じられず、カレンが呟く。
「なんとかな。運が良かった」
嘘ばっかり、とカレンは思った。何から何まで計算尽くの戦い方を見れば分かる。危なっかしさなど微塵も無い、完璧な戦闘機動。先ほどまであった恐れは妙な高揚感と安心感に姿を変えていた。
ライの横顔を覗き見る。やはり、カレンが今までに見たことのない顔だった。笑顔ではない。怒りでも恐怖でもなく、愉悦や慢心でもない。
戦闘中、彼が発したのはカレンを気遣う言葉だけだった。怒声や罵声などは一切ない。笑い声もだ。ライが戦いを楽しんでいるわけではないのは明らかだった。
薄暗いコックピット。モニターのバックライトに照らされた横顔を見つめる。その中に輝くものがある事に気付いた。
瞳だ。
蒼い瞳。いつもは感情を映さない瞳に、今は何かが宿っている。それは確かな輝きを放っていた。燦然と瞬く意志の光。その光の中に、彼の正体に関する答えがあるような気がした。
穢れが無く、淀みも無い。どこまでも澄んだ、それでいて強い輝き。果てしなく長い年月を掛けて鍛えられ、研ぎ澄まされた光の剣だ。そこに彼の歴史がある。しかし残念なことに、形容する言葉が見つからなかった。おそらく、この光を言葉に出来る者はいないのだろう。
その光を覗き込んだとき、たまらなく美しいと思ってしまった。心を奪われるとは、こういうことを言うのかもしれない。
「…………」
ほう、と熱い吐息が漏れる。わけもなく胸の奥が締め付けられた。初めての経験だった。
この光が悪夢を祓ってくれた。地獄から救ってくれた。得体の知れない、けれど途方もない力。それは奇しくも、以前に遭遇したシンジュク・ゲットーでの出来事と酷似していた。
"あの人"と出会った時と同じだ。
「一角が空いた。ここから脱出する」
ライの声で意識が呼び戻される。そうだ。惚けている場合ではない。ここはまだ戦場なのだ。<無頼>は再び前進を開始する。カレンによる道案内のもと、痛んだ道路を駆け抜け、租界に向かった。
しかし、ブリタニア軍は諦めてくれない。三機もの<サザーランド>が一瞬にして撃破された事を受け、こちらに戦力を集め始めている。
ライは無線を開いて、まだ残っているテロリストへ呼び掛けた。なにやら連中に『戦力を集中させる』という旨の指示を出している。多大な戦果を挙げた人間の意見に反対する者はいない。誰もが正直に従い始めていた。
あちこちで戦闘が激化する。ライは集めたテロリストの機体を囮に使い、ここから脱出するつもりのようだった。
勢いを緩めず、全速力をもって移動する。戦場の中心、一番の激戦区を抜けようとしたところで、曲がり角から突然<サザーランド>が飛び出してきた。
ライは大して驚きもせず、寂れた道路標識を引っこ抜くと、それを棍棒よろしく敵機に叩きつけた。頭部を横薙ぎに払われ、紫色の巨人が地面を転がる。とどめを刺している時間は無い。そのまま走り抜けようとするが──
カレンの腰に再びライの手が回される。<無頼>が横に飛び退いた。今までいた空間に複数の徹甲弾が突き刺さる。見れば一機の<サザーランド>がこちらにライフルを向けていた。
敵の増援だ。<無頼>は空中で体勢を整えながら応射する。完全なマニュアル射撃。当たらない。だが、もともと着地の隙を潰すための攻撃だったため、これで充分だった。
撃ち合いでは分が悪い。当たり前だ。こちらは射撃に必要な機能を殆ど失っている。むしろ撃ち合いまで持ち込んでいるライの技量が何よりも異常だった。
「ライ、後ろ!」
「わかってる」
先ほど殴り飛ばした<サザーランド>がこちらに砲口を向けていた。<無頼>は軽く右に動いてから、左に倒れ込む。際どいところで砲弾は空を切った。
<無頼>は身を捻り、地面に右肩をこすりながら、いま撃ってきた<サザーランド>へ発砲。当たりはしたがいずれも浅く、致命傷には至らない。だが武器は破壊した。
まずい。もう一機の<サザーランド>にやられる。カレンは慣れた手つきでコンソールを操作し、後方の状況を映し出した。モニターには破壊された<サザーランド>の姿がある。
妙だ。<無頼>は攻撃などしていないのに。
先ほどの射撃を<無頼>が横に飛んで回避した時、獲物を失った徹甲弾はどこの誰に直撃したのか。位置関係を思い出す。確か、二機の<サザーランド>が<無頼>を挟み込むような状況だったはずだ。
まさか──
「同士討ち……?」
カレンは背筋に冷たいものが流れるのを感じた。狙ってやったのだとしたら恐ろしいことだ。未来が見えていなければ出来ない芸当。そしてライはこの短時間で、そう思わせるだけの事を山ほど行っている。
戦場の支配者はテロリストからブリタニア軍に替わった。だが今は違う。現在、戦場という空間を掌握しているのは間違いなく、このくたびれたロートル機と、記憶喪失の少年だった。
今回はこんな感じで。主人公の初戦闘という事で、格好良く書けていたら嬉しいです。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
乙です
おつおつ
ライすげえええ
乙デース
ゲームの選択肢っぽい雰囲気を残しながらのカッコいい戦闘描写でしたすげえ
乙
「荒い機動をしてしまった。怪我はないか」
ライは<無頼>の出力系を弄りながら訊いてきた。心配しているというより、どこか訝るような口調だ。当然だろう。
戦闘機動を行うナイトメアのコックピットは酷いGに襲われる。カレンはその中で体をろくに固定していないにも関わらず、いまだに怪我一つ負っていないのだ。
いくらライが気を遣ったところで、普通の人間だったら頭を強かに打ち付けているところだろう。少なくとも流血は免れない。こんな状況でもパニックを起こさず、急激なGにも対応してみせる女子高生というのはあまりにおかしい。
「……平気よ。ありがとう」
彼が疑うのも無理はない。しかしこう答えるしかなかった。
「そうか。ところで……」
ライは言いにくそうに言葉を濁した。
「カレン、少し近いんだが」
「え? あ……ごめん」
いつの間にか抱きついていた。戦闘中だったのだから仕方ないが、それでもいそいそと体を離す。また顔が赤くなった。
「あ、あなただってさっき、私の腰とか触ったでしょ」
「仕方がなかった。あのままだったら君の体は宙に浮いて、コックピットのどこかにぶつかっていただろう。これ以上、機体を壊すわけにはいかない」
「ちょっと。なにそれ、どういう意味よ……!」
それっきり、ライは何も尋ねてこなかった。辺りの戦闘は収束しつつあるようだ。ブリタニア軍が出張ってきてから随分経っている。テロリストのナイトメア部隊も大半が破壊されてしまったようだ。
「……もう抜かれたのか」
蜂の巣にされた<無頼>を見てライが呟いた。先ほどの<サザーランド>に敗れたのだろう。無惨なものだった。
テロリストの機体は減り、ブリタニア軍の機体は増えている。
「どうするの?」
「蹴散らす」
またも<サザーランド>が姿を現す。今度は三機。まだ増えるだろう。このまま助かるかどうかはライの技量に掛かっている。
密着している体越しに、彼の中で力が膨れ上がるのが分かった。言葉通り本当に蹴散らすつもりらしい。
爆発。
<サザーランド>が火を噴いて倒れる。交戦する直前に異変が起きた。
攻撃したのはライではない。火線を辿ると、ライフルを構えた数機の<無頼>が見えた。テロリストや他の反抗組織とは違う、黒とダークグレーを基調としたカラーリング。よく知っている色だった。
新たに現れたナイトメア部隊は統率された動きでブリタニア軍の機体を破壊していく。間違いない。あれは──
「<黒の騎士団>!」
喜びに弾むカレンの声。
「彼らは偽物じゃない! 本物の<黒の騎士団>だわ!」
「…………」
瞬く間に戦場を席巻する黒い嵐。外部スピーカーからは知った声が住民へと呼び掛けている。<黒の騎士団>はゲットーの人間を安全な場所に逃がすべく現れたのだ。
まさに正義の味方。安心感と誇らしさからカレンの表情も綻ぶ。だが、事はそう簡単に終わってはくれなかった。
数機の黒い<無頼>がこちらに砲口を向ける。彼らから見たらこの機体もテロリストの一味に見えるのだから当たり前のことだ。
またもライの体から力がほとばしる。
「た、戦う気!? 本物の<黒の騎士団>よ?」
「関係ない。殲滅する」
本気のようだった。その証拠に彼は先ほどから作っていた戦闘用のプログラムを作動させている。
第五世代の<サザーランド>を倒しているライからしてみれば、第四世代のコピー機である<無頼>は大した脅威ではないのだろう。再び戦場が混乱している今の状況を好機と思っているのかもしれない。
彼は先ほど見せた力を振るって、<黒の騎士団>を蹂躙する。間違いない。いくら統率されていても、相手はこちらをただのテロリストだと捉えている。付け入る隙はいくらでもあった。
先刻の戦いを見る限り、ライにパイロットを殺す気は無いようだが、どちらにしても<無頼>が破壊されるのはまずい。いまだ弱小組織である<黒の騎士団>にとって、ナイトメアは貴重な戦力なのだ。
「だ、駄目だって! 戦っちゃ駄目!」
「正気か君は。あちらに戦意がある以上、応戦するしかないだろう」
「とにかく待って! なんとかするから!」
狭いコックピットの中、操縦席の上で二人は激しく揉み合う。今までおとなしかったカレンの豹変に流石のライも戸惑いを隠せない様子だった。
カレンはライの上から降りて、コックピットの天蓋部に手をかけた。<グラスゴー>及び<無頼>には、周囲を見渡すためのキューボラがある。戦車と似たような物だ。そこを開いて、顔を出した。
「カレン……?」
ライは呆れているが、無理に引き戻そうとはしなかった。いま操縦桿から手を離すわけにはいかないのだろう。
カレンの顔を見るなり、<黒の騎士団>のナイトメア達はそそくさと道を開けた。胸をなで下ろしながら、コックピットの中に戻る。
「私達が敵じゃないって分かってくれたみたいね」
「…………」
阻む者のいなくなった<無頼>はそのまま戦場を通過し、租界付近まで辿り着く。
ライは一言も発しなかった。到着するなり席を立ち、開きっぱなしのハッチから外の様子を窺っている。
「…………」
カレンはごく自然な動作でパネルを操作すると、機体のデータバンクに保存されていた幾つかの情報を外部フォルダに移し替えてから、メモリーチップを抜き取った。この中に今回の顛末が収められている。ライが何をしたのかも、全てだ。
しばし見つめてから、それをスカートのポケットに突っ込んだ。言い知れぬ後ろめたさがあった。
「早く出るぞ」
後ろからライが近づいてきて、カレンの手を引いた。
「う、うん。……きゃっ」
ハッチの近くまで来るとライは手を離し、少女の肩と足に腕を回す。お姫様抱っこの体勢だった。抱えられたカレンは突然の事態にされるがままになっていた。
三メートルほどの高さから飛び降りる。浮遊感が通り過ぎ、着地。僅かな衝撃の後、カレンを降ろす。
「人が集まってきた。早く離れよう」
「う、うん……」
野次馬が数を増やしている。役目を終えた<無頼>を乗り捨て、二人は帰路についた。
租界に入り、モノレールに乗る。それからバスを使ってアッシュフォード学園へ。道中の車内では二人とも無言だった。非日常から一転して日常に戻ってきたのだ。やはり違和感は拭えなかった。
いつの間にか晴れていた空は、既に赤くなっている。
「どうしてついて来るんだ」
校門の前まで来て、ライが三〇分ぶりに口を開いた。途中、カレンの家の方に乗り継ぐバスもあったのに、学園まで来た事を疑問に思ったのだろう。
「あなた怪我してるでしょ。手当てしないと」
「一人で出来る。君はもう休んだ方が良い」
「そういうわけにはいかないわ。ほら、その……私のせいで怪我したんだし」
「…………」
「だ、大体! あなたって怪我とか放っときそうだから。お世話係主任として当然の事よ」
「…………」
「な、なによ。なにか文句あるの?」
ライは諦めたように息を吐いた。
「……近頃の君は我が儘だな」
そう呟くライの顔は数十分前に見せた顔ではなかった。今までカレンが見てきた、無表情で色の無い、しかし不思議な愛嬌を漂わせる顔だ。
夕日に照らされたその横顔を見ると、死地から生還したという実感がようやく訪れた。
「どうした。急に黙り込んで」
いつの間にか立ち止まってぼんやりとしていたカレンの顔を、ライが覗き込んでいた。
「……なんでもないわ。早く行きましょう」
「……?」
「じゃあ、服を脱いで」
休日の保健室には誰もいなかった。消毒液の匂いと、真っ白なベッド。夕日を反射する清潔な床。
ライを椅子に座らせ、瓦礫の直撃を受けた上半身の服を脱がせる。制服を脱ぎ、シャツを脱ぐ。パサリという音を立てて籠に入れられる衣服と、露わになった少年の肉体。
ガリガリの痩せ型だと思っていたが違う。しっかりとした骨格に無駄の無い筋肉を纏った体からは、シャープで力強い印象を受けた。
「…………」
触り心地の良さそうなアッシュブロンドの髪。白い首筋に、思ったより大きい背中。なんだか気恥ずかしくなり、思わず視線を逸らした先には無人のベッドがあった。
「…………!!」
いま何を思った。何を想像した。カレンは真っ赤になった顔をぶんぶん振った。
「……どうした」
「み、見ちゃ駄目!」
「思ったより傷が酷いのか」
「そういうわけじゃないけど……。とにかく、あなたはリラックスしてなさい。すぐ済むから」
「君はリラックスしていないようだが」
「静かに。手元が狂うかもしれないでしょ」
「何をする気なんだ……」
怪我自体は重いものではなかった。軽い打撲だけで、裂傷や出血などは確認できない。カレンは消毒をしてから、患部をアイスノンで冷やす。
「慣れてるな」
「そう? 普通はこれくらい出来ると思うけど。……痛む?」
「それなりに。だが、正常な痛みだ。骨や内臓に影響はないようだから、二日三日で完治するだろう」
彼は他人事のように言った。充分に冷やした後、湿布を貼って包帯を巻く。処置が終わっても、カレンはライの近くから離れなかった。その背中にそっと触れる。
確かな体温。確かな鼓動。確かな距離。とても安心する。
「……ライ」
彼に言わなくてはならない事がある。しかし、その言葉を口にするには結構な勇気を必要とした。
「どうした」
「……ごめんね。巻き込んじゃって」
「気にしなくていい。君について行ったのは僕の意志だ」
いつも通りの様子に、思わず笑みが零れる。救われたような気がした。
「そ、そっか。……それと、その」
「ん……?」
「守ってくれて……ありがと」
先ほどよりも勇気を込めて言った。ライの肩が僅かに揺れる。もしかしたら、笑ったのかもしれない。
「いや。……君が無事で良かった」
幾分か柔らかくなった言葉が風に乗り、赤く染まった保健室のカーテンを揺らした。
今回はこの辺で。これでカレン編は一段落です。気づいたら一〇〇レス以上続いてますね。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
ずっと読んでるよ。
いつも楽しませてくれてありがとう。
乙
続きが楽しみなのじゃ~
乙
カレン・・・一体何者なんだ・・・?
おつおつー
乙
カレンと別れたライは、アッシュフォード学園の廊下を歩いていた。シミ一つ無いリノリウムの床を眺めながら、今日の一件を思い起こす。
初めて歩くはずのゲットーの中で感じたデジャヴ。どうしても拭えない滅びのイメージ。何故か動かせたナイトメア・フレーム。なんの疑問もなく行えた戦闘。ベテランの軍人を当たり前のように倒してしまった力。
恐ろしい事だ。
今までとは比べ物にならないほど様々な事が分かったが、そのどれもが望んだものではなかった。
集めた情報から導き出されるのは──記憶を無くす前の自分が、まともな人間では無かったという結論だ。どれだけ好意的に解釈しても、この結論は揺るがなかった。
つい昨日までは、この学園にいれば、いずれは普通の人間として生きていけるかもしれない、そうなれたら嬉しいなどと思っていたのに、結局はこれだ。
分かっていたのだ。そんな甘い答えが待っていないことなど。記憶が無いのはまだ良い。記憶喪失という病名がある以上、そうなる可能性は用意されているのだから。
だが、身元が分からない。そして関係者が一切現れないというのは、いくらなんでもありえない。
極めつけは"ギアス"という得体の知れない力だ。未だ目覚めてはいないが、確かにこの身に宿っている。あのC.C.という少女に出会った時から──いや、保護された時からこうなる事は予想出来ていた筈だった。
この学園で平穏無事に暮らすなど、始めからありえない事だったのに、ずっと目を逸らしていた。
息を吐いた。意味もなく壁に背中を預け、窓の外を見る。日が沈み、色を失っていく空と、あてもなく流れる雲は自身の未来を暗示しているようで、ライはどうしようもなく暗い気分に陥った。
どうすればいいのだろう?
決まっている。このままで良い訳が無い。ミレイ・アッシュフォードに全てを打ち明けるのだ。ゲットーに行った事、戦闘に巻き込まれた事、ナイトメアに乗ってブリタニア軍を倒してしまった事。
全てを話さなければ、保護してくれた彼女への裏切りとなる。それだけは出来ない。それだけは許されない。
そうと決まれば、すぐに行動に移さなくては。ゲットーでの戦闘は既に大きな騒ぎとなっているだろう。ニュースでも長期間取り上げられるほどの事件のはずだ。報告が遅れればアッシュフォード学園に迷惑が掛かる可能性が高くなる。カレンにもだ。
ライは静かに決意し、まずは生徒会室に向かった。
「いない……」
今日に限って、ミレイの姿が見当たらない。目立つ人だ。行く先々で騒ぎを起こすため、いつもなら探すまでもなく見つかるのだが。
参った。どうしたらいいか分からない。学園内にいる教師に話そうかとも思ったが、彼らの手に負える案件ではないだろう。
ライは元々、アッシュフォード学園の正式な生徒ではない。加えてとても微妙な立場だ。記憶喪失や身元不明者だという事も生徒会メンバーを始めとしたごく一部の人間しか知らないのである。従って、相談できる者は限られていた。
(どうしようか……)
暗がりの中、学園の校舎から門まで並ぶアーチを見る。途方に暮れていた。
しばらく立ち尽くしていると見知った人影が二つ、立ち並ぶアーチの下を歩いてくる。
ルルーシュ・ランペルージと枢木スザクだった。
「あれ? ライ?」
「ん? ちょうど良かった。……どうした、そんな顔をして」
スザクが気づき、遅れてルルーシュもこちらに目を向ける。
「……ミレイ会長を探しているんだが、行方を知らないか」
挨拶もしないままライは言った。スザクはきょとんとしているが、ルルーシュは何かを感じ取ったらしく、その秀麗な目を細めた。
「会長なら、今日は家の用事があるそうだ。本国まで行くらしいから、いつ帰ってくるかは分からない」
「……そうか」
ルルーシュの答えに安堵してしまった自分が嫌で仕方なかった。ライが俯くと、スザクが歩み寄ってきて、
「なにかあったのかい?」
穏やかな声で訊いてきた。顔を上げる。
ミレイがいないのなら、この二人に報告するのが筋だろう。ルルーシュは生徒会の副会長だし、スザクはブリタニアの軍人だ。
「君達に話さないといけない事がある。今日の……出来事についてだ」
その言葉を告げるのには苦労した。いつの間にか、口の中がひどく渇いていた。
「じゃあ……君はナイトメア・フレームを動かしたってこと? 本当に?」
夜の屋上。スザクが呆然とした表情で言った。瞬く星の下で、ライは二人に全てを告白した。特にブリタニア軍との戦闘については何一つ隠さず、漏れが無いように注意した。誤解が生まれないように。
「そうだ。それで、ブリタニア軍の機体を破壊した。<サザーランド>を五機。使用したのはテロリストの<無頼>だった」
「……本当にお前が、動かしたのか」
いつもは冷静沈着なルルーシュも、流石に驚きを隠せないようだった。ライは頷き、
「大罪人だな。ブリタニア軍に損害を与えてしまったんだ」
「だが、信じられないな。お前が乗ったナイトメアは損傷していたんだろう。それで五機も撃破したというのは……」
ルルーシュはスザクをちらりと見た。旧式の<無頼>で最新鋭の<サザーランド>を五機も倒すというのが可能なのかどうか、現役の軍人から意見を聞きたいようだった。
「……使用した武器は?」
「エルド・ウィンチェスター製の三〇ミリライフルだ。ブリタニア軍が七年前に採用していた物を使った」
ウィンチェスターはブリタニア帝国最大手の銃器メーカーだ。現在の第98代目皇帝シャルル・ジ・ブリタニアに娘を嫁がせる事に成功した名門貴族でもある。従って軍部との癒着も深い。
ウィンチェスター製のライフルはブリタニア軍で正式採用されている。ナイトメア用の火砲について世界で最も発達した技術を持っている企業だ。
ライの<無頼>が持っていたのはブリタニア軍が現在使用している物より旧式の火器だった。七年前の日本侵攻の折に使われていた物が払い下げられ、反抗勢力に横流しされているのだ。
そして、そんな旧式の武器でも<サザーランド>を倒すには申し分ない威力を有している。
「なら、倒せないことはないけど……。やっぱり信じられないな。戦力差がありすぎる」
スザクはナイトメアに乗った事があるのだろうか。神妙な面持ちだった。以前、学園の校門付近で会った白衣の男を思い出す。
「少し前、ロイドという人に言われたんだ。『君、ナイトメアに乗ったことあるでしょ』とな」
「え、ロイドさんが……?」
「ああ。君の上司だろう。あの時は気に留めていなかったんだが」
いや、違う。気にしないようにしていただけだ。逃げていただけだった。この三週間近く、ヒントは山ほどあった。そしてそれを無視していた。結局、意味がなかったのだ。
どんなに避けても、どこまで逃げても、こうして過去に追いつかれる。分かっていた事だった。
「この場合、お前がナイトメアを何機倒したかは問題じゃない」
ルルーシュが言った。確かに、<サザーランド>を倒したという証拠が無い以上、挙げた戦果に意味は無い。ライは頷いた。
「そうだな。なんの躊躇いもなくナイトメアに乗り込み、それを動かして戦えた。それが一番の問題だ」
「……何か思い出せなかったのか」
ルルーシュの問いにライは首を振った。
「何も。他の知識と一緒だ。視界に入れば使い方が分かる。シャワーやエアコンと同じように扱えた。"見れば分かる"んだ」
これこそが一番の異常だ。ナイトメアの動かし方だけではない。戦場にいる時もそうだった。相手が一歩足を動かすと次の行動が分かってしまう。周囲に何があったのか記憶して、それがどのように動くのかが手に取るように分かってしまうのだ。
そして、その感覚に違和感を覚えない事もまた、紛れもない異常だ。記憶を失う前から日常的に使用していた技能だという事は考えるまでもなく分かった。
「……大勢死んだんだ。目の前で」
「…………」
「…………」
搾り出すようなライの声に、二人は息を呑む。
「女子供も関係ない。誰もがなすすべも無く死んでいった」
拳に力がこもる。血と肉が飛び交う光景。悲鳴と怒声。響き渡る断末魔。なんの罪も無い住民達は、人の形を奪われて肉塊になり果てた。普通の人間だったら間違いなく心的障害を負うだろう地獄絵図。
その中で、自分は何を考えていたのか。
「……なのに、僕は何も感じなかった。あまつさえ、彼らを囮にして助かろうと考えていた。七三人。それだけの日本人が目の前で死んでいるのにも関わらず、だ」
あの時、ライはあっさりと彼らを見捨てた。<無頼>を手に入れた後も、カレンを無事に帰すことを何よりも優先していた。ひたすら冷徹で、ひたすら合理的。
助からないと判断したものは破棄して、助かるものだけを守護するというわけでもない。絶対に守らなくてはならないもののために、助かるかもしれないものもあっさり切り捨てる。そしてそれを悔やみもしなかった。機械的ですらない、独善的でおぞましい思考だ。
だから思う。そんな思考の持ち主は、もうこの学園にはいられないのだと。
「……なぜ話した」
ルルーシュが暗い表情で言った。艶やかな黒髪が、星の光を反射する。女性と見紛うくらい白く細い手は、何かの感情を握り締めて震えていた。
「言い方があったはずだ。別に、俺達にナイトメアのくだりを話す必要は無かった。ただゲットーに行って、そこで戦闘に巻き込まれたと……命からがら逃げてきたと、そう言えば良かったんじゃないのか」
「ルルーシュ……」
スザクが呆然と親友の名を呟く。彼にもライにも、ルルーシュの横顔から覗く深い苦悩の意味を察する事が出来なかった。
「なぜ嘘を言わない。どうしてお前は、いつも辛い方にばかり行こうとするんだ」
「辛い方にばかり……」
ライが反復すると、ルルーシュの瞳が射抜くような鋭さを持った。彼がどうして怒っているのか、何に憤っているのか、ライには分からなかった。
「そうだろう。お前はいつも苦しんでいる。クラブハウスにいる時も、教室にいる時も、生徒会室にいる時も……。俺はそれが気に入らない」
「……そうか」
そういえば最近、ルルーシュから哀れむような目で見られる事が多くなっている。これが理由なのだろう。
返す言葉を用意出来ず、ライは黙り込むしかなかった。
「お前はそんなに……ここが嫌いか」
この学園を嫌っているのか。つい最近、ミレイにも言われた事だった。あの時は違うと答えたが、今は分からなくなっている。
「僕は……」
そこで、言葉は止まる。答えなどなかった。この三週間を、思い出を表す言葉をまったく口に出せない。そのことに、ライは絶望した。
そこに切り込む声一つ。
「違うんだよ、ライ」
スザクが言った。どこまでも穏やかな表情。その声には少しの呆れと、大きな優しさがこもっていた。同情や憐憫など微塵もなかった。
「ルルーシュが言いたいのはそういうことじゃなくて……なんていうかな」
スザクはルルーシュとライを交互に見た。空のどこかで、星が瞬く。
「もっと僕達を好きになってもらいたいんだよ。きっと」
「……他に言い方はなかったのか」
にっこりと笑うスザクに、げんなりするルルーシュ。それでも、二人の心情はおぼろげながら理解出来る。三週間前の自分には出来なかったことだ。
「だが、僕は……」
自分を受け入れてくれた、美しくて尊いこの学園が、嫌いなはすがない。世界中探しても、こんな場所は他にないだろう。
だから怖いのだ。恐ろしくて仕方がない。この奇跡のような環境を、人々を、他ならぬ自身の手で破壊してしまう未来。それだけは許さない。絶対に許せない。
ならばどうすればいいのか。簡単だ。自分が消えればいい。それがなにより確実で、一番手っ取り早い。
しかしそんな考えを、ルルーシュは気に入らないと言う。ではどうしたらいいのか。分からない。なにも分からなかった。
「もう、ここにはいられない」
そうだ。そのために二人に打ち明けたのだ。スザクに協力してもらえればアッシュフォード家に迷惑をかけずに去る事が出来るかもしれない。ルルーシュならば、いなくなった理由も無理なくでっち上げてくれるだろう。
他者の力に頼りきった、甘えた考え。大嫌いだった。
「どうして?」
スザクが訊いてきた。ブリタニア軍人の彼がだ。
「僕はナイトメアを動かした」
「それだけじゃ、罪にならないよ」
ライの言葉にスザクが答える。
「……戦闘を行った」
「それを証明できる物が無い」
今度はルルーシュが答えた。
「確かに一般人が許可無くナイトメアに乗って戦闘行為を行うのは罪になる。だが、所詮は刑法だ。証拠が無ければ立件出来ない」
ルルーシュは何でもない事のように言う。軍人の隣で『所詮は刑法』と言える神経が羨ましかった。
だが、ライが気にしている点はナイトメアに乗っただとか、戦闘をしただとか、そういった部分ではない。
あの地獄の中で平然としていた精神、あの悪夢の中に居心地の良さを感じた異常性こそが、最も危険なのだ。他の要素は去るための理由付けに過ぎない。
「分かってるよ。君は、疑問も無く戦えた自分を恐れている。戦場で行われた事を疑問に思わない考えにも」
スザクが学園の中庭を見下ろしながら言った。頭の中を覗かれている気分だった。
「なら分かるだろう。僕は危険な人間だ。拘束して、軍に引き渡せ。君が協力してくれれば、学園に迷惑もかからない」
どうせ身元不明者だ。それだけで拘束する理由になる。足りないなら、そこら辺の憲兵──前に公園で日本人にリンチを加えていたような連中だ──を殴ってもいい。
今までそうしなかったのはアッシュフォード家に迷惑が掛かるという理由があったからだ。
「それは出来ない」
返ってきたのは確かな否定。ライは珍しく声を荒げた。
「何故だ……!」
「それは、ただの逃避だから。君はやっぱり、間違ってるよ」
「──君はその力で、カレンを守った。これも確かな事実だ」
「……それは」
結果的に言えばそうかもしれないが、カレンだって自分がいなければゲットーに興味を抱いたりしなかったはずだ。
スザクの言葉を否定する材料はいくつもある。しかし、それが口から出てくることは無かった。
瞑目していたルルーシュが言う。
「"シンジュク事変"は知っているだろう。俺もスザクも、あれに巻き込まれた。今日のお前のようにな」
「なに……」
シンジュク事変とは、ブリタニア軍の科学兵器──毒ガスの類いだと言われている──をレジスタンスが襲撃して、ゲットー住民に多大な被害をもたらした事件の事だ。
当時エリア11を統括していたクロヴィス・ラ・ブリタニア総督が殺害され、その犯人として黒衣の魔人"ゼロ"が現れた事で有名だった。
中途半端ですが、今回はこの辺で。応援レスありがとうございました。なによりの励みになります。意外に好意的な意見が多くて驚きました。
ノロノロ更新ですが、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙
乙です
乙です
乙です
乙
『ゼロ』という単語が久々に出たな
「俺もスザクも、あの時は何も出来なかった。だが、お前には何かを成せる力があったんだ。力を振るう事は罪かもしれないが……何も守れない事もまた、罪だ」
ルルーシュの顔には痛ましい過去の記憶が貼りついている。昔、大切な人を無くしたのだろうか。
「…………」
「俺達だって馬鹿じゃない。信じて良い奴と、そうでない奴くらい見極められるさ」
暗い表情から一転してルルーシュは笑った。何かを信じている笑み。初めて見る類いの表情だった。
「そうだね。ルルーシュがそう言うなら間違いない」
「……む」
ライが唸ると、スザクは親友の方に顔を向けた。彼の目にもまた、強い信頼で彩られた光がある。
「君が学園に来たばかりの頃、多数決がとられたんだ。保護するかしないかの」
「…………」
「反対派は三人だった。カレンとニーナ、それとルルーシュ」
その時の事はおぼろげながら覚えている。ナナリーを守ろうと、ルルーシュが警戒心を露わにしていたことも。
彼らの考えは間違いではなかった。現に、自分は危険な人間だったのだから。
「でも、今は一人もいない」
「……!」
スザクは笑った。どうして、そんなに嬉しそうなのか。
「本当はあの時、ルルーシュと僕とで話していたんだ。もし君が危険な人間だったなら、二人で止めようって。……そして君は、その僕達に今、こうして警告している」
「変な話だな」
ルルーシュが肩をすくめた。そうして、こちらを真っ直ぐに見据えてくる。いつもの気分屋で、皮肉屋な少年の仮面は脱ぎ捨てられていた。
「お前が来て三週間。たった三週間だが……確かに築いたものがあるはずだ」
「築いたもの……」
あるのだろうか。
自信が無い。この三週間、自分は迷惑と苦労しか掛けていないはずだ。それなりに足掻いてはいたが、それでも彼らの善意に報いていたとは言い難い。
三週間──たった五〇〇時間だ。出会ってから、悩んでから、それだけしか経っていない。
こんな短い時間で楽観的な結論など出せるはずが無い。これだけ言葉を重ねられても、ライは未だに迷いの中にいた。
「だから、逃げるな」
だからこそ、ルルーシュの一言が効いた。命令口調で尊大な、けれども優しい声。彼らしいと思える言葉。
("らしい"か……)
もしかしたら。
もしかしたら、今の言葉に安心感を覚えられたという事こそが、何かの証明なのかもしれない。
「僕は……どうしたらいい」
今までの問答で分かった事がいくつかある。
自分は恐らく、この学園が好きだということ。生徒会のメンバーが好きだということ。ここで築いた思い出が好きだということ。それらを無くしたくないと思っていること。
しかし自分は危険な存在であり、容易くこの楽園を破壊してしまえるということ。記憶を取り戻したとしても、その事実は変わらないであろうということ。
それなのに、この二人はどうしてか自分を信用してくれているらしいということ。
混乱していた。
欲しい言葉があった。
たった一言。それさえあれば、それだけで良いと思えた。
「それは自分で考えろ」
ルルーシュが言った。欲しい言葉ではなかった。
「答えは、常に自分の中にある。もう分かっているはずだ」
けれど、一番必要な言葉だった。
あ
「……そうだな」
逃げるのはいつでも出来る。
これから先、自分が害を成す存在になったとしても、ルルーシュとスザクが止めてくれるだろう。この三週間で、それぐらいの事は理解していた。
後はミレイに同様の事を伝えるだけだ。彼女はなんと言うのだろうか。この学園を愛していると言った彼女は、なんと答えるのだろう。
少し、胸がざわついた。
「会長が戻り次第、報告するんだろう。俺も同席してやるから、そう怯えるな」
考えていると、ルルーシュが茶化すように言ってきた。
「別に怯えてなんかいないぞ」
「そうだな。そういうことにしておこう」
黒髪の少年は鼻で笑った。馬鹿にされている。ライは確信した。
「スザク、それと……」
言えば、日本人の少年は頷いてくれた。
「分かってるよ。事情はどうあれ、君が戦えた事は事実だ。放っておくのは何より、君のためにならない」
「ああ。多分……君の力を借りる事になると思う。その時は……その、頼む」
もう殆どカタコトだった。誰かに何かを頼むのは苦手だ。
「君が言った僕の上司……ロイドさんに話してみるよ。軍部に突き出されたりはしないと思うから、安心して」
「……すまないな」
やはり、この二人に打ち明けてよかった。そう思えることが、とても嬉しかった。自然と口から感謝の言葉が出る。
「俺の時とはずいぶん態度が違うな」
「……それは君に問題がある」
憮然とした表情でライが言うと、スザクがくすりと笑った。
「そうだね、確かに」
「どういうことだ?」
「……分からないならいい」
別に、さっきの感謝はスザクだけに向けたものではなかったのだが、わざわざ話すものでもないだろう。鈍感という言葉の意味が分かったような気がした。
これでは、シャーリーやカレンといったルルーシュに好意を抱いている人達も大変だと思う。それが、彼の良いところでもあるのだろうが。
「話はこれで終わりだな」
空気を切り替えるように、ルルーシュが言った。
「すまないな。時間を取らせてしまった」
「いや、嬉しかったよ。こういう話は多分……必要だったと思うから」
スザクにそう言ってもらえると気が楽になる。ライはいつになく晴れ晴れとした気分で夜空を見上げた。
暗い空間には無数の光と、大きな満月が輝いている。ああやって光が真っ暗闇を照らしているのを見ると、自分の未来にも希望があるのではないか……そんな淡い期待が生まれてきた。
心の中で、何かの感情が渦を巻いている。この三週間、ずっとライを苦しめていた物だ。
夢というには不格好で、願いというには汚らしい。欲望というのが適切だろう。
利己的で、どこまでもおぞましい感情。他には何も持っていないくせに、こんなものばかりぶら下げているのだと思うと、どうしても自分という存在が醜悪に感じて仕方がなかった。
だから、必死に隠していた。
持っているには苦しくて、誰かに見せるにはグロテスク過ぎる。
ならば、と思う。
この感情を、あの月に飾ることくらいは許されるのではないだろうか。夜に見上げて、想うことくらいは許されるのではないだろうかと。
そんな風に考えていると、後ろから声が掛かった。
「おい、いつまでそうしている。置いていくぞ」
少し離れた場所からルルーシュが睨んでいる。
「……どういうことだ。話は終わったんだろう」
そう言うと、呆れられてしまった。失言だったらしい。
「これからルルーシュの部屋で夕食をご馳走になろうと思っていたんだ」
引き返してきたスザクが言った。だから二人で学園に戻ってきたのだろう。納得がいった。
「そうか。僕はもう少しここにいるから──」
「スザク、そこの馬鹿を連れてこい」
楽しんできてくれ。そう続けようとしたのだが、遮られた。呆れたようにスザクが笑う。
「はいはい」
「なんだ……?」
「元々、君を誘う予定だったんだ。ほら、行こう。ナナリーを待たせちゃ悪い」
ルルーシュの部屋で夕食。ということは、ナナリーを含めて三人で行われるのだろう。その団欒を壊すのは気が引けるし、何よりそこに入っていく勇気はなかった。
「む……」
困ってルルーシュの方を見ると、早く来いとばかりにこちらへ鋭い視線を向けている。スザクからも促され、仕方なく出入り口に向かって歩き始める。
「だが、ナナリーに悪い」
「安心しろ。ナナリーの提案だ」
予想されていたのだろう。苦し紛れの反論はルルーシュに一刀両断されてしまった。ライは閉口し、スザクの方を見る。
「ナナリーも喜ぶし、君の栄養管理にもなるから、一石二鳥だね」
「お前らはいつもクレープだのたこ焼きだの、ジャンクフードばかり食べているからな。今のうちに矯正しておく必要がある」
ライとスザクの買い食いを揶揄し、副会長は得意気な様子で言った。どうやら料理の腕には自信があるらしい。
「ルルーシュはマナーとかにうるさいからね。気をつけた方がいい」
「そうなのか。確かに、ルルーシュは神経質そうだ」
「……必要な知識を持っているだけだ。最も、お前のように水とビタミン剤しか摂取しないようじゃ、マナーも何も無いだろうがな」
「失礼だな。ちゃんと食事もしている。……三日に一回くらいは」
「……やはり、餌係を定めた方がいいようだな」
「そうだね。今度の生徒会の時にでも……」
「待ってくれ」
食事係から餌係にランクダウンしてしまっている。ライは絶望的な気分になった。
「違うんだ。ちゃんと考えている。自分の体調くらい把握しているから。しっかりと」
「していないから言っているんだ……!」
「……誰にだって疎かにしている部分はある。ルルーシュ、君だって授業中は居眠りしているじゃないか。ミレイさんとナナリーに言うぞ」
「なに……。お前、俺を脅すつもりか? いつからそんな風になった」
「残念だったな。この三週間、僕が何もしていないと思っていたのなら、それは君の迂闊だ」
「くそっ。スザク、お前からも言ってやれ。こいつは自己の管理が出来ていないにも関わらず、この俺を陥れようとしている。副会長である、この俺をだ」
「……スザク。どちらが優先すべき問題か、君なら分かるだろう」
低レベルな口論を交わした後、二人はスザクに結論を求めた。今まで困ったような笑顔を浮かべていた彼は、
「どっちも僕から報告しておくよ」
この中で、一番冷静だった。
「裏切るのか。スザク……」
親友の発言が信じられないのか、ルルーシュは目を見開いて、それから睨みつけた。
「……君は酷い奴だな」
ライも無表情ながら失望の言葉を口にした。両者とも、自らの非を認めない姿勢は一致している。
「君達は本当に……」
呆れ果てたとばかりに、スザクは首を振ってため息を吐いた。
「ふん、まあいい。お前との決着はまた今度だ、ライ」
「……共倒れの未来しか見えないんだが」
いつの間にか立ち止まっていた三人は、誰ともなく空を見上げた。瞬く無数の星々と、光輝く満月。
満たされていた。二人に話す前は悲壮な覚悟を決めていたのに。今では何とかなるだろうと、そう思える。
逃げたくなったらこの空を、月を見上げよう。そうすれば大切な事を思い出せる。そうすれば、また向き合える。
まだ終わりじゃない。これからなのだ。まだ自分は、なにも返せていないのだから。
「……ありがとう。これで僕は頑張れる」
口から出たのは感謝と決意の言葉だった。相変わらずたどたどしかったが、不思議なくらい熱が籠もっていた。
横から二つ、笑う声が聞こえる。
「やっと笑ってくれたね」
心底嬉しそうに、スザクが言った。大切な何かが伝わったらしい。ライは自分の顔を触った。少しは人間らしくなれたのだろうかと、嬉しくなる。
「……まあ、頑張れ。俺は先に行っているぞ」
ルルーシュはぶっきらぼうに告げると、ライの右肩をぽんと叩いて屋上を去っていった。
「さあ、行こう。待たせるとうるさいからね」
左肩を叩いてから、スザクも続く。開け放たれたままの扉から目を離し、ライは三度、空を見上げた。
力が湧いてくるのを感じる。今までなかった感覚だ。数秒ほど月を睨みつけてから、
「……よし!」
その力を、声に込めて吐き出した。
立ち止まるのはもうやめだ。歩きだすのだ。確かなものを得たのだから。自分が誰なのか、何をしたいのか、どこにいるべきなのか。まだ何も分かっていないが、ここなら、彼らとなら見つけられる気がする。
だから、今なら踏み出せる。
扉の向こう側を目指そう。
これにて終了です。ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
ルルーシュとスザクが仲良かった頃の話が書きたかったので満足しました。3ヶ月近く掛かりましたね。長ぇよ。
おつおつー
乙
お疲れ様でした
乙
もしや騎士団と軍人の二足のわらじ展開の可能性が微レ存……?
乙
プロローグって事は続くんだよね?
楽しみにしてる
乙です
朝方、ルルーシュと共にクラブハウスを出たライは、ミレイ会長の待つ生徒会室へ向かっていた。
「もう帰ってきているのか」
尋ねると、隣を歩いているルルーシュは欠伸を噛み殺してから、
「ああ。昨日の内に連絡しておいた。お前の事で急ぎの相談があると言ったら、すぐに連れてこいと即答された。随分と愛されているようだな」
からかうように言ってきた。
「……やめてくれ。一時間後にはホームレスになっているかもしれないんだ」
実際、そちらの可能性の方が高いだろう。ライはそう思っていた。
ルルーシュとスザクはああ言ってくれたが、ミレイは事情が違い過ぎる。彼女はアッシュフォード家と学園の生徒全員の未来を背負っているのだ。安易な選択は出来ないし、させたくなかった。
「まあ、お前が思っているような事にはならないと思うがな」
「…………」
昨日の一件以来、随分と柔らかくなった声音でルルーシュは言うが、ライには沈黙を返す事しか出来なかった。
「昨日、ナナリーにも言われただろう。まずはその悲観的な所を直せ」
「ナナリーか……」
昨日の夜、ライは初めてナナリーから怒られた。それも生半可なものではない、激怒といっても差し支えない迫力のものだった。
彼女が怒ったのはライが戦闘を行った事に対してではなく、記憶探しのためにカレンを巻き込んだことでもない。
ルルーシュとスザクに介錯を委ねた事、二人以外の人間には何も告げず、この学園から姿を消そうとした事。そういった諸々の判断に対して、ナナリーは強い怒りを覚えたらしい。手が付けられなかった。
その怒りは一時間以上にも及び、ライ達三人の謝罪も一時間以上に及んだ。結果として、屋上での一件でもともと遅れていた夕食会が終わったのは夜の一二時過ぎ。深夜である。
その後、ライはルルーシュと二時間ほどチェスに興じ、眠ったのは午前三時。起床はいつも通りの午前五時。睡眠時間としては少々足りていないというのが現状だった。
「人だかりが出来ているな」
ルルーシュが校門の方を見て言った。二人の位置からから五〇メートルほど先、そびえ立つ門の近くに生徒が集中している。おそらくは二〇〇人以上いるだろう。恐ろしい数だ。
彼らが沸き立つ。無数の視線の先に、黒塗りの高級車が止まった。あれが騒ぎの原因らしい。ドアが開く。中から現れた人物に、集まった生徒達は口々に声をかけた。
「カレンさん、昨日は大丈夫でしたか?」
「お体は平気ですか? お怪我は……」
「あ、荷物をお持ちしますよ」
「おい、抜け駆けかよ!」
「ところで、あの転入生とはどういった……」
男子生徒達から我先にと群がられ、その人物は困惑した表情を浮かべている。ライとルルーシュのクラスメートであり、生徒会のメンバーでもある少女。
カレン・シュタットフェルトだった。
良くすかれた赤い髪に、ほっそりとした肩。学園指定のブレザーや、長い足に清楚さを与える白いニーソックスにはしわの一つもなく、同年代の女子生徒と比べて起伏のある肢体を包んでいた。
カレンはどこか節目がちに辺りを見回し、微かに困ったような顔を覗かせた。朝から大勢の生徒に囲まれては仕方のない事だろうと、ライは思った。
「昨日の件が広まっているようだな」
「ああ」
一応、ニュースなどを見た限りではライの乗った<無頼>について報道はされていないようだった。軍も特別な動きは起こしていないと、スザクからも聞いている。
しかし、あの一件が噂になっていることを鑑みるに、租界付近でナイトメアから降りるところを見つかったのかもしれない。だとしたらまずい。
幸い、そういった発言をしている生徒の姿は見受けられないが──
「会長の所へ急ごう」
これ以上騒ぎが大きくなる前にミレイと話した方が良いと思い、ライは言った。
「あっちを助けなくていいのか」
ルルーシュの言うあっちとはカレンの事だろう。人だかりは減るどころか増え続け、野次馬も集まり始めて大騒ぎになっていた。祭り好きという、アッシュフォード学園の生徒の性質が災いしてしまったようだ。
「やめておこう。昨日の件が原因なのだとしたら、ここで僕が近づくと騒ぎが大きくなる危険性がある。それはカレンのためにならない」
そう答えると、ルルーシュは笑った。何かに評価を下すような笑み。どこか嬉しそうだ。
「冷静な判断力だな。……だが、あちらは違うらしいぞ」
「……?」
もう一度、騒ぎの中心に目を戻す。辟易した様子のカレンがこちらに気づき、近づこうとするも──人垣によって阻まれた。病弱で清楚なお嬢様がそれをかき分けられるはずもなく、その足は止められてしまう。
彼女の空色の瞳に、僅かな苛立ちの炎が揺らめいた。
カレンがこちらを見据えてくる。助けを求めるような目だ。彼女の様子に感づいた付近の生徒がその視線を追い、やがては集団全体がライとルルーシュを見る。
三〇〇人近い人間から凝視され、ルルーシュが思わず怯む。凄まじい濃度の敵意や嫉妬が嵐のように渦を巻いて、二人に向かって叩き付けられていた。
ライは同行者を見る。カレンの視線の先にいるのはこの黒髪の少年だと思ったからだ。
「……お前は、いつもこんな目に遭っているのか」
彼の言葉には、呆れたような響きがあった。
「そうだ。だが、後任が見つかったからな。後は引き継ぐだけだ」
ライは微笑むと、歩き出した。言われた方の少年は首を傾げていたが、追求はしないようだ。
カレンを取り囲んでいた男子生徒達も、彼女の友人の女子生徒や駆けつけた教師陣によって追い払われている。騒ぎは収束に向かっていた。
校舎に入った二人は廊下を歩いていた。すれ違う男子生徒からは睨まれ、女子生徒からはひそひそ囁かれながら奇妙な視線を向けられる。
男子の方はともかく、女子の方は今までにないものだった。顔を向けると、一つの女子グループと目が合った。
「…………」
彼女らは一様に顔を赤くすると、身をよじって黄色い歓声を挙げた。
「なんだあれは」
「気にしなくて良い。どうせ、お前には分からない事だ」
「そうか」
ルルーシュは慣れた様子で歩いている。彼がそう言うならそうなのだろうと、ライは納得した。
「あ、いたいた! そこの二人っ!」
教室の近くで友達と話していた一人の女子生徒がこちらに気づき、走り寄ってくる。亜麻色のロングヘアーが朝の日差しを受けて輝いた。活発そうな大きな瞳が、今は不機嫌そうに細められている。
シャーリー・フェネットだった。
「おはよう、シャーリー」
「……おはよう」
「あ、おはよ。……じゃなくて! 昨日の件、噂になってるよ。ライとカレンがゲットーでテロに巻き込まれたって」
ルルーシュとライの挨拶に一瞬だけ気を良くした様子のシャーリーだったが、すぐに非難の視線を向けてくる。
「そうなのか」
「そうなのか、じゃないでしょ。一歩間違えれば二人とも……」
言葉は段々とか細くなっていき、その目も下を向いていく。彼女に大変な心配をかけたらしいことは、ライにも容易く察せられた。
自分にとって生徒会が大切な場所であるのと同じように、彼女にとってもまた、あそこはかけがえの無い空間なのだろう。危うく、それを奪うところだった。
カレンにもしもの事があれば、生徒会が瓦解してしまう原因になる事など、学園に来た当初から分かっていたはずなのに。非難を浴びるのは至極当然だ。ライが黙っていると、シャーリーは上目がちに睨みながら、
「……怪我、無かった?」
「え……」
「怪我は無かったかって訊いてるの」
てっきり責められるとばかり思っていたライは、わずかに驚いた表情で、
「あ、ああ。カレンに怪我は無い。今日は普通に登校していたようだし……」
そう答えたのだが、彼女はお気に召さなかったらしい。またも瞳が怒りの色を帯びた。
「もう、そうじゃないでしょ。カレンだけじゃなくて、キミの事も訊いてるの! どうして、そういう風な考え方ばっかりするの。バカ」
結局、怒られてしまった。ルルーシュに援護を求めるべく目を向けるが、彼は肩をすくめるだけだった。多少の叱責くらい、甘んじて受けろということらしい。
「そうだな。……その、すまなかった。心配をかけた」
「……まあ、許したげる。次からは気をつけること。わかった?」
手を腰にあてて言うシャーリーに、ライは頷きで返した。彼女が日記帳を涙で濡らさずに済んで、本当に良かったと思う。
「そういえば、リヴァルが探してたよ。すごい走り回って」
「リヴァルが?」
「うん。なんか、会長の件がどうのって……あ、来た来た」
シャーリーの視線を追うと、一人の男子生徒がこちらにやって来るのが見えた。随分疲労しているようで、肩で息をしている。
生徒会メンバーの一人、リヴァル・カルデモントは呼吸を整えてから、
「……やっと見つけた。探したぜ、二人とも」
最後に大きく息を吐いて言った。
「朝からどうした? 自宅通学のお前が、こんな時間に……」
「どうしたもこうしたも、朝っぱらに会長から電話が来たんだよ。用事が出来て帰れなくなったから、ルルーシュ達に伝えて欲しいって」
「用事? 終わったんじゃないのか」
「あっちの都合だろ? 急にパーティー組まれたらしいぜ」
「用事……。見合いか」
ライは呟いた。アッシュフォード家は財政難が続いており、没落が危ぶまれているような状態だった。そのため、一人娘のミレイには多大な責任と期待がかけられているのである。
今回も休日を利用して、本人はまったく望んでいないであろう見合いの席が設けられたようだ。
この学園では強権を振るえるミレイだが、権力と金と欲が渦巻く大人の社会の前では何の力も無い一人の小娘でしかないのだ。だから、若くて美しい自分の体と将来を捧げなくては、その土俵に上がらせてもらえない。
「…………」
そしてミレイが苦しんでいる間、ライは何をしていたのかというと、ゲットーに行ってテロに巻き込まれていた。挙げ句、彼女の不利益にしかならない事情を引っさげて、ここで帰りを待っている。
恥知らずとはこの事だろう。ライの中で罪悪感と焦燥感が激しく燃え上がる。早くなんとかしなくてはならない。
知らず知らずの内に、拳が強く握られていた。
「…………」
他のメンバーも一様に暗い表情を浮かべていた。いつも明るく、誰かを陥れたり振り回したりする事に余念のないミレイだが、同時に大勢の人間を照らしているのも事実だ。この学園が活気に満ちているのは、生徒会長が輝いているからだろう。
誰もが彼女に感謝している。力になりたいと思っている。
しかしながらミレイの抱える悩みは複雑で、まだ学生である自分達にはどうしようもない事を嫌というほど思い知らされていた。周囲の喧騒が遠のいていくような錯覚を覚える。
「そういうことなら、ここで悩んでいても仕方がない」
沈黙を破ったのは生徒会副会長だった。
「しかし、そういう連絡にリヴァルを使うとは意外だな」
「おい、どういう意味だよルルーシュ。お前らが電話に出ないって言うから、俺が呼ばれたんだぜ」
少しは感謝しろよ、とばかりにリヴァルが口を尖らせる。それを見ていると、ライの制服の袖を誰かがくいくいと引っ張られた。見ると、シャーリーの顔がすぐ近くにあった。
「……なにかあったの?」
「昨日の件をミレイさんに報告するべきだろうと考えていたんだ。もう噂になっているみたいだが……」
「なるほどね。それでルルと一緒に来たんだ。珍しいね。眠たがりのルルがこんなに早く登校するなんて」
「ああ。昨晩は彼に手料理を振る舞ってもらった。プロ並みなんだな」
「え……。ど、どういうこと? ふ、二人っきり?」
「君が何を危惧しているかは分からないが、ちゃんとスザクもナナリーもいたぞ」
ざわめく周囲の生徒達を尻目に、二人は顔を寄せ合う。非常に近い。風に混じってシャーリーから柑橘系の良い香りがしたが、ライの意識は他の方へ向いていた。
「お礼くらい言えよな。人がせっかく、玄関で待っててやったのに」
「その割には俺達に気づかなかったようだな。どうせ、カレンの取り巻きにでも混じっていたんだろう。その野次馬根性は直した方がいい」
「ううっ! なぜバレて……おや?」
「ん……?」
軽口を交わしていたルルーシュとリヴァルがこちらを見る。一人は不機嫌そうに形の良い目を細め、もう一人はニヤリと楽しそうに笑った。
どうして二人がそんな顔をするか分からず、ライは傍らのシャーリーを見た。距離は相変わらず近い。
「そ、それで。ルルの部屋で何を食べ……て?」
彼女も異変に気づいたらしい。きょとんとした表情でなに? と無言の疑問を投げかけてくる。ライも無言で分からないと返す。
「なるほどなるほど~。ライ、お前もなかなかやるな。カレンの次はシャーリーとは」
「どういうことだ」
「だってさ、そんな接近戦を見せつけられちゃ……ねぇ?」
からかうような表情。この間の生徒会で見せたのと同様のものだ。シャーリーがバッと離れ、その顔を赤くする。
「そういえば、良く一緒に買い物とか行ってるみたいだし。いつの間にそんな仲良く……」
「ち、違うって! そういうんじゃないからっ」
両手をぶんぶん振りながら、シャーリーはカレンと似たような事を言う。
「…………」
「なんだルルーシュ。なぜ睨む」
「……節操が無い奴は嫌いだな」
「……?」
また取り残される。機嫌の悪いルルーシュはリヴァルを伴って自分の教室へ向かって行ってしまった。ミレイが来れなくなったため、生徒会室へ行く必要が無くなったせいだ。
(……まだ時間があるな)
時計は七時半を示している。今からなら、生徒会室でいくつかの仕事を片付ける事も出来るだろう。
「…………」
そんな事を考えていると、いまだに残っているシャーリーと目が合った。何故かこちらを睨んでいる。
「どうした」
「……キミのせいだからねっ」
拗ねたような口調。背中をぺしっと叩いてから、シャーリーはルルーシュ達の後を追った。
「…………?」
やはり、同年代の少年少女の思考が分からない。あまりにも複雑怪奇過ぎる。
ライはため息を吐くと、生徒会室へ向かった。
今回はこの辺で。ついにトリップを付けることに成功しました。これ面倒くさい。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
2828
乙です
乙
ライは相変わらずだなあ
乙
昼休みも使って一日分の仕事を終えたライは、疲れた様子で学園の門へと歩いていた。
ひどい一日だった。ルルーシュとシャーリーはギクシャクしているし、リヴァルはことある毎にライをからかうし、どうしてかカレンは朝から口をきいてくれないしで、完全に四面楚歌の状態だ。
こういう時、スザクがいてくれると非常に助かるのだが、あいにくと彼は仕事中だ。やはりシンジュクゲットーの一件は根の深い物だったらしい。
そして、そのスザクにライはこれから会いに行くことになっていた。向かっているのは彼の仕事場だ。
「……気が重い」
スザクは別として、ライは軍に対して強い拒否感を持っている。ゲットーで難なく戦えたのも、そういった部分に起因するのかもしれない。
正直、嫌だった。近づきたくない。帰りたい。なにか適当な理由をつけて断ることは出来ないだろうか。真剣にそう思う。
(……駄目だ)
スザクは貴重な時間を割いて待ってくれている。身元不明者を自身の職場に連れ込むのだ。百害あって一利なしとはこのことだろう。
だから逃げるわけにはいかない。屋上でああ言った手前、中途半端な事などしていい筈がなかった。
校門を抜けると、車道を挟んだ向こう側に、そびえ立つ大学が見えた。その前に軍用の大型トレーラーが停車している。あれを見るだけで、ライは気分が夕陽のように沈んでいくのを感じた。
歩いていく。もしかしたら留守ではないかという、淡い期待を胸にして。
「あ、ライ。来てくれたんだね!」
軍服姿のスザクが近づいてくる。
「見つかってしまったか……」
少し肩が落ちた。それを見て、スザクが笑う。
「隠れてたのかい?」
「……そういうわけじゃないんだが」
「そう? 何はともあれ、来てくれて嬉しいよ。さあ行こう。ロイドさんが一日中うるさいんだよ。早く君に会わせろって」
「そ、そうか……」
スザクの口振りからすると、おそらく上司から訪問者を連れてこいと言われたのだろう。可哀想に。気の毒だった。
申し訳なく思いながらも、二人はトレーラーに向かう。
そこで、
「……!」
「…………」
まったく同時に二人は振り向いた。学園の出入り口。校門付近。殺気にも似た、ただならぬ気配。凝視されていたような感覚があった。
「……学園の生徒かな」
「それにしては剣呑な気配だった」
「確かに……」
「調べるか。いまなら取り押さえられる」
「え……」
当たり前のようにそう告げたライを、スザクが驚いた表情で見つめている。意味がわからず、言った本人は首を傾げた。
「どうした」
「いや……。らしくないなって」
「そうか。……そうだな」
ライは僅かに目を伏せた。またもシンジュクゲットーで目覚めた力が動き出そうとしている。そしてそれは、なんの疑問もなく敵と見なした者に振るわれるのだ。
危険極まりない。はやく正体を掴まなくては。
「……急ごう。君の上司を待たせている」
先ほどまでとは打って変わって強い意志が表に出る。スザクは頷いてくれたが、その横顔はどこか悲しげだった。
トレーラーに到着すると、軍服姿の少年はパスワードを入力し始めた。見るべきではないと思い、ライは目を逸らした。厚い金属製のドアが開く。電車のそれと同じような、空気が抜けるのに似た音がした。
「失礼します。枢木准尉、例の人物を任意の下、連行しました。入室の許可を──」
「あーそういうのいいって! 早く連れてきてよ! こっちは待ちくたびれてるんだから」
奥の方から成人男性の子供じみた声が響いてきた。さらに女性がそれを咎めるような声もする。続いて短い悲鳴があって、それから男性の声はしなくなった。
僅かな恐怖を感じながらスザクに続く。扉一つを隔てた先に、一組の男女の姿があった。一人は白衣を着た男性。こちらは知っている。ライを見てにこにこと笑っているのはロイドという研究者だ。前に学園の前で話した事がある。
もう一人、女性の方とも面識があった。包容力のある柔和な顔立ち、青みがかった黒い髪。女性士官が着るオリーブ色の軍服は良く似合っていた。
「あなたがライ君ね。こうして話すのは二度目になるのかしら」
女性は少し驚いた様子だったが、すぐに柔らかい微笑みを浮かべた。彼女とは以前、ショッピングモールの食料品売り場で会っている。白米とジャムという奇怪な組み合わせの料理を作ろうとするセシルに、食材の位置を教えた事があったのだ。
彼女は予期せぬ再会に喜んでいる様子だが、ライは無表情で会釈を返すだけだった。
スザクが何かを言おうと口を開くが、白衣の男性ががばっと立ち上がり、喜びに頬を染めて、
「待ってたよ~。いや、僕が言った通りだったでしょ。やっぱり君はナイトメアを動かせるって!」
んふふ、と笑う。彼が何を喜んでいるのか、ライには分からなかった。自分の予想が当たったから、という単純な理由ではないようだった。
「ロイドさん! まったくもう……。驚かせてごめんなさいね。私はセシル・クルーミー。それでこちらはロイド・アスプルンド伯爵。一応、ここの責任者よ」
「伯爵……凄い方だったんですね」
「そんな事どうでもいいでしょ。ほら、こっちこっち」
ロイドは手招きしながら奥に行ってしまった。困ったライは、スザクとセシルの方を向く。ここは一応、軍の施設なのだ。責任者にも関わらず言動が一々軽い人間の好奇心だけを頼りに、足を踏み入れていいものか迷っていた。
「責任者がああ言ってるみたいだし、行きましょうか」
告げて、妙齢の女性は微笑んだ。
「あ、あの……」
そんな彼女に、ライは躊躇いがちに話しかけた。
「? なにかしら?」
「よろしくお願いします」
ライは頭を下げる。自分の都合で彼らの時間を奪い、機材を使わせてもらうのだから当然だ。
「こっちの都合もあるから気にしなくていいのに。でも……スザク君が気に入るのも分かるわね」
「……?」
「生真面目っていうか……。なんだかそういう所、似ているから」
「せ、セシルさん……!」
どうしてかスザクが慌てている。それを見て、セシルは楽しそうに笑った。愛嬌のある魅力的な笑みだった。
「さあ、急ぎましょう。これからなにをするか知っているかしら?」
「なにかしらの機材を使うんですよね」
前日の夜、ルルーシュの部屋から退室する時にスザクから機材の準備が終わり次第、検査を行えると言われただけだ。日時の強制もなければ、詳細な内容も知らされていなかった。
「とりあえずは血液検査をして、それから指紋と網膜から本国のデータベースに登録が無いか調べてみようかと思っていたんだけど……ごめんなさい。ロイドさんがうるさいから、あちらの用件を終わらせてからになるわね」
「分かりました。アスプルンド伯爵は、その準備をされてるんですか」
「ええ。本当は隣の大学の設備を使わせてもらおうかとしたんだけど、どうしてもそれじゃ満足出来ない! って言う人がいてね」
セシルはロイドが去って行った方を見た。おそらくはナイトメア関係の物だろう。このサイズのトレーラーなら、大抵の設備は積み込める。KMFそのものでさえ、搭載可能だ。
扉の向こうから急かす声が聞こえる。本当に子供のような人だと思った。
彼の部下である二人は恥ずかしいのか苦笑している。セシルに至っては、こめかみをひくひくと痙攣させていた。
「い、行こうかライ」
スザクが焦ったように促してくる。彼はここでも苦労しているらしい。可哀想に。気の毒だった。
「シミュレーター、ですか」
トレーラーの奥に鎮座している箱型のユニットを見て、ライは言った。何本ものコードが幾つものモニターに繋がっている。
その近くに立っていたロイドは眩しいくらいの笑みを浮かべて近寄って来る。大の大人がスキップをしている光景は余りにも異様だった。とうとうセシルが喋らなくなる。
「確認するけど、君は昨日、ゲットーの戦闘に巻き込まれてナイトメアに乗った。間違いないね?」
「はい」
「乗った機体はテロリストの使用していた<無頼>で、倒した機体は新品の<サザーランド>五機」
「……紆余曲折はありましたが、そうです」
「んふふ~。なるほどなるほど」
ロイドはうんうんと頷いてから、シミュレーターに視線を向けた。
「あれはブリタニア軍で使われているシミュレーター。君にはあれに乗ってもらいます」
「分かりました」
「驚かないんだ?」
「…………」
無言を返すと、ロイドは何が楽しいのか笑みを深めた。以前、校門前で会った時から、この人物はナイトメア関連の事柄について強い興味を示していた事を思い出す。
こんな性格だ。知的欲求から身元不明の人間を軍用シミュレーターに乗せる事も充分に予想できる。本当にやってくるとは思っていなかったが。
「じゃあ、もう一つ確認。君は自分がどうしてナイトメアを動かせたか分からない。けど、それが記憶に繋がると考えている」
「……はい」
よろしい、とばかりにロイドは頷く。そして、今まで浮かべていた笑みが消えた。代わりに浮かび上がってくる表情は驚くほどに酷薄で、冷徹だった。
「──最後の確認」
刃のように細められた銀色の瞳。吐いた言葉は氷のように冷たく、鋭い。最新設備のひしめく室内にいるというのに、まるで吹雪の真っ只中に取り残されている気分になる。
「──きっと、後悔するよ」
あの校門の前で見せた表情だ。このロイドという男は決して好奇心だけで動いているわけではない。それが行動原理の大部分を占めていることは確かだが、その内部には比類なき知性と、何もかも見通す洞察力を兼ね備えている。
たった二度の対面。交わした言葉は数えるほどしかない。にも関わらず、ロイドはライの内面を容易く看破してきた。この人物に嘘もごまかしも通用しないことは明白だった。
だから、本心を話す。もとより嘘をいうつもりも誤魔化す気も無い。
「信じてくれた人がいます」
ライはちらりと、スザクの方を見やった。背中を押してくれた少年は心配そうな面持ちを崩さない。事の行く末を憂いているのだろう。
脳裏に浮かぶのは夜の屋上と、瞬く星々。両の肩には二つの感触が蘇る。
記憶の中身は望んだものではないのだろう。近い将来、苦しむ事は分かっている。それでも、この決心に揺らぎは無い。
「分かることがあるのなら、知らなくてはならない。悩むのも恐れるのも、その後でいいと……そう考えています」
「…………」
「だから、僕をアレに乗せてください」
そう言うと、ロイドは硬質だった表情から一転して、先ほどまでの少年じみた道化の仮面を被り直す。これが彼なりの処世術なのだろうと、ライは思った。
「じゃあ、ついて来て」
ライは頷き、ロイドの後に続く。シミュレーターに近づくと、そのハッチが開いた。内部から操縦席がせり出してくる。
「始めるよ」
背後から響く声は、どこまでも愉しそうだった。
◇
ライの座った操縦席がシミュレーターに吸い込まれていく。その様子を見ていたスザクは、不安が胸の内を焦がすのを感じていた。
彼をここに連れて来て、本当に良かったのだろうか。他にやりようがあったのではないか。そんな考えがスザクの表情に陰を落とす。
「友達が心配?」
すぐ横から声がした。上司のセシル・クルーミー中尉のものだということに気づくまで、少しの時間が掛かった。
「はい。これが本当に、正しかったのかって……」
「当然ね。調べるのはあのロイドさんだもの」
ふふ、と冗談めかしてセシルは笑う。
「彼が本当に、言っていた通りの技能を持っているのだとしたら……」
どうするのだろう。ライが自分の現状に強い不満を抱いているのは良く知っている。衣食住の全てを与えられるだけの存在に終始するとは思えない。
ならばこそ、判明した力を何かに使う可能性は否定出来なかった。ライが言った事が本当なら、その力は軍事組織であればどこでも通用するだろう。ナイトメアの専門的な知識と、それを縦横無尽に操れる類い希な操縦技能を両立している者は、ブリタニア軍全体で見てもごくわずかだ。
そんな力の持ち主を放っておくほど、今の世界は優しくない。現にライは戦闘に巻き込まれ、眠っていた力を目覚めさせてしまった。
シンジュク事変を思い出す。
あの混乱の最中、スザクは七年振りにルルーシュと再会し、ロイドとセシルに導かれ──そして、最強の白いナイトメアと出会った。
似ている。スザクの運命を変えた場所で、ライもまた混乱に巻き込まれた。同じようにナイトメアに乗り込み、同じように敵を倒した。
違いがあるとすれば、スザクが倒したのはテロリストのナイトメアで、ライが倒したのはブリタニア軍のナイトメアだったというところか。しかしその差違がまた、言いようの無い不安を掻き立てる。
「そうね。彼が本当に、ブリタニアの騎士を容易く倒せるほどの力を持っているのだとしたら、このままにしておく事は出来ないでしょうね」
「……拘束するんですか?」
馬鹿な。スザクは驚きに目を見開いた。それを見たセシルは微笑んで、
「そうじゃないわ。彼、責任感が強くて心配性みたいだから……。誰かさんと同じでね」
「……?」
「こんなシミュレーターで悩みが解決するとは限らないけど、何かの指針にはなると思うわ。何も知らない事より、きっかけだけあって前に進めない事の方がきっと……ずっと辛いもの」
「そう、ですね」
シミュレーターの稼働音が大きくなっていく。それと連動するように、スザクの不安も大きくなっていった。
「テストは簡単なものなんですよね」
「ええ。あくまでも体験用のビギナーコースを使うはずなんだけど……」
戦闘用ナイトメアの搭乗資格を得られるのは基本的に軍に所属する騎士だけだが、例外も存在する。警察機関のナイトポリスや作業機械としてのナイトメアがそれにあたる。
戦闘用の装備を持たない、マシンとしてのナイトメアは比較的身近に存在しているのだ。アッシュフォード学園も<ガニメデ>という機種を保有している。
ライが今回行うのは、そういった一般人向けのシミュレーターのはずだった。まずはシステムの立ち上げや直立といった基本動作から始めて、歩行、低跳躍、物体の保持へと進めていく。
ロイドは戦闘シミュレーターをやらせたがっていたが、それはある程度のデータが出揃ってからという事になっていた。
戦闘を行ったというライの証言を疑っているわけではないが、まるっきり鵜呑みにするわけにもいかない。検査としては当然の措置だった。
「やけに時間がかかってませんか?」
「そうね……」
ロイドが端末の前から動かない。時折、シミュレーターの中にいるライと何かを話しているようだったが、稼働音やら何やらで聞き取れなかった。
おかしい、とスザクは思った。体験用シミュレーションはどの機材の中にも予め入力されているはずだ。何かを準備する必要は無い。説明さえ要らないはずだ。なにせ、シミュレーションの中に初心者向けの音声ガイダンスが入っているのだから。
「嫌な予感がするわね」
セシルが言った。ロイドは以前、軍学校のシミュレーターの中に最新型ナイトメアのデータを入れ、それを何も知らない練習生達にやらせた前科がある。結果として半死人の山が出来上がり、コックピットの中は嘔吐物まみれになった。
またそれをやろうとしているのかもしれない。
……やろうとしているのだろう。
「はじめま~す!」
ロイドの表情は見たことがないほどに輝いている。スザクの疑念は確信へと変わった。
暗転していた大型モニターに光が灯り、起動時に表示される文字列がブラックボード並みに大きい画面を埋め尽くしていく。
その文字列を見たセシルがロイドに詰め寄っていく。
「ロイドさん!? これはビギナーシミュレーターのコードじゃないですよね。まさか、彼に……」
もう遅い。実機と同じ姿勢制御プログラム、火器管制システム、冷却システム、オート・バランサーとモーション・サポート・システムが起動。続いて動力系、駆動系、電子系が連なって動き出した。ブリタニア製の高性能コンピューターが凄まじい速さで処理を進めていく。
間違いない。これは<サザーランド>の起動シークエンスそのものだ。練習機でもなければ作業機体のものでもない。最先端の技術を集めて作られた、最強の陸戦兵器──ナイトメア・フレーム。
一部の騎士にしか与えられない、与えてはいけない情報が満載されたシミュレーターに一般人が乗っている。セシルが食ってかかるのも無理はなかった。
普段は滅多に声を荒げない女性士官は無理やりにでも上司の暴挙を止めようと細腕を伸ばすが──それは途中で止まる。彼女もスザクも、モニターの中の異変に目が釘付けになっていた。
「なっ……!?」
大型モニターにはライフルを構えた<サザーランド>の姿が映っている。
今回はこの辺で。ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
乙
次回はライの代名詞の変態機動の御披露目かな
また気になる所でww
乙です
乙
あのモニターの映像はシミュレーター内のメインモニターに映っているものだ。つまり、ライが見ている映像ということである。
ライの<サザーランド>は起動直後であり、無防備極まりない状態だ。それを、敵の<サザーランド>が射撃姿勢で待ち構えている。眠りから覚め、眼を開けたら銃を突きつけられているのと同じだ。しかも事前情報など一切ない状況である。これでは対処のしようがない。
加えて<サザーランド>同士の戦闘だ。通常、ナイトメアの訓練過程で第五世代型KMFとの戦闘は想定されていない。戦車や装甲車、攻撃ヘリといった通常兵器か、反政府組織へ横流しされている第四世代型KMFのみに絞られているはずだ。
従って、このシミュレーターは一般人向けどころか、訓練生用のものですらない。いや、この異常な開始状況からすると正規部隊のものでもないのだろう。
こんなものをロイドは用意したのかと考えると、スザクは目眩がした。上官は確かに子供っぽいところがあり、悪戯好きだが、こんな浅慮な真似をするとは思っていなかった。
最低だ。間違っている。スザクはいつの間にか開いていた口を閉め──また開けた。
モニター内で異変が起こる。
敵<サザーランド>の構えていたライフルが光る。発砲の際に生じるマズルフラッシュだ。相対距離は僅か三〇メートル。これでライの機体は破壊され、シミュレーションは終わりを迎える。なんとも呆気ない幕切れだった。
しかし、終わらない。
シミュレーションは未だに続行している。
攻撃したはずの<サザーランド>がひとりでに爆発したからだ。頭部と胸部への正確な射撃を受け、大穴を穿たれて沈黙する。
ライの<サザーランド>も被弾していた。脇腹の装甲を僅かに削られただけの、損傷とは程遠いものだったが。
ロイドに掴みかかろうとしていたセシルも驚愕した様子でモニターを見ている。ただ一人、この状況を作り出した張本人だけは胸倉をねじり上げられて喘いでいた。
思い出したようにまばたきする。友人の駆るナイトメアが勝利したのだと理解するまでに、数秒を要した。今日は驚いてばかりだと、スザクの中の冷静な部分がぼやいていた。
眼前には二体の<無頼>。双方とも旧式のウィンチェスター・ライフルを構え、三〇ミリ弾を乱射してくる。
ランドスピナーを展開したライの<サザーランド>は弾幕の中をくぐり抜け、回避機動を行いながら発砲した。FCSに頼らない、完全なマニュアル射撃。敵KMFの行動を司るAIはなすすべなく直撃を受け入れる。
人間が操縦しているなら話も変わっていただろうが、訓練用コンピューターにはああいった攻撃に対する防御思考そのものが無い。
一瞬で二体ものナイトメアを破壊した<サザーランド>は、何事も無かったかのように直進する。これまでに倒した敵機体は<サザーランド>が一騎に<無頼>が三騎。使用した砲弾はたった五発。最初の交戦で二発使用した後は、全ての敵を一撃で仕留めているということだ。
「……凄いわね」
ロイドへの折檻を中断されたセシルが呆れたように呟いた。
「そうですね……」
これにはスザクも同意するしかなかった。ライの技量はまさしく異常の一言に尽きる。牽制射撃や索敵も行わず、ゴールとなる目標地点へまっすぐ突き進んで行く様に、僅かな恐怖を覚えるくらいだ。
「…………」
三人の内、なぜかロイドだけはつまらなそうにモニターを見ている。いや、つまらないというより、もどかしいと言ったほうが適切か。どちらにしても不機嫌な事には変わりない。
「ご不満ですか?」
セシルが尋ねた。
シミュレーションは最初の悪質な不意打ち以降、至って普通の物だった。訓練生に対して行われる、軍学校の卒業試験と殆ど同じ内容である。これも一般人にやらせていいものではないのだが、もう咎める者はいなかった。
機を逃したというのもあるし、何よりシミュレーターに乗っている人物が明らかに一般人では無いことが最大の理由だ。このままだと卒業試験プログラムのレコードホルダーが誕生してしまう。
「こんなシミュレーションじゃ駄目。彼にとって、データの集合体はそこらの子供より脆弱な存在みたいだし……」
「どういうことですか?」
セシルに代わり、スザクが訊いた。
「シミュレーションに出てくるのは当然、既に組まれているプログラム。そこに不確定性は存在しない……つまり、相手の行動に対して決まった動きしか返せないわけ」
「それは……そうでしょうけど、それが今の状況に何の関係が?」
ライの<サザーランド>はスラッシュ・ハーケンとランドスピナーを巧みに操り、古びた高層ビルの頂上へ駆け上る。
「予測能力……ですね」
セシルがモニターを見ながら言った。信じられないものを前にした時の表情をしている。
「そう。彼にはこのシミュレーションの始まりから終わりまでが見えているみたいだね。だから撃った弾は必ず当たるし、撃たれた弾は絶対に外れる」
ロイドの口調はどこか苦々しげだ。
「こんなのは出来レースだよ。被験者が欠片の脅威も抱かないシミュレーションなんて、なんの価値もない」
半径五キロメートルほどある仮想空間の中に、新たな敵機体が現れる。三体の<無頼>がフィールドの隅に三角の隊形を作って進んでいた。
戦闘区域に入った直後、一番前の機体が突如として爆炎に包まれる。そのまま後続の一騎が巻き込まれ、転倒。残された最後の一騎はプログラム通りの機動をとって──こちらも爆散した。
異変の直前、ビルの屋上に佇む<サザーランド>のライフルには、確かに発砲信号が送られていた。
「そ、狙撃……」
セシルが呟き、ロイドがため息を吐く。それと同時に三度目の発砲。一五〇〇メートルの彼方から放たれた八発目の砲弾が、立ち上がろうとする<無頼>を一撃で破壊した。
コックピットが開き、ライが降りてくる。汗一つかいていない。疲労など微塵もないようだった。
「つまらなかったでしょ?」
ロイドに言われ、少年は僅かに眉を寄せる。
「……楽しもうと思っていたわけではないですよ。最初から」
むしろ、つまらなかったのはあなたの方でしょう。言外にそう言いそうな雰囲気があった。
「まあ、良いでしょ。セシル君、残っている彼の検査をお願いね」
「分かりました」
いじけた様子でロイドはデータを整理し始める。今回のような結果を受けて、彼がああいった表情になることは珍しい。普段なら、予想以上の能力を見せたライに対して飛び上がって喜びそうなものだが。
「付いて来て」
「分かりました。あ、その前に……」
ライは持っていた学生鞄から数枚の書類を取り出す。それを手に、ふてくされた様子のロイドのところまで歩いて行った。書類を受け取った上司は今までの表情から一転、きゃっきゃっとはしゃぎ出す。その変化たるや、まるで魔法のようだった。
「お待たせしました」
礼を告げながらライが戻ってくる。
「何を渡したの?」
「シンジュクゲットーでの一件を纏めた報告書だ。必要かと思って作成してきた。あんなに喜ばれるとは思っていなかったが」
「なるほど。やっぱり几帳面だね。君は」
「……検査を受けさせてもらう身だからな。少しでも誠意を見せる必要がある」
当たり前の事だとでも言いそうなライを見ていると、自然と笑みがこぼれる。先ほどの戦い振りには驚いたが、やはりこの少年は自分が知っている通りの人間だ。変に真面目で、どこか抜けている。信頼できる友人だ。人の心に聡いナナリーや、偏屈なルルーシュに気に入られるのも分かる。
「君もああいうシミュレーションをやっているのか」
何気ないライの質問に、スザクの表情は凍りつく。そうだった。彼には妙に鋭いところがあるのを失念していた。
「あ……いや」
気づかれるのは当たり前だった。ロイドはナイトメアの研究を精力的に行っていて、セシルはその助手だ。ならば、この環境におけるスザクの役割とは何か?
デヴァイサー……つまりはテストパイロットだ。唯一無二の第七世代型KMF<ランスロット>。世界最強の機体を動かせる人材として、ロイドが外人部隊から引っ張ってきたのがスザクである。当然、必要になれば戦場に駆り出され、戦う事もあった。
しかし学園の人間には、それどころか幼なじみのルルーシュやナナリーにさえ、その事は明かしていない。
「……?」
スザクだけではなく、セシルも神妙な面持ちになる。何か思惑があったわけでもないらしいライは訝しげな表情を浮かべた。
ロイドとセシルはナイトメアについて極めて優秀な科学者だ。それは彼らの立ち振る舞いや、ここにある先進的な設備を見れば分かることである。ライに他意は無いだろうが、彼の頭脳なら答えなど容易く導き出す。
彼は詮索とは無縁の男だ。相手に踏み込まず、反対に全てを受け入れる不思議な深さを持っている。
「スザク君にはここでテストパイロットをやってもらっているの」
「じゃあ、シミュレーターは……」
「そう、普段使っているのはスザク君ね」
なるほど、とライは頷いた。スザクが実戦に参加している事には気づかれなかったようだ。考えてみれば当たり前である。名誉ブリタニア人には通常、KMFの騎乗資格など与えられないのだから。
セシルの言葉に嘘は無かった。スザクはシミュレーターを頻繁に使用しているのは事実だ。逆に、実戦に参加していないとは言っていない。彼女のフォロー力にはいつも驚かされている。
「学園祭の企画書にもあった通り、<ガニメデ>も動かす予定だよ」
「あのピザを焼くというやつか」
相槌を打ちながら、なんとか話題を変えられた事に安堵する。ライが異常な技能を見せたことで、無駄に過敏になっていたようだ。
「それにしても、あそこまでナイトメアを動かせるなんて凄いわね」
「そうでしょうか。普通の範疇だと思いますが」
「あれが普通だとすると、軍の教練過程を根本から見直す必要があるわね……」
セシルとライは話しながら医務室に向かう。採血などの身体検査を行うためだ。
暗い室内に照明が灯り、椅子を進められたライが着席する。女性士官は張り切っていたが、注射器などがどこにあるか分からないらしく、にわかに慌て始めた。被験者はそれを静かに見ている。
なんだかその光景がおかしくて、スザクの口元には笑みが浮かんでいた。
◇
「ご、ごめんなさい……」
「いえ……」
ライの腕から注射器の針が抜かれる。狙いを外したせいで、採血が上手くいかない。機材の捜索に手間取って、それから準備にも時間をかけたために、検査が始まったのは医務室に到着した三〇分後だった。
そしてさらに一〇分経過し、いまだ血液検査は終わっていない。三回の失敗を経て、ライの腕には三つの注射痕が生まれている。セシル・クルーミー中尉は涙目で謝りながら、四度目の挑戦に入ろうとしていた。
震える針を命中させようと懸命な上司と、それを宥める友人。両者共に痛々しい。
あえなく四度目も失敗し、自分がやろうかとスザクが言い出そうか考えていると、ライは静かに左手で自分の右腕を指差し、
「……静脈はここです」
そう言った。このままだと血液検査のためだけに一時間浪費すると思ったのだろう。今まで言わなかったのはセシルのプライドを守るために違いない。
スザクはとても申し訳ない気持ちになった。上司は顔を真っ赤にし、しきりに謝っている。
「ご、ごめんなさいっ。こういうの、あんまりやったことなくて……」
「いえ……。僕は大丈夫ですから、どうか落ち着いて」
気遣ったための言葉だったらしいが、セシルは赤い顔で恨めしげに睨む。
「……ライ君は意地悪ね」
五度目にしてようやく成功し、医務室内にセシルのやったあ、という小さな歓声が響く。その頃にはスザクもライもかつてないほどに疲れ果てていた。
その後のCTを始めとする検査は滞りなく進み、全ての項目が終わったのは午後八時を回った頃だった。
「結構、時間かかったね」
「そうだな。手間をかけさせてしまった」
ライを送るように言われたスザクは、彼とクラブハウスまでの道を歩いていた。もともと学園の向かいにある大学の前だったので、大した距離でもない。往復一五分といったところだろうか。
「この後はどうするつもり?」
「就寝時間が迫っている。シャワーを浴びて寝るだけだ」
食事の予定は無いらしい。後でルルーシュに連絡しておこうと考えながら、
「そうじゃなくて、君の身の振り方だよ。検査の結果が出るまで時間が掛かるらしいから」
今日の検査で分かった事は、ライのナイトメア操縦の技術が不自然なまでに高いこと。それが分かった上で、上司二人には彼を拘束するつもりがまったく無いこと。そして、セシルが意外に不器用だったということくらいだ。
「とりあえずはミレイさんを待つよ。他については今まで通りで良いと思っているが……どうだ?」
スザクは頷いた。
「うん。良いと思う。それと、もう一つ話があるんだけど」
「なんだ」
既にクラブハウスの入り口に到着してしまっていた。電灯の光を背に、ライが振り返る。スザクは言いにくそうに口をもごもごさせてから、諦めたように嘆息した。
「ロイドさんが、君にまた来て欲しいって」
「そうか」
「……驚かないんだね」
「短い時間だったが、彼らの人となりは理解したつもりだ。良い職場に恵まれたな、スザクは」
そう言って、安心したようにライは微笑んだ。
スザクは日本人──名誉ブリタニア人だ。軍という組織の中では、まともな待遇など期待出来ない身である。差別、冷遇など当たり前。毒ガスが蔓延しているかもしれない戦場に、警棒一つで出撃させられたこともあった。
そんな環境に身を置いていることを、この少年は心配してくれていたのだろう。
「そうだね。僕は恵まれている」
だから、スザクも笑みを浮かべた。ルルーシュやナナリーにも隠している自らの懐にライを向かい入れる事に、僅かな危機感と大きな躊躇があった。
目の前の少年と同じように、スザクにとって、アッシュフォード学園というのは特別な場所だ。特に、あの生徒会室は何ものにも代え難い。
日本侵攻からの七年間。苦痛と研鑽の日々だった。同じ日本人からは裏切り者となじられ、石を投げられる。命は紙屑のように消費されるもので、そこに尊厳などは微塵もない。どこまでも暗い時間。それらを全て自身への罰だと、過去への贖罪だと思ってきた。
だが、今は違う。ロイド達から戦う力を与えられ、光輝く少女に居場所を貰い、そしてまたルルーシュとナナリーに再会出来た。同じ学校に通い、同じ時を過ごす事が出来る。身に余る幸福だ。絶対に失いたくないと思うのは当然の事だろう。
だからこそ、ライの悩みをスザクは理解出来る。どうにもならない無力感、どこまでもついてくる異物感、決して消えない疎外感。全て分かる。共感出来る。力になりたいと思うのだ。
分かるからこそ、彼には平和に過ごして貰いたい。
スザクはこの三週間で、過去のライが戦場に身を置いていただろう事を看破していた。
洗練された身のこなし、記憶の底より奥──神経に刻み込まれた重心移動。時おり見せる異常な危機察知能力。シミュレーターの件は駄目押しだった。
「僕は……断るべきだと思ってる」
「…………」
ライは答えない。それでも、スザクは続けた。
「君は軍なんかに関わる必要はない。普通に暮らせるんだ。そのままが一番良いに決まってる」
「……そうだな。そうだろうな」
ライがスザクの部隊──特派に入れば、めきめきと頭角を現していくことだろう。コーネリア総督の親衛隊でさえ、充分以上に通用する腕前。また戦場に引き込まれるのは明白だ。ライ自身、おそらくそれを拒まない。
「だが、君も分かるだろう。過去の僕が平穏な生活なんて送っていなかったことぐらい。引き寄せられているのが分かる。結局は……」
逃げられないと、ライはそう言った。理不尽を受け入れ、大切な物を手放すことすら許容している表情。それが酷く癇に障った。
「違うよ。それは違う」
断固として否定した。脳裏には幸せそうに過ごす兄妹の姿がよぎる。
「…………」
スザクが頑なに拒否する理由が分からないのだろう。ライは眉を寄せている。認識に隔たりがあることを、ようやく思い出した。
彼はスザクが技術関係の、およそ危険とは無縁の部署にいると思っている。シミュレーターを使うことはあっても、実機に騎乗することは無いと。
嘘をついているのはこちらだ。悪いのは自分。しかし、真実を言うわけにもいかない。
「……ごめん。でも、過去がどうあれ、今の君は戦わなくて良い環境にいるんだ。それを手放す必要なんか、無い」
「……僕に技術的な知識があるのもまた事実だ。ロイド伯爵も言っていたが、これ一つで生計を立てられるくらいのものらしい」
「それは……そうだけど」
ライは今の境遇に不満を抱いている。衣食住の全てをミレイの善意で与えられ、それに対して何も返せないことに強い罪悪感を持っているのだ。
その気持ちは良く分かる。同じ立場だったらスザクも必ずそう考えるだろう。
その点から見れば、ライが自身の技能を使って金銭を得たいと考えるのは当然のことだ。ブリタニア軍人なら社会的にも申し分ない立場を得られるし、能力を示せば報酬も跳ね上がる。
自立さえ出来れば、ライは何の気負いもなくアッシュフォード学園の正式な生徒になれるだろう。ロイドなら彼の身分をでっち上げることくらい造作もない。
ブリタニア軍に入れば、彼の抱えている問題の大半は解決する。義務感から記憶探しに執着する必要は無くなり、胸を張って生きていけるのだ。
だが、事がそう上手く運ばないことを、スザクは知っている。
「ロイドさんなら、君の市民IDを作れるかもしれない。でも、そうしたら君は立派なブリタニア人だ。戦場に駆り出される可能性だってある」
ロイドは間違いなくライを戦場に出そうとするだろう。<黒の騎士団>の台頭でエリア11は荒れている。
治安の悪化に伴い、人手がどんどん足りなくなっていく事は想像に難くない。そうなったら、ライは必ず目立つ存在になる。ブリタニア軍はそんな彼を絶対に見逃さない。ずるずると戦場の奥地に連れて行かれ、結局はアッシュフォード学園にいられなくなる。
「…………」
そして、この聡明な友人はそんな未来を予測してなお、暗い未来に飛び込もうとしている。スザクにはそれがどうしても看過出来なかった。
苛立ちが募る。ライに対してではなく、彼に最良の道を示せない自分に、なにより苛立った。
「スザクはどうしてブリタニア軍に入ったんだ」
「え、僕は……」
決まっている。間違いを正すためだ。スザクとて、現在の日本の姿が正しいとは思っていない。変えたいと、変えなくてはならないと考えている。
だが、<黒の騎士団>や他の反政府組織のような、ただただ理不尽な暴力を振りかざすやり方とは違う、ブリタニアのルールに則った方法。
「僕は"ナイトオブラウンズ"になりたいと思っている」
遥か昔、ブリタニアがまだブリテン島にあった頃の時代。伝説の王が率いた最強の騎士団があった。伝説は今なお受け継がれ、その逸話はブリタニアの文化に深い影響を与えている。
<ナイトオブラウンズ>はその最も顕著な例だ。皇帝に選ばれし、十二の騎士。彼らは例外なく超絶的な力を誇り、個人で戦乱を鎮めるとまで言われている。ブリタニア軍の頂点、騎士の頂点だ。
そして、<ナイトオブラウンズ>のトップ──ナイトオブワンには、ブリタニアが有する植民地の一つを自身の領地とする事が出来る。
スザクの目的はブリタニア軍の頂点に登り詰め、その権限でもってエリア11を救済する事だ。そのために、スザクはいま戦っている。
「ナイトオブ……ラウンズ。円卓の騎士団か」
ライは感傷でもあったのか、その言葉を口の中で転がすように反復する。
「君はまだ士官だろう。随分と長い道のりだ」
「そうだね。それでも僕の姿を見て、後に続いてくれる人が出てくれるなら、それで良いと思ってる」
「外側から壊すのではなく、内側から変えていく。それが君のやり方か」
「うん」
「理想論だな」
「……そうだね」
予想していた反応だった。名誉ブリタニア人のスザクが軍のトップを目指すなど、荒唐無稽が過ぎて笑い話にもなりはしない。
「だが、僕は良いと思うぞ」
「え……」
スザクはきょとんとした。相手にされないか、呆れられるかのどちらかだと思っていただけに、しばし硬直する。
「酔狂で言っているわけではない事くらい、普段の君を見ていればわかる」
「……意外だな。てっきり否定されるかと思っていたのに」
「出来るわけないだろう。僕に他人の理想を否定する資格なんかない。それが過去から続く強い意志によるものなら、尚更だ」
「ライ……」
「君は恩人だ。応援するよ」
彼はやめろとも頑張れとも言わなかった。そんな言葉でさえ、自分には言う資格が無いと思っているのだ。
だからこそ、今の言葉には不思議な重みがあった。体の奥底から力が湧いてくる感覚。誰かから応援してもらえるという、ただそれだけの事で、こんなにも目の前が明るくなる。
「ありがとう」
視界が開けた事で、ようやく気づいたものもあった。スザクがライを軍に引き込みたくなかった理由だ。
死んでしまうかもしれないという心配があった。ようやく平穏を手に入れた彼から、それを奪いたくないという気持ちがあった。彼が記憶に近づく事で今の関係が壊れてしまうかもしれないという恐れがあった。
だが、それらより大きな理由があった。
七年ぶりに再会したスザクの何より大切な、たった二人の幼なじみ。いつ死ぬとも分からぬ自分の代わりに、ライにあの兄妹の傍にいて欲しかったのだ。
気付かぬうちに、ライが見せた力をあてにしてしまっていた。この友人なら二人を守ってくれると、彼の意志を汲まないままにそう望んでいた。押し付けてしまっていた。
そんな自分を、スザクは強く恥じた。
彼はこちらの意志や理想を受け入れ、応援してくれているというのに、自分はこの体たらく。情けなかった。
「君は軍に──特派に入るのかい?」
「それは……まだ分からない。どちらにせよ、ミレイさんに話をしてからだな。決めるのはその後で良い」
ライの言葉を聞いて、スザクは頷いた。
「特派に入れば、たぶん君は戦場に出る事になる」
「ああ。それはロイド伯爵に聞いた」
「……だから、後悔しないようにしっかり考えて。入るにしても、入らないにしても、僕は君を応援する。君がそうしてくれたようにね」
「もし入ることになったら、その時はよろしく頼む。……君には頼んでばかりだな」
「そうだね」
二人で軽く笑う。その時、スザクの懐に入っていた通信機が鳴った。
「呼び出しだ」
「随分と話し込んでしまったからな」
着信音からメールだというのは分かっていたので、通信機の液晶画面に文面を表示する。頬が引きつった。
「どうした。叱られたのか」
「いや……ロイドさんから君に宛てた物なんだけど」
「そうか。どういった内容だ」
「また君にシミュレーターをやって欲しいみたいなんだ。だから、もう一度来てもらいたいって。出来れば明日にでも」
「わかった」
「いいのかい?」
ロイドはなし崩し的にライを加入させるつもりだろう。ナイトメアについて、操縦技能と工学的知識を高い次元で両立させているパイロットはブリタニア軍でも滅多にいない。
慢性的な人材不足に喘いでいる特派からしてみれば、喉から手が出るほど欲しい存在なのは明らかだった。
「問題ないだろう。こちらの弱みは既に晒したからな。ロイド伯爵の動向も見ておきたい」
「わかった。待ってるよ」
手をあげ、スザクは背を向けた。暗い夜道を一人で帰る。
「……今日はありがとう。有意義な時間だった」
後ろから友人の声がした。振り向き、
「こっちこそありがとう。……おやすみ。夕食はしっかり食べること」
「……ああ、わかった。おやすみ」
微笑みを交わした。
その後、戻ったスザクを待っていたのは暴行を受けた形跡のあるロイドと、いつになくニコニコしているセシルだった。
今回はこの辺で。
特派加入編(仮)は自信が無かったので纏めて投下しました。
ブリタニア軍人編は戦闘が沢山あって楽しかった覚えがあります。模擬戦よりキュウシュウ戦役が辛かった……。セシルさんルートを実装したロスカラ完全版まだかな。
ちょっと熱が入ってしまいましたが、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
おつおつ
親衛隊ルートが特に戦闘多くて楽しかった気がする
乙
イッキ読みしたけど良SSだ
乙です
乙
セシルさんルート本当に欲しいよね
乙
ルルーシュもだがスザクも周囲の人に恵まれたなぁ、基本悲惨すぎな人生だし人間関係が後の悲劇に繋がったりするんでプラマイゼロには程遠いけど
雲が流れていく。まるで濁流のような速さだ。にも関わらず、曇天は一向に切れ間を見せない。太陽は無く、重苦しい厚い雲が地平線の彼方まで続いていた。
見渡す限りの荒野。草木の一本も無い、枯れた大地。険しい地面は足に突き刺さるような硬度を有している。
乾いた風はさながら刃のようで、撫でられるだけで頬を切ってしまいそうだ。砂と埃だけを含んだだけで、他には何も無い。
色の無い、苦痛だらけの世界。
一際強い風が吹く。舞い上がる砂塵の向こうで変化が起きた。
飛び交うのは怒号と悲鳴、そして断末魔。絶え間なく打ち鳴らされる金属の雄叫び。剣が、槍が、弓が、数え切れない武器が乱舞する。その真価を発揮すべく、使い手と共に駆けていく。
そこは戦場だった。
見れば、自分も右手に剣を持っている。眩しいほどに輝き、万物を斬り裂く光の剣。
正面から一人、砂塵を巻き上げて突進してくる男がいた。敵なのだろう。放つ敵意と纏う殺気が、なによりの証明だった。
相当な豪傑のようだが、特に驚きもしない。混乱も無かった。
三度の突きをくぐり抜け、横薙ぎに払われた槍を跳んでかわす。既にこちらの間合いだった。
無造作に剣を振るうと、相手の槍は穂先から真っ二つになった。返す刃でその首を落とす。敵は驚愕の表情を浮かべたまま、絶命した。一瞬だった。
地面に落ちようとする首をさらに蹴り上げる。死してなお利用された生首は後方から飛来した矢を受け止め、戦場の誰かを救った。
剣を振るうごとに死体が増える。一歩進むごとに勝利が近づく。乾いた大地は流れ出る血の川を美味そうに吸い込んだ。何の感慨も無く、ひたすら前進する。苦痛も葛藤も無いのだから、これは単なる作業に過ぎない。視界の端に転がるのは過程で生じた世界の廃棄物なのだ。
遥か後方。馬に乗ったままの敵指揮官が逃走を図ろうとしている。下らない男だ。退却の機会を何度も与えてやったというのに、戦力の立て直しをするべきこのタイミングで逃げ出すとは。
あいつはいらない。
そう思い、地面に落ちていた弓を拾う。矢は──あれで良い。生首に刺さっていた物を強引に引き抜く。頭の内容物も一緒に引きずり出されたが、特に気にするものでもなかった。
矢をつがえ、弓を引く。
距離は五〇〇メートルほど。目標はとっくに射程の外だったが、それは一般人から見た場合の話だ。自らには適用されない事を知っている。
弓がしなり、弦が軋む。風は強いが、いかほどの事でもない。吹くなら吹くで、利用するだけの話だ。
限界まで引き絞り──放つ。赤い軌跡を伴って、矢は濁った空に吸い込まれていった。結末を見る必要は無い。勝利は既に決まっているものであり、故にあの矢は当たるに決まっている。
地面に突き刺したままの剣を引き抜き、鞘に収めた。一〇〇人近い人間を斬り殺しても、その輝きは微塵も衰えず、その切れ味は永遠だった。納刀は戦いの終わりを告げる合図に他ならない。周囲の兵は逃げ惑う敵を掃討しようと、勢いを増した。
戦いが終わる。殺した人間の数は覚えていても、勝利の回数は覚えていない。
つまらない戦だった。終始、脅威を感じることも無く、終わった後の達成感も無い。当たり前のように戦って、当たり前のように殺して、当たり前のように勝利した。困難はあった。気候も良くは無かった。だがいずれも、取るに足らない事だった。
空を見上げる。
相変わらず、太陽は見えなかった。
「────!」
ライは目を覚ますと同時に飛び起きた。覚醒した瞬間には夢だという事に気づいていたので、驚きはなかった。ただ、体中が汗でびっしょりだった。
「なんだったんだ……」
強烈な内容だったのは確かだ。手には人を切り裂く感触が残っている。鼻には死臭が、耳には断末魔が、それぞれ染み付いて離れなかった。
だが、それだけだ。今し方みたばかりなのに、夢の内容を思い出せない。起きた時には残っていたイメージも、何か強烈な力によって塗りつぶされようとしている。後はいつも通り、残滓に苦しめられるだけだ。
ライは頭を抑える。シンジュクゲットーでの一件から一日経過した朝の三時。悪夢によって起こされたらしい。
なんだったのか。決まっている。あれは過去に関するものだろう。蔓延する敵意と悪意と殺意。這い寄ってくる死の感触。どれもシンジュクゲットーで接したものと同じだ。
スザクの職場で使用したシミュレーターは高性能だったが、絶対に再現出来ないものがある。あの地獄の空気だけは、再現出来るはずがないのだ。
ひどく喉が渇いていた。頭も痛い。動悸もいつになく激しい。鳥肌が治まらない。神経が過敏になっているせいか、どうしようもなく暴れ出したくなる。
水を飲もう。そうすれば落ち着くはずだ。
そう考え、立ち上がった瞬間だった。その声が聞こえたのは。
(──お前だったのか)
頭の中に直接響く、聞き覚えのある声。誰だっただろうか。ショッピングモールを一緒に歩いた……
(躍動を感じるぞ。静かな夜には似つかわしく無いな。良く育っている)
だが、思い起こすことすら許してくれない。妖艶さすら漂わせる声の主が面白そうに言葉を連ねる度に思考が氾濫し、左目の奥が激痛に襲われた。
(苦しいだろう。もう押さえ込んではいられないようだ)
「君は……あの時の……っ」
(ほう、話せるか。だが止めておけ。また壊れるぞ)
「くそ……!」
お前のせいだろうと言ってやりたかったが、全身を蝕む苦痛の波が、そんな考えさえ押し流していく。
(満月の夜、公園で待っている)
「っ! おい──」
声が遠くなっていく。波が引いていく。
知らぬ間に床に這いつくばっていた体を慎重に点検してから起き上がらせる。また汗まみれになっていた。
声の主はC.C.という少女だろう。間違いない。彼女と会ったのは割と最近だったはずだが、遠い昔の事のように感じた。
「満月の夜……公園か」
窓の近くまで行ってカーテンを開けた。雲の合間から覗くのは絵に描いたような三日月だ。満月まではしばらく掛かる。
日の出まで時間があった。とりあえず、シャワーを浴びよう。そう思って、ライはクローゼットから着替えを取り出すべく歩き出した。
◇
あれから結局眠れなかったライは朝の五時まで時間を潰してから、また租界の散策に繰り出した。公園に行ってもみたが、少女の姿は当然ながら無かった。
いつも通り収穫は得られず、適度な運動を終えてクラブハウスに戻ってくる。時刻は六時半。掛かる時間がだんだんと短くなってきているということは、この散策もまた、作業的な意味合いが強くなってきているのだろう。他の理由もあったが、それは今日一日限りの事だ。
自室に戻り、てきぱきと準備をする。今日使うであろう教材と筆記用具を総点検。異常無し。丁寧に鞄へ入れてから再度洗顔をして、窓などの戸締まりを終えて部屋を出る。施錠も念入りにチェックした。
朝食は──いいだろう。食べなくとも、どうせバレないに決まっている。それよりも放課後に<特派>へ行くとなれば、スザクの分の授業を受け、生徒会の仕事もこなしておかなければならない。体調管理は二の次だ。
効率的な仕事運びをシミュレートしながらクラブハウスを出ると、丸い支柱の近くに人影を発見した。
赤い髪の女生徒は知人に一人しかいない。
「カレン、おは──」
挨拶の途中、すれ違い様に右腕を取られる。そのまま引っ張られ、背中を円柱に押し付けられる形になった。すぐ下には見慣れたお世話係主任の顔がある。その目はいつか見た時と同じ、怒りの色に満ちていた。
「どうした急に」
動きを封じられている。右腕は掴まれ、左腕は背中と柱に挟まれていた。どちらの腕も自由にするには苦労する。両足も同様。理にかなった拘束だった。護身術の類いではない。
胸を押さえるカレンの膂力は女子高生のそれを遥かに凌駕していた。とても病弱でおしとやかな名家のご令嬢とは思えない。そういえば、華麗な三角飛びを披露した事もあったなと思い出す。
しかし、結局は男と女。性別という絶対的な違いがある。体格差は歴然で、力任せに振りほどくのは容易い。必要となれば幾つかの関節も外せるだろう。そうすれば、逆襲することも出来る。
(……どうするかな)
だが、そんな行為にどれほどの価値があるだろう。ライが考えていると、ようやく襲撃者が口を開いた。
「どうして昨日、軍服姿のスザクと一緒にいたの?」
カレンの声は底冷えのするほどに鋭かった。脳内の情報からその理由を探る。
彼女は以前から日本寄りの意見を持っていた。それは反ブリタニア寄りの意見ということでもある。
従って、ブリタニア軍のスザクと自分が共に行動する様子は、彼女の目から見れば背信行為に映る可能性がある。
加えて、シンジュクゲットーの一件で妙な能力を見せたのはライだけではなかった。カレンにも不審なところは幾つもあったのだから、それをバラされるかもしれないと彼女が危機感を抱くのも理解出来る。
「決まっているだろう。シンジュクゲットーでの事を話したからだ」
「よりによって、軍人のスザクに?」
「ルルーシュにも話した」
「どうして」
「きちんと処理する必要がある事件だった。君にも分かるだろう」
「あなたって人は……っ」
「心配しなくても、君の事は話していない。あくまでも僕個人のものとして報告した。君はただの被害者だ」
ロイドに渡した報告書にはカレンの事も記載していた。だが彼女はあくまでボランティア活動の一環でゲットーを訪れていただけであり、そこで顔見知りの自分と偶然行動を共にして事件に巻き込まれたとだけ書いていた。
世話係主任の仕事は彼女の善意によって行われているのだから、ボランティア云々についてはあながち嘘とも言い切れない。
そもそもカレンは名門シュタットフェルト家の令嬢なのだから多少の不自然は容易く握り潰せるし、軍も追及したがらないだろう。この先、彼女に火の粉が降りかかる事は考え難い。
ライの考えを察したのか、制服の胸元を掴むカレンの手に、いっそう力が込められる。俯いているため、彼女の表情は分からなかった。
「そういうことを言っているんじゃない! 少し間違えればあなた、学園から追放されていたかもしれないのよ」
「そうなるんであれば、そちらの方が良かった」
突き放すように言った。カレンは驚いた顔でライを見た後、その手を離す。それから二歩ほど下がった。
「だって……そうなったら、私のせいじゃない」
「それは違う。ついて行ったのは僕の意志だ」
「結果は……どうなったの? あなたがここにいるって事は、少なくとも即拘束ってわけじゃないのよね?」
「ああ。なにせ証拠が無いからな。罪に問われる可能性は低いそうだ」
「でも、あなた市民IDが……」
「その事についても放置してくれるらしい」
ライの身柄はアッシュフォード家が正式な手続きのもとに管理してくれているため、租界で生活する分には問題ないという、昨日ロイドとセシルから受けた説明をそのまま伝えた。
「そう……なら良かった」
心情は言葉の通りでは無いのだろう。カレンの顔は晴れない。ライもまた、疑問に思った。彼女の不安は取り払ったはずなのに、どうして未だに暗い表情のままなのだろう?
「まだ何か心配事があるのか」
単刀直入に尋ねると、カレンはこちらをちらりと見て──また目を逸らした。何か逡巡している様子だ。
「少しくらい、私に相談してくれても良かったんじゃない? なんでもあなた一人で決めて……」
「…………」
「私、信用無いよね」
「相談しようとしたぞ」
「嘘。昨日一日、私と一言も話さなかったじゃない」
「僕は何度も話しかけただろう。それを無視したのは君だ」
「む……」
カレンは押し黙った。昨日は朝に校門で見かけて以来、カレンはずっと機嫌が悪かった。
授業が終わればさっさと姿を眩ましてしまうし、彼女の親衛隊のガードもいつにもまして堅固だった。
昼休みにようやく捕まえたライが話しかけても、目さえ合わせてくれなかったのだ。カレンが怒る理由も皆目見当がつかなかったので、生理か何かだろうと勝手に最低な予想をしていた。
生徒会メンバーに仲介役を頼もうとしてもシャーリーからは断られたし、ルルーシュも機嫌が悪いし、リヴァルは状況を悪化させそうだしで、まったく援護が受けられなかった。
結局、ライはカレンへの相談を後回しにして、スザクの方へと向かったというわけだ。
だが、世話係主任はそれでも不服らしい。この件に関しては一方的にコミュニケーションを断った彼女にも非があるような気がするが、明言はしなかった。
「だって、それはあなたが……」
「……? 僕がなんだ。何かしていたなら謝る」
知らず知らずの内に不快感を与えていたのかもしれない。しれないのだが、そういった機微を察するというのは難しかった。
「……分からないなら良い」
「言ってもらえないと分からないぞ」
「言っても分からないでしょ」
拗ねたような口調で言うカレンに、ライは首を傾げた。
「早朝からつけ回した上に暴力を振るい、その理由さえも話さないというのはどうかと思うぞ」
少なくとも、ライは自分の行為に非があったとは思っていなかった。カレンに被害が及ばないように細心の注意を払ったし、相談なくルルーシュ達に報告した事も言おうとした。
それを感情的な理由からコミュニケーションの一切を拒否され、尾行や暴力といった扱いを受けるのであれば、カレンとの関係を根本から見直す必要がある。
不満があるのなら言うべきだ。人間の感情に疎いライでは、察するにも限界がある。カレンが不快感を抱いているのだとしたら、内容をはっきり口にして貰った方が誤解も無くて手っ取り早い。
「そ、それはごめんなさい。……って、気づいてたの? 私が後をつけてたこと」
「ああ。……いや、君だという確信はなかったが」
今朝、租界を歩いている時に行われていた尾行は早い段階で察知していた。シンジュクゲットーでの件があったばかりだし、スザクと歩いている時に感じた視線の事もある。
何より、あの悪夢のせいで神経がいつもより遥かに過敏になっていた。
(もしかしたら……)
昨日の突き刺さるような視線はカレンのものだったのだろうか。スザクと一緒にいたところを見ていたような口ぶりからして、その可能性もありえるだろうと思った。
「どうしてこんな事をした?」
「それは……」
またもカレンが口ごもる。悪戯が見つかった子供のように、ばつが悪そうな表情だ。とても珍しい。
「あなた、ブリタニア軍と戦ったでしょう。それで軍服姿のスザクと一緒にいたら、連行されたのかと思って」
「……それで何故、尾行する必要がある」
「う……」
シンジュクゲットーでの騒ぎから、カレンの様子がどんどんとおかしくなっているとライは感じていた。いつも纏っていた清楚なお嬢様ではなく、もっと別の顔が頻繁に出てきている。
以前からおかしい所は沢山あった。反ブリタニア的な発言を良くしていた上に、高い身体能力を垣間見せてもいた。そして極めつけはナイトメアの知識だ。
戦闘機動中のナイトメアが生む急激なGに難なく対応し、砲弾が飛び交う戦場でも冷静だった。<無頼>の点検やモニターの操作にも慣れているようだ。とても一般の女子高生とは思えない。
そして、今のこの状況。
カレンが何かを隠しているのは間違いない。そしてそれは知られたらまずいような事なのだろう。彼女の行動には何か深い理由が根本にある。
ライは世話係主任を見た。表情から害意などは感じられない。もどかしさと焦燥感と後悔が入り混じった、複雑な顔をしている。
それだけで追及する気がどんどんと失せていった。彼女に事情がある事など、とうの昔に気づいていた。誰にでも他人に言えない事くらいあると思って座視していたのはライ自身だ。それを今さら変えようとは思わない。
区切りの良い所で終われない……。今回はこの辺で。
騎士団と特派はどっちが良いんでしょうか。学園編も好きなんですが、失踪エンドが多くてどうもね……。
ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。感想コメをくれる方々、いつも感謝しております(いまさら)。これからもよろしくお願いします。
乙です
どっちも好きだからどっちかは選べねえぇ
乙です生理わろた
そんな事言って両方書いてくれんでしょ?
期待してます
ライカレが好きだから、騎士団ルート
の、ノネットさんルート(小声)
おつおつ
乙
いっそセシルさんルートを
ライカレ見たいんで、騎士団で
原作はスザク側の味方キャラ少なかったので特派で
最近漫画版の双貌のオズで、ノネットさん周りにライっぽい要素散りばめまくってるのに触発されたので
特派で
最初はギアスルートでしょ
最初は
騎士団で
なんだこのレスの数は……(戦慄)
「シミュレーターだ」
「え……」
「僕がスザクと一緒にいた理由だよ。彼の職場に行って、そこの設備を貸して貰っていた」
「記憶のため?」
ライは頷いた。穏やかな風が吹いて、木々がざわめいた。枝葉の隙間から数羽の小鳥が飛び出し、朝の空へと消えていく。
「あれだけ動かせたんだ。記憶を失う前は、何らかの形でナイトメアに携わっていたんだと思う」
「……そうね。それはあるかも」
「手掛かりになるなら、手を伸ばすべきだ。……僕の正体が何であれ、ナイトメアを動かしていれば近づけるかもしれない」
「…………」
カレンは無言で見つめてくる。彼女の目にはどう映ったのだろう? 突然ナイトメアに乗り込み、ブリタニア軍を撃破する記憶喪失の男。ひどく奇怪だったに違いない。
そう考えれば、今までの行動にも納得できる。学園で避けられていたのは、偏(ひとえ)にライを怖がっていただけ。尾行もそれに連なる理由だとすれば、説明はつく。
やはり、この関係は終焉に近づいているような気がしてならなかった。ライはぼんやりとした面持ちで朝練に励む運動部の声に耳を傾けていた。
朝の日差しを受けて輝くひび一つ無い石造りの地面。上には、だんだんと青くなっていく空と、白い雲。地平線の向こうから昇った太陽がその高度を上げていく。
自然の活力に満ちた風景は、心の中に滲んでくるそれとは全く違うものだった。この場所はもっと色づいていて、どこまでも平和だ。それなのに、朝からこんなところで陰鬱な話をしている自分とカレンがどこか異質な存在に思えた。
「ナイトメアに乗りたいの?」
「え……」
思考が引き戻される。意識が薄れていたために、カレンがすぐ近くにいることを失念していた。
目を向けると、カレンの端正な顔がまた近づいていた。注意深く、警戒の色さえ含んだ彼女の瞳がライを捉えている。
「……分からない」
ナイトメアに乗る必要があるとは思う。ようやく見つけた記憶の手掛かりなのだ。結果が出るまで究めた方が良いだろう。
だが、乗りたいかと言われると首を傾げてしまう。ライ自身、特にそういった願望は無いのだ。元より欲求の類に疎いのもある。
「そう……。普通なら乗りたくは無いわよね」
忘れて、とカレンは続けた。
そこでライは思い当たる。あのテロで自分と一緒にいたのはカレンだけだ。何らかの変化が起きていた場合、気づけたのも彼女だけだろう。
「<無頼>に乗っていた時、僕はどんな感じだった」
「どんな感じって……」
「様子がおかしくなかったか。いつもと違う言動をしていたとか、癖みたいなものでも良い。何かなかったか」
カレンは人差し指を顎先にあて、考える仕草をする。
「そう、ね。普段とあまり変わらなかったと思う。変わらなすぎて、逆におかしかったくらい」
「……そうか」
「普通ならもっと取り乱すはずでしょ? とても素人には見えなかったわ。それに……」
突然言われて戸惑っているのだろう。カレンはあの時の状況を記憶の奥から引き出しているようだった。やや上を向いていた視線のまま、はっとした表情になり、それから顔を赤くする。
「どうした」
「な、なんでもないわ。気にしないで」
目をそらし、動揺する様はライに不安を与えた。懸念が当たっているかもしれないという不安だ。
「……? 思ったことがあったなら言ってくれ。君の感想が何かのヒントになるかもしれない」
カレンはどんどん後退していく。先ほどまでは近すぎるくらいだったのに、この変化。意味が分からないライが無言で見ていると、彼女は視線を外してから慎重な口調で言った。
「その、ほら。すごくリラックスしていたって言うか。いつもより存在感があったかな」
「……いつもの僕は影が薄いということか」
「そうじゃなくって……なんていうか、安心感? みたいなのがあった……かも」
そう言って、またカレンは赤面してしまった。そんな彼女の様子には気づかず、ライは貴重な意見だと思って思考を巡らせる。
安心感。リラックスしていた。どういうことだろうか?
確かに、思い当たる節はある。戦場で感じた既視感。皮膚の中、肉と骨の奥──神経の深くにまで刻まれた感覚は、<特派>のシミュレーターで行う戦闘に不満を漏らしていた。
今朝、起きた時の事を思い出す。こびりつくようなあの感触。以前の自分は戦いを生業にしていたのだろう。ライはまたも気分が沈んでいくのを感じた。
「……怖がらせてしまったな」
あんな姿を見せてしまったら、怖がられて当然である。やむを得ない状況で尚且つ、必死の形相で戦ったというのならまだしも、いつもと変わらぬ様子だったのだ。
カレンが警戒し、距離を取りたがるのは普通の反応だ。
うろたえ、動揺し、怯える……そういった部分を晒されることで、人は他者に親近感を抱く。逆に、その手の感情を持ち得ない人間は機械的で不気味だ。
そんなライの考えを見透かしたように、カレンの口調が叱る時のものになった。
「またそんな風に考えて。私があなたを怖がるわけないでしょう」
「……何故だ」
気を遣わせているのだと思ったライの口調がやや硬いものに変わる。無理をしなくてもいいのに。そう思った。
そんな彼の心境をよそに、カレンはまたも細い顎に人差し指をあてて思案していた。自信ありげな様子だった割に、特に考えは無かったらしい。
「何故って……お世話係だから?」
「意味が分からないな」
どうして疑問形なのか。
そう言うと、カレンから睨まれる。ライは目を逸らし、ついでに時計を見た。彼女が自分をどう思っているか、あの時に本当はどういった感想を抱いたか、深く詮索する勇気は無かった。
「そろそろ生徒会室に向かわないと、仕事をする時間が無くなる」
留守にしているミレイと仕事中のスザクの分があるのだ。そこにルルーシュのサボリやカレンの病欠などが重なる可能性を考慮すると、時間的余裕は常に確保しておく必要がある。
「……また放課後にスザクのところへ行くの?」
「ああ。そうなるな」
「……そう」
カレンは浮かない顔で答えると、それきり黙ってしまった。ライは疑問に思ったが、その心中を察することは出来なかった。
なんとなく彼女にそんな顔をさせるのが嫌で、ライは校舎の方へと歩きながら続ける。
「……もう一つの理由を訊いていなかったな」
「理由? なにかしら」
「昨日は一日中、怒っていただろう。あれはどうしてだ」
口を利いてくれないどころか、顔さえ合わせてくれなかった。怯えられたからだと思ったのだが、違うらしい。すると理由がまたも分からなくなる。
だから尋ねたのだが、その瞬間、カレンの足がピタリと止まった。
何か思い出したのか、その横顔がどんどん険しくなっていく。それだけでライは言いようの無い不安に襲われた。また怒られるのかと、覚悟を決める。
「……別に」
しかし、予想していた叱責は来なかった。呟きを残し、カレンは再び歩き始める。速度はかなり速い。置き去りにされかねないスピードだった。
無理をして追い掛ける必要も無いかと思い、ライは立ち止まったままその背中をただ見ていた。
「……来ないの?」
一〇メートルほど進んだ所でカレンはまたも立ち止まり、再度振り向いた。不機嫌度の上昇はとどまることを知らず、自身の行動選択がことごとく間違っている事をライは思い知った。
近寄り難い空気を全周囲に向けて放出しながら、来ないのかと言われても困る。
はっきり言って怖い。
制御不能になった<無頼>が突撃してきた時よりも遥かに恐ろしい。ライの足は地面に接着でもされたかのように動かない。どうしたらいいのか。
「僕はこれから生徒会室へ行くんだが」
「知ってるわよ」
だから? とでも言うようにカレンは目を細めた。
今の今まで彼女は行き先について何一つ明言していない。無理に付いて行っても不興を買うかもしれないと、そのための確認だったのだが、また失敗してしまったらしい。
「君も行くのか」
カレンは普段、こんな早い時間に登校してこない。昨日の様に運転手付きの送迎車で現れ、友人の女子生徒や親衛隊の男子生徒から熱烈なアプローチを受けながら教室へ向かう。
だから今日も、教室で適当に時間を潰すのだろうと思っていた。
「嫌なの?」
どうやら違うらしい。なんと言えば、どう動けば正解なのか皆目見当が付かない。
ライにとってはブリタニア軍の包囲を突破する事より、目の前の少女の機嫌を取る事の方が遥かに難しかった。
「い、いや……」
完全に萎縮してしまったライはカレンの三歩後ろを歩く。若干の間合いを取っていないと、もしもの時に無防備でやられかねないからだ。先ほど彼女が見せた暴力性は無視できない。油断は禁物だった。
ミレイとスザクが留守の状態で、この時間帯に生徒会室へ来るメンバーはいないだろう。リヴァルは自宅通学のために遅いし、シャーリーは部活の朝練がある。ニーナは自習室か図書室か研究室のどこかだろう。ルルーシュが一人で来て仕事をしていたら天変地異を疑ってしまう。
救援は無い。このままだとカレンと二人きりになる。
いつもなら特に珍しいことでもないのだが、今のこの状態で臨むのはよろしくない。かといってカレンの行動を阻むわけにも、自分の行動を断念するわけにもいかなかった。
(仕方ない……)
なるべく刺激せずに不機嫌の原因を究明し、それを取り除く。外科手術の如く繊細で失敗の許されない行為だが、他に手段は無い。
意を決してライは口を開いた。
「カレンはどうしてそんなに機嫌が悪いんだ」
ライの質問はカレンを大いに刺激し、不機嫌にさせた。ついに彼女の瞳からは感情が失われ、無表情のまま見つめられる。
「別に怒ってないけど」
「嘘だな。僕にだってそれくらい分かるぞ」
「…………」
「……保健室での件か」
「え……は!?」
そう言うと、一瞬でカレンの頬が朱に染まる。
偽<黒の騎士団>事件の後、保健室で彼女に手当てをしてもらったのだが、いつもの如くライは失言をかまし、それに怒ったカレンは早足で帰ってしまっていた。
「ち、違うわよ」
「なら、どれだ」
「どれだけ心当たりがあるの……?」
「君が言わないなら、思いつく限り挙げていくぞ」
ライは自身の失言、失態の歴史を振り返る。枚挙に暇がない。星の数ほどとはこの事だろう。
「いくぞ。まずは──」
「や、やめて」
「──生徒会室で君たちが着替えていた時に僕が突撃し……」
少し前、ニーナを除く女子メンバーが生徒会室で着替えをしていた際に、ライとルルーシュが突撃してしまうという事件があった。ミレイやシャーリー、そしてカレンの下着姿より、隣にいたルルーシュが赤面していた事の方が印象に残っている。
その後、非常に強い糾弾を受けたが、予告なく生徒会室を使用していた事や、鍵を開けていた事を指摘。なにより性的な興奮等が無かった事などからライは正当性を主張した。結果として、さらに強い糾弾を受けることになった。
「違うわよ。やめなさい」
「……なら、君やシャーリーから強いニンニクの匂いがすると言った時の事か」
「だ、だからそれは会長に餃子の食べ放題に無理やり連れて行かれたからで……って違うわよっ」
「すると、過去のアルバムを見た際に珍妙な格好をした君たちがあられもない……」
「やめなさいって言ってるでしょ!」
一喝され、そこで追求をやめる。これ以上ないほどに羞恥心を刺激されたカレンは顔を真っ赤にして震えていた。
「なら、大人しく話してくれ。こちらはまだまだ蓄えがあるぞ」
圧倒的な優越感のもと、ライは言った。自身の失言や失態を交渉材料に使うという斬新な脅迫だった。先ほどまでの力関係は完全に逆転し、イニシアチブはこちらの手中にある。
カレンはしばしの間、ライへ恨めしげな視線を送っていたが、やがて諦めたように息を吐き出し、生徒会室の方へ足を向ける。
見れば、無数の生徒が二人のいる中庭を見下ろしていた。なかなかの大声を(カレンが)発していたので、注目を集めてしまったようだ。
彼らから逃れるように校舎へ入り、人目を避けながら移動する。
「……昨日の朝は楽しそうだったわね」
階段を上がっていたカレンが呟いた。
「昨日の朝……」
何かあっただろうかと、ライは思い返す。ルルーシュと共に登校して、シャーリーに怒られ、リヴァルからミレイの用事が延長されることを伝えられた。
その過程でルルーシュから睨まれ、リヴァルにからかわれ、シャーリーから暴行を受けたが、カレンが怒る理由にはならないはずだ。
「朝からあんなに肩を寄せて。ちょっと不健全じゃない?」
「肩……。ああ、シャーリーのことか」
ようやく得心がいった。ライが頷くと、カレンは横目でチラリと見やる。その瞳はもう怒っておらず、どこか寂しげだった。
「あなたもやっぱり、シャーリーみたいな明るい娘が良い?」
「明るい……そうだな。彼女の笑顔は周囲に力を与えてくれる。そういった意味では好きなんだろうな」
以前、シャーリーの買い物に付き合った時の事を思い出す。がむしゃらにC.C.を探すも見つからず、暗い気分でいたライに彼女は話し掛けてくれた。それだけで世界は明るくなり、活力が湧いてきたのだ。
当時はほとんど会話をした事もなく、友好的とも言えない関係だったにも関わらず、彼女は一緒に日記帳を探そうと言ってくれた。
だからだろうか、あの時のシャーリーの笑顔と、購入した赤い日記帳の事はとても印象深く心に残っている。
「ナイト様が聞いて呆れるわね」
「ん……?」
「……私の事はあっさり見捨てたくせに」
ぼそりと拗ねたように呟き、カレンは生徒会室に入っていく。思い出を振り返っていたライは取り残される形になった。
バタンとドアが閉じられる。
カァカァと窓の外からカラスの鳴き声が聞こえる。なんとなく惨めな気分だった。立ち尽くしているわけにもいかず、生徒会室に入る。中ではカレンが窓を解放し、室内に朝の空気を取り入れていた。
「見捨てた……とはどういう意味だ」
ライは棚から書類を取り出し、それを机の上に並べながら尋ねた。
「昨日の朝。私が困っていたのに助けてくれなかったでしょ」
カレンはアーサーの餌と水を取り替えている。小さな黒猫は彼女に良く懐いているようで、その手に擦りよっていた。
カレンはアーサーを抱きかかえ、備え付けのソファーに座る。愛玩動物と戯れたために幾分か機嫌が直ったらしい。ライはその様子を黙って見ていた。
「困っていた……。ああ、あの時か」
登校してきた時の事を言っているのだろう。カレンは車から降りるやいなや、大人数の男子生徒達から囲まれていた。確かに困っているようにも見えた──かもしれない。
「む……」
事情を話そうとしてライは唸る。あの時は急いでいたのだ。ミレイが生徒会室で待っていると思っていたし、カレンの方にもさしたる緊急性を感じなかった。
男子生徒達が信仰対象に危害を加える可能性は低いだろう。それに、カレンの友人や教師連中が騒動を鎮圧させようとしていたのもある。
「あの場面で僕が介入していれば、状況はよりややこしくなっただろう」
ライも鈍感ではない。
頻繁に行動を共にしているだけあって、周囲が自分とカレンの関係を恋愛か──またはそれに近しいものだと誤解しているらしいことは知っていた。生徒会でも良く冷やかされるし、親衛隊からは四六時中、殺意を込めた視線を向けられる。
だが、茶化される度に否定しているカレンを見れば、そういった誤解に対して不快感を抱いている事は明白だ。他に好意を向けている男性がいるのだから当然だろう。
にも関わらず、ライが無理に接触しようとすれば、その誤解はより深いものになってしまう。それは良くない。
あの局面での最適解はルルーシュがカレンを助けるというものなのだろうが、あいにく体力的な問題がある。
結局は、虚弱なルルーシュが悪いということだ。
(なんだ、簡単じゃないか)
見事な結論が出たことに安堵したライは仕事に専念した。はかどって仕方がない。カレンが怒っている理由は何一つ判明せず、また解決もされていなかったが、それらは一時的に置いておこうと思った。
束になっている会計報告書を紐解き、収入と支出に間違いがないか確認する。一枚一枚を逐一計算していると膨大な時間が掛かるため、幾つかのものを選んで、脳内で平行処理していく。
頭で数字遊びをしながら、手元で議事録の内容を整理。分かりやすくジャンル毎にまとめる。
そして、たったいま確認し終えた数字を書類に記入していくと、やはり一つの間違いもなく完成した。乱雑なピースが独りでにはまっていくような感覚。自分が正しいという確信。こういう時、ライは強い充足感を覚える。
また勝ってしまった。勝利の余韻に浸っていると、カットしていた聴覚が音を拾う。
「アーサーは良い子ね。誰かさんと違って」
カレンの声だった。
「…………」
誰かさんとは誰のことだろう? 少し気になって耳を傾ける。
「言うことも聞くし、ちゃんとご飯も食べるし、変なこと言わないし……あと黒いし」
撫でられているアーサーは彼女の膝の上で丸くなりながらごろごろと喉を鳴らしている。カレンの方も笑みを浮かべて瞑目していた。お互いに上機嫌のようだ。
開け放たれた窓から入ってきた風が、彼女の赤い髪を揺らす。日差しを背に柔らかく微笑む姿はなんだか大人びて見えて、ライはカレンを無意識に見つめてしまっていた。
とても穏やかな光景だ。いつまでも見ていたくなる。
(記憶を失う前も、こういう日常があったんだろうか)
そんな考えがよぎった。過去の自分にも日常があったはずで、生きていた時間があったはずだ。誰かと一緒にいたはずだ。友人や恋人は──自信が無いが、少なくとも家族はいただろう。
(僕は──)
「ライ? どうしたの?」
意識が呼び戻される。カレンが心配そうにこちらを見ていた。
「ん……どうした」
「それは私が聞いてるの。急に呆けちゃって……何かあった?」
「……いや」
視線を外しても、カレンは疑惑の目を緩めない。観念して、ライは言った。
「少し考えてしまった。記憶を失う前にも、こういう風に過ごしていたのかな、と」
「こういう風に?」
「うん。なんていうか……なんて言えばいいんだろうな」
いまいちしっくりくる言葉が出てきてくれない。
「今みたいに、穏やかな朝を過ごしていたのか……とか」
「…………」
「いや、らしくない事を言った。忘れてくれ」
言葉通り、らしくないと思ったライは強引に話を打ち切った。だが、カレンは黙ってこちらを数秒ほど見つめ、それから膝の上のアーサーに目を落とした。丸くなっている黒猫は撫でられると、ぐりんと身をよじる。
「そうね。こういう時間って貴重かも」
言うと、アーサーをソファーに寝かせ、カレンがやってくる。椅子に腰掛けてから、彼女が担当している書類を広げた。
「僕に付き合う必要は無いぞ」
「……そういうわけじゃないけど。自分の仕事くらいやらないとね。私も今日の放課後に用事があるから」
「そうか。なら手伝おう」
既に八割方終えているライは書類の片付けに取りかかる。
「いいわよ、別に。一人で出来ます」
カレンの返答は素っ気ない。助力を申し出るといつもこれだった。意地っ張りなのは知っているので、ライもいつも通り受け流す。
「遠慮しなくていい。いつもやっていることだ」
言いながら書類を手元に寄せる。ルルーシュ、スザク、カレンの三人は欠席が多いので、いない時はライが肩代わりしていた。
特に、副会長のルルーシュや風紀委員のスザクには彼らにしか任せられない業務もあるが、カレンの場合は違う。肩代わりしても何ら問題は無いし、そのことは彼女も把握しているはずだった。
「いつもあなたに任せているんだから、こういう時はちゃんとやります。たまには自分の仕事だけでいいじゃない……ていうか、それ嫌味?」
「だが、もうほとんど片付けてしまった」
まとめた書類をファイルに綴じると、それでライの仕事はひとまずの終わりを迎えた。
生徒会の業務といっても、所詮は学生がやるものだ。大きな責任は伴わないし、複雑な物も少ない。今はイベントが立て込んでいるために量は多いが、こまめに切り崩しているので溜まったりもしていなかった。
中途半端に余ってしまった時間を潰すためにも、カレンの仕事を手伝うのはやぶさかでない。
それに──
ライは書類に必要事項を記入しているカレンを見た。姿勢は正しく、衣服には一分の乱れも無い。仕草は洗練されていて、学園中の男子生徒が虜になる理由も分かる気がする。
病弱でおしとやか。その名の通り、可憐なお嬢様。
本当にそうなのだろうか?
他の部分は置いておくにしても、"病弱"。この一点だけは間違いなく嘘だと気づいていた。
運動能力が高い事は参考にならない。体を動かせる事と体が強い事は別だからだ。
理由は他にある。ライが過ごした三週間、カレンは何度か学園を早退していた。だが、直前の体温や脈拍、呼吸のリズムから判断して、急に──それも何度も体調を崩す事は考えづらい。
本人は貧血だと言っていたが、それも嘘の可能性が高い。なぜなら彼女は血の気が多いからだ。
仮病。
おそらくはそうなのだろう。そして、それを理由に学園を抜け出しているという事は、他にやりたい事があるという事でもある。
カレンは有名人だ。人気がある上に名門シュタットフェルト家の一人娘である。学園をサボり、繁華街やショッピングモールといった租界の内部で遊んでいれば、即座に見つかるに決まっている。いくら隠れても二年以上もの間、なんらかの噂すらたたないのはおかしい。
となれば、租界の外にそのやりたい事があり、そこで活動していると考えるのが自然だ。もしかしたらゲットーの地理やナイトメアについて異様に詳しい理由も関係してくるかもしれない。
「…………」
そこまで考えて、ライは奪った書類の処理を開始した。
カレンが学園の外で何をしていようが関係ない。推測はしても詮索をする気は毛頭無かった。
彼女は恩人だ。他にやりたい事があるにも関わらず、自分の世話係を投げ出さずにやってくれている。これは間違いなく彼女の優しさから来る行動だろう。
だから、こうして手伝える事があるなら力になりたい。自分が代わりに仕事をこなせば、その分だけ自由な時間は増える。カレンの時間を奪い続けているライに出来る、数少ない恩返しだ。
(そろそろかな)
三週間。充分過ぎる時間だ。
もうじき、この関係は終わりとなる。租界で案内が必要な場所はほとんどなくなった。普通の日常生活を送る分には問題無いと思っている。
カレンを拘束しないで良くなる。そうなれば、彼女は自身の目的に専念出来るし、<特派>に加入させて貰えればライの生活も安定する。良いこと尽くめだ。
「そういえば……」
まだ彼女に言っていないことがあった。
「どうしたの」
こちらに視線を向けるカレンからは、ネガティブな感情は窺えない。言っても問題ないだろうと判断する。
「スザクの上司から、軍に入らないかと誘われた」
そう切り出し、必要な事を淡々と並べていく。勝手に決めてまた怒られても困るので、早々に話す事にした。
まだ決定したわけではないということを前置きした上で、ブリタニア人としての身分を得られること。充分な給与が支払われること。理想的な職場環境だということを話した。
カレンは終始表情をくずさなかったが、最後に、
「……あなたは、入りたいの? ブリタニア軍に」
そう尋ねてきた。
「それは……分からない。だが自立出来るというのは魅力的だ。とりあえず、ミレイさんに話してから決めようと思う」
「そう……」
それっきり、カレンは話さなくなってしまった。
今回はこの辺で。
意外なほど多いレスの数に驚かされました。皆さんの意見を参考にして、今後も頑張っていきたいと思います。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
乙です
積極的に地雷を踏み抜いていくライに草不可避
ライカレもライシャリもいいな
嫉妬かわいい
乙乙
ライがどんどん人間味増してきててにやにやする
乙
個人的にはライとナナリーの関係も好きなんだよなあ
ライCCもライミレも
放課後、ライは夕焼けに照らされた学園を背に、向かいにある大学へ向かっていた。そこの一角に<特派>の研究室があるらしく、今日はそこで検査の結果を教えてもらうことになっている。
大学の入り口に見知った人物が立っていた。カーキ色の軍服に身を包んだ妙齢の女性。行き交う学生達に挨拶をしている姿は教師のようだ。
「セシル中尉」
声をかけ、近づいていく。
「あら、ライ君。待ち合わせの時間より早かったのね」
「はい。どちらかと言うと、僕が待つつもりだったんですけど」
「そう? それはごめんなさい」
微笑む姿はとても穏やかで、荒事を担うはずの軍人とは思えない。
「スザクはいないんですか?」
待っているのは彼だとばかり思っていただけに、少し気になる。ライは歩きながら尋ねた。
「ええ。今日はロイドさんと出かけているわ」
だから入り口付近にトレーラーが無かったのか。スザクがいないとなると、緊張感が膨れ上がってくる。
「スザク君がいないと寂しい?」
そんなライの心中を察したのか、セシルが悪戯っぽく訊いてくる。ロイドと同じく、その表情や仕草はどこか子供のようだった。
「そうみたいですね」
今の状態を見る限りそうなのだろう。彼がいないと分かった途端に胃がキリキリと痛み出したのだから。
いつの間にか、あの笑顔に頼っていたのかもしれない。
「素直ね。スザク君に直接言ってあげたら喜ぶんじゃないかしら。ほら、彼って人からの感情に鈍いから」
「ああ……確かに。学園では朴念仁ズなんて呼ばれてますよ」
「ふふ。やっぱり」
口元に手を当てて微笑む仕草はとても上品だった。あの右腕で昨日、ロイドにボクサー顔負けのストレートを見舞っていた事が嘘のようだ。
大学の内部は目新しいものばかりだった。学生達の大半は制服ではなく私服を着ている。指定の制服というものが存在しないのだろう。
中には少数だが、白衣を纏った学生達もいた。彼らは皆、セシルを見かけると挨拶をしたり、遠くから手を振ったりしている。
「凄い人気ですね」
「え? そ、そうかしら」
手を振り、笑みを返していたセシルが戸惑った表情になる。
「なんだか本当の教師みたいだ」
「……もう。大人をからかうんじゃありません」
頬を染めたセシルに連れられ、ライは研究棟に足を踏み入れた。厳重なセキュリティチェックをパスし、立哨中のガードマンに睨まれながら、中へと進んでいく。
案内されたのは研究室だった。隅々まで整頓され、先進的な設備が連なる様はここが軍関係の施設だという事を再認識させてくる。
丸椅子を勧められ、着席すると、対面にノート端末と書類の束を携えたセシルが座った。デスクには高性能の多機能モニターが備え付けられており、その電源が入れられる。
「昨日の検査なんだけど……」
前置きは無かった。セシルの顔が暗いところを見ると、余り良い結果ではない。
まるで患者に重い事実を告げる医者のようだ。
「指紋と網膜を始めとして、いくつか検索をしてみたのだけど……本国のデータベースにあなたの情報は無かったわ。色々と権力や特権なんかも使ったのに、手掛かりは無し」
「なら、これ以上さがしても無駄ですね」
申し訳なさそうに告げるセシルへライは驚きもせずに返した。既にミレイが調べてくれていた事だからだ。身元不明という事実に変わりはない。
「記憶喪失に伴う、脳の異常は見られなかったわ。少なくとも外傷性というわけではないみたいね」
CTでスキャンした脳が3D映像で表示される。確かに損傷は見られない。記憶喪失の原因は事故などによる怪我ではなく、もっと他の物だということだ。
「つまり、薬物か何かという事ですか」
「え……。あ、そ、その話も今からしようと思ったんだけど」
セシルが驚いた顔を誤魔化すようにモニターを見る。手元のタブレット端末から無線操作出来るようで、彼女の指が動くたびに情報が流れていった。
映し出された映像を見て、ライは言う。
「これは……筋繊維の断層図ですか」
「そう。先に言っておくけれど、あなたの体は良好よ。ちょっと信じられないくらいに」
「……?」
「薬物反応が検出されたの。それと、人為的に筋繊維を破壊して、修復した跡もあるわね」
人の筋繊維は一度断たれると、治った時により強靭となる。これは超回復といって、学校の教科書にも載っているような初歩的な医学知識だ。
普通の場合は運動などによって負荷をかけ、長い時間をかけて筋肉を成長させていく。筋肉痛は筋繊維が成長する合図だ。
だが、ライはそれを極めて短期間で、なおかつ科学的に行ったらしい。
「そこで薬物が関係してくるんですか」
体を強化する薬物は多い。短絡的なものであれば一般人にだって容易く入手出来る。
「いえ、この薬物は神経系に作用するものね」
今度は全身図が表示された。脳から広がる赤い線は主要な神経を表しているようだ。
「あなたの神経の伝達速度は約〇・一秒。異常なスピードね。だけど、まだ一般的な科学の域を出ていないわ。問題は……その太さといったところかしら」
「太さ……」
「水を通すパイプなんかを想像して貰えれば分かり易いかもしれないわね。薬物はパイプに流す水の速度を速めるものではなくて、流す量を増やすためのもの」
神経に乗る情報量が多くなったということだろうか。
「でも、それって何の意味があるんでしょうか」
脳から送られる電気信号に異常は見あたらなかった。いくらパイプを太くしたところで、流れる水の量が変わらないのなら意味が無いだろう。
「そうね。手足が倍の数あるとかならまだしも、普通の生活を送る上では、確かに意味は薄いわ」
「…………」
「筋繊維の形状から、いくつか分かったことがあるのだけど……。もしかしたらライ君は、長期間に渡って入院していたのかもしれないわね」
セシルが持っていた書類を渡してくる。
「リハビリ患者の物と形状が酷似しているでしょう?」
「はい」
「あなたは入院か何かの事情で非常に長い期間、動けない状態にあった。そこを、科学的な方法で強化されたんじゃないかしら」
「…………」
動けなかった人間を無理やり動けるようにしたという事か。
だが、そこに何の意味があるか分からない。神経系と肉体の強化で方向性が違い過ぎるのだ。そのせいで、余計に不明瞭となっている。
謎は深まるばかりだ。
「この薬物には依存性や後遺症などは無いと思うから、その点は安心して貰っていいわ。でも、体に異常があったらすぐに言うこと」
「あ……はい」
「今のままなら普通の人と大差無いんだから、そう不安にならないで」
諭すようにセシルが笑ってくれる。
普通。
ライがずっと求めてきた言葉だ。過去に何かあったとはいえ、これからは普通の人間として生活していけるのなら、それは悪くないことなのかもしれない。
「あと、これはもう知っているかもしれない事なんだけど……」
さらに書類を渡される。血液検査の結果が記載されていた。植え付けられたトラウマと右腕の注射痕が疼く。
「アッシュフォード家の方でもやってもらっているみたいだから、こっちはロイドさんの伝手で専門の研究機関に調べてもらうことにしたわ。時間はかかるだろうけど、何も分からないなんて事は無いから安心して」
「あ、ありがとうございます」
「あと、もう一つ。ライ君が使っている言葉なんだけど」
「言葉? 言語の事……ですよね」
セシルは頷く。ライはブリタニアの公用語である英語を使っている。
「脳には言語を司る領域があるんだけど……そこを見る限り、あなたは随分前からその言葉を使っているみたいなの。口や舌の筋肉も、同じように発達しているわ」
「僕はブリタニア人の可能性が高いということですか」
「といっても、ブリタニア語はEUの方でも使われていたりするんだけどね。でも、あなたの場合はブリタニア人特有の訛りの様なものがあったから。少なくとも、ブリタニアの土地で育ったのは間違いないんじゃないかしら」
「そう……ですか」
検査結果はライがブリタニア人である事を示している。血液検査の結果も、追って知らされるだろう。
「お役に立てたかしら」
「はい。ありがとうございました」
ライは頭を下げた。セシル達も忙しい身だろうに、手間をかけさせてしまった。
「ナイトメアの方は良いんですか」
昨日、スザクからロイドが自分をシミュレーターに乗せたがっていると聞いていたライは、気になって尋ねた。
セシルは難しい顔になってため息を吐いて、こめかみを指で押さえた。
「……そうね。ロイドさんから念を押されてるんだった」
じゃあ行きましょうかとセシルに促され、ライは研究棟の一階部分へ移動した。
◇
シミュレーターに乗り込んだライは、セシルのオペレートを受けながら起動シークエンスを進めていく。
『昨日もらった報告書を基に作成したシミュレーションよ。場所はシンジュクゲットーのE36ブロック。騎乗してもらうナイトメアは<無頼>。頭部の損傷率は中破相当に設定してあるわ』
「当時の状況を再現すれば良いわけですね」
「ええ。出来る限りでいいわ」
「分かりました」
一時的に愛機となった<無頼>の事を思い出す。
大方の設定はセシルがやってくれたのだろう。機体の状態は既に報告書の内容に極めて近いものになっていた。
だが、伝聞だけでは再現出来ないものもある。整備不良による動作不全、頭部被弾箇所からの二次被害、バランサーやスタビライザーの細かい不調などは当事者でなければ絶対に分からないことだ。
ハードウェア面だけではなくソフトウェア面でも手を加える。現地で改修したらしい粗悪なバックアップシステムを記憶を基に作り上げ、既存のFCSを片っ端から破壊、破棄していく。
丹念に作成された芸術品に泥を塗るとこんな気分になるのだろう。セシルの作ったシステムを書き換えるのには、ひどい罪悪感を伴った。
『練習はしないの?』
「はい。再現度を高めるためにはそちらの方が良いでしょう」
当然だとでも言うような口調に、セシルが目を丸くする。左腕部の電気系統を調整していたライはそれに気づかなかった。
「出来ました。いつでも始められます」
『了解。では、<無頼>起動直後の状況を再現します。シミュレーション開始』
その声を合図に、四つあるモニターの全てが暗転した。
再現シミュレーターが終わった後は機体データを<サザーランド>に変更し、基本的な機動テストを行った。ロイドと違って非常に丁寧な運行は、テスト一つでも人間性が現れるものなのだとライに思わせた。
一時間ほど<サザーランド>を動かした後、二度目の休憩が告げられた。
「素~晴らしい!」
シミュレーター・マシンから降りると、特徴的な声が出迎えた。白衣を着た白髪の男性が、ニコニコと満面の笑みを浮かべている。ロイドだった。
今日は留守にしているとの事だったが、帰ってきてしまったらしい。
「うんうん。いいねぇ。こっちは射撃時のやつ? セシル君。これ、この間の狙撃データと照合しておいて」
「ろ、ロイドさん……」
セシルが凄く嫌そうな顔をしている。挨拶する間もなくまくし立てられたライは、困り者の上司と苦労人の部下のやり取りをぼんやりと見ているしかなかった。
「あ、ライ君。いらっしゃい」
「……どうも」
今ごろ挨拶されたライは、マイペースぶりに圧倒されながらも返事をする。セシルはぷりぷりと怒りながらも手早くデータを纏めてシミュレーター室を出て行った。
「ゲットーのシミュレーターをやったみたいだね。出来れば僕がいる時にやって欲しかったんだけど」
「また余計な事をするからと、セシルさんが」
作業の最中、セシルから名前の後ろに階級は付けなくて良いと言われていた。<特派>では爵位や階級は重視されないらしい。
「ふむ。まあいいでしょ。ところでどうだった? <無頼>と<サザーランド>で乗り心地に違いがあったとか」
「最新鋭だけあって、<サザーランド>は良い機体ですね。第四世代で培った技術が反映されているのが分かります」
七年前の日本侵攻戦で初めて実戦投入された第四世代型KMF<グラスゴー>は高い戦果を叩き出した。その後も世界各地で勝利に貢献し続け、KMFという兵器カテゴリを決定的なものにすると同時に、神聖ブリタニア帝国を最強の軍事国家として確立させることになった。
だが、当たり前な事に不満も生まれていた。初期型の<グラスゴー>は排熱システムに問題を抱えており、長時間の稼働ともなるとコックピット内が高温に満たされる。
FCSも完全な手探りだった。五メートル近い人型機械が扱うとなれば、当時使用されていた戦車や航空機のものは流用できず、新規に作り上げるしかなかったのだ。
戦車や装甲車といった既存の兵器に対しては有効でも、同じナイトメアを相手取る場合はどうしても遅れが出てくる。古いソフトウェアは弱点を知り尽くされており、これもエリア11各地の反抗勢力が目立った戦果を挙げられない理由の一つだ。
そういった中で、対KMFを想定して建造された<サザーランド>という機種は高い完成度を誇っていた。
培ったノウハウを無駄にせず、諸外国や反抗勢力が持ち出すであろう第四世代型KMFの対策を徹底的に行っている。高い基本性能を維持したまま、汎用性と量産性を両立をさせていて、生産ラインを整えるのも早かった。
これに専門の教育を受けさせたパイロットを乗せることで、ナイトメアという兵器システムは完成する。質と量。どちらも高次元で持ち得るのが強みであり、真髄なのだ。
神聖ブリタニア帝国という世界最強の大国は、決して力自慢の単細胞ではない。むしろ、そう思って近づいてくる敵を手玉に取る、獅子の如き狡猾さを兼ね備えている。
短所をことごとく潰し、長所をさらに伸ばす。現場で使う人間の意見を取り入れ、反映する。<サザーランド>がブリタニアの騎士から愛される傑作機だというのも納得できる話だ。
以上の点から、ライは<サザーランド>というナイトメアに対して好意的な意見を持っていた。<無頼>も悪い機体ではないが、所詮は<グラスゴー>のコピー。独自性や発展性に欠けている。
「でも満足していないんじゃない? 一般的なナイトメアだと、君の操縦について来れないでしょ」
何か含むところでもあるのか、ロイドの瞳がギラリと光る。だが、ライは至って冷静に答えた。
「それは大きな問題では無いですよ。<サザーランド>の性能を十全に引き出せれば、危機的な状況に陥ることは考え難いと思います」
いつでも、どこでも、誰にでも一定のパフォーマンスを約束するのが兵器であり、特定の個人にしか扱えないような物は前提からして間違っている。それに頼るような戦術もだ。
しかし、技術検証機が極まった性能を持たせられるのはよくある話なので、ロイドが言っているのはそちらなのだろう。ライの返事には、そういった物に興味は無いという意味も含まれていた。
考えたくない事だが、このロイドという人物は好奇心でナイトメアを用意し、あまつさえ乗せそうなイメージがある。曖昧な返事は危険だと思った。
懸念は当たっていたらしく、ロイドは途端につまらなそうな表情になる。
「おかしいね。君くらいの歳なら唯一性を誇示したがるものだとばかり思っていたけど。英雄願望なんかは無いの?」
「ありませんよ」
やめてくれとばかりにライは後ずさった。記憶が無いくせにそんな恥ずかしい妄想をしている自分の姿は酷く無様だ。考えたくない。
「若い騎士なんかには、そういった考えを持っている人間も多いかもしれないですけど」
騎士の憧れである<ナイトオブラウンズ>には、それぞれに合わせた専用機が与えられる。採算や整備性を度外視した代物だ。専用のナイトメアを操り、戦場を縦横無尽に駆けるというのは確かに華々しい。
「君は違うんだ?」
「普通のナイトメアでも充分に戦えますよ。第五世代機にはそれだけのポテンシャルがあります」
「ふむ。説得力があるね、君が言うと」
ロイドの言葉はライが第四世代相当の<無頼>で次世代機の<サザーランド>五機を撃破した事を指しているようだった。嫌味に聞こえたかもしれない。
「まあ、今日は良いデータが取れたことだし。検査結果も聞いてるだろうから、あがってもらっていいよ」
白衣を翻し、またお願いね、と言い残してロイドは去っていく。その背中にライは尋ねた。
「スザクはどうしたんですか」
「スザク君? 彼はねぇ、デート中だよ」
「デート……」
スザクがデート。簡単には想像出来ない光景だ。
「そうそう。あ、詮索は厳禁だよ。お相手はさる偉い方だからね」
「はあ……」
あのスザクでさえ恋愛感情を持っているのかと、ライは強い衝撃を受けた。裏切られたような気分だ。朴念仁ズから離反者が出たことに衝撃を受けたということもある。
スザクはデート。ルルーシュはそこら中で引く手あまた。彼らが青春を謳歌するのは喜ばしいことだが、ここまで人間的な魅力の差を見せつけられると、ライとしてはどうしようもない気分になる。
「あれで彼もまだ十七歳だからね。異性との積極的な交流は心身の成長に大きな影響を与えるし、良い事でしょ」
「そうですね」
「ただ……」
「……?」
「時間は等しく有限。学校とこことの両立で、どうしてもそれは足りなくなる」
「……なるほど」
"代わり"がいれば、スザクもプライベートを大切にすることが出来る。ロイドはそう言っているのだ。
ライが<特派>に加入すれば、努力次第でスザクの負担を減らせるかもしれない。そうすれば意中の相手と逢瀬を重ねられ、生徒会の方にも頻繁に出席することも可能になってくる。
寂しがっていたナナリーも笑ってくれる。それに従い、ルルーシュも笑顔になるだろう。悪くない連鎖反応だ。
朝に考えていたカレンの事もある。自分が動くだけで様々な問題が解決すると思うと、なんとも不思議な感覚になった。
恩返しにもなり、自立することも出来る。胸を張れる。
<特派>に加入するメリットは計り知れない。もちろん、事はそう簡単に運ばないだろうが、ミレイの許可さえ貰えたらすぐに返事をしても良いくらいだ。
「ロイドさん」
「ん? なーに?」
こちらの聞きたい事など分かっているだろうに。ロイドはいつもの笑顔を向けてきた。
「僕はお役にたてますか」
「テスト・パイロットに必要とされる要素で君の右に出る者はいないでしょ。それは保証するよ」
「……そうですか」
ロイドが言うなら間違いないのだろう。得体の知れない力だが、磨けば光る。それは悪くない事のように思えた。
「ありがとうございました。失礼します」
「ん。またよろしくね」
頭を下げる。無意識に握っていた右手を解いて、ライは<特派>を後にした。
道を決める時が近づいている。
(ミレイさん、まだかな……)
夜空に浮かぶ月はだんだんと満ちていく。それを見上げ、ライは待ち人を想った。
今回はこんなところで。
漫画の方ではノネットさんがランスロット・クラブに乗っているみたいですね。この調子でロスカラが勢いを増してくれたら嬉しいです。増せや。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
ロスカラ知らないけど人物の心理描写が丁寧で好きよ。
初めてリアルタイムで読んだよ、乙。
オズは最初の方しか読んでないけど、ノネットさんが銀髪の男を探してるって描写があるらしいね。
オズはギアスの正史扱い?らしいから、ライが何らかの公式の形で登場する可能性があるのかな。
乙です
乙
ライ・・・一体何者なんだ・・・?
おつおつ
乙乙
良い感じの掛け合いだ
「例の男……ですが、見ての通りナイトメアを器用に扱えます」
『ふむ……』
暗い室内に声が響く。まだ若い少女のものだったが、その声に年相応のあどけなさは感じられない。硬質で、無機質。しかしながら、やむを得ず誰かの秘密をさらす時のような、仄暗い後ろめたさを漂わせている。
室内は広く、テーブルを中心に三つのソファーが並べられていた。天井から吊り下げられたスクリーンには、ナイトメアのものと思われる戦闘の映像が投影されていた。
「……これが、シンジュクでの一幕か」
「凄い……んだろうが、良く分からないな」
室内には数人の男女がいた。数は八人。一人を除き、いずれも黒い制服を身に付け、額には赤いバンダナを巻いている。少女もまた、同様の服装だった。
彼らの風貌は<黒の騎士団>構成員の特徴と一致していた。
「で、これを俺たちに見せてどうしたいんだ?」
一人の男が言った。大柄で、頭髪はリーゼントのように整えている。扇という男だ。剣呑な空気が支配する室内において、場違いなほど穏やかな声だった。
「まさか、その彼を仲間に加えたい……とか言うわけじゃないわよね?」
今度は女の声だった。長い黒髪が特徴の、井上という女性だ。理知的な瞳が『冗談でしょ?』と言いたげに少女を見ている。
「それは……」
「俺は反対だね!」
少女の声を遮り、別の男が言った。短髪に無精髭。粗野な光を放つ瞳は野良犬のようだった。
まだ情報は出揃っておらず、誰も意見を求めていないのに独りでに熱くなり、席を立つ。これだけの行動が、この玉城という人物の性格を表していた。
「静かにして。まだプレゼンの最中なんだから」
井上に言われ、他のメンバーからも無言の圧力をかけられた玉城が渋々着席する。へっと鼻を鳴らすのも忘れない。
「事件の際、私は彼が操縦する<無頼>に同乗しており、その技量を間近で確認しました」
今まで流されていた映像はその時のものだ。
神聖ブリタニア帝国が誇る最新鋭のKMF<サザーランド>を五機、瞬く間に撃破した技量。
「今の我々には、必要な力だと思います」
少女の瞳も、声も、ただ一人に向けられていた。扇でもなければ井上でもない。ましてや玉城でもなかった。
ソファーではなく、個人用の椅子に腰掛けた人物。黒い仮面に黒衣を纏った、彼らの指導者。
<黒の騎士団>の総帥"ゼロ"だ。
『……彼は確か、記憶喪失だそうだな。突然ナイトメアを動かしたのか』
感情はおろか、性別すら隠す機械音声。しかしゼロが話せば、部屋の誰もが口を閉ざして意識を彼のみに向ける。上下関係ではなく、主従関係。この組織におけるそれを端的に表していた。
「はい。頭部を損傷した<無頼>で、いまご覧頂いた通りの戦果を挙げました」
『だとすれば、感嘆すべき力だ。必要だという君の意見も理解できるな、カレン』
「なら……!」
自分の意見が尊敬する人物に認められ、少女──カレン・シュタットフェルトの表情が明るくなる。彼女は今、自身が三週間ほど行動を共にした少年について、組織の仲間達に──心酔している指導者に話していた。
シンジュクゲットーでの事件の折、使用した<無頼>より抜き取ったデータチップ。その中に保存されていた記録映像から、あの時にライが何をしたのか分かる。
仲間達は一様に感嘆していた。なにより"彼"がゼロに認められた事が嬉しかった。
『しかし、出所も思想も判然としない者を無闇に引き入れるわけにはいかない。騎士団はもちろん、学園での君の立場に影響してくるのだから』
「それは……そうですが」
『ただ強い、というだけでは認可出来ない。強大な力というのは理由があるものだ。得るためには代償が必要な場合もある……』
少女は以前からゼロに"彼"の話をしていた。自身が所属する<黒の騎士団>での活動にも差し障る事だったし、シンジュクゲットーでの一件の事もある。
『最終的な判断は私が下すが、他の者の意見も聞きたい。何かあるか』
騎士団の活動方針はゼロが決定することが常だ。しかし人事ともなれば話は変わってくる。人と人が関わる以上、最高位の立場では見えない事象も多いからだ。
「俺は反対だぜ! わけの分かんねぇ奴に背中を預けられるかよ!」
「確かにな。正義の味方なんて言われているが、俺たちはあくまでも反抗組織だ。信用出来ない者を闇雲に引き込む事はしたくない」
玉城と扇は反対のようだ。無理もない。
<黒の騎士団>がいくら破竹の快進撃を続けていると言っても、相手は超大国ブリタニアだ。誰か一人の軽率な行動が、組織を壊滅に追い込む事も考えられる。
「だけど、これくらい強い奴がいてくれたらありがたいだろ」
「ああ。見た通りなら、ナイトメア関連の知識も持っているみたいだし、人手不足を補えるかもしれない」
好意的な意見を述べたのは杉山と南だった。
頭部という戦闘における最重要箇所を損傷した状態で、敵機を五体も破壊したのだ。
それも、整備不良の<無頼>で万全の<サザーランド>を倒している。
ナイトメアについての知識を欠片程度でも持っていたら、その技量の凄まじさを否応なしに理解させられる。慢性的な人手不足に喘ぐ<黒の騎士団>としては、喉から手が出るほど欲しい人材だった。
「そうだな。本当に味方になってくれるなら頼もしいんだが……。その彼はどうなんだ?」
扇が言った。ここにいる人間がどう言おうが、結局はライ自身の意見が必要になる。入る意思の無い人間を無理やり入れても意味は無い。
「三週間、行動を共にした限りでは、日本や日本人に対する偏見は確認出来ません」
「でも、ブリタニアへの敵愾心も無いんでしょ? 要は、どっちつかず……」
「私が頼めば……」
「入ってくれるの?」
井上に言われ、カレンは俯いた。
「話を聞いた限りじゃ、上手く出来過ぎてるってのが私の感想」
井上の意見は辛辣で、現実的だった。
「あんたが通っている学校に突然現れて、生徒会の会長……だっけ? の気まぐれで世話係になって、たまたまシンジュクでの事件に巻き込まれて、なぜか彼はとんでもないナイトメアの操縦技術を持ってる。日本人への偏見も無い。頼めば仲間になってくれるかもしれない……こんな都合の良い事ってある?」
「…………」
「私はね、カレン。こういう人生を送ってきたから、不運は信じても幸運は信じない事にしてるの」
カレンは反論出来なかった。
指摘された通りだ。彼が現れたのはまったくの偶然で、世話係になったのも同じく偶然。
シンジュクゲットーでテロに巻き込まれたのも偶然。ライが卓越した操縦技術を持っていたのも、偶然。そして、その彼は記憶喪失のために主体性がなく、カレンが頼めば<黒の騎士団>に加入してくれるかもしれない存在だ。
あまりにも都合が良い。客観的な立場の人間からすれば、不気味に思えるのも当然だろう。
実際、逆の立場ならカレンも同じ意見を持っていたに違いない。
『ライ……といったか。彼は今、ブリタニア軍からもアプローチを受けているんだろう?』
「……はい」
カレンが突然ライを推薦しようとした理由はそれだった。彼がブリタニア軍に入ってしまえば、今の関係は終わりとなってしまう。
「こんな奴が敵に回るかもしれないってか。それは考えたくないな」
だからこそ、カレンは映像を<黒の騎士団>の幹部達に見せた。あの力が敵として現れるとなれば、それに危機感を抱く者も出てくると考えたからだ。
しかしそれが逆に推薦の妨げにもなっていた。ブリタニア軍と関わりのある人物に接触することは危険極まりない。
「やはり、彼本人の意思が無ければ厳しいな」
「そうね。……別に付き合ってるわけでもないんでしょ」
扇の意見に賛同した井上が、カレンに尋ねてくる。
「そ、そうですけど……」
「いっそ誘惑しちゃえば? 『私を守って』とか言って」
「嫌ですよ。馬鹿らしい」
カレンがはねのけると、井上はあっさり引き下がり、
「じゃあ駄目ね。望み薄だし」
そう結論づけた。こちらの性格を利用した誘導尋問だったことに、カレンはようやく気づく。仮に誘惑を仕掛けたとしても、あの男には効かないだろう。陥落するどころか心配されるのがオチだ。
『だが、貴重な人材であることも確かだ。私の方でも彼について調査しておこう。カレン、君も引き続き注視していてくれ』
そう言い残し、ゼロが部屋から出て行く。幹部達も玉城を筆頭に次々と退室して行き、残ったのはカレンと扇、井上の三人のみとなる。
「あー。まあ、気を落とすな。まだ時間はあるさ」
扇が取りなすように言ってくる。苦労人の彼らしい意見だ。彼らしい保守的な意見でもあるが。
(時間なんて……)
ミレイが帰ってくれば、ライはすぐにでもブリタニア軍に入ってしまうだろう。タイムリミットはそこまでだ。幾ばくの猶予も無い。
それまでの間にゼロを始めとする幹部達を説得し、そしてライを引き入れなければならない。難しい。ひどく難しい。絶望的な状況だ。
救いがあるとすれば、ゼロがライに対してやけに好意的だったことくらいだろうか。素性の知れない記憶喪失の男など、どのような理由があれレジスタンスの長は避けるのが当たり前だ。普通なら提案自体が通らなかった可能性もある。
「でも、驚いたわ。急に例の彼を引き入れたいだなんて」
「……すいません」
カレンが学園で記憶喪失の少年の世話をしている事は以前から騎士団の仲間に話していた。周囲からは道楽の類いだと思われていたのも知っている。
実際、今まではそうだった。
カレンがライと接していた理由はなんでもない、ただの思いつきや他愛のない気まぐれだった。
病弱でおしとやかなご令嬢などという、本来の性格とは一八〇度違うキャラクターを演じる息苦しい学園生活の中で、同じく生き辛そうにしているあの少年に同情したからだ。そこに他意は無い。
善意や好意すらもありはしないと思っていた。あくまでも、レジスタンス活動の合間の、ほんの息抜きだった。
ただ、思いのほか彼の近くが心地良かったのだ。
あのぼんやりとした少年が相手なら警戒する必要は無かったし、実際に何度も正体が露見しそうになった時も彼が気にした様子は無かった。
そんな彼をシンジュクゲットーに連れて行った理由は、未だに判然としない。思いつきだったのかもしれない。何かが変わると思ったのもある。
実際に現状は激変しつつあった。カレンの望まぬ方向に、だが。
ライがブリタニア軍に加入する。敵対勢力に。戦わなくてならない相手に、殺さなくてはならない敵になってしまう。
それは───無理だ。
考えたくない。そしてきっと、耐えられない。
「謝らなくていいわよ。せっかく租界の中で仲良くなったんでしょ。戦いたくないって気持ちも分かるし」
「同年代の友達……だもんな」
「…………」
周囲の人間に迷惑をかけているのは分かっている。何の準備もなく、入る意思の無い同級生を引き入れたいなどと。
<黒の騎士団>は学校の部活動ではない。遊び半分でやっていると思われれば、カレンの今後の立場にも関わってくる。
ライにしてもそうだ。入れば社会的地位を約束されるブリタニア軍と、逆に地位を捨てなければならなくなる<黒の騎士団>。メリットなど比較するまでもない。
わがままを言ったところで、悪あがきをしたところで、得をする人間などいないのだ。
「だが、ブリタニアの軍人になったところで、戦場に出てくると決まるわけじゃないだろう? 騎士じゃなければ、ナイトメアにも乗れないんだ」
「そういう事を言ってるんじゃないでしょ。立場の話よ、立場の」
扇が井上に咎められているのを聞き流しながら、明かりの見えない思考に耽っていると、声を掛けられた。井上からだった。
「あんまりこういう事は言いたくないんだけど……しといた方がいいと思うわよ」
「何をですか?」
「覚悟。どっちに転がっても、きっと簡単にはいかないから」
真面目な声音で告げてから、井上は視線を逸らしたカレンの肩を叩いて去っていった。
◇
朝の生徒会室。ライが扉を開けると、先客がいた。赤い髪の少女が、静かに本を読んでいる。
カレンだ。昨日に続き、今日も早い時間に登校していたらしい。妙だと思ったが、それを言葉にはしなかった。いつも通りに挨拶を交わし、書類仕事を始める。
「…………」
断続的な視線。部屋には二人しかいない。読書をしているはずの相手が、こちらをちらちらと見やっているのだ。
「…………」
「……どうした」
ページをめくる音も無い。カレンの傍らには、既に片付けられた書類がある。ライが現れるかなり前から、この部屋にいたという事だ。
「え……。なにが?」
やはり様子が変だ。この時間に登校し、既に仕事を終えている。それだけなら単なる気まぐれで済むかもしれないが、昨日の変貌ぶりと合わせて考えると、おかしな部分も目立ってくる。
「疲れている……ように見える。寝ていないんじゃないのか」
「そうかしら?」
「普段と比べて覇気がない」
「平気よ」
「否定はしないんだな」
「…………」
カレンはむっつりと押し黙ってしまった。実際、まともに眠っていないのだろう。目が僅かに充血しているし、髪の毛にも艶がない。
なにか悩みでもあるのだろうか。
(……訊いてみるか)
そう思い、ライが口を開きかけた時、カレンが先回りするように言った。
「少し考えてみたんだけど」
「ん……なんだ」
出鼻を挫かれ、とりあえず先を促す。目論見通りにはいかなかったものの、彼女の悩みに関係あることが知れるかもしれない。
「あなた、ナイトメアを動かしたでしょう? それも、あれだけ巧みに」
「ああ」
「動かしたのは<無頼>。日本の手が入った機体よね? あなたはもしかしたら、どこかの反抗組織にいたのかもしれない……って」
「それは……どうだろう」
ライは言葉を濁した。
カレンの言う通り、<無頼>は日本製と呼ばれる事もある機体だ。しかし、実態は第四世代型KMF<グラスゴー>をコピーしただけのナイトメアであり、色合いや腕部のナックルガードといった差違はあるものの、大元はほとんど変わらない。
それはOSなども同様で──元々、七年前から今の日本勢力にナイトメアの制御システムなど作れるはずがない──要は<無頼>と<グラスゴー>にこれといった違いはないのだ。
つまり、<無頼>を動かせるからといって、日本側の人間だという理由にはなりえない。
否定するのは簡単だったが、ライはカレンの意図を知るために明言は避けた。
「ゲットーを懐かしいと言っていたでしょ? それとなにか関係があるんじゃないかと思ったんだけど……」
「……ああ。そう、だな」
確かに、ゲットーの廃墟に囲まれた時、ライは強い既視感に襲われた。それと合わせると、カレンの見解にも納得がいく。
日本。日本人。
「あなたは<無頼>に乗った時、何か思い出さなかったの?」
カレンの声にはいつになく切迫感があった。あの時の話を、学園の中心たる生徒会室でするくらいなのだから相当だ。
周囲に人の気配が無いことを確認しつつ、ライは記憶を辿る。
「……違和感はあった」
「違和感? どんな?」
「ナイトメアの動かし方は知っていた。でも、乗り慣れていなかった……というか」
「……あれだけ動かせたのに?」
「機体制動時に発生するGを制御しきれなかった。あれは僕が実機に慣れていなかったためだと思う」
戦闘中、何度かカレンの体が浮き上がる事があった。あれはライがナイトメアを扱いきれていなかった証だ。頭の中では彼女の安全を確保していたのに、現実はそうならなかった。
ナイトメアの扱いについて、知識と慣れに乱れがある。
手足のように動かせても、ライ自身の体が慣性や遠心力に戸惑っているような、そんな違和感。ロイドには正直に報告したし、彼は一目で見抜いていた。
「逆に、ブリタニアの騎士だった可能性もある」
<無頼>を動かせたのだから日本側の人間である可能性が高い、とカレンは言った。しかしそれは違う。
<グラスゴー>やそれを基にした<無頼>といった第四世代型と、<サザーランド>のような第五世代型では、操縦系にほとんど違いがない。
<無頼>を動かせれば<サザーランド>も動かせる。機種転換訓練の必要性が薄いのも第五世代の長所だ。
実際、"シンジュク事変"ではテロリストが現地で強奪した<サザーランド>をそのまま使用している。
「どうかしら。あなたはブリタニア軍を撃破することにためらいが無いように見えたけど」
「…………」
それを言うならば、ライは日本側の勢力であるテロリスト連中も躊躇いなく囮に使っていたのだが、カレンはそういった部分を考慮していないようだ。
どうも、最近の彼女は都合の悪い事から目を逸らすような言動が散見される。
それがどこか、危険な気がした。
「君は僕が日本側の反政府組織にいたと考えているのか」
「え……」
「だとしたら、この学園にいるには余りに危険な人間だな」
カレンの言う通り、自分が反ブリタニア勢力だったら、とライは考える。もしそうであるならば、ここから姿を消さなくてはならない。
ルルーシュやスザク、ナナリーからは制止され、怒られたが、これ以上問題が積み重なればいよいよ歯止めが効かなくなる。なんの恩も返せぬまま、ただ迷惑だけをかけて学園を去るのだ。
情けなさすぎる。
「可能性の話よ」
カレンは笑って言ったが、その笑みは無理をして作っているように見えた。
「…………」
「…………」
それきり二人とも黙り込む。ライは元から無口だし、カレンも口数が多い方ではない。二人でいる時は沈黙も珍しくはなかったが、どうしてか今はことさら息苦しかった。
だんだんと関係が崩壊していくのが分かる。あのゲットーでの一件から、加速度的に終わりが近づいて来ている。
どうするべきなのか。ライとカレン。記憶喪失の身元不明者と、その世話係。主導権はいつだって彼女の方にあった。
どこへ行くにも、何をするにも、ライはカレンに手を引かれていた。その背中を追っていた。自分で何かを決めた事などあっただろうか。
何も言わず、ただ付いていく。
それで良いと思っていたのだ。だが、今はもう上手くいかなくなりつつある。
その結果としてカレンが苦しんでいるのなら、責任はやはり、ライに帰結するのだろう。
いい加減、彼女を解放するべきだ。
ただ迷惑ばかりかける今の関係が健全なはずがない。このまま行けば遠くない未来、カレンとの間に決定的な破滅が待っている気がしてならなかった。
(だが……)
どうすればいいのだろう?
カレンが強いストレスを抱えていることは分かる。それがライ自身と、彼女自身のプライベートに関係していることも、理解できる。分からないのはその先だ。
先に進むには、カレンのプライベートに足を踏み入れる必要がある。彼女はそれを許さないだろう。
学園にいる、おそらく全ての人間に秘匿している事だ。出会ってたかだか一カ月程度の男に打ち明けるとは思えない。ましてや、その男は記憶を失っており、敵か味方かも判然としないのだ。
では、どうしたらいいのだろう?
ライには難しすぎる問題だった。この一カ月足らずの間、人間関係において消極的だったツケが回ってきている。
自分の手には負えない。そうライは思った。
周囲の人間に甘えてきたばかりに、いざ問題に直面すると何も出来なくなる。
その相手のカレンが、今まで最も世話になってきた者の一人であるというのが、なんとも皮肉な話だ。
「君は……僕がブリタニア軍に入ることが嫌なのか?」
直接的な物言いしか、ライには許されていなかった。他に手札などなく、従って切れるカードもない。
出来るだけ真摯に、欠片の嘘も含ませず、そして何より慎重に。
そうする事しか出来ない。
カレンは目を合わせてくれなかった。空色の瞳は、進むことのないページだけを見つめている。
「あなたも見たでしょう? あのゲットーで、ブリタニア軍が何をしたか。ただそこにいたというだけで、大勢の日本人が殺された」
「……そうだな」
真新しい断末魔が耳に蘇る。舞い散る血飛沫に、潰れた肉の破片。家族だったものの傍らで、その名を叫ぶ子供達。
あれを作り出したのは他でもない。ブリタニア軍の兵士だ。カレンが嫌悪感を抱くのも分かる。敵意を向けるのも分かる。
「ブリタニア軍が悪辣だというのは分かる。なら、反政府組織に入ればいいのか。違うだろう」
ブリタニアが間違っているからといって、あの騒動を巻き起こしたテロリストが正しくなるわけがない。
<黒の騎士団>の名をかたった挙げ句に、住民達を盾にする事を前提にした作戦を強行。結果としてその行為に意味はなく、まとめてブリタニア軍に殲滅されてしまった。
死者は一五〇人にも及び、今ではニュースでとりわけ大きく扱われる話題だ。
死んだ兵士やゲットー住民の事より、事態を収拾した<黒の騎士団>の華々しい活躍が前面に押し出されている。なんとも偏向した報道である。
「それは……そうね。ブリタニア軍とテロリスト。どちらも間違っていた。でも、正義を為した者もいたでしょう?」
「<黒の騎士団>か」
カレンは頷いた。
「住民達を逃がし、ブリタニア軍を蹴散らした。あなたも間近で見たから分かるはずよ」
「…………」
反論できない。ブリタニア軍とテロリストとの戦闘は終わりつつあったが、あの後に予定されていた殲滅戦という名の虐殺を食い止めたのは紛れもない<黒の騎士団>だ。
彼らが来なければライとカレンは死んでいた可能性もある。
無関係な住民を逃がし、虐殺をおこなったブリタニア軍に鉄槌を下したのだ。確かにそれは、正義と呼ばれる行為かもしれない。
「……スザクがいるからブリタニア軍に入るの?」
「そういうわけではないけど。新しい環境だ、知り合いがいるのはそれだけで心強い。だが……」
「……?」
「居場所が欲しいんだ。ずっと前からそう思っていた」
「居場所って……。学園じゃ駄目なの?」
ライは頷く。
「ここはとても居心地が良い。皆が良くしてくれる。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる人もいるしな。感謝してもしきれない」
「え。あ……そう」
カレンの方を見ると、彼女は頬を赤くしていた。
「でも、それだけじゃ駄目だ。結局、僕は誰かの善意が無くては生きていられない存在で……とても弱々しい。そんな今の状態が、どうしても嫌だ」
ライは手元の書類を見た。こんな物をどれだけ片付けたところで、恩返しになどなりはしない。どうすれば恩を返せるのか。金銭を用意すれば解決するような簡単な話でもなかった。
「君たちは正式な手順を踏んでこの学園にいる。でも僕は違う。いてもいなくても変わらない」
本当はいる筈の無い人間。だからこその疎外感であり、異物感であるそれらが付きまとうのは当然だった。
「そんなことないでしょ」
カレンは否定してくれたが、ライに自分の考えを曲げるつもりはなかった。
「スザクのいる職場では、僕の知識が生かせる。必要とされるのは、ただそれだけでありがたい」
「そうなの……?」
「どこでもいい。居ていい意味が欲しいんだ」
<特派>からの誘いは、一本の釣り針に等しい。今の状況から脱却できるのなら、考えなしに釣り針を飲み込んでも良いとさえ思える。
釣り上げられた先に何があったとしても良い。釣り上げた相手が誰であっても良い。
今回はこの辺で。
ロスカラを知らない人が目を通してくれているのは非常に嬉しいです。こんなSSでも原作の知名度に貢献できたらと思います。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙
乙です
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乙ーロスカラR2はまだか色んなIFルートが見たいわ
乙です
「周囲の人間が善良であればあるほど、今の立場は辛い。だから、変化を求めているんだろうな」
この一カ月近く、ライはまともに行動してこなかった。ミレイから勧められていた部活動の話もそのままだったし、他生徒との交流にも進展は無し。記憶探しはしていたが、それを理由にして逃げていた節もある。
結局のところ、この学園にまったく適応できていないのだ。
「そうよね。わかる気がする。明るい場所が、必ずしも居心地の良い場所ってわけじゃないもの」
同意するカレンの声には様々な感情が含まれていた。苦悩や後悔、羨望と諦念。ライにはそれらを把握することは出来なかったが、それでも強い共感を抱いた。
その共感が、ライの中から言葉を引き出した。
「さっき言っていただろう。戦っている時、僕がリラックスしていたって」
「う、うん」
「実はそうなんだ」
カレンと共にゲットーでテロに巻き込まれた時のことを思い出す。自分達がいる場所が、どんどんと戦場に塗り替えられていく中、ライは恐怖でも混乱でもなく、強い充足感を覚えていた。
周りで人が死んでいてもショックは無かった。空を叩くような砲声の音で安心していた。そこら中で爆発が起き、粉塵が舞い上がる最中が、生きているということを実感させてくれた。
なにより───
「この生徒会室より、あの戦場の方がずっと……ずっと居心地が良かった。最初からここにいたのかと思うくらいに」
笑顔や歓声に満たされた楽園より、暴力と断末魔が支配する地獄の方が良かった。鉄火が舞い、殺意が渦巻く環境こそ、自分がいるべき所だと思った。
<特派>のシミューレーターに物足りなさを感じるのは当然だ。
「危険な人間なんだ。だからルルーシュとスザクに頼んで、ここから去ろうとした。ミレイさんや学園に迷惑がかかるなんてのは、ただの建て前だ」
本当はただ逃げ出したかっただけだ。この学園はあまりにも綺麗過ぎて、自分がどれだけ汚れた人間なのかを常に突きつけられているように感じる。
それが耐えられなかった。<特派>に入る理由の一つは、間違いなく学園からの逃避なのだ。
惨めだ。情けなくて、どこまでも無様。戦場で容易く敵を蹴散らす事が出来ても、内面はこんなちっぽけなものでしかない。
それを正直に話したのはカレンに、自分という人間を正確に捉えて欲しかったからだ。上手く伝えられた自信は無いが。
「僕はどうしたらいいんだろうな」
おまけにこれだ。分からないから、不安だから誰かに意見を求めようとする。
「……あなたはどうしたいの?」
「それが分からないんだ。だから困っている」
「…………」
自分でもどう言っていいか分からず、ライは取り繕うように作業を再開した。整理もしていない内心を打ち明けたのは間違いだったのかもしれない。
「…………」
カレンは黙り込み、ようやく本のページをめくった。
◇
昼休み。カレンに連れられ、食堂にやってきたライは疲労困憊といった様子で辺りを見回す。
「混んでるわね」
隣の少女はあっけらかんと言うが、ライは強い危機感にさらされていた。食堂にごった返す人々。その視線の多くが、自分達に注がれているからだ。
生徒会室で話して以降、今日のカレンはやたらとライに話しかけてきた。『朝食は食べたか』だの『昨日の夕食は何を食べたか』だの『ジャンクフードばかり食べるな』だの、しつこいくらいだ。
そしてなぜか、ほとんどが食べ物関連だった。
そういった話題自体は珍しくない。世話係主任という役割上、ライの健康管理なども職務に含まれるらしく、カレンから日頃の食生活について指摘される事は確かにあった。
問題はその頻度と、なにより場所だ。
普段なら教室での会話は極力避けるくせに、今日はやたらと積極的だった。当然、周囲の生徒は不審がり、彼女の親衛隊はその殺意をさらに強固なものとした。
それだけではない。
授業中も朝からあった断続的な視線はやまず、むしろ多くなった。授業が終われば近づいてきて、あれこれと尋ねてくる。それを阻もうとする者が現れれば、いつになく強気な口調で『ごめんなさい。後にしてくれるかしら』と告げてはねのける。
親衛隊連中はカレン本人を止められないと悟るやいなや、その殺意をライに集中させ、物理的に排除する隙を窺う始末。
午前中いっぱい、他者からの視線を一身に受け続けたライは、既に体力の限界に来ていた。
そして、今に至る。
視線の数は減るどころか、さらに増えていた。そろそろ質量を持ちそうなくらいだ。教室と食堂では収容人数の桁が違うのだから当たり前だが、ライにとっては致命的以外のなにものでもなかった。
「どうしたの?」
「いや……」
カレンの目線を避けるようにライは顔を逸らした。なぜだか、今日の彼女は周囲の視線を全くといっていいほど気にしない。
いつもなら過剰なくらい気にかけるはずなのに──
「体調が悪いの?」
「違う。すこぶる良好だ。ただ、周囲の視線がどうもな……」
「視線? 普通だと思うけど」
こんな調子だった。明らかにおかしい。そして心なしか、距離も近かった。
(なにが目的なんだ……?)
カレンの豹変にライは戦慄していた。友好的なカレンほど恐ろしいものは無い。この後に続く悲劇の前兆なのではないかと身構える。とても失礼な思考だった。
「じゃあ、私が持ってくるから。あなたはおとなしく待っててね」
静かだが、有無を言わせぬ口調。ライには頷くことしか許されていなかった。すごすごと着席し、なんとなく窓の外を眺める。まるで主人の帰りを待つペットのような気分だ。
なんだろうか。とても情けない。
一番混み合う昼休みの開始直後を避けたというのに、周囲の人間は一向に少なくならない。しかも、これだけの数が集まっているにもかかわらず、やけに静かだ。皆が皆、息を殺しているようで、ひどく居心地が悪い。
普段なら食堂はもっと賑やかだ。果てしなく騒がしい。どうせするなら静かな場所で食事を楽しみたいライとしては、理想的な環境とは言えない場所なのだ。いつもの食堂は。
だが、今日はいつにも増して状況が悪い。最悪と言ってもいい。当然、食欲など湧くはずもなく───
キリキリと痛み始めた腹をさすっていると、肩を指で叩かれた。シャーリーが怪訝そうな顔で立っている。
「どしたの?」
「……なにがだ」
彼女が疑問がなんなのか、ライには分かっていたが、あえて分からぬ振りをした。
「今日のカレン、ちょっと変じゃない?」
この話題の事だと思ったからだ。
「そうだな。だいぶ変だな」
「今度はなにしたの?」
「……あのな」
理由など分かるはずがない。
むしろ知りたいくらいだった。カレンの様子がおかしい理由も、その原因がライにあると最初から決めつけている理由も知りたくて仕方がない。
「昨日と一昨日は怒ってて口も利かなかったのに、今日はべったりだし。ああいうの、カレンのキャラじゃないでしょ? しかも相手がキミとなると……」
「…………」
「やっぱり、なにかしたんでしょ。仲直りの仕方に問題があったとか」
「彼女が怒っていた理由は未だに分からないし、解決も恐らくしていない。それに……」
ライは周囲の様子を確認してから、シャーリーの耳元に顔を寄せた。他人に聞かれるとまずい。カレンに聞かれるともっとまずい。
「……機嫌が良いように見えるか、あれが」
「……うーん。確かに」
シャーリーは困ったように唸ってから、列に並んでいるカレンの方を見た。
「そうだよね。どっちかって言うと、切羽詰まってるって感じだもんね。周りが見えていないような……」
「助けてくれ」
懇願だった。
「ええー……。無理だよ。なんか怖いし、二人の問題だし」
シャーリーからは休み時間にも話しかけられていた。だが、カレンからの静かな視線に怯えた彼女は、逃げるように去ってしまったのだ。
「それにほら。これはカレンの愛なんだから、ちゃんと受け止めてあげないと」
「シャーリー……!」
珍しく声を荒げる。不用意な発言は控えて欲しかった。『カレンの愛』。その単語だけで周囲からの圧力がさらに強まった。このままだとライは深海に沈んだ船のように、ぺしゃんこになってしまう。
「僕の命に関わるんだぞ」
「本望でしょ」
「理由くらいは知らないと、死にきれないだろう」
流石のライでも、自身が死ぬ理由くらいは知りたかった。刺殺や銃殺、撲殺といった死因ではなく、その動機を。
「だいたい、あれが恋愛感情から来るものじゃないことくらい、僕にだって分かる」
「んー。そうね」
「意中の相手に向ける視線というのは……あれだろう。君がルルーシュに向けているような、ああいう感じのものだ」
「なるほどね。キミもなかなか……うぇ!?」
突然、シャーリーが奇声を発した。彼女は口をぱくぱくさせてから、顔を真っ赤に染める。分かりやすく、鮮やかな変化だった。
「な、なに言ってんの!?」
「事実を言った。……話を戻すが、君の言った通りカレンのあれはなんというか……」
真っ赤なシャーリーから睨まれつつ、ライは思考を重ねた。カレンの視線には恋愛やら何やらに含まれるだろう柔らかく初々しいものはなく、変わりにもっと硬質で歪なものが混ざっているように感じた。
シャーリーの視線が穏やかで暖かい春風だとしたら、カレンのは硬質で荒々しい砂嵐に似ている。
そしてこの息苦しさ。
まるで、監視されているようだった。
四六時中、監視されるとは。まるで囚人の気分だ。このままではまずい。
いま学園にいる人間でなんとか出来る者がいるとしたら、それはシャーリー以外にいない。
気弱なニーナを危険な目にあわせるわけにはいかない。リヴァルは面白がっている。ルルーシュは高みの見物を決め込んでいる。
スザクは昼前に現れたが、まだこの状況に気づいていない。これから気づくことも恐らく無いだろう。
一番の適任者はミレイだが、彼女は不在だ。近日中に帰ってくるそうだが、その頃にはきっとストレスによる内臓の機能不全か、シンプルに他殺か──いずれにせよ、ライは死んでいる。
「君は以前からカレンとの接触を望んでいたじゃないか。チャンスだぞ。助けてくれ」
言葉の通り、シャーリーは前からカレンと仲良くしたいと言っていた。出会ってすぐに親しくなったライが羨ましいとも。
同じ学年で同じクラス。加えて同じ生徒会メンバーだ。親密になりたいというシャーリーの意見も理解できる。
しかしながら、活発なシャーリーと大人しいカレンでは、クラス内でも所属しているグループが違う。カレンが人付き合いに消極的なのもあって、なかなか距離を縮められない。
ライとの関係の事をシャーリーがからかいたがるのは好奇心もあるのだろうが、実際はカレンとの話題を欲しがっているだけのようにも見える。
助けてほしいというのはライの本心であり、切実な望みだが、シャーリーの背中を押したい気持ちも確かにあった。
カレンに必要なのは記憶喪失の不審者ではなく、心を開ける友人だ。それは間違いない。問題があるとすれば、二人が好意を寄せている相手が同じだということくらいだ。
それはルルーシュの甲斐性に期待するしかない。
「そ、それはそうだけど……」
シャーリーは照れた様子でなんとなしにカレンの方を見て──ピシリと固まった。ライもその視線を辿り、同じく硬直する。
凝視されていた。
赤い髪の看守が、こちらを見ている。
彼女はまばたき一つせず、その感情の無い瞳で二人を捉えて離さない。隣からシャーリーの『ひゃっ……』という小さな声が聞こえた。
恐ろしいと思った。
ライはそそくさとシャーリーの陰に隠れる。彼女の長い髪からは良い香りがして、とても落ち着いた。
「ら、ライのばかっ。わたしまで睨まれてるじゃん……って何で隠れてるの」
「助けてくれ。君が動かなければ、明日のランチに僕が並ぶかもしれないんだぞ」
「カレンの事をなんだと思ってるの……?」
シャーリーは呆れた様子だが、ライにはそう言うだけの根拠があった。
以前、学園の中庭でポーチを拾った事がある。色はピンク。可愛らしい外観で、化粧品などを入れるための物だ。カレンの持ち物だと知っていたので、彼女へ届けようと思った。
だが、手に取った瞬間、中から刃が飛び出してきたのだ。裁縫や身なりの手入れに使うような、小型の物ではない。遥かに分厚く、頑丈な刀身。人間を易々と解体できそうな、コンバット・ナイフだ。
カレンは護身用だと言っていたし、刃には使用した形跡も見られなかったので当時は気にしなかった。
だが、今は違う。
(殺される……)
普段は想像力に乏しいライの脳裏には、あのナイフを嬉々として振るうカレンの姿が克明に映し出されていた。
本当に怖い。
ナイトメア用の三〇ミリライフルの砲口より、あの視線を向けられることの方が遥かに脅威に感じた。
食器を乗せたトレーを二人分、両手に持ち、カレンが向かってくる。
「き、来てる来てるっ。私は戻るからね!」
「待ってくれ。困っていることがあれば力になると言っていたじゃないか。あれは嘘だったのか」
「なんでそんなことばっかり覚えてるの……。ルルとかスザク君に頼めばいいでしょ」
「あの二人にこういった問題を解決する能力はない。君が適任なんだ」
「……キミって結構ヒドいよね」
などと問答していると、
「珍しいわね。シャーリーと二人きりなんて」
不気味なくらい穏やかな声。至近距離で言い合っていたライとシャーリーは突き合わせていた顔を、同じ方向へ向けた。
「か、カレン……」
「はい、これ」
怯える二人をよそに、テーブルに食器の乗ったトレーが置かれた。
「どうしたの?」
「え? いや、あの……」
カレンに怒った様子は無い。いつもと変わらぬ静かな物腰。口調は丁寧で、当たり障りなど微塵もなかった。それだけに、先ほど見せた異様な視線が気になった。
「近頃、ライと何かあったのかなーって」
シャーリーに言われたカレンは少しばかり視線を下げた。困ったような口調で、
「いい加減、ライは食生活を見直すべきだと思うの。水とビタミン剤だけで過ごすなんて、とても健康的とは言えないから」
「む……」
ライは唸る。朝からの質問責めで、一週間近く前からの食生活を洗いざらい吐かされていた。
「お世話係主任として今の状況は看過できないわ。だからこうして仕方なく、ライを食堂に連れてきたのよ。……そうよね?」
「あ、ああ……」
やはり圧力がある。ライは渋々ながら肯定の言葉を返した。
「そっか、そうだよね」
シャーリーは納得したのか、両手を胸の前でぽんと合わせた。安心したとばかりに頷き、笑顔になる。
「うんうん。良かった良かった。心配して損した」
「またライが何か言ったの?」
「酷いんだよ。ライってば、カレンにランチにされる~なんて言って」
「そう……」
シャーリーによる突然の暴露によって、ライは絶望の淵に叩き落とされた。カレンの顔がこちらを向く。柔和な微笑みを浮かべてはいるが、瞳は笑っていなかった。
手に持っているフォークがカチカチと食器に当たる。手が震えているのだとようやく気づいた。
「またそんなことを言っていたのね」
「可能性を述べたまでだ」
ライは誤魔化すということが出来なかった。
「もう、駄目だよライ。カレンがせっかく心配してくれてるのに、なんでそういう風に言うの?」
「ん……そうだな。すまなかった」
いくら恐怖を覚えたとしても、あまりに直接的な物言いは良くない。シャーリーに叱られたライは素直に謝る。
「…………」
だが、カレンはぷいと顔をそむけた。またへそを曲げてしまったようだ。
こうなると手ごわい。この三週間余りで作り上げてきたカレン対策マニュアルによれば、彼女の機嫌を直すのには様々な手順を踏む必要があり、大変な労力を伴う。かなりの危険もだ。
「いっつもそういうこと言ってカレンを困らせてるんでしょ」
否定できない。
「ちゃんと仲直りすること。わかった?」
めっ、という感じで叱られ、ライは頷いた。そして時計を見る。昼休みの終わりが近づいていた。
「あ、もうこんな時間。私も戻らなくちゃ」
じゃあね、と言い残し、シャーリーは自らのグループへ戻っていく。またも二人きりの時間がやってきた。
「……食べないの?」
そう言ったカレンは既に食事を始めており、静かにナイフとフォークを動かしている。
「あ、ああ……」
着席し、持ってきてもらった食事を見る。三日間熟成させたショート・リブをメインに、ジャーマンポテトとサラダ、トマトと海老のスープが顔を揃えていた。
ブリタニアの料理は大抵、肉をメインとする。国の基礎となった土地は天候に恵まれず、穀物などが育ち難かったためだ。
人々は富裕層から貧困層まで豚を飼い、それを育てて食べていた。豚は一年足らずで大きくなる。生活には欠かせない存在だった。
従って主食は肉。魚や穀物などは主役になりえない。パンなどは底辺層の食べ物だ。
……というのはナイフもフォークも無かった一〇〇〇年以上前の食文化だが、それでも根深いものがある。他国の文化を取り入れ、今では多様化も進んでいるものの、ブリタニア料理の起源は肉なのだ。
「…………」
だが、ここはエリア11。元は日本という国だった。そこにブリタニア人が住み、ブリタニアの文化を広げ、ブリタニアの料理を食べている。日本文化の面影などほとんど無い。
妙な話だと思った。
目の前の少女を見る。ブリタニアという国に対して、決して良い感情を持っていないだろう彼女は、いったいどんな気持ちで食事をしているのだろうか。
こうして自分を食堂に連行し、ブリタニア料理を食べさせているのはなんらかのメッセージなのではないのか……ライはそんな考えを巡らせながら、ナイフとフォークを動かしていた。
(最近は懸案事項が多いな……)
相変わらず熱くて持てないスープの器を睨んでから、ライはカレンに目を移した。正確には彼女の手元だ。
白くてか細い指は装飾付きのフォークをしっかりと握っている。香草焼きされたチキンを切り分け、それを可愛らしい口元へ運ぶ。一切の音を立てない美しい所作。非の打ち所など一つもなかった。
知らず知らずのうちに、その手を──ナイフを目で追っていた。どうしてもポーチから飛び出た極太の刃を思い出してしまう。自分もあのチキンのようにされてしまうのだろうか……などと考えてしまう。
いつの間にかカレンを凝視してしまっていた。
ライからの熱い視線に彼女が気づかないわけもなく、気まずそうに身じろぎし、チキンを運んでいた手を止める。
「あの……」
「どうした」
「……そんなに見られてると食べづらいんだけど」
カレンが少し頬を赤くする。彼女からの圧力は消えたが、逆に周囲からの圧力が強くなった。食事を終えたにも関わらず居座る男子生徒達が、血走った目でライを射殺そうとしている。
(なるほど……)
尋常ではない居心地の悪さだが、それでも分かったことがある。重要なことだ。
カレン一人から向けられる偏執的な視線より、顔や名前も知らない生徒達数百人から放たれる殺気の方が、遥かに脅威度が低いと感じる。
体が震えないし、慢性的な危機感も無い。誰かを盾にし、陰に隠れようと思わない。
(これは使える……)
ライの中でいくつかの策が練り上がってきた。有効な策だ。成功すればカレンを含めた敵対勢力を一掃できる可能性がある。だが、まだ情報が足りない。確証もまた無かった。
今回はこの辺で。気づけば700レスを越えてるんですね。所属陣営が決まるまでに一スレ消費するとか……。
ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
乙デースッ!
しかし原作だとこういった周りの視線やヒロイン勢の視線に対するライの反応が思い出せないな
自分の印象だと天然でスルーして天然で完璧なフォローいれてたような感じだけど色々対策してるライも面白いな
乙乙
乙
導入で1スレってことは各ルート毎に2、3スレは使うね(ニッコリ)
面白いわあ
乙!
あー、もどかしいわぁ
どのルートになるか解らないけど楽しみでしょうがない
所でこのルートが終わったら他の全ルートを書いてくださるんですよね?
「だ、だから……」
「ああ、すまない。つい、な」
「……ついってなによ」
またもカレンを凝視してしまっていた。他の所を見ると男子生徒と目が合ってしまうのだから仕方がない。
咎めるような彼女の視線をかわして、ライも食事を再開する。せっかくカレンが用意してくれた物だ。無碍には出来ない。貴重なカロリー源でもある。
「よう、お二人さん」
また声をかけられた。笑顔のリヴァルと呆れ顔のルルーシュがいた。
「お二人さんって……。そういうのは止めてって、前にも」
「なにをおっしゃる、お二人さん。すでにちゃーんと、しっかり耳に入ってますよぉ!」
「何のことかしら?」
リヴァルとカレンが言い合うのを横目に、ライはルルーシュを見た。
「今から食事か」
「ああ。生徒会の仕事があったからな」
「早いな。かなり溜まっていたはずだが」
「大した量じゃない」
俺にかかればな、とはルルーシュは言わなかった。ライは日常的に彼の分の仕事を肩代わりしていたが、副会長がやるべき物は触っていない。
「それに、お前にやってもらっていた分もある」
「……ミスが無いと良いんだが」
「無かったよ。お前がミスする所なんて、俺には想像出来ない」
ルルーシュはカレンの方を見た。
「……人付き合い以外は、な」
「…………」
返す言葉も無かった。
ルルーシュもリヴァルも、今日のカレンの異常を知っている。午前中の彼女は、リヴァルでさえ近寄れないほどの剣幕だった。
いまリヴァルが野次馬としての本領を発揮できているのは、カレンが落ち着いてきた証だ。それくらいはライにも分かった。
「でも、ライに助けられたのは事実なんだろ? 学園中で噂になってるぜ。あのカレンお嬢様にナイトが現れたって」
「……それは」
シンジュクゲットーでの騒ぎが広まってきている。事件から三日が経った今くらいの時期が、一番危険だ。
KMFに乗っていた事が露見するのはまずい。ライはルルーシュの方を見た。
「安心しろ。バレてはいない」
「……手間をかける」
ルルーシュとリヴァルが働きかけてくれたらしい。噂は力尽くでかき消すより、誘導することの方がずっと容易い。人々の関心が集まる部分をピックアップし、それ以外の所をうやむやにする。
これは情報戦の基本だ。
今回の場合、有名人であるカレン・シュタットフェルトと、それを助けた不審人物に焦点を当てることにより、危険な部分──ゲットーにいた理由や戦闘を行ったことなど──への注意を逸らした。
もしかしたら他にも色々とやってくれているのかもしれないが、そこまでは分からない。
「記憶を失った男と、その失われた記憶のために危険なゲットーまで共に足を運ぶけなげなカレンお嬢様!」
リヴァルはだんだんとヒートアップしていく。彼の声が大きいせいで周囲からの視線もどんどんヒートアップしていく。
「そこへ現れるイレヴンのテロ組織! 鎮圧に出動したブリタニア軍との戦闘に巻き込まれ、絶対絶命の二人!」
ルルーシュがこめかみを押さえ始めた。ライは食事を三度、再開した。
「男は女を守るために身体を張った!『カレンは俺が守る!』二人は炎の中を駆け抜けたぁっ!」
「…………」
「…………」
カレンとルルーシュは閉口している。ライは適温になりつつあるスープに舌鼓を打っていた。リヴァルの言っていることは(登場人物の心理を除けば)それほど間違っていない。
「って、話になってるけど?」
「大げさね……。噂話は尾ひれが付くものよ」
「でもさ、助けたのは事実なんだろ? カレンのような、か弱い女の子が無事に逃げ出せたのがその証拠だし」
(か弱い……?)
どうしても疑問符が取れない。そういえば、カレンは病弱でおしとやかと周囲から認識されていたのを思い出す。
「それは……そう、だけど」
「大切なクラスメイトを助けてくれた。そのことにはお礼を言わなくちゃな。ありがとう」
「ルルーシュ……」
言いよどむカレンをルルーシュが鮮やかにフォローする。ライには出来ない芸当だ。
同時に納得出来ないとも思った。どうして、今のルルーシュの言葉にカレンの親衛隊は反応しないのか。
(やはり、僕が悪者なのか……)
認めざるを得ない。
「学園内、この話で持ちきりなんだぜ。カレンお嬢様と、その素敵なナイト様ってね!」
「またもう……そんな話で喜んで……」
「カレンを狙ってた男子も結構多いんだぜ? でも、愛しのナイト様の登場で、ガッカリさんションボリ君続出だよ」
「もう……やめてよ……」
「で、ホントの所はどうなのよ? どうやって戦闘の中をくぐり抜けることが出来たわけ?」
ルルーシュがうんざりしたように頭を振った。彼の頭痛の原因は、このおしゃべりな友人なのだろう。
さりとて、真実を話すわけにはいかない。KMFを駆り、ブリタニア軍と戦った事実は様々な所に影響を与える。
「なあ、聞かせてくれよ。どうやったんだ? よっぽど機転を利かせたのか、火事場で思わぬ力が出たとか、あるでしょ? そりゃもう、報道クラブあたりが飛びつきそうな美味しいネタが!」
「…………」
ライが困っていると、カレンが口を開いた。
「もういいでしょ。確かに私は彼に助けてもらったわ。その事実だけで充分じゃない?」
僅かに怒気を孕んだ声。だが、これは本当の怒りではなく、そう思われるように装ったものだ。幾度となく彼女を怒らせているライには手に取るようにわかる。
「あれ、ご機嫌ななめ?」
「興味本位で騒がれるのは好きじゃないし、彼だって周囲からいろいろ言われても困る立場でしょう?」
生徒会メンバーならそれくらい分かるだろう、と彼女の瞳が言っていた。
「えー。どうなんだよ、ライ」
「カレンを救ったのは<黒の騎士団>だ。僕じゃない」
事実だった。あそこで<無頼>になど乗らなくても、あの組織がブリタニア軍を撃退していただろう。つまり、ライはただ暴れただけだ。意味などなかった。
「結果論だな」
ルルーシュにはそう言われたが、ライは返答しなかった。ここで彼とあの時の行動について議論するつもりはない。
余計なことをして、色々なところに迷惑を掛けているのだ。軽はずみな考えは慎ましなくてはならない。
「気になるよなぁ、ルルーシュ」
「あまり詮索するものでもないさ。俺たちも腹に何か詰めないと」
「えー」
つまらなそうなリヴァルを伴って、ルルーシュが去っていく。
「……今日は賑やかね」
カレンが素っ気なく言う。その言葉だけでは、彼女の考えは読み取れなかった。
「ねえ」
食堂を出て中庭を歩いていると、隣のカレンが言った。
「……?」
「これだけ騒がれてるなら、誰かあなたを見知った人が現れても良さそうなものじゃないかしら」
「……そうだな」
「ただし、租界の中にそういった人がいればだけど」
「…………」
「そうじゃないのなら、あなたは租界の外から来た……日本人、なのかも」
「君はそう思うのか」
「……可能性の話よ」
言うだけ言って、カレンは歩いて行ってしまった。彼女はライが日本人だと思っているらしい。廊下の窓ガラスに映る自分の姿を見る。
限りなく銀に近いアッシュブロンドの髪。蒼い瞳。白い肌。いずれもブリタニア人の特徴だ。東洋人のものとはかけ離れている。それはカレンも同じだ。
だが、彼女は日本人を強く意識している。複雑な事情があり、それをライに投影しているような──なんとも言えない感情を向けられている。
カレンはどうして欲しいのだろうか。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。その音はどこか、物悲しかった。
「疲れてるみたいだね」
放課後の生徒会室。ライはスザクと二人で談笑していた。カレンを含む他のメンバーはまだ来ていない。それぞれの用事があるのだろう。
スザクの手元には開いた状態のノートがある。ここ最近おこなわれた授業の内容を彼に説明しているところだ。
「そう見えるか……」
一度は好調の兆しを見せたものの、カレンの態度はまた元に戻ってしまった。スザクと積極的に話し始めた辺りからだ。午前中より酷くなったかもしれない。
「カレンとは上手くいってる?」
「……なに」
スザクですら彼女の様子に気づくのか、とライは思った。実のところ、カレンはライよりスザクに対して異様な視線を向けている。しかし傍から見ている限りでは、彼に感づいた素振りはなかったのだ。
「いろいろ噂になっているみたいだし。ほら……ね」
スザクはなぜか頬を赤くする。駄目だった。気づいていなかった。
「君まで邪推するのか」
「そうじゃないよ。でも、君だって年頃なんだから、浮いた話くらいあったって良いんじゃないかと思って」
「なるほどな。そういえば君も……」
そう言いかけて、ライは口をつぐんだ。ロイドから聞いた話を思い出したのだ。スザクには交際している相手がいて、そしてその事について言及してはならないと。
「僕? 僕がどうしたの?」
「……いや、なんでもない。忘れてくれ」
フェアじゃないような気がする。
自分は各所から誤解され、冷やされるばかりか、敵意や殺意を向けられている。なによりカレン本人からもまともな扱いをしてもらっていない。なのに、スザクばかりが順風満帆な交際をしている。周りから応援してもらっている。
それは彼が今まで努力して勝ち取ったものだ。与えられて当然の権利であり、幸福だろう。
だが、この少年と比べて自分を取り巻く人間関係の、なんと歪なことか。
(いったい僕が、なにをしたというんだ……)
ライにはカレンを狙う気持ちなど微塵もない。
彼女に対して好印象を持ってはいるが、それは生徒会メンバー全員に対して向けられているものだ。それを恋愛感情と言うならば、ルルーシュやスザク、リヴァルもその対象として見ていることになる。
ありえない。
「スザク、恋愛感情とはなんだ。どんな気分になる」
「え? ……ええっ!?」
珍しく、スザクは素っ頓狂な声を出した。
「な、なんで急に」
「知らなくてはならないことだ。……命に関わってきているからな」
ライとて馬鹿ではない。
ミレイから"宿題"と称して押し付けられた大量の恋愛小説を読んでいるため、以前ほどそういった問題に関して不得手ではなくなってきている。
恋愛感情が人としての営みに密接に関係している事くらいは理解できる。
「人間は生殖行為をしなくては種を存続させることが出来ない。だから恋愛という文化を作り出し、それを推奨しているんだろう」
それくらいは分かる。馬鹿にしないで欲しい。
「だが、その恋愛というメカニズムがどういったものか、恋愛感情によってどういった症状が引き起こされるのか、それが分からない」
「……なるほどね」
大真面目に語るライの言葉を、スザクもまた大真面目に聞いていた。
その時、生徒会室の扉が開かれる。ルルーシュとシャーリー、そしてリヴァルが入ってきた。
「……また変な話してたでしょ」
シャーリーが呆れた様子で言った。ルルーシュは鞄を置いてから、スザクの方を見て──それからライに言った。
「相手を選べ」
失礼極まりない発言だった。
「そ、そんな。酷いよルルーシュ」
「そうだ。失礼だぞ」
「お前達だけで話したところで、答えなど出るはずがない。まず根本的な知識から足りていないんだ」
本当に失礼だった。スザクとライは反論したが、どうにも勝ち目は薄いようだ。ルルーシュの言葉が正論に聞こえて仕方がない。
「で、何のはなし? 恋愛がどうのって言ってたよね」
シャーリーが目を輝かせている。リヴァルもだ。盗み聞きしていたらしい。
「カレン? カレンでしょ? カレンだよね?」
しかも完全に決めつけられていた。
「違う……いや、違わないのか」
「おおっ! ついにライも朴念仁ズ脱却か!?」
身を乗り出したリヴァルからは昼休みの一件を反省した様子が窺えなかった。
「もうシャーリーには相談したんだが、カレンのことだ」
そう切り出し、ライは話を進めていった。隣の席でなにやらルルーシュが身を固くしていたが、ライは気づかなかった。
「なるほどな。まあ、確かにちょっとおかしいよな」
ライが相談したい事とは、カレンの様子がおかしい、というのと、彼女の親衛隊をそろそろ鎮圧すべきだというものだ。
「でも、別にいいんじゃないの? カレンがやりたくてやってることだろ。親衛隊の連中だって、それをとやかく言えないんじゃないのか」
「そうだな。だが……彼女は無理をしている。だから君達も、様子がおかしいと認識した」
ライの意見に反論はなかった。彼女がどのような行動をしようが問題ない。だが、それがカレンの負担になっているのなら正すべきだろう。
「つまり、カレンを冷静にしたいということか」
ルルーシュの言葉にライは頷いた。
「ライからはなんか言ってみたの?」
「言った。『どうした』とか『落ち着け』とか」
「で?」
「『なにが?』とか『落ち着いているけど』と返された」
「それで終わり? 諦めるの早いよ」
シャーリーの言葉は辛辣だった。カレンの事となると、途端に辛口になる。
「そうは言うが、カレンはあれで怖いんだぞ。怒った時もそうだが、怒った後が怖い。あの圧力が一番堪える。しかもその状態で接触してくるんだ。助けてくれ」
カレンは怒ると刺々しくなる。丸まったハリネズミと同じだ。近づくなという合図であり、触れば怪我をする。しかし、今日の彼女はその丸まった状態でライに接触してくるのだ。大変な事になっている。
「またそういう風に言って……カレン、かわいそ」
「……この場合、可哀想なのは僕だと思うんだが」
「キミは自業自得でしょ」
本当に辛辣である。
「なにか良い案はないか。僕では手に負えない」
見渡すが、誰も答えてはくれなかった。
「そうだな……」
いや、いた。ルルーシュだ。彼は細く長い指を口元にやり、思案している。
「俺とリヴァルが昼休みに声をかけただろう」
「ああ」
「あの時だけ、カレンの雰囲気は普通だった。そこに状況を打開する鍵があるんじゃないか」
「鍵、か……」
「思い出せ。お前が助かるには、その可能性に賭けるしかない」
「ルル……あのね」
シャーリーがルルーシュを睨んでいるが、それをよそにライは思い出す。
「あの時は……そうだ。確か」
「なんだ」
「特別な事をしたわけじゃない」
カレンが食事しているところをじっくりと観察していただけだ。すると彼女は赤面し、昼休みが終わるまで覆っていたハリネズミ・バリアが解けた。
「それだな」
ルルーシュの声には確信めいたものがあった。
「どういうことだ」
「今までのお前は守勢に回っていた。だから良いようにやられていたんだ」
「あ、分かった。引いて駄目なら押してみろってやつ?」
シャーリーの言葉にルルーシュは頷いた。
「つまり攻勢に回ればいいわけか。なるほど……」
カレンに質問責めを繰り出した時の事を思い出す。確かに、一定の効果は挙がっていた。
「だが──」
そこでライの聴覚が反応した。先ほどルルーシュ達の接近には気づかなかったが、今度は相手が警戒対象だったので拾うことに成功した。
「どうした?」
「カレンが来た」
言うと同時に、生徒会室の扉がノックされる。室内の空気がキンと張り詰めた。誰かが喉を鳴らした。
扉が開かれ、赤い髪の美少女が入室してくる。ライには一連の映像が、やたらとスローに見えた。
「……? どうしたの?」
妙な空気を感じ取ったらしいカレンは戸惑った顔をする。それを見て、前にもこんなことがあったな、とライは懐かしい気持ちになった。懐かしむという情緒は新鮮でもある。
「な、なんでもないよっ」
シャーリーの誤魔化し方は信じられないほどに下手だったが、彼女に促されたカレンはすんなりと隣の席に腰を下ろした。
ライの真向かいである。
ルルーシュとリヴァルは頬をひくつかせた。
残念なことに、シャーリーは問題の主旨を理解していない可能性がある。もしくは愉快犯か、天然でやったのか。いずれにせよ、致命的な状況を招いた事に変わりはない。
「うう……っ」
胃が殴られたように痙攣している。昼に入れた物が腹から出てこようとしている。
「どうした。どこへ行く」
突然話しかけられ、虚を突かれたカレンの肩がぴくりと揺れる。
「べ、別にどこでもいいでしょ」
「言えない所か」
「…………」
カレンとシャーリーから睨まれる。なぜ自分に敵意を向ける人間が増えているのか、ライには分からなかった。
隣のスザクが顔を寄せてきて、
「駄目だよ、ライ。女性がああする時は、お手洗いに行くって合図なんだ」
「なるほど。暗黙の了解、というやつか。勉強になった」
やはり恋愛経験者は違う。ライは尊敬の眼差しをスザクに向けた。
「大勢の前で公言しては何の意味もないがな」
ルルーシュがなにかを諦めたようにいった。女子メンバーの敵意ある視線はスザクにも向けられている。
ライに一般常識を説くための教材として扱われたカレンは顔を赤くして歩みを再開した。
逃がすまいと、起立したライがその背中に再び問い掛ける。
「待ってくれカレン」
「今度はなに」
少し苛立ちの混じった声。
「大か、小か」
その一言で、生徒会室は静寂に包まれた。
誰もが動きを止めていた。呼吸すら許されないような静けさの中、ライはカレンだけを見ていた。
すっとシャーリーが立ち上がり、手元にあった交通安全のポスターを持って、こちらに早足で近づいてくる。
「馬鹿っ!」
丸めたポスターが振るわれた。ぱこんと小気味良い音が広い室内に響いた。
「な、なんだ……?」
突然の暴力にライは動揺していた。折れ曲がったポスターを持つシャーリーはいつになく怒りを込めた瞳をこちらに向けている。
「サイテーだよっ! 信じらんない!」
優しい彼女がここまで怒るのだ。ライは自分の先ほどの言動が社会的に間違っているものだということに気づいた。
「す、すまない……」
「謝るのは私じゃないでしょ」
そうだった。ライはカレンの方へと向き直り、
「カレン、すまなかった。さっきの言葉は忘れてくれ。こちらの事は気にせず、ゆっくりしてくるとい──」
またも隣で怒気が膨れ上がる。見れば、シャーリーが再びポスターを振り上げていた。
今回はこの辺で。ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
> 「大か、小か」
ワロタ
乙
乙です
ライは頭の良いアホという風潮、一理ある
乙です
乙
それ以外の可能性だって考慮するべきだな
「まったくもう。反省しなきゃ駄目だよ。ほんとに」
カレンが去った後、シャーリーから再び叱られた。ライはこくこくと頷いてから唸った。
「むぅ……」
やはり、女性が怒る話題については不可解な部分が多い。男性と感性が違うというのはなんとなく分かるのだが、どうしても先ほどのような"事故"は避けられない。
「普段からさっきみたいなこと言ってるんでしょ。いつか本当に嫌われちゃうよ」
「……既に嫌われている可能性も否定出来ないぞ」
そう言うと、目の前の少女はふふんと笑った。
「まだ大丈夫。カレンは優しいから」
シャーリーの見立てでは問題は深刻化していないらしい。それは何よりだが、根本的な解決はいまだに遠い。
「お前のそれは一種の才能だな」
ルルーシュからは露骨に馬鹿にされた。どこか楽しんでいるようでもあった。許せない。
「チャンスは今しかない」
カレンが席を外した今が好機なのだ。先ほどは勢い余って惨事を引き起こしてしまったようだが、彼女が戻ってくるまでに現実的な対策を考える必要がある。時間はあまりない。
さっきはルルーシュから攻勢に回った方が良いという案が出たところで打ち切られてしまった。
「そんなの簡単じゃん」
シャーリーがあっけらかんと言った。悪巧みをするように笑っているのが微笑ましい。
「今日、カレンからされた事をそのまま返せばいいんだよ」
「……? 嫌がらせを仕返すということか」
「い、嫌がらせって……」
「言い方を考えろ」
スザクは戦慄し、ルルーシュからは咎められた。
「む……。だが、返すと言っても、何をすればいい。一日中、偏執的な視線を向けたり、その人物が現れるだろう場所に待ち伏せたり、日常生活の内容について根ほり葉ほり訊いたりすればいいのか」
言っていて、ライは自身の体調がどんどんと悪化していくのが分かった。これらをカレンに対して行えば、社会的に自分がどういった扱いを受けるのか……それぐらいは予想出来る。
「……そんなことをされていたのか」
どうしてか、ルルーシュが痛ましい表情をしている。彼には責任など無いのに。
「そこまでやったら捕まるよ」
スザクにもそう言われた。
時に性別の違いが法的措置に影響を与えるらしいことを、ライは学びつつあった。
女性が男性の身体に触れても大きな問題には発展しづらいが、性別を逆にした場合、危険性は跳ね上がる。電車で『この人、痴漢です!』と言われれば、それが冤罪だろうと社会的に抹殺されるのと同じだ。
社会的地位の差もある。ファンクラブや親衛隊が存在するカレンに対してストーキングじみた行動を取れば、何の後ろ盾もないライはあっという間に謀殺されてしまうことだろう。
爆発物の解体作業と同じだ。非常にデリケートで、危険性が高い。報復行為には細心の注意を払わなくてはならない。
「難しいな……」
法に触れずにカレンを無力化する。衆人監視の中で。ほとんど不可能に近い。
「そんなことないよ」
シャーリーが自信満々に言った。
「任せて。なんとかしてあげるから」
「そうか。すまないが、よろしく頼む」
どうして彼女はこんなに燃えているのだろう、とライは思ったが、それは言わなかった。同じ女性であるシャーリーの意見はこれ以上ないほど参考になる。
その後すぐ、カレンが戻ってきたことで対策会議は終了した。帰り際、シャーリーと目が合うと、ぱちっとウインクされた。
「駄目ですよ、ライさん」
ルルーシュに連行され、彼の部屋で行われた夕食会の最中、ナナリーからも叱られた。
「カレンさんの好意を嫌がらせだなんて……言語道断です。カレンさんが可哀想です」
「いや……だから、可哀想なのは僕の方じゃ」
「…………」
どうしてこう、自分の擁護派は少ないのだろう。優しさの化身であるナナリーからも全否定されるとは。ライの動揺はかつてないものだった。ショックで頭の中が真っ白になる。
「だがな、ナナリー。カレンの様子も変なんだ。彼女の人気は知っているだろう。ライはあらゆる場所で厳重な監視下に置かれている。その心労を……」
「お兄様」
「な、なんだ。ナナリー」
妹の咎めるような口調に、兄が思い切りたじろぐ。今のやり取りがこの部屋における力関係を表していた。
「私もカレンさんから、ライさんの生活態度には問題があるとお話を聞いたことがあります」
「そ、そうか……」
言いふらされている。しかも、ナナリーにまで密告するとは、なんとも効果的な手段ではないか。お世話係主任の鮮やかな手際に、ライは舌を巻いた。
「着々と外堀を埋められているな」
「どうしてこうなるんだ。僕の私生活を管理する必要なんて、どこにも無いだろう」
「それだけ気にかけられているということさ。喜んでも良いんじゃないのか。なあ、ナナリー?」
「そうですね。ミレイさんがお帰りになる前に、ライさんを改心させちゃいましょう」
両手を合わせて無邪気に言うナナリーは愛くるしい事この上ないが、ライは冷や汗をかいた。まるで悪人のような言われようである。
「改心云々は置いておこう。いま問題なのはカレンと、その親衛隊だ」
「そうだな。これ以上長引けば、"騎士研"がそろそろ動きだすかもしれない」
「騎士研。なんだそれは」
「騎士道研究会の略だ。古代ブリタニアについての歴史的な研究や、剣術、馬術の専門的な鍛錬を行っている。クラブの中でも割と人気のあるところだな」
「聞いたことがないな。剣術や馬術を扱うクラブは既にあったはずだ」
その二つはブリタニアでは大衆的な文化である。中流家庭以上の女子がピアノやバレエを習うのと似たようなものだ。
同様に、歴史学を学ぶ研究部もあった。運動部や文化部の予算関係をまとめた書類に目を通していたから知っている。
「それらが統合された。予算の都合という名目だったが……本意は違うだろうな。真の目的がある」
「……?」
ルルーシュはライを指差した。どこか楽しそうな表情だ。
「お前の打倒だよ。既に中等部高等部問わず、男子生徒全体が結束しつつある」
「仮入学生相手に無駄な団結力を……」
そういえば以前、カレン親衛隊が一つのクラブとして申請してきているという話があった。そして何より、部活動の発足には生徒会を通さなくてはならないはずだ。
「まさか、受理したのか」
裏切ったな、とばかりにライはルルーシュを見た。
「俺じゃない。やったのは会長だ。出かけていく前にサインをしていったようだな」
「冗談だろう。まさか決闘を申し込まれるわけでもあるまいし」
「用心しておけ。そのまさかが起きる可能性もある」
「……それが本当だとしたら、僕には理解できない心理で動いているようだ」
本当に理解できなかった。思春期の高校生達だ。好きな娘くらいいるのが普通だろう。病弱で可憐なお嬢様が魅力的なのも分かる。
だが、直接的なアプローチをせずに付近の男を監視、排除しようという思考は理解に苦しむ。それが見当違いから来ているものなのだから尚更だ。
その上、決闘などと。
(いや……利用出来るかもしれない)
集団心理は力尽くでは止められない。だが、ベクトルを正してやることは出来る。
ライはルルーシュの方を見る。
「……なんだ?」
「いや、気にしないでくれ。料理が出来る男はモテると聞いた」
「……?」
あっ……(察し)
「しかし、カレンの人気は異様だな。まるでアイドルのようだ」
話題を変えるべく、ライは以前から気になっていた事を口にした。
数百名の男子生徒によって形成される親衛隊。本人からは明らかに迷惑がられているが、彼らは気づいていないようだ。
「以前、生徒会主導のアンケートをおこなったことがあったんだ」
「アンケート。なんのだ」
「色々だよ。その中で、高等部男子生徒をターゲットにした項目があった。『守りたくなるお嬢様』という質問だ」
「……なるほどな」
ミレイのことだ。面白がって大々的に公表したのだろう。その結果、学園のアイドルが誕生した。
「一位に輝いたのはカレンさんだったんですよ。すごいです!」
『守りたくなるお嬢様』ランキング中等部一位のナナリーが言った。
守りたくなるお嬢様。その近くにいる自分。噂で聞いたナイトという呼び名。
色々と繋がってきた。全てに意味がある。
ニコニコと笑うナナリーの陰で、ライはひっそりとうなだれた。
「災難だな」
ナナリーを寝室に送り届けた後、ライはルルーシュの部屋に訪れていた。食事も含めて、最近はこういった事も増えている。
勧められた椅子に座ると、ルルーシュがお茶を入れてくれた。深紅の液体が湯気を立てている。良い香りだ。すぐに口を付けたいところだったが、体質がそれを許さない。
「そうだな。だが、シャーリーの言う通り自業自得かもしれない」
紅茶に手が付けられないので、ライはテーブルへと腕を伸ばした。正方形の盤に、白と黒の駒が三二個載っている。
ルルーシュの趣味であり、財源でもある世界的にも歴史的にも有名なボードゲーム──チェスだ。目の前の少年が言うには、この盤上遊戯は人間性が強く出るという哲学的な側面も含んでいるらしい。
単純に楽しい遊びであったし、ルルーシュから心理学者めいた意見が聞けることもあって、彼の部屋に訪れるたびにライもこの古い遊びに興じていた。
「いつも通りでいい」
「わかった」
ライは自陣に白い駒を一六個並べてから、ルルーシュの陣地にも同様に黒い駒を並べていく。だが、黒い駒は一〇個しかない。八個のポーンと、キングとクイーンが一つずつ。ナイトとビショップ、ルークの駒を抜かれた状態だ。
ルルーシュが初心者であるライとやる際は、いつもこの変則ルールを採用する。一〇対一六──しかも主要な駒を抜いた状態では優勢など明らかだ。
「ふむ……」
ルルーシュは自分の駒を自陣の好きな位置に動かす。流石に初期配置のままで駒だけ抜いたらどうしようもなくなるからだ。
対戦相手が駒の位置を熟考している間、ライはチェス用の本に目を通す。定石とされる打ち方や、過去の名プレイヤーが得意とした戦術は参考になる。
ライだけではなく、ルルーシュにとっても何らかの練習的な意図があるらしい。互いに勝ち負け以外の目的を含むいびつな対局だが、少なくともライは楽しんでいた。
「よし、やろうか」
準備を終えたルルーシュの言葉を受けて、ライは本を閉じた。テレビから流れるニュースキャスターの声を聞きながら、まず白いポーンを動かした。
さて、最初はどの手からいこうか。
三局ほど終えて、二人は一息ついた。勝負はやはり三回ともライの勝利で終わっている。
それだけ見れば圧倒しているようだが、盤面の駒数にはほとんど差が見られない。最初は六個もの優位があったのに、それが消失しているのだ。対等な条件で勝負した場合、どちらが勝つのか──それは恐らく、黒い駒の主にしかわからない。
「なかなか勝たせてもらえないな」
「当然だろう。クイーンを取ってしまえば、後に残るのは足の遅いキングと前進しか出来ないポーンだけだ」
ライの陣営に大きな被害を与えるのは決まってクイーンの駒だ。だがそれさえ、ポーンを三つ程度差し出せば取れてしまう。
後はポーンが他の駒に変化するプロモーションや、幾つかの奇策に注意すれば勝利することは難しくない。チェスは高い戦略性を持つゲームだが、それを支える駒という要素を取り払ってしまっては、打てる手は限られる。
どれだけ優秀なプレイヤーでも、動かす駒が無ければ絶対に勝てない。
「そうか? だが、お前は異様なほど筋が良い。本当に初心者か疑ってしまうほどにな」
「チェスのルールは知らなかったよ。勝ちを拾えているのは教師が良かったからだろう」
「可愛げのない生徒だ。この状態で打っても、リヴァルには完勝出来るんだが」
「それは彼自身の問題だな。僕が強い証明にはならない」
そう言うと、ルルーシュは笑みを浮かべた。
「少し休憩しようか」
「ああ」
ルルーシュは席を立ち、再び紅茶を淹れてくれた。過ぎた時間はまだ三〇分ほど。一回の対局が短いせいだ。
静かな時間が過ぎる。目は自然とテレビの画面に向いていた。最近になって購入したらしい大きく、真新しい液晶モニター。
先ほどから流れているニュースではいつもと同じく<黒の騎士団>についての報道と、専門家気取りの中年男性が数名、議論を交わしていた。
議題もいつもと変わらない。ゼロの正体と、その目的だ。
「お前はどう思う」
ライの前にカップを置きながらルルーシュが尋ねた。テーブルと接触しても、白い食器類は一切の音をたてない。
「あれのことか」
テレビを見ながら聞き返す。
「そうだ。お前も、もう無関係じゃないからな」
シンジュクゲットーでの事を言っているのだろう。それを踏まえて、ライは間髪入れずに答えた。
「嫌いだな」
「……理由は?」
「ニュースを独占し過ぎだ。これは報道機関の責任でもあるが」
「…………」
「以前、ナナリーと一緒に夕方の報道番組を見ていた時のことだ」
少し前の思い出を語る。学校が終わり、クラブハウスに戻ったライは、咲世子からナナリーを見ていてくれと頼まれた。彼女には買い出しという大切な使命があったためだ。
もちろん快諾し、ライはナナリーと二人で穏やかな時間を過ごしていた。外の天気はあいにくと雨だったが、おかげで運動部連中の汗にまみれた声をナナリーの可愛らしい耳に入れなくて済んだ。
お茶を飲みながら童話を読み、リクエストされた折り紙を折る。ニュースでは小型犬や産まれて間もない猫についての特集を放送していた。目が見えないナナリーでも、その鳴き声だけで楽しめる。とてもとても穏やかな時間だったのだ。
それを。
「突然画面が切り替わった。<黒の騎士団>が現れたという速報のせいだ」
画面は愛らしい犬猫から、汚泥のような顔をした有力貴族へ移り変わる。汚職をしていたらしいその貴族は、<黒の騎士団>によって輝かしい人生に幕を引かれたのだ。
既に彼の自宅はゼロから情報提供を受けていたらしい報道陣によって包囲されており、貴族は何人かのボディーガードと共にマシンガンのように降り注ぐシャッターの光で灼かれていた。
色々な意味で、目に悪い光景だった。
可愛らしい愛玩動物の鳴き声から、汚らしい中年男の泣き声に変わったのだ。聴覚の発達したナナリーには地獄のような責め苦だっただろう。許せなかった。
「……<黒の騎士団>は悪くないじゃないか」
「いいや、悪い」
ライは断固として言った。彼にしては珍しい、憤りのような感情が含まれていた。
「連中はいつもそうだ。記憶の手掛かりになると思ってニュースを見ていても、彼らの話題で独占されている。配慮が足りていないんじゃないか」
「…………」
ルルーシュは呆気に取られていたが、こめかみに手を当てた。頭痛でもするのだろうか。
「いや、そうじゃなくてな。彼らの主張や行動、世間からの評価。そういったものに対して、お前がどう感じているか知りたい」
「なぜだ」
「個人的な興味だよ。お前は特定の思想を持たず、また特定の組織にも入っていない。そんな人間から<黒の騎士団>はどういうふうにみえるのか……」
言葉通りの興味本位……というわけではないようだった。ルルーシュという男は警戒心が強く、また思慮深い。
その彼が自分と、あの反政府組織を結びつけたがる理由。それを推察する。
(テロ屋だと思われているのか)
<無頼>を操縦したことはルルーシュにも話してある。カレンと同じように、日本製KMFを扱ったライを日本側の人間と勘ぐってもおかしくはない。
ルルーシュにはナナリーがいるのだ。何に代えても守らなくてはならない、ただ一人の妹が。ならば、どう答えるべきか。考えなくても分かる。
「救われた事には感謝しているよ」
ライは正直に話した。
「彼らが来なかったら危ないところだった。だが、それだけだ。僕個人としては、あの組織に思うところは無い」
「賛同も反対もしない……と?」
「同じ質問をスザクにもされたことがある。しかし記憶の無い僕には、真にブリタニア人と日本人の立場を理解することは出来ないだろう」
「だが、お前は今の言葉の中で日本人という名称を使った。イレヴンではなく」
「…………」
以前、カレンから指摘されてから変えたのだ。日本人のスザクもいるのだし、特に問題は無いと思っていた。
「質問を変えよう」
ルルーシュが言った。艶めかしい黒髪の向こうで、アメジストのような瞳が輝く。
「お前はこのエリア11についてどう思っている?」
「……質問の意図が分からない」
「そのままの意味さ。一か月近く過ごしてきて、色々と見てきたものがあるはずだ。その受け取り方から、お前の正体について分かることもあるかもしれない」
「……そうだな」
やけに食い込んだ質問だと思いながら、ライはエリア11について振り返ってみた。
直前の文脈から考えて、ルルーシュが知りたいのはブリタニア人と日本人の立場に対する感想だろう。
「歪だとは思う」
今日の食堂で思ったことだ。日本という土地に、ブリタニアの文化が植え付けられている。それどころか、今まで築き上げてきた物は排斥され、ことごとく破壊される。
まるで存在そのものを否定するかのように。
「歪……間違っているということか?」
「違う。七年前の戦争で勝ったのはブリタニアだ。主導権を握るのは当然だろう。好きにしたらいい」
「ならば、今のエリア11の姿は間違ってはいない?」
「まあ、なるべくしてなったんじゃないのか」
気に入らない答えだったらしい。ルルーシュの目が僅かに細められた。
「負けた方が悪い。日本が弱かったからブリタニアに負けた。だからこうなっている」
負ければ蹂躙される。簡単な理屈だ。そうさせないための武力であり、外交だ。植民地にされた日本はそれらの努力を欠いたことになる。
「弱肉強食ということか。ブリタニア的な考えだな」
「そうかもしれない。……侵攻は鉱山資源を狙ったものだったらしいな」
「ああ。日本は世界最大のサクラダイト産出国だった」
「しかも地理的には中華連邦の目の前だ。それで一方的に敗北したということは、外交的な見通しが甘かった……そういうことだ。少なくとも未来の人間はそう判断する」
言葉の最中からむくむくと違和感が膨れ上がってくる。なんだろうか、頭が痛い。左目が熱を放ち、疼き出す。
「……正論だな。だが、それだけでは納得できない連中もいるだろう。だから各地では反政府活動が毎日のように繰り返されている」
「それはブリタニアが弱いからだ」
視界が霞む。耳鳴りもだ。何か強烈な──波のような意識が、自分を塗り替えようとしている。
はっきりしているのは思考だけだった。
「ブリタニアが弱い? 珍しい意見だな。最強の超大国だぞ」
「ナイトメアの設計思想やそれを用いた戦略は見事だった。だが、その後が良くない」
ライはすっかり温くなった紅茶を飲んだ。ひどく喉が渇いていた。
「壊すだけ壊して、道楽で痛みを与え続ける。ゲットーとそこに住む人間に、どれくらいの生産性があるのか無視している。指をさして笑い、足蹴にして笑う。そこになんの意味があるのか考えていない」
弱い。弱いのだ。
ゲットーで<サザーランド>と戦ったライには良くわかる。慢心があった敵兵は手負いの<無頼>に敗北した。
その前もだ。仕事もせず、公園で日本人を暴行しているブリタニア軍人がいた。
あれがブリタニアの"弱さ"だ。国は強大でも、末端がぬるま湯に浸かっている。国を守っているという自覚が無い。
弱い兵士はいらない。弱いのは駄目だ。弱いと負けてしまう。全てを奪われてしまう。
ライは頭を振った。脳がひどい熱で満たされているような気がする。思考はこんなにもはっきりしているのに。
「反抗を許しているというのはそれだけで甘い。ゲットーに住む日本人の人口はどれくらいだ?」
「確か……四〇〇〇万人前後だ。正しい数字は分かっていない」
「四〇〇〇万人。それだけの労働力を無駄にしている。気候に恵まれた土地もだ。そればかりか中途半端な統治のせいで、兵士や市民に無駄な被害が出ている……これは歪だろう」
植民地の使い方がなっていない。廃墟のまま放置されたゲットーと、取り残された人々。土地と人はこの上ない資源だ。それを捨て置くのはありえない。
突然の侵攻。ずさんな統治。サクラダイト以外の目的でもあったのだろうか。それにしては七年もの月日を無為に流しているのは妙だ。
「つまり……ブリタニアは膨れ上がった力に慢心していて、それがお前の言う歪みを生み出している。そういうことか」
ライは頷いた。そして驚く。ルルーシュと話しているという事実が、いつの間にかとても小さいものになっていることに。話の途中で彼の存在をほとんど忘れていた。
今までの言葉は質問への答えのはずだったが、その実、彼に向けてのものではなかった。
どっと疲れが押し寄せてくる。俯きながら、ライは言った。
「盛者必衰という言葉がある。ブリタニアが痛い目を見るのは、そう遠くない日かもしれない」
「歴史が動く、か。となると<黒の騎士団>の台頭は何かの合図にも思える」
「ブリタニア人からも支持を得ているのなら、その可能性は考えられる」
だいぶ落ち着いてきた。熱も疼きも去っていく。安堵と共に深い息を吐いた。
「"ゼロ"にその力はあると思うか。世界を変えられるだけの力が」
「さあな。会った事も無い僕には分からない。テレビの画面に映っている事があてになるはずもないんだ」
彼について深く考えた事がない。テレビに映った時もブレイク中の芸能人を見ている気分になるだけだ。娯楽の一環として見る分には、あの芝居がかった言動や悪趣味な外見は悪くないと思う。
だが、ルルーシュの視線が外れない。
「なんだ、いやに興味津々だな」
「いやなに、巷で話題を独占している人物のことだ。リヴァルではないが、俺も気になっているだけさ……なんだ、そんなに不思議か?」
「……君は周囲の意見をあてにしない人間だと思っていた」
そう言うと、ルルーシュは自嘲するように笑った。自分でも、らしくないと思っているのだろう。
「お前が思っているほど偏屈じゃない。意見を求める相手による」
「僕の意見なんか必要じゃないだろう」
「そうでもないさ。面白いと思っている」
面白がられているのか。ライはげんなりとした気分になった。
「で、どうなんだ」
「ゼロや<黒の騎士団>には関わりが無いが、恩はある」
「ゲットーの騒ぎか」
「それも勿論だが、ホテルジャックの件だ」
ライが学園に現れる直前、エリア11最大の反抗勢力である<日本解放戦線>の一部将校が独断でホテルジャックを敢行する騒ぎがあった。
その時の人質にエリア11副総督のユーフェミア・リ・ブリタニアが含まれていた事で有名な事件だ。そしてゼロ率いる<黒の騎士団>が初めて名乗りを挙げた事件でもある。
人質はユーフェミアだけではなかった。たまたま居合わせたミレイ、シャーリー、ニーナなどの生徒会メンバーもテロに巻き込まれたのだ。
彼女らを<黒の騎士団>は救出した。つまり、ライの恩人の恩人ということになる。
たとえゼロの目的が、発足した<黒の騎士団>のPRと、赴任してきたばかりのコーネリア・リ・ブリタニア総督の顔に泥を塗ることだとしても、民間人を救助した事実は変わらない。
そういった意味では、ライはあの組織に好意的な意見を持っている。
「お前は老成しているな」
「どうした急に」
「考え方に淀みが無い。成功と失敗、成長と挫折を積み重ねた者の思考だ。自分に出来る事と出来ない事を明確に理解している」
「何事にも無関心なだけだろう。冷淡な人間だ」
「そうではないさ。本当にそれだけの人間ならナナリーは懐かないし、俺もこうして部屋に招いたりはしない」
「…………」
「だから気になる。お前の正体が」
「ろくな奴じゃなかったことは確かだ」
ライは自らの右手を眺めた。薬物と機械によって人為的に強化されたという肉体。ルルーシュのような一般──とは言い難いが──の学生とこんなふうに話していていい存在ではない。
「お前は記憶が無いのに、考え方はしっかりしているんだな」
「そうだろうか」
「盤を挟めば分かることもある。チェスはそういうゲームだ。筋道を立てた思考。徹底したリスク管理。相手の動きを読み取る洞察力。そして何より判断力。それらが無くては勝つことは出来ない」
ライは居心地が悪そうに身じろぎした。先の対局で勝利出来たのはルルーシュが手を抜いていたからに過ぎない。それなのにこうしてほめちぎられると、彼の普段のキャラクターと相まって、非常に気味が悪かった。
カレンもそうだが、目の前の少年も、いつもとは様子が違うような気がしてならない。何かを選定し、評価を下す時のような静かな傲慢さが見え隠れしている。
「らしくない話をしたな。時間にはまだ余裕がある」
時刻はまだ二三時前だ。ルルーシュは整然と並べられた駒の一つ──黒のキングを手に取った。
「僕は構わないが、君はまた居眠りをする気だろう。シャーリーに怒られるぞ」
先攻のライは白いナイトを動かしてから言った。よく磨き上げられた木製の駒が、プラスチック製の盤にコツリと置かれる。
「バレないようにすれば良い。お前にも今度、秘訣を教えてやろう」
「真っ当な努力をするつもりはないんだな」
ルルーシュは答えず、返答の代わりにキングの駒を置いてきた。
ライは頭を振った。
今回はこの辺で。途中で寝落ちしてしまいました。猛省に猛省を重ね、今後はこういった事が無いように努力していきますので、何卒よろしくお願いします。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
おつおつ
ライのナナリー愛がちょっと引くレベルになってきて笑う
乙
どのルートに行くつもりなんだ……?
ハーレムルートでいいんじゃよ
王だし
乙です
乙
ルルーシュとのこういうやりとりなんかいいな
原作のゲームに興味沸いてきたわ
乙です
やばい、どんどん面白くなってる
朝の生徒会室。ライが入ると、やはりカレンの姿があった。膝にアーサーを乗せ、ソファーの上でくつろいでいる。
「おはようカレン」
「……おはよう」
ライは鞄を机の上に置くと、まっすぐカレンの方へ向かった。いつもなら長机の傍に座り、そのまま仕事か読書を始めるはずなのに。
当然、お世話係主任も異常に気づく。訝しげな視線を真っ向から受けつつ、ライは口を開いた。
「カレンは猫が好きなのか」
「え……?」
テーブルを挟み、彼女の対面のソファーに腰掛け、さらに続ける。
「アーサーをよく構っているだろう。だから猫が好みなのかと思って」
「……嫌いじゃないけど」
カレンの態度はそっけない。警戒されているのだろう。普段は無口なライが突然いつもとは違う行動を取り、仕事を放り投げて雑談に興じようとしている。
「…………」
「なんなの?」
しばし見つめていると、カレンは露骨に威嚇してくる。若干の恐怖を感じながらも、ライは彼女との接触を続けた。
「最近、学校はどうだ」
「…………」
反応が薄い。気味悪がられているのがわかる。カレンは膝の上のアーサーを抱きながら、
「普通よ」
「普通。普通とはなんだ」
「だから、いつもと変わらないってこと」
責めるような目つきで言う。
(駄目だ……気難しすぎる)
口の中が乾く。ライは作戦の失敗が近づいてくるのを感じた。右手の中には折り畳まれたルーズリーフのメモ切れが握られている。
水泳部の朝練が始まる前、シャーリーから受け取ったものだ。ページ一枚分の紙片には、可愛らしい丸っこい字でカレンに対しておこなう尋問の方法とその内容が記載されている。
好きな食べ物や服、音楽のジャンルやミュージシャン、本や映画、使っている化粧品や香水。休日の過ごし方。そして一際大きい字で『好きな男の子のタイプ!』。
これらを訊いて訊いて訊きまくれ、というのがシャーリーから提案された対カレン用の策だった。
効果は今のところ挙がっていない。
「体調はどうだ。近頃はフルタイムで学園にいるが」
「最近は良いわ。あと、まるで私がパートタイマーで学園にいるような言い方はやめて」
「気にしないでくれ。では次の質問だが」
「…………」
カレンからのジットリとした視線は外れない。彼女の腕の中でじゃれつくアーサーを眺めながら、ライは暗記していた質問内容を繰り出していく。
「好きな食べ物はなんだ。やはり肉か」
「訊く気ないでしょう? 肉じゃありません」
「では何だ」
「……当ててみたら?」
どうせわからないでしょ? とカレンの表情は語っている。明らかにこちらを馬鹿にしている口調だ。無理もない。
「スペアリブ」
「外れ」
鼻で笑われる。
「シンプルにステーキ」
「残念」
「厚切りステーキ」
「違うわ」
「サーロインステーキ」
「いい加減にして」
またカレンが怒りはじめた。
「分かったぞ」
ライは閃き、指をパチンと鳴らしたくなった。出来ないのでやらなかったが。
「ハンバーグだな。それとクレープ」
「え……」
図星だったようだ。勝利を確信する。
「な、なんで……」
「前に行った喫茶店。君はモーニング・セットを平らげていたにも関わらず、ハンバーグも平らげた」
「ま、まあ、嫌いじゃないけど……。あと、平らげたって言うのはやめて」
「クレープの方も同様だ。普段は優雅に食べるのに、あの時はかぶりついていた」
「そ、それが普通の食べ方じゃない」
「しかも口元にクリームが付いていた。いつもの君ならそんなスザクみたいなミスはしない。好物を前にして、我を失っていたとしか……」
「あ、あなたね……!」
カレンが睨んでいる。これではいつもと同じだ。ライはシャーリーから教えられていた『女の子が言われたい言葉ベストスリー』を思い出す。
①可愛い
②セクシー
③センスが良い
知性を感じないし、主な用途は不明だが、なにせ喜ぶ言葉だ。危機回避くらいには使えるだろう。
「気にしなくていい。可愛いぞ」
思いつきだったのが良くなかったらしい。取ってつけたような言い方だった。おかげでまったく響かない。
「冗談でしょ?」
「冗談じゃないぞ」
事実、嘘ではなかった。親衛隊が結成されるほどの容姿を抜きにしても、美味しそうにハンバーグやクレープを頬張る姿は可愛らしい。
それを言えばいいのに、ライは褒めるコツというものを知らなかった。
「……今日のあなた変じゃない? いつも変だけど」
「そうかもしれない。好きな本はなんだ」
カレンからぶつけられる罵倒に似た何かを受け流しながらも、ライは質問の手を緩めない。
「本……。特にないかしら」
「嘘だな。ナイトメア関連の本を読んでいただろう。しかも素人は手を出さないような専門誌だった」
「なんで知ってるの」
「生徒会室に置いてあったのを見た」
「……そうよ。私の。女子高生らしい趣味じゃないから、他の人には言わないでよ」
「わかった」
ナイフといい、本といい、隠し事が多いわりに管理が雑だ。そう思ったが、ライは言わなかった。いま彼女を不必要に刺激してはいけない。
「あなたは恋愛小説ばかり読んでいるわね」
「ミレイさんから渡されたからな。人間心理の勉強にもなる」
「ふぅん……。で、何かわかった?」
「もちろんだ。君もル……気になる男性が出来たら僕を訪ねてくるといい。的確なアドバイスをしてみせよう」
「気持ちだけ受け取っておくわ」
カレンは相変わらずそっけない。この手の話題において、自分はまったく実績を挙げていないのだから当然だとライは思った。
彼女はアーサーの後頭部に顔を寄せ、たどたどしい口調で尋ねてきた。
「その、あなたは……気になる人とかいない、の?」
「気になる人。例えば」
「た、例えばって……。シャーリーとか」
「どうして彼女だと思った」
貴重な意見だと思った。自分はシャーリーに好意を抱いているように見えるらしい。恋愛感情にまったく理解の無いライからすれば、聞いておいて損の無い話だ。
「昨日、食堂で仲良さそうにしてたでしょ? 最近は彼女と話すところをよく見るし」
「なるほど……」
確かに最近はシャーリーと接する機会も増えてきたかもしれない。彼女と話しているとリラックス出来る。
明るく表情豊かなシャーリーと、陰鬱で無表情なライでは対照的だ。自分に無い物を山ほど持っている彼女から、無意識に何かを学ぼうとしているのだろうか。
「シャーリーは魅力的な女性だが、意中の相手がいる。横恋慕はしたくない」
そう返すと、カレンは驚いた顔した。
「意外ね」
「なにがだ」
「普段のあなたなら『僕には恋愛なんて分からない』とか言いそうじゃない」
「そうかな。だが、トラブルの原因にはなりたくない。人間関係では特にな」
本心だった。男女間に起こる痴情のもつれは周囲のコミュニティを崩壊に追い込むのだ。それぐらいのことは、数々の恋愛小説を読んだライにだって分かる。
だからこうして慣れない行動を取り、大変なストレスを抱えながらカレンの内なる目的を探ろうとしているのだ。
「いつも思うんだけど、あなたって消極的すぎない? 学園に来た直後ならまだしも、今だったら問題の一つや二つ起こしても大丈夫よ」
「…………」
現在進行形で問題は発生しており、それを解決しようとしている真っ最中なのだが、あいにくとそれを言うわけにはいかなかった。
カレンが心配してくれているのは理解できる。ただ、それが問題を引き起こしているのだ。周囲とは一定の距離を置いているせいで、彼女は自身の影響力を正しく認識していない。
自分の知らないところで問題がひとりでに大きくなっていくというのは不憫だ。そしてその相手も悪い。
なんの社会的地位も持たないライでは、カレンの持つ影響力に翻弄されるだけ。彼女と話すだけで、近づくだけで立場は悪化していく。立場なんてのはどうでもいいのだが、それが大規模なトラブルに発展するとなれば話は別だ。
学園全体に迷惑がかかるかもしれないし、周囲の人間が巻き込まれるかもしれない。それは駄目だ。
つくづく、ミレイがいてくれればと思う。彼女はトラブルメーカーだが、その実、集団を操ることに長けている。一〇〇〇人以上の生徒達に適度な娯楽を提供して関心を集め、数ある行事を成功させることで強固な信頼を獲得しているのだ。
今のライを取り巻く現状を知れば面白がるだろうが、きっと良い方向に持っていってくれるに違いなかった。残念でならなかった。
(いや、これは甘えだ)
ここにいない誰かを頼ろうなどと。恥ずべき考えだと自戒した。やるべきことは分かっている。協力者もいる。手札もまだ残っている。これ以上の状況を望むのは完全な甘えだ。
まずはカレンの動きを止める。彼女の厚意を踏みにじることなく、本来あるべき場所へと誘導する。
間違いなく親衛隊を刺激することになるが、それはいい。あの連中を止めることはもはや不可能だ。対処法は既に完成しつつある。結果として被害を受ける人間は何人か出てくるだろうが──それは仕方がない。
「服なんかはどうだ」
「服?」
「ああ。いつもは制服か、コスプレ……だったか。ああいう奇抜で露出度の高い衣服を好んで着ているだろう。プライベートで使用する物も──」
「あのね」
強い口調で遮られた
「あれは会長の悪趣味に付き合わされただけなの。シャーリー達は喜んでたかもしれないけど、断じて私は違うから。覚えておきなさい」
「そうか。君も楽しんでいるように見えたが」
楽しんでいなければ、感想を求めてきたりはしないだろう。そう思ったのだが、カレンにキッと睨まれたので口を閉ざした。
「服装で言ったら、あなただって大概だと思うけど。制服以外の服とか持ってるの?」
「あるぞ」
「どんな服?」
「体操着」
「真面目に答えて」
真面目に答えたつもりだったのだが。ライは僅かな混乱に陥った。
「ミレイさんから支給された物以外は持っていない」
こう答えればいいのだろうか。
「でしょう? そうだと思った」
カレンの機微は目に見えて良くなる。
人間の感性とは複雑なもので、褒められたからといって喜ぶとは限らない。何気ない一言が好転や悪化を招くこともある。
そして、そういった機微を読み取る感覚は他人と触れ合うことでしか育まれない。一か月程度の積み重ねしかないライは、生後間もない赤子と大して変わらないのだ。
本当に難しい。
「…………」
「良ければ一緒に洋服とか見に行ってみる? あなた一人じゃ不安だから」
「ん……そうだな」
確かに制服だけでは色々と問題がある。何か問題が起きた時に、一目でアッシュフォード学園の関係者だと分かってしまうからだ。
第一、仮入学生でしかない自分が、我が物顔で指定の制服を着ているのもおかしな話だ。
「あなた見た目は悪くないんだし、少しはおしゃれに気を使ってみたら?」
「……しかしな」
ライの金はミレイから貰った物だ。ほとんど使っていないために貯まり続けているが、それを娯楽に使うというのには抵抗があった。
人の金で遊ぶのはみっともない行為だ。そう思うくらいの倫理観は持ち合わせている。
「嫌なの?」
ライが黙っていると、カレンはどこか不機嫌そうに尋ねてきた。
「嫌じゃない。……そうだな、プライベートで着る服くらい持っていた方がいいだろう」
「そう? じゃあ決まりね」
今度は一転して嬉しそうに笑う。たった今、面倒事が増えたばかりだというのに。理由はまったく分からなかった、
「すまないな」
「ま、まあ、これもお世話係の仕事だし」
(そうなのか……)
気づけば、いつの間にか主導権をカレンが握っている。これでは普段と変わらない。
一日の授業が始まっても、ライの攻勢は大した効果を挙げなかった。
質問に質問を重ね、相手の弱みを突こうとしても、結局はいつもの如く逆に内情を聞き出されて叱られてしまう。
「あなた、ナナリーにこんな本を読み聞かせているの? 信じられないわね」
カレンから軽蔑の視線を向けられる。自分の席に座ったまま、ライは息苦しそうに呻いた。
ついに持ち物検査まで実施されてしまった。このままではまずい。
「これから気温が高くなる」
「そうね。だから?」
「ナナリーからホラーが読みたいという要望があった。その手のジャンルはルルーシュから禁止されているため、これは極秘の依頼ということになる」
「ホラーって……これホラーなの?」
カレンは持っていた本を開き、流し読んでいく。ぱらぱらとページをめくっていた手が、あるところでとまった。そこには濃厚な黒い障気をまとったタコのようなクリーチャーが描かれていた。荘厳だが、恐怖感を煽る不気味な絵だ。
「コズミックホラーというらしい」
「こんな挿絵がついているような本をナナリーに読もうとしていたの?」
「絵は重要じゃない。ナナリーからの要望を貪欲に盛り込んでいった結果、この本に行き着いた」
夏が近づいてきているとの理由から、怖い話が聞きたいとリクエストがあった。ナナリーはあれでかなり豪胆なので、ありふれた作品では効果が薄い。
加えて、海に行ってみたいという要望もあった。足が不自由なナナリーは海水浴を楽しめない。せめて雰囲気だけでも、とライは思っていた。
しかもナナリーはギリシャや北欧の神話を好んでいる。さらに言えば、魚介類を始めとした海産物はライの趣向に合致している。
つまり、これしかなかった。運命的だとさえ思っていた。
これらを懇切丁寧に、ライはカレンに説明した。
「……あなた、おかしいんじゃない?」
だが、分かって貰えないらしい。理解を得られなかったライは落胆しつつもカレンに言った。
「僕が独断で決めたと思っているだろう」
「違うの?」
「ナナリーと親好の深いスザクにも一緒に選んでもらった。だから間違いない」
「…………」
スザクは幼い頃からルルーシュやナナリーと仲がいい。その彼の意見を取り入れたのだから、この選定には一定以上の力があるはずだ。
「本当にそう思ってるの?」
「ああ。残念だが、君や僕の意見よりも参考になる。間違いない」
「なら、ナナリーに一番詳しいルルーシュの意見が必要ね。はい、没収」
そこはかとなく邪悪な笑みを浮かべたカレンに本を取り上げられてしまった。ライは席に座ったまま取り返そうと手を伸ばすが、叶わない。
「待ってくれ。ルルーシュに漏洩するのは困る」
「困るような物をナナリーに聞かせるなんて論外よ。これは私が返却しておくから」
取り付くしまもなく、カレンは出て行ってしまった。ライは苦い敗北感を抱えたまま、一人ため息を吐いた。
会話をしてしまったせいで周囲からの視線が痛い。コストばかりかさんでいく。
「ぜんぜん駄目じゃない」
シャーリーがとことこと近づいてきて感想を述べた。
「そう見えたか」
「見えた。本当に頭上がんないんだねー」
「…………」
しみじみと言われる。やはり反論できない。
「でも、昨日と比べれば柔らかくなったと思わない?」
「どうだろう。本を取り上げられた」
「当たり前でしょ。ナナちゃんに変なもの聞かせようとして」
「変な物……」
ショックだった。真剣に選んだのだが。スザクは信用出来ないということだろうか。
「質問の方はどう? ちゃんと答えてくれた?」
「お、大方は」
「んー? 大方?」
怪しむようなシャーリーの視線。彼女から貰った質問集の消化率は四割といったところだった。あまり芳しくない。
「彼女のガードは固い。というか、あれは君が訊きたいことだろう」
男のライが化粧品の事など聞いてどうしろというのか。そう言うと、シャーリーの頬が赤くなった。
「そ、そういうわけじゃないよ?」
「…………」
やましい事でもあるのかシャーリーは誤魔化すように笑う。ライとしては助かっているので、特別に言うことはない。彼女とカレンが仲良くなる一助になれれば嬉しいと思うぐらいだ。
「あ、ねえライ」
「なんだ」
「今日の放課後ってヒマ?」
「これといった用事はないが」
スザクは学園にいるが、<特派>はいま忙しいらしい。ロイドが新しい研究を始めたそうで、助手のセシルもそれに付き合わされている。
しかし、テスターであるスザクは研究がある程度の段階に入らないと仕事が回ってこないのだ。近いうちに彼もまた忙しくなるのだろう。
カレンも最近は大人しいので、放課後のライには時間がある。
「良かったら、放課後にちょっと付き合ってもらいたいんだけど」
「わかった」
あっさり答えると、なぜだかシャーリーはつまらなそうに唇を尖らせた。
「なーんかリアクション薄くない?」
「そんなことはない。……また水泳部の買い出しだろう」
「んー。まあ、そうなんだけど」
シャーリーからのこういった誘いは初めてではない。学園に来て少し経った頃、ルルーシュが捕まらないといった理由で声を掛けられ、荷物持ちとして同行したのがきっかけだった。
その後、学園とショッピングモール間を荷物を持って往復出来ないという、ルルーシュの信じられない程の虚弱性が露呈し、ライが水泳部の荷物持ちとしての役割を担っていた。
……担っているのだが、シャーリーはどうしてか、浮かない表情になっている。
「どうした」
「い、嫌だったら断ってくれていいんだよ?」
「嫌じゃないぞ」
「……ホントに?」
「ああ」
その言葉は信じられていないらしく、シャーリーはライの顔を上下左右の様々な角度から見てくる。
「わかんないよ。むぅ……」
「唸られても困る」
「だってキミ、カレンと話してる時はもうちょっと喋るし、表情もちょっとだけ……ほんのちょっとだけ豊かな気がするもん」
「…………」
そんなことを言われても、ライにはどうしようもない。
シャーリーとカレンでは人としてのタイプが違う。人懐っこく明るいシャーリーと、そっけなくて大人しいカレン。その二人を同じように扱うほど、ライも唐変木ではない。
「君だってルルーシュとリヴァルとでは接し方を変えるだろう。それと同じだ」
「そっか、なるほど……って、キミの中で私ってリヴァルと同じような位置なの!?」
「違う。物の例えだ。どうしてそうなるんだ」
彼女はリヴァルをなんだと思っているのだろう。コミュニケーションが滞り過ぎて、ライはほとほと困り果ててしまった。
「むー」
またも唸られる。どうしてだろうか。今までのやり取りから、その理由を推測する。
「…………」
恐らく、シャーリーは数回に及ぶ自身の頼みを迷惑がられていると誤解しているのではないか。そんなつもりは全く無かったが、ライの必要最低限を下回る口調から、そういった考えに行き着いたのかもしれない。
そう過程した場合、いま言うべき事は一つだ。
「君と出かけるのは楽しい。だから迷惑じゃない」
「…………」
誤解を生まないよう心がけた率直な言葉を伝える。シャーリーからは未だに疑うような視線が向けられていたが、その白い頬が朱に染まった。
「そ、そっか……」
「今日の放課後だな。君の準備が出来たら声を掛けてくれ」
「うん。じゃ、じゃあお願いねっ」
こくこくと頷き、シャーリーは足早に去っていった。誤解は解け、機嫌は直ったようだが、挙動不審だった。
「…………」
ライはまたもため息を吐いた。
周囲からの圧力が、また一段と増していたからだ。
今回はこの辺で。遂に800レスを超えましたね。嬉しい限りです。今後ともよろしくお願いします。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙です
乙
ナナリーのSAN値が削れなくて良かった……
おつおつー
乙
乙
スザクwww
シャーリーの好感度もあがっててうれしい
流石は一級フラグ建築士……
乙
自分から取らないだけで落とそうとしているじゃないですかーやだー
放課後になり、ライはシャーリーと共に租界の街を歩いていた。ショッピングモールまでの道すがら、彼女と話すのはもっぱらカレンの事だ。
「えー!? 絶対ウソだよっ」
シャーリーが信じられないといった表情で言う。ライが朝の生徒会室でカレンに尋ねたことの中に、普段愛用している化粧品についてのものがあった。
「本当だ。ほとんど頓着しないらしい」
「だ、だってあんなに人気あるのに……。あ、でも確かにメイクしている感じしないなぁ」
驚いた表情から一転、今度は両腕を組んでうんうんと唸る。ここまで感情豊かで考えを表に出す少女も珍しい。話題の中心にいるカレンとは正反対の印象を受ける。
「でも、化粧品入れるポーチ持ってたよね。あのピンクのやつ」
ライの眉がピクリと揺れた。
言われてみれば、カレンが手の込んだメイクをしていないのは当たり前だ。化粧品を入れるためのバッグには極太の刃物が収納されているのだから物を持ち込むこと自体、不可能に決まっている。
まずい。どうして彼女はこう、変なところでずさんなのか。中身を見られたり、突っ込まれて訊かれたりしたら困るだろうに。
シュタットフェルト家の令嬢が刃物を持ち歩いていると露見するのは非常によくない事だ。
フォローをする必要がある。あのポーチの中身を誤魔化しつつ、シャーリーの興味を他に逸らさなくてはならない。
「あのポーチに近づいてはいけない。あれは……その、カレンにとってなくてはならない物なんだ」
「ふーん? どんなの?」
「言えない。あれは彼女の一部と言ってもいい物で……失ったり、他人に見られたりすると、カレンは精神の均衡を失う。半狂乱になって、周辺におびただしい被害を与えるだろう。死人や怪我人が出ることも考えられる」
「……また変なこと言ってる」
「とにかく、見てはいけない。彼女自身が見せてくれるまでは」
「そんな大切な物が入ってるの? 化粧品じゃなくて?」
「ああ。だから彼女はとても厳重に取り扱っている。君の日記帳と同じだ。許可無く触れたりしたら、きっと酷く傷つくだろう」
「えー? こないだ見た時はポイッと投げてたけど」
「なに……?」
信じられない。刃が飛び出すギミックが内蔵されているのに、そんな手荒な扱いをしているのか。落とすのも無理はない。
「ライは中身知ってるんだ」
「あ、ああ。ふとした拍子に拾ってしまって……ややこしい事になった。だから、シャーリーもあまり詮索してやらないでくれ」
「うん。けど、珍しいね」
「何がだ」
「キミがそんなに動揺するの、初めて見たから」
「したくてしてるんじゃない」
目を輝かせたシャーリーがぐいぐいと近づいてきて、ライは困った表情のまま後ずさる。かなりの圧力だった。
「やっぱりカレンは特別なんだ?」
「いや……」
カレンは特別というより、特殊だ。隠し事が多すぎる。
そして何故か、ライは彼女の秘密に関わることが多かった。ナイフの件もそうだし、KMFの件もそうだ。ずいぶん前に、中庭で宙を舞っているところを目撃したこともある。
隠せ隠せと本人が言ってくるのだ。彼女の秘密を他人に知られないよう常に注意していては、気疲れしてしまうのも仕方のないことだった。
その点、なんでも明け透けに言ってくれるシャーリーの隣は安心できる。明朗快活を絵に描いたような少女だ。誰にでも分け隔てなく親身に接する。その人柄のためか、クラスや部活動に限らず友人がとても多い。
ライには出来ないことを意図せず、軽々とやってのける。偉大な人物だ。周囲を明るくさせる彼女こそ、特別な人間なのではないかと思う。
「どしたの? 急に黙っちゃって」
「……なんでもない。カレンと仲良くしてやってくれ」
「なによ。変なの」
シャーリーは頬を赤くし、それを隠すように早足になる。前を歩く彼女の背中を眺めながら、ライはトウキョウ租界の街並みに意識を向けた。
建ち並ぶビルのガラスが夕陽を反射してキラキラと輝いている。風は穏やかに吹き、その中を一日の仕事を終えた人々が歩いている。
シャーリーは人波を泳ぐように進んでいく。足取りは軽やかで、どこかリズミカルだった。
ライは人混みを嫌うので、この時間帯に人通りの多い場所はなるべく使わないようにしているのだが、そんなことはどうでもよくなってしまう。
「あっ」
物思いに耽っていると、不意にシャーリーが立ち止まった。
「どうした」
「ほら、ここだよ。覚えてる?」
シャーリーは通りの片隅にぽつんと置かれたベンチを指差した。
「そのベンチがどうかしたのか」
「えー? 忘れたの?」
懐かしむような表情だったのに、一瞬で非難がましい視線になる。しかし悲しいことに、最近はその手のものを向けられるのにも慣れてきてしまった。
「前に、私がここで声をかけたでしょ。ほら、日記帳を一緒に選んでって言ったやつ」
彼女の言おうとするところが分かったライは頷いた。
「ああ。それなら覚えている。大切な思い出だ」
「う……。そ、それよりもキミのことをね」
「僕の……?」
「うん。まだ一か月しか経ってないんだなあって。キミが私たちの学園に来てから」
シャーリーの瞳はベンチを見ているが、実際はそこに何か大切な物を重ねているのだろう。柔らかな声には愛でるような優しさが込められていた。
「…………」
「ずいぶん馴染んだよね」
「そうだろうか」
「そうだよ。最近はちょっとだけ笑ってくれるようになったし。さっきみたいに」
「笑っていた。僕がか」
無意識に笑っていたのだろうか。にわかには信じられず、ライが尋ねると、シャーリーは右手の人差し指と親指でジェスチャーを作り、
「ちょっとだけだよ。ちょっとだけ。ほんのちょっぴりね」
意地悪げに言ってきた。善良な少女が精一杯ワル振ろうとしている様は微笑ましい。
「そんなに変わっていないだろう」
「変わったよ。ここで話しかけた時とか、凄く近寄り難かったもん」
「そ、そうだったのか」
衝撃的なカミングアウトだった。いつもにこやかな彼女からもそんなふうに思われていたとは。
「ぼんやりしてるかと思えば、凄く難しい顔してたりするし。今もそうだけどね」
「……だが、シャーリーはこうして良くしてくれている」
「ふふーん。さあ、それはどうしてでしょう?」
悪戯っぽい笑みを浮かべたシャーリーは両手を後ろ腰に回したまま、体を前に折り曲げて見上げてくる。
「簡単だ。君が優しいからだろう」
ライが即答すると、彼女はたじろいだ。
「え? えと……せ、正解! 私が優しいからっ」
「……?」
どうしてシャーリーが動揺しているのか分からず、ライは首を傾げた。
「でも、それ以上にキミが優しいからだと思うよ」
「……ユニークな意見だな」
とても信じられない。社交辞令の一種だろうと思ったライは適当に受け流し、シャーリーから視線を外す。
「あ、信じてないでしょ?」
「証拠が無いからな」
優しいとはなんだろうか。慈悲や包容、幸福や安寧といった言葉とは無縁のライには、自身がそういったプラス方向の性質を持っているとは思えなかった。
「あるよ。いま、私のお願いを聞いてくれてるでしょ。それが証拠」
「ただの返礼だ。君には普段から世話になっているからな」
「ほーら、またそういうこと言う。キミって変なところで頑固だよね。普段は素直な癖に」
「頑固……。君こそ、他人を信用し過ぎるのは良くない。いつかトラブルに巻き込まれるぞ」
「わ、私だって誰にでも話しかけるわけじゃないよ」
「ふむ……」
「苦手な人だっているし、嫌いだったヤツもいたし……」
「そうなのか」
単純に珍しい、と感じた。だが当たり前の事でもあるのだろう。人に個性というものがある以上、どうしても得意不得意、好き嫌いは発生してくる。
シャーリーは途方もないほどの善人だが、超人ではない。彼女にも嫌いな人間や苦手な相手だっているのだ。
先ほどの言葉通りなら、学園に現れた頃のライはシャーリーにとって少なくとも"苦手"な人間だったはずだ。
だが、そんな相手にも勇気を出して声をかけ、こうして──ライから見ればだが──良好な関係を築ける。それこそがシャーリー・フェネットという女性の持つ清廉な優しさの本質なのかもしれない。
素晴らしい能力だと思う。自分とは雲泥の差……いや、次元そのものが違う。
「キミの方が誰かと仲良くなるの得意じゃない?」
「……嫌味だな」
ライはどんよりとした気分になった。
「だってほら、ルルとかカレンみたいな気難し屋さんと仲良くなってるじゃない」
「……確かに、あの二人は気難しいな」
ルルーシュは偏屈なところがあるし、カレンは排他的な部分がある。そして両者とも周囲に対して強い警戒心を持っている。
「そんなに仲が良いように見えるか」
「見えるよ。普段の二人を知ってる人が見れば、驚くんじゃないかな」
「…………」
「だから、きっとキミも凄いんだよ。優しいって言ったのはそういうこと。……ちょっと羨ましいけどね」
少しばかり寂しそうな笑顔の後、シャーリーは思い出したような表情になった。頭を上げた弾みで長い髪がさらりと揺れる。
「そういえばキミ、部活とか入らないの?」
「部活。……あの騎士研みたいなものか」
「そうそう。会長からも言われてたんだよねー。キミをもっと活動的にしようって」
「…………」
少し前、ミレイからクラブ活動をしてみないか、という提案を受けていたことを思い出す。検討するとは答えたが、実質放置中だった。
それで痺れを切らし、周囲に働きかけたのだろう。生徒会で運動部に入っているのはシャーリーだけだ。
「だから、もし良ければ……だけど、水泳部に入ってみない?」
「僕がか」
「うん。考えてみると、キミが運動してるところとか見たことないし。……なんで体育とか出ないの?」
基本的にライは体育の授業をサボっていた。ノートを取る必要が無いからだ。運動嫌いのルルーシュと一緒になって屋上あたりに逃げ込む。
「運動はあまり好きじゃない」
「えー? キミまでそんなこと言うの? 楽しいじゃん、体育」
「いや、複雑で有機的な事情があって……」
体育の授業ではマットなどを使う機械運動の他、短距離走やマラソンなどの陸上科目もある。それはまだいい。
問題は球技や格闘技の授業だ。
恐ろしい数の男子生徒が今が好機とばかりに殺到してくる。あらゆる手段を講じてライの大して立派でもない名誉を汚すべく、全力を尽くそうとしてくるのだ。
理由が不健全極まりないし、何より鬱陶しい。何人か昏倒させてやろうかと思ったが、キリが無い上に学園生徒に危害を加えたくないという感情が邪魔をした。
「水泳部良いじゃん。楽しいよ。それにほら……み、水着姿の女の子もいっぱいいるよ?」
羞恥心をこらえながらシャーリーが言ってくる。顔が赤いのは夕日のせいだけではないのだろう。
「水着を持っていない。なにより、僕は仮入学生という身分だ。普通の生徒と同列に扱われるべきではないと思う」
彼女が責任感や好奇心から誘っているわけではないというのは分かる。だからこそ、こちらも誠意をもって口にした。
シャーリーはライをじっと見ていたが、しばらくして目を離し、不機嫌そうな口調で言った。
「むぅ。やっぱり頑固じゃない」
「……すまない」
彼女の善意はありがたいが、それでも線引きは大事だ。そこを曖昧にしてしまえば、自分はずるずると周囲の人間に甘え、堕落してしまうに決まっている。
他人から見ればちっぽけな自制心だろうが、ライにとっては大切なものだった。
「でも、気が変わったらいつでも言ってね。見学だけでもいいし。待ってるから」
そう言って、シャーリーは笑ってくれた。
「あっ……!」
しばらく歩き、目的地のショッピングモールも間近という時だった。またも何かに気づいたシャーリーが通り過ぎようとしていた店のショーウィンドウに駆け寄る。
「……?」
食べ物屋ではない。彼女が心を奪われている物に興味が湧き、ライも後に続く。シャーリーの背中越しにガラスを覗くと、そこには鮮やかなデザインの白いドレスが飾られていた。
(これは確か……)
知識の引き出しから言葉を取り出す。
ウェディングドレスという物だ。結婚式などで女性が着る衣服。一着あたりの値段はオーダーメイド品でおよそ三八〇〇ポンドほど。
見れば、ドレスの他にも結婚式についてのカタログなどを置いている。ここはどうやらブライダル・ショップのようだ。
シャーリーは白いドレスに目を輝かせている。異常な関心の寄せ具合だ。近々、婚約の予定でもあるのだろうか……などとライが考えていると、
「私ね……。小さい頃、お父さんに良く言ってたんだ。『パパのお嫁さんになる』って」
柔らかな声で彼女は言った。大切な記憶を思い起こす時の声だ。
「…………」
ライは首を傾げた。ブリタニアでは近親との結婚は出来ないはずだ。なにか特殊で複雑な家庭事情があるのかもしれない。
「結婚なんてよく分からなかったのに、こういうドレスに憧れてね……」
「そうなのか」
結婚式というのは女性にとって人生有数の晴れ舞台だ。好意を寄せ合っている異性と将来を誓い合う儀式なのだから、そこに憧れを向けるのはライにも理解できる。
なにせ、恋愛物の小説は大抵、結婚式の場面で大円団を迎えるからだ。
シャーリーはもう結婚が可能な年齢である。ウェディングドレスという象徴的なアイテムに特別な感情を持つのは、ある種当然のことだ。
「いつも思ってたんだ。いつか着てみたいなあって」
「具体的な将来設計を持つのは良いことだ」
ライのコメントは野暮そのものだった。
幼い頃の思い出を呟いていたシャーリーの声が止まる。ガラスに映っている彼女の表情が羞恥に染まった。耳が真っ赤になっているのが後ろからでも分かる。
彼女は振り返ると、ふいと顔を背けた。やはり真っ赤だ。
「ごめんなさい。意味分かんないよね。急にこんな話されても」
「いや……」
なんて言っていいか分からず、言葉を濁す。そんなライに、シャーリーはまくし立てるように言った。
「忘れてよ。恥ずかしいから」
「恥ずかしいことは無いと思うぞ。女性なら誰でも考えることだろうし、可愛らしい思い出じゃないか」
適当な語句が見つからない。結局、一般論に頼った。恋愛小説を熟読しておいて本当に良かったと思う。
「ん、もう。意地悪」
「……すまない」
赤い顔のシャーリーに睨まれる。目論見は外れたらしい。一連の会話内容に落ち度は無いような気がしたが、それでもライは謝罪した。他にどうしていいのか分からない。
彼女にしろカレンにしろ、こういった表情をする時は非常に気難しくなる。
「も、もういいから行こ?」
「分かった」
シャーリーの後に続く。その時、ふと頭に疑問が浮かんだ。ライには珍しい興味に似た感情だった。
「家族とは仲がいいのか」
「え? まあ、悪くはないと思うよ。パパは単身赴任中だけど、ママとは仲良いし」
「単身赴任……。外国に行っているのか」
「ううん、逆。エリア11にね。だから私もアッシュフォード学園に進学したの」
家族一緒に引っ越して来たらしい。やはり両親との仲は良好なようだ。
「ご両親は何の仕事をしているんだ」
「ママは専業主婦。最近はパート始めようかなぁとか言ってたけど。お父さんは地質調査のお仕事」
「地質調査というと、フジサン辺りか」
エリア11を象徴する山であるフジサンの地下には、世界最大のサクラダイト鉱脈が眠っている。七年経った今でもブリタニアは必死になって採掘作業に勤しんでいるため、地質調査ならそこだと思った。
しかし、シャーリーは首を振り、その顎先に指を添えた。
「違うよ。うーんと、どこだったけなぁ。な、なる……なり、ナリタ? だったと思うけど。今はそこの麓(ふもと)の街に住んでるみたい」
「ナリタ……」
どこかで聞いた事のある場所だ。
「あの付近には反抗勢力の拠点があるんじゃなかったか」
ナリタ連山は幾つか存在する重要警戒区の一つだとニュースで観た覚えがある。浄水場占拠事件の時、コーネリアが租界を留守にしていたのはナリタの視察に赴いていたからだ。
「そうなんだよね。危ない所には行って欲しくないんだけど……」
父親の身を案じているのだろう。シャーリーの表情が陰る。
「いや、すまない。不躾な詮索だった」
「ううん。キミがこうして訊いてくれることって珍しいもん。でも、どうして?」
彼女に不快感を与えていないことに安堵しつつ、ライは頬を掻いた。
「家族というものに興味があったんだ。他の生徒会メンバーには訊き難いからな」
ルルーシュにはナナリー以外の肉親はいないという。複雑な家庭環境のミレイは言わずもがな。ニーナには質問自体が難しいし、リヴァルも父親との間に確執があるらしい。
スザクは一人暮らしをしている。あの年齢で、しかも軍人。なにより日本人だ。家族のことなど尋ねたり出来ない。
カレンにも直接訊いたことは無いが、言動の節々に嫌悪感を滲ませていることから、おそらくは良好ではないのだろう。
ライに至っては、家族の存在そのものが絶望的だった。一か月経った今でも連絡一つ無く、この身体には一般的ではない特殊薬物の使用歴や科学的処置の痕跡がある。
となれば、円満な家庭環境の中にいるのはシャーリーだけということだ。
「私んちはそんなに珍しくないよ? 普通だし」
「重要なのは希少性じゃない。君の家は円満で、君は家族を愛している。それこそが一番大事だ」
「……あ、愛してるって。キミに言われると、なんか複雑だな」
ライの抱える問題はシャーリーも理解している。褒められても素直に喜べはしないのだろう。持たざる者から持っている者への賛辞というのは、時に皮肉として受け取られる事もある。
「だから、君にも幸せな家庭を築いて欲しい。良い相手が見つかるといいな」
もしかしたら、もう見つけているのかもしれないが。
シャーリーは幸せになるべき人だ。ライは本心を語ったのだが、シャーリーは不機嫌そうにそっぽを向いた。
「やっぱりキミって意地悪だね」
「……なぜだ」
「いいの。どうせ分かんないんだろうし。それよりも、今日はいっぱい買い物するから、覚悟しといてよねっ!」
にこやかに言って、シャーリーは歩いて行ってしまった。これから待っている重労働に先んじて疲労しながら後に続く。
まあ、良いだろう。彼女の笑顔を見ると楽観的な気分になる。鬱々とした気持ちは吹き飛んでしまう。やる気が出てくるのだ。
ならば、これくらいは安い対価だ。
ライはもう一度、シャーリーの背中を見つめた。
彼女の周りだけは、やはり世界が色づいて見えた。
今回はこの辺で。ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙乙!
乙です
シャーリーすごくかわいかったです
ライシャリいいなあ
ライは朴念仁のテンプレみたいな存在だなwwwwww
乙デースッ!
そうだよなぁ
シャーリーは幸せになるべきいい人だったよなあ
ライシャリに目覚めた
でも原作じゃギアス使わないと落とせないんだよね
ブルームーンの話だと思うけどギアスは特に関係ないはず
唯一落とせなかったのはニーナさんだけ
学園編でも九割方落としてはいた
ライが消えたせいでルルに取られたけど
寧ろあそこまでルルーシュ一筋なのに落とすルートがあり更にその結果をあまり非難されず受け入れられる位には良いシナリオだった気がするなあブルームーンのシャーリー
──またこの世界だ。
薄暗い空の下、乾いた風の中、荒れた大地の上。
大勢の人が泣いていた。物言わぬ骸に寄り添い、声をあげて泣いている。慟哭が空へと打ち上げられる。
そこら中が死体だらけだった。鉄色の空は小雨を降らせ続けている。ぬかるんだ大地はひたすら荒涼としていて、なにもかも拒絶する冷たさがあった。
周囲の人間に命じて、死体を集めさせた。敵も味方も、女子供も関係ない。ごみのように積み上げられた死体は、両の指では足らない数の山になった。
やめてくれと、誰かが叫んでいた。友なのだと、家族なのだと、恋人なのだと。許してくれと懇願された。埋葬も火葬も変わらないだろうに。意味が分からなかった。
薄汚れた鎧を着た兵士が抑えにかかるも、それでも声はやまなかった。
死体の山に近づいていって、慣れた手つきで粗末な油を撒いていった。全ての山に、自分の手で撒いていった。弔いにしてはあまりに出来が悪かった。
松明を受け取り、それを掲げる。消えない炎が役目を果たした者たちに明かりを灯す。
たちまち燃え上がり、辺りが明るくなる。気温は低かったが、炎の近くだけは暖かかった。それでも悲鳴は止まなかった。
一人ひとりのために墓など作ってやれない。そんな時間も金も土地も無いのだ。
死体を放置しておけば病が蔓延する。慢性的な飢餓や疫病に苦しめられている国なのだから、こういった処置は当然の事だった。死んだのなら早々に灰と化すべきだ。
下らないと吐き捨てる。黒煙が空に昇っていく。雨を吸った銀髪が水を吐き出してきて、酷く癪に障った。
消えない炎を宿した松明を戻し、歩き出す。やるべき事はまだまだ残っている。
死体の焼けた、生臭い風がまとわりつく。永遠に消えないだろう匂い。烙印のようだった。
空を見上げる。まだ雨は止まない。止む気配もない。これからも何百、何千、何万と死体の山を築かねばならない。
世界は未だ闇の中だ。太陽は随分と長い間みていない。争いは絶えず、貧困と暴力ばかりが膨らんでいく。待っているのは破滅だけ。暗澹とした未来が手招きをしている。
だから、戦って、殺して、勝利する。それ以外に道は無い。
これからもずっと、それだけは変わらない。戦う必要がある。殺す必要がある。勝利する必要がある。
永遠にも思えるほどの長きに渡って、いつまでも繰り返す。どこまでも続いていく。
もう逃れられない。変えられない。果たすべき目的があるのだから。
この足は前に進む。誰よりも先を歩かなければならない。たとえどれだけ死体の山を築こうと、振り向くわけにはいかない。どれだけ血と涙が流れようと、それに囚われるわけにはいかない。
前に、前に、ひたすら前に。
そして。
そしていつかは──
目を覚ます。辺りは闇に包まれていた。耳に聞こえるのは時計の秒針が時を刻む音のみ。時刻は一時二〇分。最近やたらと構ってくるルルーシュと別れて眠ってから、二時間ほどしか経過していない。
「…………」
このところずっとそうだ。
初めて悪夢の残滓に巻かれて以来、ろくに眠れていない。睡眠時間が足りているはずが無いのに、もう眠気は消え去ってしまっている。
瞼を閉じても眠れない。眠りを体が拒んでいる。そんな状態で横になっていても仕方がないので、ライは身を起こした。
布団がこすれる音が聞こえ、凝り固まっていたせいかぱきぱきと骨が鳴る。
シャワーを浴びてから数時間と経っていないのに、体が汗にまみれていた。シャツの襟がびしょびしょになっていて、ひどく気持ちが悪い。体育で長距離走をしても、一日中歩き回っても、汗などほとんどかかないのに。
頭の中は強い不快感と嫌悪感で満たされている。どうやら、また悪夢を見ていたらしい。手にはやはり人を引き裂く感触がべっとりと残っていて、鼻や耳にも同様に死の残滓がこびりついていた。
肺を空にしたくなって息を吐く。なんだか、ひどく疲れていた。
立ち上がり、辺りを見渡した。備え付けの家具以外、何も無い部屋。ここで寝泊まりするようになってから一か月ほどだが、ほとんど変化は見られなかった。
住んでいる場所には人間性が色濃く投影される。ならば、この部屋はライの写し身も同然。必要な物以外、なにも無い。
空っぽで寒々しく、生気が無いのだ。
「…………」
自嘲の念が浮かんだが、乾いた笑みすら出てこなかった。真っ暗な部屋の中を素足で歩いて、鏡の前まで行く。
映っているのは虚ろに佇む細身の少年の姿。通気性に優れた白いシャツに、動き易い黒いスウェットのパンツ。灰色に近いブロンドの髪が、窓の合間から差し込む月光を気だるげに散らしていた。
蒼い瞳には感情がこもっていない。網膜が受け取った情報を脳に送ること以外、仕事を放棄してしまっている。
顔も同じだった。白い細面はやはり無表情で、洋服屋に置かれているマネキンと大差が無い。同年代の少年少女が持つ未成熟な多様性は少したりとも窺えなかった。
顔にも人間性は現れる。明るい人、静かな人、冷静な人、軽薄な人。他にもその時によって表面化する感情を、心を映し出すのが表情だ。
自分にはそれがない。
喜び方が分からない。怒り方など知らない。哀しみも楽しみ方も同様だった。
全て忘れてしまった。
そんな自分は、はたして人間と呼べるのだろうか?
人間の定義とは何か? その種特有の遺伝子情報を有していればいいのか、人の形を取っていればいいのか、そんなことすら分からなかった。
鏡を見ていても疑問は晴れないので、ライは仕方なく汗に濡れたシャツを脱いだ。裸になった上半身から体温が抜けていくが、無視する。どうでも良かった。
シャワーはまだ浴びなくて良い。灯りもいらない。亡者のような足取りで窓の近くまで辿り着く。カーテンをずらし、空を眺めた。
薄い雲が漂っていて星は見えない。それでも風が強いせいか、雲の流れは速かった。細かく千切れた合間から、月がその顔を覗かせる。
美しいとは思わなかった。そんな情緒は欠落していた。これはただの確認だ。
目を覚まし、暗い部屋の中で空が明るくなるまでじっとしているのが、ここのところの日課だった。こうやって日々を過ごしている間にも時は巡り、月は満ちていく。何かを置き去りにするかのように。
出来ることは、ただ待つだけ。ライは空を見上げた。
満月は、もう近い。
眠い。
朝の教室。一時限目の授業が始まって二〇分ほど経過した頃、強い眠気がカレンを襲った。
早朝から昼までライの監視に時間を割き、夜は<黒の騎士団>の活動に参加する。総帥であるゼロの意向により騎士団は基本的に深夜営業なので、ゲットーから租界へ帰ってくると時刻は大抵、午前の二時や四時を回っていた。
ライは朝早くから行動する。あの男は何があっても生活リズムを崩さない。五時には起床して街を歩き、六時半には生徒会室に現れる。
自然、カレンの睡眠時間は三時間程度に限られてしまう。
体力には自信がある。一日や二日程度なら徹夜しても問題ない。僅かながら眠れる時間もあるのだ。
だが、これが何日も続くと話は変わってくる。しかも近頃、監視対象が突如として積極的に近寄ってくるようになった。これはカレンにとって、大きな誤算だった。
ボロを出さないように気を遣う。何事も無いように振る舞う。いつもと変わらない様子で、笑顔を貼り付ける。ただ目を離さないようにしていれば良いと思っていただけに、その消耗は大きく、致命的だった。
今までのレジスタンス活動の影響で眠れない事は確かにあった。
だがそこで"病弱なお嬢様"設定が活きてくる。眠くなれば体調を崩したふりをして保健室に逃げ込む事も出来たし、そもそも学園に来ないという手段の方が楽で、簡単だった。いつも使っていた。
認めたくはないが──自分はお嬢様の仮面に頼っていたのだろう。
暴風雨のような眠気の中で、カレンの目は監視対象の少年に向けられていた。彼の席は右斜め前にある。その様子を窺う事は難しくなかった。
「…………」
教師が黒板に描いた文字を一瞥し、それをノートに書き写す。一度見ただけで瞬間的に記憶しているらしい。新たな文字が書き込まれるまで、ライの視線が上がることはなかった。
スザクはちゃんと出席している。ノートを取る必要など無いはずだ。学力を確かめた事は無いが、どうせ全て覚えているのだ。後で読み返す事も無いだろうに。
つくづく不思議な存在だと思う。監視を始めて分かったことだが、ライは何をやらせても上手くこなす。要領が良く、判断力に優れ、非常に高い先見性を持っているのだ。
もし彼が仲間になってくれたなら、<黒の騎士団>はいっそう強力な組織になることだろう。カレンを含めて団員は皆、一般人上がりの人間ばかり。
一般的なナイトメアである<無頼>の整備すら、マニュアルを読み解きながら何とかこなしている状態だ。機体を動かすOSも数年前の骨董品。ゼロの伝手で良質なパーツこそ潤沢に入手出来るが──それだけだ。
神算鬼謀を誇るあの魔人でさえ、ナイトメアの整備知識についてはそれほど多くは持ち合わせていない。皮肉な事に、ブリタニアの作った第四世代KMFの誇る高い整備性が<黒の騎士団>を助けている。
有能な新人の加入は急務なのだ。
ライは居場所が欲しいと言っていた。学園は眩しすぎて居心地が悪いとも。
その気持ちはカレンにも理解できる。それどころか、能力云々など関係なく、その共感こそが彼を引き入れたい最大の理由なのかもしれない。
自分だけが彼を理解できる。自分ならば彼に居場所を与えられる。自分が一番、彼の記憶探しに貢献できる。そこに疑いは無かった。
昨夜の会議でゼロはライに対して好意的な意見を述べていた。どうしてか日を追うごとに好感度は増している。ミレイの帰還が遅れている事やスザクの職場が忙しい事も含めて、カレンにとっては嬉しい誤算だった。
追い風が吹いている。強い追い風が。
ゼロが首を縦に振れば、すぐにでも引き入れられる。こうしている間にもタイムリミットは迫って来ているのだ。カレンの中に焦燥感で形作られた炎が再燃する。
「あ……」
そのせいだろうか、強い視線に気づいたライがこちらを見た。目が合う。
意志の窺えない蒼い瞳。月を抱く夜の海にも似た静かな色。彼の貴公子然とした風貌も相まって、幻想的な美しさを宿していた。
まあ、確かに見た目は良いかもしれない。学園中の女子生徒達が噂するくらいに顔立ちは整っている。
「────っ」
しばらく見つめ合っていた事に気づき、惚けていた意識を引き戻す。首元から熱が上がってきた。自分でも顔が赤くなっているのが分かった。
気恥ずかしさが持ち前の対抗心を刺激し、『なに見てるのよ』とばかりに彼を睨みつける。見ていたのはこちらなのだが。ライは怪訝そうな顔をして前を向いた。
視線が外れたことに安堵しながらも、カレンは頭を抑えた。血が昇ったためか眠気は吹き飛んだが、疲労感は増えている。
近い内に、自分は本当に倒れるかもしれないとカレンは思った。
昼休みを終え、午後の授業。
カレンはまたも憂鬱な気分で教師の声を聞き流していた。
今日の昼休みも行動を共にしておかなくてはと思ってライを探したのだが、それは叶わなかった。クラスの女子生徒に捕まったせいだ。
ここ数日のカレンならはねのけていたのだが、今日に限っては気力が衰えていたこともあり、ずるずると引きずられて行ってしまった。それがいけなかった。
食堂以外にも食事の選択肢はある。購買部でサンドイッチとジュースを買って、中庭まで連行された。天気も良かったし、昼食には悪くないロケーションだった。
一〇人近い女子生徒がかしましく会話をする中、作り物全開の笑顔を貼り付けているだけの時間。小さなサンドイッチなど腹の足しにならなかった。不毛に思えて仕方がない。
だが、そこで気になる噂を耳にした。
ライとシャーリーが一緒になってブライダルショップを訪れていたという話だ。確かに昨日の放課後、連れ立って教室を出て行ったのを目撃している。
もう食事どころではなかった。
当然、女子生徒達の興味はカレンに向かう。
『どう思います』だの『あの方とはどういった関係なのですか』だの『ライバル出現ですね』だの、好き勝手にまくし立てられた。
こういう時の対応は決まっている。微笑を浮かべて、当たり障りの無い言葉を並べるのだ。ひどく面倒な作業だが、こちらが毅然とした態度を崩さなければ彼女達も踏み込んではこれない。
別に、ライが誰と一緒に行動しようがカレンにはどうでもいい。特殊な感情など抱いてはいないのだから。
シャーリーと交際しようが止める権利も無い。ただマズいのは、<黒の騎士団>に引き入れる手前、一般の人間と交際関係ないしそれを予定するような状態だった場合、色々と問題が出てきてしまうことだ。
租界で特別な相手が出来たら、流石に勧誘は諦めなくてはならない。そこまで無理をさせて入ってもらわなくてもいい。
ただ、自信が無くなってきただけだ。
カレンは自然と、自分が頼めばライは頷いてくれると信じていた。それだけの信頼関係は築いていると思っていたのだ。
加えて、ライはあの性格だ。彼が色恋沙汰に関わるところは想像出来ない。シャーリーと一緒にいたのは多分、また買い出しか何かに付き合っていたからだ。後で訊けば正直に答えてくれるだろう。
だがどうしてか、気力が萎えるのは抑えられなかった。
その後、いまだに噂話に花を咲かせる女子生徒達から離れて、カレンは屋上へ向かった。眠気がピークに達していたからだ。ほんの三〇分だけでも休んでいるだけで大分変わるのが十代の身体である。
ルルーシュという先客がいない事に安堵しながら、屋上へ入り込む。ようやく一人になれた開放感。ここでは仮面も外せる。
しかし、そこで目撃してしまった。
教室棟の屋上からはクラブハウス近くの庭園が良く見える。そこにランペルージ兄妹とスザク、メイドの姿があった。なるほど、ルルーシュが屋上にいないわけだ。
もう一人いる。ライだ。銀髪の少年はスザクと一緒にナナリーの付近をうろちょろし、ルルーシュから叱られている。もしかしたら昨日の本の事もあるのかもしれない。
ナナリーは膝の上にバスケットを置いている。サンドイッチでも作ってきたのだろうか。
テーブルを挟んで四人が席につき、バスケットが開かれる。
中には米を丸く握り、それを海苔で巻いたものが満載されていた。あれは日本の伝統料理である──おにぎりだ。
見慣れない料理をライはぼんやりと見つめており、何故かスザクはトラウマでもあるのか注意深く観察している。
他の事は忘れて、カレンはその食事風景を眺めていた。ブリタニア人のルルーシュとナナリー、日本人のスザクと咲世子。誰もが皆、楽しそうだった。
人種の判然としていないライも例外ではない。ナナリーがおずおずと差し出したおにぎりをかじり、頷く。スザクも何かに安心した様子で食べていた。
あの空間だけは、平和だった。
人種も過去も関係ない。そこに彼も入っている。受け入れられている。受け入れている。
「…………」
この胸に燃え上がるのはなんだろうか。強い疎外感と孤独感と、なによりの危機感。それらが混ざったような複雑な感情。
めったに見せない笑顔を浮かべ、楽しそうにしているライを見る。
誰かが囁いているような気がする。数年前から聞き慣れた怨嗟の声。ゼロに出会ってからは無視出来た声。ライに出会ってからは無視出来なくなっている声。
その声が、ずっと消えないのだ。
それが昼休みの出来事だった。変な気分を引きずったまま、今の今までぼーっと授業を聞いている。
人口密度はいつもより少ない。男子が別の教室を使用しているため、女子のみが残っている。
カレンはふと、シャーリーの方を見た。ブライダルショップの件について聞く必要があったが、こんなところで問いただすわけにもいかない。ましてや昨日の今日だ。また変な誤解を招く危険もある。
亜麻色の長い髪を揺らす水泳部のエースは一生懸命に黒板を見つめ、その内容をノートに書き込んでいた。寝不足と疲労でどんよりとしているカレンと比べると、彼女の姿は生気に溢れている。
ライも、ああいう娘の方が好みなのだろうか。一緒にいるだけで気分を明るくさせてくれるような、快活な異性の方が。
きっとそうなのだろう。
誰にでも優しいシャーリーは男子にも人気がある。人気自体はカレンもあるが、それは自身ではなく"病弱なお嬢様"というキャラクターに向けられている歪なものだ。
ありのままの姿を、自然体を好いてもらえるというのはこの上なく素晴らしいことだ。羨ましいと思う。
あの明るい少女に対して劣等感のようなものを抱いているのは否定出来ない。だからだろうか、どうしてもシャーリーから距離を置いてしまう。
色々と分からないことばかりだった。
今日は誰かを見てばかりいる。これも珍しいことだ。今まで租界の中に興味のあるものなど、無かったというのに。
シャーリーから目を離す。このまま彼女を見ていても自分に嫌気が差すだけだ。
なんとなく嫌な気分のまま時間は過ぎ、授業は終わった。
「このドレスなどは如何ですか?」
女子の方は定時より早く授業が終わった。カレンの席を囲むように女子生徒達は集まり、持ち寄った雑誌を広げている。
「…………」
話題は社交パーティーに着ていく衣服やアクセサリーについてのものだった。アッシュフォード学園に通う生徒の多くは富裕層の出身だ。男子ならお坊ちゃま、女子ならお嬢様も少なくない。
そしてカレンの周りにいる女生徒達は皆、名家の人間だった。言葉は丁寧で、仕草は洗練されている。行き届いた気遣いも持ち合わせていて、カレンが咳払いの一つでもしようものなら、過剰とも言えるほど心配してくる。
だが、内心は違う。
自分がシュタットフェルトという名家の出身だから近づいてくるだけだ。
カレンは知っている。枢木スザクは入学してきたばかりの頃、日本人という理由だけで陰湿な嫌がらせを受けていた。ルルーシュがそれを止めるまで、動く者は誰一人としていなかった。いま周りにいる少女達の中には嫌がらせを後押しした者もいる。
結局は偽善だ。信じるに値しない。
「私は……あまりおしゃれについて詳しくないから」
控えめに言った。席を立ちたかったが、それを許さないほど強固な包囲である。うんざりとするカレンの様子に気づくことなく、彼女達の話は続く。
「まあ、ご両親が厳しいんですのね」
「でも、カレンさんもシュタットフェルト家のご令嬢なのですから、もう少しわがままになっても良いと思います」
うるさいと思った。ドレスもバッグも興味ない。そんな普通の、どこにでもいる女子高生が欲しがるような物は必要ない。
無性に苛々する。それが伝播したのか、机の下では右足が揺れていた。
「バッグはどうでしょうか。私この間、お父様に頼んでオーダーメイドを買って貰いましたの」
「ああ、先週末のパーティーに持って来ていた? もしかしてオーラ・カイリーの作品かしら」
「すごい。良くご存知で」
こうして自慢話に花を咲かせる。父の友人が有名ブランドのオーナーだとか、母と一緒にブリタニア本国でオーケストラの演奏を楽しんだだとか、そんな話ばかりだ。特に休み明けはひどい。
カレンは彼女達が普通の生活を謳歌している時、ライと一緒にゲットーでテロに巻き込まれていた。日常と非日常。平和と混沌。日本人とブリタニア人。まったく面白いほど正反対。
最悪の気分だった。
少女達の体の合間から、シャーリーの姿が見えた。友人達と楽しそうに会話している。冗談を言い合い、悩みを共有する。カレンと違って服やメイクに関心があるし、恋をしている相手もいる。
それと比べて、自分を取り巻く環境の歪さときたら。これは彼女との差だ。今まで何もかも偽り、狡猾に騙し続けていたカレンと、八方美人と揶揄されながらも決して妥協しなかったシャーリーとの決定的で絶対的な差。
足の揺れが大きくなる。
「そうだ、可愛いアクセサリーを売っているお店を見つけましたの。カレンさんもどうですか?」
「え、私は……」
「よろしければ今日の放課後にでも」
「確かに。シュタットフェルト家のご令嬢が来店したとなれば、お店の方もきっと喜ぶでしょうし!」
弱々しい抵抗は呆気なく無視される。一方的な善意。頭の中で誰かが叫ぶ。もう限界だった。
意を決してカレンが口を開こうとする。静かな声がそれを遮った。
「少しいいか」
淡白だが、よく通る言葉。たった一言で少女達の姦しい声は止み、久しい静寂が訪れた。
声は女生徒達の後ろから聞こえた。珍しい銀髪が人垣の向こうに見える。
感情を映さない瞳に見られた直近の少女は心を奪われたように呆然と立ち尽くし、物乞いのようにただ次の言葉を待っていた。
「あ、あの……」
もう一人の女子生徒が言った。見たからに萎縮している。突然現れたライに戸惑っているのだろう。生徒会のメンバーを除く一般の生徒からは近寄り難い存在と認識されているせいだ。
無口で無気力な無表情はクールに見えるらしい。本当はただぼんやりしているだけなのだが。
ライは声をかけてきた少女に目を向け、
「話しているところをすまない。カレンに用があるんだが、借りていいだろうか」
そう告げた。言われた女子生徒は顔を赤くしてこくこくと頷く。
「ど、どうぞっ」
「ありがとう」
ライも頷きを返し、ようやくカレンに目を移す。なにやら物扱いされたことに若干の苛立ちを感じつつも、蒼い瞳を見つめ返す。
「えっと……なに?」
「今の授業で分からないところがあった。良ければ君に教えてもらいたいんだが」
至っていつも通りの様子だ。それに釣られたカレンも、特に深い考えが無いまま、
「……別に、いいけど」
周囲の反応を気にする事もなくそう返してしまった。
「それは良かった。時間は取らせない。付いてきてくれ」
ライに連れられて教室を出る。男子の方の授業も終わったらしい。戻ってくるスザクやリヴァルの姿もあった。
(あれ……?)
なんだろうか。なんだか凄く嫌な予感がする。これはあれだ。他人に見られてはいけないものをどこかに置き忘れてきてしまった時のような、後から来る絶望感。
考えればすぐに分かることだ。前の授業の科目は保険体育だった。男子と女子で別れておこなうということは──まあ、そういう内容の授業だ。
問題はライの放った発言である。『分からないところがあった』『教えて欲しい』『時間は取らせない』。そんなことをのたまっていたはずだ。
そしてカレンはそれを受諾してしまった。教室の真ん中、それも知人の目の前で。
「────っ!」
たまらず真っ赤になる。最悪だった。考えられる限り、一番よくない状況に陥っている。
人気の無い校舎の端っこ、階段の踊り場に辿り着く。そこでようやくライが振り返り、言った。
「今度は文句ないだろう」
「は?」
「以前、困っていた君を放置した事でへそを曲げられたからな。今回はバッチリだった。鮮やかな手際だったと自負している」
「…………」
ライは無表情ながらも自信気な様子だった。『さあ、褒めろ』と言わんばかりの空気を纏っている。
階段から突き落としてやろうかと思いながら、カレンは確認した。
「助けた……つもりだったの?」
「ああ。困っていただろう。見れば分かる」
今度はさっきよりも自信満々な様子だ。カレンは脱力して、息を吐いた。さっきまでの苛立ちは吹き飛んだが、今度は別の疲れが押し寄せてくる。
「はいはい。助かったわよ。ありがとう」
もう投げやりだった。教室では今頃、さまざまな憶測が入り乱れているだろう。リヴァルの輝いた顔が容易に想像出来た。
「……僕は何かミスをしたのか」
今回はこの辺で。先ほど気づいたんですが、投下の際に抜けがあったようです。せっかく真面目な話してたのに。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
>>844と>>845の間にこれが入ります。
◇
学園にいると忘れられる。放課後にシャーリーと歩いていた時はやる気に満ちていた。ルルーシュの部屋でナナリーと共に食事をするのは本当に安らいでいた。
寝る前までは、なんともなかったのだ。
いつもそうだった。
夜になると引き戻される。眠りにつくと思い知らされる。そうして、深夜に目を覚ますのだ。
まるで誰かが耳元で囁いているようだった。
『忘れられるな』と。
『逃げられない』と。
暖かい夢など許されない。平穏な眠りなど許されない。安寧も幸福も取り上げられる。過去が迫ってくる。未来は閉ざされている。色を失った世界は乾燥していて、痛みと苦しみに満ちている。
行くあてなど無くて、帰れる場所もまた、無い。
なにも無いのだ。完全な虚無。
「…………」
そんな考えがどんどんと膨れ上がっていく。ライは虚ろな瞳を虚空に向けたまま、自分の内側から吹き荒れる強迫観念に身を委ねていた。
気が付けば、時刻は三時をまわっている。
ちょっとドヤってるライが面白い
おつ
乙
子供の作り方を教えてくれ!みたいなこと言い出すかと思った(偏見)
乙です
乙
今回も良かった
ロスカラだとライ視点以外はあんまりないからこういうのちょっと新鮮で嬉しいな乙デースッ!
乙です
いつの間にかだいぶ進んでいたのか
「どうかしらね。もしかしたら、取り返しがつかないかも」
「なに……」
一転して深刻そうな表情になる。今まで自信気だったくせに、カレンの一言でこんなにも調子を崩してしまう。いつも無表情なライが、だ。
それがなんだか嬉しくて、いつの間にか口元にはからかうような笑みが浮かんでいた。
「その……すまない。僕はひどい勘違いをしていた可能性がある。復旧の見込みがあるなら言ってくれ。可能な限り力を尽くす」
こんなに慌てるのも珍しい。それもやっぱり嬉しかった。
「もう。別にいいわよ」
他人からどう言われようが構わなかった。もう気にするのも馬鹿らしい。
元より野次馬連中が期待しているような事実は無いのだし、ライの存在が"病弱なお嬢様"設定に悪い影響を与えているわけでもない。
「それより、今日の約束は覚えてる?」
「ああ。服の件だろう」
「うん。私は一度教室に戻るから、あなたは……そうね、いつもの公園で待ってて」
「公園。どうしてだ。まだホームルームが残っている」
「いま一緒に戻れるわけないでしょう? 荷物は私が持っていくから」
「だが、待ち合わせなら校門付近で良いはずだ」
「それは、ほら。写真部にまた撮られたりすると困るし……」
他人からどう言われようが構わないが、それでも羞恥心が抵抗してくる。手順は必要だろう。
「とにかく、すぐ行くからあなたは待ってて」
「わかった」
ライはこくりと頷く。こういう素直な所は彼の美点だろう。軽くなった足取りでカレンは教室へ戻った。
茜色に染まった空を楽しみながら、公園の敷地内に入る。手には二人分の鞄。シャーリーとリヴァルから当たり前のようにからかわれたが、それはなんとかやり過ごした。
教室を出る直前にシャーリーから『頑張って!』と言われたのは気になったが、それについて考えるのはやめておこう。疲れるだけだ。
(……いない)
公園を見渡すが、ライの姿は確認できない。敷地内はグラウンド並みの広さを持っているし、人や観葉植物も多いので死角にいる可能性もある。ただ単にトイレ等に行っているだけかもしれない。
こういう場合、いたずらに動きまわるのは下策だ。カレンは見晴らしの良い場所を見つけて、そこでライを待つことにした。
広場には幾つか屋台が並んでおり、名誉ブリタニア人──日本人の姿も多く見える。こういう場所は租界でも珍しい。カレンが待ち合わせにこの場所を良く使うのにはそういった理由もあった。
自然と頬が緩む。虐げられてばかりの日本人だが、ここにいる人達は活気に満ちていた。
普通のブリタニア人はあまり此処には立ち寄らない。噴水や遊具、時計台のある綺麗な公園は他にあり、そちらの方を好むからだ。この公園は広いが、何も無い。表面上は権利を認めている名誉ブリタニア人用の──言ってみれば隔離場所のようなものだ。
最近は無くなったようだが、以前はブリタニアの軍人や警察関係者が頻繁に嫌がらせをしていた。隔離なんてしている癖に、ストレスを発散をするためだけに立ち寄るという行為は吐き気を催す程に醜悪だ。
だが、それでも日本人は強く生きている。<黒の騎士団>の活躍により若干ではあるものの、租界内におけるナンバーズの待遇に改善の兆しが見られるようになってきたのだ。
自分の所属する組織が彼らの希望になっている。そう思えるこの場所はカレンにとっての誇りだった。
周囲が日本人ばかりだったためか、頬と共に気持ちも緩んでしまっていた。体に軽い衝撃。
「あっ……」
下から短い悲鳴が聞こえた。初等学校低学年くらいの男の子がよそ見をしていてカレンにぶつかったらしかった。持っていたアイスクリームがスカートにべったりと付着している。
「大丈夫?」
汚れた服の事など気にもとめず、カレンはしゃがみ込んで男の子に手を差し伸べた。メッシュ素材に似た手触りのスカートは汚れに強いし、使えなくなったところで買い替えれば事足りる。
「あ、あの……」
男の子は怯えた表情でカレンの手を見つめている。まるで凶器を向けられた時のような、恐怖と不安に満ちた目。
どうしてそんな顔をされるのか分からずにいると、屋台の近くにいた女性が弾かれたように飛び出してきて、少年をカレンから守るように抱き寄せた。
「申し訳ありません! クリーニング代はお出ししますから、どうかお許し下さい!」
「え……」
状況が飲み込めず、カレンは唖然とした。
すぐに思い至った。そうだ。ブリタニア人は散々、ここの日本人達に対して嫌がらせ目的の暴行を働いている。天上人の衣服を汚した我が子がどんな扱いを受けるか、この母親は怖いくらい良く知っているに違いない。
この人達から見たら、カレンは生粋のブリタニア人に見えるのだ。こちらは敵意なんて無いのに。
身を挺して必死に我が子を"外敵"から守ろうとする母の姿。その"外敵"が他ならぬ自分だという事実。そしてその誤解を解く方法が見つからない絶望感。
母。
子供。
お母さん。
違う。敵じゃない。私はブリタニア人なんかじゃない。
「あ、あの、私は……」
「申し訳ありません! 申し訳ありません!」
言葉を尽くしたところで理解を得られるわけでもない。
どうしようもなかった。
ブリタニア人と日本人。加害者と被害者。支配する側とされる側。そんな線引きがカレンと目の前の親子の間にはあった。
こちらがどれだけ好意的に接しても、この親子には届かない。白い肌に赤い髪、碧眼の日本人なんていないのだから。
日本人でもなく、ブリタニア人でもない。そんな自分には許される居場所なんて無いのだと、この平和な公園で唐突に叩きつけられた。
周囲にはどんどんと野次馬が集まってきている。しかしそんな事も認識出来ないほど混乱していた。頭を殴られたようなショックがカレンから思考力を奪っている。
呆然としていると、人混みを掻き分けて誰かが近づいてきていた。
「今日はこんなことばかりだな」
「……ライ」
騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。銀髪の少年は衣服の汚れたカレンと謝り続ける親子を交互に見て、状況を理解したようだった。
「離れよう。ここにいても意味が無い」
「でも、私……」
食い下がろうとするカレンの手から鞄を取り上げ、ライは続ける。ぶつかられた時、とっさに後ろへ回していたらしい。そんなことにも今さら気づいた。
「彼女たちのためにならない。君にも分かるだろう」
「う、うん」
他に方法はなかった。認める他無い。今の自分にあの親子を安心させる方法など無いのだ。カレンは『気にしないで』と告げると、足早にその場を後にした。
後ろでライが何かを言っている声が聞こえたが、耳には入らなかった。強いショックと落胆でそれどころではなかった。
人の少ない場所を探してベンチに腰掛け、カレンは空を見上げる。スカートの汚れを拭き取る気力すら無かった。
最悪の気分だった。人のいない所を探して、息を潜めているしかない。学園でもこの公園でもそうだ。ブリタニア人でも日本人でもないためか、どこにいても居心地が悪い。
ベンチは木の影に包まれている。涼しく、風通しは良かったが、それで気が晴れるわけでもない。
少しして、ライがやってくる。手には缶ジュースを二つ持っていた。
「今日は災難だな」
ストレートティーの缶を渡される。ひんやりとした感触が、何故か新鮮だった。
「……ありがとう」
プルタブを開け、紅い液体を口に含む。仄かな甘味と慣れ親しんだ香り。どうやら喉が渇いていたらしく、半分近くまでごくごくと飲んでしまった。お嬢様としての外聞など気にならなかった。
「……ふう」
ようやく人心地ついた。冷たい飲み物のおかげか、頭も少し冷えてくる。
「…………」
一気飲みをしていたところをライに観察されていた。カレンの頬が熱くなった。
「どこに行ってたの?」
最近は食事している所をじっくりと見られる事が多い。照れ隠しに横目で睨みながら、カレンは尋ねた。
「猫好きの知人がいてな。道を案内していた」
「……そう」
ぶっきらぼうに答える。別に彼が悪いわけではないのだが、どこか釈然としなかった。
「前から思っていたんだが、君は日本人への差別が無いんだな」
「……そんなの当たり前じゃない。彼らは悪い事なんて何もしていないんだから」
「衣服を汚された」
「子供のやったことよ。別に悪意があったわけじゃないし、不注意だったのは私も同じだもの。そこに日本人もブリタニア人もないわ」
「そうだな」
「……あなたもそうね。偏見や先入観が無い」
「記憶喪失だからだろう。それに、スザクには世話になっている」
ライの言葉は淡々としていた。世話になっている人が日本人だから、差別はしない。簡単な理屈だ。装飾も何も無い、一種の誠実さが窺える。
「ああいう事は良くあるのか」
最近はやけに話しかけてくる。
「……さあね。覚えてないわ」
「だが、疲れているだろう」
「なによ、保護者気取り?」
気遣いすらも疎ましい。僅かな苛立ちがそのまま刺々しい言葉になる。助けておいて貰って、こんな事しか言えない自分に嫌悪感が湧いてきた。
「最近は寝不足に見えた。……なにか、無理してないか」
「……してないわよ」
「そうか」
ライは特に気分を害した様子もなく、缶の紅茶を一定の間隔で飲んでいた。背を向けられているため、その表情は分からない。
「あなたも疲れてるんじゃない?」
ライが男子生徒達から疎まれているのは知っている。直接的な嫌がらせこそ無いが、ストレスフルな毎日を送っているはずだ。自分と話したりすれば、それはより苛烈になる。
その事は分かっていたが、カレンはライとの関係をやめなかった。さっきのように迷惑をかけてまで続けている。
嫌気が差しているのではないか。世話になったからという義務感から付き合いを続けているのではないか。
ふと、そう思った。
「そうだな。疲れている」
尋ねておきながら肯定の言葉は予想外だった。
「そ、そう……」
「僕も最近は寝つきが悪い。……嫌な夢ばかり見る」
懸念は外れたらしい。安堵する間もなく、新たな疑問が浮かび上がる。
「夢? どんな?」
「分からない。目を覚ますと内容が消えていくんだ。感触だけが残っていて……でも、きっと人を殺す夢だ」
「…………」
ライは夕陽を見つめている。声は相変わらず淡々としていたが、その背中からは深く強い孤独が垣間見えた。
「だから、悩みがあるのは君だけじゃない。安心していいぞ」
「……は?」
安心?
深刻な空気はどこへやら、ライは意味不明な事を言った。
「人を慰める時は悩みを打ち明け、共感を餌にすると効果的だそうだ。学園でのミスは挽回出来たと思うが、どうだろうか」
「…………」
言葉の通り、ライはカレンを慰めるつもりだったようだ。計算があるのは良いが言ったら台無しだし、なにより言い方が最低だった。少しくらっとしてしまった自分が情けない。
「……最悪よ。ばか」
この男はどうしてこうなのだろうか。大抵の事はそつなくこなすくせに、対人関係の事となると途端に不器用になる。
励まそうとしたのは本心だろう。夢の件も嘘ではない筈だ。自分だって大きな悩みを抱えているだろうに、それでもこうして助けようとする。格好はつかなくても手を差し伸べる。
もっとスマートにやってくれれば、こちらも素直に礼を言えるのに。カレンはそっぽを向いて不機嫌な顔をした。困らせたかった。
「なんだ。何が不満だった」
「自分で考えなさい」
「あれ以上は臨めない。僕の全力はあれだ」
「そう。なら、全力が必ずしも最良の結果を生むとは限らないという良い見本ね」
「アドバイスがあるなら聞くが」
「余計なのよ、色々と。いつもは喋らないのに」
「君はよく僕に黙れと言うじゃないか。喋れと言ったり黙れと言ったり、感情的な二重基準はわがままの証拠だ」
「わ、わがままって何よ……!?」
がばっと立ち上がると、ライの姿勢がカレンの下半身に向かった。
「汚れを放置していていいのか。股間部がべったりだぞ」
「く……」
ライがポケットティッシュを差し出してくる。セクハラにしか聞こえない腹の立つ言い方だったが、カレンは渋々受け取った。
三枚ほど抜き取り、汚れを拭いていく。ティッシュの裏面にはいかがわしい大人の店の名前と電話番号がプリントされていたが、追求しなかった。いつか訴えてやろうと心に誓う。
「だが、ちょうど良かった」
「……なにがよ」
「これから服屋へ行くんだろう。近くにコインランドリーもあった。着替えにも洗濯にも手間取らない」
「まあ、そうかもね」
憮然とした表情でアイスクリームを拭き取っていく。上からは観察するような視線を感じた。ベンチに座ったカレンをライがじっと見ているのだ。
「……なによ」
「いや、なんだ……なかなか上手くいかないと思ってな」
「? 上手くいかない?」
「僕が困っていると、ルルーシュやスザクはスマートに助けてくれる。あのリヴァルでさえそうだ。だが僕は、どうしても上手く出来ない」
「ただの慣れの問題よ。あなただって時間が経てば同じように出来るわ」
「だが、それまではこうして迷惑をかけてしまう」
夕陽に照らされた彼の横顔は深刻そうだった。度重なる失敗に罪悪感を抱いているのだろうか。
「気にしすぎ」
ライは真剣に悩んでいるのだろうが、それがおかしくてカレンは笑ってしまった。助けた時、やたら自信気だったのは張り切っていたからなのだろう。
「気にしてない……ってわけじゃないけど、別にそれで嫌いになったりはしないわよ」
「そうなのか」
「そうよ」
「……感謝する」
「そうして」
だが、とライは続ける。案外、彼にとって大きな問題だったらしい。
「……最近はナナリーやシャーリーにも頻繁に怒られるようになってきた。悪化しているんじゃないだろうか」
「…………」
二人の名前が出た途端、カレンの眉間にしわが寄った。ライの口から彼女達の名前が出ることは特段不自然ではなかったが、どうしてか面白くない。
あの善良な少女達が叱るのは、それだけライと仲良くなっているからだ。
「……また機嫌が悪くなったな」
「あなたの勘違いよ」
「君がそう言う時は決まって不機嫌だ」
「…………」
たった一か月で把握されてしまっている。カレンは視線を逸らして誤魔化した。
それからしばらく会話が途切れ、静寂がやってくる。遠くから日本人の子ども達だろう、笑い声が聞こえてきた。あの屋台の近くだ。先ほどの一件を思い出して、また気分が落ち込んでくる。
カレンはライを見た。二人がいる場所は公園の端、木々の付近だ。喧騒や団欒からは遠く離れた所である。近くには日本人もブリタニア人もいない。
「……ねえ」
自然な問いかけ。空を見ているライの背中に向けたものだ。彼の視線の先には──時間的にまだ見え難いが──月があった。明日か明後日には満月になるだろう、日光で霞んだ月。
「なんだ」
いつも通りの応答。
「別に、埋め合わせってわけじゃないんだけど」
そう前置きをする。
「私がお願いしたら、あなたは聞いてくれる?」
「ああ」
「……なんでも?」
「なんでもだ」
二度ほど即答が返ってくる。あまりにあっさりとしているので、カレンは変な不安に襲われた。
「私が無茶苦茶な事を言っても?」
『死ね』と言われれば、その通りにするのだろうか。『付き合って』と言えばその通りになるのだろうか。
「おもしろ半分で君がそういった事を言うとは思えない。無茶苦茶だろうが理由があるんだろう。それくらいは僕にも分かるよ」
「そ、そう……」
ライの言葉からは強い信頼感が窺えた。彼が強い意志を見せることは非常に珍しい。
なんだか恥ずかしかった。ライから信頼されている事への照れもあったが、それを疑ってしまった自分への羞恥も大きい。
カレンは顔を背けた。ちらちらとライの背中を見る。
「なにかあるのか」
「え? いや……」
ここで『<黒の騎士団>に入って』と言ったらどうなるのだろうか。彼は引き受けてくれるのだろうか。
「……ううん。今はいい」
「そうか」
「その時はよろしくね」
「ああ。任せてくれ」
こくこくとライは頷いた。表情は未だ乏しいが、その仕草にはなんだか可愛げがある。
「じゃ、行きましょうか」
カレンは立ち上がり、使用したティッシュを丸めてごみ箱に放った。ライの服を見繕う前にまずは女物の服屋に行く必要がある。
「私のはどうでもいいから、さっさとあなたの方へ行きましょ。選んであげるから」
「なら、君の服は僕が選定しよう。任せてくれ」
「え、嫌よ」
「何故だ」
「ろくな事にならないもの」
「心配しなくていい。女性向けのファッション誌を熟読した事がある。中等部女子用の物だが、流用出来るだろう」
「出来るわけないでしょ。まったく……」
彼の思考回路がよく分からない。自信満々の時は特にだ。カレンはライの先を歩きながら、背後の少年に言った。たどたどしいが、精一杯の誠意を込めて。
「その……ありがとね。さっきは助けてくれて」
保健室でも同じように礼を言った覚えがある。あの時は最低な事を言われて別れてしまったが、今と同様にこうして助けてもらった。
「役に立てたなら何よりだ。……それに、君の優しいところが見られて良かった」
「な……そんなんじゃないわよ!」
そんな言い合いをしながら、二人で繁華街の方へ向かう。
こうして二人でいる時が一番楽しいのかもしれない。ライが不用意な事を言って、カレンがそれを叱りつけて──そんな、偽りの無い言い合いが、なにより大切な時間だと、失いたくないと、そう強く思った。
納得のいかなそうな顔をした少年の前を歩きながら、カレンは誰に向けるでもなく微笑む。
結局、ライからの挑発めいた発言に触発されたせいで、カレンの服選びに時間が掛かり、当初の目的である彼自身のための衣服を選ぶ猶予はほとんどなかった。
今回はこの辺で。ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙
このもうさっさと付き合っちまえばいいのに感がライカレの醍醐味だな
乙です
おつー
越
あ、乙
「スザク、買ってきたぞ」
昼休みの生徒会室。ライは持って来たビニール袋を黒猫の世話係主任に渡した。
「ありがとうライ。助かったよ」
「……手遅れだったようだ」
スザクに抱かれているアーサーは酷く不機嫌な様子で、飼い主の手に生傷を作り続けている。食料の供給が断たれていたためか、それとも自身を抱き上げている人間に対して何か思うことがあるのか──きっと両方だろう。
「君はそのままアーサーを取り押さえておいてくれ。餌は僕が用意しよう」
「うん。分かっ……痛っ!」
我ながら的確な役割分担だと思った。アーサーはライにまったく懐いておらず、しかもあの状態だ。スザクに前衛を任せ、自分は支援に専念した方が得策だろう。
「災難だったな」
指定席に座っているルルーシュが言った。アーサーのキャットフードが切れていたために急いで買い出しへ行くことになったライへの言葉らしい。
騒がしいスザクとライを尻目に、黒髪の美少年は読書に興じている。親友が猛獣に襲われて涙目になっているというのに、薄情だとライは思った。
「君は呑気だな」
キャットフードの袋が思いのほか頑丈で手こずりながらライはルルーシュに言った。早く救援に向かわなくては、取り返しのつかないことになる。
「スザクが飼うと言ったんだ。血や涙を流す責任はあいつにある」
「スザクが死んだらナナリーが悲しむ」
「ふむ。それは確かに」
ようやく大袋が開いた。即座に中から小袋を取り出し、それをアーサー専用の食器にザラザラと流し込む。
既に入れ替えられていた水と一緒に指定の場所に配置したライと入れ替わるようにスザクが抱えていた黒猫を餌の前に降ろした。見事なコンビネーションだった。
待ちかねていた食事に飛びつくと思われたアーサーだが、クンクンと匂いを嗅いだ後、『仕方ねえな』といった様子で渋々と食べ始めた。
これでは傷だらけになったスザクと、学園からショッピングモールまでの都合二キロを一〇分弱で往復したライが報われない。
「……餌に飢えていたんじゃないのか」
「うう……」
「ただ単に機嫌が悪かっただけのようだな」
我が身の不幸に嘆くライとスザクに、ルルーシュの他人事のような言葉が放たれる。
「なんであんなに凶暴なんだ。スザクは一応の飼い主なのに」
「猫は周囲の人間をランク付けするらしいからな。頻繁に餌をやる者ほどピラミッドの上部に置かれるそうだ」
「なるほど。詳しいんだな、ルルーシュ」
見れば、彼が読んでいるのはペットの飼い主向けの雑誌だった。スザクが持ち込んだ物を拝借していたのか。
「僕だって餌くらいあげてるよ。毎日ってわけにはいかないけど」
「性別の違いも関係がある。雄なら女性に懐きやすいんだろう。にしてもスザクは嫌われ過ぎだがな」
「……そういえば、ここ数日はカレンが世話をしていたな」
男子メンバーと比べて、女子メンバーにはかなり懐いているように思える。
ライは既に食事を切り上げ、丸くなっているアーサーに目を向けた。
「……現金な猫だ」
「お前だってナナリーが相手だと態度が変わる。それと同じことだ」
「……? 特に変わらないと思うが」
そう言ったが、ルルーシュは呆れたように肩をすくめ、スザクには苦笑された。
ライも椅子に腰を下ろし、持ってきた本を開く。後ろからスザクが覗いてきて、意外そうに尋ねてきた。
「料理の本?」
「ああ。君も出来るのか」
「もちろん。って言っても、ルルーシュみたいに本格的な物は無理だけどね」
スザクの視線を追って、ライもルルーシュを見た。いつの間にか席を立っていた彼は救急箱を持って戻ってくる。無造作にそれを負傷者の前に置いて、
「……ナナリーにか?」
不機嫌そうに言った。ライは頷く。
「駄目か」
「駄目じゃない。だが、お前にそんな事をされたら、ナナリーも本気になって料理に打ち込むかもしれない」
「そうなったら刃物や火を扱う可能性もある、か」
ライの食事事情に思うことがあったのか、ナナリーは最近になって料理を始めるようになった。ルルーシュか咲世子が傍についた上での、火や刃物を使わないものという限定をしたものだが、それでも小さくない変化だった。
「大丈夫じゃないかな。ナナリーは出来る事と出来ない事をちゃんと分かっていると思うけど」
「同感だ。それらを認識しているからこそ、あの……おにぎり、だったか。危険の無い日本料理という選択をしたんだろう」
スザクの意見にライも頷く。
ナナリーがおにぎりを作った理由はライの不摂生を危険視しただけではなく、日本人であるスザクにも故郷の料理を味わって貰いたかったからだ。
不自由な自分が料理を作る危険性を理解しているからこそ、ルルーシュや咲世子にも話した上で実行した。決して短絡的な思いつきが起こした行動ではない。本当に聡明な少女である。
「……だがな」
そういった妹の考えを理解したからこそ、ルルーシュも手伝った。にもかかわらず、彼はまだ渋っている。
「君の懸念も最もだと思う。だからこそ、僕も料理の知識を得ようと思った」
要は、ライが食事に対する積極性を見せればいいのだ。習熟した料理を振る舞えばナナリーも安心する。
ひいてはこれまで自分をペット扱いし、小馬鹿にしてきたミレイやルルーシュ、カレンやシャーリーといった人物を見返すことにも繋がる。自立するのにも料理の知識は無くてはならないものだ。会得するには良い機会だと思った。
「ナナリーはあれで食欲旺盛だからな。しかも大衆料理を好む傾向がある」
「この間も餃子が好きって言ってたしね」
「ああ。手の込んだ分野ではルルーシュの物には及ばない。僕は違う角度からアプローチしていこうかと思う」
ライが持っているのは初心者向けの料理本だった。入手しやすい材料と一般的な調味料、複雑な工程を挟まずに完成する物ばかりが載っている。
「料理の知識は無いのか」
ルルーシュが面白くなさそうに尋ねてきた。
「あったら今のような状況にはなっていない」
「ああ。合点がいったよ」
今度は鼻で笑われた。
「でも、そういう本は大事だよ。料理する人の中には、間違った偏見を持ったまま信じられない物を生み出す人がいるから」
「信じられない物。昨日の君はおにぎりをひどく恐れていたようだが、それが関係しているのか」
そう言うと、スザクは思いつめたような、沈痛な面持ちになった。
「……うん。正直、ナナリーのおにぎりは本当に安心したんだ。大切なものを思い出させてくれたっていうか」
「それは分かる。ナナリーの手から生み出された物なら、僕は躊躇いなく何でも口に入れるだろう」
二人はどこかズレた会話をしながら本を捲っていく。
「カレンから、日本は食文化が発達していたと聞いた。ラーメンや餃子などにも独自のアレンジを加えていたらしいな」
「そうだね。オムライスやカレーなんかは洋食屋にあったけど、殆ど日本料理みたいなものだったから。その手の物なら、ナナリーも喜ぶと思うよ」
ナナリーが喜ぶ。猛烈なやる気がライの中に生まれた。これまで折り紙や本の読み聞かせなどに終始していたが、新しいレパートリーが増えるとなれば──
「おい、落ち着け」
ルルーシュから冷静な指摘が飛んできた。知らず知らずのうちに興奮してしまったらしい。
「俺は許可を出した覚えは無いんだがな」
「なに。どういう意味だ」
「お前やスザクはどこか抜けているだろう。そんな連中の作った料理を、ナナリーに食べさせるわけにはいかない」
「失礼な。僕達のどこが抜けているというんだ。リヴァルに体操着を奪われた結果、制服で体育の授業に出ていた君には言われたくない」
「そうだよ。いくら最近、ナナリーに構ってもらえないからって、その言い方はどうかと思う」
「お前ら……!」
度重なる挑発的な言動に、ルルーシュがいきり立つ。いつもは彼から一方的に論破されるだけの二人だったが、今回は優勢だった。
「君の料理は非常に美味だが、たまには違う趣の物も食べたくなるだろう。ナナリーがピザや餃子に惹かれるのも無理からぬ事だ」
メイドの咲世子もルルーシュに合わせた料理を作ろうとするため、ランペルージ家の食事はレパートリーこそ豊富でも一本化してしまう。
ナナリーはまだ中等部だ。その年頃の女子は無性にジャンクフードを食べたくなる時もあると、シャーリーやカレンが言っていた。彼女達が図抜けて食欲旺盛だという事を差し引いても、有力な意見であることに変わりはない。
「たこ焼きなんかはどう?」
「あれは駄目だ。危険過ぎる」
スザクの意見にライは真っ向から反対した。以前に彼と一緒に租界の屋台で食べた事があるが、口内に重度の火傷を負うはめになったからだ。
美味ではあったが、ナナリーに苦痛を与える可能性のある物は全て排除するに限る。
あーでもないこーでもないと言い合いを続け、結局は『ナナリーに決めてもらおう』ということで結論がついた。昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
本を閉じ、椅子を元に戻しながら、ルルーシュが嘆息した。
「まったく……」
「迷惑だっただろうか」
あかの他人の分際で差し出がましい真似をしたかもしれない。ライが尋ねると、ルルーシュは微笑んで、
「文句を言いたいところだが、留守にしている負い目もある。あまり妙な物は作るなよ」
ルルーシュもそうだが、咲世子も忙しい身だ。ナナリーが一人になる時間は少なくない。最近はライが彼女の就寝まで世話をすることも珍しくなかった。
「ああ。もちろんだ」
ナナリーの嫌いな食材をリサーチする必要がある。後は成長期の身体に良い栄養素を絞り込み、それらを効率的に摂取出来る料理を作ろう。
「あ、そうだ。ライ、今日の放課後なんだけど……」
スザクが言いづらそうに話しかけてくる。また<特派>の用事のようだ。
近い内に職場となるかもしれない所からの依頼だ。ライは一も二もなく頷いた。
「いらっしゃーい!」
放課後になり、向かいの大学にある研究室にやってきた。軍服に着替えたスザクに連れられ、数台のシミュレータ・マシンがある部屋へ到着すると、白衣の男性に迎えられる。
いつもの笑みを浮かべながら近寄ってきたロイド・アスプルンドに無意識の警戒をしながら、ライは会釈をした。
「……お久しぶりです、ロイドさん。よろしくお願いします」
「はいはい。じゃあこっちに来てシートに座ってね。ちょっと動くから気をつけて」
「ロイドさん……。そんな、美容院みたいな」
ライの肩を掴み、ぐいぐいと押すロイドにスザクが苦笑する。並び立っているシミュレーターのハッチは既に解放されていて、上下に稼働するシートが搭乗者を待ち望んでいた。
「今日はせっかくセシル君が非番なんだから、時間は有効活用しないとね。ライ君はもう準備運動してるでしょ?」
「あ……はい」
「まあ、今日はちょっとしたテストみたいなものだから、そんなに固くならなくていいよ」
訊いておきながら会話をする気の無いロイドの勢いに乗せられ、ライはシート座らせられる。付属のベルトを金具で固定すると、すぐさま筐体の中に座席ごと引き寄せられた。
『今日は新型武器のテスターをやってもらいたいんだ』
ナイトメアのコックピットと同じ、内部のレイアウトを懐かしむ間もなく正面モニタにロイドが映る。
「新型……ですか。僕は一応、一般人なんですが」
言いながらパネルを操作。武装の状態を表示している画面には、確かに見慣れない武器があった。
『へーきへーき。まだどこも開発していない兵器のデータだし、そういうのに"民間の技術者"が協力しているのは珍しい事じゃないから』
「技術者……」
責任者のロイドが言っているのだから良いのだろう。深く考えないことにして、ライは操縦桿のグリップを握り直す。機体設定は一般仕様の<サザーランド>。言うまでもなく機密情報の塊である。
『二種類の兵器があるでしょ。その内の一つ、ライフルを装備してみて』
「はい。……これでいいですか」
『そうそう。今から目標を出現させるから、試し撃ちをお願い』
「手動か自動か……」
『お好きにどーぞ』
回線が切れたのを確認し、ライは自機の右手に握られている火砲を見やった。黒光りする砲身には折りたたみ式のロングバレルが装着されている。
見た目は普通の四〇ミリライフルだ。
ファクトスフィアを解放。露出したセンサー集合体が付近の湿度、風速、気温を読み取り、周辺の地形をスキャンして3D映像で表示する。
試射場に選ばれたのは深い森に囲まれた山岳地帯。天候は晴天。射撃には絶好の環境と言える。
(……やるか)
FCSを部分カット。狙撃用のマニュアル射撃。光学センサ連動の弾道予測装置と通常の反動軽減装置を残し、後はほとんど眠らせる。銃砲の性能を見るなら機体側のサポートは殆ど必要ない。
センサーに反応。一二時の方向、一五〇メートル先に無防備な<無頼>が佇んでいた。
あれが的のようだ。動く気配の無い全高四メートル強の人型物体。確認した今なら目を閉じていても当てられる。
だが、これは試射だ。じっくり狙い、データを集めるのにこれ以上無い状況を作り上げ──発砲。三〇ミリよりも一回り大きい砲弾が吐き出され、目標に着弾。爆炎が上がる。
誤差なし。普通のライフルより高初速。弾道のブレやクセは確認できない。既存の弾薬を使用しているにも関わらず初速を稼げたのは、砲身内部で電磁加速をかけたからだろう。
高威力で反動も小さく、使いやすい。現時点では良い武器だと言える。
新たな反応。ライの<サザーランド>が立っている地点から崖の下、七時の方向。距離は──二九〇〇メートル。先ほどの二〇倍近く離れている。
少し遠い。四〇ミリ弾なら届くには届くが、直撃は非常に難しかった。山岳部特有の不規則な強風が砲弾を遮る天然の防壁となるからだ。
伝説的な狙撃手なら当てられるのかもしれないが、この距離を制覇出来るナイトメア・パイロットのスナイパーは現時点で存在しない。
近づいて当てるしかない。
そう思った時、装備していたライフルがひとりでに変形した。外部からの操作だ。
折り畳まれていた砲身が展開し、ロングバレルが装着される。アサルト・ライフルからスナイパー・ライフルへ。どうやらこの火砲には可変機能があるらしい。
およそ三キロの距離。狙えるのか。届くのか。
(……やってみるか)
<サザーランド>がうつ伏せになり、伏射姿勢を取る。大型のライフルを抱くように構え、さらにファクトスフィアを展開。機体各部への電力供給を最小限にして、その分を射撃能力に割り当てる。
障害物はない。湿度も高低差も無視して良い。注意するのは風速だけ。
「…………」
光学センサの情報を頼りに狙いをつける。ナイトメアのコックピットに座っている状態では、実際に銃を握っている時のような一体感は得られない。あまりにも不利な状況。
頼りになるのは武器の性能のみ。
(──当たれ)
確信が持てないままトリガーを引く。火薬が炸裂し、砲弾が走り出す。それが内部の電磁力により加速しつつ、砲身に刻まれたライフリングで回転をかけられ、遠心力により安定。最善の状態にまで整えられた四〇ミリ弾が砲口から飛び出していった。
三キロの距離を駆け抜け、風の壁を突き破り──着弾。胴体部に直撃を受けた<無頼>は真っ二つになって沈黙した。
『……一撃で当てるとは思わなかったねぇ』
回線を閉じてから数分も経っていないのに、ロイドの声がやたらと久しく思えた。
「良い武器ですね。……ただ、エナジーが」
『ああ、やっぱり?』
たった二度の射撃で<サザーランド>の活動可能時間を示すメーターがごっそり減っている。問題は二度目の方だ。砲身内での電磁加速と全開にしたファクトスフィアの併用。それによってエナジーの二割が失われた。
『<サザーランド>の出力だと厳しいみたいだね』
「画期的ですけどね、可変機構は。強度的な問題はクリアしてるんですか」
『もちろん。基本設計は既存の物を流用してるから。信頼性は大事だよ』
「なら、後はコストだけですね」
『そうだねぇ。まあ、そっちは追々なんとかするとして、もう一つの方いってみようか』
ロイドの指示に従い、<サザーランド>はライフルを後ろ腰のハードポイントに懸下する。そして新たにコックピット・ブロック脇に増設されたアームに格納してある武器を抜き放った。
『形状はただのショート・ソードだけど、切れ味は抜群だよ。今度は試し斬りをしてみて』
言葉通り、もう一つの武器は片手剣の形をしていた。ディテールは何の変哲も無い近接武器だが──
(……剣、か)
胸がざわつく。それを疑問に思う暇も無く、耳をつんざく警報音が鳴り響いた。
後方から敵性物体。距離を取るか、攻撃に転じるか。ライは後者を選択した。
武器を構えつつ振り向くと同時に、敵機を視認。スタントンファを振りかぶった<無頼>がモニターいっぱいに映っていた。迎撃。ライの<サザーランド>は相手の動きに合わせるように踏み込み、その右腕を掴んだ。
当然、敵は拘束を解こうと再度、腕を振り払う。あっさりと放してから、無防備の腹部に剣を突き立てた。そこで異常に気づいた。
武器の切れ味が良すぎるのだ。
一切の抵抗無く刃は敵機の体内に入り込み、動力部をくし刺しにする。ナイトメアが持つ近接武器は数多くあるが、ここまでの威力を誇る物は知識の中に無かった。
大型のナイフや剣に特殊な分子加工を施すことにより、戦車の装甲すら切り裂ける物は存在する。しかし、それらは安価な代わりに耐久性が低く、ここまでの鋭さは有していない。
チタンやセラミックを組み合わせた複合装甲を持つ近代兵器に、薄い剣身しかもたない武器ではあっという間に切れ味が劣化して折れてしまう。
スタントンファが広く普及しているのは威力やコストもさることながら、打突武器の特性上、極めて壊れ難いからだ。
(なんだ、この剣は……)
外見上は鋼を研ぎ澄ましただけの、普通の剣だ。機体が提示してくるデータにも参考になる物はない。秘匿されているということだろう。ロイドにも明かしたくない情報があるようだ。
新たな敵影。<サザーランド>を囲むように<無頼>が三騎。スタントンファ装備が二騎に、ライフル装備が一騎。接近してきたわけではない。何も無い空間に突如として現れた。
嫌な配置だ。
間髪入れずにライフル装備の機体が発砲してくる。降り注ぐ三〇ミリ弾をすり抜けながら、スラッシュハーケンを射出。一基で敵機の火砲を砕き、もう一基を地面に打ち込んだ。
急速に巻き上げ、加速。ランドスピナーが土煙を引き起こす。増した勢いのまま武器を失った<無頼>に頑丈な肩部装甲をぶち当てた。
転倒した敵機にとどめを刺したかったが、背後からもう二騎が迫っていた。スピンを掛けつつ横合いから飛びこんでくるスタントンファ。青いスパークがモニターを埋め尽くす。
ライは斜面という不安定な足場を利用して<サザーランド>の体勢を低くし、すれ違いざまに右腕を振るった。剣先が地面を浅く斬り、スタントンファが自機の右側頭部を掠めていく。
目論見は上手くいった。右脚部のランドスピナーを切断された<無頼>は突進の勢いを殺せぬまま斜面を転がり落ちていく。そのまま大木に激突し戦闘不能判定。
今の攻防でおおかた理解した。左側からスラッシュハーケンが飛んでくる。武器を破壊された方の<無頼>がナックルガードを装備した右腕を打ち込もうと突撃してきた。
右側からはスタントンファを装備した敵機が迫ってくる。挟み撃ちの状況。コンピュータ相手に同士討ちは狙えない。
ライは機体の背部ユニットに保持されていたもう一本の剣を抜き放った。そして、左右の剣の柄尻を連結させる。
一閃。スタントンファが容易く切り裂かれる。さらに機体を回転。上下の刃が一騎の<無頼>を器用に寸断した。頭部から腰部、膝関節の順で脱落する。
後方から殴りかかってくる敵機の一撃も紙一重で躱し、その腹部に両剣を突き刺した。冷却ユニットを貫かれ、最後の敵も沈黙。
さしたる脅威も感じぬまま、ライは周囲の索敵を済ませ、一息ついた。
『素~晴らしい! 良い動きだったよ。初めて使った武器でこの機動。本当に面白いね、君は』
「……いえ、本来ならスタントンファを躱した時に、放電で頭部ユニットを破損していたかもしれません。まだまだです」
やはり、自分はナイトメアの扱いがそれほど上手くないようだ、とライは自戒した。決して褒められるような結果ではなかった。
剣という武器のせいだろうか。自分の体と同じように扱おうとしてしまった。
ナイトメアは人型を成しているが、人体の複雑な構造を再現するまでには至っていない。股関節の稼働域は人と比べて特に狭く、それが先ほどの乱れを生んだのだ。
『使い心地はどう?』
「良いですね。強度、切れ味ともに素晴らしいと思います。近接戦でここまで頼りになる武器を他に知りません」
モニターに映ったロイドは自作の武装を褒められ、うんうんと頷いて喜んでいる。これではどちらがテスターか分かったものではない。
水を差すようだと、ライは言いづらそうな表情で続ける。
「やはりというか、エナジーの消費が……」
<サザーランド>のエナジーは五割を切っていた。普通ならば補給に戻らなくてはならない状態である。
『そうだよねぇ。稼働時間の圧迫は問題かな』
どれだけ強い武器だろうが、敵陣に深く切り込めないのでは意味が無い。補給している時間は敵に態勢を整える時間を与えるばかりか、逆襲を許す致命的な隙にさえなってしまう。
『疲れの方はどう? ここらで休憩を挟む?』
「……いえ。今日はこの後に用事があるので、このまま行かせてもらっていいですか」
『了解了解。じゃあ、早めに済ませちゃおうか。今度はちょっと難しいよ?』
ロイドが言った直後、モニターが暗転した。再び山の上のフィールドが映し出される。
機体は引き続き<サザーランド>。剣の代わりにスタントンファを持っている他は、先ほどと同じ状態だ。
『次は君自身の限界値を計りたいから、やれるところまでやってみて。サプライズも用意してあるから、お楽しみに』
「了解」
ロイドの事だ。サプライズと書いて嫌がらせと読むのだろう。ライは短く答えながら機体を素早く操って、有利な地形ポイントへと向かわせた。
レーダーに反応。光学カメラで確認。三騎編成の<サザーランド>が二個小隊。計六騎が山の下から登ってくる。
(……まだいるな)
上空に攻撃ヘリが二機。ミニガンとロケットランチャーで武装した機体が索敵がてら一五〇〇メートル先を飛んでいる。囮のつもりなのか、やたらと高度が低い。
厄介だと思った。動きを見る限り、敵のAIはこちらに気づいていない。初撃でヘリを落とすのは簡単だが、それだとあっさり位置がバレてしまう。
バレずとも、いずれは敵の捜査網に引っかかる。<無頼>が相手ならいくらでも身を隠せるが、最新のレーダーを搭載している<サザーランド>には通じない。ヘリまでいるなら尚更だ。
ならば、奇襲に乗じて勢いを得よう。
ナイトメアか、攻撃ヘリか。
二者択一。瞬時に判断。
ライの<サザーランド>は足を止め、体勢を低くした。背の高い木々に潜みながら、武装を操作。ノーマルモードからスナイパーモードへ。
レーザー照準及び電磁加速機能をオフ。完全なマニュアル射撃で敵を狙う。
航空機の中でもヘリは図抜けて機動性が高い。直進方向に推力を集中させている戦闘機などと比べて速度では劣るものの、上下左右に、より三次元的なマニューバを取ることが出来る。
光学カメラを最大倍率。ファクトスフィアを使えば位置がバレる。四方八方へと縦横無尽に動き続ける敵機はなかなか照準を合わさせてくれなかった。相手も狙撃を警戒しているのだ。
それでも辛抱強く観察を続け、次第に動きを掴めるようになってくる。複雑な戦闘機動だが、ライの持つ高度な予測能力はコンピューター相手には滅法強い。
呼吸を合わせ──発砲。
四〇ミリ砲弾がロングバレルの先端部から吐き出され、一・五キロ先の目標物を一撃で粉砕した。
僚機が撃墜された事で、もう一機のヘリはこちらにロケット弾を乱射しながら退避しようとする。
しかし、先読みして放っていた二発目の砲弾が吸い込まれるように直撃して、あえなく撃墜。敵の位置関係から回避ルートは容易く読み取れた。一発目が命中した時点で、二発目の直撃は絶対のものになったのだ。
敵航空部隊を殲滅。
武器をノーマルモードに戻し、落ち着いて機体を狙撃の姿勢から立て直す。八発のロケット弾が白煙を引き連れてこちらに向かって来ている。
苦し紛れに発射したものだ。直撃コースにあるのは三発程度。撃ち落としてもいいが、弾薬がもったいない。回避を選択。
広い範囲を爆風が暴れまわる。土と砂利、鉄と木々の破片が飛び回って、あちこちに散乱した。現実の戦闘なら、これらが装甲板を激しく叩く劣る音が聞こえた事だろう。機体は泥まみれになっていたはずだ。
ファクトスフィアを展開。周囲をスキャンする。もう身を隠すことに意味はない。今の爆風がこちらの位置を示すなによりの目印になってしまった。
六騎の敵<サザーランド>が一斉に向かってくる。味方もおらず、トラップも仕掛けていないライが近いうちに包囲されるのは明白だった。
だが、これでいい。
ライの<サザーランド>は素早く身を翻し、当初から目を付けていたポイントへ移動した。再び狙撃モード。
空を飛び回る目標と比べて地を這う獲物は狙うのが楽だ。高精度のマニュアル射撃に脆弱な敵AIは、ほとんど無防備で直撃を受け入れる。まずは<サザーランド>を一騎撃破。
二つある小隊のうち、一つはライから比較的近い地点にいた。もう一つは岩石地帯を挟んで向こう三キロの場所だ。到着までに時間がかかる。
それまでに目の前の部隊を片付けてしまえば、一対八だった戦力差は一対三にまで狭められる。充分に勝利を狙える状態だ。
残された二機の<サザーランド>は散解して左右から挟み撃ちを仕掛けるつもりのようだった。凡庸な選択だ。
ライはわざと足を止め、再び武器を連射の利くノーマルモードに戻す。右膝を地面につけて姿勢を安定させると、ロックオンを確認してからアサルト・ライフルをバースト射撃した。
放たれた三発の砲弾はいずれもよけられる。それでいい。もとより動きを制限するための攻撃だったのだから。
敵からの砲撃。最先端の電子兵装が機体を守ってくれる。周囲に着弾するが、構わない。
今度は良く狙い、マニュアルでトリガーを引く。一撃で股関節を粉々にされた敵機は頭から地面に叩きつけられた。
二機目を撃破。残るは一騎。
距離は三〇〇メートルほど。本来、ナイトメアの交戦距離はこのくらいだ。だが相手はそこまで来るのに数的有利を削がれてしまった。狙撃という技能の有用性がこれ以上ないほど発揮されている。
ライはカートリッジ一つさえ使い切っていない武器をしまい、スタントンファを起動した。
これまでは遠距離からの一方的な攻撃を重視していたが、今なら時間もある。先ほどの接近戦でよぎった違和感を、ここで払拭するのもいいだろう。
三〇ミリ砲弾を乱射してくる敵機。木々を利用して射線を塞ぎ、容易く接近する。ランドスピナーを停止。脚部の力だけで軽やかにステップをきり、その懐へと飛び込んだ。
青いスパークを纏った打撃武器が敵機の右腕とライフルをもぎ取り、続けざまの一撃が胸を砕く。<サザーランド>が崩れ落ちた。本来ならここでコックピット・ブロックが射出されているはずの損傷だ。
「……これで五機」
ライの<サザーランド>はいまだに無傷だった。エナジーにも残弾にも余裕がある。あと三騎の<サザーランド>を相手するには充分といえた。
スタントンファをしまい、火砲を取り出す。先ほどと同じように狙撃で数を減らしてから、じっくりと倒せばいい。さしたる脅威も感じず、ライがOSを弄ろうとキーボードに手を伸ばした、その時だった。
警告音が響き渡る。後方から高速で接近する物体。振り向きつつ、後退をかけた。
モニターに映ったのはきりもみ回転しながら突撃してくる<サザーランド>。猛烈なスピードだ。地形や位置的に、もう回避は出来なかった。
ありえない。計算を崩す完全なイレギュラーだ。
破壊の歯車と化して迫り来る敵機。繰り出されるスタントンファ。咄嗟に持っていたライフルを生贄に差し出す。
正面で爆発。武器を破壊されたライは急いで態勢を立て直しながら、自身もスタントンファを抜き放った。
「…………」
荒い岩石地帯はナイトメアの足を止める。ランドスピナーで走破出来ないからだ。脚部とハーケンを使って突破するにしろ、迂回するにしろ、相応の時間がかかるはずなのに。
空でも飛んできたのか、それとも地中を潜ってきたのか。どちらにしても、この敵が無茶苦茶ということに変わりはない。ロイドの一言が無かったら先の一撃でやられていた可能性もあった。
レーダー・マップに目をやる。やはり、もう二騎の<サザーランド>は遅れてこちらに向かって来ていた。通常ではありえない速度で接近してきた事実。先ほどの信じられないような戦闘機動。
間違いない。
(これがサプライズか)
ライは目を細め、悠然と佇む謎の敵を見据えた。
今回はこの辺で。今更ですが、ここのスレタイって手抜き過ぎますよね。何か良いスレタイは無いものか。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙
次回はライvsスザクかな?
乙です
乙です
乙です、スレタイはこのままの方が分かりやすくていいと思うよ
個人的にはせっかくの良SSだしタイトル欲しいかな…
分かりやすさなら 【コードギアス】なんとかかんとか【ロスカラ】
でも別に損なわれることはないし
おつおつ
ルルスザクライの三人の絡みもいいな
おつ
サザーランドがかつてないほど輝いているss
乙
そう言えばもう900レス超えてるんだね
突如として現れた<サザーランド>は隙の無い構えを解かない。あれはコンピューターが動かしている物ではないだろう。その物腰からは電子回路には生み出せない、ある種の遊びや、生命の息吹のようなものを感じる。
なにより、あんな機動はどんなナイトメアのOSにも組み込まれていない。
「…………」
相手はこちらの出方を窺っているようだ。僚機との連携は考えていないと見える。だが、どちらにしても時間経過で残りの二騎も到着するだろう。そうなれば勝ち目はほとんど無くなる。
仕掛けるしかない。戦術は潰された。ならば、目の前の敵を少しでも早く倒す他にない。
ライの<サザーランド>が突進。重心を巧妙に前後させることで、相手に手を読まれないように工夫する。スタントンファが電気の火花を散らした。
振りかぶる。横に薙ぐような一撃。右腕を振ったその勢いのまま、左腕での追撃も叩き込む。だが、相手は右の打撃を同じくスタントンファで弾き、やや後退。二撃目をすんでのところで躱すと、無防備になったライの背後に攻撃を仕掛けてきた。
このままではコックピットを破壊される。もともと隙を晒すのは分かっていたので、あらかじめ地面に撃ち込んでいたスラッシュハーケンを巻き戻した。急制動から飛び出すように前へ。危ういところで敵のスタントンファが通り過ぎていった。
「──ちっ」
相手の目論見からは逃れたと思っていた。しかしモニターには回転する敵<サザーランド>の姿。ランドスピナーを使った機動だが、荒れ狂う重心を天才的なバランス感覚で力任せに制御する、曲芸の類のものだった。
また裏をかかれる。こちらのトンファを盾に、後退しながら両腕をクロスして防御。激突。
あまりの衝撃にライの<サザーランド>が宙に浮いた。完全に威力を殺したつもりだったのに、七トン程度の重さしかないナイトメアがここまでの攻撃を繰り出すとは、にわかには信じられなかった。この一撃だけで、敵の技量をまざまざと突きつけられる。
相手は回転を緩めず、さらに追撃を仕掛けてきた。暴力が渦を巻いて、ライの<サザーランド>に迫り来る。威力が増している。次は防げない。
前進か後退か。
瞬時に判断して、ライは仕方なく前進を選択した。相手は回転の度に攻撃力を増している。後ろに下がったところで勝ち目は無い。
スラッシュハーケンを射出。敵機の足を狙う。だが、それは相手も見越していたようで呆気なく回避された。飛び込んでくる敵<サザーランド>。蓄えた遠心力はまだ両腕の中で生きている。
あれは貰えない。ライの<サザーランド>も突進する。極限のクロスレンジ。両者の攻撃が交差した。
衝撃。お互いの機体が激突し、弾き飛ばされる。これがシミュレーターでなかったら舌を噛んでいたかもしれない。それほどのGだった。
攻撃自体は両者とも外れていた。敵のスタントンファは紙一重で頭上を逸れ、こちらの打撃も腕を掴まれて無力化された。
「……来たか」
言うと同時に接近警報。息をつく暇もなく、ライは機体を動かした。直前までいた空間を砲弾が通り過ぎていく。乱数機動を織り交ぜ、体勢を維持しつつ位置関係を調整した。
遅れていた二騎の<サザーランド>が到着したのだ。こちらは予想通り。故に危なげなく回避することが出来た。戦況は着実に悪化しているが、分かったこともある。
「…………」
ライは油断なく敵部隊を警戒しながらパネルを操作して、三騎の位置取りを3Dマップに表示した。
やはりだ。
今まで戦っていた<サザーランド>と二騎の増援はまったく統制が取れていない。あのやたらと強い機体にはおそらく人間が乗っていて、指揮を執っているはずだ。にもかかわらず、先ほどの砲撃に合わせてこなかったのには理由がある。
(指揮や連携は苦手か)
そう見て間違いない。近すぎる攻撃ヘリの配置や、逆に遠過ぎるナイトメア部隊の配置。一騎だけ突貫してきたこと、僚機の到着及び援護という絶好の機会を不意にしたこと。全て指揮や連携に慣れていないからだとすれば、説明はつく。
あのナイトメアに乗っているパイロットは恐ろしく強い。接近戦の技能なら間違いなくライより上だ。その上で一対三の絶望的状況。敗北が自分を呑み込もうと口を開けている。
だが、勝機はある。たったいま見つけたばかりのチャンスが。一泡吹かせてやろう。モーション・サポートを切って出力を最大へ。機体の扱いが難しくなる代わり、今までより鋭く動く事が出来る。
ヴェトロニクスもフル・オープン。この<サザーランド>は既にライフルを失っている。接近戦をやるしかない。
敵部隊が合流し、即席の連携を企てている間、まさに一秒足らずの時間でライは動いていた。現れたばかりの敵機に猛進。相手は撃ってこれない。射線上に隊長機がいるからだ。コンピュータは同士討ちを極端に嫌う。
瞬く間に距離を詰め、一騎のライフルをスタントンファでもぎ取った。後ろから隊長機が迫ってきているが、今は前の敵に集中しなくてはならない。急ぎながらも冷静な機動で続く一撃。胸部に小破判定を与える。これでハーケンは撃てなくなった。
まだ敵は動いている。頭部に力任せの打撃を加え、完全に破壊。ファクトスフィアが宙を舞う。ここでようやくコックピット・ブロックが射出され、撃破判定。待っていたとばかりに近くにいた<サザーランド>が構えていたライフルを発砲した。
五〇メートルほどの距離、格闘直後の硬直状態では回避出来ない。倒したばかりの敵機を盾にする。同時にその腰部から対戦車用の吸着式手榴弾を奪い、アンダースローで発砲している<サザーランド>に投擲した。
即座に退避。下腹部に爆弾がくっつき、敵機の下半身が吹き飛んだ。時を同じく、盾にされた機体も爆散。二輪の赤い華が地上に咲く。サクラダイトが生み出す美しい閃光が、最新の映像技術で忠実に再現されていた。
瞬時に二騎を撃破。残るは一騎。つい先ほどまで圧倒的な存在感を放っていた敵<サザーランド>からは、呆気に取られたような無警戒さが漂っていた。
絶対的に有利な、勝って当たり前の状況を一瞬で覆されたのだ。しかも直前の攻防における、一対一での単純な力比べでも圧していたのだから、その精神的ショックは計り知れないだろう。
茫然自失状態の隊長機にスラッシュハーケンを叩き込む。それでも相手は当然のようにスタントンファで撃墜した。
ライは勢いに乗ったまま腰部に装備されている予備弾倉を掴み、それを敵機に放った。今のスラッシュハーケンは敵の目を欺くための囮でしかない。
先ほどの手榴弾を見ているのだ。読み通り、身を固くする<サザーランド>。事前にこちらの装備を確認、記憶していなかった証拠である。やはりだ。力はあっても、甘さが目立つ。
だが、常識外れの動体視力で相手はこちらの策を看破し、反撃の姿勢を取った。ライの計算よりも遥かに早かった。
自機の調子も悪い。先ほど砲撃は敵機を盾にしたとはいえ、完全に防ぐことは出来なかった。直後に起きた爆発の影響もあって、機体全域にダメージが蓄積している。動きが鈍い。
それでも回転しながら懐に飛び込む。再びクロスレンジ。またも交差するスタントンファ。敵の<サザーランド>が頭部を吹き飛ばされ、ライの機体もまた、腹部に致命的な一撃を受けて戦闘不能になった。
「……これが限界だな」
両者相討ち。シミュレーターは終了した。
「……疲れた」
夢から覚めたような感覚。ライは深く息を吐いて、肩をすくめた。戦闘でここまで疲労したのは初めてだった。
シミュレーター・マシンのハッチが開き、狭い室内から解放される。新しい空気が美味い。
隣のマシンも同様にハッチが開いた。中からあの<サザーランド>のパイロットだっただろう人物が現れる。
「凄いよライ。まさか引き分けに持ち込まれるだなんて」
枢木スザクがこれまた同様に疲れた表情で言った。予想していた通り、やはり彼だった。
「ぶらぼー! 素晴らしかったよ二人共~!」
疲労困憊の二人とは対照的に、つやつやしたロイドがスキップしながら寄ってくる。二人はさらにげっそりとした表情になった。
「どうだった? 我が<特派>が誇るデヴァイサーの力は」
ロイドに尋ねられたライはスザクを見ながら、
「恐ろしい強さですね。一騎打ちなら多分、勝てなかった」
労うように言った。
「数の利が足を引っ張るっていうのもなかなか面白いでしょ? じゃあ、次はスザク君ね。新人候補君の印象はどうだった?」
「ライフルを破壊したまでは良かったんですが、後はやられっぱなしでした。戦術面では確実に僕より上だと思います」
「うんうん。相性は理想的だね~。疲れただろうし、しばらく休憩してて。僕はデータを纏めてくるから」
ロイドはデスクトップから大容量のUSBメモリを引き抜き、それを白衣の右ポケットに入れた。彼は大切な物を決まった場所に入れる癖がある。
スキップしながらシミュレータールームを去っていく未来の上司候補を見送る。
スザクとライは、二人揃ってため息を吐いた。
「はい、コーヒー。ちゃんと冷たいやつだから、安心して」
椅子に座ったライが先ほどのシミュレーションのデータを解析して統合し、数値化をかけていると、ステンレス製のマグカップを持ったスザクがやってきた。
「ああ。ありがとう……ございます。先輩」
「ふふっ、なにそれ?」
「いやなに、ここでは君が先輩じゃないか。仮に<特派>に加入したら、お茶汲みは僕の仕事になる」
「ならないよ。普段はセシルさんが淹れてくれるから」
「今日みたいにいない場合はどうする」
「各自で自由に。ロイドさんはあんなふうに飛び回ってるから、落ち着いて飲んだりは出来ないんだよ」
「そうなのか」
基本的に三人しかいない職場だ。時間の経過で自然に作られた、独特の慣習があるのだろう。ライは冷たいコーヒーを飲みつつ、そんなふうに思った。
「でも、驚いたよ」
大型モニターには先ほどの戦闘映像がリピートされている。それを見るスザクの目はいつにも増して真剣だった。
「何にだ」
「君にだよ。後続の二騎が到着した時、正直言うと勝ったって思った」
「僕もそう思った。……君は部隊単位で戦うのは苦手だろう。もしくは経験自体が無いか」
スザクは驚いた表情をした。図星だったようだ。
「確かに、ナイトメアに乗って、誰かと協力して戦うのは苦手かもしれない。でも、そこまで分かるものかい?」
「ああ。ヘリの配置や部隊の動かし方を見れば分かる。一人で突っ込んできた時が最も活き活きしていた。そこで、動かしているのは君だと思った」
スザクがライに勝つ方法は簡単だ。あのまま一騎打ちに持ち込めば良かった。味方を囮に使う必要すらない。接近戦を続けていれば、負けの目はほとんど無かっただろう。
「指揮を取れとロイドさんに言われたな」
「……やっぱり、先輩風は吹かせられそうにないね」
「確かに、君のキャラじゃない」
「……うん。そうかもしれない」
「頼れる相方が出来たらいいな。いくら君が強くても、一人では不可能な事も多い」
ライがそう言うと、スザクは神妙な面持ちで頷いた。
「ポイントL3から敵部隊が近づいている。二分後に会敵。時間を稼ぐ」
『了解』
四〇分ほどの休憩を終え、スザクとライは二人で組みながらシミュレーションをおこなっていた。<サザーランド>二騎でナイトメアや戦闘車両、攻撃ヘリで武装したテロ組織と戦うというものだ。
舞台は荒廃した市街地。前方に配置したスザクの<サザーランド>をライは高層ビルの屋上から狙撃砲で援護していた。
五七ミリの榴弾砲が下を向き、火を噴いた。ナイトメアが持てる最大クラスの砲弾が一直線に飛んでいき、スザクを包囲しようといた敵部隊の真ん中に着弾する。
三騎の<無頼>は機械的な回避機動の後、規則正しく散開。やはり、所詮はコンピュータだと思った。
「ヘリ接近。高度を保っているな。普通はああやって使うんだぞ」
『わ、分かってるって。うるさいなぁ』
ライは傍らに置いておいたコンテナ型の武装を取り出し、肩に担ぐ。ナイトメア用の四連装対空ミサイルだ。ファクトスフィアを展開しつつ目標をロック。発射。
レーザー誘導式の小型ミサイルは遠距離の敵を狙えるが、その代わりに速度が出ない。ヘリはフレアとバルカン砲をばらまきながら急激に旋回した。
ライはまたも狙撃砲を取り出すと、特に狙いもつけずにトリガーを引いた。レーザー照準器は既にミサイル誘導で使用している。
余裕を持って回避していたヘリの道を塞ぐように放たれた五七ミリ弾はその尾部を吹き飛ばした。テールローターを破壊された敵機は回転しつつ高度を落とす。
機動性を奪われた後で抗えるはずもなく、追い討ちのようにミサイルが直撃。バラバラになった。
地上で交戦していた敵ナイトメア部隊もスザクがほとんど倒してしまったらしい。呆れた強さだった。
『指揮管制車両が……』
「先ほどマーカーを付けておいた。……少し待ってくれ」
二機目のヘリを撃ち落としたライはパネルを操作し、こちらで整理したマップ情報をスザクの<サザーランド>に送信する。
第五世代ナイトメアの持つ強力な通信装置は溺れそうなほどの妨害電波に満たされている戦闘区域でも瞬時に送受信を行えた。
『受け取った……のかな? これは』
こういった操作は普段、セシルにやってもらっているのだろう。もたつきながらも目標物へと接近したスザクは機体を走らせ、護衛の<無頼>二騎へ躍り掛かる。建築物が邪魔で、こちらからの援護は行えない。
ライは使い終わったミサイル・ランチャーと弾切れの五七ミリ砲を破棄して移動する。今から向かっても幕引きには立ち会えないだろうが、ただ突っ立っているだけというのもなんだか間抜けだ。
警戒する必要の無くなった市街地を疾走しつつ、マップに目を向ける。スザクの<サザーランド>はスラッシュハーケンを巧みに使って、ビルの間を縫うように飛翔していた。推進装置を一切持たないKMFという兵器からは考えられないような機動だ。
あれならランドスピナーによる滑走よりも早く移動できる。真似してみようかと思い立ち、ライは二基のスラッシュハーケンを近い所にあるビルに撃ち込んだ。
二本のワイヤーに牽引され、<サザーランド>が宙に浮く。それから壁面にランドスピナーを当てて、ホイールを回した。瞬く間に機体は建築物の頂上へと到達。頭でやり方は分かっていても、実践するとなると齟齬に苦しむ。
シンジュクゲットーでの戦いからここまで、ナイトメア関連ではずっと付いて回っている違和感。
妙な考えに気を取られていたせいで、機体がバランスを崩す。
ライの<サザーランド>はビルの頂上からさらに高い建築物にハーケンを撃ち込み、ブランコの要領で空中を移動していた。落下エネルギーと遠心力を器用に操り、勢いが十二分に乗ったところでアンカーを外す。
結果として機体は先ほどよりも高度を上げることが出来るわけだ。後は滞空しながら同じようにハーケンを射出し、ビルの間を飛び回る。先進国の都市レベルで高い建物が乱立していなければ使えない手だが、理論上はこれが最も速度を稼げる方法だ。
しかしリスクも大きい。陸戦兵器であるナイトメアが搭載している姿勢制御システムはあくまで陸上用。空中での複雑な機動は想定していないのだ。そのため、機体から満足なサポートを受けられないまま行うことになる。
少し間違えば体勢を崩して、時速一六〇キロで壁に激突し、そのまま一三〇メートル以上下のアスファルトに叩きつけられるということだ。非常にマズい。なにより格好悪い。
ライは機体の四肢を振って、崩れた姿勢を立て直した。機体の各部重量は熟知している。基礎的な物理学を併用すれば難しい芸当ではない。たるんだワイヤーが手足に絡まないように注意して巻き戻し、しっかり圧力を加えてから再び射出した。
アンカーが前方のビルに食いつき。そこで固定。支えを得た<サザーランド>は地表すれすれを舐めるように飛び、ようやく危機を脱した。
「……ふう」
今度はミスをしないよう気を張り直す。正直、敵と戦っている時より必死だった。なにより恐ろしいのは自分自身ということか。
そんなことを考えながら、ライが現場に到着すると、そこにはバラバラにされた二騎の<無頼>と指揮管制機能を備えた装甲車、それと傷一つ無い<サザーランド>が仁王立ちしていた。
間に合わなかったということだ。ライはうなだれた。
「今日はどうだった?」
<特派>からの帰り道、スザクがそう言った。仕事終わりの開放感に満たされた顔だ。
「そうだな……戦い易かった。君の戦闘機動は独創的で、参考になる」
スザクとライの<サザーランド>は一五分間の戦いで<無頼>を一二騎、戦闘ヘリを六機、装甲車を九輌撃破していた。これは本来なら勲章をいくつか貰えるような大戦果だ。
「僕もだよ。君の状況判断力は凄い。敵がどう動くか予測して、一番効果的な指揮が取れる。背後を心配する必要が無くなって、目の前が開けるような感覚は新鮮だった」
「そうか。それは良かった」
スザクからも役に立つと思われているようで良かった。自身の有用性を認めてもらえるのは、ライにとってなにより有り難いことだった。
「今日は早く終わって良かった。いつもは深夜まで掛かるから」
「そうなのか」
現在の時刻は夜の八時半。仕事をしていたのは実質三時間ちょっとと言ったところだろうか。ライが手伝った分、シミュレーションは早くこなせるし、持ち前の知識を活かしてユニークな報告書も仕上げることが出来た。
ロイドも上機嫌で、成果としては申し分ない。
「はい、今日は新しいやつ」
ベンチに座っていたライに、スザクがクレープを渡してきた。サラミとチーズをトッピングした、スイーツというより軽食としての色合いが強いものだ。
「ああ、ありがとう。いくらだった」
「いいよ別に。報告書も書いて貰ったから、そのお礼」
「駄目だ。こうやって貰ってばかりいるから、生徒会内での扱いが改善されない」
意固地になったライが懐から財布を取り出そうとしていると、スザクがやんわりとそれを遮った。
「ふふ、冗談。実はそれ、サービスだったんだ」
「サービス。どういうことだ」
「君がこの前、あそこのお店を助けてくれたからね。店主さんからのお礼だよ」
一週間ほど前のことだ。スザクとライがたびたび訪れているあのクレープ屋に、数名のブリタニア人男性が難癖を付けるという出来事があった。
そのブリタニア人は明らかに興奮しており、まともな会話が出来る状態ではなかった。
非常に声が大きく、その発言はあまりに差別的で業務妨害にしか見えなかったので、ライはその男性達を無力化して、軍人として駆けつけたスザクに引き渡したのだ。
そのあと現れたカレンがやたら上機嫌だったのを覚えている。
「助けたわけじゃないぞ」
無力化といっても、暴力を振るったわけではない。ライはただ手頃な位置にいた男性の背中に右の手の平を当てただけだ。
二本の足で直立している人間の重心は、四足歩行動物のそれと比べて酷く不安定だ。外部からの的確な操作を受けただけで容易く乱され、まともに立っていることすら難しくなる。
傍から見れば手を当てられているだけなのに、力が抜けたように膝をつくという極めて屈辱的なシチュエーションを作り出すことが出来るのだ。
しかし、その後がいけなかった。
ムキになった男性には格闘技の嗜みがあったようで、激しい抵抗を試みてきた。
どんな武芸でも基本は重心の操作、体幹の維持だ。ライがやっているのはそれらを無理やり乱すことなので、事態は悪い方向に向かってしまった。
ただ三半規管に影響を与え、平行感覚を狂わすだけのつもりだったのに、抵抗のせいでそれが行き過ぎて、男性は思い切り嘔吐した。辺り一面が刺激臭に包まれ、道行く人は迷惑そうな視線を送ってくる。
結果的に店主は店の真ん前で吐かれるという、最高クラスの営業妨害を受けたことになる。
ライは張り切ってやったことがこんな事態を招いたことを反省し、後からやってきたカレンに『臭いから近づかないで』と言われて落ち込むはめになった。
だから、あの時の事を感謝される謂われは無い。本当に無い。むしろライが謝罪したくらいだ。
「それでも、きっと君は良い事をしたんだよ」
「だがな、僕でも分かるくらいに悪質な営業妨害だった。非難を浴びるのは当然だが、礼を貰うわけにはいかない」
立ち上がり、ポケットに引っかかっていた財布を苦労しながら取り出す。
しかし腕をスザクに掴まれる。彼の視線を追ってクレープ屋を見ると、店主の日本人男性と目が合った。
頭を下げられる。なんとなく気まずくなって、ライの方も頭を下げた。本当に申し訳なかった。
「…………」
「ほらね」
スザクはにこにこしながらクレープを食べている。憮然とした表情で座り直し、ライは考えた。いま店主のもとへ向かうのは、なんだか間違っている気がした。
感謝される意味が分からない。店主の男性がああいった態度を取るのはスザクとライが頻繁に足を運ぶお得意様だからではないのか。頭を下げておけば不必要なトラブルを招かなくて済むからではないのか。
自分の外見がブリタニア人に見えるという事は理解している。スザクも軍人だ。名誉ブリタニア人の店主は強く出られないだけなのだろう。
今のライに出来るのは売り上げに貢献する事くらいだ。
「また変な風に考えてるね」
「……最近は同じような事を良く言われる」
生徒会のメンバーやナナリーはライの無表情に隠されている内心を良く看破するようになって来ている。表情が豊かになるなどの変化があったわけではなく、単純に周囲の人の観察眼が優れているだけだ。
「君も知っていると思うけど、ああいう事は日常茶飯事なんだ。……本当に、毎日のようにある」
「……そうだな」
以前、公園でブリタニア軍人が暴れているのを見た事がある。昨日は同じ公園でカレンがトラブルに巻き込まれた。
日本人とブリタニア人。このエリア11において、なにより高く、絶対的な人種の壁。戦勝国と敗戦国という言葉が生み出す谷よりも深い溝。
ライの隣にいる少年には、この租界がどう見えているのだろうか。彼の黒い瞳には、かつては日本と呼ばれたこの土地が、どう映っているのだろうか。
難しい話だと思った。ルルーシュと話した時は分かったような口を利いたが、実情を知らない、分からないライが言っていい言葉ではなかったのかもしれない。
ライは隣のスザクを見る。彼と話すようになって一か月ほどだが、この少年がブリタニア人に対する怒りや憎しみといった感情を見せることは全く無かった。
スザクが優しいだけ、というわけではないのだろう。日本人の現状を見て許容できているのなら、それは器が大きいのではない。器に穴が空いているだけだ。
彼からはなによりも強い、悔恨や贖罪を背負っている印象を受ける。日本政府最後の為政者がスザクと同じ性だったが、もしかしたらそれと関係しているのかもしれない。
「まあ、暴力は感心しないけどね」
冗談めかして言った後、クレープを食べ終わったスザクは手をぱんぱんと払ってから立ち上がった。
「追い払いたかっただけだ。あんなに吐くとは思わなかった」
「大事にしたくないっていう君の考えも分かるよ。でも、どこであんな技術を?」
「技術というより、知識だろう。人体の構造や物理に精通していれば誰でも出来る」
「そうかな」
「そうだ。割と便利だぞ」
「大惨事だったけどね」
「…………」
スザクは稀に酷い事を口走る。
しかし、そんなことではへこたれない。酷い事ならルルーシュやカレンに言われ慣れている。最近はそこにシャーリーやナナリーも加わりそうだが、そのことについては考えないようにしていた。
「だが、軍服を着ればトラブルも鎮圧できるだろう」
ライが<特派>に加入すれば、スザクと同じように軍服が支給される。階級は准尉相当だそうだ。ブリタニア軍の恐ろしさはブリタニア人が一番良く知っている。一般の人間ならまず揉め事は起こしたくない相手だ。
「入る気……なんだね」
「今日は先輩と息が合うことも分かったからな。それに、君の事もある」
「先輩……? あ、僕のこと?」
スザクに自覚が無かったことに内心で動揺しつつ、ライは頷いた。
「ラウンズになると言っていただろう。<特派>に入れば僕にも手伝えることがあるかもしれない」
「そんな……。でも、どうして?」
「応援すると言った。ナイトオブワンまでの道のりは険しいものになる。君ならなることも出来るだろうが……」
そこでライは言葉を切った。
<ナイトオブラウンズ>になることは難しい。数え切れないほどの騎士達から選ばれる超越者。いくら強いといっても、未だにテストパイロット、しかも名誉ブリタニア人であるスザクが皇帝の目にとまる可能性は極めて低い。
「そこまで辿り着くのには、何かを犠牲にする必要も出てくる」
「もちろん、覚悟はある」
「知っている。だが、それは君が一人の場合の話だ」
「え……」
「簡単な話だよ。一人では出来ないことも二人なら出来るかもしれない。日本のことわざでもあっただろう。三本の槍だ」
「……槍じゃなくて矢だよ」
「そうだった。だが二人なら、こうやって間違いを正すことも出来る」
「そうかもしれないけど……」
いまいち締まらなかったらしい。スザクは嘆息した後、思い出したように笑った。
「どうした」
「いや、やっぱり君は変わってるよ」
「良く言われる」
そう返すと、またもスザクは笑った。
「ありがとう。……そうだね。君と一緒に働けたら、僕も嬉しい」
ライは頷いてから立ち上がり、二人は揃って空を見上げた。
美しい満月だった。
今回はこの辺で。ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
乙
乙です
乙乙
スザクややリードか
「礼儀のなっていない男だ」
二三〇〇時きっかり。夜の公園に着くと、辛辣な言葉が出迎えてくれた。
寂れた街灯がベンチに座る少女を妖しく照らしている。彼女はピザを頬張りながら長い脚を組み直した。
緑色の長い髪。細身の体。金色の瞳。そして何より、周囲と隔絶した人ならざる者の纏う空気。間違いなかった。
C.C.だ。
「時間の指定はなかったはずだが」
「女性との待ち合わせは時間に余裕を持つ。常識だぞ」
「…………」
話が噛み合っていない。夜というだけで時間の指定などなかった。第一、今日と明確に言われたわけでもないのだ。余裕など持ちようがない。
朝から待っていれば良かったのかもしれないが、それはそれでこのC.C.が吐き出す嫌味の内容が変わるだけだ。そんな気がしてならない。
「テレパシーのようなものが使えるんだろう。それなら確実だったんじゃないのか」
「なんだ。私に四六時中、頭の中を覗かれたいのか?」
「出来るのか」
彼女が求めていた反応では無かったようで、C.C.はつまらなそうな表情になった。
「出来るわけないだろう。からかい甲斐の無い奴だ」
「そうか」
覗けるのであれば、記憶の手がかりも掴めそうなものだと思ったのだが。
「それで──ギアスとやらの事だが」
探ってみたが周囲に人の気配は無い。無さ過ぎて不気味なほどだ。前にも思ったが、このC.C.という少女は世界を塗り潰すような強い存在感を放っている。
この場にいることを許されているのは、彼女に呼ばれたライのみ。それ以外のものは存在することすら許されない。
「少し待て。食事中だ」
伸びるチーズを器用に巻き取りながら言われた。C.C.の持っているピザには熱が残っている。傍らに置かれた箱には一切れ分だけ切り取られた中身。もしかしたら彼女もいま来たばかりなのではないのだろうか。
それで、この態度。
一筋縄ではいきそうもない。
一〇分ほどでC.C.はピザを食べ終えた。指についたトマトソースを舐めてから、ナプキンで拭き取る。
「無遠慮な奴だな」
食事中、ライからじっくり観察されていたためか、見たからに不機嫌な様子だった。彼女が着ている白い服は奇妙な作りで、そこかしこにベルトが付いている。
「食事をするのかと不思議に思っただけだ。他意は無い」
「……失礼な奴だ。私とて、娯楽を楽しむ余裕はある。お前と違ってな」
少女は立ち上がり、肩に掛かっていた髪を無造作に払った。月光を吸い、反射する女性の象徴は妖艶な輝きを放っている。
「僕の事を見ていたな」
「目につくのは当然だ。お互い目立つ」
世界に溶け込めない異物感。通常とは違う理(ことわり)の中を漂う者同士、超常的な力で繋がれているのかもしれない。
ライはC.C.に向き直った。足元の砂が擦れあい、ざりっと音を立てる。
「世間話をするつもりはない。僕の中にあるギアスとやらを目覚めさせてくれ」
「…………」
C.C.から笑みが消える。以前は恐ろしかった金色の瞳を、正面からしっかりと見つめ返した。
一際強い風が吹く。
彼女は長い髪を抑えて風をやり過ごした後、閉じていた瞳を開いた。
「……わかった。そこに座れ」
空になったピザの箱をやたらと丁寧な手つきでどかしてから、C.C.はベンチに座り直した。ライもその隣、空いたスペースに腰を降ろす。
「先に言っておくが、力を目覚めさせた後にお前がどうなるか保証できない。これは覚えておけ」
「意識を失ったり、発狂したりするのか」
「その程度で済めばいいがな」
「記憶が戻る可能性もある」
「死ぬかもしれない。あるいは、もっと酷い苦痛を味わうこともあるだろう」
「どうでもいい。早くしてくれ」
僅かに苛立つ。こうして話すのは二度目だが、C.C.はライがギアスを取り戻すのをやめさせようとしているように感じられた。
前に会った際の超然とした態度は鳴りを潜めている。
ここまで待ったのだ。あの時に感じた衝動も今は無い。力は安定したのだから、もう問題はクリアしているはず。なにが不満なのか。
「……忠告はしたぞ」
瞬間、C.C.の瞳に憐れむような色がよぎった。彼女が初めて見せた、人間らしい表情の変化。それに疑問を持つ間もなく、ライの膝に少女が馬乗りになった。
視界を支配するのは冷淡な美貌。世界を知り尽くしたような、そしてその全てから取り残されたような、深い絶望を宿している。吐息が溶け合い、鼻先が触れ合いそうな距離で、二人の視線が交わった。
見つめ合っていたのはほんの数秒ほど。両者を包みこむ、生暖かい風が吹く。C.C.の前髪が揺らめき、その額が露わになった。
「────!!」
心臓を掴まれたような圧迫感。息が詰まり、身体中の血液が瞬時に凍結したかと錯覚し、思考は氾濫した川のごとく混乱する。
C.C.の額には赤い紋様が刻まれていた。
何かの文字か、羽を広げた鳥を思わせる特異な形状。
見たことがある。
自分はどこかで、間違いなくこの紋様を目にしている。
そう認識した途端、ライの意識は暗闇の中に放り出された。
誰かが泣いていた。ウェーブの掛かった黒い髪、細い背中。白く細長い指で、その顔を覆っている。
自分はそれを、物陰からじっと見ていることしか出来なかった。幼い我が身に成せることなど何もないと、気味が悪いほど発達、成熟した理性が言っている。
誰かに手を握られた。
小さい背丈。黒い髪に黒い瞳。容姿はあそこで泣いている人物をそのまま小さくしたようだった。彼女の娘なのだから当たり前だ。
少女は母の姿を見て、何かを堪えるように俯いた。しかし堪えきれず、その瞳から涙が溢れる。肩が震え、漏れ出す嗚咽を押し殺そうと、必死で口を閉じていた。
自分は少女の頭に手を置き、不器用な仕草で撫でてみた。他に方法など思いつかなかった。泣いている人を慰めることは何より苦手だった。
涙は嫌いだ。
強くそう思った。
大切な人を泣かせる周囲が嫌いだった。涙を止められない自分が嫌いだった。
奪われるだけなんて間違っている。
壊されるだけなんて許せない。
失うだけの人生なんて認められるものか。
ならばどうする?
簡単な話だ。泣かなくていい世界を作ればいい。そのためには力が必要だ。誰にも負けない力。大切な者を絶対に守れる力。世界を意のままに出来る力。
──力が欲しいか?
C.C.の声がした。また世界が変転する。
泉のほとりに寄り添う丘には、一本の剣が刺さった台座があった。これまで誰にも抜けなかった魔法の剣。所有者に力を授けるという、王の剣。
その柄を握る。
──力があれば生きられるか?
またも変転。
戦場を駆けていた。右手に持つは一本の剣。全てを切り裂く光の剣。その輝きはめったに姿を見せないあの太陽さえ凌ぐような眩しさだった。
その輝きで敵を殺す。異国の民を、蛮族を、反乱を企てた自国の民でさえ。
生きたいのではない。生かしたいのだ。
──王の力はお前を孤独にする。
またも変わる。
荒れた大地。濁った空、乾いた風。
ただ一人で、ライはそこに立っていた。他に人の姿はない。大切な二人も、いない。
この手で守りたかった者はもういない。伸ばした手を掴んでくれる誰かはいないのだ。
色の無い、痛みと嘆きしかないこんな世界でただ一人。誰も知らない世界の果てでたった一人。
完全な孤独。
「─────」
何かを言おうとしたが、それは言葉にならなかった。話し方すら忘れてしまったのか。
無力感に苛まれる。何も出来ない。何の意味も価値ない。
『おやすみ』
ライのものでもない、C.C.のものでもない。第三者の声。懐かしい誰かの声。
その声を聞いた瞬間、足元から地面が消えた。
景色は一変していた。無数の様々な映像が現れては消えていく。万華鏡の中に放り出されたようだった。
上も下も、右も左も無い。無限に近い情報の海を漂っている。
土星、水星、木星、金星、火星。命を抱く青い星と、それに寄り添う白い月。
太陽を中心に星が回る。星が回れば時代が進む。
馬から車へ、
剣から銃へ、
昔から今へ、
時代が移り変わっていく。
最後に見たのは、大勢の人が集まる広場だった。白い豪奢な服を着た少年が、血の海に沈んでいる。傍らに寄り添った少女に何かを囁き、微笑んだ。
少女の慟哭が天を突き、そこで辺りに散らばっていた一切の映像が消滅した。
残されたのは青い奔流と、電撃のようにはしるシナプスの嵐。その中をC.C.が泳いでいる。
「なにを見せたかった」
ライは尋ねた。目が合うも少女は無表情を崩さず、さらに奥へと泳いでいく。自分もそれに引っ張られるようにして、世界の奥へ連れて行かれた。
変化が起きる。今まで移り変わっていたのは周囲の方だったが、今度はライの中だ。左目の奥から脳の中心へ、火が灯る。
焼けるような痛み。神経が悲鳴を挙げている。抑えつけているものを無理やり引き出そうとすれば、こうなるのは当たり前だった。
身体が分解されていく。バラバラになったそれは、再び人の形を成す。散らばったパズルのピースがひとりでにはまっていくようだった。
「────っ!」
景色が戻ってくる。ライは飛び起きてから、自分がベンチに寝かされていたことに気づいた。後頭部に柔らかい感触。
仏頂面のC.C.を見るに、彼女が介抱してくれていたらしい。
「理解したか?」
「……何をだ」
「お前が何者なのか、だ」
「いや……」
記憶は戻っていない。先ほどの体験で見た映像も、いつもの夢と同じで塗り消されてしまっている。
「分からないなら教えてやろう。お前はギアスの力を持つ者。普通の人間とは異なる理、異なる時間、異なる世界で生きる者だ」
「……ああ、思い出した」
ギアス。
王の力。
今の今まで眠っていた、自身の一部。
そう認識した途端、胸に鋭い痛みが走った。
「ぐっ……ぅ」
心臓を握り締められたような激痛に、ライは身を折った。C.C.が嘆息しながら近づいてきて、少年の額に触れる。熱を計るような仕草だ。
「お前、ギアスが……」
「構わなくいい。僕の力だ……!」
ベンチから落ち、地面の上で悶えながらライは呻く。激痛の正体はギアスに決まっていた。長い休眠していたのを無理やり起したために、反動で暴れまわっているのだ。
左目が火を点けられたように熱い。胸の痛みは全身に伝播し、収まる見込みはまるで無い。脳から脊髄までを無理やり引っこ抜かれるような痛みだ。
このままの状態が続けば命の危険があることは分かっていたが、それでも力尽くで抑え込もうとする。
これはライのギアスだ。自らの意志で得た力だ。ならば屈服するような真似は出来ない。力に支配されるくらいなら、このまま死んだ方がましだと思った。
「っ……!」
「……馬鹿が」
倒れたライにC.C.が覆い被さる。またも額に手を当てられ、囁くように言われる。
「意地を張っている場合か。人の意志でギアスの力に勝てるはずがないだろう」
「……?」
痛みが収まっていく。左目の熱も消えた。身体に残ったのは疲労と虚無感だけだ。
「なにを……した」
「簡単な整備だ。私とお前の間に仮設のパスを通し、起動権を左目から右目に移してやった。……知覚できるだろう?」
「……ああ」
左目にあった物がまるまる右目に移っているように感じる。ライは右の瞳をおさえ、具合を確認した。息が荒い。
「お前のギアスはかなりガタが来ている。だいぶ使い込んでいたようだな。……つくづく手のかかる男だ」
「すまない」
砂を払い、立ち上がる。
「今ので分かっただろう。お前のギアスは極めて不安定だ。なるべく使うな」
「ああ、気をつける」
「使い方はわかるな? 暴発でもされたら、私も困る」
ライは頷いた。
ギアスの力は人によってその形を変える。
発現すれば当人にある程度の感覚的な知識を授けるが、細かい事は使い慣れるまで分からない。
「僕のギアスは絶対遵守の力を持っている。"声"を媒介に"聴覚"へ働きかける」
今のライにはギアスの使い方が手に取るようにわかった。効果の程や、その範囲、持続する時間。試し撃ちをする必要もない。
"絶対遵守"の力は他者を強制的に操るというものだ。『死ね』と言われた者は笑って死ぬし、『踊れ』と言えば命じた者が止めるまで踊り狂う。
肉声が届くまでが範囲で、相手が耳で聞き、言葉を認識した時点でギアスが成立するというものだ。極めて強力と言っていい。
欠点があるとするならば、同じ相手には一度しか使えないところだろう。"絶対"の命令は一度きり。当たり前の話だ。
以上の事をC.C.に話した。
「思い出したのは間違いないようだな。だが、さっき私が言った通り──」
「分かっている。無闇に使うなと言うんだろう」
ライのギアスは聴覚に対する絶対遵守の力。これ以上ないくらいに使いやすく、恐ろしいほど強力なものだ。だからこそ、うっかり暴発などしようものなら大変な事態を巻き起こす。
何気ない一言が、周囲の人間を一人残らず殺すことさえありえるのだ。
「僕のギアスは"暴走"しているのか」
ギアスの力は使えば使うほど強まっていく。そうして使い込んだギアスはやがて持ち主の制御を離れ、暴走する。普段は意志によって入り切りできるものが、常時発動した状態になってしまうのだ。
C.C.のような特殊な存在以外はギアスに抗えない。生活に大きな支障をきたすのは間違いないし、それ以上に甚大な被害を振りまく。
「していない。していないが……」
「なんだ」
言い難そうにC.C.は言葉を濁した。
「……いや。私にも良く分からん。お前のギアスは特殊だ。普通とは違う契約方法を介しているせいだろう」
その契約方法について訊こうとも思ったが、やめた。分かっているならC.C.は言っていると判断したからだ。
「普通の能力者よりも遥かに、お前とお前のギアスは密接に繋がっている。それは良いことではない」
「…………」
ギアスは元々、超常的な力だ。暴走の件からも分かる通り、どうしても人の手には余る。
王の力と言っても結局は呪いの類いだ。両者の距離が近ければ近いほど、ギアスは持ち主にとっても恐ろしいものとなる
先ほどの激痛はライとギアスの距離を示している。通常では有り得ないくらいに馴染んだ力は、身体を蝕んでいると言っても過言ではない。
「使えば、その反動で何が起こるか分からない。また激痛に見舞われるかもしれんし、そのまま命を落とす危険もある」
「分かった。元より使う気はないんだ」
ライは自身に宿るギアスに対して、強い嫌悪感を抱いていた。憎悪や危機感もだ。
この力は不幸を呼ぶ。
他者の意志を、人生をねじ曲げ、最後は周囲を巻き添えに自爆する。最悪の力だ。
「お前は今、アッシュフォード学園に滞在しているのだろう」
「……ああ。だが、もう出て行くしかない」
こんな力を持っているのだ。もうあの学園にはいられない。爆弾が服を着て歩いているのと変わらないのだから。
「それは困るな。まだしばらく厄介になれ」
「なに……?」
「お前のギアスが暴走すれば、私にも迷惑がかかる」
「目の届く範囲に置いておきたいのか」
C.C.は目を細めた。酷薄な笑み。魔女の笑いだ。
「頭は回るようだな。お前がギアスを使わないのなら、そう悲観する事態にもならないだろう」
C.C.の言葉に、ライは反論出来なかった。
「……だったら自害するまでだ」
「死体が残る。お前がいたという痕跡は絶対に消せない。生きていれば欺ける事も、死ねば明らかになる」
ライは歯噛みした。彼女の言う通りだ。ミレイは既にアッシュフォード家の名義を使ってライの身柄を引き取ってしまっている。血液などの検査もだ。
もう逃げられない。
あの日、学園に迷い込んだ時点で既に巻き込んでしまっていたのだ。絶望感が視界を暗くした。
結局、この身は他人に害を与えるだけだった。普通の人間として暮らすなど、初めからありえなかったのだ。
「……わかった。君の言う通りにしよう」
そう言うほかなかった。
「まあ、そう悲観するな。ギアスを使わないのであれば、今までと同じように暮らすことも出来るだろう」
「無理だ。僕はもう知ってしまった」
「なにもかもを決めるのは結局、人の意志だ。ギアスも例外ではない」
「気休めだな。僕のギアスは人の意志をねじ曲げる。人生を狂わせる。記憶を失う前の僕は、嬉々としてこの力を使っていたんだろう。……そして、こうなった」
ライは眉を寄せる。彼女の都合だけでミレイ達を危険にさらすわけにはいかない。
「もちろん、タダとは言わない。定期的に私自ら、お前のギアスを診てやろう」
「断る。リスクが大きすぎる」
拒否した。言葉一つで他人を操れる人間が、平和な社会でのうのうと暮らして良いわけがない。だが、そんなライの考えをC.C.は鼻で笑う。
「……ふん。頑固な奴だな。そしてなにより愚かしい。自分が消えれば済むと思っている」
「……なにが言いたい」
魔女の瞳にはっきりと嫌悪の色が浮かんだ。糾弾するような目つき。敵意さえ混じったその視線を、ライは真っ向から睨み返した。
「お前が消えたとして、何かの拍子にギアスが暴走したとしたらどうする? ブリタニアという国がどんな対応をするか、まさか分からないわけでもあるまい」
「…………」
ギアスなどという得体の知れない力を持った個人は危険だ。世間に露見すれば、ライは殺されるに決まっている。
それだけならまだ良い。C.C.が言いたいのはその先だ。
「……僕に関わった可能性のある人間も、巻き込まれるというのか」
「そうだ。お前が愛してやまないあの学園の生徒達が地球上から消される。名家も貴族も関係ない。ブリタニアはそういう国だ」
C.C.の言葉に、ライは反論出来なかった。
「……だったら自害するまでだ」
「死体が残る。お前がいたという痕跡は絶対に消せない。生きていれば欺ける事も、死ねば明らかになる」
ライは歯噛みした。彼女の言う通りだ。ミレイは既にアッシュフォード家の名義を使ってライの身柄を引き取ってしまっている。血液などの検査もだ。
もう逃げられない。
あの日、学園に迷い込んだ時点で既に巻き込んでしまっていたのだ。絶望感が視界を暗くした。
結局、この身は他人に害を与えるだけだった。普通の人間として暮らすなど、初めからありえなかったのだ。
「……わかった。君の言う通りにしよう」
そう言うほかなかった。
「まあ、そう悲観するな。ギアスを使わないのであれば、今までと同じように暮らすことも出来るだろう」
「無理だ。僕はもう知ってしまった」
「なにもかもを決めるのは結局、人の意志だ。ギアスも例外ではない」
「気休めだな。僕のギアスは人の意志をねじ曲げる。人生を狂わせる。記憶を失う前の僕は、嬉々としてこの力を使っていたんだろう。……そして、こうなった」
王の力は人を孤独にする。そうC.C.は言った。正しいと思う。
今のライ自身が何よりの証拠だ。記憶を無くし、探してくれる家族や知人もいない。今は周囲に恵まれているが、それすら壊してしまいかねない力を目覚めさせてしまった。
孤独。まさにそうだ。自分には──なにも無い。
世界が無色に見えるのがその証拠だ。まったく、C.C.の言う通りだと思った。
「お前には力がある」
「歪んだ力だ」
「そうかもしれない。だが、強大な力だ。その選択一つで世界を変えてしまえるほどの」
「そんな力はいらない。世界に通用するような力なんて必要無いんだ。僕は……」
普通でありたかった。
あの学園に通っているような、普通の人間だ。友達と遊んで、テストに憂鬱になって、進路に悩んで、ままならない恋をして。そういう人生を歩みたかった。
なのに、何一つ無い。
友達などいない。テストはさしたる脅威じゃない。現状では進路も閉ざされている。恋なんて欠片どころか粒子一つ分さえ分からない。
結局は無理だったということだろう。認めるしかない。
過去の自分が憎くてたまらなかった。死ぬことさえ出来ない今の自分も、これ以上ないくらい情けない。
「何を思い悩んでいるのか知らんが、お前はこの世界でまだ何もしていないだろう。逃げることばかり考えてないで、少しは努力をしてみたらどうだ」
「……そうだな」
逃げることさえ出来ないのなら、現状を少しでも改善するべく動くべきだ。
ブリタニア軍と距離を取ることになった現状、もう<特派>への加入は無理になった。他の方法を探すしかない。
アッシュフォード学園から徐々に距離を取りつつ、自分の身の置き場所を探す。その過程で恩返しやフォローも平行しておこなおう。明確な手はまだ見えていないが、これがとりあえずの指針だ。
そして最後は、誰も知らない場所で──なにも無い世界の果てでこの身を消し去る。誰にも迷惑をかけず、痕跡の一つさえ残さず。
それが一番良い。
「私は帰る。これでも忙しい身なのでな」
「ああ。今日は世話になった」
あっさりとした別れの挨拶を交わし、C.C.は去っていった。残されたライは満月を見上げ、それから公園を後にした。
今回はこの辺で。また投下ミスをしてしまいました。申し訳ありません。次スレは後で立てますので、見て頂けたら幸いです。
スレの最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
乙です
軍人ルートは消えたか……まあ二週目に期待だね(ニッコリ)
乙です
CCともイベントがあってうれしい
乙です
乙です
乙
最後のビジョンって・・・
翌日の朝、ライは生徒会室で一人、書類仕事をこなしていた。昨夜からほとんど眠っていないが、思考の方は冴えている。むしろ眠りを体が拒否しているようでもあった。
ギアス。この身に宿る絶対遵守の力。言葉一つで他者を操る恐ろしい力。
(……夢じゃないのか)
右目に意識を集中すれば、王の力がその鎌首をもたげるのがわかった。昨日の夜まではくすぶっていた感覚が、今は明瞭になっている。意のままに扱うことが出来る。
どうしたものだろうか。
八時間近く思考を巡らせているが、一向に答えは出ない。誰かに相談出来るような問題でもないし、今は動けるような状況でもない。
こういった場合は下手に動かず、情報収集して力を蓄えるべきだ。それは分かっている。分かっているのに、どうしても本心から納得できない。芯がブレている。
「…………」
気づけば書類は片付いていた。結構な時間、ぼんやりとしていたらしい。
このままではいけないと思い、立ち上がる。何をする気でもなかった。気分を紛らわせたかった。
「会長チョ~ップ!」
頭に軽い衝撃。視界が揺れ、僅かな混乱が訪れる。
「な……」
振り向くと、そこにはミレイ・アッシュフォードが驚いた顔で立っていた。右手は手刀の形のまま、なぜだかぽかんとしている。
前にもこんなことがあった。
「み、ミレイさん……?」
接近にまったく気付かなかった。今のような事は過去に何度もされているが、いずれも察知はしていたのに。
待ち人が突然現れた事と、これまでの思考が中断された事、無防備な彼女の接近に気付かなかった事から、ライは完全に虚を突かれる形になった。
ミレイはしばらく驚いた顔だったが、やがてその眉を釣り上げて不満そうに唇を尖らせる。
「なんで驚いてんのよ!? 私カメラ持ってないじゃないっ! 驚くなら驚くって言いなさいよ!!」
これである。恐ろしい女性だと思った。何から何まで突然で、ライは思わずたじろいだ。
「ちょっとルルーシュ!? どうしてくれるのよ、決定的な瞬間を撮り逃しちゃったわよ!」
「今からでも遅くありませんよ。生徒会長の横暴を暴露する、決定的な瞬間が撮れます」
呆れた表情のルルーシュが扉の近くに立っている。明らかに眠そうだ。朝からミレイに襲撃され、無理やり連れてこられたのだろう。
「横暴じゃないでしょ。あのライよ? 無表情で無表情でどうしようもない最強の朴念仁が驚いたのよ? 撮らなくてどうするのよ?」
「とりあえず落ち着いてください。俺もライも疲れているので」
「な、なによそれ。まるで私と絡むと疲れるみたいな……」
「そう言っています」
「……私がいない間に随分と幅を利かせていたみたいね」
会長と副会長のやり取りを懐かしい気持ちで眺めながら、ライはようやく状況を理解した。
ミレイ・アッシュフォードが帰ってきたのだ。
その後、睨み合いを続ける二人に促され、ライは席に座った。授業の開始までそれほど時間もない。ミレイとルルーシュが並んで座り、ライは彼らと向き合うような位置取りとなる。
「話はだいたい聞いたんだけど、ゲットーに行ったんですって?」
まずはミレイが口を開いた。彼女の手元にはロイドに渡した物と同じ、数枚の報告書が置いてある。
「はい」
「理由を聞いておこうかしら」
「記憶探しのためです。租界の中はほとんど散策したので」
「カレンも一緒にねぇ。……ボランティア活動? これ嘘でしょ」
報告書をひらひらさせながら、ミレイが疑わしげな視線を向けてきた。
「世話係だってボランティア活動ですよ。条件だけ見れば」
ルルーシュが補足してくれるが、ミレイの胡乱な表情は晴れなかった。むしろ、さらに不機嫌そうになってしまった。
「どっちの提案?」
「僕です。カレンには無理を言って付いてきてもらいました」
「嘘ね。あなたの性格から言って、一人で行くでしょ。女の子なんか絶対に連れて行くはずない」
「…………」
完全に見透かされている。ミレイは生徒会メンバーの性格を熟知しているのだから当たり前だ。そんなことすら重い至らなかった自分に、ライは苦い気持ちになった。
「で、ナイトメアに乗って大立ち回りを演じた……と。え、これホント?」
ミレイに問われ、ルルーシュは肩を竦めてため息を吐いた。ライは固い表情のまま頷く。
「……とんでもないわね、あんた」
ミレイは咎めるわけでもなく、感心したような様子だった。ライはどうしていいかわからず、ルルーシュの方を見た。目を閉じている。
もしかして、彼は寝ようとしているのではないだろうか。
「その件で、ミレイさんと話がしたかったんですが……」
「私が帰ってこなかったと。まあ、なんとも巡り合わせの悪い」
「それで生徒会副会長のルルーシュと、ブリタニア軍人のスザクに報告しました。僕の処遇を決めるのであれば、適任だと判断したんですけど……」
「どうせあれでしょ。ここから出て行こうとか考えたんでしょ」
「…………」
「ほんっとに変わらないわね。そういうところ」
ミレイから怒られ、ライが縮こまっていてもルルーシュは微動だにしない。
「でも、そのままだとミレイさんに迷惑をかけます。悪い事態になることも考えられました」
大事にならなかったのは単に運が良かっただけだ。バレるバレない以前に、ゲットーでそのまま死んでいた可能性だってある。
「下手をしたらミレイさんに、カレンの葬儀の話をしていたかもしれません」
膝の上で組んでいた手に力が込められる。ミレイが言葉を失い、ルルーシュもその瞳を開けた。
「経緯が経緯です。生徒に欠員が出たら感傷に浸る間もなく、責任問題に発展するでしょう。そして僕は、危うくそれを招くところだった」
結局、そういうことなのだ。
ミレイの独断で引き入れた不審者が、ゲットーで死ぬ。善良な同級生を巻き込んで。しかもカレンは、生徒会長の独断により押し付けられる形で世話係になっているのだから、誰が糾弾されるかは分かりきっていた。
アッシュフォード家そのものにとどめを刺すことになっただろう。そうなれば、この学園がどうなるか、ミレイがどんな思いをするのか──ライは考えていて吐き気がしてきた。
いつかの屋上で、学園を愛していると言った彼女から、あの笑顔を奪ったかもしれない。しかもその原因がミレイ自身に求められるのだ。
「……っ」
背中にじんわりと汗が浮かぶ。自分がそんな未来を何より恐れているのだと、ライは痛感させられた。
ギアスの事もある。問題は何一つ改善していない。
「でも、そんな事にはなってないじゃない?」
「僕は危険性の話をしています。たった一か月でこれなんだ。また何か起きたとしても不思議じゃない」
「そうかしらねぇ」
ミレイはのほほんとした様子で紅茶を飲んでいる。ライは強い苛立ちを感じた。彼女が問題を正しく認識しているようには見えなかった。
性善説を信じるのも良いが、時と場合を考えて欲しい。ミレイはアッシュフォード家の領分で不審者を保護しているのだ。その不審者が何か問題を起こしたら、それは彼女の責任になってしまう。
「もしかしたら、この学園自体が無くなっていた可能性もありました」
「…………」
「ミレイさん、僕は──」
「あのね、ライ」
静かな声だったが、ライは閉口せざるを得なかった。ミレイの言葉には不可思議な威圧感がある。
もしかして、怒っているのだろうか。だったら良い。真面目に取りあってくれるのなら、叱責でも糾弾でも悪罵でも、望むところだった。
ミレイは瞑目しているが、その眉間には深いシワが刻まれていた。心なしか頬がひくついているようにも見える。
「前から感じてたんだけど、あなたって私たちの事を馬鹿だと思ってるでしょう?」
「……え」
保護者からの言葉は、ライにとって予想外のものだった。
「第一、いつ私があなたの事を一般人扱いしたのよ? 最初から変だったじゃない、あんた」
「…………」
「ちょっとナイトメアを動かしたくらいで驚くと思った? 残念! その程度の覚悟が無くて身元不明者の保護なんか出来るわけないでしょ。あー、なんか言ってて腹が立ってきたわ。もっと大変な話だと思ったのに。なんとか言いなさいよ、ルルーシュ」
呆気に取られているライに好き勝手まくし立て、さらに話題をルルーシュに振る。
「……知っているだろう。こういう人なんだ」
「…………」
わけが分からなかった。ここ最近、ずっと頭を悩ませ続けていた問題を『その程度』で済まされた事は、ライの価値観を崩壊させるには充分過ぎた。
──僕は、普段からそんなに変だったのだろうか──
「あんたがカレンを置いて逃げたとか言ったら、温厚で上品なミレイさんでもぶちギレてたかもしれないけどね」
そこで彼女は苛々とした表情をふっと緩めて、にっこりと笑った。
「私が信じた男の子は、必死で誰かを守れる奴だった。……大事なのなんて、それくらいじゃない?」
「…………」
この学園に迷い込んで、初めて見た笑顔と同じものだった。変わらない笑顔だった。
彼女の言った通りだ。てっきり追い出されるものだとばかり思っていたが、それは自分を受け入れてくれたミレイや生徒会のメンバーに対する、なによりの侮辱に他ならない。
結局のところ、ライは彼女達を信用していなかったのだ。
本当に馬鹿な奴だ。だからこうして、いつも矮小な存在だと思い知らされる。
「信じられないわよね、ルルーシュ。……って、なんで寝ようとしてるのよ!?」
「会長が突然帰ってくるからでしょう」
「いい加減、生活習慣を見直しなさい。ほら、そこのを真似しても良いのよ?」
『そこの』呼ばわりされても、ライはうわの空だった。
「それで、怪我とか無かったの?」
シャーリーにもされた質問だ。
「……え。あ、ああ。カレンに怪我は無かったと思います。確認させてもらえなかったので衣服の上から見ただけですが」
「衣服の上から? また珍妙なことを言ったんじゃないでしょうね」
「いや、どうでしょう。僕は単に『君の身体が見たい。服を脱いでくれ』としか……」
「え、それをマジで言ったの?」
「はい。しかし何故か、彼女から強い罵倒を受けました」
「……あんた、本当にいつかカレンから訴えられるわよ」
「……?」
ゴミを見るような目を向けられる意味が分からず、ライは首を傾げた。非常時のボディチェックさえ法律に触れるのだろうか。非効率的過ぎる。
「僕だって馬鹿じゃありません。配慮くらいしました。保健室にはベッドを仕切るカーテンがありますから、そこの中へ誘導しようとして……」
「ああもう。分かった、分かったわよ。分かったからもうそれ以上、罪を重ねないで」
ミレイは手をヒラヒラさせて言った。釈然としない様子のライを尻目に彼女は立ち上がり、大きく伸びをする。あの姿勢だと女子高生とは思えない、ふくよかな胸が強調された。
眠いのだろう。欠伸をかみ殺している。
「とりあえず、今日はこれで解散。授業も始まっちゃうしね」
ルルーシュも立ち上がり──こちらは眠いのを隠そうともしない──生徒会を出て行く。すれ違い様にライの方をちらりと見たが、それだけだった。
自分も彼に続こうと席を立つが、そこでミレイの姿が目にとまった。深刻そうな顔でこちらを見ている。
「どうかしましたか」
尋ねるも、生徒会長は心ここにあらずといった様子を崩さない。たっぷり三秒おいてから、
「えっ? ああ……なんでもないのよ。気にしないで」
ようやく返答してきた。彼女には珍しい、取り繕った笑顔。
「僕の事で、何か悩みが……」
不安から尋ねたライに、ミレイは難しい顔で嘆息した。
「……どうしてこういうとこだけ鋭いのかしらね」
「……?」
「今は……言えないわ。あなたが正式にうちの生徒になるんだったら教えてあげてもいいけど」
「それは……」
「出来ないって言うんでしょ。分かってるわよ。じゃあ、こっちも言ってあげないんだから」
べー、と舌を出してミレイは部屋から消えた。去り際こそ子供のそれだったが、内心を気取られないようにしていたように見える。
きっと、何かが分かったのだろう。それも良くないことが。
ライは心苦しく思いながら、休みのスザクのために自身も教室へ向かった。
今回はこの辺で。短かったので投下しちゃいました。
次スレはこちら。
コードギアス LOST COLORS 【二日目】 - SSまとめ速報
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応援してくれた皆さんのおかげでここまで来れました。これからもお付き合い頂けたら嬉しいです。
では、ここまで読んで下さった方々、ありがとうございました。
乙
会長はホント良い女だな
乙です
僕だけのガッツの魔法ルート良いよねー
軍人ルート出なくて実は嬉しかったりする自分
話自体は好きだがセシルルート探して無いと知ったときの絶望は今でも覚えてるからね
ライミレも素晴らしいから困る
いい掛け合いだなあ
梅
乙
会長は本当にいい女だなあ
乙
ostu
梅
埋め
1000ならCCとデート
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