鍛冶師「いま帰ったよ」
火は数時間も前からくべられていたのだろうか。
小さな、けれど自慢の我が家は丁寧に暖められていた。
司書「ああ、お帰り」
司書「寒かったろう、さ、早く扉を閉めて中に入りなよ」
司書「どうした、そんなところに突っ立って……」
司書「……」
司書「まさか」
何かを言うまでもなくあっという間にバレてしまった。
さあ次に彼女の口から飛び出すのはため息か、お説教か。
しかしこちらとてそんなことは慣れっこである。
司書「はあ」
司書「今日は特別寒いから……しょうがないな」
司書「いいよ、入れてあげなよ」
珍しいこともあるものだ、日々の積み重ねの賜物だろうか。
ただ今回に限ってはそれも無駄だったかもしれない。
鍛冶師「ありがとう、それじゃあ……」
司書「今度は何だい?猫かい?まったく君ってやつは懲りないねえ……」
鍛冶師「さ、入っておいで」
俺は扉をもう少しだけ開けて、招き入れる。
司書「待て、待て、待て、待て」
鍛冶師「何か?」
司書「君は、正気か」
現れたのは、小さな女の子だった。
*
司書「キミに幼女趣味があるとは思わなかったな」
司書「犬猫に飽き足らず今度はこんな幼い少女まで……」
鍛冶師「なんだか誤解を招きそうだからやめてください」
その少女といえば、司書の用意した肉のスープに上気した顔で取組んでいる。
司書「動物を拾って来るのとは訳が違うんだ」
食べている、というより流し込んでいると言った方が近い。
司書「わかってるのか」
あ、喉につまらせた、水、水、水はどこだ。
司書「こら、聞いているのか」
司書「って、ああもう、ほら、忙しないなっ」
司書が水を注いだ銅の器を渡す。
少女は一息ついて、またスープに盛られた肉に取りかかる。
随分と腹を空かせていたようだ。
司書「このご時世、捨て子なんて珍しくないが」
司書「この町でというなら話が変わる」
司書「どこで見つけて来たんだ」
鍛冶師「教会」
鍛冶師「一番隅の席で、ステンドグラスをじっと見ていた」
鍛冶師「神父様もいつから居たのかわからないとさ」
司書「連れて来たのは、同郷のよしみかい」
鍛冶師「かもしれない、少し懐かしくなった」
司書「君と同じで、綺麗な黒髪だ」
鍛冶師「よせやい、なんだ酔ってるのか」
静かになったかと思えば少女が寝息を立てていた。
司書が毛布を取りに行く。
戻ってきた彼女はこっちに毛布を寄越して、そっとソファを指差した。
翌朝、俺は今年初めての風邪を引いた。
*
春になる少し前、この町はにわかに活気づく。
あちこちの工房から煙が立ち昇り、ほんの少し残っていた寒さもどこかに消える。
もう少しすれば町に沢山の行商人がやって来る。
気候の安定した季節は、キャラバンがあちこちの町、国を行き交う。
自分についても例外なく、工房で売物の製造に勤しんでいた。
宿屋「よう、やってるか」
鍛冶師「ああ、いらっしゃい」
この町には、それなりの料理を出すそれなりに大きくて綺麗な宿屋と、それなりの料理を出す小さくて汚い宿屋があった。
今日は汚い方の店主がやって来た訳だった。
鍛冶師「頼まれていた包丁と鋏は仕上がっているよ」
鍛冶師「支払いはきっちり銀貨で頼むよ」
宿屋「ああ、すまねえな、残りは……来月でいいか」
鍛冶師「ああいいよ、物入りな時期だからな」
宿屋「すまねえな!はは、またどかっとサービスしてやっからよ!」
鍛冶師「いつも助かるが、本当に経営が成り立っているのか?」
つまりこの辺が小さくて汚い店がそれなりに愛されている理由で、
いつまでも汚い店のままである理由でもあった。
宿屋「しかしお前のところは盛況だな、隣町からも引合があるって聞いたぞ」
鍛冶師「まあ、日用品ばかりやってる鍛治屋もなかなかないからなあ……」
そしてこの辺りが若造の俺がなんとか店を構えてやれている理由だった。
宿屋「そういえば、お前のところに来ためんこい子どもはもう馴染んだのか?」
鍛冶師「まあそれなりには……」
宿屋「なんだ、歯切れが悪いな」
俺は黙って額当てを取り、見せつける。
包帯にはまだ少し血が滲んでいた。
朝の日課として剣を振っていた俺は、ふと思い立ち、隣で見ていた少女に木剣を持たせてみた。
鍛冶師「なんだ、興味あるのか」
鍛冶師「じゃあほら、刃はないから、持ってみて」
剣の握り方は素人そのものだった。
簡単に打ち合いをしてみてから、試しに打ち込んでくるように少女に言った。
鍛冶師「どっからでもいいよ、さあ来いさあ来い」
鍛冶師「いいっ……!?」
少女は剣の振り方は危なげながら、驚くべき身のこなしで懐に潜り込み、俺の額を割ってのけたのだった。
俺は失神し、少女は我に返ったように慌てふためき、一目散に司書を呼びに行った。
気づけば呆れた顔をした司書と、馴染みの医者が横でコーヒーを飲んでいた。
司書「なんというか、刃がついてなくてよかったねえ」
医者「いや、木剣でも随分綺麗に入ったもんだよ」
医者「少女ちゃんがもう少し力込めてたら死んでたよ、鍛冶師」
司書「君は本当に馬鹿だねえ」
医者「大馬鹿者だねえ」
俺は泣きながら家を飛び出し、今に至るまで工房で憂さを払っていた。
宿屋は大笑いで帰っていった。
どうやら少女との立ち会いには一部ギャラリーがいたらしく、春の季節が終わる頃まで、住民の間では酒の肴に事欠かなかった。
楽しみな季節がやって来た。
普及品の売買が一段落し、我ら職人達の懐には幾ばくかの軍資金が携えられていた。
そして傍らには、大事に育てられた作品達が今か今かと待ち構えていた。
鍛冶師「さあ行くぞ!」
「おお!」
「目に物見せてやる!」
「今年こそ俺たちの独壇場だ!」
鍛冶師「いざ!」
野太い声が町中に響き渡った。
毎年恒例、このひと月は一桁二桁違う値の商品が市場に出回る。
さらに至る所で、あらゆる怪しげな小部屋で、欲にまみれた取引が行われる。
町は春とは違った意味で活気づく。
実に楽しい、大人だけの時間である。
*
鍛冶師「月の終わりには帰るから」
司書「ああ、もうそんな季節か」
司書「いってらっしゃい、ハンカチは持ったかい」
鍛冶師「うん」
司書「携帯食料は持ったかい」
鍛冶師「うん」
司書「お金は持ったかい」
鍛冶師「うん!」
司書「どこかで落とさないようにね」
鍛冶師「うん!じゃあ行ってきます!」
彼は随分大きな荷物を背負って、いそいそと出かけて行った。
やあやあ、やあやあと、太い声の挨拶が外では飛び交っている。
少女が何事かと聞いてくる。
司書「年に一度のお祭りかな」
祭りはこの前やったのでは、と少女が訝しむ。
司書「はは、そういやそうだね」
司書「そうだ、今度の日曜は宿の手伝いも休みだろう」
司書「たまには図書館に来てみるかい」
>22
続き物ではないですが、以前書いた者と似た部分があるかもしれません
*
町には泣く子も黙る場所が3つある。
ひとつは教会、もうひとつが大衆食堂、そしてこの図書館。
そしてここは私のお気に入りの場所であり、職場でもある、最高だ。
司書「足下に気をつけなよ」
司書「段差の数も高さもバラバラだからね」
図書館は幾度も増築を繰り返していて、すべての構造は私でも知らない。
奥で迷ったら帰って来れないかもしれない。
初めは共用の本の保管庫だったものが、増えに増え、ここまでになったらしい。
司書「ほら、これなら文字が読めなくてもわかるだろう」
司書「これはね、希少鉱石の図録なんだ」
司書「さっきの答え、あいつらが目を輝かせているのがそれさ」
*
激動の一週間は中盤戦を迎えている。
4日目にしてこれだというのだから恐ろしい。
鍛冶師「声が、出ない」
状態を確認するように振り絞って掠れた声を出す。
見習い「大丈夫ですか、蜂蜜酒でもいかがですか」
黙って頷いて暖かいカップを受け取る。
蜂蜜がほのかに香り、喉に染みる。
しゃがれた声で見習いと今日を振り返っていると、顔馴染みの商人が人ごみをかき分けてやってきた。
商人「やあ、調子はどうです」
鍛冶師「まずまずだ、それにしても随分と人が多いな」
商人「それは、そうですね、ざっと例年の倍はいるかと」
鍛冶師「そんなにか、やっぱ、あれか」
商人「ええ、ええ、おそらく」
鍛冶師「今年の競り担当はお前の商会だろう」
商人「その通り、頑張って、くださいね」
ひらひらと手を振り、商人はまた人ごみの中に消えて行く。
間違いなく、奴はキーマンの一人だ。
鍛冶師「必ず手に入れるぞ」
見習い「頑張りましょう!微力ながらお手伝いします」
*
司書「そう、それ」
司書「通称ドライアド・グリーン」
司書「美しい緑色の木紋石で、炭素を多く含んでいる」
司書「それを他の金属と混ぜて、一度粉末にしてから成形するんだ」
司書「靭性と硬度を兼ね備えた刀剣ができるんだって」
少女はわかったようなわからないような、微妙な表情で応えた。
こちらも苦笑いで返していると、書庫の管理人である爺さんが現れた。
管理人「なんだ、誰としゃべっているのかと思えば、嬢ちゃんか」
司書「ああ爺さん、煩くして悪かったよ」
管理人「なに、気にせんて」
管理人「男共はみな王都に行っているしな」
管理人「鍛冶師も当然行ってるのだろう?」
司書「まあね、今頃倒れてなければいいけど」
管理人「あれは体力がいるからのう」
司書「来年は私も行こうかな、少女も連れて」
*
七日間の大市場は既に終わっていた。
俺はまだ町に帰ることなく、いま王都の地下の一室にいた。
暗い部屋だ。
ランタンに灯を点す。
足下には人が一人倒れている。
鍛冶師「お前、なんでこんな……」
商人「はは……、どうにもやはり、悪事は上手くいきませんね……」
商人は震える手で靴底を外し、中から鉱石を取り出した。
緑色の鉱石は怪しげな模様を浮かべ、輝いていた。
商人「ドライアド・グリーンです、あなたに差し上げます……」
鍛冶師「なぜ、俺に」
商人「必要なのでしょう、鍛冶師として、そしてあなた自身の為に」
鍛冶師「君は……」
商人「あなたが救った人間は数知れない」
商人「わたしもそんな人間の、端くれですよ……」
商人は最終日の競りで注目の集まる中、鉱石を模造品と差し替え、姿をくらましていた。
そして俺には手紙が届き、指定された場所では、彼が血を流し倒れていた。
商人「あなたが、救ってくれた命ですが、すみません…」
鍛冶師「おい、おいっ」
事切れた彼を支える俺の手の中で、緑色の鉱石が一際鈍く輝いていた。
*
慌ただしい季節を終え、町は収穫の季節を迎えていた。
この時期ばかりは、普段鎚を振う男達もカマに持ち替える。
女達は冬に備えて、保存食づくりに精を出す。
そして7日後には収穫祭が控えている。
しかしながら、我が家では一家総出で鍛冶仕事に勤しんでいた。
鍛冶師「………」
司書「鍛冶師、ここにある分持って行くぞ」
司書「おい」
司書「こら」
鍛冶師「……」
鍛治師は黙ったままで広い作業台にある包みを指差す。
司書「こ、れは……」
既に仕上げられた大量の日用道具が包みに入っていた。
これはまた始まってしまったか。
こうなった時の鍛治師の集中力は凄まじい。
もう何を言っても無駄だろう。
司書「後で何か持ってくるよ、頼むから食べておくれよ」
聞こえたような、そうでないような相槌を打って、鍛冶師はまた自分の世界に戻って行った。
一度家に帰ってみると、こちらはこちらで一悶着。
蒸気がもうもうと立上がり、眼鏡がすぐに曇った。
司書「おいっ、少女!少女!なんだこれは」
視界が奪われている。
いてえ、何かに躓いた。
何だこれは、こんな所に何かおいてあったろうか。
それは突然もぞもぞっ、と動いた。
きゃああっ、なんて私らしくない声を上げてしまった。
さもやギャラリーはいなかったろうな。
司書「ギャラ、リー……」
その日、私はこの町に来て一番の悲鳴を上げた。
次第に晴れる蒸気の中から、12対の眼が私をみつめていた。
*
ふと気がつくと、日も大分落ち、工房内には西日が差し込んでいた。
ちらちらと工具に反射する太陽光が俺の仕事を中断させた。
鍛冶師「っと……、少し休憩するか」
鍛冶師「そういえば司書が来てた気がするな」
鍛冶師「腹も減ったし、家に戻るかな」
一人つぶやいて、俺は帰路に着いた。
家に帰ると、扉の前には人だかりが出来ていた。
少女が駆け寄って来る。
鍛冶師「なんだ、どうしたんだ、この人だかりは」
少女は首を振るばかりで要領を得ない。
ようやく、人だかり越しに家の中の様子が目に入って来た。
そこには司書と、見た事もない翼の生えた化け物がいた。
*
司書「ははは……、びっくりした」
司書「こんなに気づかないなんてね、実戦から離れていたせいかな」
司書「お前は……、あの研究の成果かい」
司書「まったく、私ってやつも業が深いみたいだね」
司書「どこまで行っても追いかけて来る」
目の前の化け物-キメラの動きを追いかけつつ、後ろ手で棚を探る。
12対の眼は絶えず私を見つめている。
キメラは低く唸り声をあげた。
司書「とりあえずこの家は外と遮断させてもらったよ」
司書「さあ、二人きりのデートと洒落込もうじゃないか」
*
私と彼は互いに15の時に、王都で出会った。
その頃の彼は随分と厳しい眼をしていたと思う。
後から彼に聞いたところによると、私も似た様なものだったらしい。
まあ今もあまり変わらないけど、と付け足した彼が宙を舞ったのは想像に難くないだろう。
再会したのは20の時、片田舎の漁村だった。
その頃には彼はもう鍛冶師になっていた。
剣はもう辞めてしまったのだと言う。
少し寂しそうな眼をしていた。
私たちはその時、すっかり意気投合してしまって、まあそれとなく、成り行きでどうこうしたっけな。
2年後の22の時、また王都で再会した。
その時の私を見る彼の眼はよく覚えている。
司書「さすがに人が集まって来たな……」
司書「なおさらお前を外に出す訳にはいかないね!」
キメラの咆哮が小さな家を震わす。
視界の外に、鍛冶師が帰って来ているのが見えた。
こっちを見て何か叫んでいる。
そうそう、その眼だ。
心配そうに、歯がゆそうに、少し怒った様な眼。
その眼がちょっとだけ好きだったよ。
キメラの12対の眼が赤く輝き、気圧が急激に低くなるのを感じた。
視界が蒸気で満たされ、私は壁に叩き付けられた。
視界が明滅する。
おぼろげな視界の先には、キメラが迫って来ている。
これは、もう決断しなければならない。
溢れた血を頼りに、魔法陣を展開する。
司書「……ようやく手に入れた大切な我が家だけど、ごめんよ、鍛冶師」
鍛冶師「謝ってんじゃねえ!」
聞き覚えのある叫び声とともに、轟音が鳴り響き、キメラの胴体が横に飛んだ。
大きな背中が私の前にあらわれた。
右手には深い緑色の輝きを持った大剣が握られている。
司書「剣は……もうやめたんじゃなかったのかい……」
鍛冶師「もう寝とけ、後は俺がやる」
次第に私の意識は遠のいていった。
*
目が覚めると私は病院のベッドの上にいた。
司書「生きてる……、つうっ…」
いてえ、体があちこちいてえ。
ふと目をやると、傍らには鍛冶師が座ったまま寝ていた。
声を掛けようかと思いたったが、すぐにやめた。
代わりに、少し彼の黒髪に指を通す。
司書「私の為にまた剣を振るってくれるなんてな……」
司書「ありがとう」
司書「少しだけ、怖かったよ……」
なんて、ふとつぶやいてみる。
鍛冶師の顔がみるみる赤くなる。
この男、起きてやがる。
鍛冶師「……家なんて、また作ればいいさ、俺とお前で」
何言ってんだこいつは、恥ずかしい台詞をまあ堂々と。
私たちは互いに無言のまま、固まってしまった。
ふと、病室を仕切るカーテンの向こうからざわざわっとした気配を感じた。
なんのことはなく、そこには見舞客という名のギャラリーがいて、
一部始終をばっちり聞いていたのだった。
秋が終わる頃まで、私の名前は町の至る所から聞こえていた。
*
もう冬か、早いなあ。
またこの季節だ。
私はこの季節があまり得意ではない。
寒いのは苦手だ。
我が家は小さいけれど、その分暖まりやすさには定評がある。
5人も集まれば酸欠寸前だ。
そして今、その室内には真っ赤な顔をした大人達が10人は押し込まれている。
司書「暑すぎるんだよ、馬鹿たれー!」
あくまで小声でひっそりと。
管理人「しかたなかろう、ここしかなかったんじゃから……」
司書「限度があらあな!」
ああ、冗談じゃない。
暑苦しいのも苦手なんだよ……。
そして意識は遠のいて行く。
わたしは行商人。
行商人「冬ごもりの前に新任のご挨拶を……と王都からやってきた訳ですが。」
行商人「おかしいなあ。」
行商人「人っ子一人いないですね」
行商人「これはどうしたことか……」
行商人「やや、やあお嬢さんお嬢さん」
よかった、人がいた。
行商人「私は行商人と申しますが……」
行商人「と、お使いに行ってらしたのですか?」
行商人「え?」
行商人「貴女にもおわかりにならない?」
行商人「帰ってきたらこうだった?」
行商人「ははあ」
これは!
幼き日に夢潰えた、探偵としての出番が、もしや!
行商人「ふふふ!」
お嬢さんの顔が心なしか曇った様に見えたがここを逃す手はない。
長年の夢が叶うのだ。
行商人「お嬢さん!私にお任せあれ!」
行商人「ずずいっとこの事件を解決してみせましょう!」
なかなか話が進みませんが、勇者魔王モノです。
*
……なんだろう。
かつてない程に視線を感じる。
お嬢さんはどうやら気づいていないようだが……。
となると、問題は何故みなさんが隠れているのか……か。
行商人「こほん」
行商人「お嬢さんのご自宅はどちらですか?」
行商人「まずはそちらに行ってみるのは……」
行商人「え、もう探してみた?」
行商人「心当たりのあるところは探したと」
残るひとつの問題は、なぜこのお嬢さんだけ取り残されたのか……。
何かお嬢さんにだけあるのか?
ひとまずこういう時は、話を聞くのが鉄則ですね。
行商人「あの……」
行商人「よろしければ少しお話しませんか?」
行商人「ええ」
行商人「ははあ」
行商人「なるほど」
行商人「………」
……
*
「さあ来たぞ」
「そら行け!」
暗くなった大広場が突如として、強く明るく輝く。
「少女ちゃん、おめでとうー!」
町の人々が次々に現れ、祝福の言葉を贈る。
鍛冶師「少女、おめでとう」
鍛冶師「誕生日、わからないって言ってたろ?」
鍛冶師「だからさ、みんなで決めたんだ」
鍛冶師「少女と初めて出会った日、この日を誕生日にしようって」
鍛冶師「ちょっと驚かそうと思ってさ」
少女は目を大きく見開いて、すぐに顔をくしゃくしゃにして笑った。
司書「ほんっと、大変だったんだぞー」
司書「狭ーい厨房に隠れながら、これを作ってさー」
少女の家族と思わしき男性が近づいて来る。
彼は確か、王都でも評判の若手鍛冶師だ。
鍛冶師「君が新任の商人だっけ?」
鍛冶師「なんだか一緒にいてもらっちゃって悪かったな」
鍛冶師「最初はどうしようかと思ったけど、少女も楽しそうでよかったよ」
鍛冶師「これからもよろしくな」
行商人「ええ、ええ、よろしくお願いします」
行商人「私も、とても楽しかった」
半分本当で、半分嘘だ。
彼らは、気づいていないのだろうか。
彼女の症状に。
いや、彼女自身も気づいてはいないのだろう。
町に来る前の記憶はほとんどないと言っていた。
ただ、ひとつだけ。
行商人「彼女の瞳は侵されている。」
誰に宛てるでもなくつぶやく。
瞳の奥の、竜胆色の鈍い輝き。
あれは、魔石にあてられた瞳だ。
そしてそれゆえの記憶障害、か。
自然にはあり得ない瞳。
それを崇拝する集団がいると聞く。
魔王信仰。
彼女はそこから逃げて来たのではないか。
今はまだ推測に過ぎない考えを胸に、私は雪で白く染まった寂しげな帰路に着いた。
冬の、とても冷える夜だった。
*
冬だ。
酷く手がかじかむこの季節がまたやってきた。
この町は雪に閉ざされ、少しの間、眠ってしまう。
けど私はこの季節が好きだ。
あの出会いから数えて、もう7度目の冬を迎えていた。
父はまた遅くまで工房に籠っているようだ。
鍛冶師「え、もうそんな時間か?」
鍛冶師「じゃあ夕飯食べに帰るかね」
鍛冶師「ほら、危ないからこっち寄んなさい」
にやけながら父に張り付く。
鍛冶師「おいおい、それはくっつきすぎだって」
鍛冶師「しょーがないな……」
家に着き、扉の前の雪を払い、中に入る。
司書「ああ、二人ともおかえり」
司書「寒かったろう、さ、早く扉を閉めて中に入りなよ」
暖められた部屋に、母が私たちを迎え入れる。
司書「どうした、そんなところに突っ立って……」
司書「……」
司書「まさか」
何かを言うまでもなくあっという間にバレてしまった。
さあ次に彼女の口から飛び出すのはため息か、お説教か。
しかしこちらとてそんなことは慣れっこである。
司書「はあ」
司書「今日は特別寒いから……しょうがないな」
司書「いいよ、入れてあげなよ」
父と笑顔を向け合う。
母のこれはもう口癖になってしまった。
いつも特別。
口はぶっきらぼうだが、母は優しい。
*
王都から町へ、男の子が一人やってきた。
見習いとして父の隣の工房で働くらしい。
この町では、こどもの内から例外なく工房の見習いとして働く。
孤児であっても同様だ。
けど、わざわざ王都から?一人で?
自分と似た境遇の少年に、心がざわついた。
少年「なんだよ」
少年「なんか言えよ、気味悪い」
少年「おい、……ああ」
少年「お前、しゃべれないのか」
少年「悪い」
あれか、ぶっきらぼうだが根は優しい人間というやつか。
自宅にて。
少年を取り囲み、4人の大人が睨みを利かせている。
父と、母と、医者さんと、私の職場である宿屋の店主さん。
鍛冶師「それで?随分とうちの娘が世話になっているようで」
司書「図書館では随分と楽しそうにしてたなあ、うん」
医者「まあ少女ちゃんは可愛いからね、惚れちゃうのも無理はない」
店主「ふてえ野郎だ!!!」
店主さんを大人3人が取り押さえる。
少年「い、いや、あの」
少年「その、少女には随分と良くしてもらいました」
店主「良く、だあ?」
少年「いえ、その、おかげで町に馴染めたというか」
少年「そしたら少女も外から町に来たって聞いて」
少年「こんなに幸せなのは、鍛冶師さんや司書さん、店主さん、医者さんたちのおかげだって何度も教えてくれて」
少年「俺もなんだかそれを聞いて、この町に来てよかったなあ、とか嬉しくなっちゃって、また少女に話を聞かせてもらいたくて」
少年「俺は家から逃げ出してきたも同然で、居場所もなくて、だから嬉しくて」
少年「でも、本当にそれだけです!何か誤解があったらすみません!」
頭を下げた勢い余って、少年が机に額をぶつけた。
大人達は……
店主「……そうかよ」
鍛冶師「幸せ、かあ」
司書「幸せ、かあ」
医者「うふふふふ」
揃ってそわそわと忙しなくにやけていた。
*
この町にとって、心待ちにしていた春。
けれど、春は一緒に災厄を連れて来た。
私は横に顔を向けた。
鍛冶師の緊張が彼の表情を通して伝わってくる。
こんな表情は見た事がない。
鍛冶師「ここから絶対に動くなよ」
鍛冶師「あいつは、俺の客だ」
ごくりと、喉を鳴らす。
瞬間、鍛冶師が飛び出す。
鍛冶師「おおっ!」
黒衣の男「………」
黒衣の男「!」
鍛冶師の大剣がローブを切り裂く。
ローブが覆い隠していた金髪、長身痩躯の男が姿を現す。
鍛冶師「はっ……!」
鍛冶師「やっぱりお前か」
鍛冶師「何年振りだ? どこに……隠れていた」
黒衣の男「何年だろうな、もう数える事も忘れたよ」
黒衣の男「だがお前のやったことは決して忘れていない」
鍛冶師と黒衣の男の応酬が絶え間なく続く。
司書「なんだ、何を喋っている……?」
司書「くそ、さっきの衝撃のせいで耳がよく聞こえない……」
司書「あの男はなんなんだ……!?」
司書「あいつは鍛冶師の……」
男の顔は、鍛冶師によく似ていた。
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