【艦これ】漣「ギャルゲー的展開ktkr!」 (1000)
あるいは、トラック泊地再興記
長編予定。独自設定あり。地の文あり。
過去にエタったやつの再挑戦です。
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喧噪が確かにあった。夏のそれではない、人工的なそれが。
門の前のシュプレヒコールは止まらない。
年端もいかない少女を戦地へ連れて行くな。人体実験反対。深海棲艦にも人権を。生物多様性の保護に努めろ。一般市民への安全確保が急務。よくもまぁ次から次へとお題目が出てくるものだと、辟易を通り越して関心すらしてしまう。
俺は少しだけ開いていた磨りガラスを完全に締め切った。それだけで騒々しさはなりを潜め、ようやく手元の紙切れに視線を向けることができるようになる。
呉を離れること。
トラックに向かうこと。
受け取った辞令には、ただそれだけが書かれていた。それが一般的な書式なのかどうかを俺は知らない。記憶を掘り起こせば所属決定の通達も、このような血の通っていない文章だった気もするので、公的書類とはかくあるものなのだろう。
俺に辞令を渡したのは事務方の偉いお役人。店先に立っている陶器のたぬきに張り出した腹が似ていたなぁ、とぼんやり思う。
A4のコピー用紙が狸親父の手から俺の手に渡ったとき、確かにやつはほっとした表情を見せた。弛緩。心がゆるんだが故の、体のゆるみ。
厄介者をようやく追い出すことができたと、張り詰めていたものが途切れたに違いない。
色々なものを通り越して腹立たしさすら忘れかけてしまいそうだ。そもそもトラックは、冬の深海棲艦の襲撃で壊滅状態にあるのではなかったのか。
窓際送りですらない島送り。死刑宣告にも等しい。
となると俺が一気に士官へ特進したのも、殉職の先取りなのかもしれなかった。
くそ。
いっそのこと燃やしてしまおうかとも思うが、今更、だからなんだというのだ。俺に残された道はただ二つ、軍人として海の向こうへ渡るか、市民として遠い地でひっそり暮らすか。
それ以外の選択をする自由は依然として俺の手元にあるものの、生憎俺はマゾヒストではなかった。自由が必ずしも栄光とイコールではないのは、栄光が即ち自由とセットでないことからも明白だった。
だから俺はこんなにも不自由を強いられている。
「やってらんねぇな」
苛立ち紛れに煙草を取り出すけれど、ライターをなんど擦っても火は起きない。ガスはまだ残っているのに。
まるで紛れないどころか火に油すら注ぐ結果。自販機に据え付けられていたゴミ箱へと放り込む。
「ち、百円ライターなんて買うんじゃなかった」
「あー、捨てたらいけないんですよ?」
ぽい捨てを見咎められる。振り返った先には小娘が立っていた。
大きな瞳と桃色の髪の毛で、何が愉快なのか笑いながら、俺を品定めしている。彼我の身長差は頭一つぶん以上あるので、こちらを見上げる角度は随分ときつい。首を違えてしまわないかと心配になるくらいだ。
中学生くらいだろうか。妹も姪もいない身では、比較対象の不在により、年齢の同定は難しい。特に女は化粧で変わるから。
セーラー服を着ていて、腹のあたりに……なんだろう。缶バッヂ? お洒落のつもりかもしれない。
名も知らぬ少女、こいつがここにいるのが決して偶然ではないことを、俺は殆ど確信していた。海軍の敷地に子供が迷い込むことはない。そして、海防局の艦娘がらみの部署は、全て斜向かいの棟に集中している。
「……俺を逃がすつもりはないってことか」
ため息すら出てくる。逃げるつもりなんてないが、それほどまでに徹底されていると知れば、悲しくもなろうというものだ。
桃色の小娘はそんな俺を見て、やはり愉快そうにくつくつ笑った。
「心中お察ししますけれどね」
「そう思うなら見逃してくれないか」
言ってみる。見逃されたとしてどこにいくのだ俺よ。
少女は莞爾とした笑みを絶やさない。
「まぁまぁそういわずに。短い間柄でしょうけど、これからよろしくお願いします。ご主人様!」
桃色の小娘は――特型駆逐艦『漣』の名を持つ少女は、小さな体を目一杯に使ってお辞儀したのだった。
* * *
グアムはオフシーズンだと言うのに観光客でそれなりの賑わいを見せていた。英語の情報量よりも、中国語、韓国語、そして日本語のほうが多いのではないかと思わせるくらいに、あちらこちら俺でさえ読める文字が掲げられている。
人の波から離れるかたちで寂れた港へ行くと、そこの看板はついに英語だけとなった。たどたどしい英語でトラック行きの船を尋ねる俺に、受付の職員はにやりと笑って流暢な日本語で応対してくれる。話を聞くに、どうやら日系二世らしかった。
「……船代すらでねぇのか」
それなりの速度で船は進む。こっちの海は、日本近海とは違う。塩のにおいも粘り気も少ない。
「経費で落ちるとは思いますけどね。あとで申請したらどうですか、ご主人様」
「通るもんかよ」
「ま、お好きにどうぞ」
漣は潮風で乱れる髪の毛を抑えたり諦めたり忙しそうだった。ボリュームのあるツインテールがたびたび視界を遮っているらしく、ついに両手で握るという実力行使へ出る。
落ち着きのなさはまさに子供だ。忙しないというより一秒一秒が楽しくて仕方がないと言った感じ。俺がとっくに過去へと置いてきた好奇心と満足感を、きっと漣はまだ心の中心に置けているのだろう。
「朝に港を出て、グアムに寄港、のちトラック諸島。移動時間は概算で15時間……こんなんじゃ体が鈍っちまう。
なぁ、お前は艦娘なんだろ。もっとこう、ぱぱっといけないのか。俺をおぶって」
「航続距離って言葉、知ってます?」
「知ってるよ。でも、お前はハイテクの塊だ。違うか」
「オカルトの塊ですよ、ご主人様」
漣は苦笑した。どこに笑う要素があるのかはわからなかった。もしかするとそれが彼女なりの社交なのかもしれない。
「オカルト、ね」
そんなことを言えば全てがオカルトだった。確かなものなど何一つこの世には存在せず、掬おうとした瞬間に零れていく水面の月と同じである。
無常を嘆くのは長旅で疲れているからに違いない。幸い俺の独白は漣には届いていなかったようで、俺は何も言っていないふりをする。
言葉はかき消されるくらいがちょうどいい。まだ俺たちの間柄は、その程度だと思ったから。
だから、よく笑うこいつの笑みが、「どこ」「なに」由来のものかなんて、ちいともわかりゃあしないのだ。それこそが目下のところ、最大のオカルトですらありえた。
甲板に出ている俺たちの髪の毛を潮風がかき混ぜていく。漣はまたもツインテールと格闘しだす。
「……」
「……」
互いに無言。なんとなく、タイミングがずれてしまったような。
「……なぁ」
「なんです? ご主人様」
「そのご主人様ってのはなんなんだ。俺ァ確かにお前の上司ではあるが、召使を雇った覚えはねぇよ」
それもまた、オカルト。
「男の人はみぃんなこういうのが好きではないので?」
「それは一部のオタクだけだ」
「ご主人様はオタクではないのですか?」
―――このっ、血にまみれた卑しい戦争オタクが!
駐屯地を取り囲む市民に投げつけられた、言葉と飲みかけのペットボトル。まさか、今更ながらに思い出すなんて。
俺は戦争オタクではなかった。少女を戦争に連れ出す笛吹き男ではなかったし、奴隷商人のつもりもなかった。おどろおどろしい人体実験の事実はなかったし深海棲艦の人権なんてものも存在するはずがなかった。
やつらには何が見えていたのだろう。
「……ンなわけ、あるかい」
「……ふぅん」
と漣はわかっているようなわかっていないような、とても曖昧な返事をして、
「ま、でも、漣は好きですから。アニメとか、ゲームとか、漫画とか。だからこれでいいんです。これがいいんです。
勿論やめろと仰れば、そりゃ上官命令ですから、呼称を変えるのは吝かではありませんが? シレイカンサマ?」
「あぁあぁもういい。別に大した意味はねぇよ。勝手にしろ」
「ありがとうございます、ご主人様っ!」
そうして、お辞儀。
育ちの悪いようには見えない。言葉遣いはともかくとして、変に常識外れのところもない。中流家庭の子女が容易く軍属になる現代は狂っているに違いないが、そもそも深海棲艦というエイリアンが存在する時点で、多少の狂いは誤差だろう。
いや、それでもやはり、年頃の娘を未知の怪物との最前線に繰り出すことをよしとする風潮、世論、構造がそもそも狂っているのかもしれない。
ハイテクとオカルトの相の子。到底理解のできない科学技術に、神道古来のまじないをよりどころにした存在。そんなものに頼らなければ、最早この国は国としての体を為し得ないのだ。
ならばいっそと思えるほど俺は潔いつもりはなかった。そして、それは殆どの国民も同じ。
誰しもが狂っている。生き延びるために躍起になっている。
……益体もないことだ。それはつまり、意味がない。意味がないことをする必要は、ない。
死と隣り合わせのやくざな仕事。いつ死ぬかわからないのなら、どう生きたってかまいやしないだろう。故人の人生を規定するのは、今を生きている人間だ。そしてその規定は故人には届かない。
海の底へと沈んでしまって、死体すら残らないのなら、猶更。
煙草を吸おうとして胸ポケットを漁ったが、そこには普段あるはずのふくらみがなかった。と、そこでようやく、船内が禁煙であることを思い出す。搭乗時に漣に没収されてしまったのだ。
「だめですよ」
かわいらしい笑顔でとんでもない残酷なことを言い放つ、俺の秘書艦。
「暇なら暇で、やれることは沢山あります。やるべきことも、まぁ、ないわけじゃあないです」
そう言って取り出したのは分厚いリングファイル。表紙、背表紙ともにでっかく赤いインクでマル秘と打たれているのは、見なかったことにしておこう。
「トラック泊地の現状です。さすがに手探りで一から、だなんて眩暈がしますしね。拝借してきました」
「物は言いようだな」
「あれ。ご主人様、いらなかったです?」
「何言ってんだ、よくやった」
「えへへー」
漣はまた笑った。屈託なく笑う娘だ、と思った。
「こほん。では、ご説明します。漣たちがこれから着任します泊地は、深海棲艦による冬の襲撃を受け、大量の犠牲者、及び建造物の破壊に見舞われました。在任していた提督はその際に致命傷を受け、亡くなっています。
その後も何度か深海棲艦は襲来し、そのたびに艦娘は自ら指揮をとり、これを邀撃。成功と失敗を繰り返し、現在散発的な戦闘は展開されていますが、大規模なものは起こっていません」
「代わりの提督なりはこなかったのか。半年も無人なんておかしな話だぞ」
「えぇ、それなんですが……どうやら参謀本部はトラック諸島を見捨てる、もしくは既に壊滅状態にあり、深海棲艦の手の内にあると思っていたようなのです。しかしてその実態は、いまだ機能している前哨地。このちぐはぐが、今回の大本ですね」
なるほど、俺もトラック諸島が壊滅状態にあると聞いていた人間の一人だ。
となると、つまり。
「尻拭いか」
「えぇ尻拭いです」
わかっていたことじゃあないですか、と漣が目で問うてくる。俺もいやいやながら頷いた。
島流しという表現はまったく間違いではなかったのだ。
「……待てよ、漣」
「なんですか、ご主人様」
「提督は死んだ。本営は見捨てた。それでも泊地が機能している。艦娘の手で」
戦いのにおいがした。
一瞬のうちに湧きあがってくる高翌揚を抑えたのは理性ではなく、俺の言葉に対する漣の返答だった。
「いいえ、違います」
「どういうことだ?」
「泊地は既に壊滅、機能していません」
「だが、さっき――」
「ご主人様、違います。違うんですよ。いいですか、心して聞いてくださいね。
トラック諸島では、艦娘たちが、やりたい放題やっています」
やりたい放題。
やっている。
その言葉の意味を理解するのはとても難しくて、俺は無意識のうちに、似合わないと自覚のある薄ら笑いを浮かべてしまっていた。
「大本営から外れて生きている、と言ったのですよ、ご主人様。
艦娘としてではなく、一人の個人として、彼女らは今、トラックで生きています」
日常と戦いが交じり合っていく中、指示を下すべき提督が死に、本営からも見捨てられ、本土と連絡はつかず……そんな状況の彼女たちは察するに余りある。
死にたくないなら生きねばならない。もとよりそのために俺たちは戦っている。彼女たちも戦っている。そこにはなんの違いもありゃしない。
そうなるのは、必然といえば必然だろう。
そして、そこを深海棲艦が襲う。
定期的に発生する、深海棲艦の組織的な侵攻――イベント。東南アジア諸国に敵が狙いを定めているのは、最近の発生傾向から歴然としていた。
トラック空襲で一度壊滅した泊地が、二度目を耐えられるとは到底思えない。恐らく、全員死ぬだろう。
死ぬに違いない。
「……ふん」
「ご主人様、楽しそうな顔をしていますね」
「悪そうな顔の間違いじゃあなくてか」
「おんなじですよ?」
「うるせぇ、生まれつきだ」
漣一人、いればいい。勿論そんなことを思ったことは一度もない。とはいえ、トラックにつけばついたでなんとかなるだろうと高をくくっていた部分も確かにあって。
だが、果たしてどうだ。そもそも組織がないんじゃ話にもならない。
「……まずは戦力集め、か」
「そうですね。生き残った艦娘たちを探して、コミュニケーションしましょう。そして、漣たちのお手伝いをしてもらうのです。
……はっ、これはもしや、ギャルゲー的展開かも!? キタコレ!」
「うるせぇ。とりあえず、トラックに連絡をとる手段を教えろ。窓口がなけりゃ話にならん」
「イエッサー、ですよご主人様!」
――――――――――――――――――
ここまで
週一で5000字くらいの更新を心がけます。
支援してくださると速度があがります。
また次回
「……」
「ご主人様の目つきが悪いからですかね」
冗談を言っている場合じゃない。いや、漣だってそれはわかっているだろうが。
でなければ、互いに並んで大人しくホールドアップなどされていない。
銛と猟銃を持った大人たち――殆ど全員が浅黒い肌をした中年男性。生命力に溢れるたくましさを見れば、第一次産業従事者なのはあきらか。
手荒なお出迎えだ。殺意の有無くらいは俺にだってわかる。彼らが追剥でないのは確実で、ならばどうしてこんな目にあっているのかと考えれば、まず怪しまれているからに違いない。
それとも、それ以上のことがあるか。
「――」
「――」
「――」
男たちが何事かを喋っている。俺はチューク語など当然理解しない。
「……漣、わかるか?」
「えぇ。このまま漣たちを引っ張っていくかどうか話してます」
「本当か?」
適当を喋っただけなのだが。
「艦娘をハイテクの塊と称したのはご主人様でしょう? 自動翻訳くらい艤装についてますよ」
「すげぇな」
「どうやら頼まれたらしいですね」
「頼まれたって、誰に」
大方見当はついているけれど。
「そりゃまぁ……」
漣は言葉を濁した。
トラック泊地に残された艦娘たち。彼女らをおいて他にはおるまい。
心のうちを推し量ることも、慮ることもできるとはいえ、自己満足も甚だしい。本土の人間が今更のこのことなにしにきたのだ。この手荒な歓迎はそういうこと。回れ右して本土へ逃げ帰れという意志表示。
だからすごすごと引き下がっては仕事にならないのが難しいところだ。いや、俺自身は今すぐ小躍りして回れ右をしてもいいのだが、待ち受けているのは除隊だけだろう。それに漣にも悪い。
俺とともに辺鄙なところへ飛ばされるくらいなのだから、漣、彼女もまた何かしでかしているに違いない。名誉回復のチャンスを俺の一存でふいにはできなかった。
「あー、あー、もうええよ、下がって。みんなありがとなー」
拡声器で声を飛ばしながら、少し離れた地点より、ぽっくりをかぽんかぽん鳴らしながら近づいてくる人影があった。その人物の声に従って、俺たちを取り囲んでいた男衆はすんなりと引き下がる。
「んで、本土の人ら。手荒なまねして済まんかったね。ま、こっちにも色々理由があるからさ」
朱色がまず目立った。そして茶色のツインテールも。
背は割と高い。しかし、それはあくまでぽっくり――に似た艤装なのであるが――を穿いているからであって、その体躯は華奢。声だってかなり黄色い。
「軽空母、龍驤や。よろしゅうな」
少女はそう言って笑った。
「……俺たちをどうするつもりだ」
「どうするって、なんや、とって喰われるとでも思ってるんか? そりゃちょっち、や、だいぶ誤解がひどいなぁ」
「いまさら何しにきたと聞かないのか。半年放置して、と怒らないのか」
「ん? きみらはサンドバッグになりにきたんか?」
飄々と龍驤。その瞳は笑っているようで、笑っていない。
暗い感情の炎が燻っている。
「……ご主人様」
わかってる。いたずらに煽るようなことを言うつもりはない。
「いや、違う。俺たちは共闘しにきたんだ」
「共闘!」
龍驤はさもおかしそうに――その実心底俺たちをばかにしたような口ぶりで、
「ほーう、共闘、共闘、共闘か。共闘ねぇ。共闘。くくっ」
笑いをかみ殺したのは、言外に滲んでいる俺の言葉の意味を理解したからに違いない。
「なるほど、なるほどな。きみはあれや、うちらの境遇を慮ってくれるわけやな。ゴマすりに見える可能性をとっても、下手に出てきたわけか、ほほう」
もし俺たちが、たとえばどっぷり大本営に与する人間だとして、そして完全に自らの目的のためにトラックへ来たならば、今のような単語の選び方はすまい。
共闘。俺たちは目的こそ同じだけれど、全く別の存在であると、立ち位置であると、組織であると、そう表現している。彼女らを従わせにきたわけではないのだと。使い捨てにきてはいないのだと。
「けどあかんな」
ずい、と龍驤は俺のそばまでやってきて、見上げるように睨み付けてくる。
「うちらはあんたらと共闘なんてせぇへん。
あんたらがうちらの腰ぎんちゃくになる。それだけや。こっちが譲歩するようなことは一切あらへん」
「……龍驤さんたちは、やっぱり今も深海棲艦と戦い続けているのですか?」
問うたのは漣だ。受けた龍驤は吐き捨てるように息を出す。嘲ったのはこちらか、自らか。
「大好きだった上司殺されて、仲間殺されて、そうしない理由があるか? ん?
それとも誤解してるんか。最早ウチらはただの私怨で動いとるっちゅうことが理解できんのか?」
漣は船の上で言った。トラック泊地の艦娘たちは、やりたい放題やっていると。
生きたいように生きていると。
感情と行動原理が直結していると。
だから、
「実際のとこ、あんたらも敵やで」
そう。俺たちも怨敵。
見捨てられなければ助かった命もあっただろう。苦しまずに済んだことも多かったろう。国のために命を懸けて戦い続け、その挙句の仕打ちがこれでは、骨の髄まで恨みに漬かっても不思議ではない。
そして、「ウチら」。想定の範囲内ではあるが、やはり、トラックの艦娘はばらばらではない。
やりたいようにやってはいるが、決して独りで生きているわけではない。
「それでもあんたらは殺さん。殺すわけにはいかん。ウチらは国を信じんよ。ただ、あんたらが利用できるうちは利用することに決めたんや。
でなきゃ、みぃんな死んでまう。ウチも生き伸びれるかどうかわからん。トラック空襲。そうやろ。だからあんたらがやって来た。違うか?」
違わない。龍驤の推察は的中していて、けれど、当然そんなことを彼女が知るはずはないのだ。
海軍の中では上層部しか知ることのない「イベント」という概念。嘗ての大戦と酷似した軍勢、作戦海域。それらをさして、深海棲艦は化け物ではなく幽霊なのだと嘯くやからだって少なからずいる。
情報が漏れている? だとすればどこからだ?
「……」
「そんな険しい顔せんでもええよ。おぉ怖ァ、まるで獣やね」
「……」
「別にスパイがおるわけやない。大したことじゃないよ。ただ、ちょっち史実に詳しいやつがおってな。経験と理論構築、からの予測ってやつやね」
「……」
「ついでに言ってやろうか。大本営は恐れとるんとちゃうか。夏で辛勝、秋で快勝……それからの敗北。本来負けていたはずの歴史を、ひっくり返しつつあったのに。それなのに」
龍驤の身振り手振りは大袈裟で、本心は見えない。
「だからこそ。だからこそ、や。それをおじゃんにするわけにはいかんってな。
折角史実を翻し続けて、やっとこ歴史のレールから逸れてきたのに、ここでまたもとのレールに乗っかるわけにはいかん。そうなったらおしまいや。待っているのは敗北だけ……昔のように」
「ど」
れだけ知っている、とは聞けなかった。
たとえ龍驤の言葉が正しかろうとも、俺がそれを認めてしまうわけにはいかないのだから。
漣を見た。信じられないといった顔をしていたが、俺の無言はどうやら決定的だったようだ。
遅かれ早かれ機密は知る身。とはいえ、覚悟もなしには少しばかり堪えただろうか……そう思っていると、俯いた漣から「くふ」と声が漏れてくる。
「なぁるほど」
喜色満面。俺はそれが信じられない。
「なら、行きましょう。やりましょう。やれ急げさぁ急げ、って具合ですよ、ご主人様。なにぼーっとしちゃっているんですか。そんな顔は似合いませんったら」
これには龍驤もあっけにとられ、先ほどまでの剣幕はどこへやら、ぽかんと口を半開きにしている。
「……おい、お嬢ちゃん、ウチの話聞いてた? 本土強襲は記憶に新しいはずや。秋口はパラオも襲われたのは知っとるやろ。トラックはこの有様や。その再来やで」
「秋から冬は漣、神祇省で適合資格検査中でしたけど、へぇ、本土強襲……なら、なおさらですね。やらないわけにはいきませんよ」
「はっ。愛国心に篤いこって」
「そんなんじゃありませんけど」
「ま、ええわ。殺すつもりはない。が、勝手に動き回られても困る。身柄はこっち預かりや。三食喰わせたるし寝床も確保したるけど、ウチらの言いつけ、ちゃあんと守ってくれんと厄介になるのはそっちやで」
脅しのようだが脅しではない。言葉の重みが違った。
それがお互いのためだ、と龍驤は言外に語っている。
「……どういうことだ」
「それを知る必要はない。教えるつもりも、ない」
まぁだろうな、というところだった。だが、龍驤が無駄なことを言うとも思えない。である以上は従っておくべきだろう。
そう、こんな龍驤ですらハト派の可能性だってあるのだから、俺たちが本土から来た海軍将校であることは、なるべく秘匿するに越したことはない。
「戦力もか。人員配置、資源の量、その他邀撃に必要な情報は山ほどある。それを把握せずに備えろと?」
「……ま、そうやね。人員配置については鳳翔さんに聞きぃや。資源、装備に関しては夕張が管理しとる」
「泊地にはその二人もいるのか?」
「その二人『が』おる、っちゅーたほうが正しいかもしれんね。生き残りは少ない。泊地に寄り付かんのもおる。形式的にでもあいつがいたころの形を維持しようとしとるのは、正味、うちを含めて三人だけや」
「あいつ、ですか」
漣が呟いた。あいつ。先の話にでてきた、戦死した提督だろうか。
事前資料を見る限りでは、トラック泊地ができた当初から在任している提督らしい。明朗闊達、質実剛健、文武両道を地で行く益荒男だったと記載されていた。
当然信頼も厚かっただろう。彼の存在が自らのうちに根を下ろしすぎていて、引っこ抜かれた際にきっとどこかが壊れてしまった艦娘も、少なからずいるに違いない。
龍驤がそうではないとは思えなかったけれど、だからこそ強く振る舞い、だからこそ提督がいたころの鎮守府を維持しようというのは理解できる。
顎で示して龍驤は振り返った。ついてこい、というのだろう。
彼女の左手薬指に指輪が嵌っているのが見えた。
―――――――――――――――――――――
ここまで
エタったやつも似たようなタイトルだったとは思いますが、もう覚えていませんねぇ。
地の文が長ったらしいのは相変わらず
待て、次回
「ふぅ、つっかれましたねー!」
使い古された感のあるシングルベッドへ漣は飛び込んだ。スカートがめくれていちご柄の下着が丸見えになる。
「見えてるぞ」
「え、あっ!? ばか!」
「安心しろ、ガキのパンツにゃ興味はない」
「ガキじゃないですー! こう見えても14ですー!」
ガキじゃねぇか。俺と一回り以上もはなれている。
にしても、14。中学二年……適性検査を経て合格したのだから、それなりに有能なのはわかるけれど、それでも本土が恋しくはならないものだろうか。
まるで小旅行のようなふるまいを見せる漣だが、二度と故郷の土を踏めない可能性があるとは、露とも思っていないのかもしれなかった。
いや、少女とも言えど艦娘で、つまり軍人だ。訳ありなど山ほど見てきた。最初の赴任地がトラックなんて埒外なのだから、漣には漣なりの何かがあって、トラックへ来たと考えるのが妥当だろう。
少しでも遠くへ行きたかった? なぜ? それとも飛ばされてきたのか? 俺のように?
かぶりを振った。変な勘繰りがよろしくないのはわかっていたからだ。
他人の隠し事を暴露しようとするのはまるでよくない趣味だったし、関係の悪化は任務達成において致命的に過ぎる。
「学校に友達とかはいなかったのか?」
「へ? 急になんですか。話をそらそうとしたって騙されませんよ」
「違ェよ。本人の意思を尊重すると謳ってはいるが、曲がりなりにも徴兵だからな。反対は結構いろんなところで起きてるんだぞ」
「ウチの周りには防衛省関係の施設も、ましてや神祇省関係の施設もありませんでしたからねぇ。ご主人様の周辺は知りませんけど、だいぶ静かなもんでしたよ」
「まぁ、今更ホームシックになられても困るんだが」
「なりませんてば」
心外だ、というふうに口を尖らせる漣だった。
現在俺たちがいるのは平屋の一室である。至って普通の1DK。龍驤たちにあてがわれた部屋は、日本の作りとさして変わりないように見えた。違いと言えば漆喰がむき出しのところくらいか。
ここは俺の部屋だ。漣の部屋は隣にある。プライベートを気遣う余裕が龍驤にあったとは驚きだったが、その余裕はありがたかった。さすがに女子中学生といきなり同棲など気が気でなくなる。
本来ならば泊地の司令室に陣取るのが通例なのだろう。俺は鎮首府も泊地も知らないので、あくまで想像だ。とりあえずこんな平屋に座しているはずはないのは明白だが。
とはいえいきなり敵意の視線のど真ん中へと飛び込んでいく度胸もない。別に俺たちは喧嘩を売りに来たわけではないのだから。
資源と人物管理担当の二人、夕張と鳳翔は追ってやってくると龍驤は言っていたが、具体的な時間はついぞ教えてくれなかった。俺たちの処遇について、今後どうするのかを決めあぐねている可能性は十分にある。
ならばこちらも対応策を練るべきなのだろうが、難しい。なにせこちらは向こうの情報を全くもって知らないのだ。
漣が持ち出したマル秘資料は結局襲撃を受ける前のものにすぎない。提督が死に、泊地が壊滅して以後のことは、どうやっても彼女たちの口から聞くしかないのである。
そしてそのハードルが何よりも高い。
「……どうなると思う?」
備え付けの椅子は足の立てつけが悪いのか、体勢を変えるごとにぐらぐらと揺れる。
「まず漣たちの目的をはっきりさせることからですね」
漠然とした質問にも漣はきちんと答えてくれた。
「そもそもご主人様がここでどうしたいのかを漣は知りません。辞令は予想されている『イベント』の対応、及び常態的な深海棲艦の邀撃でしょうけど、丸呑みして言うこと聞くんですか?」
まさか聞かないでしょう、と言葉の裏で漣は笑っている。
なるほど、その予測は論理的だ。上層部からの言うことにほいほい従うイエスマンが、果たしてこんな僻地に飛ばされるだろうか。
だがしかし、論理的過ぎるのも時には困りものであるようだ。
「言われたことはやるさ」
「やるんですか?」
「まぁ、一応な。自分の命を守るためってのもあるし、なにより、知り合ってしまったんだ。見殺しにするのも悪い」
どうやら漣は俺をあまりにも冷血漢だとみなしすぎているきらいがあるのではなかろうか。
人は死なないに越したことはない。誰だってそうだろう。たとえ自分とはまるで無関係な人間であったとしても、誰かの死は気分を暗くする。
仮に死の淵に立つことがあったとしても、その時は納得ずくで、笑顔で死ねる様にありたいと思う。
果たして彼女もそうだったのだろうか?
俺は彼女に対して――
「――へっ」
やめだやめだ、ばかばかしい。
自ら頸木に頭を突っ込んでどうするというのだ。
「っつーわけで、最終目標は泊地の再興だ。信頼を勝ち取り、艦娘を指揮下に置き、来るべき敵の襲来に備える。そうすりゃ自然と本土に対しての発言権も生まれるだろう。飼い殺しになってやるつもりはねぇ」
「ふむ。ということは、ご主人様。やっぱりギャルゲー的展開にならざるをえませんよ?
人材を見なければなんともいえませんが、例えばイベント。過去を踏襲するならば聯合艦隊での出撃が望ましいでしょう。つまり、艦娘は12名必要です。漣と、龍驤さんと、夕張さんに鳳翔さん。これでやっと四人。後三倍必要になります。
最低でも八人、口八丁手八丁で篭絡しなきゃ、です」
篭絡とは随分と下卑た言い方をするじゃあないか。ギャルゲー的展開はともかくとして、確かに、俺たちを手伝ってくれる程度には信頼関係を築く必要がある。それを篭絡といってしまえば確かにそうなのかもしれないが。
「ふーん。ギャルゲー、ねぇ」
背後から声がした。
振り向いた俺の目の前で、目を真ん丸くしていたのは灰色の髪の少女。緑色のリボンで髪を結わえ、漣のものとはまた違ったセーラー服を身に着けている。ごちゃごちゃとした艤装もまた。
そして、そんな彼女の背後に、もう一人。着物姿の女性。南国に似合わない、見るからに暑そうな格好だった。
「龍驤さんから話は聞いているでしょ。夕張よ」
セーラー服の少女が名乗る。ということは、消去法的に着物の女性が鳳翔か。
「あの、夕張さん? ぎゃるげぇ、とは、一体……?」
「あぁ、鳳翔さんは大丈夫です、そういうのはいいんです」
「え、え?」
「ちらっと聞いてただけだけど、けっこうな言い草じゃない。ギャルゲーとか、篭絡とか。本土の人間はやっぱりどいつもこいつもこういうやつばっかりなのかしら」
「……あー、誤解しているようなら、悪かった。そういうつもりで言ったんじゃない」
「そ、そうです! 全部わたしが悪いんです!」
「あぁもうわかってるけどさ! でも、言葉には注意してよね。いきなり後ろから撃ってくるやつだっているんだから」
「冗談だろ?」
艦娘の艤装は深海棲艦特攻性能を持つが、純粋に人間に当たっても大怪我は免れない代物である。現代科学の粋を集めて作られているのだ。
「だったらどんなにいいか」
夕張のその口調は、それが単なる冗談ではないことを如実に現していた。
無能な上官の死因のうち、数パーセントが味方の誤射によるものだという統計を思い出した。あんなものはブラックジョークの類にすぎないと笑い飛ばせるだけの余裕と、何より説得力が、今の俺の周囲にはない。
「……気をつけておくよ」
「ん。そうね、それに越したことはないから」
「お二人は、その、龍驤さんから言われて?」
「はい、そうですね。とりあえず、私たちが持っています資料や体験を伝えるように、と言われています」
俺たちに対する二人の口調は、やはりどうしても硬さはあるものの、決して敵対的ではない。龍驤も含めて、彼女たちはみな、自分たちの力だけでは今後の脅威に対処できないと感じているのだろう。
本土から増援や助力を期待する打算と、はらわたの煮えくり返る思いの板挟み。
そして夕張の先ほどの言葉。「後ろから撃ってくるやつもいる」。
漣が船上で言っていたことからうっすらと想定していたことだけれど、やりたい放題やっている、自由に生きている――トラック泊地の艦娘は決して一枚岩ではない。
「すいません、お二人とも、早速ですが資料とデータを見せていただけませんか? 行動は早いほうがいいですし」
「わたしが資材管理で、鳳翔さんが人材管理。どっちから先に聞きたい?」
「……」
俺は逡巡して、「人材」と言った。
資材は所詮資材だ。それを活かせる人材がいなければ話にならない。畢竟、資材が十万二十万あったとて、艦娘が駆逐艦ばかりでは大した意味もないのだから。
「わかりました。では、私、鳳翔が」
鳳翔――鳳翔、さん、だろうか。俺と同い年くらいにも見えるが、声は若い。
「まず、手早くトラック泊地の現状を説明したいと思います。
既にお聞きになっているとは思いますが、冬のイベント、トラック襲撃により、我が泊地は壊滅しました。提督は死亡、仲間たちもその大半が死亡しています。現在、泊地に常駐している艦娘は私と龍驤さん、夕張さんの三名のみです。
ですが、これは生存者が三名である、ということを意味しません」
「『後ろから撃ってくるやつもいる』」
「……えぇ」
意図的ではないだろうが、鳳翔さんは視線を逸らす。
「提督は死に、仲間も死んで、もう泊地は機能しておらず……ならば、何をしたって構いやしない。そう思った方々がいたのは本当です。御国のために挺身したことが仇となって返ってきたのなら、ですが、それは致し方ないことと思います。
勿論、全員がやけを起こしたわけではありません。のんびりと余生を決め込んでいる方もおりますし、一人で海に出ている方もおります。最早泊地とは縁の切れた身。そして嘗て共に戦った身。傷口に触れる必要もないと、こちらから干渉はしていません」
「そいつらは全部で何人だ」
「九名です。亡くなっていなければ」
九人……泊地の三人と漣を加えて総勢十三人。何とか頭数は揃う、か?
「名前と、どこにいるかを教えてもらえるか?」
「それはできません」
「なんでですか?」
俺よりも先に漣が反応する。存外に冷静だが、その瞳は鋭かった。尋ねているのではない。詰問だ。
「漣たちの利害は一致しているはずです。トラック泊地の再興。これ以上人死にを出さないようにする。途絶した本土との連絡を回復し、正当な権利を得る……。
主義主張、理念、思想、そんなものは全部、そのためにうっちゃえるはずです。それでも教えられない何かがあるというんですか?」
「あります」
応える鳳翔さんもまたきっぱりと。
「恐らく、あなたたちは勘違いしているのでしょう。私たちは、正直なところを申し上げますと、『泊地の再興などどうでもいい』のです」
「そっ」
「それは話が違います!」
またも漣が俺を制した。
「いいえ、違いません。私たちは皆さんの幸せを願っているのです。再興は次善――身も心も傷つき、疲れ果てた仲間たちを、もう一度戦場へ引っ張っていくことを望んでいませんから。
彼女たちは『やりたいようにやって』います。その邪魔をするつもりは毛頭ありません。勿論、あなたたちが説得をするのは自由ですし、説得に彼女たちが応じるのならそれはそれ、こちらが口出しすることではないですが」
「……幸せの中で死ぬならそれでもいいと?」
「えぇ。苦しさを我慢して生きるよりは、そちらのほうが。私たちはそう思うのです」
俺は真っ直ぐに鳳翔さんの瞳を見た。彼女も真っ直ぐにこちらを見返してくる。
きれいな瞳だった。強い瞳だった。疾しいことなど微塵もない、そう自分自身を信じている瞳だ。
ならば、俺たちに説得できる隙はない。
「……わかった。そっちに迷惑をかけない程度に、こっちもやりたいようにやらせてもらうが、いいな?」
「構いませんが、あなたがたが皆さんを悲しませるようならば、それは見捨てておけません。努々お忘れなきよう、ご留意ください」
「わかった。心に刻んでおく」
「ありがとうございます。それでは、私たちはお暇しますが、よろしいですか?」
「あぁ。御足労すまなかった。色々聞けて、参考になったよ」
「夕張さん、行きますよ」
す、と清楚な身のこなしで鳳翔さんが立ち上がった。
対する夕張は、ぽかんと口を開けて彼女を見ている。
ん? なんだ? なにか、違和感が……。
「いや、あたしからの説明、まだなんですけど……」
「あ……」
一瞬、沈黙。
「あ、その、ごめんなさい? ち、違うんですよ、夕張さん! ちょっと雰囲気に呑まれちゃったと言いますか、なんていうかその!」
「くっ、ふふっ、あははは! や、いいんですよ、鳳翔さん。面白かったですから、いまの。『夕張さん、行きますよ』って。あはははっ!」
「もう、夕張さん! そんなに笑わないでください!」
「ひひっ、あぁもうだめだ、お腹痛いー!」
「……こういう人なのか?」
「そう! こういう人なの!」
夕張は眼尻に浮かんだ涙を拭いながら、自慢げに言った。
「かわいいでしょ?」
「かわいいな」
本心だった。
まぁ、俺も忘れかけていたのだから、人のことをとやかくは言えないのだけれど。
「まぁでも、話を戻すけど、あたしは資材管理担当。ただ泊地が壊滅してから時間は経ってるし、実際に艦娘として動いてるのはあたしたちだけだから、殆どからっけつだよ。駆逐艦がいない以上、遠征にも出られないしね」
「それでも最低限、三人分の蓄えはあるんだろ」
「ないわけではない、くらいに思っといてよ。艦娘はやってるって扱いだけど、実際のところ、艤装をつけて出撃――なんてのは当分やってないからさ」
「近海に深海棲艦は?」
「出るよ。出るけど……」
言い淀んだ夕張は、助けを求めるように鳳翔さんを見た。視線を受けた彼女は、「なりません」と言う風に首を横に振る。
「……まぁ、そこはおいおいわかると思うよ。あなたが本当になんとかしたいと思っているなら、ね」
多分に含みがある言葉だった。やはり、彼我の間の見えない壁を、測れない距離を、ひしひしと実感する。
親切な誰かに全てを手取り足取り教えてもらえるとは微塵も思っていなかった、それは事実。特別な落胆はない。
「で、一応これが資材の管理表。推移も含めて記載してあるけど、ここ数か月は殆ど横ばいだから、あんまり見ても仕方ないかもね」
薄めのファイル一冊分。現時点での資材数は、油、弾、鋼材、ボーキ、それぞれがおおよそ3万前後と言った様子。十分とは到底言えないが、今すぐの枯渇を心配しなければならないほどではないようだ。
「ん。ありがとう、熟読しておく」
「じゃあ、これであたしたちのお仕事は終わりかな。全面的に協力するわけじゃないけど、まぁ、互恵関係といきましょ。
ほら、鳳翔さん、行きましょう」
そう声をかけられて、鳳翔さんは先ほどのやり取りを思い出したのか、赤面して「もう!」と声を大きくする。
二人は背筋をぴんと伸ばして立ち上がった。扉を開けると、まるで二人に後光が差したようにも見えて。
……完全に外様だな、こりゃ。
覚悟は決めていたことだけれど。
漣は面白くないような顔をして二人の背中を見送っていた。
「不服か」
「そりゃそうですよ。ちょっと排他主義が強すぎやしませんか? 自分が決めた生き様を貫いた結果なら、深海棲艦に殺されたっていいなんてのは、はっきりいって納得できませんね。
横っ面をひっぱたいたって、腕を引っ掴んだって、生きてるほうがいいに決まってます」
漣の言うことは尤もで、俺だってそう思う。
が、それを俺たちが言う権利なんてのは、どこを見渡してもありゃしないのだ。俺たちは所詮、現実を知らないクソヤロウに過ぎない。聡明な漣自身、それをわかっているからこそ、あえて鳳翔さんには突っ込まなかったに違いない。
「あら、奇遇ですね。私も同じく思います」
開けっ放しの扉のところに、一人の少女が立っていた。
パジャマ姿で。
茶髪をなびかせながら、優雅なしぐさで少女は髪の毛をかきあげる。
「軽巡、大井と申します。少しお時間よろしいですか?」
――――――――――――――――――
ここまで
新しいキャラクターの登場シーンを考えるのが一番楽しい
あと漣かわいい
待て、次回
「……軽巡、大井?」
鸚鵡返しになったことは承知の上で、俺はそれしか言葉が出なかった。
茶髪の美少女――自らを「大井」と名乗った少女は、パジャマ姿で麦わら帽子だけを被っている。トラックの強い日差しから身を守るためだろうか。顔色があまりすぐれていないように見えるのは影のせいだけではなく、熱さに弱いのかもしれない。
美少女。そう、美少女だ。
肌は透けるように白く、嫋やかな笑みを浮かべていて、髪質は柔らか、そのくせ底冷えする瞳を持っている。
……?
いや、違う、か?
「違うな」
「ご主人様、どうかしましたか」
「『ご主人様』」
くく、と含み笑いを大井は零した。
「とんだ趣味をお持ちですね、提督。いえ、やっぱり私も『ご主人様』とお呼びしたほうが?」
「好きにしろ。今は俺のことなんてどうだっていい。大井、っつったな」
「えぇ。軽巡、大井。……それとも、本名をご所望で?」
「素体の名前を知ったところでどうしろってんだ。話をはぐらかすのはやめろ」
「あのぅ、ご主人様? 話の流れが、漣、全然つかめていないのですが」
「あぁ、気にすんな。どっか行っててもいいくらいだ」
「なんですかその言い方、ひどー」
「本当、酷いですね」
と、大井がこちらを見ている。
悪意をことさらにこめたわけではないのだが、今の俺の言葉の矛先は、漣ではなく大井に向けられていた。彼女はそれをつぶさに感じ取ったに違いない。
『こいつの影響を受けないように』。
隠された言葉をはっきりと理解しやがって。
「さくっといこう」
俺は息を吸い込む。
「病院はどうした」
「抜け出してきたに決まってるでしょ? じゃなきゃ、こんなとこまで来られません」
「病院のパジャマのままで、か。よく見つからなかったな」
「一応これでも軍属ですから。身のこなしは人一倍。たとえ艤装を背負ってなくても」
「人格矯正プログラムを徹底するように進言しとくか」
「あなたが真っ先に放り込まれちゃうんじゃないですか」
……?
なんだ。どういうことだ。この違和感はどうしたことだ。
大井のこの、何もかもを全て見透かしたような眼が、あまりにも居心地が悪い。
一度深呼吸。落ち着け、熱くなるな、冷静になれ。そうやって自分で言いきかせないと、この不快感を間違った方法で解消させかねない。
軽巡、大井。こいつのパジャマは病院の普段着だ。俺は嘗て同じものを、日本の病院で見たことがある。
なぜトラックの病院で同じものがあるのかはわからない。が、大井が軍属であったことを考えれば、泊地の病院は全て系列のようなものだからなのだろう。
病院を抜け出してきたことは一目瞭然だった。けれど日に照らされている手足は健在で、いささか白すぎるようには見えるが、問題があるとも見えない。
戦地で手足を失くす人間は少なくない。特に深海棲艦の登場から、艦娘の正式な運用決定までの過渡期では。弾丸も爆薬も効かない化け物相手、海岸線を必死に守り続けた結果の負傷を、俺は嫌というほど知っていた。
そして反面、俺は艦娘のことをさして知らない。だから病院着ともなれば、怪我の類だろうと思ったのだが、そういうわけでもないらしかった。
ならば内臓系か。はたまた精神か。
PTSDなどよくある話だ。
ともあれ大井、こいつの一筋縄ではいかないっぷりは、恐らく生来のものだろう。後天的に突如として得た物ではないよう感じる。泊地が壊滅し、前提督が死んで、ということはどうやら関係なさそうだ。
それは勿論彼女に心の傷がないことを意味はしないけれど、大井のことを慮れるほど、今の俺には余裕がない。
救いを煙草に求めて、いまだ心の清涼剤は漣が持っていることに気が付いた。くそ。
「何をしに来た? 何が目的だ?」
「あら、それをあなたが尋ねますか? こっちとしては、そっくりそのままお返ししたいんですけど」
いちいち言葉に棘がある。それは俺もである、という自覚がないわけじゃあないが。
「会話を盗み聞きしていたろう。聞いた通りだ。泊地の建て直し、そのためにやってきた」
「おかしいですね。なら、わかるはずでしょう」
私が盗み聞きしていたのを知っているのなら。
大井は不敵な笑みを浮かべて、そう続けた。俺は確かにそのとおりだ、と思う。同時にクソ厄介な女が現れたものだ、とも。
腹の探り合いは得意だが、得意と好きは一致しない。回りくどいのは面倒で、俺は面倒事が嫌いである。漣に言わせれば、面倒事や厄介ごと、総じてトラブルに好かれそうな顔をしているらしいので、最早諦めるしかないのかもしれない。
「ほう、なら、お前は俺たちを手伝ってくれると、そういうわけか?」
「無論ですとも」
殊勝な言葉とは裏腹ににんまりと猫のように笑う大井の表情は、まるで信用できない。悪意は感じられない。ただ、真意が別のところにあるのは明らかだった。
とはいえ今は猫の手も借りたい状況であることもまた確か。いくら真意が別のところにあるとは言っても、まさか寝首はかかれまい。大井、こいつの病状がどれだけ重く、そしてどれだけ致命的かはわからないが、艦娘として最低限の素養はあるはずだ。
「……胡散臭いひとです」
ぼそりと漣が呟いたのを俺は聞き逃さなかった。当然、大井も。
「あなたの喋り方に比べたらどうだってことないでしょ? メイドさん」
「なら、あなたのそれもキャラ付けだとでも?」
「漣、落ち着け。喧嘩を吹っ掛けるな」
「でも、ご主人様。この人は軽巡大井なんですよ」
「……?」
漣の言った言葉の意味が理解できず、俺は一瞬ぽかんとしてしまう。
「雷巡じゃないんです。軽巡のまま……練度が足りないから。病気のせいですか?
ご主人様。漣にはどうしても、この人の、この人が描いてるビジョンが、わからないんです」
軽巡大井。雷巡ではなく。
座学で学んだのはかなり昔だから、忘却の彼方に霞んでいる。だけど、確かに、そう言えば、そんな艦種もあったような……?
漣の言わんとしていることの全貌はわからない。以心伝心には程遠い。だが、それでも不安は伝わった。
そしてそれを見捨てておけるほど、俺は冷たい男ではない。つもりだ。
「あー、大井? 何か申し開きはあるか?」
「ないと言ったらどうなります? 今この場で撃ち殺されるというのなら、そりゃあ身の振り方も考えますが」
「とりあえず情報の相互提供といこうや。互いの立場、目的、知っていること、全て並べて初めて同じ土俵だ」
「まぁ、私は構いませんけどね。一応最古参の一人に数えられますし、あなたたちの望む情報は、恐らく提供できると思いますよ。
あぁでも、覚悟はしておいてくださいね」
「覚悟?」
「私のことを使うからには、私に使われることも辞さない覚悟を持っているのか、と尋ねています。役に立たないような相手に与したところで、ねぇ?」
流し目で大井はこちらを見てきた。蔑んでいるわけではない。ないにせよ、こちらを値踏みしているのは明らかだ。
大井の目的が一体なんであれ、俺たちは俺たちの目的を完遂しなければならない。トラックなどと言う辺境の地で一生を終えるつもりはなかったし、それはきっと漣だって一緒だろう。
本土に戻るためには任務の遂行は絶対条件で、そもそも任務が果たせなければ、自らの命だって危うい。
「俺たちにできる範囲であれば、手伝うことは吝かじゃあないが」
「吝かじゃあない。ふふ」
何が面白いのか、大井は口元を押さえた。
「まぁいいでしょう。素体の名前に興味はない? でしたら私は『大井』――球磨型軽巡洋艦四番艦。その御霊を背負った者です。繰り返しの紹介になりますが、そこは許してくださいね。大事な伏線ですので。
そちらは? 艤装の感じから察するに、特Ⅱ、綾波型?」
「……漣です」
驚いているのか、あるいは若干引いているのか、漣の言葉は重たい。
俺もあわせて名前、階級を告げると、大井は満足そうに頷いた。
「なぁるほど」
意地の悪い笑みが大井の顔面に張り付く。
「お噂はかねがね――『鬼殺し』殿」
「提督ッ!?」
漣が叫んだのを聞いて、初めて俺は、自らの右手に鉄塊が握られていることを知った。
腰のホルスターに差しこまれていたリボルバー式の拳銃だった。
その銃口は真っ直ぐに大井へと向いている。
「撃ちますか? 私を殺しますか?」
「それ以上いらんことを喋るな。指が動いちまいそうだ……!」
「なるほど、聞いた通りです」
ひとり、正鵠を得たりと頷く大井。
「あなた、戦いに勝って勝負に負けましたね?」
「沈黙は金だぞ、大井ッ!」
知られて困るという次元ではないのだ。心を鋭く切り裂いてくる悪漢相手に、果たして防衛以外のなにができようか。
たとえ彼女が有能で有力な協力者足りえたとしても、駄目だ、わかっているのに、体はどうしても反応してしまう。ここで我慢しなければ、俺は金輪際勝負に勝てやしないというところまで来ていると、自覚はあったとしても!
「あ、あの、そのっ、やめてください! なにがどうなってるってんですか!」
射線上に漣が割り込んでくる。引き金にかかる指はいまだに硬直していたが、頬を伝う汗を感じ取れるくらいには、感覚にも余裕が出てきていた。
そして大井はようやく意地の悪そうな相貌を崩す。
「わかりました、わかりましたよ。拳銃を収めてください。事情はわかりました。となれば、私も事情を詳らかにできるということです。何も悪いことばかりじゃあありません。違いますか、『ご主人様』」
「……話を続けろ。与太話に付き合う暇はねぇ。余裕もねぇ」
ようやく拳銃をしまう。それだけのことに随分と体が重い。
「私の目的はただ一つ。行方不明になった姉妹を探してほしいんです」
あっさりと大井はそう告げた。あまりにもあっさりで、俺も漣も次のやつの言葉を待っていたのだが、どうやら本当にそれだけらしい。
姉妹を探す。行方不明。わかりやすい話ではあった。ただ、艦娘という特性上、探す範囲を考えれば……。
「それは、球磨型軽巡残りの四人を、ということですか?」
問うたのは漣。球磨型と言われても、座学で学んだのは遥か昔。忘却の彼方に消え去っている。ここはこいつに話を進めさせるのが得策だろう。
大井と不穏な雰囲気であるのが心配だが、拳銃を突きつけたばかりの俺が言えた義理はない。そういった意味でも、俺に頭を冷やす時間は必要かもしれない。
「いいえ、違うわ。もともとここに球磨型は二人しかいなかったもの。
探してほしいのは、妹――いえ、姉、かしら?」
「? どういう意味ですか」
「あぁ、ごめんなさい。はぐらかすつもりはないの。
探してほしいのは、球磨型の三番艦、北上。ナンバリングでは姉なんだけど、彼女、私の妹なのよ」
「『軽巡大井』ではなく、『あなた』の?」
「そう。深海棲艦の大攻勢を受け、必死に戦っていたわ。彼女は私と違って雷巡になっていたから、激戦地帯で来る日も来る日も雷撃雷撃……そうして、敗北とともにいなくなってしまった。
沈んだのか、それとも生きてどこかを漂っているのか、はたまたいまだに深海棲艦と戦い続けているのか、それはわからない。探しに行きたいのだけれど、生憎私は体が悪くて、うまくはいかないの」
「体が悪いってのは、そりゃ、なんだ。病院着ってこたぁ入院中の患者だろう。それが軍属で艦娘やってるってのは、不思議な話だが」
俺はここでようやく口を出せた。
軍属の間で大病を患ったのなら、こんなところではなく日本に戻ればいい。生まれつきの大病ならそもそも軍属になれないはず。除隊もされずに大井がトラックで艦娘をやれている理由がわからない。
大井は俺の言葉を受けて大きく頷く。まるでそこに話の焦点があるかのように。
「私は最古参の一人だと言ったでしょう?」
それが説明だと言わんばかりの大井であったが、果たしてその説明は俺にも、漣にも通じない。言葉は虚しく滑っていくのみ。
沈黙が数秒流れ、ようやく彼女も事態を察したらしい。えっ、うそ、知らない? と驚いている。
「適合する女子に艤装を模した装備をさせた上で、嘗て存在した軍艦の付喪神を降ろす、そんな技術が一朝一夕で確立するわけないじゃない。当然何百と言った『失敗作』と、最初期の『成功作』が生まれてくる。
そのうちの一人がこの私。艦娘の最古参、軽巡大井なの」
「最古参っつーのは、そっちの意味でか」
トラック泊地の最古参と言うことではなく。
「えぇ、そう。で、ここで話は戻るのだけれど、私の体の話。
なぜ私が最古参なのか。最初の成功例なのか――ふふっ、皮肉なものよね。神様が瑕疵を好むだなんてのは」
大井は自らの胸へと手をやった。
「私は生まれつき心臓に欠陥を抱えているわ。だからこそ私は『軽巡大井』足りえた。何故なら史実の彼女には、生まれつき機関の不調があったから」
あぁ、そういうことか。漣が俺の隣で呟いた。俺も合わせて理屈を理解する。
史実の、日本海軍所有であった軽巡大井について、俺は寡聞にも詳しい情報を知らない。しかし目の前の艦娘大井は言う。軽巡大井には機関部に欠陥があったのだと。
そして彼女にもまた、機関部である心臓に欠陥があるという。そして先ほどの言葉。「神様が瑕疵を好む」。
考えてみれば当然の話かもしれない。軍艦を模した艤装を装備してまで、魂を降ろす準備をしているのだから、より嘗ての条件に類似した憑代を神様だって選ぶだろう。
「……随分と史実に詳しいようなのは、だからか?」
「そうね。そうかもしれない。それとも順番が逆なのかも?」
それは最初からミリオタだったということか?
ならばもう一つの予想も納得がいく。
「イベントの予測をしたのも、お前だな?」
「その通り。龍驤たちの指針になればと思ってね」
そう語る大井の表情は誇らしげだった。
決して善人ではないだろう彼女の、真っ直ぐな笑顔を見て、俺は思わず頬が緩む。
「力を貸してくれないか?」
「力は貸せない」
即座に。
「こんな細腕借りたって、発砲スチロールも持ち上げられないわよ」
いたずらめいた言葉だった。
「――けど、この頭脳は貸してあげる。
私たちは味方ではないわ。代わりに、北上さんを探してもらいます。それで文句はないでしょう?」
「あぁ、これからよろしく頼む」
俺が手を差し出すと、大井も手を握り返してくる。握力が弱弱しいのは、やはり闘病生活のためだろうか。
「漣も、よろしくお願いしますっ!」
爛漫な挨拶とともに漣が手を差し出す。
「嫌よ」
そうして、その手は払われた。
「あなたの口からは腐った嘘の匂いがするわ」
――――――――――――――――――
ここまで
大井さんはヒール
癒し系ってことだね(?)
待て、次回
乙
漣も大井さんも特に好きだから仲が悪いと辛い…
>>79
俺も辛い
蛇足的な説明になりますが、本作の艦娘は全員生身の人間です。徴兵によって適性ある人間が集められ、以前の記憶はきちんとあります。当然本名もまた別にあります。
艤装は現代科学の粋を集めて作られていますが、艦艇の御霊を降ろすことによって深海棲艦への特攻を得ています。
そのため、海辺で生活し、伊勢や住吉への参拝を定期的に行わなければ、同期がうまくいかなくなるという設定。
本名ではなく艦の名前で呼ぶことも、憑依を維持するために規則で定められています。
それから三日間、特に何事もなく過ぎた。
それは決して、俺たちが何もしていないこととは異なっている。だがしかし、俺は寧ろ、何事もないことこそが恐ろしくもあった。
波風がなければ舟は動かない。無論、頼みの綱は船であって舟ではない。言葉遊びで不安になるなんて愚かしい……わかってはいるのだけれど。
あれから大井と顔を合わせたわけではないものの、漣は至って普通で、余計にあいつのあのセリフがなんだったのかわからないでいる。
『腐った嘘』。わざわざ挑発的な言葉を選んだに違いない。そしてまるで意味のないことをするようなやつでは、話した数分の感覚を頼りにするならば、無いような気がした。
「ご主人様ァ? どーしましたー?」
「……いや、なんでもねぇよ。色々な、考え事を」
「まぁた似合わないことしてんですね、乙カレー様です」
と、少し不思議な発音で喋って、漣は俺の持っていた紙切れを取り上げる。
龍驤からもらった、周辺の地図だった。
海岸線、及び港までは徒歩で十五分と少し。軍港は復興の兆しもなく打ち捨てられ、代わりに地元漁師たちの漁港として使われている。まぁ、もともと艦娘には港らしい港も必要ないので、そんなものなのかもしれない。
整備と修理を行うドックは夕張が管轄しているらしいが、どれほど稼働しているのか、まるでわからない。深海棲艦も近海にはいるだろうに、龍驤一人でそれに対処しているのだろうか。
夕張は大体ここに詰めているらしい。だからといって用もないのに会いに行っても警戒は解けないだろう。
ギャルゲーと漣は今の状況をそう評した。言い得て妙だとも思う。俺は別段そちらの知識に明るいわけではないが、今求められていることは、確かに類似している。
邂逅。コミュニケーション。信頼関係。つまりはそういうことだ。
協力してくれる艦娘を探さないことには何も始まらないのだが、誰がいるのか、どんな容姿なのか、なにもわからないままでは最初の一歩を踏み出すことすら難しかった。
それとも鳳翔さんの方針なのだろうか。こちらからではなく、あくまであちらから――艦娘たちからの歩み寄りがあって初めて関係が成立するのだと。
そんなに余裕があるものか、と楽観的姿勢を切って捨てるのは容易かった。だが、俺たちは既にあちらの姿勢を知ってしまっている。知ってしまった以上、唾棄することなどできやしない。
辛さを我慢して生きるよりも、幸せの中で死ぬ方がいい。
「……」
「地図とにらめっこしてたって、何かが出てくるわけでもなし。これからの行動指針も考えないとですね」
いつの間にか漣が俺のそばへと寄ってきていた。桃色の髪の毛から、女子特有の微かに甘いにおいが香ってくる。それは本土においても縁遠いものだったが、まさかこんな遠く離れた地で、中学生と一緒に任務に就くなどとは。
いやいやと俺は頭を振る。常識だとか、良識だとか、そんなまともに生きるための概念は、全て意味を失くしたのだ。海から異形の怪物が姿を現した時に。
「そうだな」
と俺は随分動きのなかった腰を上げた。
「お。ついに、ですか。どこ行きます?」
「さぁな。あてどなくぷらぷら散歩だ。こんな土壁の中にずっといちゃあ黴も生える」
「確かに」
漣は俺の無精髭を見ながら頷いた。うるせぇ。
「準備ぱぱっとしちゃいますね」
よいしょ。そう掛け声をかけて漣は艤装を背負った。随分と重そうに見えるが、細腕でも簡単に背負えるあたり、案外そうでもないのかもしれない。
俺がじっと見ていると、漣は少し顔を赤らめて背中を向けてくる。
「炎天下だとめちゃくちゃ熱くなりそうなもんだけどな、艤装の、なんていうんだ? 鉄の部分とか」
「いや、温度変化に強い金属をなるべく使ってて、あとは神様の力も多分にあるっぽいですよ。よくわかんないですけど」
「よくわかんない、ねぇ」
俺は甚だ疑問に思う。自らの命を預けるのは、やはり長きを共にした信頼できる何かにであって、決して正体不明の「科学とオカルトの相の子」ではない。
悲しいことに、それはまるで旧時代的な考え方だった。艦娘が俺たちから船を奪ったのだ――そう皮肉交じりに吐き捨てるやつもいる。気持ちはわかる。だが、その思考は年寄りのそれに過ぎない。もっと言ってしまえば老害の。
艦娘が俺たちから船を奪った。なるほど、確かにそうだとして、しかしそれよりもまず、俺たちから海を奪った存在を忘れてやしないだろうか。
深海棲艦。
よくわからないものに、よくわからないものを以てして立ち向かう。
奇妙な相対性。対称性。世界とは案外そう言うふうにできているのかもしれない。
漣は小さな手提げかばんへ私物を詰めていく。大した量が入るようにも見えないのに、漣は時折手を止め、悩み、笑みをこぼす。俺の視線など気にもしていない。
「ふんふんふーん」
ついに鼻歌まで聞こえだして、
「元気だなぁ」
呟いた――というよりは、零れた、漏れた、に近い。
最近の女子中学生というのはこんなものなんだろうか。それとも、こんなメンタリティの持ち主を選りすぐって艦娘に仕立て上げているのだろうか。
「ふふんふーん」
鼻歌は、随分と前に流行っていたという歌謡曲だった。俺が生まれたころ、だったと思う。こいつなどまだ精子にも卵子にもなっているまいに。
「随分とまぁ古い歌を」
「いいじゃないですか。いいんですから」
「いいんじゃねぇの。いいなら」
日本語とは難しいな、と思えるやり取りだった。
「当て所なくって言ったって、落ち合う場所くらいは決めときましょうよ」
「落ち合う?」
「え? だってそっちのが早いじゃないですか」
二人いるんだから手分けしたら効率は倍。子供にだってわかる理屈。
いや、そりゃまぁ確かにそうなんだが。
「お前、上陸して早々武器突きつけられたの覚えてねぇのかよ。身の安全はなにものにも代えがたい。効率主義も時と場合だ」
「へぇ、ご主人様が守ってくださるんで?」
うふふ、と漣は実に嬉しそうに笑った。あまりの不意打ちに面喰ってしまうが、一度意識して顔を顰めてみる。
「海で戦うのがお前の仕事なら、俺は少なくとも陸では、お前を守らにゃならんだろう」
格闘技もさわり程度なら習っている。運動神経は悪くないほうだし、そもそも女子中学生と比べるべくもないが。
漣はこの島において俺の唯一の味方なのだ。仲間と言い換えてもいい。万が一の不慮を考えるに越したことはない。
「ご主人様ではなく、ナイト様と呼んだ方がいいですかね?」
「馬鹿言ってろ」
「もう、冗談ですよ、冗談。つーまんないなー」
「島の海岸線をぐるりと回るぞ。流石に一日では回りきれないだろうから、数日かけて、うまくやろう」
「そうですね。それがいいと、漣も思います」
探す相手が艦娘ならば、陸よりも海が妥当だろう。海を嫌って陸に揚がったやつらがいないとも限らないが、どのみち今後この島周辺を防衛するのにおいて、海岸線あたりの詳細な地形や状態を確認する必要はあった。
近海周辺がそもそも安全かどうかを俺は知らない。漁師たちが存在し、まともに生計を立てている以上、漁をできるくらいには平穏なのだろうが……。
ここは一度壊滅しているのではなかったか。
復興がなされた。誰によって?
――龍驤。夕張。鳳翔さん。ならば島民が三人に好意的である理由もわかる。あるいはそれ以前から、泊地が健在だったころからよい関係を築けていたということなのだろう。
「ん……」
「どうしました?」
「いや、なんでもない」
わけではないが。
結論を出すにはまだ早い。島を一回り、でなくとも半周、してからでいい。
「『なんでもない』って言う人は大抵なんでもなくないんですよねー」
さもありなん。
漣は少し口を尖らせたが、尖らせた程度に抑えてくれた。
俺の手が掴まれる。片手を包むには漣の両手が必要だ。ぎゅっと力を籠められ、踵を支点にてこの原理、こっちを思い切り引っ張ってくる。
一気に立ち上がりながら全身に感じるのは地球の重力。トラック諸島は日本より赤道に近いが、だからといって重力の弱まりを感じるわけでもない。まぁ当たり前である。馬鹿なことを言っている自覚はあった。
扉を開くときつい直射日光。アスファルトからの輻射熱がないだけまだましなのだろう。木の葉のざわつきが気持ちよさそうだ。
俺は扉の所にかかっていた麦わら帽子をとって、漣にかぶせてやる。
「んっ」
こちらを少し窺ったあと、満足そうににんまり笑う漣であった。
日差しの中に身を躍らせる。ワイシャツが白でよかったと心から思う瞬間。漣がなぜだかやたらに手を繋ごうとしてくるのを、俺は軽くあしらって、大通り沿いに海岸まで行く。
泊地「跡」まで徒歩二十分。海岸までも同じくらい。メイン・ストリートは露店や出店もあって、それなりに賑わっていた。
「……」
「……」
「……」
しかし、どうにもこの視線には慣れない。
外様だから、というだけが理由でもないように思う。聞き及びこそしないまでも、誰もがみな、島の英雄である龍驤たちと俺たちの関係性を認識しているのだろう。
どんな尾ひれがついているのかまではわからないが……。
「さしずめ、龍驤さんたちを見捨ててた人でなし、そう思われてるんですかね」
「まぁ事実だけどな」
「でも、それは本部の判断であって、漣たちの判断じゃなくないですか」
「一般人には知ったこっちゃねぇよ、そんなこたぁ」
誰の指示でやったかだなんて、関係がないのだ。もっと言ってしまえば興味すら。
誰がやったか。何をやったか。
結局、大事なのはそれだけだ。
それだけだった。
「……あぢぃ」
意識して口に出すことによって、何かが、いくらかは、紛れた。気休め程度でも。
「おんぶしましょうか?」
「お前が? 俺を?」
「あ、陸じゃだめですけどね。海なら」
「海に出れば風ももっと涼しい、か? 日差しを遮るものは、ないにしても」
「ですね。じゃ、ちゃっちゃと歩きましょう! ご主人様ッ!」
漣は俺のケツを叩いてくるが、いや、ちんたら歩いて見えるのは、お前の歩幅に合わせているせいでもあるんだが。
勿論そんなことを口にだしたりはしない。女が苦手とは言わないまでも、艦娘が実戦投入し始めてからこの方、俺はより一層女との付き合い方がわからなくなった気がした。本当に不可思議な生き物だと思う。
結果的に、確かに海岸は涼しかった。白い砂浜には人はまばらだ。深海棲艦の現れる以前は、確かダイビングをメインとした観光で、多少なりとも潤っていたという話。それが今や見る影もない。
砂は粒子が細かいのかよく鳴いた。そしてサンダルと足の隙間にも入り込んでくる。
「この辺は砂浜ですけど、もうちょっと行ったら岩礁があって、その先が港ですね。港って言うか、船の発着場、ってくらいのサイズの」
地図を広げながら漣が方向を指さす。俺も地図は頭に叩き込んでいたが、ナビをしてくれるならそれに越したことはない。艤装にはGPSもついていて、位置情報の解析は容易という話だから。
「そういえばお前、装備はどうなってるんだ?」
「フリースロットの話ですか?」
「って言うのか? わかんねぇけど」
「もう、ご主人様は不勉強なんですから」
漣は一度脚を止め、俺の手を取った。そして五本の指の先、それぞれがきちんとくっつく形で、一本ずつ丁寧に合わせていく。
そういえばID認証もしていなかったのか。本土ではこんなことにも大した手間がかかったもんだが、今はまぁ、どうせ誰も見ちゃいない。漣の行為に及ぶ姿にも一瞬の躊躇も感じ取れなかった。
中空に指で四角を描くと、その形に極めて二次元的なステイタス画像が現れる。バーチャルタッチパネル。こんな技術にも最早慣れっこになってしまった。
さらに追加で四角を描き、窓を追加。多重でいくつかの階層を持ったそれらの画面は、互いにリアルタイムで連動しあい、漣の心拍数や体温といった生体情報から、周囲足元への敵影探知まで行ってくれる。
俺はその中から必要な情報だけを残し、窓を閉じる。そうして残った窓をピンチアウト。見やすく拡大した。
練度は15。装備は連装砲と4連装魚雷。
「まぁ、普通だな」
「普通じゃないですー」
あからさまに嫌そうな顔で、漣は舌まで出してみせた。
「や、でも普通だろ。駆逐艦ならしゃーない」
「そういうんじゃないですっ!」
風船が割れるような叫び声に俺は思わず体を震わせるが、それ以上に漣本人が驚いているようだった。一瞬視線が下、右、左に揺れ、そしてまた右に戻り、俺を見た。
「あはは……」
困ったような、それでいて媚びたような、不思議な笑いだった。
俺と漣の付き合いは当然長くない。それでも、たった数日という期間であっても、印象というものは抱く。
こいつに対して抱いていた印象は「よく笑う」というものだった。よく。頻度として「よく」、好感として「良く」。快活に、溌剌に、トラックまで放逐されても決してくさることなく。
しかし、今の笑顔はまるで俺が知っている漣ではなかった。そしてその事実を、俺はどう捉えればいいのかわからないでいる。
新しい一面を知ることができた、と前向きに思うか。
隠していた一面を知ってしまった、と後ろ向きに思うか。
「駆逐艦に甘んじてたら進歩はないですよ?」
「……ま、そうだな」
俺は甘んじて漣のはぐらかしに乗っかることにした。
「あ、ご主人様。漣はお腹が空きました」
「中途半端な時間だしなぁ」
「なんですかね、あれっ」
自分の腹に手を当ててみる。朝食には遅いが、昼食には早い。そんな時間帯。
漣は離れたところに見える屋台を指さして、俺の返事も待たずに走り出す。だから単独行動は危ないと言うのに……。
目につく範囲なら問題も起きないだろうと高を括って、俺は滲んだ汗を拭う。人の気配のない海は閑散としている。感傷に浸る余裕はないが、出自のわからない寂しさが胸中を過った。
波間でばしゃりと何かが跳ねた。魚にしてはあまりにも巨大。それとも誰かが泳いでいるのだろうか。
「ご主人様ッ」
お待たせしました、と漣が手にしているのは何かのフライ。黒っぽいソースがかかっていて、どうやらフィッシュアンドチップスの紛いもののようだった。
この暑いさなかに熱いものを食べさせるとは、中々根性の据わったやつである。俺はじっと漣に視線をやっていたが、指についたソースをなめとるのに夢中で、どうやら気づいていないらしい。
「メシウマー!」
「誤用じゃないのか?」
「ご飯がおいしいからメシウマなんですよ。どこに間違いがあるってんですか」
なるほど。
素直な解釈だと思った。
ふと海に視線をやってみれば、もうあの波紋は打ち寄せる波に呑まれて見えなくなっている。
気のせいだったのだろうか。それとも、深海棲艦の恐怖が色濃く残るこの海で、誰かが楽しく泳いでいたとでも?
「美人でもいましたか」
「は?」
何言ってんだ、こいつ。
「あの人に見惚れてたのかと思って」
漣が指し示した先には、確かに人影のようなものが、岩先に座っているように見える。ちょうど岩礁のあたり。
それにしたって遠すぎた。うすぼんやりとした姿にしか捉えられないが、漣にとってはどうやらそうでもないらしい。艤装の望遠機能のせいか。
何か細長い、棒よりもすらりとした何かを持っているようだった。釣竿だろう。この日和だ、のんびり棹差すには絶好かもしれない。
「朝まずめには遅すぎて、夕まずめまではまだだいぶ。釣れるんでしょうか」
漣はぼんやりと呟く。手で目庇しを作り、目を細めて狙いを定めている。
一家言あるようにも見えなかった。多分、単なる薀蓄だろう。
ああいう手合いは魚を釣るのが目的なのではなく、単に手持無沙汰を拗らせて、ぼんやりと時の流れに身を委ねるのが楽しいのだ。やりたいことが溢れている女子中学生には、決してわかるまい。
俺がそう言うと漣は頬を膨らませて、
「ぶっ飛ばしますよ、ご主人様」
おお怖い怖い。
――――――――――――――――
ここまで
科学技術は艦娘がらみに全振り
漣のネットスラングも、いまや2周くらい周回遅れになっている気がする
待て、次回
岩礁は中々に険しかった。砂浜はそうでもなかったが、地形の影響なのか、波も少し荒々しい。岩の削られ方も歪つで、誤って転べば膝やら脛やらを強か打つだろう。もしかしたら鋭い先で切るかもしれない。
短パンは間違いだったろうか。いや、この日差しの中で長袖なぞ穿いていられない。半袖シャツに短パン、がっしりとフィットしたサンダル。それでいいじゃないか。
俺の少し先を行く漣は、ぴょんぴょんと至極楽しそうに岩と岩の間を跳んだり跳ねたりしている。脚を滑らせて落ちるだなんてことはまるで思いもしちゃいない。
「ご主人様、カニがいます!」
そりゃカニもいるだろうさ。
喫水線にはいくつかの船が見える。漁船だろうか。このあたりで獲れる魚を、俺は知らない。漣もきっと知らないだろう。
「漣」
「なんですかぁ?」
イソギンチャクに指をつっこんだりしている漣に声をかけた。漣は目下のところイソギンチャクと戯れるのが楽しいようで、こちらを一瞥すらしない。
俺はポケットに手を突っ込んで、海風の吹いてくる方を見た。
その彼方に大事な人を置いてきたような気もするが、最早顔すら覚えていない。
「お前、故郷はどこだ」
「田舎ですよ。近畿と中部の境目くらいの、バスが二時間に一本しかこないみたいな」
「なら自分で適性検査を受けたのか?」
「や、今は学校の入学時、健康診断で一緒にやっちゃうんですよ。おっくれてるー」
「俺が高校を卒業した時には、まだ任意だったからなぁ。そうか、もう悉皆検査になってんのか」
「はい。うちの学年では、多分漣一人だけでしたね。まぁ人数は少なかったんですけどー。それで、なんかすっごい、先生とか、お母さんもお父さんも騒いでて」
「故郷に錦を飾るつもりか?」
「まさか!」
ここでようやく漣はこちらを向いた。
「ご主人様。ご主人様は誰かのために命を賭けられますか? 何かのために深海棲艦と戦えますか?」
「……」
俺は逡巡する。誰かのために。何かのために。大事な存在のために。
胸を張って「そうだ」と答えられれば、なにより格好いいのかもしれない。人間として優れているのかもしれない。しかし、僅かでも考えたということは、つまりそういうことだった。
「漣は漣のために頑張ってんです。じゃなきゃだめですよ。だめになっちゃいます。と、漣は思うわけです」
「よくわからん」
「もうっ!」
素直な返答をどうやらお気に召さなかったらしい。ついでにイソギンチャクへの興味も失せたようにも見えて、たん、たん、たん、岩から岩へ飛び移っていく。
「おい、あんまり先行するな」
「べーっだ」
まるで子供だった。いや、中学生だから、子供には違いないのだろうが。
それを直接言えばまた非難轟々がくる。女子中学生だなんて背伸びしたい盛りだという俺の勝手な思い込みも多分にある。
たん、たん、たん。俺も漣に従って、少しペースを上げた。
たん、たた、たん、た、た、たん。漣は速度に乗せてもっと先へ行く。
「どこへ向かってんだ」
「えっ?」
海風にかき消されて、俺たちの声は少し届きづらい。
「どこへ向かってんだ!」
「てきとーですよ、てきとー!」
漣がただただ前方を指し示す。他の岩よりも大きなそれの上に、先ほどの釣り人がまだのんびりと糸を垂らしている。
ざぷん。
背後で音が聞こえた。
「……ん?」
「何か、落ちました?」
どうやら俺の空耳ではないらしかった。漣も海の方を向いて、首を傾げている。
「いや、でもなぁ」
落ちる? 誰が、どこから。
単なる魚じゃねぇのか。
「ですね、ぇ?」
同意を掻き消したのは口だった。
口。口、口、口だ。
三つの口が海面から突き出ている!
「深海――棲艦ッ!」
鼓動が早まる。心拍数が上がる。ぞくぞくとした衝撃が背筋を突き抜け脳へと至り、俺に行動を促したのはこれまでの経験。
空中に四角を描き、バーチャルタッチパネルを顕現。編成――をする必要なんてない!
ここには漣しかおらず、何より俺にはこいつしかいないのだから!
「漣! 即座に出撃!」
「ほいさっさー! 駆逐艦、漣、出ますよっ!」
両手を大きく振りかぶって漣は跳ぶ――着水。その瞬間、水面に朝の烈日が顔を出したかのような輝きが、一瞬だけ迸る。
鮮烈な光。神様の御霊とやらが喜んでいるのだ。
また海に出ることができたと。
「敵勢力まで距離は四一! 数は三!」
さらに情報画面を増やす。海に立てない俺には、せいぜいが漣を通して伝わる情報をまとめ、わかりやすくし、戻してやることしかできない。
波を切り裂いて漣が発進する。その小さな背中はあっという間にさらに小さくなっていった。同時に視覚共有の画面を起動、得られる情報の拡大に努める。
航空機を装備していればまた変わるのだが、残念ながら漣は駆逐艦。ないものねだりをしたって仕方がない。俺は意識を集中し、指示に向かった。
「三体とも駆逐イ級と断定! 漣、調子はどうだ!」
「問題ないよ! イ級くらいだったら、らくしょーなんだから!」
「判断はそっちに一任する。好きにやってくれ。ただし、油断はするなよ!」
「ほいさっさー!」
加速。
水上を高速で進む漣の存在を、敵もようやく捕捉したらしかった。深いところから響く咆哮をあげ、漣に向かって砲撃を繰り出しながら突進していく。
砲弾を掻い潜り、上がった水柱もさらに掻い潜って、漣は大きく弧を描きながら接敵。イ級は完全に漣を追っていて、敵と認識されたのは明らかだった。
統率のとれた動きは見られない。野良か、あるいははぐれか。どちらにせよ脅威の度合いは低い。
「距離二五! 砲戦用意ッ!」
「わかってますよぅ!」
腕を一振り。漣の抱えた連装砲が光を帯びて、空中に砲弾を模した光の塊が数個、その姿を現した。
駆動音が聞こえる。俺はこの音を知っていた。仰角を調節する際の機械仕掛けのそれだ。
当然この場には大掛かりな大砲、そんなもの存在しない。これは単なる空耳なのだ。そして深海棲艦との戦いに赴く誰もが必ず耳にする空耳なのである。
俺は漣の背後に、巨大な鉄の塊を見た。
海に浮くそれが、イ級に砲塔を向けているのを見た。
遥か数十年の時を経て、再び敵を打ち倒す歓喜に震えているのを見た。
「ってぇえええええぇ!」
俺たちの声が同調する。漣が再度腕を振り、抱えた連装砲をイ級の一体に向けた。
砲弾が衝撃波で海面をへこませながら、爆発的な加速度でイ級を襲う。三発撃ったうち、二発は回避されたが、一発はイ級の尾骶部を大きく抉った。
致死圏まで至るも絶命にはならない。イ級は苦悶の声をあげ――耳を劈く不快さに俺は思わず顔を顰める。
苦し紛れのイ級の砲撃。漣は深追いすることなく、冷静に対処。距離をとりながら魚雷を召喚、計四つを指の間に挟んで、狙いを定める。
「一匹倒しても、残りの二体から反撃を喰らうぞ。そういう位置関係だ」
「敵も馬鹿じゃないってことですねー」
「そうかもな」
「指示は。ご主人様」
「繰り返すぞ。『判断はそっちに一任する』」
「そんなんでいいんですか?」
「頭から押さえつけられるよりはマシだろう? それに、だ」
俺は通信先にも聞こえるように、手をぱちんと一度打った。
「お手並み拝見、だ」
「へへっ」
漣は楽しそうに――恐らく――笑った。
「一応ね、これでも成績、優秀だったんですよ。漣って」
漣が飛び出すのに合わせてイ級が二匹、手負いを庇うように前に出てくる。一匹は高速度での吶喊、もう一人は間隔を狭めた対艦射撃。漣も砲撃で応戦するが、頭を低くしながら突っ込んでくるイ級には、さほど効いてはいないようだった。
「左!」
「わかってます!」
砲弾の直撃――いや、隔壁で防いでいる。損傷は軽微。
「前からも来てるぞ!」
「だから! わーかって、ますって!」
水中が炸裂した。光と熱と風が、本来生まれない場所から。
指向性を持ったそれらは三回炸裂し、漣に喰らいつこうとしていたイ級の上体を水上から僅かに浮かせる。
機械と生物と、形容しがたい暗黒の微粒子がそれらを接合している、異形の生物。漣はそれに飛びかかる。
彼女の指には魚雷が一発だけ残っていた。
傷ついたイ級の体の端、千切れたワイヤーなのかコードなのか、それとも生体由来の組織なのか、よくわからないはみ出た「何か」を左手で掴み、そこを支点に体を大きく仰け反らせる。
魚雷が巨大化した。従来の大きさに戻った、と言うべきか。
「徹底的にっ!」
そのまま、空いた右手でそれを操って、叩き込む先は口の中。
「やっちまうのねっ!」
水中とは比べ物にならない爆裂が、漣の体ごとイ級を吹き飛ばした。散り散りになった組織が雨のように海へ降り注ぎ、海の底へと沈んでいく。
漣は水面を転がりながらも波濤に手をかけ制動をかける。体勢を起こして、右側に砲弾、左手に魚雷。
残るは手負いを含んで二匹。勝機も随分と見えてきたように思う。
「だめだっ! 何をやってるんだ、逃げてっ!」
叫びながら、俺の脇を駆け抜けていく人影があった。
岩を踏み切って海へと降り立つ――降り立つ、ということは。
艦娘?
ショートカットが風になびいて、しかし俺の位置からはその顔は見えず、少女は全速力で漣へと向かっていく。
爆撃がイ級と、そして漣を襲ったのは、その直後だった。
―――――――――――――――
ここまで
最後ちょっと変な感じになってしまった
戦闘シーンは楽しい
待て、次回
「漣!?」
事態の把握よりもまず安否の確認が真っ先に出た。それが軍人としてどうなのか、正直、いくら振り返ってもわからないだろう。
ウィンドウを開く。被弾――損傷は軽微……と言い難かった。
索敵画面を見る限りにおいて、イ級は既に爆散している。跡形もない。追撃の心配をしなくていいのは不幸中の幸いだったが、だからと言って状況が好転したとも言い難く、とにかく全てが混迷を極めている。
残耐久が目盛で表示されてはいるものの、実際の漣の姿は、いまだ黒煙に包まれたままである。残り半分。俺は認証を済ませているから、漣に対して強制帰還を行使はできるけれど、いまだ踏ん切りがつかない。
俺は知っている。艦娘のことを知らない俺でも、彼女らが決して志半ばで頽れたりしないということを。命を擲ってでも、一秒でも長く海の上にいようとすることを。
それは果たして彼女たち自身の意志なのか。漣は言った。「横っ面をひっぱたいたって、腕を引っ掴んだって、生きてるほうがいいに決まってます」と。そうだ。その通りだ。
そして、そう生きられないのが艦娘の性、というものなのだった。
少なくとも、俺の知っている彼女は、そうだった。
去来した映像を振り払い、とにかく前を向いた。海風に煽られて黒煙の霧散は早い。
艤装のところどころを破損し、衣服も破け、裂傷と火傷にまみれた漣の姿がそこにある。
平気ではない。しかし無事だった。俺はひとまず胸を撫で下ろす。
同時に俺の頭は事態の把握へと切り替わる。
いくつか、同時に処理しなければならないことがあったのだ。
「漣ッ! そっちに今、誰かが向かった!」
「え、あ、はい! 見え――ます。見えてます! 一人! 海の上を!」
「もしもし、聞こえてる?」
通信に混ざりこんできたのは正体不明の第三者。冷静に聞こえるが、それはそう努めているだけだ。押し殺した焦りがにじみ出ている。
敵ではないと直感が告げている。艦娘。この島の。潰えたトラック泊地の。
ということはつまり、味方でもない……?
「もしもし! 聞こえてるの!? オーバー!」
「あぁ、すまない。聞こえている。オーバー」
「損害は大丈夫? ボクからそっちは、今見えた」
「悪いが、誰だ? トラック泊地の艦娘か?」
「そうだけど、そうじゃない! 『元』がつく!
所属は元トラック泊地、航空巡洋艦『最上』! とりあえずはそう呼んで欲しい!」
「最上さん、何が起きたんですか。漣、索敵は切らしていないはずです、でも!」
そうだ。漣と同じ疑問を俺も持っている。
深海棲艦の反応は、さっきも、いまも、どこにもない。
「説明はあとにしよう! 提督、でいいのかな? ボクの識別番号を送るよ。漣ちゃんを曳航していくから、ナビをお願い!」
「待て、待て! 一つだけ答えろ! 俺たちは一体誰に狙われている!?」
嫌な予感がした。確信と呼んでも差し支えないものだった。
爆撃。誰が。どうやって。深海棲艦? いや、違う。有り得ない。ステルス機能を有した個体は依然見つかっていない。
ならば。
ならば。
「きみたちを狙ってるんじゃない! きみたちのことなんて、眼中にないだけなんだ!」
「――あら。予想外……想定外? なんて言うんでしょう。まさか、今更この島に」
通信に介入。無機質な声。落ち着いているのではない。落ち切っている。
深く、深く、海の底から立ち上ってきた泡が、ぱちんと弾けたときのような声音だった。到底聞き及んだことのない種類のそれだった。
風切り音。空耳でなければ、そしてノイズでもないのであれば、これは恐らく、直掩機のそれだ。爆撃機。艦娘の装備。艦娘の。
イ級を殲滅した存在がこの風切り音であることは限りなく自明。その矛先が次いで漣に向かわない保証は、逆に、どこにもなかった。
「漣! 視覚共有だ! 信号を送れ、早くしろ!」
「あ、あ……」
「固まってないで、逃げるよ!」
「――今更この島に、本土の人間がやってくるなんて」
「最上! お前でいい! 識別番号を、視覚を寄越せ! 誰だそいつは!」
やばいやばいやばいやばいやばい。
これは、わかる。誰にだってわかる。
出会ってはいけない種の存在だ。海と陸のように、薄皮一枚隔てて別世界の住人だ。
風切り音が大きくなる。距離が、近い。眼と鼻の先? 少なくとも集音装置のすぐそばを周回しているようだった。牽制なのか、もっと剣呑な別の何かなのか。
「……このコは、敵じゃないよ。聞いてない? 龍驤さんから」
「敵? 何を言っているんですか、最上さん。別にそのかたを狙ったわけではありません。ただ……そうですね。少し、思い違いをしていたふしは、あります。私はてっきり、神通の子分かと、そう思っていたものですから」
「だったら一緒に吹っ飛ばしてもいい、ってことにはならないんじゃないかな」
「あれくらいで動けなくなるような情けない人材なら、それまででしょう。なんのために神通に師事しているのかわかったものではありません」
最上から識別番号が送られてくる。入力、認証。視覚共有を試みる。
「そういう考えは好きじゃないな――赤城さん」
袴。弓。足袋と雪駄を模した艤装。おっとりした顔にきめ細かい髪の毛はまさに良家の子女といった出で立ちだ。ただ、瞳がどこを向いているのか、全くわからない。
最上の方を見ている。それでも、視線が交わっていない。その気配すらない。どこを見ているのか、あるいはなにも見ていないのか、微笑みすらもただただ恐ろしかった。
おかしな話だ。海に救う化け物、深海棲艦。それよりもこんな二十歳くらいの娘が、よほど俺の背筋を震わせるとは。
「上官はおられるのですか? このやりとりを聞いている?」
「聞いてる、と思うよ」
「……聞いている。漣は俺の秘書艦だ。あまり手荒に扱わないでもらいたい」
「なら、こちらの邪魔をしなければいいんですよ。単純な話です」
澄ました顔で赤城は言う。
「私はトラック泊地所属、航空母艦の赤城です。覚えなくて結構。どうせもう、二度と会うこともないのでしょうし」
「待て、赤城。お前は何を言っている」
「新しく着任した提督などいなかった、ということですよ。いえ、別にね、命までとったりはするつもりなんてないんです。大人しく隠居をしていてくだされば、のんびりと余生を、この島で過ごしてくださればいいんです」
「漣たちには」
ようやく忘我から戻ったらしかった。漣は、それでも気圧されている感を滲ませつつ、必死に赤城の圧へ抗う。
「任務が、あります。やるべきことが、あるんです。そうです。じゃないと、みんな、みんな死んじゃうから」
「は?」
声が赤く染まった。奇しくもそれは、彼女が負った色だった。
偏諱――あるいは、名は体を表す。
耳を劈く爆撃音が響いた。一発、二発、三発目で、かき消されながらも最上の「赤城さん!」という叫び声が届く。
砲撃。海水が盛大に打ち上げられ、雨となって降り注いでいくのが見える。
「ちっく、ちくしょう! なんだってんですか!」
漣の額は大きく割れていた。生え際から血を流し、彼女の右目を潰している。
海へと吐き捨てたのは唾だろうか。それとも血だろうか。そのまま魚雷を、砲弾を顕現し、赤城へ向ける。
「やめろ! 漣、やめろ! 事を荒立ててどうする!」
「ってったって、ご主人様ッ!」」
荒立てはじめたのはあっちでしょう! 漣の叫びには正当性があった。俺に、自衛を放棄しろという命令は間違っても下せない。
爆撃機が漣を襲った。一発一発が肉を抉り身を焦がす、炎の驟雨。苦し紛れに漣が放った武装は、赤城に難なくかわされる。
最上が溜まらず漣を抱き留め、肩から掬い上げる形で高速移動。戦線離脱を計る。
「最上! 強制帰還だ、何としてでも逃げ出せ!」
「わかった、けど……!」
「強制帰還だっ!」
視界が動く。海風にたなびく黒髪をかきあげながら、直掩機を散開させ、二人へ向かう赤城の姿がそこにある。
海を滑る速度よりも風を切る速度の方が圧倒的に早い。背後に放たれた爆撃が二人の退路を断つ。
「みんなはもう死にました」
断絶。言葉に籠められた意味を解釈すれば、ただひとつ、それだけ。
「みんなは死んでしまったんです」
「でも、まだ生きてるひとだっている!」
「いませんよ」
赤城はとびきり満面の笑みを作った。
ひまわり畑のような、笑顔だった。
「ここにいるのは一人残らずみぃんな亡霊です」
艦娘の、亡霊。
船の御霊を背負った子女が艦娘だというのなら、その子女さえも死んでしまったとき、艦娘は一体何になるというのだろうか。
「私は深海棲艦を殲滅します。私が殲滅するのです。あなたがたはそれをただ見ているだけでいい。本土もいろいろうるさくて大変なのでしょう? 和睦交渉だの、なんだの。人権派がどうだのと。
それとも功に逸ってやってきたのですか? 壊滅したトラックを立て直せば、二階級特進が約束されているとでも言われて。そしてまた、私たちの声を無視する。そうでしょう」
くつくつと赤城は笑った。俺たちを嘲っているのは明らかだった。
赤城が矢を弓に番えた。
「もう一度言います」
それを綺麗な姿勢できりりと引いて、
「あなたがたはただ見ているだけでいい」
放つ。
弾かれた矢は初速が最高速、そして一瞬で爆撃機の小隊へと変化し、上空に舞い上がっていく。
空中で一回転。そのまま鼻先を殆ど地面と垂直になる急降下、水面に腹がつくかつかざるかというタイミングで魚雷を切り離し、一斉に起爆させる。
巨大な水柱が轟々と音を立てて屹立し、漣と最上、そして赤城の間を隔てる一枚の巨大な壁となった。
「指を咥えて黙って見ていろ!」
轟音に負けないほどの大声で叫んで、水柱が落ち着いた時にはすでに、赤城の姿は水平線の向こうに消え去りかかっている。
たなびく長髪は、すぐに見えなくなってしまった。
最上の手を縋りつくように握り締めている漣の姿があった。気丈に振舞おうと口の端をきつく噛み締めているのが、ひどく健気に思う。前線で戦うのは、情けないことに俺たち大の大人ではなくなってしまっているから、最早俺にはかける言葉も見当たらない。
銃後は銃後で立派な役目であるとはいえ、漣や、なんなら龍驤だっていい。彼女らが化け物と戦っている間、俺だけが安全圏にいるというのが、申し訳なく感じてしまう。
「うぅー……!」
堪えているのは涙か、それとも別の何かか。言い返せなかったのが口惜しかったという単純なものでは、恐らく、ない。
責任をとることが上官の仕事だと、嘗て誰かが言った。十全に部下が動ける環境を用意してやることがそうであるとも。
そのとき俺は果たしてそれが本当なのかわからなくて、そしていまだにわからないでいるようだ。
ただ、こう言わないとこの場は収まるまい。
「漣、帰投しろ。最上も、悪いが詳しい話を聞かせてもらえるか」
「……ま、そうだよね」
最上は漣から視線を切って、空を仰いだ。トラックの青空は抜けるような青だ。海とは違った透明感がある。
「漣、大丈夫か。あまり無理しないでいい。ご苦労だった」
「……別に、でも、だけど、……うん」
嘆息。どうしたものか。
「とりあえずボクたちはそっちに行くよ。それまでに、少しだけ通信で説明したいけど、いい?」
「あぁ、ありがたい」
「龍驤さんたちから現状は聞いてるんでしょ?」
「あと、大井からも、少し」
「大井さん!?」
素っ頓狂な声をあげる最上。
「あの人、まぁた抜け出して……今度発作が起きたら、いや、まぁ、仕方がない。とりあえず置いておこう」
こほん、と咳払い。仕切り直しだ。
「赤城さんを知らなかったね? ってことは、誰がいるとか、どんな……うん、そうだね」
最上は少し躊躇して、言葉を止めた。何かを考えているような、迷っているような。
言葉を選んでいるのだと遅れて気づいた。
「誰が『どんな感じ』 になっているとかも?」
誰が。
どんな感じ。
思わず不躾な言葉が出そうになるのを、俺は咄嗟に嚥下した。
「聞いていない。もし俺たちの仲間になって欲しいなら、俺たちが、自らの脚で探せ、と。会話をして、親しくなれと。鳳翔さんはそう言っていた」
「あぁ、そうか。やっぱりね。龍驤さんがボクのところに来たときは、そういうことは何も言ってなかったからさ」
「龍驤が、来たのか」
「うん。島の艦娘のところを回ってるみたいだったよ。だから、二人のことをみんな知ってるんじゃないかな」
「龍驤は、その、なんて?」
「別に? 本土から提督が秘書艦連れて、たった二人で来たって。新しく着任するんだって、それだけ伝えて、あとは好きにしなって」
「そうか」
それはなんとも有り得そうな姿に思えた。
龍驤だけではない。鳳翔さんも、夕張もそうであるが、彼女らは自主性を何よりも尊重する。奇しくも漣の言った通りの「好き勝手やっている」ということだ。
そこで漣がだんまりであることに気が付く。バイタルサインは正常。心拍数が高いくらいで出血の影響は見られないし、怪我で会話もできないというわけではなさそうだ。
赤城とのやりとりであいつが何を思ったのか、感じたのか、想像してみるしかない。俺たちは提督と艦娘であり、提督と艦娘でしかないのだから。急ごしらえの。
「漣、好きなもんはあるか」
だからこんな言葉しかぱっと出てこないのだった。
「……は?」
「腹が減ったな。朝から食べたのは、あれか、フィッシュアンドチップスの紛いもんみたいなやつだけだもんな」
「……別に、特に、です。漣は好き嫌いないほうですけど、お肉よりはお魚かなぁって」
反応があっただけでも儲けものだろう。漣の訝る視線が痛い。
「あ、じゃあちょうどいいや。今日は大漁だったんだよ」
「大漁?」
つい鸚鵡返しになってしまう。
「あ、ご主人様、今見えました。タリホー!」
お前は空軍所属じゃないだろうに。
海の向こうに目をやれば、波間にぶんぶんと大きく手を振る漣の桃色が映えていた。隣には漣よりもいくぶんか背の高い、最上の姿がある。
「ボクはのんびりと釣りをするだけで十分だったんだけどねぇ」
ふと岩礁にいた釣り人へ視線を向ける。
……誰もいない。ただ釣竿だけが、倒れていた。
傍らにあるバケツで魚が跳ねた気がした。
――――――――――――――
もぐもぐ。
「うまいなこれ。なんて魚だ」
はふはふ。
「わかんない」
ごくごく。
「メシウマ! 細かいこと気にしてると禿げますよ、ご主人様」
色は奇天烈でも味はなかなかによかった。適当に下ろし、適当にフライパンで焼いた魚の切り身と、大して量の無い米。時折鱗が引っかかるのが気に障ったが、すきっ腹には全てがうまい。
最上が釣ってきた六匹の魚は全てそうして平らげてしまって、随分とまぁいつの間にか馴染んだなぁなんて他人事みたいに、俺は最上へ視線やる。
「?」
きょとんとしていた。
龍驤たちの態度、そして赤城の態度を考えれば、恐らく最上こそが少数派なのだろう。穏健派といってもいいのかもしれないが、それは少し、龍驤や赤城に悪いような気もした。
そして少数派の最上と真っ先に出会えたのは僥倖だった。一手順番が違っていれば、漣が赤城に沈められていたかもしれない。そう考えればなおさらだ。
すっかりとこの家の住人といった風情で最上は桟敷にごろりと寝転がる。漣も満たされた腹を撫でながら、その隣に転がった。
それでいいのか、とは言えなかった。
「寛ぎのところ悪いんだが」
マル秘と判が押された資料を手に、俺は最上へ問いかける。
「赤城、ありゃなんだ。鬼か?」
「鬼じゃないよ。赤城さんは赤城さんさ」
「気が振れたわけではなくて、もとからあんな感じだったと」
「そういうわけでもないけどね。前はあそこまで、殲滅に執拗じゃなかった」
尋ねながらも、俺は抱いていた疑問の一つが氷解していくのを感じていた。
近海に深海棲艦は出没しないのだろうかと思っていた。本土においてさえ遠洋漁業は斜陽の一途を辿って久しい。こんな辺境のトラックで、深海棲艦に怯えることなく漁ができるのだろうか、と。
勿論龍驤たちだってやっていないわけではないのだろうが、恐らく、この泊地周辺の深海棲艦は、軒並み赤城が根絶やしにしているに違いない。
艦娘の中には親や親戚を深海棲艦に殺された者もいる。多いとまでは言えないが、かといって珍しいわけでもない。赤城のあれも同じ類の感情か。
そりゃそうだ。くだらない自問自答。この泊地は一度壊滅していて――今も壊滅したままだ。
「俺たちは次なるイベントのためにここに来た」
真っ直ぐに最上と向き合う。のんべんだらりとするのもいいが、〆る時はきちんとしなければ不見識だ。人と人が接するというのはそういうことだ。
自らの内に獣が住んでいたとしても、俺はまだ、人でありたいと思う。
希う。
「イベント、ね」
最上も俺の雰囲気を察してか、居住まいを直してくれた。漣も、もちろん。
「お前らが上層部を許せないってのは重々承知だ。遺恨はあるだろう。が、それを飲み込んで手を取ってくれねぇか。じゃないと、漣もさっき言ったが……全員死ぬぞ」
トラック泊地の生き残りも。俺も。漣も。
当然ここで暮らす人々だって。
自らの手で決着をつけると貫ける存在が一体どれほどいるだろうか。赤城は決して普遍的ではない。
「最上さん」
正座をして、その膝に手を衝いて、漣。
「漣もご主人様も、誰かが深海棲艦に殺されるのを、ただよしとはしません。一人より二人。二人より三人。そうじゃないですか。違いますか」
「……こっちにもまだ戦力はいるけどね」
最上の目が泳いだ。その言葉がどれだけ真実かはわからないものの、どうせ彼女自身が信じていないのではないか。
生き残った十人やそこらで泊地周辺を防衛し、敵の邀撃を為すなんてのは、用兵や作戦がどうという問題ではない。言ってしまえば奇跡か神業。
「そうしてるうちに赤城は傷つく。他の奴らも、そうだ。
俺たちの手足になれとは言わん。今まで通りの生活をしていてくれればいい。ただ、状況が逼迫した際に、選択肢は増えたほうがいいだろう」
「ん、まぁ、そうだねぇ」
細く息を吐き出すと、一瞬だけ視線が合った。
「もともとね、戦いは好きじゃないんだ。ただ適性があっただけで、本当はのんびり……うん、釣りとかをしてるのが性に合ってる。
久しぶりに誰かとご飯を食べた気がするよ。一人のご飯ってのはおいしくない。おざなりになりがちで、きっと赤城さんも、ほかの皆も、そういう感じなのかなぁ」
滑らかな動作で手が差し出された。
「そういうのはよくないね。うん。よくないよ、やっぱり」
「……いいのか?」
「自分から誘っといて何言ってるのさ。ボクだってまだ死ぬのは嫌だし、それに、このままじゃだめだってのもわかってるんだ。
これからよろしく。できることは大してないかもしれないけど、手伝えることがあればなんだってやるよ」
俺と握手、そして続いて漣とも。
一瞬だけ漣がびくりと震えたのは、いつぞやの大井との一件を思い出してのことだろうか。
あの顛末はいまだに俺の中で消化できずにいる。いつかわかるときがくるのか、そしてわかったほうがいいのかも曖昧だった。
「早速で悪いが、いくつか訊きたいことがある」
「赤城さんのこと? それともまだ見ぬ他の生き残りのことかな?」
「後者だ」
鳳翔さんは自らの足で探せと言い、俺もそれに同意した。その立場を崩すつもりはない。だが、果たして龍驤一派に与しない艦娘なら、どうだろう。そう思ったのだ。
言動を見るに最上は他の艦娘のことを知ってこそいるが、現状それほど親しいようでもない。口添えをしてもらうというのはあまりにも都合のいい考えだが、今は少しでも情報が欲しい。
まずは、突破口を見つけなければならない。
「神通、と赤城は言ったな。子分と間違えた、と」
聞き間違いであるはずもない。はっきりと、あいつはそう言ったのだ。
神通。そしてその子分。少なくとも二人、艦娘がいるのだ。
赤城と敵対関係にあるようにも取れる発言だったが、果たして艦娘同士でのいざこざが今更あるのか? 今更だからこそ、という可能性もないわけではないが……。
どのみち敵を間違えてもらっては困る。
敵は深海棲艦で、そして、俺たちなのだから。
「どうしました、ご主人様」
「いや、失礼。なんでもねぇよ」
自嘲気味に浮かんだそれを、口で手を覆って隠すことにした。
「別に居場所まで教えろ、事情を詳らかに話せ、とは勿論言わねぇ。ただの確認だ。『神通』、及びその『子分』がこの島にはいるんだな?」
「神通ってのは、確か」
漣がこめかみをとんとんやりながら呟く。
「軽巡ですね。大井……さん、と、同じ艦種です。だから子分ってのは、駆逐艦だとは、思います」
「軽巡が戦艦やら空母を『子分』とするのは考えづらいってことか」
「そうですね。年齢的なこともあるっちゃあります。大型艦になるにつれて、素体の年齢層もあがるという話ですから……言葉のニュアンスを加味すれば、って感じかなぁ」
最上をちらりと見た。正座している彼女の視線は自らの膝元、そしてそこに置かれた手に向けられている。
俺と視線を合わせたくない、何かを悟られるのが嫌だ、そういうわけでもあるまい。きっと単純に苦しいのだろう。息が、心が。
それだけの何かが神通とやらにはあるのだ。
「……最上」
急かすつもりはなかった。が、時間に余裕があるわけではないのもまた事実。
いっそ深海棲艦が攻めてくれば、なし崩し的に共同戦線を張れるのではないか――そこまで考えて頭を振る。だめだ。少なくとも赤城を見た限りにおいて、だからどうしたと言わんばかりの鬼気迫る様相だったじゃないか。
「うん、ごめんね、ちょっとまって」
そう言って、すぅはぁすぅはぁ深呼吸。何かを口の中で反復しているようだったが、何を言っているかまでは聞こえない。
「もう大丈夫。言いたいことはまとまった。準備ができて、覚悟も……できた。
鳳翔さんは艦娘の名前と居場所を教えなかったんだって? 気持ちはわかる。気持ちはわかるんだ。だけどボクは、それは逃げだと思う」
幸せの中で死ぬのなら、それは不幸せの中で生きるよりも、幸せなことなのかもしれない。
漣はその言説に否定的だった。どうやら最上もそうであるらしい。
俺? 俺は……。
「ボクたちには、ボクたち自身を幸せにする義務がある。諦めるのは、逃げるのは、まだ早い。もっと手遅れになってからでもいい。
このまま――あのまま、何もなければ、あるいはそれでよかったのかもしれないね。いずれ来る終末を、みんな好き勝手やって待っていれば、それでよかったんだ。だけど事情は変わった。
あなたが」
と、最上は俺を見た。
「来たから」
「……はっ」
反応に困って、とりあえず笑い飛ばしてみることとする。
買い被ってもらっちゃ困る。実際に戦うのは艦娘のお前らじゃねぇか。
「きっと、これが最後の機会なんだ。いや、好機かな。ボクたちが、みんなまとめてどうにかなるための。そう思った。そう思ったんだよ」
「だから漣たちを手伝ってくれると?」
「うん。期待してるんだ。きみたちがみんなを幸せにしてくれるってわけじゃないよ。きみたちが現れて、それをきっかけとして、みんなが幸せになればいい」
「それはつまり、最上さんは、幸せじゃない誰かを知ってるってことですよね」
漣の指摘。目を瞑った対面の最上の表情は、いまいち茫洋として窺い知れない。
閉じた瞳の裏で一体誰を想起しているのだろうか。
龍驤か。夕張か。鳳翔さんか。
それとも赤城か、神通か、まだ見ぬ他の艦娘か。
「赤城さんは、深海棲艦を殺して回ってる。それは見た通りさ。どこまで殺せば気が済むのかはわからない。本当に根絶やしにするつもりなのかもしれない。
そして、だから、神通とは相容れないんだ」
「仲間なのに?」
問うたのは漣。気持ちは俺も同じだった。
手段と目的が入れ違ってしまっているような、そんな感覚に陥ったから。
「仲間なのに、さ」
応じる最上はあまり明るくない。いっそ笑い飛ばしてしまえればどれだけ楽か。
「赤城さんは独りだったけど、神通は独りじゃない。漣ちゃんの言った通り、駆逐艦が二人、合計三人で行動してる。
雪風と響。年齢は、そうだね、漣ちゃんと同じくらいかな。雪風は茶色いショートボブ、響は銀髪の、まぁ目立つとは思うけど。
その三人もまた、赤城さんと同様に、深海棲艦を倒して回ってるんだ。だから赤城さんとは獲物の横取りしあい。最近は互いに暗黙の縄張りみたいなものを設定したらしいけど、だからどうしたって感じだよね。気にしないときは気にしてる様子もない」
「だから『相容れない』? どうしてですか?」
「赤城さんは簡単さ。あの人は『自分が』、だからね。見たでしょ? 自分がやるんだ、倒すんだ、殲滅するんだ、って。信用してくれてないのか、それとも意固地になってるだけなのかはわからないけど。
神通は逆。神通の目的はね、雪風と響に経験値を与えることなんだ。一刻も早く二人を強くしなきゃって東奔西走。だからいっつも引き連れて、どんな雑魚でも見逃しはしない」
なるほど。ならば、ぶつかるのも必然と。
「まぁでも、神通は別に、赤城さんみたく襲ってくるわけじゃあないからね。勿論敵視してくるとは思うけど、もともと落ち着いた、静かなタイプだし、話し合いには応じてくれる……と思う。
それに神通には休息が必要だ。心も、体も、酷使しすぎてる。仮にきみたちが雪風と響を指揮してくれるっていうなら、負担も軽減されるだろうし」
「そんな切羽詰まってるんですか。何がそこまで、神通さんを」
「襲撃のことが漏れてるからじゃないか」
「それもあるね。けど、多分、なくっても変わらないと思うよ」
意味深な発言だ。
「死にすぎたからね。赤城さんじゃないけど、みんな、みぃんな……」
……。
あぁ。
そうか。
そういうことか。
なんて単純な話なんだ。
強くなければならない。
強く在らねばならない。
赤城と神通がたどり着いたのは、きっと、そんな……。
そんな、真理。
「強くなければ生きていけない……」
優しくなければ生きていく資格がない。
漣が呟いた――そう、呟いた。誰ともなしに、誰に聞かせるでもなく。
こいつは言動によらず聡明だから、俺たちに優しさを要求する世界こそが優しくないというダブルスタンダードを理解しているに違いない。
神通と、そして赤城すらも慮れる懐を持てと言うのは、中学生相手に酷だろうか。事実赤城は漣に「優しく」なかったわけだし。
思いのほか言葉が強く出た。
「勿論あっちがどう出るかによるが、俺たちを手伝ってくれるなら、そのあたりはいくらでも譲歩する。どうせ戦ってもらうことになるんだ。指揮を任せられないほどに信用してもらえないのなら、そんときゃまた、別の方法を考えるさ。
「ご主人様、格好いいですよっ」
頬を紅潮させて漣が言った。決して俺に惚れたがためのそれではなかった。興奮しているのかもしれない。
「強くなければ幸せになれないなんてのは、絶対、ぜーったい間違ってるって、漣は思うんですっ!
強くなくたっていい! 特別じゃなくたっていい! 格好良くなくたっていい! その上で幸せになれないと、だって、じゃあ私たちはどうすりゃいいんですかって話じゃないですか!」
そういう人が殆どなんだから――漣の言葉の裏にはそういう意味が隠されている。
確かにそうかもしれなかった。俺たちにはやらねばならないことがある。弱いままで、平凡なままで、泥にまみれたままで、俺たちはそれを為さねばならない。
成さねばならない。
最上は小さく頷いた。心地よさそうに目を瞑っている。
「この状況をなんとかしなくちゃいけないとは思っていても、実際、ボクはこの状況が『なんとかならないかなぁ』止まりだった。きみたちに乗ることにするよ。
他に訊きたいことはあるかい? 知っている限りなら教えるよ。別に龍驤たちに反目するつもりもないけどさ」
「赤城、神通、雪風、響。あとは?」
「生きていれば」
最上が一旦言葉を切ると、漣の唾を呑みこむ音が、やけに大きく聞こえた気がした。
「霧島。扶桑。伊58。その三人くらいかな、泊地が壊滅してから、ボクが出会ったことのあるのは」
「戦艦、戦艦、潜水艦ですね。戦力的には申し分ないです」
疎い俺のための説明。生死不明……泊地壊滅後に出会ったとはいえ、その後の足取りを最上も掴めていないということなのだろう。あるいは必要以上に深入りしないようにしていたのか。
いうことなのだろう。あるいは必要以上に深入りしないようにしていたのか。
現状艦種に戦艦はいない。もしその霧島および扶桑を仲間に加えることができたのならば、ようやく邀撃の二文字に光明が差しこまれる。
勿論仲間は多いに越したことはなく、駆逐艦だろうが潜水艦だろうが、俺は喜んで出迎えてやるが。
「龍驤さんたちも知らないんですか?」
「さぁ、どうかな。ボクは知らないってだけだから……」
「教えてくれるとは思えないけどな」
鳳翔さんのあの態度を見ている限りは。
「でもさっき、最上さんは龍驤さんから漣たちのことを聞いたって言ってました。ってことは、少なくとも龍驤さんは、ある程度生存している艦娘の居場所がわかっているってことになりませんか」
「そりゃまぁそうだが」
あいつらは所謂世話役だ。たとえば赤城と神通がドンパチを始めたら、すぐに割って入れるくらいの情報網はあるだろう。そしてそこに、他の艦娘の居場所が含まれていないと漣は思っていないようだった。
考えていることは俺も同じ。しかし僅かにスタンスが違う。漣のプラグマティズムは、少し、やはり、「他者もそうするべきである」という認識に立っているようだったから。
それは危うい認識だ。本人がどう思っているかは、わからないまでも。
「まぁ龍驤はわかると思うよ。一から十までってことはないだろうけど」
確信的な物言いの最上だった。
あいつらが艦娘の居場所を突き止められるというのなら、俺たちの話を盗み聞きしていた大井も、見逃されていたということだろうか? そして大井はそれすらもコミで盗み聞きをしていた?
もしそうだとするのなら、あまりに茶番である。どんな確執があったって、あの性格だ、おかしくはないのだが。
「指揮権を委譲されたから?」
「……! 凄い、よくわかったね」
単純な推測だった。前提督が死んだのなら、その指揮権はいまだ宙ぶらりんになっている可能性がある。そうでないのなら誰かが引き継いでいるしかない。
理由はともあれ俺は本土から正式な辞令を受けてやってきている。しかしいまだ龍驤たちへの指揮権を得ていない以上、誰かが指揮権を占有していると考えるのが妥当だろう。
まぁ、そんなものはお飾りでしかないのだろうが。
「指揮権たって意味がねぇや」
「ご主人様の仁徳のせいですか?」
「は?」
「じょーだんですよ、あはは」
半分くらい本気の目をしていたが?
まぁいい。仁徳なんてものはコンクリに固めて海中へ投棄してきた。漣の言い分も間違っちゃいない。
「権力ってのは同じ組織、共同体の中にいるからこそ効果を発揮するもんだ。俺が提督だっつったって、それを担保する何物も、トラックにゃ存在しねぇ」
「あ、パーソンズだね。渋い」
「渋いかぁ?」
「ぱーそんず?」
漣はちんぷんかんぷんの様子だった。中学生には権力の何たるかはまだ早い。
「さしあたってはボクも他の仲間の居場所を突き止めてみるよ。あんまりのんびりはしてられない、だったよね?」
立ち上がり、尻をはたきながら最上は言った。
「……いいのか」
「もう、何度も言わせないでよ。やるよ。やるったらやるんだ。ようやく、遅咲きの覚悟ってやつが、ボクにも芽生えてきたみたいだしね」
最上の言葉はなんとなくわかる。しかし所詮なんとなくどまりである。
そこまで深入りする必要もないのだと、俺の中で自分が忠告していた。きっと本土ならばその姿勢は正しかったに違いない。体にも、ましてや心にも、傷を持つ人間は増えた。いちいち関わりあっていたら身がもたない。
だが、ここでは。トラックではどうだ。
ギャルゲー。奇しくも漣の言葉は妙だった。まさかそんなはずのない単語が、ここに来て関連しだす。
決してそちら方面に造詣の深い俺ではないが……。
少し意識して呼吸をし、自らを落ち着かせることにした。慣れないことはすべきではない。今は、まだ。
「最後に訊きたい。霧島と扶桑、伊58の情報だ」
「戦艦二人は大学生、ゴーヤは……高校生だったかな? 受験生だって言ってたから、うん、多分、そうだと思う。どっちかって言うと霧島がタカ派、扶桑がハト派かな。ただどっちも年長者だからね、割り切り方も心得てたよ。
ゴーヤは……なんて言ったらいいんだろう。面倒くさがりってわけじゃないけど、仕事をてきぱきこなすタイプでもなかった。いっつもハチとかイムヤにせっつかれて、ようやく重い腰をあげてた」
「お前の目から見て、三人は手伝ってくれそうか?」
「霧島は、多分。あの人は真面目で愛国心に篤いから。事情を話せばわかってくれるだろうさ。扶桑は、どうかな。あの人は平和主義者でどんぱちが向いてるタイプじゃない。でも、心残りはあるはず。扶桑がそうしたいと思う限り、そうしてくれると思う」
「伊58……ゴーヤ? といったか。そいつは」
「……さぁ、どうだろうね」
意識的に視線を逸らされた。あまりいい邂逅ではなかったように見えて、俺は踏み込むか一旦退くか、逡巡する。
「……」
いや、やめておこう。どのみち三人同時に折衝するのは骨が折れる。まずは戦艦二人に交渉を持ちかけよう。残りはその後だ。
霧島。扶桑。戦力的にも申し分はない。
「霧島は浜辺で体を鍛えてるのを見たよ。扶桑は漁船の護衛についていることが多いみたいだけど、どこから出航してるのかはわかんない。ま、具体的な場所がわかんないのは霧島の方もだけど。
龍驤たちならわかると思うけど、それは難しいのかな?」
「どうかな」
会いに行くことに大した抵抗はない。問題はあちらが会ってくれるかどうかということと、こちらの行動があちらの不利にならないかということだ。
次回のイベントを乗り越えるという点において、俺たちと龍驤たちは手を取り合えるはずだった。目的は合致している。だからこそ最上も手を貸してくれるわけなのだし。
だが、艦娘の不幸を彼女たちは望まない。
そんなのは当然俺たちだってそうだ。殊更に世論を煽る真似は三流雑誌だけで十分だった。だが、彼女たちは不幸にならないためなら死んでもいいとさえ思っている。
そこだけが相容れない。
霧島や扶桑が自主的に、最上のように、自らの意志で俺たちに与してくれるのがよかった。龍驤たちも「二人なら自主的にこいつらに賛同するだろう」と判断してくれるのが輪をかけての最良だ。
艦娘を巡って龍驤たちと対立するのだけは避けたかった。自主性を重んじるとはいえ、俺たちの行いは結局のところ、兵隊を戦地に送り出す血のポンプに等しい。彼女たちがどれだけこちらの勧誘を不問としてくれるのか、判断はいまだつかない。
「不毛なことを考えても不毛ですよ、ご主人様」
トートロジーとしても忠告としても正しかった。漣は決してぶれることのない、その桃色の姿を凛と立たせている。
「失敗も何も、戦力が揃わなきゃゲームオーバーなんですから。是が非でも霧島さんと扶桑さんは見つけ出さなきゃなんないでしょ、そうでしょう?」
「ま、そうだな。俺たちに選択肢なんてあってないようなものだ」
トラックの艦娘たちと一緒に生きるか、あるいは一緒に沈むか、それしか選びようのないのだから。
一蓮托生。それならそれなりの動き方というのもある。
俺はそれを知っている。
「座りっぱなしも腰に悪いな。痛んできやがる。散歩がてら、二人を探してみよう。龍驤にも話がある」
「え、会いに行くんですか?」
露骨に顔を顰める漣だった。
申し訳ないが、今回に限り漣に拒否権はない。言葉ではなく行動で表そうと、俺は伸びをしながら立ち上がる。ぽき、こき、と腰の骨が音を鳴らした。
「指揮権が前提督から龍驤に委譲されたという仮定。それが正しいのなら、龍驤は恐らく所属している艦娘の位置を追跡できるはずだ。となれば、赤城と俺たちの邂逅、最上との接触、ここでこうして会話していること、全て御見通しとなる」
「でもあの人がそんな真似しますかね。束縛したくない、やりたいようにやればいい――そう思っている御仁が、ですよ? ご主人様、漣的には、それはちょーっと納得がいかないです。
漣の龍驤さん像は、情に篤いが故の放任主義というか、あくまでフェアを気取るんじゃないかって。勝手にしろと言いつつ、嘗ての仲間の居場所を必要もないのに探るだなんてアンフェアな真似、採用するとは思えません」
ふむ。そういう考え方もある、か。
「理解はできる。知識としても、頭の中にはある。その上で信じられねぇな。実利を捨てて矜持によって生きるのはさぞかし立派だろうが」
「だからそうなんですよ」
漣は偉ぶるわけでもなく自信ありげに言うでもなく、今日も空が晴れている、それと同じように言葉を紡ぐ。
「立派なひとなんです」
それは確たる事実だった。疑いの余地はない。
「……早速行くか」
「う、本当に行くんですかぁ」
「当たり前だろうが。最上」
「うん、いいよ。道案内、だよね」
外様二人だけで歩くよりも、トラックの地理や人々に明るい最上を連れ立つほうが、なにかにつけて安全だ。
最上と漣はさっさと立ち上がり、長話で痺れた脚に悶絶していた。
ふらふらと歩きながら、それでも楽しそうに扉を開け、日差しの中へと走り出していく。歳の近い同性がここにきて現れて、高揚しているのだろう。俺も漣のおもりからの解放感がある。
「おい、あんまり先に行くな。飲み物はいらねぇのかよ」
仕方がなしに水のペットボトルを三本抱え、俺は二人の後を追う。
「……?」
部屋の扉の前、そしてその周囲が濡れていた。
水の沁みは強い日差しと気温である程度蒸発してしまっている。が、どうやら道の先から来たらしい。俺たちがやってきた海の方向を示している。
海からやってきて、部屋の前で立ち止まり、少しうろうろしていた形跡。
「……跡をつけられていた?」
そして俺たちが来る前に逃げ出した。
なぜ。なんのために。……だめだ、心当たりが多すぎる。
「ごーしゅじーんさまー!」
「あぁ、いま行く」
警戒に一層心を引き締め、俺は戸締りを再度確認して、二人の後を追った。
―――――――――――――――
泊地跡は海沿いにあった。ドックが併設されていて、桟橋、倉庫など、おおよそ必要そうな施設も視界の中には捉えられる。
中身がどれだけ稼働しているのかは判断がつかなかった。艦娘としての任務に就いているやつらがいる以上、最低限度の設備はまだ使えると考えていいはずだ。だが、その最低限度すら、俺には怪しい。
艤装の整備や燃料の補給など、赤城や神通、その他の艦娘たちはどうしているのだろう。ふと気になった。ドックでのみ受け付けるのであれば、必然、ここでニアミスを起こす可能性は格段に上がる。
俺たちと、というだけではない。例えば犬猿の仲であるという赤城と神通であったり、最上の知らない艦娘だって。
「最上は近寄っていたのか?」
「んーん。ボクは海辺で釣りをするくらいだったからね」
「戦闘に赴くメンツが戻ってくる可能性はあるってことですか? ご主人様としては、それは避けたいと」
勿論それもあった。だが何より、準備も心構えも、これからの計画も立てていない段階で、対象と出会うことはまずい。有体に言うのならば、俺たちは決して地雷を踏まないように立ち回らなければいけないのだ。
「ただ、夕張さんは言ってましたよ。遠征にも出られないから、資材はからっけつだって。ならここに戻ってくるんじゃなくて、自分たちで調達してるんじゃないですか」
「うん、その可能性は十分にあるね」
「そんな簡単に調達できるもんなのか」
「採掘地点自体は衛星使って調べられるし、そもそも周知だからなぁ。海水からだって抽出できないわけじゃない。海から離れなければ、そもそも神様の加護もある」
そうだった。こいつらの艤装を動かす主の燃料源は、油や電気ではなく、もっと不確かな――それこそ核よりも不確かなものなのだった。
海の上、もしくはそばに居続ける限り、艦娘は艦娘足りえる。
勿論酷使するには追加の資源が必要になるだろう。その心配をする必要は、いまのところなさそうだ。
それは俺たちにとっては幸運なことだった。限りある資源を龍驤たちと奪い合い、その件でまた対立するなんてことはまっぴらごめんだったから。
ここまでの道程で尾行者の姿を見つけることは叶わなかった。もう場を離れたのだろうか。
いや、相手の目的がわからない以上、安心するのは早い。
「よぉ、最上。こないだぶりやな」
目庇しを調節しながら、入り口のガラス戸に背中を預けたまま、龍驤は言う。ガラス戸は枠だけになっていた。それが襲撃の影響であることは想像に難くない。
臙脂色の服にぽっくりを穿き、ツインテール。龍驤の姿は先日と変わらない制服のままだ。日常的にここに通っているのだろうか。それとも、そもそも居住している? 有り得そうな話だった。ここには寮も付属しているだろうし。
「龍驤も、変わらず元気みたいだね」
「まぁな。そりゃな。
んで、そっちのお二人も、暑い中お疲れさん。諦める気には、なってくれてへんみたいやね」
「諦めてどうにかなるもんでもないだろう」
「なんや、妙に強気やな。仲間ができたからか?」
「どうせ本土に戻ったって居場所なんかねぇことを思い出しただけだ。中にいれてくれねぇか、暑くって堪らん」
「ふぅん。ま、別にええけどね。ただ、エアコンなんかとっくに壊れてるよ」
まず病院の待合室のような空間があった。弾痕の生々しい痕が残った壁、砕けた鉢から零れた土と枯れた植物、ひん曲がった脚の椅子に砕けた蛍光灯の傘。
陽光が遮られるだけでも、体感的に随分と楽になった。肌に突き刺さる感覚は、既にない。
「ここで勘弁しぃや。あんまり奥まで進むと、崩落の危険もあるんでな」
「泊地は機能していないんですか?」
「なんや、最上から聞いとらんのか。……最上」
「ボクよりも龍驤のが詳しいでしょ。そこは頼むよ」
龍驤は一瞬伏し目がちに視線をさまよわせた後、一息つく。
「建造施設と開発機構は全損や。夕張曰く、塩水が悪さしとったらしいけど、詳しいことは知らんな。どのみち榊の枝も折れてもうたし、玉串は瓦礫の下に埋まったまんま、御札も九字も破れてもうたから、神祇省の人間呼ばんことにゃ太刀打ちできひん。
ま、不幸中の幸いは、修理機構が辛うじて残っとることやな。ドックはおじゃんやけど、高速修復溶液の原液と、希釈剤、あとは簡易メンテのキット。自己診断プログラムがインストール済みの端末もなんとか持てて逃げ出せた。大破までなら、なんとかなる」
「赤城もそれを使っているのか?」
「……そか。そっかぁ」
龍驤は脱力気味にパイプ椅子へと腰かけた――ついに脚が折れ、背中から床へと叩きつけられる。
慌てて最上と漣が駆け寄るが、しかし彼女は他人事のように、煤けた天井をぼんやり眺めている。
「あいつに遭ったかぁ」
「……あぁ、遭った」
「海の上で?」
「はい」
俺の言葉を引き継ぐように、漣。
「交戦しました。そこで助けてくれたのが、最上さんで」
「あぁ、そーゆー……。どやった?」
「……変わらず」
応える最上の顔もどこか暗い。
「なぁ、おっさん。あいつはそりゃもう愉快なやつやった。健啖家でな、どんぶり飯を三杯喰う女や。酒と肴にも詳しくて、よくあいつと……死んでもうたバカ提督と呑んどった。
復讐に狂うあいつの顔を見たか? 酷ォ顔をしとったやろ。ウチはな、あいつが望んであんな顔をする人間だとは思っとらんのよ。
そうさせたんは誰や? どこのどいつがあいつから笑顔を奪った?」
それは深海棲艦かもしれなかったし、大本営かもしれなかったし、詩人ならば運命の神様とでも答えたかもしれない。だが、きっと龍驤はそのすべてに納得しないだろう。
「弱かったのが悪いと、神通ならきっとそう言うのかもな。強ければ死ぬことはなかったと。けど、ウチはそこまでの傑物やない。
なぁ、答えてくれんか、おっさん。お嬢ちゃんでもええ。誰かウチに教えてくれや」
「……漣たちは、もう二度と」
あんな顔を、誰にもさせないために、ここにいる。
そこまでの覚悟を携えてきたかと問われれば、胸を張って首肯できないのが本音だった。俺がここにいるのは単なる辞令の結果である。大義を両手にやってきたわけでは、決してない。
そして、今はどうだ。正直、俺は俺のことがよくわからないでいる。
覚悟がなければ大事を成せない? 大事を成す権利がない? 俺はそうは思わない。なぁなぁにやったって成功することはごまんとある。
だが、龍驤を見て、赤城を見て、俺は常に不快な思いに苛まれ続けてきた。自らの怠惰を責められているようで。
「わかっとる、わかっとるよ。単なるいけずや。本気で聞いとるわけやない。
あんたらが来た理由は大方予想がついとる。仲間の情報か、あるいは指揮権。違うか」
「……違いません」
どうしてわかるんですか、と言いたげな漣の口ぶりだった。
恐らく龍驤は、再興に必要であろう数々の権利や情報について、殆ど掌握しているに違いない。だから俺たちの行動が読め、先手が打て、心が読めるかのような言動ができるのだ。
俺の推測が正しければ、それはあまりにも辛すぎる現実だった。
彼女は、嘗て再興に失敗したのだ。
龍驤は倒れた姿勢からようやく立ち上がり、尻やら肘やらの埃を払う。表情に感情は薄い。まだ、赤城のことを想っているのかもしれなかった。
「仲間の居場所は教えん。答えは前と変わらん。そっちで勝手に探しぃ。ウチも、他人のプライベートを覗き見する趣味はないからな、そういうことはしたくないんや」
「指揮権は」
「それもノー、や」
「どうして!」
「勘違いするなよ、お嬢ちゃん。これに関しては、別にウチのいけずやない。あんたらのためを思うて言うとるんやで。
トラックの艦娘はもうみんなばらばらや。あんたらに今指揮権が渡れば、監督不行き届きってことになるの、わかるか?」
「それがどうしたって言うんですか!」
「漣」
「っ! でも、ご主人様っ」
「龍驤に最後まで喋らせてやれ。……わからないでもない話かもしれん」
「……?」
念には念を入れ、というか。微に入り細を穿つ、というか。
「大本営はあんたらを遣わした。理由は知らん。どうしてあんたらが選ばれたのか、ウチは知らんし、興味もない。だけど、なんとなく、なんとなーく、な、普通に選ばれたわけじゃないと思うとるんよ」
「……漣は、立候補しました」
「……」
何かを言うべきか迷ったが、その迷いを悟られた時点で、何を言っても意味がないのは明白だった。
「あんたら、まさか自分たちが、ずっと泊地で提督やれると思うとるわけじゃあるまいよね?」
……あぁ、そうか。
やはりか。
「壊滅したと思った泊地が首の皮一つで生き残っていて、そこに着任するなんてのは、どう考えても罰ゲームや。人身御供。生贄。まぁ好きに呼びゃあええけど、うまくいくなんてハナから思われとらん。
一年? 半年? もしかしたら三か月もすりゃ、新しいやつらが赴任するで。そして根掘り葉掘り粗探しされて、あることないこと……ないことないこと報告されて、ほっぽり出されるのがオチやろ。ならいっそのこと、指揮権なんてないほうが、なーんもかーんも自由にできる」
指揮権はいくつかの階層に別れていて、閲覧できる情報や従うべき指揮の系統が厳密に定められている。俺の直接指揮下にあるのは現状漣だけ。トラック泊地に登録されていないはずだから、龍驤からも独立している。
相手さえ承諾してくれれば、例えば俺も最上に対する指揮権が得られる。さらに上位には龍驤が位置し、彼女の指示は俺よりも優先となるが。
「そんな」
漣は衝撃を受けているようだった。立候補してまでトラックに来るという不自然さがゆえに、任を解かれることへの危機感が人一倍強いのも、また彼女なのだろう。
龍驤の言葉がすべて正しいとは思わなかった。大本営に裏切られ、信頼などまるでしていない目線からの意見は、当然ながら認知の歪みに嵌っている。
ただし、俺自身はどうなのかと尋ねられれば、限りなく黒に近い灰と答えるだろう。
あいつらは平然とそういうことをやってのける。
「……ごめんなさい、漣、まだちょっと、呑みこめないっていうか。信じられないっていうか。ご主人様も、なんか言ってほしい、ていうか。
……タイムリミットが」
時間制限。確かにそうだ。後任が来ると仮定したら、俺たちはお払い箱目前。その後の処遇など考えるだけでも背筋が冷える。
「龍驤、この話はもうやめよう。まだ中学生だよ。断定的な口調で話すのは、ボクはあんまり、善くないと思う」
最上はそういうが、言葉に力はあまりなかった。
「気を紛らわしに歩こうか? ドックはないけど、高速修復溶液の場所があるとこ、教えないと。ね、龍驤、いいでしょ?」
「……そうやな。お嬢ちゃんに罪はない。可愛い顔に傷ついても困る。それくらいは、まぁ教えても、神サマもご照覧くれとるやろ。
おっさんも来ィや。ぼさっとつったっとらんと」
「……いや、俺は一服、してくる。そっちは漣に任せた」
「ふぅん。そ。お嬢ちゃんはそれでええか」
無言で漣はこくりと頷いた。そのまま裏口へ向かい、壁の向こうへと消えていく。
煙草は嘘だった。俺の煙草は漣に没収されたままだ。
だが、俺はどうにもあの空間にいたくなかった。無知な中学生の驚愕も、責任感のみで体を支える古参兵の憎悪も、落伍しかけた優しい少女の傷心も、何一つ見たくなかった。
それらを守るために俺は船に乗ったのに、いま俺は船を降り、それらの顔から眼を背けている。
……吐き気がするな。
陽光が誘っていた。灼熱に身を焦がせば、少しはこの倦んだ思考もましになってくれるだろうか。
輻射熱は日本よりもずっと少ない。白い光線が肌を焼く。シャツの袖の白さが眼に痛い。
汗が流れて目に沁みた。
「――っ!」
だから俺は襲撃者への反応が遅れる。
いや、それとも、その瞬間をこそ敵は狙っていたのかもしれない。
死角から突っ込んでくる二つの小柄な人影。片目で距離感が狂う。繰り出した拳は回避され、蹴りもクリーンヒットには到底及ばない。
勢いのついた、しかし存外軽い回し蹴りが、俺のこめかみを突き抜ける。衝撃。視界が揺らぎ、星が飛んで、前後不覚。空の青と地面の緑、強いコントラスト。
誰だ。なんだ。やはり尾行されていたのか。なんのために!
必死に体勢を立て直そうとするも、全く無警戒だった背後、誰もいないはずだったそちらからやってきた冷たさに俺は全身を強張らせた。
細く、硬く、冷たい何かの先端。俺の背中から少し下、僅かに右、そこへ押し当てられている。
銃口だ、と判断するのは容易かった。
「抵抗すれば撃ちます。嘘を答えても撃ちます」
底冷えのする声。十中八九、はったりではない。こちらが銃を奪うよりも弾丸が身体を食い破るほうが早いだろう。加えて残る二人も相手にするのは、俺には不可能だ。
せめて抵抗の意は見せまいと、脱力しつつ大人しくホールドアップ。背後にいる人物はそれに満足した素振りすら見せなかった。警戒されているのか、それ以上にこちらの反応を気にする意味もないということなのか。
前方にいた二人が距離を詰めてくる。
二人とも低い背丈だった。漣と同じくらいか、もしかしたらそれより下かもしれない。
茶髪と銀髪。茶色いほうは白いワンピースで、銀色のほうはセーラー服。どちらも艤装を装着している。
年端に似合わぬ精悍な顔つきだった。特に茶色い方は、歴戦の兵士に酷似していた。直近では赤城を思い出すし、過去を遡れば、現場叩きあげの上官などに近しい。
対して銀色の方は、怯えがあるのか何なのか、少し遠慮しがちだ。暗く沈んだ表情をしている。
俺はこの二人を知っていた。
そして論理的帰結によって、背後にいる人物にもあたりがつく。
雪風、響、そして――神通。
考えうる限り最悪の遭遇であった。
―――――――――――――
ここまで
書き溜め放出。もうストックはない。
皆さんの乙が書くモチベを与えます。よろしくお願いします。
待て、次回。
痛いくらいに肉へ銃口がめり込む。踏ん張ってなければそのまま押し出されて前へつんのめってしまいそうになるほどだ。
骨が体の内側で、ごりり、と音を立てる。わざとだとわかるほどに、その力は強い。思わず身を捩じらせてしまう。
最上――最上め。あいつ、神通はおとなしいから、赤城みたいに襲ってこないだろうなんて、とんでもない嘘をつきやがって!
「聞こえませんでしたか? 抵抗すれば撃ちます。嘘を答えても撃ちます」
「……」
どうすればいい。俺はどうしたらいい。
前に二人、後ろに一人の三対一。いや、もしかしたらそれ以上いる可能性だってある。実力行使は不可能だと見ていい。
今はとにかく向こうの指示通りに動き、様子を見るのが最善。俺はまだ相手の目的もわからないのだから。
赤城の情報を知りたいのか。それとも純粋に復讐心か。俺たちに協力できるような事柄が、
ばん。
「――っ!?」
衝撃が脇腹から全身へと突き抜ける。激痛は一瞬遅れてやってきた。
体が痺れて息ができない。あまりの痛みに、骨、内臓の状態、なにより命の危機を心配するが、弾丸はそもそも貫通してすらいなかった。あぁそうだ、艦娘の装備は深海棲艦にのみ特攻を持つから、陸の上で俺に撃ったところでたかが知れている、が、それでも。
「ひ、とに、……っ」
躊躇なく撃つかよこいつは!
「五秒の沈黙でも撃つことにしましょうか」
脂汗が滲む。痛みで呼吸も覚束ない。眼の端から涙があふれてきて、深呼吸をして調子を整えようとするも、体の中を依然駆け巡る痛みが呼吸を浅く、短いものにしかしない。
「ごーお」
神通はおもむろに数字を数えはじめた。五秒の沈黙。俺は呼吸と体勢を立て直すので精一杯、思考はまとまらず滅茶苦茶のまま。
「よーん」
「お、れは、本土から、来た」
「さー、……あぁ、やはり、聞いた通りですか。目的は?」
「ふ、復興、だ」
「復興?」
くふ、と声が頭上から落ちてきた。それが神通、彼女の笑い声だと理解するには、少しの時間を要した。
倒れ伏した俺の後頭部に再度銃口が押し当てられる。箇所がどこであれ、こいつは容赦なく引き金を引けるだろう。体温が一気に冷めていくが、ようやく頭は晴れつつある。唾液を呑む音を誤魔化そうとする知恵が回るくらいには。
「本当に? それだけですか?」
「あぁ。壊滅したトラック、その後任として、任命された」
「なぜ? どうして今更? あなたにはそれだけの実力があるのですか?」
そんなことは俺が一番聞きたかった。いや、結局のところは厄介払いなのだろうが、それを一から説明するには時間が足りない。そもそも説明する気など全くないのだが。
「……嫌われてんだよ」
端的に答える。
神通はまた「くふ」と笑った。
「なるほど。おんなじですね、私たちと」
嫌われ者だと神通は自嘲する。理由は明白で、それは大本営が彼女たちを助けてくれなかったからに他ならない。
どこまで本心からそう思っているのかは定かではなかった。自虐的なブラックジョークなのかもしれなかったし、本土から来た俺に対しての皮肉なのかもしれなかった。もしくはそう思うことでやっとのこと現状に整理をつけている可能性だって。
同時に、ふと疑問に感じた。なぜこいつらは大本営をそこまで信じきっていたのだろうかと。
事前になんらかのやりとりがあって、要請があって、しかしそれが裏切られた。そう考えるのが素直だ。なぜ裏切られたかの理由に関しては、解明は俺の仕事ではない。理屈と膏薬はどこにでもつく、という諺もある。
通信施設の損傷、トラック―本土間での敵の存在、予備兵力の不足、考えればキリがなかった。
「大井さんから話は伺っています。トラックだけではなく、東南アジア諸島が深海棲艦に狙われつつあると。先立ってのイベントですら初撃に過ぎず、だから可及的速やかに泊地を復興しなければいけない。橋頭保とするために」
ごりり。一層強く、銃口が押し付けられる。
「神通さんっ」
俺の右に陣取っていた銀髪、響が悲鳴にも似た制止の声を出す。
神通の動きがぴたりと止まった。こいつ、いま俺を撃とうとしたな。
深呼吸の音が聞こえた。
「私たちが死にもの狂いで戦って、辛くて辛くて辛くて、苦しくて苦しくて苦しくて、怨嗟の声をどれだけあげても助けになぞ来てくれなかったというのに。
今更! あなたちは! ここを!」
強く押し付けられた銃口は、僅かに震えていた。恐怖のためではなく、興奮のために。
「神通さん! それ以上はだめです!」
「敵に渡したくないなんて、寝ぼけたことを言う!」
返す言葉はない。鬼畜生にも劣る行為をしたのは間違いなく海軍の側だ。恨まれるのも、こんな扱いをされるのも、当然と言えば当然の話。
その憎悪の海を泳ぎ切って、俺は彼女たちの心の内側へと辿り着かなければならないのだった。
そんなことができるのか。
……するしかない。少なくとも、俺はここで神通に殺されることを望んではいない。
気持ちを癒すだなどと大風呂敷は広げられない。そこまでの覚悟は抱いてきていないが、サンドバッグになるくらいの覚悟なら、こんな俺にでも十二分にはある。
「それでも、戦わなければ、もっと死人が出る」
「……えぇ、えぇ、そうです。そのとおりです」
俺の襟首を引っ掴んで、神通は強制的に俺に前を向かせる。そして値踏みするかのように覗き込んできた。
「ただ、私は思うんですよ。強ければ負けないんだ、と。
死んでしまった人たちの無念を思えば、勿論心が張り裂けそうになりますが、しかし弱かったから死んだのです。苦難を乗り越えるだけの強さがなければ、この世は少しばかり私たちにつらく当たりすぎる。違いますか」
「……軍人の鑑だな」
自己研鑽があまりにも過ぎる。研いで研いで、折れてしまわないか心配になるくらいに。
神通の側は心配などして欲しくはないに違いなかろうが。
「自分さえも守れないような人間が、どうして誰かを守れましょうか。無論、誰かを守るために強く在れる者もいることは理解していますが、茨の道でしょう」
「別にお前たちの邪魔はしない。互恵関係と、いかないか」
「断ります」
にべもない返事だった。もとより答えは用意していたのだろう。
「あなたがたの実力を信じるつもりがないというのが一つ。そして、たとえ信じるとしても、それは今度はこちらの慢心を招きます。最大公約数の孤独のみが、孤高を齎してくれるのです。私には、この二人がいればいい。
……しかし、あなたの顔、どこかで……?」
どきりとした。大井くらいにしか知られていないと思っていたが、果たしてどうだろう。新聞には間違いなく載っている。ニュースにだって出た。数年前の出来事を、今更覚えていないものだと信じたい。
後頭部から銃口が離された。毛穴が弛緩したのか、一気に汗が噴き出てくる。
「……まさか、そんな」
神通の声には、今までなかった種類の震えが、確かにあった。
気づかれてしまったのだと理解するにはそれだけで十分。俺は自らの表情が消えていくのを感じていたし、一瞬のうちに神通との間でぴりりと走る何かの存在にも気づいた。
「『鬼殺し』! なぜ、あなたが!」
先ほどの詰問と字面こそ似ているが、本質的には全く異なる問いかけだ。そしてその答えはとっくの昔に用意している。
「嫌われてんだ」
冗談のつもりではなく、はぐらかしが目的だった。より本質的なことを言えば、『俺はお前に明かすつもりはない』という明確な意志表示。
「そんな、そんなはずはありません! だってあなたは英雄で――英雄だった! 『鬼殺し』の異名は誉れだったはずです、それが、こんな僻地にやってくるなんて!」
「マスコミがそうやって俺を囃し立てた。それだけだ」
「謙遜にもほどがあります! だってあなたは!」
初めて鬼を屠った存在なのに、と神通は、まるで現実が受け入れられないかのように叫んだ。
まるで癇癪を起した子供のようだ、と俺は思った。
強くなければ生き残ることなどできやしないと説く彼女の瞳に、俺はどう映っているのだろうか。大井はそれを「戦いに勝って勝負に負けた」と表現した。それはまったく正しい表現だ。俺は間違いなく勝ったし、間違いなく負けた。
手に入れた様々なものは、最終的には滑り落ちていったのだ。
「あの、雪風。どういう、ことなんだい」
「知らないなら黙ってください。興が殺がれます。まさか、こんな人と、こんなところで出会えるだなんて……!」
羨望にもにたまなざしを向けてくるのは雪風。その輝いた瞳を直視できず、思わず目を瞑ってしまう。
いつか見た、彼女の笑顔が焼き付いて離れない。
数年前の暑い夏の日、俺は数十人、あるいはもっとの犠牲の上に、戦艦棲鬼を打ち倒した。今でこそ艦娘の登用も進み、システム周りや戦術も確立されてはいるが、当時、種別「鬼」へと対抗できた存在は皆無だった。
人類史に残る偉業だと人々は誉めそやす。特進のみならず紫綬褒章さえ贈呈される予定だったというのだから驚きだ。
対峙したのは俺ではなく、彼女だというのに。
そう。俺は指をさしただけだった。あいつを倒せと――倒してくれと、願っただけだったのに。
「事情はわかりませんが、事態は理解しました。提督、私はあなたを尊敬しております」
背筋をまっすぐにぴんと伸ばし、神通が敬礼の姿勢を取る。
歓迎ではないのがともすれば皮肉にすら聞こえる。しかしそこまでの意図はないのだろう、神通の瞳には純粋な意志のみが宿っているから。
「しかし、まこと申し訳ありません。我々は強くありたいと願っています。孤高を貫き、自らを高めるためには、提督の助力は不必要。別行動をとらせていただきたく思います」
そうして、反転。俺の背後へ。
砂利を踏みしめる音が、ゆっくりと遠くなっていく。
「見ていてください。私はもう誰も死なせません。
雪風、響、行きますよ」
「はい」
「……うん」
二人もまた、背後へと消えていく。
……。
それから何十秒が経っただろうか。十? 二十? 一分は経ったか?
音は潮騒に紛れてとっくに聞こえなくなっている。さすがに傍にはいないだろうと、俺は大きく息を吐き、立ち上がった。
「……死ぬかと」
一歩間違えれば脳みそをぶちまけていたかもしれないと思うとぞっとする。神通、あいつもまた赤城とは少し違う意味で、頭がぶちきれている。
俺は尻が汚れることにも構わず地面に座した。
さて、どうしたものやら。
どうすれば、十全に丸く収まるだろうか。
最上は神通のことを、「雪風と響に経験値を与えることを目的としている」と言っていた。なるほど、言動を鑑みるに、それは多分に正解らしい。
あの背中は語っていた。過剰な仲間は慢心の源。孤高のみがひとを強くする。
強くなければ生きていけない。誰も助けることができない。
それは軍人の本懐ではない。
死んだ仲間はみな弱かったから死んだのであり、残った仲間を強くするほかに、生存確率を上げる術はない。紛うことなき正論。そして、その正論に行きつくまで――逝き尽くすまで、どれだけの絶望があいつを襲ったことか。斟酌すらおこがましい。
白羽の矢が立ったのが雪風と響、あの二人。
「いや、違うか」
あの二人しか最早残されていないと考えるのが自然だ。駆逐艦として、というよりも、神通の心の支えとして。
赤城は鬼だった。憎悪に灼熱する赤い復讐鬼だった。
対する神通もまた鬼。彼女も同じく燃えている。その身を焦がす罪悪感と、何より使命感に駆られ、全てを生存の一点突破に懸けて。
究極的に言ってしまえば、神通と赤城からの信頼は得られなくともよかった。あの二人はその性質上、深海棲艦と戦い続けるだろう。例え俺の指揮下になくとも、その役目さえ果たしてくれるのなら、どの陣営に属しているかは問題ではない。
……つまり彼女たちを諦めるということだ。それは見捨てることとは少々趣を異にする。手放すのではなく、適正な距離に。人間関係とは案外そういうもので。
過去の映像が一瞬だけ去来した。誰のものかわからない叫び声が聞こえる。
あの時、俺と彼女は、諦めなかった。あぁ、諦めなかったさ。だが、今とは関係がない。何も。そうだ。当たり前だ。過去が現在を縛っていい道理はどこにもない。
「比叡」
お前ならどうした。あの持ち前の明るさで、太陽のような笑顔で、どんな理不尽な局面だってひっくり返そうとするのか。
俺はどうしたってお前にはなれそうにもない。
この罪悪感は謝罪がためなのか。であるとするならば、神通もきっと、こんな気持ちであるに違いない。
「……」
煙草が欲しかった。気を紛らわせる何かが欲しかった。でなければ狂ってしまう。おかしくなってしまう。
「ん」
「お、おう、悪いな……」
差し出されたソフトボックスから一本取り出す。メビウス、1ミリ、メンソール。鼻に抜けるのは好きではなかったが、この際文句は言っていられない。
「……なにやってんだお前は」
太陽を背に大井がいた。
――――――――――――――――――
ここまで
まぁあんまり焦らしてもしょうがないよね、ってことで。
しかし提督にフォーカスするのは二次創作としてはどうなんでしょうかなぁ。
待て、次回。
乙
撃たれたの放置したまま煙草吸い始めちゃったよ…
鬼殺しさんの身体はサイボーグか何かなのか…?
>>210
銃は艤装で本物ではなく、人間相手なので威力はたかが知れてます。
暴徒鎮圧用のゴム弾程度だと思ってください。
「ご所望ではなかった?」
屈んで、煙草をこちらに差し出したまま、大井は言う。
相も変らぬ病院着。日除けの麦藁帽は庇が大きく、顔から鎖骨のあたりまでをすっぽりと陰で覆っている。長袖は日焼け対策かもしれない。熱くないのだろうか。
茶色い髪の毛が首から鎖骨へ流れ、そして胸の谷間へと落ちていっていた。俺は妙に恥ずかしくなって、思わず視線を逸らす。向こうがなにも意識していないのに、こちらだけ意識しているということが、なんだかいやらしく思えたのだ。
「ここは散歩のコースなのか?」
「火。持ってるでしょう? 貸してほしいんですよ」
言葉のキャッチボールは明らかに失敗していた。それでも意思が疎通できるということは、俺たちが投げ合っているのは言葉ではないに違いない。
「病人が吸っていいのか」
その前にこいつはいくつなんだ。
「あら、体のことを気にしてくれるんですか?」
「戦力のえり好みをできねぇのが辛いとこだな」
本心である。たちの悪い女に雁字搦めにされるような趣味は、今も昔もこれからも、持っていないし持つつもりもない。
「ひどいですね。こんなにも積極的に、あなたに与しているというのに」
「俺は煙草を吸う女が嫌いだ」
「くくっ。煙草を咥えながら言うのは卑怯ですよ、『ご主人様』」
「……ちっ」
どうにもこいつといるとペースが狂う。真正面から相手にしようとした俺が馬鹿だった。
煙草は漣に没収されたが、ライターはあった。ズボンのポケットをまさぐって、大井の口に加えられたブツに火をつけてやる。
「……待機時間が長いんですよ、艦娘ってのは。参ります」
自分の煙草にも火をつけ、大きく息を吸う。煙をたっぷり肺に溜める。
「随分とやられたみたいですね」
「見ていたのか」
こいつは盗み聞きと出歯亀が得意だから、このタイミングでここにいるということは、つまりそういうことのはずだが。
なら助けろよとは口が裂けても言えやしない。矮小であるが、俺にも矜持というものがあるのだ。
「まぁ落ち込むことはありません。神通は薙刀だか空手だかの道場に通っていたとのことなので」
「お前が俺のことを教えたか」
「まさか!」
甚だ心外だ、という風に大井。どうやらそれはポーズではないらしい。
「漣はあなたのことを知らないようだったけれど、第三次徴兵までの面子は、大体知っていると思うわよ。前人未到の偉業だ、日本軍人の誉れだなんだ、あの時は騒がしかったから」
「……実際に戦ったのは俺じゃねぇ」
「そりゃそうだわ、あなたは艦娘ではないもの。でもね、寧ろそっちのほうが都合がよかったんじゃない? 戦いが艦娘だけのものになることを、決して快く思わない連中もいるでしょうし。
そう言う意味で、あなたは適任だったんでしょうね。『戦い』をそちらに取り戻すための言い訳としてね」
「龍驤や最上も、知っていて黙ってるのか」
だとすれば俺は稀代の道化だ。
「さぁ? 純粋に知らないってことは、ないと思うけれど。……まぁ、数年前のことだし、興味がないコは顔なんてとっくに忘れているでしょう?
――人相もだいぶ悪くなっているようだし、ふふ」
余計なお世話だった。大井はどこか楽しそうに、縁起の悪い俺の表情を論う。
「でも、謙遜するなというのはその通りだと思うわよ。あなたが成し遂げたのは、実際讃えられて然るべきことだと思うし、……艦娘の中にも、憧れているコはたくさんいたわ」
「はぁ?」
なにを言っているんだこいつは。一体どこからそんな話がでっちあがる。
艦娘の寄宿舎なんてのは、海の上に出る前も出てからも、男性一切立ち入り禁止の女の園。隔離された文化が奇妙に歪むのは今に始まったことではないが、大井の口から語られた事象は、俺の理解を容易く超えた。
「何度でも言ってやる。戦ったのは俺だけじゃねぇ。倒したのは俺じゃねぇ。事実を誇張されても煩わしいだけだ」
本当にあの行いが名誉なのだとすれば、なぜ、どうして、俺は。
いや、彼女は。
「どんな強大な敵でも、いずれ、いつか、打ち倒せるときが来る。そう信じられるには十分な出来事だったのよ、あなたがやったことは」
諦めなければ、きっと、必ず。大井が語ったのは理想であり、現実ではない。大抵の人間の夢への道中では、目的地のずっと前に諦めの境地が横たわっているものだ。
自らの行為をして自らが特別であると信じるには、俺は少し大人になりすぎていた。あるいは心が歪んでいた。諦めなければ俺はトラックに来ずに済んだろうか。今よりももっと幸せになっていたと?
「もう、その話はするんじゃあねぇ。その結果がこれじゃあ、誰もうかばれねぇだろう。違うか」
言及するのはやめにした。何を喋っても墓穴になりそうな予感がしたから。
「なにしに来た」
こいつと二度目の不毛な探り合いをするつもりはなかった。切り口鮮やかにさっさと済ませてしまうに限る。
「煙草を吸いに来たらあなたがいた、ではダメ?」
「病院を抜け出して、か?」
「もちろん。院内は完全禁煙ですから、たとえトラックだとしても」
「ならあとは勝手にしろ。漣たちを待たせてある」
「進捗を尋ねようと思いまして」
驚くべき変わり身の早さだった。大井は変わらぬ姿勢で大空へと紫煙を吐き出す。
「時間は有限なので。あんまりぼやぼやしていると、何もかもが手遅れになります」
それさえ盗み聞きしていたのか、とさえ思えるほどのどんぴしゃり。それくらいはやってのけそうな人間性だと感じるが、後ろめたさが漏れ出していないことを考えれば、お得意の頭脳労働なのだろう。
俺たちが間に合わなければ、大井の実妹である北上を探す約束、それも当然反故になる。大井自身で探しきることは能わず、俺の代わりの助力を得られる可能性はどこにもない。
こいつは北上の生存をどれだけ信じているのだろうか。願っているのは当然だとしても。
言葉遊びには違いなかった。ただ、願いが裏切られることが常の世であれど、期待はなるべくなら裏切りたくないものだ。
常識的に考えて、数か月前に海へと消えた人間が、今なお生きている可能性は絶望的だから。
そして、絶望的だからこそ、悔いが残らないようにしたいものじゃない? 大井は決してその口で紡ごうとはしないけれど、シニカルな笑みの向こう側に、俺はそんな意図を感じたのだった。
「当て所ねぇな。仲間は少ない、協力も得られない。どころか海へ出たら赤城に襲われる始末だ」
「陸の上でも神通に襲われて?」
襲われっぱなしじゃねぇか。
どいつもこいつも、血気に逸りやがって。
「とりあえず、いまは少しでも助力が欲しい。協力的なやつらの居場所、知っちゃいねぇか」
こちらを襲って来ないような。
「仲間の居場所はわかりませんが、敵の居場所ならわかります」
「はぁ?」
「狩場、というやつです。赤城の、神通の、どちらにも属さない、どちらにも属す、とりあえず4パターン。それを作ってきたので、うまく役立ててくださいというお話をしに来たわけですが。
あなたの秘書艦、さすがにあの練度じゃあ、どう転んだって死にますよ。こちらとしてもそれは困るんです。役立たずが三人集まったところで北上さんを探すことなど叶わないので」
病人の大井、新人の漣、そして海の上に立てない俺。
「最上も仲間になってくれた」
「へぇ、それは」
大井は意外そうな表情でこちらを見た。
「しょっぱなから当たりをひいた、と。中々運のいい。あのコはいいコです。素直で、仲間想いで、練度もそこそこ。偵察機も飛ばせますから、目として活躍してくれるでしょう」
「あぁ、随分と気持ちが楽になった」
楽観的な気持ちでやってきたわけでは勿論ない。しかし、実際の有様、そして艦娘たちの姿を見れば、どこまでいっても俺が部外者であることは明白だった。
手を取り合える艦娘が現地でできたことは僥倖と言って差し支えないだろう。癪であるが、大井、こいつもそのうちの一人のつもりだ。
「まぁ、ですが、それだけでは困るんですよ」
わかりきったことを、さも講釈のように大井は言う。
「最上が戦力として十分でない、とは言いません。どの口が、と反論されるのがオチでしょうし。ただ彼女一人で戦況ががらりと変わるわけではないのもまた事実。あなた方には、是が非でも戦艦、ないしは航空母艦を仲間にしてもらいたいのよね」
「大物狙いってわけか」
「雑魚なんていないわよ、うちの泊地には。馬鹿にしないでもらえるかしら」
「……すまん」
適材適所。戦闘力で駆逐艦が戦艦に及ばずとも、それだけがために駆逐艦の必要性がなくなるということは、決してない。
「わかればいいんです。戦艦や空母を動かすための燃料や弾丸も、結局は主として駆逐艦、あるいは潜水艦に調達してもらうことになりますから。兵站を疎かにする者に勝利の二文字は訪れません。
頭数は最重要ですし、艦種も様々揃えておいたほうが、万事に融通が利くでしょうね」
「霧島、扶桑、伊58、だったかな。最上から名前があがったのは」
「ですと、霧島あたりは協力的かと。あとは、うーん。微妙なラインですね。協力的かもしれませんが、協調性に欠けているというか」
それはお前のことではないのか?
顔に出てしまっていたかもしれない。大井がこちらを冷めた眼で見ていた。
「私は単に性格が悪いだけです。怠惰でも強欲でも傲慢でもありませんから」
いや、それもどうかと思うが……。
「どういうことだ?」
「どういうことも、そういうことですよ。七つの大罪、まさか知らないなんてことはないでしょう? 権化がいるの。我が泊地の誇るナチュラルボーン屑が」
大井はパジャマのポケットから携帯灰皿を取り出し、ちょうど一本吸いきったそれをしまいこんで、踵を返した。
「それでは、私は逃げますので」
は?
「おい、ちょ」
「狩場のデータ、海図と照合したものをあとで送りますので、隅から隅まで余すところなく目を通してください」
「大井ッ」
「必ず、ですよ」
「ちょっとちょっと、ちょぉーっとぉっ! 大井ッ、さっきから聞いてりゃあんた、人のことをボロクソに言い過ぎなんでちっ!」
―――――――――――――――――――
ここまで
突然の闖入者!
お前は誰だ、誰なんだーっ!?
待て、次回。
建屋の中から小走り気味に走ってきたその少女は、勢いもそのままに地を踏み切った。低い弾道で放物線を描き、そのまま大井に跳び蹴りを喰らわせる。
しかしすんでのところで大井は身を翻していた。大井の口元から、ちっ、とはっきりと舌打ちがこちらまで届く。遭いたくない相手と遭ってしまった、そんな表情。顰めた眉を隠す様子さえ見せない。
跳び蹴りを放ったのは……うん? なんだ、こいつは。
「なんだこいつは」
「はぁっ!? あんたまでそんなこと言うでちか! さもてーとくヅラしてるけどね、来てまだ数日のペーペーじゃん! それはこっちの台詞なんでちよ!」
桃色の髪の毛はショートボブ。流れる二筋の髪留め。白いセーラー服は撥水加工の光沢が見られるが、なぜか上だけしか身に着けていない。
かといって下が裸というわけでは当然なく……なんだ?
「なんだこいつは」
「だーかーらー!」
水着だった。濃紺の、普通の、といえばいいのか。俺は少なくともソレを説明する言葉を持っていない。競技用ではなく、学校指定の。そう、それに近しい。
しかも靴さえ履いていない。
ここは陸の上だぞ。
「大井! こいつが龍驤の言っていた、新しくきたてーとくでちか! このファッキン不躾なヤローが!? 勘弁してくだち、冗談じゃないでちよ!」
「……でちでちうるさいのよ、でち公。あなたのテンションに付き合ってられる程、私は体力が有り余ってないの。脳筋ではないの。わかる?」
「うっせーばか! 知識で海が泳げるわけねーでち!」
俺そっちのけで二人は言い争いをしていた。言い争いというか……不快感をあらわにする大井と、烈火の如き勢いで喰ってかかる水着、といったふうだ。
割って入るべきなのかどうなのか、一瞬だけ躊躇する。矛先がこちらに向いたら厄介だ。一方的に知られている状況はやりにくい。話を漏れ聞く限りでは、やはりこの水着もまた、艦娘であるようなのだが。
「提督」
「ん、なんだ」
「先ほどの話、努々忘れぬよう、よろしくお願いします」
「あぁ。狩場と海図の照合データ、な」
「隅から隅まで余すとこなく、十全に役立ててください、です」
「目論見はわかんないけど、赤城と神通の邪魔だけはすんじゃねーでち。あの二人が戦いたいって言ってるなら、おとなしく戦わせとけばいいのに、首突っ込む真似は野暮でちよ」
不貞腐れ顔だった。その辺の椅子に腰かけて、頬杖をついて、ぶすっくれている。
こいつが俺と大井の話をどこまで聞いていたかは不明だ。予め龍驤から、俺が新しくやってきた提督であることは知らされていたようではあるが、俺の目的や立場を全て知ってくれていると考えるのは流石に都合が良すぎる。
「あなた、『野暮』なんて言葉をよく知っていたわね」
「おーおーいー? 艦娘から喧嘩の小売りに商売変えたでちかぁ?」
「大井、さっさと病院に戻れ。なんでいがみ合ってんだ、馬鹿かお前ら」
「へへーん、ほーら、てーとくもこう言ってくださるでち! 病弱はさっさと建物ン中に戻るでーち!」
おい馬鹿。
「もとよりそのつもりよ。それじゃあ、提督。ついでに58も」
「その減らず口がいつまで叩けるか見ものでちっ」
付き合ってられないとでも言うように、大井は手をひらひらさせて、その場を後にした。煙草を吸いに来たというのは事実なのだろうが、まさか二言三言の会話で済むのは意外だ。もう少し込み入った意図があると思っていたのだが。
いや、あいつの意図は一旦置いておこう。件のデータ、それを見てからでも遅くはない。
と、唐突に通信承認が入った。対外秘匿通信。視界の隅に小窓が映り、表示されたいくつかの数字の羅列、識別番号は……主番がトラック泊地、枝番が001。
目の前の水着の少女に気取られないよう、出る。
『あ、もしもし。大井よ』
大井だった。001……まさか語呂合わせではないだろうが、奇妙な偶然もある。
「で、てーとく、あんたとは話したいことが山ほどあるでちよ。返事次第によっては、力を貸してあげなくもないかなって」
『さっきのは伊58。ゴーヤと呼称されてるわ。艦種は、潜水艦。
別に仲間にしたいってのなら、止める権利は私にはないけど、存分にろくでもない人間なので、徴用するならそれは覚悟の上でお願いするわ』
「あたしは伊号の58。まぁゴーヤでいいでち、みんなそう呼んでるし」
同時に喋るな。俺の頭はそう言う風にはできていない。
『仲悪いのか』
『別に? 私が文化系、あっちが体育会系。論理が違うのよ』
いまいち同意しづらい内容だった。
まぁ、だが、確かに、一連のやり取りを見聞きしている限りではそのようである。
大井の思慮深さと慎重さを陰気と受け取る人間もいるだろうし、58の自信と直情を傲慢と受け取る人間もいるだろう。
「てーとく? 聞いてる?」
「あ、あぁ、悪い」
「ぼーっとしちゃってさぁ。そんなんじゃ困るんでちよ」
「お前、話をどこまで聞いてた?」
「大体、でちよ。神通とのやりとりもそうだし、大井とのもそうだし。あたしは新聞読まないからよくわかんなかったけど。
……てか、赤城のも見てたでち」
『多分潜水艦の生き残りはゴーヤだけよ。一応練度は泊地で三番目だから、戦闘力に関しての保証はするわ』
「は?」
待て、大井もそうだが、58も、同時に言うんじゃあねぇ。
頭の処理が追いつかない。
58は赤城との一件を見ていた、という。それは今朝のできごとだ。現在時刻は十五時を回っている。58はここにいて、大井とのやりとりも、その前の神通とのいざこざも、全て目撃している。
……目撃? その言葉が本当に正しいのか、疑問であった。図らずとも見てしまったのならそうだろうが、しかし、そうではないのだとしたら?
誰かに尾行されている気がしたのは、やはり勘違いではなかったようだ。
いつの間にか大井との通信は途切れていた。58と俺を慮っての通信、だったのだろうか。よくわからない。
それよりもまずは58に集中すべきだった。すべきである、と俺の感覚が告げている。狙いのわからない相手とのやりとりに、精彩を欠くわけにはいかなかった。
「偶然ってわけでは、なさそうだな」
極力脅しに聞こえない声音を作って、そう詰めてみる。
「ん、まぁね」
58は俺の目の前に立ちはすれど、手を後ろに組んで、視線を逸らす。踏ん切りがつかないのかもじもじしている。大井を前にしていた時とはえらい差だ。
俺から切り出した方がいいのか、それとも彼女が自発的に話してくれるのを待つべきなのか、結論すら出ずに時間だけが流れていく。58は困ったような顔をしているが、恐らく俺も似た表情のはずだ。
「ごーしゅじーんさまー!」
救世主か、はたまたその逆か。遠くからぶんぶん手を振って、漣がこちらへやってくるのが見えた。その後ろには当然最上もいて、しかし龍驤の姿はない。
58がびくりと震えた。漣に、というよりは、最上の存在に対して驚いたのだろう。
最上の口ぶりでは、あいつは58に出会ったことがある様子だった。そしてその邂逅が決して幸運ではなかったことも、俺は少なからず理解している。詳細はわからない。ただ、トラックの過去と現在を考えれば、不幸なニアミスはいくらでもあると思った。
龍驤もそうだったに違いない。俺たちは遅れてきたから、時間が瘡蓋にしてくれた傷が、彼女の時よりも少しだけ多い。たったその程度の、ゆえに決定的な、状況の差異がそこにある。
最上もやや遅れて58に気が付いたようだった。気まずそうな表情で、明らかに歩幅が狭くなっている。
事情など露知らぬ漣は、反対に大股で、元気いっぱいという様子だった。赤城に襲われ、ほうほうの体だったのが今朝のこととは思えない。高速修復材の場所を教えてもらったという話だから、そのせいもあるのかもしれない。
「あれ、誰ですか、この人」
「伊58。潜水艦だそうだ」
「あぁ、どうりで。……もしかして、仲間になってくれると?」
期待を込めた瞳で58をじっと見る漣。58は漣と視線を合わせ、なぜか助けを求めるように俺を見て、最後に最上を見た。
「……ゴーヤ」
「そっか、最上は戦うんでちね。偉いなぁ。偉いよ」
58が駆け出す。逃げ出す、と表現しても、きっと間違いはないのだろう。
「ばっかみたい」
潮風に乗って吐き捨てるようにそんな言葉が聞こえた。漣にも聞こえたようで、面喰った顔をしている。
「……」
最上にも聞こえたようで、ばつが悪そうに、取り繕うように笑った。
「あはは、嫌われちゃってるみたいだね。ごめんね」
「まぁた気難し屋ですか」
「漣」
窘めるように名を呼ぶと、漣はしおらしく肩を落とした。
誰が望んでああいう風に――龍驤や、赤城や、神通のように――なるものか。その責任も、悪名も、彼女たち自身に背負わせるのはお門違いだ。
俺たちは既に境遇を知ってしまっている。知らない人間がとやかく言うのでさえ不快極まりないというのに、俺たちがそうするのは、まるで配慮に欠けている。
とはいえ前線で傷を負い火花を散らすのは漣である。彼女の不満や不安も、俺は理解しなければならない。どちらか片一方ということでなく。
「龍驤から話は聞いてきたか?」
「そうですね、好きに使っていいとは言ってくれました。資材も……もう必要とする人間は、殆どいないから、と。
まぁ、漣は駆逐艦なんで、燃費はすこぶるいいから」
「将来的には入用になるだろうし、備蓄に越したこたぁねぇよ」
「ですねっ。三か月だなんて、漣、言わせませんよ!」
そうだった。それはさしあたりの問題ではないにせよ、いつか解決しなくてはならない、捨て置けない問題だ。
「とりあえず漣的な用事は済んだかなーって感じなので、あとはご主人様次第ですよ。最上さんも、あの、多分いろいろあったとは思うんですけど。おーあーるぜっと、みたいなのは、漣はやっぱりよくないかなって」
「なんだ、そのおーある? ぜっと、ってのは」
「英語ですよ」
と言って漣は空中にアルファベットの小文字を描く。orzか。英語じゃねぇし、使い方があっているのかもてんでわからん。
「うーん、困ったな」
最上は笑った。正真正銘困ったように。
「死にたくないんだってさ。戦いたくないんだってさ。無駄なことは、したくないんだってさ」
顔をぷいと背けて歩き出す最上。目指す先は家だろう。どんな顔をしているのか想像もできないが……見られたくないから、前を歩いているのだ。それを想像するのはデリカシーが足りない。
デリカシー、ね。縁のない言葉だとずっと思っていたが。
「なるほど、怠惰か」
七つの大罪。その意味するところ。
漣の小さな手のひらが、俺の左手を握った。外気に晒されてなお、体温は漣の方が高い。
くいくいと引っ張られる。行きますよ、と示していた。
俺たちは最上のあとを辿り、そのまま帰路へとついたのだった。
――――――――――――――――――
ここまで。
存外ペースが速い。キャラに愛着が湧いたからかな。
58と凸森が被る。怖い。
あと、>>203で紫綬褒章と出ていますが、誤りです。
紅綬褒賞に読み替えてください。
待て、次回。
トラックは熱帯夜であることが多い。高温多湿の熱帯で、そこの夜なのだから、熱帯夜なのは当然かもしれなかったが、まぁとにかく。
深夜であった。もともと少ない街の灯りはさらに数を減らし、一つ二つ、数えられるほどだ。さらに遠くを見れば小さな光点が中空に浮いているのがわかる。星とは違う瞬き。恐らくあれは漁火だろう。
こんな遅くまで漁に出ている船があるのだ。いや、もしかしたらあれは艦娘の灯かもしれない。護衛か、哨戒か。戦闘ではないだろう。方角的に、あそこは深海棲艦の出没が稀な海域だから。
俺はピンチアウトで海図を拡大した。大井からもらったそれと、この数日間ずっと格闘していたのだ。
海図自体は読み慣れている。大井は専門ではないから、記述についてまるで要領を得ない部分があったのも確かだが、最終的には読解できた。一人でこれを完成させたとすると、大井が自らを指して頭脳は貸せると言ったのも、あながち大風呂敷を広げたわけではなさそうだ。
海図上に書き込まれた四つの象限。赤城、神通、共有、独立。厳密な境界があいつらの間で定められているとは思えなかったが、ゼロからの手探りを考えれば助かるどころの話ではない。
そして、俺の目下の問題は、この海図をどう活用するかだった。
大井は言った。隅から隅まで利用しろと。
表向きの用件は漣の練度をあげろということだったが、果たしてそれが全てではないことを、短い付き合いながらも理解するに至っていた。
手付かずの海域を哨戒し、イ級を初めとする小物を倒し、経験値を稼ぐ。漣に現在できる精一杯がそれだ。
それはいいとして、俺は俺で、やはり何らかの動きを起こさなければ、それこそたんなるお飾りになってしまう。すげ変わっても一顧だにされない木偶の坊に。
それは何としてでも避けたかった。矜持の問題ではない。尊厳の問題でもない。俺の存在意義を表明しなければ、トラックの艦娘は誰一人として俺について来やしないだろう。
だからきっと大井は言外にこう言っていたのだ。「赤城と神通に接触を図りなさい」と。そこまで命令的ではないせよ、赤城と神通を仲間に引き入れないことには、トラックの再興も、北上の探索も成立しないと理解している。
「まぁだ起きてんですかぁ? 乙カレー様です」
扉をノックもせずに漣が俺の部屋へと入ってくる。淡い青のパジャマにナイトキャップをかぶり、手には兎のぬいぐるみ。随分と少女趣味だったが、実際に少女なのだから不思議はない。
「お前こそまだ起きてたのか。子供は寝る時間だぞ」
「あっ、子ども扱いして! もう漣は中学二年、立派な大人ですよ」
「ちんちくりんが何言ってんだ」
「それはご主人様が漣の『ぷろぽーしょん』を注視していたという申告ですか?」
ふふふ、と笑って背後から首へ腕を回してくる漣。小柄な体は随分と軽い。このままでも難なく立ててしまいそうだった。
なので、とりあえず立ってみることにする。
「ぎゃー! 脚が! とど、届かなっ、ちょっと!
……あっぶなぁ」
十センチ浮いたくらいで何を言ってんだ。地面からの距離で言えば、海に浮いている方が、ずっと高くを浮いているというのに。
「漣はこれからぼんきゅっぼんの、魅力あふれる女性になる予定が控えてるんです。あとで後悔しても知りませんからね」
「その頃俺は四十近くのおっさんだわな」
「その時まで一緒にいれたらいいですけどねぇ」
「いいかぁ?」
思わず言ってしまった。漣はその返事が大層お気に召さなかったように見えて、思春期の女子にあるまじきしかめっ面をしている。
「……ご主人様は漣のことが、その、お嫌いですか」
その口調が余りにも深刻に聞こえてしまったので、俺も慌てて背筋を伸ばした。これだから子供はやりづらい。言葉がぶっきらぼうなのは悪癖だとわかっているのだけれど。
「嫌いじゃねぇよ。お前はよくやってくれてると思うし、こんなところで味方はお前っきりなんだ」
「でも、最上さんも大井さんもいます」
「そりゃそうだが、そういうことじゃねぇだろう。どこまでいってもあいつらはトラックの艦娘で、お前は……お前だけが、俺の部下なわけだ」
「……うん」
「龍驤がこの間言ってたろ、遅かれ早かれ新しい提督が来る。その時俺がどうなるかはわからんが、まぁいいようにはならんだろうな」
「いいように?」
「配置転換ってんならまだ不幸中の幸いだ。現実的なラインは、事務仕事に回されるとか、倉庫番とか、まぁそんなところか。少なくとも人目につくところには就けねぇだろうが」
「なんで?」
「なんで、って」
あぁそうか。こいつは俺のことを知らないのだ。
ようやく気が付いたその事実に、俺はなぜだか心底ほっとした。こいつが見ている俺は、正しく俺なのだ。
鬼殺しとしての俺ではなく。
人殺しとしての俺でもなく。
ただそれだけのことが、どんなにか嬉しいものか!
上がる口角を必死に抑えて続けた。
「とにかく、代わりが来た後に、じゃあお前の処遇はどうなるんだっつー話よ。お前の行く先はお前じゃ決められない。理不尽かもしれないけどな、軍人のみならず、公僕ってのはそういうもんだ」
いや、生きるということそのものが、そういうことなのだ。
「ご主人様といられるわけではないと?」
「引き続き艦娘を指揮できる立場に就けるとは思えんなぁ。サンドバッグ役くらいになら、なれるかもしれん」
「よくわかんないですけど、うーん、それはやっぱり嫌ですね。漣はご主人様がいいです。一期一会だと思いますから、世の中ってのは。人生ってのは」
「おいおい、十四、五のガキが人生を語るかよ」
「だったらご主人様だって三十くらいしか生きてないくせに」
そりゃまぁそうだが。
「だから、なるべく頑張ります。可能な限り尽力します。とりあえず敵をぼっこぼこにして、一杯経験値を手に入れればいいんですよね?」
「そうなるな。経験を積めば、神様の憑依も深まる。艤装もスムーズに動かせるし、攻撃の効果も高まる、らしい」
本当かどうかはわからない。俺に理解の及ばない、高度な統計的情報処理を経て、そういう結論が導き出されるという噂は聞いた。そこまでだ。
とはいえ使えば使うほどに馴染むというのはしっくりくる考え方だった。例えそれが八百万の神だったとしても。
「練度、ねぇ」
漣は空中をスワイプして自分のステイタス画面を呼び出している。
「ゲーム感覚じゃないですか」
「理屈は軍の学校で習ったろう」
「……多分」
あんまり覚えてないです、と漣。
「kwsk」
そう言われても、俺も精通しているというわけではないのだが。
「艦娘の登用も増えて、階級を逐一割り振るなんてかったるい、とさ。昨日やってきたばかりの戦艦と、設立当初からいる駆逐艦、どっちが偉い? お前は伍長だ曹長だ、一週間したら軍曹だ? やってられるかよ。
それでも上意下達は軍隊には必須だ。練度の高い者を優先する仕組み自体は、俺は間違っちゃいないと思うが」
「やっぱり経験が、ってこと?」
「あと武勲だな。だから旗艦とMVPが加算されるような式になってるんだと思うぞ」
練度は無論給金にも深くかかわってくるし、改、あるいは改二への換装も含めて、よりよい環境が与えられる。モチベーションの維持は重要だ。
現在の漣は改にさえ遠い。一人だけの出撃ならば自然と旗艦ボーナス、MVPボーナスは手に入る理屈になるが、それでも一週間はかかるかもしれない。最近は最上も伴うことが多くなったから、きっとさらに。
「……頑張る」
そうしてくれ。
「明日も朝から哨戒と掃海作戦なんですよねっ、じゃあ漣、本当にそろそろ寝ます!」
形だけの敬礼をして、ばいびー、と古臭い言葉とともに漣は俺の部屋を去った。どうせ隣の部屋だ、ぽつねんと残されても思うところは何もない。
漣の練度を十分にあげないまま、赤城や神通に掛け合うのは気が退けた。どうやら自分でも知らないうちに、俺は随分と臆病になってしまったようだ。いたいけな少女を痛めつけるリスクをなるべくとらないようにしてしまっている。
しかし、赤城と神通が鍵であることに半ば確信を抱いていた。戦力的にも、それ以外の面でも。
将を射んと欲すればまず馬を射よという言葉もある。赤城と神通を仲間にしなければならない、という考え自体が性急なのか。だとすれば、次に打つ手は、すべき行動は、一体どこに正解が?
結論は出ない。
もし仮に、先に馬を射るのが正しくあるのなら、まずは二人にとってのそれが誰で何なのかを知る必要があった。俺に残された時間はあまり多くない。赤城と神通が重要人物だとしても、二人に時間をかけすぎるのは、
……。
あまりにも下種な思考に吐き気がした。自らがくそやろうだと認めるのは、非常にきつい。
違う。違うのだ。俺がすべきは、一人一人について真摯に向き合うことだ。その結果時間が足りなかっただとか、そもそもうまくいかなかっただとかは、今ここで考えるべきことじゃあない。
考えていいことじゃあない。
いくら保険をかけることが重要だからといっても、時間内に終わらせられないようだから、こいつはパスして次の誰かを――そんな判断は認められない。認めていいはずがない。
だって、指示したのは俺なのだから。
右手の指を見た。何の変哲もない、五本の指。普段と違いなどありゃしないのに、五本それぞれの先端が、じんわりと熱く感じた。あの時比叡と触れあった先端が。
熱がゆっくりと手のひらへ降りてくる錯覚。骨まで浸み込んで、そのうち体中を犯し尽くすのではないかというありもしない恐怖に、俺は思わず椅子から立ち上がる。
部屋の扉を開けると生ぬるい、湿度の高い空気が押し入ってきた。不快感に抗いながらサンダルをつっかけて外へと踏み出す。
闇がそこにはあった。足元の感触を確かめ、砂利を往く。
漁火はまだ消えていない。
それとも、やはりあれは漁火などではなく、セントエルモの灯なのかもしれなかった。
「……?」
灯はもう一つあった。少し離れた先の岩場に、小さな灯りが転がっている。
ランタンだ。当然そばには持ち主がいた。夜だのに麦藁帽を被って、釣り糸を垂らしている姿が、灯りによって夜の闇の中に浮かび上がっている。
「最上」
俺が声をかけると、一瞬最上はびくりと体を震わせた。まさかこんな時間に出会うとは、お互い思っていなかったようだ。
「提督か、なんだ驚かせないでよ」
「そんなつもりはなかった。夜釣りか。何が釣れるんだ?」
聞いたところでわかるとも思えなかったが。
だが、最上はゆるゆると首を振った。
「真似事だよ。……眠れなくてね、なにもしないでベッドで横になってるのも、なんだかなと思って」
「そうか……」
気の利いた言葉を返せるほど、こんな場数は踏んでいない。隣に座ることすらできず、ぼおっと釣り糸の先、墨汁のように暗い海面を眺めていた。ともすれば吸い込まれそうになるほど、底知れない佇まい。
深淵を見る時、深淵もまたお前を見ているのだとは、誰の言葉だったか。そもそも言葉ではなく、文章の一節だったような気もする。
「……58か」
「も、かな」
だけではなく。58も。
俺はまた「そうか」と返した。どこまで最上に踏み込んでいいものか、判断がつかないのだった。
無言に耐え兼ねて視線を上へとずらす。海と空の境界線は曖昧だ。月光に照らされて、ほんのわずかに水平線の輪郭が白い線となっているのが、わかるような……どうだ? 目を細めれば、なんとか。
そのとき、海上を揺蕩っていた灯りが、ふっと消失した。漁が終わったのだろうか。あるいは、もしあれが本当にセントエルモの灯なのだとすれば、加護がなくなったことを意味するように思えた。
とん、とん、とん。
「最上?」
「え、なに?」
いや、これは、違う。最上ではない。
というよりも、俺の耳に直接届いているわけでは、ない?
つー、つー、つー。
「……お前には、聞こえるか?」
「聞こえる、って……あれ、え? これ?」
とん、とん、とん。
「最上!」
これは! まさか!
「龍驤!」
寸分の狂いもなく同時、最上も叫ぶ。
「メーデーか!?」
「救難信号だ!」
すかさず最上はピンチ・アウト。バーチャル・ウィンドウを展開させ、艦娘のリストから龍驤を選択する。先ほどの叫びで既に彼女と通信は確立していたようで、応ずる龍驤の返事も早い。
『わかっとる! こっちも受信した!』
「龍驤! 俺も一緒だ! 今から最上を現地に向かわせる、通信を共有にして、俺にも寄越せ!」
『なんや夜の逢瀬かいな!』
くだらない冗談に返している余裕はなかった。俺も龍驤も最上も、咄嗟のメーデーに混乱しているのが現状だ。
「最上、悪いがっ」
「わかってるさ、ぜんっぜん、悪くない!」
地面を踏み切って最上は跳んだ。そこそこの高さなどものともせずに着水、勢いをそのままに夜の海を切り裂いて走る。
『ほい、やったよ!』
『……デー! メーデー! こちらは扶桑! 日本海軍トラック泊地、遊撃特務作戦群、「艦娘」所属! 繰り返す、こちら扶桑!』
『扶桑! うちや、龍驤や! オーバー!?』
『オーバー! 龍驤、あぁよかった、本当に……!』
『追跡信号辿る! 最上をそっちに向かわせた! 何があった!?』
『あぁ、本当に、よかった……幸運、だわ……』
『扶桑! 答えぇや!』
『不幸中の、幸い……』
断絶。
『扶桑ッ!?』
通信途絶。ぶちりと引きちぎられた電波からは、悪い予感しか想起しない。
体は勝手に動いていた。共有通信に追加、リストから選び出す漣の名前。
「漣ィッ!」
『ん、んにゃっ!? なんですか、ご主人様!』
「悪ィが起きろ! 不測の事態だ、艤装を伴って信号消失地点まで全速力! ことは一刻を争う、猶予はねぇ!」
『な、なにが――』
回線越しに、ばちんと何かを張る音が聞こえた。……恐らく、頬。気付けの一発。
小躍りするほどの歓喜。漣は、あいつはわかっている。理由など二の次三の次で、「今」動かなければならない時があることを。
『――了解しました! 駆逐艦漣、向かいます!」
「龍驤、お前は泊地にいるのか!?」
『おらんよ! どうして!?』
「こ」
『高速修復材なら夕張と鳳翔さんに持ってきてもらう算段はついた! ウチはいま、そっち向かってる! けど、くそ、陸はあかんな、ちょっちかかるよ! それまで大事なければええんやけどっ!』
「消失点まではどれくらいだ、最上ッ」
『もーちょい! 2海里も離れてない!』
俺は視覚の共有申請を最上へ――即座に承認。海の暗さと空の暗さが印象的な中を、ぐんぐん進んでいく最上の視界がウインドウに表示される。
並行して漣、最上の生体情報。装備、耐久、ステイタスも表示させた。途端に俺の目の前はバーチャルウインドウで埋め尽くされたが、拡大と縮小で最適化を図り、少しでも脳内で整理しやすく並び替える。
血を流すのも、苦しむのも、艦娘に任せきりだ。提督業がそういうものだと理解してなお、気分が悪いことこの上ない。ならば俺にできることは、眼を背けず、目を逸らさないことだけ。
『龍驤、提督、もうすぐつくよ!』
青白い光が見えた。
橙色の光が見えた。
それらは互いに絡み合い、螺旋を描いて、海上をいったりきたり、浮遊している。
『あれは……?』
最上の戸惑いの声。しかし俺はそれすらも出なかった。驚愕に喉が引き攣って、一瞬で口の中が乾燥し、声がうまく出せないのだ。
俺はそいつを知っていた。
髑髏にも似た巨大な頭部、杖のようなインタフェース、そしてその周囲を旋回する球状の悪鬼。
『空母ヲ級だ。提督、見えてる?』
通信が入るが、返事ができない。
『でも、あれ……?』
そうだ、おかしいじゃないか。
今は夜だ。
空母が夜戦に参加できる道理はない。今までそんな個体は確認されていない。
公式には。
深海棲艦はたとえ同種であっても、個体差が存在する場合がある。やつらがどうやって生まれ、死したのちにどうなるのか、海軍は依然として詳細を把握していない。ただ、赤い気炎や黄色い気炎を纏った、上位種の存在は、かねてより知られていた。
種別エリート。種別フラッグシップ。名づけられたそれらの上位種の、さらに上。
一度だけしか見たことのない、二度と見たくもない、青い気炎。
俺はそれを、改フラッグシップと理解していた。
「そのヲ級は夜戦もできる。お前は夜戦は」
『苦手じゃないよ。だけど、一人だと、どうかな。こいつを潰してる間に……扶桑の行方が分からなくなるのは困る』
最上とは視覚を共有しているため、見ている景色は同一だ。少なくとも今見えている映像の中には、扶桑と思しき影は見当たらなかった。
ヲ級は最上へと真っ直ぐに意識を向けているようだが、周囲に展開した悪鬼を飛翔させる様子は、今のところは見られなかった。燃料が切れているのか、それとも間合いを計っているのか、わからない。何らかの目的のためにあえてそうしている可能性もある。
「今、漣が向かってる。龍驤も、遅れてくる。夕張と鳳翔さんは高速修復材を持って」
「わかった。それまで任さ」
閃光が世界に満ちた。海中から突如として生まれた光が、熱が、何より水柱が、最上を宙高く打ち上げたのだ。
敵襲! 二隻目!?
『ぐ、うっ』
痛みに悶える声が俺の胸を掻き毟る。
焦燥に吹き荒ぶ脳内の片隅で、しかしやけに冷静な自分が確かにいた。そいつは最上の声などおかまいなしで、どうやればこの窮状をなんとかできるか、目一杯に思索の手を広げている。
視界には依然として暗い夜の海と空と、そして黄色と青のたなびく気炎しか映っていない。だが、今の攻撃は確実に雷撃だった。雷撃。それが空母ヲ級のものではありえない以上、二隻目は確実に、どこかにいる。
潜水艦。あるいは、雷巡……いや、雷巡で開幕雷撃を行うほど索敵能力の高い個体はいまだ確認されていない。雷巡だとしたら新種になる。
空中で脅威のバランス感覚を発揮し、最上は無事に着水した。損傷は軽微。艤装にも異常は見られない。
ちりちりと服の端が焦げて赤熱している。頬に煤。手の甲から出血。咄嗟の回避が成功したのか、とりあえずはその程度で済んだようだった。
「うご、ぅえ、ぐる、ぁ」
獣のような方向と吐息が、緊張感を伴って伝わってくる。
「……増援確認」
戦いは避けられないと察したのか、俺が指示を出すよりも早く、最上は瑞雲を展開。砲も全門構え、背後にうっすらと、だがしっかりと、嘗て沈んだ艦船の存在感。
「……なんだ、ありゃ」
現実感など喪失して久しいと思っていた。深海棲艦なんて化け物が姿を現した時に半分、比叡が沈んでからの事後処理で半分、俺は地面に足をつけずに生きてきたと言っても過言ではない。
だが、ここにまだ、直面している光景を疑いたくなるだなんて。
『ボクに聞かないでよ』
最上も笑っている。苦笑だ。信じられないというよりは、彼我の戦力差に、笑う以外の決着をつけさせられないのかもしれない。
『……新型だよ』
それは見るからに人間であった。
パーカー? レインコート? ともかく、フードを被った、水着の女のように見えた。
―――――――――――――――――
ここまで
あぁ俺も漣といちゃいちゃしたい。
つぎから戦闘シーン入るかな?
待て、次回。
タイトルにギャルゲーを冠している以上、いちゃいちゃはさせる心づもりですが
まずはストーリーラインをある程度消化しないと、1スレで終わらなくなるんですよねぇ……
三篇連続で甘い感じのお話を書いたのもあって、いまは満腹感もあり
気長にお待ちくだされば幸いです
「うぐ、え、がぅる、ぶぁがばばばばっ!」
「きひっ!」
尾が叫び、呼応して人型も叫んだ。
不可視の衝撃が――否、眼には捉えられない速度の砲撃が、強か波を撃つ。波濤は砕け、水柱を立て、閃光と熱風が暗夜を一瞬煌々と照らす。
その新型の深海棲艦はどこからどう見ても完全なる人型をしていた。唯一異なるのは、脚先が奇締目のようになっていること。そして衣服の後ろから太く凶暴な尾のようなものがまろび出て、醜悪で奇怪な叫び声を発していることだけ。
だけ? 冗談じゃない。
俺は頬を張った。漣がそうしていたように。
データベースにアクセス、最上の視覚情報を援用し、敵の同定を試みる。……0件。候補は見つかりません、条件を変えて再検索をしてください。
深海棲艦は基本的に化け物のような姿をしている。イ級などそれが顕著で、機械の硬質な要素と生体の脈動する部分が謎の融合を遂げているように、油と血の区別が不明瞭なのがやつらだった。
そして、より高位になればなるほど、深海棲艦の「肉」の部分は割合を増していく。たとえばル級。たとえばツ級。たとえば、目の前に佇むヲ級。俺は絶対にその事実に対して「人」の割合が増していくとは考えたくなかった。
極地が種別・鬼。二本の脚を持ち、二本の腕を持ち、口と舌と牙から成る艤装を携え、まるで艦娘然とした存在。
人型に近ければ近いほど、その戦闘力、脅威の度合いが増していくという予測を立てることはとても容易かった。事実として海軍の行動規範には、撃滅の優先順位として人型を狙うべし、となっているのである。
種別・鬼からは逃走を図れ、とも。
最上の目の前にいるそいつは、信じたくないことであったが、やはり新種の個体に違いない。さらに、鬼とも見間違うほどの形態。雷撃、砲撃、果てには艦載機までも展開し、枯渇を知らない殺意を持って、今なお最上に襲いかかっている。
種別が鬼クラスに分類されるかどうかは海軍の稟議を経て決定される。だが、対峙している俺たちにとっては、そんな書類上の区分は問題ではなかった。
唯一の問題は、敵の戦闘力が段違いであるという点。それだけであり、それが全て。
尾の口の中に砲が見える。光が収斂し、放出。暗夜と空気と海面を切り裂き、高圧と高熱で触れた全てを蒸発させた。
瑞雲が音も立てずに数機、消失。タイミングを同期させて意識の虚を衝かんとする雷撃は、最上が踊るように回避したが、合わせて飛んでくる爆撃機を避ける術はない。吹き飛ばされるも波を掴んで体を起こす。
空高く敵影が舞った。巨大な尾を叩きつける一撃。防御を放り投げた動きはまさに本能的で、最上はその隙を逃さない。ありったけの力を籠めて砲弾を二発、敵へと撃ちこんだ。
「ぐる、ぅ、ぎぃ、ぎゃっ!」
単純な質量は、単純が故に対処法が少ない。敵を大きく引きはがすが、すぐさま海を蹴って切迫、砲弾と尾による狭叉射撃が最上を襲う。
『照明弾! いっくよー!』
『最上ッ、伏せぇっ!』
飛来した何かが空中で弾けた。と同時に、あたり一面が、まるで昼間のように明るく照らされる。暗闇に慣れた視界では、全てが真っ白に塗り潰されんばかりに。
投下された爆弾が敵の表面で激しく爆ぜる。十や二十ではとてもきかない物量に、敵も負けじと砲撃で応ずるが、闇と硝煙の中では思うように狙いが定まらない。
轟音と共に最上の放った砲撃が圧倒。尾ごと人型を吹き飛ばし、二回海面をバウンドさせ、波濤に勢いよく頭から突っ込ませる。
『待たせたな! 状況はどないや! ってか、なんやあれは!』
『龍驤! 夕張に、鳳翔さんも!』
照明弾に照らされる中を全速力、現れたのは何とも頼りがいのある三人。
臙脂色の上着とツインテールが風に靡く中、龍驤は巻物を模した艤装を再展開。周囲に梵字と九字を混ぜ込んだような陣が現れ、式神が通るごとに艦爆、ないしは艦攻へとその姿を変える。
夕張は機銃を主として敵艦載機への警戒。二門の砲塔と、肩から腰までには魚雷管を山ほどぶら下げていた。
鳳翔さんの獲物は弓と矢だ。いつか見た、赤城のそれと酷似している。彼女は既に弓を持ち、構えることはしないまでも、いつでも筈に矢をかける準備は万端整っているようだった。
「ヲ級のほうは改フラッグシップだ、夜戦対応型、気をつけろ」
『改フラッグシップ、ですか?』
通信に介入。鳳翔さんの声。
『聞いたことありませんね。種別フラッグシップまででは?』
「そのさらに上位個体がいる。
……もう一体のほうは、俺もわからん。データーベースに情報はねぇ」
重々しい音を立てて、狂ったような唸りとともに、敵が立ち上がる。今にも跳びかからんという前傾姿勢。あわせて、ようやくヲ級も艦載機を展開しだした。
『鬼ってことはないよね。人型にだいぶ近いけど……新型、か』
夕張が探照灯を小脇に龍驤の傍へと立った。鳳翔さんも、恐らく高速修復材と思しき容器を持って。
『ちっ! おっさん、ウチはヲ級とやる。どのみち暗がりじゃ本気は出せんしな。余力がありゃ、あの尾っぽも相手するけど』
『私は扶桑さんを探したいと思います。信号消失地点はすぐです。……大破なら、まだ間に合います』
『なら、もがみんさんとあたしで、あの怪物と? あっちゃあ、きっついなぁ』
『漣もっ!』
超々高速で突っ込んできた桃色の影が、一直線に新型へと向かい、そしてそのまま突っ込んだ。
『いますよっ!』
いや、突っ込んだのではない。大きく水面を蹴ってのドロップキックだった。横っ面と首筋を的確にとらえ、おおよそ30ノットは出ていたであろう速度での蹴り、それは最早衝突と言っても過言ではない。
ごぐん、と思わず耳を覆いたくなる鈍い音。新型は大きく吹き飛び、張本人の漣も空中で数回転の後に落水。加護で溺れることさえないものの、その際の衝撃は地面にぶつかったときと似たようなもの、らしい。
『逃がしませんから!』
漣は倒れながらも砲を構えた。艦が啼く。吼える。本懐を遂げることがこれほどまでに嬉しいのだと、滂沱の涙を流している。
両の脚で波濤を捕まえ、耐衝撃姿勢、そのまま撃つ。
「げ、ごあ、ぎぃ、ろっ!」
「きひっ!」
しかし新型の対応も早い。巨大な意思を持つ尾、それがバランスを取る役割を果たしているようで、上半身が捩じ切れそうな体勢からも砲弾へと手を伸ばして軌道を逸らした。
『んなっ!?』
漣が叫ぶ。だが気持ちは他の者も同じだったろう。
新型の右腕はほぼ半壊になったが、それを一顧だにする様子は見えず、寧ろ痛みこそが快楽であるかのように笑った。至極満足そうに。
ごぎ、ごぎ、ごりりと首を唸らせ、百八十度回転。その視線の先には漣がいる。
漣へと跳ぶ。狙いを定めた――それとも、遊んでくれる相手だとでも、思ったのか。
『さ、せぇえええっ!』
慌てて最上が割って入った。大ぶりな尾のスイングを体捌きで回避し、胴体へと組みつく。
『るかぁあああああっ!』
投擲。踵を中心にして、遠心力を利用した。
夕張へと向かって。
既に彼女は砲を全門構えている。漣よりも、最上よりも、単純な数だけならば圧倒的な砲塔。どういう仕組みなのかビットが如く宙に浮いたものまで存在している。
遅れはとるまいとばかりに漣が吶喊をかけた。魚雷をちょうど十基顕現させ、巨大化とともに発射。さらにその後ろを全速力で追う。
『全弾ッ、叩き込んでやるんだからっ!』
『合わせますよぉ!』
砲弾を受け止めようとした襤褸の右腕、それを機銃の掃射が肉片まで薙ぎ払い、肘の先から断裂させた。防壁を失った新型の右肩へ砲弾が直撃、体液と僅かな火花を散らして大きくぐらつく。
ビットから放たれた弾丸が、浮いた新型を上から射抜く。だが、金属音とともに周囲へと散らばる数の方が多いように見えた。一体どれだけ頑丈な装甲をしているのか。
月を背負って最上が大きく駆ける。瑞雲を数機足場にして、そのままもう一度跳躍。軸を横に回転しながらの踵落としは寸分の狂いもなく新型の鼻っ柱を捉えた。
着水。そこを襲う漣の魚雷群。
轟音と共に巨大な炎が、水が、水蒸気が、新型を呑みこんだ。
「ぐ、ぎる、ぐげ、ご、じるる、ぐじゅはっ!」
「きひ、きひひひっ!」
月光の微かな光の中でも確かにわかる、その笑顔。
爆炎と水柱、そして濛々と立ち込める水蒸気の晴れた後に、その新型は殆ど無傷で立っていた。
唯一目立つ損壊と言えば、右腕の肘から先がないことだけだが……。
金属製の皮膚と細く残ったどす黒い筋線維、数本の神経を模したコードだけで繋がっている右腕を、新型は珍しそうに見て、掴んだ。
『ボクが真正面から行くから、二人は左右』
『わかった』
『わかりました』
焦燥感を含んだ声音で三人。
ぐちゅり。油なのか、それとも血液なのか、暗い中では判断がつかない。新型は断裂面を無造作に継ぎ当てると、皮膚を食い破って上腕から二の腕へ、うぞうぞと肉片のようなものがまとわりついていった。
固定。保護。修復。肉片が同化したのちには、健全な右腕へと戻っている。
『自己修復機能まであるのか……っ』
『こりゃ、俄然調べてみたくなるわね!』
『砲じゃだめですね、やっぱり魚雷、ありったけぶつけてみましょう!』
「……」
俺は何も指示を出すことができなかった。そんな暇さえなかったと言えば、それはある種の事実ではある。一秒かそれよりも短い単位の世界に生きている彼女たちに対し、俺が耳元でうるさく喋る必要は、どこにもない。
彼女たちの思うがままに任せて最高の結果が得られるのであれば、無論それが一番良いに決まっている。
だが、岡目八目という言葉もある。客観的に物事を見て初めてわかること、当事者では決して気づかないこともまたあるのだ。
この新型に、果たして勝利することはできるのだろうか。
共有された視界の中で、新型は依然として醜悪で奇怪な声を発しつつ、まるで子供が絵具をぶちまけたかのように、狙いも意図も何もない攻撃を続けていた。
航空機が機銃を放ち、魚雷を、爆弾を投下する。分断された三人の真ん中へと突っ込み、砲を乱射したかと思えばすり抜け様に全方向への魚雷。少しでも掠れば、装甲の薄い三人には致命傷と見えて、必然距離を詰め切れない。
砲は当たる。しかし新型の装甲は硬く、バランスを崩す助けにはなれど、効果があるようには見えなかった。すかさずに反撃を喰らい、最上は魚雷の炸裂に巻き込まれて吹き飛ぶ。それを助けに行った夕張も巨大な尾の一撃を回避しきれずに海面へと叩きつけられた。
何度目かわからない漣の吶喊。魚雷に応ずる敵の魚雷。それらは海中でかちあって、連鎖に次ぐ連鎖、からの大爆発を引き起こす。
塩水の驟雨が激しく降り注ぐ中、水滴に目を瞑ることなく、二者が激しくぶつかり合う。漣の砲弾は左肩と顔の一部を削ることに成功するが、それで敵が怯んだ様子をまるで見せないことが、なによりも恐ろしかった。
もう一発と構えた漣の右手首を新型が掴んだ。鋭い爪がそれだけで柔肌に食い込み、血が滲む。
新型の尾が大きく口を開けた。舌が砲塔になっていること以外、どこに繋がっているのかわからない虚空がただ広がっているばかり。
牙が唾液に濡れててらてらと艶めいている。
『なめんっ、なっ!』
口の中に魚雷を叩き込んだ。尾の下顎と上顎がもろとも吹き飛んで、彼我の距離も開く。
「ぐぅるぎえやごるがぁごぎがっ!」
「きひ、きひ、きひっ!」
自己修復。だが、修復が済むより先に、新型は漣へと向かって走り出した。
……狂っているとしか、思えなかった。
「龍驤! そっちは!」
『無茶言わんでや! このヲ級、さすがに頭おかしいで! 電探の、精度……くそ、防戦一方や!』
それでもあのヲ級をたった一人で食い止めているのだから、龍驤の働きは値千金どころの話ではない。普通のスケールから大きく上に外れている。
『もしもし! こちら鳳翔!』
全体への通信。今にも泣きだしそうな鳳翔さんの声。
『扶桑さんを発見! 状態は大破……まだ、なんとかなります!』
『よっしゃ! 鳳翔さんは泊地へ急旋回、即座に扶桑の回復を図ってくれ!』
『わかりました!』
いつでも退かせる用意はできていた。俺たちの目的は扶桑の保護であって、こいつらの討伐ではない。勝利条件を見失ってはならない。欲をかけば全てを失う。
そう思う反面、この敵たちを野放しにしておいていいものか、と極大な不安が胸を占拠するのもまた事実。こいつらが海を闊歩するというだけで、俺たちは夜も眠れなくなるだろう。
『夕張、漣、散開!』
『弾幕集中させないと!』
『ってか、どっちが本体ですか!? どっちを狙えば!? ヒトガタか、尻尾か!』
尾が強か漣を打ちつける。苦し紛れに魚雷を放つも、新型は装甲の頑丈さで以て無理やりに突破。夕張へ砲口を向けた。
最上の砲弾が敵の顔面を半壊させる。眼球がだらりと垂れさがり、脳漿と血の混じったどす黒い液体が、首元までべったりと染めた。
「きひ、きひひっ!」
それでも止まらない。
まさかその状態から即応してくるとは思わなかったのだろう。接近する新型に対し、最上はあまりにも反応が遅れた。それ故に懐へ入ることを許し、気づいた時にはもう、彼女の肩へと手がかかっていた。
お返しだと言わんばかりに新型は最上の顔面へと拳を振るった。大きく仰け反るが、肩を掴まれているために距離が開かない。そのまま二度、三度と殴打を受け続ける。
苦し紛れの反撃、砲を構えるが、発射よりも先に尾に備わった牙が最上の上腕へ食らいついていた。
『――ッ!』
声にならない声が最上の口から溢れ出す。聞いているこちらが耳を塞ぎたくなるような悲痛の声。
『吹き飛べっ!』
苦肉の策。夕張の放った魚雷の群れは、甚振ることに集中していた敵を、最上ごと吹き飛ばした。
『大丈夫!?』
『く、ぅ、つぅっ、……ま、なんとか、ね』
激痛に顔を歪める最上ではあるが、なんとか五体満足を保っていた。出血量は多いが、意識を失うほどでもないようだった。
俺は大きく深呼吸をする。これは、だめだ。そう思った。
ここでこの新型を倒せるならば倒すべきではある。だが、それにただの一人も犠牲を出すつもりはなかった。このまま戦いをつづけたとき、新型が沈んだ後の海に誰が立っているのか、俺には読み切れない。
「全員に通達。撤退だ」
『撤退!?』
真っ先に反応したのは漣だった。
『待ってくださいご主人様! 漣は、まだ、やれます!』
『ボクも、こいつをこのままにはしておけないよ』
『同意見。新型、なんでしょ。ならもうちょっとデータは取るべきじゃないかな』
夕張と最上もそれに同調する。
『ウチは戦いには賛成できん。が、こいつがこのまま逃がしてくれるとも思えん。泊地まで連れてくわけにも、な』
龍驤は中立。立場的には俺の気持ちを汲んでくれているのだろうが。
『俺は、お前らが沈む可能性があるような判断を、するわけにはいかねぇ』
『といいますか、手負いの皆様は退けてくれると助かるのですが』
ノイズ。通信への強制的な介入。
『あとは私が――私たちが、引き受けましょう』
―――――――――――――――――――
ここまで
何も考えず夜にしたせいで赤城を出せなくなったよ、なにやってんだ
まぁ彼女には別の見せ場を作ることとしましょう
待て、次回
『あぁ、いい夜風です。颯爽と吹いて……姉さんを思い出します』
ちゃぷん、ちゃぷん。極めて静かに、だが極めて素早く、神通は歩を進める。
『あぁ、いい月です。まるでスポットライトのようで……那珂さんを思い出します』
鉢金を巻いている。腰には魚雷が三連装。眼には光。口には決意。
『龍驤さん、提督殿、この場は私に預けていただいても?』
『好きにしぃ、どのみちウチはこいつで手いっぱいや』
「任せる。戦術論を、俺は大して知らん」
『ありがとうございます』
待っていられるかとばかりに新型が墳進。水を蹴り上げながら、最も近くにいた漣を襲う。
漣へと向けられる大口。その中に砲弾を撃ち込んで頬を半壊、けれど勢いは止まらない。すんでのところで回避、水面へと突き刺さる。
そこを支点にして新型が跳んだ。漣が応戦――砲弾は装甲の前に弾かれた。
『ちっ!』
『狙いがぶれてます。腰が落ち切っていない。重心を低くできていないから、反動に耐えきれないんです。一発目はきちんと撃てていても、連射するごとにずれていきます』
土壇場に至っても神通は目を見張るほど冷静で、神通と同期し通信を行う雪風と響にも、新型の異形を目にしたことによる動揺は見られない。
雪風が海面と新型の間に体をすべり込ませ、砲撃でかちあげた。効果は少ない……しかし至近距離からの攻撃により、大きく体勢が揺らいでいる。
尾を振り回し、無理やりにバランスの修正を試みる新型。しかしそこへ響の放った魚雷が炸裂、尾を半ばから大きく抉り取った。そして、ほぼ同じタイミングで、神通が新型へ接近している。
反撃は艦爆による目晦まし。だが神通は怯まない。何より躊躇がない。初めから決めていたその挙動を、例えどんな困難があっても貫き通す、一振りの刃のような鋭い意志。
リボンを焼け焦がしながら切迫した。尾の再生は間に合っていない。砲塔が四つ神通を狙うも、光が収斂するより先に神通が新型を蹴り飛ばしていた。
その先には雪風がいる。管からありったけの魚雷を顕現させて、神通から送り込まれたそいつへ、容赦のない雷撃をぶち込んだ。
「きひ、きひぃっ!」
左の頭部から頬にかけてがごっそりと抉れている。右の腰から肋骨までが損壊、肺腑がコードに絡まって垂れ下がり、海を油で汚す。
左足の膝からしたは消失し、再生途中の尾で補っていた。
「きひひ、きひ、ぎ、ぎひぃっ!」
それでも戦意は衰えない。
『最上さん、夕張さん、漣さん、戦えますか?』
勿論、と三人が応えた。
『近接はこちらで対応します。可能な限りの魚雷を展開し、私からの合図で一斉射出をお願いします』
『響ッ、動きがありますよ!』
『……うん』
『基礎を疎かにしては、万事がうまくいきません。きちりと狙いを定めて……あと、そうですね。四肢の末端などを狙うのは下策です。脚や腕の一本二本吹き飛ばしたところで、それにどのような戦術的価値が?
少なくとも、私なら動きます。赤城さんでも動くでしょう。身体的欠損など、精神的支柱によって、どうとでもなるものです』
動き出す新型に対し、駆逐艦二人が応戦した。雪風は前に、響は後ろに陣取って、周囲を旋回しながらも徐々にその半径を狭めていく。
新型は荒々しい獣のようだった。一人に突進したところをもう一人が背後から狙い撃ち、それに反応すれば、今度は逆から撃つ。回避に自信のある駆逐艦ゆえの戦法だ。だが、それも僅かな動揺で瓦解する綱渡り。二人の練度は間違いなく神通の業に違いない。
『狙うなら、ここ』
と、神通は自らの顔を指さした。
『顔面を潰しましょう』
『漣も、やりますっ』
加勢しようと踏み出した神通へと声がかかった。神通は首だけで振り返り、肩越しに漣の姿を見る。
小さい桃色の少女は疲弊し、恐らく初めての実戦だからだろう、殺意に中てられて脚ががくがくと震えている。額は割れて眉のあたりまでが赤く染まっており、非常に痛々しい。数多の火傷。セーラー服からむき出しの肌には、いくつもの青痣ができていた。
それでも、依然として目には闘志が宿っている。いや、それは本当に闘志なのか、回線越しの俺には判断がつかない。決死の覚悟は無論あるとして、なら、なぜ漣は今にも泣きそうになっているのか。
神通は漣にかかずらわっている時間すら惜しいというふうに、無感動で前を向いた。
『待って! 待ってください!』
『自分の言葉で喋りなさい』
神通はぴしゃりとそれだけ言って、推進する。
新型と二人の戦いはいまだ続いていた。航空機の攻撃も、魚雷も、砲撃も、全て二人は紙一重で回避していく。神経を使うだろう。疲労の蓄積も並みの比ではないはずだ。僅かに反応が間に合わなくなってきているのを、俺は理解した。
「神通、二人が」
『無論です』
響に叩きつけられんとしていた巨大な尾を神通は正確に撃ち抜いた。砲塔が粉々に砕け、生まれた隙を見逃すまいと雪風は反転、海面を蹴って一直線に新型へと向かう。両の手には魚雷を握って。
「雪風ッ!」
『頭上!』
しかし気づいていなかった。彼女の死角から敵の航空機が編隊を組んで雪風へと向かっている。
俺の声と、神通の叱咤が雪風の意識を頭上に向ける。しかし間に合わない。既に爆弾は投下された。
闇夜が爆ぜる。爆炎に包まれはじき出された雪風を、響が咄嗟に回り込んで抱き留めた。
『雪風ッ、大丈夫かい!?』
『ばか、だめ! なにやってんですか!』
損傷は軽微。それ以上に位置が悪かった。
最悪、と言い換えてもいい。
二人を、新型はすでにその手の届く範囲までに近づけている。尾が振りかぶられ、左翼から航空機、右翼から魚雷群が既に放たれていた。新型の殺意に限りはなく、故に暴力も桁外れ。それはこの場にいる誰もが理解していること。
『神通ッ!』
魚雷は神通が咄嗟に迎撃、水面下で大爆発を起こして無力化させる。水柱は煙幕にも障壁にもならず、新型の吶喊は止まらない。
砲撃は装甲の前で効果はたかが知れている。最早敵は狙いを駆逐艦二人に定めたようで、神通を一瞥することすらせず、その中でも一際巨大な砲塔をがごんと構えた。
と、その時である。
水面下が一瞬の盛り上がりを見せ、数瞬後に巨大な爆炎が新型を呑みこんだのだった。
全ての火力をその一撃に籠めたかのような、途方もない光と衝撃、迫力は、その場にいた者の呼吸すらも困難にさせる。閃光に視界が潰れ、轟音が音を掻き消し、突然の出来事は意識を正常に働かせない。
『斉射!』
神通以外は。
漣も、最上も、夕張も、予想だにしない事態に対して反射的に行動できるほどの訓練は積んでいない。が、俺は咄嗟に海図のデータ、そして敵機の位置を照合し、網膜へと投影する形で送りつけてやった。
自分と相手の位置がわかって、あとはどちらを向くか、それだけでいい。何故ならそこは海の上で、敵も同じ平面上にいるのは自明の理。
魚雷の軌跡が海面を走り、四連装が四人分、計十六基の熱量が、新型を今度こそ、完膚なきまでに破壊しつくす。
尾が千切れ、首から上が消滅し、残った四肢も右脹脛と左上腕だけという惨状になって、ようやく新型はその動きを止めた。自動修復も起こらない。ぐずぐずの黒い油が体表へ浮かび上がると思えば、そのまま溶解して海の底へと沈んでいった。
『そっちはやったんか!?』
龍驤の声。
「なんとか、恐らく! 増援を送るぞ!」
『いや、もうえぇ! 負けを察したのか逃げていきおった! 深追いはする気ィはないが、神通、お前はそれでもええか』
もしも彼女が経験を欲しているというのなら、逃げた敵すらも追いすがる可能性は十二分にあった。
『いえ、今晩はやめておきます。航空機との経験はまだ浅く、いきなりあの練度のヲ級と戦わせるのは、聊か分が悪く感じますから』
『……ほうか』
龍驤は少しばかり安堵しているようだった。
『ウチは扶桑が心配や。最上、夕張、お前らもなるべく早く泊地に戻ろう。その怪我、残っても嫌やろ。
……お嬢ちゃんも』
声をかけられても漣はぽかんとしていた。先ほどまで新型のいた、新型が沈んでいった水面から視線を逸らそうとしない。
「漣、大丈夫か」
『……うん、大丈夫、だよ。……マジ卍。草生える』
絞り出す何のような強気。それには嘆息で答える。
『龍驤さん、漣はあとで、ちゃんと行くから、先に行ってて』
『おっさん、ええんか?』
……悩むふりをしてみるが、俺にできることなど、どう考えても何一つ存在しなかった。俺はこいつらを慮ることはできるが、寄り添えはしないのだと痛感するばかり。
「……あぁ、すまんが、漣は後で向かわせる。すぐに処置に入れる準備だけしてくれると、助かる」
『おっけー』
それだけを言うと、龍驤は最上と夕張を伴って、暗い海の向こうへと消えていった。
俺は視界を漣の視野に切り替える。
いくつか、考えなければならないことがあった。例えばあの新型はなんなのか、なぜ突如としてこの海域に出没したのか、何が目的だったのか。最後の最後で隙を生み出してくれた魚雷の主は。
だが、それらは全ていつでもできることだった。後回しにできることだった。
「漣」
俺が声をかける、たったそれだけのことで、漣は大きく肩を震わせた。
隠し事がばれてしまった子供のような反応。それの何が悪い、隠し事だとか後ろ暗いことだとか、言ってしまえば全部過去だ。過去がない人間なんているものか。
……そう言ってやれればどれだけよかったろう。少なくとも、そんな権利は、俺にはないのだ。
「疲れたか」
『……うん』
「風呂でも沸かしとくか」
『うん。……あ、でも、高速修復材、使うから。お風呂にも、そのとき』
「あぁ、そうか。そういうもんか」
『あの、ご主人様』
「ん?」
『……なんでもないです』
「……そっか、気を付けて」
帰投しろよ、と言いかけた俺の声を、何かが弾けるような音が掻き消した。
漣が思わず振り向いた先には、雪風が響の頬を張った、その直後の現場があった。
雪風は涙を浮かべ、響は頬の痛みではない何かを堪え、そして神通は無念そうにただ見守っている。
『このぐず! どうして、どうしてあそこで陣形を崩しちゃうんですか!?』
『……ごめん』
『ごめんじゃありませんっ!』
雪風が手を振り上げた。漣があわやと一歩を踏み出すが、それよりも自制のほうが早いのは助かった。ぐっと手を肩の位置でとどめ、下唇を噛み、代わりとばかりに響をきつく睨みつけている。
『先日のブリーフィングで決定したじゃないですか! ツーマンセルの基本は挟撃! だからそれを終始、しつこいくらいに徹底すると! それなのになんですか、さっきのあの動きは! 自ら的になりにいってどうするんです!』
『……ごめん』
『それはもうわかりましたったら!』
『ちょ、ちょっと、ストップ! ストーップ!』
とどまる様子を見せない雪風の激昂に、さすがに漣も割って入らざるを得なかったようだ。
『雪風さんの言いたいこともわかりました。でも、響さんはあなたを助けようとしたんですよ? それなのに……』
『部外者は首を突っ込まないでください。これはわたしと響、そして神通さんの問題なんですっ』
『違います! 一緒に戦って、深海棲艦を倒すという目的に変わりはないはずです!』
『わたしが響とか、たとえばあなたを守って、代わりに沈むかもしれない。今回だって、結果的に助かったからよかったものの、最悪二人で沈んでいました。作戦の遂行率を下げるような真似をする軍人がどこにいますか?』
『そりゃそうですけどっ、でも違うでしょ! 仲間じゃないんですか。まずは『ありがとう』の一言じゃないんですか!? なのになんで、そんなつらく当たれるんですか!』
『強く在るべし。弱者に生きる権利はないんですよ』
『っ!』
ひりつく何かを、疑似感覚越しに感じた。
思い出す。赤城との邂逅を。神通との激突を。その感覚はあの時に感じたものと酷似していて、いや、そもそも同一なものなのかもしれなかった。
しれなかったが、しかし。
漣。
「漣!」
『なんですか』
「お前」
『それよりもご主人様』
「拒否する」
『強制帰投を解除してくれませんか』
「繰り返すぞ。拒否、だ」
まさか畏怖にも近い感情を、この桃色の少女に対して抱くことになるだなんて。
意識してでの行動ではなかった。俺は半ば無意識に、反射ともいえる速度で、漣に対して強制帰投の要請を飛ばしていた。
強制帰投を俺が指示している以上、漣は艤装の使用ができない。リソースは全て足回りに消費する、航続距離と速度を重視した出力に変更されている。
漣は同じくらいの背丈の雪風を、不動でぎろり、睨みつけている。相対する雪風もまた同じ。
『弱者に生きる権利がない? 何言ってんですか、あんたは軍人でしょ? 艦娘じゃないんですか?』
そうして胸ぐらを掴んで、
『弱者を守るのが漣たちの役目でしょうが! 悪を挫き、弱者を助く、それが艦娘ってもんのはずです! それが「弱者に生きる権利はない」だなんて、よくもまぁ言えたもんです!
強く在るべし、確かに結構! 雪風さん、あなたはもう十分強いのかもしれません。神通さんだって百戦錬磨なのでしょう。でも、じゃあ、あなたたちが守るべき人々にまで、そんな強さを要求するんですか!
強くなれなくたっていい! 強く在れなくたっていい! 弱いままで、それでも幸せに生きていくことができる世の中にするのが、あたしたちの役目じゃん! 違う!?』
『……なに泣いてるんですか。ださ』
雪風は吐き捨てるようにそれだけ言って、もう付き合っていられないとばかりに反転、飛沫も大きく岸を目指しはじめる。
漣は雪風が指摘するとおりに泣いていた。大粒の涙を眼尻から眦から関係なくぼたぼた落とし、海のまにまに消えていく。それでも決して嗚咽は零すまいと歯を食いしばっているのが強情だった。
その涙が少女の心の何処から来ているのか、俺には依然判断しかねた。感情の高ぶりが自然と涙腺を刺激したのか、何か思うところがあったのか、響を悲しんでいたのか。
強くなれずとも、強く在れずとも、平穏を。寧ろ、弱者にこそ幸福を。漣のそういう価値観は過去にも垣間見たことがある。
優しい少女だと、俺は誇らしく思う。
『……ありがとう。ごめんね』
正反対の言葉に同じ想いを混めて響もまた反転。漣は一瞬何か声をかけようとしたようだが、諦めたのかうまく言葉を紡げなかったのか、伸ばした手を空中で止める。
神通も響のあとを追い、すぐに三人の姿は見えなくなった。泊地へ戻ったか、損傷は少なかったので、自分たちの棲家へ帰ったのだろう。
『うー……っく、ひっく』
ようやくしゃくりあげだす。誰も見ていないからだと思うが、俺がいることはすっかり忘れているようだ。
正誤の判断をするのは俺ではなかったし、そもそも正誤なんてものがこの世に存在するはずもなかった。何より俺に正誤が判断する資格があるとも思えず、三重で俺に出る幕はない。
ただ、漣の言葉は守られる側の論理であり、雪風の言葉は守る側の論理である。そこに食い違いが生じている部分はあるのかもしれない。雪風は仲間を何人も失っているのだから、なおさら。
大群が襲い、提督が死に、それでも終わらぬ地獄のような邀撃に次ぐ邀撃。押し込まれる戦線を維持するのが精一杯な、いつ終わるとも知れぬ泥沼の撤退戦。
結果として平和は訪れた――平和? 違う。彼女たちはこの平和が仮初だと知っている。一時的な安寧だと知っている。
兵隊は凪に身を委ねたりしない。
死にそびれたのは苦しかろう。
漫然と生きるのも辛かろう。
このままではいけないと誰もが思っている。発露の仕方が違うだけ。
……しかし、少し気になることが見つかった。アレは単なる言葉のあやだろうか。それとも。
もしそうなのだとすれば、随分と利用価値があるのではないか。
少し癪だが、仕方がない。大井に確認を取ろう。
「漣、お疲れ。怪我を治してゆっくり休め」
『……うん。わかった、そうする。もう、やだ』
―――――――――――――――――――――
ここまで
一日2更新とか草生える
結末のシーンだけ書き終えてて大草原
待て、次回
夜が明けた。
漣は結局泊地で寝泊まりするということで、本人から直々に連絡があった。監督は龍驤か鳳翔さんか……どちらにせよ、まぁ安心だ。あちらとはスタンスこそ違えど、目的は一致している。決して悪いようにはされない。
最上や夕張の損傷は酷いものだったが、話をちらりと伺う限りでは、扶桑の被害が甚大らしい。高速修復剤によって見てくれの怪我や艤装自体はどうにかなったものの、まだ目を覚まさないと。
神経や臓器、精神の状態も安定していないとのことだ。あの新型、そしてヲ級と数的不利を抱えながらの戦闘だったはず。よく沈まずに耐えてくれたと、素直に思う。
いずれ扶桑にもあって挨拶し、話も交わさなければならない。とはいえそこを急いてもしょうがない。俺にもやるべきことは山積している。
湯を沸かしてインスタントのコーヒーを溶かす。酸味が強く、味は薄い。経年のため到底飲めた味ではないが、これくらいのまずさが意識を賦活させてくれる。ぼんやりとした朝の頭では何もできやしない。
漣を迎えに行くべきだろうか。いや、あいつも一人になりたいときはあるだろう。少なくとも、こんな歳の離れたおっさんといるよりは、同世代の女子に囲まれている方が気も休まるに違いない。
そう、たまに忘れそうになるが、あいつはまだ十代半ばの子供に過ぎないのだ。俺が理解しえない生き物なのだ。
漣が俺の傍らにいないのであれば、こちらも今しかできないことをすべきだった。邪魔というわけでは当然ないけれど、俺たちの問題と言うよりは、寧ろ向こうの問題である。
大井。あいつの顔が脳裏をよぎって、しかし俺は頭を振った。まだ、いい。あいつと話すときは自らの中で確信を得てからだ。
ならばと俺は外へ出た。朝はまだ日差しも弱い。うだるような暑さも、噎せ返るほどの湿度も、どこにもない。
海辺へときもち小走りで急ぐ。通信がとれればいいのだが、一度も回線を確立したことのない相手には、こちらからコンタクトすることができないのだった。
提督としてのあらゆる権限は龍驤にある。ネットワークの外にいる俺は、自分の脚で探すか、向こうからこちらへの接触という幸運を待つしかない。
だが、心配はさしてなかった。恐らくあちらはこちらを意識している。四六時中監視、というわけではさすがにないだろうが、海辺を歩いていれば接触を図りに来る可能性は高い。
伊58。
尾行者の正体。
なぜ、どうして、何の目的で。それらを考える必要はなかった。全て、本人に聞けばよかった。
「……」
少しの沖合で、桃色が水面から突き出ているのが見えた。
二筋の流星が、真ん中から左にかけて流れている。
58は言った。自分の目的を手伝ってくれるのならば、こちらを手伝うことに抵抗はないと。
互恵関係、望むところだ。そしてそれ以上に、単純な利害関係を超えたところで、あいつに力を貸すことへの抵抗はなかった。
あぁ、認めよう。俺はトラックの艦娘たちの力になりたいと思ってしまったのだ。
どうやら漣の言葉が俺の心に火をつけたらしかった。悪を挫き、弱きを助くのが軍人の使命であるというのなら、俺はまだ軍人でいていいようだ。
比叡は沈んだ。俺が沈めた。鬼を殺す犠牲となって、提督でもなんでもなかった俺の指揮によって、死体さえ上がらない海の底へと消えていった。鬼殺しの名は誉れではない。犠牲を見ずに功績だけを捉えて讃えられるのは、気が狂いそうになる。
罪滅ぼし。手向け。追悼。耳触りのいい言葉なら山ほどあった。しかし、きっとこれは、そんな清廉なものではないのだ。
俺だった。
俺がする、俺のための、行いだった。
こんな気持ちのままに死んで堪るか!
「なにぼーっとしてんの」
砂浜をぺたぺた58が歩いてきていた。桃色の髪の毛は濡れ、頬や額に張り付いている。撥水性の高い上着や水着は独特な光沢だ。
「……いやらしい眼で見ないで欲しいでち」
「見てねぇよ」
断じて見ていない。
「秘書艦もつけずにお散歩なんて、実に優雅でちね。それとも、そこまでして58とお話がしたかったの?」
海面からこちらを逐一窺っていた女に言われたくはなかった。が、そんな返事よりもまず先に言わねばならないことがある。
「昨晩は助かった」
「……なんのことでちか? 全くわからんでち」
58はその辺に投棄されていたクーラーボックスを木陰へ引っ張っていき、そこへと腰を下ろした。頬杖をつき、値踏みするような眼でこちらを見ている。
手招きはされなかったが、俺も木陰へと足を踏み入れた。拒否はなかった。それを幸いに背中を硬い木の幹へと預ける。
「お前の魚雷のおかげで、響と雪風は沈まずに済んだ」
「……今朝方、神通も来たよ。みんな誰かと間違えてるんでちよ」
嘆息。やれやれ、困ったやつらだ。58の口ぶりからは、年長者の余裕なのか、それとも生来のものなのか、満ち溢れた自信が透けて見える。きっとこれが大井とそりがあわない理由なのだとふと思った。
実力と責任は隣り合わせ。できるからやる。面倒みるから偉ぶる。それらを当然だとして憚りもしない。
傲慢と評するのは恣意的にすぎるだろう。自らの背中を後輩に見せることによって、あるべき姿を示すのが、きっと彼女の流儀なのだ。そこは神通とも似通っている。
「なら、誰だと思う?」
「……」
またも嘆息。これ見よがしな面倒くささを混ぜて。
「どうしてわかったでちか?」
「消去法だ」
それは単純な話だった。
響と雪風は当然除外。最上でも、夕張でも、漣でもない。赤城と龍驤は有り得ない。ならば神通? そういうふうには見えなかったし、なにより、その可能性はたったいま58自身が否定した。
扶桑は大破でいない。鳳翔さんも付き添っている。まだ見ぬ霧島? 戦艦があえて、わざわざ魚雷で敵を討つか?
「病床の大井か、潜水艦のお前かなら、58、お前だろう」
「……そりゃそうか。ちぇ、変に恥ずかしいまねをしちまったでち」
「お前があの海域にいたのは偶然か?」
「なに、ゴーヤが深海棲艦の仲間だって?」
「そういうことじゃねぇ。お前は俺の行く先々に現れるからな」
「……んー」
ふくれっ面でそっぽを向く58。拗ねたかと一瞬考えたが、どうやら何かを悩んでいるらしかった。
「夜は潜水艦の時間でちから」
「なんだ、そりゃ」
「暗い海の中は本当になんも見えなくて、泳いでるうちに、どっからどこまでが自分の体かわかんなくなるんだ」
そうして58は太陽に向かって手を伸ばした。指を広げ、その隙間から漏れる陽光に目を細める。
手の届かないものを希うかのように。
「それが心地よくて、世界中が全部ゴーヤの体になったみたいで、そりゃもう、学校のプールなんかよりも全然。だからゴーヤ、夜の海は大好きなんでち。
……でも時々、本当に時々だけど、25メートルプールに戻りたくなる時もあって」
「……」
ゴーヤの話はいまいち要領を得なかった。それが一体どんな話に向かい、繋がっていくのか、予測がつかない。
きっときちんと話すことが不得手なのだろう。感性で喋る58の言葉は、それでも生命力にあふれていた。
「だから赤城と組んだんでち」
いきなり、意外な名前が飛び出した。
「待て。赤城と? 組んだ?」
「うん。夜は潜水艦の時間。昼は空母の時間。航空機を飛ばせないから、代わりにゴーヤが、海の様子を見ることにしたの」
「それを他の奴らは知ってるのか? どうして赤城と?」
「ちょっと、てーとく、一気に質問されても困るでち。そもそもあたしは、別に質問にきちんと答える義務があるわけじゃないし」
「いや、それでも泊地の防衛体制のことだし、聞かなかったことにはできんぞ」
「……てーとくも、戦いのことしか頭にないでちか」
ふん、と58は鼻を鳴らした。嘲っているように見せているのだ。ポーズと本音が半々、といったところか。
「みーんなそればっかり! ばっかみたい!」
58が砂を蹴り上げる。白く、きめ細やかな砂は、ぱっと飛び散って輝いた。
「あーあ、こんなことになるんだったら、徴兵なんか蹴っ飛ばしてやればよかったなぁ。インターハイおじゃんにする理由なんか、どこにもなかったでち」
「インハイまでいったのか」
「うん。一応、自由形の高校記録持ってるでちよ」
「そりゃ凄い」
「名門で、顧問の先生のほかに外部のコーチもついて、普通のだけじゃない……加圧? よくわからんでちが、そういうのもやって、メニューをこなせばこなした分だけタイムも伸びたし。
いや、勿論スランプとかもあったけど、でも、二年で高校新出せてインターハイ決めて、あの時は……嬉しかったなぁ……」
過去を語る58の表情は底抜けに明るくて、その内容があたかも昨日のことかのように、鮮明に、克明に、途轍もない現実感をもって語られる。
幼いころから水泳を習っていたこと。色々な賞をとったこと。強豪校から誘われたこと。先輩との確執と和解。タイムが伸び悩んで苦しかった数か月。負けて泣いた時。勝って泣いた時。
「素直であれば素直であるほど、成績はよくなるもんでち。なんだかんだ、ゴーヤは世の中ってのはそういうもんだと思ってきたんだ。でも、ここじゃ違った。素直で、優秀で、嫌なことを断れないひとから死んでく。死んでった。
はっちゃんが最初。イムヤもほどなく。イクは最期の最期まで、何考えてんのかわかんないやつだったけど、朝起きたら隣にいなくて、結局そのまま帰ってこなかったでち。多分通商破壊に失敗したんだろうって、龍驤は言ってた」
58の口ぶりは極めて平坦だった。意識してそうしているのだということは、想像に難くない。それを指摘するほど俺も野暮ではない。
恐らく彼女にとっての戦いとは、上から押し付けられたものなのだ。それに従った友人が、次々自分の傍からいなくなっていく。
軍を疎んでいるわけでなく、戦いに倦んでいるわけでもなく、命令や強制という押し付けに対しての嫌悪感。怠慢なのではない。自由主義的といえばいいのだろうか。
「なら、あたしは素直じゃなくていい。悪い子でいい。昼行燈と後ろ指さされるくらいが、きっとちょうどいい。そう思うでちよ。てーとくはそう思わんでちか?」
「俺は……」
「なんのために鬼を倒したかわからんでち。あれじゃあ、てーとくも報われんでち。じゃない? 違う?」
「……知ってるのか」
「ま、ね。かわいそうだなって、テレビ見て思ったから」
「そうか」
こんな子供にまで同情されるとは、なんとも不憫な話である。
報われたくてあんなことをしたわけではない。褒賞も、徽章も、名声も金銭も、あの時あの場では何の意味もなかった。指揮をとったのは生きるため、鬼を倒したのは結果に過ぎない。
「身の上話が長くなってしまったでち。まぁよーするに、あたしは働くつもりはもう全然全くない、ってことなんだよね」
「だけど、二人を助けてはくれた。夜の哨戒もしている。
それに、この間の口ぶりじゃあ、俺たちがお前の要求を呑めば、お前は俺たちを手伝ってくれるんだろう?」
「流石に仲間を見捨てるほど薄情じゃねーでちよ。それに、赤城のことは……うーん、あたしにも責任の一端があるというか、でもなぁ、今思い返しても、あれが一番良かったと思うし……」
「どういうことだ?」
重要な話に片足を突っ込んでいる、そんな気はするのだが、いかんせん話の糸口がまるで見つからない。
「全ての原因は赤城にあって、でも赤城は全く悪くないって話でちよ」
心拍数が自然と上がる。全ての原因。原因? なんのだ?
状況。現状。泊地の。トラックの。
壊滅の?
「てーとく、あたしはあんたに協力するでち。だから代わりに、お願いを一つ――いや、二つかな。聞いてほしいんだ」
58はクーラーボックスから勢いをつけて立ち上がり、そのままターンして俺の方を向いた。
屈託ない笑みがそこにはある。
「赤城の冤罪を晴らしてよ。
それに失敗した暁には、あたしにあいつを雷撃処分させてくだち」
―――――――――――――――
ここまで
箸休め的な? でも一回投下分ごとに必ず物語は大きく動かさなきゃ、的な?
あと58が言うほどでちでち言ってない。むずい。
待て、次回。
こいつは何を言っているのだ?
不思議と頭は冷静だった。冷静な頭で考えて、真っ先に58が冷静ではないのではないかと判断が下った。言動こそ常人のそれだが、その実精神がお釈迦になっているに違いない。
雷撃処分。安楽死。
こいつは俺にそれを言うのか?
「お前は……イカれてるのか?」
「半分くらいは?」
58が俺に向かって踏み込んでくる。一歩。俺は詰められた一歩分後ろに下がろうとして、それまで自分が木にもたれかかっていたことを、今更思い出す。
下がれない俺を尻目に、58はさらに一歩、また一歩と距離を詰める。ずんずんと。ぐいぐいと。
桃色の頭が俺の顎へ触れるか触れないか、それくらいまで縮まった距離で、こちらを見上げてくる58。
「お願いって言ったけど、ぶっちゃけお願いじゃないんでち。これは命令というか、警告というか、そんなとこかな。その代わり手伝ってあげるよ、って」
力と意志の籠った瞳が俺の感情を射抜いている。
内側からの生命力に溢れている、その肢体。自信に満ちた口元。先ほどこいつから感じた、一本の芯が詰まった人間性を、俺はこれまで以上に感じていた。
感じてしまっていた、というべきか。
お願いではなく、命令。あるいは警告。それは確実に事実だろう。58はそのような駆け引きや脅しを好む種の人間ではない。こうすると決めていて、それを宣言しただけに過ぎないのだ。
赤城が幸せに生きられないのなら、いっそ沈めてしまったほうがよい。苦悩と精査の果てに、58はその結論を選んだ。
「龍驤が認めるはずはない」
言ってはみたものの、俺自身が半信半疑だった。艦娘に好き放題やらせている首魁のようなあの少女ならば、58の案に積極的に賛成こそしないけれど、かといって決死の覚悟で止めることもすまいと思ったのだ。
そして俺は、58のにへらっ、とした笑みによって、自らの予想が的中したことを理解する。
ひらりと距離を開け、くるりと回って、58はまたクーラーボックスに座りなおした。
「龍驤から許可は貰っているでち。あとはてーとくが邪魔さえしなければ、それだけでいい。
……トラックに流されてくるって聞いたから、本当はもっとダメダメでグズグズのひとが来るんだろうな、って思ってた。それだったら、ゴーヤもこんな話はしなかったでち。だけどてーとくはちゃんとしてて、ちゃんとできるひとみたいだから。
万が一、ゴーヤが雷撃処分することになったとき、邪魔されても困るなって。
……億が一、兆が一、赤城を助けてくれるかもしれないし」
だからこんな話をしたんだ、と58は漏らす。
「……赤城の冤罪を晴らせば、いいのか? それは赤城が誰かから誤解を受けてるってことなのか?」
「違うよ。いや、違うってわけでもないけど。
さっきゴーヤ言ったよね、原因は赤城にある、って。でも、本当はゴーヤと龍驤にもあるでち。死んじゃった提督にも。だけど赤城は自分だけ背負い込んで、だから冤罪」
「……トラックが壊滅した、理由、か」
「へへ、やっぱりてーとくは、あたしが見初めただけあるでちね。それくらいは御見通しかぁ」
「いや、だが、あてずっぽうだ。なんとなくだ。何が起こったのかは、58、お前から説明してもらわないと」
俺に察することができるのは、所詮「何かがあったのだろう」までである。「何があったのか」までは、最早範疇外。そこまでわかれば超能力者だ。
だが、もし全ての元凶が赤城にあるならば、赤城にあると彼女自身が思い込んでいるのならば、あの深紅に染まった鬼の容貌も納得がいく。
「簡潔に言っちゃうとね、深海棲艦の邀撃、その作戦草案を提出したのが赤城なんでち」
深海棲艦の邀撃……トラック泊地で起こった「イベント」にまつわる、諸処の防衛任務のことだろう。敵の規模や、攻撃の波数まで俺は知らない。漣が持ってきた資料にも記載されていなかったように思う。
そうだ、俺は常々疑問だったのだ。トラック泊地の艦娘たちが大本営を恨んでいるとして、ならば、そもそも、大本営が力を貸してくれると何故みなが思っていたのか。信じていたのか。
危機一髪で本土から来た友軍が助けてくれるという、創作みたいな話を全員が信じ、だから裏切られたと憎んでいる。そんな仮定は荒唐無稽だった。だから、最初からそれが邀撃作戦に組み込まれていたはずなのだ。
トラックだけでは戦力が足りないことを見込んで、あらかじめ本土に打診をする。確約を貰う。例えば一方面の防衛や、兵站の維持のための人員を派遣してもらうように。
そして約束は反故にされた。
「……のだとすれば」
「察しが良くて助かるでち。それだけ理解が早いと、ほうぼうでいらん苦労を買いそうでちね」
うるせぇ。
「全員が膝を突き合わせて話すなんてことはできないからさ、あたしと赤城と龍驤、あと大井。それに前のてーとくを加えた五人が作戦立案を担ってた。
トラック含めた東南アジア一帯が襲撃対象になってることは、出没状況だとか頻度から、結構前にはわかってたよ。どうやって手を打つか、五人で集まったのは一度や二度じゃない」
「赤城が邀撃論を唱えたわけではない?」
それでは58自身が言ったことと矛盾するのではないか。
邀撃に前向きだった彼女が、惨禍を見ての自暴自棄なのだとすれば、単純に解釈できると踏んだのだが。
……いや、違う。58はその前に表明していたではないか。自分たちにも責任の一端はあり、どう考えても赤城の案が最善であったと。
最善。それしかない、ということ。誰であってもそれを選択するであろう、ということ。
ゆえに58は冤罪という言葉を使う。
「邀撃は、当然する前提だったよ。そりゃそうでち、じゃなきゃこの泊地の意味がないじゃん! ……ってな具合かな。そもそもトラックの島民置いてけないし」
考えてみれば当たり前の話だった。俺は自らの浅はかさを恥じ入る。
「色々と話しあいをして、赤城が積極的邀撃論、だったっけな。それを唱えたんでち」
「積極的邀撃論」
「うん。反攻作戦ってやつ」
鸚鵡返しにも58はきちんと返してくれる。
「防衛海域までやってきた深海棲艦を片っ端から片付ける、専守防衛で堅実に行こうとしていたのが大井と前のてーとくでち。理由は……色々言っていたけど、一番は戦力の不足、かな。
今もくっそ人員不足でちが、まともに機能していた頃も、別に大して人は多くなかったよ。長門とか大和とか、弩級戦艦の適合者もいなかったし」
まぁ、いたとしても、燃費を賄えるほどの余裕はあったかわからんでち。58は苦笑しながら呟いた。
「でもそれじゃあジリ貧で、局面を打破しきれないって言ったのが赤城だったでち。そりゃそーだよね、ってあたしは今でも思うよ。
籠城戦を攻略するのは五倍の戦力が必要だって大井は言っていたけど、あっちは無尽蔵だもん。一年後か、二年後か、必ず五倍以上に戦力が開くときが来る。大井もそれはわかってて、てーとくもわかってたから、赤城に異を唱えることはなかったでち」
「……だが、戦力は足りなかったんだろう」
籠城になんとか足りるだけの戦力しかないのなら、必然的に二部隊以上での作戦となる反攻行動など、夢のまた夢。
「そうでちよ」
わかってるくせに、と58は厭味ったらしく微笑んだ。俺の言葉が、寧ろ彼女にとっては厭味に聞こえたのかもしれなかった。
たとえわかっていたとしても、既知の確認になるのだとしても、声に出して尋ねなければならない事柄は存在する。もっとも、その神髄は尋ねるという行為にあるのでなく、行為を裏打ちするものの存在にある。
誰もが聞かずに、訊かずに済むならそうしたい何かを、恐怖せずに知ろうとする姿勢。原初、人はそれに「勇気」と名前を付けた。
「足りない分は本土から友軍を呼べばいいと、赤城はそう考えたでち」
ない分は本土から友軍を呼べばいいと、赤城はそう考えたでち」
……。
……。
言葉、が。
「……」
出てこなかった。
なんと言えばいいのか。なにを言えばいいのか。いや、俺に何かを言う権利が、あるのか?
結局俺はどこまでいっても外様で、彼女たちの力になりたいと考えてはいるが、それが余計なお世話である可能性は、否定できない。
聞きたくなかった。訊かなければよかった。58の発言は、俺に深い後悔を齎すには十分すぎるほど十分すぎる。だが、そうなることをわかっていてなお、俺は尋ねたのだ。勇気を振り絞って。
赤城の後悔は俺の比ではない。
胸ポケットを自然と探っている自分がいた。力を籠めて手を握り締め、ポケットに突っ込む。
「結果的に、友軍はこなかった。約束は果たされなかったでち」
58は真っ直ぐ海の向こうを見た。俺もつられて視線を向ける。
青い空と、蒼い海と、白い雲と、浮かぶ船と、……その先にはきっと、日本がある。
それとも天国を58は見ているのだろうか。
「依頼はちゃんとしたよ。承認もされた。事務手続きに不備があったなんて、そんなくっだらないオチじゃねーでち。何があったか、いまとなっちゃわかんないよね。
こっちに戦力を回せる余裕がないほど戦況が逼迫したのかもしんない。深海棲艦がチャフを撒いて通信を妨害したのかもしんない。……ただ単に、忘れられてただけかも、しんないでち」
58の視線が俺に向く。俺は何も知らない。夏の本土襲撃のごたごたから復帰しきれていなかった可能性はあったし、人権派を気取る団体の妨害が大きく摂り沙汰される時期もあった。艦娘の運用で政局が傾いていたことだってあるのだ。
「ばっかじゃねーの!」
58は叫んだ。天にも届けとばかり、怒りの抗議だった。
「赤城の判断が間違っていたとは、ゴーヤには思えなかったでち。今でも正しいと思う。それに、仮に専守防衛を選ぶことになっていたとしても、戦力の追加補充は本土に申請することになっていたはずでちから、きっとまたそこで何かが起こってたに違いないもん。
半年か、一年か、死んでったやつらの寿命が延びたにすぎんでち。結局のところは、それだけ」
戦場で、一分一秒、敵の侵攻を命を張って食い止めようとしている艦娘の、58のその言葉の裏側に隠されたものを、見落とせるはずがなかった。
心臓を引っ掴まれたような息苦しさ。
「多分十回決定を迫られたとしても、ゴーヤは十回全部赤城の案に乗るよ。だから、赤城が、全部一人でしょい込むのは見てらんない。それはフェアじゃない。スポーツマンシップに悖る。
だけど、それでも夜毎に思うでち。もしかしたら、重石と一緒に沈むのが、赤城にとっては幸せなんじゃないかって」
「それは違う。違うぞ」
「もしそうなら、友のよしみであたしがあいつを沈めてやりたい。
苦しい思いをして、必死に、歯を食いしばって生きて、最期の瞬間まで呻きながらってのは、やっぱりやーな感じだから」
「58、俺の話を聞け。それは違うんだ」
「経験者は語る、でちか?」
「そうだ」
「ならてーとくがやるでち。てーとくに託すでち。比叡さんは沈んじゃったけど、赤城はまだ沈んでない。
あたしも龍驤も、赤城になんて声をかければいいのかもうわからないんだ……」
沈む際に、自らの使命を果たしたと確信し、消えていくのは気持ちのいいことかもしれない。自らの存在意義を胸に抱きながら意識が消えるのは、確かに絶頂なのかもしれない。
だが、俺は知っている。知っているのだ。たとえどんな崇高な生き様だろうと、死した瞬間から風化していくことを。
矜持や信念は剥奪され、十把一絡げにラべリングされ、加工を経て世間へと提供される。それは死者への冒涜だ。墓碑銘すらない無縁塚に、親しい人間を誰が入れたいものか。
比叡は比叡として死んだが、比叡として安らかに眠ることを認められなかった。
赤城に同じ轍を踏ませることは、到底看過できやしない。
「58。俺がやる。俺が何とかする。何とかしてみせる。
安心しろ、とまでは言ってやれないが……」
こいつは俺の後を尾けてまで、俺と接触を図りに来た。それだけのウェイトを、58の中で占めているということだ。
58は少し驚いた表情をしたが、すぐににへらっ、と笑う。
「ありがとっ」
「なら、IDを教えてくれ。俺は今日はやりたいことがあるが、明日以降、俺の家に来てくれればもてなす用意はしておく」
とりあえずは泊地に寄って漣と合流したかった。夕張や最上の様子も気になる。扶桑の顔を、俺は一度も見ていない。確認すべきは少なくない。
この58から聞いた話をどれだけ龍驤や漣に伝えるべきか、それについては考える余地があるだろう。会議に参加していなかった艦娘たちが、赤城についてどう思っているかを尋ねる必要もあったし、それ以前に赤城が反攻作戦の草案を提出したことを知っているのがどれだけいるか。
「てーとく?」
「ん、あぁ。悪い」
不思議そうに58がこちらを覗き込んできていた。
「あの、ゴーヤ、てーとくのお家を知らんでち」
「……は?」
いや、だって、お前。
「俺の後をついてきてたろ?」
58はあからさまに気味の悪そうな顔をして、こう言った。
「何言ってるんでちか?
てーとくを尾行なんてしてないし、てーとくの家に行ったこともないでちよ?」
―――――――――――――――――――――
ここまで
58は生意気可愛い
こっちにはきつく当たってくるのに、押しには弱いタイプと見た
待て、次回。
足取りは遅々として進まない。一歩踏み出すのにも神経を使い、自分の体であるはずなのに、まるで自分の支配下にないかのような使い心地。
俺は泊地へ向かっていた。そこに漣や龍驤はいるらしい。合流して、今後の策を練らねばならない。赤城の話は……いまは、ひとまず、置いておこう。
あぁ言っておいてなんだが、解決策などちっとも浮かんでいなかった。全てをたちどころに解決する魔法など存在しない。あれば俺が自分で使っているとも。
やるべきことも、前提として確認すべきことも、多岐にわたる。トラックへ着いてから一週間足らず、俺はずっと頭を回し続けているような気がした。だがそれでいいのだ。何故なら俺は前線には立てないのだから。
別段持論があるわけではなかった。ただ、いたいけのない少女を戦場へ送り出すからには、それだけの自らの責任と価値を自らが信じていなければならいような気がするのだ。
赤城は積極適邀撃論を唱えた。反攻作戦。こちらを攻めている相手の手薄な本丸を狙う、ハイリスクハイリターン。
58は赤城の選択を正しかったと判断していた。責任は赤城にはないとは繰り返し言っていたことだ。誰であってもそう決断し、誰であっても惨状を回避できないのなら、その責任を個人に問うのはおかしい。そう言う話。
俺も58には同意だった。いや、赤城の作戦の正誤判断が俺にできるはずもないから、選択によって得られた結果がたとえ失敗であっても、という部分についてだ。
未来はわからない。結果は知れない。だからこそ過程が大事なのだ。
正しい過程さえ踏めば、正しい結果を得られずとも、一連は正しくある。
ただ、幸せに生きられればよく、その結果死ぬことも許容できるというトラックの艦娘たちの姿勢に関しては、極論のような気がしてどうにも同意できなかったが。
決定の場に同席していた龍驤や大井が赤城について何も言わないのは、彼女たちも赤城の責を問うつもりがないからなのだろう。それでも誰かが決定をせねばならず、決定には責任がどうしてもついて回る。
赤城はその責任を果たそうとしているのだ。
自らの死によって? 否。赤城の鬼のような佇まいは、死に向かう人間のそれとは違う。赤城はあくまで死の淵に立っているだけだ。
信じられないことだった。まるで常人の発想ではない。
深海棲艦の殲滅。
赤城はそれを一人でやろうとしているのだ。
最初の邂逅で、彼女が言った通りに。
それが彼女なりの責任の取り方。
「……いや、無理だろ」
つい、独り言が漏れる。
そんなことができるなら、今までの海軍の労苦は、一体全体なんだったのかということになる。
敵は強大で、無尽蔵で、だからこそ俺たちは相互に協力し合わなければならない。そうしてこそ、初めて邀撃を成せる。それがわからないはずの赤城ではないはずだ。ならば意図的に無視しているのか。-
それはつまり、迂遠な自殺。
「……」
俺は58の魚雷を、友に向けさせるわけにはいかなかった。
「赤城……神通たち、は、……まぁいいとして」
この泊地には十二人の艦娘が残っている。
龍驤、夕張、鳳翔さん。
神通、雪風、響。
赤城、58、最上。
戦力としてカウントできるかは未知数だが、大井。
まだ見ぬ扶桑と霧島。
そして、俺の秘書艦として、漣。
現状、仲間は最上、大井、58の三人。とはいえ大井は戦闘に不向きだろうし、58に至ってはどれだけ手を貸してくれるかわからない。腕前は確かなのだろうが……。
神通一派の三人は、どうだろう。仲間とは決して呼べない。あちらはあちらの論理で動いているし、俺たちには与しないだろう。阿ったりしない強さを彼女らは持っている。
不幸中の幸いは、彼女らが深海棲艦を倒すことは、そのまま俺たちの利益にもつながるということだ。真っ向から対立する関係ではない。互いが互いに砲を向け合うことにならず、よかったと心から思う。それは龍驤たちについても同じだ。
その龍驤たちとは手を取り合ってこそいないけれど、ひとまず足並みをそろえるところまでは来たように思う。あの三人とは神通たち以上に目的が合致している。
泊地の再興であり、中長期にわたる深海棲艦の邀撃。それは個人が好き勝手にやってどうにかなるものではない。お粗末でも、人や資源を管理しなければ、到底為し得ない。
俺たちは人死にを減らす――究極的にはゼロにするためにそうするのに対し、あちらは艦娘個人個人の満足を追求するためにそうしている。その部分の違いは決定的ではあるものの、途中までの道程が似通っているのは、どちらも理解していることだった。
前向きに、神通、及び龍驤一派と協調路線が結べたと喜ぶならば、泊地に残存している艦娘の半分以上と手を組めたことになる。残るは赤城と、まだ見ぬ二人。
最上や大井の言葉を信用するならば、霧島と扶桑には期待できそうだ。まぁ、最上の言葉とは裏腹に神通に銃口を突き付けられた過去もあるが、それはそれとして。
だが、その裏で俺は形容しがたい蟠りを感じていた。不完全燃焼感、とでも言えばいいのだろうか。
順調にことが進んでいるように見えて、その実なあなあのままでやってきているだけ。俺はその事実が酷く恐ろしかった。
急いてもしょうがない。基盤を盤石にしてから次へと進んだ方が、結果的には早く済む。それでも俺はどうすればいいのかわかっていないのだ。
北上を探す。どうやって?
神通たちから信頼を得る。どうやって?
赤城を救う。どうやって?
なんとなく、このままでも前に進んでいけるのではないかという楽観が、警鐘を鳴らしている。
そうだ、俺を尾行していた相手の存在も、現状では不明瞭。消去法的に霧島か? 誰も知らない新たな艦娘がいる可能性は……いないことの証明はできない。が、相当に低い。
立ち止まって後ろを振り返ってみる。当然、誰もいない。気配もない。
もしかしたら尾行されているのは勘違いだったのか? 単に神経質になっているだけで、だからそんな有りもしない感覚を得たのか?
なら、あの玄関先の染みは一体?
泊地の入り口をくぐる。もうこんなところまで来てしまったらしい。
漣にメッセージを送ると、今は休憩室にいます、とのこと。場所を教えてもらい、そちらへ向かう。
たとえば神通たちは放っておいても深海棲艦を殺すだろう。赤城だってそうだ。だから、彼女たちのことを考える必要はないという結論を、俺は出せない。出せなかった。
完全に得られるものを追求するだけならば、神通の信頼も赤城の信頼も、さして価値はない。
信頼に、価値は、ない。
こめかみに力が入る。
それは虚飾だった。欺瞞だった。
なにより、そんなことを信じたくないのだった。
「……うじうじしてんなぁ、俺」
ぐちぐちしている、とも言う。
気が付けば随分と頭でっかちになってしまった。自身を理屈と論理で納得させなければ、自信を持つことすらできやしない。
正しい理屈や論理に裏付けられているからこその自信、そうではないのが猶更たちが悪い。理屈づけられている、論理立てられていることを、盲目的に担保としているだけに過ぎない。
結局は、自分で自分を誤魔化しているだけだった。
息が苦しい。自然と歩く速度が速まる。廊下の先に、休憩室の文字が見える。
「邪魔するぞ」
そこに酸素があるかのごとく、俺はドアノブを回し、飛び込んだ。
「あ、や、だめ!」
下着姿の漣の姿があった。
セーラー服に半分だけ袖を通し、ブラと、ショーツが丸出しになっている。隣の丸椅子にスカートがひっかけてある。
「あぁ、すまん」
謝罪して、扉を閉める。
思考に紛れはない。漣が着替えを終えるまでに、どこまで話すか、どこまでを胸の内に推しとどめておくか、最終判断を下さねば。
指揮をする立場の俺が信頼を擲つことは、決して許されることではない。艦娘の死の責任を、でなければ一体誰がとるというのか。
彼女たちの苦しみも、不幸な生い立ちも、全て彼女たち自身のものではある。だがそこに俺が、指揮する側の人間が無関心であれば、待っているのは悲劇だけだろう。
廊下の壁に背中を預ける。モルタルの壁はひんやりとしていて心地いい。
足早になりすぎていたのかもしれない。龍驤が言っていた可能性は、現実のものとなるだろう。いずれ俺は任を解かれる。トラックに飛ばされて、さらにそこからどこへ飛ばされるのか、まるで見当はつかないが。
だからといって彼女たちを疎かにしてはならない。以前自省したように。
その時に俺が何を成せたかは、深海棲艦の侵攻を喰いとめたかどうかよりも、彼女たちに何を残せてやれたか――あるいは、彼女たちに残ってしまった何かを、どこまで解消できたかが全てなのかもしれない。
存在価値。行動規範。
生きている理由。
がちゃり。そんな音ともにゆっくり扉が開かれ、漣が姿を現した。
なぜか顔を赤くして、こちらを睨みつけていた。
「……ご主人様、後ろを向いてください」
「後ろ? なんか汚れでもついてるか」
「いいから」
「……?」
言われるとおりに背中を向けた。
途端、尻に衝撃と激痛が走った。全力でぶっ叩かれたのだと、すぐにわかった。
「いってぇっ!?」
「人のしっ、下着見といて、なんですかあの反応は!
せめて恥らえ! あるいは恥らえ! さもなくば恥らえぇえええっ!」
べちんべちんと漣が背中をはたいてくる。さすがに女子中学生と言えど、全力での平手打ちはなかなかに響く。
「す、すまん、考え事を! いてぇっ! してた!」
「思春期の女子の着替えにぶっこんで! とらぶってんじゃないですっ! 草も生えないですーっ!」
べちんべちんべちん。
「おこ! 激おこ!」
べちーん、と一際大きな音が背中から響いて、漣は肩で息をしながら頬を膨らませていた。
「……いや、本当にすまなかった」
「……マジでそう思ってます?」
「思った。思ってる」
恥らえという漣の理屈はよくわからなかったが、異性に着替えを見られて喜ぶ女性もそういまい。
「……興奮しました?」
「は? してねぇけど……」
べちーん。
「いってぇ!」
なんなんだこいつ!
「べーっだ! ご主人様のへたれ! 根性なし! どうてー!」
「よくわからんが、他の奴らはどこにいった?」
「……」
漣は廊下に置いてあった丸椅子を自分のもとへと引き寄せると、それに座ってそっぽを向いた。
「漣」
「……」
どうやら本気で怒らせてしまったようだ。着替えを見てしまったのは本心で申し訳ないと思うが、どうにもこの年頃の女子の心の機微は理解できない。
困ったものだ、と頭を掻いた。どうすれば機嫌を直してもらえるのか。
甘いものでも買ってきてやればいいのか? ここはトラックだぞ?
「ん」
「ん?」
漣が手を差し出していた。上目遣いでこちらを見ている。
……立たせろ、ということか?
手に触れていいものか一瞬悩んだが、ここで行動を起こさなければ、また何を言われるかわからない。漣の手を取ると、別段嫌そうな顔はしていなかったので、握る手に力を籠める。
ぐ、とこちらへ引き寄せる。漣はその勢いに任せて起き上がり、俺の腰に抱きついてきた。
「なんだ。あちぃよ」
トラックは今日も快晴だ。湿度はそれほどでもないが、気温は相変わらず30度を超えている。
「ご主人様ってあれですよね」
あれってなんだ。どれなんだ。
漣の体温は高い。子供特有のものなのか、体質的なものなのか、艦娘がゆえのものなのか、判別は難しい。
シャンプーの香りだろうか? いい匂いが鼻を衝く。
少しして、なんだかとても変態じみた感想だなと、自己嫌悪。
「もうちょっとだけこうしてても?」
「……」
否やはないのだが、いいぞと即答するのも憚られて、返答代わりに俺は漣の頭をくしゃりとやった。
それを受けて、漣は俺のシャツをぎゅっと握りしめる。
「死ぬかと思いました」
「……」
それが昨日の激戦のことを指しているのだと、すぐに理解ができた。
「みんな、あんな世界で戦って、生き延びて、きてたんですね」
「……怖かったか」
「怖いって言うか。うぅん。怖くはないんです。死ぬことは怖くない。もっと怖いことは、本当に怖いことは……」
漣が唐突に俺を見上げた。頭一つ分以上の背丈の差があって、大きな瞳と艶やかな唇、桃色の髪の毛が視界いっぱいに映る。
不覚にもどきりとしてしまった。なぜか漣の頬が紅潮していて、俺にも伝染してしまったのだ。
「ご主人様、漣は……」
「神聖な建屋で何をしているのかしら?」
険のある声が響いた。漣は驚いて俺を突き飛ばし、距離を離す。
廊下の向こうからやってきたのは大井だった。こちらを多分に避難の色が含んだ視線で眺めている。そしてその後ろに……誰だ? 長身の女性。眼鏡をかけている。袈裟? 修験服? 巫女? どういうことだ?
いや。俺ははっとした。消去法は単純だが、効果的だった。
「……お前が霧島か」
「そうです。お初にお目にかかりますね、提督」
なんのために俺を尾行していた? 喉元まで言葉が出かかったが、すんでのところで嚥下に成功する。
それはおかしい。理屈に合わない。
理屈と論理がたとえ全てではないとしても、いまこそはそれらを信ずるに値するときだった。
霧島が本当に尾行していたのなら、こんなタイミングで出てくるはずがないのだ。
尾行する目的は二つに大別できる。情報を秘密裡に得たいか、それとも何かの機を窺っているのかだ。
仮に前者であるのならば、そこまでして手に入れたい情報とは何か、疑問が生まれる。信頼に足る人間か知りたかった? 裏を抱えた人間と踏んで、本心を知りたかった? だが俺は尾行者の存在に気が付いている。腹に一物があるとして、それを呆気なく曝け出したりはしない。
そして後者であるのならば、それこそ理屈は破綻していた。機を窺うのは効果的な場面で現れるためだ。俺は、今がそうだとは、どうしても思えない。
「私の顔に、何かついていますか?」
「……いや。知り合いに少し似ていて、驚いただけだ」
虚実を織り交ぜた言葉は多分に効果的だったらしい。大井と霧島はそれ以上追及することなく、俺たちを追い越して廊下の先を急ぐ。
「本当は今後の話をしたいのですが」
霧島は眼鏡の位置を直しつつ、言う。
「今は急いでます。あなたも呼ばれたんでしょう? その後でもいいですか?」
「呼ばれた? 誰に?」
「龍驤よ」と大井がそっけなく返す。「扶桑が意識を取り戻したって」
―――――――――――――――――――――
ここまで
漣のビジュアルは最初期のがころころしていて好みではあるんですが、
最近のほうが活発なキャラクターにはあっていて、どちらも良し!
待て、次回
あと、過去作知っている人がいて驚きです。何年前だよ、って感じ……
あと、過去作知っている人がいて驚きです。何年前だよ、って感じ……ありがたいことです。
プロットとかなんも考えずに書いた過去作とは違い、今回はきちんと踏襲しながら作っているので、
行き当たりばったりの破綻はない……と、いいなぁ。
なるべく1スレで終わらせるよう頑張りますので、よろしくお願いいたします。
医務室は同じ建屋にあった。医務室と言ってもしっかりとした作りのそれではなく、なんとか破壊を免れた一室に、ベッドや薬品や包帯などを詰め込んだだけのものらしい。
「入るわよ」
とノックに応えがあるよりも早く大井は医務室の扉を開いた。真っ直ぐに前を見据えた大井の表情からは、普段の飄々とした余裕は掻き消え、心なしか苛立っているようにも見える。
大井の次に霧島、そして俺が続き、後ろに漣。
「意識が戻ったんだってな。よかった」
「……どうしておっさんが?」
俺の姿を認めて龍驤は僅かに眉を顰めた。霧島は自分たちが龍驤に呼ばれたのだと言っていた。しかし俺は呼ばれておらず、漣も同様。つまりは招かれざる客ということだ。
部屋の中には龍驤と夕張、鳳翔さんがベッドを囲んでいた。少し遠巻きに最上。なんと神通もいる。窓際へ腰かけて目を瞑っていた。
ベッドの上には儚げな雰囲気を湛えた女性が伏し目がちに横になっている。どうやら彼女が戦艦扶桑その人のようだ。
火傷と打撲痕が眼に見えて酷い。顔の左半分は大きくガーゼが当てられている。痛々しさこそあれど、命にかかわるような大きな怪我は見えないが、それ以上に消耗が酷いと感じて口を噤む。あの化け物相手、命があっただけでも儲けものだ。
「私が連れてきたわ」
大井が龍驤に向かう。すると龍驤は「お前が?」と口の端を釣り上げた。「珍しいこともあるもんやな」。笑っているようで、その実笑っていない。
「こいつは私の手足なのだから、同席を許可してもらえないかしら?」
なったつもりは毛頭ないが、口を挟むほどの野暮ではない。
「断ると言ったら?」
「退席させるわ、勿論」
あなたとやりあうつもりはないのよ、と言外に大井。
「そっちのお嬢ちゃんは」
「私の管轄外。この人についていくでしょ」
「龍、驤」
扶桑がここで初めて口を開いた。口内に何か詰め物をしているような、喋りづらそうな声色だった。
「わたしは、べつに、構わないわ」
「悪いが扶桑、黙っててくれんか。話はあんたとウチだけの問題やのうなってしもうとる」
「それでも、戦力は、多いに越したことは、ないのでは?」
「低練度の駆逐艦一隻を戦力に数えるほど耄碌した覚えはありません」
それまで沈黙を保っていた神通がおもむろに言う。意図して棘のある言葉を選んでいる。それがわからない俺ではなかったし、漣でもなかった。
背後で漣が拳を握りしめている。事実に対して突っかかることほど虚しいものはない。
そんな言い方をしなくても、と最上が困ったふうに窘めた。神通は依然窓際に腰を掛け、目を瞑っている。
……俺はそんな彼女を「らしくない」と思った。たった一度や二度会っただけの人間に対し、一体何様だと思われても仕方がないかもしれないが、ここで漣に対して喧嘩を売ることに何の意味があると?
「耄碌はともかく……矜持と、リスクマネジメントの問題や。物事には順序っちゅーもんがある」
「戦力の逐次投入は愚策だって、それこそ神通なら知っているんじゃないのかい? ボクはやっぱり、可能な限りの最大数で当たるべきだと思うよ」
「最上、ウチとあんたじゃ目的が違う」
「目的? 今更そんな言葉を担ぎ上げてどうするっていうのさ。
敵の全容が知れない今、全力で以て当たることしかボクたちにはできない。それが龍驤の言うリスクマネジメントじゃないの?」
「全容が知れないからこそ、無責任な情報の拡散はすべきでないと、私たちは考えています」
訴えかけるように鳳翔さん。彼女自身それが最善手なのか自信が持てないでいるようだった。
それに夕張も続いて、
「まずは情報を確定させること。集まってもらったのは、そのための手段をどう講じるかを話し合おうと思ったの」
「ほうやな。扶桑を信じてないわけじゃないが、俄かには信じがたいのも確かや。それは最上、あんたもそうやないんか」
「……だからこその、念には念を入れ、だと思うけどね」
「平行線やな」
「だね」
議論は紛糾している。だがしかし、彼女たちの言葉は俺の耳を素通りしていくばかりだ。
それは漣も同じだったらしい。俺の服の裾をくいくいと引っ張って、何事かとそちらへ視線を向けてみれば、理解に助けを求めるような目線を向けてきやがった。
扶桑が目を覚ました。彼女は何らかの情報を持っていて、それはこれまで誰も知らなかった新しいもののようである。その対処について、いま議論は割れている。
「……なにがあったんですか」
漣の勇気が張り詰めた空気を震わせる。龍驤と最上のみならず、この場にいた全員が漣を見る。
数多の視線を受けてなお、漣は怯まなかった。寧ろ撃ち返さんとばかりに言葉を紡ぐ。
「大事なことなんですよね。皆さんにとって、きっと、多分。だから漣たちには知られたくない。触れられたくない。違いますか。大事なことを、……外様に、……もっと言っちゃえば、敵かもしれないやつらに、関与して欲しくないから」
人手が多い方がいいのは正論だ。だが正論だけで人が動いているわけではない。
「心には聖域があります。決して踏み越えてはならない一線があります。漣はみなさんの胸の内に、土足で上がることをよしとは思いません。それはご主人様もおんなじで、そこだけはみなさん、信じてくれませんか。トラックに来てからの一週間では、まだ不足ですか」
「人情話は苦手や、ウチはな」
龍驤は冷たい眼をして言った。
「あんたらに期待して、また裏切られたら、今度こそほんまもんの道化や」
いや、違う。俺にはわかる。それは龍驤の本心ではない。
龍驤は、第二、第三の赤城を作りたくないだけなのだ。
「ちょっとだけいい?」
挙手をして、ここでようやく霧島が中心へと躍り出る。
「わたしは賛成よ、この人たちの協力を仰ぐのは。目的――最上は否定的だったけど、わたしとしては、人生ってのは目的に向かうことにより推進力が得られると思っているから、少しその言説には否定的ね。
で、なんだっけ。そうそう、目的。わたしは当然みんなに協力するし、この人にも協力を惜しむつもりはないわ。無念に絡め取られるなんて虚しいのはごめんだもの。そうじゃない? 龍驤」
「……」
どうやらその言葉は龍驤にとってはクリティカルだったようだ。何かを言おうとして、破綻していると気付いたのか、はたまた結局思いつかなかったのか、空気を飲み込む。
「大井がこの二人も、というのなら、そうするべきなんじゃない? だって一番当事者に近いのは、大井なんだから」
「別に我を通すつもりはないわ。どうせ私は、海に出られないのだし」
「だけど、何とかしたいと思っている。狂おしいほどに」
「……」
強い肯定の意志を感じた。それを堪える、より強い自制と卑下も。
……俺は、もしかしたら自分が気づいてしまったのかもしれない、ということに眩暈を覚えた。俺が一声あげれば、恐らく誰も協力を拒否はしないだろう。そのような立場にいる自覚はあった。
だが、いまこの場を制するのは、絶対に俺であってはならないという確信も胸中にはある。
信頼を勝ち取りたい。
体中を焼き尽くす焦燥の念。
「おっさん」
「……なんだ」
「大井を裏切ったら殺す」
バイザーの目庇の奥の瞳は、それが単なる脅しではないことを如実に示している。裏切ったら。単なる失敗を指しているのではない。大井の心を蔑ろにすることを決して許さないというサイン。
「神通さんは」
漣が問うた。神通は漣を一瞥し、物憂げに何かを考えているようではあったが、その深謀は知れない。
「……別に構いません。ただ、独断専行は止めてほしく思います。必ず、全員で。それが徹底できるならば。
全員で集まり、全員で話し合い、全員で稟議にかけ、全員で取組み……」
自らの細い手首を、もう片方の手できゅっと掴む。
「全員で、生きて帰ると約束できるならば」
「全員とはいってもね」
霧島が苦笑しながら部屋を見回した。
「赤城は? 58は? 神通、あなたの部下二人がそもそもいないじゃない」
「赤城は『関係ありません』だと。58は既読スルーや」
「雪風と響には、それぞれ休息と哨戒を交互に。海域を無人にはできませんから」
「なるほどね」
「……で。唐突な話で申し訳ないのだけれど、そういうことになったから。精々よろしくね、『ご主人様』」
俺の肩にぽんと手をやる大井。冗談交じりの文言とは裏腹に、その口調はどこまでも真剣みを帯びている。それこそ、文字通り、触れれば指が落ちんほどに。
「なら、何があったかを教えてもらえるんですよね」
漣の言葉に不思議と大井が、神通が、霧島が、最上が、ぴくりと反応する。
自然と扶桑に視線が集まった。どうやら、全員が全員詳細な事情を把握しているわけではないらしかった。
極々重大な要点だけを掻い摘んで、通信か何かで伝播されたのだろう。大事な部分のみを知っているがゆえの焦燥感。大井も、神通も、龍驤でさえ普段と違うように見えるのはそのためだ。
扶桑は痛々しい笑みを浮かべている。そして視線で龍驤へ伺いを立てた。喋ってもいいんですか、と。
それに対して、臙脂色の軽空母は重々しく頷く。
「まず、わたしは、お礼を言わねばなりません。ありがとうございました。助けってくださって、本当、感謝しています」
「それは筋違いですよ、扶桑さん」
「鳳翔さん」
「仲間は助けるものです。助け合うのが仲間。違いますか?」
「親しき仲にも礼儀あり、ですから。
……では、わたしが三体の深海棲艦に襲われたあの夜の話を、致しましょう」
おい、待て。
「3体?」
「黙って聞いとれ、おっさん。ウチらは今から、『その』話をするために集まったんや」
「わたしは基本的に、漁船の護衛などをして、活動しています。その日は夜に漁を出るとのことで、十一時過ぎ、でしょうか。詳しい時間は覚えてませんが、それくらい、だったかと思います。
漁も終わりに近づき、最後のウインチが巻き上げを開始した、そのときでした。大きな衝撃と、爆発音。船が揺れて、傾き、急速にその均衡を失って……」
すぐに、この船が沈むことはわかりました。それは誰の目にも、明らかでした。
わたしは人員の避難を優先させ、救命艇が落水するのを見届けると、すぐに発進したのです。機関部の故障ではありえないほどの規模の爆発。考えられる可能性は、たった一つしかありません。
深海棲艦。
扶桑の訥々とした喋りに俺は聞き入る。一言も聞き漏らすまいと。
「最初に、わたしを襲ってきたのは、雷撃、でした。巨大な爆発に、大きく吹き飛ばされて、しかしこれでも、戦艦の端くれ。即応して、反撃を試みましたが、艦載機による波状攻撃……えほ、げほっ」
「あんまり無理して喋らんとき。時間はある。一時間が二時間でも付き合うよ」
意識を取り戻したばかりだというから、当然本調子ではないのだろう。包帯やガーゼのせいで口を動かしづらいというのも、きっとある。
「時間なんて……!」
しかし扶桑の懸念はそこにはないようだった。掛布団を強く握りしめている。
「……助けてくれた際の話は、龍驤さんから、ある程度は聞いています。青い気炎のヲ級、そして新型と交戦したと。ですが、わたしは、見ました。見たのです。三体の深海棲艦を!」
「私たちが作戦海域に到着した時、既に離脱していた一体がいる。そういうことですか」
漣の納得。だが、話の続きがあることを、俺は知っている。真偽が問われているのは三体の深海棲艦がいたかどうかではない。さらに一歩踏み込んだ先にある。
「わたしは、あれは……でも、もし本当に、そうだとしたのなら、嘘であって欲しいと、見間違いであって欲しいと……」
「端的に答えて」
大井は扶桑の瞳を覗き込んだ。
「あなた北上さんを見たのね?」
北上。
艦娘。
大井の実妹。
そして、話の流れからして、北上が実は生きていて、扶桑を助けてくれた――そんな良い情報でないことは自明だった。
「……確信は、ない。断言もできない。ただ、数年一緒に、戦線に立っていたもの。姿かたちは、声は、雷撃の威力は、わたしには、そうとしか思えなくて」
「でも! じゃあ!」
空気を破裂させたのは、想像通りに漣だった。現実に理解が追いついていないのだろう、助けを求めるかのように周囲を見回す。
「北上さんは生きていて、でも、その、深海棲艦と行動を、それって……!」
「うっさいわ! お嬢ちゃん、少し黙れや。最初に言うたやろ、ウチらは扶桑を信じるが、信じられんこともあるって。
そのために召集をかけた。やるべきことは真実を明らかにすることや。事実はどうでもえぇ。そのために何ができるか、何をすべきかを、ウチらは考えにゃならん」
「真実……?」
「事実は扶桑が言ったとおりや。漁船護衛しとった。深海棲艦に襲われた。そこに北上……『らしき』敵の姿があった。だが、それは真実やない」
「まずその北上さんに似た敵が、本当に本人なのか。ただ似ているだけの新型の可能性も十分にあります。もし単なる勘違いであれば、それは十全でしょう。
ですが、もし万が一、本人であるとするならば。なぜ深海棲艦と行動を共にしているのか……私たちを裏切ったのかを突き止めねばなりません」
「神通!」
踏み込んだ神通の言葉に最上からの叱責が飛ぶ。
「滅多なことは言うもんじゃない! ここには大井もいるんだ!」
「どのみち考えねばならないことでしょう。大井さんともあろう方が、その可能性を除外した思索を展開しているとも思えません」
「最上には悪いけど」と霧島が挙手を伴って発言する。「人を慮ってばかりだと機を逸するわよ。真実如何によっては――」
霧島は窓の外を見た。恐らくそちらには海が広がっているはずだった。
「……友軍が来なかった理由もわかるかもしれない」
「それはっ!」
「最上さん!」
「もがみんさん!」
激昂。最上は我慢ができないという様子で詰め寄り、霧島の胸ぐらへと掴みかかった。慌てて夕張と鳳翔さんが割って入る。
しかし彼女は梃子でも動く気はなさそうだった。荒く息を吐き、きつく相手を睨みつけている。
「撤回しなよ」
「いやよ」
「撤回しろ! 北上を侮辱するのもいい加減にしろ!」
「しないわ」
今度は立場が逆だった。最上の胸ぐらを霧島が掴み、それぞれ額がぶつかるまで顔が近づく。
「じゃないと、わたしは何のために生きているのかわからない」
獣の咆哮にも似た声音。血走った彼女の瞳は、何が何でも譲れない領域の存在を、如実に示している。
北上が本人であるか、それとも他人の空似であるかは、今議論しても詮無いことだ。結論は出ない。手段として、実際にその個体を確認するまでは、宙ぶらりんのままにならざるを得ない。
そして北上が、もしも、最悪の場合として本人だった場合、なぜそんなことになってしまったのか。
深海棲艦に洗脳されてしまったのか? それともスパイとして潜り込んでいるのか?
……考えたくないことだったが、本人の意思か。
58は言っていた。友軍の申請は確かに出したと。それなのに助けは現れず、泊地は壊滅し、人は死に、誰もかれもが傷ついた。
本当に申請はされていたのか? 何らかの邪魔が入ったのではないか?
北上が、深海棲艦の回し者だったとして、それを現段階の「事実」からでは誰も否定できないのだ。
最初、この部屋に渦巻いていた歪な空気。きっと誰もがその可能性に行き着いていたに違いない。
否定したくて否定したくて堪らないのに、否定できない歯がゆさ。
事実よりも真実を、と龍驤が言ったのは、そういうことだ。
「最上、外の空気吸って落ち着いてきぃ。鳳翔さん、悪いけどついってってくれんか」
「わかりました」
力なく最上の手が修験服から離れる。眼尻に涙を湛え、せめてそれを零さんとしている姿は心に響いた。
「で、どうするの? 当面は仮称・北上カッコカリを捜索するって感じでいいの?」
「夕張、その名前はどうかと思うわ。
私としてはもともとそれが目的なのだから、やることにあまり変わりはない。手足もきちんとあることだしね」
流し目で俺たちを見てくる大井。
手足になる覚悟はいくらでもあった。だが、俺はそう思いつつも、大井のことを想う。聡明であることは枷にもなり得る。理性で押し留められることには限界があって、大井も例外ではない。
一番この中で感情が嵐と化しているのは、誰よりも彼女であるはずなのに。
俺たちは互恵関係にある。労働力を差し出す代わりに、智慧を借りる。
北上を見つけてほしいと彼女は俺たちに言った。大井はどちらを願っているのだろうか。件の深海棲艦が、自らの実妹であったほうがいいのか、はたまた。
「……一旦解散やな」
「龍驤?」
「勘違いすんなや。各自着替えやら喰いもんやら飲みもんやら……必要なモンもって、夜にまた集合や。ウチらはどうすべきなのか、ここで決着つけんと、おちおち寝られもせんやろ」
「……ん、わかった」
真っ先に応えたのは夕張だった。無論彼女も言いたいことや聞きたいことは山ほどあるのだろうが、全てを飲み込んで、夜に回すつもりなのだろう。
次いで神通が部屋を出る。最後まで一切こちらを振り向くことはなかった。
「わたしも行こうかな。それじゃあ、また夜に。……提督も」
霧島が手をひらひらとさせて壁の向こうへと消えて行った。まだ俺は霧島のことをよく知らない。行動原理と目的がどこにあるのか、それを知るまで評価も信頼もおあずけだ。
「長い夜になりそうやね」
それだけ言って、龍驤も出入り口へ向かう。
廊下へと踏み出して、こちらを振り向いた。
「大井、ちょっちツラ貸しぃや」
「カツアゲかしら。怖いわ」
「そんな冗談吐く余裕があるなら十分やな」
二人揃って、いなくなる。
残ったのは俺と漣、そして扶桑。扶桑と目があうと、彼女はにこりと微笑んだ。今も激痛に苛まれているだろうその体で。
「こんにちは。はじめまして」
「……不幸だったな」
「えぇ、そうね。不幸だわ。いっつも、こうなの。ふふ。でも、不幸中の幸いよ。僥倖。命があるわ」
「北上は、その、どうだったんだ」
「どうだったんだ、と言われても、ね。陽気で、朗らかな、楽天家。雷巡、北上。三つ編みの、ほっぺたが柔らかい、セーラー服の……」
「本人そのものだったのか? 闇夜だった。探照灯や照明弾は積んでいなかったんだろう? 漁船が沈んでいるなら船の灯りも大して役には立たなかったはずだ」
「爆炎と、水しぶきで、この目でしっかりと見たわけでは、ないの。ただ、あれは、わたしたちが今まで戦ってきたような、そんなやつらとは違っていて……人型。そう、人型が二人いて、おどおどろしい笑いと、鳥肌が立つような寒気が、あった。
シルエットは酷似していた。大井さんが、彼女を探していることは、知っていたから、つい呼んでしまったの。『北上さん!?』って。そうしたら、あっちは動きを止めて、……雷撃をしてきたわ」
「……」
「自信はなかった。だから、龍驤さんに言うのも、最初は悩んだ。だけど、少しでも、何らかの助けになれば、そう思って……」
少し扶桑の顔色が悪くなっていた。俺はそれ以上話すことをやめさせて、漣を促し部屋を出ようとする。
どうせまた夜に集まりがあるのだ。それならば、全てはその時でいい。いま扶桑を酷使することに意味はない。必要なのは休息。
「提督、みなさんを、よろしくお願いします」
「……俺が? どうして」
まるでそんなことを言われるとは思っていなかった。思わず歩みを止め、振り返ってしまう。
「わたし、みんなにこう言って回っているんです」
俺は苦笑した。なるほど、なかなかの策士のようだ。
「任せてください!」
漣がサムズアップで応えた。
―――――――――――――――
ここまで
北上ィ、お前出てくるの遅すぎなんだよぉ!
あと霧島も。これでようやく全員揃って、プロローグ終了です。
待て、次回。
乙
傭兵は結局シリアスが重すぎたからこっちではイチャイチャをじっくりと楽しみたいな
>>429
シチュエーション的にいちゃいちゃしてる余裕ないのが申し訳ないです
目を覚ました。部屋は空気が籠っている。
五感の中で真っ先に働いたのは、鼻だった。
酒と、清涼飲料と、菓子と、カレーの匂い。汗と、鉄と、ひとの匂い。饐えた毛布と、薬液の匂い。
扶桑はベッドで眠っていた。そこに倒れこむ様に、最上と夕張。
龍驤は部屋の隅で膝を抱えて体育座り。頬を壁に預け、時折バランスを崩して身を震わせた。スカートの中が見えそうになって、俺は慌てて目を逸らす。
毛布にくるまって眠っているのは鳳翔さん。漣も潜り込んでいて、鳳翔さんに抱きしめられたまま、心地よさそうな顔をしている。
やけに足が痺れると思えば、神通が俺の太ももを枕の代わりに、すやすや寝息を立てていた。きりりと引き締まったいつもの表情はどこにもない。必要以上に責務の中に自らを置くことは、夢の中では流石にしていないのだろう。
大井と霧島の姿は見えなかった。大井はわかる気がする。あいつは誰かに寝顔を見られるのを殊更に嫌がりそうな女だ。誰とも馴染みそうにない。
俺は起こさないように、神通の頭をそっと避けてやった。
「お父さん……」
言葉が零れたのを聞き漏らさなかった。いや、聞いてしまった、というべきか。
当たり前だが、こいつら全員に家族がいるのだ。俺とは違う。その隔たりは、決心を強固にさせるには十分だった。
こいつらを沈めさせるわけにはいかない。
立ち上がる。固い床で眠っていたせいか、体の節々がごきり、音を立てる。眠りが浅かったのか頭はまだぼんやりとしていて、本調子ではない。
大きく伸びをして深呼吸。新鮮さとは程遠い、ごちゃまぜになった空気が肺を満たす。
清涼感を求めて廊下へと脚を進めた。
現在時刻は正午に差し掛かろうとしていた。随分と眠っていたものだ。いや、議論がいつまで続いていたのか、覚えはない。最後の方は意識が朦朧としていた。気づけば寝落ちしてしまったのだ。
病床の扶桑が疲れのためか真っ先に眠りに落ち、鳳翔さんもすぐに後を追った。漣はうつらうつら船を漕いでいたが、意識が飛びそうになるたびはっと眼を覚まし、大丈夫アピールをしていた気がする。それでも日付が変わるくらいには入眠していたはずだ。
結局俺の意識の中では、残っていたのは龍驤と大井、そして霧島だった。
昨日、あのあと。
俺たちは家へと戻り、簡単にシャワーで体の汗を流すと、着替えてすぐに出た。そうして泊地までの道すがら、屋台でいつぞや食べたフィッシュアンドチップスのまがい物をそれぞれ買い、軽く腹ごしらえしてから臨もうとしたのだった。
「どうしますか、ご主人様」
漣の尋ねに対し、なるようになるさと返す。それを受けて漣は頬を膨らませた。
「そんなんでいいんですか?」
「お前の気持ちはわかるけどな、あいつらの気持ちもわかる。だろ?」
「うー、そりゃそうですけどぉ。
漣だって別に、わざわざデリケートな部分に突っ込んでくほど馬鹿じゃないです。でも、でもですよ? 扶桑さんが見たという個体が単なる他人の空似だとしても、裏を返せばそれは、漣たちが戦ったあの新型と同レベルのやつがいることになりますよね。
で、北上さん本人だったとしたら、それはそれで非常にまずいことじゃないですか? 対応を後手に回すほどの余裕? 余力? が今のトラックにあるとは、漣にはどうしても思えなくって」
「その判断は正しいと思うが」
決断には責任が伴う。彼女らはみな、責任を負うことを恐れているのではない。責任を負えるほどの覚悟がないことを、わかっているのだ。
最悪の最悪、北上が裏切り者だったとして、砲を向けることができるのか。全てはそこにかかっている。
それでも、因縁を断ち切るのは彼女らの手でなければならないと、俺は半ば盲信していた。漣の手ではなく、勿論俺の手でもなく、自らの道行を決めるのはやはり自らであるべきだと思ったから。
矛盾することではあるが、だがしかし、因縁に囚われて引き金を引けないことこそが人間らしくあるとも思う。
「ご主人様はどう見てます?」
「判断材料が少なすぎるな。何を言ってもあてずっぽうだ」
「もー! そんなのはわかってますよ、ばかちん!
大事なのはパターン分けじゃないんですか。漣たちはタイトロープの真っ最中なんですから、右に落ちるか左に落ちるか、それぞれの応じ手を講じとかないと」
「それこそ意味がねぇだろう。戦って、倒す。それ以外に俺たちに何ができる? 右に落ちようが左に落ちようが、やるこた一緒だ」
「んー……」
問題は恐らく俺たちには存在しないのだ。
「まぁ、そこは信じます。ご主人様にならいますんで」
それはありがたいことだった。
そのまま少しの雑談を交わし、医務室へと脚を踏み入れた。俺たちがやってきたときにはすでに大半が座しており、大井と霧島を残すだけとなっていた。その二人もじきにやってきて、ついに会議が始まる。
漣はタイトロープという言葉を使ったが、それは言い得て妙だった。右に落ちるか、左に落ちるか。どうなるかはその時が来るまでわからない。丁半博打と同じだ。
ある種考えても無駄なことなのだ。北上が本人であるかどうかは、実際に会うより他になく、扶桑の曖昧な情報から類推することに利があるとは全く思えなかった。無聊ですらない、心の毒。
だから漣の道中での言葉は正しかったのだろう。パターン分け。それぞれの応じ手。あるいは、そこまでの道すがら。
自分たちはどうすればいい。そもそも積極的に北上を捜索しに行くべきなのか、それとも普段の生活を送りながら偶然の接触に期待するのか。その人員配置は? 誰が参加する? ローテーション? 役割固定? 赤城は? 58は? 考え出せばきりがない。
「北上は探す」
開口一番に龍驤がそう言った。
「ウチは募集をかけるよ。参加したいやつだけ参加すりゃええ。扶桑が接近遭遇した海域を中心に、虱潰しにあたるつもりや」
「あの新型がいるかもしれないのに、ですか? 希望者が一人や二人で哨戒しては、扶桑さんの二の舞ではありませんか?」
神通がすぐさま異議を唱えた。とはいっても、それは方法論にであって、北上を探すという結論に対してではないようだ。
龍驤の決断には、無論彼女が言っていたような矜持やリスクマネジメントもあるのだろうが、何よりも大井を想ってのような気がした。こうでもしなければ、大井は独りで海に出そうだと判断したのだろう。
少なくとも、俺ならばその危惧が頭から離れない。
「まぁそうやな。神通の言う通りや。んで、じゃあ、もし北上を探すっちゅーたら、手伝ってくれるやつは何人おる?」
真っ先に手が上がる――大井。
「あほ。病弱の手ェなんぞ借りれるか」
「龍驤、あなたは私に、無能の烙印を押したいの?」
「あんたの智慧は死ぬほど役に立っとる」
「そういうことじゃない。私を、『大事な妹の一大事に、何もせずただ見ているだけの女』にさせたいのか、って聞いているのよ」
「なら」
ここしかない、と思った。部外者の俺が発言できる数少ないタイミングを見逃すわけにはいかなかった。
「俺と漣で、大井を守ろう。どのみちこっちも漣一人にはできん。神通の言うことももっともだと思うしな。
もし無茶をしそうだったら、ぶん殴ってでも止める。それでいいか? 龍驤」
「ちょ、まっ、ぶん殴るのはご主人様じゃなくて漣だと思うんですけど!」
「じゃあボクも見張るよ。何があっても、心残りができるよりは、きっといい。大井さんは強い人だから」
最上はそう言って大井の横に座った。顔を大井の肩に乗せ、くくくと悪戯っぽく笑う。
「……まったく」
心配性なんだから。呆れたふうを装っているが、安堵の色は隠せていない。
「……」
龍驤は俺を細目で一瞥した。少しの思考の沈黙があって、口元を歪めて笑う。
「まっ、ええんやない? 神通もそれで文句はないやろ」
「文句と言いますか」
挙手。
「私も……いえ、私たちも、捜索には参加します」
「ええんか?」
「勿論です。私の目的は、響と雪風を鍛えることですから……近海でイ級ばかりを倒しても、しょうがありません。
それに、……龍驤さん。あまり私を、冷たい女だと思わないで欲しいんです。たとえ苦しみが伴ったとしても、私は前に進みたい」
「……ほうやな。ほうやったな。すまんな」
「いえ」
「当然あたしたちも手伝うよ! ね、鳳翔さん」
夕張が鳳翔さんに後ろから抱きつく形で手を挙げ、もう片方の手で鳳翔さんの左手をとり、ぐいと持ち上げた。
「勿論ですとも。また漁船が襲われて、民間のかたに多大な犠牲が出てからでは、面目がありません」
「私も、手伝いたいのですが」とおずおず挙手をする扶桑。「まずは、怪我を治すことに、注力すべきです、かね」
「慌ててもしょうがないやろ。怪我人は怪我を治すことが仕事や」
九つの手が挙がった。残る一人、霧島に視線が集中するのは当然のことだった。
「私? 私は、そうねぇ」
「霧島。これは、完全に個人的なお願いよ。私に力を貸してはくれないかしら」
真っ直ぐな言葉。馬鹿にしているわけでも、見縊っているわけでもないが、大井がそういう物言いができるということが、俺には新鮮に映る。
きっと、もっと見栄えのいい言葉を使うことは容易だったはずだ。霧島の利益を標榜したり、深海棲艦の戦力を削ぐ一助であることを強調したり。だが大井はそうはしなかった。そうしないことを選んだ。
俺は思わず頬が緩む。
霧島の手が挙がったのを見たからだった。
どこまでが龍驤と大井の描いた絵図だったのかは、この際気にしないことにした。北上の捜索。大井は捨て置けない。仲間を想う気持ちを利用した、二人の茶番。
利用されたというのに、この心地よさはなんだろう。
「よっしゃ! 未来は決まった! 決意は固まった! 今日はええ日や!」
おもむろに立ち上がり、龍驤は薬棚から何かを引っ張り出した。ボトル。頭部は黒く、白いラベルが貼ってあるようだ。中には赤みを帯びた琥珀色の液体が入っている。
薬液じゃないな? なんだ?
「ひひっ。これで乾杯といこう」
龍驤はボトルをくるりと回し、その白いラベルが俺たちに良く見えるよう向けた。
「……山崎かよ」
「しかも二十五年や」
おいおい、数年前の時点で四十万以上していた気がするが。本気か?
漣を初めとする未成年たちはぽかんとしていた。俺と霧島、そして大井は、別の意味でまたぽかんとしている。
「よくもまぁそんなものを、こんなところに……」
「軽空母どもは蟒蛇ばっかやったからな。あんなやつらにはトリスでも飲ませときゃええねん」
「気持ちはわかるけれど、まずは北上さんの捜索について、詰めるべきところを詰めないの?」
大井が正論を吐く。
「乾杯してからでええやろ。どのみち全員でお手々繋いでー、とはいかんやろうしな。おっさんチームとウチのチームに別れて……」
「俺が? いいのか?」
こいつは俺の参加を反対していたはずではなかったか。
「今更おっさんを『はみご』にしたってしゃーないやんか。手伝ってくれるゆうなら、きっちりこき使う主義でな。
おっさんとこが漣、大井、最上、霧島、神通。
ウチんとこが、ウチ、鳳翔さん、夕張、雪風、響。これでどうや」
「霧島と神通を? ありがたいが……そっちは大丈夫なのか?」
見縊っているわけではないが、軽空母が二隻に軽巡一隻、駆逐艦二隻なんて構成は、火力不足にしか思えなかった。
「はっ、いっちょまえに心配しよって。そっちは病弱とお嬢ちゃん連れて、ハンデもハンデ、大ハンデや。
鳳翔さんと夕張は連携し慣れとるし、雪風と響も神通に鍛えられてる。心配はなんもない。大体、現状の主目的は捜索や。見敵必殺? 古い古い。案外機動力に優れたこっちのが、向いとるかもしれんで?」
なるほど、そう言う考え方も確かにある。
漣が戦力外だとは俺には思えなかった。事実、先だっての新型との戦闘では、落伍することなく食らいついていたように感じる。それでも、龍驤や神通といった歴戦の面々にとっては、やはりまだまだということらしい。
大井は58が泊地で上から三番目だと言っていた。それはそれで驚きだが、トップツーはならば龍驤と神通か? いや、赤城もいる。難しい問題だ。
「よろしくね」
霧島が俺にそっと耳打ちをしてきた。わざわざそんな内容にも思えず、俺は怪訝な表情をしていたのだろう、霧島はこちらを見てふふっと笑う。
「まぁその話はおいおい、ってことで。酒の席でする話じゃあないので」
「神通はそれでええか? 響と雪風、こっち預かりでも」
「構いません。粗相がなければいいですが」
とくとくとく。特有の音を響かせて、ほんの僅かにとろみのある液体が、瓶からグラスへと注がれていく。
龍驤が手酌で山崎を空けていた。かぐわしい芳香が、快楽にも似た刺激を俺の鼻へと与える。まさしくいい酒の証だった。
「ちょっと、龍驤」
大井が窘めようとするが、言い終わるよりも早く、龍驤がグラスを彼女へと渡す。
「ほれ。いい酒や、飲まずにおくには勿体ない」
「あなたねぇ」
「ウチはまさか、また人がこうやって集まるとは思うとらんかったよ。在りし日を思い出す。
……なぁ大井。まるでウチらがまともに戻れたみたいやんなぁ」
「……」
沈黙が場を支配した。どこまでいっても彼女らは、今を生きてはいないのだ。
いつか赤城が笑い飛ばしたように、トラック泊地の艦娘は、誰もかれもがみんな亡霊である。
意を決したのか、ひったくるようにして大井がグラスを奪い取った。その勢いのままにあおろうとするも、気化したアルコールの強さを感じたのか、グラスの縁に口をつけた状態で急減速。そのままちびり、口に含む。
「――ッ!」
顔を顰めた。煙草の吸い方は堂に入っていたものだが、アルコールの方はからきしらしい。案外、暇つぶしに煙草を覚えたというのも、本当なのかもしれない。
大井は眉間に皺を寄せつつも、その対抗心に燃えたような瞳は依然として残っていた。
「……そう言われちゃ、呑まないわけにはいかないわ」
グラスが鳳翔さんに回り、霧島に回り、扶桑に回り、神通に回り、……漣に回って、俺に回った。
いいのか? と尋ねると、誰からも返事はない。ただ黙って、こちらを見ているばかり。
「……」
酒はワン・ショットほど残っていた。ワン・ショット。一発。一撃。必殺の。
ちくしょうめ。俺は努めて明るく笑って、そう言ってやった。
俺がグラスを空にすると、まるでそれが合図だとでも言うように、自然と宴会の流れになったのだった。
―――――――――――――――
ここまで
おかしい。こんな話はプロットにない。
登場人物は全員二十歳以上となっております(大嘘)
いちゃいちゃは少ないですが、短編でよければ過去作をご覧ください
【艦これ】赤城「おいしいご飯を食べる方法」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1517407552/)
【艦これ】大井「顔、赤いですよ。大丈夫ですか」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1516636398/)
【艦これ】加賀「幸福と空腹は似ている」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1518101886/)
待て、次回
外は曇り空ではあったが、空気は不思議と澄んでいた。気温はそう高くないが、湿度は相応に高い。それとも海が近いせいだろうか、少し粘り気が感じられる。
俺はこっそり漣から拝借してきたピースを咥えた。ショッピである。昔はホープを吸っていたものだが、軍に籍を置いていると、金だけが溜まっていく。船の上に一度乗ってしまえば長らく降りられないのはざらだし、そのせいでこういった嗜好品にこだわりだすのだ。
「平和に、希望、ね」
健康に悪い煙を吸いながら、似合わない単語を吐く。人間とは自らにないものを希求する生き物だとは、随分と皮肉な話だと思う。
「寿命を縮めますよ」
「いいんだよ。吸うか?」
ソフトボックスを差し出すと、霧島は毅然と「結構です」。
「私、吸わないので」
「そうしたほうがいい。俺も煙草を吸う女は苦手だ」
「随分とずるいひとなんですね」
「男は馬鹿だからな。すぐに格好つけたがる生き物だから、これくらいは大目に見てもらわんと」
「大井は? あのコ、吸いますけど」
「あいつは……あいつかぁ」
大井が苦手だというのは、別段煙草が云々という問題からかけ離れているように感じる。というか、あいつを得意とする人間なんているのか?
「酒に呑まれている間は大人しくてよかったけどな」
大井は負けず嫌いな性分なのか、それとも不安を紛らわすためなのか、龍驤、霧島と三人で山崎を空けていた。俺もちびちびそのご相伴にあずかり、絶好のタイミングで鳳翔さんが持ってくるつまみに舌鼓をうったものだ。
残る面子はジュースやらお茶やら、缶チューハイやらを呑んでいた。年齢のことは気にすまい。そもそもトラックが日本の法律の適用範疇なのかを俺は知らない。
それに、トラックはどうせ見捨てられたのだ。
山崎を一舐めして思い切り咽ていた漣は、その後缶ビール、缶チューハイとチャレンジしていたようだが、全てにあえなく撃沈していた。カルピスサワーならなんとか、といった程度。まぁ中学生のうちから酒の味を覚えられても困る。
それでも酒は回っていたらしく、やたらと俺にべたべたしてきたのが印象的だった。
「ん!」
と胡坐をかいている俺を指さして、何が何だかわからないうちに、そこへとすっぽり収まる形で座り込んでしまう。
俺の右手にはビール、左手には焼き鳥の串があって、腰の上に漣。こっちへ体重を預けてきて、「うへへ」と笑っていた。あれはなんだったのだろう。悪い酔い方をしていなければいいのだが。
あいつは俺に父性を感じているのだろうか。家庭環境に思いを馳せたことはないが、単なるホームシックならまだマシだ。
「夕張は泣き上戸だったな」
「大体あんな感じです。技術畑の人間でしょ? 感情移入のくせが強くって」
「最上はあんまり変わらなかったな」
「酒豪ですから。面倒見もいいので、大体布団敷いたり軽空母たちを部屋まで連れていったり、そういう役回りですかね」
「扶桑は大丈夫なのか?」
「怪我の具合は、まぁ後遺症が残るようなものではないでしょうけど、一部骨までいっているのもあるようなので、そちらが完治し次第、じゃないですか。一週間ほどで海の上に立てるまでは回復する見込みだと。
お酒に関しては、すぐに寝るので」
「なるほどな。お前は?」
「嗜み程度には呑みますけどね。ちゃらんぽらんになるまでは、流石に」
「龍驤みたいにか?」
苦笑した。なんといっても山崎を用意していたのだ、ある程度想像はついていたことだが、呑むし、喋る。宴会が楽しくて仕方がないと言ったふうだった。
ただ、宴会が楽しいというのは、龍驤流に言えば事実でこそあれ真実ではない。あいつは他者との交流が楽しくて、また仲間たちと喋り、食事をし、杯を酌み交わし、笑いあうことを悲願としていたのだから。
「軽空母は大抵みんなああいう文化です。鳳翔さんは違いますが」
「まぁ軍人だからな。わからなくはない」
「提督のところも?」
「ま、そうだな」
記憶の霞に隠されて、寮の同室の名前も顔も、おぼろげではあるが。
「で、霧島、お前はどうした」
「少し早く目が覚めてしまって。勝手に帰るわけにもいきませんし」
「あぁ、いや、悪い。言葉選びを間違ったな」
そういうことではなく。
「俺に何の用だ?」
「……酒の席での、話ですか?」
「酒の席でする話じゃない、話だろう?」
大井も龍驤もこいつも、どうして揃って腹の探り合いに持ち込もうとするんだか。一度裏切られた人間なりの処世術なのかもしれないが、それで人間性を測りきれるほど、個人の底は浅くない。
お手並み拝見、という態度なのか。それともこちらがボロを出すのを待っているのか。単に引っ込み思案なだけか。
「あと、一応確認したいんだが、お前は俺を尾行していたか?」
懸念は払拭しきれていないもので。
霧島は訝る表情をしていたが、それでも小首を傾げながら、「いえ」という返事。
なるほどね。
「別におまえの目的がなんであれ、俺がそれの一助になれるのなら、手を貸してやるよ。上から目線ってわけじゃねぇぞ、そこは勘違いしてくれるなよ?」
とっくに吸いきってしまったピースを、俺は揉んで携帯灰皿に押し込んだ。
「俺は死にたくないし、お前らを死なせたくもない。
俺は無念を残したくないし、お前に無念を残してほしくもない。
酸いも甘いも噛み分けた大人だっつー自信はねぇが、お前らの気持ちは共感できる。だから俺もこんなところにいる」
「……そうですか。提督も、何か理由がある身なんですね」
「……」
逡巡した。そして躊躇した。数秒後にやってきたのは驚愕だった。
俺は今、なにを言おうとした?
自らが鬼殺しであると、どうしてそんな自傷的な真似を。
……それは打算的な面が多分にあった。それを伝えることにより、ほんの僅かでも霧島が俺を信頼してくれればよかった。虚像でも、俺が実力のある人間であると誤認してくれればよかった。
だが何よりもまず、彼女たちに対して誠実であるべきではないのか、と疑問が生まれたのだ。
言うべきだ。もし本当に霧島が俺を頼ってくれると言うのならば、事情を詳らかにしたうえで助力を願うというのならば、俺もそれなりの態度で臨まなければいけない。
それなのに、喉から言葉が出ていかない。気管に張り付いて、だんだんそれは溜まり、空気を塞ぐ。
息ができない。
まるで呪いのようじゃないか。
「提督、私はいずれ、トラックを出るつもりです」
俺の決意よりも、霧島の決意のほうが、先んじた。
幸か不幸か。
「勿論、全てが終わってから。現状を放ってはいけませんからね。そして、いずれは本土に戻りたいと思っています」
「……そうか」
それはある種当然の考えかもしれない。ここに骨を埋めようとするほうが少数派で、俺だってそうだし、漣もそうだろう。龍驤や最上、大井、そのほかみんなが全員日本の地をもう一度踏みたいと思っていないとは、どうしても考えづらい。
トラックが悪い場所だということではなく。そう、先ほど神通を見ながら思ったことだ。誰にだって家族がいる。置いてきたはずの親しい友人が。
それとも、誰もいない? 深海棲艦の侵攻で家族を喪った人間はあまりあるほどいたし、復讐心と生活の二軸を理由に海軍に所属する子女の例は、枚挙に暇がなかった。
父親の名を呼んでいた神通。存命なのか、そうでないのか。
「そうして、将来、指揮官の立場でまたトラックの地を踏みたいんです」
「……」
反応できず、反応に困る。
霧島の言っていることは、つまり、提督の立場を目指すということだった。
艦娘が現れてから今まで、艦娘の提督は生まれていない。彼女たちは階級というシステムからは基本的に区分けされている。
理由は諸説あるが……反攻が怖いのではないか、と踏んでいた。
艦娘という存在は、現在に至ってもまだ、全国民からの承認を受けているとは言い難い。子女が徴兵されることへの抵抗。非科学的な艤装への疑問。深海棲艦と敵対することそのものへの問題提起。一般人は、気楽なものだ。それを守るのが俺たちの仕事であるとしても。
とはいえ不思議はなかった。医療、栄養学、電磁波など、統計的に正しいとされているものにたいして信頼を置かない人間は一定数いる。俺だって艦娘の艤装やらシステムやら、そういった神道にまつわる一切合財を全て頭から信じているかと問われれば、答えはノーだ。
前々回の選挙では、深海棲艦との友好的アプローチを試みることを公約に掲げた政党が、一気に議席を伸ばした。その公約が影響を与えたとも言いきれないが……。
障害は多かろう。しかしそれらを全て乗り越えた上で、霧島が指揮官の地位につけたとするならば、恐らく全国で初めての事例になるはずだ。
「志が高いな」
俺はそう言うので精一杯だった。
「高くなんかありません。私は、権力の虜なんです」
霧島はすぐに「いや、虜囚かな?」と言い換えた。
「権力です。権力! あぁ、なんて素敵な響き! 権力があればなんだってできる! お金も手に入るし、安全は確保されるし、責任はもちろんあるでしょうけど、得られる利益に比べたら屁でもない!
――それに、どんな情報にだってアクセスできる!」
「情報」
「提督、私は」
気の振れたような大声とは一変、地を這う声音で霧島が俺を射抜く。
「何が、誰が、トラックの仲間を殺したのか。それを突き止めるまでは、死ねません。死ぬわけにはいかないんです。
どうして本土から助けは来なかったのか。上の立場になれば……言ってしまえば元帥まで上り詰めれば、きっと知ることができる。そうでしょう?
赤城が。龍驤が。58が最上が扶桑が夕張が鳳翔さんが大井が響が雪風が。……私が。なんで、どうして、こんなに苦しまなくてはいけないんですか? 死んでいった仲間たちは、どうして、一縷の希望に縋りながら沈んでいかなくてはならなかったんですか?」
希望を持たせた罪は重い。
たとえ、誰もが援軍の到着など有り得ないと非情な現実を理解してなお、それでも最期の最期まで希望の灯を絶やすことはない。人間とはそう言う生き物だ。
生き物だった。
だからこそ、生きるのは時として拷問なのだ。
「それを知る権利がお前たちにはある、と」
「無論」
「そのために、俺に何をしてほしい? 俺になにができる?」
「全てが解決したら、私と一緒に本土に渡ってください。私は寡聞にも本土のことをよく知りません。派閥だとか、社会情勢だとか、勝ち馬がどこだとか。政治は得意です。目的のためならなんだってする覚悟はあります」
「議員秘書になれってか」
「端的に表現するならば」
「見る眼がない、と言わざるを得ねぇな」
「トラックを再興に導いた、名誉ある司令官の肩書が、そのときはあなたの両肩にあります。それだけではありません。唯一無二の情報もあるじゃないですか」
霧島はそう言って、地面と垂直にウインドウ、平行にタッチパネルを呼び出した。
静電容量方式を遥か過去のものにした、特異点的な技術。音もなく滑らかな動作で、動画が三本、ポップアップする。
そのうち二つは、俺も見たことがあった。暗夜の、新型、及びヲ級との戦闘の動画だった。違う角度から……恐らく撮影者が別。映っている人物から判断するに、最上と夕張のものだろう。
そしてもう一つは……視界の端が明るい。現地語による叫び声が時たま入る。視界はぶれていて、撮影者の荒い息遣い。三つの敵影。
扶桑のものだ。青い気炎も見える。残念ながら、北上と思しき敵の姿は闇に溶け込み、人物の同定には使えそうもなかった。
「魚雷を撃て、航空機も展開でき、砲戦にも十分対応できる新型。青い気炎の空母ヲ級。そして、北上に似た敵。データベースにあたっても、これらの深海棲艦は見つからなかった」
「俺も探したことはある」
「ならわかりませんか? 大本営でさえ情報を把握していない新型が、ここ、トラックの作戦海域にはいる。ならこの情報を手土産にしない理由はどこにもない。
倒した残骸は溶けて消えてしまうから、持ち帰って解析することは叶わないだろうけど、動画と戦闘詳報だけでも十分。斬りこむ材料にはなると思います」
その案はまったく悪い案だとは言い切れなかった。情報が生命線になるような状況は珍しくない。棲息海域が判明すれば、その海域を避けて通ることによって、商船などの被害も抑えられるだろう。
それが彼女の目指す地点に直結しているかどうかはひとまず置いておくとして、部署によっては喉から手が出るほど欲しいようにも思われた。
だが、そのためには課題がある。
「第一発見者じゃなけりゃ意味がねぇな」
「はい。鮮度が命です。後塵を拝せば、その時点でつけ入る隙はなくなります。可及的速やかに、本土とのある程度のコネクションを作らなければなりません」
そんなことはもう知っていると言われてしまえばおしまいだ。この場合速度は何よりも優先される。
「わかった。お前と一緒に日本に帰るかどうかは、今の俺にはその気はねぇし、俺自身の独断じゃ決められねぇっつーことだけ言っておく。だが、お前がそういう事情で動くなら、できる限りの手伝いはさせてもらう。漣の戦闘データを、今後は送ろう」
「ありがとうございます。夕張と一緒に分析しています。新型の便宜上の呼称は、レ級」
「レ級」
戦艦、レ級、ね。
いや、あれは戦艦なのか?
と、そこで俺に通信が入った。漣だ。どうやら俺の居場所を探しているらしかった。外にいる、と端的に送る。
「どうかしましたか?」
「いや、うちの秘書艦だ。どこにいるのか、とさ」
「そろそろみんなが起き出す頃合いですか。わたしも戻ることにしますよ」
「あぁ、そうだな。頭が重てぇや」
「寝起きに煙草は辛いんじゃ?」
「逆だよ、逆」
「あー、ご主人様なにやってんですか!」
漣の呼ぶ声が聞こえた。あれだけ騒いでいたのに、随分とまぁ元気なものだ。充電はしっかりできたらしい。
酒に酔ったぼんくらな昨晩の姿でも教えてやろうと思ったが、背中を叩かれたことを想いだしてやめておいた。
「霧島さん、大丈夫でした? うちの提督が迷惑かけてなかったですか?」
おい。
「大丈夫よ。ありがとう」
「もう二人とも、みんな待ってますよ。とりあえず明日以降の海域調査の割り当て、どうするか決めるんだって」
「ローラー作戦で海域を塗りつぶしていくんだろう?」
「そうですね。それだと、出没海域の推定も楽なはずなので」
歩き出す。待たせてしまったのなら、それは随分と申し訳ないことをした。
いつの間にか隣に並んで歩いていた漣が、俺の脇腹を肘でつついてくる。
「なんの話をしてたんですか」
「ん? まぁ、ちょいと同盟をな」
「え、本当ですか。同盟ウマー! さすがご主人様、やり手ktkrって感じですよ」
「お前の言葉はよくわからん」
「草」
「はぁ?」
「盛大に草生える」
よくわからないのは変わらなかった。とりあえず、足早に歩を進めることにする。
「あーん、待ってくださいよーう」
* * *
泊地を出るころには、既に日は落ちかけていた。
水平線にちょうど半分夕日が隠れている。空と海が同じだけ橙色に染まり、木々や砂浜も同様に染めていた。
今後の行動方針、また手段と海域については、ほぼ確定した。大井作成の地図はここでも大きな役割を果たし、本人は感謝されることをうざったそうにしていたが、あれはまんざらでもない表情だ。
とりあえず赤城のエリアは手を付けないことに決まった。レ級、及び北上らしき敵との邂逅が、独立海域であったこともあるが、それ以前に赤城へどういう対応をすればいいのか、判断が付きかねていたのだ。
北上が本人であってもそうでなくても、赤城は敵を殺すだろう。見境なく。それだけではなく、そいつが強大であればあるほど、喜んで探し出すだろう。そこでぶつかるのはできるだけ避けたい。
虱潰しに海域を探すローラー作戦。ひとまず一日おきに、俺と龍驤それぞれの部隊が交代で捜索にあたることとなった。
遭遇しなければいつまでも仮初の平和、遭遇し打ち倒せば嵐の後の静けさ。であるならば、俺は後者を選択したい。
「それじゃ」
「ほなな」
龍驤、夕張、鳳翔さんが俺たちを見送ってくれた。夕張の大あくび。確かにいろいろありすぎて、こんな時間なのに眠気があるのは俺も同じだ。
夕日に向かって漣と歩く。港からの帰路に就く、トラックの現地民たちと何人かすれ違った。
「ご主人様、手、繋ぎましょ」
「……なんで?」
返事はなかった。漣が思い切り俺の手を握り、引っ張るので、思わずつんのめる。
相変わらず漣の手のひらは熱い。体温が高い。
「クソデカ」
「手がか? そりゃ子供と比べたらなぁ」
「漣も、いつかこう、もっとでっかくなる?」
「身長はまだ伸びるだろう」
「おっぱいは?」
「そりゃしらねぇよ。っていうか、恥らえ」
恥らえ恥らえと人をばんばん叩きやがったのを、もう忘れたのかこいつは。
「えへへ」
何かが違う気がした。ただ、ツッコむ気力も最早ない。代わりに手を二度ほどぎゅ、ぎゅとしてみるが、漣はさらに顔を蕩けさせて「えへへへ」と笑うばかりだ。
十分ほどで自分の部屋が見えてきた。長屋なのか、アパートなのか、正しい表現はわからない。集合住宅という言葉が一番しっくりくる。
俺が大きく欠伸をすると、つられて漣も欠伸をした。
「んじゃ、おやすみなさい」
と言っても隣なのだが、漣はばいばいと手を振り、扉を開く。俺もノブを握った。
「漣」
「なんですか?」
玄関の地面が濡れている。
「誰か、いるか?」
「誰か?」
ホルスターに手をかける。敵ではないだろうが……いや、敵ではないと思いたいが。
「撃たないで欲しい。驚かすつもりはないんだ」
建物の陰から小柄な人影が姿を現す。
「疲れているとは思うけど、少し時間を貰えないかい?」
夕日に照らされてもなお、銀色の立ち姿。
「話が、あるんだ」
駆逐艦、響がそこにいた。
――――――――――――――――
ここまで
十三万字超えた。
今後ともよろしくお願いします。
待て、次回
言うべきことはいくらでもあった。その上で、言うべき場所はここではない、と理性が語りかけている。立ち話で済ませていいことではない。外で大声で話せることでもない。
「漣」
俺は再度、秘書艦の名前を呼ぶ。
「来い」
「はい!」
「お前もだ、響。事情は部屋ン中で聞く。……全部教えてもらうぞ」
軍人は独立しているようで独立していない。個人としての人格まで否定されるわけではないが、集団を規律する規範、それを至上のものとして生活する生き物に訓練を通して変革される。
艦娘もその例に倣うはずだった。泊地、鎮首府の雰囲気は指揮する提督によるところも大きいが、それでも最低限度の「集団」という枠組みでの行動様式は必要不可欠。
だが、トラックはどうだ。どいつもこいつも、自分の生き様を貫いている。あるいは、貫こうともがいている。誰もこっちの都合なぞ知ったことではないとばかりに、言いたいことを言うだけ言いやがる。
やりたい放題やっている。
上等だ。
「付き合ってやるよ」
そこまでの生き様ならば、応えてやるのが筋というものだろう。
響を部屋に通す。砂浜には相応しくないローファーを脱ぐが、部屋の入口あたりできょろきょろしていた。居心地が悪そうだ。
「座っちゃっていいですよ、気にしなくて平気です」
漣が言うのはおかしいような気もしたが、事実そうだった。俺にお伺いを立てるように視線を向けてきたので、鷹揚と頷く。そこでようやく、硬いフローリングの上へ腰を下ろしたのだ。
座布団をくれてやる。それを下に敷き、幼い見た目には似合わないほど綺麗な正座で、響はかしこまった。
正座は苦手だ。胡坐で応対する。
「響」
名前を呼ばれただけで響は肩を震わせた。まるで自らがした悪いことを咎められているかのように。
俺を尾行していたことを気にしているのか、もっと別の何かを早合点しているのか、それとも単にそういう性格なのか。現時点ではどれもがあり得る。俺はまだ、彼女のことをまるで知らないのだ。
「緊張しなくていい。俺はお前の味方だ」
「ご主人様の顔は怖いですからね」
漣が言いながら響の隣に座した。自分の方が年上だと踏んだのだろうか、少々物言いが先輩ぶっている。
「そうか?」
「考え込んでると、おでこに皺が寄るんだもん。それがなんか、すっごい怒ってるように見える」
そうだろうか。一度意識して、眉の付け根辺りを揉んでみる。
「ふっ」
笑い声の主は響だった。漣が「笑った!」とはしゃいでいる。
と、間髪入れずに秘匿通信。主番が未所属――未所属?
漣が意味ありげな目配せをしてきた。……こいつか。確かに、俺は正式なトラックの提督になれてはいない。俺の直接の部下である漣も、ならば現状は無所属。
それにしても、なんだ? 一メートルも離れていない状態での秘匿通信。聞かれたくないというのなら、それは当然、響にだろう。もしかすると漣には何らかの心当たりがあるのかもしれない。ならば漣の響に対する態度にも合点がいく。
『どうした?』
『一応、釘を刺しておこうと思って。大丈夫だとは思いますけど。一応。
あんまり直截的な物言いは避けて、オブラートに包む感じでヨロ。漣が思うに、ご主人様、響ちゃんはいじめられてると思うんですよ』
『いじめ?』
『っていうとセンセーショナルですかね? 神通さんとこで、雪風ちゃんと、あんまりうまくいってないんじゃないかって。うまくいってなさそうだったなって、漣はそう思うわけです。
ここに響ちゃんが一人で来る理由がそもそもないっしょ? 神通さんからの伝書使でもなくて、自分の意志で尋ねてきたなら、きっと二人には頼れないことなんです』
俺たちには頼れて、より親しいはずの二人には頼れない事柄。
親しければ親しいほうが、言いたいことをなんでも言える。それが明らかな間違いであることは俺にもわかる。しかし漣が言いたいのはそんな表面的なことではなく、さらに深部、なぜ俺たちを頼り、いや、俺たちを選んだのかという選定基準。
龍驤ではなく。霧島ではなく。最上ではなく。大井ではなく。
俺のところにきた、そのわけ。
親しくなければ親しくないほど、人間関係に起因したいざこざには巻き込まれ辛い。
漣はそう推論を立てたのだ。
「響、あまり喋るのは得意じゃないか?」
無理やりに聞き出すつもりはないが、相槌や率先した話題など、そういったものが欲しいならそう振舞うつもりはできていた。
響は体躯同様ちんまりと頷いた。帽子からさらさらした髪の毛がするする流れ落ちていく。
「よし、漣任せた」
「ふぁっ!? そういうのはご主人様の仕事でしょー!」
「いや、年齢も近いほうが気兼ねなく話せると思ってだな」
半分は本当だった。もう半分も、嘘ではない。
漣のやつは直截的な物言いは避けろ、オブラートに包めと軽く言ってくれたが、そもそも見るからに物静かな少女を相手取る技量は俺にはないのだ。
漣だとか大井だとか、そういう小憎たらしいのが相手ならば気後れもしないのだが、目の前の響は小さく儚げで頼りない。華奢なものと面と向かうことの経験の浅さが露呈した瞬間だった。
『なっさけないなぁ』
『うるせぇ』
「響ちゃん? あたしは漣。こないだはお疲れ様、ありがとうね。おかげで助かったよ」
「別に。大したことはしてないよ」
「でも、きっと漣たちだけだったらまずいことになってた」
「それはみんなの力さ。私たちがどうとかじゃない」
「途中から凄い連携だったじゃん?」
「毎日訓練してるから」
「神通さんと雪風ちゃんと? 三人で?」
「……うん」
響の表情が僅かに曇った。
『ktkr! ビンゴ、かな?』
秘匿通信を飛ばして、けれど漣の視線は相変わらず響に注がれている。
「どんな訓練してんの?」
「大体は深海棲艦を倒したり……あとは体捌き、とか。神通は武道をやっていたみたいだから」
「武道。へー! あ、でもそれっぽいかも。だからあんなに強いんだ」
「……うん、そうだね」
「なんか辛そうな顔してんね。なんかあった?」
何もなければ俺たちのもとへ赴くはずはなかった。詭弁と言えば、詭弁か。
響もそのニュアンスは感じ取ったらしい。びくり、体を震わせる。
怯えているわけではないようだ。決意……そう、決意と呼称して差し支えない何かを、自らの胸の内からなんとか捻りだそうとしているように見えた。
『自分に自信がないんだ』
それは秘匿通信を介したものではあったが、俺に伝える必要性に迫られた故のものではないように見えた。感傷深い漣のその評価が、あながち間違いであるとは思えない。俺を尾行しながらも、ここまで姿を現さなかったちぐはぐな行動が、全てを物語っている。
「俺は席を外した方がいいか?」
「ご主人様?」
「子供が苦手とかじゃなくてな。大人で、男の俺がいると、気後れすることもあるだろう」
ことが本当にデリケートで、ナイーブな問題であればあるほど、決意が固まるには時間がかかる。
俺なんかはもうとっくにそのあたりの割り切り方は心得ているつもりだったし、年長者の艦娘もある程度は自制が効く。しかし響くらいの年齢にそれを求めるのは酷か。
「……いや、いい」
言葉の上では気丈に、響は言う。
「こんなところでさえ弱いままなら、一生強くなれない」
「響ちゃん、無理はせずに」
「ありがとう、漣。だけど無理をしなくちゃいけないときくらい、わかってるつもりさ。だから大丈夫。あぁ、大丈夫だとも」
自らを奮い立たせる魔法の言葉。響は膝の上で拳を握りしめる。
「私を鍛えて欲しい」
「……」
漣が驚いた目で俺を見てくる。嘘でしょ、とか、ご主人様どうします、とか、たぶんそんなところ。
だがすぐに俺も返事はできない。ちょっと待て、今、考えているから……どいつもこいつも、俺を混乱させるようなことばかり言ってきやがる。
漣に言われたことを思いだし、眉根を揉んだ。皺が寄っていただろうか?
「神通は?」
真っ先に頭に浮かんだ言葉を率直に口に出してみる。
「お前は神通の……部下? 配下? 弟子? まぁそんなところだったはずだ。違うか?」
こくりと響は頷いた。先ほど響自身が答えていたことだ。毎日三人で訓練をしていると。
ならばどうして。
「お前の申し出を聞いて、はいわかりました、っつーわけにゃいかねぇ。お前のことがどうだと言うより先に、納得があるべきだ。俺はそう思う」
納得は全てに優先する。全てが言いすぎだとしても、普遍的には。
俺たちは響の事情を知らない。彼女がどんな境遇にいて、どんな目的を持ち、なにを考え、どんな決意でここに臨んでいるのかを。そして俺たちになにを望んでいるのかを。
手を貸すことに否やはない。いや、もっと積極的に、相手が許すのならば俺たちは助けに行くつもりだった。利害は一致している。トラックの艦娘に与することは俺たちの目的を果たすことに繋がる。
だからこそ、だからこそ、だ。
「神通を蔑ろにするわけにもいかないしな。あっちに話は通してあるのか」
「……ないよ。全部、独断さ」
その判断の是非を問うつもりはなかった。響がそう考えた結果の行動なら、神通は彼女を責めることはしまい。だが、俺たちに対してはどうだろう。
せめて筋は通していたかった。神通の不興を買うことだけは避けたかった。
俺たちの戦力が増えることを小躍りして喜ぶだけなら泥棒猫と同じである。神通も面白くないだろう。彼女に不義を働くことのないように、それが彼女たちでは成しえない何かであるのならば、手を貸すことも吝かではない。そういう姿勢でなくてはならない。
「……随分と雪風ちゃんにつらく当たられてましたね。もしかして、それが原因ですか」
一気に漣が切りこんでいった。性急すぎるように感じるが、漣なりの考えがあるのかもしれない。
だが、響ははっとして、大きな声で否定した。
「そんなことはない! 雪風はみんなのことを考えてるんだ! ……雪風も、神通も、強いから。私は足元にも及ばない。いつも足手まといになってばかりで」
「だから、鍛えて欲しい、と」
首肯。それも力強く。
意志の力を感じた。不可能を可能にする力。成功を手繰り寄せる力。
「神通じゃだめなのか。今更俺たちに鞍替えして、なにがしたい?」
「ご主人様」
少し棘のある口調になってしまったかもしれない。漣が咎めるように口を挟んでくるが、許してほしい。そこを尋ねずして決断はできないのだ。
こいつは俺たちに何を見出した? 神通にはできず、俺たちにならばできること、そんなものはどこにある?
「鞍替えなんて、違うんだ。神通から離れるつもりはない。訓練だって続けていく。それとは別に、司令官、私を使ってくれないか。そういう話なんだ」
「ますます解せんな。二足の草鞋を穿いてどうする」
「……雪風に」
「勝ちたい?」
漣が後を継いだ。
「まさか!」
響が即応する。そんなことは有り得ない、という具合に。
「……私はだめなやつなんだ。臆病で、弱虫で、……なんで生き延びてしまったんだろう、こんな私が、なんで私が、もっと他に強かった人も、頼りになる人もたくさんいたのに、お母さんじゃくて、お父さんでもなくて、弟でもなくて、どうして私が! どうして!」
両手で顔を覆い、ぼろぼろと響は大粒の涙をこぼす。話の辻褄が合っていない。自責……慙愧の念に駆られている。
俺は手を出せなかった。恐慌の源を知らずに、おいそれと声をかけることは憚られた。
「響ちゃん」
落ち着いてください、と言葉にはしないまでも、漣は柔らかく彼女を抱きしめる。
こちらを見た漣と目が合う。俺は頷いて、部屋を後にした。
外に出れば、既に夕焼けはその殆どを水平線の向こうに隠し、赤から紫へ変わりつつある空だけが残滓となっている。その光景に一抹の郷愁を覚えるが、今はそれどころではない。
煙草を咥えて火をつける。同時に大井を呼び出す。
『……何よ。私、今頭がガンガンして、辛いのだけれど』
『響の境遇を知っているか?』
『「どっちの」?』
大井の答えには大きな含みがあった。
『駆逐艦である響のことならば、わかるわ。略歴をまとめたファイル、送ってあげる。艦娘である響のことは……ワケありということは察しているけれど、それ以上のことはなんにも。
……まぁ、艦娘なんて大概みんながワケありなのだけどね』
至極面白くなさそうに大井は自嘲した。
『響の過去のことなら、詳しい人が一人いるわ。識別番号の枝番教えてあげるから、連絡してはどうかしら』
『大井』
『なによ』
『事情を話してもいないのに、どうして手伝ってくれる』
『あら? 手伝ってほしくないのなら、初めからそう言えばいいのに』
『そういうわけじゃねぇ』
『わかってるわよ。冗談よ、それくらいわかりなさい。
理由は二つ。あなたには北上さんを探してもらわなければいけないから。扶桑の見たという敵が本当に彼女なのか、それともそうでないのか、判明するまで生きた心地がしないのよ』
その敵影が北上であればいいのか、それとも北上でなければいいのか、大井はどう思っているのだろう。
生きてさえいてくれればいいという考えもあるだろうし、敵側に寝返っているのならばいっそ、という考えもわかる。
いや、仮に北上本人だとしても、敵側に寝返ったというのは早合点が過ぎる。情報がまるでない状況で結論を急くのはいいことではない。
『……』
たっぷり思考の間が空いて、
『それだけよ』
と大井は言った。
理由は二つと言ったじゃないか。そんな追及を回避するためだろうか、すぐに大井からファイルが送られてくる。
駆逐艦響の略歴。そして、誰かの識別番号。
主番はトラック。枝番は028。
艦娘の名は、神通。
――――――――――――――
ここまで
大井のヒロインちからは高い
龍驤と58も含めて、こいつらちょっと便利すぎるよー
待て、次回
漣が部屋の扉から顔を出したのは、ショッピを一本吸い終わる、ちょうどその頃だった。
困ったような顔をしていたそいつは、すぐに俺の喫煙を見咎めて顔を険しくさせる。だが今はそんな時間も惜しく、結局何も言わずに俺を手招きして、
「地雷踏んだっぽいです」
と、それだけを手短に言った。
漣の言葉の意味するところ、所謂一つのスラングがわからないほどではない。実際のところ、地雷を踏んだのは俺たちではなく響自身だと思うのだが、そのあたりは言葉遊びに過ぎない。
艦娘を相手にするというのは、地雷原に足を踏み入れるに等しい。時には玉砕覚悟で突っ込まなければいけない場面もあるだろう。
もしそうなのだとしたら、今がその時であるような気がした。
「事情はわかったか?」
「ぜーんぜん。泣いちゃって、どうにも。ただ、やっぱりあれですね。自信喪失してます。ネガティブはいっちゃってるというか、自分にできることなんて何一つないんだーって」
「それが、俺たちに声をかけた理由だと思うか?」
「暫定的には」
今のところはそれくらいしか見当たりません。呟きながら、漣は部屋の中へと視線を一瞬戻した。響の様子が気になったのだろう。
「弱い自分を鍛えたいから神通さんに師事した。それだけじゃ足りないからご主人様からも学ぶ。わかりやすい話だとは思います」
「聊かわかりやすすぎるな」
「ご主人様がひねてるだけでは?」
そう言う漣も、その実自らの言葉をさして信じていないのだろう。笑いが自嘲気味だった。
「わかりやすい話、うまい話、世の中にはたくさんありますけど……大抵期待するだけ損です。楽にいかないかなぁって物事は厳しくて、心構えをして挑んだ物事が拍子抜けするほどあっさりいく。寧ろそっちのがありがちじゃないですか?」
「わかりやすさが担保することなんてありゃしねぇ、か」
「そもそも、それでおしまいの話なら、響ちゃんは泣いてないと思います。はじめから」
「何かが過去の琴線に触れたか」
「です。だから、地雷」
「お前は響の略歴を知っているか?」
「え? なんです急に。知らないですけど」
「嘗て存在した駆逐艦、響のほうは大井から資料を貰った。そして、艦娘である響の方は、神通が詳しいらしい」
「大ヒントですね。じゃあ、ご主人様は、神通さんにあたってください」
「今からかよ」
「早けりゃ早い方がいい。そうでしょ。あんまり猶予もないんだし」
それは確かにそうではあるが。
「お前は」
「流石にあの状態の響ちゃん置いてけないです。漣は漣で、うまく聞き出しますよ。
……しょーじき、強くなりたいってのは、漣にも少しだけ、ほーんのすこーしだけ、覚えがあるんです。だから、大丈夫」
なにがどう大丈夫なのかはまるで説明がなかった。が、漣の言葉には、響と同様に決意が宿っている。どう転んでも今以上の悪い結果にはなるまい。
そこにあるのは打算より高潔な代物だ。崇高と言い換えてもいい。
誰かのために、心底何かをしてやりたいという感情こそが、他人の心を打つ。そうやってでしか解決できない事態がある。漣ならば十分すぎる。
「任せた」
「任せられましたっ」
敬礼。似合わねぇ。
「んじゃ、行ってくるわ」
「行ってらっしゃーい」
夜の帳が落ちる中を、俺は家を背に歩き出した。
時間に余裕はない。猶予はない。漣の言った通り。
自然と足が早まる。焦ってはだめだとその都度自分に言い聞かせながら、それでも可能な限りのマルチタスク。駆逐艦響の略歴を開く。
同時に、神通の識別番号を検索欄に挿入。通信を試みる。
……コールが5を超えたところで一度切った。
慌ててもいいことはない。話す内容、順番、そもそも切り出しすら用意せずにぶっつけ本番? 阿呆の所業だ。
わかっていながらも気持ちは急く。理由なんて確たるものなどありゃしなかった。ただ、嫌な予感がした。それだけだ。
女の涙が苦手だと言ったら、漣は笑うだろうか。大井は皮肉の一つでも拵えるだろうか。龍驤なんて転げまわるかもしれない。
妹も姉もいなかった。従姉妹もいない。
父親と、母親と、兄が俺の家族だった。
だが、三人も、最早俺にはいないのだ。
駆逐艦響の略歴は別ウインドウに展開。おおよそ用紙3枚分……。
大井、あいつはこの分量を、あの一瞬で書き上げたのか? それとも趣味の一環でまとめてあっただけなのか?
どちらにせよ、今は感謝してもしきれない。
トラックの人通りは、夜になると一際少ない。メインストリートで露店や屋台がぽつんぽつんとある程度だ。そのうちの一件、屋台で飲み物を買おうとして、俺はチューク語を話せないことを思いだした。身振り手振りでなんとか炭酸水を手に入れる。
数セントの釣りをもらい、足早にその場を去る。瓶の蓋は屋台の青年が抜いてくれた。口に含めば、ぱちぱち、かちかち、細かな気泡の弾ける音が響く。
駆逐艦響とは。一九三三年、舞鶴にて竣工――読み飛ばす。知りたいのはそこではない。
神様にも意識というものが、あるいは趣向というものが存在するらしく、艦娘に選ばれるのにはそれなりの素養がある。最たるものが、あの大井だろう。選ばれるべくして大井に選ばれたあの女の理由は、心臓に欠陥を抱えているから。
艦娘全てに当てはまることだとは思わない。全ての大井に心臓の欠陥があるという話は荒唐無稽に過ぎる。だが、親和が強ければ強いほど、近い神が降りてくるという論理には整合性はあった。説得力もあった。
響は――あの銀色の少女は、果たして選ばれるべくして選ばれたのだろうか。もしそうなのだとすれば、駆逐艦響を知ることは、間接的にあいつを知ることにもつながる。
どのみち響の件で神通には一度会わねばならない。遅いか速いかの違いしかそこにはない。
第六駆逐隊の結成。「雷」「電」「暁」。キスカ島攻略。「暁」の撃沈。そしてまたキスカ。「雷」の消失。「電」の死。
レイテ。
坊ノ岬。
賠償艦。
幸運艦。
飲み終わったラムネの瓶を投げ捨てた。割れて、砕けて、散らばる。
早足は既に小走りを超え、全力疾走に変わっていた。景色が流れる。ウインドウは俺についてくる。戦争を生き延びた船の歴史を見せつけてくる。そこに記載されているのは事実であって、真実ではない。
戦争を生き延びてしまった船の歴史がそこにある。
沈み損なった船の歴史がそこにある。
認めるわけにはいかなかった。生より死が栄誉なのだとしたら、この世の生物はみな息絶える。だから俺は龍驤の、夕張の、鳳翔さんの、幸せの中で死ねるならばそれでもいいという言論に賛同できなかったのだ。
俺は走る。選ばれるべくして選ばれていないでくれと、切に願って。
神通がどこにいるかもわからないままに。
『提督? 私に連絡を――』
その折り返しは値千金。一拍も置かずに俺は叫ぶ。
『神通ッ! 響のことを教えろっ!』
話術も交渉術も意味がなかった。いま考えるべきは、最悪のパターンだけだった。
『え、あの、一体なにが? あのコが、何を』
神通の戸惑い。俺は無性にそれに腹が立って仕方がなかった。
だってそうだろう。神通も、雪風も、響のすぐ近くにいたのだ。いたのに、こいつらはなにをしていた。傍観者を気取っていたのか、個人の領域に不可侵を決めていたのかはわからない。わからないがしかし!
息が上がって走れなかった。肺が酸素を求めるままに、俺は脚を止めて呼吸に専念する。
『……響が、俺のところにきた。理由は知らん。知らんが……泣いていた。泣いていたんだ』
『響が……?』
『強くなりたいだとか、どうして私が、だとか、そんなことを言っていた。神通、正直に答えて欲しい。お前は響の過去に何があったか知っているか?』
『……』
『神通、頼む。お願いだ、答えてくれ』
神通の無言はあまりにも雄弁だった。彼女は、知っている。その上で答えない。響を慮っての判断なのか、それとも言葉にできないほど凄絶な過去があるのか。
『響は生き残ってしまったのか?』
物に感情があるのなら、本懐とはなんだろうか。誰にも使われぬままに壊れ、捨てられることを、恐らくはよしとしないだろう。
軍艦ならば? それは、敵を打ち倒すことだ。だから艦娘は海に降り立てる。在りし日の艦の幻影を背負って、化け物と戦える。
響は。
『……二度』
回線から聞こえる神通の声が暗闇に呑まれていたのは、きっと聞き間違いではない。
『二度、あの子は……あの子だけが、生き残りました。
艦娘になる前に一度。なってからも、一度』
『神通、お前はどこにいる? 話を聞きたい』
『海の上ですよ。提督には、遠すぎます』
断絶を感じた。距離が一メートルでも、決して辿り着けないだろう位置に、いま神通はいる。
なぜだ。どうして神通、お前までも曇る。響を助けようとしないお前が、響の境遇に思いを馳せるのは、ダブルスタンダードではないのか。
『今、どこにおられますか』
どこ? どこ、と言われても。
俺には土地勘がない。辺りを見回すが、海と岩場、桟橋、小屋、エンジンつきのボートがあるくらいで、他には何も。
いや、何かの名前らしきものが書いてあった。俺はそれを読み上げる。
『そう、ですか。
そこにボートがあるでしょう? それは島民の共用ボートです。小屋の中にエンジンのキーがあるはずで、小屋自体に鍵はかかってはおりません』
神通が何を言わんとしているのか、さっぱりだった。しかし、俺はなぜか、誘われるように小屋の扉を軽く押す。
重たい、軋む音とは裏腹に、扉はあっさりと手前に開いた。
丸い木製の椅子が数脚、テーブルが一つ。網やポリタンクや、漁に使うと思しき道具。どうやらここは休憩小屋らしい。
壁に鍵がかかっている。フックは四つだったが、鍵は一つしかない。
『こちらへ来ますか? 来られますか? その覚悟が、おありですか?』
覚悟。なんの? 決まっている、響を助けるという覚悟だ。
否。助けるのではない。救うのだ。
言葉遊びと笑うだろうか? 「助ける」は現状の打破に手を貸すこと。一方「救う」は根源からの解放を意味している。
『強くなければ生きてはいけません。弱い艦娘はみな沈みました。響は……雪風もそうですが、強くなろうとしています。私になら、彼女たちを強くしてやれる。戦いで命を落とさない程度には、屈強な兵士にしてやれる。
あなたは私ではだめなのです。私は二人もいりません。こんな人間、一人ですら多いくらい』
嫌悪の情がそこにはあった。俺に対してではない。勿論、響に対してでも、雪風に対してでもないだろう。
必然、対象は一人に絞られる。
「……」
が、俺は置いてけぼりだった。
『だから』
背後から首筋を掴まれた。反射的に腕で振り払おうとするが、まるで小動物のように軽快に、ソイツはぴったり俺の背後についてくる。
思わずホルスターに手が伸びる。それを予期していたかのように、襲撃者は巧みにこちらの脚を払い、体勢を崩してくる。
膝が木の床に激突した。四つん這いのかたち。これはまずい、と突っ張った腕をさらに払われ、顔面から再度床に激突。
勢いをつけてせめて仰向けになろうと転がるも、肩を掴まれて強引に逆側へ。ごりり、関節と腱が痛めつけられる感覚。硬い骨が俺の頸椎にあてられ――恐らく膝だろう――脅しのように体重がかけられた。
多少の圧迫でも、神経に障っているのか酷く痛んだ。この時点で抵抗するのは止め、大人しくする。
「しぃ、れぇ、いぃ?」
『まずは、雪風の許可が下りるかどうかです』
ぎらぎらと輝く瞳を限界まで開き、雪風が俺を見下していた。
親の仇にでもなった気分だった。
―――――――――――――――――
短めですが、ここまで。
はいだめー! キャラが勝手に動くー! 神通も雪風も出てくるはずじゃなかったー!
トラックの艦娘やりたい放題やりすぎー!
雪風提督に刺されそうなキャラ造詣ですが、お許しください。
待て、次回。
吐息が首筋にかかる。はぁはぁと荒く、熱い。髪の毛の匂いを嗅いでいるように思えたが、まさかそんなことはするまいという理性が、直感を打ち消す。ならば雪風が何をしているのかと問われても、返答に窮するばかりであった。
雪風の姿は俺の視界から消えている。必死に首を捻っても、彼女の顔は範囲に入らない。ワンピースのかたちに仕立てられたセーラー服の端が、暗い小屋の中にあって、唯一月光を反射して白く見えた。
『神通、こいつはお前のさしがねか』
『えぇ。騙すかたちになってしまったことは、申し訳なく思います。ですが衒いはありません。私は二人もいらないのです。
提督の逸話は知っております。ですが、人となりを知っているわけではありません。雪風が話をしたいと申し出まして、それを快諾しました』
響の行動は、本人も言っていたように独断だ。神通も知らなかった。あの驚きは演技ではない。
俺の居場所を答えさせた、あのやり取りこそが罠。居場所にあたりをつけた神通は、俺をこの小屋へと誘い込み、そして雪風を向かわせたのだ。
信頼されていないことへの悲観や落胆はなかった。そりゃそうだ、と案外自分でも驚くほどにあっけらかんとしている。敵対することへの覚悟は初めからある。真摯に対応するだけだ。
「司令、雪風とお話しましょうよ。神通さんとじゃなくって」
頭上から言葉が振ってくる。年齢相応に黄色く、そして怖気がよだつほどに冷たい。
「拷問吏みてぇだな」
「ごーもんり? なんですか、それ」
伝わらなかったらしい。俺はとりあえず口を噤むことにする。
「雪風がその、ごーもんり? だって言うのなら、司令は笛吹男ですね。いや、奴隷商人かな?」
「冗談はよせ。人事にゃ俺は関わってねぇ」
艦娘を戦地に連れていくのは俺の仕事ではない。艦娘となる素体を選び出すのも、また然り。こちとら一介の兵隊に過ぎないのだ。
だが、雪風の言葉にはしっかとした断定があった。俺のことを知っていて、俺がそうであると知っていて、発言している。単なる決めつけではない、裏付けによる確信が、雪風にはあるように感じられた。
「響か」
選択肢はそれしかなかった。
「そうですね、それもですね」
「それも?」
まるで解せない返答に、顔が渋る。
「司令は響をどうしたいの? あんな弱っちいこ。なまっちょろいこ。どう鍛えたって使い物にならない。雪風は知ってるんです。ずっと一緒にいたから。ずっと見てきたから。
神通さんが頑張って強くしようとしてますけど、でもだめ。ぜーんぜんだめ。
ね、司令。司令は響をどうしたいの? 響に何をしてほしいの? 司令の目的のために、本当に響は必要なの? 一時の感情で、響が可哀そうだからって、なんとか一人で立たせてあげたいなんて傲慢な考えを持ってるんじゃないの?」
ごりごりと頸椎が膝で押し込まれる。雪風の体重は随分と軽かったが、それでも急所を抑えられているという緊張は、抵抗の意を削ぐには十分すぎた。
なぜ。どうして。なんのために。そう問われると、実に難しい。泣いていたから。そう答えるのが最も正しく、そして最も不正解に近い。少なくとも雪風は納得しないだろう。
とはいえ、彼女が望む答えをするのが俺の役割ではなかった。俺が俺であらんと志向しなければ、全ての行いに意味は生まれない。
「……あいつは、泣いていた」
結局、正直に答えることにした。
「だからだ」
「だから? 答えになってなくない?」
「俺はこの島に、泊地を再興するために来た。これから先、トラックはいくつもの被害に見舞われるだろう。対策をうたねぇと全員死ぬ。島民も、艦娘も、俺もだ」
「そのために響の力も必要になるときが来る?」
「あいつが自信を持って生きていくためにだ」
「そうやって!」
一層頸椎に体重が込められた。激痛。頭から背中を通って四肢の末端まで走る電撃。
俺はついに堪え難くなって、雪風ごと体を捩じって脱出した。雪風が尻もちをつく。断続的な痛みが残る中、暗闇に慣れた視界は少女の姿を鮮明に捉える。
雪風は四肢を地面につけ、獣のような姿勢をとっている。真っ直ぐに俺を見据え、今にでも飛びかからんと、好機を窺っているようにも見えた。
「……お姉ちゃんも殺したんだ」
「お姉ちゃん?」
予想外の単語に反応が遅れる。雪風はその一瞬の隙をついて俺に切迫。鳩尾へと爪先を叩き込む。
肺腑が痙攣、空気が俺の意志とは裏腹に吐き出される。吸えない。引き攣った横隔膜はまるで役に立たない。一拍置いて猛烈な気持ち悪さがこみ上げてきたが、根性でなんとか胃の内容物を堪え、追撃の構えをとる雪風の両手首を掴んだ。
視界の四隅の色がおかしい。集中していなければ昏倒してしまいそうだ。
雪風は勢いのまま俺を床に押し倒した。先ほどと違うのは、お互いが向き合っているというその状況。
「比叡のお姉ちゃんも、そういう理由を作り上げて、逃げられない状況に追い込んで、殺した。そうでしょ?」
鋭い刃が俺の心を突き刺した。本当はもっと考えるべきことがあるはずなのに、俺の心は既に俺の制御下から離れ、嵐の中の小舟に等しい。
感情が駆け巡る。怒りで全てが赤い。ただし、その怒りが果たして誰に向けられているのか、俺にはわからないのだ。
そうじゃない、違うんだ、と叫びたかった。
「お前、施設の……?」
雪風の瞳が涙を湛えているのが、この距離だとはっきりわかった。
「そうです。雪風も、舞鶴ひかり園の出身。お姉ちゃんは……艦娘になってからも、よく遊びに来てくれてました」
舞鶴ひかり園。俺も何度か、訪ねたことがあった。
孤児院。特に、現代においては、非常に腹立たしいことではあるが、そこは艦娘の素体を見繕うに最適の場所だった。だから雪風が施設出身であることに別段驚きはない。
驚きがあるのは、こいつが比叡と旧知の仲であったという点に尽きる。
比叡が施設の出身であることは、彼女が沈んでから初めて知った。あまり語りたくない事柄だったことは察しが付く。詳細は知らないが、両親からのネグレクトが原因であったと、第三者からの余計なお世話で教えてもらった。
舞鶴ひかり園自体は中規模の施設だが、それでもまさかこのトラックで、あそこ出身の艦娘に出会うことになるとは。
ならば、雪風の言葉の裏にある確信、それにも納得がいく。
「比叡のお姉ちゃんは、どんなに忙しくっても、三か月に一度はみんなに会いに来てくれました。その日は決まって御馳走です。だけど、それももうない。
園長先生は言ってました。お姉ちゃんは兵隊さんに連れていかれたんだって」
それは事実であって真実ではなかった。俺は知っている。比叡がどんな気持ちで艦娘になり、どんな気持ちで敵と戦い、どんな気持ちで施設の子供たちに手紙を書き、どんな気持ちで我が家に戻っていったかを。
だが、今の俺に、雪風にそのことを伝える権利があるとは到底思えなかった。
比叡を殺したのは俺だった。違う、俺じゃない。だが、指示を出した。そうだ。だから責任は俺にある。責任という言葉でくくれるほど簡単な話ではない。目的があったから。誰かのために。何かのために。
トラックの艦娘たちのように。
「違うんだ。違うんだ、雪風」
その弱弱しい声が自分のものだと、どうすれば信じられるだろう。俺はもう決定的に参ってしまった。致命的に虚脱してしまった。
それでも、ただひとつ違えてはならないことがあるのだとすれば、雪風には……比叡を知っている彼女には、比叡の意志を知っていてもらいたいというその想い。沈めた俺に権利があるとも思えないが、それでも俺は、そこだけは、一度たりとも揺らいだことはない。
俺はそのために生きてきたから。
生きているから。
「俺は立派な人間じゃない。比叡だってそうだ」
誰も彼もが俺たちを被膜で覆った。その被膜には、美辞麗句が書かれていたり、逆に罵詈雑言が書かれていたりする。
結局自分たちが見たいと思った、信じたいと思った像を、その膜へと投影しているにすぎないのだ。映し出されているのは俺たちの偽物。都合のいいように解釈され、孤独に踊る操り人形。
「お姉ちゃんの悪口を言うなっ!」
きっと雪風も、優しく、頼りがいのある、姉としての比叡を誇りに思っている。俺の犠牲になって死んだ姉の存在を、心の支えにして生きている。
くらくらする頭の中で、頬に暖かいものが滴った。許容量を超えた雪風の涙。
怒りのため。それとも、悲しみのため。理由の出処のわからない涙が、一滴、二滴と数を増やし、俺の顔や首元に零れ落ちていく。
「なにしにきたんですか。なんでここに来たんですか。響をどうしたいんですかっ。雪風たちをどうしたいんですか!」
なぜ。どうして。なにをしに。
愚問だった。そう任命されたからだ。燻っていた俺は、厄介者だった。各地が俺を押し付け合う。流れ流れたその最果てが、ここ、トラック。
ただ、全てにおいて意気消沈していたわけでもない。人死には少ないに越したことはない。精一杯、いまを生きる少女たちの姿を、支えてやりたくならないわけがない。
響が何を考え、決意し、涙したのか、真実は遠い闇の中にある。
だがしかし、神通は確かに零した。二度、生き延びた。艦娘になる前に一度、艦娘になてからも、一度。
駆逐艦響との親和性。
「響は戦いたがってる」
「『戦いたがってる』!? はっ、くだらない! 司令、そんなのはちっとも面白くないです! あんな弱っちいのがいたって、ちっとも足しにならないですから!
戦場に私情を持ち込まないでください! そんな我儘で首を突っ込まれて、足手まといになって、被害が拡大したらどうするつもりですか! 人死にの責任をどうやってとるつもりですか!?」
「人死にの責任をとろうとしているのは響のほうだ」
「そうです! あいつ、本当に馬鹿で、馬鹿すぎて、馬鹿なんだから! だから戦いたがる! これまで生き残ってきたのなんて、実力じゃなくて、ただ運がよかっただけのくせに!」
雪風は俺に叫んでいるようで、その実虚空に叫んでいた。虚空の向こう側にいる響か、でなければ神様とやらに悪罵を叩きつけていた。
「実力を弁えてない人間は屑です、ゴミです! そんな低い意識で立つ場所ではないんです、戦場ってのは! 一秒後に死んでるかもしれないのに、それでもいいだなんて思いながら生きるのは、生への冒涜じゃないですか!」
「強くなって、誰かを守って、それで死ねたら」
それでもいい。響はそう言うに違いない。
「ばっかじゃないの!」
「あぁそうだ、大馬鹿だ」
「だから嫌い、響なんて大ッ嫌い! むかつく、むかつく!」
「俺があいつを死なせやしない」
「できっこない! 勇気と無謀を履き違えたやつは、守った相手と一緒に沈むのがオチです!」
「でも、響は誰かを守ることさえできなかったんじゃないのか」
「そうですよ! でも、誰かを守るってのは、誰かを守る力がある人間に許された特権なんです! あいつに軽々しく与えていいもんじゃ、ない!」
「雪風」
肩を掴む。細く、薄い。少しでも力を入れてしまえば、軽く折れてしまいそうなほどに、雪風は少女然としていた。
「守るものがある人間は強い。鬼でも、殺せる」
目を見開く雪風。
「それは、それはっ! ……比叡、お姉ちゃんの、ことですか」
「そうだ」
「でも司令は知らないからっ! トラックのことを、響のことを、だからそんなことが言えるんです、無責任なことが!」
無責任なこと。
無知ゆえの。
あぁ、だめだ、と思った。これはだめだ。よくない。通り越して、まずい。
雪風は悪くない。欠片も落ち度はない。確かに俺は響のことなどまるで知らないし、トラックのことだって、知っていることは僅かだ。それでも雪風の言葉は俺の心をはっきり大きく揺さぶった。
ぐわんぐわんと心が揺れる。心の臓を流れる血液が燃えている。不満と苛立ちが蜷局を巻き、うねり、猛っている。
そうだ。俺は嘘をついていた。
自分で自分を騙そうとしていた。
否。騙せていたのだ、いまのいままでは。
俺がトラックに来た理由。
流されてきたのはその通りだ。紛うことのない事実。厄介者と疎まれていたのも、いっそ死んでくれとさえ思われていることも。
だが、俺はトラックに、希望を胸の内に宿して――巧妙に隠して、やってきていた。
誰にも気づかれないように。
自分にもわからないように。
暴いたのは、雪風、お前だ。
「ならお前はっ!」
視界が歪む。泣いている? まさかそんな、有り得ない。
「俺のことを、比叡のことを、一体どんだけ知っているっていうんだよ!」
俺はこの島に、
「比叡が何を思って戦いに赴き、どんな気持ちで沈んでいったのか、あの時そこにいなかったやつらが何をわかってるって!?
俺が誰を守りたくて、どんな思いであいつに指示を出したのか、どうして後からやってきたやつらが物知り顔で批評できるっていうんだ!?」
自分が生きていてもいい理由を探しにやってきたのだ。
「どいつもこいつも、俺たちのことを何一つ知らないくせに、あのとき起こったことを何一つわからないくせに、さも全知全能ぶってしゃべくりやがる! 鬼殺しだ、英雄だ、無謀な指揮官だ、人殺しだ、ふざけんじゃねぇ!」
「……司令。司令は、あの」
雪風が言葉を紡ごうとしているが、その先の内容に微塵も興味はなかった。
肩から手を外し、十本の指先を見た。
あの日、比叡と触れあった、指の先を。
「それなら、俺は、俺が、俺の、……」
俺たちを見る全ての人間が、被膜を通して、そいつらが見たいように俺たちのことを見るというのなら。
「俺たちがしたことには、一体なんの意味が……?」
もしそうなのだとすれば。
俺もあのとき、比叡と一緒に沈んでいればよかったのだ。
―――――――――――――――――
ここまで。
多分これが正史。大井相手に言わせる案もあったけど。
そして次回は(恐らく)提督の過去編。
待たれよ。
天気予報は、ピークで三十五度を超えると伝えていた。
発艦直前の船上は非常に慌ただしい。計器異常なし。総員配置。上官の声がひっきりなしに響いて、俺も足早に準備をこなしていく。
俺が士官した最初の頃よりもチェックは厳重だ。ルーチンが変わり、それがまだ身に沁みついていないからこその喧噪。早く慣れないとだめだ。毎回毎回これでは精神に悪い。
係留ロープが外される。スクリューが回転。バルバスバウが海水を押し分け、潮風の中をゆっくりと、だが確実に進みだす。
ある程度沖に出るまでは緊張が持続する。何かあるとすれば、出発直後のこのタイミングが一番多いことを、俺は大して長くもない在籍歴からでも経験則的に理解していた。大抵は杞憂に終わるのであるが。
とはいえ、十回に一回の、あるいは百回に一回のそれが今起こらないとは限らない。油断や慢心が許される職務ではないことは重々承知しているつもりだ。
三十分ほども海の上を進んでいくと、緊張も次第にほぐれだす。船は自動操舵に切り替わっただろう。横浜の近海はまだ平和だ。四国沖まで出ると、怪しい。勿論何もなければそれに越したことはないのだが。
丸い窓から外を見ると、既に陸地は見えなくなっていて、少し離れた位置に護衛対象のタンカーがあるのがわかった。
俺の任務は、油を運ぶタンカーの護衛だった。この艦には機銃や砲塔が備え付けられてあり、俺たちも緊急の際には89式小銃を手に取って戦うこととなる。急増艦一隻の装備としては一般的だろう。
「おい、見たか?」
仲間が一人声をかけてきた。俺は「いーや」と短く答える。
「今まで見たことあるか?」
「いや、ねぇな」
「どうなんだろうな」
「どうなんだってのは、どういうこっちゃ」
「だから、本当に人間が、海の上を走れんのかって話だよ」
「水の上に踏み出すだろ? で、足が沈むよりも先に反対の脚を踏み出すとだな」
「くだらねぇこと言ってんじゃねーよ」
あっさりと言われてしまった。確かにくだらない話ではあったが。
「近海の掃海作戦も大方の目途がついてきたってよ。新聞、読んだか? 俺たちが会ったことねぇだけで、そこそこの数はいるらしいが」
「そらそうだけどさ。百聞は一見にしかずって言うだろ。今も船の後ろついてきてのかな?」
仲間は窓の外へと視線を走らせる。当然、誰もいない。
「客室にいるらしいぞ」
「マジか。誰情報?」
「誰っていうか、出発前に。三尉やら一尉が客室のとこに集まってた。広報官もいたな」
「じゃあ本当にいるんだ、艦娘」
仲間が興奮した語り口で喋れば喋るほど、俺はどこか醒めた目で、そんな彼を見ることになる。
艦娘。それは科学とオカルトの相の子であり、日本にとっての輝かしい希望の光だった。一縷の望みだった。俺たちの仲間であり、俺たちにとって代わる存在であり、……得体のしれない何かでもあった。
正体不明の化け物が漁船や客船を襲っているという情報は、かねてから海上保安庁に連絡があったという。しかし当然、そんな情報をはいそうですかと信じる海保ではない。
ただ、船の不可思議な沈没や有り得ない座礁などの件数の上昇が、統計的に有意な値を示すようになった頃、ついに海保も事態の究明へと乗り出した。
鯨か、あるいは他国の密航船か。原因は最初こそそう思われていたが、半年もしないうちに撮影された現場の映像には、到底これまで確認されたことも無いような生物が映りこんでいた。
海洋哺乳類でないことは明らか。だが、頭足類でもない。船であるはずなどない。
ならばそいつらは何なのか。高名な学者が何人集まっても、結論を導き出すことはできなかった。ただ、どうやら積極的に船を襲っているらしいということは判断できた。即ち意思がある。知的生命体なのだ。
仮称・巨大海洋未確認生命体。いまでは深海棲艦と名を変えたそいつらは、今や日本の近海を中心に、我が物顔で闊歩している。
俺が海軍へと志願し、一通りのカリキュラムを習熟し、一平卒として任官したのはちょうど深海棲艦の存在が世間へと公表されたまさにその年。
その時点で既に海のルートによる交易は難しくなっており、銃も爆弾も効かない謎の存在に対し、人間は決定打を模索していた。対抗策を開発していた。俺は俺で、当時は二十の小僧だったから、日本を深海棲艦の脅威から守ってやるぞと奮起したものだった。
新人は一年から二年、各地の様々な部署を転々とし、経験を積むことがならわしとなっている。整備や情報通信系には回されなかったものの、兵站、広報、人事と渡り歩いたのち、護衛艦の乗船が決まった。
随伴護衛艦「ひえい」。航続距離と最高速度、旋回半径を重視した取り回しの効く設計になっており、同名「ひえい」としては四代目、らしい。
主な任務はインド洋を経由する商船や大型漁船の護衛。深海棲艦の出没はシーレーンの封鎖、でなくとも大幅な効率悪化を招いており、政治的経済的に大打撃を与えた。空輸では輸送の量に限界がある。海運に頼らなければいけないのが現状だ。
深海棲艦と交戦したことは二度や三度では済まなかった。イ級と呼称される、最も格下らしき敵だとしても、機銃掃射や誘導弾を難なく耐える。数匹を沈めるのに三十分と弾幕を張り続けてようやくと言った具合なのだ。
それは別段「ひえい」が急増艦で機銃や砲塔の口径が小さいが故というわけでなく、俄かに信じがたいことであったが、どうやらやつらは俺たちとは異なる物理法則の中を生きているようなのだった。
眉唾だ。俺はそんなもの、与太話と笑い飛ばしてやりたかった。しかし実際に相対するたびに、その認識を覆されてしまう。
だから、上層部が、対深海棲艦特攻を持つ兵器の――そうだ、あいつらは確かに兵器と呼んだのだ――開発に成功したと発表したとき、世間は沸き立った。俺だってそうだ。さすがと思ったものだ。
それがあんな、埒外なものだと知るまでは。
「艦娘って女の子なんだろ? かわいい子だったらいいよなぁ」
「そりゃ艦『娘』だからなぁ」
「んじゃ、行くわ。艦娘にあったら、あとでどんなんだったか教えてくれよ」
「おう」
俺は去るそいつの後姿を眺めながら、会いたくねぇなぁ、と思ったものだった。
女はあまり得意ではない。姉妹はいないし従姉妹もいない。兄が一人いるだけで、身近な女性は母親か兄の婚約者といったぐらいだ。これまで大した慣れの機会を得ずに来てしまった。
軍人など男所帯で女日照りの毎日なのだから、あいつの反応がもしかしたら正常なのかもしれないが。
恋人がいたことはあるし、肉体経験もある。きっと女の好むような趣味へ理解が乏しいのだ。それが気疲れを齎しているのだろう。
それも、艦娘。戦場で深海棲艦などという化け物と丁々発止やりあうのだから、そりゃもう気が強くて男勝りで、俺たち一般兵卒など塵芥のように思っているに違いない。
少しは冗談交じりだった。そして半分ほどは誇張なれど信じてもいた。
ただ、一体どんな人間が「艦娘」として抜擢され、戦うのか、興味はあった。眉唾がどこまで真実なのか、気にならないわけではなかった。
結局俺もまたミーハーなのかもしれない。
……そうして、比叡と出会ったのは、数日後の夜だった。
当番が同じグループの二人と食堂で飯を喰っていたときのことだ。夜帯で、その時間帯は人がまばらだった。閑散している中で話す内容は、大抵が陸の話。
出身はどこだ、結婚はしているのか、趣味は、最近見た映画は、そんな他愛もないものばかり。今日の当番は終わったので酒を呑んでもよかったのだが、次の日が少し早かったので、二人の誘いを断って俺はウーロン茶で紛らわしていた。
「あの、ここいいですか?」
黄色い声。海の上では到底聞けないトーン。
どうしてこっちへ来るんだ、いくらでも席が空いているだろうに。思いながら振り向いた先には、驚くほど素朴な少女――でいいの、だろうか。二十歳前後の、短髪の女性が立っていた。
手にはトレイ。その上には夕食のホイコーローと味噌汁、白米、サラダ。愛想笑いを浮かべながら、意志の強そうな眉を真っ直ぐに、俺たちを見ている。
「……」
三人ともぽかんとしていた。俺の対面に座っていたやつなんかは、ビールが口の端から垂れてもいた。
誰だコイツ。
船の上にいる人間全員を網羅することなどできない。数週間経っているのならまだしも、出航して数日では、せいぜい同じ勤務シフトの人間と、上官が精一杯。
しかし俺は、いや、俺以外の二人も、目の前の女性の身分に心当たりがあった。それはかなりの部分が推測を占め、残りに僅かな希望的観測を含んでいた。
「あ、えっ、もしかして、艦娘の?」
仲間の一人が驚きとともに呟く。
「あ、はい。そうです。あれ、知ってるんですか? あたしのこと。ひえぇ、恐縮です」
「知ってるって言うか、噂って言うか? 僕らきみのこと結構、ほら、聞くんだ」
「オレは齋藤。こっちは高木で、こいつは……」
「おい、ちょっと待てよ」
俺は声の上ずり出した二人に制止の声をかける。
「いいのか? 軍規に抵触しないのか?」
艦娘自体は公のものだが、俺たちが個人的に接触することが可とされているのか、自信はなかった。
「そもそも階級は艦娘のが上じゃないのか」
目の前の艦娘はジャージを着ていて、階級章らしきものはどこにも見当たらない。
「大丈夫だろ」
「そ、平気だって。向こうから接触してきたんだから」
「あの、階級とかは多分関係ないと思います。一応書類上は軍曹だっけ? あれ、三尉だったかもしれない。ちょっと覚えてないけど」
「だってよ」
ぽんと俺の肩を叩く齋藤。
相手がそれでいいと言うのに俺が頑なに否定する理由はなかった。艦娘は満足そうに頷いて俺の隣の椅子を引き、そこへちょこんと座る。
女性にしては上背があるほうだ。茶髪。瞳に僅かに青みがかっているような気がするのは、ハーフだから? 顔はそれほど日本人離れしているようには見えないが。
「あのさあのさ、艦娘ってぶっちゃけどうなの?」
「どうなの? って言われましても」
苦笑交じりに白菜、豚肉を口の中へと放り込む艦娘。
なるほど、確かにそのとおりだ。
艦娘は困ったような顔をしながらも、元来まじめな性格なのかもしれない、顎に指を添えて宙を仰ぐ。
「多分みなさんが思っている通りだと思います」
「やっぱり、その」
「深海棲艦と戦ったり?」
「まぁ……そうですね。この間、ROEの記載事項に変更があったんですが、知ってますか?」
「外洋航路申請時の戦力規定か?」
「はい。商船、及びタンカーについては、これまでのROEだとDDHか、それに準ずる武装の随伴が必須だったんです。で、今回の変更で、それに艦娘も帯同するようになりました」
「深海棲艦の動きが活発になっている?」
「そう……ですかね。ごめんなさい、あたしはそこまで詳しくないから、滅多なことは言えないんです。曖昧なことを言って不安がらせるのはよくないって思いますし、実際そう教えられてますし。
悪い懸念だとそうかもしれませんけど、良い方向に考えれば、遠洋に出せるまで国内の艦娘の数が充実してきたってことでもあります。これまでは近海掃海が主でしたから」
「いざとなったら頼むよ! えーと……」
「比叡です。金剛型二番艦、比叡。素体の名前は、ごめんなさい。神様が離れてっちゃうので」
「神様、ね」
艦娘の話を聞いて、いまこうして実物を見てなお、俺は半信半疑だった。目の前の比叡、彼女は年頃の女性でこそあれ、火薬と油の臭いはしない。いや、現代戦において、そのどちらも最早重要視はされなくなってしまっているのだが。
先ほどちらりと見た比叡の指は白く、細い。傷一つない白磁のようだ。腕も同じ。
こんな彼女が深海棲艦などという化け物と戦えるのか。もっと言ってしまえば、俺や、他の誰かの命を守れるのか。いまいち実感がわかない。
艦娘の現状はどちらかと言えば偶像的だ。その理由も、今ならばわかる気がする。本当に、彼女らに命を預けてもいいものかと、これまでの常識が疑問を呈しているのだ。
常識。常識! 深海棲艦の出現とともにとっくに壊れてしまったものを、今でも大事にしているそのさまは、滑稽ですらある。俺は自嘲せずにはいられない。
「基本的には客室で待機してます。お手伝いとかしたいんですけど、あたし、そういうことはさっぱりで。勿論有事の時には、真っ先に海に降りて深海棲艦ぶっ倒すんで、期待しててくださいね!」
まぁ本当は、あたしの出番なんてないのが一番いいんですけど。比叡は笑いながらそう言った。
「比叡ちゃんは高校生? 大学なの?」
「海軍の海防局所属、遊撃特務群です。その前は高校で、そこで適応検査受けて入った形になります。第四期生かな」
等々、よくもまぁ話題も尽きないものだと感心するほどの長話。女っ気のない職場に艦娘がいれば、そりゃあ士気も上がるだろうさ。そんな厭味を俺は仲間二人を見ながら思った。随分と浮かれてしまって。
比叡も、どうやら今回の護衛が初であるようで、俺たちのような現役の軍人とは接する機会がなかったようだった。質問攻めにした分だけ質問まみれにされそうになるも、厨房の人に「もう閉める時間だから」と言われて、そそくさと退散する。
同じ艦に乗っているのだ、どうせ図らずともすぐ会える。随分と名残惜しんで別れようとする三人が大袈裟なのか、俺が薄情なのかは、よくわからない。
比叡は夜風にあたるのだと甲板のほうへ歩いて行った。海に落ちないようにしろよ、とは口が裂けても言えない。俺たちは反対方向の船室へと戻る。
「比叡ちゃん可愛かったな」
「そうだな。元気があって、僕ァ好きだよ、ああいうコはさ」
「お前はどうだった? 好みか?」
水を向けられてしまう。どうだ、と訊かれてもな。
「……思ったより普通だったな」
「ゴリラでも想像してたか」
「いや、そうじゃなく」
あれではまるで少女じゃないか。天真爛漫で快活な、どこにでもいる、元気印のついた。
俺の想像が捻くれているのか? 創作に感化されたか?
「んじゃな」
齋藤が扉の向こうへと消えていく。二人一部屋が基本単位。俺は齋藤と同室で、次の角を曲がったすぐ先に部屋があった。
「あんなコが艤装を背負って戦うってんだから、世の中は変わったもんだよなぁ」
「あぁ」
俺たちが適応できるか否かに関わらず、世間というものは、世界というものは、無慈悲に前へ前へと進んでいく。俺なんかはついていくので精一杯だが、どうやら高木も同じことを思っているらしかった。
比叡が深海棲艦と十二分に戦えるのかという疑問と同時に、果たして俺は――俺たちは、ああいう明るく朗らかな存在を守るために軍人になったのではなかったかと、自問してしまう。
別に戦場でなくてもそれはよかった。被災地だろうが、それこそ日常だろうが。
「よくねぇな」
「なにがさ」
「センチメンタルが襲ってきた」
「わからないでもないよ」
「泣いても笑っても、今後の主戦力はあいつら、か」
比叡は言っていた。遠洋まで派遣できるほどに、国内における艦娘の徴用は進んでいる、と。それは逆説的に、状況は決してよくなってはいないことを意味する。
前線を艦娘に任せるのは時代の流れだろう。俺たちの仕事は後方支援にスライドしていく。不満がないわけではない。しかし、平和をそれで守れるならば、別にいいという思いもまたある。
「やめやめ」
言い聞かせるように呟いて、俺は自室の扉を開けた。
明日も早いのだ。考えるのもほどほどにして、キリを見つけて寝床につかねば。でないと朝食を喰いっぱぐれてしまう。
さっとシャワーを浴び、歯を磨いて、俺は体をベッドに滑り込ませたのだった。
――――――――――――――――
ここまで
一発で過去編終わらせようとしたけど終わらなかった。三分割くらいになります。
あと調べるべきは最低限考証しているつもりですが、専門的な間違いは笑って見逃して下さい。
まて、次回。
500レス超えてこの進捗度……
3スレくらいの長丁場のつもりで書いてくれてもいいからね
>>561
レ級と戦ってから、物語内時間ではまだ一日しか経ってないんだぜ……?
提督と漣が島に来てから、一週間~十日くらいしか経ってない設定なんだぜ……?
信じられないだろ? 俺は信じられない。
朝食は蕎麦かうどんを選べたので、俺はうどんを選んだ。かき揚げに似た天ぷらとほうれんそうのお浸し、少な目に盛られた白米の上にはゆかりが振りかけられている。
あまり朝は食べない方だったが、海軍に入ってからはそれだと体が保たない。塗り箸を手に取って、いただきます。
点呼まではまだ時間があった。ばたばたせずに済む朝は久しぶりだ。珍しく眠りが浅かったのが原因かもしれないが、そのせいで少し頭が重たい。まだ額のあたりに睡魔が居座っている。
普段と違うのはよくなかった。今日はなんだか噛みあっていないなという日は誰にでもある。その予兆だと、俺は思った。
「あ……あの、ここ」
前に立つ誰かの気配を感じ、うどんを啜るのを止めて上を見る。
「空いてますか?」
はにかんだ笑みを浮かべながらの比叡。周囲を見渡してみるが、朝早い時間帯は人もまばら。誰もかれもが一人で喰っていて、それは俺も同じである。
俺が周囲を見渡しているのと同様に、周囲もまた俺を窺っているのがわかった。視線が合うと慌てたように食事へ戻る。が、集中していないのは明らかだ。
聞き耳を立てているのかもしれない。艦娘が同行しているという噂は艦艇中に広まっている。明らかに軍人ではなさそうな女がいたら、そいつこそが艦娘であると判断するのは、決しておかしな話ではない。
「席は空いてるだろ」
「なら、遠慮なく」
比叡はそう言って俺の前に陣取った。違う、そういう意味で空いていると言ったのではなかったのだが。
他に空いているだろ、と言えばよかったのか。しかし意味もなくつっけんどんに返すのも抵抗がある。
階級上は比叡は上官にあたり、かつ政治的な立場を鑑みればそれ以上の差が開いていた。聞き耳を立てているであろう周囲から、なんだあいつはと思われるのは、決していい振る舞いとは言えない。
「俺に用事でも?」
ぶっきらぼうにならないよう努め、俺は尋ねた。
「いえ、そういうわけではないんですが」
比叡は控えめに蕎麦を啜った。
「知り合いが誰もいなくてですね」
「昨日の積極性はどうしたんだ。昨日声をかけてきたとき、俺たちは知り合いじゃなかったろ」
「昨日はみんな初対面でしたから、勇気を出すほかなかったんですよ。今日は初対面の中に一人、知り合いが混じってるわけですから、そりゃまぁ、ね?」
誤魔化すように比叡は笑った。
返事をどうすべきか考えている間に、その機会を失って、俺は半分くらい完成していた言葉を飲み込む。麺と、汁とともに。
「朝早いんですね」
「ん? まぁ、そうだな。当番が、早くからあるな」
「どんなことするんですか? あー……」
言い淀んだ比叡に名前を名乗ると、口の中で数度反芻し、頷かれた。
口の中で数度反芻し、頷かれた。
「多分言ってもわかるかどうか」
専門的な知識や言葉をなるべく噛み砕きながら、俺は比叡に持ち場や任務などをざっくりと説明する。比叡はそのたびに目を輝かせて頷いていた。どうやら好奇心はだいぶ旺盛らしい。
陸の上で生活する人間にとって、海の上がどんなものか想像つかないのもしかたあるまい。海や空は自由の象徴かもしれなかったが、自由がゆえの不自由さもまたある。
深海棲艦が出るまで、特に彼女に与えられた仕事はないのだという。まぁそうだろう。変に仕事を与えて怪我でもされては責任問題になるし、何より訓練も受けていない人間できるような仕事は、船の上では多くない。
一週間か一ヶ月か、OJTを行ったうえでならば、頭数には入れられるはずだ。彼女自身それを目指している節があるという。
「暇で暇で死んじゃいますから」
持ち込める本にも限りがある。スマホは電波が基本的に入らない。仕方のないことだ。
「お前が暇な方がいい」
「でしょ? いや、わかってるんですけど。司令とかは何もしないで部屋でごろごろしてていいよーって言うんです。けど、往路と復路、合わせて三か月超って聞いたら、ひえーって思いませんか?」
まるで思わない。だがそれを表明するわけにもいかず、俺は曖昧な笑みを浮かべる。
「顔引き攣ってますけど、大丈夫ですか?」
「ん? ……一味を入れすぎたかな」
言ってから、テーブルの上に一味はないことに気付いた。あるのは七味だ。
「ごちそうさま」
あまり朝飯をだらだらと喰うつもりもなかった。俺が立ち上がると、比叡は寂しそうな表情を一瞬だけつくる。
罪悪感が生まれた。別にこいつとなんら関係がないと言うのに。
「あの」
比叡が俺の名を呼んだ。脚が止まる。
「また」
「……」
またも何と返すべきかわからない俺がいた。今度ばかりは嚥下できない。それは、なんというか、完全に感覚的なことなのだが、ここでそうするのはあまりにも彼女に悪いと感じたのだ。
「……またな」
「っ、はい!」
まるで夏に咲く満開の花だった。俺は思わず面喰ってしまって、直視できない。
男所帯で女日照りは俺もなのだ。それをすっかり忘れてしまっていた。
それから比叡とはしばしば食事でかちあうことがあった。その時は俺一人であったり、あるいは齋藤や高木と一緒であったりさまざまだが、比叡は常に一人だった。
「司令ですか? いますよ。ただ司令は兼任なので、普通に艦艇内でのお仕事があります」
この船のナンバーツーの二佐が、書類上は比叡の直属の上官であり、彼女に直接指揮できるのも彼だけらしい。
本土で、かつ近海防衛に特化した部署では、一人の提督が十人から三十人ほどの艦娘部隊を率いることが通例となっている。少なくとも一佐は部隊の運営が仕事ではない。ROEが先に策定されてしまい、まだ運用が固まってはいないのだろう。
比叡の興味は、最近は艦の仕事や語句知識ではなく、それに乗っている軍人へとシフトしているようだった。中卒で入った人間、高卒で入った人間、防衛大を出た人間、それぞれどんな違いがあるのか。詳細に説明するだけで食事の時間はすぐ潰れる。
「艦娘はどうなんだ。採用形式、っていうのか」
「……あたしの時は、スカウトマン? みたいな人が来ましたね」
「スカウトマン? 人事ってことか?」
「や、わかんないですよ。うちの……うちに来て、あたしとあと二人、どっか連れてかれて、あれは多分今思えば神祇省の付属の病院だったと思うんですけど、そこで検査して」
「検査、ねぇ」
艦娘適性がなければ神は降ろせない。海に立てないし艤装も背負えない。話には聞いてこそいるが、それがどんな科学的根拠に基づいているのか、俺は知らない。比叡自身もぴんと来ていないようだった。
「神様は自分と似た境遇のひとが好きなんだっていってました。いや、好きっていうか、誤解してるって。自分と勘違いして、あぁ自分の体が戻ってきたんだやったーって、騙して騙してあたしたちは艦娘の力をふるえるんだって」
「他の艦娘をお前は知ってるのか?」
本土にはそれなりの数がいるらしいが、部署が大きく違うということもあり、俺は見たことはなかった。
「いますよ。艦娘の訓練学校みたいなのがあって、検査を通過したひとたちはみんなそこで訓練です。知識とか、戦い方とか。基本は戦艦も駆逐艦も空母もごっちゃでした。専門性が高い時だけ別カリキュラムで」
「ふぅん」
「いろんな人がいましたよ。あたしの姉妹艦の人もいたし、潜水艦なんかはみんな水着でずっと泳ぎの訓練だったし。駆逐艦はみんな小学生で、陸上やってた島風ちゃんとか、スマホ見たことなかった吹雪ちゃんとか、漫画書いてる秋雲ちゃんとか。
高専にいたって明石さんはいっつもドックに籠って、わけわかんないの作ってたなぁ。ネガティブでやさぐれた大井さんが授業に出てなくて、みんなで探しに出かけたこともあった。
赤城さんと加賀さんは弓がすっごい上手で、朝練してるところを青葉さんが写真撮って、売りさばいてたの見つかって……あはは、懐かしいなぁ」
怒涛のように語る比叡の視線は、俺ではなく目の前の食事でもなく、昔日の映像をうっとりと眺めているように見えた。訓練学校がどれだけ楽しかったのか、それだけで想像するに十分だ。
俺も、自分のことを思い返せば、きっとそんな表情をするに違いない。似合わないとはわかっているが、あの辛く苦しかった数年も、今となってはいい思い出だ。
また別の日、艦艇内は緊迫した空気に包まれ、針で突かれた瞬間に弾けてしまいそうなほどに張り詰めていた。
各自が小銃を肩から降ろし、点呼、のちに持ち場へと向かう。
その間にも船が大きく揺れた。
比較的小型の敵艦が二体、こちらに体当たりをしているのだ。ごおん、ごぐんと不快な重たい金属音が、気密性の高い窓や扉を突き抜けて、俺たちの耳へと届く。
窓の外には異形の飛行体が編隊を組んで飛翔していた。時折思い出したように爆撃や銃撃を行ってくる。厚い隔壁を撃ち抜くほどの威力はないようだったが、逃げ遅れた甲板員が三人、既に死んでいる。
南無三。仮に意識が消失したとて、訓練で染み付いたその動作は忘れることができない。俺たちは素早く外へと転がり出、飛行体の攻撃の間隙を塗って銃撃で撃ち落としていく。
対して幅の広くない船の通路では大規模な戦闘は難しい。基本は三人一組。俺たちは集中射撃で飛行体を狙う。
放たれた爆弾が一人の足元付近に着弾、紫色の炎を交えて炸裂し、そいつの膝から下を吹き飛ばす。
「ぐ、うぉ、うああああっ!」
「掴まれ、立てるか!? 肩を!」
一人が担ぎ上げて逃げる時間を稼ぐべく、俺は必死に銃口を謎の飛行体へと連射する。金属と肉が交じり合ったような不快な様相。それがこの世のものだとは到底思えないほどに。
不意に視界が翳った。かんかんかん、と靴底で強く床を叩く音。
「抜錨!」
比叡だった。食堂にいる時の普段着ではない、正装――と言えばいいのか、巫女服? 修験服? 学のない俺には形容しがたい、けれど理解できる……あれは悪鬼と戦うための神聖なものなのだと。
比叡は船内から飛び出し、空中でいままさに俺たちに襲いかかろうとしている飛行体を、拳で直接殴打した。細く、白い腕。しかし敵は一撃一撃で体を削剥させられ、消失していく。
「大丈夫ですか!?」
そこでようやく、目の前にいるのが俺だということに気付いたらしい。照れくさそうに「あはは」と笑う。
だが、今はそんな場合ではない。すぐに比叡も表情を引き締める。
「気合! 入れて! いきます! あたしの活躍、ちゃんと見ててくださいねっ!」
比叡はその後、敵艦三体を順次撃破、無事に帰投した。負傷した仲間の保護に専念していたため、海上で行われた戦闘は比叡の言葉に反して見届けることができなかったが、仲間が言うには天使のようだったとも。
埒外な存在に、こちらもまた埒外な存在を動員して当たる。それはあながち間違いではない。敵戦闘機を比叡が殴り飛ばした時、俺が彼女に感じたのは、感謝ではなく畏怖だったように思う。
どちらも人間だ。
互いに人間だ。
だが。
俺には当然あんなことできやしない。そして可能なのが彼女であり、艦娘なのだ。
それは確実に兵器としての側面。
しかし。
死者四名。
負傷者十二名。
その報告を知った比叡の、あの悲痛な表情。あれが果たして兵器の顔だろうか?
「……よぉ」
深海棲艦との戦闘があった日から十日ほどが経過して、俺はようやく比叡に出会った。比叡は食堂でカレーライスをつまらなさそうに食べている。
もしかしたら俺が後からやってきて、先にいた彼女に声をかけるなんてのは、これまでで始めてからもしれない。
比叡は俺の姿を認めて、笑う。疲れた様子を隠そうともしていない。
最後に会ったのは戦闘後の全体集会のときである。ただ、それも会ったというよりは、俺が遠くから一方的に比叡を見ていたに近い。彼女の活躍によって敵勢力は退けられたと、二佐が胸を張って語っていたのを覚えている。
護衛対象であるタンカー自体は大きな影響はなかったようで、航行は続行。しかし殉職した乗組員の遺体の引き渡しや船の精査もどこかで行わなければいけないため、少し予定に変更が出ると伝えられた。
「ここ、空いてるか」
「どうぞ」
促されるままに俺は比叡の対面に座った。カレーを掬って口へ運ぶ。味がしない……まさか、気のせいだろう。意識が目の前の存在に引っ張られすぎている。
まずそうな顔しながら喰うんじゃねえよ、とは言えなかった。先日の件で、人死にが出たことを気に病んでいるのは一目でわかった。かく言う俺たち軍人の間でも、重たい空気は流れているのだ。
軍人だから死人に慣れているというわけではない。特に俺たちは前線で戦う歩兵ではないのだし。
脚を喪ったあいつは一命を取り留めたが、もう同じように勤務することは難しいだろう。俺の前でこそ死人はでなかったものの、それは比叡が助けてくれたからであって、もしあの場に比叡がいなければ俺さえも死体となって転がっていた可能性はゼロではない。
「あの時は助かった。ありがとう」
だから、やはり礼は言うべきだった。
礼を言わずに知らん顔はできなかった。
「……それがあたしのお仕事ですから」
「でも」
それとこれとはまるで関係がないのだ。
「でも」
比叡は遮った俺の言葉をさらに遮る。
「よかった」
「よかった?」
「はい。無事で、いてくれて。襲われていた人も、その……脚は戻らなかったけど、生きてはいるって聞いて」
「調べたのか? 自分で?」
「そうです」
それが比叡の美徳なのだ。誰かの気持ちに寄り添い、痛みや辛さを分かち合おうとする姿勢は、なによりも尊い。
反面、全てを自分の肩に乗せていては、いずれ潰れてしまうのではないかと余計な心配さえしてしまう。
「……よかった」
青ざめた顔から発せられた言葉が、俺には気になってしょうがなかった。
―――――――――――――――――――――――
ここまで
ダイジェスト的な。難しいな過去編って。漫画的手法で、小説向きじゃないのかな(今更)
艦娘の戦闘描写も難しい。ボキャ貧だし……。
あと、誤字るほうが悪い。推敲が適当で申し訳ないです。
本当は一晩寝かせたほうがいいんだろうけど、書いたらすぐ投稿したくなっちゃうからなー
いずれ加筆修正版でもどっかにあげようかしら。
待て、次回。
「待った」
「だめです」
俺の懇願を比叡は一蹴した。なんて女だ、無情すぎる。少しは手心を加えてくれたっていいじゃないか。
全く心の籠っていない非難を受けて、比叡は呆れ顔ながらも盤面を指した。
俺の玉は既に龍やら馬やら銀やらと金やらに包囲されて、少しの逃げ場もない。
「じゃあ何手前まで戻します?」
どこまで戻せば勝ちの目が生まれるのかちっともわからなかった。尤も、わかっていれば、こんな惨状にはなっていなかっただろうが。
「負けでいいっつーの」
「素直でいいですねー」
楽しそうに笑う比叡だった。
「比叡殿に初心者を甚振って楽しむ趣味がおありとは思わんかった」
「えへへ、そんなでもないですよぅ」
てれてれと頬を赤らめながら比叡。
褒めてねぇよ。
駒の動かし方と矢倉の組み方しか知らない相手に、居飛車穴熊とか組むんじゃねぇ。
俺たちは娯楽室にいた。最近比叡が将棋を題材にした漫画にハマっているという話で、相手を探していたのだった。俺はただ廊下を歩いていただけなのだが、抵抗虚しく蜘蛛の巣に捕まってしまった蝶の気分だ。
娯楽室には他にも利用者がいたが、みなそれぞれの娯楽に興じている。卓球だったり、読書だったり。ソファの背もたれに体を預け、うつらうつらしているやつもいた。
ほどほどの静寂の中で、もう一戦しましょうと張り切りながら、比叡は駒を初期配置に並べ直している。
随分と懐かれたものだ、と思った。鼻歌なんか歌っている。ふんふんふーん、ふふんふんふーん。ポップなリズムが将棋盤の上空でほどけて溶ける。
俺と比叡が出会ってから、既に一年が経過していた。
依然として俺は四代目「ひえい」に乗艦していた。階級は据え置きだったが、多少なりとも責任のある立場は任されている。今年か来年の早い段階で、昇進試験を受けてみるのもいいかもしれない。
比叡もまた、当然のように「ひえい」付で深海棲艦相手の護衛を務めている。今は艦のことも少しずつわかるようになってきているらしく、時たま誰かの手伝いをしていることを見かけることもある。
四代目「ひえい」は相変わらずにインド洋を経由するタンカーの随伴。変わらないことはよいことだ。それは安心と安定、そして落ち着きを齎してくれる。
目の前の比叡は角道を開けるか悩んでいた。真剣なまなざしを盤に落とす彼女は、まるで普通の女子大生のようだ。文化系と言うよりは体育会系。冷静と言うよりは熱血。ありありと目に浮かぶ。
そんなこちらの視線に気づかず、比叡は結局角道を開けた。俺も合わせて開けて、角交換に持ち込む。
「やりますねぇ。これは負けてられませんっ」
そうなのか。どうやら俺は知らず知らずのうちにやるようになったらしい。
彼女が負けじと何かをするのもまた不変、通常運行だ。
俺たちを取り巻く環境はこの一年でさして変化しなかったものの、こと関係性という面についてのみ語れば、激動の、激変の一年であったと言っても過言ではない。その中心には、目の前に座るこいつがいる。
なまじ艦娘なんかと仲良くなってしまったものだから、当然齋藤や高木をはじめとする同僚からは色々根掘り葉掘りせっつかれた。内容は色恋沙汰もあり、艦娘の職務に関するものもあり。
くだらん、と一笑に付すことは簡単だった。だが立場が逆なら俺も無粋な質問の一つや二つはしていたに違いない。それを思えば、広い心で赦せようものだ。
「……手番ですよ?」
比叡がこちらを覗き込んできていた。
「何かついてますか?」
頬を両手でぺたぺたと触る。どうやら注視しすぎてしまったようだ。
「いや、なんでも――」
世界が揺れた。
体の奥底まで響き渡る、重たい震動。ごぐん、と一度、大きく。
警報が鳴るまでに時間はさして要さなかった。爆裂音。遠くはない。かといって巻き込まれる懸念をするほどには。
しかし誘爆の危険性は常に孕んでいる。先ほどの揺れが事態の原因なのか、それとも隔壁が閉じる音なのか、一瞬では判別できなかった。
全員の視線が交わる。思考の必要はない。誰かが息を呑んで、それを合図に俺たちは娯楽室を飛び出した。
爆裂音がまたも響く。しかも、今度は二発。どぉん、ごぅん。同時にまたも艦が大きく揺れて――事態の逼迫は明白、だがそれ以上の嫌な予感が胸中に渦巻いていた。これは普通ではない。通常の非常事態ではない。
心臓が高鳴る。それに反して頭は冷静だった。血流は全て体の動作に使われているから、頭に上るだけの余裕などないことが、冷静の原因だ。
深海棲艦の襲撃。しかし、それ以上の何かが起きている。
「比叡、頼んだ」
「はい! 比叡、任されましたっ!」
拳を打ち付けあって、俺たちは丁字路を逆方向に向かう。比叡は右へ、俺は左へ。
警報は今や最大級の警戒音を鳴らし続けていた。断続的な揺れの中に、時たま一際強い揺れが混じり始め、頻繁に肩や肘を強か船の壁にぶつけることとなる。
床が傾いでいる。丸窓から見える世界は、平衡感覚に厳しくノーを突きつけてきた。俺はそれに、さらにノーで突っ返す。おかしいのはこの船だ。俺ではない。
「おい、どうして通信が入らん……!」
仲間の一人が苦々しげに吐き捨てた。誰もが疑問に思っていた、しかし口にしなかった禁忌の言葉。
最悪に輪をかけての最悪、そのパターンを想定することは軍人にとって必要な能力だ。その上で、俺たちは生き延びることを、現状の打破を期待されている。ゆえの軍人でもある。
沈没。その二文字が脳裏で点滅していた。
無論、その状況も訓練していないわけではない。集合、点呼を経てからの救命ポッドによる脱出まで、一連の動作に淀みは存在しないはずだった。だが、その指示を出すはずの上官による通信が、いまだ入らない。
指揮権を持つ者が――考えたくないことであったが――死んだ場合、その下の階級のものが基本的には指揮権を継承する。脱出の判断を示すのが誰なのかを俺は知らなかったが、一佐か二佐のどちらかなのではないかと踏んでいた。
いまだ通信は入らない。有線の艦内放送設備が使えないというのならばまだわかる。しかし無線まで誰も応答しないというのは……。
何度目かわからない爆裂音とともに、廊下の先から熱波が俺たちの肌を焼き焦がした。気管の炙られる感覚に思わず息を止める。
さらに大きく艦が傾いだ。
あぁ……。
「駄目だ! 甲板だ!」
叫んだのは誰だったのか。もしかしたら自分だったのかもしれないと思うほどには、その時の俺たちは以心伝心だった。一蓮托生だった。
駄目だ。言葉を省略しないのならば、この船はもう駄目だ。
多重隔壁で浸水や砲撃には頑強なつくりになっているはずだった。それでなくとも、可能な限り水平を保とうとするスタビライザーは、比較的新しいものをとりつけている。それだのにあまりにも事態の悪化が早い。
想定外をして有り得ないと断ずるのは浅慮に過ぎる。現実は想定を容易く上回ってくることを、俺たちは深海棲艦の登場で骨身に沁みたのではなかったか。
甲板に出る。
「……っ、比叡……!」
思わず祈りが零れた。
「なんだよ、これ。なんだよこれぇえええっ!」
「負傷者の――生存者の確認を急げっ!」
「タンカーは、タンカーの方はどうなんだ!? 救命ポッドを!」
視界を埋め尽くすほどの、飛行体の群れ。
口が、そこに収まらない巨大な歯が、空を縦横無尽に飛び交って、
「ひ、とを……」
喰っていた。
噛みつき、引き裂いていた。
銃声が断続的に響く。
船の後方では今も爆炎が閃光を撒き散らし、空いた穴から黒煙を撒き散らしている。
左舷から船を突き抜ける衝撃。解体作業のような音が、頭蓋を揺らす。
指揮系統もクソもありはしなかった。使命感は胸にある。しかし、それが今この場でどれだけの威力を発揮するだろうか。
形而上の何かは、実存的なそれに、比べるべくも及ばない。
小銃が火を噴いた。金属の削れる音、肉の抉れる音、悪鬼の奇声、奇声、奇声――あぁもう気が狂いそうになるほどに!
今や信じられるものは両手に抱え上げられた鉄の重みだけだった。それさえも悪鬼の前には大して役に立たない。一体、二体を打ち倒したところで、三体目四体目五体目がすぐさまこちらへ向かってくるのだ。
連射は既に乱射へと変わっている。姿勢保持などは所詮机上のものにすぎなかった。寄るな寄るなと腕を振り回す子供に等しい愚かさだったが、それでも。
「齋藤、高木!」
エレベーターを背に射撃を行っているのは知り合いだった。俺はひとまず安堵を覚えて、二人に駆け寄る。
「生きてたか!」
「やばいね。こりゃあやばいよ」
「何があった。どうなってる。通信は?」
「知らねぇよ!」
「僕たちも、困ってる。深海棲艦の通信妨害じゃないかって思うんだけど」
「生きてれば、みんな救命ポッドに向かってるはずさ。僕たちも向かいたいけど、いかんせん数が多すぎるね」
「左舷はイ級の群れだ。どいつもこいつも吶喊してやがる。この飛行体群の親玉がどこにいるかはわからんが、密度が濃いのは右前方。だが、それよりも」
「ケツか」
大穴が空き、爆炎が見え隠れする船の後方。既にあそこから海水が浸入しているようで、傾きの大本だ。
あそこを何とかしなければ船は沈む……いや、デッドラインはとうに超えているに違いない。穴を塞ぎ、水を掻き出すのは、あまりにも非現実的。残された手段は脱出だけ。
「あれは尋常じゃないね。やばいやつがいるよ」
高木の意見には同意だった。これまでこの船は何度かの深海棲艦の攻撃に耐えてきたが、今回はこれまでの比ではない。単純に規模が大きいと言うのもそうだろうが、それでも大穴を一瞬で開けるような敵の存在に、俺は今まで出会ったことがなかった。
強力な存在がいるとしたら、それは船の後方だ。幸いにして救命ポッドが備え付けられているのは右舷の中央から前方にかけて。飛行体の群れを抜けていければ、あるいは。
と、一際巨大な爆発音が聞こえた。ついにメインエンジンに火が回ったか――そう思って振り向くが、違う。
それどころか、この船ですらなく。
「たっ」
タンカーの横っ腹から黒い煙が濛々と噴き出しているのが見えた。
「まずい! 油が!」
そうだ。もしも油が流れ出て、それに火がついてしまったのならば、救命ポッドで逃げ出したところで焼け死ぬばかり。油は当然水に浮く。文字通りの火の海だ。
「逃げ出すなら早くしねぇと」
「ったってさぁ!」
銃身の熱を感じるほどに撃ち続けても、敵の数は一向に減る気配を見せなかった。
「逃げてください、はやく!」
巫女服が翻った。烈日にも似た光が迸り、俺はそのとき、確かに在りし日の戦艦の幻影を垣間見た……気がする。
比叡だった。なぜここにいるのか。そんな疑問を投げかけるよりも早く、彼女は拳を握りしめ、大きく振りかぶった。
振り下ろす。
不可視の砲弾が放たれた。それは限りなく霊的な、俺たち凡人には殆ど感じ取れない巨大な何か。
それが俺たちの周囲に蠢いていた飛行体の群れを一瞬にして蒸発させる。
戦艦たる存在の底力。
「比叡!」
「逃げてください!」
比叡は潮風、爆炎、そして深海棲艦の奇声に負けじと繰り返し叫んだ。
「この船は恐らくもうだめです! 敵の包囲も凄くって……いまみなさんを救命ポッドまでお連れします、逃げる手伝いしてるんです、あたし!」
「それはありてぇが……」
「比叡ちゃん、きみは、その」
「そうだ、深海棲艦の大本を断て。俺たちは三人でなんとか辿り着いてみせる」
「……っ」
比叡は苦い表情をした。言葉を一瞬言い淀むが、仕方がなしに口を開く。
「二佐は、亡くなられましたっ……! 指揮権は喪失、あたしは……勝手には動けません」
「でも今のがあるんじゃねぇのか!?」
「だめなんです! 敵戦闘機を追い払うくらいのことはできますけど、大口径砲や徹甲弾、電探の使用は、認証が必要なんです!」
「なんだそりゃ、くそシステムじゃねぇか!」
「齋藤、いまここで文句を言ってもしょうがないよ!」
そうだ、俺たちのすべきは制度やシステムの是非を問うことではない。そんなのは病院のベッドの上で好きなだけやればいい。
齋藤は憎々しげに舌打ちをして、エレベーターの壁から背を離した。救命ポッドの位置に当たりをつけ、高木と視線を交わらせ、頷く。足元さえ見て走れば、あとはそれだけでいい。
「お前も行くぞ」
「おう」
俺は応えて……気が付いた。
気が付いてしまった。
「どうした、早くしねぇと!」
「比叡」
「なんですか?」
比叡の目を見た。疾しいことなど何一つない、きれいな、澄んだ瞳だった。
だから確信を抱くことができる。
「全員を救命ポッドに乗せて、お前も当然、それに乗るんだよな」
「あたしは艦娘ですから、海の上を走れますから」
「タンカーから油が漏れだすかもしれねぇ。最悪、火の海だぞ」
「あははっ! そんなのうまく避けてみせますって! だーいじょうぶ!」
「……」
「……なんですか?」
「敵が救命ポッドを見逃してくれると思うか?」
「だから、あたしがそこは何とかします! してみせますよー!」
「何やってんだ、早く!」
齋藤が叫ぶ。比叡が殲滅したはずの飛行体は、また数を増やしつつあった。
「……先に行ってくれ」
「でも!」
「……何を考えてやがる」
「それはなぁ」
俺じゃなくて比叡に言って欲しかった。
「ばかげてる!」
「必ず追いつく。ほら、行けよ」
「……くそ!」
二人は走り出した。俺は視線を二人から切って、比叡に正対する。
俺の背後、二人が向かった方角から、銃声。その音が心地よい。
「……なにやってんですか。逃げてくださいよ。逃げないと。ほら!」
「お前の命を犠牲にしてか」
「もう、失礼なことを言わないでください。あたしは死ぬつもりなんてこれっぽちもありませんってば」
「艤装は使えない。敵は大群。恐らく、格の違うやつもいるんだろう?」
「……種別、鬼。聞いたことありますか?」
「ねぇな。強いのか」
「はい。滅茶苦茶に。ROEの話はしましたよね? 艦娘にも当然それはあって……種別鬼とは戦うな、必ず逃げろ、と」
「なら」
お前も逃げるんだよな?
「だから!」
……逃げるに決まってるじゃないですか。
「乗組員が逃げたのを確認して、逃げおおせるのを見届けてから?」
「……ひえー、参ったなぁ」
「比叡」
「だーいじょうぶですって。あたしはこのために艦娘になったんですから」
「大丈夫ってのはそういうことじゃねぇだろう」
「そういうことですよ」
「誰かを護るために艦娘になったから、それで死ぬなら本望だってか!?」
悔いがないから。本望だから。
だから、大丈夫。
そんな言葉遊びを認めるわけにはいかなかった。
だって、俺は、お前のような存在をありとあらゆるこの世の脅威から守りたくて、軍人になろうと決心したのだから。
「違いますよ」
比叡は笑った。虚勢には見えない。
心底満足そうな、そんな。
「あたしは、こんなあたしにでも、価値が生まれて、生きててよかったんだって思えることに出会えて、感謝してます!」
「お前は、何を言ってるんだ……?」
おかしな話だった。満足そうに笑う比叡が、どうして泣いているように見えるのだ。
頬に一筋の輝きが見えるのだ。
「あたしのことです。『あたし』の」
『比叡』ではなく。
「神様は『あたし』を『比叡』だと誤解してるんです。みんなが自分の傍から離れてっちゃう寂しさに引き寄せられてるんです。誰かに雄姿を見てほしいんです。独りはいやなんです。いやなんですよぉ」
比叡の言葉が、俺にはわからなかった。もとより俺が理解できるように喋っているつもりもないのだろうが。
「あたしが独りなのは、あたしが悪い子だったからです。駄目な子だったからです。きっと『比叡』もそう思ってます。活躍できなかったから、誰にも看取られなかった。頑なにそう信じてる。
だけど、あたしはもう違う。変わるんです、生まれ変わってやるんだ。
頑張って頑張って頑張って、艦娘で大活躍したら、お母さんもお父さんもあたしのところにちゃんとお迎えに来てくれるはずなんです!」
駆けだした比叡の手首を、俺は反射的に掴んでしまっていた。
「やっ、なんですか、やめて、離してください! あたしなんかに構わず、早く逃げて!」
「認証」
「えっ?」
「認証ってのが、必要なんだろう」
目が見開かれた。流石にそれは、いくらこいつでも予想していなかったようだった。
俺も、よくそんなことを思いついたものだと――試してみる気になったものだと、自分で自分が恐ろしい。一体どれだけのやけっぱちだろうか。
「二佐は死んだ。指揮権は宙ぶらりん」
なら。
「今から俺が、お前の司令だ」
「はっ、……はぁっ? ちょっと、それは、えぇ?」
「時間がねぇんだろう。可能なのか? それとも、やっぱり無理か?」
「いや、そんなことしたらだって、あたしの責任が、死んだら、失敗とか規則違反とか全部、いやいやだめですだめだめだめだってば!」
「その言い方、可能なんだな」
「……」
たっぷりと間を置いて、たぶん、と彼女は答えた。
親指。人差し指。中指。薬指。小指。
五指をあわせて、手早く認証の手続きを済ませていく。
「……あの、どうして、ここまで」
尋ねられると困ってしまう。どうして。ここに来るまで、理由を考えたことなどなかった。
なんとなく。それが一番近いかもしれない。俺は俺が善人だとは思えなかったが、それでも困っているひとや、泣いている人を、
……それだろうか。
「泣いている女は苦手なんだ」
認証が完了。指揮権が俺に移る。
それがどれだけの規則破りなのか、考えるだに恐ろしかった。放逐されるだけなら御の字で、それ以上の処罰もいくらでもあり得る。まぁ益体の無い考えに違いない。まずは俺が生きて日本の地を踏めねばならないのだから。
「司令」
比叡が小さく呟く。その口当たりを確かめるように。
「司令」
そして、俺を見て、もう一度。
「司令」
はにかむように、恥らうように、笑った。
「気合、入れて、いってきます」
「頼む」
俺は一体、何を頼んだのだろうか。
深海棲艦の殲滅か。時間稼ぎか。彼女の生還か。
――結果的に、最後のそれだけは果たされることはなかった。
艦娘「比叡」は、嘗ての戦艦「比叡」と同じように、誰にも看取られずに海の底へと沈んでいった。
――――――――――――――――
ここまで
申し訳ありません! 過去編あと一回、もっかいだけ!
多分今晩にでも!
待て、次回!
DDH「ひえい」、及びタンカー「洲崎」、全乗組員数合わせて三九七名のうち、確認されているだけで死者は一一九名、重軽傷者は一七二名にも上り、史上初の――そして史上最大の、三桁数の死者を出した深海棲艦による海難事故となった。
随伴していた艦娘「比叡」は、「ひえい」乗組員の避難を誘導したのちに深海棲艦へと対峙、戦闘を開始。それが十三時十八分のことである。
まず比叡はDDH「ひえい」を離れ、タンカーへと向かった。「ひえい」の沈没が不可避であることを見据え、タンカーの乗組員の救助、及び油の漏出を少しでも遅れさせようとする判断だと思われる。
タンカーに取り付いていたイ級、ヌ級、それぞれ数機ずつと会敵、これを撃破したのが十三時三十一分。この時点で乗組員は全員避難が完了していたが、タンカー自体の動力は停止しきっていなかった。比叡はタンカー内部に侵入しようと試みた形跡が残っている。
深海棲艦の第二波との交戦が十三時三十五分。戦艦タ級、及び戦艦棲鬼一体ずつと、比叡は放火を交えることとなる。
比叡がタ級の顔面を殴り、バランスを崩したところへの胴回し蹴り。波濤へ埋もれたその隙をつき、大口径砲の掃射で屠る。しかし背後から戦艦棲鬼が接敵。反応の遅れた比叡は数発の砲弾を受けるも、即座に反撃に移る。十四時十八分のことである。
……一撃を受けるごとにカメラの映像が乱れ、飛沫が舞う。
鬼の従える怪物が、気の狂ったように両腕を振り回す。比較対象の少ない海上でさえ、その太さは明らかだった。比叡はそれを間一髪で回避していく。どう見ても反応が当初より鈍い。
ついに回避しきれない時が来た。何とか間に合わせた体の防御の上から、重たい一撃。画面の左上が欠け、音は途切れる。画面の隅が白くハレーションしたのは砲撃による爆裂だろうか。
一拍の、ぐ、という溜め。その後の吶喊。最短距離を往く比叡の目には鬼の本隊、虚ろな目の女しか見据えていない。
怪物の腕が振るわれた。最早比叡には避ける気がない。いや、あるいは……。
手首から先が弾けて水の中へと落ちていくのが映っていた。
映像が震える。光が収斂し、比叡の周囲へ集積。八門の砲塔。残った右腕、人差し指が、ぴんと鬼の頭部を狙っている。
比叡の顔は見えない。
笑っているのか? 笑っているんだろう。
笑っていてほしかった。
いや、それは結局、勝手なこっちの都合を押し付けているだけなのかもしれない。
映像はそこで途切れる。信号消失。最後の時間は、十四時五十四分。
比叡は、実に一時間半もの時間を、たった一人で持ちこたえたのだ。
あの深海棲艦の大群を相手に。
俺たちを逃がすために。
膝についた手に力が入る。あそこに俺がいたとして、何もできやしなかったろう。銃弾は効かない。爆撃も無意味。そもそも俺は海の上に立てやしない。だからこの歯がゆさは、きっと解消のしようがないものなのだ。
だから? だから座して見ていろと? 指を咥えて黙っていろと?
だが、結局、逃げたのが俺だった。あいつに任せたのが俺だった。
認証などせずに無理やりにでも引っ張って逃げるべきだったのか、それすらも曖昧だ。ただ、あいつの奮闘のおかげで、油の燃焼から大部分が逃げ出せたと言うのもまた事実。
結果はわからない、故に正しい過程を経ることこそが重要なのだ。そう知ったように嘯くやつがいたとしたら、俺は間違いなく殴っていただろう。なぜ? どうして? なんのために?
俺にその権利があると?
一体全体、何様のつもりなんだ、お前は。
スクリーンに投影されていた、比叡の今わの際の録画が、ボタン一つで停止させられる。プロジェクターが小さく部屋の中央で唸りを挙げていた。
俺はアームチェアに座っていた。スプリングのよく利いた、高級そうな代物だ。事実高級なのだろう。なんせここは大本営の参謀本部なのだから。
円卓を挟んで目の前におわすは、その主。海軍の幕僚長であらせられる、元帥閣下。
海防局の局長と、広報部の部長補佐、沿岸警備部深海棲艦対策室の室長もその隣に立っている。錚々たる面子に俺は息も満足にできない。
わからなかった。すぐさまに査問にかけられ処分が下ると思っていたが、俺に与えられたのは一週間の休暇、そしてこのお歴々の面々に会いに行けという指示だけだった。その通りにしている現在でも、現状の把握が十分とは言えない。
とりあえずは今すぐに放逐されるという様子ではなさそうだ。寧ろ手厚い歓待さえ受けているようで、逆に恐ろしささえ感じる。
「これは」
室長がこちらを見た。眼鏡をかけた、神経質そうな男だった。
「きみの指示かい?」
「……これ、とは、なんでありましょうか」
思わず直立の姿勢をとろうとするも、局長が「座ったままで結構だ」。居心地の悪さを感じながらも腰を椅子へ戻す。
「素体名は船坂夏海。検体番号はKON-2-15。きみが知るところの戦艦比叡、彼女のことだ。
きみは彼女に、深海棲艦と戦うように指示を出したか?」
「……出していません」
改めて考えても、やはり答えはノーだった。深海棲艦の戦いに赴こうとしたのは、あいつ自身の意志だ。無論そこには俺の願いもあった。だが、仮に俺が止めたとて、乗組員の生存率を少しでも上げるためならば、敵陣に突っ込むことを厭わなかったに違いない。
俺の返答が意外だったのか、それとも予想と外れていたのか、お歴々の視線がそれぞれ交わされる。僅かなどよめきとともに。
「なら、なぜ彼女は?」
「そのために、艦娘になったから、と」
どこまで言っていいものか判断にあぐねた。彼女は言っていた。誰かに認めてほしかったと。活躍して、両親が戻ってくることを期待しているのだと。
俺は彼女の事情を知らない。事情を知らない人間が、まるであたかも真実であるかのように、他人のことを詳らかにするのは抵抗があった。
それともこの上層部は比叡の全てなど御見通しで、ただ確認のために俺へ問うているのかもしれなかった。だとするならば、俺がきちんと答えないことは、認識の齟齬を招く。
それは比叡に申し訳が立たない。
「みんなを助けて、艦娘として活躍して、……そうしたら、両親が迎えに来てくれると、そのようなことを」
「なるほど。どうですか、局長」
局長は白髪が特徴の男だった。温和そうな顔に、でっぷりとした腹を備えている。
問われ、小さく頷く室長。
「彼女は養護施設の出身でした。辻褄はあいます」
「補佐殿は」
「まぁ、どうにでもなりますよ。どうにでもね」
部長補佐はこの中では一番若いように思われた。明るい髪の色をしていて、スーツの着こなしもカジュアルに近い。
「きみは、KON-2-15に認証を行った。勝手に、だ。そのことがどれだけ重大な規律違反か、わかっているかな」
きた、と思った。本題だ。
「……はい」
さぁ、どんな処罰が下る? どんな処遇でも受けてやるつもりはあった。
孤独に海の底へ沈む以上の辛いことがあるか? そうだろう?
「なぜ、きみは、そんなことを?」
「……え?」
「重大な規律違反と知っていた、ときみは今言った。なるほど、となれば私たちは、当然こう考える。
即ち、『重大な規律違反と知ってなお、そうせざるを得ない状況があった』。違うかな」
「……?」
なんだ、これは。どういうことだ。
まさか、俺を慮ってくれていると、そういうことなのか?
「……はい。私は依然、比叡本人から、彼女に指揮できるのは樫山二佐のみであると聞いていました。そして深海棲艦の襲撃の最中、二佐が亡くなったことを受け……比叡への指揮権が消失し、そのため武器の使用ができない状況なのだと知りました」
「つまり、『深海棲艦打倒のために必要な、緊急事態的な措置であった』と?」
「そういう、ことに、なります」
「なるほど」
鷹揚に室長は頷く。そして三人を窺い、また頷いた。
「ならば、きみは英雄だ」
鳥肌が全身に浮いた。声のもとは局長でも、室長でも、補佐でもない。
これまで無言を貫いていた、この部屋の主人。革張りの豪奢な椅子に体を預け、徽章や飾緒を見せびらかすように、ある程度の角度をつけてこちらに向いている。
「英雄の誕生には、乾杯をせねばならないな。おい、ワインを。この間貰ったいいやつがあっただろう、それだ。それを持ってきなさい」
元帥が二度手を叩くと、部屋の外で待機していたのであろう、女従が二人、部屋へと入ってくる。一人は手にワインを持ち、もう一人はワイングラスを。
コルクが小気味よい音とともに抜かれた。少し離れた位置からでもわかる、頭がくらくらしてしまいそうなほどの芳醇な、妖艶な香り。
頭がくらくらしてしまそうなのは、ワインのせいだけではないかもしれなかったが。
「あの、これは……?」
「ワインは苦手だったかな? それとも、つまみが必要かな? だったらクラッカーなどを用意させよう」
「もっ、申し訳ありませんが、私はなぜ、ここに呼ばれたのかを、理解しておりません」
意識していても声が上ずる。目の前の元帥、この老人から、俺を圧倒する生気が放たれていた。
「あまり答えを急いで求める必要はない。きみは英雄だ。それにふさわしい振る舞いというものがある」
「お言葉ですが、私は英雄などでは……全ては比叡が」
俺はただ認証をしただけだ。願っただけだ。
「英雄はきみだ。きみなのだよ」
「ですが!」
「あまり声を荒げるな、老体に響く……。
きみは処罰を覚悟で、亡き二佐の遺志を継ぎ、規律違反を犯してまで艦娘を使役。その結果、百数名の死で、食い止めることができた。
無論、死んでしまった者たちには哀悼の意を捧げたい。だが、事実として最悪は避けられた。……何よりきみは、深海棲艦、その中でも不可能とされてきた鬼を、屠ったのだ。胸を張って凱旋するべきだ」
「え、あ……?」
声が出ない。違うと叫びたかったのに、それさえも俺から奪われてしまっている。
「違うかね?」
「違いませんねぇ」
代わりに答えたのは部長補佐。
「やはり艦娘は我々が指揮してなんぼでしょう。兵器は兵器として存在してくれなければ困ります。自我を持つのは結構ですが、それでは統率がとれませんし」
「あ、お、ま……」
愕然とするほかない。
俺はここでようやく、自らが嵌められたのだということに、気が付く。
深海棲艦が現れた。海が支配された。艦娘が登用され、配置される。俺たちの武装はまるで意味を為さない。護衛船に、さらに艦娘の護衛が付く。前線を支えるのは彼女たちだ。軍人は後方支援に回らざるを得ない。
俺たちは、そういうものだと思っていた。だってそうするしかないじゃないか。艦娘しか立ち向かえないなら、彼女たちが前線に立つべきで、俺たちは後方支援に徹するのが、最も効率的というものだ。
当たり前の話だ。ずっとそう思っていた。勿論抵抗がないわけではなかったが、そんな安っぽい矜持で人を護れるはずがない。
戦場を艦娘に渡したくない人間がいるなんて、範疇外。
「まさか、そんな、あんたらはっ!?」
「口を慎みなさい。元帥の御前です」
「これまで不可能だった、強敵の打倒が、ここにきて初めて成った。しかも一兵卒による、処罰を恐れない決死の行動によって。やはり小娘どもの自主性などに任せておいては、効率的な運用など夢のまた夢! 我々が采配を振るわねば!」
局長が狂ったように叫ぶ。室長も音こそならない拍手をしている。
「きみには勿論厚遇を用意してるからさ、まぁセミリタイアだと思って、ゆっくりしてよ。自伝でも出しちゃうかい?」
「俺は、俺はっ! そんなつもりで戦ったわけじゃない、あいつを行かせたわけじゃない、見殺しにしたわけじゃ、ないっ!」
「落ち着きたまえ」
「落ち着いてられるか!」
「落ち着きたまえよ、きみぃ」
元帥が立ち上がった。そのぶんだけ、俺の体に荷重がかかる。
「長い目で見れば、これこそが、最も手早く国を護ることに繋がるのだよ。きみのような若者にはまだわからないかもしれないがね、結果のために手段を選んでなどいられない場面など、世の中には多々ある。
そもそもあいつらが、艦娘などという兵器を勝手に作り上げ、結果のためには手段など選んでいられないと……先にこちらの面子を潰したのは向こうなのだ。神祇省のやつらなのだ。わかるだろう?」
「……俺が、もし、協力しないと言ったら?」
精一杯の虚勢を張ってみる。今すぐ撃ち殺される可能性は十分にある。
冷や汗が流れる。手のひらはべとべとだ。心臓の鼓動がいやにうるさい。
唇が引き攣る感覚があった。怒りはすでに通り越した。俺は何ということをしてしまったのだという自責が血を滲ませる。
元帥はふ、と笑った。俺を嘲っていることは一目瞭然だった。
「そこまで我々を敵対視しなくともよいだろう。部長補佐もいったように、セミリタイアだと思えばよい。ほとぼりが冷めたら、世間から離れて、ゆっくり外国で暮らすのはどうだ?」
一歩、元帥が近づいてくる。
「お兄さんも結婚を控えているのだろう? ご両親を心配させたくはないのではないか?」
どくん、どくん。早鐘が体の内側で鳴っている。
それは敗北を告げる音だった。俺は、死ぬのが自分であるのなら、どうにでもなった。それは比叡と指を合わせたときから覚悟していたことだったから。
だが、家族は。兄は。義姉となるひとには。
「英雄を喪うのはこちらとしても辛いのだ。……どうだ? わかってくれまいか」
巨大な権力を相手にしたのが、致命的な俺の過ちに違いなかった。
―――――――――――――
ここまで
速攻誤字ってて草。
そして過去編まだ終わらないんですけど……?
待て、次回
一躍、時の人。
頭が割れそうだった。気が狂いそうだった。表情筋がブチ切れてしまいそうだった。
記者会見で大々的に俺の偉業が発表される。我が身を省みることなく、上官の遺志を継ぎ、指揮を執った稀代の正義漢。死者百名余という大惨事、けれども見方を変えれば全滅の危機を救ったことになる。
焚かれるフラッシュ。信じているのかいないのか、記者の顔はどいつもこいつも読み取れない。
部長補佐が熱っぽく語る。彼のような人物が増え、艦娘を指揮することができるならば、いずれ深海棲艦など容易く全滅させられるだろう、と。
あくまで艦娘は添え物。軍人が指揮し、戦場を支配することが前提の論陣。
俺には笑顔が強制されていた。自らの言葉を喋ることは許されない。全ては部長補佐が捻りだしたシナリオに沿って事が進む。
そこには俺はいなかった。
稀代の英雄。善意に篤く、弱きを助け悪を挫き、不正を決して見逃すことのできない人格者。訓練時代から突出した能力とリーダーシップを発揮し、周囲をまとめ、出世頭と目された……らしい。一体誰のことだ? そりゃ。
ついには全く見たことのない親友までが現れて、したり顔でインタビューを受けていたのには、驚愕を超えて笑ってしまった。
きっとテレビの中の俺は煙草など吸わないのだろう。酒も嗜む程度にしか飲まないに違いない。人付き合いもよくて、休日は恋人と仲睦まじくデートをしているのだ。
ばかばかしい。くだらない。
お偉いさん方が言っていたとおり、報酬は莫大だった。金。家。上等な女を幾人もあてがわれたし、俺の希望は何でも通った。仕事はテレビカメラに向かって手を振るだけ。上っ面のいい、耳触りのいい言葉を、穏やかな調子で喋るだけ。
あぁ、なんて割のいい仕事だろう! トップクラスの俳優だって、ここまで軽くは稼げまい!
毎日毎日俺の映像がニュースで流される。比叡が戦っているあの映像さえも放映され、軍事評論家と名乗る人間が、いかにこの戦闘が素晴らしいものかを語っていた。
曰く、歴戦の司令官でもこうは指揮できない。護国のためという情熱が画面から伝わってくるようだ。的確に倒せる戦力から削ぎ、距離の取り方も絶妙だ。
嘘も大概にしろ、と叫んだところで、俺の言葉など誰も聞いてはいない。聞くつもりさえないのだ。どいつもこいつも紛い物の美談に酔い、偽りの輝かしい未来を見据えて悦に入っている。
それは俺に力がないからではなかった。そもそも、後ろ暗い真実など、誰も求めてはいないのだった。
悲しいニュースはもう沢山。楽しい、明るい、幸せな話を聞いていたい。話に多少の齟齬があったって、各自が都合よく脳内で補完、修正する。
本当に戦いが素晴らしいものであるのなら、それは勿論、比叡の功績だ。
護国のためという情熱が伝わってくる? 本当に? あいつがそんなもののために戦っていたとは、俺には到底思えなかった。
国が尊く、個人の上位にあり、そのためならば全てを犠牲にしてでも赦される。そんな価値観はあまりにも前時代的すぎる。少なくとも、比叡はそんな巨大なもののために戦っていたのではなかった。彼女はあくまでも自分のために戦っていた。
結局俺はあいつのことを大して知らないままだ。戦いに赴く前に比叡の言った言葉の理由、背景については、問い質せば答えは貰えただろう。今の俺の機嫌を損ねることに意味はない。そう判断できるくらいには、俺は冷静でいることができた。
それでも知ろうとしなかったのは、あぁそうだ、俺はどうしようもなく臆病だった。全てに倦んで、やけっぱちだった。
自らを包む暖かいそれが、毛布ではなく泥濘だと理解してなお、逃げ出す努力を怠った。
だってそうだろう、仕方がないじゃないか。そんな言い訳はいくらでもできた。敵は巨大で、組織立っている。こんなちっぽけな個人で太刀打ちできるわけがない。
それでもやはり、一言で表すならば、俺は臆病だったということになる。
比叡に後ろめたかった。あいつを直視して、懺悔しながら生きるには、俺は途轍もなく矮小な人間だった。
自らの運命に自ら決着をつけられない、殆ど愚かな人間だった。
誰も彼もが俺を見ない。これからの海軍と国防を背負って立つ人間として、拍手喝采、期待の言葉を投げかける。だが、持て囃す偉業全てが虚構。
俺は比叡を指揮していない。ただ彼女に願っただけだ。頼む。一言、それだけを。
それがどんなに無責任な言葉だったかを知らずして!
そして比叡も俺に巻き込まれた。俺は俺として生きる権利を剥奪され、彼女は彼女として死した後、彼女ではないナニカとして語り継がれる辱めに遭う。
虚構の中で、彼女は強く正しく生きる学徒だった。両親の不幸に見舞われながらも懸命に前を向き、児童福祉施設では年長者として保護者として慕われ、艦娘による給金の殆どを施設へ送っていたという。
現代のジャンヌ・ダルク? 誰だ、そんなうすら寒いキャッチコピーをつけたのは。
確かに強く正しく生きていたかもしれない。懸命に前を向いてもいた。児童福祉施設云々は、このときの俺には知る由もなかったが、そう言うこともあり得るだろうとは思っていた。
だが、違う。違うのだ。
あいつはそんな華々しい活躍がしたいがために、戦ったのではなかった。人の命がどうだとか、国のためにこうだとか、それはあいつを語る上では不適切。本懐からは大きく外れている。
俺は比叡のことを知らない。まるきり知らないというわけではなかったが、人となりや経歴は、知識として皆無と言ってもよい。
だからすんなりと呑みこめた。有名になって、両親のもとへと帰りたい。あの時の叫びが心からのものであるということを。
彼女は両親のもとへと帰りたかった。
今やその願いは塗り潰されて、志高い愛国の戦士の仲間入り。
軍の上層部やマスコミ、そして報道を簡単に真に受ける人々を恨まなかったわけではない。
だが、一番の原因は、俺だ。
俺さえいなければ。
比叡は生き延びることができたのかもしれなかったし、仮に戦場で命を落としたとしても、彼女として語られていたはずだ。
その可能性を俺が奪ったのだ。
そんな俺の絶望なぞ露知らず、人々は戦いに沸き立ち、軍の入隊希望者は前年比で1・4倍。艦娘の徴用も進み、1・2倍。検査対象者の数だけならば、1・9倍を記録したという。
その増加に、俺にまつわる一連の出来事がまったく無関係だとは思えなかった。
だが、愚かなのは俺だけではなかった。
軍の上層部は見縊っていたのだ。なまじ戦場に、非日常に近いから、気が付かなかった。遠くを見すぎて足元を掬われた。
上層部の過失はたった一つ。比叡の戦闘の動画を繰り返し放送してしまったこと。それに尽きる。
そこには戦場で血塗れになって戦い、苦しみの中で沈んでいく少女の姿が、克明に映し出されている。
例えば、どうだろう。自分の兄弟や、恋人や、あるいは子供が。艦娘の適性があることを理由に徴兵され、艤装を背負い、海の上で化け物相手に血まみれになりながら殴り合う。撃ち合う。抵抗のない人間などそうはいない。
日常を望む一般市民の声。彼らは、彼女らは、言う。声高に叫ぶ。プラカードを掲げる。艦娘は現代の徴兵制だ、軍国主義の先触れだ。国家機関による市民への人権侵害だ。
なるほどその主張は決して間違いではない。反面、独善や、無知や、不見識が、庭の石を持ち上げたときの裏側のように、悍ましくこびりついている。
今もこの世のどこかで勃発している争いが、絶対に自らの傍では起きないと信ずるのは、あまりに無責任と言ってもよい。
あの種の輩はテレビに映っている映像が地続きであることを知らないのだ。芸能人やスポーツ選手が自分に縁遠いものだと思うのと同じレベルで、難民や凶悪事件の被害者や、そして俺や比叡が、同じ空の下で暮らしていることが想像できない。
遠い国で起こったハイパーインフレ。宗教と人種の違いから起こる内戦。麻薬の蔓延。政治の腐敗。地震と津波。原子力発電所の老朽化。隣町で起こることはあっても、隣の家では、それは起こらない。
当然根拠はない。
深海棲艦も同じ。
ガソリンが高騰して、野菜が高騰して、これまで輸入されてきたありとあらゆるものの流通が制限され、店頭から姿を消し、そこで初めて声をあげる。「こんなことになるなんて聞いていない」。
艦娘が戦わずして、軍人が戦わずして、どうやって国を護るというのか!
そして、これは別角度からの有り得なさではあるが――あの動画には深海棲艦の姿が映っていた。戦艦棲鬼と呼ばれる、女と怪物が組み合わさってできた化け物が。
深海棲艦の声も、当然。
「深海棲艦が言語らしきものを発するのなら、コミュニケーションもとれるはずだ」などという世迷言を、まさか誰が想像し得よう?
誰も彼もが愚かに輪をかけた愚かさを発揮していた。その中には当然、俺も含まれる。寧ろ俺が、俺こそが愚者の先達なのだから。
誰も彼もが愚かに輪をかけた愚かさを発揮していた。その中には当然、俺も含まれる。寧ろ俺が、俺こそが愚者の先達なのだから。
流石の軍の上層部も、マスコミも、じわじわと勢力を拡大していく市民運動を掌握しきることはできなかった。もしかしたら利害関係のある何者かの差し金の可能性すら。
陰謀論だと笑い飛ばすことは、誰にもできない。俺の身がそもそも陰謀に巻き込まれているのだ。証人はここにいる。
議席の過半数を獲得していた与党は軍の上層部と友好関係にあったが、選挙の結果過半数を割り込む。躍進したのは艦娘の運用を見直すと公約に掲げた野党最大派閥と、深海棲艦との友好的アプローチを目指す新進の党。
上層部の目論見は瓦解した。全ての議論は振出しに戻り、そもそも艦娘の是非という、これまで俎上にさえ上らなかった話題からスタートする。
当然、俺は英雄ではなくなった。梯子は外され、足場は崩れ、掴まるものはなにもなく。
転げ落ちた先は人でなし。
人を人とも思わぬ運用の結果、虎の子の艦娘、しかも戦艦クラスを沈めるという無能の烙印。あるいは、折角の深海棲艦との交流の機会を棒に振った、調和の破壊者。
同時に比叡の美化は止め処なく、軍上層部の犠牲として数百人を守り抜いた人身御供であると、それこそ宗教が生まれかねん勢いだった。
二度と彼女のような悲劇を繰り返してはならないと、「ノー・モア・ヒエイ」と書かれたシャツを着た数千人が、街中をパレードする始末。
お前らは一体何を言っているんだ?
お前らは一体俺の何を知っているんだ?
お前らは一体比叡の何を知っているんだ?
俺は何もしていなかった。だから責任がないと言うつもりはない。寧ろ正反対で、何もすることのできなかった無能がゆえの責任が、両肩にのしかかっている。
だが、俺がまるで直接比叡を地獄に叩き込んだかのような物言いをされるのは、非常に、非常に、業腹だった。
比叡はそこまで高尚な人間ではなかった。崇高な人間ではなかった。数百人を助けるためならばこの身を犠牲にしてもよいとは絶対に思っていなかったはずだし、死の間際には家族の夢を見ていたに違いない。
彼女の大事なものが見るも無残に襤褸にされ、ありもしないものへと変容させられる様をまざまざと見せつけられるのは、何事にも耐えがたい苦痛だった。
苦痛こそが無能の罪業を雪いでくれるというのなら、謹んで承る所存ではある。だが実際はそうではない。踏みつけられ、貶められるのは比叡であって、俺ではない。
何よりも苦しいのは、恐らくその真実を知っているのが、俺だけだということだ。
いっそ死のうと何度思ったことか。
だがだめだ。俺には、比叡の想いを、本当に知るべき人に知ってもらう責務がある。その責務を果たさずに死ぬつもりはない。
死ぬつもりはないのだ。
比叡が生まれ育った児童養護施設を調べるのは簡単だった。その時点では、既に比叡は我が国の悲劇のヒロインとして扱われていた。その補強に彼女の境遇が深く関係していたから、新聞やネットを漁ればいくらでも情報は見つかったのだ。
ならば次は連絡手段だ。俺はそう踏んで、出入りの記者でも顔見知りのやつを半ば力づくで引き止める。
顔見知りの記者は俺となど少しでも会話をしていたくないという風であったが、俺の顔に何を見たのだろう、唇を震わせながら場所や施設長とのアポイントメント確保を約束してくれた。
掘り下げた比叡の生い立ちも、そのとき聞いた。
施設長は五〇前後の、人の優しそうな婦人だった。応接室のような部屋に通され、俺たちはソファに腰を掛ける。
俺はあの日あったことを全て施設長へと話した。それよりも前の、俺と比叡の出会いから、事細かに。声が上ずることを気にもせず、彼女が何を想い、何のために、深海棲艦との戦いに向かったのかを。
施設長は俺の話を最後まで黙って聞いていたが、俺の話が終わったとみると、眼尻と眉をきつく吊り上げて言った。
「そうやってあの子の死を正当化するんですか? もう結構です。話すことはありません。お引き取り下さい」
……。
俺、は。
正当化なんて、違う、そんなつもりじゃ、あいつの死を、俺は。
酸欠に喘ぐように比叡の両親を探した。無我夢中で、そのとき籍はまだ海軍にあったが、殆どの人間が俺をいないものとして扱った。俺もそちらのほうが心地よかった。時間は無限にあるように感じられた。
せめて、せめて両親には。あいつが帰りたいと願っていた居場所があなたたちなのだと、それを伝えることは、でなければあいつの死に意味が、魂の帰るところが!
比叡の両親は離婚しているらしく、父親はついぞ見つからなかったが、母親は何とか見つけることができた。関東圏で、夜の仕事をしているようだった。
「っていうかさぁ、遺族年金? 見舞金? っていうの? あれっていつ入るの?」
……。
俺は。
比叡は。
空気の壁があるようだった。前にも動けず、さりとて後ろにも戻れず。焦燥感と、圧迫感だけが、間断なく苛み続ける。
親から連絡があった。
兄の結婚が中止になったと、それだけ書いた官製はがきが一枚、郵便受けに突っ込まれていた。
その原因が俺であることは、想像に難くない。
俺たちは。
「……一体、何のために……?」
少なくとも、こんな仕打ちを受けるために生まれてきたわけではなかった。
生まれてきたはずでは。
こんなはずでは。
本当に?
あぁ。
誰か。
助けてくれ。
――――――――――――――――――――
そして>>2へと戻る。
過去編は終わり。導入も終わり。これから攻略ターンに……え、うそ、あと350レス分しかないの?
作品が作品だったなら、魔王化してラスボスになってるね。
とりあえず現在17万字超えて、どこまで伸びるかわかりませんが、この作品を見捨てるつもりはありません。
ので、読んでくださる皆様方も、見捨てずに読んでくださると嬉しいです。そのための努力は勿論しますが。
待て、次回。
頭の中で閃光が炸裂した。思考や意志を全て真っ白に塗り潰す、その光の名は諦念という。
一体俺に何ができただろう。俺はどうすればよかったのだろう。
問い質すことすら俺にはできない。その権利はとっくの昔に喪失している。
それでも生きていかざるを得なかった。前にも後ろにも進めなくとも、体は生を望んでいた。
何より、ここで死ぬことは、それこそ比叡の背信に他ならないと思った。
それだけだ。それだけが、俺を俺たらしめ、この肉体を動かしている。やるべきことを為さずして、絶えるにはまだ早すぎる。
トラックの艦娘たちの力になりたかった。それは嘘ではない。信じられなくともいい。ただ、それでも信じて欲しい。比叡のような死も、俺のような生も、見過ごすには辛すぎる。
自分と彼女たちをダブらせているのかもしれない。寄る辺ない弱者。同じ轍を踏ませたくないがゆえに、こんな南の島で俺は今、必死をこいているのだ。
もしも、万が一でも希望があって、彼女たちを救うことができたなら、それは幸せなことだった。こんな俺にも何かを為せたという実感が伴う。生きる価値を見いだせる。
俺が何のために生き、何のために苦悩し、何のために死ぬのか。それを知るまでは精一杯喘ぐしか方法はないように思う。そのときに初めて、比叡に対する大きな罪悪感と真正面から向き合えるのだろう。
だから。
「俺は、響を助けないとならない」
その言葉を吐きだすことの、なんと勇気のいることか。
雪風は下唇を噛み締めていた。涙を堪えているようにも見えるし、怒りを押し留めているようにも見えた。口に出す言葉を選んでいるようにも。
考えていることはその表情からは読み取れなかった。俺の語ったことには嘘も衒いも一切ない。だが、それを雪風が信じるかどうかは、また話が違ってくる。
「……そんなこと」
ぽつりと雪風が零す。
「そんなことって、ないよ」
「……」
それがどういう意味かは判断がつかない。話そのものを否定しているのか、それとも俺の境遇に同情してくれているのだろうか。
「司令がここに来たのは、だから? 死に場所を探し求めて、生き様を探し求めて、だから響も助けるって、そういうこと?」
「……そうだ」
最早誤魔化すという選択肢は頭にない。
真摯に向き合うことでしか、雪風の信頼は得られない。
「辛いことばっかりだ。酷いことばっかりだ。なぁ雪風、そうじゃねぇか。お前はそうは思わねぇか」
力が抜ける。肩と言わず、脚と言わず、全身の。
ここが漁師の休憩小屋でよかった。俺はよろめきながらも椅子を引き、全体重を預ける。
「それでも俺は生きなきゃならん。少なくともあの時、俺が比叡に認証してなければ、こんなことにはなってなかっただろう。例えあれが考えうる最善だったとしても、だ。
いや、それとも、もっといい方法がどっかにあったのかもな。足元に転がっていて、気づかなかっただけなのかもしれない。だったら余計に悪者だわな。
もうわからねぇんだ。自分に何ができて、これからどうしたらいいのか。お前らの力になるってのは、一番わかりやすいじゃねぇか。簡単に存在理由がブチ上がる。だろ?」
「……そんなの、自分で勝手にやってください」
巻き込むな、とばっさり。
「真理だな」
自分の振る舞いは全て最終的には自分に返ってくる。良くも悪くも。情けは人のためならずという格言の意味はそういうことだ。
全ての行動が己が身のためならば、当然勝手にやったって構わない。そう、トラックの艦娘たちのように。勿論、一般的にはそれは、公共の福祉に反しない限りという暗黙の了解が定められてはいるが。
大井に手を貸すのも、響を鍛えるのも、そうすることが自らの利益になるからである。雪風はその姿勢に対して否定的なわけではない。畢竟、彼女もまた、自らのためにしか生きていない――生きられない。俺を批判するのは難しいだろう。
とはいえ俺は論戦で勝ちたいわけではなかった。この身の不遇を盾にすれば、殆どの場合同情が買えることを、なんとなくは理解している。それではだめなのだ。
俺は彼女たちに、俺を受け入れて欲しい。
ああ、なんて甘ったれた考えだろうか。三十も近づく男が、十も十五も離れた少女に対して受け入れて欲しいと思うなんて、客観的に見れば変態以外の何者でもない。
それでも、俺は一人で生きられるほどには強くなかった。社会から逸脱してなお、拒絶されてなお、孤高を貫けるような人間ではなかった。
「俺が響を鍛えると言ったらどうする?」
「邪魔しますよ」
「勝手にやらせてくれねぇんじゃねぇか」
「勝手にやってください? 雪風も勝手にやるだけです」
「なるほどな」
勝手同士のぶつかりあいの構図だ。
「……比叡のお姉ちゃんは、きちんと死ねなかったと、言いましたね」
「あぁ」
俺のせいで。
「無責任な第三者は、優しい言葉で心を刺します。勝手に自分の物差しで他人を測って、勝手に不幸だって決めつけて、勝手に可哀そうがる。
司令はどうです? 比叡お姉ちゃんが本当に家族のもとに帰りたかったと思ってますか? 司令の抱いてる責任感こそ、無責任の賜物だとは思わないんですか?」
他人の気持ちなんて究極的には理解不能だ。自分の気持ちでさえ定かでないときも多いのに、それはある種当たり前の話なのかもしれない。
マスコミや活動家の連中は、比叡を悲劇のヒロインに仕立て上げたが、俺もまたそうでないとは言い切れない。悲劇の形が違うだけだ。
そんなことはない、と断言できる要素はどこにもなかった。
だから、こう言うべきなのだと思った。
「俺の価値観だ」
「価値観? 結局は独善ってことですよね」
「そうだ」
「それで雪風たちに迷惑をかける、と」
「うまくやるさ」
「今までの話を聞いてて、うまくやれた試しが全然なさそうに思います」
痛いところをついてくる少女だった。
「そのチャンスが欲しいんだ」
「ゲームじゃありません。もう一回、にはならないんですよ」
「それでも」
少し息を吸い込んで、
「俺は、お前たちの力になりたい。お前たちを幸せにしたい。そうすることでしか、俺は幸せになれない、そんな気がするんだ」
「……あなたは、幸せになる権利のある人間なんですか?」
吐きそうなほどの頭への衝撃。雪風の言葉は力を持っている。
選択を間違えた俺に、比叡を不幸にした俺に、果たしてそんな権利があるのだろうか。死者を振り切って逃げることは罪悪ではないのか?
「……なれなかったら」
せめてもの抵抗として、俺は目一杯の笑顔を作ってやった。
「権利がなかったんだろうな」
「きもっ」
どうやら雪風は俺の笑顔が大層お気に召したらしかった。くそ。
「……」
沈黙。雪風と目が合うが、露骨に逸らされる。
そのまま何秒が経ったのか。五秒? 十秒? 随分と長い間を置いて、雪風は言葉を選び、確認しながら空中に置いていく。
「なら、響も、そうです。だから、司令が響を助けることは、もしかしたら司令の救済に繋がるのではないかと、雪風は思います」
「……それで?」
「だけど! ……それはやっぱり、司令、あなたの都合です。あなたの都合で響を危険な目に合わせるということです。戦場に引っ張り出すということです。あのクソ雑魚を。激弱女を。それは我慢がなりません。
雪風にも矜持というものがあります。ちっちゃな体かもしれませんが、それでも譲れないものが、ちゃんとこの中には眠っているんです」
「二度、死に損なった」
「はい」
「艦娘になる前に一度。なってからも一度」
「はい」
「駆逐艦『響』の略歴を知っているか?」
「はい」
「……そうか」
なんでも知っているんだな、雪風、お前は。
いや、響のことだけ、か?
少なくとも響のことに関しては、かな。
「響の家族は事故で全滅してます」
「……」
……いや、まさか。
雪風が響の境遇を俺に漏らすとは欠片も思っていなかった。だから、予想外のタイミングで予想外の角度からぶっこまれたその情報は、俺に予想外の効果を齎す。
脳髄が痺れる。呼吸も忘れ、横隔膜が引き攣り、雪風から視線が離せない。
「なん、で」
「知らないくせにと言っておきながら、いざ蓋を開けたら、雪風もなんにも知らなかったってオチはムカつきます。いちゃもんに正論で返された気分。知らないなら知ればいい、ただそれだけの話じゃないですか。
それに、……知らないところで話のネタにされて、次に会ったら謎の同情……それって最悪です。だけど司令は多分それどころじゃないと思いました。なら、変に嗅ぎまわられて、響に嫌なことを思いださせるよりは、そっちのがマシです」
「……あぁ、同情なんてしねぇよ。傷をなめ合ったってしょうがねぇしな」
「響も施設の出身です。舞鶴ひかり園。……やってきたときは車椅子で、包帯も完全には取れ切って無くて、腕をギプスで固定しました。
詳しくは知りません。交通事故で、響だけが生き残ったそうです。お父さんと、お母さんと、お兄ちゃんが死んでしまって、幸運なことに――不運なことに、響だけが」
幸運と不運。
生き残りと死に損ない。
「持つ者にのみ許された苦悩があるように、残された者にしかわからない痛苦もまた、あるんですよ司令。
雪風のがお姉さんだったから、一年先に施設を出て、身よりもなかったので艦娘になって……トラックに来て、あとから配属された響と再会して」
トラックを深海棲艦の大群が襲って。
「あのときの響の練度は、確か五だか十だか、まぁそれくらいで、新参でよわよわのへぼへぼで……本当だったら死んでてもおかしくないのに」
「何かが、あったのか」
「ほんとね、くだらないんですよ、司令。くだらない理由なんです。うん、響の不幸は、くだらなさが原因って言っても過言じゃないかもしれません」
雪風はテーブルの脚を軽く蹴とばした。がたん、すっかり目の慣れた暗闇の中で、一際大きな音が鳴る。
苦笑していた。困ったなぁ、本当に困っちゃうなぁ、そんなふうだった。
「死んじゃった提督がね、遠征を間違えちゃったんです」
「……」
思わず「それだけ?」と訊こうとして、すんでのところで留まる。納得がいく。それだけ。それだけなのだ。
たったそれだけのくだらなさが故に、響は生き残り――死に損なって、苦悩の源泉となっている。
「多分何かにミスあったんでしょうね。演習と間違えたのかな? まぁとにかく、響は一人で遠征に出かけて、……本来は一週間の遠征が、途中で泊地と連絡がつかないことに気づいて、五日で帰ってきたときには……」
泊地は壊滅状態。死者多数。
戦う機会すら与えられずに、響は今、人生に右往左往している。
もし神様がいるのだとしたら数発殴りつけてやりたい。悪戯好きを通り越して、そんな偶然は性悪に過ぎた。
俺はここでようやく合点がいった。響がどうしてあそこまで強くなろうとしているのか、自らを鍛えて戦いに赴こうと思っているのか。
響のそれは赤城のそれとはまったく趣が異なっている。誰かのためと自らのためが殆ど同一化してしまっているのだ。
誰かを助けることが自らを助けることに繋がる。生き残ってしまったことへの罪悪感が、源としてあるのだろう。命を拾って助かった、幸運だ……それで済ませておけない。その命を燃やして何かを成し遂げなければ、余生を死んだように生きるだけ。
まるで俺じゃあないか。
雪風の先ほどの言葉、響の救済が俺自身の救済に繋がる。それは正鵠を得ていた。鳥肌が立つほどの相似がそこにはある。
正しい生を。でなければ、せめて正しい死を。
「雪風、あいつは、俺は……」
「わかりましたよね? 戦って生き残ったわけじゃないんです。だから弱っちくて、戦場の厳しさも全然知らない。そんなのを連れていって欲しくない。いや、本当に、流れ弾当たって一発でお陀仏です」
危険なものから引き離す。一面では正しいその対応も、別の側面から見れば悪手となる。火傷せねば炎の危うさを学ばないように。
「……勝手にやらせてもらう、と言ったら?」
「夜道に気を付けてくださいね」
まぁ、そう来るか。
「わかった。遠征だ。遠征だけに、連れていく」
とりあえずここは折れたふりだけでもしないとまずい。
「新型の深海棲艦が二体発見されたっつー話は、神通から聞いていると思うが……今後はそれの捜索がメインになる。艦隊を組んで、海域を塗り潰していく。当然資材の消費は激しくなる。それを調達する係は、別途必要になると踏んでいたところだ。
面子に関しては龍驤や神通に相談しよう。少なくとも危険がある海域にはいかせないし、当然一人で向かわせもしない。
……どうだ?」
「別に――」
「お前や神通がいけばいい、とか言うんじゃねぇぞ。いましがたお前が言ったばかりだ、響は弱い、と。なら、強いやつらを戦場から引き離すわけにはいかねぇ。違うか」
「……違わない、です」
不承不承といった感じの雪風。
論理で攻めることに意味がないのはわかっていたが、こちらにも譲れない一線はある。それさえも雪風の「知るかそんなもん」という一声でソデにされてしまうのだから、圧倒的にこちらは分が悪い。
ただ、決定権という意味であれば、そもそも雪風にすらそんなものはないのだった。響の体は響のもので、彼女がどう動くかを、雪風は縛ることができない。こうして俺に圧をかけているのは、そのことを雪風自身よく理解しているからだ。
俺たちを脅して響を受け入れないようにすれば、ひとまずの安心は得られる。釘を刺しにきたのであって、であれば折衷案を受け入れてくれる余地は十分にあった。
「……少しでも不審な編成をしたら、ぶっ殺しますから」
龍驤にも似たようなことを言われた気がする。こいつらはみんな揃って血の気に逸りすぎてはいまいか。
用事は済んだとばかりに雪風が扉へと向かった。勢いのままに扉を外へと押し出して、
「ふぎゃっ!」
「……だから言ったんですが」
人影が二つ。
鼻っ柱を抑えた潜水艦と、月夜においても爛々と瞳の輝く航空母艦だった。
―――――――――――――
ここまで
この駆逐艦、あまりにも狂犬過ぎる。
待て、次回
初見の感想は「思ったよりもでかくないな」だった。
前に見たときは漣の視覚を通してだったから、必然多少なりとも見上げる形だった。今、赤城は俺より頭半分くらい小さく、霧島より少し低い。一六五センチとかそれくらいだろう。
だからこそ信じがたくもある。目の前の少女二人から発せられる気配は、まったく常人のそれとは違う。満ち満ちていて、張り詰めている。少しでも視線を切れば、すぐにでも縊り殺されそうだった。
いや、まさか58はそんなことをしないだろうし、赤城だってそうだ。それでも二人は歴戦の猛者だった。凛と立つその姿は、背筋が凍るほどに直立していて、ゆえに美しい。
「初めまして、提督。それともお久しぶりのほうが正しいですか?」
赤城は丁寧に頭を垂れた。長い髪の毛がさらりと肩から滑り落ちる。
58はそんな赤城を細目で睨みつけていた。いや、見張っているという表現の方が正しいだろう。
「なっ、なんで、お二人が、ここに」
雪風の狼狽。純粋な驚きというよりかは、この二人の年長者が不得手であるために見えた。赤城は神通の競合相手であり、58はどちらかといえば赤城に与している、そのせいだろう。
58と赤城の二人は雪風に対した反応を見せなかった。年長者の余裕。同時に、雪風がここにいることをあらかじめわかっていたように思える。でなければこんな寂れた漁師の休憩小屋を尋ねはしまい。
それとも、俺か?
「どったんばったん夜中に物音がするから、なんだと思って気にしてみれば、ってとこかな」
つまらなさそうに58は言った。
「勿論、万が一の時は止めるつもりだったでち。殴ったり蹴られたりはともかくとして、外したり折ったりはさすがにまずいもんね」
外すって何をだ。折るってどこをだ。
心の中で文句を言いつつも、その実感謝している自分も確かにいた。58なりの心配……というか、気にかけてくれているのだ。
勿論純粋な好意ではない。俺たちは、俺が他の艦娘ともそうであるように、互いの利益によって結ばれている。互恵関係。互いが互いのために動くことを前提に成立した間柄。
と、そこで俺は58の物言いから気が付いてしまった。
「お前ら、結構前から居たのか」
ということは、つまり。
「申し訳ないでち。盗み聞きするつもりはなかったけど。
……まぁ、聞こえるよね」
「提督、なぜあなたは復讐をしないのですか?」
問うたのは、当然か、赤城だった。
その瞳は爛々と輝き、しかし至って平静に見える。怒りはない。同情もない。純粋な疑問だけが、虹彩の中で色を帯びている。あくまで復讐を行うことが当たり前として、その当たり前なことをしない俺が、到底理解できないかのようだ。
「酷い仕打ちを受けたのならば、復讐をすべきです。その権利は誰にでもあります。なぜですか? 自らの傷を自ら癒す、その行為に意味がないとは言いませんが、敵に背を向けることが日本軍人の嗜みだと習った記憶はありません」
それは血で血を洗う論理だった。もっと言ってしまえば、テロリストとなんら変わりがない。
赤城ならばやってのけるだろう。完膚なきまでに叩き潰す努力をするだろう。例え敵がどんなに強大であっても、多数であっても、怯むくらいならば初めから行動に移さない。そういったある種の潔癖さや高潔さが彼女には備わっている。
だから、なぜと問われれば、俺と赤城は人種が異なる、という結論しかない。
もしも俺が全知全能の神で、今すぐに、指を鳴らすだけで、敵を破滅させることができるとしたら……その能力を行使することに何ら躊躇いはないに違いない。街中で見つけたうまそうな定食屋にふらりと入るのと同じくらいの気軽さで、気に障るやつらを皆殺しにするはずだ。
だが、俺には無論そんな力はない。恨みはある。しかし、復讐をすることが果たして俺の幸せに繋がるか、確信が持てないでいるのだった。
赤城はそんな俺を愚かしいと思っているようだ。だが、俺も赤城のことを、視野狭窄に過ぎると思っている。そして互いに、互いがそう思っていることをなんとなく察している、そんな距離感が確かにあった。
周囲を見渡せば、赤城のことを大事に思ってくれている奴らなぞいくらでもいるというのに、それに気が付かない。優先順位が硬直しているのだ。
まず復讐ありき。それが赤城という人間の本質。
そして復讐の対象は……。
そんなことをして何になる、とは言えなかった。
「復讐をするくらいなら、お前らの手助けをしてるほうが、よっぽどいいな」
「……?」
言語が通じていないかのような顔をされた。赤城は俺の正気を疑っているのかもしれない。首を傾げ、まぁいいや、と小さく呟く。
「ゴーヤ、私は戻りますね。夜明けまで任せました」
「ちょっと待つでちよ、赤城」
「はい? なんですか?」
「新型の話は聞いてるの? 扶桑を大破に追い込んだのと、数人がかりで倒すのがやっとだったやつ。あと青いヲ級も」
「あぁ、龍驤から報告来ましたね。掃海作戦をやるとか。こちらの邪魔をしなければ、どうぞお好きにという感じではありますが……新型がどこから来ているのかは気になります」
深海棲艦がどこから湧いて出てくるのか、いくつか仮説はあるものの、全て根拠は薄弱だ。
防衛省としては、やつらは生物と金属の融合した「金属生命体」という全く新しい種なのだと、対外的には発表している。艦船を襲うのはやつらの主食が金属や重油であり、我々が行っているのは戦争というよりは危険生物の駆除に近い。
反対に、神祇省は、あれは怨念や邪念が神格を得て顕現したものであるとしている。定義としては妖怪に近い。
ネットや世間のうわさ話まで広げればそれこそキリがなかった。宇宙から侵略しにやってきたエイリアンだとか、外国が秘密裡に育てた生物兵器だ、海の底で暮らしていた知的生命体がついに我々と接触を図りに来たのだ、エトセトラ。
赤城の興味が学術的な面から来ていないのは明白だった。棲家さえわかれば、あるいはプラントさえわかれば、一網打尽にできる。そういうこと。
爆薬を抱えての特攻をしてもおかしくはなかった。
「あんたはどうするの? ってか、あたしはどうすりゃいいの、ってこと。もし興味があるなら、こっちでもそれなりの準備と心構えはしておくけど、そうじゃないなら適当に雑魚追っ払って終わりにするよって」
「いきなりどうしましたか? ……あぁ」
赤城は俺を見て冷笑した。
「なるほど。58、あなたも絆されてしまったの?」
「そういうわけじゃねーでち。58の代わりに働いてくれる手足が見つかったってだけ」
「……お二人も、新型を狙ってるんですか」
雪風が地を這うような声を吐いた。覚悟を決めて問い質す声音。
赤城と58の瞳が少女へと向く。人を人とも思わない、その価値を値踏みすることに特化した色が、そこには宿っている。
一瞬だけ割って入ろうかとも考え、結局躊躇してしまう。自分が介入していい事態のレベルをいまだ理解しきっていなかった。きっと依然として自らが部外者であるという意識が、心の奥底に鎮座しているのだろう。
とはいえ雪風と二人を比べればまるで子兎と獅子である。武力でも、胆力でも、叶うまい。一方的なやりとりになれば体が自然と動くはずだった。
「狙っている、とは。はて? 多分に誤解が含まれていますね」
「赤城、あんまりそう言ってやるもんじゃねーでちよ。相手は子供、そこんとこは考えとかなきゃ」
「58、それはだめよ。全くの悪手。というよりも、そうですね、無礼極まりない。少なくとも私は、こと礼節に関しては、拘っていきたいと――筋を通した生き方をしたいと、そう思っているの」
「だから復讐か」
ぼそりと俺の呟きを赤城は聞き逃さなかったようだった。こちらを一瞥して、さも自慢げににこりと微笑む。微塵も臆した様子がなく、気後れしているようにも見えない。
礼節。仁義。
失った仲間たちのための。
やられたら、やり返す。
「こんな眼をして、こんな語気を発する相手に、子供呼ばわりは到底できない」
赤城は屈んだ。膝に手をついて、軽く腰を曲げ、目線を雪風と合わせる。
爛々と輝く瞳がそこにはある。
雪風は体を震わせ硬直するも、最後の意地なのか、赤城から目を逸らすまいと必死になっているようだった。
「覚えておきなさい、雪風。あなたは何かを勘違いしているようだから。
――私たちの道行に、終わりなどはないの。狙いだなんて、そんな……目的じみた存在は、まるであたかもこの世に魔王がいるかのような……ふふっ!」
赤城の体が弾ける。一息で姿勢を直立まで戻し、踵を返して反転、小屋から数歩離れる。
「そんなものがいればいいんだけど、存外世の中とはそううまくはできていなくて……根絶やしにするしかないのでしょう。ないのでしょう?」
問われても、返事に窮する。俺の中には答えはなかった。適当な言葉をでっちあげたところで、赤城は瞬時に見透かすだろう。そうしたときの亀裂は致命的に思われた。
「新型を探すならお好きにどーぞ。あたしと赤城には作戦目標なんてもんはどこにもなくってさ、そういうくだらないもんは全部海の底に沈めてきたから」
「くだらっ」
「ないの。ない」
断言する58。
「雪風、あんた自分の目的を見直した方がいいんじゃねーでちか? 海の平和とか、北上かどうかとか、そんなのどーでもいいはずじゃん? ゴーヤはめんどくせーことは嫌いだけど、仲間が不幸になるのを黙って見てるほど、冷血でもないつもりでち。
新型を倒すために新型を探すんじゃ意味がねーって話。わかる? なんのために生きてるか、もっかい見直した方がいいよって、これは年上のおねーさんからの忠告」
58も赤城を追った。赤城の活動できない夜間は58が海域を哨戒している。それは前にも聞いた話だ。
なんのために生きているのか。俺はそれを探し求めてやってきた。さらに一歩踏み込んで、俺は生きていてもいいのか、誰かに問うために。
あるいは、誰かから「生きていてもいいよ」と言われるために。
赤城は復讐がゆえ。58は、よくわからない。
なら雪風は? この狂犬のような少女は一体なんのために?
「そんなのっ、決まってますっ……」
唇を噛み締めた雪風の口から、決意の言葉が出てくることはついぞなかった。
決意や決心に真贋があるとは思わない。しかし、雪風は今、58に言い返そうとはしなかった。否、言い返すことができなかったと見るべきだろう。口内から意志が溢れなかったということは、そういうことだ。
何らかの感情が、それも単一ではない坩堝の色彩を持ったそれらが、複雑な気流を伴って雪風の言葉を堰き止めている。
「赤城!」
去りゆく背中に声をかける。幸いにも赤城は反応し、振り向いてくれた。
「もし、お前が一人じゃどうしようもなくなったとき、俺たちを頼って欲しい!」
返答はなく、ジェスチャーもない。
ふっと酷薄な笑みを浮かべ、真っ直ぐに前を向いた。58が赤城の手を握り、自分の肩越しにこちらを窺っている。諦めろと、そう言っている。
諦めたのはお前だろう。違うか、58。
「雪風も、もう、行きます」
夜の闇の中で、白いワンピースは僅かな光を反射して浮かび上がる。
しかし、一歩踏み出して、雪風は躊躇した。何か言い残したことがあるのか、口をもごもごとさせている。
「……ありがとうございます」
まさか礼を言われるとは思っていなかった。心当たりもない。
「なんで?」
「……比叡お姉ちゃんのことを、考えてくれているから。覚えていてくれているから。忘れて、気にせずに生きていくほうが楽なのに。それができないって……司令はおばかさんです」
そうかもしれない。事実、そうなのだろうな。
「それだけ。それじゃ」
今度こそ雪風は暗闇の中を走っていった。角を曲がって、見えなくなる。
「……」
ふぅ。息を吐きながらまた椅子へと腰かける。
とりあえず人心地がついた気分だ。一服したいが、さすがにまずは、やらなければならないことがある。
漣にこちらは落着したぞと連絡をとろうとし、いや、それよりも神通と話をする方が先だということに気付いた。雪風にはああ言ったものの、響を遠征に使う許可が下りるかどうかは、神通次第。
それもまた誤謬か。雪風が響の自由意思を縛れないのと同様に、神通も響を縛ることはできない。
神通に向けてコールをすると、すぐに彼女は出た。集音機が波の音を拾っている。今日は少し波が高いようだった。
『終わりましたか。かかりましたね』
「あぁ終わった」
『雪風はなんと?』
「絶対にだめだ、させない、と」
『なら私も「はいどうぞ」とはなりませんね』
「待て。だが、遠征になら、と。戦場に連れ出すなと、言われた」
『……そうですか』
どこか暗い神通の声。
『それは私にも適用されるのでしょうか』
神通は雪風と響を伴って深海棲艦との戦いに赴いている。俺はだめで、神通はよいとする根拠は、彼女の中には希薄なのかもしれない。
まさかそんなクソ真面目なことを尋ねられるとは思ってはいなかったので、不意打ちに吹き出してしまう。俺と神通、どちらのほうが信頼がおかれているか、共に過ごした時間を考えれば答えは明白だと言うのに。
「そういうわけで、響には遠征をお願いしたいと思ってる。勿論、神通、お前の権限で戦場に連れていくのは構わんし……雪風も文句は言わないだろう。
どのみち新型の捜索で資材も必要になる。誰かが遠征にはいかなきゃならん」
『そう……そうですね。そうか。そうですよね』
呆けているのか? 神通の返事には力がない。
『結局、私は……』
「神通?」
『いえ。結果はわかりました。なら、私に口出しのできることではありませんので……。
響のこと、お任せいたします。何卒、よしなに』
それだけを言って一方的に通信が切断された。
「……なんつうか、すげぇ嫌な予感がするな」
これまでのパターンだと大体そうだ。誰しもに苦しみや悲しみや、背負った過去が存在する。普段は不可視のそれは、些細なことをきっかけにして――本人にとってはかけがえのない一線を超えて――一気に顕現しだすのだ。
響と、雪風と、神通。果たしてその三人の関係性に、微塵も打算がないとは俺には思えなかった。
誰かを心の支えにして生きている。赤城のように、自立して生きていける人間は多くないし、赤城にしてもそれは独立が故の脆さと紙一重だ。
だが、今の俺に採れる選択肢はそれほど多くなかった。できることからコツコツと。まずは響をなんとかしなければ、雪風の心配、戦場での轟沈が現実のものともなりかねない。
俺は小屋を出て、家路を目指す。
――――――――――――――――
ここまで
ドミナリアのドラフトにかまけてて書く時間削れてました(日記)
飲み会の時にいなかった面子はこれで全員書けたかな?
過去回挟んだせいで秘書艦の漣の出番が久しぶりだぁ……。
待て、次回。
遅かったですね、と漣はまずそう言った。そこには非難の色は見えず、寧ろ心配が色濃く出ていたように思うのは、単なる自惚れだろうか。それとも俺の青痣のある顔を見て、出先であったことに想像がついたのだろうか。
扉から頭をぬっと突き出したのは漣だけで、響の姿は見えない。帰ったのか、と尋ねると、漣は首を横に振る。ぐっすりです。端的な言葉。あぁなるほど、俺もすとんと落ちる。まさに子供じゃないか。
これが庇護欲というものなのか? 響を一人にしてはおけないと思ったし、事実漣もそうなのだ。だから起こさずにそっとしといてやっている。
もしかしたら雪風もそうなのかもしれない。常軌を逸した過保護は、単に同じ施設で育った妹分という度を超えているように思う。雪風なりの矜持と自己実現のために、あいつもまた響を護っている可能性は?
「遅かったのはいろいろあったから、ですか?」
「ん」
どう説明したものか。俺と雪風の間にあったことを説明するということは、つまり俺と雪風の間にいる人物について説明するということでもある。それは畢竟、俺の過去にも当然ぶち当たる。敷衍することが得策には思えなかった。
だが、それと同じくらいに漣に隠し事をすべきではないともまた感じている。俺の過去を、というわけではない。この島において任務を遂行するための全てを、という意味で。
「力づくで止めようとされた」
結局は臆病が勝った。事実ではあるが、真実とは遠い言葉を用いて、漣に事情を説明する。
漣は途中相槌を入れながら聞いていたが、全てを聞き終ると即座に面白くなさそうな顔をする。
本当に、まったく面白くなさそうな顔だった。
「よくわかんないですけど、何様なんですか、そいつ」
「よくわからんことに」
「口を出すべきじゃない。はい、わかってます。わかってるつもりでは、あるんですが、でも」
「身の安全を第一に考えることが悪いとは思わないけどな」
「どっちの味方ですか。本人は戦いたいって言ってても?」
「勇気と無謀の違いを教えてやるのも、大人の役目さ」
「折衷案としての遠征、ですか。まぁ理解はしました。ご主人様の判断は間違ってないと思います。だから漣もそれに従います」
「悪いな」
「ぜんぜん。ただ、漣の話も聞いてほしいなって思います。反対するわけじゃありません。お願いが、あるんです」
漣は俺の服の袖をくいくいと引っ張って、サンダルをつっかけ脇をすり抜けていく。視線を吸い寄せられるも、それでもまだ部屋の中に響がいることを懸念し、物音がないのでまぁ平気だろうと判断。漣を追う。
ぐるりと集合住宅を回って、反対方向へと抜けた。そこには少し広めの空き地があって、手入れのされていない防風林がある。木はやせ細り、葉も大して茂っておらず、見るだけで不安になってくる。
半分くらい朽ちかけたロッキングチェアが裏寂れた雰囲気を助長している。それに座ることは当然せず、その先、洞が人の顔の形をしている木の傍へと立つ。
「どうした?」
素直に考えれば、響に聞かれたくない類の話なのだろうが。
「座ってください」
「ここに? 地べたに?」
「はい」
どうやら選択肢は与えられていないようだ。理解すれば観念もできる。こいつは妙に強情なところがあるから、大人しく従っておくのが吉なのだ。
土は夜露で湿り気を帯びているものの、座る分には問題ない。ケツが少々冷たくなりはするだろうが……まぁ必要経費と割り切ろう。
促されるままに座ると、胡坐をかいた俺の脚の上に、さらに漣が腰を下ろした。太ももに尻が、鳩尾に背が、胸板に頭が、それぞれ当たる。
重たさはまるで感じないが、それ以上に動揺の方が強かった。俺の中学二年女子のイメージは貧困極まりなく、反抗期真っ盛りで父親のことを意味もなく毛嫌いしている、というありきたりなもの。どうしてこうも密着してくるのか。
俺はロリコンではない。漣くらいの年は、それこそ庇護欲の対象でこそあれ、性欲の対象にはならない。それでも、俺の目の前に鎮座する高い体温、そして仄かに香るシャンプーの匂いは、俺の平静をかき乱すには十分すぎる。
そもそも手の置き場が見当たらなくって、俺は必然、ホールドアップの体勢になる。
「……何やってんですか?」
「いや、だってお前」
前に降ろせば抱きしめる形になるし、横にぶら下げておけば手と手が触れ合うじゃねぇか。
俺のそんな弁明に、呆れたように漣はため息を一つ。
「ぎゅーしていいんですよ、ほら。ぎゅー」
手首を引っ掴まれた。そのまま漣の脇の下をくぐって、腹のあたりで交差させられる。
そのかたちよりも寧ろ、いましがたこいつの口から発せられた擬音の方が、なんだか無性に恥ずかしくて仕方がなかった。
なんだなんだ。こいつは一体どういうことだ。
「ほぁー、落ち着きますねぇ」
落ち着かない。断じて落ち着かないぞ。
「月ですよ、月。今夜は空気が澄んでます。綺麗な月」
桃色の後頭部から視線を上げれば、隙間の多い防風林の向こう側に、はっきりとした輪郭をもった月の姿があった。あと数日で満月になろうかという月。俺は月齢の名前に詳しくないが、漣は知っているのだろうか。
というよりも、「月が綺麗ですね」。そんなロマンチストのたまには見えない。単なる偶然だろう。
「……用件を言えよ。お願いとやらが、あるんだろう」
「落ち着きがないご主人様ですねぇ。別にいいですけど。漣も、この感じ、ふっと寝ちゃいそうで……本題は済ませておく方が、いいかも」
漣はそう言って俺へと体重をさらに預けてきた。俺にもたれかかり、そして俺もまた、背後にあった木へともたれかかる。
くあぁ、と大きいな欠伸を一つ。
「大したお願いじゃないですけど」
そう断って、
「ご主人様は優しい人だから、大丈夫だと踏んではいるんですが、きちんと口にすることに……意志を見せることに、意味があるのかなって」
「買い被りすぎだ」
「でも助けてくれますよ。大丈夫、漣が太鼓判を押します。
で、お願いってのもそれです。ご主人様、約束して欲しいんです。これから先にどんな困難が待ち受けていても、弱いひとたちを、決して見捨てないって。苦しんでいる人たちに手を差し伸べるって」
「……響か?」
「も、です。もちろん」
漣の言葉は理解できるようでいて、その実不透明だった。無論否やはない。それはもとより俺の行動原理の一つで、目的の一つ。
助けろと言っているのではなかった。聡明な漣らしい言葉の選び方である。助ける努力を怠らないでくれと、そう「お願い」しているのだ。同時に、どれだけ難しいことを要求しているのか、こいつはわかっているのだろうか。
助ける努力を怠るな。換言すれば、助けられるまで助け続けろということ。一縷の望みに懸けろと、そういうこと。
望むところだった。今度心残りを作ってしまえば、もう俺は立ち上がることはできないだろう。そんな自覚が確かにあった。
「当然漣もがんばります。響ちゃんを遠征に連れていくなら、漣も一緒に出してください。そりゃ漣は弱いですけど、それでもなんかの役には立てるはずです。きっと。絶対に、立ってみせます」
「そりゃ願ったりだが、お前は大丈夫なのか。前線にも出るつもりだろ」
「大丈夫、って言いたいとこですけどね。わかりません、正直。だけど、音をあげるまでは、やらせてください」
「……お前は、どうして」
思い返せば、漣は雪風にも喰ってかかっていた。弱者を助けるのが軍人の使命と、そう誇りをもっているようにもとれるし、もっと壮大な算段があるのかもしれない。
「ヒーローになりたいんです。なりたかったんです。」
過去形で言い直したことの意味が、俺にはまだわからない。
「響ちゃんを助けて、新型を見つけて、倒して……なんだかんだでみんなを、赤城さんまでひっくるめて幸せにして、漣たちも未来がうまくいけば、文句なしのハナマルっしょ? それは凄いことで……とっても凄いことで、特別なことで……」
限りなく具体性に欠けた、綿飴のようにふんわりとした言葉を、漣は熱に浮かされているかのように紡いでいく。
いつしかその小さな手が俺の袖に回され、ぎゅっと力強く握りしめられている。腹に密着する俺の手のひら。変なところを触ってしまいそうで、ぴくりとも身動きがとれない。
仄かに甘い香り。高い体温。体が変に反応してしまわないか、冷や汗ものだ。
「でもきっとそれは漣だけじゃだめなんです。ご主人様の力がないと、漣はなんにもできません。
この島についたとき、漣はギャルゲーと言いましたね? 多分そうなんです。ご主人様は諦めちゃだめなんです。漫画とかアニメとかゲームみたいに、歯を食いしばってがむしゃらにやって、その先に開ける何かが必ずある。漣はそう信じてます。
だから、ご主人様も信じて欲しいんです。その上で約束してください。弱者を決して見捨てないと」
「……」
漣が少しだけ震えていることに気が付いた。寒いから、ではない。トラックの夜は今日も蒸し暑い。
恐怖心と戦っているのだ。克己しているのだ。それだけ、俺の返事を聞くのが、こいつにとっては覚悟のいることなのだ。
その理由こそわからないが、しかし、漣の言葉は俺にとっての杖となりえた。弱者を見捨てない。決して諦めない。言うは易し、行うは難し。よく言ったものではある。安請け合いはできない。
だが、俺は諦めきれなかったからこそトラックにいるのだ。
であれば答えは当然決まっていた。
「わかった。約束しよう」
「えっ?」
「弱者を見捨てない。諦めない。いいぜ。どいつもこいつも一筋縄じゃいかねぇだろうが、無念のままに沈めてたまるか」
言ったからには、やる義務が生じる。
俺はもう口に出してしまった。
「本当ですか? 本当にですか? だって漣、すんごいめちゃくちゃなこと言ってますよ? ご主人様に全部お願いして、そりゃ漣も一生懸命手伝いますけど、こき使ってやろうって、そういうことですよ、わかってますか」
驚きとともに、うるさいくらいの念押し。漣が思わず体を起こし、こちらの顔を覗き込もうとしてくるのを、俺は腕力で抱きしめてやった。恥ずかしさでさえもこのときばかりは勝る。
わかっているともさ。
「自分の脚で歩くためには、まず自分の脚を信頼しなくちゃな」
車椅子から立ち上がる時。眼の包帯を解く時。勇気を振り絞ってこそ、初めて前に進める瞬間というものが、必ず人生には存在する。
いまがそうだった。――いまがそうであり続けている。
立ち上がる時の、解く時の、ほんの一瞬が大きく引き伸ばされた、いわば「巨大な一瞬」。トラックで過ごす時間はまさにそれだ。それからどうなるかは未知数で、もしかしたら地べたに倒れこんでしまうかもしれないし、視界は闇に閉ざされているかもしれない。
それでも漣は諦めるなと言ったのだ。ならば、諦めない覚悟をもって、全てが十全に収まるように、俺は事にあたろう。
「俺たちの存在を、神様にドヤ顔で見せつけてやろう」
こんな俺でも生きていてもいいのだと、空に向かって高らかに宣言してみせよう。
強く漣を抱き寄せた。漣は「うー、たばこくさいー」と体を捩じらせるが、声は笑っていた。
ふっとその体が弛緩する。緊張の糸が切れたのか、目をごしごしと擦って、たった一言「眠い」とぽつり。それが少しおかしくて、思わず笑ってしまったのを、この距離では流石に隠せなかった。体重をずしんとかけられる。
漣がこの島に来た理由を俺は知らない。立候補と言っていた。ならば、当然、目的があるのだ。大なり小なり、それでも本人にとっては重大極まりない目的が。
ヒーローになる。なりたかった。諦めるなと俺に言ったその口で、過去形を持ち出すというダブルスタンダード。到底許容できることではない。あぁそうだ、響だけでなく、赤城だけでなく、大井だけでなく。
「漣」
「んー?」
眠そうな、とろんとした声が耳へと浸み込む。
「俺はお前を幸せにしてやるからな」
「んー、んー? うへへへへ」
くすぐったそうに笑う漣。恥ずかしがっているのだろうか。収まりのいいところを探して、俺の前でもぞもぞとやりだす。
「ごしゅじんさまぁ」
「なんだ」
「……うへへへへ」
漣はそう言って目を瞑ったようだった。寝るまで、そう時間はかかるまい。
仕方がない、部屋まで抱きかかえて連れていってやろう。
こいつらのためにやるべきことが一つ増えたくらい、いまの俺にはどうってことはないのだ。
――――――――――――――
ここまで
うあああああ俺も漣を抱きしめていちゃいちゃしたいよぉおおおおおおおお
待て、次回
響と漣は早朝に出発した。遠征。目的は、とりあえず近場の採取地点へ向かい、資源を確保してくること。航路を見る限りは駆逐艦二人でもなんとかなるように見えたし、想定外の事態に対しては、即座に引き返すよう指示を出してある。
限りなく大丈夫であろうルートであっても、完全に確立した安全などは存在しない。俺はただ二人の無事を祈りつつ、自分にできることをやるのみだ。
それにしても、出発前の響には、申し訳ないが笑ってしまった。なんせあいつはいくら感謝の言葉を述べても足りないらしく、しきりに「ありがとう」「この恩は忘れない」などと言うのだ。俺なんて大したことはしちゃいないというのに。
遠征に行く確約を取り付けることはきっかけに過ぎない。強くなりたいと心の底から希うのなら、さらにそこから一歩踏み出す必要がある。
さすがに響がそのことを理解していないとは思わなかった。一歩踏み出そうとしているからこそ、あいつは俺たちにコンタクトをとろうとした。その結果雪風たちと摩擦が生じることを恐れながらも。
「ということで、漣は響と遠征に出かけている。捜索には四人で行ってもらうことになった」
「うーん……」
「不服か、最上」
「不服って言うか」
「まぁ別にいいんじゃないの?」
困ったような最上に返答したのは霧島だ。視線を最上の隣にずらし、小さく嘆息。
「神通にも話は通してあるし、俺たちの目的は繰り返しになるがあくまで捜索だ。サーチ・アンド・デストロイじゃねぇ。見つかるまで帰ってくるな、っつーわけでもねぇ。四人でも問題ないと判断したが、まずかったか?」
時間的な余裕がたっぷりある、という現状でこそないにしろ、当て推量で探すには海は少しばかり広すぎる。二組がかりで一週間かけ四分の一を絞り込み、ようやく一月かけて網羅できる試算だ。
俺個人のことを考えれば、最悪のパターンでもぎりぎり間に合う。龍驤たちにとってはこちらの事情などどうだっていいのだから、多少時間はかかっても確実な方策を採るのは当たり前だろう。
とはいえ、該当する海域を探せば必ず見つかるという確証もない。こればかりは運の要素が強い。
「提督、二人が言っているのは作戦内容のことではなく」
神通の視線に釣られ、俺もそちらを向いた。
「……何よ」
目を逸らし続けていたものがそこにはある。
「本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。何度言わせるの」
生まれたばかりの小鹿のようなへっぴり腰で、大井が海の上でバランスを取っていた。
何度言わせるのとは間違いなくこちらの台詞だ。十分ほど前に海の上に降り立ってから、大井はずっとバランスをとれていないようで、小波の揺れでさえ足元を掬われそうになっている。
艦娘でない俺には、海の上に立つことがどれだけの荒行なのか、想像することさえできない。しかし漣や響と言った比較的新参でさえ難なく行えているのだから、技術としては初歩の初歩なのだろう。艦娘全体でも最古参である大井が身に着けていないはずはない。
だとすれば、やはり空白期間のせいだ。大井自身は決して認めないが、病院のベッドに臥せっていた期間が、彼女と船の神を引き離したのだ。
大井はこれまでの病院着ではなく、濃緑のセーラー服に、見るからに重たそうな艤装を携えていた。筋力に対して不釣り合いなのか肩で息をしている。
険のある瞳は生来のものに違いないが、それはいつも以上に苛立っているように見えた。事実そうなのだろう。思い通りに動かない自らの体に癇癪を起している。
十分がたとえ一時間だとしても大井がまともに海の上に立てない可能性はあった。確率的には、随分と高いように思われた。
大井がどれだけの間病院暮らしだったか、調べようと思えばいくらでも調べられたに違いない。しかし大井は詮索を嫌がるだろう。ならば、そこは立ち入ってはいけない領域だ。
とにかく、時間は――時間だけが唯一艦娘と海を引き剥がせる存在で、大井はそのあおりをまともに受けてしまっている。
俺たちにできることは、大してない。
大井が波に足をとられて尻もちをつく。
「……」
「……」
「……」
それでも、三人が大井を待っているという現状は、俺にとっては眩しくもあった。
「……」
俺も当然のように無言を貫く。礼儀。あるいは、敬意。
時折「大丈夫か」と声をかけるも、返ってくる答えはいつも同じ。
目的の遂行を第一位に考えるのなら、大井は残念だが置いていくしかない。だが三人はそうしない。そうするという考えそのものがない。
俺は北上について、大井の実妹であるという以上のことを知りはしなかった。ただ、どれだけ大井が「北上」という妹を大事にしていたか、その必死の表情から想像はつく。
大井はまた転んだ。
ほっそりした手足と、不健康に白い指先で、懸命に波を掴む。
普段は鋭い舌鋒も、今は真一文字に結ばれた唇の奥底へとしまわれて。
いつか、彼女が笑顔になる日が来ればいいな、と思った。
いや、それは弱気というものだろう。
そうするのが俺の為すべきことなのだと、再度決意を新たにする。
大井がまともに水面に立てるようになったのは、昼過ぎになってからだった。おおよそ一時間半、格闘していたことになる。
他の三人に比べても見るからに不安定だったが、多少の強い波がやってきても、もう転んだりすることはない。問題なかろうと判断したのは俺だけではなく、旗艦である霧島も頷いた。
「……待たせたわね」
「肩で息をしてるぞ」
「暑いのよ」
俺なんかは海風で寒いくらいだが。
「お前らの健闘と無事を祈る。霧島、あとの仕切りは任せた」
「はいはい、任されました。
とりあえず海図のデータと航行記録はきちんと照らし合わせて、ログが残るように各自設定しといて。カメラも起動。いつ敵が現れてもいいように、分析用の情報は決して逃さないこと。オーケー?」
「うん」
「了解しました」
「わかったわ」
「作戦目的は新型の発見、及び敵本拠地の解明。作戦内容は海域の捜索よ。さっき提督が言ったように、敵を倒すのが目的なわけじゃない。ケースバイケースだけど、戦闘はなるべく回避が望ましいかな」
「資材の節約ってことかい?」
「それも勿論あるし、こっちは四人だから。イ級くらいなら問題ないだろうけど、少しでも戦闘が長引きそうと判断したら、即座に提督に帰投指示を出してもらうわ」
「うん、わかった」
それは半分が真実で、半分が嘘だった。こちらには大井がいる。海に立つだけで精一杯の彼女を庇護しながらの激しい戦闘は、極力避けたい。
霧島も俺と同じ判断だった。龍驤に確認をとったが、やはりそれが望ましいとも。
「目的の完遂のために戦闘は必須じゃない、それだけは頭に入れておいて。たとえ私たちが今回の出撃で新型を発見したとしても、即座に戦闘には入らない」
「その時点で目的は達したと? そうして後日、ログを頼りに、万全の準備で同海域に出撃するという認識でよいですか?」
「そうね」
「同海域に新型……レ級が現れる確証はないのでは?」
「えぇ、だから理想は敵本拠地を把握すること。棲息地、っていったほうがいいのかな。敵がどこから現れるか、誰も知らない。それを暴くことには尋常ならざる意義があるはずだわ。
あとは敵の出現パターンの情報の蓄積もしたいの。何が目的なのか。それとも目的なんてものは何もなくて、ただ本能に従っているだけなのか。そのあたりを明らかにするためでもある」
「なるほど。長期戦の見込みですか」
十分程度のブリーフィングを経て、四人は遅ればせながらも出発した。海風をその身で切り裂きながら、少し控えめな速度で、海の上を進んでいく。
大井は落伍しないだろう。三人が過保護だとは俺は思わなかった。俺が望んでいることでもあった。
四人の後姿が水平線の向こうに消えて、ようやく港を後にする。あいつらが海に出ている間、いくつかまとめておかなければならない情報もあった。
「霧島」
『あぁ、はい。早速ですか』
「状況が悪いか? 厳しそうならそっちから折り返し連絡が欲しい」
『いえ、大丈夫ですよ』
秘匿回線を使用していても、素振りから霧島が俺と通信しているのに気付かれるのは避けたかった。
「おかしいよな?」
『そうですね』
即応。あらかじめ、この件についてのやりとりはしていたが、話が早くて非常に助かる。
漣でもなく大井でもなく、あえて霧島を選んだのは、彼女が最もこの情報を有効活用できると踏んだからだ。というよりも、彼女の未来に役立つ可能性が少しでもあるならば、といったところ。
「どうしてレ級とヲ級、そして北上に似た新型が現れたと思う?」
『新型自体はいまも海のどこかで生み落されているとは思います。ただ、レ級もこれまで未確認の機体でした。青い気炎のヲ級も希少種です。それらが一堂に会するのは、偶然にしてはできすぎですから……』
少しの空白。考えているのではなく、言葉を整理しているようだ。
『その、「新型を生み出す場所」、つまり深海棲艦にとっての建造施設のようなものがトラック近海に存在している可能性は十分にあると思います』
「深海棲艦に意志はねぇよ」
『……』
思わず語気が強まった。霧島も黙る。
少し申し訳ない気持ちもありつつ、俺は言葉を続ける。
「だから建造施設じゃなく、発生する場所……産卵、孵化、増殖、まぁそんなところだろうが、有体に言えば『巣』ってことになるか」
『目に見える形であればいいですが』
そして巣ということなのであれば、夥しい数の深海棲艦がそこに詰めていることも覚悟しなければならない。
霧島が出発時に三人に向けて言ったように、もし巣があるとして、それを暴くことには大いなる意義がある。価値もある。霧島が本土に戻る手土産としては十分すぎるくらい。
『ですが、司令。私はたまに思うんです』
「どうした」
『そもそもあいつらは生物なのかどうか。私たちの装備が特攻を持つのは、信じがたいことではありますが、まじないによって神を降ろしている――と言われている――からです。ならば、あいつらは』
神の類なのでは? 気軽な冗談を言うように、霧島は呟いた。
「……だとしたら、どうする?」
『どうもしませんよ。やることに変更はありませんから』
「あれが威力偵察だとしてもか」
それはもう一つの可能性。
イベントは過ぎ去り、しかし東南アジアは依然として敵の脅威に曝され続けている。第二波がないとは言い切れない。
先の三体が威力偵察任務に赴いたのだとすれば、発見されて、艦娘たちと戦ったことも全て作戦の内。そして、その仮定の先にあるものは、未来の大侵攻。
やつらに意志など認められない。俺はそのスタンスを堅持しつつも、本能に基づく生物ならば、ある程度組織だって行動することは有り得るだろうと感じていた。
『どちらにせよ論文にするには有意義です。最早、なにもないのが一番いい、なんて楽天的なことを言える状況ではありませんからね。
……私も赤城のことを言えませんので』
復讐鬼。無念のうち失われた者への鎮魂。
霧島は理由を知ることこそが自らにできる最大の手向けであると考えている。
「……ま、地道に行こうや。そっちの状況はどうだ?」
『天気明朗、なれども波高し。私が戦闘、大井を左翼に方形陣。右翼は最上、殿は神通。平和な海です』
「了解。定時報告をよろしく頼む。一度切るぞ」
『ヤー』
結局その日の成果はなかった。
霧島はああ言ったが、俺はやはり、なにもないのが一番いい。たとえ無為に過ごしたというレッテルを張られたとしても。
――――――――――――――――
ここまで
溜め回。まぁイベントばかりだと胃もたれするし、伏線も貼らなきゃいけないし。
もうちょっとキャラが勝手に動いてくれれば楽なんですがー。
待て、次回。
「じゃ、いってくんねー!」
手をぶんぶんと大きく振って、漣は発進した。スケートのように水上を滑る感覚は一体どのようなものなのだろう。大井は随分と苦労していたが……。
「ほら、響ちゃんも! はやくっ」
「ん。じゃあ、行ってくるよ」
小ぶりに響が俺へと手を向けてくれる。腰から頭上まで振り回す漣とは違い、肩のあたりまで上げるだけの素っ気ないもの。それひとつとっても個人差があるものだ、と今更ながらの発見に唸ってしまう。
「おう、気を付けてな」
「大丈夫。元気」
「そうか。連日の出撃で疲労が溜まったら、すぐに言えよ。神通でもいいが」
「ん」
こくり。一度その小柄な体を大きく頷かせて、離れてしまった漣に追いつこうと、きもち急いで発進。銀髪の輝きは水面の輝きと混ざってすぐにわからなくなってしまう。
二人が遠征に出始めてから既に一週間が経過した。それは海域の捜索にも一週間が費やされたということであり、しかし依然として成果はゼロ。散発的な戦闘こそあったものの、お目当ての新型は影も形もない。
少なからず一日ごとに捜索範囲は塗り潰せている。成果がゼロ、は言い過ぎか。兵は拙速を尊ぶという格言も、きっと俺のような人間がいたからこそ生まれた言葉なのだ。
巧遅と拙速のどちらがよいかは一概に語れない。気持ちは急くが、抜け漏れや見落としを防ぐためにも、そして深海棲艦との遭遇に備えるためにも、今は巧遅を尊ぶべき。わかってはいるのだが。
無力を痛感する。艦娘たちの寄与に対し、俺の寄与はあまりにも少ない。戦闘のデータ、備品や資材の管理、録画された映像の保管などは率先して行ってはいるものの、やはり罪悪感は拭えない。
本来ならば書類仕事がたんまりとあるはずだが、名目上の提督は、いまは龍驤となっている。それ以前に本土との連絡は途絶していて、そもそも書類を出す相手もいないのなら、自慰的な捺印に意味があるとは到底思えなかった。
とどのつまり、俺にできることは、帰投したあいつらに飯を振舞ってやるくらいのものだ。殆どヒモじゃねぇか、とショッピを吸いながら自嘲してみる。
「だが、まぁ」
嘆いても仕方がない。できることを粛々と。
分不相応は罪業である。偽物の英雄も、でっち上げられた悲劇のヒロインも、みな身の程を知らぬ欲望が発端だったことを俺は当然忘れちゃいない。
本人だけでは完結しないのなら、なおさらだ。
今日の海域捜索は龍驤組の番だった。龍驤と、夕張と、鳳翔さんと、雪風。本来は響も所属していたが、たっての願いにより最近は殆ど遠征ばかりに出向いているようだ。
俺は煙をふかしつつ、海岸沿いを歩いていく。
少し先の海上で人影が立っている。濃緑の制服は大井のものだ。自主練をしているのかもしれない、先の出撃では不甲斐なさばかりが目立ち、立腹していたようだったから。
大井は皮肉屋で言葉もきつく、あまり他者と心を通わせようと言うそぶりを見せない。性格が悪い、と切って捨てるほどには大井のよさを知らない俺ではなかったが、あの厳しさはやはり自分にも向いていたようだ。
「精が出るなぁ!」
叫んでやると大井もこちらに気付いたようだ。動作を止め、こちらに向かってくる。
「なんですか。邪魔をしないで欲しいのだけど」
「あぁすまん、そんなつもりでは。調子はどうだ」
「……別に。もともと入院もいらなかったのよ。みんなが変に心配して、それだけだから」
「体は大事にしろよ」
「もちろんよ。わかりきったことを言わないで頂戴。体が資本だということは、資本を欠く者こそが一番わかっているというものなのよ」
さもありなん、といったところか。
一朝一夕では覆らない練度の差が、大井と他の艦娘たちの間には存在する。巨大な壁。今からどれだけ修練を積んだところで、大して縮まるまい。
ただ、問題はそもそもそこにはない。別にこいつは宗旨替えをしたわけではないのだ。
いま自分にできることをする。そのスタンスは一貫していて、見ているこちらが清々しいほどに。
だから大井は俺に海図を渡したし、焚きつけもした。ヒントをいくらでも寄越した。そして今は海に出て戦う準備を整えている。
「煙草も、なら吸わんか」
禁煙の辛さは何度も失敗した俺自身よくわかっている。吸っていた一本を携帯灰皿へとしまいこむ。
「あなっ」
「あな?」
穴? が、どうしたというんだ、一体いきなり。
「……」
大井は大罪人を咎めるような目つきで俺を睨んでいる。やんちゃはしたが、俺はこいつの親の仇ではない。そんなに睨まれる謂れはない。
「……えぇ、そうよ。煙草はやめたわ。……やめてる最中」
それがいい。煙草なんて所詮格好つけの道具にすぎないのだから。
だから俺をそんな目で見るのはやめてくれ。
「北上ってのは、どんなやつだったんだ」
「……」
「いや、他意はねぇよ。ふと気になってな。喋りたくないなら、無理にはいい」
「別に喋りたくないなんて言っていないでしょう? ただ……あんまり喋ることもなくって」
「そうか?」
「だって妹だもの。いるのが日常でしょう。日常について特筆すべきことはないわ。特筆すべきことのない安寧を日常と、嘗ての人々は呼んだの。大辞林にもそう書いてあるのを知らないかしら」
「生憎、浅学でな」
「その顔を見てればわかるわ」
おいこらてめぇ。
「ただ、毎日お見舞いに来てくれたの。学校帰りにね。ちょうど通学路の途中に、入院していた付属の病院があったから、そのおかげだとは思うのだけれど。
……毎日よ? 誇張はなく、毎日。雨の日も雪の日も、友達と遊んだ帰りであっても。きっと矢が振ろうが槍が振ろうが、来てくれたんでしょうね。それで十分とか二十分とか喋って、ばいばいって手を振って、また明日って」
大井は髪の毛をかきあげた。長い髪の毛が海風に揺れるのを、少し鬱陶しく思っているようだった。
「また明日って言われちゃ、ねぇ?」
苦笑。大井の病状は知らないが、恐らく、完治はしない類のものなのだろう。そして相応に命の危険もある。
「そして、私は艦娘になったわ。人体実験みたいなものよ。屈辱的なことをされたことも、何度もある。でもね、一縷の望みがあるならそれに縋りたくなるじゃない? ……って言われても、困るか」
「わかるぞ」
「……あぁ、そう」
決して社交辞令ではない言葉をどう受け取られたのかは定かではない。大井は表情を変えずに続ける。
「神様の力か、はたまた次世代の最先端医療の力か、私はいまでも生きていられている。だけど、妹がいなかったら、どうだったかな。わかんないや」
ふっと顔から険が抜けた。年齢相応の少女の、柔らかな微笑。
「……変な話をしたわね。忘れて頂戴。私は、トレーニングに戻るから」
「大井」
「なによ」
「俺にどれだけの力があるかはわからんが、貸せるだけを貸す。困ったら言え」
「……急にどうしたの。殊勝じゃない」
「してもらいっぱなしは悪いしな。初めからそう言う約束だったろう」
「そうだったわね。すっかり忘れていたわ」
「……?」
「ま、今度荷物持ちにでも付き合ってもらうわ。それじゃ」
大井は薄く笑みを浮かべて海の上を歩き出す。何かを言おうとも思ったのだが、適切な言葉が浮かんで来ず、そうこうしている間に大井の後姿は小さく霞んでしまった。
俺は無言のまま煙草を再度咥えた。手持無沙汰だった。
露天商や屋台、民家、低階層のビルが海の近くには並んでいる。メインストリートをもう少し島の中心へと行けば、もう少し近代的な街並みが見られたが、いまは食指が働かない。
そのまま海沿いをぐるりと行く。目指すのは泊地跡だ。道中、俺の傍を何台も原付が走り抜けていく。
これと言った用事は特になかった。強いて言えば、扶桑に会っておきたいとは思った。
いつになるかわからないが、決戦の時は必ずやってくる。戦艦である扶桑が間に合うかどうか、それは戦況を大きく左右する。療養の経過は聞いて損はない。
間に合うといえば、もう一つある。が、それは今はいいだろう。運の要素に左右される部分が大きい。
泊地跡につくと、まず真っ先に目に飛び込んできたのはスクール水着の少女だった。つまりは58だった。大樹の木陰で、組んだ腕を枕に、気持ちよさそうに眠っている。
大井か雪風あたりに見つかったら蹴飛ばされるのではなかろうか。そんな心配をよそに、寝返りをうつ58。その拍子に涎が口元から垂れた。年頃の女としての尊厳など微塵も感じられない。
なんとなく悲しさを覚えながら、ところどころが砕けた建物の中へと入っていく。
尋ねたのは数度目なので部屋は覚えた。安全にとおることのできる場所も。
何回か曲がって、医務室へとたどり着く。
「あら、珍しい」
「ほんとだ」
扶桑の病室には先客がいた。最上だ。パイプ椅子に座って談笑している。
「どうしたの? なんかあった?」
「別にそういうわけじゃないが」
「なら私に用事ですか?」
「ん、少し違うが、まぁ似たようなもんか。怪我の具合はどうだと思ってな」
「あぁ、それでしたら随分とよくなりました。骨もうまく接げたようですし、明日明後日にはリハビリも兼ねて、海へ出ようと龍驤と話していたんです」
「大丈夫なのか?」
「それを確かめるために出るんじゃないか、提督」
最上がけらけらと笑う。
「いや、ほら。大井を見た後だとな」
「あぁ……。まぁあの人は前線から長らく離れていたからね、そのせいもあると思う。来る途中で自主練してたのを見たよ」
「俺も見た」
「北上を一番助けたいのは勿論大井ですから。……私が見たあの影が、本当に北上であれば、いいんですけど」
扶桑はそう言うが、果たしてそれが一番なのか、俺にはわかりかねた。実妹と敵対し銃口を向けあうことなどということが、この世の中にあってたまるかという憤慨が湧いてくる。
けれど同時に、その敵影が本当に北上本人であり、大井との再会が果たせることを願っている自分も確かにいた。
人間はどうしてこうも贅沢なのだろう。複数個の選択肢を混ぜ合わせて、全てのいいところだけを採ろうとする。あまりにも都合のいい思考回路。
「どうしたのさ提督、にやにやして」
……にやにやしていただろうか? 思わず頬に手をやるが、わからない。
「生まれつきだ」
「それはそれでどうかと思うよ」
最上はまたもけらけらと笑う。
「……まだ新型は見つかっていないのですか?」
真剣な表情で扶桑は尋ねてきた。俺は細かく映像を見たわけではないが、龍驤と大井、霧島の分析によれば、十中八九リストには載っていない新型だろうという話だ。つまり、それだけ脅威度も増す。
見つからなければ全てが丸く収まるんだがな。冗談半分、本気半分の言葉は、愛想笑いで受け止められた。
「宙ぶらりんのままは、私は嫌ですね。発端でもあることですし」
「俺だって嫌だよ。いるかどうかもわからん敵に怯えるよりは、こっちから探しに行った方がよっぽど精神衛生上健康的だ。違うか?」
「違わないね。それに、何もしない生活ってのは、ボクは苦手だなぁ。目的を見据えて生きてるほうが、やっぱり張り合いもでるってもんだよ。ね、扶桑」
「……最上は本当に前向きね。羨ましいわ」
「楽観的なだけさ」
ひとまず目的は達した。時間に追われているわけではないが、のんびり駄弁って時間を消費するほど、贅沢にもなれない。
扉を開けると、予想外に二人から声がかかる。
「あれ、もう行っちゃうの?」
「扶桑の容体を見に来ただけだしな。元気そうなら、それでいい。あんまり長居するのも悪い」
「そんなことはありませんが……提督のことをもう少し知りたいとも思いますし」
「全てが終わったあとにならいくらでも話してやるよ。どうせ半年も保たんけどな」
「えっ?」
「提督、それってどういうことだい?」
しまった、と思った。この話題に関しては、まだこいつらには伝えていなかったか。
いや、伝えるもなにも、まだ少しも決まってすらいないのだ。ただ俺たちが勝手に考えて、勝手に悲観しているだけ。それこそさっきの「いるかどうかもわからん敵に怯えている」に過ぎない。
今更ごまかしは利かないだろう。未確定でも、口に出してしまえば風説の流布。それにこれは俺の信用問題でもある。
観念した。勿論俺の過去や確執などは全て語らず、要点だけを掻い摘んで伝える。俺がここへやってきたのは権力闘争の結果であって、またすぐに――半年いられるかどうかわからないほどの「すぐ」――転任の指示が出るだろうと。
「何それ! 酷いじゃん!」
自分のことのように最上が怒ってくれることが嬉しかった。宥めつつ、でもな、と続ける。
「だからこそ、やる気にもなる。成果が欲しいんじゃない、お前ら何の信頼が欲しいんだ。それは不幸中の幸いってやつだ」
「不幸、ですか」
扶桑は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「結局個人は組織に叶わないのでしょうか」
諦念を交えた言葉は、単なる字面以上の意味を内包しているように思われた。もっと大きな規模の、例えば、トラック泊地と大本営のような。
それに応ずる抽斗は俺の中にはなかった。だが、叶わないと断言することには、非常に抵抗があった。それは、奔流に身を委ねることを、消極的に選んだだけなのだ。
「勝つとか負けるとか、究極的には興味がねぇや。俺はな。俺はもう後悔したくなくて、誰にも後悔して欲しくねぇだけだ」
「後悔なんて誰もしたくないってば」
「そりゃそうか」
「……その時が来たら、よろしくお願いします」
部屋を出ようとする俺の背中に、扶桑の声。それはこちらの台詞だ。
お前たち艦娘に、俺の命を預ける。金輪際そこの領分を犯す気はなかったし、逆に、お前たちの命を簡単に数えるつもりもないことだけは信じて欲しかった。
「あ、提督、お願いがあるんだけど」
「どうした?」
「夕張がね、いまドックの修繕をやってるんだけど、人手が足りないらしいんだ。もし気が向いたら見に行ってもらえないかな?」
ドックは半壊以上の被害を被ったと聞いた。開発設備や建造機構は全損。もし修復できれば、今後の泊地の運営において、多大なアドバンテージが見込めるのは明らか。
「わかった」
後ろに手を振りながら部屋を後にする。
やるべきことは些細なものばかりで、微々たる力にしかなれないまでも、彼女たちの役に立てるのならばこれ以上の幸いはない。
こんな日々が永遠に続かないということだけが、幸い中の不幸だった。
――――――――――――――
ここまで。
溜め回その2。次も多分溜め回。
何もない描写を楽しく読ませることが一番難しく思う。
あと58は何しに出てきたんだコイツ?
待て、次回。
「大丈夫ですか? 高速修復剤の用意はしてありますけど」
「ウチはいらん。雪風と夕張に、適量」
「じゃあボクはベッドの用意をしてくるよ」
「あたしは平気。それよりもやらなくちゃいけないことが、でしょ」
「雪風もこれくらいなら全然です」
「発信機はまだ生きてます。ポイントF-8まで移動、後に停止」
「ほうか。なら『そこ』が『そう』やな」
「でしょうね」
港は慌ただしかった。ばたばたと龍驤たちが戻ってくる。みな、眉根を寄せ、口を真一文字に結び……それは激戦の後だからではない。寧ろ、これからの激戦の気配を感じて、緊張に体を強張らせているのだ。
そしてそれは俺も同じだった。鳥肌がぞわぞわと立つ。目の前の龍驤たちの容体を心配しながらも、頭はこれからの戦いをどうやって有利に進めていくか、そのための策で一杯になっている。
龍驤は無傷。鳳翔さんと響が小破。先頭を担っていたという雪風と夕張が中破で、その中でも雪風の傷は少し重たいように見える。
額が割れ、顔面が血塗れ。右肩には杭で打たれたかのような牙の痕が二つ。
それを見ながら苦い顔をしている響。
港には赤城を除く全員が揃っていた。58までもいる。それぞれ、タオルやブランケットなどを用意して、血を拭いてやったり肩にかけてやったり。飲み物を渡している光景もあった。
落ち着かないのは五人の怪我のせいではないのは明白。龍驤は言う、これからすぐにブリーフィングに入る、と。戦闘の様子は逐一録画してある。それを基に、今後の対応について協議するのである。
確かに時間に猶予はなかった。俺個人の問題というよりは、新型とぶつかったことにより、あちらが本拠地を移動させる可能性があったためだ。無論それは相手に相応の知恵があることが前提となってはいるが……。
戦闘時に敵の新型へと発信機を打ち込んだ、とは鳳翔さんの弁。それを辿っていけばまた遭遇することは容易だが、圏外まで出られてはお手上げだし、海に潜られたりして外れる可能性も無きにしも非ず。
大井は海から上がる五人へと視線を送るばかりで、声をかけるようには見られない。ただスカートをぐっと握り締めている。
龍驤から連絡があったのは数時間前だったが、それさえも遥か昔のことに思える。
昼過ぎのことである。五人は海域を捜索中、ついに目的の新型を含む敵作戦行動群を発見した。内訳は、目視できる範囲で、青い気炎のヲ級が二体。戦艦レ級が一体。そして新型が一体。計四体。
彼我の戦力差は明らかだった。しかし、殲滅が目的でないとはいえ、発信機を打ち込むという目的もあり、龍驤は戦闘に踏み切る。勿論適当なところでの撤退が前提だ。
時間にして数十分程度の戦闘後、発信機の定着、及び正常な動作を確認したのち、五人は撤退。帰投し、現在に至る。
「……ご主人様」
漣が俺の隣で呟いた。少し待っても、その次の言葉は出てこない。
気持ちはわかる。この切迫した空気、ただ黙って立っているだけでは、心が焦燥感に苛まれるばかりだから。
「総員、泊地へ行くで。58、赤城は?」
「さぁ? 通信は届いてるけど、返事はきてないよ」
「あのくっそバカが……」
「一人で突っ込むほど愚かだとは思わんでち。でも見張ってた方が安全かもね。その役目は58がやるよ。やらせて」
「任せるわ。もし独断専行かますようなら、それに合わせて全体出撃通達出す」
「ん。了解」
「龍驤」
声をかけると、龍驤は俺の姿を認めて苦笑する。
「なんや、おっさんか。まだおったんか」
「行くあてもないもんでな」
軽口のたたき合いも最早お決まりだ。
「やな。ほうやったな。……本当は外様のあんたらに手伝ってもらいたくはない。気が退けるっちゅーんやないよ。これは矜持の問題やねん」
自分たちの手で決着をつけなければならない。それは責任を取るということであり、過去に対する決別ということでもある。
「悪いな。だが、俺も、じっと見てるのは性にあわねぇんだ」
「そう言うと思うとったわ。正直な、助かるっちゃ助かるんよ。ウチも前線出るからな、客観的に戦況を把握できて、指示できるヤツは置いときたい」
「任せてくれるなら、全力で当たる」
「んで、一応そっちの要望、できる限りは叶えたったけど……おっさん正気か? 失敗したら死ぬで?」
「勝機はあるさ」
「ま、詳しい話は、あっちでやろうか」
そう言って龍驤は足早に集団の先頭を切った。ブランケットを肩に、ぐんぐんと風を切って進むその姿には、威風堂々たる貫禄があった。
漣と響が何やら話している。響はいつにもまして暗い、落ち込んだ様子だった。それを漣が慰めているようにも見える。
神通は雪風と話していた。そこに霧島が混ざり、敵の戦力分析や戦術を、一足早く議論しているらしい。
鳳翔さんが大井を促しているのが視界の端で捉えられる。大井は何を思っているのだろう。これからの戦いに際して、どんな心構えなのだろう。攻撃的な言葉を吐く人間が、おしなべて強い精神を持っているとは、俺には到底思えなかった。
心が落ち着かない。浮足立つ。一刻も早くやらなければ、為さなければならぬ何かがどこかにあるようで、だけどもその正体が見つからない。それが焦燥感の正体に違いなかった。
待つのも仕事のうちだ。十分に休息を取り、備える。機を待ち、然るべき時に動く。人間とは不思議なもので、仕事をすることよりもしないことのほうが、よほど落ち着かなくなるらしい。
だから泊地へ向かう足がつい早まるのもそのせいなのだと思う。
泊地に辿り着く。一目散に目指すのは、会議室という名の空き室。扉を開ければ既に扶桑がいて、いくつかの長机と、人数分の椅子。その数十四。
扶桑の体調は恢復にほぼ近づいていた。海域捜索に出ていなかったのは、最大戦力でぶつからなければいけない時までの温存だ。
それぞれが腰を掛けていく。前に龍驤と鳳翔さん。そこから時計回りに神通、夕張、響、雪風、大井、霧島、最上、俺、漣、58。最後に扶桑が扉を閉め、座った。赤城のための椅子だけが、空席だ。
「みんな、お疲れさん。色々訊きたいこと、言いたいこと、あるやろうが……まぁ口上が長くなってもあれやな。まずは戦闘の映像を送る。各自確認して欲しい」
龍驤が手元でキーを叩くと、俺の――俺たちのもとに一つの動画ファイルが送信されてくる。
件の新型が映っている映像だ。
「……」
沈黙。誰もが素早くファイルを開き、食い入るように見ている。
当然、俺も。
映像の中で、海は凪いでいた。曇り空が水平線の向こうまで広がっている。龍驤を除く四人が映っているということは、映像の撮影者は龍驤だということになる。
示されている時刻は十四時の三十分丁度を指していた。
「……軌跡」
神通がぼそりと呟いた。巻き戻して確認すれば、なるほど確かに、波と陽光の反射に紛れた中にも、一本の細く白い線を見つけることができる。
魚雷の線。
爆裂が撮影者本人――龍驤を襲う。しかし龍驤の対応はまるで神がかっていた。すんでのところで完全回避、と思えば次の瞬間には既に全機発艦を済ませている。いつ経巻の展開を行ったのかさえ見えなかった。
化け物じゃねぇか。こんな神業をたった一度だって見たことはない。隣の漣も驚いているようだが、他の艦娘たちは平然とした顔。
宙に浮かぶは梵字、九字、五行と五芒。空を飛ぶ艦攻、艦爆、艦戦に爆戦。おおよそ八十機。
丸い悪鬼が大編隊を組んで向かって来ていた。艦載機はそれらを片っ端から打倒していき、その奥にいる青い気炎目指して飛行を続ける。
獣の咆哮。姿勢を低くして突っ込んできた尾と巨大な砲塔を、夕張と雪風が体を張って止めた。大きく波打ち、響が吹き飛ばされる。その際に雪風が何らかの悪態をついたが、聞きとることはできなかった。
黒と赤が視界の端でたなびく。
螺旋のようにうねりを挙げて、同時に粒子となって辺り一帯を黒く染めて、三体の奥からずるり、ずるぅり、一歩ずつ、もったいぶったかのように、前へと歩を進める巨大な姿があった。
一瞬、新型が三体いるのかと思った。しかしすぐに己の考えを改めることになる。
本体は中央にいる人型で、真っ白な長髪を三つ編みに足首まで垂らしており、両目からは黒く、そして赤い炎が立ち上り、口の中には鋭利な牙。拳の周囲に単装砲を二基ずつ展開させている。
そしてその両脇、俺が別個体だと誤認した「それ」は、あくまで予想の域を出ないものの……魚雷の化身に見えた。神聖な言葉を深海棲艦に使うことが許されるのであれば、大権現に違いなかった。
ヲ級が飛ばしてくる丸い悪鬼にも似た、けれど段違いで巨大な「それ」。あんぐりと開いた口には深海棲艦の象徴たる牙と舌こそ見えないものの、反面、剣山の見間違うほどの細長い筒が――魚雷発射管が、口内から生えている。
十? 二十? ……いや、そんなもんじゃあない。片方だけでも五十はくだらない。
雷巡。嘗て漣が言っていた艦種を想いだす。大井はなれずじまいだった、北上がそうであった、雷撃特化の巡洋艦。
「これはっ!」
大井が叫んだ。殆ど悲鳴と言っても差し支えなかった。
「北上さんじゃないっ!」
「あぁ、そうや」
龍驤も即座に返す。
「新型は北上やない。こんなのが北上であっていいはずがない」
映像の中での新型は、もしかしたら雷巡を模しているのかもしれない。そして北上にも似ているのかもしれない。だが、龍驤の言うように、これはどう見ても化け物だった。魚雷が人の形をとっただけの代物だった。
「只今より、映像に出とる新型を、『雷巡棲鬼』と呼称する。以後ウチらトラック泊地は、この雷巡棲鬼を、全力を以て打倒することとする」
映像の中の雷巡棲鬼は、巨大な悪鬼を従えて、片方へ腰かけ、もう片方へ肘を乗せ体重を預けた。体が水面から僅かに浮く。優雅で、かつ怠惰な姿勢。
あふ、と声が聞こえてきそうな欠伸をした。気味が悪くなるほど人間に似たそのしぐさをきっかけにして、巨大な悪鬼が二体、膨張する。
映像の中の龍驤が何かを叫んだ。怒気と緊急性が交じり合って、最早人の言葉になっていない。それでも四人はその意図を察したらしく、即座に反転、雷巡棲鬼と可能な限りの距離をとるよう試みる。
膨張したものが次にどうなるのか、考えなくてもわかることだ。
即ち、収縮。
辺り一面を埋め尽くすほどの魚雷が、二体の悪鬼から吐き出される。
轟音が響き渡った。炸裂は炸裂を呼び、連鎖に次ぐ連鎖、炎と閃光と水柱が視界を覆い、収まる様子すら見せず、ただ全力で走る龍驤の手足だけを映し出している。
映像はそこで切れた。
「とりあえずここまでや。もっと長いのもあるが、それはまた後で渡す。まずはブリーフィングや」
「ブリーフィング、ったって……」
最上が大井を見た。大井は椅子に深く腰掛けて、薄く笑みを浮かべながらも、眼には涙も湛えている。すっかり放心状態だ。
「……そう、北上さんでは、なかったのね」
ぽつりと零れたその言葉の意味を、俺はどう解釈すればいいのかわからなかった。
「きついのはわかる。別にうちも無理に参加しろとは思っとらん。大井、席を外すか?」
「……いえ、いいわ。私にも使命感というものがあるもの。
北上さんの姿を深海棲艦が真似るなんて、許されるはずないわ。それは北上さんへの侮辱に他ならない。コケにされて黙っているほど、私、大人しくないから」
「……ほうか。ならわかった。大井、あんたも前線に出るんやな」
「そのつもりだけど、もし足手まといになるようなら、遠慮なく言ってくれて構わないわ」
「考慮にいれとく。
んで、参加辞退するやつはおるか? 一応ウチとしては、トラック泊地全体であたらにゃならんことだと考えとる。種別は『鬼』、見てみぬふりはできんし、手をこまねいとる間に事態はいくらでも悪化しうるからな。
ただ、やりたくないことをやらせるつもりもない。強制力をウチはなるべく持ちたくないし、行使したくもない。それはみんなわかってくれとると思うが」
「……」
誰も手を挙げなかった。瞳には意志、心には決意。生きるべきは過去にではなく未来に。
「……響」
押し殺すような低い声が発せられた。誰何するまでもなく雪風である。
「雪風」
予想していたのか、龍驤の窘める言葉も早い。
「でも」
「『でも』やない。あんたにその権利はない。それは雪風、あんた自身が一番よくわかっとるんちゃうか」
「……」
雪風は今度こそ押し黙った。響は自らの手元に視線をやって、手を硬く握りしめている。
「おらんか? ……おらんな。わかった。ならこの十三人で、ことにあたろう」
「赤城さんはどうしましょう?」
鳳翔さんがおずおずと声をあげる。
たった一つの空席。赤城は今も海に出ているはずだ。
「あたしがやるよ」
58が立ち上がる。
「ゴーヤに任せてほしいでち。本当は、もっと最初になんとかしなくちゃいけないことだったんだ。龍驤もゴーヤも、気ィ遣って後手後手に回って、その結果がいまのこれなら、あたしがやらなくちゃ。
ね、龍驤。いいよね。それでいいよね? 赤城はもう十分苦しんだでち。楽になってもいいと思う」
約束を思い出す。きっと58は、今度こそ赤城を沈めることに抵抗はないはずだ。
いまここに赤城がいないことが、58の想いを一層強くしている。
正論ならいくらでも述べることができる。しかし、そんな誰もが吐けるような言葉は、既に二人の間で吐き尽くされたに違いないのだ。
だから龍驤は頷かざるを得ない。それが一番の選択ではないことを理解しつつも、熟慮の末の激論、激論の果ての回答は、しっかりとした重みを持っているから。
「……異論がなけりゃ、次に進む」
議題は二転三転する。十二人の艦娘による聯合艦隊での出撃が決まったのはいいものの、第一艦隊と第二艦隊の割り振り、及び作戦目標に関してはまとまりが悪かった。具体的には、集中して雷巡棲鬼を沈黙させるべきか、それともヲ級やレ級と戦闘を行い引き付けておく役割の部隊を用意すべきかで議論が紛糾したのだ。
どちらの案にもメリット/デメリットがあるのは当然として、問題は敵作戦群の規模だった。今回の攻撃は電撃作戦でなければならない。更なる追撃の手を差し向けるほどの余裕は、いまのトラックにはないのである。
その点では一体残らず根絶やしにするのが上等。頭のすげ替えが効く可能性を考えれば、手足諸共に沈めるべきだと主張したのが神通だった。
だが鳳翔さんも論陣を張る。敵の殲滅に足るだけの銃弾、燃料の補給が、洋上では不可能なのだ。
何も敵はヲ級、レ級、雷巡棲鬼だけではない。道中でイ級を初めとする雑魚との戦闘が不可避であることを考えれば、雷巡棲鬼を集中攻撃し沈黙させ、即座に転進すべきであると。
現実的には鳳翔さんの案一択であるように思われた。神通の案は確かに問題の根源から断ち、脅威を遠ざけるという意味でも有効だ。しかし今回の作戦は、繰り返しになるが電撃作戦でなければならない。失敗は許されない。
最悪のパターンは弾薬と燃料が枯渇した状態で敵作戦群中央に取り残されること。神通の案では、その可能性は十分にある。今回は殲滅よりも漸減を主眼に置かなければ、万が一のときに再起不可能な損失を被る。
神通はようやく頷く。取るべき作戦は決まった。が、まだまだ決めねばならないことは多い。
艦隊の編成もそうだったし、最終作戦海域に到達し、目標艦隊と対峙した際に、誰がどのように動くのか。それ以前に各個の役割の割り当ても必要だ。全員が吶喊し、頓死。そんなくだらない死は何としてでも避けなければならない。
無尽蔵に湧いてくる深海棲艦とは違って、俺たちの命はひとつしかない。それを燃料とし、燃やしてこそ成せるなにかがある。その覚悟こそが俺たちがやつらを撃滅しうる唯一の要素。
既に龍驤たちが帰投してから五時間が経過していた。外はとっぷりと闇に覆われ、議論は苛烈さを増すが、議決には程遠い。進展がある部分も当然あるものの、議題によっては何度も同じ議論を繰り返すばかりという光景もままあった。
頭が痛い。気分が悪い。
精神的な疲労のせいだろうか。
俺でさえこうなのだから、戦闘を終えて戻ってきた五人が辛くないはずはなかった。全員に覇気がない。殆ど根性ばかりが体を動かしている。
「……龍驤」
「なんや」
「一旦お開きにしないか。明日か明後日、また集めよう。体力を回復させて、頭もすっきりさせて……でないと身のある話し合いにはならなさそうだ」
そうだ、雪風や夕張は怪我さえろくに治療していないのだ。
「……時間がない」
「一秒を惜しんで誰かが沈んでもいいのか」
卑怯な言い方だという自覚はあった。しかし、こうでも言わねば、龍驤や神通や、他の艦娘たちは止まらないだろう。
「おっさんに言われるのは癪やな」
小さく舌打ちをして、立ち上がる。
「解散や。明日の夕方に、またここで。日付が変わっても終わらなんだら、また解散して次の正午。そこまでで何としても決める。ええな」
「了解」
「わかったわ」
「うん」
各自が返事をし、三々五々、疲れた体を鈍重に動かしながら、部屋を後にしていく。言葉は少ない。雑談をする気力はなかろう。それ以上に、何を話せばいいのか混乱しているのかもしれない。
かくいう俺も人に対して意見できるくちではなかった。体が重い。なにより頭が重い。熱っぽく、ぼんやりする。胃が裏返った感覚。不快感。倦怠感。吐き気。怠さ。
身を床に投げ出してしまいたかった。
このまま消えてしまいたかった。
「ご主人様、あの、その」
「あぁ、漣。どうした」
椅子の背もたれに体を預けていると、心配してくれているのか、漣がおずおず近づいてきた。
「だいじょうぶ、ですか?」
「……なんとかな」
あまり強がる気はなかった。ばればれな嘘をつくくらいなら、いっそ正直の方が得も多い。
「先に家、戻っていろ。少し休んだら戻るから」
「……」
「大丈夫だって。安心しろ」
頭を撫でてやる。そこに漣は自らの手のひらを重ね、ぎゅっと握った。
「本当ですね? ちゃんと戻ってきてくださいね。待ってますから」
「おう」
どうして待つ必要があるのかはまったくわからなかったが、それでようやく満足そうな顔になり、部屋を出ていく。
部屋には俺と龍驤だけが残っていた。
「龍驤」
「なんや」
「話がある」
「知っとる」
詳しい話は、あっちでやろうか。龍驤自身が言ったこととはいえ、あのときの言葉をしっかりと覚えていてくれていたようだった。
「策があるんやろ。言うてみぃ。モノによっては、オールインしたる」
「策なんかねぇよ」
笑い飛ばしてやった。
頭が痛い。
いま、俺はどんな顔をしているのだろう。
ちゃんと笑えているか?
精一杯の虚勢を張れているか?
弱音を吐くな。強がれ。自信を持て。恐れるな。堂々としていろ。龍驤に信じ込ませろ、勝ち目があるのだと。
体が震える。自分の指揮で、采配で、艦娘たちが傷つき沈むかもしれないということを考えるのは、途轍もない重責としてのしかかってくる。それでも逃げることはできない。
俺は、提督だから。
「あるとしたら……」
それは策なんかではなく。
もっと不確かで、曖昧な……。
言うなれば、賭けに違いなかった。
―――――――――――――――――――
ここまで
漣が思ったよりヒロインしてて予想外な喜び。
こりゃ多分2スレ目が必要になるな。キリのいいところで移ります。
待て、次回。
ずくずくと頭が痛んだ。
胃が張って、内容物が逆流してきそうだった。
気分が悪い。理由は明白だった。だが俺はその理由を見据えたくなかった。真っ向から向き合いたくなかった。自分が最低の人間だと認めるのは勇気がいることで、俺は勇敢な人間ではないのだった。
空気を求めて深く呼吸。体調不良は、認知の歪みを引き起こす。と同時に、嫌な記憶さえも呼び起こしてしまうものだ。
比叡のことを想った。
それは苦しいことだ。必ず、後悔と懺悔がついてまわる。あの時ああしていればだとか、もっといい方法があったんじゃないかとか、さして意味がないとは知りつつも。
過去を振り返ることは辛さしか齎さないのに、なぜ俺はこうも頻繁に向き合うのだろう。答えはいまだに出ない。過去に対する答えも、同様に、未解決問題。
ただ、責任は果たさなければならない。そうしなければならないと俺の心が告げている。俺のあの時の行動が与えた影響は万事に大きく、利益を享受したのなら、損失も被るのが筋というものだ。
冷たい海に比叡は沈んでいった。そして家族とも会えず……いや、会うべきではなかったのかもしれないが、それは誤魔化しに過ぎない。
死してなお彼女は祀り上げられている。俺はそれが身もよだつほどに恐ろしかった。自らが神になろうとした結果ならばともかく、生きた人間が物言わぬ死者を好き勝手に装飾することへの生理的な拒否感が、胸の内に確かにあった。
民衆の手によって神になれるのならば、悪魔にだって貶められる。全ては印象操作一つでがらりと変わる。
比叡のことを想うたびに胸が痛むのに、もうあいつのことなど忘れたいと思ったことがないのは不思議なことだった。それこそ責任の為せる所業なのかもしれない。あいつを忘れて俺だけ楽しく生きようなんてのは、虫の良すぎる話だ。
胸を張って生きていきたかった。
胸を張って生きていきたいのだ、俺は。
こうやって生きていくのだと。こいつと生きていくのだと。そう、比叡にきちんと言えて初めて、責任を果たせたことになる。まだ道の途中でしかない。
一人の夜道は暗い考えに囚われる。漣が隣にいればどれだけ安らぐだろう。あの、少女特有の落ち着きのなさが、落ち着くのには必要だった。
龍驤との話し合いは一通り済み、けれど予想できない部分も多い。策ではなく賭け。いくら小細工を弄しても、最終的には運を天に任せることとなる。龍驤が賛成してくれたのにはほっと胸をなでおろした。
恐らく龍驤もいまが、これこそが、千載一遇の好機と読んでいるのだ。トラックに蔓延する澱んだ空気を吹き流す南風だと。
そうでもしなければ、いずれ赤城は死ぬ。そうすれば他の艦娘たちも、一人、また一人と消息を絶つに違いない。確信めいた予感はあった。
トラックの夜は、今日に限って少し肌寒かった。気温が、というよりは、風が冷たい。強く吹き付けるわけでもないのに骨身に沁みる。
「……」
そんな夜更けに、少女が一人、俺の目の前に立っていた。
「司令、お話があります」
雪風。
俺は何かを言おうとして、結局口を噤んだ。驚きはない。予想はしていた。こいつは決して龍驤に刃向おうとはしないから――圧倒的な力量差を知っているから、それくらいには賢しいから。
だから俺へと狙いを定めるのだ。
用件はただ一つ。
「響を前線に連れていかないでください」
月夜を反射する何かが、後ろ手に握られているようだった。ナイフ。また物騒なものを持ち出してきたものだ。
無理やりにでも俺の首を縦に振らせようと、そういうことだろう。
笑ってしまいそうだった。雪風を軽んじているがための笑いではない。あぁ、こいつはやはり子供で、どこまでも幼くて……その精一杯を見て、微笑まずにいられるものか。
俺なんかはもう大人になってしまったから、雪風や響や、もしかしたら漣も該当するような、よい意味での盲信を失っている。視野や世界が狭いことは一般には悪しざまに言われがちだが、だからこそ振り絞れる力もあるのだと、こいつらを見て思う。
年齢を重ねるごとに人間は賢しくなり、そして自らの全能感や万能感を失う。自分の正しさを信じきれなくなる。
雪風にはまだそれが残っていた。だから、刃物を持ち出してまで、響を前線から遠ざけようとする。目的のために手段を正当化して、それこそが唯一無二の正しい行いだと信じているから。
「へっ」
……上から目線で、なにをわかったふうなことを考えるのだ、俺よ。
別にニヒルに酔っているわけではない。少なくとも、そのつもりではあった。
ただ、子供を導くのは大人の役目だと、昔から相場が決まっている。
暴力に暴力で返すつもりはなかった。雪風の暴力に屈するつもりも、またなかった。
響も信じている。強くなって誰かを助けることによって、助かり続けてきた自分の過去を清算し、未来を見据えて歩けるようになるのだと。
俺は俺がため、響もまた幸せにせねばならない。
「雪風」
その名を呼んだのは俺ではなかった。風上から、足音を立てずに、気配さえ殺して、ゆっくりと人影が現れる。
「もうやめましょう。やめてください」
神通だった。悔悟の表情を張り付けて、敗北を悟ったかのようで。
「響の好きにさせましょう。私たちの出る幕はどこにもありません」
「そ、そんな、神通さんまでっ!」
雪風がナイフを取り落とした。神通の登場と発言はあまりにも雪風にとって衝撃的だったようだ。
「なんでですかっ!? なんでいきなりそんなことを!? 龍驤さんに説得されましたか、それともその男に絆されましたか!
だって神通さん、あなた言ったじゃないですか! 言ったんですよ! あなたが言ったんです、自分から! 『もう誰も死なせやしない』って! 嬉しかった! 志を同じくする仲間だと思った! だから雪風は、ずっとあなたと一緒に、それなのに!」
神通に縋りついて雪風は叫んだ。まるで見捨てないでと泣いているかのようだった。
とはいえ、忘我は俺をも襲っていた。神通がここにいるのはこの際置いておくとして、なぜ今更俺の味方を? 長く連れ添った少女を傷つけてまで。
「雪風、もういいんです。私が間違っていたんです。『誰も死なせやしない』という旗印を降ろしたつもりは毛頭ありませんが……」
「じゃあなんで、どうしていきなりそんな意地悪を言うんですかっ!」
「強ければ死なない。私は、私がみなを鍛えれば、強くすれば、戦いで生き残れるように育て上げれば、それでよいと思っていました。そうすれば誰一人欠けることなく日々を過ごせると」
「その通りじゃないですか! 強ければ死なない、間違ってないです、だって雪風はほら! いまちゃんと生きてる!」
「ならなぜ!」
冷えた風を切り裂いていく、神通の怒声にも似た叫び。
怒りの矛先は雪風ではなく、当然俺でもなく。
前にも一度似たような状況に遭遇したような気がする。
「響は戦場に赴こうとするのでしょうか! 赤城さんは命を削ってまで敵の殲滅を目論むのでしょうか!
……強さには、限りがありません。そして、頑健な肉体、強靭な精神、豊富な経験、それらを求めて戦いの場に人が向かうというのなら、『強さ』こそが人を殺し得る刃なのです。
雪風、私はあなたに謝らなければなりません。響にも、です。私は、刃を研ぐことばかりを教えて、鞘にしまうことは一切教えなかった。いえ、鞘の作り方すら、教えていない」
強ければ死なない。強ければ誰かを護ることができる。雪風の言葉は正論だ。常に正しい強者の論理。
しかし響は、そういった強さを得るために、命の危険を冒そうとしている。
そういった強さから、雪風は響を護ろうとしている。
ブリーフィング時に58は言っていた。「本当は、もっと最初になんとかしなくちゃいけないことだった」と。
神通、彼女もそうなのだ。もっと、ずっと前にそうすべきであったことが、負債となって重く圧し掛かっている。
58も含めて彼女たちを愚かだと評するつもりは無論まったくない。泊地が襲撃され、大半が死に、絶望の中で最適解を求め続けられるのはナンセンスが過ぎる。そもそも俺自身が過去の最適解に苦しんでいるというのに。
「いまさら、いまさらそんなことを言わないでください! 言われてもっ!」
どうすればいいのだ、と無言で叫んでいる。
「……申し訳ありません。私も、最近、ようやく目が覚めたんです」
「うぅうううぅっ……」
ついに雪風はその場から走り出した。最早どうすればいいのかわからなくなっているのだ。よろめきながら、道の向こうへと消えていく。
「雪風ッ!」
駆け出そうとして踏みとどまる。夜道は危険だ。だが、それで俺があいつに追いついて、どうすればいい? なんて声をかければいい?
わかった、響を前線に連れ出さないとでも言うか? 生き方を変えようと諭すか? 神通ともう一度話し合ったらどうだと大人の対応をしてみるか?
それがあいつのためなのか?
「……」
振り向いた。神通は依然そこにいて、微動だにしていない。
今すぐにでも舌を噛み切って死ににいきそうなほど、その表情は虚ろ。
「神通、どうして」
同じ言葉で、同じ意味を、目の前の少女へと問いかける。
あれほどに凛として背筋の通っていたその姿は、いまや迷子になった子供のように頼りなかった。
……あぁ。いや、そうか。
違うのだ。
今の神通が弱弱しく見えるのではなく、真っ直ぐに力強く立っていた彼女が本当の姿なのではなく。
単純なことに気が付かなかった。思いを馳せることができなかった。
だとしたら、俺も、俺だけじゃなく、龍驤や鳳翔さんや夕張や……泊地の全員が、神通を苦しめていたことになる。
「遠征」
「遠征?」
「はい、遠征です。響が、漣さんと、出ていましたよね。それを決めたのは提督であるとお聞きしました」
「……そうだが」
話の着地点が見えない。
「遠征でも、経験になります。戦うよりは少ないかもしれませんが、ずっと安全で、効率も決して悪くない。違いますか」
「違わないな」
「ですよね。……恥ずかしながら、私の頭には、それすらもなかったのです。
強くせねば、強くせねばと焦っていました。多少スパルタになったとしても、前線へ連れまわし、トレーニングを積むべきだと。そうしなければ深海棲艦の餌になると」
先ほど雪風が叫んだように、そのやり方そのものが間違っているとは思わなかった。
しかし神通の口調は違う。間違っていたのだと、そう言外に伝えてくる。
「近視眼的でした。何も見えていなかった。あの子たちの幸せを願って、生きていればいつかいいこともあるだろうと、そのためには辛いことを乗り越える実践的な力をと思って、稽古をつけてきました。
ですが気づけば二人の仲は劣悪です。きっとそれは私のせいなのです」
顔に陰り。なにかを言わなければ、風と共に溶けてなくなってしまいそうな。
「……結局、私も、父親の真似をしていたんだと気付いてしまって……その途端、自分があまりにも愚かな人間に見えてしまって……」
父親。
神通の実家は武道の道場だと言っていたのは誰だったか。
酒を呑んだ次の日の朝、神通は俺の脚を枕にして、なんと寝言を呟いていたか。
「親父さんが嫌いなのか」
「……頑固で、融通の利かない、時代錯誤の堅物です。女は家を守れ、大学になんか行かなくていい、そんなことを平気で言う人でした。あの人は、『厳しいことを言うのも全てお前のためだ』と教育をしてきましたが、それがあの人の価値観を私に押し付けているだけなのは、すぐにわかりました」
だから、艦娘の適性があると知ったとき、家を出られると喜んだのです。訥々と神通は語る。
「あぁ、ですが、血には抗えません。親の薫陶の賜物です。私はすっかり、自分が嫌いだったはずの父親と、同じような押し付けがましさを発揮して……」
両手で顔を覆った。彼女の目の前にはいま絶望の仄暗い沼が広がっていて、それから必死で眼を背けているのだと思った。
「私は、あの二人の幸せを願っていたはずなのに、そのはずだったのに……!」
なんで。
湧き上がってきたのは、世の中の理不尽に対する疑問と、伴う猛烈な怒りだった。
誰も間違えていない。誰もが誠実で、誰かのことを考えている。
強くなければ戦場で生き残れないという雪風の言葉は絶対的に正しいし、かと言って強さを求め続けた結果が雪風と響の不仲で、それを放置してきた神通の後悔も有り余るほどに理解できる。
おかしい。どうしてこうなってしまうんだ。
神通たちの悲しむ理由なんて、どこにもありはしないのに、現実問題三人はどうしようもない袋小路にはまり込んでしまっている。
それが人生ってもんさ。煙草の紫煙とともに吐き出そうものなら、それこそニヒルの病に罹っているといってもいい。
「お前の努力を無駄にはしない。させるもんかよ」
行動、想い、全てが間違いであるかのように彼女は言うが、そんなことはない。「誰も死なせやしない」と誓った志、それには確かに意味が、価値があったのだと、証明してみせる。
「神通、お前はもしかしたら、見落とした部分があったのかもしれねぇ。だけど、お前のおかげで、二人は助かる。幸せになるんだ。お前のやってきたことは、褒め称えられるべき行為だったんだ」
「……ふふ、ありがとうございます」
お辞儀をして、
「……そうなら、よかったんですけど」
走り去っていった。
……付け焼刃の言葉では、流石に届かない、か。
自分を信じられない人間が他人を信じられるはずもない。言葉が無力だとは思わないが、もし本当に神通の眼を覚まさせたいなら、現実を目の前に突き付けてやるしかないのだろう。
俺にできるのか?
できるしかない。やるのだ。
お前みたいな人間に? 本当に?
失敗すれば、あいつらは、ずっとあのままになってしまう。
別にいいだろう。所詮は他人なんだから。
架空の声が俺を苛む。
頭の痛みが、気持ちの悪さが、ぶり返してきた。
道中出会ったのが雪風と神通でよかった。最悪の邂逅を果たしていたら、俺はどうなっていたかわからない。発狂してしまっていたかもしれない。
脂汗が滲む。脚が縺れる。
すれ違う通行者が、必ず俺を見てひそひそ言った。
やっとのことで自宅まで辿り着く。漣の部屋はまだ明るかった。待っていると言っていたが、本当に待っていてくれるとは、思いもしなかった。
あぁ、だが、すまん。心の中で謝罪する。この状態で、漣、お前とまともに話すことは不可能だ。お前に何を吐き散らしてしまうかわかったものじゃない。
「……」
心臓が跳ねた。
俺の部屋の扉の前に、人がいる。
「……どうして」
どうしてお前がここにいるんだ。
まさか、俺の心を読んで、咎めに来たのか。
大井。
北上が見つからなくてよかったと思った俺を、罵倒しに来たのか?
――――――――――――――――――――――
ここまで。
年少組は子供ゆえの愚かさを強調して、誇張して、書いている部分はあります。勿論漣も。
そしてそれらと全く無関係に、誰もが立ち向かわなければならない何かがある。
皆さんで彼らを応援してやってください。
待て、次回。
逃げ出したい。いますぐ踵を返して、どこかへ隠れることができたなら、きっと迷わずそうしただろう。どこへだってよかった。雨風が凌げるかどうかさえ問うつもりはない。
実際には、俺の脚は楔で打たれたかのように大井の前に固定されている。磔刑に処された聖人もかくやと言わんばかりだ。
「随分と遅かったのね」
大井が言った。心配するかのような口調だった。俺を責めるようなそれではなく。
あぁ、当たり前の話なのだ。他人の心を読むことなんてできない。
そんなことにさえ、たったいま合点がいくこの俺の混迷具合ときたら!
とても素晴らしいことだと思った。知らぬが吉とは古人もいいことを言うじゃないか。俺の悍ましい考えなど大井は知る由もないし、金輪際知ることもない。それでいいのだ。誰も傷つかず、平和裏に全てが済む方法があるのだとすれば、それしかない。
自らの後ろ暗さを全て曝け出すことが、即ち絶対的に肯定されることであるとは思わなかったから。
「……?」
大井はこちらを覗き込んでくる。十センチと少し低い身長差を背伸びで埋めて、真っ直ぐ向こうに綺麗な瞳があった。
「どうしたの? 何かあった?」
って、ないわけないでしょうけれど。いつも通りの澄ました微笑。
あ、だめだ、これは。
愕然と理解が襲う。俺は知ってしまった。この少女の、苛烈さと苛烈さの隙間に、溺れることを逃れられない。
大井のやけに眩しい微笑みが、俺の心の薄汚い部分に差し込まれていく。決して見せまいと、隠し通そうとしてきた汚泥が、ごぼりごぼりと音を立てて沸騰していくのがわかる。
謝らなければならなかった。そして一度ならず二度三度、殴打して罵倒してもらわなければならなかった。それさえも全て自分のためで、この罪の重さから逃げたいがための行為でしかなくて。
それでも俺は楽になりたかった。
こんな罪悪感を抱えたまま、大井と作戦行動に参加することは、到底不可能だった。
「大井、すまない」
細い手首を引っ掴んで部屋の中へと引きずり込む。頭の中はぐちゃぐちゃだ。俺のため、大井のため、言うべきだ、言ってはならぬ、まとまりのない思考の嵐が吹き荒れている。
「え、ちょっ、なに、やめ、やめて!」
当然の反応。大井は俺を突き飛ばし、よろめく。俺は大井の華奢な細腕の、大してない腕力でさえ、前後不覚になって……俺は部屋の床へと転んだ。
「あ、え? ……なに、どうしたのよ。本当に大丈夫?」
「大井」
言葉が止まらない。
「俺はお前を裏切った。お前の信頼に背いてしまった。
……新型が北上でなくてよかったと、そう思ってしまった……!」
「は? ちょっと、何を言っているの?」
大井と龍驤、二人の口からブリーフィング中に聞かされた言葉、「新型は北上ではない」。それを受けてまず俺の中に去来したのは、何よりも喜びだった。北上でなくてよかった。俺は確かにあのときそう思ったのだ。
信じてもらえないことを承知で言うが、俺自身、そんな考えが浮かんだことに驚愕した。何を言っているのだろう、どうしてそんなことを。次いでやってきたのは狼狽だ。
その理由を紐解いていって、答えらしきものにたどり着くまで、そう時間はかからなかった。
「……どうやら俺は、あんなやつらに言われたことを、真に受けているようなんだ」
嘗て、俺が英雄から戦犯へと転げ落ちたとき。
やつらは言った。何も知らない群衆は俺に石や卵やペットボトルを投げつけながら、調和の破壊者めと。深海棲艦とコミュニケーションがとれたかもしれないのにと。友好的アプローチをなぜ模索しなかったのだと。
馬鹿言ってんじゃねぇ。そう叫び返した気がする。
そんなことは認められなかった。あいつらは所詮他人事だと思っていて、現場も知らず、思いつきを口にするばかりなのだ。だから簡単に難題を提示する。拒否すれば二言目には「努力が足りないんじゃないか?」などと。
深海棲艦、あんな存在が知的生命体なはずはなかった。コミュニケーションをとれるわけがなかった。だから、殲滅するしかない。戦った比叡は決して間違っていないし、……彼女を送り出した俺も、間違ってはいない。
間違ってはいないのだ。
間違っていないはずなのだ。
……本当に?
深海棲艦に意志はない。あるとしてもそれはあくまで生存本能であって、蟻や蜂がコロニーをつくるのとなんら違いはない。蟻や蜂を駆除して心が痛むか? なぜ殺したのだと文句を言われるか?
「それでも、不安だったらしい。恐れていたらしい。立ち止まって考えるのは初めてだった。深海棲艦が、知的生命体なんじゃないか、なんて……考えたことはなかった。大井、お前はあるか?」
「……ないわ。ない。だって」
そんなことを考えたら撃鉄を起こせないでしょう。引金を引けないじゃない。
大井の答えは明瞭。ゆえに想定内。
俺と同じ。
「もし報告にあった新型が北上だったなら、でなくとも、知的生命体だったなら……そんなことはあっちゃならねぇことだ。だから俺は願った。願っていたことに、今日、ようやく気づいたんだ」
お前の助力を得ながら。信頼を得ながら。
お前はあんなにも北上の生存を熱望していたというのに。
その実俺は、北上が生きていないことを、希望していた。
大井、お前が虚弱な体に鞭を打って、障害のある心臓を酷使して、新型との戦線に加わるために――実妹である僅かな望みに賭けたその決意を。努力を。意志を。俺は知っていたのに。
応援してさえいたのに。
心の中では、頑張りが全て無に帰すことを、願っていた。
それが裏切りでなくてなんだ。背信でなくてなんだ。
善悪の定義については興味がなかった。しかし、他人を利用し、益だけを貪ろうとする行為が、善として罷り通るとは思えなかった。
俺を利用しようとした軍の上層部と、俺は同じことをしてるじゃあないか。
いまなら神通の気持ちが痛いほどによくわかる。自らがこうはなるまいと嫌悪していた存在と、知らず知らずのうちに近しくなり……それどころかそのものに変質してしまったとしたら、嫌悪の感情は自らへと向く。
もう死んでしまいたかった。塵一つ残さず消えてなくなりたかった。自分がこんな人間だとは知りたくなかった。
「すまん、大井。本当に、すまない」
もうトラックにはいられまい。決戦を前にして抜けることはさすがに無理だとしても、ひと段落ついたら姿を消す心づもりだ。でなければいつ、また誰かに不義を働くか、わかったものではないから。
比叡はやはり、俺の犠牲になったのだ。
俺は自分が生き残る確率を少しでも上げるために、あいつを持ち上げたにすぎないのだ。
気づきたくなかった事実は重く、頭を大きく揺さぶった。
知らなければ幸せに、とはいかないまでも、自身の善良さに疑いの目を向けることもなかっただろうに。
涙は出ない。俺が俺を悲しんでどうするのだ。加害者と被害者の垣根を飛び越えることが許されるわけがない。
いくらでも拳を振るってくれて構わなかった。どれだけの悪辣な罵倒でさえ今の俺には生ぬるい。いや、懲罰そのものが、俺が自らを楽にさせる行為なのだとすれば、無言の非難の視線こそが最も効果的な責め苦かもしれない。
「……」
無言が暗闇を支配する。あちらの動きは感じられない。
それからどれだけの時間が流れただろうか。五分? 十分? あるいは、まだ数秒しか経っていないのか?
「……馬鹿ね」
端的な言葉。それは事実だった。
「本当に、馬鹿なんだから」
郷愁を感じた。声が震えている。大井が? なぜ? どうして?
なんでお前が泣いているんだ?
「立ちなさいっ! 前を向きなさいっ!」
軍隊式の発声方法で大井は俺の名前を叫んだ。隣の部屋で漣が、驚きのためだろうか、がたんと転げた音が聞こえた。
「立てと言っているでしょうっ!」
その言葉でようやく体が動く。染み付いた動き。踵をあわせ、爪先を三十度に開き、芯を入れたように背筋を真っ直ぐぴんと張る。
初めて大井と目があった。頬に二筋、涙の零れた跡がわかる。
しかし表情は笑っていた。俺を馬鹿にしている笑いだった。それでいて、困ったような顔でもあった。
「北上さんだったらだったで、それでいいじゃない。生きていた、よかったでいいじゃない。
違ったら違ったで、それでいいじゃない。仲間と殺し合いにならなくて済んだことを素直に喜べばいいじゃない」
勿論、そりゃあ、生きていてほしかったけれど。大井はぽつりと呟く。
「生きるのが下手なんだから。あなたは、ずっと前から、本当に……損な役回りばかりを背負って、自分に責任の所在があるんだと思い込んで」
「……大井?」
言っていることの意味が、ちっとも理解できない。
俺はお前とあったことがあったか? ……いや、そんなはずはない。こんな顔に見覚えはない。
大井は一歩踏み込んできた。それだけで、手の届く距離になる。
彼女の右手が俺の左の頬に触れた。冷たく、ほっそりとした指先だった。
「でも、そんなあなただから。不器用で、要領がいいわけでもなくて……天才でもなんでもない、どこまでも平凡なあなただから、私は」
頬に触れた手がゆっくりと下がり、肩へ、そして脇腹へとたどり着く。
もう片方の腕もするり、伸ばされ……大井はそこで、さらに一歩、詰めた。
必然、俺へと抱きつく形になる。
柔らかい感触と、甘い匂いと、仄かな暖かさ。
何より、優しい声。
「私は、あなたに憧れたのよ。あなたのおかげなの。あなたがいたから私は、決して腐ることなく、今もこうして艦娘をやれているの」
「……どこかで、会ったか?」
尋ねるが、どこまで記憶を遡っても、大井との接点は見当たらない。
そんなわけないでしょうと大井が首を横に振った。そうして余計に腑に落ちない。一体、なら、どこで俺を。
とそこまで考えて、はっとした。その可能性は十分にあった。
「テレビで、俺を」
英雄として祀り上げられていたころ、俺の姿がテレビに映し出されないときはなかった。名前も、生い立ちも、家族構成も、全て包み隠さずに報道されたはずだ。
大井は幼少期から病院に通っていた。暇な時間を潰すのは、本か、携帯ゲーム機か、でなければテレビと相場が決まっている。
「私は妹がいたから生きてこれたわ。『また明日』。その約束を何としてでも守るために、必死だった。新薬の投与はなるべく受けたし、そのためなら艦娘にだってなってやろうと思った。
結果的に容態は安定したわ。自分の脚で風を切る喜び、水を手のひらで掬う気持ちよさ、芝生の上で寝転ぶ爽快感、あなたは知っているかしら。あれほど世界が輝いて見えたことは、一度もなかった」
大井はさらに腕に力をこめてきた。密着度があがる。俺は手の置き場所に困るばかり。
「だけど、人間、欲が出てくるものよね。恢復にも健康体にも程遠い私だったけれど、艦娘になったからには、みんなの役に立ちたかったのよ。家族の住む国を護りたかった。それって変なことじゃあないでしょう?
でも駄目だったわ。艦娘に適性があるってことと、ちゃんと動けるってことはイコールじゃない。見たでしょ、転んでばかりの私の醜態を。訓練校にいたころも酷くて、怒られてばかりで、授業をサボるなんてことはしょっちゅうだった。
……そのたびに、みんなに捜索されて、連れて帰られたけど」
その話を、俺は嘗て、どこかで。
……比叡から、聞いたことがあった、気がした。
「艦娘に選ばれたことが、即ち特別の証じゃないってことに気付いたのはいつだったかしら。子供のちっぽけなプライドはずたぼろで、自分があまりにも矮小な人間で、いやになって、こんな自分にできることなんて一つもないと思って。
……そして、あなたを見たの。テレビの中のあなたを」
「……」
幼少の彼女の目に、俺は一体どのように映っていたのだろうか。上官の遺志を継いで深海棲艦を打ち倒した英雄、その凱旋。見せかけの輝きも区別がつかなかったに違いない。
「凄い人だけど、特別な人じゃなかった、って言っていたわ。いまなら理由がわかる。特別な人間が特別なことをするよりも、一般人が特別なことをするほうが、より功績が強調されるから、なんでしょうね。
そして幼い日の私は純粋で――まぁ今もなんだけれど――その策略にあっさりと引っかかってしまった。嵌ってしまったの」
つまり、ね。大井はいたずらめいて、また笑う。
こいつの笑みは不思議だった。常に笑っているように見えるのに、同じ笑いには見えないのだ。
「こんな普通の人でも英雄になれるのだから、私だってきっといつか、誰かの役に立てるに違いないと、思ったのよ」
誰かの役に。
俺のように。
「それを杖にして、私はここまでやってきた」
津波のような「なにか」がやってくる気配があった。音が聞こえる。震動を感じる。さきほどとは異なる理由で、これはだめだ、と思った。
自分が自分でなくなってしまう。
抗いがたい未知への恐怖。
それほどまでに強い喜びの感情を覚えたことはなかったから。
俺は誰かの役に立ちたかった。誰かを幸せにしたかった。生きている理由が欲しかった。誰かから生きていてもいいのだと承認を得たかった。
そしてその全ては目の前にいるこいつが持っていた。
とっくの昔に俺は為し得ていたのだ。ただそれに気づかず、ただそれを知らず、ゆえに路頭に迷っていただけだった。
知らないほうがいいこともある、なんて言ったのはどこのどいつだ!
俺の行動は、決して無駄ではなかった。
その認識が浸透するには、ほんの少しばかり、感動が邪魔をして時間がかかった。
多幸感は三半規管さえも犯す。またも前後不覚を覚えて、今度は大井ごと、俺は床へと倒れる。咄嗟に大井を抱きしめてしまい、華奢な体はすっぽりと収まる。
心臓が早鐘を打っていた。俺のものなのか、大井のものなのか、まるで判断がつかない。相手のせいにするのはあまりにも容易く、どうやら大井はその選択肢を採ったようで、こちらに非難の視線を向けている。
「……それからあなたのことを調べたわ。英雄から堕してなお、ね。情報にフィルターがかからなくなって、ようやく真実らしい情報にも、手が出せるようになった。
辛かったでしょうね、なんて月並みな言葉は言わないわよ。心情は察するに余りあるけれど。
……提督」
俺の両肩に手をついて、大井は自分の上半身を持ち上げた。
「私はあなたを信じるわ。たとえ世界の他の全員があなたを嘘つきだと指をさしても、私はあなたを信じる。
だからあなたも私を信じて頂戴。私はあなたの期待を、裏切るつもりはない」
「……あぁ」
それだけを言うのが精一杯だった。
精神的にも、肉体的にも、疲労困憊。柔らかい大井の肌を指先に感じながら、俺の意識はゆっくりと暗闇へ埋没していった。
* * *
とても心地よい夢を見ていた気がする。
床にはカーペットが敷いてあるが、それでもまだ硬い。関節の痛みを覚えつつも、俺は状態を起こした。
「あぐっ!」
「っつぅ!」
俺の額がなにかに当たった。眼を開けてみれば、大井が口元を抑えながら、こちらを睨みつけている。
カーテン越しの窓からは朝の陽ざし。どうやら床で寝てしまっていたようだが、妙に頭の下だけが柔らかいのが謎だ。
「……なによ」
大井の脚だった。俗に言うひざまくらというやつを、俺はされているようだった。
「あ、その、……すまん!」
ひざまくらもそうだし、昨日の醜態もそうだ。大井は恐らく一晩付き添っていてくれたようなので、それについても。
関節の痛みなどなんのその、恥ずかしさと申し訳なさが勝って、俺は跳び起きた。大井も少し遅れて、脚の痺れを誤魔化しつつ、立ち上がる。
「……大丈夫?」
問われた。真っ直ぐに返すのは戸惑いも大きいが、しかし、それが筋だろう。
「あぁ、もう大丈夫だ。ありがとう」
「……別に。
今日のブリーフィングは正午からよ。遅れないようにすることね」
さっと大井は踵を返す。すっかり皺のついた濃緑の制服がひらりと舞う。
「これから、よろしく」
「……こちらこそ」
ぱたん。ゆっくりと扉が閉まって、俺は部屋に一人になった。
だが、どうしたことだろう。まるで一人であるような気がしないのだ。心強いなにかが、力強いなにかが、炎となって体の中心に存在しているように思えた。
「御主人様ッ!」
打って変わって大きな音をあげ、漣が扉を叩きつけて飛び込んでくる。
「昨日はなんだったんですかどうしたんですか、大井さんの声が聞こえてきてご主人様の声もわっ! って感じで、一体何があったんですか!? なんで二人は一晩を共にしているんですかっ!?」
漣は昨晩待っていたんですよ、と俺の腰をべちんべちんと叩いてくる。それに関しては非常に申し訳なく、弁論のしようもないのだが、もし間に合うようならば今すぐにでも聞かせて欲しい。
「もういいです! どうせブリーフィングまでそんなに時間はないですか! ぷんすこ!」
擬音を口で表現する滑稽さは残ってはいるが、どうやら漣は本当に怒っているようだった。
「ん? あれ?」
漣が俺の顔をじっと見る。
「どうした」
「なんかついてます。おデコんとこ」
「え? あぁ……」
指で擦ると、薄桃色の塗料のようなものが付着した。きっと大井がつけていたリップグロスか何かだろう。
「あ、まだついてますよ」
「そうか?」
額をこするが、鏡がないので場所がいまいちわからない。
「あ、そっちじゃなくて」
漣は俺の顔を指さして、
「こっちです、唇」
―――――――――――――――
ここまで。
ひとまず大井ルートでしたとさ。まぁ攻略というか、とっくのとうに攻略済みというか。
もうちょっと可愛く書けたんじゃないかって後悔もあるし、でも満足感もあるし。
あ、物語はぜんぜん続きます。あと十回ぶんくらいかな? 予定は未定ですが。
もう少々おつきあいくださいませ。
待て、次回。
「ねぇねぇ、なにがあったんですか? ねぇったらー」
泊地へと向かう俺の袖を先ほどから漣が引っ張り続けている。話題は変わらずに、昨晩俺と大井の間になにがあったのか。
しつこいな、と声を荒げることは簡単だった。しかしそれでは漣に義理が立たない。折角得たであろう信頼を、こんなこと――というには聊か軽んじすぎてはいるが、ともかく大井とのやりとりで失うわけにはいかなかった。
とはいえ、包み隠さず話したとして、それが信頼の失墜につながる可能性も少なくはない。
その塩梅が最も難しい。
第一、どこから話せばいいのかも曖昧だった。俺が遅くなった原因は龍驤との話し合いだし、そこに雪風と神通の一件が輪をかけている。大井とのやりとりを話すには、俺の過去に触れるのだ。
ナイーヴな部分を曝け出したくない、という気持ちは俺にだってあった。仮初の英雄「鬼殺し」と評されたあの過去が、たとえ大井によい影響を与えたのであったとしても、やはり手放しでは喜べない。そこまで単純にはなれない。
「そんなに気になるのか」
「んー、誤解されちゃ困るんですけど、隠し事を暴きたいってわけじゃないんです。喋りたくないなら喋りたくない、でいいと漣は思うわけです。そしたら漣だって尋ねたりはしませんよ?
ただ、ご主人様の感じ、すっごい疾しさがあるっぽいんですよねー。後ろめたさ? とにかく、そーゆーの」
鋭い指摘だ。本当にプライベートな問題なら、そう言えばいい。そうすれば漣も訴追はしてきまい。
きっと俺は初動を間違えてしまったのだ。堂々としていればいいのに、それができなかった。大井との一件があったのだから仕方がないと今ならば開き直れるが、少しタイミングが遅い。
「……大井は俺のことを知っていたみたいでな」
「……? だって、そりゃそうでしょ? 最初に会ったときに『鬼殺し』だって」
「それで、なんというか、あんまり自分で言うのも恥ずかしいんだが……俺のファンだったらしい」
「嘘乙」
「だよなぁ?」
即答に対して素直な感想だ。逆の立場だったら、きっと俺も「はいはいそうだな」と返していただろう。
昨晩のことを思い出せば自然と恥ずかしくなってしまう。大井は俺のことを知っていた。それは、俺が「鬼殺し」であるという事実以上についての理解であり、その上で俺のことを肯定してくれたのだ。
そして俺もまた大井に対しての一定の理解を得た。お互いの弱みを曝け出した、とまではいかないが、彼女が俺を信頼すると言ってくれたように、俺もまた彼女のことを掛け値なしに信頼できると思う。
俺は決して特別な存在ではなかった。それでも為し得たことには、きっと特別ならざるがゆえの価値があるのだろう。
「特別、ねぇ」
そうである人物と、そうでない人物、二人を隔てる事柄が浅学な俺にわかろうはずもない。結局はどの方向から見るか、なんじゃないかとも。
「して、なぜに大井さんはご主人様のファンに?」
「俺ははねっかえりだからな」
「わかります」
わかられて堪るか。
「大井も皮肉屋で、どうにも気が合うらしい」
「漣は? 漣とは?」
「合う合う。頼んだぜ、相棒」
「えへへへへー」
屈託なく漣は笑った。ぴょんぴょん跳んで、俺の少し先を歩く。
「ヒーローになりたかったんだっけか」
「え?」
「お前はさ。ヒーローになりたかったって言っていたろう。あの夜」
「あぁ……そうですね。なりたかったですよ」
「今は?」
それはかねてからずっと引っかかっていたことだった。
弱者を見捨てず、手を伸ばせ。敷衍すれば「助けようとし続けろ」。漣は俺にそう言って、自らも可能な限り手伝うからと言ったが、しかし、ならば、それを自らに適用しないのはダブルスタンダードではないのか。
ヒーローになりたかった。今は?
もしそんな自分を過去に置き去りにしてきてしまったのだとしたら、漣は、そんな自分をこそ見捨てずに手を伸ばさなければならない。
あるいは、見捨てずに手を伸ばさなければならなかったのではないか。
後悔が漣のその言葉の源となった可能性は十分にあったが、迂遠な話の持っていきかたは不得手だ。こいつ相手ならば直球に尋ねたほうがいい。
「今は? 今は……うーん、サポート役ですかねぇ。これは、ほら、ギャルゲーの世界ですから。主人公はご主人様で、漣は……悪友そのいち、みたいなもんです。お助けキャラっていうか」
「主人公ってガラじゃねぇやな」
「ですか?」
「だよ。
なら漣、どんなやつなら主人公に向いてるのか教えてくれよ」
軽口を叩きながら泊地を目指す。あと五分も歩けばつくだろう。
漣は顎に指を当てて、少し考えているふうを見せた。
その指を俺に向け、
「まず両親が海外出張してます」
「いきなりハードルたけぇなぁ、おい」
「んでんで、留守を任された幼馴染が起こしに来てくれるんです」
二分の二、当てはまらない。
どうやら俺はやはり主人公の器ではないようだった。
「高校は坂の上にあって、桜並木が少しだけ有名で、変な部活に無理やり所属させられて、そのせいで生徒会長からも目をつけられるんです。で、都市伝説的なおまじないがちょろっとだけ流行ってるから、真偽を確かめるべく活動していくうちに不思議な事件に巻き込まれて……」
「空から女の子が降ってくる?」
「あははっ、それもありですね」
漣はくるくると回った。花びらの舞う中を踊るようにも見えたし、寧ろ彼女自身が桜の花びらのようにも見えた。
「漣」
「なんですか、っとっと」
制動があまく、少しよろめいた。俺は手を取って立たせてやる。
「ありがとうございます。
……なんですか?」
頬をむにむにと摘まむ俺と、怪訝そうな顔でこちらを見てくる漣。
「あんまりそんな顔すんな」
「どんな顔ですか?」
「辛そうな顔だよ」
女の涙は苦手だった。苦手だというのに、この島に来てから、やたらとそんな場面にばかり出くわすものだから……俺だって機微には多少なりとも敏くなる。
殆どごまかしのようなものだ。こいつの頬を触って何がどうなるというわけでもない。
ってか、こいつの頬、めちゃくちゃ柔らかいな。何を喰ったらこうなるんだ。
「……心配かけて、ごめんなさい」
「別に、たいしたことじゃねぇよ。子供が大人に心配をかけるのは当たり前だ」
「本当は、漣もちゃんとお話ししたいと思ってるんですけど」
「焦んな。気が向いた時でいい」
「でも」
顔を真っ直ぐに見据えてくる漣。
「ご主人様はいなくなっちゃうんでしょ?」
「……」
もしかしたらこいつはついてくる気なのかもしれないな、と思った。
それが自惚れであればよかった。こんな敵の多い人間に連れ添った先に、幸せなんて待っているはずがない。
「ほれ、着くぞ」
泊地が見えてきた。
「うん」
俺の人差し指を控えめに握りしめながら、漣は俺の隣で洟を啜る。
* * *
昨日と同じ一室には、昨日と同じ数の椅子が並んでいて、昨日と同じ面子が腰かけている。
即ち、赤城はいない。
龍驤と58は最早その件について深く考えるのをやめたようだった。空席を一瞥し、嘆息。58が「必ず来るようにとは言ったんだけどね」と弁明めいたことを言うも、それで赤城がやってくるとは誰も思っていなかっただろう。
それよりも周囲の関心はおおよそ二人に集まっていた。雪風と神通。どちらも佇まいこそしっかりとしているが、その厳格さの中には過度な排他性を有している。
会話もない。そもそも瞬きをしているのか、息をしているのかさえ、瞬時には定かにはならなかった。
龍驤と目が合う。何かがあったんだな、と睨みつけるように問われた。俺は沈黙で以て雄弁に返す。
龍驤がどこまで二人のことを――そして雪風と神通それぞれのことを知っているか、俺は知らない。だがなんとなくの想像はつく。きっと個々人の領域に踏み込むような真似はしなかったに違いない。
やはり龍驤は決定的に間違ってしまったのだと思う。58も同じで、本当ならば見捨ててはいけないはずの事柄を、不干渉に澄ませてしまった。勿論それはいまだから言えることで、その時その時では、二人の対応は決して間違ってはいなかったのだろう。
あとから来た俺がとやかく言うのは万事に失礼だった。先人には敬意を持ってあたるべきだ。そしてその示し方は、何も言葉である必要はない。
俺が同じ轍を踏むことだけは避けなければならなかった。でなければ、それこそ不敬というものだ。
大井とはついぞ視線が合うことはなかった。避けられているふうでもなかったが、大井ならそれぐらい白々しいことも平気でやってのけるに違いない。
大体、なんて訊けばいいのか。お前俺にキスしたか、だなんて、頭がおかしくなったと思われるのがオチだ。
きっとあれは夢だったのだろう。唇の汚れは、まぁ、あれだ。偶然だ。
「んじゃ、まぁ、第二部を始めようか」
龍驤が指で机を小さく叩いた。こんこん、と軽い音が部屋に響く。
「鳳翔さん、発信機の位置は昨日から動いとらんのやったな?」
「はい。ポイントF-6から変わらず」
「状況に変化がなければ、出発は明朝八時を想定しとる。総勢十二名による聯合艦隊。水上打撃部隊を構築し、全力で以て敵作戦行動群中央部を突破、新型――雷巡棲鬼を打倒し次第帰投する。大まかなプランは以上や」
「中央部突破はいいけれど、作戦群の規模は判明しているの?」
問うたのは大井だ。龍驤はその言葉を受けて頷く。
「大体はな。ちゅーても正確やない。索敵機を数機飛ばして、あと58にも昨晩いくらか突っついてもらった程度や」
「作戦行動群に動きは無し? 見つかったから逃げる、ではなく」
霧島が不思議そうに呟いている。
「迎撃はあった。ただ、移動はいまのところ見られん。そこが所謂本拠地なのか、それとも雷巡棲鬼が傷を癒しているだけなのかは、判断がつかんな」
「もう死ぬかと思ったでちよ。駆逐とか軽巡級ばっかで、対潜はきっちりしてたかな」
「でもそれって、逆に言えば戦闘力自体はそれほどでもないってことだよね?」
「そうや。最上が今いったように、真正面から会敵することを恐れるほどではないと、うちは睨んどる」
「聯合艦隊とはいえ正面からの中央突破は難しいのではないかしら。自分で言うのもなんだけれど、私、あまり戦力にはならないわよ」
「勿論それも考えた。敵戦力の漸減やな。だけど、雷巡棲鬼がいつまで滞留しているかわからんのはネックや。昨日も話したが、やっぱり電撃作戦でいくべきやと思う」
「電撃作戦は構わないけどさ」と最上「中央突破が危険性も高いってのは大井の言った通りで、リスクとリターンは見合うのかなぁ」
「そこは、うーん、土壇場にならないと判断できん部分もあるんよ、正味の話な。
燃料と弾薬は背反関係にある。最短距離で敵を倒せば弾薬は使うが燃料の消費は抑えられるやろうし、なるたけ敵の薄い地点を選んでいけば、時間はかかって燃料喰うけど弾は最低限や。作戦目標とぶつかった際に、偏りのないようにチャートを都度都度で修正していけたらなぁ、と思っとる」
そのあたりが落としどころだろうな、とは感じる。机上で全てが済むのなら、そもそも戦闘は発生しない。人死にも出ない。だが現実は机上はあくまで机上であって、何事もそううまくはいかない。
俺たちが考えるのは目的と目標だけでいい。なんのために、どうするか。それが最も重要だから。
「水上打撃部隊の第一艦隊、第二艦隊の案は、一応草案ではあるが、考えてあるんよ。うちと、あとは……まぁそこのおっさんやな。二人で昨日ちょこっと話した。
勿論決定稿やないから、こうしたほうがええんやないか、みたいのがあったらどんどん言ってくれて構わん」
「……あー、一応今紹介に預かった。作戦立案に関しては、俺も少し口を挟んだ部分がある。気に入らなければ言って欲しい」
俺は胸ポケットからメモ用紙を取り出す。
「第一艦隊は本隊だ。メンバーは……」
俺は名前を読み上げていった。
既に脳内では何度も反芻していた言葉の羅列。
夕張、霧島、龍驤、鳳翔さん、大井、扶桑。
「旗艦は龍驤に任せる。航空機による索敵と、出合い頭での爆撃による強襲で、まずは敵の戦力を削ぐことが重要だ。大火力で可及的速やかに殲滅が可能な面子を選んだつもりだ」
「……」
特に反論の声は上がらない。俺はひとまず胸をなでおろす。
が、まだ一山すら超えていないのだという自覚はあった。次、第二艦隊。その話がどれだけ拗れるか、想像もつかなかった。龍驤も覚悟の上だと思いたいが。
第二艦隊は必然的に消去法で判明している。先ほど呼ばれなかった名前が、第二艦隊である。
即ち、神通、雪風、響、58、最上、漣。
ならば、なぜ、どうして、紛糾するのを恐れるかというと……。
唇を舌で湿らせて、一息で俺は言い切った。
「旗艦は響だ」
当然か。雪風が机を思い切り叩きつけて立ち上がった。それは想定の範囲内のできごとではあるが……その剣幕に、心臓が暴れる。視線に質量があったとしたら俺は押し潰されて死んでいるだろう。
そして、驚愕しているのは雪風だけではなかった。神通も、漣も……大井や霧島でさえ怪訝な表情でこちらを窺っている。考えはみな同じ、「こいつは何を言っているのだ?」か。
「旗艦は単なるお飾りじゃありません! 司令と私たちの間を仲介する唯一無二の存在です! 旗艦の大破はそれ以上の作戦の遂行不可を示します、それくらい司令、あんただって知っているでしょう!?」
「あぁ」
気弱にならぬよう努めて言う。
「百歩どころか千歩、一万歩譲って、響を前線に連れ出すのは目を瞑ったとしても! それを仮に響が望んで、雪風にも誰にも止められないのだとしても! してもです! なぜこいつを、こんなよわっちいやつを旗艦に据える必要があるんですか!
愚かです、自殺行為です! 響が随伴艦なら、中破しても護衛をつけて帰せばいい。でも旗艦ならそうはいかない。今回は電撃作戦でなければならないとは龍驤さんが言った通りで、二度目があるかはわかんないんですよ!」
「……そうだ。そのとおりだよ、司令官」
響は気圧されながらも凛とした声を響かせる。
「どうしてだい? 私を旗艦にするのは、リスクだけが高い。リターンなどあってないようなものじゃないか。そこの説明がないと、私も……誰も、わかったとはならないよ」
そりゃそうだ。俺は龍驤を窺った。彼女も当たり前だというふうに頷く。
「こんなっ、こんなよわっちいやつがっ……!」
「雪風ッ!」
椅子を後ろに倒しながら雪風が立ち上がった。もう我慢がならないといった様子で、そのまま足早に部屋から出ていこうとする。
「待ちぃや!」
「雪風!」
「雪風、止まりなさい」
咄嗟に伸ばされた神通と響、両者の手を振り払って、雪風は叫ぶ。
「触んなっ! あんたらなんかもう仲間じゃない!
雪風がっ、雪風だけがみんなのことを想って、考えてるのに、それなのにどいつもこいつもそれをおじゃんにしようとするんだ!」
扉を開け放って部屋から飛び出していく。響も短く悲鳴のように叫んで、雪風のあとを追った。
最上が立ち上がる。漣もまた。扶桑と霧島、夕張と鳳翔さんが、それぞれ目を合わせ、席を立つ。
大井がこちらを見ていた。
龍驤が目を伏せていた。
「ボクは追うよ」
「漣も、です」
「私たちも、一応」
「年長者がいたほうがいいでしょ」
「あたしも行くよ。怪我でもされたら厄介だし」
「私は……心の休まる飲み物でも、用意しておきます」
駆け足で部屋を出ていく者、ゆっくりと地を踏みしめる者。
「前言撤回はしないわよ。理由、あるんでしょう?」
大井はそれの返事を待たずに去っていった。聞くまでもない、ということなのだろう。
その信頼は、こんな俺という人間には過ぎたものだったが……それでもやはり、ありがたい。
「刺されんでよかったな」
机に頬杖をついて、龍驤は言った。めっきり疲れてしまったような口ぶりだった。
「ひやっとした」
「あはは、おっさんもさすがに刺されたくないか」
「……悪いな」
「ん? いきなりなんや」
「話を拗らせるような真似をして。いざこざを起こさせたのは、間違いなく俺だ」
「許可したのはウチや。勘違いしてもらっちゃ困るよ、この泊地の提督は、ほんとはウチやで? ええっちゅーたらええねん」
「だが、うまく行く保証は……」
「なに急に弱気の虫が顔出してるのさ。あほう。あんたよりもウチのほうが、みんなの幸せ願ってるんや。説明くらいはなんぼでも労力割いたるから。
――なぁ? 神通」
喧騒から解き放たれたような静寂を身にまとい、神通は椅子に座ったまま、微動だにしていなかった。
雪風のいなくなったほうをじっと見ている。そこには、当然、誰もいない。しかし神通の目は確かになにかを捉えている。
「……仲間じゃないと、言われてしまいました」
「言葉のあやや、そんなもん」
「……雪風だけが、みんなのことを考えているのに、と言っていました」
「子供にありがちな肥大した自尊心や。気にせんとき」
「わたしは」
か細い、消えてしまいそうな声。
「みなさんを、仲間と思わなかった日は、信頼しなかった日は、一日たりともありません。みんなのためを思い、二人を想って、これまで……こういう言葉は好きではないのですが、私はこれまで『頑張ってきたのに』」
「諦めるのはまだはえぇよ」
今や、最初に出会った時のような白刃めいた鋭さは、神通からは抜け落ちている。触れれば指さえ落ちんといったふうの雰囲気は、もしかしたら他者を寄せ付けないためのものでもあったのかもしれない。
雪風と響を二本柱として神通はトラックを生きてきた。それしか彼女には支えがなかったのだ。
そして、それも失われた。俺の選択が一枚噛んでいるのは、否定のできない事実である。
「俺は」
「ウチは」
「お前も」
「アンタも」
「幸せにするために動いているんだ」
「幸せにするために動いているんや」
――――――――――――――
ここまで
イベントとイベントの間が本当に苦手。この悪癖直さないとなぁ。
随分投下まで時間がかかってしまいました。
次回はいつもより半分くらいの文章量になりそうです。
待て、次回。
夕暮れはセンチメンタリズムを増幅させるが、そもそも浸れるような感傷は俺にはなかった。比叡との思い出はどうやったって俺を苛む。それ以降の思い出ならば猶更だ。
データ上の資材の確認は済んだし、装備も同様。弾薬と油はありったけをかき集めて、補給も万端。漣と響が毎日遠征に出てくれなければ、恐らく足りなかったに違いない。
全員のバイタルチェックも済んで、あとは明日の出発を待つだけである。
結局、雪風は戻ってこなかった。追った響も憔悴している様子で、二人の間でどんなやり取りが交わされたのか、俺は知ることができなかった。
鳳翔さんと夕張、そこに扶桑が混じって、四人で話をしていたことは聞いた。俺が出る幕ではない。決定的に拗れさせたのは俺で、龍驤は「許可を出したのは自分だ」と言ってくれてはいたものの、どうにも俺自身を納得させられなかったのだ
ただ、響や雪風、他のメンバーに対する申し訳なさはあっても、決定の正しさには自信があった。響も、雪風も、神通も、まとめて絶望の淵から掬い上げるためには、多少の無茶はしなければならない。
全てがたちどころに解決する術は、もしかしたらないのかもしれない。仮にあったとしても、それはきっと、多大な痛みを伴う手法だ。
痛みは俺が負うつもりだった。もし他者が傷つくことが不可避だったとしても、その痛みは必要なものだと説得して、納得してもらえるだけの信頼が必要だった。
信頼。――信頼。
どうだろうか。俺は果たして、信頼されているのだろうか。
作成した航路図を全員に送付しても、雪風だけが未読である。赤城でさえ確認しているというのに。
「……大丈夫? 落ち込んでない?」
漣が心配そうに顔を覗き込んでくる。
俺たちはちょうど帰路についていた。
「落ち込みはしてねぇよ」
強がりではなかった。それでも、心が少しだけ弱くなっている自覚はあった。
響を旗艦にするという案は結果的には受け入れられた。意図も、意義も、存分にある。艦娘たちはみな、神通がぽつりと漏らしたように、仲間想いのいいやつらだ。こちらが熱意を持って説明すればわかってくれるだろうとは思っていたが。
あとの懸念は間に合うかどうかだけだ。これだけはわからない。実際に会的し、どれくらいの敵の密度なのかで大きく変わる。
「ご主人様」
「ん?」
「手」
「ん」
漣が差し出してきたので、俺も差し出す。自然と手が繋がれる。
殆ど無意識の行動だった。あまりにもその動作が滑らかで、俺は全てが終わってから、ようやくなにをやっているんだろうと思ってしまう。
なんだかとてもまずい気がした。俺は自分がよくない領域に片足を突っ込んでしまっているのではないかと不安になる。
いやまさか。俺はアレではない。
ボンキュッボン至上主義ではないにしろ、こんな中学生相手に意識してしまうようでは、人間としておしまいだろう。
「……なんですか?」
「なんでもねぇよ」
「見惚れちゃいました?」
「たぶんな」
「まぁ仕方がないですねー。漣は美少女ですから」
無難に否定をしないでおくと、漣はそれに機嫌をよくしたのか、ぶんぶんと繋いだ手を大きく振り出した。歩きにくくってしょうがない。
「ね、ね。ご主人様。漣はご主人様の特別ですか?」
甘えた口調の漣だった。
特別。つい先日もそんな単語を聞いた気がして、少し躊躇う。だが今そんなことはどうでもいいことだ。
「特別だよ、特別」
こいつは俺の秘書艦で、極論、俺の仲間はこいつだけ。その構図は今も昔も変わりない。
大井は俺のことを信頼していると言ってくれはしたものの、本当に俺があいつらと仲間になるためには、踏まなければならない手順があった。
俺はまだトラック泊地の提督ではないのだ。
なりたいなぁ、と思った。それは二つの意味で。
一ヶ月と言わず、三か月と言わず、一年と言わず。トラックに腰を落ち着けて、こいつらと一緒に生きていきたいと思った。
「ご主人様も特別ですよ」
ふふふ、と笑う。
「特別、ね」
特別だと名乗ることは難しいことだ。無根拠な自信に基づくだけなら、いずれ砕けて消えてしまうだろう。無根拠な自信を貫けるなら、社会で生きていくことはできないに違いない。
俺は平凡な人間だ。特別という要素があるのなら、特別嫌われているという悲しい事実くらいのもので、他人に比べて優れているなにかがあるわけではない。
だが、そんな俺の平凡さこそが大井を救えたのならば、彼女の一助になったのならば、それは素晴らしいことだった。
きっと順序の問題なのだ。平凡だから/特別だから、偉業を成せない/成せるのではない。偉業を成し得た人間に対して帰納的に付与される表彰状が「特別」という周囲からの認識。でなければ初めから「特別」として生まれなければ、人生に価値など見いだせなくなる。
俺は、神通、彼女が自らを卑下することに耐えられなかった。自分を愚かだとこきおろし、平凡で、故に成果を出すことができなかったと決めきっているあの態度。演繹的手法。そんなことはないと示してやりたかった。
平凡だろうが特別だろうが、俺たちにできることは必ずあるはずなのだ。
龍驤を見てみろ。泊地の復興に一度失敗したのであろうあの少女は、けれど今でも前を向いて、なんとか立ち上がろうとしている。全員がうまくいくように考えている。自身の価値などあとからついてくることを知っているから、レッテルを貼ったりなど絶対にしない。
「……明日が決戦ですね」
「そうだな。怖いか」
「怖い……まぁ、不安はあります。漣にできることは、きっとそれほど多くないから、それを精一杯にやるだけなんですけど」
「んなこと言ったら、俺にできることの方がずっと少ないさ」
海の上に立てないのだから。
「でも、ご主人様は、いろいろやってくれてます」
「なんだそりゃ」
笑う。いろいろアバウトな漣の言葉はいまいち要領を得ないが、思いやってくれているのだということは理解できる。
「響ちゃんを旗艦に据えたこともそうですし、その前の遠征も……大井さんとも、うまくやったんだと思います。龍驤さんとだって作戦練ってたんですよね? だから漣もそれに報いなくちゃって」
「前線で血を流すのがお前らなんだから、俺こそがそれに報いなきゃなって話だ」
「お互い様ですね」
「そうだ」
その通りだ。
「自惚れだとは思ってますけど、聞いてもいいですか?」
「ん? いいぞ」
「前の約束守ろうとしてくれてます?」
弱者を見捨てない。
絶対に手を差し伸べる。
「それも、当然ある。だけどもともとそれは――お前との約束な、あれは結構、俺の目的とも合致してるんだ。俺は俺の存在意義を確立させるためにここに来た」
「ここ? トラック?」
「あぁ」
「自分探しってことですか?」
「似てるような、そうでもないような」
こんな子供じみたことを考えているのは俺くらいなものかと思っていたが、なかなかどうして、世の中には為すべきこと――天命とでも言える何かの探究者が多いようだ。
道に迷い、悩んで、後悔しながら、自分の価値を見出していく。
「見つかりました?」
「見つかったような、そうでもないような」
もし、俺が本当に、心からみんなに迎え入れられて、トラックの提督になれた暁には、全てが満たされるのだろう。
そのためにやるべきことは少なくない。
漣はふーん、ほー、と話を聞いていた。何か反応があるかと思いきや、別にそれ以上話を膨らませる気はないらしく、ぼんやりと歩き続ける。
握られた手の力だけが少しだけ強くなった気がした。
家が見えてくる。と、漣は咄嗟に口にする。
「お話があるんですけど」
「あぁ、そういえば言ってたな」
待っているとか、なんとか。
「あの日はご主人様来てくれませんでしたけど、今日はいいですよね? 明日が決戦で、それにまつわる大事なことだから」
「作戦についてか?」
「んー、違います。ま、すぐにわかりますよ」
先の戦いのことを思い出せば、漣はどうしても古参の面子には見劣りする。場数を踏みなれていないことによる不安は大きいだろう。
俺は漣を含めて誰も死なせるつもりはなかったし、漣だって死ぬつもりはない。だが、覚悟が全ての恐怖に打ち克てるとは到底信じがたい。
家の扉を開ける。女子中学生の部屋に入るよりは、そちらのほうがデリカシー的ななんやかんやでマシだという判断だった。
「おっじゃまっしまーす」
「おう、入れ入れ」
部屋の中の空気は生ぬるかった。窓を少し開けて出てきていたのだが、それくらいでは大した換気にはならなかったようだ。
仕方がなしに扉を全開。一気に、少しだけ潮の匂いのする風が、部屋へと満ちた。
俺の背後ではばたんと扉が閉まって、がちゃりと鍵がかかる。
「鍵なんかかけなくっていいだろうに」
物取りが入るわけでもあるまい。
「いや、まぁ、邪魔が入っても困るんで」
「邪魔?」
またよくわからないことを言っているなぁ。振り返った俺の目に飛び込んできたのは、
「……は、おい」
なにやってんだ。
漣がスカートの脇を少しいじると、重力に負けて、するり、スカートが玄関へと落ちる。
その下には短パンやスパッツなどは身に着けられておらず、当然、白い下着が露わになった。
ローファーを脱いで、スカートから脚を抜き、部屋の中へと一歩。そうして今度は上着へと手をかけ、赤いスカーフをとった。胸元のチャックを開き、すっぽりと頭から脱ぐ。
フリルがあしらわれたキャミソール。生地は薄く、そのためかブラが透けて見える。下と同じ白い花柄。
「……おい」
言葉が出てこない。違う。何と言ったらいいのかわからない。
俺の頭の中に、対応策などそもそもない。
漣はうっすらと笑った。楽しそうな、ではない。妖艶に。これから起こることを予期している笑み。
思わず眼を背けた。漣の意図はわからないまでも、この空気に呑まれてしまってはいけないと思った。
なんだ? なんだなんだ何が起こっている? どうしてこうなった? くそ!
「ご主人様」
その声もいつもと違って聞こえる。熱っぽさが混じった……いや、気のせいだ。俺の脳が混乱して、偏向して聞こえてしまっているだけ。そうであってほしい。
ぎ、ぎ、一歩漣がこちらへ近づくたびに、床が微かに軋む。逃げ出そうと思えば逃げ出すことは可能だった。しかし、それで何が解決する? この状況をほっぽって、俺は明日からどうやって生きていけばいい?
「漣」
意を決して振り向いた。
大きく背伸びした漣の顔が眼前に大きく映し出されていて、
がちん。歯と歯が、唇と唇が、勢いよくぶつかって音を立てる。
そのままの勢いで俺たちは床へと倒れこんだ。
俺の上にまたがっている漣の、太もも、そして尻、柔らかい感触が、シャツ越しに感じる。今朝に頬を触って柔らかいなと感じたあの瞬間がまるで嘘のようだった。
漣は自分の唇にうっすらと滲んだ血を舌で舐めとった。味に少し顔を顰める。「キスって難しいなぁ」とぼそりと呟いたのを、この至近距離では聞き逃すはずがない。
「約束を守ってください、ご主人様」
「やく、そく?」
なんだそれは、一体どういうことだ。
問い質そうとした瞬間に、それが先ほどのやりとりの延長線上にあることに気が付く。気が付いてしまう。
弱者を見捨てない。
絶対に手を差し伸べる。
瞬間、俺は理解した。全てをと言っても過言ではなかった。
「……漣、お前は」
「あはっ、さすがご主人様、話が早いです」
自虐的に笑う漣の顔には陰りがある。それは神通と同じだった。自らの価値がわからず、特別だと思うこともできず、人生を彷徨する迷い子の顔だった。
なぜ漣がトラックへと志願したのか。
雪風と真っ向から対立したのか。
響を助けようと思ったのか。
あんな約束を俺にとりつけたのか。
漣が嘗て雪風に向かって切った啖呵。「強くなれなくたっていい。強く在れなくたっていい。弱いままで、それでも幸せに生きていくことができる世の中に」。あのときは、それは響と、響に辛くあたる雪風に向けての言葉だと思っていたが。
もし「そう」なのだとすれば。
そう思わなければ心が折れてしまいそうだったのだとすれば。
「漣はこれまで嘘ばっかりついてきました。ごめんなさい。
漣、トラックの艦娘のことなんて、どうだっていいです。響ちゃんのことも、本当は、辛くてあんまり見てらんないです。
誤魔化して、騙して……自分の言葉で喋らないで、どっかで聞いたことある言葉とか、キャラクターとか、上っ面だけ塗って……」
でも、だって、しょうがないじゃないですか。
そこだけ、そこだけは自信ありげに――そんな自信など意味はないと言うのに――漣は言い放つ。
「漣は特別じゃないんだから。
ご主人様みたいにヒーローにはなれないんだから。
……大井さんや神通さんには、見抜かれてたっぽいですけどね」
「お前、俺のことを、知っていたのか」
「んーん。知ってたっていうか、ほら、大井さんが『鬼殺し』がどうのって言ってたでしょ? あのあとに調べたんですよ。そしたらわんさか出てくるじゃないですか。史上初、戦艦棲鬼を倒した、稀代の英雄。ご主人様のことでしょ? 写真ありましたよ。
知らないふりをしてたのはごめんなさい。トラックに飛ばされてくるくらいだから、きっとなんかあったんだろうなって、変に刺激して嫌われてもやだなって」
脱力感があった。漣が俺のことを知らずにつきあってくれているというのは、完全に俺の愚かな勘違いだったのだ。
それどころか、まったくの正反対で。
「あぁ、こんな特別な人の下で、漣は働けるんだって、とっても喜ばしかったです」
違う、違うんだ、漣。
俺は決して特別なんかじゃない。
たとえ特別という評価があとからついてくるものであったとしても、その「特別」は捏造されたものだ。お前が夢見ている像は、メディアによって作られた紛い物であって、真実には掠りもしない。
だが漣がそんなことを今更聞き入れようとしてくれないのは明白だった。
「でも、漣、ご主人様のことはちゃんと好きです。本当です。これは、嘘じゃない」
「なにをしたいんだ? どうして、なにが、お前をそこまでさせるんだ」
下着になって。俺を押し倒して。そうやって関係を持とうとしてまでやりたいことなんて、想像もつかない。
「大したことじゃないですよ。漣は特別になりたいんです。特別になれば、自分に自信が持てるでしょ? 自信が持てたら、もっと人生、楽しく、強く、生きていけるでしょ? そうでしょ?
でも漣はヒーローにはなれないから。なれないってわかったんです。分不相応だって。なら、せめて特別な人の特別な人になろうって、そうしたら幸せになれるかもって思って」
その先に本当に幸せはあるのか?
口をついて出そうになった言葉を嚥下する。
他人を杖にする生き様を俺は否定できない。人間、独りでは生きていけないというのは、そんな意味を含んでいるからだ。誰しもがそれを経験則的にでも、あるいは本能的にでも理解しているからだ。
しかし漣の今言った言葉は、言うなれば依存。他人を杖にするのではなく、他人を脚にして、他人の背中に乗って生きていくと言うこと。
子供がゆえの愚かさだと思った。中学生にありがちな自尊心の肥大、そして自意識の発露。承認欲求と、現実を直視してのギャップ。誰しもが罹患する思春期特有の症候群に違いなかった。
本当ならば時間が解決してくれる問題だ。だが、漣は艦娘で、決戦を前にして生き急ぐ。そして龍驤や神通たちと戦場を経験するごとに、自らの矮小さや無力さを痛感するのだろう。
それが一層焦燥を強くする。症状を悪化させる。
「本当は、漣もちゃんとお話ししたいと思ってる」
けれど、自分の言葉で自分の本心を伝える勇気が、いまの漣には、きっとない。
それはなんとも悲しい話だ。
「約束を守ってください、ご主人様。漣を助けてください。手を差し伸べてください。……漣をご主人様の特別にしてください。そしたら漣、なんだってやります。絶対に頑張れるって、そう思うんです」
甘ったるいにおいが鼻孔を衝く。白い、きめ細かい肌が目の前にある。興奮のためか、羞恥のためか、頬を少し赤らめた漣は、俺の胸元と首筋に存在を固着させるように、髪の毛を擦り付けてくる。
鎖骨と首筋に軽い口づけ。柔らかい唇と、熱い舌の感触。心臓が跳ねそうになるのを根性で抑えつけた。
ここで漣を抱くことは簡単だった。だが、抱いてどうする? その先に幸せがなくとも、同情でそうして、責任を取って……俺がしたいのはそんなことではない。
後悔しない生き方を探して、自分に胸を張って生きていきたいとそう願って、そのためにトラックにきたのだ。ここで無責任に、安易な選択肢を採ることは、比叡の教訓を何も活かしていないのと同義。
漣は俺の股間に手をやった。
「でっかくなってない!」
そうして、叫んだ。
「え、え、なんで!?」
困惑の表情。それが余りにも年齢相応すぎるので、堪えきれずに笑ってしまう。
やっぱり漣、お前には妖艶な顔は似合わんよ。それくらい大口開けて、感情豊かに驚いたり、笑ったり、そっちのほうがずっといい。
よっぽど可愛いし、魅力的だ。
「……ご主人様って、もしかして、アレですか?」
「アレじゃねぇよ」
っていうか、アレってなんだアレって。
「こんな状態で中学生相手にチンコおっ立たせてるやつがいたら、そっちのほうがよっぽどアレだ」
俺は違う。誓って違う。
「アレってなんですか?」
知らねぇよ。
「な、舐めたりすれば?」
「やめてくれ」
その歯をむき出しにして大口を開けるのはマジでやめろ。男として本能的な恐怖があるから。
「うー、なんなんですかぁ、もー!」
地団駄を踏むかのように漣は俺の胸板に拳を振り下ろす。どすん。息の詰まる衝撃とともに、漣の涙もまた、俺のシャツに沁みこんでいく。
それから暫し、八つ当たり気味に俺の胸を叩き続けていた漣であるが、感情が落ち着いてきたのかそれとも体力的な問題か、ついに体を俺の上へと投げ出した。柔らかな頬を俺の肩へとくっつけて、こちらを涙目で睨みながら、浅く呼吸をしている。
「……うぅ」
洟を啜る音が聞こえた。
「強くなりたい、強くなりたいよぅ……」
こんな自分でも好きになってあげたいよぅ。
アニメや、漫画や、ゲームの言葉ではなく。
ネットのスラングでもなく。
それが漣の本心だった。
ゆっくりと、触れる場所を考えながら、俺は漣の頭と背中へ手を回す。力を籠めないように抱きしめ、とりあえず、頭を撫でてやった。
漣からの反応はない。相変わらず洟を啜る音ばかり。
「……する?」
「しない」
「……」
またも無言。
「……ごめんね」
「いいってことよ」
結局、力尽きた漣は、そのまま眠ってしまった。
俺は変に動くこともできず、ひたすらに思考を巡らせるばかり。
さて、どうしたものか。
* * *
次の日、出撃は三時間半という大幅な繰り上げとなった。
赤城が独断で出撃したとの一報が入ったためだった。
―――――――――――――――
ここまで。
半分くらいの文章量になると言ったな? あれは嘘だ。
大井がクレイジーサイコノンケだったら提督は死んでた。
最終決戦入ります。
多分こっからズルして、視点が提督のものとは限らなくなりますので、ご了承くださいな。
18禁版ならエロシーンだった
>>921
ギャルゲーであってエロゲーじゃないからね……
気が向いたら場所を移して後日談で実現でも
飛び起きた。
漣が俺の上から転がって、着地に失敗した猫のような声をあげる。しかし非難の声は来ない。桃色の少女は起き抜けの瞳を真ん丸にして――きっと俺も同じような顔をしていることだろう――俺を見ている。
「嘘っしょ……?」
嘘だったらどんなにいいか!
漣に返事をしている暇はない。俺は叫ぶ。
「58ァッ!」
『でちっ!』
「どういうこった! どうなってるんだ!」
『どうもこうもないよぉっ! 夜の哨戒が終わってっ、赤城と交代しにいったらっ!』
赤城がいなかったんだもん!
58も負けじと叫んでいる。焦りを苛立ちに変換して俺にぶつけているかのようだった。いや、それで済むなら問題はない。最悪はそれだけでは済まない。
散歩か、買い物か、トイレか、風呂か。そのうちのいずれかであればどんなにいいことか。しかし、恐らく、現実は過酷だ。こんな時に限って俺たちの予想を裏切ってはくれやしないのだ。くそ!
「心当たりは本当にそれだけなのか!?」
『わかんないけど、こんなこと初めてだもん!』
『事実や。冗談やないで』
通信に介入。龍驤だった。
そうか、龍驤はトラック所属の艦娘の位置情報を割り出せるから……。
『赤城は現在海上や。真っ直ぐに敵の本拠地むかっとる。距離から類推して、二十分以上前には出てるやろうな。ほぼ日の出とおんなじや』
となると、殆ど計画的な行動ということになる。
後悔が襲ってくる。赤城に海図を渡すべきではなかったか? いや、それではだめだ。赤城の助力は目的の完遂には必要不可欠だ。彼女ならば黙って同行するだろうと予測していたが、まさか同行ではなく先行するとは。
」
だが、解せないのは、なぜ赤城がこのタイミングで動き出したのかということだ。俺たちの出撃を待たない、待てない理由が、何かあるのか? それともただ単に、やはり深海棲艦は自らの手で抹殺するのだと意気込んでいるだけか。
「58、赤城に今回の作戦の話は伝えたか?」
『つ、伝えたよぉ。でもそれは龍驤にもてーとくにも言っておいたでちよ!』
やはり赤城はこちらの計画が動き出すよりも先に、そういう意図を持って出た。そして俺たちが気づき、急いで後を追ってくることも想定内なのだろう。
『とりあえず全員港に集合、今すぐや! 総員起こし! 全軍、全速力で赤城を追う!』
龍驤と58の通信が切れる。二人とも泡を喰って港へと向かったようだ。
俺たちも急ぎ向かわなければならない。漣は既にセーラー服と艤装を身に着けている。すぐに出る準備は整った。
だが。
「……ご主人様?」
本当にいいのか? 大丈夫なのか?
これで計画を遂行して、間に合うのか?
「……だめだ。間に合わない」
計画は瓦解を告げていた。事前の計算と航路、そこに赤城の性格を加味すれば、結論は明らかだった。
かといってリプランの猶予は与えられていない。いま、手持ちの財産で、軌道を修正するしかない。
「ご主人様、どうしたんですか? 早くいかないと!」
間に合わなくなっちゃいます。漣はそう俺を急かすが、寧ろ最早遅きに失したくらいなのだ。赤城が先んじた時点で、全ては終わっている。
だから。
終わっているなら、一から始めるしかない。
「漣」
思ったよりも強い声が出た。漣は昨晩の気まずさのせいか、俺と直接目を合わせることを避けているようだったが、不安げにこちらをちらりと窺う。
「……はい」
「説明している時間はない。勿論、追って話すつもりだが……頼みがある」
「漣にできることなんてないよ」
「ある」
「ない」
「ある」
「ないもん!」
「あるから俺が頼んでんだろうがっ!」
人が何かを成し得る際に、「特別」は先立つ理由にはならない。
世界は酷薄で、現実は残酷で……だが、そういうところだけは、妙に平等主義的なのだ。
「お前、最初にレ級と戦ったあと、言ってたよな。『死ぬのは怖くない』って。んで、そのあとに、こうも言った。『でも』」
死ぬのは怖くない。もっと怖いものは山ほどある。
たとえば……、
「何も成し得ずに死ぬこと、とかな」
自分が生きた後に残ったものが、ただの墓標ひとつだけでは、あまりにも寂しすぎるじゃないか。
漣は何かを成し遂げたくて、だけれど特別な、ひとかどの人物には到底なれそうもなくて……そして人より少しだけ、往生際が悪かった。
普通なら大人になる過程で身に着けるはずの「諦める」という行為が、ちょっとだけ苦手だった。
この少女は恋い焦がれていたのだ。俺に、ではない。「特別」という概念に。
「これはお前にしか頼めないことだ。引き受けて欲しい」
「なんで? なんで漣にしか頼めないことなの?
みんないるじゃん。いっぱいいるじゃんか!」
なんで? なんで、か。
「……なんでだろうな」
「はぁっ!?」
「ぶっちゃけ言えば、いまちょうどここにお前がいたから、かな?」
「は、ちょ、ま、えっ!? うそ、いやいや、ぶっちゃけ過ぎじゃん!? ここはもっと、こう、なんてーの? いいこと言う時じゃないの!?」
「でもなぁ、漣、よく聞いてほしいんだが」
「だめ、だめだよ! 漣は誤魔化されないんだかんね!」
そんなつもりはねぇよ。
「経験上、理由なんてのは大抵後付で……大体は『ただちょうどそこにいたから』ってパターンが多いんだぞ」
比叡と俺が、ただちょうどあそこにいたから。
仲がいいとか悪いとか、好きとか嫌いとか、大義の有無とかは、結局のところ局面を大きく左右はしないのだ。
仮にあそこにいたのが俺ではなく高木だったら、あるいは齋藤だったら、事態は変わっていたのかもしれない。しかし現実は、あそこにいたのは俺で、その結果こうなってしまっているという厳然たる事実だけが、長く伸びて横たわっている。
「……ご主人様は、特別なんでしょ? 特別じゃないの? 英雄なんでしょ? 前人未到を成し得たんでしょ!?」
「そうかもしれんな。それでいいよ。それも全ては、俺と比叡があの時あの場所に偶然いたから成し得たわけだが」
「……なにそれ」
浪漫がない。呆然と漣は言う。
「そして、だ。漣」
俺はバーチャルウインドウを呼び出し、編成画面を表示させる。
「ここには俺がいて、お前がいる。お前が選ばれる理由はそれで十分。違うか」
特別とか、平凡とかではなく。
そんなものにかかずらわっている暇があるのなら、一秒でも早く海へと出るべきだった。
「……」
逡巡して、
「……ううん。違わない、です。
――違わない!」
「頼まれてくれるか」
「はい! ご主人様!」
「あいわかった」
編成画面に二人の艦娘を放り込む。
第三艦隊。旗艦に響。随伴艦に漣。
「お前ら二人は別海域にて別行動だ」
――――――――――――――
ここまで
短いやつはここに構成されました。
次回から2スレ目に移るつもりです、よろしくお願いします
決戦突入でタイミングもいい
待て、次回。
母は良家の出だった。
夜明けすぐの海風は非常に冷たく、その中を切って進むものだから、体感温度はもっと低い。息が白く曇らないだろうかと心配になるくらいだけれど、トラックは今日も熱帯気候。寒さは私の大いなる勘違い。
良家の出であることが即ち幸福にはつながらない。勿論、良いこともたくさんあっただろう。贅沢や放蕩を許してもらえるかとはまた別に、いい洋服を着ていい家に住み、いいものを食べさせてもらっていたはずだ。
でも、母は一回りも離れた、社交場で顔を数度としか合わせたことのない男のところへ嫁がされた。十八歳。高校卒業後すぐ。
政略的な意味を多分に含んだ結婚でも、私は両親の間に愛がなかったとは思えなかった。何故なら私には兄がいて、世継ぎを生むためだけの胎だったとしたら、私はこの世に生まれていないから。
恋は恋愛へ、恋愛は愛へ、愛は愛情へ、愛情は情へ、年月とともに移り変わる。そして伴侶の最期の瞬間に情けへと変わり、菩薩へと至るのだと、嘗て有名な僧侶は口にした。
私にはその真偽はいまだわからない。
母は確かに父を愛していた。きっと幸せだったことだろう。ただ、心残りがなかったと言えば……賛同しかねる。
口癖のように聴かされていた言葉。「あなたは自立しなければだめよ」。自立。自らの脚で立つこと。転じて、自分の道は自分で選ぶこと。自分の決めた道を進むこと。
母には選択肢はなかった。現在が満ち足りていたとしても、過去、もし別の選択を択べていたとしたら。そう思うことは非難されるべきことではない。
もし、別の選択を択べていたら。
私はどうしただろうか?
専守防衛に意見を翻しただろうか?
それともやはり、反攻作戦を支持しただろうか?
脚に巻きついた鎖は重く、胸に打たれた楔は深く。
私を過去に留めて逃がしはしない。
奇怪な声が聞こえた――眼前にイ級の群れ。
「……ありがたいですね」
戦闘状況が開始してしまえば、過去の呪縛から解放される。
敵を殲滅するだけの愛国の士へと変貌できる。
仲間の死を悼むだけの憂国の士へと転生できる。
その時だけ、私は全てから解放され、「自立」して生きていくことができるのだ。
矢筈は塗り分けられている。艦爆が赤、艦攻が青、艦戦が緑。そして赤と緑の縞模様が爆戦という具合に。
それぞれは九字、梵字、五行に対応している。ここ数日、夜なべしてひたすらに書き取りに努めた甲斐があり、残弾は十分にあった。丸一日はゆうに戦える。
術式展開。矢筈に弦をかけると対応した文字が浮かび上がる。艦爆の赤、そして九字。「臨兵闘者皆陣列在前」と網膜に投射され、遠山の目付でイ級群をぼんやりと睨む。距離は目測で七十五、北西からの微風、誤差調整……捕捉。
射た。
一本の矢から九字が噴き出るように分散し、それらは十機ほどの爆撃機へと生まれ変わった。初速をそのままに、猛速度でイ級群上空へと到達、即座に爆撃で殲滅を図る。
爆弾投下。直撃。
イ級の群れは爆散し、血なのか油なのか、肉なのか機械なのか、神経なのかコードなのかわからない、ぬめった何かが海へと浮かぶばかり。しかし安心をする暇はない。はぐれたイ級ではなく、群れとしてのイ級が現れたということは。
私の眼前に立ちはだかる、深海棲艦の群れ、群れ、群れ。
「敵にとって不足なし。航空母艦、赤城、参ります」
足元は揺らめく波のはずなのに、私の脚はしっかりと固定され、何を踏みしめているのかは定かではなかった。しかし、確かに踏みしめている。存在感ははっきりとある。
鼓動を感じた。それが母なる海のそれなのか、私自身のそれなのか、不思議と判別できない。
艦戦を一本、艦攻を二本、番える。曲芸のような射撃にも随分と習熟した。
発射と同時に海を蹴る。たったさっきまでいた場所が、今は弾幕の渦中。イ級はその巨大な頭部と顎部でこちらを磨り潰そうとしてくるし、敵艦載機もこちらに負けじとその数を増やしつつあった。
和弓は射程距離と速度こそ勝るけれど、そのぶん大ぶりで、連射が利かない。無論龍驤のような式神形式とは一長一短があって、どちらが上位互換であるというわけはないのだが、こんなときばかりはあちらが羨ましくもあった。
矢筒から四本――爆戦、艦戦、艦攻、艦攻。そのうち縞模様を一本口に咥え、残りの三本を一気に射出。艦戦と爆戦が敵艦載機を一度に吹き飛ばし、敵群の中央部を艦攻から放たれた魚雷が貫いていく。
私は跳ねた。
人の形により近い深海棲艦、ツ級がその巨大な手を叩きつけてきたのだ。私は横っ飛びになりながらも口に咥えた一本を放つ――ツ級の頭部に命中、撃沈。
五行が術式展開。木火土金水の五文字とともに、艦攻が更なる魚雷で追撃。激しく揚がる水しぶきの中へと自ら体をねじ込んでいく。
戦艦タ級巨大な砲塔が私を狙っていた。爆戦を誘導、爆弾投下でその射線をずらす。
振動が空気を震わせ海面を抉るも、放たれた砲弾は数機の艦爆を巻き込んだだけだった。その間に、既に私はタ級へと肉薄し、矢筒から抜いた矢を二本、無造作に握りしめる。
タ級が二発目を構える。その顔面へ爆撃。
揺らぐ上体、その鳩尾へ――果たして深海棲艦に横隔膜など言うものが存在するのでしょうか? ――爪先を叩き込み、足掛かりとしてさらに一歩、私は宙へと跳びあがる。
右手に握った矢を二本、顔面へと突き刺した。
一本は眼球から脳内へ達し、もう一本は口腔内を貫いて首筋まで。
「術式展開」
そのまま艦攻へと変化させ、上半身が木端微塵に霧散する。
倒れたタ級の体を踏み潰す勢いで、その後ろから大群が。イ級、ヘ級、リ級。背後には艦載機を放ちながらのヌ級もいる。
流石にその数相手には分が悪いと判断、反転して距離を置く。追いすがる大群の戦闘へと矢を適当に放ち、適宜数体ずつ削りながら、私は果てしなく広い海の上を転戦する。
狙いの大して定まっていない砲弾を恐れる必要はなかった。死が切迫した時の、肌へと氷が流れたような刺激、嘗ての戦場にはいまだ遠い。
大群は黒い津波のようにその数を膨れ上がらせて、私を飲み込もうとしている。意志の感じられない本能的な攻撃、統率のとれていない奔放な移動。しかし、狙いはぶれることなく私を一筋。
脚を止めた。矢を抜き、番え、艦爆と艦攻がリ級を一体、ヘ級を三体、まとめて吹き飛ばす。
爆炎の中からイ級が先陣を切って現れたのを確認すると、私はまた走り出す。
58からの着信があった。それを無視して、海図へと目をやる。うん、当初の予定通りだ。波は高くない。敵の数は多いけれど、想定を上回ってはいない。このままならば真っ直ぐに敵艦隊中央へとたどり着ける。
今頃陸では大わらわになっているのかもしれない、と思った。58からの着信があったということは、私の家がもぬけの殻になっていたことに気付かれたということで、海へ出ている可能性には真っ先に辿り着くだろう。
追ってくるまで十分か、二十分か。それ以上はきっとない。このアドバンテージをなんとか活かしたいものだ。
振り返りざまにツ級を撃ち抜く。
「ふぅ」
汗を拭う。出発時の寒さはどこへやら、既に汗だくだ。
陸の面子には悪いことをした。とはいえ謝るつもりは毛頭ない。
というよりも、謝る機会が訪れるとは、思えなかった。
「まったく」
矢の射過ぎだろうか、人差し指と親指が、僅かに痛んだ。
「私は本当に大馬鹿者ですね」
* * *
「あのっ、大馬鹿もんがっ!」
全身全霊を込めての全速力。ウチを先頭に総勢十名、海の上を菱形の隊列で進んでいく。
赤城の位置は提督権限で追跡ができている。陸から殆ど一直線に、敵の本拠地を目指していた。途中、多少の蛇行や反転が見られたが……それは恐らく会敵、及び戦闘の証左なんやろう。
赤城、あいつに敵との戦闘を避けるだなんて高尚なオツムがあるとは思えん。敵がおれば打ち倒すやろう。やけど、油にも火薬にも限りがあって、それすらわからんほどポンコツになっとるとは信じたくはなかった。
あくまで赤城はクレバーに戦う。あいつは死地にこそ喜んでいくが、それは死にたがりを意味してはおらず、常に最善を尽くし続ける。だからこそ今回の突出には疑問が残る。どうしてあいつは、わざわざウチらを出し抜くようなことを?
いくら考えてもわからんかった。まぁ、もともと頭を使う作業は得意やない。そういうのはこれまで提督やら大井やらに任せてきたし、きっとこれからもそうすべきなんやろうなぁということは、なんとなく実感はあった。
やけど、それがよくなかったんやろうなぁ、という自覚もまたある。
役割分担で、苦手なことをお願いして、得意なことを引き受けて……勿論社会っちゅーのはそういうもんや。組織も同じ。自分のおまんま、全部一から作るか? 畑耕して、魚釣って、牛やら鶏やら育てて? は、アホくさ。
そうした役割分担の結果、ウチはたぶん、赤城について考えることをやめたんやと思う。いや、赤城だけやない。辛い思いをしたみんなの苦痛を惹起させんようにすることに専念して、それから先に頭を回すことを止めた。
答えが出ずとも考え続けるべきやったんかな。赤城に寄り添って、神通に寄り添って、どうすべきか一緒に考えてやるべきやったんかな。
どうなんやろう。
そう言う意味では、おっさん、あの男は素直に凄い。「鬼殺し」の異名を頂くあいつがどうしてトラックに漂着したのか、うちは寡聞にして理由を知らん。大井辺りに聞けばわかるやろうが、そうすることはしなかった。
ただ、おっさんは殆ど自分とウチら艦娘を同一視しとるように見えた。勿論変態的な意味やなく、自分のことのように艦娘を――例えば最上やら響やらを大事にしとる。
この世に「絶対」はおらんくとも、「絶対」幸せにしたるんやっちゅー目を見張るほどの意志の力がそこにはあった。
あぁ、提督。結局ウチは頭には向いとらんかったよ。あんたの代わりは務まらんかった。
指輪に誓ったあんたとの約束、反故にするつもりは毛頭ないが、やっぱり適材適所っちゅーもんはあるんやね。
恐ろしいくらいに海は静かやった。稀に見る凪。この進んだ先で赤城がドンパチしているとは、これまでの事情がなければ信じられん。
「鳳翔さん、発信機は正常か?」
「えぇ、はい。移動はありません。……赤城さんは」
「こちらも変わらず、や。目的地目指して全速力。時折戦っとるみたいで、立ち止まったりもしているみたいやから、追いつく可能性は十分にある」
赤城のことを想った。
赤城の想いを想った。
聯合艦隊は十二人の艦娘によって編成される。おっさんの秘書艦である漣を加えれば、トラックには現在十三人がおって、必然的に誰かが一人があぶれる。
赤城は来なかった。ならば、その誰か一人とは、赤城にならざるを得ない。
どこまであいつの読み筋なんやろうか。
ただし、当然誤算もあるはずやった。赤城が先行したことにより、響と漣が第三艦隊として離脱したことは、本人は知る由もない。それはウチだって寝耳に水で……あぁ、そうや、口惜しいことに認めたくはないが、そこがおっさんの長所。
迷いがないのだ。
いや、その認識には、きっと誤謬がある。迷いがないというよりは、迷いを断ち切る速度が尋常ではない。そんな暇が自らにないことを理解し、生き急いでいる。
ウチはあのおっさんに乗ることを決めた。今更尻込みをするつもりはなかったし、失敗した時のことを考えるつもりもまたなかった。そういうのは性に合わん。結果は常に過程のあとにある。
全てが間に合うことを願うだけや。
「龍驤さんっ、あれ!」
夕張の慌てた声。一瞬、赤城を見つけたかとでも思ったが、まさかそんなはずはなかった。
だが、似て非なるものではあった。
ぐずぐずに溶けていく最中の、深海棲艦の残骸。黒い油が海に流れ、微粒子となって深海へと戻っていく。
それがおおよそ二十数体分、積み重なっていたり、まばらに間隔をあけて倒れていたり、広い範囲にぷかりぷかり浮かんでいた。イ級を初めとする雑魚から、リ級やタ級といった強敵まで、軒並み雁首揃えて息絶えている。
破壊の痕を見ればほぼ全てがヘッドショット。でなくとも、限りなく致命傷に近い箇所を積極的に狙っているのがわかる。
「……まずいな」
「なんでですか?」
「戦闘を短く終わらせる気ィ満々や」
「それのどこがまずいんです?」
「ウチらに追いつかれたらまずいっちゅー意識が赤城にあるってことや。あるいは、油と弾の問題を気にしとるのかもしらん」
たとえどんなに赤城が強かろうとも、艦娘である以上は、燃料と弾丸の限りでしか戦闘を続行できない。短時間で戦闘海域から脱するのはリソースの消耗を抑える一番手っ取り早い方法だ。
……それはずっと前に、ウチが赤城に直々に教えた戦いのコツ。こんなにも複雑な気分になるとは思わんかった。
「早く行きましょう、龍驤さん」
雪風が神妙な面持ちで先を促した。赤城の強さを雪風ももちろん知っとるはずやが、もしかしたらそれは伝聞によるものが大きかったかもしれない。鬼神のような戦いの片鱗を見て、飽くなき強さを求めるコイツは、一体何を考えているのだろう。
「……そうやな。ぼーっとして、これ以上差を広げられても困る」
「放っておいても縮まるよ」
「……58」
水面から頭だけ出して、58は吐き捨てるように言う。
「赤城が敵作戦群に突っ込んだら、あとは追いつくだけ」
「そん時に、あいつは跡形ものうなっとるかもしれんのやで」
「それを理解してない赤城だとは思わんでちよ」
「死ぬつもりで出とるっちゅーことか?」
「どうかな。死ぬつもりはなくても、死ぬ覚悟はあるかもしれない」
「言葉遊びはやめーや、58。あんたには似合わん」
そういうのは大井か霧島あたりに任せておけばええ。
「龍驤、58は真面目に話をしているでちよ。真面目な話を、しているでち」
……妙に突っかかってくるやんか。
赤城に寄り添うことをしなかったウチであっても、赤城のことを慮らなかったということにはならない。言い訳がましく聞こえるかもしれんが、ウチはウチなりに赤城のことを考えた結果、不干渉を貫くことに決めた。それが正解であったか不正解であったかは、この際どうでもええ。
反攻作戦の草案を出したのは間違いなく赤城。やけど、じゃあ、赤城が反攻作戦を唱えなければ素直に専守防衛に移ったかとなると、そこはかなり怪しい。
ウチも58も赤城をそれについて責めたことは誓って一度もないし、大井だってそう。提督も、死の淵まで、恨み辛みを言うことはなかった。
それでも赤城は責任をとろうとした。とろうとしている。
58はその介助をして……最悪、介錯すらもする気でいる。
「赤城は何らかの意図を持って、あたしたちよりも先行した。それが子供じみた癇癪だったり、功に逸っただけだったり、そんなことだとは思わないんだ。それは龍驤もそうじゃないの?」
「……そうやな」
無謀な戦いこそするやつではあるが、その背後には必ず策があった気がする。
「こんな土壇場で、赤城が何を考えてるのかは、あたしにはわかんない。だけど目的があるのはわかる。強く心に決めたからこそ赤城は動いた。この行動には覚悟がある」
「だったらなんやっていうのさ。覚悟があるからなんやって?」
「覚悟がある人間にかける言葉を、58たちは持ってるのかなって言いたいんでちよ」
あちらの問題なのではなく。
こちらの問題だと、58は言っている。
赤城に追いついて、それで? それでウチらはなんて声をかければいい?
お涙頂戴は苦手や。クサい台詞は好きくない。抱き合って涙を流せばわかりあえるなんてのはお伽噺もいいところ。
じゃあ、それ以外の手段ってなんやの?
……まったく。
「因果が巡り巡ってきとるな」
頭を掻いた。赤城のことが大事なはずなのに、赤城をどうすれば救えるのか、まるで考えが浮かばないのだ。
それはあまりにも恐ろしい事実やった。過ぎ去った過去が牙を向いてきている。
「死にたいなら、黙って死なせとくのが人の心ってやつやろ」
「龍驤ッ!」
58がここまで感情を昂ぶらせるのは初めて見た気がした。いつもは怠惰で、ごろごろしていて、様々なことに我関せずを貫く昼行燈だった。
あんたも結局赤城を放置して、腫物に触るように扱って、ここで今更宗旨替えか? それでウチを責めるのか? あんたにそんな資格はあるんか?
「ウチはウチを嫌いになりたくない。今ここで態度を翻したら、これまで守り続けてきたもんの価値は一体なんだったんや」
「今ならまだ間に合う。いや、間に合わなくても、58たちは『今』なんでち。今後悔しておかないと、この先もっと後悔することになる!」
「……あんたの言っとること、ぜーんぜん」
わかるよ。
「わからんなぁ」
赤城を助けたい。もし助からないのなら、自分の手でケリをつけたい。58がそう言ったとき、ウチは怒るべきやったんやろう。
物事の正誤は後にならないとわからないから、振り返って反省することに大して意味はないけれど、きっとあの時に最も大きく道を違えてしまったのだと、ぼんやりと思った。
「あんたにケリなんかつけさせんよ。赤城はなんとしてでもウチが助ける」。どうしてその言葉が言えなかったのか。
「……龍驤。58に龍驤を、見損なわせないで欲しい、でち」
「……ほうか。ごめんなぁ」
「……」
58は無言で海に潜った。気づけば艦隊は随分と先に進んでいて、58と話している間に大きく後れを取ってしまったようやった。
「なぁ、みんな」
九人の背中に呟きかける。
「赤城をなんとしてでも助けてくれな」
まったく。
「ウチは本当に大馬鹿者やね」
――――――――――――――
ここまで。
大馬鹿者二人。
関西の人ってやっぱり心の声も関西弁なんだろうか?
余りにも眠くて2スレ目立てるの忘れてました。
次回投下分こそは。
待て、次回。
2スレ目突入しました。最後まで、どうぞよろしくお願いします。
【艦これ】漣「ギャルゲー的展開ktkr!」2周目 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1527957337/)
依頼出したいと思ってますが、機能していないとも小耳に挟んだような?
埋めてしまえるならそっちのが手っ取り早いと思ってます。
自演埋め
ここだけの話、最初期プロットにはづほもいたんですよ……。
要素は雪風と赤城に吸収されました。
軽空母三隻は多いし、物騒なのが三人いても困るという理由でいなくなってしまいました。
キャラのリストを見ると潜水艦枠のところに19と書いてあるので、どうも58じゃなくて19を出すつもりだったようです。
物騒なづほという新境地が頭から離れない埋め
>>976
エンガノ囮組は、この話の設定と舞台の関係で、絶対にPTSD再発するんで……。
包丁で提督の脇腹刺したイメージが浮かんできて、こりゃだめだと思った記憶有ります
埋め
次回作はなにやろっかな
埋め
八月までに終わらせないとならない書きものがあるので、次回作投下の機会に恵まれることになったとしても、
それは八月以降になるのかなぁ。
息抜きで短編かければいいけどなぁ
このSSまとめへのコメント
ホームレス戦闘シーンマニアの人だ
やっぱうまいなあ
過去編もっと腰を据えてじっくりやってもいいのよ物語の根幹なんだし