岡崎泰葉「十年後の私と十年前のあなたへ」 (14)
「――Pさん?」
テレビ局。
あるバラエティ番組の収録を終えて、私は帰るところだった。
「……泰葉?」
私の顔を見て、彼は目を見開かせていた。
……彼と会うのは何年ぶりくらいだろう。
アイドルを辞めたのは四年前だから……そう思って、まだそれだけしか経っていないのか、と驚く。
でも、彼と一緒に過ごした時間もたったの六年だったんだ。そう考えると、この四年を長い時間だと思ってもおかしくないだろう。
何を話そう……この四年間、実際に顔を合わせる機会はなかった。それなのに、こんな、いきなり……心の準備ができていなかった。でも、話したいことはいっぱいあった。
だから。
「……お久しぶりです、Pさん。この後、お暇ですか?」
私の言葉に、Pさんはうなずいた。
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喫茶店。
「……少し、悪いことをしてしまったかもしれませんね」
コーヒーを注文してすぐに漏らした私の言葉にPさんは不思議そうな顔をしていた。そんな彼に私はふふっと微笑み、
「あなたの担当アイドルから、あなたを奪っちゃったみたいなので」
Pさんは暇だと言っていたが、彼には担当アイドルが居た。彼は「あとは帰るだけだったから問題ない」と言っていたが、彼女は不満そうだった。結局、彼女は帰ってくれたけど……。
「また何かお礼をしておいた方がいいですよ、『プロデューサー』?」
「……お前からそう呼ばれるのは久しぶりだな」
Pさんは笑った。……その笑顔を見ていると、変わってないな、と思う。どこか子どもらしい笑顔。私の好きだった……好きな、顔。
「そう言えば、今日は何の仕事だったんだ? 俺は……と言うか、あいつはちょっとしたバラエティ番組だが」
「私もそうですよ」
「泰葉が? 何かの番宣か?」
「いえ、ちょっとした特番です。過去を振り返る、みたいな。以前、似たような番組に未央さんが出ていましたよね。『元アイドルの』っていう」
「あー……あれか。アイドル時代はこんなアイドルでしたが……ってやつ」
「はい、それです。未央さんには『改めて振り返ると結構恥ずかしいから覚悟した方がいいよ!』って言われましたが……実際、少し恥ずかしかったですね。アイドル時代のことは大切な思い出ですけど……さすがに、今見ると」
「あー……そう言えば、未央と泰葉は女優繋がりか。仕事とか、結構一緒になるのか?」
「そっちに食い付くんですね……いえ、そこまで多くはないですね。未央さんも今では人気女優なので」
「あー……今だと泰葉と未央が一緒に、っていうのは割りと難しいか。主演クラス同士を一気に、ってのはなぁ」
「私は脇を固める側に回ることも多くなりましたけどね。未央さんも脇ができないわけではないんですが……最近は主演をすることが多いですね。『もっと色んな役がしたーい!』なんて言ってましたけど」
「贅沢な奴だな」
「本当に……って、私が言うのもおかしいかもしれませんが」
「確かに、脇役を受けると驚かれるくらいの人気子役だったくせにアイドルになった奴が言える台詞じゃないな。泰葉から見れば未央もまだまだ、か?」
「……意地悪ですね、Pさん」
「意地悪ってほどでもないだろ」
「まあ、確かにまだまだ粗は見えますが……」
「本当にまだまだなのかよ」
「でも、アイドル時代や舞台時代に積んだ経験が演技に活かされていて、とても良いと思います。『スター女優』というのは彼女のようなことを言うんだろうな、って」
「『スター女優』が言うと笑えるな」
「私は『スター女優』ではありませんよ」
「ハリウッドにも呼ばれたような女優が?」
「ハリウッドにも呼ばれたような女優が、です」
「……よくわからん」
「わからなくてもいいですよ。ただ、今の私は『スター』になるよりも優先したいことがある、というだけの話です。……そっちの夢は、もう、あなたに叶えてもらったから」
「……それはずるくないか?」
「感動しちゃいました?」
「わざとかよ」
「はい。わざとです」
「……強かになりやがって」
「お褒めいただき光栄です」
そんなことを話していると注文したコーヒーが来た。私は砂糖とミルクを入れるが、Pさんは入れていない。……そう言えばそうだったな、と思う。それを見たアイドルが真似をして、苦い苦いと言っていた光景を思い出す。
「……そう言えば」
「ん?」
「Pさんは、どうして私をスカウトしたんですか?」
「ファンだったから……と言うか、プロデュースしたかったから、かもな。アイドルになったら絶対に輝くぞ、って」
「私情たっぷりですね」
「いや、まあ、そうなんだが……アイドルになる前のお前も結構悩んでただろ? 俺と会ったばかりの時なんて、『芸能界は華やかなだけの世界じゃない』とか言ってたしな」
「……あの頃の話をされると恥ずかしいですね」
「そうか? 俺はいくらでも言えるぞ。『パレードなんて全部造り物……』とか」
「だから……もう。Pさん、嫌いです」
「ぐっ……泰葉に嫌いって言われるとかなり辛いな」
「本気の演技で言ってあげましょうか?」
「それやられると本気で落ち込むからやめてくれ」
「ならそうする必要がないようにして下さいね?」
「……わかった」
そう言って、Pさんはコーヒーがのカップに口を付ける。私もコーヒーを飲み、ほっと息をつく。
「でも……あの頃の私も、間違ったことは言ってないと思います。芸能界は確かに華やかなだけの世界ではありませんし……パレードが造り物だってことも事実です。ただ……芸能界は華やかところも確かにあって、パレードは造り物だからこそ、良いものなんだと思います」
「造り物だからこそ良いもの……か。それは?」
「造り物というのは、人が造った物、ということですよね。それはつまり、人がパレードを造ることができるということで……だからこそ、それは素晴らしいことなんだ、って、今なら思うことができます」
「……それはパレードだけではなく、か」
「そういうことです」
パレードも、舞台も、何もかも……この世界は、造り物だらけだ。
でも、だからこそ……それを人間が造ることができるということは、素晴らしいことだ。
私は、そう思えるようになった。
そして、そう思えるようになったのは――
「Pさん」
「なんだ?」
「ありがとうございました」
「……なんだ、いきなり」
「今の私があるのも、過去の私があるのも……未来の私があるのも、Pさんのおかげです。それを、伝えたくて」
「……アイドルを辞める時にも似たようなことを言わなかったか?」
「はい。でも……伝えたくて」
「そうか」
「はい」
私はコーヒーを飲んだ。Pさんもコーヒーを飲んだ。
それから、私たちは何も話さなかった。何も話さないまま、ゆっくりコーヒーを飲んだ。
コーヒーを飲み終えてからも沈黙は続いた。それを破ったのはPさんだった。
「そろそろ、出ようか」
「はい」
そして、私たちは喫茶店を出た。喫茶店を出て……その店の、前で。
「それじゃあ、またいつか」
「ああ。またいつか」
それだけを言って、私たちは別れた。
もっと言いたいことは……話したいことはあった。
でも、それを話すべきではないと思った。いちばん伝えたいことは伝えた。それだけで良いと思った。それだけが良いと思った。
それに……私はスマートフォンを取り出して、ある人に電話をかける。
「今、大丈夫ですか? ……はい、すみません。ちょっと、昔のプロデューサーと会って……はい。そういうことです。……わかりました。それじゃあ、そこに向かいます。はい。ありがとうございます」
私にも、彼にも、今がある。未来がある。
十年前、私はアイドルになった。彼と出会った。
そしてその十年後、私はアイドルを辞めて、女優になった。彼と別れた。
……十年前のあなたは、これを知ったら何を思うのかな。Pさんと出会う前の私と……Pさんと出会った後の私。
もしかしたら、Pさんと出会わなかった世界もあるのかもしれない。Pさんと出会って……それから、アイドルを辞めないままだった世界もあるのかもしれない。
もしも……そんなことを思うこともある。
でも、あの時、彼と出会ったから……彼と別れたから、今がある。
だから、もしも十年前のあなたに何か伝えることができるのなら……これだけを伝えたい。
私は、今、幸せだよ。
Pさんと出会って……Pさんと別れて。
アイドルになって……アイドルを辞めて。
私は、今、幸せだ。
それだけは事実で……だから、私は今を生きる。
過去は大切だけど……でも、だからこそ。
私は、今を生きている。
私は女優をしていて……Pさんは、私以外のアイドルをプロデュースしている。
それが、今……十年前の、十年後。
そんな時、スマートフォンが振動した。未央さんからの電話だった。
「未央さん? ……えっと、私、これからマネージャーさんと……マネージャーさんも一緒に? いいんで……ああ、そうですか。わかりました。それじゃあ、一緒に行きますね。はい……はい、わかりました。では、また後で」
ふぅ、と私は息をついた。まったく、未央さんったら……。
でも、楽しみなことも事実だ。
……番組のことで色々聞かれそうだけど、今回は、Pさんと会ったことを自慢しちゃおう。
そう思うと、足が軽くなってしまう。
「……ふふっ」
なんて、まだお酒も飲んでいないのに笑い声が漏れてしまう。
……でも、今日は飲んじゃおうかな。
これも、十年前では経験できなかった楽しみ、だし?
……なんて。
終
終わりです。ありがとうございました。
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