阿良々木暦「みずきアワー」 (29)

・化物語×アイドルマスターシンデレラガールズのクロスです
・化物語の設定は終物語(下)まで
・ネタバレ含まれます。気になる方はご注意を
・終物語(下)より約五年後、という設定です

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お仕事が片付いたら書き込みます。

30分後くらい予定



002




◀︎◀︎

▶︎

かしゃん、と音がした。

こんにちは、川島瑞樹です。
本日はたいへんお日柄も良く、少し暑いくらいです。
赤外線対策に日傘やUVケアを忘れずに。

そんなフレーズが頭をよぎる。
ああ、人間ってどうしていいかわからないと、勝手に自分が落ち着く思考に切り替えるんだ……二十八年生きてきたけれど、知らないことは沢山あるなあ……。
……うん、感心してる場合でも、現実逃避してる場合でもないのよね。

「どうしたの、お姉ちゃん」

「ううん、なんでもないのよ」

なるべく動揺を隠して笑顔を作る。
なに、女子アナの頃に作り笑顔の練習は飽きるほどにして来た。
今でもどんな精神状態でも一秒で自然な笑顔になれる自信はある。

「そう? そんな感じじゃないけど」

鼻で笑うようにそっぽを向く彼。
僕に隠し事をしても無駄だよ、とでも言いたげだ。

……生意気ね。
まあ、小学生の男の子なんて、生意気盛りだしいいのだけれど。
おばちゃんとか言い出さないだけ全然いい子だ。
言ったら言ったで殴るけどね。
でも異性の子供と二人きり、という状況がこれ程までに気まずいものとは思わなかった。
なんとなく話題が合わせづらいというか……。
小学生の時、クラスの男子ってどんな話してたっけ。

「ええと……な、何か食べたいものとか、ある?」

「ないよ」

「…………」

川島瑞樹という人間の主観として、そんなに子供は嫌いじゃない方だとと思っている。
シンデレラプロダクションにおいては年下の子が九割以上を占めるし、小学生の子達だって所属している。
彼女たちは皆、私からしたら同じ事務所の仲間であり家族も同然だ。
けれど、やっぱり彼は男の子だからだろうか、舞ちゃんや仁奈ちゃんみたいに上手く接することが出来ない。


「ねえ、僕は大丈夫だから早く行こうよ。お姉ちゃん、行きたいところがあるんでしょ?」

困ったことに彼は、道に迷った私を警察へと送り届けることを自分の責務としているようなのだ。
ここまでの経緯を簡潔に記すと、いつの間にかこの街にいた私は、最初に視界に入った彼にここは何処かと聞いたところ、聞いたこともない地名だったため、警察への道を教えてくれるよう頼んだのだ。
そしたら彼が、僕が案内してあげるよ、と言ってくれたのだった。

小学生の子供に迷子扱いされるのも如何し難いものがあるが、私は本気でここが何処かわからないのだ。
迷子の常套句のようで情けないが、気付いたらここにいた、のだ。
携帯も持っていない、ここがどの辺りなのか目安となるものも見当たらない。
日本であることは確かだけれど、そんなもの何の気休めにもならない。

それにしても結構な田舎ね……公衆電話を見たのも久し振りだし、個人のゲームショップらしき寂れた店も先ほど見掛けた。
X箱新発売、なんて広告が未だに貼ってあって少し笑ってしまった。
こういうレトロさはある意味貴重よね。

そんな事より、何か思い出せないかしら……ええと、確か昨日はユニットでのツアーの最終日前で、高橋さんと柊さんと片桐さんの四人で軽くお酒を飲んで……。
柊さんと片桐さんはウワバミだから飲むにつれて上下するテンションの変遷について行くのが大変なのよね。

……ダメだ、思い出せない。
飲み過ぎて記憶を失った?
いや、この年にもなれば嫌でもお酒の飲み方くらい覚える。
大学時代じゃあるまいし、ライブの前日に記憶が無くなるまで飲むなんてやる筈もない。
アイドルとしてあるまじき行いをしたような記憶はない……と思う。
柊さんたちもいたことだし、万が一そうなりそうになったら止めてくれるだろう。

となると、考えられるのは夢……かな。
飲んだ割にはお酒も残っていないみたいだし、その説が一番有力な気がしてきた。
飲む前にウコン液は飲んだけれど、お酒を飲んだ次の日は大抵、少し頭が痛かったり喉が渇いていたりするものだ。

夢かぁ……でもこんなに意識がはっきりとしている夢なんて、あり得るのかしら……。

「お姉ちゃん、この辺の人じゃないよね」

「え? え、ええ。そうね」

いきなり話し掛けられ狼狽してしまう。彼は彼なりに、見知らぬ土地に迷い込んだ私を気遣ってくれているのかも知れない。
だとしたら随分と将来が楽しみな子だ。

「学校の名前とかも思い出せない?」

「学校?」

「お姉ちゃん、高校生くらいでしょ? ……違うの?」

「あら」

嬉しいことを言ってくれる子じゃないの。
いくらまだお若いですよ、と言われようと十代の頃に戻れないのは自分が一番よく知っている。
さっきの発言からもお世辞を言うような気の利く子には見えないし、もしかして、ひょっとしたら本当なのかしら。
最近始めたルイボスティーとフルーツのアンチエイジングが効いたのかしら。

「お姉さんはこれでも二十歳越えてるのよ」

「……僕が子供だからって嘘をついちゃいけないよ、お姉ちゃん。どう見たって未成年じゃないか」

「わかるわ!」

ああ、なんだろうこの気持ち。
この子の為なら何でも買ってあげちゃいそう。
ホストに貢ぐ女の人の気持ちって、こんな感じなのかしら……。

夢じゃないか、と頬をつねってみるけど、やっぱり痛かった。
言われてみるとお肌が十代の頃に若返った気がする。
身体も軽い。
お腹も空いてきた。


「……じゃなかった。ありがとう、えっと」

そういえば名前も聞いていなかった。

「私、川島瑞樹っていうの。君は?」

「こよみ。阿良々木暦」

「え?」

阿良々木暦。
一度聞いたらそう簡単には忘れられない奇妙な字面のその名前は、偶然にも私の担当プロデューサーと同姓同名だった。

ちょっと待って。
そういえば彼……今、阿良々木暦と名乗った少年は、あまりにもプロデューサーと似通いすぎている。
ぴんと天を突くアホ毛、やる気のなさそうな厭世家のような瞳、全体的に脱力感溢れる雰囲気。
プロデューサーの小学生時代は、きっとこんな感じだったのではないだろうか。

「ちょっと……嘘でしょ」

「?」

怪訝な顔をする阿良々木君を後目に、近くにあった公園のトイレへと駆け込む。

気のせいじゃない。
肌がつるつるなのも、心なしか体調が良すぎるのも、総じて身体が軽いのも。

「瑞樹姉ちゃん、大丈夫?」

「…………」

急に駆け出した私を心配してくれたのだろう。
女子トイレだからか、遠慮気味に入口から顔だけ覗かせていた。

「……ねぇ阿良々木君、阿良々木君、何歳?」

「僕? 十歳だけど」

それがどうかしたの、と首を傾げるその様子は、年相応に可愛かった。

一縷の望みを託し、最後の質問を口にする。

「阿良々木君……今、西暦何年?」

「XXXX年だよ」

手洗い場の鏡に映っていたのは、如何にもガリ勉です、と全身で主張しているような三つ編みの少女の姿。

十三年前、高校に入学したばかりの、私の姿だった。

きゅるきゅると音がする。




▶︎▶︎



001





懐かしい曲がイヤホンを通して頭に流れ込んでくる。

聞いているのは、十年以上前の有名なアイドルの曲だ。
一度歴史に名前を残したアイドルは、何年経とうが全盛期の威光が残る。
私も、そうなれる日が来るのだろうか。

明るいスポットライトは眼球を圧迫する。
お腹が丸出しだったり袖の無い露出の多い衣装には常にあらゆる危険が付きまとう。
バラードやメロディポップスならまだしも、激しい振り付けのあるハイスピードな曲は何度練習しようと鬼門だ。

「いたたた……」

イヤホンを外して化粧直しのために姿勢を整えると、控え室で腰の辺りに違和感を感じる。
湿布でも貼っておきたい心境だが、仮にもアイドルがそんな醜態を見せる訳には行かない。
ファンの皆さんの前で張り詰めていた緊張感が解けるかのように、重いものが背中に覆い被さって来た。

年齢を感じるようになったのは、いつからだろうか。
少なくとも二十歳……いや、大学を卒業する頃はまだ何も感じなかった、と確信に近いものはある。
女子アナとして活動していた頃も、そこまで違和感は感じなかった。
敢えて折り返し地点のようなものがあったとしたら、やはり四捨五入して桁が繰り上がる歳になった時だろうか。

食事に関しても量は減り、白米とおかずの比率に感じる必要のないかも知れない危機感を覚え、砂糖の摂取量もグラム単位で気になるようになった。
前日にお肉を食べると、翌日の夕方まで胃袋に残っている気がする。
中学生の頃のように毎日自転車で出勤する自信と気力は希薄だ。
筋肉痛は痛み自体よりも、何日遅れて来るかの方が気になる。
不安を煽る健康関係の番組は見なくなり、高橋さんや柊さんたちと事務所での情報交換を主とするアンチエイジングが始まる。
周囲に十代のアイドルたちが当たり前のようにいる環境では、昔のようにお若いですね、と言われることもない。

「……はぁ」

思わず溜息が出た。

……いけない、ネガティブはお肌の敵だ。
それに私はこのクインテットの最年長でもある。
その私が落ち込んでいる姿なんて見せたら皆の士気も下がってしまうだろう。

「よしっ、あと一曲!」

頑張れ私、と気合を入れる。


「気合入ってますね、川島さん」

と、プロデューサーがいつの間にか人数分のドリンクを持ってやって来ていた。
他のメンバーもアンコールの支度を終えたのか、勢揃いしている。
千枝ちゃん、春菜ちゃん、紗理奈ちゃん、比奈ちゃん。

「皆も長い間良く頑張ってくれたよ。あとラスト一曲、ツアーの最後を豪勢に締めくくってくれ」

「これでやっと一仕事終えられますね!」

「いやー、インドア派のアタシにライブは正直しんどいっスよ……」

彼の名前は阿良々木暦くん。
年下のプロデューサーでちょっと変わった子だけれど、アイドルというものを良く分かっており、精神面ではその強靭さに時折感服することもある。

私は元女子アナだけあって、芸能界の怖さもそれなりに知っている。
新人プロデューサーなんて、それこそ普通の新卒会社員とは比べものにならない程の酷い扱いを受けることなんてしょっちゅうだ。
その証拠に、芸能界は他の業種とは一線を画して人の出入りが激しい。
アイドルにしたって、プロデューサーにしたって、志して成功するのはほんの一握り。
その中で彼は、プロデューサーとしての能力はともかく、とにかくめげないのだ。
失敗しても、どんな苦境に立たされても、決して諦めずになんとかしようとする。
それが空回りすることも多々あるが、そんな彼だからこそアイドルたちの信頼を集められるのかも知れない。

世の中で成功するのは天才と努力家、なんて言うけれど。
努力だけで進んで行ける程、世の中も甘くはない。
必要なのは、弛まない努力と、もうひとつの武器を持たなくてはいけないのだ。
彼の場合な、努力と根性……いや、カリスマだろうか。

……私も、見習わなくちゃいけないな。
私の武器は、何なのだろう。

「あれ、コレなんスか?」

比奈ちゃんが私がさっきまで聴いていたカセットウォークマンを指す。
先日、家の掃除をしていたら出て来たものだ。
中には昔好きだったアイドルのカセットが入っていたので、懐かしくなってついつい持ってきたのだ。
優秀な記録メディアが席巻している今、カセットテープなんてもはや過去の遺物だ。
一緒にウォークマンもあったのは奇跡に近い。

「これはカセットテープって言って……CDの前に使われていた記録媒体よ」

「へえー、千枝はじめて見ます」

「アタシもCDやMD世代っスから、ギリギリ見たことあるくらいですねえ」

そうよね、もう今時の若い子はカセットテープの存在すら知らない子も多いんだろうな。

「川島さん?」

「あ……ご、ごめんね、ぼうっとしちゃってたわ」

いきなり目の前に彼の顔が現れた。表情には出さないが、年甲斐もなくドキッとしてしまう。

やだなあ、こんなことばかり得意になっていく。

「皆はもう張り切って行きましたよ。アンコール開始まであと十分ですから、それまではゆっくりしていてください」

優しく声を掛けてくれる彼。
けれど今の私には、年だから無理しないでくださいね、と皮肉を言われているようで、そんな風に受け取る自分が嫌になる。

理由が欲しい。
頑張れる理由が。
理由さえあれば人間、なんとかやっていけるんだ。


そんなネガティブの底の底まで辿り着いてしまった感覚に、思わず口が勝手に開いてしまった。

「君は……昔に戻りたい、って思うこと、ある?」

「昔、ですか?」

突飛な質問にプロデューサーは嫌な顔一つせずに考え込んでいる。

「そうですね……過去に戻ってやり直したい事は山程あります」

けれど、とほとんど間を空けずに彼は二の句を継いだ。

「それでも今の過去あっての僕ですから、いくらみっともなくても、格好悪くても、僕だけはそれを否定するわけにはいきません」

「そうね……その通り、かもね……」

「川島さん?」

「何だかね、たまに……なんでこんなに頑張っているのか、わからなくなってしまって……」

女子アナからアイドルへの転身。
似通った業界とはいえ、その差異は大きい。

何よりフットワークの差が違う。
女子アナに比べ何が何でも名前を売らなければ前に進めないアイドルは、それこそ容赦のないスケジュールを詰められ馬車馬のように動かなければならない。
阿良々木くんも性格こそ変わっているが、仕事に関しては甘くはない。
若い子たちがどんどん有名になっていく中、身体に鞭を打ってまでして。

私は、どうしてこんなにも頑張っているんだろう。

「ごめんね、今だけちょっと嫌な女なの……明日には、戻るから」

「川島さん……結婚しましょう!」

「…………」

人間、あまりにも唐突な事を言われると思考が停止するようだ。

思考が試行錯誤、なんちゃって。
……高垣さんじゃないんだから。

数秒して、ようやく彼の言った文面を、本意はともかく単語としては理解出来た。

「それはなに? アイドルなんてやめてとっとと寿引退しなさいってことかしら?」

「痛い痛い痛い!!」

アイアンクローの要領で彼の頭を掴む。
女性に酷いことを言う男に人権は無いのよ?

「でも残念ねぇ、私そんな相手もいなければ候補すらいないのよねぇ。そりゃ将来を誓い合った恋人がいる阿良々木くんはいいわよねぇ、わかるわぁ」

「ち、違いますって! で、出る! なんか出る!」

さすがに痛そうだったので離してあげる。
失礼なことを言う方が悪いのよ。

「割れるかと思った……」

「失礼ね、そこまで握力強くないわよ」

「僕はただ、いきなり求婚したくなるくらい川島さんは魅力的ですよ、と言いたくてですね……」

「わかりにくいのよ」


こめかみをさすりながら、彼はにこりと笑って見せる。
私の一番好きな彼の表情。

彼自身に対して恋愛感情は一切ない、と断定できる。
私が十年若ければ、好きになっていたかも知れない。
そもそも恋人のいる彼に対して略奪愛だなんて柄じゃないし、誰も幸せになれない結果なんてごめんだ。

それでも、思うことはある。
身近な男性だから、優しいから、そんな理由だけで簡単に恋が出来たら、どれだけ楽だろうか。
彼が好きだから、なんて理由があればアイドル活動ももっと楽になれるのだけれど、私にはもう密かな恋のひとつすらままならない。

「川島さんは素敵な女性です。男の方が放っておきませんよ」

「……ありがと。ちょっと楽になったわ」

こうやって、わざとなのか素なのか良くわからない彼の振舞いには、正直かなりの割合で助けられている。
でも、やっぱり私という人間が積み重ねてきたものの奥底に深く根付いた心の闇とも言うべき沈殿物は、私でさえどの程度なのか想像もつかない。
それは年月を重ねる毎に堆積して行き、自分でさえ確認出来ない黒く重く粘った澱となる。
それに取り込まれた時、人はきっと壊れるのだ。

こんなことなら、女子アナを続けていれば良かったのかな。
不可能だとはわかっていても、どうしても願ってしまうことがある。

人生やり直せたらいいのに。
あの頃に戻れたらいいのに。
明日が来なければいいのに。

「……なんてね」

こんなネガティブなこと考えてちゃ駄目よね。
悩んでたって現状を打破出来るわけでもない。
結局は自分の力で何とかするしかないんだから。

さて、締めのアンコールも気合入れて行かなきゃ。

かしゃん。

と、先ほどまで聞いていたカセットウォークマンが音を立てた。
触ってもいないのに、だ。

「今……動いたわよね?」

「え、ええ……カセットを入れるような音が」

プロデューサーにも聞こえていたなら、空耳ということはないだろう。
不審に思ってウォークマンを手に取ると、勝手に再生ボタンが押されている。
古いから誤作動でも起こしたのかしら。
とりあえず停止ボタンを押そうと、きゅるきゅるとテープを巻く音を立てるウォークマンを手に取る。

と、

「…………鳥?」

一瞬だけ、昔何処かで見た鳥の姿が何もない筈の視界を過ぎった。

ああ、あれだ。

一回アナウンサーの仕事の時に動物園で見た――――、


◀︎◀︎



003


▶︎▶︎

▶︎


かしゃん、と音がした。

「……さん、川島さん?」

声を掛けられ、意識が底から浮上する。
聞き慣れた声。
どこか優しくて、落ち着く彼の声。

「プロデューサー……」

眼を開けると、学生服を着た彼の姿が視界いっぱいに現れた。
どうやら横になっている私を上から覗き込んでいるようだった。

……学生服?

いや、それよりも寝顔を見られたことの方を危惧すべきだ。
よだれとか出てないかしら……。

「ここは?」

口周りや身だしなみを一通りチェックしつつプロデューサーに問う。
よし、とりあえず問題なし。

「公園だよ。川島さん、こんなところで昼寝でもしていたのか?」

無防備にも程があるぞ、と呆れ顔で言う彼。
周りを見渡すと、ブランコやシーソー、名前は忘れたけれど回転するジャングルジムみたいな遊具などが見える。
見たこともない公園、の筈だ。

その筈なのに。

私は、この場所を知っている気がした。

「えっと……」

何から聞けばいいのかわからない位に私の置かれた状況は意味不明だ。
とりあえず、思い付いたことから聞いてみる。

「なんで学生服なんて着てるの?」

サラリーマンにあるまじき髪の長さと何処か抜けた印象を受ける彼には、前からスーツは似合わないと思っていたのだ。
今着ている学生服にぺったんこの学生カバンを持っている方が余程似合う。

「なんでってそりゃ、学校行ってたからな」

学校?

「学校って君、仕事はどうしたのよ」

「仕事って……学生の仕事は学業だろ」

話がいまいち噛み合わない。
プロデューサーはまるで自分が学生であることが当然のように話をしている。
それに、担当アイドルとは言え年上には敬語を使う彼がフランクに話しているのも気になる。


「川島さんこそ、大学はどうしたんだよ?」

大、学……?

頭の中にノイズが走る。

目の前一センチに猛スピードの新幹線が走り抜けて行くような錯覚。

なぜかポケットに入っていたカセットウォークマンが、きゅるきゅるとテープを巻く音を立てていた。

「あ、ひょっとしてサボりだな? いいよな大学生は、サボっても目を付けられないし」

そうだ、私は何を勘違いしていたのだろう。
阿良々木君は、高校生の頃から縁があって仲良くしていた男の子じゃない。
年下でお調子者だけど、どこか憎めない掛け替えのない友人だ。

「君に言われたくないわよ、不良学生のくせに」

「いいんだよ、学生のうちは遊ばないと」

彼はちょくちょく学校を抜け出しては街を徘徊しているのだ。
かと言って喧嘩をしたり迷惑を掛ける訳でもないので学校側やクラスメイトからは消極的な不良として認識されているらしいが、本当は彼が何をしているのか私は知っている。

私は彼がまだ小学生の子供の頃、見知らぬ土地で困っていたところを道案内をしてもらったことから知り合った。
初対面の見知らぬ女子高生を、誰に頼まれた訳でもなく引率するくらい、彼は小さな頃から正義感の強い子だった。
今も彼は、サボっている振りをして街でパトロールをしているのだ。
聞けば彼の両親は警察官らしいので、その影響は少なからずあるのだろう。
要するに、彼は正義の味方と言われるのが恥ずかしいだけなのだ。
そう思うと現在の態度も可愛く思える。

だとしても、高校生になってまで正義の味方を貫き通せるその一途さは誰にでも持てるものではない。
見る人によっては暗愚にも映るかも知れないが、自分の意志を持っている人間は、強い。
高校生にもなって正義の味方なんて、と本人も言ってはいるが、幾ら年を取ってひねくれても根幹の部分は昔から変わっていないのだ。

「変わらないのね、君は」

「……何が?」

「さあね」

生意気なところも、ひねくれてるところも、正義の味方なところも。

年月と共に自分さえも変わって行く中で、微塵もぶれずに進み続けることの出来る友人がいるのは、誇りでさえある。

私も、見習わなくちゃね。

「川島さん、暇だったらお茶くらい奢ってくれよ」

「自分からデートに誘っておいて、女の子にお金を払わせるつもり?」

「もう女の子なんて歳でもないだ……いってえ!?」

「あらごめんなさい、歳のせいか足元も覚束なくて」


偶然、そこにあった阿良々木くんの足を踏んづけてしまった。
偶然にも全体重が掛かってしまったし……あら、痛そう。
偶然とは言え悪いことをしちゃったわね。
おほほ、と笑いながら足を退けてあげる。

「わざとだ……絶対わざとだ」

ぶつぶつと文句を言う阿良々木くんを後目に公園を出る。
入口に立っている看板には『浪白公園』と書かれていた。
この公園の名前だろう。

『なみしろ』と読むのか『ろうはく』と読むのか、ルビが振っていないのでわからないが、個人的には響き的に『なみしろ』の気がする。

「遊ぶならこんな所で一人ふらふらしていないで友達と遊びなさいよ」

「友達は作らない。人間強度が下がる」

「……なに言ってんの君」

大丈夫かしら。
これは思春期にありがちな孤独を好む傾向で済まされるレベルなのかしら。

……まぁ、私が口を挟むことでもないけれど。

「阿良々木君もいい歳なんだから、彼女くらい作ったらどうなの」

「彼女も作らない。人間強度が」

「はぁ……わかった、わかったわよ」

あと一年もすれば、きっと今言ってることの恥ずかしさに気付いて黒歴史になるでしょ。
その時にまたからかってやろう。

「川島さんこそ行き遅れないうちに彼氏作ったらどうなんだ?」

「私の理想は高いのよ」

「ちなみにどれくらい?」

「んー……かっこよくて、私を大事にしてくれて、おばあちゃんになっても好きって言ってくれるような人」

「いねえよそんな完璧超人」

いいじゃない、女の子なんだから結婚に夢くらい見ても。
でも一生のことだし、妥協はしたくないしね。

「売れ残っても知らないぞ」

「いいのよ、その時は阿良々木君 が養ってくれるんでしょ?」

「なにその損な役回り!?」

「なによ、昔『僕、瑞樹姉ちゃんと結婚する』って言ってくれたじゃない」

「ぐ…………っ!」

子供の頃の約束だなんて時効もいいところだけれど、これくらいは役得よね。ああ、面白い。

「ところで、どうして阿良々木くんは私のことを昔みたいに呼んでくれないのかなぁ?」

「……高校生にもなって瑞樹姉ちゃんなんて呼べるかよ、恥ずかしい」

「あの頃の阿良々木君は可愛げもあったのになぁ」

こういうところはまだまだ子供だなあ。
今でもたまに、気を抜くと瑞樹姉ちゃんって呼んでくれるのに。

「僕は今でも可愛いだろ」

「五年遅いのよ」

きゅるきゅると音がする。




▶︎▶︎



004


▶︎▶︎

▶︎


かしゃん、と音がした。

とある日、ファッション雑誌を見て新しい服が欲しくなった私はショッピングモールまで足を伸ばしていた。

……のはいいけれど、可愛い服はやっぱり高いのよね。
毎回、値段を見て諦めてしまむらに玉石混交の玉を探しに行くのがいつものパターンだ。
今回もその通例に漏れず、一通りしまむらで服を買い込んでウィンドウショッピングをしていると、見慣れた後姿を見つけた。

阿良々木君だ。
声を掛けようと近付くと、女の子と楽しそうに歓談していた。
長い髪と、気の強そうな凛々しい彼女の名前は戦場ヶ原ひたぎちゃん。
ちょっと前に紹介してもらったのは記憶に新しい。
直江津高校の制服を着ているということは、学校帰りだろうか。

「あ、川島さん」

声を掛けるべきかしら、もし逢瀬の途中だったら邪魔かしら、なんて逡巡していると、あちらが気付いて駆け寄って来る。

「買い物?」

「ええ、阿良々木君は何してるの?」

「……なんだろう?」

「なんで疑問形なのよ」

とは言え、彼が誰かと一緒にいる時は大抵相手は女の子だ。
私が確認出来ただけでもメガネで三つ編みで巨乳の羽川翼ちゃんと、とてもスタイルのいい元気な神原駿河ちゃんは紹介してもらった。
全員女の子、っていうのがある意味問題だけれど……。
それでも未だに彼女が出来ないあたり、阿良々木君らしいわよね。

「こんにちは、川島さん」

「こんにちは。こんなところで何をしているの?」

「デートです」

「へえ、デートなんだ……ってええっ!?」

「あー……えっと、僕たち、付き合うことになったんだ。その、昨日」

「き、昨日?」

それは驚きだ。
ちょっと前までは友達を作ると人間強度が下がる、なんて恥ずかしい事を言っていた彼が、恋人を作る日が来るなんて。

ああ、息子や弟に彼女が出来るってこんな感じなのかしら。
安心したというか、微笑ましいというか、それでいてどこか寂しいような。


「へえ……おめでとう、阿良々木君。やっと彼女いない歴に終止符を打てたじゃない」

「余計なお世話だよ」

戦場ヶ原ひたぎちゃん。
いかにも人を寄せ付けない的なオーラを放っていた彼女がどうやって阿良々木君と知り合ったのか不思議だったが、意外とアグレッシブな子だったらしい。

「それよりも阿良々木くん、初デートだというのにろくにエスコートも出来ないなんて男として恥ずかしくないのかしら。私が男なら自殺していてもおかしくはないと思うのだけれど」

「いや、デートって言うか単に一緒に下校している途中で寄っただけだろ」

「そうね、そうだったわね。交際経験のない童貞野郎に理想を求めた私が愚かだったわ。ごめんなさい阿良々木くん」

「僕は早くもお前と付き合ったことを後悔しそうだよ」

「あら、そんなに気の利かない自分を思い詰めていただなんて……いいのよ阿良々木くん、私は菩薩のように器の大きな女だから」

「たまには自分にも非があると認めろ!」

「あはは、いいわね若者は青春真っ盛りで」

本人たちはどんなつもりなのかは知らないが、夫婦漫才を見ているようだった。
阿良々木君は天性のツッコミ役だし、お似合いの二人ね。

「そっかそっか、じゃあお祝いしなくちゃね」

「いいよそんなの……僕だって未だにあんまり実感ないんだから」

そう言いながらも頬をかきつつ顔を赤くしているあたり、満更でもないようだ。

いいなあ、私も恋人作ろうかな。


「ようし、今日は阿良々木君の新しい門出を祝って飲もう!」

「昼から飲むの!? それに僕未成年だから!」

「固いこと言わないの、お姉さんが奢ってあげるから。それに美女二人と飲めるなんて滅多にないわよ?」

「そうよ、折角川島さんがああ言ってくださるんだから、財布が空になるまで奢ってもらいましょう」

「黒いよ戦場ヶ原! 思ってもせめて口に出すな!」

「なに言ってるの、阿良々木くんの財布よ」

「なんで!?」

阿良々木君の腕を取り連行していくひたぎちゃん。
やっぱりお似合いな二人になりそうだ。

昼から飲むのはさすがに冗談だけれど、今日くらい阿良々木君にご飯を奢ってあげようかな。

「そういえばそろそろ髪、切ったら? だいぶ伸びてるわよ」

「ああ、いや……うん、その内な」

言葉を濁す阿良々木君のうなじに、二つの小さな黒子のようなものが見えた気がした。

きゅるきゅると音がする。




▶︎▶︎



005


▶︎▶︎

▶︎


かしゃん、と音がした。

「阿良々木暦は吸血鬼だ」

「…………えっ?」

「もう一度言うよ。川島瑞樹さん、貴女はここにいてはいけない人間だ」

阿良々木君に彼女が出来て数ヶ月。

そろそろ私もお目付役御免かな、と思っていた矢先に彼からお茶でもしようと喫茶店に誘われ呼び出された私は、そのまま崩れかけた廃墟へと連れて行かれた。
そこで待っていたのは、机をベッドに見立てて座るアロハシャツを着た中年の男。
何の冗談よ、とどこか様子のおかしい阿良々木君に状況を問おうとするも、忍野メメと名乗ったアロハのおじさんに開口一番、そんなことを言われた。
突然の展開に開いた口も塞がらない。

一体何を、言っているのだろう。

阿良々木君が吸血鬼?

あの、太陽と十字架とにんにくが苦手で、人間の血液を食糧とする化物の吸血鬼?

……そんなバカな。いくら冗談だとしても笑えるものじゃない。

「ごめんね、あまりにも突然のことで混乱しているとは思うけれど、時間がないんだ。レディに対して失礼だけど、貴女の経歴は調べさせて貰ったよ。川島瑞樹、二十三歳。十三歳の時分よりこの街に移住。それ以前の経歴は一切不明。まるで十年前、ここに突然出現したかのように」

「……それは、そうだけれど」

でも、記憶喪失だと思っていた。

思い出せないけれど、今はそれなりに幸せだし、それでいいって、

「家族構成は? 産まれた街は? 通っていた小学校の名前は?」

「…………」

思い出せない。
いや、思い出せないどころの話じゃない。
朧げにすら思い起こす事が出来ないんだ。
まるで、高校生以前の記憶がすっぽり抜け落ちているかのように。

「忘れている、ではないんだよ。存在しないんだ。『この世界の』川島瑞樹さんには、過去というものがない」

言われてみればそうだ。例え記憶を一切なくしたとしても、断片的に何一つ思い出せないなんてことはまずあり得ない。
でなければ、高校生の時点での私はどうやって形成されたのかの説明もつかない。


狼狽する私も気にかけずに忍野さんは続ける。

「水火鴇。水に火、と書きみずひとき。凄い名前だよね。水と火は相反するものだし、みずひを逆に読むとひずみ、すなわち歪み。そして鴇と時がかかっている。水火鴇は音楽や映像といった記録媒体に取り憑く現代風な怪異で、中身を早送りしたり巻き戻しすることで時間を連動させ、擬似的なタイムスリップを宿主に体験させる。そして取り憑いた者の過去を『実際にあったこと』として認識させ、自ら改竄させるのさ」

たとえまがい物でも、本人が認めてしまえば真実だからね、と。

人間は、どんな人であれ過去に依存している。
過去を無くして人として在れるのは、産まれたばかりの赤子だけだろう。
当然ながら、産まれたばかりの人間には最低限の本能しか備わっていない。

名前も、言葉も、人格もない。

じゃあ……じゃあ、私は一体誰なの?

「川島瑞樹、君は鴇に歪められたんだよ」

「そんな……なんでこんなこと、八年も……」

「無理もないよ。恐らくは不審に思わないよう、水火鴇が君の記憶をいじったんだ。怪異とは、そういうものだ。改竄は取り憑いた年代、日付に到達した時点で完了すると言われている。本来の川島さんが何歳かは知らないけど、明日かも知れない以上は一刻も早く対策を取るべきだと思うよ」

「……失礼だけど、唐突にそんな素っ頓狂なことを言われて、はいそうですかと信じられると思う?」

「だからこその僕だ。筋道を立てて説明するからよおく聞くんだよ」

忍野さんは身を起こし、人差し指を立てる。

「ひとつ、最初に言ったように阿良々木暦はなり損ないではあるが吸血鬼だ。彼は自ら怪異と関わり、鬼と遊び、鬼と成った。そして一度怪異と関わった者は、磁石のように怪異に惹かれる」

「……その、そもそも阿良々木君が吸血鬼って時点で、私は胡散臭いとしか思えません」

「阿良々木くん」

「…………」

阿良々木君は無言で制服の上着を脱ぐと、あろうことか近くに転がっていた机の廃材を自分の腕に突き刺した。

「ぐう……っ!」

「阿良々木君!」

壊れていびつな形状になった廃材は彼の腕を貫き、血が噴き出す。
駆け寄る私を、阿良々木君は片手で制した。

「いい……いいんだ、川島さん」

「いいって、病院に!」

「いいから……見てくれ」

廃材を抜き投げ捨てると、見るも無残な傷跡を私に見せる阿良々木君。

と、

「う、そ……」

一分後、傷口が小さくなっている気がした。
三分もすればその差は歴然と分かるようになり、五分後には完全に傷跡はなくなる。
手品やマジックでは済まされない。

「……見ての通りだよ。僕は今年の春休み、吸血鬼と出会い、吸血鬼になった」

隠していてごめん、と。

よく考えたら謝るべきでもない言葉は私の意識を通り過ぎて行く。


「…………」

「もういいかい? ともかく、阿良々木くんとは短い付き合いだけど、彼は何にでも首を突っ込むお人好しなんだ。それは例えパラレルの世界でも一緒だ、というのが僕の予想でね」

これがふたつ目、とVサインをしてみせる忍野さん。

確かに阿良々木君はどんな状況だろうと性格は変わらないような気がする。
それは育ってきた環境もさる事ながら、阿良々木暦という人間の特色と言ってもいいだろう。

けれど、その愚かとも言えるひたむきさが彼が彼をしたら示しているものなんだ。

「今僕らがいる世界をA、川島さんがいた世界をBとしよう。Bの世界で何らかの契機で知り合った川島さんと阿良々木くんだけど、阿良々木くんの怪異を寄せる体質に川島さんは巻き込まれてこの世界に来た、というのが僕の推理だ。阿良々木くんのいる街に来たのも偶然じゃなく、阿良々木くんが原因みたいなものだから、惹かれたんだろうねえ」

本来の私は、阿良々木君とは知り合いであっても、今ほどの仲ではない、ということなのだろう。

そして最後に、と三本目の指を立てる。

「川島さん、君がずっと肌身離さず持っているそのカセットウォークマン。それに水火鴇が取り憑いているのが何よりの証拠さ」

私が記憶を失くす前から持っていた、唯一のもの。

何か昔のことに関しての手掛かりになると思って、ずっと大切に持っていたもの。

ウォークマンが忍野さんの言葉に呼応するかのように、きゅる、と小さな音を立てる。

と、同時に白い羽を広げた一匹の鴇の姿が現れた。




▶︎



006


▶︎


『驚かなくても大丈夫だよ、そいつには何も出来ない。正体を見破られて慌てて出てきただけさ』

私は忍野さんの話を聞いた後、阿良々木君と屋上に来ていた。
二人で並んでドアの側の壁にもたれかかり、いつの間にか夜になっていた空を見上げる。

『退治する方法も簡単だ。取り憑かれたカセットテープを最初まで巻き戻して、上書きすればいい。そうすれば水火鴇は消滅し、元いた時間軸に戻れるよ。僕はそういう機械は苦手だから、それくらいは自分でやっておくれよ』

やり方もわからないしね、と忍野さんは軽口を叩いた。

それは、暗に自分で決めろという事なのだろう。

『川島瑞樹、君には選択肢がふたつある。ひとつは上書きし元の時間軸に戻る。もう一つは、何もせずこの時間軸を生きることだ』

本来の私に戻るのか、このままの状態でいるのか。

それは。

『考えるまでもないだろ』

阿良々木君は、そう言って私を屋上へと連れ出した。

その後も何を言うでもなく、ただ隣で黙って空を見上げている。

「止めては、くれないんだね」

「…………」

「君らしいわ」

自分でも意地の悪いことを言っているのはわかっている。

でも、忍野さんの言う通り、これが正しい在り方ではなくて、

「……僕には、止める権利なんて無いよ」

「阿良々木君のせいじゃないでしょ」

誰かによって作られた、仮初めの関係だったのだとしても、

「無意識だとしても、僕のせいじゃないか。川島さんがここにいるのも」

「じゃあ、私は最初からいなかった方が良かったってこと?」

「そんな訳ないだろ!」

一緒の時を過ごして来た事実は、本物に違いないのだから。


「……川島さんは元に戻るべきだ。あるべきところに」

「そうだね」

かちり、と赤く『●』と表示されたボタンを押し込む。

カセットテープが回転を始めた。

A面とB面で一曲ずつしか入っていないこのテープは、片面五分で終わる。

『この』阿良々木君と話せるのも、あと五分。

そう、阿良々木君が言った通り、こんなもの考えるまでもない。
異物の混じった世界は、それだけで微妙なずれを生じさせる。
私がいることで変わる未来もある。
時間や世界の在り方の仕組みなんてよく分からないけれど、恐ろしく緻密に作られた精密機械のようなものなのだろう。
ねじが一つ外れているだけで大惨事を引き起こす可能性だってある。

そりゃあ、少し寂しい気もするけれど、永久にお別れという訳でもない。

「私がこの街に来たってことは、私と阿良々木君はどこかで接点があるのよ。だからお別れじゃないわ」

「…………」

本来の私がどこにいて、どんな仕事をしていて、どんな性格をしているのか、想像もつかないれけど。
きっと、今とそんなに変わらないように思う。
人間、いい意味でも悪い意味でも、そう簡単には変われない。

「それに、この世界に私がいなくなる訳じゃない。君のことは知らないけれど、これから君と知り合う私がいる」

その時は私をよろしくね、と。
強がりにしか聞こえないであろう言葉を、涙声ながらに紡ぎ出した。

ダメだな、こんな時くらい作り笑顔も作れないなんて、世話焼きお姉さん失格じゃない。

でも、だからと言って、感情の起伏を制御出来るほどに歳を取ったつもりもない。

楽しい時は笑って、悲しい時には泣いて。そんな当たり前のことすら、歳を重ねる度に難しくなっていく。

どうして、そんなことも出来なくなっていたのだろう。

それはきっと、人間が時の経過と共に弱くなっていく生き物だからだ。
もちろん身体的にも、精神的にも、成長はしていく。
だが身体の成長は必ず止まるし、同時に摩耗もしていく。
擦り切れて弱さが露見するようになる時期は人それぞれだが、本能的にそれを隠そうとするから、素直に泣いたり笑ったりすることが難しくなる。

感情の制御が出来るようになるのと引き換えに、不要な感情の捌け口を自ら閉じているんだ。

「ああ、僕は川島瑞樹がここにいたことを忘れない」

「……ありがと」

「瑞樹姉ちゃんは美人だからな、どこに行ったってやっていけるさ」

美人だから、って君。そんな根拠も道理もない適当なことを、泣きそうな顔で言われるこっちの身にもなってみなさいよ。

ああ、でも、やっとお姉ちゃんって呼んでくれたんだ。

「小さい頃の僕が惚れたくらいなんだからな」

「そうね……わかるわ。私も少しだけ、」

かちり、とテープが止まる。






007





かしゃん、と音がした。

後日談というか、今回のオチ。

「……さん、川島さん?」

「え……あ」

聞き慣れた彼の声に呼び起こされ、目を開ける。

視点の定まらない視界の中に映るのは、スーツ姿のプロデューサーだ。

「休憩中とはいえ、お休みとは優雅ですね」

「……寝てたの、私?」

「皆は張り切って出て行きましたよ。アンコールはあと十分で開始ですから、それまではゆっくりしていて下さい」

皮肉混じりの彼の言葉も右から左に、辺りを見渡す。
紛うことなくクインテットライブの控え室だ。

夢……だったのだろうか。

「ねえプロデューサー、邯鄲の夢、って知ってる?」

「え? ああ、知ってますよ。一生にも匹敵する長さの夢を見たけれど、起きてみたら寝る前に火を付けた粥が煮立ってすらいない位、短い時間だった、って話でしょう?」

人ひとりの人生なんてその程度の儚いものですよ、という故事成語だが、本当にその通りかも知れない。

「長い夢でも見たんですか?」

「ええ……そうね」

ふと、机の上に放置されていたカセットウォークマンが気になって耳に着ける。

『▶︎』と書かれたボタンを押し込んだ。


「…………」

「川島さん?」

「ふふっ」

ああ。

夢じゃ、なかったんだ。

「変わらないのね、君は」

「……何がですか?」

「阿良々木暦君という人間、全部よ」

停止ボタンを押し、イヤホンを外す。

このテープは、劣化して聞けなくなるまで大切に取っておこう。

私だけが知っているお話。

私だけの宝物だ。

私は少しだけ不思議な体験をした。

可能性があるのならば、どんなことでも実現する望みがあることを。
そう、私とプロデューサーが昔馴染み、なんて砂漠でひとつの砂粒を見付ける、奇跡のような可能性ですらあったのだ。

彼が言った通り、今までの私が積み重ねてきたものがあって、今の私がある。
それがどんなに直視し難い醜いものでも、それを否定してしまったら私は私でなくなる。

やり直しなんてつまらない。
間違えた結果だろうと、私が決めた以上、それはかけがえのないものなんだ。

私はアイドル川島瑞樹だ。
それだけは、どんな結果を迎えようとも絶対に誰にも譲れない。
彼が命を賭けてさえ自分の生き方を貫き通したように。
格好悪くても、みっともなくても、諦めが悪いのが、私の最大の武器なんだから。

誰も知り得ない未来を、持てる最大限の力で生きて行こう。

さあ、皆が待っている。






みずきアワー END

拙文失礼いたしました。

気付けば自分も川島さんと同い年……。
なんか書いているうちにリアルになってきて暗い話になってしまいました。

次は恐らく薫ちゃんです。

読んでくれた方、ありがとうございました。

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