「北上麗花は二度刺す」 (39)

花の慶次という漫画をご存知だろうか?
かつて週刊少年ジャンプにて連載され、人気を得た漫画である。
その中に、こんな一文がある。

『人は慶次が悩みなどとは無縁な男だと信じている』

慶次とは歌舞伎ものであり、相手や場所を選ばず、あるがまま、ほしいがままに振る舞う人物である。

さらに続く。

『一見、悩みそうもない生き物こそ深く悩むものだと慶次は思う。そうとも、熊や猪こそ悩むのである』

同じように、悩みなど無縁だと信じられている彼女、つまり、北上麗花も悩んでいた。
懊悩と言ってもいい。
彼女は歌詞を書こうとしていた。
天啓である。
しかし……
シャーペンの芯が無いのである!

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ボールペンでは消せない。
鉛筆では、なんかあんまり雰囲気が出ない。
だからシャーペンでなくてはならない。
しかし、芯が無いのである。

一応、部屋の中を探そうとした。
一本くらいどこかにあるだろうと。
座布団に座ったまま、部屋の中をグルリと見渡す。
そして諦めた。
北上麗花の部屋がどんな状態であるかなど、ここでいちいち説明はしない。
乙女のプライバシーである。

彼女は悩んだ。
真剣に。深刻に。
しかし、コンビニに買いに行こう、などとは思わない。
思わないのだから仕方ない。
越冬燕が「暖かい大地まで泳ごう」などと思わないのと同じである。

細い指でスマートフォンを操作する。
LINEだ。
相手はプロデューサー。
彼女の上司であり責任者であり被害者だ。

「シャーペンの芯がありません♪」

買ってきてください、などとは言わない。そして、なぜ文末に八分音符を付けるのかなど、些事にすぎない。
無い。
芯が。
それだけで伝わる何かが、きっとあるのだ。

続けてLINEを送る。
相手は野々原茜。
同士であり、被害者である。

「シャーペンの芯がありません♪」

やはり、買ってきてください、などとは言わない。
それはまったく、自然なことなのだ。

北上麗花は二十歳である。
趣味は登山で、肺活量には自信がある。
そんなことも些事である。

LINEが返ってきた。
まずはプロデューサーからだ。

「えっと…買って行った方がいいのかな?」

それを読むと同時に、閃いた。

ー筆ペンがあるじゃない!

筆ペンも消せないだろうとか、雰囲気云々はどうでも良い。
部屋に筆ペンがあるのである。
それが全てだ。
『パンがなければケーキを食べれば』的なそういうアレである。

「筆ペンがありました!」

そう返すと、20秒経つか経たぬかのうちに

「あ、筆ペンか。そっか」

と返ってきた。
被害者たる素質と資質は十分にあると見える。
たぶん誇っていい。

『さんぼ わさんぼ わさんぼん』

ノートに書き連ねる。
天啓なのだ。
死後に評価された数多の芸術家のように、いつか評価されるかもしれない。

『よんぼ よよんぼ よつやかだん お岩さーん』

文芸をはじめとする芸術に意味を求めるのは、無粋というものだ。
彼ら彼女らは、瞬間を生きているのだから。

『ごぼごぼ ごぼごぼ おぼれちゃう』

無粋というものだ意味とかは。
生きているのだ、瞬間を。

『ろくぼ』

「ろくぼ…ろくぼ…ろくぼってなに?」

その問いに応える声などない。
『孤高』という言葉が芸術家のためにあるとするならば、北上麗花もまた、孤高なのだから。
『ろくぼ』が何かと聞かれても、平凡な者には知る由もないではないか。

だから北上麗花は、天が与えた感性が求めるままに、ペンを走らせる。
筆ペンを。

『ろくぼ ろくろく 泣きぼくろ ね?』

その『ね?』に対しては『そうですね』と答えるのが筋というものだろう。
平凡な者にできる、唯一ともいえるアレである。

『さんぼ わさんぼ わさんぼん』

ノートに書き連ねる。
天啓なのだ。
死後に評価された数多の芸術家のように、いつか評価されるかもしれない。

『よんぼ よよんぼ よつやかいだん お岩さーん』

文芸をはじめとする芸術に意味を求めるのは、無粋というものだ。
彼ら彼女らは、瞬間を生きているのだから。

『ごぼごぼ ごぼごぼ おぼれちゃう』

無粋というものだ意味とかは。
生きているのだ、瞬間を。

『ろくぼ』

「ろくぼ…ろくぼ…ろくぼってなに?」

その問いに応える声などない。
『孤高』という言葉が芸術家のためにあるとするならば、北上麗花もまた、孤高なのだから。
『ろくぼ』が何かと聞かれても、平凡な者には知る由もないではないか。

だから北上麗花は、天が与えた感性が求めるままに、ペンを走らせる。
筆ペンを。

『ろくぼ ろくろく 泣きぼくろ ね?』

その『ね?』に対しては『そうですね』と答えるのが筋というものだろう。
平凡な者にできる、唯一ともいえるアレである。

ハルハル春ー、と書こうとしたときだった。
決して、よんぼとかろくぼに飽きたわけではない。
閃きはいつだって突然なのだ。

『えっと…持っていこうか?』

野々原茜からのLINEである。
この一文だけでも分かる。
彼女もまた、被害者たる素質も資質も十二分である。
北上麗花は再び、細い指でスマートフォンを操作する。

持っていこうか、など、北上麗花にとっては10年前の朝食程度にどうでもよいのである。
そういうふうに地球が回っている以上、それは如何ともしがたい事実なのだ。
だからこう返した。

『なんか面白いこと言って♪』

と。
それを読んだ野々原茜の表情を見てみたい気持ちも十二分にあるが、天上人ではない我々は全てを知る術など持たないのである。

クレヨンでお絵描きすること、およそ20分。
断じて、作詞に飽きたわけではない。
作画もまた、北上麗花の尊いアレなのだ。

スマートフォンが鳴る。
野々原茜からLINEである。

『お茶のプリン新発売!茶ーリー・茶ップリン!』

続けざまにもう一通送られてきた。

『わかる?』

さらにもう一通。

『チャーリー・チャップリンって人がいました』

その後も三通のLINEが届いたが、それらはすべて、かの喜劇王に関する説明に費やされていた。

既読無視。
そう、去り行く一切は比喩に過ぎないのである。
だからこれはもうどうしようもないことなのだ。

「ぷっぷかぷー♪ぷっぷかぷー♪」

この美声は天が北上麗花に与えた天分ともいえるだろう。
ならば、歌いながら

「ポテトチップスの空き袋で折り鶴を折ろう!」

としているのは?
分からない。
北上麗花自身にも、きっと。

しかし開花期を迎えた花が咲かずにはいられないように、飴玉を見つけた蟻が巣穴へと運ばずにはいられないように、それはまったく自然なことなのだ。

スマートフォンが鳴る。
野々原茜からのLINEである。

『えっと…シャーペンの芯買っていこうか?』

今度は返信した。
慈母の如き優しさである。

『筆ペンだよ♪ペンペンペーン!』

20秒経つか経たぬかのうちに返事が送られてきた。

『そっかぁ、筆ペンかぁ!ペーン!』

野々原茜がどんな顔でこの文章を打ち込み、そして送信したかなど、俗人である我々に知る由もない。
ただただ、野々原茜という少女の幸福を祈るばかりである。

さて、ポテトチップスの空き袋による折り鶴のことだ。
どうなったのか。
結末を知りたいと望むのが「与えられる側」の権利であるのならば、我々はそれを望んでよいだろう。

折れない。
ポテトチップスの空き袋で、鶴は。
現に、北上麗花は折ることができなかった。
理由は知らない。
重要なのはいつだって真実よりも事実なのだ。
脂まみれになった指を舐めながら空き袋を放り投げた北上麗花の姿は、その象徴である。

なぜゴミ箱に捨てないのか?
ゴミ箱がどこに隠れているのか分からないからだ。
説明するまでもない。
北上麗花はまったく自由で、とうにゴミ箱というごく小さな着地点から解放された存在なのだ。

「あっ!」

北上麗花からあらたなるインスピレーションが湧き出でたようだ。
嬉々としたその叫びは、泉の大きさを物語っている。

いくつもの障害物を踏破し、部屋のドアを開けた。
いままでにいくつもの山々を踏破してきたように。

「おかあさーん!芯かして!シャーペンの!」

この瞬間、筆ペンは過去の遺物と化した。
筆ペンが罪を犯したわけではない。
すべての事象にはそれぞれに役割があり、その役割を終える日が必ず訪れるのだから。
筆ペンはその日を迎えた…それだけである。

「芯ないよ」

「ないの?」

「ないよ」

「そっか」

「筆と墨汁ならあるわよ」

「かして!」

「ウソ」

「ウソかぁ」

それはまるで、かの『セカンド・シティ』の舞台を観ているかの如き、極めて洗練されたインプロヴァイゼーションであった。
この母にしてこの娘あり、などという俗な表現ではおよそ説明のつかない、そういったアレである。

『筆と墨汁』を用いるのならば先ほどの筆ペンで良いのではないか?
という命題が諸氏の頭の中を駆け回ることも容易に想像できるが、それもまた俗なアレに過ぎないのであるから、世俗のことどもで充ちたその脳髄を悩ませる必要はない。

北上麗花が肩を落としている。
芯は無かった。
筆と墨汁も。
華奢なその肩にとてつもなく重い荷物を載せているかのように見える。
それほどまでに、肩を落としている。

「あっ!」

しかしその背中には翼が生えていた。
我々が何度人生をやり直しても越えることができない山を、軽々と飛び越えてゆける翼が。

スマートフォンを手に取る。
細い指を動かす。
LINEである。
相手は?

『なんか面白いこと言って♪』

野々原茜である。
あぁ!いったいどれほど、人は祈りを捧げなければならないというのか。
かつての原罪を赦され、無に還るまでに。
北上麗花のLINEは、それを問いかけているかのように思えた。

待つ。
ただ、待つ。
スマートフォンを凝視しながら、野々原茜からの返信を。

5分。
とっくに既読はついている。

10分。
まだ贈り物は届かない。

それでも待っている。
北上麗花は、じっと。
天才のみが持つ集中力を、すべて動員して。

22分後。
スマートフォンが鳴った。
無垢なる北上麗花の願いが天に届いたのだ。

『プリンの国のお姫さま、その名はプリンセス!』

少し間を置いて、再びメッセージが送られてくる。

『わかる?』

数分後。
三たび受信。

『プリンのプリンとね、プリンセスのプリンをかけてるんだよ』

すぐさま四通目。
古来より我が国では、四は不吉な数字とされてきた。

『わかる?』

既読無視。
我々には、ただ祈ることしかできない。
野々原茜に、救済の日が訪れることを。

『プリンスの方がよかったかな?』

その悲痛な問いかけに応える者は、誰もいない。

自由であるはずの北上麗花にも、やはり制限は与えられている。
時間というもが、それだ。
時計の針は23時ちょうど。
そろそろ翼を休めなければならない。

「ペンペンペーン♪ふでペンペーン♪おしーりー」

ペンペンペーン♪
と続けるのは、我々の義務であり責務であり使命である。
それにより、あの筆ペンも安らかな眠りにつけるだろう。

灯りは消え、闇が降りてくる。
浄暗と呼ぶべき、清らかな静寂。
不必要なものは何もない。

「茶っプリン…ふふっ…ふふふっ……茶っプリン……」

シーツにくるまれた肢体が小さく揺れている。
そしてその瞬間、野々原茜は救われた。
本人がそれを知っているかどうかは、また別の話である。
北上麗花は清らかな眠りについた。
それがすべてなのだから。


お し ま い

終わりです。
北上さん難しい。でも好き。
もっとSS増えて。
読んでくれた人、ありがとう!

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