貴音「でぃーぷ・ぶるー?」 (74)
貴音「もし、店員殿…… おたずねしたき儀がございます」
貴音「はい、探しているたいとるがございまして。映画なのですが」
貴音「ええ、そうです…… おお、これが! 助かりました、ありがとうございます」
貴音「はい…… はい、てぃーかーど? いえ、わたくしは持っておりませぬが」
貴音「れんたるには、かーどが必要。そうでしたか、それでは、はい。よしなに」
貴音「日数。はて…… そうですね、期間は長いほうが。はい、では、その七泊八日で」
貴音「お手間を取らせました。ありがとう存じます」
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貴音「ご馳走様です。本日のめにゅーも真、美味でした」
響「おそまつさまでした。えへへ、喜んでもらえてよかったぞ」
貴音「ところで響。食後にでーぶいでーを鑑賞致しませんか」
響「でーぶい……? ああ、DVDか。それどうしたの、誰かから借りたの?」
貴音「いえ。これは"つたや"からお借りしてきました」
響「へー、レンタル? 貴音、今まで使ったことあったっけ?」
貴音「もちろん初めてですよ。なかなか新鮮な体験でございました」
響「おおー、銀色の王女レンタルビデオ店に行く、かー。見てみたかったなー」
貴音「そんな、見て面白いようなものではございませんでしたよ、ふふ」
響「で、何を借りてきたの?」
貴音「はい、千早が褒めておりました『でぃーぷ・ぶるー』という映画を」
響「あー、確か結構前のやつだよね」
貴音「そのようですね。海を舞台にしたどきゅめんたりー映画で、
映像がとても美しいのだそうです」
響「海かぁ、いいね。自分、最近は海に行く機会がないし、せめて映像で眺めたいぞ」
貴音「ふふっ、図らずもべすと・ちょいすになりましたね。では、再生をお願いいたします、響」
響「オッケー。じゃあ貴音、ディスク貸して」
響(貴音、自分に気使ってくれたのかな。やっぱりいいやつだなぁ……)ジーン
響(……へえ、これ原題は"Deep Blue Sea"っていうのか。
綺麗な水色で、いかにも海って感じのディスクさー)
響「よし、お待たせ貴音。じゃあ再生するよ、いい?」
貴音「はい、お願いします。
最近は映画をじっくり見る暇もありませんでしたから、わたくしも楽しみです」
< アクアティカ研究所へようこそ
貴音「おお…… なんとも立派な研究所ですね。ここが撮影の拠点となるのでしょうか」
< アオザメの脳のたんぱく質がアルツハイマー治療に役立つはずだから脳を肥大化させるわ
響「サメの研究の話がドキュメンタリーの軸になるのかな。これ、実現したらすごいよね」
< よし! 実験成功よ!
貴音「これは…… まこと、大きなさめ、ですね」
響「うん、アオザメってこんなに大きくなるんだなー。
研究所の設備も立派だぞ、まるで映画のセットみたいさー」
< お前もよくやったな、タバコ吸うか? ハハハ
響「あーあー、サメがタバコなんて吸えないに決まってるのに。
アメリカンジョークってやつはやっぱりよくわかんないぞ」
貴音「本当に吸わせたいというより、この殿方なりのねぎらいのようなものでし」
< サメ「タバコじゃなくて腕いただきまーす」
< うわあサメにタバコくわえさせようとしたバカが腕を噛み千切られたぞ!
響「う、うぎゃあああああ!?」
貴音「」
< ぐわああああああああ
< こんな危険なサメ生かしておけない、この場で今すぐ殺す!
響「う、う、腕が…… 放送事故じゃないのかこれ!? ……って」
貴音「」
< ダメよ、貴重な実験材料だもの、殺させないわ! (海中に逃がす)
< あんた気は確かか!?
響「た、貴音っ!? ちょっと! 気を確かに持つんだ貴音ぇぇ!」
貴音「」
< 緊急事態だ! すぐに救助を呼んでくれ!
貴音「……はっ!? ああ、響、恐ろしい夢を見ました。
どきゅめんたりー映画だというのに殿方の腕が、さめに」
響「夢じゃない、それ夢じゃないぞ貴音、いま救助呼んでるとこだよ。ほら」
貴音「……ひいいっ!? な、なんという、ああ……!」
響「貴音、大丈夫? 落ち着いた?」
貴音「え、ええ、なんとか…… け、研究の世界とは、かくも厳しいものなのですね……
それよりもあの殿方は助かるのでしょうか。どうかご無事で」
響「しかし、千早がこんなの好きだなんて…… 自分、すごく意外だぞ……」
貴音「まったくです…… 確かに映像は生々しくも美麗ですが。人は見かけによりませんね」
< 救助ヘリが来たぞ!
貴音「やっと助けが……! この嵐の中での救助は大変でしょうが、なんとか無事に」
< まずい、巻き上げウインチの故障でヘリで吊ってた担架が海中に落ちた!
< ああ! サメが怪我人の担架を引っ張ってヘリ墜落させた!
響「!?」
貴音「…… じ、事実は小説より奇なり、とは申しますが……
響、さめというのは斯様に頭がよいものなのでしょうか」
響「ちょ…… えっ、いや、 ……ど、ドキュメンタリー?」
< うわあああ! 墜落したヘリがそのまま施設に突っ込んで爆発炎上した!
< サメ「この担架を怪我人ごとガラスにぶつけて割って施設水没させまーす」
貴音「」
響「」
貴音「ひ、ひゃううっ!? と、止めっ、再生を今すぐ止めてください響!」
響「っ、うん! ……はぁ、……ああ、びっくりした、なんだったんだ今の」
貴音「……あの、響。わたくしが思いますに」
響「たぶん自分も同じこと考えてるぞ、貴音。
……これさ、ドキュメンタリーじゃないよね!?」
貴音「はい…… さすがにわたくしも、ことここに至ってはそうと認めざるを得ません」
響「えーっと、ちょっと検索してみよう。自分のスマホとって貴音」
貴音「お願いします。はい、これを」
響「ディープブルー、映画、 ……ああ!
やっぱりだ貴音、これタイトル同じだけど別の映画だぞ!」
貴音「なんと……! おのれ、あの店員がわたくしを罠にかけたのですね……」
響「いや、タイトルしか聞かされなかったら勘違いもありえる話さー……
このサメの映画は1998年公開で、ドキュメンタリーの方は2003年公開だって」
貴音「ああ…… 申し訳ありません、響。わたくしがしっかりしていなかったために」
響「しょうがないよ貴音。勘違いくらい誰でもやることだし」
響「うーん、せっかく貴音が借りてきてくれたのに残念だけど、これはこのまま返却し」
貴音「……いえ、響。続きを見ましょう」
響「えっ」
貴音「手違いとはいえわたくしがはじめて借りてきたでーぶいでーです。
見ないで返してしまうのではあまりに惜しいというもの」
響「いや…… まあ、気持ちはわかるけどね?」
貴音「れんたる代もすでに支払っているのです。せっかくですし、元はとらねば」
響「でもさ、自分だってこの手のパニック系の映画は得意じゃないもん。
まして貴音は絶対無理でしょ。やめといたほうがいいと思うけどなー」
貴音「響。わたくしたちは、あいどるです。人に夢を与える存在です」
響「え、ん? うん、それはそうだよね。でもそれとこれとは特に関係が」
貴音「そのわたくしたちがさめ風情を相手に易々と引き下がってよいものでしょうか」
響「えーと、いいんじゃないかな、別に」
貴音「これも運命が与えたもうた試練なのでしょう。逃げるわけには参りません」
響「貴音は言い出したら聞かないなぁ…… じゃあ再生続けるよ、本当にいいんだな?」
貴音「はい、見事耐えてみせましょう」
響「ねえ貴音」
貴音「はい?」
響「近くないかな、座る距離」
貴音「気のせいですよ」
響「いや絶対さっきより近いよ貴音、正直ちょっと暑い」
貴音「気のせいですよ、響。ささいなことです」
響「むしろこれ、どう考えても密着して、って、ちょっ……!」
貴音「さあ、早く再生してください響。わたくしは逃げも隠れもしません」
響「自分にしがみつきながら言うことじゃないぞ貴音。
そもそもこれだと自分、再生ボタン押せないんだけど」
貴音「これも運命が響に与えたもうた試れ」
響「うがーっ、ちょっと離れてってば! 自分がボタン押す間だけでいいから!」
※以下、映画『ディープ・ブルー』(サメの方)のネタバレを多く含みます。
【役割分担】
貴音「この段階で、生き残っているめんばーは六人……」
響「そうだね、主役っぽいカーターと、サメが巨大になる原因作っちゃった科学者のスーザン。
それから研究のスポンサーやってるお金持ちの黒人さん、フランクリン、だったかな」
貴音「あとは、小心者のすこっぐず殿、金髪女性のじゃん殿、そしてもうひとり、このこっくさんですね」
< バード? どこにいるんだ、バード?
貴音「それにしても、この危機的状況にありながらよく喋る方です」
響「ふーん、このコックさんがいわゆる面白黒人枠ってやつかな?」
貴音「おもしろ、こくじん……? 響、なんですかそれは」
響「くらーい雰囲気を緩和してくれる、ムードメーカーっぽい陽気な黒人さんのことらしいぞ。
この手のパニック映画にはわりとよく登場するって聞いたことがあるさー」
貴音「そうなのですか。確かに少しは明るい気分にしてくれそうです」
響「で、意外と運も良くて終盤まで生き残るけど、助かりそうかな、って
安心したあたりでいきなりやられちゃうとか、そんなイメージ」
貴音「うう…… やはりまったく気が抜けませんね……」
【命名規則】
響「でもこのコックさん、ネーミングセンスはいただけないよね」
< バード! こんなところにいたのか!
貴音「はい?」
響「だってほら、飼ってるオウムの名前が"バード"って。
これ、鳥! って呼んでるってことでしょ」
貴音(…… おうむだからおう助、というのとどの程度違うのでしょうか……)
響「……貴音? どうかした?」
貴音「あ、い、いえ、なにも。 ……ちなみに響なら、このおうむになんと名づけますか?」
響「んー、そうだなぁ…… オウムだから……」
< ほらバード、そんなとこいないでこっちに来
< サメ「オウムを下から一口でいただきまーす」
貴音「きゃあああああああ!?」 ギュウウウウ
響「うぎゃーっ!? た、貴音、痛い痛い!
そんな思いっきりしがみつかないでよ、自分クッションとかじゃないんだから!」
貴音「そ、そう言われましても…… 急にさめが来たので、つい」
響「いや、こんな映画で『今からサメ出ますよ』なんて言って来るわけないでしょ!?」
貴音「人だけでは飽き足らずおうむまで…… なんと無慈悲なさめでしょうか……」
響「ああ…… そうだった、オウ介が食べられちゃったぞ……」
貴音(まさかの漢字違い!?)
【最強伝説の始まり】
< コックがオーブンで焼け死ぬなんて笑い話にもならねえ!
貴音「ひ、響、どうしましょう、こっく殿が、こっく殿がぴんちです!」
響「ど、どうしましょうって言っても……! このままだと焼けちゃうし、
でもオーブンから出られたとしても外にはサメが待ち構えてるし!」
貴音「そんな!? 八方塞がりではありませんか!」
響「うん…… でも、正直このコックさんメインキャラって感じじゃないし、
面白黒人枠にしては早いけど、ここで退場しちゃうんじゃな」
< うおおおおおおお (※オーブンの屋根部分を手斧で破壊して脱出)
響「えっ」
< サメ「オーブンの扉突き破っていただきまー…… あれ、いない」
貴音「こ、こっく殿が無事おーぶんの外へ脱出を! ああしかし、外にはさめが!」
< バードの仇だ! (※どこからともなく取り出したライターを投げつける)
< サメ「ぐわああああああ」(焼死)
響「えっ」
貴音「お、おお!? すごい! こっく殿がさめを仕留めましたよ響!」
響「ええー…… 最初にサメやっつけるのがコックさんとか完全に予想外だったぞ……」
貴音「ばーど殿の無念を見事晴らしましたね、こっく殿…… 天晴れです!」
響「う、うん。でもサメはこれ以外にまだ2匹いるんだよね……」
【例のシーン】
< いい加減に仲間割れはやめるんだ!
< こんな状況だからこそ我々は協力しなくてはならない!
貴音「さすがは最年長者のふらんくりん殿。よいことを仰います」
響「たいていこの手の映画で研究とかのスポンサーのお金持ちは悪役だけど、
この人は現場に足運んでるだけあっていい人みたいだぞ」
貴音「大富豪は悪役…… そういうものなのでしょうか」
< いいか、まずはこのプールを閉鎖して
響「傾向として、わりとね。
でもこのリーダーシップぶりからして、きっと最後あたりまで生きのこ」
< サメ「演説してる最中すいませんが後ろからいただきまーす」
< アーオ! キャアアアアー オーマイガー!!
貴音「ひあああああああああっ!?」
響「おわぁぁあああ!?」
貴音「ま、まだしゃべっている途中ではありませんか! なんと卑劣な!」
響「……いや、そりゃ、そのインパクト狙ってこういう脚本なんだろうけどね」
貴音「そしてなんと無情なさめでしょうか。響の解説を一瞬にして無にするとは」
響「うん、真顔でそういうこと言うのやめて貴音、自分がつらくなっちゃう」
【遺言ビデオ】
響「ああ…… どんどんみんなやられていっちゃう……」
貴音「じゃん殿も食べられ、もう残り四人になってしまいました……」
響「貴音、本当に大丈夫? 今更だけど止めてもいいんだよ」
貴音「……え、ええ、まだ大丈夫です、なんとか耐えられる…… と思いたいのですが」
響「あれ、コックさんがビデオで自撮りしてる」
貴音「ご家族に残す遺言、ということなのでしょう…… 胸を打ちますね……」
< しかし何を言ったもんだろうな……
< ああそうだ、正しいオムレツの作り方を教えるよ
< 使う卵はみっつじゃなくてふたつ
< 素人はミルクを入れるけど、あれは大きな間違いだ
貴音「響、めも用紙をとってもらえますか」
響「メモ用紙? 何するの?」
貴音「面白こっく殿の発言を残しておかなくてはなりません。
おむれつがぷろの如く美味しく作れるそうですよ!」
響「食べ物が絡むとホントたくましいな貴音」
【因果応報】
< サメの野郎、囲いを破って外の海へ逃げる気だ!
< ようやくわかった、あいつはなんとしても殺さなくちゃいけないわ
< この爆薬を仕込んだ銛を撃ち込んで、バッテリーと接続すれば奴を爆破できる!
響「さあ…… いよいよ終盤だぞ。 ……もう三人しかいなくなっちゃったけど」
貴音「せっかく勇気を見せたすこっぐず殿も、あっさりと…… おいたわしや……」
響「コックさんも脱出途中で襲われて大怪我しちゃったし……」
貴音「ええ、ですが、さめに噛まれた状況から抜け出せただけでも大したものです」
< くそ、遠すぎて銛が届かない!
< わたしが囮になるわ
貴音「なんと!? すーざん殿! そのような真似、死にに行くようなものです!」
響「いや、ちゃんと助かると思うぞ、貴音」
< さあ、ママのところへいらっしゃい
< スーザン! やめろー!
貴音「な、なぜですか響、彼女はなんの対抗手段も持っていないのですよ?」
響「パニック映画のお約束として、女性がひとりは生き残る、ってのがあるのさー。
スーザン、最初は意固地だったけどだいぶ丸くなったし、主役のカーターとのフラグも立」
< サメ「生みの親でも関係なくいただきまーす」
貴音「いやああああああああ!」
響「ちょっ!?」
貴音「…… ああ…… すーざん殿、やはり……! だから言わないことでは!」
響「な、なんだこれ…… あっけなさすぎるぞ……」
貴音「これでもう、あとは面白こっく殿とかーたー殿のみになってしまいました……」
【最強】
響「そ、そうか、ここでついにカーターの見せ場がくるんだな!」
貴音「こっく殿はまだ命はあるとはいえ、重傷ですからね…… 無事を祈るばかりです」
響「言ってるそばからうまくサメの背びれに組み付いたのはいいけど、
カーターはここからどうやってやっつけるんだろう……」
貴音「ええ…… ……!? 響! こ、こっく殿が、大怪我をおして銛撃ち銃を!」
< コック「こいつを食らえ!」(※一発しかない銛を動き回るサメに一撃で命中させる)
< カーター「ぐあああああ」 (※銛がひっかかり、サメから離れられなくなる)
< コック「しまった! ちくしょう!」
< サメ「この背中にいる奴振り落としてから囲いの外へ逃げまーす」
< カーター「俺に構わず爆破しろォーッ! こいつが外洋に出ちまう前に! やれーっ!」
< コック「……!」(銛から伸びているケーブルをバッテリーに繋ぐ)
< サメ「ぐわああああああああ」(爆死)
貴音「えっ」
響「えっ」
< カーター「……ぷはぁっ!」 (※爆破ぎりぎりでサメから離れていて生還)
< コック「なあ、サメは全部で三匹ってことで間違いないんだよな?」
< カーター「ああ、そうだ。 ……俺、もうこの仕事やめるわ」
< (妙に明るいヒップホップ系の曲)
< THE END
貴音「……最終的に、こっく殿がひとりで二匹のさめを仕留めましたね」
響「残る一匹は途中、地味にスーザンがやっつけてたよね」
貴音「かーたー殿は何をしたのでしょうか」
響「…… 主役だから生き残ったってことでいいんじゃないかな……」
貴音「これが主人公補正というものなのですか、響」
響「それは違うかな。いろいろと」
響「まあでもなんだかんだ言って、最後までちゃんと見きったね。すごいぞ貴音」
貴音「ふふ、当然です。魚類を相手に尻尾を巻いて逃げてはあいどるの名折れというもの」
響「あはは、なにそれ? あ、これ、ディスク。返しとくね」
貴音「そうでしたね、ありがとうございます」
貴音「ところで、響」
響「なーに?」
貴音「今夜は泊まっていってもかまいませんか?」
響「え? 自分はいいけど…… でも貴音、明日は朝から事務所じゃなかった?」
貴音「ええ、そうですね。ですが響を一人にはしておけません」
響「自分を一人に…… って、どういうこと?」
貴音「響のことですから、今は平気そうに振舞っていますが、内心怯えているに決まっています」
響「はぁ」
貴音「どうかすると、さめの恐怖に震えて眠れぬ夜を過ごすことになってしまうやも」
響「いや、全然そんなことないけど」
貴音「そこでわたくしの出番です。わたくしの年上ゆえの落ち着きと包容力をもってすれば、
響はさめ怖さにおののく夜を過ごすこともなく、安らかな眠りを」
響「……要は貴音、今晩は一人じゃ怖いから自分と一緒にいたいってことだよね?」
貴音「な、何を言い出すのですか響! わたくしの言ったことを聞いていましたか?」
響「うん、聞いてたぞ。まったくしょうがないなぁ貴音は、カンペキな自分が泊めてあげるさー」
貴音「ち、ちがいます! あくまでわたくしは、響が怖がっているでしょうから仕方なく」
響「仕方なく泊まるなら無理しないで帰ってもいいんだぞ?」
貴音「……いけず。響は、いけずです」
響「貴音が変なところで強がるからいけないのさー」
響「さて、じゃあお風呂準備してく」
貴音「響」ガシ
響「おっ、と!? 急にどうしたの貴音…… なんで自分の腕つかむの?」
貴音「しゃわーにしましょう」
響「は?」
貴音「浴槽にお湯を張るほどのことはありません。しゃわーで十分です」
響「え、どうして? 遠慮しなくていいよ」
貴音「いえ、本日はさほど気温も上がりませんでしたし、そこまで汗をかいたわけではありませんし」
響「でもさ、自分と貴音の髪の量とか考えたら、お風呂溜めたほうがむしろ経済的っていうか」
貴音「わたくし、今日はしゃわーの気分なのです」
響「んー、そう? じゃあとりあえずお湯だけ張るから、貴音はシャワーで済ませれば……」
貴音「いけません響!」
響「な、なにが? ねえ貴音、どうしてそんなにお湯をためるのが嫌なのさ」
貴音「……わたくし、決してあの映画を見たから言うわけではないのですが」
響「え、え? なんの話?」
貴音「なんというか、その、……なみなみと溜まった水をあまり見たくないと申しますか」
響「うーんと…… ごめん、よくわかんないよ自分。つまり、どういうこと?」
貴音「……つまり、海を見ているかのような気分になってしまいそうで」
響「えっ」
貴音「万が一さめが出て来でもしたらどうしようかと」
響「いや、その理屈は一から十までおかしいぞ」
貴音「理屈ではないのです、これはもはや本能!」
響「どんな本能で浴槽が海に見えるっていうんだ!?」
貴音「理性でどうにかできないことも世の中にはあるのです!」
貴音「……ああ、よいお湯、もとい、しゃわーでした」
響「あはは、サメ出なかった?」
貴音「ええ、本日は幸いにして遭遇しませんでした。
ですが気を引き締めねば、いつ後ろから襲われるかわかったものでは」
響(あ、貴音、目が笑ってない。これ割とマジだ)
貴音「さて響。休む前に、折り入って尋ねたいことがあります」
響「うん、なに?」
貴音「さめと実際に出会ってしまった場合に、なにか対処する方法はないのでしょうか」
響「ええ? そんな機会、まずないと思うし、気にしすぎだぞ貴音……」
貴音「お願いします。動物に詳しい上に完璧な響のことです、知っているでしょう?
わたくし、少しでも安心したいのです」
響「あー…… まぁ一応、知ってることは知ってるんだけど……
たぶん参考にはならないよ? それでも聞きたい?」
貴音「是非に! 対策のひとつでも知っていると知らないとでは雲泥の差です!」
響「うん、まあ、それは嘘じゃないんだけど……」
貴音「?」
響「えーと、じゃ、順を追って説明するね。今、貴音は海に浮いてるとする」
貴音「はい…… すでに緊張して参りました、わたくし」
響「で、向こうの方の海面から突き出た背びれがこっちに向かってくる、と」
貴音「あ、ああ……! ついに来てしまったのですね……」
響「ちなみに、イルカの場合は海面に出た背びれを上下に動かして泳ぐんだ。
サメの場合は左右に動くから、突き出してる背びれの動きを見極めるのもポイントさー」
貴音「本当にそのような状況に陥ったら、間違いなくそんな冷静な判断はできませんね」
響「正直、自分もそう思うぞ」
響「ま、今回は冷静に判断ができて、しかもサメだったってことで話を進めるね」
貴音「は、はい……」ガクガクブルブル
響「まず、Tシャツとか着てる場合、それを脱ぐ」
貴音「……はい?」
響「うん、何言ってるんだ、って気持ちはわかるぞ、どう使うかはあとでちゃんと説明するから。
とりあえずなんかそういう服とか身に着けてれば、脱いで手に持つんだ」
貴音「は、はぁ…… あの、水着以外に身に着けていない場合はどうすれば?」
響「シャツとか着てない場合は…… たとえば男の人だったら、
その、海の中にいる場合、最低限、海パン…… は履いてるよね?」
貴音「……な、なんと! 唯一の防具を外してしまえ、と?」
響「実際噛み付かれた場合に防御の役に立つとは思えないさー。だって布だもん……」
貴音「う…… た、たしかに、それはそうですが」
響「女性でシャツとか着てない場合、セパレートタイプの水着だったら上を脱ぐ、くらいしか思いつかないぞ。
まあ…… その、無理に脱げ、とも言えないからなー…… 最悪、手持ちなしでやるしかないさー」
響「で、いよいよサメが数mくらいまで近づいてきた」
貴音「あ、ああぁ…… 早く、早く対策を教えてください響!」
響「今回はさっきの例でいうシャツなりなんなりがあったと仮定するさー。
まず、それを手に持って、サメに向けて突き出す」
貴音「!? そんな…… 突き出した腕を噛まれたらどうするのです?」
響「そこは…… サメとの距離をよく見て自己判断でなんとかしてもらうしかない、かな」
貴音「なにも根本的な解決になっていないではありませんか!?」
響「う…… うがー! だから最初に言ったじゃないかー、あんまり参考にならないぞって!」
貴音「う、うぅ…… 致し方ありません、その…… つ、突き出してからは、どうすれば?」
響「サメの進路に対して水平になるように身体を開きつつ、サメの側面に回りこむんだ」
貴音「えっ」
響「つまり、突き出した服とかを闘牛士のマントみたいに使ってサメを誘導しつつ、横に回るんだぞ。
右手でシャツを持ってた場合、サメから見て右側に回りこむ感じで」
貴音「響…… 実はわたくし、以前から、貴女に伝えたかったことがあるのです」
響「えっ…… な、なに? きゅ、急に改まっちゃって、こんなタイミングでさ」
貴音「響はひょっとすると、俗に言う『あほのこ』なのではありませんか」
響「いきなり何言いだすんだ貴音!? こんなカンペキな自分をつかまえて!」
貴音「水中で! さめがもっとも得意とするふぃーるどで! ただでさえこちらは緊張や恐怖で
判断能力や運動能力が鈍っているであろうときに、そんな複雑な動きをしろと!?」
響「だからぁ、これ別に自分が考えたわけでもなんでもないんだぞ!
そういうこと書いてる本読んだことがあるってだけだし、試したこともないしさ!」
響「……やっぱり、もうやめよっか?」
貴音「……いえ、ここまで聞いておいて止めるというのも道理が通りません。先をお聞かせ願います」
響「よし…… じゃあ続けるぞ、貴音。首尾よくサメの側面に位置取ることができた前提で」
貴音「ああ、目の前を、さめが横切ってゆく……」ガクガクブルブル
響「そこで、サメの目をめがけて、なぐる」
貴音「えっ」
響「なぐるんだぞ」
貴音「さ、さめを? 殴る? 水中で?」
響「サメを。目を、水中で」
貴音「響、どうかお許しください。
先ほど貴女を『あほのこ』などと呼んだわたくしが間違っておりました」
響「え? ……そ、そうだぞ、やっぱり貴音はわかってるなー!
ふふん、なんたって自分こんなにカンペキ」
貴音「響は痴れ者です」
響「なんだその格下げ具合!? しかも『アホの子』みたいな可愛らしさも一切ないし!」
貴音「しかし! さめを水中で、しかもぴんぽいんとに目を狙って殴ればよいなどと、
やはりどう考えてもせいぜい『あほのこ』並の言い分ではありませんか!」
響「同じ状況で、向かってくるサメの真正面から鼻面をなぐれ、なんて書いてる
本とかサイトとかもあるんだぞ!? これでもまだかなりマシな方さー!」
貴音「なんと…… なんと難易度の高い。ここまでにいくつの難関を越えねばならぬのでしょう……
それでさめを撃退できるとはいえ、なかなか常人には難しい話ですね」
響「ん? 貴音、言っとくけどさっきので終わりじゃないぞ?」
貴音「!?」
響「いまの手順を、『サメが諦めて離れていくまでずっと繰り返す』んだ。何度でも」
貴音「」
響「これを何度もやることで、サメのほうが『あ、こいつ食うのめんどくさい、労力の割に合わない』
と判断して離れていってくれる…… "かもしれない"、ってだけだからなー」
貴音「……あ、あれだけの難題をこなして、それでやっとわんせっとに過ぎない、というのですか!?
しかも複数回繰り返してもだめなときはだめだ、と!」
響「ま、平たく言えばそういうことさー。
空腹だったりしたら簡単に諦めないで何度も繰り返し襲ってくると思うぞ」
貴音「よけいに不安が募ってしまった気がいたします……」
響「だから自分、参考にならないぞって言ったのに……
とりあえず、いろいろ知識が増えてよかったと思うことにしようよ、貴音」
貴音「ええ、世の中はまこと、広いものですね……」
響「まあ、一晩寝たらだいたいどうでもよくなるさー。大丈夫大丈夫」
貴音「そうであるよう心から願います」
響「じゃ、いつも通り貴音はベッド使ってよ、自分布団出すから」
貴音「響」ガシ
響「わっ…… えっ、なに、どうしたの?」
貴音「わたくしがそれほど大きいと言いたいのですか?」
響「え?」
貴音「わたくしがべっどに入ったら響は入る隙間もない、と?」
響「いや、そんな話はしてないけど」
貴音「大丈夫です、響くらいの小柄さであれば空いたすぺーすに十分に収まります」
響「うん、貴音は自分がすごくちっちゃいって言いたいんだな?」
貴音「大きいとか小さいとかそういうことはどうでもいいのです」
響「じゃあ、なんなのさ」
貴音「ふたり一緒に収まるのに十分なすぺーすがべっどにあるのに
あえて布団をしくのは合理的ではない、ということです」
響「えーっと」
貴音「確かに普通に寝るよりはいささか狭いかもしれません。
しかしこの『銀色の王女』と一緒に寝る機会などはそうそう」
響「ねえ貴音」
貴音「なんです」
響「……一人で寝るの、怖いの?」
貴音「そそそそのようなことは言っておりません! 響、わたくしの言ったことを聞いていましたか?」
響「ふーん…… じゃあ自分、やっぱり狭いのやだから布団を」
貴音「響」ガシ
響「あーもー、話がまたループしちゃ」
貴音「……ほんとうはひとりで寝るのがこわいのです。どうか、今晩は一緒に」
響「…… い、いきなり素直になるとか、ずるいぞ貴音……」
貴音「だめですか。響、どうしても布団のほうがよいですか……?」
響「し…… しょうがないなー、貴音は。
自分、カンペキだから、一緒に寝てあげてもいいぞ」
貴音「……響っ! 信じておりましたよ!」
響「わーっ!? ちょ、いきなり抱きつくな貴音、暑いってばー!」
響「はいさーい! おっはよー!」
貴音「おはようございます」
P「お、響、貴音、おはよう。きょうは一緒か、ちょうどよかった」
響「あ、おはようプロデューサー!」
貴音「おはようございます、あなた様。ちょうどよかった、とはどういうことですか?」
P「実はな、お前たち二人を指名で仕事が来てるんだ。スケジュールとか相談しようと」
響「ふふーん、自分と貴音を選ぶとはお目の高いクライアントだな!」
貴音「響と二人でのお仕事は久しぶりですね。どのような内容でしょう?」
P「グラビア撮影だ。夏もいよいよ本番ってことで、ビーチで水着ってのがあちらさんの希望だな」
響「わー、ホント!? 自分最近海行ってないからうれし」
貴音「お断りします」
響「た、貴音っ!?」
P「え、そ、そうか? 貴音、水着撮影は嫌だったか……?
今までも何度かやってたから、てっきり大丈夫かと思」
貴音「水着かどうかはどうでもよいのです。海になど金輪際近づきません」
響「えっ」
P「いきなりどうしたんだ貴音、なんか問題でもあったのか」
貴音「はい、ゆゆしき問題がございます。
しかし海から離れてさえいれば済むのは不幸中の幸いでした」
響「ちょ、ちょっと貴音、落ち着いてよ」
貴音「わたくしは至極冷静です!」
P「わけがわからないよ…… 仕方ない、じゃあ水着は問題ないんなら
先方に連絡とって、プール撮影にしてもらうように手配を」
貴音「いやです」
響「えっ」
P「えっ」
貴音「なぜ頑なにわたくしを水場に近づけようとするのです。
もしやあなた様は魚類の回しものですか」
P「斬新な罵り方だなぁ、業界によってはすごいご褒美になりそうだ」
響「た、貴音、大丈夫だってば、プールはもちろん、海でも砂浜にいれば問題ないって」
春香「おはようございまーす! あ、プロデューサーさん、今日は早いですね!」
千早「ああ、それに我那覇さん、四条さんも。おはようございま」
貴音「如月千早ぁッ!!」
千早「は、ひゃいっ!?」
P「うおっ!? た、貴音、どうしたいきなり」
貴音「元はといえばこの状況は貴女が! この恨みはいますぐここで――」
響「わーっ、貴音、千早はなにも悪くないぞ!? 八つ当たりはやめるさー!
千早、とりあえずここは逃げてー!」
貴音「ええい! 離しなさい響!」
春香「……ち、千早ちゃん、貴音さんに何かしたの?」
千早「えっ…… い、いえ、わたしはなにも心当たりがないのだけど……」
春香「でも貴音さんのあの荒れ狂い方はちょっと尋常じゃないよ……?」
P「お、おい響、さっきから貴音はどうしたんだ、なんか知らないか?」
響「え、ええと…… その……」
貴音「まだしらを切るのですか千早!
わたくしをこのような身体にしておきながら!」
春香「」
千早「えっ」
P「えっ」
春香「ちょっと千早ちゃん!?
この春香さんですらまだ何もされてないのに貴音さんにナニしたの!?」
P「『ですら』!? 『まだ』!?」
響「春香は春香でなに言い出すんだー!?」
千早「ち、違うわ春香、わたしは本当に何も!」
貴音「千早、貴女のせいで…… わたくしは響なしには夜も眠れぬ体に……!」
千早「!?」
春香「ほほう!?」
響「貴音はいますぐ喋るのをやめるさー!!」
P「響、貴音とお前にいったいナニがあったんだ……?」
貴音「昨晩はおののき震える響を狭いべっどでわたくしが優しく抱き締め」
春香「ほほう!!」
響「か、勝手に話を作るのやめろ貴音ぇ! むしろ震えてたの貴音の方じゃないかぁ!」
P「それはそれでどうなんだよ、発言そのものは否定しないのか」
春香「ちょっと響ちゃんその辺くわしく。微に入り細を穿って」
千早「春香、その食いつき方を見ていてわたし、友達を続けるべきかどうか迷っているのだけれど」
貴音「恥じることなどないのですよ響。誰しも弱さのひとつやふたつは持っているもの」
響「……」
春香「あれ、どうしたの響ちゃん、照れちゃった?」
千早「が、我那覇さん?」
P「……響、大丈夫か?」
響「銛! だれか銛持ってきて今すぐ! あの銀色の奴自分が仕留めてやる!」
P「だからなんの話だ、モリってなんだ!?」
おしまい。
※参考画像
http://i.imgur.com/gVrDPQt.jpg
左:映画『ディープ・ブルー』(サメ)
右:映画『ディープ・ブルー』(ドキュメンタリー)
なお、今月木曜日の「午後のロードショー」がサメ映画特集となっております。
※『ディープ・ブルー』は含まれません。
http://www.tv-tokyo.co.jp/telecine/oa_afr_load/
乙です
インコにつけた名前の「バード」って吟遊詩人の方の意味じゃないかな?
訂正 >>13
× 「このサメの映画は1998年公開で、ドキュメンタリーの方は2003年公開だって」
○ 「このサメの映画は1999年公開で、ドキュメンタリーの方は2003年公開だって」
サメの方の公開年を間違っておりました、大変失礼致しました
>>61
英語字幕で確認したところ、大文字ですらない"bird"でした
金持ち黒人の演技と撮り方のお陰でまんまと驚かされた思い出
>>1は過去作あるなら教えてください
サメの反応と視聴している時の二人の反応が好みだったので
>>65
ありがとうございます、気に入っていただけてうれしいです
過去作はあんまり多くないので全部紹介させていただきます
貴音「ちょこれいと・そうる・みゅーじっく」
貴音「らりる」
高木「プロダクション社長のわたしがこんなに空気なわけがない」
貴音「異国の方に発音を馬鹿にされました」
貴音「響、もう朏ましたか?」 響「ちょっと待って」
響「歩くスピードで近づこう」
┐貴 響「なんだこれ」
P「アイドルたちにつぶやかせる」
P「マクベス?」春香「はいっ!」
こんなに空気なわけ~の人だったのか
ラストのやよいの言葉は結構好きでした
この人の書く二人の空気感すごい好きだわ
貴音にはぜひフライングジョーズを見せたい
また映画を見るSSとかやってくだされ
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