阿良々木暦「ふみかワーム」 (46)
・化物語×アイドルマスターシンデレラガールズのクロスです
・化物語の設定は終物語(下)まで
・ネタバレ含まれます。気になる方はご注意を
・終物語(下)より約五年後、という設定です
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杏のリンク間違えました。
阿良々木暦「あんずアント」
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001
贔屓でも世辞でも誇張でもなく、綺麗だ、と素直に思った。
待ち合わせ場所はとあるカフェだったのだが、店外から見える彼女の姿は、まるでそこだけが切り取られて一枚の絵として作品になっている、とさえ思えた。
店内の隅の席、コーヒーカップひとつを机に乗せ、ブックカバーを着けた恐らくは小説を読む少女がいる。
今日この日に出来たその静謐な空間は、彼女のために存在すると言っても過言ではない気さえして来た。
透き通る午前の空気の中、時間さえも静止してしまったかのような錯覚を覚える。
思わず、見蕩れてしまった。
静の美。そんな単語が頭に浮かぶ。
いつまでも見蕩れている訳にも行かず、未練を残しつつも入店すると、目線を寄越した鷺沢が本を閉じて微笑みと共に迎えてくれた。
「おはようございます、プロデューサーさん」
「おはよう鷺沢」
鷺沢文香はアイドルだ。
だが、彼女は一見してそうには見えない。
かつての千石のように人の目線が気になるのか眼が隠れるほどに伸ばされた前髪に、穏和と慈愛に満ちた特徴的な垂れ目、とどめの一撃と言わんばかりに大人しく引っ込み思案なその性格は、とてもじゃないがアイドルなんて活発的なイメージとは結び付かないのだ。
実際にも彼女のアイドルとしての売り方は癒されるアイドルだが、図書館で司書をしている、とでも言われた方が余程しっくり来るのが事実だ。
それも彼女は元々文学が大好きで、叔父の古書店でアルバイトを兼ね本と触れ合うことを好むような学生だったのだからそれも当然とも言えよう。
「あ、カフェオレを一つ」
「かしこまりました」
鷺沢の対面に座り、注文を取りに来た店員に告げる。
ふと鷺沢がブラックコーヒーを注文しているのを見て少々後悔した。
小学生ではないのだが、やはりブラックコーヒーといえば大人というイメージがある。
年下の、しかも女性の鷺沢を差し置いて年上の僕がカフェオレ(しかも砂糖を入れる予定だ)を頼んだことにこだわっている僕は狭量なのだろうか。
「プロデューサーさん……? どうかしましたか?」
「いや、何でもない。打ち合わせをしようか」
せめてもの抵抗として届いたカフェオレに何も入れず、鷺沢と打ち合わせを始める。
僕が資料を片手に説明する間、鷺沢は身動ぎひとつせずに真剣に聞いてくれているようだった。
「……というのが今後の方針だけど、何か質問はあるか?」
「あ、いえ……ありません」
鷺沢は目を伏せてどこか居心地が悪そうだった。
というか、僕は未だ鷺沢と打ち解けられていない感がある。
諸星や日野、城々崎姉妹のようにあちらからグイグイ押してくる子ならば妹や神原という前例から慣れているし楽なのだが、鷺沢や森久保といった引っ込み思案な女の子の扱いは少々苦手なのだ。
何せ会話が続かない。
あちら側から話題を振ってくることがほぼない為、今日この瞬間のように本題を話し終わってしまうと何処か気まずい雰囲気になってしまうのだ。
だがそれではいけない。
人間は成長する生き物だし、僕にとってはプロデューサーとしての仕事でもある。
担当アイドルのモチベーション管理。
言葉だけなら難しい資格や知識も要らないし容易に聞こえそうなものだが、明確な形がないだけにバリエーションに富み過ぎていて難しい。
そうだな、ここは親睦を深める為にも鷺沢が好きな本の話題でも出してみようか。
「鷺沢はいつもどんな本を読んでいるんだ?」
「え?」
突然の脈絡のない質問に首を傾げる鷺沢。
さすがアイドルと言うべきか、動作のひとつひとつが可憐だ。
「いや、いつも何かしら読んでいるじゃないか」
鷺沢の担当になってから数ヶ月程だが、鷺沢は一人で静かに本を読んでいることが非常に多い。
「プロデューサーさんも、本がお好きなんですか……?」
「ああ、割と読む方だよ。漫画でも活字でも。でもどちらかと言えば活字の方が好きかな」
これは羽川やひたぎの影響も強いが、漫画とは違い活字は想像力を掻き立てられる分、僕は好きである。
決して漫画を卑下する訳ではない。
視覚という効果を使うことにより幅広い表現を可能にする漫画は日本の誇るべき文化だと思う。
だが活字は書いた作家の思惑に加え、解釈により何通りもの物語が産まれる。
例えば文章を読みながら頭に浮かぶ光景は十人十色だろう。
自分の想像力も試されると思うと面白いのだ。
「本当ですか!? あの、どんな本がお好きなんですか!?」
「え、あ?」
いきなり目を輝かせて迫る鷺沢に思わず後退りしてしまった。
「あ……す、すいません……っ!」
驚く僕を見て正気に戻ったのか、姿勢を直し恥ずかしそうに首を垂れる鷺沢。
耳まで真っ赤だ。
「いや、いいよ。逆に鷺沢の意外な一面が見れて嬉しい」
「お、お恥ずかしいところを……」
「そうだな、僕はこれといった好き嫌いはないよ。純文学からライトノベル、ビジネス書でも雑学本でも得られるものは何かしらあるからな」
僕は言ってしまえば濫読家だ。節操なしとも表現できる。
ジャンルを問わずに知らない知識、知らない世界、知らない物語であれば何でも面白いと思えるのが僕の強みだ。
無論というか、鷺沢にはとても言えないような本だって家にある。
「活字に限定するのなら……そうだな、推理小説やミステリーが好きかな」
これは完全にひたぎの影響だ。
何かお勧めを、と聞いてドグラ・マグラを真っ先に勧められた僕の心境を察して欲しい。
いや、好きなんだけど本を読まない人に対してジャブとして勧める本ではないと思う。
ちなみに羽川に聞くと的確すぎる助言をいただけるので今でも時々聞いたりする。
「あまり、活字を読む友人や知り合いがいなくて……嬉しくて、つい」
それはわかる。事務所においても漫画を除いて本を読んでいるのをよく見るのは、浅野と森久保くらいのものだ。
荒木や大西も何か読んでいることが多いが、あれは漫画やどこで売っているのかもわからない背表紙が派手な薄い本ばかりだし。
「最近は活字離れが、と良く言われていますけれど……本を読むかどうかなんて、個人の自由ですから」
「そうだよな、メディアが増える以上は比率が変わるのは当たり前だからな」
「それでもやっぱり、私は本が好きですけれど」
現在ではインターネットの普及により、携帯電話からでも容易に作品の閲覧が可能になった。
それにより出版業界の衰退が起こるのは致し方ない事だとは思うのだが、僕もどちらかと言えば鷺沢と同じで紙媒体の方が好ましいと思う。
データによる媒体の方が劣化もせず保存も容易なのは百も承知なのだが、やはり現物としてそこに在る方が愛着も湧くし感情移入も出来ると思うのは僕だけではない筈だ。
「また今度、鷺沢のお勧めを聞きたいな」
「それでしたら……宜しければ、これを」
そう言い、鷺沢は嬉しそうに鞄から一冊の本を取り出す。
かなり古い本だ。
カバーもかなり劣化しており、値段を見ると現在の相場の三分の一ほどだ。
まだインターネットどころか携帯電話すらない時代のものだろう。
「いいのか? 結構古い本みたいだけれど」
「はい、読んで貰えると嬉しいです」
趣味の共有は楽しいものだ。
自分の好きな作品を睦い人に読んでもらい、感想を聞いたり世界観を共有する楽しみはどんなものでも共通だ。
表紙やタイトルからはどんな物語かもわからないが、鷺沢からの一冊だ。
是非とも大切に読ませてもらおう。
「ありがとう、大事に読ませてもらうよ」
鷺沢からの本をなるべく丁重に鞄に入れる。
早速今日、ブックカバーを買ってこよう。
「そう言えば、鷺沢はどんな本が好きなんだ?」
「あ……私も比較的何でも読みますが……やっぱり恋愛小説やファンタジーなどが……」
その後、ジャンルとしての好みや時代と共に移行する作品傾向の変化について静かにも熱く、それでいて饒舌に語る鷺沢の新たな一面を垣間見るのであった。
002
僕は休憩時間である正午付近、事務所において先日鷺沢に勧められた本を読み耽っていた。
その本は、大正時代の階層社会を風刺した望まれない恋愛を描く物語。
果たして聞いたこともないタイトルと作者の古書は、不思議な魔力とも言える魅力があった。
その時代でしか語れない物語は確かにある。
例えば今からこの本と全く同じ題材で同じ物語を書こうとしても、全く別の物語になるであろうことは容易に想像できる。
何も昔の作品だから、という訳ではない。
それこそ今出版されている作品だって、同じ作者が十年後に書けばそこに微々たるとは言え必ず変化はある筈だ。
太宰が五十年遅く生まれたとしたら、『斜陽』を書き上げる可能性が限りなく下がるのと同じだ。
各時代における価値観、環境、風潮、あらゆる要素が混じり合って出来るのが作家の産み出す小説という作品だと考えると、中々に感慨深いものがある。
そんな事を思わせる作品だった。
勿論、鷺沢が勧めてくれただけあって内容も十二分に面白い。
と、僕らしくもなく小難しいことを思考していると、眼鏡を掛けたジャージの女の子が出勤して来た。
アイドル荒木比奈である。
「あ、プロデューサー。おはようございまーす」
「おう、おはよう荒木」
「プロデューサーが読書とは珍しいっスね、何読んでるんスか?」
「何だと思う?」
質問を質問で返すのは愚劣極まりないかも知れないが、荒木は気分を害した様子もなく首を捻って考え込んでいた。
しばらくして閃いたのか、手をぽんと打ち人懐っこい笑顔を浮かべる荒木。
「わかったっス! エッチな小説っスね?」
「なんでじっくり考え込んだ結果がそれなんだ!」
僕を何だと思ってるんだこいつは。
あまりにも失礼じゃないか。
「あのな、僕が職場で昼間から官能小説を読むような非常識な男に見えるのか?」
「んー、そうっスね。非常識ってとこは合ってると思いますけど」
このやろう。
語尾から『っス』を奪ってアイデンティティを無くしてくれようか。
「……ともかく僕はそんな本は読んでいない」
「えー? じゃあBL小説っスか?」
「そっちの方面から離れろ!」
神原じゃあるまいし、男の僕がそんなもの読んでどうするんだよ。
いや、ジャンルとして否定する気は全くないし、読む人はそりゃあ探せばいるんだろうけれどさ。
神原に意固地なほど勧められても断固として断り続けた僕が読む訳がない。
「となると……あとプロデューサーが読みそうなのってラノベくらいしか思い付かないんスけど」
「わかった、もういい荒木。お前が普段僕をどう思っているかよく分かった」
お前には失望したよ、と架空の唾を吐き捨てる僕。
というかアイドル諸君にそういう目で見られていたことが地味にショックだ。
「鷺沢から借りた古書だ。僕の造詣の深さに驚き僕に対する認識を改めろ」
「あー、文香ちゃんのっスか。でも古書や純文学読めば文学に詳しくて頭いい、なんて考えは浅はかっスよ」
それは確かにそうだ。
読んだだけで頭が良くなるなら誰だって読む。
ちくしょう、なんか悔しい。
何か荒木をあっと言わせる要素はないものか。
あ、そうだ。
「それだけじゃない、聞くがいい。今度鷺沢の元アルバイト先で書庫の整理をしに行くんだ」
何でも人手が要る作業なのだが、今までは鷺沢が小分けに行っていたらしい。
それを聞いた僕が手伝いと鷺沢との仲を深めるという多少不埒な理由と共に行くことにしたのだ。
僕は神原家で経験済みだが、本は量が嵩むととてつもない重量物と化す。
それこそ古い家屋では本で床が抜ける、なんて冗談みたいなことだって起こり得るのだ。
「マジっスか。いいなー、アタシも行っていいっスか?」
予想外な答が返って来たので一瞬、反応に戸惑う。
「いいんじゃない……かな。鷺沢がいいなら」
「じゃあ聞いて来ますね」
「え、荒木って古書とか読むの?」
「いや全然っス。でも小説は結構読みますよ。流行りのラノベから古典作品まで。最近ちょっと創作活動もマンネリ気味ですし、先人に見習うのもいいかな、と」
「へえ、ちょっと意外だな」
荒木と言えばいわゆるオタクアイドルだ。
元々、自分で漫画を描いて売る程のオタクだった荒木はアイドルとして成功した。
まさにシンデレラプロダクションの名前に相応しく灰かぶり姫を一番体現したのが荒木と言ってもいい。
そんな荒木なのでてっきり漫画ばかり読んでいると思っていたが、やはり外見で人を判断してはいけないな。
「歴史物とかいいっスよねえ、戦国時代や三国志なんてもう妄そ……考察が尽きないっスから」
「おい待て、今妄想って言いかけなかったか」
「おはようございます」
アイドルとして聞き捨てならない言葉を問い詰める前に鷺沢が出勤して来た。
「おはよう鷺沢」
「おはようっス、文香ちゃん」
「なあ鷺沢、荒木も鷺沢の元アルバイト先に行きたいって言ってるんだけど、どうだ?」
「私は……構いません。比奈さんも本を読まれるんですか?」
「そんな難しい本は読まないっスけど、結構本の虫っスよ」
鷺沢は表情を輝かせる。
同じアイドルで本好きの仲間が出来るのが嬉しいのだろう。いい傾向だ。
「それじゃあ、今度の日曜日に」
「わかったっス、楽しみにしてるっスよ!」
続けて中国四大奇書を話題に盛り上がる二人を邪魔すまいと、僕は本を閉じて仕事に戻るのであった。
……今ちょっと鷺沢が荒木の世界に引きずり込まれないか心配になったが、荒木を信じるとしよう。
003
そして日曜日。
天気も良く眩しいほどの太陽の下、僕と鷺沢の後ろをゾンビのような様相でついてくる荒木がいた。
ゾンビのよう、というのは髪もボサボサ、眼は虚ろ、歩くのも覚束ないような有様だ。
「うー……」
「比奈さん、大丈夫ですか……?」
「デッドラインを完全に忘れてたっス……脱稿明けで……意識が……」
「おい……大丈夫か、目の下のクマがえらいことになってるぞ」
まるで墨でも塗ったかのように窪んでいる。
荒木には失礼かも知れないがとてもアイドルとは思えない顔だ。
年に何回かこんな感じの荒木は見た事はあるが、同人活動とはここまでのものなのか。
「大丈夫っス……山は越えましたし、これくらいなら慣れっこっスから……ほら、今流行りの山ガールっスよ」
「越える山が間違ってる気もするんだが」
「それに古書いっぱいの書庫なんてこんな機会でも無きゃ行かないですし。平気っスよ」
「無理しないでくださいね」
対して鷺沢はいつも通りの緩やかな服に身を包んでいる。
鷺沢は基本的にお洒落というものをしない。
というか、知らないと表現するのが正しいかも知れない。
一度本人に問い合わせたところ、自分を見る男性なんていないと思っていたから一切そちら方面に対しては無頓着だったらしい。
警戒心ゼロというか、聞いただけで心配になってくるようなエピソードだ。
鷺沢ほどの美人なら夜道で襲われても不思議ではないというのに……。
「少しはアイドルという自覚を持てよ、荒木……」
「いいんスよ……この方が面も割れにくいし、襲われたりしないっスから」
「最近の変質者は後腐れのリスク低減のためにお前のような地味目な女の子を襲うとも聞くぞ?」
敢えて言いはしないが荒木は普段がずぼらなだけで、メガネを外して髪を調えれば普通に可愛い系の女の子だ。
仮にもアイドルなんだし。
「酷い言い方っスね……アタシみたいなボサい女を襲う物好きなんていませんて」
「そんなことありませんよ……比奈さんは可愛らしいですから」
「何言ってんスか。アタシが男ならとっくに文香ちゃん襲ってるっスよ」
「そ、そんな……私なんて……」
「全くだ、荒木の言う通りだぞ」
「……プロデューサーが言うと洒落じゃ済まなくなるっスよ」
冗談はさておき、鷺沢は自分がどれだけ美人なのか自覚していない傾向にあるのは確かだ。
それが原因で結構女の子としての嗜みに無頓着な点があったりする。
荒木も普段着に対しては無頓着なのだが、種類が違うと言うか、『他人に見られる』ということを全く意識していない節がある。
一例を挙げるとこの間、女子トークを事務仕事をするフリをしながら聞いていた時、鷺沢が下着を着け忘れて来たと聞いたことがある。
その時はあまりのショックに失神してしまった程だ。
「あっ、ダメっスよ文香ちゃん、こんなところで暑いからって上着脱いじゃ!」
「何い、それは大変だ! 僕が上着を持とう! いや、熱中症になったら大変だ、僕が鷺沢をおんぶしよう! そうしよう!」
荒木の言葉に脳髄よりも身体が先に反応した。
エイトナイン症候群である。
僕が(今)名付けた。
反射なんて陳腐な表現ではとても言葉が足りない超常現象レベルでの身体の活性化に加え、自我を失う程の精神汚染を伴う病気である。
具体的には、八九寺を思い掛けないタイミングで発見した場合やあまりにも嬉しいことが起こった場合に起こり得る、僕の身体能力や精神状態を一切考慮せずに身体が超反応を起こしてしまう恐ろしい病なのだ。
これにより僕は意図しないというのに小学生にキスしたり小学生にハグしたり小学生を殴ったりしてしまうのだ。
だから過去のあれは決して僕のせいではない。
そして今回も厚着の鷺沢が一枚脱いだという朗報にエイトナイン症候群が発症してしまった。
ああ、ごめんよ鷺沢、でも僕のせいじゃないんだ。わかってくれ。
「鷺……さ……わ」
「あ、あの……」
脱いでなかった。
それどころか目を見開いて驚いている。
その横では荒木が意地の悪い笑顔をにやにやと浮かべていた。
くそう、何だか昨日から荒木に主導権を握られっ放しじゃないのか僕。
「いやあ、流石はプロデューサーっスねえ、アイドルのためならおんぶも厭わないなんて」
「当たり前だ、僕を誰だと思っている」
「でもやったアタシが言うのも何ですけど今のは正直ちょっと引いたっス」
「なんだとう!」
「うふふ……」
鷺沢が口を押さえて笑っていた。
鷺沢が声を出して笑うところなんて、初めて見るんじゃなかろうか。
思わず荒木と揃ってその場で止まってしまった。
「お二人とも、仲がいいんですね。見ていて、とても楽しいです」
「ああ、実は僕と荒木は両想いの恋人同士だからな」
「ええっ!? そ、そうだったんですか……知らずとはいえ、失礼な……」
顔を赤らめながら伏せる鷺沢。
うーん、ここまで騙されやすいと逆に心配だ……そんなに歳も離れてないのに、無警戒な娘を持った気分を味わってしまったじゃないか。
「ウソっスよ! 文香ちゃんも簡単に信じちゃダメだって!」
「荒木、言いたいことは山程あるが今回は鷺沢に免じて許してやろう」
「許すも何も裁判になったら間違いなくこっちが勝訴っスよ?」
「あの、この流れだと私は脱いだ方がいいんでしょうか……?」
「是非もなしだ」
「いや、それプロデューサーが喜ぶだけでしょ……」
談笑しつつ三人で並んで歩きながらも、今日はこれだけでも来て良かったと思えるのであった。
004
「ここです」
鷺沢に案内されて辿り着いた先は、如何にも雰囲気のある古い倉庫であった。
造りとしては一昔前の物置、といった表現が正しいだろうか。
鷺沢が鍵を差し込み建て付けの悪い、それでいてらしい音を出しながら開く扉を潜ると、その光景に思わず息を飲んだ。
コンビニ程度の広さの倉庫に、此処狭しと本が並べられ、積み上げられている。
何でも売り物以外でも彼女の叔父であるところの店主のコレクションや店に入らない分がここに保管されているらしい。
「これは……凄いな」
「叔父は蒐集家ですが、保管には割と適当でして……」
それで鷺沢が時折個人的に整理をしに来ているらしい。
「うわあ……雰囲気あるっスねえ」
荒木が身近な古びた本を手に取りぱらぱらとめくるが、英文だらけの内容に諦めて本棚に戻す。
見たところ、印刷物だけでなく直接墨で書かれたような年代物もあるようだ。
「それで、僕たちは何を手伝えばあいんだ?」
「そうですね、まずは日干しする本を分けてジャンル毎に仕分けを――」
懇切丁寧に説明していく鷺沢の声も片隅に、僕は早くもこの場所を気に入っていた。
時代から丸ごと置き去りにされたようなこの空間は、何処か落ち着く。
その感情の出処は郷愁か感傷か、それとも僕自身が時代と共に忘れ去られて行く吸血鬼の一部だからか。
「ひっ……!」
と、鷺沢の短い悲鳴と、本を取り落とす音がほぼ同時に聞こえた。
何事かと振り返ると、地面に落としたことで開いた本が視界に入る。
「な……っ!?」
『文字が蠢いていた』。
ぐずぐずと崩れ出した文字はまるで虫のように紙の上を這いずり回り、本の中から出ようとしているように見える。
「な、ななななんスかこれ!」
荒木も取り乱している。
当たり前だ、文字が動き出すなんて事は――怪異以外に考えようがない。
「う、背紙魚……!?」
「え……? きゃあ!?」
びゅるん、と蛇か何かのように形を得た文字の塊が、余所見をしていた荒木に次々と巻き付く。
文庫本一冊分の文字数は平均して約十万文字程度と何処かで聞いたことがある。
一文字は蚊ほどの大きさの活字も、数が集まると人一人を覆うくらいになるのか。
「忍!」
感心している場合ではない。
すぐに影に手を突っ込み、心渡を取り出すと耳なし方一のように全身を文字で覆った荒木に斬りつける。
「な……」
「あ……っ、く……!」
荒木ごと怪異を斬り捨てた筈が、一瞬荒木の周囲からばらけただけで、再び元の状態に戻る。
足元を見ると、斬られたのであろう文字の残骸が、血のようにどろりとしたインクとなって地面に染み込んで行くだけだった。
「数が多過ぎるのか……!」
荒木を取り巻く文字の数は、約十万。
それら全てを斬るには何合必要なのか、そんなもの想像もしたくない。
ならば――。
「鷺沢、一旦外に出るぞ!」
「え、で、でも比奈さんが!」
「大丈夫だ、僕を信じろ!」
鷺沢はそれでも荒木が心配なようで、苦渋の表情でわかりました、と応えてくれた。
恐らく、今の鷺沢の心境はこれが半ば自分の責任だという自責の念が渦巻いているのだろう。
僕は鷺沢の手を取り、古書の館を後にしたのだった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「悪いな、荒木……」
鷺沢に借りた鍵で書庫の鍵を締めた。中に放置する形になってしまった荒木に謝罪し、息を切らす鷺沢と共に年季の入った扉を背もたれにする。
「プロデューサーさん、あ、あれは……」
なんですか、と続けようも息が途切れ、目で訴える鷺沢に僕は答えた。
「怪異、だ……」
「怪異……?」
「文字通り、怪しく人とは異なるものだ……妖怪や物の怪が近いかな」
「そんな……っ!」
鷺沢ほどの読書家なら葛飾北斎の絵や雨月物語の訳くらい目にしたことはある筈だ。
ふと、鷺沢の視線が僕の左手に向いているのに気付いた。
その先には、先程の心渡がある。
「……鷺沢、いきなりだけど僕は人間じゃない」
心渡を影に仕舞って見せる。
たて続けに起こる手品のような現象と信じ難い光景に、鷺沢は恐怖に近い表情を浮かべていた。
「僕は吸血鬼のなり損ないだ。詳しくはブラム・ストーカーを読んでくれ。僕のことを気持ち悪いと、蔑んでくれても構わない。だが、今だけは信じて受け入れてくれないか」
「…………」
果たして鷺沢は、僕の二の句を待っているようだった。
逃げ出してくれなかっただけでも感謝したいくらいだ。
その上協力を求めようとしている僕は、烏滸がましいだろうか。
「――荒木を、助けるために」
「……はい!」
荒木の名を出したことが効果的だったのか、声は小さくとも、鷺沢は力強く首肯を返してくれた。
「あの文字の群れは背紙魚。うしろじみと読む、紙魚の怪異だ。主に長い間読まれていない本……そのほとんどが古書に取り憑く」
「怪異……」
紙魚は英語でシルバーフィッシュだとかブックワームと呼ばれる原始的な昆虫だ。
主に衣類や紙を食うことから、文字食い虫とも呼ばれる。
「紙背を読む、という言葉があるだろう? 背紙魚は紙背の更に裏を読む怪異だ。背紙魚は読まれたいと思う本自体の無念、想いを形にする。例え物言わない本だろうが、長年愛されたり感情を与えられたものには命に近いものが宿る。それを利用し文字に命を与え、人間に取り憑き『物語を再現する』んだ」
「では、今の比奈さんは……」
「ああ、身体を物語に乗っ取られている。今は言ってしまえばダウンロード中だ、直に活動し始めるだろう。だがあの本の内容によってはまずいことになる……過去の事例では、外国で街一つ丸ごと消した事もあるくらい危険な可能性を秘めている」
「…………!」
鷺沢の表情が青ざめる。
それ故に、背紙魚には『街喰い』の異名までついている。
それこそ不条理や暴力、いわゆる世界系の小説ならば手に負えない場合もある。
物語は創作であるがゆえに、何でもありだからだ。
そして背紙魚の一番恐ろしいところは、取り憑いて間もない頃こそただの模倣に過ぎないが、最終的には『それがどんな物語であろうと忠実に再現する』ところにある。
もしあの本が世界滅亡を題材としたようなストーリーならば、無事で済む可能性は限りなく低い。
だが背紙魚が取り憑くのは大抵が古本や古書なので、そこまで突拍子もない設定の物語が飛び出す可能性は低いだろう。
「助ける方法は、僕等が本の内容を忠実に再現すればいい。それで背紙魚は読了してもらった、と満足して消える」
「再現、ですか」
「ああ、物語に沿って行動するのは直接取り憑かれた荒木だけだ。だから、物語の内容を知っている鷺沢の協力が必須なんだ」
物語を再現出来なかった場合、背紙魚は暴走し、戦争ものであれば本物の戦争が起こる程の惨劇がその場で嵐のように巻き起こる。
他にも解決する方法はあるのだろうが、生憎僕の知識ではこれしか知らない。
「鷺沢、あの本はどんな内容だ?」
「え、と……慶応元年を舞台にした、俸禄も僅かなしがない武家の娘と、歌舞伎の看板役者の恋愛を描く物語です」
慶応元年というと、大政奉還の直前か。
ならば危惧すべきは刀を持った武士と鉄砲くらいだろう。
あの本が恋愛もので良かった。
宇宙SFとかだったら対処し切れたかどうかも怪しい。
「今の内に登場人物とストーリーを簡潔に教えてくれ」
「はい、主要登場人物は先程の武家の娘と歌舞伎役者、それに武士の生き残りである娘の兄です、ストーリーは――」
鷺沢が粗筋を説明をしようとした刹那、破壊音と共に扉が粉々に飛び散ったのだった。
005
「ん、なあぁ!?」
「きゃあ!?」
木屑が破片となって宙を舞う。咄嗟の判断で鷺沢に覆い被さって事なきを得た。
頃合いを見計らって振り向くと、
「妹……妹萌え……スール……?」
そこには、恐らくは真剣であろう刀を両手持ちに構えた荒木の姿があった。
ぶつぶつと呟きながら虚ろで、飢えた獣のように血色ばんだ澱った瞳をこちらに向ける。
その様子が疲労で参っている荒木の外見と嫌にマッチしているのは今や皮肉でしかない。
「貴様ごとき身分の違う輩に……文香ちゃんは渡せないっス!」
「口調はそのままなんだな……」
まだ発現から間もないためか、完璧にトレース出来ていない。
ジャージで眼鏡の少女が日本刀を携えるその姿は、学園異能バトルものを連想させた。
「鷺沢、話の流れを!」
「えと、恐らくは台詞から比奈さんが武士の兄で、私がその妹です。最後のシーンは娘……私を賭けて歌舞伎役者と決闘するんですが――」
「文香ちゃああああん!」
「うわっ!?」
待ったなしで斬りかかって来る荒木は、とてもじゃないが少女の動きとは思えない程に俊敏かつ的確だった。
反射神経だけで避ける。
が、
「へへ……文香ちゃんは戴いた……っス」
「ん……んんー!!」
鷺沢が攫われていた。
片腕で鷺沢の口を塞ぐ形で抱えて、不敵な笑みを浮かべる荒木。
身分違いの恋に立ち向かう物語、か。
ならばオチも大体は読める。
例え時代が違おうが基本的な起承転結は変わらない。
おかしなものだ、時代によって同じ作品は二つとないと述懐したばかりなのに、物語という名前がついている以上、骨子は似通っている。
始まりと終わりが無ければ物語にはなり得ないからだ。
「……仕方ないな」
明確なストーリーがわからない以上不安は残るが、急がないと間に合わなくなる可能性もある。
残った役、僕は歌舞伎役者か。
ならば丁度いい、大見得でも切ってやろう。
影に手を突っ込み心渡を取り出す。
ネクタイを片手で外して投げ捨てると、切っ先を荒木に向けた。
「鷺沢は渡さない。例え許されざる恋慕だとしても、貫き通してみせる!」
「生意気な! その強気、何処まで続くっスかねぇ!?」
「んん――!!」
王道のストーリーならば、ここで兄が悪役を演じわざと負ける、本気で戦ったが負ける、等の予測が立つ。
「待ってろ鷺沢、今助ける!」
怒号と共に心渡で斬り掛かる。
殺陣は初体験だが、刀の扱いについてはそれなりだ。
時代劇にありがちな、切り結びを荒木と共に行う。
正面からお互い突っ込み、一瞬の接触の後に立ち位置を逆にする演出だ。
この後、間を置いてどちらかが倒れるのが通説である。現実的に考えたらほぼあり得ないが、フィクションに現実を求めるのも野暮というものだろう。
「う……」
想像通り、荒木が膝から崩れ落ちる。
実際に怪異ごと斬ったから当たり前と言えば当たり前だが。
荒木の刀は僕の脇腹を掠っているだけで済んでいた。
良し、これで――。
「う、あ……あ、ああぁ……!」
「戻らない……!?」
一度は倒れた荒木が再び立ち上がる。
いや、立ち上がるという表現は正しくない。
文字通り、意識のない人間を後ろから無理やり動かしているような様相だ。
首は座っておらず、両腕にも刀を握る以外の意図は見えず、辛うじて足だけでその場に立っている――そう、喩えるのなら、下手な操り人形の動きに近い。
その荒木にまとわり付く文字の羅列が、次第にその時代の服装へ、荒木の茶色がかった髪色も黒へと変化して行く。
文字が更に忠実な再現を求めていた。
「何でだ……ストーリーが間違っていたのか!?」
「プロデューサーさん」
鷺沢が、僕の名前を呼んで視線を寄越す。
その前髪に隠れた瞳からは、任せてくれ、と強く静かな意志が伝わってくるように見えた。
「鷺沢、何を――」
「あ、う……うう……あぁ……!」
「……比奈さん」
物語を『構築』している最中の荒木を、鷺沢は包み込むように抱き締めた。
無論、背紙魚が鷺沢の身体をも侵食し始める。
「くっ、う……!」
「鷺沢!!」
荒木と同じくして、鷺沢の首元まで文字列が迫る。
僕が止める意志さえ忘れる程の凄まじい鷺沢の行動に呆然とする中、鷺沢は荒木を愛しい我が子のように胸にかき抱いた。
「ごめんなさい、寂しい想いをさせてしまって」
荒木の頭を撫でながら鷺沢は続ける。
鷺沢を襲う文字列の侵食は、ずるずると這うように目元まで進んでいた。
苦痛があるのか、表情を辛苦に歪める鷺沢。
「約束します。あなた達は私にとって大切なお友達です。ずっと、大事にしますから」
だから、と。
「こんな悲しいこと……しないでください。寂しかったら、いつでも私がお相手しますから」
荒木、もとい背紙魚は反応する素振りも見せずに鷺沢の言葉を聞いているように見えた。
すると、
「…………」
「あ…………」
二人を覆う文字の羅列が身体から引き、再び数百の蛇のように形を成し、ずず、と這いずる音を立てて元の本へと還って行く。
「は……はは……」
大した奴だ。
怪異を説得しやがった。
僕は急いで駆け寄ると、今にも崩れ落ちそうな二人の身体を支える。
「凄かったよ鷺沢、お疲れ様」
荒木は気絶したままだったが、顔色の悪さは元々だし呼吸も落ち着いている。
恐らくは大丈夫だろう。
「プロデューサーさん……」
「今度、荒木も一緒に神保町の古書店を巡って、カレーを食べて帰ろうか」
「……からいのは、苦手です」
鷺沢は額に汗を浮かべながらも、笑顔を見せてくれたのだった。
006
後日談というか、今回のオチ。
あの後、しばらくして目を覚ました荒木と共に食事を摂って帰宅に至った。
荒木は取り憑かれていた間の記憶は希薄だったらしいが、鷺沢の胸に顔を埋めた事だけは覚えていた。
超柔らかくていいにおいがしたっス、とか言える位ならば大丈夫だろう。
羨ましい奴め。
鷺沢も身体に影響はなく、今もいつも通り少し離れた場所で本を読んでいる。
「儂が寝ておる間にそんな面白そうな事があったとはの」
「あんな状況で寝ていられる根性を尊敬するよ」
翌日の午後、僕と忍は事務所で椎名謹製のドーナツを頬張りながら休憩していた。
忍はもはや事務所公認の僕の親戚、ということで定着している。
時折こうやって密かに僕の影から現れてはアイドルの皆からおやつを貰っているのだ。
……ちょっと待て、今なんて言った?
「寝てた……? そんなこと無いだろう、僕に心渡を渡してくれたじゃないか」
「一回目はの。二回目は確かに寝ておったよ。背紙魚は登場人物でない存在はない事にされるからの」
強制的に眠らされるのじゃ、と忍。
「え……じゃあ、あの心渡は」
「お前様が儂の口に手を突っ込んで抜き取ったんじゃ。口に入らんほどのドーナツを食う夢まで見たから間違いないわ。かかっ」
そう言われてみればなんかベトベトしてた気がする!
うわあ! 僕は幼女の口に手を突っ込むなんて絵面的にやばい光景をあの時鷺沢の真横で行っていたのか!?
「んふ……主様の……とても大きくて顎が外れるかと思うたぞ……?」
しなを作って無駄に艶っぽく囁きかける忍。
でも幼女の姿では魅力も半減――ってそんな話じゃない!
「主様ったら……寝ておる儂の口に無理やり……!」
「やめろやめろやめろ! 誰かに聞かれたらどうするんだ!」
と、本を読んでいた鷺沢と目が合った。
慌てて視線を逸らすがもう遅い。
僕は新体操選手を思わせる俊敏な動きで鷺沢に接近する。
鷺沢はその僕の動きに本気で戦慄していた。
「ひ……っ!」
「鷺沢ぁぁぁ!」
「わっ、私、何も聞いていませんから……! そ、そのっ、恋愛に年齢は関係ないと思いますし、日本には光源氏の前例も……!」
「一番されては困る誤解だよ!」
忍と僕はそんな関係じゃない!
それに僕は小学生組も担当しているんだ。
良からぬ噂が立ったら片桐さんにシメられてしまう!
どう誤解を解こうか懊悩している僕を目の前に鷺沢は本で顔を隠していたのだが、見ると耳まで真っ赤だ。
……ひょっとして、鷺沢……。
「……鷺沢、お前、耳年増だろう」
「…………っ!」
図星なのか、顔ごと伏せる鷺沢。
いや、なんとなく予想はついたけれど……。
そういえば普段もアイドルたちの女子トークでちょっとエッチな話題が出ると、今みたいに顔を赤くしてちらちら見ていた記憶がある。
まあ、男と全く縁のない人生を送ってきても、本という知識の宝庫に常に触れていればこうなるだろう。
ああそうだ、照れる鷺沢はいつまでも見ていたいくらいだが、言っておかなければならないことがあったんだ。
「なあ鷺沢……アイドル、続けられそうか?」
本の想いを代弁出来るほどに本が大好きな少女は、スカウトされアイドルの世界に足を踏み入れたものの、それは何処か居心地の悪そうに見えた。
何も本人が望まないことをやらせる訳にもいかない。
勘だが、あの背紙魚を宿した本は鷺沢と出会う為にあの書庫に在ったのでは、と僕は考える。
もし予想通りあの本がそのためにあの書庫に収められたというのなら、人もあるべきところに在るべきなのだから。
鷺沢は何を言うべきか少し考え込んだ後、ゆっくりと鈴の音のような声で話し出した。
「少しびっくりはしましたけれど……私は平気ですよ」
「鷺沢……」
「まさか、生きているうちにフィクションの世界のような出来事に出会えるとは思いませんでしたから……今まではアイドル活動も実感がなくて、夢うつつのようでしたけれど、アイドルはノンフィクションじゃありません……そうですよね?」
「ああ、その通りだ」
「なら、大丈夫です。あんなことが起こり得るこの世界なら、私がアイドルをやることもおかしくないと思えるようになりました」
雨降って地固まる、ではないが、今回の件は鷺沢に自意識を持たせるのに丁度いい機会だったようだ。
テレビの向こうの人達は別世界の住人。
僕もそう思っていた時はあった。
芸能人やミュージシャンなんて、アニメや小説の登場人物と同じだと。
けれど何も彼等はアイドルは夢の世界、創作の世界じゃない。
意外と近くにあるものなのだ。
そしてそれを叶えるのが僕の仕事だ。
シンデレラプロのコンセプト、身近なアイドルとはそういう意味だ。
鷺沢がアイドルを望むのならば、僕もそれに全力で応えよう。
「ああそうだ、借りてた本を返すよ。面白かった。感想はまた今度、ゆっくり詳しく話すからさ」
「はい。楽しみにしています」
返した本を受け取り、何気なく中身を確認する鷺沢。
…………ん?
ちょっと待て、あのブックカバーはつい先日買ったやつじゃないぞ?
あれは確か……この間神原が遊びに来て忘れて行った……!
「待て! ストップだ鷺沢!」
「……?」
ぱらぱらと中身を捲るにつれ、再び目を見開きつつ顔を赤くする鷺沢。
どうやら不幸にもイラストとタイトルで内容を察してしまったらしい。
中身はまぁ、神原の所有物となれば察しはつくだろう。
「あ……ご、ごめんなさい……! 誰にも言いませんから……!」
僕の顔も見ずに顔を伏せながら両手で本を返してくれる鷺沢。
「違う! 違うんだ鷺沢!」
「わ、私はそういう方を差別したり……その、しませんから……!」
「お前は人を信用し過ぎだ! ちょっとは疑うことを覚えてくれ!」
「おはようございまーす。ありゃ、なんか楽しそうっスねえ」
誤解の渦中に荒木が出勤して来る。
そしてあろうことか僕が右往左往している隙に鷺沢の手にあった本を手に取っていた。
中身を流し読みし、白い目で僕を見る。
「あー……こんな多くのアイドルに囲まれてても平気だったのは、こういう訳だったっスか……」
「頼むから僕の話を聞いてくれ!」
「すいません、アタシNL派なんで」
その日、二人に増えた僕の疑惑を解くために掛かった労力は、果たして結果に見合うとは思えなかったのだった。
ふみかワーム END
拙文失礼いたしました。
OFAやらないといけないので一週間に一本が限界です。
次は多分ニナチャンの予定です。
ありがとうございました。
ごめんなさい、誤字発見。
>>32
――――――――――――――――――
「鷺沢……」
「まさか、生きているうちにフィクションの世界のような出来事に出会えるとは思いませんでしたから……今まではアイドル活動も実感がなくて、夢うつつのようでしたけれど、アイドルはフィクションじゃありません……そうですよね?」
「ああ、その通りだ」
「なら、大丈夫です。あんなことが起こり得るこの世界なら、私がアイドルをやることもおかしくないと思えるようになりました」
雨降って地固まる、ではないが、今回の件は鷺沢に自意識を持たせるのに丁度いい機会だったようだ。
テレビの向こうの人達は別世界の住人。
僕もそう思っていた時はあった。
芸能人やミュージシャンなんて、アニメや小説の登場人物と同じだと。
けれど何も彼等はアイドルは夢の世界、創作の世界じゃない。
意外と近くにあるものなのだ。
そしてそれを叶えるのが僕の仕事だ。
シンデレラプロのコンセプト、身近なアイドルとはそういう意味だ。
鷺沢がアイドルを望むのならば、僕もそれに全力で応えよう。
「ああそうだ、借りてた本を返すよ。面白かった。感想はまた今度、ゆっくり詳しく話すからさ」
「はい。楽しみにしています」
返した本を受け取り、何気なく中身を確認する鷺沢。
…………ん?
ちょっと待て、あのブックカバーはつい先日買ったやつじゃないぞ?
あれは確か……この間神原が遊びに来て忘れて行った……!
失礼いたしました。
改めて読んでくれた方、ありがとうございました。
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