岡崎泰葉「ころころ丸い、網目の幸せ」 (22)
―――
「――ただいま、戻りました……」
夏の気配が色濃く漂い始めた街をぽてぽてと歩き、過ごし慣れた事務所へようやくたどり着いた。
陽炎が揺らめくアスファルト。照りつける日差しを容赦なく反射し、肌を焼いてくるビルの窓ガラス。
それらをなんとか掻い潜った私は、肺に溜まった熱気を吐き出してひと息。
「おかえりなさい、泰葉ちゃん。外暑かったでしょう? クーラー入れときましたよ♪」
「あ……ちひろさん。ありがとうございます……ふう、本当に茹だりそうでした」
「ふふふ。お仕事お疲れさまでした」
今日はもう、日が沈んで涼しくなるまで外には出ない。
汗を拭いながらそう決めて、いつものソファーに身を預けた。
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「今日のお仕事は……うん、泰葉ちゃんはもう無いみたいですね」
「はい、良かったです……。またこの暑い中に放り出されるのは、ちょっと……」
カチカチカリカリとマウスを動かして、ちひろさんがスケジュールを確認してくれる。
手帳にもしっかり書いてあるけれど、自分で確認するには今は頭がくらくらしすぎて……ちょっぴり甘えてみたり。
「ふふ、なにか飲み物でも飲みます?」
くったりとソファーに沈み込む私を見て、優しいお姉さんはにこやかに聞いてくれた。
「あ……それじゃ、アイスコーヒーを」
「はーい、ちょっと待っててね♪」
給湯室に消えていく影をぼやっと眺めて、もう一度息を吐く。
今度は室内の冷たい空気を感じて、今日のお楽しみを思い出した。
「……ふふっ」
鞄を漁って、丁寧にしまっておいた包みを取り出す。
私の好きな青色のリボンで括られた、桃色の袋。
――だってピンクも好きでしょ?
……いつそのことがバレたのか分からないけど、まぁそれはそれでいいとして。
『誕生日おめでとう! R&K』
挟まれている小さなメッセージカードに書かれた短い言葉だけでも、ふたりの想いは充分に伝わってきた。
「はぁ……良い香り」
ラッピングされていても、なお漂う香ばしい匂い。
この匂いだけでお腹がいっぱいになってしまいそう。
今朝、事務所を出て別れる際に、慌ただしく渡されたけど……未だその香りは衰えず。
「……はぁ~」
「――おまたせしましたー♪ ……なにしてるんですか泰葉ちゃん」
鼻をくっつけてくんくんしていた私を誰が責めるというのか。
プレゼントを放り投げなかっただけでも褒めてほしい。
「ア、アリガトウゴザイマス……」
「いえいえ。……で、それってもしかして」
「は、はい……ふたりの手作りだそうです」
「あら♪ 良かったですね」
か、顔赤くなってないかな……。
ごまかすように手早くリボンを解いて、ついに中身を拝見。
「――はぁ~……っ♪」
ああ。
朝からずっと我慢していた。
時間が経っても褪せることのない、鼻腔をくすぐる魔力。
袋を揺するだけで弾ける、この言い難い衝動。
決してお店では手に入らない。
少しいびつな円形。
荒い焦げ付き。
見様見真似だと分かる網目模様。
プロのメロンパニストからすれば、拙さが溢れるこれはただの石ころ同然だろう。
しかし私にとっては、彼女たちが心を込めて作ってくれた、至大至高にして唯一無二のメロンパン。
宝石と言っても過言ではない。
生地を練り、焼いたのはきっとあの子。
そして華やかにトッピングしたのはあの子だ。
ふたりが……私のために作ってくれた。それだけで宝物。食すなどもったいない。
ああでも、食べなければふたりに申し訳ない。
ああでも、食べてしまえば無くなってしまう。
どうして。
どうしてメロンパンは食べると無くなってしまうの?
私はいったい、どうすればいいの……!?
「写真撮ってから食べれば良いと思いますよ」
至極真っ当な答えがちひろさんから告げられた。
「――ごくり。では……いただきます」
アイスコーヒーで唇を湿らせ、いざ。
「――はむっ」
サクッ。
「――――!」
ふんわり。
「――――!!」
私の意識はそこで途切れた。
.
―――
「――やーすはー。そろそろ起きなよー」
つんつんと、泰葉の頬をつつくのは北条加蓮。
仕事から戻って来たら、蛍光緑のアシスタントに膝枕されていた彼女を発見したのだ。
「ダメだよ加蓮、寝てるんだから……」
アシスタントに代わり膝枕を任されているのは、同じく仕事から戻った多田李衣菜。
未だ眠る彼女にちょっかいを出す加蓮を咎め、優しく泰葉の頭を撫でる。
「……はぁ~……♪」
「……ほんとに寝てるの、これ」
「ね、寝てるんじゃないかな……?」
幸せそうなため息……もとい、寝息を吐く泰葉に、ジト目を送る加蓮。
李衣菜にしても半信半疑であり、やはりこれは本当は起きているのでは……と思わざるを得なかった。
「っていうか、メロンパン食べて気絶ってなんなの? そんな不味いもの作ったっけ、私たち」
「や、味見したし……美味しいのできたと思うんだけどなぁ。ねぇPさん?」
「ああ、充分美味いぞ? この……堅いメロンパンでも」
本番ではなく、実験的に作ったミニメロンパン――クッキーのような堅さの代物――を口に放り込み、ネクタイを締めた彼は笑顔で答えた。
「だよねー? 美味しいはずなんだけどなー。ちょっとー、泰葉ったらー」
「だからつんつんしちゃダメだって……起きない泰葉も泰葉だけど」
「ひと口ふた口で満足しちゃったわけ? おーきーてー!」
「泰葉ー、全部食べてもらわないとこっちも困るよー。せっかくの手作りプレゼントなんだからさー」
「はぁ……はぁん……♪」
「なんか喘いでるし……ふ、ふふっ♪」
「どんな夢見てるの泰葉……。く、あははっ♪」
呆れながらもその緩みきったにやけ顔に釣られ、李衣菜も加蓮も破顔した。
見守る大人も、穏やかにメロンパン……クッキーを頬張る。
「美味さで気絶ってあるんですね」
「ふふ、私もびっくりしちゃいました。急にこてーんって倒れちゃうんですもん」
「俺もその場で見たかったな――かったいなぁこのクッキー」
「え? 小さくて試作とは言えメロンパンでは――」
ザクッ。
「クッキーですねこれ。美味しいですけど」
「クッキーですよね」
「もー、あんまりクッキークッキー言わないでよ」
「初めて作ったわりには上手くいったんですからね?」
「いや、ごめんごめん。でもほんとに美味しいぞ」
「きっと泰葉ちゃん、この美味しさとふたりの想いを受け取ったから、ちょっと振り切れちゃったんですよ♪」
「へへ、泰葉のこの顔見てたらそんな気がしますっ。ね、加蓮!」
「むー、いまいち信じられないけど……まぁいっか。起きたらまた食べさせればいいし♪」
「はは、そしたらまたすぐ気絶しちゃうかもな」
「ならひっぱたいて起こす!」
「うわ、ひどー……」
「李衣菜が!」
「えっ私が!? やだよ泰葉叩くなんて! 加蓮にならまだしも」
「それもひどくない?」
「ふふふ♪ じゃあ私、アイスコーヒー淹れ直して来ますね♪」
「あーどうも、ありがとうございますちひろさん」
「泰葉ー、早く起きないと李衣菜に叩かれちゃうよー?」
「叩かないってば、もー……。泰葉もいい加減起きてよーっ」
「さくさく……ふんわりぃ……♪」
夢の中でも、現実でも。
今日も岡崎泰葉は、メロンパンのような幸せに包まれている――。
おわり
というお話だったのさ
泰葉さんお誕生日おめでとうございます!
http://i.imgur.com/uhXRe2z.jpg
今日は記念日だからみんなでメロンパン食べよう!
ついでに。だりやすかれんも3年を過ぎて、今日から4年目に入りました
まだまだ書くよい
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