八幡「まあ、広義に解釈すればパン屋と言えなくもないようなところだが」
結衣「へー、意外ー。ヒッキーってもっと暗い感じなとこでバイトしてるんだと思ってた」
八幡「何だよその偏見。まあ確かに世の中には暗いっつーか黒い(ブラック)バイトもわんさかあるがな」
結衣「パン屋さんかー。ふーん……。あ、あのさっ」
八幡「何だ?」
結衣「あたし最近、結構出費とか多くて……ちょっとお小遣い稼ぎにバイトしたいなーとか……思ったりしてて」
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八幡「……別に、バイトしたいならしたらいいんじゃねぇの。学校にはちゃんと届け出しとけよ」
結衣「う、うん。で、でさー。いきなり、全然知ってる人のいないバイト先に行くとかちょっと勇気いるし……」
八幡「三浦とか葉山に相談したらいいだろ。あいつらなら人脈広いだろうし適当にそれなりのバイト先を見繕ってくれるんじゃね」
結衣「あ、あーうん。でも優美子は今バイトとか探してる感じじゃないし、隼人くんは部活で忙しいから今はバイトとか考えてないと思うし」
八幡「じゃあほら、前に深夜のバイトとかしてた川……川越?川満?川本?イチローの追っかけ?に聞いてみたらどうだ。いろいろ知ってるだろ」
結衣「川……って誰だし!」
八幡「それじゃ、平塚先生にでも相談したらどうだ。生活指導だし、何だかんだで顔は広そうだからな。高校生向けの優良なバイトとか知ってるかもしれないぞ」
結衣「平塚先生も忙しそうだし、あんまり個人的なことで相談するのもなんだかなって」
八幡「じゃあ――」
結衣「もぉー! ヒッキーのバカっ!」
八幡(え、何……この子なんでいきなりキレてるの? キレやすいお年頃なの? まあ花の17歳だもんなぁ)
結衣「だ、だからその……何ていうかパン屋さんでバイトとか、何かいいなぁーって思ったりして。つまみ食いとかできそうだし」
八幡「理由が安直過ぎる……」
結衣「で、それでね! ヒッキーのバイト先のパン屋さんって……バイト募集したりしてるのかな?」
八幡「ああ、してるぞ。つーか、常に求人誌開いたら載ってるし大量募集しているな」
結衣「そ、そうなんだ。じゃあさ、そのパン屋さんの名前とか教えてくんない? その、バイト探しの参考にしたいっていうか」
八幡「参考に、か。それならまあ教えてやってもいいけどよ……」
結衣「うん、ありがと」
――某パン工場前――
結衣「もうヒッキーの嘘つき! どこがパン屋だし! これパン工場じゃん!」
八幡「だから広い意味でって言っただろうが……」
八幡(つか、マジでこいつ応募してくるとは思わなかった……。これならちゃんと、このバイトについて詳しく説明して辞退させておくべきだったな)
八幡(正直、由比ヶ浜のような日の当たる側の世界の人間をこの暗黒の工場の中に押し込むのは申し訳ない)
八幡「つか、何で俺のシフトと同じ日時に合わせたんだ?」
結衣「え、だって……今日初めてのバイトだし、不安だし……」
八幡(まあ、初のバイトなら不安になる気持ちは分かる。特にこのバイト先なんか、俺もネットの評判見ただけで行くの躊躇したもんな)
八幡「ま、嫌になったら昼休憩のときに帰っちまえばいい。そんなに気負うな」
結衣「そうだよね……って、いや帰らないし! ていうか、バイト初日でバックレるとかありえなくない!?」
八幡「俺が今まで見てきたここの新人バイトで、最短の奴は仕事始まって1時間で帰っちまったぞ」
結衣「え、何それ……。それヒッキーのこと?」
八幡「いや俺じゃねぇし。今日もまじめに出勤してるだろうが」
結衣「でも、それって……それだけキツい職場だっていうことだよね……。どうしよ……あたし大丈夫かな」
八幡「まあ、何事も経験。嫌だったら本当にすぐ辞めればいいだけだ。会社側もその辺を見越して大量採用してるわけだし」
結衣「あの求人……そういうことだったんだ。でも、ヒッキーはここでのバイト、まだ続いてるんだよね?」
八幡「まあ、俺のような人間は、かえってこういうバイトの方が性に合ってるのかもしれねぇな」
結衣「どういうこと?」
八幡「ま、実際やってみりゃ分かるだろ。そろそろ出勤時間だ、行くぞ」
結衣「う、うん!」
――バイト控室――
八幡(休日の日中のバイトとなると、出てくる年齢層も様々だ。俺達と同じ高校生風情もいれば、大学生、主婦層、おっさん、おばさん……お年寄り)
八幡(これが深夜勤務になると学生やフリーターの割合が多くなるらしい。まあ、高校生は深夜勤務できないし、若くないと夜勤はしんどいからな)
八幡(逆に高校生のバイトが多いのは午後5時から9時までの夕方勤務だ。学校帰りに軽く食べて出勤し、そこまで遅くない時間帯には仕事上がり)
八幡(4時間なので休憩はないが、まあ8時間働くのは休憩挟んでもしんどいからな。4時間くらいなら放課後でもそれなりにこなせるレベル)
八幡(正直、初のバイトに入るなら夕方勤務にしたほうが良かったと思うのだが……まあ、あいつが決めたことだしな)
結衣「ヒッキー、着替えてきたよ」
八幡「おう」
結衣「ど、どう……この格好、似合う?」
八幡「似合ってるって言われたら嬉しいか?」
結衣「嬉しくないかも……何か凄いダサいもん」
八幡(まあ、イメージ通り、工場用の白い制服である。制服というか作業服か。清潔さ重視だから見た目がファッション性皆無なのはいたしかたない)
八幡「髪、ヘアーネットの中にちゃんと押し込んでから帽子かぶれよ。仮にも食品工場だからな。服装チェックで注意されるぞ」
結衣「あー、うん。わかってる……」
八幡(この制服、布地が安っぽいのか……結構薄いんだよな。だからその、下着のラインというか……そういうのが)
結衣「ヒッキー、どしたの?」
八幡「な、何でもねぇよ」
八幡(おばちゃんとかなら全然気にならないんですけどね……。JKとかJDとか、つい凝視しちゃうよ! やめようよ、こういうトラップ!)
総務「由比ヶ浜さんは今日初めてでしたよね。衛生帽子にこれつけておいてください」
結衣「あ、はい」
結衣「何これ、バッジ?」
八幡「車の初心者マークみたいなもんだ。初バイトには配慮してやれっていう一応の免罪符だな」
結衣「あ、そうなんだ」
八幡「まあ、見ての通り分かると思うが、バイトの帽子の色は、男は青、女は桃色で分けてある」
八幡「白い帽子が社員で、灰色が準社員、白に黒の二重線が入った帽子をかぶっているのが部署のリーダー格だと思っておけばいい」
結衣「う、うん。えっと白が……」
八幡「まあ、そんなにちゃんと覚えなくても指示してくる人間の言うことに従ってりゃ基本なんとかなるけどな」
結衣「そ、そうなの?」
ざわ・・ ざわ・・
八幡「おおかた、9時出勤の他のバイトも集まってきたようだ」
結衣「ヒッキー、知り合いとかいないの?」
八幡「工場の規模が大きいからバイトの数も多いんでな」
八幡「シフトもかなり自由に入れるから、何となく見覚えのあるやつはいるが名前は知らないし、特に話したこともない」
八幡「つか、わざわざ話す必要ないからむしろ気が楽まである」
結衣「……ヒッキー、そういう性格だから友達できないんだよ」
八幡「うるせーな。バイトの本分は労働だろうが。私語とか厳禁なの」
結衣「まあ、それはそうかもだけどさー」
八幡(つーか、食品のラインで作業してる途中にぺちゃくちゃ無駄話してるおばちゃん連中は消えてくんねーかな……唾飛ぶし不衛生だろ)
結衣「あたしのほかに今日新人の人とかいないのかな?」
八幡「見たところいなさそうだな」
結衣「そっか、ひとりだけ……何か余計不安になっちゃうな」
八幡「別に新人全員が同じラインに入るわけじゃねぇから関係ないぞ。そろそろ今日の配置が宣告されるころだな」
結衣「え!? みんな同じ場所で一緒に作業するんじゃないの!?」
八幡「なわけねぇだろ……。うちの工場には食パン課とか菓子パン課とかベーカリー課とか、いろいろな課があるんだ」
八幡「バイトは基本、特定の課に専属で仕事をするわけじゃない。派遣社員のように日替わりでそれぞれの課に振り分けられるんだ」
八幡「受注量次第でその日に忙しい課と暇な課があるからな。バイトは労働力の配分のためにいいように使われる捨て駒ってことだ」
結衣「よく分かんないけど何か理不尽な気がする……」
結衣「え、でもっ……! てことは、あたしとヒッキーも別のとこに行かされるかもってこと……?」
八幡「むしろその可能性の方が高い。十数の課にバイトが振り分けられるんだからな。勿論、暇だから今日はバイト不要な課もあるだろうが」
結衣「そ、そんな……」
八幡(おいおい、何でそんなに悲しそうな顔するんだよ……。俺がいようがいまいが仕事するのは基本的に同じような内容だぞ。心配し過ぎだ)
総務「それでは今日の配属先をお伝えしますね。AさんはOO課、Bさんは△△課、Cさんは――」
八幡「始まったな。俺達も聞きに行こうぜ」
結衣「う、うん」パンパンッ
八幡(え、何両手合せてんの? 神社にでもお参りするの?)
総務「比企谷くんはー、今日は和菓子課でお願いします」
八幡「はい」
総務「由比ヶ浜さんは――」
結衣「は、はいっ」
総務「由比ヶ浜さんも和菓子課ですね」
結衣「!」
総務「比企谷くん、彼女は今日が初めてなので和菓子課まで案内してもらえますか」
八幡「……はあ。はい」
――製造ライン入口――
結衣「もー、凄いドキドキしちゃった。こんなの受験の合格発表のとき以来かも」
八幡「どんだけ緊張してるんだよ……大げさな。さっさと行くぞ。ちゃんと手洗って消毒したか?」
結衣「ばっちり! でも和菓子課なんてのもあるんだ。パン工場なのに」
八幡「大手の製パン会社はパン以外にもいろいろ作ってるんだよ。他にもドーナツ課とか洋菓子課とかもある。クリスマスシーズンにはケーキも作ってるぞ」
結衣「ケーキ作り! わー、それいいかも。何か楽しそうだし」
八幡「ライン作業のケーキ作りだぞ。お前が想像しているであろうケーキ作りとは全く違う」
八幡「第一お前が作ったケーキとか100%検品ではねられて不良品扱いでゴミ置き場行きだからな」
結衣「ひどっ! そこまで言わなくてもいいじゃん……」
八幡「まあ、そこまでのレベルならともかく、ちょっと規格外の大きさだったり傷ついたり潰れたりしたら廃棄処分だからな」
結衣「えー、もったいなくない?」
八幡「成形して焼いた後のパンを再利用はできねぇよ」
八幡「お前は店の棚にあるジャムパンの苺ジャムが飛び出して出血したような潰れた形のパンを買うか?」
結衣「うぇぇ、……買わない」
八幡「……そういうことだ」
――和菓子課・事務室――
結衣「これコロコロ? 床掃除とかするときの」
八幡「ああ、これで全身をコロコロする。まあ、髪の毛とかが付いたまま製造現場に入らないようにするためだな」
結衣「そっか、じゃ、あたしやったげるね!」
八幡「……え」
結衣「あ、両腕横に上げて、足もちょっと開いて。その方がやりやすいから」
八幡「お、おう……」
コロコロコロコロ
結衣「~♪」
八幡(おい、ちょっと待て。いつもは誰もやってくれないからセルフコロコロして、背中の方とかやりにくいなーとか思ってるのに)
八幡(何で女子にコロコロされちゃってるのぉ! 俺のあんなところや、こんなところまで! 全身が拭き取られちゃうよぉぉぉおおおっ! つかちょっとくすぐったいんですけどっ!)
結衣「終わったよー。ヒッキー全然汚れとかついてないね」
八幡(くそっ、……何の罰ゲームだよこれ。仕事始まる前から徒労感半端ないんだが……)
結衣「じゃ、次あたし、ヒッキーよろしく」
八幡「え?」
八幡(え、俺がコロコロすんの? 由比ヶ浜の身体を? 服越しだけど? あんなとこからこんなとこまで?)
八幡「い、いや……それちょっとアレだろ。その……間接的だけど……感触が……というか」
結衣「へ? 感触……、……あっ……」
八幡(おい、今さら赤くなるな……。俺なんて事後なんだぞ。余計恥ずかしいじゃねぇか……)
女性社員「クリーナー終わりましたか?」
結衣「あ、すみません。……あたし、まだです」
女性社員「は? もう始業時間なんですけど。てきぱきしてもらわないと困りますね」コロコロ
結衣「あ、はい……すみません。ありがとうございます」
八幡(ま、これが妥当な結果だろう。つか女性社員さん、何で俺にはやってくれないんでしょうかね……)
――和菓子課・製造ライン――
結衣「うわー、何だかちょっと暑いね。空気がもやっとしてる感じ」
八幡「そりゃまあ、もち米炊いたり、蒸しパン焼いたりしてるからな。逆にワッフル作ってるとことかマジ寒いぞ」
結衣「ふぅん。ていうか、蒸しパンって和菓子なの?」
八幡「よくは知らんがここでは和菓子に分類されているらしい。和菓子課は大所帯だ。いろんなもんを作ってる」
結衣「へぇー」
リーダー「おっ、バイトくんじゃないか! 久しぶりだな」
八幡「あ、どもっす」
リーダー「えーと、そっちの君は新人さん?」
結衣「あ、はい、そうです。由比ヶ浜っていいます、よろしくお願いします」
リーダー「バイトくん、団子拾いやったことあるよね?」
八幡「あーはい、一度は……結構前に来た時ですけど」
リーダー「じゃ、言わなくても分かるね。ちょうど二人夜勤の子が上がりだから、代わってあげて」
八幡「えっと、二人交代ってことは……俺と」
結衣「あたしが……やるんですか?」
リーダー「バイトくん、その子にやり方教えてあげて! 頼むよ!」
八幡「……了解です」
――団子ライン――
結衣「ヒッキー、あの人に顔覚えられてるんだ」
八幡「まあ、何度かここも来てるからな」
八幡(名前は覚えられてねぇけど。いつも『バイトくん』呼ばわりされるんだよな)
八幡(バイトとか俺以外にもたくさんいるんですけど? いつから固有名詞化したの? それともリアルモブ扱い?)
八幡「それに、何だかんだで俺は仕事ができるほうだ。だから向こうにしちゃ、使いやすい駒として認識してるんだろうな」
結衣「何かそれって微妙な感じ……もっとフレンドリーならいいのに」
八幡「ま、それよりさっさと仕事するぞ」
結衣「えっと、団子拾いだっけ? って、何するの? 栗拾いみたいな?」
八幡「団子は木の実じゃねぇぞ……」
結衣「知ってるし! 言ってみただけ!」
八幡「ほら、そこのラインに串団子が流れてるだろ」
結衣「あ、ほんとだ。三色団子! おいしそうー」
八幡「このラインが下流にいくと、専用の機械によって自動的に団子が3串ごとにパック詰めされ、賞味期限とかが書いてあるシールが貼り付けられる」
結衣「シールも自動なんだ」
八幡「まあ、基本的にはな。団子の製造に関してはほとんど自動化されてるぞ」
結衣「他のとこでは違うの?」
八幡「まあな、例えばホットドッグ用のパンにウインナーをのせたりとかするのは手作業だ」
結衣「え、それ手作業なの? ウインナーのせるくらい機械でできるんじゃない?」
八幡「機械化したらそのぶんコストがかかるからな。そこはバイトを雇う人件費と天秤にかけてるんだろう」
八幡「季節限定ものとか、生産量が少ない種類の製品に適した機械を導入しても、他の製品に転用できなきゃ無駄になるしな」
八幡「そこらへんの兼ね合いとかで手作業になる部分も結構あるんだろ」
結衣「うーん……うん、なるほど」
八幡(こいつ絶対あんまり分かってねぇだろ)
結衣「で、あたしたちが団子拾い?するのはどこなわけ?」
八幡「このラインの一番後ろだ。パック詰め、シール貼りが終わって、一応商品としての形ができた団子を、番重っていうプラスチックの入れ物の中に入れていくんだ」
八幡「団子を入れた番重は専用の台車の上に乗っけて、また同じように団子を番重にいれて上にどんどん重ねていく」
八幡「番重のタワーがある程度の高さになったら、運び担当が持って行ってくれる。製品管理室だっけか? 搬送前の留め置き場があるんだ」
結衣「え、えーとつまり……あたしがやることって」
八幡「入れ物にパックの団子をひらすら詰める作業」
結衣「何それー、超簡単そうじゃん」
――拾い場――
結衣「わっ! わっ! わあっ!? ヒッキー助けて! 何かたくさん流れてくる! わっ、床に落ちちゃう!」
八幡「ラインは待ってくれねぇんだよ。手際良く番重に詰めていかないとすぐあふれるぞ」
サッサッサッサッサッ
八幡「1パックずつ両手で丁寧に入れていたら到底間に合わない。こういう持ち方で一度に4つずつ詰めていけ」
八幡「あと番重に入れるときの方向に注意な。縦横の幅を考えるとこういう入れ方をしたら一番多く入るんだ」
結衣「う、うんうん。こうだね」
八幡「番重を積むときにはちゃんと角と角を合わせて綺麗に積めよ。適当に乗っけてるとバランス崩すからな」
八幡「番重タワーは20段積んで一本出来上がりだ。自分の目線の高さが何段目になるか覚えておけばいちいち下から数えなくてもすむ」
結衣「ふむふむ」
八幡「それと台車を足元に取り寄せておけよ。タワーが完成したらすぐに次のタワー作りに移れるようにな」
八幡「台車は汚いから直接手で触れるな。このタオル越しに扱うんだ」
結衣「ヒッキー……すごい慣れてるね。動き早いし、超テキパキしてて説明うまいし」
八幡「そりゃ、一度やってるからな」
結衣「一度やるだけで、そんなできちゃうんだ」
八幡「言っただろ。俺は仕事はできるんだよ、それなりにな」
八幡「それに、一度慣れたらそんなに大変なもんじゃない。所詮はバイトにできる仕事だ。目をつぶってもできる」
結衣「目をつぶったらできなくない?」
八幡「いや、それはものの例えだから……」
結衣「で、でも……あたしできるかな」
八幡「できてもらわないと困る。30分後に隣のラインでみたらし団子が流れ始めるから、始まったら俺はそっちに行けって言われててな」
八幡「その後はお前ひとりでここで拾い続けるんだぞ」
結衣「えええっ! 30分で覚えないといけないの!?」
八幡「由比ヶ浜。やれば、できる。できるんだ!」
結衣「そういうのいらないし! ヒッキーしっかり教えてよ~!」
八幡「分かってるっての。しっかり教えてやるからよ、心配すんな」
結衣「ヒッキー……。あ、ありがと」
結衣「よーし、あたし頑張るから!」
八幡「よしよし、頑張れ頑張れ」
――1時間後――
ガコン ガコン ガコン
八幡(今日は不良品多いな)
八幡(みたらしはタレがパックの隙間から外に出たらアウツだから、三色団子より面倒なんだよな。ごく少量なら布巾で拭き取れるが……あん団子もしかり)
八幡(うっかりしみ出したタレに触っちまうと、ゴム手袋すぐ替えないといけないしな。そのまま触ったらほかの商品まで汚れちまうし)
八幡(由比ヶ浜は……)
結衣「うんしょっと……」
結衣「番重って結構高く積まなきゃいけないんだ……あたし背そんなに高くないしちょっときついかも」
社員「ちょっと君!」
結衣「は、はいっ」
社員「君が拾ってくれた番重のなかにシールが一部破れている商品があったんだけど? ほらこれ」
結衣「あ、あ……ほんとだ。すみません……間違って入れちゃったみたいで」
社員「不良品はちゃんと除くようにって話聞いてる?」
結衣「は、はい。……聞いてます」
社員「こういうのがもし出荷されたら本当に困るんだよねぇ。分かってんの君?」
結衣「はい……分かってます。すみませんでした」
社員「ほら、ライン煽られてるよ。早く拾って!」
結衣「は、はいっ!」
八幡(うわー、自分で教えてもいない癖に偉そうな社員だな。つーか、新人だぞ。ちょっとは大目に見てやってもいいだろ)
八幡(最悪、配送後に店舗の人間が気づいて取り除けば済むわけだし。まあ、メーカー側としてはちゃんとした製品を出荷することが信用にも関わるし、仕方ねぇけど)
八幡(それより、ラインが動いてる時に話しかけるなよ……。せめてラインが止まってる時に声かけろ。空気読め)
八幡(あと、女子が高いところに頑張って手を伸ばして番重のっけてるんだ)
八幡(ちょっと手を貸すとかしてやれよ……そんなんだから日の当たらない工場で底辺社畜なんかしてるんだぞ)
八幡「ったく」
八幡(できれば手伝ってやりたいところだが、こっちも持ち場を離れるほどの余裕はねぇからな)
八幡(すまんな、由比ヶ浜)
――食堂――
がや・・ がや・・
八幡(今日はちゃんと1時間休憩もらえたな。しかもいい具合に昼時に)
八幡(日によっては同じ課の中でもあっちこっち持ち場がかわる場合もあるが、今日はずっと団子拾いだろうか)
八幡(まあ、正直単調ではあるが……同じ作業をきちんとこなしている限り、誰にも文句は言われないし)
八幡(くだらない想像を働かせて退屈しのぎをしているうちに勝手に時間は過ぎていく。あれ、学校の授業中と大差なくね?)
八幡(共同作業とか接客とか……人間相手に気を使う必要がないだけ気楽なものだ。工場内の機械の一部になりきればいい)
八幡(毎回配属先が変わって社員の顔ぶれもバイトのメンバーも変わるから、変な馴れ合いに接して気分を害することもない)
八幡(ちょっとアレな社員やバイトがいて嫌な気になることもあるが、まあそれは仕事には付き物だ。致し方ない)
八幡(そんなわけで、パン工場のバイトって案外ぼっち向きな職業なのではないだろうか)
八幡(やばい。このままだとコンビニ人間ならぬ、パン工場人間になってしまう。略してパン人間)
八幡(何それ、頭の形がパンになってそうで怖い。アンパンマンかよ。末は博士かパン大臣ってか)
八幡(正常な世界はとても強引だから、異物は静かに削除される。まっとうでない人間はパン工場で処理されていくのだ……)
結衣「ヒッキー。ヒッキーってば!」
八幡「おおぅ? ……ああ、由比ヶ浜か。休憩に入ったんだな」
結衣「うん。てっきりお昼になったら機械も止まってみんな休むのかと思ってた」
八幡「大手ってこともあるんだろうが、ここは24時間365日、常にどこかのラインが動き続けている」
結衣「そうみたいだね」
八幡「…………」
結衣「…………」
八幡「で、どうだ。ちょっとは慣れたか?」
結衣「うん、だいぶ出来るようになったし」
結衣「何か、途中でシール貼る機械が調子悪くなって、蓋が開いたままのお団子がいっぱい流れてきたときは、もうほんとどうしようって思ったんだけど」
結衣「その時は別の社員さんが助けてくれたし、さすがにラインも止まったから何とかなった」
八幡「そうか。まあ、よかったな」
八幡「…………」
結衣「…………」
八幡「嫌なら帰ってもいいんだぞ。別にバックレなくても、体調が悪いとか総務に言ったら帰してくれるだろ。で、次から来なきゃいい」
結衣「ううん、帰らないよ。確かにちょっとヤな感じの人もいるけど、あたしが悪いって部分もあるし」
結衣「それに……。ヒッキーがバイト続けられてるのに、あたしが続けられないなんて何か悔しいし」
八幡「いや、何その対抗意識……そんな張り合うもんじゃねぇだろ」
結衣「ていうか……」
結衣「ヒッキーせっかく教えてくれたし」
結衣「……ヒッキーと、一緒に……なら……」
八幡「え? 俺と……何だって?」
結衣「別に何でもないし! あーお腹すいた! いただきまーすっ!」
結衣「んっ……あ、このパンおいしいかも」
八幡「つかお前、そこの棚のパン食べるのな」
結衣「いいじゃん、無料だし。食費が浮くし」
八幡「まあ、それはそうだが」
八幡(パンに囲まれまくってずっとパンのにおいを嗅がされてると、何となくパンはもういいって気分になるんだよなあ)
八幡(あと、賞味期限今日までの余り物だし)
八幡(でもまあ……)
八幡「じゃ、俺もパン食うかな」
結衣「ヒッキー、もうご飯済ませたんじゃないの?」
八幡「ラーメン一杯すすっただけだ。小腹は空いている」
八幡「今日は結構品揃えがいいな。団子もあるぞ。食うか?」
結衣「あー、団子は……いいや」
八幡「そうか」
もぐ・・ もぐ・・
結衣「…………」
八幡「…………」
結衣「ヒッキーさ、ライン移った後も、あたしのほうちらちら見てたよね?」
八幡「は? ……み、見てねぇし。何でお前のほう見る必要あるんだよ」
結衣「ヒッキーも忙しいのに、あたしのこと心配してくれてるんだなって思って……何か嬉しかった」
八幡「……そういうんじゃねぇよ。お前がしっかり出来てないと指導任された俺まで注意されるだろ……だから」
結衣「あはは、ヒッキーっていつもそんな感じだね。ほんとひねくれてる」
八幡「いいだろ別に、ねじりパンとか嫌いじゃねぇし。じゃ、俺そろそろ戻るわ」
結衣「うん。また後でね」
八幡(はぁー……何つーか。バイト来てこんなに喋ってるの初めてじゃね)
八幡(接客のバイトでもこんなに喋ってねーよ。いや、それはちょっとマズいか……)
八幡(でも、まあ……、……まあ、いいか。たまには、な)
――和菓子課・拾い場――
社員「あのさぁ……ちゃんと話聞いてるわけ?」
準社員「は、はは……」
社員「ヘラヘラしてんじゃねーよ!」
準社員「はい……」
社員「こっちのパンはご当地ものでラベルが違うから入れ替えとけって俺言ったよね?」
準社員「いや、はは……」
社員「ふざけんな! お前は何度言ったら分かんだよ! ふざけんな! いつもいつも! 無駄な仕事増やしやがって!」
社員「お前のせいでみんな気分悪くなるんだろーが! このクズがっ!」
準社員「…………あは、あは」
八幡(いや、あんたのせいで空気悪くなってるんですが……)
八幡(ま、見たところ、あの準社員は仕事ができないのは確かだろう)
八幡(だが、仕事ができない人間に怒鳴ったところで、急にできるようになることはまずない)
八幡(ならなぜ怒鳴るのか。半分はストレス発散だろう。もう半分は?)
八幡(自分より下とみなしている人間=非正規を叩くことで得られるちっぽけな優越感の獲得……かな)
八幡(くだらねぇ……)
八幡(この様子じゃ、いつもあの二人の間にはこういうやり取りがあるんだろうな。他の社員さん達、お気の毒)
結衣「何か……やな感じだね」
八幡「由比ヶ浜。そっちのラインも小休止か」
結衣「うん。今は機械周りの掃除とかしてる。ヒッキーも?」
八幡「ああ。今は止まってる。番重を運ぶのを手伝って、たまったゴミを捨てに行って戻ってきたら、これだ」
結衣「そっか。……ヒッキーじゃないけど、何かこういう光景見てると、あたしも将来働きたくないなー……なんて思っちゃう」
八幡「世の中こんな職場ばっかりじゃねぇよ。もっと風通しのいい職場だってきっとあるはずだ。企業のパンフレットとかにそう書いてあるしな」
結衣「……それ、本当なのかな」
八幡「まあ、入ってみりゃわかる」
結衣「入ってみなきゃわからないんじゃん……」
八幡「ま、そういうわけで。俺は働かないけどな。戦略的撤退だ」
結衣「はぁ、まったく」
リーダー「あー、バイトくん達。二人とも来てくれ」
リーダー「しばらく団子のラインは止まってて、次は肉まんが来るけど」
リーダー「もうじき夕勤の人達が入るからこっちはもう人手は足りてるんだ」
八幡「はあ……」
結衣「え、じゃあ、あたしたちは何をすれば?」
リーダー「向こうの焼き菓子のところに入ってくれ。何、たいしてやることはないから気楽に上がりまで時間潰しといて」
結衣「午前中とか凄い忙しかったのに……この時間になると暇になるんだね」
八幡「まあ、それは日によるとしか言いようがない。逆に追加発注が着て夕方忙しいときもあるし」
結衣「こういうことってよくあるの?」
八幡「まあ、たまにはあるってくらいだな。一度、やることがなくて終業時間まで2時間ぶっ続けで清掃作業をさせられたことがあったな」
結衣「うわ、2時間ずっと? それは嫌かも……」
――和菓子課・焼き菓子ライン――
結衣「…………」
八幡「…………」
ガコン ガコン ガコン
結衣「何かここは、すごい和菓子課って感じするね。えーと、このお菓子って何て言うんだっけ」
八幡「月餅だな。ゴマとかが入った餡を生地でくるんで焼いたやつ」
結衣「あ、そう、それそれ」
八幡(焼成されて出てきた月餅が流れるラインで待ち構えて、不良品を取り除きつつ綺麗に並べる作業)
八幡(これなら一人でもできるし、二人ならもう余裕なレベル)
八幡(新人バイトに対しては本来こういう仕事から始めさせたらベストなのだが、いかんせん決められた工程は現場の人間には優しくない)
結衣「でも、これとかちょっと端っこが欠けちゃってるだけなのに、捨てるのもったいないなあ」
八幡「まあ、仕方ねぇよ」
女子準社員「二人ともお疲れさま。そろそろ終わりの時間よね。もう上がってもらって構わないわ」
結衣「あ、はーい!」
八幡(ふぅ……長い一日だったぜ。まあ、いろいろあっていつも以上に疲れたな)
女子準社員「それとこれ、おみやげ」
結衣「え、これ……月餅だ。栗まんじゅうも入ってる!」
女子準社員「少し欠けたものばかりだから商品にはできないけどね。食べる分には問題ないわ。綺麗な袋に入れておいたから」
結衣「わぁ、ありがとうございます」
八幡「でも、こういうのっていけないんじゃないですか? 処分するものはきちんと分けて計量して持って行かないと」
女子準社員「んー、ほんとはいけないんだけどね。でもやっぱり勿体ないし」
女子準社員「それに、せっかくうちの工場にバイトしに来てくれたんだから。工場でできたてのものを味わってほしいなって」
八幡「はぁ……」
結衣「もー、ヒッキー固いこと言わない。せっかくだし、もらっちゃおうよ」
八幡「……まあ、好きにすりゃいいよ。声かけられたのはお前だしな」
女子準社員「うちもいろんな人が働いていて、みんなもちょっと嫌な気持ちになることもあるかもしれないけど」
女子準社員「それでも、うちが出してるパンや和菓子は……嫌いにならないでほしいなあ。なんて」
八幡「…………」
結衣「…………」
女子準社員「それじゃ、お疲れさま」
結衣「お疲れさまです!」
八幡「お先に失礼します」
――電車――
ガタン……ゴトン……
結衣「すっかり夜になっちゃってたね」
八幡「そりゃあな。一日中、工場の中に缶詰めだったからな」
結衣「和菓子、結構たくさん入ってるから明日部室に持っていこ! ゆきのんにも食べてほしいし」
八幡「少し欠けてる大袋入りの月餅とか見せられたら、あいつ不審がるんじゃねぇの」
結衣「大丈夫、あたしが作ったって言うから。ちょっと欠けてるのがそれっぽくない?」
八幡「アホか。味は市販レベルだからすぐにバレるだろ。つか見た目もお前のよりはるかにマシだ」
結衣「うぐぐ~、そっか……」
八幡「まあ、その時は俺が適当に言い繕ってやるよ。せっかくだから、茶請けに持って行けばいい」
結衣「そう? じゃあ……うん、持って行くことにする」
八幡「おう」
『次は――、――』
結衣「じゃ、あたし次で降りるから」
八幡「…………」
結衣「…………」
八幡「……また家の近くまで送ろうか?」
結衣「ううん、いい。まだそんなに遅い時間じゃないし」
八幡「……そうか」
『――、――です。お降りのお客様は――』
結衣「それじゃ、バイバイ。ヒッキー、また明日ね」
八幡「ああ、またな」
結衣「…………」
八幡「……?」
『発車します。ご注意ください』
結衣「今日は楽しかった。ありがと、ヒッキー」
八幡「あ……」
ガタン……ゴトン……
八幡(楽しかった。ありがとう)
八幡(あんな社会の縮図を見せつけられて楽しかったも何もないはずであり)
八幡(それゆえに、というかそれ以前に俺が感謝されるいわれなどありもしないのだ)
八幡(それでも彼女は、由比ヶ浜結衣はそう言った。『楽しかった。ありがとう』と)
八幡(嫌なことの多いバイトでも、たった一つでもいい。ひとかけらほどでもいい)
八幡(心地よい経験を得ることができるのであれば――仕事も捨てたものではないのかもしれない)
八幡「はぁー」
八幡「それでも俺は――」
八幡「働きたくねぇけどな」
(おしまい)
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