【リョナ注意】緑輝「歯形祭り。」葉月「はっ?」【響け!ユーフォニアム】 (354)

初SSです。
割と馬鹿な内容なのに原稿用紙約400枚分あります。
こんなに長くなるとは思わなかった。二度とSSは書かない。

因みに「リョナ」は「猟奇オナニー」の略です。
麗奈が久美子の首を切断して、その首でオナニーします。
生首ぐるぐるが嫌いな人は見ないで下さい。

猶、主なテーマは「反吸血鬼」です。
吸血鬼物が好きな人も見ないで下さい。
ともあれ、吸血鬼は滅ぶべきであると考える次第である。

逆に「Ever17」をリスペクト。
私が知る限り、叙述トリックに存在意義を与えてくれた唯一の作品です。
但しこのSSではブリックヴィンケルさんは助けてくれない。

難読漢字は本編終了後に纏めて読み方を載せます。
別に読めなくても困らないけど。
>>2以降本編。

もうなんか期待しちゃうだろこれ

葉月 「……歯形?」


 やっぱりその発音は、葉月ちゃんにも「はがた」と聴こえた様だった。


久美子「ミドリちゃん、滑舌悪いよ。それ『あがた』じゃなくて『はがた』に聴こえる。」


緑輝 「いえ、『はがた』でいいんです。」


 ミドリちゃんは微笑みながらそう言うと、周りに人が居ないか確認する様に、首を動かす。
 なにをしているのか、と思いながら見ていると、直ぐ様、視線が戻ってくる。


緑輝 「ふふっ。実はですね……今日は、好きな人を噛んじゃっていいんです。……ほら、私も噛んで貰いました。」


 そう言いながら、ミドリちゃんが浴衣をめくる。肩の部分に、なにやら、黒っぽい線が二本あった。


葉月 「それって……。」


 私達は、さらけ出された部分をじっと見詰めた。


久美子「……あっ。」


葉月 「……あ。」


 歯の痕だった。
 確かにそれは、人間の歯形の様だった。

葉月 「ねえ、これどーしたの?」


 葉月ちゃんが心配そうに訊くが、ミドリちゃんは至って楽しそうだった。


緑輝 「ふふふ、これですかあ? 吸血鬼の御姉様に噛んで貰いましたー。」


久美子・葉月「吸血鬼の御姉様?」


緑輝 「はい! ミドリ、吸血鬼になっちゃいましたー。……あはは♪」


 ミドリちゃんは、無邪気に笑う。
 私には、その、何時になく無邪気な笑顔が、却って事の深刻さを物語っている様に思えた。


緑輝 「という訳で、久美子ちゃん。」


 そう言って、ミドリちゃんが、私に抱き付く。


久美子「え、なに?」


 左肩に違和感。


緑輝 「いっただっきまー――」

葉月 「うわ!」


 人影。
 急に、ミドリちゃんの小さな体が力を失い、倒れ掛かって来る。


久美子「おっと。」


 思わず抱き締めた。


葉月 「え?」


久美子「え? あ……。」


 ミドリちゃんの背後に立っていたのは、高坂さんだった。


麗奈 「久美子、大丈夫?」


久美子「うん……。」


葉月 「高坂さん?」


 その彼女は、私達の存在を無視するかの様に、なにかをもぞもぞと遣り始めた。珍しくポニーテールで、白いワンピースに黒いショルダーバッグという出で立ちだった。
 作業は数秒で終わったらしい。こちらに向き直り、手を伸ばしてくる。

麗奈 「さあ、その子を渡して。」


久美子「え? うん……。」


 言われるままミドリちゃんの体を高坂さんに預けると、なんと軽々と持ち上げてみせた。 ミドリちゃんの体は、ぐったりと動かない。
 高坂さんが体の向きを少し変える。


麗奈 「ふんっ、この泥棒猫。」


久美子「え?」


 次の瞬間、ミドリちゃんの体がふわりと浮き上がり――鈍い音と共に、蹴られて吹き飛んでいた。
 そのまま勢いに任せて地面を転がり、軈て止まる。


葉月 「み……緑っ!」


 地面に倒れているミドリちゃんに向かって、葉月ちゃんが駆け出す。


麗奈 「駄目っ!」


 高坂さんが、突如大声を上げた。私はびっくりして、思わず高坂さんの顔をじっと見詰める。


麗奈 「離れて!」


 高坂さんは、葉月ちゃんに向かって叫んでいる様だった。

葉月 「緑、確りして!」


 しかし、高坂さんの言葉は葉月ちゃんの耳には届いていなかった。葉月ちゃんは、俯せに倒れているミドリちゃんの脇に寄り添ったまま、離れない。ミドリちゃんの身を案じていた。


久美子「高坂さん、どうしてあんな事を……。」


麗奈 「久美子もあの子の心配? ……平気、この程度では死なないわ。それより、今の内に逃げましょう。」


久美子「逃げる?」


麗奈 「ええ。……直ぐに『ちゆ』するわ。」


久美子「ちゆ?」


 私が聞き返すと、高坂さんは黙って首を動かした。それは、ミドリちゃん達の居る方を見る様に、促している動きだった。
 目を遣る。
 倒れているミドリちゃんと、その側にしゃがんで様子を見ている葉月ちゃん。


葉月 「あ!」


 突然、葉月ちゃんが声を上げた。
 そのまま見ていると、ミドリちゃんの腕が大きく動く。


麗奈 「……ほら。」

緑輝 「ああん、酷いですう! こんな事するなんて……。」


 そう言いながら、ミドリちゃんが立ち上がる。


葉月 「良かったー。無事だったんだ。」


 葉月ちゃんも立ち上がる。


緑輝 「はい、ありがとうございます。葉月ちゃんはやっぱり優しいです。……大好き!」


 ミドリちゃんが、葉月ちゃんを抱き締める。


麗奈 「……さ、久美子、今の内。」


 高坂さんが、私の腕を掴む。


麗奈 「いきましょう。」


久美子「え、いくって――」


緑輝 「二人共、逃げるんですか?」


 その時、ミドリちゃんの冷たい声が辺りに響いた。
 ミドリちゃんに抱き締められたままの葉月ちゃんも、怪訝な表情でこちらを見ていた。

葉月 「高坂さん、そのまま行っちゃうの? 緑にあんな事しといて。」


緑輝 「そーですう。」


 その言葉を聞いた高坂さんは、少し笑みを浮かべてから、振り向いて声を上げた。


麗奈 「あら、それはどっちの事かしら? ……首の神経を切断した事? ……それとも、貴方の背中を蹴り飛ばした事?」


緑輝 「両方ですう!」


 ミドリちゃんが、葉月ちゃんを抱き締めたまま怒る。可愛い。怒っても可愛い。


麗奈 「でも、貴方は久美子を噛もうとした。……でしょ?」


緑輝 「はい。……噛みたかったですう!」


 ミドリちゃんが悔しがる。可愛い。


麗奈 「ふふっ、そうね。……じゃあ、交換条件。その子は上げるわ。好きに噛んでいいわよ。でも、久美子は渡さない。」


久美子(?)


 「交換条件」とやらに私の名前が出てきた。一体なんの話をしているのか。

麗奈 「それで手を打ってくれない?」


緑輝 「うー……仕方ありませんね……。」


 勝手に話が進む。


緑輝 「じゃあ、葉月ちゃんから戴きますね。」


 ミドリちゃんが、抱き付いた状態のまま、右手で葉月ちゃんのタンクトップの肩の部分を、外側へと引っ張った。左の鎖骨が、完全に顕わになる。


葉月 「え、何?」


緑輝 「あー……。」


 ミドリちゃんが口を開けて、顔を葉月ちゃんの左肩へと近付ける。


麗奈 「さ、久美子。」


 その言葉と共に横から腕を引っ張られたけど、無視して二人の様子を見詰め続けた。ミドリちゃんの口が、葉月ちゃんの左肩に触れる。


葉月 「ちょっと、緑……。」


 それは、肩に口付けをされて恥ずかしがる、素朴な女の子の声だった。しかし――

葉月 「……あっ! 痛っ! ちょっと、緑っ! やめてっ! 痛い! 痛いよ! ……こ、やめてってば!」


 葉月ちゃんの声が怒気を帯び、ミドリちゃんの頭を引き剥がしに掛かった。良く見えないけど、左手が使えないらしい。右手だけで、ミドリちゃんの顔をぐいぐいと押していた。
 それでも、ミドリちゃんの頭は、全く離れない。


葉月 「この……!」


 その時、すっと、ミドリちゃんの頭が、葉月ちゃんの左肩から離れた。
 葉月ちゃんの表情が緩む。
 次の瞬間、ミドリちゃんがその場にしゃがみ込んだ。


葉月 「え、なに、……うわ!」


 葉月ちゃんの体が、少し浮き上がる。
 しゃがみ込んだミドリちゃんが、葉月ちゃんの足首を掴んで、十センチメートル程持ち上げていたのだった。信じられない力だった。


葉月 「ちょっと、緑っ! 下ろ――」


 葉月ちゃんが、後ろにバランスを崩す。
 尻餅をつき、あっ! と声を上げる。
 透かさず、ミドリちゃんが上半身に馬乗りになる。
 右手で左手を押さえ、左手で右手を押さえる。
 勝負は決まった。一瞬の出来事だった。

葉月 「み、緑……。」


緑輝 「ふふふ。大人しくしていて下さいね♪」


 ミドリちゃんはにっこりと笑うと、押さえていた左手を、自分の右脚の下へと押し入れてゆく。


葉月 「ちょ、ちょっと……なにするの……。」


 それは、不安と恐怖が入り雑じった様な声だった。
 葉月ちゃんがピンチだ。
 高坂さんに顔を向ける。


久美子「こ、高坂さん、葉月ちゃん――」


麗奈 「駄目。もう不意打ちも通じない。」


久美子「そんな……。」


緑輝 「さあ、葉月ちゃん、心の準備は出来ましたか?」


 再び二人の方へ目を遣ると、葉月ちゃんの右手も、既に左脚の下に敷かれている様だった。ミドリちゃんの左手が、自由になっている。


葉月 「あ……嫌……お願い、緑……。」

緑輝 「だーめっ♪」


 再び、ミドリちゃんの牙が、葉月ちゃんの左肩へと食い込む。


葉月 「痛い! 緑! やめてえ!」


 葉月ちゃんの絶叫に、ミドリちゃんが顔を上げる。むっとした表情だった。


緑輝 「もー、静かにしていて下さい……。」


 ミドリちゃんの左手が、葉月ちゃんの口元に向かう。


葉月 「あ! く、久美子! こうふかはん!」


 何をされるか察した葉月ちゃんが声を上げるが、遅かった。口に手を宛がわれ、変な発音になる。


葉月 「ばぶべべえ。」


 更に、右手が追加される。


葉月 「ん! んー!」

 ミドリちゃんが、少し、右手を離す。


葉月 「ん! ん!」


 それでも、声は出ない。


緑輝 「あは♪」


 口を押さえている手の位置が修正されたらしく、左手だけで完全に発声が封じられていた。
 そして右手が、再び葉月ちゃんのタンクトップをずらす。


緑輝 「葉月ちゃん大好きですよー。」


 なにかに陶酔したかの様な声と共に、ミドリちゃんの牙が、ゆっくりと葉月ちゃんの肩へと向かう。


麗奈 「さ、久美子。今度こそいくわよ。」


 腕を引っ張られる。


久美子「あ、うん。」


麗奈 「走って。」


 私は、高坂さんに先導されながら、全力で走った。

          *
 角を幾つか曲がる。
 そうしてゆき着いたのは、薄暗い神社の境内だった。そこで、前を走る高坂さんの速度が遅くなり、軈て立ち止まる。


麗奈 「この辺まで来れば平気なんじゃないかな。」


 高坂さんが私に振り返って、そう告げる。私はというと、全力で走った所為で呼吸が激しく、とても話す様な気分ではなかった。
 それ処か立っているのも辛い。思わず、石畳の上にへたり込んだ。


久美子「はあ、はあ。」


 呼吸を整えながら、高坂さんを見上げる。
 白いサンダル、白いワンピース、黒いショルダーバッグ。
 凛とした表情、立ち姿。
 荷物もあるというのに、高坂さんは、息一つ切れていない。
 ぱっと見、汗も掻いていない。
 思わず、笑みがこぼれる。
 それは、真っ白いワンピース姿で悠然と立っている高坂さんと自分を引き比べて、自嘲する気分になったからか。それとも、全力で走って精神が興奮しているからか。
 私の笑みに疑念を抱いたのか、高坂さんが少し首を傾げる。


麗奈 「久美子、平気?」


久美子「あ……、うん。」


 何とか声を出す。勿論、全然平気じゃない。


麗奈 「ふふっ。」

 高坂さんは少し微笑むと、ゆっくりと歩いて私の目の前まで来る。
 そして、おもむろに鞄からペットボトルを取り出し、しゃがむ。


麗奈 「先ず飲んで。」


久美子「あ、ありがと。」


 礼を言って受け取る。
 暗くて見にくいが……中身は水の様だった。
 キャップを捻ると、小気味良い音がする。はっとした。何と未開栓だった。
 顔を上げて、訊く。


久美子「いいの?」


 高坂さんは、黙って頷く。


久美子「じゃあ……。」


 更にキャップを捻って、飲める状態にする。
 そして、ペットボトルの口に唇を付け、傾ける。少しぬるい。
 しかし、ごくり、と一口飲んだ瞬間、渇いた喉が蘇る。
 おいしい。ゴク、ゴク、と飲み続ける。


麗奈 「久美子が無事で良かった。」


 その言葉を、飲みながら聞く。

久美子「ぷはあっ。はあ、はあ……うん、高坂さんの御蔭だよ。」


 飲み終わってから返答する。
 キャップを閉じ、


久美子「ありがと。」


 の言葉と共にペットボトルを返そうとすると、高坂さんは首を振り、


麗奈 「いいの。上げる。」


 と呟く。


久美子「え、でも……。」


 私が食い下がると、高坂さんは嫣然と微笑み、更にはっきりとした口調で言う。


麗奈 「上げる。」


 その笑顔に少しどきんとした私は、


久美子「そ、そう……。」


 と言って、ペットボトルを引っ込める。

久美子(なんか……。)


 施して貰ってばかりだ。少し申し訳無い気分になる。
 顔を上げて再び目を遣ると、現前の高坂さんは澄ました表情をしていた。
 なにやら居心地の悪さを感じた。なにか喋らなければ……
 と言っても、話題なんて、直ぐには思い浮かば――


久美子「あ! あれ、なんだったんだろうね。」


麗奈 「あれ?」


久美子「さっきの、ミドリちゃん。……どう考えてもおかしかった。吸血鬼になったとか言ってたし。」


 同意の言葉が欲しかった。しかし、


麗奈 「ああ、あれね。」


 と、素っ気無い返事。
 高坂さんは、あまり興味が無さそうだった。
 もう一度、口にする。


久美子「……え? 吸血鬼だよ?」


 すると、高坂さんは、なにか面白い事にでも気付いたみたいに、少し笑みを浮かべる。
 あれれ、なにかおかしい。
 私の認識と高坂さんの認識には、ずれがある様だった。

久美子「えーっと……。」


 おかしいと思わないの? と訊く前に、高坂さんが口を開く。


麗奈 「彼女はね、吸血鬼になったのよ。他の誰か……、誰か別の吸血鬼に噛まれてね。」


久美子「は? ……吸血鬼なんてこの世に――」


麗奈 「居るのよ。」


 私の発言を遮って、きっぱりと言う。


久美子「……まじ?」


 真面目な口調で訊くと、


麗奈 「大まじ。」


 真面目な口調で返ってくる。そして、一呼吸置いてから、


麗奈 「吸血鬼は実在するの。一般人のあいだには、直隠しに隠されているけどね。」


 衝撃の事実。

久美子「……まじ?」


麗奈 「だから、まじな話だってば。」


 高坂さんの語調が少しきつくなる。


麗奈 「吸血鬼は実在するし、政府は裏で吸血鬼を使って非人道的と言える様な事に手を染めているし、その為の吸血鬼ハンターも居るし、吸血鬼に噛まれたら、噛まれた人間も吸血鬼になるの。」


 少しうんざりとした顔で、捲し立てる。ちょっと怖い。
 怖ず怖ずと訊く。


久美子「えーと、……じゃあ、葉月ちゃんは……。」


麗奈 「今頃は、彼女も吸血鬼になっているかも知れないわね。」


 高坂さんの口調は、至って真剣だった。


久美子「嘘でしょ……。」


 溜息が出る様に、口から言葉が出る。


麗奈 「残念ながら、真実よ。」

 感情を交えずに告げる高坂さんの態度に、少し冷たさを感じた。
 私は、少し目を伏せながら、


久美子「そっか……。」


 と呟いた。
 葉月ちゃん、ミドリちゃん……。
 二人は高校に入ってから最初に出来た友達であり、同じ部活の同じパートで練習する、掛け替えの無い仲間だった。
 もし二人が居なくなったら、私は……――


麗奈 「だいじょーぶ?」


久美子「あ、うん。」


 はっとして、視線を上げる。
 気を落としていると思われたのか、高坂さんの顔は、私を心配する様な表情に変わっていた。
 そうだ久美子、あんたは一人じゃない。
 思い切って、訊く。


久美子「ねえ、二人はどうなるのかな。」


麗奈 「え? どうなるって?」


久美子「あ、その、えと、政府に連れていかれて……、実験とか、されちゃったりするのかな。」

麗奈 「いや、多分それは無いわ。良くも悪くも、あの二人にそこまでの価値は無いわ。」


久美子「そっか。」


 それを聞いて、一安心。


麗奈 「うん。若しも市中で偶然に吸血鬼ハンターと出会った場合には、多分その場で処分されるでしょうね。」


久美子「処分!」


 私が大声を上げたので、高坂さんは少し驚いた表情になったけれど、直ぐに笑みを浮かべ、


麗奈 「あ、大丈夫よ。殺される訳じゃないわ。人間に戻されるだけ。」


久美子「え、戻れるの?」


麗奈 「ええ、戻れるらしいわ。但し、吸血鬼だった頃の記憶は全て失ってしまうらしいけど。」


久美子「そーなんだ。」


麗奈 「うん。」


久美子「そっか。じゃあ、早く二人を見付けにいかないとだね。」

麗奈 「え、なんで?」


久美子「え? だって、戻して上げるんだったら早い方がいいでしょ? 戻すのが遅れれば遅れる程、消えちゃう記憶が多くなっちゃうんでしょ? そんなの、かわいそうじゃない。」


 私にはそれが当然に思えた。しかし――


麗奈 「いや、そうじゃなくて、久美子になにが出来るの? って事。」


久美子「……え?」


麗奈 「だって、見付けた所で吸血鬼と戦える訳でもないし、ハンターの連絡先を知っている訳でもないし。」


久美子「それは、そうだけど……。」


麗奈 「なにも出来ないのに、見付けてどうするの。噛まれにでもいくの? そんなの、私が許さないわ。」


 正論だった。


久美子「そうだけど……あ、高坂さんも知らないの?」


麗奈 「なにを。」


久美子「連絡先。」

麗奈 「知らない。」


 高坂さんは、さらりと答えた。
 それは本当に知らずに言っているのか。それとも、私を巻き込まない為に嘘を言っているのか。
 ……しかし、高坂さんの顔は無表情だった。今の私には、その答えを伺い知る事は出来なかった。
 取り敢えず、素直に詫びを入れる事にした。


久美子「そっか、御免。……私、なにも考えずに話してた。」


麗奈 「ん、別にいいのよ。怒ってる訳じゃないから。」


久美子「うん……。」


 優しい。
 少し、ばつが悪い。


久美子(……。)


 それにしても、高坂さんはなんで吸血鬼に就いてこんなに詳しいのだろうか。
 一般人には秘匿されている筈なのに。
 そう思うと、またしても質問せずにはいられなくなってくる。


久美子「ねえ、高坂さんってどうしてそんなに吸血鬼に詳しいの?」


麗奈 「え?」

久美子「だって、一般人には隠されてるんでしょ? 私も今日まで全く知らなかったし……。」


麗奈 「……ん、それはね、……ある人に教えて貰ったの。」


久美子「ある人?」


麗奈 「うん。」


久美子「ある人って?」


麗奈 「それは言えない。」


久美子「なにそれ。」


 一気に、緊張が解けた。
 それでは、なにも答えていないのと同じだ。
 質問を替えよう。


久美子「え、えと、じゃあ、高坂さんって、実は政府の人なの?」


麗奈 「政府?」


久美子「うん。」

麗奈 「そんな訳無いじゃない。唯の高校生よ。」


久美子「高校生と吸血鬼ハンターの二足の草鞋……とか。」


 と言うと、高坂さんは笑って、


麗奈 「無い無い。吸血鬼ハンターになるには、特別な資質が必要らしいから。」


 と答える。


久美子「え、でも、高坂さんにも資質があるんじゃないの? だって、さっき私を助けてくれた時のキックの威力、凄かったし。それに、だから、吸血鬼に就いても、その人から色々と教えて貰えたんじゃないの?」


 それ以外に考えられなかった。
 高坂さんに蹴られたミドリちゃんの体は、十メートルくらい先まで転がっていた気がする。
 はっきり言って、普通の人間の所業ではない。
 それに、ここまで走ったあとも、全く平気な顔をしていた。
 普通の人間ではない事だけは、確かだった。
 しかし、高坂さんは肯定も否定もしない。視線を下の方に遣って、なにか考えている様な表情だった。
 ……あ、そうか。ハンターである事が秘密だからか。


久美子「あ、大丈夫。高坂さんが吸血鬼ハンターだって、誰にも言わないから。」


 すると、


麗奈 「久美子。」


 高坂さんの目が、真っ直ぐにこちらを見る。

麗奈 「ハンターだったら逃げてないわ。……あの時、不意打ちが決まったあと、自分の力であの子を人間に戻している筈だわ。」


久美子「あ……。」


 ……それもそうか。


久美子(……え、でも……)

久美子「あ、あの……、その人間に戻す作業って、一人で出来るの?」


麗奈 「出来る……らしい。」


 なにそれ。なんで断言しないのか。


久美子「じゃあ、ハンター見習い……みたいな……。」


麗奈 「ふふっ。久美子って可愛いわね。ほんとは薄々気付いてるんじゃないの?」


久美子「え、何を?」


麗奈 「ふふっ。……もー……。」


 高坂さんは髪を掻き上げると、笑顔でこちらを見詰めて来た。

麗奈 「私が、……吸血鬼だって事。」


久美子「えっ。」


 予想外でした。


久美子「えと、じゃあ、さっき私を助けてくれたのは……。」


麗奈 「ふふふっ。」


 高坂さんの笑顔が眩しい。


久美子「もしかして……。」


 もう、嫌な予感しかしなかった。


麗奈 「私が、自分で噛みたかったから。」


 ゆっくりと言って、にっこりと微笑んだ。


久美子「そ、そう……。そうだったんだ……。」


麗奈 「うん!」

 無邪気で、元気な返事。
 こんなに楽しそうな高坂さんの顔を見たのは、初めてだった。


久美子「えと、じゃあ……ミドリちゃんみたいに、どこかに歯形が……。」


麗奈 「うん。ここ。」


 そう言うと高坂さんは、ショルダーバッグの肩に掛ける部分を、少しずらしてみせた。
 黒っぽい、歯形。ミドリちゃんの時と同じ。
 肩に掛ける部分に隠れていたので、今まで気付かなかった。


麗奈 「綺麗でしょ。」


 高坂さんは、なぜか誇らしげだった。


久美子「う、うん。……そうだね。」


 そうは思えなかったけど、取り敢えず肯定の返事をした。


麗奈 「ふふっ。久美子にも直ぐに付けて上げる。」


久美子「え……。」


 要らない。心の底から要らない。

麗奈 「ねえ、もういいかな?」


久美子「あ、うん。」


 高坂さんが、鞄を元に戻す。
 迂闊だった。白ワンピには不釣り合いな、やけに大きな鞄だと思っていたら、傷が隠されていたとは。


久美子「あー……。」


 私は、高坂さんを刺激しない様に、ゆっくりと立ち上がった。


麗奈 「どうしたの? 久美子。」


 高坂さんが、その場にしゃがんだまま、にこやかな表情で見上げてくる。


久美子「あ、ちょっと、脚が痛くて。……あ、ずっと座ってたからだと思うんだけど……。」


 私は、左右の太股を手で触りながら、一歩、後しざった。


麗奈 「そう。平気?」


久美子「うん、平気平気。……動かしてれば治るよ。」


 左右を見回しながら、もう一歩後しざる。
 しかし、左を向いても暗闇。右を向いても暗闇。
 正面、高坂さんの後ろには、少し明るい、神社の本堂。

久美子「あ、ここ、誰も居ないね。」


麗奈 「うん、久美子と二人っ切りになりたかったから。」


久美子「そ、そっか……。」


 と言って、引き続き左右を見回しながら、更に後しざる。
 すると、高坂さんの表情が、少し陰る。


麗奈 「ねえ、久美子、若しかして私の事嫌い?」


久美子「え、嫌いじゃないよ! 全然嫌いじゃないよ!」


麗奈 「嫌いじゃないけど好きでもないとか……。」


久美子「ううん、好きだよ! とっても好きだよ!」


 と言って、脚を摩りながら、また一歩。


麗奈 「そっか、良かった……。」


 そこで、高坂さんは俯き、鞄の中に右手を入れる。
 なにかを捜している。
 また一歩。

久美子(なにを……。)


 高坂さんはなにを捜しているのか。


久美子(ケータイ? ……そうだケータイ!)


 はっとした。
 右手を動かす。
 しかし、感触が無い。


久美子(ん?)


 何で無いのか。
 視線は高坂さんから外さずに、更に左手も動かしてみる。
 服の上から、両手で、念入りにポケットの位置を探る。右手はペットボトルを持ったままだから、少し遣りにくい。


久美子(どこ?)


 あまり使わない、御尻のポケットにも手を伸ばしてみる。
 しかし、いくら触っても、ケータイが入っている感触が無い。


久美子(嘘でしょ?)


 ケータイが無い。
 これでは、いざと言う時に助けも呼べない。
 何と言う状況だ。
 と思った次の瞬間、高坂さんが、ちらりとこちらを見る。
 ああ、警戒されている。……静かに一歩。

麗奈 「ん……。」


 目当ての物を見付けたのか、高坂さんが声を上げる。
 そして、鞄の中から、ゆっくりと、なにかを取り出す。
 そのまま、こちらを見遣り、怪しく微笑む。


久美子「あ、あはは……。」


 私も、ぎごちない笑みで応じる。
 高坂さんの右手にある物体は、少し離れたのと、暗い所為で良く見えない。
 でも、態々取り出したのだ。少し気になる。


久美子「それ……なに?」


麗奈 「ナイフ。使うと思って入れといた。」


久美子「そ、そう。」


 言われてから改めて見ると、それは折り畳み式のナイフに見える……様な気がする。


久美子「あ、ミドリちゃんの時か。さっき私を助けてくれた時に使ったんだね!」


 何でまた鞄から出したの? とは言わない。言ってはいけない。


麗奈 「うん。想定外だった。……本当は、あの場では使う積もりは無かったんだけどね。まあ、止むを得ず。」

 高坂さんは、ナイフを眺めながら言う。
 じゃあ、本当はなにに使う積もりだったの? とも言わない。絶対に言ってはいけない。
 ちらりと、足下に目を遣る。
 右手のペットボトルが目に入る。


久美子(あ……。)


 全く……。
 向こうは、右手にナイフ。こっちは、右手にペットボトル。
 どうしてこんな事になってしまったのか。
 と思いつつ、高坂さんに視線を戻す。
 双眸が、ナイフを眺めている。
 その高坂さんの頭が、静かに動く。


麗奈 「ねえ久美子。」


 と呟きながら、こっちを見上げてくる。


久美子「……はい……。」


麗奈 「私と遊ばない?」


久美子「あ……。」


 来た。

久美子「……う、うん。いいよ。……あ、じゃあ、ちょっとこれ、高坂さんが持っててよ。」


 私は、持っていたペットボトルを持ち直すと、高坂さんの方を向いた。


久美子「いくよ……。」


 彼女の胸に収まる様に、下手投げで、軽く……


久美子「はいっ。」


 投げる。
 ペットボトルは、ふわりと放物線を描き、高坂さんに――
 届くよりも早く、私は後ろを向いた。そのまま、全力で駆け出す。


久美子(誰か!)


 神社の石畳。


久美子(誰も居ないの?)


 境内に植わっている木。鳥居。
 駄目だ。辺りは薄暗いし、誰も居ない。
 後ろには、凶器を持った女の子が一人……。

麗奈 「えいっ。」


 その瞬間、衝撃を感じ、体のバランスが崩れた。修正出来ない。
 前のめりに倒れた。


久美子「あぐっ。」


麗奈 「うっ。」


 続けて、背中に重い感触。体が圧迫される。
 ああ、高坂さんだ! もう追い付かれた!


麗奈 「あははははは! どこ行くの、久美子お?」


 直ぐ後ろ、詰まり私の真上から、女の子一人分の圧力と、嬉しそうな声が降り懸る。
 高坂さんが、私にタックルして動きをとめたのだった。そして、そのまま伸し掛かっている。


久美子「こ、高坂さん……。」


 御中を抱き締められている。二本の腕が、私の体と石畳とのあいだにあるのを感じる。
 そして、背中の重圧。一体何カップあるのか。


麗奈 「ねえー、なにして遊ぶ?」


 その声と共に少し圧迫感が薄れ、私の御中の下から、高坂さんの両腕が引き抜かれる。
 逃げ――

久美子「あっ」


 今度は、御尻に圧力。
 両手で押さえ付けられた感じだった。
 そして、腰に硬い感触が来て、その硬い感触と入れ替わりに、御尻にあった、手の感触が消える。


麗奈 「御医者さんごっこしよっか?」


 声が近い。振り向く。
 高坂さんの顔が、私の顔の直ぐ側にあった。彼女の髪の毛が、振り向いた私の目の前に、ゆらりと垂れ下がっていた。


久美子「……お、御医者さんごっこ? ……いいね。私、御医者さんやりたい。」


麗奈 「えー? 久美子は患者さん役。脚が痛いんでしょ?」


久美子(あ……。)


 しまった。墓穴を掘った。
 後ろから、コッ、と音がする。
 そして、腰の硬い感触が消え、その直後、どっ、と御尻に衝撃。


久美子(!)


 振り返る。高坂さんが、私の御尻の上に腰掛けていた。

麗奈 「さあ、脚を診て上げましょうね。」


 と言いながら、高坂さんが動く。御尻の上で、御尻が動く。


久美子「え、いいよそんなの。」


 しかし、右の太股の裏に、くすぐったい感触。私の声は無視された様だ。


麗奈 「ふーむ、どれどれ?」


 体の陰になって見えないが、高坂さんが右手で触っているらしかった。感触が続く。


久美子「こ、高坂さん……くすぐったいよ……。」


麗奈 「成る程……。」


 私の言葉は、またもや無視された。


麗奈 「まあ、これは大変!」


 突然、高坂さんが、態とらしい声を上げる。


麗奈 「今直ぐ『しゅじゅちゅ』が必要だわっ♪」


 続けて、嬉しそうな声……って、手術?

久美子「え、そんな、いいよ。私、もう治ったから……。」


麗奈 「それでは、オペを始めます。……メス! ……はい先生、唯今……。」


 高坂さんが、鞄の中に手を入れる。
 私の言葉など完全に無視して、鞄の中から「メス」を捜しているらしい。やばいのではないか。
 顔を前に戻す。
 辺りには誰も居ない。
 自力で逃げるしかない。


久美子「く……か……。」


 しかし、何とか高坂さんの下から逃れようにも、御尻が重くて逃げられない。


久美子「高坂さん、御願いだからそこから降りて。」


 振り向いて懇願する。


麗奈 「ここから? ……駄目ー♪」


 右の太股の裏に、違和感。
 直後、激痛に変わる。


久美子「う……、高坂さん、なにを……あっ!」


 痛みで直感した。高坂さんがナイフかなにかを突き刺して、また引き抜いたのだ。

久美子「うう……。」


 思わず、下を向く。
 凄まじい痛み。


久美子「こ、高坂さん……なにしたの……。」


 言いながら、もう一度振り返る。


麗奈 「手術よ。見る?」


 そう言うと、高坂さんは立ち上がった。
 自分の二の腕越しに、右の太股が見える様になる。
 どくどくと、血があふれ出ていた。
 何という事を……――
 左の太股に、変な感覚。


久美子「えっ?」


 右に向いていた首を、反対側に動かす。
 高坂さんが、私の左の太股の、真横に座っていた。そして、短パンの裾を、まくり上げていた。
 顔の方に目を向けると、丁度、高坂さんもこちらを向く所だった。
 目が合うと、にっこりと笑い、


麗奈 「さあ久美子ちゃん、今度は左脚を診て上げましょうねー♪」


 と言いながら、右手のナイフを銜えようとする。

久美子「ちょっと、やめてよ。」


 私が咄嗟に制止の言葉を吐き出すと、少し動きをとめたが、


麗奈 「ふふっ、やめなーう。」


 ナイフを口に銜え、太股の裏を触る。


久美子「やめてってば!」


 その言葉と共に、左膝を勢い良く曲げる。
 手応えがあった。
 踵の部分が、高坂さんの左手に当たったらしい。
 と思った直後、左の足首を、右手で掴まれる。
 きつい。
 それだけではない。掴まれた左脚が、全く動かない。
 私が脚の力を入れてもひくりとも動かないのだ。何という膂力。
 これが吸血鬼の力……。
 掴んだ脚を見ていた高坂さんの顔が、ゆっくりとこちらを向く。


麗奈 「久美子。暴れひゃはめ。」


 と言い、ナイフを銜えたまま、優しげに微笑む。
 直後、左の太股に微かな感触。
 見ると、今まで私の短パンを押さえていた左手が、離れていた。

麗奈 「よいひょ、よいひょ。」


 その声と共に、高坂さんが、蟹の様に横方に移動を始める。


麗奈 「よいひょ、よいひょ、よいひょ。」


 但し、その右手は、私の足首を掴んだままだった。
 今度はなにをする気なのか。


麗奈 「よいひょ、よいひょ、よいひょ……。」


 高坂さんは、私の足下へとゆき着くと、横歩きをやめ、


麗奈 「ふう!」


 ナイフを銜えたまま、一息つく。
 続いて、私の両足首を揃えて、地面に並べる。
 その足の上に、


麗奈 「よい……ひょ。」


 と言いながら、座る。
 重い。
 御尻で押さえ付けられた。もう、さっきみたいに脚を曲げる事は出来なくなった。
 そうした上で、高坂さんが両手を前に伸ばし、私の左太股を、再び「診察」する。

麗奈 「ふむふむ。」


 右の時よりも念入りに、左の太股を、ぎゅう、ぎゅう、っと揉まれる。今度は両手で揉まれている。
 真後ろの高坂さんを見るのに、少し姿勢が辛い。
 右腕を体の正面に移動して、上半身を支える様にした。


久美子「御願い、もうやめて。」


麗奈 「ん?」


 高坂さんの手が止まる。
 そして、右手だけ口元に動く。
 銜えていたナイフを右手で持つと、柔和に微笑み、言葉を発した。


麗奈 「そうね。じゃあ診察はもう終わり。……久美子ちゃーん? 待ちに待った『しゅじゅちゅ』の時間ですよー?」


久美子「え、そんな、嫌だ、やめて!」


 私の声には構わず、高坂さんが、右手のナイフを握り直す。
 そのまま、左の太股の裏に、すっと近付ける。


久美子「御願い! 高坂さん!」


 高坂さんが、こちらに目を遣る。


麗奈 「ふふっ。駄目え♪」

 刺すのが、見えた。


久美子「痛い!」


 咄嗟に、左手を伸ばす。
 更なる痛み。
 そして、左手にも痛み。
 高坂さんが、妨害の為に伸ばした私の左手を、きつく握り締めていた。


久美子(ああ……。)


 私は理解した。咄嗟に伸ばした左手は、高坂さんの右手に当たったのだ。右手に当たって、握っているナイフが動き、傷口の神経を刺激したのだ。


麗奈 「久美子、邪魔しちゃ駄目よ。」


 高坂さんが冷たく言って、手元に視線を落とす。
 ナイフが――


久美子「痛い! 痛い! 痛い! 痛い!」


 ゾ、ゾ、ゾ、ゾ、という音と共に、焼ける様な感覚が、膕の方へと広がっていった。


久美子「うっ。」


 そして、ナイフを引き抜かれる痛み。
 掴まれていた私の左手が解放され、石畳の上にすとんと落ちる。

久美子「ううう……。」


 右脚より、遥かに痛みが激しい。
 それもその筈。左の太股の裏側が、ぱっくりと割れていた。蝉が羽化したあとの抜け殻の様に、脚に大きな切れ目が入っている。


麗奈 「よいしょ……。」


 高坂さんが、ゆっくりと立ち上がる。
 そして、こっちに向かって歩いてくる。
 じっと目で追う。
 すると、私の体の横を通り過ぎ、顔の横も通り過ぎる。そのまま顔の正面まで来ると、立ち止まって、颯と振り向く。
 白いワンピースが、ふわりと揺れる。
 その更に上、高坂さんの顔に目を向ける。
 冷やかな表情。
 しかし、私と目が合うと、顔が綻ぶ。
 そして、視線を合わせたままゆっくりと私の目の前にしゃがむと、ナイフの刃を、ぺろりと舐める。


麗奈 「ふふっ。……久美子の味がするわ。」


 その表情と台詞に、寒気がした。


麗奈 「ねえ、次はどこを切る?」


 ナイフの反対側も、同じ様に、ぺろりと舐める。
 そして、綻びた顔を、ゆっくりと私に近付ける。

麗奈 「私の御人形さん。」


 違う。いつもの高坂さんではない。
 これが吸血鬼なのか。
 私は、両の太股がじんじんと痛む中、声を絞り出した。


久美子「ねえ、……どうしてこんな事するの?」


麗奈 「どうして?」


 高坂さんは、少し首を傾げる。


麗奈 「好きだから。」


 好きだから? 意外な答えが返ってきた。


久美子「……好きだと、こんな事するの?」


 高坂さんは、こくりと頷く。


麗奈 「私ほんとーはさー、前から思ってたの。久美子で遊んでみたいなって。」


久美子「……は?」

 今、「久美子で」って言った。
 この子は何を言っているのか。
 憤りを覚える。そして、一抹の悲しさも。友達になれるかも知れない、と思っていたのに。


久美子「酷いよ、私をなんだと思ってるの……。」


麗奈 「……あれ?」


 高坂さんが、いよいよ怪訝な顔になる。


麗奈 「分かんないかな? 私の愛が。」


久美子「……愛?」


 益々分かんない。


久美子「それは、どーゆー……。」


麗奈 「そうね……。」


 高坂さんは呟くと、私の顔から視線を逸らした。
 顔と目が、ゆっくりと右下を向く。
 私もそれを追って、顔を少し右に遣る。


久美子・麗奈「……。」

 なにかを考えている様な表情。
 ずっと見詰め続けていると、その顔が、おもむろに下を向く。
 そして、今度は左下へと動く。
 沈黙が長い。
 話の手掛かりでも捜しているのか。


久美子(……なにか喋ってよ……。)


 次の瞬間、思いが通じたのか、高坂さんが口を開く。


麗奈 「ねえ、久美子もさ……小さい時に遊ばなかった? 小さい子向けの人形で。」


久美子「……人形?」


麗奈 「うん。リカちゃん人形とか、シルバニアファミリーとか。」


久美子「ああ……。」


 遊んだ。


麗奈 「好きだったでしょ? 昔は。人形。」


 良く憶えていないが……、多分、好きだった。


久美子「うん、多分……。」

麗奈 「じゃあさ、好きな物に就いては、苛めてみたいって思うわよね? だから久美子もさ、人形の服を脱がせて、手足を引っこ抜いたり、ナイフで切り刻んだりしたわよね?」


久美子「……は?」


 ……嘘でしょ?
 一瞬、呆気にとられる。


久美子「しないよ……。」


 若干震え声になる。


麗奈 「え? ……ほんとに?」


 小さく首肯する。


麗奈 「薄々いけない事だって知りつつ、隠れてこっそり遣らなかった?」


久美子「遣らないよ! 意味分かんない……。」


 思わず語気が荒くなるが、直ぐに尻窄まりになる。


麗奈 「……そっか。遣らないんだ。……じゃあ動物を解剖した事も無いのね?」


 戦慄を覚えた。

久美子「……解剖?」


麗奈 「うん。」


 訊いてはいけない気がした。しかし好奇心の方が勝ってしまった。


久美子「高坂さんはあるの? 解剖した事が。」


麗奈 「うん。小学校の時にはモルモットを解剖してみたわ。クラスで飼ってた奴。……そのあと、中学校の時には猫を。」


久美子「ねこぉ?」


 高坂さんは、黙って頷く。


麗奈 「近所の野良猫が子供を産んだの。それを見てたら、もう居ても立っても居られなくなって。」


 高坂さんの顔に笑みが浮かぶ。ちょっと待て。


久美子「……子猫を解剖したの?」


麗奈 「うん。とっても興奮したわ♪」


 酷い。酷過ぎる。

久美子「……高坂さんは、生き物をなんだと思ってるの? みんな、掛け替えの無い命なんだよ。」


麗奈 「だって、とっても可愛かったんだもん。」


久美子「可愛いのに殺すの? 解剖するの?」


麗奈 「可愛いから、解剖するの。可愛いから、愛しているからこそ、解剖してみたくなるの。」


久美子「その為に、高坂さんの満足の為に、掛け替えの無い命が失われるんだよ。」


麗奈 「それは仕方無い事だわ。ある意味窮極の選択ね。愛と死は私にとって永遠のテーマ。久美子の体もその為にあると言っても過言ではないのよ。」


久美子「いや、過言でしょ……。」


 私の体は、高坂さんの為にある訳じゃない。


麗奈 「久美子……。」


 高坂さんが、右手にナイフを持ったまま、私の頬に両手を伸ばしてくる。
 目の前で、ナイフの刃が、にぶく輝く。


麗奈 「久美子、私の愛を、受け入れて。」

久美子「……嫌だ。……そんな身勝手な、……一方通行な愛、……愛じゃない。」


麗奈 「……そうかしら?」


 高坂さんが、首を傾げる。
 私は、そんな高坂さんの顔を、精一杯睨み付ける。


麗奈 「ふふっ、じゃあ、久美子も私を愛せばいいわ。そうしたら一方通行じゃない。」


久美子「高坂さんを?」


麗奈 「うん。」


 変な考えが頭に浮かぶ。じゃあ解剖してもいいのか。


久美子「……ふっ。」


麗奈 「……なに?」


久美子「じゃあ高坂さん、解剖してもいいの?」


麗奈 「……え?」

久美子「だって、愛してたら解剖しちゃってもいいんでしょ? 仕方無いんでしょ?」


麗奈 「……久美子、私の事解剖したいの?」


久美子「うん、是非とも解剖したい!」


 我ながらおかしな事を言っていると思いつつ、急いで返事をする。


麗奈 「そう……。そうなんだ。」


 高坂さんはそう呟くと、ゆっくりと立ち上がる。
 その場で、回れ右。
 直ぐに、鞄を開く音がする。
 彼女の上半身に、目を遣る。
 またしても、鞄の中から、なにか捜している様だった。


麗奈 「ん……。」


 小さく漏らすのが聴こえた。
 そして、なにかを取り出す。
 取り出した物は、体の陰になって見えない。
 しかし、腕を動かすのに合わせて、ばさばさと音がする。
 見えた。

久美子(あ……。)


 直ぐに判った。
 それは、ピクニックなどで使う、レジャーシートだった。体の前で広げていたのだ。
 空中で、大きく広がる。
 それを高坂さんが、背中を丸めて、石畳の上に敷く。
 綺麗に広がった。
 一体なにを始める気なのか、と思いながら注視していると、肩から鞄を下ろし、レジャーシートの上に無造作に置く。
 続いて髪の毛を纏めているシュシュを外し、頭を軽く左右に振ると、シュシュも同じ様にシートの端に落とす。
 足に手が届くまで屈み、片足ずつサンダルを脱いでシートに上がると、


麗奈 「よっ。」


 という声と共に、両膝を突く。
 続いて、鞄の側面に手を遣る。
 外側にあるポケットに、手を入れている様だった。
 直ぐに出てきて、鞄の側に、なにかを置く。
 ケータイだった。


久美子(あ!)


 あれが使えれば、助けが呼べる。
 と思っている目の前で、また、鞄の中に手が突っ込まれる。
 なにかを捜す様な素振りは見せず、今回は、直ぐに手と布の様な物が出てきて、体の陰に隠れる。
 何を出したのか。タオル?
 疑問を抱きつつ見詰めていると、また鞄の中に手が突っ込まれ、やはり直ぐに出てくる。
 ペットボトルだった。
 ケータイの手前に、ペットボトルが置かれる。
 見覚えがあった。

久美子(あれって……。)


 多分、さっき投げ渡した奴だ。律儀にも鞄に入れてから追い掛けて来ていたらしい。
 間髪を容れずに、また、タオルの様な物がごそっと出てくる。
 そのまま、体の陰に消える。
 少し、間があく。
 体の陰で、なにかしているのか。
 そう思いながら見ていると、高坂さんの手が戻ってきて、またしてもタオルの様な物が出てくる。
 今度は、体の陰に隠れなかった。見える。レジャーシートの上に置かれたそれは、間違い無くタオルだった。タオル多くない?
 続けて、ハサミ……じゃない、ペンチ。直ぐに消える。


久美子(……え?)


 一体そのペンチで、なにをする気なのか。
 不安を感じていると、次は、服の様な物が出てくる。


久美子(服……着替え?)


 なんでそんな物まで……。
 直ぐ様、手が戻ってくる。今度は、鞄の中には入らない。
 口の部分を、大きく広げている。
 鞄の中を確認している様だった。


麗奈 「うん。」


 納得した様な声を上げて、鞄から手を離す。
 そして、

麗奈 「よっ。」


 その声と共に、高坂さんが立ち上がる。
 シートの上の荷物が、見易くなった。
 大量のタオル。
 鞄。
 ペットボトルに、ケータイ。
 高坂さんの足は、立ち上がった時のまま動かない。
 足の向こう側に、ペンチ。
 タオルの上に、ナイフもあった。
 多分、さっき私を刺すのに使った奴だ。折り畳み式なのに刃を閉じてもいない。
 高坂さんは一体なにを――


久美子(!)


 突如、目の前になにかが現れ、はっとした。白い。
 見上げる。ワンピースが無かった。なんと下着姿だった。
 その高坂さんの体が、左に動く。
 白いショーツに、ブラ。ストラップレスタイプ。
 高坂さんがワンピースを脱いで、拾い上げようとしていた。


久美子「こ、高坂さん、それ、なにしてるの……。」


 足下に手を伸ばした状態で、高坂さんの動きが止まる。
 しかし、


麗奈 「……それ?」

 怪訝そうな顔と声だった。
 右腕を持ち上げ、高坂さんの体を指差し、


久美子「それ!」


 と叫び、右腕を石畳の上に戻す。
 高坂さんが、屈めていた背中を戻し、自分の体に目を遣る。
 そのまま、数秒固まる。
 軈て、不思議そうな表情で、こちらを向く。


麗奈 「なにしてるって、ブラしてるに決まってるじゃない。久美子もしてるでしょ?」


 そうじゃない!
 もう駄目だ。今のこの人にはなにを言っても通じない。
 足下に、視線を戻す。
 すると、丁度高坂さんの手が下りてきて、ワンピースを持ち上げる。
 そのまま、ぽい、とタオルの脇に投げ捨てる。
 打ち捨てられたワンピース。
 じっと見る。
 別に、汚れている風でもない。
 なぜ脱いだのか。
 と訝しみながら眺めていると、


久美子(ん?)


 ワンピースの上に、なにかが落ちた。
 白い、あれは、ブラだ。
 見上げる。
 上半身裸の高坂さんが、今度はなんとショーツに手を掛けていた。
 やばい。

久美子「こ、高坂さん。」


麗奈 「ん、なに?」


 と言いながら、高坂さんはショーツを下ろし始めた。
 陰毛。
 太股の表面を滑る、白い布。
 下腿に到達。
 左足が抜ける。
 右足も抜ける。
 ショーツが、ワンピースの上に投げ捨てられる。
 俄かには信じられない光景だった。
 野外で素っぽんぽんの美少女が、タオルの上のナイフを、ゆっくりと拾い上げる。
 そして、シートから下り、私の正面に位置すると、


麗奈 「……っと。」


 と発しながら、目の前に、膝を突いて座る。


麗奈 「さあ、久美子、どこがいい?」


久美子「……え?」


 高坂さんの顔を、見上げる。

麗奈 「内臓? 骨? 筋肉? どこがいい?」


 高坂さんが、右手に持ったナイフを、自分の頬の側まで持ち上げ、微笑む。


久美子(あ……。)


 この子、また遣る気だ。
 殺される? 今度こそ殺される?


麗奈 「やっぱり最初は内臓かしらね。」


 内臓? なにすんの、嫌だ、やめて。
 しかし、声は出ない。現前を注視するので精一杯だった。
 高坂さんが、ナイフを持っていた右手を胸の高さまで下ろし、握り直す。
 そのまま、自分の御中の左側に持っていくと、なぜか動きをとめる。


久美子(……?)


 おかしい。これでは丸で、自分の御中に刺すみたいな恰好――
 突き立てた。


久美子(あっ。)

 ゆっくりと、無言で、自分の御中を真横に切り裂いてゆく。
 そして、ナイフを引き抜くと、直ぐに両手で傷口を開きながら、


麗奈 「どお? 久美子。……私の小腸、見える?」


 と訊いてくる。


久美子「……。」


 やばい。やばい物が見える。
 この子、完全に頭がおかしい。


久美子「こ、高坂さん、痛くないの?」


麗奈 「ん、痛み? ……大した事無いわ。……それより、触ってみない?」


久美子「……え?」


 しかし、私が問い質す前に、


麗奈 「あ、小腸も一緒に切れてる。……指も入るわね。」


 と言いながら、左手の中指の先っぽを、自分の小腸の切れた部分に突っ込む。
 それを踏まえた上で良く見ると、指を入れた部分以外にも、小腸が傷付いているのが判る。御中をナイフで切り裂いた時に、一緒に切れたのであろう。

麗奈 「ほら、……久美子も入れてみない? ……ぬぽっ♪」


 変な台詞と共に、小腸の孔から指を引き抜く。


久美子「いや、私は……。」


麗奈 「ん? ほら、早くしないと、傷が治っちゃうわよ。」


久美子「え、治る?」


麗奈 「うん。……見えるでしょ? ……ここ。」


 そう言って、最前まで指を入れていた部分を、左手の中指で指し示す。
 見ると、その孔の部分は、切断面同士がくっついて、一本の線の様になっていた。
 他の部分は……と、その左右を見て、はっとした。さっき小腸にあった筈の傷が、どこにも見当たらない。


久美子「え?」


麗奈 「ん?」


 最後に残っていた線状の傷も、段々と見分けが付かなくなり……。
 程無く、どこに傷があったのか、判別出来なくなった。


久美子「なにこれ……。」

麗奈 「え、なにが?」


久美子「傷が……、治っちゃったの?」


麗奈 「そうよ。吸血鬼は傷の治りが速いんだから。……ほら、早く触りなさいよ。」


久美子「いや、私は――」


麗奈 「遠慮しないで。」


 その声と共に私の右手を掴むと、そのまま持ち上げながら、自身も上半身を乗り出す。
 私の右手が、御中の裂け目に触れる。


麗奈 「久美子、指を伸ばして。」


久美子「え、こう?」


 と言いながら私がゆっくりと指を伸ばすと、


麗奈 「そう。」


 高坂さんは、自分の御中の切れ目の中へと、私の右手を入れ始めた。
 指先が、皮膚ではない「なにか」に触れる。
 そのまま、両手を使って、御中の内側へとぐいぐいと押し入れる。
 うわ、あったかい。
 そして、ぬるぬるする……。
 あっと言う間に、手首まで入った。

麗奈 「ふふっ。……どう? 私の御中の中の触り心地は。……気持ちいい?」


 滅茶苦茶な事を訊いてくる。


久美子「う、うん。とっても気持ちいいよ。」


 高坂さんの呼吸に合わせて、御中が動いているのを感じる。
 やばい。この状況やばい。どうしたらいいんだ。


麗奈 「次はどうする? 引っ張り出して観察してみる?」


久美子「え、引っ張り出して?」


 と言って、御中の傷が小さくなっていることに気付いた。


久美子「……あ、あれ?」


麗奈 「ん、どしたの?」


久美子「御中の傷が小さくなってる様な……。」


麗奈 「そんなの当たり前じゃない。吸血鬼なんだから。」


久美子「あ、いや、そうじゃなくて……。」

 傷が小さくなってしまった所為で、右手が抜けない様な。


麗奈 「ん、なに? 遠慮無く言って。」


久美子「あの、手が抜けない様な……。」


麗奈 「ああ、平気よ。無理矢理引っ張れば抜けるわ。」


久美子「え、……無理矢理?」


麗奈 「ええ。」


 と言って、高坂さんは笑みを浮かべる。


麗奈 「遣って御覧なさい。」


久美子「あ、じゃあ……。」


 右手を、手前に引く。
 しかし、ちょっと進んで手の甲の部分に差し掛かると、直ぐ様つっかえてしまう。


久美子「あ、もう駄目だよ……。」

麗奈 「だいじょぶよ。いけるわ。」


久美子「ええ……?」


 私が引っ張っている部分だけ、御中が歪に盛り上がっている。
 正直、これ以上は気が引ける。


久美子「いや、もう無理だよ……。」


麗奈 「あは、意気地無し。」


 高坂さんは楽しそうに言うと、私の右手首を左手で掴み、一気に引き抜いた。
 出てきた私の右手は、謎の液体に塗れていた。血ではない。
 高坂さんの御中の傷はというと、腕を引き抜いて障害が無くなった御蔭で、見る見る小さくなっていく。


久美子「あ、やっぱり凄いね。」


麗奈 「ん、なにが?」


久美子「傷が、どんどん治ってく。」


麗奈 「だから、吸血鬼なんだから当たり前じゃない。……久美子も吸血鬼になれば、こうなるわ。」

久美子「そうなんだ……。」


麗奈 「ええ。……直ぐに噛んで上げる。」


久美子「え、それは……。」


麗奈 「ふふっ。遠慮しなくていいのよ。」


 いや、これは遠慮ではないんだけど……。
 と思いながら御中に視線を戻すと、裂け目があった部分は、完全に元通りになっていた。もう、傷があった場所は、全く見分けが付かない。
 それだけに、まだ知らないなんらかの酷いデメリットがありそうで、怖い。
 そして、高坂さんはデメリットを知っていたとしても、私に教えてはくれないだろう。勧める立場なんだから、当然だ。
 しかし、高坂さんはそんな気持ちを知ってか知らずか、


麗奈 「さあ、どこでもいいわよ? ……久美子が『噛んで』って言ったら、どこだろうと噛んで上げる。」


 と迫ってくる。


久美子「そ、そんな、悪いよ。」


麗奈 「なに言ってんの、友達じゃない。久美子の為なら、喜んで一肌脱ぐわ。」


久美子「そ、そう……。」


 既に全裸の癖に、なにを脱ぐって言うんだ。
 ……ってゆーか私達って友達なの?

麗奈 「……ねえ、どこを噛む?」


久美子「え、ちょ、ちょっと待ってよ。」


麗奈 「ん? 考え中?」


久美子「そうじゃなくて……。」


 高坂さんは執拗に勧めて来る。もう、どう足掻いても彼女の牙からは逃れられそうにない。
 恐る恐る、一番大事な事を訊く。


久美子「あ、あのさ……、高坂さんに噛まれたらさ……、私の脚の傷も……治るのかな?」


麗奈 「ああ。勿論治るわ。」


 福音だった。


久美子「そ、そっか。……じゃあさ、一応念の為訊くんだけど……、わ、私って、噛まれて吸血鬼になっても、また元の人間に戻れるんだよね?」


麗奈 「なに、そんな事気にしてたの? 別に一生吸血鬼のままでいいじゃない。」


 いや、良くないでしょ。
 でもチャンスだった。脚さえ治ってしまえば、走って逃げられるかも知れないのだ。
 正直な所、高坂さんの方が足は速い。でも、何と言っても相手は全裸。ひと気のある所まで近付いてしまえば、さすがに追っては来られまい。
 勝ち目の無い鬼ごっこなんかじゃない。
 意は決まった。

久美子「……いいよ。」


麗奈 「え?」


久美子「噛んで、いいよ……。」


麗奈 「だから、どこを噛んで欲しいのか、さっきから訊いてるじゃない。」


久美子「ど、どこでもいいよ。……腕でもいいのかな。」


麗奈 「多分、大丈夫だと思うけど……、ほんとにいいの?」


久美子「うん。いいよ……。」


麗奈 「あのさ、言い忘れてたけど、吸血鬼になった時の歯形は、吸血鬼でいる限り一生消えないのよ。どんな傷でも数十秒で治っちゃうのにね。……だから、歯形を付ける場所は、慎重に選んで。」


久美子「いいよ、腕で……う、腕がいいんだ。」


麗奈 「そう? ……じゃあ噛むけど。」


 と言うと、高坂さんは、


麗奈 「よっ。」


 という声と共に立ち上がる。

麗奈 「ねえ、どっちの腕?」


久美子「え? 右、かな……。」


麗奈 「そう。」


 高坂さんは静かに言うと、私の御中の右側へと歩き、こちらを向いて立ち止まった。私はその様子を、首だけ振り返りながら目で追った。
 高坂さんがその場に、膝を突く。
 しかし……。


久美子(……?)


 なぜかそこから、動こうとしない。
 なにをしているのか。


麗奈 「うーん……。」


久美子「ん、どうしたの?」


麗奈 「ん? うん。……やっぱりね、私と同じ肩に付けて上げる。」


久美子「え?」


麗奈 「よっと。」

 高坂さんが立ち上がる。
 そのまま、左足が、私の体を跨ぐ。
 そして、私の体を跨いだ状態で、


麗奈 「っと。」


 と発しながら、石畳に膝を突く。
 透かさず、私の体に覆い被さる様にして、上半身を近付けて来る。
 高坂さんの胸が、背中に触れる。
 首を左に動かすと、高坂さんの左手が、私の顔の真横にあった。石畳に手を突いていた。そして、彼女の顔は、私の左肩の真上だった。
 目が合う。


麗奈 「ふふっ。」


久美子「あ……。」


麗奈 「じゃあ、久美子、いくわよ。」


 高坂さんの顔が、肩に近付く。
 息が、肩に当たる。


麗奈 「ねえ、ちょっと頭を下げて。」


久美子「え、こうかな。」


 言われた通りにする。

麗奈 「うん、そう。じゃあ……。」


 噛まれた。


久美子「うっ! 痛っ! ちょっ、ちょっと、痛いよ!」


 高坂さんは、噛むのをやめてくれない。


久美子「あっ、やめてっ! 一旦やめてっ! ほ、ほんとに、ほんとに痛いから! 御願い、高坂さん!」


 次の瞬間、急に痛みが和らいだ。
 恐る恐る左上を向くと、高坂さんの顔が肩から離れていた。目が合う。


麗奈 「久美子、集中出来ないわ。」


久美子「あ、ごめん。あ、あのさ、でも、次からはもうちょっと、優しく噛んでくれないかな。」


麗奈 「ん、分かったわ。そうする。」


久美子「そう、良かった……。」


 高坂さんが、少し微笑む。

麗奈 「さあ、顔を右に向けて。」


久美子「え、なんで?」


麗奈 「ん? その方が集中出来そうだから。」


久美子「そ、そう……。」


 言われた通り、顔を右に向けた。


久美子「これでいいの?」


麗奈 「うん。そしたら、頭を下げて。」


久美子「こお?」


 少し頭を下げる。


麗奈 「ううん、もっと。」


久美子「もっとって……。」


 更に頭を下げると、

麗奈 「そのまま、下まで。」


 という指示が来たので、ゆっくりと、左の頬を石畳に付けた。少しひんやりする。


麗奈 「そう。いい子ね。」


 頭の側面を撫でられる様な感触。
 右耳の上辺りを――
 ぐいと押された。


久美子(!)


 こめかみの辺りが痛む。
 石畳に押さえ付けられて、そこに接する左のこめかみの辺りが強く痛む。その上、頭が全く動かせない。
 嫌な予感がする。


久美子「ちょっと……、高坂さん……。」


麗奈 「じゃあ、いくわよ。」


 上半身に、遠慮無く体重を掛けてくる。
 そして――

久美子「うっ……。」


 噛まれた。
 さっきよりは弱い気もするが……


久美子「や、やっぱり痛いよ……、高坂さん……。」


麗奈 「がーまーん。」


 高坂さんは、噛んだ状態のまま発声した。
 悟った。
 もう本当に我慢するしかないのだ。
 第一この状態では、なんの抵抗も出来ない。
 高坂さんの集中を乱さない様に、成る可く大人しくして、さっさと吸血鬼にして貰うのが、一番増しな選択肢だった。
 しかし、情けない。
 押さえ込まれて、じっと痛みに耐えている。
 その上、さっきは無理矢理、右手を御中に突っ込まされた。


久美子(……ん。)


 ふと、その右手が、顔の真ん前にある事に気付いた。
 少し動かしてみる。
 その表面は、ぬるぬるとした液体に塗れて、弱く光を反射していた。
 ああ、気持ちが悪い。
 この状況から逃げ果せたら、さっさと洗っ――
 突然、体の奥底から、快感が湧き上がる。

久美子(!)


 なんだ今のは。
 考える間も無く、今度は、体の感覚が薄れてゆく。
 私を苛んでいた体の痛みが、体の感覚と共に、じんわりと消えてゆく。


久美子(あ……。)


 気持ちいい……。
 自分の体が無くなっていくみたいだった。
 でも、目の前には自分の右手がある。
 試しに、意識して動かしてみた。
 しかし、なにも感じない。指は自分の意思で動かせるものの、触覚は完全に麻痺していた。
 私の体はどうなってしまったのか……。
 その時、再び快感が沸き上がる。


久美子(!)


 なにこれ。さっきより気持ちいい。
 なんで?
 心地好い……。
 ここどこ?
 私、どうなっちゃうの?
 高坂さん、好き……。
 なぜか、思考と感情が定まらない。
 頭がぼんやりしているみたいだった。

久美子(……あっ!)


 また来た。
 気持ちがいい。明らかに、さっきより気持ちがいい。
 快感がどんどん強くなっていた。
 脳が蕩ける……。
 私、死ぬの?
 嫌だ、死にたくない。
 高坂さん、欲しい。
 私の物に……


久美子(あっ!)


 来るのは何と無く分かっていた。さっきより更に快感が強い。
 その時、異変に気付いた。
 目の前の右手が、小刻みに揺れていた。
 目眩だった。少し気持ちが悪――


久美子「あっ。」


 気持ちいい。
 もう、どうなってもいい。
 高坂さんになら、殺されたって構わない。
 私を好きに――


久美子「あっ。」

 高坂さん!
 私の大事な人……。
 壊して! 私を滅茶苦茶にして!


久美子「あっ。」


 もう駄目!
 気持ち良過ぎて、頭がおかしくなる!


久美子「あっ。」


 壊れちゃう! 私、壊れちゃう!


久美子「あっ。」


 死んじゃう!


久美子「あっ。」


 死――


久美子「あっ……あっ……あっ……あっ……あっ。」

久美子(……。)


 体から、快感の余韻が引いてゆく。
 見覚えの無い光景。


久美子(……。)


 ここどこ……?
 目の前に、手があった。


久美子(なにがあったんだっけ……?)


 指を動かしてみると、弱い感覚があった。
 変な感じだ。動かし続ける。


久美子(私……。)


 その時、頭が冴えた。
 全てを思い出した。状況に合点が行った。
 急いで顔を上げながら、


久美子「高坂さん?」


 と声を出す。

麗奈 「うん、なに?」


 彼女は直ぐ近くに居た。私の顔の、やや左前方にしゃがんでいた。全裸で。


久美子「あ……。」


 その姿を見て、なぜか心の底から安堵する。


久美子「良かった。側に居たんだね。」


麗奈 「うん。さあ、立って。」


 高坂さんが、中腰になる。
 直ぐに、私も立ち上が――
 太股に、変な感覚があった。


久美子「あっ……。」


 思い出した。傷があったんだった。
 見遣る。血塗れの太股が目に入る。しかし……。
 治っていた。脚の傷は、完全に治っている様だった。全く痛みが無い。
 試しに、手で触れてみる。血液は完全に凝固していて、太股の表面がごわごわになっていた。違和感の正体はそれだった。
 しかし、傷は跡形も無い。指で強く押してみても、なんの痛みも無い。

久美子「わーお。」


 笑みがこぼれる。


久美子「凄いね。ほんとに治っちゃった。」


麗奈 「ふふっ。じゃなければ刺さないわよ。あした学校だし。」


久美子「あ、そっか。」


 さすが高坂さん。


麗奈 「さあ、立って。」


 高坂さんが、手首を握って来る。


久美子「あ。」


麗奈 「それっ。」


 引っ張られながら、立ち上がる。

久美子「うわっと。」


 勢い余って、高坂さんの胸に顔から突っ込む。柔らかい。
 そそくさと顔を離す。


久美子「あ、ごめん。」


麗奈 「ううん、いいのよ。」


 一歩下がって顔を見ると、高坂さんは笑みを浮かべていた。


麗奈 「私こそ、強く引っ張り過ぎたわね。」


 そう言いながら、握っている手の方に目を遣る。
 私も目を向ける。握られている手首に、高坂さんの温もりを感じる。


麗奈 「じゃあ久美子、服を脱いで。」


久美子「え?」


 唐突だった。そして、高坂さんは真顔だった。

麗奈 「ふーく。脱いで。」


久美子「え……、それは……。」


 抵抗がある。こんな所では脱げない。


麗奈 「脱がないの?」


久美子「えー? だって、人が来るかも知れないし……、それに、恥ずかしいよ……。」


 せめて、個室で二人っ切りなら……。


麗奈 「そう、脱がないの。」


 高坂さんの言い方が、急に冷たくなった。
 私の手首を握っている彼女の力が、強くなる。
 なんだろう。不安感が込み上げて来る。


麗奈 「久美子は悪い子ね。御主人様の言い付けが聞けないなんて。」


久美子「……え?」

麗奈 「わ、る、い、子、だわ。……誰が久美子を吸血鬼にして上げたのかしら。……眷族の癖に主人の言う事を聞かないなんて、最低の吸血鬼ね。」


久美子「え、待って、高坂さん、私――」


麗奈 「言い訳無用! 最っ低の吸血鬼だわ。……もう吸血鬼ハンターにでもなんにでも捕まって、人間に戻されちゃえばいいわ。」


 目眩がしてきた。


久美子「に、人間、に……。」


麗奈 「そうよ。言う事を聞かない子なんて、要らないもの。」


 嫌だ。戻りたくない。折角高坂さんに吸血鬼にして貰ったのに、唯の人間になんか戻りたくない。
 一気に、目眩が激しくなる。
 体がふらふらする。気持ちが悪い。
 高坂さんに嫌われたくない嫌われたくない嫌われたくない。


久美子「あ、高坂さん、私――」


麗奈 「話し掛けないで。久美子の声は、二度と聞きたくないわ。」


 高坂さんは、ぴしゃりと言い放った。
 冷たい表情の高坂さんが、目の前で上下左右に揺れている。
 嘘……嘘だ……こんなの嘘だ……。
 息苦しい。吐き気がする。

久美子「う……あ……。」


 遂に立っていられなくなり、膝を突く。
 更に、右手も石畳に突く。高坂さんの陰部が目の前に来る。
 私は、情けを求める様に、捨てられた子犬の様に、高坂さんを見上げる。事ここに至っても、左の手首は、なぜか高坂さんに掴まれたままだった。
 目が合う。
 見下ろすそれは、冷然とした表情だった。
 崖っ縁だった。でもまだ終わりでは無い筈だ。


久美子「こ……、こうざかさん――」


麗奈 「話し掛けないでって言ったでしょ。」


 そう言うと、高坂さんは、地面に向かって叩き付ける様に、力を込めて手首を放した。


麗奈 「さよなら。」


 高坂さんが私に背を向け、ゆっくりと歩き始める。


久美子「あっ……あっ……。」


 待って、と言う事が出来ない。
 代わりに、口内に溜まっていた唾液が、唇の右端から垂れ落ちるのを感じた。
 高坂さんが、レジャーシートの前で立ち止まり、しゃがみ込む。


久美子「あ……う……。」

 声を掛けたいけど、話し掛けたら益々嫌われる。体だけが、前のめりになる。
 レジャーシートの上から、なにかを手に取るのが見えた。
 ショーツだった。そのまま立ち上がる。


久美子「あっ……あっ……。」


 服を着ようとしているのだ。本当にどこかへ行ってしまう。
 捨てられた。高坂さんに完全に捨てられた。


久美子「うっ……あっ……。」


 一気に涙があふれて来る。
 腕で体を支えていられなくなり、上半身が地面に崩れ落ちた。
 おでこの右側を、ごつりと石畳にぶつける。
 もうどうにもならない。


久美子「ううっ……うあ……ああ……。」


 力を入れても、なぜか手足が動かない。完全に硬直していた。


久美子「あっ……あ……。」


 最早、今の私にはとめようが無かった。涙も。高坂さんも。
 御負けに涎も。

久美子「あっ……うう……。」


 消えたい。この世から消えてしまいたい。


麗奈 「久美子。」


 高坂さんの声がした気がした。


久美子「うっ……あっ……。」


麗奈 「ねえ、久美子。」


 左肩がぐいと押され、体が仰向けになる。
 高坂さんだ。高坂さんが、目の前に居る。


久美子「あっ……あっ……。」


麗奈 「ねえ、だいじょーぶ?」


 相変わらず全裸の高坂さんが、私に優しい言葉を投げ掛けてくれる。


久美子「あっ……ああ……。」

 見捨てられなかった。私は高坂さんに、見捨てられなかった。


久美子「あ、あ、あ、あ、あ……!」


 これまで以上の勢いで、涙が噴き出してくる。


麗奈 「ふふっ、可愛い子ね。……私が久美子を見捨てる訳ないじゃない。」


久美子「あああ……。」


 何と慈悲深い。


麗奈 「ほら、泣くのをやめて。……一緒にいい事しましょう。」


久美子「うっ……うっ……。」


 「やめて」と言われても、涙は急には止まらない。


麗奈 「ふふっ。……よしよし。」


 高坂さんが、タオルで、私の顔を拭いてくれる。

久美子「うっ……うああ……。」


 その心遣いに、再び涙の勢いが増す。


麗奈 「いいのよ。久美子が落ち着くまで、ずっと側に居るから。」


久美子「ああ……。」


 全身の力が抜ける。
 唯、横隔膜のみが、痙攣する様に動き続けた。
          *
 涙も呼吸も、一分程で落ち着いた。
 はあ、と深く息を吐くと、私は、私の涙と、涎と、鼻水を拭いてくれていた高坂さんの顔に目を遣り、


久美子「ありがと、高坂さん。」


 と礼を言ってから起き上がった。


麗奈 「もう大丈夫?」


久美子「うん。」


麗奈 「一人で立てる?」

久美子「うん。」


 実践してみせる。
 すると、間髪を容れずに、高坂さんも立ち上がる。
 立ち上がった高坂さんと目が合い、思わず笑みがこぼれる。


久美子「ほらね?」


麗奈 「ふふっ。」


 高坂さんが、私の頭の左側面に手を伸ばし、


麗奈 「偉いわ。」


 と言いながら、私の髪の毛を撫でてくれる。
 手を引っ込めて、


麗奈 「じゃ、服も一人で脱げるわね?」


 と訊いてきたので、


久美子「勿論だよ!」


 と応じて、素早く服を脱ぎ始めた。

          *
 四十秒で脱衣した。脱いだ服は、高坂さんの指示に従って、レジャーシートの上に置かせて貰った。
 高坂さんに向き直り、


久美子「これでいいかな?」


 怖ず怖ずと訊く。


麗奈 「……。」


 しかし、高坂さんは返事をしてくれない。その顔を見ると、じっくりと、嘗め回す様に、私の体に視線を注いでいる様な仕種だった。


久美子「え?」


 急に、恥部を曝け出しているという意識が、込み上げてくる。


久美子「……ちょっと、恥ずかしいよ。」


 急いで体を縮めて、両手で、胸と股間を隠す。
 すると、高坂さんは笑みを浮かべて、こちらへと足を踏み出す。
 にこやかな表情で歩みながら、


麗奈 「なに言ってんの。久美子も私の体、ちらちら見てたでしょ。」


 と言う。

久美子「え?」


 高坂さんが、レジャーシートの前で立ち止まる。


久美子「そうだったかな……?」


 否定も肯定も出来ず、二の句が継げないでいる私の目の前で、高坂さんは、ナイフを拾い上げた。
 こっちを向いて、


麗奈 「さあ、さっきの続きをしましょ。……御出で。」


 とさそってくれるので、


久美子「あ、うん。」


 と返事をしてから、急いで高坂さんの側に向かって歩く。
 目の前で立ち止まると、次の指示が来る。


麗奈 「ふふっ、いい子ね。……じゃあ寝て。」


久美子「え?」

 まじな顔だった。
 私がおもむろに、自分がさっきまで倒れていた辺りに目を遣って、再び高坂さんの顔に目を戻すと、


麗奈 「うん。そこら辺でいいわ。」


 との言葉だったので、


久美子「そっか。」


 と呟いてから、その方向に少し歩いた。
 振り返って、訊く。


久美子「ここら辺でいいのかな。」


麗奈 「うん。」


 ゆっくりと腰を下ろして座ると、御尻がひんやりした。
 すると、高坂さんも私の側まで来て、腰を下ろす。但し、御尻は浮かせたままだった。
 その状態で、口を開く。


麗奈 「寝て。」


久美子「俯せで? それとも仰向けで?」

麗奈 「仰向け。」


 その通りにする。今度は背中がひんやりする。
 ちょっと顔を持ち上げて、御主人様の表情を窺い、


久美子「ねえ、なにするの?」


 と訊くと、高坂さんは笑顔で、


麗奈 「『かいふく』しまーす♪」


 と返してくる。
 かいふく……回復?


久美子「え、回復って、私、別に、どこも悪くないよ?」


 勿論、高坂さんもどこも悪くない。
 すると、心底嬉しそうな顔で、


麗奈 「あらー? 久美子ちゃんはまたまた御主人様に口答えでちゅかー? いけない子でちゅねー。御仕置きが必要かなー?」


 と言いながら躙り寄って来るので、


久美子「あーん、御主人様あ。許してえ。」


 と、笑いながら、媚びる様に応じる。

麗奈 「ふふふ。許す。」


 高坂さんはそう言うと、顔を引っ込めて後退する。
 あー楽しい。
 などと思っていると、御中に、ぐっと押される感覚。
 顔を上げて確認すると、高坂さんのナイフが、私の下腹部の左側に刺さっていた。


久美子「え?」


 驚いた。驚く程痛みが少ない事に、驚いた。ナイフで突き刺されたとは思えない程、弱い痛みだった。


久美子「それ、ほんとに刺さってるの?」


麗奈 「うん。」


久美子「変なの。全然痛くないや……。」


 すると、高坂さんは口角を上げて、


麗奈 「あれえ? 久美子ちゃんは痛い方が良かったあ?」


 と訊いてくる。

久美子「え、いや、そうじゃないけど……。なんか痛みが少な過ぎるってゆーか……。」


 私が素朴な意見を口にすると、高坂さんの顔が、少し真面目になる。


麗奈 「ああ、吸血鬼は傷が直ぐに治るからよ。……本来痛みってゆーのは生物にとっての危険信号。……でも、傷が直ぐに治る吸血鬼にとっては、痛みを感じる必要があんまり無いんでしょうね。……だから、人間の時程痛みを感じないのよ。」


久美子「そっか……。」


麗奈 「だから……。」


 高坂さんが、私の御中に視線を戻す。


麗奈 「こう、して――」


久美子「うわ。」


麗奈 「ん? ……ああ。腹筋が切れたからか。」


 と言いながら、傷口に左手の指先を捩じ込む。


久美子「……うん。」


 高坂さんの言う通りだった。ナイフで刺された下腹部を見る為に腹筋を使っていたのに、腹筋ごと切られて力が入らなくなってしまったので、上半身が若干動き、思わず声が出たのだった。

麗奈 「でも、こうして御中を切り裂いてみても、」


 高坂さんが、ナイフを引き抜く。


麗奈 「全然痛くないでしょ?」


久美子「うん。」


 今度は、ナイフを持ったまま、右手の指先も傷口に押し込む。
 その間ずっと、少しぴりぴりする程度だった。


麗奈 「さあ、久美子。」


 高坂さんが、喜色を浮かべながら、左手をゆっくりと私の御中へと押し入れてゆく。


麗奈 「それえ。」


 そして、一気に、左手を手首まで突っ込む。
 下腹部が、若干圧迫される感じ。


麗奈 「あー、あったかーい。……気持ちいー。」


 と言ってから、私の御中の中で、手をもぞもぞと動かし始める。

麗奈 「んー、これかな。」


 直ぐ様、左手が出てくる。
 但し、指がなにかを掴んでいた。


久美子「え、なにそれ……。」


麗奈 「これ? これは久美子の『だいもー』。」


久美子「だいもー?」


麗奈 「うん。実物は初めて見たでしょ。」


久美子「うん……。」


 ……いや、実物以外でも見た事は無いんですけどね。


麗奈 「どうする? 戻して欲しい? それとも捨てちゃう?」


久美子「え! いやいや、戻してよ。」


麗奈 「あはは! じゃあ戻して上げる。」

 高坂さんはそう言って、私の御中の中へと、左手を入れ直す。
 危ない危ない。さらっととんでもない事を言いますね、私の御主人様は。


麗奈 「ここら辺でいいかな。」


 高坂さんが、御中の中で手を止める。
 そして、広げていた切れ目から右手を離すと、腕を交差させて、私の胸へと向けてくる。


麗奈 「ちょっと置かせて。」


 すっと、私の平らかな胸の上に、ナイフが下ろされる。見た目より重く、冷たい。
 そうして、空いた右手も、御中に投入される。


麗奈 「あは♪」


 私の御中の中を、グチャグチャと音を立てて掻き回し始める。
 掻き回しながら、


麗奈 「ねえ、これ、あれに似てない?」


 と訊いてくる。


久美子「……あれ?」

 すると、手をとめ、私の方に脇見をして、


麗奈 「お客さーん? 痒い所ありませんかー?」


 と戯けた様に言う。


久美子「ふふっ、無いよ。」


 ここは美容院か。


麗奈 「ふふっ、宜しい。」


 高坂さんは満足そうに返事をすると、手元に視線を戻し、「作業」を再開する。
 程無く、


麗奈 「あ、……これが『しきゅー』ね。」


 と独り言つ。


久美子「これがしきゅー? ……あ、子宮か。」


 これは直ぐに判った。

麗奈 「そう。だからこの奥が……。」


 両手の動きが止まる。


麗奈 「ねえ、ここが『ぼーこー』かしら?」


 と言いながら、私の顔へ目を向ける。


久美子「……え?」


 上手く聴き取れなかった。適切な答えが返せない。
 高坂さんは、うっすらと笑みを浮かべる。


麗奈 「ぼーこー。」


 直ぐ様、嗜虐的な表情が再来する。


麗奈 「ほらほらあ♪」


 突然、尿意に襲われる。
 はっとした。

久美子「あ。」


 「ぼーこー」って、膀胱の事か。
 高坂さんが、白い歯を見せて、にんまりと笑う。


麗奈 「ねえ、そうなのお?」


久美子「え、その――」


麗奈 「ほらあ。」


 更に、尿意が強くなる。


久美子「あっ、ちょっと!」


 高坂さんが、私の膀胱を探り当てて、手で圧迫しているとしか考えられなかった。


麗奈 「ふふふっ。どうやら当たりみたいね。」


久美子「あ、あの、高坂さん。そこ押しちゃ駄目……。」


麗奈 「えー? どうして駄目なのお?」


 尿意が強くなってくる。

久美子「それは……その……あ……。」


 やばい。


麗奈 「んー? どうしたのお?」


久美子「んーん、なんでもないよ。」


 峠は越した。尿意が引いていく。


麗奈 「そう、なんでもないの。……ねえねえ、どうして駄目なの……かな?」


久美子「どうしてって……あ。」


 また込み上げてきた。今の言動からして、更に強く圧迫したのかも知れない。


麗奈 「ほらほら。」


久美子「あ、ちょ……で、出ちゃう……。」


麗奈 「えー? なにが出ちゃうの?」


 もー、分かってる癖に!

久美子「お、おしっこ……。」


麗奈 「そーなの。久美子ちゃんはおしっこが出ちゃうの。……出しちゃえばいいじゃなーい♪」


久美子「だ、駄目だよお……。」


麗奈 「そお? どーして駄目なのお?」


久美子「その……、こ、こんな所で、するってゆーのは、その……、あ、……人間として――」


麗奈 「人間じゃなくて吸血鬼じゃない。」


久美子「そーだけど、……とにかく駄目なの……。」


麗奈 「ふふっ。……そう、分かったわ。」


 高坂さんが力を緩めてくれたのか、尿意から解放される。
 助かった。
 高坂さんが、私の御中から、両手を引き抜く。そのまま、素早くナイフを取り上げる。


麗奈 「さあ、体を起こして。」


久美子「え?」

麗奈 「速く! 体を起こして。傷が治っちゃうわ。」


久美子「あ、うん。」


 高坂さんの意図は良く分かんないけど、取り敢えず、腕を使って上体を起こした。


麗奈 「御尻も持ち上げて。私みたいに。」


 そう言われたので、膝を曲げて足の裏を地面に付けてから、腕に力を入れて御尻を浮かせた。更に上半身を前へ動かそうとすると、


麗奈 「あ、腕と上半身はそのままでいいわ。」


 と言われたので、両手は背中の後ろで、地面に付けたままにした。上半身も、後ろに傾けた姿勢のままになった。変な体勢になった。


麗奈 「よし、そのままよ。」


 高坂さんは立ち上がると、素早く動いて、私の後方のレジャーシートの上にナイフを置いてから、私の真後ろに戻ってきて、座って、なぜか急に、抱き付いてきた。


久美子「あっ。」


 背中に、幸せな感触。
 そして、私の御中に、再び手を突っ込む。

麗奈 「ねえ、もうちょっと脚を開いて。」


久美子「え、こお?」


 指示に従って脚を開くと、


麗奈 「うん、そう。いい子ね。じゃあ……」


 御褒めの言葉と共に、再び、私の御中の中を、グチャグチャと掻き回し始める。
 幸せだ。……この恰好だと、前方からは陰部が丸見えだけど。
 嬉しい様な、恥ずかしい様な。
 そう思っていると、手が止まり、


麗奈 「はーい、見付けたあ。」


 という、嬉しそうな声が響く。


久美子「え? なにを……。」


麗奈 「こーれっ!」


 強い尿意。


久美子「あっ。」


 はっとした。目一杯振り向く。

久美子「ちょっと、高坂さん!」


麗奈 「んー? なにー?」


 さっきと変わらない、恍けた様な声。
 なにを考えているか分からない怖さがあった。思わず、語勢が弱まる。


久美子「さっきやめてくれるって言ったじゃない……。」


麗奈 「えー? そんな事一言も言ってないじゃなーい。」


久美子(えー?)


 愕然とした。と同時に、尿意が強くなる。


久美子「あ……。」


麗奈 「さあ、さっさと出しちゃいなさい♪」


久美子「ちょ、ちょっと……あ……。」


麗奈 「んー、なにー?」


 峠を越したのか、尿意が引いてゆく。別に高坂さんが力を強めたり弱めたりしている訳ではあるまい。

久美子「ご、後生ですから、その……。」


麗奈 「なに言ってんの。せっかく体が濡れない恰好にして上げたんじゃない。……さあ、遠慮無くぶちまけちゃいなさい♪」


 確かに、この恰好なら濡れない……って、ぶちまけないよ!


久美子「ご、御主人様……あ……。」


 周期的に尿意が込み上げて来る。なんでこんな仕組みが体に備わっているのか。


麗奈 「……ん? ……出すの?」


久美子「だ、出さないよ……。」


麗奈 「そう、しぶといわね。……さっき飲ませた水が足りなかったのかしら。」


久美子(え?)


 その為に飲ませたのか!
 尿意が静まっていく。


麗奈 「ねえ久美子。御水、御代わりしない?」


久美子「しません……。」


 する訳無い。

麗奈 「そう。御主人様の御勧めを断るの。……悲しいなー。」


久美子(!)


 急に寂しそうな声を出され、どきんとする。


麗奈 「……ねー、ほんとに出してくれないの?」


久美子「だ、出さないってば……あ……。」


 また込み上げて来る。


麗奈 「そう。……出してくれないと泣いちゃうかも……。」


久美子「……え? ……うっ。」


 本当に泣き出しそうな声だった。胸を締め付けられる様な気分になる。あと、尿意がきつい。


麗奈 「……出してくれないの?」


久美子「だ、出しません……。」


麗奈 「ふーん。あっそ。」


 口調が元に戻る。

麗奈 「でも私、久美子が出してくれるまでやめないわよ?」


久美子「……え?」


麗奈 「どーするう? このまま力を入れ続けたら、膀胱が破裂しちゃうんじゃないかしら♪」


久美子「え? ちょ、ちょっと待って!」


麗奈 「だから、さっさと出しちゃいなさい。……どーせ眷族は主人には逆らえないんだしね。」


久美子「ひ、酷い……。あ。」


麗奈 「なに言ってんの。全然酷くないわ。酷いのは御主人様の言う事を聞かない久美子の方なのよ?」


久美子「そんな……。」


麗奈 「そんなじゃない。久美子は悪い子だわ。」


久美子「え?」


 胸が、ちくりと痛む。

麗奈 「わ、る、い、子。……やっぱり御仕置きが必要かしら。」


久美子「え? 私……。」


麗奈 「どーするう? ……出す? ……それとも御仕置きがいい? ……いっその事、このまま膀胱を押し潰しちゃうのも悪くはないわね。」


久美子「え、高坂さん、あ……。」


麗奈 「大丈夫。どうせ直ぐに再生するわ。」


久美子「そ、そーだけど……。」


 そう言った所で、会話が数秒途切れる。


麗奈 「……ねえ。」


久美子「え?」


麗奈 「久美子は、私の事……嫌い?」


久美子「え? き、嫌いじゃないよ。大好きだよ。」


麗奈 「そう。……私も久美子の事、大好きよ?」

久美子「え、じゃあ――」


麗奈 「ぶちまけてくれたら、もっと好きになるわ。」


 う、そう来たか……。


麗奈 「さあ、出して。」


 もう、やるしかないのかも知れない。


久美子「あ、あの……。」


麗奈 「久美子、こんな格言があるわ。……吸血鬼は諦めが肝心。」


久美子「え……?」


 そんな格言初めて聞いたよ……。


麗奈 「さあ、……ぶ、ち、ま、け、て♪」


久美子「あ、あのさ……。」

麗奈 「ん?」


久美子「出したら私の事、ほんとに好きになってくれる?」


麗奈 「勿論よ。」


久美子「ずっと側に居てくれる?」


麗奈 「ええ。ずっと一緒よ。」


久美子「じゃあ、私……、出すよ……。」


麗奈 「ええ。」


 膀胱に、意識を向ける。


久美子「いくよ……。」


 ちょろちょろと少しだけ出し、直ぐにバルブを閉じる。
 何とか止まった。


麗奈 「あ! ねえ! なんでとめるの。」

久美子「え? とめちゃ駄目なの? あ。」


 込み上げて来る。さっきまでより強い。


麗奈 「当たり前じゃない! 全部出して! さあ!」


久美子「あ、出す、出すよ!」


 一気に放水する。


久美子「ああ……。」


 今度はとめない。
 出ている。……愛する御主人様の為に、野外で放尿してしまっている。
 なんて気持ちがいいんだろう。
 御中がすっきりする感覚と共に、石畳の上の水溜まりが、勾配に従って面積を広げてゆく。


麗奈 「ふふっ。」


久美子「……なに?」


麗奈 「偉いわ。」

久美子「あ……。」


 軈て、尿の勢いが衰えてゆき、止まる。


久美子「はあ……。全部出たよ。」


麗奈 「ふふっ、偉いわ。良く出来ました。……御褒美にキスして上げる。」


 キス?
 ちゅっ、と背中に感触。


久美子「え?」


 今のってまさか……。
 やばい高坂さんにキスされたキスされたキスされた。


久美子「あ、あ……。」


 頭が沸騰しそうになる。
          *
 頭は沸騰しなかった。
 高坂さんが、少し移動しましょう、と言ったので、私は、抱き付かれて御中に手を突っ込まれた状態のまま、一メートル程移動した。尿の水溜まりから離れるのが目的だった。
 その位置で、高坂さんは、さっきと同じ様に仰向けに寝る様に指示をした。直後に、両手を引き抜いて、私から離れる。
 なにかを取りに行ったのだろう。そのあいだに、私は、石畳の上に手ばしこく寝っ転がる。
 直後、高坂さんは、タオル数枚とナイフを持って、素早く戻ってきた。
 彼女は、そのタオルの中から一枚を選んで適当に広げると、しゃがんで、私の御中の切れ目に突っ込んだ。残りのタオルは、私に手渡した。
 切れ目の端までタオルを噛ませながら、

麗奈 「これでいい筈。」


 と呟いているのを見て、理解した。
 それは、傷口がくっついて治癒してしまうのを防ぐ為の行いだった。
 高坂さんは、作業を終えてから、その意図が成功している事を確認すると、少し笑みを浮かべ、


麗奈 「もっと早くにこうしておけば良かった。」


 と、自嘲する様に言った。


麗奈 「そう思うでしょ、久美子。」


久美子「え、いや、私は……。」


 そんな風には露思わなかった。
 というか、そもそも「傷口をひらいたままにしよう」などとは全く思わない。


麗奈 「ま、いいや。……じゃあ、続きね。」


 今度は、鳩尾の下にナイフを突き立てて来る。
 そのまま、正中線に沿って、御中を真っ直ぐに割いてしまう。私の御中に、丁字形の傷が出来上がった。
 直ぐに傷口をひらいて、私の手からタオルを一枚もぎ取ると、新しく出来た縦の切創に、素早く宛がってゆく。これで裂け目は塞がらない筈である。

麗奈 「じゃ、内臓出しちゃいましょーね♪」


 高坂さんはそう言うと、御中の中に手を突っ込み、ナイフを使ってなにかを切りながら、私の内臓の一部を、御中から引っ張り出してしまう。
 彼女は取り出した内臓の表面をじっと見詰めると、


麗奈 「あーやっぱり。久美子のはらわたは、とても綺麗な色をしていると思ったの。」


 なにかに一人で納得している。
 そう言われた私は、どう反応したらいいんだろう。


麗奈 「じゃ、残りも全部出しちゃいましょう。」


 高坂さんは、それがさも当然であるかの様に宣言すると、両手とナイフを使って、どんどんと引き出し始めた。
 御中から内臓が引っ張り出される、不思議な感覚。
 出した「はらわた」は、私の胸の部分に、無造作に載せられてゆく。
 量が多く、載り切らなかった小腸(……これって小腸だよね?)が、体のふちから滑り落ちる。
 なんか偉い事になってしまった。引っ張り出されたこの内臓は、無事に元に戻るのだろうか? と、少し不安な気分になる。


久美子「あ、あの……、」


麗奈 「ん?」


久美子「私、こんなに出しちゃって大丈夫なのかな……。」

麗奈 「ああ、だいじょぶ。吸血鬼の回復力で、全部元に戻るわ。」


 高坂さんは、作業をしながら答える。


久美子「そーなんだ……。それならいいんだけど……。」


 それで納得するしかなかった。
 そうこうしていると、高坂さんの手が止まる。全部出し終えたのだろうか。
 顔をこちらを向けて、微笑む。


麗奈 「ふふ、綺麗よ。」


久美子「あ、ありがと……。」


 一応礼を言う。
 全部出し終えたらしい。
 私の小腸の上にゆっくりと顔を近付けてきて、くんくん、とにおいを嗅ぐ。
 穏やかに笑い、


麗奈 「これが久美子のはらわたのにおいなのね。」


 満足気に呟く。
 居住まいを正し、

麗奈 「じゃ、次は私。」


 すっと立ち上がる。
 私の顔の横を歩く。姿が見えなくなる。
 しょうがないので、首を目一杯動かす。
 ……やっぱり見えない。
 しかし、直ぐに視界の中に帰ってくる。
 私の体の真横に戻ってきた高坂さんは、立ったまま微笑みを浮かべ、


麗奈 「いくわよ。」


 と言いながら、右手と左手を下腹部の左側に持っていく。左手にはペンチ、右手にはナイフが握られていた。
 高坂さんが、狙いを定め、


麗奈 「んっ。」


 右手のナイフを、突き立てる。
 そのまま、左手を添えた状態で、右手のナイフを真横に動かし、御中を切り裂いてゆく。
 右端までいった所で、ナイフを引き抜き、透かさず、傷口がくっつかない様にする為であろう、御中の切れ目に両手の指先を、少し差し入れる。
 その状態で、私の直ぐ側に膝を突く。


麗奈 「ねえ、タオルを一枚頂戴。」


久美子「あ、うん。」

 急いで渡す。これで私の手元のタオルは残り一枚になった。
 高坂さんは受け取ったタオルを傷口に宛がうと、私の時と同じ様に、鳩尾から下も真っ直ぐ割く。


麗奈 「久美子、タオルを頂戴。」


 私が渡すと、


麗奈 「じゃあ、代わりにこれを持ってて。」


 ペンチを渡してくる。
 高坂さんはタオルを縦の傷に挟むと、今度は自分の内臓を引っ張り出し始める。
 三十センチメートル程ずるりと引き出すと手をとめ、


麗奈 「どお? これが私のはらわたよ。」


 と話し掛けてくる。
 なんとも返答に困る問い掛けに対して私が黙っていると、程無く笑みを浮かべ、続きを引き出し始める。どうやら初めから返事は期待していなかったらしい。
 引っ張り出された小腸の先っぽが、私の小腸の上に載っかる。
 そのまま続きがずるずると引き出され、次々と、私の体に載せられていく。
 上からどんどん来る。
 小腸の上に小腸が載せられてゆく。私の内臓が、高坂さんの内臓を受け入れていた。
 正直、両者は見分けが付かなかった。
 じっと見ていると、変な気分になってくる。
 それは、気持ちが悪かった。液体に塗れていた。私の胸の上で、音を立てていた。滑り落ちていた。重さで、胸が圧迫されていた。はっきり言って、私の御主人様は頭がおかしかった。こんな体験が出来る人間は世界にそうそう居まい。私は特別だった。
 軈て、小腸を引き出し終えたのか、高坂さんの動きが止まる。

麗奈 「久美子、これも持ってて。」


 ナイフを渡して来る。
 私が受け取ると、高坂さんは笑えを浮かべながら、両手を近付けて来る。


麗奈 「それえ♪」


 一気に手を伸ばし、私の小腸と自分の小腸を交ぜ始める。


麗奈 「あはははは。」


 楽しそうだ。
 彼女が楽しそうだと、私も幸せな気分になる。
 少し交ぜた所で、


麗奈 「あ、そうだ。」


 高坂さんは手を止め、


麗奈 「ねえ、目を閉じて。」


 と話し掛けてくる。

久美子「目?」


麗奈 「うん。」


久美子「なんで?」


麗奈 「なんでも。」


久美子「あ、うん。分かった。」


 御主人様の望みだ。素直に従う。
 私が目を閉じると、高坂さんは、


麗奈 「よしよし。」


 と言ってから、再び手を動かし始める。
 なにをしているのだろう。
 内臓を動かしてはいるが、交ぜている、という感じではない。
 二十秒程経った所で、私が


久美子「未だ?」


 と声を掛けると、

麗奈 「もうちょっと待って。」


 との返事。
 続いて、


麗奈 「もう直ぐ終わるからねー♪」


 という、軽快な口調。
 いい事が待っているに違いない。声ねから、そんな期待が生ずる。
 程無く、胸の上で手が動いている感覚が、無くなる。


麗奈 「うん、いいよ。」


 独り言の様な、判断に迷う台詞だった。私が、


久美子「……え?」


 と漏らすと、


麗奈 「目を開けていいわ。」


 と返って来た。
 目を開ける。高坂さんは、両手に一本ずつ、小腸を持っていた。

麗奈 「じゃーん。第一回、内臓当てクイーズ!」


 なんか始まった。


麗奈 「それでは問題です。どちらが久美子ちゃんの小腸でしょーか。制限時間は十秒。」


久美子「え?」


麗奈 「いーち。」


久美子「ちょ……。」


麗奈 「にーい。」


 どうしよう、全然時間が無い。


麗奈 「さーん。」


 全然分かんないし。


麗奈 「しーい。」

 カウントは無情に進む。考えても分かる様な物では無さそうだったので、当てずっぽうで答えを決める。「九」まで行った所で回答を促す様な雰囲気になったので、


久美子「こっち!」


 と、向かって左側、高坂さんが右手で持っている方を指し示す。


麗奈 「ファイナルアンサー?」


久美子「……フィイナルアンサー。」


麗奈 「……では、こちらの左手の小腸は、もう選べません。」


 と言いながら、左手に持っていた方を、ゆっくりと下ろしてゆく。なんの真似だよ。
 下に置いてから、


麗奈 「じゃあ久美子、ニッパーを頂戴。」


 と言う。


久美子「……ニッパー?」


麗奈 「その左手で持ってる奴よ。」

久美子「あ、これか。」


 今まで私が持っていたペンチは、「ニッパー」という名のペンチだったのか。
 左手に持っていたニッパーを、高坂さんの左手に渡す。


麗奈 「ありがと。……ねえ、代わりにこっちを持って。」


 空いた左手に、右手の小腸を押し付けてきたので、受け取る。感触が気持ち悪い。
 すると、高坂さんは、


麗奈 「じゃ、答え合わせね。」


 と言って、自分の小腸を御中に入れ始める。
 どんどんと入れてゆく。
 しかし、私が手で持っている部分が強く引っ張られる事は無い。
 私の体の上にぶちまけられている高坂さんの小腸の量が減ってゆくに連れて、当たりを引いた、という確信が強くなってゆく。
 軈て、残りが少なくなると、高坂さんは入れるのをやめ、私の小腸の上に載せたままの自分の小腸を掴んだ状態で、私に向かって微笑む。


麗奈 「せーかいはっぴょー♪」


 まあ、私の持っている方が正解だったって、もう判ってるんですけどね。
 あの掴んでいる部分は、十中八九、私の小腸とは繋がっていまい。


麗奈 「えい!」

 高坂さんが勢い良く両手を持ち上げると、彼女が掴んでいた小腸は、果たして、私の体から、完全に離れた。


麗奈 「だいせーかーい!」


 高坂さんが、小腸を私の胸の上に下ろし、左手のニッパーを右手に移す。


麗奈 「では、正解した久美子ちゃんに御褒美です。」


久美子(え?)


 御褒美あるんだ。やった♪


麗奈 「貸して。」


 高坂さんが、私の左手から、小腸を受け取る。


麗奈 「御褒美ターイム! ……今から、久美子ちゃんの小腸を、このニッパーで、ちょきちょきします。」


 ……ん? それって御褒美なの?
 と思いながら見ている前で、切る場所を定め、


麗奈 「いきまーす。」

 ちょきん、と刃を入れる。
 そのままちょきちょきと切り続け、苦も無く、私の小腸を切断してしまう。完全に切り離されて二つに分かれたので、左手に支えられていなかった方が、私の体の上に、ぽとりと落ちる。


麗奈 「はーい切れたー。……じゃあ久美子、また持ってて。」


 高坂さんが、右手のニッパーを渡してくるので、受け取る。


麗奈 「じゃあこれを、こーして……。」


 彼女は空いた右手で、切り落とされた方の小腸を、私の胸の上で、少し動かす。
 そして若干手を離したかと思うと、勢い良く引っ張り上げる。私に小腸の真横が見える様にして、その断面に、左手で持っていた方の断面を、近付ける。


麗奈 「ここからが本番よ。」


 そう言うと高坂さんは、切断面をくっつけ、傷口がぴたりと合う様に、位置を微調整する。
 程無く、繋ぎ目が判らなくなる。


麗奈 「ほおら、繋がった。」


久美子「……あ、うん。」


 見れば分かる。
 しかし高坂さんは、私の返事に満足しなかったのか、その顔に少し疑問の色を滲ませる。

麗奈 「……繋がったのよ?」


久美子「うん、そうだね。」


麗奈 「……あ、気付いてないのね。」


久美子「え? なにを?」


麗奈 「ふふふ、目を閉じて。」


久美子「え?」


 また? と思いつつ、さっさと目を閉じる。
 すると、今度は私の小腸が御中の中に仕舞われていく様な感覚が、下腹部に訪れる。
 出した分を全部仕舞う積もりなのか、中々終わらない。


麗奈 「こんなもんでいいかな。」


 その言葉と共に、高坂さんの手の動きがにぶくなる。
 しかし、胸と御中の上には、未だ小腸が残っている感覚がある。
 訝しんでいると、その残った小腸が、胸の上から持ち上げられる。


麗奈 「久美子、目を開けて。」

 開ける。高坂さんが右手で、私の小腸を鷲掴みにしていた。彼女の指からぶらりと垂れた小腸が、私の御中へと続いている。
 高坂さんは、どうだ、と言わんばかりの表情で私の顔を覗き込んでいるけれど、意図が良く分からない。


麗奈 「未だ気付かない? 良く見て。」


 と言うと高坂さんは、右手でまとめて掴んでいた二本の小腸の内の一本を、左手で掴み、


麗奈 「これでどーだ。」


 と呟きながら、両手を使って、するすると伸ばしてゆく。そして、三十センチメートルぐらい真っ直ぐに伸ばした所で、手をとめる。
 いや、なんか変だ。私の二本の小腸を、なにかで固定している?
 と思った直後に、


麗奈 「えい。」


 がくんと傾ける。
 落ちた。


久美子(え?)


 想定していなかった動きをした。
 高坂さんが左手を下に、右手を上に動かすと、私の御中に続いている私の小腸が、高坂さんの左手の上に、落ちた。高坂さんが掴んでいるのは、私の小腸じゃなかった。

久美子「……え?」


 高坂さんに伝わる様に、大きな声を出す。
 その彼女は私の反応に満足したのか、にやりと笑みを浮かべてから、両手を水平に戻し、


麗奈 「そーれ。」


 と言いながら、今度は反対側に傾ける。
 落ちる。
 高坂さんの左手に触れていた私の小腸が、高坂さんの右手の上に、落ちた。
 私の小腸は、ぴんと張った高坂さんの小腸の上に、載っているだけの様だった。


久美子「え? それ、どうなってるの?」


麗奈 「シーソー。」


 と言いながら、高坂さんは手を水平に戻し、


麗奈 「ガタン。……ゴトン。……ガタン。……ゴトン。」


 両手を交互に上下させ、遊ぶ。いやいや、そういう意図の質問ではないんですけど……。


麗奈 「久美子も遣ってみる? ガタン。」


 どうしよう、全然遣りたいと思えない。

久美子「んーん。」


 少し首を振る。


麗奈 「そう。……ゴトン。」


久美子「あの、それより……。」


麗奈 「ん?」


久美子「そろそろ起きたいんですけど……。」


麗奈 「ああ。じゃあ起きてもいいわよ。」


 ん、遠回しに「このプレイをやめて内臓と御中を戻してくれ」って伝えたかったんだけど、通じなかった。
 高坂さんが、ぱっと、両手を開く。
 ぼとりと、手にしていた小腸が落ちる。
 若干右側に移動してから、


麗奈 「さあ。」


 と言いながら両手を伸ばして、私の手首を掴んでくる。

麗奈 「そおれっ。」


 強引に引っ張られる。
 がくんと、上半身が起きた。


久美子「あ、ありがと。」


 高坂さんは微笑を作ると、


麗奈 「いいのよ。」


 と言って、私の手首を離す。
 私も手を下ろし、同時に、視線も下ろす。
 高坂さんの小腸と私の小腸が、私の右太股に載っていた。
 そのまま御中の切れ目まで視線を動かしてから、ゆっくりと顔を高坂さんに向けて、


久美子「あの、これ、戻していいかな?」


 と訊く。


麗奈 「これ?」


 と返ってきたので、私は、ちらりと腹部に目を遣ってから、

久美子「私の御中。」


 と、怖ず怖ずと答える。
 すると、高坂さんは事も無げに、


麗奈 「ああ、それ、戻せないわよ。」


 と言う。


久美子「……え?」


麗奈 「だって繋がってるもん。……見て。」


 高坂さんは自分の腹部に顔を向けると、御中から出ている小腸を、両手で指差す。


麗奈 「私の小腸がこう伸びてて、そこで久美子の小腸と――」


久美子「あ。」


 ようやく意味が判った。


久美子「繋がってる! 繋がってたんだ! 自転車の鍵みたいに!」


麗奈 「ピンポーン。」

久美子「そーだったんだー。」


 改めて確認する。
 私の御中から飛び出した小腸が、私の太股の上で高坂さんの小腸の下をくぐり、そこでぐるりとUターンし、今度は高坂さんの小腸の上を通り、また御中の中へ戻っていた。


麗奈 「どお? 私と繋がった気分は。……これからずっと一緒ね。」


久美子「え? ずっと? ……戻さないの?」


麗奈 「ん、戻して欲しいの? 久美子は私と一緒に、居たくないの?」


久美子「いや、そういう訳じゃ――」


麗奈 「じゃあどういう訳?」


 強い語調。


久美子「えーと……。」


 高坂さんがきつい目差を向けてくる。
 どうしよう、困った。


久美子「その……、あした学校あるし……。」

 私がたじろぎながら弁明すると、高坂さんの表情が俄に和らぎ、


麗奈 「ふふっ、冗談よ。直ぐに戻して上げる。……吸血鬼の体でしか出来ない事を遣ってみたかっただけ。」


 と言う。


久美子「吸血鬼の体でしか出来ない……。」


麗奈 「そう。小腸を殆ど引っ張り出したのだって、そう。……普通の人間だったら出血多量で死ぬわよ。……便利よね、出血しない体って。」


久美子「そうだったんだ……。」


 そういえば、さっきから一滴も血を見ていない。


麗奈 「ねえ、もう一つ人間の体じゃ出来ない事があるんだけど、いいかな?」


久美子「ん、なに?」


麗奈 「その前に、ニッパーを頂戴。」


久美子「ああ、うん。」

 私がニッパーを返すと、高坂さんは二人の御中を元に戻した。若干体液を吸った四枚のタオルは、レジャーシートの上に置いて、私の座っている所へと戻って来る。
 右斜め後ろに膝を突いたので、改めて訊く。


久美子「で、やりたい事ってなに?」


麗奈 「うん。……首、切っていい?」


久美子「首?」


 右手の人差指で首に触れ、


久美子「この首?」


 と訊く。


麗奈 「うん。その首。」


久美子「いいけど……。」


麗奈 「いいの? 完全に切断するわよ?」


久美子「え、だって、吸血鬼なら死なないんでしょ?」

麗奈 「そうだけど……、」


 そう言うと、にやりと笑い、


麗奈 「その認識が間違ってて、実際には死んじゃうかもよ?」


 と続ける。
 あはは、意図が判った。私も笑って、


久美子「またまたあ。死ぬ様な事は、しないんでしょ?」


 と応じる。
 そうすると、今度はナイフをゆっくりと近付けて来る。
 刃を、私の首に、ぴたりと付けて、


麗奈 「ほんとにいいの?」


 と威して来る。
 顔がにやついているから、恐怖は皆無だった。


久美子「いいよ。一杯切って♪」


 私の体は、その為にあるんだから。
 すると、高坂さんは顔を伏せて、くっくっと笑いながらナイフを離す。そして、

麗奈 「あーあ、詰まんないの。脅えてくれないと面白くないじゃない。」


 本音を打ちまける。


久美子「ふふふっ。」


 こんなの全然怖くない。今の私にとって一番怖いのは、高坂さんに嫌われる事だ。嫌われるくらいだったら、死んだ方が増しだ。


麗奈 「じゃあさ、若し、私の気が変わったら、どうする?」


久美子「え? 『どうする』って?」


麗奈 「切断した久美子の首を、二度と体に戻さなかったら。」


久美子「そうしたらどうなるの?」


麗奈 「その時は、確実に死ぬわね。……どうする? 切り取った久美子の首を、部屋に飾りたくなっちゃったら。」


久美子「部屋に?」


麗奈 「うん。ホルマリンに漬けて♪」

 高坂さんは、嬉々として言った。
 私の御主人様への気持ちを試しているのかな。
 そんなの、答えは一つだ。


久美子「いいよ。」


麗奈 「ん、ほんとにいいの?」


久美子「うん。私、高坂さんの為にだったらなんでもするよ。」


 と言うと、高坂さんは少し笑う。


麗奈 「なんでもって、さっきは服を脱ぐのや放尿するのを嫌がったじゃない。」


久美子「んー、そうだけど……、逆にあれで吹っ切れちゃったのかも。今は、高坂さんの為にだったら、私、なんでも出来るよ。」


麗奈 「そう、なんでも? ……嬉しい、愛してるわ、久美子。」


 あ、愛し――


久美子「わ、私も! 高坂さんの事、世界で一番、愛してるよ!」


麗奈 「あはは、世界で一番なんて、大袈裟ね。」

久美子「んーん、大袈裟じゃないよ。私、高坂さんの為にだったら死ねるよ。」


麗奈 「まあ、じゃあほんとに飾っちゃおうかしら。」


久美子「うん。いいよ。」


 私が答えると、高坂さんは私を見詰めながら、すっと両手を伸ばしてくる。
 頬に両手を触れながら、


麗奈 「いい子。」


 と言う。
 ああ、幸せ。
 この人とずっと一緒に居たい。この人の希望を叶えたい。この人の為なら死んでもいい。仮に、この人の期待に応えられないんだったら、私の人生に意味など無い。


麗奈 「久美子、愛してるわ。」


久美子「あ、私も、高坂さんの事、愛して――」


麗奈 「久美子。」


 高坂さんの表情から、微笑が消える。


久美子「……え?」

麗奈 「麗奈。」


 ゆっくり、はっきり発音する。
 どういう意味だ?
 私が反応出来ずに固まっていると、


麗奈 「麗奈って、呼んで。」


 と付け足す。


久美子「麗奈……さん。」


麗奈 「んーん、麗奈。」


久美子「麗奈……。」


麗奈 「そう。」


 高坂さんが、目を細めて小さく頷く。


麗奈 「久美子。」


 そう言って、ゆっくりと顔を近付けて来る。

久美子「麗奈。」


麗奈 「久美子。」


 更に近付けて来る。


久美子「れ……え?」


 この流れってまさか――
 唇が接触。


麗奈 「ん……。」


 あ、高坂さんの唇、柔らか、呼気が、顔近っ。


麗奈 「あ……。」


 上の唇が、濡れて、下の唇、挟まれ――


麗奈 「んあ……。」


 舌が、入って来る。唇、気持ちいい。

麗奈 「ん……。ん……。あ……。」


 高坂さん、やばいよ、そんなに激しく、私……。
 腕が震える。


久美子(あ……。)


 体の力が抜ける。
 どん、と体に衝撃。
 暗い。


久美子「……。」


 数秒経ってから、石畳に倒れて天を仰いでいる事に気付いた。
 高坂さんが、私の顔を覗き込んで来る。


麗奈 「久美子、生きてる?」


久美子「あー、はい。なんとか……。」


麗奈 「ふふっ、行き成り刺激が強過ぎたかしらね。続きはまた今度ね。」


久美子「はい……。」


 ああ、いい所だったのに……。私の馬鹿!

麗奈 「ねえ、起きれる?」


久美子「ん……。」


 体は正常に戻っていた。一人で起きられた。
 私が上半身を起こして高坂さんに目を遣ると、


麗奈 「じゃあ、遣りましょ。」


 ナイフを顔の高さまで持ち上げ、怪しい笑みを浮かべる。


久美子「あ……。」


 遂に切るんだ。


麗奈 「俯せになって。」


久美子「うん。」


 指示に従い、その場で俯せになる。石畳に向かって


久美子「これでいいのかな。」


 と言うと、

麗奈 「ええ。いい子ね。」


 と返って来る。


麗奈 「じゃあ、いくわよ。」


 その言葉の直後に、うなじに、指で触られる様な感触が訪れる。


麗奈 「ここが骨だから……。」


 両手の指で、切る場所を探っているらしい。
 ぐりぐりと触られる。


麗奈 「ここら辺かな。」


 指の動きが止まる。
 そして、片方の手がうなじから離れたかと思ったら、その場所に、ちくりと冷たい感触。


麗奈 「久美子、今、ナイフの刃を当てたの、判る?」


久美子「うん。判るよ。」


麗奈 「どお? 心の準備は出来た?」

久美子「うん。大丈夫。高坂さんの為だったら、縦え死んでも文句は言わないよ。」


麗奈 「久美子。」


久美子「え?」


麗奈 「麗奈。」


久美子「……あ、御免。」


麗奈 「ふふっ。……じゃあ、今度こそいいかな。」


久美子「うん。いいよ。」


麗奈 「ねえ、最後に、麗奈って言って。」


久美子「うん、分かった。……麗奈、好きだよ。世界で一番。……切って!」


 ガリ、と音がした。
 しかし、押される感じはあれど、刃が入って来る感じは無い。


久美子・麗奈「……。」

麗奈 「御免、骨に当たったみたい。もう一度いい?」


久美子「うん。何度でも切って。」


 拍子抜け。こんなのあり?
 そう思っている内に、ナイフの位置が若干動かされる。


麗奈 「じゃあ、刺すわよ。」


久美子「うん。」


 ずぶり、と刃が刺さった。
 今度こそ成功した。見なくても判る。


麗奈 「どお? 体動かないでしょ。」


久美子「うん、えーっとね、――」


麗奈 「え?」


久美子「……え?」


 腕は動くが脚は動かない。

久美子「あ、面白ーい。脚が無くなっちゃったみたい。全く感覚が無いよ。」


麗奈 「そ、それは脚の神経が切れたからよ。他も直ぐに切って上げるから。」


久美子「……うん。」


 今、高坂さんの声の様子がちょっと変だった気がする。


麗奈 「いくわよ。」


 ナイフが引き抜かれ、刺される。
 引き抜かれ、刺される。
 そうして、ぶすり、ぶすり、ぶすり、と刺されている内に、異変に気付いた。
 息が、出来ない。
          *
 高坂さんは私の体をごろりと転がしながら、首の周囲を手早く刺し続けた。二十秒程で一回転し、私は再び石畳と向かい合った。
 その状態でも何度かぐさりぐさりと刺したあと、私の頭は両手で掴まれた。
 ブチブチ、という音がして、石畳ではない、なにか柔らかい物に勢い良く対面した。それはとてもあたたかかった。そして、動いていた。


麗奈 「やった。……取れた。」


 私の頭が持ち上がる。私の顔が今まで密着していたのは、高坂さんの御中だった。
 その彼女は、石畳に腰を下ろした状態だった。
 高坂さんが、私の顔を覗き込んで、

麗奈 「どお? 私の声、聴こえてる?」


 と問い掛けて来る。
 ばっちり聴こえている。笑みを浮かべてみせる。


麗奈 「あ、やった。意識があるのね。……やっぱり吸血鬼の体って最高ね。」


 私もそう思う。再び口角を上げてみせる。
 すると今度は、少し優しい顔付きになり、


麗奈 「どお? 久美子、生首になった気分は。楽しい?」


 と話し掛けて来る。
 楽しくはない。表情は変えなかった。


麗奈 「うん、でもね、いくら楽しくても、この状態ではさすがに長くは持たない筈だから、直ぐに戻しちゃうんだけどね。」


 ちょっと待った。楽しくはない。
 抗議の為に、顔を少し顰めてみせる。


麗奈 「ん? んーん、そんな顔をしても駄目よ。これは久美子の為なのよ。」


 ああ、駄目だ。全然通じてない。
 渋面を続けながら、口だけでも動かしてみる事にした。ゆっくり、

久美子(そ、う、じゃ、な、い。)


 と発音(?)する。
 すると、


麗奈 「おーよしよし、機嫌を直して。……ふふっ、丸で赤ちゃんみたい。」


 笑顔であやされる。
 えーん。どうしてこうなるのか。
 再び口を動かす。


久美子(れ、い、な。)


 私の声を聞いてよ。


久美子(れ! い! な!)


麗奈 「うーん、困ったわねー。機嫌が直らないわ。……おっぱいが欲しいの?」


 欲しい。そりゃ欲しいさ。
 高坂さんみたいに、などと贅沢は言わない。せめてCカップになりたい。
 私が口を動かすのをやめたからか、

麗奈 「ん? おっぱいが欲しいんでちゅかー?」


 そう言いながら、私の顔を、ゆっくりと右の胸へと近付けていく。
 なんという事でしょう。唇が、乳頭に触れる。


麗奈 「ほら、よしよし。……機嫌直った?」


 直った。
 釈然とはしないが、それはそれ、これはこれ。
 高坂さんが、その美しい顔に慈しみの表情を浮かべながら、私に「授乳」をしているのだ。これで機嫌を直さなかったら、罰が当たる。
 ずっとこうしていたい。
 ずっと温もりを感じていたい。
 出来る事なら、高坂さんの子供として生まれ変わりたい。
 そんな私の気持ちを知ってか知らずでか、高坂さんが、


麗奈 「滝先生と結婚して赤ちゃんが産まれたら、こんな感じなのかな。」


 ぽつりと漏らす。


久美子(……滝先生?)


 頭は動かないので、目だけを目一杯見開き、高坂さんの顔を見詰める。
 程無く、高坂さんが私の視線に気付き、


麗奈 「あ、まだ言った事が無かったわね。……私さ、滝先生の事好きなの。……好きって言ってもライクじゃないよ。ラブの方ね。」


 仰天の告白をする。

久美子(な……。)


 目眩が始まった気がする。


久美子(なんであんな……、あんな奴のどこがいいんだ。)


 信じられない。あんな奴に惹かれているなんて。


久美子(確かに、ちょっと顔はいいけど、そんな簡単な事で好きにな――)


 突如、憎しみの感情が一気に沸き上がって来る。


久美子(あんの粘着悪魔め、私の高坂さんを誘惑したな!)


 そうでなければ、あんな男を好きになる筈が無い。
 外道! 畜生!


久美子(許せない。教師の癖に……。)


 そうだ、悪いのは全部滝先生だ。高坂さんは悪くない。
 きっと卑劣で邪悪な悪魔的姦計によって、高坂さんは正気を失っているだけなのだ。
 今度は焦燥感が込み上げて来る。

久美子(なんとかしなきゃ。)


 あの男の魔手から、私が救って上げなければ。


久美子(高坂さん!)


 目を上に向ける。


久美子(高坂さん目を覚まして!)


 駄目だった。ぼんやりと考え事でもしているみたいで、顔はこちらを向いてはいるが、視線がこちらに定まっていない。
 そうだ、さっきみたいに口を動かして語り掛けてみよう。目だけを動かすよりも増しな筈だ。


久美子(れ、い――)


麗奈 「あ。」


 私はたじろいだ。それは、私が想定していなかった事態だった。私の「い」の口の動きの所為で、私の唇が、高坂さんの乳頭を軽く撫でてしまったのだ。撫でた事に気付いた瞬間、私は少しぎょっとして、思わず口を動かすのをやめたので、唇は、乳頭に触れた状態で静止している。
 そして、この事態は高坂さんも想定していなかったらしい。丸で新しいおもちゃを与えられた子供の様に、爛々とした目で、視線をこちらに向けて来る。


麗奈 「ねえ、今の、ぞくっとした。もう一度出来る?」


 御安い御用である。
 唇を開けたり閉じたり、窄めたりして、乳頭を刺激する。

麗奈 「あはは。そうそう、いい感じ。……ねえ、舌も使って。」


 使っていいんだ。
 願ったり叶ったりだ。遠慮無く、舌を突き出した。
 舌先が押していたのは、乳頭の外側の、緩やかな膨らみの部分だった。ここは、唇が届かなかった箇所だ。ぐるぐると円をえがく様に舌を動かして、丹念に舐め回す。


麗奈 「ふふっ、いい子。もっと激しく。」


 言われるままに、唇の動きも再開する。舌と唇の動きを気紛れに繰り出して、高坂さんの乳頭と乳輪を、精一杯翻弄する。


麗奈 「あーん、凄い遣る気。……久美子ちゃん、おっぱいしゅきでちゅかー?」


久美子(好きだよ。)


 恥ずかしいから言わないでよ。


麗奈 「んふ、そこそこ。」


久美子(ん? ここがいいの?)


麗奈 「そうそう、そこそこ。そこを優しく。舌で優しく攻めて。……ああん。」


 痺れる。高坂さんの色っぽい声に、堪らなく興奮する。

麗奈 「久美子じょーず。……ねえ、その調子で下も気持ち良く出来る?」


 下?
 舌を、思いっ切り下に伸ばす。


麗奈 「ふふっ、そうじゃなくて……。」


 高坂さんが、ゆっくりと私の頭を移動させ、下に傾ける。
 下腹部の、更にその下が目に入る。大事な場所を隠す気が全く無いらしく、轢かれたカエル宜しく、脚が大きく開かれていた。詰まり、高坂さんは、丸出しの陰部を私に見せ付けたのだ。そうして、


麗奈 「こっちの事。」


 と言うと、私の頭の傾きを直す。二人の目が合う。


麗奈 「どお、出来る?」


 勿論だよ。微笑んでみせる。


麗奈 「じゃあ、いくわよ。気持ち良くして。」


 その台詞と同時に、私の頭がゆっくりと下ろされる。
 陰毛が眼前に迫る。舌を突き出した。

麗奈 「あは♪」


 なにかに触れた。舌で押すと動く。
 ああ、これは小陰唇に違いない。舐め回す。


麗奈 「ああん、ちょっと待って、位置を調整するから。」


 そう言うと高坂さんは、頭を支えている手の場所を変えたり、上半身の傾きを少し試行錯誤した。そのあいだも私はせっせと舌を動かして、一番敏感な部分を探り続けた。


麗奈 「置いちゃおうか。」


 最終的に、私の首は切断面を接地する形で、石畳に置かれた。そして、高坂さんは下半身の位置を微調整すると、上半身を石畳に横たえた。


麗奈 「うん、いい感じ。」


 高坂さんはそう独り言ちると、自由になった両手で、上半身の愛撫を始めた。


麗奈 「あん。」


 負けていられない。私は、高坂さんの上半身を眺めながら、陰核を重点的に攻め始めた。


麗奈 「ああん、久美子、そこ気持ちいい……。」

久美子(ここ? ここなの?)


 舌に力が入る。


麗奈 「そお、そこお……。」


久美子(やった。私の舌でいっちゃえ。)


麗奈 「いい……。気持ちいい……。」


久美子(ほらほらあ♪)


麗奈 「ああん!」


久美子(ひひひ♪)


 高坂さんが、快楽の淵へと足を踏み入れてゆく。


麗奈 「あ……。ああ……。」


 その悦びの声が眷族の私を酔わせるのか、頭がぼんやりとしてくる。気持ちいい……。


麗奈 「んん……。」

久美子(ほら、ここがいいんでしょ? ……ほれほれ♪)


麗奈 「そんな……。」


久美子(私が、い、か、せ、て、上、げ、る♪)


麗奈 「んっ! ああ……。」


 高坂さんは今どんな表情をしているのだろう。顔は見えないけれど、自らの肉体をまさぐるその手付きと、色気を増していく嬌声からは、行為に没入して、どんどんと高まっている事が、明らかである様に思えた。


麗奈 「ああん……。もお駄目……。」


 私は、御主人様を悦ばせている。
 最高の気分だった。
 だのに――


麗奈 「あっ、滝せんせえ、そこ……。」


久美子(あ?)


 一気に目が覚めた。
 代わりに、怒りが沸いて来る。

久美子(あの野郎! ……殺す! 絶対殺す! ……あ、そうか。)


 単純な事に気付いた。


麗奈 「んっ。」


久美子(殺せばいいんだ。)


麗奈 「あん……。気持ち、いい……。」


 いくら相手が背の高い男の人と雖も、私は不死身の肉体を持つ吸血鬼なのだ。
 思わず、笑みがこぼれる。


久美子(絶対勝てる。……あは♪)


麗奈 「あ……あ……。」


 高坂さんにばれたら嫌われてしまうだろうから、こっそりと、上手くやらなければならない。
 しかしながら、高坂さんを惑わすあの下劣な存在を消し去れば、もう、この世界に邪魔をする者は誰も居ないのだ。私は、御主人様の愛を独占出来るのだ。なんと素晴らしい事だろう。


久美子(最高……。)


 再び、気分が良くなって来る。

麗奈 「んっ……そこ凄い……。」


久美子(高坂さん、ずっと一緒だよ……。)


 私の目前には、あらまほしき未来が待っている。
 とてもよい気分だ。


久美子(ほら、高坂さん、気持ちいい?)


麗奈 「んあ……。」


久美子(高坂さん、高坂さんの……あ、「麗奈」だった。)


 急に思い出した。
 あはは、いけないいけない。「麗奈」って言わないと怒られちゃう。


麗奈 「ああん……。」


久美子(ほら、麗奈、ここがいいんでしょ? ……ほら!)


麗奈 「あん!」


久美子(あは。麗奈、麗奈の声凄く可愛いよ……。)

麗奈 「あ、そこお……。」


 麗奈の敏感な場所を、攻め続ける。


久美子(私が、い、か、せ、て、上、げ、る。)


麗奈 「あ……、ああ……。」


久美子(ほら、ここ気持ちいいでしょ?)


麗奈 「ああん、駄目え……。」


 精一杯、舌を動かす。


久美子(ん?)


 その時、視界のふちが黒い事に気付いた。


麗奈 「そこ気持ちいい……。」


 真っ黒い範囲が、視野の中心に向かって、徐々に広がってゆく。

久美子(なんだこれ。)


 立ち暗みみたいだった。


麗奈 「あ……、あ……。」


 最後まで残っていた視界の中心からも、光が消える。完全な暗闇が訪れる。


久美子(あーあ、真っ暗だ。)


麗奈 「ああ……。」


 首を切り離した状態は長くは持たないと言っていた。そろそろタイムリミットなのかも知れない。
 酷い。これでは麗奈の痴態が拝めない。


麗奈 「いい……、気持ちいい……。」


久美子(んふ、よしよし♪)


 それでも、音は正常に聴こえる。麗奈の善がる声は、この世のどんな美声よりも美しい。
 舌も動く。

久美子(へへっ、いくまでやめないんだから。……それそれ♪)


 舌の動きを一気に強める。


麗奈 「ああん……。」


 今最も重要なのは、麗奈を絶頂まで導く事だった。舌が動く限り、動かし続けよう。
 縦えその所為で死ぬ事になっても、本望だ。愛する麗奈の為ならば、私はどうなったって構わない。


麗奈 「あ、あ……凄い……。」


久美子(ほおら、いっちゃえいっちゃえ♪)


麗奈 「ああ、いきそう。」


久美子(ん、いくの? 麗奈いっちゃうの?)


麗奈 「クリ気持ちいい、気持ちいい……、ああ。」


久美子(よしよし、いっちゃえー♪)


 ラストスパート。

麗奈 「あ、あ……、もお駄目……、いく! いく! いく! あ!」


久美子(あ、いったあ♪)


 最後の仕上げだ。手抜かりが無い様に、丹念に刺激を続ける。
 私の舌は、その為にあるのだ。
 程無く、絶頂と同時に数秒止まっていた麗奈の呼吸が、


麗奈 「……はあ!」


 と勢い良く再開される。


久美子(ふふっ、気持ち良かったね♪)


 舌の動きは、やめない。最後まで、確りと、愛を込めて。


麗奈 「久美子……。」


 頭に、感触。


久美子(ん?)


 多分、麗奈が両手で、私の頭に触れたのだ。

麗奈 「よしよし。」


 そのまま、優しく撫でて来る。


久美子(えへへ。)


 もう良さそうだ。舌の動きを弱める。
 刺激を弱めても、麗奈の撫で方は変わらない。
 という事は、もう刺激は必要無いらしい。完全にやめる。


麗奈 「偉いわ。」


久美子(ふふっ、麗奈の為なら当然だよ。)


 誇らしい。私は麗奈に素晴らしい行いをした。私達は特別な間柄になった。
 最高の気分だ。
 頭から、手が離れる。


麗奈 「よい……しょ、……っと。」


 多分、麗奈が起き上がった。
 間も無く、私の頭が両手で掴まれ、地面から持ち上げられる。


麗奈 「御褒美上げないとね。」

久美子(ん? 御褒美? やった♪)


 ……さっきみたいに変なのじゃないといいけど。


麗奈 「さあ、久美子、なにがいいかしら。」


久美子(えー?)


 困った。そんなの即答出来ない。
 でも、とってもいい気分だ。
 脳味噌が蕩ける……。


久美子(ああ、天国だ……。)


麗奈 「ん? 久美子。目を開けて。」


久美子(気持ちいい……。)


麗奈 「ねえ、久美子。……久美子!」


久美子(ん? うん、聴こえてる……。)


麗奈 「不味い……!」

 世界が揺れた気がした。
 そして、顔に違和感。


久美子(あ、なんかやってる。)


麗奈 「ここが……。」


久美子(麗奈はいい人だなあ……。)


 またなにかしてくれるんだ、私の為に。


麗奈 「早く……、早く付いてよ……。」


久美子(麗奈、愛してるよ……。)


麗奈 「早く早く早く!」


久美子(愛……。)


麗奈 「ああ、どうしよう……。」


久美子(愛して……。)

麗奈 「御姉様、……御姉様あ!」


久美子(れ――)
          *
 暗い。


久美子(ん?)


 仰向けに寝ていた。
 ここどこだ? と顔を右に動かすと、隣にワンピース姿の高坂さんが寝ていた。


久美子(あ。)


 常軌を逸した行動の記憶が蘇る。
 直後に、自分も服を着ている事に気付いた。
 左に顔を向けると、高坂さんの荷物。
 私達は、レジャーシートの上に居た。良く見たら、二人分のスペースを作る為に、荷物は押し退けてあった。


久美子「ん……と。」


 上半身を起こす。
 ここは、神社の境内だった。


久美子「ああ……。」

 改めてがっかりした。この状況を見れば、嫌でも認めざるを得ない。あれは夢ではなかった。
 ……夢なら良かったのに。
 しょんぼりして荷物を眺めていると、ふと、はしの方に置いてあるナイフが目に留まった。刃が折り畳まれている。
 少し興味が涌いた。御尻を付けたまま躄ってレジャーシートの上を移動すると、座ったまま、ナイフを取り上げてみる。
 刃は、簡単に出せた。
 ぼんやりと眺める。
 あれが夢でないのだったら、刺しても痛みは殆ど無いし、数十秒で跡形も無く治る筈だった。しかし、若し私の体が吸血鬼の力を失っているとしたら……。


久美子「あーもう!」


 態と声を出しながら頭を振り、自らを奮起する。
 逡巡していても仕方が無い。目立たない場所を、少しだけ切ってみればいいのだ。
 自分の体を見る。切るとしたら、腕ではなく脚だろう。
 どこがいいだろう、と思いながら、じっと足を眺めていると、


あすか「お、目が覚めたね。」


 出し抜けに、声がした。あすか先輩の声だ。辺りを見回す。
 しかし、姿はどこにも無い。念の為に上半身を捻って真後ろも見るが、彼女はどこにも見当たらない。
 妙だ。立ち上がる。
 再び辺りを見回すが、居ない。
 回れ右して、後ろの風景にも目を凝らすが、居ない。
 どうなっているんだ? と怪訝に思っていると……


あすか「こっち。」

久美子(!)


 突然、背後から声が聴こえ、びくっとした。直ちに振り返る。
 あすか先輩が居た。


久美子「あ……なんですかそれ。」


 顔の横に、変な物体があった。


あすか「ん、これ? 優子ちゃんだよ。」


久美子「……ああ。」


 そう言われると、合点が行く。二メートル程先に突如として現れたあすか先輩が、なぜか同じ吹部の吉川先輩をおぶっていたのだった。ぱっと見謎だった物体は、吉川先輩の頭のてっぺんと、そこから突き出たリボンだった。


あすか「ん?」


久美子「え?」


 あすか先輩が、怪訝な顔をしていた。
 そのまま、

あすか「光ってる……。」


 と言いながら、不可思議な物でも見る様な表情で、私の顔をじっと見詰めながら、ゆっくりと歩いて来る。


久美子「……え? なんです――」


あすか「ちょっと待った。じっとしてて。」


久美子「……はい。」


 動くのを制止された。あすか先輩が、更に近付いて来る。
 私が顔を若干下に向けると、


あすか「黄前ちゃん、こっちを見るんだ。」


 と指示が来る。顔を上げると、


あすか「よしよし。そのままわたしの目を、じっと見て。」


 と、追加注文。
 そうして、手を伸ばせば届きそうな距離にまで近付いた時だった。


あすか「くいくいせーじん。」

久美子「……え?」


あすか「いや、それだけじゃないな。」


 なんと、まだ近付いて来る。
 さっきの悪夢が頭をよぎる。このまま無理矢理キスされるんじゃなかろうか。


あすか「文字か。……それにー……。」


久美子「いや、あすか先輩?」


 なに訳の分かんない事言ってんだこの人は。
 到頭、互いの距離が十センチメートルくらいになる。
 やばい。ほんとにキスされるんじゃ……。


あすか「これわたしの台詞? ……だな。……一七〇の、三四五。……三百四十五分の百七十か。……火曜。」


 誰か助けて。


あすか「……ん? 二千十八年六月五日? ……二十三時五十五分。……あ、目が疲れた。」


 と言って、顔を離す。
 良かった。唇は奪われずに済んだ。
 一体なんだったんだろう。

久美子「あの、なんなんですか?」


あすか「ん! ちょっと黙ってて。」


 きつい表情と口調だった。うう……。


あすか「えーと、二千十八で火曜だった訳で……、三百六十五は……、七が……、三百五十の……、三百六十四だから……、だと楽だったんだけど……、でも一多いから一つ後ろにずれて……、月曜。……あ、うるう年か。……じゃあ一致するか。」


 ほんとにこの人なに言ってんだろ。
 数秒のあいだ黙思していたあすか先輩が、顔をこちらに向ける。


あすか「ねえ黄前ちゃん。」


久美子「はい……。」


あすか「今日は西暦何年何月何日で何曜日かな?」


久美子「え? えーと、二千十五年六月五日、金曜日です。」


あすか「そーだよね。……やっぱそーだよね。」


 一人でなにかに納得している。
 こっちは意味分かんない事だらけだというのに!

久美子「あ、あの、いーですか?」


あすか「ん、なに?」


久美子「なんでおんぶしてるんですか?」


あすか「これ? ……地面に寝かすのはちょっと気が引けたから、わたしがおぶってた。……黄前ちゃんが起きたんだから、代わりにそこに寝かせようか。」


久美子「あ、いや、そーじゃなくてですね……。」


あすか「ん?」


 あすか先輩は、けろりとした表情だった。
 質問の仕方を間違えた。
 この顔を見るに、私がなにを知りたいのかを知っている癖に、恍けて楽しんでいるのだ。この人は時々、そういう事をする。
 もう一度だ。


久美子「あの、吉川先輩はなんで眠ってるんですか?」


あすか「あ、これは眠ってるんじゃなくて、実は気絶してるんだけ――」


久美子「なんで気絶してるんですか?」


 私が語気を強めると、あすか先輩はにんまりと笑い、

あすか「あれえ? 黄前ちゃんちょっと怖い。怒ってる?」


 と、心から楽しそうに言う。
 ああ、この人めんどくさい。


久美子「怒ってませんー。……で、なんで気絶してるんですか?」


あすか「うん、それはね……。」


 そこで、ふっと笑みが消える。


あすか「人間に戻された所為だよ。」


久美子「……え?」


あすか「人間に戻された所為。……吸血鬼から人間に戻されると、一時的に気を失うんだ。……そっちの麗奈ちゃんもね。」


久美子「……。」


 言葉が出ない。
 疑問はいくつも浮かんだが、先ずはこれだろう。


久美子「あの、あすか先輩、吸血鬼ハンターだったんですか?」

あすか「わたし? わたしはハンターじゃないよ。……わたしの『友達が』吸血鬼ハンターなんだ。」


 それはそれで問題な様な。


久美子「それって言っていいんですか?」


あすか「それ? それってどれ?」


久美子「自分がハンターだって事、人に言っていいんですか?」


あすか「良くないねえ……。」


久美子「じゃあ――」


あすか「わたしの場合は特別。……吸血鬼と戦っている場面を目撃しちゃったから。しょうがない。……それで、下手に隠すより、正直に打ち明けて黙っていて貰った方が得策って思ったんじゃないかな。……ま、今のはわたしの推測だけど。」


久美子「そーなんですか……。」


あすか「そ。……だから、最初にわたしに近付いて来たのも、わたしを監視するのが目的だったんじゃないかな。」


久美子「監視……。」

あすか「うん。……あとは、機関への勧誘かな。ハンターにならない? ってさそわれたから。……今では普通に友情が芽生えていると思うんだけどねー。」


 あすか先輩は事も無げに言う。
 色々あったらしい。しかし……


久美子「それ、私に言っていいんですか?」


あすか「ん、別にいーよ。どーせ黄前ちゃんの記憶……。あのさ、吸血鬼から人間に戻されるとそのあいだの記憶は全部消えるって麗奈ちゃんから聞いてる?」


久美子「あ、はい。聞きました。」


あすか「そう、なら話は早い。噛まれる直前の記憶も含めて綺麗さっぱり消えるから、なーんの問題も無いよ。……怖い?」


久美子「いや、別に怖くは……。」


あすか「どーして。人間に戻されちゃうんだよ。」


久美子「人間に戻っても不都合は無いんじゃないですか? 今までなにも困ってませんでしたし。」


あすか「うーん、さばさばしてるね。絆が途切れたからかな。」


久美子「……絆?」

あすか「うん。噛んだ側と噛まれた側のあいだにだけ存在する、精神的な繋がりの事だよ。……黄前ちゃん、さっきまで麗奈ちゃんに絶対服従だったんじゃない?」


久美子「あ、はい。そんな感じでした。」


あすか「吸血鬼の能力の一つだよ。……強力な主従関係が強制的に生まれて、眷族は主人に逆らえないんだ。……どーだった? 楽しかった?」


久美子「最悪でした!」


あすか「あはは、面白いね。でも繋がっている時は楽しかったでしょ? ……幸せだったでしょ? ……気持ち良かったでしょ?」


久美子「……知りませんー。」


 とゆーか一刻も早く忘れたい。さっさと人間に戻して。


あすか「えー? 神聖な神社の境内でおしっこするの気持ち良くなかったのー?」


久美子(!)


あすか「神聖な神社の境内で裸を露出したりー、神聖な神社の境内で愛する麗奈ちゃんとあーんな事やこーんな事をするの気持ち良くなかったのー?」


久美子「……。」


 まさか高坂さんが洗い浚い喋ったのか。
 終わった。私の人生終わった。

久美子「あの、あすか先輩……。」


あすか「ん、なに?」


久美子「殺して下さい。」


あすか「殺さないってば。……随分短絡的だね、黄前ちゃん。」


久美子「そ、……先輩は当事者じゃないからそーゆー事が言えるんです……。私、もー御嫁にいけません……。」


あすか「そっちじゃない。」


 先輩は、はっきりくっきり発音した。
 私が先輩の顔にまじまじと目を遣ると、先輩は、一呼吸置いてから口を開いた。


あすか「ねえ黄前ちゃん。……黄前ちゃんと麗奈ちゃんはね、わたし達が来た時には既に服を着ていたんだよ。……それにね、二人がなにをしていたかは、別に麗奈ちゃんの口から直接聞いた訳じゃないんだ。……わたしがなにを言いたいのか分かる?」


久美子「……いえ。」


 若干首を振る。


あすか「よし、いい事教えて上げる。……普通の人間が吸血鬼になった時にはね、先ず好きな人を噛む傾向があるんだ。理由はなんだと思う?」

久美子「知りません……。」


 いいから先を言ってよ。


あすか「一つ目は、言うなれば親切心から。……筋力も持久力も遥かに向上するし、傷は数十秒で消えるし毒も効かないし病気にもならない。……なにより主人と精神的に繋がって気分がいい。……だから、この素晴らしい状態を是非ともあの人にも体験させて上げよう、と思う。」

あすか「で、二つ目は性的な欲望から。……眷族は主人に忠実って、自分も吸血鬼になって身を以て知っているからこそ、それを利用して思いを晴らそうとするんだ。……詰まりだね、噛まれた直後の眷族と、その主人が裸で居る事は別に珍しくないんだよ。勿論、そうじゃない事もあるけど、黄前ちゃんは裸になった。……でしょ?」


久美子「……あ。」


あすか「うん、気付いたね。……それにね、おしっこした跡があるからと言って、黄前ちゃんの物とは限らないじゃないか。……若しかしたら麗奈ちゃんのかも知れないし。……でしょ?」


 あすか先輩が、その美しい顔貌に、微笑を浮かべる。


久美子「ああ……。」


 やられた。まんまと口車に乗ってしまった。
 なんと狡賢い。


久美子「先輩、はめましたね。」


あすか「はまっちゃうのが悪い。面白いくらいに顔に出てたよ。……で、どんな感じだったの? 御姉さんに詳しく聴かせて?」

久美子「……黙秘します。」


あすか「えー? けちけちしないで話してよ。わたしも色々教えて上げてるじゃない。」


久美子「……嫌です。」


あすか「……あっそ。じゃあいいや。麗奈ちゃんに訊くから。」


久美子「え? ……さっき、記憶は全部消えるって……。」


あすか「うん。思い出させる方法があるんだ。あとで見せて上げる。」


 酷い。そんなの反則だ。


久美子「見せてくれなくていいです……。」


あすか「ふっふっふー。そうはいかんざき。」


久美子「……。」


 最悪だ。この状況……とギャグ。
 なんとか出来ないのか。
 強制的に阻止する為には……。

久美子(あ。)


 閃いた。遣らせない方法があった。
 思わず、笑みがこぼれる。


久美子「ねえ先輩。」


あすか「ん、どしたの?」


久美子「余計な事、しないでくれません?」


あすか「なんだよ急ににやにやして。気持ち悪いな。」


久美子「えー? だって、想像したら楽しくなって来ちゃってー♪」


あすか「あー、なんか良からぬ事を企んでるな。」


久美子「いえいえ、とってもいい事ですよ。」


あすか「ふーん。で、なに考えてるの?」


久美子「先輩、私に噛まれません?」

あすか「噛まれる? なんでさ。」


久美子「だって、そうしたら私の命令には逆らえないでしょ?」


あすか「そうなると思う?」


久美子「あー駄目駄目。抵抗しても無駄ですよー。……背中に吉川先輩が居て、逃げる事も戦う事も出来ないじゃないですか。先輩無防備過ぎですよー♪」


 しかもこっちにはナイフまである。


あすか「無防備ねえ……。これ見て。」


久美子「ん? ……うあっ!」


 強烈な目眩。体が強張る。
 その場に、がくんと両膝と両手を突く。
 目前で石畳が揺れていた。両腕で体を支えて持ち堪え、なんとか倒れずに済んでいる。
 上半身から冷や汗が噴き出しているのを感じる。


久美子「はあ……、はあ……。」


 なにかとても嫌な物を見てしまった気がする。凄まじい嫌悪感。なんだ今のは。
 心臓が早鐘の様に鳴っている。
 頭がぐらぐらする。
 不安で堪らない。

あすか「あーあ。」


久美子「はあ……、先輩……、今のは……。」


あすか「十字架だよ。人間上がりの半端な吸血鬼には良く効くんだ。真性の吸血鬼にはぜーんぜん効かないけど。」


久美子「……真性?」


あすか「生まれながらの吸血鬼って事。……面白いよね。唯のステンレスなのにこーんなに嫌がるんだから。」


 ちっとも面白くない。


久美子「先輩……、それ、仕舞って下さい。」


あすか「もー仕舞ってあるよん。だから、という訳じゃないけどもう立てる筈だよ。……どっち道十字架の効き目は長くは持たないんだ。多分刺激に慣れちゃうんだ。脳が。」


久美子「……脳?」


あすか「そう。十字架に特別な仕掛けは無いし、実験では印刷された十字架を見せた場合でも、本物の十字架と誤認させる事が出来た場合にのみ、効果があった。……詰まりだね、十字架じゃなくて、十字架を見る者の心理の方に問題があるって事。……仕組みに就いては、目下研究中。」

あすか「唯、人間上がりの吸血鬼が主人に捨てられた時の反応に良く似ているから、多分、同じ機序が関連している。それなら真性の吸血鬼に効かないのも説明が付くしね。……真性吸血鬼には主人が居ないから、そもそもその反応を起こすメカニズムが存在しない。だから効かない。最大の疑問は、その引き金がなぜ十字架なのか、という事だね。」

 ようやく気分が改善する。立ち上がりながら訊く。


久美子「詳しいですね。それもハンターの友達に聞いたんですか?」


あすか「んーん、これは母親から。」


久美子「母親?」


あすか「うん、研究員だったんだよ。政府の極秘施設で来る日も来る日も実験してた。……と言っても、もー二十年以上前の話だけどね。」


久美子「……。」


 今日一番リアクションに困る話を聞いた気がする。


あすか「だから、わたしの知ってる情報はちょっと古いかも知れない。……まー大して進歩してるとは思えないけど。」


久美子「……それは、どーしてですか?」


あすか「ん、わたしの勘。」


久美子「勘ですか……。」

あすか「うん。……ねえ黄前ちゃん、吸血鬼の力の源泉ってなんだと思う?」


久美子「……さあ?」


あすか「お、ある意味正解。」


久美子「え?」


あすか「不明なんだよ。全く解明出来てない。……体の外から謎のエネルギーを得て、体のどっかに謎のエネルギーを蓄積して、緊急時には謎のエネルギーで筋力を増大して、傷付いた時には謎のエネルギーで傷が消えるんだけど、体は普通の人間と全く変わり無いんだ。もう御手上げ状態。」

あすか「苦し紛れに呪いの力、『呪力』って呼んでる。……磁力じゃないよ。じゅ、りょ、く。……そんな掴み所の無い存在だから、ここ二十年あまりの科学技術の進歩程度で研究が一気に進んでるとは思えないんだよねー。……まあ、劇的に進んでる可能性も無くは無いけど。」

あすか「……因みにこのエネルギー、実は普通の人間の体の中にもあって、多分血液の中に最も多く含まれてる。……だから吸血鬼は人間の血液をおいしく感じるんだね。……因みにおいしく感じる理由もやっぱり不明。舌の構造も普通の人間と全く変わりが無い。」

あすか「……というか吸血鬼の体は多分普通の人間の体と全く同じだよ。……真性、人間上がりを問わずにね。だから人間と交わって子供を作る事が出来るし、人間と同じ物を食べる事が出来る。……フィクションだと血液しか摂取出来ない、なーんて設定も見掛けるけど、我々は、じゃなかった、我々の世界ではそんな事は無いね。」

あすか「……大体血液だけでは生きるのに必要なエネルギーを賄えないと思うんだけど、その辺はどーなってんだろうね。どっかから謎のエネルギーでも得ているのかな。……あとはニンニクが駄目とか、不老不死だとか、鏡に映らないだとか、日光を浴びると砂になるとかあるけど、そーゆー事も一切無いね。」

あすか「大体なんで砂になるんだろうね。……体を構成している物質が砂になるんだとしたら、人間の体とは組成が大きく異なっているという事になるけど、そこん所はどうなんだろ。……それとも体は人間と同じで、物理法則の方が我々の世界とは異なっているのかな。……まあフィクションだからいいのか。」

あすか「……脱線したね。なんの話してたっけ。呪力だっけ。……呪力という謎のエネルギーが吸血鬼の体の中にあって、人間の体の中にもあって、人間の体の中では多分血液に最も多く存在しているんだけど、実は動物の血液だとぜーんぜん駄目なんだよねーこれが。血を飲んでも全く呪力を補充出来ない。」

あすか「この辺は実際に吸血鬼の体で実験してるらしい。……但し血液以外からも微量の呪力を得ているらしくて、体内の呪力が枯渇した状態の吸血鬼に水と食事しか与えなかった場合でも、直に呪力は回復するんだ。回復量はあまり多くはないけどね。」

あすか「……因みに水と食事を与えなかった場合でも呪力は回復する。体は人間と同じだから当然脱水症状で死に懸けになるけど。……この辺り人間だったら深刻な人権蹂躙だよね。……まあ吸血鬼は人間じゃないからオーケー、ってスタンスなんだろうけど。」

あすか「とにかく吸血鬼の周りに呪力が無い状態、というのを作り出せないんだよね、現在の科学技術では。……分厚い鉛の壁で囲ってみたり、魔法瓶みたいに周りを真空にしてみたりしても、監禁している吸血鬼の呪力の回復速度は全く変わらなかったらしい。」

あすか「……結構喋ったね。あー疲れた。……とにかく吸血鬼の研究に就いてはこんな感じだね。これでもまだ本の一部だけど。……ここまでで質問は? 良く分からなかった所とか。」


久美子「あの、良く分からなかった所だらけなんですけど……。」


あすか「じゃー却下。」


久美子「え。」


あすか「わたしも個人的に考えたい事とか遣りたい事があるからね。……特に麗奈ちゃんが意識を取り戻す前に済ませておきたい。」


久美子「あの、じゃあ一つだけいいですか?」


あすか「ん、なんだね?」


久美子「さっきからずっと気になってたんですけど……、あすか先輩って高坂さんと仲良かったでしたっけ? ……その、いつから『麗奈ちゃん』って……。」


あすか「うん、まあ色々あってね。」


久美子「色々ですか……。」

あすか「うん。色々。……黄前ちゃんの事も名字じゃなくて名前で呼んで上げよーか? ね、久美子ちゃん。」


 そう言って微笑む。
 なんか違和感。


久美子「……名字でいいです。」


あすか「あら、つれないね。……所で黄前ちゃん、もう一度目を見せてくれないかな。」


久美子「え、さっきみたいにですか?」


あすか「うん。さっきみたいに。」


久美子「いいですけど……。」


あすか「よし。」


 あすか先輩はそう言うと、遠慮無くずいと迫って来る。
 再び、至近距離から覗き込むと、


あすか「えーと? そーか、違和感か。……で、一八六の三四五。三百四十五分の百八十六か。……ちょっと進んだな。……で、日付け、ん? 水曜になってる。六日、二十二時四十八分か。……次の日か。……うーん、ありがと。もういいや。」


 なにかを確認してから、顔を離す。
 私も緊張を解く。

久美子「あの、これほんとになんなんですか?」


あすか「ん? なんなんだろうね。」


 あすか先輩は適当にそう言うと、微笑を浮かべ、


あすか「ねえ黄前ちゃん、ちょっと目を閉じてくれないかな。」


 と、次の注文を出して来る。


久美子「目ですか?」


あすか「うん。」


 閉じると――
          *
 少し体が揺れた気がした。
 目の前に、あすか先輩の姿。


あすか「やあ、気分は?」


久美子「え? いや、普通ですけど……。」


あすか「そう。なにかおかしな所とか無い?」

久美子「おかしな所?」


あすか「そうそう。……特にわたしの姿を見てなにか思わない?」


 私服姿のあすか先輩。変な所は無い。


久美子「いえ……。」


あすか「そう。……これでも?」


 くるりと振り返って、背中を見せて来る。
 何の変哲も無い後ろ姿だ。


あすか「どお?」


久美子「いえ、特におかしい所は……。」


あすか「そっか。」


 こっちに向き直る。
 丸で試着室から出てきて感想を訊いているみたいだ。


久美子「似合ってますよ?」

あすか「ふふっ、ちょろい。」


久美子「え?」


あすか「いや、なんでも無いよ。」


久美子「そーですか。」


 なんでも無いならいいんだ。


あすか「じゃあ黄前ちゃん、また目を見せて。」


 あすか先輩が迫って来る。


久美子「あ。」


 あれか。
 顔が眼前に近付く。


あすか「えーと? ……一八九。三百四十五分の百八十九か。……日付と時刻は……こっちもあんまり変わってないな。……あ、もういいや。」


 顔が離れてゆく。
 一息つく。

あすか「所で黄前ちゃん、そのナイフなに?」


久美子「え、これですか?」


 右手を胸の高さまで持ち上げる。


あすか「うん。随分物騒な物持ってるね。」


久美子「あ、えーっと……、ちょっと足でも刺してみようかなー、と思いまして……。」


あすか「足? ……誰の足?」


久美子「私です。」


あすか「なんで。」


久美子「その……、腕より足の方がいーかなー、って。」


あすか「なにそれ意味分かんない。」


久美子「いや……、自分の体が吸血鬼かどーか確かめたくてですね……。」


あすか「ああ、そーゆー事か。……じゃあもう刺す必要は無くなったね。十字架がばっちり効いた。……普通の人間だったらああはならないよ。」

久美子「そーですね……。」


 噛もうとした矢先に、護身用の十字架を見せられ、酷い苦痛を味わった。忌々しい。
 その先輩の体を繁々と見遣る。
 同性の私から見ても惚れ惚れする様な、実にいい体だ。


久美子(ん?)


 今ならいける様な。


久美子「ねえ先輩。」


あすか「ん?」


久美子「先輩って凄く美人ですよね。」


あすか「なんだい藪から棒に。」


久美子「おっぱい大きいですよね。」


あすか「うわ、それセクハラー。」


 その言葉に、思わず笑みがこぼれる。

久美子「ねえ先輩♪」


 視線がこちらを向く。


久美子「やっぱり私の物になりません?」


あすか「……あっ。」


 右手が動く。


久美子「そこか!」


 腹に一撃。
 先輩の動きが止まる。


あすか「……あ……あ。」


 上半身を前のめりに丸め、立ったまま痛みに耐えている。普通の人間の体に、吸血鬼の拳はさぞかしきつかろう。
 しかし、猶も、右手をゆっくりと動かす。


久美子「動くな! ……動くと刺します。」


 完全に静止した。

久美子「分かってますよ? 右のポケットに十字架があるんですよねー♪」


あすか「さあ? ……どうかな!」


 右手を素早く動かす。
 下腹部を一突き。
 確かな手応え。


あすか「あ……あ……黄前ちゃんあっ!」


 ナイフを引き抜く。


久美子「動くと刺す、って言いましたよね?」


あすか「う……うあ……。なんて事を……。」


久美子「だいじょーぶですよ。私が噛めば直ぐに治りますから。」


あすか「……いや、黄前ちゃん、……君は重大な勘違いをしている。」


久美子「はい?」

あすか「よくも……、よくも……。くっ、くははははは。」


久美子「は?」


 なぜか笑い出す。どうしてこうなった?
 あすか先輩はそのまま、不気味な笑みを浮かべながら、背筋をぴんと伸ばす。


あすか「よくもわたしのお気に入りの服に孔を開けてくれたね。」


久美子「え? ……え?」


 いや、服より御中でしょ。


久美子「なんで先輩……、御中は……。」


あすか「御中? 御中がどうかした?」


 そう言って、Tシャツをめくる。


あすか「……なんとも無いよ?」


 確かに、傷一つ無い。

久美子「あ……。」


 シャツの裾を戻す。


あすか「くふふっ。」


久美子「先輩、まさか……。」


あすか「ん? どーしたの?」


久美子「吸血鬼……。」


あすか「ふふっ。……あれー? いつからわたしが真性吸血鬼じゃなくて唯の人間だと錯覚してたー?」


久美子「最初からです……。」


あすか「きひひっ。……いい顔だ。……所で黄前ちゃん、覚悟は出来てる?」


久美子「……覚悟?」


あすか「そお。……たーっぷり御仕置きして上げる♪」


 はっとした。ナイフを突き付ける。

久美子「来ないで下さい。」


あすか「んふふっ。……まーだ彼我の戦力差が分かってないよーだねー。……ナイフ如きがわたしに通用すると思ってる。……でも。」


 突如、金属音が鳴り響く。はっとして下を見た。


久美子「え?」


 ナイフの刃が無い。
 というか、刃の部分だけ石畳に落ちていた。


あすか「ひひひひひ。……刃の無いナイフでわたしと戦う?」


 いや、それは不味い。根拠は無いが、とても戦える相手ではない。
 一刻も早く逃げなければ。
 振り返る。


久美子「あっ!」


 突然、下半身が圧迫される。
 手を遣ると、なにかに触れる。


久美子「え? なんだこれ!」

 しかし、手はなにかに触れるのに、なにも見えない。
 なにも見えないのに、両脚がなにかに締め付けられていて、全く動かない。


久美子「なにこれ! どーなってんの!」


 目に見えない「なにか」が、私の両脚を取り巻いている。


あすか「あはははは。落ち着きなよ黄前ちゃん。……ほら。」


 見えない「なにか」によって私の体が若干持ち上がり、体の向きが強制的に戻される。


あすか「やあ。」


 あすか先輩と、再び対面。


久美子「これ、あすか先輩が?」


あすか「これ? これってなに? ペットボトルの事?」


久美子「はい? ……あ。」


 ペットボトルが、ふわふわと空中を移動していた。
 そして、あすか先輩の目の前で止まる。
 先輩はそのペットボトルのキャップを左手で撮むと、嗜虐的な笑みを浮かべながら、ゆっくりと右手を近付ける。

あすか「がしっ。」


 そうして、ボトルの下半分を、勢い良く鷲掴みにする。


あすか「これが黄前ちゃんの今の状態だよん♪」


 という事は、私の両脚を束縛しているのは、見えない巨大な手なのか。俄かには信じがたい。


あすか「どお? 真性吸血鬼って便利でしょ。……イメージするだけで人間を握り殺せるんだぜ? ひひひっ。」


 なんだと?
 やばい。殺されるかも知れない。


あすか「なんで人間上がりにはこの能力が無いんだろうねー。……がしっ。」


久美子(!)


 今度は、上半身だった。あすか先輩が左手でボトルの上半分を掴むと同時に、私の上半身も、「手」に握られたのだった。
 殺される! 逃げないと殺される!


久美子「く……あ……。」


 全力で抵抗を試みるが、「手」はひくりとも動かない。吸血鬼になって、私の力も増している筈なのに!

あすか「あはは、無駄だよーん。」


 ふっと、下半身が「手」から解放される。
 良かった、先輩の右手もボトルから離れ――


あすか「がしっ。」


久美子(!)


 頭だった。先輩の右手も、親指を下にした状態で、キャップを握っていた。「手」が私の目に見えないから、頭を握られているのに、先輩の姿がはっきりと見える。でも、確かに私の頭は、「手」に握られていた。圧迫されているのを感じるし、なにより息が出来ない。
 あすか先輩と目が合う。
 彼女は、態と目が合うのを待っていたのかも知れない。先輩は目を細めると、ゆっくりと舌舐りをし、微苦笑を浮かべる。
 ……ああ、これは間違い無い。先輩は、私を肉体的、精神的に苛めて、楽しんでいる。真性の吸血鬼は、同時に真性のサディストだったのだ。
 その表情はおもむろに変化していき、実にうっとりと、物欲しげな顔付きで、私に悩ましい視線を向けて来る。体が小刻みに揺れ、呼吸も乱れている様だった。詰まり、端的に言って、興奮していた。性的快感が、彼女の思考を支配していた。丸で、先輩の心の声が聴こえて来るようだった。ぞくぞくする。我慢出来ない。滅茶苦茶に壊したい。
 胸の高さで保持していたペットボトルを、徐々に、顔の高さまで持ち上げてゆく。
 気持ちいい。これ以上は耐えられない。もういきそう。顔には、そう書いてあった。
 きっと、私をぶち殺した瞬間にオーガズムを迎えるのだ。
 終わった。これは絶対殺される。
 恍惚の表情が、最高潮を迎える。それまで小刻みに体を動かし、忙しなく呼吸していたのに、一転、胸式呼吸で、大きく息を吸う。


久美子(あ、やられる。)


 先輩が、キャップを捻る。


久美子(……。)

 しかし、私の頭はなんとも無い。豈図らんや、回さないとは。
 そのまま、何事も無かったかの様な表情で、キャップを取り外す。
 なんとも驚きである。今まで見せていた表情が、全て演技だったとは。
 私の驚いた顔を見て満足しているのか、白い歯を見せて、下びた笑みを浮かべ始める。
 ああ、この人性格悪い。
 しかし、なにはともあれ一安心。
 冷静に考えてみれば、私達は同じ部活で同じ楽器を担当する者同士なのだ。殺す訳が――
 ゴキゴキ。


久美子(!)


 ブチ、ブチブチ、という音と共に、世界が回る。
 ある程度回した所で、垂直に、一気に視界が動く。高い。


久美子(あーあ……。)


 多分、私の頭が、完全に胴体と離れた。本日二回目。
 少しのあいだ、その位置で静止したあとに、私の頭が下方に動かされる。首を失ったにも関わらず倒れていない私の体と、あすか先輩の姿が目に入る。
 その先輩が、私の顔を見詰めて来る。彼女の顔には、恍惚の表情が再来していて、その顔の側には、キャップを外したペットボトルが、最前と同じ恰好で保持されていた。
 あすか先輩は、そのペットボトルを唇に近付けると、ゆっくりと飲み口にキスをし、なんと、舌先で舐め回し始めた。完全に間接キスである。
 しかし、彼女は間接キスなど全く意に介しないのか、こちらを見遣りながら飲み口にしゃぶりつくと、緩やかに傾ける。
 見せ付ける様に、ごくり、ごくり、と体内に送り込んでゆく。
 飲み終わると口を離し、


あすか「あはあ……。」


 と、態とがましく息を吐く。
 一つ一つの仕種がなんとも扇情的だ。実は、私と間接キスをしていると、知っているのかも知れない。
 先輩は、高ぶった顔に微笑を浮かべると、

あすか「壊しちゃえ……。」


 だらしの無い声で、本音をぶちまける。
 その姿は、悪魔の様に残虐なのに、官能的で美しい。
 私の体が、ふわりと浮かび上がる。
 そして、急降下。
 バン、と鼓膜を劈く様な、けたたましい音が鳴り響く。


あすか「ああ……。」


 あすか先輩が、悦楽の声を漏らす。
 私の体が、再び上昇を始める。


あすか「いーよね、もーいーよね。……もーぐちゃぐちゃに壊しちゃってもいーよね。」


 言い終わるや否や、落下。今度は――


あすか「あっ! ……あっ! ……あっ!」


 バン、バン、バン、バン、バン、バン、と続け様に滅多打ちだった。体が叩き付けられる音の合間に、快楽を享受する、悦びの声が聴こえた。
 間を置かず、私の頭が上昇を始める。


あすか「フィニッシュだ……。」


 こんな行為で性的快感を得ているのだから、完全に狂っている。こんな人間(……じゃなくて吸血鬼)と二か月近くも付き合ってきたのに、異常性に全く気付けなかったなんて、私の目は完全に節穴だ。
 頭が静止する。

あすか「黄前ちゃん、派手にいこーね。」


 びゅう! と音が聴こえ――
          *
 はっとした。


久美子「あ……。」


あすか「お、目が覚めたね。」


 石畳に仰向けに寝ていた。近くにあすか先輩が立っている。


久美子「私……。」


 悪夢を見ていた気がする。


あすか「だいじょーぶ?」


久美子「あ、はい。」


 取り敢えず上半身を起こす。
 辺りは、目覚める前と同じ、神社の境内だった。
 あすか先輩が、私の側にしゃがんで来る。


あすか「魘されてたよ?」

久美子「あ、その……、なんか、酷く悪い夢を見ていた気がします。」


あすか「そー。どんな夢?」


久美子「それは……、あはは、なんと言いますか……。」


 あすか先輩に惨殺される夢です、とは、少し言いにくい。
 先輩の顔から目を逸らし、左側に視線を向けると……


久美子(ん?)


 石畳の上に、変な物体が――


久美子(あ。)


 さっき手元から落ちた「ナイフの刃の部分」だった。
 やばい、あれは夢じゃなかった。
 一瞬で気が重くなる。
 私は、この状況をどうしたらいいんだ……。
 しかし――


あすか「黄前ちゃん?」


 なにを考える間も無く、呼ばれてしまった。
 正直、気は進まない。しかし、ゆっくりと、あすか先輩の方に目を向ける。
 端整な顔に、にこやかな笑みが浮かんでいた。

久美子(あ……。)


 気付かれた。絶対に気付かれた。私が気付いてしまったと、気付かれてしまった。
 不自然なまでに優しげで穏やかな顔付きが、なにもかも御見通しだぞ、と如実に物語っていた。きっとこの美しい笑顔が、残虐な本性を綺麗さっぱり覆い隠す、最強最悪の仮面なのだ。


久美子(……いや、ナイフは――)


 そこで、ようやく気付いた。そうではなかった。あすか先輩は、気付かれてしまった事に気付いているのに、気付いていない振りをしているのではない。そもそも、ナイフの刃は隠す事も出来た筈なのだ。詰まり、あれは、態と見付かり易い場所に放置してあったのだ。その上で恍けているのは、なんの為か。
 決まっている。私は遊ばれているのだ。彼女の悪趣味な「遊び」は、まだ終わっていないのだ。


あすか「だいじょーぶ?」


久美子「あ、はい……。」


 精神的には、大丈夫とは言いがたい。


あすか「ねえ、どんな夢だったの? おねーさんに教えて?」


久美子「すいません夢じゃなかったかも……。」


あすか「えーなにそれ。……若しかして寝惚けてる? ……顔でも洗う?」

久美子「あ、……それはいいですね。……私、ちょっと水道捜して来ます。」


 そそくさと立ち上がる。


あすか「黄前ちゃん。」


 どきんとした。


久美子「……はい。」


 駄目だ、歩き出す前に呼び止められてしまった。ですよね、逃がしてなんて貰えませんよね。
 あすか先輩が、ゆっくりと立ち上がる。


あすか「黄前ちゃん、顔ならここで洗えばいいよ。」


久美子「……え?」


 ここで?


久美子「でも水は……。」


あすか「見て。」


 こっちを向いていたあすか先輩が、私と同じ方向を向く。

あすか「いくよ……!」


 パチパチ、と音がした。
 次の瞬間、正面の石畳が赤く光った。


久美子(!)


あすか「ほおら、あそこにあったかい『御湯』があるよ?」


久美子「……え? ……御湯?」


 まさか、溶岩?


久美子「……あれ御湯じゃないですよね?」


あすか「だいじょーぶ。どっち道目は覚めるから。……でしょお?」


 はっとした。最後の一声に、邪悪さが戻っていた。


久美子「あ……、御免なさい殺さないで下さい……。」


あすか「んー、なんの事?」


久美子「死にたくない……。」

あすか「だいじょぶだいじょぶ。ちょっと顔を浸けるだけだから。……ほら。」


久美子「あ! 来ないで下さい!」


 先輩が身を乗り出したのに対して、思わず、一歩後しざる。


あすか「あれ? 若しかして黄前ちゃんわたしの事が怖いの?」


 なにも返答出来ない。


あすか「あはは、ちょっと威しただけ。そんなに脅えないで。……ほら、握手しよ?」


 右手を伸ばして来る。


あすか「だいじょーぶ、苛めたりしないから。……先輩を信じて? ……ね?」


久美子「……ほ、ほんとに苛めないですか?」


あすか「うん。これでなにもかも元通りだよ?」


 私も、恐る恐る右手を伸ばす。

あすか「よしよし。……さ、握手だ。」


 先輩の両手が、私の右手を優しくつつむ。


あすか「ほら、怖くないでしょ?」


久美子「はい……。」


 嘘です。恐ろしくて堪らない。


あすか「うーん、黄前ちゃんって可愛いねー。こんなに簡単に騙されちゃうなんて。」


久美子「……はい? ……あ。」


 先輩が、握った手を放してくれない。


久美子「先輩、放して。手を放して下さい。」


あすか「……あは♪」


 やばい。

久美子「放して! なんで! 苛めないって言ったじゃないですか!」


 全力で引っ張るも、びくともしない。


あすか「ああん……、苛めない。ちょっと壊すだけ……。」


久美子「嫌です嫌です! 絶対嫌です! 放し――」


 衝撃と共に、私の体が先輩から離れた。


あすか「……あん♪」


久美子「うわあ!」


 右腕が無かった。
 ……というか、先輩が持っていた。


久美子「先輩、それ……。」


あすか「だいじょーぶ。……こっちへ御出で? おねーさんがくっつけて上げる……。」


 冗談じゃない。右腕より命だ。
 さっきみたいに私を拘束しないという事は、あの見えない「手」の使用には制限があるのかも知れない。今の内に逃げよう。
 駆け出す。
 透かさず、立て続けに衝撃が走る。

久美子(あ。)


 直ぐに理解した。遣られた。
 残っていた左腕と両脚を全部取られて、私の上体だけが、見えない大きな「手」に握られていた。一瞬の出来事だった。なんという手際。


あすか「わたしからは逃げられない。」


 私の体が、移動を開始する。


あすか「黄前ちゃん、目が覚めるよ……。」


久美子「あ……。」


 先程の様に光は発していなかったが、直ぐに分かった。灼熱の石畳に向かっていた。
 そして、その側で止まる。


あすか「ふふっ、冷めちゃったね。……もう一度だ。」


 再び赤熱する。
 冷めても数百度はあっただろうに……。


あすか「いくよ……。」


 そうして、ゆっくりと私の顔が近付けられていく。

久美子「あ、熱い。……うあ。」


 目を開けていられなくなる。


久美子「あ! ……あ!」


 頭だけでも目一杯動かす。せめてもの抵抗だ。


久美子(!)


 しかし、その頭も、なにかに押さえ付けられる。


あすか「駄目だよ黄前ちゃん。いくら不死身の吸血鬼でも焼けた髪の毛は戻らないんだから。」


 多分、もう一つ「手」を出して、指で撮んだのだ。


あすか「じゃ、いくよー。……それ♪」


 ジュー! という音と共に、熱い、という感覚が無くなる。
 息が出来ない。


久美子(あ……!)


 頭が痛む。
 頭が――

          *
 はっとした。
 起き――


久美子「……あ!」


 仰向けで寝ていた。そして、両手両脚が無かった。


あすか「お、目が覚めたね。」


 先輩の顔が、私の視界に入って来る。


久美子「先輩、私……。」


あすか「どーしたの? 溶けた石に顔を突っ込まれて脳味噌が沸騰する夢でも見た?」


久美子「え……。」


 一気に、顔面から血の気が引いていく感じがした。
 恐ろしい。今はこの美しい人が、恐ろしくて堪らない。


久美子「先輩、……私、私の手足は……。」

あすか「だいじょーぶ。黄前ちゃんの分もあるよん♪」


久美子「……え?」


 私の分? なんだその言い方は。


あすか「ほら、起こして上げよう。」


 先輩が、「手」で、私の体を起こす。
 真っ赤な石畳の上に、なにかが浮かんで――


久美子「……あ。」


 脚だった。私の脚だった。


あすか「もー直ぐ焼き上がるよん、黄前ちゃんの股肉。」


久美子「……は?」


あすか「遠赤外線で外はこんがり、中はじっくり芯まで♪」


 先輩は、事も無げに言う。
 信じられない。ここまでするとは。

久美子「嘘……でしょ……。」


あすか「ね、人の肉って食べた事ある?」


 楽しげに訊いてくる。
 熱い物が込み上げて来る。


久美子「先輩、御免なさい……。」


あすか「ん?」


久美子「御免なさい、もー許して下さい……。」


あすか「えー? これからがいーとこなのに。」


 最悪だ。


久美子「嫌です。もー嫌です。……ごべんなさい。……ごべんなふぁい。……うっ。……うあっ。……あああ……。」


 涙がこぼれて来る。


あすか「あらら、泣いちゃった。……ちょっと遣り過ぎたかな?」


 どう考えても「ちょっと」じゃない。言わないけど。

あすか「だいじょぶだよ、黄前ちゃん。……次に目が覚めた時には、体はぜーんぶ元通りになってるから。」


久美子「……ほんどですか?」


あすか「ほんとほんと。生まれたままの姿になってるから。……だから、目を閉じて。」


 言われた通り、目を閉じる。


あすか「直ぐに気持ち良くなるよ……。」


 すると、


久美子(あ……。)


 すっと、気分が楽になり……――
          *
 はっとした。
 仰向けに寝ていた。起き上が――


久美子「……ええっ?」


 なぜか全裸だった。手足が戻った代わりに、服が全て無くなっていた。あすか先輩が、寝ている私の腰の辺りに、臀部を密着させた状態で座っていて、同じく全裸の様だった。
 その彼女が、顔だけこちらに向けて

あすか「や、目が覚めたね。」


 と話し掛けて来る。


あすか「じゃー始めよっか。」


久美子「え、なにを? ……って、ここどこですか。」


 石畳の上ではなかった。高かった。良く見たら「地面」が透明だった。


あすか「わたしの『手』の上だよ。」


久美子「『手』……。」


あすか「うん。逃げようとしたら握り潰すよ。」


久美子「……。」


 先輩が、見えない巨大な「手」を、ベッドの様に使っているのだった。暗くて見にくいが、周りの風景から察するに、「ベッド」は地上から何メートルも離れていた。そして、私をその上に寝かせ、自身は椅子に座るみたいに、「ベッド」に腰掛けていた。
 その先輩が、少し居住まいを修正してから、私に覆い被さる様に、顔と上半身を近付けて来る。嫌でも目に入る。おっぱいでけえ!
 先輩は、辺りを見る為に若干持ち上げていた私の上体と頭を、「ベッド」に押し倒すと、満足そうな笑みを浮かべる。

あすか「うーん、おいしそーだ……。」


久美子「え……。」


 不穏な台詞を聴いてしまった様な。


久美子「た、食べないで下さい……。」


あすか「あははー。却下♪」


 そう言うと先輩は、私の左頬っぺを、舌でべろりと舐める。
 その感触と行為のおぞましさに、心底、ぞくっとした。
 先輩は微笑を浮かべると、


あすか「生だけど、いいよね。」


 と、実に楽しそうに言う。


久美子「……生あ?」


 絶望的な気分になった。悪夢が終わらない。
 あすか先輩は、私の体を、生のままで食べる気なのだ。私の手足を戻したのは、実は、新鮮な生肉を、思う存分食べる為だったのだ。

あすか「だいじょーぶ、そんなに心配しないで。責任はちゃーんと取るから。」


久美子「責任って……。」


 自首して刑務所にでも入るのか?


あすか「じゃ、いっただっきまーす。」


 先輩の口が、私の顔に迫る。今度こそ終わった。
 唇と唇が重なり、こすれ……


久美子(……ん?)


 透かさず、舌が入って来る。


あすか「ん……、ああ……。」


久美子(これ……。)


あすか「ん……、んー……。」


 世間一般で言う所の「ディープキス」だった。

あすか「あ……、あー……。」


 なんでキスされてるのかは知らないけど、とにかく激しい。
 そして、気持ちがいい。


あすか「あん……、黄前……ちゃん……、あ……。」


 興奮する。
 いや、こんな美貌の持ち主から濃厚かつ熱烈にキスをされて、興奮しない方がおかしい。


あすか「あん……。」


 したい。


あすか「んー……、あーん……。」


 そうだ。私がしたくなったのは全部先輩の所為だ。先輩が悪い。
 腕に力を入れる。


あすか「ん……、んあ……。」


 先輩が悪い。私は悪くない。仕方無いんだ。
 両手を、あすか先輩の頭に、ゆっくりと近付けてゆく。

あすか「あ……、ん……。」


 そうして、先輩の後頭部を、優しく挟む。


あすか「ん?」


 先輩の動きが止まる。
 舌を押し込む。


あすか「!」


 麗しきあすか先輩の口内を、犯す。掻き回す。
 さしもの先輩も少しは面食らったのか、数秒止まっていたが……


あすか「ん……。」


 程無く、動きを再開する。
 すると、二人の舌が、触れる。こすれ合う。
 直ぐ様、猛烈に絡み始める。


あすか「んー……。」


 それは、必然の結果だったのかも知れない。舌は、丸で、一つの小さな生命体だった。繊細で、機敏で、柔らかく、触り心地が良く、自由自在に動いた。だから、面白かった。気持ちが良かった。私の官能を頗る刺激し、私を、益々行為に没入させた。

久美子「へんぱい……。」


 舌を突き出しながら言う。今、私は、「舌」という小さな生き物に、体を乗っ取られていた。私に舌が付いているのではなく、舌に私が付いているのだった。舌が、私を従えていた。舌を出しながら発言する様は、はたから見たら滑稽だったかも知れないが、別に、構わなかった。快楽が、全てに優先していた。


あすか「おーまえひゃん……。」


 あすか先輩も、私同様、舌に体を支配されていた。丸で、発情期を迎えた二つの小さな寄生生物が、二人の体を乗っ取り、交尾の前に、互いの愛情を確かめ合っている様だった。
 そして、私達は、唯々、その奇妙な生き物に従っていた。寄生生物達は、宿主達に大量の快楽物質を与えていた。だから私達は、舌が戯れ付くのを、とめられなかった。とめる気も無かった。
 それだけにとどまらない。
 軈て、小さな寄生生物達は、周りの器官をも侵食して行った。
 その為、私達は、舌を使い、唇を使い、時には前歯を優しく使い、激しく、深く、愛撫しうる範囲を、残さず愛し合った。甘ったるく喘ぎながら、なにも言わずに、御互いを貪った。
 私は先輩を強く求め、先輩は私を強く求めていた。
 今日初めて、二人の気持ちが、掛け値無しに一つになっていた。
 宛ら、肉体の一部が一時的に解け合うと同時に、精神の一部も解け合っていた。
 だから、先輩のキスが勢いを失う時が、私のキスが勢いを失う時であり、先輩が唇を離したくなる時が、私が唇を離したくなる時だった。
 最後に、チュッ、と音を立てて口付けをし、一先ずキスが終わる。それは、二人が同時に望んでいた事だった。
 名残惜しいけど、それは必要な別離であり、二人共それを理解していた。


あすか「黄前ちゃん、『下の御口』、いいかな?」


久美子「はい。」


 私も子供じゃない。当然、次の段階に進む事は分かっていた。

あすか「コンドーム無いけど、いいよね?」


久美子「……はい?」


 その発言は、予想だにしていなかった。


あすか「あ、わたし、『ふたなり』なんだ。」


久美子「……ふたなり?」


あすか「男性器と女性器が両方あるって事。」


 あすか先輩はそう言うと、覆い被さっていた私の上半身から、体を離す。
 私が上体と頭を持ち上げるのと、先輩の体がすっと上空に浮き上がるのは、ほぼ同時だった。


あすか「ほら。もーがちがち。」


 確かに、あった。先輩の白い下腹部をバックに、逞しく、屹立しているのが見えた。そしてなにより、彼女の全裸は美しかった。私と同じホモ・サピエンスとは思えなかった。
 その体が、重力を全く感じさせずに、ふんわりと、私の脚の方へと移動を始める。


あすか「あるとは思わなかった?」


久美子「はい……。」

 ちょっと恥ずかしかった。私が出会った中で、最も才知に恵まれ、最も美しく、最も強い、正に人類の理想を体現したとも言える、完全無欠のあすか先輩が、なぜ男性生殖器を欠いているなどと思ってしまったのだろう。
 先輩が、私の脚のあいだに、ふわりと膝を突き、覆い被さって来る。
 それに合わせて、私は、上半身の力を抜き、「ベッド」に完全に体を預けた。それは同時に、眼前のあすか先輩に、私の体と、私の心を、全て委ねる事を意味していた。
 「先輩」が、私の割れ目に触れる。こすれる。


あすか「ほら、これなーんだ。」


 思わず、失笑してしまう。


久美子「ちょっと……、私に言わせないで下さいよ……。」


あすか「えー? 言ってよ。……ほら、黄前ちゃんの下の御口にキスしてるのは、わたしのなに?」


 しょうがない人だ。


久美子「……先輩の、……おちんちんです。」


あすか「ピンポーン。……じゃ、黄前ちゃんの初めて、わたしが貰うね。」


久美子「はい。」


 遂に、私にも、この時が来た。まさか、相手があすか先輩だとは、夢にも思わなかった。

あすか「いくよ……。」


 先輩の先端が、私の開口部を、ゆっくりと押し広げてゆく。変な感触だ。


あすか「お、亀頭全部入った。……このまま一気にいくね♪」


 先輩の一物が、ずんずと押し込まれる。


久美子「あ……。」


あすか「うーん、奥まで入った。気持ちいー。……黄前ちゃん、大人の階段上っちゃったね。」


久美子「はい……。」


 なんとも言えない感覚だった。というか若干気持ち悪い気もする。これが、秘所の深奥を触られる感覚なのか。


あすか「じゃ、動くね。」


 先輩がゆっくりと男根を引き……
 ずんずんと、往復運動を始める。
 すると、膣が、


久美子「あ、なんですか、これ。」


 若干気持ち良かった。

あすか「これって?」


久美子「初めてなのに、なんか気持ちいいです。……それに、初めてなのに、全然痛くないです。」


あすか「あはは、なんだ。吸血鬼だから痛みの感覚がにぶいんだよ。忘れてたの?」


久美子「あ。」


 忘れてた。


あすか「裂けた膜も元通りになるよ。……だからエッチした事は誰にもばれない。……初めてなのに気持ちいい理由はね……。」


 そこまで言った所で、現前のあすか先輩は、微笑を浮かべる。
 自分の唇を、ぺろりと舐めながら、すっと、両腕で私の頭を挟み、


あすか「わたしとしてるのに気持ち良くない訳無いじゃないか。」


 私の唇を奪う。
 なんという、理屈が通っていないにも関わらず、心の底から納得出来る理由であろうか。私も、舌を突き出す。


あすか「ん……、んー♪」


 再び、熱狂的な接吻が始まった。
 但し、今度は、「舌」が主導しているのではなかった。「私」が、主体的に官能を貪っていた。「私」が、濃厚なキスを行うと同時に、それまで弛緩していた腕を動かし、先輩の背中をいだいていた。「私」こそが、指の腹で、掌で、先輩の背中を、腰を、脇腹を、肩を、首を、頭を、二の腕を、優しくさすっていた。

あすか「ん……、あ……、ああん!」


 その愛撫が、性感帯を上手く刺激すると、あすか先輩は、一際大きな声で悦んでくれた。実にぞくぞくした。ゆえに私は、その声を頼りに、先輩の興奮が高まる位置を探った。


久美子「ん……、ん……、んん!」


 同時にあすか先輩も、正常位で私を突きながら、濃密な口付けを行いつつ、両手で、私の体を愛撫してくれていた。私の頭を、首を、肩を、二の腕を、脇腹を、御中を、腰を、太股を、たっぷり愛してくれた。だから、私も性感帯を刺激された際には、悦楽の声という形で、「そこ、とてもいいよ。」と答えた。
 素晴らしい時間だった。
 思うに、二人の気持ちは、再び一つになっていた。端的に言えば、二人共、肉体的な快楽の奴隷と化していた。私が先輩に快楽を与え、先輩が私に快楽を与えていた。そして、私は快楽の擒であり、先輩も、快楽の擒だった。だから、御互いに、快楽が欲しいからこそ、快楽を与える事に躍起になっていた。
 同時に、精神的な快楽の奴隷でもあった。
 私が先輩に与え、彼女が悦びの声を上げると、その声で、私は興奮した。その美声は、私の脳髄に、覿面に突き刺さった。しかし、話はそこで終わらない。先輩に与えている、と思うと、私は無償の悦びを得、先輩が私の愛撫で声を漏らしてしまっている、と思うと、あの超人的なあすか先輩を手玉に取っている、と、下びた悦びを得る事が出来た。
 私は、セックスの極意を、身を以て感じていた。
 多分、先輩も同じだった。精神的な快感と、肉体的な快感。無償の快感と、有償の快感が混じり合い、私達を突き動かしていた。二匹の奴隷が、卑しく求め合っていた。


あすか「ん……。」


久美子「あ、先輩……、あ……。」


 程無く、あすか先輩が、次の段階に踏み出した。
 これまで、手だけで愛撫していた私の体を、唇と舌でも、愛し始めたのだった。
 私の首を唇でこすり、舌で舐め、鎖骨の感触を味わうと、二の腕に頬摺りした。続けて右手で私の二の腕を掴み、手を上げさせると、なんと、腋の下を、舐め回した。


久美子「ああ……、先輩、駄目です……。ああ……。」


 単純に、凄い、と思った。私も、先輩の美しい体を、隅々まで舐め回したかった。二人で、とことんまで堕ちたかった。悦楽の限りを、尽くしたかった。

あすか「メインディッシュだ……。」


 次に先輩に狙われたのは、胸だった。先輩は、私の平らな左の胸に、顎を、頬っぺたをすりつけてから、小さな突起に、思いっ切りしゃぶりついた。舌先で小刻みに刺激したり、逆に、ゆっくりとべろりと舐めて、女の子にとって大切な部分を、翻弄した。
 続けて、右の乳首も標的となった。それは、見なくとも、吐き掛けられる呼気で判った。


あすか「可愛いねえ……。いただきまーす。」


 その台詞の直後、餌食となった。先輩の手に落ちた事が、とても嬉しく感じられた。


久美子「先輩……、私も……。」


 食べたい。
 そう口に出さずとも、あすか先輩は察してくれた。彼女は上体を起こしてから、しゃぶりつこうとする私の上半身を両手で補助して、自分の胸へといざなってくれた。
 あすか先輩の美巨乳に、下から、顔を押し付ける。
 それは凄く柔らかくて、弾力があった。そして、なにかが、おかしかった。


久美子(……ん?)


 私が顔面で押すと、先輩の胸は、原形に戻ろうとした。その力を感じた。というか、私は、その力しか感じる事が出来なかった。先輩程の大きさであれば、当然、相当な質量である筈なのに、本来であれば感じる筈の、「重さ」という物を全くを感じなかった。先輩の胸は、なぜか、地球に引っ張られてはいなかった。
 さっきから先輩の体がふわふわしていたのは、見えない「手」かなにかに体を支えて貰っている、とか、そういう事ではなかった。そもそも、重力が仕事をしていなかった。きっと、あすか先輩が解雇してしまったのだ。最早、先輩は物理法則に従ってはいなかった。寧ろ、物理法則が、先輩に従っていた。
 一旦胸から顔を離し、話し掛ける。

久美子「先輩……、先輩の体……。」


 すると、あすか先輩は柔和に微笑み、口を開いた。


あすか「うん、浮いてるよ。ってゆーかさっきからずっと浮いてるよ? ……あれ、言ってなかったっけ? 真性の吸血鬼は空を自在に飛べるって。」


久美子「言ってませんよ……。」


 苦笑いで答える。
 全く、この人は分かっていて恍けてるんだから……。
 でも、そんな所も好き。


あすか「ほら、疑問は解けた? ……じゃ、食べて♪」


 先輩が、胸を差し出して来る。


久美子「はい。」


 遂に、先輩の胸をほしいままにする時が来た。右胸に、顔を押し付ける。柔らかい。


久美子「先輩……。」


 そして、私は、頬摺りをした。鼻で、先輩の乳首をこすりながら、匂いを味わった。態と、生暖かい吐息を浴びせ掛けた。顎で、目蓋で、おでこで、先輩の感触を、温もりを、存分に感じた。それと同時に、右手も使って、先輩の左胸を、揉んで遣った。態と、指先を軽く触れさせ、擽って遣った。乳首を、指の腹で、撫でて遣った。

あすか「あん……、黄前ちゃん、焦らさないで……。食べて……。一思いに、食べて……。」


 遣ってやる!


久美子「あーん♪」


あすか「ああ!」


 先ずは唇で、乳頭を挟む。直ぐ様、舌で押す。先端を、乳輪を、舌先で、ちろちろと刺激する。唇を窄めて、乳首を、押す。そのまま、ぎゅうと、乳房がひしゃげるのも構わずに、限界まで押し込む。逆に、乳輪に唇を密着させて、皮下の肉ごと、思いっ切り吸う。口内に請じ入れた乳頭の先端を、舌先で持て成す。


あすか「あ……、黄前ちゃん凄い……。鬼畜……。」


久美子(……ん?)


 鬼畜はどう考えてもあすか先輩の方だ。もっと攻めてやれ。


あすか「あん……凄い……。おねーさん感激しちゃう……。ねえ、左も……。左もしゃぶり尽くしてえ……。」


 右の乳首を口に含みながら、横目で「次の獲物」を視界に捉える。
 口を離し、空恍けてみせる。


久美子「左? 左ってなんの事ですか?」

 すると、あすか先輩の顔に、喜色が浮かぶ。


あすか「あーん。黄前ちゃんいけずう……。左と言ったら……、左のおっぱいなの……。哺乳類が赤ちゃんを育てる為に持ってる、大事な大事な乳首を……、黄前ちゃんに犯して欲しいの……。」


久美子「あー、これですか。」


 右手の人差指で、先端をこすりながら、言う。


あすか「あん! それ。……それを、黄前ちゃんに食べて欲しいの。」


久美子「はーい、いーですよー♪」


 しかし、まだ食べない。「獲物」に目を向け、


久美子「……うーん、君、可愛いねー。……どんな味がするのかなー? 人差指で、『すりすり』されるのは気持ちいいでちゅかー? ……ん? ……ほらほら♪」


 一定のリズムで、執拗に、嬲り続ける。
 刺激を続けながら、あすか先輩の顔に目を遣り、にやりと笑う。
 すると、あすか先輩の顔は益々うっとりし、


あすか「ああ……、黄前ちゃんがここまで遣ってくれるとは思わなかったの……。おねーさん凄く興奮しちゃう……。いい……、気持ちいい……、出ちゃう……。」


 俄かに、腰の動きが速くなる。

久美子「……え? ……出るって――」


あすか「射精しちゃうー!」


 ぎょっとした。


あすか「ああ、黄前ちゃんのおまんこ気持ちいい。もー駄目、もーいっちゃう。いーよね! 中でいーよね!」


久美子「だ、駄目です、抜いて下さい!」


あすか「えー? 却下あ。だって中でいく方が絶対気持ちいーもん。だからいーよね、いーよね、びゅっびゅって出しちゃっていーよね!」


久美子「駄目です駄目です! 吸血鬼でも子供が出来るって言ってたじゃないですか!」


あすか「だいじょーぶ責任ならわたしが取るから、ああ……。」


久美子「どーやって責任取るんですか! 妊娠するのは私なんですよ!」


あすか「だいじょぶだいじょぶ何とかなるから。だから! だから!」


久美子「何とかって――」


あすか「ああ、込み上げて来た! いくいく! いくよ!」

久美子「駄目ー!」


 私の叫びのさなか、先輩は、背中を仰け反らせ、動きをとめた。
 遣られた。


久美子(ああ……。)


 終わった。色んな意味で終わった。
 先輩の顔が、ゆっくりとこちらを向く。ぽかんとした顔付きだった。


あすか「黄前ちゃん……。」


 そこで、急に真顔に戻る。


あすか「嘘。」


久美子「……え?」


あすか「嘘だよ嘘。射精したなんて嘘。……ちょっと黄前ちゃんの脅える顔が見たかっただけ。……やっぱり嫌がる女の子を無理矢理犯すのってさいっこーに楽しいよね♪」


久美子「はあ……。」


 気が抜けてしまった。

あすか「大体わたしが一人でいく訳無いじゃないか。いく時は、黄前ちゃんも一緒だよ。」


久美子「え、私ですか? ……私、初めてなのにいけるんですか?」


あすか「うん、いけるいける。約束する。」


久美子「約束って……。」


あすか「あ、信じてないな? ……じゃーいい事教えて上げよう。実はね……。」


 先輩の顔が、急に凄みを帯びる。


あすか「わたしはこの世界の言わば『神』なんだよ。」


久美子「……はい?」


あすか「だから、この世界でわたしの思い通りにならない事はなにも無いんだ。黄前ちゃんを天国に連れて行って上げる事くらい、訳無いんだよ。」


 そこで表情が普段通りに戻り、


あすか「……って言ったら信じる?」


 と、けろりと言う。

久美子「えーっと……。」


あすか「あ、信じてないな。……じゃあ信じさせて上げる。いくよ……。」


 そう言うと、あすか先輩はゆっくりと腰を引き、


あすか「うりゃっ♪」


 再び往復運動を始めた。


久美子「あ、なにこれ。……気持ちいい、気持ちいい。さっきより全然気持ちいいです!」


あすか「でしょお? さっきは手加減してたんだぜ♪」


久美子「ああ、凄い。……先輩ってほんと凄い。」


あすか「ふっふっふー、もっと褒めるがよい。……所で黄前ちゃん、なんか忘れてる事があるんじゃない?」


久美子「……え?」


 あすか先輩は、無言で自分の左胸を見た。


久美子「あ。」

あすか「ふふっ。キスして。」


久美子「はい。」


 チュッ、とソフトに唇を触れさせ、先輩の顔を見上げる。


あすか「よしよし、良く出来ました。……じゃー寝て。」


 肘を突いた状態で起こしていた上半身を、「ベッド」に横たえる。
 透かさず、先輩も覆い被さって来て、チュッ、と私の唇を奪う。


あすか「一緒にいこうね。」


久美子「はい。」


 そうして、私達は、再び唇を重ねた。
 同時に、私は、先輩の体を抱いた。撫で回した。
 先輩も、私の体を、撫で回した。
 もう、慣れた物だった。私の官能は、一気に燃え上がった。


久美子「あ……、先輩……、ああ……。」


あすか「ん……、んー……、ここがいいんでしょ? あっ……。」


久美子「はい……、あ……、先輩……。」

 いや、若しかしたら慣れではなく、膣からの快感が、詰まり、この素晴らしい先輩の技量が私を猛烈に高めてくれているのかも知れない、などと、ふと思ったが、定かではなかった。どちらにせよ、先輩が言う所の「天国」が、確実に、私へ近付いているのを感じた。まだ見ぬ新世界が、てぐすねひいて私を待っているのを、ひしひしと感じた。


久美子「先輩、先輩……、気持ちいいです……。」


あすか「ん? 気持ちいいの? 黄前ちゃんいっちゃうの?」


久美子「はい、多分、私……、いっちゃいます。……初めてなのにいっちゃいます。」


あすか「そーなの。」


 途端に、先輩が動きをやめる。
 一気に、興奮が冷めてゆく。


久美子「え……、なんで……。」


あすか「黄前ちゃん、気持ち良くして欲しい?」


久美子「はい。」


 当然だ。
 すると、先輩は、うっすらと下びた笑みを含み、


あすか「だったら、わたしの奴隷になって♪」


 と言う。

久美子「……え?」


あすか「ど、れ、い。……黄前ちゃん、わたしの所有物になりなよ。そしたら気持ち良くして上げる。」


 行き成りのとんでもない提案に、言葉が出ない。


あすか「……あれ? 気持ち良くなりたくないの?」


久美子「だって、そんな、奴隷なんて……。」


あすか「だいじょぶだよ、ちょっと一生わたしの所有物になるだけだから。」


 それ、大丈夫じゃない気がする。


あすか「んー? どーしたの? 頭で考えても結論が出せない? だったらヴァギナで考えなっ!」


 猛烈に突いて来る。


久美子「あっあっ、気持ちいい! 気持ちいいです!」


あすか「そーでしょ? 気持ちいいでしょ? もっと良くなりたいでしょ?」


久美子「はい! なりたいです!」

あすか「だったらわたしの物になっちゃいなよ♪」


久美子「それは駄目ですう!」


あすか「どーして? 一生わたしの命令に従うだけじゃない。……ね? 奴隷になろ?」


久美子「ああ、許して下さい……。」


あすか「えー? なーんか人聞きが悪いなー。わたしが黄前ちゃんを苛めてるみたいじゃないか。……そーなの?」


久美子「そうじゃないですそうじゃないですう……。」


あすか「そっか、じゃー問題無いね。気持ちいい事一杯しよ?」


久美子「はい……。」


あすか「奴隷になろ?」


久美子「駄目え……。」


あすか「あれ? 今ので堕ちると思ったのに。……意外としぶといね。じゃー駄目押しに快感をもう少し強くしよっか。……ほれ♪」

久美子「ああ、凄い……。」


 本当になにもかも思い通りになるんだ。


あすか「ね? もっともっと気持ち良くなろ?」


久美子「はい……。」


あすか「奴隷になろ?」


久美子「……はい。」


 言ってしまった……。


あすか「あはあ……。ねえ、もっかい言って? 黄前ちゃんはおねーさんの奴隷に?」


久美子「なる! なりますう!」


あすか「んー? 『なります』じゃないでしょ? 人に御願いする時は?」


久美子「ならして下さい御願いします……。」


あすか「なんか変な頼み方だねえ……。」

久美子「私を! 先輩の! 性奴隷に! して下さい!」


あすか「あはは! 『性奴隷』とは一言も言ってないじゃないか! 黄前ちゃん本音だだ漏れだねー。そんなに気持ちいいの?」


久美子「はい、気持ちいいですう……。」


あすか「そっか。じゃーもー一回御願いしよっか。」


久美子「はい……。」


 先輩が、私の左耳に口を近付けて、囁く。


あすか「続けて言って? わたしを。」


久美子「私を……。」


あすか「あすか御姉様の。」


久美子「あすか御姉様の……。」


あすか「奴隷に。」


久美子「奴隷に……ああ……。」

あすか「して下さい。」


久美子「して下さい……。」


 先輩が、耳から顔を離し、声量を戻す。


あすか「今の、繋げて一息に言って?」


久美子「私をあすか御姉様の奴隷にして下さい……。」


あすか「良く出来ましたー。……じゃ、奴隷の黄前ちゃんに最初の命令だ。おねーさんの愛情たっぷり濃厚ザーメンをぜーんぶ中で受け止めて。とーぜん出来るよね?」


久美子「はい、出来ます……。」


 どうしてこうなった。


あすか「よしよし。じゃ、一緒にいこうね、いこうね!」


 一気に抽送が激しくなる。


久美子「あ、あ、先輩、気持ちいい、気持ちいい!」

あすか「ん? 『先輩』じゃないでしょ? 『御姉様』でしょ?」


久美子「あ、はい、御姉様……。」


あすか「あれー? ミスした時はなんて言うんだっけ。」


久美子「あ、御免なさい……。」


あすか「んーん、そういう時は、『御許し下さい御姉様。』ってしおらしく言うの。分かった?」


久美子「はい。御許し下さい御姉様……。」


あすか「よし。……じゃ、いこっか。」


久美子「はい……。」


あすか「いくよー、一滴残らず全部出すからねー♪」


久美子「はい、御姉様。……ああ!」


あすか「いいね、急に素直になった。……所でさ、『今膣内射精したら妊娠する』って言ったらどうする?」


久美子「え?」

 急に、目が覚めた気がした。


あすか「に、ん、し、ん。……したいよね? したいよね?」


久美子「ええ? 困ります! 困ります!」


あすか「うん。困る顔が見たかったんだー。……おねーさん他人を隷属させるのも蹂躙するのもだーい好きなんだ。だから、覚悟してね♪」


久美子「だ、駄目ですよお……。」


あすか「あはは。奴隷に拒否権は無いの。黄前ちゃんのマタニティドレス姿が目に浮かぶよ……。」


久美子「そんな……。」


あすか「だいじょーぶ。おねーさんが囲って上げるから。……黄前ちゃんは安心して子育てに励めばいいよ。」


 頭から血の気が引く気がした。


久美子「御姉様……。」


あすか「ああん、その顔。……その自分ではなーんにも出来なくてわたしに哀願するその顔、おねーさん大好き。ぞくぞくしちゃう♪」


久美子「……。」

 駄目だ。私に出来る事はなにも無い。
 多分、本当に、この世界は全て、あすか先輩の思い通りになるのだ。先輩が「妊娠させる」と言うなら、私は、子種を注がれて孕む。それは、もう、さけられないのだ。
 ならば私は、奴隷の本分を全うするしかない。


久美子「……御姉様。」


あすか「ん?」


久美子「して下さい。……久美子の膣内に、射精して下さい。」


あすか「うん、素直で宜しい。……じゃ、いこうね。……一杯気持ち良くなろうね。」


久美子「はい、御姉様。一杯気持ち良くして下さい。」


あすか「うんうん。黄前ちゃんは快楽に忠実で実に扱い易い。おねーさんが直ぐに気持ち良くして上げる。」


久美子「はい。……ああ、ほんとだ。ほんとに気持ちいい……。」


あすか「でしょでしょ? エッチに集中して? もーなにも心配しなくていいからね? 余計な事はなにも考えないで、わたしと幸せになる事だけを考えて♪」


久美子「はい。」

あすか「だいじょーぶ。黄前ちゃんも黄前ちゃんの子供も、わたしが死ぬまで守って上げるから。……だから安心して中出しされようね。中出しされたいでしょ?」


久美子「はい。中出しされたいです! ……ああ!」


あすか「うん、セックス気持ちいいよね。わたしも黄前ちゃんのおまんこにちんちん搾られるの、とっても気持ちいーよ? 黄前ちゃんは御主人様思いの献身的な奴隷だね。黄前ちゃんがいく時には、わたしもびゅっびゅって射精するからね。黄前ちゃんのおまんこで、一杯いーっぱい気持ち良くなるからね♪」


久美子「はい。……ああ。……ああ!」


あすか「わたしの事、好き?」


久美子「はい……。」


あすか「どのくらい好き?」


久美子「……世界で、世界で一番好きです!」


あすか「わーお! 嬉しいねえ。……ずっと一緒だよ?」


久美子「はい、御姉様……。」


あすか「一緒にいこーね。」


久美子「はい。……ああ、気持ちいい、気持ちいい!」

あすか「うん。もっと気持ち良くして上げるからね。……ほおら。」


 最後の一声と共に、快感が異様に強まり始める。
 全身がぞくぞくする。


久美子「ああ、御姉様、気持ちいい……。凄い、凄い……。怖い……。」


あすか「んー怖くない怖くない。気持ち良くなるだけだよ? 気持ちいいの好きでしょ?」


久美子「はい……。」


あすか「だったらいいじゃん。」


久美子「でも、気持ち良過ぎて……。私、私……、やっぱり駄目です! もー駄目です!」


あすか「だいじょぶだいじょぶ。ちょっと限界まで気持ち良くなるだけだから。……限界を越えて精神が壊れちゃったら、その時は御免ね♪」


久美子「やだっやだっ! 壊れたくない! 壊れたくない! もーやめて下さい……。もー気持ち良くしないで下さい……。」


あすか「まだいけるよね?」


久美子「ああ! やだあ! 気持ちいい! 気持ちいい! 死にたくない……。」

あすか「死なない死なない。ちょっと別の『天国』にはいくけど。……いきたいよね?」


久美子「いきたくないですう……。」


あすか「ああん。そんなに脅えられるとおねーさん益々興奮しちゃう。ちょっとくらいなら壊れてもいいよね? ……ほらあ♪」


久美子「ああ! 鬼畜! 先輩は鬼畜です! もーやだあ……。」


あすか「んー? 『先輩』なの?」


 はっとした。


久美子「ああ、御姉様、御免なさい、御免なさい。……上手く謝れなくて御免なさい……。」


あすか「そっか、黄前ちゃんは謝罪の言葉も満足に憶えられないんだ。駄目な奴隷だね。」


久美子「はい、駄目な奴隷です……。久美子は駄目な奴隷です……。」


あすか「じゃ、壊されちゃっても文句は言えないよね。……ね?」


 快感が――


久美子「あ……ああ……。」

あすか「……ん? そろそろ快感の事しか考えられなくなった? ……喋れない? ……おーまえちゃーん。」


 御姉様が呼んでる?


あすか「おーい、おーまえちゃーん。」


久美子「……あい……。」


あすか「お、返事は出来る。いい感じ。……じゃ、いこっか。……いくよー!」


 御姉様が激しくなる。


あすか「うーん、黄前ちゃんのおまんこ気持ちいー。宣言通り中で出すからね? ……ああん♪」


 御姉様が悦んでる。


あすか「いい、気持ちいい……。とっても、とっても、気持ちいいの……。黄前ちゃんの中に出したくて、ちんちんがうずうずしてるの……。切なくて堪らないの……。」


 悦んでる御姉様は凄い人。


あすか「黄前ちゃんがいくのと同時に、わたしもいくからね? おちんぽミルクびゅびゅっとぶちまけるからね? ……あーん、気持ちいい。黄前ちゃん、いっちゃえ♪」


 おね――

あすか「……あは! いってるいってる! わたしも! わたしも! あっ! あっ! まだ出あっ!」


 御姉様の勢いが弱まる。


あすか「……全部出すよ……あっ! ……あっ……はあ……。」


 御姉様が、止まる。
 止まった御姉様は、美しい人。
 その御姉様の美しい顔が、ゆっくりと下りて来る。
 私の唇に優しく口付けをし、舌を入れて来る。
 私も、舌で応える。
 丁寧に、舌を絡ませ、愛情を確かめ合う。


久美子(御姉様……。)


 今、私は、世界で一番幸福な奴隷だった。
 美しい御主人様から、蕩ける様な愛情を、たっぷりと注がれていた。
 その御姉様が、チュパッ、と音を立てて、唇を離す。
 そのまま顔は離さずに、私の口元に、はあー、と生暖かい息を吐き掛けて来る。
 惜しい、と思った。その素晴らしい吐息を、全部吸い込んでしまいたかった。


あすか「黄前ちゃん、気持ち良かった?」


 その囁きに伴い、御姉様の息が、再び私の口元に掛かる。


久美子「……はい。」

 多分、私の息も、御姉様の口元に届いている。
 私の返事を聴いた御姉様は、優しく微笑み、


あすか「わたしもとっても気持ち良かったよ? 一杯出ちゃった♪」


 と、御言葉と呼気を掛けて下さる。


久美子「ああ……。」


 感激してしまう。御姉様に至福の悦びを与えた事が、この上なく誇らしかった。


あすか「元気な赤ちゃん産もうね。」


久美子「はい。」


あすか「可愛い服も一杯着せて、三人で姉妹みたいに遊ぼうね。」


久美子「はい。」


 返事をしてから、はたと気付いた。


久美子「……え、女の子なんですか?」


あすか「そーだよー?」

 御姉様がそう言うなら、そうなんだろう。
 きっと、全知全能のあすか御姉様には、子供の産み分けくらい造作無い事なのだ。或いは、未来が見えているのかも知れない。


あすか「黄前ちゃん、黄前ちゃんの瞳ってとっても綺麗だね。」


久美子「えー、そんな……。」


 照れ臭い。


あすか「おねーさんに良く見せて。」


 御姉様の美しい瞳が、私の右目を凝視する。


あすか「……ふふっ、全知全能って……。で、三四五の、二五一。結構進んだな。」


 また、意味不明な奴だった。


久美子「……あの、それなんですか?」


 さっきからちょいちょい気になっていた。
 しかし、御姉様は微笑を浮かべ、


あすか「だいじょーぶ、気にしないで。」


 と、軽くあしらう。

久美子「はあ……。」


 気にしないで、と言われても、気になる物は気になる。
 しかし、私は奴隷なのだから、分は弁えねばなるまい。
 御姉様が、私の右目に視線を戻す。


あすか「ねえ、楽しかった?」


久美子「あ、はい。とっても――」


あすか「しー。」


 御姉様が、人差指を口の前に立てて、私の発言を制止する。
 そうして指を立てたまま、私の右目を凝視し、囁きを続ける。


あすか「……ねえ、そっちは映像は見えてないんでしょ? ……見えてたら文章は要らないもんね。……音声も多分無いよね? ……小説みたいな形なんだよね?」


 御姉様の発言は、全く以て意味不明だった。


あすか「へへっ、驚いた? わたしにはそっちの姿が見えてるんだよ。……ずっと見てたよね? ……わたしも最初に見えた時には驚いたんだから。……黄前ちゃんの目の中に得体の知れない物があったからね。……でもそういう事なんだよね? ……『黄前ちゃんの視点』なんだよね? ……ね? ……じゃ、またあとでね。……読者さん。」


 そう囁くと御姉様は、人差指を立てるのをやめて、私の右目ではなく、「私」に目を向けて、

あすか「ねえ黄前ちゃん、目を閉じて。」


 と言う。
 納得がいかない。私は完全に蚊帳の外だった。
 私が指示に従わない事に疑問をいだいたのか、御姉様が優しく、


あすか「ん? どーしたの?」


 と訊いてくる。
 私は、つい僭越ながら、


久美子「ずるいです御姉様。私にも教えて下さい。」


 と漏らしてしまった。
 しかし御姉様は、私を叱る事はせずに、微笑を浮かべ、


あすか「ずるいとは人聞きが悪いね。……だいじょーぶ、黄前ちゃんにもあとで教えて上げるから。……だから、今は目を閉じて?」


 と、宥める様に言って来る。
 それでもまだ納得がいかない。


久美子「嫌です。」


あすか「ん?」

 優しい御姉様に、思いっ切り甘える。


久美子「私の事も『黄前ちゃん』じゃなくて、名前で呼んで下さい。……御姉様に名前で呼ばれたいです。」


 すると御姉様は楽しげに、


あすか「あれー? 奴隷の癖に生意気だぞ? ……どーしてくれよーか♪」


 と威して来る。
 しまった。出過ぎた真似をしてしまった。しかし――


久美子「その……。」


 私は謝罪の言葉を憶えていなかった。
 すると、御姉様は優しく微笑み、


あすか「『御許し下さい』。」


 と助け船を出してくれる。
 私は、身も心もあすか御姉様の奴隷だった。教えられた言葉で、


久美子「御許し下さい御姉様。」


 と、許しを乞う。
 奴隷としての最低限の義務すら満足に果たせない私に、御姉様は寛容だった

あすか「うん、許して上げる。……『久美子ちゃん』。」


 それを聴いた途端、頭がはっきりした。その時、私は、生まれて初めて目が覚めた気分になった。
 今までの人生は、全て、夢だった。私は、今、初めて、この世界に誕生したのだった。
 覚醒したばかりの脳で、生まれたばかりの口で、愛する人に呼び掛ける。


久美子「御姉様。」


あすか「久美子ちゃん。」


 一つになりたい。


久美子「御姉様。」


あすか「久美子ちゃん。」


 二人の唇が、再び重なる。今の私達に、余計な言葉は不要だった。
 舌と舌を、絡ませる。
 私達の心は、再び、一つになっていた。
 御主人様と、奴隷。御姉様は、私を、一生飼う事を望んでいた。私は、御姉様に、一生飼われる事を望んでいた。
 黄前久美子という平凡な女の人生は、今日、終わりを告げた。代わりに、新しく、あすか御姉様の奴隷としての幸福な人生が、始まるのだった。
 今、私は、それを再認識していた。


あすか「ん……、ん……。」

 私は、美しいあすか御姉様の存在を、耳で、匂いで、味で、肌で、粘膜で感じていた。そしてなにより、崇高な愛を、たましいで感じていた。
 私は、世界一幸福な奴隷だった。それ処か、未来永劫、私より幸福な奴隷は現れない。そんな根拠の無い確信さえあった。


久美子(ああ、気持ちいい……。)


 それは、体と意識がふわふわと漂う様な感覚だった。
 上の口と下の口の両方で繋がったまま眠りに落ちてゆくその感覚は、最高に心地好かった。
          *
 はっとした。


久美子「あれ?」


 おんぶされていた。


麗奈 「あ、久美子、目が覚めたのね。」


あすか「あ? さっき黙ってろっつったよね?」


久美子(こえー!)


 なんで私はこんな怖い人の背中に居るのか。
 なぜか、今、私は、あすか先輩の背中に居た。目の前にはシートがあって、さっきあすか先輩の背中に居た吉川先輩は、さっき私が寝ていた辺りに寝ていて、さっき気絶していた高坂さんは、今は目を覚ましていて、体を起こしてシートの上に座っていた。どうしてこうなった。

あすか「じゃ、下りて。」


 しかし、考える間も無く指示が来る。
 私がその通りにすると、次にあすか先輩は、無言で私の背後に回って、私の両肩を両手で掴み、私の立っている位置を少し調整してから、


あすか「しゃがんで。」


 と、更に指示する。
 私は、丁度、起きて座っている高坂さんの目の前に、しゃがむ恰好になった。
 すると、あすか先輩も私の背後にしゃがんで、私の両肩に手を置く。そして、私の顔の右斜め後ろから、


あすか「麗奈ちゃん、発言を許可する。なにが見える?」


 と、冷たく問い掛ける。


麗奈 「なにがって……。」


あすか「あっそ、なにも見えないんだったらいいや。」


 そう言うとあすか先輩は無言で立ち上がり、シートの脇を歩き始める。


麗奈 「あの、もう動いてもいいんですか?」


あすか「ん、まだ駄目。」

 今度は、高坂さんの背後で立ち止まり、シートに膝を突く。


麗奈 「じゃあせめてこの状況に就いて――」


 問答無用と言わんばかりに、両手で両肩を掴み、顔を左肩に近付ける。


麗奈 「なにするんですか。」


あすか「思い出させて上げる。」


麗奈 「はい? あ……。」


 一瞬だった。肩に口が触れた、と思った次の瞬間には、あすか先輩は顔を離していた。なんという手並み。
 あすか先輩は怪しい笑顔を作りながら、


あすか「いーっぱい気持ち良くなるよ?」


 と言うと、力の抜けた高坂さんの体を、シートに寝かせる。


あすか「御ゆっくり♪」


 あすか先輩の顔が、私を向く。

あすか「じゃ、次はこっちだ。」


久美子「あ……。」


 先輩が立ち上がって歩き始める。不味い。なんかされる。


久美子「あ、あの、あすか先輩、私――」


あすか「あれえー?」


 はっとした。


久美子(……しまった。)


 やばい、夢だけど、夢じゃなかった。


久美子(えーっと、こういう時、こういう時はえーっと、「御免なさい」じゃなくてえーっと――)


あすか「ねえ久美子ちゃん。」


 私の背後で立ち止まったあすか先輩が、しゃがんでいる私の背中に向かって、声を掛けて来る。


久美子「……はい。」

あすか「久美子ちゃんはわたしの事をなんて呼ぶんだったっけ?」


久美子「……『あすか御姉様』です。」


あすか「だよねえ。……久美子ちゃんはわたしのなんだったっけ?」


久美子「……え?」


麗奈 「あっ。」


 その時、高坂さんが突然声を上げた。少し、ぎょっとしてしまった。


あすか「うーん、麗奈ちゃん気持ち良さそー♪」


麗奈 「あっ。」


あすか「また来るよー?」


麗奈 「あっ。」


あすか「ほーら。」


麗奈 「あっ。」

あすか「ね?」


麗奈 「あっ。」


あすか「フィニッシュ♪」


 あっ、あっ、あっ、と声を漏らしながら、高坂さんはひくひくと痙攣し、軈て、完全に沈黙した。


あすか「うーん、いつ見てもいい光景だ。……で、久美子ちゃんも? ……あんな風に? ……気持ちいい事がいーっぱいしたくて? ……おねーさんのなにに?」


久美子「……奴隷です。」


あすか「ああん……。興奮しちゃう……。」


久美子(……え?)


 今のどこに興奮する要素があったのか。とまれ、更に絶望的な気分になってくる。


あすか「ねえ……、久美子ちゃんは……、ミスをした時に……ああん……、おねーさんになんて謝るんだったっけ?」


 不味い。完全にやばいスイッチが入ってしまった……。


久美子「ご、御免なさい憶えてません……。」

あすか「ああん駄目駄目……、そんなに脅えた声を出さないで。……おねーさんぞくぞくしちゃうの。真性吸血鬼の血が、とーっても疼いちゃうの……。ああん!」


 そうか、じゃあ喋らなければいいんだ。


あすか「ねえ、今から……、おねーさんがちょーっと背中から近付くけど、……脅えないでね? ……びっくりしないでね? ……逃げようとしないでね? ……おねーさん咄嗟に、……条件反射的に、……あん、……いけない事しちゃうかも知れないから。」


 その台詞と共に、先輩の体が、ゆっくりと私に近付いているのを感じた。言われなくても、とっくに身は竦んでいた。振り向く事すら出来ない。
 私の左肩に、先輩の手が触れる。


あすか「おねーさんが悪い訳じゃないのよ? ……恐怖に駆られて逃げ惑う人間を、……追い回して、……捕まえて、……蹂躙して、……生き血を啜るのは、……吸血鬼の性なの。……しょうがない事なの。……久美子ちゃんの背中も、……とーってもそそるけど、……今はまだなにもしないからね? ……ほら。」


 最後の一声と共に、先輩が背中に抱き付いて来る。
 丁度、先輩の口元が、私の耳元に来た。先輩の呼吸は、はあ、はあ、と乱れていた。そして、先輩に覆い被さられた背中に、素晴らしい重圧を感じた。これは間違い無い。胸の重さだった。先程は先輩に解雇されて仕事をしていなかった重力が、今は復職して仕事をしていた。私も巨乳になりたい。まだ死にたくない。
 そうして、先輩の左手が、おもむろに私の両目を覆う。


あすか「だいじょーぶ、怖くないからねー。……ちょっと待っててねー。……ほら、準備が出来た。……じゃあ、手を離したら、ぱっちりと目を開けてカメラを見てね。」


 先輩が、私の顔から手を離す。
 恐る恐る目を開ける。
 すると、目の前にケータイがあった。私の顔が映っている。

あすか「ふむ、映ってないな。」


久美子(?)


 私の顔は映っている。なにが映っていないと言うのか。


あすか「ねえ、カメラを見てじっとしてて。」


 言われた通りにする。
 カシャリ。
 先輩が、私の後ろで画像を確認する。


あすか「まあこんなもんか。でもやっぱりなにも無いな。……やっぱわたしの目で直接見ないと駄目なのかな。……よし、次だ。立って。」


 先輩がそう言って立ち上がったので、私も立ち上がった。ありがたい事に、彼女の興奮は完全に静まっている様だった。命拾いした。


あすか「こっち向いて。」


 私が回れ右をすると、いつもの奴が始まった。


あすか「やっほー、読者さん、まだ見てたんだね。で、……ふむ、映ってないな、か。……で、三四五の、二六三。……まあこんなもんか。」


 と言って、私の右目から顔を離す。
 そして、高坂さんの方に向かって、歩きながら、

あすか「ほら、ふて腐れてないで起きなよ。時間が無いんだから。」


 と呼び掛ける。


麗奈 「別にふて腐れてません。」


 私が振り向くと、丁度、高坂さんが起き上がる所だった。


あすか「えー? じゃあなんでふて寝してたのー? わたしと久美子ちゃんがとーっても仲良しだから、妬いてたんでしょー?」


麗奈 「妬いてません。」


あすか「じゃあ怒ってたの?」


麗奈 「怒ってません。」


あすか「……じゃあ、つらかったんだ。」


 その言葉を聴いた途端、高坂さんの顔色が、若干変わった。


あすか「怖かった? ハンターには全く歯が立たなかったもんね。まさか吸血鬼と吸血鬼ハンターが友達とも思わなかったよね。しかも自分が遣られているのに、全く助けて貰えなかったもんね。……つらかった? さびしかった? マスターに捨てられたと思った? でも偉かったよね。一言もわたしに『助けて』って言わなかったもんね。」

麗奈 「私、私は……。」


あすか「御出で?」


麗奈 「御姉様あ!」


 高坂さんが立ち上がり、あすか先輩に抱き付く。


あすか「おーよしよし。」


麗奈 「私、わだしは、御姉様に、御姉様と、もう一生、こうして抱き合えないと、もう一生、こうして、会話出来ないと、あの時、思って、でも、御姉様は平然としてて、――」


あすか「んーん、そんな事無いよ。わたしだって眷族が人間に戻されちゃうのは悲しいんだから。……麗奈ちゃんも悲しかったよね? でも約束を守ってくれたよね。おねーさん、そこはとっても嬉しかったんだから。……偉い偉い。」


麗奈 「ああっ……、御姉様ああ……あっあっ……、あっ……。」


優子 「え、どーなってんの?」


 声がして気付いた。吉川先輩が目を覚まし、上体を起こしていた。


あすか「あー、起きちゃったかー。……じゃあしょうがない。……優子ちゃん、ちょっとそこで待っててね。……麗奈ちゃん? ちょっと強引だけど、おねーさんが涙をとめて上げる。……いくよ?」

 次の瞬間、高坂さんの体が、がくんと力を失う。あすか先輩を抱き締めていた高坂さんの両腕が、だらりと垂れ下がる。
 丸で、立ったまま眠ってしまったみたいだった。それでも倒れていないのは、先輩が上手く抱き締めて、支えているからだろう。


久美子「それ、御姉様が?」


あすか「うん。……や、おはよう。」


麗奈 「あ。」


 高坂さんが目を覚まし、「自立」する。


あすか「気分は?」


麗奈 「落ち着きました。」


 なんと便利な能力。


あすか「そっか。じゃー涙拭く? タオルなら一杯あるから、遠慮無く使って?」


麗奈 「ちょっ……、それ私が持って来たタオルです。」


あすか「うん、そーだね。……まさかシートまで持参してるとは思わなかったよ。言い付けを守る為だね?」


麗奈 「はい!」

あすか「ちょっと、褒めてないよ。……一遍に複数の人に見られでもしたら、どうする積もりだったんだい?」


麗奈 「頑張って全員噛みます。」


あすか「まあ、そんなとこだろうと思ってた。……じゃあ涙を拭いて。そしたらちょっと働いて貰うから。」


麗奈 「はい。」


あすか「成る可く急いで。」


 あすか先輩は高坂さんの背中に声を掛けると、自身はその場にしゃがみ、


あすか「……じゃ、優子ちゃん、ちょっとこっちへ御出で。」


 と手招きをする。


 吉川先輩が、シートの上を少し躄り、あすか先輩に近付く。


優子 「あの、これはどういう事なんですか?」


あすか「ん? まあ説明すると長くなるんだよね。お、速かったね。」


麗奈 「急いで拭きましたから。」

あすか「そっか、じゃあ始めよっか。……麗奈ちゃん、そっちへ。優子ちゃんは体の向きをこう。」


 あすか先輩は、自分に向かって座っている吉川先輩の体の向きを九十度変えさせ、高坂さんを吉川先輩の背後に移動させると、


あすか「麗奈ちゃん、さっきわたしが遣ったみたいに出来る?」


 と訊く。
 シートに膝を突き、吉川先輩の両肩に手を置いた高坂さんが、左肩に顔を近付け、


麗奈 「こうですか?」


 と答えると、


あすか「いや、今度は右肩がいいんだよねー。」


 と注文を出す。
 高坂さんが指示に従うと、


あすか「そうそう、そんな感じ。」


 と言って、ケータイを取り出し、撮影の準備を始める。


優子 「あの、なんなんですか?」


あすか「ん? 直ぐに分かるよ。」

 あすか先輩は、二人の正面に移動すると、カメラを構える。


あすか「お、よし、いい感じ。じゃあ遣ろっか。……麗奈ちゃん、優子ちゃんの右肩を、噛め!」


麗奈 「はい。」


優子 「え? あっ! ちょっと! あんた! なに! なにしてんのよ! 痛い! 痛いってば! やめて! やめてよ! こ……。」


 吉川先輩が蕩けた。数秒で終わった。
 あすか先輩には遠く及ばないが、私の時より遥かに速かった。高坂さんは、吸血鬼としての技術が格段に向上していた。


あすか「いいね。じゃあそのまま静止画も何枚か撮らせて。」


麗奈 「ふぁい。」


 あすか先輩は、角度を変えながら、何枚か写真を撮った。
 撮り終わると、立ち上がって顎に手を当てながら、


あすか「うーん、やっぱり美少女が美少女を噛んでいる姿はいいね!」


 と言った。


久美子(……ん?)


 言外に、「君は美少女じゃない。」と言われている気がした。実際その通りだけど。

          *
 吉川先輩は、高坂さんに支えられて座ったまま痙攣し、軈て、正常な意識を取り戻した。


優子 「あ。」


麗奈 「……おはよう、優子。」


優子 「え? ……あなた後輩でしょう?」


麗奈 「そうね。」


優子 「なんで呼び捨てなの……。」


麗奈 「それは、優子が私の眷族だから。私が優子の、御主人様だから。これ以上明快な理由が、ある?」


優子 「そうだけど、私先輩……。」


麗奈 「嫌なの?」


優子 「え?」


麗奈 「嫌ならそれでもいいわ。もう『優子』とは呼ばない。その代わり、今後一生話し掛けないけど。」


優子 「ええ?」

麗奈 「別にいいわよね?」


優子 「それは駄目よ……。」


麗奈 「ん? どうして?」


優子 「それは、その……。」


麗奈 「理由があるならはっきり言ったら?」


優子 「私……私……。」


麗奈 「私の事が好きなの?」


優子 「……はい。」


あすか「ひひひっ。」


 あすか先輩が下びた笑い声を上げる。私もこの状況はおかしくて堪らない。


麗奈 「好きで好きで堪らないの?」


優子 「……はい。」

麗奈 「そうね。眷族なんだから当然よね。……じゃあ、『優子』って呼んでもいいわよね?」


優子 「はい、御主人様……。」


麗奈 「んーん。今日から私の事は、『麗奈様』と呼ぶの。分かった?」


優子 「はい、麗奈様……。」


麗奈 「よしよし。」


 高坂さんは、吉川先輩の頭を、リボンの上から撫でた。


優子 「ああ……。」


麗奈 「じゃあ、具体的にどこが好き?」


優子 「……え?」


 吉川先輩が、高坂さんの顔を振り向いた状態で固まる。
 なんという無理な質問。吉川先輩が高坂さんを好いてしまったのは噛まれたからだ。理由があって好きになった訳ではない。


麗奈 「どこが好き?」


優子 「それは……。」

麗奈 「言って?」


優子 「澄んだ瞳。……整った顔。……白い肌。……それに髪も。」


 吉川先輩は、高坂さんの顔を見詰めたまま答える。まあ、無難な解答だろう。


麗奈 「そうね。じゃあ前を向いて。……久美子の姿を見て。」


優子 「はい。」


麗奈 「じゃあ、目を閉じて。」


 そう言うと高坂さんは、更に念入りに、吉川先輩の両目を左手で覆う。


優子 「あ……。」


麗奈 「大丈夫。リラックスして? ……最愛の人の姿を思い浮かべて?」


優子 「はい。」


麗奈 「思い浮かべた? ……じゃあ答えて。他にはどこが好き?」


 難易度が上がった。

優子 「手も。……足も。……指も。……全部好き。……ほくろ。左目の下のほくろが好き。」


久美子「え?」


あすか「あはははは! 遣っちゃったね!」


優子 「……あ。」


 高坂さんが、左手を離し、


麗奈 「優子ちゃーん?」


 と嬉しそうに言う。


優子 「あああ御免なさい御免なさい御免なさい!」


 吉川先輩の可愛らしい顔が、一気に恐怖で歪む。
 高坂さんは、唇をぺろりと舐めながら、


麗奈 「んーん、許さない。」


 と、にこやかに言う。

麗奈 「いーっぱい御仕置きして上げる♪」


優子 「……御仕置き?」


麗奈 「うん。……じゃ、取り敢えず、指、切ろっか。」


優子 「……え?」


麗奈 「指を切って『御免なさい』するの。丁度ニッパーもあるわよ?」


優子 「そんな……。」


麗奈 「大丈夫。どうせ優子がトランペットを吹けなくても、滝先生は困らないわ。……ね? 指切って『御免なさい』しましょう。」


優子 「無理よ無理よ絶対無理……。」


 吉川先輩は、本気で戦いていた。
 若しかしたら、彼女は吸血鬼の異常な回復能力の事を知らないのかも知れない。
 しかし、教える気は起こらなかった。そんな事をしたら面白くない。


麗奈 「……じゃあ私達の関係はもうこれで終わりね。一生口を利かない。」


優子 「それはもっと嫌あ……。」


 吉川先輩は今にも泣き出しそうだった。

麗奈 「どうせなら指じゃなくて首を切ろうかしら。」


優子 「……首?」


麗奈 「首を切断してホルマリンに漬けて、私の部屋に飾るの。いいと思わない?」


優子 「……それ私死ぬんですけど……。」


麗奈 「いいじゃない私が楽しいんだから。」


優子 「麗奈様あ……。」


麗奈 「大丈夫。私の部屋に飾れば、私とずっと一緒に居られるわ。」


優子 「ずっと一緒……。」


麗奈 「飾って欲しいよね?」


優子 「……飾って欲しいです……。」


 眷族はつらい。
 それでも、なぜか同情する気は全く起こらない。


麗奈 「じゃあ決まりね。……所で私のナイフは? さっき置いた場所に無いんだけど。」

あすか「ああ、わたしが預かってるよ。」


麗奈 「あ、御姉様、ナイフを……。」


あすか「駄目。……麗奈ちゃんは全然懲りてないねえ。さっき『久美子の意識が戻らない』って泣き付いて来たばかりじゃないか。」


麗奈 「大丈夫です。今度は上手く遣りますから。」


あすか「却下。……調子乗ってると、わたしが麗奈ちゃんの首を切るよ。」


麗奈 「御姉様が!」


 なぜ喜ぶ。


麗奈 「あ、御姉様に首を切られるの、とっても怖いですう……。」


あすか「あー、さっきの会話を聴いてたからか。全然怖そうに見えないけど。」


麗奈 「ひー! 切らないで下さいー……。」


あすか「下手だねえ……。大体ね、脅えている様に見えてもなにもしないからね? わたしだって二十四時間三百六十五日殺戮したい、って思ってる訳じゃ無いんだから。衝動の殆どは理性でコントロール出来るのよ? 麗奈ちゃんだって空腹時においしそうな匂いを嗅いだって、我を忘れて飛び付かないでしょ? それと同じよ。」


麗奈 「はあ……。」

 高坂さんは、なぜか心底残念そうだった。


あすか「遣るなら久美子ちゃんくらい上手く脅えないと。……ねえ?」


 先輩の鋭い眼光を浴び、思わず、ぎょっとした。


あすか「そうそう、久美子ちゃんは脅えるのが実に上手い。……あは♪」


 いや、演技じゃねーよ。


麗奈 「久美子、ずるいわ。」


 しかも謎の非難を浴びる。


あすか「大丈夫、切って上げるから。可愛い眷族の望みは叶えて上げなきゃ。」


麗奈 「ほんとですか!」


あすか「ええ。じゃー立って。」


麗奈 「はい!」


優子 「あ……。」

 高坂さんが立ち上がるのに合わせて、ずっと泣きそうな顔で困惑していた吉川先輩が、声を漏らす。
 最前よりその仕種は、丸で捨てられた子犬の様だった。多分これから、もっと酷い事になる。


あすか「優子ちゃんは見るのは初めてだね。真性吸血鬼はね……がし!」


麗奈 「あっ♪」


 高坂さんが、見えない「手」に掴まれる。


あすか「イメージしただけで人が殺せるんだぜ?」


 その言葉と共に、高坂さんの体がゆっくりと上昇する。そして、空中に仰向けに静止する。


麗奈 「あ、凄い……。」


 その姿は、見えない俎板の上に載っているみたいだった。


優子 「え……、麗奈様……、なんで浮いて……。」


あすか「じゃー切っちゃおっか。」


麗奈 「ああ……、御姉様に殺される、殺される……。」


 ほんとになんで喜んでるんだろ、この人。

あすか「ふふっ。相当変態だよ、やっぱり。」


 ん? 丸で自分は変態ではないみたいな口振りだ。


麗奈 「はい、変態です。私は、御姉様に首を切られる様を想像して興奮する変態です……。」


あすか「よしよし、正直だ。……いくよ? 今私がイメージしているのは巨大な包丁だ。……ギロチンみたいに一気に落として上げるからね?」


麗奈 「はい♪」


あすか「カウントダウン。……さん、……にい――」


 首が落ち、シートの上へ。


あすか「ひひひひひひ。」


 うーん、遣ると思った。


優子 「あー! 嫌あー! 麗奈様あー!」


 そして、半狂乱。

優子 「ああ、どうして、どうしてこんな――」


あすか「優子ちゃん! ……落ち着きなよ、生きてるから。」


優子 「……え?」


あすか「顔を見て御覧よ。」


 吉川先輩が、高坂さんの頭を、恐る恐る手に取る。


あすか「麗奈ちゃん、笑いな。」


優子 「あ……。」


あすか「舌を出しな。」


優子 「ああ……。」


あすか「ね?」


優子 「ああ良かったあああ……。」


 それまでの緊張が一気に解けたのか、吉川先輩は泣き出した。

          *
 あすか先輩は、首を持ったまま泣いている吉川先輩の横に高坂さんの体を寝かせ、私に向き合った。


あすか「じゃあ、ちょっと話をしようか。色々訊きたい事もあるでしょ?」


久美子「はい。」


あすか「なにから訊きたい?」


久美子「さっきのは夢なんですよね?」


あすか「さっきって?」


 そう来るか。


久美子「その……、私、妊娠させられたかと思いましたよ。」


あすか「ああ、それね。……でも、気持ち良かったでしょ?」


久美子「はい。」


あすか「じゃーいーじゃん。」

久美子「ちょっ……。」


 どういう理屈だ。


久美子「だいじょぶですよね? 私、妊娠してないですよね?」


あすか「うん、してないよ。……久美子ちゃんはずっと寝てただけだよ。わたしの背中でね。」


久美子「そーですか。」


 一安心。


久美子「あの、因みに、さっき高坂さんを立ったまま眠らせたのと同じ力ですか?」


あすか「うん、そうだよ。ちょっと調べたい事があったから眠って貰ったんだ。あんなに遊ぶ事になるとは思わなかったけど。」


久美子「はあ……。」


 遊ばなければ良かったのに。


あすか「眠らせる、と言わずに勝手に眠らせた事に就いては御免ね。もーしない。」


久美子「はい。……でも、調べたい事があったんですよね? じゃあ仕方無かったんじゃないですか?」

あすか「ん? うーん、そーなんだけどー……。あとから考えると事前の予告の有無はあんまり関係無かったみたいでさ。」


久美子「そうなんですか。」


あすか「うん。」


久美子「で、調べたかった事ってなんなんですか?」


あすか「いや、その前に吸血鬼の話をしよう。そっちの二人も興味があるでしょ?」


 あすか先輩がシートの上の二人に声を掛けると、既に泣きやんでいた吉川先輩は、首を持ったまま、おもむろに振り向いた。


優子 「麗奈様は――」


あすか「あ、だいじょぶ。麗奈ちゃんの意思を確認する必要は無いよ。真性吸血鬼は自分の眷族とテレパシーで会話出来るんだ。」


久美子「……え?」


あすか「驚いた? 便利でしょ。……実は離れている時にもこの能力でたまーに眷族達と連絡を取ってたんだ。だから久美子ちゃん達が神社の境内で全裸で内臓を引っ張り出してた事も、あの時点では既に知ってたんだよね。御免ね。……因みに、わたし達の到着までに二人に服を着せる様に指示したのも、実はわたしだったんだ。」


久美子「そーだったんですか。……所で、『あの時点』っていつでしたっけ?」

あすか「あ、憶えてないならいいや。今日は色んな事があったからね。」


久美子「はあ……。」


あすか「ちょっと脱線したね。この能力は対象の脳に作用する、という点では人間を眠らせる能力と似ている。但し人間を眠らせる場合には脳が無防備になった瞬間を狙う必要があるんだ。だから常に警戒している人間には使えない。吸血鬼ハンターなんか、特にそうだね。それ以外の普通の人間だったら、割と簡単に眠らせられる。」

あすか「元々これは吸血をスムーズに行う為の能力だろうね。起きている人間の皮膚を傷付けて血を飲むよりも、眠っている人間の皮膚を傷付けて血を飲む方が、断然遣り易いだろうから。……しかも、若しかしたら対象に、『吸血鬼に遭遇した』と知られずに血を飲む事が出来るかも知れない。」

あすか「詰まり、『目が覚めたら体に傷が付いてた。寝ているあいだになにかで切ったかな?』とでも思わせる事が出来れば、完璧。但し、眠らせるのにも呪力を消費するから、そーほいほいとは使えないよ? ……あ、呪力というのは吸血鬼が特殊な能力を使う際の、エネルギーの事ね。呪いの力、で呪力。磁力じゃないよ?」

あすか「……まあ、自分の近くに居る普通の人間を眠らせるだけなら、消費量はそう大した事は無いよ。但し、対象との距離が長くなればなる程、消費量は増える。あと、消費量は対象の脳の警戒具合にも因るね。これが面白い所で、常に警戒状態の人とか、常に無防備状態の人というのは、滅多に居ない。」

あすか「大抵の人は警戒と無防備の状態が目まぐるしく入れ替わっていて、能力を発動しても、警戒が解けている瞬間じゃないと眠らせられない。しかも、警戒しているか否かは外からは判別出来ない。だから、仮に常に警戒状態の人をそうとは知らずに眠らせようとした場合、消費量が無駄に増えるだけ、という空しい事になる。」

あすか「因みに、眠らせるのが一番簡単なのは、近くに居る一般人……ではなく、実は自分の眷族なんだな。……眷族は、主人からの能力の使用に対しては、常に全くの無防備なんだ。だから眷族とのテレパシーも好きな時に使えるんだろうね。で、その理屈だと、常に無防備状態の人になら、眷族でなくてもテレパシーが使える筈だよね?」

あすか「多分、そうなんだろうね。個人的には一度も遭遇した事は無いけど。……因みにテレパシーを使うには、相手の居る方向を正確に知っておく必要がある。この点、真性吸血鬼にはソナーみたいな能力も同時に備わっていて、自分の眷族がどっちの方向に居るのかは、簡単に感じる事が出来るんだ。益々便利でしょ。」

あすか「……因みに、眷族以外の吸血鬼や普通の人間の位置も、簡単じゃないけど感じる事が出来る。但しどっちにしろ呪力は消費するよ? ……まあ、『ソナー』の消費量は、テレパシーで会話をするのに比べたら微々たる物だけどね。で、方向が判ったら、その方向に対して脳内から声を出す、みたいな感じかな。」

あすか「当然、遠くの人間に伝えるには『大きな声』を出す必要があるから、呪力の消費量は増える。但し、障害物に邪魔される事は無いんだ。『ソナー』で方向が判ると同時に、そこに居るのが誰なのか、という事も呪力的に、と言うとなんか変だけど、感じる事が出来て、その個人にだけ伝わる声を出す、みたいな感じかな。」

あすか「だから、あいだに他の眷族が居ても、『混線』する事は無いんだ。逆に言うと、同時に複数の相手に呼び掛ける事は出来ない。……いや、若しかしたら出来る人も居るのかも知れないけど、少なくとも今のわたしには出来ないね。これは人を眠らせる時や、眠らせた人に夢を見せる時も同じ。」

あすか「だから、複数の人間を眠らせたいと思ったら、一人ずつ順番に眠らせなければならない。で、仮に何人か眠らせたとしても、『いい夢』を見させて上げられるのはその内の一人だけって訳。あと、テレパシーで会話をするのと同じで、夢を見せる場合でも、消費量は、距離が長くなればなる程増える。」

あすか「だから、長時間『夢』で遊ぼうと思ったら、対象の脳と自分の脳を思いっ切り近付ける必要がある。まあ、そうでなくても呪力の無駄遣いはさけたいから近付けるけどね。久美子ちゃんに夢を見せる時には、おんぶして互いの頭を近付けてから夢を見せた。目が覚めてわたしの背中に居たから、びっくりしたでしょ。」


久美子「はい。」


 そりゃもう。


あすか「わたしも、対象をおんぶした状態で『夢』の世界に意識を集中する、というのは初めての経験だったよ。……遣ろうと思えば出来るもんだね。普通は眠っている対象の横に寝て遣るんだけどね。……今回は野外だし立っていたから、あんまり楽しめなかったよ。……次は布団を敷いて思いっ切り楽しもうね、久美子ちゃん♪」


久美子「……。」


 素直に「はい。」とは言いにくい。
 というか、あれで「楽しめなかった」とはどれだけ阿漕なのか。


あすか「……あれ? 嫌なの?」


久美子「いえ、そういう訳じゃ……。」


あすか「嫌がられると、益々燃えちゃう♪」


 やばい。話が変な方向に進んでいる。

久美子「……あの、呪力って限りがあるんですよね? そんなに無駄遣いしちゃって大丈夫なんですか?」


あすか「ああ、だいじょぶだいじょぶ。対象の五感を全てコントロールする、と言うと凄そうに聴こえるかも知れないけど、なぜか消費量はそれ程多くないんだよね。……多分、人間の脳には元々、『眠っているあいだに夢を見る』という機能があるから、それを使わせて貰ってるんだろうね。」

あすか「因みに、今更かも知れないけど、今言った能力は全て真性吸血鬼にしか使えない。人間上がりはちょっと力が強くなって傷や病気にならなくなって、死ぬまで主人に仕えるだけ。言わば、兵隊みたいな感じだね。実際そうして来たんだろうね。人間の血を安定的に確保する為には、広い『縄張り』が必要だろうから。」

あすか「『ソナー』で人間と吸血鬼の位置を把握したり、テレパシーで好きな時に眷族と情報を交換したり、夢の中に入って相手から情報を引き出したりするのは、全部『戦争』に適した能力だ。……イメージしただけで相手を攻撃出来る、なんてのはその最たる例だね。しかも見えない物体で、音も無く攻撃出来る。」

あすか「詰まり、わたしの能力は、全部古の吸血鬼達の血みどろの『軍拡競争』の果てにある、と言っても過言では無いんだよ。……端的に言えば、強い個体が子孫を残した。但しこれは、わたし達が『進化して能力を獲得したならば』の話だけど。……うーん、結構話したね。久美子ちゃん、優子ちゃん、付いて来れてる?」


久美子「いえ、あんまり。」


優子 「……同じく。」


あすか「そっか。麗奈ちゃん。」


 そう言うと、あすか先輩は十秒程沈黙した。多分、テレパシーで会話していた。


あすか「……じゃあ話題を変えよう。……わたしは真性吸血鬼の父親と、人間の母親のあいだに生まれた、生まれながらの吸血鬼だ。……噛まれて後天的に吸血鬼になった訳じゃない。だから、体のどこにも歯形は無い。ここら辺はいいよね?」


 誰も声を上げない。沈黙は同意を意味していた。

あすか「そして、久美子ちゃんにはさっき話したよね。……わたしの母親は政府の研究所で吸血鬼の研究を行っていた、って。……実はね、その研究所にはわたしの父親も居たんだ。……但し、研究員としてではない。わたしの父親は、政府の実験用のモルモットとして、研究所に存在していたんだ。……わたしの父親と母親はね、」


 そこまで言うと、あすか先輩は思わせ振りに私達の顔に目を遣ってから、


あすか「その研究所を破壊して駆け落ちしたんだよ。」


 と、続けた。


あすか「派手に遣ったらしい。普通の事件事故であれば大々的に報道されたんだろうけど、この世界では吸血鬼の存在その物がトップシークレットだからね。当然、隠蔽された。とゆーか、吸血鬼絡みの事件事故はぜーんぶ隠蔽されてるけど。……で、二人は千葉の研究所を離れて、京都の地に潜伏した。もう二十年以上前の話だ。」

あすか「だから、わたしの両親も、わたしも、本来は世間には存在しない筈の人間なんだ。……というか、その内の二人は吸血鬼だけど。……でも、存在しない筈にも関わらず、わたしには戸籍がある。……久美子ちゃんにはさっき言ったよね? 吸血鬼ハンターの友達から、ハンターにならないか? って勧誘されたって。」


 頷く。


あすか「ここら辺、結構厳しいからね? 勧誘に際しては、徹底的に身辺調査される。それにも関わらず、わたしはクリーンな人間として、政府の秘密機関から御誘いを受けたんだ。詰まり、なにを言いたいかと言うとだね……、わたしの両親は、駆け落ち直後に、なーんの関係も無い赤の他人を殺して、戸籍を奪ったのさ。」

あすか「……まあ、正確には殺したとは断言出来ないんだけどね。なんせわたしが生まれる前の話だし。……でも、母親に訊いても答えてくれなかったし、深く追求しようとすると怒られたし。……それって滅茶苦茶怪しいよね。だって吸血鬼の研究の事とかは答えてくれるのに、駆け落ち直後の事は一切話してくれないんだから。」

あすか「一応、吸血鬼の体に就いて知る必要があるから研究の内容を話す、というのは筋が通っていると思うよ? でも駆け落ち直後に戸籍をどうしたのか、とか、わたしが生まれた病院はどこなのか、とかは全然話してくれないんだから。……当然、わたしの出生時にもなにか後ろ暗い事があったんだろうな、と思うよね?」

あすか「……で、前に図書館で借りた本で、偶然に知ったんだよね。生まれて来たばかりの赤ちゃんは、全員足の裏に針を刺して、血液を採取して検査をしなければならない、ってさ。『新生児マススクリーニング』って言うらしいよ? ……駄目じゃん、って思うよね? だって、吸血鬼の体は全く出血しないんだから。」

あすか「それなのに、わたしは生まれた時から吸血鬼なんだよ。詰まり、血液を採取して検査しようにも、そもそも血が一滴も出ないんだ。こりゃあ、医療関係者を買収したな、と思うよね? というか、早い話が噛んで眷族にして隠蔽させたな、と思うよね? ……で、その後は関係者全員が不審な死を遂げれば、ぜーんぶ解決。」

あすか「勿論、これは全部わたしの推測だよ? 証拠はなんにも無い。でも、そうとしか思えないんだよね。だって、三人共実感してるよね? 眷族は主人の為なら死をも厭わない。だったら、人間上がりの状態で街をうろうろされるよりも、死んで貰った方が『安心』なんだよね。だって、街には吸血鬼ハンターだって居るんだから。」

あすか「はっきり言って、研究所から逃走する際に既に何人も、……いや、多分何十人も殺してしまっているから、もう心理的に抵抗が無くなってたんじゃないかな。……そうして、わたしはなんの問題も無いクリーンな記録を持った真性の吸血鬼、という珍しい存在として、この世界を生きる事になったって訳。」

あすか「多分だけど、母はわたしに普通の人間として生きて欲しかったみたい。でもその為に吸血鬼を人体実験に使っていた様な人達はともかく、なんの罪も無い人達を何人も殺した、というのはねえ……。但し、物心がついてからは、こういう事は無かったと思うよ? 代わりにわたしが痛い思いをしたんだ。……どういう意味か分かる?」


 二人で首を振った。高坂さんがどう思ったのかは不明。


あすか「わたしは時々『人間』になってたんだよ。……吸血鬼の体から傷が消えるのは呪力の御蔭、というのは知ってるよね? ……いや、優子ちゃんは見た事が無いか。さっきも全く抵抗せずに人間に戻されてたもんね。……よし、麗奈ちゃんの首をくっつけて御覧。数十秒で完全に繋がるから。」


 吉川先輩が高坂さんの首を怖ず怖ずと切断面に宛がうと、果たして、あすか先輩の言った通りになった。吉川先輩は、その様子を、固唾を呑んで見守っていた。可愛いなあ。


麗奈 「おはよう、優子。」


優子 「麗奈様……。」


あすか「これが吸血鬼の回復能力だよ。どんな損傷でも完全に元通りになる。実は治りが速い訳じゃないんだよね。……治ってるんじゃなくて、傷付く前の『正常な状態』に戻ってるんだ。この能力が吸血鬼にとって最も重要な意味を持っている。いい意味でも悪い意味でもね。……優子ちゃん、麗奈ちゃんの首をじっくり見て御覧。」


 吉川先輩が、言われた通りに覗き込む。

あすか「傷の痕は全く無いでしょう?」


優子 「はい。」


あすか「人間だったら傷痕が残る様な深い傷でも、吸血鬼の場合は瘢痕も癒着も全く無い。体の傷は、『治る』んじゃなくて『戻る』んだ。しかも、それはたったの数十秒で終わる。その上、血管が傷付いた時にも、出血は全く起こらない。毛細血管だろうと、頸動脈だろうとね。これらは全部『呪力』という不思議な力の御蔭。」

あすか「そして、これらの現象のどちらも、自分の意思では制御する事が出来ないんだ。吸血鬼は、呪力で体から傷が消える状態を、やめる事が出来ない。呪力で体から出血が抑えられている状態を、やめる事が出来ない。だから、予防接種で注射針を刺せば、立ち所に吸血鬼だとばれてしまう。……通常であれば。」

あすか「……しかし、例外がある。さっきもちょっと話した通り、吸血鬼の体内の呪力のストックには、限りがある。詰まり、呪力がすっからかんになるまで消費し尽くせば?」


麗奈 「傷は消えないし、出血もする。」


あすか「その通り。体内の呪力が枯渇した場合には、傷の状態は普通の人間と同じになるんだ。それが、わたしが予防接種の注射を『普通の人間として』乗り切る為の手段だったって訳。……因みに、吸血鬼が大して痛みを感じないのは、傷が直ぐに消えるからだ。ここら辺、麗奈ちゃんには学校で説明したよね?」


麗奈 「はい。」


久美子(……ん?)


 そうか、あすか先輩は、高坂さんを学校で噛んだのか。


麗奈 「御姉様、あの時私を騙しましたよね?」

あすか「えー? 騙してないよ。……意図的に説明が足りなかっただけ♪」


麗奈 「ちょ……自覚してたんじゃないですか。」


あすか「うん♪」


 訳が判らん。


久美子「……あの、なんの話ですか?」


麗奈 「久美子、さっき私が話したでしょ? 痛みは生物にとっての危険信号。でも、吸血鬼は傷が直ぐに消えるから、痛みを感じる必要があんまり無い。」


あすか「めでたしめでたし。」


久美子・優子・麗奈「……。」


 口には出さないが、恐らく全員が非難する気持ちだった。


あすか「続きが聴きたいな♪」


 自分で中断させた癖に。

麗奈 「……問題は、命に危険が及びかねない重大な傷の場合でも、痛みの感覚が全然足りないって事ね。久美子も身を以て実感したでしょ? 人間上がりの吸血鬼は、首を切断されたら手も足も出ない。首をくっつけてくれる仲間が他に居なければ、唯、死を待つのみ。……にも関わらず、ナイフで首を切られている時の痛みは?」


久美子「……全然痛くなかった。」


麗奈 「でしょ? 私も首を切って貰って実感したわ。若しこれが真性の吸血鬼だったら、イメージしただけで物が動かせるから、自分で対処出来るんでしょうね。だから首を切断されても、なにも問題は無い。傷付けられた事を自覚出来る程度の痛覚があればいい。……でも、私達は? というかそれは、さっきの話の中に殆ど答えがあったわね。」

麗奈 「詰まり、私達人間上がりの吸血鬼は、真性の吸血鬼にとっては唯の戦争の為の兵隊だから、幾ら死んでも構わないって事なのね。だから、命に関わる様な重大な傷を負った場合でも、痛みの感覚は麻痺したまま。……だって、代わりの人間なんて他に幾らでも居るんだから、また噛んで眷族にすればいい。……そーゆー事なんですよね?」


あすか「うん、そーなんだろうね。個人的にはあんまり言いたくはなかったんだけど。……どお? 自分が使い捨ての道具みたいな存在だと知って、がっかりした?」


麗奈 「いいえ、御姉様の為なら喜んで使い捨てられます。」


あすか「だよね。……で、なんの話だったっけ? 予防接種だったっけ。……呪力をすっからかんになるまで消費すれば、傷は消えないし、出血もする。元々吸血鬼の痛覚が他の動物と比べて極めてにぶいのは、傷が直ぐに消えるから、痛みを感じる必要が無いからだ。じゃあ、呪力が枯渇して、傷の治りが普通の人間と同じ状態になったら?」


麗奈 「傷の痛みも、普通の人間と同じになるんですね?」


あすか「ピンポン。というか、多分、体の全ての機能が普通の人間と同じになる。……但し、人間の血液を飲まなくても体内の呪力はちょっとずつ回復する。これも自分の意思ではとめる事が出来ない。だから、回復した呪力を傷の消失に使わせない為には、常に呪力を他のなにかで消費せざるを得ない状況を作り出す必要がある。」

あすか「それはなんでしょう? ……答え、体の別の部分に、予め傷を付けておく、でした。……しょうがないんだよね。だって他の能力の発動にはもっと多くの呪力を必要とするんだもん。……実感として、一番消費量が少ないのは身体能力の強化なんだけど、じゃあ呪力が底を突きそうな時に傷を付けられたら、筋力は?」

あすか「……強化出来ない。残り少ない呪力で強い力を出そうと思っても、出す事は出来ないんだ。詰まり、傷の消失は優先順位が高いんだね。だから、注射針の傷が消えない様にする為には、いや、正確には、傷の消失速度を遅くするには、他の部分に傷を付けておくしかないんだ。例えば、予め待針で数十回刺しておく、とかね。」


 げっ。


あすか「そうすると注射針で刺されても、その傷の消える速度はとても緩やかになる。仮に枯渇した状態で五十回刺しておけば、大気中や食事から、或いは他のどこかから微量の呪力を得たとしても、五十一個の傷に配分されるから、傷の消失はかなり緩やかになる。傷と同様、完全に普通の人間と同じではないんだろうけど、出血もする。」

あすか「この能力は、傷が勝手に消えて、呪力が勝手に消費されてしまう、というのが味噌でね。この特徴を使って、研究所の吸血鬼を拘束しているんだ。詰まり、」


 そこまで言うと、先輩は、また思わせ振りに一呼吸置いた。


あすか「……研究所の吸血鬼の体には、常に生傷が付けられているんだ。その上で、自殺防止の為の拘束が行われ、監禁されている。当然、普通の人間の様に痛みがある。更にその上で、各種の人体実験が行われているんだ。……酷い話だと思わない? わたしも最初に聞いた時には憤慨したよ。」

あすか「だからわたしは、そんな状況を変えたかった。吸血鬼と人間が共存出来る、新しい世界を作りたかった。その為に結構勉強もしてるし、吸血鬼ハンターとも友達になった。吸血鬼と人間が手を取り合って暮らしていけると、証明したかった。行く行くは総理大臣になって、この国を、そして世界を、変えたいと思っていた。」


 単純に、凄い、と思った。


久美子「出来ますよ、御姉様なら。」


あすか「いいや、出来ない。」


 強い口調で即座に否定され、若干面食らった。
 あすか先輩の顔は、更に真剣さを増していた。

あすか「いいかいみんな良く聴きな? ……この世界は、もう直ぐ終わる。」


久美子「……はい?」


あすか「この世界はね、フィクションの世界なんだよ。物語の世界なんだよ。……そして物語には、必ず終わりが来る。」


 なに言ってんだこの人は。


あすか「大体だね、吸血鬼なんておかしい存在が、現実世界にある訳無いじゃないか。全部この世界を作った人、詰まり、『作者』の、想像の産物なのさ。」


 また私達をからかっている?


あすか「ねえ、三人が『吸血鬼がこの世界に実在する』と知ったのはいつだい? 今日だろう? ……なーんで今日なのさ。政府が隠蔽している、なんて設定……もう遠慮せずに『設定』って言うよ? 政府が隠蔽しているから民間人は知らなかった、なんて陳腐な設定を、本気で信じてた? ……そんなの、隠せる訳無いじゃないか。」

あすか「大体三人共見たでしょう? 私のでたらめな能力を。……こんなのがこの地球にはごろごろしてるんだよ? しかも、揃いも揃って殺戮と血が大好物。その中にちょーっと自制心の足りないのが居て御覧? あっと言う間にその国は地獄絵図だよ。……もー凄く楽しそうだよ。想像しただけで涎が出ちゃう♪」

あすか「……じゃなかった。なんで誰も殺戮の誘惑に負けてない訳? 大体わたしだってね、社会を変える為に総理大臣になる、なんて間怠っこい事をするよりも、この国の政治家全員を噛んだ方が遥かに手っ取り早いよ。それ処か、首脳会談の度に各国の首脳をこっそりと噛んでいけば、数年で地球を支配出来るよ。」

あすか「なんで過去のわたしはそれを実行に移さなかったの? ってゆーか、なんで誰も実行に移さなかったの? 世界中から戦争を根絶出来たのに。……はっきり言ってね、戦争の為に人間達が血を流す、なんてのは馬鹿げてるよ。実に勿体無い。……全ての人間は吸血鬼の家畜になって、血を捧げながら平和に生きるべきなんだよ。」

あすか「……とゆーのはわたしの意見じゃなくて、一般論だからね? 勘違いしないでよね? ……とにかく、真性の吸血鬼がちょっと上手く立ち回れば、国家どころかこの地球の全てが手に入るよ。……なのに、どうしてそうなっていないんだい? そうなっていないからには、そうならない理由が、なにかある筈だよね?」

あすか「じゃあちょっと自分で自分に反論しようか? 現代の真性吸血鬼も、その眷族も、みんな自制心が強いから殺戮の誘惑には負けていないんだ、と。その可能性は無くは無いね。個人的には全世界の全ての吸血鬼が欲求を押し殺して生活し続ける事が出来るなんて、到底思えないんだけどね。まあ、それが出来ているんだ、と考えよう。」

あすか「次。……じゃあ、なんで誰も国家や世界を征服しようとは思わなかったの? 失敗して殺されるのを恐れた? そうかも知れないね。そりゃ、現代の兵器は怖いからね。吸血鬼が住んでいる街を、民間人ごと焼き尽くす気があるなら、さすがに真性も死ぬかも知れない。……だから誰も遣らなかった? わたしの感覚では『ノー』だね。」

あすか「わたしだったら成功する方に全財産を賭けるよ。なにせ、賭けに勝てば世界の全てが手に入るんだから。仮に失敗した場合には、戦争だろう。人類対吸血鬼のね。最悪の場合は、全面核戦争だ。文明は崩壊する。……でも、その後の核の冬がどの程度かは知らないけど、まあ、人類が絶滅する事は無いでしょう。そして、わたしも死なない。」

あすか「とゆーか、死なない様に予め準備をしておくから。……そして、ここからが重要だ。わたしがこう考えるって事は、同じ能力を持った他の真性吸血鬼達も、こう考える筈なんだ。詰まり、『表が出れば吸血鬼の勝ち、裏が出れば人類の負け』ってね。こんな状況で他の吸血鬼達が一人も『賭け』に出ていないなんて、不自然極まり無いね。」

あすか「それだけじゃない。通常兵器だろうと、NBC兵器だろうと、事前に準備をしておけば、先ず死ぬ事は無いだろう。……しかし、なにも準備をしていない状態で他人の戦争に巻き込まれたら? 不意に核ミサイルの直撃を受けたら? 死ぬかも知れないよね? だったら、他の真性が行動を起こす前に、自分も準備をしておいた方がいい。」

あすか「その為の準備は非常に大掛かりな物になる筈だ。なんせ、最悪の場合には核戦争と核の冬を乗り切らなければならないんだから、膨大な備蓄が必要な事は想像に難くない。……でも、我々の場合は噛むだけで物資も優秀な人材も容易く手に入るから、それ自体はさのみ問題ではない。問題は、そんな状態は長くは秘匿出来ない、という事だ。」

あすか「眷族を増やせば増やす程より多くの物資が必要になって、露見の可能性も高まる。すると、今度は自分が『賭け』に出ざるを得なくなる。だって、膨大な物資と眷族を抱えたまま、唯なにもせずにばれるのを待つよりも、さっさと『賭け』を始めてしまう方が遥かに合理的だもん。……縦え最初に自分が支配を企てていなかったとしても、ね。」

あすか「理由はまだある。科学技術は日進月歩だ。世界を引っ繰り返すなら早い方がいい。……あ、だって、呪力や吸血鬼の研究が進んだら、いずれ強力な対吸血鬼兵器が開発されてしまうかも知れないでしょう? だったら、早い方がいい。少なくともわたしならそう考えるね。……でも、そうはなっていない。誰も行動を起こしてはいない。」

あすか「なんでだろう? これだけ強力に『行動を起こさせる誘因』が存在しているのに、なんで誰も今の世界を変えようとは思わなかったんだろう。……今の生活が好きだから? 核戦争で文明が崩壊するのを恐れた? そうかも知れないね。そりゃあ、現代社会の暮らしは快適だからね。わたしもこの生活好きだよ? ……じゃあ、過去の人達は?」

あすか「兵器の性能が今よりずっと低かった時代には、そんな心配をする必要は無いよね? 別に遠慮は要らないよね? 征服して上げるのが筋だよね? ……というか、そもそもわたし達の先祖って、古から現代に至るまで、ずっと人間を狩って来たんだよね? だからその為の能力が発達してるし、人間を虐待する事を好む。……いや、正確には逆だね。」

あすか「人間を多く殺して多くの血を飲む事を好んだ個体程、多くの呪力を獲得出来たから、生存率が高まったんだ。結果、より殺戮を好む個体程、多くの子孫を残した。同様に、他の真性吸血鬼やその眷族を殺す事を好み、且つ強い個体程、より広い『縄張り』を確保出来たから、より多くの人間、というよりより多くの呪力を獲得し、子孫を残した。」

あすか「だから、それを受け継いだ我々は非常に好戦的だし、戦闘の能力が異常に高いし、人間だけじゃなくて、他の吸血鬼をばらすのも大好き。……で、この『縄張り争い』には兵隊が居た方が有利だから、噛んで眷族を増やす事を好んだ個体も、やはり同様に生存率が上がって、子孫を残した。だから、わたし達は他人を隷属させる事も、結構好き。」

あすか「きっと過去には、支配した土地で、真性吸血鬼を頂点とした『王国』を築いていたんだろうね。……という『設定』だったよね? ……で、なんでそれがわたし達の歴史の教科書に全く載ってないのさ。のちの政府が隠蔽したから? 世界中の全ての政府が全ての歴史書から記述を消し去ったの? なんで真実を伝える国が一つも無いの?」

あすか「そもそも、全ての国、地域で歴史を抹消するなんて出来る訳が無い。する意味も無い。……と言うと、また反論する事は出来るよ? 抹消出来たから今の状態になっているんだ、とね。……結局、水掛け論なんだよね。『設定』の不備に就いてなにを言っても、この世界がフィクションの世界である、と証明する事は出来ないんだ。」

あすか「それよりも、もっと重大な事実がある。……いいかい、みんな、わたしにはね、」


 そう言うと、また思わせ振りに一呼吸置いてから、


あすか「……この世界を基にしたであろう『物語』と、その物語を見ているであろう『読者』の存在が、見えるんだよ。」


 と続けた。


あすか「ん、そんな訳無い、と思ってるね? ……へへっ。今も読者さんはわたし達の事を見てるんだぜ? 読者さんは……そこに居る。」


 と言って、あすか先輩は、私の顔を指差した。


久美子「私? ……私ですか?」


あすか「んーん、そうじゃない。読者さんは、久美子ちゃんの目の中に居るんだ。わたしには久美子ちゃんの目の中に、小さい『宇宙人』が見えるんだ。」


久美子「……宇宙人?」


あすか「そう。」

久美子「……どんな宇宙人なんですか?」


あすか「『クイクイ星人』。」


久美子「はい? ……なんですかそれ。」


あすか「わたしも知らない。とにかく、久美子ちゃんの目の中の小人の様に小さい『読者』を見た瞬間、わたしの頭には『クイクイ星人』という言葉が思い浮かんだんだ。きっと、この世界を作った『作者』が、わたしの頭にインプットしたんだろう。この『物語の世界』の『安っぽい設定』と共にね。因みに、二人には見えていない。……でしょ?」


 吉川先輩と高坂さんは、無言で頷いた。


あすか「最初に見た時にはびっくりしたんだから。久美子ちゃんの目に『変な人』が映っていて、しかも、更に近付いて良く見ると左右が逆の文章まで映っているんだから。……御札に偽造防止の為にえがかれている文字みたいな大きさだったから読むのは大変だったけど、わたしの台詞や、地の文が書かれている事は判った。」

あすか「多分、小説みたいな形で『物語』がえがかれているんだろうね。ちょっと改行が多いのは気になったけど、『作者の世界』では、これが普通なのかも。あと、良く分かんない数字や、ランダムっぽい文字列や、年月日や時刻も見えたんだ。そこには二千十八年六月五日の、火曜日と書いてあった。この曜日は、我々の世界の曜日と一致する。」

あすか「……というか、逆だね。作者や読者達の世界がわたし達の世界と同じなんじゃなくて、わたし達の世界が作者達の世界、詰まり『現実の世界』を元に作られているんだろうね。だから西暦による年月日と曜日が一致するんだ。……今からはわたし達の世界を『物語の世界』、それを見ている読者や作者達の世界を『現実の世界』と呼ぼうか。」

あすか「……で、わたしはちょっと実験したんだ。久美子ちゃんの目の中にわたし達の世界、詰まり『物語の世界』を見ている『読者』が映っていて、読者の為の文章も映っているなら、この物語は誰の物語なのだろうか? そう思ったわたしは、久美子ちゃんを眠らせた。そして、意識が無い状態の久美子ちゃんの目蓋を、無理矢理抉じ開けた。」


久美子「……え?」


あすか「御免ね。……するとどうだろう。そこには、『読者』の姿も、文章も、全く無かったんだ。単に、目があるだけだった。だからわたしは、今度は、眠っている久美子ちゃんに夢を見せてみたんだ。そこで、詰まり『夢の世界の中』で、わたしが久美子ちゃんの目を覗き込むと、果たしてそれはあった。」

あすか「詰まりね、久美子ちゃんの意識がある時には『物語』は存在していて、『読者』も見ている。久美子ちゃんの意識が無い時には『物語』は存在していなくて、『読者』も見ていない。では、なぜ久美子ちゃんの意識が無い時には『物語』が存在しないのか。それはね、久美子ちゃんの意識が無い時には、『物語』が存在出来ないからなんだよ。」

あすか「要するに、これは久美子ちゃんの物語なんだよ。久美子ちゃんの認識を元にえがかれる、『黄前久美子視点』の物語なんだよ。……久美子ちゃん、この世界、詰まりこの『物語の世界』の主人公は、君なんだよ。」


久美子「……なんで私?」


あすか「さあ、なんでだろうね。……とゆーかそれを言ったら、なんでわたしにだけ『物語』と『読者』の存在が見えるんだろうね。……いや、そうじゃないな。『見える』んじゃなくて、『見せられている』んだ。……だって、これはこの世界の『作者』が意図的に遣っている事なんだから。……そっか、じゃあなにか明確な理由がある筈なんだ。」

あすか「……なんだろ。……なんでわたしにだけ『物語』と『読者』の存在を『見せた』んだろ。……気付いて欲しかった? フィクションだと? ……でも、こんな杜撰な設定なら遅かれ早かれ気付いていたと思うんだけどな……。見縊られた? ……それとも、早く気付いて欲しかった? あ、時間制限か。そっか、言ってなかった。」

あすか「なんでこの『物語の世界』がもう直ぐ終わるのか、三人には根拠を言ってなかったね。……なんでそれが判るかと言うとね、……日付けの右側、詰まり読者さんから見た時に左側に、ページ数みたいな物も書いてあってね、その進行の具合からすると……。」


 と言いながら歩いて来て、また、私の目を覗き込む。


あすか「三四五の二九八か。……あと数十分で終わるよ。」


久美子「数十分?」


あすか「うん、多分。……わたしが最初にこれを見た時には三百四十五分の百七十で、物語は既に中盤だったんだ。それから一時間くらいしか経たずにこの数字だから、この『物語の世界』は今日始まって今日終わる、という事が推測出来る。……因みに、始まったのは夕方以降。多分夜だ。少なくとも昼の時点では、まだ始まってはいなかった。」

あすか「だって、今日学校で久美子ちゃんと会った時には、まだ久美子ちゃんの目の中に『宇宙人』は居なかったもん。……詰まり、昼の時点ではまだ『物語』は存在してはいなかったのさ。……だから、証拠は無いけど、今わたし達が居るこの世界その物も、昼の時点では、まだ存在してはいなかったんだろうね。信じられないかも知れないけど。」

あすか「……というか、わたしにも信じられない。この世界が作り物だなんてね。……わたしはここに居て、息を吸って、空気を肌で感じて、世界を見ている。……時間があって、空間があって、星空が無限に広がっている。この宇宙が作り物だとは思えないね。それに、わたしの体が作り物だとも思えないし、三人が作り物だとも思えない。」

あすか「でもフィクションだ。作り話の世界なんだ。そして、この世界を基に物語を書いている『作者』が、どこかの世界に存在しているんだ。多分、わたし達が知覚する事の出来ない、異次元の世界にね。……ねえ、なんか変な気分になってこない? 若しかしたら、わたし達が今まで何気無く読んでいた小説や漫画も、全部こうだったのかも知れない。」

あすか「だって、小説や漫画の世界の登場人物達も、みんなわたし達と同じ様に、物語の世界の中で息をしていた筈でしょ? 物語の世界の中で、生身の体を持っていた筈でしょ? わたし達と同じ様に、登場人物達にも、物が見えて、意識があって、思考があって、感情があった筈でしょ? ……というか、そうでなければ人間とは呼べないよね?」

あすか「そして、わたし達の世界と同じ様に、それら物語の世界の中にも、時間があって、空間があった筈でしょ? ……これも至極当然だよね? だって、時間と空間が存在しない世界では、そもそも人間は活動が出来ないもん。……詰まり、今まで読んできた小説や漫画の世界でも、我々の世界と同じ様に、宇宙空間が無限に広がっていた筈だよね?」

あすか「でも、わたし達から見たら、それらは唯の紙だった。平面に、文字や絵が印刷されているだけだった。そこにリアルな人間なんて居ないし、時間も空間も存在してはいなかった。……当たり前だよね? だって唯の紙だもん。……でも、わたし達から見たら唯の紙だったけど、そこには、実は物語の数だけ、広大な宇宙が存在していたんだよ!」

あすか「若干気が遠くなるね。世界に存在している小説や漫画の数だけ、異次元に宇宙空間が存在していたなんて。……いや、こうなってくるともう小説や漫画だけとは言い切れないよね。アニメも、ドラマも、映画も、実はみんなこうだったのかも知れない。紙だろうと映像だろうと、物語の裏で、新しい宇宙が異次元空間に誕生していたんだよ。」

あすか「だって、『そうでない』と誰が否定出来る? ……若しかしたら、『単に物語を作っているだけだ。宇宙など誕生してはいない。』とか、『宇宙を誕生させるなんて制作者は神か?』と反論する人が居るかも知れない。でも、そうじゃない。それら異次元空間の『宇宙』は、制作者の意図とは関係無く、物語を作る度に勝手に誕生しているんだから。」

あすか「だから、制作者に宇宙物理学の知識が無くたって、関係無いんだ。なぜなら、宇宙は勝手に生まれて来るんだから。同様に、地球惑星科学の知識が無くたって、関係無い。医学の知識が無くたって、関係無い。地球も、ヒトも、制作者が望めば、唯それだけで、制作者が望んだ通りに、なーんの問題も無く完璧に機能してくれるんだから。」

あすか「だって、そうでなかったら物語の世界の中で、登場人物達が生きられないでしょう? だから、制作者が表現したい物を、表現し易い方法で表現すれば、それだけでいいんだ。表現しにくい物、表現したくない物は、表現しなくたって構わない。縦え制作者が恣意的に物語を作っても、全てが調和した完璧な世界が、勝手に存在してくれる。」

あすか「だから、わたしもこの世界に存在している。……いや、わたしだけじゃなく、この世界その物がおかしな事だらけなのに、なんの問題も無く存在して、機能している。もお、設定のおかしさなんか、屁でもないね。……フィクション万歳! フィクションの世界よ、永遠なれ! ……と、言いたい所だけど、もう直ぐ終わるんだよねー。」

あすか「……どーも、こればっかりはさけられそうにない。……多分、どこにも逃げられない。……わたし達が見ているこの星々も、わたし達も、この地球も、多分、宇宙ごと崩壊する。物語の終わりと共にね。……だって、物語が終わったら、存続する理由が無いもん。……勿論、ここでも異論を唱える事は出来るよ?」

あすか「例えば、『物語の作成によって異次元に宇宙空間が生まれるけど、その後は物語が終了しても、なにも影響を受けない。』とかね。……よーするに、物語を作るとなんらかのエネルギー、物語のエネルギー? とでも言うべき物によって異次元に宇宙空間が創造されて、その後は最初に与えられたエネルギーによって宇宙が持続する、という説。」

あすか「……うん、『よーするに』と言ったのに、全然要約になってない。……詰まりだね、どんなにおかしな宇宙であろうと、始まってしまった以上は、存在し続ける、という説。……ビッグバンのあとに膨張をし続ける、我々の宇宙と同じ様な感じだね。……まあ、我々の宇宙は今日の夜に出来た筈だから、ビッグバンは無かった筈なんだけど。」

あすか「……で、この世界はそうなるだろうか。……否。多分、ならない。だって、我々の宇宙を創造してくれたであろう『物語のエネルギー』は、多分、宇宙の創造だけではなく、修正にも使われているだろうから。でないと、こんな『でたらめな世界』は立ち所に崩壊してしまい、作者の思った通りに維持し続ける事なんて、到底出来ないだろう。」

あすか「だから、『物語のエネルギー』が尽きたら、この宇宙は崩壊する。それがどんな惨状かは知らないけど、宇宙が崩壊するなら、その住人である我々が無事に済む筈は無い。……では、その『物語のエネルギー』は尽きるのだろうか。……尽きる。近い内に。なぜなら、『物語のエネルギー』の供給源である、物語その物が終わりを迎えるから。」

あすか「……そして、これは実はあんまり言いたくはないんだけど、この考えを進めると、もっと大胆な説が浮上してくる。……わたしは既に、少なくとも一回以上は、宇宙ごと崩壊している。……どうしてそう思えるか。……それは、さっきわたしが久美子ちゃんの目蓋を抉じ開けた時に、『物語』も、『読者』も、存在してはいなかったから。」

あすか「『物語』が存在していなかったなら、この世界を維持している『物語のエネルギー』もまた、存在してはいなかっただろう。ではその時、この世界はどうなっていたのか。何事も無く継続していたのだろうか。継続している中で、わたしは久美子ちゃんの目蓋を抉じ開けたのだろうか。その時の記憶が、わたしの頭の中にあるのだろうか。」

あすか「……それとも、わたしが久美子ちゃんを眠らせた直後に、宇宙は既に崩壊していたのだろうか。目蓋を抉じ開けた『わたし』など、実はどこにも、……詰まり、この宇宙は勿論、今までに創造された、どの異次元の宇宙にも、存在してはいなかったのか。単に『目蓋を抉じ開けた』という偽の記憶だけが、わたしの頭の中にあるのだろうか。」

あすか「……証拠は無いけど、わたしは後者だと思ってる。だって、わたし達はそれを既に経験しているから。少なくとも一回はね。わたし達は、今日までの十数年分の『贋の記憶』を創造主によって植え付けられた状態で、今日の夜、この世界に、……宇宙ごと誕生した。……だから、今日の夜からこの世界は、おかしな事だらけだ。」

あすか「それと同じ事が二度と起こっていない、なんて保証は、どこにも無い。寧ろ、何度も繰り返されていたとしても、なんの不思議も無い。若しかしたら、五分とか十分といった、もっと短いスパンで起こっているのかも知れないし、それ処か、五秒や十秒かも知れない。宇宙の創造から終焉は、かなり限定的な、一過性の現象なのかも知れない。」

あすか「……なんて言うと、ちょっと頭がおかしくなってきそうだよ。……ねえ、『わたし』ってなんなんだろう。と、こう考えている今のわたしも、若しかしたら五秒後には崩壊、消滅して、別の異次元の宇宙に、同じ記憶、同じ感情を持った状態で、再び創造されているのかも知れない。宇宙ごとね。……そうでないという証拠は、どこにも無い。」

あすか「ねえ、そしたら、その異次元の宇宙って、過去なんだろうか、未来なんだろうか。実はわたしは、色々な場所に遍在しているのだろうか。……と考えると、また新しい仮説が涌いてくる。……若しかしたら、物語の世界を創造する『物語のエネルギー』は、実は物語を作った時ではなく、物語を見ている時に発生しているのではなかろうか。」

あすか「……例えばある人が、映画を中盤から五秒間だけ再生して、停止する。発生した『物語のエネルギー』によって、宇宙がいずこかに誕生して、消える。……またある人が、小説を五行だけ読んで、閉じる。物語の世界がいずこかに誕生して、消える。……ねえ、この考えって、我々が今居る世界の仕組みと、凄くマッチしている気がしない?」

あすか「……例えば、ある人が、家で映画を観ている最中に、十秒戻したとしよう。すると、それまで存在していた物語の世界が消滅して、十秒前の世界が、新しく誕生する。ねえ、これってどういう事なんだろう。過去が未来にあるんだろうか。でも、その同じ過去は実は過去にもあった筈だよね? 十秒戻したんだから、十秒前にもあった筈だよね?」

あすか「じゃあ、物語の世界って、いつの時間に存在しているのだろうか。いつの時間にでも存在しているのだろうか。それだけじゃない。その映画を観られるのは、一人だけじゃないよね? 世界中で大勢の人が観た筈だよね? じゃあ、物語の世界って、同時に複数存在していたのだろうか。極論すれば、どこにでも存在しているのだろうか。」

あすか「詰まり、どんな場所にでも、どんな時間にでも、物語の世界は存在しているのだろうか。そして、それは我々の世界でも同じなのだろうか。わたしは、いや、わたし達は、『物語』を『読者』に見られる度に、夥しい数の誕生と消滅を、そうとは気付かずに、繰り返し続けているのだろうか。……多分、そうなんだろうね。」

あすか「……ねえ、わたし達ってなんなんだろうね。なんの為に存在しているんだろう。……特にわたしは、『読者』と『物語』が見える、という変な能力と、どう考えても過剰な戦闘能力と、それらとは相反する贋の記憶を植え付けられて生み出されてしまった所為で、ずっと、この『物語の世界』と、その『終末』に就いて、考え続けている。」

あすか「ねえ、なんで、この世界の『作者』は、こんな世界、こんなわたし達にしたんだろう。……きっと、なにか意味がある筈だよね? だから、実はそれをみんなにも考えて欲しいんだ。わたし達の『存在意義』という奴をね。……特に久美子ちゃん、君にはそれを一番真剣に考えて欲しい。だって、この『物語の世界』の主人公は、君なんだから。」


久美子「……はあ。」


 そう言われても、全然「主人公」の実感は無い。
 それに、あすか先輩の今までの話を半分くらいしか理解出来なかった私が、「存在意義」とやらに気付けるのだろうか。甚だ以て疑わしい。


あすか「ねえ、怖くない? ……わたし達って、なんの為に生まれて、なんの為に死ぬんだろう。それすらも分からないのに、終わりの時間だけは刻々と近付いてくるんだよ。……わたしは……、嫌だし、怖いね。……でも、幸い一人ではなかった。……久美子ちゃん、……麗奈ちゃん、……優子ちゃん、……その時が来たら、一緒に死のうね。」


麗奈 「はい!」


あすか「……ん、返事の数が足りない。……頼むよ、おねーさんをこれ以上さびしい思いにしないで?」


久美子「はい。」


優子 「……はい。」

あすか「うん。……じゃ、思い残す事が無い様に、今の内に家族に電話でもしとく?」


久美子「あ、私、ケータイありません。」


あすか「なんで。……久美子ちゃん、ケータイは携帯しとかなき――」


久美子「気付いたら無かったんです。……ケータイがあったら助けが呼べて、噛まれなくて済んだかも知れないんですけど。」


あすか「あー。……じゃあ助けが呼べない様に隠されたんだね。」


久美子「え? 誰に……。」


あすか「そんなの、この『物語の世界』の『作者』に決まってるじゃないか。……仮に警察にでも通報されたら、厄介な事になるだろうからね。……色んな意味で。……使いたいんだったらわたしのを貸すよ?」


久美子「いえ……。」


あすか「そっか。……じゃ、わたしから電話しよっかな。ちょっと静かにしててね。」


 と言いながらケータイを取り出す。


久美子「ちょっと離れたらいいんじゃないですか?」


 私がそういうと、先輩は態と顎を引き、若干上目遣いで

あすか「やだ。さびしい。……一人にしないで?」


 と、甘えた声を出した。
 一瞬ぞくっとした。犯したい。
 しかし、理性の方が強かった。私は踏み止まった。
 私の内心を知ってか知らでか、先輩は怪しい微笑を私に投げ掛けてから、ケータイを弄り始めた。
 危険な人だと、改めて思った。万一襲い掛かっていたとしたら、逆に私が襲われていた筈だ。或いは眠らされて、魘われていた事だろう。
 先輩が、ケータイに向かって話し始める。


あすか「あ、もしもし。……あのね、今から自衛隊の駐屯地に行って、司令を噛んで来るから。」


 なんですと?


あすか「それで、機会を見計らって総理大臣を噛んでから、ジートゥウェンティーの首脳会合で、世界の指導者達を一網打尽にするから。……うん。この惑星はわたしが支配するから。……うん。じゃあねー。」


 そう言って、あすか先輩はケータイを顔から離した。
 そして、私達の顔を見遣ってから、自嘲する様に小さく笑った。


久美子「電話してませんね?」


あすか「うん。だって、なにを話せばいいのさ。……わたしの両親だったら少し話せば理解してくれるかも知れないけど、わざわざ死の恐怖を与えて脅えさせるのも気が引けるしね。……別れの挨拶をしないんだったら、『今までありがとう。』と言うのも変だし。……というか、わたしが泣いちゃうかも知れないし。……あーあ、死にたくないなー。」


 その時、ラインの通知音が鳴った。

あすか「お! やっとか!」


 そう言って、あすか先輩はケータイを見始めた。


あすか「……ふむふむ。……よし!」


 あすか先輩はそう独り言つと、なにやら返事を送り始めた。
 それは、とても楽しげな様子だった。今までの『くよくよ』はどこへ行ってしまったのやら。
 ケータイをポケットに仕舞う。


あすか「じゃ、麗奈ちゃん、タオルを一枚いいかな? ちょっと汚れるけど。」


麗奈 「はい、御姉様。」


 高坂さんがタオルを一枚取って、あすか先輩に渡そうとすると、彼女は、


あすか「いや、使うのはわたしじゃないんだ。……お、来たな。……全く、タイミング良過ぎでしょ。絶対『作者』に仕組まれてる。」


 と言って、にやつきながら、かなたへと目を遣る。
 私もその方向を見る。
 二人分の人影。


久美子「……あ。」

 仲良く並んで歩いて来たのは、ミドリちゃんと葉月ちゃんだった。


葉月 「お、あすか先輩だ。……あと久美子! ……久美子お、さっきは良くも見捨てて逃げてくれたねー。……御蔭で私、吸血鬼になっちゃったよー。」


 と、戯けて言う。


あすか「ナ、ナンダッテー?」


 なぜか、あすか先輩が棒読み。


あすか「いくんだ久美子ちゃん! 麗奈ちゃん! ここはわたしに任せて!」


久美子「え?」


葉月 「おや、いいんですか? 今の私は不死身の吸血鬼。力があふれて来るんですよー? 普段の私とは一味も二味も違うんですよ?」


あすか「さあ二人共! 早くいくんだ!」


久美子「いや、でも……。」


あすか「いいから!」


 良くない。このままだと葉月ちゃんが殺される。

葉月 「ふっふっふー♪」


麗奈 「さあ、いきましょう。」


久美子「あ……。」


 高坂さんに促されたので、仕方無く、私も歩き始めた。


あすか「走れ!」


 仕方無く、走り始めた。


久美子(ああ……。)


 さよなら葉月ちゃん、君の事はとわに忘れないよ……。
          *


麗奈 「あったわ。」


 走っていた高坂さんはそう言うと、立ち止まった。
 私も立ち止まると、高坂さんは私に教える様に、指を指した。
 その先を見遣る。
 水道の蛇口だった。

麗奈 「いきましょう。」


久美子「え、いくって……。」


麗奈 「御姉様からの指示よ。太股にこびりついた血を洗いなさいって。」


久美子「あ……。」


 そういう事か。
 高坂さんの後ろに付いて、水道に向かって歩く。


久美子「その『指示』って、テレパシーで?」


麗奈 「ええ。」


久美子「そっか。……でも、それ勝手に使っちゃっていいのかな?」


麗奈 「いいでしょ。御姉様が洗えって言ったんだから。」


久美子「……え?」


 どういう理屈だ。
 水道にゆき着いた高坂さんが、蛇口の取っ手を捻る。

麗奈 「さあ洗って。タオルもあるわ。」


久美子「ああ。」


 その為のタオルだったのか。
 水はじゃあじゃあと流れていた。もう後戻りは出来ない。


久美子「じゃあ……。」


 いいのかな? と思いつつ、不請不請、手に水を付けた。
          *
 洗っていると、出し抜けに、


麗奈 「久美子、マーライオンだわ。」


 と声を掛けられた。


久美子「……え?」


麗奈 「マーライオン。シンガポールにある、石像みたいな奴。」


久美子(石像……。)

久美子「……ああ、あれね。……ピラミッドの横にある。」

麗奈 「それはスフィンクスよ! ……マーライオンよ。口から水を吐いてる奴。」


久美子「ああ、そっちか。」


 ようやく頭の中に、白くて水を吐いている像が浮かんだ。


久美子「……で、それがどうしたの?」


麗奈 「うん、吸血鬼の不死身の体なら、さっきみたいに小腸を切って蛇口に繋いで水を注いでも、死なないわよね。」


久美子「うん。」


麗奈 「その状態で水圧を最大にしたら、マーライオンみたいに、口から水が勢い良く出るんじゃないかしら。」


久美子「……うん。」


 高坂さんがそう言うなら、そうなんだろう。
 だからどうしたと言うのか。


麗奈 「久美子。」


 高坂さんが、目をきらきらと輝かせながらこっちを見て来る。
 はっとした。


久美子「……あ! 遣らないよ? 絶対遣らないからね?」

          *
 洗い終わってタオルで拭くと、


麗奈 「じゃあいきましょう。もう一つ指示があるの。」


 と言われ、来た方向とは反対側に、更に導かれた。
 歩いていると、進む先に突然人が現れ、


香織 「あれー? 歯形が付いてるー。今度は誰に噛まれたのかなー?」


 と、態とらしく声を出して来た。
 それは、良く知った顔だった。そして、背中に誰かをおぶっていた。


麗奈 「香織先輩……。」


 高坂さんの声と表情に、警戒がにじみ出ていた。しかも、香織先輩の発言は……。
 更に、物陰からもう一人、歩いて出て来る。


遥香 「あすかの言ってた『御使い』ってこれの事ね。」


 小笠原先輩だった。彼女も、誰かをおぶっていた。


香織 「そっか。じゃあ働いて貰おっか。……ね? 吸血鬼の高坂さん。」

麗奈 「さっきはよくも……。」


香織 「んー? なーんか反抗的ー。……遥香。」


遥香 「しょうがない。……ってゆーかさっさとなんとかしなさいよ。服務規程違反よ?」


 そう言いながら、小笠原先輩は背中に誰かをおぶったまま、右手を首に遣り、なにかを――


久美子「あっ!」


 目が回る。体が強張る。
 十字架は嫌い。わたしはバンパイア。
 次の瞬間――


久美子「お。」


 体に衝撃が走り、思わず声が出る。
 浮遊感。
 そして、衝撃。
 数秒経ってから気付いた。私は、蹴られて地面に引っ繰り返り、天を仰いでいたのだった。
 その視界に、小笠原先輩が現れ、


遥香 「じゃ、黄前さん、この子運んで貰える?」


 と言った。
 そこでようやく顔が見え、小笠原先輩が誰をせおっているのかが判った。夏紀先輩だった。

          *
 二人の吸血鬼ハンターは、私達に、気絶している二年生二人を、あすか先輩達の居る場所まで運ばせた。
 あすか先輩は、案の定、葉月ちゃんの首を手にしていた。


香織 「あすかー、久し振りー。噛んでー♪」


あすか「噛まないよー? 久し振りって言ってもまだ一時間数十分しか経ってないよ。……や、御疲れ。」


 先輩は、私達の顔を見ると、労いの言葉を掛けた。


遥香 「御楽しみだったみたいね。」


あすか「ん、ちょっとね。……じゃーサファイヤ川島、カトちゃんの手足をくっつけて上げな。」


 あすか先輩の脇に佇んでいたミドリちゃんが、文句も言わずに働き始める。良く見ると、シートの上には葉月ちゃんのばらばら死体があった。


麗奈 「あの、御姉様……、二人共、……知ってたんですか?」


 高坂さんは、なにかにショックを受けていた。


香織 「そーだよー? 私達の方がずっと付き合い長いんだから。……我慢して損した? せっかく黙ってたのにねー♪」


麗奈 「ぐう……。」


 今度は、謎の理由で怒っていた。但し、怒りの対象ははっきりしている様に思われた。

あすか「ああ、もういいよ。あとはわたしが遣るから。下がって。」


 ミドリちゃんが身を退くと、葉月ちゃんの首無し死体が不気味に浮き上がり、あすか先輩の側に移動した。
 先輩はふわりと浮き上がると、葉月ちゃんの平らな肩の上に首を置き、何事も無かったかの様に、元の位置に着地した。


あすか「じゃー二人をシートの上に寝かせようか。……所で、先に気絶から回復するのは夏紀かな?」


遥香 「え? 先に人間に戻したのは中川さんの方だったから、多分そうだと思うけど……。」


あすか「そっか、やっぱりか。……麗奈ちゃん、御出で。」


麗奈 「はい。」


遥香 「……なんで分かったの?」


あすか「ん? まあ、久美子ちゃんがヒロインだからね。」


遥香 「はい? ……所であすか、なんか処分対象が増えてるんだけど……。」


香織 「そうそう、優子ちゃんもまた吸血鬼に戻ってるし。せっかく私が人間に戻して上げたのに。……ねえ?」


優子 「え……、なんで分かったんですか……。」

あすか「そりゃ、優子ちゃんが香織を見ておどおどしているからだよ。誰だって、さっきの記憶が戻っていると気付くさ。……次、久美子ちゃん。」


香織 「うん。……大丈夫、さっきはびっくりしたよね? 怖い記憶は全部私が消して上げる。御出で?」


麗奈 「優子、行っちゃ駄目よ。」


香織 「あー、今度の御主人様は高坂さんだったんだねー。……優子ちゃん、私と高坂さん、どっちが好き?」


優子 「え……、それは……。」


麗奈 「考えないの。そこは即答しなさい。」


優子 「はい、麗奈様……。」


久美子「うーん!」


 伸びをする。ようやく肩の荷が下りた。
 ふと葉月ちゃんの顔を見ると、首を動かしてこちらを見詰め返して来る。もう体は全て治っているみたいだった。


久美子「あの、御姉様、葉月ちゃん……。」


あすか「ああ、そうだね。ほら。」


 空中で直立していた葉月ちゃんの体が、すとんと地面に落ちる。

久美子「ねえ、大丈夫?」


葉月 「……。」


 しかし、返事は無かった。その場に立ったまま、猜疑と怒りが入り交じった様な表情で首を小さく動かし、私を見たり、周りに目を遣っていた。


あすか「楽しかったねカトちゃん。また遊ぼうね。」


 葉月ちゃんの視線が、あすか先輩に釘付けになる。


あすか「……それとも、今遊ぶ?」


 釘付けのまま、表情が恐怖と絶望に変わってゆく。


あすか「……今遊ぼっか♪」


遥香 「こらこら、あんまり苛めないの。」


あすか「えー? 苛めてないよ。カトちゃんだってあんなに遊びたそーな顔をしているじゃないか。」


遥香 「……あれが『遊びたそーな顔』?」

あすか「そーだよ。わたしの事が嫌だったらとっくに居なくなっている筈だよ。……でしょ?」


 あすか先輩が、葉月ちゃんに呼び掛ける。
 しかし、最前より葉月ちゃんは、蛇に見込まれた蛙の如く、唯じっと立っているのみだった。その行いに好悪の感情が関係していない事は、誰の目から見ても明らかだった。


あすか「……ま、居なくなったらなったで、代わりにマスターをばらして遊ぶけど。ねえ?」


 そう言って、あすか先輩はミドリちゃんを引き寄せた。えげつなっ。


遥香 「あー、そーゆー主従関係か。」


あすか「ほおら。」


 あすか先輩が、ミドリちゃんを後ろから抱き締める。


あすか「ね? カトちゃん、……わたしの事、……嫌いじゃないよね?」


 ミドリちゃんの体を、両手で撫で回しながら訊く。


あすか「ねえ返事は? ……嫌いじゃないよね?」


葉月 「……はい。」


 葉月ちゃんの声は、若干上擦っていた。

あすか「じゃあ、こっちへ御出で?」


 葉月ちゃんが、ゆっくりと歩き始める。
 私には、その様子を黙って見ている事しか出来なかった。御免、葉月ちゃん……。
 二人の手前で、葉月ちゃんが立ち止まる。
 すると、あすか先輩は、笑みを浮かべながら人質の体を解放し、葉月ちゃんに向かって


あすか「よしよし。」


 と言ってから、おもむろに振り返った。
 ミドリちゃんも、若干振り向く。


あすか「ねえ、夏紀を『処分』したのって、正確には何分くらい前だった?」


 すると、その発言を待っていたかの様に、ミドリちゃんがこちらに振り向き、口に左手の人差指を当てる。
 「しー。」と音は出さないが、葉月ちゃんや私に対して、発言をしない様に促す仕種だった。


遥香 「何分って言われても……。」


 ミドリちゃんが葉月ちゃんの手を取り、こっそりと、歩き始める。


遥香 「……ん?」


 小笠原先輩も気付いた様だった。
 しかし、あすか先輩は、振り返らない。
 二人が駆け出す。
 誰も追い掛けない。

遥香 「……あーあ。……ほんっと鬼畜ね。」


香織 「そおかな? 私だったら大歓迎だよ? ……どおかな?」


 香織先輩が科を作って水を向けるが、あすか先輩は黙ったままだった。
 状況がさっぱり分からん。誰か説明してくれ。
 あすか先輩が、こちらに振り返る。


久美子(!)


 彼女の嗜虐的な表情を目にして、ようやく、はたと気付いた。見す見す見逃した責任を、追及されるかも知れない。


久美子「あの……、逃げちゃいました……。」


あすか「んーん、逃げちゃったんじゃなくて、わたしがカトちゃんを連れてこっそり走り去る様に、事前にテレパシーで命令しておいたんだよ。だから、ぜーんぶ指示通り。」


麗奈 「……やっぱり御姉様が噛んでたんですね。」


 高坂さんが、非難がましくぽつりと漏らす。


あすか「うん。……麗奈ちゃんを噛んだ時には、まだ噛んでなかったけどね。」


麗奈 「分かってますよ……。」


 高坂さんは、明らかに不機嫌だった。

あすか「じゃ、いこっかな。」


 そう言ったあすか先輩の体が、緩やかに上昇してゆく。
 空中で止まり、体の向きを変え、


あすか「あっちに居る。」


 指差したのは、逃げ去って行ったのとは全く別の方向だった。


あすか「じゃあ行ってくるね。三十秒で戻るよ。」


 次の瞬間、びゅう! という音と共に、あすか先輩は消えた。注視していたのに、わたしの目には残像すら残らなかった。
          *
 無防備な夏紀先輩の寝顔が、なんともいとおしい。
 悪戯したい、と思いながら眺めていると、


香織 「あ、帰って来た♪」


 と声がした。
 顔を上げる。どこだ。


あすか「ただいまー。」


 後ろだった。振り向く。
 いつの間にか、あすか先輩が立っていた。
 両脇に、葉月ちゃんとミドリちゃんを抱えている。

あすか「もー動いていいよん。」


 その言葉と共に、二人がおもむろに体を動かし始め、ぎごちなく着地する。


あすか「また遊ぼうね。……次は『かくれんぼ』じゃなくて『鬼ごっこ』をしよう。……全力で逃げてね♪」


 あすか先輩は、そう言って葉月ちゃんを更に脅えさせてから、わたし達の方に向かって、歩き始めた。
 哀れな葉月ちゃんは、その場に立ち尽くすのみだった。
 逃げる事も出来ない。隠れる事も出来ない。況して、戦うなんて以ての外。しかも、恐らくミドリちゃんは、あすか先輩に口止めされていて、なにも話して遣る事が出来ないのだ。
 代わりに私が慰めにいこうか。
 しかし、そう思った矢先――


夏紀 「ん?」


久美子「ん? ……あ。」


 夏紀先輩が、目を覚ました。


久美子「御姉様! 夏紀先輩が起きました!」


あすか「おー、そうか。」


夏紀 「なにこれ……。」


遥香 「ん? 予想より大分早い……。」

あすか「いーじゃん、一杯居た方がゲームは盛り上がるよ?」


久美子「ゲーム?」


あすか「そう。吸血鬼ハンター対、吸血鬼のね。……やあ、夏紀、気分は?」


遥香 「別にそんな遊びに付き合う気は全然無いんだけど。」


夏紀 「あ、あすか先輩、これは……。」


香織 「えー? じゃあなんで来たの?」


あすか「ん、だいじょーぶ。じっとしてな。」


遥香 「……私は、香織がいくならいくわよ。相棒だし。」


夏紀 「その、私、なにがなんだか……。」


香織 「またまたあ。ほんとは遥香もあすかの事好きなんでしょ? 正直に言っちゃいなよー。」


あすか「平気、直ぐに思い出させて上げるよ?」


遥香 「正直にって……こらそこ! ……おっ。」

 その時、突如として小笠原先輩がこちらに向かって突進し、見えないなにかにぶつかった。


遥香 「このお!」


 小笠原先輩が、見えない「なにか」を全力で押す。


夏紀 「な……。」


遥香 「ううー!」


あすか「お? 結構力が増したんじゃない?」


 あすか先輩はそう言ったが、見えない「なにか」を押す小笠原先輩の体は、全く前進してはいなかった。


遥香 「このっ! このっ! このっ! あっ!」


 小笠原先輩が見えない「なにか」に三度体当たりした所で、体を「手」にでも握られたのか、全く動けなくなった。


あすか「まあ落ち着きなよ。そこで吸血鬼が増える様を、じっくり見てるんだ。特等席だよ?」


 あすか先輩の顔には、若干嗜虐的な笑みが浮かんでいた。
 逆に、小笠原先輩は、苦虫を噛み潰した様な顔だった。

あすか「じゃ、思い出そっか。」


夏紀 「え、思い出すってなにを……。」


 夏紀先輩が(略)。
          *


あすか「おはよう、夏紀。」


夏紀 「あ……、御姉様……。」


 夏紀先輩が、意識を回復した。言われなくても最初から「御姉様」と呼んでいる辺り、前の主人もあすか先輩だったのかも知れない。


あすか「全く、どうしてあんなに離れたんだい? 歯形祭りのルールを忘れたの?」


久美子(ん?)


夏紀 「あ……、御許し下さい御姉様。逃げるのに必死で、つい……。」


あすか「全くだよ。あの二人が一時間近くも掛かるんだから。」


久美子「御姉様、今『はがた』って言いませんでした?」

あすか「そうだよ。県祭りの夜に吸血鬼が歯形を付ける! 詰まり、歯形祭り!」


香織 「んー、そのセンスはどうかと思うよ?」


遥香 「うん。」


 全くだ。「チュパカブラ」で「大きなカブ」くらい酷い。


あすか「えー? ……ま、とにかく遣ろうよ。……第一回歯形祭りのフィナーレ、吸血鬼対吸血鬼ハンターのバトル!」


遥香 「余程気に入ってるみたいね。……所で、加部さんは?」


あすか「ああ、多分起きないよ。もう直ぐ物語の終わりだし。」


遥香 「……はい?」


あすか「久美子ちゃん、御出で。」


久美子「はい。」


 いつもの。


あすか「んー、三四五の三二四か。今回はあんまり進んでないね。……でも、そろそろだね。」

久美子「はい……。」


 終わりが来たらどうなるんだろう。


遥香 「……え? 今のなに?」


香織 「……さあ? ……黄前さんを拷問してみたら、なにか判るかも。」


 不吉な単語が聴こえてしまった。目を合わせない様にしよう……。


あすか「で、ルールは? なにをされたら負けにする? ボディーに一撃を食らったり押さえ込まれたらでいい? ……あ、勿論わたしは筋力強化以外に呪力は使わないよ?」


遥香 「は? 舐めんじゃないわよ。いいから全力で来なさいよ。じゃないと真性に対する実践的な訓練にならないでしょう?」


 さっき手も足も出なかったのに、偉く血気盛んだった。それぐらいじゃないと吸血鬼ハンターは務まらないのかも知れない。


あすか「じゃあ遥香はそれでいいね。香織は?」


香織 「噛まれたら負け♪」


あすか「却下。」

香織 「えー? 噛んでよお。」


 こっちはこっちで真性吸血鬼にめろめろだった。なんでこんな人に吸血鬼ハンターが務まっているのだろうか。


あすか「じゃあ、遥香はルール無用で、香織は素手の格闘でいいね。……十字架は?」


遥香 「こんな雑魚共には必要無い。」


あすか「使った方が実践的じゃないの?」


遥香 「うるさい黙れ。」


あすか「まあ、前にそれで失敗してるしね。……で、ルールは決まった。チームは人間上がりの……いち、にい、さん、しい、ごお、六人と、ハンター二人の二チームでいいよね?」


久美子「あの、」


遥香 「え、あすかは?」


あすか・久美子・遥香「……。」


 殆ど同時の発音だったが、若干私の方が早かった。

あすか「……なんだね? 久美子ちゃん。」


 よし。


久美子「……なんで私まで?」


あすか「えー? 遣りたくないの? ……戦闘だよ? 徒手空拳の格闘だよ? ……どお? 吸血鬼の血が騒いでこない?」


久美子「……いえ、全然。」


あすか「んー? そんな事は無いでしょ。だって、人間上がりは兵隊として戦う為に、心と体が攻撃的になってる筈だもん。……自覚無いの?」


久美子「いや……?」


 首を傾げる。
 他の人はいざ知らず、私はそれ程攻撃的にはなっていないと思う。


あすか「で、わたしがなに?」


遥香 「あすかは遣らないの?」


あすか「勝った方と戦う。それとも、一対八で戦う? わたしは別にそれでもいいけど。」

遥香 「良くない。二対六で遣ったあとに、二対一で遣る。」


 だからなんで私まで……。
 それに、葉月ちゃんが戦えるとは思えない。


あすか「そっか、じゃあ決まりだね。……という訳だ。みんな聞いたね? 十字架を心配する必要は無い。一気に突っ込んじゃいな。ばらけてると各個撃破されるよ? じゃあ、時間も無い事だしさっさと始めようか。レディー……ゴー!」


麗奈 「やっ!」


 高坂さんが、一気に駆け出す。


香織 「はっ! 甘い! てやっ!」


 相手は香織先輩だった。


あすか・久美子・緑輝・夏紀・葉月・遥香・優子「……。」


 そして、他は誰も動かなかった。


遥香 「……いくわよ。」


 一瞬で距離を詰め、吉川先輩を沈める。

遥香 「ぼさっとすんな!」


久美子「ひっ。」


 次は私だった。
 顎に、一撃。
 体の自由が利かない。


夏紀 「おごっ。」


 側に居た夏紀先輩の声。
 私の体が倒れる。


緑輝 「あっ、葉月ちゃんは駄目え! ……げっ。」


葉月 「緑っ!」


遥香 「ああ?」


葉月 「ひっ。」


遥香 「ふんっ、臆病者め。……あすかあー!」

香織 「いくよっ!」


あすか「ははっ。やっぱりそう来た!」


遥香 「速い! 不味い!」


あすか「そら♪」


遥香 「ぐっ。」


あすか「ほら、……御出で?」


香織 「……てやっ!」


あすか「ははっ。……ほらっ。ほらっ。……そりゃっ! つっかまえたー♪」


 体を起こす。
 そして周りを見る。全てが終わっていた。
 人間上がりの『雑魚共』は全員地面に転がっていて、小笠原先輩は、案の定「手」に体を掴まれたと思しき状態で、足が若干地面から浮いていた。香織先輩は、あすか先輩に、正面から体を抱き締められていた。腕が全く使えない状態だった。


あすか「一応、これで勝負ありなのかな。」


香織 「ええ。」

遥香 「……完敗ね。」


香織 「うん。……去なすだけで、殴ろうともしなかったね。」


あすか「そりゃ、こんな可愛い子を殴るなんて、振りでも出来ないさ。」


香織 「まあ、紳士。」


あすか「まあね。……遥香は――」


香織 「ん。」


 あすか先輩が言い掛けた所で、香織先輩がその唇に、軽く口付けを交わした。
 先輩の動きが止まる。


あすか「……わ、わたしの初めて。」


久美子「え?」


香織 「んー。」


 香織先輩は、躊躇わずに二発目を繰り出した。

香織 「ん……、あ……。」


 しかも、今度はディープキスだった。


香織 「ん……、んー……。」


 あすか先輩は相当ショックが大きかったのか、されるがままになっている。
 なんという攻撃。さすが吸血鬼ハンター。


香織 「ん……、ん?」


 香織先輩を拘束していた、腕の力が緩む。戦意喪失か。


香織 「あは♪」


あすか「ん……、ん……、んあ……。」


 いや、そうではなかった。あすか先輩の応戦が、既に始まっていたのだった。彼女の両腕が、ゆっくりと上昇してゆき、


あすか「ん……、あはあ……。」


 両手が、香織先輩の頭部を、優しくつつむ。
 そうして、一気に貪り始める。

あすか「んー……、んー……、かおい……、んー……。」


 猛攻。
 なんだ、やはり吸血鬼ハンターよりも、真性吸血鬼の方が強かったのだ。
 香織先輩は、防戦一方だった。
 というより、攻撃されるのを楽しんでいる様に見えた。


あすか「あはあ……、はあ……、はあ……。」


 吹部のマドンナの唇を堪能したあすか先輩が、唇を離す。


あすか「……香織、結婚しよ?」


 そして、プロポーズ……って、なんで?


香織 「……はい。」


 しかも、婚約が成立。
 ファーストキスから一分くらいしか経っていないというのに、二人は婚約してしまった。いいのか? そんなに簡単に決めてしまって。……本当にいいのか?
 などと思いながら見ていると、不意に、体がふわりと浮きあがる様な、妙な感覚に襲われた。


久美子「え?」


 どんどん、体が軽くなっている。

久美子「なにこれ、御姉様が?」


あすか「いや、わたしはなにもしてない。」


 直後、完全な闇が訪れる。


久美子「え、今度はなんですか!」


あすか「あ、そうか! 始まったんだ! 世界の『崩壊』が始まったんだ! 『物語の世界』の、終わりが来たんだよ!」


久美子「え! ……あ。」


 遂に、私の足が、地面から浮き上がってしまう。


遥香 「なに! どういう事なの! あすか!」


あすか「説明している暇は無い! 全員ケータイを出して! 明かりで位置を確認するから!」


久美子「ちょっ! ケータイありません!」


あすか「そーだった! ……ん? なんだこれ!」


遥香 「どーしたの!」

 しかし、あすか先輩の返事は無い。
 近くが光る。
 夏紀先輩だった。


夏紀 「お、圏外だ。」


 どうやら基地局は「崩壊」してしまったらしい。
 直後に、高坂さんと吉川先輩も、立て続けに暗闇の中に浮かび上がった。ケータイの画面程度の明るさでも、完全な暗闇の中では、かなり明るく感じられた。しかし、彼女達が辺りを照らし出してくれても、香織先輩とあすか先輩の姿は、どこにも見出せなかった。二人は、どこかへと消えてしまっていた。


あすか「駄目だ、居ない! 人が居ない! わたし達以外に、一人も人が居ない! なにも感じないよ!」


 声は、上の方からだった。


遥香 「なんですって?」


あすか「取り敢えず、香織を頼むよ。一緒に居て。」


 今度は後ろの方からだった。あちこち飛び回っているらしい。忙しい人だ。


あすか「しまった! 居ない!」


 また上からだった。


遥香 「え、今度はなに!」

あすか「……サファイヤ川島だ! サファイヤ川島とカトちゃんが、もうこの世界のどこにも居ない! 消えちゃった!」


 なんだって?
 それまで二人が居た方向に、目を向ける。
 直後、視界の中に、あすか先輩が下りて来る。
 先輩がケータイの光を向けると、そこには地面と、地面の「ふち」があった。そこから上は、完全なる闇だった。


あすか「やっぱりそうだ!」


 なにかに気付いたらしい。
 直ぐ様、こちらへ向かって飛んでくる。


あすか「タオル一枚貰うよっ!」


 その言葉と共に、踵を返す。
 今度は地面摩れ摩れを、割合ゆっくりと進んでゆく。
 程無く、そのままの高さで静止し、


あすか「そらっ!」


 タオルを振る。


あすか「……やっぱり!」


 なにかに納得したあすか先輩が、今度は、私達の頭上に素早く遣って来て、止まる。

あすか「いくよ……!」


 なにかを始めたらしい。


香織 「遥香、あれ!」


遥香 「……え、ちょっと! なに遣ってんの! あすかー!」


あすか「見れば分かるでしょ! 石畳を融かしてるのさ!」


遥香 「だからなんで!」


あすか「見てれば分かる! 一番遠い溶岩にだけ注目してて! 今度はこっち!」


 その言葉の直後、私の前方の石畳が、部分的に、明々と光った。十メートルくらい先だろうか。
 更に、一メートルずつくらいの間隔をあけて、石畳の上に、赤い「飛び石」が次々と形成されていった。それは丸で、見えないなにかが、一歩一歩進んでいるかの様だった。仮に、透明なゾウが蓄光塗料を踏んだ状態で真っ直ぐに歩いて行ったなら、こんな感じの足跡が、残されてゆくのかも知れない。


あすか「ここまでかな。」


 その言葉と共に、ゾウの歩みが止まる。


あすか「四人共、良く見ていて御覧。一番遠くの部分だ。」


 言われなくても、みんな既に目を注いでいた。

麗奈 「あ。」


 私より前方の空中を漂っていた高坂さんが、声を上げる。
 間も無く、私にも分かった。立ち止まったゾウの前足が、爪先側から消えていたのだった。
 軈て、その溶岩は、完全に消え去った。


あすか「みんな見えたね? 真っ黒い闇が、ちょっとずつこの世界を侵食している。しかも、あの『闇』に触れた物質は、この世界から消滅してしまうんだ。……それは、さっき麗奈ちゃんのタオルを使って確かめたから、間違い無い。……御免、麗奈ちゃん。タオルが一枚、少し短くなっちゃった。」


 こんな時にタオルの話か。


あすか「あの『闇』が、地球の殆どの物質を、あっという間に消し去ってしまったらしい。だから重力が存在しない。……というか、多分物質だけではなく、時間と空間も消滅している。あの『闇』の向こうには、もう我々の知っている宇宙は存在してはいないだろう。……あと、上から石畳を見ていて、確認出来た事が一つある。」

あすか「実は、一直線に伸びた石畳の、『闇』に触れている両端の部分から、最も遠い場所に……、久美子ちゃんが居る。……多分、主人公だから、特別扱いされているんだ。だから、今から久美子ちゃんの周りに、全員を集める。以上! ……香織と遥香と夏紀には意味不明だろうけど、質問は認めない。」


 あすか先輩はそう捲し立てると、ハンター二人の方へと飛んだ。


あすか「んー! 御免ね、香織、さびしかった? 二度と離さないよ?」


香織 「うん、あすか、愛してる……。」


 そういえば、あすか先輩にはフィアンセが居たのだった。

遥香 「いや、抱き付いてないで、早くなんとかしなさいよ。自由に動けるのはあすかだけなんだから。」


あすか「分かってるって。……ほら、優子ちゃんを捕まえな。」


 その台詞を聞いて顔を前に戻すと、高坂さんの体が吉川先輩の近くにあって、二人が御互いの手を掴む場面だった。両者共に、手にケータイを持っていたので、少し遣りにくそうだった。


あすか「よし。次は夏紀だ。」


 二人の体が、夏紀先輩に向かって動いてゆく。


あすか「夏紀、優子ちゃんを掴め!」


 夏紀先輩が、吉川先輩の腰に、手を伸ばす。


あすか「よし! いいぞ! ……しっかり掴んで、絶対離すな?」


 夏紀先輩は、吉川先輩の腰回りに、きつく抱き付いた。
 その上で、あすか先輩の方へ、顔を向ける。


夏紀 「御姉様、早く! 近くまで来てます!」


遥香 「そーよ。さっさと終わらせなさいよ。」

 振り向いた。
 確かに、世界を終わらせる「闇」が、かなり側まで、迫っていた。
 悠長に頭上で長話なんかしているから、こうなるのだ。


あすか「だいじょーぶ! 『闇』の進行はどんどんペースが落ちてるから。だから地球の殆どは最初の数秒で消滅しちゃったのに、わたし達は今でも生きてる。……多分、久美子ちゃんに近付けば近付く程、なにか抵抗する力が強くなるのかも知れないね。このペースなら……、ここまで来るのにあと十秒は掛かるよ。わたしなら余裕で――」


久美子(!)


夏紀 「あっ!」


 それは死亡フラグです! と警告する間も無く、あすか先輩がこちらに顔を戻した直後に、「闇」が一気に侵食し、三人はこの世から消え去った。
 なんという事だ。


麗奈 「不味いわね……。」


 全くだ。あすか先輩はこの中で、一番消えてはいけない存在だった。


麗奈 「ねえ優子、手を離して。」


優子 「え?」


麗奈 「早く!」


優子 「あ、はい……。」

 吉川先輩が手を離すと、高坂さんが、吉川先輩の体を掴む。


麗奈 「出来るだけ動かないで。」


優子 「はい……。」


久美子(え? あれってまさか……。)


 次の瞬間、高坂さんは、吉川先輩の上半身を両手で押して、その体から離れた。
 高坂さんの体が、こちらへ向かって来る。


優子 「……え? ……え?」


 吉川先輩は、信じられない、といった表情だった。しかも、押された所為で、ゆっくり回転しながら移動していた。
 高坂さんが、わたしに抱き付く。
 私の体もまた、ゆっくりと二人から離れ始めた。


久美子「ちょっと! 酷くない?」


麗奈 「なに言ってんの久美子。その為の眷族じゃない。」


久美子「そーだけど! ……でも、夏紀先輩は……。」


麗奈 「大丈夫。彼女も、優子を踏み台にすればこっちに来られるわ。」

優子 「ちょっと! 夏紀もその積もりなの?」


麗奈 「さあ、手遅れになる前に、早く。」


夏紀 「……いや、私はいかないよ。友達を死なせてまで生きようとは思わないし。しかも、既に結構離れてしまって、成功するとも限らないし。更に言えば、成功してもどっち道、この世界では生きられないでしょ。……それに、さっきあすか先輩に『絶対離すな』って言われたしね。……私は優子と死ぬ事にするよ。」


優子 「夏紀……。」


夏紀 「優子……。」


優子 「あー! やだー! なんで夏紀なのー! 香織先輩か麗奈様と一緒が良かったー!」


 せっかくの夏紀先輩の覚悟が、台無しだった。


麗奈 「優子!」


 高坂さんが一喝。


優子 「はい……。」


麗奈 「見苦しいわ、優子。静かに死になさい。」


優子 「麗奈様……。」

麗奈 「大丈夫、どうせ私も直ぐに死ぬわ。……あの世で一緒にトランペットを吹きましょう。」


優子 「……はい!」


 その直後だった。


夏紀 「あ……。」


優子 「え? あ……。」


 二人の姿が、「闇」のかなたへと消えていった。


久美子「……二人だけになっちゃったね。」


麗奈 「いいえ、多分まだ三人よ。……直に二人だけになるでしょうけど。」


久美子「……ああ。」


 そういえば、トランペットの先輩がもう一人居たのだった。
 彼女は、目覚めずに死んでゆくのだろうか。それとも、目覚めてから死んでゆくのだろうか。仮に体が普通の人間に戻っているのだとしたら、前者の方が幸いであろう。
 ならば、彼女の悲鳴が聴こえて来ない事を祈ろう。若しも苦痛を感じる為だけにここに存在しているのだとしたら、それはあまりにも悲しい。
 そう思って、はたと気付いた。

久美子「ねえ、結局、私達の『存在意義』ってなんだったんだろうね。」


麗奈 「ああ、あの、久美子が主人公だから、っていう?」


久美子「うん。」


麗奈 「まあ、確かに、こんな状況でもまだ生きているんだから、というか、生かされ続けているんだから、久美子にはまだなにか特別な理由、あの人が言っていた『存在意義』という物が、あるのかも知れないわね。……なにかしら。」


 そう言って、彼女は考え始めた。


麗奈 「この状況でも出来る事……、久美子が、こんな状況でも出来る事……。」


 ケータイの明かりに浮かび上がるその表情は、真剣その物だった。


麗奈 「今まで久美子が敢えて遣らなかった事で、こんな状況でも……あ。」


久美子「え、なに?」


麗奈 「あ、いえ、なんでも無いわ。」


久美子「んーん、言って。それが答えかも知れないし。」

麗奈 「いや、絶対違うし……。」


久美子「全然構わないよ! それに、それがなにかヒントになるかも知れないしさ。」


麗奈 「そっか、なら言うけど、……見当違いでも怒ったりしない?」


久美子「しないしない!」


 寧ろ、早く言わないと怒る。


麗奈 「そう。……じゃあ言うわね。私……。」


 高坂さんはそこまで言うと、大きく息を吸った。
 そして、こちらを見てくる。
 美しい高坂さんの瞳と目が合い、少しどきりとした。


麗奈 「私、やっぱり久美子のマーライオンが見たかったわ。」


久美子「……ちょ、もー! 今それ言う?」


〈了〉

スレを建てたら[たぬき]のAAと共に「またバグだ」と表示されていたのでスレ建てに失敗したのだと思った。
そうしたら他の人に2getされていた。一生の不覚。

連投スクリプト対策の25秒は私には長過ぎた。
ここに書いても無意味かも知れないが、15秒ならもっと楽に投稿が出来ていた。

>>2がなにを期待してどのくらい期待外れだったかが気になる。
400枚分は大変だろうが、見たら感想が欲しい。

個人的にはこれで遣りたい事は(「ドラえもん」を含めて)全部遣った。
あとは感想と質問を待つのみ。

感想ありがとう。
特に質問も無さそうなので依頼してきました。

因みに部長の名前は正しくは「遥香」ではなく「晴香」でした。日曜の深夜に名前の誤りに気付きました。
執筆の終盤で何度も「晴香」を目にする機会があったのに、正誤が逆の可能性に思い至らなかったのは一生の不覚(※今月二回目)でした。

因みに、当時(2015年)の日記やらなにやらを見たら、5月21日には「はるか」と書いていて、6月2日には「晴香」でした。
いつ、いかにして記憶が変化したのか、突き止めたら学会に報告しようと思います。

序でに、3年前から今日に至るまでに思い付いたネタは以下のスレに投稿しました。
まだ忘れているネタがあるかもですけど、さすがに三年分の日記の検索は億劫なので遣りませんでした。

ふと思いついた小ネタ(スレタイ含む)を書くスレinSSRその1
ふと思いついた小ネタ(スレタイ含む)を書くスレinSSRその1 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssr/1468086173/)

2015年は吸血鬼が登場する作品が多過ぎでした。
個人的には気に入らないのは吸血鬼物だけではありませんが、取り敢えず吸血鬼滅ぶべし。

本編と後書きをここまで読んでくれた人はありがとう。
本編を読まずにここまでスクロールした人もありがとう。

それでは、御機嫌よう。

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom