誰そ彼の世界と遺伝子の夢(19)
西暦2234年
隆盛を極めた人類はもはや頂点を超え、後は衰退以外選べなくなっていた。
緩やかに朽ちてゆく文明。それを人類は良しとし、ただ眺めていた。
しかし、それは一般的な話である。
人であることをやめてまで、新たな繁栄のあり方を模索した人類もいた。
彼らは《テルス》と呼ばれる新世代である。
人類がかつてたどり着いた『頭脳での支配』を否定し、その肉体のみをもってもう一度、世界の全てをねじ伏せようとすべく進化を遂げた存在だ。
テルス達の肉体は旧世代の人類のそれとはまるで違っていた。
彼らの身体は何よりも硬く丈夫で、そして強かった。
素晴らしい脚力で自由自在に空を舞い、地を駆けた。
彼らはどんな気候にも対応しうる身体を持ち、瞬く間に世界へ広がっていった。そしてそれに反比例するように、旧世代は減少していった。
しかしそれはテルス達が旧世代へ牙を剥き、追いやったのではない。
もはや旧世代に繁栄の意志がなかっただけである。
テルス達にも欠点はある。旧世代ほど頭が良くなかったのだ。
それでも旧世代をのぞく地球上の他の生物よりはよほど賢い。
また彼らの頭脳にも個体差があり、旧世代と同等かそれ以上の知性を持つものも少なくはなかった。
ただ、テルス達の知性が表に出づらいのは事実である。
テルスは一般的にはかなり感情的で、何でも力でねじ伏せる傾向があるからだ。
何も、テルス達は望んでこの性格と肉体を手に入れたわけではない。
彼らの遺伝子がそうさせるのだ。
このようにテルスは旧世代とは大きくかけ離れているように思えるが、長い時間をかけて旧世代から分岐したのではない。
テルス達はある日突然、人類の歴史に現れたのだ。
なんの変鉄もない、旧世代達の腹の中から。
その事実から、テルスは生物的には旧世代と何ら変わりないと言う者までいる。
実際、テルスの外見は旧世代とそこまで変わらないし、遺伝子すらほとんど同じである。
しかし、『何か』が明らかに違う。
それは一目瞭然なのだが、旧世代の頭脳をもってしても、遺伝子的に何が違うのかは分かっていない。
テルスは、生まれながらにテルスたるわけではない。
これも個体差があるのだが、大体10代までは親と同じ旧世代のか弱い肉体のまま過ごす。
そしてある日いきなり、テルスとして『孵る』。
肉体は勿論、人格や思考までそれまでとは違うものになる為に本人としては大いに戸惑うらしいが、すぐに慣れてしまう。
自分はテルスなのだ、と理解できるようになるらしい。
「……と言う話はどうだろう?」
堅苦しい物語を、私がやっとこさ冒頭を読み終えたあたりだった。
それを眺めていた少年は柔らかく笑って尋ねた。
私はあまり読書が好きな部類ではないし、この少年に遣う真心なんて持ち合わせていない。だから正直に言ってやろうと思う。
「本当につまらなかったわよ」
私の言葉を聴いて、少年は目を丸くした。
「心外だね…だいたい、君はまだほんの少ししか読んでいないじゃないか」
「これだけ読めば分かるわよ。いや、読まなくても分かるわ。あんたの書く話はいつもつまらないから」
少年は私と同い年のくせに、学生として学ぶ傍ら小説家として活動している。
売れない小説家だけれど。
そして昔から、私に原稿を読ませるのだ。
本当にいい迷惑だし毎回つまらない思いをするのだけれど、私は断ったりしない。
「……いちいち読んであげる私って、とても慈悲に溢れた素晴らしい人間じゃないかしら」
「…そうかもねぇ」
少年はわざとらしくため息をついて見せた。
「君に見せても、つまらない。としか言わないもんね」
かけていた眼鏡を汚れた机に置いて、少年はもう一度ため息をついた。
断らない私も私だけど、毎回読ませる彼も彼だ。
「だいたいねぇ、いくら私たち人間が栄えてるからってあと13年でこんな新人類なんて生まれやしないわよ。
まあここ百年は文明が停滞してるっていうけれど…」
「フィクションにリアリティを求めないでよ」
彼は拗ねたように顔を反らした。
軽く口論するときはいつもこうなる、彼の癖。
私は追い討ちをかける。
「現実あってこその空想でしょうが。ていうか何、このタイトルは」
「ん?」
「『誰そ彼の世界と遺伝子』なんて…カッコつけすぎて逆に鳥肌もんだわ」
「じゃあ、君ならどんなタイトルにするんだい」
彼は顔を反らしたまま、むくれている。
訂正
「だいたいねぇ、いくら私たち人間が栄えてるからってあと13年でこんな新人類なんて生まれやしないわよ。
まあここ百年は文明が停滞してるっていうけれど…」
「フィクションにリアリティを求めないでよ」
彼は拗ねたように顔を反らした。
軽く口論するときはいつもこうなる、彼の癖。
私は追い討ちをかける。
「現実あってこその空想でしょうが。ていうか何、このタイトルは」
「ん?」
「『誰そ彼の世界と遺伝子の夢』なんて…カッコつけすぎて逆に鳥肌もんだわ」
「じゃあ、君ならどんなタイトルにするんだい」
彼は顔を反らしたまま、むくれている。
嫌いじゃない
むしろ好きだ
話の方向性が気になるな
嘘から出たまこと的な感じかそれとも…
「……そうね、私ならこう題するわ。『後に予言書と呼ばれる《手紙》(message)』!」
「……それも俺のタイトルに負けず劣らず、中々にステキだと思うよ」
彼は呆れたような口調だった。いや、実際呆れていただろう。
有り難みの分からないやつめ。
「あんたのセンスに合わせて考えたのよ!ぴったりじゃない、だってあんたの本ってこんな題ばっかだし!」
「……そうかな」
「そうよ!」
私は手元の端末を弄った。
彼は今時珍しく手書きで文書を書くのだが、出来上がったものに関しては普通にデータ化されている。
「あったわ…『神子殺し』、『卓越の湖ーPole of inaccessibilityー』、『ル・リエーの歩き方』……エトセトラっ!ね、似たような感じでしょ」
「……全然違うと思うよ」
「……あっそ」
彼の考えが私には理解できないのは昔からだ。今更驚いたりはしない。
天才の考えは凡人には分からないね、なんて他人は彼に言うけれど、私から見ればたんにアタマのネジがちょっとトんでるだけだと思う。
「あー、また下らないことに時間割いちゃったぁ。明日学校あるからもう寝るわよ」
止める気もない欠伸をこれ見よがしに見せ付けながら、私は大きく伸びをした。
貴方のせいで眠いんです。
全身でそう伝えたつもりだ。
「…ふーん」
それを受けて彼は、独り言でも呟くような感じで生返事をした。
先ほど机に置いたアナログの眼鏡を、似合わない花柄のハンカチで拭き始める。
まるで私の反応なんてどうでもいいと言うように。
……本当につまらないやつだ。
「…あ、」
彼のこの声もまた、独り言の延長といった感じだった。
「…これ、もう読まないの」
あの堅苦しい話が書かれた紙束を、彼がヒラヒラと揺らした。
目線は眼鏡に落としたままだ。
私だけ彼を見ているのも何だか馬鹿らしいので、顔を部屋のドアに向けた。
そうして背中を彼に向けながら、私は率直に答えた。
「読まないわよ」
「…………」
微妙に、長い沈黙だった。
何か失言でもしたのか?と焦りだした私が何か行動を起こすより先に、がさっと紙の音がした。
思わず振り向いて、ゴミ箱を確認してしまう。
…ぐしゃぐしゃに丸められた原稿用紙が見えた。
「何で捨てるのよ」
「…読まないんだろう?」
彼は依然として、眼鏡を磨いている。
ゆったりとした瞬きを挟んで、また手元を見つめた。
「それは、もともと出版する予定じゃなかったからね」
「じゃあ、何のために書いたのよ」
「……自分でもよく分からない」
「…はぁ、わけわかんない」
「だろうね」
私は顔を正面に戻して、ベットにかけていた腰を上げた。
早く寝室に戻ろう、寝る前に彼に会ったのが間違いだった。
こんな話をしていると寝つきが悪くなりそう。
部屋から出てドアを閉める時に、私は捨て台詞のように言った。
「おやすみ」
廊下に出てから蝶番の向こうに、小さく小さく聞こえた
「おやすみなさい」に安堵してから、取っ手からそっと指を離した。
「…はぁ」
寝室に入るなり溜め息が口を割って出てきた。
あいつと寝る前に意味不明な話をして、寝室に戻ってきて溜め息をついたらベットに倒れ込む。ここまでが毎日のパターンだ。
それにしたがって、身体の力を抜く。
ぼふ、と布団が呻いた。
この奇妙な習慣は、少なくとも私が物心ついた時から繰り返されている。
その頃のことを思えば、随分とこなれたものだ、自分を褒めたい。
最初のあたりは、あいつの話す言葉が私と同じ日本語とは思えなかった。
あいつはそれくらいわけの分からない話をしていたと記憶している。
……まあ、あいつが理解不能だなんて過去に限った話ではないし、もちろん寝る前だけの話でもないけれど。
……やめだやめ、こんなこと考えてる暇があったらさっさと寝てしまおう。
明日も学校だ、この調子じゃまた居眠りしてしまう。
私は毎晩しているように、考えることを諦めて瞳を閉ざした。
【玉兎の騒ぎを聞き駆けつけた桂男が見たのは、奇妙な銀の箱だった。】
【桂男はしばらく悩んでから、空に浮かぶ青い星に目を移した。そのあとに口々に喚く玉兎たちをなだめ、自身も口をつぐんだ。】
【知らないふりをする。これが桂男の出した答えである。】
【それが最善の答えであるはずだ。それを実践してきたが為に、今日まで月はあの素晴らしい隣人と仲良くやってこれたのだから。】
【現状維持。それはとても優しい響きを持つ言葉である。】
卓越の湖ーPole of inaccessibilityー 3頁より引用
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