速水奏「よその女」 (27)
彼の人生の終末にエンドロールがあったら、私はどんなふうに書かれているんだろう。
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せめて名前だけでも、ちゃんと書いてあったら嬉しい。
大人びている。よく、そう言われる女子高校生だった。両親も、よくそう褒めた。
私はそれに喜んだり悲しんだり、深く考えたりしたくなかった。だって、“奏は大人びている”。そう言っている人達も、言葉の意味を考えたりしないのに、どうして私がいちいち頭や心をかき乱されないといけないのかしら。そうでしょう?
現実として、私は父親のお金で高校に通ったり映画を借りたりしている。母親にご飯をつくってもらったり、時々は髪を梳かしてもらったり、リップを選んでもらったりする。レイトショーにもこっそり行かなくちゃいけないし、ティーン向けの恋愛映画に無闇に心をかき乱されるのがいやで、遠ざけたりする。
そういうことを私は隠したりせず、きちんと話しているのに。本当は、みんな私のことをよく考えたりするのが面倒で、“大人”というレッテルを貼って、やりすごそうとしているのかしら。
そんなふうに、すっかり物憂げな顔をして街を歩くのが趣味になっていたとき、声をかけてくれたのがプロデューサーさんだった。
「君、ちょっといいかな」
本当に“ちょっと”ならかまわないわ。いつものナンパだと思って、返事をしたような気がする。彼はしばらく考え込んで、多分その間に“ちょっと”の時間は過ぎてしまったんだけど、私は彼の言葉を待った。
父親、教師、学校の先輩、同級生、後輩……私の言葉にうなずくだけで、耳を貸そうとはしないひととはちがって、彼は、私の何気ない一言も真剣に受け取って悩んだり、傷ついたりしてくれるひとかもしれない。そう思ったから。
「君の人生をちょっとだけ、ぼくに預けてみないか」
渡された名刺には美城プロダクションと書かれていて、私は自分がスカウトされていることに気づいた。
「“ぼく”、本気?」
小さな男の子をからかうみたいに、私は下唇をつきだした。彼は、行儀が悪くて家の外にだされた子犬みたいな顔になった。
私はその反応がおもしろくて、言葉をつづけた。
「そうねぇ…じゃあ…今、キスしてくれたらなってもいいよ」
彼はチェリー・キャンディみたいに真っ赤になって、うつむいてしまった。
私より9、10歳くらい年上の若い男。自分だってまだ若いくせに、“若者”に説教をしはじめるような歳の男。
そういう男を、17の私が翻弄している。私はそれが無邪気に楽しくて、アイドルになることを受け入れた。
両親は話し合う余地もなく、賛成してくれた。いいよの一点張り。プロデューサーもその場にいたんだけど、ぽかんとしてた。
“両親の激しい反対に遭うも必死の説得により……”、そういうドラマを2人で描いていたから。
「なんだか物足りないわ」
にこにこ笑う両親の前で、私はプロデューサーさんを指でつついた。
その代わり、地獄のようなレッスンが私の見通しの甘さを自覚させた。
運動神経には自信があったんだけど、初日で全身筋肉痛。体育の授業なんてレッスンに比べたら、本当に“子どものおあそび”程度。
やっとダンスに慣れてきたら、そこに歌。ボーカルレッスンだけでも注意されてるのに。
ダンスの呼吸がソングの息継ぎとまったく噛み合わなくて、トレーナーさんを困らせてもおもしろくないし、家でめそめそするのも嫌で、1人で泣くのはもったいなくて、プロデューサーさんの前でだけ、こっそり涙を見せた。
そうすれば、彼は傷ついてくれる。私のために。さらに真剣に考えてくれる。私のことを。
もっと前のめりになって、唇と唇がふれあうくらいに。
デビューは成功して、お金もずいぶん稼いだけれど、私はずっとプロデューサーさんを困らせてばかりだった。
お仕事が、お仕事の方からやってくるようになっても私はプロデューサーさんに手加減をしなかった。
手のかからない、どうでもいい大人になんてなりなくたかったから。
ある日、私はいつものように彼に意地悪をした。
「よその女には愛想よくするのね」
他のアイドルと楽しげに話しているのが、ちょっぴり気に入らなかったの。
彼は速水奏のプロデューサーなのに。私が思い通りしていいひとはプロデューサーさんだけなのに。
「私にも、あんなふうにしてよ」
その頃の彼は私の意地悪に慣れてしまって、“ああ”とか“うん”とか、適当な返事をして、パソコンから目線を外してくれない。
私はそれがつまらなくて、彼の頭を両腕で抱えて、胸を押し当てた。
「キスしてもいい?」
ここまでしても、プロデューサーさんは無反応。
「こっちを向いてくれないと、首を斬り落としてでもキスするわ」
彼の頭に顎をのせてそう言っても、タイプの音が規則正しく聞こえるだけ。なんだか馬鹿馬鹿しくなって、私はプロデューサーさんから離れた。
これじゃあまるで、私が構ってもらいたくて必死みたいじゃない。
なんてひどい男なの。私は自分がいつもやっていることを棚に上げて、心の中で彼をなじった。
彼の呼吸も。彼の仕草も。彼が壊すことになった絆、彼の歩みも私は全部見ているのに、どうしてこんなによそよそしい態度をとるのかしら。
部屋から出るのもわずらわしくて、また話しかけるのも気後れで、私はパソコンのモニターを見た。
知らない女の子。銀色の髪で、切れ長の瞳。鼻が少しとがっていて、可愛いけれど、どこか狐みたいな子が映ってる。
「二股は嫌よ」
いつもは優しく言えるのに、この時は感情が隠せなかった。たぶん、彼が意地悪をしたから。
たぶん、そう。モニターの女の子のせいじゃない。
「二股じゃないよ」
「そう? ホントに?」
彼の言葉に声が弾んだ。けれど、私はわかっていなかった。
「奏のプロデューサーをやめるから」
この世界に私の思い通りにしていいものなんて、本当はないんだって。
「それは……奇妙ね」
どうして、なんで。そう言わなかったのは、彼がすぐに“冗談だよ”って笑ってくれると思ったから。
“冗談”、ほんの冗談。私はいつもそうやって、誤魔化してきた。
だから今日、彼がその台詞を拝借したからといって、取り乱すつもりはなかった。
「なんでそんな深刻な顔をしているの。
さっきのことで怒ったの?
あれは冗談だから……」
だからあなたもそう言って。そう思ったのに、プロデューサーは私の方を見てくれない。
「本気?」
彼は私の言葉を聞くのも煩わしそうに、うなずいた。
「常務が新しいユニットをつくるんだ」
「だから?」
「奏はそのユニットのメンバーに指名されてる」
「それで?」
「ぼくのプロデュースは、常務から否定された」
美城常務の噂は知っている。最近海外から帰ってきて、プロダクションを刷新しようとしてる。
反対するひとも随分いるらしいけれど……。
「私達は、失敗してないわ」
「そうかな」
「そうよ」
プロデューサーさんは不貞腐れたような顔で私の方を見た。そして、常務から言われたことを教えてくれた。
失敗か成功か、ではない。成功か、より完璧な成功。
私が求めるのは、そういった緊張感を持って行われるプロデュースだ。
君は、速水奏のより完璧な成功に何ら寄与していない。
「ひどい女ね。あなたが自分の思い通りになると思っているんだわ」
私はプロデューサーさんにそう言った。本気でそう思っていたから。
「断れなかったの」
「断れたのかな」
「あなたは私のプロデューサーよ」
「それを決めるのは美城プロダクションの上層部であって、ぼくじゃない」
私はその言葉の裏にある悔しさを理解しようともしないで、ただ自分の気持ちをぶつけた。
信頼していたから。
「ずるいわ。大人みたい」
その時のプロデューサーさんの顔が、今でも忘れられない。
「奏はぼくよりずっと、大人だと思っていたんだけど」
彼はそう吐き捨てて、部屋から出ていった。
私は思わぬ反撃に立ち竦んでしまって、怒ることも、追いかけることもできなかった。
「私は、ただのワガママな子どもよ……。
あなたは知らないかもしれないけれど……」
私はモニターの中の女の子にそう呟いた。
一週間頭を冷やしてから、プロデューサーさんに電話をかけた。
でも彼は出てくれなかった。
LINEもしてみたけれど、既読もつかない。
私はオフの日なのにプロダクションに行って、プロデューサーさんを探した。
デスクは綺麗に整頓されていて、彼の痕跡がまったくなかった。
「潔癖症にもほどがあるわ」
私は爪を噛んで、不安をやり過ごそうとした。綺麗なネイルだったけれど、ひび割れてしまった。
次に私は、常務の部屋へ向かった。
アポイントメントはとっていなかったけれど、私はスムーズに部屋に通された。
「私のプロデューサーさんは?」
ろくな挨拶もせずに、私は常務に尋ねた。
常務は表情をかえずに、背筋が凍るような、ひやややかな声で言った。
「プロデューサーでなくなった男のことは、私は把握していない」
「嘘」
「何故、私が君に嘘をつかねばならない?」
私はすぐに理解した。
彼女はくだらない嘘で人をからかったりしない代わりに、絶対的な事実と合理性で相手を叩きのめすタイプのひとだって。
※17を訂正します
「私のプロデューサーさんは?」
ろくな挨拶もせずに、私は常務に尋ねた。
常務は表情をかえずに、背筋が凍るような、ひややかな声で言った。
「プロデューサーでなくなった男のことは、私は把握していない」
「嘘」
「何故、私が君に嘘をつかねばならない?」
私はすぐに理解した。
彼女はくだらない嘘で人をからかったりしない代わりに、絶対的な事実と合理性で相手を叩きのめすタイプのひとだって。
「彼は辞表を提出しこのプロダクションを去った。
新しいプロデューサーは、プロジェクト加入が正式に決まり次第通知する」
「辞表? ユニット?
なんのことだか……」
私は物分かりの悪い子どものふりをして、常務の言葉を遠ざけようとした。
けれども、彼女は手加減してくれなかった。
「わからなくて結構だ。
だが、君が知らない場所で、状況は刻一刻と動いている。
彼はもういない。君には新しいユニットに参加する権利がある。
君が理解すべきことは、この2点だ」
「辞めるなんて、聞いてないわ」
「知らせなかったのは彼だ。私ではない」
常務はただ淡々と、事実を突きつけてくる。だから否定もできないし、反論もできない。
それでも私は反撃がしたくて、言い返した。
「私は、常務のつくるユニットには参加しません」
常務は眉をひそめた。その仕草だけで、私の身体から汗が吹き出した。
「それは君の自由だ。
だが、このプロダクションは君の自由を提供する場所ではない。
私の方針が気に入らないのなら、ここから出ていくといい。
君ほどのアイドルであれば、すぐに新しい居場所が見つかるだろう。
話はそれで終わりか?」
感情をはさむ余地のない、大人の対応。
私はそれが恐ろしくて、口を閉ざした。
プロデューサーさんはこういう世界を、私に見せたくなかったんだ。
私は、頭を深く下げて部屋から出た。
常務に屈服したわけじゃない。自分の幼稚さに、頭が重くなった。
傷つけるためだけの信頼。甘えるためだけの冗談。
私はプロデューサーさんが私のことを真剣に考えてくれるように仕向けたけれど、彼の心を真剣に考えたりしなかった。
彼に思い通りにされてしまうのが、ただ悔しくて。
でも、もう取り返しがつかない。
私はもう一度頭を下げて、常務のプロジェクトに参加した。
日本で……世界で一番のアイドルになるために。
そしたらきっと、エンドロールに名前を書いてもらえる。
私の名前が、彼の隣に。
おしまい
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