姪「テツガクをしましょう」(37)
姪「テツガクです。テツガクの時間です」
男「いきなりなんで哲学?」
姪「新たな道を切り開くには、知識を広げ深めることが必要不可欠です」
男「発展途上の姪ちゃんは知識欲の塊だね」
姪「無知に無恥な人には、きっと悲しい未来が訪れます」
男「それは言いすぎだけども。まあ、あながち間違っちゃいないかなあ」
姪「にぃは幸せになりたいですか?」
男「そりゃなりたいさ。多くは望まないけども、人並みにはなりたいね」
姪「では学びましょう。テツガクです」
姪「テツガクが幸福を呼び寄せるのです」
男「なにこの子。小学生なのに怖い」
姪「にぃは、なんねんせいですか?」
男「高校三年生の受験期です」
姪「違います。そんなことは尋ねていません」
男「何年生かって……ははん、そういうことね。小学十二年生だよ」
姪「……」
男「その蔑みの視線は、なにかな?」
姪「なぞなぞなんてしてません。ふざけないでください」
男「ふざけたつもりはないんだけども……じゃあ、どう答えればよかったのさ」
姪「にぃは燃えやすいかどうかを問うたのです。難燃性ですか?」
男「焼かれるの?!」
姪「言葉のたとえです。勉強に熱中できる人には、教える苦労はいらぬ心配です」
男「そういうことね。なんとも小学生らしからぬ」
姪「にぃは焼きを入れられないと勉強できません?」
男「今のは駄洒落かな」
姪「違います。…………違うもん」
男(かわいいですね!)
姪「不名誉な脱線をしたので話しを戻します。テツガクです」
男「いきなり哲学と言われてもねえ」
姪「とっつきにくいでしょうから、まずは簡単なところから始めましょう」
男「姪ちゃんはすごい方向に興味が湧くんだね」
姪「大学受験に励むにぃならば知っているでしょうが、原子番号が26である鉄は」
男「ちょっと待った」
姪「もう躓きましたか。早いですね」
男「哲学だよね?」
姪「もちろん鉄学です。原子記号えふいー(Fe)の鉄について学びを深めましょう」
男「ごめん。姪ちゃんの関心の高まりに追いつけない」
姪「どんなに嫌がろうとも脱落はさせません。知識とは武器です」
男「この一方通行具合は、もはや暴力の範疇ではなかろうか」
姪「元素周期表に書かれている原子名『鉄』は、第八族元素に区分されています」
姪「これは第三族から第十一族の間に存在してるので」
姪「一般には遷移(せんい)元素と呼ばれております」
男「高校生の内容なのに、姪ちゃんは博識だね」
姪「鉄の原子量は約55.845で、取るに足らない微細な幅で量にブレがあります」
男「へ、へー……そうなんだ」
姪「ばばん! 問題です!」
男(かわいいですね!)
姪「原子名『鉄』の元素記号はえふいー(Fe)です」
男「忘れようがないね。あまりにも覚えやすい」
姪「では、鉄の英語名を省略せずに答えなさい」
男「あいあーるおーえぬ。アイロン(Iron)」
姪「……」
男「アイロン(Iron)」
姪「大っ嫌い」
男「なんで?!」
姪「ラテン語のフェッルム(ferrum)と間違えるところだよ!」
男「えふいーがなんの省略形かを知りませんでした。ラテン語由来なのね」
姪「元素記号はギリシャ語由来とラテン語由来だと思ってください」
姪「そしてにぃは無知を恥じてください」
男「まさかこんなことで無知の烙印を押されるとは。お兄ちゃんは驚きです」
姪「水に融点や沸点が存在するように、もちろん鉄にも状態変化は起こります」
男「テレビで溶鉱炉の映像が流れるとすごいよね」
男「まるでオレンジジュースが氾濫してるみたいで」
姪「……………………っ!!」
男「ちょ、近いって。あとで買ってあげるから、目を輝かせながら顔を近づけないで」
姪「瓶のジュースがいいです。水割りで飲みたいです」
男「なんと贅沢な要求。しかし奮発しよう。おばさんとおじさんには内緒ね」
姪「にぃ、ありがと!」
男(かわいいですね!)
姪「えっと……どこまで話したっけ?」
男「融点と沸点」
姪「そうでした。それで、オレンジジュースの沸点は」
男「うぷっ」
姪「どうしました?」
男「なんでもないです。思い出し笑いをしました」
姪「余計なことを考えるのはよくないです。お勉強に集中してください」
男「はい」
姪「鉄の融点は1気圧下で摂氏1536℃」
姪「ちなみに火葬をこの温度で行うと骨すら残りません」
姪「沸点はこれよりもうんと高くて、なんと2863℃にまで達します」
男「なんかもう魂まで燃え尽きそうだね」
姪「お、お化けのお話しは禁止ですっ」
男(かわいいですね!)
姪「にぃは1500℃の液体金属があったら何したい?」
男「『宝くじの一等が当たったらどうする』のノリでえげつない質問をしてきたね」
姪「私はにぃとね……うえへへ」
男「『と』? 姪ちゃんに道連れにされちゃうの?」
姪「ちょっとした余談ですが、1気圧下3180℃でようやく蕩けるレニウムさんがいます」
男「初耳。そんなのいるんだ」
姪「原子番号の75番目ですよ?」
男「何番目に居ようと知らないです」
姪「にぃは薄情な人ですね」
男「よもや元素周期表の話題で薄情と言われるとは」
姪「レニウムさんの沸点は、ほぼ5600℃」
男「5000℃の世界がまったく想像できない」
姪「鉄の温度を軽く凌駕していますので、もし溶かす作業中に落ちたら……」
男「そもそも煮え立った鉄のプールが、すでに極上の地獄なわけでして」
姪「でしたね」
男「うん」
姪「こ……こわいです……」
男「怯えちゃうのに言っちゃったのね」
男(かわいいですね!)
姪「そういえば、鉄はどうやったら手に入るの?」
男「それは……どうやってるんだろうな」
男「岩を削ったらぽろり、ではないんだろうし」
姪「半分正解です」
男「ああ、知ってたのね」
姪「鉄が生のままごろんと転がってたらどれほどよいものか」
姪「もしそうだったら、にぃのように苦労知らずで文明は発展していたでしょう」
男「そこはかとなく馬鹿にされてる気がしてなりません」
姪「『赤鉄鉱』という名前はご存知ですか?」
男「ご存じではないです」
姪「では、『磁鉄鉱』は?」
男「存じ上げないです」
姪「にぃは受験生なんですよ……」
男「世の終わりを見たような表情をするほどのことじゃないと思うな」
姪「にぃの浅学非才さに絶望しました。にぃの歩む将来は悲観的です」
姪「義務教育を終えてからは怠惰の日々だったのですね……」
男「人類初じゃないかな。両手を地につけてうな垂れた小学生にここまで言われたのは」
姪「言い方ですね。『磁鉄鉱』ではなく、最初から『四酸化三鉄』と言っていれば」
男「すみません。どっちも知らないです」
姪「……っ」
男「震えてる……姪ちゃんが怒りに震えておる……」
姪「『マグネタイト』」
男「それならなんとなーく聞き覚えがあるかも」
姪「ですが、『四酸化三鉄』に似た言葉も授業で聞いたことは」
男「それもあるよ。テストにも出てきたし、忘れないさ」
姪「はぁー、よかったぁ」
男「踏み入った化学の分野に安堵する小学生って……」
姪「一応は復習です。『四酸化三鉄』は、例えばー……」
男「三人の俺に姪ちゃんが四人ひっついているようなものだよね」
姪「……ぎゅっ」
男(かわいいですね!)
姪「えふいー(Fe)のお兄ちゃんに、おー(O)の私がひっついているこの状況です」
男「四酸化三鉄の鉄は幸せ者だな」
姪「でもみんなが欲しがるのはお兄ちゃんであって、オトモの私はいらない子」
男「鉄だけを取り出したい場合は邪魔になってくるわけだ。なんと不条理な摂理」
姪「四酸化三鉄を作るのに引き剥がしたい。取り除くにはどうしましょう」
男「でも姪ちゃんにはずーっと一緒にいてもらいたいなあ」
姪「わ、わたしもにぃと一緒に居たいです」
男(かわいいですね!)
姪「あっ、コークスさんだ!」
男「コークス? どこにコークス?」
姪「ひゃー、連れて行かれたー……」
男「……」
姪「おトイレ、行ってきます!」
男(かわいいですね!)
姪「ただいま戻りました」
男「おかえり。おいで」
姪「しかし残念! にぃにはくっつきません!」
男「そんなっ!?」
姪「私はコークスさんに連れ去られてしまったのです」
男「無機物に対して殺意を抱いたのは、人生で初めてかも入れない」
姪「そして私は念願の二酸化炭素でメジャーデビューです」
姪「コークスさん一人に私が二人。まさに両手にチューリップ」
男「コークスさんとは対話での解決が望めない場合、武力行使も辞さない所存でございます」
姪「でもにぃは、コークスさんのおかげで純粋な鉄(Fe)になりました」
男「もうぎゅってできないね」
姪「いじわるやだ。ぎゅっ」
男(かわいいですね!)
姪「『三酸化二鉄』の『赤鉄鉱』も同じ原理です。受験頑張ってください」
男「これが鉄学か……奥が深いな」
姪「休んでいられません。続きのテツガクです」
男「まだ鉄のオンパレードが続くのか」
姪「鉄は終わりです。でもべつのテツガクです」
男「ということは、とうとう哲学か」
姪「はい。お待ちかねでした」
男「モンテスキュー? ジャン・ジャック・ルソー?」
姪「にぃはなにを言ってるですか?」
男「なにをって……哲学でしょ」
姪「テツガクなのに、えっと……もんてっくるそー? じゃんじゃすきゅー?」
男「いい具合にこんがらがってるね。そこに疑問符が出るなら、次はなんの学問かな」
姪「姪を学ぶと書いて、姪学(テツガク)です!」
男「姪にテツなんて読み方があったのか……」
姪「にぃはしっかりと学んで、姪についての正しい知識を身に付けていきましょう」
姪「いつなんどき役に立つか分かりません。備えあって憂いなしです」
男「是非とも詳しくなりたいとは思うけど、どんな場面を想定しても役立つ光景が浮かばない」
姪「私とにぃは三親等です。三親等、知ってます?」
男「さすがにそれくらいはね。姪、甥、曾祖父母、叔父叔母でしょ」
姪「完璧です」
男「こんなのはパッと言えなきゃ」
姪「えっとね。えっと……」
男「他に姪学とやらにはどんなのがあるの?」
姪「あのね。その……ないです」
男「ないの?」
姪「あえぅ……」
男「姪ちゃんことだから、まだなにかしら隠し球があるでしょ」
姪「あっ! そ、そうだ! 姪学あった!」
男「でしょう。あるでしょう」
姪「ばばん! 問題です!」
男(かわいいですね!)
姪「私の好きな人はにぃですが、にぃのどこが好きでしょうか!」
男「これも姪学?」
姪「ダメ?」
男「駄目なもんですか。そうだなあ……腕かな」
姪「はずれー」
男「ハズレか。いつも飛びついてくるのが腕だから、てっきり」
姪「正解は『ぜんぶ』でした! ぎゅっ」
男「かわいいですね!」
おわり
まっくろくろすけを容赦なく叩き潰すメイちゃんかわいい
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