貴音「響、どこにキスして欲しいですか?」(132)

──早く!早くして!貴音が死んじゃうの!

霞んだ視界に映ったのは、星井美希のくしゃくしゃの泣き顔でした。
「はぁ……あっ……」
美希に胸倉を掴まれている殿方は、携帯電話で何かを必死に叫んでおります。
その言葉を聞きとろうと思っても、なにやら耳鳴りが激しく、叶いません。

「あっ…はぁ…」

──もうやめて!喋らないで!

ひどく喉の奥が粘つき、べとべとします。
堪らず、息を吸い込ました。
すると焼けた鉄のような匂いに混じって、肺に、微かに酸素がすべりこみました。
なにやら、胸の奥にぽっかりと大きな穴が空いてしまったかのような心地です

「はぁ……!」
白い霧がかかったように思考が、薄く、鈍くなってゆきます。
その中に、一瞬だけ浮かんだある一人の笑顔……。
わたくしは、それを掴むかのように、鮮血に染まった手を、ゆっくりと虚空に伸ばしました。

嗚呼、どうか、どうかお願いします。もし神様がいるとしたら……

「響を──」
わたくしの意識はそこで、糸が千切れたようにぷっつりと途切れてしまいました。

──おい、貴音、貴音。

「ハッ……!」
何者かに体を揺さぶられて、意識が戻ってきました。
目の前には、地味ながらも整った顔立ちをした眼鏡をかけている殿方が、おりました。
わたくしを、不安そうな顔で見つめております。
「ぷろでゅーさー……?」

不意に、いくつもの【すとろぼ】が、わたくしに向かって炊かれました。
「うっ……」
眩い【ふらっしゅ】に、軽い頭痛を感じながらも、周囲をゆっくりと見渡します。
ベニヤで出来た背景に、何人のもスタッフ……。
そして、水色のパジャマ姿のわたくし……。

「お、おい貴音、撮影中なんだから本気で寝ちゃダメだろ……」
プロデューサーは、頭をグシャグシャにかき乱しながら、言いました。

……なるほど。

「これが、夢オチというものなのですね」
「?」
その場にいる皆々が、わたくしに向かって訝しげな顔つきを浮かべていました。
それにしても、まるで現と見紛うかのような夢でした……。

書き溜めなしですか

「本日はそそうをしてしまい、大変申し訳ありませんでした」
簡素な紫のブラウスに着替えたのち、その場の者に挨拶を矢継ぎ早にすませました。
最近、仕事も増えてきたので、少し疲れていたのでしょうか……。
……不覚。

スタジオを抜け、長く続くテレビ局の廊下を急ぎ足で進みます。
途中、壁には何枚もの他プロダクションのポスターが貼られています。
横目で眺めると……。

これは……【じゅぴたぁ】と読むのですね。ぷろでゅーさーに教えていただきました。
今や、この者たちを【てれびじょん】で見ない日はありません。

それにしても……

「はぁ……」
ついつい、ため息も出てしまうというものです。
765プロのポスターといったら……。
この面妖なカエルの仮装をしているわたくしのものしか無いのですから。

支給された【しんぷる】な携帯電話を開きました。予定時刻を大分過ぎてしまったようです。
さて、待ちくたびれていなければ良いのですが。
……わたくしは、待ち受け画面に写る、待ち人の元へと向かいました

>>7
すいません書き溜め無し即興です
短めなんでアレだったら雑談なりなんなりどうぞ

「ふぅ……」
3人で1つの楽屋の扉の前に立ち、深呼吸をひとつ。
気だるさを感じる身体を、ゆっくりと整えます。

【プレート】には、にじんだ手書きのサインペンで、わたくし達の名前が書かれています。
……ふむ、漢字が間違っていますね。
たしかにやや複雑ではありますが……悲しいものです。

扉をゆっくりと開けると、猫のように背を丸めている者がおりました。
こうしてみると、本当に何かの小動物かのようです。

「申し訳ありません、遅くなりました」
その小さな身体に向かって、声をかけました。

「おや?」
「うぅん……次のダンスはぁ……ここがムズかしいぞ……」
なにやら、うわ言のように独り言を呟いております。

「ふふっ……」
わたくしは微笑みながらドアをこんこんと、2回ノックしました。
それに気づいたのか、その者は一度背筋をピンと伸ばました。
そしてゆっくりと振り返り……。
わたくしの顔を一目みるなり、一目散に笑顔を浮かべて駆け寄ってきました。

「たっかっねぇ~!待ってたぞ~!」
「ふふっ申し訳ありません、響。あなたは相変わらず頑張り屋ですね」
我那覇響、わたくしの、パートナーであり、そして……。

「も~お腹ペコペコだぞ! 今日は貴音に奢ってもらっちゃおうかな~」
「なんと……」
「あはっ、ジョーダンジョーダン。 昨日も自分が奢ってもらったからね」
「御容赦いただきたいものです。収録が終わった後の、食費はかさみますから」
「それは、ほとんど貴音のせいだろ……」
見上げながら、けらけらと響は笑いました。
わたくしも、それに釣られてついつい笑みをこぼしてしまいます。

ふふっ響、あなといると何とでも無いことでも楽しくなってしまいますね。
胸の奥に、心地よいかすかな温もりを感じます。
顔に現れてなければ良いのですが……。

「どーしたんだ?」
ふと、響の眉を潜めた顔が、間近まで近付いてきました。
その瞬間、心臓が大きく脈打ちます。

「い、いえ。何でもありませんよ」
「あ、ま~た何のラーメン食べようか考えてただろ」
「それは……トップシークレットです」
「も~!揃ったらすぐに出発するぞ!」
「えぇ、わかりました」

そういえば、もう一人のパートナーの姿が見えませんね。
床に積み上がった雑誌に目をやると、小さな小さな写真付きの記事に赤い丸印がついていました。
その【せんたー】には金髪が鮮やかに映えています。

……そう、響と美希とわたくしのユニットを結成して、もう3か月なのですね。

……。

淡い街灯に、響の後頭部が照らされています。
また、なにやらうわ言を呟いているようですね。
表情はわかりませんが、煙のように白い吐息が漏れだしています。

「響、仕方ありませんよ」
わたくしは、歩幅を合わせるようにピッタリと響の隣を歩きます。
暗い夜道に、コツコツと乾いた靴の音だけが打ち鳴らされて……

やがて、突然響は、頭を抱えながら大声をあげました。
「うがあああ! 美希のワガママにはホント困っちゃうぞ!」
「良いではありませんか。元よりその場での口約束でしたでしょう」
「うぐぐ……」

……携帯電話を開き、【めーる】を慣れない手つきで見直します。

[響、貴音ゴメンね!ハニーとのデートが入っちゃったの☆
今度はミキがす~っごいご馳走するから許して、ね?]

やれやれ……。
短くため息をつき、携帯電話をポケットに押し込みました。

「それとも、響。わたくしと二人では不服でしょうか?」
「あっいやっ、そういうわけじゃないぞ!」
「まこと、遺憾ですね……。わたくしは、貴方との食事を毎回、心待ちにしていましたのに……」
「わわっ! ち、違うんだたかねぇ~!」
大袈裟な身ぶり手ぶりを交えて、響はわたくしに言いました。

はて、響といると、ついいじめたくなるこの現象。一体何というのでしょうか。

響が、赤く霜焼けた鼻をすすります。
「う~今日は寒いな……」
「もうこの時間帯ですと、らぁめん屋もやっておりませんね」
「そうだな……」

冷たく吹きつける風に、身をちぢこませる響は、更に小さく見えます。
わたくしはマフラーを響、の細い首にそっと巻いて言いました。
「あっ、ありがと……」
「それではこの先、見つけた店に入りましょうか」
響がもし風邪をひいてしまっては、わたくしは……。
そう言いかけて、口をつぐみました。

……。

「ハンバーガーセットひとつ! 今だけお得さー! 貴音は?」
「……はて?」
視界が45度傾きました。
店の者の【すまいる】が斜めに見えます。

これは何とも面妖な……。
奇怪な【めにゅー】の名前。まるで皆目つかぬ味……。
「そ、それではこの【はっぴーせっと】というものを……」

……。

口いっぱいに、【はんばーがー】を頬張って響は言いました。
なるほど、そうやって食べるものなのですね……。

「いつか、ビルの屋上でゴージャスな料理でも食べてみたいなー!貴音!」
「えぇ、それには、より高みを目指さなくてはなりませんね」

そのまま、響はまるでハム蔵そっくりに頬を膨らませて続けます。
「ねっ、はかねわぁ……」
「響、はしたないですよ」
「んぐっ、貴音は、自分たちどうすればもっともっと売れると思う?」
「……」
【ぽてと】に伸ばした手が、ピタリと止まります。

……確かに今やわたくしのユニットは伸び悩んでいます。
以前、大手プロダクションの社長なる者に面会した時にこう言われました。

くだらん765プロの諸君は、仲良しごっこでもしてればいいのだよ。
お前らには足りんものがある……。

目を伏せて、考え込みます。足りないもの、ですか……。
「……」
「貴音……?」
「……」
美希の溢れる才能も、響のダンスの巧みさも、申し分の無いものでしょう。
しかし……。

「……!……なにやつっ!?」
不意に、口元になにやら冷たいものが触れました。
驚いて目を開くと、響の指先には少量の赤いトマトケチャップが付着していました。

「……ひっ!」
「あはは、貴音もはしたないぞ」
「も、申し訳ありません。こ、このようなものは食べ慣れてないものでして」
「……貴音、なんだか顔色が悪いぞ。疲れてるのか?」
「大丈夫です……。なんくるないさぁですよ?」
「ん、変なこと聞いて、ゴメン。貴音もすっごく頑張ってるんだよね」

そう言って、響はぺろりと、ケチャップを器用に舌で舐めとり……
そのまま、テーブルを両手で叩き、勢いよく立ち上がりました。
「そうだな、貴音の言う通り、きっとなんくるないさー!」
「……はい」

……そんな不安そうに笑わないでください。
心配いりません、響と一緒ならば、疲れも吹き飛んでしまいますから。

しかし、まずはなにより……。

「響、どうやら【はっぴーせっと】だけでは少々足りないようです」
「あっうん、好きなもの頼んでよ。今日は自分の奢りだからね!」
「では、【びっぐまっく】を5つほど」
「はぁ~……」

響は、そのままがっくりとうなだれてしまいました。
腹が減っては戦はできぬ、です。

……。

「あふぅ。おはようなの~」
早朝、765プロではいつも通りの気の抜けた欠伸が聞こえてきます。
真っ白なクリップボートを一瞥もせず通り抜け、ソファに倒れ込んでしまいました。

「あっミキ! よくもドタキャンしたな~」
「うぅん、ごめんね。響、貴音。 だってハニーがね、チケットが昨日までっていうから……」
「へへーん! ミキ、残念だなぁ~! 昨日は自分たち、すっごいレストランに行ったんだからね! ねっ貴音」

響は、私の方に意地悪そうな笑みを浮かべます。
わたくしは、予定表に目を通しながら、微笑んで言いました。
「ふふっ、そうですね。わたくしにとっては、まこと貴重な体験といえるのではないでしょうか」

「え~!いいなぁ」
「ミキは、もう連れてってあげないぞ!」

ふと、そのときにあの夢を思い出しました。あの美希の、泣き崩れた顔を。
……ふむ、だとしたら、隣にいた殿方はやはりプロデューサーだったのでしょうか。

「響はイジワルなの!おーぼーなの!」
目に映るのは、まるで正反対の、美希の無邪気な顔。

……星井美希には、やはり笑顔が似合っていますね。

「おっ集まってたか、それじゃ早速ミーティング始めるぞ~」
噂をすればなんとやら。
プロデューサーが大量の書類を抱えつつ、片手でタイムカードを通しました。

赤く充血した目をしたプロデューサーが、机に置いてあるコーヒーを啜って言いました。
……ゆうべはお楽しみだったようですね。

「はは、久々の大プロジェクトだ」
そう言って、書類をわたくし達に1枚ずつ手渡しました。
それに、さっと目を通すと……。

「……作詞作曲、ですか?」
「あぁ、お前たちが曲を作るんだ。それでプロダクションごとで勝負する。面白そうだろ?」
「なるほど……」
「もちろん、サポートはするけど、俺はお前たちの素直な気持ちを見てみたいんだ」
そう言って、プロデューサーはわたくしの方を見つめて言いました。
「特に、貴音はどんな歌を作るのか興味あるな」

「ふむ……」
なかなか興味深い企画です。
実力を試すには絶好の機会というものでしょう。

「よ~し、完璧な自分が、すっごいのを作ってみせるさー!」
早くも、響は乗り気のようです。書類を握りしめて、わなわなと震えています。

「ふぅん、面白そうだね。ワクワクするの」
美希は目を輝かせて、文字を一文字ずつ追うように書類を凝視しています。

……さすがはプロデューサー、といったところでしょうか。
焦りを感じていた私たちにとって、一石を投じるものとなるでしょう。

それでは、私はらぁめんの歌を……。

「あぁ~、それでな……」
プロデューサーは視線を外して、頭をかきながら言いました。困った時のクセ、ですね。
「テーマは、その、愛なんだが、イケるか?」

愛……?
その途端、予想通り、美希がプロデューサーに一目散に飛びつきました。
「も~!ミキやる気まんまんなの! ミキね、ハニーへの気持ちをいっぱいいっぱい込めちゃう!」

愛……ですか。
「はは、相変わらずだな……」
わたくしは気づけば、目の前の光景よりも、隣の響をただただ、見つめていました。
「貴音……どうしたんだ?」

わたくしが、この響への想いが恋心だと知ったのはいつでしたでしょうか。
その時は……確かに……叶わぬ恋である決めたハズでした。

はやー導入の時点でもう頭から煙でそうやー風呂やー

「……」
同性の者への恋など、四条家の者が許すハズがありません。
わたくしは、幼い頃より、じいやから英才教育を受けてきました。

四条家の恥とならぬように。己を気高く保つようにと……。

それになにより、わたくしのこの身勝手な想いが響を傷つけたら……。
そう思うと、わたくしの身体はたちまち強張り、寒気が止まらなくなってしまうのです。

ですから、わたくしはそっと心の奥底に、蓋を被せました。
そして、こう思い込むことにしました。

──響の笑顔さえ、隣で永遠に眺められればわたくしは幸せであると。

「うぅん、愛……愛って自分にはよく分からないぞ」
鉛筆を鼻の上に乗せて、響は譜面を両手で眺めています。

わたくしは、メモ帳に万年筆をすべらして、小さな声で言いました。
「……動物愛でよろしいのでは?」

……あなたは、あなたらしくいてくれれば良いのですよ。

それを聞いた響はぽっかりと口を開けて、手をぽん、と叩きました。
「あ、そっか。それなら書けそうな気がする!ありがとっ貴音」
「礼には及びませんよ」
「ところで……貴音はどんなの書いてるんだ?」
「ふふっ」
覗きこもうとする響を片手で制して、くるりと背を向けます。
一度目を伏せて、暗闇の中でぼんやりと、1つだけ、ただ単純に、浮かんだ【フレーズ】は……

「それは、トップシークレットです」
「うぅ、貴音はやっぱり意地悪だぞ」
「ふふっお互い様でしょう」

──口づけしたい。

わたくしは、その上に、斜線を1本引き、メモ帳をゆっくりと閉じました。

そして、数日がたちました。
わたくしのメモ帳には、未だ塗り潰された黒線1本しかありません。
「困りましたね」
ぼんやりと、チラつく切れかけの蛍光灯を仰ぎました。
「うっ……!」
光が網膜に焼きつくような痛みを感じて、こめかみを強く抑えました。

最近、あの頭痛と気だるさが増してきたように思えます。
休息は十分とっているハズなのですが……。

「だ・い・す・きハニィ~ い・ち・ごみたいに~」
隣でソファに腰掛けている美希が、鼻歌を歌いながらペン先を躍らせています。
わたくしは、痛みを押しのけるように、微笑んで言いました。

「どうやら美希は順調なようですね」
「うん、ミキね。ゼッコーチョーなの! ラブラブパワーが爆発してるって感じ?」
「……」
「ねぇ、貴音は好きなヒトとかいるの?」
「……えぇ」
「そうなんだ、ちょっと意外かも」
「そのように見えますか?」
「うん。ねぇ、コクハクとかしないの?」
「はい」
「ふぅん、どうして?」
丸い瞳で、不思議そうに美希はわたくしをじっと見つめてきます。
……わたくしは、万年筆をゆっくりと白紙に走らせました。
また、すぐに閉じて言います。
「想いは秘めている間が美しい、という答えでは納得いただけませんか?」

美希の薬指にはめた指輪が、オレンジ色の陽だまりに照らされて、鋭く輝きました。
あれは……美希の誕生日の次の日からついていたものですね。
贈り人は言及せずとも、わかるというものでしょう。

握ったペンを机に置いて、美希は眉を八の字にして言いました。
「うぅ~ん、ミキ的には~好きならね、好きって気持ちはちゃんと伝えなくちゃダメって思うな」
「……」
「だって、もし相手も好きだったらどうするの? 聞くだけなら簡単だよ」
「……もし、それが届きそうにもない時はどうするのです?」
「ん~、その時はこれから好きになってもらえばいいんだよ」
「ふふっ、美希らしいですね」
「貴音は、やっぱりミキより大人なのかな?」
「いいえ、そんなことはありませんよ」

……わたくしは、ただ恐れているだけなのですから。
この平穏な日々が壊れてしまうのを。

心の中をひとつずつ整理するかのように、メモ帳に乱雑に単語を並べました。
鳴りやまぬ鼓動。禁忌の恋。口づけ。

……。

「うっ……!」
自室に戻って緊張が解けた途端、また鈍い痛みが頭を締めつけました。
暗闇の中、頭痛薬を水で胃の中に流し込みます。
こもった熱が冷めるかのように、体の奥へと痛みが引いていきます。

……病院に行った方がよいのでしょうか。
あまり皆に心配はかけたくありませんが……。

「はぁ……!」
壁にもたれかかり、這うように布団へと歩を進めました。
そのまま、人形のように力無く倒れ込みます。
荒い呼吸を、ゆっくりと整えていきます。段々と乱れた思考が一点にまとまってきました。

──好きならね、好きって気持ちはちゃんと伝えなくちゃダメって思うな。

「……」
不意に、くぐもった振動音が部屋に鳴り響きました。おや……。
布団にくるまった携帯電話を取り出して、ゆっくり耳にあてました。

「はい、四条貴音と申します」
「携帯だからわかるぞ! き、緊急事態なんだ! ちょっと貴音、助けて欲しいさー!」
「響……?」

……。

都心から少し離れた河川敷には、人の気が無く、街灯もまばらに立っています。
薄闇の中、聞こえるのは湿った草むらを掻き分ける音と、いくつかのタイヤの軋む音。

それともうひとつ……。

「お~い、ハム蔵~イヌ美~どこだ~!お~い!」
響の向こう岸まで届きそうな泣き声でした。
草むらからひょっこりと飛び出た頭に向かって、言いました。
「またドアを開けたまま寝てしまったのですか……」
「う、うん……気づいたらみんな居なくなってたんだ……」
「やれやれ……」

もう慣れたものです……。
文字通り、これは草の根を分けて捜すというものでしょうか。

「……おや?」
濡れた土に向けた視線を、ふとはるか上空へと向けると……。

仄白い月が、ぼんやりと雲をまとって浮かんでいました。
長く吐いたため息が、煙となって立ち込め、すぐに霧散します。
「響、見てください、今夜は美しい満月ですよ」

──こんなに月が蒼い夜は、不思議なことが起こりそうですね。

「た、貴音ぇ~!やった、ねこ吉がいたぞ~!」
「……」

視界の端に響が飛び跳ねているのが見えました。
「後はハム蔵……イヌ美と……」
なにやら響の声が、不思議と砂嵐に混じったように、途切れ途切れに聞こえています。

その時わたくしは、その場に磔になってしまったかのように身動きがとれませんでした。
なにやら胸騒ぎします。激しい悪寒も止まりません。

まるで、この月の光に身体が吸い込まれそうな……。

「うっ……!」
その瞬間、突然頭が真っ白になり、
焼けた鉄の棒を胸に突っ込まれたかのような痛みが走りました。
堪らず、胸を強く握りしめ、歯をキツく食いしばります。

「貴音、大丈夫か?!」
不意に響の声がすぐ間近に聞こえ、体が思い切り揺らされました。
「い、いけません!あっ……」
「う、うわっ!」

……体勢を崩したわたくしは、そのまま響に全体重をゆだねるように、倒れ込んでしまいました。

「うっ……」
眩んだ目を必死に擦り、状況を把握しようと試みます。
しかし、まるで以前に、【すとろぼ】を焚かれたように、視界が所々欠けています。

雨上がりのすえた土の匂いに混じって、なにやら動物の匂いがします。
わたくしは、いつもこの匂いを嗅ぐと落ちつくのです。

恐る恐る、手をまさぐるように地面に這わせました。
なにやらゴムマリのような、弾力のよい何かにわたくしの指が食い込みます。
その感触を何度も確かめるかのように、動かすと……。

「こっこらっ、貴音ぇ、くすぐったいぞ……」
響の普段とは異なった、艶っぽい吐息混じりの声が聞こえてきました。
やがて、この感触は響の双丘であるという事に気付き……。
「も、申し訳ありません、響」
すぐに、手を引っ込めました。
わ、わたくしは何を……。頬が、熱を帯びていくのがありありと感じられました。

この戻らぬ視界では、響の表情は窺い知れないのがやや残念ですが……。
「た、貴音ぇちょっと重いぞ……早くどいてよ……」
「……」

……好きならば、好きという気持ちを……。

互いの吐息が絡まり、わたくしの頬をくすぐりました。
この匂いは……響、ごーやちゃんぷるーを食べましたね。
高ぶる鼓動が、あなたにも伝わっているのでしょうか。
だとしたら、どうか、わたくしの想いに応えてください。

存外、冷静であること己に驚きました。
文字に起すことで、心の整理が出来ていたからでしょうか。

「貴音? なんだか変だぞー?」
わたくしは、今どんな顔をしているのでしょう。
はしたない表情を浮かべていなければいいのですが。

「ひびき……」
想像していたより、随分と低い声が出てしまいました。
あなたが怖がっていなければいいのですが。

段々と、視界が晴れてきて、曇りガラスを通したような、貴方の顔が見えます。
小さく息を吸い込んで、ゆっくりと、言いました。
一字一句、決して間違えぬよう、あなたへの溢れそうな想いをこめて。
「我那覇響……わたくしは……あなたのことが……」

「……好きで……」
そのときでした。
灰色の景色が鮮やかに色付き、響の表情が、瞳の中に飛び込んできたのです

「……!」

響は、恐れを含んだ不安そうな顔で、わたくしを見つめていました。
その震える指先を見ると、爪が割れ、微かに血が滲んでいました。
頬には泥が飛び散って、薄汚れています。

──たっかっねぇ~!

普段の、屈託の無い響の笑顔が脳裏に浮かびました。
まるで、太陽のようなその微笑みを。

……わたくしが、曇らせてしまうかも知れない。

「た、たかね、ど、どうしたんだ?」
その、響の消え入りそうな声を皮切りに……。

「ひゃっ、冷たっ」
また視界が何も見えなりました。
「うっ……!」
今度は、濃い霧のように、ぼやけて、あなたの顔が歪んでいきます。

「貴音……?」
……。
お許しください。わたくしは、なんと無様なのでしょう……。
「申し訳あり、ませ、ん。何でも、あり、ませんから……」

第一部完!
続きは明日!

短めって言ったが……
すまん、ありゃ嘘だ

物凄い遠回りのひびたかラブラブチュッチュになるぞコノヤロウ
きっとついていけなくなるぞバカヤロウ
午後から書くぞー!

お疲れ様でした!餃子の王将行ってきます

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