書籍商「エルフの難問」 (339)

冒険しないファンタジー

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礼拝堂と地下牢を結ぶ重い鉄の扉が開かれたのは、今日2回目だった。
朝、牢の管理人が食事を運んできてから、まだそう時間は経っていなかった。

少女「あの、どうかしましたか?」

管理人「……あんたに来客だよ」

少女「来客? わたしに?」

地下牢での生活もかれこれ3年近くになるが、そんなことは初めてだ。
当然その客というのにもまるで心当たりがなく、少女は首を傾げる。


???「初めまして」

そうしていると、聞き覚えのない低い男性の声が地下牢に響いた。
なんとなく冷たい雰囲気に思わず少女はその身を固くする。

少女「えっと、どちら様、でしょうか?」

書籍商「失礼。僕は書籍商という。君の力を借りに来た」

少女「わたしの?」


換気穴からわずかに入る光だけでは流石に姿がよく見えず、少女は目を凝らした。
すると、暗がりに浮かび上がる影は、枯れ木のように細く背の高い男性のものだった。

書籍商「暗いな……。管理人、何か灯りになるものは?」

管理人「灯りだって? あぁ、おぞましい。そこに蝋燭があるから、好きに使えばいいさ。悪いけど、アタシは先に外に出るよ」

書籍商「ふむ、どうも」


再び扉が開き、管理人の姿が光の向こうに見えなくなると、書籍商と名乗った男は蝋燭を手に取った。
シュッとマッチが擦れる音のあと、すぐに微かな火が書籍商の顔をぼんやりと暗がりに浮かび上がらせる。

歳は、20代半ばといったところだろうか。面長で、鼻筋がとてもくっきりしている。
そして、彼のぎょろりとしたとび色の瞳は、どことなくフクロウを思い出させた。


書籍商「やぁ、これで君の姿がよく見える」

少女「……怖がらないんですね。わたしのことを見ても」

書籍商「ふふ、人とエルフの混血……珍しいとは思うけれど、怖くはないさ」

少女「今まで会ってきた人たちは、エルフも含めて、みんなわたしのことを“おぞましい”って」

書籍商「そうかい? 僕の目の前にいるのは、ただの女の子にしか見えないよ。強いて言うなら、その尖った耳がなかなかキュートだ」

少女「……初めて言われました、そんなこと」

続けて。どうぞ


書籍商「僕も誰かの耳の形を褒めたのは生まれて初めてだよ。さぁ、立ってくれ。君は今からここを出る」

少女「出る? どうして?」

書籍商「僕が君を買ったんだ。商人として、この牢の主から」

そう言うと、書籍商はポケットから鈍く金色に光る小さな鍵を取り出してみせた。
カチャリと音がして、堅く閉ざされていた牢の扉が開く。一瞬の出来事だった。


書籍商「あぁ、そうそう。まだ君の名前を聞いていなかったっけ」

少女「……え? あ、はい」

今までの生活が噓のように、あまりに呆気なく開かれた扉。開かれた世界。
少女はしばらく目をぱちくりとさせることしか出来なかった。


少女「わたしの、名前は――」





*  *  *



――物語の始まりはいつでも唐突だ。同様に、喜びや悲しみの訪れも。
                     『ミュゼの叙事詩』第一の章、冒頭より


*  *  *



エルフは人の血を、人はエルフの血を、それぞれ「穢れたもの」として捉えている。
故に、両者の争いが終わり100年は経とうと言うのに未だ相互不干渉は貫かれている。

どちらの同胞にもなれなかった少女は、長い間孤独だった。
幼い頃に両親を亡くし、7の歳を迎えた日、エルフの村から迫害された。
13の歳、少女は街外れの教会にその身を拘束される。ある意味で、幸運だった。

疎まれたことに変わりはないが、神の下に閉じ込めるという、その村の人々の考えは少女にとって救済の手に見えた。
なぜなら陽の光を奪われた代わりに、雨露をしのぐことが出来たし、わずかな食事も与えられたからだ。


3年もの間、決して手を上げず、パンと水と少しの野菜を与え続けてくれた管理人に、少女は別れを告げると同時に感謝した。
ようやく肩の荷が降りたとばかりに、中年の女性はさっさと教会の扉を閉めてしまったが、それでも少女は頭を下げた。

書籍商「僕には理解出来ないね。自分の自由を奪い続けた相手に感謝なんて、どうかしている」

少女「いいえ。管理人さんは、慈悲深い方です。わたしにはわかります」


書籍商「どうだか。まぁでも、そんなことはどうでもいい。馬車を待たせてあるんだ。早く街へ戻ろう」

少女「はい、わかりました。主様」

書籍商「……主様?」

少女「いけませんでしたか?」

書籍商「はぁ、当然と言えば当然かもしれないけれど、君は少々、世間知らずなところがあるね。おまけに随分と卑屈だ」


少女「も、申し訳ありません」

書籍商「いや、いい。君が謝ることじゃない」

そう言って、書籍商はそのまま歩き出してしまう。少女は慌てて、その後をついていく。
自分は世間知らずだろうか、卑屈だろうか。そんなことに頭を捻りながら。



馬車、と言うからには木組みの簡素な荷馬車を想像していた。しかし実物を見て、少女は驚く。
大きさはそうでもないものの、車輪は2つではなく4つだし、おまけに屋根も窓もあるのだ。

少女「快適そうですね」

書籍商「どうだろう。かなり揺れるし、あまり快適とは思わなかったな。まぁ、運賃次第でどこにでも連れて行ってくれる利便性は評価するけれどね」

少女「そうなんですか」

書籍商「あぁ。街の外に出るなら、こいつがないと不便で仕方ない。さぁ話は終わりだ、時間が惜しい。早く乗ってくれ」

少女「あ、はい。わかりました」


ぶかぶかのローブを羽織っているせいで、少しだけ苦労したが、なんとか車上に上がる。
特徴的な耳が人目につかないよう、フードをさらに目深に被りなおして、ほっと一息。

書籍商「御者。商都ハウルブルクへ二名だ。出来るだけ特急で、日が落ちる前の到着が望ましい」

やや早口で、捲くし立てるように書籍商が喋るのを御者は黙って聞いていた。
腰のベルトに結ばれた、綺麗な銀色の懐中時計に目を落とし、時間を確認して彼は言う。

御者「えぇ、かしこまりました」


書籍商「料金は?」

御者「そうですねぇ、行きの分も合わせて銀貨16枚ほど頂きましょうか」

書籍商「ふむ、思ったより安いな」

御者「個人経営なものでね、ギルドに余分なお金を払わなくていい分安いんですよ」

書籍商「そうか。なら、これで」

書籍商は皮袋から金貨2枚と銀貨2枚を取り出すと、それを手早く渡した。
白髪交じりの温和そうな御者は、それを大事にしまってにこり微笑んだ。


御者「確かに」

書籍商「あぁ、そうだ。領収書は貰えるか?」

御者「必要とあれば、街に着いてから。多少時間は頂きますが」

書籍商「それなら後日伺うよ。今日は忙しくてね」

どうやら、書籍商はよっぽど急いでいる様子だった。先ほどから妙にそわそわしている。
少女は彼に、どうしてそんなに急ぐのかと尋ねてみようか、ちょっと迷った。


書籍商「依頼なんだ」

少女「え?」

少女のそんな様子を感じたのか、書籍商はまっすぐ少女の目を見て言った。
それとほぼ同時、御者が馬に鞭を入れたので、少女は少しよろけてしまう。

書籍商「君の力が必要だと言っただろう。古いエルフの書物を読み解くことを、客から依頼されたんだよ」

少女「だから、わたしを買った……と?」


書籍商「君なら読めると聞いた。おそらく、あの書物を理解するために血を流さない唯一の手段だろう、とも」

真剣な表情で語る書籍商の瞳に、少女は思わずドキリとなる。うなじの辺りに冷や汗が伝う。
思えば100年前、多くの犠牲者が出た争いの発端は、人がエルフの知識を無理矢理に奪おうとしたことだと聞いたからだ。

書籍商「今後、質問したいことがあれば遠慮なく尋ねるといい。逆に気を遣う」

少女「あ、はい。申し訳ありませんでした」


書籍商「それも止めだ。別に怒ってるわけじゃない、むやみやたらに謝らなくていい」

少女「も、申し訳ありません」

書籍商「……馬鹿にしてるのか?」

少女「い、いえ! そんな――」

書籍商「冗談だ」

平然とした顔でそんなことを言ってのける書籍商に、少女は軽く頬を膨らませてみせる。
無言の抗議に書籍商は軽く笑うと、もう興味を失くしたように本を取り出すのだった。



*  *  *



窓の外を流れていく、だんだんと朱に染まる景色。葉の落ちた木々、岩肌の露出した山々。
風や土、草や陽の匂いはどれも久しぶりで、いくらでも眺めていられそうだった。

御者「もう間もなく、目的地が見えてきますよ」

語りかけるような御者の声に振り返ると、なるほど何やら大きな壁が見える。
書籍商も気付いたようで、ようやく本から顔を上げた。随分疲れた様子だ。

書籍商「やっとか」


少女「日没までに間に合いましたね」

書籍商「あぁ」

体のあちこちを鳴らしながら、書籍商は大きく欠伸をした。
およそ4時間ほどだろうか。ずっと同じ姿勢でいたせいか、少女も少し疲れていた。

御者「おや?」

書籍商「どうかしたか?」

御者「あぁ、いえ。騎士団の方々が……」

書籍商「騎士団?」


怪訝そうな顔の書籍商に釣られて、御者の被る皺だらけの帽子越しに、少女も前方を見やる。
するとそこには確かに、4~5名ほどの軽鎧に身を包んだ騎士たちがこちらに手を振っていた。

御者「何か事件ですかね?」

書籍商「さぁ」

徐々に馬車が速度を落としていく。騎士たちが、ここで止まるように身振り手振りで訴えていた。
書籍商がそっと少女に近寄り、しばらく俯いているよう小声で耳打ちした。静かに頷く少女。


馬車が完全に静止すると、一人の騎士が近づいてきた。背中に背負う盾を見る限り、下級歩兵らしい。
その威圧感に、車内がにわかに緊張していくのが伝わってきた。少女はごくりと唾を飲み込む。

御者「何かありましたか?」

騎士「いや、そうではない。教会への寄付を募っているのだ」

御者「寄付?」

騎士「そうだ。王都ローゼンハイツの礼拝堂が修繕されることは知っているな」

御者「えぇ、昨日新聞で」


騎士「その関係で商人たちにはこうして寄付を求めているのだ」

御者「なるほど。それで、相場はおいくらくらいでしょうか?」

騎士「なに、特に規定はないが、皆およそ銀貨2枚くらいを収めてくれる」

騎士が手袋をしていない方の掌を見せ、こちらに突き出してきた。
寄付と言えば聞こえはいいが、要は徴収だ。断る選択肢など初めからない。

御者「銀貨2枚、ですか……」

騎士「不服か?」

御者「い、いえ。滅相もありません。少々お待ちを――」



書籍商「その必要はない」


御者「え?」

騎士「あぁ――ごほん、なんだと? 聞き取れなかったが」

書籍商「その必要はない、と言った。無駄な時間を取らせないでもらいたい」

ところが。今まで黙っていた書籍商が、よく通る声できっぱりと言った。
眉一つ動かさない、非常に冷静な態度で。


騎士「貴様、教会の騎士を愚弄するとどうなるかわかっているのか?」

書籍商「その言葉はそっくりそのまま君たちに返すよ」

騎士「な、何?」

書籍商「君、学生だろう? 早く帰って勉強をした方がいい」

騎士「無礼な! 私は正真正銘、神に忠誠を誓う騎士である! 何を以ってそんなデタラメを――」

書籍商「手だよ。手にあるタコが騎士のものではない。槍や剣の重量はかなりあるから、日々それを使って訓練していれば、自然と指の付け根にはいくつかのマメが出来るはずだ。だが、君にはそれがない。反対に、騎士には頻繁に文字を書く習慣がない。だから君のように、中指の側面にタコが出来ることはありえないんだ」


騎士「……ぐっ!」

書籍商「それと、もし騎士を装うなら頬に傷の一つや二つでも作るべきだった。それなりに鍛えてはいるようだが、注意深く観察すればすぐにわかることだ。君はおそらく、喧嘩すらしたことがないだろう、ってね」

そう言うなり、書籍商は思い切り窓から右の拳を突き出す。ちょうど、騎士の顔面目掛けて。
殴られる、と錯覚した騎士は咄嗟に身を引いたせいでバランスを崩し、そのまま後ろに倒れてしまった。

書籍商「もしも君たちが本当に教会の騎士であると言うなら、証紙を見せてもらおう。寄付を募るよう司祭に命じられた際の証紙があるはずだろう?」


騎士「……お、お前、一体何なんだよ!?」

書籍商「僕は書籍商。このまま大人しく道を空けるなら、今回の君たちの詐欺行為は水に流すよ」

騎士「く……っ!」

書籍商「言っておくけれど、複数人いるからと言って力づくでかかろうとは思わないことだ。彼女、僕の用心棒は相当強い。明日から無事に学校へ通えるとは思わないほうがいい」

突然指を指され、少女は思わず戸惑ってしまう。用心棒として雇われた覚えなどまるでないからだ。
その後も、少女が以前10人の男を返り討ちにしただとか、書籍商は自信満々に噓を並べていく。


騎士の格好をした男性たちは、書籍商の真っ赤な噓に顔を真っ青にしていく。哀れだ。
しかし、最も哀れだったのは知らぬ間に化物のような扱いになって、内心涙目の少女だった。

書籍商「これに懲りたら、真面目に勉学に励むことだ」

騎士「はい! すみませんでした!!」

書籍商「よろしい。それでは、またいつか」

騎士「はい! すみませんでした!!」

苦笑いを浮かべた御者が馬に鞭を入れると、ゆっくり馬車は動き出す。
騎士たちの姿が小さくなっていくのを横目に、書籍商はへなへなと座り込んだ。


書籍商「はぁ、とても疲れたよ。最悪の気分だ」

少女「主様、さっきのはあんまりです! もしあれでわたしが戦うことになっていたら、どうするんですか!」

書籍商「あぁ、そのときはすぐに街に戻って人を呼んでくるから、安心していい」

少女「そんなの間に合いませんよ! だいたいさっきの噓、なんですかあれ! あんなの――」

書籍商「はいはい、その通りだ。君の言うことは正しい。えぇと、ところで御者、門の通行税はいくらだったかな?」


御者「お一人につき銅貨1枚です」

書籍商「なるほど。なら銅貨3枚か……細かいのがあったかな」

御者「いえ、私は数えませんので銅貨2枚で足りますよ」

書籍商「あぁ、そうか。それじゃあ先に渡しておこう」

御者「えぇ、確かに。受け取りました」

少女「ちょっと主様、聞いてます?」

書籍商「もちろん聞いていたさ。噓はいけない、という話だろう?」

ぎゃいぎゃいと騒ぐ車内を微笑ましそうに見ていた御者が、そっと帽子を撫でる。
日も大分傾いてきた。長くなった影が楽しそうに、ゆっくりと街へ伸びていた。




*  *  *



商都ハウルブルク。この国において二番目に人口の多い、非常に大きな街だ。
何代か前の国王が城を構えていた名残として、街全体をぐるりと高い壁が囲んでいるのが特徴である。

元々はその国王が城下町に経済特区を設けたことが、商都とまで呼ばれる街のはじまりと言われている。
北には鉱山、南には豊かな土地。街の中心を西から東へ流れる河は王都、そして海へ繋がる。

          『東ノーランド国放浪紀』商都ハウルブルクの項より、一部抜粋



*  *  *



少女「ん……」

鼻膣をくすぐる香ばしい匂い。なんだろう、と鼻をひくつかせて少女は自分が今まで眠っていたことに気付く。
机に突っ伏したまま寝てしまったため、体中が痛い。少しぼんやりする頭で辺りを見渡した。

あちこちに本が積まれ、紙が散乱している。だんだん意識がはっきりとしてきた。
ここは、書籍商の店だ。地下牢ではない。何と言っても、朝日が差し込んでいる!

少女「明るい……?」


書籍商「起きたか」

少女「ひぇぁ!?」

書籍商「なっ!?」

突然声を掛けられたものだから、あまりの驚きに一瞬椅子から浮き上がってしまった。
それと同時に、少女が大袈裟に驚いたことで書籍商も大分びっくりしたようだ。

少女「び、びっくりさせないでください」

書籍商「それは間違いなく、ぼ、僕のセリフだと思うけどね」


少女「……申し訳ありませんでした」

書籍商「あぁ、いや。謝ることじゃない。心臓が口から飛び出すかと思った」

少女「えぇ!?」

書籍商「慣用句だ。何を本気で驚いている」

少女「そ、そうですよね。あはは……」



昨日はあれから、街に入ってからすぐにここ、書籍商の自宅兼店へと案内された。
大通りからは少し離れた路地裏にあるので、賑やかな街の中では比較的静かなのだと言う。事実、そのようだった。

日が完全に暮れるまでは、ほとんど“作業”に追われ休むことも出来なかったので、こうして眠りこけてしまったのだろう。
作業の内容はといえば、彼が書き出した単語の意味を教えたり、逆に人の言葉へ言い換えるために言葉を教わったり。

疲れていたこともあり骨は折れたが、久々に心から楽しいと思える時間であったことは間違いない。
また、眠気を覚えてからはお互いのことをぽつりぽつりと話したのだが、それもまたとても楽しかった。


書籍商「朝食を用意したから、食べるといい」

少女「えっ?」

書籍商「どうした?」

少女「あ、いえ! すみません、わざわざ――」

書籍商「そういうときは、ありがとうでいい」

少女「う。……はい、ありがとうございます」

書籍商「それと、昨日はろくに夕食も用意せず、すまなかった」


少女「いえそんな! 主様が謝ることではないです!」

立ち上がった拍子に、少女の肩にかけられていた毛布がぱさりと床の上に落ちた。
書籍商がそっとそれを拾い上げる。それとほぼ同時、少女の胃がぐぅと空腹を訴えた。

少女「す、すみません」

書籍商「せっかくの焼きたてのパンと暖かいスープだ。冷めないうちに」

少女「はい、いただきます!」

頬が熱くなるのを感じながら、少女は黙って頷く。恥ずかしいやら嬉しいやら何やらで、油断すると涙が溢れそうだ。
小さく欠伸をしたふりをして目元を拭い、もう一度椅子に座る。芳醇な小麦粉の焼けた匂いに、ごくりと喉を鳴らして。


少女「おいしい……!!」

書籍商「それは良かった」

少女「スープも、塩味が効いてて、野菜もトロトロで――」

書籍商「ちょっといいかな。食べながらでいいから、少し聞いて欲しい」

少女「は、はい! なんでしょう!?」

書籍商「昨日の作業の進捗を見て感じた。おそらく君がいれば、書物の解読はおよそ八割近く出来るだろうってね」


そう言って書籍商は、古びた厚い本の表紙をそっと撫でた。
その優しい表情はどことなく、子供を撫でる母のようでもあった。

少女「八割……完全には出来ないということですか?」

書籍商「歴史的な問題があってね。そもそもこの本は100年前の、人と森の大戦争の際に略奪されたものだ。だから、人の手によって地形を変えられてしまった場所のことや、当時から今に伝えられていないあるいは遺されていないものに関しての記述もあるんだよ」

少女「なら、どうするんです?」

書籍商「それを、今日は尋ねに行こうと思うんだ。依頼主の下へ。もしも残りの二割を解読しようと思うなら、僕よりも歴史学者の方が適任だからね」


少女「わたしは……どうしたらいいですか?」

書籍商「個人的には、君も一緒に来てもらいたい。だけれど、この街は人の数も種類も相当だ。人とエルフの混血だなんて、例えば教会関係者に正体が見つかれば投獄は免れないし、最悪の場合処刑もありえるだろう。おまけに、ここは商人の街でもある。欲深い人間に捕まれば、どこかに売り飛ばされることもあるかもしれない」

少女「う、ある程度覚悟はしてましたけど」

書籍商「おや、一応そうした可能性を考えていなかったわけではないのか。安心したよ」

少女「当たり前です……」


書籍商「そうか。いや、君に危機感があるならそれでいい。あまりに世間知らずだと、君の身柄を預かる僕のリスクも色々と高くなるからね」

少女「……わたしが、周りの人たちからどういう風に見られるか、それはわかってます」

書籍商「すまない。少し無神経な言葉だったようだ。でも、これだけは覚えておいて欲しい」

少女「はい?」

書籍商「僕のことをあまり信じすぎないことだ。君はあまりに、僕相手に心を許しすぎている。まだ出会って二日も経たないのに、君は僕の前で眠り、今も僕の与えた食事を何の躊躇もなく口にした。もっと警戒心を持った方がいい」


少女「えっと……」

書籍商「話が逸れたね。君はこのあと僕と一緒に来てもいいし、この家でじっと過ごしてもいい。よく考えて結論を――」

少女「じゃあ、主様についていきます」

書籍商「一応聞くが、君は僕の話を理解したか?」

少女「はい。つまり、主様はわたしのことを心配してくださったんですよね?」


書籍商「……はぁ。まぁ、そうとも言うけれど。自分を閉じ込めて、勝手に売り払う人間に頭を下げたり、自分を勝手に金で買った相手に心を許したり、僕は君のそういう無垢で無知で無防備なところが単純にいけ好かないよ」

少女「そうですか。でもわたし、周りがわたしをどう見るのも勝手ですけど、わたしが周りをどう見るかも勝手だと思ってますから。少なくとも、主様や管理人さんを嫌いになることはありません。誰かに強制されることも、ありませんよね?」

書籍商「なるほど、頭が痛くなってきた。君はよほどの馬鹿か、あるいはとてつもない大物だということはわかったよ。それも、きちんと考えた上でそんな馬鹿げた結論を出しているんだとしたら、呆れを通り越して賞賛の拍手でも送りたくなるところだ」

少女「拍手されるようなこと、わたし言いました?」

書籍商「まぁいい、それじゃあ1時間後にここを出るから、早く食べて仕度をするように」

少女「はい、わかりました!」






*  *  *



書籍商の持つローブはどれも少女にはやや大きく、隠すという観点で考えるなら逆に都合が良かった。袖が長いのだけは捲るしかなかったが。
幸い、季節は冬。通りを行く娘たちも寒さ対策に分厚いローブを羽織っていたし、フードを被っている者もいたおかげで、少女が変に目立つこともなかった。

少女「依頼主って、どんな方なんですか?」

書籍商「商人上がりの貴族さ。僕の店がある第三区画の出身でね、顔なじみとでも言うのかな。この辺りじゃ割と有名な人物だよ」


大勢の人が行き交う大通りを、慣れた様子で歩いていく書籍商。
少女は、はぐれないようになんとかその背中について歩く。

少女「へぇ。貴族ってことは、偉い人なんですね」

書籍商「どうだろう、それなりかな。所詮は成金貴族だから、教会と深い繋がりがあるわけでもないし、せいぜいが金ヅルくらいにしか思われていないだろうね」

少女「そこまで言いますか」

書籍商「事実だ。それでも、特権階級に憧れる市民は少なくない」


書籍商「そうか、君の美的センスは彼と同じということか」

少女「すみません。わたしも、主様と同感です」

なんといっても、装飾がやたらとゴテゴテしているのが珠に致命傷を与えている。
玄関扉の、無意味に大きい獅子の頭を象った飾りはノッカーだろうか。

書籍商がそれに手を伸ばそうとした、次の瞬間、扉が勝手に開かれた。
現れたのは、少女と同じくらい小柄な、けれど凛とした佇まいの女性だった。

???「貴様、何者だ。この家に何か用か」

なんか飛んでね?

>>51
うお、すみません
訂正します


少女「主様は? どうですか?」

書籍商「どうでもいい。この一言に尽きる。さぁ、着いた」

突然止まるものだから、うっかり少女は書籍商にぶつかってしまった。
鼻をさすり、フードがずれていないか気にしながら横を見る。

書籍商「いかにも金を持っていそうな、趣味の悪い家だろう」

少女「お、お洒落な建物だと思いますよ」


書籍商「そうか、君の美的センスは彼と同じということか」

少女「すみません。わたしも、主様と同感です」

なんといっても、装飾がやたらとゴテゴテしているのが珠に致命傷を与えている。
玄関扉の、無意味に大きい獅子の頭を象った飾りはノッカーだろうか。

書籍商がそれに手を伸ばそうとした、次の瞬間、扉が勝手に開かれた。
現れたのは、少女と同じくらい小柄な、けれど凛とした佇まいの女性だった。

???「貴様、何者だ。この家に何か用か」


教会の紋章が描かれた胸当て、腕や脚を覆う装甲。どうやら彼女は騎士であるようだった。
鮮やかな金色の髪は、ばっさりと切られているが気品を感じさせる。鋭い目と相まって高貴な猫を連想させた。

少女「あの、この方は本物の騎士ですか?」

書籍商「間違いなくそうだろう。というか、昨日のようなことが稀なだけだ」

???「どうした、何をこそこそしている」


書籍商「失礼、僕は書籍商と申します。それより、騎士様の方こそ何の御用でしょう」

女騎士「私は教団騎士第6師団長、女騎士である。この家の主人が一昨日から帰らないと言うので、話を聞きに来たのだ」

書籍商「え?」

女騎士「さぁ今度は私の質問に答えろ。貴様は何の用だ? どうしてここに?」

書籍商「その主人とは商談があって来たんですが、無駄足だったようですね」


女騎士「約束はしていたのか?」

書籍商「いえ。ただ、基本休日であればこちらにいると窺ったもので」

女騎士「そうか。今話を聞いたが、夫人も同じようなことを言っていたな。それから、丸一日帰ってこないことなど今までなかった、とも」

書籍商「…………」

少女「な、何かあったんでしょうか?」

急に黙り込んでしまった書籍商の代わりに、少女が口を開いた。
そして、すぐに後悔する。当然のように女騎士が注意を少女に向けたからである。


女騎士「それを今、調査しているところだ。ところで貴様は何者なのだ?」

少女「わ、わ、わたしですか」

女騎士「その灰色の髪を見る限りこの辺りの者ではあるまい。北の生まれか」

少女「え。えーっと……」

助けてください、と目で書籍商に訴えるが、どうにも少女の方を見てくれる様子がない。
それどころか何やら考え事をしているようで、二人のやり取りすら聞いていないようだ。


少女「あのですね、わたしは――」

もうなるようになれ、といった感じで適当に噓を並べようとした少女の視界の端。
息を切らして走ってくる若い男の騎士が見えた。女騎士もそれに気付いて、振り向く。

部下「はぁ、はぁ、大変っすよ。女騎士様」

女騎士「何事だ」

部下「はぁ、さっき、駐屯所に連絡があって、はぁ」

女騎士「落ち着いて話せ」

部下「はぁ、すんません。えっと、ここの主人が遺体で発見されたって」


女騎士「なんだと!?」

書籍商「事故ですか? 殺人ですか?」

今まで全く会話に入ってこないと思いきや、突然口を開く書籍商。
元よりぎょろりとした瞳が、さらに見開かれ、少し不気味ですらある。

部下「いえ、それがどうやら毒を飲んでの自殺じゃないかと……って、あんた誰っすか」

書籍商「自殺?」

部下「自殺、と断定するにはやや不可解な点は多いんすけどね」

×不可解な点は多いんすけどね
○不可解な点も多いんすけどね


女騎士「そこまでだ。気になるのはわかるが、ここから先は我々騎士団の仕事である。商人は大人しく家に戻って金勘定をしているといい」

部下「夫人には自分が上手いこと伝えておくっす。女騎士様は現場へ向かうっすよ。これが発見現場で、西門に迎えの人員と馬車を待たせてあるっす」

大分息も整って、落ち着きを取り戻した様子の若い騎士は、女騎士に小さなメモを渡す。
書籍商はというと、そのやり取りを黙ってじっと観察しているようだった。

部下「それでは――」

書籍商「待った。その現場、僕も連れて行ってください」


女騎士「却下に決まってるだろう。一般市民の出る幕ではない」

書籍商「いえ、これは市民としての希望ではなく、商人としての提案ですよ。女騎士様」

女騎士「どういう意味だ?」

書籍商「僕の仕事は本を売ったり貸したりするだけではありません。それは本質ではない。僕の仕事の本質は、先人たちが積み上げてきた“知識”を必要とする者に貸し与えることです。その“不可解な点”というものの解明に、少なからず役立てると自負していますが、いかがでしょうか」

女騎士「ふん、何を戯言を。適当なことを言ってごまかしても無駄だ。おい、私は先に事件現場に向かっている。お前もすぐに来い」

部下「了解っす」


そう言うと、女騎士はくるりと踵を返して歩き去ってしまう。まるでこちらの言うことに耳を貸してくれる気はないようだ。
ぽつんと取り残されて手持ち無沙汰になってしまった書籍商と少女に、若い騎士が申し訳無さそうに声をかける。

部下「ちょっと真面目過ぎるだけで、普段はいい人なんすよ。怒ると怖いんすけど」

書籍商「それで? 不可解な点というのは何だ?」

部下「ちょ、顔近いっす」

書籍商「自殺と断定出来ない何か……あるいは自殺と処理せざるを得ない何か。あるいはそのどちらもか」


部下「い、言えるわけないじゃないっすか。っていうか、顔怖いっすよ」

少女「あの、わたしからもお願いします。教えて頂けませんか?」

部下「う。か、可愛い……いやいや駄目っす。自分は神に忠誠を誓った騎士で――」

書籍商「少女、彼の袖を引っ張って頼み込んでみるといい」

少女「お、お願いします! 騎士様」


部下「遺書が見つからないんすよ」

書籍商「それだけか?」

部下「はっ! しまったっす! あぁ、もう言わないっすよ」

書籍商「今度はもっと上目遣いで頼んでみることだ」

少女「えぇ!? お、お願いします騎士様ぁ」

部下「もー仕方ないっすね! 第一発見者によれば、現場は遺体発見時、密室だったんすよ!」


書籍商「密室?」

部下「これで本当にお終いっす! もう、早くどっか行くっすよ……」

書籍商「密室か……」

少女「何をさせるんですか……」

部下は疲れた様子で、書籍商は考え込むように、そして少女は顔を真っ赤にして、それぞれ三者三様に黙り込む。
通りを駆けていく子供たちの笑い声が、こちらを笑っているような気がして、少女はさらに身を小さくした。


キリがいいので今日はここで終わります
書き溜めながらなので遅めですが
また明日、夜にでも投下しますね

>>7,23,51,58,61
読んで頂き感謝です
今後ともよろしくお願いします

おつ~




*  *  *



商都ハウルブルクの西には様々な村が点在している。とはいえ、下流である東側と比べるとその規模は小さい。
また、教会の影響力もあまり大きくないため、未だに異教徒たちの祭りが行われるような村も多いと聞く。

見渡す限りに拡がる広大な麦畑や、河の水流を利用した水車小屋など、のんびりとした風景が多く見られる。
行商人の荷馬車が行き交う大きな道には寄宿舎や酒場も点々と並び、険しい山道へ向かう、あるいは山道から戻る人々の憩いの場ともなっているようだ。


               『東ノーランド国放浪紀』商都ハウルブルクの項より、一部抜粋



*  *  *


 


女騎士「それで? どうしてこいつらがここにいるんだ?」

部下「そ、そんな目で見ないで欲しいっす」

少女「すみません、無理言って連れてきてもらってしまって」

部下「あ、いやー、少女さんが謝ることではないっすよ」

女騎士「なるほど、およそ事情は理解した。貴様、よほど減給されたいらしいな」

部下「なんでそうなるっすか!?」


少女「本当にすみません、騎士様」

部下「いやだから自分は部下という名前で――」

書籍商「女性二人に囲まれて、羨ましい限りですね。全く代わりたいとは思いませんが」

部下「一体誰のせいでこんな目に合ってると思ってるんすか!?」

女騎士「それで? 貴様が我々に提供してくれる“知識”とやらで、何かわかったのか?」

書籍商「えぇ、まぁ。いくつかのことは。でも、実際に現場を見せてもらえば、もっと多くのことがわかると思います」


亡くなっていた依頼人、改めレブナー公。書籍商たちは遺体が発見されたという、彼の別荘を訪れていた。
夫の訃報を聞いた夫人は泣き崩れ、非常に取り乱した様子だったので、駐屯所にてひとまず身柄を預かるとのことだ。

女騎士「その自信はいったいどこから湧いて出るのかわからないが……、働き次第では今後の捜査への協力を許可する、というのが騎士団の方針だ」

書籍商「どういう心変わりですか? まぁいいです。賢明な判断に感謝しますよ」

女騎士「勘違いするな。貴様らはまだ、何も結果を出していない。もしも私が見張っている間に、有益な情報を発見、提供出来なかった場合には実力行使でもって、この事件からは手を引いてもらう。いいな?」

書籍商「仰せのままに」


行商路からはやや外れた場所に、隠れ家のようにひっそりと佇む、レブナー公の別荘。
茨で作られた簡易塀に囲まれた敷地内は思ったより広くなく、門を抜けてすぐに建物の扉が見えた。

話によれば、どうやらここはゲストハウスのような使われ方をしていたようで、平日の朝から夕方のほとんどをレブナー公はここで過ごしていたらしい。
主に貴族同士の交流の場所として使われていたせいか、本邸よりも煌びやかで豪華絢爛な雰囲気が入り口から既に漂っている。

部下「さぁ、中に入るっすよ」

こちらの様子を窺っていたらしい部下が、書籍商たちに声をかけて先導する。
見た目には重厚な扉だが、よく手入れされているのか、すんなりと開いた。


少女「思ったより、広いですね」

室内は、こじんまりとした建物の印象を裏切り、開放的な空間となっていた。
天井が高く、南側には大きなはめ殺しの窓があるおかげで、かなり明るく過ごしやすい。

窓ガラスはおよそ少女の両腕分くらいの大きさで、これだけ大きいと強度が心配になる。
しかし割れた様子もなく、よく見れば中にきちんと針金が入っており杞憂だったようだ。

部下「でも実際は、この応接間と奥にある簡素な厨房、トイレのみと必要最低限の大きさしかないっす」

女騎士「その分、装飾品に金をかけたのだろう。事実家具やら何やらは、かなり質がいい」


少女「本当にお金持ちだったんですね」

見れば、確かに造りのしっかりとした椅子や、革張りのソファーなど、高そうな家具が目についた。どれも一級品のようだ。
現場はよく保存されているようで、レブナー公がもがき苦しんだ拍子に散乱したと思われる細かい飾り物もそのままになっていた。

女騎士「この時計は骨董品だな。かなり価値のあるものだと見た」

少女「わかるんですか?」

部下「女騎士様は正真正銘、貴族出身の方っすからね」

女騎士「余計なことは言わなくていい」


少女「あれ? このタペストリー、何だか懐かしいような」

目についたのは、壁掛け式の時計の隣。幾何学模様ともまた違う、不思議な模様が刺繍された織物だった。
どこで見たのかまるで思い出せない。頭の片隅でずくずくと記憶が蠢いているような気がした。

女騎士「民族工芸品、か。見たところ特別高級なもののようには思えないが」

部下「もしかしたら北の村々の土産物とかかもしれないっすね」

少女「え? あ、あぁ、そうですね! わたし、北の村の生まれなので!」

女騎士「故郷が恋しいか?」

少女「……いえ、あまりいい思い出はありませんから」


不意に、神の森の奥深く、樹齢千年とも言われる大樹の下にあったエルフの村を思い出す。
廃棄物を見るような眼差し、止むことのない罵倒、投げつけられた石。それらが少女のまぶたの奥に蘇った。

綺麗な銀髪をした純血のエルフからすれば、人間の血が混ざり濁った灰色の髪を持つ少女は、それだけ穢れた存在だったのだ。
エルフにはなれず、かといってヒトにもなれず。村の隅でひっそりと遊んでいた幼い自分の姿が、部屋の隅に蹲っている気がした。

女騎士「すまない、余計なことを聞いたようだ」

少女「いえ、気にしないでください」

部下「少女さん……影のあるところも素敵っす」


書籍商「ところで、遺体はどちらに?」

部下「あ、それ聞いちゃうっすか。ここっす。ここで、うつ伏せになって倒れていたっすよ」

部下が示したのは部屋の一角、先ほどの話から察するにおそらくトイレに繋がる扉の前。
そして、羊毛で出来た割と厚手の絨毯の上に部下はそっと寝転んでみせた。

部下「ちょうど、こんな感じっす」

書籍商「なるほど」

部下「遺体には目立った外傷もなく、泡を吹いて倒れていたことから、現場に到着した騎士が“毒による死亡”と判断したみたいっすね」


女騎士「ふふん、どうだ? 何かわかったか?」

そう言う女騎士の声にはなんとなく、何もわかるわけないだろう、という挑発じみた響きがあった。
書籍商もそのことに気付いたようで、少しむすっとした顔を作ってみせる。

書籍商「いえ、もう少しだけ確認したいことが。先ほど窺った不可解な点についてです」

部下「騎士団全体の見方では、この事件は自殺っす。ただし、そう考えた際いくつか気になることが出てくるのも事実っすよ」

少女「気になること?」


部下「まず一つ目。先ほども話したように、遺書が見つからなかった点っす。そのため動機が不明っていうのはあるっすね。実際に聞き込みをしても、被害者が自殺を図る理由に心当たりはないそうっすよ」

そう言って部下は、人差し指をピンと立てて見せた。割と喋ることは好きなようで、動作がいちいち手馴れている。
少女が少し関心した様子で彼の言動に注目していると、部下はちょっと照れた様子で鼻の頭を掻いた。

部下「ふ、二つ目は、消えた毒ビンの謎っす。正確に言えば、レブナー公はどうやって毒を飲んだのかということっすね。というのも、押収した食器類等この家のどこからも、毒薬を飲んだ痕跡は見当たらなかったからっす。誰かが持ち去ったのではないか、ってことっす」


書籍商「つまり、毒を飲む際に使ったグラスも、毒が入っていた容器も見つかっていないということか。誰かが持ち去ったのか、あるいは液状の毒物ではなかった可能性もある」

部下「粉末、粒状、ぱっと思いつくのはそんなところっすかね」

書籍商「ふむ。しかし、妙ですね。もし仮に殺人だとしても何故、毒を飲んだ痕跡を消す必要があったのか……遺体が見つかれば毒が用いられたことは一目瞭然だろうに。あえて犯人が痕跡を消したのか、それとも痕跡が残らないような方法で毒を飲ませたのか。気になりますね」

女騎士「その点に関して言えば、騎士団での見解はこうだ。毒は粒状のものを必要な分のみポケットに入れるなどして裸で持ち込み、被害者が全て飲んでしまったのだろう、と。そうすれば毒物反応の見られる容器、が見つからないことに一応の説明はつく。まぁ最も、私個人としてもやや強引な考え方だと思うがな」

少女「うぅ、わかりません……。結局、レブナー公は自殺なんでしょうか? 殺されたんでしょうか?」

書籍商「こうして疑問の余地があるにも関わらず、騎士団がこの事件を自殺の可能性が高いと見ているのは、それらの不審な点を全てを帳消しにするような“自殺だと判断せざるを得ないこと”が現場に残されていた、ということだ。そしてそれが、問題の“密室の謎”だということでしょう?」

 


また明日、夜に投下します
ゆっくりですがお付き合いください


>>71-76
コメントありがとうございます
期待とか支援の二文字がこんなに嬉しいとは思いませんでした

待ってる


部下「その通りっすよ。この家の出入り口は玄関の扉一つのみ、そしてその鍵は、被害者が握り締めていたっす。第一発見者の証言通りなら、窓や扉に破壊された痕跡もないし、現場は密室だったと言っていいっすね」

書籍商「針金の類で開けた痕跡は? 僕には元盗賊の知り合いがいるけれど、彼の手腕は実に見事と言っていい。一度見た限りだが、こういう鍵穴は針金なんかを駆使して開けられるものもあるだろう?」

部下「いいえ、それは不可能っす。この鍵は少々複雑な造りの特注品で、そういう小手先の技術じゃ開けられない代物っすよ。おまけに鍵の複製も困難ときてるっす」

書籍商「ふむ。そう簡単な答えではない、か」

不敵な笑みを浮かべて、辺りを見回す書籍商の横顔は獲物を探す狩人のようでもある。
説明を受けながら、わからないなりに少女も頭を巡らせていると、あることに気付いた。


少女「……あれ? 待ってください。確か遺体の第一発見者って、この部屋に入ることが出来たんですよね? だったら、その人が犯人なんじゃないですか?」

それはとても冴えた閃きのように感じた。つまり、これは自殺ではなく殺人事件なのではないか、という閃きだ。
そう仮定すると、遺書がないことも、毒を飲んだ痕跡がないことも、そして現場が密室であったことも全て説明がつく。

少女「あれ? 皆さん、どうしてそんな渋い顔されてるんです?」

部下「えっと、それはもう当然の指摘っすよね。自分もそう思うっす」

少女「だったら――」


書籍商「逆だよ。少し考えたらわかることだ。しかし、それでも騎士団が“自殺”という風に結論付けたことを思えば、そう判断せざるを得なかった点が他に何かあるということくらい、想像は難しくないだろう」

少女「……う。でも、そんなこと説明されなかったじゃないですか」

書籍商「説明されなければわからない、などと言うのはただの甘えだ。勝手に君が結論を急いだだけだろう」

少女「うぅ、返す言葉もありません」

書籍商「話の腰を折ってすまなかった。先を続けてくれ」


部下「えっと、でも少女さんの言うことはもっともっす。騎士団も初めは、第一発見者の使用人を疑ったっすよ」

女騎士「というか、まだ彼は疑われてはいる。しかし、彼には犯行は難しかっただろう、というのが現在の我々の結論だ。現在調査中の部分もあるがな」

書籍商「というと?」

部下「問題はこの部屋の鍵っすよ。鍵を持っているのはレブナー夫妻のみで、使用人は発見前に夫人から鍵を借りて、この家の扉を開けたって言っているっす。実際に夫人も平日は本邸の方でスペアの鍵を管理していると言ってたし、間違いないっすね」

書籍商「それだけではないでしょう? それだとまだ、使用人が被害者の持っていた鍵を使った可能性を否定出来ない」


少女「どういうことですか?」

書籍商「つまり、使用人がレブナー公を殺し、彼の鍵を奪ったと考えればいい。その鍵で施錠した後、第一発見者として開錠、あとは遺体に鍵を握らせばいい。スペアの鍵が使えなくても、こうすれば密室は作れるはずだ」

女騎士「……なるほど、そんな手が」

書籍商「まさか、考え付かなかったんですか? こんなに初歩的なトリックなのに?」

女騎士「う、うるさい黙れ! そもそも使用人には犯行は不可能だったのだ!」


部下「すいません、説明の順番が逆だったっすね。使用人にはアリバイがあるってことを、最初に言えば良かったっす」

女騎士「まったくだ!」

書籍商「アリバイ……ですか」

少女「あの、アリバイって?」

部下「えっと、つまりわかりやすく言うなら、犯行の際に現場にいなかったとか、その人に犯行が不可能なことの証明っすよ。今回で言うなら、使用人はレブナー公が本邸を出た一昨日の朝から、今日の朝まで本邸にて夫人と行動を共にしていたという証言が互いのアリバイになってるっす」

書籍商「なるほど、泊まり込みの使用人というわけですか」


両方の掌を合わせて、それをすっと高い鼻に押し付けるような仕草。
書籍商はどうやら考え込むときにはこのポーズを取る癖があるようだった。

書籍商「そうすると、わからないですね。そもそも、何故使用人はこの家を訪れたのでしょう?」

部下「どうも使用人は、休日にはこの屋敷を掃除することをレブナー公から言いつけられていたそうっすね。帰ってくる気配のない主人を心配する夫人を置いて出かけるのは、心苦しかったと証言してるっす」


書籍商「捜索届けが出されたのは、今日のことでしたっけ?」

女騎士「いや、提出日自体は手紙の形で昨日提出されている。が、時間も時間だったために今朝レブナー公の本邸へ向かった、という経緯だ」

書籍商「妙にタイミングがいいような気もするんですよね、今朝のことといい、その捜索届けのことといい」

女騎士「穿った見方をすれば、そう考えることも出来るかもな」

少女「わたし、頭が混乱してきました……情報量が多すぎて、爆発しそう」

亜美真美はおませだなぁ

やっべフィギュア見てたら誤爆りました
すみません 続き貼ります


女騎士「さて、書籍商よ。そろそろいいだろう、こちらが現在持っている情報はおよそ公開した。素直に何も分からなかったと謝れば、今回は見逃してやろう」

書籍商「残念ですが、ご期待には添えないようです。僕は、この事件は殺人事件だと思いますよ」

女騎士「……ほう。その根拠は?」

自信たっぷりに言う書籍商に対して、どこか鑑定するような眼差しで応える女騎士。
少女は睨み合うような格好になる二人の間でおろおろと視線を彷徨わせた。

書籍商「まず、遺体の位置です。部下くん、悪いけどもう一度遺体の状況を再現して欲しい」

部下「なんで自分が――」


少女「お願いします、騎士様」

部下「任せるっすよ!」

歯茎が見えるくらいに、にかっと口角を吊り上げて笑う部下を見て、少女は少しの罪悪感を覚える。
こんなに扱われやすくて、騎士として大丈夫なのだろうか、とつい余計な心配をしてしまう。

部下「こんな感じでいいっすか」

書籍商「ありがとう。この荒れた現場からもわかるように、レブナー公は自ら飲んだ毒で苦しみもがいた結果、そういう状況になった。そうだね?」

部下「その通りっす」


書籍商「それが妙だ。よく考えてください。なぜ、自殺したレブナー公はこれだけもがき苦しまなければならなかったのか」

女騎士「何を言っている。毒を飲めば苦しいに決まっているだろう」

書籍商「いいえ。僕が言いたいのは、そもそもの話です。なぜレブナー公はもっと楽に死のうとしなかったのか、ということですよ」

女騎士「それは、たまたま手に入る毒物がそういった類のものしかなくて――」

書籍商「亜ヒ酸というものをご存知ですか?」

女騎士「亜ヒ酸?」


書籍商「えぇ。僕たちにとって身近な毒の一種です。致死量の亜ヒ酸は急性中毒を引き起こし、あっという間に飲んだ者を死に至らしめます」

女騎士「それがどうした?」

書籍商「もし仮に自殺をするなら、なるべく苦しまずに死ぬ手段を考えるのではないかと考えただけですよ」

女騎士「むぅ。しかし、それだけでは殺人であると判断する材料としては弱いと思うが」

書籍商「もちろん。もう一つ、根拠はありますよ。先ほどの説明によれば――」

そう言って書籍商はつかつかと歩き、うつ伏せになっている部下の背中を跨いだ。
そして彼のちょうど目の前の扉を開く。中は案の定、用を足すための場所だった。

書籍商「やっぱり。……遺体は、このようにトイレに通じる扉の前で倒れこんでいました。何故だと思いますか」

女騎士「そんなの、たまたまだろう」


書籍商「そうでしょうか。およその結果には、必ずと言っていいほど原因があります。例えばこの場合、このようには考えられませんか。レブナー公は毒物を吐き出そうとしていた、と」

女騎士「こじつけだ。どうとでも言える」

書籍商「こじつけ、などと決め付けてしまうのはただの思考停止に過ぎませんよ。例えば、そこの机の足元を見てください」

書籍商が指し示したのは、机の脚から真っ直ぐに伸びる、絨毯にうっすらと残った跡。
その長さからしてそう大した距離ではないものの、机が動かされた跡にも見える。

書籍商「そして、そこの椅子の足元にも、同じように絨毯の皺がありますね。今から、この跡がついたときの様子を簡単に再現してみましょう」


言うや否や、書籍商はいきなり目を見開き、両手で喉を押さえた。震える手を、虚空に伸ばし、よろめく。
おぼつかない足取りで、それでも真っ直ぐにトイレの扉を目指す。ゆっくりとした動作で、椅子や机を押しのけるフリをしながら。

少女「あ! その絨毯の跡って!」

書籍商「そう。僕はこれを、こんな具合につけられた跡だと思いますよ。そして、死に際の人間がわざわざ用を足すためにトイレを目指すとは、僕は思いませんね」

女騎士「……ふむ。貴様の言うことは屁理屈をこね回しているようにしか思えんな」

書籍商「いいえ、そんなつもりは――」

女騎士「しかし、可能性の指摘としては及第点だ。おい、こいつを駐屯所に連れて行くぞ。今と同じ説明をさせれば、事なかれ主義の老人共を動かすことが出来るかもしれん」

部下「了解っす」


書籍商「……なるほど、そういうことですか」

女騎士「悪く思うなよ、貴様が商人としての提案などと言うからだ」

書籍商「酷い人だ。駐屯所で同じ説明をさせる気なら、そこでの説明料は頂きますよ」

女騎士「勝手にしろ。ただし、請求は上層部の老人共にすることだな」

勝ち誇ったような笑みを浮かべて、女騎士は部下と共に応接間を後にする。
室内に残された書籍商の悔しそうな横顔が、少女にはとても新鮮に思えた。

書籍商「やられた、あの女」

少女「えっと、もしかして、今の説明でお金を取る気だったんですか?」

書籍商「当然だ。僕が“知識”を貸し与えるのは慈善事業じゃない。れっきとしたビジネスなのに」


少女「ま、まぁ、いいじゃないですか。これからも捜査に協力出来るかもしれませんし、そのための権利を今の報酬とすれば」

書籍商「はぁ、それもそうか。それに、僕がこの事件を自殺じゃないと判断した本当の理由はまだ、話していないしね」

少女「え?」

書籍商「彼は自殺なんてしないよ。なぜなら、まだ、書物解読の依頼は途中だからさ」

少女「あっ」


書籍商「それに、まだ君に会っていない。僕に君のことを紹介したのは、彼なんだ。君を彼に会わせることを条件にね。もちろんこれを根拠にすれば、君のことを騎士団に説明しなければならなくなるし、秘密にするしかなかったけれど」

少女「でも、だとしたら……レブナー公を殺したのは誰なんでしょう?」

書籍商「おまけに密室の謎もある。やれやれ、なんだか面倒な事態になってきたようだ」

そう言う書籍商の表情は、言葉とは裏腹にどこか楽しそうだった。
少女はほんの少しだけ、地下牢での退屈な時間に懐かしさを感じるのだった。




*  *  *



被害者:レブナー公
死因:服毒による心不全、及び窒息死

使用された毒物:カブトリカ、という植物性の毒物(遅効性)
入手先の特定:困難。除草材として等、用法が広く入手は容易

現場:被害者の別荘←密室状態
死亡推定日時:亥の月 十六日目 夕方五時~夜十時

発見日時:亥の月 十八日目 朝八時
第一発見者:使用人(重要参考人)

                  『教会騎士団調査報告書』より、一部抜粋



*  *  *


 

ミステリー物ならある程度の段階で読者にも解けるように手掛かりが提示されるけどこれもそうなのかな
期待

雰囲気は伝わりましたでしょうか
およそこんな感じで進んでいきます
是非、真相を推理しながら読んで頂ければと思います
ただ犯人やトリックがわかっちゃっても内緒でお願いしますね
今日はここまで

>>91,112
コメントありがとうございました
頑張ろう!って思えます

>>113
なるべくフェアな形で書こうと努力はしていますよ
「解決編」前には読者も真相がわかるように
伏線だけは撒いていきたいと思っています

ですが別に挑戦形式を取っているわけでもないので
何も考えずにぼやーっと読んでも楽しいよう書きたいですね
なので、ネタバレ禁止をお願いしたいのです(笑

レブナー公って違和感あるな
成り上がり貴族が公爵なわけがない

携帯から失礼します

>>118
ご指摘ありがとうございます
調べたところ、公よりは伯などの方が
正しいかもしれませんね 勉強になりました

ただ訂正すると今後ややこしくなるので
この世界において爵位は
血や家柄などにより世襲するものでもあるけれど
王や領主からではなく教会(神)から賜るものでもあり、
寄付金の額(信心)によって位が決まるものでもある
と“都合よく”解釈してください(笑

以上です
長文失礼しました

待ってる


時刻は昼の三時過ぎ。書籍商と少女は、ようやく彼の店へと戻ってきていた。
すっかり空腹の二人は適当に朝食の残りを食べて、現在は休憩中である。

結局、書籍商は殺人である可能性を駐屯所で説くことはしなかった。
その代わりに何かを部下に頼んでいたようだったが、少女は特に何も聞かされていない。

少女「あのまま駐屯所に行くよう言われたら、と思うとちょっと怖かったですね」

書籍商「君がもう少し器用で聡明なら、たとえ教会内でも気付かれずにやり過ごせるんだろうけどね」

少女「う、申し訳ありません」


少女「う、申し訳ありません」

書籍商「冗談だ。僕としても、悪戯に危険を冒すつもりはない」

本を開いて目の上にそっと乗せた書籍商は、椅子にだらしなく腰掛けている。
少し疲れた様子で、長い足を机に投げ出したまま、さっきからほとんど動いていない。

少女「……これから、どうしましょう」

誰に言うでもなく、少女は呟いた。
依頼された“書物の解読をするため”に書籍商に買われた身として、気になったのだ。

解読を依頼したというレブナー公はもう、この世にはいない。と、すればもう書物の解読はしなくていい事柄だ。
だとすれば、自分は一体何のためにここにいるのだろうか。そんな考えが少女の脳裏をよぎった。


少女「あの、なにかわたしに出来ることはありませんか?」

書籍商「ない。今はじっと待つだけだよ」

少女「何を待ってるんですか? 何を待てばいいんです?」

書籍商「この事件を全て知ろうと思うなら、もう少し時間と情報が必要だ。必要なものはさっき頼んでおいたから、もうすぐここにそれがやって来る。それまで待てばいい」

少女「でも、わたしは――」

書籍商「僕は、まだあの本の解読を諦めたわけじゃない。だから僕にはまだ君が必要だ、こう言えば安心か?」


少女「……ずるいです、そんな言い方」

書籍商「それは商人という生き物にとっては褒め言葉だね」

話は終わりだ、とばかりのぶっきらぼうな言い方。故に、少女はそれきり何も言えなくなってしまう。
でも、それは暗に「そんなことは考えなくていい」とでも言われている気がして、悪い気はしなかった。

少女「変な生き物ですね、商人って」

書籍商「君に言われたくないよ」

少女「ふふっ、そういえばそうでした」


書籍商「別にハーフエルフが変だと言っているつもりはない」

少女「え?」

書籍商「ただ、君という生き物は、僕にはとても不思議な存在に思えるけどね」

少女「それ、どういう意味ですか」

書籍商「ふふ、言葉通りさ」

なんとなく居心地のいい、くだらないやり取りを繰り広げていると、店の玄関がノックされた。
書籍商は今までのだらけ具合から一転、しゃきっと背筋を伸ばして立ち上がる。少女も少女で、慌ててフードを被った。


書籍商「さぁ、彼女たちが来たようだ。どうぞ」

重い木製の扉がぎぃ、と音を立てて開く。
現れたのは、数時間前まで一緒にいた二人組。

女騎士「邪魔するぞ」

部下「お邪魔するっす」

少女「いらっしゃいませ。あ、紅茶でも淹れましょうか」

部下「いやいや、お構いなくっす。お気持ちだけ受け取っておくっすよ」

書籍商「おい、そもそも店主が許可していないのに、勝手におもてなそうとするな」


女騎士「ふふん、器の小さな商人は大成しないと聞いたことがある」

書籍商「余計なお世話ですが、ご忠告大変感謝致します」

思い思いに喋りながら、しかし自然と店の真ん中にある大きな円卓を囲むように座る。
ほぼ初対面に近い顔ぶれながら、少女は不思議な調和を感じていた。

女騎士「さて、たかだか商人風情に顎でこき使われたのは癪だが、情報は持ってきてやったぞ」

書籍商「先ほどは誰かにしてやられたお陰で、完全にただ働きでしたからね。これでようやくお相子でしょう」


少女「あ、あの、もう少し穏やかにやりましょうよ」

部下「はぁ……女神っすねぇ」

これでもう少しこの二人の仲が良ければ、などと思いながら少女は間に入って宥める。
なんとなく、根拠はないのだが、これからもずっとこんな構図が続く気がした。

女騎士「まぁいい。初めに断っておこう、師団長としておよその便宜は図るつもりだが、捜査情報の全てを公開することは出来ない。それはいいな?」

書籍商「もちろん」

女騎士「もしも貴様の売る品、“知識”とやらで我々が事件を解決した暁には、成功報酬を支払うこと。代わりに、その功績は私に帰属する。これも、いいな?」

書籍商「いいでしょう。僕は別に、名誉が欲しいわけではありませんので」


女騎士「ふふん、結構。これで契約は成立だな」

書籍商「えぇ、望むところですよ」

さっきまでの憎まれ口はどこへやら、あっという間に二人は握手をしてみせる。
改めて、本当に商人は、あるいは人間とは、すごく不思議な生き物だと思った。

女騎士「さて。お前たちと別れた後、私たちは駐屯所に戻って先の報告をしてきた」

部下「他の師団長たちや上の人間を説得するのは、なかなか骨が折れたっすよ」

女騎士「その結果、騎士団の捜査方針は分裂した。この事件を自殺と見るか、殺人と見るか、だ。仮に殺人であるならば、犯人は誰なのか。どのように殺し、密室を構成したのか。そして何故殺したのか、が我々にとっての謎となる」


机の上に転がっていた小さな石板に、女騎士は綺麗な字でいくつかの文章を書き込んだ。
ろう石がカリカリと音を立てながら、すべらかな表面に傷をつけていく。

・誰が殺したか
・どのように殺したか、どのように密室を構成したか
・何故、殺したか

書籍商「フーダニット、ハウダニット、ホワイダニットの三つというわけですか」

少女「こう書くと、簡単なような気がするんですけど……」

部下「今のところ容疑者として挙げられているのは、この二名っす」


・使用人
・レブナー夫人



書籍商「第一発見者と、被害者の妻、ですか」

少女「この二人のどちらかが犯人なんですか?」

女騎士「あるいはどちらも犯人、ということもある」

部下「現場が密室であった以上、あの家に施錠出来たこの二人以外に犯人は考えられないっすよ」

書籍商「……いや、だとすると、逆に妙だとは思いませんか? もし二人の内どちらかが犯人だとして、なぜ現場を密室にする必要があったのでしょう? そんなことをすれば、真っ先に自分たちが疑われるのに」

女騎士「そう思わせて、自分たちに容疑が向かないようしているのかもしれない」

書籍商「だとしても、やり方が回りくどいと思いますよ」


部下「なるほど。なぜ現場は密室だったのか、これも重要そうっすね」

少女「ところであの、素朴な疑問なんですけど、使用人さんはもう容疑者じゃなくなるんじゃないですか? ほら、さっき……なんでしたっけ、アリバイがあるって言ってましたよね? 絶対犯行が不可能だったって」

女騎士「自殺の線を主張する連中も、そこを強調している。使用人とレブナー夫人は、被害者の犯行時刻、一緒に行動していたのだから犯行は不可能だと」

部下「ただ、そのアリバイを証言してるのはレブナー夫人ってとこが厄介なんすよね。他にも証言者がいてくれればいいんすけど、今のところは夫人の証言頼みっすから、疑いの余地はあるっす。あとは、まぁ調査の結果次第っすね」

書籍商「つまり仰りたいのは、共犯の可能性もある……ということですか。そもそもこの二人、どうして容疑者として挙がっているんでしょう? 少なくとも動機がある、ってことですよね」


女騎士「使用人は、夫人に何度か言い寄っている姿をメイドたちに目撃されている。レブナー公を邪魔な存在として考え、殺したというのが騎士団における考えだ」

部下「その夫人も、最近レブナー公とは言い争いが絶えなかったという証言を得ているっすよ。もしかしたら使用人と結ばれるために、邪魔な夫を――」

書籍商「どうでしょう。そんなことをすれば、真実はどうあれ確実に二人がレブナー公殺害に関わっていると疑われるような気がします。僕は二人が犯人である可能性は低いと思いますけどね」

女騎士「自殺派と同じ見解か。あくまで二人は犯人ではない、と。しかし、殺人の可能性を指摘したのは貴様ではなかったか?」

書籍商「それは、そうですが……」


部下「レブナー公を殺害後、あの別荘に鍵をかけることが出来たのは使用人とレブナー夫人以外にはありえないっす。だからこそ、疑いはこうやって半々になるっすよ。それが犯人の狙いだとしたら、思い通りになるわけにはいかないっす」

そう言う部下の言葉には強い勢いがあり、少女は少しだけ違和感を感じた。
やや思い込みが強い人なのかもしれない。そんな風に考え直して、口を開く。

少女「でも、さっき言ったみたいなことで自分のご主人様や旦那様を殺したりするでしょうか? わたしには、想像できないです」

書籍商「賛成を唱えたいところだが、その考え方は論理的ではないな。もし二人が犯人でないと言うなら、証拠が必要だ。……そうですよね?」


ちらりと横目で女騎士の方を見やる。彼女は腕を組んだまま、じっと書籍商の方を睨みつけているようだった。
値踏みするような、あるいは何かを疑い測るような視線。だが、それも一瞬のこと。

女騎士「そうだな。だが、どうする? 現状では、二人が共犯である証拠もなければ、二人が犯人でない証拠もない」

書籍商「考えられる可能性は4つ」



・犯人は使用人。何らかのアリバイトリック(共犯など?)を用いて、被害者を殺害。
 
・犯人は夫人。被害者の捜索届けをあえて出すことで疑いを回避しようとした?

・二人が共犯。アリバイを偽証し、計画的に犯行を実行。

・二人とも犯人ではない。



書籍商「疑わしいのは3つ目と4つ目の可能性でしょう。仮にどちらか一方だけが犯人であるとすれば、どちらか一方に容疑を向けることは出来るかもしれませんが、いかんせんリスクが大きすぎるように思えます」

女騎士「実際に二人はお互いの姿を確認しているわけだからな。もしどちらかが犯人だと言うなら、実行犯である第三者の共犯者に鍵を貸し与えたと考えるべき、ということだな?」

書籍商「えぇ、その可能性はゼロではありません。しかし、第三者の共犯はリスクが高いのも事実です。だからこそ、1つ目と2つ目の可能性は低いと考えました」

部下「仮に二人が共犯だとしたら、アリバイは崩れるっすよ。それに別荘までは馬車で30分程度。仮に調査次第で新たな証言が得られても、犯行後、閉門前に十分帰って来れるっす」

書籍商「逆に二人が犯人でないとするならば、真犯人は何らかの手段を用いて現場を密室にしなければならない。二つある別荘の鍵は、一つはレブナー公が、そしてもう一つはレブナー夫人が持っているのだから――」

少女「ちょ、ちょっと待ってください。わたし、全然理解が追いつかなくて」


あまりにポンポンと話を続けられてしまうものだから、少女は申し訳ない気持ちで、一度会話を遮った。
部下と書籍商はやや熱くなり過ぎていたことを自覚したようで、少しだけばつの悪い顔をしてみせる。

部下「あ、も、申し訳ないっす」

書籍商「そうだね、すまない。もう少しゆっくりと考えていきましょう。ちなみに部下くん、さっき頼んだものの用意は出来ているね?」

部下「……これっきりっすよ? あと、例の件考えておいて欲しいっす」

書籍商「もちろん。商人としての約束だ」

女騎士「何の話だ?」

部下「あぁ、いえ! なんでもないっすよ!」


書籍商「さて。頼んでいた情報は二つ、一つは今回使用された毒物について。そしてもう一つが、被害者の遺留品です」

女騎士「遺留品? そんなの調べてどうするんだ」

書籍商「それは後でお話しますよ。それよりもまずは、毒物について聞かせてもらおうかな」

その言葉に応えるように、部下は自分の布袋から目的の資料を取り出した。
安物の紙には文字がびっしりと書かれており、穴を開けられ革紐で留められている。

部下「えーっと、検死結果によると使用されたのは“カブトリカ”という植物を乾燥させて作られる毒物らしいっす」


女騎士「捜査会議でも説明されたな。確か、鼠殺しや除草剤にも使われる毒物だったか?」

部下「その通りっす。そして、この毒の重要な点は入手が容易であるということと、遅効性であること、この二つっすね」

少女「遅効性?」

部下「もし人が摂取した場合、およそ五分から十分ほどで死に至る場合が多いっす。摂取してもすぐには症状が現れず、五分程で全身に痺れ、さらには呼吸困難を引き起こすっすよ」

少女「こ、怖い毒ですね」

部下「あぁでも、すぐに解毒剤を飲むとか、毒を吐き出すとか、適切な処理さえ行えば死にはしないっす。だから、昔はカブトリカによる拷問尋問なんてのも……」


少女「拷問尋問……」

余りにも物騒な単語に思わず少女はごくりと唾を飲み込んだ。
鳥肌が立ち、背筋が自然と伸びてしまう。

書籍商「詳しい説明を、どうもありがとう。そうか、カブトリカか」

部下「何か気になることでもあるっすか?」

書籍商「少しだけ。今も君が言ってくれたように、カブトリカの毒はあくまで“死に至る場合が多い”程度の毒物。もし犯人が確実にレブナー公を殺そうとしたなら、どうしてカブトリカの毒だったのか、気にならないかな?」

女騎士「おそらくそれは、入手のしやすさだな」

少女「毒なのに、入手しやすいんですか?」

女騎士「あくまで他の毒物と比べて、だがな」


書籍商「しかし、同じように入手が容易と言われている亜ヒ酸が使われていないのは何故でしょう? こちらは毒性が強く、より確実に相手を殺せます」

女騎士「それは――」

部下「その話は一旦置いておくっすよ。今はわからないことを考えても仕方ないっす」

書籍商「……そうかな」

女騎士「まぁいいさ。理由なら、犯人を捕まえてから聞き出せばいい」

書籍商「やや釈然としないところもありますが。ところで、毒物の入手経路から犯人を割り出す方法は、もちろん騎士団でも試みましたよね?」


女騎士「当然だ。だが、聞き込みにも限度がある。街の薬屋、花屋、そして行商人。ルートが多すぎて絞り込むのは困難だろうな」

書籍商「そうでしょうね。メイドや乞食に買わせるなど、入手経路は考え付くだけでも相当数だ」

女騎士「今のところ夫人や使用人、あるいは被害者自身が毒物を購入したという証言はない」

少女「そんなに簡単に毒って手に入っちゃうんですね」

書籍商「その通り。案外、この街を一周すれば人を殺すための毒や刃物、縄なんかは揃うかもしれない。けれど、それは元々人を殺すための道具じゃない。結局は使う人次第ということだよ」

女騎士「同感だ。しかし、今のままでは捜査は何も進展しない。どうにかして犯人を特定出来なければ、このまま本件は自殺として片付けられるだろう。今ので何か手がかりは見つかったのか?」


書籍商「大丈夫ですよ。毒物に関しては当てが外れましたが、もう一つ当てはあるんです。……遺留品という、ね」

女騎士「要するに形見の品だろう。それは被害者の身内にとっては大事なものかもしれないが、一体我々には何をもたらしてくれると言うんだ?」

書籍商「見てればわかりますよ。それで部下くん、被害者の持っていたものは?」

部下「まず、財布っすね。それと、煙草にマッチ。あとはハンカチと別荘、本邸の鍵……それから、言っていた通り領収書の束っす」

書籍商「領収書! 僕の待っていたものはそれだよ! ところで、それで全部かい?」

部下「そうっす。あと被害者が身に付けていたものは服だけっすよ」


書籍商「そうか。じゃあ領収書の束を見せてもらえないかな?」

部下「いいっすけど、一応大事なものなんで丁寧に扱って欲しいっす」

書籍商「もちろん!」

女騎士「待て。何故、お前は被害者が領収書を持っていたことを知っている」

書籍商「商人や元商人なら管理していて当然です。それと、被害者はことお金に煩い人間でしたからね」

そう言うと、書籍商は嬉々とした顔で領収書の束をぺらぺらと捲っていく。
あっという間に目を通し終えたらしい書籍商は満足げに、その紙束を机の上に置いた。


書籍商「騎士団の方々は今後、きちんと遺留品を確認するべきでしょう。案の定、見落としがありましたよ」

女騎士「なんだと?」

書籍商「部下くん、被害者の死亡推定時刻は?」

部下「あ、えっと、一昨日の夕方5時から夜10時の間っすね」

書籍商「その情報は訂正する必要がありそうですね。被害者、レブナー公の死亡推定時刻は夕方6時から夜10時の間です」

机の上に置いた領収書の束から一枚を選び、女騎士たちに見やすいよう向きを変える。
そこには、ある店での会計記録が残されていた。夕方6時、銅貨12枚の買い物。


書籍商「この“翠の木陰”という酒場は、西商道における老舗でしてね。顔なじみがいるんです。話を聞きに行きましょう、何か目撃証言が聞けるかもしれない」

女騎士「日付と時間と金額、それに受取人と被害者の署名……どこにも店の名前は書いていないようだが?」

書籍商「領収書の左端に、楓と木蔦の紋章があるでしょう? それが“翠の木陰”の紋章です」

少女「あ、本当ですね」

部下「し、知らなかったっす」

女騎士「なるほど……商人ならではの視点、か」

書籍商「領収書なんてものは余程、金にうるさい生き物――せいぜいが商人しか利用しませんからね」


女騎士「ここからその店まで、どのくらいだ?」

書籍商「馬車で20分もかかりませんよ」

女騎士「わかった。おい部下、手配しろ」

部下「了解っす!」

女騎士「……領収書、覚えておくよ。捜査の新しい方法としてな」

書籍商「商人が殺された際は是非」

女騎士「貴様らも来い。顔なじみだと言うなら、協力してもらう」

書籍商「構いませんが、運賃はそちら持ちでお願いしますね」

女騎士は書籍商の言葉に少しだけ嫌そうな顔をして、扉の向こうに消えていった。
してやったり、という笑みを浮かべた書籍商に少女は声をかける。

少女「わたしたちも行きましょう」


 

今日はここまでにします
やや冗長になってきてしまいすみません
なるべくコンパクトにしたいんですけどね
読みやすい文や構成を心がけますので
どうかもうしばらくお付き合いください

>>120,126,134
コメントありがとうございました
今後ともよろしくお願いします



部下がいい味だしてるわ




*  *  *



翠の木陰。先々代の国王も訪れたという、老舗の酒場である。
落ち着いた外観とは対照的に、店内は常に活気に満ちている。

ハウルブルク西商道を往く商人たちの多くが、ここで喉を潤すのだろう。
安価ではあるが美味いと評判のエールとナッツを頼み、私は外の景色を眺める。

のんびりとした風景の中で、忙しなく荷馬車を走らせる商人たち。
空を羽ばたく鳥のように、彼らもまた自然の中で生きている、生かされている。

私の子供や孫たちもまた、同じ景色を見て、同じ酒を飲むかもしれない。
そのとき、悠久の時を見つめ続けるこの酒場は一体、何を思うのだろうか。


            『東ノーランド国放浪紀』“翠の木陰”の項より、全文掲載



*  *  *



酒場娘「あれ? 書籍商さん、お久しぶりじゃないですか!」

書籍商「やぁ、相変わらず繁盛してるみたいだね」

次々と注文が飛び交うテーブルを横目に、書籍商は右手を小さく上げた。
出迎えてくれた女性も、まだ少し幼さの残る顔いっぱいに笑みを浮かべて手を振り返す。

酒場娘「毎日毎日大変ですよ~。ま、ありがたいことですけどね」

書籍商「少し話がしたいんだけど、時間はあるかな?」

酒場娘「あ、この酒場を継ぎたいって話ですか?」

書籍商「全然違うよ。出来れば、ここの従業員全員に聞いて周りたいことなんだ」


酒場娘「なーんだ残念! えっと、真面目な話ですよね。全員一度には無理ですけど、一人ずつならなんとか」

書籍商「そうか、じゃあよろしく頼むよ。話があるのは表にいる騎士様方だから」

酒場娘「え……。何か、あったんですか? ウチに関係すること、とか」

書籍商「あぁ、そうじゃない。ちょっとこの近くで事件があったから、この辺りで聞き込みをしてるそうなんだ」

酒場娘「そういうことですか! ふふ、ちょっとびっくりしちゃいました」

書籍商「それじゃ僕はこの辺りで――」

酒場娘「ところで、何を呑んでいかれます? あ、そうだ! 今日は魚が美味しいんですよ! 塩焼きとか、食べたくないですか?」


書籍商「えと、僕は今の話をしに来ただけで――」

酒場娘「それにしても本当久しぶりですねー。あ、お父さんに挨拶していきます? きっとお父さんも喜びますよ」

書籍商「あ、あぁ、そうだね」

酒場娘「あ、でも今お父さん忙しいので、ちょっと待ってて貰わないといけませんね」

書籍商「そうか、じゃあまた日を改めて――」

酒場娘「大丈夫! 美味しい魚の塩焼きと、当店自慢のエールビール、数杯飲んでたら待ち時間なんてあっという間ですから!」

書籍商「…………」


酒場娘「どうかしました? 苦いビールでも飲んだような顔して」

書籍商「……はぁ。じゃあその魚の塩焼きとビール、頂こう。いくらかな?」

酒場娘「はい! 銀貨4枚頂きます!」

書籍商「君のその商才があれば、旦那さんはいらないと思うよ」

酒場娘「いえいえ。素敵な旦那様はいつでも募集中ですよ」

無邪気な笑顔は夢見る女の子のようであり、それでいて旅人を唆す悪魔のようでもある。
一体今まで何人の無知で愚かな男たちが、この酒場の売り上げに貢献したのだろう。


女騎士「話は終わったか?」

書籍商「多大なる犠牲を払いましたけどね」

酒場娘「あ、えっと、この方が?」

書籍商「話を聞かせて欲しいそうだよ」

女騎士「女騎士という。忙しいところ、迷惑をかける」

酒場娘「滅相もありません。それでは仕事がありますので、私はこれで」


女騎士「いい娘じゃないか」

書籍商「見た目はあれでも、中身は金の亡者ですよ」

女騎士「父親のために頑張っているのだろう。あまり悪く言うものではない」

書籍商「別に、そんなつもりはありませんけどね」

部下「どうかしたっすか?」

書籍商「……待て。少女、その鳥串はどうした?」

少女「あ、あの! これ、騎士様がくださったんです! わたしは、その、遠慮したんですけど」

部下「ははは、気にしないで欲しいっすよ」

更新滞っててすみません
そろそろ進めます
夕方更新しますね


女騎士「貴様は一体ここに何をしに来たのか、わかってるんだろうな?」

部下「も、もちろんっす」

じろりと睨まれて顔を青くする部下が、こくこくと何度も頷いた。
その光景を我関せずといった具合で静観していた書籍商は、小さく肩をすくめる。

書籍商「それじゃ、僕たちはここにいますので。お二方はどうぞ、お仕事に励んでください」

女騎士「まるで自分は何もしないような言い方だな」


書籍商「当然です。聞き込みはあなた方の仕事でしょう?」

部下「従業員は全員で5人程度っす。早く済ませて、自分たちも食事くらいは――」

女騎士「ふん。おい部下、行くぞ」

部下の言葉を遮って、女騎士はさっさとテーブルを後にする。
どことなく拗ねた女の子のような横顔が、少女には新鮮に思えた。

少女「あの、何か手伝った方が……?」

部下「あぁ、気にしないで欲しいっす。女騎士様はあれで、かなり酒好きっすからね。多分飲めなくて機嫌が悪いだけっすよ」

女騎士「余計な話をしている暇があるのか?」

部下「は、はいっす!!」


少女「大変ですね、騎士様たちも」

慌てて女騎士の背中を追いかける部下を見送って、少女はひとりごちた。
その呟きに書籍商が小さな声で釘を刺す。

書籍商「忠告しておくが、彼女らはあまり深く関わらない方がいい人種だ。特に、君のような人の世にとっての異分子は」

少女「そ、そうですよね」

書籍商「……いや、やめよう。すまなかった」

少女「いえ、主様が謝ることではありません! わたしに、危機感が足りないだけですし」


書籍商「もうすぐ酒が来る。今日は外も冷えるし、それを飲んで温まるといい」

少女「はい」

それから程なくして、ビールと魚の塩焼きが卓に届けられた。
書籍商はそれらに口をつける気はないようで、少女は少しだけ喜んだ。
食べることと眠ること、そしてその時間が少女は堪らなく好きなのだ。

書籍商「……で、全部食べたのか」

少女「あ、あの、すみません。あまりに美味しかったので、つい」

書籍商「いや、僕の分がどうという話じゃない。その細い体のどこに、あれだけの量が入ったのか不思議に思っただけだ」


書籍商「何か収穫はありましたか?」

女騎士「まぁな。これから一度、駐屯所に戻って報告しようと思っている」

書籍商「何がわかったんですか?」

女騎士「さっきの娘が目撃者だった。以上だ。あとは自分で話を聞くといい」

書籍商「あ、ちょっと」

女騎士「行くぞ、部下」

部下「え!? た、食べていかないっすか?」

女騎士「当然だ。何しろ私たちは職務中、だからな。急げ」


部下「そんなのあんまりっす……」

少女「お、お疲れ様です」

部下「さて、もう一頑張りするっすよ!」

しなしなと萎びた部下の背筋が、少女の一声で噓のようにしゃっきりする。
が、大股で出口へ向かう女騎士の方を見てこっそりため息を吐くのだった。

書籍商「まったく、随分と大人びた真似をしてくれるな。あの小さいお方は」

部下「……それ、絶対本人の前では言わない方がいいっすよ」


女騎士「おい!」

部下「は、はい! 今行くっす!」

書籍商「後できちんと、報告を頼むよ」

部下「そんなこと言うなら、最初から一緒に聞き込みについて来てくれば良かったっすよ」

書籍商「優れた商人は紙とペンだけで、巨万の富を生み出す。バタバタと走り回るのはみっともないだろう?」

部下「はぁ、そうっすか。ま、馬車はきちんと手配しておくっすから」


書籍商「どうもありがとう、それより……早く行った方がいいんじゃないか?」

女騎士「先に行くぞ!!」

書籍商「“小さな”お姫様がお怒りだ」

部下「あぁもう! わかってるっすよ!!」

店の外から聞こえる女騎士の鋭い声は、店内の喧騒をものともしないで飛んできた。
慌てて外套を手繰り寄せて駆けていく部下の背中に、少女は少しだけ同情しつつ見送る。

部下が女騎士を宥めながら馬車に乗り込むのを店内から見つめる二人。
そこに、柔らかな女性の声がかかる。振り返ると、天使の笑みがあった。

酒場娘「書籍商さん、魚の味はどうでした?」


書籍商「あぁ、とても美味かったよ」

酒場娘「嘘つき。全部この子に食べさせてたじゃないですか」

書籍商「……とても美味かったようだよ」

少女「はい! すっごく美味しかったです!」

酒場娘「もう、調子いいですねぇ。でもそう言ってもらえると、お父さんも喜ぶかな」

書籍商「君に聞きたいことがあるんだけれど――」


酒場娘「いいですよ。ただし」

書籍商「今度はビールを二つ、頂くよ」

酒場娘「まいどあり。でもそうじゃないです。ただし、私の質問にも答えてもらいます」

誰からも好かれそうな、人のよい笑顔のまま、酒場娘はすっと目を細めた。
書籍商と少女の二人は、思わず身構える。

書籍商「何かな?」

酒場娘「さっきから気になってたんですけど、その子誰なんです? 騎士団の関係者じゃないみたいですし」

少女「え、わたし、ですか?」


酒場娘「そう。そんなに目深にフードを被って……ひょっとして、どこかの貴族のお忍び?」

少女「い、いえ! そんな貴族だなんて! わたしは――」

書籍商「なんだ、そんなことか……」

酒場娘「そんなこと、じゃありません! 大事なことです!」

いきなり酒場娘が大声を出したからか、一瞬だけ辺りがシンとなる。
俯いた彼女の目元を赤みがかった茶色の前髪が覆う。表情が読めなくなる。

少女「あ、あのー、わたし主様とはその、何でもないですから! えっと、あなたの心配するような関係じゃないですし、そりゃとっても優しい人だとは思いますけど、まだ出会って間もないですし、えっと、だから」


書籍商「馬鹿か。そんな女じゃない。おおかた、貴族の娘なら恩でも売って、懇意にしてもらおうとでも考えているんだろう」

少女「でも! そんなこと、あるわけ――」

酒場娘「はぁ。まったく、相変わらず書籍商さんには敵いませんね。大抵の男の人なら、今のでイチコロなのに」

少女「……へ?」

書籍商「悪いが僕たちは急いでるんだ。質問に答えて欲しい」

酒場娘「はーい」

少女「……演技、だったんですか?」

酒場娘「うふ。さぁね、どっちだと思う?」


少女「うぅ……」

書籍商「無駄話はそこまでだ。さっきの二人に話したことを話してくれ」

酒場娘「レブナー公のこと、ですね。来ましたよ、一昨日。夕方5時頃だったかな」

書籍商「誰かと一緒だったか?」

酒場娘「いいえ、お一人でした。何でも、待ち合わせをしていたみたいです。あの人もあの人で骨のある人だったから、最初に頼んだエールを飲み干して以降は、何も注文してくれなくて――」

書籍商「余計な話はいい。ところで、待ち合わせという話、それは本人から?」

酒場娘「はい。それに、何度も時計を見てましたし」

書籍商「そうか。それで、どんな人が来た?」


酒場娘「それが、相手は現れなかったんですよね」

書籍商「なんだって?」

酒場娘「夜の6時くらい……だったかな? お一人で会計して、お一人で出て行きましたよ」

書籍商「待ち合わせの約束を、反故にされたということか?」

酒場娘「流石にそこまでは。あ、でも帰る時は少し緊張しているみたいでした」

書籍商「緊張? どうしてそう思った?」

酒場娘「さっきの騎士様たちにも言ったんですけどね、なんとなくそう思っただけです。いつもと違う様子だったので、印象に残ったのかな」


書籍商「緊張、ね。それで、彼はこの店を出てどうしたんだ?」

酒場娘「表に停めてあった馬車に乗って、商道を西の方へ行ったと思います」

彼女が指差した方へ二人は視線を向ける。先ほど女騎士と部下が去っていった方向とは逆。
つまり街には戻らなかったということだ。時間的にも考えて、おそらく行き先は遺体の発見現場、レブナー公の別荘だろう。

書籍商「……ふむ、どうもありがとう。僕らはそろそろ帰るとするよ」

そう言って、書籍商は席を立つ。きょろきょろと辺りを見回したのは一瞬で、銅色の懐中時計を取り出した。
酒場娘も釣られるように、首掛け式の懐中時計に目を落として、残念そうなため息を吐いてみせた。


酒場娘「あれ? もう帰っちゃうんですか? 夜は夜で、美味しい食事を用意してますけど」

書籍商「これ以上ここにいると無一文にされそうだからね。お父さんへの挨拶はまた来るよ」

酒場娘「ふふっ。なんなら、体を売ってくれてもいいんですよ?」

書籍商「まったく笑えない冗談だ。少女、早く出よう」

少女「あ、えっと」

酒場娘「またいらっしゃい。何で顔を隠してるかは知らないけど、美味しい食事を用意して待ってるから」

少女「は、はい!」


酒場娘「もちろん、お代は頂くけどね」

少女「あはは……お給料が出たら、必ず」

酒場娘「ねぇ、書籍商さん」

書籍商「まだ何か?」

酒場娘「その子に服でも買ってあげたらどうです? その格好、場所によっては目立つと思いますよ」

書籍商「ご忠告どうも」

酒場娘「ついでに私に指輪でも、買ってきてくれてもいいんですよ? えへへ」


書籍商「あぁ、何も聞こえないな」

少女「……あの、本当にさっきの演技だったんですか?」

酒場娘「さぁ、何も聞こえないわ」

似たもの同士にも程がある、と少女は呆れてものも言えなくなった。
時刻は夕方5時半過ぎ。赤く染まった空の向こうで、烏が鳴いたようだった。



*  *  *



今日はここまでにしますね
最近更新滞ってたのにまだ読んでくださっている方
本当にありがとうございます

>>152,153,161,162,164
コメントありがとうございました
嬉しくてつい何度も読んでしまいます


書籍商「騎士団では、もしかしたら自殺の方向で話がまとまるかもしれないな」

酒場からの帰り道、西門を抜けた辺りで書籍商がそんなことをぼそりと呟いた。
日も大分落ちてしまったのに、ハウルブルクはまだ賑わったままだ。

少女「どうしてです?」

書籍商「教会は事を荒立てたくない。民に無用な混乱を与えたくないんだ。レブナー公という名のある人物が誰かに殺された、などというニュースはあまり聞きたくないだろう。つまり、彼らが望むシナリオは、レブナー公の“自殺”だ」

少女「でも、さっきの酒場娘さんのお話では、レブナー公は誰かと待ち合わせをしていた、というお話でした。これから自殺する人間とは思えません」


書籍商「その通り。そういう考え方も出来る」

少女「……も、っていうのはどういう意味ですか?」

書籍商「もし僕がレブナー公の自殺を主張する側なら、こんなシナリオを描く。まさに“その待ち合わせこそが自殺の動機であった”と」

少女「え?」

書籍商「肝心なのはレブナー公が“自殺した動機”だ。市民の関心はそこに集中するはずだよ。……今のところ聞き込み調査では、そんなものは見つかっていないだろう。ないものを探すことほど無意味なこともない。しかし、この主張ならそれを新たに作り出すことが出来る」

はぁ、と小さくため息を吐いてみせる書籍商。
少女は彼が何を言おうとしているのか、頭を巡らせて考える。


書籍商「自分の期待が裏切られたときに、人は失望を感じる。待ち合わせ相手が現れなかった、という事実は教会にとって好都合だっただろう。そのおかげで、彼の自殺の理由を説明出来るのだから」

少女「あ……」

書籍商「もちろん、このシナリオには穴が多い。一般的には、その程度の理由で命を投げ出す人間は少ないし、遺書が遺されていない理由も説明出来ない。あぁ、おまけにレブナー公が毒物を何故、いつ用意したのかという点も説明出来ないな」

少女「じ、じゃあそんなシナリオ、認められませんよ」

書籍商「ところがそうじゃない。言っただろう、市民の関心は“なぜレブナー公は自殺したか”だ。教会が欲しいのは真実ではない、市民を納得させる材料なんだ。そして嘆かわしいことに、市民もまた、真実ではなく自らを納得させる説明をご所望だ」


少女「そんな……」

書籍商「それから、被害者が“緊張していた”ように見えたという供述、あれも自殺前の被害者の様子という風に捉えられても仕方ないだろう。ダメ押しの一言、まったく彼女も余計な話をしてくれた。印象なんてものは証拠にこそならないが、感情に訴えるやり方は、相手を説得する際の常套手段だからね」

長々と喋り少し疲れたのか、書籍商は腰にぶら下げた革の水筒で喉を潤す。
しかし、すぐに眉をしかめて吐き出した。中身が傷んでいたのかもしれない。

少女「本当に被害者は……殺されたんでしょうか?」

書籍商「それしか考えられない。書物の解読を待たず、君にも会わず、彼が自ら死ぬ理由なんてないからね」


少女「うーん、着実に情報は増えてきてますけど、肝心の謎は何ひとつわかってないような」

書籍商「実に悩ましいよ。一体どのようにして密室は作られたのか、あるいは、なぜ密室はつくられたのか。誰に殺されたのか、何故殺されたのか」

そこまで言って、書籍商は空を仰いで肩をすくめてみせる。
いつもは自信に満ち溢れた表情が、心なしか曇っているように少女には見えた。

書籍商「手がかりはあるはずだ。どんな難問にも、それを解くための鍵は常にある。だからこそ酒場でもっと有益な情報を期待したのだけど……やはり現実は、物語とは違う。なかなか上手くいかないね」

悪くはないけど長い
解決編まだ?
あと前にも何かミステリもの書いてた?

>>194
わががまだな 自分勝手すぎる
事件だけの内容だけでなく
人間模様や物語としても書いてるんだから

内容を見ないで 結果だけを求めるのは間違い

>>1です
夕方に更新します

>>194
遅筆なのは本当に申し訳ないのですが
ゆったり楽しんでいただけると嬉しいです
>>195
優しいコメントありがとうございました
期待に応えられるよう書き上げたいと思います

ちなみに過去にミステリSSは書いていませんが
男「お前のユメ、俺が喰ってやるよ」という
患者的なSSは書きました すみません


少女「珍しいですね、主様が弱音を吐くなんて」

書籍商「弱音を吐いたつもりはない。ただの感想だよ」

少女「どう違うんです?」

書籍商「心が折れているか否か、些細なことのようで大きな違いだ」

かつ、かつ、と二人の靴が石畳を鳴らす。
しばらく黙って書籍商の後に続いていた少女が、再び口を開いた。

少女「……これから、どうします?」


書籍商「激しく今さらな気はするけれど、容疑者二人に話を聞きに行こう。新しい話は聞けないかもしれないが、今はどんな些細な情報でも欲しい。もう、気取るのはやめだ」

少女「じゃあ駐屯所に行くんですか?」

書籍商「いや、おそらく二人はもう帰されてるよ。まぁ見張り等は付けられているかもしれないけどね」

街道を二人で並んで歩く。少女にとってはまだ、馴染み深いとは言えない街並みだが、この賑やかさは嫌いじゃなかった。
それは多分、人々の笑い声やふわふわと揺れる灯りが、夜の寂しさを紛らわせてくれているからに違いない。

酒場や宿の多い第一区画を抜けて、書籍商の店もある第三区画へと進んでいく。
その途中、街の中央にそびえ立つ鐘楼から、ゆったりとした鐘の音が聞こえてきた。


書籍商「6時。そろそろ閉門の時間か」

少女「閉門?」

書籍商「夜は色々と物騒だからね。街に6つある門の全てが閉まるのさ」

少女「え? じゃあそれ以降にこの街に帰ってくる人はどうするんです?」

書籍商「門番の騎士たちに通行証を見せて通してもらうか、門の外の寄宿舎に泊めてもらうかすればいい。もっとも閉門時に通ろうとすると、かなり面倒な手続きを踏まされるから、僕ならそもそも6時以降は出歩かないけどね」

少女「あぁ、そう言えばわたしがこの街に来たとき、やけに急いでると思いました。日没までに、って」


書籍商「単純に、日が暮れてからでは本をゆっくり読めないから、という理由もあったけどね。行きは開門前に出発したものだから、手続きで随分遅くなってしまって、懲りたんだよ。長年この街に住んでいたけど、まさかあれほどとは」

少女「へぇ、そうだったんですか。通行証、主様は持ってないんですか?」

書籍商「僕は夜間、つまり閉門期間に市外に出る必要がほとんどないからさ。教会に理由をきちんと認められた者でなければ、通行証は発行してもらえない。しかし、発行さえしてもらえば、通行証を持つ者は門での通行税が免除される。この点に関しては、商人としては魅力的だと言わざるをえない」

少女「なるほど」


ちょっとした疑問が解消されたところで、少女はもう一つだけ質問をしてみる。
誰かに訊けば、答えが返ってくる。それだけで、少女はなんだか嬉しかった。

少女「ところで、さっき夜は物騒だって言いましたけど“翠の木陰”の皆さんは、門の外で暮らしているんですよね? 危なくないんですか?」

書籍商「危なくない、と言えば噓になるが、特別危険なわけでもない。街の付近では流石に盗賊も派手なことはしないし、レブナー公の別荘や“翠の木陰”含めたあの建物が並ぶ通りの治安は、街の中とそう変わりはないだろう」

少女「なんだ。なら、良かったです」

書籍商「どうして君がそんな心配をする必要がある?」

少女「だって、事件が起きた場所の近くに住んでるなんて、何かあったら怖いじゃないですか」


書籍商「君は別に、翠の木陰に住んでいるわけじゃないだろう」

少女「それはまぁ、そうですけど」

書籍商「……はぁ。大丈夫だよ、事件以降あの辺りは騎士団の見回りが強化されたはずだから、怪しい奴がいればすぐに捕まる」

そんな話をしている間に、二人はあの“趣味の悪い”レブナー公の本邸にたどり着いていた。
けれど、明るい内に見たときとは大分印象が違い、主を失った建物は、何故か酷く虚しいものに見える。

獅子が咥えた金のリングを握り、書籍商はコンコンとノックを四度繰り返した。
しばらくして扉が開く。腫れぼったい目をした、髪の長い女性が小さく会釈をした。


夫人「あぁ、あなた確か……」

書籍商「どうも、書籍商と申します。ご挨拶が遅れてしまってすみません、この度はご愁傷さまでした」

少女「あ、えっと、……さま、でした」

夫人「いいえ。わざわざ訪ねてくださって、どうもありがとう。主人のこと、聞いたのね」

書籍商「えぇ。時期を見計らうべきかとも考えたのですが、やはり挨拶だけでも、と」

夫人「そう、建前は必要よね」


一瞬だけ、二人は凍りつく。ずいぶんと直球な言葉だった。
書籍商と少女はわずかに目配せしあって、結局書籍商が口を開いた。

書籍商「……失礼しました。気を悪くされましたか?」

夫人「いいえ。ごめんなさい、今日は来客が多くて、少しだけ疲れているみたい」

書籍商「日を改めた方が宜しければ――」

夫人「大丈夫よ。さぁ、入って。紅茶を用意するわ」

どうやら言葉に噓はないようで、夫人は随分疲弊しているようだった。
覇気のない背中や、ふらついた足取りに少女は妙な罪悪感を覚えてしまう。


書籍商「いえ。お構いなく」

室内は暖炉の火によって暖かく、そして明るかった。もっとも明るさに関しては、燭台のおかげかもしれないが。
建物の外観とは異なり、中は比較的落ち着いたデザインになっている。別荘と比べても、物は多くないように見えた。

ふと視線を夫人から外すと、壁に飾られた古い大きな絵が少女の目に入る。
それは丁寧に描かれた人物画だった。若き頃の夫人らしき人物と、レブナー公、そして一人の若い女性が描かれている。

穏やかに微笑んだ表情はこちらを見つめているように見えて、少女は思わず目を逸らしてしまう。
しかし、その優しい微笑みは不思議な懐かしさと共に少女の胸の中を暖かい気持ちで満たしていった。


夫人「騎士様がいらっしゃってるの。寝ずに、私の警護に当たるそうよ」

書籍商「警護、ですか」

夫人「えぇ。見張りのことを、騎士団ではそう言うみたい」

書籍商「……よくわかってらっしゃる」

夫人「それで、あなたたちは何を聞きに来たのかしら?」

書籍商「話が早くて助かりますよ」

夫人「早く済ませたいの。もうたくさんなのよ、同情の視線も、それを装った好奇の眼差しも」


少女「夫人さん……」

書籍商「では早速。レブナー公が自殺する動機について、心当たりはありますか?」

夫人「ないわ」

書籍商「即答、ですか」

夫人「仕事も上手くいっていたもの。ここのところ働きすぎで、なかなか休みを取らないから私が思わず主人の仕事に口を挟んでしまうくらいに、ね」

書籍商「騎士団では、あなたとレブナー公の間に言い争いがあったと伺いました。それは、もしかして」


夫人「そうよ。あの人は私が仕事に口を出すのを嫌がったから。体を壊したんじゃ元も子もないと思ってたけど、まさか死んじゃうなんて……」

書籍商「レブナー公が亡くなったとされる時間帯、一昨日の午後6時から夜の10時までの間。夫人はどこで何をしていました?」

夫人「またその質問? 疑われるのって、すごく嫌な気持ちになるわね。……あら? 午後5時から、ではないの? お昼の騎士様の話では、そう聞いたけど」

書籍商「えぇ。6時までは生きていたことが確認されましたので」

夫人「そう……と言っても、話すことは変わらないわね。私はその時間、家にいたわ。使用人と一緒に」

書籍商「彼の他にそれを証明してくれる人間は?」

夫人「いないわ。基本的に、メイドたちは夜には自宅へ帰るもの」


書籍商「なるほど。ところで、使用人の姿が見えないようですが」

夫人「今頃、2階で騎士様方と話してるんじゃないかしら?」

少女「取調べ、まだ続いてるんですか?」

夫人「そうよ。彼は無実だ、って何度も訴えてるんだけど、聞く耳持たずね」

書籍商「あなたは彼を疑ってはいない、ということですね?」

夫人「全く疑っていない、というわけでもないかもしれないけど。でも私の知っている限りでは、彼は一昨日の夕方5時から昨日の朝までこの屋敷からは一歩も出ていないもの。疑え、という方が無理があるわ」


書籍商「翌日の朝まで、ということはそれ以降に殺した可能性もなくはないですよ?」

夫人「試してるつもり? 騎士団によれば、あの人は一昨日の夕方5時から――いえ、6時までは生きていた、と言ったかしら? その情報の真偽はともかく、夜10時までの間に亡くなっていたそうよ。そんな話聞いたら、疑えるわけないじゃない」

書籍商「……なるほど、非礼を詫びましょう。ちなみに、わずかでも彼を疑う余地があるという根拠は何ですか? 全く疑っていないわけではない、と仰いましたが」

夫人「別に、何か疑わしい部分があるわけじゃないわ。ただ、主人が自殺したとは考えられないだけよ。考えたくもないしね」

書籍商「では、もしご主人が何者かに殺されたのだとしたら、その人物に心当たりはありますか?」

夫人「怨まれることは、仕事柄多かったでしょうね。ここは商都……人の行き交いも多いし、そんなのわからないわ」


寂しそうに、窓の方に視線をやる夫人。
少女はいくらか躊躇ったが、それでもおずおずと挙手をして尋ねた。

少女「あ、あの、話の腰を折ってすみません。レブナー公って元商人なんですよね? 仕事って、一体何をしてたんですか?」

夫人「主人は情報屋をやってたのよ。貴族や商人相手に“情報”を売り買いしてたの。例えば、どこの貴族が何を欲しがっているか、なんて情報はあなたたち商人からすれば、喉から手が出るほど欲しい情報でしょ? 逆に、貴族は貴族で“お金”を持っているあなたたちの弱みを探してるから、どちらにもいい顔が出来るってわけ」

書籍商「まぁよく言えば情報屋。悪く言えば、スパイといったところでしょうか」

夫人「そうね、そう思われても仕方ないと思うわ。でもあの人の仕事のお陰で、貴族と太いパイプを持つことが出来た商人も大勢いるはずよ。あなたもそうでしょ?」

夫人の目が、真っ直ぐ書籍商を捉える。
違うとは言わせないわ、そんな力強さを感じた。


書籍商「もちろん。だから感謝していますよ、彼への恩を忘れたことはありません」

夫人「そう言う内の誰かが殺した、なんてことにはならないで欲しいわ」

書籍商「ごもっともですね。では、質問を続けます。ここ数日、亡くなる前にレブナー公の周りで不審なことはありませんでしたか? あるいは、レブナー公と使用人の間に何かトラブルのようなものは?」

夫人「私の知る限り、ないでしょうね。騎士様方も必死になってメイドたちに聞き込みをしていたみたいだけど、何も出てこなかったようだし」

書籍商「どんな些細なことでも構いません。例えば、誰かと待ち合わせをするといったような話、聞いていませんか?」

夫人「待ち合わせ? さぁ、聞いていないわ。貴族の誰かと、会食の予定でもあったかしら?」


書籍商「特に聞いてはいない、ということですね」

夫人「そう、ね。私、もしかしたらあの人のこと、ほとんど知らないのかもしれない。残念だけど、ほとんど力にはなれそうにないわ」

書籍商「そうですか……」

夫人「あ、でも。待ってちょうだい。確か、“橋を架ける手伝いをする”って言っていた気が――」

書籍商「橋?」

夫人「え、えぇ。一昨日、出かける前にね。そのときは何のことかと思ったけれど、新聞に出ていたでしょう? 王都ローゼンハイツの礼拝堂修繕。あそこの礼拝堂の入り口には小さな跳ね橋がかかっているの。だから、それのことだろう、って」


書籍商「なるほど。僕も何度か見たことがあります。レブナー公はそれに出資されていたんですか?」

夫人「わからないわ。でも、確かにそう言っていたのよ、あの人。こんな話、何かの足しになるとは思えないけど」

書籍商「いえ、案外そういう小さな事柄ほど重要だったりしますから。むしろ感謝します」

少女は二人のやり取りを眺めながら、もう一度だけ壁の絵画に目をやる。
不思議と引き込まれる、奇妙な絵だった。

夫人「……さて、お話はこんなところでいいかしら?」

書籍商「えぇ、十分です。ありがとうございました」

そう言って書籍商がぺこりと小さく頭を下げる。
少女もそれに倣うようにして軽く会釈をした。

あけましておめでとうございました
今日はここまでにします
今後もよろしくお願いしますね

>>184,185,186,187,193,199,212
コメントありがとうございます
こんなにたくさん、本当嬉しいです


書籍商「あぁ、そうそう。あと、少しだけ使用人ともお話がしたいのですが」

夫人「なら、二階にいる騎士様に許可を取ってちょうだい」

書籍商「もちろんです。辛いところ、わざわざお時間を頂きありがとうございました」

夫人「……ごめんなさい。本当はもっとお話をしたいのだけど、今はちょっと」

少女「あの、夫人が謝ることではありませんから」

すかさず少女が夫人に声をかけると、彼女は泣きそうな表情を一瞬作った。
見間違いだったかと思うほど一瞬だけ。そしてすぐに微かな笑みを浮かべる。


夫人「ありがとう。優しいのね、とってもよく似てる」

少女「え?」

夫人「……なんでもないわ」

似てる、とは一体誰が誰に似ているのか。そんな疑問が喉元で止まった。
書籍商が階段の方へ向かおうとしていたし、何より聞いてはいけない雰囲気を感じたからだ。

言葉に出来ないもやもやを抱えたまま、書籍商に続こうと振り返った少女の背に声がかかる。
これまでよりも幾分強張った、何かを抑えるような声色だった。

夫人「ねぇ。あなたたちがどうして主人の事件をあれこれ調べているか、わからないけれど。でも、もしも主人の命を奪った人間がいるなら是非教えて欲しいわね」


少女「それで、どうするんです?」

夫人「殺すわ。決まってるでしょ」

殺す。そんな言葉が夫人のような女性から発せられることが意外だった。
過激な言葉を好んで使うような人物には見えなかった。それだけ強い思いがあるということか。

書籍商「では、教えるわけにはいきませんよ」

夫人「……冗談よ。真に受けないでちょうだい」

そう言って唇をわずかに歪めてみせる夫人の目は、冗談というにはあまりに鬼気迫るもので、少女は何も言えなくなる。
ヒトの、憎しみや恐怖に彩られた瞳を今まで嫌というほど見てきた少女は、思わず足がすくんでしまった。


そう言って唇をわずかに歪めてみせる夫人の目は、冗談というにはあまりに鬼気迫るもので、少女は何も言えなくなる。
ヒトの、憎しみや恐怖に彩られた瞳を今まで嫌というほど見てきた少女は、思わず足がすくんでしまった。

書籍商「どうした? 具合でも悪いのか?」

少女「い、いえ……何でもありません」

どくどくと脈打つ心臓の音。少女は左胸を押さえながら、俯いて歩いた。
久しぶりだった。久しぶりに、人間を怖いと感じた。そして、何故だかそれを書籍商には悟られたくなかったのだ。


書籍商「さて。今度は使用人に話を聞く番だ」

少女「あの、主様はさっきの話、どう思いました?」

書籍商「噓は言っていないように思えた。彼女が知っている情報は騎士団が持っていた誤った情報だったしね。けれど、それは偽装かもしれない。彼女の容疑を完全に晴らすには、やはり第三者の証言が欲しいかな。もっと確かな、揺るぎない証拠が」

少女「でも、あの人の憎しみは本物です。わたし、わかるんです。だから多分――」

書籍商「言っただろう。根拠のない憶測では何も証明出来ない」

少女「……どうしてそこまで、疑うんです? 二人が犯人の可能性は低いだろう、って主様が言ってたことじゃないですか」


密室を作り出せる可能性がある二人。その二人が密室をわざわざ構成するメリットは薄い。
だから二人は犯人ではないのではないか、という書籍商の推理は少女にとって非常に納得出来るものだった。

書籍商「……人の言葉に“絶対”はない。疑え、裏を読め。騙され裏切られ傷付かないための生き方だよ」

傷付かないため、と語る当の書籍商が痛みを堪えるように、眉をしかめたのを少女は見逃さなかった。
彼に何かを尋ねることが好きだ。けれどその訳だけは、尋ねたいと思わなかった。


少女「使用人さんにも、話を聞くんですか?」

書籍商「どんな些細なことでも、犯人に繋がる手がかりが欲しいからね」

丁寧に掃除された、綺麗な手すりの付いた階段を上り、使用人がいるという部屋へ。
部屋の扉に手をかけ開こうとしたところで、二人の背後から声がかかった。

女騎士「貴様ら……やはり来たか」

書籍商「これはこれは。奇遇ですね」

女騎士「奇遇? ふん。大方、酒場の娘の話を聞いて、容疑者について知りたくなったといったところだろう。名探偵気取りはもういいのか?」

書籍商「えぇ、まぁ。思ったよりも難しい問題でしてね。僕も本腰を入れて調べなくてはならないと思ったところです」


女騎士「余裕ぶっていた態度はどこへやら、だな。まぁいい。それより、貴様たちと夫人の話を少し聞かせてもらった。貴様はあの“橋”の話をどう思う?」

書籍商「出かける前、つまり亡くなった当日の言葉であることから考えて、待ち合わせ相手は建築士か石材商、あるいは教会関係者。その辺りかもしれませんね。何ひとつ確証はありませんが、可能性としてはない話ではないかと」

女騎士「教会関係者、か……。例えば、現場に足を踏み入れた騎士たちの中に、犯人がいたとしたら、密室は作れると思うか?」

書籍商「レブナー公が持っていたという鍵、それを使って施錠することは出来るかもしれません。例えば使用人が遺体を発見した後、隙を見て遺体の手に鍵を握らせればいい」

女騎士「なら、その方法は不可能だな。遺体が、発見時に既に鍵を握り締めていたと、使用人が証言している。それ以外では?」


書籍商「やけに食い下がりますね。もしレブナー公が誰かに殺されたとすれば、現場が密室であった以上あの家の鍵を持っている人物以外に犯人はありえない。あなた方が仰ったことですよ?」

女騎士「どんな僅かな可能性でも徹底的に検証すること。それが私たちの仕事だ」

少女「徹底的に検証。それって、どんなことでも疑う、ってことですか?」

女騎士「ふふん、なんだ。随分と嫌そうな顔だな」

少女「そ、そんなつもりは……」

女騎士「私だって疑いたくはない。夫人も、使用人も。そして、“仲間”も。だが、真実を白日の下に引きずり出すためならば、相手が何であれ疑心の剣を向ける。それは私の騎士としての覚悟だ」


少女「え?」

初めは女騎士の言わんとするところがわからずに、少女は首を傾げた。
そしてすぐに合点がいく。騎士団もまた、教会関係者である。

書籍商「なるほど。教会関係者、それも騎士団の人間が犯人であるならば、隠蔽工作は可能だったかもしれません。不完全な密室を、後から完全な密室に仕立て上げる……それが出来るのは第一発見者か、あるいは――」

少女「そ、そんな」

書籍商「しかし今回の場合、第一発見者はともかく、騎士団の人間は複数人で現場に入っています。それも、遺体を“調べる”ために。そんな中で工作をしようなんて、まともな神経では出来ませんよ。リスクがあまりにも大きすぎる」

女騎士「なら、現時点での貴様の考えでは、犯人は誰だと思う? 容疑者二人以外に犯行が可能だったのは、誰だ?」


おや、と少女は小さな違和感を覚える。
容疑者二人以外に、という言葉がやけに限定的なのが気になったのだ。

書籍商「……1つ、聞いてもいいですか?」

女騎士「レブナー公が誰かに殺されたとするならば、犯人は他に、どんな人間が考えられる? 教えてくれ」

書籍商「説明してください。何か、わかったんですね? 僕たちと別れた後、一体何を調べたんです?」

女騎士「被害者の死亡時刻は夕方6時以降だった。それを貴様が証明した」

書籍商「それが、どうかしましたか?」

はっきりしない女騎士の回答に、書籍商はやや苛立ったような様子を見せる。
少女は苛立つことこそしなかったが、女騎士を見つめ、続きをじっと待った。


女騎士「その証明により、使用人にも夫人にも犯行は不可能だったということが完全に証明されたのだ」

書籍商「何故です? 二人の無罪を示す決定的な証拠はまだ見つかっていないという話でしたよね?」

女騎士「私たちは、翠の木陰から貴様らより先にハウルブルクに戻ってきたな。そのとき、ようやく待ち望んだ調査結果が提出された」

少女「待ち望んだ?」

女騎士「結果は、こちらの希望通りとは行かなかったがな」

書籍商「話が見えません。一体何を仰りたいんですか?」

女騎士「全ての門の、閉門後の通行記録を調べたのだ。流石に半日時間がかかったが」


さらっと告げられた話に、書籍商は目を丸くした。
酸素を求めるように口を何度かぱくぱくさせて、やっとのことで声を絞り出す。

書籍商「……そうだった、どうして思いつかなかったんだ。いや、それより、いつの間にそんなことを?」

女騎士「遺体発見現場に向かう前に調査を命じた。事件の概要は部下のメモと、門で待機していた騎士に聞いて、ある程度事前にわかっていたからな」

書籍商「なるほど、使用人のアリバイについて、調査次第と言っていたのはこのことでしたか。その段階で記録の調査指示を出せたのは、素直に感心しますよ。それで、結果は? まさか――」

書籍商がそこで、言葉を切った。聡い彼のことである、おそらく結果はなんとなく予想がついていたのだろう。
しかし、それでも信じたくない、間違いであってくれというような思いも、傾けた眉毛から読み取れた。


女騎士「夕方6時以降、翌日の開門時刻である早朝6時まで、使用人も夫人もこの街から出ていないし、外からこの街に帰ってくることもしていない。メイドたちの証言では、昨日の朝6時の段階で二人とも本邸にて目撃されている」

書籍商「それは初耳ですね」

女騎士「聞き込みに関心を示さなかったのは誰だったか、という話でもあるのだが。まぁいい、情報の共有が出来ていなかった点に関しては詫びよう。とはいえ、市外にあるレブナー公の別荘で二人が殺人を行うのは不可能だというわけだ。あの二人の証言は本当だったようだな」

少女「待ってください、何でそんな調査を? 始めからお二人を疑っていたということですか?」

女騎士「現場が密室だったという話を聞いたとき、被害者の身内の入出記録を遡れるだけ遡って調べるよう命じたのだ。“鍵”を持つ者が犯人であるにせよ、そうでないにせよ、何らかの形で証拠となる情報は必要だと睨んでいたからな」


書籍商「門番の見落としという可能性は?」

女騎士「閉門時に出入りをしたことがないのか? 一人一人、通行証と顔、名前を確認され署名を書くんだぞ?」

書籍商「……知っています。言ってみただけですよ」

女騎士「ちなみに夫人も使用人も、二人とも門番に面通しをしてある。身分を偽ってこの街から出ることもしていない。ただ、被害者の死亡推定時刻が夕方5時からだったら、この証拠も完全な証拠にはなりえなかった。空白の一時間が出来てしまうからな」

女騎士が、書籍商の瞳をじっと覗く。何かを待つような眼。
やがて、わずかな期待の後、小さな失望。彼女の瞳は静かに陰った。

女騎士「今の情報を踏まえて、何がわかる?」


書籍商「何かわかるんですか? 今の情報で」

女騎士「私には、何も」

書籍商が明らかに苛立った様子で、合掌した手を鼻にピタリとくっつけた。
しきりに体を揺らし、目を閉じる。何かないか、何かないか。そんな呟きも聞こえた。

女騎士「特に何も意見がないと言うのであれば、貴様の仕事はもう終わりだ。ご苦労であった」

少女「……あんまりな言い方ですね」

女騎士「気に障ったか?」

少女「主様は、全知全能の神様じゃありません。わからないことも、答えられないこともあります」


女騎士「わかっている。だから、ご苦労であったと――」

書籍商「待ってください」

嫌な空気を払拭するように、書籍商が口を開いた。
再び、女騎士の瞳が期待に色づく。

女騎士「何だ? 聞こうじゃないか」

書籍商「記録を調べたのは二人だけ、ですか」

女騎士「いいや。屋敷の人間と身内を調べろ、と指示した。だからメイド3人と使用人、そして夫人の5人の記録を調べてある。ちなみに、彼の家族は夫人だけだった。彼の父も母も妹も、既に亡くなっているそうだ」

書籍商「メイドも鍵を持ち出すことが可能だったのでしょうか」


女騎士「不可能という話だな。調査を指示した段階ではわからなかったが、現段階では揺るがない事実である」

書籍商「夫人の持つ鍵は間違いなく管理されていた、この点に誤りはないと?」

女騎士「神に誓って」

頭を抱えて、低く唸る書籍商。
ばりばりと後頭部を掻き毟る。

書籍商「ずっと考えてはいるんです。二人が犯人でない場合、一体誰なら犯行が可能なのか。だけど思いつかない、密室の奥にある真実にたどり着けない」

女騎士「……そうか。潮時、だな」

書籍商「潮時? 真実に繋がる扉を叩くことを止めれば、僕たちは二度とそれを開けることは出来ませんよ。考えましょう。二人に犯行が不可能だったとしたら、どうしてレブナー公は死んだというんです? あなたの見解を聞きたい」


落ち着き払った言葉とは裏腹に、書籍商の声は震えていた。
女騎士はそんな彼に哀れみの視線を向けて、ゆっくりと口を開く。

女騎士「上層部の言葉をそのまま伝えてやろう。二人以外には犯行は不可能で、かつ二人が犯人でないならば、残る結論は一つだろう、とな」

少女「レブナー公の、自殺……」

女騎士「ご名答」

果たして本当にそうだろうか。もっと他に可能性があるのではないか。
そんな考えと、目の前に突きつけられた事実がせめぎ合う。


書籍商「ふふ……」

楽しそうに何度か拍手をし、やがて頬を一気に強張らせる書籍商。
少女も女騎士も、ただ黙って彼の姿を見つめることしか出来なかった。

書籍商「ふ、ふふ。はは、ありえない。ありえない! 何か見落としをしているんですよ。犯人は必ずいます。そう、例えば門番が買収済みだったとしたら? 条件はクリア出来る。使用人も夫人も、あとはお互いやメイドの目を欺くなり、共謀するなりすればいい。犯行の機会があった可能性はゼロじゃない」

女騎士「夫人に話を聞いて尚、彼女を疑うのか……筋金入りだな。言っておくが門番が買収された可能性は限りなく低い。そんなことが発覚すれば重罪であり、仕事にだけでなく信仰にも熱心な彼らが、教えに背くようなことをするとは考えにくいからな。それに、人二人を買収出来るような金が動けば、それこそすぐにわかるはずだ」

書籍商「……わかってますよ。言ってみただけです。では二人には犯行が不可能だった以上、第三者が犯人であった可能性を考えなければいけません。その場合、クリアしなければいけない条件がいくつかありますね。例えば、密室を作成出来たこと。一切鍵を使わずに密室を構成するトリックがあるなら――」


女騎士「あるなら。仮定の話だ。それで、具体的には? どんな方法を用いればいい?」

書籍商「そ、れは」

意地悪な指摘のようにも思える彼女の言葉は、あくまでも的を射たものである。
だからこそ、書籍商は言葉に詰まる。詰まらざるを得ない。

女騎士「遺体が発見されたのは鍵のかかった密室。そして、現場の鍵を持っていた容疑者二人には鉄壁のアリバイ。目の前の事実を一息に飲み込めば、自殺という結果が出るのは何の不思議もない。……私個人としては、疑惑の小骨が気になるところだがな」

左の掌を右の拳がすぱん、と打つ。乾いた高い音。
その仕草だけで、彼女がレブナー公の自殺という結論に納得していないことがわかった。

本人が閉めてるが抜けてるよね


女騎士「聞け、書籍商。私は知りたいのだ。貴様と同じように、真実が」

書籍商「僕と同じように?」

女騎士「なぜ、貴様はそこまでレブナー公が自殺していない、と言い切ることが出来る?」

書籍商「なぜ? 説明したじゃないですか。今日の昼、現場で」

女騎士「貴様が証明したのはレブナー公の死が自殺ではなかったかもしれないという、可能性に過ぎない。私が知りたいのは、貴様が隠しているその自殺ではないと考えられる根拠と、隠している理由だ。自殺の可能性を否定する、明確な根拠」

書籍商「なるほど、あなたの本題はこれでしたか。このために、わざわざ本邸で待ち伏せしていた……僕らの行動を推測して。やはりあなたはなかなか優秀な人物のようです」

女騎士「でなければこの歳で、ましてや女の身で、師団長など務めてはいないさ」


瑞々しい唇の端を吊り上げて、白く形のいい歯を覗かせる。
しかし、気の強そうな瞳は笑っていない。獲物を狩る猫の目だった。

女騎士「なぁ、話してみる気にはならないか? 現状、我々は手がかりを失ったと言っていい。だから貴様の話次第では、新たな捜査が必要になるかもしれない」

書籍商「話さないと言ったらどうします?」

女騎士「どんな手段を使ってでも聞き出す。ありとあらゆる手段だ。真実への道を妨げるものは、ときとして多少強引にでも排除する必要がある」

ぞくり、と少女の背筋を悪寒が伝う。そうだ、これだ。人もエルフも、本質は同じなのだ。
四本の脚で歩く獣と違い、二本の腕で刃を振るう生き物。両者の違いはその理由が欲望のためか、掟のためかの違いだけだ。


女騎士「貴様は賢い。それは認めよう。だからこそ、正しい判断が出来るはずだ」

女騎士が白く美しい手をこちらに向ける。握手だ、契約の。
少女は書籍商がその握手に応じるものだと思っていた。

なぜなら、現状、袋小路に立っていることは間違いない。
そして何より、自分の存在が彼の重荷になることが耐えられなかったから。


――ところが。


書籍商「……教会の力は、借りません」

少女の予想や願いに反して、書籍商の返答は“ノー”だった。
しかしそれはいつもの自信に満ちた態度ではない。弱々しい、拒絶。


女騎士「ふん。だと思ったさ。悪く思うなよ? 私個人としても興味があったもので、貴様のことを調べさせてもらった」

少女「え?」

女騎士「幼い貴様から家族を奪った詐欺師が憎いか。罪を裁ききれなかった無能な騎士団が憎いか。貴様はいつしか心を病み、悪意を抱きうる全ての人間が信用できなくなってしまった」

書籍商「ふふ。よくもまぁ、そこまで調べたというべきでしょうか。……あなたのような人間が、かつての騎士団にいなかったことが悔やまれますよ」

女騎士「そうだな、その通りだ。かつての騎士団は、事なかれ主義の無能共が仕切っていた。貴様が憎み、不信に思うのも無理はない。だが今は違う。私を信じろ、書籍商」


書籍商「…………」

沈黙もまた言葉。書籍商は無言のまま、女騎士を拒絶する。
彼女はこうなることを予想していたのかもしれない。すぐに言葉を続けた。

女騎士「仕方ない、情報の共有が難しいのであれば、我々の契約はもはや意味のないものだ。契約を破棄するのであれば、これ以上の詮索はしない。同時に、今後一切の情報を公開しないが――」

書籍商「え、えぇ。そっちがそうしたいなら、そうすればいい」

売り言葉に買い言葉、とでも言うのか。
状況は、傍目に見ても最悪だった。少女は咄嗟に書籍商の袖を掴む。

少女「あの、主様。一回落ち着きましょう、ね?」


書籍商「落ち着きましょう? 僕は落ち着いている。何を馬鹿な」

女騎士「聞け。私個人は、レブナー公の自殺に少なからず疑問を抱いている。だが、神と法に仕える誇り高き騎士として、罪のない人間を罰することは決してあってはならないとも考えている。どういうことかわかるか?」

書籍商「流石は女騎士様、ご立派な心構えであらせられる。いや、自殺という結論でご自身を納得させるための理屈ですかね。どちらにしても素晴らしい考え方です」

とんとん、と書籍商は指を落ち着きなく動かし始めた。
反対に女騎士はぴくりとも笑わず、動かず、冷淡に言い放つ。

女騎士「独りよがりだな、貴様は」

書籍商「……何を」


女騎士「もういい。貴様と話すことは何もない」

背を向ける直前の女騎士の瞳には、明らかな失望の色が浮かんでいた。
期待、していたのだろうか。書籍商に。何を? 謎を解くことを? それとも。

書籍商「使用人に、話を聞きます……構いませんね?」

女騎士「勝手にするといい。あぁ、そうだ。犯行に関わっていたという証拠でも聞き出せるといいな、期待しているよ」

書籍商「心にもないことを」

ひらひらと手を振り階段を下りていく女騎士の背中を、書籍商は苦々しい表情で見送った。
彼が真実を話せない原因である少女は、掛ける言葉が見つからずただ俯くことしか出来なかった。


少女「……主様、ごめんなさい。わたしのせいで」

書籍商「別に君のためじゃないし、君のせいでもない」

少女「で、でも」

書籍商「しつこい。僕のやり方に口を挟むな」

少女「……はい。すみませんでした」

書籍商「使用人に話を聞く。落ち込んでいる暇はない」

扉を4回ノック。金の丸ノブを回す。ぎぃ、と音が鳴って扉が開いた。
蝋燭の明かりにゆらゆらと照らされた部屋の真ん中に、短髪の男性が座っていた。


書籍商「失礼します」

少女「し、失礼します」

使用人「あんたら、いい加減にしてくれよ。俺は殺人なんて……失礼。どなたです?」

書籍商「申し遅れました。僕は書籍商と言います。こっちは、助手の少女です」

少女「はじめまして」

使用人「あぁ、旦那様の取引相手、でしたっけ?」

書籍商「そうです。もう騎士様とのお話は終わったんですか?」


使用人「え? あぁ、終わりましたよ。さっきまでずっと似たような質問ばっかりされて……いい迷惑ですよ」

書籍商「どんなお話をされました?」

使用人「事件の話ですよ。俺が旦那様を殺したんじゃないか、あるいはその手伝いをしたんじゃないかって疑われてるみたいです」

書籍商「お気の毒に。第一発見者となれば疑われるのも無理はないでしょう。発見当時の様子を詳しくお話願えますか? 覚えている限りで、詳しく」

使用人「それ、さっきも話しましたけど」

書籍商「申し訳ありませんが、もう一度お願いします」

使用人「……朝食の仕度をして、夫人から鍵を渡してもらった後、いつも通り別荘の掃除に向かいました。到着したのは朝8時半頃です。鍵を開けて中に入ったら、部屋が少し荒れてて。それで、奥を見ると旦那様が倒れてるのが見えました」


書籍商「それから?」

使用人「とにかく駆け寄って、呼びかけましたよ。でも助け起こそうと思ったら、体が冷たくなってて……もう助からないんじゃないかって思いました。そしたらパニックになっちゃって、とにかく誰かに知らせなきゃって」

書籍商「街まで戻ってきたと?」

使用人「いいえ。時間帯的にも行商路を往来している人間は多かったし、たまたま通りかかった馬車を止めて、騎士団を呼ぶように頼みました」

書籍商「あなたは遺体の側から離れなかった、というわけですか」

使用人「いくら既に死んでしまってるからといえ、俺の主人ですからね。離れようとは思いませんでしたよ」


書籍商「やがて騎士団が到着……その間あなたの他に、別荘へ入った人間は?」

使用人「いませんよ。だから、唯一の出入り口である玄関扉が施錠されてたって話を聞いた騎士の方は自殺だな、って」

書籍商「あなたはどう思いました? 自殺だと思いました? 他殺だと思いました?」

使用人「遺体を発見したときは考える余裕なんかなかったですけど、旦那様が自殺する理由は見つからなかったですし、殺された可能性もあると思いました」

書籍商「そうですか、僕もそう考えています。しかし、なにぶん発見現場が密室であったということもあって、その主張はなかなか難しそうでして。鍵の管理は、夫人が?」

使用人「えぇ。いつも別荘の掃除に出向く際は、奥様から鍵を借りてました。旦那様は常に鍵を持ち歩いていたので」


書籍商「例えばメイドやあなたが、夫人の管理する鍵を盗み出して使用することは可能だと思いますか?」

書籍商の質問に、使用人はぴくりと眉を動かした。
まだ自分が疑われているということが気に障ったのかもしれない。

使用人「さぁ。でも多分無理だと思いますよ。メイドたちは夜に帰るので、当然盗んだ鍵を返すタイミングがありませんし、俺はそもそも奥様の寝室には入れません」

書籍商「そうでしょうね」

使用人「そうでしょうね、ってあんた……」

書籍商「では、どなたか犯人に心当たりは?」

使用人「それもさっき聞かれました。でもね、もしそれを俺が知ってるなら、そいつを俺が殺してます。奥様の笑顔を奪った、犯人をね」


書籍商「随分と夫人に肩入れされているようですが。やはり、あなたが夫人に言い寄っていたというあの噂は本当ということでしょうか」

使用人「はぁ、噂ってのは広まるのが早いですね。……そうですよ、俺は奥様に惚れてます。だから旦那様のことも、最初は正直あまりよく思ってませんでした。でも、俺は振られたんです。どんなに仕事優先にされたって、それでも旦那様のことを愛してるから、ってね」

少女「愛、してる……」

しばらく二人のやり取りを黙って聞いていた少女が、そっと呟いた。
憧れだった。その言葉は、遠すぎてなんとなく耳や胸が痛い。

使用人「振られはしましたが、それでも俺が奥様のことを大切に想っていることは今も変わりません。だから、俺があの人の最愛の人を殺すはずがない。それに――」

書籍商「それに?」


使用人「教えてくれたんです。俺に、勉強を」

書籍商「はい?」

使用人「俺は“使い”ですよ。家事手伝いが出来て、必要最低限の知識があればそれでいい、そう思ってました。でも旦那様は違った。俺がいずれ、独立しても生きていけるように、って本をくれた。……嬉しかったんです」

書籍商「だから動機はない、と言いたいわけですか。わかりました、質問を続けても?」

使用人「勝手にどうぞ。ただ、俺を犯人にしたいなら何を聞いても無駄ですよ」

書籍商「いえ。もうその手の質問は結構です。ここからは、真犯人を探すための質問ですよ。協力して頂けますね?」

無言のまま、使用人は頷く。
肯定だった。

本日はここまでです
読んでくださる方ありがとうございます

>>252
ぎ、ぎくっ
まだフーダニットの謎が残って……れば
是非もうしばらくお付き合いください



これから証拠がわんさかでるんですな


書籍商「レブナー公が殺されたと聞いて、犯人かもしれないと思った人はいましたか?」

使用人「正直、心当たりがありすぎて誰とまでは断定出来ませんよ。旦那様は顔が広くて、かつ敵の多い人でしたし」

書籍商「まぁ、それはそうでしょうね。彼のことを妬む人間も、怨む人間も、それはもうすごい数だと聞いています」

使用人「ただ、旦那様が言うには、そうした人たちは大体、私の仕事による恩恵を少なからず受けているから、殺すに殺せないんだ、と」

書籍商「……なるほど。確かに、彼の扱う情報は僕たち商人にとって、とてつもない価値のあるものです。上手く使えば、貴族に取り入って、ライバルたちに大きな差をつけられる。当然出し抜かれた側は面白くありませんが、彼を殺すよりも、生かして次の機会を待つほうがいい。その方が、恒久的な利益が見込める」


使用人「利益を生む間は殺さない、っていう考え方は正直、理解出来ませんでしたけどね。普通、人は殺さない。利益なんて関係なしに。人を殺せば、神の国へは行けなくなってしまうからです」

書籍商「そうでしょうか。どんなに感情が暴走しようと、利益を生み出す間は生かしておこうと考える。僕は、商人とはこの世で最も理性的な生き物だと思いますけどね。まぁ、だからこそ性質が悪いとも言いますが。……ところで近頃、レブナー公の周りで変わったことは?」

使用人「変わったこと?」

書籍商「そうです。例えば、教会関係者との間でトラブルがあったり、だとか」

使用人「特にそういったことは聞いていません。……あ、でも」

書籍商「でも?」

書籍商が尋ねると、使用人は一度だけドアの方へ視線を向ける。
あまり聞かれたくない話なのか、声のボリュームをやや落とした。

使用人「旦那様は教会の動向を気にされているようでした。ここ数週間は特に」


書籍商「と言うと?」

使用人「詳しいことはわかりません。旦那様は秘密主義でしたから。でも、新聞の記事に線を引いているのを見たことがあります。まだ残ってると思うし、見てみますか?」

書籍商「是非、お願いします」

使用人「ちょっと待っててください。確か書斎にいくつか置いてあったはずですから」

書籍商「書斎、ですか。……僕らもついて行っても?」

使用人「え? あぁ、そう、ですね。どうぞ」

書籍商「どうもありがとう」

なんとなく歯切れの悪い使用人に案内され、レブナー公の書斎へ向かう。
途中すれ違った騎士には怪訝そうな目を向けられたが、愛想笑いを浮かべてごまかした。


廊下を突き当たりまで進み、扉を開ける。書斎は思ったよりも小さな部屋だった。
室内は甘い果物のような匂いがして、少女は鼻をひくつかせた。柑橘系、だろうか。

使用人「ここです。新聞は、えっと、どこだったかな」

少女「すごい。本がいっぱいですね」

書籍商「レブナー公は僕にとっても上客だったんだ。遠方からわざわざ取り寄せた本なんかもここにはある。この部屋だけでも、それなりの価値があるだろうね」

少女「……ということは、その過程であの古書を手に入れたんですか?」

書籍商「その通り。彼は非常にエルフの文化に関心があったから、色々とそれに関連した本を集めていたんだ。ほら、これなんかもそうだよ」


そう言って書籍商は本棚から一冊の本を抜き出してみせた。
黒く染められた革の表紙に、金の字が掘られている。見るからに高そうだ。

少女「これは?」

書籍商「ふむ、異教徒や異種族に関する記述を集めた禁書だな。ほらここ、エルフに関するページの端が折られている」

ぱらぱらと適当に内容を一瞥すると、書籍商はあるページを指差してみせる。
綺麗な挿絵が描かれており、エルフと森の関係や、秘薬、禁術について書かれているようだ。

少女「あれ?」

書籍商「ん?」

少女「この模様、最近見たような気がして――」


挿絵に描かれた、幾何学模様ともまた異なる、複雑な模様。文字のようでもあるが、絵のようでもある。
その模様に意味があるのかどうかすらもわからないが、何故か妙に気になった。

書籍商「……そうか」

少女の目の前。片手でぱたん、と本を閉じる書籍商。
彼の呟きに“強張った”響きを感じて、少女は首を傾げた。

少女「あ、何で閉じちゃうんですか。もう少しで思い出せたかもしれませんよ」

書籍商「ならこの本は……しばし拝借するとしよう」

少女「む。そういうことするんですか」

少女「あとで怒られても知りませんよ」

書籍商「盗むわけじゃない、借りるだけだ。後できちんと返せば何の問題もない」

しーっと人差し指を口に当て、彼は悪戯な笑みを浮かべる。
そして、黒い表紙の本を素早く自身のローブに仕舞いこんだ。

乙かな?
めっちゃ楽しみにしてる

>>269,270,271,272,273
コメントありがとうございます
よそうはよそう、不覚にも笑いました
お心遣いありがとうございます
でも、予想して頂けるのも嬉しいですね

骨のある謎はご用意出来ませんが
是非最後までお付き合いください


犯人出てるならもう目星とトリックは予想つくけど
荒れるから予想を書くのはよそうぜ

トリックはともかく犯人はまだ絞れない気がするが
予想はよそうってことで大人しく続きを待つぜ
>>1はよ


使用人「すみません、お待たせしました」

少女「ひゃぅ!?」

絶妙のタイミング、もはやお約束と言うべきか。
少女はばくばくと跳ねる心臓を押さえつつ、乾いた笑みを返した。

少女「あ、あはは……」

使用人「えっと、どうかされました?」

書籍商「いいえ? 別に何も。ところで、そちらが新聞ですか?」

使用人「あぁ、はい。これです。3日前までのものしかありませんが」


書籍商はいくつかの新聞を山から取り、ざっと目を通す。
少女も横から覗き込むようにして、いくつか記事を読んでみた。

確かに線があちこちに引かれている。線だけではない、何か走り書きのようなものも見えた。
異教徒の処刑や、騎士団の遠征情報、それから異種族との小競り合いに関する報道が多く目についた。

それらの記事はどれも一様に賛美的な書き方をされていて、薄気味悪さを感じる。
レブナー公は一体何のために、どういう気持ちで、この記事を読んでいたのだろうか。

書籍商「3日前……事件の前日まで、ですね。レブナー公は毎日新聞を読んでいたんでしょうか?」


使用人「朝食の前と夕食の後に、そこの暖炉の前で読むのが日課でしたから」

書籍商「レブナー公の普段の生活はどのようなものだったんでしょう?」

使用人「本邸でのことしかわかりませんが、7時頃には起きて奥様と一緒に朝食を摂っていました。その後は仕度をして、9時には家を出ます。貴族の家に出向くこともあれば、商人と商談をしに向かうこともありますね。ただ、大抵は別荘にそのまま向かいます」

書籍商「なるほど。帰りは? 普段は何時ごろですか?」

使用人「そうですね。だいたい閉門には間に合うよう帰ってきますよ。食事会なんかがあれば、帰りは遅くなりますが、そういう場合は前日に奥様に伝えてらっしゃいました」

少女「いい旦那さんですね」


使用人「……まぁ、そうですね。でも、旦那様はいつだって仕事ばっかりで。奥様はきっと寂しかったと思いますよ」

書籍商「事件前日、そういった話は聞いていませんか? 夕方、どなたかと待ち合わせをしていたようなんですが」

使用人「さっき騎士団の方から伺いました。少し遅くなるかもしれないから、先に夕食を食べていろ、と伝言していっただけで、特に他は聞いてません。きっと、仕事関係の相手だったんじゃないですか」

書籍商「何故、そう思うんでしょう?」

使用人「待ち合わせのことは聞いていませんでしたから。旦那様は俺や奥様に仕事の話はしたがりません」

書籍商「……夫人ではない女性と会う予定だった、なんて可能性はありませんか? 仕事ではない用事で」


使用人「ははっ、まさか。ありえませんよ。賭けてもいい」

書籍商「まぁ、そうでしょうね。僕もそう思います」

使用人「あの人は仕事第一でしたけど、奥様を裏切るような真似も決してしません。お互い信頼し合ってたんですよ。俺が奥様に言い寄ったことがあるって話、さっきしたじゃないですか」

書籍商「えぇ」

使用人「あのとき、俺のことを解雇したり怒鳴ったり、そんなことは一切ありませんでした。それどころか、振られた俺のことを慰めたんですよ。あの人は。まったく、今思い出しても変な人だったなぁ……」

書籍商「…………」

すん、と鼻を鳴らして上を向く使用人。心なしか声もなんとなく湿っぽい。
夫人よりいくらか冷静なように見えたが、やはり彼も悲しみを背負っていたのだろう。


何か言いたげな表情の書籍商は、結局何も言わずに小さく首を横に振った。
少女もまた同じように、何も言わず二人を見つめ続ける。時間だけが、過ぎる。

使用人「――自殺なんて、するような人じゃないと思うんですよ」

書籍商「僕も、そう考えています」

使用人「でも、もう自殺でもいいんじゃないか。って、思い始めてもいます」

少女「え?」

使用人「きっと、そっちの方が俺らにとって幸せなんじゃないかって」

書籍商「どういう意味ですか?」

使用人「奥様と、話しましたよね」

書籍商「えぇ、まぁ」


使用人「犯人が捕まったら、冗談抜きで、きっと奥様はそいつを殺しに行きますよ。魂を憎しみが汚して、悪魔に変えてしまう。そんなの、俺も旦那様も望まない。だったら、自殺として処理されたほうが、いっそいいんじゃないかって」

書籍商「……本気で言ってるんですか?」

使用人「真実を知りたいって気持ちは確かにあります。どうして旦那様が死ななきゃいけなかったのか。俺も奥様も、そりゃ知りたいですよ。でも、俺にとっては今、生きている奥様が大事なんです。奥様と旦那様が神の国でまた出会うために、俺は奥様を犯罪者にするわけにはいかないんですよ」

彼の言葉からは、強い決意が感じられた。そんな覚悟もあるのか、と少女は小さく息を飲む。
おそらく彼の考え方は、正しくはない。正しくはないが、間違っていると言えるのだろうか。

書籍商「……自殺という結論では、おそらく夫人は納得しないでしょう。きちんと真実を伝えて、向き合った方がいい。誤魔化しは、しょせん誤魔化しでしかありませんから。それと。理性で魂を縛り付けるのは、容易ではないでしょうが――“一人じゃなければ”不可能ではないと、僕は思います」


不意に、書籍商に手を引かれる。少女はびっくりして身を固くした。
何事かと書籍商を見たが、長い前髪が瞳を隠しており、表情は読めなかった。

書籍商「辛いところ、話を聞かせてくれてどうもありがとう」

少女「あの、主様?」

書籍商「行こう。ゆっくりと整理する時間が必要だ」

少女「え? あ、待ってください。え、えっと、あの、使用人さん――」

書籍商に手を引かれながらも、扉が閉められる直前、使用人を真っ直ぐ見つめた。
どうしても伝えたかった言葉があったのだ。

少女「わたしたち、きっと答えを見つけます! だから、待っててください!」

自己満足だとは思う。それでも、答えをくれる人はいるんだと伝えたかった。
書籍商も言っていたではないか。一人じゃなければ、と。



うーん、犯人までわかっちゃいましたか?
ちょっと様子見したくて自演しちまいました
すいません反省してます

>>280 >>282
コメントありがとうございました
今後ともよろしくお願いいたします



完全にきまってはないんでないかい
他の可能性だってあるわけで
おすし

>>292
目星がついただけで出てないならわからないし動機もまだ不明だし
当たってるかもわからないし
楽しく読んでますのでお気になさらないで下さい




*  *  *



夫人「もうお帰りになるの?」

階段を下りたところで、背後から声がかかる。振り返ると、そこには服を着替えた夫人が立っていた。
防寒のためか肩にタオルケットを掛け、湯気の上るティーカップを持っている。大分落ち着いたようだ。

少女「え? は、はい。こんな時間にお邪魔して、えっと、すみませんでした」

書籍商「……お邪魔しました」


夫人「あら。彼、どうかしたのかしら?」

少女「へ? あ、あーっと、ちょっと疲れてしまったようで」

夫人「そう、お大事に」

書籍商「えぇ。ありがとう、ございます」

ぎこちなく愛想笑いを浮かべたまま、書籍商は玄関までのそのそと歩いていってしまう。
慌てて少女が追いかけようとしたとき、夫人が少しだけ柔らかい調子で声をかけた。

夫人「よくわからないけれど、頑張って、書籍商さん。あなたは主人の信頼を勝ち得た立派な商人なんだもの」

少女「どういうことです?」


夫人「普段は滅多に仕事の話をしてくれなかった主人が、珍しく私に言ったことがあるのよ。彼の仕事には大いに期待をしている、ようやく胸に刺さっていた棘を抜くことが出来る、ってね」

少女「そうだったんですか……」

夫人「さ、あまり長話をしても仕方ないわね。外はもう暗くなってると思うから、二人とも気をつけてお帰りなさい」

少女「ありがとうございます」

お礼の言葉と共に深々と頭を下げ、少女はぱたぱたと書籍商の後についていく。
日が完全に落ちた外は、夫人の言うとおりとても暗い。はぐれないように、そっと彼の袖を掴んだ。

少女「主様、大丈夫ですか?」

書籍商「……そういう風に訊かれるということは、大丈夫そうには見えないということか」


少女「え、えっと、そうですね。あんまり大丈夫そうには見えないです」

書籍商「それで?」

少女「え?」

書籍商「僕が大丈夫じゃない、と答えたら君はどうするつもりなんだ?」

少女「どうする、って。それは、わかりませんけど……。でも、心配です」

書籍商「心配です、か」

少女「いけませんか?」

書籍商「いいや。ありがとう」

夜の街並みは静かだ。出歩いている人も少なく、通りに面した店のほとんどは灯りが消えている。
地下牢にいたときはあまり感じなかった寂しさが、じわじわと胸の奥を這う。少女は少しだけ歩調を速めて、書籍商の隣に並んだ。


書籍商「…………」

少女「こうして、並んで歩くのは初めてですよね」

書籍商「……そうだったかな」

少女「そうですよ。主様は、どんどんどんどん先に歩いて行っちゃうんですから」

書籍商「あまり、誰かと並んで歩いたことがないんだ。仕方ない」

少女「わたしもです」

会話が、続かない。けれど聞きたいことはたくさんある。そう、ありすぎるのだ。
訊きたいことは訊け、と書籍商は言った。大丈夫、きっと彼は答えてくれるだろう。


少女「レブナー公は主様にとって、ただのお客様じゃありませんよね」

ぴたり、と書籍商が歩みを止める。
確証はなかったが、彼の反応を見る限り間違いではなかったらしい。

書籍商「……しまった。かま掛けか」

少女「最初は、主様はレブナー公のこと、あまり好きじゃないのかと思ってました。だってほら、家の趣味が悪いって言ったり、貴族の金ヅルだって言ったり。でも、逆なんですよね。気心が知れてるからこそ、言えることだったんです」

書籍商「良いぞ、なかなか鋭い推理だ」

少女「茶化さないでください」

書籍商「……そうだよ。僕は彼に、とても大きな借りがある。今回のことでその借りを、少しでも返せたらと思っていた」


少女「借りって何ですか? 今回のことっていうのは、あの本の解読のことでしょうか?」

書籍商「やれやれ、質問が多いな……。借りというか、まぁ、恩とも言うけどね」

再び書籍商が歩き始める。浮かべた笑みはどこか自嘲的なものだった。
少女は彼の言葉を聞き漏らすまいと耳を澄まして、隣を歩く。

書籍商「……僕は、昔から読み物が好きだった。賢者があらゆる謎を、ちょっと話を聞いただけでたちどころに解決してしまうような、そんな物語が特に好きだったんだ」

少女「はい」

書籍商「彼は――賢者は、謎を構成するどんな小さなピースも見落とさない。ほんの些細な綻びから噓を見抜き、わずかな手がかりをもとに、まるで見てきたかのように真実を言い当ててしまう。子供の頃の僕は彼に憧れていた」


少女「昨日の偽者の騎士様を見破ったとき、主様はそんな感じでしたよね」

書籍商「ありがとう。でも、僕が彼に憧れるようになったのは、ちゃんとした理由があるんだよ」

少女「理由?」

書籍商「――幼い頃の僕は、今の君と同じように純粋だった。僕の父も、母も。だから詐欺師の言うことを疑うことが出来なかった。父と母は多額の借金を抱えて、僕を捨てた。今でも覚えているよ。お前を売った、もう帰ってくるな、って言ったんだ」

少女「え、っと……」

書籍商「だけどね。それは噓だった。僕一人を生かすために、二人は心中したんだ。そのことを知ったのはずっと後だったけどね。僕は二回も騙されたってわけだ。悪意のある噓と、優しい噓に。そして、教会も騙された」

少女「え?」

書籍商「捕まった詐欺師は、無罪放免。証拠が足りなくて起訴出来なかったそうだ。疑わしきは罰せず。もしも彼が本当に罪を犯したならば、神は彼を許さないだろうから、って。教会は、人の手で裁くことを諦めたんだ」


少女「女騎士様が、さっき言ってたのって」

書籍商「まぁ、あながち間違いではないな。それから孤児院に引き取られた僕は、現実から逃げるように物語の世界に夢中になっていった。賢者の物語が好きだったのは、面白かったってだけじゃない。きっと、彼がいれば僕はもう少し救われていたんじゃないかと、そう思ったからだよ。それで――」

そんなときだ、と書籍商が言う。
彼とレブナー公はそうして出会ったのだと。

書籍商「レブナー公は孤児院にいくらかの寄付をしていたようでね。週に一回訪ねてくる彼と話すうちに、僕は商人の道に興味を持った。だから僕は勉強したんだよ、商人になるために。幸い、本はたくさんあったしね」

少女「どうして? どうして、商人になろうと思ったんですか?」

書籍商「言っただろう。彼がきっかけだ。その頃はまだ、現役の商人だったんだ。聡明で、いくつもの取引をこなしてたよ。物の価値や、相手の噓を見抜く素晴らしい目を持っていた。そんな彼のようになりたいと――あの頃の僕は思ったんだろう」

少女「ということは、主様にとってレブナー公は商売のお師匠様ってことですね」


書籍商「それは少し違う。彼は弟子を取らなかったからね。僕は本から様々なことを学んだ。彼がくれたのは、ほんの少しの元手禁と僕が商人として独り立ちするための機会だけだよ。それでも、十分過ぎる恩だけれど」

少女「……今、ようやく主様のことが少しわかった気がします」

書籍商「気がするだけだ。人は他人を一生かけても理解出来ない生き物だから」

少女「それでもいいです。たとえ錯覚でも、そう思えたってことが大事なんです――って、痛っ!? 何で蹴るんですか!」

書籍商「ちょっと癪に障っただけだ」

少女「な、何で開き直ってるんですか……」

彼は不思議な人だと思う。人を見下したように振舞ったかと思えば、優しかったり。
かと思えばすぐに意地悪そうな笑みを浮かべてみせたり。本質が掴みにくいのだ。

数メートル、いや数十メートル。数秒、いや数十秒。
二人は無言のまま歩いた。視線を交わすことはしなかったが、隣り合って。

とりあえずキリがいいので今日はここまで

>>293,294,295,305
コメントありがとうございました
優しいお言葉ありがとうございます
特に>>295さん 余計なことした、と凹んでたので
すごく嬉しかったです

ちなみに捜索願い……読み返したら
書き漏らしてました
展開の中で補足しておきます



蹴りはよくないが
気持ちはわかるな


書籍商「……人は、噓をつく生き物だ。24年生きてきて、およそ12年間商人をやってきて、そのことは十分過ぎるほど身に染みている。だから、失意に沈んだフリも出来るし、居もしない“真犯人”に怒りをぶつけるフリも出来るだろう。そう考えていた」

不意に書籍商が口を開く。少女に向けた言葉というよりは、独白めいた調子だった。
彼が何を言おうとしてるのか少し考えを巡らせて、軽く頷く。

少女「それって……あの二人のこと、ですか?」

書籍商「レブナー公の死、密室の謎。どこかで全部、物語の中の出来事のように感じていたんだ。きっとこの事件には、とんでもない謎があって、誰かがパズルを解いてみせるのを観客が静かに待っている。そんな感覚だったのかもしれない」


けれど、と書籍商は言葉を続けた。
何かを迷っているような、躊躇っているような。

書籍商「けれど、僕は賢者にはなれない。わかっていたことだけどね。本当は、不安なんだ。何かを見落としてしまったんじゃないか、既に真実への道を照らす日は落ちてしまったんじゃないか、って――」

少女「主様!」

何かを言わなくてはいけない。そんな焦りにせっつかれて少女は口を開いた。
その声に、はっと我に返ったようにまばたきを繰り返す書籍商が呟く。

書籍商「……すまない。今、言ったことは忘れてくれ」

そのとき、少女は自分で言った言葉を思い出す。書籍商は全知全能の神ではない。
今、彼を苦しめている難問。その答えに続くかもしれない道を一つだけ、少女は知っている。


少女「主様。明日、駐屯所に行きましょう」

書籍商「……駄目だ。危険だし、理由がない」

少女「いいえ。レブナー公が自殺じゃないと思う本当の理由を、女騎士様たちに伝えるべきです。やっぱり協力するべきですよ」

書籍商「残念ながら、それは出来ないよ。君のことが公になれば、教会は君を自由にはしておかないからだ。そうなったら、僕は依頼人に何て説明したらいい?」

少女「レブナー公はもう、この世にはいません」

書籍商「だからこそ、だよ。あの人の最後の願いは叶えたい」

少女「……願いって何ですか?」


書籍商「もちろん、エルフの書物を解読することだ。そのためには、君を教会に渡すわけにはいかない」

最初から、小さな違和感を感じていた。エルフの書物の解読、という話。
“あの本”を解読することの目的とは何だ? 訊くなら今だと思った。

少女「さっき、夫人から聞きました。生前レブナー公が、夫人に言っていたそうです。これで胸に刺さった棘を抜くことが出来る、って。“棘”って何ですか? 教えてください。主様は、まだわたしに何かを隠していませんか?」

再び書籍商は歩みを止める。彼は少しだけ驚いたようだった。
彼が吹いた小さな口笛に、通りすがりの人が振り向いた。

書籍商「さっきのことと言い、君の勘はなかなか侮れないね」

少女「主様、答えてください」

書籍商「けれど駄目だ。そんなやり方じゃ、秘密は暴けない。言っただろう、証拠が全てだと」

少女「証拠は……ありません」


書籍商「考えてみたらいい。君は既に、答えにたどり着くためのヒントを目にしているはずだ。推理するんだ」

そんなことを言われても、と少女は眉をハの字にした。
ただ、言われたからには考えてみることにする。

まず違和感を感じた点はどこだったか。そうだ、あの本の内容だ。
初めは「秘薬」やら「禁術」に関する書物の解読だと思った。だが、あれはそういった類のものではない。

全てを読んだわけではないが、あの本は記録だ。いつどこで、何があったのか。そういった記録。
そんなものを解読するために、果たしてわざわざ地下牢に囚われていたハーフエルフを解放するだろうか。

少女「えぇと、まず。あの本を解読して、レブナー公はどうするつもりだったんでしょう」

書籍商「情報の価値は人によって違う。それを踏まえた上で考えるべきだよ」

少女「もちろんです。でも、わたしの仮説ではやっぱり“レブナー公の目的は、あの本の解読が全てではない”と思うんです」


書籍商「その根拠は?」

少女「主様の発言です。レブナー公が主様にわたしを紹介した、って言ってましたよね。わたしと会わせることを条件に、って。もしかして、本当の目的は――」

何を自意識過剰な、と頭の中で声がする。飛躍した発想だ、とも。
しかし、話をしながら少女はこの可能性しかないと思い始めていた。

思い当たることはいくつかあった。例えばあの絵。
本邸に飾られていたレブナー公と夫人と、もう一人の女性の絵。

そういえば女騎士の話では確か、レブナー公には妹がいたはずだ。
もう亡くなっているそうだが、あの絵の女性はその妹だったのではないか。

それと、別荘に飾られていたタペストリーの刺繍。どちらも不思議な共通項があった。
懐かしさ、だ。これが一体何を意味するのだろうか。もう答えはすぐそこだ。


少女「レブナー公は、わたしに会いたかった……? わたしが、妹の、娘だから……?」

雨かと思ったら、それは涙だった。なんて、あまりにもベタではあるのだが。
少女の頬を静かに伝うのは確かに涙だった。無意識の内に瞳から溢れていた。

書籍商「……君は、母親を覚えているかな?」

少女「少しだけ、ですけど。わたしが小さい頃に亡くなったって聞きました」

書籍商「そうか。君の母親は人間、だったね?」

少女「はい。そうみたい、です。祖父に一度だけ聞いたことがあります。私の父は人間の女と駆け落ちをしたんだ、と」

書籍商「レブナー公の本邸に飾ってあった絵は、その少し前に描かれたものだろう。僕は会ったことはないけれど、あの絵を見る限りそれはそれは美しい女性だったようだ。彼の妹――そして、君のお母さんは」

少女「ということは、ですよ? レブナー公はわたしの、叔父さん?」

書籍商「もっとも、彼自身もそのことを知ったのは最近だと聞いているけどね」


少女「でも祖父はそんなこと、一言も言っていませんでした」

書籍商「レブナー公は、君の母親から駆け落ちの前日に話を聞いていたそうだ。遠く離れた地で、お腹の中の子供と彼とで共に手を取り合って、ひっそりと生きていくつもりだと。彼女には裕福な婚約者がいたそうだけど、お金より愛を取ったということだね」

少女「……止めなかったんですか? エルフと人間の交わりを」

書籍商「止めなかったことを後悔する一方で、素直に妹を祝福出来なかったことも後悔していたようだった。だから、君という存在を知って、彼はなんとしても君に会いたいと考えたんだろう。会って何を話したかったのか、その答えは永遠に失われてしまったけれど」

少しだけ寂しそうに、書籍商は視線を逸らした。
あるいは、少女に気を遣ってかもしれない。きっと今、目は真っ赤になっているから。

少女「じゃあ、やっぱりエルフの書物の解読っていうのは、噓なんですか?」

書籍商「それは噓ではないよ。しかし決して金儲けのためでもない。あの書物は人と森の大戦争が起きるまでを描いた叙事詩なんだ。レブナー公はただ、知りたかったんだよ。何故、人とエルフは互いに憎み合うようになってしまったのか、ということをさ」

少女「……人間がエルフの知識を欲しがったのは、それがお金になるからだと聞いたことがあります。だからてっきり、主様の依頼人もそうなんだとばかり思っていました」

書籍商「なら何故君は、僕が書物を解読することに対して、何も言わなかった? 君は、幼い頃とはいえエルフの村で育ったはずだ。人間を憎んだりはしなかったのか? とりわけ、金に執着し、ときには他者の犠牲も厭わない商人という生き物を」


少女「人間や商人が嫌いかと言われると、答えられません。エルフも人間も、嫌いな人はいます。でも、好きな人もいます。エルフだからとか、人間だからとか、商人だからとか。そんな理由で好き嫌いを決めるのって、わたしはちょっと違うんじゃないかなって思うんですよ」

書籍商「……そうか」

少女「それに。商人が嫌いなら、こうして主様と一緒にいるわけないじゃないですか」

当たり前のことだ。金で買われたからじゃない、自分の意思で少女はここにいるのだから。
そんな姿を見て、書籍商は鼻の頭をぽりぽりと掻いて、照れ隠しのように言った。

書籍商「君は、あの書物を解読することに抵抗はなかったのか? 金のためではないなら、何故あの本の解読を引き受けた?」

少女「わたしを必要としてくれる人がいるなら、期待に応えたい、そのために頑張ろうと思ったんです。それに多分、わたし自身も知りたかったんだと思います。人とエルフは、百年前一体何のために争ったのか、その本当の理由を」

書籍商「僕もだ。だから、レブナー公の依頼を受けた。恩だけじゃない、自分の意思で」


少女「知れて良かったです」

書籍商「え?」

少女「主様がわたしに隠してたこと、知れて良かったです」

書籍商「……すまない。君とレブナー公の関係を、僕の口から君に伝えていいものか、ずっと迷っていたんだ。君が自分の力でたどり着くべき真実だと思っていたからね。でも君が訊いてくれたから、僕は答える決心がついた。ありがとう」

少女「なんで主様がお礼を言うんですか、変ですよ」

書籍商「そう、かな?」

少女「変です、おかしいです。……でも、やっぱりわたし、主様のことを信じて良かったな、って思います。こちらこそ、ありがとうございました」

書籍商「信じて良かった……か」

少女「ずっと言おうと思ってたんですけど、主様はちょっと疑り深過ぎです。裏切られないために信じない、なんて寂しいじゃないですか」

書籍商「僕は、そういう生き方しか知らない」


少女「知らないなら知ればいいんです。これから。わたしのことは、信じてくれますか?」

書籍商「どうだろう。まだ、自信はないな」

少女「ヒトのことが信じられないなら、エルフのわたしを信じてください」

書籍商「え?」

少女「わたし、こう見えて半分人間じゃないんです。だから――」

書籍商「いや、見たとおりだよ」

少女「う。でも、今は耳も隠してるし、人間の女の子にしか見えませんよね?」

書籍商「……確信した。君はやっぱり馬鹿だ。それも、とびきりの」

少女「もう、なんでそういうこと言うんですか」

書籍商「けれど、人を騙すことも知らない馬鹿なら、少しは信じられるかもしれない」

少女「あ……」

それは、今まで見たことのない表情だった。
少女は何故か無性に嬉しくなって、お返しとばかりに満面の笑顔で応えた。




少女「それでいいですよ」




とりあえず今日はここまで
更新滞っててすみませんでした
またしばらくお休みします

>>308
コメントありがとうございました

随分時間が経過したように感じる。
書籍商とのやり取りで、少女の中で何かが大きく変わったからだからだろうか。

書籍商「君の案だけど」

少女「はい」

書籍商「やっぱり明日、駐屯所に行こうと思う」

少女「……はい、わかりました」

書籍商「ただ、君の正体は明かさない」

少女「え? でも、そんな方法あるんですか?」

書籍商「方法はこれから考えるさ。ただ、あの女騎士に頭を下げてでも、殺人の方針で捜査を続けてもらえるように説得するつもりだ」

少女「あの、すっごく無茶苦茶なことを言っているように聞こえるんですけど」


書籍商「……僕もそう思うよ。けれど、何もしないよりはマシだろう」

少女「それはまぁ、そうですね」

書籍商「夫人と使用人、この二人が犯人でないなら、新しい容疑者を挙げる前にどうしても密室の謎を解く必要がある」

少女「鍵を使わずに、鍵をかける方法……ですか」

書籍商「それと、当面の問題として――」

そこで一度、言葉を切って書籍商はじっと少女のことを見つめる。吸い込まれそうな二つの、とび色の眼。
人の視線というものに人一倍敏感な少女は、恥ずかしさからフードをさらに目深に被った。

書籍商「君だよ。君をあそこに連れて行くのが、一番の不安要素だ」

少女「わ、わたし、なるべく大人しくしてますから」

書籍商「……多少出費にはなるかもしれないが、酒場娘の言うとおり服を買った方がいいかもしれない」


少女「そんなご迷惑はかけられません!」

書籍商「何日も同じ服を着続ける気か?」

少女「そ、それは」

書籍商「駐屯所の中は警備の目も厳しい。フードを被ったままでは確実に怪しまれるだろうね」

少女「うぅ」

書籍商「僕の服を貸すことも出来ない。それならいっそ、何着か買っておいた方がいいだろう。明日、駐屯所に向かう前に服屋に足を運ぼう」

少女「……すみません、わたしのためにわざわざ」

書籍商「構わないさ。普段と違うことをした方が、いい刺激になるかもしれない」

そんなことを言って小さく笑う書籍商は、少しだけ弱々しく見えた。
初めて会ったときの自信たっぷりな笑みに見えなくなったのは、彼のことを昨日よりも知ったからかもしれない。

何かわたしに出来ることはないだろうか。
そんなことを少女は思った。




*  *  *



――何も変わらないことなどありえない。全ては流転し、やがて終わる。
                  『ミュゼの叙事詩』第二の章、神父の言葉より



*  *  *


 
  

生存報告も兼ねて少しだけ更新
現在取り組んでいる課題が終わり次第
また更新の頻度を上げたいと思います

PCでみてるけど
専ブラだと表示が?
IEでみたら嘘
専ブラからコピーしたら↓
書籍商「……人は、噓をつく生き物だ。2
IEからコピーしたら↓
書籍商「……人は、?をつく生き物だ。2

ってなった

噓 最初の&が半角

このSSまとめへのコメント

1 :  ミーアキャット   2015年05月30日 (土) 10:09:14   ID: ZJVLi_G2

凄いですね…
ミステリーって難しいのに…
私は予想はしてるのですが、全然分かりません…
更新期待しています。

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