コードギアス LOST COLORS 【二日目】 (254)
コードギアス LOST COLORSのSSです。
地の文主体。安価を取る予定はありません。
原作をプレイした事の無い人にも読んで頂けるよう配慮しているつもりなので、気軽に読んでください。暇つぶしにでもなれば幸いです。
前スレ
コードギアス 【ロスカラ】 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/mread.cgi/news4ssnip/1434194893/-20)
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1449414469
午後の授業が終わり、ライは学園を出て街を歩いていた。空は曇りで、夕日は見えない。雨は降っていないのに、どうしてか空気が湿っているように感じられた。
そういえば、梅雨入りが近いとニュースで言っていたのを思い出す。
無数の人間が蠢くスクランブル交差点を抜け、特に行く宛も無いまま歩き続けた。雑踏と喧騒は嫌いだったが、今はそれほど気にならなかった。
考えるのはギアスの事だ。自身に宿る王の力。他者を操る、絶対遵守の命令権。
『殺し合え』と叫んだら、この付近は戦場さながらの地獄絵図となるだろう。街を歩いている数百という人間が一斉に狂い、命を奪い合う。
そんなことさえ容易く出来てしまうのだ。今の自分は。
「…………」
ライはなんとなしに自身の喉を触った。それで何かが変わるわけでもない。無意識の行動だった。
それから人混みを恐れるように歩いて、いつの間にか寂れた公園までたどり着いていた。
人の気配はほとんど無い。この時間帯、租界で一人になれる場所は極めて少なかった。自室なら可能かもしれないが、寝る時以外はなるべく立ち寄らないようにしている。
結局、行く場所などなくてライはベンチに座った。一時間以上歩いても肉体的な疲れは窺えない。ただ、精神的な疲労はあった。
今日はあまり良くない一日だった。塞ぎ込んでいたつもりはないが、様子のおかしいライをリヴァルやシャーリーは心配してくれた。スザクとカレンが休みなのは不幸中の幸いだった。
しかし、そんな気遣いすらも苦しく思ったライは学園から逃げるように飛び出てきてしまった。そんなことをすれば、周囲の人間がことさら心配すると分かっていたのに。
「…………」
頭がぼんやりする。悩みは減るどころか増えていくばかり。薬物に満たされた自分の身体や、ギアスという力が気持ち悪くて仕方がない。
見合いに苦しんでいるミレイに負担をかけていることもそうだ。まともに眠れない夜はまだ続いている。
光明は見えない。真っ暗な海の中を漂っている気分だった。
「どうした、こんな所で」
いつの間にか閉じていた目を開く。
私服姿のルルーシュが買い物袋を手に立っていた。
「…………」
「なんだ、そんなにおかしいか」
「あ、いや……。少し驚いただけだ」
「お前でも驚くことがあるんだな」
「…………」
「今日は様子がおかしい。何かあったか」
リヴァルやシャーリーに気づかれたのだ。ライの知る中で最も人の機微に聡いこの少年が気づかない筈がなかった。
「いや、最近は眠れない事が多くて。……それだけだ」
「…………」
彼からの視線が痛い。いつも無愛想ながら親切に接してくれる相手に隠し事をするのは嫌だった。
だが、タカをくくっていたのも事実であった。いくらルルーシュが優れた頭脳を持っていても、ギアスなどという超常の力に気づけるわけがない。
そう思っていた。
「────!」
ライの瞳が僅かに揺れる。ルルーシュの背後に立っている人物に見覚えがあった。
目深に帽子を被り、落ち着いた出で立ちの服を着てはいるが、その身に纏う異質の空気だけは誤魔化せない。
なにせ昨夜会ったばかりなのだ。その少女を見間違えるはずも無かった。
あれはC.C.だ。
なぜ彼女がルルーシュと一緒にいる?
ちらりと窺ったが、C.C.の方は素知らぬ様子でこちらを見ていた。初対面を装えということだろう。彼女との関係はギアスが絡んでくるのだから、当然の事と言えた。
しかし、ライはもうC.C.に視線をやってしまった。今さら気づかないふりも出来ない。すれば、ルルーシュはこちらの関係を怪しむに決まっている。彼の目は欺けない。
「見ない顔だな。彼女は?」
ライはごく自然な動作でルルーシュに尋ねる。こういう時は自分からアクションを起こした方が良い。主導権を握れる。
「ん……? ああ、俺の知り合いだ。最近租界に来たばかりで、ここの地理を教えている」
ルルーシュの方も何食わぬ顔で答えた。
やましい部分は窺えない。頭の良い彼のことだ。顔の筋肉に緊張が走ったり、瞳をせわしなく動かしたりといった、あからさまな素振りを見せるはずもない。
C.C.と関係があるということはすなわち、ギアスと関係があることになる。
「…………」
考え直す。もしかしたら、二人はそこまで深い関係ではないのかもしれない。
(いや、詮索はやめておくべきだな)
ルルーシュとC.C.がどのような関係であろうと、ライにはどうでも良かった。ギアスは互いの同意によって得る力だ。
今の彼にあんな異常の力を求める理由は無いし、C.C.も与えたりはしないだろう。彼女のような"契約者"には、ギアスを与えるべき人間を選別する役目もある。
一般の人間がギアスを手に入れたところで、ろくなことに使わない。暴走させて大きな被害を出すだけだ。
そう考えて、ライはベンチから立ち上がった。
「部屋に戻って休むよ。君も頑張ってくれ」
今はこの場から立ち去るのが得策だ。
疲れた頭で考えながら、ライはその場を後にした。
◇
自室に戻ったルルーシュは、備え付けのソファーに身を沈めた。ベッドにはふんぞり返ってピザをついばむ魔女の姿がある。
はっきり言って目障りだったが、もう指摘する気にはなれなかった。この長くない共同生活の中で、それが無駄だという事は十二分に理解させられている。
「……俺に、何か言うことはないか?」
だから、ルルーシュは別の言葉を口にした。
「なんの事だ?」
「あいつ……ライだよ。お前を見た奴の目は尋常ではなかった。なにか関係があるんだろう」
「ほう……。何を言うのかと思えば、そんなことか」
ルルーシュが放った今の言葉はただのかまかけに過ぎない。少なくとも彼の目から見て、ライの様子に明確な変化はなかった。しかし、先ほどのやり取りで感じた僅かな──ほんの僅かなノイズ。それだけを頼りにした質問。
外れたのならそれで良い。C.C.からの悪罵に話題を一つ添えるだけだ。ルルーシュとしては、自身の懸念が当たっていないことを祈っているくらいだった。
今日のライは様子がおかしかった。誰でも気づくくらいに。
ミレイへの話を終え、とりあえずの問題は消えたはずなのに、それでも深遠な命題に心を奪われている。
そして昨晩、C.C.はどこかに出かけていた。あの魔女がふらりと姿を消すことは前からあったが、わざわざルルーシュに『待ち合わせがある』などと告げて行ったのだ。
昨日の今日だ。おかしいと思わないはずがなかった。
「私の美貌に目を奪われた。それだけのことだろう」
「あいつに限って、それは無い」
きっぱりと言った。ライにそんな一般的な感性が備わっているのなら、本人もあんなに苦しんではいないだろう。
「……あいつもギアス能力者なのか?」
ルルーシュはC.C.と契約してギアスの力を得ている。"目"を媒介に"視覚"へ働きかける『絶対遵守』の力。
「その質問に私が答えると思ったか?」
「俺の計画に支障が出る可能性もある。喋ってもらうぞ」
有無を言わせぬ口調。C.C.が契約者でなかったら、きっとギアスを使っていただろう。忌々しいことに、この魔女はギアスが効かない数少ない人間の一人だ。
だが、今まで挑発的な微笑を浮かべていたC.C.は一瞬にして無表情になった。その瞳には見下すような冷たい光が宿る。
「なにか勘違いしているらしいな。私はお前の共犯者だが、部下でも奴隷でもない。必要があれば私から話す」
「……今はその時ではないということか」
「そうだ。それにフェアではないだろう」
「なに?」
「あいつにお前の事は話していない。ならば、お前にあいつのことを話してやる道理もない。そういうことだ」
面白くないとばかりに、ルルーシュは鼻を鳴らした。
C.C.は寝そべっていたベッドの脇から何かを取り出す。人の頭ほどの、黒くて丸い物体。フルフェイスのヘルメットにも見える。
「そんなに気になるなら、お前の組織に入れてやればいい」
それは仮面だった。毎日のようにニュースで見かける人物が付けている、黒い仮面。
<黒の騎士団>総帥。
"ゼロ"の仮面だ。
「既に話は出ているのだろう? そのための調査もしている……」
「…………」
黒衣の魔人"ゼロ"の正体は、ルルーシュ・ランペルージその人であった。
"シンジュク事変"でC.C.と契約したルルーシュはギアスを使ってクロヴィス前総督を暗殺、その時に協力した小規模なレジスタンス組織を母体に<黒の騎士団>を作り上げた。
当然、あのカレン・シュタットフェルトの正体も知っている。彼女がライを組織に引き入れたいと要望してきたことも、全てだ。
カレンはゼロに心酔している。ルルーシュが一言『許可する』と言えば、即座に行動に移すだろう。
だが、事はそう簡単に運ばなくなった。
ライがギアス能力者なのだとしたら、極めて危険な存在だということになる。
それに加え、先ほど彼にC.C.と一緒にいるところを見られてしまった。C.C.は<黒の騎士団>にも頻繁に顔を出している。彼女の存在そのものが、ルルーシュとゼロを繋ぐなによりの証拠になってしまうのだ。
普段のライはぼんやりとしていて傍から見ると頼りないが、本質は極めて聡明で底が知れない。
油断していい相手ではないと考えていた。
「つまり、あいつにギアスを使えという事か?」
C.C.はライの加入を促すような発言をしてきた。それはつまり、ゼロの正体がバレる可能性を含んだ上で……ということになる。
ライにギアスをかければ全て丸く収まるのだ。<黒の騎士団>は強大な戦力を得る事になり、ルルーシュも正体を隠す必要が無くなる。
「気が進まないな」
ルルーシュは窓の外を見た。灰色の空がどこまでも続いている。
「あいつはギアスを持っているのに今まで使わなかった。なら、俺もあいつには使わない」
「あれは<黒の騎士団>には必要ないと、そういうことか?」
「違う。あいつは……ライは近い内に学園を出ていくつもりだ。新しい居場所として、<黒の騎士団>は悪くない」
C.C.が笑みを浮かべる。見逃さなかった。
「随分と甘い考えだな。足元を掬われるぞ」
魔女の挑発は無視する。
これまでの調査で、ライの能力は理解している。
知識、判断力、先見性、全てが揃ったこれ以上ないほどの有能さ。これに高いナイトメア操縦の技術が付いてくるのだ。破格と言ってもいい。
それだけの人材だ。多少のリスクを覚悟する必要もある。分かりきっていることだった。
勧誘はカレンに任せよう。あの二人の仲がどれほど進展しているかは不明だが、ライは彼女に対して強い信頼を寄せているように見える。だったら、それが一番良い方法だと思った。
ただ、あの少年から日常を奪う事になるのは気が進まない。彼に懐いているナナリーの事もある。
あちらから頼んで来るならまだしも、こちらから無理やり入れるのも癪だ。スザクにしてもライにしても、まったくままならないものだと思う。
「……あいつは裏切らない。ギアスなど使わなくても、分かることはある」
「独りよがりの考えだ。だからお前は坊やなんだよ、ルルーシュ」
「お前こそ、見ているがいい。俺が世界を変えるところをな」
ルルーシュは立ち上がると、魔女の手から仮面を奪った。
「んー。参ったねぇ」
大学内の研究室。枢木スザクが帰ってからロイド・アスプルンドは一人、自身のパソコンに送られてきたメールに頭を悩ませていた。
「ロイドさーん? 昨日のデータ、整理終わりましたけど……どうしたんです」
助手のセシル・クルーミーが愛用のタブレットPCを持ってやってくる。急がせていたスザクとライによる模擬戦のデータを纏めてくれていたのだ。
「いやあ。まずはそっちを見ようか」
端末を受け取り、ディスプレイに情報を転送、表示させる。
「君はどう思う?」
「どう思うって……ライ君の事ですか?」
セシルの問いに、ロイドは視線を液晶画面に向けたまま頷いた。
「良い子だと思いますよ。責任感が強くて、とても頭が良い。一緒にいれば問題だったスザク君の精神面も安定する。……でも」
「出来が良すぎる?」
セシルの表情はどんどんと暗いものになっていく。何かを危惧し、嘆く時の表情だ。
「まあ、普通に考えればおかしいよね。あれだけの知識と技術に、ナイトメアの操縦。それでいてスザク君並みの身体能力まで持っているなんて」
しかも昨日のシミュレーションでは電子戦や狙撃も絡めて見せた。
その後に提出してきた報告書にも──その道のプロでさえ目を回しそうな専門用語が並べられている。単語の使い方も適切で、とてもにわか仕込みとは思えない。
ナイトメア操縦の腕前、工学的知識、狙撃や電子戦の技能。いずれも才能のある人間が専門の育成機関で何年もかけて修得するものだ。
あの年齢であれだけの能力を複数持っているというのはありえない話だ。
「可変ライフルあったじゃない? 小遣い稼ぎに請けてたやつ」
「ああ、E&W社から依頼されていた物ですね」
「あれ、もう完成しちゃったよ」
セシルが目を丸くした。
第七世代型KMF<ランスロット>の建造には高純度で大型のサクラダイトを山ほど使用した。
当然、それらを手に入れるためには様々な伝手を使い、<特派>の予算の大半を注ぎ込み、それでようやく完成に漕ぎ着けたのだ。
だが、それで終わりというわけでもない。世界初の第七世代型KMF。当然、様々な装備も作り、試験していく必要がある。ロイドとセシルはナイトメア用の飛行ユニットを開発しようかと考えていた。
しかし、もう予算は底をついている。そのため仕方なく、銃器メーカーの大手であるエルド・ウィンチェスター社の次世代兵器開発を手伝っていたというわけだ。
<ランスロット>の装備であるヴァリスの基本フレームも、元はあの会社が作っていた。その繋がりでロイド達<特派>が呼ばれたのだ。
ウィンチェスター社は七年前の日本侵攻の折、KMFの活躍に上手く乗って規模を大きく広げている。そのため次世代機の開発に着手している<特派>には友好的で協力的な企業だった。
「現場のパイロットの意見は貴重だっていうのは分かってたんだ。でも、こうまであっさり出来ちゃうと面白くないわけ」
ライに見せた時点であのデータは九割方完成していた。しかし兵器に一番必要とされるのは信頼性だ。カタログスペックとして提出した数値以下の成果を出せば、途端に見向きもされなくなる。
戦闘というのは過酷な環境下で長期間に渡って行われるものだ。砂塵や埃、暴風や炎。粗悪な整備。どれだけ高性能でも、いざという時に動かない兵器など誰にも相手にされない。
だからこそ、残りの一割は鬼門だった。テストにテストを重ね、無限に近い数字を見極め、何度も最初から計算し直す。どうしても地道になるし、一番手を抜いてはいけない作業だ。
それなのに、その一割をあの少年はあっさりと埋めてしまった。彼が帰り際に『これが一番良いと思いますよ』と提出してきた数値が最も理想的だった。
スザクに協力してもらい、丸一日かけて確認したが──あれが一番という結果を裏付けるだけに終わった。
当然、ロイドは面白くない。
「ロイドさんも仰っていたじゃないですか。テストパイロットならライ君以上はいないって」
セシルが困った表情で言うが、ロイドは不機嫌なまま返す。
「それはそうだけどね。踏破すべき技術的困難をすっ飛ばして得た結果に、何のカタルシスがあるの? 上手く進み過ぎるのも問題だよ」
「それはただ単に、ロイドさんがつまらないっていうだけじゃ……」
ため息を吐いてから、セシルは真面目な顔に戻った。
「私はむしろ、あの才覚そのものに違和感を覚えます。データを見れば見るほど、機械じみていて……」
「そうだね。一秒間に一二回のコマンド入力で、誤差はコンマミリ単位以下。スザク君とは違った意味で人間離れしてる」
最も顕著だったのは敵の放った砲弾を"すり抜けた"時だ。<サザーランド>の持つライフルは三〇ミリ弾を分間三〇〇発、秒速八〇〇メートルで撃ち出す。
それをあの少年は真っ向から避けきった。障害物も使わず、フェイントと機械的な操作のみで。
相手から見れば敵が弾幕の中を苦もなく直進してくるように見えるだろう。幽霊か何かと戦っていると錯覚してしまうくらいの機動だった。
ライが乗っていたのは通常仕様の<サザーランド>だ。いくら最新鋭の第五世代機でも、砲弾より速く動けるわけもない。
あの機体のスペックでは反応速度的に対応しきれないはず。
ということは、パイロットが敵弾を予測し、先んじて動いているということに他ならない。
全ての攻撃を紙一重で、最小限の動きにより回避する。ライがシンジュクゲットーの戦いからやっていたことだ。
「でも、良いことばかりじゃない」
ぱっと見では凄まじい事をやっているように見える。実際、凄まじくはあるだろう。
だが、最適な動きだけをしていれば勝てるほど、戦いは甘くない。だからこそ実戦経験のあるスザクには圧倒された。
「そういえば彼、ナイトメアに乗っていると違和感があるって言ってましたね」
「そう。ライ君の筋肉はナイトメアパイロットのそれだけど、あれは科学的に無理やり据え付けた物だ。本人の鍛錬によって鍛え上げられたものじゃない。いわば、養殖品ってこと」
「じゃあ、天然物のスザク君には劣ると」
下品な例えだと思ったらしい。セシルは苦い顔になる。
「今は付け焼き刃で中身が無いけど、彼はまだまだ強くなるよ。このまま頑張るか、あるいは……」
「記憶が戻れば……ですか?」
ロイドは笑みを深くした。
「そんな彼の正体だけど、血液検査の結果が帰ってきてね」
「あら、早かったですね」
「アッシュフォード家からも同じ依頼があったそうだから、その関係でしょ。もしかしたらあのお嬢さんも知ったのかもしれないけど」
ロイドは見ていたディスプレイをセシルに向けた。彼女には医学的な知識があった。資格は片手間で取ったものだが、このくらいの情報なら一目で分かる。
その表情が驚きに染まった。予想通りの変化だった。
「これは……!?」
「彼、ハーフみたいだね。ブリタニアと日本の」
「ブリタニアの方は……」
「そうだね。なぜだかブリタニア皇族特有の因子が確認されてる。つまり、ナンバーズと皇族のハーフってこと。これって凄いスキャンダルじゃない?」
「笑い事じゃありませんよ……! どうするつもりですか、ロイドさん?」
「どうもしないよ。選ぶのは彼なんだから」
「またそんなこと言って……。彼をここに呼ばないのは、無責任じゃないですか」
「まずはアッシュフォード家に任せるべきだと思ったんだよ。うちに入るにしろ、入らないにしろ、彼は戦場に引き寄せられていることは変わらない」
「引き寄せられているって……」
「ライ君本人が言ってたよ。実際の戦場じゃないと気が入らない。シミュレーションじゃ満足出来ないって」
本当はもっと穏やかな言い方だったが、簡潔に纏めるとこうなる。
セシルは気の毒そうに眉を寄せた。
「だからと言って、彼を戦場に送り込むつもりですか? まさか、柄にもなく資金調達をしていたのは……」
「大~当たり~。ライ君専用の第七世代型KMF。<ランスロット>の二号機でも作ってみようかと思ってたとこ」
「…………」
「シュナイゼル殿下から量産計画の意見書を出せってせっつかれてたし、ちょうど良いでしょ。スザク君の意見はセンスありきで漠然とし過ぎだからね、彼がいれば……」
現時点での限界性能を突き詰めるというコンセプトは<ランスロット>で達成した。二号機を造るなら量産を前提とした物になるだろう。
操縦者に合わせて狙撃戦や電子戦も視野に入れ、破格の多様性を持たせるのも面白いかもしれない。そうなると、既存の制御システムでは力不足だ。
その辺りは彼と相談して──
「ロイドさん……!」
ライの血筋に関係する深刻な話をしていたのに、いつの間にかロイドの好奇心を満たす話題に移り変わっている。
人のいなくなった大学の片隅で、セシルの怒鳴り声が響き渡った。
体育の授業に起きた出来事だった。
体育館に隣接された修練場は本来、格闘技や剣術、槍術、弓術などを磨くための場所であり、曜日ごとにそれぞれのクラブが使用している。
入念な手入れにより清潔さは保たれているが、汗の臭いが天井や壁、床に染み付いてしまっていた。
かなりの広さを誇り、模擬試合も当たり前に出来る。
そしてその模擬試合用のフィールドに、ライは立っていた。
いや、正確に言えば立たなくてはいけなくなった。
カレン・シュタットフェルトの親衛隊から直々に決闘を挑まれ、これを承諾。あちらのトップと一騎打ちをすることになった。
こうなった理由は簡単だ。シンジュクゲットーの件以降、カレンから接触されまくっていた事が連中を刺激したのと、それを後押しするようにライも頻繁に彼女に話かけていたことで、ついに我慢出来なくなったらしい。
そしてなにより、数日前の保険体育が決定打となった。
「…………」
勝負は既に終わっている。決着がつくのに一分もかからなかった。
ライの右手は自身の剣を持ったままだらりと下げられている。左手には相手の剣を持っていた。
勝負の条件は単純明快。
勝利した方が相手の要求を呑むこと。ライが提示した条件は自分に対する迷惑行為を取りやめるというものだった。当然、相手の条件はライがカレンに近づかないこと。
周囲を取り囲む男子生徒達は一様に息を呑んでいた。難しい表情のルルーシュと、カメラを持ったリヴァルの姿もある。
ライの正面には床に手をつき、愕然としている男子生徒の姿があった。彼が勝負の相手だった。
彼は一七歳にしてブリタニア本国の大会で何度も優勝しているようなエリートだった。シーズン毎の選手権に出場する前は全校生徒の前で抱負を述べ、有言実行する。若き英雄である。
学業も優秀だ。異性からの人気も高い。高潔な人柄で、決闘の内容に剣術を指定してきたライに何色を示してきたほどだった。
その彼は呆気なく敗北し、床に手をついている。その剣は一度も敵に触れることなく、あまつさえその敵の手に握られていた。
絶対的な敗北。勝って当たり前の試合で惨敗した現実に、打ちのめされている表情。
ライは模擬剣を仕舞うと、男子生徒のもとまで歩いていった。
「……僕の勝ちだな」
「ああ。……こちらの負けだ」
苦々しい言葉が返ってくる。受け入れ難い事実に対して幼稚な癇癪も起こさない。やはり真面目で誠実な性分のようだった。
普通にアタックすればいいのにと、ライは思った。この男子生徒──決闘の直前に名乗られたが忘れてしまった──はハンサムだし、実家も裕福だ。自分よりも遥かに魅力的と言える。
「条件を覚えているか」
「……ああ、もちろん。君に対する嫌がらせは止めさせる」
ライは頷いてから、男子生徒の耳元に顔を寄せた。そして囁くように、
「その事だが、僕にはもっと重要な目的があるんだ。そして多分、君達にとってもな」
そう告げた。
「俺達にとっても?」
相手は怪訝な顔をする。ライの意図が分からないからだろう。
「君達は僕とカレンが交際、またはそれに近い関係だと認識していたようだが、誤解だよ。今日はそれを解きに来た」
信じられないらしい。男子生徒は疑いの目を向けてくる。
「おかしいと思わないか?」
「……何がだ」
「彼女が生徒会に入った理由だ」
彼の肩にひたりと手を置く。
「カレンは大人しい性格だ。目立つ事を嫌う。そんな彼女が、どうして否が応でも目立つ生徒会に所属している?」
アッシュフォード学園の校則に『生徒は全員、なんらかのクラブに所属しなければならない』というのがある。前時代的だが、それでも遵守されているものだ。
カレンも生徒である以上は例外でなく、生徒会に入ることになった。
だが、本当に目立ちたくないのであればそこらの文化部に所属すればいい。彼女なら幽霊部員になろうが文句は言われないだろう。
「それは……きっと、生徒会長に無理やり」
「ミレイさんにそんな権限は無いよ。第一、あの人は他人が本気で嫌がる事は絶対にしない。分かるだろう?」
「…………」
ライの言葉に思うところがあったようだ。男子生徒の表情に逡巡の色が混じる。
実際のところ、ライはカレンがどういった経緯で生徒会に入ることになったのか知らなかった。本当にミレイが無理やり入れた可能性もある。彼女ならやりかねない。
言うなれば、これはただの出任せ、はったりだ。
相手の懐疑心を刺激し、不安を煽る。疑心暗鬼を増長させ、正確な判断力を奪うのが目的だった。詐欺師の常套手段でもある。
効き目はあるようだ。相手が小さく唸る。
「当たり前の話だが、カレンが生徒会に入った時に僕はいない。スザクもだ。男子の役員は二人だけだったからな。リヴァルと、あともう一人は……」
ライは人垣の中に混じっているルルーシュを見た。釣られて男子生徒も彼を見る。
「まさか……」
「因みに……だが。カレンが生徒会に入った直後の話だ。彼女がシャワーを浴びている最中、ルルーシュがそこに着替えを持っていったらしいぞ。これは確かな筋からの情報だ」
男子がはっとする。
少し前から同様の噂が流れていたはずだ。ライがリヴァルに頼んでおこなってもらった。これだけではない。中庭で密会していただとか、尾ひれをつけて誇張したようなものが他にも多数ある。
ライは内心で自分の策が完成したと確信した。
相手はもう意のままだ。これが違うシチュエーションだったなら、"敵"の言葉になど耳を貸さなかっただろう。だが今は違う。
正々堂々とした決闘を経て、勝者と敗者に二人は別れた。敗者の言葉が勝者へ届くことは無いが、その逆はあり得る。勝者の立場から放つ言葉には意味があるのだ。
相手の男子生徒は、勝ったライが嬉々としてカレンへアプローチする権利を誇示すると思っていたのだろう。だが違った。
その敵は自分の肩に手を置き、言ってくるのだ。『自分は敵ではない』と。示してくるのだ。『本当の敵は別にいる』と。
そして、それを裏付けるような情報は確かに耳にしている。
「…………」
もう彼にとってライは"敵"ではなくなった。
「分かったか。カレンを守る事と僕を排除する事はイコールじゃない。君達は大きな勘違いをしていたということだ」
「……だが」
矛先をルルーシュに向けたところで、ライに対する疑念が消えるわけではない。一か月もの間、カレンと一緒にいたのは事実なのだから。
ライは立ち上がり、見下ろしながら言った。
「僕は仮入学生だ。そう遠くないうちに姿を消す。だから君達も、やるべきことを再認識した方が良い」
「…………」
うなだれた男子生徒をその場に残し、ライは人垣の外へと出て行った。
授業の終了を告げるチャイムが鳴った。
「ああいうのって良くないと思う」
放課後の生徒会室。仕事を終えたライがリヴァルを相手にチェスを打っていると、シャーリーがぶすっとした表情で言ってきた。
「なにがだ」
「今日の体育。あんな風にやるのって、なんかキミらしくないと思って」
「…………」
「いや、あれはしょうがないでしょ。連中、話し合いなんか出来るテンションじゃなかったし」
リヴァルが盤上を睨みながら言った。腕を組みながら難しい顔をしている。
「そうかなぁ。なにも、あんな大勢の前で負かさなくたっていいじゃない。なんか嫌味っぽいよ、あれ」
「大勢の前で負かすことに意味がある。誰も見ていない所での決着では、それに納得しない者も出てくるだろう」
「むー。格好つけたかったってわけでもじゃないんでしょ?」
「それなら他の手を使う。ああいう負け方をすればおとなしくなると思った」
「カレンはどう思う?」
リヴァルとライの意識はチェスに向いている。不満げなシャーリーは離れた所で読書中のカレンに話を振った。
彼女は文庫本から目を離し、少し考えてから、
「ライには悪いと思ってるわ。あの人たちには、私も困っていたから」
「えー。カレンも賛成なんだ」
「そりゃあそうでしょ。なんたって男二人が自分を巡って戦ったんだから、悪い気はしないよね」
リヴァルが顎に手をやりながら言った。
「た、確かに……」
長い『待った』の末、リヴァルはようやく駒を進めるが、そこへ間髪入れずにライのナイトが飛び込んでいく。相手がぎょっとすると、隣で対局を見ていたニーナ・アインシュタインがくすりと笑った。
「良いなあ。『私のために争わないで!』ってやつ。女の子なら憧れるよね」
「そうかしら。私は特にそういうのは無いけど」
「あ、それって嫌味っぽいよ! 贅沢だよ贅沢!」
「な、なんで怒ってるの……?」
シャーリーとカレンが言い合っている間に、盤上では決着がついてしまった。
「あー! まーた負けた」
リヴァルの白いキングが包囲され、勝敗がつく。
「遊んだな。二六手前に決着をつけられたはずだ」
途中から興味なさげに観察していたルルーシュがぼそりと言った。
「策を警戒した。それにチェスは力任せに相手を倒すゲームじゃないだろう」
「ほう……。言うじゃないか」
ルルーシュは読んでいた本を閉じ、にやりと笑った。そこへ、カレンに言い負かされたシャーリーが戻ってくる。
「飽きずに良くやるよねー。リヴァル、これで何連敗だっけ?」
「二七連敗……」
しっかりカウントしていたニーナが答え、リヴァルが呻いた。
「相変わらずナイトの使い方が上手いな。相手の動きを読み取り、制御し、そして切り崩す。手堅いやり方だ」
「強いよなあ。ルルーシュ並みじゃないのか」
リヴァルの何気ない一言で、ライは気づいた。
「そういえば、普通にやり合った事って無いな」
ルルーシュはライにチェスを教えてくれたが、対局する際には必ず自身にハンデを課していた。平等な条件で勝敗を競った事は未だに無い。
「……そうだな。良いタイミングだ。やってみるか?」
「僕は別に構わないぞ」
ライは勝ち負けに頓着しない性格だ。強い相手と戦いたいと願うほどの向上心もない。だが、ルルーシュとの対局を望む声があるのなら、それに応えようと思った。
あっさり承諾すると、リヴァルがたちまち笑顔になった。
「よーし! じゃあ皆、どっちに賭ける?」
「あ。それ、駄目だからね」
「分かってるって。現金ナシ。生徒会の仕事を一回肩代わりなら良いだろ?」
「まあ、それなら……」
そんな言い合いをよそに、ルルーシュとライの二人は既に準備を終えていた。
「じゃあじゃあ皆さん、頂上対決ですよ! それぞれ賭けたい方にどうぞ!」
ライは白いポーンを前に置いた。
ナイトが黒いキングをチェックメイトし、四戦目はライの勝利で終わった。
「…………」
「…………」
対戦を見守っていた四人が揃って息を吐いた。
「……ここまでやって互角かよ」
「息詰まりそうだったねぇ……」
一戦目と三戦目はルルーシュの勝利、二戦目と四戦目はライの勝利だった。
ルルーシュは速攻で相手の体勢を崩し、裏をかきつつ制圧する戦法を好む。自身の実力を誇示するような、派手な打ち方だ。
対するライは堅実な配置でもって進軍を受け止め、僅かに生じる相手の隙を確実に突いていくという戦法だった。
セオリー通りの地味な打ち方だが、二〇〇〇年近い歴史の中で編み出された定石を守り抜けるプレイヤーは、実際には殆どいない。
一戦目はルルーシュの大勝だった。二戦目はライの辛勝。三戦目と四戦目の時は駒の数にさほど違いは無かった。
「あと一局……。決着をつけるか」
差は確実に縮まってきている。もう一度の対局で、勝敗がどちらに転ぶかは誰にも予想出来なかった。
「いや、止めておこう。もう日が暮れる」
ルルーシュは窓の外を見てあっさりと告げた。
最近は<黒の騎士団>などの反政府組織が活発化してきているせいで、外出時間や下校時刻などに厳しい指定をしている。
校内のクラブ活動は午後六時をもって終了。届け出があれば別だが、今日はそういった物も提出していなかった。
他のメンバーは揃って時刻を見る。午後五時四五分。そろそろ片付けをして職員室に鍵を返却しなくてはならない時間だ。
「ならしょうがない。賭けはご破算で、」
リヴァルの言葉を合図に他の面々もそれぞれ片付けを開始する。女子メンバーは元から整理整頓するタイプだったし、ルルーシュとライにしても散らかす質ではない。
自然、片付けの出来ない人間というのは限られてくる。
「ああ、悪いなライ」
「いや、君にはいつも世話になっている」
ライは散乱した書類をまとめ、その順番も正していく。申し訳なさそうにしていたリヴァルだが、少ししてから耳打ちしてきた。
「それで、良かったのかよ?」
「良かった。なにがだ」
彼はルルーシュの方を横目で見る。今日のカレン親衛隊の件の事らしい。ライは頷き、こともなげに返した。
「問題ないだろう。あるべき形に戻しただけだ」
「って言ったってなあ……」
リヴァルの懸念は分かる。彼は今までライに向いていた親衛隊の矛先を、ルルーシュに向けたことを危惧している。
もし勘違いならばルルーシュは完全にとばっちりを受けたことになるからだ。流石にそれは忍びない。
「僕の理論に間違いがあれば、あそこまで思い通りには行かなかった」
ライの誘導に親衛隊連中はあっさり引っかかったのが何よりの証拠だ。シャーリーを始めとして、カレンとルルーシュの仲を疑っていた人間はそれなりにいたということだ。
そういった意味では、ライの方が今までとばっちりを受けていたと考えることも出来る。
「もしかして、お前も結構イラついてたとか?」
「どうだろうな。理不尽だとは思っていたが」
親衛隊からの過剰な締めつけに辟易していたのは事実だ。ルルーシュにターゲットを移した現状、カレンとの接触を控えれば問題は収束する。
さっさと厄介事を終わらせたいとは思っていた。
「そういうの、イラついてるって言うんだぜ」
「そうなのか」
「まあ、同情するけどな。俺から見てもありゃ酷い」
「……君には感謝している」
親衛隊の問題で、最も協力してくれたのはリヴァルだった。こうして解決に漕ぎ着けたのも彼のおかげだと思っている。
「お、礼には及ばないぜ。また今度、バイクの整備手伝ってくれよな」
「ああ」
片付けを終え、リヴァルは生徒会室を出て行った。シャーリーは水泳部に、ニーナは研究室へと向かうため、後に続く。
残されたのはカレンとライ、鍵番であるルルーシュの三人だけだ。
「…………」
一人だけ集まりから離れた場所にいたカレンも、読んでいた本を閉じて立ち上がる。
そしてライの方をちらりと見やり、簡潔な挨拶を残して扉の向こうへ姿を消した。
何かの合図だろうか。
「…………」
きっとそうだろう。後を追うべくライがドアノブに手をかけると、
「……ライ」
ルルーシュから呼ばれた。無視するはずもなく、振り向く。
「なんだ」
黒髪の少年は椅子に腰掛け、手に持った黒いキングを眺めている。窓から差し込む夕日の光が彼を照らしていた。
「お前は誰かを恨んだことはあるか」
唐突な質問だった。ライは間を置かず即答する。
「他人を恨んだことはないな」
「……それはこれからも変わらないか?」
そう問い掛けるルルーシュの横顔からは、複雑な感情が窺える。複雑過ぎて、ライには欠片ほどもそれを推し量ることは出来なかった。
だから、問いに対する答えを述べる。
「ああ。変わらない」
「……そうか。いや、引き留めてすまなかった」
ルルーシュは駒を盤上に置き、静かに目を閉じた。
ライは彼に背を向け、扉を開く。
他人を恨んだことなど無い。自分にそんな資格はないし、何より自分自身に問題があり過ぎるからだ。
前に進む。背後でドアが閉じる音。
会話は一分にも満たない時間だったが、カレンの様子が気になる。急ぎの用事では無いようだが、それでも妙だと感じた。
校舎を出ると、彼女の後ろ姿があった。噴水のすぐそば。急いだ甲斐あって、待たせることはなかったらしい。
「…………」
カレンはライの姿を認めると、小さな微笑みを浮かべて歩き出した。
付いて来い、ということなのだろうか。
ライは目を細めた。沈みかけた夕日が眩しい。
カレンは軽い足取りで歩を進める。明るいのに、何故だか酷く寂しい色だった。その光景はなんだか幻想的で、その姿は心に強く残った。
赤い世界で少女が躍る。
なにかに誘(いざな)われるように、ライは彼女の背中を追った。距離が縮まり、ようやく声をかける。
「なにかあったか」
「…………」
カレンは答えない。代わりに懐から封筒を取り出した。
「これ……」
一度、祈りを込めるようにぎゅっと握ってから、その封筒を差し出してくる。ライが受け取ると彼女は背中を向け、
「近い内に必ず来て。そこで全部話すわ」
「…………」
たったそれだけ。そう言い残して歩いていく。ライはカレンの背中をずっと見送っていたが、夕日が沈むと同時にその姿を見失った。
(あの表情……)
シンジュクゲットーでの事件に巻き込まれる前日にも、彼女は同じ表情をしていた。
先ほどのルルーシュも似たような表情をしていたように思う。
ライには出来ない、見通せない深い表情だ。自分だけの歴史を持っている人間の表情だ。
「…………」
どうしてか落ち込んだ気分を引きずったまま、ライは自身の部屋へと向かった。
クラブハウスに戻り、階段を上がって自室の前までやってくる。四桁のパスワードを入力し、電気錠を開けた。
制服の上着を脱いでハンガーにかけると、それをクローゼットにしまう。ワイシャツの襟元を緩めてから、渡された封筒を取り出した。
飾り気の無い白い封筒には糊付けなどもされていなかった。中には一枚の紙が入っており、そこにはゲットーのものだろう。地名が書かれていた。
「…………」
カレンはここに来いと言っていた。そこで全部話すとも。
嫌な予感がする。予感どころではない、確信に近い何か。
「まったく……」
しかし無視するわけにもいかない。ライは紙を机の引き出しに入れてから、シャワールームへ向かった。
今回はこの辺で。途切れ途切れになってしまい申し訳ありません。狩りをしながら投下するものではないですね。
では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
衣服を脱ぎ、浴室へと入る。
今日は体育があったし、精神的にも披露していた。租界に出掛ける気も無かったので、後は読書でもしながらゆっくり過ごすつもりだった。
浴槽の外と内とを仕切るカーテンを閉め、水を浴びる。最近は気温が上がってきていて、近い内に梅雨入りするという。上がった体温を冷ます冷水は心地よかった。
エリア11──日本は元々、四季の変化に富んでいる。春夏秋冬、それぞれの季節に特色があり、だからこそ定住したがるブリタニア人も多い。
日本。ゲットー。エリア11。イレヴン。日本人。
そんな単語が頭の中をぐるぐる回り、思考が沈む。
「ん……?」
頭から冷水を被っていると、何かの気配を感じた。カーテンの向こう。知っている存在感。
思考が引き戻され、体が思い出したように寒さを訴えてくる。ライはシャワーを止めてから、カーテンを開けた。
「…………」
「…………」
C.C.が立っていた。
「最近はよく会うな」
三秒ほど見つめ合ってから、ライは手すりに引っ掛けておいたタオルを取って頭を拭く。
「……つまらない奴だ。もう少し驚いたり出来ないのか」
「驚いている。表情に出ないだけだ」
「だとしたら、面白くない奴だ」
ライはタオルを首にかけ、
「どうやってここへ来た」
そう尋ねた。
「ドアからだ。未だに初期のパスワードを使っているとは驚いた。不用心だな」
あからさまに馬鹿にしてきている。挑発的な笑みだった。
「ルルーシュとは違ってな」
ライが言うと、C.C.は憮然とした表情になった。ルルーシュの名前を出したのは正解だったらしい。
「あいつの名前を出すか。一緒にいるところを見られたのはまずかったな」
昨日の放課後、公園にいたライはルルーシュとC.C.が連れ立って歩いているところに出くわした。
「どういう関係だ」
「なんだ。気になるのか」
「ああ。君が食べていたピザが、何度かここに届いたことがある。ルルーシュ宛てにな」
まだ学園に来たばかりの頃だ。配達に来たピザ屋の店員が、何度かルルーシュとライの部屋を間違えて訪ねてきたことがある。
最近は店側も馴れたのかそういうことも無くなったが、それでもピザ屋の姿は頻繁に目撃する。
そして、一昨日。C.C.が食べていたピザの箱には、その店のロゴが描かれていた。
無関係だとは思えない。
「やはり頭は回るようだな。あいつが気に入るのも分かる」
「…………」
もったいぶるつもりは無いのか、C.C.はあっさりと言った。
「私とルルーシュはな、将来を誓い合った仲だ」
「そうか」
今の言葉は一般的な価値観ならば衝撃的なものである。ライの動揺を誘いたかったらしいC.C.はつまらなそうに目を細めた。
「なにか無いのか」
「なんて言ってほしいんだ」
「……やはり、面白くない奴だな」
どうして不機嫌そうにされるのか分からない。驚くような話ではないと思ったし、ルルーシュはまだ一七歳だ。婚約可能になるまでは一年ある。焦る必要はないだろう。
(いや、まずいか……?)
意中の相手に婚約者がいると知ったらシャーリーやカレンは傷つくだろう。だが、こういった問題ばかりはどうしようもない。
「なるべく穏便に済ませてくれ。トラブルは良くない」
「……? なにを言っているんだ、お前は」
C.C.は怪訝そうな表情を浮かべる。
「それで、何の用だ」
わざわざここまでからかいに来たわけでもないだろう。さっさと本題に入りたくて尋ねると、C.C.は視線をライの顔から下にずらし、
「お前に恋い焦がれてきた、と言ったらどうする」
「……?」
意味が分からない。ついさっき、ルルーシュと将来を誓い合った仲と言っていたはずだ。
「ありえないな」
「ほう、どうしてだ」
「それが本当なら、君は服を着てこないはずだ」
「ふむ……」
感慨深げにC.C.は頷き、
「この程度では動揺しないか」
ライの下半身から目を離した。
「…………」
「で、本題だが」
マイペースに話を進める魔女の顔を見ていると、どっと疲れが押し寄せてくるように感じる。目眩がするのは気のせいではない。
今度はどんな奇天烈な事を言い出すのか、ライはタオルで頭を拭きながら話半分に聞こうと思っていた。
「お前、<黒の騎士団>に入らないか?」
「…………」
軽い口調で言われる。これは流石に予想外だった。
「……確認なんだが」
「なんだ」
「<黒の騎士団>とは、最近ニュースを騒がせている、あの<黒の騎士団>か」
「他にあるのか? あんな珍妙な名前の組織が」
馬鹿かお前は? とC.C.は表情で語っている。
「もう一つ。君はルルーシュの部屋に何らかの形で滞在している。これも間違いないか」
「ああ」
「…………」
ライは酷い混乱に襲われていた。C.C.の言葉が本当なら、彼女は反政府組織と関係があることになる。
そして芋づる式に、そんな人間を部屋に置いているルルーシュも怪しい。今までC.C.の存在を秘匿していたということは、正体を知っていると考えた方が自然だ。
何より、ここまで重要な情報を自分に開示した意味がライには分からない。
にわかに警戒し、
「なにが狙いだ」
そう訊く。問いただすような口調だった。
「狙い? 簡単な話だ。一昨日の夜に言っただろう。お前はブリタニア軍には入れない。そしてこの学園にも居られないというのなら、居場所は自然と限られる」
「その上、自分の目の届く所に置いておける……そういう事か」
「捉え方は自由だ。だが、お前には戦う力があって、お前自身それに引き寄せられている。記憶を辿るのなら、もう取れる選択肢は無いのではないか?」
「…………」
一理ある、と思ってしまった。<黒の騎士団>ならKMFに乗れる機会もあるだろう。戦闘など日常茶飯事だ。
記憶を取り戻すなら、検討する価値がある。
だが、気は進まなかった。
「僕はこの学園で拾われたんだ。裏切るような真似はしたくない」
ミレイを始めとした生徒会メンバーの顔が脳裏に浮かんだ。こんな自分に手を差し伸べ、今日に至るまで親身になって接してくれた人達。
あの人達の敵になる。そう考えると、気分がどうしようもなく落ち込んだ。
「……そうか。まあ、良いだろう」
「自分でも分かっているんだ。これが、無駄な足掻きでしかないことくらい」
「それは間違いではない。人はいつの時代も足掻き続けてきた。動きを止めなければ、道が拓けることもある」
C.C.は存外に優しかった。彼女は無表情に戻ると踵を返し、いつもの調子で言った。
「また来る。扉のパスワードは変えるなよ」
「…………」
また来るつもりなのか。魔女の姿が消えてから、ライは肩を落とした。
とりあえず、服を着よう。
「街って、素敵ですね!」
ライの隣を歩いている少女が言った。
地味ながら品のあるクリーム色のカーディガンとロングスカート。ウェーブのかかった長いピンクの髪を一つに纏めている。
まだ幼さの残る美貌と好奇心に満ちた瞳は、汚れを知らない絹を思わせた。
彼女はユフィといって、最近になってトウキョウ租界に来た少女だ。初対面のライを野良猫扱いし、二度目に会った時は空から降ってきた。三度目は迷子。四度目は公園で日本人を観察していた。
今は五度目で、ようやく名前を教えてもらうことが出来た。
「楽しむのは結構だが、この前みたいのは御免だぞ」
ユフィは正義感が強いようで、街中で嫌がらせを受けていた名誉ブリタニア人を助けようとしていた事がある。
初歩的な護身術しか修めていない彼女ではトラブルを収拾できない。そこでライが助けに入ったのだ。
「はい。もちろん」
本当に理解しているのか、ユフィはトコトコと歩いていく。
二人はモノレールを降り、駅のホームを出た。ここから少し行けば租界の外れ。そこから更に行けばゲットーだ。
「本当に行くのか」
「はい。私はあそこへ行って、自分の目で見たいんです。日本人の人々が、どんな風に過ごしているのか」
「……見ても気分は良くならないぞ」
租界から近いシンジュクゲットーの一部では観光ツアーが催されている所もあった。
真新しい戦闘の痕跡を楽しみたい酔狂な人間はいるし、ナンバーズ政策に反対しているボランティアが炊き出しなどをおこなっていることもあるようだ。
中には好奇心や憐憫から、ドブネズミのように暮らすイレヴンを見たいという人間だっている。
それと同類だと思われたと感じたのだろう。珍しくユフィは怒った表情になった。
「当たり前です。遊び気分じゃありません」
「そうだな。だが、相手はそう思わないだろう」
衣食住を奪われ、またそれを取り戻すことすら出来ないゲットーの住民の目に、綺麗な身なりのユフィとライがどう映るか分からないわけでもあるまい。
「租界にいる名誉ブリタニア人は皆、厳しいテストをパスしている。家族だっているし、職もある。それを捨てたくないから抵抗しないんだ」
「分かっています。あの人達と、ゲットーに住んでいる人達は違うと言いたいんですね」
思いのほか頑固だ。どう言い聞かせようか苦心しながら、ライは続ける。
「ああ。僕らはブリタニア人に見える。彼らからしたら敵そのものだ。日本人が皆、温厚なわけじゃない」
「…………」
説教臭いのは自分でも分かっている。だがユフィは面倒だと話を打ち切ったりせず、真摯に聞いてくれていた。
「ナイフ一本持ってない僕らじゃ狙われ易い。それに……」
ライは右手を伸ばす。話に意識を向けていたせいだろう。ユフィが地面の凹凸に躓いた。ここは租界の街中と違って、ほとんど整備されていない。
悪路での使用を想定していない彼女の靴では、こうなる事は火を見るより明らかだった。
「転んだり、なんて危険もある」
肩を支えられたユフィはばつが悪そうに赤面する。
「あ、ありがとうございます……」
しばらく歩いて、租界の外に出る。あれからも説得は続けたが、彼女は譲らなかった。
「ライはどうしてゲットーに?」
「それは……」
ライは口ごもった。租界に行きたがるユフィに偉そうな事を言ってしまったが、不審なのは自分も同じだ。
モノレールのターミナルで困っていた彼女に声をかけたことを後悔する。切符販売機の前で右往左往している姿が、以前の自分と被ったせいだ。
「確認だよ。地理を調べたくて」
カレンから指定された場所へ行くための下見のつもりだったが、それを説明しても仕方がない。
「確認……。ゲットーにご用でもあるんですか?」
「ああ。ゲットーだけじゃない。色々な所を見て回っている。知らない事ばかりなんだ」
「なら、私と同じですね!」
今の言葉の何が嬉しかったのか、ユフィはにっこりと笑った。
「君はどうして日本人にこだわる。ナンバーズなら他にも沢山いるだろう」
幾度も説得して痛感させられたのは、この少女の意志の強さだ。こだわりと言ってもいい。
こんなゲットーまで来て何を知りたいのか。切符も買えない世間知らずの彼女が、危険を冒してまで日本人にこだわる理由はなんなのか。
なんとなく、このユフィからは危なっかしさを感じる。
「友達に、日本人の方がいるんです」
「…………」
名誉ブリタニア人である友達のため。きっと、トウキョウ租界に来て初めて出来た友人なのだろう。
「その友達の事が知りたくて。だって、知らないままでは本当に仲良くなったりは出来ないでしょう?」
「……そんなことはないだろう。誰にだって知られたくない事はある。なにより、君がゲットーに来る事をその友人は望んでいないんじゃないのか」
「…………」
「それに、租界の方じゃ君の事を探している人達もいる」
ユフィは見た通りのお嬢様のようで、街で見かける時は大抵、数名の黒服に追いかけられていた。今日も例外ではない。
見た感じでは、あれはボディーガードの類いだと思った。
「友人が大切なのは分かるが……」
怪我をしては相手も気に病む。そう言おうとして、ライは言葉を止めた。
廃墟となったビルの合間から、こちらを見ている人間が数名いる。日本人の若者。肉眼では数え切れないが、気配からして恐らく五人。
殺意は無い。
敵意はある。
「ライ……?」
引きつるような空気を感じたユフィが辺りを見渡す。そうして、その若者達の姿を見つけてしまった。
気づかないふりをしてやり過ごそうと考えていたのだが、どうやらそれは無理そうだ。
「あの人達は?」
「目を合わせるな」
言ってはみたが、もう手遅れだ。若者達がこちらに向かってくる。
逃げたいところだが、ユフィの靴では無理だろう。彼女を背負えば逃げ切れるかもしれないが、この同行者はそれを望まない気がした。
「敵意がある。下がっていてくれ」
「そんなの、話をしてみなければ分かりません」
「見れば分かる」
言うことを聞いてくれないので、ライは無理やりユフィの前に立つ。
おぼつかない足取りで若者達がやってきて、二人を暗い瞳で見つめた。憎悪があった。怒りもあった。それくらいは理解できた。
だが、引っかかるものがある。これはなんだろうか。
「なにか用か」
ライは尋ねた。相手は推察通り五人。真ん中に立つ赤いニット帽を被った男がリーダー格のようだ。
彼はしきりに首を掻きながら言ってくる。挙動不審で、動きに落ち着きがない。
「それはこっちの台詞。ブリタニア人がなにしに来た」
「お前達には関係ない」
「あるよ。ここいらは俺らのシマだ」
シマとはなんだろうか、とライは思った。縄張りのようなものだと仮定し、話を進める。
「違うな。ここはもうブリタニアの物だ。だから君達は苛ついているし、こうして噛みついてくる」
淡々とした言葉に若者達の表情が引きつった。それでも努めて冷静を装い、ニット帽は言う。瞬きが異様に多い。体が左右に揺れている。
「出ていけよ。俺らも荒事は御免なんだ」
「それは難しい。こちらはまだ用件が終わっていない。なにより、君達との交渉は時間の無駄だ」
ライの口調はいつになく攻撃的だった。相手を不必要に刺激しているといっても過言ではない。
ただなんとなく、ここで彼らに見逃してもらう気にはなれなかった。この連中は仄かだが敵意と悪意を漂わせている。
因縁をつけ、力任せに殴りかかってくるならそれでいい。返り討ちにする口実になる。『ブリタニア人を追い返す』という優越感に浸りたいのであれば、相手を間違えた。
だが、どうしても違和感が拭えない。
「ライ。そんな言い方はどうかと思います」
ユフィは咎めるように言ってくる。実名を彼らの前で明かすのは良くないことだが──関係ない。
「なら、どう言うんだ。僕達は正式な手続きを踏んでここに来た。彼らの権利や尊厳を汚したわけでもない。なのに、こうして集まってくる」
頭の中がどんどんと冷えてくる。それに従って、口調は剣呑な物へと変わっていく。
「歩み寄りは出来たはずです。そんな言い方ではいたずらに不快感を与えるだけで……」
ライの攻撃的な物言いにもユフィは毅然とした態度を崩さない。
そんな二人の前。五人組の一人がおもむろに前へ出る。坊主頭の大柄な男だ。身長は一九〇センチ以上。体重は一〇〇キロ近くありそうな、筋骨隆々の肉体。しかし目は焦点が合っておらず、口は開いたままだった。
体格からして、ラグビーか何かのスポーツをやっていたと見える。
その男がライの顔めがけて拳を振り下ろした。前口上も何も無い、完全な奇襲だった。
ライの身長は一七六センチ。体重は六〇キロ前後。体格差は歴然で、至近距離での勝ち目などほとんどない。加えて先手を取られた。
体幹を揺らし、ふらりとよろめく。拳が顔の横を通り過ぎていった。少し屈んでから、相手の顎に右の掌を当てる。
一度軽く押してから、もう一度強く押す。手の上で歯と歯がかち合うがちりという音。無精ひげがちくりとささる。
ただ押しただけ。たったそれだけで、二メートル近い大男が崩れ落ちる。
一番体格の良いメンバーが瞬きの間に倒され、若者連中に動揺がはしる。今なら追い討ちをかけて一人残らず倒すことも容易だ。
しかしライは彼らを悠然と見るばかりで、それをしなかった。今のは威嚇だ。軽い脳震盪だけなら一時間足らずで回復する。殺す気があったら首をへし折っていた。
「……まだやるか」
相手がいつまで経っても動かないので代わりに言った。
まともな訓練も受けていないただの若者くらいなら、ユフィを守りながらでも充分に制圧出来る。
こちらを脅すつもりで来たようだが、逆に脅かされる形になった。
「…………」
実力差は見せつけた。四人になった若者達は黙り、怯えた表情でライを見ている。手を出したことを後悔しているようでもあった。
ニット帽のリーダーはうんざりとした溜め息を吐き、倒れた仲間のところでしゃがみ込む。
「ああ、分かったよ。くそっ」
仲間意識は強いらしい。他の二人が大男を助け起こし、ライ達に背を向ける。ニット帽は吐き捨てるように、
「軍もお前らも一緒さ。こうやって俺らを踏みつけて……良いストレス解消になるんだろうな」
「ならない。いいから消えろ」
「ライ……!」
今まで黙っていたユフィが咎めるように言ってきた。先ほどの攻防で呆気に取られていたが、ようやく調子が戻ってきたようだ。
彼女は加害者にもなれなかった日本人達に向き直り、
「私達が憎いですか?」
そう尋ねた。最悪の質問だと思った。挑発にしか聞こえない言葉だ。
「当たり前だろ。ここは俺達の街だった。なのに、今じゃこのザマだ」
周囲に立ち並ぶのは廃墟となったビルの群れ。半ばから折れた標識や崩れた高架橋。穴だらけの道路。
「七年前から何も変わらない。それどころか、どんどん酷くなるばかりだ……」
「…………」
どうにも違和感がある。ニット帽の言葉はユフィやライに向けたものでもなければ、過去に思いを馳せているようでもない。うわごとに近い印象を受ける。
見れば、彼の顔は青白く、目には生気が無い。食料不足や不衛生な場所での生活から来る栄養失調かと思っていたが、これは違う。
ライは青年の腕を掴んだ。上着の袖を捲る。
──やはりだ。
「どうしたんですか?」
「注射痕だ」
「え……」
腕には赤い点が刻まれている。これは注射針の痕だ。それも一つではない。短期間で何度も刺したのだろう傷が、無数に付いていた。
セシルに刺されまくったライには一目で分かった。
「そこの大男、いきなり殴りかかってきただろう。そういうやり方もあるが、それにしては緩慢で虚ろな動きだった」
「薬物……ですか?」
信じられないといった表情でユフィが言う。
「おそらく。この様子だと……禁断症状か」
嫌なタイミングだと思った。こちらに近づいてきたのは薬が切れかけて気が立っていたせいだ。
伸びている大男も妙だった。軽く脳を揺らしただけなのに、ぴくりとも動かない。これだけの体格で、良く鍛えられているにも関わらず、これはおかしい。
「病院へ運びましょう。今なら命の危険はありません」
「やめた方が良い。麻薬に手を出したイレヴンや名誉ブリタニア人には重い罰が課せられる。搬送された彼らを待つのは死刑だ」
この手の中毒症状を起こした患者を治療出来る施設は租界の中にしかない。そんなところへ運び込めば、この若者達は患者ではなく犯罪者として扱われるのは明白だった。
「でも……」
「ブリタニアの法律だぞ」
先ほどの話から、ユフィが日本人に対して好意的なのは分かっている。しかしここはもう日本ではないのだ。
彼女とその友人の間には高い壁がある。
「何か方法があるはずです。ナンバーズを対象とする人権保護団体なら……」
「君が助けたいだけだろう。彼らは罪と知っていながらそれを犯した。なら、法によって裁かれるべきだ」
「そうかもしれません。けど、彼らをこうしたのは七年前から今にかけてのブリタニアです。情状酌量の余地はあるでしょう」
「あったらこんな風にはなっていない。君が知りたがっていたゲットーの現状がこれだ。家族や友人が薬物に溺れても、助けることさえ出来ない」
「…………」
気づけば口論になっていて、ユフィが驚いた表情を浮かべていた。
「……いや、すまない。言い過ぎた。だが現実的に彼らを助ける方法は無いんだ。君にも分かるだろう」
ここまで攻撃的な物言いをしたのは初めてだった。暴力が身近にあると、暗い考えが表に出てくる。良くない兆候だ。
「いえ……」
「しかし、ここで彼らを助けても解決しない問題だという事は事実だ」
ライは彼女を説き伏せたかったわけではない。
この若者達を租界の病院に送りつけても、別の場所で安易な快楽に身を委ねている者がいる。助けても助けても終わらない。
もぐら叩きと同じだ。それを終わらせるには、もっと広い視野と権力が必要になる。
そんな考えは伝わってくれたのか、ユフィは頷いた。
「そうですね。薬物が蔓延している現状、その出所を断たなくてはならない。それが結果的に彼らを救う事になる……ライはそう仰りたかったんでしょう?」
「ああ。たぶん」
「……これがゲットーの現状なんですね」
「……そうだな」
本心から痛ましく思っているのだろう。ユフィは俯きながら言う。
「それが事実でも見てしまった以上、彼らをここに置き去りには出来ません。どうにかして運ばないと」
「さっきの話をもう一度するぞ」
「分かっています。法律の話はもうたくさん。こうして苦しんでいる人達を放ってはおけません」
(……頑固だ)
薬物依存者の死因で多いのは自殺だ。更正施設に入れられ、そこで薬を断たれると自傷行為に走り、やがては苦しみから命を捨てる。
そういった意味では、薬を与えていた方が長生きはするのだ。
それに──この連中はもう助からない。金を工面するために臓器のいくつかを売っているのが見て分かる。名誉ブリタニア人と違い、ゲットーで生活している者は大金を用意することが出来ない。
文字通り、体を切り崩して金に変えているのだ。
若者達は一様に顔が土色で、皮膚や爪などに感染症の特徴が出ている。臓器の欠損により抵抗力が下がっているためだ。
体もいやに軽い。先ほど吹き飛ばした時に確信していた。
本当に嫌な話である。薬物を克服しようがしまいが、彼らにはもう未来が無い。なにより、そんな人間を救おうと必死に考えを巡らせている同行者の少女が報われなかった。
「この辺りは警察や警備会社が定期的に巡回しているはずだ。彼らに引き渡すといい」
「そうなんですか? なら、そうしましょう」
「結末は変わらないぞ」
「大丈夫です。なんとかしてみせます」
「…………」
彼女の気が済むならそれで良いだろう。ライは辺りを見渡し──何かを見つけて──その表情を暗くした。
こちらに向かってくる人影がある。
「ユフィ、いくつか尋ねていいか」
「はい? なんでしょう」
若者達に簡単な手当てをしていたユフィが顔を上げる。
「君は追われているんだったな」
「はい。家を抜け出してきていますから」
「租界に来たのは最近で、アッシュフォード学園に友達がいる」
両方共に頷きが返ってくる。
最初にユフィがライに声をかけてきた理由の一つに、アッシュフォード学園の制服を着ていたから、というのがあった。
「もしかして、なんだが。その友達というのは彼か」
こちらに走ってくる軍服姿の少年を見ながら、ライは言った。
「え……? あ、スザク!」
日本人の友達。
アッシュフォード学園に通っている友達。
二つの情報が重なっていることは知らなかったが、家から抜け出したくなる程度には狭いユフィの交友関係から考えて、そう何人も親しい人間がいるとは思えない。
「ユフィ! 良かった無事で」
やはり彼女を捜索していたらしいスザクが安堵の笑みを浮かべる。それは大変良いことだが、ライの表情は浮かないものだった。
この後の展開は分かっている。
「ライ! どうしてまたゲットーにいるんだ」
スザクがにわかに怒り出した。当然だろう。何も知らない良家のお嬢様を連れ出し、あまつさえ危険なゲットーに案内しているのだ。
しかも案内役の男は少し前、シンジュクゲットーでテロに巻き込まれている。学習能力が欠如していると思われても仕方がない。
日本人の少年はぐったりとしている若者達を見て、
「……話を聞かせてもらえるかい?」
そう尋ねてきた。他人の感情に疎いライでも、彼が激怒している事実は容易に察することが出来る。
「わかった」
特にやましい事はない。ユフィと駅と出会ってからスザクに追いつかれたところまで簡潔に述べる。
「……お礼を言わなくちゃならないね」
疲労した様子のライと現在の状況を見て、スザクはなんとか納得してくれた。
疲れたように息を吐く姿は、ルルーシュと話している時の彼を思い出させる。ユフィとはそれだけ仲が良いということなのだろう。
「でも、ゲットーに連れてくる事とは話が別だよ。ここがどれだけ危険かは君だって良く知っているはずだ」
「ああ。だが、彼女の行動力は常軌を逸している。でなければボディーガードの人間はあんなに苦労していない」
「それはそうだけど。君自身の事もある。ここにはあまり近づかない方が良い」
スザクは荒廃した街を見て、その眉を寄せた。
「彼らは……?」
「薬物依存の日本人だ。見た限り、使用後からかなり経過している。それと……」
彼らが臓器売買にも手を出していることを耳打ちする。言わなくても気づいていただろうが、それでも軍人である彼には報告しておくべきことだ。
「君は……ニュースは良くみるかい?」
スザクは何故か、ユフィの方をちらりと見てから尋ねてきた。
「いや、<黒の騎士団>の話ばかりだからな。ほとんど見ていない」
「そうか。これは多分……」
「"リフレイン"ですね。最近になって出回り始めた幻覚剤。中華連邦から入ってきているとか」
昏倒した大男に上着をかけたユフィがやってくる。
「うん。租界でも名誉ブリタニア人が服用して、何人も捕まっている」
「幻覚剤……」
「幸せだった過去にトリップ出来るそうです。依存性や中毒性が他の薬物よりも低いせいで、かえって手を出す人が多いと……」
なるほど、と思った。土地や名誉、なにより未来を奪われた日本人からすれば、幸せだった過去に戻れる麻薬は魅力的に映るのだろう。
しかも、中毒性が低いとなれば『一度だけ』と手を出す者も出てくるのは自然な話だ。
(幸せだった過去、か……)
自分にもあったのだろうか。ふと、そんな考えが起き上がってくる。
「ライ。……ライ?」
「……ああ。なんだ」
スザクの声がひどく遠く聞こえた。
彼はライの様子を注意深く観察してから、
「あの人達の事だけど……」
「ユフィは助ける気らしい」
「だろうね。でも、体が……」
臓器を売り払い、重篤な感染症にもかかっている若者達。観察眼に優れたスザクは彼らの容態を一瞬で看破したようだ。
同時に分かったのだ。彼らが助かる可能性の低さも。
「悪いが、君の方から医者を手配してくれるか。彼女も僕も、通信機を持っていない」
「…………」
スザクの表情が曇る。逡巡が見えた。
ライは彼に、同じ日本人を犯罪者として租界に送れと言ったのだ。
「じゃないと、ユフィをここから動かせない」
この場に留まれば若者達がかかっている病に、彼女も感染する恐れがある。
健康体ならいくらでも抵抗できるだろうが、それでも不衛生な事に変わりはない。
今まで清潔な所で過ごしてきたとしか思えないユフィの事だ。早めにここから遠ざけた方が良いと思った。
「……分かった。そうだね」
自分に言い聞かせるように頷いたスザクは懐から小型のデジタル通信機を取り出し、捜索対象を見つけた事と重病人を保護した旨を伝える。
連絡をしている相手の声はくぐもっていて明確に聞き取れないが、とても友好的なものには聞こえない。名誉ブリタニア人であるスザクがユフィを見つけ、病人の搬送という厄介事を持ってきた事が気に食わないのだ。
「揉めていたようだな」
「うん、まあね。でもすぐに向かうって」
「すまない。迷惑をかけた。不愉快な思いも」
彼を巻き込む予定はなかったとはいえ、ゲットーまでユフィを連れてきたのはライだ。軍でのスザクの評価が下がると考えれば、謝罪は当たり前の事だった。
「私もです。すみませんでした」
「僕のことは良いんだよ。それにこれは、彼らが選んだ結末だ」
「……自分の目で見なければ、分からないものですね」
ユフィの言葉にライは頷く。
偽<黒の騎士団>事件に巻き込まれた時に見たゲットー住民の中には、亡者のような顔で廃墟を徘徊している者もいた。
彼らも薬物に取り憑かれていたのかもしれない。
スザクは<ナイトオブラウンズ>のトップに立って、エリア11を変えたいと言っていた。その気持ちを、今なら少しは察することが出来る。
「僕だって、一歩間違っていればこうなっていたかもしれない」
そのスザクがぽつりと言った。
「それは無いだろう」
だが、ライはあっさりと否定した。ありえないと思った。
「どうして?」
「君にはまだ、失っていないものがある。学園の皆や、<特派>の人達。それに……」
ユフィを見る。彼女は不思議そうに首を傾げた。
「君なら失わないように最善を尽くす。薬物に手を出そうなんて考えもしないはずだ。僕にだってそれくらいは分かる」
この先、スザクが薬物などの安易な逃避行動を取る図は想像出来ない。
「そうですね。私もそう思います」
「…………」
ユフィに微笑まれ、スザクは頬を掻く。
「じゃあ、僕はこれで戻るよ」
少しすれば軍か警察が到着するだろう。このまま現場に残っていても仕方がない。ライは当初の目的を果たすべく、そう言った。
ユフィと病人がいればスザクは動けない。今がチャンスなのである。
「あ、ライ」
「な、なんだ」
まさかバレたのか……? と、内心で動揺しながらも返答する。
「ありがとう」
「礼を言われるような事はしていないぞ」
「良いんだよ。僕が言いたかっただけだから」
「そうか。よく分からないが、後は二人の時間を堪能してくれ」
ロイドが言っていたスザクの交際相手というのはユフィの事だろう。ライも鈍感ではない。その程度の事は察せられた。
きょとんとするカップルを置いて、租界の方へ歩き出す。目的地へは迂回していけば問題はない。
なんとなく重い足取りで、ライは指定されたポイントへ向かった。
第二章《プラチナソウル》
夕方になり、カレンはゲットーでライを待っていた。
辺りには乱立するビル群がある。旧都市の中心部。ここは<黒の騎士団>のテリトリーだ。厳重な警戒網が張り巡らされており、敵対勢力が近づけば瞬時に対応することが出来る。
赤らんだ空の下。崩落した建物の傍。瓦礫に腰掛け、頬杖をついてひたすら考える。
彼は来てくれるだろうか。あんな封筒一つ渡しただけで、内容さえまともに告げていない。普通の人間なら、あんな物を押し付けられてゲットーに呼ばれれば当然のように警戒する。
それに、渡したのは至るところで不審な言動を繰り返したカレンだ。これが逆の立場だったのなら自分は断っていたとカレン自身思っている。
だが、もう引き返せない。
組織に、なによりゼロに彼を推薦したのはカレンだ。ライを呼びつけたのもそうだ。
この問題は自分が責任を持って監督する必要がある。
割り切らなくてはならない。以前のように、ライと出会う前の自分に戻るのだ。弱気を見せてはいけない。
目を閉じ、いつの間にか早まっていた鼓動を鎮めようと努力する。
そうだ。ゼロの言葉を思い出そう。一昨日の夜、あの人が言った事を。
ライの推薦を認める。三度目の会議でゼロはそう告げた。
カレンは当然喜んだ。自分の意見が受け入れられた事もそうだし、ライの実力をゼロが認め、組織に必要だと言ってくれたのが何より嬉しかった。
しかしながら、他の幹部連中はあまり良い顔をしなかったのも事実だった。
信用出来ないという玉城の主張は変わらず、同じ学園内に協力者を増やすことでカレンの正体が露見する危険性を指摘する意見も出た。
消極的ながら、二人の関係を鑑みる扇のような人間もいる。組織の活動でライの身にもしもの事があれば、カレンのモチベーションに大きな影響が出るのではないか、というものだ。
逆に反対派だった井上は肯定派になってくれた。長い付き合いの仲間が信用しているのだから、自分も信じてみようという意見だった。
言い争いにこそ発展しなかったが、それでも会議は纏まらず、また次に持ち越しかとカレンは焦った。
ミレイが前ぶれなく帰ってきたせいだ。もう時間的猶予はなく、おちおちしていればライがブリタニア軍に入ってしまう。
そこでゼロが言ったのだ。
カレン達<黒の騎士団>の幹部に向かって問いかけるように、
『何の繋がりもない私と君達が出会ったのもシンジュクゲットーだった。そこで再び起きた奇跡は、果たして偶然なのか?』
全員が黙り込んだ。賛成派も反対派も関係ない。
"都合が良すぎる"。以前の会議で井上が言った言葉だ。カレンとの出会いから今日まで、何から何まで上手く行き過ぎていると。
だがゼロは、あえてそれを肯定的に捉える発言をした。
『他の組織では関係の無い事だ。だが、<黒の騎士団>では意味が違ってくる……』
彼は運命だと言った。その通り、なんの関わりもなかったカレン達とゼロが出会った場所。
そこでライがナイトメアを駆り、ブリタニア軍を圧倒したのはなにか意味があるのではないか?
広いトウキョウ租界の中で偶然に偶然を重ね、よりにもよってカレンに出会った事実を、可能性を無視していいのか?
普段のゼロが好む、論理的な理由付けは全く無かった。
なんの確証もない運命論。組織のリーダーがそれを推進するのはあまり好まれない。だが、<黒の騎士団>において、この場合だけは例外だった。
なんの力も無い、吹けば飛ぶようなレジスタンスグループだったカレン達が、その運命を変えた場所。それを他でもない変えた人物本人が謳うのだ。
『もはやこれは偶然ではない……。必然なのだ!』
一際強い言葉。もう反論する者はいなかった。
「…………」
やはり、間違いはない。そうカレンは確信する。
シンジュクゲットーでの戦いは何かの運命だったのだ。ライは会うべくして自分と出会い、そして今に至っている。
多少、強引な手段を取ろうがアフターケアさえ万全ならば問題はない。最初は何らかのネガティブな感情を抱いても、<黒の騎士団>の実態に触れ、ゼロの人柄を知れば、彼もきっと同じ結論に辿り着くはずなのだ。
ここまでの一か月を振り返り、この確信はより強固なものとなる。
ライはアッシュフォード学園に居心地の悪さを感じている。自分と一緒だ。
彼はそう遠くないうちに学園から去るだろう。親衛隊との関係を清算したのは何かの合図に違いない。
ブリタニア軍では駄目だ。様々な条件を鑑みて、<黒の騎士団>が一番良い。そうに決まっている。
ライが<黒の騎士団>に入れば、カレンはもう自分を偽る必要は無くなる。それどころか孤独だったあの学園の中で、ようやく見つけた居場所をより確かなものに出来る。
そうなればシャーリーやナナリーにだって負けない。
独占欲にも似た感情が燃え上がる。
(大丈夫。大丈夫……)
きっと事態は好転する。そう言い聞かせるように心中で唱え、カレンは自分を納得させた。
「…………」
人影が見えた。
高層ビルに挟まれた道路の真ん中、赤く染まった夕陽を背に、カレンに方へ歩いてくる。
立ち上がり、尻についた埃を払った。心臓の鼓動がみるみる大きくなってくる。
待ち人が来たのだ。
片側四車線の道路はとても広い。その中央を歩いてくる待ち人──ライの表情は窺えなかった。赤い太陽を背負うその姿が、黒いシルエットになっているせいだ。
しかし廃墟の中を悠然と進む姿は、いつもの彼には無い強い存在感で満たされている。
僅かな戸惑いがカレンの胸に生まれた。怖じ気づいたとも言える。
今ならまだ引き返せる。何でもないとごまかし、いつもの調子で謝れば問題はないだろう。今のカレンは組織の制服を着ているわけでもないのだ。
どうしようか。
距離はまだ大分ある。二〇〇メートルほどか。逡巡しているうちにそれは一〇〇メートルになり、五〇メートルになり──
そこで変化が起きた。
コンクリートの破片に満たされた不安定な足場。そこでライはつまずき、思い切りつんのめった。
間抜けだった。
「…………」
「…………」
ライは無表情を崩さない。
声をかけるには微妙な距離。居心地の悪い空気が流れ、カレンは先ほどとは違う不安に襲われた。
本当に大丈夫だろうか。
ライが指定された場所に着くと、見慣れた少女が見慣れない格好で出迎えてくれた。
「カレンか」
一応、確認のために尋ねる。カレンらしき少女は肩や腹部、大腿部が露出した大胆な服を着ており、髪型も普段と違っていた。
少女は残念なことでもあったのか、その眉を下げている。
だが、気を取り直したように咳払いし、その表情を真面目なものにした。瞳にいつか見せた強い意志の光が宿る。
「来てくれるって、信じてた」
声もいつもより張りがあった。ここまで変わるものなのかとライが内心で驚いていると、カレンは表情を緩め、その場でくるりと回った。
「どう? 今までの私と比べて驚いた?」
「……ああ」
こちらが本来の彼女なのだろう。カレンの表情は清々しい解放感に満ちていた。
反対に、ライの危機感は大きくなっていく。今までの彼女が自身を偽っていたことには気づいていた。
それを自ら晒したということは強い決意の現れであり、何かの意思表示ということだ。
「ついてきて。こっちよ」
カレンは地面に立てていた高性能LEDライトを拾い上げ、歩き出した。その先には地下へと通ずる階段がある。
「…………」
今さら逃げられない。彼女の後へと続く。
カレンはライトを広角に切り替え、天井に向けた。こうすると光の反射により、前方に向けた時よりも周囲を照らすことが出来る。
慣れた使い方だった。
階段を降りると、その先には地下街が広がっていた。雑貨屋や飲食店、映画館に服屋。華やかなポスターやポップ。エリア11がまだ繁栄していた頃の名残がある。
その全てが無惨に破壊されていなければ、また違う印象も抱けただろう。
照明は一つ残らず割れており、フィンの外れた換気扇やだらしなく開いた排煙口が奪われた物の大きさを現している。
辺りに人の気配は全くない。ゲットーの中でも特に破壊が酷い場所だ。無理も無いと思った。
何回か左折と右折を繰り返し、二回ほど階段を降りたところでカレンが口を開いた。二人の足音とネズミの鳴き声以外で聞いた、久しぶりの音だった。
「あなたにはお願いがあるの」
「…………」
来たか、と思った。ここまで来たら、もう逃れられない。
「私達と一緒に、戦ってほしい」
「戦う。ブリタニアとか」
「そうよ。あなただって、今の日本の姿が間違っていると分かるでしょう?」
「待ってくれ。僕は……」
「ライ。あなたは多分、日本人だと思う。いえ、きっとそうだわ!」
前を歩くカレンは振り返ってさえくれない。その背中からは狂信にも似た強い意志が立ち上っている。
「あなたを見ていて思ったの。本当のあなたはブリタニア人よりも、ずっと私たち日本人に近いって」
「…………」
「それに、あなたもゲットーを見た時に怒りを覚えたはずよ。そうでしょう?」
「……それは、そうかもしれない」
正直言うと、シンジュクゲットーでの戦いの事はあまり覚えていない。
既視感のようなものを覚えたのは確かだ。カレンから見たら怒っているようにも見えたのかもしれない。
だが、あの時はテロリストから彼女を守ることで精一杯だった。他の事など気にしていられないほどに。
──ただ、数時間前に出会った若者達を思い出す。
「君がどうしたいのかは分からないが、あの時のテロリストみたいなみっともない真似はしたくない。あれは戦いではなかった」
「だからこそよ! あんな行き当たりばったりじゃなく、もっと正しい目的のために力を結集していかないと!」
「…………」
「私たちにはそれが出来る。それをやり遂げることが出来るリーダーがいるのよ」
「リーダー……」
雲行きが怪しくなってきた。
「そうよ。彼に会わせるためにあなたを呼んだの。お願い、日本のために私たちと一緒に戦って」
「…………」
何と言っていいかわからず、ライは黙り込んだ。
「それに、気づいてたんでしょう? 私が普通の女子高生じゃないって」
「ああ。君が<無頼>のコックピットからデータを抜いた時からな」
「……そう」
息を呑み、それっきり彼女は口を閉ざした。
カレンの考えが分からない。どうして自分にここまでこだわる? 確かにナイトメアを操る力は見せたが、それだけでこうも固執するものだろうか。
自分のような人間を欲するほどに困窮している組織なら、先行きも怪しいように思える。
しかも、カレンの鬼気迫った様子とは裏腹に、案内役は彼女一人だ。伏兵も潜んでいない。ここまで危険を冒したなら、ライが参加するにしろしないにしろ、黙って租界に帰す気も無いだろうに。
「…………」
案内役の後ろ姿を見る。武器の類いは所持していない。衣服もフィットするタイプの物で、彼女の恵まれたボディラインを忠実に再現している。
つまりは、武器を隠すスペースも無いということだ。
足取りから見て、カレンが武術を嗜んでいることは間違いない。以前に抑えつけられたこともある。並みの男くらいなら問題なく制圧出来るのだろう。
だが、客観的に考えてライが体術で彼女に負ける可能性は皆無だ。数秒かからず無力化できる。そうすれば、逃げることは容易い。
(……なにを考えているんだ、僕は)
カレンに襲いかかる自分の姿を想像して、ライはうんざりとした気分になった。彼女が危険人物だからといって、手を上げて良い理由にはならない。
武器を持たず、しかも背中を晒している。それだけこちらを信用しているということだ。何が彼女をそうさせるのかは、やはり全く分からない。
カレンの考えが理解出来ず、考えあぐねている間に開けた場所に辿り着いた。
薄暗い広場。数人の鼓動と、息づかいが聞こえる。視認性が悪くて仕方ないが、恐らくは一〇人ほどだと予想できた。
「着いたわ」
カレンが言うと同時に、前方で強力なライトが点灯した。突然の明るさに、ライは目を細めた。
黒い制服を着た一団が、待ち構えるように佇んでいた。
フラッシュライトも含めて、心理的な威圧感を抱かせる演出のようにも思える。
あの制服には見覚えがある。<黒の騎士団>の構成員が着ていた物だ。
なにより、中央に立つ人物。黒い仮面と全身に纏う黒衣。もしかしたら、トウキョウ租界で一番有名かもしれない人物と特徴が一致している。
あれは──ゼロだ。
カレンがライから離れ、ゼロへと駆け寄っていく。
「例の男を連れて来ました」
『ご苦労だった』
変声器を通した機械音。個人の特定はおろか、性別さえ覆い隠されている。
ゼロの傍らに立ったカレンが向き直る。
「紹介するわ。彼はゼロ。私たち<黒の騎士団>のリーダーよ」
「……<黒の騎士団>」
ここまでやって、何かのドッキリという可能性は無さそうだ。ゼロが一歩前に出る。
『会えて光栄だライ。君のことはカレンから聞いている』
「……僕は君のことをカレンから聞いていないぞ」
挑発のつもりは無かったが、カレンから睨まれる。ゼロは何が面白いのか、わずかに肩を揺らした。そして、先ほどよりもリラックスした口調で、
『君の事は些かこちらでも調べさせてもらった。異様なまでに有能で、なにより謎めいている……』
謎で出来ているような人間に言われても嬉しくない。
「あなたにはぜひ、<黒の騎士団>に加わってもらいたいのよ、ライ」
「カレン。君は……」
「私は紅月カレン。日本人よ。カレン・シュタットフェルトは仮の名であり、仮の姿……」
そう告げて、紅月カレンはゼロへと向き直った。
「ゼロ。私は彼の<黒の騎士団>への加入を推薦します」
本当に推薦されてしまった。ライが何かリアクションを起こす間もなく、ゼロは頷く。
『いいだろう。承諾しよう。私としても望むところだ。もっとも、後は本人の意志次第だがな』
「…………」
『分かっていると思うが、拒否した場合は我々の秘密を守るための処置を講じねばならない』
ゼロが懐から自動拳銃を取り出すと、カレン以外のメンバーもそれに習う。
口封じは当然の措置だ。それくらいは予想していた。
「…………」
『こちらとしても、本意ではないがな』
銃をちらつかされて言われても説得力が無い。
「お願い。私たちと一緒に戦って!」
カレンが駄目押しとばかりに言ってくる。
ライは目を閉じた。こういう時、不用意に辺りを見渡したり、動揺した姿を見せるべきではない。
まずは考えを纏める。
カレンには悪いが、ライの<黒の騎士団>への加入願望はほとんどゼロに近い。
断るとして、まずはこの場から離脱出来るか考慮する。
今いる広場から抜け出すのは難しくない。相手が持っているのは九ミリの自動拳銃だ。EU製の最新モデルだが、裏を返せば使い慣れていないという事でもある。
ライから一番近いところにいるのはゼロだが、彼からは戦いに浸かっていない者特有の"匂い"を感じた。指揮能力は高くても、荒事は得意ではないはずだ。
その傍らにいるカレンは丸腰。ゼロがこちらに銃を向けるよりも先に、彼を捕らえて盾にする事は簡単と言っていい。
ネックはカレンだ。今までの会話から、彼女はゼロに対して強い信頼を向けている事が分かる。非常時にどういった行動をとるか分からなかった。
もしかしたら、ゼロはこれを見越してカレンを横に置いているのだろうか。
前へ出れないとなると、後は背後の通路しか逃げ場はない。来る最中に歩数は数えていたし、右折と左折の回数も覚えている。目を瞑っていても引き返すだけなら可能である。
しかし、ほとんど一本道だ。横道や抜け穴は無く、小型の爆薬一つで簡単に崩落するくらいに老朽化が進んでいる。
そして、今ならいくらでも罠を仕掛ける余地があるのだ。後退は不可能。
まいった。完全に包囲されている。
(だが……)
相手はこちらを丸腰だと思っている。カレンを前に立たせる事で、行動を制限しているつもりだろう。
そうはいかない。
右目に火が灯り、頭の中でがちゃりと何かが切り替わる。冷酷な思考が加速し、時の流れを追い越していく。
武器などいらないのだ。危険な真似をする必要もない。こちらにはギアスがある。
『僕と関わるな』そのたった一声で全てを終わらせられるだろう。
目を開く。カレンには悪いが、<黒の騎士団>に入るメリットはほとんど無い。なによりミレイ達を裏切ることなど出来なかった。
ギアスを使おう。トラブルには巻き込まれたくないのだ。
「…………」
カレンと目が合う。空色の瞳は必死に願っていた。仲間になってほしいという言葉に偽りは無いのだろう。
この時、ライの中に初めて動揺が生まれた。カレンが正体を明かした時も、ゼロが現れた時も、銃を向けられた時でさえ微動だにしなかった心が、初めて揺れた。
必要とされている。ただそれだけで、こんなにも揺らぐものなのか。
気付けば戦意は失せていた。ギアスは引っ込み、冷酷だった意志もどこかへ去っていく。
(どうする……?)
考え直す。ギアスは使えない。反動でどうなるか分からないし、なにより目の前にいるゼロが問題だった。
ゼロは<黒の騎士団>の総帥だ。租界にいる人間なら誰でも知っている人物の名だ。
だが、それはゼロというキャラクターの名前であって、彼という個人を指す名ではない。
"ゼロ"を演じる人間が複数人いるのかもしれないし、目の前にいるゼロが影武者という可能性も考えられる。
ライのギアスが届かない場所からここをモニタリングしているとすれば、取れる手はそう多くないのだ。
<黒の騎士団>に入れば彼に近づく機会もあるかもしれない。組織の実態も掴めるだろう。
本当に危険な組織なら、安易な敵対よりも内部崩壊させてやる方が確実に潰せる。
(……C.C.も言っていたしな)
『答えを聞かせてもらおうか』
いよいよゼロが銃を向けてくる。問われてからまだ三秒も経っていないのに、存外に短気だ。
瞬きの間に思考は纏めていた。それでも学園で世話になってきた人達の顔がよぎる。
(そうだ……)
このまま流されるだけなど許容できない。ちっぽけでも意地くらいは持っている。
「……一つ、条件がある」
『何でも言ってくれ。可能な限り善処しよう』
「僕がアッシュフォード学園で厄介になっているのは知っているだろう」
『……ああ。仮入学生という身分だったな』
「これから先、組織の活動でアッシュフォード学園の生徒及びその親族、関係者に危害を加えないと誓ってくれ。もちろん<黒の騎士団>に敵対行為を働いた者は除外してくれていい。……どうだ?」
『…………』
ゼロは黙り込んだ。
気分を害した様子ではない。呆気に取られているのだろうか。
少ししてから、ゼロは銃を降ろした。他の団員も同様だ。
『約束しよう。我々は<黒の騎士団>……正義を為す者だ。民間人に危害は加えない』
「もし破ったら、僕は何をするか分からない。それだけは覚えておいてくれ」
『しつこいな。しかし気に入った。悪くない条件だ』
そうだろう。こんな形での勧誘だ。コミュニティへの参加経緯としては最悪に近い。
『ようこそ<黒の騎士団>へ。ライ、君を歓迎する』
「…………」
これで自分は反政府組織の一員だ。そう思うと、ライの胸中はいっそう暗くなった。
カレンが近づいてくる。彼女の表情も暗かった。恐らく、期待していた反応ではなかったためだろう。
申し訳ないと思ったが、仕方のない事でもある。
「……ありがとう」
「いや、礼を言われるにはまだ早い」
ライは何の功績も挙げていない。もしかしたら役に立つ間もなく戦死することだってありうる。
そうなれば、カレンはきっと傷つくだろう。
せめて、何らかの形で役には立ちたい。たとえ反政府組織の人間でも、この一か月で彼女からもらった思い出はライにとって大切な物だ。
恩返しをする機会もある。そう思っておこう。
「…………」
それでも、気分が晴れるわけではなかった。この先、どんな顔をしてミレイ達に会えばいいのだろう。
カレンの事もそうだ。解決できない悩みばかりが増えていく。
暗澹たる思いを抱えたまま、ライは視線を下げた。
◇
<黒の騎士団>のアジトは大型のトレーラーだった。広大な居住スペースを持ち、設備も真新しい。なにより高い移動能力を有している。これならブリタニア軍から居場所を特定されずに済む。
幹部のメンバーは思っていたよりも遥かに好意的で、逆にライが面を食らってしまうほどだった。
「あら、制服似合ってるわよ」
ナイトメア用のOSを弄っていると、井上という長い黒髪の女性団員に言われた。
「ぴったりですね、これ」
「そりゃそうよ。カレンからどれだけ細かい注文受けたと思ってるの。成長期の男の子なんだから、少しくらい大きい方が良いのに」
「…………」
以前、服屋に行った時にサイズを測られていたのか。
「で、カレンとはどういう関係なの?」
井上からは組織内の規約や活動内容、またその予定などを教えてもらった。ライの教官的な立ち位置の人物だ。
仕事中は真面目だったのに、一転して好奇心を全面に押し出してくる。
「それを聞いてどうするんですか」
「からかうに決まってるでしょ」
「…………」
本当にブリタニア軍から恐れられるレジスタンス組織の人間なのだろうか。
「からかうって、カレンを?」
「そうよ。今まで隙らしい隙を見せなかったあの子が、無理言ってでも引き入れたいってなったんだもの。面白いじゃない? 期待してるわよ」
「…………」
どうにも調子が狂う。
期待されている。本当に言葉通りかは疑わしいものだったが、自身に向けられている奇異の視線に気づかないわけでもない。
ゼロとカレンを除き、<黒の騎士団>の大部分は日本人によって構成されている。井上を始めとした幹部もそうだ。
ライの見た目は完全にブリタニア人である。組織内では完全な異物として扱われるだろう。
人種──というより外見の差はそこまで大きいのだ。今は好意的に接してもらえるといっても、あまり甘えた考えはするべきではない。
とりあえずは、能力を示すべきだ。例え正体が不明でも、それが何よりの信用に繋がる。ゼロが証明しているのだから、間違いはないだろう。
「期待って言えば、カレンが惚れ込むくらいナイトメアの扱いが上手いんでしょ?」
「普通に動かせるくらいですよ」
「んー。クールなのね」
(……カレンか)
彼女も見た目はブリタニア人だ。にも関わらず、日本人の組織に所属している。
「カレンはずっと前からレジスタンス活動をしていたんですよね」
彼女も<黒の騎士団>結成以前からカレンと同じグループに属していると聞いた。同じ女性同士、それなりに情報も持っていても不思議ではない。
「……そうね。私達のレジスタンス組織は扇さんがリーダーをやってたっていうのは聞いたでしょ」
「はい」
「その前のリーダーがカレンのお兄さんだったのよ。凄い優秀な奴でね。何でも出来た。私達が団結していられたのも、ナオトのおかげだった」
"ナオト"というのがカレンの兄の名前らしい。日本人の名前だ。
「その、ナオトさんは……」
「死んだわ。作戦中にね」
井上はあっけらかんと言った。機械的な無表情。無念や怒りを通り越し、それに慣れてしまった者の顔。
どうしてだろう。見慣れた表情のように思えた。
「…………」
兄の死。それがきっと、カレンの戦う理由なのだ。
「ごめんなさいね。あんまり明るい話じゃなかった」
井上は長い髪をかき上げ、息を吐いた。
「いえ、ありがたかったです。まだ新人の僕に話してくれて」
今の話は必要だった。
もう自分のいる場所が陽の当たる楽園ではなくて、死と暴力が支配する暗い地の底だという事を再認識できた。
「あなたには悪いと思ってる。あんな方法、普通じゃないもの」
「あんな方法……」
「私達にも分別くらいあるわよ。銃をちらつかせて無理やりなんてのは、ちょっとね」
「…………」
いくら必要な措置といっても、思うところはあるのだ。それでも良かったと思う。
反政府組織の中には残虐な行為を平然と行う連中も多い。強大な勢力に立ち向かうための団結力が、いつしか間違った方向に行ってしまうことはこの手の集団の常である。
特に、<黒の騎士団>のように絶対的なカリスマを振るうタイプの組織はこういった傾向が強い。
だからこそ、ライは入団時に取られたああいった手段にも動揺しなかった。当たり前だと捉えていたし、期待していなかったとも言える。
「だからね。カレンの事も、あんまり嫌わないであげて」
「え……。僕が彼女を、ですか」
「そう。こうして話しをすれば分かることもあると思うし。あなたにはあの意地っ張りも心を開いているんでしょ」
「それは……どうでしょう」
ライは言葉を濁した。カレンが自分を組織に誘った意図というのがいまいち分からない。
普通の人間より身軽なのは事実だ。一般的な水準と比較してナイトメアの操縦技術が抜きんでており、尚且つライが死んでも困る人間はいない。そういった点では、優秀な人材である。
国を奪われ、兄を殺されたカレンが自分を利用したいと思っていても、それは理解できる。
「カレンにはさんざん世話になってます。恩返しになるなら僕としても悪くない話だ」
「淡泊ねえ。私としては『カレンは俺が守る!』くらいの意気込みを期待したいんだけど」
「そんな……。弾除けくらいにはなりたいですけど」
あからさまにつまらなそうな表情をされる。
彼女には悪いが、ライはカレン目当てに<黒の騎士団>へ加入したわけではない。
キーボードを叩いていた手を止め、データチップを抜き取る。
「終わりましたよ。これで<無頼>のバージョンアップが出来ます」
井上の手にデータチップを乗せる。彼女は驚いた表情で、
「嘘。一時間も掛かってないじゃない」
「既存の物に手を加えただけですから。誰でも出来ます」
日本製のコピーKMF<無頼>は第四世代型KMF<グラスゴー>を基にしているが、第五世代型の<サザーランド>のデータもフィードバックされて定期的な改修を施されている。
出力は若干ながら向上したし、ランドスピナーやスラッシュハーケンも仕様変更がなされた。劣悪だった居住性も改善され、前よりも乗り易くなった。
だが、それはハードウェアの面だけだ。ソフトウェアの更新については稚拙な面も多かった。
基本が似ているといっても、<無頼>と<サザーランド>では使用しているユニットそのものが違う。
ソフトウェアをそのまま据え付けてもエラーを起こすだけだ。そして今の日本勢力には、ナイトメア用の制御システムを新規に構築出来る人間は存在しない。
「でも、ちゃんと動くの?」
「それを今から試します」
入団試験。
スカウトされたといっても、幹部達からすればライの実力は未知数だった。
カレンの推薦とはいえ実際に命を預け、貴重なナイトメアを任せるかもしれない人間を試したいと考えるのは当然である。
玉城といったか。ライの加入に反対していた幹部の一人が相手をしてくれるらしい。せっかくなので、新しく作ったOSの調子も見させてもらおう。
まずは力を示す。
その最初の舞台としては、この模擬戦はまさにうってつけだった。
「あの新入りはまだかよ。先輩を待たせやがって」
待機状態の<無頼>の前で玉城が毒づく。一方的に入団試験を告げておきながら勝手な言い分だと思った。
「…………」
いつもなら叱責の一つでもするところだったが、カレンはそれをしなかった。
入団時の事を思い出す。あれからライと一切言葉を交わしていない。だが、彼が<黒の騎士団>への加入に肯定的でないというのは理解できた。
怒っているのだろう。憎まれても仕方がない。誰だって迷惑に思うに決まっている。
結局、彼へおこなう説明などのあれこれは井上に任せっきりになってしまった。普通なら、引き入れた張本人である自分がやるべきなのに。
今頃、二人はどんな話をしているのだろうか。
気になる。気が散る。気が落ちる。
その繰り返しだ。後悔しているのかもしれない。まったく、身勝手な話だと思った。
格納庫の扉が開き、井上に連れられたライが入ってくる。
ライは一機の<無頼>の前で説明を受けていた。ぼんやりとした、いつもの無表情。時折うなずくだけで緊張などは窺えなかった。
「…………」
「話すのは気まずいか?」
振り向くと、扇要が立っていた。<黒の騎士団>副指令である彼は、ライが乗ることになる機体の起動キーを持っている。
「どんな感じでした? その……話はしたんですよね」
「普通だったぞ。怯えたりもしていなかったし、もちろん敵意も無かった。逆にあれだけ冷静だと、こっちの調子が狂ったくらいだ」
「…………」
井上と話しているライを見る限り、扇の言うことは本当なのだろう。そう思うと、とりあえずの気休めにはなった。
「でも、入ってすぐに模擬戦だなんて」
入団して数時間の新人と幹部が戦うなんて、普通ならありえない話だ。ものには順序がある。何より危険極まりない。
鳴り物入りしてきた新入りの実力が見たいという玉城の申し出にカレンは真っ向から反対した。
銃で脅迫し、無理やり入団をさせた直後なのだ。これ以上の下手を打てば、ライは組織を信用しなくなるかもしれない。
VIP待遇をしろとは言わないが、もう少し慎重な扱いをするべきだと思った。
だが、玉城の提案を承諾したのは他でもないゼロだった。誰も反論など出来ない。
「心配し過ぎじゃないのか? 彼はゼロを前にしても臆さなかった。杉山や南も印象は良かったってさ」
「相手はあの玉城ですよ。怪我でもしたら大変じゃないですか」
ライと模擬戦をおこなう玉城は組織の問題児だった。仲間意識こそ強いものの、命令や規則を軽視しているし、独断専行する悪癖がある。
自分が推薦した人間が負けるとは思わないが、事故などの可能性は否定出来ない。
「そう言うのも分かるけどな。実際にあのライ……だったか。彼が玉城に勝てば、擁護だってしやすくなるんだ。今は耐えてもらいたい」
「…………」
「なんだ、信用していないのか?」
扇は茶化すように言ったが、カレンは笑えなかった。
シンジュクゲットーでの戦いの時、ライは凄まじいまでの強さを見せた。
ブリタニア軍を蹴散らし、テロリストを手玉に取った。間違いなくあの戦場における支配者は彼だった。
なのに、今はこんなにも不安になる。あの戦い以来、あの少年が見せるのはいつものぼんやりとした横顔だけ。
張り切った挙げ句に間抜けなミスをすることも山ほどあった。そのライを、あの自制心とは無縁の玉城と戦わせることには抵抗がある。
「……そうですね」
扇の言う通り、カレンはライを信用していないのかもしれない。いつまでも世話係と身元不明者という関係から抜けられないのだ。
そうこうしている内に井上から説明を受け終わったライがこちらにやってくる。起動キーを持った扇がいるのだから当然なのだが、それでも妙な緊張はあった。
「説明は終わったか?」
「はい。お待たせしました」
「何でも知ってるわよ、この子。アクチュエーターの調整とかラジエーターの整備法とか、私が教えられちゃったくらいだし」
「へえ。それは凄い。無理を言ってスカウトした甲斐がある」
扇は持っていたキーをライに渡した。ちゃらりと付属のチェーンが鳴る。
「いきなりの模擬戦で悪いが、こちらとしても周りを納得させたい」
「はい。……<黒の騎士団>でもナイトメアはそれほど多くないんですね。もっと大所帯だと思っていました」
世間での活躍から誤解されているものの、実際<黒の騎士団>が動かせる<無頼>は一〇機に満たない。
「パーツはあるんだがな。整備士が少ないんだ。だから稼働させられる機体も少ない」
「……必然的に、パイロットの選定も厳しくなると」
「そういうことだ。だから、君の力を見せて欲しい」
ライの肩を叩いて扇が去っていく。
カレンの方へ意味ありげなウインクを残し、井上もその後に続いて去っていった。
残されたのは若者二人。気まずい空気が満ちていく。
「あ、あの……」
なにか言わなくてはならない。そう思って口を開いたものの、続く言葉は出てきてくれなかった。
「どうした」
ライがいつものように聞いてくる。普段の表情。"あの時"にカレンが見たものではなかった。
不安が大きくなる。
「……気をつけてね。久しぶりでしょ、ナイトメアを動かすの」
「ん……。そういえばそうだな」
どこかとぼけた返答。眠いのだろうか。
「だが、使用するのはペイント弾だ。そう気に病むことも無いと思うが」
「でも……」
「信用してない人間を組織に推薦したのか」
「…………」
ライの言葉は平坦だったが、今のカレンには嫌に刺々しく聞こえた。
「おい、新入り! いつまで待たせんだ!」
痺れを切らした玉城が急かしてくる。ライは無言で自機の方へ向かっていった。
「で、どっちが勝つと思う?」
トレーラー内の一室。幹部連中が集まるラウンジに備えられた大型モニターを眺めながら、井上が言った。
外の市街地では二機の<無頼>が闇の中に身を潜めている。
「カレンが持ってきた映像を見た限りじゃ、新人の方じゃないか? とんでもない腕だった」
眼鏡をかけた男、南が言った。
「だが、相手は先輩だ。学校の部活でも軍隊でも、いきなり喧嘩をふっかけられたら萎縮したりするもんだろ」
幹部の一人、杉山の言葉に隣の杉田も頷く。
「しかも、相手はあの玉城だからな。……念を押しとくか」
扇は呆れた表情で嘆息してから、持っていた通信機の電源を入れた。
「あー、二人とも聞こえるか。もう一度いうが、格闘戦は御法度だ。機体が壊れるからな。使用していいのはライフルだけ。スラッシュハーケンは使ってもいいが、相手に当てないこと。破れば始末書と減給だ」
『わーってるよ。ごたごた言ってねえで、早いとこ始めようや。なあ、新入り?』
『……準備完了』
玉城の粗野な声と、ライの静かな声。本当に正反対だ。
「指定したエリアの外には出るなよ。軍に見つかるかもしれないし、カメラが無い。それじゃ始めてくれ」
『っしゃあ! 行くぜ行くぜぇ!』
モニターに映し出された玉城の<無頼>はいきり立った様子で移動を開始する。ライは下手に進まず、ランドスピナーを使って手近なビルを昇り始めた。
お互いの武器は標準的な三〇ミリのアサルト・ライフル。スタントンファや爆発物の類いは装備されていない。胸部の七・七六ミリ対人機関銃も外されている。
勝負を決めるのは単純な撃ち合いの技術と位置取りのみ。ナイトメア・パイロットとしての基本が試されるというわけだ。
相対距離は二〇〇〇メートルほど。まずは身を隠すなり有利な地形を見つけるなりで、会敵までには時間がかかるだろう。
カレンはモニターから目を離し、未だに沈黙を保っている組織の長へ質問した。
「ゼロは、どちらが勝つと思います?」
『ライだろうな。負ける理由が無い』
即答だった。
『勝って当たり前の戦いだろう。決まりきった勝敗よりも、私が見たいのは彼の勝ち方だ』
「勝ち方って……」
『もうじき分かる』
ゼロが言うと同時に、ラウンジ内でざわめきが巻き起こった。
モニターには背部のコックピットを青い蛍光塗料で塗りたくられた玉城の機体が映し出されている。色からして、あれはライが撃ったと見られるペイント弾だ。
開始から僅か五秒足らず。二〇〇〇メートルの彼方からビルの合間を縫うようにして飛んできた砲弾が命中したことになる。
撃破判定。
実戦なら、玉城は即死しているだろう。
「たった一発……狙撃か?」
「おいおい、マジかよ」
「嘘だろ……」
ラウンジ内の端末は両者が操る機体の状況をリアルタイムで表示している。玉城の<無頼>は敵からレーザー照射を──ロックオンを受けていない。
対して、ライの<無頼>からは発砲信号が一度だけ発信されていた。
一撃。たったそれだけで決着がついてしまった。
機体からのサポートに頼らないマニュアル射撃。そういえば、シンジュクゲットーでも似たようなことをやっていた。
しかも今のライが扱っているのはあの時と違う万全の<無頼>だ。整備不良による手足末端の痙攣も無ければ、光学カメラにも傷一つない。
確かに可能なのだろう。砲弾が届き、目が届く距離なら、おそらく当てられるのだ。
それでも背筋がぞくりとするのは抑えられなかった。"あの時"と同じ感覚が襲ってくる。
『は? 終わり? 嘘だろ!?』
一番驚いているのは玉城だ。機体を動かし、戦いに臨もうとした時には負けていたのだから、状況を理解出来ないのも無理はない。
客観的な位置から見ているカレン達でさえ混乱しているのだ。
『……これで良いですか』
ライはいつもと変わらない様子で言ってくる。
通信機を持っている扇は困った表示でゼロを見た。判断し難いのだろう。玉城は納得していないし、他の幹部も唖然としている者が多数だった。
『君の勝利だ。だが、我々が見たいのは単一的な技能ではなく、総合的な操縦技術だ。もう一度やってくれるか』
『……了解』
気分を害した様子もなく、ライは通信を絶った。二機の<無頼>はお互い、開始地点から殆ど動いていない。
玉城は『ナメやがって』『インチキ野郎』『一度目は遊び』などと喚いていたが、模擬戦の相手から反応はなかった。もしかしたらチャンネルを切っているのかもしれない。
一分ほど経過してから扇の合図があり、二度目の模擬戦が始まる。
今度は小細工なし、両者は直線的な機動で接近していく。相対距離が一キロを切った時点で玉城が移動方向を変えた。
そびえ立つビルや散らばった瓦礫などを利用して横撃しようという考えだろう。基本的なジャミングも併用している。
「身を隠すか。まあ、あいつにとっちゃここいらは庭みたいなもんだ」
「いつになく頭を使うじゃない」
「それだけ本気ってことだろ」
地力でブリタニア軍に劣る反政府組織にとってゲリラ戦術は基本中の基本だ。
地形、天候、地元民からの協力。そういったあらゆるもので身を隠し、敵の不意をついて針のような一撃を加える。
この手の戦術について、有効な対処法はほとんど無い。租界などの生活圏が近くにある場合は特にだ。
玉城は細かいことが嫌いで浅慮だが、ブリタニア軍との戦いで生き延びてきたのは紛れもない事実。
ライがどれだけ強かろうが、近辺の地形を熟知している玉城が相手では後手に回ることもあるだろう。
玉城は最初から目を付けていたのだろう、ナイトメアが隠れるにはこれ以上ない廃墟の隙間に潜んでいた。出力を限界まで落とし、あからさまな電波妨害もかけていない。
奇襲の見本のようなやり方だった。
「珍しいな。しかも上手い」
「普段からああやりゃいいのに」
なぜか、新人の実力を見るテストで試験官の評価が上がっている。
対するライは愚直なまでの前進を続けている。敵機の反応が消えた事に気づいていないはずもないだろうに。
黒い<無頼>は開けた場所──今まさに玉城が狙っている地点だ──に到着すると、そこで足を止めた。火器を持った両腕はだらりと下げられ、索敵や電子兵装による防御もおこなっていない。
完全な無防備。倒してくれと言っているようなものだ。
「……撃たないな」
玉城はトリガーを引いていない。慎重や忍耐という言葉とは無縁のあの男が、ここで動きを見せないのには理由がある。
それはプライドだ。心のどこかで侮っていた新入りに一撃で倒され、古い付き合いである幹部連中の前で恥をかかされた。
そして二度目の戦い。得体の知れない新人は気味が悪いほど無防備に近寄ってきた。なにか、想像も出来ないような策を仕掛けているのではないかと勘ぐっているのだろう。
だから動けない。動かないのではなく、動けない。
睨み合いは一〇秒以上続き、そこでライの方から動いた。
持っていた三〇ミリ砲を持ち上げ──それを地面に棄てたのだ。
今回の模擬戦は近接攻撃を禁じている。スラッシュハーケンも同様だ。その上で唯一のダメージソースであるライフルを放棄。
あれは挑発行為に他ならない。流石に怒りを覚えたらしい玉城の<無頼>が罵声を飛ばしながら三〇ミリ弾を浴びせかける。
しかしライの機体は軽い身のこなしで射線から逃れ、建造物の陰に逃げて行ってしまった。すかさず玉城が追いかけていく。渾身の奇襲が外れたことで理性が働いていないようだ。
井上がカメラを切り替えると、背後から攻撃を受けるライの<無頼>が映し出された。
直線的な道路を疾走する二機のナイトメア。散発的な砲声と、ロックオン・アラート、勝ちを確信した玉城の挑発が聞こえてきた。
しかし、一見にげ惑っているようで、ライの<無頼>は被弾を受けていない。背中に目でも付いているのか、的確なタイミングで加速と減速を繰り返し、紙一重で直撃を避けていた。
背部にコックピットがあるナイトメアからすれば、後ろから狙われるというのは悪夢そのものである。被弾がそのまま死を意味するからだ。
加えて、瓦礫が散乱する悪路での回避機動というのは相当に気を使う。これはライがずば抜けた制動技術を持っている証左に他ならない。
『この野郎! ちょこまかしやがって!』
攻撃手段を持たない<無頼>が地面にスラッシュハーケンを打ち込み、それを軸として方向転換した。ちょうど、玉城の機体が弾倉を交換したタイミングを狙ったものだった。
勢いはそのままに両機の距離は一瞬で縮まっていく。
玉城の<無頼>はまごつきながらも狙いを定め、ライフルをフルオートで撃ちまくった。だが、敵機は電子兵装の助けを受けながら、弾幕の中をすり抜けるように直進。
『……!』
乱射のせいでまたも弾切れ。
ライの<無頼>は既に目前に迫っている。普通ならここでスタントンファかハーケンを打ち込まれて、決着がついていたはずの展開だった。
だが、硬直した敵機を無視してライの<無頼>はまた逃げ去っていった。
『くそがっ!』
その後も一方的な鬼ごっこはしばらく続いた。
ライはひたすら逃げ回り、散発的な挑発行為を繰り返しては姿を消す。その度に玉城は激昂して砲を乱射した。
『おらおらおらおらぁっ! ……あれ?』
戦闘エリア内を走り回り、結局もといた地点まで戻ってくる。景気よく撃ちまくっていた<無頼>だが、急に攻撃の手が緩まった。
玉城は混乱した様子で仕事を放棄した火器を見回している。
「……馬鹿」
井上が額を押さえた。誰でも分かる。あれはただの弾切れだ。もう予備の弾倉が残っていないため、機体がオートで給弾もしてくれない。
ライの<無頼>は地面に落ちていた三〇ミリ砲を器用に足で掬うと、それを空中でキャッチして敵機の頭部に突きつけた。
二度目の勝利。結局、彼は一発も撃たずに勝ってしまった。
深夜を過ぎ、日の出が近づいてきた頃。自分の仕事を終えたカレンはトレーラーを出てナイトメア用の格納庫へ向かっていた。
検査を終えたライはめでたくナイトメアの搭乗資格を与えられることになり、諸々の説明と整備の話をするために格納庫へいると井上から聞いたためだ。
防火扉に似た構造のドアを開き、中を窺う。
この時間になれば整備士の連中は引き上げているため、倉庫の中は暗かった。一部の証明のみが点けられていて、ライと扇の二人を照らしている。
「……?」
妙な空気だと思った。椅子に座っている銀髪の少年と、その隣に立ってなにかを喋っている扇。
ライはいつもの無表情だが、副司令の方は難しい顔で後頭部を掻いている。
新入りの方が頷くと、扇は安心した様子で彼の肩を叩き、去っていった。上司がいなくなったのを見送り、ライは再びパソコンに何かを打ち込み始めた。
「なにしてるの?」
近づいていって話しかけると、ライはその手を止めた。作業の邪魔になったかもしれないと、申し訳ない気持ちになる。
「ナイトメア用のバックアップ・システムを作ってる」
「バックアップ・システム? OSじゃなくて?」
「新しいタイプのOSも作ってみたが、あまり良い出来じゃなかった。だからグレードを落としてバックアップ・システムから作る」
いつの間にOSなど作って試していたのか。
「もしかして、さっきの模擬戦で使ってたの?」
「ああ。細かい動きに追従できるように作ってみたが、そもそものテーマが間違っていた。ブリタニアの騎士に対抗するなら、習熟の浅い操縦者に適した物にするべきだろう」
ライの言うことは確かだった。ブリタニア軍のナイトメアパイロットは最新の機材を使った専門の教育を受けている。
それに対し、日本の反政府組織は一般上がりの構成員と前世代のコピー機を間に合わせのパーツで運用している状態だ。どうしても差は出る。<黒の騎士団>も例外ではない。
「あ。言っておくけど、あなたが戦ったのはうちの落第生なんだからね。あれが基準じゃないわ」
「分かっている。データを見させてもらった。……君はナイトメアの扱いが上手いみたいだな」
「ま、まあね。一応それなりには動かせるけど」
カレンは<黒の騎士団>の結成以前からナイトメアを動かしていた。単純な操縦技術なら今でもダントツでトップである。
扇のグループが唯一保有していた<グラスゴー>を任されていたことから、ナイトメアの操縦は自身の中で重要なアイデンティティとなっていた。
それを褒められて少し声が弾んでしまったが、ライの横顔は暗かった。
「…………」
そういえば、と思い出すのはシンジュクゲットーでの戦いだ。あの時、行動不能になった<無頼>を前にしてカレンは、ナイトメアを動かせないと言ってしまった。
そのためにライが代わりに動かし、代わりに戦って、それが転じて<黒の騎士団>へ加入する理由となったのだ。複雑な心境になるのは当然かもしれない。
彼からしてみれば、自分が必死になって守ろうとした人物から嘘を言われたことになる。なにより、出会った時からカレンはライを騙していた。
それどころか、正体が露見しそうになった時は『他の人には黙っていて』などと都合の良いことを言っていたのである。
それが今になって急に仲間になれと手のひらを返してきた。面白くないに決まっている。
利用されていたと思われても仕方がない。
「どうした」
気づけば、ライがこちらを見ていた。気遣うような問いかけに少しだけ安心する。
「え? ああ……えっと。帰り道のことよ。この時間になると、租界に戻るのが難しくなるから」
「そうか。少し待ってくれ。これが終わり次第、帰ってもいいらしい」
そう言ってキーボードを叩き始める。液晶画面に映し出されている記号や数式はさっぱりわからなかったが、ライの口調からするとそれほど掛からないらしい。
「じゃあ、ここで待ってても良い?」
「当然だ。というより、君は僕の上司なんだろう。好きなようにするといい」
「そっか。……そういえばそうね」
ライがナイトメアに乗るということは、そのままカレンの下に就くということだ。
なんだか感慨深い。
「近い内に作戦はあるのか」
「え? 今のところはないかな。普通ならゼロから話があるはずだけど」
「……そうか」
それから気まずい沈黙が訪れた。キーボードを打つ音以外は何もない静寂。
一〇分ほど経って、作業が終わる。
帰り道も、沈黙が途切れることはなかった。
<黒の騎士団>へ加入した次の日、ライは学園を休んだ。<特派>へ断りの連絡を入れるためだ。
ロイドは不在だったが、セシルとスザクに言うことが出来た。二人とも神妙な表情だったが、引き止められたりはしなかった。元からあてにされていなかったのだろう。そう思うことにした。
自分は彼らを裏切ったのだ。それどころか、これからは敵ということになる。
もう、あの大学には近づかないようにしよう。そんな誓いを立て、放課後の学園へ向かった。
「…………」
かつてないほどの疲れが体を蝕んでいる。悪夢は続いていて、<特派>には行けなくなった。学園にも居づらい。
(そういえば……)
日中、スザクは仕事場にいた。学園を休んでいたということだ。彼の分のノートをとっていない。
生徒会の書類仕事もある。イベントの繁忙期は近づいてきているのだ。いま、穴を空けるわけにはいかない。
体が重い。気持ちが沈む。思考が滞っている。
どんよりとした気持ちのまま、生徒会室の扉を叩いた。
あわよくば、誰もいないことを願う。こんな事を考えたのは初めてだった。
「はーい!」
元気の良いシャーリーの声が返ってきた。髪を引かれるような感覚。この扉を開けたくない。
逡巡していると、ドアが僅かに開いて隙間から見慣れた瞳が覗く。ライの姿を認めると、今度は勢いよく開け放たれる。
「どこ行ってたの!?」
「シャーリー……」
彼女の背後、生徒会室の中にはスザク以外のメンバーが顔を揃えていた。頭の奥で鈍痛が響く。
体調が加速度的に悪化していくのが分かる。
「ライ? なんか顔色悪いよ。……なんかあった?」
無遠慮にじろじろと見られ、ライは思わず後ずさった。他のメンバーもこちらを見ている。
「なんでもない。少し寝不足なんだ。心配してくれてありがとう」
そう告げ、シャーリーを躱して中へ入る。カレンと目があったが、いま言葉を交わすのはなんだか億劫だった。
彼女から離れた席へ座り、仕事の準備を始める。
さっさと書類を広げ、仕事に取りかかる。朝方に片付けておいた甲斐もあり、三〇分かからずに終わるだろう量だ。
「…………」
ルルーシュの方から視線を感じる。気づかないふりをした。
リヴァルやシャーリーからの追求をいなしながらペンを走らせていると、書類上の計算間違いを発見した。
初めての経験だ。最初からやり直さなくてはならない。ミレイの所まで持っていって、ミスをした箇所を報告する。
「すみませんミレイさん。ミスをしてしまったんですが」
「んー? ミス? 誰の? またシャーリー?」
「僕です」
「……うっそ」
イベント用の計画書を作成していたミレイがライの会計書類を見て、驚いた表情になった。
「また変なところで間違えたわね。なに、体調でも崩したの? 顔色も悪いし」
「寝不足なんです」
「恋煩い?」
「はい」
ライの返答にシャーリーとリヴァルがぎょっとしたが、言われた当人であるミレイは不満そうに目を細めた。
「適当な返しねぇ。まったく……はい、書き直すんでしょ」
新しい紙を受け取り、席に戻る。
「お前が間違えるとこ、初めて見たよ」
隣のリヴァルが小声で言ってくる。
「…………」
「オマケにここも」
彼が指差した箇所に書き間違えがあった。今までミスなどしたことがなかったのに、ここに来て頻発するとは。
ライが肩を落とすと、リヴァルが自身のペンケースから一つの文房具を取り出した。
「ほい、修正テープ。これくらいなら問題ないっしょ。俺なんてもっと多いし。……どした?」
修正テープをじっと見たまま動かなくなったライに、怪訝な表情を浮かべる。
「使い方が分からない、とか?」
「ああ。ミスをしたことが無いんだ」
「……お前って時々、すげえ嫌味な奴だよな」
仕方ないとばかりにリヴァルがテープで間違えた箇所を直してくれる。
「すまない」
「気にすんな。調子を崩す日なんてあって当たり前なんだから。むしろ、今まで上手く行き過ぎてたんだろ」
「…………」
どうにも、気が散っているらしい。
このタイミングで不調を気づかれるのはまずい。なんとかして立て直しを図るが、仕事が終わるまでいつもの集中力が戻ってくることはなかった。
「ライ、ちょっといい?」
細心の注意を払って書類を片付け、帰り支度をしていると、ミレイから声をかけられた。
この後は用事がある。時間にはまだ余裕があったが、<黒の騎士団>に関係する仕事だ。ギリギリに動くのはよくない。
しかし、相手は他でもないミレイ・アッシュフォード。無碍に扱おうなどという気は無かった。
屋上に呼び出され、二人で夕焼け空を見上げる。近辺は晴れているが、地平線の彼方からは黒い雲が近づいてきていた。
そういえば、もう梅雨に入っているらしい。雨が降る季節だ。
「なんかあったんでしょ」
唐突にそう言われた。手すりに身体を預けたミレイの言葉には確信の響きが宿っている。
なんと言おうか。ライは生徒会長の背中を見ながら考えた。
「…………」
「話しにくい?」
「そうですね。そうみたいです」
「じゃあ質問を変えるわ。今日の昼間は何してたの?」
「それは……」
身体が重いと、そう感じた。
昨日まで、ライは彼女にとって『記憶喪失の身元不明者』だった。保護の対象だった。だが、今は違う。
今は『敵』だ。『裏切り者』でもある。
その事実はもう変えられない。そう思うと、背中に誰かがのしかかってくるような感覚になる。喉が乾いて、声が掠れる。
こうして言い訳を探している自分が卑しく思えて仕方なかった。
「スザクの職場に行っていました」
この部分で嘘を言う必要はない。正直に話す。
「新人として挨拶に行ってきたの?」
「逆です。断ってきました」
ミレイは驚かなかった。むしろ、ライがそうすることを予見していたようにも思える。それほどあっさりしたリアクションだった。
「……また誰かのため?」
「え……」
「あなたっていつもそうでしょ。義務感と責任感ばかりで、自分の事は後回し……っていうか考えてない」
「…………」
「私はね、ライ。あなたを小間使いにしたくて学園に置いてるわけじゃないの。ちゃんと自分がやりたい事を見つけて、それに向かって努力してもらいたいって思ってる」
「難しいです。僕は今こうしている間にも、周囲に迷惑をかけている。そんな人間が一人前の顔をして、権利を主張するのは恥ずかしい行為だ」
ミレイが振り向いた。明らかに怒っている表情。
「ここは学校よ。自分のやりたい事を見つける場所なの。そしてそれを応援する場所でもあるわ」
「僕はただの居候です。一般の生徒と同じ扱いを受けるべきじゃない」
「そうじゃないでしょ。例えあなたが仮入学生でも、その制服を着ている以上はうちの生徒なの」
ミレイが歩み寄ってきて、ライの胸を指でつついた。
「…………」
黙り込む。この制服は与えられた物だ。正式な手順を踏み、自分の力で勝ち取ったものではない。
ミレイが怒っている理由が分からない。
彼女はライに度々、アッシュフォード学園の正式な生徒になれと言ってきた。それに従わないから憤っているのだろうか。
どうも、それだけではないような気がする。
「不安なのよ。あなたがどう思ってるか分からないから」
「……?」
「生徒会の仕事をするのも、ノートを取るのも、買い物に付き合うのも、バイクの整備を手伝うのも……全部、恩返し。義務感でやってるんじゃないの?」
「……分かりません。もしかしたらそうかもしれない。でも、そうだとして何か問題があるんですか」
役に立っているなら良いのではないか。この得体の知れない知識や技術も、利用価値があるなら問題はないはずだ。
他には何も無い。金もコネも地位も家族も、何一つとして持っていない。
そんな自分が周囲に還元できるものがあるのなら、それで良いではないか。それさえ許されないというのであれば、一体どうしたらいい?
「あるわよ。あるに決まってるでしょ。そんな疲れ果てた顔して、大丈夫だなんて思えるわけない」
「……だから、寝不足なんです」
嘘ではなかった。実際、この一週間近くは眠りが浅い。一日の睡眠時間、その平均はおよそ二時間くらいだろうか。
「ミレイさんこそ、僕に何か隠してるんじゃないですか」
「え……」
「今日、スザクの職場に行って来ました。あっちでもそうだ。何か隠されている」
<特派>でおこなった健康診断。その中で一つだけ、血液検査の結果だけが知らされていない。
スザクは何も知らないようだったが、セシルは後ろめたさのある表情をしていた。
「僕の事について、何か分かったんじゃないですか。例えば、血液とか」
「それは……」
ミレイが珍しく言いよどむ。顔を俯かせ、何か適当な言葉を探しているのが見て分かった。
自分の事でミレイにいらぬ心労を与えている。ただでさえ、彼女は大変な立場なのに。
ライは空を見上げた。どんよりとした、重くて低い空。息が詰まりそうだ。
「見合いの話はどうなりました」
「な、なによ急に」
「ミレイさんの悩みを聞いてみたいんです。僕には解決出来ない問題だと思いますけど、それでも何も知らないでいるのは嫌だ」
「……話を逸らそうとしてるでしょ」
「僕の事ばかりでフェアじゃないですよ。たまにはミレイさん自身の話を聞きたいと思って」
学園に来た時からミレイはライの世話を焼いてくれたが、逆はまったく無い。それどころか、彼女は周囲に対して弱みを見せないのだ。
生徒会長としての、アッシュフォード家としての立場がそうさせるのか。
それはライには分からないが、今のまま他人の世話ばかりしているのが健全とは思えない。
ミレイは数秒ほど睨んでから、ぼそっと言った。
「……今度はちょっと厳しいかも」
「厳しい。今まで破談にしてきたのに、ですか」
ミレイは頷いた。
「最近になって力を付けてきた貴族の人なんだけど、お祖父様の親友の得意先なのよ。将来安泰でお金持ち、ユーモアもあって、しかも若い。なによりハンサム」
「急成長したということはブリタニア軍の関係者ですか」
「んーん。ブリタニア国内は古株の縄張だらけだから、EUや中華連邦を相手に投資だの貿易だのしてきたらしいわよ。つまり、商才の塊ってこと」
なるほど、見合い相手としてはこれ以上ない条件だ。
「でも、それだけ安定しているなら婚約を急いだりはしないのでは……」
若いというには恐らく、二十代か三十代なのだろう。急成長を続けているのであれば、今は仕事に専念したい年頃だと思えた。
「そういうわけでもないのよねー。ほら、ウチって歴史だけはあるじゃない? しかも孫娘が美人なもんだから、あっちとしては逃したくないみたい」
アッシュフォード家は歴史のある由緒正しい貴族だ。
他の有力貴族にも仲の良い者が多数おり、トウキョウ租界で理想的な立地条件の土地に学園を建築出来たのも、そういった繋がりがあったためらしい。
ミレイの話から受ける印象では、見合い相手はやはり、政治的な思惑があって彼女と婚約したいように思える。
アッシュフォード家からすれば才能のある若者が婿養子になってくれる。
見合い相手からすれば今まで国外を対象にしてきた商(あきな)いを国内でもやれて、貴族としての位も上げられる。しかも、若く美しい娘と結婚できるのだ。
良いこと尽くめだ。大勢の人が幸せになれる。
ミレイを除いて。
「…………」
なんだろうか。
何かが、どうしても気に食わない。今までに無かった、それでいて懐かしいような苛立ちが雄叫びを挙げている。
ライが自分の感情に混乱していると、ミレイは手をひらひらさせながら言った。
「話はこれでおしまいね。私は戻るから、ここで話したことは忘れて。……誰にも言わないこと。わかった?」
「…………」
応とも否とも言えず、無言を返す。そんなライには構わず、ミレイは屋上から去っていった。ただ、その背中だけが記憶に深く刻まれる。
遠い何かと重なるような、忘れられない後ろ姿だった。
生徒会室に戻ると、ルルーシュが一人残っていた。他のメンバーの姿は無い。帰ったか、それぞれの部活動などに行ったのだろう。
ライもこの後は<黒の騎士団>の用事がある。さっさと荷物を纏めて、鞄の中に収めていく。
「ライ」
「ん……なんだ」
柄にもなくギクリとした。この少年は隠し事をしたい相手ではなかった。頭がとても良いし、敵の弱点を見通すことに長けている。
なにより、今のライは彼とその妹──ナナリーの敵に他ならない。もし<黒の騎士団>に入ったことが知れたら、ルルーシュは躊躇いなく自分を排除しようとするだろう。
その気持ちは良く分かる。だからこそ、いま彼と話すのが怖かった。
「……いや、なんでもない」
ルルーシュはこちらに目を向けず、そう言った。
ライはそのまま踵を返そうとして、思いとどまる。
「ルルーシュ。僕から少しいいか」
「ああ。なんだ?」
「ミレイさんの事だ」
ライはつい先ほど彼女からされた話を、ルルーシュにこと細かく説明した。
「……口止めされたんじゃないのか?」
「された。だが、そうも言っていられないだろう。僕はまだ恩を返していないし、それは君も同じはずだ」
ルルーシュもライと同じ、ミレイに世話になっている人間の一人だ。この話をすれば、彼から何らかの協力を得られると思った。
「お前はどうしたいんだ。まさか、破談にしたいのか」
当然の質問。ライはミレイの縁談についてのあれこれをそのまま話しただけで、自身が具体的にどうしたいか全く明言していない。
「それは……分からない。とにかく、嫌なんだと思う」
振り返ってみれば、ライは自身から進んで動いたことがほとんど無かった。
「アッシュフォード家の現状はお前も知っているだろう。これは会長の問題だ。俺達が手を出していい話じゃない」
「分かっている。でも、政略結婚だとか……そういうのは嫌いだ。家は裕福になるかもしれないが、これから先、ミレイさんはずっと苦しい思いをすることになる」
幸せな恋愛を経て結ばれたからと言って必ずしも幸せになれるとは限らないのと同様に、政略結婚をしたからと言って、必ずしもミレイが不幸になるわけではない。
そしてルルーシュの言った通り、これはアッシュフォード家の問題であり、ミレイの背負う責任の話でもある。部外者が干渉するべきではない。
だが──理由は分からないが、どうしても嫌だった。気に食わない、認めたくないという幼稚な感情が無視出来ない。
相手を納得させようと理屈を並べたてようとして、諦める。いつもと違って全く思い浮かばない上に、そんな上辺だけの言葉がルルーシュに効くとも思えない。
「今までずっと、ミレイさんは周囲のために献身してきたと思う。彼女は幸せになるべき人だ」
ルルーシュは持っていた本をパタリと閉じた。
ようやく聞いてくれる気になったのかと思った矢先、彼はひどく不機嫌な顔で、
「体育の授業の時だ」
唐突にそう言った。
「体操着を隠されたせいで、俺は制服で出るはめになった。出席日数がギリギリの俺に対する、まったく見事な奇襲だった」
「…………」
そういえば、以前にリヴァルがカメラを持って走り回っていた気がする。
ミレイはルルーシュに対して、度々その手の悪戯をしかけることがあった。それを根に持っているらしい。
「それだけだろう。これはもっと大規模な話で──」
「他にもある。違う日のことだ。体育が終わった後、制服を隠された俺は体操着で授業を受けるはめになった。数学の出席日数がギリギリの俺に対する、まったく見事な奇襲だった」
「…………」
そういえば、その時もリヴァルがカメラを持って走り回っていたと聞いた気がする。思ったより問題の根は深いようだ。
だが、一回や二回羞恥心を刺激されたくらいで、ミレイを見捨てていいわけがない。
ルルーシュは素直ではないところがあると、シャーリーやリヴァルから聞いている。
これもその一つだろう。
「それはきっと、ミレイさんなりの強がりだ。周囲を心配させまいとする、彼女なりの……」
「お前は会長に対して、やたらと好意的だな。リヴァルのライバルか?」
「どういう意味だ……? 君こそ、らしくないな。いくら日頃から対立していると言っても、道理というものがあるだろう」
「ある。これは会長自身が引き起こした結果だ。エリア11のことわざでは因果応報という」
「感情的だな。ここでミレイさんに恩を作っておけば、今後は優位な立場を得ることも出来るじゃないか。政治的な見方をするべきだ」
「聞けないな。政治的というなら、大衆の前で正式に謝罪してもらう必要がある」
本当に頑固だ。ミレイがいなくなれば、彼女の庇護を受けているルルーシュにも影響はあるに決まっているのに。
よほどストレスが溜まっていたのだろうか。
ライは頭を下げた。
「頼む。この通りだ」
ライは頭を下げたままで続ける。
「聞けんな」
「頼む」
「駄目だ」
「そこを何とか」
「断る」
「ナナリーに言うぞ」
「わかった話を聞こう」
ようやく陥落に成功。心中で理想的な妹であるナナリーに惜しみない感謝を贈る。
「まずは、相手の身元を調べたい」
「それで会長を幸せに出来る人物なのか判断するのか。まあ、妥当な線だな」
数少ない弱点を突かれたルルーシュはため息をつきながら、しかし満更でもない表情で言った。
本当は最初から協力してくれるつもりだったのではないだろうか。
「しかし、いくら国外で活躍していると言っても、相手は確かな実績を持っている貴族なんだろう。俺たち程度で見つけられる弱みがあったら、他の貴族連中がつついているはずだ」
「……そうだな」
「感情的とはお前らしくない。いつもなら先を見て動いているお前が」
「まったくだ。だからこうして、君に助力を願っている」
出来ない事は出来ない。ならば、有力な人物に話を聞いてもらう。当たり前のことだ。
無力な人間が一人で悩んでいても、出来ることなどたかが知れている。
「普段からこうして他人に頼れば良い」
「いつも頼っているよ。皆が気づかないだけだ」
本心からそう言うと、ルルーシュは笑った。理由は分からなかった。
「ああ。なら、そういう事にしておこう」
考える。ミレイが見合いをしたとして、何が問題になるのか。ただ感情的なままに動いても事態は好転しない。
「ここは学校だ。生徒達はいずれここを巣立っていく。会長だってそれは変わらない。お前がどれだけ固執しようが、それは問題を先延ばしにするだけだ」
ルルーシュの言葉はいちいち正しかった。
仮にこの見合い話を破談に持ち込めたとしても、アッシュフォード家の経済状況は良くならない。
ミレイは今、三年生である。どう足掻いても残り一年足らずで卒業するのだ。その先は、今ときっと変わらない。
「前に、ミレイさんが言っていたんだ。この学園が好きだって、ここの生徒達が好きだって。だから幸せなんだと言っていた」
あの時も夕暮れの屋上で話をしていた。
「……そうか」
「確かにミレイさんは悪戯好きで手に負えないところもある。でも、本当は自分の未来に怯えているように見えて……」
頭の奥で何かがチラつく。錆び付いている古びた景色。記憶よりも深い所にある、自身の本質に繋がる何か。
「…………」
ライの形にならない不格好な言葉にも、ルルーシュは耳を傾けていてくれる。
「誰かのために理不尽と向き合っていて苦しいのに、それでも誰かのために耐えている。僕はそういう姿勢を尊いと思う。だから、なんとかしたいんだ」
「それが時間稼ぎにしかならなくても?」
「そうだ。せめて、ミレイさんが学生のままでいられるうちは青春を謳歌してもらいたい。だって、それが義務なんだろう?」
「……そういえば、そうだったな」
呟いてから、ルルーシュはくすりと笑った。初めて見た笑顔だった。
「会長に沈まれると俺も寝覚めが悪い。俺も協力しよう。だからナナリーには言うなよ」
「ありがとう、ルルーシュ」
もう一度頭を下げると、彼は鬱陶しそうに手を振った。
「礼ははいらん。それより、相手の名前を教えろ」
「ああ。確か──」
グリフィン・オルブライト。それが、相手の貴族の名前だった。
「驚いた。本当に何でも出来るのね」
脚立から降りてきたライに、井上がご機嫌の様子で言った。
彼女から<黒の騎士団>が使用している施設の保守点検を依頼され、今は調子の悪かった空調機を直したところだ。
「うちの男共じゃ、せいぜいファンを磨くくらいしか出来ないのよねぇ」
「知識が無いなら弄るべきじゃないですよ。ともかく、部品があって良かった」
「この調子でボイラーも直してくれない? シャワーが冷たいのよ」
「あれは故障ではなくて、ボイラーが地上にあるせいですから……シャワールームまでの距離を縮めるか、もっと強いボイラーに交換するかしないと」
「えー? 設定温度を上げれば良いじゃない」
「そうすると男性用のシャワーから沸騰寸前のお湯が出てきますよ」
「それくらい良いでしょ」
「井上さんが責任が持つと言うんであればやりますけど」
「…………」
傍若無人な言い分を鎮めたライはポケットからメモを取り出す。着ているのは騎士団指定の黒い団員服だが、まだまだ着慣れていないせいで手間取った。
「次は……」
「照明の交換ですね」
「そんなん誰でも出来るでしょ」
「下っ端の仕事です」
「まったく。信じらんない」
言った通り、雑用は新入りであるライの仕事だ。不服だとは思っていないし、トイレ掃除などを命じられないだけありがたい。
「それが終わったら買い出しに行って、シミュレーターの調整……と。」
「銃器類の整備もあります」
「ありえないわよ。こき使われすぎ。私からゼロに言ってくるわ」
「大丈夫です。それにこれは僕自身のためでもありますから」
ライは井上から渡された工具を腰のポーチにしまってから、脚立を担ぐ。
「自分のため?」
「何を知っていて、何がどこまで出来るのか。そういった事の確認を済ませておきたくて。なるべく早く」
通路を歩き、突き当たりに差し掛かる。そこで曲がり角から大柄な男性が現れた。
「そういえば、記憶喪失なんだってな」
扇要。<黒の騎士団>のサブリーダーだ。
レジスタンス組織の幹部とは思えない穏やかな顔立ちに、リーゼントのような髪型。額にはカレンや井上と同じ赤いバンダナを巻いている。
「記憶喪失ねぇ……」
「信じられませんか」
「そうじゃないわよ。こういう土地に住んでるんだし、一時的な記憶障害だって見てきてる。でも、生まれてから今までの一切が思い出せ無いなんて、かなり珍しいと思ってね」
「それなのに、ナイトメアの知識はあるんだもんな。ゼロが興味を持つのも分かる」
「…………」
二人の幹部からまじまじと見られ、ライは窮屈な思いをした。脚立を担ぎ直し、
「それで、何の用です?」
「ああ、そうだった。これから買い出しに行くだろう? こいつを渡しておこうと思ってな」
扇はポケットから小型の黒い携帯端末を取り出した。ピカピカの新品である。
「通信機だ。一応は最新型で、強力な暗号化機能が付いている。ブリタニア製だから、租界で持っていても怪しまれない」
「しかも防水性も完備」
扇の説明に井上が付け足しを加える。
彼の言った通り、見た目は最近発売されたばかりの端末とそっくりだが、これは外観を似せているだけだ。
フレームや液晶は頑丈な造りになっており、高い耐衝撃性や防弾性を有していることが窺える。
そして恐らくは、発信機も付いているのだろう。見れば分かる。当然の措置だ。
「……ありがとうございます」
ライは通信機を受け取ると、上着のポケットにねじ込んだ。
「無くすなよ。偽装してはいるが、重要な情報が山ほど入っているからな」
「了解」
「……カレンの番号も入ってるからね」
井上が意味ありげに耳元で囁いてくる。
「当然ですね。租界の中で何かあった場合、彼女との連携は不可欠だ」
ライは租界内でカレンの正体を知る(多分)唯一の存在であり、逆もまた然りだ。万が一の事があれば二人で協力しなくてはならない。
もとより、通信網に穴があるようでは連絡装置としては使いようがないだろう。カレンの番号が入っていなければ聞きにいくつもりだった。
だがどうしてか。井上はつまらなさそうに目を細め、扇は苦笑していた。
「カレンが誘った理由がだんだん分かってきたわ。こりゃ強敵ね」
「いや、俺は安心したぞ」
「……?」
会話の流れが掴めずライが首を傾げていると、扇に肩を叩かれた。
「分からない方がいいんだよ。こういうのは。じゃ、例の件は頼んだぞ」
通信機を渡しに来ただけだったらしい。
「あ、文句言い損ねた」
井上は腰に手を当てて不満顔をするが、多忙な中でも渡しに来てくれたのは扇の親切心だろう。感謝するべきだ。
「じゃあ、電球の交換をしてきます」
「うん。お願いね」
その後、雑用を全て終わらせた頃には深夜になっていた。
「で、これが弾薬ケース。記載してある数字があるだろ。それで中に入ってる弾薬の種類を見分けるんだ」
いくつかのコンテナの前で杉山から説明を受ける。今は方々から集められた物資の確認作業を学んでいる最中だった。
軍事行動をおこなうに当たって、兵站管理は基本中の基本だ。コンテナの移動にはナイトメアを使うことも多くあり、ライの仕事にもなるだろう。
「この補給物資はどこから来てるんですか」
「ん……それが分からないんだよな。なんでも、ゼロの伝手らしい」
「……そうですか」
ゲットーの反政府組織にしては設備や物資、装備などがやたらと充実している点で<黒の騎士団>は異質だ。
専用の制服まで新規に揃えられるくらいなのだから、何か大手のスポンサーが付いているのだろう。だがそれを幹部の杉山が知らないというのは妙である。
ゼロのワンマン経営だとは知っていたが、これは予想以上だ。
「普通なら"キョウト"あたりなんだろうけどな」
「キョウト……。都市の名前ですよね」
「いや、この場合は違う。キョウトってのは日本勢力の元締めみたいなもんだ。あそこからサポートを受けられるかどうかで、その組織の格が決まると言っていい」
杉山の話によるとそのキョウトとやらは本当に巨大な組織で、エリア11のあちこちにネットワークを張り巡らせているらしい。各地の反抗勢力が活発なのも、おそらくは裏から資金提供を受けているからだ。
「今の<黒の騎士団>なら、キョウトからの覚えも良いんじゃないですか」
ここまで快進撃を続け、注目を集めている組織だ。元締めから接触を受けていてもおかしくはない。
だが、杉山は難しい顔をする。
「そうでもないんだな、これが。俺ら、<日本解放戦線>と揉めた事があってさ」
「ああ、あのホテルジャック事件の時ですね」
アッシュフォード学園のメンバーとユーフェミア副総督が監禁された事で記憶に残っている。確かあの事件は<日本解放戦線>の一部将校が暴走して起きたものだ。
そしてそれを、ゼロ率いる<黒の騎士団>が鎮圧した。
「こちらに良い顔をすれば、<日本解放戦線>から不満を持たれるかもしれないと」
「そういうこと。一番でかいのはあっちだからな。キョウトだって、それを無視出来ないんだろう」
<日本解放戦線>はナイトメアを五〇機以上有する最大の反抗組織だ。旧日本軍の兵士が多く所属しており、質と量が共に高い。
"奇跡の藤堂"や"四聖剣"という猛者もおり、コーネリア総督も強い警戒を示している。
他に目立った補給を受けられない理由があるとすれば、後はゼロ本人の問題だろう。
素姓の明らかではない者は警戒される。当たり前のことだ。
「まあ、俺達は俺達なりにやっていくさ。そうすればキョウトの方から声をかけてくるだろ」
「……そうですね」
「だから、期待してるぜ。新人」
朝方になり、ライは屋内の射撃訓練場で射的をしていた。この時間になると人も少なくなり、訓練場にはもう二人しか残っていない。
モノレールの始発を待つまでの暇つぶしだったが、ここで各人に課せられたノルマを終わらせておくのも良い。
五〇メートル先のターゲットに残弾を全て撃ち込み、九ミリ口径の自動拳銃を下ろす。耳栓代わりに付けていたヘッドホンを肩にかけ、ゴーグルを取った。
始発までもう少しだ。後は片付けなりしていればちょうど良い。どうせ隣にいるのも先輩だろうから、あちらの分まで纏めてやっておこう。
そう思い、自分のレーンから出る。隣の方もちょうど終わったらしい。仕切りの向こうで散発的に続いていた銃声が途絶えた。
出てきた人物と目が合う。
「……ん」
「あれ……」
見慣れた少女がきょとんとしている。隣で練習していたのはカレンだったようだ。
「なんだ、まだいたのか」
「なんだって何よ。あなたこそ、まだ帰ってなかったの」
「ああ。いろいろ覚えることがあってな」
「そう……」
「…………」
そこで会話が途切れる。以前のように話が続かない。いや、前からこうだっただろうか。
なんとなく息苦しい沈黙だ。それは相手も同じなのか、カレンはそわそわと窮屈そうに身をよじった。
「僕は片付けをするから、君はもう休んだ方がいい」
告げて、ライはカレンに背を向けた。
「あ……あの、ライ?」
「……? どうした」
「今日は学校、行く?」
「ああ。始発で戻って、そのまま出ようと思ってる」
「そう……」
「君は休むのか」
「……なんで休むって決めつけてるの」
いつもなら睨んでくるはずなのだが、今日は違う。落ち込んだ表情でカレンは俯いた。
気の強い彼女からは考えられない反応に、ライは大きく動揺する。
「え、あ。いや……違うんだ。いくらなんでも徹夜は辛いだろう。無理して通学する必要は無いと思って」
<黒の騎士団>は夜から朝にかけて活動する。その後に学園へ出ていては、体力が続かない。その折り合いをつけるために、カレンは"病弱なお嬢様"というキャラクターを演じていたのだ。
つまり、世話係という役柄は彼女にとって負担でしかなかったという事になる。
「これからは僕もこちらに来るんだし、適当に理由を作っておくことも出来る」
カレンにとっては学園より、<黒の騎士団>の方が大切なのは当たり前である。ならば、それをサポートするべきだろう。
立場や状況が変わった事で確かに悩みは増えたが、そればかりではない。柔軟な対応でこれからの事をコントロール出来るかもしれない。
「……うん」
だが、カレンの表情は明るくならない。それ以前に、どうして彼女が暗くなるのかが分からなかった。なにか悩みでもあるのだろうか。
「なにかあったか」
「…………」
正直に話してもらえるとも思えなかったが、とりあえず尋ねてみる。やはりカレンは笑顔を作ってから、
「なんでもない。それより、私も手伝うから片付けしちゃいましょ」
「……ああ」
何か引っかかる物を感じながら、ライは彼女の言葉に従った。
カレンと共に始発の電車に乗って学園まで向かう。道中はお互い無言で、こんなことは前にもあったなと思った。
そのまま生徒会室で仕事をしていると、珍しく早い時間に登校してきたルルーシュが部屋に入ってくる。
「ライ、少しいいか。話がある」
彼の用件はすぐさま察することが出来た。ミレイの事だろう。カレンに聞かれてはまずいので、屋上に場所を移した。
泣き出しそうな空の下。朝にしては暗い中で肩を並べる。
「グリフィン・オルブライトの周辺を漁ってみた。彼を取り巻く金の流れ、対人関係、スキャンダル。趣味や好きな音楽のジャンルに至るまで、色々とな」
「どうだった」
ルルーシュは首を振った。
「やはりというか、これといった収穫は得られなかった」
「そうか。僕も同じだ」
<黒の騎士団>の情報網にもグリフィンの弱みは引っかかっていなかった。
これは彼の潔白を証明し、また立派な見合い相手だということを保証する事実であるが、なにかがおかしいようにも思える。
「気持ち悪いな。粗が無さ過ぎる」
「俺もそう思った。国における権力抗争は根深い。それはEUも中華連邦も変わらん。新参が入り込む隙間はほとんど無いだろう」
普通なら長年に渡って人脈を築き、その上で賄賂や買収を駆使して登りつめる必要があるはず。
身綺麗なままでいることなど、それこそ力のある実家が背後に付いていなければ不可能だ。
「新しい奴が台頭してきたら潰そうとする。弱みが無ければでっち上げる。それが常識だと思っていた」
「だが、グリフィンは潔白だ。これはおかしい。昨日の動向は分かるか?」
「夜は取引先の男性や学生時代の友人と会食していた。それ以外は仕事のはず。僕が調べた限りでは、だが」
「新しい組織を立ち上げるのは苦労するからな。それでも、真っ当な男じゃないか」
なにか思う所でもあるのか、眠そうなルルーシュは言った。
「貿易関係の仕事をしているんなら、軍や警察と絡みがあるはずだ。そちらを調べてみようかと思う」
「それは良いが……。見つけてどうする? 告発する気か」
「違う」
ミレイを本当に幸せに出来る人間なら、多少の罪を犯していても良いと思っている。確かな能力と将来性を有しているのなら、それ以上に望むものはない。
逆に、ルルーシュやライのような学生が少し調べた程度でボロが出るような輩は論外だ。アッシュフォード家が巻き添えになる可能性もあるからだ。
だがやはり、この潔白さがどうしても気になる。
そしてもう一つ、ライがグリフィン・オルブライトにこだわる理由があった。
「ルルーシュ、リフレインという薬物を知っているか」
「……ああ。最近、名誉ブリタニア人に出回っている幻覚剤だろう」
「あれは中華連邦から届けられているらしいな。エリア11を始めとしてEUやブリタニアの植民地に広く蔓延している」
「まさか、それにグリフィンが関わっていると?」
「どうだろう。だが急成長の裏には何かわけがあるはずだ」
ライがそう言うと、ルルーシュは笑った。含みのある笑みだった。
「そうすると、途端につまらない話になるな。若きビジネススターの正体はただの麻薬王か」
「……僕はもう少し調べてみるよ」
しつこい事は良く分かっているつもりだった。
今のところ、グリフィン・オルブライトは完全なシロだ。例え胡散臭いとしても、それは変わらない。ライがやっているのはシロをクロにしたいだけの、ただの粗探しである。
<黒の騎士団>に入ってしまった以上、もういつこの学園を離れるか分からない。だからその前に、出来るだけのことはしておかなくては。
そんな思いが先行して、他人の悪意を願ってしまっている。
なんともみっともない話だ。
それはルルーシュにも見破られているような気がしてならない。彼も大変なのに、こうして付き合わせてしまっているのは心苦しかった。
「そうだな。だが仮に、グリフィンが違法薬物の売買に噛んでいたとしても、それをつきとめるのには途方もない時間がかかる」
ライは頷く。警察などがおこなう麻薬捜査はひどく地道なものだ。空振りも多い。
そういった調査活動を長期間に渡って続けられるのは体力があり、潤沢な人員と予算を持つ大規模な組織だけだ。二人だけでは真実に辿り着けるはずもない。
それでも──あの時のミレイの背中が頭から離れなかった。
何の結果も残せなくても、結果が出るまでやるべきだ。でなければ気が済まない。
「面倒をかけてすまなかった。とりあえず、やれる所までやってみるよ」
「なんだ、一人でやるつもりか?」
「これ以上、無理強いはしたくない」
「馬鹿が。乗りかかった船だ。こんな所で降りられるか」
「……ありがとう」
やはり、ルルーシュに相談して良かったと思う。
「ゲットーはともかく、リフレインが租界の中で広く流通しているのが気になる」
グリフィン本人に手を出せないのであれば、怪しいと思われる薬物の方から埋めて行こうというのだろう。ライは頷き、
「そうだな。軍や警察なども一枚噛んでいるのがいるのが普通だ」
「コーネリア総督は赴任してきたばかりだ。内部の腐敗を矯正しようとしてはいるが、効果は芳しくない」
となれば、前任のクロヴィス以前から腐敗は続いていたと考えた方が良い。各地の反政府活動の鎮静化に追われているのもあり、政庁の自浄能力には期待できない。
「手分けしてやろう」
ルルーシュが言った。
「手分けか。どうする」
「お前はリフレイン関係を調べてみてくれ。俺は会長から辿ってグリフィンを探る」
「わかった」
隙の無いグリフィンに取り付くチャンスがあるのだとすれば、それはミレイだ。ルルーシュの狙いはそこだろうと思い、ライはあっさりと承諾した。
ルルーシュとの話を終えて少し経ち、昼休み。学園を早めに切り上げたライは自室に戻った。
<黒の騎士団>に入った当日、副指令の扇要から内密に依頼されていた事がある。そのために最新の通信機も渡されていた。
鞄などの荷物を置き、学生服を脱いでいく。これから向かうのはゲットーだ。うろつくなら私服の方が何かと都合が良い。
白いシャツに黒のジャケット、ブルーのジーンズという目立たない服装に着替え、部屋を出た。周囲に人の気配は無い。
徒歩で駅まで向かい、事前に扇から渡されていたチケットでモノレールに乗り込む。
平日昼時の車内には数えるほどの人しかいなかった。
乗っていたのは二時間ほど。二回乗り換えをして、また徒歩で指定された場所まで移動する。
ここはかつて、ニイガタと呼ばれた地域だ。海を挟んだ対岸には中華連邦が構える。ここは山沿いの街なので海は見えなかったが、説明にはそうあった。
「相変わらず遅い奴だ」
目的地──ナガオカの寂れた駐車場に着くと、一台の大型トレーラーが出迎えてくれた。そして、一人の少女。知っている顔だ。
他に人はいない。あの大型車両を、この小柄な少女が運転してきたのだろうか。
「……C.C.か」
名前を呼ぶと、魔女は酷薄な笑みを浮かべた。
「光栄に思えよ。お前の初仕事を、この私自ら見届けてやるのだからな」
相変わらず横柄な物言いだ。これが彼女の持ち味だと分かっているから腹も立たないが、こうして<黒の騎士団>の関係者という立場で会うと、なんとも妙な気分になる。
「……その初仕事の内容を、僕は聞いていないんだが」
扇から聞いていたのはこの目的地の場所くらいだ。
「まあ、乗れ。話は移動しながらしてやろう」
C.C.は背後のトレーラーを指差し、言った。
本当に彼女が運転するらしい。ライは強い不安を伴いながら、車の助手席に乗り込んだ。
「リフレインという薬物は知っているか?」
最近やたらと聞く名前だ。
「……ああ。それがどうした」
ライは渡された何冊もの解説書を読みながら返した。見たことの無い兵器について書かれている。これが今回の作戦に何の関係があるのか。
「お前にやってもらうのは、リフレイン密輸の妨害だ」
「妨害。足取りは掴めているのか」
「そうらしいな。私も良くは知らん。あいつが言い出した事だ」
あいつとはゼロの事だろう。この件はカレンを含む幹部達にも内密に行われていた。
知っているのは今ここにいる二人と、その他にはゼロと扇のみと聞いている。だから騎士団指定の制服や装備は持ってきていないし、このトレーラーも組織の物ではない。
もちろん、口外は厳禁とも言われていた。
それ自体は別に良い。極秘任務なんてどこにでもあるし、実行する覚悟も入団時にしている。
だが、幹部にすら隠すような作戦を、何の実績もない新入り一人に任せてるものなのだろうか。
(……またテストか)
<黒の騎士団>がリフレインを叩きたいのは分かる。日本人を食い物にして蔓延している薬物だ。
それを消滅させるのは組織の理念的に間違っていない。周囲からの評価もさらに上がることだろう。
なのに、こんな最低限以下の人数でちょっかいをかけろとは、目的がよく分からなかった。
ライの作戦遂行能力を見たいのか、はたまた別の狙いがあるのか。ゼロが秘密主義とは聞いていたが、最初からそれを食らうと驚きもある。
「入ることにしたのだな」
「……なんの話だ」
C.C.は丸く太いハンドルを器用に転がしていた。アクセルやブレーキを踏む足にも、ギアを切り替える手つきにも、まったく淀みがない。男らしさすら感じる。
「<黒の騎士団>には入らないと言っていただろう」
「スカウトされたからな。事前に君からされた話もある」
不安定なギアスを持っているライは学園で暮らすには余りに危険な人間だ。だが、C.C.からサポートを受けられれば、ある程度の問題はクリア出来る。
「……そうか」
「望まれたから戦うか。まあ、それも良いだろう」
「…………」
気になる言い方だったが、ライは取り合わなかった。持っているマニュアルに目を戻す。
「君とゼロはどういう関係だ」
「ただの共犯者だが」
共犯者。確かにゼロは犯罪者であるが、それはライを含めた組織の関係者も同じだ。
そこでC.C.だけ特別な名称で分けるということは、何かしらの特別な意図があるのか。
「君とゼロが特別な間柄なのは理解した。しかし、どうして僕単独で動く必要がある」
「知らん。自分で探ってみろ。……そのために組織に加入したのであれば、尚更な」
「…………」
会ったばかりのゼロが考えている事など分かるはずがない。
新人いびりにしては手が込んでいる上、C.C.を寄越してくることが状況を複雑にしている。
今は仕事に集中した方が良いだろう。考えるのは情報が出揃ってからだ。
C.C.との歪なドライブはそれから二時間続き、彼女の強気な運転によってライがすっかり車酔いに陥った頃、ようやく目的地に到着した。
「ここだ」
「そ、そうか」
ここは海に近い工業地帯だ。七年前の戦争によって放棄された後、誰も手をつけなかった場所を利用しようと考えた何者かが今回のターゲットらしい。
「暗くなる前に偵察だけ済ませてくる」
新鮮な空気を肺に取り込みながら、ライは装備一式を持って工業地帯の一角、倉庫が立ち並ぶ地点に移動した。
森の中を少し歩き、持ってきた双眼鏡を取り出す。眼下には土色の田畑が広がっており、その向こうに大きな塀で囲まれた倉庫が四つ並んでいる。
周辺の道路はいくらか手を加えられており、車両が通行できるようになっていた。
「…………」
妙な物を見つけた。
高性能のパルスレーダーを載せた装甲車が二台、停留している。
外観から推測して、半年前に開発されたばかりの新型だ。放出する電磁波を数秒ごとに切り替えることによって極めて精度の高い索敵をおこなう事が出来る。
しかも、車両に搭載して移動能力まで持たせられる優れものだった。
採用しているのは金持ちのブリタニア軍くらいで、そこらのゴロツキに手を出せる代物ではない。維持費もそうだが、扱うには専門のスタッフが必要になるのだ。
(厄介だな……)
あのレーダーがあれば軍や警察などが近づいてきても、すぐに手を打つことが出来る。
あれだけではないだろう。埋設地雷までは無いようだが、ナイトメアや戦闘車両が待機していてもおかしくない。
四つある倉庫には大切なリフレインが保管されているはずだ。ならば、周辺のトレーラーやコンテナが怪しい。全高四~五メートル程度のナイトメアなら、隠す場所には事欠かない。
装備は確認出来た。大した脅威ではないが、相手の正体が気になる。
夕方になって、まだ監視を続けていると、一台のトレーラーが入ってくるのを見つけた。運転手は日本人だ。
倉庫からも数人出てきて、荷物の搬入作業に入った。小銃などで武装してはいるが、動きから警戒心は見えず、平和な日常を送っていることが窺える。
トレーラーの荷台から続々とコンテナが運び出され、それをフォークリフトで倉庫の中へ持っていく作業が終わり、仕事を終えた日本人達は笑いながら戻っていった。
「…………」
偵察は終わりだ。戻って夜まで待ち、それから仕掛ける。
ライがC.C.の所まで戻ると、彼女はトレーラーの荷台に座って空を見ていた。どうやって登ったのだろう。
「待たせた」
「お目当ての物はあったか」
「分からない。白い粉が入った袋だとか、そういうあからさまな物はなかった」
「だろうな」
C.C.は興味なさげに言うと、荷台からひらりと飛び降りた。軽い身のこなしだった。
そして、
「そういえば、仕事道具を見せていなかったな」
持っていたリモコンのスイッチを押した。このトレーラーの荷台部分は両サイドに向けて羽のように開く構造となっている。
右側のハッチが開き、中に保管されていた物体が露わになった。
「<無頼>か」
一機のナイトメアがうずくまっている。これは日本側の勢力で良く使用されている<無頼>という機種だ。
「どうして青く塗装されているんだ」
<無頼>は通常、グレーに塗られている物が大半だ。<黒の騎士団>で使用している機体は黒いし、カレンが使っているのは赤い。
この<無頼>は特殊性を示すかのように青く塗り直されていた。
「レンタル品だからな」
「どういうことだ」
「私も良くは知らん。見分けがつきやすいように塗られているだけだろう。点検してみたらどうだ」
他人事のように告げ、C.C.はキーを投げ渡すと車内に戻っていってしまった。取り残されたライはうんざりしながら青い<無頼>に近づいていく。
他に人間はいない。準備から後片付けまで自分でやらなくてはならないのだ。気が落ちるのは仕方がない。
「……右腕だけ黒いのか」
先ほどは影になって分からなかったが、なぜだかこの機体は右腕だけ<黒の騎士団>の物と同じカラーリングになっている。
塗料が足りなかったのか、それとも別の理由があるのか。どちらにしても、だらしのない印象は拭えない。統一感は大事だ。
ライはコックピットに乗り込むと、機体のデータベースを開いた。時間には余裕があるので、隅々まで確認する。
「ふむ……」
手を加えていると明確に分かるのは頭部のセンサー類だ。近代化改修が施されており、従来の機体と比べて情報の収集、処理能力が高くなっている。
他は胸部の動力系と冷却システムが整理され、エナジー効率の改善が図られている事か。稼働時間の延長と、熱探知に対する隠密性が向上している。
後は通常の<無頼>と変わらない。
そのままデータベースを漁り、中のファイルを手当たり次第に開いていく。そこで気になるものを見つけた。
「輻射波動……」
兵装管制システムの片隅にある、見慣れない兵器の名前。プログラムから読み取れるのは、コンデンサから供給される電力量やFCSの処理くらいだ。
どういった効果を持つ兵器なのかは良く分からない。もしかしたら、先ほど見せられたマニュアルと何か関係があるのだろうか。
この<無頼>はレンタル品だそうだが、その出自についても判明するものはなかった。
「…………」
もうこれくらいで良いだろう。ソフトウェアに不備は見当たらなかった。それよりも右腕のジョイント部に見つかった軽度の異常が見過ごせない。
ライはコックピットから降りて、コンテナ内の隅にある工具を持ってくる。整備も自分一人でやらなくてはならないので、早めに済ませておきたかった。
そして時間が経ち、辺りも暗くなってきた頃。
「そろそろ出る」
C.C.にそう告げ、ライはトレーラーのハッチを開いた。機体の腰部に接続されている電源ケーブルを引き抜き、コックピットに潜り込む。
起動キーを差し込むとシステムが目覚めた。FCS、動力系、冷却系、骨格系、全て異常なし。入念に手入れしていた照準システムも予定通り動いている。
出力レベルは低いままに、機体を立ち上がらせた。青い巨人が窮屈な住処より解放され、起動直後の排気熱をうまそうに吐き出す。
間接部のチェックを済ませてから、用意されていた三〇ミリのアサルト・ライフルと大型ナイフを腰に、大口径の焼夷弾を装填したキャノン砲を携え、ライは速やかに移動した。
機体の電子兵装を使い、敵のレーダーを誤魔化すのは容易かった。いくら最新型といっても、所詮は部隊単位の相手を見つけ出すための物。
波長の種類やタイミングまで理解していれば、偽装することは難しくない。
青い<無頼>は小高い丘の上まで来ると、下の倉庫に向かってキャノン砲を向けた。
相手はおそらく日中で仕事を終えているはずだ。
暗くなればそれだけ輸送時の危険は増す。だから夜間はしっかりと門を閉め、内部の巡回と周辺の警戒に力を注ぐと考えた。
機体の光学カメラを暗視モードに切り替え、最大倍率。一・五キロほどの距離があるために見づらいが、倉庫の近くに人影は確認できない。
今からリフレインが保管されているらしい倉庫に焼夷弾を打ち込むのだ。なるべく負傷者は出したくなかった。
(……実戦は久しぶりだな)
実弾を撃つのはあのシンジュク・ゲットーの時以来だ。シミュレーターだけなら飽きるほどやったし、先の模擬戦で<無頼>にも乗ったが、やはり引き金の重さが違う。
緊張はなかった。後悔や恐怖もない。しかしトリガーにかけた指が引きつる。理性が邪魔をしているようだ。
「…………」
目を閉じた。大きく息を吸い、そして吐く。スイッチを切り替えろ。もう自分はテロリストなのだ。
操縦桿を握り直し、トリガーに人差し指を乗せる。
目を開け、何度も目視で照準を確かめて──引く。
吐き出された二五〇ミリ弾が弧を描き、寸分違わず着弾。マグネシウムによって焼夷剤が点火し、二〇〇〇度以上──マグマより熱い火が猛烈な勢いで広がっていった。
一発目が当たれば、後は簡単だった。
四つある倉庫全てに焼夷弾を撃ち込み、炎上させる。爆発が連鎖し、太い黒煙が蛇のようにうねりながら空へと昇っていった。
(……これで、後戻りは出来ないな)
キャノン砲を破棄。同時にコンテナが開き、敵のKMFが姿を表した。<グラスゴー>が三機。七年前、日本を敗北に追い込んだ第四世代型ナイトメア。
ライの<無頼>が立っているのは丘陵だ。緩やかな斜面を敵機が一直線に駆け上ってくる。
狙撃するのは容易い。しかし、それはしなかった。腰から三〇ミリ砲を抜き、機体の出力を通常の状態に戻す。
正面から砲撃。無数の大口径弾が青い<無頼>に向かってきた。
所詮は威嚇射撃だ。ライは機体を滑らかに動かして回避すると、続いて<無頼>を前進させる。
落ち着いてロックオンし、三機編隊の真ん中へフルオートで発砲。アサルト・ライフルが唸りをあげる。たまらず敵部隊は散開し、射線から逃れた。
これでいい。下り坂を駆け下りる勢いを利用して、<無頼>が全力で宙に舞った。背の高い木々を飛び越え、雲を纏った月を背負う。
下には一機の<グラスゴー>。無防備なライに照準を合わせようと、今まさに砲をこちらを向けようとしていた。
マガジンには一発だけ弾が残っている。空中での不安定な姿勢のまま、マニュアル射撃。三〇ミリ弾が敵のライフルに飛び込み、一撃で爆散させた。
続いてスラッシュハーケンを射出。地面に撃ち込み、巻き戻す。
巧妙に着地点を操作し、<無頼>が地上へ帰還した。降り立った場所はたったいま武器を壊され、体勢を崩した<グラスゴー>の真上だった。
強い衝撃。
七・五トンの巨体に踏み潰され、下敷きとなった敵機はグシャグシャになりながら地面に擦り付けられた。
土と岩、機械の肉片が至る所に飛び散り、闇夜の中で赤い火花が何度も散った。
一機撃破。コックピット・ブロックは無事だが、脱出機構が動作不全を起こしている。フレームが歪んだせいで上手く作動しないらしい。推進剤が滅茶苦茶な方向に噴出していた。
ライは弾倉を交換しながら滑走を続ける敵の上から飛び降り、こちらを狙っているだろう敵機から身を隠した。
「…………」
息を吐く。残された二機の<グラスゴー>からは強い動揺が見てとれた。
先ほどの動きから見て、練度はお世辞にも高くない事は分かっている。
<特派>でスザクと共に嫌がらせじみた超高難易度シミュレーターをこなしていたライからしてみれば、相手は素人とほとんど変わらない。
腰から大型ナイフを抜き、隙を見せた<グラスゴー>に飛び掛かる。相手が反応するより先に刃を懐に突き立て、中の動力部を串刺しにした。
小刻みに震える敵機。後ろからもう一機が慌てた様子でこちらにライフルを向けようとしているのがわかった。
ナイフを引き抜き、その動きのまま後方に向かって投擲。相手が発砲するよりも先に、その頭部に極太の刃が滑り込んだ。
二度の爆発。黒煙が空に向かって昇っていく。コックピットが飛んでいき、放棄された<グラスゴー>は膝から崩れ落ちた。
「……よし」
大丈夫だ。戦えている。危なげない動きで敵を全滅させたライは<無頼>を倉庫まで向かわせた。
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