渋谷凛「ラブレター」 (9)

 アイドルになる前、私はラブレターをもらったことがある。

『いきなりこんな手紙を書いてごめんなさい。迷惑だったらすみません。自分勝手だとはわかっていますが、これだけは伝えたくて書きました。あなたのことが好きです。付き合ってくれとは言いません。あなたのことが好きです。読んでくれてありがとうございました』

 ただそれだけが書かれた手紙。青いラインの入った洋封筒に、罫線だけが引かれた便箋。

 それが私にとって、初めてもらったラブレター。

 それをもらった時、私は意味がわからなかった。

 どうしてこんな手紙を送るんだろう。

 誰にでも書けそうな文章だし、悪戯かな。

 でも、どうしてそんな悪戯をするんだろう。

 そんなことを思ったけど『もし本当なら』と考えると捨てることはできなくて、今も机の引き出しにしまっている。

 あの手紙には差出人の名前が書いてなかった。

 結局、あれは誰が書いたものだったんだろう。

 それは今もわからない。

 ただ、その手紙をもらった日。

 その日の空が、やけに綺麗だったことを覚えている。


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      *


 アイドルになって、私はファンレターをもらうようになった。

 ファンレターには色んなことが書かれていた。イベントでのこと、その思い出、それからちょっと面白いことが書かれてあることもあって、そんな時は思わずくすりと笑ってしまった。

 アイドルを続けていくにつれて、ファンレターの数も増えていった。

 ファンレターを読むと元気が出た。良かった、と思った。胸がいっぱいになることもあった。色んなファンレターがあった。

 中には、ただ『応援しています』といったことだけが書かれているものもあった。

 そんなファンレターを読んで、失礼なことだけど、私は思うことがあった。

 この人は本当に私のことが好きなのだろうか。他のアイドルに送る時、ついでに書いただけなんじゃないか。

「それは確かに失礼だな」

 プロデューサーが笑った。実際、自分でもそうだと思うから反論できない。

 でも、他のファンレターに比べると、明らかに適当なんだよ。

 誰にでも書けそうな、定型文みたいな。

 だから、もしかして……って。

「うーん……まあ、そう思うこともあるのかもしれないな。だが……凛は、ラブレターってもらったことあるか?」

 ラブレター?

「ああ。まあ、この時代にラブレターをもらう、なんてことはなかなかないのかもしれないが」

 確かに、ほとんどないだろう。私もほとんどそんな経験はなかったから、ないと答えようとした。

 でも、そこで昔もらった手紙を思い出した。悪戯だと思っていた手紙。あれがラブレターに入るのなら……。

「悪戯? 悪戯って、封筒とか便箋に折れ目が付いてたり、変なものが入ってたりしたのか? それか、呼び出されて誰もいなかったとか、馬鹿にされたとか……」

 そうじゃないよ。というか、プロデューサー、そういう経験あるの?

「……ノーコメントで」

 あるんだ……プロデューサーが遠い目をしている。聞かなかった方がよかったかな?

「お、俺のことはどうでもいいんだよ。それで、その手紙をどうして悪戯だと思ったんだ」

 差出人も書いてなくて、ただ『好き』ということしか書かれてなかったから。相手が私じゃなくても同じように書けそうな文章だったし、結局誰が出したのかもわからないままだから。

 私が答えると、プロデューサーは「あー……」と呆れたような声を出した。……それ、どういう意味?

「いや、何と言うか……凛、ラブレターとか書いたこと、ないだろ?」

 私はうなずいた。ラブレターを書いたことなんてない。

「なら、もしラブレターを書くとすればどうする? ちょっと、考えてみろ」

 ラブレターを書くなら……? 私は考える。……なかなか、思いつかない。

「だろ? つまり、そういうことなんだよ」

 ……どういうこと?

「ラブレターを書くのは難しい、ってことだよ。『好き』という気持ちを伝えたことがなければ、『好き』という気持ちを伝える方法もわからない。どういう言葉を使えば自分の気持ちが伝わるのかわからない。……もしかしたら、その手紙を出した子は初恋だったのかもしれないな。それか、初めてのラブレターだったのかもしれない。いや、この時代だ、手紙を書くことすら初めてだったのかもしれない。……そんな状態で、洒落た文章なんて書けるか?」

 ……書けない、と思う。

「だから、そういう文章になったんだと思うよ。まあ、俺も凛の学校生活までは知らないからな。本当に悪戯じゃないのかどうかまではわからない。……でも、俺はラブレターだと思う。つたなかったかもしれないが、その子なりに気持ちをこめた手紙だったと思うよ」

 そう、なのかな。

「たぶん、な。それで、ファンレターの話に戻るが……ここまで言えば、俺の言いたいこともわかるんじゃないか?」

 ……ファンレターも、書き慣れていない、から?

「そうだ。俺も初めてファンレターを書いた時は全然上手く書けなかったよ。でも、俺なりに考えに考えて、その上で出した手紙だった。俺も手紙なんてほとんど書いたことはなかったからな。どうすれば上手く気持ちを伝えられるのか、悩みに悩んで、ありがちな、誰にでも書けそうな文章になった」

 ……。

「凛、お前はさっき、本当に好きなのか信じられない、って言ってたよな」

 ……うん。

「そう思うことは仕方ないかもしれない。初めてファンレターを書くような人間の文章なんて、そんなもんだ。自分の気持ちを整理することすらきちんとできなくて、読んでいるお前にそんなことを思わせてしまう。でも、ファンレターを出している時点で凛に対する想いは本物だよ。わざわざファンレターを書いて送るなんて、よっぽど強い想いがないとしない。凛。ファンレターは、ファンの想いそのものだ。つたないものもあるかもしれないが、それはわかってあげてくれ」

 ……わかった。でも、そこまで言われると、ファンレターがすごく重く感じるようになってくるね。

「実際重いからな。……凛がそう思って大切にしてくれたら、きっと、それを出した人も報われるよ」

 ……プロデューサー。

「なんだ? 凛」

 ありがとう。

「どういたしまして」



      *


 その日の夜。

 私はファンレターをもう一度読み返していた。今までにもらったファンレター。そのすべてを読み返していた。

 その量は思っていたよりもずっと多くて、読み終わった頃には窓の外から日の光が差し込んできていた。

 ファンレターをそれまでよりも大事にしまって、私はカーテンを開いて、窓の外の空を見た。

 その空は、とても綺麗で――私は、ある手紙を思い出した。

 机の引き出しを開けて、底の方にある手紙を取り出して。

「……あっ」

 読んでいると、どうしてか、涙がこぼれた。

 どうしてだろう。

 どうして、涙がこぼれたんだろう。

 どうして、私はこの手紙を悪戯だなんて思ったんだろう。

 ……どうして、信じられなかったんだろう。

 便箋の上に、一滴だけ涙が落ちた。

 私は便箋を洋封筒にしまって、丁寧に封をした。

 そして、その手紙を机の引き出しに入れようとして、ふと、視界の隅にファンレターをしまった箱が入った。

 少しだけ悩んで、手紙はそのまま机の引き出しにしまった。



      *


 アイドルになる前、私はラブレターをもらったことがある。

 その手紙は、今も机の引き出しにしまっている。




終わりです。ありがとうございました。

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