サンタクロースがいないのならば(50)
「私が悪い子だから、サンタさんはやってきてくれないの」
12月25日。今年のクリスマスも終わろうとしていた夜更け。
まだ小学校にも入学していない妹がそんなことを言うのが、僕にはどうしても耐えられなかった。
「そんなことはないよ。きっと来年は来てくれるよ」
そんなことを言って僕は妹を寝かしつける。固く握り締めた左手にはくっきり4つ爪の痕ができていた。
もう今年も12月。また一年の終わりが近づいている。
今年妹は小学校に入学し、僕も中学生になった。
母は忙しく仕事で日本中を飛び回り、父は主夫として家事をして。
あわただしくも暖かな家庭。
そんな楽しげな一家に見えるだろう。
少なくともヨソから見れば。
問題は父の酒癖の悪さだった。
父は酔うとなんと言うか、その、少し暴力的になる。
僕や妹に対して手をあげることもしばしばだ。
そのことを母が知っているかどうかはわからないが、おそらく知らないのだろう。
母は仕事が忙しいらしく、ほとんど家には帰ってこない。
母と話すのは数週間に一度程度の電話だけだ。
だが、父の携帯に電話がかかってくるため常に父の監視の下で通話することになる。
電話の前には父は僕たちに余計なことを口走らぬよう『注意』をする。
母との電話はいつも楽しい。
たとえその『注意』がなくとも僕は母に余計な心配をかけることはできなそうだった。
また父は相当慎重な人間のようで、いくら酒が入っていようとも隠せないところに傷を残したりするようなヘマは犯さなかった。
父は僕たちの学校のスケジュールも把握している。
プールの始まる時期や身体測定、集団宿泊などの行事前には少し『やり方』を変える。
酒の入らぬときの父は知的で温厚らしく、近所づきあいも良好だ。
おまけに何とかとか言う有名な協会の重役をしているらしく、近所の評判はむしろ高い。
僕が小学生のころ一度だけ父が『失敗して』僕の顔に傷をつけてしまったときも、父が疑われるようなことはまずなかった。
例え今誰かに助けを求めても、信じてもらえないだろう。
おそらく反抗期とか子どもの言うことなんて決め付けられてしまうのが関の山だ。
その日も父は夕方になると酒をあおり始めた。
僕は妹に2階の部屋に行くように言うと、一人扉の前に座っていた。
こうしていれば、父の暴力は妹には及ばない。
この家は、母が音楽関係の仕事をしていることもあり一階は防音が施されているらしい。
だからと言って二人とも二階に籠もっていると、父は降りてくるように『勧告』する。
そこで僕たちがそれを無視すると、後日どちらかがひどい目に遭う。
父の『教育』が終わり僕が部屋に戻ると、妹はすぐに僕の元にやってくる。
「ごめんね」なんて言葉を言われることは僕はどうしようもなく悲しくさせる。
「私のせいで」なんて言葉を言わせることに僕にはどうしようもなく悔しくなる。
僕の記憶にある妹はいつも泣いていた。
それでもこれがきっと最良の選択なのだ。
妹はまだ小学校にも入ったところでその上女の子だ。
彼女を守ることが兄としての僕の役目なのだろう。
この世に神なんていない。
サンタクロースだって、僕が妹の年くらいのころにはすでに信じちゃいなかった。
それでも妹には、そんなことを悟らせたくはなかった。
純粋に何かを信じる子どもでいて欲しかった。
それはもしかしたら兄のエゴかもしれない。
それでも去年のクリスマス、妹に言われた言葉は一年間僕の心を蝕み続けた。
めったに弱音を吐かない妹。
だからこそ、その言葉は彼女の本音の表れだったのだろう。
それならば。
僕はあの日妹のサンタになろうと決めたのだった。
全くといっていいほど自由な小遣いというものをくれない父。
それでもどうにか、一年間かけて隠れてお金をため続けた。
数えてみれば二千円。
でもそれは僕たちが持つにしては大金であった。
中学生であっても学校が終わったらまっすぐ帰ってくるように言いつけられているし、部活動なども入っていない。
どうしても必要なものは買って与えてもらうし、不便はしなかった。
周りからすれば少し厳しい家だとくらいしか思われていなかったし、なにより僕たち自身それが普通だと思っていた。
二千円という大金を前にして僕は全て使い切るのはまずいと考えた。
なにせクリスマスは毎年やってくる。
それに妹も学年が上がるに連れて欲しいものも高いものになっていくはずだ。
クリスマスくらい、できるだけ妹のわがままを通してあげたい。
僕はそのうち半分の千円を手に取った。
ある日、父に連れられて年末の買い物の為に大型ショッピングセンターに来た。
僕は予定していた通り、トイレに行く振りをしてプレゼントを買いに行った。
今年のプレゼントは決まっていた。
僕は駄菓子コーナーに入ると迷いながらも急いでいくつかのお菓子を購入した。
レジで提示された金額は346円。
日ごろ買い物しないせいで感覚が分からなかったのだろう。
だが選びなおす時間もない。
僕は慌ててレジの横の飴やチョコをいくつか追加し、購入したそれらを父にばれないようにかばんに詰め込み父の元に戻った。
迎えたクリスマスイブ。
この日も父は夕方から酒を飲んだ。
緊張からか僕は眠れなかった。
なんとなく父の目にプレゼントを触れさせてはいけないということはわかっていた。
時計は刻々と時を刻む。
カチカチと言う音が僕の頭から鳴っているような錯覚さえした。
隣の部屋から時々父のいびきが聞こえる。
5時、6時、7時。
この日僕は、初めて徹夜というものを経験した。
「妹、起きろ」
「んー?」
目をこすりながら妹は体を起こす。
とたんに妹の目が輝いたのが分かった。
自分の机の上に、へたくそに飾り付けされたプレゼントを発見したのだ。
「お兄ちゃん、見て!」
「僕が来たときにはおいてあったよ。プレゼントみたいだね」
「サンタさんきてくれたんだ……」
妹は嬉しそうに飛び起き早速封を開けだした。
中にお菓子が入っているのを確認すると、それをすぐに押入れの奥に隠した。
「きっと妹がいい子にしてたからきてくれたんだよ」
そう言うと妹は顔全体をゆがめ嬉しそうに笑った。
妹の笑顔を見たのなんていつ以来だろう、と僕は思った。
値段にしたら五百円にも満たないそれを、妹はクリスマスプレゼントとして本気で喜んでくれていた。
僕はそれを見て、来年も再来年も、これから毎年妹のサンタになろうと固く誓った。
彼女に笑顔を届けられる『サンタさん』になる、と強く念じた。
それから毎年『サンタさん』は妹にプレゼントを用意してくれた。
次の年は可愛らしい文房具セット、その次の年は小学生くらいの女子の間で流行っている手ごろな価格の子供用アクセサリーだった。
どれも妹との会話の中でヒントを得て考えたものだった。
これは毎年大正解だったようで、妹は大喜びしてくれた。
父に見つからぬよう慎重に保管し、こっそりと使っていた。
僕は『サンタさん』であることを誇りに思っていた。
支援
ところで僕は今年中学三年生である。
高校受験は地元の公立しか許されなかったが、それでも行けるだけで十分だと思った。
クリスマスにはすでに受験も終わり、後は合格通知を待つだけだった。
というのも受験した高校は、僕の学力ならどう転んでも落ちることはないと担任にも太鼓判を押されるような高校だったからだ。
先生たちは口を揃え『大事なのは高校じゃなくてどこに行っても自分次第だ』と言い、僕もそれを頭から信じきって疑わなかった。
そして僕は高校生になる。
しかし、僕の想像していた高校生活とは一線を画するものとなった。
入学後2ヶ月を過ぎたころからそれは顕著なものとなった。
基本的に授業は成立しないし、生徒がそろったためしもない。
常に教室の半分くらいの席は空いているし、生徒の話し声で授業の声は聞こえない。
授業中は常に物が飛び交う。
それだけなら別に我慢できた。
それとは別に、常に誰か一人をターゲットとした『いじめ』が行われていた。
主犯格の奴らが『飽きれば』ターゲットは交代する。
その年の12月18日のことだった。
そのときターゲットとなっていたのは『女』という少女だ。
実際になにかされているところを見ることは少なくとも、彼女が今のターゲットであることは明らかであった。
それでも僕は、『今度はあの子か、かわいそうに』程度にしか感じていなかった。
特に仲がいいわけでもないし、むしろ今回が自分でなかったことに安堵していたくらいだった。
放課後、僕は変わらずまっすぐ家に帰る。
これまでもそうしてきたし、それが普通だと思っていた。
校門を抜け、右に曲がってまっすぐ歩いていると学校の柵の外側に何か置いてあることに気づいた。
屈んで見てみるとそれはぼろぼろになったローファーであった。
おそらく女のものであろうことは察しがついた。
そして関わると自分が不幸になることも察しがついていた。
だから帰ろう。見なかったことにしよう。
僕は自分にそう言い聞かせ、そっと立ち上がった。
瞬間、女と目が合った。
「え、えっと。こんにちは」
「こんにちは」
しまった。思わずあいさつをしてしまった。
学校の柵は内側が一段階高くなっており、ちょうど靴は見えないように隠されていた。
靴を探して彼女は上履きのまま校庭をうろついていた彼女は、僕がかがみこんでいるのを見つけ、何をしているんだろうと近づいてきたらしかった。
「えっと、これ君の靴かな?」
「あ、見つけてくれたんだ!ありがとう」
これが僕と彼女の出会いだった。
さすがに彼女もこの学校で1年過ごしてきた身だ。
自分と話す僕の身を案じ、先の文房具屋で待ってるように指示された。
勢いでOKしてしまったが、少し僕は不安を感じていた。
その文房具屋は、彼女の祖父母が経営しているそうだ。
彼女は奥に入っていくと、ソーダのアイスを2本持って出てきた。
「ありがとね、これお礼」
そういって突き出されたそれを、僕は戸惑いながら受け取った。
「ここで食べていきなよ、大丈夫。こんな店誰も来ないって」
「こんな店とはなんじゃあ!」
祖母に怒られる彼女と、店の奥に置いてある長椅子に座ってアイスを食べた。
そんなに広くない店内は暖房がよく効いており、少し火照ってきていた頬をアイスが冷やしてくれて気持ちよかった。
「学校帰りに寄り道するのなんて初めてだな」
そんなことを思わず口走ったのは、それが思ったより楽しかったからかもしれない。
「え、嘘でしょ。それって人生の8割損してるわよ」
「家が厳しくてな」
そう言う僕は相当悲愴な顔をしていたのだろう。
「だったら、毎日来てもいいのよ。アイスなんて腐るほどあるんだから」
僕は、彼女が大真面目な顔で言うその提案を断らなかった。
「冷凍食品が腐るかよ。今日はありがとう。また明日も来るわ」
言ったとおり、次の日も、その次の日も、土日をはさんでまた次の日も僕は彼女に会いに行った。
滞在する時間は日々長くなっていった。
それに伴いだんだんと家に帰る時間は遅くなっていた。
みてます
迎えた12月24日、クリスマスイブ。
この日は高校の終業式で、開放感もあって僕たちはかなりの時間をその店で過ごした。
結果として、帰りついたのはすっかり日が沈み切ってからとなった。
「ただいま」
いつものように呟き玄関の戸を閉めて振り返った瞬間だった。
頬に鋭い痛みを感じ目の前が真っ白になる。
僕は思わず玄関に座り込んだ。
髪の毛を引っ張られ、引きずられてたどり着いた居間。
机の上に酒の空き缶とともに置いてあったのは小さな可愛らしいポシェットであった。
それは僕が今年のクリスマスプレゼントにと買っていたものだった。
「最近あいつがサンタサンタ言うと思ったらこういうことだったのか」
父はいやらしい視線を僕に送ると、大きなはさみを取り出しそれをざくざくと切り始めた。
「やめ……」
僕は最後まで言うことができなかった。
なぜだか体は少しも動かなかった。
ただただ目の前で妹へのプレゼントが台無しにされていく様を見続けるしかなかった。
ポシェットが何枚かの布切れと化した後、彼はそれを自分の鞄に投げ込んだ。
そして僕のほうに近づいてくると、いつもより激しく『教育』を始めた。
「ガキのくせに、気持ち悪い真似しやがって」
最後にそう言い捨てると、今度は階段の方に向かった。
そして。
「おい妹。降りてこいや」
心臓が鳴るのが分かった。
妹が階段を下りてくる音が聞こえる。
父は椅子に座りビールを煽っている。
僕は部屋の隅に転がされていて。
腕と足の感覚が鈍い。
背中からは鈍痛がする。
テレビは楽しげな音楽に乗せてクリスマスの特集を流している。
階段を降りきったのか妹の足音が止まる。
今日は、クリスマスイブ。
明日は、クリスマス。
テレビに映る小学生は、楽しそうに笑っている。
『今年はサンタさんには、何をお願いしましたか?』
「サンタなんざいねえよ!!」
怒声を上げテレビを切る父。
ドアを閉めた妹は、その怒声で一瞬固まった。
気付けば僕は立ち上がっていた。
父は一瞬こっちを見て驚いた様子を浮かべた。
僕が走り出すのを見た彼は慌てて、思わず机の上にあったはさみを手に取った。
そしてそのままそれを僕に向かって突き出した。
僕は突然横からの衝撃を受けてよろめいた。
「ひ、ひぃ」
素っ頓狂な声を上げ椅子から崩れ落ちる父。
僕を守ってくれたのは妹であった。
座る彼の持つはさみはちょうど彼女の顔の高さだったらしい。
妹が目の横を軽く切る程度で済んだのはきっと幸いと言うべきなのだろう。
僕は妹の手を引くと家を飛び出した。
一体どれだけ歩いたのだろうか。
空は澄み星々はきらきらと輝いている。
どこの家も暖かな灯りがともっていて。
すれ違う人たちはみな笑みを浮かべている。
「おにいちゃん」
「ん?」
「見て、あれ。オリオン座っていうんだよ。昨日習ったんだ」
不意に涙が浮かぶ。
妹が僕を慰めてくれようとしているのはさすがの僕でも分かった。
こんなとこで泣いてちゃお兄ちゃん失格なんだろうけど。
それでも涙は僕の頬を流れかけ、僕は慌ててそれを腕でぬぐった。
見れば妹も泣いていた。
「ごめんな、もう大丈夫だから」
そう言って妹の頭をなでると、「うん」小さく頷き彼女は下を向いた。
やがて公園に着く。
12月の寒々とした気温と容赦なく吹き付ける風で僕たちはもう疲れきっていた。
お互い黙ってベンチに座る。
服越しに木のベンチの冷たさが伝わってくる。
寒そうにしている妹に上着を一枚渡した。
「気付かなくてごめんな」
「ううん、ありがとう」
いるいらないの一悶着の後妹は上着を受け取った。
「さっきだって、ありがとう。傷、痛まないか?」
「ううん平気だよ」
体の左側に感じる暖かさに少し安心してしまう。
疲れがピークに達したのか、激しい眠気が僕らを襲った。
「どうしたんじゃ、お若いの」
誰かの声がした。
でも目を開けるのも億劫だ。
「そんなとこで寝ていると死んでしまうかもしれんぞお若いの」
優しい声だ。温かみのある少ししわがれた声。
どんな人なんだろうと僕は少し興味がわいた。
目を開くと、顔に柔らかなしわをたたえた優しそうな初老の男性が杖をついて立っていた。
僕はなぜか警戒することも遠慮することも忘れ、彼に言った。
「妹を、助けてあげてくれませんか」
目を瞑ったままの暖かい妹の手を握り、そう言った。
サイレンの音が遠くの方で聞こえている。
再び意識が消える直前、なんとなく彼が笑ったような気がした。
目を覚ますと僕は真っ白なベッドの中にいた。
周りはカーテンで仕切られていて見ることができない。
僕は、生きてるのかな。
妹は。
そこまで思い出して僕は勢いよく体を起こした。
腕に刺さっていたらしい注射針が何本か抜けた。
思わず痛みに声をもらすとカーテンが開いた。
僕たちがいたのは病院だった。
顔にガーゼを付けた妹は僕を見ると泣きながら笑った。
あの後父は暴力の露見を恐れ車で僕たちを追いかけたらしい。
結果、クリスマスの飲酒検問に見事に引っかかり拘束中だそうだ。
おまけに焦って『余計なこと』まで口走ったらしい。
翌日母が病院を訪れた。
彼女は僕たちを抱きしめると「ごめんね」と泣いて謝った。
父のやっていたことを知った彼女は、彼に会うや否や顔面を殴りつけ近くにいた警察官に押さえられた。
母は父とすぐに離婚し、彼はその後僕たちとの接触を禁じられた。
その後のことはよく知らない。興味も特になかった。
あわただしい日々が続く中、母は不安そうな顔をして僕たちに聞いた。
「本当にごめんなさい。もし私を許してくれるなら、今からでも一緒に暮らしたい。あなたたちに決める権利があるわ」
顔を見合わせた僕たちの意見はすぐに一致した。
入院中見舞いに来てくれたのは母のほかには女だけだった。
事情は知らないはずなのになぜか謝る彼女をなだめ、楽しい話で盛り上がった。
彼女がクーラーボックスに入れてきたソーダアイスは、欲しがった妹にあげた。
それを見て彼女はなぜか不機嫌になった。
その理由を理解するのは、僕がもう少し大人になってからのことになる。
年が明ける。
母は今までの仕事をやめ、収入が減って貧しくとも僕たちとの生活を選んでくれた。
「なぁ。来年はサンタさん、きっと来てくれるからな」
僕がそう言うと、妹は意外そうな顔をして、そして満面の笑みでこう言った。
「あのね、お兄ちゃんは寝てたけど……私今年はサンタさんに会えたんだよ!」
僕は苦笑いをしつつも、これからも妹のためのサンタであろうと思い直した。
だって、きっとこんな幸せはありえなかったであろうから。
そう、サンタクロースがいないのならば。
Fin.
以上で終わりとなります。
お目汚し失礼いたしました。
女さんの存在感が薄いというか何というか
このSSまとめへのコメント
このSSまとめにはまだコメントがありません