阿良々木暦「まゆミミック」 (33)
・化物語×アイドルマスターシンデレラガールズのクロスです
・化物語の設定は終物語(下)まで
・ネタバレ含まれます。気になる方はご注意を
・終物語(下)より約五年後、という設定です
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001
嘘を嘘と見抜けないと人生損をするぞ、などという言葉はあるが、それこそ嘘ではないのか。
俺は詐欺師だ。
詐欺師というものは嘘をつくのが仕事だ。
だから俺の言うことは十二割が嘘だと思ってくれていい。
無論、これも嘘だ。
何が嘘で何が真実なのか、そんな瑣末な事はどうでもいい。
嘘でさえ情報操作と力尽くで真実になり得る世の中だ。
どこぞの世を儚んだひねくれ者の戯言使いではないが、俺ごときの言葉は全て戯言として右から左へと流すことをお勧めする。
世の中に跋扈する名言とか格言にも同じ事が言える。
その言葉を覚えていたからと言って、人生が劇的に変わるなんてことはあり得ない。
あの有名な蔵……なんとかという、とにかく偉そうな名前の博士の言葉に、少年よ大志を抱け、だったか。
確かそんな言葉があった気がする。
だが大志を抱いたからと言って何なのだ。
お前が叶えてくれるのか?
でかい夢を見ろと一方的に言っておいて後はアフターケアもせずに放ったらかしとは随分と無責任な男だ。
偉人とは思えんな。
夢を追い続けた結果、夢が叶わず人生が台無しになったらお前が責任を取ってくれるのか?
詰まる所は、そういうことだ。
誰が何を言おうが、それが後世に残ろうが言葉は所詮言葉に過ぎない。
それこそ神の言葉でも同じだ。
偶然同じ状況になった時にふと思い出して、ああ、そういえばこんな言葉があったっけ、と思い出す程度が丁度いい。
そんな、人の言葉ごときを聞いて何か解ったような振りをしているから、俺のような詐欺師の飯の種が無くならないんだよ。
そもそも誤解があるのかどうかもわからん事柄ではあるが、初めに言っておきたいことがある。
これに関しては騙すつもりもない、単に俺の自己満足だ。
これも嘘かも知れないがな。
詐欺師は楽ではない。
詐欺師とは、人を騙して金を得る、真っ当ではない行為を生業としている俺のような者のことを指す。
犯罪に関する研究も進むところまで進んだ近代においても、詐欺師の検挙率は非常に低い。
かの有名な俺々詐欺などは警察の威信が掛かっていたので検挙率も上がったが、そも詐欺とはほぼ民事に近い。
一億という大金を借りて返さずその結果捕まっても、一万円でも返して『返す気はあった』と犯人が言ってしまえばそれまでだ。
返却義務こそありはしても、返却能力がなければないものは返せまい。
最終的には誰かがジョーカーを引いて終わり。
大抵は善良な一市民が、だ。
完璧な嘘発見器でも発明されない限り、真意が量れない以上は詐欺は立件出来ない、それがこの国の法だ。
疑わしきは罰せず、と言う訳だが、俺から言わせて貰えば暗に犯罪を推奨しているとしか思えんがな。
人を騙すような人間相手に性善説を前提にした法律なんてものがまともに動作する訳がないだろう。
まあ、俺にとっては仕事もやり易く喜ばしい限りだが。
付け加え、詐欺事件に警察は基本的に関与しない。面倒だからだ。
俺々詐欺にしたって被害者があまりに増えすぎたからようやく乗り出しただけであって、基本的に奴らは自分達のことしか考えていない。
詐欺なんて立証しにくい面倒な犯罪よりも、身内の恥を揉み消すのと体面を保つことに全精神を注いでいる。
典型的な日本人だ。そんな奴らが治安を護る公安だというのだからこの国は本当に詐欺がやり易い。
と、ここまでの話では詐欺師はまるで誰にでも出来る上に儲かるように聞こえるが、述懐した通り詐欺師も楽ではない。
まず詐欺は何処まで行ったところで犯罪だ。
いつだって両手が後ろに回る覚悟を決めておかなければならない。
付け加え、常に新しい騙し方を考える頭も必要だ。]
一度使った詐欺は必ず誰かが模倣する可能性があるし、足が付く危険性も高まる。
それに俺には縁のない感情ではあるが善悪の呵責という精神的な負担もあるだろう。
最も、こんなもの持っている時点で詐欺師としては失格だとは思うが。
ともかく結論として、俺は詐欺師になりたくてなった訳ではないのだ。
こんな真っ当から最も程遠いような肩書は頼まれてもいらん。
詐欺師、なんて響きに比べたら放浪の怪異専門家や暴力陰陽師の方がまだまともに聞こえるのも気に食わん。
俺は詐欺師になったのではなく、詐欺師という生き方しか出来んのだ。
俺は嘘で世界を語る。
他人を語る。
自分を語る。
その上で世界を騙り、他人を騙り、自分さえも騙る。
ありのままの事実を騙ることは出来ても真実を語ることは出来ん。
嘘さえ嘘で覆う。
嘘の嘘は真実、とは考えるな。
真実と嘘は表裏一体ではない。
嘘の嘘は別の嘘だ。
真実など何処にもない。
この物語を読む上で何が嘘と断定し何を信じるべきなのか。
そんなものは誰も教えてくれんし、自分で決めるものだ。
極論にしてしまえば、そんなものはどちらでもいい。
嘘を嘘と見抜けない人間が損をするのではない。
嘘を勝手に真実へと変換してしまう人間が愚かなのだ。
その結果、被害を被ったからと言って嘘をついた人間に文句を言うのは筋違いもいいところだ。
例え今まで信じて生きてきた人生全てが偽りだったとしても、自分が納得出来るのならそれでいいんじゃないのか。
嘘を真実として信じて来たのならば、それが真実なのだろう?
他人にどうこう言われて曲げる程度の志ならば最初から無い方がいい。
最も、俺は金以外何も信じていないが、な。
これから俺が語るのは嘘で嘘を固め嘘で着色した上に嘘の上塗りをした、世にも珍しい女の話だ。
嘘を生業の道具としている俺にとっては多少なりとも親近感の湧く女だが、それで俺が引くくらいの嘘の物語だ。
勿論これも嘘だが。
だが、まあ。
嘘をついちゃあ、いけないよな。
002
「久し振りだねえ。元気だったかい?」
凡そ数年振りに再会に至った大学の同期は、数年経っても変わらぬ不愉快な笑いを貼り付けて突然現れた。
場所は地方にある大型スーパーの敷地内にあるスターバックスだ。
俺はこの店が割と好きだ。
理由を問われるのであれば、味よりも雰囲気が好ましいから、と答えよう。
俺にここで売っている600円のラテとコンビニで売っている100円ラテの違いなど正直良く分からん。
目隠しをしてどちらが美味いか、と言われて高い方を選べる自信ははっきり言って、ない。
そりゃあコンビニのものよりは多少美味い、とは思うものの、六倍美味いのかと問われたら断言出来る材料もない。
だが前者の方が美味く感じるのは金が掛かっているからだろう。
そりゃあ素材や手間などを掛けているから、という理由もある。
だが食い物だけに関わらず、手間暇を掛けたり素材が貴重だからといってその分、質が良くなるとは限らないのが世の常だ。
何億という金と何年という歳月をかけて作り上げたものがゴミだなんてこと、人間の世界では日常茶飯事だ。
そんなことに使うくらいならば俺にくれと言いたい。
逆もまた然りと言えよう。
つまり、内容がゴミだろうが本当にいいものだろうが、どちらにせよそれなりの気分にさせてくれる金の力は偉大とでも言うべきだ。
単に俺を含めた客が単純馬鹿なのかは測りかねるが、大して間違ったことは言っていまい。
「気分が悪い。お前の所為でな」
「久々に会った友人に酷いことを言うねえ」
かつての大学の同期、忍野メメは許しもしていないのに勝手に対面に座る。
こいつの傍若無人っぷりには俺の悪事も霞む位だ。
「僕はここの豆乳が好きでね」
いいよね、豆乳、と冗談なのか本音なのか量りにくい事を抜かす忍野。
俺は豆乳が嫌いだ。
別に味が嫌いな訳ではないのだが、如何にも健康になりますよ、という味と謳い文句は癇に障る。
「何の用だ」
偶然に数年振りの感動の再会――なんて陳腐な展開に楽観する程、俺も若くはないし馬鹿でもない。
適当に生きているように見えて無駄を嫌う忍野のことだ。
忍野が俺の前に現れたという事は、十中八九何かしら話があるのだ。
それも、恐らくは面倒事が。
付け加えるのならば、忍野にスタバは全くもって似合わん。
こいつは外国のスラム街でヒッピーよろしくギターでも弾いて世界平和を歌っている方が百倍似合う。
俺も似合うかと言われれば疑問符がつくところなので強くは言えんが。
「用があるなら早く言え。これでも俺は忙しいんだ」
これは嘘だ。
現在、俺が取り掛かっている仕事はない。
下拵えは各地にしてあるが、そのどれもが今すぐ着手しなければならない類のものではない。
が、暇だからといって忍野と仲良くお茶なんぞは御免だ。
金でも貰わんと割に合わん。
「まあまあ、そんなに邪険にするなよ。何かいいことでもあったのかい?」
「…………」
都合良く店内は図ったかのようにガラガラだ。
無言で席を立ち違う席へ、とも思ったがそれでは何か負けた気がしそうなのでやめた。
「僕だってお前と長話するつもりはないよ。僕は僕で忙しいからね……まあ、話ってのは、いつもの怪異退治の依頼なんだけど」
やはり、か。
臥煙先輩のつてか、忍野が手に負えなかった案件かのどちらかだろう。
こいつは専門家としてはかなり有能な部類に入るが、それでも得手不得手は必ずある。
俺もそうであるように、対怪異にも適材適所というものは存在する。
暴力陰陽師、影縫がその最たる例だ。
あいつと式神である斧乃木の二人は力こそ世界で五本の指に入るであろう人外だが、暴力でしか解決を図れない。
物理攻撃の効かない相手には前提として勝利が存在しないのだ。
ついでに例えるのならば、忍野はオールラウンダーで俺はディフェンダーだ。
ディフェンダーと言っても誰かを護る訳ではない。
俺は戦闘能力こそ低いが逃げることに関しては誰よりも群を抜いていると自覚しているだけだ。
「幾ら払う?」
とりあえずは金だ。
金が無ければ何も始まらん。
どんな汚れ仕事だろうが金さえ見合えば受けるのが俺の流儀だ。
矜恃?
なんだそれは、金になるのか?
「一千万」
「…………!?」
「ちゃんと円だよ」
一瞬、身体が強張る。一千万……?
元々、需要も供給も少ない業界だ。
単価が高くなるのは当然だが、一千万クラスとなるとかなりの広範囲に人的、もしくは環境に被害が及ぶ怪異、ということになる。
忍野の言葉を借りるのなら、バランスを大きく崩す怪異、だ。
例外として余程金回りのいい金持ちでも捕まえた、という可能性もあるが、それならば俺には話を持ってこないだろう。
そこまで考えてふと思う。
結局は人の価値も金か、と思うと可笑しいな。
「ただし条件つきだ」
俺が黙っているのを話を聞く気があると受け取ったのか、忍野は続けた。
「ひとつ、僕や臥煙先輩からの援助は一切ないこと。ひとつ、宿主を傷付けないこと。ひとつ、怪異を持ち帰ること。どうだい、受けるかい?」
「……詳しい話を聞かせろ」
正直言って気は進まんが、一千万はでかい。
向こう半年は余裕で遊んでいられるのは何物にも代え難い。
断る事も出来ることだし、ここは話だけでも聞いてやろう。
頭の中で必要な情報を整理する。
話を長引かせて忍野ののらりくらりとしたペースに巻き込まれるのは御免だ。簡潔に済ませるに限る。
整髪料で整えた髪を再度かき上げる。
「仕事の内容は」
「人助け、かな。怪異によって困っている人間がいる」
「具体的な目的は」
「宿主からの怪異の回収」
「状況は」
「宿主が怪異と理解した上でその力を利用している。このままでは均衡が崩れる」
「何故お前や影縫ではなく俺なんだ」
「僕や影縫じゃ無理だからね」
「手段と方法は」
「問わないよ。好きにやってくれればいい」
「条件を破った場合は」
「勿論、一つでも破ったら話はご破算だ」
「高額の報酬の意図は」
「持ち帰る条件の怪異にそれだけの価値がある」
「その怪異の名は」
「虚節」
「…………!」
忍野の発した言葉に思わず言葉が止まる。
表情は崩れていない筈だ。
「よく見付けたな」
「まぁねぇ」
虚節は、言ってしまえば怪異のツチノコのような存在だ。
存在自体は仄めかされているものの、出現率の低さと見つかりにくさは怪異の中では群を抜いている。
そうか。
ならば忍野や影縫では手に負えない理由も納得できる。
臥煙先輩だろうと不可能に近い。
この世界中を探し回ったところで、俺くらいしか適任はいまい。
……ならば、もう少し吹っ掛けてみるか。
「成程成程、状況は大方理解出来た。だが虚節相手に一千万では安過ぎるぞ。桁が一つ足りないんじゃないか?」
「そう言うと思って、臥煙先輩からは話術巧みになんとか二千万以内に収めろ、って言われてるんだけどねぇ」
あっさりと、忍野は食えない笑みを浮かべてそう言った。
「……それを俺に言ってどうする」
「僕に話術なんて、柄じゃないだろ。それこそ貝木、お前の分野だ」
それに、と忍野は続ける。
「単なる被害者は、助けてあげなきゃ駄目でしょ?」
「……お前のお人好しに俺を付き合わせるな」
忍野の台詞に思わず、気が昂ぶってしまった。
俺は何も悪事に誇りを持っていて、悪事以外には手を染めん、なんて言う程にはまだ性根も捩けていない。
金さえ貰えば俺は人助けだろうがボランティアだろうがする。
だが可哀想だから、だとか、報われないから、だとか。
たかが人助けにそんな理由を付けるから不純なものになるんだよ。
俺は金の為だけでいい。
金は要らんと言いながら名誉喝采という下心を持つ正義の味方よりも十二分に純粋じゃないか。
報酬を一切求めない人助けなど、気持ちが悪いだけなんだよ。
「僕だって君に自分の思想を押し付ける気はさらさらないよ、貝木泥舟」
「…………」
「その被害者っていうのが、阿良々木くんみたいなんだよね」
阿良々木、か。
あいつもつくづく怪異と縁のある奴だ。
自ずから災害の渦中に飛び込んでおいて、今まで良く生きていると感心する。
だが阿良々木だから何だというのだ。
あいつとは腐った縁こそあれど助けてやる義理もなければ情なんてある筈もない。
「それにね……守秘義務として言わないでおこうと思ったんだけれど、事の言い出しっぺは、ツンデレちゃんなんだよね」
ツンデレ……?
「誰だそれは」
「戦場ヶ原ひたぎだよ」
「…………」
「羽川翼から、臥煙先輩に連絡があったのさ。戦場ヶ原ひたぎが、何かがおかしい、ってね」
羽川翼……あの胸のでかい女か。
何がおかしいのかは、僕らにはわからないんだけどね、と忍野が笑う。
……さて。
色々と事情は混み入っているようだが、今回は自問自答をするまでもない。
俺は金の為ならば死ねる程の金の亡者だ。
例え被害者が阿良々木だろうと百人殺した犯罪者だろうと金さえ貰えるのならばやってやろう。
阿良々木を助けるのは単に結果でしかない。
少々癪だが、言葉通り金には代えられん。
「三千万だ。それで請け負ってやる」
「そうかい? じゃあよろしくね」
まるでコンビニにお使いでも頼んだかのように豆乳ラテを啜る忍野。
こういう所はいつまで経っても気に食わん奴だ。
「大学の時の後輩の篠木ちゃん、覚えてる? ちっちゃくて可愛がられてた」
突然の会話の方向転換に一瞬、戸惑う。
何を言っているんだこいつは。
まあ、こいつが唐突なのは今に始まったことではないが。
「ああ……? あの地味な眼鏡の女か?」
「結婚したんだってさ。今や三児の母親」
「それがどうした」
「いやさあ、僕達も歳を食ったなぁ、なんて思ってさ」
「当たり前だ、もう四十路近いんだからな」
「そろそろお嫁さんでも貰おうかなぁ」
色々とふざけた事を言っているが、こいつは大学時代、相当女子には言い寄られていた。
軽薄な外見と性格とは裏腹に天才肌だった為か、惹かれる女も多かった訳だ。
俺は不能でも同性愛者でもないが女にはあまり興味がない。
恋人なんて邪魔なだけだし、結婚なんてのは以ての外だ。
金が毎月出て行く割にはリターンがほぼ思い付かん悪習だ。
まだ生命保険やギャンブルの方が返ってくる可能性があるだけ幾らかマシだ。
死んでもするものか。
「影縫か臥煙先輩でも貰ってやれ。あの二人は最早完全な行き遅れだからな」
「はっはー、間違いないや」
忍野が自分の襟に着いていた盗聴器らしきものを指先で握り潰す。
知っていて放っておいたらしい。
今の会話も臥煙先輩には筒抜けという訳だ。
「やだねぇ、怖い怖い」
俺も大概だが、こいつは命知らずというよりは、ただの馬鹿だな。
「では、影縫と臥煙先輩に殺される前に取り掛かるとしよう。終わったら直接臥煙先輩に連絡する」
「頑張ってね」
そんなもの、言われるまでもない。
金の為ならば身を粉にしてでも頑張れるのが俺だからな。
003
翌日、髪を下ろした後に脱色し金髪に染め、SEX POT ReVeNGeとh.naotoで買い揃えた自分でも引くレベルの衣装に身を包み、俺はファーストフード店にいた。
所々破れ過ぎのダメージジーンズに前衛的すぎるデザインのカットソー、更にスリーブの余り過ぎな和風カーディガンを羽織りサングラスとシルバーアクセサリーを山程装着した俺は、何処からどう見ても痛い中年にしか見えんだろう。
俺はやるとなったらくだらん事でも徹底的にやるタイプだ。
無論、阿良々木に悟られない為に、という明確な理由がある。
この奇抜すぎる格好ならば目立ちはするが阿良々木も俺とは気付くまい。
都会ならばもっと奇抜な奴もいるし、人の目など今更気にする年齢でもない。
しかしあれだな、髪の脱色は初めてやったが頭皮が痛くて堪らん。
こんなのを進んでやっている奴は馬鹿だな。
さて。話を本線に戻そう。
虚節。
ウロフシと呼ばれる、七節を模した怪異だ。
これに魅入られた者は一つだけ任意で『前提』を捻じ曲げることが可能になる。
だが物質的な干渉は出来ず、人が消えたり歴史が改変されることはない。
自らではなく、隠れるために自分以外の周囲を擬態する怪異とでも表現しようか。
「ほらほらプロデューサーさん、お口の周りが汚れてますよぉ」
「えっ、本当か? どこだ?」
「まゆが拭いてあげますねぇ」
すぐ後ろの席では、そこだけが別の世界として切り取られているようだった。
持ち込んだ鏡で様子を窺う。
傍から見たら一人で鏡を覗き込んでいるナルシストに見えるかも知れんが、今は些細なことだ。
ソースで口周りを汚した阿良々木を甲斐甲斐しくもナプキンで拭く佐久間とかいう女。
阿良々木も満更でもない顔をしていやがる。
「はい、取れましたよ。うふふ、プロデューサーさんったら、年上なのに子供みたい。かわいい」
「ありがとう佐久間……でも、ちょっと恥ずかしいかな」
佐久間まゆ。
通称ままゆ。
佐久間まゆはアイドルということだった。
しかも阿良々木担当の、だ。
推量するに、怪異を引き寄せる被霊媒体質の阿良々木の傍にいた所為で取り憑かれた、というところか。
俺はアイドルが嫌いだ。
顔とスタイルがいい、というだけで周囲が持ち上げて金を落として行く。
汗水垂らして働いている俺も馬鹿にされているようで、腹が立つ。
単に持たぬ者の羨みなのだが、世の中そう思う奴の方が大半だろう。
有名税に嫉み妬み僻みは付き物だ。
「いいじゃないですかぁ、まゆとプロデューサーさんは公認の恋人同士なんですから」
「そうだけど……やっぱり人前じゃ恥ずかしいよ」
佐久間まゆはアイドルだが、一途な恋人がいるアイドルとしてもその名を世間に馳せていた。
アイドルとしてはどうかとも思うが、結婚して出産した後に復帰するアイドルもいる辺り、そういうものなのだろう。
俺には存在自体が到底理解出来んが。
それよりも、虚節は述懐したように事実そのものではなく、人の認識を変える。
佐久間まゆは『阿良々木暦と恋人である』という一点を捻じ曲げたのだ。
虚節の恐ろしい……いや、感嘆すべきところはそれを世界レベルで修正することだ。
認識をすげ替えることは、事実を改変するよりも遥かに効率的だ。
例えば世界の破滅を望むのならば実力行使で虐殺を繰り返すよりも、虚節に殺人行為全般を『善行』として認識を塗り変えさせるだけで、人類は大した苦もなく勝手に滅びる。
人間の大半は外聞の為に善行を求める生物だからな。
臥煙先輩が俺に依頼した理由もそこにある。
忍野や臥煙先輩では、虚節という怪異が現れたことは理解出来ても、『どう認識が歪められているのか』までは分からない。
ひょっとしたら常識だと思っている事項が虚節に歪められているかも知れないと考えると、迂闊に手も出せない。
忍野が阿良々木を被害者みたいだ、と曖昧に濁したのも、確たる証拠がないからだ。
宿主の近辺に阿良々木がいたから多分そうだろう、程度の推測でしかない。
阿良々木も被害者体質だしな。
俺だけが何故、その認識の歪曲から逃れられているのかは、まぁ、俺が詐欺師だから、とでも言っておこう。
詐欺師が騙されていたら仕事にならんからな。
結果ではなく前提を根底から引っ繰り返す。
その上変えられた方はそれに気付かない。
それが虚節という怪異だ。
完璧な詐欺だ。
騙された方が全く気付かない、理想的詐欺と言えよう。
高額の報酬の理由もそこにある。
敵に回せば恐ろしいが、上手く使えば大抵のことは出来る。
「でも未だに信じられないよ。佐久間が僕の恋人なんだって事が」
「両想いだったなんて、まゆも信じられなかったですよ。勇気を出して告白した甲斐がありました」
きっと運命だったんですよぉ、と佐久間まゆ。
何が運命だ。
怪異の力を利用しておいて、随分と太い女だ。
あれが佐久間まゆ……か。
ああいう女は苦手だ。
愛する者のために滅私奉公するなど怖気がする。
そのアイドルにあるまじき面の皮の厚さは少し気に入ったが。
虚節に取り憑かれた者は自我を失くす……なんて事はない。
無論、虚節だって無料奉仕で願いを叶えている訳ではない以上リスクはあるが、それでも佐久間まゆはきちんと自我を持っている筈だ。
大したタマだと褒めてやりたい所だが、同時に哀れでもある。
虚節を使い続けるということは、自分を騙し続けていることに他ならない。
「運命か……僕はあんまりそういう言葉で片付けるのは好きじゃないんだけれど」
「いいじゃないですか、こうしてプロデューサーさんと一緒にいられるだけでまゆは幸せですよぉ?」
「そりゃあ僕もだけれど……何だか、怖いんだ」
「怖い……? 何がですか?」
「わからないけれど……何か、大事なことを忘れている気がするんだ。胸に穴が空いたみたいな……」
「…………」
阿良々木も、身体の何処かで感じている。
だが何かがおかしい、という自覚はあっても何が間違っているのかまではわからない。
ならば現状に身を委ねるのが普通の反応だ……が。
喪失感が、あるのか。
何か大事なものを失くした、と。
「……大丈夫ですよぉ、まゆはいつだって、ずっと、ずぅっとプロデューサーさんから離れたりしませんから」
「あぁ……ごめん、変な事言っちゃって」
「どうしても耐えきれないくらい寂しくなったら……まゆが、埋めてあげますから」
「さ、佐久間……うわぁっ!?」
気付いたら、席を立って注文したアイスコーヒーを、頬が緩んで間抜け面の阿良々木にぶち撒けていた。
何故ホットを頼まなかった、十分前の俺よ。
シェイクでも良かったな。
まぁ、阿良々木のワイシャツを台無しに出来ただけ良しとしてやろう。
「つ、冷た……っ! な、何するんだお前!!」
「何ですか、貴方……?」
頭からコーヒーを引っかぶって狼狽する阿良々木には目もくれず、佐久間を観察する。
成程、整った顔立ちに天然そうな雰囲気を醸し出してはいるが、意志の強そうな、それでいて深淵の如き眼をしていた。
この目は知っている。
この目は、目的の為ならば手段を選ばない奴の目だ。
「何とか言え……って、お、お前……貝木か!?」
流石に凝視されれば顔付きや雰囲気でわかるか。
ここで顔見せをする予定ではなかったが……なに、些細な問題だ。
予定は狂ったが順番が入れ違っただけだ。
「そんな格好して、何を企んでやがる!?」
「その女……佐久間まゆが代わりになると、そういう事なんだな?」
「……? 何を……」
「戦場ヶ原の代わりになると、お前は言う訳だ。傑作だぜ、怪異によって結ばれた縁が怪異によって切られるとはな」
「戦場ヶ原……?」
阿良々木は、一瞬何かを思い出そうと思案するもののやはりそう上手くは行かず眉を顰める。
愛の力で恋人を思い出せないなんて、お前は物語の主人公失格だな。
「誰だ、それ……人の名前か?」
「そうかそうか、そうだった。お前はその程度の男だったな、阿良々木。悪かったよ。お前も騙される側だっただけということだ」
「訳の分からない事を……!」
ああ、腹が立つ。
何に対して腹が立っているのかもよく分からない所が余計に増長させているじゃないか。
「悪かったよ、ほれ、クリーニング代だ」
財布から万札を三枚ほど出して投げつけてやる。
俺は金が死ぬほど好きだが、その大事な大事な金をこうやってぞんざいに扱うのも中々気分がいい。
どうせ成功の暁には三千万という大金が入ってくるんだ。
経費のうちだ、問題ない。
これは嘘だ。
直前までは札束で顔をはたく、もしくは金を燃やして光を得る優越感でも得られるかと思ってやってみたが、金を失った悲しみの方が大きい。
仮に目が眩む大金を稼いだところでもう二度とやらん。
「精々達者でな」
呆気に取られすぎて言葉も忘れたのか、呆然と立ち尽くす阿良々木の横を颯爽と横切って退店する。
今、阿良々木の頭の中では種々様々な感情や疑問が浮かび上がっているのだろう。
俺がなんでこんな格好をしているのか、とか、俺が金を放り投げるなど気でも違ったのか、と。
それはそうだ。
俺だって自分の頭がおかしくないかどうか断定出来たことなんて、生まれてこの方、一度もねえんだからよ。
004
「ああ、そういう事だ。どう受け取るかはお前の勝手にしろ」
スマートフォンの通話ボタンを切り、真ん中からへし折ってゴミ箱に捨てる。
翌日、俺は髪を染め直しホテルの自室で椅子に座り、悠然と構えていた。
煙草でも吸えれば格好もつくのだろうが、俺は煙草が嫌いだ。
あんな大金を払った上で寿命を縮めるもの、吸っている奴の気が知れん。
税金を払った上で長すぎる人生を短縮出来ると解釈すればまだ煙草にも価値もあるが、俺にとっては税金を払うことすらも滑稽だ。
俺は業種上、税金なんて払っていないしな。
きい、と静かに入口の扉が開く音が背後から聞こえる。
無論、ホテルの人間が挨拶も無しに客の部屋へ入ってくる筈もない。
椅子を回転させて入口側を向くと、佐久間まゆがいた。
見た感じでは、この上なく冷静な装いだ。
内面はともかく、こんな状況で精神に波風ひとつ立てずにいられるのだとしたら、そいつは相当な大人物か狂人のどちらかだ。
さて、お前はどっちなんだ、佐久間まゆ。
「本当に来たのか。ご苦労なことだ」
佐久間まゆがここに来た理由は明解だ。
先日、阿良々木とすれ違う際、佐久間まゆの鞄に手紙を入れておいた。
内容はこうだ。
『お前の秘密を知っている』と、その一文に加え俺の宿泊するホテルの住所と部屋番号を書いただけ。
文面の元ネタは確かテレビか何かでやっていたと思うが、詳しい事は知らん。
余談だが俺はスリも達者な方だ。
苦労の割に儲けが少ないからやらんが。
「貴方が呼んだんでしょう?」
「呼んではいない。お前が勝手に来たんだろう、佐久間まゆ」
まるで忍野のような言い振りだな、と自嘲的に笑う。
「…………」
「まあ、座れよ。俺はお前がアイドルだろうがただの子供だろうが興味はないが、娘ほどの歳の女を立たせっ放しなのも気分が良くない」
勧めを受け、対面の椅子に腰かける。
俺の見立てが衰えていないのならば、佐久間まゆは俺をどうにかしようとここに来た筈だ。
説得か、懇願か、もしくは口封じかまでは現時点では予想出来ないが。
他の皆が微塵の疑いの素振りすら見せず騙されている中で、唯一俺だけが騙されていないのだから、当たり前だ。
「虚節」
「……なんですか、それ?」
「お前に取り憑いている怪異の名だ。そんな事はどうでもいいがお前、ちゃんと理解しているのか」
「理解って、何をですか?」
「虚節は取り憑いた人間の願いを、当人以外を騙すという形で叶える。それこそ今までの常識を覆すレベルでな。お前は阿良々木と恋仲になることを願った。そこまではいい」
そう、そこまでは依頼の範疇だ。佐久間まゆが善悪に関わらず虚節を使用して何かをしている、というところまでは忍野も突き止めた。
「その代わり、憑かれた宿主は常に餌としての生気を呑まれ続ける。嘘をつき続けるのが楽ではないといういい教訓だ。詐欺師としては喉から手が出る程に欲しい能力とも言えるが、燃費が悪すぎて俺は欲しいとは思わんね」
そして、ここから先の問いが、佐久間まゆという個人を量る試金石となる。
「さて、佐久間まゆ。お前はその事を理解出来ていない馬鹿なのか、理解している馬鹿なのか、どっちの馬鹿だ?」
前者ならば同情の余地もない。
佐久間まゆは真性の馬鹿だったというだけの話だ。
即座に仕事を終えて帰るとしよう。
前者の方がまだ可愛げがあるが、どちらにせよ佐久間から虚節を引っ剥がさなければいけない以上は無駄な質問だ。
だが。
虚節が希少種として扱われる理由には、気付きにくいということに加え、宿主がすぐに絶命してしまうことにある。
先程生気を呑まれる、と表現したがそれもかなり包んでの表現だ。
実際は途方もない疲労に加え頭痛や吐き気は勿論、毎晩激痛が絶え間無く襲うお陰でまともに眠ることもままならないと聞く。
それ程までに虚節を使用する時のコストはでかい。
まぁ、世界ごと歪めるのだから当然と言えば当然だ。
佐久間も俺や阿良々木の前でこそ平然としているが、その実はかなりの割合で蝕まれている筈だ。
「わかっているのか、お前、このままでは骨と皮だけになって死ぬぞ」
アイドルというやつは不思議な生き物だな。
媚びを売り外見とキャラクターだけで儲けている輩の集まりかと思ったが、こんな奴もいる。
虚節さえ回収出来れば佐久間まゆが死のうが俺の知ったところではない、が。
「なぜ……貴方はわかっているんですか……?」
他の誰も気付かなかったのに、と歯噛みをする佐久間まゆ。
ああ、本当に面倒だ。
なんで俺がこんなことをしなくちゃならないんだ。
「俺が偽物だからだ。それに俺は神をも騙した詐欺師だぜ。立派な詐欺師になるための初めの一歩を教えてやろうか」
金にもならんのに珍しく饒舌になっている自分に驚く。
俺を差し置いて誰かを騙そうなんて、怪異の分際で生意気なんだよ、お前。
「何も信じないことだ。俺はこの世の全てを信用していない。無論、自分なんて世界一信用出来ない。最初から何も信じない人間を騙すなんて真似は例え怪異でも無理な話だ」
唯一信用していると言えば金だ。
金はいい。
この世の全てを動かせる代物だ。
何よりも金は俺を騙そうとはしないしな。
いつだって騙したり騙されたりするのは人間の方だ。
「佐久間まゆ。俺はなぁ、自分を一番信用していないんだよ」
「そんな……そんな人が」
「いるんだよ。お前の目の前にな」
世の中に、自分ほど信用出来ない奴などいるものか。
俺はいつだって俺を裏切りやがる。
俺さえ俺の思い通りに動いてくれれば、今頃は。
らしくない。
何を考えているんだ、俺は。
「……絶対に叶わない願いが叶うと言われて、目の前に美味しい話を差し出されて、断ち切れって言うんですか!?」
「別に。お前さんは正しいよ佐久間まゆ。ただで金をくれると言われたら俺だって二つ返事で貰う。俺も命より金が好きな人間だ。金のためなら死ねる」
「まゆは、プロデューサーさんが大好きなんです……プロデューサーさんの為ならなんでも出来ます。世界中の誰よりもプロデューサーさんが好きだって自信があります。だから、どんなに辛くても、世界中の人達を騙す結果になっても、平気なんです……!」
くだらない。
好きだからって何でもかんでも思い通りに行くのなら、俺だって世界中の森羅万象が好きだよ。
佐久間が言っているのはガキが駄々をこねているのと同じだ。
理屈も道理もない、愚直で蒙昧な戯言だ。
なのに、それがどうしてこんなにも心をざわつかせる?
「どうしてですか? どうして邪魔をするんですか? あなた……貝木さんには関係のないことじゃあないですか」
確かにそうだ。
阿良々木には腐れた縁こそあれど、助けてやる義務は勿論、義理もない。
虚節は世界を修正する。
このまま放っておいてもただ単に戦場ヶ原と佐久間まゆの立場が、阿良々木暦の恋人、という位置で変わるだけ。
俺が不利益を被る訳でもなければ、何が変わる訳でもない。
俺が黙ってさえいれば世界は何事もなく廻り、やがて佐久間は死ぬだろう。
佐久間が死ねば阿良々木は当然のように、近い時期に接触して訳のわからんことを言った俺を疑うだろう。
あいつは吐き気がするほどの博愛主義者だからな、恋人でないとわかっても激怒するに違いない。
俺だけが佐久間まゆの死因を知っている世界。
ああ、そうだな。
そいつは、たちの悪い冗談だ。
「嘘なんてつくもんじゃないぞ佐久間まゆ。詐欺師に嘘が通じると思ったか」
「え……?」
「お前、『阿良々木と戦場ヶ原に悪いと思っているだろう』?」
「…………っ!」
「それがお前が犯した最初にして最大の失敗だ。人を騙そうとするのなら、罪悪感なんてほんの微量でも持つべきじゃあないんだよ」
罪悪感を持った時点で、それは詐欺でも何でもなくなる。
「佐久間まゆ。お前はアイドルでもなんでもない。どこにでもいる、ただ自己満足の恋愛に溺れる子供だ」
ただの、醜い独りよがりだ。
005
佐久間の背後に蠢く、木の枝と見紛う程に細い影が現れた。
長いこと怪異には関わってきたが初めて見る。
あれが虚節だ。
宿主である佐久間の動揺を悟って現れたのだろう。
「手間を掛けさせやがって」
「きゃ……!」
佐久間の頭を上から押さえつけ、髪を手で除けうなじの部分を露出させる。
と、糸のようなものが虚節と繋がっていた。
それを摘まんで引っ張り虚節を抜く。
その際に、『ついうっかり』手が滑って虚節の身体を折ってしまった。
おいおい、身体が細過ぎるんだよお前。
これじゃあ報酬がご破算じゃないか。
「うぅ……」
呻き声と共に佐久間が崩れ落ちる。
虚節を抜かれたショックと今までの副作用の蓄積が、身体的にも精神的にも一気に襲ったのだろう。
余談ではあるが佐久間の身体も七節かと思う位に細かった。
ちゃんと飯食ってるのかよ。
「安心しろ。今回の事はお前と俺以外、あったことすら覚えていない。阿良々木も『何かあった』くらいしか理解してねえよ」
虚節を持ち帰って解析でもすれば判明するだろうが、偶然、虚節は折れて絶命してしまったしな。
「俺が喋らなければ、誰にも伝わらず世はことも無し、だ。だが心配だなあ、俺の口はホストよりも軽いんだ」
「……口止め料を払え、と仰るのですか?」
「そうだな……今を輝くアイドルならば幾らでも金になる。どうしたものかな」
と、俺の提案も待たずに部屋の扉が開く。
相も変わらずタイミングの抜群な疎ましい奴だ。
まあ、呼んだのは俺なのだが。
「佐久間!!」
「プロデューサーさん……」
阿良々木が俺と佐久間を見比べ、両膝をついていた佐久間に走り寄る。
まあ、見るからに怪しい俺と現役アイドルがホテルの一室で面と向き合っていたのだ。
危惧も当たり前だ。
「大丈夫か佐久間、あいつに何かされたのか!?」
「いえ……あの人は、まゆを助けてくれたんです」
「助けて……?」
「プロデューサーさん……それよりも、まゆ、プロデューサーさんに聞きたいことがあるんです」
佐久間は阿良々木に向かい合う。
「まゆは、プロデューサーさんが好きです。大好きです。貴方の気持ちが……聞きたいんです」
それを受け阿良々木は、俺の見たことのない表情をしていた。
笑っているような、困っているような。
「ありがとう、佐久間にそんなことを言ってもらえてすげえ嬉しいよ。でもごめん、佐久間。僕、好きな女がいるんだ」
恋人がいるんだ、とは言わなかった。
些細な違いではあるが、その本質はかなり差がある。
「まゆよりも、ですか」
「ああ、佐久間よりも好きだ」
「まゆじゃ、代わりになれませんか」
「誰も誰かの代わりになんてなれないよ」
「まゆなら、何でもしてあげられるのに。まゆなら、プロデューサーさんがまゆにしたいこと、全部受け入れてあげられるのに」
「……佐久間」
「こんなにも、好きなのに」
他人を愛するだなんて感情は俺には無縁だが、それでもわかることはある。
「誰よりも、好きなのに」
想うだけで願いが叶うのならば、人間はここまで進歩してはいまい。
思い通りに行かないからこそ、人は退屈に殺されずに存続して来られたのだと、俺はそう思う。
「一目惚れ……だったのに……」
佐久間はその場に崩れ落ちる。
いくらでも手に入る紙幣に通貨としての価値が無いように、思い通りに成就する恋愛に、価値などない。
お互い微塵の不満もない人間関係など、気持ち悪くて仕方が無いだけだ。
佐久間まゆは泣いた。
人目も憚らず、と言ってもここには俺と阿良々木しかいないが、子供のように、大声をあげて、みっともなく泣いていた。
佐久間を形容するにあたり、揺蕩うコールタールの湖面のような女だ、と思った。
一見して天然で弱そうに見えるが、その実は解毒の効かない毒を持ち、悪魔のように黒い。
佐久間に一度溺れたら二度と戻ることは出来ないだろう。
だがその黒さは偽物だ。
佐久間まゆが間違えたのは述懐したようにただ一点、自分のやったことに罪悪感を覚えてしまったことに限られる。
自分の黒さを自覚してしまったあまり、自分で自分の毒に冒されていたら世話はない。
自分さえ騙せなかった女が、他人を騙せる訳もないだろうよ。
「ふん……アイドルならば怪異なんてくだらんものを使わずに正面から誘惑したらどうだ。阿良々木は女に弱いぞ。何ならお前に惚れるよう阿良々木を騙してやってもいい」
金を払えばな、と付け足す。
「貝木……お前」
「帰るぞ」
阿良々木だって自業自得だ。誰にでも八方美人のいい顔をするからこんな結末になるんだよ。
さて。
俺がこれ以上ここにいても不愉快な空気にあてられるだけだ。
とっととこの部屋も出払って満喫にでも泊まろう。
報酬に足りなかった分は、後ほど元凶である佐久間に払って貰うとしよう。
006
後日談というか、今回の落ちだ。
口止め料として佐久間に要求したのは、かつて俺がやってみたかった事の一つだ。
「あ、あの……」
「どうした、食わんのか。若者が遠慮なんかしたところで鬱陶しいだけだぞ。俺が払う訳でもないしな」
払うのは佐久間本人だから遠慮すべきは俺の方なのだろうが、そんな事は知ったことではない。
俺のやってみたかった事とは、メニューに値段の表示されていない高級と呼ばれる焼肉屋で、会計を一切気兼ねせずに腹一杯食うことだ。
俺は焼肉が好きだ。
と言うか肉が好きで焼肉屋にも割と来る方なのだが、安い焼肉屋ならばともかく、このような高級店では値段が気になって思う存分に食えないことが多い。
佐久間にお前の知っている一番高い焼肉屋で奢れ、という条件で黙ってやることにした。
流石は芸能人と言うべきか、値段は表示されていないから値段は知らんがいい肉を使っている。
煙の立つ肉の群れの前で、手を止めることなく肉を食い続ける。
肉はいい。
たかが肉、されど肉だが、高級焼肉屋で肉を食っている、というだけで飛行機のファーストクラスに乗っているような優越感を味わえると共に腹も満たせる。
「追加だ。値段の高い肉を上から五種類、五人前ずつ」
肉が途切れないよう手元に余裕を残した状態で追加注文をする。
一度食う手を止めると満腹感に襲われ食える量が減るのは何としても回避すべき状況だ。
焼肉には米が合うのも無論承知の上だが、このような状況下で炭水化物で腹を膨らませるなど下の下のやることだ。
キムチもスープも冷麺も要らん。
今はとにかく、飽きるか腹が膨れるまで肉を食い続けるのみだ。
「あの、貝木さん」
「なんだ。俺の肉はやらんぞ。食いたきゃ頼め」
「いえ、お肉はいいんですけど……」
焼肉屋に来て肉はいい、とは何事だ。何を考えているんだこの女。
「本当にこんな事でいいんですか?」
「こんな事、とは何を指している」
話しながらも手は止めない。
肉は焦げても冷めても一気に味が落ちる。
雑談ごときで肉を貶める訳には行かない。
「いえ、本音を言いますともっと酷い事を要求されると思っていたので……」
ああ、口止めの話か。
くだらんな。
「目玉が飛び出る程の大金を要求したり、アイドルとして口には出せんような酷い事をして欲しかったのか」
「して欲しい訳ではありませんけど、貝木さんは詐欺師でプロデューサーさんも気を付けろ、と言っていたので」
「女を騙して金を巻き上げるのは良くやるが、女を脅してものにするなど主義に反する。それとも何か、今回、俺が得るべきだった報酬を肩代わりしてくれるのか? 三千万だぞ三千万」
今回、俺は三千万円を取り損ねたのだ。
あの後、臥煙先輩に連絡を取ったところ、虚節が持ち帰れなかったのならば、と出たのは交通費込みで五万。
必要経費と阿良々木にくれてやった金でほぼ消えてしまっている為、実際はただ働きに近い。
だからこうしてせめてもの想いで佐久間に肉を奢らせている訳だが、とはいえ三千万円分の肉を食うのは骨どころか肉が嫌いになりそうなのでやらないでおこう。
それにどうせ売れっ子現役アイドルなんて俺より金を持っているだろう。
「流石に三千万円は無理ですが……お優しいんですね、貝木さんは」
思わず箸が止まる。
何を言っているんだこいつは。
俺が優しい?
「ああそうさ、俺は優しいおじさんなんだ。そういう奴は俺みたいに大概何か企んでいるろくでもない奴だから気を付けろよ」
「まゆ、悪い人とそうでない人を見抜くのは得意なんですよ? プロデューサーさんも助けてくれたみたいですし……」
俺が阿良々木を助けたって?
馬鹿を言え、誰が金さえ絡まなきゃあんな女たらしを助けるかよ。
「そうなんだよ、かつての好敵手とは言え見過ごせなくてなあ。つい助けちまったんだよ」
「ふふ……貝木さん、かわいい」
「…………」
肉が焦げてしまった。
畜生、折角の高い肉が。
炭化した肉を口に押し込む。
焼けば焼くほど美味くなる臓物系ならばまだしも、炭化したカルビは最早残飯に等しかった。
「まゆ、諦めませんよ」
「…………?」
「正々堂々と、プロデューサーさんを落として見せます」
「そりゃいい、戦場ヶ原と挟まれて右往左往する阿良々木は見ものだ」
阿良々木と戦場ヶ原が正攻法で崩れるとは思えんが、ルール無視が世界一通用しない二人だ。
正攻法こそが一番の近道なのかも知れんな。
俺にとってはどうでもいい話だ。
新しくやって来た肉の群れを佐久間に押しやる。
「いいから食え、アイドルだか何だか知らんがお前は細過ぎる。阿良々木が引くくらい太れ」
「ダメですよぉ、まゆ、元々モデルだから体型は崩せないんです」
ああ、そうか。
アイドルはボクサー並に体型管理が必要だったか。
好きなものもそう簡単に食えないとは哀れに感じるが、相応の見返りとしての人気と金ならば頷ける。
最も俺はそこまでして金が欲しいとは思わんし、佐久間が肉が好きなのかどうかも知らんが。
自分の欲望のままに生きられずに、何が人間だ。
徹底した管理の下、一定の数値を維持することを強いられ、作られた偶像を演じさせられる。
そして彼女たちに魅了された人間どもは狂ったかのように私財を擲つのだ。
ああ、なんだ。
アイドル自体が怪異みたいなものじゃないか。
「良かったらまた、一緒にご飯食べましょうね。貝木さんともっとお話、してみたいです」
「いいだろう。金を払え」
それこそ、たちの悪い冗談だ。
まゆミミック END
拙文失礼いたしました。
物語シリーズで好きなキャラベスト3は余接ちゃん、貝木、火憐ちゃんです。
次回候補
・川島さん
・薫ちゃん
・きの子
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