P「意気地無しと革財布」 (31)


「「乾杯!」」

二つの中ジョッキがチン、という軽い音を鳴らす


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今日、俺は音無さんととある居酒屋に来ている
居酒屋と言ってもチェーンのような所では無く、路地裏にある俺の行きつけの店だ
まあそれでも女性を連れてくるような場所ではないが

「っはぁ!やっぱり仕事上がりのビールは最高ですね」

「それおっさん臭いですよ、音無さん」

「・・・。」

「す、すみません・・・」

「いや自分でも分かってるから良いんですけどね」

またやってしまった
何故俺はこうまで彼女を傷つけることを言ってしまうのだろうか

「ようメガネの兄ちゃん、やっとお前も女連れてくるまでになったか」

この店の店主はそう言ってから、お通しの枝豆を俺たちの前に置いた
この人とも長い付き合いだ。確か二十歳のときからだっけか

「店主さん、音無さんは別にそういう人じゃないですって」
「ただの会社の同僚です」

「そうなのかい?それにしちゃあえらい別嬪さんだが」

「べ、別嬪?私が?」

「そうだよ。この小僧に似合わんくらいにな、ははは」

「それ遠回しに俺のこと貶してません?」

「あ、安心して下さい。プロデューサーさんはちゃんと良い男性ですって・・・」

似合わない、か
まあそんなこと初めて会った時から知ってるが

「じゃあ注文聞いていいか?」

「あ、はい」

俺はメニューを開いて音無さんとの間に置く

「音無さんは何食べたいですか?」

「じゃあ・・・焼き鳥盛合わせとくわいの素揚げ、ご飯セットを」

「なら 板わさ、おでん、もう一つご飯セット」
「あと今日は何か美味しい魚あります?」

「今日あるのは・・・ああムツコがあるな」

「ムツコって何ですか?」

「クロムツの卵のことだ、本体もあるから一緒に煮付けにでもしてやろう」

クロムツは刺身なら一回食べたことはあるが、煮付けは初めてだな
あの丁度良い塩梅の脂が乗った身を煮付けにするのは少し勿体無い気もするが、楽しみだ

「音無さんは大丈夫ですか?」

「クロムツですか…名前は何度か聞いたことはあるんですけど食べたことは無いですね、一回食べてみたいです」

「じゃあそれを一つ、あと熱燗を一合下さい」

「いえ、二合でお願いします」

音無さんが被せ気味に言ってきた
こう遠慮せずにお酒呑む女性って何と言うか、いいよな

「了解、ちょっと待ってな」

店主はそう言って店の奥へと入っていった


小鳥さん視点と同時進行か

「いやあやっと年末年始の忙しい時期が終わりましたね」
「プロデューサーさんも色々な所に回ったりして大変だったでしょう」

音無さんがお通しの切り干し大根を口に運びながらそう言う

「本当に疲れましたよ・・・まさか去年よりも大変だとは思ってませんでした」

年末年始の特番に仕事納め前の書類整理に正月生放送、更には数多のバレンタイン特集の撮り溜め
去年も去年で忙しかったが、全員が正真正銘トップアイドルとなった今年のほうが忙しかった気がする

「まあ、ああやって忙しく働いている時が一番皆の成長を実感できますがね」

「ああ、確かに分かります」
「私達裏方がてんてこ舞いになるくらいみんなに仕事があるってのは嬉しいですね」

こうやって考えてしまってる時点でワーカホリックに一歩足を踏み入れてしまってるのかもしれない
大学生だった頃のように無趣味で無気力に生きることよりはマシだとは思うが

「へい、銀杏と板わさ、あと大雪渓の熱燗な」

店主がそう言いながら料理を出してくれた

大雪渓は確か長野のほうの酒だっけか
長野でのロケに行った時に飲んだ記憶がある

「他はもうちょっとかかるから待ってな」
「それじゃお二人さんでゆっくりしてくれよな」

「だからそうじゃなくてですね・・・」

そう念を押そうとした時には、既に店の奥へと消えていた

「まったくあの人は・・・」

「ま、まあいいじゃないですか」
「店主さんも本気で言ってる訳じゃないでしょうし」

しかし音無さんもこんなガキとくっつけられても堪らないだろう
いくら独身だからって、彼女にも彼女の人生がある

片想いは俺だけで十分だ

「さて、それじゃあいただきます」

「いただきます」

板わさに箸を伸ばす
ここの山葵は可能な限りその場でおろしたてのものを出してくれるので、チューブ物とは香りが断然違う

「ん、これ美味しい」

音無さんはくわいの素揚げを食べたようだ
くわいというとおせちなどに煮物として入っているイメージがあるが、こういう食べ方もあるんだな

しかし何故かこのくわい、少し見た目に違和感があるような

「このくわい、なんか小さくないですか?」

「・・・ああ、成る程。おせちなんかで見かけるのより一まわり二まわり小さいですね」
「見てて違和感を感じていたのはそれか」

よくそんなことに気付くものだ、女性の勘というものなのだろうか

「これ何処かに売ってるのかしら・・・」

そういえば音無さんは自炊できるんだっけか
自分で料理作れる人って凄いな、ほぼ毎日出来合いのものな俺と違って

「そうだ、音無さんから見て最近みんなの様子はどうです?」

くわいを食べながら、俺はふいに音無さんにそう声をかけた
そういえば音無さんにこういうことを聞くのは少し珍しいかもしれない

「どうって、その辺はプロデューサーさんの方がよく分かってるんじゃありません?」

「いや、女性目線でしか分からないこともあるのかなと」
「俺からはみんな元気なように見えますが、もしかしたら隠してるって可能性もなくは無いですし」

音無さんは少しクスッと笑ってから

「多少の気分の上下はあっても、みんな大体元気そうですよ」
「仕事も楽しそうですしね」

「音無さんがそう言ってくれるなら安心ですよ」

俺はそう言ってお猪口の日本酒を飲んだ

「突然そんなこと聞いて、何かあったんですか?」

「いや、別に何かあった訳じゃ無いんですがね・・・」
「最近俺がみんなの足を引っ張ってるんじゃないかと思うようになってきて」

何せ新卒の俺でさえここまでランクを上げることのできるアイドル達だ
もしもっと有能なプロデューサーが彼女らをプロデュースしたなら、もっと流行できたことは想像に難くない

「そ、そんなわけ無いですよ!」
「みんな貴方がプロデューサーだったからここまで頑張れたんだと思いますよ」

「そうでしょうかね・・・」

俺にはそうは思えない
怖い、みんなの可能性を潰してしまうのが怖い

「プロデューサーさんは自己評価が低過ぎます、もっと胸を張って下さい」

「・・・ありがとうございます」

俺には自分がそこまで価値のある人間だとは思えない

どうせ自分などただの一般人だ
人を幸せにして、自分まで幸せになるなんて望みすぎも良い所だ

食事も大体終わり、音無さんと雑談に花を咲かせていた頃だ
俺の右ポケットがぶるぶると震え始めた

「ん、電話?」

「どうしました?」

「ああ、律子から電話が。ちょっと外で話してきますね」

「戻ったらお酒がなくなってても知りませんよ~」

少し顔を赤くした音無さんがそう言った

「はは・・・倒れない程度にお願いしますね」

『ありがとうございます、こんな時間にすみませんでした』

律子の用事は仕事についてのちょっとした確認だった

「いや、一人で仕事させちゃってこっちこそごめんな」

『二人にも休む時間は必要でしょうし、これくらい大丈夫ですよ』
『それじゃあ、おやすみなさい』

「また明日な」

暫しの後、電話からツーツーという音が鳴る

「・・・ふぅ」

夜風に当たって、少し酔いが醒めた気がした

ふと、鞄を開けてみる
中には仕事の資料と、少しだけ汚れてしまったペンダントの箱

半年前くらいに買ったものだが、ずっと渡す機会を逃してしまっている
給料の三ヶ月分と言いながら渡せば格好がつくのかもしれない

「・・・俺に、告白なんてできないよなあ」

こんなただの一般人に、そんなことができるはずもない
大体、音無さんだってこんなものを渡されたら困るだろう

俺に、そんなことができるような価値があるとは思えない

「はぁ・・・馬鹿野郎、意気地無し」

いっそ当たって砕ければこんな思いにならずに済むのかね

寒空に立って、箱の埃を払う

「あ、おかえりさない。ちょっと長かったですね」

「え?ああ、少し複雑なところがあって」

徳利を持ち上げると、まるで空かと思う程軽くなっていた

「・・・本当に全部飲んだんですか」

「あれ?もう終わってました?」

無意識に飲んでたのか・・・
酔って倒れられる前に帰らないといけないかもな

「どうします?まだ飲んできますか?」

「うぅん、もういい時間ですし今日はもう帰りましょうか」

「そうですね、じゃあ会計してきます」

「店主さん、会計いいですか?」

「お?帰っちまうのか。おっさん寂しいなあ」

「もういい時間ですしね」

「また来てくれよ、あの綺麗な嬢ちゃんも連れてな」

「はは・・・今度はあまり弄らないで下さいね」

音無さんもこの店は気に入ってくれたみたいだし、また飲みに来たい

「じゃあ、また明日」

店の前でそう言う

「おやすみなさい」

音無さんが答える

俺の帰り道はこっち、音無さんの帰り道はあっちだ
お互い別の道。他人なのだから当たり前だが

音無さんと一緒に居れる楽しい時間もこれで終わり
また独りの時間が始まる

ふと鞄の中の箱が気になる

本当にこのままでいいのか?
一生これで、一生後悔しながらで


音無さんがあっちに振り向く
あと数秒でまた離れていってしまう

当たって砕けて元々だ
何も損はしないんじゃないか?


一歩足を踏み出しかける

全く、この意気地無しが
そろそろ本気を出してもいいんじゃないのか?

足を止める
躊躇いを消し去るように

箱を握りしめる
弱さを投げ捨てるように

声を掛けようとする
勇気を振り絞るように



「あの、プロデューサーさん!」


「・・・え?」

「・・・あれ?」

「あ、音無さん。何ですか?」

「いや・・・プロデューサーさんこそなんですか?」

「お、俺は特に・・・」

「私・・・も何も」
「あ、プロデューサーさん。その手に持ってる物は何ですか?」

「いや、これは別に・・・」
「音無さんこそ、それ何ですか?」

「あ、いや、これは、その・・・」

思考が止まる
何が起こっている?

「・・・。」

「・・・。」

目の前には驚いた顔で立っている音無さん
手にはリボンの付いた箱がある

「・・・。」

「・・・。」

対する俺も、馬鹿のような顔をして立ち尽くしているだろう
手にはネックレスの箱がある

「・・・と、とりあえず、どこかで落ち着いて話しませんか?」

「そ、そうですね。そこの公園にでも行きましょうか」

はは、完全にタイミングを失ってしまった
やっぱり俺には無理なのかな

「・・・。」

「・・・。」

いや、もう一度だけ、もう一度だけ言えるかもしれない
落ち着いて、今度こそ言わねば

「・・・。」

「・・・。」

音無さんの隣を歩く
二人で歩くってのはここまで緊張するものだったのか

「・・・。」

「・・・。」

もう一度言いたい
しかし俺にもう一度言えるだろうか

好きです、と


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「いらっしゃいませ!」

店に入ると店長がそう挨拶をしてきてくれた
店長と言っても昔お世話になったあの店長の孫だが

「って、ああ!お二人ともお久しぶりです」

「おう、久し振り」

「また来ましたよ」

「ええと、そちらのカウンター席にどうぞ」

コートを脱いで、鞄を置く

「とりあえずお飲み物はどうしますか?」

「まあ最初はやっぱり生中よね」

「んじゃ生中二つ」

「畏まりました!」

若店長が店の奥へと戻っていく
その背中は少し初々しいが、確実にあの店長と同じ雰囲気を持っている

「ふう、やっと飲める日が作れたな」

「最近忙しかったものね」

彼女の首には銀色のペンダント、そして指には銀のリング

「お待たせしました、生中二つとお通しの切り干し大根です!」

二人でメニューを見ていると、そう声が聞こえた

「お、来たか」

「とりあえず飲みましょうか」

「そうだな、今日は喉が渇いた」

「それじゃあ・・・」


「「乾杯!」」

二つの中ジョッキがチン、という軽い音を鳴らす

おしまい

くわいが銀杏になってしまっている場所があるのは妖怪のせい

よかったおつ

面白かった乙

そんな妖怪見たことも聞いたことも以下略

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