・ひまさく
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櫻子「……でさ! ひどい話だと思うでしょ! こっちの身にもなってみろって!」
向日葵「一ついいかしら?」
櫻子「んー? なに?」
向日葵「こっちの身にもなってみろはこちらの台詞ですわ。靴も脱がないでいつまで愚痴る気ですの」
櫻子「ああ、ごめん、つい」
三和土で靴を脱いで、向日葵の家へ上がった。
三分前程から、表情一つ変えず、正座を決め込んでいた向日葵も、やっと立ち上がって、溜め息を一つついた。
私が居間で座り、忙しなく頬杖をついていると、向日葵がコップを盆に二つ乗せ、片方を私の方へ寄こした。
礼を言う間もなく、向日葵はもう片方のコップを取り、そのまま一気に飲み干し、
空になったそれを、テーブルに置くと、また一つ溜め息をついた。
櫻子「……なに溜め息ばっかりついてんの?」
向日葵「けたたましくインターフォンが鳴ったと思いきや、ドアは勢いよく開けられて、
間髪をいれずに口から出るのはマシンガンのような愚痴。それも昨日のドラマがどうのこうのだ。
流石に怒る気力も湧きませんわ。というよりタイミングを失いましたわ」
今まで黙っていた分を放出するかのように、向日葵は不満を捲し立てた。
その勢いに気圧されつつも、私もコップの中身を一気飲みし、まだ言いきれていない分を放出した。
櫻子「だってそれぐらい酷かったんだもん! 最初はあんなに面白かったのに!」
向日葵「良くある話ですわそんなこと、大げさな……」
櫻子「私の悲しみを良くある話で片づけるのか……」
向日葵「竜頭蛇尾なんて言葉もあるぐらいですし」
櫻子「……なにそれ」
向日葵「始まりは勢いが良くても、終わりの方になるとそれが無くなるってことかしら」
櫻子「ああ、そう! それ!」
向日葵「劇的な話なんてそう多くはありませんわ。事の顛末なんて得てして平凡なものじゃないかしら」
櫻子「フィクションなんだから劇的でいいじゃん……冷めてんなぁ……」
向日葵「そんなことないと思いますが」
櫻子「……冷血」
向日葵「はいはい」
櫻子「……なんかあったの?」
向日葵「……はい?」
櫻子「いや、張り合いがないなーと思って」
向日葵「だから櫻子は大げさですわよ。ただの寝不足なのに」
櫻子「夜更かしでもしたの?」
向日葵「眠りが浅かっただけですわ。……あなたはそういう悩みが無さそうでいいですわね」
櫻子「どうせ馬鹿だからとか言うんだろ!」
向日葵「ひねくれすぎですわ」
櫻子「……お前がそうさせたんだろ」
向日葵「責任転嫁ですわね」
向日葵「で、なにをしに来たんですの?」
再びコップに飲み物を注ぎながら、向日葵は片手間にそう言った。
櫻子「ああ、そうだった」
向日葵「愚痴を言いに来ただけ、ってことは……まあなくもなさそうですけれど」
向日葵は容器を置き、冷ややかな目をこちらに向けた。
櫻子「いや違う違う! 他のことだから」
向日葵「他のこと?」
櫻子「そう! 他のこと! 凄く大事なこと!」
向日葵「……で、なんですの、それは」
櫻子「お腹減った!」
向日葵「……」
櫻子「なにその沈黙は……」
向日葵「……まあ、大事ですわね。食事は」
櫻子「でしょ!」
向日葵「問題は、なんで私の家にまで来て、それを言うのかってことかしら」
櫻子「いや今ねーちゃんもいないし、微妙な時間に空いちゃったからどうしようかなと思って」
向日葵「もうおやつの時間ですわね。……カレーの作り置きでも食べます?」
櫻子「おー! 向日葵よくやった! 褒めてつかわす!」
向日葵「もう、しょうがないですわね……」
半ば苦笑するように、向日葵は目を細めた。
……なんか、その顔に違和感があった。どうもズレているような、根拠のない不安が湧き出る。
櫻子「……向日葵、今日なんか食べた?」
向日葵「そういえば、パンを一切れぐらいですわね」
当てずっぽうに言ったのが見事に当たったらしい。
櫻子「そんなんだから向日葵は駄目なの! 自分で食事は大事とか言った癖に! ほら向日葵も食え!」
向日葵「なんでいきなり上がり込んできたあなたが偉そうなんですの……分かりましたわ、食べようかしら」
私は早々に、向日葵はゆっくり食べ終わると、食器も片づき、部屋からは物の数が減った。
そうすると、一気に空間がガランとし、未だに大人しい向日葵も相まって、昼間の明かりに陰りを加えるような、
味気なさが漂ってきた。シンプルに言えば、変な空気だった。どうも居心地が悪い。
払拭するために、テレビをつけてみると、液晶にはドラマの再放送が映った。
良く見たことのないドラマだったけど、難病患者がどうこうという内容だった気がする。
……辛気臭いなぁ、と思い、チャンネルに手をかけようとすると、向日葵が声を上げた。
向日葵「あなたが好みそうな話ですわね」
随分と久しぶりに聞いた気がする向日葵の声からは、あまり生気を感じなかった。
櫻子「どこがだよ! すっごい暗そうなんだけど」
向日葵「だって劇的な結末があるんですもの」
櫻子「えっ、どんな?」
向日葵「言ったら意味がありませんわよ……」
櫻子「あっ、そっか」
向日葵「……少し、眠っていいかしら」
櫻子「うん? いいけど……」
向日葵「おやすみなさい」
櫻子「おやすみ……」
向日葵は立ち上がり、私に背を向け、寝室へ向かった。
その足取りは、重いと言えばいいのか、軽いと言えばいいのか分からなかった。
不可思議な光景を見ている気分になり、ただただ私はそれを目で追い続けていた。
やがて向日葵の背中は見えなくなり、私は疑問の正体が分かった。あの足取りは、薄かった。
櫻子「なんか現実味のないオチだったね」
向日葵「まあ、否めませんわね」
一時間ちょっとの眠りから目を覚ました向日葵に話しかけると、さっきよりは生気のある声が返って来た。
櫻子「そもそも手術だ奇跡だ以前にさ、未知の難病っていうのが現実から離れてるというか」
向日葵「……あなたこそ冷めてるんじゃありませんの?」
櫻子「えーそんなに冷房効いてないじゃん」
向日葵「いや、能天気なだけでしたわね」
櫻子「……なんかむかつく」
向日葵「……私はそうは思いませんけれどね」
櫻子「えっ?」
向日葵「別に病気じゃないにしても」
やっぱり、今日の向日葵はどこかおかしかった。
単純に睡眠不足で片づけるには無理があって、この大人しさには別の理由があるんじゃないのか?
それに、落ち着いているというよりは、何かを押し殺していると言う方が正しいように見える。
向日葵「明日は我が身でもおかしくありませんもの」
向日葵が淡々と、噛み締めるように言うものだから、
嫌な立体感を持った現実が、近くにあるように思えて、胸の動悸は徐々に増して、
背中に伝うのは、熱を持っているとは言い難い、冷たい汗だった。
櫻子「向日葵!」
向日葵「……どうしたんですの、急に」
衝動としか言い様が無かった。
気が付いたら、向日葵の胸に抱き付いていて、目頭が熱くなっていた。
櫻子「わかんない……わかんないけど……想像しただけで、凄く嫌になって、凄く近いことに思えて……」
向日葵「……大丈夫ですわ。私は櫻子と一緒にいますから」
私の背中を、向日葵の腕が包んだ。それなのに、私の頬を伝う涙の勢いは落ちなくて、
いつ渡されたのかも分からないハンカチに、ひたすらに水を吸わせていた。
向日葵「櫻子は変わりませんわね」
やっとの思いで落ち着きを取り戻したころに、向日葵は沈黙を破った。
向日葵「本当に、いつまで経っても子供のままですわ」
櫻子「……向日葵は変わったよね」
向日葵「……変わったというよりは、変わってしまいましたわね」
櫻子「なにが?」
向日葵「結局のところ、私は今でもあなたに縋りっぱなしですわ……それどころか、以前よりも酷くなってますわね」
向日葵の言葉はきっと、私の頭のどこでも想定されていなかったもので、ただ耳を傾けるしかなかった。
向日葵「だから、あなたの面倒を見ていると安心してしまう。打算的に櫻子の変わらなさを喜んでいるのかもしれませんわね。
『この子には私がついてないと駄目』みたいに、保護者面でもして、傍にいられますから。
……櫻子は変わりませんわ。ずっと綺麗なままで。けれど、私は変わってしまいましたわ。前よりも、醜くなってしまいましたわ」
ゆっくりと、しかし滞りもなく、向日葵は独白を続けるけど、
それによって私の心に生まれたのは、一つの感情ぐらいしかなかった。
少し力を込めて、向日葵の身体を突き放した。
櫻子「……ばっかじゃないの」
むかつく。ふざけんなよ。
向日葵「……えっ?」
櫻子「向日葵が醜いわけないじゃん! 美人の櫻子様のライバル張ってるんだから綺麗に決まってるだろ! そんなこともわからないのかこのトンチンカン!」
向日葵「な、なんですの、そんな馬鹿みたいな理屈……!」
櫻子「こんなことで悩んでる向日葵の方が馬鹿だろ! 心配して損した! 私の涙返せよ!」
向日葵「……心配してくれていたの?」
櫻子「もう知らない! 勝手に考えてれば!」
向日葵「自分で言ったんじゃありませんの……」
もう泣き顔を見られるのも、辛気臭い顔を見るのも嫌で、私は向日葵に背を向けた。
しばらくすると、押し殺したような声が聞こえてきた。そういえばさっき、何かを押し殺したように見えると思ったけど、
多分今抑えているのは、違うものだと思う。あの時は笑い声なんて向日葵の中には存在しなかっただろうから。
櫻子「……なに笑ってんの」
向日葵「いえ、櫻子があまりにもごもっともなことを言ったものですから」
櫻子「私がごもっともなことを言っちゃおかしいのか……」
向日葵「おかしいのは私の方だって気が付いただけですわ。自分を笑ってるだけかしら」
櫻子「……ならいいけど」
振り向いてみると、向日葵は憑き物が落ちたように、生気を取り戻していた。
けど、普段通りとも言えなくて、どこかで見たような顔をしていた。
向日葵「ちょっと、散歩にでも出かけましょうか」
セミの鳴き声、トラックの走行音、はしゃいでいる子供たち。
私の耳は、住宅街を埋める音に、大して関心が無いらしく、聞き流し気味のようだった。
聞いている音といえば、静かな足音ぐらいだった。四つの足が奏でる、定番のリズム。
私と向日葵は言葉を発することもなく、ただそれを刻み続けていた。
一歩ごとに気持ちが静まって、普段通りに収束していく感覚があった。
きっと、家に帰るころには、元の二人に戻るような、そんな気がする。
向日葵「はぁ……ちょっと引き返しのつかない所まで来てしまいましたわ」
なんとなく、このまま会話もなく、この散歩は終わると思っていたから、
唐突な向日葵の声に、私は一瞬足を止めてしまった。
櫻子「どういう意味かわかんないんだけど……」
向日葵「今日中に、元の私には戻れそうにありませんわ。終電を逃した気分ですわね」
櫻子「終電って……まだ日も落ちてないじゃん」
向日葵「そうですわね。今日はまだ随分残ってますわ」
昼間の明かりにあった、暗い影はもう取っ払われていた。
もう橙色に変わりつつあるから、明るさで言えば、さっきの方が上のはずなのに、
照らされる向日葵一人分だけで、お釣りが返ってくるぐらいだった。
やっぱり、どこかで見たような顔。……どこか懐かしい顔。
向日葵「一つ、お願いをしていいですか?」
櫻子「……なに?」
向日葵「昔みたいに、さーちゃんに甘える私になってもいいですか」
返答を聞く前に、向日葵は私の手を握って、幼い笑顔を見せた。
櫻子「……ひまちゃんはしょうがないんだから」
櫻子「向日葵!」
向日葵「今日はなんですの……」
また今日も向日葵の家に上がり込んで、くだらないことを話して、
普段と大して変わりもしない、繰り返しの日常を送っていた。
櫻子「お腹減った! なんか食べさせて!」
向日葵「もう、しょうがありませんわね……」
結局、向日葵の言う通りかもしれない。劇的な話なんて、そう多くはないし、
事の顛末なんて、得てして平凡なもので、日常から一片もズレやしない向日葵に、私はふとこう言った。
櫻子「向日葵ってさ、綺麗だよね」
私がそう告げると、向日葵は立ち上がろうとするのはやめたけど、過剰な反応も見せず、
のどかさすらある佇まいで、私にこう言った。
向日葵「ということは、私のライバルを張ってる櫻子も綺麗に決まってますわね」
櫻子「……馬鹿みたいな理屈じゃなかったの?」
向日葵「私も大概馬鹿ですから。あなたのライバルを張ってるらしいので」
櫻子「馬鹿にしてんのか!」
向日葵「だからそうだと言ってるんじゃありませんの!」
またいつものように突っかかり合って、違う点なんて、
お互いに笑い合っているぐらいだった。やっぱり、普段と大して変わりもしなかった。
おわり
湿っぽくても軽快なひまさくが書きたかったんだと思います
あと私事なんですが、
さくはな→さくあか→ひまあか→ひまさくと一通り書きたいものを8月中に書けたので満足です
付き合ってくださったまとめと読者の皆様ありがとうございました
乙
と
うp
>>15
ありがとうございます
うpの意味がこれでいいのかは分かりませんが、一応これで全部です
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