穂乃果「最期の川」 (36)




「――お父さん、もうそろそろ着くよ」


バスの中で船を漕ぎながら寝ているお父さんを私は起こしてあげた。
お父さんはゆっくりとと瞼を開けて、何事かという顔でこっちを見ている。


「もうっ、いきなり寝ちゃうとか酷いよ!穂乃果一人で寂しかったんだからね!」


穂乃果がプンスカって怒った顔をすると、お父さんは口元を緩ませて笑うんだよ?
笑い事じゃないよ!田舎のバスだから乗り越したら大変なんだからね?


「ほらほら、着いたよ。お父さんしっかり立って。お財布持ってきてる?」


肩を貸しながら私はお父さんのトラベルバックを担いで歩いたの。
バスの降車口の階段を一段一段二人でゆっくりと歩くのは、二人三脚の練習みたいでなんだか楽しいな。


「わぁ~!見てみて!すっごく綺麗だよ!お父さん!」


バスを降りると、辺り一面に広がる大きな海が見えてきたの。
水は透き通ってはいなかったけど、泳いだら絶対に気持ちがいいだろうなぁって思えるくらいに綺麗でした。






「――えへへ、お父さん」
「絶対に楽しい旅行にしようね?約束だよっ」




穂乃果は今、旅行に来ています。
穂乃果の世界で一番大好きな、お父さんと一緒に――。


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「よっ、ほっ、っととと――」


穂乃果が防波堤の上を歩いてると、お父さんは繋いでる手をぎゅって握ってきたんだ。
大丈夫だよ?穂乃果はこう見えてバランス感覚が鋭いんだからね。


「お父さん、昔からそうだったよね――穂乃果が危ない事してる時、いっつも穂乃果の手を握って――」
「それで結局穂乃果はお父さんに抱きついて――って、自分で言うと、何だか恥ずかしいなぁ」


そんな事もあったなって思い出しながらお父さんは笑ってる。
お父さんにとっては穂乃果はまだお子様なんだって。――むぅ、これでも立派なレディーになったんだよ?


「あ、うん。――もう飛びついたりはしないよ」
「だってそんな事したら、お父さんぺしゃんこのおまんじゅうみたいになるでしょ?」


そう言ったらお父さんはむっとした顔で穂乃果を受け止めようとする体制になっちゃった。
無理だって分かってても強がるんだから――本当に困った人だよ。もう。


「ううん、今日はやめとく」
「その代わり、しっかり穂乃果の手を握っててね?離したら駄目だからね」


私は防波堤をぴょん、って飛び降りて、お父さんの手を握り直した。
そしてお父さんと横並びになって、また歩き始めました――。

「ねぇねぇお父さん、海外沿いに歩いていこうよ!」
「砂に足跡をつけて、それが波で消えていくのを見るの!」

穂乃果はお父さんにそう提案したら、お父さんも良いよって頷いた。
今の時季に海に飛び込むのは風邪ひいちゃうから、こんな風に海を楽しまないとね!


「お父さんの足跡と、穂乃果の足跡。全部で四つ足跡ができちゃう」
「ほらー!波ー!頑張らないと穂乃果達の足跡が消えないぞー!」


大きな声で海に向かって叫ぶ私。
もしかしたらやまびこみたいに、声が返ってくるかなーって期待したけど、返ってこなかったよ。――まぁ、当たり前だよね。


「ほらほら~!お父さん見て!全然足跡が消えてない!」
「すごいね!穂乃果達きっと――」


お父さんはじっと下を俯いたまま、穂乃果に合わせて歩いている。
時々小さく溜息をつきながら、一生懸命穂乃果の歩くペースに合わせていたんだよ。


「――うん、ごめんなさい。穂乃果自分の事しか考えてなかったよ」
「今日は二人で楽しむ旅行だもんね!焦らずゆっくり行こうね♪」






私は少し歩くペースを落として、海の向こうを眺めながら歩き直しました。
ダメだなぁ――今日は穂乃果がお礼をする日なんだから、もっとちゃんとお父さんをエスコートしないとね。


――


「――いつか、こんな日が来るって分かってた」
「でも、まだ、まだ先の事だって思って――だから、辛いの」



お母さんは机に突っ伏して泣いていました。
雪穂はお母さんにぴったりとくっついて離れようとしません。


「――お父さん」


瞼が閉じそうになった時、お父さんは穂乃果の肩に手をそっと置いて、優しく微笑んでいました。
いつも娘の前では笑顔なんて見せないのに、こんな時に限って笑うなんて――卑怯だよね。


「――穂乃果、まだまだ修業中だよ?おまんじゅうの餡子、いっつもはみ出させちゃうもん」
「まだお父さんに色々教えて貰わないと、穂むらは潰れちゃうよ」


そんな事あるもんか。――って言いながらお父さんは腕を組んで、穂乃果達の前でどっしりと構えた。
本当の事だよ。その証拠に私、まだその白い帽子被らせて貰えないんだから。


「――お父さん」


私は何度もお父さんを呼んで、今ここにお父さんがいる事を確認しました。
そうしないと、お父さんが消えて無くなっちゃいそうな気がして。


「まだ、まだだよ」
「まだ穂乃果の前から消えちゃダメなんだからね。絶対だよ」




お父さんは小さく頷いて、調理場に戻っていきました。
ちょっとだけスリムになって、小さくなった背中を見せながら――。


――



「お父さん、穂乃果と一緒にゆっくり登ろう?」
「一段ずつでいいから、はい、いーち――」


歩き続けて疲れちゃったお父さんは、おぼつかない足取りで階段を登ろうとしてる。
穂乃果はそれを心配しながら、ゆっくりと足を地面に――。


「お父さん!?」


膝から崩れて倒れようとしたお父さんを、何とか支えようとした私。
苦しそうな顔をしながらもお父さんは腰を上げて座り込む事が出来ました。


「――もうっ!だから言ったじゃん!ゆっくりでいいって!」
「急がなくてもいいんだよ!大事なのはお父さんの――」





穂乃果が言いかけようとすると、お父さんは手で胸を押さえながら――自分の足で立ち上がったの。
額に嫌な汗を流して、苦しそうに息切れをして――それでも、歩こうとしてる。


「――お父さん」


私は堪らなくなって、お父さんと組んでいる腕に力が入らなくなった。
そんな穂乃果をお父さんは、震える腕でがっちりと腕を組み直して――。








「――うん。分かった」
「今日の旅行、楽しみにしてたもんね。――大丈夫。もう大丈夫だから」



――穂乃果と一緒に、また歩き始めました。



「――お父さん、バスが来たよ」


バス停まで何とかたどり着いた私達は、旅館までの経路をバスで行くことにしたの。
お父さん、とことん無理しちゃうから、穂乃果が何処かでストップをかけないと――もう、穂乃果の気持ちも少しは分かってよね。


「辛かったら、穂乃果に寄り添って寝てもいいからね?」
「え?それだと穂乃果も一緒に寝ちゃうからダメだって?あー!お父さん穂乃果の事バカにしたー!」


お父さんは小さく笑いながら、よろよろと立ち上がった。
荷物を重たそうに抱えるもんだから、穂乃果が奪って持っちゃったよ。


バスに乗ると、少し落ちついたのかな?
お父さんは身体の力を抜いてシートに寄りかかった。



――穂乃果はそんなお父さんの手を、優しくきゅって握っていました。

「――ねぇ、お父さん」
「穂乃果ね、実は今日――1つ夢が叶ったんだぁ」




穂乃果の小さい時からの夢――。
それは大きくなったらお父さんみたいなかっこいい人と結婚すること。


「あのね、大きくなって、穂乃果がお父さんを超えたら――」
「今度は穂乃果が、お父さんを助けてあげようって、そう思ってたんだよ?」


流石にそんな事、お父さんに絶対言えないけど――。
でも、穂乃果の為にいつも頑張ってくれてるお父さんに、いつかお礼しなくちゃって、本当に思ってたんだよ?


「だからね、穂乃果本当は少しだけ嬉しいの」
「こうやって、お父さんが穂乃果の事を頼りにしてくれてる事が、とっても――」



お父さんは、目を閉じて静かに眠っていました。
穂乃果に寄り添って、とても心地よさそうに。





「――とっても、誇らしいの」




穂乃果はそれ以上何も言わないで、外の景色を眺めてたの。
お父さんの重みと、微かな温もりを感じながら――。

生存報告
展開整理するまでもうちょい待ってくだちい

土曜再開します

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