岸波白野「もう少しあがいてみる」 (11)
「駄目ですよ、センパイ」
「センパイが死んじゃったら、何にもならないじゃないですか」
「大体、ここに来て、センパイに何が出来るんですかぁ?」
「私がその性格悪いサーヴァントが防御壁に穴開ける時間は稼いであげますから」
「だから、お願いだから、黙って、そこで守られててくださいね…!」
絶望的な光景だった。視界一面を染める赤い色。
ゆっくりと広がり、中枢の異物を消去する壁の前に立ち、必死にそれを押しとめようとする少女。
私はその少女の事を知っている。 聖杯戦争参加者の健康管理AI、桜の同型機で、今回の事件を引き起こした張本人。
幾多のサーヴァントを取り込み、ムーンセルの中枢を侵した月の癌。 私との思い出の為にその身を削りながら中枢を目指した少女。BB。
圧し掛かる圧倒的な重量に体を軋ませ、体を構成するデータを焼かれ、それでもBBは引こうとしない。
それは、まるで砂漠に水を撒く様な詮の無い行為。
無限に広がる砂漠はどこまでも貪欲に彼女のデータを吸い尽くし
砂漠に撒く為の水は有限で、しかもそれは彼女の存在そのものと同義だった。
「——桜ぁ!」
駆け寄ろうとした足が動かない。
縛めを解こうと足掻く為の腕が動かない。
今の私に出来るのは、彼女の名前を呼ぶ事だけ。
「——はい。センパイ大好きですよ」
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月の表側と裏側の境目、多分それが今私が居る場所
桜がムーンセルの消去プログラムを押し止めて
ギルガメッシュが行く手をさえぎる壁を切り開き
そして私はここにいる。
——参加者は速やかに聖杯戦争に復帰して下さい
無機質なムーンセルの呼びかけを、聞くとも無しに聞き流しながら、座り込んだまま無為に時間だけを空費する。
傍らに立つ、日頃辛辣な私のサーヴァントは珍しく何も言わない。
もう、どうだっていい。
本心から、そう思った。
もう、立ち上がれない。
はっきりとそう自覚した。
表側に復帰する為に。仲間から託された物為に。今までにこの手で奪った物の為に。
自分はこの月の裏側の世界を進むのだと、そう思っていた。確かにそれもある。
けど、何よりも——
彼女達に何かしたかったのだと今は思う。
迷宮を進み、心に触れたエゴ達を
岸波白野の為に全てを捧げてくれたBBを
けれど彼女達はもう居ない。
いっそこのままムーンセルのペナルティで消えてしまおうか
それとも死んで
——ああ、そうだ。以前ギルガメッシュは私に言った。
『もう何も無いと言えば首を撥ねてやる』
まさに今の私がそうじゃないか。もう私には何も無い。
それならいっそ——
「…?」
何も無い。そう口にしようとしたその瞬間、はらりと私の頭から舞い落ちたのは
「桜の、花…?」
つまみあげたその白い物は、確かに桜の花弁だった。
中枢に舞う花びらが、どこかで付きでもしたのだろうか。
世界を変える為に進んだ少女の夢の残滓。その最後の一欠片。
無限の旅路を辿り着き、見事に花を咲かせたその白色が
見る間に私の手の中で涙にぼやけて行った
一頻り泣き終えた後、名前を呼ばれて、私は立ち上がる。
どうするつもりだと問われて、当たり前の様に答えた。
「表側に戻るよ。そして、最後まで勝ち上がる」
叶えたい願いが出来たから。
ムーンセルは本来観測機であると言う。
地球を監視し、余さず記録し、保存する霊子の頭脳。
だとしたら、月の裏側で起こった出来事をも記録しているのではないか。
システムの内部に生じた問題に対処する必要性からも、サンプルとして残されている可能性は高い——筈。
霊子ハッカーとしては素人もいいところの私が組み上げた儚い仮説。
けれど、もしこの仮説が正しければ——
だからこの仮説を確かめる為にも、表側に戻らなきゃ。
表側に戻って、聖杯にアクセスする。
——センパイ
あの声
センパイ、あのね——
あの言葉の続きを聞けるなら、何をしたっていいと思った。
期待
期待
——繰り返します。聖杯戦争参加者は、速やかに表側に復帰して下さい。
繰り返される言葉に促され、遥かに霞む光の方へ、私は足を踏み出した。
初めて抱いた願いはこの胸に。既に決意は終えていた。
後は、表側に戻る為に、あの光をくぐりさえすれば——
「待て、雑種」
言葉ではなく、向けられた圧力で足を止められた。
全身が総毛立つ様な感覚に襲われて、振り返ると、赤い瞳と目が合った。
ギルガメッシュ。人類最古の王にして、王の中の王。私がこの裏側の世界で契約を結んだ規格外のサーヴァントは
これまで幾度と無く立ちはだかる障害を切り開く力となってくれた。
「相変わらず、せわしの無い女だ。先刻まで死んでいたかと思えば、今は蘇り這いずろうとする」
「だがな、雑種。よもや忘れたわけではあるまい?」
けれど今私に向ける言の葉は、幾度も迷宮を潜り抜けながら交わしたサーヴァントとしてのものではなく
人類最古の裁定者としての物だった。
「貴様には令呪は存在しない。ムーンセルは令呪を失ったマスターの存在を許容はしない」
告げるのは冷厳とした事実
「つまり、表に戻った瞬間貴様と言う存在は消去される」
「だが、貴様はあくまで表に戻りたいらしい」
「——どうせ消える命ならば、この場で我に摘み取られても代わりはあるまい」
「どうした雑種。元より貴様の命は我の物だ。いらぬと言うのであれば、その様に扱ってやろう」
ギルガメッシュの言葉に虚飾は存在しない。彼がそう言うのであれば、言葉通りの行動を取るだろう。
抜き身の刃物を突きつけられた様な感覚。自分の言葉の一片が、即座に死を運んで来兼ねない状況。
ああ、思えば出会った時もそうだった。無限に広がる虚数の空間で。あるいは旧校舎で再会を遂げた時に。
彼は私と言う人間の、全存在を賭けた言葉を要求してきた。自らの有り様を示させる様に。
向けられた死の宣告に、それは困ると首を振る。
私は死ぬ為に戻るんじゃない。例え道半ばで倒れるとしても、自分の願いの為に消えて行きたい。
「——傲慢な女だ。貴様、あの女共に何を見た。あれは自らの思いのままに生き、死んだ」
「云わば、あれはあれなりに命を全うしたと言える。貴様がそれをどうこうする謂れはあるまい」
「自らへ思いを捧げ、消えた女への憐憫か」
確かにそれはあるだろう
「それとも消え行く女共を救えなかったと、下らん感傷にとらわれたか」
それもあるかもしれない。
けれど、それだけではなく
この聖杯戦争の最中、ほんの一時であっても、共にあって、共に生きた彼女とは
「友だと言うのか、あの者を」
分からない。
そうかもしれないし、もっと別の理由があるのかもしれない
けれど——ああ、そうだ。彼女達は確かに生きていた。
迷宮の奥で触れたその心は幼い物であっても、確かに心を持って、そして私の為に何かをしようとしてくれた。
自分の事すら思い出せず、聖杯にかける願いさえ無い岸波白野と言う存在の為に。
その彼女達がバグとして切り捨てられる事が許せない。
存在しない物として扱われる事が耐えられない。
だから——
「——死さえ諦めの理由足りえないか」
「……以前我はこの世に完全な物等無いと言った事を覚えているか」
そう言えば何時だったかギルガメッシュは神さえも含めてこの世に完全な物は無いと言った
……我を除いてとも言っていたけれど。ストップ誇大広告。AUOジョークとかまだまだ欠けた物があると思います。
息をするように慢心するし。
「貴様今不遜な事を考えなかったか」
ジロリ、と擬音が目に見えそうな程に凝視され、とんでもないと首を振る。
「確かに不穏な物を感じたが、今は特に許す」
「我が言った通り、我を除いてこの世に完全な物は存在しない」
「よってその不完全さが故に貴様らは生きている限り理不尽と言う概念からは逃れられん。」
「不完全な部分に触れる度に感じるはずだ。『何故この世はこうでないのか』とな」
「あの男、ガトーの言葉は正しく真理の一端を言い当てた。世界は間が悪く出来ている」
「だが、貴様らはこの世界の不完全さが故に、理不尽と感じる心故に」
「不完全な世界に対し、己の心のまま、何かを為して良い。不完全な世界を作った神の責任だ。我が許す」
ああ、何て理屈だろう。彼は自らの名において、あらゆる試みを許すと言う。
一身においてその権利を保障すると言う。何て傲慢で、寛大な。
「よって——」
辺りを圧する重圧が解けて行く。
「我は貴様の思いを是としよう。天地の理がその思いを阻むのであれば、それを覆す試みを認めよう。それが我の決定だ」
「腕を出せ、雑種」
言われるがままに差し出した私の腕を引き、私の手の甲にギルガメッシュが無造作に掌をかざす。
すると私の手が、俄かに眩い光を放ち
「え——これ、令呪?」
「何を驚く。これも人が生んだシステムの一つ。どうして我の蔵に存在しない理由があろう」
つくづくこのサーヴァントは規格外。
月の裏側でギルガメッシュと契約を結ぶ為に消えた、絶対命令権を示す証が元の場所に再び浮かび上がっている。
「それは貴様への見料だ。表に戻った途端消されたのでは見物も何もあったものではないのでな」
「我の宝物から援助を引き出したのだ。見るに耐えん様を晒すのであれば、容赦無く取り立てられる物と思え」
「——英雄王マネーイズパワーシステムでな」
完成していたんだ…英雄王マネーイズパワーシステム…!
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