・ひまあか
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誘われるまま足を進め、赤座さんに声をかけた。
私の声に反応して、振り向いた、赤座さんの表情は固かった。
邂逅なんて大げさな表現だけれど、突然の見知った顔に処理が追い付かないのかもしれない。
それとも、私との距離を掴みかねているのか。……って、それは人見知りの気がある私の方ですわね。
とはいえ、それこそ大げさな表現で、普通に話す程度なら問題もないけれど、
赤座さんと二人というのはあまりなくて、舵の取り方に若干の不安があった。
向こうがどう思っているのかは分からない……というよりは、確かめにくい。
話してみれば、簡単に確かめられるかもしれないけれど、友達の友達ぐらいに思われているのかしら……と考えると、中々壁を感じてしまうものだった。
あかり「……話してしまえば簡単なんだけどなぁ」
丁度、自分が考えているのと、同じような言葉が聞こえてきた。
あかり「……聞いてた?」
向日葵「……はい?」
同じような言葉から逸れて、不意を突かれた。
あかり「ほら、あの、歌ってたの」
向日葵「ああ、さっきの」
あかり「や、やっぱり!?」
赤座さんの固い表情が即座に崩れて、血の巡りも急激に加速しているように見えた。
あかり「うぅ……恥ずかしい」
向日葵「あの、かわいらしい声でしたわよ」
あかり「フォローが返って身に刺さる……」
いまにも頭を抱えそうな赤座さんに、疑問を抱きながらも、
これ以上突っ込むのはやめて、話を切り替えることにした。
向日葵「……ええっと。今日はどうなされました?」
あかり「……なんかお医者さんみたいだね」
向日葵「……そうですわね。事務的でそっけなかったかもしれませんわ」
……やっぱり固くなっているのかしら。
あかり「そ、そういう意味じゃなくて! むしろ向日葵ちゃんがお医者さんだったら、病院に通い詰めたいぐらいだもん!」
向日葵「びょ、病院に通い詰めたいというのもどうなのかしら……」
あかり「……あっ、そうだね」
妙に素直にうなずく赤座さんがおかしくて、クスりと笑いがこぼれた。
釣られるように、赤座さんも困り顔をしながら頬を緩めて、緊張感が無くなった。
向日葵「話してしまえば簡単なものですわね」
あかり「? なにが?」
向日葵「いえ、実は、ちょっと気まずくなるかなと思いまして。
赤座さんに悪くは思われてはいないんでしょうけど、そこまで良くも思われてないのかと」
あかり「な、なんで……?」
赤座さんは、私の言葉に戸惑っているというよりは、混乱の域にまで入っていて、
またクスりと、今度は声を上げるぐらいに笑ってしまう。
向日葵「ふふっ、大丈夫ですわ」
無意識に赤座さんの頭に手を伸ばし、宥めるように撫でてしまった。
抵抗されるかなと思ったけれど、思いの外すんなりと受け入れてくれたようで、大人しく身を任せてくれていた。
向日葵「あんまり二人で話したこともなかったものですから」
落ち着いたころに、ゆっくりと手を離し、今度は穏やかな声で、言葉を発した。
あかり「確かに思ったけど、だったら尚更仲良くしたいって思うけどなぁ」
向日葵「……私とですか?」
あかり「な、なんでそんな後ろ向きなのかな。普段は違うと思うんだけど」
向日葵「多人数との違いでしょうか」
あかり「櫻子ちゃんといるときなんかは、もっと血の気が多いというか……」
向日葵「……ああいう風に接して欲しいんですの?」
あまり「え、えっと。多分違うような……」
向日葵「赤座さんって、意外とマゾなんですわね」
あかり「だ、だから違うよぉ! ……向日葵ちゃんって穏やかに見えて結構過激だよね」
向日葵「そこまで綺麗な人間じゃありませんもの。赤座さんと違って。……あっ、すみません」
あかり「? どうして謝るの?」
向日葵「いえ、これも棘があったかなと。皮肉っぽいような……」
あかり「そんな肩肘張らなくても大丈夫だよ。……ちょっと屈んでくれるかな」
向日葵「? は、はい」
意図を掴めないまま、少し膝を折って、言われるがままに屈んだ。
向日葵「……赤座さん?」
あかり「さっきのお返しだよ」
今度は反対に、私の方が、赤座さんに頭を撫でられていた。
あかり「あのね、別に綺麗じゃないとかそういうのじゃなくてね。
そこまで気を引き締めすぎなくてもいいんじゃないかなって。あかりだって言うまでもないけど抜けてるところばっかりだし、
もっと頑張りたいとか、そうは思うけど、もっとゆっくりでいいんじゃないかなぁ」
向日葵「ゆっくりですか?」
あかり「うん。別にすぐに出来るようになろうとしなくていいんじゃないかなって。
あかりとの付き合い方もだけど。……あかりの場合はのんびりすぎるかな。だからしっかりしてる向日葵ちゃんに憧れちゃうぐらいなんだけど」
向日葵「……やっぱり多人数とは違いますわね」
あかり「難しいかなぁ」
赤座さんは、伸ばした手を戻し、困ったように笑っていた。
向日葵「いいえ、逆でしたわ。私も仲良くなりたいと……ではなくって」
言葉を選び直していても、赤座さんはゆっくりと待ってくれているようだった。
……そう、こういうことなんですわね。
向日葵「前から思ってましたけど、それよりももっと赤座さんと仲良くなりたいと思いましたわ」
話してしまえば、本当に簡単なことだった。難しくしていたのはこちらの方で。
私が胸の内を告げると、赤座さんは柔らかい笑顔を浮かべ、そっか、と一言だけ呟いた。
向日葵「……随分長話になってしまいましたけど、大丈夫ですか?」
あかり「うん、大丈夫だよ。ちょっと軽食と、あとはついでに頼まれたものを買うだけだもん。
でも急いでるわけじゃないから。まだあるけどそろそろ調味料買った方がいいかなってぐらいで。向日葵ちゃんは?」
向日葵「大丈夫ですわ。まあ、普通に買い物ですわね。私も切れそうな調味料を買ったりで」
なんてことのない、スーパーで買い出しに来ただけの話で、時間的には大丈夫だった。
ただ、話している間に客足が伸び、レジが混みそうなのが少し不安ではあった。
あかり「……向日葵ちゃんのカゴ、家庭的だね」
向日葵「そうでしょうか?」
あかり「ほら、あかりのと見比べてみると、密度が違うもん」
確かに赤座さんのカゴに入っている品数は、私よりも少なかったけれども。
あかり「えっと、じゃあ今日はこれでなにを作るのかな?」
向日葵「今日というよりは数日分ですからね、なんとも」
あかり「あっ、そうだよね。やっぱり見据えてるところが違うよね!」
向日葵「……カゴ一つでどこまで褒め殺しにする気なんですの」
全く力を込めずに、赤座さんの頭に拳を置いた。
あかり「えへへ、ごめんごめん」
向日葵「……気になります?」
あかり「えっ?」
向日葵「今日、何を作るのか」
あかり「うん! 気になるよぉ」
赤座さんの食いつきが、思ったよりも良かったけれど。
向日葵「……じゃあ、家に来ます?」
なんてところまでの距離はさっきよりも、随分遠方にあるのに。
あかり「いいの?」
あっさりと、そこまで手を伸ばし切ってしまって。
向日葵「いいんですの?」
あかり「ひ、向日葵ちゃんが聞いたんだよね」
そう。自ら城門を開放して、手招きをしたのはこちらの方。
その通りに歩いて来てくださった、赤座さんに戸惑いを見せるなんて、とんだお門違いなのに。
弁解をさせていただくのなら、今の戸惑いは、未知と遭遇した時、先へ先へと足を進めるかのごとく。
物語の盛り上がりと比例して、ページを捲る手が早くなるかのごとく。
心拍も同様に、速くなっているだけであって、不快さはなく、
むしろ瑞々しい跳ね方をしている心臓を抑えるのに、苦心をしているがゆえであった。
とは言え、そのままに伝えるにはむず痒い。
だから、もっともらしい理由を続けて、誤魔化そうとしたはずなのに。
向日葵「いえ、帰りが遅くなるのではと。……良ければ家に泊まっていきますか?」
また距離を縮めてしまって、そのままに伝えるよりも、むず痒さが増してしまった気がする。
カゴの中身を確認するふりをして、視線を逸らしたけれど、あんまり意味は無かった。
返ってくる声が、あまりにも鮮やかで、赤座さんの顔が、簡単に想像出来てしまったから。
少し遅めの八時前に、赤座さんは私の家へやってきた。
あかり「迷惑じゃなかったかな。ちょっと食べる時間が遅くなっちゃうし」
向日葵「私以外は先に食べてしまえば問題ありませんわ」
あかり「じゃあ、もう出来てるの?」
向日葵「いいえ、別のものを作ろうかと」
あかり「別のもの?」
向日葵「どうせなら、作るところもと思いまして」
我ながら、良く分からない理由だったけど、赤座さんは気にしていないようで。
あかり「あかりにも手伝えることあるかな?」
向日葵「ええ、ではお願いしますわ」
あかり「わぁい!」
結果的には、喜んでくれたのなら良かったのだけれど。
あかり「なんか、調理実習みたいで楽しそうだね!」
向日葵「人手はあそこまでいませんし、賑やかでもありませんけどね。……けど、そういう静かな時間も私は好きですわ。大切に思えて」
あかり「じゃ、じゃああんまりはしゃがようにしないとね」
向日葵「いいえ、好きなようにしてくれて構いませんわ。それに、一人でクラス分の騒がしさなんて出せませんもの」
あかり「あっ、そうだよね」
赤座さんは苦笑交じりに頬を掻いた。
あかり「これから手伝うんだから、もっとしっかりとしないとね」
向日葵「さっき、赤座さん、言いましたわよね?」
あかり「えっ?」
向日葵「そこまで気を引き締める必要はないって」
あかり「うん、言ったけど」
向日葵「その通りですわ。それに抜けているところがあるともおっしゃってましたが、寧ろ見ていて微笑ましいぐらいですわ」
あかり「そ、そうかなぁ」
向日葵「そうですわ。だから」
あかり「だから?」
向日葵「……ゆっくりやっていきましょう。別に焦る必要もありませんから」
あかり「……うん。そうだね。ありがとう、向日葵ちゃん」
軽く笑い合って、二人で調理場に向かった。
さて、どうしましょうかと、料理を始める前に、調理場で考えを巡らせていた。
包丁を任せるのは気が引ける。どうしても私の方が指を切る危険は少なさそうで、
客人が怪我をする可能性が高まるのも良くない。いや、逆に失礼なのかしら。
あまりに過保護すぎて、馬鹿にしているようにもなりかねないから……。
あかり「向日葵ちゃん」
向日葵「……赤座さん?」
立ち尽くす私を包むように、赤座さんが軽くハグをした。
あかり「えへへ。向日葵ちゃん柔らかいね」
柔らかいという表現に違和感を覚えた。私は、どちらかといえば固い人間に分類されるのではないか。
……ああ、そうじゃなかった。
向日葵「胸ですか?」
あかり「えっ? それもあるかもしれないけど……」
向日葵「それ以外にあるのかしら……」
あかり「ほら、向日葵ちゃんって包容力を感じるから。こうしてると安心するんだぁ。ってあかりが安心してもしょうがないよね」
向日葵「……赤座さんも柔らかいですわ」
つい口をついた台詞がむず痒くて、誤魔化すように赤座さんの背中に手を回した。
あかり「あかりは胸ないんだけどなぁ」
向日葵「……自分で否定したことですわよね、それ」
あかり「で、でも包容力とかあるのかなぁ」
向日葵「多分あなたほど溢れている人は、そうはいませんわ」
あかり「け、けど、今だって抱き締めるというよりは抱き付いてる感じだし……」
向日葵「でも、こうしていると安心しますわ」
あかり「……これじゃあ抱き枕みたい」
向日葵「赤座さんが抱き枕だったら良く眠れそうですわね」
あかり「そんな快眠グッズみたいな……安心してくれたのは良かったけど」
赤座さんは、緩やかに腕をほどいた。
あかり「さっきと同じような顔をしてたから」
向日葵「さっき?」
あかり「スーパーで撫でた時かなぁ。遠慮しなくてもいいのに」
向日葵「遠慮……ですか」
あかり「自分で言うのも恥ずかしいんだけど、包容力があるって思ってくれるなら、もっとあかりを信じてくれたら嬉しいな」
向日葵「……そうですわね。約束しますわ」
これぐらいのことで、あそこまで考え込んでしまうなんて、
大事な友人を信じ切れていない証拠で、それこそ失礼な話だった。
あかり「……向日葵ちゃん、指切りしよっか」
向日葵「……指切り?」
あかり「うん。区切りをつけた方がいいかなって」
向日葵「区切り、ですか?」
あかり「そろそろ始めないと、もっと遅くなっちゃうよ。折角待ってくれたのに。
だからね、あかりのことを信じてくれるって約束をしてくれるなら、指切りしようよ」
赤座さんは右手を握るようにしつつ、小指だけを突き出して、胸の前あたりに持ってきた。
同様に、私も同じ形を作って、赤座さんの指と絡ませようと近づけたけれど、緊張してしまって中々接触するまではいかない。
あかり「……別にはりせんぼんなんて飲ませないし、軽いおまじないみたいなものだよ」
躊躇する私を見て、赤座さんが表情を優しくした。
あかり「そうなってくれたら嬉しいなって、それぐらい! ……子供っぽいしね」
照れ笑いをする赤座さんを見て、私の緊張は溶けて行った。
向日葵「でも、子供って案外こういう所に執着を見せるものかもしれませんわね」
……そして多分、私も。
赤座さんの小指に、自分の小指を絡めると、強く糸が結ばれた気がした。
向日葵「さあ、始めましょうか」
あかり「うん!」
向日葵「和食で大丈夫でしょうか?」
あかり「大丈夫だよ!」
向日葵「ええっと、それで。客人に包丁を使わせるのもと思いまして。だけど、それも過保護すぎて失礼かなと」
あかり「それで悩んでたの?」
向日葵「……そうですわね」
あかり「うん、わかったよぉ」
向日葵「じゃあ、野菜の皮むきとか、水切りとか、あとは味噌汁の味の調整とかお願いできます?」
あかり「うん! ご教示お願いします!」
向日葵「大仰ですわ」
赤座さんがからかい混じりなのか、本気なのかが区別がつかず、苦笑してしまう。
さて、やっと整理がついたので、作業を始めることにした。
あかり「向日葵ちゃんって本当に優しいよね」
淡々とピーラーを扱いながら、赤座さんはそう言った。
向日葵「そんなことありませんわ」
あかり「気疲れとかしないの?」
向日葵「……自然とやっていることですから」
あなたが言いますのと問いかけようとしたけれど、この人の場合は本当に自然体だから、聞く意味が無さそうだった。
とは言っても、こちらもそんなに疲れるという意識もなかった。
あかり「そっかぁ」
それからは会話も無く、黙々と料理を続けて行った。
さっきの通り、焦る意識もなく、マイペースで続けていったけれど、滞りなく進んで、順調に工程が済んでいく。
あかり「本当に静かだったね」
向日葵「そうですわね。……楽しいですか?」
あかり「えっ?」
向日葵「いえ、あまりはしゃがないようにと言っていたぐらいでしたので。そういう素振りもなさそうですし」
あかり「楽しいよ。今は集中してるだけだよぉ。やっぱり二人だと切り詰めてやらないといけないし。
もう言われてたけど、静かさを壊しちゃうなんて、要らない心配だったね」
向日葵「そうでしたわね。逆に静かすぎるぐらいですか?」
あかり「ううん、なんかね、作業音を聞いてるだけで、BGMが流れてる気分」
向日葵「……私も同じですわ」
聞き慣れた音だったけれど、一緒に聞く人が違うから、
その人の波長やリズムが違うから、まるで別のもののようだった。
この日常からずれた感覚からは、違和感よりも、心地よさの方が生まれていた。
……だけど、新鮮なのに、どこかで感じたような気がする。
必要なやり取りと、作業をしながら、その出所を探してみたけれど、一通りのことが終って、探索をやめた。
あかり「わあ、おいしそうだね!」
向日葵「あまりごちそうは用意出来なかったんですけれど」
あかり「ううん! 十分すぎるよ。それに急だったもんね」
向日葵「私から誘ったんですもの、赤座さんこそ準備とか大丈夫でした?」
あかり「とりあえずシャワー浴びて、身なりを整えて、後は必要な持ち物を持ってきただけだから。
そんなに時間は掛からなかったよぉ。……それにね、浮かれ気分だから、ちょっとせっかちさんになってたせいもあるのかな」
向日葵「……そうでしたか」
あかり「……」
向日葵「どうされました?」
あかり「ううん、なんでもないよ!」
向日葵「?」
あかり「じゃあ、食べよっか!」
向日葵「ええ、そうですわね」
向日葵「私も先に浴びておくべきでしたわね。すみません、待たせてしまって」
あかり「ううん、下準備とかあったんだよね」
向日葵「……まあ、そうですわね」
大半はそわそわしていただけなんですけれどね。
赤座さんのように、手際よくというよりは、手つかずになってしまうぐらいに。
楓にもなにか心配されるぐらいでしたし。……こっちが心配されてどうしますのという話。
そういえば、楓は随分早く眠りについていたけれど、途中で起きてしまわないかしら。
あんまり中途半端な時間に起きるのは良くありませんわ。さっき見てきた時は熟睡しているようでしたけれど。
あかり「……」
向日葵「……眠そうですわね」
ソファに座っている赤座さんは、欠伸をかみころしているようでした。
私がお風呂から上がると、すでに寝間着に着替えていて、もういつ眠っても違和感はありませんわね。
……やっぱり頭の方も浮かれ過ぎていたのかしら。元から八時前だと、こうなることは分かっていたはずなんですが。
テレビからは、歌の特番が流れているけれど、赤座さんの耳には届いているのかしら。
赤座さんの隣に腰を下ろして、横顔を伺うと、いつ眠りに入ってもおかしくなさそうでした。
液晶の向こう側の歌手の、ミディアムテンポのバラードも、それを後押しするかのようで。
まるで子守唄みたいな、とは言いすぎなんでしょうが、近い効力はありそうでした。
……私としては、これでも少し眠るときにかかる音としては、主張が強いようには思えますが。
向日葵「赤座さん」
あかり「……んー?」
赤座さんは、すでに半分は向こう側へいるようでした。
このまま寝る準備をするのも……というところで、芽生えたのは、ちょっとした好奇心でした。
今日の私は、好奇心のままに、未踏の地を征き続けたものですから、
その勢いはそうそう止まる事も無く、今回も身を委ねることになったのは、当然の帰結でした。
向日葵「私の膝、使われますか?」
びっくりするぐらい柔らかい声が出て、固くなっていたあの時がもう遠い過去のようでした。
半日も経っていないのですが。対照的に、赤座さんは、少し固まったようで。
さっきまでは、あんなに眠そうだったのに、すっかりこちら側に戻ってきたようです。
やっぱり抵抗があるのかしら。それも当たり前の話ですけれども。
自分でも、こんなに穏やかな気持ちで、提案することがおかしいと思うぐらいですから。
あかり「い、いいのかなぁ」
向日葵「遠慮はしないと」
あかり「えっ」
向日葵「赤座さんは私に求めるのに、私が赤座さんに求めることは駄目なのかしら」
あかり「……いや、うーんと」
向日葵「それとも、私に身を委ねるのは不安ですか?」
ちょっと意地の悪い言葉かしら。けれど、それぐらいで険悪にならないことぐらい分かっていますから。
あかり「そ、そんなことないよ!」
向日葵「じゃあ」
あかり「うぅ……」
まだ躊躇があるようでした。そもそもとして、遠慮じゃなくて、嫌がっている可能性もあるはず。
どうして気が回らなかったのかしら。……多分回す必要が無かったからですわね。
そうですわね、だってもう指切りをして、赤座さんのことを信じるって約束したあとですから。
向日葵「……そうですわ、赤座さん」
あかり「……なに?」
向日葵「指切りしましょうか」
あかり「へ?」
繰り返す言葉。違うのは立場が引っくり返っただけ。
向日葵「私のことを信じると約束してくださるのなら、指切りしましょう。軽いおまじないみたいなものですわ」
あかり「……あかりが言ったのとおんなじだね」
向日葵「真似ですわね」
お互いに微笑みが零れて、空気が柔らかくなりました。
あかり「うん、いいよ」
赤座さんはすっかり元の様子に戻って、うつらうつらとしていました。
その赤座さんの、力の抜けた小指に、軽く私の小指を絡めました。先ほどのように、しっかり力が入ってもいないし、腕も上がらないまま。
それでもなんら効力は変わらない指切りを交わした後、赤座さんはゆっくりと、私の膝に頭を預けてくれました。
テレビでは、先ほどの歌手が歌唱を終えて、礼儀正しく一礼をしています。
向日葵「こちらこそ、ありがとうございました」
赤座さんを安眠に誘ってくれた方に、小声で返事をしました。
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起き上がって時計を見ると、二時過ぎだった。
あかり「四時間ぐらい、ずっとしてくれたの?」
向日葵「約束しましたもの」
向日葵ちゃんは笑ってみせたけど、そこから受ける印象は健気さで。
あかり「足、痺れなかった?」
向日葵「へ、平気ですわ」
あかり「つ、強がらなくてもいいのに……」
相当に頑張ってくれたのは、明白だった。
あかり「……ちょっと外の空気でも吸おっか」
向日葵「どうしてです?」
あかり「なんとなくかな、夏の夜の空気って気持ちいいかなって」
向日葵「外に出るのは危ないんじゃ……」
あかり「窓を開けるだけだよぉ。いいかな?」
向日葵「分かりましたわ。じゃあ……」
あかり「い、いや、座ってていいよ! 寧ろ横になってた方が」
向日葵「……お言葉に甘えさせていただきますわ」
立ち上がろうとする向日葵ちゃんの動きが止まって、一先ず安堵した。
向日葵ちゃんが横たわるのを見届けて、窓の方へ向かった。
ロックを解除して、部屋と外との境界を取っ払うと、澄んだ空気が循環した。
肌に触れる風には冷たさがなく、どこか柔らかくて、入ってくる匂いには季節の風情があった。
もう丑三つ時って言うのかな。静かなもので、時折運ばれて来る、弱弱しい風鈴の音が儚かった。
あかり「今日は晴れてたから、お月様が綺麗だね」
向日葵「今日と言っても、日付変わってますけどね。揚げ足を取るわけではないんですけれど」
あかり「わかってるよ」
向日葵ちゃんの穏やかな笑みを見れば、意図はちゃんと伝わっていた。
あかり「……本当に大丈夫?」
向日葵「少し、疲れましたわね。逆に言えばそれぐらいですわ」
あかりが見ていない内に取り出したのか、向日葵ちゃんは手に持った団扇を、
スローモーションにも見える動作で振り、寝静まった夜を眺めている。
空いた手で、シャツの襟元を正していたりもしていたけど、申し訳と言った程度で、眼はぼんやりとしている。
全ての動作がなんだかのんびりとしていて、活発なのは呼吸ぐらいだった。
向日葵ちゃんは仰向けになった胸を膨らませた後、ふぅと息を吐いた。
放出した吐息は、夜風がさらって、空に溶けていきそうだなぁと錯覚したとき、あかりもぼんやりしているなぁと気がついた。
リラックスするのはいいけど、その前に言っておくことがあるのに。
あかり「……向日葵ちゃん、ありがとう」
向日葵「どういたしまして、でいいのかしら」
目を細める向日葵ちゃんを見ると、一つ納得したことがあった。
……ここまでリラックスしちゃうのも、向日葵ちゃんの膝元で寝ていれば当たり前だよね。
あかり「もうこんな時間だけど大丈夫かなぁ」
向日葵「別に予定もありませんから。……テレビでもつけます?」
あかり「でも夜分遅いからね。もうテレビもお休みの時間なんじゃないなぁ。それにね」
向日葵「?」
あかり「向日葵ちゃんは眠そうだから」
向日葵「まあ、否めませんわね。……あまり寝る気も起きませんけれど」
あかり「どうして?」
向日葵「ちょっと冒険をしすぎましたから」
あかり「……えっと。詩的なことをいうんだね」
向日葵「そんなつもりはないんですが……」
あかり「……向日葵ちゃんって、本とかよく読むの?」
向日葵「本と言っても一口に色々ありますから。小説一つとっても様々な方へ枝分かれしますし。赤座さんは?」
あかり「読まないってことはないけど、一杯じゃないからね。読めば向日葵ちゃんみたいに知的になれるかなぁ」
向日葵「知的でしょうか」
向日葵ちゃんがそう言って、苦笑する姿だけでも、あかりには知的に見えた。
向日葵「本を読めば知的になれるとも限りませんわ。もっと別の効果の方が分かり易いかもしれませんわね」
あかり「別の効果?」
向日葵「ちょっとイメージが逸れるかもしれませんが、絵本なんて典型ですわね」
あかり「絵本かぁ」
向日葵「私もよく楓に読み聞かせたりしてますし、昔は読み聞かされた記憶もありますわ。……寝る前に」
あかり「なるほどね。子守唄代わりみたいな」
向日葵「ただ……」
あかり「……どうしたの?」
向日葵「私は代わりというよりは、そのものが欲しいのかもしれませんわね」
あかり「そのもの?」
向日葵「スーパーで声をかけた時のこと、覚えてます? って今日の話なんですが」
あかり「えっ、うん」
向日葵「あの時、何やら歌っていましたよね」
あかり「……あんまり覚えておきたくない記憶だね」
向日葵「そんな記憶程覚えているものですから、ある意味都合がいいですわね」
あかり「都合?」
向日葵「こちらの都合ですわね。だから、あの時、かわいらしい声って言いましたわよね」
あかり「……恥ずかしくなってきちゃったなぁ」
向日葵「あれ、フォローのつもりでもなんでもありませんの」
あかり「え?」
向日葵「素直に惹かれて、声の方へ向かったら、赤座さんがいましたから。……ああ、さっきの出所って」
向日葵ちゃんは、なにやら独り言のように付け足したあと、しばらく沈黙した。
向日葵「……赤座さん。恥ずかしいお願いをしてもいいでしょうか」
あかり「……恥ずかしい思いなら、もうあかりが沢山したよぉ」
向日葵「大丈夫ですわ。多分私の方が恥ずかしいと思いますから」
あかり「?」
向日葵「……子守唄を歌ってくれませんか。赤座さん」
消え入るような声だった。向日葵ちゃんは団扇で顔を覆っているけど、こぼれ出る耳は赤かった。
確かに、あかりよりも恥ずかしそうにしていて、唐突なお願いへの戸惑いも乗じてか、こちらが悶えているのも飛んでいった。
対応に悩んでいると、ふとしたやり取りを思い出して、そのまま口を開いた。
あかり「……これじゃあ本当に快眠グッズみたいだね」
向日葵「……そうですわね」
覆った団扇を下ろして、ひょっこりと顔を出した向日葵ちゃんの頬は緩んでいた。
あかり「抱き枕ではなかったけど……どうしたの?」
向日葵「だ、抱き枕にもなっていただけないでしょうか」
あかり「……いいけど、引っ付くと暑いんじゃ」
向日葵「じゃ、じゃあクーラーつけますから……!」
あかり「……わ、わかったよぉ」
半ばやけを起こしたような、向日葵ちゃんの言われるがままだった。
少し待っててくださいと、向日葵ちゃんは言い、部屋を去ったけど、
さほど待つという感覚がない内に、向日葵ちゃんが戻ってきて、持ってきた布団を手際良く敷いた。
あかりは今、その上で、さながら抱き枕のように……というよりはそのものになっていたけど、
当然無機物にはなれないから、考えることをやめられなかった。……いや、やめられるのかな。
向日葵ちゃんの腕の中にいると、やっぱり安心してしまう。
心なしか、さっきよりも柔らかいのも相まって。けど、そこに不思議さはなかった。
押し当てられたりする胸がどう、という話ではなくて、面するぐらい、接触するぐらいに近いという話だった。
ゆっくりと、距離を縮めていけばいいと思っていたのに、今では鼓動が聞こえそうなぐらいに近い。
……いつからこんなに近くになったのかな、と考えると、思い当たる節はすぐに見つかった。
それは、こういう体勢になった時でもなく、膝枕をされた時でもなくて、食事をする前のあの時だった。
あかりがせっかちになったことを話すと、向日葵ちゃんがふわりと、重力から放たれたように笑うから、思わずぼーっとしてしまった、あの時。
声をかけられて、瞬きをしたあと、声のトーンは思わず上がってしまった。……だって嬉しかったから。
向日葵ちゃんが、自然と心を開いてくれた気がして。そして、今はもっと嬉しかった。
気のせいじゃないって、わかったから。その証拠に、向日葵ちゃんは、緊張している様子なのに、あかりの包み方が、前よりも上手だった。
力は強く込められていないのに、一片もこぼさずに覆ってくれているようで、鼻腔を埋める匂いも相まって、考えをやめること……眠ることは簡単に出来そうだった。
……って眠っちゃ駄目だよね! 散々甘えさせてくれたのに、まだ欲しがるなんてとんだわがままさんだった……けど。
向日葵「……ど、どうぞ」
あかり「どうぞと言われても……」
なにを歌えばいいのか、よくわからないなぁ……。
向日葵「……スタンダードなナンバーでいいですから」
あかり「そんなお洒落チックな言い回しをされても……」
そういうのってジャズとかロックみたいなやつじゃ……。
結局、定番中の定番みたいな歌に決めて、ゆっくりと歌いだした。
近くの向日葵ちゃんには聴こえるかなってぐらいの、静かな声で。
音程が取れているかも曖昧で、リズムは多分よれよれ。一生懸命には歌っているけれど、これで大丈夫なのかな。
不安に思い、歌いながら、向日葵ちゃんの顔を覗いてみると、すでに眠っているように見えた。
……あれ? 歌を止めてみても、反応がないし、本当に寝ちゃったのかな。
時折身体を寄せてくるけど、多分、無意識の動きだった。……効果があったならなによりなんだけど。
胸を撫で下ろして、少しだけ身体を離すと、向日葵ちゃんの顔と向き合うような体勢になった。
……そうだよね。あかりと同じ年なんだもんね。
たまに成人を迎えているようにすら見えて、憧れちゃうけど、そうじゃない時だって一杯あるし、
中身はきっと、年相応だよね。あどけない寝顔を見たら、簡単にわかっちゃうよ。
だからといって、別に憧れが変わるはずもなくて、向日葵ちゃんの言い分を借りれば、むしろ微笑ましいぐらい。
……ちょっとクーラー効きすぎじゃないかなぁ。少し肌寒いかな。冷えすぎるのは良くないかな。
タイマー設定してたみたいだけどどれぐらいかな。あんまり意味の無い疑問かな。
さっき眠ったといっても、まだあかりも眠るための時間が残ってるから、再び向日葵ちゃんに引っ付いて、目を瞑った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
けたたましく落ちる雨の音が、目覚めの合図だった。昨日の夜はあんなに澄んでいたのに。
そういえば昨日は天気予報もまともに確認してなかった。洗濯物も考えないと。寝ぼけていないで、しゃんとしないといけない。
「……おはよう。向日葵ちゃん」
起き上がろうとした途端、心地の良い響きが耳に入った。
もう目覚め切った様子だったけれど、寝間着のまま、布団に寝そべっているその人は、
かわいらしい笑みを浮かべ、こちらを向いている。昨日の出来事が、次々と脳裏で再生されていく。
一通り過ぎると、私はちょっと照れくさくなりつつも、微笑んで、その人にこう言いました。
「おはようございます。あかりさん」
おわり
ひまあか書いてみたいなぁと思ったら文字数が膨れてました
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